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知らないことを知る楽しさと地元の世界の広さに気づいたことが原動力。
保土ケ谷区の地域活性化にのめり込んだ、合資会社 笑う門 代表 山田浩和さん。

by staff on 2011/6/10, 金曜日
山田浩和さん
ほどがや発!
中小企業のブランドづくり・商店街活性・まちづくり
合資会社 笑う門
http://www.warau-kado.com
 
名前 山田 浩和(やまだ ひろかず)
出身 横浜市保土ケ谷区生まれ
桜ケ丘で生まれる
年齢 30代後半(あと60日くらいで40代前半)
家族構成 一人暮らし
現在の居住 保土ケ谷区和田町
職業 合資会社「笑う門」代表
趣味 テニス ただし10年以上コートに行っていない。先日、衝動に駆られてラケットを引っ張り出してみた。その他、実は趣味はたくさん(基本的に好奇心旺盛)。
自分の性格 大雑把で繊細・人当たりが良いけど意外と頑固
自称:柔軟でありつつ1本筋が通っている
他称:意志薄弱のクセに融通が利かない
でも、基本的にマジメです。
信念 逆境こそチャンス
近江商人の「三方よし」を心得る(売り手よし・買い手よし・世間よし)

今のお仕事を始められるまではどのようなことをされていたのですか。

 まず、生い立ちですが、保土ケ谷区の桜ケ丘で生まれ、これまで横浜を離れたことがない生粋の横浜っ子です。

 高校卒業後、国際人(?)を夢見て英会話の専門学校(YMCA)に通いました。正確に言えば、国際人とかではなく、言葉の壁とかを越えて色々な人と接することができる仕事に就きたい、というか、そういうのに憧れていました。要するに、今以上に漠然としていたんです。夢見ていた、みたいな。
 そんな10代の少年が2年後、20歳になるのですが、当然、2年くらいで中身なんてそんなに変わるものでもなく、相変わらず夢みたいな漠然とした理想を抱えたまま就職活動の時期を迎えます。当時、何をやりたいのかは見つから

 
画像をクリックして拡大写真をご覧ください。
 

ないものの、いつか自営業者になることしか考えていませんでしたし、サラリーマンになる気なんて全くありませんでしたが、ふとしたきっかけで心機一転。いっそ大手企業を狙ってみようと思い、学校の求人資料を片っ端から探して見つけたのが外資系(米国籍)の船会社S社。
 今でも忘れませんが、面接時、人事部長から「今年は募集していないはずだけど」と言われながら(学校が古い資料を残したままでした・・・)も、「経理なら空きがある」とのことで運よく入社。結局、1999年12月に同社が営業譲渡により閉鎖するまでの約8年弱、在籍させていただきました。
 ちなみに、経理なんて全く知らない世界でしたが、当時の上司の発想が素晴らしかったおかげで随分と興味深く勉強させていただき、経理の大切さや奥の深さを学びました。

 その当時は、テニスや釣りに夢中。特にテニスは、昼休みにはコンテナヤードで海上輸送用のコンテナに囲まれたコート(?)で、仕事が終わった後は近くのコートで、とテニスしに会社に行っていたようなサラリーマン時代でした(笑)。また、学生時代は関内、就職先は本牧。学校周辺や通勤ルートは観光エリア、職場は横浜の港に囲まれた環境。横浜の良いとこどりみたいな環境で生活していた当時、いわゆる「横浜」は大好きだったけど、地元保土ケ谷には全く興味がありませんでした。

