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8月 17 19

第51回盆栽カフェ オープン - 2019.8.25(日)

by staff

盆栽カフェをオープンいたします

「ヨコハマトリエンナーレ2014」で大好評だった「盆栽カフェ」をヨコハマNOWでは定期的に開催しています。

季節ごとの変化が気軽に楽しめる「盆栽」・・・
最近は若者を中心にミニ盆栽が人気を集めています。

2014年12月13日(土)に開催した第1回「盆栽カフェ」では、石井造園株式会社の石井直樹社長に、「盆栽」について語っていただきました。

盆栽カフェ
第1回「盆栽カフェ」のアルバムです

その後定期的に開催し、2019年7月14日(日)に第50回を開催しました。そして第51回の「盆栽カフェ」を8月25日(日)にオープンいたします。

My「盆栽」をお持ちいただければ、石井社長に見ていただいてお手入れについてお話しいただきます。








2016年4月24日の「盆栽カフェ」の写真です。


2017年4月15日の「盆栽カフェ」の写真です。

「盆栽カフェ」(8月25日)のご案内 –第51回–

酷暑お見舞い申し上げます。
皆様のお宅の盆栽は大丈夫でしょうか。

暑さにもめげず、第51回目の「盆栽カフェ」は、8月25日(日)14時から横浜山手の「此のみち」で開催いたします。

今回は参加者からのリクエストで、久しぶりに、松ぼっくりの苔玉をつくります。どんなものになるか楽しみですね・・・

「盆栽カフェ」は・・・年代を問わず大歓迎です。
「マイ盆栽」を石井先生に見ていただき、アドバイスを頂戴することもできます。

皆様のご参加をお待ちしております。

「盆栽カフェ」のお申し込みはこちらから・・・
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

よろしくお願いいたします。

プログラム

タイトル 盆栽カフェ
日 時 2019年8月25日(日) 14時~
場 所 「此のみち」
横浜市中区山手町159-2 tel 045-621-4015
 
みなとみらい線「元町・中華街」駅下車、
  「港の見える丘公園」方面に徒歩12分
JR京浜東北線「山手」駅下車、「山手駅前」バス停から20系統
「港の見える丘公園」下車、尾根沿いに徒歩8分
 
アクセスはこちらをご覧ください。
http://yokohama-konomichi.jp/acces.html
参加費 4,000円 (ワークショップの材料費 お茶・お菓子 付)
お申込み お申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

動画:日本で初めて!松ぼっくりを使って苔玉を作る「苔玉ワークショップ」

参考サイト

「盆栽カフェ」 http://bonsaicafe-yokohama.net/

ヨコハマNOW掲載記事
「横浜に責任をとる。 石井造園株式会社 代表取締役 石井直樹さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=11663

 

 

8月 10 19

「ポールウォーキング」を始めました

by staff

 

「ポールウォーキング」をご存知ですか。
それは・・・
両手に2本の専用ポールを持つだけで、すぐに始められる運動です。
(SINANO のWebサイトより)

日本の整形外科医が考案された運動で、言ってみればポールを両手に持って歩くだけですが、以下のメリットがあるそうです。

・運動効率のアップ
・理想的な歩行姿勢
・誰でも無理なく行える
https://sinano.co.jp/revita/

元町・中華街のウェディングエステ「ビーセレブ」の大木美恵子先生が「ポールウォーキング」の講師資格をお持ちだと知ったのは2か月ほど前でした。

「無理なくできるからやってみましょう!」と仰る大木先生のご指導の下、山下公園や大さん橋を歩いてみました。

確かに・・・両手にポールを持つことで、背筋が伸びた正しい姿勢になります。

私は長時間歩くと腰が痛くなったりしていたのですが、正しい姿勢で歩くと疲れないですね。1時間近く歩いてもそんなに疲労は感じませんでした。自分のペースで歩けるので、無理なく続けることができます。

お腹を引っ込めて歩くとダイエット効果もあるそうです。

試しでやってみて・・これはいい!! ということで、早速、ウォーキング専用ポール『REVITA(レビータ)』を購入しました。

※REVITA (レビータ)とは、
RE(復活・戻る)- VITAL(生命・生き生きとした)を意味する造語です。
「メタボリック」「アンチエイジング」な時代に向けて開発されたウォーキングのためのポールです。

最近は、根岸森林公園にラジオ体操に行くときも、「ポールウォーキング」で行っています。
ポールを使うことで転倒防止にもなります。

まだ初心者ですが、「ポールウォーキング」を、“盆栽” “銭湯めぐり” に続く私の趣味にしたいですね。

8月から、毎月第三日曜日の午後4時に山下公園の噴水前に「ポールウォーキング」愛好者が集合して、大木先生の指導を受けながら、一緒に歩くことになりました。

やってみたい方は、渡邊まで連絡ください。お待ちしております。
『REVITA(レビータ)』を貸し出しますので、軽装で大丈夫ですよ。

 

8月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第3回)
「褒める」と「叱る」について考えてみよう!

by staff

第3回 「褒める」と「叱る」について考えてみよう!

「褒めて育てる」って、育て方として耳にしませんか? また、それと異なるように「叱る」とか「叱って育てる」という育て方が対比しているように思われがちですよね。

そして「褒めて育てる」というと、子どもの行動をなんでも良いこととして、「叱って育てる」の方は、親の価値観や考え通りにならないと、強い態度で子どもを注意する。そんなイメージを持たれていませんか? でも、これって、違がった育て方のように思われがちですが、実はどちらも子ども自身が成長できること、育つことを考えていないんですよね。

子どもは、たくさんの成功や失敗の経験をしながら成長すると思うのです。それなのに褒められてばかりだと、自分に甘くなったり、失敗から学ぼうとする意欲が薄れてしまうことでしょう。また、叱られてばかりでも、自分に自信がもてないまま大人になってしまうのではないでしょうか。

子育ては広い意味で、子ども自身が一人前の社会人として自分で考え、行動できるようにすることだと思うのです。ですから、わざわざ育て方と言うのではなく、子どもを育て生活する中で「褒める」こともあれば「叱る」こともある。どちらも子どもの成長にとって必要なことという考えが良いのではないでしょうか。

大切なのは、子どものことをちゃんと理解し認めた上で、良かったことは褒めたり、やってはいけないことや危険なことをした時には、しっかりと注意したり叱ることですよね。なんでもかんでも、いいね! いいね! と、うわべだけ受け入れてしまうような褒め方も、年がら年中注意ばかりしている叱り方も、かえって子どもをダメにしてしまうことでしょう。

おっと! 今回は、親の子育てについてだけなの? と思われましたか。いえいえ、親だけでなく、すべての社会の大人の皆さんと考えてみようということです。社会の大人の皆さんが、どこかで、褒めたくなるような行動をしている子を見かけたら、声に出して認めるとか、声は出せないなぁ~という方は、笑顔でも、優しい眼差しでも良いですから子どもの行動を理解しようとしたり、認めるような態度を出しましょう。また、危険なことや悪いことをしている子どもを見かけたら、注意したり、目線でもいいですから、それはいけないことだということを伝えるようにしましょう。

「幸せなら手をたたこう♪」という歌の中に「幸せなら態度でしめそうよ」と、ありますよね。あなたのできるチョットした「褒める」や「叱る(注意する)」を態度でしめしましょう。そうすると、私たち大人も子どもも、人としてより一層成長できちゃうかもしれませんよ。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

8月 10 19

しあわせの「コツ」(第32回) 「風の国」のジャポニカ

by staff

第32回 「風の国」のジャポニカ

初夏の風に揺れる「ちがや」 桑名市総合医療センター「理事長の部屋」
http://www.kuwanacmc.or.jp/rijichoblog/…

「風」

作詞 クリスティーナ・ロセッティ(訳詞 西條八十)

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく
 
誰が風を見たでしょう
ぼくもあなたも見やしない
けれど樹(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく

唱歌「風」を日本の歌だと思っている人は多いのではないのでしょうか。実は19世紀のイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティ(1830―1894)の作品を西條八十が訳したものなのです。花鳥風月を愛でる日本人にとって、詩の内容はあまりにも自然なので、まさか翻訳とは思わなかったのでしょう。

実際、日本人は「風」が大好きです。ですから「風」を含む言葉が思いのほか沢山あります。北風、南風、春風、秋風、台風、そよ風、という自然現象を表す言葉だけでなく、風情、風俗、風物、風流、風習、風趣、風貌、風采、風紀、風雅、風評、風化・・・など、実に様々な「風」ことばがあります。俳句の季語にはさらに「白南風(しらはえ)」「黒南風(くろはえ)「雪解風(ゆきげかぜ)」などというこまやかな風ことばが数多あり、日本人の風に対する豊かな感性を感じないではいられません。

でも、歌にあるように一体「誰が風を見たでしょう ぼくもあなたも見やしない」。「風」は「あ、これが風だ」と指を指すことはできませんし、どれほどすぐれた電子顕微鏡でも「風」を見ることはできません。どこからどこまでが春風だと、物差しで測ることもできません。

「見えないけれど確かに存在するもの」。
そういうものを捉える感覚において、日本人ほど敏感な民族はいないのではないでしょうか。

また、「見えない」という存在の仕方から、自由に想像がはばたき、多くの比喩が生まれます。例えば「永田町に解散風が吹いた」とか「彼は臆病風に吹かれた」と言う場合、「解散風」「臆病風」と言う風が自然現象としてあるわけではなく、解散へと事態を動かしていく「何か」、なぜか臆病にさせてしまう「何か」、そうした得体のしれないエネルギーの動きを「風」と呼んだりもしますね。

「臆病風」をググったらこんなイラストが出てきました(笑)。
このイラストは「臆病」と言う個人の精神状態を、「風」という外から来る得体のしれないものからの影響と考えているのが良くわかります。

「風」は、また、何か新しい物を運んできます。「風の便り」「風のうわさ」と言う言葉がありますが、文字通り、「風」が情報を運んでくるものだという認識があります。誰と発信源は特定できないけれど実害のある「風評被害」も最近は増えていますね。これも(ネガティブな意味ではありますが)情報伝達の一種です。

また、「~風」は、様式やスタイルを表すときに使います。たとえば「ギリシャの神殿風の建物」というと、ギリシャの建築様式を模した建物のことですし、「中華風のお惣菜」というと、本格的な中華料理ではないものの、中華料理のスパイスや調味料を使って中華の要素を加味したお惣菜になります。

「こんな風に」の「風」、「風流」「風雅」の「風」は、見た目やスタイルを指しています。だから見た目がさえないと「風采があがらない」のです。江戸時代の人は「風流」とか「粋」と言われるために、まだ肌寒いうちから一重を纏い、暑くても他人の目には涼しげな絽や紗の着物を着ました。

絽の着物 「やみくも着物ライフ」
https://blog.goo.ne.jp/nagomikenkyusho/…

私もかつて義母に絽の着物を作ってもらいましたが、絽自体は透けるので涼しく見えるのですが、その透明感を出すために下に長襦袢を着なければなりません。炎天下ではそれが暑くて、背中が汗でぐっしょりになった記憶があります。「風流」と言う「風」を吹かせるために暑さを我慢して着たのでした(笑)。

こうしてみると、自然現象を除けば、「風」は、① 外から吹いてきて自分や周囲を突き動かすもの(解散風や臆病風など)、② 何かを伝えるメディア的な働きをするもの(風の便り、風評など)、③ 何かの様子を形容する時の比喩的表現(~風)とがあるようです。どれも「捉えどころがない」と言う点では共通しています。

もう一つ共通しているところは、どの場合も「風に吹かれる」という受け身の状態にある、ということです。日本人が「風」好きなのは、おそらくこの「受け身」性にあるのではないでしょうか。「しかたがない」と言う言葉がありますが、外の変化をやさしく受け入れて自分をそれに合わせていくことで生きながらえていく―そんな生き方を昔からしてきたように思います。

では、人間はいつも「風」に吹かれっぱなしで、「風」の主人公になれないのでしょうか? そんなことはありません。「風」は巻き起こすことができるのです。自分が発信源となって、外へ外へと旋回するように広がっていく風の中心になることができるのです。「旋風」という風は、あなたから生まれる風にほかなりません。「風雲児」ともなると、「風」だけでなく、「雲」まで湧き起こしてしまうのですから大したものです。

沖縄 座間味の海

どうしたら自分から「風」を起こすことができるのでしょうか? それは「自分軸」を立てることに尽きます。「誰かが言ったから」「本当はやりたくないけどみんなが言うから」という他人軸で行動している限り「風」は起きません。自分に正直に、本当にやりたいことを実行する時、たとえそれがどれほど小さな事であろうと、「風」は起きます(強いか弱いかは別にして)。

「風」が起きるということは、周囲を変えていることになります。少なくとも、「自分がどういう人物か」を周囲に発信していることになります。自分の心に忠実に沿って行動する時、一見わがままに見えたり、荒唐無稽に見えても、周囲を動かす「風」となって少しずつ事態が変化していくことでしょう。

一体日本人にとって「風」とは何なのでしょう?
それは 「生き方の美学」にほかなりません。周囲を変えながら、事が終われば跡形もなく去っていく―。残るのは人々の記憶の中だけ。すすき野原の上を音もなくさぁっと通り過ぎてゆく一陣の風のような生き方。名誉栄達を極めるよりも、そんな「風」のような生き方を日本人は「美しい」と思ったのです。

箱根仙石原のすすき野
「世田谷自然食品ブログ せたがや日和」
https://biyori.shizensyokuhin.jp/articles/…

そういえば、そんなヒーローが昔、人気を博していましたね。

「疾風(はやて)のようにあらわれて 疾風(はやて)のように去ってい」く人を、いつの時代も日本人は「カッコいい!」と思うようです。

ご存知 月光仮面
「ミドルエッジ」
https://middle-edge.jp/articles/…

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

8月 10 19

2019年8月 三ツ池だより 「計量は平和に貢献できるか!」

by staff
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突然左足の踵が痛くなった。歩けないのであった。左足の親指は時々痛風で痛くなる時がある。今回は初めての左足の踵である。あまりの痛さに、ようよう緊急の病院に飛び込んだ。レントゲンでは異常が見られない。明日痛みがとまらなかったら本院に行ってください、との診断をいただいた。本院で、一週間後に診断の予定を入れときますので、痛みがとれなかったら来てください、とのことだった。その日が明日の事になる。

今日のカードをひいてみることにした。

  • 今は忍耐のとき、これを乗り越えれば大きな展開が期待できるでしょう。
  • 一度あきらめたことに再チャレンジしてみて。思わぬ展開が待っているでしょう。
  • 冒険をするときです。常識の枠をこえて自分のルールブックで行動するのです。

今、冒険をするときですと言われて、それは何のことなのだろう。来月には「“はかる”を人生の友として」をメジャーテックツルミが出版してくれる。第一章の「ありがとう」を積み上げて五十年!のなかに「計量は平和に貢献できるか」という項がある。それは勝つために計量するのではなく、調和の為に計量することだと、認識しているのだ。そして「二度とない人生ですから、お互い計量人として、あるいは計量に縁がない方も、是非これを機会に計量の面白さ、計量の豊かさに気が付いていただけたらと・・・」

突然頭に浮かんできたことがある。「あんたのお母さん日本人?」もう40年近く前のことになる。工場の近所の方からの私への質問だった。工場のまわりは手袋と作業服の洗濯の物干しでいつも一杯だった。一度も働きに出たことのなかったお袋は、親父の定年後の仕事に手伝いに来ていた。字を書くのが苦手だったので、洗濯物をしてくれていた。新しい手袋を用意するのがもったいなく、作業着も業者に出すのが惜しく自分で毎日、工場のまわり中に選択し干すくらいにしていた。働く者は皆お袋の見方だった。お袋は早く親を病気で亡くしていた。おばあちゃんは静岡の浅野の出だったので、お袋は大正時代の女学校をでていた。

話を戻そう。ありがたい「計量は平和に貢献できるか」という問いかけがあって今がある。40年前、50年前にはそんなことを考える機会はなかった。ただただ「言われたことを作業する」だけだった。ところが、計量は平和に貢献できている、といえる仕事づくりがはじまったのだ。30年ほど前の事になる。ISOの取組もそうだし、経営理念の確立をめざしたのもそうだった。不思議なことに行政も小企業の経営姿勢の改善に手をかしてくれるようになってきていた。アドバイザーはいつもこう仰ってくれていた。「自分の手元でできることをやっていくんだ」「自分のものとして取り組まないと、どこかに行ってしまう。」そして、メジャーテックツルミがとれたなら、ISOに取り組んでみようという同業者が全国に相次いだのだった。

「計量は平和に貢献できるか」という問いかけは今も続いている。時々見積もりで競争させられる。「弊社では、こことここを、このようにしていきますので、この見積です」と話をします。入札で競争させられると受注できないことが多いです。内容と見積もりをどのように評価してくださるかが難しいところです。「よい計量をしていただきたい」という思いがいつも一番最初に頭に浮かぶのだった。そして創業55年になっている。

 「歩く」
どこへいく
歩き出して食事処へいく
梅雨のなかを歩く
  数えたら
  50年歩いている道
  誰に会うのでもない
人生とは
おかしなもの
道なのか世界なのか

 「とんでもなくても」
縁という字を取り上げる
縁とはしみだすとことという
湧水がしみ出てくるような
細い糸のように滲みだして
糸となり織物になるような
  縁を感じてそこから
  大切な美しいものを見てみたい
  食べることは他の命を奪うこと
  食べること食べさせていただいて
  いることの感謝を自覚したい

自分のルールブックで行動することとは、自分に恥じない行動をすることだ。
今一度この世にお役立ちしたい。それは「計量は平和に貢献できること」なのだった。
今日にありがとう。いろんなことがあるね!そしてみなさんありがとうございます。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

8月 10 19

ゆるマナー講座(第46回) 夏の楽しみ方-浴衣でお出かけ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

花火に神輿、納涼祭など夏祭り真っ盛りの季節です。
趣向を凝らした花火は華やかさと儚さをあわせもち、打ちあがる度に「わぁー」という歓声とともに、どこか心に沁みるものがあったりします。お神輿好きの方は、この時期神輿を担ぎたくていてもたってもいられなくなるようですね。
子どもから大人まで楽しめる夏祭り。日本ならではの浴衣を着て彩を添えてみてはいかがでしょうか。

着物が大切にするもの

さて、浴衣は夏用の着物の一つですが、一般的に着物を選ぶ際に気をつけなくてはいけないことがあります。
それは「季節感を大切にする」ということです。

ヨーロッパを中心とした洋装のマナーの基本は、着る「時間」と着ていく「場所」によってふさわしい服装に着替えることですが、そこに季節感を取り入れるということはあまりないようです。しかし四季のある日本では、季節によって生地や裏地のある無しで、装いを替えることが求められます。暑さや寒さの厳しい時期もあるため、これは理にかなっているのかもしれません。着物だけに限らず、季節を意識して衣替えをする習慣は今でも受け継がれています。
それとともに、草花や鳥や動物、虫に至るまで柄で季節を取り入れる、そんな粋な楽しみ方もできるのが着物です。

着物の衣替えの基準は、10月から5月は裏地のついた「袷(あわせ)」、6月と9月は裏地のない「単(ひとえ)」、7月8月は「絽(ろ)」や「紗(しゃ)」といった織り目の粗く薄い生地のものを着ます。
また、下に着る肌襦袢や長襦袢の生地を替えることにより暑さの調整ができますし、長襦袢につける半衿の生地や帯、帯揚げ、帯締めも着物に合わせて選びます。

このように並べあげると、特に若い方は「着物ってやっぱり大変!帯や小物、下着に至るまで何を選べばいいのだろう。着方や合わせ方が難しい!」と思ってしまいますね。それに着物は高価なものが多いので、いくらかかるか分からないとも…。
でも着物の着物の良いところは、サイズが合っていれば昔のものでもそのまま着られることです。最近は着物専門のリサイクルショップもありますから、お手頃なものを手に入れることもできます。着丈が短ければ、おはしょりで長さ調整ができます。私の周りにも、おばあちゃまからいただいたという着物を素敵に着こなしている若い女性もいます。

日本の民族衣装ですから、成人式や結婚式の時だけでなく、普段にもちょっと着られるようになると良いですね。
まずは着てみること、そして着物に慣れていくこと。

その手始めとして、浴衣は最適ではないでしょうか。

浴衣の着方

とはいえ、浴衣は本来寝巻きなのだから外出着にはならないという考え方もあります。
でも、正式な場でさえなければ、夏祭りに、風鈴市に、お友だちとお茶をしになど、ちょっとしたお出かけに着るのは全く問題ありません。

最近は、浴衣をセットで売っているところも多くあります。組み合わせがわからなければ、そのようなセットを試してみてはいかがでしょうか。着方はYouTubeで見ることもできますし、浴衣の着方1回レッスンなど様々な教室もあるようです。

ほんの少し、着こなしのポイントです。
浴衣の生地によっては透けるものもあるので、浴衣の下には浴衣用のスリップを着ましょう。なければ洋服用のスリップ、タンクトップやキャミソールにペチコートなどで代用できます。
着丈は少し短めに。
着崩れしないためには、腰ひもを結ぶ時にしっかりと締めることです。しっかり締めても腰の位置なので苦しく感じることはありません。
また間違っても衿の合わせ方を右と左で間違わないようにしましょう。間違ってしまうと亡くなった方と同じ着方になってしまいます。ご自分から見て、右側の衿の上に左側の衿がくるのが正しい合わせ方(右前)です。

「あ~、でも難し過ぎる」と思った方には、着付けがセットになったレンタル浴衣という方法もありますね。

身のこなしも着物仕様で

せっかくきれいに浴衣を着ても、普段通りに歩いていては “浴衣美人” にはなれません。
ヒールを履いて背筋を伸ばして大股で颯爽と歩く女性は、自信や行動力に溢れていてかっこいいなと私は個人的には思うのですが、着物の場合は少し違ってきます。

背筋はもちろん伸ばしましょう。でも歩幅は狭く、内股気味に歩きます。裾が乱れないようにするためです。大股で歩いて乱れた裾から生足が見えるのは、素敵とは言い難いですね。
腕を振って歩くのもよくありません。
階段の上り下りも、着物の上前がはだけないように、手で軽く抑えるなどしてみてください。
椅子に座る時は、どっしりと腰掛けず、浅く掛けるようにしましょう。

いかがでしょうか。
ほんの少し気を配るだけで、ただ浴衣を着るということから、素敵に浴衣を着こなすという風に変わってきます。
歩き方や振る舞いも、ぜひ着物仕様を目指してみましょう。

自分流もありかも

先日見かけた浴衣姿の女性は、足元が下駄ではなくサンダルでしたが全く違和感がありませんでした。
冬の着物の下にタートルネックのセーター、草履の代わりにブーツを履く方もいらっしゃいます。

時と場所を考えれば、そのような装い方もアリかもしれませんね。
いかに素敵に着こなすかは、その人次第とも言えます。

この夏、“自分流の浴衣でお出かけ” してみますか?

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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8月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第77回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第77回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“人生100年時代・金融資産2000万円” の言葉が独り歩き。時間やお金はいずれも手段系の話。手段も大切ですが目的があっての話。手段の目的化は大きな落し穴。会議では目的系からスタートしますが、いつのまにか “できる・できない” “ある・ない” などの手段系に論点シフト。目的がはっきりすれば、時間やお金は精度が高まるもの。100年や2000万円ありきではありませんよね。米国GEは20世紀を代表する世界企業で戦略論ではお手本。しかし最近、最古参のNYダウ銘柄からも除外に。全盛時代のCEOのジャック・ウェルチは20世紀を代表する経営者の一人。戦略家でありながら、戦略より人材を上位に位置付けました。何より人材ありきで、次に戦略がきて手段系の戦術はそのあと。人材育成が最優先事項で、ものの見方の深耕こそが核心。ダ・ヴィンチはデッサンの効用を指摘、2人でやって比較し合えば一挙両得と説きました。柔軟に老いるのが黄金律。梁塵秘抄では “山の様がるは 雨山守山しぶく山 鳴らねど鈴鹿山 播磨の明石の此方なる 潮垂山こそ様がる山なれ” とあります。何ごとも面白がるに越したことなし。“老いの悲劇はまだ若いと思っていること”と作家のオスカー・ワイルド。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

経は人生・組織の縦糸 縦糸を取り付けてから横糸を織り、表からは見えない
いい畳かどうかはイグサでは決まらない 眼には見えない縦糸で決まるという
近道も王道もなく縦に真っすぐの道 やりたいことがあれば、自分の力でやる
何をすべきか、何ができるかは人材次第 組織の縦糸が人材、縦糸こそ生命線

いい畳かどうかはイグサでは決まらず、眼には見えない縦糸で決まるというのがプロの見立て。最近の我々は目に見えることばかり追いかけすぎているのかもしれません。ある予測では、2025年までに世界で高スキル労働者は5000万人不足する一方、低スキル労働者は1億人余剰になる恐れがあるとか。組織の縦糸が人材であり、横糸は教育・教育また教育。 “協働も個の力量が前提” “知のシェアリングもまた個の力量が前提” “コミュニケーションもまた個の力量が前提” 。どの世界も、日々の単調なトレーニングなしにプロとしての大成はないこと。イチロー選手の準備体操における単調さと継続性の凄み。 “子供というのは親の目が届かないところで育つ” と心理学者・河合隼雄。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

二〇世紀は手足に重点を置いた 二一世紀は脳に重点を置く研究技術開発
研究開発費率と研究開発効率は、通常反比例する 二つの積は一定になる
競争 皆と同じ方向に進んで、タイムを競うゲームに限定する必要はない
競争の方向は無限 競争ルールの創造と選択 何であれ継続が一番難しい

20世紀は手足に重点、21世紀は脳に集中。“ブルーオーシャン戦略”では、何より他がやっていないことをやるのが第一。しかも自らを信じてひたすら打ち込むのが第二。視野は世界で、ゲームのルールは異次元へ。皆と同じ方向に進んで、タイムを競うゲームに固執することこそリスク。競争の方向は360度で無制限。創造プロセスをジャズの即興演奏で実験すると、自己表現に関わる脳の神経ネットワークが活発に働く一方で、自己監視に関わる外側の活動は弱まるとのこと。脳が自らにダメ出しする回路を遮断。シニアの後期・義務教育では、この創造プロセスを鍛えあげれるかが勝敗を左右。“映画ではセリフを言うことより表情・行動が大事。要はたたずまい”と映画監督・降籏康男。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

若者を鍛えてプロにする 大工職人の育成に教えられる わかるか、できるか、好きか
理解や成績が、ただ良いというのでなく 一生努力を継続できる人材が採用の優先基準
要素技術/スキルは属人性 異種の技術/スキルの融合は、人が出会う場での格闘競技
良質なネットワークの形成 他人とは異なる優先順位で、ものを観ることを大事にする

人間教育を考える上で参考になるのが、昔から受け継がれている職人世界の “わかるか・できるか・好きか” の三原則。もはや知識偏重の教育では将来への備えは不十分。一生努力を継続できる人材の育成。ホモ・サピエンスは、抽象化能力を獲得し、農業で生産能力を向上させ、科学技術力で今日を築いてきました。今後はじっくり時間をかけて高度人材の育成に勤しむことが肝要かも。 “養殖ウナギ” では、急ぐとオスが多くなるらしく、ゆっくり育てるとメスが増えるとのこと。オスとメスがいてなんぼの世界。 “脳” の才能だけでなく “心” の才能も。理論の基盤からデザイン・モノづくりまでの繊細な統合力が決め手。 “満開だけが花でなく、満月だけが月でなし” と美術家・篠田桃紅。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第77回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
8月 10 19

書評「7曜日の法則 - デキる人はみんな知っている」 廣済堂出版 はづき虹映(著)

by staff
 
タイトル 7曜日の法則
単行本 191ページ
出版社 廣済堂出版(2011/11/29)
ISBN-10 4331515966
ISBN-13 978-4331515969
発売日 2011/11/29
購入 7曜日の法則

「月曜日の朝、つらくて起きられないあなたへ・・・」で始まる。
「実際、月曜日の朝、気持ちよく起きられない原因の大半は、日曜日の過ごし方にあると言っても過言ではありません。特に夕方から、夜にかけての日曜日の過ごし方が、月曜日の朝のカギをにぎっているのです。」この言葉に興味があったのではありません。逆でした。そんな生活の仕方があるのかなと・・・。

「誰が曜日を決めたのか?」というところがあります。
「そもそも、1週間を7曜日で構成すると決めたのは、一体、誰なのでしょう。曜日とは、本来7つの天体が守護する日のことで、古代バビロニアで生まれ、紀元前1世紀ごろのギリシャ・エジプトで完成したと考えられている歴です。そこを起源にユダヤ教徒が使っていた歴が、そのままキリスト教徒に伝えられ、現在のようなグレゴリオ暦の元になったとする説が主流です。」

生活のリズムが7曜日で決められていることに、何も不信感も持っていなかったことに驚いてしまった。そして述べられます。「グレゴリオ暦の曜日の中でポイントになるのは、”安息日”です。旧約聖書によると、安息日は週の7日目と定められており、曜日でいうとユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日に当たります。ユダヤ教は安息日には、いかなる労働も行わないことをもとめられるそうです。」

もともと日本にはこの曜日によって、仕事と休みとを分けて考えるという思考はなかったというのが正しい歴史なのだと著者は言われます。
「“曜日” を “数字” に置き換えてみる」著者は次のように言われます。
「日曜日は数字の “1” に相当します。ここが一週間のスタート、始まりです。日曜日の過ごし方で、そこから始まる一週間の方向性がきまってしまう大事な日です。
月曜日は数字の “2” にあたります。 “2” はつながり、調和を意味する数字。ですから、月曜日は周りの人のサポート役に徹すると、波にのりやすくなります。
火曜日は数字の “3” にあたります。 “3” は子どもを意味する数字です。火曜日は無邪気さや遊び心を大切に、笑顔で活動的に過ごすといいでしょう。
水曜日は数字の “4” にあたります。 “4” は堅実、継続を意味する硬い数字。水曜日は何事も、地道にコツコツ続けていくことが、波にのるポイントです。
木曜日は数字の “5” にあたります。 “5” は自由、変化を意味する数字です。多くの人とコミュニケーションをとるのには最適で、新規営業などにも向いています。
金曜日は数字の “6” にあたります。 “6” は愛を意味する数字。愛と豊かさのエネルギーを受け取り、周りと惜しみなく分け合うことを意識するといいでしょう。
土曜日は数字の “7” にあたります。 “7” は完了、完成を意味します。ここで一週間が完結します。土曜日はひと息入れて、一旦リセットするための日だと言えるでしょう。」

一週間をひとつの流れの中でとらえることによって、曜日ごとの役割やポジショニングも明確になり、きちんとメリハリをつけたうえで、日々を過ごせるようになるのではないかと述べられています。

「日曜日は意図を放つ日、スタートの日」から。
 日曜日はベクトル・方向性を決める日なので、「こういう一週間にする!」という明確な意図を放てばいいと言われます。それも午前中がおススメです。そうやって午前中に放った意図を元に、夜、寝る前に、一週間の具体的なスケジュールを立てて、手帳やメモに落とし込んでいけばいいと言われます。夜はできるだけ早めに自宅に戻り、食事や入浴も早めに済ませ、夜10時以降は、ひとり静かな自分の時間を持ち、意図を放つことを意識して過ごすことを提案しています。

「月曜日はつながる日、サポートの日」から。
「 “2” は女性性を象徴する数字であり、調和、統合、受容を意味する数字です。 “1” のパワフルな陽のエネルギーに対して “2” は受け身的で繊細な陰のエネルギーに当たります。」つまり日曜日に意図したことを周りに伝え、調整調和していく日であり、自分の意見は主張せず、回りの意見に耳を傾け、周囲のサポート役に徹する日ということになるわけです。「常に感謝の気持ちを忘れずに、させていただく、という謙虚な気持ちで過ごす」ことが、月曜日の波にのるコツだと言われます。

「火曜日は素直になる日、笑の日」から
「火曜日は創造的なエネルギーに溢れた “芽が出る日” “子ども心を全開にする日” です。創造的な火のエネルギーを活用して、新たなモノを生み出す日。無邪気な子どものような好奇心いっぱいに、おもしろそうなことを体験してみる日。笑と遊び心を忘れずに、初めてのことに積極果敢に挑戦する日。とにかくじっとしていては、火曜日の波にのり遅れてしまうことは確実です。」火曜日は思い切って、大胆に動いていい日ですと言われます。「迷ったら、迷わず、さらに一歩前」「迷ったら、迷わず楽しい方を選らぶこと」をススメられます。
 なにかひとつ、新しいことに挑戦してみるで、「結果をみてよい悪いを判断したり、評価しないこと。」があります。初体験自体に貴重な価値があるからだと言われます。

「水曜日はコツコツやる日、形にする日」から
「水の性質と数字の “4” から読み解ける、水曜日の意味・特徴は “今、目の前にあることに集中して、地道にコツコツ、形にしていく日” ということになります。そう・・・。水曜日は仕事モードの日なのです。」あちこち外に目を向けるのではなく、目の前の仕事に集中すること。ひとつずつ仕事を確実に終わらせて、キチンと形に仕上げていくことを意識して、地道に取り組む姿勢が何より大切です。
「水曜日の波にのるための過ごし方のポイント」が書かれています。掃除と整理整頓はやった成果が確実に現れるので、仕事上でも、プライベートでも、水曜日にするのはおススメのようです。片づけるときは、自分なりの基準を持つことを提案されます。「迷ったら、迷わず、捨てる」ことにしているそうです。「これは何もモノや情報だけに限ったことではありません。人に対しても同じこと。相手との関係を迷っていることが答えです。そんなときは、迷わず、手放してみること。モノでも、情報でも、人であっても、一旦、手放したとしても、それがあなたにとって、本当に必要なものであれば、必ず戻ってきます。」

「木曜日は広がる日、変化する日」から。
「木曜日を象徴するのは、文字通り木のエネルギー。樹木が枝葉を伸ばして、大きく成長していく伸びやかな陽の気質を持つ日です。木は気に通じ、流れやつながり・変化を象徴します。木曜日を数字で表すと “5” 。5は “五体、五感、五蔵、五本指” など人間そのものを表す数字です。そこから人間の特徴である、 “自由、変化、つながり、コミュニケーション” などを意味する」と言われます。木曜日は思い切って外に飛び出し、いろんな人と出会って、人脈を広げていくのに、びったりの日なのですね。社内外を問わず積極的に新しい情報を仕入れ、自ら変化の波をおこしていく、そんなノリのいいアクテブな日だといえるのですね。

「金曜日は受け取る日、分かち合う日」から。
「金曜日は、文字どうり “金” “GOLD” のエネルギーを象徴します。お金や豊かさを表し、豊潤な輝きを放つパワフルな日にあたります。」「金曜日を象徴する数字は、 “6” 。 “6” はお腹に赤ちゃんを抱える妊婦さんの数字です。そこから愛や豊かさなどを表し、調和とバランスのとれた美しさ表す数字でもあります。また、妊婦さんの数字である “6” は、女性的な優しさの象徴でもあり、すべてを包み込む包容力を表します。”6”にはまた花が咲く、という意味もあり、花のような美しさを象徴する数字でもあります。」
金曜日が持つエネルギーのイメージは、ズバリ!ゴージャス・リッチです。花金という言葉に代表される通り、現実的にも、一週間の中で最も気分が華やぐ日です。思い切ってワンランクアップを目指して、大胆に動いていい日ですと言われます。そして、受け取った「豊かさ」はひとり占めせず、周りと分かち合うことも忘れずにとのことです。

「土曜日は休息の日、リセットの日」から
「 “7番目の日”にあたる土曜日は、キリスト教でいうところの “休息日” 」です。「数字の役割を樹木の生長にたとえると、7は土に還る日にあたります。1のタネマキから始まって、6で花が咲き、ひとつの周期の終わりを示す7は、再び最初に戻る “リセット”のタイミングを表します。日曜日から始まった一週間は土曜日で完結を迎えます。」土曜日こそ、休むにふさわしい日です。休むときはちゃんと意識して、しっかり休むこと曜日の波にのるために欠かせない大事なポイントになるのです。
「土曜日の波にのるためには、ひとりの時間をもつことも大切なポイントです。」「土曜日は一週間の終、最後の日ですから、良いことも、悪いことも、この一週間に起こった出来事は、ここでキチンとリセットして、すべて洗い流してしまう必要があるのです。」

はづき虹映さんは最後に「曜日の波を見方につけた者が時間を制し、人生を制する」のですと語られます。

(文:横須賀 健治)

 

8月 10 19

横浜スケッチ(第39回) スウェーデン女性写真愛好家を訪ねて(前編)

by staff

ペンネーム 成見 淳

「Hi!Birgitta!」
彼女に渡す絵を高く掲げて名前を呼んだ時、地下鉄の列車が反対側のホームに入って来て、私の声はかき消され彼女の姿も遮られた。気が付いてくれたかどうか、移動してしまったのではないか。そんな不安の中、列車は動き出した。

どうも人間には同じような行動パターン、思考様式が染みついているようだ。
振り返ってみると、一昨年の第1回の個展には、Facebookの瀬戸靖彦さんの鶴見川、菜の花と桜と京急電車の写真に触発された絵を描き、出品した。
昨年の第2回個展には、Facebookの内田晴巳さんの琵琶湖西岸の写真に魅かれてそれを絵にして出品した。
そして今年の第3回、成見兄弟展にはインスタグラムのBirgittaさん(ハンドルネーム @githofonen)のスウェーデン、ストックホルムのDrevviken湖の夕暮れの写真に魅かれて描き、出品した。
場所は鶴見川べり、琵琶湖西岸、スウェーデンのDrevviken湖と変わって行くが、いずれも水辺。しかもだんだんと1年ごとに私の家から遠くなって行った。
変わらないのは、どれも写真を一目見て魅かれる事。それを突き詰め、現場に行って確かめた事。
なぜいつもそうなるのかは自分でも解明出来ないが、結局のところ長い間の体験「難しそうだけど思い切ってやってみたら案外上手くいった。楽しかった。次は何をやろうか。」の繰り返しが積み重なった結果なのだろうと思う。
今月号は前回号の予告めいた内容の続きで、その結末に至る様子を書いてみた。

 

風景には三種類ある。
一番目は、そこに行ってみたい風景。
二番目は、そこに住んでみたい風景。
三番目が、そこで死にたい風景。
日本画家の千住博さんが言われた言葉で、確かNHKのテレビ番組の再放送だったと思う。
何せ真夜中に目が覚めて偶然見たので、三種類だったか四種類だったかもはっきりしない。
でも、なぜか三番目の風景の事は鮮明に頭に残っている。
行って見る場所は一度か数度。住んでみる場所は何年間の単位。どちらも期限がある。
死ぬ場所は永遠。つまり無期限。(2番目から3番目へ自動移行はあり得るが。)

