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【新年のご挨拶】
みなさま、新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

1月 10 20

男性に育児休暇の義務化を・・・

by staff

 

厚生労働省が2019年12月24日発表した2019年の人口動態統計によると、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回ったそうです。出生数が死亡数を下回る人口の「自然減」も51万2千人と初めて50万人を超えたとのこと・・・日本の少子化・人口減は予想以上に速いスピードで進んでいます。

人口減が国力に反映することなどもあり、10年以上前から少子化への対策が叫ばれています。問題点は明白です。子どもが生まれないからです。1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる合計特殊出生率は1.42です。一組の夫婦から2人の子どもが生まれないと人口は減っていきます。女性の就業率があがるにつれて、出生率は減少してきました。

私は、30代後半から40代にかけて、いわゆる不妊治療を続けていました。かかった費用の総額は、高級外車が購入できるくらいです。気合が足りなかったのか、それも運命なのか子どもに恵まれませんでした。だからこそ働くママさんを応援したいと思っています。
私が代表取締役を拝命している会社では、女性が子どもを産んでから働き続けられる職場作りを目指してきました。今や幼児から大学生までのママさんたちが頑張っています。

「育児」は夫婦二人三脚で取り組まないと・・・。我が家のそばの公立保育園では、多くのパパさんたちがお子さんたちを保育園に連れてきます。最近の保育園では夕食を提供してくれるところも増えてきました。ママさんたちが働き続けられるようにと社会インフラも整ってきたように見えます・・でもまだまだママさんたちの負担は大きいのです。

日本の多くのご家庭では、ママさんよりパパさんの方が帰宅が遅いので、保育園が終わってから、家に戻ってお風呂に入れたり、寝かしつけるのはママさんの役目になっているようです。

官公庁や大企業が率先して、男性に長期間の「育児休暇」を強制的に取らせない限り、女性が子どもを持ちたい、ましてや二人目の出産に踏み切れないのが実情だと思います。

例えばママさんが6ヶ月「育児休暇」を取得したら、パパさんは残り6ヵ月の「育児休暇」を取得する・・それが当たり前にできる社会になってほしいと願っています。

「自然減」が51万2千人に達して、戦後初めて50万人の大台を超え、人口55万の鳥取県が毎年一つずつなくなっていく現実を目の当たりにして、男性の「育児休暇」取得の義務化それも長期間の取得を推進してほしいと切に願っています。

 

1月 10 20

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第8回)
病気情報について考えてみよう

by staff

第8回 病気情報について考えてみよう

寒中お見舞い申し上げます。
お正月気分もすっかり抜けたころとなりましたが、皆さまいかがお過ごしですか?
家庭で介護をする家族にとって年末年始は、もし急病になったらどうしようかと心配で無事問題なくお正月が過ぎると、ホット! 胸をなでおろしてしまいます。

でも、家庭介護家族だけでなく、自分は元気で自己管理できているし、親も高齢だけど、一人でなんでもできているから大丈夫だろうという方も、突然病気になったり、時には救急車のお世話になることもあるかもしれませんよ。
そんな時、病院では病状の説明以外にも、これまでにどんな病気にかかったか、アレルギーはあるか、現在飲んでいる薬は?などなど、本人の状態を知るための情報を書かされたり、聞かれることがあります。
患者自身がしっかりしていて、スラスラと答えられるのであれば良いのですが、そうではないこともあります。
病気情報を詳しく伝えることは大切なことですが、患者本人が答えられない時、付き添った人は、どれだけ答えられるでしょうか。

今回は、病気情報として必要なものは何か考えてみました。

《既往歴と現病歴のリスト》

既往歴とは、これまでに病院で治療をうけた病気や手術のことです。
現病歴とは、現在、定期的に病院を受診し治療や検査などの診療を受けている病気のことです。
風邪などの軽い病気を除き、何年にどんな病気で病院に通ったか、どんな病気で手術をしたか、また現在の病気のことなどを家族一人づつ別々の用紙にリストとして記しておくことをお勧めします。

その他には、どんなアレルギーがあるか? (薬によるアレルギーも含む)や過去の薬による副作用経験なども記しておくとよいでしょう。
また、身長や体重を聞かれることもあるので、健康診断等で測った時などに、リストに記しておくと良いかもしません。

こういった既往歴や現病歴のリスト、原紙は保管してコピーを用意しておけば、患者本人以外の人でも、病気の情報を詳しく伝えることができます。
またこのリスト、一度作ったらおしまい! ではありません。
生きていると病気が完治したり、また新たな病気になったりしますよね。
変化があったら追加し、いつも最新リストにしていることがベストですが、気持ちはあっても、そんなに几帳面に更新できないという時は、一年に一度くらいは、見直して更新するのはいかがでしょうか。
家族が揃う機会があったら、みんなでリストを見直して最新内容にするというのも良いかもしれませんね。

《お薬手帳》

大切にしてますか?
例えば、病院で診察し処方箋をもって調剤薬局で薬をもらう時、薬の内容を手帳に貼ってくれます。手帳を忘れた時は、薬の内容シールを自分でちゃんと貼っていますか。この手帳は、あなたがどんな病気でどこの病院にかかり、どんな薬を飲んでいるかということが、すべてわかる貴重な情報です。

「健康保険証」・「既往歴と現病歴リスト」・「お薬手帳」は、いつも一緒にして、すぐに持ち出せるようにしておきましょう。病気の時、誰もが困らないことを願って!!

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

1月 10 20

ハチゴロウの鳥撮り日記 第12回「里山の冬の小鳥たち(横浜近郊)/『聞きなし』遊び」

by staff

第12回 里山の冬の小鳥たち(横浜近郊)/『聞きなし』遊び

隔月で投稿している『ハチゴロウ鳥撮り日記』は、今回で12回目となりました。2年間もお付き合いいただきありがとうございます。今回は久しぶりに横浜近郊に戻ってまいりました。

2003年から2013年まで、横浜近郊の里山で探鳥していました。なぜか最近は足が遠のいています。約10年間に里山で撮影した鳥たちの記録の一部です。今回は冬(一部秋も)に見られる小鳥たちです。

ハチゴロウ鳥撮り日記の第11回でコマドリをご紹介いたしましたが、駒鳥と呼ばれる由来の「聞きなし」の説明を忘れてしまい「聞きなしって何ですか?」というご質問をいただきましたので、今回は『聞きなし』のいろいろも一緒にご紹介いたしましょう。

イカル

2003年1月に撮影したイカルです。全長23cmほど。通常は群れることの多い鳥ですが、一羽で木の実や種子を食べに来たようです。太くて黄色い嘴が目立ちます。「イカルコキー」という鳴き声から「イカル」と名づけられたとも言われています。この鳥の鳴き声を『お菊二十一』または『月、日、星』と紹介することもあります。

このように鳥の鳴き声を人の言葉に置き換える遊びを『聞きなし』と言います。聞き慣れない『聞きなし』という言葉ですが、皆さんも既にご存知の筈、ウグイスの鳴き声は『法・法華経』、コノハズクは『仏法僧』と書けばなんだか有り難く思えてきますよね。

他にも有名なのは、メジロの『長兵衛、忠兵衛、長中兵衛』やホトトギスの『特許許可局』、ツバメの『土食って、虫食って、渋い~』とか、ホオジロの『一筆啓上、つかまつり候』。
面白いのはセンダイムシクイの『焼酎一杯、ぐぅいーっ!』やヒバリの『利取る利取る、日一分 日一分』。もちろん、人によって聞きようも様々なので、ヒバリの鳴き声が「ヒエ食えヒエ食え、腹なる、腹なる」と聞こえた人もいたようで、さぞかしお腹が空いていたのでしょうね(笑)
さて皆様、ご存知のものがいくつありましたか?

次の写真は、珍しい小鳥ではありませんが、イカルの仲間のシメですイカルと姿形が似ていますが、ちょっと小ぶりで色合いが地味です。『質』って鳴きます。

クロツグミが『おい、おい、手打て、五両で手打て』と鳴き、メボソムシクイが『銭とり銭とり』と鳴いた後にシメが『質』と鳴き、ヒバリが『利取る利取る、日一分、日一分』と鳴けば落語のようですが、自然界ではそうは行きません。現れる季節も場所も違いますからね。

シメ

次にご紹介する写真はウソです。ウソでもホントウの小鳥です。スズメよりちょっと大きいくらい、全長15.5cmほどです。名前の由来は、『フィー、フィー』という鳴き声から、古語で“口笛”を意味する“ウソ”になったとの事です。ウソは珍しい小鳥ではありませんが。

ウソ

鳴き声が名前の由来になった鳥は前回のコマドリがそうです。馬のように『ヒヒーンカラカラ』と鳴くので駒鳥と言われるようになりました。身近な鳥では鳩もそうです。『クー・クー』と鳴くので九に鳥で鳩になったようです。これもウソのような本当の話です。

さて、アカウソならば、珍しいのではないでしょうか。その後、里山でウソには出会いましたが、アカウソとは一度も出会っていません。真っ赤なウソではありません。

アカウソ

アカウソは群れでやってきて、桜や梅の花芽を好んで食べるので、桜や梅の景勝地では嫌われています。場所によっては、天敵のフクロウやタカのデコイ(狩猟などで囮に使う模型)を置いているところもあるようです。

アオジもよく見かけるスズメに似た地味な小鳥ですが、綺麗な個体もいます。お腹が綺麗な黄色です。ゆったりとしたテンポで「チョッ、チョッピー」と鳴きます。可愛らしい鳴き声です。

アオジ

モズです。肉食性で小鳥を襲うこともあります。 全長20cmほど、小さな猛禽と呼ばれています。捕らえた獲物を小枝や有刺鉄線などに串刺しにする習性があり、「モズのはやにえ」と呼ばれています。そのことから、江戸時代ではモズは凶鳥とされ、忌み嫌われていました。また、漢字で『百舌』と書くように、他の鳥の鳴きまねが上手な鳥です。
秋になると『キィー・キイキイキイ』と大きな声で高鳴きしています。縄張りを争っているのだそうです。メスは下面が淡褐色で褐色の波状の横斑があります。

モズのオス

モズのメス

ルリビタキです。全長14.5cm。『聞きなし』だと『キョロ キョロ キョロリ』と鳴くと紹介しています。里山の冬鳥で最も人気があるのではないでしょうか。オスの羽は綺麗な瑠璃色しています。美しい瑠璃色になるのに2~3年かかります。それまではメスに見間違えることも・・・メス同士が交尾しているなんて誤解を受けたこともあったとか?

ルリビタキ

寒くなり、木々が葉を落としてくると、小鳥も見つけやすくなります。
『聞きなし』で鳴き声を覚えておくともっと見つけやすくなりますよ。お気に入りの小鳥を探しに、近くの里山へ出かけてみてはいかがでしょうか。寒い中、鳥が出てくるのをじ~と待つのは忍耐が必要です。くれぐれも風邪などお召しになりませんように。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

1月 10 20

しあわせの「コツ」(第37回) われらが内なる「縄文のDNA」

by staff

第36回 われらが内なる「縄文のDNA」

「縄文ブーム」と言われています。2018年に東京と京都の国立博物館で開催された「縄文展」は東京だけで延べ35万人が来場しました。その後も縄文関連の展示会は後を絶ちません。地方でも国宝の「合掌土偶」を展示する青森県八戸市にある是川縄文館などは、来場者が急増しています。

国宝 「合掌土偶」

展示会だけではありません。コミック「ゴールデンカムイ」は、縄文時代を彷彿させるアイヌの生活文化の史実に基づいた描写と、明治末期の北海道を舞台にしたダイナミックなストーリー展開が話題を呼び、目下大ヒット中です。

「ゴールデンカムイ」 野田サトル(作)

なぜこれほどに「縄文」が注目されるのでしょうか?
それは、私たち日本人のなかに「縄文のDNA」が息づいているからにほかなりません。私たちは「縄文」の中に自分のルーツを見出しているのです。「これ」と名指しできないほど、「縄文」は私たちの中に深く深く根ざしているのです。

中には、「え、これも?」と思う意外なものがあります。
たとえば、「宴会好き」なこともそのひとつです。

忘年会、新年会、お花見、暑気祓い、それに歓送迎会、あるいは合コン、仕事の打ち上げなどなど。日本人は本当に宴会が好きです。これに結婚式やお誕生パーティを入れたら、年間相当数の宴会が日本中で開かれていることになります。居酒屋の数が多くても潰れないのは、この宴会好きのDNAに助けられているからでしょう。

季節を問わず日本中で毎日どこかで繰り広げられている「宴会」

「宴会好き」のDNAは、はるか昔にさかのぼります。
「ねずさんのひとりごと」と言うブログに、こんなことが書かれていました。
http://nezu3344.com/blog-entry-436.html

738年ごろ成立した大宝令の注釈書『古記』に、さらにそれより古い文献からの引用と言うことで、次のようなことが書かれていました。

以下引用(ねずさんによる現代語訳)
 
日本の国内の諸国の村々には、村ごとの神社があります。
その神社には、社官がいます。人々は社官のことを「社首」と呼んでいます。
 
村人たちが様々な用事で他の土地にでかけるときは、道中の無事を祈って神社に供え物をします。あるいは収穫時には、各家の収穫高に応じて、初穂を神社の神様に捧げます。神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利益を取ります。
 
春の田んぼのお祭りのときには、村人たちがあらかじめお酒を用意します。
お祭りの当日になると、神様に捧げるための食べ物と、参加者たちみんなのための食事を、みんなで用意します。
 
そして老若男女を問わず、村人たち全員が神社に集まり、神様にお祈りを捧げたあと、社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせます。
 
そのあと、みんなで宴会をします。
宴会のときは、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をします。
 
このようなお祭りは、豊年満作を祈る春の祭りと、収穫に感謝する秋のお祭りのときに行われています。
 
(引用終わり)

日本人は大昔から、花見や収穫祭などの宴会をしていたのです。
しかも、家の格や貧富の差に関係なく、ただ年齢順に席を決め給仕は若者がする、という至って平等で合理的に行われていました。

このことは3世紀末に書かれた『魏志倭人伝』にも記述があります。

「その会同、坐起(かいどう、ざき=集いとそのあとの宴会)には、父子男女の別なし。人性酒を嗜む」とあるそうです。

およそ1800年前の書物にも「日本人は集いの後の直会では、親子や男女の別なく、みんなで酒食を楽しんだ」と書かれているのです。決して上司だから上座、などということはなく、至って平等であったことが分かります。

そういえば、天照大神が天岩戸にお隠れになった時も、岩戸の前で神様たちが宴会をしていましたね。日本では神様も宴会好きのようです。

ところで、平等な宴会にもっともふさわしい料理は、一体何だと思いますか?
答えは、「鍋料理」です。冬の人気料理「お鍋」は、縄文由来なのです。

昔は家の中心にあった火で、様々な食材を一つの鍋で煮込んだ料理を皆で分かち合って食べていたのでしょう。そこにはおのずと「平等」「分かち合い」「老人と幼子へのいたわり」がありました。
鍋料理は、なぜか「ほっこり」とします。それは単に食材が温められているからだけではなく、「鍋を囲む」と言う言葉があるように、人々が互いのぬくもりを感じながら輪になって同じ鍋をつつく一体感があるからでしょう。

縄文文化が失われ始めてから2000年近く経った今日、再び縄文文化にスポットライトが当てられたのは、決して偶然ではありません。数々の「差別」や「葛藤」で行き詰った現代に、「分離から統合へ」のシフトを渇望する私たちの内なる縄文DNAが、復活の狼煙をあげたからです。

今月も日本中の至る所で新年会や賀詞交歓会が行われることでしょう。宴会文化をとおして、私たちの内なる縄文DNAが強化され、楽しみのうちに受け継がれ、更に大きく開花していくに違いありません。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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1月 10 20

2020年1月 三ツ池だより 「変化が求められている」

by staff
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 「今! もとめられているもの!」
変化が求められている
今まで通りでいいのではない
何がって
具体的な喜びの創作だ
  ただ昨日のことをするのではない
  改善・進歩を加えていく
  お金がかかる、かからないではない
  改善と進歩の喜びだ
なにか元気がない
それすら気づかずにいる
元気であることを
それぞれが自覚していきたいもの

昨年末の新聞各紙のコラム欄を見てみたい。

「天声人語」は次のようなコメントを出している。
「漫才の源流にあるのが、 “太夫” と “才蔵” の2人によるかけあいだ。江戸期には家々を回って芸を披露し、米や金などをもらっていたという。興味深いことに、太夫がツッコミ、才蔵がボケという役割分担が早くからあった。鶴見俊輔著 “太夫才蔵伝” では “太夫が正統、才蔵が異端” と整理している。太夫が原稿通りの口上を述べ、才蔵がまぜかえす。太夫はまじめそうで鷹揚、才蔵ははせっかちでとんま。今も通用しそうな性格付だ。―中略―今年の政界も経済界も腹のたつことが多く、小蘭もツッコミを入れてきたつもりだ。いやストレートに怒るばかりでは能がない、ツッコミにも芸がいるとM-1に教えられた気がする。精進せねば。」

「春秋」には次のようなコメントがでている。
「大掃除で積んだ本を整理しようと手に取ると、まえがきの一節が目に留まった。こんなふうである。私が長生きし、この書の重版を見るとは “命なりけり小夜の中山” の感があるー。調べると西行の歌の下の句だった。69歳、京の都から東北への旅路での作らしい。小夜(さや)の中山は静岡県掛川市の峠道。平家に焼かれた東大寺の再建のため、1186年、奥州の平泉へ砂金を求め、赴いたようだ。上の句は “年たけてまた越ゆべしと思いきや” である。-中略―生涯現役の実現には年金の制度設計や企業内の活力の維持など課題は多い。だが、想定を超え出生数や人工が減りつつある中、昔より気力や体力があり、経験も十分なお年寄りの働く場が広がれば“成長にポジティブ”と見る識者もいる。西行と似た感銘が職場のそこここに広がる未来は近いのだろうか。 “命なりけり” 」

 「今 今 今」
草や木がある
今という世にいる
  葉が落ちて
  木々に新しい葉の芽が育つ
葉という文字を見てみる
草と木に葉があるのを見つけた
  桜の葉がとても美しく落ちている
  いろんな文様を見せている
その時そこに
葉の芽が生まれてきている

「編集手帳」はつぎのようだ。
「満月だろうと、半月だろうと、三日月だろうと、冬は空気が煌々と明るい。時代小説の名手、藤沢周平さんにこんな俳句がある。<軒を出て狗観月に照らされる>句の舞台となるのは深夜の江戸の街だろうか。犬を “狗(いぬ)” とすることにより、夜道であまり出くわしたくない獣の感が漂う。思わずどきっとするせいか、冬の月の明るさがいっそう迫力を増すかに思う。-中略―月から見た地球も、満ちかけすることが知られている。ふと疑問が浮かんだ。 “満月” に相当するあちら側の言葉はなんだろうかと。調べてみると、宇宙空港研究開発機構のホームページにあった。そのまま “満地球” でよいそうである。満地球の特徴はとにかく明るいこと。満月の約80倍も輝き、肉眼で見れば目映(まばゆ)いほどの美しさらしい。-以下略―」

「産経抄」には次のようなコメントが出されている。
「米ボストン美術館が所蔵する名品のひとつに、平安後期の絵巻物 “吉備大臣入唐絵巻” がある。主人公は、奈良時代の遣唐使の一人だった吉備真備である。真備の才能をおそれた唐の皇帝は、さまざまな難題をふっかけた。同じく留学生として唐に渡り現地で客死した、阿部仲麻呂の霊の力を借りて乗り越えていく。空を飛んだり、太陽と月の動きを封じて真っ暗にしたりと、真備と仲麻呂の人間離れした活躍が描かれている。実際の真備は2度の遣唐使経験をへて、帰国後は政権中枢の右大臣にまで上り詰め、81歳で没する。奈良時代を代表する政治家である。-中略―その真備が筆をとったとみられる墓誌が、中国で見つかった。唐王朝で外国使節の接待役などを務め、734年6月に52歳で亡くなった役人の墓石に刻まれていた。文末に “日本国朝臣備書” とあるのが、書き手の真備を指すと判断された。事実なら国内外で初めて確認された真備の書となる。日本の国号が成立したのは、7世紀の後半とみられる。まだ国際社会ではなじみの薄い国号を、当時40歳前後の外交官だった真備が必死にアピールした史料としても受け取れる。-以下略―。」

 「熱心」
取り組んでいくこと
それも熱心に
なんのわだかまりもなく
Tryすること
  熱心を支えるものは
  スリルとチームワーク
  スリルは刺激的に
  チームワークは他の協力を得ること
ものごとはただ進めるのでなく
エキサイトな面があることで刺激的
そしてやる気の継続になる
続けていくのが習慣になっている
  取り組んでいくこと
  現実をとらえていくこと
  やるきになり刺激されていくこと
  結果は出てくるので信じ合っていく

その頃入院することがあって、順調に回復してきていての詩がある。

 「私は動いている」
今日という日が
明日もくるという
  今日という日が
  今日一日であるように
明日という日も
今日一日であろうか
  日に照らされて
  雲は動き知らぬ間に形を変える
日にてらされて
吾は生きてる
  我も又
  知らぬ間に動き形をかえるのか

新しい年を大事につくっていきたい!
一つひとつにしっかり対応していきたい!
元気を出し合い、協力しあい、成果を出していきましょう!

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
       

(文・写真:横須賀 健治)

 

1月 10 20

ゆるマナー講座(第51回) 和暦と和風月名

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

明けましておめでとうございます。
平成27年冬からヨコハマNOWでマナー講座をUPさせていただき、今年で5年目に入ります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
令和最初のお正月…皆さまはいかがお過ごしになりましたか?子ども達が巣立ってしまうと家族が揃うのはお正月などの行事くらいでしょうか。まさに睦月です。今回は和暦や和風月名についての話です。

和暦「令和」

「令和」は、「初春の令月にして、気淑く風和らぐ。」…(良き新春正月、外気は快く風は和らいで…)万葉集の梅花の宴から名付けられました。(角川ソフィア文庫 万葉集より引用)数字だけが並ぶ西暦と違って「大化」から続く和暦にはそれぞれ意味があり、「令和」が万葉集の歌から名付けられたのを知ると、美しく心地よい音の響きとともに親しみが湧いてきます。
英語で「Beautiful Harmony」というのも日本的で「和を以って貴しと為す」という十七条憲法の言葉にも通じるように思います。この和暦にふさわしい良き時代になって欲しいものですね。

和風月名

和暦だけでなく日本には「和風月名」もあります。旧暦での各月の呼び名ですから、若い人はあまり使うこともないようですが、日本の自然の移り変わりや人々の暮らしぶりがわかります。

1月「睦月」 正月は人が集まり、互いに睦ぶ(親しくする)から。
2月「如月」 旧暦では春なかば。春物に着替えをするなど。衣更着(きさらぎ)とも言う。
3月「弥生」 木草弥生茂るから由来。
4月「卯月」 卯の花が咲くからという説の他にも複数ある。
5月「皐月」 早苗(田植え)をする月。
6月「水無月」 田に水が少なくなるので田に水をはる「水張りの月」ともいう。
7月「文月」 稲の穂が実る穂含月(ほふみづき)から。
8月「葉月」 木々の葉が落ちる葉落月(はおちづき)から。
9月「長月」 秋の夜が長いという夜長月から。
10月「神無月」 八百万の神が出雲大社に集まり、国元を留守にすることから。
11月「霜月」 霜が降りるから。
12月「師走」 暮れで忙しく、師も走るから。
(ビジネス社 明石伸子著『セレブなお作法 和のしきたりと大人のマナー』より引用)

10月の「神無月」は、出雲では「神在月」と呼びます。神様が集まっている様子を想像するとなんともユーモラスな呼び名です。

季節を表す名称

日本には、春夏秋冬以外にも時候を表す「二十四節気」「雑節」「七十二候」などもあります。自然のめぐりと共に暮らしを営んできた日本人の繊細な感性を感じます。

「二十四節気」は立春から始まり、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨…と続き、冬の大寒で終わります。春夏秋冬をさらに約半月(15日)ごとに分けた名称です。中国で生まれた名称ですが、農耕の目安にしていたものです。

「雑節」…
さらに日本の気候に合わせて生まれた名称です。「節分」「八十八夜」「入梅」「土用」「彼岸」などがあります。

「七十二候」…
二十四節気をさらに5日ごとに分けた名称です。気候の変化や動物の動きを短文にして表しています。
例えば、

「東風凍を解く」(とうふうこおりをとく)
暖かい春風が吹いて川や湖の氷が解けだすころ。(新暦2月4日~8日頃)

「黄鶯睍睆く」(うぐいすなく)
春の到来を告げる鶯が、美しい鳴き声を響かせる頃。(新暦2月9日~13日頃)

(東邦出版 白井明大著「日本の七十二候を楽しむ」より引用)

そう言えば、今朝二羽の子どもの鶯がモッコウバラの枝の間を飛び回っているのを見つけました。季節の先取りですね。

「二十四節気」や「雑節」「七十二候」を知ると、日々の忙しさから自然の変化に鈍感になり、虫や動物の動きを見過ごすことが多くなっていたことに気付かされます。

昨年、新しい元号になり日本独自の和暦について改めて関心が集まりました。皇位継承の様々な行事を映像で見ながら、継承されてきた日本の文化やしきたりの素晴らしさを感じた方も多いのではないでしょうか。今年は美しい日本の自然の移ろいにも心を寄せながら少しゆったりと暮らして参りたいと思います。
どうぞ佳い一年となりますようお祈りいたします。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

1月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第82回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第82回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

東京・六本木は “遊び” の聖地として有名。最近は “学び” の聖地にもなりつつあるのかも。森美術館・サントリー美術館・国立新美術館など、技術(AI)+芸術の融合が不可欠な21世紀には格好の学びの地。遊びと学びはオモテとウラ。他に三宅一生などを中心に設立された21_21 DESIGN SIGHTもミッドタウンの一角。 “デザイン” は21世紀の切り札。昨年、デザインのお手本といわれる “虫” の展覧会も開催されました。入り口には1センチに満たないゾウムシの中脚を700倍に拡大した模型。サイズが生むド迫力。数億年前、地球では50センチのトンボが飛んでいたとか。虫類は何億年もの間、様々な課題を解決して生き延びてきた逞しさ・しぶとさの権化。虫がついている漢字が多いのにもびっくり。人類が問題解決しながら生き延びていくためのヒントが満載。翅を上手にしまう仕組みをロボットに応用する例も。切り口は “好奇心・観察力”。梁塵秘抄では “いざれ独楽 鳥羽の城南寺の祭見に われは罷らじ恐ろしや 懲り果てぬ 作り道や四塚に 焦る上馬の多かるに” とあります。じゃじゃ馬は最強。 “落語は諸芸の吹き寄せ。歌舞伎や文楽、能に狂言。何でも知ってないとあかん” と落語家・桂米朝。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

喜多川歌麿は 浮世絵からスタートしたわけではない
若い初期の段階は、花鳥図を中心に描いていたという
後に美人画の世界で独特の境地 得手に帆をあげるも
幕府の風俗取締りで手鎖の刑 失意から五四歳で死去

浮世絵といえば、まず思い出すのは喜多川歌麿。美人画の代名詞的な存在。豊かな女性の表情を捉えた画風で鳥居清長と並ぶ美人画の代表格。当初は植物・虫類・鳥類・魚貝類を題材にした華麗・精緻な作品を描き、これらの作品は現在も上野の国立博物館で見ることができます。その腕を見込んだプロデューサー蔦屋重三郎の支援を得て潜在能力が開花、歌麿独特の画風を確立するに至りました。しかし、徳川の世で秀吉の醍醐の花見を題材にした浮世絵“太閤五妻洛東遊観之図”を描いたことで手鎖50日の処分。歌麿は病の床に。それでも歌麿の人気は衰えず依頼が殺到しますが、過労で2年後に54歳で死去。“努力主義一点張りでは観客の共感は得られない”と喜劇俳優・古川ロッパ。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

究極の喜びや楽しみ 知らず知らずのうちに顔から滲み出る
力を尽くして理にかなう道を行く 一生懸命仕事すればいい
技巧を用いない、心で仕事 無一文になっても失うのは財産
経験を血肉にする ひたすら稽古に打ち込む、と角聖双葉山

相撲は全国的に人気があり、どの学校にも土俵があり、土俵がなければ、勝手に地面に土俵を描いて相撲を取る時代がありました。大相撲の地方巡業はその地域のお祭り。子供時代の横綱は栃錦・若乃花や柏戸・大鵬。その頃の相撲協会理事長が時津風で元横綱双葉山です。新弟子時代の双葉山は午前6時から朝稽古、遂には午前4時から稽古を始め“早すぎて眠れない”と親方衆から苦情が出たとか。弱音を吐かず稽古・けいこ・ケイコ。横綱になった双葉山は連勝を69まで伸ばし、この記録は未だ破られていません。連勝が69で止まった時、 “ワレイマダモッケイタリエズ(我、未だ木鶏たりえず)” と心の師に電報を打ったことは有名。“先駆者とは観察者である”とピーター・ドラッカー。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

豊かな言葉を抽斗に蓄える 消費が成熟すると生活がカジュアル化
病気を治すのではなく人間を治す いい人生を贈り物するのが医者
経済とは お金の勘定ではなく唯一無二の付加価値を創り出すこと
社会の大きなうねり 固定的熟練労働から流動的単純労働の世界へ

仕事の仕方が大きく変わり、固定的熟練労働から流動的単純労働の世界へ。グローバリゼーションの時代が終わり、地産地消型のローカリゼーションがスタート。ローカリゼーションの本質はサービス化。コンクリート構造で強固に築いた事業の枠組みをどう解体するか。 “デジタル技術+人間知” を武器にした新たなプロセスの創造。しかも、変化のスピードが速いだけに、素早く対応することが求められそう。それには多様性。多様性の基盤は “様々な視点・言葉を抽斗にたっぷり蓄えること”。次のポストでなく次のスキル。脳をAIに従属させるのでなく、AIを脳の色に染めあげること。 “一つの誤りを正そうとして、他の何ものかを誤らせないよう注意すべし” と詩人T・S・エリオット。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

(第82回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
1月 10 20

書評「生涯、超一流であり続ける人の 自己演出力」 大和出版 中谷彰宏(著)

by staff
 
タイトル 生涯、超一流であり続ける人の 自己演出力
単行本 208ページ
出版社 大和出版
ISBN-10 4804718605
ISBN-13 978-4804718606
発売日 2019/12/4
購入 生涯、超一流であり続ける人の 自己演出力

「相手を輝かせる人が輝く。相手を幸せにすることが演出だ。」(中谷彰宏)

最初にサインが入ったページで始まるこの本は異色だ。この本を読んでいて、「あれ!」と思ったのだった。「お店の商品を買う人が優先される。」という項のところで、人気テレビ番組“鶴瓶の家族に乾杯”を話される。「食べ物屋さんなら、必ず “一個ちょうだい” と言って何か買います。“美味しい”と言って食べながら、“ここ長いんですか”という話がはじまるのです。」そしてその項のまとめは“ここ一番で魅力的になる小さな工夫”で「自分がお客さんになろう。」と書かれるのです。

「語尾に “ね” が入ることで、優しくなる。共感する人が愛される。」の項があります。演出力で一番大切なのは、仕切ることでなく、いかに共感するかです、と言われます。「ね」は共感のある言葉です、といわれて次のように書かれます。「 “ね” を使えるかどうかで、演出力があるかどうかが分かれます。たとえば、人に対してほめる時に、 “おいしいよ” というのは評価です。 “おいしね” が共感です。これを言える人と言えない人とで大きくわかれます。演出は、1文字で差がつくのです。」うれしいね、楽しいね、ありがたいね、おいしいね、と言うことで、その場にいる人と一緒に喜びをかみしめたり、楽しみを味わうことが出来ると言われます。

この「自己演出力」の本は偶然書店で出会いました。そして発行日をみると2019年12月31日初版発行となっているのでした。書店で手に取ったのは、ひと月ほど前のことになります。そしてよく見てみると表紙カバーに「予定調和を破ろう。」と印刷されていました。さらに目次の前に、「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」として58項のポイントを掲載しています。ここ一番で魅力的になる小さな工夫の①は「自分のためではなく、人のためにしよう。」目次① では「演出は、自分のためではなく、人を幸せにするサービス精神だ。知名度ではなく、サービス精神が人を輝かせる。」とある。

「今まで出会ってきた人のなかで、この人は感じがいいな、と思う人は、よく覚えています。そこには人を幸せにする演出がありました。まずは、人に対してサービス精神があるかどうかです。自分のためではなく、まわりの人のため、その場の空気のためにすることが演出なのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の⑦ は「一人一人に、手を振ろう」です。目次⑦ では「緊張を、ほぐしてくれる人に惹かれる」です。緊張をほぐす達人が稲川順二さんですと言われます。「かたい中で講演に入ると、そこからアイスブレークをする手間がかかります。一番いいのは、すでに笑いが起こった状態で入ることです。稲川さんの階段は、まず相手の緊張をほぐすことから始まります。話を聞いている時は、聞く人はどこか幽体離脱しています。稲川さんは、最後に手を振ってほっとさせることで、それをもとに戻してあげているのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の⑭ は「上の人ほど、メモをとろう」です。目次の⑭ では「研修で、社長がメモをとる。メモをとる人が、信用される」です。自分で勉強する経営者は、まわりの社員も、社長があんなにメモをとっているんだから、自分もメモをとらなければという空気を感じるようです。「社長が最前列でうなずきながら、たくさんメモしている時は、話し手も凄く話しやすいし、社員も一生懸命話をきいてくれます。メモすることも演出なのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の㉑ は「驚かし合い仲間をつくろう」です。目次の㉑では「人を驚かせるためには、まず、人の演出に驚く」です。人を驚かせるためには、まず人の演出に驚くことだと言われます。世の中には驚く人が少ないと言われます。お笑いの世界に入る人は、大体子供の時にお笑いの友達がいる人です。漫才コンビではありませんが、2人組でお笑いをし合いながら、2人で切磋琢磨してのびていくようです。「私は子供の時からモノマネが好きでした。学校時代はモノマネを一緒にやる友達がいて、お互いにモノマネを競い合っていたから伸びたのです。サプライズも、驚かし合いする友達を一人もっておくことです。2人で伸びていくのです。」

「ここ一番で魅力的になる小さな工夫」の㊱ は「ふだんの挨拶を、新年の挨拶のように明るくしよう」です。目次の㊱では「明るい挨拶ができる人が、覚えられる」です。今日一日、このラジオを聞いていてよかったな、とおもってもらえるように、「おはようございます。中谷彰宏です」とあかるく挨拶されるそうです。「明けましておめでとうございます」という言葉のトーンで「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「いってらしゃい」「ただいま」「お帰りなさい」という言葉を言えばいいのだと言われます。「早口で言葉で滑舌よくするより、滑舌がどんなに悪くても明るく挨拶することが大切なのです。」

後帯に「人と違ってもいい。掟破りをおそれるな。」とあります。新年から励まされ読み終えました。よい年にしてまいりましょう!

(文:横須賀 健治)

 

1月 10 20

田中健介の麺食力-それから- 第16回 「ジャーニーマン」

by staff

第16回 ジャーニーマン

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、二回目の東京オリンピックで沸くであろう2020年で出版丸10年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十六回目でございます。

 

新年あけましておめでとうございます。
2020年、拙著「麺食力」刊行の2010年からいよいよ丸10年となります。
刊行日の3月24日で10年となりますが、その1日後となる3月25日(水)には10周年イベントを開催したいと思います。詳細は次号にてお知らせ致します。

 

さて新年一発目は「ジャーニーマン」というタイトルなのですが、これはプロスポーツでいくつものチームを渡り歩く選手のことを指すもので、飲食業界でもそんな渡り職人として様々な苦境と闘いながら今を生き抜く一人の男の物語をお送り致します。

中区本牧間門にあった「本牧食堂」店舗外観

中区本牧間門に小さな洋食店がありました。
その名も「本牧食堂」。昭和レトロとはまた一味違った味わいのポップな店づくり。
関内エリア・中区常磐町などに存在した「スタア食堂」から派生したこの店舗は2007年頃より横浜出身の大家尚史氏が買収し、経営を引き継ぎました。

和食の創作料理という料理の中でも繊細なジャンルからスタートし、長年飲食業界で活躍してきた大家氏にとって、昔ながらの日本式洋食での新たな勝負が始まりました。

「本牧食堂」の名物、スパゲッティグラタン

「麺食力」225ページに掲載した本牧食堂の「スパゲッティグラタン」はそんな大家氏が考案したもの。「某店からのパクリメニューでしたけどね」と大家氏は笑いますが、さらに聞けばホワイトソースやらミートソースは自家製という、真面目なメニューでした。

「出来合いのもの、既製品を使うことが嫌で。和食で料理人として鍛えられたから、プライドとか意地があって、全部自家製にしてやりました。」

すべてを自家製に、というのは客にとっては信頼できる響きかもしれません。しかし、たくさんのメニューを常にすぐ出せる状態にするための仕込み時間は途轍もなかったと大家氏は言います。

「とにかく空いた時間はひたすら仕込み時間でしたね。常に仕込み時間。頭がおかしくなってくるんですよ。一時期二毛作を、と考えて店の2階をダーツバーにしたんです。夜中の2時、3時くらいまで楽しそうにワイワイやっている2階の物音を聴きながら、1階で必要最小限の灯りだけ点けて仕込みを続けていた時は、さすがに何やってんだ俺は、と思いましたね。」

大家氏の苦労話はまだまだ続きます。

「デミグラスソースだってフォンドボー作りから始めて一週間くらいはかかるんです。大きな寸胴で作り始めて、出来上がるのは小鍋1杯強くらい。切ないですよ。そんな切なさを引きずっている中で家族連れ客の子供が『○○ー○(ファミレス)のほうがおいしい!』って言ってるのが聴こえてきちゃって。涙しか出ないですよ。」

そういう状況下にありながらも、「本牧食堂」を経営すること自体はとても楽しかったそうで。自らを辛い状況に追い込むことすら好きでやっていたと言います。
本当の大打撃は、2011年3月11日の東日本大震災でした。

「本牧エリアは震度6弱だったんですよ。店の壁が崩れてしまって。修理代も厳しいし、やめようかと。」

2011年に「本牧食堂」は閉店し、大家氏は新たな事業を模索しつつ東京の飲食店に勤務。そこで、新潟らーめんの「がんこ屋」大将に出会います。

「横浜に暖簾分けした店舗が閉店する。君横浜でしょ?引き継いでくれないか、って言われて。横浜で新潟らーめんってのも面白そうだと思って、新潟の本店で一週間『修行』しに行きました。」

中区伊勢佐木町五丁目にある「新潟らーめん がんこ屋」は2012年より大家氏が経営

がんこ屋伝統の煮干し醤油らーめんは新潟の本家では
現在やっていない横浜のみのメニューとなっている

その他鶏がらベースで多くのメニューがラインナップされている

そんな経緯から2012年より伊勢佐木町五丁目にある「新潟らーめん がんこ屋」を引き継ぐこととなった大家氏。

「暖簾分けと言ったらカッコよく聞こえるけど、『本牧食堂』のときと同じく買収しているんで私の経営で自由にやらせてもらっています。」

買収、という言葉の方がよっぽどセンセーショナルに聞こえますが……。

がんこらーめんの太麺をチョイス。
さっぱりしていながら濃厚なスープは煮干しの香りが心地よい

大家尚史氏の手によって供される麺は10年前の「スパゲッティグラタン」から、「がんこらーめん」に。この「振り幅」と「10年の時の流れの重み」をかみしめて啜ります。
煮干しの香りが口いっぱいに広がるスープは濃厚でありあっさり。すっかり冬になった横浜で、身体が温まります。沁みます。
いろんな文化を取り入れて発展した港町・横浜で本格派新潟ラーメンがいただけるって、貴重であり幸せなことなんじゃないかとさえ思います。

「それまでの人生でラーメンなんて興味がなかったんですけどね。でも実際にやってみたらそれはそれでこういう世界もあるんだ!って勉強にはなっていますね。」

何事もやってみないで外からああだこうだ文句垂れるのもダサいし、と大家氏は付け加えます。

大家尚史氏と拙著。
毒舌キャラだが「ババアまだ生きてるのか!」からの「長生きしろよ!」な
毒蝮三太夫タイプの「裏に愛情が見える毒」

「飲食の世界に足を踏み入れて30年。和食の創作料理から始まって、洋食もやって。今はラーメンだけど、ちょっと飽きてきたかな。和食の創作料理から始まって、洋食もやってきたから、やっぱり『料理』をやりたい、という気持ちが少し出てきた感じです。」

ジャーニーマン。大家氏のこれからが気になります!

