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【台風19号による被害を受けられた皆様へ】
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元横浜市保土ヶ谷区長 金子宣治さん

by staff on 2012/9/10, 月曜日

 今月の「ヨコハマこの人」は、元横浜市保土ヶ谷区長の金子宣治さんにお話お伺いしました。

金子宣治さんのプロフィール
  お名前 金子 宣治さん
  ご出身 横浜市保土ヶ谷区
  年齢 60代
  家族構成 夫婦、子ども二人と母
  現在の居住エリア 横浜市保土ヶ谷区
  趣味 (1) 漢詩(李白など)鑑賞
(2) 音楽(クラシック、テレサ・テン/五輪真弓など)鑑賞
  自分の性格って? 真面目・誠実    堅いようだが柔らかいところもある

横浜市保土ヶ谷区で生まれ育ったと伺いましたが・・・

 保土ヶ谷で生まれ育ち、地元の小中学校に通いました。
 中学校時代はバスケット部に所属していましたし、野球なども好きで、スポーツ少年でしたね。高校時代の体育の授業では、80mハードルで体育の先生に勝ったので、先生からリベンジを挑まれ、二度目は負けましたね(笑)
 大学時代は応援団の吹奏楽部に入ってクラリネットを吹いていましたので、東京六大学野球の応援で、シーズン中は毎週末神宮球場に通っていましたね。おかげで、六大学の校歌、応援歌はいまだに口をついて出てきます。
 私たちの学生時代は大学紛争が激しかったときですが、応援団の友人たちとは今だに交流しています。私は外見から真面目で優等生だったように思われがちですが、そうでもないですよ。(笑)

なぜ横浜市役所に入られたのですか。

 大学を卒業した1972年(昭和47年)頃は、高度経済成長のつけといいますか、公害が社会問題になっていました。
 1970年(昭和45年)11月、いわゆる「公害国会」が開かれ、水質汚濁防止法、大気汚染防止法、海洋汚染防止法など14の公害関係法が成立して、国も地方自治体も公害をなくそう、下水道を整備しようという機運が高まっていました。
 私が横浜市を志望した理由はいろいろありますが、そのベースには、大学で下水道工学を専攻していたことと、横浜への愛着が強かったのでしょうね、当時、下水道普及率が低かった “生まれ故郷橫浜” の環境改善に携わりたかった、ということで横浜市役所に就職しました。

最初に下水道局に配属されたのですよね。

 採用になってからの20年間は、下水道局に所属していました。
 環境改善のため、国をあげて下水道整備に予算を重点配分したため、忙しいのなんのって。深夜帰宅どころか、早朝帰宅なんていうのもめずらしくありませんでした。このころ、上司から言われた「能力は、頭脳が二割、体力八割」という言葉は、けだし名言かな、と思いますね(笑)。
 下水道局では、下水処理場やポンプ場の設計から、建設工事の監督、技術開発、国際交流など様々な業務を担当しました。そのなかで、生来の生真面目な性格が多少なりとも柔らかくなったのは、現場で工事監督の責任者をやり、多くの市民の皆さんと触れ合い、また、工事にかかわる諸問題の解決に携わったことがよかったのではないかと思います。その意味で、この現場勤務は、私にとってとても貴重な経験でしたね。

世界的な発明もされたことがあるとか・・・

 もう、だいぶ前のことですが世界を騒がせたのは事実でしたね。でも、竜頭蛇尾に終わってしまいましたが・・・
 実は、汚れた下水を処理して、きれいになった水を川や海に送り出す反面、下水処理場には、「汚泥」と言われる厄介なものが残ります。これは、日々発生し増え続けますので、これをどのように処分するのか、どこの自治体でも大きな課題でした。当時は、この汚泥を処理して埋め立て処分することが主流でしたが、これとともに、焼却灰を利用して「煉瓦」や「改良土」など建設資材として再利用することなどが行なわれていました。
 このような状況下で、「下水汚泥で紙」をつくったのです。
 この発想は、多くの発明と同様に、失敗の成果でもあったのですが・・・というのは、当時、下水汚泥を1200度くらいで溶融し、高速で回転するローターにぶつけてできたスラグウールという物を手にしていたのですが、その活用法が見つからず悩んでいた時でした。
 換気扇のフィルターを交換している妻の「フィルターの値段って結構高いのよ」という話を聞いて、スラグウールでフィルターを作ろうと思ったのです。しかし、うまくいかず、段ボールのようなものができてしまいました。今度はそれを見つめながら、これだったら紙になるのではと・・・その後は「紙づくり」に邁進しました。
 いくつもの課題を乗り越え、完成した「紙」で名刺も作りました。「スラグペーパー(slag paper)」として、日本のみならず、イギリスのBBCやアメリカのシカゴトリビューンなどからも取材を受けて、ちょっとだけ「時の人」になりました(笑)。ただ、完成した「紙」には課題も多く、結局、商品化はできませんでした。
 下水道局時代は、「楽は苦の種、苦は楽の種」の言葉を胸に頑張った時代でしたね。

