2013年3月 三ツ池だより 「春が来た!きた!」
台所で洗い物をしていた。早苗が私の肩を動き回る。早苗は生後四か月のインコである。朝と夕方籠から出して部屋のなかを飛ぶようにしている。すこしづつ家に馴染んできていた。手を休め庭に咲く梅を眺めた。春三月である。春という字を眺めていた。「三」「入」「日」が見えてきた。春は三月に入った日であると読めた。
「先日百舌鳥が庭にきましたよ!歌がありましたね!鳴き声はどのようでしたか?」久しぶりにもずの歌を引き出して歌った。
サトウハチロー作詞「もずが枯れ木で」
1 | モズが枯木で鳴いている わたびき車はおばあさん |
オイラは藁を叩いてる コットン水車が回ってる |
2 | みんな去年と同じだよ アンサの薪割る音が無え |
けれども足んねえものがる バッサリ薪割る音が無え |
3 | アンサは満州へ行っただよ モズよ寒いと鳴くがよい |
鉄砲が涙で光っただ アンサはもっと寒いだろ |
歌いながら春の日差しを楽しんだ。
3月3日はひな祭りだ。正岡子規に次の句がる。
明治20年 | 一枝やたましひかえす梅の花 | 正岡子規 |
明治29年 | 雛売れてだるま淋しや道の端 | 正岡子規 |
淋しさや羅漢の前の雛二つ | 正岡子規 | |
明治31年 | 海苔干した村を過ぎ行く梅見哉 | 正岡子規 |
明治は遠くなった。とはいえ戦後まもなくまで日本は畦道があり、リヤカーの轍のある道はどこにもあった。峠には一本松などがあった。戦後60数年、日本はどこに行こうとしているのか?
雛の句で江戸時代にさかのぼってみる。
雛の飾られる様子や景色が随分と変わってきている。道端で売れるほどの値の雛から、ようよう折り紙ででも雛にした時代が長く続いた。今はお雛様の扱いがまったく変わってしまった。生活のなかから飛び出して形骸化のなかにあるようにも思う。
時に何組かの同窓会と思われる酒を酌み交わす実物のお雛様がいる。前前夜祭なのだろう。春が来た春が来た。今私たちは複雑な心境の中にいる。初節句を飾るためにお雛様を買う。雛祭りは「桃の節句」といい、桃の花を飾ったりする、これは桃の木には邪気払いの効き目があるとされているからだ。家では桃の花を雛飾りの横に置いた。
ひな祭りの起源は、漢の時代に徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけた。3人とも3日以内に死んでしまった。その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされている。それが平安時代になると、「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流した。この紙のひな人形が発展し、現在の豪華なひな人形になったとされる。
ところで雛人形の配置は関東では自分から向かって左に男雛、右に女雛を置くとされますが、京都は向かって右が男雛、左が女雛。これは御所の伝統にならったもので、左大臣・右大臣で左大臣が偉いように、左が位の高い位置とされているため。御所の紫宸殿は南向きに建てられており、天皇から見て日が昇る方角(東)は左、ということで、位が高いためです。女児のお祝いなのに、お内裏様というのがなぜなのでしょう。いいところへ嫁に行く、世を繋いでいくのが女性ということからくるのだろうか。
春3月は卒業の月、卒業とは出発のこと、いただいた生命を大切に守り育てる時です。出発とは新しい苦難の道の歩きはじめです。乗りこえるためにいただいた生命を、乗り越えるためにある苦難への心構えを確立する時です。「みんな去年と同じではありません。」
原稿の下書きをしているノートを早苗が啄ばみ始め、2mmほどの紙の切れ端を落とした。さぁ! 新しいリズムをもって歩き出す時だ。さぁ!出発の準備だ。
Photos
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(文・写真:横須賀 健治)
横須賀 健治プロフィール
メジャーテックツルミ 代表取締役
はかることのプロとして50年です。
食品の放射能測定のアークメジャーを設立しました。
「計量から見える幸せ」をライフワークにしています。
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