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「妻を看取る日」 新潮社 垣添忠夫著

by staff on 2012/3/10, 土曜日
 

 「私はずっと無宗教で生きてきたし、超自然現象に興味を持ったこともない。第六感とか、虫の知らせといったものも感じたことがなかった。」
「妻が、肺の小細胞がんを患ってから、そうした感覚が急に身近に感じられるようになった。あとから考えればあれが・・・・と思い当たることが幾つもある。」
著者は国立がんセンター名誉総長は語られる。
「医者の不養生と言われても仕方がない。妻を亡くした私の支えになったのは酒だった。」
「うつ状態になっていた私には、この酒がちっともうまくなかった。というより味がしない。ただ辛い気分を麻痺させるたびに盃を重ねた。」
「もしかしたら、これは悲しみをわすれる最良の方法ではないか。そう気付いた私は、ますます目の前の仕事に没頭していった。問題は夜である。

寒風の吹き付ける中、コートのえりを立てて帰宅すると、明かりひとつ点いていない家が待っている。祭壇の写真の前に座り、妻にきょうの出来事を報告する。だが、いくら話しかけても答えは返ってこない。妻はもういないのだ。この事実が堪え難かった。」

 この本は読みたいと思っていたある時に、計量の仲間から、「それ同級生だよ。読んだよ。だけど重くてかみさんにみせられなかったよ」と紹介された。クリスマスの日付の入ったメーセージと一緒に送られてきたのだった。そして今再びテレビの映像として登場してきた。

 著者はエピローグに書いておられる。
「冬を過ぎたころのある晩、気が付くと線香を半分に折り、折った二本に一度に火をつけていた。燃え尽きる時間も半分になり、遺影の前に座している時間は十分程度になった。」
「帰宅後にしなければならない家事も多く、無意識のうちにこうするようになったのだろう。妻が一番喜ぶのは、私が自立してしっかり生きることだ。どうすれば一人できちんといきていけるだろうかと考えるようになったのも、その頃のことである。」
「食生活、運動、健康管理を一つずつ改善し、妻と楽しんでいたカヌーや登山を再開した。まったく新しいことを始めようと、居合いにも挑戦している。」

 その一こまが綴られている。いつもカヌーを漕いでいるときも歩いているときも、心の中ではひたすら妻に話しかけているという。
「滝を見上げて疲れを癒していると、一羽の蝶がフワリ、フワリと飛んできた。透き通るようなブルーを黒で縁取った羽根を広げ、滑らかに宙を舞う。その優雅な飛翔が、ふっと妻の舞い姿に重なった。」「ほら、奥様がよろこんでいますよ。奥日光の仙人と呼ばれる案内の友人が声をかけてくれた。」
「極め付きは九月に行った北海道のトムラウシ山だ。あまりの悪条件に途中でイヤになって、ふと立ち止まると、ハイマツの茂みから褐色のナキウサギが飛び出してきた。私の左袖に触れるように駆け抜け、反対側のハイマツにサッと身を隠す。」「あっ、妻だ!」「私はとっさに思った。妻が励ましに出てきてくれたのだ。この一瞬の出来事で私は再び気力を取り戻し、無事に登頂することができた。」

 最愛の人との出会いは患者と医者としての恋。それは12歳年上の既婚者との出会いであった。「結婚相手を見つけた私は、迷うことがなかった。しかし、前途はあまりにも多難だった。結婚までには、長く険しい茨の道がまっていたのである。」記録はそこからはじまっている。
日本のがん医療の最高峰に立ち続ける著者が、自らの体験を赤裸々に綴っている。

(文:横須賀 健治)

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