 そんな楽しいサラリーマン生活にドップリ浸かって6年近く経った頃、ふと、10代の頃になりたかった自分から随分と遠ざかっているような気がした瞬間がありました。
 その頃からですね。週末に中小企業診断士の講座に通ったり、独学でマーケティングや色彩など、色々と勉強し始めたのは。テニスコートから遠ざかったのも、同じ頃ですね。それでもまだ、自分が何をしたい、っていうのが見つけられませんでした。
 しかし、そんな感じで自分の中で何かが動き始めた気がしてから2年も経たないうちに、S社が営業を譲渡し、閉鎖することになります。
 その後、譲渡先の企業に一度は移籍させていただいたものの、以前感じた「なりたかった自分」との距離が益々広がっていくという想いが強くなり、周りには随分反対されましたが、移籍先を早々に退職し、当時、たまたまご縁があった全く違う業種の会社のお世話になりました。結局、そこでお世話になったのも約1年半。ちょうどサラリーマン10周年の節目でもありましたね。自分の中で、勝手に「潮時」みたいなことを決めつけて、何をやるかを決めていませんでしたが、あの頃なりたかった自分に近づくつもりだったのでしょうか。サラリーマン生活に終止符を打ちました。既に30歳でしたが、10代の時みたいに漠然とした理想だけで動いてしまったということなのでしょう。

今のお仕事をやろうと思ったきっかけやエピソードは何かありますか。

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 結局、会社を辞めて2年くらい浪人生活していましたね。ただし、結構忙しい浪人でした。
 まず、たまたまその頃、大手企業のブランドマネージメントをしている方と知り合い、その方が関わっているブランドマーケティングの勉強会に参加させていただいたり、経営とかマーケティングの勉強なんかをしていましたね。
 それと、その頃たまたま、街中によくあるマガジンラックにあったスクールのパンフレットが目に止まったんです。ほんとにたまたま。良く通る場所で、いつもは気に掛けていなかったマガジンラックと、そこにあったパンフレットがその時だけは、なぜかすごく気になりました。で、それがきっかけで、DTP(印刷物の作成など)の講座を半年間受講しました。
 コレ、仕事上、信頼問題になっちゃうかもしれませんが・・・。
 僕がデザインの勉強したのって、この半年間くらいのモノなんです。その代わり、この半年間はデザインのことばかり考えていました。

DTP講座は、浪人生活で時間があるのを良いことに、受講生の権利を最大限に活かして通っていました。それと、S社が閉鎖する直前、色々な勉強をしている時に出会い、今でも「師」としてお世話になっている方がいるのですが、その人にレイアウトについて勉強させていただいたのもこの頃でしたね。当時、新聞の折り込みチラシはもちろん、電車の吊り広告や店の看板・ポスター・POP、居酒屋のメニューまで(?)、目に入る様々なもののレイアウトが気になりましたね。

 そして、その頃ですね。自分の故郷である保土ケ谷に興味を持ち始めたのは。
 「販売促進の仕事をして地域のブランド作りに携わりたい」と起業する決心をしました。浪人生活もそろそろ終わりに近づいていました。

そして「笑う門」を立ち上げられたのですね。

 「笑う門」と言う社名は何十個か挙げた候補の中の一つです。
 「笑う門には福来たる」ということわざのように、福が来そうなイメージで、お客様に喜んでもらえるような社名だと思ったのです。未だに、銀行などで呼び出される時は少々困りますが・・・。

 起業した時に、まず商店街の活性化ができないか考え、地域情報を発信するフリーペーパーを一人で勝手に作り始めました。「ほっと程ヶ谷」というタイトルで2003年10月に発行しました。A3両面三つ折で500部です。

 なんと創刊号には、当時知り合った保土ケ谷区の職員の計らいで、区長の顔写真を掲載させていただきました。このフリーペーパーが縁で保土ケ谷区役所とのお付き合いが始まりました。「ほっと程ヶ谷」は2003年12月号、2004年春号と発行しましたが仕事が忙しくなって、4号からは(未だに)休刊しています。

 また、創刊号で特集した「地元の市民活動」に、自らがのめり込んでいきました。取材した「保土ケ谷宿四〇〇倶楽部」の活動を見て、地元にこんな歴史があったのかと、地元を知らなかったことに気づき、歴史を活かしたまちづくりに取り組んでいる同会に入会しました。

