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【台風19号による被害を受けられた皆様へ】
台風19号による被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被害に遭われた方々へは、謹んでお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

10月 11 19

第53回盆栽カフェ オープン - 2019.10.22(火)

by staff

盆栽カフェをオープンいたします

「ヨコハマトリエンナーレ2014」で大好評だった「盆栽カフェ」をヨコハマNOWでは定期的に開催しています。

季節ごとの変化が気軽に楽しめる「盆栽」・・・
最近は若者を中心にミニ盆栽が人気を集めています。

2014年12月13日(土)に開催した第1回「盆栽カフェ」では、石井造園株式会社の石井直樹社長に、「盆栽」について語っていただきました。

盆栽カフェ
第1回「盆栽カフェ」のアルバムです

その後定期的に開催し、2019年9月23日(月・祝)に第52回を開催しました。そして第53回の「盆栽カフェ」を10月22日(火)にオープンいたします。

My「盆栽」をお持ちいただければ、石井社長に見ていただいてお手入れについてお話しいただきます。








2016年4月24日の「盆栽カフェ」の写真です。


2017年4月15日の「盆栽カフェ」の写真です。

「盆栽カフェ」(10月22日)のご案内 –第53回–

ようやく秋らしくなってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

第53回の「盆栽カフェ」は、10月22日(火)即位の礼の特別休日に横浜山手の「此のみち」で開催いたします。
(日曜日ではないのでご注意ください)

今回のワークショップは、「長寿梅」です。来年の開花を目指して頑張りましょう。

「盆栽カフェ」は・・・年代を問わず大歓迎です。
「マイ盆栽」を石井先生に見ていただき、アドバイスを頂戴することもできます。

皆様のご参加をお待ちしております。

「盆栽カフェ」のお申し込みはこちらから・・・
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

よろしくお願いいたします。

プログラム

タイトル 盆栽カフェ
日 時 2019年10月22日(火) 14時~
場 所 「此のみち」
横浜市中区山手町159-2 tel 045-621-4015
 
みなとみらい線「元町・中華街」駅下車、
  「港の見える丘公園」方面に徒歩12分
JR京浜東北線「山手」駅下車、「山手駅前」バス停から20系統
「港の見える丘公園」下車、尾根沿いに徒歩8分
 
アクセスはこちらをご覧ください。
http://yokohama-konomichi.jp/acces.html
参加費 4,000円 (ワークショップの材料費 お茶・お菓子 付)
お申込み お申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

動画:日本で初めて!松ぼっくりを使って苔玉を作る「苔玉ワークショップ」

参考サイト

「盆栽カフェ」 http://bonsaicafe-yokohama.net/

ヨコハマNOW掲載記事
「横浜に責任をとる。 石井造園株式会社 代表取締役 石井直樹さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=11663

 

 

10月 10 19

「ヨコハマNOW」から広がっています!

by staff

 

先日、ある方から「ヨコハマNOW」の執筆者を紹介してほしいとのメールがありました。

「ヨコハマの人」たちから「つながり」が広がっていくことが、「ヨコハマNOW」の創刊時からの願いでしたので、このメールを拝見したときに思わず「ヤッター!」と叫んでしまいました。

「ヨコハマNOW」に連載している皆様は、いずれも稀有な才能をお持ちで、本業以外にも様々な活動を展開されています。

最近、「ヨコハマNOW」がきっかけになって、新たな広がりを創り出している方をご紹介いたしますね。

株式会社メジャーテックツルミの会長である横須賀健治さんは、2011年3月から毎号「横浜ブックス」に書評を書いてくださっています。

その他にもコラム「三ツ池だより」を連載され、自作の俳句も披露されている才人です。

このほど50年に渡るご自分の経営者としての人生を「 “はかる” を人生の友として」という一冊の本にまとめられました。

このご本の中の「第四章 書物から読み取る人生」は、「ヨコハマNOW」に連載された書評から特にお気に入りの10冊が紹介されています。

横須賀さんのご本

「ヨコハマNOW」が横須賀さんの人生の彩りの一部になっていることは嬉しい限りです。

横須賀さんの2019年10月の書評
http://yokohama-now.jp/home/?cat=23

2015年5月から「横浜スケッチ」を連載中の成見(大澤)淳さん。
その時々感じたことを絵画とエッセイなどで綴る「絵ッセー」(成見さんの造語です)を寄稿されています。

近年、成見さんの「絵ッセーイスト」としての活動は、全世界に広がっています。
「ヨコハマNOW」では、成見さんが絵のモチーフにした写真を撮影したスウェーデン人の女性写真家を訪ねる旅行記を連載中です。

成見さんは、「横浜スケッチ」での絵の発表が一助となって、津久井の「ドリームファーム」や横浜山手234番館で個展を開催することになりました。

そして、成見さんのインスタグラムをご覧になった画廊の方からのお誘いで9月に銀座デビューを果たしました。
(スウェーデン人女性の写真の絵もありますね)

成見さん銀座デビュー

成見さんの2019年10月の「絵ッセー」
http://yokohama-now.jp/home/?cat=74

このような方々が、無償で記事を書いてくださっていることは、本当に有難く、頭が下がります。

「ヨコハマNOW」がこれまで続けてこられたのは、多くの人々の支えによるものであることを忘れず、これからも私たちらしい「つながり」を作っていきたいと思います。

 

10月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第5回)
「しつけ」と「体罰」について考えてみました

by staff

第5回 「しつけ」と「体罰」について考えてみました

全国で子どもたちの命を救えなかった悲惨な児童虐待事件が多く起こり、本年6月、児童虐待法と児童福祉法の改正案が閣議決定し、改正法は(一部を除き)2020年4月施行を目指しています。

この改正には、親権者らによるしつけ名目での体罰禁止や、児童相談所では介入対応と保護者対応部署を分け虐待への対応力を高めるといった体制の強化が盛りこまれています。そんな中、閣議決定以降も虐待による子どもの死亡事件は起きています。

地域住民の児童虐待への意識は以前よりも高まり、通報する方々も多くなっているようですが、通報してもなぜ防ぐことが出来なかったのでしょうか?
そこには、子どもの様子を確認したり、保護すべき機関が通報を受け流しているように思えてなりません。
こんなことで、改正法施行後、本当に児童を守る体制は強化できるのか、心配でなりません。

私は、この改正に体罰禁止とあるので、えっ! 親や大人は、子どもが危険ないことや、人としてやってはいけないことをした時、手が出てしまった! というのも禁止なの? どこからが「体罰」でどこまでが「しつけ」なのか、境目がはっきりしないと思いました。

私は、「しつけ」と「体罰」の大きな違いは、そこに子どもを守り育てようとする愛情や思いやりがあるか無いか、だと思います。
「しつけ」には、子どもが一人の人間として成長するために、必要なことを身につけ育つようにという、親や大人の愛情があり、親や大人が自分の怒りや支配欲などで子どもの身体や精神に苦痛をあたえるような行為に愛情なんてないですよね。

そこで、自分が子どものころ、親や大人たちからの「しつけ」や「体罰」と感じた出来事を書き、考えてみました。(※ここでの「体罰」とは、子どもへの暴力といった身体的苦痛だけでなく、恫喝に近い言動など精神的苦痛を感じたことも同様としました)
そして一つ一つの出来事に“★子どもだったころの自分の気持ち” と “●そのことでの今の自分の気持ち” も書いてみました。

「しつけ」
幼いころ、箸の持ち方で母親に何度も注意された。
★その時は、食事時に注意されることがイヤで、反抗していた。
●正しい持ち方が身につき、母に感謝している。

「体罰」
教師による恫喝に近い出来事があった。
★先生は、頭ごなしに大きな声を出して、自分の立場を押し通そうとしているだけ。生徒のことなど考えもしていないと、心の中で憤慨した。
●嫌な思い出としてそのシーンを覚えている。今でも、教師の行為を理解できない。生徒のことを無視して教師が保身のために大声で圧力をかけただけだと思っている。

実際に経験した出来事を振り返ってみることで、子どもの気持ちやその影響。また、親や大人の行動から、例えばあの時、他にも子どもに伝える方法があったのではないか。といったことも考えることができました。

勿論、体験がすべてではないでしょうか、もし子育てで悩んだ時は、自分の体験から感じたことなどを振り返って考えてみるのも一つも方法です。
みんなで子どもたちの大切な命や将来を守り育てることができる世の中になることを願っています。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

10月 10 19

しあわせの「コツ」(第34回) 「オリジナリティ」という幻想

by staff

第34回 「オリジナリティ」という幻想

人間国宝 二代目中村吉右衛門

松岡正剛さんの『神仏たちの秘密-日本の面影の源流を解く-』に、次のようなエピソードが紹介されています。

以前、二代目中村吉右衛門がこういう事を言っていました。自分の芸がいいところまで来たな、と思うと、「吉右衛門さんも、やっとおじいさん(先代中村吉右衛門)にそっくりになってきましたね」と、言われるのだそうです。

同じ言葉を画家や音楽家などほかの芸術家が言われたらどう思うでしょうか。きっと「お前にはオリジナリティがない」とけなされた気分になるのではないでしょうか。けれども梨園では「先代を彷彿させる」というのは、最高の褒め言葉なのです。

何かの面影を彷彿させる「うつし」ということを、日本はとても重んじてきました。西洋的な「オリジナリティ」の追求ではなく、和歌の「本歌取り」や焼き物の「○○うつし」というように、先行するもののエッセンスを「まねる」ことでリスペクトを現したのです。たとえば、この「柿右衛門うつし」の皿を見てください。これは偽物ではなく、柿右衛門へのオマージュとして作られた立派な作品です。ですから裏には写した人の銘がきちんと入っています。

「柿右衛門うつし」の皿と裏の「銘」

そもそも「オリジナリティ」とは何なのでしょうか? オリジナルな新製品といっても必ず先行する製品があるはずですし、斬新なデザインといってもそれ以前のデザインと比べての話です。世の中に100%オリジナルな作品などは存在しないのです。

フランスの芸術家ジャン・コクトーは「私が一番嫌いなのはオリジナリティだ」と言っています。コクトーは「オリジナリティ」が競争と差別の上に成り立ち、自分を誇示するエゴイスティックな表現であることを見抜いていたのでしょう。競争、差別、エゴイズム-それこそ芸術からもっとも遠く、芸術がもっとも忌み嫌うものだったはずです。

ジャン・コクトー

人は、今まで見たことも聞いたこともないものがポッと出てきてもそれが何だか分かりません。先行する何かがあるからこそ、それと比較してその類似の度合いが低い場合に「オリジナル」と言っているに過ぎません。「オリジナリティなんて私にはゼロだ。私の作品が面白いというなら、それは私が組み合わせているからだ」とコクトーは言います。「オリジナル」というのはつまり、「組み合わせの妙」のことなのでしょう。

現代では何事も「新しさ」や「オリジナリティ」が求められ、場合によっては完成度が低くても「オリジナルだから」という理由で通ってしまいます。けれども、かつての日本はオリジナルであるよりも、先行する「型」を徹底的に真似てそれになりきろうと努力を重ねてきました。その過程で、その人の身体の癖、心の在り方、境涯、見識といったものが注ぎ込まれ、先代の面影を彷彿とさせながらも、おのずと先代とは違う味を醸してしまうのです。徹底した「真似」から生まれるこの豊饒な差異を見て、人は「うまくなった」と褒めるのです。

ここで注意すべきは、「型」は決してスタテイックなものではなく、先代という「人」によって生きられた「動的構造」である、ということです。書かれたマニュアル通りでは「型」は身に付きません。所作を作る時の心、意識の在り方まで学んで初めて「型」が作れるのです。しかも、「守破離」という言葉があるように、「型」を守って「型」を身に着け、やがて「型」を破って「型」を離れ、離れた先で「新しい型」を生み出していく、という弛まぬ営みを己に課さなければなりません。そこには「オリジナリティ」という言葉が軽薄に聞こえるような厳しさがあります。

「型」の稽古にはじまり稽古を極める能楽

最初から「おれは先代とは違う」と、先代の面影と戦いながらそれを乗り越えようとして目指す「オリジナリティ」。「少しでも先代に近づこう」と先代の「型」を徹底的に稽古する「うつし」。優劣を論ずる必要はありませんが、「うつし」における先代の面影の再現が、いつの間にかその人ならではの「芸」を生み出し、同時に「型」の継承が生きた形で行われていることには、注目すべきではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

10月 10 19

2019年10月 三ツ池だより 「明日があるさ あすがある!」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

突然のお別れ会に参加した。「本日はご参列いただき、誠にありがとうございました。実に前向きで、笑顔で、感謝することを忘れず、誰よりも人生を楽しんでいた丸山。本人はよく“マルモン教”と笑っていましたが、その姿勢と行動力に影響された方は多いのではないでしょうか。突然のお別れとなり、皆さまにご挨拶できなかったことを申し訳なく思っている丸山が、目に浮かびます。」お別れ会実行委員会からのメッセージが渡された。活動的だった丸山さんが59歳で亡くなられたのであった。
祭壇の片隅に置かれた歌詞に目がいった。

 倫理があるさ(明日があるさ)
          歌手:あなた作詞:丸山修市作曲:中村八大
ある日突然考えた
どうして俺は頑張ってるんだろう
自分のため 会社のため
答えは17ヶ条
倫理がある
倫理がある
倫理があるさ

本当に素晴らしい活動的な人だった。

 追悼(感謝)
          作:横須賀健治
丸山さん
男いっぴき
天にいくのか
  いつも元気で
  走り回っていて
  励まし続けていた
びっくりしたよ
地球を飛び立ったなんて
遠くはるかまで見れるだね
  丸山さん
  不思議なんだな
  見守りつづけていてな

この週は不思議なことが続いた。kokoro-movie.comの9月25日に「今日を大切に」がでていた。

元気なひとも
余命がわかっている人も
  和解人も
  年老いた人も
明日生きられるかわからない
そばに愛している人がいたとしても
自分より大切に想う人がいたとしても
明日会えるとはかぎらない
どんなに生きたいと願ったとしても
どんなにやり直したいと思っても
今日が最後になることもある
受け止めることが難しくても
別れはやってくる
もし明日が来ないとしたら
後悔しないだろうか
今日を大切に
大切な人を大切に

翌日仕事が終わって次の記事をbeautystyle.sakura.ne.jpに見つけた。

 「自分に与えられた道がある」
自分には、
自分に与えられた道がる。
天与の尊い道がある。
  どんな道かはしらないが、
  他の人には歩めない。
  自分だけしか歩めない。
  二度と歩めぬかけがいのないこの道。
広いときもある。狭いとときもある。
のぼりもあれば、くだりもある。
  坦々としたときもあれば、
  かきわけかきわけ汗するときもある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、
思案にあまるときもあろう。
なぐさめを求めたくなるときもあろう。
  しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
  あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、
いま歩んでいるこの道、
とにかくこの道を休まず歩むことである。
  自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
  自分に与えられている
  かけがいのないこの道ではないか。
他人の道に心を奪われ、
思案にくれて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。
  道をひらくためには、
  まず歩まねばならぬ。
  心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは
必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びもうまれてくる。
      by:松下幸之助

茅ヶ崎に翌日足をのばしていた。美味しい珈琲が飲みたいと思ったのです。お店には茅ヶ崎の素晴らしい景色の写真が展示されていました。
   富士山、江の島、茅ヶ崎
   彼岸花、すすき、サーフィンボード
「カフェのあるめがね屋さん 一丁目四番地」というお店でした。

大きな命題を頂いた九月を過し、十月は令和元年の後半に入りました。「明日があるさ あすがある!」この言葉に励まされながら、一日一日を意義ある日々にしていきます。今月は綺麗な月に出会えたらいいなと思っています。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

10月 10 19

ゆるマナー講座(第48回) 笑顔が伝わる電話応対

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

電話の向こうに笑顔が見える、そんな経験をなさった方はいませんか。反対に、ムスッとした顔が浮かぶことも。マナー講師という私たちの仕事の中には電話応対のチェックというものもあります。今回はそんな電話応対について取り上げました。

声のトーン

「おはようございます」「お電話ありがとうございます」第一声が爽やかに元気な声で聞こえてくるのはとても感じの良いものです。日本人は概ね電話の声のトーンがやや高めの方を好むといいます。
高いトーンといっても、キンキン響くようでは聴く側は疲れてしまいます。明るさと爽やかさを伝えるための見えない相手への配慮だということを忘れないようにしなくてはいけません。

これは我が家での話。
携帯電話の普及で最近は固定電話を置かない家が増えてきました。我が家にも電話機はありますが、それが鳴ることは稀で、ほぼ携帯電話を使っています。携帯電話は相手が誰かというこがすぐにわかりますので、家族や友人ならそのまま地声で出ています。

ところが少し前までは、電話がかかるのもこちらからかけるのもが固定電話が普通でした。子どもたちを叱っている最中に電話が鳴ると、今まで低い声で怒っていた怖いママが一転して明るく高い声のよそ行きの優しい女性に変わります。子どもたちにとっては長らくママの電話の出方は「我が家の七不思議」だったようです。
怒った状態の低い声でそのまま電話に出ていたら、かけた人はどんなに驚いたでしょうね。思わず、「間違えました!」と切っていたかもしれません。我が家の七不思議が相手への配慮だったということを彼らが理解したかどうか、いまだに「あの時の母は!」と言われることがありますが…。

家でもそうでしたから、お仕事となるとやはり少しかしこまって、特に第一声はやや高めの声で爽やかに聞こえるようにしています。「見えない相手への心遣い」です。
ここで大切なのが、実際に口角を上げて笑顔になることです。見えなくてもこちらの表情は想像以上に相手に伝っているものなのです。

一方で、欧米の方は低い声のトーンを好むと言われます。低い方が安心感や信頼感を持てるからだそうです。

話すスピードとあいづち

安心感や信頼感は、落ち着きのある低い声のトーンからも伝わりますが、話すスピードやあいづちの打ち方でも伝わります。

初めての見えない相手に対しては、お互いに緊張もします。電話は有料であると考えるともたもたしていてはいけないという気持ちもよぎります。しかし電話の目的は、相手に用件が正確に伝わることです。

そのためには、かける側も受ける側も早すぎず遅すぎないスピードでしっかりと話すことを心がけましょう。

受ける側はゆっくり話を聴き、途中あいづちを打ちながら、相手が焦らずに話を最後まで進められるように促します。あいづちは、相手の言葉にかぶせるように打ってしまうと、相手を焦らせてしまうので、話しの区切りまでゆっくり待ってから打つようにします。「そうですか」「・・・なのですね」というようなあいづちの仕方がありますが、相手の気持ちに寄り添うような言葉を選べると、相手が話しやすくなり話を深めることもできます。どんな言葉を使えるか、普段から考えておくと良いですね。相手が話し終えたら簡潔にまとめて復唱し、それについて答えたり説明をしたりします。

もちろんかける側は、かける前に話す内容をまとめておくことが大切です。そして、相手のあいづちを聴きながら話がちゃんと伝わっているかどうかを確認するように意識してみましょう。

やってはいけないこと

電話応対に慣れてくると、ついやってしまいがちなことがありますが、日ごろから気をつけるようにしましょうね。

  1. 忙しいからと、つい別の書類やパソコンの画面を見ながら電話する。
    「ながら電話」は間違いの元です。相手に失礼です。
  2. 聞き取りにくい時に、「はっ?」「え、何ですか?」と聞き返す。
    「お電話が少し遠いようですが」と言って丁寧に聞き返しましょう。
  3. 語尾を伸ばしたり、馴れ馴れしい言葉を使う。
    「…でぇ」「…ですぅ」「ちょっとぉ…」などの言葉は相応しくありません。
  4. 取り次ぎの際、長い時間相手を待たせる。
    時間がかかる場合は、改めてこちらからかけ直す配慮をしましょう。
  5. 取り次ぎの電話をいろんな部署に回す。
    「たらい回し」はクレームの一番の元です。正確な部署に繋ぎましょう。
  6. 電話を受けた側が、先に受話器をおく。
    先に電話を切るのは、かけた側です。気をつけましょう。
    相手がお客様や目上の方の場合は、相手が切るのを待ちましょう。
  7. かけた電話が相手の不手際で切れたので相手から電話がかかるのを待つ。
    相手の不手際でもかけた側からかけ直しましょう。

温かな電話応対を広げましょう

先日、計画している旅行の件で聞きたいことがあり電話した旅行会社の方の応対が素晴らしく、最後に「私、それに行きたいです。行きます!」と思わず言ってしまい、お互いに大笑いしてしまいました。旅行ですから、不安な点を取り除いてくれて、わくわく感を大きくさせてくれるのは大変うれしいことです。電話を切った後も温かな気持ちが続きました。

同じ会社にかけても人によって応対の仕方は様々ですが、雰囲気が似ていることに驚かされます。隣の席の先輩が話す口調を知らず知らずのうちに後輩は真似てしまうのでしょうか。
私が体験した旅行会社の方のように素晴らしい応対なら、彼女の周りの方も彼女と同じような応対をしてくだるのだろうと察しますが、ぞんざいな口調や暗いトーン、言葉遣いの悪い方の真似をされてしまってはとても残念です。そんな時は、ご自分だけでも相手が喜んでくださるような応対ができるよう気をつけてみてください。その日々の積み重ねがいずれはあなたの周りの人を巻き込んでいくのではないかと思います。

「声は人なり」…一本一本の電話を大切にしようと意識しているあなたの声は、きっとすてきな人として相手の印象に残りますよ。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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10月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第79回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第79回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

先日まで横浜美術館では “原三渓の美術展” が開催されました。三渓といえば “三渓園” 。生糸貿易で大をなし、京都・鎌倉の古建築を活かした美の理想郷の実現。古美術のコレクションも5000点を超えるとか。平安時代の国宝 “孔雀明王像” は元勲・井上馨から10000円で即断即決。母方の祖父は画家・高橋杏村で、幼い頃から絵を学んだ眼力のなせる業。茶人でもあり号が三溪。20年かけた三渓園に “遊覧御随意” の看板を掲げ無料開放。詩人タゴール、夏目漱石や芥川龍之介も来園。また、岡倉天心との親交から、横山大観・下村観山・安田靫彦などを物心両面で支援。食事も共にし、夜を徹して芸術論を闘わせたとか。それらが血肉となり、観山の “弱法師” が生まれました。三渓も大好きな蓮を何枚も描いておりプロの技。関東大震災では、横浜市復興会の会長を務め、私財を投じて復興に尽力。三渓から学ぶべき教訓は “AIと真逆の抽斗をどれだけ持てるか” 。梁塵秘抄では “わが子は十余に成りぬらん 巫してこそ歩くなれ 田子の浦に汐踏むと いかに海人人集うらん 未だしとて問いみ問わずみ 嬲るらん 憐しや” とあります。娘を守ってね、姫神さま。 “真の問題は創造される” と哲学者・ベルグソン。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

農耕民族は問題にぶつかると経験に頼る 狩猟民族はこれまでの経験を見直す
グローバル社会では、文化の違いは絶対埋まらない 細分化が一層進んでいく
敬意は、こちらが行うと必ず返ってくる 信頼は向こう側から与えられるもの
一〇分多く努力 生活はルーズでも、サッカーは正確ということはあり得ない

これまで世界は、農耕民族と狩猟民族に色分けして語られました。狩猟民族は基盤を狩猟に置いて小集団で移動。一方の農耕民族は、主に河川流域に住んで麦や稲を育てて生活。科学技術の進歩は急速で、世界の距離は近くなっていますが、それでも民族特性は根深いもの。ただAI時代では、生きるための糧は手段になり、世界で生まれる知・アイデアは一瞬で地球上に伝播し、多種多様な分野で利用可能に。AI時代のスキルの根幹は柔軟性。常に危険な綱渡りが求められ、知と精神のボヘミアン。日本人は意外にも組織への愛着が低く打算的という調査結果も。要はどうしたら生き延びていけるか。 “誰もが発信方法を教える。しかし、受信方法は磨こうとしない” と脚本家・倉本總。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

イノベーションでは、失敗がつきもの 失敗は宝の山、失敗から学ぶ姿勢を貫徹
リスキーな事業 倒産の恐れは、と問われ 既に二回倒産、またやり直せばいい
淡々と答えるシリコンバレー経営者 失敗は素直に受け入れ、一旦退却し再挑戦
事業経営は槍、突くよりも引くスピード 一つの成功に酔うな、とは本田宗一郎

脳科学における無意識領域のメカニズムは、イノベーションとも深く関係しているとか。イノベーションを起こすのは人間ならではのもので脳の構造に起因すること。人間の脳は動物に比べて圧倒的に脳細胞の数が多く、一つの経験に多くの “タグ” をつけることができること。無意識の世界が検索された時、一見関係のない記憶まで引っかかることで、思わぬ発想や切り口が生れるのだとか。ものの見方・捉え方・考え方の発見。本源的競争力の強靭化には、多くの回り道や失敗を重ねて、様々なタグをつけられるかが勝負かも。技術とビジネスの間を行ったり来たりする執拗な会話の繰り返し。 “万に一つを千に一つ、百に一つ、十に一つと確率を高めるには練習” とサッカー・釜本邦茂。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

勇気と玉砕は異なる 勇気は明日のスキルを恃み、玉砕は昨日の経験に固執
今後の生産性基準には 労働の頭数だけでなく思考力や精神力まで加味する
人材の引き抜き 引き抜かれる企業は負けず、引き抜きをやる企業は負ける
現実でも非現実でもなく無意識こそ人間が持つ本能の神秘、とモディリアニ

モディリアニはイタリア出身の画家・彫刻家。面長で目玉のない独特の女性像は一度見ると忘れられません。当初は彫刻に没頭し、アフリカ・アジアなどの民族美術に影響を受けました。しかし、資金が続かず、健康の悪化による体力不足も重なり途中で断念。ただ、この経験が後の絵画作品の特徴である独特のフォルムや単純化につながりました。様々な試行錯誤・回り道に裏打ちされた技量の厚み。最後は、極貧の中で健康を害して37歳で死去。妻はモディリアニの死の2日後、後を追ってアパートから飛び降り自殺。この時、妊娠9ヶ月。2018年、サザビーズの競売に出品された “裸婦像” は最高額の1億5720万ドルで落札されました。 “場違いなことがどれだけ大事か” と作家・辺見庸。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第79回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
10月 10 19

書評「アリさんとキリギリス ―持たない・非計画・従わない時代」 さくら舎 細谷 功(著)

by staff
 
タイトル アリさんとキリギリス ―持たない・非計画・従わない時代
単行本 176ページ
出版社 さくら舎
ISBN-10 4865810757
ISBN-13 978-4865810752
発売日 2016/11/4
購入 アリさんとキリギリス ―持たない・非計画・従わない時代

「勤労と貯蓄を美徳としたイソップ寓話 “アリとキリギリス” 誕生から二千五百年。人口知能・ロボットをはじめとする技術発展や経済状況の変化によって、 “価値あるもの” と “価値なきもの” が逆転する時代がやってきた。そしてついに “怠け者” とされたキリギリスの “知性” が復権する!」帯に、楽しく働き、自由にいきるためのキリギリス思考法とは? とあった。
また。「持たない・非計画・従わない時代」とあった。全く何だかわからない状態で読み始めた。

キリギリスが活躍できる時代

  1. 「貯める」から「使う」へ
    先進国において、金融緩和が行われているにもかかわらず経済が回復しない。蓄積されたキャッシュの使いどころに苦労している企業が多くあります。いま必要なのは、「使うこと」によって経済活動を活発にしていくことです。
  2. シェアエコノミーの拡大
    「なんでも自分で所有する」というスタイルが「他者と共有して使う」スタイルへと変容している。
  3. クラウドコンピューティングの発展
    クラウド化によってPCや資料を持ち歩く必要もなくなり、アプリケーションもすべてクラウド側にあるという状況が実現され、もはや働く場所の制約もなくなりつつあります。
  4. 変化の加速
    変化が早くなって陳腐化が進んでいくことは「持っていること」のリスクを上げていきます。
  5. 知識から思考へ
    必要な知的能力は「頭の中に知識を詰め込む」ことではなく、膨大な最新情報を使っていかに新しいものを想像するかという思考力に移ってきています。
  6. AIやロボットの発展
    ネット上には読み切れないほどの情報があふれていましたが、それをさらに効率的に収集し、リアルタイムで活用する仕組みがAIなどの技術の活用で可能になりつつあります。
  7. 組織から個人へ
    インフラ事業など、依然として規模が圧倒的に重要な事業が残る一方で、知的かつ創造的な仕事に関しては、組織よりも個人の重要性がますます高まっていくことになるでしょう。
  8. グローバル化と多様性
    グローバル化で必要になってくるのは多様性の認識です。様々な文化や価値観が交差する中で必要なのは、まずは自他の違いを認識し、そこから新たな方向性を考えていくことになるでしょう。
  9. 資本主義への疑問
    金銭欲や物欲のために「お金を貯める」ことの価値が下がり、精神的な充実感を得るために「お金を何に使うか」が重要になってきています。

アリとキリギリスの三つの違い

  1. 「貯める」アリと「使う」キリギリス
    アリの発想は「蓄積されたもの」というストックへの思考が強く、お金や知識に限らず、年齢や経験。地位や名声、あるいは所属する組織など、すべて「持っているもの」を増やし、それを守ることを第一に考えている。キリギリスは、お金は使ってこそ意味があるというのが基本的な考えです。これは蓄えよりもそれを使うことで得られる、形に残らない経験重視であることを意味します。
    また、アリは「過去の経験」を重視します。「歴史からの一貫性」を常に意識し、前例を踏襲することを前提にするために保守的で新しいものには基本的に拒否反応を示します。キリギリスは、常に過去よりもこれからをどうするか?を意識しています。そのためには過去の経緯は気にせずにその場でよいと思った新しいことはすぐに取り入れ、朝礼暮改もまったくいといません。
  2. 「巣がある」アリと「巣がない」キリギリス
    アリは常にいかに集団の中でうまく生きていくかを最優先させて考えます。したがって、何よりもコミュニケーションを重視し、周囲の顔色をうかがって「横並び」を意識しながら「空気を読み」、そして組織内の秩序を守るために秩序やルールを重視します。そのために「常識をわきまえる」ことがすべてのアリに求められます。これに対して個人重視のキリギリスは、自分らしさを出すことを優先させて、他者と違うことは気にせず、序列やルール、あるいは常識といったことも重視しません。
  3. 「二次元」のアリと「三次元」のキリギリス
    アリは与えられた問題を最適な形で解決するのが得意であるのに対して、キリギリスは「そもそも問題は何なのか?」という問題そのものの発見が得意です。
    制約を基に考える「固定次元」のアリと自由を最優先で考える「可変次元」のキリギリスの違いが、問題に対する取組を大きく変え、言い換えれば、お互いに補完関係であり、結果としてどちらも必要な存在にしているのです。

巣があるアリ、巣がないキリギリス

  • ウチ・ソトが明確なアリ、境界がないキリギリス
    アリはチームワークが得意です。チームではミッションを決めればその中において集中して力を発揮しますが、裏を返せば、このような思考回路はチームの外に対して排他的になるという弱みにもなります。
    キリギリスは人に対しても、「誰は仲間だが誰は仲間ではない」という発想もありません。ここの事象に対して、目的に合わせて最善のメンバーを集め、自分の強みを生かして、弱みを補ってくれるような他者と連携して目的を達成していきます。そして一つの目標が達成したら、そのチームは解散するという動き方を志向します。
  • 規則は絶対のアリ、規則は変えるキリギリス
    キリギリスは、規則はあくまでも人間が集団で生活しやすくするための手段の一つであるとしか考えていません。だからおかしいと思えば守らないこともあるし、環境変化によって時代遅れになったものは変えるべきだと考えています。アリだって理想的には規則を柔軟に運用できればいいことぐらいはわかっていますが、一度そんなことを始めたら集団の秩序が維持できなくなることもわかっているので、絶対的なものであるとしておきたいのです。
    天はアリの上にアリを作り、キリギリスの上にキリギリスを作らずキリギリスにとっては人間に上下はありません。「偉い人」にも必要以上にへりくだらない代わりに、年下の人に対して、あるいは納入業者や飲食店員に対する顧客の立場であったとしても敬意を払って接します。
     アリは常に、相手や自分の肩書を前提に、「格の上下」を意識しています。例えば教員でもないのに「先生」と呼ばれることを好み、また呼ばれないと不機嫌になるのがアリです。キリギリスはむやみに「先生」などと呼ばれると「背中がムズムズして」たまらないのです。
    • 決定論のアリ、確率論のキリギリス

      • バラつきが不快なアリ、バラつきを面白がるキリギリス
      • 失敗は敗北のアリ、失敗は勲章のキリギリス
      • 多人数で知恵をしぼるアリ、一人で考えるキリギリス

      アリとキリギリスの共存は可能か

      • 「視野の狭い方が勝つ」のはなぜか
        視野の広さの異なる人間同士が戦いに入れば、視野が広いほうが不利になります。それは「気づいていない」ほうが「気づいている」よりも強いからです。つまり、自分が知らない価値観がある、自分が知らないことがあると気づいていれば、相手の意見をひとまず聞こうとしますが、気づいていなければ譲歩する理由がありません。
      • キリギリスからアリへのバトン
        お互いの違いを認識したうえで上手に役割分担さえできれば、両者の長所を生かしながら共存していくことが可能です。
        自分が川上型の思考回路と認識しているキリギリスであれば、起業した会社をさらに大きくするため、近くにアリ型の人材を配置しておくことでうまく移行を図ろうとするはずです。組織の中でプロジェクトを立ち上げたキリギリスからバトンを受けて、その仕組みを最大限いかした製品やサービスを世に送り出していくのはアリ型人材の役割です。
      • なぜ「9;1」なのか
        人間は一人では生きられませんから、成長に従って社会性を身に付けていかねばなりません。社会性とは、いわば人間社会という「巨大なアリの巣」におけるサバイバル能力のことです。多かれ少なかれ大人というのは、アリ社会の掟を学び、アリに近づいていきます。いざアリの巣が出来上がり、そこの活動が始まればアリの数は増殖する一方です。
      • アリとキリギリス、そしてロボット
        川上でキリギリスが新たな世界を切りひらき、それをアリが大きくして軌道に乗せていく流の中で、最下流の川下側である定型度の高い仕事は徐々にロボットやAIが人間に替わって仕事するようになってきます。したがって、これまで「1:9」だったキリギリスとアリの比率が「キリギリス:アリ:ロボット」という構図に置き換わり、それが「1:5:4」になる日がくるかもしれません。

      あとがきで著者細谷功さんは次にように語られます。AIがレベルアップして「上空に飛び上がり」、人間とAI(自分たち自身)との違いすら客観的に観察できるようになれば、人間をないがしろにすることもなく、人間と自分たちを適材適所に置いた世の中をAIが描いてくれるかもしれません。そしてさらに次のように語られます。「そんな、キリギリスとなったAIが本書を読んでくれる日がやがて訪れることがあるのでしょうか?」と。

      (文:横須賀 健治)

       

10月 10 19

横浜スケッチ(第40回) スウェーデン女性写真愛好家を訪ねて(後編)

by staff

ペンネーム 成見 淳

6月14日。北欧の夜は滅茶苦茶明るく、2時頃目が覚めても外が認識できる。4時半にまた目が覚めたら日射しが真横から差し込んでいた。もう、まぶしい事、まぶしい事。
日本からはるばるここまでたどり着いて約束時間に遅れる訳には行かない。まして初めての場所で初対面だからからすぐに見つかるとは限らない。早めに着いて旧市街のスケッチポイントを探しながら待ち合わせ時間まで過ごすことにした。
この駅はグリーンラインとレッドラインの2系統が走っていてプラットホームが上り下り二つある。どちらのホームかまでは決めていなかったので、二つのホームを交互に端から端まで行ったり来たり。やがて約束の時間が近づいて来て緊張が高まる。
定刻になり反対側のホームにそれらしき女性を発見! 箱から額装した絵を取り出し、高く掲げて名前を呼んだ時、運悪く列車がホームに入って来て、音も視界も遮られた。
列車が行って、彼女が気付いて、お互いにホームの階段を下りて、ハグ。はせずに握手。まるで映画の一シーン。少なくともこの瞬間は映画の主人公。

 

改札を出て、地下道を東側に出る。
「どこか行きたい所ありますか?」「分かりませんのでお任せします。」
感心したのは、さすが写真愛好家(プロではない)、目に止まったものを素早く撮る。しかも、なぜ興味を持ったかを教えてくれる。例えば街角で建物の影が所々光っているのを見て「あの窓が影の中で光を反射しているのが面白い。」とか、目的の写真にさりげなく通りの名前や店の名前を入れて後で調べやすくするのだとか。私は写真家の目線で景色を見たことは無かったので絵を描く際の参考にもなった。さながら写真撮影の実地研修の様でもあった。水溜りの映り込みなど時々二人の関心が一致してお互いにニッコリとか、撮影中車に轢かれないよう気を配るとか、通行人の邪魔にならないようにとか、お互いに協力し合った。

「映り込み」ストックホルム旧市街 4号 透明水彩

「Old Townの光と影」Stockholm, Sweden F4号 透明水彩

島を一通り回りした後、対岸に行き2時間近く歩き回り、気温も上がって来たので休憩がてらランチにすることに一致。
彼女は大小問わず船やボートが被写体としてお好きなようなので、レストランとして係留された船を昼食場所に決めた。彼女は白ワイン、私はビールで乾杯。
彼女がトイレに行き、嬉しそうに戻って来て、トイレの丸い窓から撮った港の風景写真を見せてくれた。後日それらの幾つかは帰国後にもアップされていた。インスタグラムをやられる方はアクセスすると写真が見られる。私達のコメントも。
「今日は沢山写真を撮りましたね。200枚くらいでしょうか?」「いや、もっと撮りました。」同じアングルで何枚も撮るらしい。
食事の後、例の写真のスポットについて、私のクロッキー帳に地図らしきものを書いてくれた。Drevviken湖は複雑な形で細長く、岸辺も長いので説明に苦労されていた。

この手書きの地図と、絵を頼りに(しかもその絵は3月の柳の葉が全部落ちたもので、今は初夏。)探し出すのだからまるで宝探しの様。我ながら無謀な試みと反省?
さらに別の港に足を伸ばし、駅に向かって帰りながら旧市街を抜けて駅に着く。明日の土曜日はご主人と乗馬なので朝早いからと解散することになり、グリーンラインに乗り、分岐するGullmarsplan駅で別れる。

 

6月15日、今日も快晴。土曜日なのでご主人も奥さんも起きて来ない。誰もいないリビングルームで今までの絵に手を加えていた。日本に来た事があり、日本贔屓と伺っていた息子が泊まりに来ていた。彼は話好きで、特に私が日本人という事で、朝食後夢中で話しかけてくる。「日本の寿司が大好きで、日本以外の寿司は全く別の食べ物。納豆大好き、鰹節の出汁が大好きで、削る道具をデパートに探しに行った。日本の『Manga』は最高だ。丸い帽子を被った有名な漫画家を知っているか。」「分からないなあ。」「知らないのか!有名な漫画家だけど。うーん。」「もしかして手塚治虫?」「それそれ!」という調子。
「今日はどこへ?」と聞くので、昨日の事を説明し、「彼女の写真を私が絵に描いた場所に行く。」と言うと「Amazing!」
彼が「メトロに乗らなくても、一番近いバス停から一回バスを乗り継ぐだけで行ける。」とバス停まで案内してくれた。
乗換えのバス停に着き、念のため隣の人に聞くと「ここで待っていたら、今来た所に戻るよ。Guod(oの上に点が二つ)に行くバスは高速道路の下を潜った反対側。」と教えてくれた。彼、乗換えのバス停名は教えてくれたが、そこまでは教えてくれなかったよな。
高速道路は快適で15分位で着いた。