今年、2019年3月9日、インスタグラムをチェックしていたらスェーデン人女性の写真が目に止まった。昨年2018年11月24日にも、水に浮かぶ木の葉の写真が気に入って描かせて頂いたが、今回は何が何でも描きたいという更に強い衝動に駆られ、早速メールでお願いした。
あの衝動は何だったのか自分でも良く分からない。でも、分からないままでは気持ちが悪い。だから後付けで理由を考えてみた。
まずは何と言っても写真の映像の美しさ。それも終わりを予感させる寂しさと諦めを含んだ美しさだ。夕暮れはいつも美しく、寂しく、そして物悲しい。
更に加えて、湖に捨てられ朽ちて行く廃船。これぞ消え行く美学だ。

https://www.instagram.com/p/BuwQIDol7A9/
インスタグラムの彼女の写真。@githofonen,Stockholm,Sweden

写真のタイトルを見るとNautic Desire 。直訳すると「航海の願望」?
彼女に「捨てられて朽ちて行く舟ですか」と尋ねると「確かにabandoned boat(廃船)です」との答え。
日本語で絵のタイトルを何としようか散々迷って、「朽ちて行く」とした。
舟は少しずつ老いて行く自分。認めたくはないが自覚せざるを得ない。中学、高校、大学、職場を問わず既に友人の何人かは亡くなっている。そう遠くない時期に必ず自分の番が来るはずだ。
どうせ死ぬのならこんな風景の所で最後を迎えたい。そんな想いが一瞬のうちに脳内を駆け巡ったのだろう。と結論づけた。

自分は現場描きもするし、現場で写真を撮って家で描くこともある。でも、自分が行ったこともない風景を描くことはしないのがポリシーだ。なぜなら絵に説得力が無いし、嘘っぽい。それでも今回はこの風景をどうしても描きたかった。自分のポリシーを曲げることなく絵にするにはどうしたら良いか。順番は逆になるが、描いた後でこの場所に行くしかない。
そう決めた所に、幸い二つの幸運が重なった。
その一。想定外のお金が入ることになった。津久井湖ゴルフ倶楽部の退会に伴う額面の金額が一年前倒しで入る事になった。ちょうど旅行費用に相当する額だ。
その二。赤坂孝史先生のスケッチ・ツアーがイタリア、スイスで、ミラノから帰国。帰国せずにそのままスェーデンに行ける!!!
先立つものと、日程に問題が無ければ、ためらったり、迷ったりする必要はない。

 

早速彼女の写真を絵にすべく取り掛かった。なぜかだか自分としては初めて、沈みゆく夕陽、夕焼けの雲、まだ青さを残す空のグラデーションが上手くいった。塗る、描く、というよりも、画面に引いた水が渇き始めた頃、息を止め、そっと色を指し込むような感じだった。その広がり方、混じり方が何とも言えない。今までとは全く違う方法だった。
初めての試みにしては仕上がりがいつもより断然早い。あっけなく描き上がった。
何かが乗り移ったかのようだった。ゾーンに入る、とはこういうものか?
上手く行く時はそういうものだ。想像するに、描きたい、描こう、と思った時には既に頭の中に完成イメージが出来上がっているのだろう。後は手順を間違えないように紙に水と筆を使って絵の具を落とし込むだけ。迷いやためらいが無いから速いのだと思う。
先生から珍しく、本当に珍しくお褒めのお言葉。トンネルをひとつ抜け出したような気分。手ごたえ、満足感とほんの少しの自信。彼女の写真のお陰だ。
そうなると更に現場に行きたい気持ちが高まる。彼女と何度かコミュニケーションを取り、出国が近づくにつれその頻度が増して行った。

「朽ちて行く」 4号水彩
原題「Nautic Desire」@githofonenさんの写真から。
https://www.instagram.com/p/BytGR4BiwFS/
彼女のインスタグラム

思い立ってから決心までの時間はあっという間だが、実行するためのプランニング、準備は簡単ではない。交通手段は? 飛行機の便はあるか? 宿はどこにするか?
結果、ストックホルムから日本への直行便はない。ツアー主催旅行社から「帰りはミラノからアリタリア航空でないとダメ」、「最終日に皆と空港まで行くバスでは間に合わない。しかもミラノからストックホルムへ行く空港は皆とは別の空港」「ストックホルムからミラノへ戻って当日に日本へ乗り継ぐのは時間的に不可能」という返事が返って来た。日本への直行便がないならフィンランドかオランダに出て帰国、と思っていたのにそこで、乗り継ぎの為だけにミラノへ戻り一泊することにした。(難しい条件を並べるだけでなく、その解決策を考えて逆提案をするのが旅行社の務めだと思うのだが、自分は「難しい、無理。諦めた方が良い。」と言われれば言われるほどやりたくなる性格なので、余計に燃え上がった。)
皆と別れる6月13日の交通手段も、早朝に出発すればその日のうちにストックホルムに着ける。次は宿。ストックホルムはどこが良いか彼女と相談しながら、中心部よりも南の湖に近い方角に、ミラノは帰国便に便利なマルペンサ空港近くに、B&Bを予約した。
両方とも最適な場所だった。ストックホルムは私の望んだ家庭的な雰囲気というよりも一般家庭そのもの。ミラノはマルペンサ空港至近で行きも帰りも安心な無料送迎付き。

 

2019年6月3日、成田から出国。成田から13日朝までは皆と同じ行程。すなわち。6月13日、一行はバスでマルペンサ空港から帰国。
私だけ早朝ホテルを出発しミラノ経由でストックホルムに向かう。
皆と一緒のスケッチ・ツアーは3連泊が3回と、移動が少なく快適。楽しい思い出と感動ばかりが沢山あったが、ツアー中の絵を少しだけ紹介し、話をストックホルムへの一人旅に絞る事にする。

「早朝散歩」ソーリオ村、スイス 3号水彩

「湖を見下ろす教会」
オルタ・サンジュリオ 北イタリア
6号水彩

 

6月13日(木)。7時朝食、あわただしく7時15分にタクシーに乗り込む。
Orta Miasino駅まで10分もかからずに駅に着いた。駅に小さな店があってそこが駅舎。待つこと40分のはずだが列車が15分位遅れた。
45分ほど乗ってNovaraで乗り換え、さらに1時間ほど乗ってリナーテ空港行きのバスに乗るのだが、Novaraに着いた時には列車は行ってしまった。ここで30分のロス。皆と別れて一人になったとたんに予定が狂い始めた。
さらには、左手の人差し指、中指、薬指の三本が急に硬直し曲がらなくなり、右手でマサージしたり、引っ張ったり。初めての経験だったので不安が増した。
そんな折、Novara 駅のホームから振り返るとスイスのアルプスらしき山々がそびえ立っていた。『みんなどうしているかな?』と眺めていると少し気持ちが落ち着いた。
1時間10分程乗ってFolanini駅を降り、徒歩でバス停まで歩く。知らない土地で大きなスーツケースを転がしての石畳の舗道は辛いが、受け入れるしかないものは素直に受け入れる。そんな事で不機嫌になるような人は旅、ましてや一人旅などやめた方が良い。
何とかリナーテ空港に着いた。こぢんまりとしてちょうど良いサイズ。

 

比較的スムーズにストックホルムのアーランダ空港を出て、中央駅行きのバスに乗ろうとしたが、切符売場が無い。列に並んでいる人に聞くと「機械で買うのだ。」と言う。自販機はスェーデン語だけでさっぱりわからず、また聞くと「クレジットカードだけ。」と言われた。何かわからないけど適当にボタンを押していたら切符が出て来たが、調べて置いた値段より倍以上で高過ぎるような気がする。「3人分のようだ。」と言われた。
係員らしき人に事情を話すと「ドライバーに聞いてくれ。」と言われたが、その間にバスは満員になり、かなりの人数を積み残して行ってしまった。
前の家族連れの人達に「間違えて3人分の切符を買ってしまったので、一緒に乗りませんか?」と話すと、次のバスのドライバーに母親が説明してくれた。結局「有効期間があるから帰りのバスで一人分使ってくれ。」という結論に落ち着いた。
バスに乗り込むと、娘とおぼしき女性から隣に座るように勧められて「どこから来たの?」「どうしてスウェーデンへ」などと話しかけられた。インスタグラムの写真の事、それを絵にして明日写真愛好家の女性に渡す事、風景には三種類ある事などを話すと、益々話がかみ合って更に話が弾んだ。彼女も好奇心が強く行動派のようで、自転車で中米からメキシコ、サンフランシスコまで行ったと言う。どうりで波長が合う訳だ。隣の席に誘った時点で自分と同類と思ったのだろう。特に海外ではこのような事が多い。お互いに何かを発信し合っていて、波長が合うと自然とキャッチするのだろうか?
でもなぜ国内だと受発信機能が鈍るのか? 国内だと何かの抑制因子が働き、海外だとそれが外れて本来の姿になるからかな?
20分で到着するはずが渋滞のため40分以上かかったが、彼女のお陰で楽しい時間を過ごすことが出来た。3人分のチケット代は無駄ではなかった。

終点のひとつ手前で一族がバスを降りる。彼女の両親、姉とそのご主人と赤ちゃんの6人が親族の結婚式のためにドイツ、オーストリアからストックホルムに来たのだ。

終点の中央駅に着いて、地下鉄に乗換えて終点の目的の駅に20分ほどで着き、長く急なエスカレーターを2回乗って地上に出る。
迷うことなくB&Bの近くまで来たが、3階建てのアパートが点在し、それぞれの一階の階段の入口ごとに施錠されていて表に番号が付いているものの、順序だっていなくてバラバラ。何のための数字か。
お孫さんと一緒のお婆さんに聞いてみると、親切にも一緒に探してくれた。30分近くは探しただろうか。やっと目当ての入口No.を見つけてくれた。
入口には鍵がかかっているが、運よく中から人が出て来てドアを手で押さえて入れてくれた。階段の下から「ハロー」と呼んでも反応無し。しばら~~~く待ってみたがらちがあかない。仕方なく「着いたら電話して。」というメールを思い出し、一旦外に出て公衆電話を探す。それらしきものは全く無い。まるで昨年のスペイン、ピレネー山脈麓の村の時の再現のようだ。 せっかく着いたのに部屋に入れない。 http://yokohama-now.jp/home/?p=17801

コンビニに戻り、店の前でベビーカーを押した男性に頼むと電話を掛けてくれて、つながったとたんに「どうぞ」と手渡された。女性の声がしたので名前を名乗り「コンビニの前にいる。」と伝える。
小一時間待っても来ないので、もう一度アパートに戻ったり、またコンビニに戻ったりしたが、二人連れの女性にお願いして電話して事情を話してもらった。
B&Bのおばさんは私がコンビニで買い物をしてから家に来るもの、と思って待っていたらしい。
予定より大幅に遅くなったので空腹を感じ、外出しようとすると奥さんが気の毒に思ったのか夕食を作ってくれた。B&Bは、Bed & Breakfast の略だから夕食はつかないのにも関わらず。
部屋に案内され、三日間お世話になるお礼にとDrevviken湖の絵の複製を差し上げると。「私も絵を描くのよ。個展もやったわ。絵を教えていたの。」という驚くべきお言葉。リビングに飾ってある絵を見せてくれたり、絵の写真をくれたり。その晩は絵談義で盛り上がった。不思議とトラブルの後には良いことがあり、都度バランスが取れている。

https://www.instagram.com/p/ByqYXl5H19t/
(左がB&Bの奥さんの作品、右が私の6号の複製で彼女に差し上げたもの。)

「再び湖へ」 6号水彩
この絵は、4号の原画を@githofonenさんに差し上げるので6号で描き直したもの。
廃船を修理し、空も明るくしてタイトルも希望を持たせた。
ボートの前はヘドロかと思っていたら氷だと伺った。

さて、明日はいよいよ彼女と会う。スケッチ・ツアー中も、一人になってからも頻繁にメールで連絡を取っていたが、最終的に12時33分(何という几帳面な待ち合わせ時間設定?)に中央駅のひとつ南側 Gamla Stan 駅のプラットホームで落ち合うことになり、お互いの服装を知らせ、念のために私が差し上げる絵をホームで掲げようと決めた。
本当は自我面を被ろうかと本気で思っていたが残念ながら家に忘れて来てしまった。
目立つこと間違いなしだったのだが・・・。(次号に続く)

お知らせ

  1. 横浜スケッチ39の英語バージョンを下記の私のホームページに掲載しました。
  2. 8月7日より13日まで、横浜そごう9階のギャラリーダダにおいて公募展「アートフェスティバル」が行われています。スケッチ旅行中の2点を出品しています。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

8月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第11回 「閉店したお店③ ~町中華編②~」

by staff

第11回 閉店したお店③ ~町中華編②~

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十一回目でございます。

今回も前回に続き閉店してしまった店舗の町中華編の二回目。
なくなってしまったお店の今をレポートするのはあまり意味がないのかもしれませんが、出版から約10年の横浜の街並みの変化をお伝えするのはわずかながらでも意味があるのかとも思っています。

中区尾上町にあった「峯鶴楼」の天津麺。
エビ玉でスープも餡に負けないしっかりした味が良かった。

「峯鶴楼」内観。本物の中華料理店だったことを証明できる貴重な画像。

まずは関内方面から。馬車道通りの脇にあった「峯鶴楼」(P.195に掲載)。私は天津麺が好きなお子様なのです。甘酢あんが好みの味で揚げワンタンも頼んだのでした。

「峯鶴楼」なき後。某大手宅配会社のサービスセンターに。

「峯鶴楼」は2010年春に閉店とのこと。こちらも拙著刊行とほぼ同時期に閉店してしまいました。残念。某大手宅配会社のサービスセンターになり、すっかり面影はなくなってしまいましたが、この「馬車道ビル」という建物のデザインは個人的に好きです。

「峯鶴楼」が入居していた「馬車道ビル」は健在。

お次は本牧通り。中区本牧町は「アソカ幼稚園」向かいにあった「中華料理 鴻翔」(P.184に掲載)。「鴻翔」と書いて「ホンシャン」と読みます。

中区本牧町にあった「中華料理 鴻翔」のサンマーメン。

ここではサンマーメンを食しました。奇をてらわない正統派のサンマーメン。他のメニューも普通に旨かった記憶があります。

「中華料理 鴻翔」なき後。
「本牧OZ」という、基地の街だった名残の洋品店の並びにあったが、
とんかつ屋だったか、反対隣りだったのか、もはや記憶が曖昧。

「中華料理 鴻翔」も2010年代に入って閉店(詳細不明)。「本牧OZ」という、基地の街だった名残の洋品店の写真から右隣りだったか左隣りだったかという記憶が曖昧になってしまい。。。拙著本文185ページの「このお店の周りだけ木々に囲まれて」とあるので恐らくとんかつ屋になっているあたりかと思っていたら、そのとんかつ屋の隣の空き店舗!思い出しました。ここです。

「中華料理 鴻翔」閉店後はこの赤茶けたシャッターの空き店舗でした。

ちょっと横浜中心部を出て港北区太尾町へ。東急東横線大倉山駅周辺を。ここでは駅から徒歩2、3分ほどの「中国料理 中国飯店」(P.197に掲載)へ行きました。

港北区太尾町にあった「中国料理 中国飯店」の「冷やし天津面」。

ここでは珍しい「冷やし天津面」を食しました。スープと麺が冷たく、蟹玉とあんかけは熱々という面白い体験。ガラスの器が清涼感を醸し出していました。

煉瓦仕様のビルの2Fにあった「中国料理 中国飯店」なき後は
居抜きでそのまま別の中華料理店に。

2012年に突如閉店してしまい、その直後に別の中華料理店が入居して現在まで続いているようです。

港南区港南台にあった「中華こうなん」の「こうなんそば」。
「こうなん丼」を同時に頼んで全く同じ具のあんかけだったことにひとり笑ってしまった思い出が。

港北区から港南区に移ります。JR根岸線港南台駅近くの「福島ショッピングセンター」というテナントビルに入居していた「中華こうなん」。ひらがなで「こうなん」とか表現されると何かくすぐられる感じというか、ほんわかしたそういうのに弱いですねぇ。

「中華こうなん」なき後は、やはりこちらも別の中華料理店が居抜きで入居。

その店名と店舗の雰囲気から地元民には長年愛されたお店でしたが、2011年11月で惜しまれつつ閉店。こちらも中国飯店同様に別の中華料理店が入居しています。新華僑というか、中国人経営の中華料理店が近年かなり増えました。ただのシャッター通りになるよりは何かお店があった方が良いとは思いますけどね。

ここ数回、閉店店舗のレポートをしていたらなんとなく気分がドンヨリしてしまいました。次回は今も元気なお店のレポートを再開しようかな。。。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

8月 10 19

チャレンジ(第12回) 裂き織クラッチバック!

by staff

裂き織クラッチバック!

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。とうとう梅雨が明けて凄まじい暑さの夏がやってきましたね! 夏に弱い私は既に大好きなビールも欲さないほど暑さにやられ、この暑さがいつまで続くのかハラハラしております。そして子供たちは夏休み! 中学生と高校生になって手が掛からなくなったと言っても、面談やら、習い事の付き添いやら、お弁当作りやら、まだまだ親がやらないといけないことがたくさんあり。。。育児はまだまだ続くのであります。

この暑さを吹っ飛ばしてくれるような、キラキラ大きな瞳が素敵な 石川ゆりさんhttp://yokohama-now.jp/home/?p=17468)と久しぶりに会う事ができました! 前回に引き続き、今回もC.P.FACTORYオリジナルの裂き織クラッチバッグの撮影のお手伝いをしてくださいました! しかも今回はインターナショナルな顔ぶれで (^^♪

C.P.FACTORYオリジナルの裂き織クラッチバッグは、その名の通り「裂き織」という手法で作られています。日本で「裂き織り(裂織)」が始まったのは江戸時代中期。布製品が貴重だった東北地方で、「ひとつのものをより長く、大切に使いたい」という人々の工夫から「裂き織り」という織り方が生まれたということです。

この日本の伝統的な「織る」という作業は、単調で、人によってはすごく長く手間の掛かる作業に感じることがあるようですが、私にはとても穏やかな時間が流れる感じがします。精神障害者にもこの作業は合うようで、織ることで心と体の安定を取り戻すよい時間になっているようです。ただ、製品化するのが難しいこともあり、最近では織り作業を止める障害者施設が多いと聞きます。

私は、障害者施設のみんながこの作業が好きだし、日本の伝統技術である裂き織を継続してやっていきたいと思い、花びぃ工房主宰の島さんhttps://www.hanabikobo.com/)にプロデュースしてもらい、C.P.FACTORYオリジナルの裂き織クラッチバッグが完成しました。長いタッセルが特徴です。裂き織を全面に使い、裂き織の良さを引き出し、とてもスタイリッシュに出来ました!色とりどりの裂き織クラッチバックはカジュアルにも、パーティシーンにも引けを取らない素敵なデザインとなっています。







販売イベントも企画中なので、詳細が決まったらC.P.FACTORY (https://cpfactory.jp/) のサイトでもお知らせしますので、覗いてみてください!

次は「革小物のプロデュース」です 

(第12回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

8月 10 19

絵本から笑本へ(第40回) 絵本作家がゆく。~港南区 はっち~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

16区目となる今回は、港南区。
港南区の子育て支援拠点は「はっち」。

はっちへも、この連載コラムがご縁で
初めて遊びに行かせてもらいました。
そして、絵本と紙芝居の読み笑わせイベント
「読絵ん会」も開催させて頂きました。

皆さん楽しみにしてくれていたみたいで、
赤ちゃん子ども達、お母さん達が、
100名近く集まってくださいました。
スタッフの皆さんも含めて盛り上げてくださり、
みんなで絵本と紙芝居でいっぱい笑って踊りました。

そして、この日は嬉しい再会もありました。

以前に別のイベントに遊びに来てくれたお母さんなのですが、
その時にお腹の中にいた赤ちゃんと一緒に、
2年ぶりに会いに来てくれたのでした。

めちゃくちゃ嬉しい再会。

港南区に引っ越してきて、
たまたまぼくのイベントを見つけて
遊びに来てくれたんだそう。

色々な場所でイベントをさせて頂いているお陰ですね。

まだまだ子どもが小さいときに、

引っ越した先でまた新しく子育てをするって、
きっと不安や大変なこともいっぱいあると思います。

まさに、そんなとき行ってみると良い場所が、
子育て支援施設ですね。

このときのお母さんも、
「以前住んでいた区には近くにこういう場所が無くて、
行ったこと無かったんですよね。」
と、おっしゃっていました。

「子育てに関することだけじゃなくて、
近くの情報が色々と知れて面白いです。」
とも。

ぼくがイベントをやることが、
子育て支援施設や子育て広場へ遊びに行く
キッカケになれたんだなと、
嬉しい気持ちになりました。

はっちさんは、木のぬくもりが感じられる居心地のいい場所。

人気の手作りおもちゃで遊ぶ子ども達はさながら、
お花に集つまる「ハチ」さんのよう。

スタッフさん達の笑顔の花にもたくさん出会えると思います。
是非、遊びに行ってみてください。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区 瀬谷区 港南区

<今回訪問した施設のご紹介>

港南区子育て支援拠点 「はっち」
HP: http://www.hacchi.org/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

8月 10 19

第78回 家族の歴史を知る家、そしてDual Lifeへ

by staff

有限会社 A.Aプランニング
青木 恵美子

家族の歴史を知る家、そしてDual Lifeへ

私は横浜生まれ横浜育ちの世間で言う3代目のハマっこ。
しかし実は2歳から7歳まで父の仕事の都合で5年間だけ東京の田町に住んだことがあります。そして7歳から今の住まいのある保土ヶ谷に引っ越してきて、まもなく60年になります。その間に私は結婚し、保土ヶ谷の違うところに居を構えましたが、バブル時設計事務所の過酷な仕事環境で子育てを考えて、私の父母と同居というスタイルで再び7歳から住んでいたこの場所に戻りました。平成元年に自分で2世帯住居を設計し建直し30年間暮らしているので、トータルで60年間この場所に居を構えていることになります。時の経つのは早いものです。

この保土ヶ谷の家は、30年前は私の両親と私たち家族4人(当時小2の長男、年長の長女)で6人が住む家でした。6年後、下の娘の長女は中学からイギリスに単身留学してしまい、5人の家になりました。6人の中で一番若い娘が一番早く家を出て行ってしまうという想定外の出来事でした。そしてその4年後の平成10年、父が他界し4人の家になりました。この頃から、私はイギリスと日本を年1,2回行き来し、娘とヨーロッパを観光しつつ建物を見て回り、大学で教えながら設計業務をこなすという多忙だが楽しい日々でした。そして、さらに4年後、つまり家が完成してから14年後、今度は長男が社会人になり、本格的に家を出て行きました。いよいよ6人家族の家が3人、しかも私達夫婦と母という老人住居になりましたが、この14年間はほとんどリフォームせずに6人から3人の家になりました。同時に子育て一段楽した私も東京にスタジオ分室を構えるようになり、仕事は東京拠点にシフトしてきました。

家族の変化のある激動の14年間の後の14年間は静かな仕事に邁進する期間で、28年は振り返ると一つ一つは色んな出来事でしたが、後半は家族の変化のない時代でした。そして今から2年前、高齢になった母が有料老人ホームに入居し、家ができて28年後私達夫婦2人だけが住まう家になりました。この2年は子供たちが結婚し自分たちの家族を持つようになり、この家は夫婦2人の住まいとして平成30年が終わり令和元年を迎えました。

私は両親を支え、子供たちを育て30年間この保土ヶ谷の家を守ってきましたが、家族の歴史を知るのもこの家です。今や1階は私スペース、2階は主人スペースという贅沢な暮らしですが(笑)それもそろそろ考えようと。。。老後の暮らしを考えてDual Lifeに踏み切りました。保土ヶ谷の家はゆったりとしていて快適な暮らしですが、駅から遠く、買い物も病院も何をするのも車使用ですので老後の住まいとして今後が不安になります。そこで思い切って小さいころ住んだ田町に近い高輪に再び居を構えました。
ここは高層マンションで1階にスーパーもありバス停も真下、病院も歩いてすぐという立地。周辺には公園やお寺も多く散歩も楽しめます。そして何より高台に30年も暮らしている眺望好きの私には、窓からの眺めに開放感を感じてホッとします。

家を建築するとき、購入するとき、人にはそれぞれの大切なポイントがあると思います。例えば、家族でキッチンで料理できる、リビングで映画鑑賞を楽しめる、庭が楽しめる、ガレージが充実しているなどなど。。。しかし私は空が広く眺望が良いというのがプライオリティーのかなりの部分を占めている。空が大きく眺望良く開放感を感じるという点でこの2つの家は共通します。

家族の歴史を知る保土ヶ谷の家と歩いて生活できる暮らしのDual Lifeを楽しみます。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

8月 10 19

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず

by staff

♪ 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)

歌意: 見て頂戴! 私の袖を、泣き過ぎて血の色よ、雄島の漁師の袖だって濡れてはいても色は変ってないはずよ、それが私の袖ときたら・・・

昔は嘆き苦しんで流す涙は 血の涙と言われていたそうです。いわゆる血涙ですね。人生一度くらいはこんな涙を流すことはあるのかもしれません。でも比較的そんな悲しみがあっても回復が速いのが男女の仲なのではないかしら、私も一度 異性関係で血の涙が流れた経験がありますが、それは今考えてみれば、人間関係の中で通らなければならないプロセスだったと思えます。今その時の事を思い出してもちっとも悲しくはありません。特に毎朝、目覚めて,ちょうど昇ってくるお日様にご挨拶して一日を始めることが出来る環境で、とても素朴に幸せだなって感じる瞬間があると、今までの歩んできた過去 全てに感謝の思いがいっぱいで、血の涙!などと言う言葉は概念の中だけでしか理解が出来ません。でもこれが自分の娘や息子との死別だったらその悲しみを克服するのは大変だと思います。きっと克服なんて出来ずに心の奥底に閉っておいて時が過ぎることで風化してゆくような、そんな悲しみなのではないかなと推測します。

この和歌の作者, 殷冨門院大輔さん、平安時代にそんな形容があったかどうかわかりませんが「女傑」だと思います、彼女が生きていた時代は平安末期。方丈記の作者、鴨長明さんの歌論書『無名抄』で「今一番歌人として優れている女性は殷冨門院大輔と小侍従であると世間では言われている。」と書かれています。この二人の女性、母方の従妹同士でとても仲が良かったようです。よく一緒に連歌を作ってやり取りしたりしていたらしく、相棒の小侍従さんはとてもあでやかな女性で男性とのエピソードも沢山残っているのですが、その中でも際立っているのは、殷冨門院大輔が和歌友達の男性数名を引き連れて小侍従さんのお家にアポもとらずに押しかけて, 夜通しプライベートな歌会パーティに及んだとの話。

美しい二人の才女が仲良くつるんで和歌をテーマに遊んでいたら、それはもう男性歌人たちも楽しくて放っておかないでしょうね。

殷冨門院大輔は落ち着きのある女性だったようですが、その作風は趣のある古風さを残して、それでいてハッとする一言が使われて、その効果がとても鋭利で斬新な彩を持つ。そんな温故知新の妙技が得意だったようです。この血の涙の和歌も48番の歌人 源重之さんの詠んだ、

♪ 松島や 雄島の磯に あさりせし 海人の袖こそ かくは濡れしか ♪

現代語訳・・松島の雄島の磯で漁をしている海人の袖ぐらいだろうか、私の袖より濡れているのは・・・と言う歌の本歌取りです。元の和歌を突き抜けて、袖が濡れてるだけじゃないの!色さえも変わってしまったの! と言う迫力には何か痛快なエッセンスを感じます。
だからでしょうか? 松島、雄島、そして海人の語呂合いが、この殷冨門院大輔さんの詠んだ歌から より広く枕詞として世間に定着していったんですって。自分で歌会を企画して開催してゆくパワフル殷冨門院大輔さんに、とても現代的な女性像を感じる私です。

   早苗ネネと行く4日間のマウイ島。リトリートツアーのお知らせ(女性限定)


チラシをダウンロード

マウイ島はトロピカルな観光地と言うよりも古代のレムリア文明の波動を残しているとてもスピリチュアルな島。オアフ島 ホノルルの喧騒とは全く違った穏やかな街並はハワイ島からのトレードウインド(貿易風)が吹いていて ドライエリアは毎日晴天ですが、山側にはレインボウシャワーが降り注ぎ緑の美しい牧歌的な家並みが続きます。
観光客の行かないパワースポットを巡り、日ごろの雑念をデトックス。
参加される方、一人一人が 本来の輝きを取り戻すために企画しました。
 
<ツアー日程>
9月27日~10月1日
<リトリート参加費用>
$2200米ドル 現地集金
<費用に含まれるもの>
・宿泊費: プライベートリトリートハウス4泊5日
・食事: 朝食&夕食 Vegan organic(オーガニック菜食)
・空港送迎: 現地移動
・通訳 & 各アクティビティ(国立公園入場料)
<費用に含まれないもの>
・航空券 ESTA
・昼食
・プログラム以外の個人アクティビティ
・個人セッション
・旅行保険 期間中野外プログラムが多く含まれます。
盗難 怪我、病気などは自己責任となりますので海外旅行保険加入をお勧めします。
 
8名までの限定です。(個人が尊重される人数)
マウイ島カフルイ空港 現地集合です。(全国からの参加募集のため)
 
ハレアカラ山は 富士山級の標高を持ち 月のクレータを思わせるような雄大で不思議な空間を見せてくれます。
聖地 ヘイアウは 優しい空間が広がり、現代生活で疲れた心を癒してくれます。
 
日本に居るとどうしても年相応、とか目立つような振る舞いは慎んでしまう私達。
でも少し気分を若返らせて、リラックスしませんか?
もう年なんだから、と先細りの人生観にからめとられる前に、まだまだ大丈夫!
自分は若い!と思える感覚をアロハスピリッツの中で体感して下さい。
 
<お申し込み>
現地スタッフ mauiret7@gmail.com までご連絡ください。
お申し込みフォームとその他4詳細をお送りいたします。
 

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

8月 10 19

「今は恩返しの時期」 株式会社エコローグ 代表取締役 太田憲秀さん

by staff
太田憲秀さん
太田憲秀さん
 
お名前 太田 憲秀(おおた のりひで)
お生まれ 昭和20年(1945年)
お住まい 横浜市金沢区在住
趣味 ゴルフ、写真撮影、オーディオ
長所 まめに、こまめに
お仕事 株式会社エコローグ 代表取締役
HP http://www.ecologue-akinai.com/

 

太田さんは昭和20年(1945年)のお生まれですが
ルーツはどこにあるのでしょうか。

両親は名古屋市に住んでいたときに空襲にあって母の実家(愛知県中島郡平和村)に疎開しました。私はそこで生まれて育ちました。

父が母の実家の跡取りになり、農業をやることになりました。父はアイデアマンで、左官屋用の刷毛やホウキを自ら作って製造販売もしていました。製造機械も自分で作ってしまうほど器用な人でした。柔道四段の腕前で強かったですし、近所の方々には書道を教えたり、帳簿作成してあげたりと、本当になんでもできて面倒見がいい人でした。母はまめな人で、私たち4人兄弟の着るモノ、シャツやズボンは母の手作りでした。

私が世話好きなのはそんな両親からのDNAが大きいでしょうね。

太田さんはどんな少年時代でしたか。

村相撲ではいつも一番でしたね。サッカー、野球などをするスポーツ少年でした。自分で言うのも・・ですが、努力家でしたよ。学校の成績は徐々に良くなりました。

中学校時代、英語の先生が熱心な方で、クラスメートと一緒に毎日学習ノートを提出していました。それで、名門校と言われていた愛知県立津島高校に入学しました。共学で女子生徒もいて楽しい学生生活でした。

父を見ていたからでしょうか。高校では柔道部に入り日々練習に明け暮れていました。朝・昼・放課後と一日に3回練習です。柔道部は結構強くて、最高成績は県大会でベスト8です。このときのチームメイトとは、私が幹事役で、数学の先生だった恩師も一緒に毎年旅行会をやっています。

柔道部の仲間たち

身体を動かすだけでなく、柔道部の先輩の影響でオーディオにも興味を持ちました。自分でステレオを組み立てて、クラシックを聴いていました。

英語が得意だったから英文科に進まれたのですか。

将来はデザイナーになりたいと考えていました。幼少の頃から絵を描くのが得意でした。両親からは好きなことをやっていいよ・・と言われていたので美術大学を目指しました。私のために家を増築してアトリエ作ってくれたりと、応援してくれました。ところがうまくいかなくて、南山大学文学部英文科に入学しました。

学生時代は、自宅のアトリエで近所の子供たちに絵を教えたりしていました。今、写真撮影やチラシ制作をやっているのは、昔とった杵柄なのだと思いますよ。

大沢商会に入社されたのですよね。

英文科卒業者は英語の先生になる人が多かったのですが、自分は商社に入りたいと考えていました。1890年(明治23年)創業で一部上場企業だった大沢商会に入社しました。1968年(昭和43年)のことです。

最初からスポーツ用品部配属されました。テニス・ゴルフ・スキー関連商品を海外から輸入して、百貨店や専門店に卸販売する部署でした。時代も良かったのでしょう、営業成績は良かったですね。ゴルフ用品との関わりが深くて、海外の仕入先もたびたび訪問していました。自らもゴルフにのめり込んで、スコアも結構いいところまでいっていました。スポーツ用品部には通算で19年間在籍しました。

ベン・ホーガン氏と一緒に記念撮影。
ベン・ホーガン(Ben Hogan、1912年8月13日 – 1997年7月25日)は、アメリカ合衆国テキサス州ダブリン出身の
プロゴルファー

中学校の恩師の紹介で同郷の女性と結婚して、三人の子宝に恵まれていました。

そんなとき、1984年2月、カメラ事業の失敗で会社更生法が適用されました。業績が良くないことは知っていましたが、それほどまでとは思わっていませんでした。スポーツ用品は業績が悪くなかったので、再建の柱となりました。私は自分が手掛けた部署だったので、皆と一緒に頑張って会社を再建しようという気持ちでした。西武セゾングループの堤清二氏が管財人となり、西武百貨店の常務だった江頭啓輔氏が社長となりました。江頭氏はトップセールスで海外の高級雑貨の代理店契約を結んで会社再建に奔走しました。

私も名古屋支店長として会社再建に携わりました。三年間単身赴任でした。地元で実家もあり、友達も多く、お得意先にも可愛がっていただき、凄く充実していました。その時、支店創設50周年や会社創立100周年を迎えるタイミングになり、支店再興の追い風にしました。1990年に取締役、1996年に常務取締役営業本部長になりました。江頭氏の指揮の下、海外ブランドの市場開拓をしていたのがいい思い出です。

業績を回復していった1997年に管財人の堤清二氏と江頭氏の路線対立があり、江頭氏が退陣することになりました。私も江頭氏に殉じて29年間在籍した大沢商会を退職しました。

大沢商会退職後はどうされましたか。

2001年に株式会社ゴルファーズガーデンを設立して、「One to One ゴルフレッスン」というシステムを開発しました。ゴルフの練習風景の動画を送ってもらってスイングを解析する仕組みです。インターネットを使った画期的なビジネスだったと思いますが、ちょっと早すぎたかもしれませんね。なかなかうまくいきませんでした。

その後、浄水器メーカーの社長などを経て、2013年に株式会社エコローグを設立しました。この会社では、住宅建材(国産無垢板)、住設機器(浄水器)の卸販売を行っています。工務店さんが主要顧客になります。

大沢商会時代は競争心が強くて誰にも負けたくない猛烈サラリーマンですが、自分で起業して苦労を重ねたせいか、中小企業の経営者たちと付き合うようになって、変わりましたね。人の面倒をよく見るようになってきました。

私はタイプライターが得意だったこともあり、WordとExcelは大沢商会時代から率先して使っていましたし、パソコンに精通していました。それで、ITが不得手な経営者たちの相談役として、写真の画僧処理や書類作成などを代行するようになりました。ブログ制作なども手伝っています。

10年ほど前、異業種交流団体(倫理法人会)との出会いがあり、そこでの活動を通して中小企業経営者のサポートを行っています。困まり事があると、私に連絡してくる方がどんどん多くなってきました。また横浜市金沢区にある杉田ゴルフ場のジュニアゴルフスクールをボランティアで手伝うようになって、地域との接触が深まった時期でもありました。

ゴルフのジュニアスクールにて。

ちょうどその頃からでしょうか。私の人生は、恩返しの時期に入ったと思うようになりました。両親はじめ、生きてきて多くの人たちにお世話になってきたことを、周囲の方々に少しでも返していけたらと考えています。

いつも明るくお元気ですが・・・

毎日4時に起きて、9時までデスクワークをしてそれから外出します。外出時には必ずカメラを持参してお気に入りの風景を撮影するようにしています。「発見しよう」という気持ちがあると人生楽しくなりますよ。

これからも現役として、地元金沢区の中小企業経営者のためにお役に立つことをしていこうと画策しています。

自分史(推定90年)を作成していますので、ご覧ください。(笑)
90年の根拠は、父が91歳、母が87歳まで元気で生きていたので、自分も大丈夫だろうと勝手に解釈しているからです。

自分史

私の元気の素は「ゴルフ」だと思いますね。土曜日・日曜日・祭日は杉田ゴルフ場で希望者にゴルフレッスンをしていますし、私自身もクラブを握って自ら練習しています。

ゴルフ練習場にて

45年以上愛用のゴルフクラブ

太田さんにとっての横浜は・・・

私にとって横浜は、「再び、青春!」ですね。

私は35歳から横浜市民なので「第二の故郷」と言えるでしょう。金沢区の六浦に社宅があって、そこに住んでいたのですが45歳で役員になったときに出てくださいと言われて、金沢区能見台に引っ越しました。今も能見台在住です。

会社員時代は、東京勤務だったので地域との関わりはほとんどありませんでした。最初のきっかけは、ジュニアゴルフスクールに関わったことですか。子供たちを通して、ゴルフコンペのお世話などで父母との交流が始まり、横浜での知人が増えていきました。

今や「横浜人」だと自負しています。
まだまだ横浜のために頑張りますよ。

<取材を終えて>

太田さんは70代にして元気溌剌、いつも明るく笑顔で私たちに接して下さいます。
今回のインタビューで、一流商社が会社更生法の適用になり、その後再建の一躍を担うという激動のサラリーマン生活から起業して中小企業の経営者のサポーターとなるまでの道のりを伺いました。これまで決して平坦ではなかったと思います。そんな苦労も多彩なご趣味すべて自分の糧として生きていらっしゃる太田さんに乾杯です。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

7月 10 19

「横浜BMIストリートピアノ」をご存知ですか・・・

by staff

 

2019年6月、みなとみらい線馬車道駅内に横浜都心部に2台目のストリートピアノが設置されました。1台目は、2018年12月に関内駅地下のマリナード地下街に設置されています。

馬車道駅に設置されたストリートピアノ

マリナード地下街のピアノは多くのマスメディアにも取り上げられ、全国的にも有名になり、連日多くの方々が演奏を楽しんでいます。

YouTubeで「関内 ストリートピアノ」で検索すると、様々なジャンルの演奏を見ることができます。

慶応技術大学混声合唱団楽友会の演奏(マリナード地下街のWebサイトより)

私も5月某日の23時頃、友人と一緒に訪れて、周りに誰もいないことを確認してから「エリーゼのために」をちょこっと弾いていたところ、後ろから拍手があって恥ずかしい思いをした経験があります。

