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3月 10 20

「正しく恐れる」とは

by staff

 

新型コロナウイルスによる感染拡大は、「ヨコハマ」を直撃しています。
みなとみらい・元町・中華街・・・横浜の観光地は軒並み、人手が減少しています。

2020年2月21日の日本経済新聞の記事では、2月の来街者数は横浜で前年比10%減ということになっていますが、私の体感ではもっと少なくなっていると思います。

特に落ち込みが激しいのが、「横浜中華街」です。「2020年1月25日から2月8日まで「春節」を祝うムードだったのに一転して、現在は大変な状況になっています。「ヨコハマ人」としては、食事に行くことが最大の応援だと思いまして、2月の三連休のときにランチに行ってきましたが、歩く人も少なくどのお店もガラガラでした。

中華街にあるホテルの支配人に伺うと、海外からの観光客だけでなく日本人の観光客からのキャンセルも相次いでいるそうです。費用削減のために一時休業しているお店もあるとのこと・・・
東日本大震災のときより大きな損害になるのでは心配されています。

新型コロナウィルスは、致死率は高くないようですが、無症状なのに陽性になっている人が他人にうつしてしまう恐れがあることが怖いですね。

マスメディアでは「正しく恐れる」ようにと言っていますが、これはどんな意味なのでしょうか。
もともとは物理学者の寺田寅彦の言葉だったようですが、現在は「災害やスクに対して科学的知識を持って、状況を正しく理解して対応する」ことのようです。

私たちが、正しく恐れてできる対策とは何でしょうか。
帰宅時や食事前に丁寧に手洗いをすることや、せきやくしゃみをするときに口と鼻を覆う「せきエチケット」はもちろんですが、自らの免疫力を高めて、ウィルスに負けないようにすることではないでしょうか。

免疫力をつけるには、睡眠と栄養と体調管理がポイントだと言われています。
十分に睡眠をとって、「ヨーグルト・納豆・きのこ」などが免疫力を高める食品をとるように心がけて自らの体調に留意していくことが防御になると思います。

日本全国にこれ以上感染が広がらないことを願っています。

 

3月 10 20

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第10回)
人生100年時代について考えてみた

by staff

第10回 人生100年時代について考えてみた

日本は長寿社会を迎え、人生100年時代と言われるようになりましたが、一言で100年といっても、生きていくには長いですよね。

我が家の母(95歳)は、同世代の知り合いや親しい友も亡くなり、話し相手も少ないので、毎日のように「あぁ~!なんでこんなに生きているのかなぁ~。もういいのに~」と、寂しそうに生きていることを嘆いています。

私はそんな母に「命の長さは、神様に任せて、気楽にいこうよ!」なんて励ましていますが実際、自分が母と同じ年齢まで生きていたら、気楽でいられるだろうか?と思ってしまうこともあります。

そこで今回は、母のつぶやきから人生100年時代の生き方について考えてみることとしました。

童謡の「大きな古時計」では、100年休まずにチクタクと動いていて、ある時、ピタリッ!と動かなくなりますが、人は時計のようにピタリッ!と終わるとは限りません。いつ「鬼籍」に入るかなんてわからないものですよね。

人が暮らし続けるのに、何よりも重要なことは経済面の不安がないことでしょうが、病気になったり、体力も衰えるので、虚しさや寂しさも出てくるでしょうから、長生きするということは、経済面と同じくらい精神面の不安も長~く、のしかかってくるのだと思うのです。そんな、のしかかってくる重さにつぶされないためには、自分の心の持ち方が大切になってくるのではないでしょうか。

皆さんはウイリアム・ワーズワーズという詩人をご存じですか?
私が高校生の時、日曜劇場というテレビ番組で「草原の輝き」というアメリカ映画が放映されました(映画の内容は若い男女の結ばれなかった悲しい恋愛物語でした)
その中でワーズワースの詩の一節が出てくるのですが、私はその詩の日本語訳に感動し、暗唱するくらい大好きでした。
それから、およそ半世紀、今でもこの詩を覚えています。

草原の輝きも 花々の栄光も
   返すすべなしといえ 悲しむことなかれ
      去るを追わず 残れる力を見い出さん

どうですか、この詩!
人生100年時代、人は年齢を重ねていくと、悩みや苦しみも多くなったりして、過去の輝いている自分ではなくなっているかもしれません。
でも、だからといって、寂しがったり、悲しんだりして残された際月を過ごすのではなく、今この時に残されている力で、最後まで自分でできることや、楽しめることを見つけよう!な~んて、気持ちになりませんか。

人は、心の持ち方で、生き方は変えられると思うのです。
この先、もし心が沈んでしまうような時があったら、この詩を思い出して、自分の力を見い出そう!と考えています。

長寿社会、幸せでいられる秘訣は、自分の心の持ち方しだいなのかもしれない!
そんな気がしています。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

3月 10 20

ハチゴロウの鳥撮り日記 第13回「帷子川に春が来た(横浜)」

by staff

第13回 帷子川に春が来た(横浜)

某TV番組で「帷子川」を読めるのは生粋のはまっこだと言っていましたが、「かたびらがわ」と読みます。 鳥撮り日記では第二回の「帷子川の野鳥のハイライト」※で川について詳しくご説明いたしましたので、今回はパスいたしますが、横浜市旭区若葉台に源を発し、旭区、保土ヶ谷区、西区の市街地を通って横浜港に注いでいます。
(※『帷子川の野鳥ハイライト』 http://yokohama-now.jp/home/?p=17538

2019年、2月も20日を過ぎると、帷子川中流域の河畔では、梅が咲き、ウグイスが鳴き始めました。(ウグイスの姿は見かけていません)『梅咲いて ウグイス鳴けば 春近し』 と詠んでみました。

紅梅にメジロが来ています。略して、「ウメジロー」です。『梅にウグイス』と言われているためウグイスと間違えられることもありますが、梅にくるのは目の周りが白いメジロです。メジロは、梅の香りに誘われ、蜜を吸いに来るようです。青空にピンク色の梅の花、緑のメジロと、色彩豊かです。

メジロ

ヒヨドリも来るのですが、花びらを散らしてしまいます。こちらは、花芽を食べているようです。散歩道で落ちた花びらを見かけますが、散らした犯人は風だけではなく、このヒヨドリが犯人です。
『ヒヨドリは 地面の上に 花咲かせ』

ヒヨドリ

エナガは、桜の木の幹に付いた苔を、口いっぱいに頬張って、運んでいきます。何処かで巣を作っているようです。エナガは小さく、チョコマカ動くので、撮りにくいですね。

エナガ

ガビチョウやシロハラは、エサとなる虫を探して、枯れ草をひっくり返していました。

ガビチョウ

シロハラ

川べりには、ゴイサギとアオサギがいました。

奥がゴイサギ 手前がアオサギ

カワセミは、盛んにエサを捕っています。
ここのカワセミの撮影ポイントには、いつもメスがいるのですが、久しぶりにオスが来ました。

カワセミ

メスは今までオスが近づくと追い出していたのですが、この日は追い出しませんでした。メスが立ち去ると、オスは追いかけていきました。カワセミも春を感じ、恋の季節になったようです。

3月になると、河畔の河津桜が満開になりました。帷子川沿いの公園でも桜桃(さくらんぼ)(注1)の蕾が膨らんできました。今にも弾けそうです。
晴れた日は、冷たい北風も心地よく感じるようになりましたが、4月に入って、雨の日が多いですね。今日も冷たい雨が降っていました。『冷めた雨 今日は一日 引きこもり(注2)』

桜桃のつぼみ

それでも春は確実に来ています。

注1)さくらんぼの花の蕾です。桜の仲間であることは間違いではありません。近所の方が、挿し木で育てた苗木を植えてくれ昨年から、実をつけるようになりました。

注2)俳句の中に、“ひきこもり”という言葉が出てきますが厳密な意味での“ひきこもり”ではありません。
朝一緒に散歩している女の人が盛んに“ひきこもり、ひきこもり”というのであんな句を詠んでみました。
厚生労働省では社会と隔絶していて、6か月以上自宅にひきこもっている状態を“ひきこもり”というそうです。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

3月 10 20

しあわせの「コツ」(第39回) 「育児」は「育自」

by staff

第39回 「育児」は「育自」

長男が生まれた時、私は子供の魂にこう誓いました。

「親のエゴで、決して子供の資質を潰すまい」と。

いくら親でも我が子がどんな資質を持ち、何に向いているかは分かりません。親が医者になってほしいと思っても、子供は「ベニスに行ってゴンドラの船頭になりたい」とか「格闘家になりたい」というかもしれません。その時、犯罪にかかわることでない限り、子供の選択を喜んで受け入れられる親になろう!と決心したのでした。

この誓いは、親としての責任感であると同時に、子供の興味を持つ事柄の中にその子の資質や傾向を読み解いていく、謎ときのような楽しみでもありました。
それは、子供とともに自分が成長することでもありました。なぜなら、子供が生まれた時、私も「親として生まれた」からです。

子供年齢0歳、親年齢0歳、ともに「育事」(あえてこう書かせていただきます)という、相互に関わりながら成長する「自分育て」という営みを始めた同士なのです。ですから子供の成長に親が追い付いていないと、子供からサインが出ます。それを正しくキャッチすると、ともに大きく成長していくのです。

その例として、とても印象的な話をご紹介しましょう。

もう10年近く経ちますが、かかりつけの歯科の私の担当医がシングルマザーのS先生でした。

S先生がいた新宿のデンタルクリニック 治療室内

私が6人の子持ちという事もあり、治療の合間によく育児の相談を持ちかけてきました。ある時、S先生が小学6年生になる一人息子が最近荒れて、口も利かなくなったとこぼしはじめたのです。

S先生 「田尻さん、聞いてくださいよ。こっちが話し掛けても、口も利かずに睨めつけるんです。何度も言うと、『うるさい、くそばばぁ!』って怒鳴るし・・・。一体どうしたらいいのでしょう。」
「一人称を変えたらいいんですよ。」
S先生 「一人称? どういう事ですか?」
「先生は息子さんと話すとき、『ママ』と自分のことを言っていませんか。息子さんが赤ちゃんのときはそれでいいですけど、もう12歳ですから
先生も12歳の親にならなければ。」
S先生 「?」
「今度息子さんと話すとき、『ママ』をやめて『私』を使ってみるといいですよ。」

素直なS先生は半信半疑ながら私のアドバイスを実行しました。
次の週治療に行くと、S先生は満面の笑みを浮かべてこんな結果報告をしてくれたのです。

S先生 「田尻さん、大成功でしたよ!
あの晩、夕食後息子と雑談しました。最初は恥かしかったのですが、勇気を出して『私ならこう思う』とか、『私はね』という言葉を使って話しました。おしゃべりしている時は無反応だったのですが、部屋に戻るとき、息子がリビングのドアを開けながらこう言ったんですよ!
 
『今日はぼくを一人前に扱ってくれてありがとう。嬉しかった・・・。』
 
息子がドアを閉めたとたん、ぶわぁ~と涙があふれてきて。」

S先生はその時を思い出したのか、目が潤んでいました。

それからS先生には子供年齢と親年齢の話や、息子さんの反抗的な態度は『お母さん、僕と一緒に成長してよ!』というメッセージだったことなどを伝えました。

それからというもの、S先生と息子さんは夕食後に話す時間が長くなり、息子さんの好きな女の子の話や、ニュースについてなど、話題が尽きなくなったそうです。S先生曰く「なんだか年下の友達ができたみたい。」

こうして、親が子供とともに成長することを受け入れると、子供は必ず態度が変わってきます。難しいのは、子供は放っておいても心身共に成長しますが、親は子供より年上なので、変なプライドが邪魔して子供を「育事」の同士として見られないことです。そういう時は「この子のこういう態度は、私に何を学ばせようとしているのだろう」と、視点を変えるといいと思います。

また両親が不仲だったり、仮面夫婦でどちらか(あるいは両方)が不倫している場合も、子供は意識では気づかなくても無意識のレベルで感知するので、全存在をかけて親にメッセージを発信します。

それが不登校のような生活態度だったり、病気だったり、現れ方は様々ですが、そうした異常が出た時は「この子は、この状態を通して私に何を学ばせようとしているのだろうか」あるいは「何に気づけとサインを送っているのだろうか」という視点から子供を見ると、解決の糸口が見つかると思います。

親と子。
「産んでくれと頼んだ覚えはない」という反抗する子供の常套句がありますが、とんでもない話です。池川明氏の「ママのおなかをえらんできたよ」にもあるように、霊的進化にふさわしい相手として、子供は親を選んで生まれてきているのです。

池川明著 「ママのおなかをえらんできたよ」

私も末っ子の三女を通してそのことを実感しています。

三女が2歳のときのこと。
夕方洗濯物の山をせっせと片付けていると、急に膝に乗ってきて、こう言うのです。

三女 「おかあさん、おそくうまれてごめんね。」
「???」
三女 「ほんとうはね、もっとはやくうまれたかったんだけど、おにいちゃんやおねえちゃんたちがどどっと入ってきて、さきにおすべりをおりていったの。
だからこんなにおそくなっちゃったんだ。ごめんね。」

私は洗濯物を放り出して娘を抱きしめました。涙が出て止まりませんでした。

三女 「おかあさんはあっちでとっても人気があったよ。」
「あっちって、どっち?」
三女 「? だからあっち。」

この会話、大きくなった娘は全く覚えていませんでした。胎内記憶のある2、3歳までの記憶なのでしょう。不思議なことがあるものです。それ以降、育児に限らず辛い事や自己嫌悪に陥りそうになるときに、私は三女のエピソードを思い出すようにしています。

「私は6人の子供に選ばれたんだ!しっかりしなくちゃ!!」

当時中学生だった長男曰く「6人から課題を貰わなくちゃいけないほど、お母さんには修行が必要だったんだよ。」

え~、そうなの?

― どうやら我が家では子供が親を育てているようです(笑)。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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3月 10 20

2020年3月 三ツ池だより 「この道!」

by staff
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仕事に出かけた・いつもの仕事なのだが、少し戸惑った。皆がどんどん仕事を進めてくれる。

 「この道」 けんじ
この道があるから行く
その道は今歩いている道
  道は未知
  道は首(己)が進んでいる道
きのうの道を歩いて歩いて
きょうの道がある
  未知の道だけど
  喜びのなかに進んでいく
己の道は自覚の中の道
どこまでもつづいていく道
  ありがとうこの道
  この道は私の道

ある時こんなことがあった。お客様からいつもと違う仕事の依頼があった。メーカーの依頼で検査にいっている仕事なのです。仕事を増やしてもらえると思うと嬉しかった。ところが驚いてしまった。取引証明に使用できない機種であり、試しに検査したら、誤差だらけなのであった。担当者が来て、「これではないです。」日常担当させていただいている会社ではありえないことだった。普通なら精度のぎりぎりか、機器の故障ということを見つけることができる程度なのに!

 「いつもの所」 けんじ
そこにいくと
いつものように
何かを書きはじめる
  何かとは
  課題であったり
  前からのつづきだったりする
いつものところとは
なんとなく安心が感じられて
ゆったりしている
  それでいいのという声が聞こえて
  だからどうなるという思いと
  「しっかりやらねば」が交差する
そこにいくことが
思考を進める鍵だ
いつものように

この道を歩き出して55年になる。安心社会の原点を歩きつづけていられることに感謝だし、だいじなことだと認識している。「きまり・規則にそっておこなわれているか!」は基本だが、安心社会のベースであることの見識を保ち続けている。だから途中から「そっちではないです。こっちです。今使用中なので、後日に変更してもらえませんか?」と言われて驚いてしまった。

 「今」 けんじ
今という時はあるのだろうか
過ぎ去る時間は過去という
今と言った瞬間にその時は過去になる
  こうかんがえているという時
  その間は今でいいのだろう
  過ぎ去ろうとしているときも今
限られた人生の中で今を大事に
今こうして書いている
今こうして考えている

今、新型コロナウイルスの感染拡大で大変なことになっている。中国湖北省武漢市から始まったと思われる感染が拡大している。不思議でならないのは、発生したと思われる武漢市での発生原因究明が報告されてこないことだ。一説には新型コロナウイルスに類する菌が研究されていたのではないかとも。時代は恐ろしいことを予測されはじめてもいる。

 「何が大事か」 けんじ
あたりまえのことを
あたりまえにする
  それって何
  なにがあたりまえ
意識すること
あたりまえに意識すること
  息を吸う
  歩く
あたりまえに
意識して行動する

あたりまえに生きることが大事なのに、なにか穏やかではない。自民党がいいというのではない。野党がもっとこの新型コロナウイルスについて、発生の原点を正していかねばならない。そして、その治療法方法も。

 「ゆっくりと」 けんじ
ゆっくりと風が動く
ゆっくりと時間が進む
ゆっくりと考えている
  風はどう発生している
  時間はどう動いている
  考えは何を求めている
そうだ風のように動き
そうだ進む時間に踊らされず
そうだゆっくり考えていこう
  今日が昨日になり
  明日が今日になり
  日記の一ページが進んでいく
書ける日
歩ける日
考えられる日

この道は、穏やかな日々を迎える道であって欲しい。途中様々ことがあるとして、日本に生まれ、育ったことに感謝できる道であって欲しい。経済優先でなく、耕せる大地を持ち、木々に来る鳥や昆虫たちと、喜び合える日本であって欲しい。それには厳しい時代を取りぬけていくことがあるだろう。それも乗り越えていく叡智はあるはずだ。異質な考えには敢然と立ち向かわなければならない。その覚悟が求められている。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

3月 10 20

ゆるマナー講座(第53回) 光をあてる

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

近くの図書館でカレンダーの展示をしていました。もう今年のカレンダーも数枚めくっている今頃にと思いましたが、その写真のパワーに思わず足を止めて見入ってしまいました。
「気仙沼漁師カレンダー」です。
3.11の後、気仙沼復興のために女性達が力を集結して作成したカレンダーです。2018年版の作成を紹介したドキュメンタリーも観ましたが、飾らない漁師さんに光をあてて気仙沼の街を発信している女性達の思いも心に響いてきました。

漁師さんは「スーパーヒーロー」

その女性達の中の一人は、海鮮問屋に生まれ、子どもの頃から気仙沼は漁師さんのお陰で成り立っている町だと聞かされて育ったそうです。だから “漁師さんを尊敬している” …その思いを「スーパーヒーロー」として、カレンダーの主役にしたとのこと。本来は気仙沼のおもてなしを考えて、観光PRのために発足した女性の会のようですが、震災後は気仙沼を発信することに重きを置いているそうです。カレンダーの写真に写る海の男の表情や日々変わる気仙沼の海の景色はもちろんですが、毎月のページに綴られた写真のモデルとなった漁師さんの物語にもはっとさせられました。

「俺が釣ってきた魚だから残すなよ」という物語…東京から気仙沼に移住してきた女性は、食卓に並ぶお刺身が、震災の時に津波から船を守るために敢えて沖まで船を逃がした漁師さんが命がけで釣ってきた魚だと知り、号泣しながら一切れ残さず頂いたというエピソードです。このカレンダーには、関わったすべての人達の思いが溢れています。

漁師さんの姿はヒーローですが、光をあてている女性達もまたヒロインのように輝いていました。無心に誰かを一生懸命応援している姿は、別の人にはまぶしいほどに生き生きと映ります。
出来上がったカレンダーを見て「かっこいいー」と一番喜んでいるのは、女性達のようでした。

視点を変える

先月、新型ウイルスの影響で中国から帰られた方々が隔離された状態で千葉県のホテルに滞在していました。これまでにない緊迫した対応に世間はざわついていましたが、一番不安だったのはご本人達だったでしょう。そんな中、その気持ちを察してか住民の方々が心温まる応援メッセージを砂浜に描かれていました。
ホテルを出られる時に、そのことが大変嬉しかったと皆様が会見の席で伝えていらっしゃいました。
優しい応援の気持ちは、心配や不安を抱える人々の心や世間のざわついた空気をも変えることができるのですね。不必要に怖い、嫌だ、というマイナスの空気が蔓延しそうな時でしたが、優しいプラスの気持ちの方にムードが流れていったのを感じました。

私の尊敬する女性からよく言われる言葉があります。
「美点凝視」…その人の良い点に注目して光をあてること。長所も短所もあるのが人間ですが、その人の良い点に注目して伝えると期待以上に力を発揮することがあります。同時に他人の美点に気づいて光をあてている人こそ輝いて見えるのではないでしょうか。
そういう人はきっと笑顔で優しい気持ちだから。

人も物事も少し視点を変えると別の表情が見えてきそうです。
今回は心配事が多いこの頃でしたので、マナー以前の心のあり方について書いてみました。
早く平穏な日常に戻るよう願いつつ……。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

3月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第84回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第84回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

建築家ブルーノ・タウトは京都の “桂離宮” の簡潔な造形に驚嘆し “目は思惟する” と表現しました。 “日本文化を芸術化した自然” “日本的品質である古典芸術を特徴づける簡素性” 。自然との一体感・ありのままの日常。米アップルが考える次世代テクノロジーの中核技術は “AR(拡張現実):Augmented Reality” 。実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねることで、目の前の世界を仮想的に拡張するもの。テクノロジーとしてのインパクトは強力で、日常生活の超拡大・異次元の娯楽を生み出す技術。 “ポケモンGO” はほんの一例。タウトが “目は思惟する” と指摘した桂離宮の世界はARに繋がるもの。ARは日本人の風土に根づいた得意技であり同根。 “コミュニティ” も様変わり。場所・時間・仲間が常に同じとは限らず、求められる技やスキルも多種多様。個々では違和感があっても、全体では知の厚みと多様性が感じられる集合体。肝心なことは “将来展望&360度&肯定感” 。梁塵秘抄では “心凄きもの 夜道船道 旅の空 旅の宿 小暗き山寺の経の声 想うや仲らいの飽かで退く” とあります。心寂しいというより不気味。 “壁のある世界にあって、壁の無い世界を想像する” と作家・村上春樹。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

見識 NYタイムズも一次情報より知見・解析が圧倒的に増加
知見で勝負する時代 若くて多様な人材の創造性をフルに活用
人事は土壇場に難、スピートが命 検査では品質は向上しない
創造性は制約の認識から始まる 不況期は資金・好況期は人材

NYタイムズは、インターネットの広がりから一時苦境に陥り、マンハッタンにある本社ビルの売却にまで追い込まれました。しかし、電子版の有料会員数を徐々に拡大し、昨年には初めて300万人の大台に乗せて復活。無料の一次情報より、コラム・分析・予測など、知見・解析へのニーズが読者層を有料版に導きました。新聞に限らず、あらゆる分野がリベラルアーツで勝負する時代へ突入。AI活用が一般化する時代における切り札になる能力とは “洞察力などの人間的資質” “企画発想力” “関係性能力” “課題解決などの業務遂行力” 。やるべきことは新聞を毎日読むこと。特にコラムと解析記事かな。 “自分は何に向いているか、何を職業にしたら貧乏暮らしでも満足か” と作家・水上勉

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

虫の目からみれば、水溜りも湖、草むらもジャングル
生物の多様な種 偶然であり必然の産物 詩情は無限
情報化に伴って、モノよりコトを重視する傾向が強い
リアリティはモノだけにあるのではない すべて必然

虫の目からみれば、水溜りも湖であり草むらもジャングル。逆に、鳥の目から見れば、時代の流れや歴史は新しい局面にあるといえるのかも。時代の中でさまざまに編み込まれた “ルール&ツール” も、ICTパワーの前で統一フォーマットに編集される流れ。もはや仕事をしながら “学習” するのでなく “仕事” そのものが学習。どこに所属するかでなく何ができるか。 “不要なもの” として達成感・顕示欲・嫉妬心を戒めたのは老子。ぬかるみの中をとぼとぼと進み、高度な質を一生かけて磨いていくしかなさそう。 “歳をとるということは、自分の可能性を絞っていくこと。可能性を絞るというのは、可能性の限界を知るということではなく、集中すべき的を絞り込むこと” と作家・塩野七生。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

楽器を鳴らす・楽器をこなす それだけでは必ずしも音楽とはいえない
動く道路 歩くと現状維持、ジョギングで少し前へ、全力で走って前進
起業家が挫折しても失敗を過度に罰しない文化 起業家は必ず失敗する
ジャズは知的創造環境とよく似ている 周りが良ければ自分も良くなる

ジャズは、アメリカ南部を中心に派生した音楽。NY出張の際は何度かブルー・ノートやヴィレッジ・ヴァンガードに足を運びました。帰還はいつも深夜。表現は変奏的で自由そのもの。何でもありでありながら、技術・理論・リズムのルースな融合。ジャズは知的創造環境とよく似ているのかも。周りが良ければ自分も良くなるという特徴。楽器を鳴らす・こなすでなく、楽器と遊ぶ・戯れる。整然でなく雑然であることが創造的な力を産み出す不思議。欠点を探すのでなく長所を認め合う呼吸。NYのような空気が乾いた街にピッタリの油絵。日本の湿潤な風土には墨のにじむ水墨画。 “終着点は重要じゃない。旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げるかだ” とスティーブ・ジョブズ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第84回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
3月 10 20

書評「うまくいっている人の考え方」 ディスカヴァー・トゥエンティワン ジェリー・ミンチントン(著)

by staff
 
タイトル うまくいっている人の考え方
出版社 ディスカヴァー・トゥエンティワン
ISBN-10 4799321315
ISBN-13 978-4799321317
発売日 2018/3/31
購入 うまくいっている人の考え方 完全版 花柄ピンク (おしゃれなプレミアムカバー) (ディスカヴァー携書)

はじめにの所で「自尊心とは何か。それは自分を好きになり、他人と同じように自分も素晴らしい人生を創造するに値する人間だと信じる気持ちのことである。自尊心は人生のほとんどすべての局面に大きな影響を与える。人間関係、自信の度合い、職業の選択、幸福、心の平和、成功、これらはすべて自尊心と密着な関係がある。」とあり、手にとって読みはじめた。

 (1・自分を許す)

「ミスをしても自分を責めるのをやめよう。“自分はなんてバカなんだ”とののしったり、自分を非難したりしてはいけない。そんなことをすると、自分のすることはなんでもまちがっているじゃないかという気持ちになって、さらにミスを繰り返すことになるだけだ。」「その反対に、自分がミスしても、“だいじょうぶ、たいしたことはない”と心の中で自分にやさしく声をかけよう。そうすれば、プレッシャーが軽くなって、ミスを繰り返しにくくなる。自分にやさしくすると、もっといいことがある。それは、あまりよくなかった決定に悩やまないことによって、自分はなぜまちがった決定をしたのかを学習する余裕ができるからである。」

*うまくいく考え方 その1*
「ミスしたときに自分にやさしくしよう。そうすれば将来、ミスが避けられる。」

 (6・たくさん失敗して。たくさん学ぶ)

「失意のどん底にあるとき、私たちはひとつのたいへん重要な事実を見逃している。それは、失敗は学ぶために不可欠だということである。失敗は貴重なことを学ぶいい機会である。なぜなら、失敗するたびにまちがった解決法がひとつずつ消えて正しい解決法に近づいていくのだから。」

*うまくいく考え方 その6*
「全ての失敗は、学ぶための絶好の機会である。そう考えることが賢明な態度だ。」

 (12・自分は幸せになれると信じる)

健全な自尊心を持っている人が他人からの敬意や協力、友情を期待し、しかもそれらをおおよそ得られるのに対し、自尊心の乏しい人は居心地の悪い不愉快な状況にしばしば巻き込まれ、けなしあうような事態さえ招いてしまう。「私たちが今の状況に置かれているのは、ほとんどの場合、偶然ではない。私たちは、自尊心の度合いに応じて、自分にふさわしい人間関係や状況に自分を引き込んでいる。」「人生を好転させるには、自尊心を高めることに意識を集中することだ。」

*うまくいく考え方 その12*
「自分は最高の人生を送る資格のある人間だ。」

 (15・毎日30分、自分のための時間を持つ)

「手のこんだことやお金のかかることをする必要はない。小説の1章を読む、詩を書く、好きな食べ物を食べる、何もせずに心を落ち着かせて静かにすわっているといった簡単なことでいいのだ。何を選ぶにしても、それが自分に満足感や楽しみを与えてくれることであればそれでOK。」これからは自分の必要性を満たすことは自分にとって大切だという意識を持ち、毎日ある程度の時間を自分のために使うようにしよう、と提案される。

*うまくいく考え方 その15*
「自分は、自分のための質の高い時間を毎日確保するに値する人間だ。」

 (19・不平・不満を言わない)

あなたはものごとが思うようにいかないとき、自分に不平・不満を言う癖があるだろうか。もしあるなら、その癖が少しでも自分にとってプラスになっていると感じたことが一度でもあるだろうか、と問われます。「毎週一日を選んで、この悪癖と向きあおう。その日には、どんなことがあっても不平・不満を口にせず、批判めいたことをいっさい口にしない。自分が不幸を招く考え方をしていると気づいたときは、すぐに頭を切り替えて楽しいことを考える。」これには少し練習が必要かもしれない、と言われる。

*うまくいく考え方 その19*
「不幸を招く考え方を避ければ、より幸せになる。」

 (26・間違ったことをしても自分をせめない)

「あなたと、あなたのすることは別だ。たとえ悪いことをしてしまっても。あなたは悪い人間なんかではない。単に、賢明ではない決定をたまに下すことのある人間だというだけである。」私たちは自分がとろうとする行動の結果を考えもせずに、衝動的に行動することがある。あるいは、理由も知らない、または理解できないまま行動することもある。そして、愚かな行動を愚かだとは思わず、その時は最善のことをしているつもりで行動し、結局、後になってそうではなかったと気づくこともあると言われる。

*うまくいく考え方 その26*
「たとえ愚かな間違いをしても、自分は十分に価値ある人間だ。」

 (51・自分が重要な存在だと思う)

「あなたはこの世の中で、自分が重要でない仕事をし、重要でない生活を送っている、重要でない人間だと感じたことはないだろうか?政府が国民を名前でなく番号で登録するような時代だ。そう考えてしまうのも無理はない。しかしあなたのこの世の中への貢献はたいへん重要だ。あなたは食事をするたびに多くの人に仕事を提供している。農作業に従事する人たち、農作物を加工する人たち、食品を小売店まで運搬する人たち、小売店で食品の販売を担当する人たち。このように、あなたは食事をするだけでも多くの人の生活に貢献しているのである。」ごく一部の人だけが需要な存在だ、とあなたは思っているかもしれない。しかし、それは違う。あなただって重要な存在なのだ!と言われる。

*うまくいく考え方 その51*
「私はこの世の中で重要な仕事し、重要な生活を送っている、重要な存在だ。」

 (60・前向きに考える)

「私たちは人生と自分についての信念のほとんどを、幼少期の条件づけによって身につける。条件づけとは、ある考え方を頻繁に繰り返して自分の思考回路に組み込むことである。いわば、私たちはその考え方を“心の銀行口座”に預け入れ、そこから引き出しているようなものだ。」「条件づけの結果、私たちはものごとをあるがままに観ることができなくなり、教えられたとおり解釈するようになる。条件づけは人によって大きく違うから、同じものごとに対してポジティブに解釈する人もいれば、ネガティブに解釈する人もいるし、どちらでもない人もいる。過去の条件づけに関係なく、物事はできるだけポジティブに解釈する方が得だ。」
今日は、心の銀行口座を新規開設し、ポジティブな預け入れによってポジティブな条件づけを始める最初の日だ。

;やる気がでるようなことが書かれた本を読む
;ポジティブな人とつき合い、ネガティブな人を避ける
;自尊心を高めて、自分がもっと幸せになっていいと認識する
;改善しようとする場合は除き、人生のネガティブな側面について考えない

*うまくいく考え方 その60*
「どんな困難な状況でも、ポジティブな側面がきっと見つかる。」

 (74・心のなかに静かな場所を見つける)

「現代人はテンポの速い世の中に生きている。人々はあわただしく移動し、多くの課題に忙殺されながら日々過ごしている。そしてしばしば不安や心配に悩まされる。」安らぎを見いだすには、リラックスして椅子に座り、目を閉じる。思考が心のなかにふと浮かんできたときは、それに耳を傾け、消えるのを待つ。切迫した要件がないなら、時間は気にしない。「静かな場所にアクセスすることになれたら、いつでもどこでもそこに“行く”ことができるようになる。」

*うまくいく考え方 その74*
「いつでもどこでも、心の中の静かな場所に行けば、答えは必ず見つかる。」

 (98・自分の価値感を大事にする)

「あなたは自分が必要としていない物や欲しくない物を買ってはいないだろうか?きっと、あなたは“そんなことはない!”と否定するだろう。

*うまくいく考え方 その98*
「他人が持っているからではなく自分に本当に必要な物だけを買う。」

著者は、とくに大切なのは、他人と比較しない、ことだと言われます。「自分の価値は自分の個性にあるのだか、自分を他人と比べても意味がない」と説明しています。

(文:横須賀 健治)

 

3月 10 20

田中健介の麺食力-それから- 第18回 「もう一つの横浜洋食」

by staff

第18回 もう一つの横浜洋食

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、二回目の東京オリンピックで沸くであろう2020年で出版丸10年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十八回目でございます。

 

「麺食力」刊行10周年トークイベントの中止及び延期のお知らせ

前々号よりお知らせしてまいりました3月25日(水)に予定していた本イベントですが、新型コロナウイルスの影響による政府方針や諸般の事情も踏まえ、4月以降に延期させていただくことになりました。
ご予約いただきました方々につきましては、大変申し訳なく思っております。
代替日程につきましては、次号にて改めてお知らせ致します。

 

「麺食力」という本は、横浜のあらゆる麺文化を独断で訪ね歩いたものです。
世の中にはいろいろな食の専門家がおります。とんかつ、ハムカツ、ちくわぶ、町中華、定食。。。
私は何を専門としているのか?と考えると、「麺」ではさすがに広範囲過ぎてしまう。
日本ナポリタン学会を10年以上やっている者としては、やはりスパゲッティナポリタンは専門分野だと、ここ数年でようやく自負してもいいかな?と思うようになりました。

野毛エリアから宮川橋を渡った方面からの福富町のメインストリート。
昼間は静かな街

中区福富町。クレイジーケンバンドの楽曲でもたびたび登場するこの町は横浜屈指の歓楽街として知られております。バー、パブ、スナック、韓国料理店、特殊浴場、ラブホテルなど、男の夢が夜ひらくような店が連なります。

「イタリーノ」外観。タッチの「南風」を思わすレンガの外壁がそそる

福富町のメインストリートに存在する「イタリア料理イタリーノ」、またの名を「イタリアンレストランイタリーノ」(「麺食力」112ページに掲載)。
「ぶっこみジャパニーズ」ならぬ「ぶっこみイタリアン」などというテレビ番組があろうものならば、陽気なイタリアンのカリスマに正しいイタリア料理を押し付けられるでしょうが、それじゃあつまらない。なぜなら伝統ある日本式洋食店として親しまれているからです。

ニョッキやアクアパッツァ、リゾットがあるわけではない
「イタリア料理イタリーノ」。これでいいのだ

創業者の菊地尚志氏は山形県・寒河江市出身。17歳の時に来浜し、中区長者町にあった「イタリアンキッチン」で修行。その後東京で飲食店の仕事に就いていましたが、「イタリアンキッチン」の店主が亡くなったとの報を聞き、「イタリアンキッチン」のスピリッツを引き継ぐべく、1972年に「イタリーノ」として福富町に創業します。
横浜の洋食は中区山下町のホテルニューグランドが大きな影響をもたらしたと言えますが、中区相生町の「グリルエス」(「麺食力」125ページに掲載)や「レストランかをり」(現在は休業中)のように、日本郵船の客船系洋食の流れもあります。
そしてもう一つ、中区長者町に古くから存在した「イタリアンキッチン」の流れを汲んでいるもの、それがここ「イタリーノ」なのです。

筆者の愛読書の一つである「ブルーライトヨコハマ」
(3 amigos family studio・著、徳間文庫・刊、絶版)

筆者は2000年代初頭に「伝説的な横浜のガイドブックがある」と聞きつけ、あらゆる古本屋を巡り巡っても見つけることが出来ず、最終的にふと立ち寄ったブック○フの100円コーナーで見つけたというオチだったのですが、それが徳間文庫の「ブルーライトヨコハマ」。横浜の本当に中枢となるエリアのディープなスポットばかりが掲載されている素晴らしい一冊で、私の「麺食力」が養われたバイブルとなりました。

「ブルーライトヨコハマ」には1988年当時の「イタリーノ」が掲載。
ナポリタンは400円だった

この本には「イタリーノ」も掲載されていました。
カルロス・ポンセの二冠王で歓喜したあの1988年当時、ナポリタンは400円ですと!!今はランチで800円だから、倍の値段となっています。

菊地尚志氏いわく、
「1972年の創業当時、ナポリタンは250円で出してました。ちなみにタクシー初乗りは220円でした。」

1988年の一世帯当たり平均所得が545.3万円、2015年は545.8万円。所得がほぼ横ばいで、イタリーノのナポリタン目線で見ると、物価は倍になっているのです。どうりで日々が楽じゃないわけだ(「グラフでみる 世帯の状況 – 厚生労働省」より)。

「イタリアンキッチン」からの流れを受け継ぐ「イタリーノ」の
赤チェック柄のテーブルクロスにナポリタン。

そんなこんなでぼやいていてもつまらないから、ナポリタンを食いますよ。
「イタリアンキッチン」の流れを汲むイタリーノのナポリタンは、エビとアサリが入っているのが特徴。「横浜のナポリタンはエビ入り」と言われるほど有名です。

「『イタリアンキッチン』のナポリタンは、エビ・ハマグリ・カキが入っていたのです。今では高級になってしまいましたが、昔はどれも安い食材でしたからね。」(菊地尚志氏)

アサリではなくハマグリだったことだけでも驚きですが、カキまで入っていたとは。。。僕らが生まれてくるずっとずっと前からもう「イタリアンキッチン」は存在していなかったわけで、ティラノザウルスお散歩アハハンまで遠い昔に行かなくていいから、タイムマシンにお願いしたいですよ。すごく食べてみたいですよ。

ナポリタンズーム。エビとアサリ、そして独特の色彩、照り。
たまらない

そしてこのナポリタンのソースにはひと手間もふた手間もかけられているのです。

「まずミートソース。これも『イタリアンキッチン』から受け継いだもの。トマトケチャップはデルモンテ。トマトペーストがカゴメ。それと牛すじなどを煮込んだソース、うちでは『ボロニアソース』って呼んでいるんだけど、このミートソースとボロニアソースをブレンドしたものがナポリタンのソースになっています。」(菊地尚志氏)