その後、企画立案のお仕事に携わられたそうですね

 技術開発までは土木系の職場でした。当時はまだ、局内には土木の女性技術職員はいませんでしたし、20人くらいの職場で女性は1、2名と少ない男性中心の職場でした。そんな環境で20年も働いていたので、企画局に異動して驚いたのが、女性が生き生きとして男性と対等に仕事していることでした。カルチャーショックを受けました。でも、この経験もその後の人生にとって大変貴重だったと思っています。
 企画局では、総合計画の策定や大都市制度・地方分権などに関する業務に携わりました。深夜10時、11時から会議が始まることも珍しくなく、毎日深夜までよく働きましたね。このころの心境と同調したのか、「時計」「雨宿り」「枯葉」など五輪真弓の歌に魅かれるようになったのです。

日本下水道協会に出向されたのはいつ頃ですか

 40代後半ですね。
 日本下水道協会は、下水道に関する様々な情報提供や、経営や下水道整備などに関する指針や基準などの著作物をまとめ、下水道事業を側面から支援する団体です。2年間の出向期間中、国や地方自治体、また外国の方々との様々な出会いがありました。
 思い出深いのは、台湾での技術指導です。私が団長となって、台湾で2週間にわたって各都市を回りながら、下水道の設計・施工・維持管理など下水道に関わる現地の技術者の悩み、課題の解決のお手伝いをしました。ほとんどが、その場において解決するといことでしたから、半端ではなく、大変な仕事でした。

日本下水道協会 http://www.jswa.jp/

 あるレストランに入ったときのことです。台湾の技術者が説明してくれた、壁に掛かっていた李白の詩に心が打たれました。それは李白の「将進酒」の中の一節「天生我材必有用」(天 我が材を生ず 必ず用あり)という一文です。「この世に生まれた以上、自分には世に尽くす使命がある、活躍する働きどころがあるはずだ」という李白の強烈な自負のようなものがあらわれた一節です。この一文は、その後の私の支えになってくれました。漢文は、高校時代から好きだったのですが、卒業後の、大学受験や就職、現実生活の中で忘れてしまっていましたが、それが30年以上も経って蘇ってきたのです。漢詩を読むために独学で中国語を学んだりもしました。この際、発音がきれいでクリアなテレサ・テンの歌は、教材にもなりました。

そのほかにも何か、ご自身で大切にしている言葉がありますか?

 そうですね。好きな言葉はたくさんあるのですが、あえて言えば、「上善如水」でしょうかね。
 これは中国の古典「老子」のなかの言葉ですが、自己流に解釈すれば、「人生をよりよく生きようと思ったら、水に学べ!」ということです。水は、方円の器にしたがうといわれるように「柔軟さ」です。また、時として、岩をも動かす「強さ、たくましさ」を持っています。さらに、水は高いところから低いところへ、下に下に流れていく「謙虚さ」を持っています。そして水は、きわめて多くのものを溶かす能力、人間に置き換えれば「包容力」といったような特性を持っています。このわずか4文字のなかに、このような豊かな意味を蓄え、そして実社会を生き抜く上でも有用な視点を持ったこの言葉が好きです。

そして生まれ故郷の保土ヶ谷区長になられたのですね

 出向から戻って、企画局や都市計画局を経て、16代目、最後の下水道局長を務めました。下水道局長になったときは、下水道を技術的バックグラウンドとする人間として正直、うれしかったですね。下水道局が機構改革で環境創造局になったときに、保土ヶ谷区長に異動しました。故郷の区長になるとは思ってもみませんでした、とても珍しいことですから・・・

保土ヶ谷区長になられて「とまどい」から「喜び」にかわったとか・・・

 当時は、「区長」という二文字がまったく念頭になかったものですから戸惑いがありましたが、区長になってみると、これまで、いかに地元を知らなかったかがわかりましたね。日々の仕事に追われて、地域に根ざしていなかった自分を、そして区役所の仕事が本当に幅広く大変なものであることを思い知らされました。その反面、時が経つにしたがって、 “故郷に錦を飾る” というありがた味をじわじわと感じてきました。