このピアノは、馬車道 、マリナード 、伊勢佐木 の3つの連なる商店街から成る「BMIストリートピアノ運営委員会」が管理していて、定期的に調律も行うなど、メンテナンスが行き届いています。(BMIは馬車道・マリナード・伊勢佐木・・3つの頭文字です)

2019年6月15日、馬車道駅の地下通路で開催された2台目の「横浜BMIストリートピアノ」オープンセレモニーに行ってきました。

オープンセレモニー

関係者の挨拶のあと、ヨコハマNOWが100号記念パーティーを開催した関内駅前セルテの「ヤンキース」で演奏されている横浜市中区出身のピアニスト木村香絵さんの演奏がありました。駅になり響くピアノの音に大勢の人々が立ち止まっていました。

6月のある土曜日午前中に、マリナード地下街を訪れてみると、ピアノの音が地下街に流れています。若い男性がポップな曲を楽しそうに演奏していました。周りには演奏を楽しむ方々の用のベンチも用意されていました。

関内駅地下マリナード地下街のピアノ 演奏風景

彼が引き終わった後、すぐに中年女性がクラシックの曲を弾き始めました。
ストリートピアノが街の中に溶け込んでいるようです。

私はそのまま、馬車道駅に移動しました。徒歩で5分程度の距離です。
ちょうどその日は、馬車道構内でフリーマーケットをやっていてストリートピアノは演奏中止で、演奏風景は見れませんでしたが、きっと関内と同じように駅構内にピアノの音色が響き渡ることでしょう。

馬車道駅風景

ストリートピアノは、今後は伊勢佐木町にも設置される予定とのこと、BMIストリートピアノを弾くために横浜を訪れるという光景が見られることを願っています。

 

7月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第7回) ~宙を舞う総合芸術~ エアリアルダンサー 松山奈未さん

by staff

Prologue

皆さん空中芸の”エアリアル”はご存知でしょうか?
フランス発祥のサーカスの中で用いられるパフォーマンスの一種で、見る人を驚かせ神秘的で幻想的な世界へと誘ってくれる総合芸術です。

現代ではダンスが義務教育に取り入れられる様になり、YouTubeやニコニコ動画、TikTok等動画をベースにしたコンテンツの普及もあり、踊る事や身体を使った表現が今や誰でも出来る時代となりました。

それでいても、やはりプロの一線というものはいつの時代も存在します。

ただ、上手に踊れるだけではプロじゃない。
圧倒的な表現力と、危機管理や細やかな配慮、機材への知識や、その場を共にする仲間への気持ち、、、
“本当のプロ”って、当たり前に技術がある人達の中でも際立って何かを持っている人の事を指すような気がしています。

今回は、パフォーマンスの中でも一際華やかでもありながら、フィジカルとメンタル共に強さとしなやかさが必要とされるエアリアルダンサーの松山奈未さんにお話を伺って参りました。

松山奈未さんのエアリアル -Rain-

松山奈未さんとの対談

Acco 「エアリアルダンサーになったきっかけを教えてください!」

松山 「きっかけは、Cirque du SoleilのQuidam日本公演を鑑賞して。その頃はまだコンテンポラリーダンスに夢中だった頃で、後々コンテンポラリーダンス以外に何か特別な技を身に付けたいと考えるようになり、エアリアルを習い始めました。」

Acco 「そうなんですね。エアリアルは始められてから何年くらいになりますか?」

松山 「エアリアルを始めて約10年が経ちますが、それ以前はコンテンポラリーダンスを踊ってきました。
エアリアルを始めたきっかけは、地上でのダンスのみならずもっと表現の幅を広げたいという気持ちが強くなったことからです。
いつかエアリアルを取り入れたコンテンポラリーダンスを踊りたいと考えスタートしたものの、エアリアルで求められることは見栄えの良いいわゆる王道でダイナミックな大技であり、私が表現したいこととは少しかけ離れたものでした。
右も左も分からない下積み時代には経験として一通りの技を身に付けてきました。
その後、フリーとなってからはコンテンポラリーサーカスというカテゴリーで自主公演を行なったり創作活動に励んでいます。」

Acco 「エアリアルシルクやパフォーマンスを通して伝えたいことはどんな事ですか?」

松山 「人が浮遊感のある中で宙を舞うことはとても神秘的だと感じています。

私は、サーカスアーティストという肩書きではなく、舞台人でありたい。この思いを大切にエアリアルと向き合っていきたいと考えるようになりました。
激しく回ったり落ちたりすることだけがエアリアルの魅力のすべてではありません。そのことをまさに表現を通して伝えていきたいと考えています。
エアリアルは本当に繊細な芸術です。」

Acco 「本当に体を繊細に扱えないと出来ない事ですよね。体の使い方のコツみたいなものがあれば教えてください!」

松山 「一見、吊られている部材が軸になりそれらにまとわりついていたら何でもこなせると思われがちですが、全くそうではなく。
私たちの身体そのものが軸となっていなくては布や鉄輪はコントロールができません。
スピン一つとっても、遠心力を味方につける軸というのは少しのかける力の具合で随分結果は変わってきます。」

Acco 「表現をする上で一番大切にしていることがあれば教えてください!」

松山 「先ずは自身が表したい画を思い浮かべ、空間・空気感・目の前の存在とそこに存在する自分を想像します。」

Acco 「今後挑戦したいことはありますか?」

松山 「コンテンポラリーサーカスのカテゴリーで作品を作っていきたいと考えています。
私はたまたまダンスですが。
その他身体表現でも、絵でも、写真にしても、音楽にしても。
想像を生み出すことはとっても素敵。表現って素晴らしいと心底思います。
大切なことは何を伝えたいか、だと思っています。
自分を見失わず、自分ならではの表現をこれからも追求していけたらそれ以上の贅沢はないと私は感じます。」

Acco 「はい! 私も奈未さんの表現や作品が大好きなので是非作ってください! 楽しみにしております! ありがとうございました!」

感動の裏側にあるもの

無条件に心が掴まれるもの
なぜかグッと来てしまうもの
説明がなくてもそこに込めた想いや重ねてきた時間というものを私たちは感じることが出来る
 
だからこそ
誰にでも簡単にできる事ではないもの
目にしただけで世界が変わってしまうようなものに
私たちは心が動くのだと思います。
 
エアリアルも無条件に感動を与えてしまうパフォーマンスの1つです。
 
鍛錬を重ね行く上でも、安全であること、
そしてどんな人に習うかで未来が変わって来ます。
 
エアリアルを習ってみたい!という方は
是非松山奈未さんのところへお問い合わせくださいませ。

【お問い合わせ】
Email: matsuyamanami.conte@gmail.com
blog: http://ameblo.jp/matsuyamanami/
YouTube: http://www.youtube.com/user/matsuyamanami
Instagram: nami_matsuyama
Twitter: @matsuyamanami

 

<プロフィール>

大手テーマパークフライングトレーナー
中学校教諭一種免許保持
高等学校教諭一種免許保持
サンリオピューロランド「Miracle Gift Parade」エアリアルオリジナルキャスト エアリアル振付 2015/12?2018/5出演。 「INTERNATIONAL ASIA-PACIFIC POLE & AERIAL ACROBATIC CHAMPIONSHIP 2017」Aerial Silk部門1位優勝。Aerial Hoop部門2位準優勝。
「2017 Capital of Texas Aerial Championships」Aerial Lyra – Professional部門1位優勝。Aerial Silks – Professional部門2位準優勝。

兵庫県出身。幼少時クラシックバレエを学ぶ。1997年芸能プロダクション・タレント養成所合格。
同時期より舞踊を始め、創作・モダン・バレエ・ジャズ・ヒップホップと様々なジャンルを学び、舞踊コンクールで多数受賞。コンテンポラリーダンスの出演を経て、エアリアル養成所でエアリアルシルク・エアリアルフープを学び、現在フリーで活動中。

 

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
SNS Facebook
Instagram

 

7月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第2回)
介護は突然始まるかも!

by staff

第2回 介護は突然始まるかも!

前回(第1号)で、「介護」は病気・事故・高齢によるものなど様々で、突然起こることが多いと書きましたが、実際、我が家の場合も突然でした。

当時私は起業し、昼間は事務所で母にも手伝ってもらいながら仕事、父は杖を使っての歩行でしたが、身のまわりのことは自分でできていました。そんな2007年12月、父の米寿を祝った12日後、ウイルス性腸炎を患いました。血液検査では特に異常がみあたらなかったので2日~3日すれば治るとドクターに言われたのですが、容態は悪化し、年明け早々救急搬送され緊急手術となりました。

命の危機は乗り越えられたものの、父は寝たきりの状態となってしまいました。それでも1ヶ月過ぎると病院からは退院をすすめられました。皆さんも、そうそう!  入院してもすぐに退院させられちゃうのよね! と同じような経験をされた方がいるのではないでしょうか? こういったことって、結構多いような気がします。

仕事をしながら寝たきり状態の父を自宅でケアできるだろうか? 病院のケースワーカーから紹介された施設は、費用が高すぎるし・・・悩みました。幸い私は、両親が70代のころから、訪問看護に詳しい方々とつながっていました。介護家族の経験談を聞き、看護師さんのお世話で療養型の病院に8ヶ月間入院できた結果、父は車椅子に座っていられるほど快復し、私も仕事をしながら家庭介護ができました。介護のネットワークのおかげで、どんなに助けられたことか感謝しています。

「突然介護! ってことがあるかも! 」を心に留めて、予測のつくことや今できることを先送りにせず、準備をはじめることをお勧めします。例えば、高齢になり足腰が弱くなったから転倒防止を考えるとか、物忘れが多くなってきたようなので専門の病院を探しておくとか、などなどです。

現在は、母の世話をしていますが、父の経験から介護への対応力は鍛えられてきたと思います。しかし、だからといって父も母も、それぞれ性格も違えば死生観も違うので、同じようなケアではうまくいかないということも学習しました。介護される人それぞれの生き方や考え方、またケアの状態も違うから、その人に合わせた介護対応力が必要になるということをつくづく感じています。

《知っていたほうが良いこと》

  1. 介護保険について理解しておくこと。
    介護保険は40歳からすべての人が加入します。40歳~64(第2号被保険者)と65歳以上は(第1号被保険者)で、介護給付を受けることができる内容が違います。また39歳までは介護保険対象者ではないので、介護給付はうけられません。
  2. 公の機関で相談できるところとしては、介護対象となる人の住んでいる区役所の福祉や介護を扱っている部署。(他には地域に地域包括支援センターというところもあります)
    相談する場合、的確な回答を得られるためには、どんな不安があるとか、分からないこと、介護される人も介護する家族もどのようにしたいと思っているのかなどを前もって具体的に整理してから相談をされると良いと思います。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

7月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第9回「可愛すぎる鳥とSNSで人気の『シマエナガ』(北海道) 」

by staff

第9回 可愛すぎる鳥とSNSで人気の『シマエナガ』(北海道)

2018年9月17日から29日まで北海道へ行っていました。目的は月に照らされた十勝連峰や望岳台からの夜景撮影とナキウサギ貯食の撮影、それと根室のさんま祭りですが、その合間に野鳥も撮影することができました。

9月21日、望岳台でナキウサギを撮影中、“ジュリ、ジュリ”という鳴き声が聞こえたので、近くの灌木を見ると、十数羽のシマエナガの群れが来ていました。シマエナガは本州に生息するエナガの亜種で、北海道に分布しています。エナガに比べ、黒い過眼線がなく、真っ白い顔をしています。体長は14cmほど。長い尾羽を含んだ長さなので身体はもっと小さく、首が短いので、丸い体に尾羽が付いているようでとても可愛いです。その可愛らしさから『雪の妖精』と愛称が付けられています。違う種の小鳥と混群することも多く、この時はシジュウカラが近くに遊びに来ていました。

上の写真は本州などに生息するエナガです。違いがハッキリと分かりますね。
北海道へは十数年前から野鳥撮影に来ていますが、シマエナガを撮影できたのは、今回で2回目です。シマエナガを目的に来たことはありませんが。
背中の模様は、普通のエナガと変わりません。 2羽並んでくれました。そして、1羽が飛び立ちました。

チョコマカ休むことなく動き回るので、撮りやすい鳥ではないですね 数分間、せわしなく動き回り、何処かへ飛んでいきました。

北海道滞在の最終日の9月27日早朝、十勝岳吹上温泉白銀荘前キャンプ場を出発し、支笏湖を目指します。今回、撮り鳥を目的とするのは、初めてです。休暇村支笏湖の駐車場に着いたのは、午前8時40分頃でした。

休暇村の裏には野鳥の森が広がっています。その中の遊歩道を進むと、野鳥観察舎があります。
観察舎の壁から水場を見ることができます。光が入りにくいので非常に暗いですね。今年の7月に来たときは、キビタキやコルリ、クロツグミのメス等の夏鳥が水浴びに来ていました。今は9月も末なので夏鳥は帰ったなと思って、あまり期待はしませんでした。
観察舎に来てから1時間、頭上で“ジュリ、ジュリ、ジュリ”という、シマエナガの鳴き声が聞こえました。見上げると、逆光で分かりにくいですがシマエナガでした。水場に下りてきてくれるのを期待したのですが、下りてきてくれませんでした。残念!!!

この写真は前回2016年1月に北海道駒ヶ岳北側の渡島砂原で、初めてシマエナガを撮ったときのものです。首をかしげたポーズが可愛いでしょう!

今年から北海道最終日の昼食はマルトマ食堂と決めていたので、午前11時、苫小牧へ向かいました。ここでお勧めするのは、なんと言っても“マルトマ丼”です。新鮮な魚介類が下のご飯が見えないくらい、たくさんのっています。特に甘エビは絶品です。安い居酒屋で食べる甘エビは生臭いものもありますが、ここの甘エビは本当に甘いですよ。
マルトマ食堂: http://marutoma-shokudo.com/

苫小牧発午後7時の太平洋フェリー“いしかり”で名古屋へ向かいます。
9月28日午前10時、仙台フェリーターミナルに入港し、午前12時50分に名古屋へ向け出港します。
翌9月29日10時30分、名古屋フェリーターミナルへ入港しました。
名古屋からタカの渡りを見に、伊良湖岬へ行く予定でしたが、台風24号が近づいて来ているし、身体もダルいので、真っすぐ帰ることにしました。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

7月 10 19

楽しい文字の世界(第18回) 増田窯x紅花

by staff

第18回 増田窯x紅花

和紙に書いた文字や墨絵が他のものに謄写され、出来上がってきて、箱から出すワクワク感はたまりません。それが思った通りであったり違った時の一喜一憂も。今回は二度焼き直しをしていただき、完成しました。

髙島屋さまから、このお話をいただいたのが月は師走。丁度私は1月開催の紅花書道塾25周年展の準備も佳境で、睡眠時間をどう確保するかと戦っていた時期でした。しかし、横浜を代表する増田窯様の器に私の筆文字や墨絵がのる…それは、どう考えてもお断りする理由が見つかりませんでした。期限は1月2日。
私はもともと紙に向かって悩むより、日常を過ごす中で頭の中であれこれ考え、最終的に紙に向かうようにしているため、紙に向かう時間は思ったほど取っていないかもしれません。

横浜らしい商品、「ありがとう」や「感謝」の気持ちを表したもの。そんなお題をいただき、制作にあたりました。
増田窯様の工房にも何度か足を運び、私の筆文字や墨絵が実際に焼くと、どのようになるであろうとの長年の経験をいかしたプロのアドバイスをいただきながら、器の形、色、デザインなどを決めていきました。

できあがった器は3種。
ペアのフリーカップ。みなとみらいの昼間の風景(白)と夜景(紺)。

ペアのフリーカップ

白は昼間の青々とした港町。内側にカモメが飛んでいます。
紺は夜景の美しさ。星空に三日月が浮かび、みなとみらいの建物群はシルバーに輝いています。
そんな横浜の暮らしに、感謝の気持ち「心をこめてありがとう」の筆文字を添えました。
取っ手がないので、日本茶、紅茶、コーヒーなどオールマイティティに飲んでいただけます。
中にはそばちょこに丁度よいというお声も。増田社長曰く、軽くて丈夫なため、海外への横浜のおみやげにも最適とのことです。

お湯のみ

横浜の市花のバラ。内側には赤いくつ。こちらも墨絵で描きました。
「元気でね いつまでも」

小学3年の生徒が1人で髙島屋にこのお湯のみを1つ買いに行き、「おばあちゃんにプレゼントしたら、おばあちゃんすごく喜んでくれました。」と報告してくれました。
それは感動話です。作ってよかった!と強く思えた瞬間でした。

横浜焼の精神を受け継ぐ横濱増田窯。その名前が器の裏に。器のお墨付きをいただいた感じです。
小学校3年の女の子のおばあちゃんのように、どこかで誰かに喜んでいただけたら作者として幸せです。

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して25年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

7月 10 19

しあわせの「コツ」(第31回) 「ありのまま」は強い!

by staff

第31回 「ありのまま」は強い!

最近のSNSの普及が、私たちのコミュニケーションのスタイルを大きく変えたことに異論を唱える人はいないでしょう。変わったのはコミュニケーションのあり方だけではありません。物事の評価の基準も変わりました。
フェイスブックの「いいね!」やツイッターのフォロワーの数の多さが評価につながることから分かるように、内容がどうあれ、「他者に承認されること」が重要な価値を持つ時代になったのです。しかもその評価は「インスタ映え」という言葉があるように、「見栄え」や「キャラ」という外面的な要素による場合が多いのです。

私は、とりわけ「キャラ」という人格の編集の仕方に今日的なものを感じます。「いじられキャラ」や「おバカキャラ」などを売りにしている芸人もテレビでよく見かけます。
「キャラ」は架空の人格である「ペルソナ」(ラテン語で『仮面』という意味)とは違います。性格など自分の特徴のどこかを分かりやすく造形し、「私はこういう人間でございます」と、それを「通行手形」として集団内で行動するのです。「キャラ」はその人物の内面を表しているのではなく、「他者がどう見ているか」「他者からどう見られたいか」が基準となっています。どちらかというと演劇の「配役」に近いのではないでしょうか?

例えば「キレキャラ」を売りにする芸人は、「すぐキレる」役を演じているわけです。実際のご本人は穏やかな面もあるでしょう。でも、テレビではそれを封印し、何にでも「キレて」見せるのです。たまに地が出ると、「キャラに合わない!」と炎上されるのですから、たまったものではありませんね(笑)。

フェイスブックでもインスタグラムでも、沢山の「いいね!」を集めるために、写真を修整したり、被写体に手を加えたりするのはもう常識となっています。なかには最初から「インスタ映え」を狙った商品まで売られています。

明らかに「インスタ映え」を狙った写真

名前の割には「インスタ映え」していないお弁当

一体どうしてこれほど人々は他人の評価を気にするようになったのでしょうか?

それは、唐突かもしれませんが、「変化への恐れ」があるような気がします。

誰もが感じているように、今世界情勢も先行きがほとんど読めない状態です。スピリチュアル系の本やブログを覗いても、異口同音に「地球が進化の時を迎えている」と書かれています。近い将来3次元から5次元に地球が次元上昇するというのです。
 人は、本能的に安定を求め、変化を嫌います。けれども流動する世界の中でも生きていかなければなりません。そこで変化する世界に目をつむり、「こうあってほしい」と思う状態に編集した虚構の自分、虚構の世界にフォーカスするのです。「インスタ映え」がこだわる「見た目」とはまさに作られたイメージとしての自分や世界に他なりません。それを重要視することで、刻々変わる世界やありのままの自分を無意識のうちに拒否しているのです。

そうすると、どうなるのでしょう?
自分の内面が置き去りにされ、本来の自分と「見た目」の自分とのギャップがどんどん広がっていくのです。それは苦しい事です。他者目線の「見た目」を世間にさらせばさらすほど、本当の自分は陰に隠れ、孤独が深まっていきます。「インスタ映え」で興じる若い女性の間で「アナと雪の女王」の主題歌が大ヒットしたのは、歌詞が彼女たちの隠れた心の闇を代弁していたからではないでしょうか。

「アナと雪の女王」主題歌 Let it go - ありのままで -
 
降り始めた雪は
足跡消して
 
まっ白な世界に
ひとりのわたし
 
風が心にささやくの
このままじゃ
ダメなんだと
 
とまどい傷つき
誰にも打ち明けずに
 
悩んでた
それももうやめよう
 
ありのままの
姿見せるのよ
 
ありのままの
自分になるの
 
何も怖くない 風よ吹け
少しも寒くないわ

特に「ありのままの 姿見せるのよ ありのままの 自分になるの」の下りに来ると、カラオケなどで涙を浮かべながら歌う女性が大勢いたそうです。

「アナと雪の女王」のエルサ

「インスタ映え」に代表される「見た目」へのこだわりは、自分の内面や変化する世界に向き合うことなく、簡単に自己肯定感を得られる方法ですが、その代償はあまりにも大きかったということでしょう。なにしろ「ありのままの自分」を生きることができなくなってしまうのですから。

「アナと雪の女王」のエルサは、自分の個性を受け入れ、隠さず生きることで自信にあふれた強い女性に生まれ変わりました。さらに自分の個性を発揮するなかで失敗も経験しながらそれを制御する方法も体得したのです(映画の中では「真実の愛」がエルサの魔法を解くことができる、と分かる)。“Let it go”の大ヒットは、「見た目」という他人軸で生きることの生き苦しさを何とかしたい、という若い女性の暗黙の願望が後押ししたのではないでしょうか?

封印された自分の能力を受け入れることで自信を取り戻したエルサ

「見た目重視」とは他人軸で生きることに他なりません。それは本当の自分を封印して生きていくことです。
本当の自分?  ― それは生まれてこの方経てきた体験の総体です。
楽しく有頂天になるような体験ばかりではありません。悲しい事、辛い事、とても人には言えないみじめで無様な体験等々。それらを通して出来上がった性格や物の考え方、学んだ事、交流した人々…。それら全てをひっくるめたものが「ありのままの自分」なのです。
それをエルサのように隠さずに受け入れ、他人軸でない「自分軸」で生きることを選ぶことによって「生き苦しさ」や「自信のなさ」から解放されることでしょう。

「自分軸」で生きるとは、これまで経てきた体験の総体の頂点に今の自分がいるという認識を持つことです。宇宙広しといえども、この自分以外誰も経験していない唯一無二の「自分史」というストーリー。視点を広げれば先祖や人類の歴史までもが射程に入る、このオンリーワンの壮大な歴史ドラマの主人公が自分であると心の底から思う時、人は「見た目重視」の薄っぺらな評価など、全く気にならなくなることでしょう。

「ありのまま」でいることは強いのです。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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7月 10 19

2019年7月 三ツ池だより 「マンダラチャートに出会って30年!」

by staff
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マンダラチャートとは「曼荼羅の智慧を経営に生かす」ことのために開発された手法です。開発された松村寧雄先生に最初お会いしたのは30年ほど前のことになります。先代と一緒に私は会社を経営してきていました。創業20年ほどになっていました。創業の昭和39年頃と言えば日本再生に燃えていた時代でした。なんとか行けそうだと思ってはいましたが、このままでいいんだろうかと、昭和59年頃考えていました。外部の研修にいろいろ出せてもらっていた中で、川崎市商工会議所での松村先生の講習に興味を持ったのでした。「会計事務所の先生用の内容なので、先生と一緒でないと許可できません。」と言われました。「マンダラチャートってなんだ」と弊社の先生に言われてしまったが、話をなんとしても聞きたいので先生に同行してもらえないかと頼みました。無理やり頼んでの講習会参加でした。

最初のわが社が生き残る8戦略は次のようなことでした。

  1. 構造戦略
    開発・販売へ(毎日の仕事も考える集団でありたい)
  2. 営業戦略
    待つ体質から出向く体質へ(客先が楽しみに待つようにする)
  3. 生産戦略
    作る体質から売る体質へ(お客があって作れるのだ)
  4. 売上戦略
    受け身注文から企画を売る(収益のベースである既存の仕事も大切に)
  5. 商品戦略
    受注生産から独自商品の開発(リピート商品の育成)
  6. 利益戦略
    与えられた利益から想像する利益(原価管理と誠実な仕事)
  7. 教育戦略
    思いつき教育から人材育成プラン(上に立つ程自己研さん)
    (技術の伝承+自己努力が進歩につながる)
  8. 社長戦略
    既存のことにこだわらず、会社方針を理解した上でそれぞれが最良の道を求めよ

一年目は手書きの計画書になりました。私は計画書作成と実践のために専務から社長へ昇格して取り仕切りました。そして翌年からは松村先生や銀行関係者においでいただいて、経営計画発表会を行ってきたのでした。経営計画導入をした翌年には社内報(Pac’kn Press)を創刊しました。

「創刊によせて 社長 横須賀健治」を見てみる。

「ユリの花が花瓶に生けてあった。庭に植えたのはいつのことだったのだろう。アジサイにさえぎられて眺められなかったが、居間に飾られたのを見ると随分大きく見えた。球根で土に埋められたものが、成長してこんなにも存在感のあるものになるのだ。
パックンプレスの創刊おめでとう。どんなふうに育つのだろう。本当に楽しみだ。“パックン”という意味は、
 Pleasy(楽しく)
 Activity(活動的な)
 Communication(コミュニケーションを)
 Keep(続けて行くための)
 Note(メッセージ)
といった頭文字からきていると解釈してみました。コミュニケーションとは、ただ楽しいだけではない。前向きに相手を理解していくこと、相手に気持ち良くはたらきかけていくことだ。そんなパックンプレスになることを期待している。」

PACKN PRESSは3カ月に一度の発行で34号まで続いた。当時は環境委員会と情報委員会の二つの委員会があって、社員は皆、どちらかに所属して活動していた。あの時の営業活動でお客様の所に行ったら次のような事を言われてしまった。「メジャーテックツルミの社員は良くやるよ。でも会社の様子と社長の顔が見えてこないね。」ガーンと頭を殴られた気がした。何かをしないといけないと考えた。「measure通信」を出すことにしたのだ。私は編集が好きだから社外報として計量情報と会社の様子と、ちょっと役立ちそうな情報の提供をめざした。社長の責任発行としたのであった。「measure通信」は初期の予定100号まで発刊できた。

measure通信18号には17年度の経営計画の発表にあたってのところで次のように書いている。「経営目標は適正計量を通して社会に貢献する。一人一人が目当てとされ、いきいきと業務を通じて、人間として成長していく集団でありたい。“MEASURE And COMMUNICATION”にあるように器物をつくる・売るというだけでなく、その器物によって行われることすべてを考えようとしてきたのでした。私たちは変わらないといけないのです。一人ひとりが工夫をもとめられ、情報の発信者になるのです。自然に成長していかなければならないのでした。」

マンダラの出会いによって経営の取り組み方が全く変わってきています。これからも、一層変わっていくでしょう。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

7月 10 19

ゆるマナー講座(第45回) ちょっと気になる公共のマナー

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

そろそろ各地で梅雨明けのニュースが流れる頃になりました。鬱陶しい日も紫陽花の花が咲いているのを見ると少し気分が明るくなりますね。

今回は雨の時期に見かけた傘のマナーや乗り物のマナーなど最近気になった公共のマナーについてです。

傘のマナー

傘で気になるのが畳んだ時の持ち方です。駅の階段などで前を歩く人が傘を勢いよく振りながら歩いているのを見かけたことはありませんか? その人の後ろから階段を上っている時、思わず傘がぶつかりそうでヒヤヒヤする時があります。階段でなくても、お子さんにとってはちょうど目の高さになりますからとても危険です。
梅雨が明けると日傘の出番です。最近は日傘男子もデビューしているようですから、畳んで持つ時は周りの人にぶつけないよう気を付けましょう。

混雑している電車の中でお互いの傘から垂れる水滴も気になりますね。ある時濡れた傘を入れるおしゃれな傘ケースに傘をしまっている人を見かけました。ちょっとした気遣いですが、他人の服も自分の服も濡らさなくて済む雨の日の素敵なマナーだなと……実は私もすぐ真似をして購入しましたが、とても快適ですよ。

乗り物でのマナー

先日、通勤電車の中で若い女性が、ストローをさしたカップ入りの飲み物を片手に持って乗って来ました。電車が揺れるたびに溢れて洋服に飲み物がかかりそうでした。蓋付きとは言え混雑した電車の中ではマナー違反です。
また電車の座席で脚を広げて二人分幅を取っている人を見ると、少しずつ皆で詰めて座ればもう一人座れるのにと思うことがあります。高齢の方や配慮が必要な人が目の前にいることに気付いて欲しいなと感じることもあります。スマホから目を離すと違う景色が見えるかもしれません。

人と人との快適な距離は、国民性や個人によっても多少の違いはあるようですが、片手を伸ばした距離内に知らない他人が入ってくると不快に感じるものです。
電車の中はまさに他人と他人が心地よい距離感でいられない場所…だからこそ少しでも心地よい空間になるよう意識したいものです。

そんな空間で素敵な光景を目にすることもあります。学生らしき若い女性がきちんと脚を揃えて本を読んでいました。彼女のその姿勢の良さに、疲れて肩を落として座っていた私も思わず背筋が伸びてしまいました。年齢にかかわらず美しい佇まいの人には影響力がありますね。

いろんな「声かけ」いろんな「優しさ」
(駅のマナー啓発ポスターの言葉より)

写真は駅の構内で見つけたポスターです。
ポスターに描かれているいろんな「声かけ」、いろんな「優しさ」、当たり前になるとちょっといいなと思いませんか?


地下鉄の構内で見つけたポスター

今日たまたま、優しい声かけをしている若い人を見かけました。ご高齢の女性二人が電車に乗って来たのですが空席は一席だけ。そこに座っていた若者がすぐに「どうぞ」と立ち上がり席を譲っていました。女性二人も「ありがとうございます」と笑顔でお礼を伝えていました。
ほんのちょっとしたことですが、できそうでできないことです。でも、「優しい」光景は周りの人も笑顔にするものです。
私も温かい気持ちで一日をスタートできた朝の一コマでした。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

7月 10 19

書評「心が元気になるたった1つの休め方」 青春出版社 植西聰(著)

by staff
 
タイトル 心が元気になる たった1つの休め方
新書 216ページ
出版社 青春出版社(2019/5/18)
ISBN-10 4413211375
ISBN-13 978-4413211376
発売日 2019/5/18
購入 心が元気になる たった1つの休め方 (青春新書プレイブックス)

「いい考えは、たいてい休んだ直後に出てくる」という処があります。集中して考えるとぼんやり休む、をセットにするといいそうです。「机にかじりついて、ウンウンうなるようにしても、いいアイデアはなかなか浮かんでこないものです。むしろ、頭の中がこんがらかっていくばかりで、何をどう整理して考えればいいのかさえわからなくなってきます。」そのような時には「仕事場から離れ、散歩をしたりして、ぼんやりとする時間を作るのです。すると、そのぼんやりやすんでいる時間に、 “そうだ、こうすればいいんだ” という、いいアイデアが突然浮かんでくることがあります。」よく行きづまって、途中休憩を入れることがあります。正にそのことなのですね!

「一段落したらではなぜ遅いのか?」のところで、それはかえって効率を悪くすると言われます。「すべてをやり終えてから、心を休めよう、リラックスしよう、と思います。しかし、そのように、疲労を感じながらがんばろうとすればするほど、その人の心身には強いストレスがかかります。疲労感とは、人の心身の中で無意識に生じるブレーキのようなものです。そこで、なおもがんばろうとすることは、ブレーキのかかった状態でアクセルを踏むようなものなのです。」もし自動車で、ブレーキを踏みながらアクセルを吹かすようなまねをしたら、おそらくエンジンが故障してしまうでしょう。「この仕事を終えてから休もう、ではなくて、わずかな時間であっても、少しづつ休み休みしながら仕事を進めよう、と考える方が賢明なのです。」

「一日一度 “美しいものに感動するする時間” をとる」という処があります。「絵画や花を見て、 “なんて美しいんだろう。感動した” と思ったとします。すると、脳の中で、セロトニンという物質が盛んに分泌されます。そして、セロトニンという物質が盛んに分泌されると、心が癒されるという効果が促されるのです。」実際の自然ではなく、写真に写った美しい自然であっても、十分なリラックス効果があることが知られています。「そして、何よりも感動する、ということが大切です。ただ漠然とした気持ちで “美しいもの” を見ているだけではなく、自分で意識して感動を引き起こすことが大切なのです。感動することで、よりいっそうリラックス効果が高まるからです。」と語られます。

「いい音や音楽の力を借りる」という処があります。脳内物質のひとつにセントニンというホルモンがあります。脳内で、このセントニンの分泌が盛んになると、心が休まり体がリラックスするそうです。例えば、ゆったりした音楽を聴くということです。3から5分程度、リラックスできる、ゆったりとした音楽を聴くだけでも、十分効果があるようです。「多くの人は仕事中に音楽を聴くことはできないと思いますが、たとえば、昼休みや、電車での移動中にそのようなヒーリング・ミュージックを聴くようにするのです。心が休まりいいストレス解消になります。」日常生活の中に、ゆったりした音楽を取り入れましょう。

「机の上だけでもいいから掃除してみる」という処があります。イライラした気持ちをそのまま放置しておくことは、自分の人生にとって良いことではありません。そのイライラした気持ちに自分自身が押しつぶされて、前向きに生きていく意欲を失ってしまうことにもなりかねません。時々「洗心」をするのがいいのです。心からイライラした気持ちをきれいに洗い流す、ということです。その方法としては、たとえば、「掃除」があります。禅の修行では掃除がとても重んじられています。ここでは次のように言われています。「気持ちがイライラしてきたときには、わずかな時間を使って、身の周りを掃除してみるとよいと思います。机の上だけでもいいのです。」「心が清らかになると念じながら、掃除してみる。」やってみましょう。

「澄み切った大空、を思い描く」という処があります。「なにか嫌なことがあってイライラした気持ちになっているとき、3分だけ気持ちを落ち着けて、大空を心の中に想像してみます。」そうすると、不思議にイライラした気持ちが消えていき、心が休まっていくのを実感できると言われます。日常生活の中では色々なことが起こります。イライラすること、カッカすることなどさまざまなことがあります。そのように心が雑念にとらわれたて乱れたときに、「広々としていて澄み切った大空を思い描く」ということを試してみてくださいと言われる。そのような習慣を持つ事が穏やかな人生へつながっていきますよ、と励まされるのでした。

「泥の中で美しく咲く “蓮の花” を思い浮かべる」という処があります。蓮は泥水の中で育って、そして美しい花を咲かせます。「汚れた人間世界であっても、尊い気持ちをもって生きれば、蓮の花のように美しい存在に生まれ変ることができる。という意味を示しています。」また「泥水であればあるほど、美しい大輪の花を咲かせます。」「もし汚れた世界に身をおいていたとしても、自分自身が貴くて清い心を持って生きていれば、やがて美しい存在になっていくことが出来るのです。」したがって、もし「この世はよごれきっている」と気持ちが滅入ってくるようなことがあったときは、わずかな時間{泥の中で咲く、美しい蓮の花}を思い浮かべてみるのです。そして、「私も、蓮の花のように美しい人間になれる」とイメージしてみます。そんな時間を持つ事で、ホッと心が休まります。そして、「きよらかな心をもって、前向きに生きていこう」という気持ちをよみがえらせていきましょう。

「情報が多すぎて決められないとき」という処があります。集まってくる情報や資料が多すぎて、かえって、どうすれば新規ビジネスを成功させることができるのか迷いが深まってしまう、という場合もあるのではなかと思います。そのために、いったい何をどうすればいいのかわからなくなってしまいます。そういう場合には、自分の心に問いかけてみるのです。「ビジネスマンも情報や資料を集めながら、もし迷いが生じたときは、少しの時間自分の心に向き合って、 “どうすればいいか、私は何をしたいのか” と問いかける習慣を持つのが良いと思います。」「自分の “心” は、きっと、正しい方向を指し示してくれるでしょう。」自分の心に問いかけてみる。それは自分磨きでもあります。

「ノートに “心の記録” を書き出す」という処があります。「人づきあいに疲れを感じやすい、という人は、日常生活の中で、自分ひとりの世界に入り込む時間、を作ることが大切です。」その時間が、心の疲労感を取り去り、そして心を休ませてくれます。自分ひとりの世界に入り込む、ための方法として、どんなものがあるかと言えば、たとえば、心の記録をつける、というものがありますと提案される。日記というほど大げさなものではないのである。それ専用のノートや手帳などを用意しておいて、短い時間で、今心の中で感じていることを何行か書き出すのです。「それを書いている間、自分の世界に入り込めます。人間関係のわずらわしさを少しの時間であっても、忘れることが出来るのです。それが良い、 “心の休息” になります。」はっと気づかされたことがあります。いま私はA6のメモ帳が383冊目になっています。あることがきっかけで18年になります。とてもいい習慣になっています。

「夜空を見上げて宇宙や星に思いをはせる」という処があります。「夜、星空を眺めながら宇宙について考えると、心が静かに休まるものです。広大な宇宙について思っていると、心が休まってきます。」そういえば、私は今、月の位置を観察することが習慣になっています。ときには日の出の前に東の空に月が出ることもあります。太陽が出るとだんだんうすくなっていき、姿を早朝に消していきます。

悔いのない人生をおくっていくためには「がんばったら、休む。しっかり休んでから、またがんばる」というリズムを保ちながら生きていくことを植西さんは提案されています。

(文:横須賀 健治)

 

7月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第76回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第76回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

AI技術の向上は天井知らずの感がありますが、ここは冷静に “人間にしかない能力・人間にしかできない能力” を探求する好奇心が不可欠。 “常識(コモンセンス)” “教養(リベラルアーツ)” とは単に知識というよりセンス。今こそセンスを鍛えることが大切なのかも。夏目漱石は “世の中をどう解釈するか” を作家の大事な仕事と受けとめましたが、時代が変わろうと、AI技術が高度化しようが、この論点は誰にとっても不動の軸。インターネットが台頭した時、誰もそれが何ものなのか、ビジネスにどう役に立つのかわかりませんでした。そこに斬り込む方法としてシリコンバレーで生み出されたのが “アプリケーション・コンセプト” 。現在は明確になっていない潜在ニーズを踏まえた最新技術による用途イメージを描くもの。これを深耕・研磨する有力な武器の一つが “メンタリング” 。メンタリングの本質は、長期的に高い成熟度を期す全人格的なもの。梁塵秘抄では “娑婆にしばしも宿れるは 一乗聞くこそあわれなれ 嬉しなれ や 人身再び受けがたし 法華経に今一度 争でか参り会わん” とあります。輪廻転生の世では法華経の教えに出会えれば儲けもの。 “ノイズを聴く” と作曲家ジョン・ケージ。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

戦い 武田信玄 五分を上 七分を中とする
十分をもって下とす 日露戦争後の協約締結
恐露病と言われたが上の策 ロシアを叩くと
仲介の米国 日本の伸長を抑えにきた可能性

武田信玄は甲斐の守護大名。 “戦いは五分を上、七分を中とする、十分をもって下とす” と悟る戦い上手。その一つが “三方ヶ原の戦い” 。徳川幕府の始祖である徳川家康を完膚なきまでにやっつけました。家康が信玄の挑発にまんまと乗ったため。家康はこの浅慮を猛省し、その苦悩・落胆の表情を絵師に描かせて自らを戒めました。 “鳴くまで待とう” に象徴される “忍” の代表格の家康にも失敗の歴史。信玄といえば、上杉謙信との川中島の戦い。戦闘は計5回で12年に及ぶもの。古戦場跡に立つと、芭蕉が平泉で詠んだ “兵どもが 夢の跡” の句が思い浮かびます。 “ボクシングは何より精神的な闘い。精神的な強さは肉体的な部分に隠れてしまいがちだ” と元世界ヘビー級王者のマイク・タイソン。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

俵屋宗達:没骨技法 輪郭線なしで描く技法
蕾・開花・敗荷 流行の移り変わりが早まる
三跡の世界 小野道風・藤原佐理・藤原行成
昼も夜も熟慮し温める、と画家・ルーベンス

昨年秋、上野の国立西洋美術館でルーベンス展が開催されました。壮麗華美なバロックが栄えた17世紀ヨーロッパを代表する画家であり、後に “王の画家にして画家の王” と称されました。日本では人気が高く、30万人を超える入場者を数えたとのこと。大工房を構えて時代に先駆ける作品を量産、ヨーロッパ中の貴族階級や収集家間で高く評価されました。古典的教養も身につけ、7か国語を話し、外交官としても大活躍したとか。ルーベンスの名は、わが国では名作アニメ “フランダースの犬” で広く知られてもいます。溢れる才能をもってしてなお “昼も夜も熟慮し温める” ほどの勤勉と集中。 “生の設計の中に死の設計が織り込まれている。壊さないと生まれない” と生物学者・福岡伸一。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

チンパンジーは がんで死ぬ確率は二%
人間(例えば、日本人)の場合は三〇%
フリーキックの極意 自分に自信を持つ
プラクティス(練習のみ)、とベッカム

2002年に行われた日韓W杯では、世界中からサッカーのトッププレイヤーが来日、日本中が熱気に包まれました。テレビの視聴率も60%超えが複数誕生。プレイヤーの中で絶大な人気を誇ったのがイングランド代表のベッカム選手。ベッカムは、学校で先生から大きくなったら何になりたいの?と聞かれる度に “サッカー選手” と答えていたそうです。どの先生も、どんなお仕事がしたいのかを聞いているのだよと聞き返したとか。 “マンチェスター・ユナイテッド” などの名門チームで活躍、20世紀の偉大なサッカー選手の上位にランクされています。そのベッカムにして “プラクティス(練習)あるのみ” とは。 “二次的なものを見ずして一次的なものを見よ” と理論物理学者・湯川秀樹。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第76回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
7月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第10回 「閉店したお店② ~町中華編①~」

by staff

第10回 閉店したお店② ~町中華編①~

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十回目でございます。

前回は閉店してしまったナポリタンの名店の数々をお届け致しましたが、今回は町中華編。誰が名付けたのか町中華。何気なく存在する町場の中華料理店。近年よく取り上げられるようになりましたね。
拙著「麺食力」においても数々の「町中華」を記録しておりますが、閉店してしまった店舗の現在の様子についてレポート致します。

「中国食堂 曲暁明の店」のごま風味ラーメン。
坦坦麺の辛くないバージョンとも言うべきか。

まずは関内・南仲通に位置した「中国食堂 曲暁明の店」(P.24に掲載)。「ごま風味ラーメン」という、ラー油をたらせば坦坦麺になるようなラーメン。なぜこれをチョイスしたのか、さっぱり覚えていません(笑)。

「中国食堂 曲暁明の店」だった現在は建物そのままに別の中華料理店に。

食べたものはともかく、関内という、オフィスビル&雑居ビルの集合体の中で、平屋の店舗だったのは印象深くて、中に入ればオリエンタルな屋台のような賑わいがあって、空間としては好きでした。2013年頃に閉店し、建物はそのままで別の中華料理店となっております。

「大雅飯店」のカキそば。これは美味かったなぁ。

同じく関内は常磐町にあった「大雅飯店」(P.27に掲載)。冬季限定の「カキそば」が名物でした。唐揚げにしてから黒豆などとともに炒めたカキがゴロゴロ入っていてしっかり温まる、いやぁ、あれは美味かった!!