拙著でもイタリーノのナポリタン評は、ケチャップだけではない、ミートソースベースだろう、などと曖昧な感じで締めくくっています。まあブログからの書籍化なので、筆者の憶測や思い込みの記述も多く、情報が不十分なんです。だからこうして今更ながら実際に声を聞いて回って、改めて確かめることが私にとっても大切だし、この本の価値を高めていくことが出来るのではないかと思っています。

菊地尚志氏と拙著。
大病を患って以来、大概のことは息子・武志氏に任せているが、
ソース作りは継続している

創業者である菊地尚志氏は数年前に脳梗塞を患い、引退を決めました。

「幸い軽症だったんだけど、衰えが眼に来ましてね。今は息子にほとんど任せてはいるけれど、ボロニアソースは私がまだ担当しています。」

現在は二代目・菊地武志氏が厨房に立ちます。

「ソース作りとか洋食の仕込みは本当に大変。昔はそれでも今の3倍は売れていたから楽しくやれた。今のこの時代にこれだけの仕込みを継がせるというのは酷です。ただこのままだと町はチェーン店ばかりでどこへ行っても同じ味になってしまうから。」

どの洋食店へ行っても聞く仕込みの大変さ。これだけ世の中が便利になっているのだから、どこか一つでも簡素化すれば良いのかも知れません。でも誰からもそんな声が聞こえないのは、プロとして一からしっかりと修行をしてきた矜持があるからなのでしょう。それがあってこその個性なのかも知れません。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

3月 10 20

チャレンジ(第19回) 間伐材とオリジナル商品について

by staff

間伐材とオリジナル商品について

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。コロナウィルスが収束に向かうどころか、多くのイベントが中止になるくらい猛威を振るっていますね。横浜市内の公立小中学校も休校とはビックリです。今後の様子も心配ですね。とにかく感染しないように手洗いうがいを心がけたいと思います。皆様もお気を付けてお過ごしください。

さて、今回は大好評のC.P.FACTORYオリジナル木工タグを作ってくれている福祉作業所を紹介いたします。

 さらい工房とタッグを組んで

オリジナル木工タグ

C.P.FACTORYオリジナル木工タグは、クラッチバックやポシェットに縫い付けてあります。また、革を貼ったペンダントも作っています。こちらは、横浜市西区にあるNPO法人まぐのりあ(http://saraikoubou.com/)の「さらい工房」とコラボして製作しています。

「さらい工房」は、主に精神障害のある方の就労支援を目的に、平成21年5月に横浜市西区に設立しました。同年10月にさらい工房を設置、平成25年5月にはさらいカフェを、平成29年10月にキッチンさらいを設置し、現在計3か所の事業所を運営しています。3事業所とも、障害者総合支援法に基づいた就労継続支援B型事業所です。

C.P.FACTORYオリジナル木工タグは、画像加工が得な私がオリジナルデザインを作製し、それをレーザーカッター用のデジタルデータに書き出し、「さらい工房」のレーザーカッターを使用してヒノキの間伐材やMDF素材を加工して製作しています。

一つ一つ丁寧に色付けやマグネット貼りの作業をしています

ボールに見立てた貝ボタンも1つづつ貼っていきます

以前紹介させて頂いた「ねこのび屋」さんの商品も「さらい工房」で製作して頂いています。

http://mika-nekonobi.com/happynyankoproject2019/
(c)ねこのび屋より転載

 

 価値のある商品を生み出し届けます

「さらい工房」は障害者施設には珍しいレーザーカッターを保有していて、様々な木工製品を製作しています。こちらのレーザーカッターはとても優秀で、私が作ったデザインデータや、ねこのび屋さんが描いた手書きの画の細部まで再現できます。無料のイラスト等を使っても十分素敵に製作できますが、やはりオリジナル商品は他のものとは違い目を引きます。

作品を通して誰かのしあわせを作る「もの作り」は障害のあるなしに関わらず、やりがいのある手仕事です。そして作ることは自分自身をもしあわせに、楽しくさせてくれるものです。
今回、このお話をいただいた時に「共に楽しめる仕事ができる」と思い、今後、継続してコラボ作品を作ることを決めました。
しあわせを願う気持ちを私たち作り手からみなさんに届けます。(c)ねこのび屋より転載

「ねこのび屋」さんが描いてくれた循環図

ねこのび屋さんが描いてくれた循環図のように、C.P.FACTORYでは、人と人との繋がりを大切に、より良い価値を生みだし、それを循環させる活動をしております。また、私の優れた発想力と想像力で他にはないオリジナル商品をお客様と一緒に考え、価値のある商品を提案させて頂いております。我々の商品は障害者支援にも繋がります。オリジナル商品をお考えの方、福祉施設を応援したい方、もちろん購入したい方などなど、お気軽にお問合せください。

次回は「価値を上げるためには?」です 

(第19回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

3月 10 20

第84回 悩み多き現代的家づくり-2

by staff

acaa建築研究所
岸本和彦

悩み多き現代的家づくり-2

1年半ほど前になりますが、前回の私の当番で家は小さくてよい、といった様な内容を執筆いたしました。今回、同様のタイトルでその続きを書こうと思います。家をどうにかしようと悩んでいらっしゃる方々、または過去にそのように悩んだ経験をお持ちの方々に読んで頂きたい内容です。多くの場合、皆さんが理想とされる家を考えるとき、坪数や間取りやスタイルは重要な物差しではないかと思います。もしかしたら他に思いつかない方もいるかもしれません。坪数とは家の大きさを示しますし、間取りは幾つベッドルームがあるかとか、リビングは開放的で日当たりは良いかといったことですね。そしてスタイルはそのままご自身の好みの問題で、和風とかモダンな感じとか、ナチュラルなのがいいとか。前回、私が書いたのは、その3つの物差しよりももっと重要なことがあります、といった内容でした。そしてそれはひとの体の寸法に寄り添うように出来た、コンパクトで多様な居場所の豊富さです、といった内容だったと思いますが、今回はそこをもう少し掘り下げて考えてみましょう。

誰もがしっているLDK。例えば3LDKといえばベッドルーム3部屋に、リビングとダイニングとキッチンがある、と読めます。しかしそれは戦後の日本に登場した”間取り”のひとつの考え方であることをご存じでしょうか。「さざえさん」を見ていると確かにお茶の間でお膳を出してご飯を食べています。戦前までの日本の住宅は、ご飯を食べる部屋、とか家族団らんの部屋といった具合に機能と部屋は必ずしも連動していませんでした。ひとつの部屋で食べたりテレビ見たり、寝たりもしました。しかも壁は多くなく建具で仕切られた空間が多かったので、部屋は広がったり縮んだりもしました。お陰で様々なイベントにも柔軟に対応できたり、季節によって閉じたり解放したりして風抜けを調整し、さらに過ごす場所すら微妙に移動したものです。これは機能と部屋が連動せず、状況により自由に変化したということなのです。予定される出来事ごとに部屋を用意する必要はないわけです。しかも住人が減った時にも無駄が出ないばかりか、増えたとしても使い方や場所を調整すれば済んだのです。戦後生まれたLDKは、歴史的にも有名な昭和51年に公営住宅標準設計として建設された51C型から始まったと言われています。なんだ、最近じゃないか、と思う大人は多いはずです。そうなんです。それまでの主婦は上げ膳下げ膳で、ふとん敷いたりといった家事が大変でしたので、寝る部屋と食べる部屋とご飯つくる部屋を分けたことは、すなわち主婦の家事労働からの解放であったわけです。そこまでは良かったと思います。しかしその後、間取りを示す数字だけが一人歩きをはじめ、大手メーカー、量産住宅、マンション、工務店などのように、設計そのものでは勝負出来ないビルダー主導型の住宅に上手に利用され、現代に至るわけです。なぜならば、LDKシステムによって設計すれば、設計は極めて”簡単”ですから。だってクライアントは数字が大切なのですから。戦後間もないころ、国際会議で日本の住宅は”うさぎ小屋”と酷評されました。それほど粗末で小さく、非衛生的であったのでしょう。その反動で、間取りはより大きく、部屋は多く、天井は高く、といった一義的価値が一気に普及したことはまさに辻褄があっているわけです。しかし、立派な住宅は全国に行き渡り、家が余っている現代の状況において、戦後物資が不足するバラックでの生活という背景から生まれた、LDKシステムは、もはや卒業しなければならない時期ではないでしょうか。昔に戻ろうと言っているのではありません。多様性が必要なのです。はっきり書きますが、LDKは概念です。そこに空間の豊かさを示す指標は何も示されていません。そろそろ目を覚ましませんか?

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acaa建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

3月 10 20

奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は哀しき

by staff

♪ 奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は哀しき ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:猿丸大夫
(さるまるのたいふ / さるまるだゆう)

歌意(その1):山の奥深く 真っ赤な紅葉を踏み分けながら 鹿が伴侶を求めて鳴いている。その鳴き声は秋の悲しさそのものだなぁ。

歌意(その2):山の奥深く 真っ赤な紅葉を踏み分けながら歩いていると 鹿の鳴き声が聞こえてきた。秋の悲しさがしみじみと胸に沁みるなぁ。

この歌は 二つの解釈があります。鹿が紅葉を踏み分けて山にいるのか、作者が紅葉を踏み分けて山にいて鹿の鳴き声を聞くのか。
百人一首研究ではオーソリティと言われる、同志社大学の吉海直人教授は読み手が奥山を歩いていて鹿の鳴き声を聞く方を取られています。
私は歌っている時には漠然と鹿が紅葉を踏み分けて鳴いている。という感覚がありました。では自分はどこでその鹿の鳴き声を聴いているのか、と思うと、やはり私自身も山の奥で紅葉を踏み分けて、その鳴き声を聞くのです。私と鹿は同じように真っ赤な紅葉を踏み分けて山の中にいて、そして鹿が鳴く、私がその声を聴く。
其のビジョンが自分にとって一番しっくりくるので。あえて二つの解釈を載せてみました。

作者の猿丸太夫さん。この方も不思議な人物で、果たして実在の人なのか架空の人なのかが明確ではありません。この百人一首の5番の和歌は 本当は秋に取り上げたいと思っていたのですが、この歌の解釈や読み手の事等 どう文章に表してゆけばいいのか。結局、難しい物は後回しにして書き綴ってきて最後に残ってしまったのがこの猿丸太夫の和歌。と言うわけです。でもここにきてこの二つの曖昧さ。歌の解釈と読み人のあやふやさがかえって面白く思えてきました。昨夜私は天使さんに(最近私はなんでも天使に助けを求める遊びをしています)猿丸太夫は本当にいたの?と聞いてみたら「いました!」と言う言葉が内側から湧きました。それも一人ではないようです。沢山猿丸チームが居たみたい。芸名みたいなものなのでしょうか? 昔コロンビアローズと言う歌手が居ました。そして今でもコロンビアローズと言う名の歌手が居ます。初代から現在は2~3名の女性にその名前が受け継がれている訳ですが、そんな感じで 猿丸太夫さんはご神事や芸能をいろんなところで請け負っていたと思われます。そんな文化が奈良時代にあったのでしょう。
猿丸太夫歌集と言うものが残されているそうですが、芸能やご神事に関わってきた人々の中で歌読みの才能がある人々の歌を猿丸太夫の名のもとに残してあるのだと思います。猿丸太夫という人々が全国に散らばっていった経緯は分かりませんが滋賀県の大津市に猿丸太夫の墓があり猿丸神社もあるのでその辺りがやはり最初の流れのような気がします。

私としては柿本人麻呂さんが大好きなので彼と猿丸太夫は同一人物だった。という哲学者の梅原猛さんの説にも、とても惹かれます。いつか梅原猛さんの同一人物説が説かれた御本(水底の歌)を読んでみたいと思います。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

3月 10 20

それぞれの夢に向かってチャレンジするご夫婦 松本道雄さん・ゆりさん

by staff

新しい横浜のまちに住み、お互いを人生の伴走者としながら、それぞれの夢に向かってチャレンジする松本さんご夫婦です。ご主人は横浜の新しいまちづくりに挑戦、奥様はウルトラマラソンなど長距離走に挑戦されています。

松本道雄(まつもとみちお)さん・ゆりさんご夫婦

お名前 松本道雄(まつもとみちお)さん・ゆりさん
お年 お二人とも40歳代
趣味 道雄さん 登山
ゆりさん 登山、ランニング

 

最初にお二人の出会いからご結婚までのことを教えて下さい。

 道雄さん

私たちは二人とも港南区の出身で、同じ高校のワンダーフォーゲル部でした。ゆりは学年が6つ下なので同時期には在学してなく、私が大学院の時にOBとして部活に参加した際に知り合いました。私は大学では建築を学び、都内の建築事務所に就職し、ゆりは大学で造園を学び、現在は行政の公園管理部門で仕事をしています。2001年に結婚して、当初はゆりの実家の上大岡で生活していましたが、今から12年前、私が36歳の時にみなとみらいのマンションに越してきました。

結婚されてからも、お二人で山に行かれることは多かったのでしょうか。想い出に残っている山はありますか。

 道雄さん

登山は二人の共通の趣味なので、今でも年に1~2回は登っていて、今年は東北の山に行こうと思っています。高校生の頃からテントなどを背負って歩く縦走スタイルが基本で、若い頃は重さ20キロくらいの荷物で4~5泊の縦走もしていました。北は利尻から南は屋久島まで、日本全国の山に登ってきましたが、中でも北アルプスは何度も足を運んでいて、歩いたルートを地図に色付けしています。中でも思い出に残っている山は、何度かトライしてようやく制覇した「赤牛岳」、そして標高2,932mの白馬岳から標高0mの親不知の海岸までを結ぶ「栂海新道」です。栂海新道は2度歩いていて、1回目は白馬岳から2回目はその逆ルートを辿りました。

朝日岳頂上でのお二人

ゆりさんは、ランニングにも力を入れているとお聞きしましたが。

 ゆりさん

みなとみらいに越してきて、走っている人を見る度に、自分も走りたいという想いはあったのですが、以前、膝を痛めたことがあり、走ることにためらいがありました。本格的に走り始めたきっかけは東日本大震災で、ニュースの映像を見ていて、自分がやりたいことは生きているうちにやっておこうという思いが湧いてきました。
最初は三浦マラソンでハーフを1時間50分で走り、膝も大丈夫だったので、霞ケ浦マラソンで初めてのフルに挑戦して4時間20分で完走しました。それなりの早さで走れることが分かると欲が出て、サブ4(4時間切り)、さらにはサブ3.5を目指して、多いときは月に1~2回のペースでレースに出るようになりました。そのうち、自分にはフルよりもっと長い距離が向いていると思うようになり、2014年には伊豆大島のウルトラマラソンで58キロ、さらに野辺山で100キロを走りました。そして、今は時間走(決められた時間で何キロ走れるかを競う競技)が中心になっています。
2016年の神宮外苑24時間走で228キロを走って女子2位になり、翌年北アイルランドで開催された世界選手権に日本代表として出場して11位でした。2018年のアジアオセアニア選手権では1位になり、2019年のフランスでの世界選手権にも出場しました。そして、この2月に台北ウルトラマラソンの48時間走に挑戦して331キロを走り、女子1位、総合4位でした。

台湾での48時間走女子1位

すごいですね。時間走は精神的にもタフでないとできないのではないでしょうか。時間走をやるようになって、何か変わったことはありますか。次の挑戦は何でしょうか?

 ゆりさん

メンタル面の強さは重要です。また、長丁場なので、走りながらの補給が必要ですが、胃腸が弱って食べられなくなると走れなくなります。周回コースなので、景色が単調で辛いのでは? と言われますが、常に誰かが応援していてくれるのでそうでもありません。朝、昼、晩、夜中と景色も変わりますし(笑)。
長距離を走るようになって、友達が増えました。Facebookなどで全国の仲間と繋がっています。青森から下関までを3区間に分けて走る「本州縦断フットレース」に出場した時も、通過時刻を見計らって、近くに住んでいる友人が応援に来てくれたりしました。
今後は、フィンランドの6日間走にも挑戦しようと思っています。

ゆりさんの雄姿

次に、道雄さんに伺います。道雄さんがまちづくりに関わるようになるまでを教えて下さい。

 道雄さん

勤務している建築設計事務所で、都市計画法や建築基準法などの枠を超える許認可が必要な案件を中心に担当していたのですが、大規模案件を担当している時に体調を崩し、これまでも片手間でしていた社内システムの専任社員として異動しました。
設計の仕事をしていた頃より時間的に余裕が出たこともあり、みなとみらいに越してきたのを機に、建築士としてのこれまでの自分のスキルを地元で生かせないかと考えていました。そんな時に、地元の有志の方たちが、マンションの隣にある高島中央公園にどんな施設が欲しいかを考える、ワークショップに参加しました。実は、妻がチラシを見つけて私に教えてくれたのですが、これが地域のまちづくりに本格的に関わるきかっけになりました。
私の専門知識も生かしながら、地域のコミュニティが育つような公園づくりを目指し、結果的に「高島中央公園ガーデニングクラブ」として、平成20年度に横浜市の「ヨコハマ市民まち普請事業」のコンテストに通過して500万円の助成を受けて、地域住民の想いが込められた公園づくりができました。

高島中央公園での花壇つくり

現在は、みなとみらい地区のまちづくりにどのように取り組まれていますか。

 道雄さん

みなとみらいには、現在約9千人の住民がいますが、マンションばかりの街ということもあり、マンションごとの管理組合の活動はあるものの、地域としての住民の繋がりが希薄です。そこで私の住んでいるマンションの住民、さらにはみなとみらい地区の住民によるコミュニティづくりを積極的に進めています。
私の住むマンションでは「ブリリアみらいコミュニティ」という団体を作り、毎月イベントを開催しています。これまでスキルを持った住民の方が講師になる住民講習会や、孤食解消を目指してみんなで作って一緒に食べる食事サロンなどを開催してきました。最近は西区で活動しているボランティアや西区の市民活動支援センターの協力を得て、マンションのロビーで新春コンサートも開催しました。住民同士が繋がることで生まれる新たな楽しみを増やしていき、住民間の支えあいの繋がりを育んでいきたいと考えています。

新春コンサート

また、みなとみらい地区全体のコミュニティづくりということでは、3年前に「みなとみらいマンション連合会」という組織を立ち上げて、さらに地域住民の防災・減災にフォーカスをした「みなとみらいマンション防災・減災協議会」を昨年立ち上げました。
これまでの活動を通して、横浜市役所から公園で活動している市民として委員の委嘱を受けたり、「市民セクターよこはま」や「横浜プランナーズネットワーク」などまちづくりの中間支援を行うNPO法人で理事やメンバーとして活動しているほか、昨年12月からは民生委員・児童委員も務めています。

防災設備見学会の開催

これまでは週4日、都内の事務所に勤めていましたが、一昨年の4月からは自宅勤務も織り交ぜながら週2日の出勤に減らして、地元でのまちづくりにより一層、関わることができるようになりました。

道雄さんは、横浜の新しいまちづくりに挑戦、ゆりさんは、国内外の長距離レースに挑戦されておられますが、お互いをどのように見ておられますか。

 道雄さん

お互いのフィールドが違い、それぞれやりたいことも異なりますが、お互いの考えを尊重するようにしています。そして、お互いに依存しない、良きパートナーだと思っています。

 ゆりさん

(道雄さんのことを)いつも忙しそうだなぁ、すごいなぁ、よくやるなぁ…と思って見てます。(笑)

横浜生まれ、横浜育ちのお二人にとって、横浜とはどんな場所なのでしょうか。

 道雄さん

横浜は開港とともに出来たまちで、当時の横浜は世界から様々な文化が入ってきた最先端のまちでした。そんな横浜には、新しいものを受け入れる自由な雰囲気や懐の深さが根付いていると感じます。
そのあとも、常に新しいものを取り込んで、進化してきた横浜ですが、戸建て住宅地がなく、マンションとオフィスと商業施設とが混在しているみなとみらい地区はこれまでとは違う、最先端のまちだと言えます。そんなまちの住民として、既存の概念にとらわれない、このまちにふさわしいコミュニティづくりを進めていきたいと考えています。

 ゆりさん

生まれてからずっと住んでいますので、ひと言で言えば「ふる里」ですね。あって当たり前のような場所。そして、いろいろなものを惹き付ける魅力のある街でしょうか。これからもずっと住み続けていきたいです。

お二人にとって横浜とは
左:ゆりさん「人をひきつける街」/右:道雄さん「常に新しい街」

<取材を終えて>

今回は、みなととみらいのご自宅でインタビューさせていただきました。高層階なので見晴らしもよく、素晴らしい住環境でした。お二人はそれぞれお仕事を持ちながら、個々に大変やりがいのあることに挑戦されています。お互いがやりたいことを尊重して干渉せず、でも大変な時はサポートし合うという、ほどよい距離感が素敵なご夫婦です。お二人がこれから創り出していく様々な成果に期待しています。

(インタビューと文:渡邊圭祐・桃伯子)

 

2月 27 20

第58回盆栽カフェ オープン - 2020.3.15(日)

by staff

盆栽カフェをオープンいたします

「ヨコハマトリエンナーレ2014」で大好評だった「盆栽カフェ」をヨコハマNOWでは定期的に開催しています。

季節ごとの変化が気軽に楽しめる「盆栽」・・・
最近は若者を中心にミニ盆栽が人気を集めています。

2014年12月13日(土)に開催した第1回「盆栽カフェ」では、石井造園株式会社の石井直樹社長に、「盆栽」について語っていただきました。

盆栽カフェ
第1回「盆栽カフェ」のアルバムです

その後定期的に開催し、2020年2月16日(日)に第57回を開催しました。そして第58回の「盆栽カフェ」を3月15日(日)にオープンいたします。

My「盆栽」をお持ちいただければ、石井社長に見ていただいてお手入れについてお話しいただきます。








2016年4月24日の「盆栽カフェ」の写真です。


2017年4月15日の「盆栽カフェ」の写真です。

「盆栽カフェ」(3月15日)のご案内 –第58回–

2020年3月の「盆栽カフェ」は、3月15日(日)14時から横浜山手の「此のみち」で開催いたします。

それまでに新型コロナウィルス騒動が収束していることを願っています。

ワークショップは、「ニレケヤキの寄せ植え」を創作いたします。

「盆栽カフェ」は・・・年代を問わず大歓迎です。
毎月第三日曜日に開催いたします。

「マイ盆栽」を石井先生に見ていただき、アドバイスを頂戴することもできます。

大正時代の日本家屋でお茶と「此のみち」のシェフ手作りのお菓子をいただきながら「盆栽」について語り合いませんか。

皆様のご参加をお待ちしております。

「盆栽カフェ」のお申し込みはこちらから・・・
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

よろしくお願いいたします。

プログラム

タイトル 盆栽カフェ
日 時 2020年3月15日(日) 14時~
場 所 「此のみち」
横浜市中区山手町159-2 tel 045-621-4015
 
みなとみらい線「元町・中華街」駅下車、
  「港の見える丘公園」方面に徒歩12分
JR京浜東北線「山手」駅下車、「山手駅前」バス停から20系統
「港の見える丘公園」下車、尾根沿いに徒歩8分
 
アクセスはこちらをご覧ください。
http://yokohama-konomichi.jp/acces.html
参加費 4,000円 (ワークショップの材料費 お茶・お菓子 付)
お申込み お申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

動画:日本で初めて!松ぼっくりを使って苔玉を作る「苔玉ワークショップ」

参考サイト

「盆栽カフェ」 http://bonsaicafe-yokohama.net/

ヨコハマNOW掲載記事
「横浜に責任をとる。 石井造園株式会社 代表取締役 石井直樹さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=11663

 

 

2月 10 20

ポールウォーキングが広がっています

by staff

 

2020年から毎月第1日曜日16時から山下公園で「ポールウォーキング」のトレーニングをやっています。 ※盆栽カフェは毎月第3日曜日です

2020年1月5日の「ポールウォーキング」に参加してくださった、”嘉門みどり”さんが感想を寄せてくださいました。
「ともの現場」で公開させていただきます。

 

嘉門みどりさんのレポート

今回、ご縁をいただいて、ポールウオーキングに参加させていただきました。
ポールウォーキングとは、2006年に長野の整形外科の医師が、健康づくりのために考案したエクササイズです。
使用するポールは軽く、しっかりとしたつくりになっていて、使う前に、自分の身長に合った長さに調節します。
また、ポールの先には、しっかりとした滑り止めがついています。
初参加メンバーは、私を含めて3名でした。教えてくださるのは、美容家の大木美恵子先生です。
準備運動の軽いストレッチをした後、スタートしました。
今回は、山下公園から、海を右手に見ながら大さん橋に向かいます。
風は少し強いですが、新年の清々しい空気の中を、いつも歩いているのより、すこし歩幅も大きく、両手のポールを補助にして進みます。大木先生は、背中をまっすぐに、腕を振って、すっすっと前方に進みます。
その後ろ姿を見ながら、何とかついていきます。

ポールの持ちかたは、最初に教えていただきましたが、歩いているうちに、ついつい、5本の指で握りしめてしまっていて、それに気づいて直すうちに、今度は、右手右足が同時にでているかも?と心配になり、足を踏み出し直したりと、
あたふたしながらも、景色が良いので、目線は何とか遠くの前方を見やりながら、歩いていきました。

大さん橋のクジラの背中を、飛鳥Ⅱが停泊しているのを左手に見ながら、ずんずんと歩きました。横長の大きな集合住宅のような1真っ白な船体が、夕焼けで、ピンクとブルーのグラデーションになった空を背景にして、映えていました。

ここまでで、だいぶいい運動になりましたが、まだ、折り返し地点です。
少し休憩して、また歩き出します。
帰り道の方が少しだけ、ポールに慣れてきた気がしました。
(・・といっても、私の歩き方がさまになってきた、というわけではなく、ポールを突きそこなって、あまり役に立ってない、ということもしばしばありました、、)
いつもの歩き方よりは、少し早いかなという感じで、せっせと腕を使って歩きます。

山下公園のスタート地点に無事に戻り、整理運動として、肩回りや腰、足のストレッチをして終了です。

普段から運動不足の私は、帰りの駅まで歩く道で、意外に太ももの外側の筋肉を使ったように感じました。
また、デスクワークでほとんど動かすことのない肩のまわりは、ポールを持ってせっせと両腕を動かしたことで、ほぐすことができたように感じました。

終わってみれば、あっという間の初めてのポールウオーキングでした。
次回、また参加するのが楽しみです。

 

私は根岸森林公園で毎朝開催されているラジオ体操会に参加するときに、「ポールウォーキング」で行きます。
最近はポールを持って歩いている方をチラホラ見かけるようになりました。
老若男女を問わず、誰にでもできる運動です。体幹が鍛えられて姿勢が良くなります。
皆様是非ご一緒に・・・いかがでしょうか。

 

2月 10 20

楽しい文字の世界(第21回) 2020もどうぞよろしくお願いいたします

by staff

第21回 2020もどうぞよろしくお願いいたします

紅花書道塾は、娘が紅扇(こうせん)、息子が紅翔(こうしょう)と紅を引き継ぎ、私紅花(こうか)と合わせ、「紅(べに)の書」を立ち上げました。

私の雅号の紅花は師匠の紅宇先生から一文字をいただきました。先生から1文字をいただくことは必ずではありませんが、毎回落款を書く度に、今は亡き師匠を想い、身が引き締まります。師匠からの教えを受け継ぎ、それを次世代に引き継いで行く、その中で1文字も引き継ぐことは、可視化として私は行っていきたいなと思います。

さて、お正月の書道イベント。各地で出演させていただきました。

1/3 粟津紅花 マークイズみなとみらい

1/3 粟津紅扇 アズパーク(名古屋)

1/4 粟津紅翔 ジョイナテラス二俣川



1/5 粟津紅花 ニューコースト新浦安



1/5 粟津紅扇&紅翔 ブランチ横浜南部市場





それぞれ文字には語源があり、イベントでは揮毫した文字について皆様にお話しましたが、ここで2文字ピックアップしてお話しましょう。
新…部首はおのづくり「斤」。「立」は長い針を表し、親が亡くなった時、木々に針を投げ、刺さった木を「斤」で切って新しい位牌を作ったところから、「新しい」という意味が残りました。
輪…部首は車へん。車へんを45度回転させると車の車輪になります。右下の「冊」の部分は縦画が木簡の札を表し、多くの木簡をすだれのように横画の紐で縛り丸める様子を表します。そこから左右合わせて、「わ」や「丸いもの」や「まわる・めぐる」などを意味するようになりました。丸い花を1輪2輪を数えるのもそこから来ています。
オリンピックの五輪の「輪」でもあります。画像では分かりにくいですが、金メダルが沢山取れるように金の墨をたっぷり使いました!

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して26年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

2月 10 20

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第9回)
ある虐待事件から暴力防止について考えてみた

by staff

第9回 ある虐待事件から暴力防止について考えてみた

1月8日の読売新聞に、小学生女児への水風呂虐待の母親と内縁の夫が暴力的行為等処罰法違反に問われ、保護観察付きの執行猶予、母が4年・内縁夫が5年の判決が出たことと、執行猶予期間中に暴力防止プログラムを受けることを遵守事項とするといった記事があった。

虐待した二人が暴力防止プログラムを受けることには、反対ではないが・・事件となってはじめて、自分の暴力性について考えるためにプログラムを受けるということや執行猶予期間中だけで、人は変わることができるのだろうか。それで二度と女児に同じようなことは起きないのか?といった不安や疑問を感じた。

このプログラムは、暴行や傷害罪において実施されているそうだ。
また最近では、学校や教育機関でいじめの問題やドメスティックバイオレンスの問題でも適用されているらしい。

虐待や暴力・いじめは、家庭や学校だけでなく、職場や高齢者に対してなど、社会のあらゆる場所でおこっていますよね。

人の心はいつも穏やかとは限らないもの。誰もが不安定な心になってしまう可能性があり、怒りにまかせて、自分本位な行動をとってしまいその結果、人を傷つけることもあるかもしれません。
そう考えると、暴力防止を考えることは、他人事ではなく、誰もが必要なことだと思うのです。

また、暴力は、自分自身が人を傷つけることをしてはいけないという気づきがあって、はじめて、なくなってゆくのではないでしょうか。

アメリカで生まれた、アンガーマネジメントという自分の怒りと上手に向き合うトレーニングがあるようです。暴力防止プログラムやアンガーマネジメントを学ぶことも気づきを導き出すための一つの方法かもしれません。
でも、気づきの機会は、それだけでなく、自分の日常生活の中で、怒りや苛立ちの経験をした時にもあるのではないでしょうか。そこからも暴力という燃える炎を静めることができると思うのです。

例えば・・・ついかっ!となって、怒ってしまった時・・
深呼吸とか数秒間、間をおいて、気持ちを落ち着かせるという方法もあるようですが、その時の自分の気持ちはどうだったか?周囲の様子は?なんて、感情的にならないで思い出し、その時のことを整理して考えてみると、怒りの本当の原因やほかの方法などもみえてくるかもしれませよ。

何言ってんの!毎日忙しくって、そんなこと考えられない!なんて思われましたか?
でも、「忙しい」という文字は「心」を「亡くす」と書きますよね。そして忙しい時ほど、怒りモードに入りやすいのではないでしょうか。

子どものころ、母に「自分が、されて嫌だったことを人にしてはいけないよ」と言われました。保育の仕事をはじめてからは、子ども同士での小さなケンカや叩くなどの行為があった時、自分がされたらどんな気持ちになるのか、子どもたち自身で考えるようにしていました。子どもたちなりに、ちゃんと自分のことを見つめることができます。

暴力防止は、みんなが他人事ではなく自分のこととして、怒りや暴力を鎮めることを考え、行動することではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

2月 10 20

しあわせの「コツ」(第38回) 「おむすび」はエライ!

by staff

第38回 「おむすび」はエライ!

      おむすび
 
いじわるされて帰ってきた日
お母さんがおむすびを作ってくれた
 
「夕食前だからね」と言って
小さなおむすびを作ってくれた
 
具は何も入っていない
まわりにぐるりと味噌を塗っただけの
ころんとしたおむすび
 
ほおばると
涙がボロボロこぼれた
鼻をすすりながら
夢中で食べた
 
指に張り付いたごはん粒も
きれいに食べた
 
いつの間にか涙は乾いていた
もう誰にも負けない気がしてきた
 
お母さんの手の味がしたおむすび
もう一度食べたいな

恥かしながら、この詩は某年某日の出来事を描いた若き(幼き?)日の私の作品です。

「おむすび」。
日本人で「おむすび」を食べたことのない人はいないでしょう。どこのコンビニでも売れ筋商品です。私たちの生活に溶け込んでいるおむすびにまつわるエピソードも、それこそ日本人の人口数だけあるのではないでしょうか。
私の思い出は、詩に書いたように、夕食の支度で忙しい母にせがんで作ってもらった「味噌むすび」です。ある時、この詩を読んだ三女が「これ、まるで私のことみたい」と言いました。親子で同じ体験をしたんだね、と笑い合ったものです。

「おむすび」という言葉をたどっていくと、「むすひ」という古語に行き着きます。「むすひ」は、実は日本人の考え方の根本にある大変重要な概念です。

漢字で書くと「産霊」。「産=むす」は生じる、生まれるという意味です。
なので、生まれた男の子は「むす・こ」、女の子は「むす・め」となります。
「霊=ひ」は霊威と言われますが、平たく言うと「目に見えないポテンシャルエネルギー」だと思います。ですからポテンシャルエネルギーがまだ4割程度しか開花していない未熟な存在は「ひ・よ(=4)」、7割くらい開花すると「ひ・な(=7)」、全部開花すると「ひ・と(=10)」と呼ばれます。

「産霊」(むすひ)は神様の名前にも入っています。造化の三神と言われる(注)天之御中主神・高御産霊神・神御産霊神のうち、二柱の神様のお名前に「産霊」(むすひ)が入っています。高御産霊神は男性神、神御産霊神は女性神とされ、「創造」「生成」を意味し、男女の「むすび」を象徴していると言われています。

(注) 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産霊神(たかみむすびのかみ)、神御産霊神(かみむすびのかみ)

武蔵村山
滝之入不動尊境内の
「造化三神」像

「むすひ」(=エネルギーを生み出す)という宇宙的なはたらきを対象化し、神格化した昔の日本人の研ぎ澄まされた感性には驚かされます。かつて人々は、あらゆる現象にこの「むすひ」を見たのでした。男女の営みはもちろん、物事が生成されていく全ての過程は「むすひ」なのです。

楠木正成が座右の書としたことで有名な兵法書「闘戦経」*では、「武」(ぶ)は混沌を整えて新しい秩序を生み出すものであり、その点では新たな生命体を生み出す「産」(む)と同一であると説いています(「武」は「む」とも読みますね)。武道では、敵との斬り合いでさえ、「斬り結ぶ」と言って、それも相手との「むすひ」の一種と考えるのです。

*「闘戦経」
大江匡房(1041~1111)による兵法書。中国の兵法書「孫子」は「兵は詭道なり」と、権謀術数を奨励していますが、日本の兵法書「闘戦経」は、天地自然と共存することを前提に、「誠と真鋭(正々堂々と道に乗って戦うこと)」を貫くことが武であると説いています。

日本の民族衣装、着物につきものの帯にも「むすひ」は欠かせません。昔の人はこの「帯を結ぶ」ということを、装いの便宜上だけでなく霊的成長にとって大変重要なことと考えていました。子供が成長して着物の付ひもを取り、初めて普通の帯を結ぶ時期になると「帯解き」と言って男女を問わずお祝いをしたのです。
この風習は室町時代末期から始まり、江戸時代中期以後は男子5歳の袴着に対して、女子は7歳の祝いとなりました。それが七五三の由来です。

帯を結ぶとは、「むすひ」を自覚させることだったのです。「もう赤子ではない」―つまり自分で生成エネルギーを開花させることができる年齢になったということなのです。

現代の「帯解き」七五三

帯に限らず、結び目には「神威」が宿るとされました。水引(正確には「水引結び」)も、結婚式とお誕生祝いとでは結び方が違うように、結び目の形に魔除けや寿ぎのエネルギーを乗せています。

「むすひ」。
今でも私たちは至る所で「むすひ」を行っています。縁を結ぶ、契約を結ぶ、本州と四国を結ぶ、髪を結ぶ、印を結ぶ、手を結ぶ、口を結ぶ、庵を結ぶ、話を結ぶ、紐を結ぶ、実を結ぶ、等々。「むすぶ」(=むすひ)は、とても量子力学的な言葉です。混沌とした状態から意味のある形へとエネルギーを凝集させていったり、分離しているものを統合していくはたらきなのです。

冒頭で触れた「おむすび」も、バラバラのご飯粒をぎゅっと結んで一つの形にします。同じ量のご飯でも、おむすびにするとなぜかおいしく感じられます。もちろん握った人のバイブレーションも影響しているでしょう。でも、一番大きな違いは、一つの形にすることで、同じお米でもご飯粒の時とは異なったエネルギーが生まれるからではないでしょうか。

おむすびの基本は三角形で、そこに「産霊」(むすひ)の神様のパワーが宿ると言う人もいます。だからおむすびを食べると力が出るのですね。

あれ? 三角形ということは、もしかして「造化三神」を表しているのでしょうか?!