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

1月 10 20

チャレンジ(第17回) リアルコミュニケーション

by staff

リアルコミュニケーション

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。2020年の幕開けですね。今年は干支のスタートの子年であり、オリンピックイヤーでもあるので日本にとっても重要な年になるでしょう。しかし、残念ながら我が家は喪中の為、静かなお正月を迎えました。

3年ほど前から体調を崩していた母が難病と診断され、あっという間に進行してしまい、昨年の10月の末に亡くなりました。78歳でした。人生100年時代での78歳は「若い!」と、多くの方たちに惜しまれましたが、若かった分、父が亡くなってから9年、母は自分なりにコツコツと終活を進め、自分の治療、延命について、その先の葬儀やお墓の手配まで、全て自分の意志で決めていました。そして、日本の約9割近い人が自宅以外の病院または施設で息を引き取るのに対し、母は自宅で最期を迎えることを希望し、その通り自宅で息を引き取ることができました。

母の件で一番ラッキーだったのは往診してくれる「ホームドクター」が見つかったことでした。連れて行ける限り病院に連れて行こうと思っていましたが、それも難しくなり、往診に切り替え、出来る限りの訪問看護とヘルパーさんに来てもらい、あとは家族がローテーションを組んで介護にあたりました。

とにかく家族全員が横浜市内在住で近く、人数も多く、一人の負担が少なかったことも幸いでした。

しかし、母自身の「延命治療はしない」という気持ちと、「1日でも長く生きて欲しい」という子どもたちの気持ちのズレは辛いものでした。80近い体での闘病は辛かったと思います。自分自身に置き換えても延命治療はしなかったかも・・・と思います。その状況にならないと本当の当事者の辛さ、気持ちは解らないと思っていますが、その分、私が最後まで心がけたのは、「対面で話をする」ことでした。

同じ親に育てられたと言っても、人の意見は皆それぞれ。その子ども達が自分の母親の最期を決めないといけないと悟ったとき、「対面で話をする」ことは必須で、更に、第三者(医者や看護師、、ヘルパーなど)の助言や立ち合も重要なんだと思いました。

私は時間がある限り母と話をしました。私に話せない弱気な内容は言わないかも知れないから、訪問看護士に頼み、辛いこと、希望などを聞いてもらいました。延命治療に関しては医者の前で本人の意志を聞きました。今でもこれで良かったのか、もっと出来ることはあったのではないだろうか? と思うことがあります。でもホームドクターや訪問看護士から、

「教科書に載せたいくらいの素晴らしい在宅医療の最期でした」
「○○さん(母)だから、自宅で息を引き取ることが出来たんですよ。選ばれた人しかできないです」

と、言われ気が楽になりました。

母と話し合い、奇跡的に自宅で看取れたことは、私の今後の人生についても大きな影響を及ぼすでしょう。私は母と徒歩10分程の距離に住んでいたので、少しの時間で会いに行くことが可能でした。遠方だったらこうはいかなかったと思っています。それでも、現代はネットの環境が整い、スマートフォンでも気軽に顔を見ながらトークができます。便利なツールも駆使しながら、今年も私はリアルコミュニケーションを心がけ、仕事もプライベートも精進していきたいと思います。

次回は「今後の展開」です 

(第17回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

1月 10 20

絵本から笑本へ(第45回) 絵本作家がゆく。~全ての子育て支援施設の皆さまへ~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム『絵本から笑本へ』

20カ月続いた第三期は今回で最終回。

第三期では、絵本作家のぼくが関わる事の多い
「子育て支援施設」についておしゃべりしてきました。

絵本作家として初めて口演をさせてもらったのも子育て支援施設。
今なお、たくさんの応援をしてくださるのも子育て支援施設。
だからこそ恩返しのつもりも込めて、コラムで連載をしてきました。

まずは、横浜市内全18区の子育て支援拠点を1区ごと18カ月かけておしゃべり。
その後、横浜市を飛び出し「小田原市」、更に神奈川県を飛び出し「長野県塩尻市」。
徐々に範囲も広め、ぼくが絵本作家として直接見て感じた「子育て支援施設」について
考えや想いを、出来る限りたくさんおしゃべりしてきました。

「子育て支援」という言葉が使われ出したのは、30年近く前なんだそうです。

しかし、「子育て支援施設」や「子育て広場」、「親と子のつどいの広場」等の言葉が、
世の中に広く知れ渡ってきたのは、ここ10年~15年位だとぼく個人は感じている。

ぼく達よりも少しだけ前の世代に子育てをしていたひと達の中には、
子育て支援施設について知らない人もいます。

そういう方々に、子育て支援施設についてお話をすると…
「知っていれば使いたかった」
「自分の家の近くにもあったのかな?」
「今、利用出来ているひと達は羨ましい」
という声がよく返ってきます。

更に前の世代のひと達は、子育て施設という場所がどういうものなのか
教えてもいまいちピンとこない。
「保育園や幼稚園とどうちがうの?」
「預かってくれる所ではないの?」
「近くの公園に遊びに行けばいいじゃない」
そんな方々も実際にまだまだいらっしゃいます。

時代によって子育てはどんどん変わってきています。

昔は、自営で商売をやっている家も多かった。
だから親は常に子どもと一緒。
赤ちゃんをおんぶしながら仕事をする。
幼いきょうだいが赤ん坊をおんぶしているなんて
昔の写真もよく見ますよね。

ぼく達の親の世代は、一概には言えませんが、
父親が外へ働きに出て、母親が家で子育てをする。
そういう家が基本的に多かった。
今より地域に公園もたくさんあって、
お母さん達の情報交換場所にもなっていたイメージもある。

そして今の時代の子育ては本当に多様化しています。

「子育て=母親」という事も、今はありません。

父親も母親も働いている共働きの家族はとても多い。
「主夫」という言葉だって珍しくなくなってきた。
おじいちゃんやおばあちゃんが子育てをしている家だってあります。
色々な理由で家族が別々に暮らしている家だってある。

様々な子育てのカタチが、今はあります。

だからこそ、世の中に「子育て支援」なんて言葉が使われ始めたんだと思う。
昔は…いや、本来であれば「子育て支援」なんて言葉は必要なかった。

あたり前に家族が、きょうだいが、親戚が、また近所のひと達が、
一緒に子育てをしていた。
「支援」なんて偉そうな事は誰も考えず、
みんなにとっての「あたり前」だった。

でも、今は少しだけ違う。

「子育て支援」という言葉が出てきたという事は、
やはり「支援」が必要なひと達が出てきたんだという事。

それは必ずしも悲しい事ではなくて、
昔の方が良かったという訳でもなくて、
時代が変わってきただけだとぼくは考えます。

どちらが良いとかではない。
今はそういう時代だという事。

そう、時代は変わっていくんだ。
だったら合わせていけば良いじゃないか。

「子育て支援」という考えだって、
「子育て支援施設」という場所だって、
今が正解なんて事は全くない。

常に時代に合わせて、
世の中の移り変わりに合わせて、
変わっていかないといけない。
そうあるべきだと思うし、
そういう事が出来る場所だと思います。

現状は「子育て支援=母親支援」

にしかなっていない。

じぁお父さんは置き去りなのか。
おじいちゃんやおばあちゃんに理解してもらわなくても良いのか。
これからはきっと同性の両親だって増えてくるかもしれない。
イクメンなんて言葉のせいで自信をなくしている父親だっている。
単身赴任で直接的な子育てが出来ない親はちゃんとした親じゃないのか。
地域での子育てをもっと見直すべきじゃないのか。

まだまだ考えないといけない事がたくさんある。
今、ここで立ち止まっている場合じゃない位、

だから、子育て支援施設関係の全ての皆さんに伝えたい。

やらないといけない事はもっとあります。
やれる事はもっともっとあります。
子育て支援施設はまだまだ面白く出来ます。

絵本作家として常に新しい挑戦をさせてくれる、
子育て支援施設の皆さんへ、愛を込めて。

挑戦を続けましょう!

『絵本から笑本へ』
次回からは連載第四期です。お楽しみに。

今回の企画で訪問させていただいた

施設を以下にご紹介させて頂きます。
画像をクリックして、訪問記事をご覧下さい。

神奈川区・かなーちえ
  保土ヶ谷区・こっころ
  緑区・いっぽ
旭区・ひなたぼっこ
  西区・スマイル・ポート
  金沢区・とことこ
泉区・すきっぷ
  鶴見区・わっくんひろば
  戸塚区・とっとの芽
港北区・どろっぷ
  栄区・にこりんく
  磯子区・いそピヨ
中区・のんびりんこ
  都筑区・Popola(ポポラ)
  瀬谷区・にこてらす
港南区・はっち
  青葉区・ラフール
  南区・はぐはぐの樹
小田原市・子育て支援センター
  塩尻市・子育て支援センター
   

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

1月 10 20

明治34年(1901年)創業のお米屋さん「伊藤米店」の伊藤雄二・直美さん

by staff

 

伊藤雄二・直美さんご夫婦
伊藤雄二さん
 
お名前 伊藤雄二・直美(いとうゆうじ・なおみ)
おとし 50歳代後半
お住まい 横浜市南区
趣味 雄二さん:日曜大工
直美さん:お笑い番組を観て大笑いすること
Facebook https://www.facebook.com/0141hamanokome/
Instagram #伊藤米店ハッシュタグ

 

先代から米店を継がれるまでのことを教えて下さい。

 雄二さん

私どもの店は明治34年(1901年)にこの場所で創業しました。初代は三重県伊勢出身の曾祖父で、横浜に来て丁稚奉公のあと独立して店を開きました。当初は粉やうどんを扱っていたようですが、間もなく米店を営むようになり、祖父、父、そして私と四代に渡って一世紀以上米屋を営んできました。父は当然のように私がこの店を継ぐものと考えていましたし、私も大学生の頃から配達などを手伝っておりました。大学を卒業してすぐ家業に専念することになりましたが、苦労もいろいろありました。昔は代金をつけにされることも少なくなく、その集金の時などは結構大変でした。そして、父から私が引き継ぐ頃には、米店を取り巻く状況は父の頃とはずいぶん変わってしまいました。

伊藤米店全景

どんな変化があったのでしょうか。また、どのようにして乗り越えてこられたのでしょうか。

 雄二さん

食生活がパンやパスタなど多様化して米離れが起きましたし、そもそも世帯の人数が減ったので、消費量も減ってしまいました。そのほかに、私はインターネットの普及も大きいと思います。わざわざお店まで買いにいかなくても、ネットで購入できる時代になり、買い物の仕方自体が変わってきました。昔は店頭に米袋を重ねて売っていましたが、今はそういう事もなくなりました。平成5年頃、冷夏で米が不足した時は、お客さんが店に殺到された時期もありましたが、それ以降は一気に減ってしまいました。そもそも米屋は商店街の真ん中のようなお客の多い場所にはあまりありません。かつて主食の米は価格や供給などが国の管理下にありましたので、立地の良い場所でなくてもやって来れたのかもしれません。守られた環境の中にいた面もあると思います。

そんな状況を何とかしようと、いろいろ試みはしてきました。銘柄米だけではなく、各銘柄をブレンドした“四代目伊藤の米”といううち独自の商品を販売しています。これは、先代がお坊さんの托鉢の米はいろいろな家の米が混じっていて美味しいと言っていたことをヒントにして創り出しました。また、新潟県中魚沼郡津南町のグリーンアース津南の代表をされている桑原健太郎さんの米も販売しています。この方は多くの賞を受賞されているとても有名な米農家さんですが、粘り強くお願いしてようやく販売することができるようになりました。そのほか、地元の野菜や卵を置くなどいろいろ工夫してきました。ですが、ここまでやって来れたのは、何と言っても“女房と二人だから”だと思います。

ブレンド米

奥様と二人三脚でやってこられたことが大きいのですね。奥様は、三代続く米店に嫁がれた時はどのようなお気持ちだったのでしょうか。そもそもの馴れ初めも含めてお話いただけますでしょうか。

 直美さん

私は大阪で生まれ、東京、大阪、千葉と転勤するサラリーマンの家庭に育ちました。高校、大学と剣道をやりながら体育教師を目指しておりましたが、たまたま大学の剣道部で主人と知り合ったのが縁で一緒になりました。

米屋に嫁ぐことには、家族の反対もありましたが、当時は若かったのですね。 “何とかなる!” とそれを押し切って一緒になりました。が、嫁いで一日目で、 “少し違うかな?” と思いました(笑)。先代のお義父さんは自分の考えをしっかり持っておられる方でしたので、正直、いろいろ苦労はありました。辛くて、外に出て働きたいと思ったこともありましたが、主人と一緒に、何とか乗り越えてきました。そして、先代が引退されてお店の経営が私たちに引き継がれ、それからは、主人と一緒に試行錯誤しながらやってきました。頑張ってきたというより、その時々の水に慣らしながらやってきた感じです。

お店の雰囲気がおしゃれで、商品のパッケージなども工夫されていますね。また、お店に隣接する建物や蔵を若者達に貸し出され、カフェとして活用されているようですが。

 直美さん

結婚前、就職情報を提供する会社に勤めていた時期がありまして、その時の経験が今生きている気がします。ブレンド米“四代目伊藤の米”というネーミングやラベルのデザインなどにも、取組みました。炊いた時の粘り気が異なる3種類のブレンド米を主人が考え、私がそれぞれ「苗」「俵」「蔵」と名付けました。手軽に味わっていただけるよう、2合ずつ小分けにした利き酒ならぬ“利き米”セットを作ったり、おにぎりの販売も始めました。それと、お店の暖簾は、よく皆さんから「素敵ですね!」と言われますが、実は伊勢の「赤福」の暖簾を作られたお店にお願いして作っていただいたものなんです。

カフェは、使われなくなっていた敷地内の建物を主人が何とか活用できないかと思っていたところ、ある日突然、3人の若者がやってきまして「音楽事務所兼カフェをやりたいので、是非貸してほしい」と言われ、正直ビックリしました。彼らは、自分たちでリフォームをしてカフェに改装し、1年ほど前にオープンしました。毎週、金・土・日・月の午後を基本として営業しています。

余談ですが、最初に現れた3人の若者のうちの1人は、佐藤嘉風さんといって、先日、NHKで放送され話題となっている「AIでよみがえる美空ひばり」で“新曲”として発表された「あれから」を作曲された人なんですよ。おかげで最近はカフェの帰りにお店に寄って、お米を買っていってくれる若者もいるんです。若者達に元気づけられています。

そして、もともとスマホも使ったこともなかった私ですが、2年くらい前からインスタグラムやフェイスブックで積極的に情報発信するようにしました。すると反響が大きくて驚きました。それで毎日、写真や記事をアップすることを自分に課しています。それを見て、お米の注文が入ることもあります。

何だかここにきて、急にパーッといろいろな事が広がっていく感じがしています。主人からは、先々も見通して、店じまいも考えるように言われていましたが、今は「米屋を続けたい」という想いが強いです。

野菜販売

伊藤米店の四代目としてお店を継がれ、ここまでやってこられた想いや今後のことについてお聞かせください。

 雄二さん

先代まで、女性がお店に立つことはあまりありませんでした。ですが、女房は積極的にお店に出てくれています。夫婦というよりも、「友達」「同志」と言う言葉が合っているかもしれません。

これからも米店の経営は決して楽なものではないと思いますし、とても子供たちにはこの店を継がせられません。

父の頃と比べて、町の様子やそこに住む人たちも大きく変わりましたし、先ほどもお話したとおり、人々の食生活が変わり、ネット社会で買い物の仕方も変わりました。もともと米店は国の管理下で守られてきた面がありますが、もうそういう時代ではありません。最近は自分たちのことやうちの商品のこと知って、いろいろな方が集まってくれるようになりました。たくさんの人たちと信頼関係で結ばれながら、新しい繋がりが広がっていくことを嬉しく思っています。これからも二人で頑張っていきますよ。

のれん

おむすび売場

食べ比べセット

最後に、お二人にとって横浜とは?

 雄二さん

横浜といっても、ここは下町です。気取らずに生活できる町です。おしゃれで、楽しく、何でもある町で、住みやすいです。

 直美さん

結婚して横浜に住むようになり、今や一番長く住む場所になりました。実家に行っても横浜に帰ってくるとホッとしている自分がいて、もう自分の故郷は横浜なんだなと実感しています。

あなたの横浜

(インタビューと文:渡邊圭祐・桃伯子)

 

1月 4 20

第56回盆栽カフェ オープン - 2020.1.13(月・祝)

by staff

盆栽カフェをオープンいたします

「ヨコハマトリエンナーレ2014」で大好評だった「盆栽カフェ」をヨコハマNOWでは定期的に開催しています。

季節ごとの変化が気軽に楽しめる「盆栽」・・・
最近は若者を中心にミニ盆栽が人気を集めています。

2014年12月13日(土)に開催した第1回「盆栽カフェ」では、石井造園株式会社の石井直樹社長に、「盆栽」について語っていただきました。

盆栽カフェ
第1回「盆栽カフェ」のアルバムです

その後定期的に開催し、2019年11月17日(日)に第54回を開催しました。そして第56回の「盆栽カフェ」を1月13日(月・祝)にオープンいたします。

My「盆栽」をお持ちいただければ、石井社長に見ていただいてお手入れについてお話しいただきます。








2016年4月24日の「盆栽カフェ」の写真です。


2017年4月15日の「盆栽カフェ」の写真です。

「盆栽カフェ」(1月13日)のご案内 –第56回–

2020年第一回目の「盆栽カフェ」は、1月13日(月・祝日)14時から横浜山手の「此のみち」で開催いたします。

ワークショップは、「ブルーベリー」を創作いたします。

「盆栽カフェ」は・・・年代を問わず大歓迎です。
「マイ盆栽」を石井先生に見ていただき、アドバイスを頂戴することもできます。

大正時代の日本家屋でお茶と「此のみち」のシェフ手作りのお菓子をいただきながら「盆栽」について語りませんか。

皆様のご参加をお待ちしております。

「盆栽カフェ」のお申し込みはこちらから・・・
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

よろしくお願いいたします。

プログラム

タイトル 盆栽カフェ
日 時 2020年1月13日(月・祝) 14時~
場 所 「此のみち」
横浜市中区山手町159-2 tel 045-621-4015
 
みなとみらい線「元町・中華街」駅下車、
  「港の見える丘公園」方面に徒歩12分
JR京浜東北線「山手」駅下車、「山手駅前」バス停から20系統
「港の見える丘公園」下車、尾根沿いに徒歩8分
 
アクセスはこちらをご覧ください。
http://yokohama-konomichi.jp/acces.html
参加費 4,000円 (ワークショップの材料費 お茶・お菓子 付)
お申込み お申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

動画:日本で初めて!松ぼっくりを使って苔玉を作る「苔玉ワークショップ」

参考サイト

「盆栽カフェ」 http://bonsaicafe-yokohama.net/

ヨコハマNOW掲載記事
「横浜に責任をとる。 石井造園株式会社 代表取締役 石井直樹さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=11663

 

 

12月 10 19

「ヨコハマこの人」を想う

by staff

 

「ヨコハマNOW」を立ち上げたとき、私の想いをこんな文章で綴りました。

横浜の「人」の姿を多くの方々に知ってもらいたい・・・
そんな想いからヨコハマNOWを立ち上げました。
先人が築いてきた「横浜」、そして今の「横浜」、これからの「横浜」を
「人」を通して伝えていきたいと思っています。

今月で116号を迎える「ヨコハマNOW」で創刊号から続いているコーナーが「ヨコハマこの人」と「ともの現場」です。

これまで100人を超える「この人」としてご登場いただきました。
高野慈子さんと私でこのコーナーを担当してきましたが、先月(11月号)は、シャンソン歌手の井上千鶴さんが取材・執筆して下さいました。

「この人」の中にはヨコハマを飛び出して全国区になった方もいらっしゃいますし、この取材がきっかけで、親しくお付き合いさせていただいている方もいます。

2019年12月号に登場いただいた「遠藤さん」ご夫妻とは、根岸森林公園でのラジオ体操会がご縁でお知り合いになりました。奥様(正子さん)はいつも大きな声で、掛け声を発せられていました。どんな方だろうと気になっていましたがいつも会釈程度でお話ししたことはありませんでした。年号が「令和」に変わった時思い切って、お声掛けして公園で一緒に写真を撮りました。

お話を伺うと、磯子で明治時代から続く寿司店を経営していたこと、ご主人は高齢の長距離走者として横浜では有名な方だということがわかりました。
早速、遠藤さんご夫妻とうちの夫婦との食事会を開きました。ほとんど初対面の4人でしたが、楽しくて時間を立つのを忘れてしまいました。遠藤さんご夫妻の歴史は、横浜磯子の変遷と密接に関わっていました。その場で「ヨコハマこの人」へのご登場をお願いした次第です。

横浜の「人」の姿を多くの方々に知ってもらいたい・・・という私の想いは、まさに遠藤さんご夫妻のように、昭和・平成・令和の時代を横浜で一生懸命生き抜いてきた方々の生き様を伝えていくことです。

これからも、多くの「この人」たちにお会いしたいです。
「この人」は自薦他薦OKですので、我こそはと思う方は、是非「ヨコハマNOW」にご連絡下さいませ。

 

12月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第7回)
物事の善悪を考える力

by staff

第7回 物事の善悪を考える力

子どもは、物事の良いこと、悪いことを自分で考え行動できるようになることが、一人の人間として成長する上で大切なことです。
でも、幼い子どもに、初めからなんでも自分で考えるなんてことは、できませんよね。
家庭や保育園・幼稚園・学校、また生活している地域の中で、いろいろな人々から刺激を受けたり学ぶことができ、考えるという力が養われるのだと思うのです。

しかし、子どもたちに学びや刺激をあたえるべき人々の中にも、やって良いこと、悪いことがわからない人間がいますよね。

10月ごろ、テレビのワイドショーでとり上げられたので、記憶にある方も多いことでしょうが、神戸市の30代~40代の小学校教諭が同じ学校に勤務する若い教師へのいじめのシーン(嫌がる教師を後ろから羽交い絞めにして顔にカレー‥‥etc.)

私は、あの映像をみて、嫌がる若い教師に対して、信じられないほど楽しそうにいじめている30代~40代の教師の行為に、教師の前に人としてやってはいけないこと!
それに、いじめを受けた教師がオープンにしなければ、学校内ではとり上げられず、そのことに蓋をされたままでいたのかと思うと、より一層、憤りを感じてなりませんでした。

加害教師が、悪いのは当然ですが、でも、ただ単に、教師失格とか、人としてダメ!と言って、社会から抹消してしまうような考えも、良いこととは思えません。
加害教師が、自分の行為の愚かさや過ちを思い返して反省し、心の底から、改めるにはどうしたらよいかを考え行動できる機会をつくり、周囲も見捨てるのではなく見つめて行くことが大切だと思うのです。

そして、こういった出来事は、他人事として聞き流すのではなくは、家庭や地域の中でも、子どもたちと一緒に物事の善悪を考える良い機会になることでしょう。
また、話しあう時は、あの人は悪い人、あの人は良い人で終わせるのでなく、いろいろな面から考えてみることです。

例えば‥‥
あの行為のどこが悪いと感じたか?
それはなぜ?
自分がいじめを受けた先生だったら?
自分が、いじめられているシーンを知っていたら?
いじめた先生たちは、これからどうしたらよいのか?

などなど、いろいろな面から、子どもも大人も自由に考えを出し、話しあうと大人の意見に子どもが気づきをえたり、反対に子どもの意見に、大人が学べることもあることでしょう。

子どもも大人も、物事の善悪を考えることで、人として成長できることを願って!

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

12月 10 19

しあわせの「コツ」(第36回) マザーテレサが最後に戦ったもの

by staff

第36回 マザーテレサが最後に戦ったもの

大人気のスピリチュアルカウンセラー、並木良和さんの著書「目覚めへのパスポート」(㈱ビオ・マガジン刊) に、マザーテレサのこんなエピソードが載っていました。

彼女は亡くなる一週間くらい前から精神のバランスを崩し、まるで悪魔に取り憑かれたようになってしまったそうです。エクソシスト*(悪魔祓いの専門家)を呼んだのですが、祓うことはできませんでした。

何故なら、悪魔だと思っていたのは実は彼女の「エゴ」だったのです。たとえエクソシストでも(外から来た魔物でなく)本人の内側にあるエゴを祓うことはできません。エゴは、自分自身がそれを見たくなくても正面に見据え、受け入れて自分の中に統合していくしかないのです。

*エクソシスト
悪魔祓いをする司祭。バチカンはエクソシストの存在をきちんと認めており、「国際エクソシスト協会」という組織も作られています。

マザーテレサは、いつも神の神聖さと自分の内なる神聖さにのみ目を向け、エゴをその対極の醜いものと思っていました。そのため、エゴと戦ってしまい、自分の中に受け入れなかったのです。だから今はの際に周囲も見ていて辛くなるほど酷く精神的に荒れてしまったのです。

けれども、息を引き取る最後の最後に、彼女は空中に手を伸ばし、「あなただったのね」と穏やかな表情でつぶやきながら、まるで空中の誰かを抱きしめるようにして亡くなったそうです。彼女は「エゴも神聖な自分の一部である」ことを最後に悟り、エゴを抱きしめて天国に旅立っていったのでした。

自分の中の醜い部分は誰だって触れたくありません。そんなものなど無かったことにしたいと思うでしょう。マザーテレサのエピソードはそう言う考えの行きつく先を示してくれたように思います。

では、次に以下の一節をお読みください。老子は、そんな考えを軽くいなすかのように、こんな風に語っています。

「世界に美しいとされるものがあれば、
その美しいものを通じて、醜いものが現れる。
世界に善であるとされるものがあれば、その善を通じて、悪が現れる。
存在と非存在は、互いに他を生じ、止むことがない。
難しいことも簡単なことも、互いに他を通じてなし遂げられる。
長いものと短いものは、互いに他を補っている。
高さと深さは、互いに寄り添って存在している。
音と静寂は、調和を作り出す。
以前と以後は互いに付き従う。
万物と無は同じ顔をしている。」

老子「道徳経」

(訳は、分かりやすいので、2016年11月4日のバラ十字会の公式ブログより引用しました。Amorc.jp)

中国河南省周口市の老子像

老子によれば、醜いものは「美しいものを通じて現れる」のです。相反するように見えることも、「互いに他を生じ」ており、しかもその営みは「止むことがない」のです。「太極図」の陰陽のように、互いに相手を生み出しあっていると考えれば、失敗や欠点は成功や美点を引き立てるものといえるのではないでしょうか。

「太極図」
(正式には「大陰太極図」という)

世の中はすべて「陰」と「陽」のバランスによって成り立っています。陰と陽は表裏一体であり、完全な「陰」、完全な「陽」は存在しません。もしマザーテレサが老子の教えを知っていたなら、エゴも自分を構成する大切な要素だと理解したことでしょう。でも、彼女はエゴも自分のかけがえのない側面であることに最後になって気づき、エゴを抱きしめ、一つになって昇天していきました。まさに聖女の名にふさわしい方ですね。

陰と陽、光と闇-古来より色々な宗教や哲学が、こうした二項の関係について様々な説を唱えてきました。

そうした中では、日本の「カタカムナ」文書の世界観は群を抜いて面白いものです。例えば、「カタカムナ」では「闇」とは「ヤ」(=飽和)と「ミ」(=光)が合わさったものです。「闇」とは「飽和する光」のこと。光が振動することもできないほどある枠内にひしめき合っている状態が「闇」なのです。そしてその飽和状態に動きが加わると、そこに「光」が現れます。「光」と「闇」は、実は同じものだったのです!
(このあたりのことは 吉野信子著「カタカムナの時代が到来しました」徳間書店刊 に詳しく書かれています。)

カタカムナ文字 平面に書かれているが、
本当は立体であると言われている

このカタカムナの思想は、単なる一元論とも異なります。

宇宙には「光」しかない、というのです。その「光」が振動している(回転している)時は文字通り「光輝き」、動きを止めて不活性な飽和状態の時を「闇」と呼ぶ、というのです。この考えを敷衍すると、世の中に「悪」は存在しないことになります。「悪」とは「善」が完全に不活性な状態のことで、「善」の活性度が上がるにつれ、「善」なる状態が増えていく、という訳です。

善も悪も、「同じものの在り方の違い」に過ぎないのであれば、善「と」悪のように区別し、分離する必要もありません。日本語には上下、左右、白黒、前後など、「善悪」のように、両極が分かちがたく結びついた言葉が沢山あります。これは「カタカムナ」的宇宙観が私たちにも受け継がれているからではないでしょうか。

「カタカムナ」は何万年も前、日本人が自然に持っていた宇宙観ですが、今も私たちの心を揺さぶる何かがあります。マザーテレサがもし「カタカムナ」を知っていたら、「ああ、そうだったの」と早くからエゴと和解して、幸せのうちに天国へ旅立ったことでしょう。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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12月 10 19

2019年12月 三ツ池だより 「詩を100日続ける」

by staff
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詩を100日続けて作っていくことを突然思い立った。
それは「お気使いありがとう!」の孫からの返事が飛び込んできたからでもあった。
それを受けてなぜか毎日つづけての100詩づくりを決めたのだった。

 「路端に」
いつも歩いている道に
いつもの人が花を咲かせている
  ありがとうございます
  嬉しいですね
ただ歩いている道に
ただ植えているだけなのかもしれないのに
  ありがとうございます
  嬉しいですね
道に色がついている
道に喜びが跳ねている
  ありがとう
  うれしいね

10日目には次の詩を書いている。悩む前に実行することだと思っている。続けていくことだと思っている。

 「悩む」
悩みを考えて
悩むのだと思った
考えるのでなく
出会いなのではないかと
  花を考えて
  花を感じることだと思った
  見えるのでなく
  見えた感じなのだ
人は歩いている
人は少し止まっている
歩くのも止るのも
現象なのだ
  そこに私がいるのでなく
  今ここに私がいるのだ
  居るということは
  歩くことであり止まっていることである
ここを歩いている
目的をもって
止まっていることもある
必要があってのことだ

詩を書き始めて15日になる。詩が浮かんでくるから書き取るのではなく、100日続けていくために書いている。難しさを感じる。詩とは何なのかとふと思う。詩は言と寺の合成語である。言葉を土の上に収めると考えると、今一度詩との向き合いを考えていくことになる。20年前の詩を見てみる。

 「あるがまま」
山は山であって欲しい
海は海であって欲しい
  己は己であって欲しい
  おぬしはおぬしであって欲しい
無理をせず
我慢せず
  あるがままに
  ゆったりとしておれる
山は山、海は海
山も海もひとつになる
  あるがままの姿という
  強い己でありたい

その頃入院することがあって、順調に回復してきていての詩がある。

 「私は動いている」
今日という日が
明日もくるという
  今日という日が
  今日一日であるように
明日という日も
今日一日であろうか
  日に照らされて
  雲は動き知らぬ間に形を変える
日にてらされて
雲は動き知らぬ間に形を変える
  日にてらされて
  吾は生きてる
我も又
知らぬ間に動き形をかえるのか

元気に働きだしての詩である。俳句を作りながら、ふっと詩を書くことがほんとにたまにあった。

 「静かな朝に」
雪の白さの向こうに
日の出が見える
橙色に地平をして
明るくなってくる
  今日に感謝
  あなたに
  家族に
  日本中に
しずかな朝に
湧きあがるのは
今何をしようとしているのか
課題をおいかけるだけでいいのか
  大地を白くそめてくれた
  大自然に感謝し
  鳥の囀りのなかに
  やすらかな朝をめでる
詩が欲しい
詩が私の頭のなかにある
おりてきてほしい
大丈夫と言ってほしい
  経済の中に生きていて
  明日を見とおせない時
  だから詩に頼るのではなく
  詩と共に生み出すのだ
炎のようでなくていい
おだやかな魂のほとばり
詩から発せられるものを
安らかに受け止めて生きていく

坂村真民さんの詩に「タンポポ魂」がある。

踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする

この詩に何度元気づけられたか!そしてこの詩に出会う本「生きてゆく力がなくなる時」には30年前に出会ったのであった。今改めて詩の100日に取り組んでいるのは不思議なことである。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

12月 10 19

ゆるマナー講座(第50回) 贈り物を楽しむ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

あっという間に月日が過ぎてもう12月。
クリスマスイルミネーションやクリスマスソングに、なぜだか心が弾みます。
子どもたちはサンタさんからのプレゼントを心待ちにしているでしょうね。
お正月から年末まで、いろんな贈り物がさまざまな人の間で行き交います。
みなさんは今年何回誰かにプレゼントを贈ったでしょうか?
そして何回プレゼントをいただいたでしょうか?