「大雅飯店」だった現在はこちらも建物そのままに別の中華料理店に。

「大雅飯店」も2010年頃、この本が刊行されて間もなく閉店されました。まったくもってこの本の効果がなかったのか、と思うと悲しいなあと思いますが。。。閉店にはいろいろな事情があると思います。建物も立派、中に入っても立派な店構えでした。「大雅飯店」なき後はやはり別の中華料理店に。

「山賊」の外観(写真残っていました!)。
北京式のラーメンを打っている様子は小さな頃から見ていた風景でした。

お次は長者町に。「本格北京料理 本場手打ちラーメン 山賊」(P.201に掲載)。アングラな雰囲気がプンプン漂う長者町の共同住宅の1階テナント部分に長らく存在したお店。店舗前では豪快にラーメンを打つ姿がキン肉マン世代にはとても印象的でした。

「山賊」で食した山賊麺。
鍋が欠けているあたりがアングラ感を演出していると思えば(笑)

店名を冠した「山賊麺」は土鍋に片栗粉でまとめたスープが入ったラーメン。冬に食べたのでとても温める一品でした。

「山賊」のあった建物は見事に更地に。
恐らく次はマンションでしょうが、1階はテナントが入る形態になるようです。

もともと訪店時に「あと3年すれば再開発で立ち退くから終わり」と店主が宣言していましたが、2015年くらいまで営業を続けました。よく頑張った。あの怪しげな共同住宅も解体され、次はマンションのようですが、1階はテナントが入る形態になるようなので、どんな感じになるのか注目していきたいです。

「栄来軒NOW」の三生嗎麺。
「サンマーメン」ではなく、「サンウーマーメン」と読む。
現在のサンマーメンの代名詞であるモヤシは入っていない。

お次は吉野町へ。横浜市営地下鉄ブルーライン吉野町駅前の吉野町3丁目交差点の角にあった「栄来軒NOW」(P.187に掲載)。サンマーメン発祥はウチだ!と豪語するお店でした。
ここの先代が昭和初期に長者町の中華料理屋で修業していた頃に先輩が賄いで作ったものが三生?麺(サンウーマーメン)だったとのこと。それはサンマーメンの代名詞であるモヤシは使用せず、白菜を細切りにしたものを入れていたと。そもそもモヤシが普及したのは戦後から、と店主は膨大なサンマーメン論文で説明してくれたことを思い出します。
この三生?麺以外にも、10種類くらいのサンマーメンメニューがあった、サンマーメン専門店だったのです。

 「栄来軒NOW」なき後はよくわからないけど飲食店になっている。

そんな「栄来軒NOW」も2016、2017年頃に閉店してしまいました。もう少しお話を聞きたかったな、という後悔がわずかに残ります。
まだまだあるのですが、次回に続きます。。。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

7月 10 19

チャレンジ(第11回) 地域活動支援センターとは

by staff

地域活動支援センターとは

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。今年は梅雨が長いと言われていますが、暑かったり寒かったり、じめじめしていて嫌な天候が続いていますね。ぱっとしない天気のせいか、私も体調を崩し気味で日々ダラダラとしてしまいます。私は暑いのも苦手なので、今からこの体調では梅雨明けの暑い夏も心配です。そう思うと、やはり健康が一番ですね。45歳を過ぎてからつくづくそう思うようになりました。

さて今月は私が関わっている「地域活動支援センター」について少し書こうと思います。

地域活動支援センターとは、在宅の障害者が、地域で自立した日常生活をまたは社会生活を営むことができるよう、創作的な活動又は生産的な活動の機会の提供及び社会との交流の促進等を図る場として5つの種類の日中活動の場があります。それぞれ利用者の意向や障害の状況にあわせて、活動の場を選択します。

1.地域活動支援センター・デイサービス(支援法)
2.地域活動支援センター(障害者地域作業所型・精神障害者地域作業所型)(支援法)
  2-1.地域活動支援センター(障害者地域作業所型)身体・知的
  2-2.地域活動支援センター(精神障害者地域作業所型)精神
3.精神障害者生活支援センター(支援法) 精神
4.中途障害者地域活動センター(支援法) 身体

※横浜市HPより

私はこの「2-2.地域活動支援センター(精神障害者地域作業所型)精神」に関わっており、週一度、地域活動支援センターに通って、精神障害者と一緒に自主製品の製作をしています。支援の内容は各作業所によって違いますが、私が関わっている作業所では、自主製品の製作・販売の他に、お菓子の箱の組み立てや封入などの軽作業、公園清掃なども請け負っています。こちらの作業をすることで障害者さんたちは工賃を受け取ることができます。

また、作業だけではなく、レク活動も行っています。日帰りレク活動と宿泊レク活動があります。私は子供が小さいので宿泊レクには参加したことがありませんが、日帰りレクは毎年参加させて頂いています。ちょうど先週ボウリング・レクリエーションに参加してきたのですが、私がボウリングをするのは、1年に一度のこのボウリングレクの時だけです(笑)

精神障害者は体調を整えるのが難しい障害であり、軽作業や公園の清掃の時なども辛い顔をしながら作業をする人たちも少なくありません。真面目で手を抜くことを知らない人たちが多いと感じますが、そのような人たちでもレク活動の時はとても楽しんで良い笑顔を見せてくれます。私のような福祉に無関係な人間が障害者と一緒に活動するには、こういったレク活動にも参加させてもらって、障害者や職員さんと信頼関係を作ることがとても重要だと思いました。

地域活動支援センターに関わって5年が経ちましたが、まだまだ困難なことがたくさんあります。たくさんのことを学びながら私自身も成長していきたいと思っています。

次は「クラッチバッグ」です 

(第11回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

7月 10 19

絵本から笑本へ(第39回) 絵本作家がゆく。~瀬谷区 にこてらす~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

今回で15区目。今回は瀬谷区。

瀬谷区の子育て支援拠点は「にこてらす」。

にこてらすさんでも、今回のコラムがご縁で、
絵本と紙芝居の読み笑わせイベント「読絵ん会」を、
開催させて頂きました。

たくさんの赤ちゃん子ども、お母さん達が集まってくれて、
急遽、2ステージ目も開催しちゃうほど(笑)
たくさんのお母さん達ともお話が出来て良かった。

ぼくはお陰様で、子育て支援拠点や親と子のつどいの広場で
イベントをさせて頂く事が多いのですが、最近感じるのは…
外国人のお母さん達が増えてきているな、という事。

きっと、自分の生まれた国とは違う国で子育てをするのは、
解らない事や大変な事もあるんだろうな。

以前、別のイベントで、日本で子育てをしている

外国人ご夫婦とお話をする機会がありました。
そのご夫婦から聞いた話がとても興味深かった。

そのご夫婦は、日本で子どもを育てていて、
言葉を覚えさせるうえで悩んでいる事があるとおっしゃっていました。

日本語は、日本で生きていくうえで、
お友達と遊んだりしながら自然と覚えていくだろう。

英語は、日本の教育の仕方には少し違和感はあるが、
日本でも英語に触れられる機会は多々あるので、覚えていけるだろう。

一番の心配は母国語。

日本ではなかなか母国語に触れられる機会はない。
本来なら親だけでなく、祖父母や親戚が近くにいれば、
その会話の中で覚えていける事もあるだろう。
しかし、近場で母国語を話すのが両親だけだと、
どうしても母国語に触れる機会が無い。
そんな中で母国語を教えていく事が一番難しいと。

とても考えさせられるお話でした。

そして、そのご夫婦もおっしゃっていたのが、
地域で同じ国の方々と繋がれる機会がないか、
いつも探しているんだと。

横浜市の様々な子育て支援施設には、

外国人スタッフや多国語を話せる方も多くいらっしゃいます。

にこてらすさんでも、日本語以外に、
英語、中国語、ベトナム語を話せるスタッフさんがいらっしゃいます。
多国籍家族の為の取り組みも、様々なかたちで行っています。
こういったところから、様々な国のご家族とも
繋がる事が出来るかもしれませんね。

そうそう、先の話に出てきたご夫婦が

こんなこともおっしゃっていました。

母国語を教えるのが難しいときに、
母国語で読める絵本や紙芝居があると嬉しい。
保科さんつくってよ。と。

そのときは、機会があればなんて濁してお答えしちゃいましたが、
そんなご希望に少しでも近づけるよう、実は…
日本以外での国で絵本出版へ向けた動き出しが始まっています。
日本に住む多国籍のお母さん、お父さん達の
少しはお役にたてれるかな。

にこてらすさんには、赤ちゃんや子ども達、

お母さん、お父さん、そして様々な国のご家族の
笑顔が集まっています。

「ニコニコ」な笑顔を「てらしてくれる」、
優しいスタッフさんも待ってますよ。
是非、遊びにいってみてください。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区 瀬谷区

<今回訪問した施設のご紹介>

瀬谷区子育て支援拠点 「にこてらす」
HP: http://www.nico-t.jp/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

7月 10 19

第77回 杉の無垢材でバーカウンターをつくる

by staff

荻津郁夫建築設計事務所
荻津 郁夫

杉の無垢材でバーカウンターをつくる

箱根の旅館のバーカウンターを杉の無垢材でつくりました。

箱根強羅花壇ラウンジ「花影」

杉のバーカウンター

杉材は一般的には柔らかく傷も付きやすいのでカウンター材には向かないと言われています。タモやナラやケヤキ、ブビンガやカリンやチークといった広葉樹のカウンターに出会うことが多いのではないでしょうか。

今回は、和風旅館の中にあるバーカウンターで、今までにない素材が作り出す新しい空間をめざす意味もあり、あえて杉のカウンターにチャレンジしました。

ただし、杉の厚板そのままではなく「表層圧縮テクノロジー」を用いて加工、もともと6センチ以上ある厚板を約3センチに圧縮した材料です。軽量のままで傷がつきにくく、薄い無垢材なのに反りが出にくいので、薄板2枚を積層させて厚さのあるバーカウンターとしています。

表層圧縮した杉板を積層して使用

圧縮された木目が心地よい

無添加の無垢材で表面は固く強いにもかかわらず、中層部は表層部ほどには高密度化しない技術なので、杉の温もり感や肌触り手触りは残ったままの素材感があります。
リラックスして佇む宿の一角にふさわしい素材です。

視覚的にも神代杉や古材を思わせるような表情をもっていて、表層圧縮テクノロジ―が土中や水中に埋もれている長い時間を短時間に再現しているのではないかという想像も駆り立てます。

施工:ナイスグループ 菊池建設株式会社(圧縮杉無垢材:Gywood/ナイス株式会社)

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

7月 10 19

たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

by staff

♪ たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:藤原 興風(ふじわら の おきかぜ)

現代語訳・・・いったい誰を昔ながらの友と言えばいいのだろう、高砂の老松以外にはもう誰もいない、その松だって昔ながらの友! と言うわけではないのになあ。

久しぶりに百人一首の歌人の唄です。私はまだ老いてゆく寂しさには遭遇しておりません。人生の一大イベントでもあった NENEROCK <69> BIRTHDAY LIVEを無事に終える事が出来、ほっと一息の日々、その節は色々と協力して頂き本当にありがとうございました。

最近私の尊敬する作家、田辺聖子さんが亡くなりました。彼女が角川文庫から出されている “田辺聖子の小倉百人一首” は私の愛読書です。毎月「ヨコハマNOW」で文章を書く時には必須で、資料としても貴重なものになっています。まず、原稿を書く前に、私は田辺さんの本を読んで、今月はこの和歌にしようと決めます。歌人のエピソードや和歌の現代語訳はとても個性的で面白く、その内容から自分のイマジネーションが刺激されて、歌人をもっと知りたくなりネットで調べるまでのプロセスが、自分にとっては貴重なひと時です。実はそれまでの私は田辺聖子さんの作品を全く読んでいませんでした。百人一首の本を購入した事で大ファンになり是非和歌うたを聴いて頂きたい!と、最初のアルバムをオフィスの方へ送らせていただきました。その後数か月たってオフィスからお礼のハガキが届いて、その印刷された文章のちょっとわきに、田辺さんの自筆と思われる文字で「がんばってね!」と書かれていました。その一言がとても嬉しくて私の大きな励みになったのは言うまでもありません。 いつか和歌うたのコンサートを見て頂こう! と。これが一つの目標でもありました。 今月の歌人 藤原興風さんの心境にはまだ達してはいませんが、昨年は恩師平尾昌晃さんも亡くなって、自分の心の拠り所とする方が帰天されてゆくのはやはり寂しいものです。

余談ですが、この田辺聖子さんのハガキの事をブログに書いたらファンの方から、田辺さんの自筆はどんな感じなのか是非見てみたい!というコメントが入りました。私自身も、もう一度そのハガキを読んでみたいと思い立って、さて! どこにしまったかしら? 自分にとって大切なもの、宝物の部類に入るのでどこかに大事にしまってあるはずなんですが、そのしまった場所がわからない。ハガキを頂いたのは横浜にいた頃で、その後すぐに岡山に越してきて 新しい家の配置など まだ自分がどこに大事な物をしまっておくのかを明確に定めていなくて、あっちにしようか、こっちにしようかと、迷いながらの生活空間でした。事務的に色んな場所を左脳で決めてゆくのですが、無意識に近い右脳の方はもっとシンプルな場所を使ってゆく。これってよく押し入れの天井などから札束が出てくるのと同じような類のものなのかしら、それとか捨てられた古いバックの中に数千万円が入っていたりとか。よく本の間にお金が挟んであった、と言うのは私も時々やります。

大切だからとわざわざ特別な場所を決めて 仕舞った事を忘れる。
家が広いと色々な場所が仕舞場所になり、床の間に置いたり、引き出しに入れたり。
せっかく頂いた 田辺聖子先生の励ましの一言が書かれたハガキが 現在 紛失状態。
どうやら老いの寂しさに浸る前に、老いの物忘れに翻弄させられる心境がありそうです。

   早苗ネネと行く4日間のマウイ島。リトリートツアーのお知らせ(女性限定)


チラシをダウンロード

マウイ島はトロピカルな観光地と言うよりも古代のレムリア文明の波動を残しているとてもスピリチュアルな島。オアフ島 ホノルルの喧騒とは全く違った穏やかな街並はハワイ島からのトレードウインド(貿易風)が吹いていて ドライエリアは毎日晴天ですが、山側にはレインボウシャワーが降り注ぎ緑の美しい牧歌的な家並みが続きます。
観光客の行かないパワースポットを巡り、日ごろの雑念をデトックス。
参加される方、一人一人が 本来の輝きを取り戻すために企画しました。
 
<ツアー日程>
9月27日~10月1日
<リトリート参加費用>
$2200米ドル 現地集金
<費用に含まれるもの>
・宿泊費: プライベートリトリートハウス4泊5日
・食事: 朝食&夕食 Vegan organic(オーガニック菜食)
・空港送迎: 現地移動
・通訳 & 各アクティビティ(国立公園入場料)
<費用に含まれないもの>
・航空券 ESTA
・昼食
・プログラム以外の個人アクティビティ
・個人セッション
・旅行保険 期間中野外プログラムが多く含まれます。
盗難 怪我、病気などは自己責任となりますので海外旅行保険加入をお勧めします。
 
8名までの限定です。(個人が尊重される人数)
マウイ島カフルイ空港 現地集合です。(全国からの参加募集のため)
 
ハレアカラ山は 富士山級の標高を持ち 月のクレータを思わせるような雄大で不思議な空間を見せてくれます。
聖地 ヘイアウは 優しい空間が広がり、現代生活で疲れた心を癒してくれます。
 
日本に居るとどうしても年相応、とか目立つような振る舞いは慎んでしまう私達。
でも少し気分を若返らせて、リラックスしませんか?
もう年なんだから、と先細りの人生観にからめとられる前に、まだまだ大丈夫!
自分は若い!と思える感覚をアロハスピリッツの中で体感して下さい。
 
<お申し込み>
現地スタッフ mauiret7@gmail.com までご連絡ください。
お申し込みフォームとその他4詳細をお送りいたします。
 

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

7月 10 19

横浜市立大学附属市民総合医療センター教授 鈴木ゆめ先生

by staff
鈴木ゆめさん
鈴木ゆめ先生
 
お名前 鈴木 ゆめ(すずき ゆめ)
ご出身 東京都出身
お住まい 横浜市中区在住
お仕事 横浜市立大学附属市民総合医療センター教授(一般内科)
趣味 小説を書くこと

 

「ゆめ」という名前は本名ですか? 珍しいお名前ですが・・・

父は四国の出身で小説家志望だったそうですが、国家公務員をしていました。それで娘に「夢」を託したのかもしれませんね。ただ、「名前を重荷に感じるな」「自分の好きなように生きていいよ」と言われてきました。医師になって結婚して、「鈴木先生」ではなく「ゆめ先生」と呼ばれるようになりました。そう呼ばれると、いい名前なんだと実感しています。

どのようなお子さんだったのですか?

大人しい子どもでした。
中野区立桃園小学校に入学して、勉強をコツコツ真面目にやる女の子でした。
父がたくさん本を買ってきてくれたので、毎日本を読んでいました。日記を書かせられてトレーニングになったのか、作文は得意でした。家庭科クラブに入って、編み物や手芸なども好きでした。
それから「人間」に興味を持っていました。これは後に医師になるには必要な素質でしたね。

中野区立第十中学校では、英語クラブに所属して英語劇に出ていました。
優等生タイプでしたが、友達とローラースケートやアイススケートに行ったり、夏休みにはプールに行ったりして、仲良く遊んでいました。中学校時代に、様々な環境の友達と幅広いネットワークを持てたことは、貴重な体験でした。

高校は、都立西高校に進学しました。
クラブはESS( English Speaking Society) でした。英語を話し、楽しむ部活動です。
文化祭などで英語劇をやって、私も出演しました。英語劇のために他クラブの友人たちも協力してくれて、友達の優しさを感じたことなど、懐かしいですね。
高校時代は、精神科医になりたかったのですが、理系科目に対してアレルギーがあったので、最終的には文系受験を選択しました。当時、国立市に住んでいたこともあり、一橋大学で心理学を学んでカウンセラーを目指そうと、一橋大学社会学部に入学しました。

心理学を専攻されたのですか?

大学では友人たちと精神分析研究会をつくって、一橋祭(文化祭)で心理テストを紹介したりしました。
精神科医の岡庭武先生が保健センターにいらして、指導を仰いでいました。
岡庭先生の下で精神分析を学びたいと有志で署名を集めて大学に働きかけて、社会学部に岡庭ゼミを開設してもらいました。大学3年生の時に、岡庭ゼミの一期生となりました。
岡庭先生は、沖縄復帰前の1964年に日本政府から精神科医として派遣された経験をお持ちで、ゼミで沖縄に研修旅行に行ったこともあります。
大学時代の私は好奇心が旺盛で、フロイトの研究や心理テストなど、自分の興味のあることには積極的に取り組んでいました。
大学時代の卒論は「ロールシャッハ・テストの解析」でした。

なぜ医師を目指されたのですか?

精神分析を勉強するにつれて、治療をするには医者でないと・・・という想いが日に日に強くなりました。
それで医師になることを決意しました。
両親には、大学院に入ったらあと5年くらいかかるのだから、医学部で6年かかってもあまり変わらないと説得しました。両親はあなたが決めた道だから・・・と反対しませんでした。一人娘を自由に生きさせてくれた両親には感謝しています。
大学卒業後1年間勉強して、横浜市立大学医学部に入学しました。
横浜市立大学の医学部を受験したのは、一橋大学の先輩で探検家である関野吉晴さんがいらしたこともありました。
一橋大学卒業の医師は結構多くて、同窓会には「如水医人会」というのがあって、現在医療関係者101名の会員がいますよ。

医学の勉強はいかがでしたか?

一橋大学では女子学生が全学部800人中で33名でしたが、横浜市立大学医学部は60名中女性が18名はいたので女性比率は、こちらのほうが高かったのです。

生物は元々好きだったので良かったのですが、医学部時代は、覚えることがとにかく多くて大変でした。学費は自分で出していたので、医学の勉強と家庭教師のアルバイトに明け暮れる日々でした。

文章を書くことが好きだったので、大学では医学部内の新聞部でコラムを担当していました。日々のことを書いていたのですが、先輩に褒められたことを覚えています。

「神経内科」を専攻しました。
「神経内科」は、脳や脊髄、筋肉、神経などに生じる炎症、変性、ホルモンなどの異常を原因とする病気を診療する内科です。脳梗塞や認知症、パーキンソン病などの認知、感覚、運動などの異常や頭痛、めまい、しびれなどの症状を診察します。
症状について患者さんと話し合いながら、症候から病名を診断していきます。謎解きのような感じですね。

認知症の本を2冊出版されているそうですね?

大学の市民講座で認知症についての講演を担当していたのがきっかけとなり、分かりやすい認知症の本を書いてくださいとの依頼があり、実業之日本社から「認知症これだけ知れば怖くない」という本を2013年に出版しました。この本が結構評判よくて、もっと読みやすくということで、河出書房新社から「無理をしない認知症との付き合い方」という本も出版しました。


「認知症これだけ知れば怖くない」
 
「無理をしない認知症との付き合い方」

本を出版したことで講演依頼が増えています。
また公官庁の広報誌に毎月連載を持っておりまして、認知症だけでなくそれに関わることに広げて、今年で4年目になります。

医師であり大学教授であり家庭人でもありと八面六臂のご活躍ですが、「女性が働き続けること」についてどう考えられていますか?

私の場合は結婚して子どもを産んでからずっと、私の両親と一緒に暮らしていたので助かりました。神奈川県医師会の男女共同参画担当の委員なども拝命しておりますので、公の場で女性医師の働き方、キャリア形成ついて私の意見を述べてきました。それは「家事を外付けにする」ということです。仕事も家事も自分でやりたい・・・と思う方が多いようですが、決して無理はしないことです。家事は他人に任せて、自分の時間を作っていくことが、仕事の継続には必要なことだと考えます。私自身は産前産後8週の産休を取得して職場復帰しましたが、医師の勤務は肉体的に大変でした。仕事は緊張の連続ですから、家ではゆったり暮らしたいと考え、その環境を作ってきました。娘は歯科医です。私の背中を見て医学を志してくれたことは嬉しいですね。

趣味は「文章を書くこと」だそうですが・・・

私にとって「文章を書くこと」は気分転換になりますし、ストレス発散にもなっています。書いているときは自分だけの大切な時間です。これからもいろいろなものを書いていきたいです。特に、私の経験から皆様のお役に立つ内容を盛り込んだサスペンスコメディーを出版したいと考えています。今書いているサスペンスコメディーは、35歳の女医を主人公にして、読者を楽しくする内容にしています。

鈴木さんにとって「横浜」は?

「横浜」とのご縁は、横浜市立大学医学部に入学してからですが、私にとって「横浜」は、親しみやすくて、他者を受け入れてくれる「やさしい街」です。排他性がないのは「港町」からでしょうか。

現在は横浜に住んでいますが、横浜に望むことは「自慢できる街」になってほしいということです。横浜の独自性がもっと前面に出てほしいですね。2019年、2020年と大きなイベントが続いて、横浜を知ってもらうチャンスなので、この機会を生かして「オープンな街」横浜になってほしいです。

私にとって横浜は、「やさしい街」です。

<取材を終えて>

ゆめ先生は、医学部の教授で認知症の専門家ということで硬いイメージがありましたが、お会いしてみると、とてもソフトで人間愛にあふれた方でした。お話もお上手で、全国各地で講演されていらっしゃる所以がよくわかります。

横浜が舞台だという、ゆめ先生が書かれる「サスペンスコメディ」を早く拝見したいですね。ヨコハマの知識人としてのご活躍を願っております。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

6月 10 19

横浜・寿町の新しい試み

by staff

 

横浜・関内のすぐそばに寿町という地区があります。
ここは、東京都の山谷、大阪市のあいりん地区(釜ヶ崎)と並ぶ三大「ドヤ街」の一つで、日雇労働者が宿泊するための「ドヤ」という簡易宿泊所が100軒以上立ち並びそこに6000人以上の方が住んでいます。

横浜市中区は22キロ平方メートの狭い地域に、県庁や市役所があり、元町・中華街、山手地区、寿地区がありと、現代社会の多様性をそのまま具現している日本全国でも珍しい地域ではないでしょうか。私はどの地区も徒歩圏にある横浜市中区に住んでいます。

寿町地区の住民の方々は高齢化が進み、生活保護比率も非常に高くなっています。横浜市は、寿地区の住民の健康づくり、介護予防、自立支援と市民相互の交流を図る目的で、「横浜市寿町健康福祉交流センター」を建設しました。



横浜市寿町健康福祉交流センター

2019年6月1日に開所式として盛大なイベントが開催されました。私も参加してきました。
この施設には診療所や公衆浴場「翁湯」、図書コーナー、ラウンジと様々な施設が備わっています。

その中の一つに「ことぶき協働スペース」があります。
ここは、寿地区で活動する各種団体の支援をするために設けられました。
私が理事を拝命しているNPO法人「横浜コミュニティデザイン・ラボ」が指定管理者として任命されています。

6月1日はオープニング企画として「寿町の未来を語る ~新施設開所に向けて~」「寿の営みと蓄積 ~寿町の記録と記憶~」「協働スペース × SDGs~若者の視点から~」等を開催しました。寿町の現状と今後を考えていく新しい試みだったと思います。

イベントのチラシ

イベント広場

開催イベントには、私たちの仲間が大勢登場しました。
昨年のWaWaWaイベントで登場していただいたNPO法人「あっちこっち」の降旗真理子さん(ピアニスト)・藤川玲奈(ソプラノ歌手)のミニクラシックコンサートがあり、「ヨコハマNOW」に「絵本から笑本へ」を連載されている保科琢音さんが絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)として落語を披露されました。

オープニングトーク

ミニクラシックコンサート

ミニクラシックコンサートの舞台の横には、たくさんの方々がカレーライスの炊き出しを待って並んでいました。

イベント会場で私に話しかけてきた男性は「楽しいね・・いい音楽を聴くと元気になるね」と「マイフェアレディ」の音楽に合わせて一緒に踊ってくれました。

「ヨコハマNOW]では今後、イベントなどを通して寿町地区の方々との新しい関わりを模索していきたいと考えていますので、応援よろしくお願いいたします。

 

6月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第1回) 「子ども」へのはじめの一歩は

by staff

第1回 「子ども」へのはじめの一歩は

はじめまして。ヨコハマNOW6月号からコラムの連載を開始する竹沢佐知子です。1回目の原稿を緊張しながら書いているところです。緊張の理由は、株式会社ともクリエーションズの渡邊伯桃子社長からヨコハマNOWのコラムに書いてみない? というお話を頂き、執筆経験がないのに「何事も勉強」と受けてしまったからです。こんな私に書けることは何かをじっくり考え、テーマの柱を「子ども」と「家庭介護」としました。

「子ども」のテーマでは、6年間の幼稚園教諭経験とベビーシッター業を営んだ25年間の家庭保育の経験ありますので、子育て期の家族の皆さんだけでなく、社会の大人の皆さんにも子どもたちのことを考えていただけるような内容を書いていきたいと考えています。

また、子どもは発達段階とともに成長するので予測がつきますが、「介護」は病気・事故・高齢によるものなど様々です。そして、突然起こることが多いです。「家庭介護」のテーマでは、私自身の親介護の経験で身についた知識やケアの事をお伝えできればと思っています。

本コラムは私自身のキャリアと経験をもとに書いていきますが、「へぇ~そんなこともあるのか」とか「こんな時、どうすればいいのかな?」などなど、読者の皆さんと「子ども」・「家族介護」のことを一緒に考えることができる場にしたいと思っています。

コラム第1回は、「『子ども』へのはじめの一歩は」というタイトルで書きます。

乳幼児や児童への残酷すぎる虐待の事件が多く、ニュースが流れる度に、心が痛くなってしまいます。そんな時、なぜ、親がそんなことをするのか? とか、なぜ、周囲は気がつかなかったのかなど、なぜという疑問や犯罪に憤る気持ちがおこると同時に、自分の子育てではそんなことがないとか、自分のまわりには子どもがいないし虐待もないからぁ~と、自分の身近に起こっていないと、どこか他人ごとでいることがあります。

いろいろな世代が一緒に住んでいた大家族の時には、家族がそれぞれ自然に役割分担して互い補いあって、近所も同様でつながりあっていたと思います。それが、核家族化が進み近所とのつながりも希薄になって、他人のことには口出ししないという風潮が生まれて、現代社会は、自分に関係ないことには関心を示さなくなってきているように思います。

子どもは家庭の中だけでなく社会の中でも育っています。子育て家族の方も、そうでない方も、全員が子どもと関係があると広く考えてみることも大切だと思います。そのためにまずは、「子ども」に関心をもつことです。日常の買い物など、外出先で普通に子連れ家族を見かけることがあります。その時は、子どもたちに目を向けてみてはどうでしょう。

関心を持つと、優しく子どもを見つめたり、時にはあやしたり、頑張っている親の姿に言葉をかけたりと、あなたらしい子どもや子育て家族とのつながり方が生まれてくると思います。 「子どもたちは大人たちに守られ育ち、子はやがて大人になって子を守る」という正のスパイラルの渦が広がると、安全に幸せに暮らせる社会がうまれるような気がします。

「子ども」へのはじめの一歩。それは、子どもたちに関心を持って子どもたちとの出会いをワクワクしながら楽しむ。そんな気軽な気持ちではじめてみてはどうでしょう。

《参考》
児童虐待かもと思ったら189番へ (児童相談所全国共通ダイヤル)
厚生労働省ホームページ
https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/gyakutai/index.html

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

6月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第6回) ~令和元年 100年先も伝えたい音~ レコーディングエンジニア 安楽謙介さん

by staff

Prologue

世間ではネット社会の確立による “テレビ離れ” が著しく、音楽もCDを買うよりもネット上での購入若しくはYouTubeで充分という方も多いのではないでしょうか。

“聴きたい音を耳にするためにCD屋さんへ行く” という時代からは考えられないほどのスピードで圧倒的な情報量を誰もが手にするようになりました。

人間の五感、、、味覚、聴覚、視覚あらゆるものに共通して言えるのは、
現代人は “情報過多” “飽食の時代” 、、、
物も情報も溢れかえっている事で脳は常に刺激されている状態に慣れています。
また、その刺激に慣れはじめるとより刺激の強いものを求めていく傾向にあると言われています。
“インスタ映え” ブームがそのいい例だとも言えそうですね。
そんな平成を終えた令和元年。

[お寺×音楽]という全く新しい形のライブ型エンターテイメントイベントが先日伝通院にて開催されました。

今回は発起人である安楽謙介さんにお話を伺って参りました。

遺響残心 ~100年先も伝えたい音~

Acco 「お寺で公開レコーディングはどういったところからインスピレーションを受けたんですか?」

安楽 「2018年の夏に仕事で訪れた際、伝通院の本堂を案内していただき、レコーディングエンジニアの癖で、無意識に手を叩いて音の響きを確かめたところ、ものすごく美しい音が広がりました。伝通院で様々なプロデュースをされている株式会社彩石の大西正也さんに、思い付きで「本堂で録音イベントをやったら面白そうですね」と言ったところ、『やりましょう!』と即答していただき、その瞬間にスイッチが入り、あっという間に事が進んだ次第です。」

Acco 「すごい閃きですね!」

安楽 「以前から、レコーディングエンジニアがどれほど音楽に影響を与えるかを知っていただきたいという想いがありました。 普段リスナーの皆さんが録音やミックスなどの作業工程に触れることは滅多になく、完成された音楽しか耳にすることがありません。私はレコーディングエンジニアを音の料理人だと位置付けており、録音直後に軽くバランスを整えただけのラフミックス(調理前)と、丁寧に編集・ミックスした完成版(調理後)を聴いていただくことで、どれほど音楽に影響を与えるかを知っていただけるのではないかと考えていましたので。 今回の遺響残心では、それが実現できるいい機会だったので、そういった想いも相まって熱のこもった企画となりました。」

Acco 「実際にやってみて、どうでしたか?」

安楽 「最初にイメージした通りの音が録れ、完成版のミックスでも上手く本堂の響きを馴染ませることができたと思います。ずっと頭の中で鳴っていたこの音を、作品として明確に具現化できたので、完成版を聴いてくださったお客様にも私のイメージが伝わると嬉しいです。また、ミュージシャンの出音が素晴らしく、ステージ上で録音しながら、いいミックスになると確信していました。今回はあえて高価なマイクを使用しないという、自分のルールを設定していたのですが、ミュージシャンの出音が良ければ素晴らしい作品に仕上がることの証明になったと思います。」

Acco 「まさに素材命ですね、、、! 何か今後やってみたい事はありますか?」

安楽 「また伝通院本堂で違うジャンルの音楽を録りたいです。RA Lab の運営内では、ジャズやクラシック系の音楽を録りたいという話にもなっているので、ぜひ実現させたいですね。」

Acco 「お寺でジャズ!! 素敵なハーモニーが本堂いっぱいに響くでしょうね。」

安楽 「また、他にも食と音楽のコラボイベントも企画しています。 お客様には、プロのシェフが作る美味しい料理をバイキング形式で楽しんでいただきつつ、目の前で公開録音し、後日完成版を音楽のデザートとしてお届けする企画です。こちらは過去に何度かプロデューサーの登坂が実現していたイベントなのですが、私から RA Lab でやってしまおうという案を出しました。既に企画は動いていて、今年の10月を目標に開催予定です。」

Acco 「すごいです、、文字通り二度おいしいイベントですね! 何か告知したい事があれば教えてください。」

安楽 「RA Lab ではスポンサー企業を募集しています。音楽とコラボした宣伝・PRをされたい企業様がいらっしゃいましたらご連絡ください。」

【お問い合わせ】
RA Lab メールアドレス
ra.laboratory2019@gmail.com
 
【文京区の経済新聞にも取り上げられました】
文京・伝通院本堂で音楽イベント プロミュージシャンとエンジニアが公開録音

Epilogue

たとえ、鳴ったその音自体が消えたとしても
その響きが余韻となって遺るように
たとえ、想った人がいなくなってしまっても
その想いもまた、響きのように
人々の心の中に遺っていく
遺っていってほしい
 
今回のイベント名(遺響残心)には
そんな想いが込められているそうです。
 
“人々が美しく心を寄せ合う中で文化が花開いていく”
そんな令和にふさわしい空間でした。
 
今回関わるきっかけをくださった各種関係者の皆様方に心より感謝申し上げます。
 
ありがとうございました。

 

<遺響残心出演アーティスト>

ボーカル 内藤 響子
キーボード 菅原 敏
ベース 松野 圭悟
ドラム 海老原 諒
ギター 小野寺 のりふみ
サックス 海老原 恭平
舞台監督 大川 修治
サウンドエンジニア 安楽 謙介
作詞作曲、MC 登坂 亮太

<プロフィール>

氏名:安楽謙介(あんらくけんすけ)

鹿児島県出身、レコーディングエンジニア。24歳で上京し、吉祥寺のGOK SOUNDへ入社。その後独立し、メジャー・インディーズを問わず、様々なセッションに参加。幅広く録音を学ぶため、2015年から上埜嘉雄氏(日大芸術学部放送学科講師)に師事し、クラシックや現代音楽のコンサート収録チームに参加。現在は音楽制作チームのEat on_や、公開録音企画を行うRev Acoustics Laboratoryにて活動中。生音の制作を得意とする。好きな音楽はJack’s Mannequin。

【Contact】
Email: emotional.sound.cla@gmail.com
Instagram: https://www.instagram.com/kensukeanraku/

 

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
SNS Facebook
Instagram

 

6月 10 19

しあわせの「コツ」(第30回) 「断捨離」のその先は

by staff

第30回 「断捨離」のその先は

「片付けの女王」 近藤麻理恵さん

今、日本だけでなく、海の向こうのアメリカでも「片付け」が流行っています。今年の1月、「人生がときめく魔法の片付けノート」 の著者こんまり、こと近藤麻理恵さんの片づけ方法がアメリカのテレビで紹介されるや瞬く間にブームとなり、一時は処理できないほどの大量の不用品が持ち込まれ、買取中止を宣言したリサイクルショップもあったほどだそうです。

日本ではやましたひでこさんの著書 「人生を変える断捨離」 がヒットし、「断捨離」という言葉が日本中に知れ渡りました。「片付け」や「断捨離」という言葉はすっかりポピュラーになっています。実際、断捨離を実践してすっきりした部屋に暮らし、お金も時間もゆとりが出てきたと満足する人が大勢います。

左:やましたひでこ氏の著書   右:断捨離して片付いた部屋

その一方で、思い切って断捨離したのに、「またものが増え始めた」「捨てなければよかったと後悔している」という失敗組も大勢います。むしろ成功組より多いのではないでしょうか。

一体その違いはどこからくるのでしょう?