いやはや、おむすびがそんな尊い食べ物とは知りませんでした(笑)。

水引。最近ではデザイン化された水引もあるが、
結び目に込められた意味は変わっていない。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

2月 10 20

2020年2月 三ツ池だより 「新しい年を生きる!」

by staff
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おだやかな年明けだった。不思議なおだやかさだった。

 「穏やかな年明け」
いい日
おだやかな冬陽さす日
なにかが聞こえてきそうな日
何もない日
  雲ひとつない日曜日
  不思議と風のない日
  なにも聞こえない日
  でもなにかありそうな日
これからお参りに行こう
なんだか嬉しくなる
新しい居場所を探しに行くようだ
それもいい

年末・年明けは比較的神社は混雑したようだ。さて、新年になって驚いたことがあった。松飾りがどこにもない、見当らないのであった。お正月飾りの風習が変化してきている。

 「詩」
言(葉)を書く
寺を書く
  詩とは何
  言葉をまつるの
詩とは言葉を修める
詩とは心を表現する
  今来た道を書きとめ
  今行く道を予測する
言と寺を書き
詩を書くことで明日に繋げる

街を歩いてみて、変わってきているなと思うことがあった。イヤフォンを探していて、電気製品の販売店が街にないのだった。

 「大事なこと」
売り上げを上げることはいい
大事なことは何のために売り上げるのか
有意義な時代とは
人が人らしく有意義に生きること
  売上とは仕事
  仕事を人の成長に生かす
  その結果が利益になるよう
  人が人らしく生きれるよう
人らしくとは何か
人間、自分の可能性を増やしていく
人が人として役に立つ生き方
人はそこにとどまっていてはいけない
  助ける助けられる
  相互の関係を見ていく
  計量が大事なのは
  相互に信頼関係をきづくこと
感謝が成立している
相互に信頼している
育てられたことこそが
そこに感謝を持たねば
  育てる立場とは
  利害をこえた信頼関係だ
  かぼそくもある人間がにんげんとして
  相互に立ちいく姿が大事だ

情報の共有化を強める必要を感じる。限界を取り払って、進んでいく姿勢も大事だ。

 「今求められていること」
変化が求められている
今まで通りでいいのではない
何がって
具体的な喜びの製作だ
  ただ昨日のことをやるのではなく
  改善進歩を加えていく
  お金がかかるかからないではない
  改善と進歩の喜びだ
何か元気がない
それすら気づかずにいる
元気であることを
それぞれが自覚して行こう

迷うのではなく、誇りを持って進んでいこう。いま来た道はいまきたみち。これから行く道は未知なる夢の道。こうして行こうと自分が決めた道だ。

 「今どこ!!」
せせらぎからポロポロと水が流れる
すすきがかすかに揺れている
風が顔の横をすっと通っていく
  静かなひととき
  日が射さない日の
  ささやかな土曜日
池がかすかに池面を揺らす
つぎからつぎに寄すさざなみ
今日という日が本当に今日なのかと思わせる
  すすきがささやきかけるように
  さわっさわっと揺れている
  遠く飛行機の音がざわめいている

公園の柵がまだ倒れている。もう二か月ほどになるのだろうか。風と枯葉が笑っている。
三ッ池公園の土曜日、黄にそまる木が大きく手を広げて、呼んでいる。「おはよう」と。
木は動いてないが水面に映る木が揺れている。白い椿が下を向いている。少し寒いのか、
じっとしている。池の端の水が揺れている。ガタンコトンの音がする。幼子がお母さんに連
れられて少し声を出しながら歩いていく。水面が少し微笑んでいる。

 「今日は」
ありがとう
こうして元気に笑い合えることが
なによりも嬉しい
  今日は満月の日
  大変珍しい満月だそうだ
  だんだん上空に上って行く
200年に一度の満月だという
変化がおこる
よい方向に動くのだ
  ひどいことをしていた悪者が滅びていく
  不平のない新しいシクミみづくりの誕生
  平等で信頼できる新しいシクミに

アラブへ飛んでいった安部首相は日本の船の安全のためにいった。あの飛行機事故の時期にたまたまぶつかったのだが、あの姿勢に感動をした。日本の石油の輸入は大事だ。いま、輸送船の航路をしっかりしておくことは大事だ。日本の産業を支えている石油の輸入がとどこおってては大変だ。安部さんが英語を話せるのはいいこと。通訳を入れず話が出来るのは素晴らしい。夫人が駱駝にのった写真がでた。お元気なのがいい。安部首相らしい行動が嬉しい。世界はひとつのあたらしい仕組みが出来上がる始まりの年であることを願っている。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

2月 10 20

ゆるマナー講座(第52回) マナーは右脳? 左脳?

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

コトバミクスというゲームをしました。
「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どうした」という紙にそれぞれが自分の言葉を記入します。それを切り離して裏返してバラバラにシャッフル。その後で、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どうした」の順番に並べ変えるゲームです。

偶然を楽しむ脳はどちら?

一人ひとりはそれぞれ、例えばこのように書きます。(これは仮の文章です)
Aさん:「昨日」「学校で」「S君が」「おにぎりを」「一口で食べた」
Bさん:「1月1日」「東京タワーで」「私は」「富士山を」「見て拝んだ」
Cさん:「12月のある日」「裏庭で」「夫が」「古い手紙を」「こっそり燃やしていた」

切り取った紙を裏返して混ぜると、こんな言葉になったりします。

「1月1日」「裏庭で」「夫が」「「おにぎりを」「見て拝んだ」

とっても簡単なゲームです。特にひねりもありません。だからこそ、偶然にできる文章は思いもかけないものになります。

その時の参加者は4人。3人の女性は大笑いしてこのゲームを楽しんだのですが、男性1人は「うーん、そこまで楽しい? 面白いポイントが僕にはわからない」と言います。
「これを初対面の人が集う場所でやれと言われたら難しい」とも。
「?」出来上がった文章を楽しむだけなのに・・・と思う女性たち。

そこで、右脳で考えるか、左脳で考えるかの違いなのかもという話になりました。

「女性は右脳」「男性は左脳」で考えるとよく言われますが、子どもたちは男女問わず大盛り上がりになるゲームですので、大人で、特に論理的に考える傾向の方はこのように偶然にできあがるものを楽しめないのかもしれませんね。

形と心はどちら?

マナーの研修の中で、「マナーがなぜ必要か?」ということをお聞きすることがあります。
マナーは人間関係を円滑にするうえでなくてはならないものです。ですので、このようにしたら相手はどう思うか、あなたがその相手だったらどう感じるか、など相手の身になって物事を考えることが大切だとお伝えします。

ところが、特に男子学生などは、こういう時はどのようにしたら良いか形をまず知りたいと思う方が多いようです。心が大切だということは後で考えれば良いのだそうです。
これは、左脳、右脳というようなことではなく、多分早く答えを知りたいだけなのではないかと思いますが・・・。

もちろん、形を知ることは大切なことです。
ところが形を知っていてもなかなかできないこともあります。

電車の中で、ご高齢の方を見かけたら声をかけて席を譲る。とても簡単なことです。
駅や電車の中のポスターに乗り物のマナーとして書かれているのを目にします。

「声をかけて席を譲る」という形にすることが良いことは大抵の人が知っています。でもそれが苦手な人が多くいます。周りの目、恥ずかしさ、そんなものが邪魔をするのでしょうか。

マナーにおいては、心も形も大切です。
例えば、あなたが「そこのおばあさんは立っているのが辛そうだな、座りたいだろうな」と相手を思いやる心を持っていたとしても、席を譲るという形に表さなければ、その気持ちは相手に伝わりません。あなたのその気持ちが伝わった時に相手が温かい気持ちになり言葉を返す、その言葉がまたあなたの心を温かくする、そのような相乗効果を生み出すのがマナーです。

「笑顔判定機」というものがあるそうです。機械に向かってニッコリ笑顔。この判定機で100点を取らないと仕事をさせてもらえない会社があったり、笑顔ランキングの表を売り場ごとに出して切磋琢磨?する会社もあるとか。このランキングは売り上げを競うのとは違い、従業員が笑顔になりお客様も笑顔になれる素敵なアイディアだと思います。

嬉しかったり楽しかったりすると、私たちは笑顔になります。
ところが不思議なことに、笑顔の表情を作るだけで、嬉しくなったり気持ちが温かくなったりします。脳が勘違いして幸せになるホルモンを分泌するからだと言われますが、心から入るか形から入るかの違いはあれ、結果的には気持ちをプラス方向に向けることに繋がります。

笑顔もマナーも、右脳や左脳に関係なく、心からでも形からでもどちらからでも。
人を温かなやさしい気持ちにすることに違いはありません。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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2月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第83回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第83回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

東京・広尾には “博覧強記、書・万巻を暗誦。書物の精が生まれ変わった” といわれた失明の国学者・塙保己一史料館があります。その近くにあるのが日本画専門の山種美術館。 “山種” とは稀代の相場師で “売りのヤマタネ” といわれた山崎種二。生き馬の目を抜く世界で熾烈な仕手戦を勝ち抜いた “相場の神様” 。大半の相場師は、一攫千金を手にして花街に散財、最後は地獄坂を転げ落ちてスッテンテンに。給料などない小僧として回米問屋に入り、相場の軍資金は当時流行ったペストの感染源ネズミを捕獲して得た1匹5銭の報奨金。ヤマタネは花街で散財せず大好きな絵画を購入。贋作を掴む失敗もあり、絵を買う時は画家から直接購入。また、安宅産業破綻から速水御舟コレクションも引き受け、川合玉堂、奥村土牛、横山大観など近代の日本画一大コレクションに。ヤマタネの相場観は明解。 “売りにはヘッジ・銘柄分散せず絞る・相場の流れを捉える・徹底的な逆張り” 。米国の投資家バフェットにも負けない生き様。梁塵秘抄では “垣越に見れども飽かぬ撫子を 根ながら葉ながら風の吹きも超せかし” とあります。日本画も大和撫子も楚々として純粋。 “人生は一回きりの即興演奏” とピアニスト・山下洋輔。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

強みを磨いた腕力で弱みを改革する 流行や雰囲気に気をつける
ほんとうの課題 生きる意味・知的好奇心・自律・楽しみ・墓標
自然の深さ 一切を忘れ観察に没頭するセンス・オブ・ワンダー
子供の言い分にも真実 百戦百勝するも一忍には如かず、と沢庵

沢庵和尚は、あの宮本武蔵の師匠で高名な臨済宗のお坊さん。但馬の国の武士の子供として生まれ10歳で出家、37歳で大徳寺153世住持になりました。あることから幕府に反抗し、羽州上山に配流。しかし、許されたあとは、その人徳に徳川家光や後水尾上皇も帰依したといいます。 “ぜーんぶひっくるめてのお前、それでいいんだ。認めてしまえ、ありのままのお前を。修業はそこから” との教え。一点集中は、事の成就に最優先されるべきこと。まさにセンス・オブ・ワンダーの世界。 “知的好奇心・自律・笑楽” がAI時代の基本スタンス。好き嫌い・得意不得意に関係なく観察に耽溺。 “経済は中国、政治は米国という楕円の時代に入った。楕円は不安定” とジャーナリスト西條都夫。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

自分の強みに磨きをかけ、個人のイノベーションを起す
貧困の先鋭化 昔はやせた土地、今はやせた身体と精神
信と不信の両方の目 振れ幅・ピンキリを押さえて考察
幸福よりはそこへ到達するための無限の努力、とジイド

昭和の時代、ジイドの “狭き門” と太宰治の “人間失格” は若者の避けて通れない通過儀礼といわれました。ジイドは、若き日には放校になったり神経を病むことも。また、アフリカに何度も旅に出て、娼婦との交流や同性愛にも溺れたとか。これらの体験は、ジイドに奥深い双曲空間を与えたかも。 “長い間、海岸を見失うだけの覚悟がなければ、新大陸を発見することはできない” 。自分の個性に磨きをかけ、個人のイノベーションに注力。1947年にはノーベル文学賞を受賞。AIの世界でも、めざましい応用をしていくには、すばらしい評価関数が不可欠。これらの設定にはAI以外の総合力が問われるのかも。 “寛容:報復・憎悪・殺戮・恐怖などをすべて飲み込む” とジュリアス・シーザー。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

時間の使い方こそ最大の課題 全てを捨てて全てを得る
多様性の許容、何事にも逃げない 夢でジャンプできる
やることを決める 知識の詰め込みではなく洞察を磨く
執拗さと発想を放棄する勇気、とジェームス・ワトソン

ジェームズ・ワトソンは米国の分子生物学者。DNAの分子構造、二重螺旋構造の共同発見者の一人で、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞。この発見は分子生物学の飛躍的発展に繋がりました。ワトソンは子供の頃から明晰で探求心旺盛、好きな言葉が “なぜ?” 。単純な答えでは満足せず、世界年鑑を読み、膨大な知識を蓄えたのだとか。AIへの斬り込みも “なぜ?” が基軸。非線形なもの・変数が多いものは人間にとって不得意分野。AIインパクトのトップ3はビジネスモデル・交通・医療の世界とか。単純でないものを単純でないままに分析。肝心なのは、単純化しないで特徴ベクトルを抽出すること。 “売りにくいものほど実は売れる” とタイタン(爆笑問題)代表・太田光代。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第83回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
2月 10 20

書評「一瞬で幸せが訪れる 天国めがねの法則」 KADOKAWA 武田双雲(著)

by staff
 
タイトル 一瞬で幸せが訪れる 天国めがねの法則
単行本 215ページ
出版社 KADOKAWA
ISBN-10 4404601220X
ISBN-13 978-4046012203
発売日 2016/5/24
購入 一瞬で幸せが訪れる 天国めがねの法則

「どうすれば、天国めがねが 手に入るのでしょうか。」という文字が飛び込んできました。今年は変化の時と言われます。武田双雲さんは書道家ですから、距離が遠いと思っていたのですが、まさに飛びこんで取り組みました。「はじめに」のところで「自分が持っている、天国めがねに気付けばいい」と言われます。そして「自分はすでに天国めがねを持っていると気づいていれば、そのめがねをかけるだけで、見える世界がたちまち明るくなります。だから、つらいことに直面しても、ダメージを受けにくくなるのです。」「天国めがねをかけはじめると、次第に信じられない現象が起こるようになります。自分はなにひとつ頑張らなくても、勝手に、どんどん幸運がなだれ込んでくるのです。」「不思議でしょう?でも、嘘ではなく、本当の話です。」

面白い本です。奇妙な不思議な本です。章立ての次は法則立てになっています。

「(法則1)楽しむことは、すべてに勝る」では、人生において、もっとも大切にしているのは、楽しむこと、といわれます。「楽しむことは、天国めがねの種みたいなもの、どんな人でもなにか一つは楽しんだ経験があると思います。つまり、誰にでも天国めがねはあるということなのです。」どんなこともその論法で進めていきます。朝、早起きが苦手なひとは、朝起きたら美味しいコーヒーにありつけるようにする。仕事が面白くないのであれば、まずなにか1つ、やっている仕事のなかで、自分が楽しいと感じることを探がしてみるといい、と言われます。使いやすいファイルを整理したり、わかりやすい資料作りにこだわたっり、どんなことでもいいと言われます。「いつも目の前のことを楽しんでいると、人生に“つまらない“と感じることが減っていきます。楽しい人生には、不安や恐怖もありません。これが、天国めがねを手に入れるための、第一歩ではないでしょうか。」

「(法則3)遊戯三昧で最高の自分になれる」で、著者は、自分という人間をひと言で表すなら、無邪気ということになるかもしれませんと言われます。「自分の書を必要としてくれる人が増えれば増えるほど、自分が置かれている状況をめいっぱい楽しむようになりました。」遊戯三昧という言葉があります。元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんから教わった言葉に「迷いの心にとらわれることなく、無邪気に遊びを楽しむ」ということがあるそうです。そして愛さんからの話を語られます。「昔、たいへんなスランプに陥ったことがありました。いくらラケットを振っても、まったく玉にあたらなくて・・・。でもそんなときにたまたま遊戯三昧という言葉に出合って気づいたのです。大事なのは、テニスを楽しむことだって」はじめから遊戯三昧でいれば、無邪気に楽しく仕事するだけ、と言われます。余計なプレシャーや緊張もなく、リラックスした状態で、最高のパフォーマンスができ、ものすごく、プラスの循環でいられるそうです。

「(法則7)幸せを怖がらない。素直に喜ぶ」感謝すればするほど幸せになる、があります。著者は目の前にあることになんでも感謝する「感謝オタク」と言われます。あらゆる出会いに感謝の気持ちがわき起こってくると言われます。

  • 朝、目が覚めると生きていることに感謝。
  • 家族がいることに感謝。
  • 歩けることに感謝。
  • 蛇口から水が出ることに感謝。
  • 清潔なタオルがあることに感謝。
  • お茶を飲めることに感謝。

「さすがに、自分でも感謝しすぎじゃないかな?と思うことがあります。だけど、そういうときは、感謝してもしすぎることはない、という言葉がふと思い出されて、そうだよね!って安心できます。幸せすぎて怖くなるときは、過剰なくらい感謝してみてください。そうすれば、素直に幸せをうけとってもいいよね、という気持ちになれると思います。」

「(法則14)関心を持てば、自然に引き寄せられる」心の「空」にきづいて埋める、があります。人は、自分がすでに持っている、と感じている時は、それを欲しいと思わないものです。ケーキを食べているときに、ケーキをほしがる人はいません。ケーキがないから、食べたいと思うわけです。「たとえば、お金持ちになりたいと願望を持っているとき、その人の心が関心をもっているのは、お金がない、ということです。それに気づかないまま、お金持ちになりたい、という願望を強くしても“お金がない”という関心が強まるばかりで、ますますお金がない状況を引き寄せるだけです。」なかなかできなかったことですが、著者は語られます。「お金がほしければ、いま自分の財布に入っているお金に感謝して、“たくさんお金があるなぁ”と思ってください。幸せになりたい人は、いま自分に与えられている恵に感謝して、“幸せだなぁ”といってください。」それを何度も繰り返すうちに、心の“空”は埋まり、おのずと満ち足りた状況をひきよせ、空を埋めることこそが、豊かさや幸福を手に入れる近道といえましょう。

「(法則15)かけるめがねで景色は変わる」一年のはじめに「この世は天国だ」という証拠を集めることを目標にすると、脳は楽しくてハッピーな情報ばかりを集めるようになります。その結果、心は明るくなり、生きる希望もむくむくとわいてくるようです。「“地獄極楽は心にあり”日本には、このような考え方ひとつで、この世は地獄にも、極楽にもなる、という意味のことわざがあります。世の中で起きていることは同じでも、それを面白く感じるか、つまらなく感じるかは自分次第だなぁと感じます。」あらゆる出来事や人やモノは、天国めがねと地獄めがねのどちらをかけるかで、見るところも、感じることも違ってきます。関心を持つところが変われば、引き寄せることも違ってきます。「仕事が面白くない、家族がいうことを聞かない、自分は運が悪い・・・そう思っている人は地獄めがねをかけているだけなのです。ためしに、たった一日でかまいませんので、“天国めがね“をかけてみてください。それだけで、世界がまるで違って見えることに驚かされるはずですよ!」自分のことも”天国めがね“を通してみると”優柔不断“は決して悪くないことに気付くはずです、と著者は言われます。「優柔不断って、”優しくて、柔らかくて、物事を断じない“と書きます。優しくて柔らかい人には、少しもネガティブな印象はありません。むしろ、セールスポイントにしてもいいくらい好印象ではないでしょうか。」

「(法則16)幸運を引き寄せる磁石になる」天国めがねをかけていると、はじめは、脳が天国情報を拾いあげるようになるそうです。そのなかには、ラッキーな情報も含まれます。「ラッキー情報が集まるにつれ、実際に幸運なことが起きるようになるのです。ラッキー情報が蓄積されることで、自分の体がラッキー磁石になって、ラッキーなことを引き寄せるわけです。信じられないかもしれませんが、僕自身がまさにそうなのです。ちょっとした思いつきで“こうなったらいいね”と話したことが、数日の間に実現してしまうのは当たり前。それどころか、考えもしないような幸運まで、ひっきりなしに舞い込んでくるのです。“こんな本をだしたい”“あの人と会ってみたい”“こんな商品のロゴを書いてみたい“”海外で展示会をしてみたい“どれも、あっという間に叶ってしまいました。」

「(法則18)持っているものを生かす」人はそれぞれ、育った環境が違えば、経験することも違います。どんな相手でも、自分が見聞したことのない知識を絶対もっているはずといわれます。いくら自分のことを無知だと思っている人でも、なにか1つぐらい、人に教えられるものを持っています。だから、自分は無知だ、なんておもうことはありませんし、なにかを学ぼうとする必要もないそうです。「僕はいつも、書道教室の生徒さんや子どもたちを見ていて、“みんな、本当にたくさんのことを知っているなぁ”と感心することばかりです。」「大人は、子どもにない知識を持っています。だからといって、子どもより優れているわけではありません。子どもも、大人にないものをたくさんもっているからです。それこそ、生まれたての赤ちゃんからも、大人が教わることは数限りなくある。それに気づくと、思考のスタートがかわります。」「社会貢献ひとつとっても、“自分には知識がなさすぎる。社会貢献するには、もっといろいろなことを学ばなきゃ”という考えが、“自分がもっているものをどう使えば、社会貢献できるだろう”というベクトルに変わる。」いま持っているものを生かした方が、よほどスピーディーに、いい結果を得ることができるそうです。

「(法則31)人を動かすときは、“聞く”ことと“順序が”大事」大人には、いくつかの役割があります。こうした役割のなかで、さまざまな責任よりも、もっと重要なことがあると気づかされた、と言われます。それは「聞く」ということだと。「書道教室をはじめたばかりの頃は、きてくれる生徒さんに対しても“何か共通の話題を探して、いいムードをつくらなきゃ”ということばかり考えていました。だけど、そんな難しいことを考える必要はなかったのです。どんなことでもいい、相手の話を聞けば、自然と教室は和やかな雰囲気になるからです。」「相手が子どもなら、“最近、学校でなにが流行ってるの?”“夏休みはどこか遊びにいくの?”という感じで、簡単な質問をすればいいんです。そうすれば、スムーズにコミュニケーションをとることができます。」「それは大人でも同じです。天気や日常生活の話、ファッションや流行、美味しい食べ物についてなど、他愛ない話で充分です。」そして人づきあいの鉄則を語られます。まづ相手に興味を持って、聞き上手になることであり、何かお願いするときには、相手の苦労や頑張りも察して誠意を見せ、段階を踏みながら徐々に難しいことを頼むことだと。

「おわりに」のなかで武田さんは言っています。「自分のなかに絶対的な幸福感があれば、あなたは、自分の目にぴったりとフイットするめがね(=天国めがね)をかけているということ。だから、どんなつらい出来事に遭遇しても、見える景色は曇りません。」「一方、自分を幸せだと思えない人は、度の合わないめがねをかけているようなもの。前がよく見えないどころか、焦点も定まりませんから、その疲労感が健康にも悪影響をおよぼすでしょう。」何をやってもうまくいかないとか、どうして自分は、こんなにツイてないんだろう、と、そんな風に感じるときは、めがねが自分に合っていないサインかもしれない。「ただ、だれにでも必ず天国めがねはあります。そのことに気づき、あとは天国めがねを意識し続けるだけで、人は大きく変わります。」著者の武田双雲さんは書かれます。

「どうぞ、たくさんの感動と喜びに満ちた人生を楽しんで、味わい尽くしてください。あなたと、あなたの大切な人の幸せのために・・・」

書評を書いていて不思議なことを感じました。実は、驚いたことがあります。本を出したいと思っていて、「本を出しませんか」と声が掛かったり、お世話になった人に逢いたいと思っていて、急にその方から電話が入って、急遽お会いする機会をつくったのは「天国めがねの法則」を書評にしようと、読み直しての最中のことでした。

(文:横須賀 健治)

 

2月 10 20

横浜スケッチ(第42回) 京都・奈良・大阪・伊根の旅

by staff

ペンネーム 成見 淳

昨年2019年11月末に上記一週間の旅に出かけました。
京都は恒例の家内との旅、その後も恒例の国内国外を問わずの途中離脱一人旅で、奈良は大学同級生との再会、大阪はタイミング良く赤坂孝史先生の個展鑑賞&大阪在住の絵フレンドとの再会(のつもりが首都圏在住の絵フレ数名にも遭遇)、その後伊根に2泊しました。その中から4枚の絵をピックアップして思い出を綴ってみます。

 

奈良から京都へ

初日の11月25日(月)は新横浜から奈良へ行き、東大寺付近をうろうろし、カメラを向ける人に向かって明らかにポーズを取る鹿を眺めたり、興福寺の薬師如来等々を『能面師の兄が見たら喜ぶだろうなあ。』などと思いながら拝観したりして京都岡崎に。

「直指庵2019」透明水彩 6号

いきなり真っ赤な紅葉。26日(火)は昨年に続く直指庵に直行。渡月橋・嵐山界隈の大混雑が嘘のような静寂さの中、ほぼ昨年と同じ場所でちょっと角度を変えて描いてみた。直指庵の事を書き過ぎると混雑するようになっても困るので多くは書かない。

「南禅寺山門」透明水彩 3号

直指庵からバス、地下鉄を乗り継いで午後南禅寺へ。
夕刻が近づく中、そびえたつ山門、紅葉、観光客の光景を描きたくなってとりあえずパチリ。立ち止まってカメラをいじっている左の人。その後でスマホで撮影する女性。真ん中の芸術家っぽい髪の男性などなど。人物の苦手な私だが描かないことには上達しないし、南禅寺という著名な観光地に人がいないのはおかしい。あれこれ想像しながら敢えて人物を沢山描いた。

 

京都から奈良へ

27日(水)インスタグラムフレンド(略すとインフレになってしまうのでIフレとでもしようかな?)のお勧めにより川を挟んで宿の反対側の京都市動物園に初めて行く。「京都まで行って動物園?」と思っていたけど、これがなかなか見どころたっぷり。午前中ということもあって人が少ないのも魅力。
白い象。間近で見るライオンの大きな顔。ジャングルジムのようなピラミッド型の構造物に座っているサル達は組織図を思い起こさせる。
猛獣の建物を出た後に異様な大きな猛獣の声がしたがいくら見渡せども猛獣はいない。何とオウムが猛獣の叫び声をマネしていた。

上皇様ご夫妻が橿原から帰られるのを迎える人達で混雑するロープの真ん中を通って京都駅で家内としばし別れ、一人で奈良に向かう。

「大和路散策」(薬師寺)透明水彩 3号

駅に着くと民泊のご主人が車で迎えに来てくれていて、車でスケッチポイントを案内してもらう。
民泊は一軒家。一息ついて薬師寺の周りを散策し、見つけたのがこの構図。架線は近鉄。
京都賑やか、大阪ざわざわ、奈良のんびり。

 

大阪から京都府伊根町へ

「伊根の舟屋」透明水彩 5号

28日(木)は大阪難波で先生の個展、大阪の絵フレNさんOさんの二人展とUさんが属するグループ展が同じビルで行われて、効率は良いは、関西の懐かしい人や首都圏から来た絵仲間に会えるはで中身の濃い展示会。ひとしきり拝見しバスで伊丹空港経由伊根に向かう。天の橋立でローカルバスに乗り1時間ほどで伊根に着くと真っ暗な中、舟屋の奥様がバス停で待ってくれていた。
「さあどうぞ」と言われた舟屋は目の前。1時間乗ったバスで400円は超安。「昔は世界で一番高いバスでしたが町の振興策で補助をして安くなりました。」との事。

29日(金)は朝食後奥様のお勧めで漁協の港へ町営の無料自転車を借りて向かう。
すれ違う通学の中学生達の「おはようございまーす。」と元気な声。同じく一斉に大きな声で挨拶をする小学生の列。目の前に広がるゆったりとうねる海。ひんやりとした朝の空気を自転車が切り裂いて心身ともにピリリと締まる心地良さ。逆光の朝日がまぶしい。
「漁協はあれかな?」「いいえ。もう少し先です。」「ありがとう。」互いに自転車ですれ違いながら交わす言葉が何とも嬉しい。『こんな映画のシーンがあったなあ。』
漁港に着くと長靴、手袋、手にはポリバケツを持った地元の人たちが大勢集まっていて、漁船が着くのを待っていた。『ちょっと早すぎたかな?自転車で飛ばして来たから。』と思っていると湾の向こうから船影が大きくなって来た。
着岸すると一斉に群がる人達。右手に体をくねらす細長い魚、左手にポリバケツを持って背筋をまっすぐにして歩く90歳は間違いなく超えていると思われるお婆さん。
そうだ彼女が小さい頃よりもっともっと昔からここは漁港なのだ。天然の地形に恵まれた漁港。その和船を守るための工夫が舟屋。船のガレージ。母屋に隣接する農家の馬小屋のようなものか。

一旦舟屋に帰り、一休みしてスケッチポイントを求め何年ぶりかの自転車をこぐ。
歩いている時はさっそうと軽やかに見える自転車も上り坂になると結構しんどい。息は切れるし、足だけでなく、ハンドルが少し斜めになっていたこともあって腕も筋肉痛に。
泊まった舟屋を真ん中に描いた絵は奥様に気に入ってもらえたのでお礼に差し上げ、横浜に帰ってからちょっと角度を変えて描き直した。

舟屋に戻る途中で台湾の絵描きご夫妻に会った事、後日インスタグラムを見たら彼が先生のフォロワーだった事、湾内巡りの小さな観光船に乗りNHKドラマや映画寅さんのロケ地などを見せてもらった事、私が帰った後舟屋の奥様が先生の個展を見に来てくれた事、などなど楽しい思い出が沢山あったが省略。

 

帰途

11月30日(土)天の橋立を山の上から見るために2時間ほど早めて8時台にバスに乗り、宮津駅より特急電車を乗り継いで京都から東海道新幹線ひかりに乗りホッとする。
家に着いたのは6時過ぎで、途中寄り道したとは言え伊根から10時間は遠い。遠いがそれだけの価値は大いにある。非日常の体験が新鮮さの源泉であるならば、その時間差があればあるほど新鮮さ、感動、驚きの度合いは大きいのかもしれない。なぜならば行きは想像力で期待が高まり、帰りはゆっくり思い出に浸ることが出来るから。

PS.2020年の兄弟展は8月12日〜18日(お盆の真っ最中)、昨年と同じ横浜そごう9階のギャラリーダダのA室(広い方)で行います。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

2月 10 20

田中健介の麺食力-それから- 第17回 「へんなマスターの堅実な一面」

by staff

第17回 へんなマスターの堅実な一面

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、二回目の東京オリンピックで沸くであろう2020年で出版丸10年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十七回目でございます。

 

「麺食力」刊行10周年トークイベントのお知らせ

2020年、拙著「麺食力」刊行の2010年3月24日から丸10年。
その1日後となる3月25日(水)に10周年イベントを開催致します。
場所:横浜日ノ出町試聴室その3
日時:2020年3月25日(水)19:00開場、19:30開演
料金:予約1,500円、当日1,800円(別途1Drink500円)
※ご予約は下記からどうぞ
http://shicho.org/category/events/s3events/

 

日本の人口は2008年をピークに緩やかに減少の一途をたどり、約200万人ほど減少しています。
向こう数十年でどんどん減っていくものと思われます。
近年古くからの飲食店が閉店していくのはこの問題とは別です。
消費者の動向がチェーン店やショッピングセンターなど利便性の良い方向へシフトしている、外食から中食が増えている、後継者が不在、など、それぞれ複雑です。
日本全体では人口は減ってきていますが、横浜市に関しては戦後からずっと人口が増え続けているのです。なのに、そんな横浜でも、エリアによっては一昔前に比べるとすごく寂しい街並みになっていることが多く、特に南区は古くからの商店街自体が次々となくなり、賑わいが失われた街が多い気がします。それでもマンションは次々と建っていくのが、人口が増え続ける要因となっているのでしょう。

横浜市南区・蒔田周辺。鎌倉街道はいつも多くの車が行き交っている

南区蒔田エリアもそんな街の一つ。かつては「蒔田商店街」などとド派手なアーケードは目を引いたものですが、現在は商店街自体も解散。鎌倉街道は相変わらず通行量の多い幹線道路で、このあたりは路面店が立ち並んでいます。横浜市電があった頃はもっと賑やかだったのでしょうが、40代も中盤になろうかという筆者でさえ、もはやリアルに市電を見ていない世代。昔のことばかり言っていてもしょうがない。

「へんな洋食屋」外観

店舗内観。レンガ調が落ち着いた雰囲気

鎌倉街道沿いにある「へんな洋食屋カフェ」。
拙著「麺食力」では、「へんな洋食屋」として、224ページに掲載しております。
実は、2011年に一度閉店しています。
3月11日の東日本大震災により、震災による被害はほとんどなかったものの、自粛ムードが高まり、当時80数件入っていた歓送迎会などの予約がほぼ全てキャンセルとなってしまいました。これが経営に大きな打撃を与え、閉店を決断。しかし同年秋に閉店後、常連客などの声もあり、コースメニューなど事前準備や経費のかかるものは撤廃するなどメニューを絞ったうえで、2012年春に「へんな洋食屋カフェ」としてリニューアルオープンしているのです。

「へんな洋食屋」の名物だった、秘密のヘンなスパゲッティ
(2008年撮影)

「秘密のヘンなスパゲッティ」はそのリニューアルオープンを機に「へんなグラタン」に変更しています。スパゲッティではなく、マカロニに変わりました。
「『ヘンなスパゲッティ』は、メディア受けが良くて年間100件くらい取材を受けていたこともありました。その影響で近所にあるスパゲッティ専門店にも『ヘンなスパゲッティください』と間違って注文されたようで、迷惑かけちゃってたからマカロニに変えたの。」



「秘密のヘンなグラタン」はマカロニだった

スパゲッティはマカロニに変わったものの、その迫力は健在。
パンの蓋を開けると、ホワイトソースのマカロニがぎっしりと。
トーストされたパンのサクサク感とホワイトソースのクリーミーさが相まって、フォークとナイフと時々素手が止まりません。

「手にたばこの匂いを付けたくないから。」
と気さくに筆者の質問に答えるマスター星山氏

マスターの星山建一氏は大学卒業後、和食の世界に身を投じました。

「実家が居酒屋で、それを継ぐつもりでいたけれど、成り行きで洋食屋を開こうということになりました。」

和食時代の師匠から教えられたのは、包丁の扱い方。
料理人にとって包丁は魂であると。その魂である包丁は30年以上、毎日どんなに忙しくとも、磨き続けていると言います。

30年以上毎日磨き続けているという玉鋼の包丁は光り輝く鏡面仕上げ

玉鋼の包丁。
砥石はサンドペーパーの4000番にあたるものを使用しているので見事なまでの鏡面仕上げ。

「某テレビ番組で共演した調理専門学校の先生から驚かれたよ。」

プロの料理人とは、普段見えないところにも、気を使っているのです。

「10年も前に本にしてくれて、改めてこうして取材してくれるのは嬉しいよ。何かの縁だよね。もし数か月遅かったら、こうして会えなかったわけだ。」

ん? どういうことでしょうか?

「今、この店の借り手を募集しているの。いくつか名乗りを上げてくれているところがあって、契約がまとまればうちの店も終わり。私は引退します。」

そうだったのですか!!

「へんな洋食屋カフェ」は閉店に向けて粛々と準備を進めているのであった

「閉店っていうと、イコール『つぶれた』っていうネガティブなイメージが先行するけど、決してそればかりではない。確かに私も60歳を過ぎて、一昔前に比べたら動きも悪くなって歯痒い思いもある。この店をビルにして、その借金も返済した。あとは家賃収入で生活できる。私は成功者なのです。だからまだ元気なうちに趣味のギターとかを楽しむ生活を送りたいと。」

マスター星山氏の肖像画。これからは趣味のギターに生きる

自分は成功者。
鎌倉街道の裏通りにテナントとして10年。やはり表通りの方が良いと店舗兼ビルを建てて15年。そのローンは予定通りに完済。「へんなマスター」と言われても、人生プランはしっかりと立て、それに沿って生きてきた男の、強い言葉でした。

星山建一氏と拙著。
テレビ取材も多数受けてきた中で「竹内結子は、本当に美しかった。」

後日、別件で入店した際に次のテナントとの契約交渉をしていたマスター。その席で2020年1月いっぱいで閉店することをあっさりと決めてしまいました。

「来月からハローワークに行かないとな。」

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

2月 10 20

チャレンジ(第18回) 今後の展開

by staff

今後の展開

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。先月、中国から始まった新型コロナウイルスに関連した感染症が凄まじい勢いで世界に広がっていますね。私も普段から自分自身や子供たちも体調には気を付けていますが、今年は特に手洗い・うがいに気を付け、外出する際やマスク着用を心がけています。これからの時期は入学試験や卒業式、入学式などイベントが多くなってきます。皆様も体調には気を付けてお過ごしください。

さて、C.P.FACTORYの活動ですが、商品開発や販売も順調に進んでいて、協力してくださる企業さんや、障害者施設が増えてきました。私のやりたい事「働くことが困難な人たちの【仕事を創り出す】ということ」(https://cpfactory.jp/news)に興味を持ったり、共感してくれた人たちがどんどん繋がっています。

そういった、たくさんのご縁を繋げながら活動しているC.P.FACTORYですが、現在は3事業所コラボの商品を開発中です。この仕事のきっかけをくれた方からのミッションは「自主製品の質を上げる」ことだったので、ただ障害者施設の商品を販売したり、コラボ商品を作ったりするのではなく、「質を上げる」=「カッコよいものを作る」=「売れるものを作る」ことを心がけて進めています。

そしてこの考え方や理念、活動そのものが私の代で終わらないように、継続して続けていけるような仕組み作りに取り組んでいきたいと思っています。世界的にはSDGs(エス・ディー・ジーズ)が流行っていますが、C.P.FACTORYでは、目標8「働きがいも経済成長も」と、目標12「つくる責任つかう責任」を貢献する目標として今までも活動してきましたが、今後も持続可能な開発目標として掲げていきたいと考えています。

私が画像工学を学んでいた大学生時代にはまだ、携帯電話はあまり普及していませんでした。30年後、今のようなスマートフォンが主流で赤ちゃんがiPadで遊ぶような時代が来るとは予想ができませんでした。これから100年後を予想して活動を継続していくのはとても難しいと思います。それでも、明治神宮の100年の森(http://www.meijijingu.or.jp/midokoro/)のように、100年後、またはその先の未来の人たちへ何ができるのか想像するとワクワクします。

「継続も才能」

組織を活性化し、継続できる活動を、楽しみながら展開していきたいと思います!