 2005年には「保土ケ谷の名物を作ろう」という保土ケ谷区との協働プロジェクトがきっかけとなり「保土ケ谷宿名物会」が結成されました。

 ※「保土ケ谷宿名物会」については、山田さんの記事を参照してください。=>コチラ

 このような不思議なご縁で少しずつ地域との関わりも深くなり、仕事が生まれてきました。

 2006年には横浜市経済局の商店街活性化事業「地域経済元気づくり事業」に保土ケ谷区和田地域を対象にした企画が採用され、同年の12月に同地区に『スタジオ★へそちく』を開設。商店街・町内会・学校・行政・地域住民など、地域の様々な人や組織を繋ぐコーディネーターとして1年数ヶ月間、プロジェクトに参画させていただきました。
 また、同時期、保土ケ谷区制80周年(2007年)もあり、80周年事業のロゴや記念誌、ポスター、パンフレットの制作など、多くの貴重な機会をいただきました。

 また、地域経済元気づくり事業は2008年3月に終了しましたが、同年4月から、元気づくり事業に取り組んだ1年数ヶ月間で生まれた「まちづくりの種」を地域で育て発展させるという目的で2011年3月までの3年間、「横浜市事業提案型商店街活性化事業」という元気づくり事業の継承事業に携わらせていただきました。

 「地域経済元気づくり事業」
 http://www.city.yokohama.lg.jp/keizai/shogyo/syouten/genkiziseki.html

 現在は、販売促進企画・グラフィックデザイン・商店街活性化・まちづくりなどの仕事をしながら、コミュニティカフェ『わっか』というお店を運営管理しています。「わっか」は商建連携事業で採用されたプロジェクトで、現在、地元の建設会社3社が共同出資、笑う門が運営を代行しています。
 手作り品の委託販売や地元の野菜を販売しています。
 また近所に練習場があることから横浜FCのグッズも販売しています。
 変わったところでは、和田町産のはちみつ「WANNEY(ワニー)」も取り扱っています。
 今年最初の収穫祭で採れたWANNEYの糖度は87.5%! それでいてサッパリしていてしつこくありません。一言で言うと、美味しいです!

 へそのわ★ぶろぐ わだまちミツバチ
 http://www.hesochiku.com/index.php?eid=80

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

     

この仕事の魅力は何ですか

 僕を地域活性化にのめり込ませた原動力は、知らないことを知ることの楽しさや、地元の世界の広さに気づいたことだと思います。「人」や「仕事」にひきつけられ、またタイミングよくプロジェクトにも恵まれ、これまで面白く仕事をしてきました。

これからどういう風に仕事をしていきたいですか。

 和田町のまちづくり事業もひと段落したので、今後は初心に返ってブランド創りのお手伝いをしてきたいと考えています。

 自社ブランドを創る三本の柱「価値」「コミュニケーション」「シンボル」。
 価値(強みなど)を見つけ、顧客とのコミュニケーションを図り、そしてブランドのシンボルを創ることが弊社の仕事です。これからはデザインを通じたブランド創りのお手伝いに力を入れていきたいですね。今は「簡易版の会社案内を作ろう」という営業活動を始めています。

対外的に行っている活動は何ですか。

 趣味人としてですか。
 僕の場合は、仕事と趣味の整理がつかないです(苦)。地域でのコミュニティ作りなどは線を引きにくいのですが、まちづくりはボランティアでもやっています。もはやライフワークですね。僕にとって対価をもらわない部分の活動が趣味と言えるのでしょうか!?

 今関わっているのは・・・
 保土ケ谷区内だけでなく、神奈川区や戸塚区など、市内の宿場町で活動をしている人たちとチームになって、横浜の東海道の歴史を活かしたまちづくりをしています。また、「保土ケ谷宿の旧東海道の松並木の整備」というのもやっています。

 旧東海道に対する関心は高く、東京~京都間に東海道五十三次のネットワークがあって、東京・神奈川ブロックでは、3ヶ月に一度のペースで活動報告を行っています。

 5月27日に横浜そごうの新都市プラザで『ハマの東海道 今昔物語 ~東海道 風景街道版~』というイベントを行いました。東海道の浮世絵やジオラマの展示、スライドショー、物産展などの催しを行ないましたが、イベント開始から終了まで予想をはるかに上回る大勢の方々(約3千人)にご来場いただき感激しました。