ブロガーのザク男爵さんも断捨離失敗組の一人です。最初はザク男爵さんの部屋を見た母親の強引な断捨離に渋々合わせていたのですが、そのうち捨てることが快楽になり、布団や暖房器具など必要なものまで何でも捨ててしまったのです。そこから先は・・・。言わなくてもお分かりですね(笑)。
そんな後悔に満ちた断捨離を経験して、ザクさんはある結論に行き着きました。

「『断捨離とは、モノを捨てないこと』であります。
https://baron-zaku-present.com/archives/2124493.html
(My Home・Lovers)

断捨離なのに「ものを捨てない」というのはなんだか矛盾した話ですが、「片付け女王」のこんまりさんもただ「ものを捨てろ」とは言っていません。「ときめかないもの」を捨てろ、と言っているのです。

つまり、「断捨離」のポイントは、「もの」ではなく、ときめきを感じるか否かの「自分の心」なのです。言い換えれば、「ものを捨てる」のではなく、「ときめきを感ずるものしか持たない」というライフスタイルを身につけることなのです。

ザク男爵は言います。

「断捨離で本当に大切なことは、モノを捨てることではありません。
モノを捨てる行為は、単にモノをゴミとして捨てているだけなので、本質的に何も変わりません。
断捨離で本当に大切なのは、モノを捨てない。モノを買わない。
そして、モノを大切に扱って愛用品を増やすことです。
モノを心から愛する精神(スピリッツ)こそ、断捨離の神髄なのでございます。

そうなのです! 断捨離の神髄とは「ものを捨てること」ではなく、「ものを心から愛すること」なのです。目からウロコではありませんか? でも、これで、なぜ断捨離の失敗者が多いかが分かりますね。
失敗者の多くは、ただあふれかえる「もの」を捨てているだけで、「それがときめくかどうか」と、自分の心と対話してから結論を出したわけではないのです。だから後になって「しまった、あれは捨てるんじゃなかった」と後悔したり、また同じものを買ったりしてしまうのです。
ある女性は、クローゼットの中を断捨離したところ、モノトーンの服ばかりが残りました。その時彼女ははじめて「そうか、私はモノトーンが好きだったんだ」と気が付いたそうです。友達とお揃いで買ったイエローのカットソー、バーゲンの値札に釣られてつい買ってしまったサーモンピンクのセーター、そういうものは、本当は自分の好みではなかったことに改めて気が付いたのでした。

以後、彼女は服を買う時はモノトーンを選ぶようになりました。すると、手持ちのものとコーディネートしやすくなり、結果として余分な衣装を買わなくなったそうです。
断捨離とは、自分と向き合い、自分を知るための行動だったのですね。
風水に基づいた徹底的な断捨離を勧めるカレン・キングストンさんは家のどの場所にガラクタが詰まっているかによってその人の人生に及ぼす影響が異なり、その場所をきれいに片づけると文字通り人生が変わると言っています。

左:カレン・キングストン著 「ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門」
右:同書 P.77

まず、家の見取り図を作り、そこに風水の定位盤を置き、各方位が司る意味を知ります。例えば、あなたが人間関係で悩んでいるなら、家の北東の方角にガラクタが溜まっているのかもしれません。運動もダイエットもしているのに、全然体重が減らないなら、家の中心部に不要なものが詰まっている可能性があります。
実際、体重と家のガラクタはかなりの相関関係があるようです。私の主人の会社ではマンションなどの配管洗浄を請け負う仕事もしていますが、従業員の一人がこんな事を言っていました。
「台所とかリビングが片付いていない家に限って、どういう訳か奥さんが太っているのですよ。」

キッチンは主婦の生活習慣を映す鏡か

従業員の発言はまさにこの風水的な見方を実証しています。
キングストン女史はご自分の方法を「スペース・クリアリング」と呼び、一年の半分をバリ島で暮らしながら、世界中を飛び回って活動しています。2002年に出版されたこの本は、こんまりさんの「片付け術」にも影響を与えたのではないか、と私は思っています。

キングストン女史曰く

「あなたとあなたの所有物は、エネルギーの細い糸で結ばれています。家の中が好きなもの、よく利用されるもので満ちていると、あなたの人生に力強いサポートと養分を与えてくれるのです。その一方、『ガラクタ』はあなたのエネルギー・レベルを落とし、長く溜め込むほど影響は大きくなっていきます。人生にあまり意味のないもの、重要でないものを処分することによって、あなたは体も、心も、そして魂も軽くなることでしょう。」

「自分の所有物とエネルギーの細い糸で結ばれている」ことを、私は実感したことがあります。数年前、キングストン女史の本に触発され、クローゼットを整理したことがありました。こんまりさん風に「もうときめかない」衣装をバンバン取り出し、クローゼットの3分の一ほどの衣類をごみ袋に入れました。
最後のごみ袋をきゅっと縛ってベランダに出したとたん、「あれっ?」と思いました。何だか腰の周りが軽いのです。今まで腰の周りに座布団でも括り付けていて、それが急に外れた感じです。体全体も軽やかです。「不思議!」と思いましたが、不要な衣類のエネルギーから私の身体が解放されたのだと分かりました。

どうやら断捨離はただ不用品を処分するだけではないようです。無意識のうちに溜め込んだ余分なものが私たちの人生の進路を妨げており、それを取り除くことで人生が好転するということを教えてくれているのです。
社会のあちこちで行き詰まりが感じられる昨今ですが、こういう時代に「片付け」や「断捨離」が流行っているのは、閉塞した現状を何とか打破しようと、私たちの無意識が呼び寄せているにかもしれませんね。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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6月 10 19

2019年6月 三ツ池だより 「“はかる” ことを考えてきて50年!」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

令和がおだやかに始まっている。戦後70年になる日本が、穏やかでいられるのはありがたいことである。天皇制があって、それを実にしっかりと統治してきた民である私たちの英知が偲ばれる。国民一人一人の結集があればこそのである。だれがということでなく、それぞれの誠実な行動がつちかってきたのである。

令和になって、休みが続いた。実際は弊社の社員は逆にメンテナンスの要請で忙しかった。

 「わたしは今ここにいる」
連休の最後の日になった
いろんなことが出来た連休であった
嬉しいことがこの連休にあった
  「“はかる” ことを人生の共として」と
  「私は今ここにいる」を
  書き上がったことをみつけたのだった
書きたいと思って書いていながら
それでよかったのかと疑問に思ってしまって
そのままにしてきた出来事だった
  誤字脱字を修正してみると
  それはそれで出来上がっているのだった
  その確認ができた連休だったと思う
日頃出来ないことをしてみる時間があって
令和の時代がはじまって
勇気とあらたな可能性を見出す時がきている
  今ここにいるという感覚と
  “はかる” を人生の取組としてきたことが
  我が人生と思えるとありがたい

この五月の連休はいろんな過ごし方をしたのではないだろうか。意外とそんな大きな旅行をしていないのではないか。逆に多彩な過ごし方の工夫をしたのではないか。そして普段やれてないことをしてみたとか・・・

 「人は歩いていく」
近所の公園を歩いた
今日は人が少なかった
昨日はイベントがあったので多かったようだ
  このごろ公園の花の日持ちがよくない
  気温の変動が大きいせいではないかと思う
  何とか花を探してみたいと歩き出している
池の周りをあるいたり
山の道を歩いたりしている
花が見つかると嬉しくなる
  公園の上の道は60年前は農道だった
  そこの横にうちの畑があって
  サツマイモを植えていた
今はまわりの畑もなくなっている
車が普通に走れる道路になっている
収穫したものを入れたリンゴ箱を自転車につけていたのだ
  あれから60年か
  それから25年して新居を建てさせてもらたのだったなぁ
  時代は変わってきている
令和が確かな歩みであって欲しい
こうして公園をゆっくり歩けることが
とても大事なことなのだと思う

公園の池も蓮の花が外来種に取って代わられて、小さい花しか咲かなくなったので工事がはじまった。池のなかのザリガニもそうだ。古来の種類をどう復活させるか、公園事務所も苦心しているようだ。

さて、突然書棚から「論語と算盤(渋沢栄一)」が下りてきた。「秀吉が稀世の英雄に仕上がったのは、一にその勉強にある。」そこにはつぎのように記されている。「冬になれば藤吉の持っていた草履は、常にこれを懐中に入れて暖めておいたので、いつでも温かったというが、こんな細かなことにまで亘る注意はよほどの勉強でないと、到底行き届かぬものである。また信長が朝早く外出でもしようとする時に、まだ供揃いの衆が揃う時刻でなくっても、藤吉ばかりはいつでも信長の声に応じて御供をするのが例であったと伝えられておるが、これなぞも秀吉の非凡なる勉強家たりしを語るものである。」

 「昨日も今日も!」
今日にありがとう
人々がそれぞれに
  行動し考えている
  そのことを知ることが
うれしい
 
昨日であった人にありがとう
何がではなくて
  出会ったことにありがとう
  次の時に新しい発見を
求めていこう
 
今日にありがとう
昨日のことは昨日のこと
  今日のことは今日のこと
  今日も昨日もつながっていて
うれしい!

穏やかな日常のなかで、読み物をしていて、はっとすることがある。それは新しい気づきであり、発見であったりする。知識として知ることではあるが、あるときはとてつもない出来事だったりする。それを知ると知らぬでは、これからの生きる上で、考える上でのベースがちがってくるほどの衝撃であったりする。

さて、今計量の法律が改正されて動かなければいけないところにきている。以前から取り組んでいたことが、法律の解釈の変更で、その新しい対応が求められている。その検定を「行政でなく、民間でやりなさい」ということになってきたのだ。令和の時代がどんな物語になっていくのか。余談は許されないが、楽しみなことではある。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

6月 10 19

ゆるマナー講座(第44回) ジューンブライドに思う結婚のしきたり

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

6月の花嫁は幸せになれる、という言葉があります。
6月は英語でJune。Juneはギリシャ神話にでてくる結婚や出産を司る女神ジュノ(Juno)に由来するそうです。その女神の守護する6月に結婚する花嫁は幸せにきっとなるだろうとヨーロッパで言われてきたというのが一つの説です。
梅雨になってしまうこの時期、日本では「雨降って地固まる」と言いますから、やはりジューンブライドは幸せになるはず!ですね

結婚に関る儀式はだんだんと簡略化されたり、さまざまなスタイルで行われるようになってきました。今回は、結婚の変遷やしきたりについて少し触れてみたいと思います。

結婚という形、その変遷

婚姻の形態は、時代や民族、宗教などによって異なります。今でも一夫多妻が認められている国もありますが、キリスト教の伝道とともに一夫一婦制が世界の主流になっています。

日本の歴史を見てみると、貴族社会では男性が女性の家に入る「婿入婚」だったものが、武家社会になると「嫁入婚」に変わりました。現在は、2世代、3世代が同居していた形から変化して、親から独立して世帯を設けるのが一般的になっています。
「本人の自由意思で結婚ができるようになった」のが第二次世界大戦後だというのは、ちょっと驚きです。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」と日本国憲法に定められてからということですから、自由に恋愛結婚ができるようになってからまだまだ歴史は浅いのですね。

婚約・結納

結婚をしようと決めると、まずは婚約をします。そして婚約の意思確認として行われるものが、「結納」です。
この結納の起源は、古墳時代まで遡れるようです。日本書紀に仁徳天皇の子、履中天皇が皇太子の時に「納采」を行ったという記述があります。これが今の「結納」にあたります。
皇室に関るニュースの中で「結納」のことを「納采」と言われているのを耳になさることがあるのではないでしょうか。

さて最近は結納を交わすという方法を取らず、両家でそろって食事会をして結納の代わりとするという場合も多いようです。
結納という形をとるかどうかは別としても、結納品の一つひとつにはそれぞれに意味がありますので、知っておくのもよいかもしれません。縁起を担いだり、語呂合わせの好きな日本人の遊び心もうかがえます。

【結納品の一例】

  • 目録
  • 長熨斗(ながのし)…アワビを叩いて長く伸ばしたもの。長寿の願いを込めて
  • 金包…結納金。男性からは「御帯料」、女性からは「御袴料」と書き交換
  • 松魚(かつお)節(ぶし)…「勝男武士」とも書き、男性の強さを象徴したもの
  • 寿留女(するめ)…「幾久しい」という意味があり、女性を象徴したもの
  • 子生婦(こんぶ)…「子宝に恵まれる」という意味と、「よろこぶ」の語呂合わせ
  • 友志良賀(ともしらが)…白い麻糸の束。「ともに白髪になるまで仲睦まじく」という意味
  • 末広…純白の扇子。「純白無垢」であること、「末広がり」の形のめでたさを表す
  • 家内喜多留(やなぎだる)…福が多いことを願った祝い酒。今では「樽料」と書いた現金を包む

結納品は、奇数で揃えます。日本のしきたりに影響を与えている中国古来の思想「陰陽道」。物事はすべて「陰」と「陽」に分けられ、バランスをとって成り立っているという考え方で、奇数は「陽」の数字であるため縁起が良い。反対に偶数は「陰」の数字で、2で割れて(別れる)しまうため縁起が良くないということで避けます。
例に挙げているのは9品ですが、略式では、金包・長熨斗・末広の3品などの組み合わせもあります。

なお、関東では結納を「交わす」といい、男性の結納金の半額程度を女性が返しますが、関西では「納める」といい、男性が結納品を贈るだけの場合もあるようです。

挙式・披露宴、そして…

結婚式(挙式)は、二人の結婚の意思を確認し婚姻関係をスタートさせる儀式です。参加者は両家の家族や親族が中心となります。

挙式のスタイルは、神前式、キリスト教式、仏式、人前式、海外ウェディングなど、二人の希望で行われることが多いでしょう。キリスト教式や人前式では親族に加え友人知人も参列します。

披露宴は、参加してくださった親族や友人知人にお互いを披露し、共に結婚を祝う場です。
ホテルや結婚式場、レストランなどで行うのが一般的です。招待される側には見えないところで、二人は招待状作りやメニュー選び、席次決めなどに心を配り、招待客をおもてなしします。

もちろん結婚式や披露宴の形はさまざまですので、この限りではありません。挙式・披露宴とも行わない方もいますし、挙式のみ行う方などもいます。
新しい人生のスタートは、周りの人にも喜んでいただけるよう二人で決めればよいことですね。

結婚は今まで考え方、風習など全く違う環境で育ってきた二人が一緒に生活していくこと。毎日の積み重ねが、やがて二人の築く家庭となっていきます。その過程の中では、二人だけの判断だけでなく、双方の家族や親族、友人や知人、周りの人が関わることで築きあげられるものも多くあるでしょう。家族も含めて、お互いを思いやれることが大切です。

さて、憧れの的の「ジューンブライド」「幸せな花嫁」。
それでも長い年月の中では、時にはケンカすることもあるでしょう。お互いが少~し歩み寄りながら、どちらかが少~し妥協しながら、仲良く幸せな家庭を築いていってほしいですね。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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6月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第75回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第75回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

ゲーム・ビジネスは今や巨大産業。ゲーム開発者にもAIの存在は無視できません。基盤を強化・拡大するために欠かせないのが “哲学” 。ゲームのキャラクターも人間と同じように自律的に考え行動する主体。人間とAIの積分の最適化。時には、AIができない悪ふざけも。そのためにもプログラミングに哲学的な土台・思考が必要になるのかも。哲学といえばソフラテスやプラトン。日本でも西田幾多郎や鈴木大拙が有名。金沢には “鈴木大拙館” 、近郊の宇ノ気には “西田幾多郎館” があります。鈴木大拙は、鎌倉の円覚寺に参禅、戦後は全米各地で講演し、ユングやハイデガーとも親交。アップルのスティーブ・ジョブスも大きな影響を受けたといわれます。鈴木大拙館は建築家・谷口吉生の設計で、上野の国立博物館にある法隆寺館と同じコンセプト。人工池がある空間を回遊、 “静寂・自然・自由” を体感。梁塵秘抄では “四方の霊験所は 伊豆の走井 信濃の戸隠 駿河の富士の山 伯耆の大山 丹後の成相とか土佐の室生戸 讃岐の志度の道場とこそ聞け”とあります。すべては神仏習合。寺院にしめ縄があり、神社にも仏像が祀られる世界。 “食を考えることは命を考えること” と料理研究家・辰巳芳子。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

書は 東アジアの文化の根幹 絵画や文学を含めた表現の中心
傲慢さと危険 古典の言葉 遊びをおおらかに許容してくれる
生きることの悲しみと苦しみ これを織り込むよう仕事をする
恥辱をよりどころに 克服する方向を追求、と書家・石川九楊

石川九楊は、昭和・平成を代表する書家。書は東アジアの文化の根幹であり、絵画や文学を含めた表現の中心にあると語ります。西洋の造形芸術論的な立場でなく筆蝕や書の言語表現としての側面を重視。書の中に生きることの悲しみと苦しみを織り込み、恥辱をよりどころに克服する方向を追求。美術品のように形や色を分析するのではなく、書かれた過程を再現するように書きぶりを見ること。始まり・途中・終わりの書きぶりや筆の先端と紙との間でくり広げられる力(深度・速度・角度)から、その人間がどのように書いたかを感じとること。書によってあらゆる文明や歴史が成り立っていること。 “思考を重視した生活習慣。知と生活を結びつけること” と英文学者・外山滋比古。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿は
着想を書き留めて 後で見直すため
完成した素描は少ない 自分の人生
粗削りOKの創意工夫、と稲盛和夫

レオナルド・ダ・ヴィンチは有名なメモ魔。着想を書き留めるのは後で見直すため。 “やることリスト” をつくり、手書きの遺構は7000枚を超えるとか。リストをもとにメモを反復しながら何にでも挑戦。完成した素描は意外と少ないのだとか。教育よりも経験を重視する知的好奇心の塊。京セラを創業した稲盛和夫さんも、何より好奇心を尊重。そのためには自分の仕事を好きになることが第一。 “稲盛経営12カ条” では、仕事に打ち込み、それを長年の間続けることで平凡が非凡に変わるとの確信。 “理念・考え方・哲学” を高め続ける日々が支え。イノベーションも突き詰めれば “修業” と “祭り” の繰返し。 “壁を破ることではなく、壁の存在を知っておくこと” と解剖学者・養老孟司。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

米国はリスクをとる文化 日本の経営者は売却嫌い
お金はあるがアイデアのない人が お金だけないが
アイデアがある人にお金を貸すことをやるシステム
あんたも好きでんなというのが信条、と竹本住大夫

7代目竹本住大夫は、文楽・太夫(人間国宝)。最後の公演では、国立劇場小劇場で “恋女房染分手綱沓掛村の段” のキリを務め、大夫人生に幕を下ろしました。この時は国立劇場に駆け込み、浄瑠璃に近い席で住大夫が飛ばす唾シャワーをたっぷり浴びました。文楽は太夫が語り、三味線・人形と一体になって物語が進行。文楽では10代から修業を始めて60代で一人前。住大夫は、不器用で覚えが悪く節回しが下手で悪声。ただ基本に忠実に素直に勉強し続けるだけがとりえだったとか。これこそが人間の醍醐味。AIに醍醐味は味わえませんからね。 “日本の強みはrelisience(弾力性・柔軟性):成長力は弱いがレリジエンスは強み。これをブランド化する” と政治学者のイアン・ブレマー。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第75回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
6月 10 19

書評「渋沢栄一の『士魂商才』」 中経の文庫 寺島実郎(監修),古川順弘(著)

by staff
 
タイトル 渋沢栄一の「士魂商才」
文庫 244ページ
出版社 KADOKAWA(2010/3/27)
ISBN-10 4046029587
ISBN-13 978-4046029584
発売日 2010/3/27
購入 渋沢栄一の「士魂商才」 (中経の文庫)

「渋沢栄一は後進たちが持ち込んでくる構想や提案を誠実に支援することによって自らが進化し続け、周りから盛り上げられることによって常に時代の中心にたったのである。“人徳”という言葉が胸にしみる。」と寺島さんは語られる。「運命の転機というべきか、慶応三年(1867)、慶喜の弟徳川昭武の訪欧使節団の一員として、27歳の渋沢は約2年間にわたるヨーロッパ視察の体験をする。この時の欧州体験が渋沢栄一の視野を広げる原体験となり、その後の人生にとって重要な意味をもった。」渋沢栄一さんはパリでの万国博覧会を視察しただけでなく、スイス、オランダ、ベルギー、イタリア、英国を巡った。日本での大政奉還を知り、急遽帰国している。そしてそれらを驚嘆すべき観察眼と吸収力で各国での見聞を記録している。鉄道、電信、諸工場、上下水、博物館、銀行、造幣局、取引所、科学研究所などを冷静に観察しており、後の渋沢栄一さんの視座を構築したことがわかる。

われも富み人も富んでこそ、真正の富

「自分だけでなく、他人をも富ませ、そして最後は、国や社会全体が豊になることにつながらなければ、いくらお金を儲けても、本当の富は得られない。商業の目的は私利私欲ではなく、公利公益たるべき」と表現している。

商工業者の地位を進めたいというのが、唯一の目的

「パリでは、皇帝の命を受けた陸軍大佐ヴィレットと、徳川幕府の日本名誉領事を委嘱されていた銀行家フリューリー・エラールの二人が世話人として使節に付き添った。日本でいえば、ヴィレットは刀をさした武士、エラールは算盤を片手にした町人、士農工商という階級のある国では、同席さえ許されないほどに身分の差がある。」「ところがこの二人、互いに臆することなく自由に意見を述べ合い、さかんに議論し、どう見ても対等の関係である。ときには、軍人のほうが実業家を尊敬しているようにさえ映った。」のである。

常識はいずれの地位にも必要で、また欠けてはならぬ

栄一自身は、非凡な英雄をいたずらにめざす道を戒め,世を渡るうえで、自戒をこめて、“常識”を保つことの大切さを説いている。では、その常識というのは何なのか。」

智・・・物事の善悪・利害・得失を識別する能力。智恵。
情・・・自分本位を抑え、他者を思いやる情愛。季語哀楽。
意・・・感情をコントロールして、トラブルに遭ってもぶれることのない意志。

「この三つのうちのどれか一つでも突出しすぎてしまうと、社会では有用な人物とはなりえず、仮に一時は成功することがあっても、結局は、失意のうちに空しい生涯をおくることになる、と栄一は強く警告している。」

その企業が時機に適合するかー企業家の心得

「どんなに有望有益な事業だろうと、時代が不況ならば、起業が容易ではないのはもちろんだ。かといって、好景気が企業の時機にふさわしいというわけではない。“潮流に乗じて実力以上に肥大しようとする、好況の時機こそ警戒が必要なのだ”――そう渋沢栄一は説く。バブルは必ず崩壊する。その景気が一時的なものか、それとも長期的なものか――それを見きわめて行動することが、起業の成否を分かつ。」

正しい道を進んで行こうとすれば、争いを避けることはできぬ

「私はもちろん、好んで他人と争うことこそせざれ、全く争いをせぬというのではない。いやしくも正しい道を飽くまで進んで行こうとすれば、絶対に争いを避けることはできぬものである。」―論語と算盤―「合理主義者の栄一と、独裁商法を貫いた三菱の創始者・岩崎弥太郎は、実業界では終生のライバルだったが、この二人が真っ向から激突し、死闘を演じたことがある。両社が合併することで決着した。世間は三菱の勝利だと噂したが、この合併の半年前、弥太郎はガンで死亡していた。“円満を旨として争いを避けようとすると、ときに善が悪に阻まれ、正義が行われなくなる。人間はあまり円いとかえって転びやすく、どこかに角がなければならない”?そう諭す栄一は、後年、結局三菱に請われ、日本郵船の重役に就任している。」

逆境に陥ったら天命と諦め、来るべき運命を待つ

「人生に逆境などあるわけがないと豪語する栄一だが、その一方で“絶対にないとはいいきれない”と、なんとも矛盾した言い方をしている。」「たとえば栄一自身がそうだった。尊王倒幕を論じる草奔の獅子が、はしなくも幕府の臣下となり、将軍の弟に随行してパリに渡るも、その間に大政奉還・明治維新の大動乱が母国を襲い、帰朝してみれば幕府はすでになく、旧主徳川慶喜は零落、栄一も一転して浪人の身となった。まさに、時世の大波に呑まれて、逆境に陥ったわけだ。」「帰国後の栄一は、慶喜の縁で留まった静岡藩で、フランスの見分をもとに商会を設立。やがてそれが新政府の目にとまり、栄一は新天地へ雄飛する。逆境をばねにして飛躍する。それがひたすら進歩を続けた男の鉄則だった。」

私は孔子の人物観察法を最も適当であると信じる

「まず基本は、人の身なりや行為を肉眼でよく視る。次には、ただ視ることから一歩進んで、その人の行為がいったい何を動機としたものなのかを、心眼で観る。そして最後は、その人の安心がどこにあるか、つまり何に満足して暮らしているのかを察する。この“視・観・察”を実践すれば、人物の姿が明確に見えると栄一はいう。」「ポイントになるのは“察”で、金儲けだけに満足する人間か、それともその先にヴィジョンがある人間かどうかが、人物の正邪を見抜く鍵になるというわけだろう。」

人気は他方より来るものではなく、己れより出てくるもの

「決して人を踏みつけてまで押し通ろうとはしない。人から受けた恩は忘れずに報いようとし、泣きつかれても厭わず、誠意をこめてとことん面倒を見ようとする。栄一のもとには、終生、四方八方からたくさんの人が集まった。彼の資金力や名声をあてに寄ってきた人物もいただろう。だが、結局みな栄一の内部から発せられる香気、磨かれた人格を慕って、信服していったのである。」

「栄一の人気の源はなんと言っても“仁”だった。そしてもちろん、この仁の力もまた、誰かが授けてくれるものではなく、内面から発せられるものだ。」「仁の道は、進もうと思えば、いつでも進んでゆける。だが仁を行うのは自分自身、他人の力に頼ったとて、どうにもならないのだ。」

「論語」をつねに座右から離したことはない

「栄一は、子供のころに父親から“論語”の素読の手ほどきを受け、七歳ごろからは  師匠格から“論語”を丁寧に学んでいる。だが、郷里を出て憂国の志士となった青年期から、維新後の大蔵省士官時代までの十余年は、あわただにしい毎日が続き、“論語”を熱心に読み返すこともあまりなかった。」「ところが明治六年(1873)、大蔵省を辞していよいよ実業界に足を踏み入れようとしたとき、ふと考えた。“これからの荒波を乗り越えるうえで、処世の拠り所となるものは何かないだろうか?”―-そこで思い起こしたのが。“論語”だった。」「仁義思考を説く“論語”は、奇跡を吹聴することなく、いつの世にも万人に通じる実用的な教訓を豊富に示している。ならば、これを拠り所として身を修め、商売をし、商人の道徳を高め、そして実業界を発展させよう――そう栄一は決心したのだ。」

事の成敗以外に超然として立て

「真の成功とは、“道理に欠けず、正義に外れず、国家社会を利益するとともに自己も富貴にいたる“ものでなくてはならぬ。」(青淵百話)
「栄一節全開だ。とにかくまず誠実に努力する。それでも失敗したというのなら、自分の力が及ばなかったせいだと納得する。また仮に成功者だと騒がれても、己れの知恵がたまたま活用されただけと考えて、振り向かずに前を見つづける。」そして「七十にして心の欲するところに従って、矩を踰えず」(論語)渋沢栄一が理想とした境地だろう。

日に新たの、心掛けが肝要である

「万人が栄一の真似をして、激務の毎日をおくればいいというものではないだろう。そもそも、ただたんに一日一日が違うということと、新しくなるというのは、同じことではない。栄一は、重要なのは“心掛け”だとはっきり強調している。」「今日は昨日よりも新しく、明日は今日よりも新しい。」心の底から言えるようになりたいものだ。

求められたら、成功・失敗にかかわらず、すべてをありのままに話す

「晩年の栄一が日々面会の時間を設けて、来客を厭わなかったというのは、すでにふれたが、若き日の栄一は、日夜幕末・維新の歴史に名を刻む一流の人物と接し、彼らからじつに多くのことを学んでいる。徳川慶喜・近藤勇・土方歳三・西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文・・・“偉大な人物と出会うと人間が活性化できる”と語る栄一は、各界の人間から生きた情報を仕入れ、さらにそれを分析して活用する鋭い感覚を養っていった。そして、乞われれば乞われるままに包み隠さず自身の体験を明かし、みずからすぐれた情報の発信者ともなって、人脈の輪をより一層ひろげていった。汲めども尽きぬ新鮮な情報の泉――それが人間渋沢栄一だったのである。」

社会が私を信じ、援助してくれたからであって、私一個の力ではない

「栄一が九十一年の生涯のうちに携わった役職は、実業・経済関係が五百、公共・社会事業関係は六百にのぼったと言われる。だが、これだけの仕事をこなしつつも、本人は蓄財して財閥を築くことを潔し(いさぎよし)とはしなかった。保有する株式の運用管理のために同族会を組織してはいるが、自分が関係する会社に対しては、総発行数の五㌫以上の株は持たないという原則をたて、みずからを厳しく律している。」

「私自身では大いなる富を造ることはできなかったが、実業方面においては、その進歩に相当の力を添えたと申し得るつもりである。しかしこれは私自身に資本があったためでなく、社会が私を信じ、私を援助してくださったからであって、決して私一個の力ではないのである。」(青淵回顧録)「日本ビジネス界の偉大な先人の言葉を、今こそ、重く深く受け止めてみたい。」

著者の古川順弘さんはあとがきで次のように述べている。「ただ過去の偉人として称揚するだけではつまらない。彼の言葉は、まさに彼が愛読した論語のように、時代を超え、現代にも通じる、実用的な教えや警句にあふれている。本書をきっかけに渋沢栄一に関心を深めていただければ幸いである。」

この本は平成22年3月(2010年)発行の物です。令和元年の今、一万円札に渋沢栄一が印刷される。改めて偉大な足跡を読む時に、新たな歴史の一歩が始まる期待感でいっぱいである。

(文:横須賀 健治)

 

6月 10 19

横浜スケッチ(第38回) 兄弟展

by staff

ペンネーム 成見 淳

ヨコハマNOW6月号が発行される頃はスケッチ旅行で北イタリアの小さな村、オルタ・サンジュリオにいると思います。先月、5月8日から14日までの「成見兄弟展」を終え、この原稿を書き終えて一息ついた6月3日に成田を発ちます。今月号はこの兄弟展と、まったく同期間に行われた「鶴見高校OB美術展」の絵を中心にまとめてみました。

 

ギャラリーを借りての個展に近い展示会は今回が3回目。実は1回目の前に相模原市緑区青山のピザハウス「ドリーム・ファーム」梅澤社長のお誘いで二人展を行った。一人ではとても自信がなく、当時私もメンバーだった津久井湖ゴルフ倶楽部の池田光輝さんにお願いしての二人展で、これで少し度胸が付いた。これに味をしめて「自分の意志で主体的に会場を探して行った。」という意味での234番館を1回目としている。2回目は横浜そごう9階のギャラリー・ダダ。こちらは立地も良く、プロの画家の方が多く個展をされる会場で、私にとっては憧れの会場。隣室は赤坂孝史なので始まる直前まで不安と緊張の毎日だった。始まってからは開き直りの心境で、あっという間の夢のような一週間。今回の3回目も同じギャラリー・ダダだが、慣れの為か緊張はなかった。
(1回目の模様は 横浜スケッチ第26回 に、2回目は 横浜スケッチ第32回 に掲載)

 

鶴見高校OB美術展

さて今回は全く同期間、JR鶴見駅東口のサルビアホールギャラリーでの鶴見高校OB美術展と重なり、搬入搬出は家内に頼み、私は兄弟展に毎日詰めていて、最後までそちらには行けずじまい。展示したのは以下の2点。

「春」(三ツ池公園 横浜市鶴見区)4号

鶴見高校のすぐ近くに三ッ池公園があるという事でこの絵を出品した。両方の展示会用に原寸大の複製を10枚限定で作成したが、この複製は予想通り完売。

「朽ちて行く」(スェーデン、ストックホルム)4号

この作品はスェーデンの女性写真家の写真をインスタグラムで見て、是非絵に描いてみたいと本人にお願いして許可をもらったもの。私は行ったことがない所、自分の目で確認しない風景は描かない事にしている。そんなポリシーに従って6月のスケッチ旅行の足を伸ばしてミラノからストックホルムに行き、彼女に会ってこの絵をお渡しする約束になっている。でも、季節は冬から初夏に変わって、木には葉が生い茂っているだろうと思われる。この絵をお渡しすると手元に残らないので、6号の横描きでもう一枚描いた。

 

向かって左側が兄の能面コーナー

向かって右側、及び通路側が私の水彩画コーナー

次に主な絵をいくつか紹介する。鶴見高校OB美術展出品の「朽ちて行く」の姉妹作品ともいうべき作品。タイトルも絵の感じも変わっているが、その理由及び後日談も含め次回8月号に書く予定なので乞うご期待。

「再び湖へ」6号

今回展示の一番小さい絵。4号で描いたが左半分をカット

水がらみの絵が並んだが、これはたまたま。スロベニアはボート競技が強く、湖には直線のボートコースがある。環境に配慮して舟は手漕ぎのボートのみ。

「コオリナ・ビーチ」(ハワイ オアフ島)2号

これも2号の作品で、お買い上げいただいた。(またまた水がらみ)

「暮れて行く」(生麦中学校校庭から、横浜市鶴見区)6号

これもお買い求めいただいた作品。2018年12月30日の夕焼けで、「暮れて行く」は日没と、年が暮れて行く、の両方の意味。

「称名寺」(金沢文庫 横浜市金沢区)4号

これも人気の高かった作品。(またまた水がらみ)

 

能面

左:成見 聰  右:成見 淳

この二つの面ではずいぶん楽しませてもらった。

初日。午前中に私の友人が来た。彼は彫りが深く目が大きい。以前「あなたは兄が見たら絶対に彫りたくなる顔だ。」と勧めて彫ることになり、その面を持って来場。兄と彼とは初対面ながら昔からの知人の様だった。兄も約3か月間彼の写真を毎日見ながら彫ったので赤の他人とは思えなかったのだろう。話が弾んで、3人一緒に写真を撮ろうとなった。私達兄弟の面をバックに彼が面を被って。彼が面を外しもう1枚。撮り終って大笑い。「お面が笑った。」「いや、笑ったのは本人で、お面は笑わないよ。」 撮った写真を彼が見て「全然違和感ないなあ。・・・。あまりにもリアルなので、実物をベースにして、もう一個彫ってもらえますか? もっと能面チックな面を。」「どんなのが良いか飾ってある中から選んで、彫って欲しい顔をやってみては?」ということになった。大きい目を更に大きくして、口も大きく開けて、もう一枚撮影。3人一緒の写真は私のインスタグラムに載せてあるが、後者は内緒。仕上がりが楽しみだ。その後、彼と共通の友人が来て「あいつが彫ったなら俺も彫ってもらおうかな?」と発注。

私と次兄とは4つ違いだが、私の面は約15年前に作ってもらったもの。兄は今回の兄弟展のために作成したもの。当然歳の差以上に面の年齢は開いている。面を見比べている客がいると、そっと寄って行って「左は兄、右は私。ただし私のは15年前で、髪の毛など今の全然違います。一方兄の面は今回の展示会のために彫ったのでまさしく現在の姿。」と説明する。兄は正直だから髪の毛を意図的に増やしたり黒くしたりしない。それどころか顔のしみ、鼻の毛穴まで忠実に再現する。実物そっくり。当初、面をひもで直に吊るす予定だったが「ひもで吊るすとまるで首吊りみたいだ。」ということで板に載せた。それでも充分不気味だ。3~4歳くらいの女の子が入り口で母親にしがみついてギャン泣きしたこともあった。私の孫も小さい頃は怖がったりしたが、慣れたのかやがて泣かなくなった。海外に行く時は自分の面を持って行くが、子供は大体怖がって泣く。万国共通のようだ。この二つの面のお陰で、初対面の方もほとんど打ち解ける。

よくある質問。
①何で出来ているの? ②作るのにどれくらいの期間がかかるの? ③色はどうやって塗るの。そして④この値段安すぎない?

初日で質問の傾向が分かったので兄に教えてもらって、質問に答えながら会話が弾む。

答え。①木。桐、檜(ヒノキ)、②二か月強、③膠、糊粉、岩絵の具を使用。能面彩色技法で行う。④その通り。安。兄と一緒に金沢能面展で同じ優良賞をもらった方が来られて「この面の売値、桁が一つ足りないよ。」と言われた。「材料だけで1万5千円、金粉もグラム3千円はするよ。」

能面を展示するのは初めてとあって皆さんの関心も上々。せっかくだからと手に取ってもらったり、被ってもらったり。中には写真を撮ってあげたりしてサービス。なぜか写真を撮りたがる人は少ない。特に女性は1名のみ。

二日目に宇都宮と都内からお二人で来られた女性が能面1個、絵を2枚買っていただいた。

兄に電話で「売値は鉛筆書きだからゼロをひとつ足しますか?」と聞くと「いや、分かってもらえば良いからそのままで。」数多い客の中には能面が好きな人もいて「本当にこの値段で良いのですか?」と大喜びで買われて行く。

結局、兄の能面が3個、注文が2個。私の絵が3枚、プラス複製多少。兄の方が面二つ分金額的に上まわった。良かった、良かった。

左の「狐」が金沢能面美術館での優良賞作品。(非売品)

左:若女(20代の女性) 右:小面(10代の女性)
左がお買い上げ1号

左:獅子口  右:小獅子(お買い上げ2号)

鼓悪尉(つづみ悪上) お買い上げ3号

さて、次回の展示会は赤坂孝史先生の生徒展「AKC水彩画展2019。7月17日?23日。会場は横浜そごう9階ギャラリーダダ。これはという作品は兄弟展で出し尽くしたので、出国前に描くか、旅行中に描き上げるか?