次回は「間伐材とオリジナル商品について」です 

(第18回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

2月 10 20

第83回 湘南邸園文化祭に参加して

by staff

株式会社 鎌倉設計工房
藤本 幸充

湘南邸園文化祭に参加して

神奈川県相模湾沿岸の市町村には明治期から別荘、保養地が形成されており政財界人や文化人が滞在交流した地域である。東は横須賀三浦から西は箱根湯河原町まで広域にわたる。そこに残る邸宅庭園や歴史的建造物を活用して地域の活性化につなげるという神奈川県の「邸園文化圏再生構想」の事業として位置づけられている文化祭である。

歴史的建物や邸園の保全活用、まちづくりに取り組む多くの団体が昨年の9月13日から12月15日まで70のイベントを企画し市民の交流を図った。横浜でなくて残念だが、私が企画したのは住まいのある鎌倉市腰越を中心としたエリアについてだ。11月24日に開催され、企画のタイトルは「旧鎌倉郡・片瀬と腰越の歴史文化を訪ねる」

ここで二つの建物を取り上げた。
建築家になるきっかけとなった片瀬のカトリック片瀬教会、それに腰越の江ノ電電車通りに面する星野写真館だ。

カトリック片瀬教会は木造入母屋のお寺みたいな和風の教会で書院造の聖堂(1939年)に現代モダンな数寄屋風の祭壇が増築(1967年)されている。
小田急線の終着駅「片瀬江ノ島」は現在オリンピックに向け「竜宮城の駅舎」改築中だがこの付近一帯は明治期、砂山だったところに松を植えその後、昭和初年、一帯は山本信次郎により別荘住宅地開発が行われ小規模(と言っても150坪単位)に区画割されたが、当初から教会誘致の計画が盛り込まれ、時を待っていたこと、山本家の洋館(個人のサナトリュウムとしても機能した)が教会の司祭館として利用されている事などを参加した20名に解説。
だがこの和風の教会を設計したのはだれか?調べてみると聖堂は、今年の三月で閉館、石川県に移る東京近代美術館工芸館の設計者、田村鎮とスタッフの川崎耕二。
増築については最近まで私はA氏だと思っていた。なぜかというと増築工事が行われたころ中学生だった私はA氏が聖堂増築の青図を持っており、そこに描かれた英語のサインが実にカッコよく、図面とともに印象に残っている。だがA氏は計画から離れざるを得ず、近在の建築家松田軍平のご令嬢和枝氏がその後引き継いだとされる。

湘南邸園文化祭への参加プロセスで様々調べ、気づいたところも多い。
それは腰越の星野写真館にもある。

関東大震災後の1927年頃の建築。星野写真館は初代が日光で写真館を営み2代目が当地で開業。このころのアールデコ様式の流行、フランク・ロイド・ライト風、直線の連続模様、スクラッチタイルの使用や室内のラッカー塗装合板などが見られる。電車通り側だけこの形で奥は和風入母屋の建築、いわゆる看板建築だ。が、設計者は誰だか不明であった。

企画の開催直前にわかったのだが、なんと2代目の星野長一さんであった。(現在は3代目)長一さんは子供のころ日光で美術工芸にも触れ心豊かに育ち、その後、当時の東京美術学校にも通い絵画の研究を行っていたとの事。スケッチを描いて大工と打ち合わせた、意外であった。
また現当主の星野氏が昔、屋根使っていた瓦(緑の釉薬の洋瓦)を参加者の前に披露してくれたり写真館だけに過去の記録写真も残っており、昔の鎌倉、腰越を鑑賞する特別な機会ともなった。

今回は小田急線の片瀬江ノ島駅に集まり片瀬、腰越を約20名の方々を案内し移動の道すがらも解説に対する質問を受けるなど参加者の関心の高さに驚く。遠方からいらした方も多く、観光ルートからは外れる普段の生活文化への興味も深いものがあった。
自分の住んでいる街を見つめ続け、また新たな発見をするかもしれない。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

2月 10 20

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき 一人かも寝む

by staff

♪ きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき 一人かも寝む ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)

歌意:コオロギが鳴く霜降る夜。寒々とした筵の上に衣を敷いて 私は一人で眠ります。

百人一首に記されているお名前の中では2番目に長いこの歌人の本名は藤原良経さん。ちなみに一番長いのは彼のおじい様で、藤原忠道さんの 法性寺入道前関白大政大臣。藤原良経さんは平安末期から鎌倉時代に入ったころに生きた貴族。歌人で書家。ちょうど源氏と平家の政権争いの渦中に生まれて、高倉天皇、安徳天皇、後鳥羽天皇、土御門天皇、の4天皇に仕えました。彼のお父さんは、激動の時代にうまく立ち回って一見日和見的なスタンスを取っていましたが、それでも政権争いに巻き込まれ、失脚して第一線を退きます。

息子の良経さんも蟄居を命ぜられますが、後鳥羽天皇の時代になって、政権に復活。大政大臣にまでなりました。書家としては後京極流と言われる流れを作った方で、日本中が揺れ動く、大変な激動時代に彼が残したいろいろな書物は今では貴重な文献となっています。

後鳥羽院制の下で始められた新古今和歌集の撰者に選ばれ、冒頭の仮名序を残しています。この時代は、朝廷が力を失い、武士が権力を握り、それぞれが信望する仏教に力を注ぎ、僧侶たちも武力化してお互いの僧門のチカラを競い合うという権力争いに明け暮れていた時代です。その真っただ中に生まれた文化人の良経さん。時代が時代ならサラブレッドとして、才能にあふれた若者として、優雅に楽しく生きていたのかもしれません。

亡くなったのは38歳。突然亡くなったので一説には、刺殺されたとも言われています。そんな時代に育った彼の作風は世の移り変わりに対しての無常観にあふれ、移ろいゆく栄枯盛衰への達観とした和歌が残されています。又書家としての実力は相当なものがあったようで彼の書のスタイルが鎌倉中期には一世を風靡しました。

もっともっと彼の事が書き記されたエピソードが残っていても良い才能あふれる歌人なのですが、時代が時代なだけに他の事件やドラマチックな出来事が多発していて、一人の青年としてどんな若者だったのか全く記録が残されていません。彼が生まれて生きた38年間の間に4人もの天皇が即位している事によっても狂乱時代であった事がうかがわれます。

高倉天皇は20代で崩御 その後の安徳天皇は 壇ノ浦にて平家一族と共に入水された時は6歳でした。そして後鳥羽天皇、土御門天皇、と目まぐるしく移り変わる暗転直下。その後、百人一首でも最終の和歌として残されている順徳天皇が即位されて、最後には後鳥羽上皇と順徳院が幕府と対立して敗北。完全に天皇主権の時代は終わりを告げるのです。

桓武天皇から始まり、約400年の長きにわたって続いてきた平安時代の終焉。そんな流れの中38歳の大政大臣として亡くなった良経さん。彼の最後の業績は自宅で開催した「600番歌合」。判者に藤原俊成を招き、作者は藤原良経、藤原定家、慈円、顕彰等12名の作者があらかじめ選んでおいた和歌1200首を二つに分け600番の歌合せとしてその時代の和歌の風潮や美意識などの全てにわたり活発な意見を取りかわして行われた歌合わせでした。後の勅撰和歌集や新千載集等に多大な影響を及ぼしたと伝えられています。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

2月 10 20

指揮者 増田宏昭さん

by staff

本牧、市営バス『三の谷』のすぐ前にある『HELLO! CAFE』でクラッシック音楽のミニ・コンサートがあると聞き、昨年(2019年)の12月8日にお店を訪ねました。「歌の宝石箱」と題されたコンサートで、増田さんの演奏と、伴奏によるソプラノ歌手の歌がまるで宝石箱を覗いているかのようで楽しかったです。中でも特に輝いていたのが増田さんのトークでした。歌の魅力を倍増し、聴衆を楽しくしてくれるトークの持ち主、今回のゲストは指揮者増田宏昭さんです。

増田宏昭さん
増田宏昭さん
 
お名前 増田 宏昭(ますだ ひろあき)
お生まれ 1952年
お住まい 横浜市中区矢口台
ドイツ/コブレンツ市
ご家族 奥様/増田敬子(ソプラノ)
お仕事 指揮者
(合)MIO音楽事務所代表
音楽芸術協会

 

初めて指揮をしたのは幼稚園

初めて指揮をしたのはキリスト系の幼稚園の発表会でのことでした。舞台の上に合唱する園児がそれぞれに楽器を持って5列に並んでいました。その中央に立って、それぞれ異なった列に音を出す合図を送るのです。みんなの視線を浴びて、得意満面でしたね。
指揮棒を振った後は『いなばの白うさぎ』のお遊戯で、私は白の半ズボンに白のタイツをはいた『白うさぎ』になりました。そのころから目立つことが大好きでした。

左:手を振るお気に入りの写真/右:ピアノの練習風景

お遊戯『いなばの白うさぎ』
中央で長い耳の被り物をしてしゃがんでいるのが私

オルガン、ヴァイオリン、そしてピアノ

私の父は若い頃、尺八の免許皆伝でNHKで吹いていたそうです。尺八の和楽譜を洋楽譜に直していたそうです。伯父は歌手になりたくてレッスンに通っていたといいます。そんな訳で家にはオルガンがありました。いわゆる芸事一家だったようです。誰から習うということも無く、私はオルガンで音遊びをしていました。自然とオルガンが弾けるようになっていました。手の届くところに『音楽』がありました。

私には兄がおりまして、父は兄にヴァイオリンを習わせ人前に出ることに慣れさせようと考えました。「一緒におまえもどうだ?」ということで当時3才だった私もヴァイオリンを習うことになりました。私は兄と違って積極的にいつでもどこでも「ギーコ・ギーコ」とヴァイオリンを弾くものですから周りはたまりません。騒音公害でしたね。

さて この時代、小学校には各教室にオルガンがありました。授業が終わって「お帰り」の挨拶をした後にオルガンで歌を歌うのが日課でした。私の担任はオルガンを弾くのが苦手で、私はヴァイオリンを習っていて音符が読めたので、私が弾くことになりました。「増田君が弾かないなら歌わない」と言う生徒もいて、それがまた快感でした。親から「オルガンを弾くのならピアノを習いなさい」と言われて始めたのが5才の時です。ヴァイオリンとピアノの両方を習うのは大変でした。「それならヴァイオリンで調子の狂った音を出すよりも調律してあるピアノをやりなさい」と父が決め、ピアノを本格的に習い始めました。

スポーツ万能だった少年時代

父が務めるKDDの社宅に住んでいました。社宅には子供が沢山いましたから、日曜日は朝早くから仲間を集め、草野球をやりました。私は小学校の野球大会ではピッチャーで4番バッターでした。

当時、小学校の廊下に卓球台がありました。休み時間や放課後に自由に使うことが出来ました。放課後、あんまり夢中になりすぎて「早く帰りなさい」と何度も注意を受けました。時間を忘れるほど卓球が好きで、中学では『卓球部』に入部しました。

ほかにもサッカー、テニス、バドミントンと球技が特に得意でした。水泳は苦手でした。成績は顔を水につけて壁を足でけるだけの11級でした。(後に苦手の水泳でさえ高校では選手に選ばれたことがありました。) 将来、音楽家になるなんて思ってもいませんでした。
スポーツ選手を夢見ていたのかもしれません。

卓球の選手に選ばれた時

幸せな出会い

私は東京の五反田で生まれました。幼児期は溝ノ口で育ち、西落合には小学4年の1学期までいて、2学期からは杉並区の天沼というところに住んでいました。父の会社の社宅で暮らしていましたが、小学6年の時に横浜の平戸に家を建て引っ越すことになりました。

小学4年までは中村保子先生、田中園子先生にピアノを習いました。引越し先にも先生は来てくださりレッスンを続けることができましたが、ご結婚されたこと、私が横浜に移ったことで先生を探さなくてはならなくなりました。横浜在住の作曲家 安藤久義先生に習うことになりました。この方も素晴らしい先生なのですが、「もう、僕が君に教えることはない」と半年ばかりレッスンを受けた後に、市橋徹雄先生(当時武蔵野音楽大学助教授)、田村宏先生(芸大教授)に師事することになりました。その後芸大に進み水谷達夫教授の元でピアノのテクニックだけではなく、音楽に対する姿勢とか、情熱とか、人生観なども学ぶことができました。
私が幸せだと思うことにこうした素晴らしい「師」との出会いです。

中学から湘南高校へ

中学校時代の思い出と言えば、理科の先生に「シューベルトの『冬の旅』を全曲歌いたいから伴奏を頼むね」と言われて、放課後、音楽室で練習したことです。全24曲の歌曲集です。全曲弾くには1時間以上かかります。5曲目の『菩提樹』は音楽の授業で習った方もいらっしゃるのではありませんか? 全24曲を弾き終えたときの達成感を今でも覚えています。

同じ中学校の文化祭でピアノの演奏と司会をした時のこと、ヴェルディの『椿姫』の曲「そは彼(か)の人か」を「カはソの人か」と紹介してしまったことも思い出の一つです。「そは彼の人」の意味が分かっていなかったのですね。

失敗談は沢山あります。高校受験の日に校庭で庭弄りをしていた人に「おじさん、教室はどこですか?」と聞きましたが何とそのおじさんは校長先生でした。
この校長先生の方針が『若いときは体を鍛えろ』ということで、スポーツ万能だった私に校風がピッタリでした。しかし、時も時、芸大のピアノ科を受験しようとしていましたから、好きな卓球もラケットはペングリップではなくシェイクハンドにしました。

高校2年生の時にはスキー教室に参加しました。薄暗くなった夕暮れのゲレンデを一人で滑走し雪のコブで転倒し腰を痛めて、高校3年生になる1ヶ月を入院生活で過ごしました。私の人生で最大の失敗となりました。今でもギックリ腰になり易く、時より腰が痛くなります。

芸大へ 目指せ芸術家

腰を痛めての1ヶ月の入院、その後のリハビリなどで、芸大の受験準備が間に合わなくなりました。滑り止めに選んだ大学には受かっていたのですが『東京芸術大学』を再度受けることにしました。準備の1年間は田村宏先生のもとで受験の用意をしました。

受験の課題を集中して勉強することができ、ピアノ科に合格し、芸大では水谷達夫教授に師事しました。
水谷教授のレッスンは個人レッスンではなく先生のもとで勉強している先輩たちの前でレッスンを受けます。レッスンでは、新入生への洗礼も受けました。
「増田君、弾いてごらん。」と言われると、先輩方の視線が集まるのを感じました。「新入りの増田はどんな弾き方、解釈をするのだろう」と好奇の視線の中、ピアノの前に座り弾き始めると、教授の苦笑と教室のざわめきで演奏は中断し、「なんで?」と驚く私の様子に先生は爆笑され「君は扉をノックせずに人の家に入るのかね、音楽は音を出す前の準備が必要だ。」と笑われました。

演奏するときは弾き始めがとても大切だということ、つまり会場の空気感を知り「さぁ弾きますよ」と聴衆の感性の扉をノックする最初の音がとても大事だということを学ぶことができました。
厳しい水谷教授ではありましたが、「君をピアニストにするのでなく、芸術家にするよ」と言われたことを今でも覚えています。

ピアノの演奏風景

卒業式の日に水谷教授に門下生が花や記念品をプレゼントする中、私は車にマッサージ器を積んでマッサージをプレゼントするといる暴挙に出て先生を苦笑させました。運ぶときに先生の家の門を壊しました。

『コレペティトュア』をドイツ ミュンヘンで学ぶ

芸大ピアノ科4年生の時試験の成績が良かったので、同校のオーケストラで演奏する機会がありました。その時、指揮をされた遠藤雅古教授に認められ、大学院の指揮研究科を勧められて、卒業後は4年間、指揮研究科のピアニスト兼助手として勤めました。指揮をするには全パートの楽譜が読め、全ての音が頭の中で再現できなければなりません。
ピアノのパートを演奏しながら、他のパートを気に掛けていることで「私も指揮ができる」と思いました。当時指揮科の教授だった金子登先生の門を叩きました。指揮者増田宏昭の誕生です。
同指揮科にいらした遠藤雅古助教授は文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘンに派遣された経験から、経験談を語られることがありました。来日していた世界的に有名な指揮者ヴォルフガング・サヴァリッシュ氏(ドイツ/ミュンヘン)が二期会のオペラの指揮を務めていた関係で、彼は私をミュンヒェンに招いて下さいました。この時『コレペティトュア』という仕事を目の当たりにしました。
オペラの練習では、オーケストラをバックに練習するわけにはいかないので、ピアノで伴奏をします。『コレペティトュア』とは歌い手に音程や発声、発音、アンサンブル、曲をどう作り上げていくかを指導する仕事のことです。

その頃は残念ながら日本には良き指導者がおらず、私は文化庁の海外派遣員として、ドイツのミュンヘンで勉強できることになりました。その為のドイツ語の勉強は、代々木駅近くの語学学校「ハイデルベルグ」で1年半ほど受けました。

ミュンヘンでは、ザヴァリッシュ氏の下でオペラの指導をしている代表格リヒャルト・トリムボルン氏に学ぶことができました。トリムボルン氏は、歴史 特に宗教史に詳しく、伴奏しながら身振り手振りで稽古をつけ、曲の歴史背景を語り、歌手がどんな気持ちでそのパートを歌うのかを分かり易く教えていく・・・オペラの影の力持ちと呼べる存在でした。『コレペティトュア』の第一人者と呼ばれる彼から学べる幸運を得ました。

『コレペティトュア』の勉強は、曲目の勉強はもちろん、ストーリーの内容から文化、歴史的な背景、衣装、舞台(大道具・小道具)照明など全てを理解しなければなりません。言葉のフレーズも大切で、フレーズで切るところに息つぎを指導しなければなりません。その為のドイツ語の勉強も疎かにはできません。勉強することは多種多様で大変ですがとても面白いと思いました。

ドイツ語も上達していきましたけれど、一方ミュンヘンなまりには苦労させられました。それでも、まずは人間関係だと・・・笑顔と音楽は世界共通語ですから・・・積極的にドイツ人の中に入っていきました。友人にも恵まれました。ミュンヘンに滞在していたカルロス・クライバー氏とイタリア人のジュゼッペ・パターネ氏とも懇意にしてもらいました。そこで学んだのは指揮者としてのカリスマ性、音楽をいかに指揮で表現するか、そしてドイツとイタリアのオペラのレパートリーです。

オーケストラ ジャパン・クラシカ、Beethoven 交響曲第3番エロイカ

コブレンツ市立歌劇場指揮者に就任

ドイツは世界1の歌劇場大国です。公的なもの、自前のア ンサンブルを持った劇場を含めると100近い数の劇場が大都市だけでなく、地方の小さな都市にも点在していることに驚きを隠せません。

劇場で働くには劇場のオーディションを受けなければならず、私は80余の劇場に履歴書を送りました。ちょうど空きがあったのはバレエ団を持つ劇場で、稽古場での基礎レッスンをピアノの伴奏で手伝い、演目が決まれば、各場面、登場するバレリーナの演技に曲の細部を調整し、舞台練習、そして本番と・・・私のデビューはプロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」の指揮でした。

バレエを指揮することは毎回違います。わき起こる拍手の嵐が過ぎ去るのを待ち、絶妙なタイミングで演奏を再開します。間は魔だといわれますが「間」の取りかたも経験で身に着けました。また、カーニバルの季節になると道化師が劇場に進入してきて舞台に上がりショートコントを始めます。そんな時は、コントに合わせて即興で効果音を入れ、笑いや歓声が上がると指揮棒を回して「もっと笑え」と観客を煽たり、突如として起こるハプニングやアクシデントを楽しむようにしていました。

演奏の波動、バレリーナたちの波動、そして観客の波動の心地よいハーモニーが生み出せれば公演は大成功なのです。

イタリアのバーリ市立オーケストラ、Beethoven 交響曲第5番運命

こうして、1985年からコブレンツ市立歌劇場指揮者、1987年には同劇場の首席指揮者、1989年には同劇場の音楽監督代理を経て、コブレンツ市より名誉市民賞を頂くことになりました。受賞したその月にコブレンツを去ることは辛いことでしたが、1993年、ザールブリュッケン州立歌劇場の首席指揮者に就任、1998年には同劇場の日本公演に随行し「さまよえるオランダ人」を演奏しました。

その後ノルト・ハウゼン歌劇場とLOHオーケストラ・ゾンダーズハウゼンの両音楽監督を務め、日本に凱旋公演となったワグナーの歌劇「アイーダ」の全曲演奏、マーラーの交響曲第5番はとても高い評価が得られました。

指揮活動はイタリア(ミラノ、バーリ)、中国(北京、上海、青島、合肥)、台湾(台北、台中)と広がり高評価を得ることができました。

指揮者○○○○ XXXXXオーケストラ とプログラムに書かれるように、クラシックでは指揮者の解釈が重要です。楽譜の再現芸術がクラシックと言われますが、再現するにあたっての微妙な解釈の違いが個性的だと面白がられるのです。ベートーヴェンの『運命』のジャジャジャジャ〜〜ンと運命がドアをノックする音だといわれるところも、指揮者によってはせわしくなったり、悠長となったりします。

オーケストラの練習は精神と肉体労働です。そして本番では全パートを引っ張っていくカリスマ性が求められる仕事だと思います。

クラッシック音楽を身近にするために

現在、日本とドイツを行ったり来たりしています。国内では2009年に新国立劇場で「夕鶴」を指揮した他、二期会オペラ、首都オペラ等で指揮をしています。数多くの賞をいただきました。

日本に帰国して感じたことは、クラシック音楽を堅苦しいと音楽だと思っている人が多いことです。学校の音楽の授業でクラシック音楽が嫌いになった人がいると聞いています。

本当にクラシック音楽が苦手ですか? アイススケートの伴奏には多くのクラシック音楽が演技時間に合わせて編曲され使われています。その旋律を美しいと感じる人は多く、曲名の検索回数が増えたり、『スケーターが選んだ名曲集』なるCDが売れたりしています。
日々、TVからCMで使われるクラシック音楽が流れていることも事実です。
昭和歌謡を代表するザ・ピーナッツが歌った「恋のフーガ」の原曲はロッシーニの「セビリアの理髪師」の序曲、「情熱の花」はベートーヴェンの「エリーゼの為に」だと言われています。平原綾香さんはホルストの「惑星」の第4曲「木星 快楽をもたらす者」を原曲とした「ジュピター」で一躍スターとなりました。
アルビノーニの「アダージョ」は世界中で歌われる人気のある曲です。
オペラの題材がミュージカルになっているものも沢山あります。POPS、シャンソンやJAZZとクラシック音楽にインスパイアされ生まれた曲は数限りなくあります。
クラシックは決して堅苦しい音楽ではないのです。

オーケストラ ジャパン・クラシカ練習風景
中央:ソリストとして世界的なピアニスト ペーター・レーゼル氏

私が思うに、要因の一つが、クラシックの敷居を高くしているのはコンサートに係わる経費が高いことです。費用を賄うには大劇場で大勢の人を入れなければなりません。興行主も赤字は困りますから超有名な演奏家や歌手を呼びます。その経費がチケットに加算され高額にならざるを得ません。

ドイツでは地方都市にも小劇場が点在していますが、日本では大都市には大中小のホールがありますが、地方都市となると劇場形式の施設は少なく、公民館や体育館が肩代わりをするような状況です。隣近所の人たちが普段着でくる50人〜100人程度のホールが少ないと思います。少ないホールを発表会や講演会などに使うので、抽選になることもあります。プロに成り立ての若い歌手が名前を覚えてもらいたくても演奏や歌を披露する場所がないのが現実なのです。

そこで身近な施設で普段着のコンサートを開くことを考えました。毎月第2日曜日に本牧の『Hello Cafe』で日曜日コンサート『歌の宝石箱』を企画・制作しました。ご近所の人たちがフラッと来られる環境で、耳慣れたクラッシクの名曲や日本の叙情歌などを毎回いろいろなゲストを迎えて行っています。14:30開演のティータイムコンサートです。この様な場所は若い演奏者が聴衆一人一人に音楽を送ることが出来、又聴衆は身近に演奏者を体験できます。

みなさんの身近な場所でコンサートをやりませんか?

身近な場所で普段着のコンサートを開きたいという思いは、企画・制作会社を創ることに繋がりました。現在(合)MIO音楽事務所の代表としてその様な企画制作を務めています。

ソプラノ・メゾソプラノ・テノール・バリトンの4人とピアノが1台あればドイツの小劇場ではオペラの公演ができます。舞台装置や照明や衣装などに拘らばければ、その分チケットは安くなり観客も有名な大劇場とは違って普段着で何回も足を伸ばすことができます。日本で同じことができないかと模索中です。

日本の叙情歌、童謡もその曲のもつストーリーが分かれば、もっと身近に感じることができます。たとえば「しゃぼん玉」という童謡は幼い娘を亡くした悲しみを歌った曲です。「屋根まで飛んで壊れて消えた」のは大人になることもなく亡くなってしまった娘への哀愁の気持ちです。

「あかとんぼ」は両親が離別し祖父の家で育てられた子供の頃を思い出す歌です。母の背中におわれて(おんぶされて)赤とんぼを見たのはいつの日だっただろうと懐古しています。15でお嫁に行ったねぇや(子守の女の子)が面倒をみてくれていたのでしょう。ねぇやに母の面影を重ねています。別れは寂しくつらいものです。

こんな曲に纏わるお話をしながら日本の名曲もご紹介したいです。身近に小コンサートができる場所がありましたら是非ご紹介ください。宜しくお願いいたします。

【増田宏昭にとって横浜とは】
青年の頃 大桟橋から外国へ行く事を夢見た場所
今は逆にドイツ生活で得た事を持ち帰ってくる場所

(文:高野慈子 写真提供:増田宏昭)

 

1月 10 20

男性に育児休暇の義務化を・・・

by staff

 

厚生労働省が2019年12月24日発表した2019年の人口動態統計によると、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回ったそうです。出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も51万2千人と初めて50万人を超えたとのこと・・・日本の少子化・人口減は予想以上に速いスピードで進んでいます。

人口減が国力に反映することなどもあり、10年以上前から少子化への対策が叫ばれています。問題点は明白です。子どもが生まれないからです。1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる合計特殊出生率は1.42です。一組の夫婦から2人の子どもが生まれないと人口は減っていきます。女性の就業率があがるにつれて、出生率は減少してきました。

私は、30代後半から40代にかけて、いわゆる不妊治療を続けていました。かかった費用の総額は、高級外車が購入できるくらいです。気合が足りなかったのか、それも運命なのか子どもに恵まれませんでした。だからこそ働くママさんを応援したいと思っています。
私が代表取締役を拝命している会社では、女性が子どもを産んでから働き続けられる職場作りを目指してきました。今や幼児から大学生までのママさんたちが頑張っています。

「育児」は夫婦二人三脚で取り組まないと・・・。我が家のそばの公立保育園では、多くのパパさんたちがお子さんたちを保育園に連れてきます。最近の保育園では夕食を提供してくれるところも増えてきました。ママさんたちが働き続けられるようにと社会インフラも整ってきたように見えます・・でもまだまだママさんたちの負担は大きいのです。

日本の多くのご家庭では、ママさんよりパパさんの方が帰宅が遅いので、保育園が終わってから、家に戻ってお風呂に入れたり、寝かしつけるのはママさんの役目になっているようです。

官公庁や大企業が率先して、男性に長期間の「育児休暇」を強制的に取らせない限り、女性が子どもを持ちたい、ましてや二人目の出産に踏み切れないのが実情だと思います。

例えばママさんが6ヶ月「育児休暇」を取得したら、パパさんは残り6ヵ月の「育児休暇」を取得する・・それが当たり前にできる社会になってほしいと願っています。

「自然減」が51万2千人に達して、戦後初めて50万人の大台を超え、人口55万の鳥取県が毎年一つずつなくなっていく現実を目の当たりにして、男性の「育児休暇」取得の義務化それも長期間の取得を推進してほしいと切に願っています。

 

1月 10 20

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第8回)
病気情報について考えてみよう

by staff

第8回 病気情報について考えてみよう

寒中お見舞い申し上げます。
お正月気分もすっかり抜けたころとなりましたが、皆さまいかがお過ごしですか?
家庭で介護をする家族にとって年末年始は、もし急病になったらどうしようかと心配で無事問題なくお正月が過ぎると、ホット! 胸をなでおろしてしまいます。

でも、家庭介護家族だけでなく、自分は元気で自己管理できているし、親も高齢だけど、一人でなんでもできているから大丈夫だろうという方も、突然病気になったり、時には救急車のお世話になることもあるかもしれませんよ。
そんな時、病院では病状の説明以外にも、これまでにどんな病気にかかったか、アレルギーはあるか、現在飲んでいる薬は?などなど、本人の状態を知るための情報を書かされたり、聞かれることがあります。
患者自身がしっかりしていて、スラスラと答えられるのであれば良いのですが、そうではないこともあります。
病気情報を詳しく伝えることは大切なことですが、患者本人が答えられない時、付き添った人は、どれだけ答えられるでしょうか。

今回は、病気情報として必要なものは何か考えてみました。

《既往歴と現病歴のリスト》

既往歴とは、これまでに病院で治療をうけた病気や手術のことです。
現病歴とは、現在、定期的に病院を受診し治療や検査などの診療を受けている病気のことです。
風邪などの軽い病気を除き、何年にどんな病気で病院に通ったか、どんな病気で手術をしたか、また現在の病気のことなどを家族一人づつ別々の用紙にリストとして記しておくことをお勧めします。

その他には、どんなアレルギーがあるか? (薬によるアレルギーも含む)や過去の薬による副作用経験なども記しておくとよいでしょう。
また、身長や体重を聞かれることもあるので、健康診断等で測った時などに、リストに記しておくと良いかもしません。

こういった既往歴や現病歴のリスト、原紙は保管してコピーを用意しておけば、患者本人以外の人でも、病気の情報を詳しく伝えることができます。
またこのリスト、一度作ったらおしまい! ではありません。
生きていると病気が完治したり、また新たな病気になったりしますよね。
変化があったら追加し、いつも最新リストにしていることがベストですが、気持ちはあっても、そんなに几帳面に更新できないという時は、一年に一度くらいは、見直して更新するのはいかがでしょうか。
家族が揃う機会があったら、みんなでリストを見直して最新内容にするというのも良いかもしれませんね。

《お薬手帳》

大切にしてますか?
例えば、病院で診察し処方箋をもって調剤薬局で薬をもらう時、薬の内容を手帳に貼ってくれます。手帳を忘れた時は、薬の内容シールを自分でちゃんと貼っていますか。この手帳は、あなたがどんな病気でどこの病院にかかり、どんな薬を飲んでいるかということが、すべてわかる貴重な情報です。

「健康保険証」・「既往歴と現病歴リスト」・「お薬手帳」は、いつも一緒にして、すぐに持ち出せるようにしておきましょう。病気の時、誰もが困らないことを願って!!

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

1月 10 20

ハチゴロウの鳥撮り日記 第12回「里山の冬の小鳥たち(横浜近郊)/『聞きなし』遊び」

by staff

第12回 里山の冬の小鳥たち(横浜近郊)/『聞きなし』遊び

隔月で投稿している『ハチゴロウ鳥撮り日記』は、今回で12回目となりました。2年間もお付き合いいただきありがとうございます。今回は久しぶりに横浜近郊に戻ってまいりました。

2003年から2013年まで、横浜近郊の里山で探鳥していました。なぜか最近は足が遠のいています。約10年間に里山で撮影した鳥たちの記録の一部です。今回は冬(一部秋も)に見られる小鳥たちです。

ハチゴロウ鳥撮り日記の第11回でコマドリをご紹介いたしましたが、駒鳥と呼ばれる由来の「聞きなし」の説明を忘れてしまい「聞きなしって何ですか?」というご質問をいただきましたので、今回は『聞きなし』のいろいろも一緒にご紹介いたしましょう。

イカル

2003年1月に撮影したイカルです。全長23cmほど。通常は群れることの多い鳥ですが、一羽で木の実や種子を食べに来たようです。太くて黄色い嘴が目立ちます。「イカルコキー」という鳴き声から「イカル」と名づけられたとも言われています。この鳥の鳴き声を『お菊二十一』または『月、日、星』と紹介することもあります。

このように鳥の鳴き声を人の言葉に置き換える遊びを『聞きなし』と言います。聞き慣れない『聞きなし』という言葉ですが、皆さんも既にご存知の筈、ウグイスの鳴き声は『法・法華経』、コノハズクは『仏法僧』と書けばなんだか有り難く思えてきますよね。

他にも有名なのは、メジロの『長兵衛、忠兵衛、長中兵衛』やホトトギスの『特許許可局』、ツバメの『土食って、虫食って、渋い~』とか、ホオジロの『一筆啓上、つかまつり候』。
面白いのはセンダイムシクイの『焼酎一杯、ぐぅいーっ!』やヒバリの『利取る利取る、日一分 日一分』。もちろん、人によって聞きようも様々なので、ヒバリの鳴き声が「ヒエ食えヒエ食え、腹なる、腹なる」と聞こえた人もいたようで、さぞかしお腹が空いていたのでしょうね(笑)
さて皆様、ご存知のものがいくつありましたか?

次の写真は、珍しい小鳥ではありませんが、イカルの仲間のシメですイカルと姿形が似ていますが、ちょっと小ぶりで色合いが地味です。『質』って鳴きます。

クロツグミが『おい、おい、手打て、五両で手打て』と鳴き、メボソムシクイが『銭とり銭とり』と鳴いた後にシメが『質』と鳴き、ヒバリが『利取る利取る、日一分、日一分』と鳴けば落語のようですが、自然界ではそうは行きません。現れる季節も場所も違いますからね。

シメ

次にご紹介する写真はウソです。ウソでもホントウの小鳥です。スズメよりちょっと大きいくらい、全長15.5cmほどです。名前の由来は、『フィー、フィー』という鳴き声から、古語で“口笛”を意味する“ウソ”になったとの事です。ウソは珍しい小鳥ではありませんが。

ウソ

鳴き声が名前の由来になった鳥は前回のコマドリがそうです。馬のように『ヒヒーンカラカラ』と鳴くので駒鳥と言われるようになりました。身近な鳥では鳩もそうです。『クー・クー』と鳴くので九に鳥で鳩になったようです。これもウソのような本当の話です。

さて、アカウソならば、珍しいのではないでしょうか。その後、里山でウソには出会いましたが、アカウソとは一度も出会っていません。真っ赤なウソではありません。

アカウソ

アカウソは群れでやってきて、桜や梅の花芽を好んで食べるので、桜や梅の景勝地では嫌われています。場所によっては、天敵のフクロウやタカのデコイ(狩猟などで囮に使う模型)を置いているところもあるようです。

アオジもよく見かけるスズメに似た地味な小鳥ですが、綺麗な個体もいます。お腹が綺麗な黄色です。ゆったりとしたテンポで「チョッ、チョッピー」と鳴きます。可愛らしい鳴き声です。

アオジ

モズです。肉食性で小鳥を襲うこともあります。 全長20cmほど、小さな猛禽と呼ばれています。捕らえた獲物を小枝や有刺鉄線などに串刺しにする習性があり、「モズのはやにえ」と呼ばれています。そのことから、江戸時代ではモズは凶鳥とされ、忌み嫌われていました。また、漢字で『百舌』と書くように、他の鳥の鳴きまねが上手な鳥です。
秋になると『キィー・キイキイキイ』と大きな声で高鳴きしています。縄張りを争っているのだそうです。メスは下面が淡褐色で褐色の波状の横斑があります。

モズのオス

モズのメス

ルリビタキです。全長14.5cm。『聞きなし』だと『キョロ キョロ キョロリ』と鳴くと紹介しています。里山の冬鳥で最も人気があるのではないでしょうか。オスの羽は綺麗な瑠璃色しています。美しい瑠璃色になるのに2~3年かかります。それまではメスに見間違えることも・・・メス同士が交尾しているなんて誤解を受けたこともあったとか?

