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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第4回 グループサウンズ(GS)その4 ザ・ゴールデン・カップス

by staff on 2012/9/10, 月曜日

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

第1章 横浜と海(4)

 1968年、小学校4年の時家業のヘルスセンターを止め、一家は港南区の上大岡に1軒家を借りて父母と兄4人水入らずの生活が始まり、初めて一般の家庭らしい生活を体験しました。その時居間にあったステレオが当時セパレートステレオと呼ばれていたもので木作りの家具みたいで横巾が1メートル50センチくらいあった馬鹿でかいステレオ、これで兄の持っていたシングルレコードを聞くのが好きでした。お気に入りはオーティスレディグの「ドックオブザベイ」、ユニオンギャップスの「ウーマンウーマン」。「抱きしめたい」などビートルズ4曲入りのSP盤、ませガキですね。しかしシングルレコードのジャケットってものすごいノスタルジーを感じるのは私だけでしょうか?

 当時のテレビではまったのがウルトラQで円谷作品のはしりで特撮がショッキングでした、特に金の亡者の子供がカネゴンに変身してしまうカネゴンの回は今でも忘れられません。その後のウルトラマンシリーズにつながり現在まで至ります、元祖はウルトラQでした。

 ニュースでなんとなく覚えているのが小5の時のアポロ11号の月面着陸、子供心にもわくわくしました。そして小6の時は大阪で万博(万国博覧会)があり、2度行きましたが覚えているのは延々並んでつらかった事、暑くて倒れ生まれて初めて救急車で運ばれたこと、でも各パビリオンは衝撃的でしたし外人や食べ物も新鮮で今でも断片的に映像が浮かびます。

 後、私は大の漫画ファンで、兄が買った少年マガジンと少年サンデーは小学低学年からすべて読んでいました。しかし、引越しを機会に兄も漫画を読まなくなり自分で買うようになりました。この頃少年ジャンプが創刊、男一匹ガキ大将やハレンチ学園が大ヒット、今から見れば可愛いもんですが、ハレンチ学園は、そのエロい表現が社会問題になり、その影響で実際に学校でもスカートまくりが大流行。先生によくぶん殴られましたっけ、、今思い出すと顔から火が出ます。

グループサウンズ(GS)その4 ザ・ゴールデン・カップス

 1967年はGS黄金期! 職業作家の曲を歌わせ、ヒットを狙うというスパイダースのひいた路線を踏襲するGSが次々現れます。ザ・ヒットパレードなどで、芸能界トップのなべプロが発掘したのが関西から来たザ・タイガース! 担当の作曲家 ”すぎやまこういち” が使った戦略は、ヨーロッパ中世の王子様たちのイメージでした。このイメージで曲が作られ、それにあったそろいの衣装を身に着けて登場!「僕のマリー」でデビューするとボーカル沢田研二の妖しい魅力もあいまって日本の少女たちはこれに熱狂!これに続けとばかりにテンプターズ(エメラルドの伝説)、ジャガーズ(君に会いたい)、カーナビーツ(好きさ好きさ好きさ)、少しフォーク系でビレッジシンガーズ(亜麻色の髪の乙女)、ザ・リガニーズ(海は恋してる)、ランチャーズ(真冬の帰り道)、テレビラジオ雑誌はどこを見てもGSだらけ、GSはピークを迎えます。

 しかし、GSの衣装はちょうちん袖にフリルの襟のシャツ、果ては白いストッキングにスカートやちょうちんブルマに様な衣装まで。。。やってるほうもかなり恥ずかしかったんではないでしょうか? ジャガーズはミリタリールック。ビレッジはビートルズスーツでしたが、髪型が短髪の横分けなのでホテルのボーイ? やはりあのスーツは長髪でないと決まりません。これもあの時代の空気の中では新鮮だったのかも知れません。

 方や、横浜本牧の米軍居留地のすぐ横にゴールデンカップという店があり、(現在も営業中)夜ともなれば連日米兵がたむろしていました。そこで彼ら相手にライブをしていたのが、本牧在住の若者たちによって結成されたバンド、ザ・ゴールデン・カップスでした。当時洋物の音楽も映画も日本には1~2年遅れて入ってくるのが当たり前でしたが、彼らは外人居留地からリアルタイムでレコードを入手し、耳で歌詞や音を取り、米兵を前に演奏することで腕を磨きました。その洗練されたセンスは評判となり、東京や地方から彼らを目当てに見に来るほどで、やがて彼らにもデビューの話があり職業作家の手による「いとしのジザベル」でデビュー。2弾目のシングル「長い髪の少女」が大ヒットして全国的に有名になります。彼らときたら髪は長髪、衣装はバラバラ、しかもヒットした職業作家の曲はステージでは絶対に歌わずそれを目当てにきた客が怒ってもお構いなし、洋楽のカバーや自分たちの英語のオリジナルしか演奏しませんでした。

 彼らのサウンドは、洋楽のカバーでも、自分たちなりにやって出来たものがオリジナリティで、例えばコード進行なども自分たちなりの解釈で演奏。でもそれが不思議と味になっていました。レコーディングでは職業作家の曲も彼らの演奏にかかると独特の響きになりました。「銀色のグラス」などはイントロで、お、ファンキーなロックと思わせておいていきなりスローな歌謡曲、やがてアップテンポなロックビートに展開。ここで特筆すべきは、ベースのルイズルイス加部のうなる様なランニングベース。今聞いてもその凄まじさに呻ってしまいます、そして、リードギターのエディ藩、クールでルーズなブルースフィーリングは、バンドのカラーを決定づけています。後にゴダイゴのミッキー吉野もキーボードで参加、そしてボーカルのデイブ平尾、ドラムのマモルマヌーの甘い声、そのルックスやファッションセンスに女のみならず男までも根強いファンをつかみました。CDは今は簡単に入手できます、是非聞いてみてください。

 本牧で、もう一つ人気のグループが、パワーハウス。ボーカルは伝説のボーカリスト、竹村英司(通称CHIBOちゃん)、ベースが今は亡き柳ジョージ。彼らは、洋楽のカバーアルバムでデビューしています。横浜出身のGSミュージシャンは他にもカーナビーツのアイ高野、ジャガーズの沖津久幸、後のフラワーズ、ジョー山中等。。。こんなすごい連中がまだデビュー前の1966年、’67年に夜毎ライブで横浜のジャズ喫茶やゴーゴークラブで演奏、シノギを削っていたなんてすごいことです。その場に居合わせたかったですね。(敬称省略させていただきました、ご容赦ください)

 エディ藩さんとは、昨年の象の鼻ライブにゲスト出演していただいたり、ハートに出演していただいたりお世話になっております。2002年再結成と彼らの伝記映画「ワン・モア・タイム」製作が決定した夜、デイブ平尾さんを除くメンバーをエディさんが連れてきて下さりハートのステージでゴールデンカップスが夢の再結成。私たちと一緒に演奏してくださいました。翌日にはデイブ平尾さんも来店くださり、最高の感激でした! 平尾さんは、2008年に他界されました。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

 以下次号につづく

HEART&SOUL代表 原 正行)

ザ・ゴールデン・カップスス「銀色のグラス」 オリジナルレコードジャケット(1967年11月)
ザ・ゴールデン・カップスス「銀色のグラス」 オリジナルレコードジャケット(1967年11月)

 

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