これから年末まで

まさに今、クリスマスのプレゼントをどうしようかとお考えの方もいらっしゃるのでは?お子さんにサンタさんへの手紙を書いてもらったり、それとなく聞いてみたり。ご家族や恋人への贈り物は何が良いだろうかと、贈った相手の笑顔を思い描きながらあれこれと悩んでいることでしょう。

またこの時期は、日頃お世話になっている方々へ感謝の気持ちを伝えるために、贈り物をする時期でもあります。季節の贈答「お歳暮」です。
日本では古くから、新しい年は歳神様(としがみさま)がつれてくると信じられていました。そのため、お正月に歳神様をお迎えするためのお供え物を暮れのうちに本家に届けたのが始まりだと言われています。それがいつの頃からか、お世話になっている方々へその年のお礼の意味で贈り物をするようになったようです。
お歳暮をお贈りする時期は、12月初め頃から25日頃まで。ただしお正月用の生鮮品を贈る場合は、年末近くに届くようにします。最近は少し早まっていて11月末頃から贈る場合もあるようです。

お歳暮が間に合わず年が明けてお贈りする場合は、「お年賀」とし、
1月7日を過ぎてしまったら、「寒中御見舞」とします。

いずれも、品物に掛ける掛け紙は「熨斗(のし)」のついた紅白蝶結びの水引のものを使います。
品物が鮮魚やかつお節などの生鮮品の場合は、「熨斗」のついていないものを選びます。
熨斗は元々アワビをのしたものを使っていたため、生ものに生ものをつける必要がないからです。

もちろんお世話になった方へ感謝の言葉を述べながら手渡しするのが一番良いのですが、最近はそれぞれ忙しく、デパートから、また産地直送でお贈りすることも多くなっています。
その場合は、品物に添え状をつけるか、「日頃の感謝を込めて品物をお送りしました」などと書いたお手紙を送ると良いでしょう。短いメッセージで構いません。相手に気持ちが伝わることが大事です。

いただいた方は、受け取ってから3日以内にお礼状を出しましょう。ハガキでもOKです。
親戚など相手との関係によっては、お電話でお礼を伝えるのも良いですね。

年が明けて

さて、お正月の贈り物と言えば、なんといっても「お年玉」
元々は、歳神様にお供えした餅を下げて、年少者に分け与えた「年玉」が始まりだと言われます。
家族揃って新年のご挨拶をし、おせち料理やお雑煮の食卓を囲み、それが終わったら、いよいよお楽しみの「お年玉」・・・と、我が家ではこのようなスタイルが続いてきました。ご家庭によって新年をお祝いする形は違うかもしれませんが、お年玉は多分同じではないでしょうか。子どもの頃は親戚の方がいらっしゃるのも嬉しかったものです。だってお年玉がいただけるハズだから。

大人にとっては、何かをいただいた時に、ちゃんと相手の目を見て「ありがとうございます」と言うことを、子どもたちに伝える良い機会です。ぜひ教えてあげてくださいね。

次にやってくるのは、商戦に載せられていると分かりつつもチョコレートをつい買ってしまう「バレンタインデー」。そのお返しのホワイトデー。

夏になると、季節の贈答「お中元」。
中国の道教では、旧暦の1月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元と呼び、天地万物を祭る年中行事を行っていました。このしきたりが日本に伝わり、「中元」がお盆の行事と結びついて先祖への供物を親類などに配ったのが始まりだと言われています。
「お中元」をお贈りする時期は、7月初めから15日まで。
その後立秋(8月8日頃)までは「暑中御見舞」、
立秋を過ぎると「残暑御見舞」となります。

「お中元」も「お歳暮」もその年にお世話になった方への感謝のしるしですので、どちらか一方だけ贈るのは何ら問題ありません。

それから、お誕生日、お子さんたちの桃の節句や端午の節句、七五三、卒業や進学、成人、結婚、賀寿、母の日や父の日、新築祝いなど各種お祝い事があります。

そしてまた年末がやってきて、同じことが繰り返されるのです。

気持ちを込めて

このように挙げてみると、一年間にはなんと多くの贈り物が行き交う機会があるのでしょう。

いろんな場面のいろんな贈り物、一つ同じことが言えるとしたら、そこにはどれにも贈る人の気持ちが込められているということです。

感謝の気持ち、成長を祝う気持ち、愛 ・・・ 。

気持ちの籠ったいただきものを楽しみ、気持ちを込めて贈り物選びを楽しむ。
時にはサプライズのプレゼントも良いですね。

まずはクリスマス。今年は何を贈りましょうか♪

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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12月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第81回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第81回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

イノベーションは人間が生み出すもの。人間を鍛えることが基本。何よりも教育のイノベーションが不可欠。現在の教科書は30年後には使いものにならないとか。グローバル化・複雑化の中では細分化された学問では対応できそうもありませんよね。資産運用の世界はAI利用の最前線。AIとプロとの熾烈な戦い。プロは “世界がどうなっているかという発見の部分はAIに任せない。データマイニングは適切に使わなければ間違った結論を導く可能性がある” と断言。AIには過学習という弱み。過去の膨大なデータからその時限りのノイズを除かずに学習する致命的ミス。まるごとAIを信用することはご法度。AIが一般化する21世紀では、常に “デジタル技術+匠の技の感性” の融合こそが生命線。 “新しいものの見方の発見は新大陸の発見に相当する” と喝破したのはルネサンスを代表する哲学者モンテーニュ。16世紀の段階で21世紀のAI時代の核心を射抜く洞察。多様性を制するのは多様性。梁塵秘抄では “遊女の好むもの 雑芸 鼓 小端舟 おおがさ 翳 艫取女 男の愛祈る百大夫” とあります。遊女にも商売上必須の百神あり。 “人間の後半生は前半生で蓄積した習慣で成り立つ” とドストエフスキー。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

勝負を早くする 踏み込みが鋭くなり、得意の体勢に早くなれる
どうしたらタイガーウッズの様になれるか 楽しむことに尽きる
どうしたらプレッシャーを克服できるのか 楽しむことに尽きる
致命傷は日々の消耗 やりたいことは、口外せず胸に抱きしめる

タイガーウッズは10月、日本での “ZOZOチャンピオンシップ” で快勝。今年のマスターズ・トーナメントでは2008年全米オープン以来の見事な復活優勝。プライベートでのトラブルや怪我から、43歳でここまで立ち直るとは。喪った日々の他にはもう喪うものはないということかも。どの世界でも、若い時に鍛え抜いたレベルまでは必ず戻れることの証明。基本を築いた源泉は、幼い頃からゴルフを始め“面白くない練習を繰り返しやり続ける”ことで修得したもの。 “届かないパットは絶対にカップインしない。もしオーバーしたら、その時点で次を考えればいい” とはビジネスにも直結する教訓。 “人から評価されるのは危険なこと。自分を見失わないようにしなければ” と女優・樹木希林。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

社会の仕組みを一から見直す やりたいことを自由に選ぶ
やりたいことを邪魔せず支援していく 人生を千度生きる
何もせずが安全とは虚構 暑苦しいほど本気で得手を磨く
知性を司る意志が最も強力な情熱を宿す、とはナポレオン

ナポレオンといえば、ルーブル美術館の “戴冠式” が有名。愛馬に跨る雄姿も。一方、モスクワ遠征の敗北で退却する悲痛な姿。また、上野で開催された “怖い絵展” で展示されたセントヘレナ島でのベッド上の無念の死に顔。ロンドン塔のマサカリでの処刑絵画より凄惨。戦場を駆けた重圧と緊張、激動の生活から無為の生活を強いられた孤島の幽囚によるストレス。ターナーが描いた “戦争:流刑者とカサ貝” に描かれた孤影。死因は胃癌。ヒ素による治療の影響とは別に毒殺説も依然消えず。 “一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れに勝る”と いう戦略観。 “能力は能力を生む。能力の向上により、更なる能力強化に繋がる” と経済学者・ヘックマン。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

どもりを直すのでなく平気でどもりながらしゃべる 本能を締め付けない
漢文の素養、あくまでも外国語 これが抽象的な思考の基盤、翻訳の基礎
日本において欠けているものは論理と自律 欲を捨て去るのはむしろ危険
異常な状況においては異常な反応こそがまさに正常な行動、とフランクル

ナチス強制収容所での体験をもとに著したフランクルの “夜と霧” は、日本語を含め17カ国語に翻訳されました。様々な調査で “私の人生に最も影響を与えた本” のベストテンに必ずといっていいほど入っています。フランクルはオーストリアの精神科医・心理学者。ユダヤ人であることから、アウシュビッツ強制収容所にも収容されましたが、1945年4月にアメリカ軍により解放されました。収容所の中での地獄のような生活、その中での人間の信じがたき振る舞い。異常な状況においては異常な反応こそがまさに正常な行動との冷徹な人間観察・分析。 “それでも人生にイエスと言う” との人間への絶対的な信頼。 “怖い人物を創れない人は優しい人物も創れない” と人形作家・辻村寿三郎。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

(第81回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
12月 10 19

書評「感動の創造 新訳 中村天風の言葉」 講談社 平野秀典(著)

by staff
 
タイトル 感動の創造 新訳 中村天風の言葉
単行本 242ページ
出版社 講談社
ISBN-10 4065137837
ISBN-13 978-4065137833
発売日 2018/11/29
購入 感動の創造 新訳 中村天風の言葉

最初に飛び込んでくる言葉は「盛大な人生」からの言葉だった。
「人の喜ぶような言葉や行いを、
自分の人生の楽しみとするという
尊い気分になって生きてごらん。」

“プラスもマイナスも抱きしめて”という項がある。
「この世は苦しいものでも悩ましいものでもない。
この世は、本質的に楽しい、嬉しい、
そして調和した美しい世界なのである。」-「運命を拓く」から。
そこのキーワードは積極的思考、とあって、著者は次のように述べられる。
「人生をドラマ思考で表現すると、
人の一生は一つの壮大な舞台で
誰もが主人公という壮大な舞台で、
誰でもが主人公というキャスティングを演じながら
かけがえのないドラマを生きている。
人生が舞台であるならば、出会いに偶然はなく、
登場人物は全員が何等かの意味がある共演者になる。
世界76億人の人間が生きる世界で出会う確率を考えれば、
共にドラマを創る奇跡の共演者であることが腑に落ちる。」
そしてつぎのように続けられる。
「積極思考とは、
プラスな出来事もマイナスな出来事も
どちらも必然のドラマの要素として活用し、
日常というステージをプロデュース(演出)しながら、
最高の自分自身を演じ切っていくという、
絶対的なアプローチなのだ。」
日常をただ毎日過ごすようでいて、自分の出来事を見てみると、不思議なほどの情報を整理して動いている。整理というのではないかもしれない。経験という形で身についた情報処理をしていることになる。

“余分を削ると本来の自分が表れる”という項がある。
「人間は、健康でも、運命でも、恵まれないときに、
心が、それを、断然乗り越えていくところに、生命の価値がある。
消極は、本然である積極の力を弱め、創造の炎を消す。
人間の本然の心(本心)は、清く、尊く、強く、正しい心、
その心を、天風哲学では積極心と言う。」
天風哲学の積極と消極は相対的なプラスとマイナスではなく、絶対的積極と阻害する消極という関係性になる。次のように述べられる。
「相対を超えた絶対なものとは、
真理とか法則とか本質とか
本来とか本然とか本領というもの。
ダイエットで言えば、太っている自分と痩せている自分との
二項対立ではなく、余分な脂肪や水分を取り除くことで
本来の自分の体形に戻れるという意味合いになる。」
ここで前向きよりも上向きな心の使い方を示される。

“人生の成功は掛け算で決まる”という項がある。
「天風師は、思考を積極的に使う手がかりとして、
感応性能という概念を考え出した。
感応性能とは、外部からの刺激に対して、感じ、応じる心の働き。
この心の動きが、習慣となって人々の心の軸の傾向を決定する。
感応性能が強くて積極的な人は、いつも泰然自若、明朗で楽天的な人。
感応性能が弱くて消極的な人は、悲観的で、臆病で神経過敏、
気が小さく怒りっぽい人になる。」
京セラを創業し、日本航空を再建した稲盛和夫さんは、有名な天風哲学の実践者である。稲盛さんは“人生の方程式“という考え方を提唱し、思考の重要性を分かりやすく表現された、と、次の公式を出される。
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力   能力と熱意にはゼロからプラス百点まであり、磨くことでどんどん高みへ向上していく。
「しかし考え方にはネガティブな考え方もあるため、
マイナス百点からプラス百点までの範囲がある。
掛け算であるために、考え方がマイナスであれば、
たとえそれが些細なマイナスであっても、
人生の結果は全部マイナスになってしまう。
能力も人並み以上、努力も人並み以上でも、
消極的思考で生きれば、人生はすべてマイナスになる。
心が強いか弱いかは、感応性能が積極か消極かに比例する。」

“さあ、最高の自分を演じよう”という項がある。
「誰もが皆、子供の頃は表現力の達人だった。
大人になる過程で、私たちは少しずつ表現する力を封印し、
自分を守るための鎧のようなものいを身につけていく。
処世術であったり、常識であったり、テクニックであったり。
まるで次々とソフトをインストールして、
容量がいっぱいになってしまったパソコンのように。
いったい何を守ろうとして、誰と戦っているのか?
戦いは、恐れの感情から生まれる。」
そこで他人を演じることはプロの俳優に任せて、自分自身を演じ切ろう、と呼びかける。どうせ演じるなら、最高の自分を演じようと呼びかける。
「本領発揮するためには、
想像力を使いながら理想とする自分のモデルを探す。
まるで役者が役作りするプロセスのように、
最高の自分という役作りは、
どんな姿で、
どんな表現をし、
どんな感動を味わいたいのか、
日々の自分像を固めていく作業だ。
その確かなヒントは、日々の感動体験にある。」
感動体験は、大切なものを大切にするセンサーだ。そのセンサーは、心の感度が鈍っていると反応しない。琴線にふれるとは、心の音叉が振動することだ。音叉は握りしめていると、絶対に振動しない。にぎりしめた手を少しゆるめるだけで、本来の音色が戻り始める。

“感情的な人より感動的な人”という項がある。
プロの話し手は、大勢に伝わるように話すには、大勢に話す心(みなさん)ではなく、目の前のたった一人の人へ話す心(あなた)が極意だと知っているそうである。
「感情的な人の話は聞きたくないが、
感動的な人の話はずっときいていたくなる。
感情的なひとには敵が増えるが、
感動的な人にはファンが増える。
感情的な人は健康を害しやすいが、
感動的な人は運命と健康を維持しやすい。
たった一文字の偉大な違い。」
天風さんは九十歳の時の講演で次のように語っていたそうです。「四十や五十はもちろん 七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。明日死を迎えるとしても  今日から幸福になって遅くないのです。」-「君に成功を贈る」から。

(文:横須賀 健治)

 

12月 10 19

横浜スケッチ(第41回) 銀座Beautiful展

by staff

ペンネーム 成見 淳

今年2019年の展示会への出品は5回でした。
展示順に、①5月「成見兄弟展」、全くの同時期展示で、②「県立鶴見高校OBOG展」、③7月「AKC2019水彩画展(赤坂孝史先生教室生徒展)」、④8月「ギャラリーダダ/アートフェスティバル(公募展)」、そして⑤9月銀座ASAGIARTSでの「Beautiful展」の5回でした。②の会場は横浜市鶴見区民文化センター サルビアホールのギャラリーで①③④は横浜そごう9階のギャラリーダダです。
今回の横浜スケッチは⑤のBeautiful展を取り上げます。

 

突然のメール

Facebookの8月12日の投稿記事にBeautiful展の事が載っているので、お誘いを受けたのはアートフェスティバルが始まる少し前の8月初旬だと思われる。銀座の画廊の女性経営者から「水彩画のグループ展に出品しませんか。」という内容のメールを頂いた。
『銀座の画廊から出品のお誘い?』初めは耳、いやメールだからこの場合は眼を疑った。続いて『え!銀座って、あの銀座!』、そして『まさか?』、『いや確かに銀座って書いてある!』 こんな具合に?マークと!マークが頭の中で交互にグルグルと回った。
『いつかは銀座で個展を。』、と思わないことはなかったが、個展ではないにせよこんなに突然やって来るとは思わなかった。サプライズというのは突然起きるからサプライズ。
興奮状態を感じながらも昔の嫌な記憶がよみがえって来て、一旦冷静に戻って心を落ち着かせることにした。一度否定的にとらえ直して、それを再否定することによって肯定に結び付けられるか否かを検証してみたかった。
面白そうな事、楽しそうな事にはすぐ飛びつく質だが、リスクは常に計算している。

 

嫌な記憶

嫌な記憶とは。30年位前油絵を始めて2年位経った頃、全日本美術協会という所に会友として入れてもらい、上野の東京都美術館に初めて30号の油彩「赤レンガ倉庫」を出品した時の事。日曜日の朝家内が素っ頓狂な声で「電話ですよ。『大澤先生いますか? 絵のことでお話が。』だって。売って欲しいという事かしら?」と興奮気味に呼びに来た。(当時は油彩で、ペンネーム成見を使い出したのは水彩を本格的に始めたここ数年。)
電話に出てみると、新聞だか美術雑誌に作品を掲載したいとの事。てっきり謝礼でもくれるのかと思いきや掲載料5万円を払えと言う。前々から絵の仲間に「大手の新聞社でもその手の話があり、初出品者は特に狙われるよ。」と聞いていたのを思い出して即断った。なかには「もう輪転機が回っているので。」とか詐欺まがいの事もあると聞いた。

 

真偽確認、出品決意

念のためASAGIARTSという画廊が実在するかどうかホームページで確認し、内容を把握した。どうやら本物らしい。さらに確かめるべく、メールで出品要領を送ってもらったり、逆にこちらの自己紹介を兼ねてホームページに加え「ヨコハマNOW」の事、「横浜スケッチ」のコラムの事を紹介したりした。自分をオープンにすることは相手との距離を縮め、相手の情報を得る必須条件でもある。ヨコハマNOWは特に有効なツールとして活用させてもらっている。
お誘いのきっかけは画廊の代表浅黄弥生さんがインスタグラムの私の絵をご覧になったことだった。
基本的にお受けすることにしたが、『なぜ自分が誘われたのか?』、また他の出品者がどういう方かも全く知らないので『自分の絵が場違いではないだろうか?』という事が心配だった。
そこで、直接銀座の会場に行って、場所の確認と絵を見て頂いて出品の可否を判断してもらうことにした。一度目は京橋に友人の出品作を見に行く帰りに銀座6丁目の会場に向かい、散々迷って『まさかこの細い道の奥ではないだろうなあ?』と思った場所に画廊があったが、3階の灯りは点いているもののシャッターの鍵がかかっていて入れず、場所だけ確認して帰宅。場所を確認したから一安心、は甘かった。
 二度目に画廊を訪れたのは8月19日丸善丸の内の展示会「東京こだわりの風景画展」に行った時で、スケッチツアーでご一緒した佐藤ツエ子、野島朱美両先生の絵を拝見した後、迷うことなくASAGIARTSに着くことが出来た。
ASAGIARTSではちょうど「It’s so delicious展」をやっていて、7人の作家(全員女性)によるお菓子やスウィーツなどの小さな絵が沢山展示されていて、そのうちのKailene Fallsさんというアメリカ人作家とお話しすることが出来た。日本語が目茶目茶上手で頭の回転の超早い方で、交換した名刺の肩書の一つにtv talentと書いてあり、家に帰ってから検索すると https://kailenefalls.com/ 「NHKワールド」に出演したりTBSの「世界くらべてみれば」のレギュラーメンバーだったりとの事だった。どうりで言葉(日本語)が適確で早口と納得。
画廊の代表者は不在でお母さんがいらしたので絵を見て頂いて「これなら出品に何の問題もありません。」とお墨付きを頂き一安心。出品の気持ちが固まった。
出品が本決まりとなり、プロフィールや作品リストやコメント、名刺などを作成した。搬入搬出は郵送で会期中作家は必ずしも常駐の必要は無く、画廊の方(代表は子育て中との事でほとんど代表のお母様)が対応してくれた。

 

出品作家と代表作品

徐々に解って来たことは、Beautiful展は初めにグループありきではなく、画廊のコンセプトに合った作品の作家をピックアップした展示会、画廊主導の企画展だった。それ故4人の作家達は全くの初対面で、それまで顔も作品も知らなかった。
期間中に改めて選定基準を伺うと、「絵が美しい事」「本人が手で描いたものである事」の二つを挙げられた。2番目が理解できなかったので伺うと「コンピュータグラフィック等でない事」と説明されな、『今はそういう時代か。』と納得。

作家をPost Cardの右側の宛名に従って紹介すると。
①atsukoさん:本名井上敦子、広島市在住。パース、イラスト(CG,手描)制作を手掛け、文化センターで水彩画講師。作品は左上(一番上)、オーソドックスな水彩画。二日目にお会いした。https://inoue-atsuko.jimdo.com
②亀井則通さん:水戸市在住、期間中吉祥寺で個展を同時開催。作品は全てハガキサイズながら実に細密な水彩画(半透明水彩いわゆる学童用の画材)。2017年元旦にインフルエンザにかかり自宅待機となったのを機に水彩画を描き始められたとの事。
インスタグラムはfitiilokamei、作品は右上(上から2番目)。確か最終日にお会いした。
③齋藤雅史さん:千葉県の船橋市在住。作品は右下(4番目)で実に繊細なパステル画。アメリカの美大を出られて受賞歴も多数。会場では一番多くご一緒した。作品は「齋藤雅史 パステル」で検索。インスタグラムは masafumi_saito.pastel
④成見 淳:現在の戸籍上は大澤、2歳前まで成見。横浜市在住。以下ピロフィールは最終ページに。4人の中では最年長ながら画風は最も未熟。作品は左下(3番目)。
インスタグラムはjunnarumi1143

 

会場にたどり着くまで

会場のASAGIARTSは中央区銀座6丁目4-12 あさぎビル3階。私はここへ行くのに2回迷った。1回目は初めて行った時で6丁目の4までなかなかたどり着けなかった。銀座通りからかなり皇居側に寄った所だから。2回目は迷うことなくすんなりなり着いた。
3回目は初日に家内と、つばめグリル銀座コア店でランチをしてから行ったが迷ってしまった。2回目ですんなり行けたので安心したのがまずかった。その原因は銀座通りと外堀通りを勘違いした事だ。交差点だと銀座六丁目と銀座西六丁目の違い。

さらに解りにくいのは六丁目4までたどり着いても画廊が通りに面していない事による。
高校同級生のN君からは「こんど銀座で個展をやる時はもっと解りやすい所で頼む。」と言われ、同じくIさんからは「友達6人を連れて行きましたが会場が解らずに帰りました。」とのメールをもらい、その中の一人が翌日来てくれた。
実は私もその一人だったが「銀座」という言葉から華やかな所をイメージし過ぎていて、その既成概念が邪魔をしたと思う。銀座も一本中に入ると、明治大正とは言わないが戦前の昭和を感じさせる所が結構あって、これが何ともノスタルジックな良い雰囲気なのだ。
「横浜スケッチ」第21回の中で書いた俳人鈴木柾真砂女さんのお店「卯波」のあった界隈を思い出せてくれた。オーナーの浅黄さんのお話では結構昭和を彷彿させる所が残っているという。表通りから入った所は再開発しにくいためらしい。
既成概念にとらわれると道に迷うのは、なまじ昔の事を良く知っている場合にも起る。既成概念が街の発展変貌に追いつかない。今風によると上書き、更新されていない。
大学に入ったばかりの頃、吉祥寺の同級生の三畳間の下宿に行った事があった。数年前吉祥寺に行く機会があり、その変わりように驚いた。そんな下宿はどこにもない。「学生の街」が変わったのではなく学生の生活スタイルが変わったのだ。下宿アパートは無くなりこぎれいなマンションに変わっていた。
 解りにくいと言われた場所だが何日か通ううちに『実は一番分かり易いのではないか。』と思うようになった。客待ちの間に周辺を歩き回ると画廊に至るには六丁目4のどこから来ても「まさか」と思う狭い路地、ビルの隙間を入れば良いのだ。ルートは四つもある。中に入れば昭和の雰囲気。実に新鮮だ。「旧い」や「古い」は「新しい」と反対だが「新鮮でない」とは言い切れない。「旧い」「古い」からこそ「新鮮に感じる」ことはある。
画廊の母、娘、3歳の孫の三世代による家庭的な温かさも相まって、すっかりこの場所、この画廊の雰囲気が好きになった。

話は少しそれるが、我が家に出入りしている保険関係のIさんの息子さんがドルチェ・ヴィータ銀座というイタリアレストランを経営されていて「お店に絵を飾ってあげたいのでイタリアらしい絵を描いて欲しい。」という依頼を前々から頂いていた。
たまたま今年の6月のスケッチツアーが北イタリアと国境近くのスイスの村だったのでツアーの基点空港となったミラノでスケッチをと考えていた。結果的には北イタリアの景勝地オルタ・サン・ジュリオでは沢山描いたが、スェーデンから戻ったミラノでは描く時間が無かった。
Iさんがギャラリー・ナルミに来られて、色々絵を見て頂いた結果選んだ絵(の複製)が会期中に家族3人でドルチェ・ヴィータに伺ったら飾ってあった。

何と銀座6丁目4まで画廊と同じ所在地。展示会の初日に歩測したら約50歩の距離だった。

 

展示風景(入り口、左から)

初日、ドキドキしながら3階のドアを開けると、それまで全く知らなかった4人なのに何故か調和のとれた、統一感にまずほっとした。とても心が休まる良い雰囲気。何よりも私の絵が皆さんの邪魔をしているようには見えなかったのでひと安心。
展示作品を良く見ると「6号1点、4号3点と言われていたのに6号が2点になっていた。展示スペースも一番広くて恐縮。

成見 淳(透明水彩)

亀井則通(半透明水彩)

井上敦子(透明水彩)



齋藤雅史(パステル)

機会があればまた是非同じメンバーで展示させて頂きたい。

年の最後に横浜スケッチらしい絵を1点。(実はこれ2019年私のインスタグラムの中で一番「いいね」が多かった絵。)
1年間お読みいただきありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

外交官の家(横浜市山手本通り) 透明水彩6号

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

12月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第15回
「『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―後編―」

by staff

第15回 『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―後編―

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十五回目でございます。

現在の新刊「はま太郎」16号の表紙イラストは筆者がモデル
(画像提供:星羊社)

横浜の夫婦ふたり出版社・星羊社が年に数回刊行している「はま太郎」。筆者はこの「はま太郎」13号より「ナポリタンボウ」というタイトルで執筆を担当しています。前回は私がインタビューに登場した第12号から14号までのご紹介を致しましたが、今回は後編ということで、第15号、そして最新16号のご紹介をしつつ、「はま太郎」と、「麺食力」との関係性を綴っていきます。

2018年の「はま太郎」15号は記念特集号
(画像提供:星羊社)

毎号100ページ前後で毎年2~3回刊行していた「はま太郎」ですが、2018年より年1回くらいの刊行ペースで160ページから200ページ近くにすることで1冊をより濃密なものに仕上げるスタンスに方向転換しています。そうすることで特定のエリアに絞る特集を組むようになりました。
2018年の第15号は神奈川区にスポットを当てつつある、という編集部からの連絡を受け、神奈川区のナポリタン名店を、と考えていたら、ありました。ありました。

「ナポリタンボウ」第3回目は「キッチン友」。
店主・大友良佑氏の巧みな
フライパンさばきがとても良い写真

「麺食力」146ページで掲載した、神奈川区六角橋の「キッチン友」です。
ご主人の大友良祐氏は神田の「キッチンカロリー」で修行後、独立。明治大学などの学生街をターゲットにしていたことから、神奈川大学にほど近い六角橋に出店。半世紀以上、地元の学生をはじめ多くの人々の舌を魅了。あの井之頭五郎も激賞した「友風焼き」は、「キッチンカロリー」の「カロリー焼」を食すとそのルーツを垣間見ることができます。

「麺食力」では、ナポリタンではなく
インディアンを紹介していた!

拙著「麺食力」での「キッチン友」は、スパゲッティ・ナポリタンではなくスパゲッティ・インディアンを紹介していたのです。ナポリタンはケチャップですが、大体同じ具材でケチャップではなくカレーで仕立てるとインディアンとなる。そういうスタイルのお店はちらほらあるので変化球をつけたのだと思います。

キッチン友のナポリタン。
2017年より日本ナポリタン学会認定店舗に

キッチン友のナポリタンは特製のデミグラスソースとカゴメトマトケチャップが1:1の特製ソースとなっています。デミグラスソースの茶色っぽさが現れた洋食屋らしい一工夫あるナポリタンです。
その他のキッチン友のあんな話やこんな話は、是非本をお手に取ってお読みください!!

2019年「はま太郎」最新16号は南区特集号
(画像提供:星羊社)

そして!今年8月に刊行した「はま太郎」最新16号は、160ページの前号よりも更に分厚く192ページ!!
しかもそれは「南区特集号」と銘打って、南区の市民酒場、銭湯、米屋、豆腐屋、製麺所、町中華、和菓子屋、暗渠、路上園芸&etc.
ここまで南区にこだわって作った本が今まであったでしょうか。とにかく凄いです。

「ナポリタンボウ」も南区特集。一挙3店レポート!

「ナポリタンボウ」も南区特集で京急黄金町駅から井土ヶ谷駅までの3駅の駅前喫茶3店を一挙15ページ分にわたってレポートさせていただきました。
南太田駅はご存知「ぱぁらー泉」(「麺食力」101ページに掲載)。
店主・八亀淳也氏のフライパンさばきが美しい写真です。
黄金町駅は「珈琲山」、井土ヶ谷駅は「喫茶アスカ」。この2店舗は「麺食力」でも取り上げていません。三者三様の物語、そして三者三様のナポリタン。
この内容は……、是非本をお手に取ってお読みください!!

今後も「はま太郎」の「ナポリタンボウ」では、「麺食力」で紹介した名店を取り上げることもあるかと思いますが、そうではない新たなナポリタンの名店めぐりも広がっていくと思います。そうであってもやはり「麺食力」で培ったスピリッツのようなものは忘れないようにしたいと思います(まあ、そうは言っても人から見たら所詮は食レポに過ぎないんですけどね)。

2019年最終号ですね。一年間お付き合いいただきましてありがとうございました。
新年一発目の次回は再びお店の取材をする予定です。お楽しみに。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

12月 10 19

チャレンジ(第16回) イベントを終えて

by staff

イベントを終えて

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。とうとう12月に入り今年も終わりが近づいてきましたね。皆さんは何かやり残したことはありますか? この1年忙しかった私は、家の掃除がままならず・・・・新しい年を迎える前に大掃除をして、スッキリ年を越したいと思っています。

さて、11月15日(金)16日(土)に開催した「秋のみんみん祭り」ですが、とてもたくさんのお客様に来場して頂き、C.P.FACTORYオリジナル商品も購入して頂き、大盛況となりました!

15日(金)には神奈川新聞社さんに取材が入り、16日(土)の紙面に掲載して頂いたので、ご覧になったお客さまもいらっしゃってくださいました!本当に有難いです。
https://www.kanaloco.jp/article/entry-209035.html

また、あにみの理事長、服部さんとのトークセッションも予想以上にたくさんのかたに参加してくださり、色々な意見交換の中、私自身も大変勉強になりました。

今回は目の見えない方が参加してくださったので、ワークショップデザイナー( http://wsd.irc.aoyama.ac.jp/ )として準備しておいたワークはやらずに、「傾聴」を重視して会を進行させていただきました。
これも、ワークショップデザイナーとして、その場のマッチングとフィット感を大切に、臨機応変に対応できたことがお客様の満足度に繋がったと思っています。

今回の最大の目的はボランティアとして「アニミの移転場所を周知させる」ことでしたが、大きなガラス窓のカフェなので、お店の中にたくさんのお客様がいらっしゃると入りやすいようで、「前から気になっていたの」「バスの時間まで珈琲を飲みたい」「子どもがお宝釣りゲームをやりたいと言っているが良いですか?」など、アニミを知らないお客様も来て下さったので、ボランティアメンバーや、職員、もちろん利用者さんたちもとても喜んでくれました。

今もお祭り用にみんなで作ったサンキャッチャーが飾ってあります。

お近くに行った際にはぜひお寄りください!

次回は「リアルコミュニケーション」です 

(第16回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

12月 10 19

絵本から笑本へ(第44回) 絵本作家がゆく。~塩尻市 子育て支援センター~

by staff

18カ月をかけ、横浜市内全18区の子育て支援拠点と、

子育て支援事情についておしゃべりしてきました。
絵本作家 保科琢音の連載コラム第三期。

そして前回は横浜市以外の施設の話、
横浜市以外の子育て支援事情の話もしたいという訳で、 
横浜市を飛び出し、「小田原市子育て支援センター」について
おしゃべりさせてもらいました。

そして今回は横浜市を飛び出し、更には神奈川県も飛び出して…
長野県の「塩尻市子育て支援センター」について
おしゃべりさせてもらおうと思います。

長野県塩尻市は何をかくそう…

別に隠してませんが、ぼくの父方の田舎。

という事は、絵本作家 保科琢音のルーツは長野県になる訳です。
「保科」という珍しい名字もやはり長野、信州には多い。
さらに数年前まで長野県には「保科村」があった。

保科村には保科小学校があり、保科郵便局があり、
保科川が流れ、保科温泉まであり、
酒屋には保科と名の付く日本酒が売られていた。

そんな保科村へ保科一族で遊びに行った事もあります…
と、保科家の思い出話はこの辺にして。
本題はここから(笑)

絵本作家 保科琢音としても何かのカタチで長野県、
また塩尻市と関わりたいと昔から考えておりました。

そこで、一番初めにお声がけさせていただいたのが、

塩尻駅前にある「えんぱーく」。
えんぱーくは、地域交流総合施設といった場所です。

図書館や音楽室、学習室や会議室、
カフェやパン屋さん、ケーブルテレビの支社
なんかも入っている施設。

その中に、「塩尻市子育て支援センター」もあります。

更に、この子育て支援センターは
図書館の児童室ともつながっている、
他では類をみない子育て支援センター。

子育て支援センターと図書館ですから、
運営は違うのですが受け付けカウンターは一緒。
図書館で借りた本も子育て支援センターで読めたり、
合同でおはなし会やイベントも開催したり、
とてもおもしろい試みをされています。
ぼくも、何度も読み笑わせのイベントを開催させてもらいました。

これまで絵本作家として、

色々な地域の子育て支援施設や子育て支援センター、
子育て広場へ行かせて頂いてきましたが、これだれ開放的で
地域交流の真ん中にあるような子育て支援センターはなかなか無い。

まぁ、言ってしまえば地方なりの立地条件というのも
少なからずあるかもしれません。
しかし、これからの子育て支援を考えたときに、
こういう様々な世代へ向けた施設が一緒になっている場所も
必要だと、ぼくは行く度に感じるのです。

これからも、多世代が一緒に交流できる夢の場所として、
先進的な事もたくさんやっていってくれると思います。

絵本作家 保科琢音も貢献できるよう、精進します。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

<今回訪問した施設のご紹介>

塩尻市 子育て支援センター
HP: https://www.city.shiojiri.lg.jp/soshiki/kodomokyoiku/kosodate/index.html

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

12月 10 19

第82回 思い出づくりとコストダウン

by staff

tentline(テントライン)
松井 理美子

思い出づくりとコストダウン

床に敷くフローリングや選ぶとき、建材メーカーと呼ばれる専門の会社の商品から選ぶことが通常です。そういった建材メーカーのフローリングは、ばらつきが少なく横に並べた時に板と板の間に隙間があかないように加工されています。なので、同じ樹種の加工されていない木板より金額が高いのは当然です。

反りや節や色味といった「品質のばらつきが気にならない」場合=「素材の個性を活かす」場合、選択範囲が広がります。その場合によく使わるものが工事現場の足場板に使われる杉板です。足場板用にカットされている新品もありますし、工事現場で実際に使われた古材もあります。サイズは、巾20センチ・厚み3.6センチ、長さ2~4メートルです。厚さを半分にした1.8センチのものや更に薄くしたものもありますが、薄くなるにつれ反りや割れの発生が多くなります。

新品の足場材を使う場合は、表面のざらつきやササクレをヤスリで滑らかにし、長さを調整する必要があります。この作業をお施主様がDIYすることによりその空間への愛着が湧き、家族や友達と楽しむことが出来れば思い出づくりになります。そしてコストダウンにもつながります。

工事現場で使われていた古材の足場板ですと表面を滑らかにする作業は不要ですが、灰色に経年変化していて傷やペンキがついていることが多いです。その汚れや古さを「アジ」=「風合い」としてとらえると、新品にはない雰囲気をつくることができるので、よりラフな雰囲気を求める方にはお勧めです。

足場板の長さを調整し敷く

完 成

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

12月 10 19

山側に 風のかけたる しがらみは 流れもあえぬ 紅葉なりけり

by staff

♪ 山側に 風のかけたる しがらみは 流れもあえぬ 紅葉なりけり ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:春道 列樹(はるみち の つらき)

歌意:山と山の間に流れる川沿いに なんとも美しい柵(しがらみ)があったけど、それは風が落として集まった紅葉だったよ。

柵(しがらみ)意味:水の勢いをせき止めるため杭を打ち並べてその間に木の枝や竹などを絡ませて結び付けた物。

古典の和歌を歌っていて大和言葉の由来に触れると不思議なカルチャーショックを覚えることがよくあります。今回もこの「しがらみ」と言う言葉。普段自分が何の気なしに使っている言葉なのですが、今までは自分にとって人間社会の中で断ち切ることが難しい立場にいる人々との関係性を表す言葉だと思っていました。婚姻関係にある相手の家族や、仕事の上で親の代からのお付き合いがある人などの関係です。その意味する処の言葉の由来がまさか大昔からあったとは、私の「しがらみ」と言う言葉感覚からは思いもよりませんでした。そこで自分のしがらみ感が世間のしがらみの言葉の意味と符合しているのか辞典で調べてみるとまあ!もっと暗い言葉だわ! まとわりついて行動を引き留める物。邪魔をするもの。等 なんか嫌いな言葉10選なんていうテーマがあったら1,2番にあげられてしまいそうなネガティブWordです。この古い大和言葉を歌にして使っている和歌が他にないかとちょっと探してみると、あるんです。今回の春道さんの生きていた時代をもっとさかのぼって、天武朝 持統朝の頃の歌人。今でいう御用歌人の柿本人麻呂さんが歌った歌が万葉集に残っていました。天智天皇のお嬢さん 明日香のひめみこが崩御された時の和歌です。

♪ 明日香川 しがらみ渡し塞(せ)かませば 流るる水ものどかにあらまし ♪ 柿本人麻呂

歌意:飛鳥川にしがらみをかけて、せき止めていたら 流れる水も(彼女の命も)もっとゆっくり流れただろう。具合が悪くなるのをせき止めておくための何かがあれば、まだ永らえたイノチだったのかもしれない。

春道列樹さんも 柿本人麻呂さんも「しがらみ」 という言葉をとても良い意味で使っていて現代人の感覚とは一味も二味も違います。いつ頃からこの「しがらみ」 が嫌な言葉のように使われだしたのか、きっと江戸時代でしょうね。

言葉は人が使わないと死語となってしまいます。そういう意味ではこの「しがらみ」現代の日本ではまだまだ十分に使用価値がありそうです。
でももっとポジティブな言葉としても使って行けたらいいなと

例えば・・・長期政権の腐敗の流れにしがらみをかけるための立候補! とか。
      貧困と格差社会にしがらみを投じる! とか

読み手の春道列樹(はるみちのつらき)さん。多分30代前半でこの世を去った歌人なのではないかと思います。したがって彼の事はどんな若者だったのか殆どわかりません。が亡くなる前の彼の役職が太宰府の長官で その後壱峻守になり赴任する前に亡くなったという事なので九州のお役人さんだったのでしょう。彼のお父さんは主税頭(一説には雅楽頭)。
息子の列樹さんはきっと頭脳明晰な若者だったのだと思います。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

12月 10 19

元気いっぱいのシニアアスリートご夫婦 遠藤靖信・正子さん

by staff

横浜市磯子区の八幡橋で、明治時代から三代続いた寿司店を経営されてきた遠藤さんご夫妻。二人三脚でお店を切り盛りしてきましたが、5年前、ご主人が80歳の時に惜しまれながらお店を閉じられました。その一方で、70歳を過ぎて始めたランニングや体操は生活の一部となり、85歳を迎えた今もマラソン大会に出場する元気いっぱいのシニアアスリートご夫婦です。

遠藤靖信・正子さんご夫婦

お名前 遠藤靖信・正子(えんどうやすのぶ・まさこ)
お生まれ 靖信さん 1934年3月15日
正子さん 1933年8月5日
お住まい 横浜市磯子区
趣味 靖信さん ランニング
正子さん 体操

 

先代から寿司店を継がれるまでのことを教えていただけますか。

明治の頃、私の祖父が八幡橋の近くに「境屋」という寿司屋を開きました。「磯子のれきし(磯子小学校創立100周年記念誌)」によれば、明治30年頃にはすでにお店はあったようです。当時、この近辺は運河を使った舟運や根岸競馬場の客など栄えていたそうです。その後、第二次大戦中に閉店した時期もありましたが、父が寿司屋を八幡橋のたもとで再開しました。私は、磯子で生まれて中学校卒業後、井土ヶ谷の既製服の会社に勤めておりましたが、17歳の頃から寿司屋を手伝うようになりました。近隣でとれた新鮮な魚介類を使うのが評判で、10人足らずのカウンターだけのお店でしたが、繁盛していましたね。一時、自分で山下町(中華街のそば)にお店を出した時期もありましたが、また八幡橋に戻りまして、その後約30年間、80歳になるまでお店を続けてきました。市電が走っていた頃の写真に「境屋」といううちのお店が写っています。

電車のある風景(武相高校鉄道研究会撮影)

奥様と二人三脚で30年間お店を切り盛りされてきたのですね。

家内とは結婚して59年になります。家内は横浜市神奈川区の子安にあった飲食店の“看板娘”でした(笑)。昔から元気溌剌な人でしたよ。知人の紹介で知り合い結婚しました。子供は息子二人、娘一人を授かりました。父は99歳で亡くなりましたが、家内は店を切り盛りしながら子育てや父の面倒で大変だったと思います。父は昔気質の寿司職人で、寿司はお茶で食べるものだとお酒を店に置きませんでした。

私たちが店に戻ってきてから、お客様も増えて業績は順調でした。昔は、今と違い出前を取る家が多いこともあり、毎日忙しかったです。特にお盆や年末年始は目が回るほどの忙しさで、子どもたちにも配達を手伝ってもらいました。世間の方がお休みのときに忙しい商売ですから、子どもたちにも苦労をかけました。毎朝、南部市場に仕入れにいっていましたから、寝る時間もなかったですね。当初はお昼から夜8時頃まで店を開けていたのですが、酔っ払いのお客が増えたこともあって、夕方6時に閉めるようにしました。お客さんからは「早すぎる」と叱られたこともありました。そんなに早く閉店する寿司屋はどこにもなかったでしょうね(笑)。やがて、回転寿司が増えて寿司屋の形が変わってきたことや、納豆巻きやカリフォルニア巻きなどこれまでの寿司屋にはなかった新しいネタが増えてきたこと、そして夫婦二人で切り盛りするのが大変になったこともあって、今から5年前、80歳の時に3代続いた店に区切りをつけました。息子は継いでもいいよ・・と言ってくれたのですが、これからの寿司屋の経営を考えると、継いでもらわなくて良かったと思っています。

今は、孫やひ孫たちと一緒に過ごす時間が何より楽しく、そして趣味のランニングが生活の一部となっています。

お店の前で

85歳を過ぎた今もマラソン大会に出られているとお聞きしましたが・・・。

私がランニングを始めたのは70歳の頃からです。当時、野口みずきさんが、アテネオリンピックで金メダルを取ったのを見て、 “あんなに小さな女の子が走れるなら自分にも出来るのでは?” と思ったのがきっかけです。毎朝、近所をランニングすることから始めました。走り方などは自己流で今まで誰にも指導を受けたことはないです。

最初に走ったフルマラソンは、2006年、72歳の時のホノルルマラソンで、時間は6時間11分でした。日々の練習でも10kmくらいしか走ったことがなかったので、完走できるか心配でしたが、何とかなるものですね。

ホノルルマラソンは3回ほど走っています。2010年には家内もフルマラソンに挑戦しました。私は5時間44分で、家内は8時間33分で完走しました。ホノルルマラソンは制限時間がないので休みながら走れます。家内は沿道で応援してくれる人たちと一緒に踊ったりして、楽しみながら完走したようです。

他に・・・かすみがうらマラソンは毎年のように参加していますし、沖縄やニュージーランドなどに遠征してフルマラソンに参加しています。フル以外にも湯河原マラソンの10kmやハーフマラソンなど・・これまで出場した大会は数えきれないですね。

私のベスト記録は、2014年4月のかすみがうらマラソンで出した4時間50分23秒です。これは2014年度の全日本マラソンランキング、男子80歳の部で全国7位の記録だそうです。陸上競技の経験もなく、それどころか小学校時代は足が遅くて運動会が嫌いだった自分が、全くの自己流でここまでこれたのは、毎日、黙々と一人で走ってきたことへのご褒美だと思っています。

靖信さんの初マラソンの記録

全日本ランキング

ニュージーランドマラソンでの正子さんの雄姿

私が出場する大会には、家内はいつも応援に来てくれますし、子どもたちも家族総出で応援に来てくれます。いい家族に恵まれたと感謝しています。

2019年4月に開催された横浜市民マスターズスポーツ大会の5000m85歳以上の部で1位になりました。そもそも80歳以上で走ったのは私だけでしたけれど(笑)。会場中から祝福されて嬉しかったです。あと5年はこの記録は破られないですものね。90歳になったら90歳の部として出場しようかなと考えています(笑)。

今も毎日1時間くらい走っています。健康を維持していくため、これからも走り続けたいと思っています。私は「走っている限りは健康なんだ。」という信念を持っています。昨年、ロードバイクを手に入れたので、足のトレーニングのために三浦半島にも一人で出かけています。来年(2020年)も湯河原マラソンの10kmに出場予定です。まだまだ頑張りますよ!!