ルリビタキ

寒くなり、木々が葉を落としてくると、小鳥も見つけやすくなります。
『聞きなし』で鳴き声を覚えておくともっと見つけやすくなりますよ。お気に入りの小鳥を探しに、近くの里山へ出かけてみてはいかがでしょうか。寒い中、鳥が出てくるのをじ~と待つのは忍耐が必要です。くれぐれも風邪などお召しになりませんように。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

1月 10 20

しあわせの「コツ」(第37回) われらが内なる「縄文のDNA」

by staff

第37回 われらが内なる「縄文のDNA」

「縄文ブーム」と言われています。2018年に東京と京都の国立博物館で開催された「縄文展」は東京だけで延べ35万人が来場しました。その後も縄文関連の展示会は後を絶ちません。地方でも国宝の「合掌土偶」を展示する青森県八戸市にある是川縄文館などは、来場者が急増しています。

国宝 「合掌土偶」

展示会だけではありません。コミック「ゴールデンカムイ」は、縄文時代を彷彿させるアイヌの生活文化の史実に基づいた描写と、明治末期の北海道を舞台にしたダイナミックなストーリー展開が話題を呼び、目下大ヒット中です。

「ゴールデンカムイ」 野田サトル(作)

なぜこれほどに「縄文」が注目されるのでしょうか?
それは、私たち日本人のなかに「縄文のDNA」が息づいているからにほかなりません。私たちは「縄文」の中に自分のルーツを見出しているのです。「これ」と名指しできないほど、「縄文」は私たちの中に深く深く根ざしているのです。

中には、「え、これも?」と思う意外なものがあります。
たとえば、「宴会好き」なこともそのひとつです。

忘年会、新年会、お花見、暑気祓い、それに歓送迎会、あるいは合コン、仕事の打ち上げなどなど。日本人は本当に宴会が好きです。これに結婚式やお誕生パーティを入れたら、年間相当数の宴会が日本中で開かれていることになります。居酒屋の数が多くても潰れないのは、この宴会好きのDNAに助けられているからでしょう。

季節を問わず日本中で毎日どこかで繰り広げられている「宴会」

「宴会好き」のDNAは、はるか昔にさかのぼります。
「ねずさんのひとりごと」と言うブログに、こんなことが書かれていました。
http://nezu3344.com/blog-entry-436.html

738年ごろ成立した大宝令の注釈書『古記』に、さらにそれより古い文献からの引用と言うことで、次のようなことが書かれていました。

以下引用(ねずさんによる現代語訳)
 
日本の国内の諸国の村々には、村ごとの神社があります。
その神社には、社官がいます。人々は社官のことを「社首」と呼んでいます。
 
村人たちが様々な用事で他の土地にでかけるときは、道中の無事を祈って神社に供え物をします。あるいは収穫時には、各家の収穫高に応じて、初穂を神社の神様に捧げます。神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利益を取ります。
 
春の田んぼのお祭りのときには、村人たちがあらかじめお酒を用意します。
お祭りの当日になると、神様に捧げるための食べ物と、参加者たちみんなのための食事を、みんなで用意します。
 
そして老若男女を問わず、村人たち全員が神社に集まり、神様にお祈りを捧げたあと、社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせます。
 
そのあと、みんなで宴会をします。
宴会のときは、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をします。
 
このようなお祭りは、豊年満作を祈る春の祭りと、収穫に感謝する秋のお祭りのときに行われています。
 
(引用終わり)

日本人は大昔から、花見や収穫祭などの宴会をしていたのです。
しかも、家の格や貧富の差に関係なく、ただ年齢順に席を決め給仕は若者がする、という至って平等で合理的に行われていました。

このことは3世紀末に書かれた『魏志倭人伝』にも記述があります。

「その会同、坐起(かいどう、ざき=集いとそのあとの宴会)には、父子男女の別なし。人性酒を嗜む」とあるそうです。

およそ1800年前の書物にも「日本人は集いの後の直会では、親子や男女の別なく、みんなで酒食を楽しんだ」と書かれているのです。決して上司だから上座、などということはなく、至って平等であったことが分かります。

そういえば、天照大神が天岩戸にお隠れになった時も、岩戸の前で神様たちが宴会をしていましたね。日本では神様も宴会好きのようです。

ところで、平等な宴会にもっともふさわしい料理は、一体何だと思いますか?
答えは、「鍋料理」です。冬の人気料理「お鍋」は、縄文由来なのです。

昔は家の中心にあった火で、様々な食材を一つの鍋で煮込んだ料理を皆で分かち合って食べていたのでしょう。そこにはおのずと「平等」「分かち合い」「老人と幼子へのいたわり」がありました。
鍋料理は、なぜか「ほっこり」とします。それは単に食材が温められているからだけではなく、「鍋を囲む」と言う言葉があるように、人々が互いのぬくもりを感じながら輪になって同じ鍋をつつく一体感があるからでしょう。

縄文文化が失われ始めてから2000年近く経った今日、再び縄文文化にスポットライトが当てられたのは、決して偶然ではありません。数々の「差別」や「葛藤」で行き詰った現代に、「分離から統合へ」のシフトを渇望する私たちの内なる縄文DNAが、復活の狼煙をあげたからです。

今月も日本中の至る所で新年会や賀詞交歓会が行われることでしょう。宴会文化をとおして、私たちの内なる縄文DNAが強化され、楽しみのうちに受け継がれ、更に大きく開花していくに違いありません。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

1月 10 20

2020年1月 三ツ池だより 「変化が求められている」

by staff
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 「今! もとめられているもの!」
変化が求められている
今まで通りでいいのではない
何がって
具体的な喜びの創作だ
  ただ昨日のことをするのではない
  改善・進歩を加えていく
  お金がかかる、かからないではない
  改善と進歩の喜びだ
なにか元気がない
それすら気づかずにいる
元気であることを
それぞれが自覚していきたいもの

昨年末の新聞各紙のコラム欄を見てみたい。

「天声人語」は次のようなコメントを出している。
「漫才の源流にあるのが、 “太夫” と “才蔵” の2人によるかけあいだ。江戸期には家々を回って芸を披露し、米や金などをもらっていたという。興味深いことに、太夫がツッコミ、才蔵がボケという役割分担が早くからあった。鶴見俊輔著 “太夫才蔵伝” では “太夫が正統、才蔵が異端” と整理している。太夫が原稿通りの口上を述べ、才蔵がまぜかえす。太夫はまじめそうで鷹揚、才蔵ははせっかちでとんま。今も通用しそうな性格付だ。―中略―今年の政界も経済界も腹のたつことが多く、小蘭もツッコミを入れてきたつもりだ。いやストレートに怒るばかりでは能がない、ツッコミにも芸がいるとM-1に教えられた気がする。精進せねば。」

「春秋」には次のようなコメントがでている。
「大掃除で積んだ本を整理しようと手に取ると、まえがきの一節が目に留まった。こんなふうである。私が長生きし、この書の重版を見るとは “命なりけり小夜の中山” の感があるー。調べると西行の歌の下の句だった。69歳、京の都から東北への旅路での作らしい。小夜(さや)の中山は静岡県掛川市の峠道。平家に焼かれた東大寺の再建のため、1186年、奥州の平泉へ砂金を求め、赴いたようだ。上の句は “年たけてまた越ゆべしと思いきや” である。-中略―生涯現役の実現には年金の制度設計や企業内の活力の維持など課題は多い。だが、想定を超え出生数や人工が減りつつある中、昔より気力や体力があり、経験も十分なお年寄りの働く場が広がれば“成長にポジティブ”と見る識者もいる。西行と似た感銘が職場のそこここに広がる未来は近いのだろうか。 “命なりけり” 」

 「今 今 今」
草や木がある
今という世にいる
  葉が落ちて
  木々に新しい葉の芽が育つ
葉という文字を見てみる
草と木に葉があるのを見つけた
  桜の葉がとても美しく落ちている
  いろんな文様を見せている
その時そこに
葉の芽が生まれてきている

「編集手帳」はつぎのようだ。
「満月だろうと、半月だろうと、三日月だろうと、冬は空気が煌々と明るい。時代小説の名手、藤沢周平さんにこんな俳句がある。<軒を出て狗観月に照らされる>句の舞台となるのは深夜の江戸の街だろうか。犬を “狗(いぬ)” とすることにより、夜道であまり出くわしたくない獣の感が漂う。思わずどきっとするせいか、冬の月の明るさがいっそう迫力を増すかに思う。-中略―月から見た地球も、満ちかけすることが知られている。ふと疑問が浮かんだ。 “満月” に相当するあちら側の言葉はなんだろうかと。調べてみると、宇宙空港研究開発機構のホームページにあった。そのまま “満地球” でよいそうである。満地球の特徴はとにかく明るいこと。満月の約80倍も輝き、肉眼で見れば目映(まばゆ)いほどの美しさらしい。-以下略―」

「産経抄」には次のようなコメントが出されている。
「米ボストン美術館が所蔵する名品のひとつに、平安後期の絵巻物 “吉備大臣入唐絵巻” がある。主人公は、奈良時代の遣唐使の一人だった吉備真備である。真備の才能をおそれた唐の皇帝は、さまざまな難題をふっかけた。同じく留学生として唐に渡り現地で客死した、阿部仲麻呂の霊の力を借りて乗り越えていく。空を飛んだり、太陽と月の動きを封じて真っ暗にしたりと、真備と仲麻呂の人間離れした活躍が描かれている。実際の真備は2度の遣唐使経験をへて、帰国後は政権中枢の右大臣にまで上り詰め、81歳で没する。奈良時代を代表する政治家である。-中略―その真備が筆をとったとみられる墓誌が、中国で見つかった。唐王朝で外国使節の接待役などを務め、734年6月に52歳で亡くなった役人の墓石に刻まれていた。文末に “日本国朝臣備書” とあるのが、書き手の真備を指すと判断された。事実なら国内外で初めて確認された真備の書となる。日本の国号が成立したのは、7世紀の後半とみられる。まだ国際社会ではなじみの薄い国号を、当時40歳前後の外交官だった真備が必死にアピールした史料としても受け取れる。-以下略―。」

 「熱心」
取り組んでいくこと
それも熱心に
なんのわだかまりもなく
Tryすること
  熱心を支えるものは
  スリルとチームワーク
  スリルは刺激的に
  チームワークは他の協力を得ること
ものごとはただ進めるのでなく
エキサイトな面があることで刺激的
そしてやる気の継続になる
続けていくのが習慣になっている
  取り組んでいくこと
  現実をとらえていくこと
  やるきになり刺激されていくこと
  結果は出てくるので信じ合っていく

その頃入院することがあって、順調に回復してきていての詩がある。

 「私は動いている」
今日という日が
明日もくるという
  今日という日が
  今日一日であるように
明日という日も
今日一日であろうか
  日に照らされて
  雲は動き知らぬ間に形を変える
日にてらされて
吾は生きてる
  我も又
  知らぬ間に動き形をかえるのか

新しい年を大事につくっていきたい!
一つひとつにしっかり対応していきたい!
元気を出し合い、協力しあい、成果を出していきましょう!

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
       

(文・写真:横須賀 健治)

 

1月 10 20

ゆるマナー講座(第51回) 和暦と和風月名

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

明けましておめでとうございます。
平成27年冬からヨコハマNOWでマナー講座をUPさせていただき、今年で5年目に入ります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
令和最初のお正月…皆さまはいかがお過ごしになりましたか?子ども達が巣立ってしまうと家族が揃うのはお正月などの行事くらいでしょうか。まさに睦月です。今回は和暦や和風月名についての話です。

和暦「令和」

「令和」は、「初春の令月にして、気淑く風和らぐ。」…(良き新春正月、外気は快く風は和らいで…)万葉集の梅花の宴から名付けられました。(角川ソフィア文庫 万葉集より引用)数字だけが並ぶ西暦と違って「大化」から続く和暦にはそれぞれ意味があり、「令和」が万葉集の歌から名付けられたのを知ると、美しく心地よい音の響きとともに親しみが湧いてきます。
英語で「Beautiful Harmony」というのも日本的で「和を以って貴しと為す」という十七条憲法の言葉にも通じるように思います。この和暦にふさわしい良き時代になって欲しいものですね。

和風月名

和暦だけでなく日本には「和風月名」もあります。旧暦での各月の呼び名ですから、若い人はあまり使うこともないようですが、日本の自然の移り変わりや人々の暮らしぶりがわかります。

1月「睦月」 正月は人が集まり、互いに睦ぶ(親しくする)から。
2月「如月」 旧暦では春なかば。春物に着替えをするなど。衣更着(きさらぎ)とも言う。
3月「弥生」 木草弥生茂るから由来。
4月「卯月」 卯の花が咲くからという説の他にも複数ある。
5月「皐月」 早苗(田植え)をする月。
6月「水無月」 田に水が少なくなるので田に水をはる「水張りの月」ともいう。
7月「文月」 稲の穂が実る穂含月(ほふみづき)から。
8月「葉月」 木々の葉が落ちる葉落月(はおちづき)から。
9月「長月」 秋の夜が長いという夜長月から。
10月「神無月」 八百万の神が出雲大社に集まり、国元を留守にすることから。
11月「霜月」 霜が降りるから。
12月「師走」 暮れで忙しく、師も走るから。
(ビジネス社 明石伸子著『セレブなお作法 和のしきたりと大人のマナー』より引用)

10月の「神無月」は、出雲では「神在月」と呼びます。神様が集まっている様子を想像するとなんともユーモラスな呼び名です。

季節を表す名称

日本には、春夏秋冬以外にも時候を表す「二十四節気」「雑節」「七十二候」などもあります。自然のめぐりと共に暮らしを営んできた日本人の繊細な感性を感じます。

「二十四節気」は立春から始まり、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨…と続き、冬の大寒で終わります。春夏秋冬をさらに約半月(15日)ごとに分けた名称です。中国で生まれた名称ですが、農耕の目安にしていたものです。

「雑節」…
さらに日本の気候に合わせて生まれた名称です。「節分」「八十八夜」「入梅」「土用」「彼岸」などがあります。

「七十二候」…
二十四節気をさらに5日ごとに分けた名称です。気候の変化や動物の動きを短文にして表しています。
例えば、

「東風凍を解く」(とうふうこおりをとく)
暖かい春風が吹いて川や湖の氷が解けだすころ。(新暦2月4日~8日頃)

「黄鶯睍睆く」(うぐいすなく)
春の到来を告げる鶯が、美しい鳴き声を響かせる頃。(新暦2月9日~13日頃)

(東邦出版 白井明大著「日本の七十二候を楽しむ」より引用)

そう言えば、今朝二羽の子どもの鶯がモッコウバラの枝の間を飛び回っているのを見つけました。季節の先取りですね。

「二十四節気」や「雑節」「七十二候」を知ると、日々の忙しさから自然の変化に鈍感になり、虫や動物の動きを見過ごすことが多くなっていたことに気付かされます。

昨年、新しい元号になり日本独自の和暦について改めて関心が集まりました。皇位継承の様々な行事を映像で見ながら、継承されてきた日本の文化やしきたりの素晴らしさを感じた方も多いのではないでしょうか。今年は美しい日本の自然の移ろいにも心を寄せながら少しゆったりと暮らして参りたいと思います。
どうぞ佳い一年となりますようお祈りいたします。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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1月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第82回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第82回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

東京・六本木は “遊び” の聖地として有名。最近は “学び” の聖地にもなりつつあるのかも。森美術館・サントリー美術館・国立新美術館など、技術(AI)+芸術の融合が不可欠な21世紀には格好の学びの地。遊びと学びはオモテとウラ。他に三宅一生などを中心に設立された21_21 DESIGN SIGHTもミッドタウンの一角。 “デザイン” は21世紀の切り札。昨年、デザインのお手本といわれる “虫” の展覧会も開催されました。入り口には1センチに満たないゾウムシの中脚を700倍に拡大した模型。サイズが生むド迫力。数億年前、地球では50センチのトンボが飛んでいたとか。虫類は何億年もの間、様々な課題を解決して生き延びてきた逞しさ・しぶとさの権化。虫がついている漢字が多いのにもびっくり。人類が問題解決しながら生き延びていくためのヒントが満載。翅を上手にしまう仕組みをロボットに応用する例も。切り口は “好奇心・観察力”。梁塵秘抄では “いざれ独楽 鳥羽の城南寺の祭見に われは罷らじ恐ろしや 懲り果てぬ 作り道や四塚に 焦る上馬の多かるに” とあります。じゃじゃ馬は最強。 “落語は諸芸の吹き寄せ。歌舞伎や文楽、能に狂言。何でも知ってないとあかん” と落語家・桂米朝。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

喜多川歌麿は 浮世絵からスタートしたわけではない
若い初期の段階は、花鳥図を中心に描いていたという
後に美人画の世界で独特の境地 得手に帆をあげるも
幕府の風俗取締りで手鎖の刑 失意から五四歳で死去

浮世絵といえば、まず思い出すのは喜多川歌麿。美人画の代名詞的な存在。豊かな女性の表情を捉えた画風で鳥居清長と並ぶ美人画の代表格。当初は植物・虫類・鳥類・魚貝類を題材にした華麗・精緻な作品を描き、これらの作品は現在も上野の国立博物館で見ることができます。その腕を見込んだプロデューサー蔦屋重三郎の支援を得て潜在能力が開花、歌麿独特の画風を確立するに至りました。しかし、徳川の世で秀吉の醍醐の花見を題材にした浮世絵“太閤五妻洛東遊観之図”を描いたことで手鎖50日の処分。歌麿は病の床に。それでも歌麿の人気は衰えず依頼が殺到しますが、過労で2年後に54歳で死去。“努力主義一点張りでは観客の共感は得られない”と喜劇俳優・古川ロッパ。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

究極の喜びや楽しみ 知らず知らずのうちに顔から滲み出る
力を尽くして理にかなう道を行く 一生懸命仕事すればいい
技巧を用いない、心で仕事 無一文になっても失うのは財産
経験を血肉にする ひたすら稽古に打ち込む、と角聖双葉山

相撲は全国的に人気があり、どの学校にも土俵があり、土俵がなければ、勝手に地面に土俵を描いて相撲を取る時代がありました。大相撲の地方巡業はその地域のお祭り。子供時代の横綱は栃錦・若乃花や柏戸・大鵬。その頃の相撲協会理事長が時津風で元横綱双葉山です。新弟子時代の双葉山は午前6時から朝稽古、遂には午前4時から稽古を始め“早すぎて眠れない”と親方衆から苦情が出たとか。弱音を吐かず稽古・けいこ・ケイコ。横綱になった双葉山は連勝を69まで伸ばし、この記録は未だ破られていません。連勝が69で止まった時、 “ワレイマダモッケイタリエズ(我、未だ木鶏たりえず)” と心の師に電報を打ったことは有名。“先駆者とは観察者である”とピーター・ドラッカー。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

豊かな言葉を抽斗に蓄える 消費が成熟すると生活がカジュアル化
病気を治すのではなく人間を治す いい人生を贈り物するのが医者
経済とは お金の勘定ではなく唯一無二の付加価値を創り出すこと
社会の大きなうねり 固定的熟練労働から流動的単純労働の世界へ

仕事の仕方が大きく変わり、固定的熟練労働から流動的単純労働の世界へ。グローバリゼーションの時代が終わり、地産地消型のローカリゼーションがスタート。ローカリゼーションの本質はサービス化。コンクリート構造で強固に築いた事業の枠組みをどう解体するか。 “デジタル技術+人間知” を武器にした新たなプロセスの創造。しかも、変化のスピードが速いだけに、素早く対応することが求められそう。それには多様性。多様性の基盤は “様々な視点・言葉を抽斗にたっぷり蓄えること”。次のポストでなく次のスキル。脳をAIに従属させるのでなく、AIを脳の色に染めあげること。 “一つの誤りを正そうとして、他の何ものかを誤らせないよう注意すべし” と詩人T・S・エリオット。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

(第82回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
1月 10 20

書評「生涯、超一流であり続ける人の 自己演出力」 大和出版 中谷彰宏(著)

by staff
 
タイトル 生涯、超一流であり続ける人の 自己演出力
単行本 208ページ
出版社 大和出版
ISBN-10 4804718605
ISBN-13 978-4804718606
発売日 2019/12/4
購入 生涯、超一流であり続ける人の 自己演出力

「相手を輝かせる人が輝く。相手を幸せにすることが演出だ。」(中谷彰宏)

最初にサインが入ったページで始まるこの本は異色だ。この本を読んでいて、「あれ!」と思ったのだった。「お店の商品を買う人が優先される。」という項のところで、人気テレビ番組“鶴瓶の家族に乾杯”を話される。「食べ物屋さんなら、必ず “一個ちょうだい” と言って何か買います。“美味しい”と言って食べながら、“ここ長いんですか”という話がはじまるのです。」そしてその項のまとめは“ここ一番で魅力的になる小さな工夫”で「自分がお客さんになろう。」と書かれるのです。

「語尾に “ね” が入ることで、優しくなる。共感する人が愛される。」の項があります。演出力で一番大切なのは、仕切ることでなく、いかに共感するかです、と言われます。「ね」は共感のある言葉です、といわれて次のように書かれます。「 “ね” を使えるかどうかで、演出力があるかどうかが分かれます。たとえば、人に対してほめる時に、 “おいしいよ” というのは評価です。 “おいしね” が共感です。これを言える人と言えない人とで大きくわかれます。演出は、1文字で差がつくのです。」うれしいね、楽しいね、ありがたいね、おいしいね、と言うことで、その場にいる人と一緒に喜びをかみしめたり、楽しみを味わうことが出来ると言われます。

この「自己演出力」の本は偶然書店で出会いました。そして発行日をみると2019年12月31日初版発行となっているのでした。書店で手に取ったのは、ひと月ほど前のことになります。そしてよく見てみると表紙カバーに「予定調和を破ろう。」と印刷されていました。さらに目次の前に、「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」として58項のポイントを掲載しています。ここ一番で魅力的になる小さな工夫の①は「自分のためではなく、人のためにしよう。」目次① では「演出は、自分のためではなく、人を幸せにするサービス精神だ。知名度ではなく、サービス精神が人を輝かせる。」とある。

「今まで出会ってきた人のなかで、この人は感じがいいな、と思う人は、よく覚えています。そこには人を幸せにする演出がありました。まずは、人に対してサービス精神があるかどうかです。自分のためではなく、まわりの人のため、その場の空気のためにすることが演出なのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の⑦ は「一人一人に、手を振ろう」です。目次⑦ では「緊張を、ほぐしてくれる人に惹かれる」です。緊張をほぐす達人が稲川順二さんですと言われます。「かたい中で講演に入ると、そこからアイスブレークをする手間がかかります。一番いいのは、すでに笑いが起こった状態で入ることです。稲川さんの階段は、まず相手の緊張をほぐすことから始まります。話を聞いている時は、聞く人はどこか幽体離脱しています。稲川さんは、最後に手を振ってほっとさせることで、それをもとに戻してあげているのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の⑭ は「上の人ほど、メモをとろう」です。目次の⑭ では「研修で、社長がメモをとる。メモをとる人が、信用される」です。自分で勉強する経営者は、まわりの社員も、社長があんなにメモをとっているんだから、自分もメモをとらなければという空気を感じるようです。「社長が最前列でうなずきながら、たくさんメモしている時は、話し手も凄く話しやすいし、社員も一生懸命話をきいてくれます。メモすることも演出なのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の㉑ は「驚かし合い仲間をつくろう」です。目次の㉑では「人を驚かせるためには、まず、人の演出に驚く」です。人を驚かせるためには、まず人の演出に驚くことだと言われます。世の中には驚く人が少ないと言われます。お笑いの世界に入る人は、大体子供の時にお笑いの友達がいる人です。漫才コンビではありませんが、2人組でお笑いをし合いながら、2人で切磋琢磨してのびていくようです。「私は子供の時からモノマネが好きでした。学校時代はモノマネを一緒にやる友達がいて、お互いにモノマネを競い合っていたから伸びたのです。サプライズも、驚かし合いする友達を一人もっておくことです。2人で伸びていくのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の㊱ は「ふだんの挨拶を、新年の挨拶のように明るくしよう」です。目次の㊱では「明るい挨拶ができる人が、覚えられる」です。今日一日、このラジオを聞いていてよかったな、とおもってもらえるように、「おはようございます。中谷彰宏です」とあかるく挨拶されるそうです。「明けましておめでとうございます」という言葉のトーンで「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「いってらしゃい」「ただいま」「お帰りなさい」という言葉を言えばいいのだと言われます。「早口で言葉で滑舌よくするより、滑舌がどんなに悪くても明るく挨拶することが大切なのです。」

後帯に「人と違ってもいい。掟破りをおそれるな。」とあります。新年から励まされ読み終えました。よい年にしてまいりましょう!

(文:横須賀 健治)

 

1月 10 20

田中健介の麺食力-それから- 第16回 「ジャーニーマン」

by staff

第16回 ジャーニーマン

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、二回目の東京オリンピックで沸くであろう2020年で出版丸10年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十六回目でございます。

 

新年あけましておめでとうございます。
2020年、拙著「麺食力」刊行の2010年からいよいよ丸10年となります。
刊行日の3月24日で10年となりますが、その1日後となる3月25日(水)には10周年イベントを開催したいと思います。詳細は次号にてお知らせ致します。

 

さて新年一発目は「ジャーニーマン」というタイトルなのですが、これはプロスポーツでいくつものチームを渡り歩く選手のことを指すもので、飲食業界でもそんな渡り職人として様々な苦境と闘いながら今を生き抜く一人の男の物語をお送り致します。

中区本牧間門にあった「本牧食堂」店舗外観

中区本牧間門に小さな洋食店がありました。
その名も「本牧食堂」。昭和レトロとはまた一味違った味わいのポップな店づくり。
関内エリア・中区常磐町などに存在した「スタア食堂」から派生したこの店舗は2007年頃より横浜出身の大家尚史氏が買収し、経営を引き継ぎました。

和食の創作料理という料理の中でも繊細なジャンルからスタートし、長年飲食業界で活躍してきた大家氏にとって、昔ながらの日本式洋食での新たな勝負が始まりました。

「本牧食堂」の名物、スパゲッティグラタン

「麺食力」225ページに掲載した本牧食堂の「スパゲッティグラタン」はそんな大家氏が考案したもの。「某店からのパクリメニューでしたけどね」と大家氏は笑いますが、さらに聞けばホワイトソースやらミートソースは自家製という、真面目なメニューでした。

「出来合いのもの、既製品を使うことが嫌で。和食で料理人として鍛えられたから、プライドとか意地があって、全部自家製にしてやりました。」

すべてを自家製に、というのは客にとっては信頼できる響きかもしれません。しかし、たくさんのメニューを常にすぐ出せる状態にするための仕込み時間は途轍もなかったと大家氏は言います。

「とにかく空いた時間はひたすら仕込み時間でしたね。常に仕込み時間。頭がおかしくなってくるんですよ。一時期二毛作を、と考えて店の2階をダーツバーにしたんです。夜中の2時、3時くらいまで楽しそうにワイワイやっている2階の物音を聴きながら、1階で必要最小限の灯りだけ点けて仕込みを続けていた時は、さすがに何やってんだ俺は、と思いましたね。」

大家氏の苦労話はまだまだ続きます。

「デミグラスソースだってフォンドボー作りから始めて一週間くらいはかかるんです。大きな寸胴で作り始めて、出来上がるのは小鍋1杯強くらい。切ないですよ。そんな切なさを引きずっている中で家族連れ客の子供が『○○ー○(ファミレス)のほうがおいしい!』って言ってるのが聴こえてきちゃって。涙しか出ないですよ。」

そういう状況下にありながらも、「本牧食堂」を経営すること自体はとても楽しかったそうで。自らを辛い状況に追い込むことすら好きでやっていたと言います。
本当の大打撃は、2011年3月11日の東日本大震災でした。

「本牧エリアは震度6弱だったんですよ。店の壁が崩れてしまって。修理代も厳しいし、やめようかと。」

2011年に「本牧食堂」は閉店し、大家氏は新たな事業を模索しつつ東京の飲食店に勤務。そこで、新潟らーめんの「がんこ屋」大将に出会います。

「横浜に暖簾分けした店舗が閉店する。君横浜でしょ?引き継いでくれないか、って言われて。横浜で新潟らーめんってのも面白そうだと思って、新潟の本店で一週間『修行』しに行きました。」

中区伊勢佐木町五丁目にある「新潟らーめん がんこ屋」は2012年より大家氏が経営

がんこ屋伝統の煮干し醤油らーめんは新潟の本家では
現在やっていない横浜のみのメニューとなっている

その他鶏がらベースで多くのメニューがラインナップされている

そんな経緯から2012年より伊勢佐木町五丁目にある「新潟らーめん がんこ屋」を引き継ぐこととなった大家氏。

「暖簾分けと言ったらカッコよく聞こえるけど、『本牧食堂』のときと同じく買収しているんで私の経営で自由にやらせてもらっています。」

買収、という言葉の方がよっぽどセンセーショナルに聞こえますが……。

がんこらーめんの太麺をチョイス。
さっぱりしていながら濃厚なスープは煮干しの香りが心地よい

大家尚史氏の手によって供される麺は10年前の「スパゲッティグラタン」から、「がんこらーめん」に。この「振り幅」と「10年の時の流れの重み」をかみしめて啜ります。
煮干しの香りが口いっぱいに広がるスープは濃厚でありあっさり。すっかり冬になった横浜で、身体が温まります。沁みます。
いろんな文化を取り入れて発展した港町・横浜で本格派新潟ラーメンがいただけるって、貴重であり幸せなことなんじゃないかとさえ思います。

「それまでの人生でラーメンなんて興味がなかったんですけどね。でも実際にやってみたらそれはそれでこういう世界もあるんだ!って勉強にはなっていますね。」

何事もやってみないで外からああだこうだ文句垂れるのもダサいし、と大家氏は付け加えます。

大家尚史氏と拙著。
毒舌キャラだが「ババアまだ生きてるのか!」からの「長生きしろよ!」な
毒蝮三太夫タイプの「裏に愛情が見える毒」

「飲食の世界に足を踏み入れて30年。和食の創作料理から始まって、洋食もやって。今はラーメンだけど、ちょっと飽きてきたかな。和食の創作料理から始まって、洋食もやってきたから、やっぱり『料理』をやりたい、という気持ちが少し出てきた感じです。」

ジャーニーマン。大家氏のこれからが気になります!

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

1月 10 20

チャレンジ(第17回) リアルコミュニケーション

by staff

リアルコミュニケーション

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。2020年の幕開けですね。今年は干支のスタートの子年であり、オリンピックイヤーでもあるので日本にとっても重要な年になるでしょう。しかし、残念ながら我が家は喪中の為、静かなお正月を迎えました。

3年ほど前から体調を崩していた母が難病と診断され、あっという間に進行してしまい、昨年の10月の末に亡くなりました。78歳でした。人生100年時代での78歳は「若い!」と、多くの方たちに惜しまれましたが、若かった分、父が亡くなってから9年、母は自分なりにコツコツと終活を進め、自分の治療、延命について、その先の葬儀やお墓の手配まで、全て自分の意志で決めていました。そして、日本の約9割近い人が自宅以外の病院または施設で息を引き取るのに対し、母は自宅で最期を迎えることを希望し、その通り自宅で息を引き取ることができました。

母の件で一番ラッキーだったのは往診してくれる「ホームドクター」が見つかったことでした。連れて行ける限り病院に連れて行こうと思っていましたが、それも難しくなり、往診に切り替え、出来る限りの訪問看護とヘルパーさんに来てもらい、あとは家族がローテーションを組んで介護にあたりました。

とにかく家族全員が横浜市内在住で近く、人数も多く、一人の負担が少なかったことも幸いでした。

しかし、母自身の「延命治療はしない」という気持ちと、「1日でも長く生きて欲しい」という子どもたちの気持ちのズレは辛いものでした。80近い体での闘病は辛かったと思います。自分自身に置き換えても延命治療はしなかったかも・・・と思います。その状況にならないと本当の当事者の辛さ、気持ちは解らないと思っていますが、その分、私が最後まで心がけたのは、「対面で話をする」ことでした。

同じ親に育てられたと言っても、人の意見は皆それぞれ。その子ども達が自分の母親の最期を決めないといけないと悟ったとき、「対面で話をする」ことは必須で、更に、第三者(医者や看護師、、ヘルパーなど)の助言や立ち合も重要なんだと思いました。

私は時間がある限り母と話をしました。私に話せない弱気な内容は言わないかも知れないから、訪問看護士に頼み、辛いこと、希望などを聞いてもらいました。延命治療に関しては医者の前で本人の意志を聞きました。今でもこれで良かったのか、もっと出来ることはあったのではないだろうか? と思うことがあります。でもホームドクターや訪問看護士から、

「教科書に載せたいくらいの素晴らしい在宅医療の最期でした」
「○○さん(母)だから、自宅で息を引き取ることが出来たんですよ。選ばれた人しかできないです」

と、言われ気が楽になりました。

母と話し合い、奇跡的に自宅で看取れたことは、私の今後の人生についても大きな影響を及ぼすでしょう。私は母と徒歩10分程の距離に住んでいたので、少しの時間で会いに行くことが可能でした。遠方だったらこうはいかなかったと思っています。それでも、現代はネットの環境が整い、スマートフォンでも気軽に顔を見ながらトークができます。便利なツールも駆使しながら、今年も私はリアルコミュニケーションを心がけ、仕事もプライベートも精進していきたいと思います。

次回は「今後の展開」です 

(第17回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

1月 10 20

絵本から笑本へ(第45回) 絵本作家がゆく。~全ての子育て支援施設の皆さまへ~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム『絵本から笑本へ』

20カ月続いた第三期は今回で最終回。

第三期では、絵本作家のぼくが関わる事の多い
「子育て支援施設」についておしゃべりしてきました。

絵本作家として初めて口演をさせてもらったのも子育て支援施設。
今なお、たくさんの応援をしてくださるのも子育て支援施設。
だからこそ恩返しのつもりも込めて、コラムで連載をしてきました。

まずは、横浜市内全18区の子育て支援拠点を1区ごと18カ月かけておしゃべり。
その後、横浜市を飛び出し「小田原市」、更に神奈川県を飛び出し「長野県塩尻市」。
徐々に範囲も広め、ぼくが絵本作家として直接見て感じた「子育て支援施設」について
考えや想いを、出来る限りたくさんおしゃべりしてきました。

「子育て支援」という言葉が使われ出したのは、30年近く前なんだそうです。

しかし、「子育て支援施設」や「子育て広場」、「親と子のつどいの広場」等の言葉が、
世の中に広く知れ渡ってきたのは、ここ10年~15年位だとぼく個人は感じている。

ぼく達よりも少しだけ前の世代に子育てをしていたひと達の中には、
子育て支援施設について知らない人もいます。

そういう方々に、子育て支援施設についてお話をすると…
「知っていれば使いたかった」
「自分の家の近くにもあったのかな?」
「今、利用出来ているひと達は羨ましい」
という声がよく返ってきます。

更に前の世代のひと達は、子育て施設という場所がどういうものなのか
教えてもいまいちピンとこない。
「保育園や幼稚園とどうちがうの?」
「預かってくれる所ではないの?」
「近くの公園に遊びに行けばいいじゃない」
そんな方々も実際にまだまだいらっしゃいます。

時代によって子育てはどんどん変わってきています。

昔は、自営で商売をやっている家も多かった。
だから親は常に子どもと一緒。
赤ちゃんをおんぶしながら仕事をする。
幼いきょうだいが赤ん坊をおんぶしているなんて
昔の写真もよく見ますよね。

ぼく達の親の世代は、一概には言えませんが、
父親が外へ働きに出て、母親が家で子育てをする。
そういう家が基本的に多かった。
今より地域に公園もたくさんあって、
お母さん達の情報交換場所にもなっていたイメージもある。

そして今の時代の子育ては本当に多様化しています。

「子育て=母親」という事も、今はありません。

父親も母親も働いている共働きの家族はとても多い。
「主夫」という言葉だって珍しくなくなってきた。
おじいちゃんやおばあちゃんが子育てをしている家だってあります。
色々な理由で家族が別々に暮らしている家だってある。

様々な子育てのカタチが、今はあります。

だからこそ、世の中に「子育て支援」なんて言葉が使われ始めたんだと思う。
昔は…いや、本来であれば「子育て支援」なんて言葉は必要なかった。

あたり前に家族が、きょうだいが、親戚が、また近所のひと達が、
一緒に子育てをしていた。
「支援」なんて偉そうな事は誰も考えず、
みんなにとっての「あたり前」だった。

でも、今は少しだけ違う。

「子育て支援」という言葉が出てきたという事は、
やはり「支援」が必要なひと達が出てきたんだという事。

それは必ずしも悲しい事ではなくて、
昔の方が良かったという訳でもなくて、
時代が変わってきただけだとぼくは考えます。

どちらが良いとかではない。
今はそういう時代だという事。

そう、時代は変わっていくんだ。
だったら合わせていけば良いじゃないか。

「子育て支援」という考えだって、
「子育て支援施設」という場所だって、
今が正解なんて事は全くない。

常に時代に合わせて、
世の中の移り変わりに合わせて、
変わっていかないといけない。
そうあるべきだと思うし、
そういう事が出来る場所だと思います。

現状は「子育て支援=母親支援」

にしかなっていない。

じぁお父さんは置き去りなのか。
おじいちゃんやおばあちゃんに理解してもらわなくても良いのか。
これからはきっと同性の両親だって増えてくるかもしれない。
イクメンなんて言葉のせいで自信をなくしている父親だっている。
単身赴任で直接的な子育てが出来ない親はちゃんとした親じゃないのか。
地域での子育てをもっと見直すべきじゃないのか。

まだまだ考えないといけない事がたくさんある。
今、ここで立ち止まっている場合じゃない位、

だから、子育て支援施設関係の全ての皆さんに伝えたい。

やらないといけない事はもっとあります。
やれる事はもっともっとあります。
子育て支援施設はまだまだ面白く出来ます。

絵本作家として常に新しい挑戦をさせてくれる、
子育て支援施設の皆さんへ、愛を込めて。

挑戦を続けましょう!

『絵本から笑本へ』
次回からは連載第四期です。お楽しみに。

今回の企画で訪問させていただいた

施設を以下にご紹介させて頂きます。
画像をクリックして、訪問記事をご覧下さい。

神奈川区・かなーちえ
  保土ヶ谷区・こっころ
  緑区・いっぽ
旭区・ひなたぼっこ
  西区・スマイル・ポート
  金沢区・とことこ
泉区・すきっぷ
  鶴見区・わっくんひろば
  戸塚区・とっとの芽
港北区・どろっぷ
  栄区・にこりんく
  磯子区・いそピヨ
中区・のんびりんこ
  都筑区・Popola(ポポラ)
  瀬谷区・にこてらす
港南区・はっち
  青葉区・ラフール
  南区・はぐはぐの樹
小田原市・子育て支援センター
  塩尻市・子育て支援センター
   

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

1月 10 20

明治34年(1901年)創業のお米屋さん「伊藤米店」の伊藤雄二・直美さん

by staff

 

伊藤雄二・直美さんご夫婦
伊藤雄二さん
 
お名前 伊藤雄二・直美(いとうゆうじ・なおみ)
おとし 50歳代後半
お住まい 横浜市南区
趣味 雄二さん:日曜大工
直美さん:お笑い番組を観て大笑いすること
Facebook https://www.facebook.com/0141hamanokome/
Instagram #伊藤米店ハッシュタグ

 

先代から米店を継がれるまでのことを教えて下さい。

 雄二さん

私どもの店は明治34年(1901年)にこの場所で創業しました。初代は三重県伊勢出身の曾祖父で、横浜に来て丁稚奉公のあと独立して店を開きました。当初は粉やうどんを扱っていたようですが、間もなく米店を営むようになり、祖父、父、そして私と四代に渡って一世紀以上米屋を営んできました。父は当然のように私がこの店を継ぐものと考えていましたし、私も大学生の頃から配達などを手伝っておりました。大学を卒業してすぐ家業に専念することになりましたが、苦労もいろいろありました。昔は代金をつけにされることも少なくなく、その集金の時などは結構大変でした。そして、父から私が引き継ぐ頃には、米店を取り巻く状況は父の頃とはずいぶん変わってしまいました。

伊藤米店全景

どんな変化があったのでしょうか。また、どのようにして乗り越えてこられたのでしょうか。

 雄二さん

食生活がパンやパスタなど多様化して米離れが起きましたし、そもそも世帯の人数が減ったので、消費量も減ってしまいました。そのほかに、私はインターネットの普及も大きいと思います。わざわざお店まで買いにいかなくても、ネットで購入できる時代になり、買い物の仕方自体が変わってきました。昔は店頭に米袋を重ねて売っていましたが、今はそういう事もなくなりました。平成5年頃、冷夏で米が不足した時は、お客さんが店に殺到された時期もありましたが、それ以降は一気に減ってしまいました。そもそも米屋は商店街の真ん中のようなお客の多い場所にはあまりありません。かつて主食の米は価格や供給などが国の管理下にありましたので、立地の良い場所でなくてもやって来れたのかもしれません。守られた環境の中にいた面もあると思います。

そんな状況を何とかしようと、いろいろ試みはしてきました。銘柄米だけではなく、各銘柄をブレンドした“四代目伊藤の米”といううち独自の商品を販売しています。これは、先代がお坊さんの托鉢の米はいろいろな家の米が混じっていて美味しいと言っていたことをヒントにして創り出しました。また、新潟県中魚沼郡津南町のグリーンアース津南の代表をされている桑原健太郎さんの米も販売しています。この方は多くの賞を受賞されているとても有名な米農家さんですが、粘り強くお願いしてようやく販売することができるようになりました。そのほか、地元の野菜や卵を置くなどいろいろ工夫してきました。ですが、ここまでやって来れたのは、何と言っても“女房と二人だから”だと思います。

ブレンド米

奥様と二人三脚でやってこられたことが大きいのですね。奥様は、三代続く米店に嫁がれた時はどのようなお気持ちだったのでしょうか。そもそもの馴れ初めも含めてお話いただけますでしょうか。

 直美さん

私は大阪で生まれ、東京、大阪、千葉と転勤するサラリーマンの家庭に育ちました。高校、大学と剣道をやりながら体育教師を目指しておりましたが、たまたま大学の剣道部で主人と知り合ったのが縁で一緒になりました。

米屋に嫁ぐことには、家族の反対もありましたが、当時は若かったのですね。 “何とかなる!” とそれを押し切って一緒になりました。が、嫁いで一日目で、 “少し違うかな?” と思いました(笑)。先代のお義父さんは自分の考えをしっかり持っておられる方でしたので、正直、いろいろ苦労はありました。辛くて、外に出て働きたいと思ったこともありましたが、主人と一緒に、何とか乗り越えてきました。そして、先代が引退されてお店の経営が私たちに引き継がれ、それからは、主人と一緒に試行錯誤しながらやってきました。頑張ってきたというより、その時々の水に慣らしながらやってきた感じです。

お店の雰囲気がおしゃれで、商品のパッケージなども工夫されていますね。また、お店に隣接する建物や蔵を若者達に貸し出され、カフェとして活用されているようですが。

 直美さん

結婚前、就職情報を提供する会社に勤めていた時期がありまして、その時の経験が今生きている気がします。ブレンド米“四代目伊藤の米”というネーミングやラベルのデザインなどにも、取組みました。炊いた時の粘り気が異なる3種類のブレンド米を主人が考え、私がそれぞれ「苗」「俵」「蔵」と名付けました。手軽に味わっていただけるよう、2合ずつ小分けにした利き酒ならぬ“利き米”セットを作ったり、おにぎりの販売も始めました。それと、お店の暖簾は、よく皆さんから「素敵ですね!」と言われますが、実は伊勢の「赤福」の暖簾を作られたお店にお願いして作っていただいたものなんです。

カフェは、使われなくなっていた敷地内の建物を主人が何とか活用できないかと思っていたところ、ある日突然、3人の若者がやってきまして「音楽事務所兼カフェをやりたいので、是非貸してほしい」と言われ、正直ビックリしました。彼らは、自分たちでリフォームをしてカフェに改装し、1年ほど前にオープンしました。毎週、金・土・日・月の午後を基本として営業しています。

余談ですが、最初に現れた3人の若者のうちの1人は、佐藤嘉風さんといって、先日、NHKで放送され話題となっている「AIでよみがえる美空ひばり」で“新曲”として発表された「あれから」を作曲された人なんですよ。おかげで最近はカフェの帰りにお店に寄って、お米を買っていってくれる若者もいるんです。若者達に元気づけられています。

そして、もともとスマホも使ったこともなかった私ですが、2年くらい前からインスタグラムやフェイスブックで積極的に情報発信するようにしました。すると反響が大きくて驚きました。それで毎日、写真や記事をアップすることを自分に課しています。それを見て、お米の注文が入ることもあります。

何だかここにきて、急にパーッといろいろな事が広がっていく感じがしています。主人からは、先々も見通して、店じまいも考えるように言われていましたが、今は「米屋を続けたい」という想いが強いです。

野菜販売

伊藤米店の四代目としてお店を継がれ、ここまでやってこられた想いや今後のことについてお聞かせください。

 雄二さん

先代まで、女性がお店に立つことはあまりありませんでした。ですが、女房は積極的にお店に出てくれています。夫婦というよりも、「友達」「同志」と言う言葉が合っているかもしれません。

これからも米店の経営は決して楽なものではないと思いますし、とても子供たちにはこの店を継がせられません。

父の頃と比べて、町の様子やそこに住む人たちも大きく変わりましたし、先ほどもお話したとおり、人々の食生活が変わり、ネット社会で買い物の仕方も変わりました。もともと米店は国の管理下で守られてきた面がありますが、もうそういう時代ではありません。最近は自分たちのことやうちの商品のこと知って、いろいろな方が集まってくれるようになりました。たくさんの人たちと信頼関係で結ばれながら、新しい繋がりが広がっていくことを嬉しく思っています。これからも二人で頑張っていきますよ。

のれん

おむすび売場

食べ比べセット

最後に、お二人にとって横浜とは?

