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君がため 春の野に出て 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ

by staff on 2012/1/10, 火曜日

♪君がため 春の野に出て 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:光孝天皇(こうこうてんのう)

 現代語訳:
「今日は七草 あなたのために 若菜を摘みに来ました 早春の野雪が 私の袖の上で 楽しそうに遊んでいます 今年も お健やかで ありますように」 現代語訳:千絵崇石

 新年にふさわしいこの歌は、第58代の光孝天皇がまだ親王でいた頃に、ある女性に若菜を贈る際に添えられた歌。と記されています。若菜とは七草の事「なずな すずしろ(大根) せり ごぎょう(ははこぐさ)はこべら すずな(かぶ) ほとけのざ(コオニタビラコ)」

 本来は旧暦なので、だいたい一月の後半から二月の後半ぐらいの季節を七草というそうで本当に寒い時期です。早春の野原で萌えたばかりの若菜をつむハンサムなプリンス。その彼の袖先にちらほらと淡雪が舞いおちてゆく。とてもうつくしい光景が目に浮かびます。そして読み手の暖かい心根が伝わってきます。この歌は、きっとだれもが好きな歌の筆頭に挙げられるのではないかしら。大和言葉の優雅な美しさをひしと感じる一首です。

 光孝天皇は55歳まで親王のままでした。若いころから人柄もよくて温厚、インテリで気品があってハンサムだったと言われています。社交界では人気者でしたが本人は野心等全くなかったのでしょう。本人も含めて誰もがこの素敵な老親王はそのままで一生を終ると思っていましたが、彼が55歳になった頃に天皇を退位されたのが・・・あの陽成院。
 2011年10月号で紹介させていただいた凶暴な性格のため17歳で退位させられてしまった陽成天皇でした。光孝天皇は陽成天皇退位の後、空白となってしまった天皇の座に時の権力者藤原基経に推されて事態の収拾のために帝位につきました。皇位継承者は沢山いたけれど幼かったり臣籍に下ったりして継承者選びは揉めにもめたそうです。この混乱をどう収めるのか、最終的に誰もが納得できる皇族男子は55歳になっていた時康親王。彼しかいませんでした。そして在位4年。年号が「仁和」であったため「仁和の帝」と呼ばれました。
 一説によると、あの源氏物語の光源氏はこの光孝天皇がモデルだとも言われています。

 2012年。今年は元旦から関東地方は揺れたりして、内側からも外側からも古い世界システムから新しい世界観へのパラダイムシフトがますます顕著に現れてきそうです。揺れ動く心がよりどころを求める時代には、温故知新と言う言葉がぴったり。日本文化の根幹に和歌があります。大和言葉の響きの中に日本人の持っている美感覚、美意識が呼びさまされてこれからの未来に反映されてゆくのを心より願っています。
 今年も明るくおおらかに清明心で生きて参りましょう。早苗ネネ♪

毎月第2金曜日 1月13日 , 2月10日
6時30分~ 3回ステージ ¥5500ワンドリンク付き 入れ替えはありません。
出演:早苗ネネ パリ祭出演の歌手の方々2~3名。
新宿シャンパーニュ 電話 03-3354-8540(昼) 03-3354-2002(夜)
新宿一丁目。元新宿厚生年金前。http://www.champagne-live.com/

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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