横浜市の記録

来年で結婚60周年ということですが、夫婦円満の秘訣は何でしょうか?

 靖信さんからは・・・

夫婦円満の秘訣は、やはり「お互い健康であること」でしょうかね。二人とも元気なのが一番です。夫婦喧嘩はしないですね。私が先に謝っちゃいますから(笑)。家内の良いところは、いつも元気で、さっぱりしているところです。
子どもたちも市内に住んでいて、私が握る寿司が目当てに(?)何かというと集まりますので、その時は張り切って作ります。これも夫婦二人で楽しく暮らしてこれた一因だと思います。

 正子さんからは・・・

夫婦円満の秘訣は、同じく「健康」ですね。私は、根岸森林公園の朝のラジオ体操にはもう20年以上通っています。大きな声を出すので、周りから「とても元気なおばさん」と思われているようです。最近は、毎週保育園で子供たちとラジオ体操をやったり、グランドゴルフも週3回程度やっています。友達とおしゃべりするのも元気の源になっていますね。
主人の良いところは、いつも落ち着いていて、私をかばってくれることですね。私が大声で何を言っても、物静かに受け止めてくれます。
世間のご夫婦よりもこれまで一緒の時間が多かったと思いますが、主人が優しいのて仲良くやってこれたのでしょうね。

お二人にとって横浜とは・・・

 靖信さんにとっては・・・

私にとって横浜は「私を育ててくれた町」です。小さい頃は、目の前の海や近くの山で遊び、この歳になるまでずっと横浜で暮らしてきました。横浜の町が今の自分を作ったと言ってもいいと思います。特に好きなのは、やはり生まれ育った磯子ですね。

 正子さんにとっては・・・

私にとって横浜は「私を元気にしてくれる町」です。ご近所さんをはじめ、いい友達がたくさんいます。0歳の赤ちゃんから80代の人まで、いろんな年代の人たちに囲まれていると、自分が元気になってきます。

お二人にとっての横浜

<取材を終えて>

お二人合わせて170歳を超えるご夫婦ですが、本当にお元気で笑顔が素敵です。正子さんとは根岸森林公園のラジオ体操でご一緒しますが、彼女の一声でその場がパーッと明るくなります。靖信さんは小柄で物静かな方で、一見アスリートっぽくないのですが、凄い能力をお持ちの方なのです。横浜の元気なシニアとしてこれからもお二人そろって益々お元気でいていただきたいと思います。

(インタビューと文:渡邊圭祐・桃伯子)

 

11月 10 19

「SDGs」を自分ごとに・・・

by staff

 

「SDGs」をご存知ですか。
丸い「SDGs」のバッジをつけた方を、最近よく見かけますよね。

「「SDGs(Sustainable Development Goals)持続可能な開発目標」とは・・・
国連が創設70周年を迎えた2015年9月の国選総会で、193の加盟国が全会一致で採択した「我々の世界を変革する 持続可能な開発のための2030のアジェンダ」で、2016年から2030年までの17の目標とより具体的に設定された169のターゲットのことです。

外務省のWebサイトより

17の目標は、誰ひとり取り残さない(No one will be left bihind)という考え方にもどついて定められました。

世界を変えるための17の目標は次のとおりです。

  1. 貧困をなくそう NO POVERTY
  2. 飢餓をゼロに ZERO HUNGER
  3. すべての人に健康と福祉を GOOD HEALTH AND WELL-BEING
  4. 質の高い教育をみんなに QUALITY RDUCATION
  5. ジェンダー平等を実現しよう GENDER EQUALITY
  6. 安全な水とトイレを世界中に CLEANWATER AND SANITAITON
  7. エネルギーをみんなに そしてクリーンに AFFORDABLE AND CLEANENERGY
  8. 働きがいも経済成長も DECENT WORK AND ECONOMIC GROWTH
  9. 産業と技術革新の基盤をつくろう INDUSTRY INNOVATION AND INFRASTRUCTURE
  10. 人や国の不平等をなくそう REDUCED INEQUALITIES
  11. 住み続けられるまちづくりを SUSTINABLE CITIES AND COMMUNITIES
  12. つくる責任 つかう責任 RESPONSIBLE COMSUMPUTION AND PRODUCTION
  13. 気候変動に具体的な対策を  CLIMATE ACTION
  14. 海の豊かさを守ろう LIFE BELOW WATER
  15. 陸の豊かさも守ろう LIFE ON LAND
  16. 平和と公正をすべての人に PEACE,JUSTICE AND STRONG INSTITUTIONS
  17. パートナーシップで目標を達成しよう PARTNERSHIPS FOR THE GOALS

横浜市では、「ヨコハマSDGsデザインセンター」を立ち上げて、「SDGs未来都市・横浜」の実現を目指しています。
横浜市の企業では第2回「ジャパンSDGsアワード」(2018年12月)で株式会社大川印刷がパートナーシップ賞を受賞しました。

第2回ジャパンSDGsアワード受賞団体
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sdgs/dai6/siryou2.pdf

最近は「SDGs」の認知度も上がってきていますよ。
2019年8月に朝日新聞社が3000人を対象に実施した、「SDGs認知度調査 第5回」では、「SDGsという言葉を聞いたことがあるか」という質問に「ある」と答えた人は前回より増え27%。初めて20%を超えたそうです。
特に若い世代での認知度が高いようで「15?29歳」では、「ある」が31%になっています。

2030 SDGsで変える
https://miraimedia.asahi.com/sdgs_survey05/

でも「SDGs」って何?
難しそうだし自分には関係ないと思っている方が多くないですか。

そんな皆様にお勧めの一冊が、私立中学受験と言えばの「日能研」で出版している「SDGs 国連 世界の未来をかえるための17の目標 2030年までのゴール」です。

「日能研」の本

この本は、私立中学受験生のために「SDGs」を分かりやすく解説したもので、入門書として最適だと思います。多くの私立中学校の入試に「SDGs」に関連したものが出題されていることにも驚かせられます。

そしてもう一つ。
2019年7月に、国連で日本の中小企業の「SDGs」の実践例として報告された、株式会社太陽住建の「SDGsレポート」です。

このレポートには、目標8「働きがいも経済成長も」と、目標13「気候変動に具体的な対策を」に関連する取り組みとして、地域の障がい者就労支援団体と協働し、障がい者の方に太陽光パネル設置・架台工事に従事してもらい新たな雇用の機会を創出したり、災害時に福祉避難所にもなる福祉施設の屋根を借りて太陽光発電設備を取り付け、災害時にも強い避難所を増やしていく事業も進めている様子がまとめられています。

株式会社太陽住建の「SDGsレポート」

私は、「SDGs」に熱心に取り組んでいる中小企業の経営者との交流を通して、(盆栽カフェの石井先生の石井造園株式会社も「SDGs」で有名な企業です)、自分なりに「SDGs」を勉強させていただいています。
そして、「SDGs」は、国や団体だけでなく、私たち自身が、17の目標を達成することを担っていると痛感しています。

11月30日に開催される高等教育問題研究会・FMICS (フミックス)の例会で「私のSDGs」を語ることになりました。

11月&12月のFMICS 自分ごとのSDGs “あなたとわたしの未来が見えてくる”
http://www.fmics.org/

ちなみに、私の「SDGs」の一つは目標12「つくる責任 つかう責任」のターゲット12.3にある「食品ロス」を減少させること。野菜の皮もできるだけ食べるように、無農薬野菜を購入するようにしています。

このように「今の私にできること」から始めていけば、それが「世界を変える」ことにつながっているのだと思うのです。

皆様も・・・2030年に向けて、自分の家庭の地域の「SDGs」を考えてみませんか。

 

11月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第6回)
自然災害時、要介護者とともに命を守る不安

by staff

第6回 自然災害時、要介護者とともに命を守る不安

まずは、台風15号、19号及び10月25日の豪雨災害により、亡くなられた方々のご冥福と被災された皆様におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。

横浜市在住の我が家は、15号では倒木により電柱が倒れ、20時間の停電を経験しました。そこで、19号の時には、停電や暴風への注意をしましたが結果は、全国で多くの川が氾濫し、土砂崩れや浸水等による大きな被害をもたらしたことをニュースで知ることとなりました。

自然災害は、決して同じような状況になるとは限らない。また、こうしておけば対策は十分、なんて保証は全くないですよね。家庭で要介護者とともにいると、どうやって避難したらよいか? 命を守れるのか? いつも不安を抱えていますが、今回のように猛烈な勢力の災害を前にしては、より一層、困難さや恐怖心ばかりが増しました。

しかし、ただ怖がっていてもしょうがない。どんなことでも経験から、学ぶことはあるはず。水・懐中電灯・電池・ラジオ・保存食・処方薬等々、日頃から非常時の準備をしていることは当然ですが、今回の2つの台風により経験した停電や暴風雨からも、身を守ることを考えてみることとしました。

《用意していて良かった物》

  • 暑さ対策としての冷却用品
    停電でクーラーが使えない要介護者にとっては、室内は蒸し暑く熱中症の危険があった。そこで、体温を上昇させないために、体を冷やすことが必要となった。
    発熱用の体に貼る品もあるが、母は貼るのは不快に感じるので、水に濡らすだけで冷えるタオルを首や手首に巻いて使用した。
    1時間もすると、タオルの冷え効果はなくなり、また濡らすという手間はかかるがケアする者は台風後の片づけもあるので、うっかり様子を看ることを忘れてしまうかもしれない。1時間程度で濡らすの繰り返しは、体調の変化にも気付け、ケアする者も休憩がとれるという利点を感じた。
  • 人感センサーライト(室内用)
    日頃から、数個廊下などに、乾電池用センサーで足元を照らすようにしていたので停電で暗闇の中行動する時、ライトがあることで安心できた。乾電池用の安価なもので、十分!これはお勧めです。
  • お湯か、水だけで食べられるアルファ米
    電子レンジで温めるご飯は、停電時は使用できない。その点、お湯でも水でも、入れるだけで食べられるご飯は、便利だった。柔らかめの食事をしている要介護者も、問題なく食べることができた。
  • 布粘着テープ
    暴風対策として、布粘着テープで雨戸を固定したり、ガラス窓の飛散防止に、英国国旗(×と十の字)状に貼ったら、強い風が吹いてもガタンともせず、安心できた。常に、2~3本(1本25m)を用意していると良いと思う。

《今後、考えなければならないこと》

  • 情報伝達と地域社会の問題
    20時間の停電時、電力会社から「電柱が倒れ工事中。回復までにしばらく時間がかかる」と告げられたのが18時間も過ぎてからのこと。また、町内会としての情報発信はなく、情報伝達の遅さや希薄さを痛感した。
    ご近所とは50年近くのつながりがあるので、今回は、人づてに電柱工事中ということが早くから知ることはできたが、ご近所も高齢者や要介護者が多い地域なので、情報が入らず、取り残されてしまう人々が多くなるのでは? と心配になってしまった。根本的な対策ではないけれど、まずは自分が今できることとして、ご近所で付き合いのある要介護家庭とは固定電話が使用できない時のために、携帯電話でつながりあえるようにした。
  • メンタル面の不安
    テレビから「自分の命を守る行動をとるように」といった言葉が頻繁に流れ、スマホからは横浜市の緊急通報など、いろいろな情報が次々送られてくることで、要介護者だけでなく、健康な人間でもテレビの映像やスマホの音に敏感になり心が不安定になってしまうと感じた。
    そこで、一旦テレビを消し、また、スマホの通報も、自分たちのところに危険の恐れがない内容であれば、音だけでびくつくことなく、この状態なら大丈夫!などと、母と自分自身のために声を出しあい話すことで、心の仕切り直しをしてみた。
    もちろん、命を守って欲しいから伝えていることは理解できるが、頻繁に流れることで不安をあおられているような感じにもなる。災害時のメンタル面をどう維持し、安全への判断ができるかが大きな課題だと思った。

要介護者とともに命を守るために、準備しなければならないことや考えなければならないことは、まだまだ、ありますよね。生きるための知恵と、不安や恐怖でポッキン!と、折れない柔軟な心で、前向きに頑張りたいものです。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

11月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第11回「峠のコマドリ(山梨県/柳沢峠)」

by staff

第11回 峠のコマドリ(山梨県/柳沢峠)

コマドリの求愛 2014年撮影 左/オス 右/メス

2017年4月29日午前2時、夜中の国道16号線を北へ向かいました。無料になった八王子バイパスを通過し、ほぼ道なりに進みます。真夜中の国道はトラックなどの大型車が多いものの、渋滞することなく、快適に走ることが出来ます。

中央自動車道の八王子インターチェンジを過ぎると、新滝山街道に入り、車の量はグッと少なくなります。なおも多摩川の右岸沿いの道(吉野街道)を道なりに進みます。JR青梅線の古里駅近くで多摩川を渡り、川の左岸を走る青梅街道に出て、西に向かいます。少し進んだところ(鳩ノ巣駅の手前)で左折し、新しくできた城山トンネルを通過します。この道路が出来たことにより、奥多摩の町中をバイパスできます。そして、青梅街道に戻ると、曲がりくねった山道になり、幾多のトンネルを通過します。

奥多摩湖を過ぎ、高度が増していくようです。東京都から山梨県に入り、いくつものヘアピンカーブを通過し、しばらく進むと目的の柳沢峠の市営駐車場に着きました。時刻は午前4時45分です。空はもう明るくなっています。駐車場には10台以上の車が停まっています。急いでカメラをかついで、探鳥場所へ向かいます。

探鳥場所には20名以上の方がカメラをセットしていました。コマドリが盛んに鳴いています。期待に胸を膨らませ、カメラを三脚にセットします。

今回はダメかなと思い始めた午前7時30分、やっと出てきてくれました。2017年の初コマドリです。コマドリは気が短いのか、すぐに帰ってしまいました。それでも1時間後の8時30分に出てきてくれました。峠のコマドリは1時間毎に現れる習性なのでしょうか? 約1時間後の午前9時40分に出てきました。 そして、午前10時30分 時間通りに来てくれました。

コマドリ/オス

2018年4月28日午前2時、再びコマドリに会いに柳沢峠へ向かいました。GW初日ですが、深夜の国道16号線は空いていました。奥多摩街道に入ると、対向車と出会うことも少なくなりました。曲がりくねって舗装された道を登り、峠の駐車場に着いたのは、空が白み始めた午前4時45分でした。
カメラを担いで観察場所に着くと、数名のカメラマンがカメラを構えていました。コマドリは、まだ出ていないとのことです。スマホで気温を調べると、3℃でした。2017年のこの時期は、雪が残っていたのですが、2018年は見ませんでした。

コマドリは、ツグミ科で北海道から九州の山地で繁殖する夏鳥です。林床にササ類が密生する場所を好み、苔むした岩場などに生息します。ミミズなどを捕らえて食べます。茂みの中で行動するので、姿を見るのは難しいです。

繁殖期には樹上でよく囀ります。「駒鳥」という名は、『ヒンカララ』と声量豊かなさえずりを、馬のいななきに聞きなして付けられました。日本三鳴鳥の一つです。
メスはオスに比べて顔から胸にかけて赤みがなく、腹部も色が薄いです。

コマドリ/メス

午前5時30分、最初に撮影したのはアカハラです。コマドリの鳴き声は聞こえるのですが、姿を見せてくれません。

コマドリではありません。アカハラです。

次に出てきてくれたのは、ソウシチョウでした。ヒマラヤから中国西部から中南部に生息している外来種です。ササ類の生い茂っている環境で繁殖しているとの事なので、峠のササの中は格好の繁殖場所のようです。

ソウシチョウ

コマドリは2017年には午前7時30分に出てきてくれましたが、2018年は午前8時を過ぎても現れません。「ヒン・カラカラ」という囀りは聞こえてくるのですが・・・。アカハラ、クロジ、ソウシチョウと順番に出てきてくれるのですが。前座ばかりで本命の出番はまだのようです。
12時30分、待ち焦がれていたコマドリがやっと出てきてくれました。光の状況は良くありません。初夏の強い光が撮影を難しくします。あまり迷ってもいられないので、シャッターは押し続けましたが・・・

午後4時を過ぎると、太陽は山陰に隠れてくれました。周囲はまだ明るく、あと1時間くらいは撮るチャンスはありそうです。
午後4時20分、コマドリがやっと出てきてくれました。『待てば海路の日和あり』ですね。
そして、きれいな声で囀ってくれました。

尾羽を立てて囀るオス

盛んに囀るオス

午後4時30分、近くで盛んに囀っていて、まだまだ現れてくれそうですが、十分に撮影できたので、帰ることにしました。午後5時、峠の駐車場を出発し、勝沼に出て、中央道、圏央道を通り、東名道の横浜町田インターチェンジで国道16号線に降りるルートです。連休初日の高速道路は渋滞に会うこともなく、午後7時15分頃自宅に着きました。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

11月 10 19

楽しい文字の世界(第20回) AIの力が書の解読に

by staff

第20回 AIの力が書の解読に

くずした文字の解読を尋ねられることが良くあります。
確かに文字をくずしたらどうなるかを引くことはできても、くずした文字を辞書で引くことはできず困りますね。
ところが、これがAIの力を借りて、あっという間にできるようになったのです。

文字と文字が1つ1つ離れているのを単体といい、それに対して2文字以上を続け書きすることを連綿と言います。この連綿が今まで解読を困難にしていました。
1文字1文字の領域を決めることが難しく、解読が止まってしまうことがあったのです。

ところが発想の転換。1文字1文字の領域を決めないで、全体を通してわかる文字からどんどん解読していく。この方法で、専門家でも1ページ10分程度かかるところを、AIなら1秒ほどで解読可能になったのです。開発したのは情報・システム研究機構。ただし、今のところ精度は90%。そして、文字の大きさや墨の濃淡がそろっていないと解読の精度が落ちるそうです。今後更に大量に学習させてこの制度を上げて行き、古典や古文書を解読するプロジェクトに乗り出すそうです。

古典のAI解読 埋もれた知を掘り起こしたい : 社説 : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20191025-OYT1T50059/

画像を見るとどこでつまずいているかわかります。今のところ、AIと人が力を合わせるとスピーディーかつ正確に解読できるでしょう。

丁度数日前、息子が友人から
「この続け文字読める?」
と聞かれ、1ページほどのつづけ文字を、私がささっと読んだら偉く感服した様子でした。これからはアプリに読み込ませたら、ものの数秒で解読されるようになり、聞かれることもなくなるかもしれませんね。

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して26年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

11月 10 19

しあわせの「コツ」(第35回) 「お客様」の正体

by staff

第35回 「お客様」の正体

昔から「うるさい客」はいましたが、最近のモンスタークレーマーにはあきれるばかりです。店員の些細なミスに激高して過大な弁償を要求したり、理不尽な注文を「客の権利」とばかりに店側に突きつけたり、常軌を逸しています。
こういう客が現れるようになったのは、どうも「お客様は神様」ということが広く言われるようになってからのような気がします。

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この言葉を最初に言ったのは歌手の三波春夫さんです。三波さんはどういう文脈の中で言ったのでしょうか。
1961年ごろ、三波さんは宮尾たか志さんとの対談の中でこう言っています。

宮尾「三波さんは、お客さんをどう思いますか?」
三波「うーむ、お客様は神様ですね。」
三波「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」

三波春夫

よく読むと、三波さんは「お客様=神様」とは言っていません。「お客様を神様とみて」「あたかも神前で祈るときのように」歌うと言っているのです。それは目の前にいる人間に向かって歌うというより、自分の歌を「神へ奉納する」姿勢であるように見えます。

つまり「神様がお客様」ということなのです。

三波さんの言葉を読めばお判りのように、この言葉は演じ手の心構えや覚悟を現しているのであって、決して「あなたは神様です!」と客に思わせる「おもねり」ではありません。目の前の観客が居眠りしていようと、評論家が酷評しようと、演者の視線はそこになく、ただ目に見えない神様へ捧げるつもりで、一点の曇りもない心で歌うだけなのです。

演者の心構えとして、これ以上のものはありません。世阿弥も演じ手と観客の関係性を「離見の見」(りけんのけん)というコンセプトで表現していますが、それは「演じる自分と観客」との関係であって、「神様」は出てきません。三波春夫さんが「お客様は神様です」と言った時、私たちはそこに芸に対する厳粛なまでの姿勢を感じ取らなければいけなかったのです。

残念ながら三波さんほど高い意識を持ち合わせていなかった人々は、「自分たち客が神様だ」と勘違いし、さらに「神様だから何をしてもいいのだ」とダブルで勘違いし、「モンスタークレーマー」となっていたのでしょう。

あるサイトにこんな痛快なエピソードが紹介されていました。

「なにぃ、お客様は神様だぞ!俺の要求通りの料理を出せ!」

と息巻くクレーマーに、居酒屋の主人が「うちは神様にはこれしかお供えしないんですよ」と言って、小皿に盛った塩と生米を出したそうです。さぞクレーマーはびっくりしたでしょうね。拍子抜けした様子が目に浮かぶようです(笑)。

クレーマー対策を兼ねた、ユーモアあふれる居酒屋のメニュー

モンスタークレーマーは「神様」と「王様」を混同しているのではないでしょうか?その理由を私なりに読み解くと次のようになります。

1960年代に入ってから消費型社会へと世の中が変化し始めました。「消費は美徳」という風潮が広がりはじめたのです。今まで「節約が美徳」とされていたのですから、180度の大転換です。成人した兄たちの話をそばで聞きかじっていた子供の私は、「消費者ローン」は、「市民ケーン」のような映画の題名かと思っていました。中学に入り、英語を学ぶようになってから「ローン」は人の名前ではなく、loan(貸付)という一般名詞であることを知り、住宅のような大きな買い物でなくてもお金を借りて買い物していいのだ、と新鮮な驚きを感じた覚えがあります。

「消費は美徳」の流れから、「お客様は王様」と言われるようになり、庶民の財布のひもをいかに緩めさせるかが、企業の努力目標になっていきました。
「お客様は神様です」—三波さんがこう言い始めた時、人々は「王様」も「神様」も一緒くたにして、「お金を払う自分は偉い」と言う感覚になって行ったような気がします。本当に意図したことが正しく伝わらないままにこの言葉だけが一人歩きし、いつしか傲慢な客を生んでいったのでしょう。

かつて「王様のレストラン」というテレビドラマがありました。潰れかけたレストランを伝説のギャルソンが立て直していく話で、松本幸四郎(現松本白鸚)さん扮するギャルソンがこう言うシーンがありました。

「わたくしは先輩のギャルソンに、 お客様は王様であると教えられました。

しかし、先輩は言いました。

王様の中には首を刎ねられた奴も大勢いると。」

そう言って失礼な客を追い出すのです。

連続テレビドラマ「王様のレストラン」

人が「王様」でいられるのは「お金を払ったときだけ」と言うことを忘れてはいけません。言ってみれば「お金で王様の身分を買った」インスタントキングなのです。名君である王様なら、周囲を慈しみ、ねぎらい、感謝を惜しまないでしょう。

再び三波春夫さんの話に戻りますが、「お客様を神様とみて」と言うとき、三波さんは「お客様の中に神様を見よう」としたのではないでしょうか。どんな人のなかにもある良心、あるいは内在神とか、ハイヤーセルフと呼ぶ人もいるでしょう。そうした存在に自分の芸を見ていただく、ということだったのではないかと思います。
 だとしたら、見る側も内面の神が現れるような姿勢が求められますね。幸い日本には陽気な神様が大勢います。そうした神様たちのように、陽気に、リラックスし、ワクワクした気持ちでパフォーマンスを楽しみ、演者と一体になった時空を創ることが演者への最高の賛辞となるのです。

そして見る側同士も和やかに交流すれば、本当に幸せな時空が生まれることでしょう。それを社会規模で広げるコツを、物理学者で伯家神道の継承者である保江邦夫さんの言葉ほど的確に表現している言葉はありません。

「人を見たら神様と思え」

保江邦夫さん

この言葉が世界中に広がるといいですね。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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11月 10 19

2019年11月 三ツ池だより 「花が咲いている」

by staff
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「どこに・・・。」
ディレクターが山の方を指さしている。森の木々の中に突然、点が動いているように見えて、突然姿が現れる。
「え!え!・・。」
観客300人ほどを前にして鳥がディレクターの腕に飛んでくる。
ここは「那須どうぶつ王国」のイベント広場である。
実に見事で美しい光景である。

那須へ旅行したのだ。那須どうぶつ王国は王国タウンと王国ファームがあって、お互いの間には小さい谷があった。その間は1.5kmで、ワンニャンバスでも行ける。バス代は無料なのであった。乗ったニャンコバスは走っている間、猫の声が聴こえた。ファームイベント広場ではニュージーランドファームショウで、羊飼いが牧羊犬を自在に操り、羊を誘導するのであった。しばらくするとスカイスタジアムでのイベントのアナウスがあった。フリーフライトバードパフォーマンスショウがあるという。「前方の山を見てください。」の案内で「なに!」と思っていると、点が見えはじめ、だんだん大きくなって、スカイスタジアムに近づいてくるのである。「あ!鷹だ!」と気がついてみると、スタッフの手の上に降りたつのだった。身近に見れる素晴らしさ、そして別の鳥たちがスカイスタジアムのはじからはじへ、観客の頭上ほんの少し上を飛ぶのであった。常にスタッフからスタッフへ飛んでいく。とんだあとは褒美を与えられていた。

鳥たちが2kmの距離をどうして目的地へつくのか、ふしぎだった。スカイスタジアムでは観客すれすれに飛んでいく。「立たないでください。」と言われているが立てない不思議な力を感じた。スタッフがどこにいっても若い人たちというのも驚いた。じつに整然としているのであった。素晴らしい景色の中でのショウに満喫した。

久々に孫たちと旅行に来た。いつも元気な声が聴こえるのはありがたい。夕食はバイキングだったので、好きなものを取ってきて食べた。いろいろな食べ物をとってくる孫と少しの物しかとってこない孫がいるんだ。おしなべてよくジュースは飲んでいた。1時間もかからずに食事は終えた。

翌朝はロープウエーに乗った。駐車場に入るのに時間がかかった。1時間ほどかかったろうか。乗り合いバスは乗用車を追い抜いて駐車場に入って行った。満員のロープウエーにのって、上に向かうにつれ、山々の紅葉が見られた。山々が綺麗だった。ロープウエーを降り坂道を登って、山の裏側にいったら霧が出ていた。時々ロープウエー駅にも霧がかかった。

そういえば考えさせられることがあった。那須の地に少し異変を感じた。店がところどころ閉まっているのである。これは先日計量の関東甲信越の会合が群馬の伊香保温泉であり、参加した時にも感じたのである。傷んだ建物があるだけでなく、店が開いてないところが見られるのだった。川崎の弊社の近所の商店街でもところどころ閉店しているところがある。自社は元気であり、手もたりないのであるが、格差が出ているのだろうか。全体の動向が変化の兆しを見せているのだろうか。たしかに言えることは、きめ細かな対応が求められているのではないだろうか。

那須どうぶつ王国に観られる新しいあり方とは、その動物の持つ本来の能力を活かし、見られるようにしていることだ。それはただ見るというだけでなく多面的に見ていくことだし、見ることのできる視野を広げていくことだし、能力の開発というか、新しい取り出し方というのかもしれない。これからこんなことがあってもいいのかと思った。例えば虎が早く走るとすれば、100m何秒くらいで走るのか。鳥は木の実をどのように取って食べるのか。鳥の速さはどの位なのか。鳥が水を吸うときどのようにしているのか。

さて、10日ほど前「花が咲いている」で書こうと思っていたのに、慌ただしくしている間に花とは全く離れたことに筆が進んでしまった。仕舞ったと思いながら、これも今を現しているのかと考えたりもする。題名を変えればいいのだが、三ツ池だよりの範疇からするとどちらにしても違和感を感じる。考え方生き方が全く予期しない方向に行くときなのかもしれない。時代は変化しているのだ。いまこそ大きく眼をひらいて、新しい時代に向かっていかねばならないのかもしれない。木々は花を散らして、翌年の新しい芽を育てていく。花が散っておわりなのでなく、翌年の新しい花の芽を育てているのだ。「那須どうぶつ王国」の感動は驚きと共に、新しい課題を私の生き方にぶつけ、揺らしている。
ありがとう「那須どうぶつ王国」さ!

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

11月 10 19

ゆるマナー講座(第49回) ワールドカップとこれからの国際交流

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

ラグビーワールドカップでの日本チームの素晴らしい活躍には本当に感動しました。
私のようにルールはよくわからなくても、手に汗を握りながら応援した方も多かったのではないでしょうか。パワフルで息つく間もないスピードのチームプレーの連続でトライを決める選手達をハラハラ、ドキドキしながら応援していました。
今回は、熱いプレー以外に選手達から改めて気づかされた国際交流について触れてみましょう。

異文化尊重の精神

外国の選手が観客席に向かってお辞儀をしているシーンがありました。日本の文化を尊重してくれる振る舞いは日本人としてちょっと嬉しい気持ちになります。相手を尊重する礼の形は各国違っても、形に込められた心は通じるのだということを実感した場面です。
また、日本の子どもたちがニュージーランド代表の前でハカを踊っていたのも相手の文化を理解しようとする気持ちの表れですね。

「異文化尊重」の精神はプロトコール(国際儀礼)の原則の一つですが、東京オリンピック、パラリンピックが間近になり、外国人との交流が益々増えてきた今、交流をスムーズにするためにも一般市民にとっても大切な心得といえます。
異文化を尊重するには、まず相手の国の文化や習慣などに関心を持ち、違いを知ることです。違いがあるからこそ異文化コミュニケ―ションは楽しいのです。海外に行くと、日本と違う景色や食事、人々の暮らしを発見する度に、嬉しくなります。そして、その背景にある宗教や歴史も知ることでその国の人々への理解も更に深まります。

その前提として大切なのが自国の文化、伝統について理解していることです。自国のものとは言え、全てに精通するのは大変難しいことです。何か一つ、例えばお茶や生け花、お習字、剣道、柔道などを習ったり、歌舞伎や能を観劇したり、今海外でブームの和食や日本酒について勉強する、また正月や桃の節句、端午の節句などの年中行事のしきたりを家族と楽しむことでもよいのではないでしょうか。
外国の方との交流の中で、ご自分の知っている自国の文化について話せるようになれば、ますます相互理解が深まっていくでしょう。

「認め合うことが、チカラになる。」(AC JAPAN広告より)

「2020年には訪日外国人旅行者数4000万人」を掲げている観光庁の目標も今や達成されそうな勢いです。
多くの外国人旅行者の中には、日本の伝統や文化、習慣、暮らしぶりに触れることで、日本の良さを日本人以上に感じ取ってくれる方もいます。

最近AC JAPANの「認め合うことが、チカラになる。」という広告をポスターやテレビCMでよく見かけます。
外国人が日本の文化である落語や漆塗り、和太鼓の良さを認め、極め、継承している姿です。日本人の継承者が少なくなっている昨今、伝統文化が外国の人々によって新たな息吹を吹き込まれているのです。本当に“認め合うことはチカラになる”のですね。

もちろん日本人にも外国の文化に触れて、それらを極めている人達が沢山います。互いに互いの文化や伝統、習慣を認め合うこと…今更ですが、異文化コミュニケーションの基本なのでしょう。

ラグビー日本代表のキャプテン、リーチ・マイケル選手は、15歳から日本に住み、日本の歴史や文化から学んだことをメンバーにも伝えていたと聞きました。国籍や民族の違いがあっても日本チームとしての結束を高め、同じ目標を掲げて戦う選手の気持ちを一つにするのに役立っていたようです。

ディズニー映画「マレフィセント2」主演のアンジェリーナ・ジョリーが言っていました。
「マレフィセントのテーマは多様性を認め、文化や民族の違い、他の人を受け入れる…など、少しずつみんなが歩み寄れば、世界が変わって行く…」

相手を尊重する振る舞いこそこれからの国際交流に必要なのだと改めて感じたワールドカップでした。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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11月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第80回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第80回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

吉野彰博士がノーベル化学賞を受賞、10年前から下馬評にあがっていたので朗報ですね。穏やかな語りの中での斬れ味鋭い刃。研究開発では “研究の90%はムダ。ムダをなくそうとするとゼロになる” “好奇心に基づいて新現象の発見を懸命にやる” “専門分野だけでは答えは出ず、関係のない分野に関心を持つ” “一旦10年前・20年前に戻った後に10年先・20年先を見る” “世の中のニーズを見極めるため、未来からの信号に敏感になる” “シーズとニーズのギャップを埋める作業を短期間で頻繁に繰り返す” “ゴールだけは明確にしておく”。最近の脳科学では、判断や連想を司る前頭葉は継続して学習すれば年齢を問わないとのこと。新しい発見・開発に必要な “ヒラメキ” は70歳を超えても20代と変わらないとか。ここから得られる貴重なレッスンは“異領域のスキルに挑む” “要素スキルと併せて統合スキルを磨く” “ゴールの方向や内容をはっきりさせる”。梁塵秘抄では “我は思い 人は退け引く是れや此の 浪高や荒磯の 鰒の貝の片思いなる” とあります。暗い人間世界の現実。 “最近の映画・テレビは何でも口で説明しようとする。ちょっとした仕草で伝えられることが一杯ある” と女優・香川京子。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

勝負するつもりなら群れないこと 衆をたのまず、党派をつくらず
かけがえのない瞬間の経験 その密度は、長い年月の重みと釣合う
普遍と特異を明確に見分ける その中から、普遍の思想が生まれる
絶壁を隠して絶壁へ 人間は二重性と襞をもち不可解、とパスカル

パスカルといえば、フランスを代表する哲学者・数学者。“人間は一本の葦にすぎない。だがそれは考える葦である” という言葉や機械式計算機の発明でも有名。動機は徴税官だった父親の計算作業を少しでも楽にしたいためだったとか。人はみな変わり、過去の自分はもはや現在の自分ではないこと。想像力を重視し、これが美・正義・幸福を創る世のすべてと洞察。イノベーションも、具象を一旦抽象化し、もう一度あるべき具象に落とし込む想像力が求められるもの。具象と抽象のサイクルを繰り返し回していく。伝統の能の世界も抽象美の極限を表現、日本文化には馴染み深い世界。“正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめることになる” と思想家・吉野源三郎。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

鉄道の建設、駅馬車の持ち主がやるはずがない 新分野に無縁な者にこそ絶好機
勝ったものが正しい、とアンドルー・カーネギー 決して金の亡者じゃなかった
自分が楽しいと思うことを頑張る 失敗と書いて成長と読み、頑張って失敗する
智慧は他との協働の中で生まれる、とフィンランドの諺 モノからコトへの流れ

鉄鋼王といわれるアンドリュー・カーネギーはスコットランドから両親とアメリカに移住。崩れる橋から着想して鉄鋼会社を創業。様々な労働を経験した後に事業家の道を進み、ロックフェラーに次ぐ大富豪に。教育らしい教育を受けなかったため、教育の重要性を痛感、教育・文化の分野へ多額の寄付を続けました。その一つがピッツバーグにあるカーネギーメロン大学。以前、ビジネススクールの教授に会いに訪問した記憶が鮮明です。大きな州立大学もあり、聖堂を学びの場にしたカテドラル・オブ・ラーニングは圧巻、学ぶ自由や喜びを実感します。“何かにとことん打ち込めば、失敗があってもそこから得られるものがある。それが人生の偏差値をあげる” とトヨタ元社長・奥田碩。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

へたを貫く、周囲には器用で上手な人が多すぎる
うまいけど、今一つ物足りない それを超越する
陽と陰、ハレとケ 常識の対に拘らない脳にする
萎えたら萎えたまま 祭りも華やかだけじゃない

