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保土ケ谷の歴史的資源 『東海道保土ケ谷宿』

by staff on 2011/7/10, 日曜日

『東海道保土ケ谷宿』のこと

 今回は、名物会の活動や各店の紹介の前に、各店の魅力を一層ご理解いただくため、保土ケ谷の歴史的資源『東海道保土ケ谷宿』について簡単に説明させていただきます。

 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦を制した徳川家康は、天下統一の総仕上げとして、全国の街道の整備に取り掛かります。街道整備は人馬をはじめ物や情報を迅速に流し、文化や技術の発展を促します。また、謀反の気配をいち早く察知することも可能にします。それは、徳川の天下を揺るぎないものにするためには必要不可欠な取り組みでした。そして、その街道整備の中で最も重要だったのが京と江戸を結ぶ日本のメインストリート<東海道>でした。家康が行なった街道整備は、具体的には江戸・京都間を移動する役人が馬を乗り継ぐための「駅」を平均2里(約8km)の間隔で東海道の街道沿いの集落に作ることでした。この駅のことを宿場(または宿駅)と言い、役人が乗り継ぐための馬のことを伝馬(てんま)と言い、家康が整備したこの街道のシステムを<宿駅伝馬制度>と言います(駅伝のルーツです)。

 宿駅伝馬制度によって江戸・京都間に53の宿場が作られます(=東海道五十三次)。保土ケ谷宿は、日本橋を出発して品川・川崎・神奈川に続く4番目の宿場として関ヶ原の合戦の翌年(1601年)に定められました。

 東海道は、京都と江戸を結ぶだけではなく、各地に繋がる枝道を結ぶ軸でもあったため(保土ケ谷からは八王子・杉田・金沢・鎌倉など)、たくさんの人が利用し、とても賑わいました。保土ケ谷宿も例外ではなく、伊能忠敬や吉田松陰など歴史上著名な人物もたくさん保土ケ谷宿を訪れています。

 東海道の旅の初日は、七つ(朝4時)に江戸を発ち、男性であれば約10里(約40km)を歩き戸塚宿で最初の一泊をするのが一般的だったそうです。そして、保土ケ谷宿から戸塚宿に向かう際に旅人を待っているのが江戸を発って最初の難所と言われた権太坂。保土ケ谷宿は、旅の初日に待ち受ける最大の難関に向かう前の休憩場所としても多く利用されたのではないでしょうか?同じように、権太坂を乗り越えた後、武蔵国と相模国の国境にある境木には、境木立場(たてば)があり、多くの茶屋で賑わったそうです。

 その他、保土ケ谷宿には、横浜開港の道「横浜道」を整備し、横浜町の初代総年寄となった保土ケ谷宿の名主・苅部清兵衛、絵師の人気スポット「帷子橋」、生麦事件の後、薩摩藩を匿った史実など、興味深い人・名所・エピソードがたくさんあります。

 保土ケ谷宿名物会は、それらの歴史的資源を熟練の職人達が「味」に変え、地域に伝えています。

 次回からは、各店の店主や商品、そして名物会の活動を、保土ケ谷宿の歴史と併せお伝えしていきます。

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

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