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「レッドライト」 (連載第9回) 窒息する水面、混沌の思い出

by staff on 2011/12/10, 土曜日


APEC開催に伴って撤去された船の休憩所「北斗星」。この手の船は「ドヤ船」とよばれ、終戦後の大岡川を中心に最盛期には一三隻浮かんでいた。しかし昭和28年8月、陸上宿泊施設がふえるに従って廃止され、引揚げられた。

 いまさら言うまでもないが、東京の中心は皇居である。私は右翼ではない。これは街の構造から明らかなことである。
 一方、横浜はどうか。横浜港が中心なのは、やはり論を待たないと思う。実際の所、象徴的にも地図の上でも中心を皇居に据えた東京とは異なり、横浜の地理上の中心は港ではなく、保土ヶ谷である。しかしここでは細かいことは言わない。
 さる知識人が皇居を「空虚」と呼んだように、見渡す限り水ばかり拡がる横浜港もまた広大な無である。なにもないからこそ、さまざまな可能性を見いだし得るわけだが、実際はそうでもないらしい。

 今年9月、赤レンガ倉庫の岸壁に接岸して行うはずだった「横浜ふね劇場をつくる会」主催の水上演劇祭が中止された。
 聞けば、港湾局の海務課長や昨年の暮れに新設された港湾局賑わい振興課、そして文化観光局といったセクションは乗り気だったらしい。ところが準備も順調に進み、参加劇団の選定も済んで、あとは9月半ばの本番を待つばかりとなっていたにもかかわらず、港湾局のトップが変わった途端、当局の態度が一変。
 「陸でできることをなぜ海でやる」
 「エンターテインメント的な興業に協力できん」
となり、イベントは中止に追い込まれた。

 それで思い出すのは APEC 開催に伴って、中村川から撤去された船の休憩所「北斗星」のことだ。
 かつて中村川には奇妙な船舶が、いくつも浮かんでいた。あるものはギャラリーやバーであり、あるものは劇場だった。川にユニークな船の浮かぶ情景はよその町にはない独特なもので、横浜らしい情緒を孕んでいた。いつの間にやら沈没したり、撤去されたりして、そうした船は消えていったが、しぶとく生き残っていたのが前述の「北斗星」である。

 「車橋」の若干上流に係留していたこの船は、事実上、寿町の一部が水面にあふれ出たものだった。要するに、寿のおじさんたちの寝床だったのである。とはいえ、トイレもなければ電気も来ていない。用を足すには、車橋の袂にある公衆便所まで行かねばならず、電気の方は近所のリサイクルショップから横流しして貰っていた。

 こういう状態だったから、法律の手前、とても「ホテル」は名乗れない。便宜上「休憩所」という名目で営業していたのだった。「休憩所」を名乗る前は、「船のビデオシアター」の看板を掲げており、実際天井からプロジェクターがぶら下がっていた。毎晩、任侠映画を上映していたと聞くが、夜の寝床を求めてやってきた利用者たちにはいい迷惑だったのではないか、といらぬ心配をしてしまう。

 私がはじめてこの船の存在を知ったのは、この「ビデオシアター」時代で、内部がどんな風になっているのか、想像をたくましくしたものだった。
 確か1999年の冬だったと記憶しているが、私はこの船を借り切って舞台公演を打つことにした。「横浜ボートシアター」で制作をしている一宮均氏にうかがった話では、水上で舞台公演を行った団体は当時三つしかなく、あなたが国内4例目だ、個人ではおそらく初めての例でしょう、とのことだった。

 通常の公演は劇場で行うため、一通りの機材が準備されているものだが、なんといってもこの船は「寝床」である。下見に行ってみると、内部は万年床がびっしり敷かれた状態だった。なかは以外に広く、25メートルプールくらいの広さはあると思われた。一応応接コーナーや軽食を売るブースも設けられている。とはいえ、鋼鉄製の艀(はしけ)を改造したものだから、夏は暑く、冬は体の芯まで冷えた。一日借りて料金は3万円だったが、朝はたしか9時頃からしか使えず、夜は宿泊者たちが戻るため現状復帰して返さねばならず、かなりあわただしい思いをした。

 印象的だったのは、朝、寝床からおじさんたちを追い出し、布団を積み上げて準備を始めたこと。布団はかなりの数で、両脇に積み上げると白い壁のようにみえた。公演中、船の脇を別の船が通過したらしく、突然船体が揺れ出したのは船劇場ならでは。客席からどよめきが起きたことをはっきり覚えている。
 お陰様で公演は好評のうちに終了したが、会場に住所がないためチラシに場所を書くことが出来ず、「中村川水上、車橋そば」と記したのは、かなり間抜けだった。

 それから15年ほどして船のオーナーが亡くなった。せっかくリサイクルショップの好意で電気を横流しして貰っていたにもかかわらず、電気代を滞納していたため、リサイクル店の店主は激怒。オーナーの死をきっかけに送電をやめてしまった。十数年ぶりに船内の様子を見に行くと、階下は完全な暗闇だった。墨を流したような暗黒の世界のかなり奥にろうそくの明かりが一灯。これ以上、関わろうという気になれなかった。

