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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第9回 フォークと日本語のロック その5(日本のロック黎明期)

by staff on 2013/2/10, 日曜日

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

第2章 フォークと日本語のロック その5 (日本のロック黎明期)

はっぴいえんど

 フラワートラベリングバンドは英語で歌い、世界を目指しましたが、日本語で歌うロックを追及しようとしていたのが はっぴえんど を中心にした流れでした。音楽誌などでは、たびたび日本語はロックに合うか? という論争が行われ、内田裕也氏が、はっぴいえんどを相手に激論しているのを読んだ記憶があります。1970年はっぴいえんどは結成され、ベース 細野晴臣、ボーカル 大瀧詠一、ギター 鈴木茂、ドラム 松本隆の4人組。彼らは、イギリスロック全盛の当時、バファロースプリングフィールド などのアメリカンロックを志向する細野、大瀧のサウンドセンスと、松本隆のダブルミーニングなどのテクニックを駆使した日本語による歌詞で、ロックビートにのせた日本語ロックを生み出しました。正に日本語ロックの先駆者といえるでしょう。

 後年、細野晴臣は、イエローマジックオーケストラで世界に知られるミュージシャン。松本隆は、80年代には「赤いスイートピー」など松田聖子など有名歌手のヒット作品を数多く手がけて、日本を代表するニューミュージック界の大作詩家になりました。大瀧詠一は、ナイアガラレーベルを作り山下達郎や著名なミュージシャンに多大な影響を与えた大御所。ソロ作品「ロングバケーション」はロングセラーを続ける名作です。鈴木茂は、はっぴいえんど 解散後もキャラメルママ、ティンパンアレイなど素晴らしい作品を残し、後のミュージシャンに多大な影響を与えたギタリストの一人です。セッションミュージシャンとしても数々の名演奏を残していて、ユーミンの卒業写真のバッキングなどは絶品です。

日本のロックの確立期

 GS以降、商業作家によるサウンド作りではなく、自分達の手によるサウンド作りが模索され、海外の音楽のコピーから脱却し、日本独自のロックを作ろうとする動きは、フラワートラベリングバンド を初めとするGSからの流れと、はっぴいえんど を初めとする新しい流れによる2つの主流によって、アメーバのように新しい形が生まれていった様に感じます。

 1969年から1971年は、歌謡曲全盛の時代。表立った舞台の影で地下ではどんな世界が展開されていたのでしょう。

 1970年頃になるとジャズ喫茶と呼ばれたライブハウスは姿を消してゆき、替わりにディスコと呼ばれる生バンドが演奏して踊らせるライブハウスが主流になっていきます。ビートルズやロックンロールを演奏するバンド、オーティスレディング などのR&Bを演奏するバンドや グランドファンクレイルロード などコテコテのロックを演奏するバンドなどがごっちゃになり、こういうところで腕を磨いていました。又、腕の良いバンドは、外人相手に米軍の施設で演奏したりしました。そして、その流れが形として現れるのが、1972年、この年デビューしたバンドが現在につながる流れを作ったと言って過言ではないと言えるでしょう。

 1972年デビューしたバンド
    キャロル(矢沢永吉)、サディスティックミカバンド、
    クリエーション、カルメン・マキ&オズ、スモーキーメディシン(チャー)
凄まじい顔ぶれです。

キャロル

 私が中学2年頃、ラジオから盛んにかかっていたのが「♪かわいいあの子はルイジア~ナ」。キャロルのデビューを伝えるコマーシャルでした。

 元々は矢沢永吉が「ビートルズとロックンロール好きなヤツ求む」の、貼紙がバンド結成の始まりで、ボーカル&ギターにジョニー大倉、リードギターに内海利勝が集まり、横浜のディスコ「グルッペ」などを拠点に活動していました。ある時、若者に人気のテレビ番組「リブヤング」に出演した所、プロデューサーのミッキーカーチスの目に留まりプロデビュー。革ジャンにリーゼントでロックンロールを演奏するスタイルは、凄まじいインパクトでした。(ちなみにこれ以前、矢沢はマシュルームカットだったそうです)

 彼らのスタイルは、一世代下の悪(ワル)をきどる連中に圧倒的な支持を集め、リーゼントは不良のシンボルにまでなり、又、クールスなどのフォロワーも生まれ、館ひろしや岩城光一などのキャラクターを生み出します。矢沢の英語のように発音する日本語の歌、ジョニー大倉の日本語と英語を組み合わせた作詞などは、今までになかったもので、後のロックに与えた影響は計りしれません。