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

6月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第9回 「閉店したお店① ~ナポリタン編~」

by staff

第9回 閉店したお店① ~ナポリタン編~

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第九回目でございます。

前回取り上げた「磯村屋」さん、取材から間もなくして休業、そのまま新元号となった「令和」で元気な姿を見せることもなく、平成31年4月末を持って閉店となってしまいました。。。
いろんな顔を持つ横浜の歴史を彩ってきた名店がまた一つ、失われてしまったことは寂しい限りです。
拙著「麺食力-めんくいりょく-」は約150店舗の横浜の麺料理を紹介しておりますが、昨今の外食産業の厳しさや、古いお店であれば後継者不在もあって多くが閉店してしまいました。
このコーナーを始めてからはしばらくは「掲載から現在の店舗」を中心にレポートしてまいりましたが、今回は趣向を変えて「閉店してしまった名店」の現在の様子をお送り致します。まずは「ナポリタン編」ということで。

「cafe カメーリア」のナポリタン。2009年の画像ですのでお許しください。

関内から不老町交差点を横浜文化体育館へ歩く通りはかつて多くの喫茶店が点在し、我々日本ナポリタン学会では「ナポリタン銀座」と呼んでいた時期がありました。
その中の一つ、101ページに掲載の「cafe カメーリア」です。2階建てで、2階にも席がありました。
カメーリアのナポリタンは、やはり喫茶店のナポリタン!拙著では「甘い香り」と表現していますが、恐らくはバターかマーガリンを炒め油で使用しているのではないかと思います(当時そこまで聞かなかった。。。)。マーガリンの方が、香料の関係もあるので甘い香りは強く出ます。

「cafe カメーリア」だった現在は某大手天丼チェーン店に。

「cafe カメーリア」は2014年か2015年頃に閉店、その後建物はそっくりそのまま某大手天丼チェーン店へと変わっておりました。個人的には磁場がナポリタン過ぎたので、残念感がハンパなかったのを覚えています。天丼屋さん、好きですけどね。

中華街の「パンアメリカンホットドックコーナー」外観(画像はGoogle mapより)

お次は中華街。NTT東日本神奈川支店裏にあった110ページに掲載の「パンアメリカンホットドックコーナー」。私は2002年頃にこのナポリタンに出会って、そこからナポリタンにハマり、日本ナポリタン学会という妙な団体を立ち上げるに至ったのです。
クレイジーケンバンド「珈琲ブーガルー」という曲のモデルとなったお店とあって、CKBファンの聖地として人気のお店でした。

「パンアメリカンホットドックコーナー」のナポリタン。照りがたまらない。

それまでは「ナポリタン=スパゲッティをケチャップで炒めればいいんでしょ?」くらいに思っていましたが、ここのナポリタンをいただいてからは「ケチャップだけではない何か」を執拗に求めるようになりましたね。最終的にはケチャップを惜しみなく使うだけでも充分美味いナポリタンは作れることはわかったのですが、火力はどうとか、炒め油はどうとか、麺の太さは、とか、いろいろ考えるようになりました。ここのナポリタンは中華鍋でしっかり炒めていました。

 「パンアメリカンホットドックコーナー」と併設していた「中華飯店」が閉店後、
建物は取り壊され、1階がテナント入居のマンションに変貌。

2010年に閉店後、併設していた「中華飯店」がしばらく営業していたので、建物はしばらく残っていましたが、数年前についに取り壊され、いつの間にかにマンションがおっ建っていました。。。

馬車道通りにあった「ポニー」。こちらもまた名店でした。

そして馬車道通りにあった123ページに掲載の「ポニー」です。中学生の頃、友達とここで目玉焼きハンバーグを食べた思い出もある洋食店。

「ポニー」の名物、「ナポハン」。「Pony」のロゴ入り、たまらないですな。

ここはナポリタンハンバーグ、通称「ナポハン」が有名でした。肉感のあるジューシーなハンバーグと見た目シンプルですが味わい深いナポリタン。ポテサラ付きというのは野毛の「センターグリル」もそうですよね。

「ポニー」なき後はラーメン屋に。飲食店だった店舗はやはり飲食店になる傾向。

2012年夏、「70歳、厨房の暑さに負けました」の貼り紙を残しての閉店。寂しい!馬車道通りは今もそれなりに賑わいがありますが、素晴らしいナポリタンにありつけるお店がなくなってしまいました。。。

レストランタマガワ外観。イラストに造詣のあった先代が手掛けたキャラクターロゴと大阪万博で買ってきたという熊さんがステキでした。

お次は福富町へ。「おいしんぼ横丁」に存在した128ページに掲載の「レストランタマガワ」です。ホテルニューグランド初代総料理長のサリー・ワイル氏の弟子である小野正吉氏の下で修業した先々代が府中市で創業し、戦後横浜・吉田町に移転。ここ福富町は1973年から営業してきました。

あの小山薫堂氏も激賞したナポリタン。こちらもお店のロゴ入りの皿がステキ。

ボルカノスパゲッチ2.2mmの麺にデルモンテのケチャップ、そして40年以上継ぎ足しで守り続けたデミグラスソースが隠し味のナポリタン。具にセロリが入っていたのが他にはない貴重なナポリタンでした。FMヨコハマの小山薫堂氏の番組に日本ナポリタン学会がゲストで呼ばれてこのタマガワのナポリタンをスタジオへ持参したのが良い思い出です。

タマガワなき後はコインパーキングに。。。

惜しまれながら2017年9月に閉店、その後は取り壊されてコインパーキングになってしまいました。。。
長年店先に立ち続けたクマさんは、日本ナポリタン学会で捕獲しました。イベントなどで出てくれています。
それと。デミグラスソースは閉店後も大切に保存されていて、タマガワのナポリタンはどこかで食べられる可能性を秘めています(実はひそかに復活しているのですが、それはいずれどこかでお知らせします)。

2018年12月で閉店した「あの頃の洋食 洗濯船」

最後は本コーナー第9回「本当のあの頃の洋食になる前に」でご紹介しました、「あの頃の洋食 洗濯船」です。詳しくはそちらを見ていただければ良いかな?ということで、ナポリタンの写真は割愛します。

洗濯船は建物そのままに、定食屋さんに変わっておりました。

ナポリタンだけでも、結構閉店していますね。そして閉店後は何もなかったかのように別のものになっていきます。街は常に動いています。なくなったものを嘆いたり、昔を懐かしむのもそこそこに、今頑張っているお店を引き続き応援していきたいですね。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

6月 10 19

チャレンジ(第10回) 着実に一歩一歩

by staff

着実に一歩一歩

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。新元号になって早や1ヶ月。暑かったり、寒かったり、大雨だったり・・・気候の変動が大きいですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私はこの1ヶ月、仕事でもプライベートでもたくさんのことが起こり、精神的にとても疲れました。どうしたら切り替えていけるだろうか? と考え、自分の好きなコトやモノは何だったろう? どこが一番自分が落ち着く地点なのか考えてみました。

しかし、そのことをゆっくり考える時間もなかったので、頭スッキリ! 切り替えて! という風にはならなかったのですが、無理せずに体調に気を付けながら過ごして行く中で、精神的にもゆっくり回復していきました。自分のことを考える時間を作ることも大切ですね。

さて、前回お知らせしたようにC.P.FACTORYのお披露目会を開催しました。銀座のギャラリーでの4日間のオーダーイベントに出展させて頂き、とてもたくさんのお客様に来場していただきました! ありがとうございました!

障害者施設との協働であり、作り手さんに依頼することもあり、思うように進まないこともあり前日までバタバタでしたが、私の一番の役割は売ること! なので、イベントの4日間は一生懸命、C.P.FACTORYの説明をさせていただきました。(元々、喉が弱いですが・・・3日目あたりから声が出づらくなり、お聞き苦しいところもあり申し訳なかったです。)

今回はC.P.FACTORYオリジナルの裂き織クラッチバッグのオーダーを承りましたが、「素敵ですね」「カッコいい!」「障害者施設で織っているとはビックリ」など、たくさん色々な感想を頂きました! そして、一緒に販売させて頂いたエイムワイ(http://eimuy.com/)さんオリジナルの素敵なカードも大好評でした!

対面での販売はたくさんの反響をそのまま受け取ることが出来るので、私はとても好きなのです。今回はまだスタートラインにも立っていない簡単なお披露目会でしたが、手ごたえは感じることができました。もちろん、自分では気が付かなったマイナス面も明るみに出たので、どんどん改善していこうと考えいます。

そして、もっともっと素敵な作品を作れるようにチャレンジ精神は忘れずに、一歩一歩着実に進んでいこうと思っていますので、引き続きよろしくお願いいたします!

次は「地域活動支援センターとは」です 

(第10回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

6月 10 19

絵本から笑本へ(第38回) 絵本作家がゆく。~都筑区 Popola(ポポラ)~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

14区目となりました今回は、都筑区です。
都筑区の子育て支援拠点は「Popola(ポポラ)」。

市営地下鉄のセンター北駅に直結した、
ショッピングセンター「あいたい」の5階にあります。

都筑区では、ぼくも過去に色々な場所で、
口演やイベントを開催させてもらいました。

絵本や紙芝居の読み笑わせイベントは勿論、
センター北駅のすぐ隣、中山駅前の住宅展示場内のカフェでは、
このコラム「絵本から笑本へ」の連載1周年を記念した原画展も
開催させてもらいました。懐かしい。

何度となく通った都筑区。
その頃から感じている事は、若い世代の人が多いなという事。
都筑区は横浜市の区の中で、最も新しい区のひとつですよね。
調べてみたらやっぱり、区民の平均年齢が横浜市内で一番若いんだそう。

若い世代の人達が多いという事は、

イコール「子育て世代」が多いという事でもあります。

それだけ、子育てしやすい立地だったり、交通の便だったりがあるのでしょうか。
まぁ、他にも様々な要因があっての今なのでしょう。

そういう意味では、Popola(ポポラ)もとても立地の良い場所にあります。
なんたって最寄りの駅から直結した、ショッピングセンターの中ですから。
子ども達を連れて来て、遊んで、買い物もして帰れる。

入り口にある子育て情報コーナーも立派です。

地域の保育園や幼稚園情報、
公共施設の情報、
各種イベントの情報なんかは勿論、
お店や企業の情報もたくさん揃っています。

こいうところから、さらに地域との交流のきっかけも、

得ることが出来るかもしれませんね。

あくまでもぼく個人の感覚ですが、
都筑区は地域交流がとても盛んだと思います。

過去のコラムでも何度も言っている事ですが、
子育ては、「個」育てや「孤」育てになってはいけない。

地域の大人達も一緒になって、
地域の子ども達の未来を育てていかないとね。

Popola(ポポラ)には、そんなこれからの未来を
一緒に応援してくれるスタッフの方達が、
たくさん待ってくれていますよ。

是非、遊びにいってみてください。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区

<今回訪問した施設のご紹介>

都筑区子育て支援拠点 「Popola(ポポラ)」
HP: https://popola.org/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

6月 10 19

第76回 木を外部仕上げに使うと大変だよ

by staff

有限会社アーバン・ファクトリー
藤江 創

木を外部仕上げに使うと大変だよ

「外壁に木を使いたい」
自然派の自分を自邸で表現したいお施主様からご要望いただくことがあります。政策で木材利用が推進されているのが功を奏しているのか、街中でも外部仕上げに木を使った素敵なデザインの建築をちらほら見かけるようになりました。
念願のマイホームを建築家に設計してもらうことを決断いただいたお施主様。そのご要望はできるだけかなえてあげたいのですが、この要望に関しては、ひと呼吸おいてからご質問。
「5年ごとにメンテナンスできますか?」
あれこれ悩んだ挙句、だいたいメンテナンスが容易な素材に代わってしまいます。最近では、木目の凹凸まで再現されたサイディングや、再生木という木の粉を樹脂で成形した素材などがありますので、見た目だけのこだわりであれば、それで十分かもしれませんよ。

と、くぎをさしておいて、ここで、外部に木をふんだんに使った住宅を紹介しましょう。「伊豆山h邸」私が母のために設計したセカンドハウスです。昨年で完成後10年目を迎えました。外壁、デッキ、ルーバーに、防腐防蟻性能の高い米ヒバという木材を使用しています。仕上げには自然塗料で有名なドイツオスモ社製の外部用木材保護塗料を使いました。

伊豆山h邸外観 撮影:平井広行

こちらの住宅、完成後2年目に、木部すべてを再塗装しました。塗料メーカーの方から、木が新しいうちは塗料が浸透しにくいので、竣工後2年くらいの時に、再塗装しておくと、その後の持ちが全然違うというアドバイスを受けてのことでした。なるほど、木が新しいときよりも、吸い込みます。これは確かに効きそうです。これでメンテナンスの期間が延びるわけですね。では、この後は何年くらい持つのかなと確認したら、5年ごとに塗りなおすとよいですよ、、、だって。

母の家ですから、私に設計を相談してくれたお客様をお連れすることも多い住宅です。建築はメンテナンスが大事ですよとお客様に言っている手前、自分が管理する物件をちゃんとしないわけにはいかない。その後、4年くらいで、まずデッキがへたってきました。真夏の直射日光をばっちり受けるし、直接土足で歩き回りますから、劣化も早い。でも、デッキなら足場もいらないし、素人でも塗装可能。一念発起し、気のいいメーカーの担当者と一緒にDIYしました。
そのときすでに、白い外壁はグレーがかり、部分的に腐食している材料が確認されていました。外壁塗装には足場が必要ですし、素人では手がだせないかも。もちろんお金だって結構かかります。ということで、2・3年うじうじ考えていましたが屋根デッキの一部が壊れたのをきっかけに二念発起。ダメになった木材の修繕と再塗装をすることにしました。塗装に関しては、足場に上っての作業は非常に怖かったのですが、気のいいメーカーの担当者の協力をいただき、DIYでやりきりました。外構の追加工事もあったので、総額300万円くらいかかりました。

そんなこんなで、とどこおりなく工事は終わり、終了後に沢山の木材が積まれました。全面張り替えた屋根デッキに使用されていた古い板材。それに余ってしまった新規材料。どちらも、ほかの現場では使えないので、普通だったら処分されてしまします。既存板材は10年の歳月でいい風合いを醸し出しています。最近では古びた風合いを出すためにわざとエイジング加工を施すことがありますが、これはまさに天然エイジング。木は乾燥することで、含水率が低くなり、くるいのない良い材料となりますので、その点でもとっても優秀な材料に仕上がっていました。そったり、曲がったり、節が抜けたりした材料は処分し、残った材料の使い道を検討。その結果できたのが、デッキを囲うテスリ兼ベンチです。我ながらいい感じにできました。



古材で製作した手すり兼ベンチ

余った新材料で製作したベンチ

おかげさまで施主である母からも好評いただきました。また、今後お会いする未来のお施主様にお話しできるネタが一つ増えました。さらにこの工作のおかげで、丸のこの使い方をマスターし、インパクトドライバーの使い方が飛躍的に向上しました。
木を外部仕上げに使うとメンテナンスが大変です。でも、DIYが得意な方や、興味がある方でしたら、それを楽しみにつなげることができるかもしれません。建築家として、そんな方にアドバイス。「外部仕上げで木材を使うなら、自分でメンテナンスできる範囲での使用しましょう」。その判断基準は脚立で作業できる範囲がよいと思います。外壁の場合は地面から高さ3.5mくらいまで、または、ベランダから届くところ。床の場合は、テラス窓前のデッキやベランダデッキ。塀や物置なんかもおすすめですよ。メンテナンスで古い木材が出たときは、是非ご活用ください。工作に自信がなければ、焚き火用の薪に使うのもよいと思いますよ。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

6月 10 19

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内(2)

by staff

あと5日もしたら 私の人生の一大イベントになりそうな NENEROCK(69)BIRTHDAYLIVEの日が来ます。
今月も引き続き このライブのお話をしたいと思います。
今回のライブにはテーマタイトルがあります。
「女たちの 失われた日々の影 The shadow of lost days」
最初はただ、和歌うたを ロックのリズムで歌いたい。と、何も考えていない私でした。

石間秀機さんに「シターラでバックをつけて頂きたい」と お願いすると、
自分は 譜面を見てリハーサルをするようなスタイルではプレイしていないので、ぜひ即興でやりたい。と。提案されて了解しました。
なにを歌おうか、と思ったら、ちょうどそのころ一番興味があった日本の草花。
万葉集から麻の和歌を歌いたいと思いました。
その発端はこのヨコハマNOWにあります。
昨年の暮れ12月号のテーマの和歌

♪ 美吉野の 山の秋風 小夜更けて ふるさと 寒く衣うつなり ♪

この和歌の 衣うつなり、と言う言葉の意味を探していて、たどり着いた砧と言う言葉。
そしてその砧から又導き出された布。
それが麻布だと知って、それも一般庶民の女性達が夜更けに衣を打っているのだと理解して、ある種のカルチャーショックを受けた私です。

日本の麻は 大麻(たいま おおぬさ)と呼びます。一般の人々が諸悪の根源として忌み嫌っている大麻が、平安時代、いやもっとさかのぼって縄文時代から日本人に愛され。そして万葉集に残されている文化的な植物だという事に新鮮な驚きを覚えました。私の探求心が動きだし、その結果 万葉集の中から麻の和歌が選びだされ、それと同時にこのクロコダイルでの即興ライブのテーマとなって浮上してきたというわけです。

麻の一番のキーワードは 母性性です。

♪ かあさんが麻糸紡ぐ毎日つむぐ ♪

これは有名な母さんの歌の2番目の出だしの歌詞。
麻は無名な女性達のシンボルのような植物でした。“へそくり”と言う言葉は麻の糸を括る意味から来ています。綜麻を括って、作ったお金のことです。
したがって 文献などたいそうな物はなくて、もっと身近に母から娘に日常の中で継がれてゆく文化でした。
農村の娘たちは6歳から7歳くらいになると麻の糸を縒って紡いでゆくことを覚え、12歳くらいになると種をまき収穫して、それらの繊維を取る工程を覚え、15~16歳になって機織りを覚え、全工程を自分一人でこなせるようになって初めて一人前の娘として認識されて 嫁に行くことが出来ました。
種をまいて糸を作り機を織る。夫や子供達の衣服を作るのです。それが女性と大麻の関係でした。それが今では一部の人しか栽培が出来ません。罪になるのです。
無名女性達の手から手へ連綿と受け継がれてきた文化。日本中の女性達にこのことを知ってほしいと思います。戦後米国の見当違いな強制から 貶められてしまった日本の農作物としての大麻文化をはやく 蘇らせて 元の地位に戻してあげたいと切に思います。

当日は万葉集から8首 麻の歌を 即興で歌います。どうなる事やら・・・ですが、
4名のつわものがバックで支えてくれるので 彼らの胸を借りて自由に歌ってみたいと思います。
69歳の自分の誕生日に、今までやったことがないけど、自分が一番やりたいことが出来る! このスリルと興奮! 嬉しい!  楽しい! 幸せ! 怖い! 気分で臨みます。
ご都合が良ければ 是非 足をお運びください。6月15日クロコダイルでお待ちしております。

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内

今年は人生で最後のロックエイジ(69歳)。
今年は私自身のロックスピリッツを生きてみようと思います。
翌年はコッキ―(古希)ポップになってしまうので 今年だけですが。
昔まだ和歌に出会ってなかった20代後半から35歳までの約10年間 私はロックボーカリストとしてディズニーランドや、リッチーブラックモア公演のオープニングアクト等の舞台で歌っていました。音圧の高いロック音楽はもう卒業いたしましたが、私自身の生き方の中にロックスピリッツのエッセンスは今でも脈々と流れています。
“和歌うた” と出会えたのも、そんな私の中にある普通の道とは少しずれた生き方の中での導きだったと思います。
今年は 自分自身の気概をロックと呼んでみたいと思います。
69歳の誕生日 6月15日には(まだ半年もありますが)40年前にロックバンドでよくライブをさせて頂いた原宿クロコダイルにて、和歌うたをロックで歌おうと思っています。
静かなるロック魂をお持ちの方は是非! 見に来てください。
 
<Day>
2019年6月15日
<Live House>
原宿クロコダイル(http://www.crocodile-live.jp/
<Title>
ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVE ~人生最初で最後のロックエイジだわ!~
<Fee>
前売り(要予約):¥6,900 / 当日:¥9,600
<Performer>
早苗ネネ(和歌うたシンガー)
石間秀機(シターラ)
鮫島秀樹(ベース)
佐藤正治(ドラム)
竹越かずゆき(キーボード&ボーカル)
<問い合わせ>
和歌うた実行委員会(担当:人見)080-6345-4157
<チラシをダウンロード>
NENE ROCKのチラシをダウンロード

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

6月 10 19

私にとって横浜は「素敵な思い出が詰まった玉手箱!!」 シャンソン歌手 井上千鶴さん

by staff

民話を歌で表現した『きつねだて』という歌曲を聴いたとき、歌で物語の世界をこれほど鮮やかに再現できるのかと感動しました。そして、お伽話に曲をつけて歌う『おとぎ歌』を作り始めました。また、『小さなピカソの会』を設立し、カンボジアの子供達が描いた絵で、便箋やクリアファイルなどを制作販売する支援活動を行っています・・・今月は、シャンソン歌手井上千鶴さんにお話を伺いました。

井上千鶴さん
井上千鶴さん
 
お名前 井上 千鶴(いのうえ ちづる)
お生まれ 8月生まれの獅子座
ご出身 横浜市中区石川町
お仕事 予備校勤務
音楽活動(シャンソン・おとぎ歌・作詞作曲)
司会・ラジオのパーソナリティ など
性格 気は細かいがおおらか

 

三つ子の魂百まで?

2才頃のことです、テレビで越路吹雪さんが『イカルスの星』を熱唱するのを聴きました。その人が越路吹雪さんという人、その曲がイカルスの星という曲であることを知ったのはずっとずっと後の事です。でも、そのときのテレビ画面を超えて迫ってくるような越路さんの歌の迫力には、幼いながらも『ガーン』と来ましたね。今思えば、それがシャンソンと私の鮮烈な出会いだったのかも知れません(笑)。

幼少期から、とにかく歌を覚えるのが早かったです。ストーリーはわからなくとも、アニメやドラマのオープニング曲、エンディング曲などは直ぐに覚えて、口ずさんでいました。近所では「鼻歌のチーちゃん」なんて呼ばれていました(笑)

横浜雙葉、そして恩師との出会い

石川町の駅前で、京浜東北線の水色の電車がガタゴトいう音を聴きながら育ちました。小学校2年から高校卒業まで山手の丘にある横浜雙葉学園に通いました。学校では人見知りでシャイな女の子でした。そんな私も家に帰ると、近所の子供たちを従えて、父のビルのネオン搭によじ登ったり、駅前の空き地で虫取り網を持ってトンボやバッタを追いかけたりと、かなりの「お転婆さん」でした(笑)。

高校時代は、数学が苦手でしたが、それ以外の科目はうまくいっていました。特に世界史が大好きでした。それは素晴らしい恩師との出会いのおかげです。世界史の漆原隆一先生の授業は、ただ歴史の事実を並べるだけでなく、出来事の因果関係がよくわかり、登場人物の息遣いまで聞こえてくるようないきいきとした授業でした。授業中は一言一句をもらさないようにノートを取り、テストはいつも最高点が取れるように頑張りましたね。

その漆原先生はその後、横浜雙葉学園の校長を務め、職を辞した後、ご夫妻(※注1)でカンボジアに移住され、カンボジアの子供達のために尽されました。

※注1:漆原隆一・恭子 活動の記録(是非ごらんください):https://www.facebook.com/kyokosnews

ミュージカルや演劇に夢中になった大学時代

歌が好き、ドラマが好きでしたから、高校の部活は「音楽部」か「演劇部」に入ればよいものを、役を巡ってのいざこざ、というような雰囲気は苦手で、気が付けばまったく違う部活に入っていました。その結果、「歌いたい」「演じたい」という気持ちをずっと抑えて過ごしていました。

大学は上智の文学部英文科に入りました。原語講読の授業で、劇団『円』の演出家でもあった故安西徹雄先生が「ロミオとジュリエット」を朗読されたのを聴いたとき、今まで我慢していた「演じること」への思いが再び湧き起こりました。その時代は、夢の遊眠社や第三舞台など小劇場を舞台とする大学演劇が盛んでした。そんな中、英文科の先輩が創ったオリジナルミュージカル劇団に創立メンバーとして加わり、大学生活の4年間はメインキャストとして都内小劇場での公演活動に明け暮れました。

そうこうするうちに、卒業後の進路を考える頃になります。先輩から、シャンソンという歌のジャンルがあり、それは歌の中でも演劇に近いものだと聴きました。クローズ寸前の『銀巴里』に行き、そこで金子由香里さんの歌を初めて聴き、その語るような歌い方に魅了されました。卒業後も歌に関わることをやりたいと思っていた時でしたから、是非「シャンソン」を習いたいと思いましたね。

シャンソン歌手誕生!

歌との両立を考えて、英語の非常勤講師を勤めることになり、京浜急行で通勤途中、日ノ出町駅近くのお店のアーケードに「シャンソニエ」と書かれてあるのを見つけ、入ったのが故元次郎さんの店「童安寺(現シャノアール)」でした。私が恐る恐る店の扉を開けると、元次郎さんには私が幼く見えたのでしょう「おじょうちゃん、お客様?」と驚かれた様子。そこでは私の念願通り、銀巴里で歌っていらっしゃったシャンソン歌手、伊東はじめさんとの出会いがあり、レッスンを受けることになりました。元次郎さんにお店で歌う機会もいただきました。

そんなある日、父がクモ膜下出血で倒れ、介護をすることになりました。50代になった母も働くことになりました。シャンソン歌手への道は一時中断ということになりました。

家庭を取り巻く環境が大きく変わりました。そして数年が経過し、暮らしが落ち着きを取り戻した頃、元町中華街の老舗のシャンソニエ『デュモン』を紹介していただき、歌手活動の再開となりました。2008年から2015年にかけては、杉田劇場にて、計5回、『ヨコハマシャンソンフェスティバル』を主催し、ご好評をいただくこともできました。今は『デュモン』のほか、東京の『ウナ・カンツォーネ』 『シャンパーニュ』などでもライブ活動を行っています。

ウナ・カンツォーネにて
ピアノの中尾博行さん、パーカッションの本間修治さんと
新宿区舟町7 舟町ビル5F(最寄り駅:四谷三丁目)
ウナ・カンツォーネ:https://www.una-canzone.com

シャンソニエ デュモンにて
左からアコーディオン鳥海涼子さん、川島豊さん、井上千鶴、オーナー 日野敦子さん
中区山下町100-3 リレント山下町1F(最寄り駅:元町中華街駅)
シャンソニエ デュモン:http://www.dumont.co.jp

ライフワークの『おとぎ歌』

芸大名誉教授の故松本民之助氏がきつねの民話に曲をつけた『きつねだて』という歌物語を聴きました。長い曲でしたが、音楽そのものが物語の世界を深め広げて、「次はどうなるの?」とわくわくした気持ちで最後まであっと言う間でした。「お話を歌で表現するのもありなのか」と思ったのがきっかけとなり、いくつかの『おとぎ歌』を作らせていただきました。 新美南吉の『ごんぎつね』、小川未明の『赤い蝋燭と人魚』、『おむすびころりん』『夕鶴』齋藤隆介の『花さき山』などです。2013年にはそれらが収録されたCDを制作しました。

カンボジアの子供達

カンボジアの子供達のために奥様と現地で活動されている(故)漆原隆一先生から「カンボジア通信」が送られてきました。その一通目の書き出しが『シェムリアップの町はシャンソンが似合う町です。』でした。この一行を読んだ時、私は先生から「井上千鶴さん」と名前を呼ばれた気がしました。

カンボジアはポルポト政権による知識階級の大虐殺の影響で教育が立ち遅れ、とくに音楽や美術といったものは遅れていました。ご夫妻は日本からピアニカ、絵の具や絵筆を集めて現地で子供たちの指導にあたっていました。そんなお二人の活動を助けたいと強く思うようになりました。

偶然なのか必然だったのか分かりませんが、雙葉学園の同窓会会長から総会の司会を頼まれました。1年目、2年目と都合が付かず断っておりましたが、3年目に引き受けることになりました。これがきっかけで母校と漆原先生への支援活動が太いパイプで繋がりました。当時同窓会会長だった布施毬江さんとともに企画をし、千葉前校長先生、田中前理事長先生を始め皆様のご理解、ご協力を得て、2010年7月、横浜の社会福祉センターホールにて、カンボジア チャリティコンサートを開くことができました。そこで思っていた以上の寄付金を集めることができました。

カンボジアの子供たちが描いた絵で作った便箋。裏が罫線になっている。
子供たちがが描く絵はのびやかで色使いが素敵。それぞれ10枚入り200円。

学校に通えないほど生活が苦しくとも、カンボジアの子供達の絵はのびやかで明るいのに驚きました。子供たちにこんな特技があるのなら、是非その特技を使って「寄付」を集められたら素敵だな、と思いました。子供達の作品を使って一筆箋や便箋、クリアファイルを作って販売する「小さなピカソの会」が誕生しました。 母校の先輩方と私、4人のメンバーが中心となって運営しています。

カンボジアチャリティ便箋をご希望の方は
「小さなピカソの会」事務局までお申込みください
080(3528)2733 (小さなピカソの会 事務局)

井上千鶴さんにとっての横浜は?

横浜は幼少時代の思い出、素敵な出会いに満ちた特別な街です。
そんな横浜は「私にとって宝物で一杯の玉手箱!!」です。

私にとって横浜は「素敵な思い出が詰まった玉手箱!!」です

(文:高野慈子

 

5月 10 19

東北応援企画 @神田なみへい

by staff

 

4月22日に渡邊圭祐氏(私の旦那)が友人たちと主催したイベントが、神田の「なみへい」でありました。
彼は2年前に横浜市役所を退職して復興支援で岩手県大槌町に1年間勤務していました。
横浜に帰ってきてからも、大槌町を応援していて、今年の3月に三陸鉄道のリアス線が開通したときも現地に行っていました。

岩手県大槌町では、東日本大震災から8年経った今も多くの方々が仮設住宅に住んでいる現実があります。
ただ、いつまでも支援する側、される側ではないでしょう・・・皆で一緒に歩んでいこう!! というのが今回のイベントのテーマでした。

第一部は、大槌町にハマっている東京の大学生中村ひなたさん、大槌町役場での6年半の復興支援業務を終えて戻られた林正生さん、南相馬ツアー49回開催の須摩修一さんのお話を聞きながら「これからの被災地との関わり方」を「若者や子どもたち」の視点から考えました。

ひなたさんたちは、大槌町の人や自然が大好きで、復興支援というよりは「第二のふるさと」として大槌町の魅力を語ってくれました。

第二部は、岩手や福島の食材やお酒を味わいながら交流を深めていただきました。大槌町出身の若手トランペッター臺隆弘さんの演奏や須摩さんの楽しい司会進行で大変盛り上がりました。

お料理は・・・“大槌大好きお姉さまチーム” と私の手作りでした。
大槌町から送ってもらった食材を使って、早起きして「ワカメの酢の物」「椎茸の煮物」「スナップエンドウの和え物」「青菜のごまあえ」などを作りました。
趣味はスピード料理を公言している私ですが、30人分を作るのは初めてで、ちょっと緊張しました。(笑)

お姉さまチームは、手慣れたもので「具だくさんの炊き込みご飯」や「すき昆布のサラダ」を「なみへい」で作っていただきました。

イベントの最後には、大槌町発祥の「磯ラーメン」やクラウドファンディング挑戦中の「御社地大福」なども味わっていただきました。

東北支援に熱い想いのある方々が集まったせいか、話の輪があちこちにできて、あっという間に時間が過ぎていきました。様々なネットワークの広がりが感じられ、裏方としても満足できるイベントでした。

東北応援・・・これからも一緒に頑張りましょう!!

 

5月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第5回) 黄金比メイク® 福武美湖さんが教えてくれる “普遍的な美しさ”

by staff

Prologue

いよいよ新元号である”令和”が始まりましたね。

まさに時代の変化の真っ只中にいるわたしたちは、価値観の変容が目まぐるしく正しさや答えは一つではなく、人の数だけ目的地やそこへ向かう道のりも多様化されてきています。

では、変わらないものって何でしょうか?
いつの時代も普遍的に美しいものとは一体なんでしょうか?

今回のコラムは、自然界から芸術・建築の世界まで古くから伝わる普遍的な美しさの方程式
“美の黄金比” を活用した “黄金比メイク®”
の講師であり、メイクアップサロン AGIRL 代表の福武美湖さんにお話を伺って参りました。

黄金比メイク® とは

Acco 「早速ですが黄金比というのはどうやって導き出したのですか?」

福武 「黄金比というのは芸術や美術の世界では一般的に使われているもので、
万国共通で1:1.618という美の黄金比があるんです。
私は元々美大のグラフィックデザイン科でしたので、黄金比のことは元々知識としてあったのでそれを元に独自に研究を重ね誕生したメソッドが黄金比メイク® です。
サロンに置いてあるテキストも全て自分たちで作っています。

1:1.618という黄金比は、名画ですとか歴史的建造物、現代ですと大手企業のロゴやアイコンにも多く当てはめることができます。」

Acco 「わ、本当ですね!」









福武 「なぜ黄金比がいいのか、シンプルに申しますと人の記憶に残りやすくなります。
メイクに黄金比を活用することで、第一印象も格段に良くなりますし、記憶に残るお顔立ちになれるんです。」

Acco 「それはいいことだらけですね!
具体的にどんなことをするんですか?」

福武 「こちらの黄金比マスクというものを、お客様のお顔と合わせて、メイクによりお顔のバランスを黄金比に近づけていくという流れです。」

Acco 「凄い、、、面白いですね! 私も合わせてみていいですか?」

福武 「勿論です。」

福武 「田尻さんの場合ですと、眉がもう少しだけ目に近い方が洗練された印象になりますね。
目の大きさや瞳の位置なんかはピッタリはまっているので、わかりやすく万人受けしやすいお顔立ちではありますがご自身が本来お持ちの柔らかい雰囲気に統一するのであれば、若干眉に少しだけカーブをつけて目の形に沿わせる感じでもいいかもしれないですね。」

Acco 「え、、こんな一瞬でそんなことまでわかっちゃうんですか! 凄いです! 眉毛なんていつも正解がわからなくて困ってたのに一瞬で解決しました、、!」

福武 「みなさんに言っていることなんですが、正解っていうのはないんですね。
ご自身がどんなイメージになりたいか、それによって細かいパーツのニュアンスが決まって来ます。
例えばキュートを目指しているのに、眉毛がつり上がっていたらどんな感じですか?」

Acco 「んーなんか違和感ありますよね。」

福武 「そういう事なんです。」

福武 「私たちのメイクレッスンは、メイクが上手だねって言われたら失敗なんです。元々か綺麗だよねって言われるようなメイクをみなさんにお伝えしています。
メイクはただ濃ければいい、というものではないんですね。」

Acco 「すごく納得です!!」

福武 「私たちの黄金比メイクというのは、メイクによってバランスを黄金比に近づけているのでただ色をのせたり線を引っ張る、というメイクとは全くの別物なんです。」



Acco 「こんなに変わっちゃうんですか?!
骨格まで変わったようにも見えます!」

福武 「そうなんです。これが黄金比メイクなんです。」

Acco 「魔法みたいですね、、、、、!」

 

5歳からはじめたメイクアップ

Acco 「福武さんは、いつからメイクに目覚めたんですか?」

福武 「そうですね、、もうかなり幼い頃から母のメイクボックスを勝手に開けてはリップを塗っているような子供でした。。笑」

Acco 「何歳くらいですか?」

福武 「5歳の頃にはもう自分専用のメイクボクスを持って、自分でメイクしてました。」

Acco 「その頃から美意識が高かったんですね、、、、、!!」

福武 「次の日着るお洋服を全身コーディネートして靴まで決めたら眠るのが習慣で、朝は母に髪の毛もセットしてもらってお出かけしておりました。」

Acco 「すごい!それは美意識が養われますね。
メイクは特に誰かに教わる事なく大人になってしまったので、今からでも福武さんに習いたいくらいです!」

福武 「是非是非、いらしてください。
黄金比メイクのメソッドの素晴らしいところは、講師の好みのお顔に近づけるのではなく美の黄金比に近づけていくメソッドなので、美しくならないお顔がないんです。」

Acco 「それは凄いことですよね。。。。!!」

 

自宅サロンから帝国ホテルのメイクアップサロンへ

Acco 「こちらのサロンはいつからやられているんですか?」

福武 「もともとは自宅にてメイクレッスンをしていたの始まりなんです。」

Acco 「そこから帝国ホテルのメイクアップサロンなんて、、凄いです!」

福武 「偶々ご縁があったといえばそうですが、、、
誠心誠意必ずお客様のことを綺麗にして帰っていただいていたお蔭で、口コミで広がり婚活サイトの方と提携するきっかけをいただきまして、そこから急速にお客様が増えましたね。
本当にありがたいです。」

Acco 「女性はほぼ毎日やることですもんね。」

福武 「そうですね。メイクレッスンをするという習慣が、もっと一般的になったらいいなと思います。」

Acco 「何か今後やってみたいことがあれば教えてください。」

福武 「そうですね、自社で化粧品も販売しているのですがそのラインナップを増やしたいので化粧品会社はやりたいです。」

Acco 「いいですね!サロンで購入できますか?」

福武 「勿論です。
良質でリーズナブルなものもありますので是非ご覧になってください。」

Acco 「ありがとうございます!」

福武 「あとは、着物レンタルサービスとの提携も視野に入れております。」

Acco 「いいですね。私もお着物大好きなので楽しみにしています!」

 

好きという力

Acco 「福武さんのバイタリティーがどこから来るのか知りたいのですが、誰か尊敬する人や憧れの方はいらっしゃいますか?」

福武 「そうですね、、、んー、目標とする人は特にいないのですが、、、。
メイクアップアーティストでしたらシュウウエムラさんです。
あの方に憧れて美容の世界に入ったので。
皆さんから、どうやったら福武さんのようになれますか?という風に聞かれることも多いのですが、、
諦めないだけです。
本当にそれだけです。

言い訳するのは簡単なんですよね。
眠いとか、面倒だとか、お金がないとか、、、、、
でも本当にやりたい事だったら全部ど返ししてやれますよね。」

Acco 「かっこいいですね。。そのパワーってどこから出てくるのでしょうか。」

福武 「好きだからです。
メイクをするのが大好きで、本当だったら一日中メイクだけずっとしていたいくらいですがそれだと繁栄はしていかないので。
経営者として、外に出て、イベントをやることもトークショーをする事も引き受けています。」