 雄二さん

横浜といっても、ここは下町です。気取らずに生活できる町です。おしゃれで、楽しく、何でもある町で、住みやすいです。

 直美さん

結婚して横浜に住むようになり、今や一番長く住む場所になりました。実家に行っても横浜に帰ってくるとホッとしている自分がいて、もう自分の故郷は横浜なんだなと実感しています。

あなたの横浜

(インタビューと文:渡邊圭祐・桃伯子)

 

12月 10 19

「ヨコハマこの人」を想う

by staff

 

「ヨコハマNOW」を立ち上げたとき、私の想いをこんな文章で綴りました。

横浜の「人」の姿を多くの方々に知ってもらいたい・・・
そんな想いからヨコハマNOWを立ち上げました。
先人が築いてきた「横浜」、そして今の「横浜」、これからの「横浜」を
「人」を通して伝えていきたいと思っています。

今月で116号を迎える「ヨコハマNOW」で創刊号から続いているコーナーが「ヨコハマこの人」と「ともの現場」です。

これまで100人を超える「この人」としてご登場いただきました。
高野慈子さんと私でこのコーナーを担当してきましたが、先月(11月号)は、シャンソン歌手の井上千鶴さんが取材・執筆して下さいました。

「この人」の中にはヨコハマを飛び出して全国区になった方もいらっしゃいますし、この取材がきっかけで、親しくお付き合いさせていただいている方もいます。

2019年12月号に登場いただいた「遠藤さん」ご夫妻とは、根岸森林公園でのラジオ体操会がご縁でお知り合いになりました。奥様(正子さん)はいつも大きな声で、掛け声を発せられていました。どんな方だろうと気になっていましたがいつも会釈程度でお話ししたことはありませんでした。年号が「令和」に変わった時思い切って、お声掛けして公園で一緒に写真を撮りました。

お話を伺うと、磯子で明治時代から続く寿司店を経営していたこと、ご主人は高齢の長距離走者として横浜では有名な方だということがわかりました。
早速、遠藤さんご夫妻とうちの夫婦との食事会を開きました。ほとんど初対面の4人でしたが、楽しくて時間を立つのを忘れてしまいました。遠藤さんご夫妻の歴史は、横浜磯子の変遷と密接に関わっていました。その場で「ヨコハマこの人」へのご登場をお願いした次第です。

横浜の「人」の姿を多くの方々に知ってもらいたい・・・という私の想いは、まさに遠藤さんご夫妻のように、昭和・平成・令和の時代を横浜で一生懸命生き抜いてきた方々の生き様を伝えていくことです。

これからも、多くの「この人」たちにお会いしたいです。
「この人」は自薦他薦OKですので、我こそはと思う方は、是非「ヨコハマNOW」にご連絡下さいませ。

 

12月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第7回)
物事の善悪を考える力

by staff

第7回 物事の善悪を考える力

子どもは、物事の良いこと、悪いことを自分で考え行動できるようになることが、一人の人間として成長する上で大切なことです。
でも、幼い子どもに、初めからなんでも自分で考えるなんてことは、できませんよね。
家庭や保育園・幼稚園・学校、また生活している地域の中で、いろいろな人々から刺激を受けたり学ぶことができ、考えるという力が養われるのだと思うのです。

しかし、子どもたちに学びや刺激をあたえるべき人々の中にも、やって良いこと、悪いことがわからない人間がいますよね。

10月ごろ、テレビのワイドショーでとり上げられたので、記憶にある方も多いことでしょうが、神戸市の30代~40代の小学校教諭が同じ学校に勤務する若い教師へのいじめのシーン(嫌がる教師を後ろから羽交い絞めにして顔にカレー‥‥etc.)

私は、あの映像をみて、嫌がる若い教師に対して、信じられないほど楽しそうにいじめている30代~40代の教師の行為に、教師の前に人としてやってはいけないこと!
それに、いじめを受けた教師がオープンにしなければ、学校内ではとり上げられず、そのことに蓋をされたままでいたのかと思うと、より一層、憤りを感じてなりませんでした。

加害教師が、悪いのは当然ですが、でも、ただ単に、教師失格とか、人としてダメ!と言って、社会から抹消してしまうような考えも、良いこととは思えません。
加害教師が、自分の行為の愚かさや過ちを思い返して反省し、心の底から、改めるにはどうしたらよいかを考え行動できる機会をつくり、周囲も見捨てるのではなく見つめて行くことが大切だと思うのです。

そして、こういった出来事は、他人事として聞き流すのではなくは、家庭や地域の中でも、子どもたちと一緒に物事の善悪を考える良い機会になることでしょう。
また、話しあう時は、あの人は悪い人、あの人は良い人で終わせるのでなく、いろいろな面から考えてみることです。

例えば‥‥
あの行為のどこが悪いと感じたか?
それはなぜ?
自分がいじめを受けた先生だったら?
自分が、いじめられているシーンを知っていたら?
いじめた先生たちは、これからどうしたらよいのか?

などなど、いろいろな面から、子どもも大人も自由に考えを出し、話しあうと大人の意見に子どもが気づきをえたり、反対に子どもの意見に、大人が学べることもあることでしょう。

子どもも大人も、物事の善悪を考えることで、人として成長できることを願って!

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

12月 10 19

しあわせの「コツ」(第36回) マザーテレサが最後に戦ったもの

by staff

第36回 マザーテレサが最後に戦ったもの

大人気のスピリチュアルカウンセラー、並木良和さんの著書「目覚めへのパスポート」(㈱ビオ・マガジン刊) に、マザーテレサのこんなエピソードが載っていました。

彼女は亡くなる一週間くらい前から精神のバランスを崩し、まるで悪魔に取り憑かれたようになってしまったそうです。エクソシスト*(悪魔祓いの専門家)を呼んだのですが、祓うことはできませんでした。

何故なら、悪魔だと思っていたのは実は彼女の「エゴ」だったのです。たとえエクソシストでも(外から来た魔物でなく)本人の内側にあるエゴを祓うことはできません。エゴは、自分自身がそれを見たくなくても正面に見据え、受け入れて自分の中に統合していくしかないのです。

*エクソシスト
悪魔祓いをする司祭。バチカンはエクソシストの存在をきちんと認めており、「国際エクソシスト協会」という組織も作られています。

マザーテレサは、いつも神の神聖さと自分の内なる神聖さにのみ目を向け、エゴをその対極の醜いものと思っていました。そのため、エゴと戦ってしまい、自分の中に受け入れなかったのです。だから今はの際に周囲も見ていて辛くなるほど酷く精神的に荒れてしまったのです。

けれども、息を引き取る最後の最後に、彼女は空中に手を伸ばし、「あなただったのね」と穏やかな表情でつぶやきながら、まるで空中の誰かを抱きしめるようにして亡くなったそうです。彼女は「エゴも神聖な自分の一部である」ことを最後に悟り、エゴを抱きしめて天国に旅立っていったのでした。

自分の中の醜い部分は誰だって触れたくありません。そんなものなど無かったことにしたいと思うでしょう。マザーテレサのエピソードはそう言う考えの行きつく先を示してくれたように思います。

では、次に以下の一節をお読みください。老子は、そんな考えを軽くいなすかのように、こんな風に語っています。

「世界に美しいとされるものがあれば、
その美しいものを通じて、醜いものが現れる。
世界に善であるとされるものがあれば、その善を通じて、悪が現れる。
存在と非存在は、互いに他を生じ、止むことがない。
難しいことも簡単なことも、互いに他を通じてなし遂げられる。
長いものと短いものは、互いに他を補っている。
高さと深さは、互いに寄り添って存在している。
音と静寂は、調和を作り出す。
以前と以後は互いに付き従う。
万物と無は同じ顔をしている。」

老子「道徳経」

(訳は、分かりやすいので、2016年11月4日のバラ十字会の公式ブログより引用しました。Amorc.jp)

中国河南省周口市の老子像

老子によれば、醜いものは「美しいものを通じて現れる」のです。相反するように見えることも、「互いに他を生じ」ており、しかもその営みは「止むことがない」のです。「太極図」の陰陽のように、互いに相手を生み出しあっていると考えれば、失敗や欠点は成功や美点を引き立てるものといえるのではないでしょうか。

「太極図」
(正式には「大陰太極図」という)

世の中はすべて「陰」と「陽」のバランスによって成り立っています。陰と陽は表裏一体であり、完全な「陰」、完全な「陽」は存在しません。もしマザーテレサが老子の教えを知っていたなら、エゴも自分を構成する大切な要素だと理解したことでしょう。でも、彼女はエゴも自分のかけがえのない側面であることに最後になって気づき、エゴを抱きしめ、一つになって昇天していきました。まさに聖女の名にふさわしい方ですね。

陰と陽、光と闇-古来より色々な宗教や哲学が、こうした二項の関係について様々な説を唱えてきました。

そうした中では、日本の「カタカムナ」文書の世界観は群を抜いて面白いものです。例えば、「カタカムナ」では「闇」とは「ヤ」(=飽和)と「ミ」(=光)が合わさったものです。「闇」とは「飽和する光」のこと。光が振動することもできないほどある枠内にひしめき合っている状態が「闇」なのです。そしてその飽和状態に動きが加わると、そこに「光」が現れます。「光」と「闇」は、実は同じものだったのです!
(このあたりのことは 吉野信子著「カタカムナの時代が到来しました」徳間書店刊 に詳しく書かれています。)

カタカムナ文字 平面に書かれているが、
本当は立体であると言われている

このカタカムナの思想は、単なる一元論とも異なります。

宇宙には「光」しかない、というのです。その「光」が振動している(回転している)時は文字通り「光輝き」、動きを止めて不活性な飽和状態の時を「闇」と呼ぶ、というのです。この考えを敷衍すると、世の中に「悪」は存在しないことになります。「悪」とは「善」が完全に不活性な状態のことで、「善」の活性度が上がるにつれ、「善」なる状態が増えていく、という訳です。

善も悪も、「同じものの在り方の違い」に過ぎないのであれば、善「と」悪のように区別し、分離する必要もありません。日本語には上下、左右、白黒、前後など、「善悪」のように、両極が分かちがたく結びついた言葉が沢山あります。これは「カタカムナ」的宇宙観が私たちにも受け継がれているからではないでしょうか。

「カタカムナ」は何万年も前、日本人が自然に持っていた宇宙観ですが、今も私たちの心を揺さぶる何かがあります。マザーテレサがもし「カタカムナ」を知っていたら、「ああ、そうだったの」と早くからエゴと和解して、幸せのうちに天国へ旅立ったことでしょう。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

12月 10 19

2019年12月 三ツ池だより 「詩を100日続ける」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

詩を100日続けて作っていくことを突然思い立った。
それは「お気使いありがとう!」の孫からの返事が飛び込んできたからでもあった。
それを受けてなぜか毎日つづけての100詩づくりを決めたのだった。

 「路端に」
いつも歩いている道に
いつもの人が花を咲かせている
  ありがとうございます
  嬉しいですね
ただ歩いている道に
ただ植えているだけなのかもしれないのに
  ありがとうございます
  嬉しいですね
道に色がついている
道に喜びが跳ねている
  ありがとう
  うれしいね

10日目には次の詩を書いている。悩む前に実行することだと思っている。続けていくことだと思っている。

 「悩む」
悩みを考えて
悩むのだと思った
考えるのでなく
出会いなのではないかと
  花を考えて
  花を感じることだと思った
  見えるのでなく
  見えた感じなのだ
人は歩いている
人は少し止まっている
歩くのも止るのも
現象なのだ
  そこに私がいるのでなく
  今ここに私がいるのだ
  居るということは
  歩くことであり止まっていることである
ここを歩いている
目的をもって
止まっていることもある
必要があってのことだ

詩を書き始めて15日になる。詩が浮かんでくるから書き取るのではなく、100日続けていくために書いている。難しさを感じる。詩とは何なのかとふと思う。詩は言と寺の合成語である。言葉を土の上に収めると考えると、今一度詩との向き合いを考えていくことになる。20年前の詩を見てみる。

 「あるがまま」
山は山であって欲しい
海は海であって欲しい
  己は己であって欲しい
  おぬしはおぬしであって欲しい
無理をせず
我慢せず
  あるがままに
  ゆったりとしておれる
山は山、海は海
山も海もひとつになる
  あるがままの姿という
  強い己でありたい

その頃入院することがあって、順調に回復してきていての詩がある。

 「私は動いている」
今日という日が
明日もくるという
  今日という日が
  今日一日であるように
明日という日も
今日一日であろうか
  日に照らされて
  雲は動き知らぬ間に形を変える
日にてらされて
雲は動き知らぬ間に形を変える
  日にてらされて
  吾は生きてる
我も又
知らぬ間に動き形をかえるのか

元気に働きだしての詩である。俳句を作りながら、ふっと詩を書くことがほんとにたまにあった。

 「静かな朝に」
雪の白さの向こうに
日の出が見える
橙色に地平をして
明るくなってくる
  今日に感謝
  あなたに
  家族に
  日本中に
しずかな朝に
湧きあがるのは
今何をしようとしているのか
課題をおいかけるだけでいいのか
  大地を白くそめてくれた
  大自然に感謝し
  鳥の囀りのなかに
  やすらかな朝をめでる
詩が欲しい
詩が私の頭のなかにある
おりてきてほしい
大丈夫と言ってほしい
  経済の中に生きていて
  明日を見とおせない時
  だから詩に頼るのではなく
  詩と共に生み出すのだ
炎のようでなくていい
おだやかな魂のほとばり
詩から発せられるものを
安らかに受け止めて生きていく

坂村真民さんの詩に「タンポポ魂」がある。

踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする

この詩に何度元気づけられたか!そしてこの詩に出会う本「生きてゆく力がなくなる時」には30年前に出会ったのであった。今改めて詩の100日に取り組んでいるのは不思議なことである。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

12月 10 19

ゆるマナー講座(第50回) 贈り物を楽しむ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

あっという間に月日が過ぎてもう12月。
クリスマスイルミネーションやクリスマスソングに、なぜだか心が弾みます。
子どもたちはサンタさんからのプレゼントを心待ちにしているでしょうね。
お正月から年末まで、いろんな贈り物がさまざまな人の間で行き交います。
みなさんは今年何回誰かにプレゼントを贈ったでしょうか?
そして何回プレゼントをいただいたでしょうか?

これから年末まで

まさに今、クリスマスのプレゼントをどうしようかとお考えの方もいらっしゃるのでは?お子さんにサンタさんへの手紙を書いてもらったり、それとなく聞いてみたり。ご家族や恋人への贈り物は何が良いだろうかと、贈った相手の笑顔を思い描きながらあれこれと悩んでいることでしょう。

またこの時期は、日頃お世話になっている方々へ感謝の気持ちを伝えるために、贈り物をする時期でもあります。季節の贈答「お歳暮」です。
日本では古くから、新しい年は歳神様(としがみさま)がつれてくると信じられていました。そのため、お正月に歳神様をお迎えするためのお供え物を暮れのうちに本家に届けたのが始まりだと言われています。それがいつの頃からか、お世話になっている方々へその年のお礼の意味で贈り物をするようになったようです。
お歳暮をお贈りする時期は、12月初め頃から25日頃まで。ただしお正月用の生鮮品を贈る場合は、年末近くに届くようにします。最近は少し早まっていて11月末頃から贈る場合もあるようです。

お歳暮が間に合わず年が明けてお贈りする場合は、「お年賀」とし、
1月7日を過ぎてしまったら、「寒中御見舞」とします。

いずれも、品物に掛ける掛け紙は「熨斗(のし)」のついた紅白蝶結びの水引のものを使います。
品物が鮮魚やかつお節などの生鮮品の場合は、「熨斗」のついていないものを選びます。
熨斗は元々アワビをのしたものを使っていたため、生ものに生ものをつける必要がないからです。

もちろんお世話になった方へ感謝の言葉を述べながら手渡しするのが一番良いのですが、最近はそれぞれ忙しく、デパートから、また産地直送でお贈りすることも多くなっています。
その場合は、品物に添え状をつけるか、「日頃の感謝を込めて品物をお送りしました」などと書いたお手紙を送ると良いでしょう。短いメッセージで構いません。相手に気持ちが伝わることが大事です。

いただいた方は、受け取ってから3日以内にお礼状を出しましょう。ハガキでもOKです。
親戚など相手との関係によっては、お電話でお礼を伝えるのも良いですね。

年が明けて

さて、お正月の贈り物と言えば、なんといっても「お年玉」
元々は、歳神様にお供えした餅を下げて、年少者に分け与えた「年玉」が始まりだと言われます。
家族揃って新年のご挨拶をし、おせち料理やお雑煮の食卓を囲み、それが終わったら、いよいよお楽しみの「お年玉」・・・と、我が家ではこのようなスタイルが続いてきました。ご家庭によって新年をお祝いする形は違うかもしれませんが、お年玉は多分同じではないでしょうか。子どもの頃は親戚の方がいらっしゃるのも嬉しかったものです。だってお年玉がいただけるハズだから。

大人にとっては、何かをいただいた時に、ちゃんと相手の目を見て「ありがとうございます」と言うことを、子どもたちに伝える良い機会です。ぜひ教えてあげてくださいね。

次にやってくるのは、商戦に載せられていると分かりつつもチョコレートをつい買ってしまう「バレンタインデー」。そのお返しのホワイトデー。

夏になると、季節の贈答「お中元」。
中国の道教では、旧暦の1月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元と呼び、天地万物を祭る年中行事を行っていました。このしきたりが日本に伝わり、「中元」がお盆の行事と結びついて先祖への供物を親類などに配ったのが始まりだと言われています。
「お中元」をお贈りする時期は、7月初めから15日まで。
その後立秋(8月8日頃)までは「暑中御見舞」、
立秋を過ぎると「残暑御見舞」となります。

「お中元」も「お歳暮」もその年にお世話になった方への感謝のしるしですので、どちらか一方だけ贈るのは何ら問題ありません。

それから、お誕生日、お子さんたちの桃の節句や端午の節句、七五三、卒業や進学、成人、結婚、賀寿、母の日や父の日、新築祝いなど各種お祝い事があります。

そしてまた年末がやってきて、同じことが繰り返されるのです。

気持ちを込めて

このように挙げてみると、一年間にはなんと多くの贈り物が行き交う機会があるのでしょう。

いろんな場面のいろんな贈り物、一つ同じことが言えるとしたら、そこにはどれにも贈る人の気持ちが込められているということです。

感謝の気持ち、成長を祝う気持ち、愛 ・・・ 。

気持ちの籠ったいただきものを楽しみ、気持ちを込めて贈り物選びを楽しむ。
時にはサプライズのプレゼントも良いですね。

まずはクリスマス。今年は何を贈りましょうか♪

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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12月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第81回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第81回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

イノベーションは人間が生み出すもの。人間を鍛えることが基本。何よりも教育のイノベーションが不可欠。現在の教科書は30年後には使いものにならないとか。グローバル化・複雑化の中では細分化された学問では対応できそうもありませんよね。資産運用の世界はAI利用の最前線。AIとプロとの熾烈な戦い。プロは “世界がどうなっているかという発見の部分はAIに任せない。データマイニングは適切に使わなければ間違った結論を導く可能性がある” と断言。AIには過学習という弱み。過去の膨大なデータからその時限りのノイズを除かずに学習する致命的ミス。まるごとAIを信用することはご法度。AIが一般化する21世紀では、常に “デジタル技術+匠の技の感性” の融合こそが生命線。 “新しいものの見方の発見は新大陸の発見に相当する” と喝破したのはルネサンスを代表する哲学者モンテーニュ。16世紀の段階で21世紀のAI時代の核心を射抜く洞察。多様性を制するのは多様性。梁塵秘抄では “遊女の好むもの 雑芸 鼓 小端舟 おおがさ 翳 艫取女 男の愛祈る百大夫” とあります。遊女にも商売上必須の百神あり。 “人間の後半生は前半生で蓄積した習慣で成り立つ” とドストエフスキー。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

勝負を早くする 踏み込みが鋭くなり、得意の体勢に早くなれる
どうしたらタイガーウッズの様になれるか 楽しむことに尽きる
どうしたらプレッシャーを克服できるのか 楽しむことに尽きる
致命傷は日々の消耗 やりたいことは、口外せず胸に抱きしめる

タイガーウッズは10月、日本での “ZOZOチャンピオンシップ” で快勝。今年のマスターズ・トーナメントでは2008年全米オープン以来の見事な復活優勝。プライベートでのトラブルや怪我から、43歳でここまで立ち直るとは。喪った日々の他にはもう喪うものはないということかも。どの世界でも、若い時に鍛え抜いたレベルまでは必ず戻れることの証明。基本を築いた源泉は、幼い頃からゴルフを始め“面白くない練習を繰り返しやり続ける”ことで修得したもの。 “届かないパットは絶対にカップインしない。もしオーバーしたら、その時点で次を考えればいい” とはビジネスにも直結する教訓。 “人から評価されるのは危険なこと。自分を見失わないようにしなければ” と女優・樹木希林。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

社会の仕組みを一から見直す やりたいことを自由に選ぶ
やりたいことを邪魔せず支援していく 人生を千度生きる
何もせずが安全とは虚構 暑苦しいほど本気で得手を磨く
知性を司る意志が最も強力な情熱を宿す、とはナポレオン

ナポレオンといえば、ルーブル美術館の “戴冠式” が有名。愛馬に跨る雄姿も。一方、モスクワ遠征の敗北で退却する悲痛な姿。また、上野で開催された “怖い絵展” で展示されたセントヘレナ島でのベッド上の無念の死に顔。ロンドン塔のマサカリでの処刑絵画より凄惨。戦場を駆けた重圧と緊張、激動の生活から無為の生活を強いられた孤島の幽囚によるストレス。ターナーが描いた “戦争:流刑者とカサ貝” に描かれた孤影。死因は胃癌。ヒ素による治療の影響とは別に毒殺説も依然消えず。 “一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れに勝る”と いう戦略観。 “能力は能力を生む。能力の向上により、更なる能力強化に繋がる” と経済学者・ヘックマン。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

どもりを直すのでなく平気でどもりながらしゃべる 本能を締め付けない
漢文の素養、あくまでも外国語 これが抽象的な思考の基盤、翻訳の基礎
日本において欠けているものは論理と自律 欲を捨て去るのはむしろ危険
異常な状況においては異常な反応こそがまさに正常な行動、とフランクル

ナチス強制収容所での体験をもとに著したフランクルの “夜と霧” は、日本語を含め17カ国語に翻訳されました。様々な調査で “私の人生に最も影響を与えた本” のベストテンに必ずといっていいほど入っています。フランクルはオーストリアの精神科医・心理学者。ユダヤ人であることから、アウシュビッツ強制収容所にも収容されましたが、1945年4月にアメリカ軍により解放されました。収容所の中での地獄のような生活、その中での人間の信じがたき振る舞い。異常な状況においては異常な反応こそがまさに正常な行動との冷徹な人間観察・分析。 “それでも人生にイエスと言う” との人間への絶対的な信頼。 “怖い人物を創れない人は優しい人物も創れない” と人形作家・辻村寿三郎。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

(第81回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
12月 10 19

書評「感動の創造 新訳 中村天風の言葉」 講談社 平野秀典(著)

by staff
 
タイトル 感動の創造 新訳 中村天風の言葉
単行本 242ページ
出版社 講談社
ISBN-10 4065137837
ISBN-13 978-4065137833
発売日 2018/11/29
購入 感動の創造 新訳 中村天風の言葉

最初に飛び込んでくる言葉は「盛大な人生」からの言葉だった。
「人の喜ぶような言葉や行いを、
自分の人生の楽しみとするという
尊い気分になって生きてごらん。」

“プラスもマイナスも抱きしめて”という項がある。
「この世は苦しいものでも悩ましいものでもない。
この世は、本質的に楽しい、嬉しい、
そして調和した美しい世界なのである。」-「運命を拓く」から。
そこのキーワードは積極的思考、とあって、著者は次のように述べられる。
「人生をドラマ思考で表現すると、
人の一生は一つの壮大な舞台で
誰もが主人公という壮大な舞台で、
誰でもが主人公というキャスティングを演じながら
かけがえのないドラマを生きている。
人生が舞台であるならば、出会いに偶然はなく、
登場人物は全員が何等かの意味がある共演者になる。
世界76億人の人間が生きる世界で出会う確率を考えれば、
共にドラマを創る奇跡の共演者であることが腑に落ちる。」
そしてつぎのように続けられる。
「積極思考とは、
プラスな出来事もマイナスな出来事も
どちらも必然のドラマの要素として活用し、
日常というステージをプロデュース(演出)しながら、
最高の自分自身を演じ切っていくという、
絶対的なアプローチなのだ。」
日常をただ毎日過ごすようでいて、自分の出来事を見てみると、不思議なほどの情報を整理して動いている。整理というのではないかもしれない。経験という形で身についた情報処理をしていることになる。

“余分を削ると本来の自分が表れる”という項がある。
「人間は、健康でも、運命でも、恵まれないときに、
心が、それを、断然乗り越えていくところに、生命の価値がある。
消極は、本然である積極の力を弱め、創造の炎を消す。
人間の本然の心(本心)は、清く、尊く、強く、正しい心、
その心を、天風哲学では積極心と言う。」
天風哲学の積極と消極は相対的なプラスとマイナスではなく、絶対的積極と阻害する消極という関係性になる。次のように述べられる。
「相対を超えた絶対なものとは、
真理とか法則とか本質とか
本来とか本然とか本領というもの。
ダイエットで言えば、太っている自分と痩せている自分との
二項対立ではなく、余分な脂肪や水分を取り除くことで
本来の自分の体形に戻れるという意味合いになる。」
ここで前向きよりも上向きな心の使い方を示される。

“人生の成功は掛け算で決まる”という項がある。
「天風師は、思考を積極的に使う手がかりとして、
感応性能という概念を考え出した。
感応性能とは、外部からの刺激に対して、感じ、応じる心の働き。
この心の動きが、習慣となって人々の心の軸の傾向を決定する。
感応性能が強くて積極的な人は、いつも泰然自若、明朗で楽天的な人。
感応性能が弱くて消極的な人は、悲観的で、臆病で神経過敏、
気が小さく怒りっぽい人になる。」
京セラを創業し、日本航空を再建した稲盛和夫さんは、有名な天風哲学の実践者である。稲盛さんは“人生の方程式“という考え方を提唱し、思考の重要性を分かりやすく表現された、と、次の公式を出される。
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力   能力と熱意にはゼロからプラス百点まであり、磨くことでどんどん高みへ向上していく。
「しかし考え方にはネガティブな考え方もあるため、
マイナス百点からプラス百点までの範囲がある。
掛け算であるために、考え方がマイナスであれば、
たとえそれが些細なマイナスであっても、
人生の結果は全部マイナスになってしまう。
能力も人並み以上、努力も人並み以上でも、
消極的思考で生きれば、人生はすべてマイナスになる。
心が強いか弱いかは、感応性能が積極か消極かに比例する。」

“さあ、最高の自分を演じよう”という項がある。
「誰もが皆、子供の頃は表現力の達人だった。
大人になる過程で、私たちは少しずつ表現する力を封印し、
自分を守るための鎧のようなものいを身につけていく。
処世術であったり、常識であったり、テクニックであったり。
まるで次々とソフトをインストールして、
容量がいっぱいになってしまったパソコンのように。
いったい何を守ろうとして、誰と戦っているのか?
戦いは、恐れの感情から生まれる。」
そこで他人を演じることはプロの俳優に任せて、自分自身を演じ切ろう、と呼びかける。どうせ演じるなら、最高の自分を演じようと呼びかける。
「本領発揮するためには、
想像力を使いながら理想とする自分のモデルを探す。
まるで役者が役作りするプロセスのように、
最高の自分という役作りは、
どんな姿で、
どんな表現をし、
どんな感動を味わいたいのか、
日々の自分像を固めていく作業だ。
その確かなヒントは、日々の感動体験にある。」
感動体験は、大切なものを大切にするセンサーだ。そのセンサーは、心の感度が鈍っていると反応しない。琴線にふれるとは、心の音叉が振動することだ。音叉は握りしめていると、絶対に振動しない。にぎりしめた手を少しゆるめるだけで、本来の音色が戻り始める。

“感情的な人より感動的な人”という項がある。
プロの話し手は、大勢に伝わるように話すには、大勢に話す心(みなさん)ではなく、目の前のたった一人の人へ話す心(あなた)が極意だと知っているそうである。
「感情的な人の話は聞きたくないが、
感動的な人の話はずっときいていたくなる。
感情的なひとには敵が増えるが、
感動的な人にはファンが増える。
感情的な人は健康を害しやすいが、
感動的な人は運命と健康を維持しやすい。
たった一文字の偉大な違い。」
天風さんは九十歳の時の講演で次のように語っていたそうです。「四十や五十はもちろん 七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。明日死を迎えるとしても  今日から幸福になって遅くないのです。」-「君に成功を贈る」から。

(文:横須賀 健治)

 

12月 10 19

横浜スケッチ(第41回) 銀座Beautiful展

by staff

ペンネーム 成見 淳

今年2019年の展示会への出品は5回でした。
展示順に、①5月「成見兄弟展」、全くの同時期展示で、②「県立鶴見高校OBOG展」、③7月「AKC2019水彩画展(赤坂孝史先生教室生徒展)」、④8月「ギャラリーダダ/アートフェスティバル(公募展)」、そして⑤9月銀座ASAGIARTSでの「Beautiful展」の5回でした。②の会場は横浜市鶴見区民文化センター サルビアホールのギャラリーで①③④は横浜そごう9階のギャラリーダダです。
今回の横浜スケッチは⑤のBeautiful展を取り上げます。

 

突然のメール

Facebookの8月12日の投稿記事にBeautiful展の事が載っているので、お誘いを受けたのはアートフェスティバルが始まる少し前の8月初旬だと思われる。銀座の画廊の女性経営者から「水彩画のグループ展に出品しませんか。」という内容のメールを頂いた。
『銀座の画廊から出品のお誘い?』初めは耳、いやメールだからこの場合は眼を疑った。続いて『え!銀座って、あの銀座!』、そして『まさか?』、『いや確かに銀座って書いてある!』 こんな具合に?マークと!マークが頭の中で交互にグルグルと回った。
『いつかは銀座で個展を。』、と思わないことはなかったが、個展ではないにせよこんなに突然やって来るとは思わなかった。サプライズというのは突然起きるからサプライズ。
興奮状態を感じながらも昔の嫌な記憶がよみがえって来て、一旦冷静に戻って心を落ち着かせることにした。一度否定的にとらえ直して、それを再否定することによって肯定に結び付けられるか否かを検証してみたかった。
面白そうな事、楽しそうな事にはすぐ飛びつく質だが、リスクは常に計算している。

 

嫌な記憶

嫌な記憶とは。30年位前油絵を始めて2年位経った頃、全日本美術協会という所に会友として入れてもらい、上野の東京都美術館に初めて30号の油彩「赤レンガ倉庫」を出品した時の事。日曜日の朝家内が素っ頓狂な声で「電話ですよ。『大澤先生いますか? 絵のことでお話が。』だって。売って欲しいという事かしら?」と興奮気味に呼びに来た。(当時は油彩で、ペンネーム成見を使い出したのは水彩を本格的に始めたここ数年。)
電話に出てみると、新聞だか美術雑誌に作品を掲載したいとの事。てっきり謝礼でもくれるのかと思いきや掲載料5万円を払えと言う。前々から絵の仲間に「大手の新聞社でもその手の話があり、初出品者は特に狙われるよ。」と聞いていたのを思い出して即断った。なかには「もう輪転機が回っているので。」とか詐欺まがいの事もあると聞いた。

 

真偽確認、出品決意

念のためASAGIARTSという画廊が実在するかどうかホームページで確認し、内容を把握した。どうやら本物らしい。さらに確かめるべく、メールで出品要領を送ってもらったり、逆にこちらの自己紹介を兼ねてホームページに加え「ヨコハマNOW」の事、「横浜スケッチ」のコラムの事を紹介したりした。自分をオープンにすることは相手との距離を縮め、相手の情報を得る必須条件でもある。ヨコハマNOWは特に有効なツールとして活用させてもらっている。
お誘いのきっかけは画廊の代表浅黄弥生さんがインスタグラムの私の絵をご覧になったことだった。
基本的にお受けすることにしたが、『なぜ自分が誘われたのか?』、また他の出品者がどういう方かも全く知らないので『自分の絵が場違いではないだろうか?』という事が心配だった。
そこで、直接銀座の会場に行って、場所の確認と絵を見て頂いて出品の可否を判断してもらうことにした。一度目は京橋に友人の出品作を見に行く帰りに銀座6丁目の会場に向かい、散々迷って『まさかこの細い道の奥ではないだろうなあ?』と思った場所に画廊があったが、3階の灯りは点いているもののシャッターの鍵がかかっていて入れず、場所だけ確認して帰宅。場所を確認したから一安心、は甘かった。
 二度目に画廊を訪れたのは8月19日丸善丸の内の展示会「東京こだわりの風景画展」に行った時で、スケッチツアーでご一緒した佐藤ツエ子、野島朱美両先生の絵を拝見した後、迷うことなくASAGIARTSに着くことが出来た。
ASAGIARTSではちょうど「It’s so delicious展」をやっていて、7人の作家(全員女性)によるお菓子やスウィーツなどの小さな絵が沢山展示されていて、そのうちのKailene Fallsさんというアメリカ人作家とお話しすることが出来た。日本語が目茶目茶上手で頭の回転の超早い方で、交換した名刺の肩書の一つにtv talentと書いてあり、家に帰ってから検索すると https://kailenefalls.com/ 「NHKワールド」に出演したりTBSの「世界くらべてみれば」のレギュラーメンバーだったりとの事だった。どうりで言葉(日本語)が適確で早口と納得。
画廊の代表者は不在でお母さんがいらしたので絵を見て頂いて「これなら出品に何の問題もありません。」とお墨付きを頂き一安心。出品の気持ちが固まった。
出品が本決まりとなり、プロフィールや作品リストやコメント、名刺などを作成した。搬入搬出は郵送で会期中作家は必ずしも常駐の必要は無く、画廊の方(代表は子育て中との事でほとんど代表のお母様)が対応してくれた。

 

出品作家と代表作品

徐々に解って来たことは、Beautiful展は初めにグループありきではなく、画廊のコンセプトに合った作品の作家をピックアップした展示会、画廊主導の企画展だった。それ故4人の作家達は全くの初対面で、それまで顔も作品も知らなかった。
期間中に改めて選定基準を伺うと、「絵が美しい事」「本人が手で描いたものである事」の二つを挙げられた。2番目が理解できなかったので伺うと「コンピュータグラフィック等でない事」と説明されな、『今はそういう時代か。』と納得。