例えが悪いかもしれませんが、大泥棒になるにも多くのハードルがあるのだとか。“(野生の)勘が鋭いこと” “執念深いこと” “基礎を身につけていること”。世の中で叫ばれているイノベーションにそのまま当てはまるかも。もともと、イノベーションは野生的な戦い。体を張って命を懸ける作業。しかし、野生には余裕は欠かせない要件。モノを大切にする・人にやさしくするという職人的精神風土。人間と自然は一体。非情だけど欺かない深さ。自分のゴール(目標)を、現状維持に置かない・現状の箱の枠外に設定することが不可欠かも。“私は想像を自由に描けるという点ではアーティストといえる。想像は知識よりも重要。知識は有限だけど想像は世界を包み込む” とアインシュタイン。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第80回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
11月 10 19

書評「ALL for ALL ―時空を超えて―」 幻冬舎 伊藤 基(著)

by staff
 
タイトル ALL for ALL ―時空を超えて―
文庫 329ページ
出版社 幻冬舎
ISBN-10 4344924002
ISBN-13 978-4344924000
発売日 2019/9/4
購入 ALL for ALL ―時空を超えて―

「4年に一度じゃない、一生に一度だ。」のモットーのもと、日本中がラグビーワールドカップで熱狂した。日本チームの活躍もすざましかった。特に横浜は決勝戦が開催される特別な都市。そんな中、一冊の本が出版された。タイトルは「ALL for ALL」。

ラグビーでよく使われる言葉として「One for All、All for One」というのがあるのは知っていた。「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」もしくは「ひとりはみんなのために、みんなは一つの目的、勝利のために」と訳せるだろうか。ひとりひとりが自分の役割を果たし、みんなで勝利に向かっていく。どのポジションのメンバーが欠けても勝利にたどり着くことはできない。ひとりではできないスポーツ。仲間を信じ、思い切ってパスを投げ、点数につなげる。仲間への信頼がなければできないスポーツだ。そしてフィールドで得た信頼、友情は一生続く。著者も、私の兄もラグビーをやってきた。その仲間たちを見ていればよくわかる。なのにタイトルは「ALL for ALL」? みんなはみんなのため? と不思議に思いながらページを開くと一番先に、第一章に出てきた場所は、なんと秋田のど田舎! しかも時代は江戸時代。サンタクロースまで登場する。それだけ聞けば絶対にマッチするはずもないもののようだが、不思議と違和感は感じない。描かれた世界にすぅーっと自然に吸い込まれていくような気になる。古くささも感じない。第一章を読み終えるとむしろすがすがしい、斬新な気持ちになるのだ。

第二章は打って変わって現代、2015年、会社の命令でイギリスにまでワールドカップ観戦に来ているOL佳奈。佳奈は生まれて初めてラグビーの試合を見る。本書の読者の中には、ラグビーのルールもわからず観戦している佳奈を身近に感じる人も多いだろう。私もそのひとりだ。しかし佳奈は精いっぱい応援し、日本の勝利に大泣きし、各国のメディアがそれを捉え、「勝利の泣き女神」と脚光を浴びることになる。一般の女性がスターとなり、女神と呼ばれる姿に自分を重ね、ひょっとしたら、自分も何かの拍子に成長できるかもしれないと思う女性読者も多いのではないか。佳奈はどんどんラグビーにハマっていく。今日本でもそのような人々が増えているだろう。私もそのひとりだが。かつては身体の大きな男たちが土砂降りでも、どろんこになりながらぶつかり合う激しいスポーツ、ルールが難しいと敬遠されてきたスポーツだが、ラグビーにはなぜか内面から伝わる精神的な魅力があるに違いない。五郎丸歩ラグビー選手も「見返りを求めず、誰かのために無心で頑張るスポーツ」、「みんなで掴む勝利は、自分だけの幸せよりもはるかに大きい」と語っている。

第一章は秋田が舞台、第二章はイギリスと進んでいくと、「えっ? この先どうなっていくんだろう?」と早く全部読みたくなる。わくわくする。楽しい。一度中断すると先が気になって仕方がないのだ。

第三章は佳奈が秋田の極光神社を訪れる章。宮司の秋田弁、秋田の豊かな自然や暮らしのぬくもりが伝わってくる。木星旅行を目指す佳奈が夜空を見上げ、「あの光っている星が木星」と思っていたのが、実は火星。佳奈は「秋田の夜空って見慣れてないから星の配置が違うのね。」とつぶやく。

秋田弁も面白い。著者の前作「月光の奪還」でも秋田の風情が伝わるような秋田弁での会話がそのまま綴られているが、秋田弁、秋田の事情のわかる人の中には、吹き出して笑い、笑い過ぎて涙も出る人もいるかもしれない。わからない人でもサクサクと読めてしまうような描写である。

第四章では、サンタクロースが「人間がうらやましい」とつぶやく。サンタクロースが人間をうらやましく思うなんて聞いたこともない。しかし著者はサンタクロースにも繊細な感情、人間性を込めたのである。ある日、その場を救ったつもりの言葉や行いが、後々、めぐりめぐって当人を苦しめる。人生にはそんな、当初まったく思いもしなかった苦悩が訪れるときがある。そのようなサンタクロースの苦しみ、悲しみを佳奈が解決しようとする。

そしてラグビーワールドカップが開催。ラグビー選手、審判、スタッフ、サポーター、サンタクロース家族も観戦し、一体となる。国境、地球を超えた太陽系の頂上からすべての人々が関わるラグビーの試合が開かれる。

【読後感】

ラグビー、秋田、イギリス、サンタクロース。合うはずなどのないと思われるものを登場させ、組み合わせ、読者に違和感を持たせることもなく、小説の中に引き込ませる著者の力、技に感心する。外国を知り、長く外国に居ればいるほど、日本に戻ると、あまりもの違いに戸惑い、外国か日本、どちらかを否定したくなる人も多いと思うが、著者は素直に自然体で秋田とイギリスを登場させ、紹介し、江戸時代と現代を結び、人間とサンタクロース、地球と宇宙を結びつけたのである。まさに人類、時空を超える「ALL for ALL」!  登場人物が、それぞれに自分の持ち場を大切に日々を過ごしていることも、爽やかで、清々しい。そしていつも誰かが誰かのために生きている、世界平和ではなく、より大きな宇宙平和のようなものを描いた『作者独特の空間』に読者は吸い込まれてしまう。このような空間をテーマにできる作家はなかなか他にいないだろう。ファンタジー小説ではあるが、歴史小説、ミステリー小説、SF、女性心理小説、婚活物語、風物詩などあらゆるジャンルの要素を含み、読み終わるとすぅーっと爽快感、ほわっとした温かい気持ちになるのである。世界平和だけではなく、木星、太陽系を含む宇宙へのノーサイド精神、平和を願う著者の優しさ、心の広さ、陽気な人柄が伝わってくる小説である。

笑って、泣いて、すっきりしたい方、夢を抱きたい人には、うってつけの小説。でも電車の中では読まないほうがよいかもしれません。時空を超えた世界にどっと吸い込まれ、一人笑いしたり、泣いたり、吹き出しても自分では気づかず、周りの人たちに奇妙に思われるかもしれませんから。

(文:尾形淑子)

尾形淑子(おがたよしこ)プロフィール

秋田県出身
秋田県立秋田高校で著者と同期生
学生時代米国、メキシコ留学
現在、英語・スペイン語の通訳業
横浜市在住

 

11月 10 19

書評「人生に素敵が舞い込む魔法の言葉」 セブン&アイ出版 心屋仁之助(著)

by staff
 
タイトル 人生に素敵が舞い込む魔法の言葉
単行本 (ソフトカバー)
出版社 セブン&アイ出版
ISBN-10 4860087658
ISBN-13 978-4860087654
発売日 2018
購入 人生に素敵が舞い込む魔法の言葉

「素敵が次々と舞い込む人生をあなたが送るために、最初にお伝えしたい “事実” があります。それは今あなたが生きている世界には、 “すごく優しい” “とても易しい” 世界が存在しているということです。」で始まる序章にはまってしまった。「あなたのすぐそばに確実に存在する “すごく優しい” “とても易しい” 世界を少し想像してみてください。」

「できないことはできない、やりたいことはやりたいと叫ぶことで、人生はかわっていく」そこをがんばることで、不思議なことに、そうして生きるようになると、人生はあなたにどんどん優しくなっていくでしょうと、語られます。時にはあきらめてみる。「もっと、もっと」という思いを手放していくことです。「できないことは、できない」でいいのです。そして笑うことも大切と言われます。「ああ、いまのわたしってこんなことで悩んでバカみたい」「もう八方ふさがりで、この状況ってなんだか笑えるわ」心がゆるゆるの状態であればあるほど、問題は解決に向かいやすくなります。

「あなたはこれまで、いろんなことをがんばっていきてきたと思います。周りの役に立とうとして、みんなを喜ばそうとして、あの人に好かれようとしてがんばって生きてきました。でも、そうしてがんばり続けることで、なにかから目を逸らしてはいませんでしたか?」 「あなたはがんばらなくても、まわりの役に立たなくても、誰かに喜ばれなくても、なにもしなくても価値ある存在です。そんなことは  信じられないから、ひたすら頑張り続けて今まで生きてきたのです。」これからは勇気を出してがんばることをやめましょう。ありのままの自分と向き合うのです。自分はなにもしなくても愛される価値があり、人を愛することもできる人間である。そう信じることができたときに、初めて、自分に溢れんばかりに存在する愛と豊かさに気付くことができるでしょう。

著者は「自分に期待しなくなると、自分の強さが見えてくる」と言われます。「成功したいと思うことは “欠けている” から欠けている、ダメがあたりまえだとしたら、埋めようとすることも、失敗して悲しむことも必要なくなるのです。それって、 “成功” なのです。自分の弱さを見つめ、自分に期待しなくなるからこそ、自分の強さがみえてくるのです。」自分のことをどういう人間だと思って生きているのか! この信念こそが、その人が生きる “前提” を決めています。「結果が悪くてもあなたは素晴らしいのです。もともとあなたはすばらしいのです。僕のことで言えば、たとえ歌が歌えなくても、たとえつまらない夫婦喧嘩をしてしまっても “僕はすばらしいんだ” と思える自分に、少しずつなっていったのです。だから、今日から何度でも繰り返しつぶやきましょう。 “わたしはすばらしい” と。」そして言われます。「あなたは自信をもって、もっと人生を謳歌すべきです。わざわざ声高に主張することなどありません。 “私はすばらしい” と心のなかで思いながら生きるだけでいいのです。」

自分に焦点を当てるというところがあります。うまくいく人といかない人の間には決定的なちがいがあるそうです。「うまくいく人は、失敗しても “たまたま” だと考えます。うまくいったときは、 “わたしだからうまくいった” と考えるのです。」そしてじつは自分は素晴らしい、と口にし続けていると、自分の内側がすべて変わっていくそうです。不思議なことに、外側の現実(結果)もどんどん変わっていったそうです。

他人を信頼するという章があります。「世の中では、じつに多くの人が人間関係に悩んでいますが、僕たちの悩みの多くは他人とのかかわりに起因していると言えそうです。」「それは多くの場合、僕たちは他人をかえようとしてしまうからです。・・・。じつは他人を変えようとするだけでなく、逆に他人を無用に尊重する結果、自分を変えようとして、変わらない自分を罰し、傷つけている場合がとても多いのです。端的に言えば、まわりを気にして好きなことをやらないために、自らを傷つけているということです。」そして「ありのままの自分を受け入れて前へ進んできたのなら、それは当然他人にも当てはまります。たとえあなたから見てむちゃくちゃな生き方に思えても、その他人も自分もありのままに生きていいはずです。」そして著者は言われます。「じつはまわりはわたしを認めてくれていた。という事実に、あなたが気づいていくことが大切なのです。」

幸せな未来のあなたへという章があります。「一歩踏み出すことはとても怖いことですが、踏み出さない限り、あなたの恐れは消えません。でも、忘れないでください。ありったけの勇気を振り絞って最初の一歩を踏み出すとき、その勇気はあなたのなかから湧いているのです。」「自分のなかにある大いなる力と可能性を信じてください。あなたが信じなければ、いったいこの世で誰がそれを無条件に信じることができるでしょうか。まず、あなたが信じるのです。」そして著者は次のように続けていかれます。「どれだけがんばっても自信は生まれません。むしろ自信がないからこそ、目標や計画を立てて頑張ってしまうのです。本当は手にしていたものを失う覚悟をすることがもっとも勇気がいることであって、それが自分と正面から向き合うということなのです。だから、失わないよう、守ろうとするのをあきらめましょう。いずれ失うのです。問題は、放っておけばいいのです。それよりも、このいまを楽しみましょう。いまを遊ぶこと、いまを楽しむこと、いまやりたいことをやること、気になることをやってみること、それを損得勘定なしにやること。それだけがあなたを恐れから解放していきます。」

人を助けようとする前に、まず自分を助けましょうと、言われます。「あなた以外に、あなたを助けられる人はいません。そして、あなた以上にあなたを理解し、強く求めている人もいないのです。まわりに “ひどい人” “冷たい人” などと言われるくらいがいいのです。そろそろ “いい人” をやめるときがやってきました。」あなたがあなたを助けると、不思議とみんながあなたを助けてくれるようになるそうです。「そうしたら、今度はそれにあまえましょう。もっと甘えることで、結果的に人を助けることにもなります。」

「いつもあなたを責めていた人、それはあなた自身でした。それは、自分を責めたかったし、責めているほうが楽だったのです。自分に “罪” があると思っていたから、罰を与えていたのです。」 「心がひらいていくとどうなるのでしょうか? じつは、また自分を責めたくなります。いいものがたくさん入ってきますが、嫌なものも入ってくるからです。でも、ひらくことによって自分の嫌いな部分がバレてもいいのです。それと同時にあなたの素敵な部分もたくさん出てきますから。」

最後に「あなたにも 想像できない 素晴らしいことが起きるんだ」と叫ばれる! そして、未来のあなたも叫んでいますと言われる。「未来のわたしはこんなに幸せなんだよ!」

(文:横須賀 健治)

 

11月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第14回
「『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―前編―」

by staff

第14回 『はま太郎』の『ナポリタンボウ』―前編―

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十四回目でございます。

現在の新刊「はま太郎」16号の表紙イラストは筆者がモデル
(画像提供:星羊社)

横浜の夫婦ふたり出版社・星羊社が年に数回刊行している「はま太郎」をご存知でしょうか。「横濱で呑みたい人の読む肴」をキャッチフレーズに、横浜でしか存在しない「市民酒場」の魅力やキラキラした臨海部とはまた異なる横浜の下町文化にスポットを当てたとっても楽しい本です。
筆者はこの「はま太郎」13号より「ナポリタンボウ」というタイトルで執筆を担当しています。今回は宣伝のようになってしましますが、二回にわたって私が登場した「はま太郎」と、「麺食力」との関係性を綴っていきたいと思います。

「はま太郎」の存在を知ったのは2014年頃。まだ創刊して間もない頃だったかと思います。当時はモノクロでミニコミ誌のような薄い本でしたが、とても濃い内容の本だなぁという印象でした。
2015年春に南区の某マンションへ引っ越した際に郵便ポストに「星羊社」と書いてあり、「なんだったけな、なんかの会社だったよな……」
「はま太郎」と「星羊社」が一致してなかったのです。
ある夏の日、弘明寺の昭和一桁生まれのマスターが営む喫茶店でナポリタンとアイスコーヒーを愉しんでいたら、マスターが嬉しそうにはま太郎に掲載されたことを教えてくれました。
手渡されたはま太郎8号を読んでいて、それが同じマンションの「星羊社」と知ったと同時に、この取材力の深みに「これだ、こういう媒体で書きたいんだ!!」と、すでに廃版となっていた「麺食力」を持ってプレゼンに行った(結果的には飲みに行っただけです……)のが、「ナポリタンボウ」連載に至るきっかけでした。

連載開始前にインタビューを受けた「はま太郎」12号
(画像提供:星羊社)

2016年に日本ナポリタン学会会長として、はま太郎12号でインタビューを受けたことが筆者のはま太郎初登場となります。

長者町の「レストランすいれん」でインタビューを受けました。酒入ってます……

「麺食力」134ページで掲載した、中区長者町「レストランすいれん」でインタビューを受けました。ナガノトマトケチャップをベースにしたオリジナルソースのスパゲッティナポリタンやミートボールスパゲッティなど、何を食べても美味しい洋食屋さんです。
インタビューの内容は……、是非本をお手に取ってお読みください!!

記念すべき「ナポリタンボウ」
第一回目がスタートした「はま太郎」13号
(画像提供:星羊社)

そして2017年5月刊行のはま太郎13号で「ナポリタンボウ」第一回目がスタート。その名の通り、横浜のナポリタンの名店を「探訪する」という意味が込められております。

「ナポリタンボウ」第一回目は野毛・センターグリルを紹介

第一回目は野毛の「センターグリル」(「麺食力」120ページに掲載)の歴史を紹介。「ケチャップナポリタンの祖」とも言われるセンターグリル。ここのナポリタンはもちろん、オムライスも何もかも美味しいですね!是非こちらも本をお手に取ってお読みください!!

日本ナポリタン学会認定店舗でもある中区曙町「アポロ」のマスター・石原清司氏が表紙を飾る「はま太郎」14号
(画像提供:星羊社)

2017年12月に刊行したはま太郎14号。こちらは2017年9月に惜しまれながら閉店した中区福富町の「レストランタマガワ」(「麺食力」128ページに掲載)を取材。「はま太郎」のような由緒ある本にちゃんと記録しておきたいと思い、編集部にお願いして閉店直前に取材させていただきました。

「ナポリタンボウ」第二回目は福富町「レストランタマガワ」を閉店直前に取材

ナポリタンを提供するお店はだいたい大好きなのですが、ことレストランタマガワについては個人的な思い入れが深く。閉店してしまったのはいろんな事情で仕方ないなと思いながらも、やっぱり時々寂しい。麺食力とともに、このはま太郎でも記録できたことは幸せに思います。この内容は……、是非本をお手に取ってお読みください!!

そんなわけで、「はま太郎」で筆者が綴る「ナポリタンボウ」は、「麺食力」で掲載した店舗を改めて深く取材しています。そのお店の魅力を再確認できるとともに、へぇ!と思うような新しいことも知ったり。とても楽しく書かせていただいております。

今回はここまで。後編では15、16号の紹介を致します!

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

11月 10 19

チャレンジ(第15回) 秋のみんみん祭り開催!

by staff

秋のみんみん祭り開催!

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。秋の風が吹き、過ごしやすい季節になりましたね。秋はイベントが目白押しです。先月もお知らせをしましたが、11月15日(金)16日(土)にみなとみらいのcaféあにみで「秋のみんみん祭り」を開催します。

横浜市西区内の作業所で作られた自主製品のご紹介や、手作り織り機でのワークショップ、理事長服部さんとのトークセッション等、盛りだくさんのイベントとなっております。私も2日間いますので、ぜひ遊びに来てください。

FBイベントページ
秋のみんみん祭り
https://www.facebook.com/events/942774456102835/

アニミ理事長服部さんと考える「ボランティア活動と支援」
https://www.facebook.com/events/1355914461232042/

また、C.P.FACTORYの秋冬の新作バックもお披露目いたします。こちらは11月10日(日)から17日(日)の1週間、caféあにみにて展示販売いたします。

そして、今回、私がプロデュースさせて頂いた「ねこのび屋」さんもワークショップを開催してくださいます。

作品を通して誰かのしあわせを作る「もの作り」は障害のあるなしに関わらず、やりがいのある手仕事です。そして作ることは自分自身をもしあわせに、楽しくさせてくれるものです。今回、このお話をいただいた時に 「共に楽しめる仕事ができる」 と思い、今後、継続してコラボ作品を作ることを決めました。
しあわせを願う気持ちを私たち作り手からみなさんに届けます。




ねこのび屋さんのブログでも制作エピソードをとても素敵にご紹介頂いています。
http://mika-nekonobi.com/happynyankoproject2019/

ハートの循環を作っていきましょう!

次は「イベントを終えて」です 

(第15回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

11月 10 19

絵本から笑本へ(第43回) 絵本作家がゆく。~小田原市 子育て支援センター~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム第三期は、

前回までの18カ月をかけて、
横浜市内全18区の子育て支援拠点を中心に、
子育て支援事情についておしゃべりしてきました。

だいぶ好き勝手な事もたくさんしゃべりましたが。

「ヨコハマNOW」での連載ですから、
横浜の事をしゃべれたのでこれでお終い、としても良かったのですが、
絵本作家 保科琢音としての活動場所は横浜だけでは、勿論ありません。

お陰様で横浜市以外の場所でも多くの口演、イベントをさせて頂いています。

だからこそ、横浜市以外の施設の話、横浜市以外の子育て支援事情の話なんかも、
おしゃべりしたいなと思いました。

そんな訳で今回は、
二年前から毎年夏にイベントツアーを開催している
「小田原市」の子育て支援センターについておしゃべり。

神奈川県の西の方にある。

小田原城とカマボコが有名。

それが、ぼくが小田原市でイベントをさせてもらうまでの少ないイメージ(笑)

小田原市には「子育て支援センター」が4カ所あります。
縁あってそのうちの3カ所、おだぴよ子育て支援センター、
いずみ子育て支援センター、こゆるぎ子育て支援センター。
を、毎年夏休みに一日で回るというイベントツアーをさせて頂いています。

結構ハードなイベントです。

早朝、車で横浜を出発し約一時間程で小田原城が見えてきます。

午前中に1カ所。午後に2カ所。
それと毎年、近くにある保育園へも遊びに行かせてもらっています。
なので、実際は一日に4カ所を回るツアーです。

結構ハードなイベントです(笑)

絵本と紙芝居をも持って、市内を全て車で回るのですが、

だいたい20分程で次の施設へ行く事が出来ます。

横浜の事を考えると、さほど遠くは感じないけど、
やはり山道を行ったり、田んぼの脇を通ったり、川を渡ったりするので、
実質的には近いとは言えないのかな。

小田原市の子育て支援センターは市内を網羅するように配置されている。
と、ぼくは感じました。

しかし、
それでもやっぱりどこに行くにも行きにくいと感じる人はいると思います。
これは横浜市でも同じですね。

そりゃ出来る限り全ての家族に来てもらいたい。
全ての親子に利用してもらいたい。
そう施設の方やスタッフの皆さんも考えていると思います。

けれど、どこかに必ずエアーポケットとなる場所はある。

勿論ここら辺は、行政が考えていかなきゃいけない事だとも思います。

でもそれだけじゃなく、
当事者の方々や周りの人達が動き出しをしている所もあります。

子育て支援センターや子育て施設が手の届かない所に、
子ども達が遊べる広場をつくったり、
子ども達を預け合う仕組みをつくったり、
そういう団体やグループさん達も地域には必ずいます。

そういう所にも、
もっと光が当たる様な事を考えるのが、
本当の意味での「子育て支援」だと、ぼくは考えます。

ぼくがイベントツアーをやらせてもらったとき、

とある施設で終わった後に、一人のお母さんとお話をしました。
いつも遊びに来てるんですか?と伺うと…
「いえ、なんだか面白そうなイベントがあるからって聞いて、初めて来たんです」と。

少なからずぼくのイベントが、
お母さん達の子育て支援センターへ行くはじめの一歩にもなっているんだ。
そう感じる事が出来た、とても嬉しい出来事でした。

だからこそ、
これからも出来る限り「小田原市」の子育て支援センターへ
遊びに行かせてもらいたいと思っています。

神奈川県の西の方にある。
小田原城とカマボコが有名。
そして、子ども達が笑顔になれる未来を考えている人がたくさんいる。

それが、今のぼくが感じる小田原市のイメージです。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

<今回訪問した施設のご紹介>

小田原市 子育て支援センター
HP: http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/kosodate/play/supportcenter.html

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

11月 10 19

第81回 地域医療に貢献する歯医者さんの設計

by staff

都市建築設計機構
山口 賢

地域医療に貢献する歯医者さんの設計

現在、地方都市での歯科医院の設計に取り組んでいます。その歯科医院は地域医療への貢献と共に歯科医院の経営の持続可能性にも訴求する診療プログラムを展開しており、建築もこのプログラムに沿った新しいプランニングが要求されます。設計者としては新しいデザインにつながるかなと思いドクターの要望を読み解いています。

この医院では通常の虫歯や歯のかみ合わせの治療を行いつつ、治療が終わった患者には継続的にP処置(歯石などのスケーリングの処理で、状態に応じて患部の消毒などの歯周病の処置のこと)を薦めて定期的に歯と歯茎の経過観察する機会を作り予防措置を施し、患者が定期的に診察に来てくださるリピーターの獲得につなげる仕組みを作っています。

このようなプログラムを組むことで1日約80組の患者さんが来院しており、部門ごとの診察室と12台の診察台で対応しています。

歯の健康を守ることは身体の健康にもつながるとして80歳まで20本の歯を残そうという活動を歯科医師会が推進しています。その実践が上記のような治療の取り組みです。

この医院では更に審美歯科をこのプラグラムの延長上に組み込んでいます。虫歯治療が終わり定期的にP処置を行い、健康になった高齢者に「歯を白く美しくしませんか」と勧めています。歯が白く美しくなると、いままでお化粧もなさらなかった方がお化粧や身だしなみに気を遣うようになるそうです。(心も若返る)

この医院ではレクチャーホールを兼ねた待合室を用意して、歯と健康に関するレクチャーや美容とファッションのレクチャーを行い、治療だけでなく患者さんとのコミュニケーションを密に行い地域との連携を図っています。患者さんの健康を守りそして多くのリピーターを獲得し歯科医院の経営の安定と将来性を構築している歯医者さんです。

歯科医院の設計の基本形を守りながら、新しい取り組みに対応する歯医者さんの設計は設計上の新しい発見が数多くありとても楽しい仕事になっています。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

11月 10 19

小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸またなむ

by staff

♪ 小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸またなむ ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:貞信公 (ていしんこう)

歌意: 小倉山の美しい紅葉よ この素晴らしさを上皇は息子にも見せたいと、 近いうちに今度は今生天皇が訪れるから その時までどうぞ、散らないで待っていてほしい。

百人一首の中で26番目にあたるこの和歌は 藤原定家先生には、もろ地元 小倉山の歌。どんな気分で地元の歌を選んでいたのでしょうか?

百人一首は年代的に並べられています。一番は天智天皇そして2番目はその娘として生まれた持統天皇。それ以後時代と共に歌を選んでゆき、ちょうど4分の一が終わったところにこの歌が選ばれています。定家先生が生きていらしたのは平安末期から鎌倉時代にかけてですが、この歌が作られたのは平安前期。そして、この歌の頃から平安京に移された宮廷文化が花開き始めます。この和歌の作者、貞信公とは藤原忠平の事で。平安時代の初期に35歳で右大臣になってから35年間の長きにわたって4天皇に仕えた政治家です。この時期は 現代の私たちがよく耳にする延喜式と言う今でも神社の格式などを知るときに規範とする歴史の書が残された時代で、古事記や日本書記の次に様々な歴史の記録が編纂されていった平安文化の曙の時代でした。

私はこの時期、59代宇多天皇 60代醍醐天皇 61代朱雀天皇 62代村上天皇 と続く宮廷文化、平安時代が一番良い時期という感じがしています。天皇家と藤原家との関係が権力争いや不自然な政治形態から伺える人間の欲望のうごめきなどが、あまり感じなくて当時の歴代天皇と関白や右大臣左大臣の関係性も偏ったものがなくて平安時代の良さを感じるのです。宇多天皇の前の天皇は光孝天皇で50歳過ぎて天皇になられた方で、人間としても穏やかで人徳のある方だったようです。それ以前の天智天皇と天武天皇の乱からやっと人々の心も落ち着いてきて、新たなる秩序が生まれてきた時期だったのでしょう。宇多天皇も醍醐天皇も一度は臣民に下った人たちです、だからなのか政治が民のためになされているという気配が伝わってきます。そんな私の勝手な推測ですがそれも、この貞信公が長きにわたって天皇との関係性を良好に保って本当に天皇家を政治的に支えていたことがベースにあるからなのだと感じるのです。

貞信公の逸話は鬼退治のエピソードもありますが、今回私が一番心に響いたエピソードは人相占いが若いころの貞信公 藤原忠平を見た。その時のお話です。

宇田天皇が生前退位をされて ご自分の息子が譲位して醍醐天皇となりしばらくの後、宮廷に人相占い(相工)が参りました。相工はズバズバと回りにいる高位の方々の人相を判じてゆきます。
寛明太子(後の朱雀天皇)を視て、「容 美に過ぎたり!」
その時の権力者で左大臣の藤原時平を視て「知恵が多すぎる!」
もう一人の権力者 右大臣の菅原道真公を見て「才能が高すぎる!」と、結局占い師にとって完ぺきな人はいませんでしたが、ちょうど末席に控えていた若者の藤原忠平を視て
「神識才貌, 朝廷に長く栄華をもたらすのはこの青年だ!」と判じました。
それを聞いて以前からこの若者を気に入っていた宇田上皇はご自分の娘さんを彼に嫁がせる事を決めました。又醍醐天皇が崩御される前に即位された7歳の幼帝、朱雀天皇を枕元に呼び寄せ5つの訓を与えました。その中に「忠平の意見を聞くように」という訓も入っていたそうです。

寛容で慈愛のある政治家として亡くなった時には沢山の方に惜しまれたという藤原忠平さんは死後に貞信公と呼ばれる様になります。百人一首の中で私が一番尊敬する政治家です。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

11月 10 19

ピノキオクラブ主宰 内海宜子さん

by staff

今回ご紹介するのは、「お話は心の泉、生きる力」をモットーに、草の根的な活動で、子供たちの心を育むことに貢献なさっている内海宜子さんです。ヨコハマを終の住処として四半世紀という内海さんに85年間の素敵な人生の歩みと、今でもキラキラ輝いていらっしゃるその秘密をお話しいただきました。

ピノキオクラブ主宰 内海宜子さん
ピノキオクラブ主宰
内海宜子さん
 
お名前 内海 宜子(うつみ よしこ)
お生まれ 1934年8月28日
お住まい 横浜市
お仕事 ピノキオクラブ主宰、
宮澤賢治朗読
趣味 水泳、一人旅

 

今年で85歳になられて、水泳に、朗読に、ピノキオクラブ主宰にと、お元気に活動されていらっしゃいますが、まずは内海さんのルーツについてお聞かせてください。

1934年8月28日東京世田谷に生まれました。いわゆる山手のお嬢ちゃんで、青山の名門、青南小学校に通っていました。が、1945年3月10日の東京大空襲(幸い家は無事でしたが、、、)で急遽父の故郷、熊本県天草に疎開しました。銀座吉野屋のピカピカ革靴を履いていた「山手のお嬢ちゃん」から、藁草履で野山を駆け巡り、麦刈り,稲刈り、波止場での海遊びとわんぱくな「天草っ娘」になりました。
その頃の忘れられない光景をあげると、波止場でアメリカ戦闘機の機銃掃射、島の向こうで炸裂の光を見た長崎の原爆投下、天皇陛下の玉音放送はガーガーと雑音のするラジオから聴きました。

戦争によって、生活が一変したのですね。

そうです。高校生として再び東京に帰って来るまで、四年の歳月を天草、福岡と転々としました。戦争は家族をバラバラにし、多感な少女時代に、不安と劣等感と孤独感も味わいました。
一方で, その苦労は私を逞しくポジティブな女の子に育ててくれたのです。
その根っこになったのは、母の揺るぎない信仰、事業に失敗した父の奮闘する姿、姉の手厚いサポート、そしてもう一つは天草での自然との触れ合いから生まれた、「宇宙観」でした。ある夕暮れ、海に差し込む太陽の矢のような光に, 大いなる宇宙の中のちっぽけな自分、宇宙の中の自分を感じた経験でした。

それらが内海さんのルーツなのですね。では、次に東京にお帰りになってからのことを教えてください。

姉の後を追って入った、東洋英和女学院での高校生活は、演劇部活動に明け暮れて、演出の面白さを知りました。演劇には人間構造の全てが含まれていました。

人間構造のすべてとはどういった意味でしょう?

人間の持つ喜怒哀楽、狂気、愛、すべての感情を舞台上に表現するのが演劇だということです。演出の役割は、その作品の意図を的確に読み取り、そこに自分なりの色を塗って素敵な舞台に仕上げることだと思っています。

大学でも演劇をなさっていたのですか?

はい。大学は早稲田大学の文学部に進んで早速、演劇部に入り演出を目指しました。が、女性不足との理由で入部早々、女優として、島崎藤村の「破戒」のお志保をやらされました。
当時は安保闘争の真っ最中で、議論、議論の部活動について行けず、ついには演劇部を辞め、早稲田名門の「童話会」に転部したのですが、このときはつくづくと、自分の根っこが如何に、お嬢ちゃん育ちであるかを実感しました。

当時の早稲田キャンパスは、戦後の日本から前へと進むある種のエネルギーに溢れていました。同期にも精彩を放つ素晴らしい学生がいました。貧乏学生だった友人からは、芥川賞を取った三浦哲郎、「ひょっこりひょうたんじま」の作者、山元護久などが世に出ましたね。

早稲田大学時代、一番左が内海さん

才能ある方々と語り合い、さぞや刺激的な学生時代だったことでしょうね。卒業後の進路はどうなさったのですか?

育英資金とアルバイトの貧乏女子学生がやっと手に入れた職は、女性雑誌「それいゆ」編集部でした。

当時のおしゃれ女子たちの心をつかんだ、中原淳一さんの雑誌「それいゆ」ですね?

そうです。少人数の組織の中で、花森安治さんと肩を並べる女性雑誌制作の中原淳一さんの下で、沢山の経験をしました。たくさんの著名人たちにインタビューをさせていただき、記事を書きましたね。

記者時代の内海さん、中原淳一デザインのワンピースに身を包んで

たとえば、どのような思い出がありましたか?

作曲家の吉田正さんには、取材のとき、確か銀座のコロンバンで、「さぁさぁ! おあがりなさい!」とチョコやフルーツの乗ったパフェをご馳走になりましたね。駆け出し記者に注いでくれた優しい眼差しが忘れられません。文豪、武者小路実篤さんのところに、原稿を取りに行った際には、原稿を催促する言葉に、「黙らっしゃい!」、と一喝され、ひっくり返りそうになりました(笑)。中原邸に我が家のように顔を出していた、シャンソン歌手の高英男さんと言葉を交わしたのはほんの数回でしたが、「君はなかなか知的ですね」と、すれ違いざまにを声を掛けてくださり、しばらく胸が高鳴りましたね。面と向かって評価されることなど初めての小娘でしたから。

銀座でOL,しかも「それいゆ」の若き女性記者とは、まさに誰もが憧れる花型の職業ですね

私としてはまだまだ続けたかったのですが、親や姉の意向もあり、まさに記者として脂がのってきたころ、転勤族の夫と出会い、仕事を辞め、三人の子供の親となり、兎にも角にもこうしてヨコハマに辿り着いた私です。

結婚式のウエディングドレスも中原淳一デザイン。
ドレスの裾が短めなのがモダンで可愛い。

子供たちの情操教育のため、内海さんが23年間、主宰なさっている「ピノキオクラブ」について教えてください

アルバイトの塾講師時代に、究極的に言って、子供たちに大切なのは「路地遊び」であると確信しました。思い立ったら、行動するのが私です。63才からピノキオクラブという会を打ち立てました。初めは、地区センターの講座の一つとしての開催でしたが、その後も、入会希望の子供たちが途切れることがなく、ついには独立した会となりました。学校も幼稚園もバラバラな、4才から小学校6年生迄の子供たちを対象に、読書と自己表現を組み合わせたプログラムを用意して、共に学び、表現し、楽しむ会を月一回開催しています。私がこれまでに手に入れた人生体験の「ご馳走」を明日に育つお子さん方に提供しています。子供は正直です。ワクワクドキドキ、面白くなくてはついてきませんから、こちらも毎回のプログラムをひねり出すのに必死です。たくさんの子供たちがピノキオクラブから巣立ってくれました。中には、静岡放送のプロデューサーになったり、web小説大賞の銀賞を受賞したり、劇団で活躍したり、、、嬉しい限りですね。「ピノキオクラブ」のモットーは「お話は心の泉 生きる力」です。

ピノキオクラブ の活動の様子。 「はらぺこあおむし」を皆で作りました

内海さんのそのような意味のある草の根活動に、大きなエールを送りたいです。最後に、ご自身がライフワークとしてされている宮澤賢治の朗読についてお聞かせください。

賢治の朗読を本格的に始めたのは、3.11の東日本大震災がきっかけでした。賢治の作品を広めたいという以上に、被災地の子供たちにできる貢献をしたいとの思いからでした。宮澤賢治の作品を朗読する会を開き、収益をご寄付をするという形で、これまで大槌小学校、楢葉小学校、大川小学校、閖上、釜石、など合計で28校の小学校にミキハウス出版の「宮澤賢治絵本全集」を贈ることができました。可愛い挿絵の入った素敵な絵本です。被災地に行って感じたのは、役に立つのはお金か本である、ということでした。帰ったら、それで終わりではない物、本は私たちが帰った後でも、被災者に寄り添って心を癒してくれますものね。

原宿のカーサ・モーツァルトにて。
宮澤賢治の『なめとこ山の熊』を全編暗記で朗読されました

素敵なお話をありがとうございました。最後に、内海さんにとって、横浜とは?