 後日、懲りずに足を運ぶと、戸口に張り紙があり、「ジョー」だったか「ジョージ」だったかという人物が、管理責任を引き継いでいることが分かった。この人物は、伊勢佐木町3丁目のマックの2階によく足を運んでいるらしく、「連絡が欲しい人は直接マックに来てくれ」とのことだった。電話番号の類は一切書かれていなかった。

 「北斗星」はその後数年間、雨水にさらされながら水面に浮いていたが、APEC 開催に伴い撤去されたのは前述の通りである。
 この船が浮いていた場所のさらに上流には、1980年代まで「横浜ボートシアター」の木造船が係留されていた。この船もやはり艀で、船内を常設の劇場として改装し、稽古もここで行っていたと聞く。ボートシアターといえば、銀座の「セゾン劇場(現「ル テアトル銀座」)」のこけら落とし公演を担った団体で、かなり名前を売ったものだった。しかし拠り所となる船劇場が二度にわたり沈潜してからは、活躍の声を聞く機会も減り、半ば顧みられなくなってしまった。

 一応、現在も新山下の艀溜まりの片隅に、三代目となったボートシアターの船が係留されている。消防法の関係上、劇場としてつかうことは難しいそうで、ときおり稽古場として貸し出されるだけである。「横浜未来演劇人シアター」の通し稽古が行われているとき、一度だけ内部を見学させて貰ったことがあるが、夏場だったため、その暑さは尋常ではなかった。文字通り蒸し風呂状態で、数台の扇風機が唸りをあげてフル稼働していた。船の劇場というといささかロマンチックな響きがあるが、現実的な話、快適な観劇環境とはいいがたい場所だった。反面、捨てがたい妖しい魅力が備わっていたことも否定しがたい事実であり、甲板から階下へ降りて行くとき、形容しがたい高揚感につつまれたことをきちんと記しておきたい。

 船劇場に興味のある読者は、遠藤啄郎・編「横浜ボートシアターの世界」 ( リブロポート  1986年)を一読されたい。また山田裕信の「ヨコハマ波止場懐古  ある海事記者の手記」(暁印書館  1984年)にも、ボートシアターの船へ観劇に行く話が掲載されている。

 まだ紙面に余裕があるので、あと一点触れておきたい。まだコンテナ船がなかった頃、中村川や大岡川の河口付近や、埋め立てられて今はなき派大岡川などには艀だまりができていた。香港製カンフー映画で目にするアバディーン(香港仔)の水上居民(中国では「蛋民(たんみん)」とよぶ)の世界とほとんど同じものが、横浜にも展開されていた。陸に土地をもたず、艀を家とし、水運などの生業を営む。西九州や瀬戸内海沿岸では家船(えぶね)とよぶそうだが、彼ら漂流民たちは、港に碇泊する外国船の貨物を岸部にあげるための短距離搬送を請け負った。言ってしまえば、トレーラーに一家で住んでいたようなものだ。子供たちは通常の学校ではなく、山手の丘の中腹にある「日本水上小学校」に通っていた。山下町で産声を上げたこの学校は、25年の間、家船の子供たちの学びの場となったが、昭和42年に閉校している。

 校舎はなくなったものの、じつはこの小学校、完全に消滅したわけではない。「港の見える丘公園」や「韓国領事館」にほどちかい山手の「聖坂養護学校」に引き継がれたのである。じつはこの学校、水上小学校のあった場所に建っているのだ。
 正確に言うと、「聖坂養護学校」の母胎となったのは、解散した水上小学校の方で、養護施設事業はその一部門にすぎなかった。昭和29年に養護施設事業は分離されたのだが、水上小学校閉校に伴い、養護施設部門を「聖坂養護学校」に改め、再出発を果たしたのである。
 「聖坂養護学校」は知的ハンディをもつ児童の学校として重要な役割を果たしているが、脚光を浴びる機会はほとんどない。しかし、横浜裏面史をひもとくとき、忘れてはならない存在として立ち現れる。
 エキゾチックな転用艀はみんなどこかへ消えてしまった。現存しているのは、石川町駅の南口付近に浮かんでいる右翼の艀くらいである。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

「北斗星」内部、フロント

 

「北斗星」内部、フロント脇の料金表

 

「北斗星」内部、売店

 

「北斗星」内部、ホリゾントのスクリーン

「横浜ボートシアター」の初代船劇場(写真提供:一宮均氏)

 

現在の船劇場内部での稽古風

       

日本水上学園→現在は「聖坂養護学校」 http://www.hijirizaka.jp/

横浜ボートシアター第21回公演「賢治讃の仮面劇」:2011年12月9日~11日
http://www.yokohama-boattheatre.com/html/kenji-kamen.html

 

中止になったふね劇場でのPAW’2011について http://paw2011.com/about/

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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