バス停のベンチに荷物(三脚と絵道具などの入ったバッグ)を置いてナビ代わりのiPadを取り出して首に下げ、バッグを背負う。(後で知ったのだがこのバス停は彼女が教えてくれたひとつ手前だった。もう一つ先まで行けば3時間は節約出来たのだった。
IPadの地図を見ながら歩き出す。この頃は途中目についた景色や家並みなどを撮影してルンルン気分だった。
やがてDrevviken湖のはずれの岸に出て、何となくそれらしき景色の反対側に出た。この柳、今は葉が茂っているがあの写真と形がそっくり。岸の傾斜も木の並び具合も。でも写真には木の桟橋は無かったし、舟も一隻だったが今は数隻。廃船は無く皆現役のボートのようだ。
こことぞ、と思われるポイントに立ち三脚を立てれば良かったが手を抜いた。このツケが後で来ることになる。
2分ほど歩くと川でカヌーを操る人が3人。そのうちの男性に声を掛けると自信なさそうに「見たことのあるような、無いような景色だなあ。」 自分のいる位置を確かめたくて、「この近くにファッション・ショップありますか?」、と聞くと。「ああ、それならすぐそこだよ。」
お礼を言って急いで行くと、先ほどの高速道路、手書きの地図のラウンダバウト、信号、ファッション・ショップ(交差点の角でかなり大な店で綺麗)があった。何のことは無い。半島を反対側から一回りして来たのだった。
ショップの角を曲がり、湖と思われる方向を目指す。だんだんと上りになって来る。30分位(実際はもっと短かったかも)歩いている途中でハッと気が付いた。『三脚はどこだ?バスの中か? 出てこないだろうなあ? 90%諦め気分。
『アッ! そうだ。バス停のベンチに下ろした!』と気が付いた。
高速道路に出て、さっき歩いて来た方向を見ると見覚えのある信号が。さらに側道を進むとさっきのファッション・ショップが見えた。その先には来る時に降りたバス停があるはず。ここからそれほど遠くない。そいて20分ほどでバス停に着いた。
祈るような気持ちでドキドキしながらベンチを見ると。あった! 中身がむき出し。袋はベンチの下に落ちていた。中学生くらいの男の子が一人いて「あなたの物だったのですか? 袋が落ちていて何かと思っていた。良かったね。」事情を話し、笑って別れた。
奇跡だ。

散々歩いたので、ポイント探しは諦めようかと思ったが、ツアー・メンバーのKさんの話を思い出し、気合を入れ直して、小さな川沿いの径を歩く、歩く、歩く。

 

Kさんの話

彼女が北イタリアからスイスへの移動中のバスの中で話してくれた事。「絵を描きに行って、石に躓いて転び、顔面を打って出血し、コンビニで氷を買って冷やして『ここまで来て描かずに帰ったのでは何しに来たのか分からない。』と流れ出る血を抑えながらスケッチした。」
簡単に紹介するとこうなるが、後部座席で臨場感たっぷりに話をしてくれた。周りの我々は気の毒と思いつつも軽妙な語り口につられ大笑い。夕食時に『バスの後ろで大きな声で笑っていたけど何?』と聞かれ、また全員で大笑い。実は話の続きがまた面白いのだがカット。私は彼女の話を聞いて、絵に対する情熱、気迫に恐れ入ってしまった。その後スイスのソーリオ村でスケッチする時に『疲れたからこのくらいにするか?』という気持ちが芽生えた時、隣で一緒に描いていた高原さんと『Kさんの血だらけでスケッチを続ける姿を想像すると、我々もここで描くのを止める訳にはいかないですね。』と話しながら頑張った。お陰で手を抜くことなく描き続け、予想以上の絵を描くことが出来た。

「旅の途中で・・・」スイス、ソーリオ村 水彩6号
隣で一緒に描いていた高原さんの作品(akc水彩画展2019出品)
私の作品より数段お上手なのでお借りした。(反射光で見難い点ご容赦。)

ツアー中もKさんの言葉にどれだけ叱咤、激励の刺激を頂いたか計り知れない。
身をもってメッセージを発する真の教育者(彼女はかつて教育者だった)を見た。
私はそれを自分の糧とすべく、それまでの心構えを入れ替えることにした。

 

さて、川の途中で桟橋代わりの小さなお風呂の簀の子板のようなものを見つけた。
『ここなら水面に近く、涼しくて描きやすいのではないか?』
小川の岸辺は思った以上に急斜面で、色々な木くずや枯葉などが堆積していて滑りやすい。転ばぬよう、川に落ちぬよう慎重に降りる。成功! 衝撃で板が揺れる。三脚を短く立て、板に座って準備する。波で微妙に揺れるのが気持ち悪い。そしてもっと大敵が襲来。モスキートだ。私は蚊が大嫌いだ。生憎虫よけスプレーを持って来なかったので、さすがにこれにはすぐに降参。来た道を戻り、途中ベンチを見つけ、バナナとビスケットで昼食代わり。食べ終ったら眠気が来たので諦めてB&Bに帰ることにした。

B&Bに着くと、何とBirgittaさんからメールがあり、乗馬を終わって12時過ぎにファッション・ショップ付近に来ていたとの事。心配しての事だろうと心遣いに感謝。

「Drevviken湖へ続く小川」ストックホルム、スウェーデン 6号水彩
この絵は18日午後に帰国したばかりの20日の朝、一気に描き上げた。

「Drevviken湖畔」ストックホルム 3号水彩

最初に三脚を立てて描こうとした場所。その時は確信を持てなかったが、右の柳の木、岸辺、対岸の光景など、実はここが目的の場所ではなかったのかと思う。そう言えば昨日彼女も「廃船は撤去された。」と言っていた。

夕食を食べようと思って、駅に向かって歩いている途中に黒人女性に声を掛けられた。気軽に話していると「マネー」「旅行者だから持っていない。」「でも旅行者はお金持ちでしょ。」「私は貧乏旅行者」「一人?」『危ない。危ない。一人と言ったら帰りに仲間を連れて来て、襲われるかもしれない。』「No家族と一緒」と言って立ち去る。
地下鉄に乗ると彼女も乗り込んで来て、今度は空き缶を持って「マネー」と乗客に声を掛けている。地下鉄では2回この光景を見た。
北欧諸国は高負担高福祉社会と思っていたがその恩恵にあずからない人達もいるようだ。
ついでながら、スウェーデンではキャッシュレス化が進んでいてカード決済が普通。現金だとお釣りをくれない。お札を出してお釣りをもらったのはB&B近くのコンビニでの1回だけ。中央駅のレストランで食事処を探したが適当な店が見つからず、大きなコンビニに並んでいたSHSHIに目が止まり、確か70スウェーデン・クローネ(約1000円)だったので50クローネ札2枚を出したがお釣りはくれなかった。
「No Change? 」「No Change」と当然の様に言い、レシートを見ると値段が100クローネになっていた。30クローネは店の儲け? そんな馬鹿な!
日本に来た外国人が、自動販売機でお釣りが出て来るのに感激する、という話の真意が理解できた。常識とは「その国、その地域、その時代の」という限定されたものなのだ。
スウェーデンに行く時は両替して行く必要はない。キャッシュカードさえあれば充分。

明日はスウェーデンを離れミラノへ向かう。B&Bのご家族から帰りの交通手段を聞かれ、自分では空港へのチケット2人分の残りがあるので当然中央駅からバスで行くことにしていたが、息子さんが色々調べて他の方法を勧める。「バスチケットを持っているから。」と言っても納得しないので、自分でも再度調べ直した。これが良くなかった。
ストックホルム11時05分発ミラン13時45分着のSASだから、アーランダ空港に9時前には着かねばならないはずで、当初案は7時半にはB&Bを出る予定だったのに、何回も調べているうちに空港着時間を1時間間違えてしまった。

 

6月16日(日)。この日も早く起きてしっかり出発準備をし、ゆったりとメールチェックなどをしていた。7時を少し過ぎた頃、ドアをノックする音がした。普段無口で頑固そうなご主人が「7時半に出ないと間に合わないよ。」と教えてくれた。
「え!8時で間に合うはずですが?」「いや。7時半。間違いない。」
焦って離陸時間を確認すると彼の言う通り、当初の自分の案通り。幸い支度は全部終わっていたのでケースの鍵を閉めるだけ。最後にポケトークのアラビア語で「お世話になりました。ありがとうございました。」と伝えるとニコッと笑って日本式のお辞儀を深々と。
ご主人のお陰で間一髪チェックイン出来た。

11時5分発だから朝食兼昼食は食べずに、機内食で充分と思ったのが失敗。昼食どころか飲み物も出ない。ハタと、富永さんから頂いたチョコレートの事を思い出した。皆と別れる際に、バッグの中にしまい、最後まで取っておいたものだ。
美味しかった。自分のミスを思い出して苦さもしっかり噛みしめた。
富永さんは絵手紙の先生。手のひらサイズ、折りたたみ式で、開くと長~~~い冊子を何冊も持っていて、目についたものを小まめに描き込み絵日記にしている。
字がまた素晴らしく、何年も書き続けられていて宝物だ。

富永さんの絵日記帳から

ミラノのリナーテ空港に着き、空腹を我慢してとりあえず中央駅まで行くバスに跳び乗る。終点中央駅のバス停に着き、マルペンサ空港行きのバス乗り場に向かう。
マルペンサ空港でメールすると10分ほどで若い元気なイタリア娘が迎えに来てくれた。明日も空港まで送ってくれるのでもう安心。と思ったのだがそうはいかないのが一人旅。

B&Bに着いて、荷物を置いて「海鮮スパゲッティーが美味しい。」と彼女が教えてくれたレストランに向かう。道路は狭く、歩道はない。途中、ト路になった所を間違えて曲がってしまい、戻って来る時に、乗用車が猛スピードで丸くなったコーナーすれすれにショートカットで向かって来た。大声を出しながら反射的に跳んだ。道路側に跳んでいたら怪我程度で済んだかどうか? そのまま車は行ってしまった。危なかった!

 

6月18日火曜日。
飛行機が成田に向け着陸態勢になった頃、隣のイタリア青年に声を掛ける。
「お仕事で日本へ?」「はい。ビジネスです。今回は4か月くらい滞在です。何回か東京、横浜に泊まっています。」「お仕事はIT関係でしょ?」「その通りです。」
ミラノとベルガモの間辺りに住んでいるという。わずかな時間だったが、シャイでジェントルマンの好青年だった。
こうして6月3日~13日までのスケッチ・ツアー。引き続いて18日までのストックホルム一人旅が終わった。Where to next?

全編終わり

PS

  1. 本編の英文版
    今回初めての試みとして、本編の英文バージョンを私のホームページにアップしました。(見出しの「横浜スケッチ」English Ver.) いかに翻訳という作業が大変か、文化や考え方の違いなどに考えさせられました。
  2. 展示のご報告
    隔月掲載の都合でご案内出来ませんでしたが、9月22日(日)から28日(土)までの間、インスタグラムをご覧になった銀座の6丁目の画廊ASAGIARTSさんから企画展Beautiful展へのお誘いを頂き、「横浜スケッチ」で掲載された絵を含み4点ほど出品させて頂きました。
    出展などのお知らせは随時ホームページ冒頭に掲載させて頂いています。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

10月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第13回 「戸塚の名物男」

by staff

第13回 戸塚の名物男

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十三回目でございます。



JR戸塚駅の改札を出ると、今年は戸塚区制80年という記念の年であることを示す垂れ幕やPOPが目立つ。

筆者の生誕地である戸塚駅へやってまいりました。
東海道五十三次の宿場の一つとして古くから名を馳せてきましたが、横浜市戸塚区としては今年区制80周年を迎えたそうです。筆者が生まれたのは区制37周年の年。それはどうでも良い情報ですが。

戸塚駅西口は「トツカーナモール」などのビル群がドンと構える。

ここ10年で戸塚駅、特に西口周辺は大きく変貌しました。トツカーナモール、サクラス戸塚、戸塚パルソなどの大型商業施設がそびえ立ち、駅から離れていた戸塚バスセンターも戸塚区役所も駅近くに新設され、再整備されました。

30年以上前に再整備を済ませている戸塚駅東口は味わいが出てきた。

一方、昭和末期に再整備を済ませていた戸塚駅東口。当時はうわぁ新しい街だ!!と子供心に思ったものですが、最先端の街となった西口に比べるとさすがに古さは否めず……、いや、むしろ味わいが出てきた感じがします。



だって、東口にはヤギさんがいらっしゃるのですよ!!

なんと言っても東口のラピス3のビル敷地には、ヤギが2頭いらっしゃるのです。戸塚駅ホームからもそれは眺めることができます。ちょうどお昼寝中のようで、お顔を見ることはできませんでしたが、なんだこの街は!?

ヤギの秘密を教えてくれるであろうラピス1の2階にある純喫茶モネは
2012年より日本ナポリタン学会認定店舗である。

ここまできてピンと来た人もいるのではないでしょうか。
そう、今回は戸塚駅前ラピス(モディ)2階の「純喫茶モネ」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様は101ページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

モネに来れば戸塚の「今」がわかる!各種情報が所狭しと。

1960年代に戸塚駅東口に床屋として開業、その後純喫茶へと業態を変え、1980年代後半に戸塚駅東口再開発でラピス1、2、3と3つのビルが整備された際にラピス1へ入居、現在に至ります。
カウンター席とテーブル席がありますが、カウンターにはマスターの片山大蔵氏がおります。そしてこのカウンター席には区役所、警察署、消防署、税務署、学校、地域メディアなど、戸塚に関わるあらゆる職業の人が入れ替わり立ち替わりで訪れ、片山氏と情報交換をしていくのです。

片山大蔵氏、通称・大ちゃんは、純喫茶モネのマスターをしながら、長年生まれ育った街・戸塚のまちづくりの活動に取り組んでいるツワモノなのです。ラピス3の敷地で飼育している2頭のヤギさんは、片山氏の仕業なのでした。

「今の子供たちは一人っ子が多く、またその親も兄弟が少ないことで、周りに不幸が少ない、つまりお通夜などに参加する機会が少ないのではないかと。ということは、命の存在が見えにくくなっているのではないか、つまりは命の尊さが軽視されてしまわないかという危機感を感じているのです。命を落とすとはどういうことかがわからないと、殺人事件を起こすという理屈が通ってしまう危険がある。ならば、身近に命の大切さを感じられるものを、ということでヤギをラピス商店街でヤギを飼ってみようということになったのです。」(片山氏)

ヤギは雑草を食べてくれる、散歩をさほど必要としない、環境に順応できる能力がある、などのメリットがあるそうです。

「えさ代とかも八百屋の廃棄野菜とかで賄っているし、”維持費”もさほどかからないですね。」(片山氏)

福島からやってきた2頭のヤギさんは当初電車の汽笛や、周辺を歩く女性のハイヒールの足音などにビックリしていたそうですが、それもすぐに慣れたのだそう。
近所の子供たちも毎日観察に来るなど、コミュニティを形成する新名所となりつつあります。

「ウサギも飼っていてね、常連客で94歳のおばあさんがいて、気力が衰え始めていたから、『ウサギ家で飼ってみたら?』って半ば強引に一兎あげたの。そうしたら部屋の中で動き回っている兎を追ううちに足腰が鍛えられちゃったらしくて。糞を拾っていたら手先が器用になっちゃったらしくて。うちに来ることが最大の楽しみだったはずなのに、『ウサギが心配だから』っていつも早く帰っちゃうんだよ。」(片山氏)

高齢者の自立支援を地域が支える。なんか凄い話です。

純喫茶モネのナポリタン大盛り。かなりの量です。

そんな「純喫茶モネ」のナポリタンをいただきましょう。うっかり大盛りとオーダーしたら凄い量です。恐れ入りました……。

「ガーッと頬張って、ケチャップの熱気で咽る。これが喫茶ナポリタンの美学なんじゃないかな。」

と片山氏が言って笑う通り、ケチャップの酸味がきいた太麺のナポリタンです。
緑色はピーマンにトッピングのグリーンピース。グリーンピースに特にこだわりはないけれど、創業当時からこのスタイルだから続けているとのこと。

日本ナポリタン学会認定店舗とあって、日本ナポリタン学会推奨商品である
岩井の胡麻ラー油をタバスコ、粉チーズとともに提供している。

我が日本ナポリタン学会は既に閉店してしまった店舗も含めると27店舗の認定店舗があり、この「純喫茶モネ」も2012年より認定店となっています。タバスコ、粉チーズはどこにでもある風景ですが、日本ナポリタン学会推奨商品である「岩井の胡麻ラー油」も提供されます。味の変化が楽しめますよ。

注文のたびに丁寧にハンドドリップして淹れるコーヒーは自家焙煎。

なんとか完食して、セットのコーヒーでひと休み。再び片山氏にいろいろな話に耳を傾けます。

長年の街づくりの活動に対しての感謝状や表彰状が店内に並ぶ。

「大手チェーン店のカフェは、あれはあれで使い勝手も良いと思うの。ただ一般的な『マナー』はうちみたいな喫茶店で個々に勉強してほしいよね。今は『ルール』というものが勝っちゃってて、分煙化なんかが良い例で、『ルールですから!』って、非喫煙者の声がものすごく大きくなっちゃったよね。コーヒー一杯で何時間もパソコンにかじりついているのは『ルール』にはないから許されているんだろうけど、あれは『マナー』としての問題だよね。」

本連載第6回目「不審に思ったら街の喫茶店へ」で取り上げた南太田の「ぱぁらー泉」同様、ここ「純喫茶モネ」でもマスターとの、時には客同士を巻き込んだ会話を大切にしています。大手チェーンのカフェは、Wi-Fiも整備されている分、パソコンやスマフォに没頭してしまいます。完全な一人使いができてしまう。そこに「マナー」が備わっていなければ、どんなに満員でも気を遣うことすらしない。自分主義。これではコミュニティの薄さが日本中に蔓延してしまうのではないかと片山氏は危惧します。
こう書いてしまうと街の喫茶店は少々面倒臭いのかも知れません。ただ、近年の理解しがたい犯罪や犯罪者を見ると、ちょっとしたコミュニケーションですら不足している者が多いように感じます。いささかお節介な人からたった一声かけてもらえるだけで救われることもあるのかもしれません。

「純喫茶モネ」片山大蔵氏と拙著。活力に満ち溢れた肌つやの良さを見よ!

今後何か新しいことを始める予定があるのか、片山氏にたずねました。
「特に考えてないね。でも何かしらはやっていくだろうね。普通に生きてたってつまらないからね。」
51歳。まだあと数十年はこの戸塚で面白いことを考え、それを実行し続けていくことでしょう。

あ、ヤギさんが顔を見せてくれた!!

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

10月 10 19

チャレンジ(第14回) ボランティア活動とは

by staff

ボランティア活動とは

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。猛暑が長引くかと思っていましたが、涼しい日が多くなり過ごしやすくなってきましたね。街はすっかりハロウィーン一色!先月のコラムで書かせて頂いたエイムワイさんのハロウィーンガーランドも早速完売しました! 次はもうクリスマス! 障害者施設では既に制作が始まっています。皆様、お楽しみにお待ちください!

ところで知らない方も多いですが、私の本業は映像関係です。ウェブ解析士の資格も持っているので、アナリティクスレポートの作成や、ウェブマーケティングのお仕事などもさせて頂いています。その私が何故、障害者関係の仕事に関わっているか、お話ししたいと思います。

私は父の勧めもあり、16歳の時に単身アメリカの高校へ留学しました。今のようにネットも通っていない時代、私が知っていたアメリカは、ほんの一部でしかなく、とてつもなく大きく面白い世界でした。この頃から私は父からボランティア活動をやりなさいと言われていました。その中でずっと心に残っているニューヨークのキャリアウーマンのお話しがあります。

仕事が忙しく時間が取れないニューヨークのキャリアウーマンが、自分でも出来るボランティアがないか、オフィスから近い孤児院に行って 【自分でも何かできることはないでしょうか?】 と聞きます。彼女に与えられた仕事は昼休みの1時間、孤児院に捨てられた赤ちゃんを抱っこすることでした。 【この子は親の温もりを知らない。1日に1時間でもあなたが抱っこすることでこの子は安心するのです】 と言われたそうです。この女性は「自分にも出来ることがある」と、孤児院に通ったそうです。

この話に感銘した私は、アメリカでもホストファミリーと一緒にボランティア活動に参加したり、帰国後は在日外国人に日本語を教えるボランティアチームに関わったり、お掃除ボランティアをしたりしていました。

ただ、結婚・出産後は忙しくなり、ボランティア活動に時間を割けることがなくなってきました。

転機は子どもが小学生になったころ、地域のママ達とハンドメイドイベントを開催して、みなとみらいの障害者施設「アニミ(http://animi.jp)」にも声をかけて参加してもらったことでした。縁があって、アニミでもボランティアやバザーを開催し、そこから自主製品の企画・開発・販路拡大までのお仕事に関わらないかと声を掛けて頂き、今に至る・・・という感じです。

「自分が出来ること」をやるボランティア活動から、今は少しづつですが、障害者施設での「支援」に繋がっています。そのきっかけをくれた「アニミ(http://animi.jp)」はcafeギャラリーとして、みなとみらいのクロスパティオに再オープンしました!

ここで、アニミのボランティアチームで開催していた、「みんみんバザー」を「あにみ秋のみんみん祭り」として開催したいと思います! 同時にC.P.FACTORYの展示販売会も開催いたします。秋の新商品も展示販売いたしますので、ぜひご来場ください!

チラシをダウンロードする

次は「秋のみんみん祭り」です 

(第14回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

10月 10 19

絵本から笑本へ(第42回) 絵本作家がゆく。~南区 はぐはぐの樹~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしてきました。

そして今回が遂に、ラストの18区目。
18区目となる今回は、南区です。
南区の子育て支援拠点は「はぐはぐの樹」。

ぼくは、はぐはぐの樹へは家族で遊びに行かせてもらいました。
うちの娘は障害児なので、バギーでないと移動が出来ないので、
2階へ上がるのはすこし大変でしたが、
スタッフの方々がバギー置き場等、丁寧に教えてくれました。

子育て支援施設には必ずありますが、

はぐはぐの樹も例にもれることなく
地域の情報収集コーナー等もシッカリ常備。

他の区の子育て支援拠点と大きく違う所は、
「本」がたくさんある所ですね。
至る所に本棚があり、図書館の様な雰囲気がありました。

絵本や児童書、育児書、本が好きな人にとったら
とても居心地が良いかもしれませんね。
本の貸し出しや、おはなし会も多く開催されているようです。

改めて今回のコラムの件でご連絡した際、
絵本作家 保科琢音の『読み笑わせ』もどうですか?
とお話した所…
絵本のイベントは多いのでと断られました(笑)

まぁぼくの『読み笑わせ』は、
他の方々がやっている「読み聞かせ」なんかとは
全くの別モノなのですが…
まだまだ頑張らないといけないですね(笑)

とにもかくにも改めて、

18区の全ての子育て支援拠点の皆さま、
本当にお世話になりました。

きっと横浜市18区全ての子育て支援拠点を
訪れた絵本作家は保科琢音だけでしょう。

それもこれも、ぼくのワガママを聞いてくれた
皆さまのおかげです。
本当に本当にありがとうごさいました。

18区の子育て支援拠点を回らせて頂き、

一年半18カ月をかけてコラムでおしゃべりしてきました。

個人的に感じた事ですが、
18区の良い所、悪い所は勿論それぞれありました。

でもそれは、日々利用する赤ちゃんや子ども、
お母さん達も感じている事とは限りません。

しかし、「これからの子育て支援」を考えたとき、
今までのような「母親支援」だけでは駄目だと、
ぼくはこの18カ月のコラムで改めて強く感じました。

本当の意味で「地域子育て支援拠点」となるように。
もう一歩先の新たなステージへ「地域子育て支援」が進めるように。

18区の「子育て支援拠点」についておしゃべりするのは
今回で一旦終了。

第三期は後、二回程、大きな意味での「子育て支援」について
総評的なおしゃべりをさせて頂こうと思います。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区 瀬谷区 港南区 青葉区 青葉区 南区 南区

<今回訪問した施設のご紹介>

南区子育て支援拠点 「はぐはぐの樹」
HP: http://www.haghagnoki.jp/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

10月 10 19

認定NPO法人あっちこっち主催イベントのご案内

by staff

 

 

新しいアートパフォーマンス 日本初上陸!
DINING ROOM TALES ~ダイニングルームテイルズ~

アーティストが心を込めた手作り料理を準備し、食と語りと演奏を通じて、アーティストとお客様が食卓で一緒に物語を紡ぐ、それがDINING ROOM TALES(ダイニングルームテイルズ)です。日本初演であるこの公演では、スローライフを提唱するザンコールマン [アートディレクター] が創り出すゆったりした時間の流れの中で、浜野与志男 [ピアニスト] がピアノ演奏を披露し、思い出のロシア家庭料理をふるまいながら、お客様と共に人生と音楽について語り合う、特別なひとときをお楽しみいただきます。

横浜市中区を拠点とし芸術で社会貢献活動を行う認定NPO法人あっちこっちが、オーストラリア在住アートディレクター Xan Colman(ザンコールマン)氏と、国際舞台芸術ミーティングin横浜(TPAM)で出会い、お互いの団体のミッションと芸術的なアプローチに共通点を見出しました。ダイニング ルーム テイルズは既に7作品を、オーストラリアをはじめ、ロンドン、香港、サンパウロ、フランクフルト、ヘルシンキで成功させており、日本初演は認定NPO法人あっちこっちとの合同公演にて実現の運びとなりました。

日本初演には登録アーティスト 浜野与志男が出演、2019年11月3日(日)、4日(月・祝)開催の関西公演を皮切りに、同11月9日(土)、10日(日)に横浜、年が明けてからオーストラリア メルボルン他で4公演、計8公演を予定しています。

ザン コールマン Xan Colman
  パフォーマー、アートディレクター

オーストラリア メルボルンに拠点を置き、国際的に活躍する学際的なアーティスト、ライター、兼プロデューサー。

国際フェスティバルから地域コミュニティ、教育機関から大規模な演劇場、実験的なパフォーマンスプラットフォームからコミュニティ育成まで、さまざまな状況で作品を展開。
International Theatre Institute(国際演劇協会2010年11月ユネスコ) の一員であり、メルボルンのコンテンポラリーパフォーマンス会社 『A is for Atlas』 のアートディレクターも務める。 DINING ROOM TALESは、氏が2011年に立ち上げたプロジェクトで代表作の一つ。
www.diningroomtales.com

浜野 与志男 Yoshio Hamano
   ピアニスト

日本人の父とロシア人の母をもち、ふたつの国の芸術・文化がみずみずしく共生する環境で育つ。 2011年日本音楽コンクール第1位。日本フィル・サントリーホール定期やロイヤル・フェスティバル ・ホール(ロンドン)、モスクワ音楽院ラフマニノフホール、浜離宮朝日ホールでのソロ・リサイタルをはじめ国内外にて活動を展開する。

東日本大震災被災地での公演や中央アジア・キルギス共和国、 レバノンほか各地でのアウトリーチなど、インクルージョンを目指した企画にも取り組んでいる。 東京藝術大学を経て英国王立音楽大学修士号およびアーティスト・ディプロマを取得、モスクワ音楽院にて研鑽を積む。2018年4月より東京藝術大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師。
デビューアルバム[ステート オヴ マインド ~漂流する国の孤高なる音楽]発売中。
www.yoshiohamano.com

認定NPO法人あっちこっち

2011年8月に芸術で社会貢献を考え実行する市民団体として横浜で発足。クラシック音楽家を中心に社会貢献活動を共に行う若手アーティストが50名以上登録している。

東日本大震災被災地、熊本地震被災地にて若手演奏家等によるカフェコンサートを8年間に累計200回以上開催。2012年より芸術創作体験を子どもと保護者、若手アーティストと創りあげる「わくわくワークショップシリーズ」を横浜でスタート。2015年、第9回かながわ子ども・子育て支援大賞特別賞受賞。横浜市芸術文化教育プラットフォーム・学校プログラムコーディネーターも務める。
オーストラリアのアーティストと協働する国際交流事業も多く手掛け、2015年と2018年に東北被災地にて芸術団体ポリグロットシアターと、2018年に横浜にてサウンドアーティストであるマデリン・フリン&ティム・ハンフリーと共同プロジェクトを開催。
www.acchicocchi.com

 

公演名
DINING ROOM TALES Japan with Yoshio Hamano -Pianist-
ダイニングルームテイルズ ピアニスト 浜野与志男を迎えて

公演詳細

関西公演 日時: 2019年11月3日(日)/11月4日(月・祝) 各日 17:00~19:30
詳細&お申込み: diningroomtales-k.peatix.com

横浜公演 日時: 2019年11月9日(土)/11月10日(日) 各日 18:30~21:00
詳細&お申込み: diningroomtales-y.peatix.com

全公演チケット 5,000円 (ピアノ演奏、ディナー付 税込)

主催|認定NPO法人あっちこっち
企画・制作|A is for Atlas
後援|オーストラリア大使館
共催|横浜アーツフェスティバル実行委員会(横浜公演のみ)
横浜音祭り2019公募サポート事業(横浜公演のみ)

 

 

10月 10 19

第80回 建築物の長寿命とスクラップ アンド ビルドからの脱却

by staff

(株)北島建築設計事務所
北島 俊嗣

建築物の長寿命とスクラップ アンド ビルドからの脱却

設計事務所は日々 次なる建築を考え、新たな建築利用を実現されるためのお役に務めています。日本の建築事情は、古くなる前に壊して建て替えることが常識になっているかのごとく「スクラップ アンド ビルド(壊しては造るの繰り返し)」と皮肉られて久しい状態にあります。

社会が成熟に向かっていると言われている昨今、建築も「スクラップ アンド ビルド」の消費の方式から脱却して、建築物の寿命を如何に永くして、時代を超越して愛され活用される建築にしていくことが求められていると考えています。

1.建築物の最期=建て替えられる事情

建築物の寿命を永くしようと考えるとき、どのように建築が最期を迎えているかを捉え、最期を迎える理由にならないように建築物を維持管理していくことが重要と思います。建築物が最期を迎えるとき=建て替えられる理由や事情は様々ありますので、知り得る限りを上げてみます。

  1. 建築構造骨組みの老朽化
    構造骨組みの鉄部や木部が、錆びたり腐ったりして建て替えを余儀無くされることがあります。
  2. 外装や内装の老朽や汚濁によって視覚的に嫌悪になる
    材料の表面が腐食したり剥げ落ちてしまうことによって当初の見た目から変化して、汚らしく見えてしまい建築物自体の価値が格段に損なわれることがあります。
  3. 屋根や外壁の老朽や故障によって利用が困難になる
    屋根や外壁からの漏水がひどく、部屋として使えない状態だったり、構造骨組みを傷めてしまったりしまうことがあります。
  4. 生活文化の進化や変化によって建築物の用途や使い方が合わなくなる
    使用する方々や住まう方々の当初の使い方が変わってしまい、継続利用が困難になってしまう場合です。広さや高さが合わなくて、行う動作や生活が不便になってしまう場合です。
  5. 技術革新によって設備機器(空調や水廻り設備、通信設備)の更新が出来なくなる
    設備機器は技術が進歩すると性能は同じ場合 機器は小さくなるのが一般的ですが、部屋の機能を向上させるために、新たな機器が増えて機器が部屋に入らなくなったり、更新ができなくなったりして、不便になってしまう場合です。
  6. 所有者の変更
    所有者が変わり、建築物の使い方が変わり、新たな使い方に建築物が合わない場合です。

以上が建て替えられる理由として上げられます。

2.老朽の原因の第一は・・・水

上記のような 建築物が建て替えられる理由や事情を捉えると、(1)~(3)の建築の老朽・汚濁・故障などの、根本的な共通の原因のひとつは「水」です。万物の命に無くてはならないもののひとつが「水」なのに、その寿命を短くするのも「水」なのです。つまり「水」をうまく処理すれば、建築物の寿命は長くなると思ってください。

3.建物の寿命を延ばす工夫

建築物の老朽の原因は「水」であると申しましたが、その対策は明解で、
・雨水の侵入を防ぐ(骨組みに水が触れないようにする)
・建築物を乾燥させる、空気の入れ替えが常にできるようにする
と言えます。

この2点を原則にして建築物を維持管理すれば、訳の分からない理由で建築物の改修工事を迫る方々が提唱する内容が本当かどうかが分かります。もしその判断がつかない場合は、設計事務所という建築物財産の価値を保持・高める判断が出来る者に相談してください。

4.建築技術への理解促進のススメと新しい建築とのかかわり方

スクラップ アンド ビルド の消費の方式から脱却して、建築物財産を少しでも永く維持・活用していくためには、建て替え当初において 上記(4)や(5)を起こさない、時代の変化による使い方や設備機器の更新に対応できる建築を考えていくことは重要な課題であり、私達 設計事務所を中心に課せられた大きな課題です。

また、既存の建物の維持管理には、建築専門者を名乗って不要な改修工事を勧めて建築所有者様の財産を搾取しようとすることを排除し、真に建築物の寿命を永くする修繕や改修のみを施さなければなりません。そのためには、建築物を所有される方々には建築物を維持管理する技術への理解を深めていただくと同時に、建築物財産の維持を自らの利益とは関係ない客観的な判断が出来る者を相談者に添えることをお勧めします。

永く愛される建築を創り、育み利用し続け、(例えば、横浜市開港記念会館や赤レンガ倉庫のように)時代の価値を超越した建築を未来に残して行くことが今求められている新しい建築とのかかわり方のひとつと考えます。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

10月 10 19

なにしおはば 逢坂山のさねかずら 人に知られで 来るよしもがな

by staff

♪ なにしおはば 逢坂山のさねかずら 人に知られで 来るよしもがな ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:三条右大臣 (さんじょうのうだいじん)

歌意: 逢って寝る! と言う名のさねかずら。それならそのツルを手繰るように誰にも知られないで彼女に 会いに行けたらなぁ! そんな方法ないかしら。

これは全く売れっ子の芸能人なら誰でも一度は ほほ杖ついて考える。恋人との秘密の逢瀬の唄です。この夏 首相官邸で婚約発表をした政治家とタレントさんのカップルが居ましたが、そこに至るまでは内緒に内密に、誰にも知られずにどうやって会おうか、を特に政治家の男性の方は日々考えていたのだろうと推測します。

作者の三条右大臣、藤原定方さんも 公の人なので自分の恋が表ざたになるといろいろと大変だったようで、こんな歌が残されているのでしょう。

令和元年の現代と平安中期では約千年以上も時代が違うのに、人間の心情って殆ど変わらない。特に男女の関係は今でも十分に理解が出来てしまう、百人一首や古今和歌集 そして万葉集などに日ごろ接していると千年二千年などがあっという間に過ぎてしまうタイムスケールを感じます。

今回私は マウイ島の空を眺めながらこの10月号を書いていますが、半月以上も日本を離れると出国前に綺麗に整えてきた髪の生え際に白いものが見えだして、「あらマウイ島の方が髪の伸びが速いのかしら」と驚きます。今日は朝からヘナと言う紀元前から使われていたハーブを使って髪を染めながらこの文章を書いている次第なのですが、この歌の中の”サネカズラ‘ という植物は昔は整髪料として使われていたようで今でも 美男カズラ と言う別名を持っています。きっと平安時代にもすでに髪を整えるために使われていたのではないかと、文献を探してみたのですが見つかりません。その代わり、白髪染めの話が載っている文献が平家物語の中に見つかりました。今回の和歌からだいぶ飛躍しますが感動的な話なので。

時代は三条右大臣が生きていたころから150年ほど過ぎた1183年。
源氏側の大将、木曽義仲の追討に向かった平家側の斎藤実盛はこれが自分にとって最後の戦いになるだろうと覚悟して若々しく戦いたいと 髪を染めて戦場に挑みました。本人はここで討ち死にするつもりだったのでしょう。木曽義仲勢に打ち取られてしまいますが、首実検をしても斎藤実盛だとわからなくて、大将の木曽義仲がその首を池で洗わせたところ、白髪が出てきて本人だとわかります。この史実はもっと最初からのいきさつがあります。

斎藤実盛は、木曽義仲が2歳の頃、戦乱から幼い義仲を助けて逃がしてくれた、敵の武将でした。自分の命の恩人だったわけです。その後平家の衰退とともに、沢山の平家の家来達が源氏に寝返をうっていたにもかかわらず、斎藤実盛は、みじんも自分自身の態度を変えず、平家に忠誠をつくし、この戦いに参戦しました。負け戦とわかって、自分の最後を飾るべく白髪を染めて赴いた戦場でした。彼を打ち取った木曽義仲は、命の恩人だった、敵の老将に死して対面して涙を流したそうです。白髪染めて赴いた死路への旅、70歳の老将の物語を読んで私も泣けました。木曽義仲は斎藤実盛の兜を近くの神社に奉納します。

現在 その兜は 国の重要文化財となり今でも小松市の多太神社に祭られているそうです。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

10月 10 19

イラストレーター 長崎祐子さん

by staff

今回ご紹介する方は横浜市内ではなく、お隣の相模原市にお住まいの長崎祐子さんです。長崎さんは、時代の先端を行くゲームのイラストレーターのお一人です。マンガやアニメ、ゲームは現代日本文化として海外にも発信されています。

イラストレーター 長崎祐子さん
イラストレーター
長崎祐子さん
 
お名前 長崎 祐子(ながさき ゆうこ)
お生まれ 1976年7月/宮古島
お住まい 相模原市
ご家族 7人兄弟の6番目
お仕事 イラストレーター・専門学校非常勤講師
イラストサイト『青銅の履歴』
HP http://agdes.net/
趣味 旅行(海外・国内)、美術館めぐり

 

ものごころ付いた頃から絵を描いていました

実家は宮古島の伊良部大橋にほど近い山村部にあります。そう言っても伊良部大橋は2015年に開通しましたから、私が暮らしていた頃にはありませんでしたけれど。

家族は祖母と両親と7人兄弟。私は6番目で、上から4番目までは女の子、5番目が待望の男の子、そして私、末っ子が男の子という順でした。長女や次女はお姉さんというよりもお母さん代わり、いろいろとお世話になりました。待望の男の子達に挟まれて育ったので、6番目の女の子はあんまりかまってもらえず、一人遊びで絵を描くようになりました。

百科事典が絵本代わりでした。載っている動植物の写真や挿絵が、私の絵のお手本になりました。何十回も同じお手本で絵を描きました。回を重ねるごとに違った発見があり、新たな工夫があり、それが楽しくて同じ絵を何度も描きました。絵を描きながら空想の世界で遊ぶこともできました。

百科事典をよく眺めていたので、幼稚園に入園する前には文章もそこそこ読めるようになっていました。 動植物に関する巻は何度も見ていたので内容も暗記していました。

幼少期の私

渋い絵を描く小学生?