「楽しい私の大切なふるさと♪」ですね。これからもこの横浜で子供たちと楽しく関わってゆきたいです。

内海さんにとってヨコハマとは、、、
「楽しい私の大切なふるさと♪」です。

(インタビュー&文:井上千鶴

 

10月 10 19

「ヨコハマNOW」から広がっています!

by staff

 

先日、ある方から「ヨコハマNOW」の執筆者を紹介してほしいとのメールがありました。

「ヨコハマの人」たちから「つながり」が広がっていくことが、「ヨコハマNOW」の創刊時からの願いでしたので、このメールを拝見したときに思わず「ヤッター!」と叫んでしまいました。

「ヨコハマNOW」に連載している皆様は、いずれも稀有な才能をお持ちで、本業以外にも様々な活動を展開されています。

最近、「ヨコハマNOW」がきっかけになって、新たな広がりを創り出している方をご紹介いたしますね。

株式会社メジャーテックツルミの会長である横須賀健治さんは、2011年3月から毎号「横浜ブックス」に書評を書いてくださっています。

その他にもコラム「三ツ池だより」を連載され、自作の俳句も披露されている才人です。

このほど50年に渡るご自分の経営者としての人生を「 “はかる” を人生の友として」という一冊の本にまとめられました。

このご本の中の「第四章 書物から読み取る人生」は、「ヨコハマNOW」に連載された書評から特にお気に入りの10冊が紹介されています。

横須賀さんのご本

「ヨコハマNOW」が横須賀さんの人生の彩りの一部になっていることは嬉しい限りです。

横須賀さんの2019年10月の書評
http://yokohama-now.jp/home/?cat=23

2015年5月から「横浜スケッチ」を連載中の成見(大澤)淳さん。
その時々感じたことを絵画とエッセイなどで綴る「絵ッセー」(成見さんの造語です)を寄稿されています。

近年、成見さんの「絵ッセーイスト」としての活動は、全世界に広がっています。
「ヨコハマNOW」では、成見さんが絵のモチーフにした写真を撮影したスウェーデン人の女性写真家を訪ねる旅行記を連載中です。

成見さんは、「横浜スケッチ」での絵の発表が一助となって、津久井の「ドリームファーム」や横浜山手234番館で個展を開催することになりました。

そして、成見さんのインスタグラムをご覧になった画廊の方からのお誘いで9月に銀座デビューを果たしました。
(スウェーデン人女性の写真の絵もありますね)

成見さん銀座デビュー

成見さんの2019年10月の「絵ッセー」
http://yokohama-now.jp/home/?cat=74

このような方々が、無償で記事を書いてくださっていることは、本当に有難く、頭が下がります。

「ヨコハマNOW」がこれまで続けてこられたのは、多くの人々の支えによるものであることを忘れず、これからも私たちらしい「つながり」を作っていきたいと思います。

 

10月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第5回)
「しつけ」と「体罰」について考えてみました

by staff

第5回 「しつけ」と「体罰」について考えてみました

全国で子どもたちの命を救えなかった悲惨な児童虐待事件が多く起こり、本年6月、児童虐待法と児童福祉法の改正案が閣議決定し、改正法は(一部を除き)2020年4月施行を目指しています。

この改正には、親権者らによるしつけ名目での体罰禁止や、児童相談所では介入対応と保護者対応部署を分け虐待への対応力を高めるといった体制の強化が盛りこまれています。そんな中、閣議決定以降も虐待による子どもの死亡事件は起きています。

地域住民の児童虐待への意識は以前よりも高まり、通報する方々も多くなっているようですが、通報してもなぜ防ぐことが出来なかったのでしょうか?
そこには、子どもの様子を確認したり、保護すべき機関が通報を受け流しているように思えてなりません。
こんなことで、改正法施行後、本当に児童を守る体制は強化できるのか、心配でなりません。

私は、この改正に体罰禁止とあるので、えっ! 親や大人は、子どもが危険ないことや、人としてやってはいけないことをした時、手が出てしまった! というのも禁止なの? どこからが「体罰」でどこまでが「しつけ」なのか、境目がはっきりしないと思いました。

私は、「しつけ」と「体罰」の大きな違いは、そこに子どもを守り育てようとする愛情や思いやりがあるか無いか、だと思います。
「しつけ」には、子どもが一人の人間として成長するために、必要なことを身につけ育つようにという、親や大人の愛情があり、親や大人が自分の怒りや支配欲などで子どもの身体や精神に苦痛をあたえるような行為に愛情なんてないですよね。

そこで、自分が子どものころ、親や大人たちからの「しつけ」や「体罰」と感じた出来事を書き、考えてみました。(※ここでの「体罰」とは、子どもへの暴力といった身体的苦痛だけでなく、恫喝に近い言動など精神的苦痛を感じたことも同様としました)
そして一つ一つの出来事に“★子どもだったころの自分の気持ち” と “●そのことでの今の自分の気持ち” も書いてみました。

「しつけ」
幼いころ、箸の持ち方で母親に何度も注意された。
★その時は、食事時に注意されることがイヤで、反抗していた。
●正しい持ち方が身につき、母に感謝している。

「体罰」
教師による恫喝に近い出来事があった。
★先生は、頭ごなしに大きな声を出して、自分の立場を押し通そうとしているだけ。生徒のことなど考えもしていないと、心の中で憤慨した。
●嫌な思い出としてそのシーンを覚えている。今でも、教師の行為を理解できない。生徒のことを無視して教師が保身のために大声で圧力をかけただけだと思っている。

実際に経験した出来事を振り返ってみることで、子どもの気持ちやその影響。また、親や大人の行動から、例えばあの時、他にも子どもに伝える方法があったのではないか。といったことも考えることができました。

勿論、体験がすべてではないでしょうか、もし子育てで悩んだ時は、自分の体験から感じたことなどを振り返って考えてみるのも一つも方法です。
みんなで子どもたちの大切な命や将来を守り育てることができる世の中になることを願っています。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

10月 10 19

しあわせの「コツ」(第34回) 「オリジナリティ」という幻想

by staff

第34回 「オリジナリティ」という幻想

人間国宝 二代目中村吉右衛門

松岡正剛さんの『神仏たちの秘密-日本の面影の源流を解く-』に、次のようなエピソードが紹介されています。

以前、二代目中村吉右衛門がこういう事を言っていました。自分の芸がいいところまで来たな、と思うと、「吉右衛門さんも、やっとおじいさん(先代中村吉右衛門)にそっくりになってきましたね」と、言われるのだそうです。

同じ言葉を画家や音楽家などほかの芸術家が言われたらどう思うでしょうか。きっと「お前にはオリジナリティがない」とけなされた気分になるのではないでしょうか。けれども梨園では「先代を彷彿させる」というのは、最高の褒め言葉なのです。

何かの面影を彷彿させる「うつし」ということを、日本はとても重んじてきました。西洋的な「オリジナリティ」の追求ではなく、和歌の「本歌取り」や焼き物の「○○うつし」というように、先行するもののエッセンスを「まねる」ことでリスペクトを現したのです。たとえば、この「柿右衛門うつし」の皿を見てください。これは偽物ではなく、柿右衛門へのオマージュとして作られた立派な作品です。ですから裏には写した人の銘がきちんと入っています。

「柿右衛門うつし」の皿と裏の「銘」

そもそも「オリジナリティ」とは何なのでしょうか? オリジナルな新製品といっても必ず先行する製品があるはずですし、斬新なデザインといってもそれ以前のデザインと比べての話です。世の中に100%オリジナルな作品などは存在しないのです。

フランスの芸術家ジャン・コクトーは「私が一番嫌いなのはオリジナリティだ」と言っています。コクトーは「オリジナリティ」が競争と差別の上に成り立ち、自分を誇示するエゴイスティックな表現であることを見抜いていたのでしょう。競争、差別、エゴイズム-それこそ芸術からもっとも遠く、芸術がもっとも忌み嫌うものだったはずです。

ジャン・コクトー

人は、今まで見たことも聞いたこともないものがポッと出てきてもそれが何だか分かりません。先行する何かがあるからこそ、それと比較してその類似の度合いが低い場合に「オリジナル」と言っているに過ぎません。「オリジナリティなんて私にはゼロだ。私の作品が面白いというなら、それは私が組み合わせているからだ」とコクトーは言います。「オリジナル」というのはつまり、「組み合わせの妙」のことなのでしょう。

現代では何事も「新しさ」や「オリジナリティ」が求められ、場合によっては完成度が低くても「オリジナルだから」という理由で通ってしまいます。けれども、かつての日本はオリジナルであるよりも、先行する「型」を徹底的に真似てそれになりきろうと努力を重ねてきました。その過程で、その人の身体の癖、心の在り方、境涯、見識といったものが注ぎ込まれ、先代の面影を彷彿とさせながらも、おのずと先代とは違う味を醸してしまうのです。徹底した「真似」から生まれるこの豊饒な差異を見て、人は「うまくなった」と褒めるのです。

ここで注意すべきは、「型」は決してスタテイックなものではなく、先代という「人」によって生きられた「動的構造」である、ということです。書かれたマニュアル通りでは「型」は身に付きません。所作を作る時の心、意識の在り方まで学んで初めて「型」が作れるのです。しかも、「守破離」という言葉があるように、「型」を守って「型」を身に着け、やがて「型」を破って「型」を離れ、離れた先で「新しい型」を生み出していく、という弛まぬ営みを己に課さなければなりません。そこには「オリジナリティ」という言葉が軽薄に聞こえるような厳しさがあります。

「型」の稽古にはじまり稽古を極める能楽

最初から「おれは先代とは違う」と、先代の面影と戦いながらそれを乗り越えようとして目指す「オリジナリティ」。「少しでも先代に近づこう」と先代の「型」を徹底的に稽古する「うつし」。優劣を論ずる必要はありませんが、「うつし」における先代の面影の再現が、いつの間にかその人ならではの「芸」を生み出し、同時に「型」の継承が生きた形で行われていることには、注目すべきではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

10月 10 19

2019年10月 三ツ池だより 「明日があるさ あすがある!」

by staff
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突然のお別れ会に参加した。「本日はご参列いただき、誠にありがとうございました。実に前向きで、笑顔で、感謝することを忘れず、誰よりも人生を楽しんでいた丸山。本人はよく“マルモン教”と笑っていましたが、その姿勢と行動力に影響された方は多いのではないでしょうか。突然のお別れとなり、皆さまにご挨拶できなかったことを申し訳なく思っている丸山が、目に浮かびます。」お別れ会実行委員会からのメッセージが渡された。活動的だった丸山さんが59歳で亡くなられたのであった。
祭壇の片隅に置かれた歌詞に目がいった。

 倫理があるさ(明日があるさ)
          歌手:あなた作詞:丸山修市作曲:中村八大
ある日突然考えた
どうして俺は頑張ってるんだろう
自分のため 会社のため
答えは17ヶ条
倫理がある
倫理がある
倫理があるさ

本当に素晴らしい活動的な人だった。

 追悼(感謝)
          作:横須賀健治
丸山さん
男いっぴき
天にいくのか
  いつも元気で
  走り回っていて
  励まし続けていた
びっくりしたよ
地球を飛び立ったなんて
遠くはるかまで見れるだね
  丸山さん
  不思議なんだな
  見守りつづけていてな

この週は不思議なことが続いた。kokoro-movie.comの9月25日に「今日を大切に」がでていた。

元気なひとも
余命がわかっている人も
  和解人も
  年老いた人も
明日生きられるかわからない
そばに愛している人がいたとしても
自分より大切に想う人がいたとしても
明日会えるとはかぎらない
どんなに生きたいと願ったとしても
どんなにやり直したいと思っても
今日が最後になることもある
受け止めることが難しくても
別れはやってくる
もし明日が来ないとしたら
後悔しないだろうか
今日を大切に
大切な人を大切に

翌日仕事が終わって次の記事をbeautystyle.sakura.ne.jpに見つけた。

 「自分に与えられた道がある」
自分には、
自分に与えられた道がる。
天与の尊い道がある。
  どんな道かはしらないが、
  他の人には歩めない。
  自分だけしか歩めない。
  二度と歩めぬかけがいのないこの道。
広いときもある。狭いとときもある。
のぼりもあれば、くだりもある。
  坦々としたときもあれば、
  かきわけかきわけ汗するときもある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、
思案にあまるときもあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。
  しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
  あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、
いま歩んでいるこの道、
とにかくこの道を休まず歩むことである。
  自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
  自分に与えられている
  かけがいのないこの道ではないか。
他人の道に心を奪われ、
思案にくれて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。
  道をひらくためには、
  まず歩まねばならぬ。
  心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは
必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びもうまれてくる。
      by:松下幸之助

茅ヶ崎に翌日足をのばしていた。美味しい珈琲が飲みたいと思ったのです。お店には茅ヶ崎の素晴らしい景色の写真が展示されていました。
   富士山、江の島、茅ヶ崎
   彼岸花、すすき、サーフィンボード
「カフェのあるめがね屋さん 一丁目四番地」というお店でした。

大きな命題を頂いた九月を過し、十月は令和元年の後半に入りました。「明日があるさ あすがある!」この言葉に励まされながら、一日一日を意義ある日々にしていきます。今月は綺麗な月に出会えたらいいなと思っています。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

10月 10 19

ゆるマナー講座(第48回) 笑顔が伝わる電話応対

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

電話の向こうに笑顔が見える、そんな経験をなさった方はいませんか。反対に、ムスッとした顔が浮かぶことも。マナー講師という私たちの仕事の中には電話応対のチェックというものもあります。今回はそんな電話応対について取り上げました。

声のトーン

「おはようございます」「お電話ありがとうございます」第一声が爽やかに元気な声で聞こえてくるのはとても感じの良いものです。日本人は概ね電話の声のトーンがやや高めの方を好むといいます。
高いトーンといっても、キンキン響くようでは聴く側は疲れてしまいます。明るさと爽やかさを伝えるための見えない相手への配慮だということを忘れないようにしなくてはいけません。

これは我が家での話。
携帯電話の普及で最近は固定電話を置かない家が増えてきました。我が家にも電話機はありますが、それが鳴ることは稀で、ほぼ携帯電話を使っています。携帯電話は相手が誰かというこがすぐにわかりますので、家族や友人ならそのまま地声で出ています。

ところが少し前までは、電話がかかるのもこちらからかけるのもが固定電話が普通でした。子どもたちを叱っている最中に電話が鳴ると、今まで低い声で怒っていた怖いママが一転して明るく高い声のよそ行きの優しい女性に変わります。子どもたちにとっては長らくママの電話の出方は「我が家の七不思議」だったようです。
怒った状態の低い声でそのまま電話に出ていたら、かけた人はどんなに驚いたでしょうね。思わず、「間違えました!」と切っていたかもしれません。我が家の七不思議が相手への配慮だったということを彼らが理解したかどうか、いまだに「あの時の母は!」と言われることがありますが…。

家でもそうでしたから、お仕事となるとやはり少しかしこまって、特に第一声はやや高めの声で爽やかに聞こえるようにしています。「見えない相手への心遣い」です。
ここで大切なのが、実際に口角を上げて笑顔になることです。見えなくてもこちらの表情は想像以上に相手に伝っているものなのです。

一方で、欧米の方は低い声のトーンを好むと言われます。低い方が安心感や信頼感を持てるからだそうです。

話すスピードとあいづち

安心感や信頼感は、落ち着きのある低い声のトーンからも伝わりますが、話すスピードやあいづちの打ち方でも伝わります。

初めての見えない相手に対しては、お互いに緊張もします。電話は有料であると考えるともたもたしていてはいけないという気持ちもよぎります。しかし電話の目的は、相手に用件が正確に伝わることです。

そのためには、かける側も受ける側も早すぎず遅すぎないスピードでしっかりと話すことを心がけましょう。

受ける側はゆっくり話を聴き、途中あいづちを打ちながら、相手が焦らずに話を最後まで進められるように促します。あいづちは、相手の言葉にかぶせるように打ってしまうと、相手を焦らせてしまうので、話しの区切りまでゆっくり待ってから打つようにします。「そうですか」「・・・なのですね」というようなあいづちの仕方がありますが、相手の気持ちに寄り添うような言葉を選べると、相手が話しやすくなり話を深めることもできます。どんな言葉を使えるか、普段から考えておくと良いですね。相手が話し終えたら簡潔にまとめて復唱し、それについて答えたり説明をしたりします。

もちろんかける側は、かける前に話す内容をまとめておくことが大切です。そして、相手のあいづちを聴きながら話がちゃんと伝わっているかどうかを確認するように意識してみましょう。

やってはいけないこと

電話応対に慣れてくると、ついやってしまいがちなことがありますが、日ごろから気をつけるようにしましょうね。

  1. 忙しいからと、つい別の書類やパソコンの画面を見ながら電話する。
    「ながら電話」は間違いの元です。相手に失礼です。
  2. 聞き取りにくい時に、「はっ?」「え、何ですか?」と聞き返す。
    「お電話が少し遠いようですが」と言って丁寧に聞き返しましょう。
  3. 語尾を伸ばしたり、馴れ馴れしい言葉を使う。
    「…でぇ」「…ですぅ」「ちょっとぉ…」などの言葉は相応しくありません。
  4. 取り次ぎの際、長い時間相手を待たせる。
    時間がかかる場合は、改めてこちらからかけ直す配慮をしましょう。
  5. 取り次ぎの電話をいろんな部署に回す。
    「たらい回し」はクレームの一番の元です。正確な部署に繋ぎましょう。
  6. 電話を受けた側が、先に受話器をおく。
    先に電話を切るのは、かけた側です。気をつけましょう。
    相手がお客様や目上の方の場合は、相手が切るのを待ちましょう。
  7. かけた電話が相手の不手際で切れたので相手から電話がかかるのを待つ。
    相手の不手際でもかけた側からかけ直しましょう。

温かな電話応対を広げましょう

先日、計画している旅行の件で聞きたいことがあり電話した旅行会社の方の応対が素晴らしく、最後に「私、それに行きたいです。行きます!」と思わず言ってしまい、お互いに大笑いしてしまいました。旅行ですから、不安な点を取り除いてくれて、わくわく感を大きくさせてくれるのは大変うれしいことです。電話を切った後も温かな気持ちが続きました。

同じ会社にかけても人によって応対の仕方は様々ですが、雰囲気が似ていることに驚かされます。隣の席の先輩が話す口調を知らず知らずのうちに後輩は真似てしまうのでしょうか。
私が体験した旅行会社の方のように素晴らしい応対なら、彼女の周りの方も彼女と同じような応対をしてくだるのだろうと察しますが、ぞんざいな口調や暗いトーン、言葉遣いの悪い方の真似をされてしまってはとても残念です。そんな時は、ご自分だけでも相手が喜んでくださるような応対ができるよう気をつけてみてください。その日々の積み重ねがいずれはあなたの周りの人を巻き込んでいくのではないかと思います。

「声は人なり」…一本一本の電話を大切にしようと意識しているあなたの声は、きっとすてきな人として相手の印象に残りますよ。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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10月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第79回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第79回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

先日まで横浜美術館では “原三渓の美術展” が開催されました。三渓といえば “三渓園” 。生糸貿易で大をなし、京都・鎌倉の古建築を活かした美の理想郷の実現。古美術のコレクションも5000点を超えるとか。平安時代の国宝 “孔雀明王像” は元勲・井上馨から10000円で即断即決。母方の祖父は画家・高橋杏村で、幼い頃から絵を学んだ眼力のなせる業。茶人でもあり号が三溪。20年かけた三渓園に “遊覧御随意” の看板を掲げ無料開放。詩人タゴール、夏目漱石や芥川龍之介も来園。また、岡倉天心との親交から、横山大観・下村観山・安田靫彦などを物心両面で支援。食事も共にし、夜を徹して芸術論を闘わせたとか。それらが血肉となり、観山の “弱法師” が生まれました。三渓も大好きな蓮を何枚も描いておりプロの技。関東大震災では、横浜市復興会の会長を務め、私財を投じて復興に尽力。三渓から学ぶべき教訓は “AIと真逆の抽斗をどれだけ持てるか” 。梁塵秘抄では “わが子は十余に成りぬらん 巫してこそ歩くなれ 田子の浦に汐踏むと いかに海人人集うらん 未だしとて問いみ問わずみ 嬲るらん 憐しや” とあります。娘を守ってね、姫神さま。 “真の問題は創造される” と哲学者・ベルグソン。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

農耕民族は問題にぶつかると経験に頼る 狩猟民族はこれまでの経験を見直す
グローバル社会では、文化の違いは絶対埋まらない 細分化が一層進んでいく
敬意は、こちらが行うと必ず返ってくる 信頼は向こう側から与えられるもの
一〇分多く努力 生活はルーズでも、サッカーは正確ということはあり得ない

これまで世界は、農耕民族と狩猟民族に色分けして語られました。狩猟民族は基盤を狩猟に置いて小集団で移動。一方の農耕民族は、主に河川流域に住んで麦や稲を育てて生活。科学技術の進歩は急速で、世界の距離は近くなっていますが、それでも民族特性は根深いもの。ただAI時代では、生きるための糧は手段になり、世界で生まれる知・アイデアは一瞬で地球上に伝播し、多種多様な分野で利用可能に。AI時代のスキルの根幹は柔軟性。常に危険な綱渡りが求められ、知と精神のボヘミアン。日本人は意外にも組織への愛着が低く打算的という調査結果も。要はどうしたら生き延びていけるか。 “誰もが発信方法を教える。しかし、受信方法は磨こうとしない” と脚本家・倉本總。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

イノベーションでは、失敗がつきもの 失敗は宝の山、失敗から学ぶ姿勢を貫徹
リスキーな事業 倒産の恐れは、と問われ 既に二回倒産、またやり直せばいい
淡々と答えるシリコンバレー経営者 失敗は素直に受け入れ、一旦退却し再挑戦
事業経営は槍、突くよりも引くスピード 一つの成功に酔うな、とは本田宗一郎

脳科学における無意識領域のメカニズムは、イノベーションとも深く関係しているとか。イノベーションを起こすのは人間ならではのもので脳の構造に起因すること。人間の脳は動物に比べて圧倒的に脳細胞の数が多く、一つの経験に多くの “タグ” をつけることができること。無意識の世界が検索された時、一見関係のない記憶まで引っかかることで、思わぬ発想や切り口が生れるのだとか。ものの見方・捉え方・考え方の発見。本源的競争力の強靭化には、多くの回り道や失敗を重ねて、様々なタグをつけられるかが勝負かも。技術とビジネスの間を行ったり来たりする執拗な会話の繰り返し。 “万に一つを千に一つ、百に一つ、十に一つと確率を高めるには練習” とサッカー・釜本邦茂。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

勇気と玉砕は異なる 勇気は明日のスキルを恃み、玉砕は昨日の経験に固執
今後の生産性基準には 労働の頭数だけでなく思考力や精神力まで加味する
人材の引き抜き 引き抜かれる企業は負けず、引き抜きをやる企業は負ける
現実でも非現実でもなく無意識こそ人間が持つ本能の神秘、とモディリアニ

モディリアニはイタリア出身の画家・彫刻家。面長で目玉のない独特の女性像は一度見ると忘れられません。当初は彫刻に没頭し、アフリカ・アジアなどの民族美術に影響を受けました。しかし、資金が続かず、健康の悪化による体力不足も重なり途中で断念。ただ、この経験が後の絵画作品の特徴である独特のフォルムや単純化につながりました。様々な試行錯誤・回り道に裏打ちされた技量の厚み。最後は、極貧の中で健康を害して37歳で死去。妻はモディリアニの死の2日後、後を追ってアパートから飛び降り自殺。この時、妊娠9ヶ月。2018年、サザビーズの競売に出品された “裸婦像” は最高額の1億5720万ドルで落札されました。 “場違いなことがどれだけ大事か” と作家・辺見庸。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第79回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
10月 10 19

書評「アリさんとキリギリス ―持たない・非計画・従わない時代」 さくら舎 細谷 功(著)

by staff
 
タイトル アリさんとキリギリス ―持たない・非計画・従わない時代
単行本 176ページ
出版社 さくら舎
ISBN-10 4865810757
ISBN-13 978-4865810752
発売日 2016/11/4
購入 アリさんとキリギリス ―持たない・非計画・従わない時代

「勤労と貯蓄を美徳としたイソップ寓話 “アリとキリギリス” 誕生から二千五百年。人口知能・ロボットをはじめとする技術発展や経済状況の変化によって、 “価値あるもの” と “価値なきもの” が逆転する時代がやってきた。そしてついに “怠け者” とされたキリギリスの “知性” が復権する!」帯に、楽しく働き、自由にいきるためのキリギリス思考法とは? とあった。
また。「持たない・非計画・従わない時代」とあった。全く何だかわからない状態で読み始めた。

キリギリスが活躍できる時代

  1. 「貯める」から「使う」へ
    先進国において、金融緩和が行われているにもかかわらず経済が回復しない。蓄積されたキャッシュの使いどころに苦労している企業が多くあります。いま必要なのは、「使うこと」によって経済活動を活発にしていくことです。
  2. シェアエコノミーの拡大
    「なんでも自分で所有する」というスタイルが「他者と共有して使う」スタイルへと変容している。
  3. クラウドコンピューティングの発展
    クラウド化によってPCや資料を持ち歩く必要もなくなり、アプリケーションもすべてクラウド側にあるという状況が実現され、もはや働く場所の制約もなくなりつつあります。
  4. 変化の加速
    変化が早くなって陳腐化が進んでいくことは「持っていること」のリスクを上げていきます。
  5. 知識から思考へ
    必要な知的能力は「頭の中に知識を詰め込む」ことではなく、膨大な最新情報を使っていかに新しいものを想像するかという思考力に移ってきています。
  6. AIやロボットの発展
    ネット上には読み切れないほどの情報があふれていましたが、それをさらに効率的に収集し、リアルタイムで活用する仕組みがAIなどの技術の活用で可能になりつつあります。
  7. 組織から個人へ
    インフラ事業など、依然として規模が圧倒的に重要な事業が残る一方で、知的かつ創造的な仕事に関しては、組織よりも個人の重要性がますます高まっていくことになるでしょう。
  8. グローバル化と多様性
    グローバル化で必要になってくるのは多様性の認識です。様々な文化や価値観が交差する中で必要なのは、まずは自他の違いを認識し、そこから新たな方向性を考えていくことになるでしょう。
  9. 資本主義への疑問
    金銭欲や物欲のために「お金を貯める」ことの価値が下がり、精神的な充実感を得るために「お金を何に使うか」が重要になってきています。

アリとキリギリスの三つの違い

  1. 「貯める」アリと「使う」キリギリス
    アリの発想は「蓄積されたもの」というストックへの思考が強く、お金や知識に限らず、年齢や経験。地位や名声、あるいは所属する組織など、すべて「持っているもの」を増やし、それを守ることを第一に考えている。キリギリスは、お金は使ってこそ意味があるというのが基本的な考えです。これは蓄えよりもそれを使うことで得られる、形に残らない経験重視であることを意味します。
    また、アリは「過去の経験」を重視します。「歴史からの一貫性」を常に意識し、前例を踏襲することを前提にするために保守的で新しいものには基本的に拒否反応を示します。キリギリスは、常に過去よりもこれからをどうするか?を意識しています。そのためには過去の経緯は気にせずにその場でよいと思った新しいことはすぐに取り入れ、朝礼暮改もまったくいといません。
  2. 「巣がある」アリと「巣がない」キリギリス
    アリは常にいかに集団の中でうまく生きていくかを最優先させて考えます。したがって、何よりもコミュニケーションを重視し、周囲の顔色をうかがって「横並び」を意識しながら「空気を読み」、そして組織内の秩序を守るために秩序やルールを重視します。そのために「常識をわきまえる」ことがすべてのアリに求められます。これに対して個人重視のキリギリスは、自分らしさを出すことを優先させて、他者と違うことは気にせず、序列やルール、あるいは常識といったことも重視しません。
  3. 「二次元」のアリと「三次元」のキリギリス
    アリは与えられた問題を最適な形で解決するのが得意であるのに対して、キリギリスは「そもそも問題は何なのか?」という問題そのものの発見が得意です。
    制約を基に考える「固定次元」のアリと自由を最優先で考える「可変次元」のキリギリスの違いが、問題に対する取組を大きく変え、言い換えれば、お互いに補完関係であり、結果としてどちらも必要な存在にしているのです。

巣があるアリ、巣がないキリギリス

  • ウチ・ソトが明確なアリ、境界がないキリギリス
    アリはチームワークが得意です。チームではミッションを決めればその中において集中して力を発揮しますが、裏を返せば、このような思考回路はチームの外に対して排他的になるという弱みにもなります。
    キリギリスは人に対しても、「誰は仲間だが誰は仲間ではない」という発想もありません。ここの事象に対して、目的に合わせて最善のメンバーを集め、自分の強みを生かして、弱みを補ってくれるような他者と連携して目的を達成していきます。そして一つの目標が達成したら、そのチームは解散するという動き方を志向します。
  • 規則は絶対のアリ、規則は変えるキリギリス
    キリギリスは、規則はあくまでも人間が集団で生活しやすくするための手段の一つであるとしか考えていません。だからおかしいと思えば守らないこともあるし、環境変化によって時代遅れになったものは変えるべきだと考えています。アリだって理想的には規則を柔軟に運用できればいいことぐらいはわかっていますが、一度そんなことを始めたら集団の秩序が維持できなくなることもわかっているので、絶対的なものであるとしておきたいのです。
    天はアリの上にアリを作り、キリギリスの上にキリギリスを作らずキリギリスにとっては人間に上下はありません。「偉い人」にも必要以上にへりくだらない代わりに、年下の人に対して、あるいは納入業者や飲食店員に対する顧客の立場であったとしても敬意を払って接します。
     アリは常に、相手や自分の肩書を前提に、「格の上下」を意識しています。例えば教員でもないのに「先生」と呼ばれることを好み、また呼ばれないと不機嫌になるのがアリです。キリギリスはむやみに「先生」などと呼ばれると「背中がムズムズして」たまらないのです。
    • 決定論のアリ、確率論のキリギリス

      • バラつきが不快なアリ、バラつきを面白がるキリギリス
      • 失敗は敗北のアリ、失敗は勲章のキリギリス
      • 多人数で知恵をしぼるアリ、一人で考えるキリギリス

      アリとキリギリスの共存は可能か

      • 「視野の狭い方が勝つ」のはなぜか
        視野の広さの異なる人間同士が戦いに入れば、視野が広いほうが不利になります。それは「気づいていない」ほうが「気づいている」よりも強いからです。つまり、自分が知らない価値観がある、自分が知らないことがあると気づいていれば、相手の意見をひとまず聞こうとしますが、気づいていなければ譲歩する理由がありません。
      • キリギリスからアリへのバトン
        お互いの違いを認識したうえで上手に役割分担さえできれば、両者の長所を生かしながら共存していくことが可能です。
        自分が川上型の思考回路と認識しているキリギリスであれば、起業した会社をさらに大きくするため、近くにアリ型の人材を配置しておくことでうまく移行を図ろうとするはずです。組織の中でプロジェクトを立ち上げたキリギリスからバトンを受けて、その仕組みを最大限いかした製品やサービスを世に送り出していくのはアリ型人材の役割です。
      • なぜ「9;1」なのか
        人間は一人では生きられませんから、成長に従って社会性を身に付けていかねばなりません。社会性とは、いわば人間社会という「巨大なアリの巣」におけるサバイバル能力のことです。多かれ少なかれ大人というのは、アリ社会の掟を学び、アリに近づいていきます。いざアリの巣が出来上がり、そこの活動が始まればアリの数は増殖する一方です。
      • アリとキリギリス、そしてロボット
        川上でキリギリスが新たな世界を切りひらき、それをアリが大きくして軌道に乗せていく流の中で、最下流の川下側である定型度の高い仕事は徐々にロボットやAIが人間に替わって仕事するようになってきます。したがって、これまで「1:9」だったキリギリスとアリの比率が「キリギリス:アリ:ロボット」という構図に置き換わり、それが「1:5:4」になる日がくるかもしれません。

      あとがきで著者細谷功さんは次にように語られます。AIがレベルアップして「上空に飛び上がり」、人間とAI(自分たち自身)との違いすら客観的に観察できるようになれば、人間をないがしろにすることもなく、人間と自分たちを適材適所に置いた世の中をAIが描いてくれるかもしれません。そしてさらに次のように語られます。「そんな、キリギリスとなったAIが本書を読んでくれる日がやがて訪れることがあるのでしょうか?」と。

      (文:横須賀 健治)

       

10月 10 19

横浜スケッチ(第40回) スウェーデン女性写真愛好家を訪ねて(後編)

by staff

ペンネーム 成見 淳

6月14日。北欧の夜は滅茶苦茶明るく、2時頃目が覚めても外が認識できる。4時半にまた目が覚めたら日射しが真横から差し込んでいた。もう、まぶしい事、まぶしい事。
日本からはるばるここまでたどり着いて約束時間に遅れる訳には行かない。まして初めての場所で初対面だからからすぐに見つかるとは限らない。早めに着いて旧市街のスケッチポイントを探しながら待ち合わせ時間まで過ごすことにした。
この駅はグリーンラインとレッドラインの2系統が走っていてプラットホームが上り下り二つある。どちらのホームかまでは決めていなかったので、二つのホームを交互に端から端まで行ったり来たり。やがて約束の時間が近づいて来て緊張が高まる。
定刻になり反対側のホームにそれらしき女性を発見! 箱から額装した絵を取り出し、高く掲げて名前を呼んだ時、運悪く列車がホームに入って来て、音も視界も遮られた。
列車が行って、彼女が気付いて、お互いにホームの階段を下りて、ハグ。はせずに握手。まるで映画の一シーン。少なくともこの瞬間は映画の主人公。

 

改札を出て、地下道を東側に出る。
「どこか行きたい所ありますか?」「分かりませんのでお任せします。」
感心したのは、さすが写真愛好家(プロではない)、目に止まったものを素早く撮る。しかも、なぜ興味を持ったかを教えてくれる。例えば街角で建物の影が所々光っているのを見て「あの窓が影の中で光を反射しているのが面白い。」とか、目的の写真にさりげなく通りの名前や店の名前を入れて後で調べやすくするのだとか。私は写真家の目線で景色を見たことは無かったので絵を描く際の参考にもなった。さながら写真撮影の実地研修の様でもあった。水溜りの映り込みなど時々二人の関心が一致してお互いにニッコリとか、撮影中車に轢かれないよう気を配るとか、通行人の邪魔にならないようにとか、お互いに協力し合った。

「映り込み」ストックホルム旧市街 4号 透明水彩

「Old Townの光と影」Stockholm, Sweden F4号 透明水彩

島を一通り回りした後、対岸に行き2時間近く歩き回り、気温も上がって来たので休憩がてらランチにすることに一致。
彼女は大小問わず船やボートが被写体としてお好きなようなので、レストランとして係留された船を昼食場所に決めた。彼女は白ワイン、私はビールで乾杯。
彼女がトイレに行き、嬉しそうに戻って来て、トイレの丸い窓から撮った港の風景写真を見せてくれた。後日それらの幾つかは帰国後にもアップされていた。インスタグラムをやられる方はアクセスすると写真が見られる。私達のコメントも。
「今日は沢山写真を撮りましたね。200枚くらいでしょうか?」「いや、もっと撮りました。」同じアングルで何枚も撮るらしい。
食事の後、例の写真のスポットについて、私のクロッキー帳に地図らしきものを書いてくれた。Drevviken湖は複雑な形で細長く、岸辺も長いので説明に苦労されていた。

この手書きの地図と、絵を頼りに(しかもその絵は3月の柳の葉が全部落ちたもので、今は初夏。)探し出すのだからまるで宝探しの様。我ながら無謀な試みと反省?
さらに別の港に足を伸ばし、駅に向かって帰りながら旧市街を抜けて駅に着く。明日の土曜日はご主人と乗馬なので朝早いからと解散することになり、グリーンラインに乗り、分岐するGullmarsplan駅で別れる。

 

6月15日、今日も快晴。土曜日なのでご主人も奥さんも起きて来ない。誰もいないリビングルームで今までの絵に手を加えていた。日本に来た事があり、日本贔屓と伺っていた息子が泊まりに来ていた。彼は話好きで、特に私が日本人という事で、朝食後夢中で話しかけてくる。「日本の寿司が大好きで、日本以外の寿司は全く別の食べ物。納豆大好き、鰹節の出汁が大好きで、削る道具をデパートに探しに行った。日本の『Manga』は最高だ。丸い帽子を被った有名な漫画家を知っているか。」「分からないなあ。」「知らないのか!有名な漫画家だけど。うーん。」「もしかして手塚治虫?」「それそれ!」という調子。
「今日はどこへ?」と聞くので、昨日の事を説明し、「彼女の写真を私が絵に描いた場所に行く。」と言うと「Amazing!」
彼が「メトロに乗らなくても、一番近いバス停から一回バスを乗り継ぐだけで行ける。」とバス停まで案内してくれた。
乗換えのバス停に着き、念のため隣の人に聞くと「ここで待っていたら、今来た所に戻るよ。Guod(oの上に点が二つ)に行くバスは高速道路の下を潜った反対側。」と教えてくれた。彼、乗換えのバス停名は教えてくれたが、そこまでは教えてくれなかったよな。
高速道路は快適で15分位で着いた。

バス停のベンチに荷物(三脚と絵道具などの入ったバッグ)を置いてナビ代わりのiPadを取り出して首に下げ、バッグを背負う。(後で知ったのだがこのバス停は彼女が教えてくれたひとつ手前だった。もう一つ先まで行けば3時間は節約出来たのだった。
IPadの地図を見ながら歩き出す。この頃は途中目についた景色や家並みなどを撮影してルンルン気分だった。
やがてDrevviken湖のはずれの岸に出て、何となくそれらしき景色の反対側に出た。この柳、今は葉が茂っているがあの写真と形がそっくり。岸の傾斜も木の並び具合も。でも写真には木の桟橋は無かったし、舟も一隻だったが今は数隻。廃船は無く皆現役のボートのようだ。
こことぞ、と思われるポイントに立ち三脚を立てれば良かったが手を抜いた。このツケが後で来ることになる。
2分ほど歩くと川でカヌーを操る人が3人。そのうちの男性に声を掛けると自信なさそうに「見たことのあるような、無いような景色だなあ。」 自分のいる位置を確かめたくて、「この近くにファッション・ショップありますか?」、と聞くと。「ああ、それならすぐそこだよ。」
お礼を言って急いで行くと、先ほどの高速道路、手書きの地図のラウンダバウト、信号、ファッション・ショップ(交差点の角でかなり大な店で綺麗)があった。何のことは無い。半島を反対側から一回りして来たのだった。
ショップの角を曲がり、湖と思われる方向を目指す。だんだんと上りになって来る。30分位(実際はもっと短かったかも)歩いている途中でハッと気が付いた。『三脚はどこだ?バスの中か? 出てこないだろうなあ? 90%諦め気分。
『アッ! そうだ。バス停のベンチに下ろした!』と気が付いた。
高速道路に出て、さっき歩いて来た方向を見ると見覚えのある信号が。さらに側道を進むとさっきのファッション・ショップが見えた。その先には来る時に降りたバス停があるはず。ここからそれほど遠くない。そいて20分ほどでバス停に着いた。
祈るような気持ちでドキドキしながらベンチを見ると。あった! 中身がむき出し。袋はベンチの下に落ちていた。中学生くらいの男の子が一人いて「あなたの物だったのですか? 袋が落ちていて何かと思っていた。良かったね。」事情を話し、笑って別れた。
奇跡だ。

散々歩いたので、ポイント探しは諦めようかと思ったが、ツアー・メンバーのKさんの話を思い出し、気合を入れ直して、小さな川沿いの径を歩く、歩く、歩く。

 

Kさんの話

彼女が北イタリアからスイスへの移動中のバスの中で話してくれた事。「絵を描きに行って、石に躓いて転び、顔面を打って出血し、コンビニで氷を買って冷やして『ここまで来て描かずに帰ったのでは何しに来たのか分からない。』と流れ出る血を抑えながらスケッチした。」
簡単に紹介するとこうなるが、後部座席で臨場感たっぷりに話をしてくれた。周りの我々は気の毒と思いつつも軽妙な語り口につられ大笑い。夕食時に『バスの後ろで大きな声で笑っていたけど何?』と聞かれ、また全員で大笑い。実は話の続きがまた面白いのだがカット。私は彼女の話を聞いて、絵に対する情熱、気迫に恐れ入ってしまった。その後スイスのソーリオ村でスケッチする時に『疲れたからこのくらいにするか?』という気持ちが芽生えた時、隣で一緒に描いていた高原さんと『Kさんの血だらけでスケッチを続ける姿を想像すると、我々もここで描くのを止める訳にはいかないですね。』と話しながら頑張った。お陰で手を抜くことなく描き続け、予想以上の絵を描くことが出来た。