Acco 「メイクアップアーティストとしてのストイックさと、経営者としてのバランスをとれるなんて本当にすごいです!
これからも福武さんのことを応援させてください!
本日は貴重なお話ありがとうございました。」

福武 「ありがとうございました。」

 

変わりゆく時代の中で変わらないもの

時代が変わって
世界も変わって
働き方や幸せのカタチが色々になっても
“正しさ” や “良い” と言われるものが変わっても
 
“美しさ” は万国共通
今も昔も変わらない
 
人の心に深く残るものですね。
 
福武さんの芯の通ったお話を聞きながら
美の普遍的な強さを感じる事ができました。
 
令和は “人々が美しく心寄せ合う中で文化は花開く”
ということで
改めて美しさに真摯に向き合っていきたいと思います。
 
福武さん、素敵なお話を本当にありがとうございました。
 
新しい自分、本当の自分、もっと美しい自分
に出会いたい方は
是非メイクアップサロン AGIRL
に足を運んでみてくださいね。

 

<プロフィール>


 
メイクアップサロン AGIRL HP:http://agirlbeauty.com/

メイクアップサロン AGIRL 代表
福武 美湖

1980年生まれ。嵯峨美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、ビューティーアドバイザーとしてシュウウエムラ化粧品に入社。その後24歳で兵庫県にエステティックサロンを設立。モデルとして活躍もしていた。
2013年に「黄金比メイク」開発し、2015年2月に(登録商標 第44類 第5739923号)を取得。
現在は、makeup salon AGIRLを運営する(株)AGIRL Beauty 代表取締役社長兼、黄金比メイクレッスン代表講師、小顔エステティシャンとして活動。帝国ホテル主催のメイクセミナーや、メイクショー、婚活パーティー最大手「(株)エクシオジャパン」や「新宿鍼灸柔整歯科衛生専門学校」などへ「医療人向け接遇メイク」講師や、ミスコンファイナリストのメイク指導など様々な美容イベントやセミナーも開催。某ジュエリーブランドや様々な企業さまへ、メイク研修も行う。美容研究家として雑誌や “@コスメ” などコラムも執筆。化粧品の開発に尽力している。

  • (株)AGIRL Beauty 代表取締役社長
  • 帝国ホテルプラザ make up salon AGIRL運営
  • 「黄金比メイク®」開発 代表講師
  • 小顔エステティシャン
  • 日本顔学会会員
  • 日本化粧品検定協会 日本化粧品検定1級
  • 日本化粧品検定協会 コスメコンシェルジュ
  • エステティック業協会 上級エステティシャン
  • エステティック協会認定 フェイシャルエステティシャン
  • 英国エステティック資格CIBTAC
  • 嵯峨御流華道・奥伝、嵯峨流書道八段

セミナーや取材等の出演依頼は、お問合せメールもしくはお電話にてお願い致します。
お問い合わせフォーム http://agirlbeauty.com/contact/
TEL:03-6206-1159

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
SNS Facebook
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5月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第8回「ハイイロチュウヒ(渡良瀬遊水地)」

by staff

第8回 ハイイロチュウヒ(渡良瀬遊水地)

渡良瀬遊水地は、栃木県の南端に位置し、栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる面積33km2、総貯水容量約2億m3の国内最大の遊水地です。ヨシ(植物)が広がる湿地帯ですが、水生植物から樹木まで1000種類を越える植物が確認され、なんと60種余りの国が指定した絶滅危惧植物が生育しています。
昆虫類は陸上・水中を含めて約1,700種類。それを餌とする小動物や鳥・魚の種類も豊富です。ですから食物連鎖の頂点となるワシやタカもこの地で越冬をします。そんな自然豊かな渡良瀬遊水地でお目当てのハイイロチュウヒを探してみることにしました。

ハイイロチュウヒはタカ目タカ科チュウヒ属に分類される渡り鳥で、大きさはカラスくらい、オスよりもメスの方が若干大きく、オスは40~45cm、メスは50cm~55cmくらいです。
オスはハイイロチュウヒという名前のように「灰色」ですが、メスや幼鳥は褐色をしています。
11月頃に渡来し4月上旬には渡去する冬鳥です。渡来する数が少なく北海道から沖縄まで広い範囲に飛来するため各地で見られる個体数はもっと限られてしまいます。毎年渡来する渡良瀬遊水地の葦原は、バードウォッチャーやカメラマンにとってとても大切にしたい場所でもあるのです。

2017年、渡良瀬遊水地へ行ったのは12月3日でした。毎年、ハイイロチュウヒが最初に現れる葦原に行ってみると、大勢のカメラマンが陣取っていました。少し離れたところにカメラをセットしました。

渡良瀬遊水地でハイイロチュウヒを見かけるのは夕方です。日中は周囲の農耕地で狩をしているようです。獲物はネズミや小鳥・カエルなどです。夜、地上(草地)で就時するため夕方になると葦原に戻ってきます。

この日現れたのは、午後3時48分でした。周りの人がシャッターを切り始めたので分かりました。この時期は、比較的明るい時間に戻ってきてくれるようです。また、ほぼ順光で撮影できます。15時50分、一回りして、ねぐらに入ってしまいました。わずか2、3分の出来事でした。

渡良瀬遊水地のハイイロチュウヒ(オス)

次に訪れたのは、12月21日です。前回ハイイロチュウヒの現れた葦原には、カメラマンは1人もいませんでした。そこで、別の葦原へ向かいました。

チュウヒが飛んでいました。ハイイロチュウヒはなかなか出てきません。

午後3時53分、西の空が茜色に染まる頃、ハイイロチュウヒのオスが戻ってきました。
メスも一緒のようです。日が沈むまで、この撮影場所は逆光になります。
午後4時20分、日の光は、まだ残っていましたが、この日は早く帰ることにしました。

逆光の中、餌場から戻ってきたハイイロチュウヒのオス。

ハイイロチュウヒのメスは褐色です。

次に渡良瀬遊水地を訪れたのは翌年2018年1月7日です。この日の日の入りは午後4時42分です。ハイイロチュウヒのオスが現れたのは、午後4時31分です。(もっと早く帰ってきてくれないかな!!!)

バックが黒系だと羽毛の色が際だちます。

午後4時50分、日が沈み、空に明るさは残っていますが、葦原は暗くて、良く見えません。飛んでいるオスを何とか撮影し、帰りました。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

5月 10 19

楽しい文字の世界(第17回) 新元号「令和」について

by staff

第17回 新元号「令和」について

新元号「令和」が発表になる4月1日。私は横浜スカイビルで待機、発表後1時間以内に音楽に合わせて書道パフォーマンスにて披露することになっていました。発表後直ぐに、文字をどのように書くか半紙に書いて確認、予め用意してあった8分半の音楽に合わせてピッタリ書けるように音合わせ。MCさんとトークの打ち合わせ。あっという間に
「本番5分前です。」
一般のお客様に加え、テレビ・新聞のメディアの方も多く集まり、舞台裏だけでなく、会場も緊張感が漂っていました。

4/1 発表時に横浜スカイビルにて

その後直ぐに移動して、夜のテレビニュース番組出演用「令和」の揮毫。

4/1 テレビ東京WBS (ワールドビジネスサテライト)

4/2 テレビ東京ゆうがたサテライト

4/2 横浜タカシマヤ写真館にて、お客様が「改元ウェディングフォト」撮影用に揮毫

4/30 横浜ベイクォーター

5/1 新宿小田急百貨店前にて VRアーティストとのコラボ

5/1 東京タワー「令和」の花絵づくりの文字

5/1 タウンニュース

同じ「令和」でも、色々書き替えています。楷書できちんと。少し続けて行書体で。デザインの要素を取り入れてデザイン書道で。。
さて、発表後直ぐに横浜スカイビルで揮毫した時、4/1「令」の書き方でどちらにしようかと思いましたが、政府が発表した文字に準ずることにしました。
少しそれについて触れてみます。

光村図書の中学書写に掲載されているものです。

私たちは、手書き文字を習ってきましたが、最近では活字に触れる機会が圧倒的に増え、もしかしたら中段、下段の活字の方が見慣れているかもしれません。「令」の3画目が点なのか横画なのか、最終画が点なのか縦画なのか。それらは手書き文字か活字かの違いです。漢字には許容範囲があり、どちらでもよいとされている範囲があります。「令」も今回、文化庁が発表した「字の形の違いは習慣によるもので、本来は問題にする必要がない。」ということ。お好きな方でどうぞということですね。あなたはどちらで書きますか。

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して25年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

5月 10 19

しあわせの「コツ」(第29回) 日本人にとって「自然」とは?

by staff

第29回 日本人にとって「自然」とは?

フランス国費留学生の修士論文のチューターを務めていた時のこと、日本のあらゆることに興味津々の彼女から、思いがけない意見や感想を聞くことがよくありました。

ある時、彼女が少し怒ったような顔でこう言いました。
「日本人は自然を愛すると聞いたけど、嘘ですね。自然を侮辱しているじゃないですか!」
何のことかと思ったら、彼女は寿司の「バラン」に怒っていたのです。

「なぜ、本物の葉を使わないの? お寿司までみすぼらしく見える!」というのです。本物の葉は高いし、手に入りにくいから、とか、「バラン」を擁護する話をしたら、偽物を平気で使う神経が分からない、と言い、さらに、商店街の「桜祭り」で、店舗がみなプラスティックでできた「偽物の桜」を飾るのはおかしいとまでいうのです。日本人の言う「自然」は本物の自然ではなく、「自然まがいの偽物」だ、とそれは厳しいお言葉(笑)。

確かに、商店街はどこも春は桜、秋は紅葉のプラスティックのオーナメントで飾り立てています。それを今まで「おかしい」と思ったこともなかった私は、留学生から改めて日本人にとっての「自然とは何か」という問題を突きつけられたような気がしました。

日本人は「自然」が好きだ、と大部分の日本人自身は何の疑いもなく思っていることでしょう。でも、本当にそうでしょうか。

建築家で辛口のエッセイストであったバーナード・ルドフスキーは、2年間の日本滞在で見聞したことを「キモノマインド」という本にまとめましたが、その中で彼は民家やアパートの玄関先に所狭しと鉢植が置かれている様子について、こう書いています。

「日本人には巨大な本物の自然というのはあわないのだろう」

バーナード・ルドフスキー



玄関先に並ぶ植木鉢。ルドフスキーが愛した日本の「自然」。
かつての下町にはこんな光景が当たり前に見られた。

確かに日本人が「自然はいいなぁ」という時にイメージする自然は、里山のように適度に人間の手が入り、生命を脅かすこともなく、鉢植えや盆栽のように愛玩できる「小さな自然」かもしれません。ルドフスキーがいう「巨大な本物の自然」は、厳しい冬の寒さを「冬将軍」、大雪を「白魔」と表現するように、何か恐ろしい物として遠ざけているようです。

日本人が好んで愛でる自然として「花鳥風月」という言葉がありますが、これも優しい自然ですね。日本人にとって自然とは、「愛でる」という言葉が表しているように、身近にあって戯れることができる規模の「小さな自然」なのです。思えば、日本人は万葉の昔から「花を摘む」「花を見る」という形で自然に親しんできましたが、決して登山のように、猛々しい自然に挑むようなことはしませんでした。

万葉集の雄略天皇のお歌を描いた大亦観風の絵。
「菜を摘む乙女」が野に遊ぶ様。のどかでおおらかな自然が描かれている。

カナダに留学したことのある人が言っていました。雪でバスが大幅に遅れ、約束の場所に行けなかったのでお詫びをしたところ、先方が「マザーネイチャーだから(仕方ありませんよ)」と答えたというのです。なかなか来ないバスを待つ人々も、「マザーネイチャーだから」と、焦ったり、イラ立つこともなく、穏やかな表情だったそうです。「マザーネイチャー」の厳しさを受け入れて生活しているのです。これが今の日本だったらどうでしょう(笑)。自然を愛するはずの日本人が、雪という自然現象をを受け入れるより、あちこちでパニックになっていますね。

「小さな自然」を愛する日本人は、大きな「マザーネイチャー」の中で暮らすより、「扱いやすい大きさの自然」を生活に引き込んで快適に暮らすことを選んだのでしょう。ですから「手ごろな大きさの自然」がない時は、それを作りました。はじめは盆栽のようなものだったかもしれません。しかし、ひとたび人間の手が入れば、あとは様々な工夫がなされるようになるのは時間の問題です。それも、あたかも「自然」であるかのような顔をして。

例えば、生け花を見てみましょう。生け花をする人は、きっと自然を愛する人だろうと思われています。でも、生け花は決して自然ではありません。誰も自然界の花があのような状態で咲いているとは思わないでしょう。技術と練り上げられた感性の極みで、自然界ではありえない花のたたずまいが立ち現れた時、人々は「美しい」と感じるのです。いわば「観念化された自然」、それが生け花であり、日本人が愛する「自然」なのです。

自然界では絶対にこんな風に生えていません。自然からかけ離れているのに、
私たちはこれを「美しい」と感じるのです。

「自然」が観念化されるとは、「自然」から具体的な要素、例えば花びらの形や色などが抜け落ち、コンセプトやイメージの集合体となることに他なりません。

例えば、小野小町の和歌「花の色は移りにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに」の「花」、世阿弥の「秘すれば花」の「花」は、梅でも桜でもありません。
それは、つぼみをつけ、花が咲き、やがて枯れてゆくという花の一連のプロセスや、華やかさ、美しさという花の属性が、自分の語りたいことを表すための操作概念として使われているのです。

「花鳥風月」にしても同じことです。どれも少しも具体的ではありません。いわばイメージ存在なのです。そのイメージを具体的に表現する段になると、今度は「らしさ」が必要になります。面白いことに、この「らしさ」を表現するためにはかえって自然から離れた方がいい場合があるのです。

たとえば、冒頭の「バラン」でも、自然界のものは色や形がまちまちです。入手も大変です。いつも同じ品質の「これぞバラン!」というものを提供したいなら、人工的に作るしかないのです。だから「イメージとして完璧なもの」を作ることにおいて、人工物を使用することに私たちは抵抗がありません。桜祭りだからだと言って、「祭り」にふさわしい満開で枝ぶりも良い桜が、そう至る所にある訳ではありません。「だったら、理想的な桜を作ろう」という流れになるのはごく自然なことなのです。

上毛電鉄の「桜列車」。花は満開なのに葉が出ている枝の飾り。
自然界では葉桜になる頃、花は盛りが過ぎている。

問題はそれが本物の桜かどうかではなく、「どれほど桜のイメージを完璧に体現しているか」が重要なのです。日本人にとって、イメージは時として現物よりも大切なものなのです。

自然を愛でる日本人。それは「自然のイメージを愛でる」日本人という事にほかなりません。私たちは思いのほか観念的な民族なのです。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

5月 10 19

2019年5月 三ツ池だより 「新しさを準備する」

by staff
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「令和」に年号が新しくなった。おめでとうございます。今まで考えてみれば世代交代が生前譲渡ではなかった。今回のように明るく年号を迎えることができるのはすごいことなのかもしれない。

 「桜舞ふ」
桜が舞っている
3筋4筋と
少し上に上がって散っていく
  ゆっくりした日に
  ベランダを眺めている
  陽が暖かく微笑んでいる
桜がじっとしていて
太陽に照らされている
ゆっくりとふりそそぐ光を感じている

小学校に入学した時2つの校舎があって、古校舎には太い桜の木が校庭に何本もあった。二宮金次郎の像もあった。65年ほど前のことになる。数年して新校舎の方に統一された。

 「かわっていく」
時代は変わっていく
歩く歩幅は変わらないかもしれないが
それぞれの動きは変わっていく
  それでいいのだ
  それが大事なのだ
  時はかわってきている
生きること
皆が元気で過ごせること
それが時代をつくっていくこと
  歩く場所をかえていく
  歩く目的はかわっていく
  もとめられていることがかわってきている

時代は変わっていくし、修正も必要だし、これからの時代をどのようにしていくのかの考えも必要だ。誰でもが自分の存在に誇りを持てるようであってほしい。一人一人の向上心が時代に反映していくものであったらいい。

 「自分の存在」
いつもいつも
ペンをはしらせることが
ただはしらせることができて
ありがとう
  今日も行ってくるよと
  透析の家内を
  病院のある駅前におろして
  会社へ出掛けていく
休日には馬場にある花木園へ
すっかり整備されて
うれしそうに咲く花木を見る
こちらもうれしい
  いつもいつも
  何かを書いておきたくて
  写真を撮り文字をつづる
  ありがとうありがとう

ありがとうと言える社会はどんな社会なのだろうか。これは言ってもらうのでなく、こちらの自分が発していく。役立つ行為であり、生きやすくなることである。国と国のことではどんな社会になっていくのだろうか。

 「今来た道を」
一歩一歩
歩いている
今来た道を
  遠い空に
  雲がゆっくりして
  たなびいている
今来た道を
歩いている
一歩一歩
  遠くにいくのではなく
  ゆっくりと
  今をつくりあげている

これからの道は今来た道の単なる延長ではなく、夢が抱ける道であって欲しい。幸いなことに日本は世界で一番永く継続されている体制である。これを維持していくことであり、その精神を継承していくことである。一つ一つの命が繋がっていく、確かな道を進んでいきたい。

 「それがいいね!」
今が
それでいい
それでいいよ
  今が
  あるからいいが
  明日はどこから
明日がくる
それでいいよ
ありがとう
  今があるんだね
  明日は明日
  今が明日をつれてくる

関東大震災を知らない世代で、私は75歳になっている。東日本大震災に遭遇した。自分で体験してみると、当り前に生きていると思っていることに不安を感じる。あの時に、「地震があったらこの道を使って避難する」とマニュアルをもっていた学校が存在していたことに感激した。過去の経験をきちんと生かしていたのであった。

 「地震をどう乗り越えていく」
あれから8年
東京で会合があって
建物の揺れがひどくて
地上に降りた
  大きな地震があった
  あったとわかり交通がマヒした
  新幹線が動いているとわかった
  新横浜に夜中についた
家族の消息がきになった
みな無事であれから8年
私が社長を退いたように
様々なことが変わった

日本をもっと全体として見ていくことが今求められているのではないだろうか。農業が成り立たなくなってきていると言われているが、見直しが求められていのではないだろうか。大阪都構想もそうだ。東京一極集中から脱皮していくときなのではないか。高度な自給自足が求められているのではないか。

 「いくつになっても今は今」
書評を
投稿させていただいて
100号を超えた
  人生を歩いて
  75年になる
  不思議なことに出会う
「習慣を変えれば
人生が変わる」という本を
読んでいる
  今日が75歳の
  誕生日だと想定しよう
  と出てきた
今日は
土曜日の
本当に穏やかな日

新しさをどのように準備し、あらわしていくのか。楽しみである。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

5月 10 19

ゆるマナー講座(第43回) 継承すること「三春滝桜」に学ぶ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

新緑が日々色濃くなり色とりどりの花が咲き誇る季節になりました。
東北の桜ももう葉桜のようですが、今回は桜から感じたことを書きたいと思います。

命を繋ぐ三春滝桜

4月下旬、福島の「三春滝桜」が1000年の刻を紡ぎながら見事に咲き誇る姿がテレビの映像に移し出されていました。ピンク色の花が流れる滝のように咲く様子から「滝桜」と呼ばれていますが、映像を通してもその美しくたおやかな姿に神々しささえ感じました。
「さくら」の語源は神さまに通じる言葉だそうですから、尚更そう思えるのかもしれません。
毎年桜の季節になると開花宣言が待ち遠しく、いくつかの蕾を見つけただけで巡ってきた春にちょっと幸せな気分になるのは日本人のDNAですね。

滝桜の美しさはさることながら、三春の人々がいかに桜を守り、滝桜の命を繋いでいるのかを知って、今更ですが「繋ぐ」ことの尊さを改めて感じました。
樹木医や町の人々の保存活動…草取り、腐葉土を作り根の周りに穴を掘って入れる作業、雪が積もれば雪下ろし。
また子ども達は実生で育てるために種を拾い、きれいに果肉をとり、一粒一粒を蒔いて育てているそうです。
滝桜の命を次の世代に繋ぐために、多くの人々が日々心を砕いている姿には心を動かされます。そして滝桜の小さな苗は日本だけでなく世界中に贈られているそうですから、次の100年、200年…1000年と、きっと命が受け継がれていくことでしょう。
アナウンサーの後何年くらい咲いてくれますか?の問いに、樹木医の方が「1000年」と当たり前のようにおっしゃった言葉が力強く響いていました。

時代を超えて受け継ぎたいもの

桜の命を繋いでいくのも、また文化や伝統を次の世代に継承していくのにも意志が必要です。私自身はマナーをお伝えしているのですが、家族でお正月や雛祭り、端午の節句といった年中行事を行うことも少なくなりました。その代わりハロウィンなどが若者の一大イベントになりつつあります。ただ元々日本の年中行事の多くは大陸から入ってきたものです。それが時を経て日本風に変化して今に伝わっているものですから、数十年後にはXmasのようにハロウィンなども私たちの暮らしに定着しているかもしれませんね。

文化やしきたりは一度途絶えると経験した人、引き継げる人が少なくなり、やがては文字でしか知ることができなくなります。何を子どもたちに残してあげたいか、少し考えてみることも大切です。

日が昇り、沈む。季節も巡る。この循環があるから日々の暮らしも繰り返されていきます。
四季を感じられる日本ならではの昔からの年中行事も子ども達に経験して欲しいと思います。幼稚園や保育園で先生方が子ども達と端午の節句に折紙で鯉のぼりや兜を作ったりするのも子ども達には楽しい経験ですね。その経験が次の世代に受け継がれていくのですから。

時代は平成から令和へと変わりました。即位に伴う様々な儀式が執り行われ、秋には「大嘗祭」が行われます。神武天皇以来、脈々と受け継がれてきた皇室の儀式を今年は私達も目にする機会が多いでしょう。時代に合わせて変化しつつも2600年もの長きにわたり継承されてきたことに自然と敬意の気持ちがわいてきます。

100年の桜

写真の桜は山口県防府市の向島小学校の蓬莱桜です。100年前に当時の卒業生が植えたという話ですが、今では樹高9メートルの大木となり3月中旬には淡紅紫色の見事な花をつけ、毎年卒業していく生徒達を祝福するかのように咲き誇ります。やはり100年の間には台風など困難なこともあったでしょうが、守って来た人たちがいたからこその100年の桜です。
三春滝桜のように1000年の刻を紡ぎながら生徒達が巣立つ姿を見送って欲しいものです。

「継続は力なり」…むしろ力をいただけますね。


山口県指定記念物 向島小学校蓬莱桜 約100年前に植樹

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

5月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第74回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第74回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

昨年、上野の森美術館で “エッシャー展” が開催されました。想像以上に若い人が多く大混雑。若い人の鋭い時代感覚には驚嘆しました。40年以上前にも展覧会を見た記憶があり、今もその時のガイドブックが残っています。現実にはあり得ない情景を描き出す“だまし絵”の異才と思い込んできましたが、今回の美術展を通じて、建築装飾美術学校で学んだ建築技術者としての素養が基盤であることを実感。見えない世界を見せる技術力。不可思議で不条理。緻密で独創的。錯視と幻想の世界。また、エッシャーといえば “正則分割(様々なモチーフを反復)” と “メタモルフォーゼ(姿を変態)” 。現実把握や空間認識を混乱させるイメージ群。芸術と科学・数学の境界の中で、論理的に決定不能な命題との遊び。AI時代は数学と美術の融合の時代。最近、欧米でMBA(経営学修士)よりMFA(美術学修士)の人気が高くなっているとか。梁塵秘抄では“鈴はさや振る 籐太巫女 目より上にぞ鈴は振る ゆらゆらと振り上げて 目より下にて鈴振れば 懈怠なりとて忌々し 神腹立ち給う”とあります。鈴は目より上で振るもの。でないと神さまがご立腹。“我々が演奏しているのは人生”とルイ・アームストロング。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

水墨画 黒と白では誤魔化せない 結果が即座に跳ね返らない時期こそ大切
頑張っていれば誰かが見てくれる 生産・消費だけが生活のすべてではない
柔道の勝負で怪我の影響というものはありうる しかし、それも柔道のうち
和傘から照明具・茶室へ変身 生きたり働く時は簡単にできないといわない

水墨画は、唐代に成立した墨で表現する墨絵の一様式。墨を線や面、ぼかしで濃淡・明暗を表現する絵画。油絵とは異なり、筆墨が紙に浸潤する景色が持ち味。宋代は禅宗的故事・人物画。明代は花卉・果物・野菜・魚などの雑画。日本では、奈良時代に大陸から墨が伝来。達磨図など、禅の思想を表すものから山水画へ。日本の水墨画といえば室町時代の画聖・雪舟。上野の国立博物館の国宝“破墨山水図・秋冬山水図”は時々展示され、外人観光客にも大人気。生産・消費だけが人生・生活のすべてでないのかも。水墨画の特徴の一つが余白。余白による躍動感・生命感。 “1つのわざに絞り世界一になるまで磨く。そうすると、他のわざは比較的楽に習得できる” と柔道家・野村忠宏。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

誠意をもとにした効率化 楽しい上に効果的
懸命の努力とは 理に適った努力ということ
判断力の劣化 これを何としても避けること
頭脳のエコノミー症候群こそ最も危険な兆候

エコノミー症候群は、長時間同じ姿勢で座っていると、脚の静脈の血が流れにくくなり、血栓ができる事から起こる症状。頭脳にもエコノミー症候群の可能性。政治家のチャーチルは、頭脳にも筋肉があると想定し、あることでうまくいかなかったら別の筋肉を使うことを意識したとか。人間が他の動物に比べて最も優れているといわれる思考力への対応。21世紀は “頭脳資本主義” の時代。頭脳が世界中のセンサーと繋がるステージへ。頭脳の活性化には、本人が納得する充足・満足体系の確立が不可欠。それにはイチロー流の日々の “懸命の努力・理に適った努力” しかなさそう。 “生れたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ” と哲学者・九鬼周造。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

人間の一番の幸せは学び 他と違うことが素晴らしい
力尽して山越えし夢露か霜か、と波郷 言葉は心の食
土と闘わない 自分の掟で生き何者にもなろうとせず
是非を看破 何の故に恐縮したる海鼠哉、と夏目漱石

夏目漱石といえば、肘をついたポーズが定番。これは英国の歴史家・カーライルのポーズを真似たもの。漱石は英国留学中、カーライル博物館を訪問し掌編を書いています。カーライルは胃弱で、漱石も胃弱だったことから共感度が強まったとも。漱石の名の由来も痛快。中国で “枕石漱流” を “漱石枕流” と間違えた故事が人口に膾炙したものとか。当初は、親友の正岡子規のペンネームの一つだったものを、漱石が譲ってもらったものらしい。その昔、雑司ヶ谷墓地にある漱石のお墓にお参りの折、墓石に夏目金之助とあり、本名が金之助であることを初めて知った次第。 “プラハの春の直後のメキシコ五輪では芝生を床に、倒木を平均台と考えて練習した” と東京五輪の華・チャスラフスカ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第74回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
5月 10 19

書評「習慣を変えれば人生が変わる」 ディスカヴァー・トゥエンティワン マーク・レクラウ(著),弓場 隆(翻訳)

by staff
 
タイトル 習慣を変えれば人生が変わる
単行本 (ソフトカバー)
出版社 ディスカヴァー・トゥエンティワン(2019/2/28)
ISBN-10 479932411X
ISBN-13 978-4799324110
発売日 2019/2/28
購入 習慣を変えれば人生が変わる プレミアムカバー

表紙に「あなたの人生の転機になる、とても簡単で、どれも大切なこと。」とコメントがあり、「100の人生のコツ」に興味も持って手にした。

「ポジティブな思考を選ぶ」という項がある。思考がどんな強い力をもっているかに気づいたら、ネガティブな思考を絶対にしなくなるはずだ。ポジティブな思考とは、現実をあるがままに見て、それを受け入れて最大限に生かすことであると言われる。脳を訓練することだと。

Exerciseがある。「48時間、ネガティブな思考をせずに過ごそう。ネガティブな思考が浮かんだら、それをボジティブな思考と入れ替えよう。最初は難しいように見えても、練習すれば、簡単にできるようになる。そして1週間、これを試してみよう。」そうこれをやってみるとたのしくなる。プラス思考になっているのかなという思いがでてくる。

「自分を鼓舞する信念を持つ」という項がある。人生は偶然の成り行きで展開するのではない。人生は自分の信念を反映しながら展開する。だから、人生を変えたければ、信念を変えなければならないという。この場合、出来ると思うのは「自分を鼓舞する信念」であるという。 ・すべてがうまくいく。 ・人生は素晴らしい。 ・チャンスはいくらでもころがっている。 ・私は自分の人生を積極的に切り開く。 ・私は幸せを手に入れるにふさわしい。 ・私は人びとに好かれる。 ほほ・私は出来る。以上のような自分を鼓舞する信念を持つのだと言う。

Exerciseがある。1 自分を限定している信念を書き留める。2 信念、感情、行動、結果という順番に信念が現実になることを覚えておく。3 違う結果を得るためには、どんな信念を持つ必要があるかを考える。

「自分をよく知る」という項がある。人生を変える前にすべき最初のことは、自分の現状と自分に欠けていることを理解することであるといわれる。そして時間をとって次の質問に答えてほしいと言う。

  • あなたの人生の夢は何か?
  • 人生の最帰が近づいたとき、しなかったことで最も後悔することは何か?
  • 時間とお金に余裕があれば、何をし、何になり、何を手に入れたいか?
  • 人生で何に興味をいだいているか?
  • 自分の人生を制限しているのは何か?
  • この一年間で最大の成果は何か?
  • この一年間で最大の不満は何か?
  • 他人を喜ばせるために何をしているか?
  • 自分を喜ばせるために何をしているか?
  • これまでで最高の仕事は何か?

「自分の最も大切な価値観を把握する」という項がある。自分の価値観を把握することによって、人生で欲しいものをさらに引き寄せることが出来る。自分に喜びと充実感と心の平和をもたらす価値観は何かを見極めようと語られます。質問がでます。

  1. 人生で非常に大切なのは何か?
  2. あなたにとって、人生の目的は何か?
  3. 心の平和を感じるのは何をしているときか?
  4. 時間の経過を忘れるぐらい楽しいことは何か?
  5. 尊敬している人たちを思い浮かべ、彼らのどんな資質に敬意を抱くか?
  6. どんな活動をしているときが最も楽しいか?
  7. どんな瞬間が喜びと充実感をもたらすか?
  8. あなたが耐えられないことは何か?

Exerciseがある。少し時間をとり、目を閉じてリラックスしながら、今日が自分の75歳の誕生日だと想像しよう。家族と友人が集まって祝ってくれている。自分にどんな言葉をかけてほしいか考えてみょう。「ありがとう。本でも書いてだせたらいいね!」とでも言ってもらえたら嬉しいね。ここでの問いかけが全く不思議なことだった。実は私は今75歳になったばかりであり、自分に問いかけてしまっていた。

「目標を書き留める」という項がある。一回に一歩ずつ着実に前進すれば、それまで想像もしていなかったことを成し遂げることが出来るといいます。自分の目標を明確にして、それを達成可能な小さなステップに分解し、目標を達成するための全てのステップを列挙しよう。それぞれのステップと目標に日付を忘れてはいけない。自分の目標について心の中で明確なビジョンを描こう。自分がすでに目標を達成している姿をイメージしよう。それはどんな感じだろうか?どんな外見で、どんな音で、どんな匂いだろうか?質問が出ます。

  1. 自分の人生で10年後にどうなって欲しいか?
  2. 10年後の目標に近づくためには、5年後までに何を成し遂げるべきか?
  3. 5年後の目標に近づくために、1年後までには何を成し遂げるべきか?
  4. 1年後の目標に近づくために、3ケ月後までには何を成し遂げるべきか?
  5. 3ケ月後の目標に近づくためには、今、何をすることができるか?

Exerciseがある。少なくとも3つの目標を書いて行動をおこそう。そしてそこにナポレオン、ヒルの言葉がかかれている。
    「目標とは、締め切りを設定した夢の事である。」

「自分で幸運をつくり出す」という項がある。運というものに科学的根拠はない。唯一の違いは、自分は幸運だと思うか不運だと思うかである。言い換えれば、自分にいいことが起こると予想するか、悪いことが起こると予想するかであるといわれる。「物の見方がポジティブなら、脳はチャンスを見つけてつかむことができる。私たちの予想が現実をつくり出すのである。よい結果を予想するなら、脳はそれにいち早く気づくことができる。」イギリスの著名な心理学者リチャード・ワイズマン博士は「運」について研究し、実験して結論をだしたのだった。

「1時間早く起きる」という項がある。テレビをみるのをやめても時間がないなら、1時間早く起きることを提案している。1時間早く起きることのメリットは、年間365時間も確保できることなのだと言われる。早起きのもう1つの効用は、自分を律しているという誇りが生まれて自尊心が高まることだ。「6時間の睡眠と午後の1時間の仮眠を組み合わせれば十分であることが科学的に証明されている。どのくらい心身が爽快になるかは、睡眠の量ではなく質に左右される。」ぜひライフスタイルを朝型にして快適な1日のスタートを切ろう、と提案されている。

「毎日30分、本を読む」という項がある。本を読まない人間は、字が読めない人間と大して変わらない、と作家のマーク・トウェインが言っているそうである。毎日30分、本を読めば、1週間で3時間半、年間で182時間にもなるそうです。「つねに本を読もう。テレビ(とくにニュース)を見る習慣をやめて就寝前に良書を読む習慣を身につければ、心の平和が得られる。それによって得られるもう1つの恩恵は、創造性が高まることだ、」

「もっとほほ笑む」という項がある。ほほ笑むことは心身の健康を増進し、人間関係を円滑にし、人生の質を高める。もしまだそうしていないなら、今日から意識してほほ笑むことを心がけようと言われる。笑顔でいることは訓練のいることだ。ほほ笑むことはさまざまな状況でストレスのレベルが下がる。ほほ笑むことでものごとがうまくいっているというシグナルを脳に伝えることができるようだ。

Exerciseがある。これから1週間、鏡の前に立ち、自分に向かって1分間ほほ笑もう。これを少なくとも1日に3回実行し、どんな気分になるか確かめてみよう。

「1日で最も重要な1時間を活用する」という項がある。ほとんどの人は起床後にばたばたするばかりで、それ以降も同じように展開する。大勢の人がいつもストレスをため込んで悩んでいるのは不思議ではないと言う。そこで提案される。 ・毎朝、30分か1時間早く起きたらどうなるだろうか? ・起床後の30分をゆったりと過ごしたらどうなるだろうか? ・朝の儀式として10分から15分瞑想をするのもいい。これを習慣にしたら人生にどんな変化がおこるだろうか?

朝の儀式の例がでている。 ・今日は素晴らしい1日になると想像する ・日の出を見る ・ジョギングか散歩に出かける ・日記をつける ・5分間、感謝していることを思い浮かべる

「今日から自分らしい生き方をする」が最後の100番目の項である。人々に共通する大きな後悔は5つの事になると言われる。 ・他人の思惑に左右されず、自分に正直に生きる勇気を持てばよかった。 ・仕事ばかりするべきではなかった。 ・自分の気持ちを素直に表現する勇気を持てばよかった。 ・友人ともっと触れ合いたかった。 ・もっと幸せな人生を送りたかった。著者は語る。「もうこれ以上待ってはいけない。今日から思う存分に生きよう。失敗は学習経験にすぎず、問題は成長のための機会であることを思い出そう。ずっとしたかったことをしよう。これ以上それを先延ばしにしてはいけない。」

最後に著者は語る。「さっそく本書の原理を実践しよう。あきらめそうになったら、ゴールは間近であると自分に言い聞かせ、もうひとがんばりしよう。」

(文:横須賀 健治)

 

5月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第8回 「4つ目の元号をまたいで」

by staff

第8回 4つ目の元号をまたいで

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第八回目でございます。

元号が令和となりました。令和元年。
だいたい普段と変わらないと思いつつ、やはり色々な意味で新たな気持ちにさせられるものです。
また元号が変わったことで、激動の昭和の時代が2元号前のものとなってくると、まさに「昭和は遠くなりにけり」という言葉がしっくり来るようになってまいります。
しかしながら、64年も続いた昭和という時代はやはり偉大で、平成において数々の技術進歩を遂げ、大変便利な時代になったにも関わらず、昭和の名残を残すものは今だ街中にあふれています。
今回は横浜の下町の一つ、南区は八幡町へやってまいりました。

南区八幡町の通り。
かつては中村川の向こうにある横浜橋商店街同様に賑わいを呈していたという。

やってまいりました、と言っても、私にとっては近所で、私の実家も家内の実家も徒歩圏内、初詣も娘の七五三もこの町名の由来である「中村八幡宮」で済ませているし、毎日見ている風景です。
ピンポイントで新築の住宅が建ったり、コインパーキングになったりと時の移り変わりを見せてはいますが、昔ながらの銭湯や豆腐屋や総菜屋、米屋、甘味処、金物屋など、長年頑張り続けているお店も多い界隈。
そして今やハマっ子なら知っている人も多い焼きそば屋「磯村屋」もこの界隈に位置しております。
今回は「磯村屋」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様はXXページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

下町風情溢れる通りに、磯村屋はある。
コカ・コーラは垢抜けているものだが、
手書きの屋号と組み合わせると一気に昭和感が出るのが不思議だ。

昭和28年創業。昨年65周年という、もうそれだけでも凄いですね。
半世紀以上、この下町界隈を……、月並みなセリフしか出てきません。
店主の磯村愛子さんにお話を伺いました。
愛子さんの旦那様は昭和20年代、昔で言う「担ぎ屋」の仕事をしていました。甘納豆などを小売店へ卸すようなことをしていましたが、なかなか不安定な部分もあり、「大変な時代だった」とか。
昭和20年代後半まで、今のローソン横浜八幡町店があるあたりにちょっとした商店の集合体があったそうで、10店舗あった店が火事になり焼失してしまい、立ち退きを強いられ、その10店舗の中の一つが焼きそば屋だったそうです。その店主が立ち退くから焼きそば屋やるならひと通り教えてあげるよ、と愛子さんに打診したのが磯村屋創業のきっかけ。

最近新調したという暖簾は6代目とのこと。
「子供がいじったりして破けるんだけど、
その度に常連さんが作ってくれるの。ありがたいよ。」
と笑う店主・磯村愛子さん。

「昔はこの辺りも横浜橋に負けないくらい賑わった商店街だったんだけどね。焼きそば屋とかおでん屋はウチ以外にもいくつもあってね。学校帰りの子供たちがおやつ使いでたくさん来たのよ。」
最近はこの辺りも子供の数は減り、高齢化が進み、愛子さんも例に漏れず高齢となっていますが、暖簾が出ていることを確認する近隣の高齢者も多く、通りかかる度に愛子さんに声をかけていきます。街の人気者です。

店内。時が止まっているのではないかと錯覚するが、時代は令和。
21世紀も5分の1。ついついゆっくりしてしまうが、時は容赦なく過ぎて行く……

テレビもなくBGMもない店内。平日の午後に来ると本当に静かです。ただただ、愛子さんの焼きそばの炒め音が聞こえてくる。そんな昼下がりがとても心地良かったりします。

店内メニュー。手書きはどこかホッとする。
何度も来ているのにカレー味は食べたことがない私。

9年前の拙著ではポテト入りの大盛り(300円)を食べていたが、
最近は三色(卵・肉・ポテト)の大盛り(400円)を食べることが多い。出世したな俺も!