百科事典から基礎知識を得ていた訳ですから勉強は好きでした。兄や姉から「こんな事も知らないのか」と冷やかされるのがいやだったという理由から、成績もそこそこ良かったと思います。
絵を描くことは生活の一部になっていましたが、子供らしい元気いっぱいの絵というよりは、渋くておとなしい絵を描いていましたね。絵画コンクールでは一等賞を獲ったという思い出はあんまり無いですね。

当時の宮古島の私の家のご近所は大体馬を飼っていました。宮古馬と呼ばれる農耕馬です。馬のエサやりも私の遊びでした。近くには山林があり、自然に恵まれたところですから、虫も友達になりました。たくさんのオタマジャクシを育てたこともありましたね。しばらく育てていたら脚が生えて姿を消してしまいましたが。自然とのふれあいは絵を描く上での土台になったかと思います。

少年ジャンプに夢中になった日々

中学は地元の公立中学校に入りました。放課後は帰宅部だったので、マンガ好きの友達と一緒に遊んでいました。当時、少年ジャンプが流行っていて、宮下あきら先生や横山光輝先生のマンガに夢中になりました。特に横山光輝先生の『三国志』 『項羽と劉邦』に大きな影響を受けました。私のイラストに東洋的なテイストが感じられるのはその影響だと思います。

「花鬘」 三国志乱舞(ソーシャルゲーム)

高校も地元の公立高校でした。授業は1~7校時まで、1校時の前に0校時というのがあり、放課後も希望者は選択科目が勉強できるシステムになっていました。朝の7時半に登校、下校までの時間は勉強漬けで本当にキツかったです。
文化祭と体育祭は3年に1度で同じ年に行われないようになっていました。 文化祭の年、体育祭の年、何もない年を繰り返すシステムでした。そういうわけで高校での楽しい思い出はあまりなかったですね。

地元の大学で中国文学を学ぶ

進学クラスだったため、高校に入った直後から受験の準備に入ります。この頃、母の物忘れが酷くなり、感情の起伏も激しくなりました。検査の結果、悪性の脳腫瘍が見つかり手術をしましたが、脳に損傷を与えたことで優しかった母の性格が変わってしまいました。母の介護に時間を取られるようになり、受験勉強に集中できなくなりました。この頃からうつ病を患ってしまっていたようです。絵を描く事でだいぶ心が救われました。

大工の父も体が弱く、7人兄弟の我が家は決して裕福な家庭でありませんでした。私は授業料の免除制度がある琉球大学の法文学部人文学科(中国文学専攻)に決めました。夢中で読んだ横山光輝作品から中国への憧れもありました。

絵の資料は、今ではネットですぐ検索できたりしますが、昔は手に入れるのが困難でしたね。通っていた大学には医学部があり、図書館にある沢山の医学書や関連の書籍から人体の構造(骨格や筋肉のつき方、関節の動き方など)を勉強することができました。ポーズやシチュエーションの描き方を学びました。幼い頃は百科事典がお絵かきのお手本でしたから、大学の図書館は画題の宝庫となりました。

「怨恨の女帝スカルエンプレス」
Z/X -Zillions of enemy X- (ゼクス)
(トレーディングカード)ブロッコリー社

地元の新聞社で働く

出身高校の国語の教員が産休を取ることになり、その代理で臨時教員として1学期間だけ勤めました。
その後は地元の新聞社に入りました。取材の仕方、写真の撮り方や加工の仕方、記事の書き方など多くを学びました。ローカルニュースを扱う地元新聞社ならではの苦労もありました。宮古島という、知人や親類の多い限られた地域で発生するニュースの取材はやりにくい場合もありました。島のルールと会社の体質に苦しい思いをしたこともありました。やがて取材から編集に関わるようになり、記事にイラストを入れることができました。私のイラストが多くの人の目に留まるわけですから嬉しかったです。

この頃からイラストのコンテストに出品したり、イラストの仕事を請けるようになりました。そして、宮古島を離れ『もっと広い世界に出てみたい』と思うようになりました。
生きていたら反対されたかもしれませんが既に両親は亡くなっており、兄弟はそれぞれに居を構え独立していましたから、28歳の時に4年近く勤めた新聞社を辞め、知人がお膳立てしてくれた「神奈川県相模原市」に行くことに決めました。イラストレーターになる夢に向けて、未知の土地で第一歩を踏み出しました。

イラストレーター 長崎祐子

こうして相模原に住むことになりましたが、最初の数年はイラストの仕事はなかなか入ってきませんでした。
アルバイトで塾の講師や、WEBデザインをしたりしていました。中小企業の社長さんが入会している団体に入り、名刺に似顔絵を入れるといった仕事もしました。

イラストもはじめはアクリル絵の具を使って手描きでしたが、仕上がった作品のパーツ違いや色違いを求められることがあり、デジタルの技術を導入しました。液晶タブレットを導入して以降、仕事の質が上がり、以前よりも作業量が増えました。

ゲームのイラストを描くようになって、イベントにも呼ばれるようになりました。サインをしたりファンとお話をしたりする機会も増えて、『イラストレーター長崎祐子』という名での仕事が徐々に定着していきました。

「地獄の大公主 アスタロト / 水曜の魔導師 メリクリウス」
Force of Will (トレーディングカード)EYE SPY PRODUCTIONS PTE. LTD.

商業系のイラストは、実物や写真よりも特徴を誇張、強調して簡略化・省略化して見せるような時に使います。例えば体の組織や解剖図などは実物や写真よりもイラストの方が良いと思うでしょう? 小学生の頃に遊びの中で育まれた『観察眼』が役に立っています。

生活にゆとりが無かった時期でも、自己投資のつもりで年に1回以上は海外旅行をしていました。ヨーロッパやアジアの美術館・博物館に出かけて、実物の美術品を見たり、写真資料を撮ったり。青銅器時代と青銅器に刻まれた文様が好きで、私の生み出すゲームのキャラクターにその影響が出ています。
バレエはイラストのポーズの参考になるので、たまに観に行きます。

私のサイトをご覧いただけるとお分かりになるかと思いますが、私の作風はお客様のニーズに合わせて自在に変化することができます。可愛い豚のキャラクターからちょっとセクシーな女神、筋肉隆々の戦士たち・・・イラストレーターとして身を立てるには幅広い仕事を手がけられるようになりたいといつも心がけています。

描きたいものと求められるもののギャップはあります。しかしながら、ゲームのイラストの『仕事』は、依頼される人がイメージしたものにいかに近づくか、完成度の高いものを提供し満足してもらえることも大切です。「胸を大きくして」という依頼には「これでもか」というくらい大きくしたり。

もちろん独自の作風も大切にしています。その作風が好きだと言って来られるお客様が増えました。これからもイラスト画を見て「長崎祐子」の作品だと周知されるように頑張りたいです。

現在、東京デザイナー学院・東洋美術学校で非常勤講師としてイラストを教えています。生徒の個性を伸ばしながら、ゲーム会社が必要としている人材として、役に立つ技術やちょっとしたコツなどを教えています。まずはゲーム会社に就職できることが第一目標ですから。就職してから個性を出していけたらいいでしょう?

生徒さんとの交流で、私もフレッシュな気分を味わうことができます。時代に敏感で新鮮さを失わないことが大切だといつも感じます。

先日は講師として台湾に行って来ました。生徒がとても熱心なので、通訳を介さないで直接話しがしたかったです。大学でもっとちゃんと中国語を勉強しておけば良かったと後悔しています。何がどこでどう繋がるのか? 人生って面白いですね。

「TENGU48 筑後坊」魔法少女 ザ・デュエル
(トレーディングカード)株式会社TCG

将来の夢

イラストレーターを夢見て日々努力されている人、技術を学びたいと思っている人は世界中にいます。
日本に留学して勉強するには莫大な費用がかかり、夢を諦めていた人もネットで繋がる時代になって、自国にいながら授業を受けることが可能になりました。
私も決して裕福な家庭に生まれたわけではなく、夢を求めて故郷を一人離れてきました。ですから、そんな皆さんの苦労が分かります。
厳しい環境の中で努力しているイラストレーターのたまご達を育むことが私の夢になりました。インターネットを活用したイラスト塾を創りたいですね。

「ガルーダとラクシュミ」(オリジナル)

(文:高野慈子

 

9月 10 19

ハマの映画館

by staff

 

私は「映画好き」というほどではありませんが、話題作や気になる映画は映画館で見るようにしています。

横浜には、同一施設に複数のスクリーンがある「シネマコンプレックス」(シネコン)がたくさんあります。横浜駅そばの「ムービル」、桜木町駅前の「横浜ブルグ13」、みなとみらい地区にある「イオンシネマみなとみらい」等、枚挙に暇がありません。

今回ご紹介したいのは、横浜らしい小さな映画館(ミニシアター)です。

まず、「ヨコハマNOW」2016年1月号の「ヨコハマこの人」でオーナーの箕輪克彦さんに登場いただいた日本最小の映画館「シネマノヴェチェント」(座席数28)です。
http://cinema1900.wixsite.com/home

オーナーの独自基準で選ばれた映画は、どれもユニークで面白いと評判です。
週末は上映後に監督や俳優が参加するトークショーやサイン会を開催しています。

先日、「シネマノヴェチェント」がある南区藤棚商店街が舞台の、地域発信型映画「カラオケ屋兆治」を観に行ってきました。企画・監督は、横浜市鶴見区出身の市川徹さんで、主演は、「しぶがき隊」の布川敏和さん。知り合いの商店主はセリフがある役で、頑張っていました。映画にエキストラで登場していた地域の方々が観に来られていて、私が行った日曜日はほぼ満席でしたね。アットホームな感じがこの映画館のいいところです。

かつて「映画の街」としてにぎわった、黄金町で唯一営業を続ける映画館が、「シネマ ジャック&ベティ」です。文字通り、「ジャック」と「ベティ」の2つのスクリーンある映画館です。(座席数133・144)
http://www.jackandbetty.net/

ここでは、シネコンで上映の機会が少ない良質な映画を、ジャンルを問わず上映しています。
単館系の新作ロードショーを中心に、監督・俳優特集や映画祭も開催しています。

「シネマ・ジャク&ベティ」は、同じ場所に存在した「横浜名画座」を引き継ぐ形で1991年にオープンしましたが、2005年に一旦閉館しました。その後2007年に再開して、梶原俊幸支配人をはじめ3人の若者たちが運営しています。

2つのスクリーンで、旧作と新作を同時に上映する個性的なミニシアターで、私は話題作「ラ・ラ・ランド」を全国ロードショーが終わった後に観たことがあります。

最後にご紹介したいのが、伊勢佐木長者町にある「横浜シネマりン」です。(座席数102)
こちらも2014年6月に閉館して、オーナーが八幡温子さんに変わって2014年12月にリニューアルオープンしています。
https://cinemarine.co.jp/

八幡さんは「ハリウッドの大作ではなく。質が高くても上映される機会に恵まれない作品はたくさんある。そういうものを観ることができる映画館にしたい。身の回りの避けて通ることのできない社会的テーマをきちんと盛り込んだ作品も取り上げていきたい。」という想いで運営しているそうです。

その言葉のとおり・・・
約8万8500人の広島市民が手弁当のエキストラとして参加し、1963年に製作された映画「ひろしま」。今年、原爆忌を前にNHKやTBSなどで原爆の惨劇を伝える映画として大きく取り上げれました。この映画が「横浜シネマリン」で上映されると知って、8月の土曜日の朝、訪れたところ、なんと映画館の近くの歩道まで行列ができているではありませんか。この映画館には何度も行っていますが、これまで行列を見たことがありません。オーナーの想いが伝わっているのだと、映画を観る前に行列に感動してしまいました。

これらのハマのミニシアターが存続していけるように、応援していきたいですね。

 

9月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第10回「丹頂鶴 (北海道/釧路湿原・鶴居村) 」

by staff

第10回 丹頂鶴 (北海道/釧路湿原・鶴居村)

2014年2月、北海道/阿寒タンチョウの里で、初めてタンチョウを撮影しました。それからは毎年、冬景色の中で撮影しています。今回は釧路湿原・鶴居村からの鳥撮り日記です。

2018年2月4日『鶴居伊藤サンクチュアリ』は雪が降っていましたが、多くの人たちがカメラを構えていました。

鶴居伊藤サンクチュアリ2019年2月撮影
開館日10月1日~3月31日 休/火・水曜/要確認

鶴居村は文字どおり「鶴が居る村」です。釧路湿原の北部に位置し、日本有数のタンチョウの生息・繁殖地です。

『鶴居伊藤サンクチュアリ』は、タンチョウの生息地を保護するため『(公財)日本野鳥の会』が運営する施設で、サンクチュアリの土地のほとんどが、タンチョウの給餌人を務めた伊藤良孝氏から提供されたものです。施設には伊藤氏の名がつけられています。

タンチョウの餌が少なくなる11月から3月まで給餌が行われ、サンクチュアリ内のネイチャーセンター(開館日/要確認)では、タンチョウの鳴き声や行動についての解説を聞くことができます。

国の特別天然記念物に指定されているタンチョウは漢字で「丹頂」と書きます。丹は「赤」を意味し、頂はてっぺんのこと、文字どおり頭のてっぺんが赤い鳥です。全長102 ~147cm。翼長64 ~67cm。翼開長240cmと大きく、湿原・湖沼・河川などに生息します。餌は雑食で、昆虫、カエル、貝類(タニシ等)、小魚、ネズミ、鳥の雛、葉類(セリ・ハコベ)、芽、果実(フトモモ・ミズナラ)などを食べます。

この日は100羽以上のタンチョウが飛来していました。タンチョウは体の大きさの割に、顔尾が小さく、名前の由来になった頭頂部の丹(赤色の事)が、上手く写ってくれません。

うれしいのか、飛び跳ねているタンチョウもいます。
求愛ダンスでもしているのでしょうか?

昨年生まれた、タンチョウの幼鳥です。
頭頂部は赤くなく、頭部から頸にかけては褐色です。

着陸シーンです。
地面(雪面)スレスレを滑空してきます。

翼を広げ、足を雪面に入れてブレーキをかけます。

シャッター速度は1/100秒です。タンチョウは大きいので、比較的にゆっくりした動きになります。慣れないと追いにくいですね。雲台(自慢ではありませんが、ザハトラーのFSB8を使っています)はいいのですが、ウデが悪すぎです。

離陸シーンです。
シャッター速度は1/125秒です。家族でしょうか、幼鳥を挟むように三羽が走り出しました。残念です、近すぎたので、テイクオフまで追えませんでした。

飛翔中の流し撮りです。
2019年1月30日と31日の2日間、鶴居伊藤サンクチュアリで撮影しました。 美しくて優雅でしょう。 毎年この季節になるとタンチョウを撮りにくるのですが、毎回、飛翔している鶴の姿に感動を覚えます。

幼鳥を挟んで3羽で飛んでいることが多いのですが、600mmの画角では、チョット狭いようで、入りきりません。

右が幼鳥頭頂部は赤くなく、頭部から頸にかけては褐色、
左が親鳥、二羽の親鳥が幼鳥を挟んで三羽で飛ぶ姿が見られる。

最近では釧路湿原の観光化が進み、生息環境の悪化が懸念されています。保護されている地域に集まる他種の鳥を含む過密化により餌不足が生じ、また過密化による伝染病や感染症などの恐れが生じています。
人間との関係も微妙です。餌付けにより絶滅を避けることができた反面、人間を怖がらなくなったこと、電線による事故、自動車や列車との交通事故などの問題も発生しています。人間が飼っている(いた)イヌが湿原の奥地まで侵入し、繁殖への影響も懸念されています。
また、給餌の餌目当てに来るキタキツネ、エゾシカ、オジロワシ、オオワシなどと接する機会が増え、見慣れることで警戒心がなくなってしまうことが問題視されています。

一方、冬の餌場環境(自然採食地を増やし餌付けに依存しない環境)を復元する活動が進められています。2009年には、サンクチュアリ内に、冬も凍らない水路を作り、タンチョウが利用しやすいように樹木の間伐を行いました。鶴居村の農家の協力で、2010年には樹木に覆われた水路を整備することができ、タンチョウの自然採食地になるようにしました。その後も畑の水路や採餌場所となる水辺を整備し、自然採食地を増やしていくとのことです。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

9月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第4回)
介護支援専門員(ケアマネジャー略称:ケアマネ)との出会いは大切!

by staff

第4回 介護支援専門員(ケアマネージャー略称:ケアマネ)との出会いは大切!

“イヤイヤ! 少な目 ワクワク! 増し増し”

どういう意味? 「ラーメン屋さんのトッピングみたいだけどなぁ~」なんて思われましたか。
これは、私の両親がまだ元気なころから、長生きして欲しいが、いずれは老いも来るであろう。でもこの先の両親の人生でイヤだな、辛いな、不安だなということはなるべく少なく、反対に嬉しいこと、楽しいこと、感動することがたくさんあって欲しいという私の願いをギュギュッと詰め込んだ言葉です。

両親には、出来る限り家庭で過ごして欲しいが、2人とも性格も介護してもらいたいことへの考えも違っていたので、親も私も “ワァ~イ! ハッピー!!” と思いながら、どうやったらそれぞれの “イヤイヤ! 少な目 ワクワク! 増し増し” の家庭介護生活が出来るだろうか、最初は漠然と考え、衰えを感じはじめた80歳代前半からは、次第に現実的に考えだし、8年後には介護サービスを受けることになっていました。

実際、家庭介護生活がはじまると、大変多忙な日々となります。介護者が心身ともにへトへトにならないためにも、最初は漠然としてでも少しずつ、家庭介護を思い浮かべ、介護される方の望みや介護する家族たちが話しあえる機会をつくり、もしその時がきたら家族はこういった介護ならできるといった役割分担や、どうやったら介護される人が安心できるかなどを考えておくと、後々役立つことがあると思います。

ご存知ですか?

介護保険の認定を受けて介護サービスを利用するには、各市区町村の指定を受けた事業者の介護支援専門員(ケアマネージャー略称:ケアマネ)に居宅サービス計画書(ケアプラン)を作成してもらい、ケアプランに沿ってサービスを受けることになります。家族が介護サービスを利用することになると、そこからケアマネさんとのつながりがはじまります。

その時、家庭での介護で望むこと・困るとこと・不安なことなどをケアマネさんに伝えることができれば、家庭での介護サービスは良い方向で受けられることと思います。もし、不運にもケアマネさんとのコミュニケーションが上手く図れないと感じた時は、介護される方も家族ケアマネージャーさんも幸せにはなれないと思いますので、居宅介護支援事業所やケアマネさんを代えるという選択もあります。

我が家の両親の場合は、父と母の人生観に適した方を希望しましたので、別々の居宅介護支援事業所のケアマネさんにお願いすることがベストだと考えました。お陰様でベストのケアマネさんに出会えました。

母のケアマネさんは、いつも母の目線にあわせた姿勢で会話をするなどの気遣いがあり、母の気持ちを良く理解してくれます。そればかりでなく介護する私のことまで気にかけて頂き、サービス事業者への紹介やアドバイスも迅速で、知識力・情報力も豊富で安心してお任せすることができました。信頼できるケアマネさんとの出会いは、とても大切だと実感しています。

今回は、母のケアマネさんを紹介させていただきます。
お名前は、清水真理子さん。
ケアマネージャーのほかに、福祉・介護業界の「3福祉士」と呼ばれる国家資格「社会福祉」「介護福祉士」「精神保健福祉士」の有資格者です。

また、「みんなの居場所 結(ゆい) 」という任意団体の代表でもあります。
「結(ゆい)」には多様な世代グループがあり、時間を分け合い居場所を活用しながら地域の交流拠点となることを目指すと共に、福祉の専門家が関わることで、来訪した相談者を適切な支援に繋げるお手伝いもしている団体です。
ここには、介護サービス利用者も福祉・介護の専門家も集まり交流できるカフェもあります。私も母と一緒に遊びにいったことがありますが、家庭的な雰囲気の居心地の良いところでした。

清水さんは、「みんなの居場所 結」は代表といっても私がというより、その趣旨に賛同して下さっているボランティアさんや、自己実現したいと一歩を踏み出した方々により成り立っているんですよ。と、活動のことをお話されました。

ホームページはないとのことなので、この紹介を読まれ清水さんや「みんなの居場所 結(ゆい) 」に興味をもたれ連絡したいと思われた方は、竹沢まで連絡 childyou@tky2.3web.ne.jp 願います。必ず先方にお伝えいたします。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

9月 10 19

楽しい文字の世界(第19回) 調和体

by staff

第19回 調和体

私は書道の複数の会に所属しており、出品作品を常に作っています。その中の一つ読売書法展が現在東京都美術館と国立新美術館で開催中です。東京を皮切りに、中国、四国、東北、北海道、中部、九州と巡回します。
作品は毎回時間切れで提出するわけで、自宅で書いた作品を広い会場で目にした時、満足できたことは何十年やってきても未だかつて一度もありません。反省ばかりです。ゴールがないということでしょうと自分に言い聞かせています。

左:読売書法展会場入り口
右:場内の様子

自身の作品

さて書道展の部門は会派によって分け方が多少違い、読売の場合は、「漢字」「かな」「調和体」「篆刻」に分かれます。その中の「調和体」についてお話したいと思います。

私たち日本人の日常を文にする場合、中国から伝わった漢字のみでは組めません。また全て和語(やまとことば)ではわかりにくなります。中国で生まれた漢字と、その漢字が日本に伝わってから日本で生まれた和字、そして時には欧字を組み合わせていきます。それを書作品に表現したものが「調和体」です。
「漢字かな交じり書」、「新和書」「近代詩文」などとも呼ばれます。

自身の作品(調和体)

日本を代表する書道展では、毎日書道展は昭和29年に「近代詩文書」部門を設けました。昭和30年には日展が「調和体」部門を、その後平成7年に読売書法展が「調和体」部門を設置しました。

日常の国語表記によって書かれた文を一般に読めるように作品にする、つまり第一義が「可読性」にあります。そしてその日常を芸術作品にすることが必要となります。書の世界にいない一般の方が足を運んでも、読めて楽しめる書をということです。芸術作品は、読まないで絵のように感じて欲しいという書家が多い中、逆行のようですが、楽しみ方は人それぞれ。会場でみていると、やはり読める書に足を止めている方が多いように思いました。

 

【お知らせ】
髙島屋オンラインショップで横濱増田窯×紅花の器をお買い求めいただけます。
https://www.takashimaya.co.jp/shopping/gift/keiro/…
 

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して25年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

9月 10 19

しあわせの「コツ」(第33回) 「さよなら」が言えなくて

by staff

第33回 「さよなら」が言えなくて

養老孟司 氏

解剖学者養老孟司氏は、若いころ挨拶や雑談が大の苦手でした。講義やプレゼンなどは全く普通にこなせるのに、なぜ挨拶や雑談だけできないのか、自分でも不思議でならなかったそうです。

養老氏は6歳で父親を亡くしています。父親は結核だったようで、子供だった彼は病床に近寄らせてもらえませんでした。ある日、母親が養老氏を父の枕元に呼び寄せました。「お父さまにごあいさつなさい」と母親に言われたのですが、病で衰えた父の姿を見てショックを受けた彼は、一言も話せませんでした。じっと息子の顔を見ていた父親は悲しそうな顔をし、それから数時間後に息を引き取ったのです。

父の死から30年以上経ったある日、電車の中でふとその時の光景を思い出しました。「そういえば、あの時、親父にちゃんと『さよなら』をしなかったなぁ」と思ったとたん、涙があふれて止まらなくなったのです。このことがあってから、不思議なことにあれほど苦手だった挨拶や雑談が、まったく苦にならなくなりました。

父親に「さよなら」をしないまま永遠の別れを迎えてしまった養老氏にとって、「父との最後の対面」という行為は未完のままだったのです。「さよなら」を言うことで完結するはずの行為は、30年間も閉じられることがなく、また「父にさよならを言えなかった」という後悔の念がトラウマとなって、挨拶や雑談ができない人間となったのでした。電車の中で「さよなら」を言えなかったことを思い出したことにより、やっと「父との最後の対面」は完結したのです。
何より本人がたとえ心の中ではあっても、改めて父親に「さよなら」を言ってけじめをつけることができたのです。それ以降、養老氏はあいさつや雑談に何のこだわりもなくなって普通にできるようになったそうです。

このように、ある特定のクセや行動が「未完の行為」のサインである場合があります。分かりにくい事もありますが、ひとたびそれに気づくと、朝日を浴びた霜のように、すぅーっと溶けてなくなります。「あれはどうも苦手」「あの人の顔を見ると何だかむかつく」とか、誰しも多かれ少なかれ抱えている小さなトラブルは、「未完の行為を完結させて!」という深いところからのメッセージかもしれません。

実は私にも「未完の行為」がありました。

それは小学生の頃の話です。雑誌に載っていた運動靴の広告で、カラーバリエーションに「コバルトブルー」というのがありました。文字だけでは分かりません。こんなハイカラな名前の色のクレヨンや色えんぴつはありませんから、皆目見当がつかないのです。「どんな色だろうなぁ」と好奇心は膨らむばかり。そこで印刷の仕事をしていた父に訊くことにしました。私は知っていたのです。父の大きなカバンには、分厚い色見本帳が入っていることを。

私 「ねぇ、コバルトブルーってどんな色?」
父 「そうだなぁ・・・。う~ん、まぁ今度教えてあげるよ」

なんと歯切れの悪い返事でしょう。「さっさとあの色見本帳を開いてくれればいいのに。ケチ!」と心の中で父に毒づいてしまいました。その晩はそのまま何もありませんでした。次の日もそのまた次の日も、父は「コバルトブルー」を見せてくれませんでした。私は失望感と父からないがしろにされている悲しさで一杯になっていきました。そして、もう「コバルトブルー」のことは諦めることのしたのです・・・。

それから何週間か経ったある初夏の明け方のこと、寝室のふすまをガラッと開けて父が何やら興奮した面持ちで言いました。「成美、コバルトブルーだよ!さあ!早く起きて!」と子供のようにはしゃいでいます。私は眠い目をこすりながら、「何よ、こんなに朝早く」とぶつぶつ言いながら父の言いなりに勝手口のガラス戸を開けました。
「ほら、あそこを見てごらん。あの黒っぽい雲の下あたりが『コバルトブルー』だよ」と、父が指さす東の空を眺めました。まだ中天は夜の気配が漂い、濃紺に染まっています。東に差し掛かるあたりに紫と灰色を混ぜたような色の雲が出、そのあたりから徐々にブルーの色がグラデーションで薄くなり、父が指さしたあたりは鮮やかな「コバルトブルー」でした。

「あれがコバルトブルーか」 しばらく私はその美しい色を眺めていました。やがて太陽が昇ってくると、ブルーのグラデーションは徐々に色褪せて、いつしか「コバルトブルー」も朝空の中に溶け込んでいってしまいました。本当にあっという間でした。

「ふ~ん」と、私はまた布団に戻りました。「何よ、今頃になって『コバルトブルー』だって! 忘れたのを急に思い出したんじゃないの? こんな朝早く人を起こさなくてもいいのに!」と布団の中でぶつぶつ言いながらまた眠りにつきました。

時は流れ、結婚して6人の子育てに明け暮れている頃、様々なストレスから夜眠れない日が続きました。ある日、午前3時半ごろ目が覚め、眠れないのでそのままベランダに出て、ボーっと東の空を見ていました。段々白んでくる空を眺めているうちにふとあの日の光景が蘇ってきたのです。

「そういえば、お父さんに明け方に起こされたっけ。今日は『コバルトブルー』が見えるかなぁ」と、東の空を見つめていましたが、残念ながらその日はすぐ空が白んでしまい、「コバルトブルー」は現れませんでした。何だか肩透かしを食ったみたいで、急にどうしても「コバルトブルー」を見たくなってしまいました。
次の日も明け方にベランダで待っていましたが、「コバルトブルー」は現れませんでした。私は意地でも「コバルトブルー」を見ようという気になりました。けれども、曇りや雨の日はもちろん見えませんし、晴れでも「コバルトブルー」が現れない朝もあります。「コバルトブルー」出会うのは、実に至難の業だったのです。

二週間ほどたったころでしょうか、「今日もダメかなぁ」とベランダの手すりに頬杖をついてぼんやり東の空を見つめていました。すると、濃紺一色の空が徐々にブルーのグラデーションに変わり始め、白み始めた下の方と夜の気配を残した部分との狭間に、それは奇麗な「コバルトブルー」が現れたのです!
「あっ!コバルトブルーだ!!」小さく叫んだ私は、その時すべてが手に取るように分かったのです。

父は印刷された色見本の「コバルトブルー」ではなく、自然界の「本物のコバルトブルー」を私に見せたかったのです。そのために朝の一瞬だけ「コバルトブルー」になる空を見せようと思ったのでした。けれども私が体験したように、いつでも「コバルトブルー」の空になる訳ではありません。これぞ「コバルトブルー」という色はそう簡単には見ることができないのです。
父は毎朝、私のために明け方勝手口を開けて東の空を眺めては「コバルトブルー」を探していたのでしょう。そうして、やっと出会った時、父は嬉しさのあまりはしゃいだような声で私を起こしたのでした。そんな父の想いをこれっぽっちも分からなかった私は「ありがとう」も言わずに、「眠いのに起こされた」という不満しか抱かなかったのです。

「お父さん、ごめんなさい。やっと分かったよ!ごねんね、ごめんね、ありがとう!」と、白み始めた空に向かって声をあげて泣いてしまいました。30年以上も父の愛に気づかなかった浅はかな自分が情けなくて涙が止まりませんでした。
泣きじゃくった顔のまま東の空を見上げると、にこにこした父の顔が浮かび、「やっと分かったのかね。相変わらずお前はトンマだなぁ」と言っているような気がしました。

それ以来、私は頑固だった父に対するわだかまりが消え失せ、父の何気ない振舞いを思い出しては、父なりに精一杯愛情表現をし、心から可愛がってくれていたのだと思えるようになりました。養老氏は父親に「さよなら」を言えずにいましたが、私は「ありがとう」が言えずに30年以上経っていたのでした。
この「未完の行為」を完結させた後、本人の中の何かが劇的に変わったのも養老氏と共通しています。

あなたにもありませんか?

言えなかった「さよなら」「ありがとう」「ごめんなさい」。それらは喉に引っかかった小骨のように、いつもチクチクとあなたの心のどこかを突き、あなたと何か(あるいは誰か)との間の滑らかな交流を妨げています。「起承転結」と言いますが、何事もきちんと「結」までいかないと、それから先が開きにくくなるようです。思い当たることがあれば、早めにクリアしてみてはいかがでしょうか? 幸い人の意識は時空を超えるので、遅すぎることはありません。

空も海もコバルトブルー ボラボラ島

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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9月 10 19

2019年9月 三ツ池だより 「命のはな、きぼうの詩!」

by staff
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とても暑い日だった。靖国神社の手水舎付近に足を運んだ。そこは参拝の集合場所になっていた。自分の今ある存在は何かと思っていた。中小企業の経営に携わってきて、「これからの日本をどうしていくのか!」を整理する機会が訪れていると思ってきていた。日本人として生まれてきて、日の出に、そして月に向かって手を合わせる。今日一日を楽しく迎え、明日に希望をつないでいく生活に喜びを感じていく生活をしている。父母に、そして日本に育てられたことに、歓びと誇りを持って暮らしていることに感謝している。

靖国神社参拝の機会をいただいた日に、本を購入していた。

「画詩集 いのちの花、希望のうた」である。表紙の帯に「生きるための芸術が、こんなにも心をうつ。」「兄の絵と 弟の詩 あなたへの花束」とあった。

タラの芽の絵に添えられているのが次の詩なのだ。

しあわせ
輝く
こころの大地は
すべて自身で
拓けと母

枇杷の絵に添えられているのが次の詩なのだ。

変わりつつある
毎日を積み重ね
これからも
歩みつづける
今年、幸あれ

素晴らしい絵と詩が続く。
そして詩を担当する弟の岩崎航さんはエッセイのなかで次のように書かれます。

「兄弟がともに過ごした時間の中で最も一緒に生きたのは、健一が二十二歳、私が十五歳からの六年間ではないかと思います。自由に出かけることもままならず、現在のようにSNSを使うこともできずに、ほとんど家の中というまいにちは、社会とのかかわりが乏しい小さな “島” で二人ですごしているかのような不思議な時間でした。」

絵を描く兄の岩崎健一さんはエッセーの中で次のように書かれます。

「私の病は、進行性なので病状は年々確実に重くなっています。正直言って私に残された時間があと、何年あるか私自身わかりませんが、カウトダウンが始まってきていることは日々感じている所です。年々、自分でできることがへってきていますし、体力もおちてきているのが自分でもわかります。手の動きも悪くなってきていて絵を描く時の大事なツールマウスの操作が自由にならなくなるのは私自身辛い現実です。しかし、できなくなったことを悲観するのでなく、できることがまだまだあるんだと前向きに捉えるようにしています。」「絵を描く時、私は、自分の生きたあかしとして全身全霊で描いた絵を一枚でも多く残していきたいとの思いで絵と向き合って描いています。絵を描いている時は、自分のおかれている現実や悩みなど関係なく無心になれ、楽しんで描いています。四十歳を過ぎたあたりから、この思いがよりいっそう強くなった気がしています。」

土筆の絵に添えられている詩

取っ組み合いの
喧嘩ができる
ありふれた
兄弟の日々
幸せだった

向日葵の絵に添えられている詩

向日葵が
咲いている
母の
今在る
うれしさよ

紫陽花の絵に添えられている詩

どうせまた
何も変えられないと
恐れていること
宿命が
人を不幸にするのではない

八月十五日は特別の日だ。カードをひいていた。
ユニコーンのオラクルカードは「True」であった。「そうです。あなたが考えていることは正しいのです。」普段はつづけないのであるがソニア・ショケットのオラクルカードをひいていた。「無条件の愛」であった。ハワイアンカードも引いていた。リリウオカラニでした。「ゆるしが必要です。あなたを苦しめるあらゆる人、ものをゆるし、手放すときです。」
今日こうして存在していることを意識するということは、とても大事なことなのだと理解できた。自分の今の存在は、長い歴史があったことであり、自分の一生が何事にも代えがたい現実なのだと理解できたのだった。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

9月 10 19

ゆるマナー講座(第47回) やっぱり “笑顔” が一番

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

先日田舎に帰った時、セキレイが軽やかに飛んでくるのを見つけ、七十二候の「鶺鴒鳴」(セキレイ鳴く)を思い出しました。暑かった夏も終わり、あっという間に秋が始まりますね。
今回は、この夏多くの人を明るくしてくれたスポーツ選手の話です。

スポーツ選手の笑顔のチカラ

最近、若い日本人のスポーツ選手達が世界で活躍するニュースを目にすることが増えましたね。中でも印象的だったのは、8月に全英女子オープンゴルフを制覇したスマイルシンデレラの渋野選手です。
メジャー制覇は日本人では2人目という快挙で話題になりましたが、渋野選手の太陽のような“笑顔”に多くの人が魅了されたのではないでしょうか。
渋野選手は、お母様から「笑顔が一番」と子どもの頃から言われて育てられたそうです。緊迫する試合の場面でも、ミスがあった時でも笑顔で乗り越えて、観客の声援にも笑顔で応えていた姿に、これまであまり見たことのないスポーツ選手のあり方に新鮮な感動を覚えました。
スポーツの世界での笑顔の効果に驚くとともに、やっぱり笑顔は誰をも味方にする、どんな場面も切り拓くのだということを、改めて思い起こさせてくれました。

他にもある笑顔のチカラ

緊張している時でも無理にでも笑顔を作ると脳はリラックスしていると勘違いしてくれるそうです。
ですから緊張したり、上手くいかずに焦ったり、気持ちが滅入ったりしている時ほど、口角を上げて笑顔を作るのが良いのです。
笑顔の人はゆとりが感じられ、周りにも安心感を与えます。初対面でも相手がニッコリしてくれただけで受け入れてくれていると感じますし、お互いに時間がかからずに打ち解けることができます。


© frear LLP

笑顔は笑顔を呼び、相手の笑顔でまた自分も笑顔になれる。笑顔の好循環が起きるのです。

以前、スーパープレゼンテーションのTEDで笑顔の力について話しているのを観ました。
高校の卒業写真で笑顔の人はそうでない人よりもその後の人生の幸福度が高かったり、成功している人の割合が高いのだとか。

そして笑顔になる回数についての言及に、はっとしました。
大人は一日何回くらい笑顔になるでしょう?
5回…? 10回…? せいぜい数十回でしょうか?
……なんと子どもは400回だそうです!!
周りに子ども達がいれば笑顔の好循環が400回もぐるぐる巡るのです。屈託のない無心な笑顔に癒されたり、元気にしてくれたりとその力は計り知れないものですね。
そういえば、孫ができた友人も笑顔が増えたような気がします。子どものパワーはすごいですね。

笑顔は自分から

箸が転んでも笑っていた頃は遠い昔となり、ちょっと笑顔を意識しないといけない時も増えてきたように感じます。
周りの人に笑顔がない時は、きっと自分自身に笑顔が足りない時。周りにちょっとイライラしてしまう時は、自分がイライラして笑顔になれない時……と、こんな気持ちを意識できるように、携帯電話のケースをスマイルマークのついたものに変えました。(笑)

自分から笑顔の好循環を作ろうと、若いスポーツ選手の素敵な笑顔に改めて教えられた夏でした。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

9月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第78回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第78回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

AIが “老い” を読み解く。結果は、経験値をもとに様々な角度から一番ふさわしいものに “置き換える力” 。肉体的な老化は、食物摂取の継続による消化できない細胞蓄積タンパク質によるダメージ。細胞を休ませて老化を防ぐには断食。精神的な老いへの断食にあたるのは情報の遮断かも。情報に振り回されず、嫌いなことはやらず、好きなことだけに打ち込む。典型が葛飾北斎。初期作品は素人が見てもうまいといえないレベル。それが90歳の生涯の後半に “富嶽三十六景” “富士越龍図” にまで到達したのはなぜか。死ぬまで毎朝3枚の獅子図を描いたといいますが “好きだけど単調” な作業が価値創造に繋がるといえるのか。高齢社会では、老いを創造性の爆発期と位置づける戦略が必要かも。組織の人材教育も同じ。再評価著しい “メンタリング” など、内弟子制度を組織の中でどうビルトインしていくか。梁塵秘抄では “媼が子どもは唯二人 一人の女子は二位中将殿の厨雑仕に召ししかば 奉てき 弟の男子は 宇佐の大宮司が早船舟子に請いしかば 奉いてき 神も仏もご覧ぜよ 何を祟りたまう若宮の御前ぞ” とあります。老女の一人暮しは神仏への祈り。 “貧しくとも満足なら豊か” とシェークスピア。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

やっていることをとことん楽しむ あくまで人間を肯定する
遊びや楽しみの中で学んだことは 脳の奥にまで突き刺さる
プロになってもプロとして遊ぶ 残像との会話を十分楽しむ
進化をめざして考え抜く 頭を使いすぎても死ぬ訳ではない

東京・六本木のサントリー美術館では “遊びの流儀:遊楽図の系譜;浮世の憂さの晴らし方” 展が開催されました。花見・紅葉狩りから見世物・芝居小屋まで。更には双六・カルタ・三味線・舞踊・ファッションまで何でもあり。そこには “仕事・遊び・親子供” の境界がありません。古代中国では “琴棋書画(琴・囲碁・書・絵画)” が君子の嗜みとされましたが、日本も遊び・嗜みでは負けていません。狼の群れは真剣に遊び、遊びを通じて知恵を継承したとか。大量のデータ/情報が流通する21世紀で勝ち残る組織には “遊び心・荒ぶる魂” が必須条件かも。我を忘れて人生丸ごと遊び楽しみ戯れるしかなさそうです。“遊びとは自己の全体重をかけて遂行されるもの” と作家・森鴎外。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