「旅の途中で・・・」スイス、ソーリオ村 水彩6号
隣で一緒に描いていた高原さんの作品(akc水彩画展2019出品)
私の作品より数段お上手なのでお借りした。(反射光で見難い点ご容赦。)

ツアー中もKさんの言葉にどれだけ叱咤、激励の刺激を頂いたか計り知れない。
身をもってメッセージを発する真の教育者(彼女はかつて教育者だった)を見た。
私はそれを自分の糧とすべく、それまでの心構えを入れ替えることにした。

 

さて、川の途中で桟橋代わりの小さなお風呂の簀の子板のようなものを見つけた。
『ここなら水面に近く、涼しくて描きやすいのではないか?』
小川の岸辺は思った以上に急斜面で、色々な木くずや枯葉などが堆積していて滑りやすい。転ばぬよう、川に落ちぬよう慎重に降りる。成功! 衝撃で板が揺れる。三脚を短く立て、板に座って準備する。波で微妙に揺れるのが気持ち悪い。そしてもっと大敵が襲来。モスキートだ。私は蚊が大嫌いだ。生憎虫よけスプレーを持って来なかったので、さすがにこれにはすぐに降参。来た道を戻り、途中ベンチを見つけ、バナナとビスケットで昼食代わり。食べ終ったら眠気が来たので諦めてB&Bに帰ることにした。

B&Bに着くと、何とBirgittaさんからメールがあり、乗馬を終わって12時過ぎにファッション・ショップ付近に来ていたとの事。心配しての事だろうと心遣いに感謝。

「Drevviken湖へ続く小川」ストックホルム、スウェーデン 6号水彩
この絵は18日午後に帰国したばかりの20日の朝、一気に描き上げた。

「Drevviken湖畔」ストックホルム 3号水彩

最初に三脚を立てて描こうとした場所。その時は確信を持てなかったが、右の柳の木、岸辺、対岸の光景など、実はここが目的の場所ではなかったのかと思う。そう言えば昨日彼女も「廃船は撤去された。」と言っていた。

夕食を食べようと思って、駅に向かって歩いている途中に黒人女性に声を掛けられた。気軽に話していると「マネー」「旅行者だから持っていない。」「でも旅行者はお金持ちでしょ。」「私は貧乏旅行者」「一人?」『危ない。危ない。一人と言ったら帰りに仲間を連れて来て、襲われるかもしれない。』「No家族と一緒」と言って立ち去る。
地下鉄に乗ると彼女も乗り込んで来て、今度は空き缶を持って「マネー」と乗客に声を掛けている。地下鉄では2回この光景を見た。
北欧諸国は高負担高福祉社会と思っていたがその恩恵にあずからない人達もいるようだ。
ついでながら、スウェーデンではキャッシュレス化が進んでいてカード決済が普通。現金だとお釣りをくれない。お札を出してお釣りをもらったのはB&B近くのコンビニでの1回だけ。中央駅のレストランで食事処を探したが適当な店が見つからず、大きなコンビニに並んでいたSHSHIに目が止まり、確か70スウェーデン・クローネ(約1000円)だったので50クローネ札2枚を出したがお釣りはくれなかった。
「No Change? 」「No Change」と当然の様に言い、レシートを見ると値段が100クローネになっていた。30クローネは店の儲け? そんな馬鹿な!
日本に来た外国人が、自動販売機でお釣りが出て来るのに感激する、という話の真意が理解できた。常識とは「その国、その地域、その時代の」という限定されたものなのだ。
スウェーデンに行く時は両替して行く必要はない。キャッシュカードさえあれば充分。

明日はスウェーデンを離れミラノへ向かう。B&Bのご家族から帰りの交通手段を聞かれ、自分では空港へのチケット2人分の残りがあるので当然中央駅からバスで行くことにしていたが、息子さんが色々調べて他の方法を勧める。「バスチケットを持っているから。」と言っても納得しないので、自分でも再度調べ直した。これが良くなかった。
ストックホルム11時05分発ミラン13時45分着のSASだから、アーランダ空港に9時前には着かねばならないはずで、当初案は7時半にはB&Bを出る予定だったのに、何回も調べているうちに空港着時間を1時間間違えてしまった。

 

6月16日(日)。この日も早く起きてしっかり出発準備をし、ゆったりとメールチェックなどをしていた。7時を少し過ぎた頃、ドアをノックする音がした。普段無口で頑固そうなご主人が「7時半に出ないと間に合わないよ。」と教えてくれた。
「え!8時で間に合うはずですが?」「いや。7時半。間違いない。」
焦って離陸時間を確認すると彼の言う通り、当初の自分の案通り。幸い支度は全部終わっていたのでケースの鍵を閉めるだけ。最後にポケトークのアラビア語で「お世話になりました。ありがとうございました。」と伝えるとニコッと笑って日本式のお辞儀を深々と。
ご主人のお陰で間一髪チェックイン出来た。

11時5分発だから朝食兼昼食は食べずに、機内食で充分と思ったのが失敗。昼食どころか飲み物も出ない。ハタと、富永さんから頂いたチョコレートの事を思い出した。皆と別れる際に、バッグの中にしまい、最後まで取っておいたものだ。
美味しかった。自分のミスを思い出して苦さもしっかり噛みしめた。
富永さんは絵手紙の先生。手のひらサイズ、折りたたみ式で、開くと長~~~い冊子を何冊も持っていて、目についたものを小まめに描き込み絵日記にしている。
字がまた素晴らしく、何年も書き続けられていて宝物だ。

富永さんの絵日記帳から

ミラノのリナーテ空港に着き、空腹を我慢してとりあえず中央駅まで行くバスに跳び乗る。終点中央駅のバス停に着き、マルペンサ空港行きのバス乗り場に向かう。
マルペンサ空港でメールすると10分ほどで若い元気なイタリア娘が迎えに来てくれた。明日も空港まで送ってくれるのでもう安心。と思ったのだがそうはいかないのが一人旅。

B&Bに着いて、荷物を置いて「海鮮スパゲッティーが美味しい。」と彼女が教えてくれたレストランに向かう。道路は狭く、歩道はない。途中、ト路になった所を間違えて曲がってしまい、戻って来る時に、乗用車が猛スピードで丸くなったコーナーすれすれにショートカットで向かって来た。大声を出しながら反射的に跳んだ。道路側に跳んでいたら怪我程度で済んだかどうか? そのまま車は行ってしまった。危なかった!

 

6月18日火曜日。
飛行機が成田に向け着陸態勢になった頃、隣のイタリア青年に声を掛ける。
「お仕事で日本へ?」「はい。ビジネスです。今回は4か月くらい滞在です。何回か東京、横浜に泊まっています。」「お仕事はIT関係でしょ?」「その通りです。」
ミラノとベルガモの間辺りに住んでいるという。わずかな時間だったが、シャイでジェントルマンの好青年だった。
こうして6月3日~13日までのスケッチ・ツアー。引き続いて18日までのストックホルム一人旅が終わった。Where to next?

全編終わり

PS

  1. 本編の英文版
    今回初めての試みとして、本編の英文バージョンを私のホームページにアップしました。(見出しの「横浜スケッチ」English Ver.) いかに翻訳という作業が大変か、文化や考え方の違いなどに考えさせられました。
  2. 展示のご報告
    隔月掲載の都合でご案内出来ませんでしたが、9月22日(日)から28日(土)までの間、インスタグラムをご覧になった銀座の6丁目の画廊ASAGIARTSさんから企画展Beautiful展へのお誘いを頂き、「横浜スケッチ」で掲載された絵を含み4点ほど出品させて頂きました。
    出展などのお知らせは随時ホームページ冒頭に掲載させて頂いています。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

10月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第13回 「戸塚の名物男」

by staff

第13回 戸塚の名物男

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十三回目でございます。



JR戸塚駅の改札を出ると、今年は戸塚区制80年という記念の年であることを示す垂れ幕やPOPが目立つ。

筆者の生誕地である戸塚駅へやってまいりました。
東海道五十三次の宿場の一つとして古くから名を馳せてきましたが、横浜市戸塚区としては今年区制80周年を迎えたそうです。筆者が生まれたのは区制37周年の年。それはどうでも良い情報ですが。

戸塚駅西口は「トツカーナモール」などのビル群がドンと構える。

ここ10年で戸塚駅、特に西口周辺は大きく変貌しました。トツカーナモール、サクラス戸塚、戸塚パルソなどの大型商業施設がそびえ立ち、駅から離れていた戸塚バスセンターも戸塚区役所も駅近くに新設され、再整備されました。

30年以上前に再整備を済ませている戸塚駅東口は味わいが出てきた。

一方、昭和末期に再整備を済ませていた戸塚駅東口。当時はうわぁ新しい街だ!!と子供心に思ったものですが、最先端の街となった西口に比べるとさすがに古さは否めず……、いや、むしろ味わいが出てきた感じがします。



だって、東口にはヤギさんがいらっしゃるのですよ!!

なんと言っても東口のラピス3のビル敷地には、ヤギが2頭いらっしゃるのです。戸塚駅ホームからもそれは眺めることができます。ちょうどお昼寝中のようで、お顔を見ることはできませんでしたが、なんだこの街は!?

ヤギの秘密を教えてくれるであろうラピス1の2階にある純喫茶モネは
2012年より日本ナポリタン学会認定店舗である。

ここまできてピンと来た人もいるのではないでしょうか。
そう、今回は戸塚駅前ラピス(モディ)2階の「純喫茶モネ」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様は101ページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

モネに来れば戸塚の「今」がわかる!各種情報が所狭しと。

1960年代に戸塚駅東口に床屋として開業、その後純喫茶へと業態を変え、1980年代後半に戸塚駅東口再開発でラピス1、2、3と3つのビルが整備された際にラピス1へ入居、現在に至ります。
カウンター席とテーブル席がありますが、カウンターにはマスターの片山大蔵氏がおります。そしてこのカウンター席には区役所、警察署、消防署、税務署、学校、地域メディアなど、戸塚に関わるあらゆる職業の人が入れ替わり立ち替わりで訪れ、片山氏と情報交換をしていくのです。

片山大蔵氏、通称・大ちゃんは、純喫茶モネのマスターをしながら、長年生まれ育った街・戸塚のまちづくりの活動に取り組んでいるツワモノなのです。ラピス3の敷地で飼育している2頭のヤギさんは、片山氏の仕業なのでした。

「今の子供たちは一人っ子が多く、またその親も兄弟が少ないことで、周りに不幸が少ない、つまりお通夜などに参加する機会が少ないのではないかと。ということは、命の存在が見えにくくなっているのではないか、つまりは命の尊さが軽視されてしまわないかという危機感を感じているのです。命を落とすとはどういうことかがわからないと、殺人事件を起こすという理屈が通ってしまう危険がある。ならば、身近に命の大切さを感じられるものを、ということでヤギをラピス商店街でヤギを飼ってみようということになったのです。」(片山氏)

ヤギは雑草を食べてくれる、散歩をさほど必要としない、環境に順応できる能力がある、などのメリットがあるそうです。

「えさ代とかも八百屋の廃棄野菜とかで賄っているし、”維持費”もさほどかからないですね。」(片山氏)

福島からやってきた2頭のヤギさんは当初電車の汽笛や、周辺を歩く女性のハイヒールの足音などにビックリしていたそうですが、それもすぐに慣れたのだそう。
近所の子供たちも毎日観察に来るなど、コミュニティを形成する新名所となりつつあります。

「ウサギも飼っていてね、常連客で94歳のおばあさんがいて、気力が衰え始めていたから、『ウサギ家で飼ってみたら?』って半ば強引に一兎あげたの。そうしたら部屋の中で動き回っている兎を追ううちに足腰が鍛えられちゃったらしくて。糞を拾っていたら手先が器用になっちゃったらしくて。うちに来ることが最大の楽しみだったはずなのに、『ウサギが心配だから』っていつも早く帰っちゃうんだよ。」(片山氏)

高齢者の自立支援を地域が支える。なんか凄い話です。

純喫茶モネのナポリタン大盛り。かなりの量です。

そんな「純喫茶モネ」のナポリタンをいただきましょう。うっかり大盛りとオーダーしたら凄い量です。恐れ入りました……。

「ガーッと頬張って、ケチャップの熱気で咽る。これが喫茶ナポリタンの美学なんじゃないかな。」

と片山氏が言って笑う通り、ケチャップの酸味がきいた太麺のナポリタンです。
緑色はピーマンにトッピングのグリーンピース。グリーンピースに特にこだわりはないけれど、創業当時からこのスタイルだから続けているとのこと。

日本ナポリタン学会認定店舗とあって、日本ナポリタン学会推奨商品である
岩井の胡麻ラー油をタバスコ、粉チーズとともに提供している。

我が日本ナポリタン学会は既に閉店してしまった店舗も含めると27店舗の認定店舗があり、この「純喫茶モネ」も2012年より認定店となっています。タバスコ、粉チーズはどこにでもある風景ですが、日本ナポリタン学会推奨商品である「岩井の胡麻ラー油」も提供されます。味の変化が楽しめますよ。

注文のたびに丁寧にハンドドリップして淹れるコーヒーは自家焙煎。

なんとか完食して、セットのコーヒーでひと休み。再び片山氏にいろいろな話に耳を傾けます。

長年の街づくりの活動に対しての感謝状や表彰状が店内に並ぶ。

「大手チェーン店のカフェは、あれはあれで使い勝手も良いと思うの。ただ一般的な『マナー』はうちみたいな喫茶店で個々に勉強してほしいよね。今は『ルール』というものが勝っちゃってて、分煙化なんかが良い例で、『ルールですから!』って、非喫煙者の声がものすごく大きくなっちゃったよね。コーヒー一杯で何時間もパソコンにかじりついているのは『ルール』にはないから許されているんだろうけど、あれは『マナー』としての問題だよね。」

本連載第6回目「不審に思ったら街の喫茶店へ」で取り上げた南太田の「ぱぁらー泉」同様、ここ「純喫茶モネ」でもマスターとの、時には客同士を巻き込んだ会話を大切にしています。大手チェーンのカフェは、Wi-Fiも整備されている分、パソコンやスマフォに没頭してしまいます。完全な一人使いができてしまう。そこに「マナー」が備わっていなければ、どんなに満員でも気を遣うことすらしない。自分主義。これではコミュニティの薄さが日本中に蔓延してしまうのではないかと片山氏は危惧します。
こう書いてしまうと街の喫茶店は少々面倒臭いのかも知れません。ただ、近年の理解しがたい犯罪や犯罪者を見ると、ちょっとしたコミュニケーションですら不足している者が多いように感じます。いささかお節介な人からたった一声かけてもらえるだけで救われることもあるのかもしれません。

「純喫茶モネ」片山大蔵氏と拙著。活力に満ち溢れた肌つやの良さを見よ!

今後何か新しいことを始める予定があるのか、片山氏にたずねました。
「特に考えてないね。でも何かしらはやっていくだろうね。普通に生きてたってつまらないからね。」
51歳。まだあと数十年はこの戸塚で面白いことを考え、それを実行し続けていくことでしょう。

あ、ヤギさんが顔を見せてくれた!!

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

10月 10 19

チャレンジ(第14回) ボランティア活動とは

by staff

ボランティア活動とは

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。猛暑が長引くかと思っていましたが、涼しい日が多くなり過ごしやすくなってきましたね。街はすっかりハロウィーン一色!先月のコラムで書かせて頂いたエイムワイさんのハロウィーンガーランドも早速完売しました! 次はもうクリスマス! 障害者施設では既に制作が始まっています。皆様、お楽しみにお待ちください!

ところで知らない方も多いですが、私の本業は映像関係です。ウェブ解析士の資格も持っているので、アナリティクスレポートの作成や、ウェブマーケティングのお仕事などもさせて頂いています。その私が何故、障害者関係の仕事に関わっているか、お話ししたいと思います。

私は父の勧めもあり、16歳の時に単身アメリカの高校へ留学しました。今のようにネットも通っていない時代、私が知っていたアメリカは、ほんの一部でしかなく、とてつもなく大きく面白い世界でした。この頃から私は父からボランティア活動をやりなさいと言われていました。その中でずっと心に残っているニューヨークのキャリアウーマンのお話しがあります。

仕事が忙しく時間が取れないニューヨークのキャリアウーマンが、自分でも出来るボランティアがないか、オフィスから近い孤児院に行って 【自分でも何かできることはないでしょうか?】 と聞きます。彼女に与えられた仕事は昼休みの1時間、孤児院に捨てられた赤ちゃんを抱っこすることでした。 【この子は親の温もりを知らない。1日に1時間でもあなたが抱っこすることでこの子は安心するのです】 と言われたそうです。この女性は「自分にも出来ることがある」と、孤児院に通ったそうです。

この話に感銘した私は、アメリカでもホストファミリーと一緒にボランティア活動に参加したり、帰国後は在日外国人に日本語を教えるボランティアチームに関わったり、お掃除ボランティアをしたりしていました。

ただ、結婚・出産後は忙しくなり、ボランティア活動に時間を割けることがなくなってきました。

転機は子どもが小学生になったころ、地域のママ達とハンドメイドイベントを開催して、みなとみらいの障害者施設「アニミ(http://animi.jp)」にも声をかけて参加してもらったことでした。縁があって、アニミでもボランティアやバザーを開催し、そこから自主製品の企画・開発・販路拡大までのお仕事に関わらないかと声を掛けて頂き、今に至る・・・という感じです。

「自分が出来ること」をやるボランティア活動から、今は少しづつですが、障害者施設での「支援」に繋がっています。そのきっかけをくれた「アニミ(http://animi.jp)」はcafeギャラリーとして、みなとみらいのクロスパティオに再オープンしました!

ここで、アニミのボランティアチームで開催していた、「みんみんバザー」を「あにみ秋のみんみん祭り」として開催したいと思います! 同時にC.P.FACTORYの展示販売会も開催いたします。秋の新商品も展示販売いたしますので、ぜひご来場ください!

チラシをダウンロードする

次は「秋のみんみん祭り」です 

(第14回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

10月 10 19

絵本から笑本へ(第42回) 絵本作家がゆく。~南区 はぐはぐの樹~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしてきました。

そして今回が遂に、ラストの18区目。
18区目となる今回は、南区です。
南区の子育て支援拠点は「はぐはぐの樹」。

ぼくは、はぐはぐの樹へは家族で遊びに行かせてもらいました。
うちの娘は障害児なので、バギーでないと移動が出来ないので、
2階へ上がるのはすこし大変でしたが、
スタッフの方々がバギー置き場等、丁寧に教えてくれました。

子育て支援施設には必ずありますが、

はぐはぐの樹も例にもれることなく
地域の情報収集コーナー等もシッカリ常備。

他の区の子育て支援拠点と大きく違う所は、
「本」がたくさんある所ですね。
至る所に本棚があり、図書館の様な雰囲気がありました。

絵本や児童書、育児書、本が好きな人にとったら
とても居心地が良いかもしれませんね。
本の貸し出しや、おはなし会も多く開催されているようです。

改めて今回のコラムの件でご連絡した際、
絵本作家 保科琢音の『読み笑わせ』もどうですか?
とお話した所…
絵本のイベントは多いのでと断られました(笑)

まぁぼくの『読み笑わせ』は、
他の方々がやっている「読み聞かせ」なんかとは
全くの別モノなのですが…
まだまだ頑張らないといけないですね(笑)

とにもかくにも改めて、

18区の全ての子育て支援拠点の皆さま、
本当にお世話になりました。

きっと横浜市18区全ての子育て支援拠点を
訪れた絵本作家は保科琢音だけでしょう。

それもこれも、ぼくのワガママを聞いてくれた
皆さまのおかげです。
本当に本当にありがとうごさいました。

18区の子育て支援拠点を回らせて頂き、

一年半18カ月をかけてコラムでおしゃべりしてきました。

個人的に感じた事ですが、
18区の良い所、悪い所は勿論それぞれありました。

でもそれは、日々利用する赤ちゃんや子ども、
お母さん達も感じている事とは限りません。

しかし、「これからの子育て支援」を考えたとき、
今までのような「母親支援」だけでは駄目だと、
ぼくはこの18カ月のコラムで改めて強く感じました。

本当の意味で「地域子育て支援拠点」となるように。
もう一歩先の新たなステージへ「地域子育て支援」が進めるように。

18区の「子育て支援拠点」についておしゃべりするのは
今回で一旦終了。

第三期は後、二回程、大きな意味での「子育て支援」について
総評的なおしゃべりをさせて頂こうと思います。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区 瀬谷区 港南区 青葉区 青葉区 南区 南区

<今回訪問した施設のご紹介>

南区子育て支援拠点 「はぐはぐの樹」
HP: http://www.haghagnoki.jp/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

10月 10 19

認定NPO法人あっちこっち主催イベントのご案内

by staff

 

 

新しいアートパフォーマンス 日本初上陸!
DINING ROOM TALES ~ダイニングルームテイルズ~

アーティストが心を込めた手作り料理を準備し、食と語りと演奏を通じて、アーティストとお客様が食卓で一緒に物語を紡ぐ、それがDINING ROOM TALES(ダイニングルームテイルズ)です。日本初演であるこの公演では、スローライフを提唱するザンコールマン [アートディレクター] が創り出すゆったりした時間の流れの中で、浜野与志男 [ピアニスト] がピアノ演奏を披露し、思い出のロシア家庭料理をふるまいながら、お客様と共に人生と音楽について語り合う、特別なひとときをお楽しみいただきます。

横浜市中区を拠点とし芸術で社会貢献活動を行う認定NPO法人あっちこっちが、オーストラリア在住アートディレクター Xan Colman(ザンコールマン)氏と、国際舞台芸術ミーティングin横浜(TPAM)で出会い、お互いの団体のミッションと芸術的なアプローチに共通点を見出しました。ダイニング ルーム テイルズは既に7作品を、オーストラリアをはじめ、ロンドン、香港、サンパウロ、フランクフルト、ヘルシンキで成功させており、日本初演は認定NPO法人あっちこっちとの合同公演にて実現の運びとなりました。

日本初演には登録アーティスト 浜野与志男が出演、2019年11月3日(日)、4日(月・祝)開催の関西公演を皮切りに、同11月9日(土)、10日(日)に横浜、年が明けてからオーストラリア メルボルン他で4公演、計8公演を予定しています。

ザン コールマン Xan Colman
  パフォーマー、アートディレクター

オーストラリア メルボルンに拠点を置き、国際的に活躍する学際的なアーティスト、ライター、兼プロデューサー。

国際フェスティバルから地域コミュニティ、教育機関から大規模な演劇場、実験的なパフォーマンスプラットフォームからコミュニティ育成まで、さまざまな状況で作品を展開。
International Theatre Institute(国際演劇協会2010年11月ユネスコ) の一員であり、メルボルンのコンテンポラリーパフォーマンス会社 『A is for Atlas』 のアートディレクターも務める。 DINING ROOM TALESは、氏が2011年に立ち上げたプロジェクトで代表作の一つ。
www.diningroomtales.com

浜野 与志男 Yoshio Hamano
   ピアニスト

日本人の父とロシア人の母をもち、ふたつの国の芸術・文化がみずみずしく共生する環境で育つ。 2011年日本音楽コンクール第1位。日本フィル・サントリーホール定期やロイヤル・フェスティバル ・ホール(ロンドン)、モスクワ音楽院ラフマニノフホール、浜離宮朝日ホールでのソロ・リサイタルをはじめ国内外にて活動を展開する。

東日本大震災被災地での公演や中央アジア・キルギス共和国、 レバノンほか各地でのアウトリーチなど、インクルージョンを目指した企画にも取り組んでいる。 東京藝術大学を経て英国王立音楽大学修士号およびアーティスト・ディプロマを取得、モスクワ音楽院にて研鑽を積む。2018年4月より東京藝術大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師。
デビューアルバム[ステート オヴ マインド ~漂流する国の孤高なる音楽]発売中。
www.yoshiohamano.com

認定NPO法人あっちこっち

2011年8月に芸術で社会貢献を考え実行する市民団体として横浜で発足。クラシック音楽家を中心に社会貢献活動を共に行う若手アーティストが50名以上登録している。

東日本大震災被災地、熊本地震被災地にて若手演奏家等によるカフェコンサートを8年間に累計200回以上開催。2012年より芸術創作体験を子どもと保護者、若手アーティストと創りあげる「わくわくワークショップシリーズ」を横浜でスタート。2015年、第9回かながわ子ども・子育て支援大賞特別賞受賞。横浜市芸術文化教育プラットフォーム・学校プログラムコーディネーターも務める。
オーストラリアのアーティストと協働する国際交流事業も多く手掛け、2015年と2018年に東北被災地にて芸術団体ポリグロットシアターと、2018年に横浜にてサウンドアーティストであるマデリン・フリン&ティム・ハンフリーと共同プロジェクトを開催。
www.acchicocchi.com

 

公演名
DINING ROOM TALES Japan with Yoshio Hamano -Pianist-
ダイニングルームテイルズ ピアニスト 浜野与志男を迎えて

公演詳細

関西公演 日時: 2019年11月3日(日)/11月4日(月・祝) 各日 17:00~19:30
詳細&お申込み: diningroomtales-k.peatix.com

横浜公演 日時: 2019年11月9日(土)/11月10日(日) 各日 18:30~21:00
詳細&お申込み: diningroomtales-y.peatix.com

全公演チケット 5,000円 (ピアノ演奏、ディナー付 税込)

主催|認定NPO法人あっちこっち
企画・制作|A is for Atlas
後援|オーストラリア大使館
共催|横浜アーツフェスティバル実行委員会(横浜公演のみ)
横浜音祭り2019公募サポート事業(横浜公演のみ)

 

 

10月 10 19

第80回 建築物の長寿命とスクラップ アンド ビルドからの脱却

by staff

(株)北島建築設計事務所
北島 俊嗣

建築物の長寿命とスクラップ アンド ビルドからの脱却

設計事務所は日々 次なる建築を考え、新たな建築利用を実現されるためのお役に務めています。日本の建築事情は、古くなる前に壊して建て替えることが常識になっているかのごとく「スクラップ アンド ビルド(壊しては造るの繰り返し)」と皮肉られて久しい状態にあります。

社会が成熟に向かっていると言われている昨今、建築も「スクラップ アンド ビルド」の消費の方式から脱却して、建築物の寿命を如何に永くして、時代を超越して愛され活用される建築にしていくことが求められていると考えています。

1.建築物の最期=建て替えられる事情

建築物の寿命を永くしようと考えるとき、どのように建築が最期を迎えているかを捉え、最期を迎える理由にならないように建築物を維持管理していくことが重要と思います。建築物が最期を迎えるとき=建て替えられる理由や事情は様々ありますので、知り得る限りを上げてみます。

  1. 建築構造骨組みの老朽化
    構造骨組みの鉄部や木部が、錆びたり腐ったりして建て替えを余儀無くされることがあります。
  2. 外装や内装の老朽や汚濁によって視覚的に嫌悪になる
    材料の表面が腐食したり剥げ落ちてしまうことによって当初の見た目から変化して、汚らしく見えてしまい建築物自体の価値が格段に損なわれることがあります。
  3. 屋根や外壁の老朽や故障によって利用が困難になる
    屋根や外壁からの漏水がひどく、部屋として使えない状態だったり、構造骨組みを傷めてしまったりしまうことがあります。
  4. 生活文化の進化や変化によって建築物の用途や使い方が合わなくなる
    使用する方々や住まう方々の当初の使い方が変わってしまい、継続利用が困難になってしまう場合です。広さや高さが合わなくて、行う動作や生活が不便になってしまう場合です。
  5. 技術革新によって設備機器(空調や水廻り設備、通信設備)の更新が出来なくなる
    設備機器は技術が進歩すると性能は同じ場合 機器は小さくなるのが一般的ですが、部屋の機能を向上させるために、新たな機器が増えて機器が部屋に入らなくなったり、更新ができなくなったりして、不便になってしまう場合です。
  6. 所有者の変更
    所有者が変わり、建築物の使い方が変わり、新たな使い方に建築物が合わない場合です。

以上が建て替えられる理由として上げられます。

2.老朽の原因の第一は・・・水

上記のような 建築物が建て替えられる理由や事情を捉えると、(1)~(3)の建築の老朽・汚濁・故障などの、根本的な共通の原因のひとつは「水」です。万物の命に無くてはならないもののひとつが「水」なのに、その寿命を短くするのも「水」なのです。つまり「水」をうまく処理すれば、建築物の寿命は長くなると思ってください。

3.建物の寿命を延ばす工夫

建築物の老朽の原因は「水」であると申しましたが、その対策は明解で、
・雨水の侵入を防ぐ(骨組みに水が触れないようにする)
・建築物を乾燥させる、空気の入れ替えが常にできるようにする
と言えます。

この2点を原則にして建築物を維持管理すれば、訳の分からない理由で建築物の改修工事を迫る方々が提唱する内容が本当かどうかが分かります。もしその判断がつかない場合は、設計事務所という建築物財産の価値を保持・高める判断が出来る者に相談してください。

4.建築技術への理解促進のススメと新しい建築とのかかわり方

スクラップ アンド ビルド の消費の方式から脱却して、建築物財産を少しでも永く維持・活用していくためには、建て替え当初において 上記(4)や(5)を起こさない、時代の変化による使い方や設備機器の更新に対応できる建築を考えていくことは重要な課題であり、私達 設計事務所を中心に課せられた大きな課題です。

また、既存の建物の維持管理には、建築専門者を名乗って不要な改修工事を勧めて建築所有者様の財産を搾取しようとすることを排除し、真に建築物の寿命を永くする修繕や改修のみを施さなければなりません。そのためには、建築物を所有される方々には建築物を維持管理する技術への理解を深めていただくと同時に、建築物財産の維持を自らの利益とは関係ない客観的な判断が出来る者を相談者に添えることをお勧めします。

永く愛される建築を創り、育み利用し続け、(例えば、横浜市開港記念会館や赤レンガ倉庫のように)時代の価値を超越した建築を未来に残して行くことが今求められている新しい建築とのかかわり方のひとつと考えます。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

10月 10 19

なにしおはば 逢坂山のさねかずら 人に知られで 来るよしもがな

by staff

♪ なにしおはば 逢坂山のさねかずら 人に知られで 来るよしもがな ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:三条右大臣 (さんじょうのうだいじん)

歌意: 逢って寝る! と言う名のさねかずら。それならそのツルを手繰るように誰にも知られないで彼女に 会いに行けたらなぁ! そんな方法ないかしら。

これは全く売れっ子の芸能人なら誰でも一度は ほほ杖ついて考える。恋人との秘密の逢瀬の唄です。この夏 首相官邸で婚約発表をした政治家とタレントさんのカップルが居ましたが、そこに至るまでは内緒に内密に、誰にも知られずにどうやって会おうか、を特に政治家の男性の方は日々考えていたのだろうと推測します。

作者の三条右大臣、藤原定方さんも 公の人なので自分の恋が表ざたになるといろいろと大変だったようで、こんな歌が残されているのでしょう。

令和元年の現代と平安中期では約千年以上も時代が違うのに、人間の心情って殆ど変わらない。特に男女の関係は今でも十分に理解が出来てしまう、百人一首や古今和歌集 そして万葉集などに日ごろ接していると千年二千年などがあっという間に過ぎてしまうタイムスケールを感じます。

今回私は マウイ島の空を眺めながらこの10月号を書いていますが、半月以上も日本を離れると出国前に綺麗に整えてきた髪の生え際に白いものが見えだして、「あらマウイ島の方が髪の伸びが速いのかしら」と驚きます。今日は朝からヘナと言う紀元前から使われていたハーブを使って髪を染めながらこの文章を書いている次第なのですが、この歌の中の”サネカズラ‘ という植物は昔は整髪料として使われていたようで今でも 美男カズラ と言う別名を持っています。きっと平安時代にもすでに髪を整えるために使われていたのではないかと、文献を探してみたのですが見つかりません。その代わり、白髪染めの話が載っている文献が平家物語の中に見つかりました。今回の和歌からだいぶ飛躍しますが感動的な話なので。

時代は三条右大臣が生きていたころから150年ほど過ぎた1183年。
源氏側の大将、木曽義仲の追討に向かった平家側の斎藤実盛はこれが自分にとって最後の戦いになるだろうと覚悟して若々しく戦いたいと 髪を染めて戦場に挑みました。本人はここで討ち死にするつもりだったのでしょう。木曽義仲勢に打ち取られてしまいますが、首実検をしても斎藤実盛だとわからなくて、大将の木曽義仲がその首を池で洗わせたところ、白髪が出てきて本人だとわかります。この史実はもっと最初からのいきさつがあります。

斎藤実盛は、木曽義仲が2歳の頃、戦乱から幼い義仲を助けて逃がしてくれた、敵の武将でした。自分の命の恩人だったわけです。その後平家の衰退とともに、沢山の平家の家来達が源氏に寝返をうっていたにもかかわらず、斎藤実盛は、みじんも自分自身の態度を変えず、平家に忠誠をつくし、この戦いに参戦しました。負け戦とわかって、自分の最後を飾るべく白髪を染めて赴いた戦場でした。彼を打ち取った木曽義仲は、命の恩人だった、敵の老将に死して対面して涙を流したそうです。白髪染めて赴いた死路への旅、70歳の老将の物語を読んで私も泣けました。木曽義仲は斎藤実盛の兜を近くの神社に奉納します。

現在 その兜は 国の重要文化財となり今でも小松市の多太神社に祭られているそうです。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

10月 10 19

イラストレーター 長崎祐子さん

by staff

今回ご紹介する方は横浜市内ではなく、お隣の相模原市にお住まいの長崎祐子さんです。長崎さんは、時代の先端を行くゲームのイラストレーターのお一人です。マンガやアニメ、ゲームは現代日本文化として海外にも発信されています。

イラストレーター 長崎祐子さん
イラストレーター
長崎祐子さん
 
お名前 長崎 祐子(ながさき ゆうこ)
お生まれ 1976年7月/宮古島
お住まい 相模原市
ご家族 7人兄弟の6番目
お仕事 イラストレーター・専門学校非常勤講師
イラストサイト『青銅の履歴』
HP http://agdes.net/
趣味 旅行(海外・国内)、美術館めぐり

 

ものごころ付いた頃から絵を描いていました

実家は宮古島の伊良部大橋にほど近い山村部にあります。そう言っても伊良部大橋は2015年に開通しましたから、私が暮らしていた頃にはありませんでしたけれど。

家族は祖母と両親と7人兄弟。私は6番目で、上から4番目までは女の子、5番目が待望の男の子、そして私、末っ子が男の子という順でした。長女や次女はお姉さんというよりもお母さん代わり、いろいろとお世話になりました。待望の男の子達に挟まれて育ったので、6番目の女の子はあんまりかまってもらえず、一人遊びで絵を描くようになりました。

百科事典が絵本代わりでした。載っている動植物の写真や挿絵が、私の絵のお手本になりました。何十回も同じお手本で絵を描きました。回を重ねるごとに違った発見があり、新たな工夫があり、それが楽しくて同じ絵を何度も描きました。絵を描きながら空想の世界で遊ぶこともできました。

百科事典をよく眺めていたので、幼稚園に入園する前には文章もそこそこ読めるようになっていました。 動植物に関する巻は何度も見ていたので内容も暗記していました。

幼少期の私

渋い絵を描く小学生?

百科事典から基礎知識を得ていた訳ですから勉強は好きでした。兄や姉から「こんな事も知らないのか」と冷やかされるのがいやだったという理由から、成績もそこそこ良かったと思います。
絵を描くことは生活の一部になっていましたが、子供らしい元気いっぱいの絵というよりは、渋くておとなしい絵を描いていましたね。絵画コンクールでは一等賞を獲ったという思い出はあんまり無いですね。

当時の宮古島の私の家のご近所は大体馬を飼っていました。宮古馬と呼ばれる農耕馬です。馬のエサやりも私の遊びでした。近くには山林があり、自然に恵まれたところですから、虫も友達になりました。たくさんのオタマジャクシを育てたこともありましたね。しばらく育てていたら脚が生えて姿を消してしまいましたが。自然とのふれあいは絵を描く上での土台になったかと思います。

少年ジャンプに夢中になった日々

中学は地元の公立中学校に入りました。放課後は帰宅部だったので、マンガ好きの友達と一緒に遊んでいました。当時、少年ジャンプが流行っていて、宮下あきら先生や横山光輝先生のマンガに夢中になりました。特に横山光輝先生の『三国志』 『項羽と劉邦』に大きな影響を受けました。私のイラストに東洋的なテイストが感じられるのはその影響だと思います。

「花鬘」 三国志乱舞(ソーシャルゲーム)

高校も地元の公立高校でした。授業は1~7校時まで、1校時の前に0校時というのがあり、放課後も希望者は選択科目が勉強できるシステムになっていました。朝の7時半に登校、下校までの時間は勉強漬けで本当にキツかったです。
文化祭と体育祭は3年に1度で同じ年に行われないようになっていました。 文化祭の年、体育祭の年、何もない年を繰り返すシステムでした。そういうわけで高校での楽しい思い出はあまりなかったですね。

地元の大学で中国文学を学ぶ

進学クラスだったため、高校に入った直後から受験の準備に入ります。この頃、母の物忘れが酷くなり、感情の起伏も激しくなりました。検査の結果、悪性の脳腫瘍が見つかり手術をしましたが、脳に損傷を与えたことで優しかった母の性格が変わってしまいました。母の介護に時間を取られるようになり、受験勉強に集中できなくなりました。この頃からうつ病を患ってしまっていたようです。絵を描く事でだいぶ心が救われました。

大工の父も体が弱く、7人兄弟の我が家は決して裕福な家庭でありませんでした。私は授業料の免除制度がある琉球大学の法文学部人文学科(中国文学専攻)に決めました。夢中で読んだ横山光輝作品から中国への憧れもありました。

絵の資料は、今ではネットですぐ検索できたりしますが、昔は手に入れるのが困難でしたね。通っていた大学には医学部があり、図書館にある沢山の医学書や関連の書籍から人体の構造(骨格や筋肉のつき方、関節の動き方など)を勉強することができました。ポーズやシチュエーションの描き方を学びました。幼い頃は百科事典がお絵かきのお手本でしたから、大学の図書館は画題の宝庫となりました。

「怨恨の女帝スカルエンプレス」
Z/X -Zillions of enemy X- (ゼクス)
(トレーディングカード)ブロッコリー社

地元の新聞社で働く

出身高校の国語の教員が産休を取ることになり、その代理で臨時教員として1学期間だけ勤めました。
その後は地元の新聞社に入りました。取材の仕方、写真の撮り方や加工の仕方、記事の書き方など多くを学びました。ローカルニュースを扱う地元新聞社ならではの苦労もありました。宮古島という、知人や親類の多い限られた地域で発生するニュースの取材はやりにくい場合もありました。島のルールと会社の体質に苦しい思いをしたこともありました。やがて取材から編集に関わるようになり、記事にイラストを入れることができました。私のイラストが多くの人の目に留まるわけですから嬉しかったです。

この頃からイラストのコンテストに出品したり、イラストの仕事を請けるようになりました。そして、宮古島を離れ『もっと広い世界に出てみたい』と思うようになりました。
生きていたら反対されたかもしれませんが既に両親は亡くなっており、兄弟はそれぞれに居を構え独立していましたから、28歳の時に4年近く勤めた新聞社を辞め、知人がお膳立てしてくれた「神奈川県相模原市」に行くことに決めました。イラストレーターになる夢に向けて、未知の土地で第一歩を踏み出しました。

イラストレーター 長崎祐子

こうして相模原に住むことになりましたが、最初の数年はイラストの仕事はなかなか入ってきませんでした。
アルバイトで塾の講師や、WEBデザインをしたりしていました。中小企業の社長さんが入会している団体に入り、名刺に似顔絵を入れるといった仕事もしました。

イラストもはじめはアクリル絵の具を使って手描きでしたが、仕上がった作品のパーツ違いや色違いを求められることがあり、デジタルの技術を導入しました。液晶タブレットを導入して以降、仕事の質が上がり、以前よりも作業量が増えました。

ゲームのイラストを描くようになって、イベントにも呼ばれるようになりました。サインをしたりファンとお話をしたりする機会も増えて、『イラストレーター長崎祐子』という名での仕事が徐々に定着していきました。

「地獄の大公主 アスタロト / 水曜の魔導師 メリクリウス」
Force of Will (トレーディングカード)EYE SPY PRODUCTIONS PTE. LTD.