作家をPost Cardの右側の宛名に従って紹介すると。
①atsukoさん:本名井上敦子、広島市在住。パース、イラスト(CG,手描)制作を手掛け、文化センターで水彩画講師。作品は左上(一番上)、オーソドックスな水彩画。二日目にお会いした。https://inoue-atsuko.jimdo.com
②亀井則通さん:水戸市在住、期間中吉祥寺で個展を同時開催。作品は全てハガキサイズながら実に細密な水彩画(半透明水彩いわゆる学童用の画材)。2017年元旦にインフルエンザにかかり自宅待機となったのを機に水彩画を描き始められたとの事。
インスタグラムはfitiilokamei、作品は右上(上から2番目)。確か最終日にお会いした。
③齋藤雅史さん:千葉県の船橋市在住。作品は右下(4番目)で実に繊細なパステル画。アメリカの美大を出られて受賞歴も多数。会場では一番多くご一緒した。作品は「齋藤雅史 パステル」で検索。インスタグラムは masafumi_saito.pastel
④成見 淳:現在の戸籍上は大澤、2歳前まで成見。横浜市在住。以下ピロフィールは最終ページに。4人の中では最年長ながら画風は最も未熟。作品は左下(3番目)。
インスタグラムはjunnarumi1143

 

会場にたどり着くまで

会場のASAGIARTSは中央区銀座6丁目4-12 あさぎビル3階。私はここへ行くのに2回迷った。1回目は初めて行った時で6丁目の4までなかなかたどり着けなかった。銀座通りからかなり皇居側に寄った所だから。2回目は迷うことなくすんなりなり着いた。
3回目は初日に家内と、つばめグリル銀座コア店でランチをしてから行ったが迷ってしまった。2回目ですんなり行けたので安心したのがまずかった。その原因は銀座通りと外堀通りを勘違いした事だ。交差点だと銀座六丁目と銀座西六丁目の違い。

さらに解りにくいのは六丁目4までたどり着いても画廊が通りに面していない事による。
高校同級生のN君からは「こんど銀座で個展をやる時はもっと解りやすい所で頼む。」と言われ、同じくIさんからは「友達6人を連れて行きましたが会場が解らずに帰りました。」とのメールをもらい、その中の一人が翌日来てくれた。
実は私もその一人だったが「銀座」という言葉から華やかな所をイメージし過ぎていて、その既成概念が邪魔をしたと思う。銀座も一本中に入ると、明治大正とは言わないが戦前の昭和を感じさせる所が結構あって、これが何ともノスタルジックな良い雰囲気なのだ。
「横浜スケッチ」第21回の中で書いた俳人鈴木柾真砂女さんのお店「卯波」のあった界隈を思い出せてくれた。オーナーの浅黄さんのお話では結構昭和を彷彿させる所が残っているという。表通りから入った所は再開発しにくいためらしい。
既成概念にとらわれると道に迷うのは、なまじ昔の事を良く知っている場合にも起る。既成概念が街の発展変貌に追いつかない。今風によると上書き、更新されていない。
大学に入ったばかりの頃、吉祥寺の同級生の三畳間の下宿に行った事があった。数年前吉祥寺に行く機会があり、その変わりように驚いた。そんな下宿はどこにもない。「学生の街」が変わったのではなく学生の生活スタイルが変わったのだ。下宿アパートは無くなりこぎれいなマンションに変わっていた。
 解りにくいと言われた場所だが何日か通ううちに『実は一番分かり易いのではないか。』と思うようになった。客待ちの間に周辺を歩き回ると画廊に至るには六丁目4のどこから来ても「まさか」と思う狭い路地、ビルの隙間を入れば良いのだ。ルートは四つもある。中に入れば昭和の雰囲気。実に新鮮だ。「旧い」や「古い」は「新しい」と反対だが「新鮮でない」とは言い切れない。「旧い」「古い」からこそ「新鮮に感じる」ことはある。
画廊の母、娘、3歳の孫の三世代による家庭的な温かさも相まって、すっかりこの場所、この画廊の雰囲気が好きになった。

話は少しそれるが、我が家に出入りしている保険関係のIさんの息子さんがドルチェ・ヴィータ銀座というイタリアレストランを経営されていて「お店に絵を飾ってあげたいのでイタリアらしい絵を描いて欲しい。」という依頼を前々から頂いていた。
たまたま今年の6月のスケッチツアーが北イタリアと国境近くのスイスの村だったのでツアーの基点空港となったミラノでスケッチをと考えていた。結果的には北イタリアの景勝地オルタ・サン・ジュリオでは沢山描いたが、スェーデンから戻ったミラノでは描く時間が無かった。
Iさんがギャラリー・ナルミに来られて、色々絵を見て頂いた結果選んだ絵(の複製)が会期中に家族3人でドルチェ・ヴィータに伺ったら飾ってあった。

何と銀座6丁目4まで画廊と同じ所在地。展示会の初日に歩測したら約50歩の距離だった。

 

展示風景(入り口、左から)

初日、ドキドキしながら3階のドアを開けると、それまで全く知らなかった4人なのに何故か調和のとれた、統一感にまずほっとした。とても心が休まる良い雰囲気。何よりも私の絵が皆さんの邪魔をしているようには見えなかったのでひと安心。
展示作品を良く見ると「6号1点、4号3点と言われていたのに6号が2点になっていた。展示スペースも一番広くて恐縮。

成見 淳(透明水彩)

亀井則通(半透明水彩)

井上敦子(透明水彩)



齋藤雅史(パステル)

機会があればまた是非同じメンバーで展示させて頂きたい。

年の最後に横浜スケッチらしい絵を1点。(実はこれ2019年私のインスタグラムの中で一番「いいね」が多かった絵。)
1年間お読みいただきありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

外交官の家(横浜市山手本通り) 透明水彩6号

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

12月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第15回
「『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―後編―」

by staff

第15回 『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―後編―

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十五回目でございます。

現在の新刊「はま太郎」16号の表紙イラストは筆者がモデル
(画像提供:星羊社)

横浜の夫婦ふたり出版社・星羊社が年に数回刊行している「はま太郎」。筆者はこの「はま太郎」13号より「ナポリタンボウ」というタイトルで執筆を担当しています。前回は私がインタビューに登場した第12号から14号までのご紹介を致しましたが、今回は後編ということで、第15号、そして最新16号のご紹介をしつつ、「はま太郎」と、「麺食力」との関係性を綴っていきます。

2018年の「はま太郎」15号は記念特集号
(画像提供:星羊社)

毎号100ページ前後で毎年2~3回刊行していた「はま太郎」ですが、2018年より年1回くらいの刊行ペースで160ページから200ページ近くにすることで1冊をより濃密なものに仕上げるスタンスに方向転換しています。そうすることで特定のエリアに絞る特集を組むようになりました。
2018年の第15号は神奈川区にスポットを当てつつある、という編集部からの連絡を受け、神奈川区のナポリタン名店を、と考えていたら、ありました。ありました。

「ナポリタンボウ」第3回目は「キッチン友」。
店主・大友良佑氏の巧みな
フライパンさばきがとても良い写真

「麺食力」146ページで掲載した、神奈川区六角橋の「キッチン友」です。
ご主人の大友良祐氏は神田の「キッチンカロリー」で修行後、独立。明治大学などの学生街をターゲットにしていたことから、神奈川大学にほど近い六角橋に出店。半世紀以上、地元の学生をはじめ多くの人々の舌を魅了。あの井之頭五郎も激賞した「友風焼き」は、「キッチンカロリー」の「カロリー焼」を食すとそのルーツを垣間見ることができます。

「麺食力」では、ナポリタンではなく
インディアンを紹介していた!

拙著「麺食力」での「キッチン友」は、スパゲッティ・ナポリタンではなくスパゲッティ・インディアンを紹介していたのです。ナポリタンはケチャップですが、大体同じ具材でケチャップではなくカレーで仕立てるとインディアンとなる。そういうスタイルのお店はちらほらあるので変化球をつけたのだと思います。

キッチン友のナポリタン。
2017年より日本ナポリタン学会認定店舗に

キッチン友のナポリタンは特製のデミグラスソースとカゴメトマトケチャップが1:1の特製ソースとなっています。デミグラスソースの茶色っぽさが現れた洋食屋らしい一工夫あるナポリタンです。
その他のキッチン友のあんな話やこんな話は、是非本をお手に取ってお読みください!!

2019年「はま太郎」最新16号は南区特集号
(画像提供:星羊社)

そして!今年8月に刊行した「はま太郎」最新16号は、160ページの前号よりも更に分厚く192ページ!!
しかもそれは「南区特集号」と銘打って、南区の市民酒場、銭湯、米屋、豆腐屋、製麺所、町中華、和菓子屋、暗渠、路上園芸&etc.
ここまで南区にこだわって作った本が今まであったでしょうか。とにかく凄いです。

「ナポリタンボウ」も南区特集。一挙3店レポート!

「ナポリタンボウ」も南区特集で京急黄金町駅から井土ヶ谷駅までの3駅の駅前喫茶3店を一挙15ページ分にわたってレポートさせていただきました。
南太田駅はご存知「ぱぁらー泉」(「麺食力」101ページに掲載)。
店主・八亀淳也氏のフライパンさばきが美しい写真です。
黄金町駅は「珈琲山」、井土ヶ谷駅は「喫茶アスカ」。この2店舗は「麺食力」でも取り上げていません。三者三様の物語、そして三者三様のナポリタン。
この内容は……、是非本をお手に取ってお読みください!!

今後も「はま太郎」の「ナポリタンボウ」では、「麺食力」で紹介した名店を取り上げることもあるかと思いますが、そうではない新たなナポリタンの名店めぐりも広がっていくと思います。そうであってもやはり「麺食力」で培ったスピリッツのようなものは忘れないようにしたいと思います(まあ、そうは言っても人から見たら所詮は食レポに過ぎないんですけどね)。

2019年最終号ですね。一年間お付き合いいただきましてありがとうございました。
新年一発目の次回は再びお店の取材をする予定です。お楽しみに。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

12月 10 19

チャレンジ(第16回) イベントを終えて

by staff

イベントを終えて

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。とうとう12月に入り今年も終わりが近づいてきましたね。皆さんは何かやり残したことはありますか? この1年忙しかった私は、家の掃除がままならず・・・・新しい年を迎える前に大掃除をして、スッキリ年を越したいと思っています。

さて、11月15日(金)16日(土)に開催した「秋のみんみん祭り」ですが、とてもたくさんのお客様に来場して頂き、C.P.FACTORYオリジナル商品も購入して頂き、大盛況となりました!

15日(金)には神奈川新聞社さんに取材が入り、16日(土)の紙面に掲載して頂いたので、ご覧になったお客さまもいらっしゃってくださいました!本当に有難いです。
https://www.kanaloco.jp/article/entry-209035.html

また、あにみの理事長、服部さんとのトークセッションも予想以上にたくさんのかたに参加してくださり、色々な意見交換の中、私自身も大変勉強になりました。

今回は目の見えない方が参加してくださったので、ワークショップデザイナー( http://wsd.irc.aoyama.ac.jp/ )として準備しておいたワークはやらずに、「傾聴」を重視して会を進行させていただきました。
これも、ワークショップデザイナーとして、その場のマッチングとフィット感を大切に、臨機応変に対応できたことがお客様の満足度に繋がったと思っています。

今回の最大の目的はボランティアとして「アニミの移転場所を周知させる」ことでしたが、大きなガラス窓のカフェなので、お店の中にたくさんのお客様がいらっしゃると入りやすいようで、「前から気になっていたの」「バスの時間まで珈琲を飲みたい」「子どもがお宝釣りゲームをやりたいと言っているが良いですか?」など、アニミを知らないお客様も来て下さったので、ボランティアメンバーや、職員、もちろん利用者さんたちもとても喜んでくれました。

今もお祭り用にみんなで作ったサンキャッチャーが飾ってあります。

お近くに行った際にはぜひお寄りください!

次回は「リアルコミュニケーション」です 

(第16回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

12月 10 19

絵本から笑本へ(第44回) 絵本作家がゆく。~塩尻市 子育て支援センター~

by staff

18カ月をかけ、横浜市内全18区の子育て支援拠点と、

子育て支援事情についておしゃべりしてきました。
絵本作家 保科琢音の連載コラム第三期。

そして前回は横浜市以外の施設の話、
横浜市以外の子育て支援事情の話もしたいという訳で、 
横浜市を飛び出し、「小田原市子育て支援センター」について
おしゃべりさせてもらいました。

そして今回は横浜市を飛び出し、更には神奈川県も飛び出して…
長野県の「塩尻市子育て支援センター」について
おしゃべりさせてもらおうと思います。

長野県塩尻市は何をかくそう…

別に隠してませんが、ぼくの父方の田舎。

という事は、絵本作家 保科琢音のルーツは長野県になる訳です。
「保科」という珍しい名字もやはり長野、信州には多い。
さらに数年前まで長野県には「保科村」があった。

保科村には保科小学校があり、保科郵便局があり、
保科川が流れ、保科温泉まであり、
酒屋には保科と名の付く日本酒が売られていた。

そんな保科村へ保科一族で遊びに行った事もあります…
と、保科家の思い出話はこの辺にして。
本題はここから(笑)

絵本作家 保科琢音としても何かのカタチで長野県、
また塩尻市と関わりたいと昔から考えておりました。

そこで、一番初めにお声がけさせていただいたのが、

塩尻駅前にある「えんぱーく」。
えんぱーくは、地域交流総合施設といった場所です。

図書館や音楽室、学習室や会議室、
カフェやパン屋さん、ケーブルテレビの支社
なんかも入っている施設。

その中に、「塩尻市子育て支援センター」もあります。

更に、この子育て支援センターは
図書館の児童室ともつながっている、
他では類をみない子育て支援センター。

子育て支援センターと図書館ですから、
運営は違うのですが受け付けカウンターは一緒。
図書館で借りた本も子育て支援センターで読めたり、
合同でおはなし会やイベントも開催したり、
とてもおもしろい試みをされています。
ぼくも、何度も読み笑わせのイベントを開催させてもらいました。

これまで絵本作家として、

色々な地域の子育て支援施設や子育て支援センター、
子育て広場へ行かせて頂いてきましたが、これだれ開放的で
地域交流の真ん中にあるような子育て支援センターはなかなか無い。

まぁ、言ってしまえば地方なりの立地条件というのも
少なからずあるかもしれません。
しかし、これからの子育て支援を考えたときに、
こういう様々な世代へ向けた施設が一緒になっている場所も
必要だと、ぼくは行く度に感じるのです。

これからも、多世代が一緒に交流できる夢の場所として、
先進的な事もたくさんやっていってくれると思います。

絵本作家 保科琢音も貢献できるよう、精進します。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

<今回訪問した施設のご紹介>

塩尻市 子育て支援センター
HP: https://www.city.shiojiri.lg.jp/soshiki/kodomokyoiku/kosodate/index.html

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

12月 10 19

第82回 思い出づくりとコストダウン

by staff

tentline(テントライン)
松井 理美子

思い出づくりとコストダウン

床に敷くフローリングや選ぶとき、建材メーカーと呼ばれる専門の会社の商品から選ぶことが通常です。そういった建材メーカーのフローリングは、ばらつきが少なく横に並べた時に板と板の間に隙間があかないように加工されています。なので、同じ樹種の加工されていない木板より金額が高いのは当然です。

反りや節や色味といった「品質のばらつきが気にならない」場合=「素材の個性を活かす」場合、選択範囲が広がります。その場合によく使わるものが工事現場の足場板に使われる杉板です。足場板用にカットされている新品もありますし、工事現場で実際に使われた古材もあります。サイズは、巾20センチ・厚み3.6センチ、長さ2~4メートルです。厚さを半分にした1.8センチのものや更に薄くしたものもありますが、薄くなるにつれ反りや割れの発生が多くなります。

新品の足場材を使う場合は、表面のざらつきやササクレをヤスリで滑らかにし、長さを調整する必要があります。この作業をお施主様がDIYすることによりその空間への愛着が湧き、家族や友達と楽しむことが出来れば思い出づくりになります。そしてコストダウンにもつながります。

工事現場で使われていた古材の足場板ですと表面を滑らかにする作業は不要ですが、灰色に経年変化していて傷やペンキがついていることが多いです。その汚れや古さを「アジ」=「風合い」としてとらえると、新品にはない雰囲気をつくることができるので、よりラフな雰囲気を求める方にはお勧めです。

足場板の長さを調整し敷く

完 成

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

12月 10 19

山側に 風のかけたる しがらみは 流れもあえぬ 紅葉なりけり

by staff

♪ 山側に 風のかけたる しがらみは 流れもあえぬ 紅葉なりけり ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:春道 列樹(はるみち の つらき)

歌意:山と山の間に流れる川沿いに なんとも美しい柵(しがらみ)があったけど、それは風が落として集まった紅葉だったよ。

柵(しがらみ)意味:水の勢いをせき止めるため杭を打ち並べてその間に木の枝や竹などを絡ませて結び付けた物。

古典の和歌を歌っていて大和言葉の由来に触れると不思議なカルチャーショックを覚えることがよくあります。今回もこの「しがらみ」と言う言葉。普段自分が何の気なしに使っている言葉なのですが、今までは自分にとって人間社会の中で断ち切ることが難しい立場にいる人々との関係性を表す言葉だと思っていました。婚姻関係にある相手の家族や、仕事の上で親の代からのお付き合いがある人などの関係です。その意味する処の言葉の由来がまさか大昔からあったとは、私の「しがらみ」と言う言葉感覚からは思いもよりませんでした。そこで自分のしがらみ感が世間のしがらみの言葉の意味と符合しているのか辞典で調べてみるとまあ!もっと暗い言葉だわ! まとわりついて行動を引き留める物。邪魔をするもの。等 なんか嫌いな言葉10選なんていうテーマがあったら1,2番にあげられてしまいそうなネガティブWordです。この古い大和言葉を歌にして使っている和歌が他にないかとちょっと探してみると、あるんです。今回の春道さんの生きていた時代をもっとさかのぼって、天武朝 持統朝の頃の歌人。今でいう御用歌人の柿本人麻呂さんが歌った歌が万葉集に残っていました。天智天皇のお嬢さん 明日香のひめみこが崩御された時の和歌です。

♪ 明日香川 しがらみ渡し塞(せ)かませば 流るる水ものどかにあらまし ♪ 柿本人麻呂

歌意:飛鳥川にしがらみをかけて、せき止めていたら 流れる水も(彼女の命も)もっとゆっくり流れただろう。具合が悪くなるのをせき止めておくための何かがあれば、まだ永らえたイノチだったのかもしれない。

春道列樹さんも 柿本人麻呂さんも「しがらみ」 という言葉をとても良い意味で使っていて現代人の感覚とは一味も二味も違います。いつ頃からこの「しがらみ」 が嫌な言葉のように使われだしたのか、きっと江戸時代でしょうね。

言葉は人が使わないと死語となってしまいます。そういう意味ではこの「しがらみ」現代の日本ではまだまだ十分に使用価値がありそうです。
でももっとポジティブな言葉としても使って行けたらいいなと

例えば・・・長期政権の腐敗の流れにしがらみをかけるための立候補! とか。
      貧困と格差社会にしがらみを投じる! とか

読み手の春道列樹(はるみちのつらき)さん。多分30代前半でこの世を去った歌人なのではないかと思います。したがって彼の事はどんな若者だったのか殆どわかりません。が亡くなる前の彼の役職が太宰府の長官で その後壱峻守になり赴任する前に亡くなったという事なので九州のお役人さんだったのでしょう。彼のお父さんは主税頭(一説には雅楽頭)。
息子の列樹さんはきっと頭脳明晰な若者だったのだと思います。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

12月 10 19

元気いっぱいのシニアアスリートご夫婦 遠藤靖信・正子さん

by staff

横浜市磯子区の八幡橋で、明治時代から三代続いた寿司店を経営されてきた遠藤さんご夫妻。二人三脚でお店を切り盛りしてきましたが、5年前、ご主人が80歳の時に惜しまれながらお店を閉じられました。その一方で、70歳を過ぎて始めたランニングや体操は生活の一部となり、85歳を迎えた今もマラソン大会に出場する元気いっぱいのシニアアスリートご夫婦です。

遠藤靖信・正子さんご夫婦

お名前 遠藤靖信・正子(えんどうやすのぶ・まさこ)
お生まれ 靖信さん 1934年3月15日
正子さん 1933年8月5日
お住まい 横浜市磯子区
趣味 靖信さん ランニング
正子さん 体操

 

先代から寿司店を継がれるまでのことを教えていただけますか。

明治の頃、私の祖父が八幡橋の近くに「境屋」という寿司屋を開きました。「磯子のれきし(磯子小学校創立100周年記念誌)」によれば、明治30年頃にはすでにお店はあったようです。当時、この近辺は運河を使った舟運や根岸競馬場の客など栄えていたそうです。その後、第二次大戦中に閉店した時期もありましたが、父が寿司屋を八幡橋のたもとで再開しました。私は、磯子で生まれて中学校卒業後、井土ヶ谷の既製服の会社に勤めておりましたが、17歳の頃から寿司屋を手伝うようになりました。近隣でとれた新鮮な魚介類を使うのが評判で、10人足らずのカウンターだけのお店でしたが、繁盛していましたね。一時、自分で山下町(中華街のそば)にお店を出した時期もありましたが、また八幡橋に戻りまして、その後約30年間、80歳になるまでお店を続けてきました。市電が走っていた頃の写真に「境屋」といううちのお店が写っています。

電車のある風景(武相高校鉄道研究会撮影)

奥様と二人三脚で30年間お店を切り盛りされてきたのですね。

家内とは結婚して59年になります。家内は横浜市神奈川区の子安にあった飲食店の“看板娘”でした(笑)。昔から元気溌剌な人でしたよ。知人の紹介で知り合い結婚しました。子供は息子二人、娘一人を授かりました。父は99歳で亡くなりましたが、家内は店を切り盛りしながら子育てや父の面倒で大変だったと思います。父は昔気質の寿司職人で、寿司はお茶で食べるものだとお酒を店に置きませんでした。

私たちが店に戻ってきてから、お客様も増えて業績は順調でした。昔は、今と違い出前を取る家が多いこともあり、毎日忙しかったです。特にお盆や年末年始は目が回るほどの忙しさで、子どもたちにも配達を手伝ってもらいました。世間の方がお休みのときに忙しい商売ですから、子どもたちにも苦労をかけました。毎朝、南部市場に仕入れにいっていましたから、寝る時間もなかったですね。当初はお昼から夜8時頃まで店を開けていたのですが、酔っ払いのお客が増えたこともあって、夕方6時に閉めるようにしました。お客さんからは「早すぎる」と叱られたこともありました。そんなに早く閉店する寿司屋はどこにもなかったでしょうね(笑)。やがて、回転寿司が増えて寿司屋の形が変わってきたことや、納豆巻きやカリフォルニア巻きなどこれまでの寿司屋にはなかった新しいネタが増えてきたこと、そして夫婦二人で切り盛りするのが大変になったこともあって、今から5年前、80歳の時に3代続いた店に区切りをつけました。息子は継いでもいいよ・・と言ってくれたのですが、これからの寿司屋の経営を考えると、継いでもらわなくて良かったと思っています。

今は、孫やひ孫たちと一緒に過ごす時間が何より楽しく、そして趣味のランニングが生活の一部となっています。

お店の前で

85歳を過ぎた今もマラソン大会に出られているとお聞きしましたが・・・。

私がランニングを始めたのは70歳の頃からです。当時、野口みずきさんが、アテネオリンピックで金メダルを取ったのを見て、 “あんなに小さな女の子が走れるなら自分にも出来るのでは?” と思ったのがきっかけです。毎朝、近所をランニングすることから始めました。走り方などは自己流で今まで誰にも指導を受けたことはないです。

最初に走ったフルマラソンは、2006年、72歳の時のホノルルマラソンで、時間は6時間11分でした。日々の練習でも10kmくらいしか走ったことがなかったので、完走できるか心配でしたが、何とかなるものですね。

ホノルルマラソンは3回ほど走っています。2010年には家内もフルマラソンに挑戦しました。私は5時間44分で、家内は8時間33分で完走しました。ホノルルマラソンは制限時間がないので休みながら走れます。家内は沿道で応援してくれる人たちと一緒に踊ったりして、楽しみながら完走したようです。

他に・・・かすみがうらマラソンは毎年のように参加していますし、沖縄やニュージーランドなどに遠征してフルマラソンに参加しています。フル以外にも湯河原マラソンの10kmやハーフマラソンなど・・これまで出場した大会は数えきれないですね。

私のベスト記録は、2014年4月のかすみがうらマラソンで出した4時間50分23秒です。これは2014年度の全日本マラソンランキング、男子80歳の部で全国7位の記録だそうです。陸上競技の経験もなく、それどころか小学校時代は足が遅くて運動会が嫌いだった自分が、全くの自己流でここまでこれたのは、毎日、黙々と一人で走ってきたことへのご褒美だと思っています。

靖信さんの初マラソンの記録

全日本ランキング

ニュージーランドマラソンでの正子さんの雄姿

私が出場する大会には、家内はいつも応援に来てくれますし、子どもたちも家族総出で応援に来てくれます。いい家族に恵まれたと感謝しています。

2019年4月に開催された横浜市民マスターズスポーツ大会の5000m85歳以上の部で1位になりました。そもそも80歳以上で走ったのは私だけでしたけれど(笑)。会場中から祝福されて嬉しかったです。あと5年はこの記録は破られないですものね。90歳になったら90歳の部として出場しようかなと考えています(笑)。

今も毎日1時間くらい走っています。健康を維持していくため、これからも走り続けたいと思っています。私は「走っている限りは健康なんだ。」という信念を持っています。昨年、ロードバイクを手に入れたので、足のトレーニングのために三浦半島にも一人で出かけています。来年(2020年)も湯河原マラソンの10kmに出場予定です。まだまだ頑張りますよ!!

横浜市の記録

来年で結婚60周年ということですが、夫婦円満の秘訣は何でしょうか?

 靖信さんからは・・・

夫婦円満の秘訣は、やはり「お互い健康であること」でしょうかね。二人とも元気なのが一番です。夫婦喧嘩はしないですね。私が先に謝っちゃいますから(笑)。家内の良いところは、いつも元気で、さっぱりしているところです。
子どもたちも市内に住んでいて、私が握る寿司が目当てに(?)何かというと集まりますので、その時は張り切って作ります。これも夫婦二人で楽しく暮らしてこれた一因だと思います。

 正子さんからは・・・

夫婦円満の秘訣は、同じく「健康」ですね。私は、根岸森林公園の朝のラジオ体操にはもう20年以上通っています。大きな声を出すので、周りから「とても元気なおばさん」と思われているようです。最近は、毎週保育園で子供たちとラジオ体操をやったり、グランドゴルフも週3回程度やっています。友達とおしゃべりするのも元気の源になっていますね。
主人の良いところは、いつも落ち着いていて、私をかばってくれることですね。私が大声で何を言っても、物静かに受け止めてくれます。
世間のご夫婦よりもこれまで一緒の時間が多かったと思いますが、主人が優しいのて仲良くやってこれたのでしょうね。

お二人にとって横浜とは・・・

 靖信さんにとっては・・・

私にとって横浜は「私を育ててくれた町」です。小さい頃は、目の前の海や近くの山で遊び、この歳になるまでずっと横浜で暮らしてきました。横浜の町が今の自分を作ったと言ってもいいと思います。特に好きなのは、やはり生まれ育った磯子ですね。

 正子さんにとっては・・・

私にとって横浜は「私を元気にしてくれる町」です。ご近所さんをはじめ、いい友達がたくさんいます。0歳の赤ちゃんから80代の人まで、いろんな年代の人たちに囲まれていると、自分が元気になってきます。

お二人にとっての横浜

<取材を終えて>

お二人合わせて170歳を超えるご夫婦ですが、本当にお元気で笑顔が素敵です。正子さんとは根岸森林公園のラジオ体操でご一緒しますが、彼女の一声でその場がパーッと明るくなります。靖信さんは小柄で物静かな方で、一見アスリートっぽくないのですが、凄い能力をお持ちの方なのです。横浜の元気なシニアとしてこれからもお二人そろって益々お元気でいていただきたいと思います。

(インタビューと文:渡邊圭祐・桃伯子)

 

11月 10 19

「SDGs」を自分ごとに・・・

by staff

 

「SDGs」をご存知ですか。
丸い「SDGs」のバッジをつけた方を、最近よく見かけますよね。

「「SDGs(Sustainable Development Goals)持続可能な開発目標」とは・・・
国連が創設70周年を迎えた2015年9月の国選総会で、193の加盟国が全会一致で採択した「我々の世界を変革する 持続可能な開発のための2030のアジェンダ」で、2016年から2030年までの17の目標とより具体的に設定された169のターゲットのことです。

外務省のWebサイトより

17の目標は、誰ひとり取り残さない(No one will be left bihind)という考え方にもどついて定められました。

世界を変えるための17の目標は次のとおりです。

  1. 貧困をなくそう NO POVERTY
  2. 飢餓をゼロに ZERO HUNGER
  3. すべての人に健康と福祉を GOOD HEALTH AND WELL-BEING
  4. 質の高い教育をみんなに QUALITY RDUCATION
  5. ジェンダー平等を実現しよう GENDER EQUALITY
  6. 安全な水とトイレを世界中に CLEANWATER AND SANITAITON
  7. エネルギーをみんなに そしてクリーンに AFFORDABLE AND CLEANENERGY
  8. 働きがいも経済成長も DECENT WORK AND ECONOMIC GROWTH
  9. 産業と技術革新の基盤をつくろう INDUSTRY INNOVATION AND INFRASTRUCTURE
  10. 人や国の不平等をなくそう REDUCED INEQUALITIES
  11. 住み続けられるまちづくりを SUSTINABLE CITIES AND COMMUNITIES
  12. つくる責任 つかう責任 RESPONSIBLE COMSUMPUTION AND PRODUCTION
  13. 気候変動に具体的な対策を  CLIMATE ACTION
  14. 海の豊かさを守ろう LIFE BELOW WATER
  15. 陸の豊かさも守ろう LIFE ON LAND
  16. 平和と公正をすべての人に PEACE,JUSTICE AND STRONG INSTITUTIONS
  17. パートナーシップで目標を達成しよう PARTNERSHIPS FOR THE GOALS

横浜市では、「ヨコハマSDGsデザインセンター」を立ち上げて、「SDGs未来都市・横浜」の実現を目指しています。
横浜市の企業では第2回「ジャパンSDGsアワード」(2018年12月)で株式会社大川印刷がパートナーシップ賞を受賞しました。

第2回ジャパンSDGsアワード受賞団体
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sdgs/dai6/siryou2.pdf

最近は「SDGs」の認知度も上がってきていますよ。
2019年8月に朝日新聞社が3000人を対象に実施した、「SDGs認知度調査 第5回」では、「SDGsという言葉を聞いたことがあるか」という質問に「ある」と答えた人は前回より増え27%。初めて20%を超えたそうです。
特に若い世代での認知度が高いようで「15?29歳」では、「ある」が31%になっています。

2030 SDGsで変える
https://miraimedia.asahi.com/sdgs_survey05/

でも「SDGs」って何?
難しそうだし自分には関係ないと思っている方が多くないですか。

そんな皆様にお勧めの一冊が、私立中学受験と言えばの「日能研」で出版している「SDGs 国連 世界の未来をかえるための17の目標 2030年までのゴール」です。

「日能研」の本

この本は、私立中学受験生のために「SDGs」を分かりやすく解説したもので、入門書として最適だと思います。多くの私立中学校の入試に「SDGs」に関連したものが出題されていることにも驚かせられます。

そしてもう一つ。
2019年7月に、国連で日本の中小企業の「SDGs」の実践例として報告された、株式会社太陽住建の「SDGsレポート」です。

このレポートには、目標8「働きがいも経済成長も」と、目標13「気候変動に具体的な対策を」に関連する取り組みとして、地域の障がい者就労支援団体と協働し、障がい者の方に太陽光パネル設置・架台工事に従事してもらい新たな雇用の機会を創出したり、災害時に福祉避難所にもなる福祉施設の屋根を借りて太陽光発電設備を取り付け、災害時にも強い避難所を増やしていく事業も進めている様子がまとめられています。

株式会社太陽住建の「SDGsレポート」

私は、「SDGs」に熱心に取り組んでいる中小企業の経営者との交流を通して、(盆栽カフェの石井先生の石井造園株式会社も「SDGs」で有名な企業です)、自分なりに「SDGs」を勉強させていただいています。
そして、「SDGs」は、国や団体だけでなく、私たち自身が、17の目標を達成することを担っていると痛感しています。

11月30日に開催される高等教育問題研究会・FMICS (フミックス)の例会で「私のSDGs」を語ることになりました。

11月&12月のFMICS 自分ごとのSDGs “あなたとわたしの未来が見えてくる”
http://www.fmics.org/

ちなみに、私の「SDGs」の一つは目標12「つくる責任 つかう責任」のターゲット12.3にある「食品ロス」を減少させること。野菜の皮もできるだけ食べるように、無農薬野菜を購入するようにしています。

このように「今の私にできること」から始めていけば、それが「世界を変える」ことにつながっているのだと思うのです。

皆様も・・・2030年に向けて、自分の家庭の地域の「SDGs」を考えてみませんか。

 

11月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第6回)
自然災害時、要介護者とともに命を守る不安

by staff

第6回 自然災害時、要介護者とともに命を守る不安

まずは、台風15号、19号及び10月25日の豪雨災害により、亡くなられた方々のご冥福と被災された皆様におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。

横浜市在住の我が家は、15号では倒木により電柱が倒れ、20時間の停電を経験しました。そこで、19号の時には、停電や暴風への注意をしましたが結果は、全国で多くの川が氾濫し、土砂崩れや浸水等による大きな被害をもたらしたことをニュースで知ることとなりました。

自然災害は、決して同じような状況になるとは限らない。また、こうしておけば対策は十分、なんて保証は全くないですよね。家庭で要介護者とともにいると、どうやって避難したらよいか? 命を守れるのか? いつも不安を抱えていますが、今回のように猛烈な勢力の災害を前にしては、より一層、困難さや恐怖心ばかりが増しました。

しかし、ただ怖がっていてもしょうがない。どんなことでも経験から、学ぶことはあるはず。水・懐中電灯・電池・ラジオ・保存食・処方薬等々、日頃から非常時の準備をしていることは当然ですが、今回の2つの台風により経験した停電や暴風雨からも、身を守ることを考えてみることとしました。

《用意していて良かった物》

  • 暑さ対策としての冷却用品
    停電でクーラーが使えない要介護者にとっては、室内は蒸し暑く熱中症の危険があった。そこで、体温を上昇させないために、体を冷やすことが必要となった。
    発熱用の体に貼る品もあるが、母は貼るのは不快に感じるので、水に濡らすだけで冷えるタオルを首や手首に巻いて使用した。
    1時間もすると、タオルの冷え効果はなくなり、また濡らすという手間はかかるがケアする者は台風後の片づけもあるので、うっかり様子を看ることを忘れてしまうかもしれない。1時間程度で濡らすの繰り返しは、体調の変化にも気付け、ケアする者も休憩がとれるという利点を感じた。
  • 人感センサーライト(室内用)
    日頃から、数個廊下などに、乾電池用センサーで足元を照らすようにしていたので停電で暗闇の中行動する時、ライトがあることで安心できた。乾電池用の安価なもので、十分!これはお勧めです。
  • お湯か、水だけで食べられるアルファ米
    電子レンジで温めるご飯は、停電時は使用できない。その点、お湯でも水でも、入れるだけで食べられるご飯は、便利だった。柔らかめの食事をしている要介護者も、問題なく食べることができた。
  • 布粘着テープ
    暴風対策として、布粘着テープで雨戸を固定したり、ガラス窓の飛散防止に、英国国旗(×と十の字)状に貼ったら、強い風が吹いてもガタンともせず、安心できた。常に、2~3本(1本25m)を用意していると良いと思う。

《今後、考えなければならないこと》

  • 情報伝達と地域社会の問題
    20時間の停電時、電力会社から「電柱が倒れ工事中。回復までにしばらく時間がかかる」と告げられたのが18時間も過ぎてからのこと。また、町内会としての情報発信はなく、情報伝達の遅さや希薄さを痛感した。
    ご近所とは50年近くのつながりがあるので、今回は、人づてに電柱工事中ということが早くから知ることはできたが、ご近所も高齢者や要介護者が多い地域なので、情報が入らず、取り残されてしまう人々が多くなるのでは? と心配になってしまった。根本的な対策ではないけれど、まずは自分が今できることとして、ご近所で付き合いのある要介護家庭とは固定電話が使用できない時のために、携帯電話でつながりあえるようにした。
  • メンタル面の不安
    テレビから「自分の命を守る行動をとるように」といった言葉が頻繁に流れ、スマホからは横浜市の緊急通報など、いろいろな情報が次々送られてくることで、要介護者だけでなく、健康な人間でもテレビの映像やスマホの音に敏感になり心が不安定になってしまうと感じた。
    そこで、一旦テレビを消し、また、スマホの通報も、自分たちのところに危険の恐れがない内容であれば、音だけでびくつくことなく、この状態なら大丈夫!などと、母と自分自身のために声を出しあい話すことで、心の仕切り直しをしてみた。
    もちろん、命を守って欲しいから伝えていることは理解できるが、頻繁に流れることで不安をあおられているような感じにもなる。災害時のメンタル面をどう維持し、安全への判断ができるかが大きな課題だと思った。

要介護者とともに命を守るために、準備しなければならないことや考えなければならないことは、まだまだ、ありますよね。生きるための知恵と、不安や恐怖でポッキン!と、折れない柔軟な心で、前向きに頑張りたいものです。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

11月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第11回「峠のコマドリ(山梨県/柳沢峠)」

by staff

第11回 峠のコマドリ(山梨県/柳沢峠)

コマドリの求愛 2014年撮影 左/オス 右/メス

2017年4月29日午前2時、夜中の国道16号線を北へ向かいました。無料になった八王子バイパスを通過し、ほぼ道なりに進みます。真夜中の国道はトラックなどの大型車が多いものの、渋滞することなく、快適に走ることが出来ます。

中央自動車道の八王子インターチェンジを過ぎると、新滝山街道に入り、車の量はグッと少なくなります。なおも多摩川の右岸沿いの道(吉野街道)を道なりに進みます。JR青梅線の古里駅近くで多摩川を渡り、川の左岸を走る青梅街道に出て、西に向かいます。少し進んだところ(鳩ノ巣駅の手前)で左折し、新しくできた城山トンネルを通過します。この道路が出来たことにより、奥多摩の町中をバイパスできます。そして、青梅街道に戻ると、曲がりくねった山道になり、幾多のトンネルを通過します。