一番見えにくいのが自分の心 高度成長を経験した世代の、無気力と衰退
二〇世紀はモノに必死だった時代 二一世紀は知性を制御し感性に向かう
技術/スキルを習得するのが先 深めた後に、持ち味や個性がにじみ出る
文学、歴史、思想、哲学に関心を持続する グローバル社会のパスポート

教育は最優先課題。世界の大学ではカリキュラムに様々な工夫。インド工科大学ではインドの伝統舞踊講座、カリフォルニア大学バークレー校では多種のリベラルアーツ講座。ギリシャ・ローマ時代では “教養なきものは奴隷” と檄を飛ばしてリベラルアーツ教育を施したとか。ギリシャ・ローマ時代は “自由七科” 、古代中国では “六芸”。ただ、21世紀のリベラルアーツは再定義が不可避。特に “直観・大局観・デザイン” の世界をどう織り込んでいくか。誰もが考えていないことを見抜き、新しいモノの見方を発見し、方向感と構想を可視化すること。手塚治虫が漫画家志望の若者に語ったのは漫画以外のことを勉強する大切さ。 “枠組みではなく場。緩やかに繋がる“ と評論家・山崎正和。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

メンタリング 浄瑠璃は魔と間の芸術という お手本には繰り返し聴く・聞く
簡単に教えない、反論は大いに歓迎 その中で、他人が嫌がることもやる覚悟
起こっている現実を冷静に凝視する メンター自身が学ぶ姿勢、好奇心を示す
重要なことは 将来への洞察を繰り返し語る、知的好奇心を徹底的に刺激する

最近、メンタリングに再評価の動き。その本質は自己実現。長期的に高い成熟度を期す全人格的なもの。昔は内弟子制度といわれましたが、最近は封建的との理由でお払い箱に。大量生産時代はOJTでカバーできましたが、固有の価値創造を実現するには力不足。今後は、技術面だけでなく精神面・文化面も支える基盤が不可欠。以前の将棋棋士の内弟子制度では、将棋そのものの指導を受けることはまれで、むしろそれ以外のものから色んなことを学び・吸収することが財産・武器に。一日の研究時間は、研究の方法は、研究の素材は。その総体が飯の食えるプロ棋士の全身像。AI時代では、そこをどうデザインするか。“まだないものを見つける”とカップヌードル開発者・安藤百福。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第78回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
9月 10 19

書評「人生がときめく片づけの魔法 改訂版」 河出書房新社 近藤麻理恵(著)

by staff
 
タイトル 人生がときめく片づけの魔法 改訂版
単行本 280ページ
出版社 河出書房新社
ISBN-10 4309287220
ISBN-13 978-4309287225
発売日 2019/2/14
購入 人生がときめく片づけの魔法 改訂版

「一度片づけたら、絶対に元に戻らない。世界の片づけの常識を変えた究極のメソッド。」表紙裏のコピーである。裏表紙に「世界中から感動の声が続々!!」とある。

はじめにで、「私は、五歳のときに主婦向けの生活雑誌を読みはじめたことをきっかけに、十五歳から本格的に片づけの研究を始め、十九歳から片づけコンサルタントとして活動を始めました。それ以降、人生を通して“片づけが苦手な人”“片づけてもすぐにリバウンドしてしまう人”“片づけたいけどどうしていいかわからない人”たちに対して、片づけを指導することを仕事にしています。」と語られます。家の中を劇的に片づけると、その人の考え方、そして人生までが劇的に変わってしまうそうです。

お客様から寄せられてくる声を出されます。
「子供の頃からの夢に気づき、会社を辞めて、なんと企業しちゃいました」
「ずっと迷っていたけれど、離婚に踏み出しました」
「会いたいと思っていた人から、なぜか連絡がくるようになりました」
「自分に自信が持てるようになって、いつでも心がおだやかです」
「夫婦の仲がなぜかよくなりました」
「今あるモノを捨てるだけで、こんなにも自分自身が変われることに驚いています」
「なぜか三キロやせました」

  • 「毎日少しずつの片づけ習慣」では一生片づかない
    片づけは目に見える形で必ず結果が表れます。片づけはウソをつきません。だから片づけの習慣を少しずつ続けるのではなく、一気に片づけることで、意識の変化を劇的に起こすことにあると言われます。一気に片づけをしたその日から、誰もが片づけられるようになると言われます。
    一気に正しく片づける。すると結果がすぐ見える。だから、続けられるし、片づいた状態がずっと維持できる。このプロセスを経験することで、たとえ誰であっても二度と散らかった部屋に戻るまいと心の底から思うのです。
    片づけをして部屋がさっぱり綺麗になると、自然と自分の気持ちや内面に向き合わざるをえなくなります。目をそらしていた問題に気づかされ、いやがおうでも解決せざるを得なくなります。片づけはじめたそのときから、人生のリセットを迫られるのです。そしてその結果、人生が大きく動き始めていきます。
    だから、片づけはさっさと終了させる。そして本当に自分の向き合うべき問題にむきあっていく。片づけはたんなる手法であって、それ自体が目的ではありません。本当の目的は、片づけたあと、どう生きるかにあるはずだと言われます。
  • 片づけは祭であって、毎日するものではない
    片づけには二種類あります。「日常の片づけ」と「祭の片づけ」です。日常の片づけとは、単純に「モノを使ったら、元の場所に戻す」こと。服でも本でも文房具でも、人がモノを使って生活している以上、こればかりは一生ついて回ります。けれど、この本を通して伝えたいと考えていることは、「祭の片づけ」を一日も早く終わらせて欲しいということなのです。
    「祭の片づけ」を終わらせないかぎり、「日常の片づけ」は絶対できないと言って過言ではないと言われます。著者はなぜ、「祭り」と呼んでいるかというと、ある意味、高揚した気分で、短期間で終わらせてしまうことが大切だと考えているからです。あなたがこれからやっていく片づけは、日常の延長にあるたんなる整理整頓ではなく、自分の人生を丸ごと変える一大プロジェクトだと思って取り組んでほしいと考えています。この「祭の片づけ」を終わらせたあとは、それ以降の「使ったモノを定位置に戻す」「新しく増えたモノの定位置を必ず決める」はまったく苦労せず、続けることができます。
    片づけには、必ずゴールがあります。持ちモノの定位置をすべて決めた瞬間がゴールです、と言われます。
  • 一気に、短期に、完璧に、まずは「捨てる」を終わらせる
    「あなたは、何を基準に“捨てるモノ”をえらんでいますか?」著者は「触ったときに、ときめくか」と問いかけます。「一つひとつ手にとって、触れてみることが重要」といわれます。「心がときめくモノだけに囲まれた生活をイメージしてください。それこそ、あなたが手に入れたかった、理想の生活ではありませんか?」
    家のなかにある一つひとつのモノに対し、「ときめき」を基準に見極めていくことが、片づけの中で一番大事なステップになります。「必ずモノ別で考えること。モノを見極めるときは、同じカテゴリーのモノをまとめて一気に判断しなければいけません。」だから「あなたの洋服を整理する場合は、家じゅうにあるあなたの洋服を一度に判断していきます。収納から一つ残らず出して、一か所に集めることです。」
  • 自分がいらないものを家族にあげるのはやめる
  • 片づけとはモノを通して自分と対話する作業である
  • 未読の本 いつか読むつもりのいつかは永遠に来ない
  • 本はタイミングが命。出会ったその瞬間が読むべき時なのです
  • 小物類 なんとなくではなく、ときめくモノだけを残す
  • 人生がドラマチックに変わる片づけの魔法
    自分が本当に好きなモノの根っこは、時がたっても変わらない。その根っこを見つけるのに片づけは多いに役立つと言われます。「片づけをしたら、自分のやりたいことが見つかりました」というお客様からの声が絶えないそうです。「自分という人間を知るには、机に向かって自己分析したり、人に話を聞いたりするのももちろんよいけれど、片づけするのが一番の近道だと思います。持ちモノは自分の選択の歴史を正確に語ってくれるもの。片づけは、本当に好きなモノを見つける自分の棚卸でもあるのです。」
    じつをいうと、著者は今でも、自分自身には自信がありません、と言われます。まだまだ若くて経験も浅いし、足りないところだらけの自分に嫌気がさすときもあるそうです。「けれど、自分の環境には自信があります。自分の持っているモノや身に付けているモノ、そして自分のおうちやまわりの人たちといった、自分の置かれている環境については、誰と比べてすごいとか、ゴージャスだというわけではないけれど、少なくとも私にとっては、一つ残らず、本当に大好きで愛おしくて、大切で、素晴らしいものに囲まれているという自信と感謝の思いがあります。」
     

    「家の中にあるすべてのモノは、あなたの役に立ちたいと思っています。あたりまえのことのようですが、モノがおうちにあるって、ものすごいご縁だと思いませんか。たとえば、一着のシャツ。たとえそれが工場で大量生産されていたモノだとしても、あなたがその日にそのお店で買って持って帰ってきたそのシャツは世界でたった一つしか存在しません。モノとのご縁は、人と人とのご縁と同じくらい、貴重で尊い出会いなのです。」「すべてのモノは、あなたの役に立ちたいと思っています。モノは、捨てられて形がなくなったとしても“あなたの役に立ちたい”というエネルギーは残ります。」「今はもうときめかなくなったモノを捨てる。それは、モノにとっては新たな門出ともいえる儀式なのです。ぜひその門出を祝福してあげてください。モノは、手に入れるときだけでなく、捨てられるときにもいっそう輝くのだと、私は思います。」

著者近藤麻理恵さんは最後に次のように語られます。
「あなたは“あなたが本当にときめくこと”に大いに時間と情熱を注いでください。それは、あなたの使命といってもいいかもしれません。あなたが心底ときめく使命を見つけるために、片づけが大いに役立つことを、私は声を大にして言いたいと思います。本当の人生は“片づけたあと“に始まるのです。」
ありがとうございました。新たな人生を歩んでみたくなりました。

(文:横須賀 健治)

 

9月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第12回 「ハイカラの思い出」

by staff

第12回 ハイカラの思い出

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十二回目、ここのところは閉店した掲載店舗の現在の様子などが中心でしたが、久々にまだまだ元気な掲載店舗のレポートを再開致します。

「平沼の角」から付けられた店名「角平」は平沼商店街の角に位置する。

「平沼の角」から付けられた店名「角平」は
神奈川県道13号線横浜生田線・平沼一丁目交差点の角にも位置する。

9月に入りましたが横浜は暑い日々、冷たいそばが必要な陽気はまだまだ続きます。
冷たいそばを江戸系の醤油のきいた甘辛いつゆで食べたいなあ。
そう思い立つと、久々に「ハイカラ」が食べたい!となって、西区方面へ。
今回は西区平沼の「角平」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様は69ページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

風情のあるたたずまいの店舗入り口。

1950(昭和25)年創業、二度目の東京オリンピックを迎える来年に70周年を迎える老舗。
戦前は別の屋号でカツ屋を営んでいたので、それも含めるとさらに古くからの歴史を誇ります。横浜大空襲で焼け野原となった戦後、カツよりももっと庶民的なそばで商売していこうと「角平」が誕生、現在に至ります。カツ丼がおすすめの品となっているのは、まさに角平のルーツなのです。

小上がりも貴重な風景。常連客であった大野伴睦、岸信介、重光葵の色紙が大切に飾られている。

店内は商談などで使われる個室も含め、約80席収容できるとのこと。お店の外観とは裏腹に、非常に奥行きのある空間となっています。

「角平」女将・藤江壽子さんと横綱・白鵬関の写真。
店内には数カットあるのでいくつあるか数えてみるのも面白い。

店内は歴史を垣間見ることができる写真パネルが多くあり、それを眺めるのも楽しいのですが、横綱・白鵬関と女将・藤江壽子さんとの写真もいくつか。二人は旧知の知り合いで、大相撲横浜巡業があるたびに角平に立ち寄っては宴会利用してくれるそうです。近年は横浜巡業が行われないのですが、個人的に白鵬関に会うなど、関係は続いているとのこと。

これが冷やし「ハイカラ」だ。中身もいいけど、器もいいねえ。

さっそく角平のおそばをいただきます。
他のそば屋では「たぬき」と呼ばれる「ハイカラ」を冷やしで。

「『きつね』と『たぬき』では化かしあい、だましあいをしかねないと、『たぬきそば』ではなく、当店では創業当時から『ハイカラ』という名前で出しています。『ハイカラ』というのはその当時流行っていた言葉のようですね。」と話すのは有限会社角平取締役・岩瀨有紀恵さん。

「麺食力」にて掲載の際、私は当初「揚げ玉」を「天かす」と表現していたのです。そこで岩瀨さんより、
「当店ではお客様にお出しするのに『かす』という表現は使いたくないので『揚げ玉』とさせていただいております。」
という「お叱り」を受け、訂正した思い出がございます。「揚げ玉」と「天かす」。確かに前者は高揚感があり、後者にはネガティブな雰囲気を感じます。言葉って大切ですね。そういう部分を大切にしている角平の伝統やブランドイメージの重みを感じました。

そんな思い出を胸に、ハイカラを手繰っていきます。
引き締まった喉ごしのよいそばと濃いめのつゆに揚げ玉が絡んで、実に良い風味です。
角平のそばは、十勝産の蕎麦粉を7:3、あるいは6:4の配合で角平の特製手もみそばが作られます。配合は天候や季節で変わりますが、それは職人のさじ加減に委ねられているそうです。

角平名物「つけ天」。豪快な海老天が素晴らしい。

「ハイカラ」を楽しんだ後は角平の名物のひとつ、「つけ天」もいただきます。
熱々のつけ汁でそばを手繰るという珍しいメニュー。つけ汁に浸かったそばよりもつけ汁で食べる方がそばの風味が良いとのことで考案されたもの。大きな海老天がつけ汁の上に立っている!
ハイカラとはちょっと違うそばの美味さを感じ、海老天のプリプリサクサクで悦楽。

角平のロゴ。どことなく亀に似ていて素敵。

拙著「麺食力」刊行の2010年からおよそ10年。人口減、超高齢社会。
飲食業においては食材の高騰、人手不足、消費税増税などが浮き彫りになった10年だったかと思われます。
「人手不足もありますが、何よりも飲食業はみんなが休みの時に営業するので特殊な勤務形態です。最近改正された労働基準法の制度と照らし合わせながら営業する難しさは増えたと思います。」

岩瀬さんはそう話します。

「角平」女将・藤江壽子さんと拙著。

厨房の職人は世代交代で若い厨房になっています。角平は多くの老舗飲食店の中でも伝統をうまく継承できているのではないでしょうか。
来年は70周年。記念パーティーも予定しているとのことですが、80年、90年、そして100年といつまでも平沼の角で、そばのように長く生き続けてほしいと思います。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

9月 10 19

チャレンジ(第13回) 革小物のプロデュース

by staff

革小物のプロデュース

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。やっと夏休みが終わりました。子どもたちも大きくなり、それなりに手が掛からなくなっているのですが、やはり夏休みは子ども達も家にいることが多く、家の中は賑やかです。しかし!今年は子ども達が生まれてから初!私はお留守番で、主人と子ども達だけで沖縄帰省しました。のんびり独身気分を味わえる~なんてことは無く(汗)、体調を崩している実母の世話や家の掃除に追われ、ゆっくりする暇もなく子どもたちは元気に帰ってきました。でも、あと数年すれば嫌でも子ども達は家にいなくなり、静かな生活になるのだろうなぁと、賑やかな毎日を楽しく過ごすようにしています。

前回は裂き織クラッチバックのお話しをさせて頂きましたが、今回は革小物の商品開発についてお話しさせていただきます。革の小物を作り始めたきっかけは企業さんより革の寄付があったからでした。買うと高いと言われている色とりどりの本革の寄付があるということで、地域活動支援センターで何か作って売ろう!と考えましたが、私が関わっている作業所では革を扱える利用者さんはおらず、、、それならば、制作が少し簡単な革タグを作ろう!と考えました。

この話をウェブ解析士仲間にしたところ、瀬谷のカフェを紹介して頂き、一緒に開発することになりました。
たまごカフェごはん:https://www.tamago-cafe.com/

しかしながら、革は思ったより扱いにくく、切るのが大変で、スタンプは綺麗にインクが乗らず、何枚も失敗してしまいました。自分の頭の中で思い描いたものを形にするということはともて難しいと挫折を味わいましたが、たまごカフェさんからの依頼はとても楽しい内容で、最初は四角いタグだったのですが、カフェで販売しているクッキーに着けて販売してくださるということで、クッキーの大きさに合わせた、うずら型やゆで卵型(←私が勝手に命名)を作るようになり、更に、クリスマスにはツリーやブーツ、星型、バレンタインにはハート型まで制作出来るようになりました。







革タグの誕生秘話はこちらからご覧ください。
https://www.tamago-cafe.com/story/leather-tag/
これらを考えている内に、色々と閃いて、楽しくなり(笑)
現在では2件目のオリジナル革タグを制作させて頂いています。
エイムワイ:https://eimuy.thebase.in/

エイムワイさんにはガーランドも提案させて頂いています。こちらは障害者さんたちが自分達で色合いや、テーマを決めて製作してくれています。



こちらはエイムワイオリジナルガーランドで、こちらのネットショップでしか購入できないので、興味のある方はぜひサイトをご覧になってください!

そして、現在C.P.FACTORYオリジナルの革小物を開発中!近日公開予定なのでお楽しみに!

次は「ボランティア活動とは」です 

(第13回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

9月 10 19

絵本から笑本へ(第41回) 絵本作家がゆく。~青葉区 ラフール~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

第三期も残すところあと二回となりました。
17区目の今回は青葉区。
青葉区の子育て支援拠点は「ラフール」。

絵本作家として活動する中で、ラフールさんには
かなり初期の段階からお世話になりました。

数年前、青葉区のとある小学校で
一年間授業を任せて頂いていた事があります。

青葉区は横浜市の中でも一番端にあります。
同じ横浜市内とはいえ、
正直なかなかご縁の無い区でした。

そんな訳で、せっかく頻繁に青葉区へ行くのであれば、
この機会に子育て支援拠点さんへも遊びに行ってみよう
と思ったのがキッカケ。
まぁ、ようは営業です(笑)

お陰様で数ヶ月後に「パパ講座」の講師依頼を頂きました。

最近はこういったパパ講座の講師依頼が多いのですが、

なかなか参加者が集まっていない場所がほとんどです。

しかし、ラフールさんではこれまで
パパ講座へとても力をいれてこられたのでしょう、
たくさんの親子が集まってくれていましたね。

ぼくはお父さん達へむけた口演やイベントをする時、

心がけている事があります。

それは…絵本作家としてお話しをする。
という事。

先輩パパとしてとか。子育て経験者としてとか。
主催者側は話して欲しいみたいですが。

ぼく自身、そんな話は別に聞きたくないんです。
そんな話、お父さん達も期待してないんです。
それをぼくは、今までの経験上よく知っています。

先輩パパ講師なんてかっこわるい立場じゃなく、
ただの絵本作家 保科琢音としてお話をする。

絵本と紙芝居で赤ちゃんとお父さん達を
たくさん楽しませて、たくさん一緒に笑います。
ぼくは、それが一番だと思っています。

時には、即興で数名のお父さんに
絵本の「読み笑わせ」をしてもらったり、
ムチャぶりもしたりしてね(笑)

イベント後に開催されたお父さん達との交流会にも

参加させて頂き、他愛のない話で盛り上がりました。

子育てがどうとか。育児がどうとか。
それよりも、子どもと一緒に楽しいし時間を過ごせる場所が
お父さん達にもあるんだよ。
その一つが子育て支援施設であり、子育て広場なんだよ。
それを伝えたいと、ぼくはいつも思っています。

青葉区の「笑い声」がたくさん集ま「る」、
「ラフール」へ是非遊びに行ってみてください。
ラフールサテライトも出来たので、そちらも是非。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区 瀬谷区 港南区 青葉区 青葉区

<今回訪問した施設のご紹介>

青葉区子育て支援拠点 「ラフール」
HP: http://lafull.net/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

9月 10 19

第79回 住まい手の想い

by staff

佐賀高橋設計室
高橋 正彦

住まい手の想い

住宅を設計する場合まず最初に施主の要望がどのようなものかを知ることから始まります。

要望を知る方法は建築家によって様々ですが比較的多いのはアンケート形式のような気がします。質問事項を書き込んだ用紙を渡し施主に書き込んでもらう方法です。予算、家族構成、に始まり家族それぞれの生活パターンなどを書き込んでもらう。ただ、この方法で分かることは質問した内容に限られてしまいそれ以外のことが掴みにくくなってしまいます。

もう一つの方法は要望を思いつくまま自由に書いてもらうことです。この方法だと施主が望んでいることがより具体的に掴め優先順位も分かります。ただ、新しい家の具体的なイメージがある程度頭に描けている施主の場合はいいのですが、ぼんやりとしたイメージしか描けていない場合は何をどのように書いていいのか戸惑ってしまう場合があります。

このように要望を文字にして伝えてもらう方法では断片的な事柄しかわからず、文字や文章などで表すことが出来ない想いは伝わってきません。そして実はその文字などで表すことができないイメージのかけらや断片のようなものが僕たち建築家が家づくりをするにあたり重要な点で、それをどれだけ掴むかによってその家の質も変わってくるような気がします。

施主と建築家がきちんとコミュニケーションをとり、心が通った会話をする。家づくりの話から始まり、趣味の話やなにげない雑談の中には多くのヒントが隠れています。それらをすくい上げ、施主のひととなりを捉えこれからの暮らしがはじまる住まいに落とし込んでいく。その行為が心地よい暮らしを営むことができる家を作る上で重要だと思います。

住まい手の想いが詰まった家は豊かな暮らしが営めます

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

9月 10 19

夕されば 門田の稲葉 おとずれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く

by staff

♪ 夕されば 門田の稲葉 おとずれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:大納言経信(だいなごんつねのぶ)

歌意: 夕方になると 家の前にある田んぼで黄色く実った稲の穂がさやさやと波打って急に涼し気な風が部屋の中を通り過ぎた。なに、この切なさは! そうか! もう秋なのね。

私がこの原稿を書いている日は丁度曇り空で 部屋の中も急に寂しさを漂わせるような気温。とても過ごしやすいのですが、秋の気配がそこかしこに感じられます。この季節、私は切なさが感じられてとても好きです。哀愁が漂っていて、恋に落ちる季節。

10代の頃のファーストキッスも20代の結婚に繋がった出会いも、私は9月でした。残念ながら中高生の自殺が多いのもこの時期です。そういえば中学生時代、学校帰りに一人になりたくて多摩川の土手をぼ~っと歩いていて補導されたのは夏休み後の季節でした。

もう一つ私にとってのこの季節の思い出は、子供時代に住んでいた、三ッ池公園のふもとにある 二つ池に広がる田んぼと畑の風景。まだ小学校に上がる前の原風景です。私が田舎志向なのはこの時の田舎暮らしがとても幸せな子供時代だったからでしょう。100%愛されているという信頼感を両親と姉たちから頂いた時期でもあります。三ッ池公園や二つ池、今は開発されて私の記憶にある景色は消滅していますが、横浜にはちょっと都心から離れれば まだ田んぼや畑が残っているところが沢山ありそうです。黄金色の稲穂が風にそよぐ景色は感傷的とは全く違って、豊かな収穫の季節が来ていることを教えてくれます。

さて作者の大納言経信さん。恋のエピソードがないかしらと 探したのですが残念ながらありませんでした。でもちょっと変わったエピソードを見つけました。 経信さんが八条辺りに住んでいた頃9月の月がとても美しくて空を見上げていると 遠くから布を柔らかくするための砧(きぬた)の音がトントンとわずかに聞こえてきました。そこで彼はその頃、歌人達の間でヒットして、自分でもお気に入りだった和歌を詠みました。

♪ 唐衣 うつ音聞けば 月清み まだ寝ぬ人を 空に知るかな ♪ 紀貫之作

歌意・・月が清らかなこの夜に衣を打つ音が聞こえる。私と同じようにまだ寝ていない人がいるんだなぁ!

すると突然、前庭の向こうで恐ろしそうな声で漢詩を述べる大きな影が出てきました。

「北斗星前横旅鴈 南楼月下櫂寒衣」
(ほくとせいぜんりょがんよこたわり なんろうげっかかんいをうつ)

歌意・・秋が深まった星空を見れば 南へ帰る鴈の群れが北斗星を横切って飛んでゆく。南の楼閣では夜も更けて月も出て 冬の衣を柔らかくする砧の音が聞こえている。

経信さんは感心して声のした方を見ると、なんと背丈が天井を超え髪の毛が逆立った異様な姿の物の怪が立っていて、彼が驚き唖然としている間にす~っと消えていきました。朱雀門に住んでいる鬼は風流を好んで時々こんな悪戯をしたと昔から聞いていたので、きっと朱雀門の鬼の仕業だろうという事です。くわばらくわばら! めでたしめでたし!

ところで、9月27日から始まる “早苗ネネとゆくマウイ島リトリートの旅” の申し込みは8月27日をもって締め切らせていただきました。又来年も同じ時期に募集いたします。今年タイミングを逃した方、今から是非予定に入れておいてくださいませ。
ありがとうございました。

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

9月 10 19

横浜シールドのオーナーで声優の高橋圭一さん

by staff

『YOKOHAMA S.H.I.E.L.D. (横浜シールド)』は東横線の反町駅から徒歩2分の浅井ビル2Fにあるカフェバーです。ドアを開けて中に入るとメタリックなレッドとブルーの壁、真っ赤なカウンターチェア、漆黒のテーブルとイス。そしてこの店のオーナー高橋圭一さんがコレクションしたアメコミヒーローフィギュアたちが出迎えてくれます。オーナーの趣味が溢れているこの店は、令和元年の正に5月1日にOPENしました。今回は高橋圭一さんに声優の話、カワイイパークの話、横浜18区構想のことなど、じっくりとお話を伺いました。

高橋圭一さん
高橋圭一さん
 
お名前 高橋 圭一(たかはし けいいち)
お生まれ 1972年6月23日
お住まい 横浜市保土ヶ谷区
お仕事 声優・ナレーター
株式会社アルテマイズ 代表取締役
声優音楽集団CERASUS VOCALIST WORKS(セラサスボーカリストワークス)主宰
YOKOHAMA S.H.I.E.L.D.オーナー
HP http://artemize.net/
趣味 当てなしドライブ&衝動ショッピング、映画鑑賞

 

女神を創造しています

私の本業は声優です。そして、声優や歌手を育成する仕事もしています。声優はスタジオでマイクの前に立って映像に合わせてセリフを入れる仕事ですが、最近では『顔出し』と言ってステージの上でトークをしたり、歌ったりする仕事もごく当たり前になりました。男女ともに個性のある若い声優たちが注目され、ファンが付き、スターになる人もいます。

そういった仕事に憧れてプロを目指す子たちに、きっかけやチャンスを作ってあげたいと思い起ち上げたチームが「セラサスボーカリストワークス」でした。ステージで歌ったりパフォーマンスをしたり。僕も歌うんですよ激しく。他にも動画チャンネルを運営したり。気がついたらメンバーが入れ替わりながら10年以上活動してまして。大手企業さんとのやりとりなども増えるにしたがって、個人事業だと受注できないものなども出てくるんです。やはりそこには限界があるんだなと。それで、長くお世話になっていた関係者さんたちからの勧めもあって法人化しました。それが「株式会社アルテマイズ」です。「アルテマイズ」は造語で、アルテミス(女神)をカスタマイズ(改造/創造)するという意味をもたせました。

法人化したのが3年前になるのですが、その頃から “夢” というか “野望” があったんです。そういった声優や歌手を目指す子たちが「働きつつ活躍もできる場所=ミニステージのある飲食店」をいつか作りたいなと。そこを拠点として、元々の活動内容である「イベントプロデュース」や「地域活性化プロデュース」にも繋げていけることなので、ずーっと飲食店開業の機会をうかがっていました。このカフェバー『YOKOHAMA S.H.I.E.L.D. (横浜シールド)』のOPENは下手すると5年越しくらいの悲願ですね。

ナレーション収録です

小学生時代はひ弱で引っ込み思案

当時とても珍しく有名だった円形校舎の仏向小学校出身です。教室がバームクーヘン状になっていて、自分はそれが当たり前のことだと思っていました。老朽化でもうとっくに普通の校舎に新築されちゃったんですけどね。当時は本当にガリガリの痩せっぽっちで、目ばっかりギョロギョロしてノッポのひ弱な少年でした。小学生の頃は、とにかく勉強が面白くて。学研の教材とか大好きでしたね。勉強が好きって言うより知識が増えることがゾクゾクするというか。それを誰かに聞いてほしくて自慢したりするじゃないですか。それが生意気だったんでしょうね。小学校のあいだはずーーーっといじめっ子の標的でしたよ。そういう気だけ強いもやしっ子を心配した親は私を地域の少年野球部に入部させました。イヤでしたよー! だっていじめっ子たちみんなその野球部でも一緒だったんですもん。当時も陰湿ないじめはありました。「シカト」なんですよね。今みたいにLINEとかはないのでまたちょっと違いますけど、目に見えるところでコソコソ悪口言うわ、こっち見てニタニタ笑うわ、グローブに落書きされるわ、噛んだガムくっつけられるわ。で、話しかけに行くと離れていくんですよ。わたしガリガリのノッポでホント貧弱体型なくせに気だけは強いわけです。自分が攻撃されたと気づくとケンカ売りに行くわけです。でもひ弱なので当然勝てるわけがない。殴り合いになるまえにオズオズと尻込みしちゃうんです。それがまた恰好のイジメネタだったんでしょうね。小学校卒業するまでほぼそんな感じでした。そんな訳で、大勢で何かをするのは嫌い、負けん気だけは強い引っ込み思案でした。

音楽に目覚めたきっかけも小学校にあります。母がとても歌が好きな人で。小さい頃から母親が鼻歌を歌っているのを聴いて育ちました。小学校3年生くらいだったと思うのですけど、音楽の授業で「シオマネキ」(しおまねきのサンバ)というカニの歌を習ったんです。そのメロディーとかリズムとかになんだか衝撃を受けて。担任の先生にお願いしてカセットレコーダーに録音してもらって家に持って帰り、毎日聴いてた覚えがあります。それでは気がおさまらず、生まれて始めて母にその歌のレコードを買ってもらいました。その後も音楽の授業は本当に大好きでしたね! 有名なクラッシックを聴くのもたまらなく楽しかったです。

もうひとつエピソードがありまして。小学校5年生か6年生の時、当時ヘッドホンステレオを肌身離さず持っていて、自宅の居間でも曲を聴きながら無意識に歌っていることがありました。それをたまたま遊びに来ていた叔母に聴かれてしまい。「今、歌っていたのは圭ちゃん??」 「ち・・ちがうよ」 「圭ちゃんでしょ?? 上手でびっくりしたわー」 「違うってば! イヤホンから音が漏れたんだよ!」 「・・・? なんでそんなにイヤなの?? 褒めてるのに」 「違う! 僕じゃない!!」 ・・・と、明らかに嘘だとバレてるのにひたすら否定し続けました。それくらい、人に歌を聞かれるなんてめちゃくちゃ恥ずかしいことで、絶対に気づかれたくないと思っていたんです。褒められたいなんて全く考えてない。この当時の僕は自分が人前で歌を歌うなんて気絶しちゃうくらい無理なことだったと思います。

中学時代に夢中だったこと

小学生の頃から足が速かったので県大会などにも出場していました。走ることは本当に楽しくて、横浜市立橘中学校では野球部ではなく陸上部に入りました。短距離の100mがやりたかったのです。ところが、陸上の顧問に「お前は長距離をやれ」と言われ、1500mに回されてしまいました。

今なら顧問の考えも理解できます。多分、好きな短距離ばかりで視野を狭めず、広く「陸上」を体験させようとしたんじゃないかと。しかし、短距離と長距離では呼吸の仕方も筋肉の使い方もまったく違い、自分は長距離がとても苦手でした。学校のマラソン大会も順位が後ろから5人目とかそれくらい短距離の成績と雲泥の差があったんです。もう走っててもツライしかなくて楽しかった気持ちが何もなくなってしまって。1年生のうちに退部してしまいました。

中学2年生の時に音楽の授業でドラムスを演奏する実技授業があって。ここでドラムスをかじったことが、高校でバンドを組むきっかけになるんです。その話はまたあとで。。。

部活がなくなって、暇で暇で毎日カラダを鍛えてました。 筋トレバカになってましたね。ほんとにガリガリノッポだったのでそれがコンプレックスでもあって。イジメられないような体格になろう! と、ホントに凄まじい勢いで毎日筋トレした結果、ムキムキ細マッチョになってました。 それが見事に面白がられて、友達がたくさん増えてみんなで一緒にいるのが楽しめるようになりました。

高校時代は勉強よりもドラムスに夢中

市立桜丘高校に入学しました。小中は優等生で勉強が好きだった筈なのに、1学期からもう数学がまっっったくわからなくなったんです! 授業についていけず、ミニテストも0点ばっかり! 0点ですよ! 最初に見たときは高熱出して寝込みましたからね。 1学期の通信簿で数学にばっちり赤い線が引いてあって「1」。あー自分の勉強はここまでなんだなあって。わからないと楽しくないですよね。もう勉強なんてだいっきらいだー! な時期でした。

高校時代の忘れられない思い出の一つが、それまで桜高になかった硬式テニス部を創設したことです。自分はもちろんまったく未経験だったのですが、たまたま中学から一緒の友人たちが軟式テニス部あがりで。先輩がいない一期生ってなんか楽しそうじゃん? と自分も便乗し、1年生ばかり50人くらいが集まって大テニス部ができたんですよ。ものめずらしさから帰宅部がみんな入っちゃったみたいな。 まあでも予想通り経験者は見事に一握りしかいなかったのでスーパー激弱部でした。 でも男子も女子も一緒に練習する大学のサークルみたいな部だったし、集まった仲間がとても馬が合う奴らだったので最高に楽しい部活でした。青春してました。

1980年代から1990年にかけてロックバンドの一大ブームが起こりました。ちょうど高校1年生の時です。桜高でもバンドを組むのが大ブームで、一つの学年に10バンドくらいあったんじゃないかなあ。バンド経験者はわかると思うのですが、ドラムスが不足するんですよ。あとベース。みんなボーカルかギターかキーボードがやりたい。目立つので。 自分もバンドは組んでみたいと思いつつ、小学校編で語ったとおり人前で歌うとかありえなかったので。不思議なことに、ドラムスの授業があった中学校がそんなになかったみたいなんですよ当時。なので、ドラムスやったことあるよーと言うと他のクラスからもスカウトが来るくらいドラムスが不足してました。この流れで私はドラムスとしてバンド人生をスタートするわけです。 曲はその頃大人気だったTHE BLUE HEARTS、ユニコーン、BOØ WYなどのコピー。硬式テニス部とバンド。と勉強。忙しかったですけどホントに楽しかったですね。学校に行くのが毎日楽しかった。バンドを組むとモテましたよ! 自分以外。 ドラムスって縁の下なんですよやっぱり。目立とう精神の高いヤツでもなかったのでとても渋いドラマーでした。

大学時代は歌に目覚める

大学は一浪して帝京大学経済学部へ。勉強はもうまったくどうでもよくなっていて、バンドサークルとテニスサークルに夢中でした。

大学のバンドサークルでもまだドラムスなんですよ。ただ、影のメインボーカルと呼ばれてました。だってボーカルが下手くそなんですもん。 「音違うだろ! こうだよ!」と正しいメロディーを歌ってやると、「おまえが歌ったほうがレベルたけえよ! 圭一ボーカルやれよ!」と全バンドメンバーにお願いされまして。でもドラムスがいなくなっちゃうんです。なので大学のサークルでは結局ずーっとドラムス続けてました。歌うことにもそんなに執着なかったんですよねきっと。

声優への長い道のり

父はI自動車メーカーのエンジニアで、父から機械いじりの楽しさを学んでいました。壁掛け時計や機械じかけのおもちゃなど、一緒に分解して仕組みを教えてくれたのも父でした。就職はH自動車ディーラーに決まり父も大喜びでした。

社会人となりH社に通勤するも、毎日がモヤモヤでした。やはり音楽が好きでそちらの道に飛び込みたくて、どうしてもその夢を諦めきれず、両親の静止も聞かずに1年で会社を辞めてしまいました。母はその後応援してくれましたが、父には本当にがっかりされ、口を聞いてくれない日が続き、まるで勘当されたようでした。

当然すぐにうまくいくはずもなく長い長い下積みが始まりました。オーディションを受けても受けても不合格。基本ができていないのだから当然です。ある時、審査員だったプロダクション社長から「身長高いし個性的なカオだし。俳優やってみたら? ウチ来るか?」と言われ。でも歌を歌いたいだけで俳優なんてやったことないしできる気もしないですと伝えると「自分を表現するってところで歌手も俳優も同じじゃないかな?」と。今でも一言一句覚えてるくらい衝撃でした。歌と同じくらいワクワクする世界があるのなら是非やってみたい。この社長についていってみたい! とそのプロダクションの養成所に入れてもらい、そこで4年間演技の勉強をしました。

その事務所からいただいたお仕事で、埼玉TVのカラオケ歌合戦番組に出演したことがあるんです。その番組の審査員をされていた作曲家の方が名刺をくださり、弟子入りのような感じでボイストレーニングを受けることになりました。ボイトレは8年間続けました。演技の勉強と並行だったので金銭的にもなかなかハードでしたがすべてバイトで賄いました。カラオケBOX店員、喫茶店、清掃、警備員、引越し、配達、日雇いなどなど。まだこの頃は声優の「せ」の字もアタマにありませんでした。ただひたすらアルバイトでお金を稼いで習い事をしていた時期です。エキストラのお仕事はたくさんいただいてましたよ。

28歳のとき。新人俳優を集めてプロモーションを兼ねた大きめの舞台にキャスティングしてもらえて、約1年かけてその公演準備をし、無事公演を成功させました。舞台で1年拘束って長いんですよ! 普通長くても3ヶ月位なのでなかなか大変でしたよ。役者同士の人間関係なども含め。 その最終稽古くらいの時期だったと思うのですが、その舞台の演出の方が声優の仕事をされていた女性で。その方が「声いいのに声優には興味ないの?」と言ってくださいました。

声優という仕事にまるで知識がなくて、俳優も声優も同じ職種なのだと思っていました。もちろん両方されている方もいるんですけどね。『声優』という仕事があることを始めて知りました。演出家さんに教えていただいたまま声優事務所宛てに片っ端からプロフィールとボイスサンプル(セリフやナレーションなどを録音したもの)を送りつけました。本当に運良く私のような無名の役者を拾ってくれたのが声優事務所「ぷろだくしょんバオバブ」でした。

入所し半年ほどして、勉強する立場でありながら呼んでいただいた初現場は本当に緊張しました。マイク前の立ち回りもつまづくし、台本を持つ手は震えるし、声も震えてたんじゃないですかね。 初めての作品はもちろん覚えてますが本当に下手くそで自分で聴いてもアタマを抱えるレベルなので教えません。

2年ほどの見習い期間を経て、レギュラー役としても使っていただけることが増えていきました。多い時はほぼ毎日お仕事をいただいてました。さすがに出演させていただいた作品全てを覚えているわけではありませんし、メインのキャラを任せていただいた作品は数えるほどなのですが、ネットで私の名前を検索すると出演作品が分かります。興味を持っていただけたら是非作品も観てもらえたら嬉しいです。

一番思い入れのある作品は海外ドラマ「レバレッジ~詐欺師たちの流儀~」です。シーズン5まで続き、5年にわたってメインキャラの一人「エリオット・スペンサー」を演じさせていただきました。1話完結でとても見やすく、主人公たちは全員詐欺師なのですが正義のために悪を懲らしめるという日本人の好きな勧善懲悪「水戸黄門」 「必殺仕事人」スタイルなので観終わったあとはとてもスカっとしますよ。私も未だに繰り返し観てしまう大好きな作品です。

起業と創造

事務所を離れ、フリーとして活動をしてみようと思いました。時代は流れて、テレビだけでなくインターネットからの動画番組なども物凄く増えて、声の仕事の幅も広くなったと思います。

声に関するお仕事もイベントなどのお仕事も、関わってくださる人たちが増えるほど「いち個人事業主」では対応しきれず「法人化」を勧められました。数年悩んだのですが、最初の方でお話したように「飲食店開業」の夢があったので。法人の方がいろいろやりやすいのは間違いなくて、思い切って「株式会社アルテマイズ」を設立しました。

この自分のシゴト軸と並行して、横浜で地域活性化サークルの一員としても活動していました。もう15年くらいやってるんですかね。こちらのサイトでもご紹介いただいた アイ・ラブ・ヨコハマ代表佐藤勇 をてっぺんに、私ともう1名の計3名が運営となり活動しています。地域清掃ボランティアや交流イベントなどが主なものですが、オープンしたカフェバー「YOKOHAMA S.H.I.E.L.D. (横浜シールド)」には、そういった企画の「基地」や「活動拠点」としての役割も持たせることができます。ですので今は「YOKOHAMA S.H.I.E.L.D. (横浜シールド)」を真ん中に置いて、新しい展開を作ろうと模索している最中です。

ヨコハマカワイイパーク2019@山下公園

横浜キャンドルカフェ2019@みなとみらい

カフェバー「YOKOHAMA S.H.I.E.L.D. (横浜シールド)」は令和元年5月1日に反町駅から徒歩2分のビルにOPENしました。声優・俳優や、歌手といった活動をする子たちに「働く場所やPRできる場所を提供できたら」という思いと、地域交流の場を作りたかった思いと。それを形にしました。

ボイストレーニングの勧め

コミュニュティツールがtwitterやFacebook、LINE、社内SNSやチャットトークなどになり、リアルで人とコミュニケーションを取ることが苦手になったと言われます。ボイストレーニングを通じてそういったものへの対策を考えることができるので、ぜひ体験してみてほしいですね。個人はもとより企業からのオファーもいただくことがあります。

はっきりと話せるようになるとか、相手に聞きやすい声が出せるようになるとか。声とか話し方が与える影響、印象ってすごくすごく大切なんですよ。なので一般の方にこそ効果は絶大だと思います。例えば、「お疲れさま」という言葉ひとつにしても、本人が意図せず威圧的なトーンで声に出してるかもしれない。あるいは悲しいトーンで小さく言っていて相手にまったく気持ちが届いていないかもしれない。こういった内容を実践してみることで見事に相手への印象を変えることができます。

私達声優という仕事はそれを操るプロフェッショナルだと思って下さい。新入社員の研修会とか営業マンの講習会、部下を持つ中間職の講習などに、ご興味のある方はご連絡ください。目からウロコがポロポロ落ちてとても楽しいですよ!

