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匣SAYAから発信・やきものの話4 ~黄瀬戸・瀬戸黒~

by staff on 2011/4/10, 日曜日

黄瀬戸・瀬戸黒も美濃地方から発生

 今回は「桃山陶」の中で織部、志野と同じく、美濃から生まれた技法、「黄瀬戸」と「瀬戸黒」についてお話したいと思います。両方、瀬戸という名前がついていても、発生の地は美濃ということが判明したのは、前回でも述べましたが、志野と同様、荒川豊蔵が美濃で桃山時代の志野の陶片を発見してからになります。それまでは瀬戸が当時の産地と考えられていました。

 

黄瀬戸について

 「黄瀬戸」は黄色の釉薬のやきもので、当時、志野と同じく中国陶磁を再現しようとして失敗した際に現れた美しい色合いが逆に当時の茶人達の美意識に適ったものだったためこの技法で多くの食器類が作られました。多くは皿鉢、向付でした。志野は白磁の失敗作、黄瀬戸は青磁の失敗作だったそうです。でも実は失敗ではなくて、当時、焼き方も材料も全く違っていたので、同じものが出来ないのは当然のことでした。まず、材料が陶器の材料の土と磁器の材料の石原料とで全く違うわけです。また、同じ釉薬(灰釉)を使っても、焼き方で、還元という焔で焼くと青磁になりますが、酸化焔で焼くと、灰釉の中の鉄分が酸化して、黄色に発色してしまうわけです。青磁の再現をしようとした当時の人たちはまだ還元焔で焼き物を焼成することを知らなかったのですね。桃山時代の黄瀬戸で、形は全く青磁と同じだという事例がありますのでご覧ください。


左:桃山時代の中国製青磁皿         右:桃山時代の黄瀬戸
写真―「日本やきもの史入門」(矢部良明著)より

 黄瀬戸には無地のものや線彫りが入ったもの、またそこに褐色の鉄釉や胆ぱんと呼ばれる緑釉をちらしたものなどがあります。黄瀬戸にはいろいろな手のものがありますが、当時の「黄瀬戸」は「油揚手」(あぶらげで)という、ガラス質の光沢を取ってしまった油揚げの肌合いのような、つやのないなんともいえないやわらかい風合いの黄瀬戸です。現代の黄瀬戸の中にはつやがあったりいろいろな風合いの黄瀬戸がありますが、当時の油揚手の黄瀬戸は現代陶工が再現するのに最も難しいものです。当時の土と灰を入手するのが出来ないので、もっともなことですが、いかにつやを消して再現するかを桃山陶再興の機運が高まった昭和初期から中期にかけて現代陶工が取り組みました。その中心人物は、北大路魯山人に「静の豊蔵、動の唐九郎」と荒川豊蔵と並び称された、加藤唐九郎です。加藤唐九郎は私がまだ20代に銀座の工芸ギャラリーに勤めていた頃はご存命で、唐九郎と親しく作品を一手に引き受けていたギャラリーのご主人と、私が居たギャラリーの主人が親しい関係で、人となりを耳にしたり、幸いに沢山の作品を目にし手にしました。黄瀬戸の抹茶碗はどこにも目にしたことがないようなすばらしい風合いの美しいものだったのを今でも鮮明に覚えております。また、その人物も豪放磊落な好々爺だと常々聞いておりました。唐九郎は桃山陶再現以降は自らの感性を生かした作意の効いた力強く激しい作品を残しています。では、閑話休題、加藤唐九郎について少し触れてみたいと思います。

 

偉大な陶芸家は世紀の陶芸スキャンダルを生んだ

 瀬戸に生まれた唐九郎は20代の頃から瀬戸や美濃の古窯をまわって陶片を収集し、桃山古陶の美しさと性質を自ら熟知してその再現に心血を注ぎました。黄瀬戸以外にも志野、瀬戸黒、織部の作品を数多く残しています。昭和8年35歳の時には研究書『黄瀬戸』を著し、翌年には『陶器大辞典』編纂刊行に取り組んでいます。この天才的な陶芸家は現在に大きく名を残しておりますが、また、実は、以下の「永仁の壺事件」というとんでもないことをしでかした人物でもあります。

 『1959年、「永仁二年」(1294年)の銘をもつ瓶子(へいし)が、鎌倉時代の古瀬戸の傑作であるとして国の重要文化財に指定されたが、その直後からその瓶子は贋作ではないかという疑惑がもたれていた。この瓶子は結局、2年後に重要文化財の指定を解除されることとなり、重文指定を推薦していた文部技官が引責辞任をするなど、美術史学界、古美術界、文化財保護行政を巻き込むスキャンダルとなった。件の瓶子は実は陶芸家の加藤唐九郎の現代の作であったということで決着したが、事件の真相についてはなお謎の部分が残されているといわれている。』(ウィキペディアより)

 当時の文部技官であり、著名な古陶磁研究家の小山冨士夫氏が本物と見間違うほどの壺を、唐九郎が作ったということが何よりも、唐九郎の実力を物語る逸話であります。その後、一旦は世間の批判に晒された唐九郎ではありますが、現在ではその実力は高く評価されております。永仁の壺事件にご興味ある方は、村松友視作「永仁の壺」をお読みください。

 

瀬戸黒について

 では次に「瀬戸黒」についてのお話です。瀬戸黒は、別名「引出し黒」とも言われます。黒い筒型の抹茶碗が多く、ほとんど抹茶碗以外は作られておりません。引出し黒といわれる所以は、焼成中の窯の中から器を鉄はさみで挟んで引き出して、急冷させることにより漆黒の肌に発色するからです。現代でも同じ技法で多くの引出し黒が作られています。瀬戸黒と同じ技法で形のゆがんだ織部スタイルのものは「織部黒」と呼ばれます。織部黒の一部を抜いて鉄絵を描いたものは「黒織部」と呼ばれています。いずれも瀬戸黒の延長のものと考えられています。


瀬戸黒茶碗 銘「玉むし」
16世紀 根津美術館蔵
 
黒織部茶碗
17世紀 岐阜県陶磁資料館蔵

写真-「瀬戸・美濃やきもの紀行」 主婦と生活社発行 より

 以上で美濃から発生した桃山陶について触れました。次回以降は美濃以外の産地の桃山陶について触れていきたいと思います。

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