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【新年のご挨拶】
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

もっと読みたい!(その2)

by staff on 2012/4/10, 火曜日

 私が気に入った本を繰り返し読む理由を考えてみました。

 まず、「本」でないと得られない達成感が好きです。

 映画ももちろん好きだし、ドラマも見ます。でも、本を読むあの面倒くささがないと、達成感は味わえません。字を目で追う、ページを捲る。読めない字もある。意味が分からない言葉もある。理解できなくてゆっくり読んだり、間違えて同じ行をまた読んだり。手が滑ってページを閉じてしまうことも。

 でも、1ページずつ進んで何日か掛けて読み終わったとき、何かを深く感じることができると心に「エリア」ができます。「その本エリア」です。そこはもうその本でなければ埋めることができない。やっかいなことに、一旦埋まればそれでいいかというと、日が経つと薄まってくる。エリアには穴だけが残る。だからまた読みたくなるんです。埋めたいから。

 でも本当に必要でなかった場合、その穴は小さくなっていってそのうち消えます。

 この感覚、実は本だけではないのです。

 何かを、誰かを、好きになってググっと付き合い、そこに深く感じるものができたとき、私の心に「エリア」ができます。そしてそこもやっぱり、その人でないと埋めることはできません。薄まったり、小さくなったりもします。エリアが確実に固定されている少人数が私の大切な人たちです。

 私にとって、本と人は似ているかもしれません。学ばせてくれて、気づかせてくれる。

 これからもよろしく。本たち。

Pick Up-1 村上龍【69 – sixty nine -】-集英社文庫

 1969年の長崎県佐世保市を舞台に村上龍自身の実体験を基にした青春小説。2004年に映画化もされた。

【あらすじ】

 1969年、東京大学は入試を中止した。ビートルズのメロディーが流れ、ローリングストーンズも最高のシングルを発表し、ヒッピーが愛と平和を訴えていた。多くの若者たちが何かをし始め、何かを変えようとしていた時代。

 無垢でやんちゃで爆発しそうなエネルギーにあふれた、当時高校3年生の作者村上龍が1969年に実際に起こした事件「佐世保北高バリケード封鎖事件」を中心にした作品である。

 

 村上龍といえば、そのえげつない、グロテスクな表現と暗さが私は好きなのだけれど、この作品はかなり異質です。まず、明るい。村上龍なのに。

 作者自身もあとがきの中で、「これは楽しい小説である。こんなに楽しい小説を書くことはこの先もうないだろうと思いながら書いた」と書いているほど。

 舞台は、まだ全共闘時代が終わらない1969年の佐世保。主人公ケンは大人になる不安と焦りに振り回されながらも、「女の子にモテたい!」一心で学生運動のまねごとをはじめます。それもお目当ての女の子の発した言葉を勝手に妄想・解釈して、高校のバリケード封鎖をしたり、見つかって停学になったり、ロックと自主制作映画のフェスティバルを計画したり。いつもの毒を含んだ比喩や言い回しも、この作品の中だと大人に対する反抗心として受け取れて、これから大人になる男の子の強がりみたいでほほえましい。悩んで、もがいて、わめいても答えが分からず何もできないのに、「モテたい!」という思いには突き動かされるわけです。その単純な仕組みが、いい。

 初デートの映画に知ったかぶりをしてカポーティ原作の「冷血」を選んでしまい、その惨殺シーンに気持ち悪くなって彼女お手製のお弁当が食べられないところも、また滑稽でいいです。失敗して恥をかいて、恥をかいてないフリをして。誰もが思い当たるこの時期特有の痛々しさがこれほど心地よく響いてくるのは、この作品以外で味わったことがないかも。

 普段の村上龍作品は「分からないなら読むな」とでも言われているような威圧的な印象があるけれど、「69」だけは、「分かるなら読んでみて」って誘われる感覚になるのも魅力。読んでみて「うん、分かる、分かる」ってうなずいてしまったら、もう物語に入り込んでしまっている証拠。そこには必ず自分のかけらが見つけられるはずですよ。

Pick Up-2 フィッツジェラルド【グレート・ギャツビー】(野崎孝-訳)-新潮文庫

アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドが執筆し1925年に出版された小説。フィッツジェラルドの代表作であると同時に、現在ではアメリカ文学を代表する作品の一つであると評価されいる。

【あらすじ】

 豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビーの胸の中には、一途に愛情を捧げ、そして失った恋人デイズィを取り戻そうとする異常な執念が育まれていた…。

 第一次大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描いて、滅びゆくものの美しさと、青春の光と影が漂う憂愁の世界をはなやかに謳いあげる。

 

 1920年代アメリカ、富裕階級が集うニューヨーク郊外で、華々しい生活を送る男・ギャツビー。彼の邸宅で夜毎繰り広げられる豪華なパーティー。実はギャツビー自身とはなんのかかわりもない人たちで溢れかえっているわけですが、ではなぜ、開かれているのか…。ギャツビーのかつての恋人との再会、またその財力によって失われた過去の時間と愛を取り戻そうとする物語が、彼の隣に住むニック・キャラウェイの目線で淡々と語られていきます。

 カタカナ名の登場人物が多すぎて内容が分かりにくくなってしまうのが洋書によくある難点ですが、そんな問題を感じさせないのが、まず好きなところ。主要なギャツビー、ニック、デイズィ、トム、の背景描写が繊細で魅力的。登場人物の多さがかえってスケールの大きさに一役買っています。

 ギャツビーがかつての恋人(デイズィ)と再会するための狂おしいまでのひたむきな情熱に感嘆の声をもらしつつ、ニックの冷静な視線にも共感できる。トムの放埓ぶりにあきれながらも、1920年代の財力というものにワクワクする。デイズィの揺れ動く様に苛立ちながらも、求められる美しさを好きにならずにいられない。そうこの物語は、主人公以外の視点からの読み方もできるのです。

 そして、かつての恋人同士が再会したあとの迷いやとまどい、いまある生活との折り合い、周りの状況も視点を変えて楽しめる。

 全編に流れる純粋な想いの終わらせ方、栄えた者の終わり方、残されたものの生き方、生きにくさの結論はもちろん人それぞれで、結論が必要なのかさえも読者に委ねた終わり方になっています。そこが繰り返し読みたくなるしかけになっていて、好きになると何度も読む私としては嬉しい。

 フィッツジェラルドの書籍は、今ではアメリカの高校で教科書として用いられていますが、彼は1920年代アメリカのいわゆる「ジャズ・エイジ」や「フラッパー」の象徴としてその華やかな私生活が土台となっている物語が多いのが特徴です。この「グレート・ギャツビー」もフィッツジェラルドやその妻ゼルダが随所でモデルになっていたり、物語の登場人物だけではなく、フィッツジェラルド自身の視点にもなれるのが、ファンには堪りません。

( 文・イラスト・写真:(株)とらべるわん いいづかあや )

いいづかあや(飯塚 文) プロフィール

1974年、横浜生まれ横浜育ち。私立山手学院高等学校卒業後、文教大学短期大学部文芸科卒業。
父親の経営する(株)とらべるわんで幼いころから「旅」「食」に携わる。
学生時代より同社のチラシ・DM・ホームページ等の制作をする。デザイン事務所・建設会社などの職業を経て現在は(株)とらべるわんのWEB・DTP制作責任者を務める。また、「ボディアートGlitta」「ネイルサロンMINORITY」ではデザイナーとしても活動中。

(株)とらべるわん http://www.travel1.co.jp
ネイルサロンMINORITY http://www.minority-minority.com/
ボディアートGlitta http://www.minority-minority.com/glitta/index.html
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