あなたにとっての横浜は?

黒船が来て日本全土を驚かせ横浜が開港しましたね。ところがその開港を祝う『横浜開港祭』は日本全国に周知されているイベントだとは言えません。開港祭イベントの中で花火が上がったのを見て、「花火上がってるね。今日花火大会あったっけ??」と訊くような、横浜市民でも知らない人がいるイベントです。(あくまで個人の見解です)

日本を訪れる外国人の内、男女問わず多くが日本のアニメ(マンガ)文化に触れるために来ることをご存知ですか? 東京や川崎にはそういったクールジャパンへの受け皿があるのに、横浜にはほとんどありません。

『横浜』ってどこか胡坐をかいてるんですよね。そんなことしなくたって観光客どんどん来るからねーみたいな、、、、。ブランドはもちろん成立してると思います。きれいな街並み、魅力的な観光スポット。おしゃれな音楽文化。そんな横浜ももちろん大好きです。誇りを持っています。でもそういうことじゃなくて。アニメ文化だってキャラクターだって横浜にもたくさんあって、それをもっと盛り上げる方法があるんじゃないかと。そんな気持ちから『横浜18区バーチャルアンバサダープロジェクト』を企画しました。横浜にある18の区のそれぞれにアンバサダー(大使)をバーチャルキャラクターで作っています。各区担当のバーチャルアンバサダーがそれぞれの区をPRできたらと考えています。

18区バーチャルアンバサダープロジェクト

例えば、貴方の会社やお店にその区のバーチャルキャラクターのアンバサダーが訪問し、会社やお店をPRします。それを商店街で再生できる動画にしたり、WEB上で発信していったりという企画です。もちろん、イベントやライブ・コンサート・展示会、お祭りなどをPRしたり、区民向けの広報を行ったりもできます。

地域の活性化とクールジャパンをマッチングさせ、オリンピックイヤーに向けて横浜を盛り上げていこうと考えています。是非、この『横浜18区バーチャルアンバサダープロジェクト』が実現できますように応援を宜しくお願いします。

(文:高野慈子

 

8月 10 19

「ポールウォーキング」を始めました

by staff

 

「ポールウォーキング」をご存知ですか。
それは・・・
両手に2本の専用ポールを持つだけで、すぐに始められる運動です。
(SINANO のWebサイトより)

日本の整形外科医が考案された運動で、言ってみればポールを両手に持って歩くだけですが、以下のメリットがあるそうです。

・運動効率のアップ
・理想的な歩行姿勢
・誰でも無理なく行える
https://sinano.co.jp/revita/

元町・中華街のウェディングエステ「ビーセレブ」の大木美恵子先生が「ポールウォーキング」の講師資格をお持ちだと知ったのは2か月ほど前でした。

「無理なくできるからやってみましょう!」と仰る大木先生のご指導の下、山下公園や大さん橋を歩いてみました。

確かに・・・両手にポールを持つことで、背筋が伸びた正しい姿勢になります。

私は長時間歩くと腰が痛くなったりしていたのですが、正しい姿勢で歩くと疲れないですね。1時間近く歩いてもそんなに疲労は感じませんでした。自分のペースで歩けるので、無理なく続けることができます。

お腹を引っ込めて歩くとダイエット効果もあるそうです。

試しでやってみて・・これはいい!! ということで、早速、ウォーキング専用ポール『REVITA(レビータ)』を購入しました。

※REVITA (レビータ)とは、
RE(復活・戻る)- VITAL(生命・生き生きとした)を意味する造語です。
「メタボリック」「アンチエイジング」な時代に向けて開発されたウォーキングのためのポールです。

最近は、根岸森林公園にラジオ体操に行くときも、「ポールウォーキング」で行っています。
ポールを使うことで転倒防止にもなります。

まだ初心者ですが、「ポールウォーキング」を、“盆栽” “銭湯めぐり” に続く私の趣味にしたいですね。

8月から、毎月第三日曜日の午後4時に山下公園の噴水前に「ポールウォーキング」愛好者が集合して、大木先生の指導を受けながら、一緒に歩くことになりました。

やってみたい方は、渡邊まで連絡ください。お待ちしております。
『REVITA(レビータ)』を貸し出しますので、軽装で大丈夫ですよ。

 

8月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第3回)
「褒める」と「叱る」について考えてみよう!

by staff

第3回 「褒める」と「叱る」について考えてみよう!

「褒めて育てる」って、育て方として耳にしませんか? また、それと異なるように「叱る」とか「叱って育てる」という育て方が対比しているように思われがちですよね。

そして「褒めて育てる」というと、子どもの行動をなんでも良いこととして、「叱って育てる」の方は、親の価値観や考え通りにならないと、強い態度で子どもを注意する。そんなイメージを持たれていませんか? でも、これって、違がった育て方のように思われがちですが、実はどちらも子ども自身が成長できること、育つことを考えていないんですよね。

子どもは、たくさんの成功や失敗の経験をしながら成長すると思うのです。それなのに褒められてばかりだと、自分に甘くなったり、失敗から学ぼうとする意欲が薄れてしまうことでしょう。また、叱られてばかりでも、自分に自信がもてないまま大人になってしまうのではないでしょうか。

子育ては広い意味で、子ども自身が一人前の社会人として自分で考え、行動できるようにすることだと思うのです。ですから、わざわざ育て方と言うのではなく、子どもを育て生活する中で「褒める」こともあれば「叱る」こともある。どちらも子どもの成長にとって必要なことという考えが良いのではないでしょうか。

大切なのは、子どものことをちゃんと理解し認めた上で、良かったことは褒めたり、やってはいけないことや危険なことをした時には、しっかりと注意したり叱ることですよね。なんでもかんでも、いいね! いいね! と、うわべだけ受け入れてしまうような褒め方も、年がら年中注意ばかりしている叱り方も、かえって子どもをダメにしてしまうことでしょう。

おっと! 今回は、親の子育てについてだけなの? と思われましたか。いえいえ、親だけでなく、すべての社会の大人の皆さんと考えてみようということです。社会の大人の皆さんが、どこかで、褒めたくなるような行動をしている子を見かけたら、声に出して認めるとか、声は出せないなぁ~という方は、笑顔でも、優しい眼差しでも良いですから子どもの行動を理解しようとしたり、認めるような態度を出しましょう。また、危険なことや悪いことをしている子どもを見かけたら、注意したり、目線でもいいですから、それはいけないことだということを伝えるようにしましょう。

「幸せなら手をたたこう♪」という歌の中に「幸せなら態度でしめそうよ」と、ありますよね。あなたのできるチョットした「褒める」や「叱る(注意する)」を態度でしめしましょう。そうすると、私たち大人も子どもも、人としてより一層成長できちゃうかもしれませんよ。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

8月 10 19

しあわせの「コツ」(第32回) 「風の国」のジャポニカ

by staff

第32回 「風の国」のジャポニカ

初夏の風に揺れる「ちがや」 桑名市総合医療センター「理事長の部屋」
http://www.kuwanacmc.or.jp/rijichoblog/…

「風」

作詞 クリスティーナ・ロセッティ(訳詞 西條八十)

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく
 
誰が風を見たでしょう
ぼくもあなたも見やしない
けれど樹(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく

唱歌「風」を日本の歌だと思っている人は多いのではないのでしょうか。実は19世紀のイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティ(1830―1894)の作品を西條八十が訳したものなのです。花鳥風月を愛でる日本人にとって、詩の内容はあまりにも自然なので、まさか翻訳とは思わなかったのでしょう。

実際、日本人は「風」が大好きです。ですから「風」を含む言葉が思いのほか沢山あります。北風、南風、春風、秋風、台風、そよ風、という自然現象を表す言葉だけでなく、風情、風俗、風物、風流、風習、風趣、風貌、風采、風紀、風雅、風評、風化・・・など、実に様々な「風」ことばがあります。俳句の季語にはさらに「白南風(しらはえ)」「黒南風(くろはえ)「雪解風(ゆきげかぜ)」などというこまやかな風ことばが数多あり、日本人の風に対する豊かな感性を感じないではいられません。

でも、歌にあるように一体「誰が風を見たでしょう ぼくもあなたも見やしない」。「風」は「あ、これが風だ」と指を指すことはできませんし、どれほどすぐれた電子顕微鏡でも「風」を見ることはできません。どこからどこまでが春風だと、物差しで測ることもできません。

「見えないけれど確かに存在するもの」。
そういうものを捉える感覚において、日本人ほど敏感な民族はいないのではないでしょうか。

また、「見えない」という存在の仕方から、自由に想像がはばたき、多くの比喩が生まれます。例えば「永田町に解散風が吹いた」とか「彼は臆病風に吹かれた」と言う場合、「解散風」「臆病風」と言う風が自然現象としてあるわけではなく、解散へと事態を動かしていく「何か」、なぜか臆病にさせてしまう「何か」、そうした得体のしれないエネルギーの動きを「風」と呼んだりもしますね。

「臆病風」をググったらこんなイラストが出てきました(笑)。
このイラストは「臆病」と言う個人の精神状態を、「風」という外から来る得体のしれないものからの影響と考えているのが良くわかります。

「風」は、また、何か新しい物を運んできます。「風の便り」「風のうわさ」と言う言葉がありますが、文字通り、「風」が情報を運んでくるものだという認識があります。誰と発信源は特定できないけれど実害のある「風評被害」も最近は増えていますね。これも(ネガティブな意味ではありますが)情報伝達の一種です。

また、「~風」は、様式やスタイルを表すときに使います。たとえば「ギリシャの神殿風の建物」というと、ギリシャの建築様式を模した建物のことですし、「中華風のお惣菜」というと、本格的な中華料理ではないものの、中華料理のスパイスや調味料を使って中華の要素を加味したお惣菜になります。

「こんな風に」の「風」、「風流」「風雅」の「風」は、見た目やスタイルを指しています。だから見た目がさえないと「風采があがらない」のです。江戸時代の人は「風流」とか「粋」と言われるために、まだ肌寒いうちから一重を纏い、暑くても他人の目には涼しげな絽や紗の着物を着ました。

絽の着物 「やみくも着物ライフ」
https://blog.goo.ne.jp/nagomikenkyusho/…

私もかつて義母に絽の着物を作ってもらいましたが、絽自体は透けるので涼しく見えるのですが、その透明感を出すために下に長襦袢を着なければなりません。炎天下ではそれが暑くて、背中が汗でぐっしょりになった記憶があります。「風流」と言う「風」を吹かせるために暑さを我慢して着たのでした(笑)。

こうしてみると、自然現象を除けば、「風」は、① 外から吹いてきて自分や周囲を突き動かすもの(解散風や臆病風など)、② 何かを伝えるメディア的な働きをするもの(風の便り、風評など)、③ 何かの様子を形容する時の比喩的表現(~風)とがあるようです。どれも「捉えどころがない」と言う点では共通しています。

もう一つ共通しているところは、どの場合も「風に吹かれる」という受け身の状態にある、ということです。日本人が「風」好きなのは、おそらくこの「受け身」性にあるのではないでしょうか。「しかたがない」と言う言葉がありますが、外の変化をやさしく受け入れて自分をそれに合わせていくことで生きながらえていく―そんな生き方を昔からしてきたように思います。

では、人間はいつも「風」に吹かれっぱなしで、「風」の主人公になれないのでしょうか? そんなことはありません。「風」は巻き起こすことができるのです。自分が発信源となって、外へ外へと旋回するように広がっていく風の中心になることができるのです。「旋風」という風は、あなたから生まれる風にほかなりません。「風雲児」ともなると、「風」だけでなく、「雲」まで湧き起こしてしまうのですから大したものです。

沖縄 座間味の海

どうしたら自分から「風」を起こすことができるのでしょうか? それは「自分軸」を立てることに尽きます。「誰かが言ったから」「本当はやりたくないけどみんなが言うから」という他人軸で行動している限り「風」は起きません。自分に正直に、本当にやりたいことを実行する時、たとえそれがどれほど小さな事であろうと、「風」は起きます(強いか弱いかは別にして)。

「風」が起きるということは、周囲を変えていることになります。少なくとも、「自分がどういう人物か」を周囲に発信していることになります。自分の心に忠実に沿って行動する時、一見わがままに見えたり、荒唐無稽に見えても、周囲を動かす「風」となって少しずつ事態が変化していくことでしょう。

一体日本人にとって「風」とは何なのでしょう?
それは 「生き方の美学」にほかなりません。周囲を変えながら、事が終われば跡形もなく去っていく―。残るのは人々の記憶の中だけ。すすき野原の上を音もなくさぁっと通り過ぎてゆく一陣の風のような生き方。名誉栄達を極めるよりも、そんな「風」のような生き方を日本人は「美しい」と思ったのです。

箱根仙石原のすすき野
「世田谷自然食品ブログ せたがや日和」
https://biyori.shizensyokuhin.jp/articles/…

そういえば、そんなヒーローが昔、人気を博していましたね。

「疾風(はやて)のようにあらわれて 疾風(はやて)のように去ってい」く人を、いつの時代も日本人は「カッコいい!」と思うようです。

ご存知 月光仮面
「ミドルエッジ」
https://middle-edge.jp/articles/…

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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8月 10 19

2019年8月 三ツ池だより 「計量は平和に貢献できるか!」

by staff
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突然左足の踵が痛くなった。歩けないのであった。左足の親指は時々痛風で痛くなる時がある。今回は初めての左足の踵である。あまりの痛さに、ようよう緊急の病院に飛び込んだ。レントゲンでは異常が見られない。明日痛みがとまらなかったら本院に行ってください、との診断をいただいた。本院で、一週間後に診断の予定を入れときますので、痛みがとれなかったら来てください、とのことだった。その日が明日の事になる。

今日のカードをひいてみることにした。

  • 今は忍耐のとき、これを乗り越えれば大きな展開が期待できるでしょう。
  • 一度あきらめたことに再チャレンジしてみて。思わぬ展開が待っているでしょう。
  • 冒険をするときです。常識の枠をこえて自分のルールブックで行動するのです。

今、冒険をするときですと言われて、それは何のことなのだろう。来月には「“はかる”を人生の友として」をメジャーテックツルミが出版してくれる。第一章の「ありがとう」を積み上げて五十年!のなかに「計量は平和に貢献できるか」という項がある。それは勝つために計量するのではなく、調和の為に計量することだと、認識しているのだ。そして「二度とない人生ですから、お互い計量人として、あるいは計量に縁がない方も、是非これを機会に計量の面白さ、計量の豊かさに気が付いていただけたらと・・・」

突然頭に浮かんできたことがある。「あんたのお母さん日本人?」もう40年近く前のことになる。工場の近所の方からの私への質問だった。工場のまわりは手袋と作業服の洗濯の物干しでいつも一杯だった。一度も働きに出たことのなかったお袋は、親父の定年後の仕事に手伝いに来ていた。字を書くのが苦手だったので、洗濯物をしてくれていた。新しい手袋を用意するのがもったいなく、作業着も業者に出すのが惜しく自分で毎日、工場のまわり中に選択し干すくらいにしていた。働く者は皆お袋の見方だった。お袋は早く親を病気で亡くしていた。おばあちゃんは静岡の浅野の出だったので、お袋は大正時代の女学校をでていた。

話を戻そう。ありがたい「計量は平和に貢献できるか」という問いかけがあって今がある。40年前、50年前にはそんなことを考える機会はなかった。ただただ「言われたことを作業する」だけだった。ところが、計量は平和に貢献できている、といえる仕事づくりがはじまったのだ。30年ほど前の事になる。ISOの取組もそうだし、経営理念の確立をめざしたのもそうだった。不思議なことに行政も小企業の経営姿勢の改善に手をかしてくれるようになってきていた。アドバイザーはいつもこう仰ってくれていた。「自分の手元でできることをやっていくんだ」「自分のものとして取り組まないと、どこかに行ってしまう。」そして、メジャーテックツルミがとれたなら、ISOに取り組んでみようという同業者が全国に相次いだのだった。

「計量は平和に貢献できるか」という問いかけは今も続いている。時々見積もりで競争させられる。「弊社では、こことここを、このようにしていきますので、この見積です」と話をします。入札で競争させられると受注できないことが多いです。内容と見積もりをどのように評価してくださるかが難しいところです。「よい計量をしていただきたい」という思いがいつも一番最初に頭に浮かぶのだった。そして創業55年になっている。

 「歩く」
どこへいく
歩き出して食事処へいく
梅雨のなかを歩く
  数えたら
  50年歩いている道
  誰に会うのでもない
人生とは
おかしなもの
道なのか世界なのか

 「とんでもなくても」
縁という字を取り上げる
縁とはしみだすとことという
湧水がしみ出てくるような
細い糸のように滲みだして
糸となり織物になるような
  縁を感じてそこから
  大切な美しいものを見てみたい
  食べることは他の命を奪うこと
  食べること食べさせていただいて
  いることの感謝を自覚したい

自分のルールブックで行動することとは、自分に恥じない行動をすることだ。
今一度この世にお役立ちしたい。それは「計量は平和に貢献できること」なのだった。
今日にありがとう。いろんなことがあるね!そしてみなさんありがとうございます。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

8月 10 19

ゆるマナー講座(第46回) 夏の楽しみ方-浴衣でお出かけ

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マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

花火に神輿、納涼祭など夏祭り真っ盛りの季節です。
趣向を凝らした花火は華やかさと儚さをあわせもち、打ちあがる度に「わぁー」という歓声とともに、どこか心に沁みるものがあったりします。お神輿好きの方は、この時期神輿を担ぎたくていてもたってもいられなくなるようですね。
子どもから大人まで楽しめる夏祭り。日本ならではの浴衣を着て彩を添えてみてはいかがでしょうか。

着物が大切にするもの

さて、浴衣は夏用の着物の一つですが、一般的に着物を選ぶ際に気をつけなくてはいけないことがあります。
それは「季節感を大切にする」ということです。

ヨーロッパを中心とした洋装のマナーの基本は、着る「時間」と着ていく「場所」によってふさわしい服装に着替えることですが、そこに季節感を取り入れるということはあまりないようです。しかし四季のある日本では、季節によって生地や裏地のある無しで、装いを替えることが求められます。暑さや寒さの厳しい時期もあるため、これは理にかなっているのかもしれません。着物だけに限らず、季節を意識して衣替えをする習慣は今でも受け継がれています。
それとともに、草花や鳥や動物、虫に至るまで柄で季節を取り入れる、そんな粋な楽しみ方もできるのが着物です。

着物の衣替えの基準は、10月から5月は裏地のついた「袷(あわせ)」、6月と9月は裏地のない「単(ひとえ)」、7月8月は「絽(ろ)」や「紗(しゃ)」といった織り目の粗く薄い生地のものを着ます。
また、下に着る肌襦袢や長襦袢の生地を替えることにより暑さの調整ができますし、長襦袢につける半衿の生地や帯、帯揚げ、帯締めも着物に合わせて選びます。

このように並べあげると、特に若い方は「着物ってやっぱり大変!帯や小物、下着に至るまで何を選べばいいのだろう。着方や合わせ方が難しい!」と思ってしまいますね。それに着物は高価なものが多いので、いくらかかるか分からないとも…。
でも着物の着物の良いところは、サイズが合っていれば昔のものでもそのまま着られることです。最近は着物専門のリサイクルショップもありますから、お手頃なものを手に入れることもできます。着丈が短ければ、おはしょりで長さ調整ができます。私の周りにも、おばあちゃまからいただいたという着物を素敵に着こなしている若い女性もいます。

日本の民族衣装ですから、成人式や結婚式の時だけでなく、普段にもちょっと着られるようになると良いですね。
まずは着てみること、そして着物に慣れていくこと。

その手始めとして、浴衣は最適ではないでしょうか。

浴衣の着方

とはいえ、浴衣は本来寝巻きなのだから外出着にはならないという考え方もあります。
でも、正式な場でさえなければ、夏祭りに、風鈴市に、お友だちとお茶をしになど、ちょっとしたお出かけに着るのは全く問題ありません。

最近は、浴衣をセットで売っているところも多くあります。組み合わせがわからなければ、そのようなセットを試してみてはいかがでしょうか。着方はYouTubeで見ることもできますし、浴衣の着方1回レッスンなど様々な教室もあるようです。

ほんの少し、着こなしのポイントです。
浴衣の生地によっては透けるものもあるので、浴衣の下には浴衣用のスリップを着ましょう。なければ洋服用のスリップ、タンクトップやキャミソールにペチコートなどで代用できます。
着丈は少し短めに。
着崩れしないためには、腰ひもを結ぶ時にしっかりと締めることです。しっかり締めても腰の位置なので苦しく感じることはありません。
また間違っても衿の合わせ方を右と左で間違わないようにしましょう。間違ってしまうと亡くなった方と同じ着方になってしまいます。ご自分から見て、右側の衿の上に左側の衿がくるのが正しい合わせ方(右前)です。

「あ~、でも難し過ぎる」と思った方には、着付けがセットになったレンタル浴衣という方法もありますね。

身のこなしも着物仕様で

せっかくきれいに浴衣を着ても、普段通りに歩いていては “浴衣美人” にはなれません。
ヒールを履いて背筋を伸ばして大股で颯爽と歩く女性は、自信や行動力に溢れていてかっこいいなと私は個人的には思うのですが、着物の場合は少し違ってきます。

背筋はもちろん伸ばしましょう。でも歩幅は狭く、内股気味に歩きます。裾が乱れないようにするためです。大股で歩いて乱れた裾から生足が見えるのは、素敵とは言い難いですね。
腕を振って歩くのもよくありません。
階段の上り下りも、着物の上前がはだけないように、手で軽く抑えるなどしてみてください。
椅子に座る時は、どっしりと腰掛けず、浅く掛けるようにしましょう。

いかがでしょうか。
ほんの少し気を配るだけで、ただ浴衣を着るということから、素敵に浴衣を着こなすという風に変わってきます。
歩き方や振る舞いも、ぜひ着物仕様を目指してみましょう。

自分流もありかも

先日見かけた浴衣姿の女性は、足元が下駄ではなくサンダルでしたが全く違和感がありませんでした。
冬の着物の下にタートルネックのセーター、草履の代わりにブーツを履く方もいらっしゃいます。

時と場所を考えれば、そのような装い方もアリかもしれませんね。
いかに素敵に着こなすかは、その人次第とも言えます。

この夏、“自分流の浴衣でお出かけ” してみますか?

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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8月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第77回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第77回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“人生100年時代・金融資産2000万円” の言葉が独り歩き。時間やお金はいずれも手段系の話。手段も大切ですが目的があっての話。手段の目的化は大きな落し穴。会議では目的系からスタートしますが、いつのまにか “できる・できない” “ある・ない” などの手段系に論点シフト。目的がはっきりすれば、時間やお金は精度が高まるもの。100年や2000万円ありきではありませんよね。米国GEは20世紀を代表する世界企業で戦略論ではお手本。しかし最近、最古参のNYダウ銘柄からも除外に。全盛時代のCEOのジャック・ウェルチは20世紀を代表する経営者の一人。戦略家でありながら、戦略より人材を上位に位置付けました。何より人材ありきで、次に戦略がきて手段系の戦術はそのあと。人材育成が最優先事項で、ものの見方の深耕こそが核心。ダ・ヴィンチはデッサンの効用を指摘、2人でやって比較し合えば一挙両得と説きました。柔軟に老いるのが黄金律。梁塵秘抄では “山の様がるは 雨山守山しぶく山 鳴らねど鈴鹿山 播磨の明石の此方なる 潮垂山こそ様がる山なれ” とあります。何ごとも面白がるに越したことなし。“老いの悲劇はまだ若いと思っていること”と作家のオスカー・ワイルド。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

経は人生・組織の縦糸 縦糸を取り付けてから横糸を織り、表からは見えない
いい畳かどうかはイグサでは決まらない 眼には見えない縦糸で決まるという
近道も王道もなく縦に真っすぐの道 やりたいことがあれば、自分の力でやる
何をすべきか、何ができるかは人材次第 組織の縦糸が人材、縦糸こそ生命線

いい畳かどうかはイグサでは決まらず、眼には見えない縦糸で決まるというのがプロの見立て。最近の我々は目に見えることばかり追いかけすぎているのかもしれません。ある予測では、2025年までに世界で高スキル労働者は5000万人不足する一方、低スキル労働者は1億人余剰になる恐れがあるとか。組織の縦糸が人材であり、横糸は教育・教育また教育。 “協働も個の力量が前提” “知のシェアリングもまた個の力量が前提” “コミュニケーションもまた個の力量が前提” 。どの世界も、日々の単調なトレーニングなしにプロとしての大成はないこと。イチロー選手の準備体操における単調さと継続性の凄み。 “子供というのは親の目が届かないところで育つ” と心理学者・河合隼雄。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

二〇世紀は手足に重点を置いた 二一世紀は脳に重点を置く研究技術開発
研究開発費率と研究開発効率は、通常反比例する 二つの積は一定になる
競争 皆と同じ方向に進んで、タイムを競うゲームに限定する必要はない
競争の方向は無限 競争ルールの創造と選択 何であれ継続が一番難しい

20世紀は手足に重点、21世紀は脳に集中。“ブルーオーシャン戦略”では、何より他がやっていないことをやるのが第一。しかも自らを信じてひたすら打ち込むのが第二。視野は世界で、ゲームのルールは異次元へ。皆と同じ方向に進んで、タイムを競うゲームに固執することこそリスク。競争の方向は360度で無制限。創造プロセスをジャズの即興演奏で実験すると、自己表現に関わる脳の神経ネットワークが活発に働く一方で、自己監視に関わる外側の活動は弱まるとのこと。脳が自らにダメ出しする回路を遮断。シニアの後期・義務教育では、この創造プロセスを鍛えあげれるかが勝敗を左右。“映画ではセリフを言うことより表情・行動が大事。要はたたずまい”と映画監督・降籏康男。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

若者を鍛えてプロにする 大工職人の育成に教えられる わかるか、できるか、好きか
理解や成績が、ただ良いというのでなく 一生努力を継続できる人材が採用の優先基準
要素技術/スキルは属人性 異種の技術/スキルの融合は、人が出会う場での格闘競技
良質なネットワークの形成 他人とは異なる優先順位で、ものを観ることを大事にする

人間教育を考える上で参考になるのが、昔から受け継がれている職人世界の “わかるか・できるか・好きか” の三原則。もはや知識偏重の教育では将来への備えは不十分。一生努力を継続できる人材の育成。ホモ・サピエンスは、抽象化能力を獲得し、農業で生産能力を向上させ、科学技術力で今日を築いてきました。今後はじっくり時間をかけて高度人材の育成に勤しむことが肝要かも。 “養殖ウナギ” では、急ぐとオスが多くなるらしく、ゆっくり育てるとメスが増えるとのこと。オスとメスがいてなんぼの世界。 “脳” の才能だけでなく “心” の才能も。理論の基盤からデザイン・モノづくりまでの繊細な統合力が決め手。 “満開だけが花でなく、満月だけが月でなし” と美術家・篠田桃紅。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第77回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
8月 10 19

書評「7曜日の法則 - デキる人はみんな知っている」 廣済堂出版 はづき虹映(著)

by staff
 
タイトル 7曜日の法則
単行本 191ページ
出版社 廣済堂出版(2011/11/29)
ISBN-10 4331515966
ISBN-13 978-4331515969
発売日 2011/11/29
購入 7曜日の法則

「月曜日の朝、つらくて起きられないあなたへ・・・」で始まる。
「実際、月曜日の朝、気持ちよく起きられない原因の大半は、日曜日の過ごし方にあると言っても過言ではありません。特に夕方から、夜にかけての日曜日の過ごし方が、月曜日の朝のカギをにぎっているのです。」この言葉に興味があったのではありません。逆でした。そんな生活の仕方があるのかなと・・・。

「誰が曜日を決めたのか?」というところがあります。
「そもそも、1週間を7曜日で構成すると決めたのは、一体、誰なのでしょう。曜日とは、本来7つの天体が守護する日のことで、古代バビロニアで生まれ、紀元前1世紀ごろのギリシャ・エジプトで完成したと考えられている歴です。そこを起源にユダヤ教徒が使っていた歴が、そのままキリスト教徒に伝えられ、現在のようなグレゴリオ暦の元になったとする説が主流です。」

生活のリズムが7曜日で決められていることに、何も不信感も持っていなかったことに驚いてしまった。そして述べられます。「グレゴリオ暦の曜日の中でポイントになるのは、”安息日”です。旧約聖書によると、安息日は週の7日目と定められており、曜日でいうとユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日に当たります。ユダヤ教は安息日には、いかなる労働も行わないことをもとめられるそうです。」

もともと日本にはこの曜日によって、仕事と休みとを分けて考えるという思考はなかったというのが正しい歴史なのだと著者は言われます。
「“曜日” を “数字” に置き換えてみる」著者は次のように言われます。
「日曜日は数字の “1” に相当します。ここが一週間のスタート、始まりです。日曜日の過ごし方で、そこから始まる一週間の方向性がきまってしまう大事な日です。
月曜日は数字の “2” にあたります。 “2” はつながり、調和を意味する数字。ですから、月曜日は周りの人のサポート役に徹すると、波にのりやすくなります。
火曜日は数字の “3” にあたります。 “3” は子どもを意味する数字です。火曜日は無邪気さや遊び心を大切に、笑顔で活動的に過ごすといいでしょう。
水曜日は数字の “4” にあたります。 “4” は堅実、継続を意味する硬い数字。水曜日は何事も、地道にコツコツ続けていくことが、波にのるポイントです。
木曜日は数字の “5” にあたります。 “5” は自由、変化を意味する数字です。多くの人とコミュニケーションをとるのには最適で、新規営業などにも向いています。
金曜日は数字の “6” にあたります。 “6” は愛を意味する数字。愛と豊かさのエネルギーを受け取り、周りと惜しみなく分け合うことを意識するといいでしょう。
土曜日は数字の “7” にあたります。 “7” は完了、完成を意味します。ここで一週間が完結します。土曜日はひと息入れて、一旦リセットするための日だと言えるでしょう。」

一週間をひとつの流れの中でとらえることによって、曜日ごとの役割やポジショニングも明確になり、きちんとメリハリをつけたうえで、日々を過ごせるようになるのではないかと述べられています。

「日曜日は意図を放つ日、スタートの日」から。
 日曜日はベクトル・方向性を決める日なので、「こういう一週間にする!」という明確な意図を放てばいいと言われます。それも午前中がおススメです。そうやって午前中に放った意図を元に、夜、寝る前に、一週間の具体的なスケジュールを立てて、手帳やメモに落とし込んでいけばいいと言われます。夜はできるだけ早めに自宅に戻り、食事や入浴も早めに済ませ、夜10時以降は、ひとり静かな自分の時間を持ち、意図を放つことを意識して過ごすことを提案しています。

「月曜日はつながる日、サポートの日」から。
「 “2” は女性性を象徴する数字であり、調和、統合、受容を意味する数字です。 “1” のパワフルな陽のエネルギーに対して “2” は受け身的で繊細な陰のエネルギーに当たります。」つまり日曜日に意図したことを周りに伝え、調整調和していく日であり、自分の意見は主張せず、回りの意見に耳を傾け、周囲のサポート役に徹する日ということになるわけです。「常に感謝の気持ちを忘れずに、させていただく、という謙虚な気持ちで過ごす」ことが、月曜日の波にのるコツだと言われます。

「火曜日は素直になる日、笑の日」から
「火曜日は創造的なエネルギーに溢れた “芽が出る日” “子ども心を全開にする日” です。創造的な火のエネルギーを活用して、新たなモノを生み出す日。無邪気な子どものような好奇心いっぱいに、おもしろそうなことを体験してみる日。笑と遊び心を忘れずに、初めてのことに積極果敢に挑戦する日。とにかくじっとしていては、火曜日の波にのり遅れてしまうことは確実です。」火曜日は思い切って、大胆に動いていい日ですと言われます。「迷ったら、迷わず、さらに一歩前」「迷ったら、迷わず楽しい方を選らぶこと」をススメられます。
 なにかひとつ、新しいことに挑戦してみるで、「結果をみてよい悪いを判断したり、評価しないこと。」があります。初体験自体に貴重な価値があるからだと言われます。

「水曜日はコツコツやる日、形にする日」から
「水の性質と数字の “4” から読み解ける、水曜日の意味・特徴は “今、目の前にあることに集中して、地道にコツコツ、形にしていく日” ということになります。そう・・・。水曜日は仕事モードの日なのです。」あちこち外に目を向けるのではなく、目の前の仕事に集中すること。ひとつずつ仕事を確実に終わらせて、キチンと形に仕上げていくことを意識して、地道に取り組む姿勢が何より大切です。
「水曜日の波にのるための過ごし方のポイント」が書かれています。掃除と整理整頓はやった成果が確実に現れるので、仕事上でも、プライベートでも、水曜日にするのはおススメのようです。片づけるときは、自分なりの基準を持つことを提案されます。「迷ったら、迷わず、捨てる」ことにしているそうです。「これは何もモノや情報だけに限ったことではありません。人に対しても同じこと。相手との関係を迷っていることが答えです。そんなときは、迷わず、手放してみること。モノでも、情報でも、人であっても、一旦、手放したとしても、それがあなたにとって、本当に必要なものであれば、必ず戻ってきます。」

「木曜日は広がる日、変化する日」から。
「木曜日を象徴するのは、文字通り木のエネルギー。樹木が枝葉を伸ばして、大きく成長していく伸びやかな陽の気質を持つ日です。木は気に通じ、流れやつながり・変化を象徴します。木曜日を数字で表すと “5” 。5は “五体、五感、五蔵、五本指” など人間そのものを表す数字です。そこから人間の特徴である、 “自由、変化、つながり、コミュニケーション” などを意味する」と言われます。木曜日は思い切って外に飛び出し、いろんな人と出会って、人脈を広げていくのに、びったりの日なのですね。社内外を問わず積極的に新しい情報を仕入れ、自ら変化の波をおこしていく、そんなノリのいいアクテブな日だといえるのですね。

「金曜日は受け取る日、分かち合う日」から。
「金曜日は、文字どうり “金” “GOLD” のエネルギーを象徴します。お金や豊かさを表し、豊潤な輝きを放つパワフルな日にあたります。」「金曜日を象徴する数字は、 “6” 。 “6” はお腹に赤ちゃんを抱える妊婦さんの数字です。そこから愛や豊かさなどを表し、調和とバランスのとれた美しさ表す数字でもあります。また、妊婦さんの数字である “6” は、女性的な優しさの象徴でもあり、すべてを包み込む包容力を表します。”6”にはまた花が咲く、という意味もあり、花のような美しさを象徴する数字でもあります。」
金曜日が持つエネルギーのイメージは、ズバリ!ゴージャス・リッチです。花金という言葉に代表される通り、現実的にも、一週間の中で最も気分が華やぐ日です。思い切ってワンランクアップを目指して、大胆に動いていい日ですと言われます。そして、受け取った「豊かさ」はひとり占めせず、周りと分かち合うことも忘れずにとのことです。

「土曜日は休息の日、リセットの日」から
「 “7番目の日”にあたる土曜日は、キリスト教でいうところの “休息日” 」です。「数字の役割を樹木の生長にたとえると、7は土に還る日にあたります。1のタネマキから始まって、6で花が咲き、ひとつの周期の終わりを示す7は、再び最初に戻る “リセット”のタイミングを表します。日曜日から始まった一週間は土曜日で完結を迎えます。」土曜日こそ、休むにふさわしい日です。休むときはちゃんと意識して、しっかり休むこと曜日の波にのるために欠かせない大事なポイントになるのです。
「土曜日の波にのるためには、ひとりの時間をもつことも大切なポイントです。」「土曜日は一週間の終、最後の日ですから、良いことも、悪いことも、この一週間に起こった出来事は、ここでキチンとリセットして、すべて洗い流してしまう必要があるのです。」