拙著はポテト入りの大盛りを食べていましたが、今回は卵・肉・ポテトの「三色盛り」をいただきました。昔ながらの茶色い深蒸しの麺とともにウスタータイプのソースでまとめています。真似が出来そうで、出来なさそうな、良い意味で複雑な味わいとなっているのが、磯村屋の焼きそばの特徴かと思います。

磯村屋の名物は焼きそばだけではない。
大手コンビニに挟まれる立地で1個85円で頑張り続けているおでんは地元ならではの種を楽しめる。スジ、ちくわぶ、そして横浜ローカルの花こんにゃくの「関東3種」で。

おでんは冬季から春先限定なので、これからの季節はしばしなくなるかと思いますが、磯村屋のおでんというのも欠かせません。全国トップクラスの店舗数を持つ2社のコンビニに挟まれながら、1個85円という手頃なおでんは常時10種類以上の種を用意しています。
特に横浜ローカルと言われる「花こんにゃく」は、貴重なおでん種です。

夏の暑い日も、冬の寒い日も、65年以上、この鉄板で焼きそばを作り続けている
店主・磯村愛子さん。

大正14年生まれの磯村愛子さん。激動の昭和で35年間、平成の31年間を経て、新元号・令和元年。人生で4つ目となる元号となってもなお現役で焼きそばを作り続けています。
のんびりした春の日も、夏の暑い日も、秋の小春日和も、冬の寒い日も、この小さな鉄板から生み出された数多くの焼きそばは地元の名物だけであるだけでなく、遠方から車で駆けつけて求める人もいたり、休日になれば行列を作ることもあったりと、いつの間にか多くの人々に愛され続けています。
近年は2、3カ月休業したのが2度ほどあり、高齢だから無理をしていないのかなと思っていたのですが、
「交通事故で足を怪我したのと、白内障の手術。それだけ。後はほとんど頑張っている。」
とのこと。
「引き継ぐ者もいないから、私の代で終わり。あと一、二年頑張れたら良いかと思ってる。」
寂しさよりは、ここまで頑張って来た万感の思いが伝わって来ました。
私にとっては通勤時など毎日なんとなく見ている風景。いつまでもあるものではないと思いつつ、今日も暖簾が出ている、そのありがたみはこれからさらに大切にかみ締めていきたいと思います。

磯村愛子氏と拙著。
席に座って休憩しながらお話を伺っていたのでそのままで撮影。
こちら都合で無理はさせられない

「女優の片桐はいりさんも良く来てくれていて。そうそう、この前なんか、浅野忠信さんが赤いオートバイにサングラスで来たのよ。カッコ良かったわぁ。」
そう笑って話す愛子さんの瞳は、94歳とは思えぬ女子の眼になっていたのでした。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

5月 10 19

チャレンジ(第9回) C.P.FACTORYお披露目会開催!

by staff

C.P.FACTORYお披露目会開催!

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。新しい元号が始まりましたね。皆さんはどのように10連休を過ごされましたか?私はお仕事三昧でした(笑)フリーランスとは、人が休む間に進められるお仕事を依頼される事が多いです。金曜日の夕方に連絡があり「土日に作業してもらって、月曜日の朝9時に初校を提出してください」ということがよくあります。毎週決まっていれば予定も立てやすいのですが、結構、突然にお仕事がくるし、断ったら次はない・・・という悲しきフリーランス業ですが、最近では調整が利くようになり、慢性的な睡眠不足は解消され、10連休も家族と過ごす時間を取る事ができました。

そして先月お知らせしたように、今日から4日間、銀座でC.P.FACTORYのお披露目会を開催します!

大人が集えるオーダー展示販売会 vol.2
https://www.otona-order.com/
 
◆2019年5月10日~13日
◆銀座ギャラリーボヤージュ

今回はオーダー展示販売会なので、お好きな裂き織生地を選んで頂き、裏面、中面の生地やタッセルなどもお好きな組み合わせでオーダーして頂くことが可能です!

5月のイベントということもあり、春らしい薄いピンクや黄色、夏に向けた海をイメージしたブルー系の裂き織生地などをご用意いたしました!更にお勧めは黒ベースの生地。フェイラーをイメージさせるような裂き織生地と黒のサテンなどの組み合わせはクラッチバックとしても、バックインバックとしても素敵です!

裂き織生地は全て、横浜市内の障害者施設で作られました。その後のサンプル作りや、完成品の制作などは健常者が関わりますが、多くの人たちのアイディアやご協力を得て形になっています。そして、「職員が手伝っている」「障害者だけではここまで作れない」などのご意見を頂いているのも事実です。

「人は一人では生きれません」

多くの人たちに関わって頂いているC.P.FACTORYというブランドですが、関わる人たちそれぞれが得意なことを提供してくれています。一人一人ができることは小さいかもしれないけど、それを集めた大きなブランドです。私はそれが良いと思っています。

一人で生きているように見える人でも、健常者でも一人で生きているわけではなく、多くの人たちと関わりながら生きています。世の中には働きたくても思ったように働けない人がたくさんいます。でも、少しの手伝いや工夫があれば作業ができる人だっています。

そのことを伝えるためにも、イベントに出展して、ブランドの広報活動をしていこうと考えています。
私は4日間イベント会場にいる予定なので、お時間のある方はぜひご来場ください!

(第9回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

5月 10 19

絵本から笑本へ(第37回) 絵本作家がゆく。~中区 のんびりんこ~

by staff

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、

18カ月かけておしゃべりしている、
絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

今回で13区目となります。今回は中区。
中区の子育て支援拠点は「のんびりんこ」。

中区は絵本作家となる前に図書館職員としても
勤務していたので、縁の深い場所も多いんです。

様々な施設で口演やイベントをさせて頂いてきたのですが、
子育て支援拠点で「読絵ん会」を開催するのは初となりました。

「のんびりんこ」は関内駅にも近く、

アクセスも良いということもあって、
区外から遊びにくる親子も多いみたい。

ぼくがイベントを開催した日も、
本当にたくさんの親子が集まってくれていました。

そして、他の区の子育て支援拠点と比べて
外国人親子の利用者も多いんだそう。

ぼくが数年勤めていた中区の図書館も
外国人利用者は多い方でしたし、
やはり中区の土地柄なんでしょうね。

だからこそ「のんびりこ」でも、
外国人親子へむけた様々なイベントを開催しています。

ときには外国人のお母さんが主役になって、
簡単な手遊びやゲームをしたりもしている。

子ども達にとっても、他国の文化を身近に感じる
とても良いきっかけになりますよね。

ぼく自身も一昨年から定期的にベトナムへ行っています。

今後も、色々な国に行く予定になっているのですが、
やはり、国によって文化が違うわけですから、
子育てに対する考えだって違う。

勿論、日本の子育てが世界で一番良いとも思わないし、
だからって他の国に習って変える必要もない。

要は、その国に合った、
更に言えば、その国の今の時代に合った
子育てであればそれで良いということ。

大人達が色々な国の、色々な子育てがあるんだと知ることで、
これからの時代を生きる子ども達に向けても、
新しい「何か」を伝えることが出来るんじゃないかな。

「のんびりんこ」に入ると、

すぐ目の前の大きな窓に目がいきます。

そんな大きな窓みたいに、
世界へ向けても
大きな視野で接することが出来る
子ども達がふえていくといいなぁ。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区

<今回訪問した施設のご紹介>

中区子育て支援拠点 「のんびりんこ」
HP: http://nonbirinco.com/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

5月 10 19

第75回 建築家が実践する自分らしい「暮らし方」

by staff

株式会社 GEN INOUE
井上 玄

建築家が実践する自分らしい「暮らし方」

「暮らし」をデザインする建築家

「住まい」 の設計を行う中で様々な価値観や「暮らし」に出会いました。お隣さんとの共有空間をもつ戸建て住宅、仕事場と居住空間の間に緩衝空間を挟んだSOHO、「隣居」的な距離感の二世帯住宅、フレキシブルに増減築が可能なシェアハウスなど、いずれも今までの常識や形式では窮屈でした。この特徴を最大限にいかした建築的な提案を通して「住まい」だけでなく「暮らし」をデザインすることを目指し設計活動を続けています。

自宅を「海近」の逗子へ

私は横浜で設計事務所を主宰すると同時に二児の父親です。私が子どもの頃、海での磯遊びや山の散歩は休日のイベント、つまり非日常的なものでした。自分の子どもたちには日常的に自然に触れて欲しいという気持ちが引越しの原動力となり、子どもの小学校入学を機に自分の育った横浜を離れ、逗子の「海近」の場所に引越すことを決意しました。一方、「海近」ではありますが「駅近」ではなく不便です。この不便を自分の働き方を変え肯定的に捉え、自分の描く「暮らし」を実践する勇気を持てば、豊かな「暮らし」を手に入れられることに気づきました。

設計事務所の働き方改革

この引越しを機に、自分の主宰する横浜の設計事務所の働き方を変えました。自分だけではなくスタッフ(社員)の働き方も、そのライフステージにあった働き方、それぞれの暮らし方にあった働き方を享受していこうと。今では在宅勤務的な働き方なども実践され、質を保ちながら効率的に仕事を進めています。設計事務所の場所は「駅近」で便利を優先した結果、大きさは小さくなりましたが、ワンフロアーを3社の設計事務所がシェアする楽しい仕事場です。

多拠点居住の実践と自分らしい「暮らし方」のデザイン

引越しと同じ頃、丹沢湖の上流で「山近」の周辺環境を内部空間に取り込んだ「山のセカンドハウス」の設計が進んでいました。プロポーションや素材の異なる7つの縦長の内部空間には、ベッドやソファなどの固定的な家具は置かずフレキシブルな使い方ができる計画としています。時間の流れで変化する光や季節の移り変わりで変容する外部環境を内部に取り込み、使う人のアクティビティや気分によって好きな居場所をさがし移動するセカンドハウスとしました。家族だけでなく事務所のスタッフが使い、地域の人との交流の場となるような開かれた場所となるように様々な可能性を探っています。

このようにどこに住み、どう働くのか?ONとOFFを切り替えるためにどこで休暇を過ごすのか。場所は便利でなくても、有名な別荘地でなくても、魅力的な環境がありそのメリットを最大限にいかしたお気に入りの空間があれば良いのではないか?その魅力をフットワーク軽く遊牧民のようなに楽しむ「暮らし方」。今後も建築家として「多拠点居住」を実践し、その魅力を発信していきたいと思っている。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

5月 10 19

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内

by staff

令和元年がスタートしました。
批判精神のある方にはこの令和の令が 号令や命令の令だという事で権力者たちがその意図をもってつけた。というご意見もあるようです。
私には言葉の響きから、体の細胞がシャキッと爽快に目覚めるような感覚がありますが、これからは一人一人がどんな立ち位置で物事を解釈してゆくのかがその後の人生に大きく反映されてゆく様な気がします。そこには自分とは異なる意見も沢山あるけれど、いつかそれら全てがパズルのワンピースとなりオーケストラの大ハーモニーが生まれていく。そんな予感が感じられる新時代に入って、皆さんの抱負や心境はいかがでしょう。

私は、今年はロック(69歳)エイジ、来年からはコッキー(古希)ポップで生きてゆきます。
前月のご案内でもお知らせさせて頂きましたが、今月と来月は 和歌の歌人の紹介はちょっとお休みして、ネネロック和歌うたの事をもう少し深くシェアさせてください。

21歳の時にアイドルユニットJ&Nを解散して英国のLONDONに渡り、本場ロックの洗礼を受けた私はそのままロックボーカリストに。帰国して歌い始めた当時は非常に突っ張っていたので、名前も “ネネ” と言う名前は一切使わずに 周りを呆れさせていました。

無名のロックボーカリストは歌唱力だけが頼りです。ちょうど日本のディズニーランドがオープンするときで、バンドを組んでオーディションを受けて合格。一年間の契約を結んでTOMORROW LANDのステージで歌い、また英国のハードロックバンド “リッチーブラックモア&レインボウズ” の日本公演ではJABBと言うバンドでオープニングアクトを務めました。そんなロック時代の10年間に培ったロックスピリッツは独断と偏見に満ちていて「体制には組み込まれないわ」 「権力には迎合しません」 「お金じゃ買えない物があるの!」 など若さゆえのナイーブで偏った正義感に囚われていたっけ。突っ張っていたおかげで回り道はしたけれどやっと最近バランスが取れて来たかしら。そんな自分の歩いてきた軌跡をもう一度再確認して今後の人生も明るく気概を持って生きてゆこうと思います。

 

さて、来月の6月15日 原宿のクロコダイルでの演奏は本物のロックサウンドです。
出演者は早苗ネネのほかに、、、、

元ジョー山中とフラワートラべリンバンドでギターを、現在はそのギターとインドの楽器シタールを合体させて新たにシターラと言う楽器を作り出して独自の境地を表現している、シターラ奏者の石間秀機さん。

元ツイストのベーシストの鮫島秀樹さん。彼はツイスト解散後ハウンドドックに移籍しましたが、ちょうどその間に私たちのバンドに入って一緒にディズニーランドでプレイをしていた仲間です。実力も雰囲気も一流のカリスマベーシストです。

元ヒカシューのドラマー 佐藤正治さん。彼は石間秀機さんがこのライブで、是非一緒にプレイしたいと指名が来て 参加をお願いいたしました。

キーボードはヨコハマっ子、竹腰かずゆきさん。現在ミッキー吉野氏とユニットを組んで活躍中の若手。

今回の会場となる 原宿クロコダイルのオーナー 西さんの一押し推薦です。

原宿クロコダイルのオーナー 西さんとツーショット

LIVE HOUSE 原宿クロコダイル

オープニングアクトとして
ROCK-OVEN(ロックオーブン) エレクトーン人見恵子とボーカル早苗ネネのユニットで、小倉百人一首から 2~3曲(20首)歌います。このユニットは軽くてとっても楽しいのでお楽しみに。

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内

今年は人生で最後のロックエイジ(69歳)。
今年は私自身のロックスピリッツを生きてみようと思います。
翌年はコッキ―(古希)ポップになってしまうので 今年だけですが。
昔まだ和歌に出会ってなかった20代後半から35歳までの約10年間 私はロックボーカリストとしてディズニーランドや、リッチーブラックモア公演のオープニングアクト等の舞台で歌っていました。音圧の高いロック音楽はもう卒業いたしましたが、私自身の生き方の中にロックスピリッツのエッセンスは今でも脈々と流れています。
“和歌うた” と出会えたのも、そんな私の中にある普通の道とは少しずれた生き方の中での導きだったと思います。
今年は 自分自身の気概をロックと呼んでみたいと思います。
69歳の誕生日 6月15日には(まだ半年もありますが)40年前にロックバンドでよくライブをさせて頂いた原宿クロコダイルにて、和歌うたをロックで歌おうと思っています。
静かなるロック魂をお持ちの方は是非! 見に来てください。
 
<Day>
2019年6月15日
<Live House>
原宿クロコダイル(http://www.crocodile-live.jp/
<Title>
ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVE ~人生最初で最後のロックエイジだわ!~
<Fee>
前売り(要予約):¥6,900 / 当日:¥9,600
<Performer>
早苗ネネ(和歌うたシンガー)
石間秀機(シターラ)
鮫島秀樹(ベース)
佐藤正治(ドラム)
竹越かずゆき(キーボード&ボーカル)
<問い合わせ>
和歌うた実行委員会(担当:人見)080-6345-4157
<チラシをダウンロード>
NENE ROCKのチラシをダウンロード

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

5月 10 19

ワンちゃん&ねこちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ誕生秘話 お菓子工房Salaの外村貞子さん

by staff

今回の「横浜この人」は横浜市からちょっと足を伸ばし、七沢温泉・大山・東丹沢方面への入り口「愛甲石田駅」から徒歩8分のお菓子工房Salaで『ワンちゃん/ねこちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』で新聞やラジオなどに紹介され一躍時の人となった外村貞子さんにワンコケーキ誕生までの秘話をお聞きしました。

外村貞子さん
外村貞子さん
 
お名前 外村 貞子(とむら さだこ)
お生まれ 昭和32年2月
ご出身 横浜市神奈川区新子安
お住まい 厚木市緑ヶ丘
お仕事 お菓子工房Sala 代表
HP https://www.cake-sala.jp/
趣味 ダイビング,バイク(オフロード)

 

病弱だった子供の頃

私が生まれてから小学2年生まで育った町「新子安」は製糖会社やその工場、関連会社などが立ち並び、そこで働く人が暮らす社宅やアパート、戸建て住宅、生活を支える商店等で1つの町が形成されていました。父は製糖工場で働いていました。社宅の窓から見える空は、工場の煙突から出る鉛色のけむりと同じ色をしていました。窓を開けると臭い匂いがしました。その頃は、まだまだ『公害』に対する関心も薄く、環境問題に対しては今ほどの企業努力もされていない時代でしたから、私は小児喘息になり、学校にも行けず、外で遊べない日々を送っていました。学校を休んでばかりいましたから、友達ができなかったことが「新子安」の思い出です。

引越し

小児科の医師から空気がキレイな郊外で生活をするようにと勧められて、厚木市緑ヶ丘に引越すことになりました。父は休みの日以外にも時間があると私を外に連れ出しました。近くの丘陵地を自転車で走るのです。ギア切り替えがあるわけでなく普通のママチャリでしたから、家に帰る頃はもうクタクタです。お腹はペコペコで夕飯をモリモリ食べるから、体力もつき辛かった「小児喘息」の発作もウソのようになくなりました。それでも病弱だった頃の『引っ込み思案な性格』を引きずっていて、小学生の頃は絵を描くことが好き、本を読むことが好きな物静かな少女でした。 誰も信じてはくれませんが。。。(笑)

人生の転機?

厚木市立中学校に進み、今まで閉じこもっていた『引っ込み思案』という殻から脱皮するかのように明るい性格になりました。

入部した『卓球部』が面白くて夢中になり、レギュラー選手に選ばれました。卓球の顧問の先生は太って貫禄のある方でしたが、卓球をすると驚くほど敏捷な身のこなしで、その意外性が面白くもありました。教え方も上手で、卓球部は大会で良い成績を修めるようになりました。顧問の先生に可愛がってもらったこともあり、部活と塾通いの両立が大変でした(笑)。

夏休みの宿題で描いた絵が厚木市のコンテストで入賞したことが自信となりました。絵を描くことが好きだということは今のケーキ作りにも活かされていると思います。

生涯の師は父

父は、私がテストで悪い点数を取ったり、何か失敗したりしても、怒ったことは一度もありませんでした。その代わり、何が足らなくて間違えたのかを振り返り、必ず出来るようにしてくれました。仕事でどんなに疲れていても、私の勉強を見てくれました。努力すればできるのに努力を惜しむ娘を歯がゆいと思っていたことでしょう・・・父は本当に努力家でしたから。
父から学んだ「失敗の原因を見つけて成功に導く」という教えは、私が社会人になってから大いに役に立つことになりました。

高校生時代

高校は英語教育で有名な私立の高校に入りました。成績は上位ベスト5に入るように頑張りました。部活は卓球部に入部したのですが、中学生時代ほど楽しめませんでしたので途中で辞めてしまいました。

良き友人でありライバルでもあるYさんとの出会いがありました。Yさんとは手作りのものを競争しました。私がクッキーを焼いて来ると、翌日にはYさんが焼いて来るとか、古いジーンズをスカートにリメイクするとか、お金をかけないで手芸作品を競い合いました。手作りの楽しさを実感したのはこの時です。

店内のPOPや季節の飾り物はすべて手作り。
手芸に夢中だった高校時代を思い出します。

読書が好きで、読み始めると徹底して読んでしまって(苦笑)とうとう、ビン底メガネを掛けるようになりました。そして、大学は短大の英文科に進学しました。

就職して社会人に

某スタンプ会社に就職しました。ブルースタンプやベルマークの全盛期から時代はポイント制などへ切り替わる時代で、就職した会社は厳しい状況でした。この会社に株式会社紀文食品から出向してきた専務がいまして新しい事業を推進していました。『豆乳の会社』を立ち上げるという新規事業に人手が必要となり、同じ職場に居たご縁で、私が手伝いを任されることになりました。営業、人事、経理、事務等々、仕事という仕事はなんでもしました。不慣れなことが多く、なかなか上手く仕事をこなすことができませんでしたが、その時は、父から学んだ 「何が足らなかったのか? 原因を見つけて成功に導くこと」を思い出して努力しました。その甲斐あってでしょうか、豆乳事業は成功し、株式会社紀文食品の一分野として吸収されることになり、私も株式会社紀文食品に転籍しました。

転籍した紀文食品では研究開発室で勤務しました。最初は事務仕事がメインでしたが、その後商品開発の仕事をすることになりました。まずコンビニ担当の商品開発をしました。商品を10個作って採用されるのは1個か2個という厳しい世界ですが、時代はコンビニが伸びてきたころで、陳列する惣菜の『商品開発』が求められていました。売上も前月比130%の伸びを記録したこともありました。仕事の実績を認められて、埼玉県にある工場で商品開発を任されて転勤することになりました。厚木市から数時間かけて埼玉県まで通勤していましたが、しばらくすると会社が勤務先の近くに社宅を用意してくれました。

震災から人生を考える

1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神淡路の大震災のニュースを見た時、体中に衝撃が走りました。皆さんも高速道路が倒壊したニュースには驚いたと思います。全国展開をしていたコンビニの仕事で関西にも繋がりがあり、大阪の友人を見舞いながら、自分の人生を考えていました。 「人生ってあっという間、自分の夢を叶えるには今始めなければ」という思いが募りました。私が辞めることは社内中に広まりました。希少な女性の役員として生涯会社に残ると思われていましたから一大事となりました(笑)。

開店したのは3.5坪の店

洋菓子店やケーキ屋さんで勤めたこともなく、専門学校で勉強したこともない私は「怖さ」知らずにこの業界に飛び込みました。試作品を近所に配って感想を聞くのですが、無料で配っていると「お世辞」しか戻ってきませんね。みなさん「美味しいわよ」と答えてくれます。そんな中、友人が心配して、「生ケーキが無ければお客は来ないよ」 「日本人はイチゴのショートケーキが好きなんだよ」という忠告してくれましたのでホームメイド協会でケーキの基礎コースと応用コースを同時に習うことにしました。

愛甲石田駅にほど近い場所に3.5坪の三角地の物件がありました。とにかく、『お店を開く』ことが目標で、自分一人で作って売れる小さな店があれば「できる」と思っていました。なによりも、家賃が安いことが魅力でした。

お店をオープンした時は運が良かったのだと思います。駅前で通学路でもあって、主婦や高校生が入店してくれて黒字が続きました。ところが夏になると客足がピタっと止まりました。原因は「イチゴが手に入らない」こと。農家やフルーツ店、市場などと契約していなかったのでイチゴが入手できませんでした。メロンやぶどうのショートケーキは売れません。また、スペースが3.5坪なので、調理場のオーブンの熱気が店内にこもってしまい、ショーケースの中のケーキから生クリームがとけてしまう事態になりました。こうして3.5坪に賭けた私の夢は早くも転換期を迎えることになりました。

お菓子工房Sala(サラ)

店を移動することに悩みました。店を大きくするには借金が嵩みます。人件費も必要となります。反対もされました。しかし、母が「本当に頑張るなら」と資金を用意してくれました。そして、今の場所に当初は1階だけを借りて「お菓子工房Sala(サラ)」をオープンすることができました。平成9年4月のことです。

Sala(サラ)は可愛い名前で覚え易いものが良いと思って付けた名前です。窓に大きく店名の「Sala」と文字を描きました。これをセールの “Sale” と間違えて入ってこられるお客さまがいらして、店の名前は難しいと思いました。

イチゴの仕入れは直接生産者と契約することができました。取引先の乳業メーカーの紹介で粉などの材料のメーカーとも繋がることができました。人脈は宝だと言いますが、食材を安く仕入れることが出来るようになり、本当に助かりました。 私は商品開発が得意ですが、開発に集中すると周りが見えなくなってしまいます。立ち止まって落ち着いて考える時間が必要なのかもしれません。そろそろパワーを蓄積する時間を取ろうかと思っています。

地元のお土産を作りたい

厚木市はソニーや日立など大手メーカーの工場などがあり、市外から来る人が多いところです。仕事で厚木市に来た帰りのお土産として、何か地元に特化したお土産を作りたいと思っていたところ、商工会議所から、七沢温泉や大山で有名な七沢の地で畑の遊休地を使って『かぼす』作りを始めたので『かぼす』を使ったお菓子を考案して欲しい、という話が入りました。 そこで大山をイメージした三角形のマドレーヌに餡を詰め、かぼすの色をグラデーションして焼き上げたお菓子『おおやま あんマド』と『かぼすゼリー』を考案したところ、『かぼすゼリー』が商工会議所の会頭賞を受賞し、新聞に載り、全国O.E.C(おいしい)ネットワークの厚木市お勧め商品として話題になりました。

かぼすゼリー

おおやま あんマド

また、中小企業家同友会のビジネスマッチングで箱根湯本温泉の『雉子亭 豊栄荘』( http://www.hoeiso.jp/ )とコラボで作成した『箱根あんまど』がお部屋出しのお菓子として、お土産品として、箱根に来た旅客の疲れを癒しています。宿のブログにお客様から「お菓子が美味しかった」と書き込みがあったとお聞きし、嬉しく思いました。

箱根湯本温泉 雉子亭 豊栄荘

箱根あんまど

ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ

愛甲石田駅から徒歩8分のところにお店を移転しました。この辺りはスイーツ激戦区で、近くにサーティワンアイスクリーム、向かいに自家製のベーカリー、ちょっと先にシャトレーゼがあります。或る経営者の勉強会で他の店に無いものを作るべきとアドバイスされたのが「ペットと飼い主が一緒に食べられるケーキ」でした。ペットショップが依頼して「ペットが食べる」ケーキを扱っている店はありますが、ドッグフードの原料を使ったものが多くて、人は不味くて食べられません。洋菓子店が作るワンちゃんやねこちゃんのケーキはまだ存在していませんでした。

ワンちゃんやねこちゃんを家族同様に接している家庭では、家族のイベントにケーキを一緒に食べたいというニーズが生まれています。「自分の誕生日を家族に祝ってもらいたい」 「クリスマスケーキを家族団らんで食べたい」という願望を叶えたいと思って考案したのが『ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』です。人間用の食材を使って、低カロリー低糖質ですくることによってワンちゃんねこちゃんにも食べられるケーキになっていて、専用通販サイトかアマゾンのサイトから購入できます。(※店頭販売は行っていませんのでご注意ください)

https://amzn.to/2J3JcX2

私の夢は

私の夢は家族の絆をお菓子で作ることです。お誕生日、クリスマス、お祝い事にケーキが幸せを演出してくれます。家族のありようも時代とともに変化しています。愛し愛されるものが存在することが幸せだと思います。ペットを我が子のように慈しみ、家族として一緒に暮らすライフスタイルがあり、ライフスタイルを応援するグッズやサービスが市場を作っています。

『ワンちゃんと飼い主が一緒に食べられるケーキ』を作るにあたっては、私の愛犬も企画から参加してくれました(笑)。たくさん試食をしてくれて、現在のケーキが生まれました。

今後は『ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』を主流にネット通販に力を注いで生きたいと思います。 「ワンコと飼い主の絆をお菓子でつくります!」 これからの私を応援してくださいね。

ワンコと飼い主の絆を お菓子でつくります!

(文:高野慈子

 

4月 10 19

ハマの銭湯の今・・・

by staff

 

私の銭湯デビューは今から45年ほど前、大学浪人で東京都葛飾区に下宿したときのことでした。

田舎の純情娘(?)が毎日のように一人で銭湯に通うのが珍しかったのか下町の人情にあふれた常連のおばさんたちに可愛がられました。浪人生の私にはおばさんたちに声をかけてもらうのが本当に有難かったですね。

その後、お風呂付の部屋に住むようになって銭湯通いはしなくなりました。

横浜市港北区に引っ越してきてから、近所に温泉の銭湯が何軒かあって、週末には銭湯に行ってリフレッシュするようになりました。

大きなお風呂に入るとアルファ波がでるというのは医学的に立証されているようです。

東京銭湯
「大きな風呂に入ると気持ちがいい」その理由は脳波の変化にあった!
http://www.1010.or.jp/mag-column-03/

「ヨコハマNOW」の第2号(2010年6月)に登場いただいた「横浜銭湯をめぐりの会」会長の大森さん(現在は名誉会長)とのご縁で、私の銭湯好きに拍車がかってきました。

人との距離感が短くなるから面白い。
「横浜銭湯をめぐりの会」会長 大森美津男さん
http://yokohama-now.jp/home/?p=681

「銭湯」は、横浜の発展の歴史にも貢献しているようで、昨年、横浜市歴史博物館と横浜開港資料館の連携企画展「銭湯と横浜」が開催されました。私も拝見しましたが、京浜工業地帯の労働者の癒しの場としての銭湯の役割がわかりやすく解説されていました。

「銭湯と横浜」企画展のチラシです。
https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/files/…

昭和40年代には横浜市内に340軒を超える銭湯があったそうですが最近は70軒を切っています。

内湯が当たり前になっている上に、スーパー銭湯などの登場で、このままだと銭湯は減少していく一方です。我が家の近所だけでもこの2、3年で数軒の銭湯が廃業したり休業中だったりしています。

外出先で2時間ほど時間があるときは近くにいい銭湯がないかなと探してしまいます。ほとんどの銭湯に貸タオルがありますし、「てぶらセット」という料金設定をしているところもありますので、思い付きでも大丈夫なのです。

私が訪れる銭湯の基準は、温泉であること(黒湯が多いです)とサウナがあることです。銭湯で温泉・・・と思われるかもしれませんが、横浜には天然温泉の銭湯が結構あります。海沿いのせいか塩分を含んだ黒湯が多いようです。またサウナについても100円~300円をプラスすると利用できる銭湯が結構あります。470円の入力料に貸タオル代やサウナ利用料を入れても1000円未満でゆっくり温泉気分を味わうことができますよ。

神奈川県公衆浴場業生活衛生同業組合のWebサイトには、各銭湯について設備を含めて詳しく説明されています。

横浜市の銭湯
https://k-o-i.jp/search_area/yokohama/

数えてみると20軒を超える銭湯を訪問していますね。

銭湯で黒湯にゆっくりつかり、サウナに入って水湯に入る時間は私にとってかけがえのない癒しの時間です。

残念ことに、私がよく訪れる銭湯は繁華街に近いせいか、ほとんど日本人の利用客がいません。先日訪問した(打合せと打ち合わせの間の2時間で行ったのですが・・) 伊勢佐木町の某所では、韓国語・中国語が飛び交っていました。

国際化という意味では、横浜の銭湯の女湯の外国人率は物凄く高いと思います。
(男湯は不明です・・・笑)

このままでは横浜から「銭湯」が消えてしまいます。
皆様・・たまにはご近所の銭湯に行ってみませんか。リフレッシュできますよ。

 

4月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第4回) デジタルとアナログ融合させる演出家 松本匡史さん

by staff

Prologue

近年ではデジタルアートの進化が著しく、四季折々の様々なアート展やプロジェクションマッピングを用いたインスタレーション作品を目にする機会が増えましたね。

この写真はCOREDO室町の日本橋三井ホールで開催されたFlowers by Naked 2018の様子です。

デジタルアートとパフォーマンスの融合

会場一面に五感を使って感じられる様々な花達が踊るようにして咲き誇っています。

絵画と鑑賞する側というように
いわば作品と観客の間に明確な一線が引かれていた時代を経て
現在は、その境界線が溶け合い
作品という世界の中を体験できる
“体験型アート” が老若問わず大人気です。

最近では更に作品の世界に入っていく意味合いの強い”没入型アート”がさらなる人気を誇っています。

観客自身が能動的に五感を働かせる事により、その世界への当事者として没入できる感覚は絵画や彫刻では中々得られない感覚です。

今回はFlowers by Nakedでも、パフォーマー達をプロデュースし、多種多用のパフォーマーを活用したライブエンターテイメントを中心に、イベント/エンターテイメントショー/空間演出など、幅広くサービスを展開している株式会社S.I.P.H Entertainment Japan代表取締役の松本匡史さんのもとへ取材に行って参りました。

エンターテイメントで世界をhappyに

Acco 「ホームページを拝見させていただきましたが、個人からイベントなど、かなり幅広いエンターテイメントのプロデュースを行っているのですね。元々はどんな事をされていたのですか?」

松本 「幼い時からすごい数のディズニー映画が家にあり、それを見て育ったので、”ハッピーエンドやファンタジーな作品”は馴染みもあり、個人的にも誰かを喜ばせるだったり、感動を与えるとゆう事はすごい素敵だなと思ってました。」

Acco 「そうだったんですね。松本さんはどんな子供時代を過ごされていたんですか?」

松本 「自分はもともとかなりアクティブで、どうしよもない感じだったのですが(笑)。 その時出会ったのがサッカーで、そこから幼少期はサッカー少年でプロサッカーチームのジュニアユースにも入っていたので、プロサッカー選手を目指して結構本気でサッカーに打ち込んでいましたね。ジュニアユースで体感した全国レベルを見て、スキルの差に限界を感じた部分もありますが、高校に入ってから怪我が原因でその夢を諦める事にはなりましたが、他にやりたい事は何かなって考えた時に浮かんだのが芸能の道(役者)でした。」

Acco 「役者さんをやられていたんですね。」

松本 「そうですね。そこから芸能に特化した通信制の高校に転入して役者としての勉強とアルバイトをひたすらやってましたね。ダンスを始めたキッカケが、オーディション等で役者としての武器になるかなと思って習い始めました。高校卒業後は専門学校に入ったり、芸能などでの仕事も色々行って、アーティスト活動もしていたのですが21歳で全部辞めました。」

Acco 「それは何がキッカケだったんですか?」

松本 「そうですね、、、アーティストって色々な捉え方があると思うんですけど。本来ならアーティストは技術やパフォーマンスでお客様に喜んでもらう事が大前提であると思いますが、どうしても集客だったり色々な面を加味して、ファンミーティングだったりアイドル的な要素が少なからず必要になってくる場合があって、、。勿論、とても大事な事とはわかってるのですが正直に、自分はこれがやりたかったのか?と問うようなシーンがあったと思います。あとは実際に、生活面で言うと、演者って本当に稼げないんですよね。どんなに良いものでも、お給料がない現場だってザラにあります。それだと何も意味ないじゃないですか。」

Acco 「素晴らしいパフォーマンスをするために、時間もお金もかけて来たのに、、それじゃ割に合わないですよね。」

松本 「そうなんですよね。何でこんなに稼げないんだろう?って思った時に、まず仕組みに問題があるなと。」

才能に相応の対価を与えられる場をつくりたい

松本 「まず前提として、演者は教養が基盤のビジネスモデルだと見つけました。そのせいで、演者自身が安売りしてしまい、若い方だとノーギャラでも”いい経験させてもらってるから”という理由だったり、クライアント側もまたそこに甘んじている関係性だったり、演者自身プロを目指す上で大体な方々のゴールの思考も教養になります。決してそこを否定してるのではなく、教養はとても大切な事で自分には出来ない事でもあるので尊敬してます。
 
だからこそ、そのモデルとは異なるプロフィッショナルが経済的に成り立つ場所。そんなフィールドを作れたら良いなと思いました。」

Acco 「そこからどうやって会社設立まで至ったのですか??」

松本 「全て1回リセットしようと思って、タブレットだけ片手に持ってロスに留学に行ったのはターニングポイントでしたね。」

Acco 「なるほど」

松本 「語学と芸術を学びにいったんですけど、やはりアートの面で日本は圧倒的に遅れているな、というのも感じましたね。発信者や技術に関しては日本は本当に世界に誇れるものを保持していますが、受取手のレベルと言ったらいいのでしょうか。作品を評価して価値としての対価を払う意識が少しまだ低いのかなと。海外は0から1を生み出す事に本当にたけていると思います。その面、日本は保守的な国民性もあって0から1ではなくて、1から100を作れる、決めた事に対しての情熱や細やかさだったり、おもてなしの心はピカイチだなと思います。」

松本 「そんな想いを抱えながらも、帰国してからはダンスインストラクターやカフェのバリスタをしながら “どうしようかな” … “カフェでも開こうかな” なんて思いながら過ごした迷走してた時期もありましたね(笑)」

Acco 「はい。」

松本 「そうこうしている内に、働いてたカフェが三ヶ月後に閉店する事になって。」

Acco 「えっ。」

松本 「ちょうど同じ頃、、そうですね、2014年の5月6日に東京オリンピックの開催が決定したんです。」

Acco 「はい。」

松本 「そこで第六感的な、何か直感がピンと来て “あっ、何かやらないと” って思ったんですよね。日本、盛り上がりそうだなって。」

Acco 「それで会社設立したんですか??」

松本 「そうですね、ずっと”いつか何かやる”って想いだけは持ってたのですが、中々余計な事ばっかり考えてて進めなかったのですが、とりあえず行動を先行しちゃおうと。そこから独学で会社設立について勉強してカフェが閉店した3日後に設立しました。」

Acco 「すごいスピード感ですね! 今のビジネスモデルもその頃から描いていたんですか?」

原点はフラッシュモブ

松本 「印象に残ったお仕事があって、それがフラッシュモブでした。サービス自体も素敵ですし、一生に一度の特別な場所を演出するとゆう事で、通常より単価も高くしっかりビジネスモデルとしても成り立っていたんですよね。」

Acco 「たしかに。」

松本 「だけどフラッシュモブはもう先にやっている人が居るし、どうしようかなと思った時に、目先のモデルとしてフラッシュモブはありで、それに更に価値をつけて、パフォーマンス×映像を融合させたアナログとデジタルの演出が出来れば差別化出来て面白いじゃないかと。」

Acco 「そこが原点だったんですね!」

松本 「はじめのうちは、全然仕事もなかったですし、条件があまり良くない案件が当たり前でした。それでも必ず期待以上のスピードとクオリティで仕上げていきました。明日やりたいってゆわれ、そのまま夜中スタジオに入り作った作品もあります。」

Acco 「すごいです!」

松本 「誰もがNOを言うような案件にもYESを出してましたね。本当どれだけのピンチでも、チャンスボールだと思って、思いっきり打ち返してきた感じです(笑)」

Acco 「すごいバイタリティーですね。」

松本 「そのお陰で更に強くなりました!(笑)」

一生に一度の特別な時間に最高級の世界へ

松本 「これまで個人から企業の案件を約500作品以上手掛けてきましたが、エンターテイメントを行う上で本当しがらみが多いなと。」

Acco 「具体的にどういった事でしょうか?」

松本 「やはり大きいところほどリスクは取らないです。時代も