 『ハマの東海道 今昔物語 ~東海道 風景街道版~』
 http://www.warau-kado.com/index.php?eid=88
 http://www.warau-kado.com/index.php?eid=89

 それから、これはまだ準備中なのですが、箱根駅伝の花の二区でお馴染みの「権太坂」を活かした「権太坂プロジェクト」企画しています。
 実は箱根駅伝で通る権太坂は新道で、旧東海道の権太坂は、海沿いの平坦な道を歩く東海道の中で、江戸を発って最初の難所と言われていました。地名の由来は諸説ありますが、旅人が坂を登っている時、近くの老人に坂の名前を聞いた際、耳の遠い老人が名前を聞かれたと勘違いし「オラァ権太だ」と言ったのが由来だという説が有名です。
 その権太爺さんのキャラクターを作り、プロフィールを地域から募り、その中から権太爺さんの好物を商品化したり、権太爺さんをナビゲーターにした名所案内などを企画中です。

 そうそう、「ほどがや地産地消委員会」で地元の野菜を普及させる活動も行っています。
 横浜開港150周年に向け、保土ケ谷区内のおそば屋さんとヘルスメイト(食生活等改善推進員)さんと一緒に、ジャガイモなど、地元産の野菜を入れた『黒船カレー南蛮』という新名物を作りました。
 ちなみに、保土ケ谷はかつてジャガイモの名産地でした。それをモチーフにした『じゃが殿様』というキャラクターも作りました。たまに希少なファンに出会います(笑)。

 こんな風に、一見、何の変哲もない保土ケ谷のような町にも、実は色々な魅力があります。「まちづくりにはゴールがない」と言われますが、一人でも多く、地域に関心をもってもらえるように今後も活動していきたいですね。

直近のイベントをご紹介ください。

 『ハマの東海道 今昔物語 ~東海道 風景街道版~』(前述)や商店街のイベントなど、5月下旬から6月初旬にかけて立て続けにあったイベントが終わってホッとしているところです。(笑)

 この後、7月17日(日)に横浜FCの「保土ケ谷区民デー」というのがあります。ニッパツ三ツ沢球場で、横浜FCの試合当日に保土ケ谷のPRをする催しで、詳細については現在調整中ですが、昨年同様、僕も保土ケ谷宿名物会の名物販売で参加させていただく予定です。その他、ジオラマ展示や歴史ガイドなども予定しています。

横浜に思い入れはありますか。

 生まれも育ちも横浜ですからね。横浜は好きですよ。

 横浜の好きなところは、新しいものや古いもの、いろいろな文化が混じっているところ、外のものを受け入れる懐の広さですね。

 この360万都市の横浜ですが、開港時、東海道から横浜村に直接、人や物資を運ぶための道(横浜道)を作ったのは保土ケ谷宿の名主なんです。そういうのって、知らなくても何も不自由しないかもしれないけど、知ると「深さ」みたいなものを感じませんか?
 保土ケ谷って、ほんと地味な下町なんだけど、そういう魅力を感じますね。良くも悪くも僕の故郷で「僕の原点」です。

 
画像をクリックして拡大写真をご覧ください。
 

東京との違いって何ですか。

 これは、かなり偏りのある感想だと思いますが・・・。
 S社で何年も海を見ながら仕事をしていた後、東京に2年くらい勤めたんですね。京王プラザホテルかどこか、高層の建物から外を見た時は本当にビックリしました。視界に映る全てが建物で埋め尽くされていて、「エッ!?」と思いました。まぁ、それを東京だと感じてしまうあたりがアレかもしれませんが(苦)。

 言葉にするとツキナミですが、横浜の魅力は、やはり「海」とか「異国情緒」、それに「古いもの」と「新しいもの」のほど良いブレンドですかね。僕にとっての故郷横浜は、「下町情緒」があって「ホットする」場所ですね。

 気負いなく淡々とこれまでの人生をお話して下さった山田さん。これからも横浜のまちづくりのためにお仕事にも趣味にも全力投球してくださると思います。山田さんの今後の飛躍に乞うご期待です。

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