はづき虹映さんは最後に「曜日の波を見方につけた者が時間を制し、人生を制する」のですと語られます。

(文:横須賀 健治)

 

8月 10 19

横浜スケッチ(第39回) スウェーデン女性写真愛好家を訪ねて(前編)

by staff

ペンネーム 成見 淳

「Hi!Birgitta!」
彼女に渡す絵を高く掲げて名前を呼んだ時、地下鉄の列車が反対側のホームに入って来て、私の声はかき消され彼女の姿も遮られた。気が付いてくれたかどうか、移動してしまったのではないか。そんな不安の中、列車は動き出した。

どうも人間には同じような行動パターン、思考様式が染みついているようだ。
振り返ってみると、一昨年の第1回の個展には、Facebookの瀬戸靖彦さんの鶴見川、菜の花と桜と京急電車の写真に触発された絵を描き、出品した。
昨年の第2回個展には、Facebookの内田晴巳さんの琵琶湖西岸の写真に魅かれてそれを絵にして出品した。
そして今年の第3回、成見兄弟展にはインスタグラムのBirgittaさん(ハンドルネーム @githofonen)のスウェーデン、ストックホルムのDrevviken湖の夕暮れの写真に魅かれて描き、出品した。
場所は鶴見川べり、琵琶湖西岸、スウェーデンのDrevviken湖と変わって行くが、いずれも水辺。しかもだんだんと1年ごとに私の家から遠くなって行った。
変わらないのは、どれも写真を一目見て魅かれる事。それを突き詰め、現場に行って確かめた事。
なぜいつもそうなるのかは自分でも解明出来ないが、結局のところ長い間の体験「難しそうだけど思い切ってやってみたら案外上手くいった。楽しかった。次は何をやろうか。」の繰り返しが積み重なった結果なのだろうと思う。
今月号は前回号の予告めいた内容の続きで、その結末に至る様子を書いてみた。

 

風景には三種類ある。
一番目は、そこに行ってみたい風景。
二番目は、そこに住んでみたい風景。
三番目が、そこで死にたい風景。
日本画家の千住博さんが言われた言葉で、確かNHKのテレビ番組の再放送だったと思う。
何せ真夜中に目が覚めて偶然見たので、三種類だったか四種類だったかもはっきりしない。
でも、なぜか三番目の風景の事は鮮明に頭に残っている。
行って見る場所は一度か数度。住んでみる場所は何年間の単位。どちらも期限がある。
死ぬ場所は永遠。つまり無期限。(2番目から3番目へ自動移行はあり得るが。)

今年、2019年3月9日、インスタグラムをチェックしていたらスェーデン人女性の写真が目に止まった。昨年2018年11月24日にも、水に浮かぶ木の葉の写真が気に入って描かせて頂いたが、今回は何が何でも描きたいという更に強い衝動に駆られ、早速メールでお願いした。
あの衝動は何だったのか自分でも良く分からない。でも、分からないままでは気持ちが悪い。だから後付けで理由を考えてみた。
まずは何と言っても写真の映像の美しさ。それも終わりを予感させる寂しさと諦めを含んだ美しさだ。夕暮れはいつも美しく、寂しく、そして物悲しい。
更に加えて、湖に捨てられ朽ちて行く廃船。これぞ消え行く美学だ。

https://www.instagram.com/p/BuwQIDol7A9/
インスタグラムの彼女の写真。@githofonen,Stockholm,Sweden

写真のタイトルを見るとNautic Desire 。直訳すると「航海の願望」?
彼女に「捨てられて朽ちて行く舟ですか」と尋ねると「確かにabandoned boat(廃船)です」との答え。
日本語で絵のタイトルを何としようか散々迷って、「朽ちて行く」とした。
舟は少しずつ老いて行く自分。認めたくはないが自覚せざるを得ない。中学、高校、大学、職場を問わず既に友人の何人かは亡くなっている。そう遠くない時期に必ず自分の番が来るはずだ。
どうせ死ぬのならこんな風景の所で最後を迎えたい。そんな想いが一瞬のうちに脳内を駆け巡ったのだろう。と結論づけた。

自分は現場描きもするし、現場で写真を撮って家で描くこともある。でも、自分が行ったこともない風景を描くことはしないのがポリシーだ。なぜなら絵に説得力が無いし、嘘っぽい。それでも今回はこの風景をどうしても描きたかった。自分のポリシーを曲げることなく絵にするにはどうしたら良いか。順番は逆になるが、描いた後でこの場所に行くしかない。
そう決めた所に、幸い二つの幸運が重なった。
その一。想定外のお金が入ることになった。津久井湖ゴルフ倶楽部の退会に伴う額面の金額が一年前倒しで入る事になった。ちょうど旅行費用に相当する額だ。
その二。赤坂孝史先生のスケッチ・ツアーがイタリア、スイスで、ミラノから帰国。帰国せずにそのままスェーデンに行ける!!!
先立つものと、日程に問題が無ければ、ためらったり、迷ったりする必要はない。

 

早速彼女の写真を絵にすべく取り掛かった。なぜかだか自分としては初めて、沈みゆく夕陽、夕焼けの雲、まだ青さを残す空のグラデーションが上手くいった。塗る、描く、というよりも、画面に引いた水が渇き始めた頃、息を止め、そっと色を指し込むような感じだった。その広がり方、混じり方が何とも言えない。今までとは全く違う方法だった。
初めての試みにしては仕上がりがいつもより断然早い。あっけなく描き上がった。
何かが乗り移ったかのようだった。ゾーンに入る、とはこういうものか?
上手く行く時はそういうものだ。想像するに、描きたい、描こう、と思った時には既に頭の中に完成イメージが出来上がっているのだろう。後は手順を間違えないように紙に水と筆を使って絵の具を落とし込むだけ。迷いやためらいが無いから速いのだと思う。
先生から珍しく、本当に珍しくお褒めのお言葉。トンネルをひとつ抜け出したような気分。手ごたえ、満足感とほんの少しの自信。彼女の写真のお陰だ。
そうなると更に現場に行きたい気持ちが高まる。彼女と何度かコミュニケーションを取り、出国が近づくにつれその頻度が増して行った。

「朽ちて行く」 4号水彩
原題「Nautic Desire」@githofonenさんの写真から。
https://www.instagram.com/p/BytGR4BiwFS/
彼女のインスタグラム

思い立ってから決心までの時間はあっという間だが、実行するためのプランニング、準備は簡単ではない。交通手段は? 飛行機の便はあるか? 宿はどこにするか?
結果、ストックホルムから日本への直行便はない。ツアー主催旅行社から「帰りはミラノからアリタリア航空でないとダメ」、「最終日に皆と空港まで行くバスでは間に合わない。しかもミラノからストックホルムへ行く空港は皆とは別の空港」「ストックホルムからミラノへ戻って当日に日本へ乗り継ぐのは時間的に不可能」という返事が返って来た。日本への直行便がないならフィンランドかオランダに出て帰国、と思っていたのにそこで、乗り継ぎの為だけにミラノへ戻り一泊することにした。(難しい条件を並べるだけでなく、その解決策を考えて逆提案をするのが旅行社の務めだと思うのだが、自分は「難しい、無理。諦めた方が良い。」と言われれば言われるほどやりたくなる性格なので、余計に燃え上がった。)
皆と別れる6月13日の交通手段も、早朝に出発すればその日のうちにストックホルムに着ける。次は宿。ストックホルムはどこが良いか彼女と相談しながら、中心部よりも南の湖に近い方角に、ミラノは帰国便に便利なマルペンサ空港近くに、B&Bを予約した。
両方とも最適な場所だった。ストックホルムは私の望んだ家庭的な雰囲気というよりも一般家庭そのもの。ミラノはマルペンサ空港至近で行きも帰りも安心な無料送迎付き。

 

2019年6月3日、成田から出国。成田から13日朝までは皆と同じ行程。すなわち。6月13日、一行はバスでマルペンサ空港から帰国。
私だけ早朝ホテルを出発しミラノ経由でストックホルムに向かう。
皆と一緒のスケッチ・ツアーは3連泊が3回と、移動が少なく快適。楽しい思い出と感動ばかりが沢山あったが、ツアー中の絵を少しだけ紹介し、話をストックホルムへの一人旅に絞る事にする。

「早朝散歩」ソーリオ村、スイス 3号水彩

「湖を見下ろす教会」
オルタ・サンジュリオ 北イタリア
6号水彩

 

6月13日(木)。7時朝食、あわただしく7時15分にタクシーに乗り込む。
Orta Miasino駅まで10分もかからずに駅に着いた。駅に小さな店があってそこが駅舎。待つこと40分のはずだが列車が15分位遅れた。
45分ほど乗ってNovaraで乗り換え、さらに1時間ほど乗ってリナーテ空港行きのバスに乗るのだが、Novaraに着いた時には列車は行ってしまった。ここで30分のロス。皆と別れて一人になったとたんに予定が狂い始めた。
さらには、左手の人差し指、中指、薬指の三本が急に硬直し曲がらなくなり、右手でマサージしたり、引っ張ったり。初めての経験だったので不安が増した。
そんな折、Novara 駅のホームから振り返るとスイスのアルプスらしき山々がそびえ立っていた。『みんなどうしているかな?』と眺めていると少し気持ちが落ち着いた。
1時間10分程乗ってFolanini駅を降り、徒歩でバス停まで歩く。知らない土地で大きなスーツケースを転がしての石畳の舗道は辛いが、受け入れるしかないものは素直に受け入れる。そんな事で不機嫌になるような人は旅、ましてや一人旅などやめた方が良い。
何とかリナーテ空港に着いた。こぢんまりとしてちょうど良いサイズ。

 

比較的スムーズにストックホルムのアーランダ空港を出て、中央駅行きのバスに乗ろうとしたが、切符売場が無い。列に並んでいる人に聞くと「機械で買うのだ。」と言う。自販機はスェーデン語だけでさっぱりわからず、また聞くと「クレジットカードだけ。」と言われた。何かわからないけど適当にボタンを押していたら切符が出て来たが、調べて置いた値段より倍以上で高過ぎるような気がする。「3人分のようだ。」と言われた。
係員らしき人に事情を話すと「ドライバーに聞いてくれ。」と言われたが、その間にバスは満員になり、かなりの人数を積み残して行ってしまった。
前の家族連れの人達に「間違えて3人分の切符を買ってしまったので、一緒に乗りませんか?」と話すと、次のバスのドライバーに母親が説明してくれた。結局「有効期間があるから帰りのバスで一人分使ってくれ。」という結論に落ち着いた。
バスに乗り込むと、娘とおぼしき女性から隣に座るように勧められて「どこから来たの?」「どうしてスウェーデンへ」などと話しかけられた。インスタグラムの写真の事、それを絵にして明日写真愛好家の女性に渡す事、風景には三種類ある事などを話すと、益々話がかみ合って更に話が弾んだ。彼女も好奇心が強く行動派のようで、自転車で中米からメキシコ、サンフランシスコまで行ったと言う。どうりで波長が合う訳だ。隣の席に誘った時点で自分と同類と思ったのだろう。特に海外ではこのような事が多い。お互いに何かを発信し合っていて、波長が合うと自然とキャッチするのだろうか?
でもなぜ国内だと受発信機能が鈍るのか? 国内だと何かの抑制因子が働き、海外だとそれが外れて本来の姿になるからかな?
20分で到着するはずが渋滞のため40分以上かかったが、彼女のお陰で楽しい時間を過ごすことが出来た。3人分のチケット代は無駄ではなかった。

終点のひとつ手前で一族がバスを降りる。彼女の両親、姉とそのご主人と赤ちゃんの6人が親族の結婚式のためにドイツ、オーストリアからストックホルムに来たのだ。

終点の中央駅に着いて、地下鉄に乗換えて終点の目的の駅に20分ほどで着き、長く急なエスカレーターを2回乗って地上に出る。
迷うことなくB&Bの近くまで来たが、3階建てのアパートが点在し、それぞれの一階の階段の入口ごとに施錠されていて表に番号が付いているものの、順序だっていなくてバラバラ。何のための数字か。
お孫さんと一緒のお婆さんに聞いてみると、親切にも一緒に探してくれた。30分近くは探しただろうか。やっと目当ての入口No.を見つけてくれた。
入口には鍵がかかっているが、運よく中から人が出て来てドアを手で押さえて入れてくれた。階段の下から「ハロー」と呼んでも反応無し。しばら~~~く待ってみたがらちがあかない。仕方なく「着いたら電話して。」というメールを思い出し、一旦外に出て公衆電話を探す。それらしきものは全く無い。まるで昨年のスペイン、ピレネー山脈麓の村の時の再現のようだ。 せっかく着いたのに部屋に入れない。 http://yokohama-now.jp/home/?p=17801

コンビニに戻り、店の前でベビーカーを押した男性に頼むと電話を掛けてくれて、つながったとたんに「どうぞ」と手渡された。女性の声がしたので名前を名乗り「コンビニの前にいる。」と伝える。
小一時間待っても来ないので、もう一度アパートに戻ったり、またコンビニに戻ったりしたが、二人連れの女性にお願いして電話して事情を話してもらった。
B&Bのおばさんは私がコンビニで買い物をしてから家に来るもの、と思って待っていたらしい。
予定より大幅に遅くなったので空腹を感じ、外出しようとすると奥さんが気の毒に思ったのか夕食を作ってくれた。B&Bは、Bed & Breakfast の略だから夕食はつかないのにも関わらず。
部屋に案内され、三日間お世話になるお礼にとDrevviken湖の絵の複製を差し上げると。「私も絵を描くのよ。個展もやったわ。絵を教えていたの。」という驚くべきお言葉。リビングに飾ってある絵を見せてくれたり、絵の写真をくれたり。その晩は絵談義で盛り上がった。不思議とトラブルの後には良いことがあり、都度バランスが取れている。

https://www.instagram.com/p/ByqYXl5H19t/
(左がB&Bの奥さんの作品、右が私の6号の複製で彼女に差し上げたもの。)

「再び湖へ」 6号水彩
この絵は、4号の原画を@githofonenさんに差し上げるので6号で描き直したもの。
廃船を修理し、空も明るくしてタイトルも希望を持たせた。
ボートの前はヘドロかと思っていたら氷だと伺った。

さて、明日はいよいよ彼女と会う。スケッチ・ツアー中も、一人になってからも頻繁にメールで連絡を取っていたが、最終的に12時33分(何という几帳面な待ち合わせ時間設定?)に中央駅のひとつ南側 Gamla Stan 駅のプラットホームで落ち合うことになり、お互いの服装を知らせ、念のために私が差し上げる絵をホームで掲げようと決めた。
本当は自我面を被ろうかと本気で思っていたが残念ながら家に忘れて来てしまった。
目立つこと間違いなしだったのだが・・・。(次号に続く)

お知らせ

  1. 横浜スケッチ39の英語バージョンを下記の私のホームページに掲載しました。
  2. 8月7日より13日まで、横浜そごう9階のギャラリーダダにおいて公募展「アートフェスティバル」が行われています。スケッチ旅行中の2点を出品しています。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

8月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第11回 「閉店したお店③ ~町中華編②~」

by staff

第11回 閉店したお店③ ~町中華編②~

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十一回目でございます。

今回も前回に続き閉店してしまった店舗の町中華編の二回目。
なくなってしまったお店の今をレポートするのはあまり意味がないのかもしれませんが、出版から約10年の横浜の街並みの変化をお伝えするのはわずかながらでも意味があるのかとも思っています。

中区尾上町にあった「峯鶴楼」の天津麺。
エビ玉でスープも餡に負けないしっかりした味が良かった。

「峯鶴楼」内観。本物の中華料理店だったことを証明できる貴重な画像。

まずは関内方面から。馬車道通りの脇にあった「峯鶴楼」(P.195に掲載)。私は天津麺が好きなお子様なのです。甘酢あんが好みの味で揚げワンタンも頼んだのでした。

「峯鶴楼」なき後。某大手宅配会社のサービスセンターに。

「峯鶴楼」は2010年春に閉店とのこと。こちらも拙著刊行とほぼ同時期に閉店してしまいました。残念。某大手宅配会社のサービスセンターになり、すっかり面影はなくなってしまいましたが、この「馬車道ビル」という建物のデザインは個人的に好きです。

「峯鶴楼」が入居していた「馬車道ビル」は健在。

お次は本牧通り。中区本牧町は「アソカ幼稚園」向かいにあった「中華料理 鴻翔」(P.184に掲載)。「鴻翔」と書いて「ホンシャン」と読みます。

中区本牧町にあった「中華料理 鴻翔」のサンマーメン。

ここではサンマーメンを食しました。奇をてらわない正統派のサンマーメン。他のメニューも普通に旨かった記憶があります。

「中華料理 鴻翔」なき後。
「本牧OZ」という、基地の街だった名残の洋品店の並びにあったが、
とんかつ屋だったか、反対隣りだったのか、もはや記憶が曖昧。

「中華料理 鴻翔」も2010年代に入って閉店(詳細不明)。「本牧OZ」という、基地の街だった名残の洋品店の写真から右隣りだったか左隣りだったかという記憶が曖昧になってしまい。。。拙著本文185ページの「このお店の周りだけ木々に囲まれて」とあるので恐らくとんかつ屋になっているあたりかと思っていたら、そのとんかつ屋の隣の空き店舗!思い出しました。ここです。

「中華料理 鴻翔」閉店後はこの赤茶けたシャッターの空き店舗でした。

ちょっと横浜中心部を出て港北区太尾町へ。東急東横線大倉山駅周辺を。ここでは駅から徒歩2、3分ほどの「中国料理 中国飯店」(P.197に掲載)へ行きました。

港北区太尾町にあった「中国料理 中国飯店」の「冷やし天津面」。

ここでは珍しい「冷やし天津面」を食しました。スープと麺が冷たく、蟹玉とあんかけは熱々という面白い体験。ガラスの器が清涼感を醸し出していました。

煉瓦仕様のビルの2Fにあった「中国料理 中国飯店」なき後は
居抜きでそのまま別の中華料理店に。

2012年に突如閉店してしまい、その直後に別の中華料理店が入居して現在まで続いているようです。

港南区港南台にあった「中華こうなん」の「こうなんそば」。
「こうなん丼」を同時に頼んで全く同じ具のあんかけだったことにひとり笑ってしまった思い出が。

港北区から港南区に移ります。JR根岸線港南台駅近くの「福島ショッピングセンター」というテナントビルに入居していた「中華こうなん」。ひらがなで「こうなん」とか表現されると何かくすぐられる感じというか、ほんわかしたそういうのに弱いですねぇ。

「中華こうなん」なき後は、やはりこちらも別の中華料理店が居抜きで入居。

その店名と店舗の雰囲気から地元民には長年愛されたお店でしたが、2011年11月で惜しまれつつ閉店。こちらも中国飯店同様に別の中華料理店が入居しています。新華僑というか、中国人経営の中華料理店が近年かなり増えました。ただのシャッター通りになるよりは何かお店があった方が良いとは思いますけどね。

ここ数回、閉店店舗のレポートをしていたらなんとなく気分がドンヨリしてしまいました。次回は今も元気なお店のレポートを再開しようかな。。。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

8月 10 19

チャレンジ(第12回) 裂き織クラッチバック!

by staff

裂き織クラッチバック!

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。とうとう梅雨が明けて凄まじい暑さの夏がやってきましたね! 夏に弱い私は既に大好きなビールも欲さないほど暑さにやられ、この暑さがいつまで続くのかハラハラしております。そして子供たちは夏休み! 中学生と高校生になって手が掛からなくなったと言っても、面談やら、習い事の付き添いやら、お弁当作りやら、まだまだ親がやらないといけないことがたくさんあり。。。育児はまだまだ続くのであります。

この暑さを吹っ飛ばしてくれるような、キラキラ大きな瞳が素敵な 石川ゆりさんhttp://yokohama-now.jp/home/?p=17468)と久しぶりに会う事ができました! 前回に引き続き、今回もC.P.FACTORYオリジナルの裂き織クラッチバッグの撮影のお手伝いをしてくださいました! しかも今回はインターナショナルな顔ぶれで (^^♪

C.P.FACTORYオリジナルの裂き織クラッチバッグは、その名の通り「裂き織」という手法で作られています。日本で「裂き織り(裂織)」が始まったのは江戸時代中期。布製品が貴重だった東北地方で、「ひとつのものをより長く、大切に使いたい」という人々の工夫から「裂き織り」という織り方が生まれたということです。

この日本の伝統的な「織る」という作業は、単調で、人によってはすごく長く手間の掛かる作業に感じることがあるようですが、私にはとても穏やかな時間が流れる感じがします。精神障害者にもこの作業は合うようで、織ることで心と体の安定を取り戻すよい時間になっているようです。ただ、製品化するのが難しいこともあり、最近では織り作業を止める障害者施設が多いと聞きます。

私は、障害者施設のみんながこの作業が好きだし、日本の伝統技術である裂き織を継続してやっていきたいと思い、花びぃ工房主宰の島さんhttps://www.hanabikobo.com/)にプロデュースしてもらい、C.P.FACTORYオリジナルの裂き織クラッチバッグが完成しました。長いタッセルが特徴です。裂き織を全面に使い、裂き織の良さを引き出し、とてもスタイリッシュに出来ました!色とりどりの裂き織クラッチバックはカジュアルにも、パーティシーンにも引けを取らない素敵なデザインとなっています。







販売イベントも企画中なので、詳細が決まったらC.P.FACTORY (https://cpfactory.jp/) のサイトでもお知らせしますので、覗いてみてください!

次は「革小物のプロデュース」です 

(第12回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

8月 10 19

絵本から笑本へ(第40回) 絵本作家がゆく。~港南区 はっち~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

16区目となる今回は、港南区。
港南区の子育て支援拠点は「はっち」。

はっちへも、この連載コラムがご縁で
初めて遊びに行かせてもらいました。
そして、絵本と紙芝居の読み笑わせイベント
「読絵ん会」も開催させて頂きました。

皆さん楽しみにしてくれていたみたいで、
赤ちゃん子ども達、お母さん達が、
100名近く集まってくださいました。
スタッフの皆さんも含めて盛り上げてくださり、
みんなで絵本と紙芝居でいっぱい笑って踊りました。

そして、この日は嬉しい再会もありました。

以前に別のイベントに遊びに来てくれたお母さんなのですが、
その時にお腹の中にいた赤ちゃんと一緒に、
2年ぶりに会いに来てくれたのでした。

めちゃくちゃ嬉しい再会。

港南区に引っ越してきて、
たまたまぼくのイベントを見つけて
遊びに来てくれたんだそう。

色々な場所でイベントをさせて頂いているお陰ですね。

まだまだ子どもが小さいときに、

引っ越した先でまた新しく子育てをするって、
きっと不安や大変なこともいっぱいあると思います。

まさに、そんなとき行ってみると良い場所が、
子育て支援施設ですね。

このときのお母さんも、
「以前住んでいた区には近くにこういう場所が無くて、
行ったこと無かったんですよね。」
と、おっしゃっていました。

「子育てに関することだけじゃなくて、
近くの情報が色々と知れて面白いです。」
とも。

ぼくがイベントをやることが、
子育て支援施設や子育て広場へ遊びに行く
キッカケになれたんだなと、
嬉しい気持ちになりました。

はっちさんは、木のぬくもりが感じられる居心地のいい場所。

人気の手作りおもちゃで遊ぶ子ども達はさながら、
お花に集つまる「ハチ」さんのよう。

スタッフさん達の笑顔の花にもたくさん出会えると思います。
是非、遊びに行ってみてください。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区 瀬谷区 港南区

<今回訪問した施設のご紹介>

港南区子育て支援拠点 「はっち」
HP: http://www.hacchi.org/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

8月 10 19

第78回 家族の歴史を知る家、そしてDual Lifeへ

by staff

有限会社 A.Aプランニング
青木 恵美子

家族の歴史を知る家、そしてDual Lifeへ

私は横浜生まれ横浜育ちの世間で言う3代目のハマっこ。
しかし実は2歳から7歳まで父の仕事の都合で5年間だけ東京の田町に住んだことがあります。そして7歳から今の住まいのある保土ヶ谷に引っ越してきて、まもなく60年になります。その間に私は結婚し、保土ヶ谷の違うところに居を構えましたが、バブル時設計事務所の過酷な仕事環境で子育てを考えて、私の父母と同居というスタイルで再び7歳から住んでいたこの場所に戻りました。平成元年に自分で2世帯住居を設計し建直し30年間暮らしているので、トータルで60年間この場所に居を構えていることになります。時の経つのは早いものです。

この保土ヶ谷の家は、30年前は私の両親と私たち家族4人(当時小2の長男、年長の長女)で6人が住む家でした。6年後、下の娘の長女は中学からイギリスに単身留学してしまい、5人の家になりました。6人の中で一番若い娘が一番早く家を出て行ってしまうという想定外の出来事でした。そしてその4年後の平成10年、父が他界し4人の家になりました。この頃から、私はイギリスと日本を年1,2回行き来し、娘とヨーロッパを観光しつつ建物を見て回り、大学で教えながら設計業務をこなすという多忙だが楽しい日々でした。そして、さらに4年後、つまり家が完成してから14年後、今度は長男が社会人になり、本格的に家を出て行きました。いよいよ6人家族の家が3人、しかも私達夫婦と母という老人住居になりましたが、この14年間はほとんどリフォームせずに6人から3人の家になりました。同時に子育て一段楽した私も東京にスタジオ分室を構えるようになり、仕事は東京拠点にシフトしてきました。

家族の変化のある激動の14年間の後の14年間は静かな仕事に邁進する期間で、28年は振り返ると一つ一つは色んな出来事でしたが、後半は家族の変化のない時代でした。そして今から2年前、高齢になった母が有料老人ホームに入居し、家ができて28年後私達夫婦2人だけが住まう家になりました。この2年は子供たちが結婚し自分たちの家族を持つようになり、この家は夫婦2人の住まいとして平成30年が終わり令和元年を迎えました。

私は両親を支え、子供たちを育て30年間この保土ヶ谷の家を守ってきましたが、家族の歴史を知るのもこの家です。今や1階は私スペース、2階は主人スペースという贅沢な暮らしですが(笑)それもそろそろ考えようと。。。老後の暮らしを考えてDual Lifeに踏み切りました。保土ヶ谷の家はゆったりとしていて快適な暮らしですが、駅から遠く、買い物も病院も何をするのも車使用ですので老後の住まいとして今後が不安になります。そこで思い切って小さいころ住んだ田町に近い高輪に再び居を構えました。
ここは高層マンションで1階にスーパーもありバス停も真下、病院も歩いてすぐという立地。周辺には公園やお寺も多く散歩も楽しめます。そして何より高台に30年も暮らしている眺望好きの私には、窓からの眺めに開放感を感じてホッとします。

家を建築するとき、購入するとき、人にはそれぞれの大切なポイントがあると思います。例えば、家族でキッチンで料理できる、リビングで映画鑑賞を楽しめる、庭が楽しめる、ガレージが充実しているなどなど。。。しかし私は空が広く眺望が良いというのがプライオリティーのかなりの部分を占めている。空が大きく眺望良く開放感を感じるという点でこの2つの家は共通します。

家族の歴史を知る保土ヶ谷の家と歩いて生活できる暮らしのDual Lifeを楽しみます。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

8月 10 19

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず

by staff

♪ 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)

歌意: 見て頂戴! 私の袖を、泣き過ぎて血の色よ、雄島の漁師の袖だって濡れてはいても色は変ってないはずよ、それが私の袖ときたら・・・

昔は嘆き苦しんで流す涙は 血の涙と言われていたそうです。いわゆる血涙ですね。人生一度くらいはこんな涙を流すことはあるのかもしれません。でも比較的そんな悲しみがあっても回復が速いのが男女の仲なのではないかしら、私も一度 異性関係で血の涙が流れた経験がありますが、それは今考えてみれば、人間関係の中で通らなければならないプロセスだったと思えます。今その時の事を思い出してもちっとも悲しくはありません。特に毎朝、目覚めて,ちょうど昇ってくるお日様にご挨拶して一日を始めることが出来る環境で、とても素朴に幸せだなって感じる瞬間があると、今までの歩んできた過去 全てに感謝の思いがいっぱいで、血の涙!などと言う言葉は概念の中だけでしか理解が出来ません。でもこれが自分の娘や息子との死別だったらその悲しみを克服するのは大変だと思います。きっと克服なんて出来ずに心の奥底に閉っておいて時が過ぎることで風化してゆくような、そんな悲しみなのではないかなと推測します。

この和歌の作者, 殷冨門院大輔さん、平安時代にそんな形容があったかどうかわかりませんが「女傑」だと思います、彼女が生きていた時代は平安末期。方丈記の作者、鴨長明さんの歌論書『無名抄』で「今一番歌人として優れている女性は殷冨門院大輔と小侍従であると世間では言われている。」と書かれています。この二人の女性、母方の従妹同士でとても仲が良かったようです。よく一緒に連歌を作ってやり取りしたりしていたらしく、相棒の小侍従さんはとてもあでやかな女性で男性とのエピソードも沢山残っているのですが、その中でも際立っているのは、殷冨門院大輔が和歌友達の男性数名を引き連れて小侍従さんのお家にアポもとらずに押しかけて, 夜通しプライベートな歌会パーティに及んだとの話。

美しい二人の才女が仲良くつるんで和歌をテーマに遊んでいたら、それはもう男性歌人たちも楽しくて放っておかないでしょうね。

殷冨門院大輔は落ち着きのある女性だったようですが、その作風は趣のある古風さを残して、それでいてハッとする一言が使われて、その効果がとても鋭利で斬新な彩を持つ。そんな温故知新の妙技が得意だったようです。この血の涙の和歌も48番の歌人 源重之さんの詠んだ、

♪ 松島や 雄島の磯に あさりせし 海人の袖こそ かくは濡れしか ♪

現代語訳・・松島の雄島の磯で漁をしている海人の袖ぐらいだろうか、私の袖より濡れているのは・・・と言う歌の本歌取りです。元の和歌を突き抜けて、袖が濡れてるだけじゃないの!色さえも変わってしまったの! と言う迫力には何か痛快なエッセンスを感じます。
だからでしょうか? 松島、雄島、そして海人の語呂合いが、この殷冨門院大輔さんの詠んだ歌から より広く枕詞として世間に定着していったんですって。自分で歌会を企画して開催してゆくパワフル殷冨門院大輔さんに、とても現代的な女性像を感じる私です。

   早苗ネネと行く4日間のマウイ島。リトリートツアーのお知らせ(女性限定)


チラシをダウンロード

マウイ島はトロピカルな観光地と言うよりも古代のレムリア文明の波動を残しているとてもスピリチュアルな島。オアフ島 ホノルルの喧騒とは全く違った穏やかな街並はハワイ島からのトレードウインド(貿易風)が吹いていて ドライエリアは毎日晴天ですが、山側にはレインボウシャワーが降り注ぎ緑の美しい牧歌的な家並みが続きます。
観光客の行かないパワースポットを巡り、日ごろの雑念をデトックス。
参加される方、一人一人が 本来の輝きを取り戻すために企画しました。
 
<ツアー日程>
9月27日~10月1日
<リトリート参加費用>
$2200米ドル 現地集金
<費用に含まれるもの>
・宿泊費: プライベートリトリートハウス4泊5日
・食事: 朝食&夕食 Vegan organic(オーガニック菜食)
・空港送迎: 現地移動
・通訳 & 各アクティビティ(国立公園入場料)
<費用に含まれないもの>
・航空券 ESTA
・昼食
・プログラム以外の個人アクティビティ
・個人セッション
・旅行保険 期間中野外プログラムが多く含まれます。
盗難 怪我、病気などは自己責任となりますので海外旅行保険加入をお勧めします。
 
8名までの限定です。(個人が尊重される人数)
マウイ島カフルイ空港 現地集合です。(全国からの参加募集のため)
 
ハレアカラ山は 富士山級の標高を持ち 月のクレータを思わせるような雄大で不思議な空間を見せてくれます。
聖地 ヘイアウは 優しい空間が広がり、現代生活で疲れた心を癒してくれます。
 
日本に居るとどうしても年相応、とか目立つような振る舞いは慎んでしまう私達。
でも少し気分を若返らせて、リラックスしませんか?
もう年なんだから、と先細りの人生観にからめとられる前に、まだまだ大丈夫!
自分は若い!と思える感覚をアロハスピリッツの中で体感して下さい。
 
<お申し込み>
現地スタッフ mauiret7@gmail.com までご連絡ください。
お申し込みフォームとその他4詳細をお送りいたします。
 

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

8月 10 19

「今は恩返しの時期」 株式会社エコローグ 代表取締役 太田憲秀さん

by staff
太田憲秀さん
太田憲秀さん
 
お名前 太田 憲秀(おおた のりひで)
お生まれ 昭和20年(1945年)
お住まい 横浜市金沢区在住
趣味 ゴルフ、写真撮影、オーディオ
長所 まめに、こまめに
お仕事 株式会社エコローグ 代表取締役
HP http://www.ecologue-akinai.com/

 

太田さんは昭和20年(1945年)のお生まれですが
ルーツはどこにあるのでしょうか。

両親は名古屋市に住んでいたときに空襲にあって母の実家(愛知県中島郡平和村)に疎開しました。私はそこで生まれて育ちました。

父が母の実家の跡取りになり、農業をやることになりました。父はアイデアマンで、左官屋用の刷毛やホウキを自ら作って製造販売もしていました。製造機械も自分で作ってしまうほど器用な人でした。柔道四段の腕前で強かったですし、近所の方々には書道を教えたり、帳簿作成してあげたりと、本当になんでもできて面倒見がいい人でした。母はまめな人で、私たち4人兄弟の着るモノ、シャツやズボンは母の手作りでした。

私が世話好きなのはそんな両親からのDNAが大きいでしょうね。

太田さんはどんな少年時代でしたか。

村相撲ではいつも一番でしたね。サッカー、野球などをするスポーツ少年でした。自分で言うのも・・ですが、努力家でしたよ。学校の成績は徐々に良くなりました。

中学校時代、英語の先生が熱心な方で、クラスメートと一緒に毎日学習ノートを提出していました。それで、名門校と言われていた愛知県立津島高校に入学しました。共学で女子生徒もいて楽しい学生生活でした。

父を見ていたからでしょうか。高校では柔道部に入り日々練習に明け暮れていました。朝・昼・放課後と一日に3回練習です。柔道部は結構強くて、最高成績は県大会でベスト8です。このときのチームメイトとは、私が幹事役で、数学の先生だった恩師も一緒に毎年旅行会をやっています。

柔道部の仲間たち

身体を動かすだけでなく、柔道部の先輩の影響でオーディオにも興味を持ちました。自分でステレオを組み立てて、クラシックを聴いていました。

英語が得意だったから英文科に進まれたのですか。

将来はデザイナーになりたいと考えていました。幼少の頃から絵を描くのが得意でした。両親からは好きなことをやっていいよ・・と言われていたので美術大学を目指しました。私のために家を増築してアトリエ作ってくれたりと、応援してくれました。ところがうまくいかなくて、南山大学文学部英文科に入学しました。

学生時代は、自宅のアトリエで近所の子供たちに絵を教えたりしていました。今、写真撮影やチラシ制作をやっているのは、昔とった杵柄なのだと思いますよ。

大沢商会に入社されたのですよね。

英文科卒業者は英語の先生になる人が多かったのですが、自分は商社に入りたいと考えていました。1890年(明治23年)創業で一部上場企業だった大沢商会に入社しました。1968年(昭和43年)のことです。

最初からスポーツ用品部配属されました。テニス・ゴルフ・スキー関連商品を海外から輸入して、百貨店や専門店に卸販売する部署でした。時代も良かったのでしょう、営業成績は良かったですね。ゴルフ用品との関わりが深くて、海外の仕入先もたびたび訪問していました。自らもゴルフにのめり込んで、スコアも結構いいところまでいっていました。スポーツ用品部には通算で19年間在籍しました。

ベン・ホーガン氏と一緒に記念撮影。
ベン・ホーガン(Ben Hogan、1912年8月13日 – 1997年7月25日)は、アメリカ合衆国テキサス州ダブリン出身の
プロゴルファー

中学校の恩師の紹介で同郷の女性と結婚して、三人の子宝に恵まれていました。

そんなとき、1984年2月、カメラ事業の失敗で会社更生法が適用されました。業績が良くないことは知っていましたが、それほどまでとは思わっていませんでした。スポーツ用品は業績が悪くなかったので、再建の柱となりました。私は自分が手掛けた部署だったので、皆と一緒に頑張って会社を再建しようという気持ちでした。西武セゾングループの堤清二氏が管財人となり、西武百貨店の常務だった江頭啓輔氏が社長となりました。江頭氏はトップセールスで海外の高級雑貨の代理店契約を結んで会社再建に奔走しました。

私も名古屋支店長として会社再建に携わりました。三年間単身赴任でした。地元で実家もあり、友達も多く、お得意先にも可愛がっていただき、凄く充実していました。その時、支店創設50周年や会社創立100周年を迎えるタイミングになり、支店再興の追い風にしました。1990年に取締役、1996年に常務取締役営業本部長になりました。江頭氏の指揮の下、海外ブランドの市場開拓をしていたのがいい思い出です。

業績を回復していった1997年に管財人の堤清二氏と江頭氏の路線対立があり、江頭氏が退陣することになりました。私も江頭氏に殉じて29年間在籍した大沢商会を退職しました。

大沢商会退職後はどうされましたか。

2001年に株式会社ゴルファーズガーデンを設立して、「One to One ゴルフレッスン」というシステムを開発しました。ゴルフの練習風景の動画を送ってもらってスイングを解析する仕組みです。インターネットを使った画期的なビジネスだったと思いますが、ちょっと早すぎたかもしれませんね。なかなかうまくいきませんでした。

その後、浄水器メーカーの社長などを経て、2013年に株式会社エコローグを設立しました。この会社では、住宅建材(国産無垢板)、住設機器(浄水器)の卸販売を行っています。工務店さんが主要顧客になります。

大沢商会時代は競争心が強くて誰にも負けたくない猛烈サラリーマンですが、自分で起業して苦労を重ねたせいか、中小企業の経営者たちと付き合うようになって、変わりましたね。人の面倒をよく見るようになってきました。

私はタイプライターが得意だったこともあり、WordとExcelは大沢商会時代から率先して使っていましたし、パソコンに精通していました。それで、ITが不得手な経営者たちの相談役として、写真の画僧処理や書類作成などを代行するようになりました。ブログ制作なども手伝っています。

10年ほど前、異業種交流団体(倫理法人会)との出会いがあり、そこでの活動を通して中小企業経営者のサポートを行っています。困まり事があると、私に連絡してくる方がどんどん多くなってきました。また横浜市金沢区にある杉田ゴルフ場のジュニアゴルフスクールをボランティアで手伝うようになって、地域との接触が深まった時期でもありました。

ゴルフのジュニアスクールにて。

ちょうどその頃からでしょうか。私の人生は、恩返しの時期に入ったと思うようになりました。両親はじめ、生きてきて多くの人たちにお世話になってきたことを、周囲の方々に少しでも返していけたらと考えています。

いつも明るくお元気ですが・・・

毎日4時に起きて、9時までデスクワークをしてそれから外出します。外出時には必ずカメラを持参してお気に入りの風景を撮影するようにしています。「発見しよう」という気持ちがあると人生楽しくなりますよ。