奥多摩湖を過ぎ、高度が増していくようです。東京都から山梨県に入り、いくつものヘアピンカーブを通過し、しばらく進むと目的の柳沢峠の市営駐車場に着きました。時刻は午前4時45分です。空はもう明るくなっています。駐車場には10台以上の車が停まっています。急いでカメラをかついで、探鳥場所へ向かいます。

探鳥場所には20名以上の方がカメラをセットしていました。コマドリが盛んに鳴いています。期待に胸を膨らませ、カメラを三脚にセットします。

今回はダメかなと思い始めた午前7時30分、やっと出てきてくれました。2017年の初コマドリです。コマドリは気が短いのか、すぐに帰ってしまいました。それでも1時間後の8時30分に出てきてくれました。峠のコマドリは1時間毎に現れる習性なのでしょうか? 約1時間後の午前9時40分に出てきました。 そして、午前10時30分 時間通りに来てくれました。

コマドリ/オス

2018年4月28日午前2時、再びコマドリに会いに柳沢峠へ向かいました。GW初日ですが、深夜の国道16号線は空いていました。奥多摩街道に入ると、対向車と出会うことも少なくなりました。曲がりくねって舗装された道を登り、峠の駐車場に着いたのは、空が白み始めた午前4時45分でした。
カメラを担いで観察場所に着くと、数名のカメラマンがカメラを構えていました。コマドリは、まだ出ていないとのことです。スマホで気温を調べると、3℃でした。2017年のこの時期は、雪が残っていたのですが、2018年は見ませんでした。

コマドリは、ツグミ科で北海道から九州の山地で繁殖する夏鳥です。林床にササ類が密生する場所を好み、苔むした岩場などに生息します。ミミズなどを捕らえて食べます。茂みの中で行動するので、姿を見るのは難しいです。

繁殖期には樹上でよく囀ります。「駒鳥」という名は、『ヒンカララ』と声量豊かなさえずりを、馬のいななきに聞きなして付けられました。日本三鳴鳥の一つです。
メスはオスに比べて顔から胸にかけて赤みがなく、腹部も色が薄いです。

コマドリ/メス

午前5時30分、最初に撮影したのはアカハラです。コマドリの鳴き声は聞こえるのですが、姿を見せてくれません。

コマドリではありません。アカハラです。

次に出てきてくれたのは、ソウシチョウでした。ヒマラヤから中国西部から中南部に生息している外来種です。ササ類の生い茂っている環境で繁殖しているとの事なので、峠のササの中は格好の繁殖場所のようです。

ソウシチョウ

コマドリは2017年には午前7時30分に出てきてくれましたが、2018年は午前8時を過ぎても現れません。「ヒン・カラカラ」という囀りは聞こえてくるのですが・・・。アカハラ、クロジ、ソウシチョウと順番に出てきてくれるのですが。前座ばかりで本命の出番はまだのようです。
12時30分、待ち焦がれていたコマドリがやっと出てきてくれました。光の状況は良くありません。初夏の強い光が撮影を難しくします。あまり迷ってもいられないので、シャッターは押し続けましたが・・・

午後4時を過ぎると、太陽は山陰に隠れてくれました。周囲はまだ明るく、あと1時間くらいは撮るチャンスはありそうです。
午後4時20分、コマドリがやっと出てきてくれました。『待てば海路の日和あり』ですね。
そして、きれいな声で囀ってくれました。

尾羽を立てて囀るオス

盛んに囀るオス

午後4時30分、近くで盛んに囀っていて、まだまだ現れてくれそうですが、十分に撮影できたので、帰ることにしました。午後5時、峠の駐車場を出発し、勝沼に出て、中央道、圏央道を通り、東名道の横浜町田インターチェンジで国道16号線に降りるルートです。連休初日の高速道路は渋滞に会うこともなく、午後7時15分頃自宅に着きました。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

11月 10 19

楽しい文字の世界(第20回) AIの力が書の解読に

by staff

第20回 AIの力が書の解読に

くずした文字の解読を尋ねられることが良くあります。
確かに文字をくずしたらどうなるかを引くことはできても、くずした文字を辞書で引くことはできず困りますね。
ところが、これがAIの力を借りて、あっという間にできるようになったのです。

文字と文字が1つ1つ離れているのを単体といい、それに対して2文字以上を続け書きすることを連綿と言います。この連綿が今まで解読を困難にしていました。
1文字1文字の領域を決めることが難しく、解読が止まってしまうことがあったのです。

ところが発想の転換。1文字1文字の領域を決めないで、全体を通してわかる文字からどんどん解読していく。この方法で、専門家でも1ページ10分程度かかるところを、AIなら1秒ほどで解読可能になったのです。開発したのは情報・システム研究機構。ただし、今のところ精度は90%。そして、文字の大きさや墨の濃淡がそろっていないと解読の精度が落ちるそうです。今後更に大量に学習させてこの制度を上げて行き、古典や古文書を解読するプロジェクトに乗り出すそうです。

古典のAI解読 埋もれた知を掘り起こしたい : 社説 : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20191025-OYT1T50059/

画像を見るとどこでつまずいているかわかります。今のところ、AIと人が力を合わせるとスピーディーかつ正確に解読できるでしょう。

丁度数日前、息子が友人から
「この続け文字読める?」
と聞かれ、1ページほどのつづけ文字を、私がささっと読んだら偉く感服した様子でした。これからはアプリに読み込ませたら、ものの数秒で解読されるようになり、聞かれることもなくなるかもしれませんね。

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して26年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

11月 10 19

しあわせの「コツ」(第35回) 「お客様」の正体

by staff

第35回 「お客様」の正体

昔から「うるさい客」はいましたが、最近のモンスタークレーマーにはあきれるばかりです。店員の些細なミスに激高して過大な弁償を要求したり、理不尽な注文を「客の権利」とばかりに店側に突きつけたり、常軌を逸しています。
こういう客が現れるようになったのは、どうも「お客様は神様」ということが広く言われるようになってからのような気がします。

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この言葉を最初に言ったのは歌手の三波春夫さんです。三波さんはどういう文脈の中で言ったのでしょうか。
1961年ごろ、三波さんは宮尾たか志さんとの対談の中でこう言っています。

宮尾「三波さんは、お客さんをどう思いますか?」
三波「うーむ、お客様は神様ですね。」
三波「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」

三波春夫

よく読むと、三波さんは「お客様=神様」とは言っていません。「お客様を神様とみて」「あたかも神前で祈るときのように」歌うと言っているのです。それは目の前にいる人間に向かって歌うというより、自分の歌を「神へ奉納する」姿勢であるように見えます。

つまり「神様がお客様」ということなのです。

三波さんの言葉を読めばお判りのように、この言葉は演じ手の心構えや覚悟を現しているのであって、決して「あなたは神様です!」と客に思わせる「おもねり」ではありません。目の前の観客が居眠りしていようと、評論家が酷評しようと、演者の視線はそこになく、ただ目に見えない神様へ捧げるつもりで、一点の曇りもない心で歌うだけなのです。

演者の心構えとして、これ以上のものはありません。世阿弥も演じ手と観客の関係性を「離見の見」(りけんのけん)というコンセプトで表現していますが、それは「演じる自分と観客」との関係であって、「神様」は出てきません。三波春夫さんが「お客様は神様です」と言った時、私たちはそこに芸に対する厳粛なまでの姿勢を感じ取らなければいけなかったのです。

残念ながら三波さんほど高い意識を持ち合わせていなかった人々は、「自分たち客が神様だ」と勘違いし、さらに「神様だから何をしてもいいのだ」とダブルで勘違いし、「モンスタークレーマー」となっていたのでしょう。

あるサイトにこんな痛快なエピソードが紹介されていました。

「なにぃ、お客様は神様だぞ!俺の要求通りの料理を出せ!」

と息巻くクレーマーに、居酒屋の主人が「うちは神様にはこれしかお供えしないんですよ」と言って、小皿に盛った塩と生米を出したそうです。さぞクレーマーはびっくりしたでしょうね。拍子抜けした様子が目に浮かぶようです(笑)。

クレーマー対策を兼ねた、ユーモアあふれる居酒屋のメニュー

モンスタークレーマーは「神様」と「王様」を混同しているのではないでしょうか?その理由を私なりに読み解くと次のようになります。

1960年代に入ってから消費型社会へと世の中が変化し始めました。「消費は美徳」という風潮が広がりはじめたのです。今まで「節約が美徳」とされていたのですから、180度の大転換です。成人した兄たちの話をそばで聞きかじっていた子供の私は、「消費者ローン」は、「市民ケーン」のような映画の題名かと思っていました。中学に入り、英語を学ぶようになってから「ローン」は人の名前ではなく、loan(貸付)という一般名詞であることを知り、住宅のような大きな買い物でなくてもお金を借りて買い物していいのだ、と新鮮な驚きを感じた覚えがあります。

「消費は美徳」の流れから、「お客様は王様」と言われるようになり、庶民の財布のひもをいかに緩めさせるかが、企業の努力目標になっていきました。
「お客様は神様です」—三波さんがこう言い始めた時、人々は「王様」も「神様」も一緒くたにして、「お金を払う自分は偉い」と言う感覚になって行ったような気がします。本当に意図したことが正しく伝わらないままにこの言葉だけが一人歩きし、いつしか傲慢な客を生んでいったのでしょう。

かつて「王様のレストラン」というテレビドラマがありました。潰れかけたレストランを伝説のギャルソンが立て直していく話で、松本幸四郎(現松本白鸚)さん扮するギャルソンがこう言うシーンがありました。

「わたくしは先輩のギャルソンに、 お客様は王様であると教えられました。

しかし、先輩は言いました。

王様の中には首を刎ねられた奴も大勢いると。」

そう言って失礼な客を追い出すのです。

連続テレビドラマ「王様のレストラン」

人が「王様」でいられるのは「お金を払ったときだけ」と言うことを忘れてはいけません。言ってみれば「お金で王様の身分を買った」インスタントキングなのです。名君である王様なら、周囲を慈しみ、ねぎらい、感謝を惜しまないでしょう。

再び三波春夫さんの話に戻りますが、「お客様を神様とみて」と言うとき、三波さんは「お客様の中に神様を見よう」としたのではないでしょうか。どんな人のなかにもある良心、あるいは内在神とか、ハイヤーセルフと呼ぶ人もいるでしょう。そうした存在に自分の芸を見ていただく、ということだったのではないかと思います。
 だとしたら、見る側も内面の神が現れるような姿勢が求められますね。幸い日本には陽気な神様が大勢います。そうした神様たちのように、陽気に、リラックスし、ワクワクした気持ちでパフォーマンスを楽しみ、演者と一体になった時空を創ることが演者への最高の賛辞となるのです。

そして見る側同士も和やかに交流すれば、本当に幸せな時空が生まれることでしょう。それを社会規模で広げるコツを、物理学者で伯家神道の継承者である保江邦夫さんの言葉ほど的確に表現している言葉はありません。

「人を見たら神様と思え」

保江邦夫さん

この言葉が世界中に広がるといいですね。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

11月 10 19

2019年11月 三ツ池だより 「花が咲いている」

by staff
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「どこに・・・。」
ディレクターが山の方を指さしている。森の木々の中に突然、点が動いているように見えて、突然姿が現れる。
「え!え!・・。」
観客300人ほどを前にして鳥がディレクターの腕に飛んでくる。
ここは「那須どうぶつ王国」のイベント広場である。
実に見事で美しい光景である。

那須へ旅行したのだ。那須どうぶつ王国は王国タウンと王国ファームがあって、お互いの間には小さい谷があった。その間は1.5kmで、ワンニャンバスでも行ける。バス代は無料なのであった。乗ったニャンコバスは走っている間、猫の声が聴こえた。ファームイベント広場ではニュージーランドファームショウで、羊飼いが牧羊犬を自在に操り、羊を誘導するのであった。しばらくするとスカイスタジアムでのイベントのアナウスがあった。フリーフライトバードパフォーマンスショウがあるという。「前方の山を見てください。」の案内で「なに!」と思っていると、点が見えはじめ、だんだん大きくなって、スカイスタジアムに近づいてくるのである。「あ!鷹だ!」と気がついてみると、スタッフの手の上に降りたつのだった。身近に見れる素晴らしさ、そして別の鳥たちがスカイスタジアムのはじからはじへ、観客の頭上ほんの少し上を飛ぶのであった。常にスタッフからスタッフへ飛んでいく。とんだあとは褒美を与えられていた。

鳥たちが2kmの距離をどうして目的地へつくのか、ふしぎだった。スカイスタジアムでは観客すれすれに飛んでいく。「立たないでください。」と言われているが立てない不思議な力を感じた。スタッフがどこにいっても若い人たちというのも驚いた。じつに整然としているのであった。素晴らしい景色の中でのショウに満喫した。

久々に孫たちと旅行に来た。いつも元気な声が聴こえるのはありがたい。夕食はバイキングだったので、好きなものを取ってきて食べた。いろいろな食べ物をとってくる孫と少しの物しかとってこない孫がいるんだ。おしなべてよくジュースは飲んでいた。1時間もかからずに食事は終えた。

翌朝はロープウエーに乗った。駐車場に入るのに時間がかかった。1時間ほどかかったろうか。乗り合いバスは乗用車を追い抜いて駐車場に入って行った。満員のロープウエーにのって、上に向かうにつれ、山々の紅葉が見られた。山々が綺麗だった。ロープウエーを降り坂道を登って、山の裏側にいったら霧が出ていた。時々ロープウエー駅にも霧がかかった。

そういえば考えさせられることがあった。那須の地に少し異変を感じた。店がところどころ閉まっているのである。これは先日計量の関東甲信越の会合が群馬の伊香保温泉であり、参加した時にも感じたのである。傷んだ建物があるだけでなく、店が開いてないところが見られるのだった。川崎の弊社の近所の商店街でもところどころ閉店しているところがある。自社は元気であり、手もたりないのであるが、格差が出ているのだろうか。全体の動向が変化の兆しを見せているのだろうか。たしかに言えることは、きめ細かな対応が求められているのではないだろうか。

那須どうぶつ王国に観られる新しいあり方とは、その動物の持つ本来の能力を活かし、見られるようにしていることだ。それはただ見るというだけでなく多面的に見ていくことだし、見ることのできる視野を広げていくことだし、能力の開発というか、新しい取り出し方というのかもしれない。これからこんなことがあってもいいのかと思った。例えば虎が早く走るとすれば、100m何秒くらいで走るのか。鳥は木の実をどのように取って食べるのか。鳥の速さはどの位なのか。鳥が水を吸うときどのようにしているのか。

さて、10日ほど前「花が咲いている」で書こうと思っていたのに、慌ただしくしている間に花とは全く離れたことに筆が進んでしまった。仕舞ったと思いながら、これも今を現しているのかと考えたりもする。題名を変えればいいのだが、三ツ池だよりの範疇からするとどちらにしても違和感を感じる。考え方生き方が全く予期しない方向に行くときなのかもしれない。時代は変化しているのだ。いまこそ大きく眼をひらいて、新しい時代に向かっていかねばならないのかもしれない。木々は花を散らして、翌年の新しい芽を育てていく。花が散っておわりなのでなく、翌年の新しい花の芽を育てているのだ。「那須どうぶつ王国」の感動は驚きと共に、新しい課題を私の生き方にぶつけ、揺らしている。
ありがとう「那須どうぶつ王国」さ!

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

11月 10 19

ゆるマナー講座(第49回) ワールドカップとこれからの国際交流

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

ラグビーワールドカップでの日本チームの素晴らしい活躍には本当に感動しました。
私のようにルールはよくわからなくても、手に汗を握りながら応援した方も多かったのではないでしょうか。パワフルで息つく間もないスピードのチームプレーの連続でトライを決める選手達をハラハラ、ドキドキしながら応援していました。
今回は、熱いプレー以外に選手達から改めて気づかされた国際交流について触れてみましょう。

異文化尊重の精神

外国の選手が観客席に向かってお辞儀をしているシーンがありました。日本の文化を尊重してくれる振る舞いは日本人としてちょっと嬉しい気持ちになります。相手を尊重する礼の形は各国違っても、形に込められた心は通じるのだということを実感した場面です。
また、日本の子どもたちがニュージーランド代表の前でハカを踊っていたのも相手の文化を理解しようとする気持ちの表れですね。

「異文化尊重」の精神はプロトコール(国際儀礼)の原則の一つですが、東京オリンピック、パラリンピックが間近になり、外国人との交流が益々増えてきた今、交流をスムーズにするためにも一般市民にとっても大切な心得といえます。
異文化を尊重するには、まず相手の国の文化や習慣などに関心を持ち、違いを知ることです。違いがあるからこそ異文化コミュニケ―ションは楽しいのです。海外に行くと、日本と違う景色や食事、人々の暮らしを発見する度に、嬉しくなります。そして、その背景にある宗教や歴史も知ることでその国の人々への理解も更に深まります。

その前提として大切なのが自国の文化、伝統について理解していることです。自国のものとは言え、全てに精通するのは大変難しいことです。何か一つ、例えばお茶や生け花、お習字、剣道、柔道などを習ったり、歌舞伎や能を観劇したり、今海外でブームの和食や日本酒について勉強する、また正月や桃の節句、端午の節句などの年中行事のしきたりを家族と楽しむことでもよいのではないでしょうか。
外国の方との交流の中で、ご自分の知っている自国の文化について話せるようになれば、ますます相互理解が深まっていくでしょう。

「認め合うことが、チカラになる。」(AC JAPAN広告より)

「2020年には訪日外国人旅行者数4000万人」を掲げている観光庁の目標も今や達成されそうな勢いです。
多くの外国人旅行者の中には、日本の伝統や文化、習慣、暮らしぶりに触れることで、日本の良さを日本人以上に感じ取ってくれる方もいます。

最近AC JAPANの「認め合うことが、チカラになる。」という広告をポスターやテレビCMでよく見かけます。
外国人が日本の文化である落語や漆塗り、和太鼓の良さを認め、極め、継承している姿です。日本人の継承者が少なくなっている昨今、伝統文化が外国の人々によって新たな息吹を吹き込まれているのです。本当に“認め合うことはチカラになる”のですね。

もちろん日本人にも外国の文化に触れて、それらを極めている人達が沢山います。互いに互いの文化や伝統、習慣を認め合うこと…今更ですが、異文化コミュニケーションの基本なのでしょう。

ラグビー日本代表のキャプテン、リーチ・マイケル選手は、15歳から日本に住み、日本の歴史や文化から学んだことをメンバーにも伝えていたと聞きました。国籍や民族の違いがあっても日本チームとしての結束を高め、同じ目標を掲げて戦う選手の気持ちを一つにするのに役立っていたようです。

ディズニー映画「マレフィセント2」主演のアンジェリーナ・ジョリーが言っていました。
「マレフィセントのテーマは多様性を認め、文化や民族の違い、他の人を受け入れる…など、少しずつみんなが歩み寄れば、世界が変わって行く…」

相手を尊重する振る舞いこそこれからの国際交流に必要なのだと改めて感じたワールドカップでした。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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11月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第80回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第80回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

吉野彰博士がノーベル化学賞を受賞、10年前から下馬評にあがっていたので朗報ですね。穏やかな語りの中での斬れ味鋭い刃。研究開発では “研究の90%はムダ。ムダをなくそうとするとゼロになる” “好奇心に基づいて新現象の発見を懸命にやる” “専門分野だけでは答えは出ず、関係のない分野に関心を持つ” “一旦10年前・20年前に戻った後に10年先・20年先を見る” “世の中のニーズを見極めるため、未来からの信号に敏感になる” “シーズとニーズのギャップを埋める作業を短期間で頻繁に繰り返す” “ゴールだけは明確にしておく”。最近の脳科学では、判断や連想を司る前頭葉は継続して学習すれば年齢を問わないとのこと。新しい発見・開発に必要な “ヒラメキ” は70歳を超えても20代と変わらないとか。ここから得られる貴重なレッスンは“異領域のスキルに挑む” “要素スキルと併せて統合スキルを磨く” “ゴールの方向や内容をはっきりさせる”。梁塵秘抄では “我は思い 人は退け引く是れや此の 浪高や荒磯の 鰒の貝の片思いなる” とあります。暗い人間世界の現実。 “最近の映画・テレビは何でも口で説明しようとする。ちょっとした仕草で伝えられることが一杯ある” と女優・香川京子。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

勝負するつもりなら群れないこと 衆をたのまず、党派をつくらず
かけがえのない瞬間の経験 その密度は、長い年月の重みと釣合う
普遍と特異を明確に見分ける その中から、普遍の思想が生まれる
絶壁を隠して絶壁へ 人間は二重性と襞をもち不可解、とパスカル

パスカルといえば、フランスを代表する哲学者・数学者。“人間は一本の葦にすぎない。だがそれは考える葦である” という言葉や機械式計算機の発明でも有名。動機は徴税官だった父親の計算作業を少しでも楽にしたいためだったとか。人はみな変わり、過去の自分はもはや現在の自分ではないこと。想像力を重視し、これが美・正義・幸福を創る世のすべてと洞察。イノベーションも、具象を一旦抽象化し、もう一度あるべき具象に落とし込む想像力が求められるもの。具象と抽象のサイクルを繰り返し回していく。伝統の能の世界も抽象美の極限を表現、日本文化には馴染み深い世界。“正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめることになる” と思想家・吉野源三郎。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

鉄道の建設、駅馬車の持ち主がやるはずがない 新分野に無縁な者にこそ絶好機
勝ったものが正しい、とアンドルー・カーネギー 決して金の亡者じゃなかった
自分が楽しいと思うことを頑張る 失敗と書いて成長と読み、頑張って失敗する
智慧は他との協働の中で生まれる、とフィンランドの諺 モノからコトへの流れ

鉄鋼王といわれるアンドリュー・カーネギーはスコットランドから両親とアメリカに移住。崩れる橋から着想して鉄鋼会社を創業。様々な労働を経験した後に事業家の道を進み、ロックフェラーに次ぐ大富豪に。教育らしい教育を受けなかったため、教育の重要性を痛感、教育・文化の分野へ多額の寄付を続けました。その一つがピッツバーグにあるカーネギーメロン大学。以前、ビジネススクールの教授に会いに訪問した記憶が鮮明です。大きな州立大学もあり、聖堂を学びの場にしたカテドラル・オブ・ラーニングは圧巻、学ぶ自由や喜びを実感します。“何かにとことん打ち込めば、失敗があってもそこから得られるものがある。それが人生の偏差値をあげる” とトヨタ元社長・奥田碩。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

へたを貫く、周囲には器用で上手な人が多すぎる
うまいけど、今一つ物足りない それを超越する
陽と陰、ハレとケ 常識の対に拘らない脳にする
萎えたら萎えたまま 祭りも華やかだけじゃない

例えが悪いかもしれませんが、大泥棒になるにも多くのハードルがあるのだとか。“(野生の)勘が鋭いこと” “執念深いこと” “基礎を身につけていること”。世の中で叫ばれているイノベーションにそのまま当てはまるかも。もともと、イノベーションは野生的な戦い。体を張って命を懸ける作業。しかし、野生には余裕は欠かせない要件。モノを大切にする・人にやさしくするという職人的精神風土。人間と自然は一体。非情だけど欺かない深さ。自分のゴール(目標)を、現状維持に置かない・現状の箱の枠外に設定することが不可欠かも。“私は想像を自由に描けるという点ではアーティストといえる。想像は知識よりも重要。知識は有限だけど想像は世界を包み込む” とアインシュタイン。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第80回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
11月 10 19

書評「ALL for ALL ―時空を超えて―」 幻冬舎 伊藤 基(著)

by staff
 
タイトル ALL for ALL ―時空を超えて―
文庫 329ページ
出版社 幻冬舎
ISBN-10 4344924002
ISBN-13 978-4344924000
発売日 2019/9/4
購入 ALL for ALL ―時空を超えて―

「4年に一度じゃない、一生に一度だ。」のモットーのもと、日本中がラグビーワールドカップで熱狂した。日本チームの活躍もすざましかった。特に横浜は決勝戦が開催される特別な都市。そんな中、一冊の本が出版された。タイトルは「ALL for ALL」。

ラグビーでよく使われる言葉として「One for All、All for One」というのがあるのは知っていた。「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」もしくは「ひとりはみんなのために、みんなは一つの目的、勝利のために」と訳せるだろうか。ひとりひとりが自分の役割を果たし、みんなで勝利に向かっていく。どのポジションのメンバーが欠けても勝利にたどり着くことはできない。ひとりではできないスポーツ。仲間を信じ、思い切ってパスを投げ、点数につなげる。仲間への信頼がなければできないスポーツだ。そしてフィールドで得た信頼、友情は一生続く。著者も、私の兄もラグビーをやってきた。その仲間たちを見ていればよくわかる。なのにタイトルは「ALL for ALL」? みんなはみんなのため? と不思議に思いながらページを開くと一番先に、第一章に出てきた場所は、なんと秋田のど田舎! しかも時代は江戸時代。サンタクロースまで登場する。それだけ聞けば絶対にマッチするはずもないもののようだが、不思議と違和感は感じない。描かれた世界にすぅーっと自然に吸い込まれていくような気になる。古くささも感じない。第一章を読み終えるとむしろすがすがしい、斬新な気持ちになるのだ。

第二章は打って変わって現代、2015年、会社の命令でイギリスにまでワールドカップ観戦に来ているOL佳奈。佳奈は生まれて初めてラグビーの試合を見る。本書の読者の中には、ラグビーのルールもわからず観戦している佳奈を身近に感じる人も多いだろう。私もそのひとりだ。しかし佳奈は精いっぱい応援し、日本の勝利に大泣きし、各国のメディアがそれを捉え、「勝利の泣き女神」と脚光を浴びることになる。一般の女性がスターとなり、女神と呼ばれる姿に自分を重ね、ひょっとしたら、自分も何かの拍子に成長できるかもしれないと思う女性読者も多いのではないか。佳奈はどんどんラグビーにハマっていく。今日本でもそのような人々が増えているだろう。私もそのひとりだが。かつては身体の大きな男たちが土砂降りでも、どろんこになりながらぶつかり合う激しいスポーツ、ルールが難しいと敬遠されてきたスポーツだが、ラグビーにはなぜか内面から伝わる精神的な魅力があるに違いない。五郎丸歩ラグビー選手も「見返りを求めず、誰かのために無心で頑張るスポーツ」、「みんなで掴む勝利は、自分だけの幸せよりもはるかに大きい」と語っている。

第一章は秋田が舞台、第二章はイギリスと進んでいくと、「えっ? この先どうなっていくんだろう?」と早く全部読みたくなる。わくわくする。楽しい。一度中断すると先が気になって仕方がないのだ。

第三章は佳奈が秋田の極光神社を訪れる章。宮司の秋田弁、秋田の豊かな自然や暮らしのぬくもりが伝わってくる。木星旅行を目指す佳奈が夜空を見上げ、「あの光っている星が木星」と思っていたのが、実は火星。佳奈は「秋田の夜空って見慣れてないから星の配置が違うのね。」とつぶやく。

秋田弁も面白い。著者の前作「月光の奪還」でも秋田の風情が伝わるような秋田弁での会話がそのまま綴られているが、秋田弁、秋田の事情のわかる人の中には、吹き出して笑い、笑い過ぎて涙も出る人もいるかもしれない。わからない人でもサクサクと読めてしまうような描写である。

第四章では、サンタクロースが「人間がうらやましい」とつぶやく。サンタクロースが人間をうらやましく思うなんて聞いたこともない。しかし著者はサンタクロースにも繊細な感情、人間性を込めたのである。ある日、その場を救ったつもりの言葉や行いが、後々、めぐりめぐって当人を苦しめる。人生にはそんな、当初まったく思いもしなかった苦悩が訪れるときがある。そのようなサンタクロースの苦しみ、悲しみを佳奈が解決しようとする。

そしてラグビーワールドカップが開催。ラグビー選手、審判、スタッフ、サポーター、サンタクロース家族も観戦し、一体となる。国境、地球を超えた太陽系の頂上からすべての人々が関わるラグビーの試合が開かれる。

【読後感】

ラグビー、秋田、イギリス、サンタクロース。合うはずなどのないと思われるものを登場させ、組み合わせ、読者に違和感を持たせることもなく、小説の中に引き込ませる著者の力、技に感心する。外国を知り、長く外国に居ればいるほど、日本に戻ると、あまりもの違いに戸惑い、外国か日本、どちらかを否定したくなる人も多いと思うが、著者は素直に自然体で秋田とイギリスを登場させ、紹介し、江戸時代と現代を結び、人間とサンタクロース、地球と宇宙を結びつけたのである。まさに人類、時空を超える「ALL for ALL」!  登場人物が、それぞれに自分の持ち場を大切に日々を過ごしていることも、爽やかで、清々しい。そしていつも誰かが誰かのために生きている、世界平和ではなく、より大きな宇宙平和のようなものを描いた『作者独特の空間』に読者は吸い込まれてしまう。このような空間をテーマにできる作家はなかなか他にいないだろう。ファンタジー小説ではあるが、歴史小説、ミステリー小説、SF、女性心理小説、婚活物語、風物詩などあらゆるジャンルの要素を含み、読み終わるとすぅーっと爽快感、ほわっとした温かい気持ちになるのである。世界平和だけではなく、木星、太陽系を含む宇宙へのノーサイド精神、平和を願う著者の優しさ、心の広さ、陽気な人柄が伝わってくる小説である。

笑って、泣いて、すっきりしたい方、夢を抱きたい人には、うってつけの小説。でも電車の中では読まないほうがよいかもしれません。時空を超えた世界にどっと吸い込まれ、一人笑いしたり、泣いたり、吹き出しても自分では気づかず、周りの人たちに奇妙に思われるかもしれませんから。

(文:尾形淑子)

尾形淑子(おがたよしこ)プロフィール

秋田県出身
秋田県立秋田高校で著者と同期生
学生時代米国、メキシコ留学
現在、英語・スペイン語の通訳業
横浜市在住

 

11月 10 19

書評「人生に素敵が舞い込む魔法の言葉」 セブン&アイ出版 心屋仁之助(著)

by staff
 
タイトル 人生に素敵が舞い込む魔法の言葉
単行本 (ソフトカバー)
出版社 セブン&アイ出版
ISBN-10 4860087658
ISBN-13 978-4860087654
発売日 2018
購入 人生に素敵が舞い込む魔法の言葉

「素敵が次々と舞い込む人生をあなたが送るために、最初にお伝えしたい “事実” があります。それは今あなたが生きている世界には、 “すごく優しい” “とても易しい” 世界が存在しているということです。」で始まる序章にはまってしまった。「あなたのすぐそばに確実に存在する “すごく優しい” “とても易しい” 世界を少し想像してみてください。」

「できないことはできない、やりたいことはやりたいと叫ぶことで、人生はかわっていく」そこをがんばることで、不思議なことに、そうして生きるようになると、人生はあなたにどんどん優しくなっていくでしょうと、語られます。時にはあきらめてみる。「もっと、もっと」という思いを手放していくことです。「できないことは、できない」でいいのです。そして笑うことも大切と言われます。「ああ、いまのわたしってこんなことで悩んでバカみたい」「もう八方ふさがりで、この状況ってなんだか笑えるわ」心がゆるゆるの状態であればあるほど、問題は解決に向かいやすくなります。

「あなたはこれまで、いろんなことをがんばっていきてきたと思います。周りの役に立とうとして、みんなを喜ばそうとして、あの人に好かれようとしてがんばって生きてきました。でも、そうしてがんばり続けることで、なにかから目を逸らしてはいませんでしたか?」 「あなたはがんばらなくても、まわりの役に立たなくても、誰かに喜ばれなくても、なにもしなくても価値ある存在です。そんなことは  信じられないから、ひたすら頑張り続けて今まで生きてきたのです。」これからは勇気を出してがんばることをやめましょう。ありのままの自分と向き合うのです。自分はなにもしなくても愛される価値があり、人を愛することもできる人間である。そう信じることができたときに、初めて、自分に溢れんばかりに存在する愛と豊かさに気付くことができるでしょう。

著者は「自分に期待しなくなると、自分の強さが見えてくる」と言われます。「成功したいと思うことは “欠けている” から欠けている、ダメがあたりまえだとしたら、埋めようとすることも、失敗して悲しむことも必要なくなるのです。それって、 “成功” なのです。自分の弱さを見つめ、自分に期待しなくなるからこそ、自分の強さがみえてくるのです。」自分のことをどういう人間だと思って生きているのか! この信念こそが、その人が生きる “前提” を決めています。「結果が悪くてもあなたは素晴らしいのです。もともとあなたはすばらしいのです。僕のことで言えば、たとえ歌が歌えなくても、たとえつまらない夫婦喧嘩をしてしまっても “僕はすばらしいんだ” と思える自分に、少しずつなっていったのです。だから、今日から何度でも繰り返しつぶやきましょう。 “わたしはすばらしい” と。」そして言われます。「あなたは自信をもって、もっと人生を謳歌すべきです。わざわざ声高に主張することなどありません。 “私はすばらしい” と心のなかで思いながら生きるだけでいいのです。」

自分に焦点を当てるというところがあります。うまくいく人といかない人の間には決定的なちがいがあるそうです。「うまくいく人は、失敗しても “たまたま” だと考えます。うまくいったときは、 “わたしだからうまくいった” と考えるのです。」そしてじつは自分は素晴らしい、と口にし続けていると、自分の内側がすべて変わっていくそうです。不思議なことに、外側の現実(結果)もどんどん変わっていったそうです。

他人を信頼するという章があります。「世の中では、じつに多くの人が人間関係に悩んでいますが、僕たちの悩みの多くは他人とのかかわりに起因していると言えそうです。」「それは多くの場合、僕たちは他人をかえようとしてしまうからです。・・・。じつは他人を変えようとするだけでなく、逆に他人を無用に尊重する結果、自分を変えようとして、変わらない自分を罰し、傷つけている場合がとても多いのです。端的に言えば、まわりを気にして好きなことをやらないために、自らを傷つけているということです。」そして「ありのままの自分を受け入れて前へ進んできたのなら、それは当然他人にも当てはまります。たとえあなたから見てむちゃくちゃな生き方に思えても、その他人も自分もありのままに生きていいはずです。」そして著者は言われます。「じつはまわりはわたしを認めてくれていた。という事実に、あなたが気づいていくことが大切なのです。」

幸せな未来のあなたへという章があります。「一歩踏み出すことはとても怖いことですが、踏み出さない限り、あなたの恐れは消えません。でも、忘れないでください。ありったけの勇気を振り絞って最初の一歩を踏み出すとき、その勇気はあなたのなかから湧いているのです。」「自分のなかにある大いなる力と可能性を信じてください。あなたが信じなければ、いったいこの世で誰がそれを無条件に信じることができるでしょうか。まず、あなたが信じるのです。」そして著者は次のように続けていかれます。「どれだけがんばっても自信は生まれません。むしろ自信がないからこそ、目標や計画を立てて頑張ってしまうのです。本当は手にしていたものを失う覚悟をすることがもっとも勇気がいることであって、それが自分と正面から向き合うということなのです。だから、失わないよう、守ろうとするのをあきらめましょう。いずれ失うのです。問題は、放っておけばいいのです。それよりも、このいまを楽しみましょう。いまを遊ぶこと、いまを楽しむこと、いまやりたいことをやること、気になることをやってみること、それを損得勘定なしにやること。それだけがあなたを恐れから解放していきます。」

人を助けようとする前に、まず自分を助けましょうと、言われます。「あなた以外に、あなたを助けられる人はいません。そして、あなた以上にあなたを理解し、強く求めている人もいないのです。まわりに “ひどい人” “冷たい人” などと言われるくらいがいいのです。そろそろ “いい人” をやめるときがやってきました。」あなたがあなたを助けると、不思議とみんながあなたを助けてくれるようになるそうです。「そうしたら、今度はそれにあまえましょう。もっと甘えることで、結果的に人を助けることにもなります。」

「いつもあなたを責めていた人、それはあなた自身でした。それは、自分を責めたかったし、責めているほうが楽だったのです。自分に “罪” があると思っていたから、罰を与えていたのです。」 「心がひらいていくとどうなるのでしょうか? じつは、また自分を責めたくなります。いいものがたくさん入ってきますが、嫌なものも入ってくるからです。でも、ひらくことによって自分の嫌いな部分がバレてもいいのです。それと同時にあなたの素敵な部分もたくさん出てきますから。」

最後に「あなたにも 想像できない 素晴らしいことが起きるんだ」と叫ばれる! そして、未来のあなたも叫んでいますと言われる。「未来のわたしはこんなに幸せなんだよ!」

(文:横須賀 健治)

 

11月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第14回
「『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―前編―」

by staff

第14回 『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―前編―

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十四回目でございます。

現在の新刊「はま太郎」16号の表紙イラストは筆者がモデル
(画像提供:星羊社)

横浜の夫婦ふたり出版社・星羊社が年に数回刊行している「はま太郎」をご存知でしょうか。「横濱で呑みたい人の読む肴」をキャッチフレーズに、横浜でしか存在しない「市民酒場」の魅力やキラキラした臨海部とはまた異なる横浜の下町文化にスポットを当てたとっても楽しい本です。
筆者はこの「はま太郎」13号より「ナポリタンボウ」というタイトルで執筆を担当しています。今回は宣伝のようになってしましますが、二回にわたって私が登場した「はま太郎」と、「麺食力」との関係性を綴っていきたいと思います。

「はま太郎」の存在を知ったのは2014年頃。まだ創刊して間もない頃だったかと思います。当時はモノクロでミニコミ誌のような薄い本でしたが、とても濃い内容の本だなぁという印象でした。
2015年春に南区の某マンションへ引っ越した際に郵便ポストに「星羊社」と書いてあり、「なんだったけな、なんかの会社だったよな……」
「はま太郎」と「星羊社」が一致してなかったのです。
ある夏の日、弘明寺の昭和一桁生まれのマスターが営む喫茶店でナポリタンとアイスコーヒーを愉しんでいたら、マスターが嬉しそうにはま太郎に掲載されたことを教えてくれました。
手渡されたはま太郎8号を読んでいて、それが同じマンションの「星羊社」と知ったと同時に、この取材力の深みに「これだ、こういう媒体で書きたいんだ!!」と、すでに廃版となっていた「麺食力」を持ってプレゼンに行った(結果的には飲みに行っただけです……)のが、「ナポリタンボウ」連載に至るきっかけでした。

連載開始前にインタビューを受けた「はま太郎」12号
(画像提供:星羊社)

2016年に日本ナポリタン学会会長として、はま太郎12号でインタビューを受けたことが筆者のはま太郎初登場となります。