 しかし、たった3年の活動を経て解散。そして、伝説の日比谷野外音楽堂でのラストコンサートのフィナーレで、ステージ上に掲げられたキャロルの電飾の看板がいきなり燃え落ちて火事になるアクシデントがおこり、彼らのインパクトを更に強烈にしました。私が高校時代、ともだちのツッパリたちが学校を途中でエスケープして見に行っていたのを思い出します。

横浜、街と風(青い日記) 5

中学3年へ

 2年生が終わり、いよいよ3年。大好きだった2年2組もクラス替えで3年ではバラバラになり、新しいクラスも来るべき進学に備えて不安な気持ちを抱えているので、「クラスで一つになる」的な空気はありませんでした。でもラッキーだったのは新しい男の担任もギターには寛容で、自分も昔弾いてた、と言って「禁じられた遊び」を聞かせてくれました。だもので、相変わらず学校にギターを持って来ては、やれ文化祭、講堂での催し物などには必ずでしゃばって弾いていました。

 放課後になると夕暮れの教室でギターを弾きながら歌い始めると、クラブ活動を終えた生徒がまだ体操着のまま集まってきます。よそのクラスの生徒も入ってきます。当時ヒットし始めた「神田川」を歌いだすと涙ぐむ女子も。。。「学生街の喫茶店」や「翼をください」、誰からともなく一緒に歌いだし夕日をバックに最高潮の雰囲気に。。。

 その頃「お前ら!何やってんだ。早く帰れ、帰れ」の先生の怒鳴り声と共に夢の時間はいつも打ち切られました。

バレンタインデー

 放課後の教室はいつもドラマでした。失恋した女の子を誰かがなぐさめていたり、誰かがけんかを始めたり、バレンタインデーなどは、もらった、もらわなかった、あげた、あげられなかった、など大騒ぎ。そういえばバレンタインなんて言葉を聴いたのもこの2年生か3年生の頃で、チョコレート会社の営業戦略で始まったと思われるこの風習も、この頃がスタートだと思われます。13、14歳で、もてる、もてないの現実を見せ付けられ、自分も含め、結構これに傷ついた男の子も多かったんではないかと思います。

 そんな頃、自分にも始めて本気で好きになり付き合った彼女が出来ました。

水泳部

 三年間続けた水泳部もキャプテンとなりいよいよ最後の夏。得意種目は平泳ぎ。自分で言うのもなんですがまあまあ泳げるほうだったと思いますが、中学3年間どうしてもかなわないライバルが横浜市にいて、インターハイにも出ていたM君は、市でも県でもダントツのトップ。彼を目標に夏が終わるまで水泳の練習に打ち込みましたが、結局は県大会6位に終わり、水泳部の夏は終わりました。

 夏が終わると進学の季節。元々あまり勉強ができない上にアルバイトとギターと部活ばかりやっていたので、成績は知れたもの。家庭の事情もあったので就職も真剣に考えていましたが、水泳の強い某高校の関係者から推薦の話があり、それに期待して高校でも水泳をやろうとしていましたが、手違いがあり推薦がなくなってしまいました。それに落ち込み水泳への情熱も消え去り、就職しようと思っていたら、父親が金は何とかするから私立でもいいから高校だけは卒業しろと。。。母の看病を続けながら仕事を頑張っている父には逆らえず、どこでもいいから進学しようと今更ながらの受験勉強に着手していきました。

原正行 ヨコハマNOW連載記念ライブ Vol.2 開催決定

ヨコハマNOW掲載に伴い執筆者、原正行本人によるアコースティックライブが開催されます。第2回目の今回は1971年から1974年くらいのフォークソング! 拓郎、陽水、かぐや姫等、普段は演奏することのないナンバーばかりです、是非ご予約ください。
 
【 原 正行 アコースティック・フォークライブ Vol.2 】
日時: 2013年2月24日(日) 18:00~
場所: スタージスカフェ
    横浜市中区蓬莱町3-104の2階(1階ファミリーマートが目印)
    TEL 045-341-0002
チャージ: ¥2000(普段はカフェバー営業です)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL
〒231-0014 横浜市中区真砂町3-33 CERTE11階
営業時間
平日:OPEN 19:00 CLOSE 4:00 LIVE START 19:50~
休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
JR関内駅徒歩より1分
地下鉄関内駅より徒歩1分
Websie http://www.heartandsoul-live.com/

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横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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