これからも現役として、地元金沢区の中小企業経営者のためにお役に立つことをしていこうと画策しています。

自分史(推定90年)を作成していますので、ご覧ください。(笑)
90年の根拠は、父が91歳、母が87歳まで元気で生きていたので、自分も大丈夫だろうと勝手に解釈しているからです。

自分史

私の元気の素は「ゴルフ」だと思いますね。土曜日・日曜日・祭日は杉田ゴルフ場で希望者にゴルフレッスンをしていますし、私自身もクラブを握って自ら練習しています。

ゴルフ練習場にて

45年以上愛用のゴルフクラブ

太田さんにとっての横浜は・・・

私にとって横浜は、「再び、青春!」ですね。

私は35歳から横浜市民なので「第二の故郷」と言えるでしょう。金沢区の六浦に社宅があって、そこに住んでいたのですが45歳で役員になったときに出てくださいと言われて、金沢区能見台に引っ越しました。今も能見台在住です。

会社員時代は、東京勤務だったので地域との関わりはほとんどありませんでした。最初のきっかけは、ジュニアゴルフスクールに関わったことですか。子供たちを通して、ゴルフコンペのお世話などで父母との交流が始まり、横浜での知人が増えていきました。

今や「横浜人」だと自負しています。
まだまだ横浜のために頑張りますよ。

<取材を終えて>

太田さんは70代にして元気溌剌、いつも明るく笑顔で私たちに接して下さいます。
今回のインタビューで、一流商社が会社更生法の適用になり、その後再建の一躍を担うという激動のサラリーマン生活から起業して中小企業の経営者のサポーターとなるまでの道のりを伺いました。これまで決して平坦ではなかったと思います。そんな苦労も多彩なご趣味すべて自分の糧として生きていらっしゃる太田さんに乾杯です。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

7月 10 19

「横浜BMIストリートピアノ」をご存知ですか・・・

by staff

 

2019年6月、みなとみらい線馬車道駅内に横浜都心部に2台目のストリートピアノが設置されました。1台目は、2018年12月に関内駅地下のマリナード地下街に設置されています。

馬車道駅に設置されたストリートピアノ

マリナード地下街のピアノは多くのマスメディアにも取り上げられ、全国的にも有名になり、連日多くの方々が演奏を楽しんでいます。

YouTubeで「関内 ストリートピアノ」で検索すると、様々なジャンルの演奏を見ることができます。

慶応技術大学混声合唱団楽友会の演奏(マリナード地下街のWebサイトより)

私も5月某日の23時頃、友人と一緒に訪れて、周りに誰もいないことを確認してから「エリーゼのために」をちょこっと弾いていたところ、後ろから拍手があって恥ずかしい思いをした経験があります。

このピアノは、馬車道 、マリナード 、伊勢佐木 の3つの連なる商店街から成る「BMIストリートピアノ運営委員会」が管理していて、定期的に調律も行うなど、メンテナンスが行き届いています。(BMIは馬車道・マリナード・伊勢佐木・・3つの頭文字です)

2019年6月15日、馬車道駅の地下通路で開催された2台目の「横浜BMIストリートピアノ」オープンセレモニーに行ってきました。

オープンセレモニー

関係者の挨拶のあと、ヨコハマNOWが100号記念パーティーを開催した関内駅前セルテの「ヤンキース」で演奏されている横浜市中区出身のピアニスト木村香絵さんの演奏がありました。駅になり響くピアノの音に大勢の人々が立ち止まっていました。

6月のある土曜日午前中に、マリナード地下街を訪れてみると、ピアノの音が地下街に流れています。若い男性がポップな曲を楽しそうに演奏していました。周りには演奏を楽しむ方々の用のベンチも用意されていました。

関内駅地下マリナード地下街のピアノ 演奏風景

彼が引き終わった後、すぐに中年女性がクラシックの曲を弾き始めました。
ストリートピアノが街の中に溶け込んでいるようです。

私はそのまま、馬車道駅に移動しました。徒歩で5分程度の距離です。
ちょうどその日は、馬車道構内でフリーマーケットをやっていてストリートピアノは演奏中止で、演奏風景は見れませんでしたが、きっと関内と同じように駅構内にピアノの音色が響き渡ることでしょう。

馬車道駅風景

ストリートピアノは、今後は伊勢佐木町にも設置される予定とのこと、BMIストリートピアノを弾くために横浜を訪れるという光景が見られることを願っています。

 

7月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第7回) ~宙を舞う総合芸術~ エアリアルダンサー 松山奈未さん

by staff

Prologue

皆さん空中芸の”エアリアル”はご存知でしょうか?
フランス発祥のサーカスの中で用いられるパフォーマンスの一種で、見る人を驚かせ神秘的で幻想的な世界へと誘ってくれる総合芸術です。

現代ではダンスが義務教育に取り入れられる様になり、YouTubeやニコニコ動画、TikTok等動画をベースにしたコンテンツの普及もあり、踊る事や身体を使った表現が今や誰でも出来る時代となりました。

それでいても、やはりプロの一線というものはいつの時代も存在します。

ただ、上手に踊れるだけではプロじゃない。
圧倒的な表現力と、危機管理や細やかな配慮、機材への知識や、その場を共にする仲間への気持ち、、、
“本当のプロ”って、当たり前に技術がある人達の中でも際立って何かを持っている人の事を指すような気がしています。

今回は、パフォーマンスの中でも一際華やかでもありながら、フィジカルとメンタル共に強さとしなやかさが必要とされるエアリアルダンサーの松山奈未さんにお話を伺って参りました。

松山奈未さんのエアリアル -Rain-

松山奈未さんとの対談

Acco 「エアリアルダンサーになったきっかけを教えてください!」

松山 「きっかけは、Cirque du SoleilのQuidam日本公演を鑑賞して。その頃はまだコンテンポラリーダンスに夢中だった頃で、後々コンテンポラリーダンス以外に何か特別な技を身に付けたいと考えるようになり、エアリアルを習い始めました。」

Acco 「そうなんですね。エアリアルは始められてから何年くらいになりますか?」

松山 「エアリアルを始めて約10年が経ちますが、それ以前はコンテンポラリーダンスを踊ってきました。
エアリアルを始めたきっかけは、地上でのダンスのみならずもっと表現の幅を広げたいという気持ちが強くなったことからです。
いつかエアリアルを取り入れたコンテンポラリーダンスを踊りたいと考えスタートしたものの、エアリアルで求められることは見栄えの良いいわゆる王道でダイナミックな大技であり、私が表現したいこととは少しかけ離れたものでした。
右も左も分からない下積み時代には経験として一通りの技を身に付けてきました。
その後、フリーとなってからはコンテンポラリーサーカスというカテゴリーで自主公演を行なったり創作活動に励んでいます。」

Acco 「エアリアルシルクやパフォーマンスを通して伝えたいことはどんな事ですか?」

松山 「人が浮遊感のある中で宙を舞うことはとても神秘的だと感じています。

私は、サーカスアーティストという肩書きではなく、舞台人でありたい。この思いを大切にエアリアルと向き合っていきたいと考えるようになりました。
激しく回ったり落ちたりすることだけがエアリアルの魅力のすべてではありません。そのことをまさに表現を通して伝えていきたいと考えています。
エアリアルは本当に繊細な芸術です。」

Acco 「本当に体を繊細に扱えないと出来ない事ですよね。体の使い方のコツみたいなものがあれば教えてください!」

松山 「一見、吊られている部材が軸になりそれらにまとわりついていたら何でもこなせると思われがちですが、全くそうではなく。
私たちの身体そのものが軸となっていなくては布や鉄輪はコントロールができません。
スピン一つとっても、遠心力を味方につける軸というのは少しのかける力の具合で随分結果は変わってきます。」

Acco 「表現をする上で一番大切にしていることがあれば教えてください!」

松山 「先ずは自身が表したい画を思い浮かべ、空間・空気感・目の前の存在とそこに存在する自分を想像します。」

Acco 「今後挑戦したいことはありますか?」

松山 「コンテンポラリーサーカスのカテゴリーで作品を作っていきたいと考えています。
私はたまたまダンスですが。
その他身体表現でも、絵でも、写真にしても、音楽にしても。
想像を生み出すことはとっても素敵。表現って素晴らしいと心底思います。
大切なことは何を伝えたいか、だと思っています。
自分を見失わず、自分ならではの表現をこれからも追求していけたらそれ以上の贅沢はないと私は感じます。」

Acco 「はい! 私も奈未さんの表現や作品が大好きなので是非作ってください! 楽しみにしております! ありがとうございました!」

感動の裏側にあるもの

無条件に心が掴まれるもの
なぜかグッと来てしまうもの
説明がなくてもそこに込めた想いや重ねてきた時間というものを私たちは感じることが出来る
 
だからこそ
誰にでも簡単にできる事ではないもの
目にしただけで世界が変わってしまうようなものに
私たちは心が動くのだと思います。
 
エアリアルも無条件に感動を与えてしまうパフォーマンスの1つです。
 
鍛錬を重ね行く上でも、安全であること、
そしてどんな人に習うかで未来が変わって来ます。
 
エアリアルを習ってみたい!という方は
是非松山奈未さんのところへお問い合わせくださいませ。

【お問い合わせ】
Email: matsuyamanami.conte@gmail.com
blog: http://ameblo.jp/matsuyamanami/
YouTube: http://www.youtube.com/user/matsuyamanami
Instagram: nami_matsuyama
Twitter: @matsuyamanami

 

<プロフィール>

大手テーマパークフライングトレーナー
中学校教諭一種免許保持
高等学校教諭一種免許保持
サンリオピューロランド「Miracle Gift Parade」エアリアルオリジナルキャスト エアリアル振付 2015/12?2018/5出演。 「INTERNATIONAL ASIA-PACIFIC POLE & AERIAL ACROBATIC CHAMPIONSHIP 2017」Aerial Silk部門1位優勝。Aerial Hoop部門2位準優勝。
「2017 Capital of Texas Aerial Championships」Aerial Lyra – Professional部門1位優勝。Aerial Silks – Professional部門2位準優勝。

兵庫県出身。幼少時クラシックバレエを学ぶ。1997年芸能プロダクション・タレント養成所合格。
同時期より舞踊を始め、創作・モダン・バレエ・ジャズ・ヒップホップと様々なジャンルを学び、舞踊コンクールで多数受賞。コンテンポラリーダンスの出演を経て、エアリアル養成所でエアリアルシルク・エアリアルフープを学び、現在フリーで活動中。

 

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
SNS Facebook
Instagram

 

7月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第2回)
介護は突然始まるかも!

by staff

第2回 介護は突然始まるかも!

前回(第1号)で、「介護」は病気・事故・高齢によるものなど様々で、突然起こることが多いと書きましたが、実際、我が家の場合も突然でした。

当時私は起業し、昼間は事務所で母にも手伝ってもらいながら仕事、父は杖を使っての歩行でしたが、身のまわりのことは自分でできていました。そんな2007年12月、父の米寿を祝った12日後、ウイルス性腸炎を患いました。血液検査では特に異常がみあたらなかったので2日~3日すれば治るとドクターに言われたのですが、容態は悪化し、年明け早々救急搬送され緊急手術となりました。

命の危機は乗り越えられたものの、父は寝たきりの状態となってしまいました。それでも1ヶ月過ぎると病院からは退院をすすめられました。皆さんも、そうそう!  入院してもすぐに退院させられちゃうのよね! と同じような経験をされた方がいるのではないでしょうか? こういったことって、結構多いような気がします。

仕事をしながら寝たきり状態の父を自宅でケアできるだろうか? 病院のケースワーカーから紹介された施設は、費用が高すぎるし・・・悩みました。幸い私は、両親が70代のころから、訪問看護に詳しい方々とつながっていました。介護家族の経験談を聞き、看護師さんのお世話で療養型の病院に8ヶ月間入院できた結果、父は車椅子に座っていられるほど快復し、私も仕事をしながら家庭介護ができました。介護のネットワークのおかげで、どんなに助けられたことか感謝しています。

「突然介護! ってことがあるかも! 」を心に留めて、予測のつくことや今できることを先送りにせず、準備をはじめることをお勧めします。例えば、高齢になり足腰が弱くなったから転倒防止を考えるとか、物忘れが多くなってきたようなので専門の病院を探しておくとか、などなどです。

現在は、母の世話をしていますが、父の経験から介護への対応力は鍛えられてきたと思います。しかし、だからといって父も母も、それぞれ性格も違えば死生観も違うので、同じようなケアではうまくいかないということも学習しました。介護される人それぞれの生き方や考え方、またケアの状態も違うから、その人に合わせた介護対応力が必要になるということをつくづく感じています。

《知っていたほうが良いこと》

  1. 介護保険について理解しておくこと。
    介護保険は40歳からすべての人が加入します。40歳~64(第2号被保険者)と65歳以上は(第1号被保険者)で、介護給付を受けることができる内容が違います。また39歳までは介護保険対象者ではないので、介護給付はうけられません。
  2. 公の機関で相談できるところとしては、介護対象となる人の住んでいる区役所の福祉や介護を扱っている部署。(他には地域に地域包括支援センターというところもあります)
    相談する場合、的確な回答を得られるためには、どんな不安があるとか、分からないこと、介護される人も介護する家族もどのようにしたいと思っているのかなどを前もって具体的に整理してから相談をされると良いと思います。

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

7月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第9回「可愛すぎる鳥とSNSで人気の『シマエナガ』(北海道) 」

by staff

第9回 可愛すぎる鳥とSNSで人気の『シマエナガ』(北海道)

2018年9月17日から29日まで北海道へ行っていました。目的は月に照らされた十勝連峰や望岳台からの夜景撮影とナキウサギ貯食の撮影、それと根室のさんま祭りですが、その合間に野鳥も撮影することができました。

9月21日、望岳台でナキウサギを撮影中、“ジュリ、ジュリ”という鳴き声が聞こえたので、近くの灌木を見ると、十数羽のシマエナガの群れが来ていました。シマエナガは本州に生息するエナガの亜種で、北海道に分布しています。エナガに比べ、黒い過眼線がなく、真っ白い顔をしています。体長は14cmほど。長い尾羽を含んだ長さなので身体はもっと小さく、首が短いので、丸い体に尾羽が付いているようでとても可愛いです。その可愛らしさから『雪の妖精』と愛称が付けられています。違う種の小鳥と混群することも多く、この時はシジュウカラが近くに遊びに来ていました。

上の写真は本州などに生息するエナガです。違いがハッキリと分かりますね。
北海道へは十数年前から野鳥撮影に来ていますが、シマエナガを撮影できたのは、今回で2回目です。シマエナガを目的に来たことはありませんが。
背中の模様は、普通のエナガと変わりません。 2羽並んでくれました。そして、1羽が飛び立ちました。

チョコマカ休むことなく動き回るので、撮りやすい鳥ではないですね 数分間、せわしなく動き回り、何処かへ飛んでいきました。

北海道滞在の最終日の9月27日早朝、十勝岳吹上温泉白銀荘前キャンプ場を出発し、支笏湖を目指します。今回、撮り鳥を目的とするのは、初めてです。休暇村支笏湖の駐車場に着いたのは、午前8時40分頃でした。

休暇村の裏には野鳥の森が広がっています。その中の遊歩道を進むと、野鳥観察舎があります。
観察舎の壁から水場を見ることができます。光が入りにくいので非常に暗いですね。今年の7月に来たときは、キビタキやコルリ、クロツグミのメス等の夏鳥が水浴びに来ていました。今は9月も末なので夏鳥は帰ったなと思って、あまり期待はしませんでした。
観察舎に来てから1時間、頭上で“ジュリ、ジュリ、ジュリ”という、シマエナガの鳴き声が聞こえました。見上げると、逆光で分かりにくいですがシマエナガでした。水場に下りてきてくれるのを期待したのですが、下りてきてくれませんでした。残念!!!

この写真は前回2016年1月に北海道駒ヶ岳北側の渡島砂原で、初めてシマエナガを撮ったときのものです。首をかしげたポーズが可愛いでしょう!

今年から北海道最終日の昼食はマルトマ食堂と決めていたので、午前11時、苫小牧へ向かいました。ここでお勧めするのは、なんと言っても“マルトマ丼”です。新鮮な魚介類が下のご飯が見えないくらい、たくさんのっています。特に甘エビは絶品です。安い居酒屋で食べる甘エビは生臭いものもありますが、ここの甘エビは本当に甘いですよ。
マルトマ食堂: http://marutoma-shokudo.com/

苫小牧発午後7時の太平洋フェリー“いしかり”で名古屋へ向かいます。
9月28日午前10時、仙台フェリーターミナルに入港し、午前12時50分に名古屋へ向け出港します。
翌9月29日10時30分、名古屋フェリーターミナルへ入港しました。
名古屋からタカの渡りを見に、伊良湖岬へ行く予定でしたが、台風24号が近づいて来ているし、身体もダルいので、真っすぐ帰ることにしました。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

7月 10 19

楽しい文字の世界(第18回) 増田窯x紅花

by staff

第18回 増田窯x紅花

和紙に書いた文字や墨絵が他のものに謄写され、出来上がってきて、箱から出すワクワク感はたまりません。それが思った通りであったり違った時の一喜一憂も。今回は二度焼き直しをしていただき、完成しました。

髙島屋さまから、このお話をいただいたのが月は師走。丁度私は1月開催の紅花書道塾25周年展の準備も佳境で、睡眠時間をどう確保するかと戦っていた時期でした。しかし、横浜を代表する増田窯様の器に私の筆文字や墨絵がのる…それは、どう考えてもお断りする理由が見つかりませんでした。期限は1月2日。
私はもともと紙に向かって悩むより、日常を過ごす中で頭の中であれこれ考え、最終的に紙に向かうようにしているため、紙に向かう時間は思ったほど取っていないかもしれません。

横浜らしい商品、「ありがとう」や「感謝」の気持ちを表したもの。そんなお題をいただき、制作にあたりました。
増田窯様の工房にも何度か足を運び、私の筆文字や墨絵が実際に焼くと、どのようになるであろうとの長年の経験をいかしたプロのアドバイスをいただきながら、器の形、色、デザインなどを決めていきました。

できあがった器は3種。
ペアのフリーカップ。みなとみらいの昼間の風景(白)と夜景(紺)。

ペアのフリーカップ

白は昼間の青々とした港町。内側にカモメが飛んでいます。
紺は夜景の美しさ。星空に三日月が浮かび、みなとみらいの建物群はシルバーに輝いています。
そんな横浜の暮らしに、感謝の気持ち「心をこめてありがとう」の筆文字を添えました。
取っ手がないので、日本茶、紅茶、コーヒーなどオールマイティティに飲んでいただけます。
中にはそばちょこに丁度よいというお声も。増田社長曰く、軽くて丈夫なため、海外への横浜のおみやげにも最適とのことです。

お湯のみ

横浜の市花のバラ。内側には赤いくつ。こちらも墨絵で描きました。
「元気でね いつまでも」

小学3年の生徒が1人で髙島屋にこのお湯のみを1つ買いに行き、「おばあちゃんにプレゼントしたら、おばあちゃんすごく喜んでくれました。」と報告してくれました。
それは感動話です。作ってよかった!と強く思えた瞬間でした。

横浜焼の精神を受け継ぐ横濱増田窯。その名前が器の裏に。器のお墨付きをいただいた感じです。
小学校3年の女の子のおばあちゃんのように、どこかで誰かに喜んでいただけたら作者として幸せです。

 

【お知らせ】
髙島屋オンラインショップで横濱増田窯×紅花の器をお買い求めいただけます。
https://www.takashimaya.co.jp/shopping/gift/keiro/…
 

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して25年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

7月 10 19

しあわせの「コツ」(第31回) 「ありのまま」は強い!

by staff

第31回 「ありのまま」は強い!

最近のSNSの普及が、私たちのコミュニケーションのスタイルを大きく変えたことに異論を唱える人はいないでしょう。変わったのはコミュニケーションのあり方だけではありません。物事の評価の基準も変わりました。
フェイスブックの「いいね!」やツイッターのフォロワーの数の多さが評価につながることから分かるように、内容がどうあれ、「他者に承認されること」が重要な価値を持つ時代になったのです。しかもその評価は「インスタ映え」という言葉があるように、「見栄え」や「キャラ」という外面的な要素による場合が多いのです。

私は、とりわけ「キャラ」という人格の編集の仕方に今日的なものを感じます。「いじられキャラ」や「おバカキャラ」などを売りにしている芸人もテレビでよく見かけます。
「キャラ」は架空の人格である「ペルソナ」(ラテン語で『仮面』という意味)とは違います。性格など自分の特徴のどこかを分かりやすく造形し、「私はこういう人間でございます」と、それを「通行手形」として集団内で行動するのです。「キャラ」はその人物の内面を表しているのではなく、「他者がどう見ているか」「他者からどう見られたいか」が基準となっています。どちらかというと演劇の「配役」に近いのではないでしょうか?

例えば「キレキャラ」を売りにする芸人は、「すぐキレる」役を演じているわけです。実際のご本人は穏やかな面もあるでしょう。でも、テレビではそれを封印し、何にでも「キレて」見せるのです。たまに地が出ると、「キャラに合わない!」と炎上されるのですから、たまったものではありませんね(笑)。

フェイスブックでもインスタグラムでも、沢山の「いいね!」を集めるために、写真を修整したり、被写体に手を加えたりするのはもう常識となっています。なかには最初から「インスタ映え」を狙った商品まで売られています。

明らかに「インスタ映え」を狙った写真

名前の割には「インスタ映え」していないお弁当

一体どうしてこれほど人々は他人の評価を気にするようになったのでしょうか?

それは、唐突かもしれませんが、「変化への恐れ」があるような気がします。

誰もが感じているように、今世界情勢も先行きがほとんど読めない状態です。スピリチュアル系の本やブログを覗いても、異口同音に「地球が進化の時を迎えている」と書かれています。近い将来3次元から5次元に地球が次元上昇するというのです。
 人は、本能的に安定を求め、変化を嫌います。けれども流動する世界の中でも生きていかなければなりません。そこで変化する世界に目をつむり、「こうあってほしい」と思う状態に編集した虚構の自分、虚構の世界にフォーカスするのです。「インスタ映え」がこだわる「見た目」とはまさに作られたイメージとしての自分や世界に他なりません。それを重要視することで、刻々変わる世界やありのままの自分を無意識のうちに拒否しているのです。

そうすると、どうなるのでしょう?
自分の内面が置き去りにされ、本来の自分と「見た目」の自分とのギャップがどんどん広がっていくのです。それは苦しい事です。他者目線の「見た目」を世間にさらせばさらすほど、本当の自分は陰に隠れ、孤独が深まっていきます。「インスタ映え」で興じる若い女性の間で「アナと雪の女王」の主題歌が大ヒットしたのは、歌詞が彼女たちの隠れた心の闇を代弁していたからではないでしょうか。

「アナと雪の女王」主題歌 Let it go - ありのままで -
 
降り始めた雪は
足跡消して
 
まっ白な世界に
ひとりのわたし
 
風が心にささやくの
このままじゃ
ダメなんだと
 
とまどい傷つき
誰にも打ち明けずに
 
悩んでた
それももうやめよう
 
ありのままの
姿見せるのよ
 
ありのままの
自分になるの
 
何も怖くない 風よ吹け
少しも寒くないわ

特に「ありのままの 姿見せるのよ ありのままの 自分になるの」の下りに来ると、カラオケなどで涙を浮かべながら歌う女性が大勢いたそうです。

「アナと雪の女王」のエルサ

「インスタ映え」に代表される「見た目」へのこだわりは、自分の内面や変化する世界に向き合うことなく、簡単に自己肯定感を得られる方法ですが、その代償はあまりにも大きかったということでしょう。なにしろ「ありのままの自分」を生きることができなくなってしまうのですから。

「アナと雪の女王」のエルサは、自分の個性を受け入れ、隠さず生きることで自信にあふれた強い女性に生まれ変わりました。さらに自分の個性を発揮するなかで失敗も経験しながらそれを制御する方法も体得したのです(映画の中では「真実の愛」がエルサの魔法を解くことができる、と分かる)。“Let it go”の大ヒットは、「見た目」という他人軸で生きることの生き苦しさを何とかしたい、という若い女性の暗黙の願望が後押ししたのではないでしょうか?

封印された自分の能力を受け入れることで自信を取り戻したエルサ

「見た目重視」とは他人軸で生きることに他なりません。それは本当の自分を封印して生きていくことです。
本当の自分?  ― それは生まれてこの方経てきた体験の総体です。
楽しく有頂天になるような体験ばかりではありません。悲しい事、辛い事、とても人には言えないみじめで無様な体験等々。それらを通して出来上がった性格や物の考え方、学んだ事、交流した人々…。それら全てをひっくるめたものが「ありのままの自分」なのです。
それをエルサのように隠さずに受け入れ、他人軸でない「自分軸」で生きることを選ぶことによって「生き苦しさ」や「自信のなさ」から解放されることでしょう。

「自分軸」で生きるとは、これまで経てきた体験の総体の頂点に今の自分がいるという認識を持つことです。宇宙広しといえども、この自分以外誰も経験していない唯一無二の「自分史」というストーリー。視点を広げれば先祖や人類の歴史までもが射程に入る、このオンリーワンの壮大な歴史ドラマの主人公が自分であると心の底から思う時、人は「見た目重視」の薄っぺらな評価など、全く気にならなくなることでしょう。

「ありのまま」でいることは強いのです。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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7月 10 19

2019年7月 三ツ池だより 「マンダラチャートに出会って30年!」

by staff
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マンダラチャートとは「曼荼羅の智慧を経営に生かす」ことのために開発された手法です。開発された松村寧雄先生に最初お会いしたのは30年ほど前のことになります。先代と一緒に私は会社を経営してきていました。創業20年ほどになっていました。創業の昭和39年頃と言えば日本再生に燃えていた時代でした。なんとか行けそうだと思ってはいましたが、このままでいいんだろうかと、昭和59年頃考えていました。外部の研修にいろいろ出せてもらっていた中で、川崎市商工会議所での松村先生の講習に興味を持ったのでした。「会計事務所の先生用の内容なので、先生と一緒でないと許可できません。」と言われました。「マンダラチャートってなんだ」と弊社の先生に言われてしまったが、話をなんとしても聞きたいので先生に同行してもらえないかと頼みました。無理やり頼んでの講習会参加でした。

最初のわが社が生き残る8戦略は次のようなことでした。

  1. 構造戦略
    開発・販売へ(毎日の仕事も考える集団でありたい)
  2. 営業戦略
    待つ体質から出向く体質へ(客先が楽しみに待つようにする)
  3. 生産戦略
    作る体質から売る体質へ(お客があって作れるのだ)
  4. 売上戦略
    受け身注文から企画を売る(収益のベースである既存の仕事も大切に)
  5. 商品戦略
    受注生産から独自商品の開発(リピート商品の育成)
  6. 利益戦略
    与えられた利益から想像する利益(原価管理と誠実な仕事)
  7. 教育戦略
    思いつき教育から人材育成プラン(上に立つ程自己研さん)
    (技術の伝承+自己努力が進歩につながる)
  8. 社長戦略
    既存のことにこだわらず、会社方針を理解した上でそれぞれが最良の道を求めよ

一年目は手書きの計画書になりました。私は計画書作成と実践のために専務から社長へ昇格して取り仕切りました。そして翌年からは松村先生や銀行関係者においでいただいて、経営計画発表会を行ってきたのでした。経営計画導入をした翌年には社内報(Pac’kn Press)を創刊しました。

「創刊によせて 社長 横須賀健治」を見てみる。

「ユリの花が花瓶に生けてあった。庭に植えたのはいつのことだったのだろう。アジサイにさえぎられて眺められなかったが、居間に飾られたのを見ると随分大きく見えた。球根で土に埋められたものが、成長してこんなにも存在感のあるものになるのだ。
パックンプレスの創刊おめでとう。どんなふうに育つのだろう。本当に楽しみだ。“パックン”という意味は、
 Pleasy(楽しく)
 Activity(活動的な)
 Communication(コミュニケーションを)
 Keep(続けて行くための)
 Note(メッセージ)
といった頭文字からきていると解釈してみました。コミュニケーションとは、ただ楽しいだけではない。前向きに相手を理解していくこと、相手に気持ち良くはたらきかけていくことだ。そんなパックンプレスになることを期待している。」

PACKN PRESSは3カ月に一度の発行で34号まで続いた。当時は環境委員会と情報委員会の二つの委員会があって、社員は皆、どちらかに所属して活動していた。あの時の営業活動でお客様の所に行ったら次のような事を言われてしまった。「メジャーテックツルミの社員は良くやるよ。でも会社の様子と社長の顔が見えてこないね。」ガーンと頭を殴られた気がした。何かをしないといけないと考えた。「measure通信」を出すことにしたのだ。私は編集が好きだから社外報として計量情報と会社の様子と、ちょっと役立ちそうな情報の提供をめざした。社長の責任発行としたのであった。「measure通信」は初期の予定100号まで発刊できた。

measure通信18号には17年度の経営計画の発表にあたってのところで次のように書いている。「経営目標は適正計量を通して社会に貢献する。一人一人が目当てとされ、いきいきと業務を通じて、人間として成長していく集団でありたい。“MEASURE And COMMUNICATION”にあるように器物をつくる・売るというだけでなく、その器物によって行われることすべてを考えようとしてきたのでした。私たちは変わらないといけないのです。一人ひとりが工夫をもとめられ、情報の発信者になるのです。自然に成長していかなければならないのでした。」

マンダラの出会いによって経営の取り組み方が全く変わってきています。これからも、一層変わっていくでしょう。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

7月 10 19

ゆるマナー講座(第45回) ちょっと気になる公共のマナー

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

そろそろ各地で梅雨明けのニュースが流れる頃になりました。鬱陶しい日も紫陽花の花が咲いているのを見ると少し気分が明るくなりますね。

今回は雨の時期に見かけた傘のマナーや乗り物のマナーなど最近気になった公共のマナーについてです。

傘のマナー

傘で気になるのが畳んだ時の持ち方です。駅の階段などで前を歩く人が傘を勢いよく振りながら歩いているのを見かけたことはありませんか? その人の後ろから階段を上っている時、思わず傘がぶつかりそうでヒヤヒヤする時があります。階段でなくても、お子さんにとってはちょうど目の高さになりますからとても危険です。
梅雨が明けると日傘の出番です。最近は日傘男子もデビューしているようですから、畳んで持つ時は周りの人にぶつけないよう気を付けましょう。

混雑している電車の中でお互いの傘から垂れる水滴も気になりますね。ある時濡れた傘を入れるおしゃれな傘ケースに傘をしまっている人を見かけました。ちょっとした気遣いですが、他人の服も自分の服も濡らさなくて済む雨の日の素敵なマナーだなと……実は私もすぐ真似をして購入しましたが、とても快適ですよ。

乗り物でのマナー

先日、通勤電車の中で若い女性が、ストローをさしたカップ入りの飲み物を片手に持って乗って来ました。電車が揺れるたびに溢れて洋服に飲み物がかかりそうでした。蓋付きとは言え混雑した電車の中ではマナー違反です。
また電車の座席で脚を広げて二人分幅を取っている人を見ると、少しずつ皆で詰めて座ればもう一人座れるのにと思うことがあります。高齢の方や配慮が必要な人が目の前にいることに気付いて欲しいなと感じることもあります。スマホから目を離すと違う景色が見えるかもしれません。

人と人との快適な距離は、国民性や個人によっても多少の違いはあるようですが、片手を伸ばした距離内に知らない他人が入ってくると不快に感じるものです。
電車の中はまさに他人と他人が心地よい距離感でいられない場所…だからこそ少しでも心地よい空間になるよう意識したいものです。

そんな空間で素敵な光景を目にすることもあります。学生らしき若い女性がきちんと脚を揃えて本を読んでいました。彼女のその姿勢の良さに、疲れて肩を落として座っていた私も思わず背筋が伸びてしまいました。年齢にかかわらず美しい佇まいの人には影響力がありますね。

いろんな「声かけ」いろんな「優しさ」
(駅のマナー啓発ポスターの言葉より)

写真は駅の構内で見つけたポスターです。
ポスターに描かれているいろんな「声かけ」、いろんな「優しさ」、当たり前になるとちょっといいなと思いませんか?


地下鉄の構内で見つけたポスター

今日たまたま、優しい声かけをしている若い人を見かけました。ご高齢の女性二人が電車に乗って来たのですが空席は一席だけ。そこに座っていた若者がすぐに「どうぞ」と立ち上がり席を譲っていました。女性二人も「ありがとうございます」と笑顔でお礼を伝えていました。
ほんのちょっとしたことですが、できそうでできないことです。でも、「優しい」光景は周りの人も笑顔にするものです。
私も温かい気持ちで一日をスタートできた朝の一コマでした。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

7月 10 19

書評「心が元気になるたった1つの休め方」 青春出版社 植西聰(著)

by staff
 
タイトル 心が元気になる たった1つの休め方
新書 216ページ
出版社 青春出版社(2019/5/18)
ISBN-10 4413211375
ISBN-13 978-4413211376
発売日 2019/5/18
購入 心が元気になる たった1つの休め方 (青春新書プレイブックス)

「いい考えは、たいてい休んだ直後に出てくる」という処があります。集中して考えるとぼんやり休む、をセットにするといいそうです。「机にかじりついて、ウンウンうなるようにしても、いいアイデアはなかなか浮かんでこないものです。むしろ、頭の中がこんがらかっていくばかりで、何をどう整理して考えればいいのかさえわからなくなってきます。」そのような時には「仕事場から離れ、散歩をしたりして、ぼんやりとする時間を作るのです。すると、そのぼんやりやすんでいる時間に、 “そうだ、こうすればいいんだ” という、いいアイデアが突然浮かんでくることがあります。」よく行きづまって、途中休憩を入れることがあります。正にそのことなのですね!

「一段落したらではなぜ遅いのか?」のところで、それはかえって効率を悪くすると言われます。「すべてをやり終えてから、心を休めよう、リラックスしよう、と思います。しかし、そのように、疲労を感じながらがんばろうとすればするほど、その人の心身には強いストレスがかかります。疲労感とは、人の心身の中で無意識に生じるブレーキのようなものです。そこで、なおもがんばろうとすることは、ブレーキのかかった状態でアクセルを踏むようなものなのです。」もし自動車で、ブレーキを踏みながらアクセルを吹かすようなまねをしたら、おそらくエンジンが故障してしまうでしょう。「この仕事を終えてから休もう、ではなくて、わずかな時間であっても、少しづつ休み休みしながら仕事を進めよう、と考える方が賢明なのです。」

「一日一度 “美しいものに感動するする時間” をとる」という処があります。「絵画や花を見て、 “なんて美しいんだろう。感動した” と思ったとします。すると、脳の中で、セロトニンという物質が盛んに分泌されます。そして、セロトニンという物質が盛んに分泌されると、心が癒されるという効果が促されるのです。」実際の自然ではなく、写真に写った美しい自然であっても、十分なリラックス効果があることが知られています。「そして、何よりも感動する、ということが大切です。ただ漠然とした気持ちで “美しいもの” を見ているだけではなく、自分で意識して感動を引き起こすことが大切なのです。感動することで、よりいっそうリラックス効果が高まるからです。」と語られます。

「いい音や音楽の力を借りる」という処があります。脳内物質のひとつにセントニンというホルモンがあります。脳内で、このセントニンの分泌が盛んになると、心が休まり体がリラックスするそうです。例えば、ゆったりした音楽を聴くということです。3から5分程度、リラックスできる、ゆったりとした音楽を聴くだけでも、十分効果があるようです。「多くの人は仕事中に音楽を聴くことはできないと思いますが、たとえば、昼休みや、電車での移動中にそのようなヒーリング・ミュージックを聴くようにするのです。心が休まりいいストレス解消になります。」日常生活の中に、ゆったりした音楽を取り入れましょう。

「机の上だけでもいいから掃除してみる」という処があります。イライラした気持ちをそのまま放置しておくことは、自分の人生にとって良いことではありません。そのイライラした気持ちに自分自身が押しつぶされて、前向きに生きていく意欲を失ってしまうことにもなりかねません。時々「洗心」をするのがいいのです。心からイライラした気持ちをきれいに洗い流す、ということです。その方法としては、たとえば、「掃除」があります。禅の修行では掃除がとても重んじられています。ここでは次のように言われています。「気持ちがイライラしてきたときには、わずかな時間を使って、身の周りを掃除してみるとよいと思います。机の上だけでもいいのです。」「心が清らかになると念じながら、掃除してみる。」やってみましょう。

「澄み切った大空、を思い描く」という処があります。「なにか嫌なことがあってイライラした気持ちになっているとき、3分だけ気持ちを落ち着けて、大空を心の中に想像してみます。」そうすると、不思議にイライラした気持ちが消えていき、心が休まっていくのを実感できると言われます。日常生活の中では色々なことが起こります。イライラすること、カッカすることなどさまざまなことがあります。そのように心が雑念にとらわれたて乱れたときに、「広々としていて澄み切った大空を思い描く」ということを試してみてくださいと言われる。そのような習慣を持つ事が穏やかな人生へつながっていきますよ、と励まされるのでした。

「泥の中で美しく咲く “蓮の花” を思い浮かべる」という処があります。蓮は泥水の中で育って、そして美しい花を咲かせます。「汚れた人間世界であっても、尊い気持ちをもって生きれば、蓮の花のように美しい存在に生まれ変ることができる。という意味を示しています。」また「泥水であればあるほど、美しい大輪の花を咲かせます。」「もし汚れた世界に身をおいていたとしても、自分自身が貴くて清い心を持って生きていれば、やがて美しい存在になっていくことが出来るのです。」したがって、もし「この世はよごれきっている」と気持ちが滅入ってくるようなことがあったときは、わずかな時間{泥の中で咲く、美しい蓮の花}を思い浮かべてみるのです。そして、「私も、蓮の花のように美しい人間になれる」とイメージしてみます。そんな時間を持つ事で、ホッと心が休まります。そして、「きよらかな心をもって、前向きに生きていこう」という気持ちをよみがえらせていきましょう。

「情報が多すぎて決められないとき」という処があります。集まってくる情報や資料が多すぎて、かえって、どうすれば新規ビジネスを成功させることができるのか迷いが深まってしまう、という場合もあるのではなかと思います。そのために、いったい何をどうすればいいのかわからなくなってしまいます。そういう場合には、自分の心に問いかけてみるのです。「ビジネスマンも情報や資料を集めながら、もし迷いが生じたときは、少しの時間自分の心に向き合って、 “どうすればいいか、私は何をしたいのか” と問いかける習慣を持つのが良いと思います。」「自分の “心” は、きっと、正しい方向を指し示してくれるでしょう。」自分の心に問いかけてみる。それは自分磨きでもあります。

「ノートに “心の記録” を書き出す」という処があります。「人づきあいに疲れを感じやすい、という人は、日常生活の中で、自分ひとりの世界に入り込む時間、を作ることが大切です。」その時間が、心の疲労感を取り去り、そして心を休ませてくれます。自分ひとりの世界に入り込む、ための方法として、どんなものがあるかと言えば、たとえば、心の記録をつける、というものがありますと提案される。日記というほど大げさなものではないのである。それ専用のノートや手帳などを用意しておいて、短い時間で、今心の中で感じていることを何行か書き出すのです。「それを書いている間、自分の世界に入り込めます。人間関係のわずらわしさを少しの時間であっても、忘れることが出来るのです。それが良い、 “心の休息” になります。」はっと気づかされたことがあります。いま私はA6のメモ帳が383冊目になっています。あることがきっかけで18年になります。とてもいい習慣になっています。

「夜空を見上げて宇宙や星に思いをはせる」という処があります。「夜、星空を眺めながら宇宙について考えると、心が静かに休まるものです。広大な宇宙について思っていると、心が休まってきます。」そういえば、私は今、月の位置を観察することが習慣になっています。ときには日の出の前に東の空に月が出ることもあります。太陽が出るとだんだんうすくなっていき、姿を早朝に消していきます。

悔いのない人生をおくっていくためには「がんばったら、休む。しっかり休んでから、またがんばる」というリズムを保ちながら生きていくことを植西さんは提案されています。

(文:横須賀 健治)

 

7月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第76回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第76回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

AI技術の向上は天井知らずの感がありますが、ここは冷静に “人間にしかない能力・人間にしかできない能力” を探求する好奇心が不可欠。 “常識(コモンセンス)” “教養(リベラルアーツ)” とは単に知識というよりセンス。今こそセンスを鍛えることが大切なのかも。夏目漱石は “世の中をどう解釈するか” を作家の大事な仕事と受けとめましたが、時代が変わろうと、AI技術が高度化しようが、この論点は誰にとっても不動の軸。インターネットが台頭した時、誰もそれが何ものなのか、ビジネスにどう役に立つのかわかりませんでした。そこに斬り込む方法としてシリコンバレーで生み出されたのが “アプリケーション・コンセプト” 。現在は明確になっていない潜在ニーズを踏まえた最新技術による用途イメージを描くもの。これを深耕・研磨する有力な武器の一つが “メンタリング” 。メンタリングの本質は、長期的に高い成熟度を期す全人格的なもの。梁塵秘抄では “娑婆にしばしも宿れるは 一乗聞くこそあわれなれ 嬉しなれ や 人身再び受けがたし 法華経に今一度 争でか参り会わん” とあります。輪廻転生の世では法華経の教えに出会えれば儲けもの。 “ノイズを聴く” と作曲家ジョン・ケージ。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

戦い 武田信玄 五分を上 七分を中とする
十分をもって下とす 日露戦争後の協約締結
恐露病と言われたが上の策 ロシアを叩くと
仲介の米国 日本の伸長を抑えにきた可能性

武田信玄は甲斐の守護大名。 “戦いは五分を上、七分を中とする、十分をもって下とす” と悟る戦い上手。その一つが “三方ヶ原の戦い” 。徳川幕府の始祖である徳川家康を完膚なきまでにやっつけました。家康が信玄の挑発にまんまと乗ったため。家康はこの浅慮を猛省し、その苦悩・落胆の表情を絵師に描かせて自らを戒めました。 “鳴くまで待とう” に象徴される “忍” の代表格の家康にも失敗の歴史。信玄といえば、上杉謙信との川中島の戦い。戦闘は計5回で12年に及ぶもの。古戦場跡に立つと、芭蕉が平泉で詠んだ “兵どもが 夢の跡” の句が思い浮かびます。 “ボクシングは何より精神的な闘い。精神的な強さは肉体的な部分に隠れてしまいがちだ” と元世界ヘビー級王者のマイク・タイソン。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

俵屋宗達:没骨技法 輪郭線なしで描く技法
蕾・開花・敗荷 流行の移り変わりが早まる
三跡の世界 小野道風・藤原佐理・藤原行成
昼も夜も熟慮し温める、と画家・ルーベンス

昨年秋、上野の国立西洋美術館でルーベンス展が開催されました。壮麗華美なバロックが栄えた17世紀ヨーロッパを代表する画家であり、後に “王の画家にして画家の王” と称されました。日本では人気が高く、30万人を超える入場者を数えたとのこと。大工房を構えて時代に先駆ける作品を量産、ヨーロッパ中の貴族階級や収集家間で高く評価されました。古典的教養も身につけ、7か国語を話し、外交官としても大活躍したとか。ルーベンスの名は、わが国では名作アニメ “フランダースの犬” で広く知られてもいます。溢れる才能をもってしてなお “昼も夜も熟慮し温める” ほどの勤勉と集中。 “生の設計の中に死の設計が織り込まれている。壊さないと生まれない” と生物学者・福岡伸一。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

チンパンジーは がんで死ぬ確率は二%
人間(例えば、日本人)の場合は三〇%
フリーキックの極意 自分に自信を持つ
プラクティス(練習のみ)、とベッカム

2002年に行われた日韓W杯では、世界中からサッカーのトッププレイヤーが来日、日本中が熱気に包まれました。テレビの視聴率も60%超えが複数誕生。プレイヤーの中で絶大な人気を誇ったのがイングランド代表のベッカム選手。ベッカムは、学校で先生から大きくなったら何になりたいの?と聞かれる度に “サッカー選手” と答えていたそうです。どの先生も、どんなお仕事がしたいのかを聞いているのだよと聞き返したとか。 “マンチェスター・ユナイテッド” などの名門チームで活躍、20世紀の偉大なサッカー選手の上位にランクされています。そのベッカムにして “プラクティス(練習)あるのみ” とは。 “二次的なものを見ずして一次的なものを見よ” と理論物理学者・湯川秀樹。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第76回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
7月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第10回 「閉店したお店② ~町中華編①~」

by staff

第10回 閉店したお店② ~町中華編①~

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十回目でございます。

前回は閉店してしまったナポリタンの名店の数々をお届け致しましたが、今回は町中華編。誰が名付けたのか町中華。何気なく存在する町場の中華料理店。近年よく取り上げられるようになりましたね。
拙著「麺食力」においても数々の「町中華」を記録しておりますが、閉店してしまった店舗の現在の様子についてレポート致します。

「中国食堂 曲暁明の店」のごま風味ラーメン。
坦坦麺の辛くないバージョンとも言うべきか。

まずは関内・南仲通に位置した「中国食堂 曲暁明の店」(P.24に掲載)。「ごま風味ラーメン」という、ラー油をたらせば坦坦麺になるようなラーメン。なぜこれをチョイスしたのか、さっぱり覚えていません(笑)。

「中国食堂 曲暁明の店」だった現在は建物そのままに別の中華料理店に。

食べたものはともかく、関内という、オフィスビル&雑居ビルの集合体の中で、平屋の店舗だったのは印象深くて、中に入ればオリエンタルな屋台のような賑わいがあって、空間としては好きでした。2013年頃に閉店し、建物はそのままで別の中華料理店となっております。

「大雅飯店」のカキそば。これは美味かったなぁ。

同じく関内は常磐町にあった「大雅飯店」(P.27に掲載)。冬季限定の「カキそば」が名物でした。唐揚げにしてから黒豆などとともに炒めたカキがゴロゴロ入っていてしっかり温まる、いやぁ、あれは美味かった!!

「大雅飯店」だった現在はこちらも建物そのままに別の中華料理店に。

「大雅飯店」も2010年頃、この本が刊行されて間もなく閉店されました。まったくもってこの本の効果がなかったのか、と思うと悲しいなあと思いますが。。。閉店にはいろいろな事情があると思います。建物も立派、中に入っても立派な店構えでした。「大雅飯店」なき後はやはり別の中華料理店に。

「山賊」の外観(写真残っていました!)。
北京式のラーメンを打っている様子は小さな頃から見ていた風景でした。

お次は長者町に。「本格北京料理 本場手打ちラーメン 山賊」(P.201に掲載)。アングラな雰囲気がプンプン漂う長者町の共同住宅の1階テナント部分に長らく存在したお店。店舗前では豪快にラーメンを打つ姿がキン肉マン世代にはとても印象的でした。

「山賊」で食した山賊麺。
鍋が欠けているあたりがアングラ感を演出していると思えば(笑)

店名を冠した「山賊麺」は土鍋に片栗粉でまとめたスープが入ったラーメン。冬に食べたのでとても温める一品でした。

「山賊」のあった建物は見事に更地に。
恐らく次はマンションでしょうが、1階はテナントが入る形態になるようです。

もともと訪店時に「あと3年すれば再開発で立ち退くから終わり」と店主が宣言していましたが、2015年くらいまで営業を続けました。よく頑張った。あの怪しげな共同住宅も解体され、次はマンションのようですが、1階はテナントが入る形態になるようなので、どんな感じになるのか注目していきたいです。

「栄来軒NOW」の三生嗎麺。
「サンマーメン」ではなく、「サンウーマーメン」と読む。
現在のサンマーメンの代名詞であるモヤシは入っていない。

お次は吉野町へ。横浜市営地下鉄ブルーライン吉野町駅前の吉野町3丁目交差点の角にあった「栄来軒NOW」(P.187に掲載)。サンマーメン発祥はウチだ!と豪語するお店でした。
ここの先代が昭和初期に長者町の中華料理屋で修業していた頃に先輩が賄いで作ったものが三生?麺(サンウーマーメン)だったとのこと。それはサンマーメンの代名詞であるモヤシは使用せず、白菜を細切りにしたものを入れていたと。そもそもモヤシが普及したのは戦後から、と店主は膨大なサンマーメン論文で説明してくれたことを思い出します。
この三生?麺以外にも、10種類くらいのサンマーメンメニューがあった、サンマーメン専門店だったのです。

 「栄来軒NOW」なき後はよくわからないけど飲食店になっている。

そんな「栄来軒NOW」も2016、2017年頃に閉店してしまいました。もう少しお話を聞きたかったな、という後悔がわずかに残ります。
まだまだあるのですが、次回に続きます。。。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

7月 10 19

チャレンジ(第11回) 地域活動支援センターとは

by staff

地域活動支援センターとは

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。今年は梅雨が長いと言われていますが、暑かったり寒かったり、じめじめしていて嫌な天候が続いていますね。ぱっとしない天気のせいか、私も体調を崩し気味で日々ダラダラとしてしまいます。私は暑いのも苦手なので、今からこの体調では梅雨明けの暑い夏も心配です。そう思うと、やはり健康が一番ですね。45歳を過ぎてからつくづくそう思うようになりました。

さて今月は私が関わっている「地域活動支援センター」について少し書こうと思います。

地域活動支援センターとは、在宅の障害者が、地域で自立した日常生活をまたは社会生活を営むことができるよう、創作的な活動又は生産的な活動の機会の提供及び社会との交流の促進等を図る場として5つの種類の日中活動の場があります。それぞれ利用者の意向や障害の状況にあわせて、活動の場を選択します。

1.地域活動支援センター・デイサービス(支援法)
2.地域活動支援センター(障害者地域作業所型・精神障害者地域作業所型)(支援法)
  2-1.地域活動支援センター(障害者地域作業所型)身体・知的
  2-2.地域活動支援センター(精神障害者地域作業所型)精神
3.精神障害者生活支援センター(支援法) 精神
4.中途障害者地域活動センター(支援法) 身体

※横浜市HPより

私はこの「2-2.地域活動支援センター(精神障害者地域作業所型)精神」に関わっており、週一度、地域活動支援センターに通って、精神障害者と一緒に自主製品の製作をしています。支援の内容は各作業所によって違いますが、私が関わっている作業所では、自主製品の製作・販売の他に、お菓子の箱の組み立てや封入などの軽作業、公園清掃なども請け負っています。こちらの作業をすることで障害者さんたちは工賃を受け取ることができます。

また、作業だけではなく、レク活動も行っています。日帰りレク活動と宿泊レク活動があります。私は子供が小さいので宿泊レクには参加したことがありませんが、日帰りレクは毎年参加させて頂いています。ちょうど先週ボウリング・レクリエーションに参加してきたのですが、私がボウリングをするのは、1年に一度のこのボウリングレクの時だけです(笑)

精神障害者は体調を整えるのが難しい障害であり、軽作業や公園の清掃の時なども辛い顔をしながら作業をする人たちも少なくありません。真面目で手を抜くことを知らない人たちが多いと感じますが、そのような人たちでもレク活動の時はとても楽しんで良い笑顔を見せてくれます。私のような福祉に無関係な人間が障害者と一緒に活動するには、こういったレク活動にも参加させてもらって、障害者や職員さんと信頼関係を作ることがとても重要だと思いました。

地域活動支援センターに関わって5年が経ちましたが、まだまだ困難なことがたくさんあります。たくさんのことを学びながら私自身も成長していきたいと思っています。

次は「クラッチバッグ」です 

(第11回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

7月 10 19

絵本から笑本へ(第39回) 絵本作家がゆく。~瀬谷区 にこてらす~

by staff

絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

今回で15区目。今回は瀬谷区。

瀬谷区の子育て支援拠点は「にこてらす」。

にこてらすさんでも、今回のコラムがご縁で、
絵本と紙芝居の読み笑わせイベント「読絵ん会」を、
開催させて頂きました。

たくさんの赤ちゃん子ども、お母さん達が集まってくれて、
急遽、2ステージ目も開催しちゃうほど(笑)
たくさんのお母さん達ともお話が出来て良かった。

ぼくはお陰様で、子育て支援拠点や親と子のつどいの広場で
イベントをさせて頂く事が多いのですが、最近感じるのは…
外国人のお母さん達が増えてきているな、という事。

きっと、自分の生まれた国とは違う国で子育てをするのは、
解らない事や大変な事もあるんだろうな。

以前、別のイベントで、日本で子育てをしている

外国人ご夫婦とお話をする機会がありました。
そのご夫婦から聞いた話がとても興味深かった。

そのご夫婦は、日本で子どもを育てていて、
言葉を覚えさせるうえで悩んでいる事があるとおっしゃっていました。

日本語は、日本で生きていくうえで、
お友達と遊んだりしながら自然と覚えていくだろう。

英語は、日本の教育の仕方には少し違和感はあるが、
日本でも英語に触れられる機会は多々あるので、覚えていけるだろう。

一番の心配は母国語。

日本ではなかなか母国語に触れられる機会はない。
本来なら親だけでなく、祖父母や親戚が近くにいれば、
その会話の中で覚えていける事もあるだろう。
しかし、近場で母国語を話すのが両親だけだと、
どうしても母国語に触れる機会が無い。
そんな中で母国語を教えていく事が一番難しいと。

とても考えさせられるお話でした。

そして、そのご夫婦もおっしゃっていたのが、
地域で同じ国の方々と繋がれる機会がないか、
いつも探しているんだと。

横浜市の様々な子育て支援施設には、

外国人スタッフや多国語を話せる方も多くいらっしゃいます。

にこてらすさんでも、日本語以外に、
英語、中国語、ベトナム語を話せるスタッフさんがいらっしゃいます。
多国籍家族の為の取り組みも、様々なかたちで行っています。
こういったところから、様々な国のご家族とも
繋がる事が出来るかもしれませんね。

そうそう、先の話に出てきたご夫婦が

こんなこともおっしゃっていました。

母国語を教えるのが難しいときに、
母国語で読める絵本や紙芝居があると嬉しい。
保科さんつくってよ。と。

そのときは、機会があればなんて濁してお答えしちゃいましたが、
そんなご希望に少しでも近づけるよう、実は…
日本以外での国で絵本出版へ向けた動き出しが始まっています。
日本に住む多国籍のお母さん、お父さん達の
少しはお役にたてれるかな。

にこてらすさんには、赤ちゃんや子ども達、

お母さん、お父さん、そして様々な国のご家族の
笑顔が集まっています。

「ニコニコ」な笑顔を「てらしてくれる」、
優しいスタッフさんも待ってますよ。
是非、遊びにいってみてください。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区 都築区 瀬谷区

<今回訪問した施設のご紹介>

瀬谷区子育て支援拠点 「にこてらす」
HP: http://www.nico-t.jp/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

7月 10 19

第77回 杉の無垢材でバーカウンターをつくる

by staff

荻津郁夫建築設計事務所
荻津 郁夫

杉の無垢材でバーカウンターをつくる

箱根の旅館のバーカウンターを杉の無垢材でつくりました。

箱根強羅花壇ラウンジ「花影」

杉のバーカウンター

杉材は一般的には柔らかく傷も付きやすいのでカウンター材には向かないと言われています。タモやナラやケヤキ、ブビンガやカリンやチークといった広葉樹のカウンターに出会うことが多いのではないでしょうか。

今回は、和風旅館の中にあるバーカウンターで、今までにない素材が作り出す新しい空間をめざす意味もあり、あえて杉のカウンターにチャレンジしました。

ただし、杉の厚板そのままではなく「表層圧縮テクノロジー」を用いて加工、もともと6センチ以上ある厚板を約3センチに圧縮した材料です。軽量のままで傷がつきにくく、薄い無垢材なのに反りが出にくいので、薄板2枚を積層させて厚さのあるバーカウンターとしています。

表層圧縮した杉板を積層して使用

圧縮された木目が心地よい

無添加の無垢材で表面は固く強いにもかかわらず、中層部は表層部ほどには高密度化しない技術なので、杉の温もり感や肌触り手触りは残ったままの素材感があります。
リラックスして佇む宿の一角にふさわしい素材です。

視覚的にも神代杉や古材を思わせるような表情をもっていて、表層圧縮テクノロジ―が土中や水中に埋もれている長い時間を短時間に再現しているのではないかという想像も駆り立てます。

施工:ナイスグループ 菊池建設株式会社(圧縮杉無垢材:Gywood/ナイス株式会社)

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

7月 10 19

たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

by staff

♪ たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:藤原 興風(ふじわら の おきかぜ)

現代語訳・・・いったい誰を昔ながらの友と言えばいいのだろう、高砂の老松以外にはもう誰もいない、その松だって昔ながらの友! と言うわけではないのになあ。

久しぶりに百人一首の歌人の唄です。私はまだ老いてゆく寂しさには遭遇しておりません。人生の一大イベントでもあった NENEROCK <69> BIRTHDAY LIVEを無事に終える事が出来、ほっと一息の日々、その節は色々と協力して頂き本当にありがとうございました。

最近私の尊敬する作家、田辺聖子さんが亡くなりました。彼女が角川文庫から出されている “田辺聖子の小倉百人一首” は私の愛読書です。毎月「ヨコハマNOW」で文章を書く時には必須で、資料としても貴重なものになっています。まず、原稿を書く前に、私は田辺さんの本を読んで、今月はこの和歌にしようと決めます。歌人のエピソードや和歌の現代語訳はとても個性的で面白く、その内容から自分のイマジネーションが刺激されて、歌人をもっと知りたくなりネットで調べるまでのプロセスが、自分にとっては貴重なひと時です。実はそれまでの私は田辺聖子さんの作品を全く読んでいませんでした。百人一首の本を購入した事で大ファンになり是非和歌うたを聴いて頂きたい!と、最初のアルバムをオフィスの方へ送らせていただきました。その後数か月たってオフィスからお礼のハガキが届いて、その印刷された文章のちょっとわきに、田辺さんの自筆と思われる文字で「がんばってね!」と書かれていました。その一言がとても嬉しくて私の大きな励みになったのは言うまでもありません。 いつか和歌うたのコンサートを見て頂こう! と。これが一つの目標でもありました。 今月の歌人 藤原興風さんの心境にはまだ達してはいませんが、昨年は恩師平尾昌晃さんも亡くなって、自分の心の拠り所とする方が帰天されてゆくのはやはり寂しいものです。

余談ですが、この田辺聖子さんのハガキの事をブログに書いたらファンの方から、田辺さんの自筆はどんな感じなのか是非見てみたい!というコメントが入りました。私自身も、もう一度そのハガキを読んでみたいと思い立って、さて! どこにしまったかしら? 自分にとって大切なもの、宝物の部類に入るのでどこかに大事にしまってあるはずなんですが、そのしまった場所がわからない。ハガキを頂いたのは横浜にいた頃で、その後すぐに岡山に越してきて 新しい家の配置など まだ自分がどこに大事な物をしまっておくのかを明確に定めていなくて、あっちにしようか、こっちにしようかと、迷いながらの生活空間でした。事務的に色んな場所を左脳で決めてゆくのですが、無意識に近い右脳の方はもっとシンプルな場所を使ってゆく。これってよく押し入れの天井などから札束が出てくるのと同じような類のものなのかしら、それとか捨てられた古いバックの中に数千万円が入っていたりとか。よく本の間にお金が挟んであった、と言うのは私も時々やります。

大切だからとわざわざ特別な場所を決めて 仕舞った事を忘れる。
家が広いと色々な場所が仕舞場所になり、床の間に置いたり、引き出しに入れたり。
せっかく頂いた 田辺聖子先生の励ましの一言が書かれたハガキが 現在 紛失状態。
どうやら老いの寂しさに浸る前に、老いの物忘れに翻弄させられる心境がありそうです。

   早苗ネネと行く4日間のマウイ島。リトリートツアーのお知らせ(女性限定)


チラシをダウンロード

マウイ島はトロピカルな観光地と言うよりも古代のレムリア文明の波動を残しているとてもスピリチュアルな島。オアフ島 ホノルルの喧騒とは全く違った穏やかな街並はハワイ島からのトレードウインド(貿易風)が吹いていて ドライエリアは毎日晴天ですが、山側にはレインボウシャワーが降り注ぎ緑の美しい牧歌的な家並みが続きます。
観光客の行かないパワースポットを巡り、日ごろの雑念をデトックス。
参加される方、一人一人が 本来の輝きを取り戻すために企画しました。
 
<ツアー日程>
9月27日~10月1日
<リトリート参加費用>
$2200米ドル 現地集金
<費用に含まれるもの>
・宿泊費: プライベートリトリートハウス4泊5日
・食事: 朝食&夕食 Vegan organic(オーガニック菜食)
・空港送迎: 現地移動
・通訳 & 各アクティビティ(国立公園入場料)
<費用に含まれないもの>
・航空券 ESTA
・昼食
・プログラム以外の個人アクティビティ
・個人セッション
・旅行保険 期間中野外プログラムが多く含まれます。
盗難 怪我、病気などは自己責任となりますので海外旅行保険加入をお勧めします。
 
8名までの限定です。(個人が尊重される人数)
マウイ島カフルイ空港 現地集合です。(全国からの参加募集のため)
 
ハレアカラ山は 富士山級の標高を持ち 月のクレータを思わせるような雄大で不思議な空間を見せてくれます。
聖地 ヘイアウは 優しい空間が広がり、現代生活で疲れた心を癒してくれます。
 
日本に居るとどうしても年相応、とか目立つような振る舞いは慎んでしまう私達。
でも少し気分を若返らせて、リラックスしませんか?
もう年なんだから、と先細りの人生観にからめとられる前に、まだまだ大丈夫!
自分は若い!と思える感覚をアロハスピリッツの中で体感して下さい。
 
<お申し込み>
現地スタッフ mauiret7@gmail.com までご連絡ください。
お申し込みフォームとその他4詳細をお送りいたします。
 

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

7月 10 19

横浜市立大学附属市民総合医療センター教授 鈴木ゆめ先生

by staff
鈴木ゆめさん
鈴木ゆめ先生
 
お名前 鈴木 ゆめ(すずき ゆめ)
ご出身 東京都出身
お住まい 横浜市中区在住
お仕事 横浜市立大学附属市民総合医療センター教授(一般内科)
趣味 小説を書くこと

 

「ゆめ」という名前は本名ですか? 珍しいお名前ですが・・・

父は四国の出身で小説家志望だったそうですが、国家公務員をしていました。それで娘に「夢」を託したのかもしれませんね。ただ、「名前を重荷に感じるな」「自分の好きなように生きていいよ」と言われてきました。医師になって結婚して、「鈴木先生」ではなく「ゆめ先生」と呼ばれるようになりました。そう呼ばれると、いい名前なんだと実感しています。

どのようなお子さんだったのですか?

大人しい子どもでした。
中野区立桃園小学校に入学して、勉強をコツコツ真面目にやる女の子でした。
父がたくさん本を買ってきてくれたので、毎日本を読んでいました。日記を書かせられてトレーニングになったのか、作文は得意でした。家庭科クラブに入って、編み物や手芸なども好きでした。
それから「人間」に興味を持っていました。これは後に医師になるには必要な素質でしたね。

中野区立第十中学校では、英語クラブに所属して英語劇に出ていました。
優等生タイプでしたが、友達とローラースケートやアイススケートに行ったり、夏休みにはプールに行ったりして、仲良く遊んでいました。中学校時代に、様々な環境の友達と幅広いネットワークを持てたことは、貴重な体験でした。

高校は、都立西高校に進学しました。
クラブはESS( English Speaking Society) でした。英語を話し、楽しむ部活動です。
文化祭などで英語劇をやって、私も出演しました。英語劇のために他クラブの友人たちも協力してくれて、友達の優しさを感じたことなど、懐かしいですね。
高校時代は、精神科医になりたかったのですが、理系科目に対してアレルギーがあったので、最終的には文系受験を選択しました。当時、国立市に住んでいたこともあり、一橋大学で心理学を学んでカウンセラーを目指そうと、一橋大学社会学部に入学しました。

心理学を専攻されたのですか?

大学では友人たちと精神分析研究会をつくって、一橋祭(文化祭)で心理テストを紹介したりしました。
精神科医の岡庭武先生が保健センターにいらして、指導を仰いでいました。
岡庭先生の下で精神分析を学びたいと有志で署名を集めて大学に働きかけて、社会学部に岡庭ゼミを開設してもらいました。大学3年生の時に、岡庭ゼミの一期生となりました。
岡庭先生は、沖縄復帰前の1964年に日本政府から精神科医として派遣された経験をお持ちで、ゼミで沖縄に研修旅行に行ったこともあります。
大学時代の私は好奇心が旺盛で、フロイトの研究や心理テストなど、自分の興味のあることには積極的に取り組んでいました。
大学時代の卒論は「ロールシャッハ・テストの解析」でした。

なぜ医師を目指されたのですか?

精神分析を勉強するにつれて、治療をするには医者でないと・・・という想いが日に日に強くなりました。
それで医師になることを決意しました。
両親には、大学院に入ったらあと5年くらいかかるのだから、医学部で6年かかってもあまり変わらないと説得しました。両親はあなたが決めた道だから・・・と反対しませんでした。一人娘を自由に生きさせてくれた両親には感謝しています。
大学卒業後1年間勉強して、横浜市立大学医学部に入学しました。
横浜市立大学の医学部を受験したのは、一橋大学の先輩で探検家である関野吉晴さんがいらしたこともありました。
一橋大学卒業の医師は結構多くて、同窓会には「如水医人会」というのがあって、現在医療関係者101名の会員がいますよ。

医学の勉強はいかがでしたか?

一橋大学では女子学生が全学部800人中で33名でしたが、横浜市立大学医学部は60名中女性が18名はいたので女性比率は、こちらのほうが高かったのです。

生物は元々好きだったので良かったのですが、医学部時代は、覚えることがとにかく多くて大変でした。学費は自分で出していたので、医学の勉強と家庭教師のアルバイトに明け暮れる日々でした。

文章を書くことが好きだったので、大学では医学部内の新聞部でコラムを担当していました。日々のことを書いていたのですが、先輩に褒められたことを覚えています。

「神経内科」を専攻しました。
「神経内科」は、脳や脊髄、筋肉、神経などに生じる炎症、変性、ホルモンなどの異常を原因とする病気を診療する内科です。脳梗塞や認知症、パーキンソン病などの認知、感覚、運動などの異常や頭痛、めまい、しびれなどの症状を診察します。
症状について患者さんと話し合いながら、症候から病名を診断していきます。謎解きのような感じですね。

認知症の本を2冊出版されているそうですね?

大学の市民講座で認知症についての講演を担当していたのがきっかけとなり、分かりやすい認知症の本を書いてくださいとの依頼があり、実業之日本社から「認知症これだけ知れば怖くない」という本を2013年に出版しました。この本が結構評判よくて、もっと読みやすくということで、河出書房新社から「無理をしない認知症との付き合い方」という本も出版しました。


「認知症これだけ知れば怖くない」
 
「無理をしない認知症との付き合い方」

本を出版したことで講演依頼が増えています。
また公官庁の広報誌に毎月連載を持っておりまして、認知症だけでなくそれに関わることに広げて、今年で4年目になります。

医師であり大学教授であり家庭人でもありと八面六臂のご活躍ですが、「女性が働き続けること」についてどう考えられていますか?

私の場合は結婚して子どもを産んでからずっと、私の両親と一緒に暮らしていたので助かりました。神奈川県医師会の男女共同参画担当の委員なども拝命しておりますので、公の場で女性医師の働き方、キャリア形成ついて私の意見を述べてきました。それは「家事を外付けにする」ということです。仕事も家事も自分でやりたい・・・と思う方が多いようですが、決して無理はしないことです。家事は他人に任せて、自分の時間を作っていくことが、仕事の継続には必要なことだと考えます。私自身は産前産後8週の産休を取得して職場復帰しましたが、医師の勤務は肉体的に大変でした。仕事は緊張の連続ですから、家ではゆったり暮らしたいと考え、その環境を作ってきました。娘は歯科医です。私の背中を見て医学を志してくれたことは嬉しいですね。

趣味は「文章を書くこと」だそうですが・・・

私にとって「文章を書くこと」は気分転換になりますし、ストレス発散にもなっています。書いているときは自分だけの大切な時間です。これからもいろいろなものを書いていきたいです。特に、私の経験から皆様のお役に立つ内容を盛り込んだサスペンスコメディーを出版したいと考えています。今書いているサスペンスコメディーは、35歳の女医を主人公にして、読者を楽しくする内容にしています。

鈴木さんにとって「横浜」は?

「横浜」とのご縁は、横浜市立大学医学部に入学してからですが、私にとって「横浜」は、親しみやすくて、他者を受け入れてくれる「やさしい街」です。排他性がないのは「港町」からでしょうか。

現在は横浜に住んでいますが、横浜に望むことは「自慢できる街」になってほしいということです。横浜の独自性がもっと前面に出てほしいですね。2019年、2020年と大きなイベントが続いて、横浜を知ってもらうチャンスなので、この機会を生かして「オープンな街」横浜になってほしいです。

私にとって横浜は、「やさしい街」です。

<取材を終えて>

ゆめ先生は、医学部の教授で認知症の専門家ということで硬いイメージがありましたが、お会いしてみると、とてもソフトで人間愛にあふれた方でした。お話もお上手で、全国各地で講演されていらっしゃる所以がよくわかります。

横浜が舞台だという、ゆめ先生が書かれる「サスペンスコメディ」を早く拝見したいですね。ヨコハマの知識人としてのご活躍を願っております。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

6月 10 19

横浜・寿町の新しい試み

by staff

 

横浜・関内のすぐそばに寿町という地区があります。
ここは、東京都の山谷、大阪市のあいりん地区(釜ヶ崎)と並ぶ三大「ドヤ街」の一つで、日雇労働者が宿泊するための「ドヤ」という簡易宿泊所が100軒以上立ち並びそこに6000人以上の方が住んでいます。

横浜市中区は22キロ平方メートの狭い地域に、県庁や市役所があり、元町・中華街、山手地区、寿地区がありと、現代社会の多様性をそのまま具現している日本全国でも珍しい地域ではないでしょうか。私はどの地区も徒歩圏にある横浜市中区に住んでいます。

寿町地区の住民の方々は高齢化が進み、生活保護比率も非常に高くなっています。横浜市は、寿地区の住民の健康づくり、介護予防、自立支援と市民相互の交流を図る目的で、「横浜市寿町健康福祉交流センター」を建設しました。



横浜市寿町健康福祉交流センター

2019年6月1日に開所式として盛大なイベントが開催されました。私も参加してきました。
この施設には診療所や公衆浴場「翁湯」、図書コーナー、ラウンジと様々な施設が備わっています。

その中の一つに「ことぶき協働スペース」があります。
ここは、寿地区で活動する各種団体の支援をするために設けられました。
私が理事を拝命しているNPO法人「横浜コミュニティデザイン・ラボ」が指定管理者として任命されています。

6月1日はオープニング企画として「寿町の未来を語る ~新施設開所に向けて~」「寿の営みと蓄積 ~寿町の記録と記憶~」「協働スペース × SDGs~若者の視点から~」等を開催しました。寿町の現状と今後を考えていく新しい試みだったと思います。

イベントのチラシ

イベント広場

開催イベントには、私たちの仲間が大勢登場しました。
昨年のWaWaWaイベントで登場していただいたNPO法人「あっちこっち」の降旗真理子さん(ピアニスト)・藤川玲奈(ソプラノ歌手)のミニクラシックコンサートがあり、「ヨコハマNOW」に「絵本から笑本へ」を連載されている保科琢音さんが絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)として落語を披露されました。

オープニングトーク

ミニクラシックコンサート

ミニクラシックコンサートの舞台の横には、たくさんの方々がカレーライスの炊き出しを待って並んでいました。

イベント会場で私に話しかけてきた男性は「楽しいね・・いい音楽を聴くと元気になるね」と「マイフェアレディ」の音楽に合わせて一緒に踊ってくれました。

「ヨコハマNOW]では今後、イベントなどを通して寿町地区の方々との新しい関わりを模索していきたいと考えていますので、応援よろしくお願いいたします。

 

6月 10 19

考えてみよう「子ども」・「家族介護」のこと(第1回) 「子ども」へのはじめの一歩は

by staff

第1回 「子ども」へのはじめの一歩は

はじめまして。ヨコハマNOW6月号からコラムの連載を開始する竹沢佐知子です。1回目の原稿を緊張しながら書いているところです。緊張の理由は、株式会社ともクリエーションズの渡邊伯桃子社長からヨコハマNOWのコラムに書いてみない? というお話を頂き、執筆経験がないのに「何事も勉強」と受けてしまったからです。こんな私に書けることは何かをじっくり考え、テーマの柱を「子ども」と「家庭介護」としました。

「子ども」のテーマでは、6年間の幼稚園教諭経験とベビーシッター業を営んだ25年間の家庭保育の経験ありますので、子育て期の家族の皆さんだけでなく、社会の大人の皆さんにも子どもたちのことを考えていただけるような内容を書いていきたいと考えています。

また、子どもは発達段階とともに成長するので予測がつきますが、「介護」は病気・事故・高齢によるものなど様々です。そして、突然起こることが多いです。「家庭介護」のテーマでは、私自身の親介護の経験で身についた知識やケアの事をお伝えできればと思っています。

本コラムは私自身のキャリアと経験をもとに書いていきますが、「へぇ~そんなこともあるのか」とか「こんな時、どうすればいいのかな?」などなど、読者の皆さんと「子ども」・「家族介護」のことを一緒に考えることができる場にしたいと思っています。

コラム第1回は、「『子ども』へのはじめの一歩は」というタイトルで書きます。

乳幼児や児童への残酷すぎる虐待の事件が多く、ニュースが流れる度に、心が痛くなってしまいます。そんな時、なぜ、親がそんなことをするのか? とか、なぜ、周囲は気がつかなかったのかなど、なぜという疑問や犯罪に憤る気持ちがおこると同時に、自分の子育てではそんなことがないとか、自分のまわりには子どもがいないし虐待もないからぁ~と、自分の身近に起こっていないと、どこか他人ごとでいることがあります。

いろいろな世代が一緒に住んでいた大家族の時には、家族がそれぞれ自然に役割分担して互い補いあって、近所も同様でつながりあっていたと思います。それが、核家族化が進み近所とのつながりも希薄になって、他人のことには口出ししないという風潮が生まれて、現代社会は、自分に関係ないことには関心を示さなくなってきているように思います。

子どもは家庭の中だけでなく社会の中でも育っています。子育て家族の方も、そうでない方も、全員が子どもと関係があると広く考えてみることも大切だと思います。そのためにまずは、「子ども」に関心をもつことです。日常の買い物など、外出先で普通に子連れ家族を見かけることがあります。その時は、子どもたちに目を向けてみてはどうでしょう。

関心を持つと、優しく子どもを見つめたり、時にはあやしたり、頑張っている親の姿に言葉をかけたりと、あなたらしい子どもや子育て家族とのつながり方が生まれてくると思います。 「子どもたちは大人たちに守られ育ち、子はやがて大人になって子を守る」という正のスパイラルの渦が広がると、安全に幸せに暮らせる社会がうまれるような気がします。

「子ども」へのはじめの一歩。それは、子どもたちに関心を持って子どもたちとの出会いをワクワクしながら楽しむ。そんな気軽な気持ちではじめてみてはどうでしょう。

《参考》
児童虐待かもと思ったら189番へ (児童相談所全国共通ダイヤル)
厚生労働省ホームページ
https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/gyakutai/index.html

筆者紹介

 
本 名 竹沢 佐知子 (たけざわ さわこ)
自己紹介 短大幼児教育科を卒業後、幼稚園教諭となり、その後2度の転職も経験。「やっぱり子どもと関わる仕事がしたい!」と、1991年ベビーシッター会社
(有限会社チャイルドサービス遊)を設立。
 
2007年から父の介護がはじまり、2016年には、会社と介護の両立より、両親との残された時間を大切にする決断をして、25年間続けたベビーシッター会社を廃業。
 
その後父は他界、現在は、母の世話を一番に生活しています。たいしたことはできない私ですが、生涯社会と関わりあっていたいと願っています。保育や家庭介護経験など、私で役に立つことがあれば気軽に声をかけてください。
Eメール childyou@tky2.3web.ne.jp

 

6月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第6回) ~令和元年 100年先も伝えたい音~ レコーディングエンジニア 安楽謙介さん

by staff

Prologue

世間ではネット社会の確立による “テレビ離れ” が著しく、音楽もCDを買うよりもネット上での購入若しくはYouTubeで充分という方も多いのではないでしょうか。

“聴きたい音を耳にするためにCD屋さんへ行く” という時代からは考えられないほどのスピードで圧倒的な情報量を誰もが手にするようになりました。

人間の五感、、、味覚、聴覚、視覚あらゆるものに共通して言えるのは、
現代人は “情報過多” “飽食の時代” 、、、
物も情報も溢れかえっている事で脳は常に刺激されている状態に慣れています。
また、その刺激に慣れはじめるとより刺激の強いものを求めていく傾向にあると言われています。
“インスタ映え” ブームがそのいい例だとも言えそうですね。
そんな平成を終えた令和元年。

[お寺×音楽]という全く新しい形のライブ型エンターテイメントイベントが先日伝通院にて開催されました。

今回は発起人である安楽謙介さんにお話を伺って参りました。

遺響残心 ~100年先も伝えたい音~

Acco 「お寺で公開レコーディングはどういったところからインスピレーションを受けたんですか?」

安楽 「2018年の夏に仕事で訪れた際、伝通院の本堂を案内していただき、レコーディングエンジニアの癖で、無意識に手を叩いて音の響きを確かめたところ、ものすごく美しい音が広がりました。伝通院で様々なプロデュースをされている株式会社彩石の大西正也さんに、思い付きで「本堂で録音イベントをやったら面白そうですね」と言ったところ、『やりましょう!』と即答していただき、その瞬間にスイッチが入り、あっという間に事が進んだ次第です。」

Acco 「すごい閃きですね!」

安楽 「以前から、レコーディングエンジニアがどれほど音楽に影響を与えるかを知っていただきたいという想いがありました。 普段リスナーの皆さんが録音やミックスなどの作業工程に触れることは滅多になく、完成された音楽しか耳にすることがありません。私はレコーディングエンジニアを音の料理人だと位置付けており、録音直後に軽くバランスを整えただけのラフミックス(調理前)と、丁寧に編集・ミックスした完成版(調理後)を聴いていただくことで、どれほど音楽に影響を与えるかを知っていただけるのではないかと考えていましたので。 今回の遺響残心では、それが実現できるいい機会だったので、そう