 私が力を入れたのは「あいさつ運動」です。20万人区民がお互いに挨拶しましょうと呼びかけました。挨拶は人間関係の原点ですし、地域における声かけは、コミュニティを成熟させ、防犯に役立つだけでなく、共助の重要性が増している防災にもつながり、大変効果的だと考えました。ただ、私自身が区役所内外で自然に挨拶ができるようになるのに1、2ヶ月かかりましたね(笑)。
 それから「お出かけ区役所」では職員に積極的に地域に出てもらいし、その結果として課題を把握し、解決に結びつけることを推進しました。また、「お出かけ授業」では、私が小学校に出向き授業(半分は区政のこと、残りは上水道・下水道、ごみ、環境など学校からのリクエストに応じたテーマ)をし、子どもたちと給食をともにしたり、一方、中学校では講話などをさせていただき、結局、在任中に、区内全部の小学校(21校)中学校(8校)で実施しました。これは、私が、子どもたちはとても大切な保土ヶ谷区民だと考えていた所以です。
 このほか、区庁舎内に、デパートや銀行のような「お客様案内係」を配置し、要件に応じたご案内や書類記入のお手伝いなどをしたり、区長室で毎月一回、区民の演奏家を招いたコンサートを開催し、ご応募いただいた区民の皆さんに演奏をお楽しみいただく「区長室コンサート」も実施しました。これなども、「区内には演奏する場が少ないんですよ」という演奏家の声がきっかけになって実現したものです。

歴史発掘や文化交流にも力を入れたそうですね

 私が保土ヶ谷区長のときに、ちょうど区制80周年という記念すべき時を迎えました。この際、80歳の誕生日を一過性のお祭りとして楽しむだけでなく、20万人区民がひとつになれるもの、あるいは愛着を増し、将来の世代に引き継いでいけるものを創ろうと考えました。それで区民の作詞・作曲で「交響詩 保土ヶ谷」(4楽章からなり、2,3,4楽章は合唱付き)を作り、MMホールで区民オーケストラの演奏で、区民300人の合唱でご披露し、大いに盛り上がりました。その中の第三楽章「わがまち、保土ヶ谷」を「保土ヶ谷区の歌」として制定しました。

 それと、歴史の伝承という意味では、保土ヶ谷はかつて、明治期から昭和初期にかけて、全国的にも有名な「じゃがいも」の産地だったのですね。その歴史を伝えるためにも、文字だけでなく”物”で伝えようと、ジャガイモで焼酎をつくることを企画し、地域の酒販組合のご協力をいただき「ほどじゃが焼酎」を作ったり、また、横浜文明堂のご協力をいただいて、小豆餡に替えてジャガイモ餡の三笠山「じゃがどら」という、”まぼろし”の保土ヶ谷名物を作っていただきました。この「じゃがどら」、皆さんの口に入るのは、年に数回、区のイベントなどの時に限られます。

ジャガイモは保土ケ谷から(保土ヶ谷区役所のホームページから)
http://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/imocon/

 (※ 「ヨコハマNOW」では「保土ヶ谷名物会」を連載中です)

 区政を担当し様々な取り組みを行う中で、私は、「職員の力はもちろんのこと、区政は区民によって支えられている。だから、区政で成果を上げて、倍にして区民にお返しをしたい」、「区民はかなりポテンシャルが高い。自分たちが行動する大義というかきっかけを待っている」ということを強く感じました。”ふるさと”で勤務できて本当によかったと思っています。

退職の日(2010年3月31日)にはサプライズがあったとか・・・

 ある課の退職記念品が、なんと私の家族からの「ねぎらいメッセージ」のDVDでした。私に内緒で撮影したらしいのですが、もちろんびっくりするとともに、なんと心温かい部下たちなのだろうかと、とても感激しました。
 また、区民が企画して「ありがとう、区長さん」とコンサートを開催してくれ、プロのピアニストが、私の大好きなショパンの名曲を演奏して送り出してくれました。
 多くの区民と触れ合った、支えられた本当に充実した3年間でした。行政マンとしての37年間の最後に、生まれ故郷の区長として働けたこと、これほどのしあわせはありません。これからは区民の一人として、地域のため、ささやかであれ何らかの貢献をし、区民にお返しできるよう微力を尽くしていきたいと考えています。

金子さんにとって「橫浜」とはどのような場所ですか

 東京との違いでいえば、横浜の魅力にもなるのですが、橫浜のほうが人の温もりが強いのではないですかね。それに、うるおいを感じますね。私にとっての「横浜」ですか?そうですね、私にとって橫浜は「ふるさと」以外の何ものでもありませんが、別の形でいえば、私をここまで育ててくれた、心地よい「ゆりかご」ですかね。その意味では、横浜が世代を超えて「ゆりかご」であり続けるよう期待したいですね。

 「ヨコハマNOW」は29号にして初めて、公務員だった方にお話を伺いました。

 金子さんは保土ヶ谷の名物区長として、ユニークな施策を打ち出し、数々のイベントを 開催されました。その根底にあるのは・・「地域住民のために、子供たちのために」という想いです。「区政は区民によって支えられている。私は区政で成果をあげ、倍にしてお返しするのは当然です。」と仰る金子さん。これからも保土ヶ谷のため、橫浜のために、その手腕を発揮していただきたいと思います。

(インタビュー・文:渡邊桃伯子)

 

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ヨコハマNOW 動画

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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