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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第8回 フォークと日本語のロック その4(日本のロック黎明期)

by staff on 2013/1/10, 木曜日

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

第2章 横浜、街と風(4)

清涼飲料水

 水泳部は7月から8月の約2ヶ月をプールで泳ぎますがそれ以外はほぼ陸上部と同じで、ランニングとサーキットトレーニングが中心、ひざによくないというので最近はあまりやらなくなったウサギとびもよくやりました。部活の帰りはともかく喉が渇きます。学校横のパン屋でよく飲んだのがチェリオ。ファンタより断然量が多くてお得。コカコーラ、三ツ矢サイダーが定番でしたが、その内ミリンダやスプライトなんてのも出てきました。今では殆ど見かけませんが、コアップガラナなんて不思議な味の炭酸飲料がありましたっけ。途中のお米屋さんではプラッシーというオレンジジュースの親戚みたいなのがありました。駄菓子屋にはチビッココーラというのがあって、通常のコーラより少し小さく、ふたの裏に当たりと書いてあるともう一本もらえました。

昼休み

 中学に入った時、購買部と言うのがあり文房具など必需品がそこで買えるのに驚きました。給食はないのでみんな弁当かパン。昼時には校内にパン屋が出現。3個くらいのパンがAセットとかの袋に入ってお手軽値段で購入できました。4時間目が終わるとお待ちかねの昼休み。その時、校内放送で音楽がかかりますが、良くかかるのは確かポールモーリアとかのイージーリスニング。その内カーペンターズやサイモンとガーファンクルもたまにかかるようになり、ある時びっくりしたのは拓郎のライブLP 「ともだち」 がかかって、拓郎の曲 “もう寝ます” の 「起きてても~」 が流れた時は衝撃でした。きっと先輩の放送部部員で好きなのがいてかけたのでしょう。何回かその辺のフォークが流れた後ぴたりとなくなったの、で先生あたりからクレームでもついたのでしょうか残念でした。

 食後の昼休みは校庭でフォークソングがかかり、先生達に混じってオクラホマミクサーとかマイムマイムを手をつないで踊っていましたね。今考えればのどかな時代です。「サインはV」 とかの影響でバレーボールが流行ってて、何人かがグループになってドリブル(?)してました。みんな指先で音を立てずにトスするのですが私はいつもパン!て音が出るので苦手でした。

先輩

 中学の時の1年の差は大きく1級上でもかなり大人に感じ、2級上だと相当おっさんに見えました。2年の体育祭の時応、援団をやりそれが縁で3年生の教室へよく出入りする機会があり、その時先輩達が教室でギターを弾いているのを見てテクニックを盗みました。やはり拓郎が多く、 “花嫁になる君に” などのスリーフィンガーピッキングや、 “今日までそして明日から” などのカーターファミリーピッキングを演奏してました。負けず嫌いだったので直接教わろうとはせず、先輩達の手首の角度やピックの持ち方、ストロークを目に焼きつけ家に帰ってから実際に真似してやってみるとなるほどと言う感じで出来ました。3年生が卒業する時の 「3年生を送る会」 では講堂で3人ぐらいのグループでフォークを歌いましたが恩返しできたかな?

フォークと日本語のロック その4 (日本のロック黎明期)

ロックとフォークの違い

 GSから始まり ’73年位までのフォークを見てきましたが、そもそもフォークとロック、何が違うのでしょう? その定義は時代と共に変化し皆さんそれぞれに考えをお持ちでしょうが、私なりに検証してみました。

1.フォークは生楽器、ロックは電気楽器を使う

 1965年、いつもアコースティックギターを弾いていたボブディランがエレキギターを抱えフォークの祭典ニューポートフォークフェスティバルで、ザ・バンドをバックに登場したら観客から 「お前はフォークの魂を売り飛ばした。帰れ、帰れ」 と言われステージの途中で降りたのは有名なお話。

 それほど1960年代初頭はエレキギターに偏見があったのでしょう。日本でもロックは不良の音楽、エレキを持っていたら不良と言われた時代でした。

 基本的にフォークはアコースティックの弾き語りでソロ、(グループでも多くて3人くらい)で演奏。ロックは基本的にグループ。ドラムが入っていてギターは必ずエレキを持っていると言ったところでしょうか。

2.強いビートがロック、ビートがないのがフォーク

 ロックはドラムとエレキベースが強いビートを産み出し、それに電気を使ったギターやピアノが増幅された音で和音をかぶせる。フォークは生ギターかピアノの和音で作り出す優しいリズムが基本。打楽器が入っていたらそれを軽く補佐するだけの小さい音でした。

 ビートの基本にはダンスがあります。日本人は古来から静の文化なのであまり踊りませんが海外では音楽にダンスはつき物。フォークは座っておとなしく聞くものでした。

3.ロックは最大限のボリュームをめざす

 ロックは電気によって増幅された音でマックスのサウンドを目指します。最大もしくはそれ以上をめざすのでスピーカーの限界を超えてギターの音は割れてしまい、結果、音を歪ませて増幅させるエフェクター、ファズが誕生。ボーカルはそれに負けないよう大きい音を出すため最大限の高さまでキーを上げシャウト! 結果ハスキーボイスになります。

4.ロックは考え方の基本に反体制、反社会性があり、歌詞や音でそれを表現する

 フォークも以前は反体制が基本でしたが、拓郎以降は身近なことを中心に歌うようになり反社会性は薄れていきました。ロックも70年代後半から反社会性は薄れていきましたが80年代には一部パンクロックやニューウエーブが台頭、その精神を受け継いでいきます。

 とまあ、勝手な解釈ですがいかがでしょうか?

 本文の戻りますが、1969年、GSが歌謡曲化し衰退してからアンダーグラウンドなところでフォークが若者文化の中心になっていく一方、GSからロックに移行していく流れを中心に日本のロックも形を整えていきます。

フラワートラベリングバンド

 内田裕也氏が見出してプロデュースしたのが “フラワートラベリングバンド”。 ’70年デビュー、万国博覧会に出演した時、カナダのライトハウスというバンドに声をかけられ、カナダで活動を開始。高い演奏力と元GSフォーナインエース(491)のジョー山中の素晴らしい高音のボーカルは、海外でも高く評価されました。彼らのオリジナルは、東洋旋律を元に作られたものが多く、明らかに海外市場を意識していたと考えられます。又、同じく元GSビーバーズの石間秀樹のギターの弾く東洋的旋律は、独特で今聞いても個性的で新鮮です。デビッドボウイが彼らの事を認めていて、拠点をニューヨークに置くことを薦めたそうですが、解散後だった為かなわなかったそうです。アルバムが再発売されてますのでディスクユニオン等で是非お買い求めください。もしフラワーズを聞いたことがない方でYoutubuで見るのなら、 「shadows of lost days (画面にMade as an evaluation of Proshow Gols Rと出るバージョンがお勧め)」 と 「Make up」 はとりあえず見ていただきたい。私的には当時偶然テレビで聞いた 「shadows of lost days」 があまりにも衝撃的でした。

Flower Travellin’ Band – Shadows of Lost Days
Flower Travellin’ Band - Shadows of Lost Days

Flower Travellin’ Band – Make Up
FLOWER TRAVELLIN’ BAND - Make Up

 次回は ’72年頃の日本のロック、キャロル等から始めてみたいと思います。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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