商業系のイラストは、実物や写真よりも特徴を誇張、強調して簡略化・省略化して見せるような時に使います。例えば体の組織や解剖図などは実物や写真よりもイラストの方が良いと思うでしょう? 小学生の頃に遊びの中で育まれた『観察眼』が役に立っています。

生活にゆとりが無かった時期でも、自己投資のつもりで年に1回以上は海外旅行をしていました。ヨーロッパやアジアの美術館・博物館に出かけて、実物の美術品を見たり、写真資料を撮ったり。青銅器時代と青銅器に刻まれた文様が好きで、私の生み出すゲームのキャラクターにその影響が出ています。
バレエはイラストのポーズの参考になるので、たまに観に行きます。

私のサイトをご覧いただけるとお分かりになるかと思いますが、私の作風はお客様のニーズに合わせて自在に変化することができます。可愛い豚のキャラクターからちょっとセクシーな女神、筋肉隆々の戦士たち・・・イラストレーターとして身を立てるには幅広い仕事を手がけられるようになりたいといつも心がけています。

描きたいものと求められるもののギャップはあります。しかしながら、ゲームのイラストの『仕事』は、依頼される人がイメージしたものにいかに近づくか、完成度の高いものを提供し満足してもらえることも大切です。「胸を大きくして」という依頼には「これでもか」というくらい大きくしたり。

もちろん独自の作風も大切にしています。その作風が好きだと言って来られるお客様が増えました。これからもイラスト画を見て「長崎祐子」の作品だと周知されるように頑張りたいです。

現在、東京デザイナー学院・東洋美術学校で非常勤講師としてイラストを教えています。生徒の個性を伸ばしながら、ゲーム会社が必要としている人材として、役に立つ技術やちょっとしたコツなどを教えています。まずはゲーム会社に就職できることが第一目標ですから。就職してから個性を出していけたらいいでしょう?

生徒さんとの交流で、私もフレッシュな気分を味わうことができます。時代に敏感で新鮮さを失わないことが大切だといつも感じます。

先日は講師として台湾に行って来ました。生徒がとても熱心なので、通訳を介さないで直接話しがしたかったです。大学でもっとちゃんと中国語を勉強しておけば良かったと後悔しています。何がどこでどう繋がるのか? 人生って面白いですね。

「TENGU48 筑後坊」魔法少女 ザ・デュエル
(トレーディングカード)株式会社TCG

将来の夢

イラストレーターを夢見て日々努力されている人、技術を学びたいと思っている人は世界中にいます。
日本に留学して勉強するには莫大な費用がかかり、夢を諦めていた人もネットで繋がる時代になって、自国にいながら授業を受けることが可能になりました。
私も決して裕福な家庭に生まれたわけではなく、夢を求めて故郷を一人離れてきました。ですから、そんな皆さんの苦労が分かります。
厳しい環境の中で努力しているイラストレーターのたまご達を育むことが私の夢になりました。インターネットを活用したイラスト塾を創りたいですね。

「ガルーダとラクシュミ」(オリジナル)

(文:高野慈子

 

9月 10 19

ハマの映画館

by staff

 

私は「映画好き」というほどではありませんが、話題作や気になる映画は映画館で見るようにしています。

横浜には、同一施設に複数のスクリーンがある「シネマコンプレックス」(シネコン)がたくさんあります。横浜駅そばの「ムービル」、桜木町駅前の「横浜ブルグ13」、みなとみらい地区にある「イオンシネマみなとみらい」等、枚挙に暇がありません。

今回ご紹介したいのは、横浜らしい小さな映画館(ミニシアター)です。

まず、「ヨコハマNOW」2016年1月号の「ヨコハマこの人」でオーナーの箕輪克彦さんに登場いただいた日本最小の映画館「シネマノヴェチェント」(座席数28)です。
http://cinema1900.wixsite.com/home

オーナーの独自基準で選ばれた映画は、どれもユニークで面白いと評判です。
週末は上映後に監督や俳優が参加するトークショーやサイン会を開催しています。

先日、「シネマノヴェチェント」がある南区藤棚商店街が舞台の、地域発信型映画「カラオケ屋兆治」を観に行ってきました。企画・監督は、横浜市鶴見区出身の市川徹さんで、主演は、「しぶがき隊」の布川敏和さん。知り合いの商店主はセリフがある役で、頑張っていました。映画にエキストラで登場していた地域の方々が観に来られていて、私が行った日曜日はほぼ満席でしたね。アットホームな感じがこの映画館のいいところです。

かつて「映画の街」としてにぎわった、黄金町で唯一営業を続ける映画館が、「シネマ ジャック&ベティ」です。文字通り、「ジャック」と「ベティ」の2つのスクリーンある映画館です。(座席数133・144)
http://www.jackandbetty.net/

ここでは、シネコンで上映の機会が少ない良質な映画を、ジャンルを問わず上映しています。
単館系の新作ロードショーを中心に、監督・俳優特集や映画祭も開催しています。

「シネマ・ジャク&ベティ」は、同じ場所に存在した「横浜名画座」を引き継ぐ形で1991年にオープンしましたが、2005年に一旦閉館しました。その後2007年に再開して、梶原俊幸支配人をはじめ3人の若者たちが運営しています。

2つのスクリーンで、旧作と新作を同時に上映する個性的なミニシアターで、私は話題作「ラ・ラ・ランド」を全国ロードショーが終わった後に観たことがあります。

最後にご紹介したいのが、伊勢佐木長者町にある「横浜シネマりン」です。(座席数102)
こちらも2014年6月に閉館して、オーナーが八幡温子さんに変わって2014年12月にリニューアルオープンしています。
https://cinemarine.co.jp/

八幡さんは「ハリウッドの大作ではなく。質が高くても上映される機会に恵まれない作品はたくさんある。そういうものを観ることができる映画館にしたい。身の回りの避けて通ることのできない社会的テーマをきちんと盛り込んだ作品も取り上げていきたい。」という想いで運営しているそうです。

その言葉のとおり・・・
約8万8500人の広島市民が手弁当のエキストラとして参加し、1963年に製作された映画「ひろしま」。今年、原爆忌を前にNHKやTBSなどで原爆の惨劇を伝える映画として大きく取り上げれました。この映画が「横浜シネマリン」で上映されると知って、8月の土曜日の朝、訪れたところ、なんと映画館の近くの歩道まで行列ができているではありませんか。この映画館には何度も行っていますが、これまで行列を見たことがありません。オーナーの想いが伝わっているのだと、映画を観る前に行列に感動してしまいました。

これらのハマのミニシアターが存続していけるように、応援していきたいですね。

 

9月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第10回「丹頂鶴 (北海道/釧路湿原・鶴居村) 」

by staff

第10回 丹頂鶴 (北海道/釧路湿原・鶴居村)

2014年2月、北海道/阿寒タンチョウの里で、初めてタンチョウを撮影しました。それからは毎年、冬景色の中で撮影しています。今回は釧路湿原・鶴居村からの鳥撮り日記です。

2018年2月4日『鶴居伊藤サンクチュアリ』は雪が降っていましたが、多くの人たちがカメラを構えていました。

鶴居伊藤サンクチュアリ2019年2月撮影
開館日10月1日~3月31日 休/火・水曜/要確認

鶴居村は文字どおり「鶴が居る村」です。釧路湿原の北部に位置し、日本有数のタンチョウの生息・繁殖地です。

『鶴居伊藤サンクチュアリ』は、タンチョウの生息地を保護するため『(公財)日本野鳥の会』が運営する施設で、サンクチュアリの土地のほとんどが、タンチョウの給餌人を務めた伊藤良孝氏から提供されたものです。施設には伊藤氏の名がつけられています。

タンチョウの餌が少なくなる11月から3月まで給餌が行われ、サンクチュアリ内のネイチャーセンター(開館日/要確認)では、タンチョウの鳴き声や行動についての解説を聞くことができます。

国の特別天然記念物に指定されているタンチョウは漢字で「丹頂」と書きます。丹は「赤」を意味し、頂はてっぺんのこと、文字どおり頭のてっぺんが赤い鳥です。全長102 ~147cm。翼長64 ~67cm。翼開長240cmと大きく、湿原・湖沼・河川などに生息します。餌は雑食で、昆虫、カエル、貝類(タニシ等)、小魚、ネズミ、鳥の雛、葉類(セリ・ハコベ)、芽、果実(フトモモ・ミズナラ)などを食べます。

この日は100羽以上のタンチョウが飛来していました。タンチョウは体の大きさの割に、顔尾が小さく、名前の由来になった頭頂部の丹(赤色の事)が、上手く写ってくれません。

うれしいのか、飛び跳ねているタンチョウもいます。
求愛ダンスでもしているのでしょうか?

昨年生まれた、タンチョウの幼鳥です。
頭頂部は赤くなく、頭部から頸にかけては褐色です。

着陸シーンです。
地面(雪面)スレスレを滑空してきます。

翼を広げ、足を雪面に入れてブレーキをかけます。

シャッター速度は1/100秒です。タンチョウは大きいので、比較的にゆっくりした動きになります。慣れないと追いにくいですね。雲台(自慢ではありませんが、ザハトラーのFSB8を使っています)はいいのですが、ウデが悪すぎです。

離陸シーンです。
シャッター速度は1/125秒です。家族でしょうか、幼鳥を挟むように三羽が走り出しました。残念です、近すぎたので、テイクオフまで追えませんでした。

飛翔中の流し撮りです。
2019年1月30日と31日の2日間、鶴居伊藤サンクチュアリで撮影しました。 美しくて優雅でしょう。 毎年この季節になるとタンチョウを撮りにくるのですが、毎回、飛翔している鶴の姿に感動を覚えます。

幼鳥を挟んで3羽で飛んでいることが多いのですが、600mmの画角では、チョット狭いようで、入りきりません。

右が幼鳥頭頂部は赤くなく、頭部から頸にかけては褐色、
左が親鳥、二羽の親鳥が幼鳥を挟んで三羽で飛ぶ姿が見られる。

最近では釧路湿原の観光化が進み、生息環境の悪化が懸念されています。保護されている地域に集まる他種の鳥を含む過密化により餌不足が生じ、また過密化による伝染病や感染症などの恐れが生じています。
人間との関係も微妙です。餌付けにより絶滅を避けることができた反面、人間を怖がらなくなったこと、電線による事故、自動車や列車との交通事故などの問題も発生しています。人間が飼っている(いた)イヌが湿原の奥地まで侵入し、繁殖への影響も懸念されています。
また、給餌の餌目当てに来るキタキツネ、エゾシカ、オジロワシ、オオワシなどと接する機会が増え、見慣れることで警戒心がなくなってしまうことが問題視されています。

一方、冬の餌場環境(自然採食地を増やし餌付けに依存しない環境)を復元する活動が進められています。2009年には、サンクチュアリ内に、冬も凍らない水路を作り、タンチョウが利用しやすいように樹木の間伐を行いました。鶴居村の農家の協力で、2010年には樹木に覆われた水路を整備することができ、タンチョウの自然採食地になるようにしました。その後も畑の水路や採餌場所となる水辺を整備し、自然採食地を増やしていくとのことです。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

9月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第4回)
介護支援専門員(ケアマネジャー略称:ケアマネ)との出会いは大切!

by staff

第4回 介護支援専門員(ケアマネージャー略称:ケアマネ)との出会いは大切!

“イヤイヤ! 少な目 ワクワク! 増し増し”

どういう意味? 「ラーメン屋さんのトッピングみたいだけどなぁ~」なんて思われましたか。
これは、私の両親がまだ元気なころから、長生きして欲しいが、いずれは老いも来るであろう。でもこの先の両親の人生でイヤだな、辛いな、不安だなということはなるべく少なく、反対に嬉しいこと、楽しいこと、感動することがたくさんあって欲しいという私の願いをギュギュッと詰め込んだ言葉です。

両親には、出来る限り家庭で過ごして欲しいが、2人とも性格も介護してもらいたいことへの考えも違っていたので、親も私も “ワァ~イ! ハッピー!!” と思いながら、どうやったらそれぞれの “イヤイヤ! 少な目 ワクワク! 増し増し” の家庭介護生活が出来るだろうか、最初は漠然と考え、衰えを感じはじめた80歳代前半からは、次第に現実的に考えだし、8年後には介護サービスを受けることになっていました。

実際、家庭介護生活がはじまると、大変多忙な日々となります。介護者が心身ともにへトへトにならないためにも、最初は漠然としてでも少しずつ、家庭介護を思い浮かべ、介護される方の望みや介護する家族たちが話しあえる機会をつくり、もしその時がきたら家族はこういった介護ならできるといった役割分担や、どうやったら介護される人が安心できるかなどを考えておくと、後々役立つことがあると思います。

ご存知ですか?

介護保険の認定を受けて介護サービスを利用するには、各市区町村の指定を受けた事業者の介護支援専門員(ケアマネージャー略称:ケアマネ)に居宅サービス計画書(ケアプラン)を作成してもらい、ケアプランに沿ってサービスを受けることになります。家族が介護サービスを利用することになると、そこからケアマネさんとのつながりがはじまります。

その時、家庭での介護で望むこと・困るとこと・不安なことなどをケアマネさんに伝えることができれば、家庭での介護サービスは良い方向で受けられることと思います。もし、不運にもケアマネさんとのコミュニケーションが上手く図れないと感じた時は、介護される方も家族ケアマネージャーさんも幸せにはなれないと思いますので、居宅介護支援事業所やケアマネさんを代えるという選択もあります。

我が家の両親の場合は、父と母の人生観に適した方を希望しましたので、別々の居宅介護支援事業所のケアマネさんにお願いすることがベストだと考えました。お陰様でベストのケアマネさんに出会えました。

母のケアマネさんは、いつも母の目線にあわせた姿勢で会話をするなどの気遣いがあり、母の気持ちを良く理解してくれます。そればかりでなく介護する私のことまで気にかけて頂き、サービス事業者への紹介やアドバイスも迅速で、知識力・情報力も豊富で安心してお任せすることができました。信頼できるケアマネさんとの出会いは、とても大切だと実感しています。

今回は、母のケアマネさんを紹介させていただきます。
お名前は、清水真理子さん。
ケアマネージャーのほかに、福祉・介護業界の「3福祉士」と呼ばれる国家資格「社会福祉」「介護福祉士」「精神保健福祉士」の有資格者です。

また、「みんなの居場所 結(ゆい) 」という任意団体の代表でもあります。
「結(ゆい)」には多様な世代グループがあり、時間を分け合い居場所を活用しながら地域の交流拠点となることを目指すと共に、福祉の専門家が関わることで、来訪した相談者を適切な支援に繋げるお手伝いもしている団体です。
ここには、介護サービス利用者も福祉・介護の専門家も集まり交流できるカフェもあります。私も母と一緒に遊びにいったことがありますが、家庭的な雰囲気の居心地の良いところでした。

清水さんは、「みんなの居場所 結」は代表といっても私がというより、その趣旨に賛同して下さっているボランティアさんや、自己実現したいと一歩を踏み出した方々により成り立っているんですよ。と、活動のことをお話されました。

ホームページはないとのことなので、この紹介を読まれ清水さんや「みんなの居場所 結(ゆい) 」に興味をもたれ連絡したいと思われた方は、竹沢まで連絡 childyou@tky2.3web.ne.jp 願います。必ず先方にお伝えいたします。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

9月 10 19

楽しい文字の世界(第19回) 調和体

by staff

第19回 調和体

私は書道の複数の会に所属しており、出品作品を常に作っています。その中の一つ読売書法展が現在東京都美術館と国立新美術館で開催中です。東京を皮切りに、中国、四国、東北、北海道、中部、九州と巡回します。
作品は毎回時間切れで提出するわけで、自宅で書いた作品を広い会場で目にした時、満足できたことは何十年やってきても未だかつて一度もありません。反省ばかりです。ゴールがないということでしょうと自分に言い聞かせています。

左:読売書法展会場入り口
右:場内の様子

自身の作品

さて書道展の部門は会派によって分け方が多少違い、読売の場合は、「漢字」「かな」「調和体」「篆刻」に分かれます。その中の「調和体」についてお話したいと思います。

私たち日本人の日常を文にする場合、中国から伝わった漢字のみでは組めません。また全て和語(やまとことば)ではわかりにくなります。中国で生まれた漢字と、その漢字が日本に伝わってから日本で生まれた和字、そして時には欧字を組み合わせていきます。それを書作品に表現したものが「調和体」です。
「漢字かな交じり書」、「新和書」「近代詩文」などとも呼ばれます。

自身の作品(調和体)

日本を代表する書道展では、毎日書道展は昭和29年に「近代詩文書」部門を設けました。昭和30年には日展が「調和体」部門を、その後平成7年に読売書法展が「調和体」部門を設置しました。

日常の国語表記によって書かれた文を一般に読めるように作品にする、つまり第一義が「可読性」にあります。そしてその日常を芸術作品にすることが必要となります。書の世界にいない一般の方が足を運んでも、読めて楽しめる書をということです。芸術作品は、読まないで絵のように感じて欲しいという書家が多い中、逆行のようですが、楽しみ方は人それぞれ。会場でみていると、やはり読める書に足を止めている方が多いように思いました。

 

【お知らせ】
髙島屋オンラインショップで横濱増田窯×紅花の器をお買い求めいただけます。
https://www.takashimaya.co.jp/shopping/gift/keiro/…
 

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して25年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

9月 10 19

しあわせの「コツ」(第33回) 「さよなら」が言えなくて

by staff

第33回 「さよなら」が言えなくて

養老孟司 氏

解剖学者養老孟司氏は、若いころ挨拶や雑談が大の苦手でした。講義やプレゼンなどは全く普通にこなせるのに、なぜ挨拶や雑談だけできないのか、自分でも不思議でならなかったそうです。

養老氏は6歳で父親を亡くしています。父親は結核だったようで、子供だった彼は病床に近寄らせてもらえませんでした。ある日、母親が養老氏を父の枕元に呼び寄せました。「お父さまにごあいさつなさい」と母親に言われたのですが、病で衰えた父の姿を見てショックを受けた彼は、一言も話せませんでした。じっと息子の顔を見ていた父親は悲しそうな顔をし、それから数時間後に息を引き取ったのです。

父の死から30年以上経ったある日、電車の中でふとその時の光景を思い出しました。「そういえば、あの時、親父にちゃんと『さよなら』をしなかったなぁ」と思ったとたん、涙があふれて止まらなくなったのです。このことがあってから、不思議なことにあれほど苦手だった挨拶や雑談が、まったく苦にならなくなりました。

父親に「さよなら」をしないまま永遠の別れを迎えてしまった養老氏にとって、「父との最後の対面」という行為は未完のままだったのです。「さよなら」を言うことで完結するはずの行為は、30年間も閉じられることがなく、また「父にさよならを言えなかった」という後悔の念がトラウマとなって、挨拶や雑談ができない人間となったのでした。電車の中で「さよなら」を言えなかったことを思い出したことにより、やっと「父との最後の対面」は完結したのです。
何より本人がたとえ心の中ではあっても、改めて父親に「さよなら」を言ってけじめをつけることができたのです。それ以降、養老氏はあいさつや雑談に何のこだわりもなくなって普通にできるようになったそうです。

このように、ある特定のクセや行動が「未完の行為」のサインである場合があります。分かりにくい事もありますが、ひとたびそれに気づくと、朝日を浴びた霜のように、すぅーっと溶けてなくなります。「あれはどうも苦手」「あの人の顔を見ると何だかむかつく」とか、誰しも多かれ少なかれ抱えている小さなトラブルは、「未完の行為を完結させて!」という深いところからのメッセージかもしれません。

実は私にも「未完の行為」がありました。

それは小学生の頃の話です。雑誌に載っていた運動靴の広告で、カラーバリエーションに「コバルトブルー」というのがありました。文字だけでは分かりません。こんなハイカラな名前の色のクレヨンや色えんぴつはありませんから、皆目見当がつかないのです。「どんな色だろうなぁ」と好奇心は膨らむばかり。そこで印刷の仕事をしていた父に訊くことにしました。私は知っていたのです。父の大きなカバンには、分厚い色見本帳が入っていることを。

私 「ねぇ、コバルトブルーってどんな色?」
父 「そうだなぁ・・・。う~ん、まぁ今度教えてあげるよ」

なんと歯切れの悪い返事でしょう。「さっさとあの色見本帳を開いてくれればいいのに。ケチ!」と心の中で父に毒づいてしまいました。その晩はそのまま何もありませんでした。次の日もそのまた次の日も、父は「コバルトブルー」を見せてくれませんでした。私は失望感と父からないがしろにされている悲しさで一杯になっていきました。そして、もう「コバルトブルー」のことは諦めることのしたのです・・・。

それから何週間か経ったある初夏の明け方のこと、寝室のふすまをガラッと開けて父が何やら興奮した面持ちで言いました。「成美、コバルトブルーだよ!さあ!早く起きて!」と子供のようにはしゃいでいます。私は眠い目をこすりながら、「何よ、こんなに朝早く」とぶつぶつ言いながら父の言いなりに勝手口のガラス戸を開けました。
「ほら、あそこを見てごらん。あの黒っぽい雲の下あたりが『コバルトブルー』だよ」と、父が指さす東の空を眺めました。まだ中天は夜の気配が漂い、濃紺に染まっています。東に差し掛かるあたりに紫と灰色を混ぜたような色の雲が出、そのあたりから徐々にブルーの色がグラデーションで薄くなり、父が指さしたあたりは鮮やかな「コバルトブルー」でした。

「あれがコバルトブルーか」 しばらく私はその美しい色を眺めていました。やがて太陽が昇ってくると、ブルーのグラデーションは徐々に色褪せて、いつしか「コバルトブルー」も朝空の中に溶け込んでいってしまいました。本当にあっという間でした。

「ふ~ん」と、私はまた布団に戻りました。「何よ、今頃になって『コバルトブルー』だって! 忘れたのを急に思い出したんじゃないの? こんな朝早く人を起こさなくてもいいのに!」と布団の中でぶつぶつ言いながらまた眠りにつきました。

時は流れ、結婚して6人の子育てに明け暮れている頃、様々なストレスから夜眠れない日が続きました。ある日、午前3時半ごろ目が覚め、眠れないのでそのままベランダに出て、ボーっと東の空を見ていました。段々白んでくる空を眺めているうちにふとあの日の光景が蘇ってきたのです。

「そういえば、お父さんに明け方に起こされたっけ。今日は『コバルトブルー』が見えるかなぁ」と、東の空を見つめていましたが、残念ながらその日はすぐ空が白んでしまい、「コバルトブルー」は現れませんでした。何だか肩透かしを食ったみたいで、急にどうしても「コバルトブルー」を見たくなってしまいました。
次の日も明け方にベランダで待っていましたが、「コバルトブルー」は現れませんでした。私は意地でも「コバルトブルー」を見ようという気になりました。けれども、曇りや雨の日はもちろん見えませんし、晴れでも「コバルトブルー」が現れない朝もあります。「コバルトブルー」出会うのは、実に至難の業だったのです。

二週間ほどたったころでしょうか、「今日もダメかなぁ」とベランダの手すりに頬杖をついてぼんやり東の空を見つめていました。すると、濃紺一色の空が徐々にブルーのグラデーションに変わり始め、白み始めた下の方と夜の気配を残した部分との狭間に、それは奇麗な「コバルトブルー」が現れたのです!
「あっ!コバルトブルーだ!!」小さく叫んだ私は、その時すべてが手に取るように分かったのです。

父は印刷された色見本の「コバルトブルー」ではなく、自然界の「本物のコバルトブルー」を私に見せたかったのです。そのために朝の一瞬だけ「コバルトブルー」になる空を見せようと思ったのでした。けれども私が体験したように、いつでも「コバルトブルー」の空になる訳ではありません。これぞ「コバルトブルー」という色はそう簡単には見ることができないのです。
父は毎朝、私のために明け方勝手口を開けて東の空を眺めては「コバルトブルー」を探していたのでしょう。そうして、やっと出会った時、父は嬉しさのあまりはしゃいだような声で私を起こしたのでした。そんな父の想いをこれっぽっちも分からなかった私は「ありがとう」も言わずに、「眠いのに起こされた」という不満しか抱かなかったのです。

「お父さん、ごめんなさい。やっと分かったよ!ごねんね、ごめんね、ありがとう!」と、白み始めた空に向かって声をあげて泣いてしまいました。30年以上も父の愛に気づかなかった浅はかな自分が情けなくて涙が止まりませんでした。
泣きじゃくった顔のまま東の空を見上げると、にこにこした父の顔が浮かび、「やっと分かったのかね。相変わらずお前はトンマだなぁ」と言っているような気がしました。

それ以来、私は頑固だった父に対するわだかまりが消え失せ、父の何気ない振舞いを思い出しては、父なりに精一杯愛情表現をし、心から可愛がってくれていたのだと思えるようになりました。養老氏は父親に「さよなら」を言えずにいましたが、私は「ありがとう」が言えずに30年以上経っていたのでした。
この「未完の行為」を完結させた後、本人の中の何かが劇的に変わったのも養老氏と共通しています。

あなたにもありませんか?

言えなかった「さよなら」「ありがとう」「ごめんなさい」。それらは喉に引っかかった小骨のように、いつもチクチクとあなたの心のどこかを突き、あなたと何か(あるいは誰か)との間の滑らかな交流を妨げています。「起承転結」と言いますが、何事もきちんと「結」までいかないと、それから先が開きにくくなるようです。思い当たることがあれば、早めにクリアしてみてはいかがでしょうか? 幸い人の意識は時空を超えるので、遅すぎることはありません。

空も海もコバルトブルー ボラボラ島

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

9月 10 19

2019年9月 三ツ池だより 「命のはな、きぼうの詩!」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

とても暑い日だった。靖国神社の手水舎付近に足を運んだ。そこは参拝の集合場所になっていた。自分の今ある存在は何かと思っていた。中小企業の経営に携わってきて、「これからの日本をどうしていくのか!」を整理する機会が訪れていると思ってきていた。日本人として生まれてきて、日の出に、そして月に向かって手を合わせる。今日一日を楽しく迎え、明日に希望をつないでいく生活に喜びを感じていく生活をしている。父母に、そして日本に育てられたことに、歓びと誇りを持って暮らしていることに感謝している。

靖国神社参拝の機会をいただいた日に、本を購入していた。

「画詩集 いのちの花、希望のうた」である。表紙の帯に「生きるための芸術が、こんなにも心をうつ。」「兄の絵と 弟の詩 あなたへの花束」とあった。

タラの芽の絵に添えられているのが次の詩なのだ。

しあわせ
輝く
こころの大地は
すべて自身で
拓けと母

枇杷の絵に添えられているのが次の詩なのだ。

変わりつつある
毎日を積み重ね
これからも
歩みつづける
今年、幸あれ

素晴らしい絵と詩が続く。
そして詩を担当する弟の岩崎航さんはエッセイのなかで次のように書かれます。

「兄弟がともに過ごした時間の中で最も一緒に生きたのは、健一が二十二歳、私が十五歳からの六年間ではないかと思います。自由に出かけることもままならず、現在のようにSNSを使うこともできずに、ほとんど家の中というまいにちは、社会とのかかわりが乏しい小さな “島” で二人ですごしているかのような不思議な時間でした。」

絵を描く兄の岩崎健一さんはエッセーの中で次のように書かれます。

「私の病は、進行性なので病状は年々確実に重くなっています。正直言って私に残された時間があと、何年あるか私自身わかりませんが、カウトダウンが始まってきていることは日々感じている所です。年々、自分でできることがへってきていますし、体力もおちてきているのが自分でもわかります。手の動きも悪くなってきていて絵を描く時の大事なツールマウスの操作が自由にならなくなるのは私自身辛い現実です。しかし、できなくなったことを悲観するのでなく、できることがまだまだあるんだと前向きに捉えるようにしています。」「絵を描く時、私は、自分の生きたあかしとして全身全霊で描いた絵を一枚でも多く残していきたいとの思いで絵と向き合って描いています。絵を描いている時は、自分のおかれている現実や悩みなど関係なく無心になれ、楽しんで描いています。四十歳を過ぎたあたりから、この思いがよりいっそう強くなった気がしています。」

土筆の絵に添えられている詩

取っ組み合いの
喧嘩ができる
ありふれた
兄弟の日々
幸せだった

向日葵の絵に添えられている詩

向日葵が
咲いている
母の
今在る
うれしさよ

紫陽花の絵に添えられている詩

どうせまた
何も変えられないと
恐れていること
宿命が
人を不幸にするのではない

八月十五日は特別の日だ。カードをひいていた。
ユニコーンのオラクルカードは「True」であった。「そうです。あなたが考えていることは正しいのです。」普段はつづけないのであるがソニア・ショケットのオラクルカードをひいていた。「無条件の愛」であった。ハワイアンカードも引いていた。リリウオカラニでした。「ゆるしが必要です。あなたを苦しめるあらゆる人、ものをゆるし、手放すときです。」
今日こうして存在していることを意識するということは、とても大事なことなのだと理解できた。自分の今の存在は、長い歴史があったことであり、自分の一生が何事にも代えがたい現実なのだと理解できたのだった。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

9月 10 19

ゆるマナー講座(第47回) やっぱり “笑顔” が一番

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

先日田舎に帰った時、セキレイが軽やかに飛んでくるのを見つけ、七十二候の「鶺鴒鳴」(セキレイ鳴く)を思い出しました。暑かった夏も終わり、あっという間に秋が始まりますね。
今回は、この夏多くの人を明るくしてくれたスポーツ選手の話です。

スポーツ選手の笑顔のチカラ

最近、若い日本人のスポーツ選手達が世界で活躍するニュースを目にすることが増えましたね。中でも印象的だったのは、8月に全英女子オープンゴルフを制覇したスマイルシンデレラの渋野選手です。
メジャー制覇は日本人では2人目という快挙で話題になりましたが、渋野選手の太陽のような“笑顔”に多くの人が魅了されたのではないでしょうか。
渋野選手は、お母様から「笑顔が一番」と子どもの頃から言われて育てられたそうです。緊迫する試合の場面でも、ミスがあった時でも笑顔で乗り越えて、観客の声援にも笑顔で応えていた姿に、これまであまり見たことのないスポーツ選手のあり方に新鮮な感動を覚えました。
スポーツの世界での笑顔の効果に驚くとともに、やっぱり笑顔は誰をも味方にする、どんな場面も切り拓くのだということを、改めて思い起こさせてくれました。

他にもある笑顔のチカラ

緊張している時でも無理にでも笑顔を作ると脳はリラックスしていると勘違いしてくれるそうです。
ですから緊張したり、上手くいかずに焦ったり、気持ちが滅入ったりしている時ほど、口角を上げて笑顔を作るのが良いのです。
笑顔の人はゆとりが感じられ、周りにも安心感を与えます。初対面でも相手がニッコリしてくれただけで受け入れてくれていると感じますし、お互いに時間がかからずに打ち解けることができます。


© frear LLP

笑顔は笑顔を呼び、相手の笑顔でまた自分も笑顔になれる。笑顔の好循環が起きるのです。

以前、スーパープレゼンテーションのTEDで笑顔の力について話しているのを観ました。
高校の卒業写真で笑顔の人はそうでない人よりもその後の人生の幸福度が高かったり、成功している人の割合が高いのだとか。

そして笑顔になる回数についての言及に、はっとしました。
大人は一日何回くらい笑顔になるでしょう?
5回…? 10回…? せいぜい数十回でしょうか?
……なんと子どもは400回だそうです!!
周りに子ども達がいれば笑顔の好循環が400回もぐるぐる巡るのです。屈託のない無心な笑顔に癒されたり、元気にしてくれたりとその力は計り知れないものですね。
そういえば、孫ができた友人も笑顔が増えたような気がします。子どものパワーはすごいですね。

笑顔は自分から

箸が転んでも笑っていた頃は遠い昔となり、ちょっと笑顔を意識しないといけない時も増えてきたように感じます。
周りの人に笑顔がない時は、きっと自分自身に笑顔が足りない時。周りにちょっとイライラしてしまう時は、自分がイライラして笑顔になれない時……と、こんな気持ちを意識できるように、携帯電話のケースをスマイルマークのついたものに変えました。(笑)

自分から笑顔の好循環を作ろうと、若いスポーツ選手の素敵な笑顔に改めて教えられた夏でした。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

9月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第78回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第78回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

AIが “老い” を読み解く。結果は、経験値をもとに様々な角度から一番ふさわしいものに “置き換える力” 。肉体的な老化は、食物摂取の継続による消化できない細胞蓄積タンパク質によるダメージ。細胞を休ませて老化を防ぐには断食。精神的な老いへの断食にあたるのは情報の遮断かも。情報に振り回されず、嫌いなことはやらず、好きなことだけに打ち込む。典型が葛飾北斎。初期作品は素人が見てもうまいといえないレベル。それが90歳の生涯の後半に “富嶽三十六景” “富士越龍図” にまで到達したのはなぜか。死ぬまで毎朝3枚の獅子図を描いたといいますが “好きだけど単調” な作業が価値創造に繋がるといえるのか。高齢社会では、老いを創造性の爆発期と位置づける戦略が必要かも。組織の人材教育も同じ。再評価著しい “メンタリング” など、内弟子制度を組織の中でどうビルトインしていくか。梁塵秘抄では “媼が子どもは唯二人 一人の女子は二位中将殿の厨雑仕に召ししかば 奉てき 弟の男子は 宇佐の大宮司が早船舟子に請いしかば 奉いてき 神も仏もご覧ぜよ 何を祟りたまう若宮の御前ぞ” とあります。老女の一人暮しは神仏への祈り。 “貧しくとも満足なら豊か” とシェークスピア。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

やっていることをとことん楽しむ あくまで人間を肯定する
遊びや楽しみの中で学んだことは 脳の奥にまで突き刺さる
プロになってもプロとして遊ぶ 残像との会話を十分楽しむ
進化をめざして考え抜く 頭を使いすぎても死ぬ訳ではない

東京・六本木のサントリー美術館では “遊びの流儀:遊楽図の系譜;浮世の憂さの晴らし方” 展が開催されました。花見・紅葉狩りから見世物・芝居小屋まで。更には双六・カルタ・三味線・舞踊・ファッションまで何でもあり。そこには “仕事・遊び・親子供” の境界がありません。古代中国では “琴棋書画(琴・囲碁・書・絵画)” が君子の嗜みとされましたが、日本も遊び・嗜みでは負けていません。狼の群れは真剣に遊び、遊びを通じて知恵を継承したとか。大量のデータ/情報が流通する21世紀で勝ち残る組織には “遊び心・荒ぶる魂” が必須条件かも。我を忘れて人生丸ごと遊び楽しみ戯れるしかなさそうです。“遊びとは自己の全体重をかけて遂行されるもの” と作家・森鴎外。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

一番見えにくいのが自分の心 高度成長を経験した世代の、無気力と衰退
二〇世紀はモノに必死だった時代 二一世紀は知性を制御し感性に向かう
技術/スキルを習得するのが先 深めた後に、持ち味や個性がにじみ出る
文学、歴史、思想、哲学に関心を持続する グローバル社会のパスポート

教育は最優先課題。世界の大学ではカリキュラムに様々な工夫。インド工科大学ではインドの伝統舞踊講座、カリフォルニア大学バークレー校では多種のリベラルアーツ講座。ギリシャ・ローマ時代では “教養なきものは奴隷” と檄を飛ばしてリベラルアーツ教育を施したとか。ギリシャ・ローマ時代は “自由七科” 、古代中国では “六芸”。ただ、21世紀のリベラルアーツは再定義が不可避。特に “直観・大局観・デザイン” の世界をどう織り込んでいくか。誰もが考えていないことを見抜き、新しいモノの見方を発見し、方向感と構想を可視化すること。手塚治虫が漫画家志望の若者に語ったのは漫画以外のことを勉強する大切さ。 “枠組みではなく場。緩やかに繋がる“ と評論家・山崎正和。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

メンタリング 浄瑠璃は魔と間の芸術という お手本には繰り返し聴く・聞く
簡単に教えない、反論は大いに歓迎 その中で、他人が嫌がることもやる覚悟
起こっている現実を冷静に凝視する メンター自身が学ぶ姿勢、好奇心を示す
重要なことは 将来への洞察を繰り返し語る、知的好奇心を徹底的に刺激する

最近、メンタリングに再評価の動き。その本質は自己実現。長期的に高い成熟度を期す全人格的なもの。昔は内弟子制度といわれましたが、最近は封建的との理由でお払い箱に。大量生産時代はOJTでカバーできましたが、固有の価値創造を実現するには力不足。今後は、技術面だけでなく精神面・文化面も支える基盤が不可欠。以前の将棋棋士の内弟子制度では、将棋そのものの指導を受けることはまれで、むしろそれ以外のものから色んなことを学び・吸収することが財産・武器に。一日の研究時間は、研究の方法は、研究の素材は。その総体が飯の食えるプロ棋士の全身像。AI時代では、そこをどうデザインするか。“まだないものを見つける”とカップヌードル開発者・安藤百福。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

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(第78回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (