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5月 10 19

東北応援企画 @神田なみへい

by staff

 

4月22日に渡邊圭祐氏(私の旦那)が友人たちと主催したイベントが、神田の「なみへい」でありました。
彼は2年前に横浜市役所を退職して復興支援で岩手県大槌町に1年間勤務していました。
横浜に帰ってきてからも、大槌町を応援していて、今年の3月に三陸鉄道のリアス線が開通したときも現地に行っていました。

岩手県大槌町では、東日本大震災から8年経った今も多くの方々が仮設住宅に住んでいる現実があります。
ただ、いつまでも支援する側、される側ではないでしょう・・・皆で一緒に歩んでいこう!! というのが今回のイベントのテーマでした。

第一部は、大槌町にハマっている東京の大学生中村ひなたさん、大槌町役場での6年半の復興支援業務を終えて戻られた林正生さん、南相馬ツアー49回開催の須摩修一さんのお話を聞きながら「これからの被災地との関わり方」を「若者や子どもたち」の視点から考えました。

ひなたさんたちは、大槌町の人や自然が大好きで、復興支援というよりは「第二のふるさと」として大槌町の魅力を語ってくれました。

第二部は、岩手や福島の食材やお酒を味わいながら交流を深めていただきました。大槌町出身の若手トランペッター臺隆弘さんの演奏や須摩さんの楽しい司会進行で大変盛り上がりました。

お料理は・・・“大槌大好きお姉さまチーム” と私の手作りでした。
大槌町から送ってもらった食材を使って、早起きして「ワカメの酢の物」「椎茸の煮物」「スナップエンドウの和え物」「青菜のごまあえ」などを作りました。
趣味はスピード料理を公言している私ですが、30人分を作るのは初めてで、ちょっと緊張しました。(笑)

お姉さまチームは、手慣れたもので「具だくさんの炊き込みご飯」や「すき昆布のサラダ」を「なみへい」で作っていただきました。

イベントの最後には、大槌町発祥の「磯ラーメン」やクラウドファンディング挑戦中の「御社地大福」なども味わっていただきました。

東北支援に熱い想いのある方々が集まったせいか、話の輪があちこちにできて、あっという間に時間が過ぎていきました。様々なネットワークの広がりが感じられ、裏方としても満足できるイベントでした。

東北応援・・・これからも一緒に頑張りましょう!!

 

5月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第5回) 黄金比メイク® 福武美湖さんが教えてくれる “普遍的な美しさ”

by staff

Prologue

いよいよ新元号である”令和”が始まりましたね。

まさに時代の変化の真っ只中にいるわたしたちは、価値観の変容が目まぐるしく正しさや答えは一つではなく、人の数だけ目的地やそこへ向かう道のりも多様化されてきています。

では、変わらないものって何でしょうか?
いつの時代も普遍的に美しいものとは一体なんでしょうか?

今回のコラムは、自然界から芸術・建築の世界まで古くから伝わる普遍的な美しさの方程式
“美の黄金比” を活用した “黄金比メイク®”
の講師であり、メイクアップサロン AGIRL 代表の福武美湖さんにお話を伺って参りました。

黄金比メイク® とは

Acco 「早速ですが黄金比というのはどうやって導き出したのですか?」

福武 「黄金比というのは芸術や美術の世界では一般的に使われているもので、
万国共通で1:1.618という美の黄金比があるんです。
私は元々美大のグラフィックデザイン科でしたので、黄金比のことは元々知識としてあったのでそれを元に独自に研究を重ね誕生したメソッドが黄金比メイク® です。
サロンに置いてあるテキストも全て自分たちで作っています。

1:1.618という黄金比は、名画ですとか歴史的建造物、現代ですと大手企業のロゴやアイコンにも多く当てはめることができます。」

Acco 「わ、本当ですね!」









福武 「なぜ黄金比がいいのか、シンプルに申しますと人の記憶に残りやすくなります。
メイクに黄金比を活用することで、第一印象も格段に良くなりますし、記憶に残るお顔立ちになれるんです。」

Acco 「それはいいことだらけですね!
具体的にどんなことをするんですか?」

福武 「こちらの黄金比マスクというものを、お客様のお顔と合わせて、メイクによりお顔のバランスを黄金比に近づけていくという流れです。」

Acco 「凄い、、、面白いですね! 私も合わせてみていいですか?」

福武 「勿論です。」

福武 「田尻さんの場合ですと、眉がもう少しだけ目に近い方が洗練された印象になりますね。
目の大きさや瞳の位置なんかはピッタリはまっているので、わかりやすく万人受けしやすいお顔立ちではありますがご自身が本来お持ちの柔らかい雰囲気に統一するのであれば、若干眉に少しだけカーブをつけて目の形に沿わせる感じでもいいかもしれないですね。」

Acco 「え、、こんな一瞬でそんなことまでわかっちゃうんですか! 凄いです! 眉毛なんていつも正解がわからなくて困ってたのに一瞬で解決しました、、!」

福武 「みなさんに言っていることなんですが、正解っていうのはないんですね。
ご自身がどんなイメージになりたいか、それによって細かいパーツのニュアンスが決まって来ます。
例えばキュートを目指しているのに、眉毛がつり上がっていたらどんな感じですか?」

Acco 「んーなんか違和感ありますよね。」

福武 「そういう事なんです。」

福武 「私たちのメイクレッスンは、メイクが上手だねって言われたら失敗なんです。元々か綺麗だよねって言われるようなメイクをみなさんにお伝えしています。
メイクはただ濃ければいい、というものではないんですね。」

Acco 「すごく納得です!!」

福武 「私たちの黄金比メイクというのは、メイクによってバランスを黄金比に近づけているのでただ色をのせたり線を引っ張る、というメイクとは全くの別物なんです。」



Acco 「こんなに変わっちゃうんですか?!
骨格まで変わったようにも見えます!」

福武 「そうなんです。これが黄金比メイクなんです。」

Acco 「魔法みたいですね、、、、、!」

 

5歳からはじめたメイクアップ

Acco 「福武さんは、いつからメイクに目覚めたんですか?」

福武 「そうですね、、もうかなり幼い頃から母のメイクボックスを勝手に開けてはリップを塗っているような子供でした。。笑」

Acco 「何歳くらいですか?」

福武 「5歳の頃にはもう自分専用のメイクボクスを持って、自分でメイクしてました。」

Acco 「その頃から美意識が高かったんですね、、、、、!!」

福武 「次の日着るお洋服を全身コーディネートして靴まで決めたら眠るのが習慣で、朝は母に髪の毛もセットしてもらってお出かけしておりました。」

Acco 「すごい!それは美意識が養われますね。
メイクは特に誰かに教わる事なく大人になってしまったので、今からでも福武さんに習いたいくらいです!」

福武 「是非是非、いらしてください。
黄金比メイクのメソッドの素晴らしいところは、講師の好みのお顔に近づけるのではなく美の黄金比に近づけていくメソッドなので、美しくならないお顔がないんです。」

Acco 「それは凄いことですよね。。。。!!」

 

自宅サロンから帝国ホテルのメイクアップサロンへ

Acco 「こちらのサロンはいつからやられているんですか?」

福武 「もともとは自宅にてメイクレッスンをしていたの始まりなんです。」

Acco 「そこから帝国ホテルのメイクアップサロンなんて、、凄いです!」

福武 「偶々ご縁があったといえばそうですが、、、
誠心誠意必ずお客様のことを綺麗にして帰っていただいていたお蔭で、口コミで広がり婚活サイトの方と提携するきっかけをいただきまして、そこから急速にお客様が増えましたね。
本当にありがたいです。」

Acco 「女性はほぼ毎日やることですもんね。」

福武 「そうですね。メイクレッスンをするという習慣が、もっと一般的になったらいいなと思います。」

Acco 「何か今後やってみたいことがあれば教えてください。」

福武 「そうですね、自社で化粧品も販売しているのですがそのラインナップを増やしたいので化粧品会社はやりたいです。」

Acco 「いいですね!サロンで購入できますか?」

福武 「勿論です。
良質でリーズナブルなものもありますので是非ご覧になってください。」

Acco 「ありがとうございます!」

福武 「あとは、着物レンタルサービスとの提携も視野に入れております。」

Acco 「いいですね。私もお着物大好きなので楽しみにしています!」

 

好きという力

Acco 「福武さんのバイタリティーがどこから来るのか知りたいのですが、誰か尊敬する人や憧れの方はいらっしゃいますか?」

福武 「そうですね、、、んー、目標とする人は特にいないのですが、、、。
メイクアップアーティストでしたらシュウウエムラさんです。
あの方に憧れて美容の世界に入ったので。
皆さんから、どうやったら福武さんのようになれますか?という風に聞かれることも多いのですが、、
諦めないだけです。
本当にそれだけです。

言い訳するのは簡単なんですよね。
眠いとか、面倒だとか、お金がないとか、、、、、
でも本当にやりたい事だったら全部ど返ししてやれますよね。」

Acco 「かっこいいですね。。そのパワーってどこから出てくるのでしょうか。」

福武 「好きだからです。
メイクをするのが大好きで、本当だったら一日中メイクだけずっとしていたいくらいですがそれだと繁栄はしていかないので。
経営者として、外に出て、イベントをやることもトークショーをする事も引き受けています。」

Acco 「メイクアップアーティストとしてのストイックさと、経営者としてのバランスをとれるなんて本当にすごいです!
これからも福武さんのことを応援させてください!
本日は貴重なお話ありがとうございました。」

福武 「ありがとうございました。」

 

変わりゆく時代の中で変わらないもの

時代が変わって
世界も変わって
働き方や幸せのカタチが色々になっても
“正しさ” や “良い” と言われるものが変わっても
 
“美しさ” は万国共通
今も昔も変わらない
 
人の心に深く残るものですね。
 
福武さんの芯の通ったお話を聞きながら
美の普遍的な強さを感じる事ができました。
 
令和は “人々が美しく心寄せ合う中で文化は花開く”
ということで
改めて美しさに真摯に向き合っていきたいと思います。
 
福武さん、素敵なお話を本当にありがとうございました。
 
新しい自分、本当の自分、もっと美しい自分
に出会いたい方は
是非メイクアップサロン AGIRL
に足を運んでみてくださいね。

 

<プロフィール>


 
メイクアップサロン AGIRL HP:http://agirlbeauty.com/

メイクアップサロン AGIRL 代表
福武 美湖

1980年生まれ。嵯峨美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、ビューティーアドバイザーとしてシュウウエムラ化粧品に入社。その後24歳で兵庫県にエステティックサロンを設立。モデルとして活躍もしていた。
2013年に「黄金比メイク」開発し、2015年2月に(登録商標 第44類 第5739923号)を取得。
現在は、makeup salon AGIRLを運営する(株)AGIRL Beauty 代表取締役社長兼、黄金比メイクレッスン代表講師、小顔エステティシャンとして活動。帝国ホテル主催のメイクセミナーや、メイクショー、婚活パーティー最大手「(株)エクシオジャパン」や「新宿鍼灸柔整歯科衛生専門学校」などへ「医療人向け接遇メイク」講師や、ミスコンファイナリストのメイク指導など様々な美容イベントやセミナーも開催。某ジュエリーブランドや様々な企業さまへ、メイク研修も行う。美容研究家として雑誌や “@コスメ” などコラムも執筆。化粧品の開発に尽力している。

  • (株)AGIRL Beauty 代表取締役社長
  • 帝国ホテルプラザ make up salon AGIRL運営
  • 「黄金比メイク®」開発 代表講師
  • 小顔エステティシャン
  • 日本顔学会会員
  • 日本化粧品検定協会 日本化粧品検定1級
  • 日本化粧品検定協会 コスメコンシェルジュ
  • エステティック業協会 上級エステティシャン
  • エステティック協会認定 フェイシャルエステティシャン
  • 英国エステティック資格CIBTAC
  • 嵯峨御流華道・奥伝、嵯峨流書道八段

セミナーや取材等の出演依頼は、お問合せメールもしくはお電話にてお願い致します。
お問い合わせフォーム http://agirlbeauty.com/contact/
TEL:03-6206-1159

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
SNS Facebook
Instagram

 

5月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第8回「ハイイロチュウヒ(渡良瀬遊水地)」

by staff

第8回 ハイイロチュウヒ(渡良瀬遊水地)

渡良瀬遊水地は、栃木県の南端に位置し、栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる面積33km2、総貯水容量約2億m3の国内最大の遊水地です。ヨシ(植物)が広がる湿地帯ですが、水生植物から樹木まで1000種類を越える植物が確認され、なんと60種余りの国が指定した絶滅危惧植物が生育しています。
昆虫類は陸上・水中を含めて約1,700種類。それを餌とする小動物や鳥・魚の種類も豊富です。ですから食物連鎖の頂点となるワシやタカもこの地で越冬をします。そんな自然豊かな渡良瀬遊水地でお目当てのハイイロチュウヒを探してみることにしました。

ハイイロチュウヒはタカ目タカ科チュウヒ属に分類される渡り鳥で、大きさはカラスくらい、オスよりもメスの方が若干大きく、オスは40~45cm、メスは50cm~55cmくらいです。
オスはハイイロチュウヒという名前のように「灰色」ですが、メスや幼鳥は褐色をしています。
11月頃に渡来し4月上旬には渡去する冬鳥です。渡来する数が少なく北海道から沖縄まで広い範囲に飛来するため各地で見られる個体数はもっと限られてしまいます。毎年渡来する渡良瀬遊水地の葦原は、バードウォッチャーやカメラマンにとってとても大切にしたい場所でもあるのです。

2017年、渡良瀬遊水地へ行ったのは12月3日でした。毎年、ハイイロチュウヒが最初に現れる葦原に行ってみると、大勢のカメラマンが陣取っていました。少し離れたところにカメラをセットしました。

渡良瀬遊水地でハイイロチュウヒを見かけるのは夕方です。日中は周囲の農耕地で狩をしているようです。獲物はネズミや小鳥・カエルなどです。夜、地上(草地)で就時するため夕方になると葦原に戻ってきます。

この日現れたのは、午後3時48分でした。周りの人がシャッターを切り始めたので分かりました。この時期は、比較的明るい時間に戻ってきてくれるようです。また、ほぼ順光で撮影できます。15時50分、一回りして、ねぐらに入ってしまいました。わずか2、3分の出来事でした。

渡良瀬遊水地のハイイロチュウヒ(オス)

次に訪れたのは、12月21日です。前回ハイイロチュウヒの現れた葦原には、カメラマンは1人もいませんでした。そこで、別の葦原へ向かいました。

チュウヒが飛んでいました。ハイイロチュウヒはなかなか出てきません。

午後3時53分、西の空が茜色に染まる頃、ハイイロチュウヒのオスが戻ってきました。
メスも一緒のようです。日が沈むまで、この撮影場所は逆光になります。
午後4時20分、日の光は、まだ残っていましたが、この日は早く帰ることにしました。

逆光の中、餌場から戻ってきたハイイロチュウヒのオス。

ハイイロチュウヒのメスは褐色です。

次に渡良瀬遊水地を訪れたのは翌年2018年1月7日です。この日の日の入りは午後4時42分です。ハイイロチュウヒのオスが現れたのは、午後4時31分です。(もっと早く帰ってきてくれないかな!!!)

バックが黒系だと羽毛の色が際だちます。

午後4時50分、日が沈み、空に明るさは残っていますが、葦原は暗くて、良く見えません。飛んでいるオスを何とか撮影し、帰りました。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

5月 10 19

楽しい文字の世界(第17回) 新元号「令和」について

by staff

第17回 新元号「令和」について

新元号「令和」が発表になる4月1日。私は横浜スカイビルで待機、発表後1時間以内に音楽に合わせて書道パフォーマンスにて披露することになっていました。発表後直ぐに、文字をどのように書くか半紙に書いて確認、予め用意してあった8分半の音楽に合わせてピッタリ書けるように音合わせ。MCさんとトークの打ち合わせ。あっという間に
「本番5分前です。」
一般のお客様に加え、テレビ・新聞のメディアの方も多く集まり、舞台裏だけでなく、会場も緊張感が漂っていました。

4/1 発表時に横浜スカイビルにて

その後直ぐに移動して、夜のテレビニュース番組出演用「令和」の揮毫。

4/1 テレビ東京WBS (ワールドビジネスサテライト)

4/2 テレビ東京ゆうがたサテライト

4/2 横浜タカシマヤ写真館にて、お客様が「改元ウェディングフォト」撮影用に揮毫

4/30 横浜ベイクォーター

5/1 新宿小田急百貨店前にて VRアーティストとのコラボ

5/1 東京タワー「令和」の花絵づくりの文字

5/1 タウンニュース

同じ「令和」でも、色々書き替えています。楷書できちんと。少し続けて行書体で。デザインの要素を取り入れてデザイン書道で。。
さて、発表後直ぐに横浜スカイビルで揮毫した時、4/1「令」の書き方でどちらにしようかと思いましたが、政府が発表した文字に準ずることにしました。
少しそれについて触れてみます。

光村図書の中学書写に掲載されているものです。

私たちは、手書き文字を習ってきましたが、最近では活字に触れる機会が圧倒的に増え、もしかしたら中段、下段の活字の方が見慣れているかもしれません。「令」の3画目が点なのか横画なのか、最終画が点なのか縦画なのか。それらは手書き文字か活字かの違いです。漢字には許容範囲があり、どちらでもよいとされている範囲があります。「令」も今回、文化庁が発表した「字の形の違いは習慣によるもので、本来は問題にする必要がない。」ということ。お好きな方でどうぞということですね。あなたはどちらで書きますか。

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して25年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

5月 10 19

しあわせの「コツ」(第29回) 日本人にとって「自然」とは?

by staff

第29回 日本人にとって「自然」とは?

フランス国費留学生の修士論文のチューターを務めていた時のこと、日本のあらゆることに興味津々の彼女から、思いがけない意見や感想を聞くことがよくありました。

ある時、彼女が少し怒ったような顔でこう言いました。
「日本人は自然を愛すると聞いたけど、嘘ですね。自然を侮辱しているじゃないですか!」
何のことかと思ったら、彼女は寿司の「バラン」に怒っていたのです。

「なぜ、本物の葉を使わないの? お寿司までみすぼらしく見える!」というのです。本物の葉は高いし、手に入りにくいから、とか、「バラン」を擁護する話をしたら、偽物を平気で使う神経が分からない、と言い、さらに、商店街の「桜祭り」で、店舗がみなプラスティックでできた「偽物の桜」を飾るのはおかしいとまでいうのです。日本人の言う「自然」は本物の自然ではなく、「自然まがいの偽物」だ、とそれは厳しいお言葉(笑)。

確かに、商店街はどこも春は桜、秋は紅葉のプラスティックのオーナメントで飾り立てています。それを今まで「おかしい」と思ったこともなかった私は、留学生から改めて日本人にとっての「自然とは何か」という問題を突きつけられたような気がしました。

日本人は「自然」が好きだ、と大部分の日本人自身は何の疑いもなく思っていることでしょう。でも、本当にそうでしょうか。

建築家で辛口のエッセイストであったバーナード・ルドフスキーは、2年間の日本滞在で見聞したことを「キモノマインド」という本にまとめましたが、その中で彼は民家やアパートの玄関先に所狭しと鉢植が置かれている様子について、こう書いています。

「日本人には巨大な本物の自然というのはあわないのだろう」

バーナード・ルドフスキー



玄関先に並ぶ植木鉢。ルドフスキーが愛した日本の「自然」。
かつての下町にはこんな光景が当たり前に見られた。

確かに日本人が「自然はいいなぁ」という時にイメージする自然は、里山のように適度に人間の手が入り、生命を脅かすこともなく、鉢植えや盆栽のように愛玩できる「小さな自然」かもしれません。ルドフスキーがいう「巨大な本物の自然」は、厳しい冬の寒さを「冬将軍」、大雪を「白魔」と表現するように、何か恐ろしい物として遠ざけているようです。

日本人が好んで愛でる自然として「花鳥風月」という言葉がありますが、これも優しい自然ですね。日本人にとって自然とは、「愛でる」という言葉が表しているように、身近にあって戯れることができる規模の「小さな自然」なのです。思えば、日本人は万葉の昔から「花を摘む」「花を見る」という形で自然に親しんできましたが、決して登山のように、猛々しい自然に挑むようなことはしませんでした。

万葉集の雄略天皇のお歌を描いた大亦観風の絵。
「菜を摘む乙女」が野に遊ぶ様。のどかでおおらかな自然が描かれている。

カナダに留学したことのある人が言っていました。雪でバスが大幅に遅れ、約束の場所に行けなかったのでお詫びをしたところ、先方が「マザーネイチャーだから(仕方ありませんよ)」と答えたというのです。なかなか来ないバスを待つ人々も、「マザーネイチャーだから」と、焦ったり、イラ立つこともなく、穏やかな表情だったそうです。「マザーネイチャー」の厳しさを受け入れて生活しているのです。これが今の日本だったらどうでしょう(笑)。自然を愛するはずの日本人が、雪という自然現象をを受け入れるより、あちこちでパニックになっていますね。

「小さな自然」を愛する日本人は、大きな「マザーネイチャー」の中で暮らすより、「扱いやすい大きさの自然」を生活に引き込んで快適に暮らすことを選んだのでしょう。ですから「手ごろな大きさの自然」がない時は、それを作りました。はじめは盆栽のようなものだったかもしれません。しかし、ひとたび人間の手が入れば、あとは様々な工夫がなされるようになるのは時間の問題です。それも、あたかも「自然」であるかのような顔をして。

例えば、生け花を見てみましょう。生け花をする人は、きっと自然を愛する人だろうと思われています。でも、生け花は決して自然ではありません。誰も自然界の花があのような状態で咲いているとは思わないでしょう。技術と練り上げられた感性の極みで、自然界ではありえない花のたたずまいが立ち現れた時、人々は「美しい」と感じるのです。いわば「観念化された自然」、それが生け花であり、日本人が愛する「自然」なのです。

自然界では絶対にこんな風に生えていません。自然からかけ離れているのに、
私たちはこれを「美しい」と感じるのです。

「自然」が観念化されるとは、「自然」から具体的な要素、例えば花びらの形や色などが抜け落ち、コンセプトやイメージの集合体となることに他なりません。

例えば、小野小町の和歌「花の色は移りにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに」の「花」、世阿弥の「秘すれば花」の「花」は、梅でも桜でもありません。
それは、つぼみをつけ、花が咲き、やがて枯れてゆくという花の一連のプロセスや、華やかさ、美しさという花の属性が、自分の語りたいことを表すための操作概念として使われているのです。

「花鳥風月」にしても同じことです。どれも少しも具体的ではありません。いわばイメージ存在なのです。そのイメージを具体的に表現する段になると、今度は「らしさ」が必要になります。面白いことに、この「らしさ」を表現するためにはかえって自然から離れた方がいい場合があるのです。

たとえば、冒頭の「バラン」でも、自然界のものは色や形がまちまちです。入手も大変です。いつも同じ品質の「これぞバラン!」というものを提供したいなら、人工的に作るしかないのです。だから「イメージとして完璧なもの」を作ることにおいて、人工物を使用することに私たちは抵抗がありません。桜祭りだからだと言って、「祭り」にふさわしい満開で枝ぶりも良い桜が、そう至る所にある訳ではありません。「だったら、理想的な桜を作ろう」という流れになるのはごく自然なことなのです。

上毛電鉄の「桜列車」。花は満開なのに葉が出ている枝の飾り。
自然界では葉桜になる頃、花は盛りが過ぎている。

問題はそれが本物の桜かどうかではなく、「どれほど桜のイメージを完璧に体現しているか」が重要なのです。日本人にとって、イメージは時として現物よりも大切なものなのです。

自然を愛でる日本人。それは「自然のイメージを愛でる」日本人という事にほかなりません。私たちは思いのほか観念的な民族なのです。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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5月 10 19

2019年5月 三ツ池だより 「新しさを準備する」

by staff
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「令和」に年号が新しくなった。おめでとうございます。今まで考えてみれば世代交代が生前譲渡ではなかった。今回のように明るく年号を迎えることができるのはすごいことなのかもしれない。

 「桜舞ふ」
桜が舞っている
3筋4筋と
少し上に上がって散っていく
  ゆっくりした日に
  ベランダを眺めている
  陽が暖かく微笑んでいる
桜がじっとしていて
太陽に照らされている
ゆっくりとふりそそぐ光を感じている

小学校に入学した時2つの校舎があって、古校舎には太い桜の木が校庭に何本もあった。二宮金次郎の像もあった。65年ほど前のことになる。数年して新校舎の方に統一された。

 「かわっていく」
時代は変わっていく
歩く歩幅は変わらないかもしれないが
それぞれの動きは変わっていく
  それでいいのだ
  それが大事なのだ
  時はかわってきている
生きること
皆が元気で過ごせること
それが時代をつくっていくこと
  歩く場所をかえていく
  歩く目的はかわっていく
  もとめられていることがかわってきている

時代は変わっていくし、修正も必要だし、これからの時代をどのようにしていくのかの考えも必要だ。誰でもが自分の存在に誇りを持てるようであってほしい。一人一人の向上心が時代に反映していくものであったらいい。

 「自分の存在」
いつもいつも
ペンをはしらせることが
ただはしらせることができて
ありがとう
  今日も行ってくるよと
  透析の家内を
  病院のある駅前におろして
  会社へ出掛けていく
休日には馬場にある花木園へ
すっかり整備されて
うれしそうに咲く花木を見る
こちらもうれしい
  いつもいつも
  何かを書いておきたくて
  写真を撮り文字をつづる
  ありがとうありがとう

ありがとうと言える社会はどんな社会なのだろうか。これは言ってもらうのでなく、こちらの自分が発していく。役立つ行為であり、生きやすくなることである。国と国のことではどんな社会になっていくのだろうか。

 「今来た道を」
一歩一歩
歩いている
今来た道を
  遠い空に
  雲がゆっくりして
  たなびいている
今来た道を
歩いている
一歩一歩
  遠くにいくのではなく
  ゆっくりと
  今をつくりあげている

これからの道は今来た道の単なる延長ではなく、夢が抱ける道であって欲しい。幸いなことに日本は世界で一番永く継続されている体制である。これを維持していくことであり、その精神を継承していくことである。一つ一つの命が繋がっていく、確かな道を進んでいきたい。

 「それがいいね!」
今が
それでいい
それでいいよ
  今が
  あるからいいが
  明日はどこから
明日がくる
それでいいよ
ありがとう
  今があるんだね
  明日は明日
  今が明日をつれてくる

関東大震災を知らない世代で、私は75歳になっている。東日本大震災に遭遇した。自分で体験してみると、当り前に生きていると思っていることに不安を感じる。あの時に、「地震があったらこの道を使って避難する」とマニュアルをもっていた学校が存在していたことに感激した。過去の経験をきちんと生かしていたのであった。

 「地震をどう乗り越えていく」
あれから8年
東京で会合があって
建物の揺れがひどくて
地上に降りた
  大きな地震があった
  あったとわかり交通がマヒした
  新幹線が動いているとわかった
  新横浜に夜中についた
家族の消息がきになった
みな無事であれから8年
私が社長を退いたように
様々なことが変わった

日本をもっと全体として見ていくことが今求められているのではないだろうか。農業が成り立たなくなってきていると言われているが、見直しが求められていのではないだろうか。大阪都構想もそうだ。東京一極集中から脱皮していくときなのではないか。高度な自給自足が求められているのではないか。

 「いくつになっても今は今」
書評を
投稿させていただいて
100号を超えた
  人生を歩いて
  75年になる
  不思議なことに出会う
「習慣を変えれば
人生が変わる」という本を
読んでいる
  今日が75歳の
  誕生日だと想定しよう
  と出てきた
今日は
土曜日の
本当に穏やかな日

新しさをどのように準備し、あらわしていくのか。楽しみである。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

5月 10 19

ゆるマナー講座(第43回) 継承すること「三春滝桜」に学ぶ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

新緑が日々色濃くなり色とりどりの花が咲き誇る季節になりました。
東北の桜ももう葉桜のようですが、今回は桜から感じたことを書きたいと思います。

命を繋ぐ三春滝桜

4月下旬、福島の「三春滝桜」が1000年の刻を紡ぎながら見事に咲き誇る姿がテレビの映像に移し出されていました。ピンク色の花が流れる滝のように咲く様子から「滝桜」と呼ばれていますが、映像を通してもその美しくたおやかな姿に神々しささえ感じました。
「さくら」の語源は神さまに通じる言葉だそうですから、尚更そう思えるのかもしれません。
毎年桜の季節になると開花宣言が待ち遠しく、いくつかの蕾を見つけただけで巡ってきた春にちょっと幸せな気分になるのは日本人のDNAですね。

滝桜の美しさはさることながら、三春の人々がいかに桜を守り、滝桜の命を繋いでいるのかを知って、今更ですが「繋ぐ」ことの尊さを改めて感じました。
樹木医や町の人々の保存活動…草取り、腐葉土を作り根の周りに穴を掘って入れる作業、雪が積もれば雪下ろし。
また子ども達は実生で育てるために種を拾い、きれいに果肉をとり、一粒一粒を蒔いて育てているそうです。
滝桜の命を次の世代に繋ぐために、多くの人々が日々心を砕いている姿には心を動かされます。そして滝桜の小さな苗は日本だけでなく世界中に贈られているそうですから、次の100年、200年…1000年と、きっと命が受け継がれていくことでしょう。
アナウンサーの後何年くらい咲いてくれますか?の問いに、樹木医の方が「1000年」と当たり前のようにおっしゃった言葉が力強く響いていました。

時代を超えて受け継ぎたいもの

桜の命を繋いでいくのも、また文化や伝統を次の世代に継承していくのにも意志が必要です。私自身はマナーをお伝えしているのですが、家族でお正月や雛祭り、端午の節句といった年中行事を行うことも少なくなりました。その代わりハロウィンなどが若者の一大イベントになりつつあります。ただ元々日本の年中行事の多くは大陸から入ってきたものです。それが時を経て日本風に変化して今に伝わっているものですから、数十年後にはXmasのようにハロウィンなども私たちの暮らしに定着しているかもしれませんね。

文化やしきたりは一度途絶えると経験した人、引き継げる人が少なくなり、やがては文字でしか知ることができなくなります。何を子どもたちに残してあげたいか、少し考えてみることも大切です。

日が昇り、沈む。季節も巡る。この循環があるから日々の暮らしも繰り返されていきます。
四季を感じられる日本ならではの昔からの年中行事も子ども達に経験して欲しいと思います。幼稚園や保育園で先生方が子ども達と端午の節句に折紙で鯉のぼりや兜を作ったりするのも子ども達には楽しい経験ですね。その経験が次の世代に受け継がれていくのですから。

時代は平成から令和へと変わりました。即位に伴う様々な儀式が執り行われ、秋には「大嘗祭」が行われます。神武天皇以来、脈々と受け継がれてきた皇室の儀式を今年は私達も目にする機会が多いでしょう。時代に合わせて変化しつつも2600年もの長きにわたり継承されてきたことに自然と敬意の気持ちがわいてきます。

100年の桜

写真の桜は山口県防府市の向島小学校の蓬莱桜です。100年前に当時の卒業生が植えたという話ですが、今では樹高9メートルの大木となり3月中旬には淡紅紫色の見事な花をつけ、毎年卒業していく生徒達を祝福するかのように咲き誇ります。やはり100年の間には台風など困難なこともあったでしょうが、守って来た人たちがいたからこその100年の桜です。
三春滝桜のように1000年の刻を紡ぎながら生徒達が巣立つ姿を見送って欲しいものです。

「継続は力なり」…むしろ力をいただけますね。


山口県指定記念物 向島小学校蓬莱桜 約100年前に植樹

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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5月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第74回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第74回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

昨年、上野の森美術館で “エッシャー展” が開催されました。想像以上に若い人が多く大混雑。若い人の鋭い時代感覚には驚嘆しました。40年以上前にも展覧会を見た記憶があり、今もその時のガイドブックが残っています。現実にはあり得ない情景を描き出す“だまし絵”の異才と思い込んできましたが、今回の美術展を通じて、建築装飾美術学校で学んだ建築技術者としての素養が基盤であることを実感。見えない世界を見せる技術力。不可思議で不条理。緻密で独創的。錯視と幻想の世界。また、エッシャーといえば “正則分割(様々なモチーフを反復)” と “メタモルフォーゼ(姿を変態)” 。現実把握や空間認識を混乱させるイメージ群。芸術と科学・数学の境界の中で、論理的に決定不能な命題との遊び。AI時代は数学と美術の融合の時代。最近、欧米でMBA(経営学修士)よりMFA(美術学修士)の人気が高くなっているとか。梁塵秘抄では“鈴はさや振る 籐太巫女 目より上にぞ鈴は振る ゆらゆらと振り上げて 目より下にて鈴振れば 懈怠なりとて忌々し 神腹立ち給う”とあります。鈴は目より上で振るもの。でないと神さまがご立腹。“我々が演奏しているのは人生”とルイ・アームストロング。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

水墨画 黒と白では誤魔化せない 結果が即座に跳ね返らない時期こそ大切
頑張っていれば誰かが見てくれる 生産・消費だけが生活のすべてではない
柔道の勝負で怪我の影響というものはありうる しかし、それも柔道のうち
和傘から照明具・茶室へ変身 生きたり働く時は簡単にできないといわない

水墨画は、唐代に成立した墨で表現する墨絵の一様式。墨を線や面、ぼかしで濃淡・明暗を表現する絵画。油絵とは異なり、筆墨が紙に浸潤する景色が持ち味。宋代は禅宗的故事・人物画。明代は花卉・果物・野菜・魚などの雑画。日本では、奈良時代に大陸から墨が伝来。達磨図など、禅の思想を表すものから山水画へ。日本の水墨画といえば室町時代の画聖・雪舟。上野の国立博物館の国宝“破墨山水図・秋冬山水図”は時々展示され、外人観光客にも大人気。生産・消費だけが人生・生活のすべてでないのかも。水墨画の特徴の一つが余白。余白による躍動感・生命感。 “1つのわざに絞り世界一になるまで磨く。そうすると、他のわざは比較的楽に習得できる” と柔道家・野村忠宏。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

誠意をもとにした効率化 楽しい上に効果的
懸命の努力とは 理に適った努力ということ
判断力の劣化 これを何としても避けること
頭脳のエコノミー症候群こそ最も危険な兆候

エコノミー症候群は、長時間同じ姿勢で座っていると、脚の静脈の血が流れにくくなり、血栓ができる事から起こる症状。頭脳にもエコノミー症候群の可能性。政治家のチャーチルは、頭脳にも筋肉があると想定し、あることでうまくいかなかったら別の筋肉を使うことを意識したとか。人間が他の動物に比べて最も優れているといわれる思考力への対応。21世紀は “頭脳資本主義” の時代。頭脳が世界中のセンサーと繋がるステージへ。頭脳の活性化には、本人が納得する充足・満足体系の確立が不可欠。それにはイチロー流の日々の “懸命の努力・理に適った努力” しかなさそう。 “生れたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ” と哲学者・九鬼周造。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

人間の一番の幸せは学び 他と違うことが素晴らしい
力尽して山越えし夢露か霜か、と波郷 言葉は心の食
土と闘わない 自分の掟で生き何者にもなろうとせず
是非を看破 何の故に恐縮したる海鼠哉、と夏目漱石

夏目漱石といえば、肘をついたポーズが定番。これは英国の歴史家・カーライルのポーズを真似たもの。漱石は英国留学中、カーライル博物館を訪問し掌編を書いています。カーライルは胃弱で、漱石も胃弱だったことから共感度が強まったとも。漱石の名の由来も痛快。中国で “枕石漱流” を “漱石枕流” と間違えた故事が人口に膾炙したものとか。当初は、親友の正岡子規のペンネームの一つだったものを、漱石が譲ってもらったものらしい。その昔、雑司ヶ谷墓地にある漱石のお墓にお参りの折、墓石に夏目金之助とあり、本名が金之助であることを初めて知った次第。 “プラハの春の直後のメキシコ五輪では芝生を床に、倒木を平均台と考えて練習した” と東京五輪の華・チャスラフスカ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第74回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
5月 10 19

書評「習慣を変えれば人生が変わる」 ディスカヴァー・トゥエンティワン マーク・レクラウ(著),弓場 隆(翻訳)

by staff
 
タイトル 習慣を変えれば人生が変わる
単行本 (ソフトカバー)
出版社 ディスカヴァー・トゥエンティワン(2019/2/28)
ISBN-10 479932411X
ISBN-13 978-4799324110
発売日 2019/2/28
購入 習慣を変えれば人生が変わる プレミアムカバー

表紙に「あなたの人生の転機になる、とても簡単で、どれも大切なこと。」とコメントがあり、「100の人生のコツ」に興味も持って手にした。

「ポジティブな思考を選ぶ」という項がある。思考がどんな強い力をもっているかに気づいたら、ネガティブな思考を絶対にしなくなるはずだ。ポジティブな思考とは、現実をあるがままに見て、それを受け入れて最大限に生かすことであると言われる。脳を訓練することだと。

Exerciseがある。「48時間、ネガティブな思考をせずに過ごそう。ネガティブな思考が浮かんだら、それをボジティブな思考と入れ替えよう。最初は難しいように見えても、練習すれば、簡単にできるようになる。そして1週間、これを試してみよう。」そうこれをやってみるとたのしくなる。プラス思考になっているのかなという思いがでてくる。

「自分を鼓舞する信念を持つ」という項がある。人生は偶然の成り行きで展開するのではない。人生は自分の信念を反映しながら展開する。だから、人生を変えたければ、信念を変えなければならないという。この場合、出来ると思うのは「自分を鼓舞する信念」であるという。 ・すべてがうまくいく。 ・人生は素晴らしい。 ・チャンスはいくらでもころがっている。 ・私は自分の人生を積極的に切り開く。 ・私は幸せを手に入れるにふさわしい。 ・私は人びとに好かれる。 ほほ・私は出来る。以上のような自分を鼓舞する信念を持つのだと言う。

Exerciseがある。1 自分を限定している信念を書き留める。2 信念、感情、行動、結果という順番に信念が現実になることを覚えておく。3 違う結果を得るためには、どんな信念を持つ必要があるかを考える。

「自分をよく知る」という項がある。人生を変える前にすべき最初のことは、自分の現状と自分に欠けていることを理解することであるといわれる。そして時間をとって次の質問に答えてほしいと言う。

  • あなたの人生の夢は何か?
  • 人生の最帰が近づいたとき、しなかったことで最も後悔することは何か?
  • 時間とお金に余裕があれば、何をし、何になり、何を手に入れたいか?
  • 人生で何に興味をいだいているか?
  • 自分の人生を制限しているのは何か?
  • この一年間で最大の成果は何か?
  • この一年間で最大の不満は何か?
  • 他人を喜ばせるために何をしているか?
  • 自分を喜ばせるために何をしているか?
  • これまでで最高の仕事は何か?

「自分の最も大切な価値観を把握する」という項がある。自分の価値観を把握することによって、人生で欲しいものをさらに引き寄せることが出来る。自分に喜びと充実感と心の平和をもたらす価値観は何かを見極めようと語られます。質問がでます。

  1. 人生で非常に大切なのは何か?
  2. あなたにとって、人生の目的は何か?
  3. 心の平和を感じるのは何をしているときか?
  4. 時間の経過を忘れるぐらい楽しいことは何か?
  5. 尊敬している人たちを思い浮かべ、彼らのどんな資質に敬意を抱くか?
  6. どんな活動をしているときが最も楽しいか?
  7. どんな瞬間が喜びと充実感をもたらすか?
  8. あなたが耐えられないことは何か?

Exerciseがある。少し時間をとり、目を閉じてリラックスしながら、今日が自分の75歳の誕生日だと想像しよう。家族と友人が集まって祝ってくれている。自分にどんな言葉をかけてほしいか考えてみょう。「ありがとう。本でも書いてだせたらいいね!」とでも言ってもらえたら嬉しいね。ここでの問いかけが全く不思議なことだった。実は私は今75歳になったばかりであり、自分に問いかけてしまっていた。

「目標を書き留める」という項がある。一回に一歩ずつ着実に前進すれば、それまで想像もしていなかったことを成し遂げることが出来るといいます。自分の目標を明確にして、それを達成可能な小さなステップに分解し、目標を達成するための全てのステップを列挙しよう。それぞれのステップと目標に日付を忘れてはいけない。自分の目標について心の中で明確なビジョンを描こう。自分がすでに目標を達成している姿をイメージしよう。それはどんな感じだろうか?どんな外見で、どんな音で、どんな匂いだろうか?質問が出ます。

  1. 自分の人生で10年後にどうなって欲しいか?
  2. 10年後の目標に近づくためには、5年後までに何を成し遂げるべきか?
  3. 5年後の目標に近づくために、1年後までには何を成し遂げるべきか?
  4. 1年後の目標に近づくために、3ケ月後までには何を成し遂げるべきか?
  5. 3ケ月後の目標に近づくためには、今、何をすることができるか?

Exerciseがある。少なくとも3つの目標を書いて行動をおこそう。そしてそこにナポレオン、ヒルの言葉がかかれている。
    「目標とは、締め切りを設定した夢の事である。」

「自分で幸運をつくり出す」という項がある。運というものに科学的根拠はない。唯一の違いは、自分は幸運だと思うか不運だと思うかである。言い換えれば、自分にいいことが起こると予想するか、悪いことが起こると予想するかであるといわれる。「物の見方がポジティブなら、脳はチャンスを見つけてつかむことができる。私たちの予想が現実をつくり出すのである。よい結果を予想するなら、脳はそれにいち早く気づくことができる。」イギリスの著名な心理学者リチャード・ワイズマン博士は「運」について研究し、実験して結論をだしたのだった。

「1時間早く起きる」という項がある。テレビをみるのをやめても時間がないなら、1時間早く起きることを提案している。1時間早く起きることのメリットは、年間365時間も確保できることなのだと言われる。早起きのもう1つの効用は、自分を律しているという誇りが生まれて自尊心が高まることだ。「6時間の睡眠と午後の1時間の仮眠を組み合わせれば十分であることが科学的に証明されている。どのくらい心身が爽快になるかは、睡眠の量ではなく質に左右される。」ぜひライフスタイルを朝型にして快適な1日のスタートを切ろう、と提案されている。

「毎日30分、本を読む」という項がある。本を読まない人間は、字が読めない人間と大して変わらない、と作家のマーク・トウェインが言っているそうである。毎日30分、本を読めば、1週間で3時間半、年間で182時間にもなるそうです。「つねに本を読もう。テレビ(とくにニュース)を見る習慣をやめて就寝前に良書を読む習慣を身につければ、心の平和が得られる。それによって得られるもう1つの恩恵は、創造性が高まることだ、」

「もっとほほ笑む」という項がある。ほほ笑むことは心身の健康を増進し、人間関係を円滑にし、人生の質を高める。もしまだそうしていないなら、今日から意識してほほ笑むことを心がけようと言われる。笑顔でいることは訓練のいることだ。ほほ笑むことはさまざまな状況でストレスのレベルが下がる。ほほ笑むことでものごとがうまくいっているというシグナルを脳に伝えることができるようだ。

Exerciseがある。これから1週間、鏡の前に立ち、自分に向かって1分間ほほ笑もう。これを少なくとも1日に3回実行し、どんな気分になるか確かめてみよう。

「1日で最も重要な1時間を活用する」という項がある。ほとんどの人は起床後にばたばたするばかりで、それ以降も同じように展開する。大勢の人がいつもストレスをため込んで悩んでいるのは不思議ではないと言う。そこで提案される。 ・毎朝、30分か1時間早く起きたらどうなるだろうか? ・起床後の30分をゆったりと過ごしたらどうなるだろうか? ・朝の儀式として10分から15分瞑想をするのもいい。これを習慣にしたら人生にどんな変化がおこるだろうか?

朝の儀式の例がでている。 ・今日は素晴らしい1日になると想像する ・日の出を見る ・ジョギングか散歩に出かける ・日記をつける ・5分間、感謝していることを思い浮かべる

「今日から自分らしい生き方をする」が最後の100番目の項である。人々に共通する大きな後悔は5つの事になると言われる。 ・他人の思惑に左右されず、自分に正直に生きる勇気を持てばよかった。 ・仕事ばかりするべきではなかった。 ・自分の気持ちを素直に表現する勇気を持てばよかった。 ・友人ともっと触れ合いたかった。 ・もっと幸せな人生を送りたかった。著者は語る。「もうこれ以上待ってはいけない。今日から思う存分に生きよう。失敗は学習経験にすぎず、問題は成長のための機会であることを思い出そう。ずっとしたかったことをしよう。これ以上それを先延ばしにしてはいけない。」

最後に著者は語る。「さっそく本書の原理を実践しよう。あきらめそうになったら、ゴールは間近であると自分に言い聞かせ、もうひとがんばりしよう。」

(文:横須賀 健治)

 

5月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第8回 「4つ目の元号をまたいで」

by staff

第8回 4つ目の元号をまたいで

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第八回目でございます。

元号が令和となりました。令和元年。
だいたい普段と変わらないと思いつつ、やはり色々な意味で新たな気持ちにさせられるものです。
また元号が変わったことで、激動の昭和の時代が2元号前のものとなってくると、まさに「昭和は遠くなりにけり」という言葉がしっくり来るようになってまいります。
しかしながら、64年も続いた昭和という時代はやはり偉大で、平成において数々の技術進歩を遂げ、大変便利な時代になったにも関わらず、昭和の名残を残すものは今だ街中にあふれています。
今回は横浜の下町の一つ、南区は八幡町へやってまいりました。

南区八幡町の通り。
かつては中村川の向こうにある横浜橋商店街同様に賑わいを呈していたという。

やってまいりました、と言っても、私にとっては近所で、私の実家も家内の実家も徒歩圏内、初詣も娘の七五三もこの町名の由来である「中村八幡宮」で済ませているし、毎日見ている風景です。
ピンポイントで新築の住宅が建ったり、コインパーキングになったりと時の移り変わりを見せてはいますが、昔ながらの銭湯や豆腐屋や総菜屋、米屋、甘味処、金物屋など、長年頑張り続けているお店も多い界隈。
そして今やハマっ子なら知っている人も多い焼きそば屋「磯村屋」もこの界隈に位置しております。
今回は「磯村屋」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様はXXページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

下町風情溢れる通りに、磯村屋はある。
コカ・コーラは垢抜けているものだが、
手書きの屋号と組み合わせると一気に昭和感が出るのが不思議だ。

昭和28年創業。昨年65周年という、もうそれだけでも凄いですね。
半世紀以上、この下町界隈を……、月並みなセリフしか出てきません。
店主の磯村愛子さんにお話を伺いました。
愛子さんの旦那様は昭和20年代、昔で言う「担ぎ屋」の仕事をしていました。甘納豆などを小売店へ卸すようなことをしていましたが、なかなか不安定な部分もあり、「大変な時代だった」とか。
昭和20年代後半まで、今のローソン横浜八幡町店があるあたりにちょっとした商店の集合体があったそうで、10店舗あった店が火事になり焼失してしまい、立ち退きを強いられ、その10店舗の中の一つが焼きそば屋だったそうです。その店主が立ち退くから焼きそば屋やるならひと通り教えてあげるよ、と愛子さんに打診したのが磯村屋創業のきっかけ。

最近新調したという暖簾は6代目とのこと。
「子供がいじったりして破けるんだけど、
その度に常連さんが作ってくれるの。ありがたいよ。」
と笑う店主・磯村愛子さん。

「昔はこの辺りも横浜橋に負けないくらい賑わった商店街だったんだけどね。焼きそば屋とかおでん屋はウチ以外にもいくつもあってね。学校帰りの子供たちがおやつ使いでたくさん来たのよ。」
最近はこの辺りも子供の数は減り、高齢化が進み、愛子さんも例に漏れず高齢となっていますが、暖簾が出ていることを確認する近隣の高齢者も多く、通りかかる度に愛子さんに声をかけていきます。街の人気者です。

店内。時が止まっているのではないかと錯覚するが、時代は令和。
21世紀も5分の1。ついついゆっくりしてしまうが、時は容赦なく過ぎて行く……

テレビもなくBGMもない店内。平日の午後に来ると本当に静かです。ただただ、愛子さんの焼きそばの炒め音が聞こえてくる。そんな昼下がりがとても心地良かったりします。

店内メニュー。手書きはどこかホッとする。
何度も来ているのにカレー味は食べたことがない私。

9年前の拙著ではポテト入りの大盛り(300円)を食べていたが、
最近は三色(卵・肉・ポテト)の大盛り(400円)を食べることが多い。出世したな俺も!

拙著はポテト入りの大盛りを食べていましたが、今回は卵・肉・ポテトの「三色盛り」をいただきました。昔ながらの茶色い深蒸しの麺とともにウスタータイプのソースでまとめています。真似が出来そうで、出来なさそうな、良い意味で複雑な味わいとなっているのが、磯村屋の焼きそばの特徴かと思います。

磯村屋の名物は焼きそばだけではない。
大手コンビニに挟まれる立地で1個85円で頑張り続けているおでんは地元ならではの種を楽しめる。スジ、ちくわぶ、そして横浜ローカルの花こんにゃくの「関東3種」で。

おでんは冬季から春先限定なので、これからの季節はしばしなくなるかと思いますが、磯村屋のおでんというのも欠かせません。全国トップクラスの店舗数を持つ2社のコンビニに挟まれながら、1個85円という手頃なおでんは常時10種類以上の種を用意しています。
特に横浜ローカルと言われる「花こんにゃく」は、貴重なおでん種です。

夏の暑い日も、冬の寒い日も、65年以上、この鉄板で焼きそばを作り続けている
店主・磯村愛子さん。

大正14年生まれの磯村愛子さん。激動の昭和で35年間、平成の31年間を経て、新元号・令和元年。人生で4つ目となる元号となってもなお現役で焼きそばを作り続けています。
のんびりした春の日も、夏の暑い日も、秋の小春日和も、冬の寒い日も、この小さな鉄板から生み出された数多くの焼きそばは地元の名物だけであるだけでなく、遠方から車で駆けつけて求める人もいたり、休日になれば行列を作ることもあったりと、いつの間にか多くの人々に愛され続けています。
近年は2、3カ月休業したのが2度ほどあり、高齢だから無理をしていないのかなと思っていたのですが、
「交通事故で足を怪我したのと、白内障の手術。それだけ。後はほとんど頑張っている。」
とのこと。
「引き継ぐ者もいないから、私の代で終わり。あと一、二年頑張れたら良いかと思ってる。」
寂しさよりは、ここまで頑張って来た万感の思いが伝わって来ました。
私にとっては通勤時など毎日なんとなく見ている風景。いつまでもあるものではないと思いつつ、今日も暖簾が出ている、そのありがたみはこれからさらに大切にかみ締めていきたいと思います。

磯村愛子氏と拙著。
席に座って休憩しながらお話を伺っていたのでそのままで撮影。
こちら都合で無理はさせられない

「女優の片桐はいりさんも良く来てくれていて。そうそう、この前なんか、浅野忠信さんが赤いオートバイにサングラスで来たのよ。カッコ良かったわぁ。」
そう笑って話す愛子さんの瞳は、94歳とは思えぬ女子の眼になっていたのでした。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

5月 10 19

チャレンジ(第9回) C.P.FACTORYお披露目会開催!

by staff

C.P.FACTORYお披露目会開催!

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。新しい元号が始まりましたね。皆さんはどのように10連休を過ごされましたか?私はお仕事三昧でした(笑)フリーランスとは、人が休む間に進められるお仕事を依頼される事が多いです。金曜日の夕方に連絡があり「土日に作業してもらって、月曜日の朝9時に初校を提出してください」ということがよくあります。毎週決まっていれば予定も立てやすいのですが、結構、突然にお仕事がくるし、断ったら次はない・・・という悲しきフリーランス業ですが、最近では調整が利くようになり、慢性的な睡眠不足は解消され、10連休も家族と過ごす時間を取る事ができました。

そして先月お知らせしたように、今日から4日間、銀座でC.P.FACTORYのお披露目会を開催します!

大人が集えるオーダー展示販売会 vol.2
https://www.otona-order.com/
 
◆2019年5月10日~13日
◆銀座ギャラリーボヤージュ

今回はオーダー展示販売会なので、お好きな裂き織生地を選んで頂き、裏面、中面の生地やタッセルなどもお好きな組み合わせでオーダーして頂くことが可能です!

5月のイベントということもあり、春らしい薄いピンクや黄色、夏に向けた海をイメージしたブルー系の裂き織生地などをご用意いたしました!更にお勧めは黒ベースの生地。フェイラーをイメージさせるような裂き織生地と黒のサテンなどの組み合わせはクラッチバックとしても、バックインバックとしても素敵です!

裂き織生地は全て、横浜市内の障害者施設で作られました。その後のサンプル作りや、完成品の制作などは健常者が関わりますが、多くの人たちのアイディアやご協力を得て形になっています。そして、「職員が手伝っている」「障害者だけではここまで作れない」などのご意見を頂いているのも事実です。

「人は一人では生きれません」

多くの人たちに関わって頂いているC.P.FACTORYというブランドですが、関わる人たちそれぞれが得意なことを提供してくれています。一人一人ができることは小さいかもしれないけど、それを集めた大きなブランドです。私はそれが良いと思っています。

一人で生きているように見える人でも、健常者でも一人で生きているわけではなく、多くの人たちと関わりながら生きています。世の中には働きたくても思ったように働けない人がたくさんいます。でも、少しの手伝いや工夫があれば作業ができる人だっています。

そのことを伝えるためにも、イベントに出展して、ブランドの広報活動をしていこうと考えています。
私は4日間イベント会場にいる予定なので、お時間のある方はぜひご来場ください!

(第9回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

5月 10 19

絵本から笑本へ(第37回) 絵本作家がゆく。~中区 のんびりんこ~

by staff

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、

18カ月かけておしゃべりしている、
絵本作家 保科琢音 連載コラムの第三期。

今回で13区目となります。今回は中区。
中区の子育て支援拠点は「のんびりんこ」。

中区は絵本作家となる前に図書館職員としても
勤務していたので、縁の深い場所も多いんです。

様々な施設で口演やイベントをさせて頂いてきたのですが、
子育て支援拠点で「読絵ん会」を開催するのは初となりました。

「のんびりんこ」は関内駅にも近く、

アクセスも良いということもあって、
区外から遊びにくる親子も多いみたい。

ぼくがイベントを開催した日も、
本当にたくさんの親子が集まってくれていました。

そして、他の区の子育て支援拠点と比べて
外国人親子の利用者も多いんだそう。

ぼくが数年勤めていた中区の図書館も
外国人利用者は多い方でしたし、
やはり中区の土地柄なんでしょうね。

だからこそ「のんびりこ」でも、
外国人親子へむけた様々なイベントを開催しています。

ときには外国人のお母さんが主役になって、
簡単な手遊びやゲームをしたりもしている。

子ども達にとっても、他国の文化を身近に感じる
とても良いきっかけになりますよね。

ぼく自身も一昨年から定期的にベトナムへ行っています。

今後も、色々な国に行く予定になっているのですが、
やはり、国によって文化が違うわけですから、
子育てに対する考えだって違う。

勿論、日本の子育てが世界で一番良いとも思わないし、
だからって他の国に習って変える必要もない。

要は、その国に合った、
更に言えば、その国の今の時代に合った
子育てであればそれで良いということ。

大人達が色々な国の、色々な子育てがあるんだと知ることで、
これからの時代を生きる子ども達に向けても、
新しい「何か」を伝えることが出来るんじゃないかな。

「のんびりんこ」に入ると、

すぐ目の前の大きな窓に目がいきます。

そんな大きな窓みたいに、
世界へ向けても
大きな視野で接することが出来る
子ども達がふえていくといいなぁ。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区 中区

<今回訪問した施設のご紹介>

中区子育て支援拠点 「のんびりんこ」
HP: http://nonbirinco.com/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

5月 10 19

第75回 建築家が実践する自分らしい「暮らし方」

by staff

株式会社 GEN INOUE
井上 玄

建築家が実践する自分らしい「暮らし方」

「暮らし」をデザインする建築家

「住まい」 の設計を行う中で様々な価値観や「暮らし」に出会いました。お隣さんとの共有空間をもつ戸建て住宅、仕事場と居住空間の間に緩衝空間を挟んだSOHO、「隣居」的な距離感の二世帯住宅、フレキシブルに増減築が可能なシェアハウスなど、いずれも今までの常識や形式では窮屈でした。この特徴を最大限にいかした建築的な提案を通して「住まい」だけでなく「暮らし」をデザインすることを目指し設計活動を続けています。

自宅を「海近」の逗子へ

私は横浜で設計事務所を主宰すると同時に二児の父親です。私が子どもの頃、海での磯遊びや山の散歩は休日のイベント、つまり非日常的なものでした。自分の子どもたちには日常的に自然に触れて欲しいという気持ちが引越しの原動力となり、子どもの小学校入学を機に自分の育った横浜を離れ、逗子の「海近」の場所に引越すことを決意しました。一方、「海近」ではありますが「駅近」ではなく不便です。この不便を自分の働き方を変え肯定的に捉え、自分の描く「暮らし」を実践する勇気を持てば、豊かな「暮らし」を手に入れられることに気づきました。

設計事務所の働き方改革

この引越しを機に、自分の主宰する横浜の設計事務所の働き方を変えました。自分だけではなくスタッフ(社員)の働き方も、そのライフステージにあった働き方、それぞれの暮らし方にあった働き方を享受していこうと。今では在宅勤務的な働き方なども実践され、質を保ちながら効率的に仕事を進めています。設計事務所の場所は「駅近」で便利を優先した結果、大きさは小さくなりましたが、ワンフロアーを3社の設計事務所がシェアする楽しい仕事場です。

多拠点居住の実践と自分らしい「暮らし方」のデザイン

引越しと同じ頃、丹沢湖の上流で「山近」の周辺環境を内部空間に取り込んだ「山のセカンドハウス」の設計が進んでいました。プロポーションや素材の異なる7つの縦長の内部空間には、ベッドやソファなどの固定的な家具は置かずフレキシブルな使い方ができる計画としています。時間の流れで変化する光や季節の移り変わりで変容する外部環境を内部に取り込み、使う人のアクティビティや気分によって好きな居場所をさがし移動するセカンドハウスとしました。家族だけでなく事務所のスタッフが使い、地域の人との交流の場となるような開かれた場所となるように様々な可能性を探っています。

このようにどこに住み、どう働くのか?ONとOFFを切り替えるためにどこで休暇を過ごすのか。場所は便利でなくても、有名な別荘地でなくても、魅力的な環境がありそのメリットを最大限にいかしたお気に入りの空間があれば良いのではないか?その魅力をフットワーク軽く遊牧民のようなに楽しむ「暮らし方」。今後も建築家として「多拠点居住」を実践し、その魅力を発信していきたいと思っている。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

5月 10 19

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内

by staff

令和元年がスタートしました。
批判精神のある方にはこの令和の令が 号令や命令の令だという事で権力者たちがその意図をもってつけた。というご意見もあるようです。
私には言葉の響きから、体の細胞がシャキッと爽快に目覚めるような感覚がありますが、これからは一人一人がどんな立ち位置で物事を解釈してゆくのかがその後の人生に大きく反映されてゆく様な気がします。そこには自分とは異なる意見も沢山あるけれど、いつかそれら全てがパズルのワンピースとなりオーケストラの大ハーモニーが生まれていく。そんな予感が感じられる新時代に入って、皆さんの抱負や心境はいかがでしょう。

私は、今年はロック(69歳)エイジ、来年からはコッキー(古希)ポップで生きてゆきます。
前月のご案内でもお知らせさせて頂きましたが、今月と来月は 和歌の歌人の紹介はちょっとお休みして、ネネロック和歌うたの事をもう少し深くシェアさせてください。

21歳の時にアイドルユニットJ&Nを解散して英国のLONDONに渡り、本場ロックの洗礼を受けた私はそのままロックボーカリストに。帰国して歌い始めた当時は非常に突っ張っていたので、名前も “ネネ” と言う名前は一切使わずに 周りを呆れさせていました。

無名のロックボーカリストは歌唱力だけが頼りです。ちょうど日本のディズニーランドがオープンするときで、バンドを組んでオーディションを受けて合格。一年間の契約を結んでTOMORROW LANDのステージで歌い、また英国のハードロックバンド “リッチーブラックモア&レインボウズ” の日本公演ではJABBと言うバンドでオープニングアクトを務めました。そんなロック時代の10年間に培ったロックスピリッツは独断と偏見に満ちていて「体制には組み込まれないわ」 「権力には迎合しません」 「お金じゃ買えない物があるの!」 など若さゆえのナイーブで偏った正義感に囚われていたっけ。突っ張っていたおかげで回り道はしたけれどやっと最近バランスが取れて来たかしら。そんな自分の歩いてきた軌跡をもう一度再確認して今後の人生も明るく気概を持って生きてゆこうと思います。

 

さて、来月の6月15日 原宿のクロコダイルでの演奏は本物のロックサウンドです。
出演者は早苗ネネのほかに、、、、

元ジョー山中とフラワートラべリンバンドでギターを、現在はそのギターとインドの楽器シタールを合体させて新たにシターラと言う楽器を作り出して独自の境地を表現している、シターラ奏者の石間秀機さん。

元ツイストのベーシストの鮫島秀樹さん。彼はツイスト解散後ハウンドドックに移籍しましたが、ちょうどその間に私たちのバンドに入って一緒にディズニーランドでプレイをしていた仲間です。実力も雰囲気も一流のカリスマベーシストです。

元ヒカシューのドラマー 佐藤正治さん。彼は石間秀機さんがこのライブで、是非一緒にプレイしたいと指名が来て 参加をお願いいたしました。

キーボードはヨコハマっ子、竹腰かずゆきさん。現在ミッキー吉野氏とユニットを組んで活躍中の若手。

今回の会場となる 原宿クロコダイルのオーナー 西さんの一押し推薦です。

原宿クロコダイルのオーナー 西さんとツーショット

LIVE HOUSE 原宿クロコダイル

オープニングアクトとして
ROCK-OVEN(ロックオーブン) エレクトーン人見恵子とボーカル早苗ネネのユニットで、小倉百人一首から 2~3曲(20首)歌います。このユニットは軽くてとっても楽しいのでお楽しみに。

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内

今年は人生で最後のロックエイジ(69歳)。
今年は私自身のロックスピリッツを生きてみようと思います。
翌年はコッキ―(古希)ポップになってしまうので 今年だけですが。
昔まだ和歌に出会ってなかった20代後半から35歳までの約10年間 私はロックボーカリストとしてディズニーランドや、リッチーブラックモア公演のオープニングアクト等の舞台で歌っていました。音圧の高いロック音楽はもう卒業いたしましたが、私自身の生き方の中にロックスピリッツのエッセンスは今でも脈々と流れています。
“和歌うた” と出会えたのも、そんな私の中にある普通の道とは少しずれた生き方の中での導きだったと思います。
今年は 自分自身の気概をロックと呼んでみたいと思います。
69歳の誕生日 6月15日には(まだ半年もありますが)40年前にロックバンドでよくライブをさせて頂いた原宿クロコダイルにて、和歌うたをロックで歌おうと思っています。
静かなるロック魂をお持ちの方は是非! 見に来てください。
 
<Day>
2019年6月15日
<Live House>
原宿クロコダイル(http://www.crocodile-live.jp/
<Title>
ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVE ~人生最初で最後のロックエイジだわ!~
<Fee>
前売り(要予約):¥6,900 / 当日:¥9,600
<Performer>
早苗ネネ(和歌うたシンガー)
石間秀機(シターラ)
鮫島秀樹(ベース)
佐藤正治(ドラム)
竹越かずゆき(キーボード&ボーカル)
<問い合わせ>
和歌うた実行委員会(担当:人見)080-6345-4157
<チラシをダウンロード>
NENE ROCKのチラシをダウンロード

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

5月 10 19

ワンちゃん&ねこちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ誕生秘話 お菓子工房Salaの外村貞子さん

by staff

今回の「横浜この人」は横浜市からちょっと足を伸ばし、七沢温泉・大山・東丹沢方面への入り口「愛甲石田駅」から徒歩8分のお菓子工房Salaで『ワンちゃん/ねこちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』で新聞やラジオなどに紹介され一躍時の人となった外村貞子さんにワンコケーキ誕生までの秘話をお聞きしました。

外村貞子さん
外村貞子さん
 
お名前 外村 貞子(とむら さだこ)
お生まれ 昭和32年2月
ご出身 横浜市神奈川区新子安
お住まい 厚木市緑ヶ丘
お仕事 お菓子工房Sala 代表
HP https://www.cake-sala.jp/
趣味 ダイビング,バイク(オフロード)

 

病弱だった子供の頃

私が生まれてから小学2年生まで育った町「新子安」は製糖会社やその工場、関連会社などが立ち並び、そこで働く人が暮らす社宅やアパート、戸建て住宅、生活を支える商店等で1つの町が形成されていました。父は製糖工場で働いていました。社宅の窓から見える空は、工場の煙突から出る鉛色のけむりと同じ色をしていました。窓を開けると臭い匂いがしました。その頃は、まだまだ『公害』に対する関心も薄く、環境問題に対しては今ほどの企業努力もされていない時代でしたから、私は小児喘息になり、学校にも行けず、外で遊べない日々を送っていました。学校を休んでばかりいましたから、友達ができなかったことが「新子安」の思い出です。

引越し

小児科の医師から空気がキレイな郊外で生活をするようにと勧められて、厚木市緑ヶ丘に引越すことになりました。父は休みの日以外にも時間があると私を外に連れ出しました。近くの丘陵地を自転車で走るのです。ギア切り替えがあるわけでなく普通のママチャリでしたから、家に帰る頃はもうクタクタです。お腹はペコペコで夕飯をモリモリ食べるから、体力もつき辛かった「小児喘息」の発作もウソのようになくなりました。それでも病弱だった頃の『引っ込み思案な性格』を引きずっていて、小学生の頃は絵を描くことが好き、本を読むことが好きな物静かな少女でした。 誰も信じてはくれませんが。。。(笑)

人生の転機?

厚木市立中学校に進み、今まで閉じこもっていた『引っ込み思案』という殻から脱皮するかのように明るい性格になりました。

入部した『卓球部』が面白くて夢中になり、レギュラー選手に選ばれました。卓球の顧問の先生は太って貫禄のある方でしたが、卓球をすると驚くほど敏捷な身のこなしで、その意外性が面白くもありました。教え方も上手で、卓球部は大会で良い成績を修めるようになりました。顧問の先生に可愛がってもらったこともあり、部活と塾通いの両立が大変でした(笑)。

夏休みの宿題で描いた絵が厚木市のコンテストで入賞したことが自信となりました。絵を描くことが好きだということは今のケーキ作りにも活かされていると思います。

生涯の師は父

父は、私がテストで悪い点数を取ったり、何か失敗したりしても、怒ったことは一度もありませんでした。その代わり、何が足らなくて間違えたのかを振り返り、必ず出来るようにしてくれました。仕事でどんなに疲れていても、私の勉強を見てくれました。努力すればできるのに努力を惜しむ娘を歯がゆいと思っていたことでしょう・・・父は本当に努力家でしたから。
父から学んだ「失敗の原因を見つけて成功に導く」という教えは、私が社会人になってから大いに役に立つことになりました。

高校生時代

高校は英語教育で有名な私立の高校に入りました。成績は上位ベスト5に入るように頑張りました。部活は卓球部に入部したのですが、中学生時代ほど楽しめませんでしたので途中で辞めてしまいました。

良き友人でありライバルでもあるYさんとの出会いがありました。Yさんとは手作りのものを競争しました。私がクッキーを焼いて来ると、翌日にはYさんが焼いて来るとか、古いジーンズをスカートにリメイクするとか、お金をかけないで手芸作品を競い合いました。手作りの楽しさを実感したのはこの時です。

店内のPOPや季節の飾り物はすべて手作り。
手芸に夢中だった高校時代を思い出します。

読書が好きで、読み始めると徹底して読んでしまって(苦笑)とうとう、ビン底メガネを掛けるようになりました。そして、大学は短大の英文科に進学しました。

就職して社会人に

某スタンプ会社に就職しました。ブルースタンプやベルマークの全盛期から時代はポイント制などへ切り替わる時代で、就職した会社は厳しい状況でした。この会社に株式会社紀文食品から出向してきた専務がいまして新しい事業を推進していました。『豆乳の会社』を立ち上げるという新規事業に人手が必要となり、同じ職場に居たご縁で、私が手伝いを任されることになりました。営業、人事、経理、事務等々、仕事という仕事はなんでもしました。不慣れなことが多く、なかなか上手く仕事をこなすことができませんでしたが、その時は、父から学んだ 「何が足らなかったのか? 原因を見つけて成功に導くこと」を思い出して努力しました。その甲斐あってでしょうか、豆乳事業は成功し、株式会社紀文食品の一分野として吸収されることになり、私も株式会社紀文食品に転籍しました。

転籍した紀文食品では研究開発室で勤務しました。最初は事務仕事がメインでしたが、その後商品開発の仕事をすることになりました。まずコンビニ担当の商品開発をしました。商品を10個作って採用されるのは1個か2個という厳しい世界ですが、時代はコンビニが伸びてきたころで、陳列する惣菜の『商品開発』が求められていました。売上も前月比130%の伸びを記録したこともありました。仕事の実績を認められて、埼玉県にある工場で商品開発を任されて転勤することになりました。厚木市から数時間かけて埼玉県まで通勤していましたが、しばらくすると会社が勤務先の近くに社宅を用意してくれました。

震災から人生を考える

1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神淡路の大震災のニュースを見た時、体中に衝撃が走りました。皆さんも高速道路が倒壊したニュースには驚いたと思います。全国展開をしていたコンビニの仕事で関西にも繋がりがあり、大阪の友人を見舞いながら、自分の人生を考えていました。 「人生ってあっという間、自分の夢を叶えるには今始めなければ」という思いが募りました。私が辞めることは社内中に広まりました。希少な女性の役員として生涯会社に残ると思われていましたから一大事となりました(笑)。

開店したのは3.5坪の店

洋菓子店やケーキ屋さんで勤めたこともなく、専門学校で勉強したこともない私は「怖さ」知らずにこの業界に飛び込みました。試作品を近所に配って感想を聞くのですが、無料で配っていると「お世辞」しか戻ってきませんね。みなさん「美味しいわよ」と答えてくれます。そんな中、友人が心配して、「生ケーキが無ければお客は来ないよ」 「日本人はイチゴのショートケーキが好きなんだよ」という忠告してくれましたのでホームメイド協会でケーキの基礎コースと応用コースを同時に習うことにしました。

愛甲石田駅にほど近い場所に3.5坪の三角地の物件がありました。とにかく、『お店を開く』ことが目標で、自分一人で作って売れる小さな店があれば「できる」と思っていました。なによりも、家賃が安いことが魅力でした。

お店をオープンした時は運が良かったのだと思います。駅前で通学路でもあって、主婦や高校生が入店してくれて黒字が続きました。ところが夏になると客足がピタっと止まりました。原因は「イチゴが手に入らない」こと。農家やフルーツ店、市場などと契約していなかったのでイチゴが入手できませんでした。メロンやぶどうのショートケーキは売れません。また、スペースが3.5坪なので、調理場のオーブンの熱気が店内にこもってしまい、ショーケースの中のケーキから生クリームがとけてしまう事態になりました。こうして3.5坪に賭けた私の夢は早くも転換期を迎えることになりました。

お菓子工房Sala(サラ)

店を移動することに悩みました。店を大きくするには借金が嵩みます。人件費も必要となります。反対もされました。しかし、母が「本当に頑張るなら」と資金を用意してくれました。そして、今の場所に当初は1階だけを借りて「お菓子工房Sala(サラ)」をオープンすることができました。平成9年4月のことです。

Sala(サラ)は可愛い名前で覚え易いものが良いと思って付けた名前です。窓に大きく店名の「Sala」と文字を描きました。これをセールの “Sale” と間違えて入ってこられるお客さまがいらして、店の名前は難しいと思いました。

イチゴの仕入れは直接生産者と契約することができました。取引先の乳業メーカーの紹介で粉などの材料のメーカーとも繋がることができました。人脈は宝だと言いますが、食材を安く仕入れることが出来るようになり、本当に助かりました。 私は商品開発が得意ですが、開発に集中すると周りが見えなくなってしまいます。立ち止まって落ち着いて考える時間が必要なのかもしれません。そろそろパワーを蓄積する時間を取ろうかと思っています。

地元のお土産を作りたい

厚木市はソニーや日立など大手メーカーの工場などがあり、市外から来る人が多いところです。仕事で厚木市に来た帰りのお土産として、何か地元に特化したお土産を作りたいと思っていたところ、商工会議所から、七沢温泉や大山で有名な七沢の地で畑の遊休地を使って『かぼす』作りを始めたので『かぼす』を使ったお菓子を考案して欲しい、という話が入りました。 そこで大山をイメージした三角形のマドレーヌに餡を詰め、かぼすの色をグラデーションして焼き上げたお菓子『おおやま あんマド』と『かぼすゼリー』を考案したところ、『かぼすゼリー』が商工会議所の会頭賞を受賞し、新聞に載り、全国O.E.C(おいしい)ネットワークの厚木市お勧め商品として話題になりました。

かぼすゼリー

おおやま あんマド

また、中小企業家同友会のビジネスマッチングで箱根湯本温泉の『雉子亭 豊栄荘』( http://www.hoeiso.jp/ )とコラボで作成した『箱根あんまど』がお部屋出しのお菓子として、お土産品として、箱根に来た旅客の疲れを癒しています。宿のブログにお客様から「お菓子が美味しかった」と書き込みがあったとお聞きし、嬉しく思いました。

箱根湯本温泉 雉子亭 豊栄荘

箱根あんまど

ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ

愛甲石田駅から徒歩8分のところにお店を移転しました。この辺りはスイーツ激戦区で、近くにサーティワンアイスクリーム、向かいに自家製のベーカリー、ちょっと先にシャトレーゼがあります。或る経営者の勉強会で他の店に無いものを作るべきとアドバイスされたのが「ペットと飼い主が一緒に食べられるケーキ」でした。ペットショップが依頼して「ペットが食べる」ケーキを扱っている店はありますが、ドッグフードの原料を使ったものが多くて、人は不味くて食べられません。洋菓子店が作るワンちゃんやねこちゃんのケーキはまだ存在していませんでした。

ワンちゃんやねこちゃんを家族同様に接している家庭では、家族のイベントにケーキを一緒に食べたいというニーズが生まれています。「自分の誕生日を家族に祝ってもらいたい」 「クリスマスケーキを家族団らんで食べたい」という願望を叶えたいと思って考案したのが『ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』です。人間用の食材を使って、低カロリー低糖質ですくることによってワンちゃんねこちゃんにも食べられるケーキになっていて、専用通販サイトかアマゾンのサイトから購入できます。(※店頭販売は行っていませんのでご注意ください)

https://amzn.to/2J3JcX2

私の夢は

私の夢は家族の絆をお菓子で作ることです。お誕生日、クリスマス、お祝い事にケーキが幸せを演出してくれます。家族のありようも時代とともに変化しています。愛し愛されるものが存在することが幸せだと思います。ペットを我が子のように慈しみ、家族として一緒に暮らすライフスタイルがあり、ライフスタイルを応援するグッズやサービスが市場を作っています。

『ワンちゃんと飼い主が一緒に食べられるケーキ』を作るにあたっては、私の愛犬も企画から参加してくれました(笑)。たくさん試食をしてくれて、現在のケーキが生まれました。

今後は『ワンちゃんと飼い主さんが一緒に食べられるケーキ』を主流にネット通販に力を注いで生きたいと思います。 「ワンコと飼い主の絆をお菓子でつくります!」 これからの私を応援してくださいね。

ワンコと飼い主の絆を お菓子でつくります!

(文:高野慈子

 

5月 8 19

第48回盆栽カフェ オープン(2019.5.19 日)

by staff

盆栽カフェをオープンいたします

「ヨコハマトリエンナーレ2014」で大好評だった「盆栽カフェ」をヨコハマNOWでは定期的に開催しています。

季節ごとの変化が気軽に楽しめる「盆栽」・・・
最近は若者を中心にミニ盆栽が人気を集めています。

2014年12月13日(土)に開催した第1回「盆栽カフェ」では、石井造園株式会社の石井直樹社長に、「盆栽」について語っていただきました。

盆栽カフェ
第1回「盆栽カフェ」のアルバムです

その後定期的に開催し、2019年4月14日(日)に第47回を開催しました。そして第48回の「盆栽カフェ」を5月19日(日)にオープンいたします。

My「盆栽」をお持ちいただければ、石井社長に見ていただいてお手入れについてお話しいただきます。








2016年4月24日の「盆栽カフェ」の写真です。


2017年4月15日の「盆栽カフェ」の写真です。

「盆栽カフェ」(5月19日)のご案内 –第48回–

10連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
ツツジや藤などの花見に出かけられた方も多いと存じます。

2019年5月の「盆栽カフェ」は、5月19日(日)11時から石井造園株式会社(大船駅下車)で行います。

5月19日(日)は、石井造園主催の「第14回カサマルシェ」が開催されています。

今回の盆栽カフェでは、石井先生が丹精込めて育てた「盆栽」の数々を拝見して、お好みの盆栽をお持ち帰りいただきます。
石井先生ご自慢の緑溢れる社長室も見学させていただきます。

また、ハヤシライスorピザのランチ券とコーヒーと手作りクッキーの飲み物券をお渡しいたしますので、お好きなものを選んで、お食事を楽しんでください。

参加される方は、10時30分に大船駅笠間口の改札口に来て下さい。
石井造園株式会社までご案内いたします。

皆様のご参加をお待ちしております。

「盆栽カフェ」のお申し込みはこちらから・・・
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

プログラム

タイトル 盆栽カフェ
日 時 2019年5月19日(日) 11時~
場 所 石井造園株式会社
横浜市栄区笠間4-11-5 tel:045-891-1501
 
大船駅笠間口下車 徒歩15分程度
 
アクセスはこちらをご覧ください。
http://www.ishii-zouen.co.jp/company/
参加費 4,000円 (お持ち帰り盆栽・ランチ券・飲み物券 付)
お申込み お申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

動画:日本で初めて!松ぼっくりを使って苔玉を作る「苔玉ワークショップ」

参考サイト

「盆栽カフェ」 http://bonsaicafe-yokohama.net/

ヨコハマNOW掲載記事
「横浜に責任をとる。 石井造園株式会社 代表取締役 石井直樹さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=11663

 

4月 10 19

ハマの銭湯の今・・・

by staff

 

私の銭湯デビューは今から45年ほど前、大学浪人で東京都葛飾区に下宿したときのことでした。

田舎の純情娘(?)が毎日のように一人で銭湯に通うのが珍しかったのか下町の人情にあふれた常連のおばさんたちに可愛がられました。浪人生の私にはおばさんたちに声をかけてもらうのが本当に有難かったですね。

その後、お風呂付の部屋に住むようになって銭湯通いはしなくなりました。

横浜市港北区に引っ越してきてから、近所に温泉の銭湯が何軒かあって、週末には銭湯に行ってリフレッシュするようになりました。

大きなお風呂に入るとアルファ波がでるというのは医学的に立証されているようです。

東京銭湯
「大きな風呂に入ると気持ちがいい」その理由は脳波の変化にあった!
http://www.1010.or.jp/mag-column-03/

「ヨコハマNOW」の第2号(2010年6月)に登場いただいた「横浜銭湯をめぐりの会」会長の大森さん(現在は名誉会長)とのご縁で、私の銭湯好きに拍車がかってきました。

人との距離感が短くなるから面白い。
「横浜銭湯をめぐりの会」会長 大森美津男さん
http://yokohama-now.jp/home/?p=681

「銭湯」は、横浜の発展の歴史にも貢献しているようで、昨年、横浜市歴史博物館と横浜開港資料館の連携企画展「銭湯と横浜」が開催されました。私も拝見しましたが、京浜工業地帯の労働者の癒しの場としての銭湯の役割がわかりやすく解説されていました。

「銭湯と横浜」企画展のチラシです。
https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/files/…

昭和40年代には横浜市内に340軒を超える銭湯があったそうですが最近は70軒を切っています。

内湯が当たり前になっている上に、スーパー銭湯などの登場で、このままだと銭湯は減少していく一方です。我が家の近所だけでもこの2、3年で数軒の銭湯が廃業したり休業中だったりしています。

外出先で2時間ほど時間があるときは近くにいい銭湯がないかなと探してしまいます。ほとんどの銭湯に貸タオルがありますし、「てぶらセット」という料金設定をしているところもありますので、思い付きでも大丈夫なのです。

私が訪れる銭湯の基準は、温泉であること(黒湯が多いです)とサウナがあることです。銭湯で温泉・・・と思われるかもしれませんが、横浜には天然温泉の銭湯が結構あります。海沿いのせいか塩分を含んだ黒湯が多いようです。またサウナについても100円~300円をプラスすると利用できる銭湯が結構あります。470円の入力料に貸タオル代やサウナ利用料を入れても1000円未満でゆっくり温泉気分を味わうことができますよ。

神奈川県公衆浴場業生活衛生同業組合のWebサイトには、各銭湯について設備を含めて詳しく説明されています。

横浜市の銭湯
https://k-o-i.jp/search_area/yokohama/

数えてみると20軒を超える銭湯を訪問していますね。

銭湯で黒湯にゆっくりつかり、サウナに入って水湯に入る時間は私にとってかけがえのない癒しの時間です。

残念ことに、私がよく訪れる銭湯は繁華街に近いせいか、ほとんど日本人の利用客がいません。先日訪問した(打合せと打ち合わせの間の2時間で行ったのですが・・) 伊勢佐木町の某所では、韓国語・中国語が飛び交っていました。

国際化という意味では、横浜の銭湯の女湯の外国人率は物凄く高いと思います。
(男湯は不明です・・・笑)

このままでは横浜から「銭湯」が消えてしまいます。
皆様・・たまにはご近所の銭湯に行ってみませんか。リフレッシュできますよ。

 

4月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第4回) デジタルとアナログ融合させる演出家 松本匡史さん

by staff

Prologue

近年ではデジタルアートの進化が著しく、四季折々の様々なアート展やプロジェクションマッピングを用いたインスタレーション作品を目にする機会が増えましたね。

この写真はCOREDO室町の日本橋三井ホールで開催されたFlowers by Naked 2018の様子です。

デジタルアートとパフォーマンスの融合

会場一面に五感を使って感じられる様々な花達が踊るようにして咲き誇っています。

絵画と鑑賞する側というように
いわば作品と観客の間に明確な一線が引かれていた時代を経て
現在は、その境界線が溶け合い
作品という世界の中を体験できる
“体験型アート” が老若問わず大人気です。

最近では更に作品の世界に入っていく意味合いの強い”没入型アート”がさらなる人気を誇っています。

観客自身が能動的に五感を働かせる事により、その世界への当事者として没入できる感覚は絵画や彫刻では中々得られない感覚です。

今回はFlowers by Nakedでも、パフォーマー達をプロデュースし、多種多用のパフォーマーを活用したライブエンターテイメントを中心に、イベント/エンターテイメントショー/空間演出など、幅広くサービスを展開している株式会社S.I.P.H Entertainment Japan代表取締役の松本匡史さんのもとへ取材に行って参りました。

エンターテイメントで世界をhappyに

Acco 「ホームページを拝見させていただきましたが、個人からイベントなど、かなり幅広いエンターテイメントのプロデュースを行っているのですね。元々はどんな事をされていたのですか?」

松本 「幼い時からすごい数のディズニー映画が家にあり、それを見て育ったので、”ハッピーエンドやファンタジーな作品”は馴染みもあり、個人的にも誰かを喜ばせるだったり、感動を与えるとゆう事はすごい素敵だなと思ってました。」

Acco 「そうだったんですね。松本さんはどんな子供時代を過ごされていたんですか?」

松本 「自分はもともとかなりアクティブで、どうしよもない感じだったのですが(笑)。 その時出会ったのがサッカーで、そこから幼少期はサッカー少年でプロサッカーチームのジュニアユースにも入っていたので、プロサッカー選手を目指して結構本気でサッカーに打ち込んでいましたね。ジュニアユースで体感した全国レベルを見て、スキルの差に限界を感じた部分もありますが、高校に入ってから怪我が原因でその夢を諦める事にはなりましたが、他にやりたい事は何かなって考えた時に浮かんだのが芸能の道(役者)でした。」

Acco 「役者さんをやられていたんですね。」

松本 「そうですね。そこから芸能に特化した通信制の高校に転入して役者としての勉強とアルバイトをひたすらやってましたね。ダンスを始めたキッカケが、オーディション等で役者としての武器になるかなと思って習い始めました。高校卒業後は専門学校に入ったり、芸能などでの仕事も色々行って、アーティスト活動もしていたのですが21歳で全部辞めました。」

Acco 「それは何がキッカケだったんですか?」

松本 「そうですね、、、アーティストって色々な捉え方があると思うんですけど。本来ならアーティストは技術やパフォーマンスでお客様に喜んでもらう事が大前提であると思いますが、どうしても集客だったり色々な面を加味して、ファンミーティングだったりアイドル的な要素が少なからず必要になってくる場合があって、、。勿論、とても大事な事とはわかってるのですが正直に、自分はこれがやりたかったのか?と問うようなシーンがあったと思います。あとは実際に、生活面で言うと、演者って本当に稼げないんですよね。どんなに良いものでも、お給料がない現場だってザラにあります。それだと何も意味ないじゃないですか。」

Acco 「素晴らしいパフォーマンスをするために、時間もお金もかけて来たのに、、それじゃ割に合わないですよね。」

松本 「そうなんですよね。何でこんなに稼げないんだろう?って思った時に、まず仕組みに問題があるなと。」

才能に相応の対価を与えられる場をつくりたい

松本 「まず前提として、演者は教養が基盤のビジネスモデルだと見つけました。そのせいで、演者自身が安売りしてしまい、若い方だとノーギャラでも”いい経験させてもらってるから”という理由だったり、クライアント側もまたそこに甘んじている関係性だったり、演者自身プロを目指す上で大体な方々のゴールの思考も教養になります。決してそこを否定してるのではなく、教養はとても大切な事で自分には出来ない事でもあるので尊敬してます。
 
だからこそ、そのモデルとは異なるプロフィッショナルが経済的に成り立つ場所。そんなフィールドを作れたら良いなと思いました。」

Acco 「そこからどうやって会社設立まで至ったのですか??」

松本 「全て1回リセットしようと思って、タブレットだけ片手に持ってロスに留学に行ったのはターニングポイントでしたね。」

Acco 「なるほど」

松本 「語学と芸術を学びにいったんですけど、やはりアートの面で日本は圧倒的に遅れているな、というのも感じましたね。発信者や技術に関しては日本は本当に世界に誇れるものを保持していますが、受取手のレベルと言ったらいいのでしょうか。作品を評価して価値としての対価を払う意識が少しまだ低いのかなと。海外は0から1を生み出す事に本当にたけていると思います。その面、日本は保守的な国民性もあって0から1ではなくて、1から100を作れる、決めた事に対しての情熱や細やかさだったり、おもてなしの心はピカイチだなと思います。」

松本 「そんな想いを抱えながらも、帰国してからはダンスインストラクターやカフェのバリスタをしながら “どうしようかな” … “カフェでも開こうかな” なんて思いながら過ごした迷走してた時期もありましたね(笑)」

Acco 「はい。」

松本 「そうこうしている内に、働いてたカフェが三ヶ月後に閉店する事になって。」

Acco 「えっ。」

松本 「ちょうど同じ頃、、そうですね、2014年の5月6日に東京オリンピックの開催が決定したんです。」

Acco 「はい。」

松本 「そこで第六感的な、何か直感がピンと来て “あっ、何かやらないと” って思ったんですよね。日本、盛り上がりそうだなって。」

Acco 「それで会社設立したんですか??」

松本 「そうですね、ずっと”いつか何かやる”って想いだけは持ってたのですが、中々余計な事ばっかり考えてて進めなかったのですが、とりあえず行動を先行しちゃおうと。そこから独学で会社設立について勉強してカフェが閉店した3日後に設立しました。」

Acco 「すごいスピード感ですね! 今のビジネスモデルもその頃から描いていたんですか?」

原点はフラッシュモブ

松本 「印象に残ったお仕事があって、それがフラッシュモブでした。サービス自体も素敵ですし、一生に一度の特別な場所を演出するとゆう事で、通常より単価も高くしっかりビジネスモデルとしても成り立っていたんですよね。」

Acco 「たしかに。」

松本 「だけどフラッシュモブはもう先にやっている人が居るし、どうしようかなと思った時に、目先のモデルとしてフラッシュモブはありで、それに更に価値をつけて、パフォーマンス×映像を融合させたアナログとデジタルの演出が出来れば差別化出来て面白いじゃないかと。」

Acco 「そこが原点だったんですね!」

松本 「はじめのうちは、全然仕事もなかったですし、条件があまり良くない案件が当たり前でした。それでも必ず期待以上のスピードとクオリティで仕上げていきました。明日やりたいってゆわれ、そのまま夜中スタジオに入り作った作品もあります。」

Acco 「すごいです!」

松本 「誰もがNOを言うような案件にもYESを出してましたね。本当どれだけのピンチでも、チャンスボールだと思って、思いっきり打ち返してきた感じです(笑)」

Acco 「すごいバイタリティーですね。」

松本 「そのお陰で更に強くなりました!(笑)」

一生に一度の特別な時間に最高級の世界へ

松本 「これまで個人から企業の案件を約500作品以上手掛けてきましたが、エンターテイメントを行う上で本当しがらみが多いなと。」

Acco 「具体的にどういった事でしょうか?」

松本 「やはり大きいところほどリスクは取らないです。時代もありますし、国民性もありますし、、エンターテイメント、いわゆる前衛的なものに対して理解のあるところと手を繋いでいるのが現状ですが、時代の追い風が吹いていつか逆転して、エンターテイメントに対しての価値観が変わる社会が来ると思います。そして、これらに影響出来るような会社になればと。」

Acco 「間違いないですね。」

松本 「そのためにも今から小さくてもタネを蒔いて水を注ぎいつか華が咲くのを待ってます(笑)」

S.I.P.H公式 四季のライブエンターテイメントをご紹介

松本 「僕らはプロデュース会社なので、基本、クライアント様が居て、予算があって、そこから作品をつくるのが当たり前なんですが、、、0ベースで考えたS.I.P.Hとしての作品やメッセージを発信したいと思ってます。既にもうどんなコンセプトでやるか、ヴュジュアルの絵まで浮かんでるんですよね!」

Acco 「そんな明確に描けているんですね! すごいです!」

松本 「やるなら思いっきりやりたいですね!お金もかけて、場所もこだわって。
でも、最初は無理をせず身の丈に合う形で動いていこうと思います。」

Acco 「是非実現してください!」

理想の組織図

Acco 「色々な現場であらゆる演者の方たちをまとめるにあたって、何か気をつけている事はありますか?」

松本 「んーそうですね。いわゆる”いつものメンツ”になりすぎないように気をつけています。ベースとして、コンセプトや一定の水準は保ちながら、少しだけ新しいエッセンスを入れてます。組織の中での新陳代謝を促すといったところでしょうか。常に新しい風が通って居た方が、現場にもパフォーマンスにもいい影響があるんですよね。」

Acco 「とても大切な事ですね。」

松本 「あとはお客様から観ていい作品、いい現場である事は勿論必須ですが、それをつくる演者やスタッフにとっても”あの現場いいよね”って思ってもらえるような現場にしたいですね。」

Acco 「作り手やチームの雰囲気は自ずと作品に映し出されてしまいますしね、、
素晴らしいです。」

松本 「一番大事な部分は “愛を忘れないこと” これは演者にも作り手にも、クライアントにも、全員で共有出来たら素晴らしい現場になると思います。」

Acco 「松本さんにとって生き様アーティストとはどんな人ですか?」

松本 「ウォルトディズニーですね。あの時代にあんな発想をしていたところだったり、全てのエンターテイメント、地球のエンタメの基盤を作った人だと僕は思ってます。」

Acco 「まさにですね! 松本さんのこれからやってみたい事があれば教えてください。」

松本 「やはりシンプルですが、エンターテイメントで世界をHappyにする事ですね。あとは会社名もS.I.P.H Entertainment Japan と付けているくらいなので、from JAPANを代表する会社として日本のいいところを海外でしっかり展開し、最終的にNYで戦えたら本物だと思ってます。」

Acco 「素敵な未来予想図ですね! その絵が見れるのを私も楽しみにしています!」

本当の今と未来の守り方

私たちはつい
過去からの延長線上の現在(いま)を選んでしまいがちです。
 
“本当の今” は
昨日や一昨日とは無関係です。
 
1秒先に壊れてしまう今と
絶えず創造され続ける現実
 
“想像(創造)を辞めた時に破壊が始まる”
 
という言葉があります。
 
描きたい未来を自由に想像(創造)
していく事で破壊から今を守れる
 
簡単に言い換えると
 
夢を描き続けることで未来を守れる
 
まさにディズニーランドの世界ですね。
 
例え今がどんな現実であっても
私たちは理想を描くことを忘れてはならない
今と未来を破壊から守るためために
 
松本さんと対談していく中で
そう感じられました。
 
どんなピンチもチャンスボールに変えて
ど真ん中で打ち返していく松本さんだからこそ描けた今をそして未来を
これからも応援しています。
 
エンターテイメントなどで依頼を希望される方は下記をご覧くださいませ。

<プロフィール>


 
株式会社S.I.P.H Entertainment Japan HP:http://s-i-p-h.tokyo/

株式会社S.I.P.H Entertainment Japan
代表 松本匡史
 
株式会社S.I.P.H Entertainment Japan枠にとらわれる事なく、想像を具現化する事を一つに、人が持つ可能性とテクノロジーを融合した、新しい形のエンターテイメントサービスを創造するクリエティブ会社です。

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
SNS Facebook
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4月 10 19

しあわせの「コツ」(第28回) これも日本発? 現代文化に通底する「ある美意識」の淵源

by staff

第28回 これも日本発? 現代文化に通底する「ある美意識」の淵源

ご存知「遠山の金さん」

テレビの人気長寿番組と言われて思いつくのは「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」くらい。これらの番組はなぜ人気があるのでしょう? よく「勧善懲悪」のワンパターンが安心して観ていられるからだと言われますが、それだけではないような気がします。実は、これらの番組にはある共通のテーマがありますが、お気づきでしょうか?

それは、「ある目的のために身分の高い人が卑しい姿に身をやつす」というテーマです。

「やつし」― 歌舞伎でもよく見られる手法で、すし屋の使用人弥助が実は平維盛(「義経千本桜」)というように、高貴な人が身分の低い人物に身を「やつし」て、本懐を遂げるパターンです。有名な「助六由縁江戸桜」も、吉原に出入りする侠客花川戸助六が実は曽我五郎と言う設定になっています。歌舞伎はこのモチーフが好きと見えて、至る所に「○〇実は△△」という役があり、「実は」と本来の姿を現すところが見せ場となっています。

市川海老蔵扮する助六実は曽我五郎

なぜ「やつし」というスタイルが出来たのかという点については、江戸時代の贅沢禁止令に対する民衆の反骨精神の表れという説があります。絹を禁じられた町人が、着物の表地は質素な木綿でも、裏地に鮮やかに染め上げた絹を使ったり、金ではなく「いぶし銀」を印籠や根付に使ったりした事実がそれを物語っている、というのです。

けれども、「源氏物語」を挙げるまでもなく、「貴人の落魄」というテーマは昔から日本人に好まれていました。それに江戸時代の「お上への反骨」が加わったのかもしれません。それも、単なる反抗ではなく、表面上は規制を受け入れつつもそれを逆手に取って新たな美意識を創り出したというわけです。

例えば、遠目からは無地に見えるのに、近くで見ると精緻な柄が見える小紋などは、表面の華美を「やつし」て、地味に見せています。今の私たちはそれを「粋」とひとくくりにしがちですが、「粋」の奥には「やつし」があるように思います。

江戸小紋 遠くから見ると無地にしか見えない

ちょっと見ると素っ気ないのに、よく見ると上質の素材を使い、丁寧な仕上がりが渋いテイストを感じさせる小物。シンプルでも細部まで丁寧に作り込まれ、一度着たら手放せなくなる最高の着心地を味あわせてくれる服。現代のファッションにも通じるこうした趣向が、上からの規制に対する民衆の知恵ある反発から生まれたというのは、大変興味深いことです。

歴史を繙くまでもなく、どこの国でも為政者による文化弾圧や規制はあります。当然それに対する一般大衆の反発や抗議もあります。それが失敗に終わって滅亡した文化もあれば、そこから新たな文化が生まれた例もあります。

16世紀にイングランドに征服されたアイルランドでは、ゲール語を禁止されたばかりか、踊ることまで禁止されました。そこで当時のアイルランド人は、窓から見られた時に踊っていることが分からないように、足を踏み鳴らすステップだけのダンスを考えました。それが今日まで伝えられている有名な「アイリッシュダンス」です。「アイリッシュダンス」は、アイルランド移民によりアメリカに伝わり、「タップダンス」という新しいダンスを生み出し、今や世界中に広がっています。

アイリッシュダンス

日本の場合、華美の規制から逆に「やつし」という美意識を発達させました。それは、反骨精神の発露を通り越して生活文化のすみずみにまで浸透し、いつの間にか通奏低音のように日本人の心の奥底に響き渡るようになっています。

ある人が「うちの愚妻が」と話し始めたとします。「おお、君の奥さん、バカなのか。そりゃ気の毒だね」と答える日本人は恐らくいないでしょう。どれほど才色兼備で自慢の奥さんであっても、夫は妻の素晴らしい資質を「やつし」て話すのです。聞く方もそれを承知の上で受け答えをします。「愚妻」「豚児」「つまらないものですが」「粗餐」など、一般に「謙遜」と言われる表現は、それが本当は価値がある、素晴らしい物であることが認識上共有されていることが前提です。その共通認識があるからこそ、「謙遜」は奥ゆかしく、「卑下」とは全く異なるのです。

最近は「愚妻」や「豚児」と言う表現に目くじらを立てる人もいるようですが(笑)、かつては当然のように共有されていた「やつし」と言う感性が、日本人の間でも共有されなくなってきたのかもしれませんね。

「やつし」は、かなりコアな日本的美意識であり、西洋的な美の基準では理解も評価もされにくいものです。ところが、ファッションの世界ではこの日本発の美意識「やつし」が、今や立派に市民権を有しているのです。

1982年、西洋のファッションの牙城パリ・コレクションで、ほとんど「事件」ともいえるファッションが登場しました。

虫食いのような穴だらけのニット。しかも色は黒。カラフルな布で女性の身体の美しさをさらに魅力的に見せる西洋のファッションを頭から否定するこの「ぼろルック」は、当時のファッション界に大きな衝撃を与えました。

仕掛け人はご存じ川久保玲。彼女の後にはヨージ・ヤマモトなど、いわゆる日本人による「黒の衝撃」がパリのファッション界を席巻しました。

コム・デ・ギャルソン 80年代初期のセーター

「西洋の服への冒涜だ!」
「西洋的エレガンスは死んだ!」
「いや、新しい美の提案だ!」
「もはやファッションではない、これは芸術だ!」
「こびない女性へのオマージュだ!」

世界中のファッションジャーナリストが賛否両論を書き立て、国際世論は真っ二つに割れました。

川久保玲

「ゴージャス」とは対極のこのデザインを「モード」としてパリで発表した川久保玲は、しかし、西洋のファッションに反旗を翻したわけではありません。むしろ、日本人には自然であった「やつし」と言うコンセプトに基づいたデザインを投入することで西洋のファッションの枠を広げたのでした。その証拠に、やがて彼女の斬新なデザインは他の外国人デザイナーにも影響を与えていったのです。

川久保玲のコレクションより。
穴あき、切りっぱなし、異様な形と素材-「服とは何か?」
を問いかけてくるようなデザイン

例えば次のファッションをご覧ください。有名なヒップホップミュージシャン、カニエ・ウエストも愛用するクリスチャン・ディオールのデザイナー、ジョン・ガリア―ノの作品です。これなどは、川久保玲がいなかったら、決して現れることが無かったことでしょう。

ジョン・ガリアーノデザインの服

彼女は「やつし」と言う、西洋人が理解しがたい美意識を、西洋のファッションの文脈に根付かせようとしたのだと思います。「やつし」という美意識から生まれたファッションは、表面に現れない「本質」を見抜く審美眼がなければ存在しません。良質なものをあえてみすぼらしいまでに質素に「やつした」ものに出会った時、人は「やつし」の奥を見る目を試されます。まるで知的ゲームのように。

川久保玲の「穴あきファッション」の衝撃は、見た目だけではありません。人々に「衣装とは何か?」「纏うとは何か?」という根源的な問いを突き付け、ファッションに哲学を持ち込んだことにあります。

誰が見ても美しいドレスやスーツは世に溢れています。人々はその素材やデザイン、あるいは着こなしを話題にすることはあっても、「服とは、着るとは、どういうことか?」を考えることはなかったでしょう。けれども「やつし」の美意識でデザインされた衣装は違います。いやでも表面のスタイルの背後を感じ取る知性を必要とするのです。

「デザイナーはなぜ、ここに穴をあけたのだろう?」
「こんなボロ布を服と呼べるのだろうか?」
「では、一体『服』とは何なのだろう?」

ファッションのメッカ、パリで西洋的ファッションの文脈にこれまでとは真逆のコンセプトを投げ入れ、定着させた川久保玲は、まさにファッション界の革命児と呼ぶにふさわしいデザイナーでしょう。

現在、穴あきファッションは珍しくもなんともありません。川久保玲以降、世界中のセレブ達が先端のファッションとして穴のあいたジーンズを穿き、よれよれで切りっぱなしのシャツを着ています。セレブばかりか一般人も、それが「やつし」から生まれたファッションだ、などと意識もせずに、当たり前のように身に着けています。それだけ「やつしファッション」が世界中に受け入れられているのです。

舞台衣装として穴あきジーンズを穿くジャスティン・ビーバー

禅に造詣の深かったスティーブ・ジョブスがいつも黒のTシャツを愛用していたのは有名な話ですが、私は彼が「やつし」の美意識を理解していたのではないかと思っています。プライベートジェット機を所有するほどの富豪が、アルマーニでもポールスチュアートでもなく、シンプルな黒いシャツを纏うとき、人は「きっとジョブスなりのポリシーがあって着ているのだろう」と考えます。そして黒いシャツの背後に彼の衣装哲学やライフスタイルを感じ取ろうとするのです。纏う人と見る人のこの関係、これこそまさに「やつし」と言う美意識が共有された証しではないでしょうか!

いつも黒のシャツを着ているスティーブ・ジョブス

日本の伝統的な美意識「やつし」は、今や誰もそれが「やつし」だと気付かないまま一般的で汎用性のある概念として、世界中に浸透しています。私は、かつて九鬼周造が「いきの構造」で、日本的な美意識である「いき」について哲学的考察をしたように、「やつし」についても深い論考がなされればいいのに、と思っています。そうすれば、「やつし」が日本という国のローカルな美意識ではなく、日本発の普遍的な「美学」として、改めて世界で認知されていくことでしょう。

鉄瓶、弁当箱、盆栽、あるいは電子機器など、最近でも日本製品は海外で人気のようです。でも、もはや「もの」で日本をアピールする時代ではなく、それらの背後にある「考え方」や「感性」「美意識」を発信することで日本の存在感を示す時代が来たのではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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4月 10 19

2019年4月 三ツ池だより 「はかりをもとう」

by staff
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17年前の今日3月24日の日記に次の詩が書かれている。

山は山であって欲しい
海は海であって欲しい
  己は己であって欲しい
  おぬしはおぬしであって欲しい
無理をせず
我慢せず
  あるがままに
  ゆったりとしておれる
山は山、海は海
山も海もひとつになる
  あるがままの姿という
  強い己でありたい

この年、40年前の中耳炎が再発していて、左の耳に耳垂れがあり、1月30日に入院し手術をしたのであった。入院がながくなるので毎週7冊づつ自宅の本棚か本の持ち込みをお願いした。入院中本を読み詩を書いたのだった。入院一ヶ月后に書いた詩はつぎのものだ。

今日という日が
明日もくるという
  今日という日が
  今日一日であるように
明日という日も
今日一日であろうか
  日に照らされて
  雲は動き知らぬ間に形を変える
日にてらされて
雲は動き知らぬ間に形を変える
  日にてらされて
  吾は生きてる
我も又
知らぬ間に動き形をかえるのか

「はかりをもとう」という記事が突然入ってきた。イチローが引退するにあたり会見したのだった。そのことが3月23日の新聞のコラムにのった。「春秋」で「日本では7年連続の首位打者。米国に渡って10年連続200安打を達成した。足の速さや身の軽やかさも光り、走攻守が揃ったプレーヤーとして、本場のスタンドをわかせた。外野から内野への矢のごとき返球はレーザービームと呼ばれ鮮やかに記憶に残る。打席に入ると、片手で持ったバットを経て投手に向けるのがルーティーン。一瞬、剣術の達人のごとき雰囲気がだされた。」「編集手帳」から。「野球を楽しんだのは1994年、日本発のプロ野球初の200安打を達成したころまでだったという。評価されるのは苦しい。はかりはあくまでも自分の中にある。はかりを使って自分の限界をちょっと越えていく。その積み重ねでしか自分を超えていけない。数々の偉業を達成しながら何もほこらしげに口にしないイチロー節に鼓舞された方は多いかもしれない。

よく日の3月24日の「照明灯」では「日本球界での出だしがドラフト4位だったと知れば、意外さとないまぜになった親しみを覚えてしまうお方もおいでだろう。いまや米国野球殿堂入りが確実視される立場でもあれば、目標を見据えて倦まず努める大切さを身を持って教えてきたような気がする。」産経抄では「打撃の名手は、人の胸を打つ名手でもあった。日米通算4000安打を放った6年前の言葉が印象に深い、“4000のヒットを打つには、8000回以上悔しい想いをしている”3割の正鵠でなく、7割近い凡退。積み重ねた失敗の山にこそ誇りがある、と。」

「はかりを使って自分の限界をちょっと超えていく」という言葉に嬉しくなってしまった。はかりという言葉をつかっている例をほとんど見なくなっている。それだけ、基本で当たり前に正しく使われているという現象はいいことなのだ。それを維持していく努力がたえずされている。その仕事をしていることに誇りにおもっている。

さて、もう6年前になってしまうがつぎのような詩を私は書いている。

雪の白さの向こうに
日の出が見える
橙色に地平をして
明るくなってくる
  今日に感謝
  あなたに
  家族に
  日本中に
しずかな朝に
湧きあがるのは
今何をしようとしているのか
課題をおいかけるだけでいいのか
  大地を白くそめてくれた
  大自然に感謝し
  鳥の囀りのなかに
  やすらかな朝をめでる
詩が欲しい
詩が私の頭のなかにある
おりてきてほしい
大丈夫と言ってほしい
  経済の中に生きていて
  明日を見とおせない時
  だから詩に頼るのではなく
  詩と共に生み出すのだ
炎のようでなくていい
おだやかな魂のほとばり
詩から発せられるものを
安らかに受け止めて生きていく

入院してノートをつけ始めて11年経ってからの詩だ。人はさまざまな人生を過ごしていく。「はかり」の仕事をして50数年になるわけだが、大事なのは仕事を通じて世の中に役立っているという感覚だ。イチロー選手のような派手さはないが、これも人生だ。一生の仕事を持っていることに感謝だ。ありがとう。

 

Photos

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(文・写真:横須賀 健治)

 

4月 10 19

ゆるマナー講座(第42回) 男性のスーツの着方、選び方、間違っていませんか?

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

花々が咲き乱れる美しい季節がやってきました。
新しく仕事に就いた方はもちろんですが、長くお仕事をなさっている方も、新しい一年の始まりに改めてご自分の装いに目を向けてみませんか。

靴下だって見られています

先日電車の中で、仕事帰りと思われる壮年の男性たちを見かけました。何気なく座っている彼らの足元に目をやると、靴下が・・・短い。すね毛が覗いている。
「あらぁ、残念!」 
誰もが黙りこくった電車の中で、にこやかにおしゃべりしている姿は実に楽しそうで感じが良いなと思っていた気持ちが、あっという間にしぼんでしまいました。

たかが靴下ごときでと思われるかもしれませんが、素敵にスーツを着こなすには、実は靴下は大切なポイントでもあるのです。
座ってズボンが上がった時に裾から素肌が見えないこと。これはとても大事なことです。
ですので、選ぶのは長めのものを。
またビジネススーツであれば、色は黒や紺などの無地か、柄があっても小さなものを。決してビビッドカラーのものやスポーツソックスなどを選ばないようにしましょう。

靴下がポイントなら、靴選びも大切なポイントです。
靴を脱ぐ文化の日本においては、紐を結ばなくて良いローファーを好む方も多いようです。
しかし、フォーマルな場に出る時には、ぜひ紐靴を選んでください。色は黒です。結婚式やパーティにも茶色い靴はNGだと思ってくださいね。

スーツ、シャツ、ネクタイの選び方

ところで、ご自分のスーツはピッタリと体にフィットしていますか?
立ち姿を前から見た時に、ウェストの辺りと袖の間に数センチ隙間ができますか。
おしりの丸みが見えなくなるくらいのところにジャケットの丈がきていますか。
袖丈は、手の平を下に向け手首を水平に曲げた時、袖が手の甲に触れるか触れないかぐらいの長さでしょうか。
全て当てはまっていたら、ちょうど良いサイズを選んでいるということです。
改めて鏡で確認してみてくださいね。

時には雰囲気を変えてみたいと思っても、スーツを何着も揃えるのは大変です。そんな時はシャツやネクタイを変えてみてはいかがでしょうか。オフィスカジュアルならいろんなチャレンジもできてきっと楽しいはずです。しかし、いざ公式な場に出る時には、やってはいけないことがあることも知っておきましょう。

まず、スーツの下に着るシャツですが、これはどんな場面でもサイズがぴったり合っているものを選びます。シャツは本来スーツを汚さないために着るものです。衿や袖口からシャツが1~1.5cm程出るのがちょうど良いサイズ。
色や柄のついたシャツ、衿や袖口だけ白いクレリックシャツなどは、普段オフィスで着るのは良いのですが、フォーマルな場では白のシャツをお選びください。ステッチやボタンの色、ボタンを留める糸も全て白色です。またボタンダウンもカジュアルなものですから、フォーマルな場では着ないようにしましょう。

ネクタイはその日の気分に合わせて選べる便利なアイテムです。
しかし、こちらも時と場を考えた方が良いことがあります。
日本人が大好きなレジメンタルストライプ。ネクタイ売り場に行くとたくさん並べられています。レジメンタルとは元々「イギリス軍の連隊旗」をベースに色の組み合わせを変えて作られた模様です。ストライプの向きもイギリスは右上がり、アメリカは左上がりと違います。大学特有のカラーのレジメンタルタイは、ヨーロッパやアメリカに限らず日本でもありますが、海外ではビジネスの場で締めている方をあまり見かけません。
そういえばデパートのネクタイ売り場で海外のものを扱っているところには、レジメンタルタイはほとんどないような気がします。
公式な場に出られる時は、ぜひ無地かピンッドットなど小紋柄を選ぶと良いでしょう。
そして、締めた時の長さにも十分気をつけてくださいね。
ネクタイの剣先がベルトの幅の中に納まることを意識して締めてください。


フリーイラストより

プラスワンの装い方

こういった選び方や着方を意識するだけで、いつものスーツが、いつもよりずっと素敵に、着こなせるようになりますよ。

さて、ここでもう一つ、プラスワンの装い方を。
それは、「ポケットチーフ(ポケットスクウェア)」です。
いやいや、結婚式でもない限り、そんなもの使えない、なんておっしゃらないように。
シャツの色や、ネクタイのどこかに使われている色に近い色を選んで、ほんのちょっとのぞく程度で構わないのでポケットに挿してみてください。
あら不思議、すっかりおしゃれに大変身です。

最近はポケットチーフを入れているおしゃれなビジネスマンもお見かけするようになりました。
ぜひ皆さんも挑戦してみてください。

多様な人、多様な価値観のあふれる現在でも、変わらないルールがあります。
服装のルールも随分変わってきたとは思いますが、それでもでも変わらず、それを破ると非常識だと思われることもあります。特にビジネスマンにとっては、そのルールを身につけていることが知性や教養の証となる場合もあるのです。
「たかが外見」と侮ることなかれ。
素敵に装って、ご活躍ください!

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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4月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第73回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第73回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

東京・新宿は、歌舞伎町のビリヤード場で徹夜したり、紀伊国屋ホールの落語会に通ったり、ピット・インでジャズの生演奏を楽しんだ思い出深い街。ピット・インは日本のジャズ・クラブのさきがけ。ジャズはアメリカ南部で生まれ、独特のリズム感覚・民俗音楽とヨーロッパ音楽の技術・理論が融合。その中で独自のインプロヴィゼーション(即興演奏)が創造されました。私にとってジャズといえば “モダンジャズの帝王” マイルス・デイビス。 “クール・ハード・モード・エレクトリック・クロスオーバー・ヒップホップ” など、時代に応じた様々な音楽でジャズ界を牽引しました。終わりなき改革とインスピレーション。それは “協創・自発・軽快・革新・冒険” 。こう並べると、今後のAI時代のあるべきスタンスそのまま。AI時代は “結合・継続学習・燃焼” あるのみ。人種差別問題にも批判的で “いいプレイをする奴なら肌の色が緑色でも雇う” と宣言。梁塵秘抄では “これより北には越の国 夏冬とも無き雪ぞ降る 駿河の国なる富士の高嶺にこそ 夜昼とも無く煙立て” とあります。越の国に白山、駿河の国は富士山。神とはケンカせず。 “ちゃんと生きていれば死は怖くない” と映画監督・北野武。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

自ら反りみて縮(なお)くんば、千万人と雖も吾れ往かん
江戸時代は 多様性・差異の尊重、これぞ創造のプロセス
流れの中で絶妙に止まる 動きの研究をもとに静止を把握
大宇宙 空中より来たからには空中に去るまで、と紅楼夢

“紅楼夢” は清朝・乾隆帝の時代(18世紀)に書かれた中国長篇小説。 “三国志” “水滸伝” “西遊記” とともに中国の古典小説として四大名著と言われます。小説は上流階級の生活の細部を描き、主人公たちの交情を克明に記したもの。あくまでも、弱くて感じやすい児女の情がテーマ。三国志の “武” 水滸伝の “侠” に対して紅楼夢は “情” の文学。男女の情を描いた中国の小説では “金瓶梅” が有名ですが、紅楼夢の恋愛模様はプラトニックで情感も洗練を極める点では好対照。日常生活が登場人物400人を超える規模で描かれており、 “多様・差異” & “苦痛・安穏” の宝庫。若さの矜持と老いの天真爛漫。 “芸者から嫌われるような人間は仕事でもダメ” とホンダ創業者・本田宗一郎。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

日本 アジアの頭脳になるチャンスが到来
樹木の枝ぶりは、光合成に最適な複雑形状
人はその姿・形に心地良さを感じる不思議
米国投資手法と日本文化 新たな文化創造

樹木が枝を伸ばしていくのも、光合成に最適な形状を探ってのもの。植物も動物もそこは同じ。投資活動一つとっても米国流と日本流。米国流をモノマネしてきた失敗例は山積。日本文化を踏まえた最適な投資の形状を探る機会。 “真の価値” を見抜く投資手法の創造。真の価値を愚直に追求する文化風土は制約になるが強みにもなるはず。 “ミーム” とは文化を形成する情報で、人の心から心へとコピーされる情報。コピーでは変異を起こすことで多様化。多様化は自然淘汰により更に進化につながるもの。文化とは、思考や学習による信念や振舞い。技術革新・生産性向上などの文明とは対照的。 “お金を稼ぐには教養はいらないが、お金を使うには教養がいる” とジャーナリスト・筑紫哲也。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

ひとつずつ直せばいいとの発想 変数を増やさずに確実に改良を重ねる
羨ましがられぬ様にいたす事身を守るの一助、と中津藩改革の下級武士
稽古でも本番も中味は同じ完璧芸 どちらも手を抜かないのがプロの魂
経験を積むことで理屈よりは勘を優先 彼も一時此れも一時也、と孟子

孟子は紀元前300年頃の儒学者。孟子といえば “孟母三遷” が有名。最初は墓地のそばで葬式の真似事を始めたので家を移転。次は、商人のマネごとをやり始めたので再び転居。最後は学問所の近くで学問を志すようになったので母はやっと安心。環境の影響は子供だけでなく大人にも当てはまる話。また “仁者無敵” も説いています。仁政を受けた民は戦いでも勇敢、仁政のない国の民は主君に背いて裏切り。荀子の性悪説に対して孟子は性善説。両者とも学問を通じて人間が徳を身につけると説く点は共通。人間の持つ可能性への信頼が根底。楽観的な人間中心主義か、社会システム重視の考えに立つかの違い。 “私は何も悔やまない。常にゼロから再出発する” と歌手エディット・ピアフ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第73回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
4月 10 19

書評「自分の花を咲かせよう ~祈りの詩人 坂村真民の風光」 PHP研究所 神渡良平(著)

by staff
 
タイトル 自分の花を咲かせよう ~祈りの詩人 坂村真民の風光
単行本 254ページ
出版社 PHP研究所(2017/5/23)
ISBN-10 4569838022
ISBN-13 978-4569838021
発売日 2017/5/23
購入 自分の花を咲かせよう ~祈りの詩人 坂村真民の風光

「一人でもいい。わたしの詩を読んで生きる力を得て下さったら・・・」カバーの真民さんの言葉です。プロローグで神渡さんは書いておられる。「坂村真民先生の詩に魅せられて、松山市郊外のタンポポ堂にはじめて訪ねたのは、24年前の平成五年二月のことでした。八四歳になる真民先生はすっかり枯れきっておられ、透明な早春の空気のように澄みきっておられました。」神渡さんが坂村真民さんの評伝を書かれた。書店でその本が目にとまったときに嬉しかった。嬉しくて・・・・・。

「暁天に祈る詩人」のところで
円覚寺の横田南嶺管長は真民さんの詩は、宗教的境地の披瀝だと言われ、随筆集「巡り合いの不思議」に書かれている真民さんの言葉を紹介されます。「もしもわたしの詩が、他の人の詩と、どこか違うものを持っているとすれば、一番電圧の強い未明混沌の刻に招喚起床して、霊に守られ、愛の電流を受けているからであろう。せっかく人間に生まれてきて、この尊いありがたい愛の電流を知ろうともせず終わる人のなんと多いことか。思えば早く父を失って不幸不運な人生を送ってきたが、そのためわたしは霊を受信する得難い心をいただいた。感謝でいっぱいである。」

「悟り」 真民
  悟りとは
  自分の花を
  咲かせることだ
  どんな小さい
  花でもいい
  誰のものでもない
  独自の花を
  咲かせることだ

横田南嶺さんは東日本大震災の被災者への法話にはいつも「二度とない人生だから」を朗読してから話をされているそうです。

「二度とない人生だから」 真民
  二度とない人生だから
  一輪の花にも
  無限の愛を
  そそいでゆこう
    一羽の鳥の声にも
    無心の耳を
    かたむけて
    ゆこう

「スポーツ指導者が捉えた真民さんの詩」のところで
柔道の山下さんのお話があります。出版社から「山下泰裕さんが大部数お買い上げくださいました」と著者の神渡さんに電話が入ったのです。「下坐に生きる」に序文を書いてくださり、帯に推薦の言葉をかいてくださったのが真民さんでした。この本をみんなにすすめている理由を、山下さんはつぎのように説明されています。「私の目を開いてくれたのは、自閉症の次男でした。外では柔道の指導にあけくれていましたが、一歩家庭に入ると、家内が次男の子育てに奮闘していました。思いやり、理解し、共感し、支え合わなければ、一日だっていきていけないのです。強いだけでは全く通用しません。私は家内に誘われてボランティアに参加するようになり、ハンディキャップを背負った人たちの立場でものを考え、親身になって接することが大事であることを教えられました。家内と次男がいなければ、自信過剰で鼻持ちならない人間になっていたかもしれません。」そういって真民さんの次の詩をしめされる。

「尊いのは足の裏である」 真民
  1
  尊いのは 頭でなく 手でなく 足の裏である
  一生人に知られず 一生きたない処と接し 黙々として
  その務めを果たしていく 足の裏が教えるもの
  しんみんよ 足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ
  2
  頭から 光が出る まだまだだめ
  額から 光が出る まだまだいかん
  足の裏から 光が出る
  そのような方こそ 本当に偉い人である

「足の裏を尊く思うなんて、それまで考えたこともなかったから、驚きました。でも足の裏に感謝してこそ、全体も生きてくるんですよね。大切なことに気づかされました。」家庭の事情が山下さんの心の目を開いたのです。「その気づきによって山下さんの世界はひろがりました。」山下さんは平成十二年七月、シドニー・オリンピックにいく直前、松山市に出張したとき、真民さんにお会いしたそうです。すでに九十一歳になっておられたが、すがすがしい風がふいているような、凛としたものを感じたと言います。山下さんも好きな詩は「念ずれば花ひらく」とのことです。

念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしはいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

「ある刑務所の服役囚の願いに応えて」のところで
「真民さんはよく書店に立ち寄ります。でもそれは必ずしも本を買うためではなく、所狭しと並べられている新刊書に囲まれていると、その一冊一冊が“あなたもいい詩を書くんですよ”と奮起を促してくれ、気持ちがたかまるからです。」ある方が3冊も買われたのでびっくりされ、話かけられたようです。「これは私が読むんじゃありません。私は刑務所に勤めているんですが、中に入っている人に買ってきてくれと頼まれたんです。この詩集はあなたがお書きになったのですか。本当にいいところでお会いしました。このことをみなさんに伝えます。」真民さんは自分の本がどんな人に読まれているのか、初めて知ったのです。その翌日、真民さんは刑務所を訪れ、昨日の話をし、全国の刑務所に贈呈したいと申し入れをしたのです。

「震災の被害者たちを励ました真民さんの詩」のところで
「東日本大震災が起きた年の六月に着工された坂村真民記念館は、翌年の三月十一日にオープンしました。震災は日本史上最大の被害をもたらしましたが、被災した人々はめげることなく、復興にたちあがりました。真民さんの詩“タンボボ魂”はそれを応援しているかのようでした。」

「タンポポ魂」 真民
  踏みにじられても
  食いもぎられても
  死にもしない
  枯れもしない
  その根強さ
    そしてつねに
    太陽に向かって咲く
    その明るさ
    わたしはそれを
    わたしの魂とする

「生きた聖人マザー・テレサ」のところで
「NHKテレビで“マザー・テレサ その人・その世界”を観て、真民さんはとても感銘をうけました。“その人の信仰はその人の行動にどう表れているか”で宗教を判断する真民さんは、マザー・テレサの行為にいっそうキリスト教に刮目しました。」貧しさとは飢えることではなく、見捨てられたことだという、マザー・テレサの言葉には愛の実践からくる重みがずしりと感じられたと昭和五十六年六月の「詩国」に書いておられる。

「マザー・テレサの足」 真民
  テレビは
  マザー・テレサの足を映した
  素足にサンダルばきの足を
  顔は苦労のため
  深いしわがきざまれていたが
  足には
  マザーの豊かな情感が
  じかに感じられた
    こういう人に
    日本の土を踏んでもらったことが
    うれしかった
    史上最大の恵まれた日本になり
    そのありがたさを
    見失っていこうとしている
    今の日本の土を

「しつこい皮膚病が教えてくれた!」ところで
晩年、真民さんは皮膚病に悩まされたそうです。アレルギー性と診断され、薬を処方してもらいましたが、全然効きません。ところがそのうちに心境の変化が起きてきて、病気を憎まなくなったそうです。「つらい、不幸だと思っていたらますます辛く不幸になっていくが、心を切り替えたら、それすらありがたくうけとめられるようになっていくものです。」光と闇と題した詩は、真民さんが掴み取ったものを伝えてくれています。

「光と闇」 真民
  光だ
  光だ
  という人には
  いつか光が射してくるし
    闇だ
    闇だ
    という人には
    いつまでも闇が続く

「エピローグ」のところで
「今回一人の詩人の人生をたどってみて、つくづく “めぐり合いの不思議さ” を感じました。坂村真民さんは体が小さくてかけっこもびりで、友だちもできず、コンプレックスにさいなまれていた少年でした。ところが坐禅の修行に打ち込んでいた四十四歳のとき、自分をまるごと受け止め、評価してくれた杉村春苔尼に出会ったことから、真民さんの人生は一変し、自分に自信を持つようになりました。自分に自信を持つという人生航路の船長が二本の足でしっかり立ったということを意味します。」と、神渡さんは書かれます。

(文:横須賀 健治)

 

4月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第7回 「あの鐘を鳴らすのは ~暖簾を守り続けるということ~」

by staff

第7回 あの鐘を鳴らすのは ~暖簾を守り続けるということ~

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第七回目でございます。

春になりました。横浜は3月末になって桜が満開です。
この麺食力という本は、ブログに書き溜めていたものをまとめたもので、好き勝手に書き綴っていたので、失礼がないか、または内容に間違いはないかなど、出版を前にお店に確認する必要がありました。なにせ165店舗分もの文章がありましたので、一軒一軒電話なりご挨拶なりしている時間が取れず、この文章で問題なければそのまま掲載させていただきます、という旨を誠に失礼ながらお手紙という形でお知らせをさせていただきました。
「値段は現在変わりまして…」「うちこそサンマーメンの元祖なのであとで資料をFAXします」「掲載とか、そういうのいらないから!」
いろいろなレスポンスをいただきましたが、中でも印象に残っていたのが一通の葉書でした。

9年前にいただいた一通の手紙。毎年春が来るたびに眺めていた。

何気ない短い文の中に、お礼の気持ちと季節感が込められ、ほっこりとした気分になったことを覚えております。
いつかちゃんとご挨拶に伺わねば、「桜切り」をいただかねば!
春が来るたびにそう思いながら9年という年月があっという間に過ぎてしまったのです……。
今回は金沢区洲崎町の「そば越後屋」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様は62ページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

越後屋外観。
国道16号線を磯子方面から君ヶ崎交差点を左折すると、そこは旧街道だという。
昔ながらの日本料理店や鰻屋などが軒を連ね、旧街道らしい味わいがある。
越後屋はこの通りにある。

明治後期創業、正確な時期は不明とのことですが、100年以上の歴史があることは間違いないとのこと。一昔前のあきんどは、自分の出身地を屋号にするケースが多くありますが、こちらも例に漏れず、新潟県出身の初代は元々大工をしていましたが、兵役に就いた日露戦争で負傷し、大工が出来なくなってしまったことでリヤカーを引いて夜鳴きそばを始めたのが越後屋のはじまり。

明治後期に初代・越後屋店主が夜鳴きそばをしていた時に使用した鐘は商売繁盛の祈願を込めて店内に大切に飾っている。
「親ばかちゃんりん、そば屋の風鈴」という言葉があるように、夜鳴きそばは風鈴を鳴らして周囲に存在を知らせることが一般的だったそうだが、越後屋はオリジナリティを重視してこの鐘を鳴らしていたとのこと。
(暗くてわかりづらいと思うので、後ほど別画像を)

拙著では「柚子切り」をいただいていました。ちょうど年明けの時期。訪店前に初詣をし、うっかり路上駐車で駐車違反の切符を切られてしまったという顛末が書かれています。本当にくだらない。だから読み返したくなかったんだ……。しかしあの「柚子切り」の爽やかな余韻は、今でも思い出します。「桜切り」がますます楽しみになってきたぞ!

メニューブックの1ページ目から「桜切り」推し。
私はこれをいただきに来たのだ!

初夏は抹茶切り、夏は山椒切り、大葉切り、秋冬は柚子切りなど、その季節毎に楽しめる「変わりそば」が有名です。そして春の桜切りは3月中旬から4月中旬までと短い期間しか味わえないレアアイテムなのです。

桜切り ふつうの海老天盛りセット。
桜切りは軽く塩をつけて手繰ると桜の香りと蕎麦の甘みが相まって楽しい。

桜切りだけでは寂しいと思い「ふつうの海老天盛りセット」をいただきました。懐に余裕があれば車海老天もあるのですが……、未来のいつかへの宿題にしよう。ふつうの海老でも十分楽しいです。
見た目も春らしい桜切り。最初はつゆではなく塩で食べてみてくださいと勧められました。
あまりつけると塩が立ってしまいますので、ほんの少しだけ。桜の香りと蕎麦の甘みが口の中に広がり、「ああ、春だ、春が訪れたんだ!」実に楽しいです。

改めて創業時の鐘の画像を明るいバージョンで。
(「金沢八景で100年続くそば屋越後屋」公式ホームページから画像拝借)

5代目の竹内大喜氏にお話を伺いました。
前出の葉書を書いたのは4代目の精一氏とのことで、拙著出版時は大喜氏は高校生だったとのこと。精一氏が病気で店に立てない状況となり、三年ほど前から大喜氏が引き継いだとのことでした。
まだ27歳という大喜氏。幼少期は店を継ごうという気は全くなかったそうです。

「高校に入ってから、とにかく勉強が嫌いで、店を継ぐという選択肢しかなかったんです。」

そう笑いますが、店を継ごうと決めた本当の理由は、大喜氏の強い地元愛でした。

「この街に生まれ育って、いい街だなっていつも思うんです。いい人ばかりだし。物騒なことも滅多にないし、住みやすい。いろんな歴史も詰まってる。この店を継ぐ前に17歳から25歳くらいまで東京のそば屋で修業したのですが、その経験でさらにこの街が好きになりました。鎌倉も近いし。」

飲食店というのは仕込み作業などは客がどのような流れで来ようとも常に準備万端でなければなりませんが、個人店の場合は一から十、いや百までを自分たちでやらなければなりません。それ以外にもお店をやる、という苦労は数多くあるだろうから、暖簾を引き継ぐことは相応の覚悟を要したに違いありません。
それらの苦労を一番知っているのが家族で、当初は反対されたそうです。

「確かに継いでみて大変さを思い知りました。他で修業した自分なりに、新しい要素を取り入れようと変化させた部分がありますが、それで一部の常連さんは離れてしまいましたし。ただ、私が変えた部分を辛抱強く見守ってくれて、結果認めてくださった常連さんもいますし、新しいお客さんも増えつつあります。毎日『ああ今日も暖簾が出せる』という喜びに感謝しています。」

越後屋の強みは自家製粉で作る蕎麦だけではなく、釣り船が多く停泊している平潟湾に近い場所に位置していることもあります。金沢の海は今でも江戸前の魚介類の宝庫。新鮮な地魚を天ぷらや刺身でいただけます。

「漁師とのつながりが深いことは代々暖簾を守ってきた冥利に尽きます。底引き漁で獲れた魚よりも一本釣りで獲れた魚はストレスが少なくて抜群に旨いと私は思っています。」

竹内大喜氏と拙著。
「シーサイドラインの金沢八景駅が京急と直結したことでウチの店に何かメリットがあるかどうかよりも、金沢八景という街の良さを皆さんにもっと知ってもらえるきっかけになれば嬉しいです。マジいい街ですから。」

つまずいて、傷ついて、泣き叫んでも。さわやかな希望の匂いがする越後屋5代目店主・竹内大喜氏。夜鳴きそばを今更やることはないにしても、あの鐘を鳴らすのは、大喜さん、あなたです。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

4月 10 19

横浜スケッチ(第37回) ハワイ

by staff

ペンネーム 成見 淳

個展に専念するため、一昨年2017年11月号から半年間「横浜スケッチ」をお休みし、2018年6月号から隔月掲載で再開しました。再開後の内容を振り返ると全5回とも旅行がらみです。横浜は地元ですから旅行の範疇には入りませんので「一体どこが横浜スケッチなの?」と疑問と後ろめたさを感じていました。
自分の中では「旅と絵とエッセイ」はとても心地良いものですが、最近では絵のウェイトが圧倒的に多くなりました。旅は絵を描くための刺激を与えてくれる手段と同時に、エッセイの元になるきっかけを与えてくれる非日常的な体験の場。文章は絵だけでは伝わらない部分を補助するツール。
「絵ッセイ」は絵とエッセイを統合する造語で、そんな自分のスタイルを「絵せイスト」と称しています。本職ではないし、どこか嘘っぽく怪しいという意味を多分に含んでいます。
「横浜スケッチ」というタイトル通りに横浜の風景を軸として絵と文章で綴って行くのが良いのか、それともタイトルにとらわれず自由に好きな所に出かけて、その時その時の思いを絵と文章で表現して良いのか迷っていましたが、結局自分の自由気ままな行動に枠をはめることは難しく、「横浜」という枠にとらわれずに「横浜から絵ッセイ」というタイトルのつもりで続けさせて頂こうと思っています。

さて今月号は今年の正月休みの後、従来と違って観光は全くせずにオアフ島コオリナのリゾートホテルで4泊しましたが、その時に描いた絵と、原稿の締め切りまでに描いた絵を中心に綴ってみました。

 

本来、家内と一緒の海外旅行は昨年が最後のはずだったのですが、たまたま昨年1月に寄ったワイキキのアラモアナショッピングセンターの案内所の日本人女性がマリオット・コオリナビーチ・ホテルの方で、大変割安な体験宿泊プランを勧められ、そのプランに乗ってまた今年も来ることになりました。
コオリナ地区はワイキキと反対側で空港の西側。公共交通機関(バス)はなく、タクシーのみですが、リゾート内にビーチやプールがあり、ホテルから徒歩1分以内にゴルフ場もあって、リゾート内で完結して過ごせます。
たまたま家内が暮れに急に膝を痛めたこともあり、遠出は出来ないのでリハビリを兼ねてリゾート内でのんびり過ごそうという事になり、私もゆっくりスケッチが出来るのでちょうど良かったと思います。

現地で描いたので細かい仕上げはしていないラフスケッチです。ホテルの敷地内のプールサイドから生音楽を聴きながら描きました。

ホテルのすぐ横の海岸です。溶岩が固まって出来た岩がゴロゴロして、そこに大きな波が打ち寄せるのを待ち構えてシャッターを切ったのですが、なかなかうまくタイミングが合いません。
絵だけでは豪快な音までは再現出来ないので想像してみて下さい。2号の小さな絵です。

最初の絵とほとんど同じ場所からちょっと目線を引いてみました。やはりプールサイドから。手前の花と葉が如何にも南国らしく綺麗だったので描きました。夕陽が沈むちょっと前で、風が出て来て寒かったのか女の子がフードを被っています。実際は砂浜にもう少し残っている人がいたのですがここでは省略しました。

ホテルのレストランから夕陽を見ながら食事をしているところです。絵としては日光の手前(今市、イマイチ)ですが雰囲気だけを紹介。ここには4日間の内2回行きましたが、肉も魚も美味しくて、ウェイトレスの方もこちらの顔を覚えていてくれてとても良い雰囲気でした。
ホテル内にもコンビニのようなものがありましたが、一般にハワイは物価が高くカップラーメンは400円でした。輸送コストを考えると仕方ないですかね。

最近は日本の夏の蒸し暑さを嫌って、夏にハワイに避暑に来る人も多いそうです。
ハワイ航空で羽田を夜出ると現地の午前中に着くのでとても便利です。

帰国後、はやぶさ2が小惑星竜宮に着陸成功したニュースを見て、こじつけっぽいですが2017年に登ったマウナケア山頂の天文台を描いたものです。山頂からは沢山の人工衛星が見えました。一番左がすばる望遠鏡のある「国立天文台ハワイ観測所」です。「すばる天文台」と言う人がいますが、「すばる」は望遠鏡に付けた名称で「国立天文台観測所すばる望遠鏡」が正式名称です。マウナケア山頂(4205m)にあります。

 

ここから先はハワイとは関係なく、前回号から今迄に描いた絵をいくつか紹介します。

校庭のすぐ下は神奈川区。生麦中学の校庭から描きました。母校です。自宅から徒歩5分ほどで、昨年暮れの散歩の途中の景色です。
60年前の入学早々の早朝に画面右側の京浜第二国道で砂利トラックと火薬を積んだトラックが衝突して道路に大きな穴が開き、校舎のガラスが全部割れました。

「空高く」(マチュピチュ ペルー 6号)

2002年にペルー、ボリビアに行った時の絵です。せっかくなのでコンドルを飛ばしてみました。
人物は自画像。今よりほっそりしています。何せ17年前ですから。

「朽ちて行く」(原題Nautic Desire 4号)

これは今年、もしかしたら今迄で一番気に入っている作品です。Instagramで見たスウェーデンの女性の写真に魅かれて描かせていただきました。ストックホルムの湖に浮かぶ廃船と夕焼け。少しずつ朽ちて行く船と沈む夕日を自分と重ね合わせ、それにしては美し過ぎる景色。
すぐにEメールでOKを頂き、撮影された時の想い、題名などを伺いました。で、メールのやり取りの中で行って見たい気持ちが強まり、やはりというか、結局6月中旬に行くことになりました。スケッチツアーの延長線ですから昨年のスペインと同じ行動パターンになってしまいました。
多分この続きは8月号に書くことになると思います。どんなことが待っているのか、今から楽しみ。
私の写真では青が強すぎて、修正を試みたものの原画の雰囲気は出せませんでした。是非兄弟展でご覧いただければ嬉しいです。

「桜咲く」(三ッ池公園 横浜市鶴見区 6号)

締め切り前の3月25日にやっと横浜の絵を描きました。これまた出身高校の近くです。
ちょうどタイミング良く犬を連れた散歩中の女性が立ち止まり、私は『「赤いマフラー、黒い服、女性、犬」これは絵にするしかない。』と瞬間的に反応したようです。シャッターを構えるとこちらを振り返ってくれました。犬が何かを嗅ぎつけたのか立ち止まったのがラッキーでした。絵に描かせて頂くようお願いすると「まあ!モデルになったみたい!」と快諾してくれました。

今月号は文章を少なく、絵を中心にまとめてみました。
掲載した絵の中の何点かは兄弟展の候補作品です。

 

展示会のお知らせ

2019年5月8日(水)~14日(火)、 横浜そごう9階 ギャラリーダダにて、「能面&水彩画 聰&淳 成見兄弟展」を行います。ご都合よろしければお出掛け下さい。
開場から17時頃までほぼ毎日会場にいます。金曜。土曜は16時迄います。
最終日14日は16時迄です。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

4月 10 19

チャレンジ(第8回) イベントに出展します!

by staff

大人が集えるオーダー展示販売会 vol.2

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。春の陽気と共に新年度が始まりましたね。新しい季節が始まるこの時期は、体調を崩す人が多いことをご存じでしょうか? 春は他の季節に比べて環境が変わりやすいことが影響しているようです。また、自律神経の乱れもメンタル不調のトリガーになるので、この時期特有の激しい寒暖差や花粉症なども要因として考えらるようなので、私も体調には気を付けたいと思っています。

私はメンタルヘルスの仕事をしている訳ではありませんが、地域活動支援センターで精神障害者と関わることで知ったことがたくさんあるので、多くの人へ情報を届けたいという気持ちからこのような情報もこちらのコラムに書かせて頂いています。

精神が安定しないことで働くことが困難な人たちと作業し、たくさんの人たちの力を借りて着々と進めていたブランドC.P.FACTORYのお披露目会が決まりました。

大人が集えるオーダー展示販売会 vol.2
https://www.otona-order.com/
 
◆2019年5月10日~13日
◆銀座ギャラリーボヤージュ

こちらのイベントで、裂き織生地を使ったクラッチバック、ポシェットなどの販売をいたします。JR線「有楽町」駅中央口より徒歩3分と、好立地の会場なので、横浜在住の方のみならず、たくさんの方にお越し頂きたいと思っています。

私は4日間会場にいる予定ですが、席を外すこともありますので、お会い出来る方がいらしたら、個別にメッセージをください。また、ヨコハマナウのコラムを見て来場した!とスタッフに伝えて頂いたら気持ちばかりのものですが、小さなプレゼントをお渡ししますので、ぜひお声がけください!

「やりたい!」 と思う気持ちだけで始めたプロジェクトですが、多くの方の協力を得て、形になっていき、素敵なイベントでお披露目ができることにワクワクしています!横浜の作業所で作られた資材や作品が多くの方々に届くように、引き続き頑張りたいと思います!



次の第9回は、、、「C.P.FACTORYお披露目会開催!」です 

(第8回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

4月 10 19

絵本から笑本へ(第36回) 絵本作家がゆく。~磯子区 いそピヨ~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

12区目となる今回は、磯子区。
磯子区の子育て支援拠点は「いそピヨ」。

こちらへも、このコラムがきっかけで初めて遊びに行かせて頂きました。
そして、絵本と紙芝居の読み笑わせイベント「読絵ん会」も、初開催。

初めてにもかかわらず、
赤ちゃんや子ども達、お母さん達がたくさん集まってくれました。
終わった後に伺うと、
なんとお母さんお一人で参加してくれた方がいたんだそう。

とっても驚いたのと同時に、とっても嬉しかったですね。

子育て支援施設ですから、

日頃遊びに来るのは、
赤ちゃんや子どもを連れたお母さんがほとんど。

赤ちゃんや子ども達は勿論、
お母さん達も日頃の子育ての疲れを癒やしにくる場所。

そして、
なかにはお母さん一人でも、遊びに来たりする場所。
そういうのが、ゆるされる場所。
あらためて、良い場所だと思います。

子育ては楽しい。けど疲れる。
子育ては面白い。けど難しい。

だから、
自分の話も聞いてもらいたいし。
色んな人の話を聞いてみたい。

人それぞれ、考えや想いもちがう。
人それぞれ、悩みや苦労もちがう。

だから、
子育て支援施設に行けば色んなお母さん達と共有も出来るし、
スタッフの皆さんに相談も出来る。

面白くて楽しいことだからこそ、

悩みすぎたり、イヤにならないでほしい。

子育て支援施設で働いている方は、
皆さんそんな気持ちでいてくれていると思います。

だからこそ、
たまにはお母さん一人で遊びに行くのも良いんじゃないかな。

「いそピヨ」は、駅から歩道橋で直結しているので、
ベビーカーでも、少し歩き出した子ども連れでも行きやすい。

陽当たりもいいので、天気のいい日には、
お昼寝なんか格別?です。たぶん(笑)

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区 磯子区

<今回訪問した施設のご紹介>

磯子区子育て支援拠点 「いそピヨ」
HP: http://www.isopiyo-isogo.com/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

4月 10 19

永岡鉄平の「若者にフェアなスタートを」(第39回・最終回) 卒業、そして新しい始まり

by staff

ハマっ子社会起業家「永岡鉄平」の『若者にフェアなスタートを』


 
 

 

株式会社フェアスタート、NPO法人フェアスタートサポート
代表 永岡 鉄平

横浜生まれ、横浜育ち。株式会社フェアスタート、NPO法人フェアスタートサポートの2法人の代表を務め、日々、児童養護施設の若者達を中心に18歳で親を頼れずに自立する若者達への就労支援活動に取り組む永岡鉄平が、日々の活動で感じたことを話します。
想いは「かわいそう」ではなく「もったいない」

 

卒業、そして新しい始まり

皆様こんにちは。
3月ってこんなに寒かったっけ、と不思議に思ってしまうほど、寒い日が多かった3月でしたね。
4月に入って、暖かくなる日が増えることを祈りつつ、4月末からは多い人は約10連休となるGWも待っていますね。新年度になり、皆様も心機一転、新しい年度を過ごされていらっしゃることと思います。

さて、3月は「卒業、門出」という言葉に親和性のあるイベントが様々ありました。

まずは、「卒業式」

私がフェアスタートの仕事を始めたころに、個人的に鎌倉にある児童養護施設でボランティアも始めていました。内容としては当時小学4年生の男の子の遊び相手。

彼が小学生の頃は、彼が住んでいるお部屋に行き、ひたすら動物的な遊びをしていました。枕や人形を疲れるまで投げ合ったり、かくれんぼしたり。笑
中学生以降は、彼がするゲームを眺め、内容について解説を聞く、みたいな機会が増え、高校生以降は、外に出て鎌倉駅近隣で買い物したりクレープ食べたり、という機会が増えました。

そんな形で定期的に交流してきた彼ですが、ついに3月で学校を卒業し、施設も卒業し、4月からは社会人です。

そんな彼の門出をお祝いするために、施設の方からご招待をいただき、卒園式に参加してまいりました。

鎌倉児童ホーム卒園式

彼との沢山の思い出を思い返しながら、大きくなったなーと改めて感慨深く感じるとともに、4月から障がいを持たれた高齢者の方をお世話する施設で支援員として働くことになる彼に、エールを送りました。

彼は誕生日が早いので、来年の春過ぎには20歳になります。
その頃に一緒にお酒を飲むのが楽しみです。
卒業、卒園、おめでとう!
続いては「修了式」

昨年夏から約9か月間お世話になっておりましたETICさん主催の「社会起業塾イニシアチブ2018」無事に3月に卒業しました。

この社会起業塾イニシアチブは、ソーシャルセクターで事業をやっている、またはこれから始めようとしている方が組織や事業内容のブラッシュアップを行うために参加する塾で、フェアスタートもおかげさまでこの塾に参加したことで大変貴重な学びとご縁をたくさんいただくことができました。

活動を始めて約8年が経過する中で、就労支援といってもいろいろできることがあり、各施設さんから様々なご要望も増える中で、フェアスタートはいったい何を一番大事にする団体なのだろう、ということを少し見失いかけていました。
ただ、この塾に参加をする中で、フェアスタートが就労支援をしていく中で一番大事にしたい「コア」は施設等で生活していた若者達が「高い納得感安心感とともに最初の一歩目を自己決定できること」これを実現するための「就職コーディネート」である。
この「就職コーディネート」の職人集団を目指すのがフェアスタートの一番であることを再確認しました。

2019年度、ここに向かって再スタートをきるフェアスタートのさらなる成長にどうぞご期待ください!



社会起業塾にご興味ご関心がある方は、こちらからどうぞ!ちょうど2019年度生を募集しているようです。
https://kigyojuku.etic.or.jp/

なお、卒業がテーマということで、大変恐縮ではありますが、今号をもって約3年間お世話になりましたヨコハマNOWも卒業をさせていただきたいと思います。

これまでは、できることを何でも精一杯やる、というスタンスで活動をしてまいりましたが、これからしばらくの時期は本当に力を入れなければならないことに100%力を入れ、突破する時期だと感じています。しばらくはそのような形で事業に集中し、組織が拡大し、また次のフェーズに移行した時には、また再開をさせていただくかもしれません。

また皆様に一回り成長した姿をお見せできるよう、努めてまいります。

それでは、しばらくの間!
これまでのご拝読、ありがとうございました。

永岡鉄平

永岡鉄平プロフィール

株式会社フェアスタート 代表取締役
NPO法人フェアスタートサポート 代表理事
ホームページ:http://fair-start.co.jp/

経歴

2004年に明治学院大学経済学部を卒業後、リクルートグループに入社し、求人広告の法人営業に2年間従事。その後、当時の顧客に誘いを受け、大学院生の就職問題を解決することを目的とした就職支援会社の設立に参画。幹部として、フリーペーパーの発行や求人ポータルサイトの制作といった新規事業を立ち上げながら、法人営業、登録者へのキャリアカウンセリング、広報、採用担当と幅広い業務を兼任しながら約3年間会社の発展に貢献。
約5年間のサラリーマン生活の中で、働くことから遠ざかろうとする若者の増加、若者が採用できずに苦しむ中小企業の増加を感じ、若者と雇用の世界で根深い社会課題を認識。この課題に起業という形で対峙したいと決意しサラリーマンに終止符を打つ。様々な教育事例、子育て環境、貧困問題などを勉強していくうちに、社会的養護の子ども達・若者達の存在を知る。親からの支援が見込めない中、逆にだからこそ同世代よりは働くことに真剣に向き合い、高校卒業後18歳という若さで社会に挑戦するものの、多くがワーキングプアとなる彼等・彼女等の現実を知り、人材業界で培った経験を活かし、彼等・彼女等の就労支援を決心する。起業準備期間を経て、株式会社フェアスタートを2011年8月に起業。2013年1月には、NPO法人フェアスタートサポートも設立。

受賞歴

  • 2010年9月 第1回社会起業プランコンテスト(内閣府地域社会雇用創造事業)最優秀賞受賞
  • 2014年2月 キララ賞受賞(かながわ若者活き活き大賞)
  • 2017年7月 第31回人間力大賞 会頭特別賞

その他役職員

  • 横浜YMCA常議員
  • 明治学院大学同窓会評議員

 

4月 10 19

第74回 地域の中にある子どもの居場所とは

by staff

株式会社バハティ 一級建築士事務所
佐藤誠司

地域の中にある子どもの居場所とは

わたくしたちの事務所では数多くの保育所の計画を行っています。
今年も数園竣工を迎え、この春も子どもたちの希望にみちた歓声に満ちあふれるのだろうなと思いながら検査やダメ直しに対応する日々です。

昨今の保育園(認定こども園等もそうです)では、特に都市部では我々が子供の頃には想像つかないようなものになっています。(お子さんを保育所に通わせていらっしゃる方はご存知かと思います)

エントランスは電気錠制御はほぼマストとなっています。たいていお父さんお母さんはインターフォンを鳴らし中で解錠してもらって入るのですが、これでは朝の登園ラッシュ時や、ばらばらになるお迎え時に職員が解錠のために事務室に張り付く訳にはいかないということでインターホンの子機を複数用意してそこから解錠できるようにしたり、親御さんにカードを持ってもらってカードリーダーで解錠できるようにしたり、だったらついでに保育園入退所システムと連動させようということになり、、、いや、その場合カードの毎年の入れ替え(毎年入園する子と退園する子がいるわけです)は誰がやるのか、コストもバカにならないぞ、、、じゃいっそ生体認証か?という話が出てくるくらいのそこらの企業のセキュリティーもびっくりなハイテクぶりとなっています。

また保育室や園庭に関しても同じことが言えます。この場合は外的要因と内的要因があります。外的要因とは近隣の皆さんからの要因となりますが、子供の声がうるさい(実は保育所は外で遊ぶ時間も限られていてそんなにうるさくないんですが)、園庭の砂が飛んで来る、家の中が見えるなどなど。

内的要因は子どもをみられてはならない(いろんな境遇の子どもがいるのでいたし方ないのですが)といったことから園庭には高々としかも防音措置を施した通風もまともにないようなまるで刑務所のように塀が立つことになります。(昨今ではこの対策に補助金までつきます)また保育室は敷地外部に対して開口にはぴっちりとフィルムが貼られ、ひどい場合は開口を設けない場合もあります。

よって、昨今の保育所のビルディングタイプは、外に閉じ中に開けず(都市部の土地の広さの制約上致し方のないところですが)というものが多くなってきているのにお気づきでしょうか?今や外観では子どもの声が響く保育所とはわからず、サイン等でしかわからないような状況です(なので昨今ではこのサインばかりがどんどん大きくどんどん下卑たものになっていく傾向があります)

本来保育所というものは地域のみんなに見守られながら存在していくものであるはずです。昨今では保育所設置に反対される方がいますがその方々がおっしゃるのは「なんで住宅街に保育所を作るのだ」とおっしゃることが多いのですが、、本来住宅地だから保育所を作るのではないのでしょうか?

また保育所としても上記の外圧に対し、外部に閉じ、地域との関係性に逃げ腰になってしまっている状況では、地域の中にみんなに見守られながら成長をしていくべき子どもたちは、社会との接点を持たないまま、いきなり社会の中に投げ出されてしましまします。これでは、子どもたちがかわいそうです。

そんな外的要因や内的要因とうまく折り合いをつけられるように、建築的なしつらえや空間の考え方で少しでも両者が歩み寄って、みんなで子どもを見守って育てていけるような環境ができるように、その拠点が保育所になるように日々少しずつ仕掛けを仕込み、挑戦を続くているのですが。。

各保育室の面する中庭からピロティを介して子どもたちの声や姿が地域ににじみ出るようにして少しでも地域との関係が持てるような工夫をしてます

今まで裏の空間だったところをエントランスに再設定し、誰でも使えるポケットパークを敷地内に作って地域との関係が持てるようにしている

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
http://www.architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

4月 10 19

新元号 令和 に寄せて

by staff

新元号「{令和」が4月1日に発表されました。
これから一か月の猶予を持って5月1日からすべての機関が令和時代に突入します。
今月のコラム、私自身はすでに原稿を提出していたのですが、突然新元号が和歌うたの宝庫 万葉集からの出典だと知って この記事に差し替えて頂く事にしました。

万葉集の五巻に お正月の13日 九州の太宰府で開かれた歌会で詠まれた32首の梅花の和歌があり、その序文として書かれた文章から今回の新年号「令和」が引用されました。
その序文は、漢字で書かれているのでここには現代語訳分だけ紹介させていただきます。
以下序文 ブログ「竹取爺と万葉集の勉強」 より抜粋です。
https://blog.goo.ne.jp/taketorinooyaji

 



絵・千絵崇石
 

天平二年正月十三日に、大宰の帥の旅人の宅に集まって、宴会を開いた。(大伴旅人宅)
時期は、初春のよき令月夜で、空気は澄んで風は和ぎ、梅は美女が鏡の前で白粉で装うように花を開き、梅の香りは身を飾った衣に香を薫ませたような匂いを漂わせている。

それだけでなく、曙に染まる嶺に雲が移り行き、松はその枝に羅を掛け、またその枝葉を笠のように傾け、夕べの谷あいには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林の中で迷い鳴く。庭には新蝶が舞ひ、空には故鴈が北に帰る。ここに、天を立派な覆いとし大地を座敷とし、お互いの膝を近づけ酒を酌み交わす。心を通わせて、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大自然に向かってくつろげて広げる。淡々と心の趣くままに振る舞い、快くおのおのが満ち足りている。 これを書に表すことが出来ないのなら、どのようにこの感情を表すことが出来るだろう。漢詩に落梅の詩篇がある。感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うだろう。よろしく庭の梅を詠んで、いささかの大和歌を作ろうではないか。

 

この時代は中国がお手本で日本の歌を書き写すのに、漢字が当てられていました。遣唐使・遣隋使が海を渡っていた頃です。今、私たちは 明治維新から西洋の文化に触れてその進歩的な合理性にショックを受け、西洋に学び 彼らと同じ様に成ろうと努力をしてきました。それが消費・経済文明の発展となり今に至っているのですが、やっと最近になって 自分達の文化には西洋にはない良きものがあるという事に気が付き始めています。

「令和」と名付けられた年号は、偶然か必然か、万葉集の中でもお手本だった漢詩と和歌を対比させ自分たちの感情を表すのに、カタカナやひらがなへと日本独自の文字文化の目覚めを促し、いささかのやまとうたを作ろう!という内容の序文から出典となりました。

島国という隔離された枠の中で 常に外から入ってくるものを素直に受け入れてそれらと融合して、さらに独自の新しい文化を産みだす。という母性的な性質を持っているのが日本文化です。そして今 明治・大正・昭和・平成を通して受け入れてきた西洋のエッセンスがやっと麹のように熟成されて 新たなる日本独自の文化が 沢山産まれてくる兆しを「令和」という言葉に感じます。  いささかの 和歌うたルネッサンスを 作ろう!

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内

今年は人生で最後のロックエイジ(69歳)。
今年は私自身のロックスピリッツを生きてみようと思います。
翌年はコッキ―(古希)ポップになってしまうので 今年だけですが。
昔まだ和歌に出会ってなかった20代後半から35歳までの約10年間 私はロックボーカリストとしてディズニーランドや、リッチーブラックモア公演のオープニングアクト等の舞台で歌っていました。音圧の高いロック音楽はもう卒業いたしましたが、私自身の生き方の中にロックスピリッツのエッセンスは今でも脈々と流れています。
“和歌うた” と出会えたのも、そんな私の中にある普通の道とは少しずれた生き方の中での導きだったと思います。
今年は 自分自身の気概をロックと呼んでみたいと思います。
69歳の誕生日 6月15日には(まだ半年もありますが)40年前にロックバンドでよくライブをさせて頂いた原宿クロコダイルにて、和歌うたをロックで歌おうと思っています。
静かなるロック魂をお持ちの方は是非! 見に来てください。
 
<Day>
2019年6月15日
<Live House>
原宿クロコダイル(http://www.crocodile-live.jp/
<Title>
ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVE ~人生最初で最後のロックエイジだわ!~
<Fee>
前売り(要予約):¥6,900 / 当日:¥9,600
<Performer>
早苗ネネ(和歌うたシンガー)
石間秀機(シターラ)
鮫島秀樹(ベース)
佐藤正治(ドラム)
竹越かずゆき(キーボード&ボーカル)
<問い合わせ>
和歌うた実行委員会(担当:人見)080-6345-4157
<チラシをダウンロード>
NENE ROCKのチラシをダウンロード

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

4月 10 19

株式会社高野商店の専務&ヨコハマNOWのプロデューサー 高野慈子さん

by staff
高野慈子さん
高野慈子さん
 
お名前 高野 慈子(たかの やすこ)
出身 東京生まれ、埼玉育ち, 60代
お住まい 横浜市西区在住
お仕事 株式会社高野商店 専務
(横浜で一番古い冷凍・冷蔵・空調・エアコン部材店)
HP https://coolstore.jp/
市民活動 ヨコハマNOWのプロデューサー

 

誰かのためなら頑張れる!! 肺癌に喝!

「ヨコハマNOW」の仲間である高野さんが「肺がん」と診断されたきっかけは、2018年10月13日に開催した「ヨコハマNOW 100号記念イベント」でした。
2018年12月3日に手術を受けて、現在は「抗がん剤治療」に臨まれています。
今回の「ヨコハマNOW」は、今や日本国民の2人に1人が発症するという「がん」と明るく前向きに闘っている高野さんへのインタビューと手記を掲載いたします。

インタビュー

Q:「がん」だと分かったきっかけは?

「100号記念イベント」当日、私はプロデューザー兼司会だったので、忙しく動きまわっていました。そのときひどく息切れがして、これはきっと血圧が高くなってどこかに悪いところがあるからだろう・・・お医者さんに行かなくちゃと思ったのです。

2018年10月16日に近くの病院に行って、心臓のレントゲンをとってもらったところ、肺に3cmの影が見つかって、これはおそらく「がん」だから、専門病院で診てもらってくださいと言われたのです。

Q:「がんかも?」を言われたときはどんな気持ちでしたか?

何で私が・・・という気持ちですね。
まったく予想外の出来事で言葉になりませんでした。

我ながら驚いているのですが、そのときから、客観的に自分のことを捉えるもう一人の「自分」が生れたようです。もう一人の「自分」は、泣き叫ぶこともなくいつも冷静に自分の状況を把握しようとしています。

Q:がんの診断から手術までの45日間はどのように過ごされましたか?

診断から手術まではベルトコンベアーに乗っているように、検査のスケジュールをこなしていました。どのような「がん」なのか、様々な検査を行いました。入院前には、肺活量を増やすためのトレーニングや上半身の筋力をつける体操を行いました。

「がん」については周囲に患者さんもいて、自分なりに理解していたつもりですが実際自分が「がん患者」になると、「患者」でないを分からない様々な選択を迫られるのです。

「がん」になったのは事実だし、治療をしなければならないのだから、立ち止まってはいられません。泣いていても始まらないのだから、現実を受け止めて前向きに取り組まないといけないと考えています。

呼吸の練習機器

棒体操

Q:高野さんの明るさと強さはどこから生まれるのでしょうか?

人間は誰かのためだと頑張れるんだな・・・と感じています。自分だけだったら、厳しい「抗がん剤治療」を選択しなかったもしれません。

でも私には右半身にマヒのある夫や施設に入っている母がいます。その人たちを残していけないという気持ちが、どんなことにも立ち向かうぞ・・という想いを湧き起こしてくれるのです。

これからも「がん」と前向きに闘っていきますよ!!

手記 「肺癌に喝!」

本日(12月13日)に退院してきましたぁ~

12月4日に入院、12月6日に手術、午前9時30頃に手術室に入り、10時に開始、それから4時間にわたる大手術でした。右肺の上葉と中葉の一部、下葉を少しだけ取りました。
病名は『肺癌』女性に多い線ガンです。

 手術着を着て

 

肺癌に喝!『傷の痛み』その1~

私の場合は、傷の痛みが分からなくなるほど、右肩から二の腕に強い痛みが続きました。(手術は約4時間、腕を上げた状態で行われる)

先生:傷は痛みますか?

私: 傷の痛みは分かりませんが、肩と腕の痛みが脱臼した時のように我慢できません。

先生:脱臼したことがあるのですか?

私: いえ、たとえ話です。

先生:・・・・

痛みを表現するのって難しいのかなぁ?

 

肺癌に喝!『ドレーン』を抜く

病室に回診に来られた担当の医師が、私の息が浅いことに気づきました。 フゥフゥハァハァ・・・とマラソンランナーのような息をしている私に、「深呼吸をしてみましょう!」と言うのですが、息を大きく吸おうとすると胸が痛くて出来ません。

医師:ドレンかなぁ ちょっと咳きをして見て。ドレンを抜きましょう! はい、横を向いて息を楽にして。

私: ちょっと待って、今ですか? ここでですか? うぉぉぉぉぉ~

医師:痛かったですか?

私: ウウッ(痛くて声になりません) (激痛が治まるのを待って)ドレンで空いた穴はどうなるのですか?

看護婦: 今はぎゅっと押さえてテープを貼っておきますが自然に肉が上ってきて塞がります。

医師: 深呼吸できますか?

私: ええ、少し楽になりました・・・・

この日もまだ鼻の酸素の管は取れません、ベッドで休んでいるときは壁面の酸素ゲージから、歩行の時は酸素ボンベを転がしながら。。。
医師から「なるべくベッドから出て歩きなさい」と言われましたが。。。歩くことがこんなに大変だとは、、、、、

 

肺癌に喝!『傷の痛み』その2~

手術終了後はICUに入ります。どんなに痛くても「痰を出してくださいね」と言われます。痰を出すには咳きをしなければなりません。
痛みを堪えながらコホコホコホッと咳きをします。それで痰が出たら良いのですが、空振りで終わってしまうと、もう一度コホコホコホッツとしなければなりません。

のどが渇くと痰は出辛くなります。術後すぐは水を飲むことはできません。水を口に含み口の中を転がすようにして吐き出します。水を吐き出すには頭を少し上げるか、体をよじるかしなければなりません。それがまた一苦労です。電動ベッドの頭を上げるボタンを押そうにも右肩と腕が痛い私は一人ではできません。

体は管だらけです。点滴の管、静脈注射用の管が手の甲に刺さっています。指先には体の酸素量を測るものが付いています。
尿は尿管から袋に集められ、ドレンと呼ばれるちょっと太めの管が胸の脇から、胸水を容器に集めています。そして背中に入った管は痛み止め(硬膜外麻酔)薬の入った容器と繋がっています。痛みが強い時は看護婦さんに言うと追加で体内に入れてもらえます。その時は必ず血圧を測られ、麻酔薬の残量のチェックがあります。そして、鼻には酸素チューブが入っていて・・・
ちょっと動くと管と管がひっかかり、ナースコールのブザーが自動的に鳴ってしまいました。

痛みを堪えて咳きをし、痰を出して・・・息は苦しく、まるでマラソンを走った後のようにハァハァと浅くせわしく続き、口の中が渇き、水を口に含み、吐き出し・・・こうして眠れない一夜が明けていきました。

翌朝、水を飲んで良いと許可がでると、うがいができるようになりました。痰を出すのに成功する回数が増え、看護婦さんに「上手に出ましたね」って褒められました。
手術の翌日は昼食を食べることができました(おかゆ)でしたが・・・12月5日の夕食後から77日の昼まで口から食べ物を入れていないので「生きている」って実感しましたね!
そしてICUから病棟のナースセンターに一番近い部屋に車イスで移されました。夕飯から常食です。食べようにも箸を持つ手の肩と二の腕の痛みは増すばかりです。手が上りません。

この日はアイススケートのショートプログラムの日、だめもとで看護婦さんにお願いするとテレビが見られるようにしてくれました。喜んだのもつかの間、宇野君の番になった時、体温と血圧のチェックがありそこだけ観ることができませんでした 「なんと不運なことでしょう!」(苦笑)

 

肺癌に喝! 便意

手術の終了から翌日はICUで過ごし、朝に飲水の開始、昼より食事の開始となりました。最初の食事は全粥でしたが、その後、病棟のナースセンターに近いお部屋に移されてからは常食になりました。そこで1日経過観察を受けて、やっと自分の部屋に戻ることができました。(保険が出るので個室に入りました)

食事を取るようになると、看護婦さんから排便の有無を聞かれるようになります。3日出ないと下剤ということになります。

2日が経過した頃、待ちに待った「便意」が訪れ、ベッドから起き上がってトイレに行こうと思うのですが。。。ベッドから起き上がるのが想像を絶する苦しみなのです!

右の肩から二の腕は痛くて動かすことができません。傷の痛みもあります。腹筋を使うために体に力を入れようとすると傷が痛くてできません。

まず、電動ベッドで上半身を起こし体をくの字にします。ベッドの左側に左足を下ろし、痛い右手はお腹の上に持ってきます。
頭を左側に寄せて、左の手すりの上に乗せ、左手の力と首の力を使って、足りない分は引力を使ってベッドから落ちるように体を捻りながらベッドから立ち上がります。

痛みを堪えて、息を上げながら、やっとのことでベッドから立ち上がって、さぁトイレへって言いたいのですが。。。。

あまりの痛さに『便意が消えてしまった』という悲しい結末が!

下剤を拒むのにも理由があります。下剤を使ったら、便意が起きてからトイレに行くまでの時間が間に合わないかもしれません。 お陰様で2日半目に成功!この喜びは忘れらないものとなりましたぁ~~~

 

肺癌に喝! リハビリ

常食はほぼ『完食』なので点滴は無用となりました。点滴が外れると尿の管が取れました。残されたのは酸素の管だけとなりました。
この頃から始まるのがリハビリです。ベッドでの生活が続いて運動能力が低下しているのを改善するため、運動しても酸素が上手に取れているかがチェックされます。
リハビリの担当者から本日のプログラムを見せられます。

運動能力の維持改善
歩行訓練・足の運動
性の維持と向上

と書いた紙を見せられ、私は下からパット見たので『性の維持と向上』って何をするのかしら? と、とんでもない誤解を胸に、足首に1kgの重りを付けて歩いたり、足を上げたり、スクワットをしたり、担当者に付き添われて歩いたり・・・とプログラムを消化し、3行目の「性の維持と向上」に入ったとたん『はい、終了』ですと言われ・・・

私:(三行目を指差し)これはなんですか?

担当者:足の運動性の維持と向上で、今やったことです。

私:そっ、そうなんだ(笑いたくても傷がいたくて笑えません、奥歯をかみ締めて笑いを堪えていると)

担当者:何かおかしなことがありましたか?

文章の改行にはご注意を!

 

肺癌に喝! 一方通行

右の肺を2/3程摘出した痛みと手術中右手を4時間近く上げていたことから生じた痛みで、右肩から右の二の腕を動かすことができません。

術後2日目からはなるべく歩くようにと言われ、ベッドを出ている時間が増えますが、ベッドに上ること、ベッドから降りることがとても大変なのです。

ベッドから降りるのは電動ベッドを起こし、体をくの字にして、右手をお腹の上にのせ、首と左手の力を使って左側に降ります。ベッドに上る時は右手が痛いので、右手をかばい、左手でベッドの手すりを持って右側から上ります。

ということは、室内靴はいつもベッドの右側に脱いであって、左側に降りるとき靴はないことになります。

そこで、家から履いてきた靴をベッドの左側に置き、用意万全「これなら大丈夫」と。

大丈夫だったのは初回だけ、結局、右側で脱いで上るので、ベッドの右に靴が2足並んだだけ。

素足で床を歩くのは嫌なので、床にペーパータオルを飛び石のように置き、左側に降りてもペーパータオルの上を歩いて右側に行き室内靴を履いて『歩く』ことにしました。

と、ここまでのことで少し疲れた私はベッドに上ってウトウト・・・目が覚めると・・・寝ていた間に清掃員が入って、床に散乱したペーパータオルを「お片づけ」してしまい。

目覚めた私は、ベッドの左側に降りて素足のままベッドの右側まで移動し、室内靴を履きました。

 

肺癌に喝! ながら動作禁止

術後5日目、退院して普通の生活に戻る準備に入りました。問題は酸素ボンベからの開放です。いつまでもボンベを持ち歩く訳にはまいりません。

まず、部屋では酸素ボンベを使わないで、室外に出るときだけ酸素ボンベを引きずって歩くことになりました。リハビリやレントゲン検査に行くとき、院内のコンビニにお買い物に行くときもボンベ付きです。

翌日は看護婦さん同伴で室外をボンベなしで歩く訓練になりました。体内酸素濃度計を指先に付けて歩きます。

酸素濃度を95%以上に保たなければ不合格となります。

開始は97%でしたが、突如、80%台になり、看護婦さんから「止まるように」と言われて・・・

看護婦: おしゃべりしながら歩かないでください。

私: 歩いている時に話をしたくなったら?

看護婦: 立ち止まって話しをしてください。

私: ながらはダメですか?

看護婦: この酸素濃度ではダメです。食べながら、飲みながらのおしゃべりもダメですよ」

私: は~~~い。

という訳で、おしゃべりの自粛を意識して、酸素ボンベから開放され、退院の日が近づいてきました。

 

肺癌に喝! メニュー

手術の翌日におかゆで始まり、すぐに常食になりました。食事はAとBで内容を選ぶことができ、朝食もパンが食べたい人は希望できるシステムでした。

病院食は「まず~~い」という先入観がありましたが、美味しいものもありました。ビーフシチューやクリームシチュー、サバの味噌煮は美味しかったです。

変に凝った味付けのものは「?」と思いました。例えばサトイモの「ピーナツソース和え」が出たときは「イモの煮っ転がし」で良いのになんて残念に思いました。

「ふりかけ」が時々付くのに「懐かしさ」を覚えました。「たまごふりかけ」や「おかかふりかけ」は子供達のお弁当を作っていたころに良く利用しましたから・・・

入院前に「入院したら美味しいものが食べられない」と好きなものを食べ歩いたこと、入院してからは全て「完食」を目指したことで、体重が2kgも増えてしまいました。
摘出した上葉、中葉と下葉の一部を合わせた重さは何gだったのかしら? その分くらい体重が減るかと思ったのですが。。。これで退院してから美味しいものを食べたら、またまた太ってしまいますね~~気をつけないといけません。

 

肺癌に喝!『傷の痛み』その3~

手術中の体勢による右肩と右腕の痛みは、少しずつ動かすことで緩和していき、術後4日目には左手を添えることで『手を上げる』ことができるようになりました。
手術後5日目の朝起きてすぐ感じたことは「右肩と手が痛くない」ということ、昨日までの痛みがまるで嘘のように消えていました。

喜んだのはつかの間・・・右脇の下の傷口の痛みと、右肋骨の痛み、そして、手術中に左を下にしていたことから生じたと思われる左わき腹から腰への痛みを脳が認識して・・・
脳って不思議ですね?! 10数センチもある傷の痛みを感じないで(自分で傷が見れないのでどこを切ったのか分からなかったのに)手術後5日も経って『痛み』を体感しているのですから・・・

きっと、肩も腕もまだ痛いのかもしれません? 脳が一番痛い場所を認識するから、傷口が1番になり、他の痛みは和らいだのでしょうか? さてさて、痛みから解放されたと思いきや、この傷口の痛みで『ふりだし』に戻った感じで~す!

 

肺癌に喝! ヘルプマーク

手術で右の肺の上葉と中葉の一部と下葉をほんの少し摘出しましたが、外見は以前のままの『元気なおばさん』。けれど、公共交通を使った長距離の移動では、つり革につかまり立ちよりも席に座れたら助かります。そんな私のためにあるような公共サービスを見つけました。

それが、ヘルプマーク

横浜市では最寄の『高齢・障害支援課』で配布されているとのこと! 24日に大井町まで出かけるので、西区役所に取りに行くことにしました!

※ヘルプマークとは
義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、東京都が作成したマークです。神奈川県でも平成29年3月からこのマークを導入し、東京都と連携して普及に取り組んでいます。
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/yv4….

 

肺癌に喝! 退院後の初検診

今日、12月21日は退院後の検診日でした。 手術で摘出した肺の病理検査の結果が出るということでしたので、ドキドキしながら病院に行きましたが、まだ結果が出ておらず、28日に再度行くことになりました。

それでも、本日の検診の結果でバスタブに入って良いことになりました。正月の温泉旅行もOKとのこと。。。熱川温泉に行きま~す!

大浴場で、脇の下から背中にかけて10数センチの傷のある私が温泉につかっているところを想像すると・・・他のお客さまにご迷惑かしらねぇ?

 

2019年1月4日

除夜の鐘を聴き、新しい年を迎え、思うことは『生きること』。
右マヒの夫を残しては先に逝くことはできませんから・・・

思うのです、人は誰かのためならどんな辛いことにも『耐えられる』のではないかと・・・愛する家族のためならば、頑張れるのではないかと・・・1月8日に今後の治療の予定がでます。
免疫力と自然治癒力 VS 抗がん剤治療・・・私は、1日でも長く『生きること』、リスクの高い抗がん剤治療を選ぶつもりです!

<取材を終えて>

久しぶりにお会いした高野さんは手術前に短く切った髪も伸びて「抗がん剤治療」中とは思えないほどお元気そうでした。

泣き叫んでも「がん」が良くなるわけではないから、現実を受け止めて冷静に立ち向かっていきたいと仰る高野さんを拝見して、人生の様々な苦難を乗り越えてきた女性の強さとたくましさを感じました。

高野さんは4月から「ヨコハマNOW」に復帰する予定です。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

3月 10 19

今までもこれからも・・・

by staff

 

あれから8度目の3月11日がやってきます。
被災された皆様にとっては長い長い年月だったと思います。「がんばろう!東北」というメッセージをトラックに貼って宮城県山元町に向かったのが、2011年4月6日でした。

それが宮城県山元町とのご縁ができました。
あっという間に復興支援のネットワークが、横浜市中区山元町につながりました。

あれから月日が流れて・・・
他の地域で大きな地震が起きたこともあり、東日本大震災の復興支援イベントもだんだん少なくなってきました。

2019年2月24日、毎月一回開催される山元町の「朝市」のあとに東日本大震災の復興支援イベントの「もちつき大会」がありました。

コンビニの駐車場を会場で、商栄会の若者たちが杵を振り上げていました

会場には、これまでの義捐金の金額総額 1,953,339円が張り出されていました

山元町二丁目商栄会:https://e-yama2-mall.com/

横浜の山元町では、昨年80年続いたパン屋さん、人気店だったフライ屋さん、お茶屋さん、八百屋さんなどが閉店しました。通りには空き地が目立っています。それでも毎月最終日曜日に開催される「朝市」では、商栄会の方々が用意される目玉商品を目指して大勢の方々が集まります。

「朝市」には義捐金の募金箱も設置されています。
「これだけ集まったんだよ・・今回で200万円は超えるね・・」
そう語る山元町二丁目町内会々長の簑島さんの言葉を聞きながら、つきたてのお餅を両手に持つ私は、横浜山元町の皆様の宮城県山元町への熱い想いに私の胸もアツクなったのでした。

あれから8年、まだ8年、これからも一緒に頑張っていきましょう。

 

3月 10 19

ハチゴロウの鳥撮り日記 第7回「ヤマセミ(広島・栃木県大田原・北海道)」

by staff

第7回 ヤマセミ(広島・栃木県大田原・北海道)

『ハチゴロウの鳥撮り日記』第6回ではアカショウビン(赤翡翠)をご紹介いたしました。
カワセミ(翡翠)、アカショウビン(赤翡翠)とご紹介しましたので、今回はヤマセミ(山翡翠)のお話といたしましょう!

ヤマセミの体長は約38cm、翼を広げると約67cm、カワセミ(翡翠)の仲間の中では一番大きな鳥となります。特長として頭には冠があり、背中と胸に白黒の細かいまだら模様があります。
まだら模様の「かのこ」からカノコショウビンと呼ばれたこともありました。
一般に鳥はオスの方がメスに比べて美しいといわれますが、カワセミの仲間はオスとメスはよく似ていて、ヤマセミのオスとメスの違いは、オスのあごと胸にうすい褐色が混じっていることです。
ヤマセミ(山翡翠)という名のとおり、「山」の渓流や湖沼など水辺に生息しています。冬場は餌を求めて平地の河川や海岸近くにやってくることがあります。

2014年2月11日、広島のとある川で探鳥中、憧れのヤマセミと出会いました。カメラを構える手が震えたのを覚えています。

コンパクトデジタルカメラで撮影したので画質は良くありませんが、
ヤマセミは写ってくれました。

同じく広島でレンズを一眼レフに換えて撮影しました。

2015年5月の中頃。渡良瀬遊水地で知りあった方から栃木県大田原で「ヤマセミの幼鳥が出ている」との情報をいただきました。さっそく撮りに行ってきましたのでご紹介いたします。

ヤマセミのホバリング(低空飛翔)です。

ヤマセミはカワセミと同様に、川の中の餌となる魚が見にくいとホバリングします。
行ったのが遅かったのか(5月26日)、ヤマセミの幼鳥と親鳥の区別がつきません。幼鳥は親鳥からエサをもらっているのか? 盛んにエサを運んでいるのが親鳥です。

エサを運ぶ親鳥。

われ先にとエサを持つ親鳥を追いかける幼鳥。

この後、しばらくヤマセミとは縁がありませんでした。2018年の1月から2月にかけて北海道に野鳥撮影に行きました。

円山公園で出会った人から「真駒内公園にエゾフクロウが出ている」と聞いたので行ってみることにしました。真駒内公園ではオオアカゲラやエゾフクロウを撮る事ができました。
初めて行く探鳥地では、その鳥を探すよりも鳥を撮りに来たカメラマンを探します。そこで、「ヤマセミが出ているよ」と聞きしばらく待つことにしました。
午後になり、人も居なくなり、諦めて帰ろうとした時にヤマセミの「キッキ、キャッキ」と鋭く鳴く声が聞こえました。ヤマセミは近くの木の枝にとまってくれました。 『天は我を見捨てなかった』ようです。

水面は凍っていましたが流れの速いところは川面があらわれています。
そこで魚を捕ります。

ヤマセミのホバリング。

2018年2月20日、北海道でのヤマセミの撮影日記は自身のブログでも公開しております。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

3月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第3回) “ゆとり社長” 片石貴展さんが描く新しい時代

by staff

Prologue

“小学生のなりたい職業ランキング” の第3位がYouTuberという今の時代。
様々な仕事観、人生観が多様化され何が一番正しいかという判断がとても難しくなって来たように思えます。

“幸せのカタチや豊かさ”

その答えは一つでは無いし、答えを強要するものでも無いと私は感じています。

モノを消費する時代から
コトを体験し感動に対価を払う時代へ

“見えない何か” や
“カタチのないもの” に
世の中が動かされていく時代。

量より質を大切にし、
紡がれた物語や、思想や哲学に惹かれる時代。
人が人らしく生きざるを得ない時代。

企業も人間も、あらゆるものを作品として捉えた時に、
生き方や仕事というもの全てが
“社会に彫刻して行く作品”
であると言うことを全ての人が実感していくフェーズに来ていると思います。

やりたい事だけをやって生きていきたい。
自分のクリエイティブな部分を活かして仕事にしたい。
感性が刺激されるものを追求していきたい。

“でも、どうやって??”

この言葉が拭いきれないのも事実だと思います。

夢のような壮大な青写真を明日からの現実として味わって行くために

アート(感性、美的感覚)
クラフト(技術)
サイエンス(科学的根拠、データ理論)

この3つのバランスがとても重要になってきます。

今回はこの3つの力を見事なまでに最大限発揮しながらも、新しいビジネススタイルを確立し、新しい切り口で幅広い層から支持を得ている株式会社yutori 代表取締役社長 片石貴展氏の元へ取材に行って参りました。

驚異のファッションメディア “古着女子”

好きなことを
好きと言う、
たった
それだけのことが
僕らには足りない。
心が死ぬ前に、
好きの産声をあげよう。

フォロワー数20万人以上を抱えるインスタメディア「古着女子」を運用する企業「yutori」。
株式会社yutoriのホームページにアクセスすると事業目的の前にこのようなメッセージが心に飛び込んでくる。

「古着女子」は、おしゃれに古着を着こなす女性をピックアップして紹介する、Instagramアカウントであり、開設から広告費を一切かけずに僅か5ヶ月でフォロワー10万人を突破し、月間のいいね数は50万を超え、現在もフォロワー数は月1万人ずつ増え続け、物凄いスピード感で古着ファッション界の一大メディアになりつつある。

またyutoriでは、90年代をテーマにしたボーイッシュ古着の「9090」やミレニアル世代特化のスポーツブランド「dabbot.」を、古着ECショップ連動型のインスタグラムアカウントとして展開。
dabbot.はアカウント開設後2ヶ月でフォロワー数が1万人近くに到達。
第2回販売分のアイテムは、ほぼ全ての在庫が即日完売となる勢いだったという。

なぜ今、片石貴展氏率いるyutoriの紡ぐ世界観に、時代とオーディエンスがこんなにも惹かれているのか? その魅力について今回は迫りました。

ゆとり社長との対談

今ある現実を壊したい

片石 「実はネガティヴから始まっているものが多くてーーーーーーー 例えばスクールカースト(学校内での身分)って運の要素がとても強いじゃないですか。たまたま生まれた家庭がこうだから、とか容姿がこうだったから、友達からこんなあだ名付けられていじめられてとか、、、、 上から降ってきた自分ではどうしようもない事で自分の世界での立ち位置が決まるって言うのに物凄く違和感があって、、」

Acco 「本当にそうですよね。」

片石 「自分はネットが幼い時から使える環境だったので、共通の趣味や話題で集まることが出来るSNSは昔から当たり前のように活用していました。今ある現実に新しい価値観が生まれることによって、誰でも主役になれる。全ての人がコンプレックスから解放されて輝ける場所を作りたいと思って始めたのが古着女子です。」

言いたいことは「作品」で伝える

片石 「例えば、デモやストライキのように言いたいことを直接ただ言うのって、今の時代超ナンセンスだと思っていてーーーー 言いたい事をプロダクト(作品)に落とし込んでメッセージを伝えていく事が大切だと思っています。

--見ている人には
そんな思いでやってたのかって分からなくても良いんですよね---

新しい世界観を作ってあげることで現実が現実じゃなくなる。どっちが現実か分からなくなる。そうなることでいい意味で現実から解放されるような場を作りたくて、、、 そんな事を今後一番やって行きたいですね。」

Acco 「私から見て片石さんはクリエイターとしてのアート的感覚と経営者や事業家としてのビジネス的考え方のバランスが非常に良いというか、、、 アートとビジネスの両面における課題をクリアするために、何かこの2つのバランスにおいて日々気をつけてる事はありますか??」

片石 「そうですね、クリエイターとビジネスという区切りで考えるといよりは、、、 人間をより深く理解するというところですかね。人の内側を見つめていくと本質的な輪郭が浮き彫りになっていくというか、、、 その人の生きてきた時間軸をなぞって、どんな景色を見てどんな言葉にどんな反応を示すのか、、、 そこを潜って見に行くことによって人の潜在的な欲だったり、こんなポイントに反応するのか、というのを探っていくのは昔から好きですね。疲れますけど(笑)」

自分で納得した選択をしているという実感

Acco 「片石さんは元々古着ファッションのどんなところが好きなんですか??」

片石 「そうですね、、、 古着って、いい意味で流行りとは関係ないものだったり、誰かや何かからのレコメンドがなくても自分で探して、 “あっコレがいい” って深く納得の行くものを着る楽しみがあります。探す苦労も多少はあるので、ファストファッションのような味気なさもないしわかる人にはわかるようなオシャレ感も好きですね。あとは、ユーズド感のあるものだったり肩の力がいい意味で抜けてる世界観も好きです。」

Acco 「子供の頃からファッションは好きだったんですか? 片石さんの子供時代はどんな子だったのか教えてください。」

片石 「あーっ、それでいうと音楽がすごい好きでしたね。家のコンポでよく好きな曲聴いてました。あとは、、、 インターネットかな。小学校3年生の頃から携帯は持ち始めていたので、当時のモバゲーって言うSNSにハマったり、2ちゃんねるを覗いてみたり、、、 当時は学校と家庭だけのかなり閉じたコミュニティの往復で、すごい窮屈さを感じることもあったんですけど、、、 SNSは共通の趣味っていう切り口で新しいコミュニティがあったから、そこに一番影響は受けましたね。だから今でもSNSは大好きですね。」

Acco 「情報収集もSNSで行なってますか?」

片石 「んー、そうですね。TwitterとInstagramが今主に使ってるSNSになるんですけど、Twitterのようにテキストで記事化されてる情報って当事者からするとかなり遅れてる情報なんですよね。それに比べてInstagramの情報はテキスト化される前の情報-----誰々がこんな着こなしをし始めたっていう様なリアルタイムでの情報をより早く拾う事が出来るのかなって思いますね。」

ぼくらは感情にお金を払っている

Acco 「資金調達も “この指止まれ作戦” の仲間を増やして行くというスタンスでやっている、という過去の対談記事が印象的で本当に素敵だなと思って。 凄いのは、本当に片石さん率いるyutoriの紡いでいるストーリーや世界観に惚れ込んでいないと実現できない事なので、、改めてyutoriの魅力に驚いています。」

片石 「ありがとうございます。」

Acco 「既に多くの人や企業がyutoriの仲間になりたい! と思って居ますし、たくさんアプローチを受けていると思うのですが、片石さんから見て
仲間に迎え入れても良いと思う基準って何かありますか? 一番重きを置いている事があれば教えてください。」

片石 「そこはすごくありますね。まず、褒められたいって思っている人とは絶対一緒に仕事しないって決めてますね。それは何でかって言うと、、、 yutoriの市場のイメージってすごい優しい世界観なんですが、中身は実際スタートアップ企業なのでそこにギャップがあるのが現実で。

まず自分でプロダクトを作って、作ったものが正解かも分からない、作っていく過程のアドバイスもそんなに貰えない、完成品を出して成功するかも分からない、、、本当分からない事だらけなんですよ。

そんな中でもしっかりやって行ける人ってやっぱり “好きなこと” が明確にあって、それがyutoriの世界観と合致していて、好きなことをyutoriの場を借りてやってる、くらいの人がいいですよね。

好きなものを貫く強さと、他人を否定しない優しさの両方を併せ持っている人じゃないと厳しいですね。それでいて良い意味で世の中を斜めに見れる事も大切だと思ってます。客観的に今の世の中がこうなってて、人の流れがこうで、、っていう流れを把握できる人でありながら、そこに自分のアイデンティティを持って否定出来る人。 その否定からプロダクトを作れたら最高ですね。否定や批判って誰でもできるんですけど、そこから新しいものを作れる人って本当に少ないんですよね。」

再解釈がテーマ

片石 「もう既に世に出てるやり方やプロダクトをゆとりの世界観で再解釈していくのがテーマとしてあって。

時代の流れを把握して、そこをフォローするより、その次の一手を読んだ上で、じゃあ絶対にこうしていった方が良いよねっていう “再解釈” がyutoriのやる事だと思っていて。

競争したくないんですよね。ゆとりっぽい見た目で、新しい価値観で、社名もyutoriで、そこに新しいプロダクトがいくつかあって、、オンリーワンの存在としてポジションが取れる上にオセロの四隅を抑えられる。そんな世界観が好きですね。

テクノロジーと違って言葉やプロダクトが生む世界観はライバルがいないんですよね。敵がい居ない、、、、居ないというか、そもそも勝ち負けや敵味方の次元じゃないんですよね。 競争するのはダルいですね、単純に。笑」

ありのままを表現しているアーティスト

Acco 「片石さんにとって生き様アーティストとはどんな方ですか??」

片石 「Suchmos(サチモス)ですね。

Suchmos は単純に曲もカッコイイんですけど、リアルな葛藤をありのままに表現してるんですよね。等身大の姿をぶつけているような作品を見ると惹かれるし応援したくなりますよね。本当、いつか会いたいです。笑」

yutoriという社会彫刻

Acco 「片石さんはこれからの社会にどんな爪痕をのこして行きたいですか?」

片石 「僕らの世代なりの社会との向き合い方だったり生き方をもっと心地良いものにして行きたいです。世間一般的なモデルでの良い働き方や良い暮らし方が果たして実際にそうなのか? って聞かれたら頷けない事も多くて。

仕事やプライベートが完全に切り離されてるような暮らしは別に求めてないし、誰だって本当はもっと融けあっている世界を求めていると思うんですよね。

他者への否定ではなく “ピュアな自己主張” でありのままで居られる範囲を拡張して行くというか、、yutoriの世界観で紡ぐユートピアのような世界を作っていきたいです。」

新しい時代の生き方

誰かに認められる為に評価される為に生きるのをやめた時
本当に自分自身が納得のいく生き方を選ぶことができるのかもしれません。

2018年12月にオフィスを下北沢に構え
POOLと名付けられた空間には
サメもクジラも来ない、安全なプールで
思いっきり自分の好きな事を叫ぼう
そんなメッセージも込められているそうです。

自分らしく生きるために
自分らしく在れる場所を

優しさの中にある強さを
脆さの中に潜む強い光を

臆病な秀才のための
愛に溢れた優しいデモ

こんな時代で
自分らしく生きるために

たくさんの自己決定と
“好き” というガソリンさえあれば
人は走り続けられるのかもしれません。

片石さん、お忙しい中本当にありがとうございました。
“古着女子” がムック本 として書籍化されているそうなので、そちらも要チェックです!


“古着女子” がムック本


“古着女子” Imstagram

<プロフィール>

株式会社yutori CEO|片石貴展
2016年4月株式会社アカツキ入社。新規事業であるLX事業部の立ち上げ従事(コンテンツ制作ユニットのPM、インフルエンサーエジェント立ち上げのPMを担当する。)
現在株式会社yutori では
古着女子 インスタメディア運営、
古着男子 インスタメディア運営、
9090 レディース古着ECサイト、
“ひとくち” 古着ECサイト、上記に纏わるイベント運営等を展開している。
 
株式会社 yutori HP:http://yutori.tokyo

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
SNS Facebook
Instagram

 

3月 10 19

楽しい文字の世界(第16回) 紅花書道塾25周年展を開催しました

by staff

第16回 紅花書道塾25周年展を開催しました

1月下旬、クイーンズスクエア内みなとみらいギャラリーで、紅花書道塾25周年展を開催しました。

会場風景

皆様に楽しんでいただける横浜らしい書道展にしたいという思いで、1年かけて準備を進めてきました。そのため、わたしと塾生の作品だけでなく、林文子横浜市長を始め、横浜の多くの人に親しまれている方々にもご出品いただき、約100点の作品が並びました。

林文子横浜市長と私の作品の前で

また書を随分たしなまれている海江田万里氏にもご出品ご来場いただきました。

普段から親交のある海江田万里先生の出品作品の前で

そして書の枠を超え、他分野の方々と書とのコラボ作品も複数展示しました。その中の1つヨコハマNOW編集長、辰巳タカアキ氏の写真と、車椅子の会サイレントフット代表佐藤利章氏とのコラボ作品がこちらです。モノクロの書道展に綺麗なカラーは目を引きました。

辰巳タカアキ氏と佐藤利章氏とのコラボ作品

大変広い会場に、連日多くの方にご来場いただき、只々有難かったです。

そして終了後の出展者様らとの祝賀懇親会。
自らも「覇魂」を出品いただいたFMヨコハマ、ラジオパーソナリティー光邦さんのプロの司会で大盛り上がりでした。

光邦さんの司会の祝賀懇親会

今後は30周年に向けて更に精進し、良いものがご覧いただけるよう進化したいと思います。
25周年にご協力いただいた方々、ご来場いただいた方々、この場をお借りして心より感謝申し上げます。

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して25年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

3月 10 19

しあわせの「コツ」(第27回) ああ、気づかなかった「木の叡智」

by staff

第27回 ああ、気づかなかった「木の叡智」

クラウン・シャイネス

この写真、何に見えますか?
東南アジアの熱帯雨林に自生するフタバガキの巨木に見られる、「クラウン・シャイネス」(恥ずかしがり屋の樹冠)と呼ばれる現象です。同時期に育った隣り合う木々が50m以上に成長したときのみ現れる現象だそうです。木々がお互いに譲り合いながら枝を伸ばして日光を分かち合っているのです。

まるで空が割れているような、不思議な光景ですね。

なぜこのような現象が現れるのでしょうか? ―? それは木々がコミュニケーションを取り合って、枝の張り具合をお互いに調整しているからです。これはおとぎ話でもスピリチュアルな仮説でもありません。カナダのブリティッシュコロンビア大学の森林科学教授のスザンヌ・シマード氏の30年に渡る森の研究から分かったことで、彼女はそれを2016年に発表しています。

スザンヌ・シマード教授

彼女の実験結果によると、木々は土の中に菌のネットワークを張り巡らし、その菌を光ファイバーのように利用して情報を交換しあい、助け合っています。その密度は驚くべきもので、ティースプーン1杯分の面積に数マイルものネットワークが作られているほどだそうです。このネットワークを介して、昆虫の襲来や干ばつなどの危険を仲間に知らせるのです。また、ある苗木が炭素不足の時、その情報を発信すると、別の木が自分の炭素を送って補ってあげたりもします。

驚くべきことに、木にも家族意識があります。
一つの森のエリアには、必ず1本の「マザーツリー」があり、何百もの木々とつながっています。「マザーツリー」は、若い低木の成長のために、菌糸ネットワークを広げてたくさんの炭素を送り、同時にその木も根が伸ばせるようにスペースを作ってあげるのです。まさに「母性愛」ですね。

白神山地のマザーツリー

母木の近くにいる苗木の生存率は4倍に上がることが証明されています。また、ある実験で母木のそばに苗木を植えると、ちゃんと自分の子供と認識することも確認されています。

カナダ・マクマスター大学の植物進化生態学者スーザン・ディドリー氏の研究によれば、木々には兄弟を識別する能力もあるというのです。同じ種類の植物を同じ場所にたくさん植えると、それぞれの植物は根を伸ばし、貴重な水分と栄養分を少しでも多く取ろうとしますが、同じ親から成長した植物の場合、互いの根に十分な成長空間ができるように、争うことなく平和的に譲り合うそうです。
中には緊密に根を絡め合い、夫婦のように一緒に死んでいく木もあります。病気の仲間がいれば、回復するまで栄養を送り続けることもあります。

スーザン・ディドリー教授

光合成ができなくなった切り株でさえ、周囲の木々が根を絡めてつながり、栄養を送り続ける場合もあります。よく切り株のわきから「ひこばえ」が生えていることがありますが、それはこの涙ぐましい仲間意識のなせる技なのです。

ひこばえ

けれども、どの切り株もそうなるわけではありません。大多数は腐敗して土にかえります。一体何が切り株の「生死」を分けるのでしょうか?それは、その切り株が1本の木だった時、周囲の木々とどういうコミュニケーションをしていたか、というそれまでの親密さの度合いによって、仲間の木が「生かしてあげよう」と思ったごく少数の切り株だけが生き続けるのです。まるで人間社会のようですね。

「マザーツリー」が傷付き、死にかける時も感動的です。自分の菌糸ネットワークを最大限に駆使して子供の木に炭素や防御信号などを送るのですが、それは単なる生命維持のためだけでなく、「マザーツリー」としての知恵を次世代を担う子供たちに伝えているのだそうです。

こうしてみると、森は単なる木の密集地ではなく、「木々の社会」であるということが分かります。そこには家族があり、コミュニティがあり、木々同士が会話を交わしながら情報交換をして互いに生き延びようとしている姿がうかがえます。親子・家族・共同体の絆が、人間をはじめとする哺乳類だけなく、移動することができない植物の世界にも存在していることに、神秘的な驚きすら感じませんか。

前述のスザンヌ氏は言います。

「森は、マザーツリーの存在とともに木々がお互いに交流しながら共同体ができています。それを知らずにマザーツリーが人間の手で伐採されると、森は元に戻れなくなります。」

岩手県八幡平市の安比高原のマザーツリーとブナの森

改めて「木は社会的生命体」である思わざるをえません。人間社会でも中心を失った組織が自壊していくように、森の中心「マザーツリー」の伐採が森全体を死に追いやってしまうのです。

「生命のいとなみ」という視点から見ると、動物であれ植物であれ、生命あるものは同じ原理を共有していることが分かります。子育て、兄弟愛、共同体内の同胞意識と情報共有 ―それを実践することが有機生命体が生きていくうえでの法則であり、叡智なのです。だとしたら、 日本における最近の児童虐待・育児放棄、陰湿ないじめは、同じ生命体として何と恥ずかしい行いでしょうか。

面白い事に、現代社会特有の陰湿ないじめや残酷な虐待が、木によって改善される可能性を窺わせるデータがあります。

「木」による改善?
それはどういうものでしょうか? 木造住宅産業のパンフレットに必ずと言っていいほど載っている、有名な研究結果があります。

それは、静岡大学農学部が行った「巣箱の材質によるマウスの生存率の差」という論文です。コンクリート、金属、木(杉)の箱にネズミを入れてその生存率を計測したものです。

この実験を紹介している高岡恭平氏(森林浴生活株式会社)のコラム( https://mbp-japan.com/hyogo/forestreform/column/ )によると、マウスの生存率は

1 木の箱 85.1%
2 金属の箱 41.0%
3 コンクリートの箱 6.9%

となっています。
木の箱の方がダントツに長生きしていますね。

さらに、木の巣箱ではすべてのマウスが巣作りをしましたが、コンクリートと金属の巣箱では、巣作りを行わないマウスが見られました。また、コンクリートと金属の巣箱では、母マウスがストレスから育児放棄をしたり、弱った子マウスを食い殺しましたが、木の巣箱では普通に子育てをしていました。子マウスにも違いが出ています。体重測定の際、木箱で育った子マウスはおとなしく測定させましたが、金属やコンクリートの巣箱で育った子マウスは暴れてなかなか体重測定ができませんでした。

自分のしっぽをやたらと噛み切るストレス行動(10日間)については、

① 木の箱 80回
② 金属の箱 230回
③ コンクリートの箱 290回

という結果が出ています。

ネズミと人間は違いますが、私はこれらのデータを見た時、昨今の育児放棄、虐待、すぐ切れる子供、といった現代の社会現象も、鉄筋コンクリートの住環境が増えたこととあながち無関係とはいえないのではないか、と考えてしまいました。

木は生きています。
前述の高岡氏によると、木は樹齢の2倍の期間調湿効果が衰えないそうです。コンクリートは持って70年、年々劣化していきますが、生きている木は建材となっても200年300年と年を経て強度が増していくのです。法隆寺の宮大工、西岡常一氏は「樹齢1000年の木で建てた建物は1000年持つ」と言っています。

右 西岡常一氏

45度Cの低温で芯までじっくり乾燥させた木は、粘度を損なわないのでしなやかなのに強度があり、防虫性もあります。以前拙コラムで、古民家に移り住んだ夫婦の仲が良くなった話をしましたが、生きている木が持つバイブレーションが、住む人に好影響を与えることは想像に難くありません。

昔の学校はほとんどが木造校舎でした。時代の風潮もあったかもしれませんが、今のように友人を自殺に追い込むほど陰湿で悪意に満ちた「いじめ」はなかったように思います。鉄筋コンクリートの躯体にケミカルな素材の壁材、塗装合板など、「生きている木」ではない材料で建てられた現代の校舎の増加と「いじめ」の増加。決して無関係とはいえないのではないでしょうか?

茨城県大子町 旧上岡小学校

木造小学校の内部 昔はどこもこんな感じでした



現代の校舎:上 中学校、下 小学校

そう考えると、住環境の中に少しでも木を取り入れることで、人々の気持ちにも変化が出てくるのではないでしょうか?

最近、毎日のように分譲高級マンションのチラシが新聞に挟まれています。もちろん躯体は鉄骨とコンクリートで、ハイテクな機器の装備が売り物のようです。私が住むとしたら、そういう「高級マンション」より、調湿機能がある木をふんだんに使った「呼吸マンション」がいいですね(笑)。
まあ、現代では無理でしょうけど。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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3月 10 19

2019年3月 三ツ池だより 「念じながら」

by staff
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77歳の知人の訃報が届いた。「まあ仕方がない年かな」という声が聞こえた。「おれ75だけど」と言ったら、数人口をふさいだ。30代・40代から見るのと、同じ年代から見るのでは、ちがうのだ。少しわたし個人が自覚する時なのだろうか。
坂村真民さんに次の詩がある。

「念ずれば 花ひらく」
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

真民さんの詩をもう一つ

「二度とない人生だから」
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけて
ゆこう

「二度とない人生だから」の詩を平成4年の経営計画書の私の決意のなかに掲載させていただいている。創業29年目で経営計画発表会を始めて5回目の時であった。新社長を引きうけてから、毎年経営計画発表会をしている。その計画書に書き入れた。毎日におわれているのではなく、その結果が社会にどう役立っているのか考え、問いかけていこう、ということだ。そして今創業55年になる。

「自分の世界」
鳥の囀りのなかで
私は考えています
  鳥の囀りに励まされて
  私は今を迎えています
鳥の囀りに合わせて
私は座して考えています
  今あることのすべては
  生かされている気づき
鳥と同じように鳴いて
その存在に気づいてもらいたい
  今が心の中でしきりに囀ります
  あらゆる今はいきているということ

世代交代する直前、5年前に私が書いたものだ。
様々に生きています。梅が咲き、桜が咲き始めています。

「楽は苦のなかに」
思いどおりになることって
あるのでしょうか
  なかなか進まないというのが
  本当の所でしょう
だから遠慮することは
ないのです
  それはそれ
  悔いをのこさないように
進めるところは進める
一歩下がるところは下がるのです
  寒いと言われながら
  車のなかにいます
やるしかない、やれることをやる
一日が過ぎてゆく
  明日がないとしても
  今日を生きぬいていく
楽の道より苦の道をいく
苦の中から楽を見つけていく

椿が花を落していく。寂しい気がしますが、また来年の冬に花を咲かせます。桜も見事に咲いて散っていきます。そしてまた時が来れば花を咲かせます。また会おうと念じている私がいます。
真民さんの詩をもう一遍

「何かをしよう」
何かをしよう
みんなの人のためになる
何かをしよう
よく考えたら自分の体に合った
何かがある筈だ
弱い人には弱いなりに
老いた人には老いた人なりに
何かがある筈だ
生かされて生きているご恩返しに
小さいことでもいい
自分にできるものをさがして
何かをしよう
一年草でも
あんなに美しい花をつけて
終わってゆくではないか

不思議なご縁だ。35年前に出逢った詩たちが、今も私を揺り動かしている。さあ!さらに一歩を踏み出して行こう。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

3月 10 19

ゆるマナー講座(第41回) 名刺交換で印象に残る人

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

早くも3月、今年は桜の開花が早いようですね。
3月は転勤などで別れもあり、新しい出会いもある季節です。4月から新社会人として羽ばたく若い人達にはとりわけ多くの人との出会いがあるでしょう。
今回はビジネスパーソンの第一印象として大切な名刺交換についてです。


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スマートな名刺交換は?

名刺交換の時に、私がマナー講師だとお伝えすると、「名刺交換のやり方を知らないので緊張します。これでよかったですか?」とバリバリのビジネスパーソンに言われて、私の方が恐縮することがあります。
確かに名刺交換がスムーズにできれば、洗練された印象を受けます。でも一番大切なのは “感じがいい人だな” “信頼できそうな人だな” といった人間的な魅力が相手に伝わることです。

皆さまはどのようなことを意識なさっていますか?
細かい作法以前に、先ずは「姿勢」と「笑顔」を意識しましょう。あまりに低姿勢で何度もお辞儀をされたり、頭を下げられたままだとなかなかスムーズに名刺交換ができません。

【ポイント】
 ・背筋を伸ばして姿勢よく
 ・笑顔でアイコンタクト

とてもシンプルですよね。ところがアイコンタクトができる人は少ないように思います。
アイコンタクトは一瞬ですが、お互いを理解しようとする大切な時間です。
そして名刺交換後のひと言も大切です。せっかくいただいた名刺ですから、相手の方の情報に関心を持ちましょう。
名前や会社のロゴ、住所など興味を持ったことを言葉に出して伝えてみましょう。
珍しいお名前でしたら、「忘れられないお名前ですね」などと。毎回珍しいとか初めてだとか言われて少しうんざりしていても笑顔になっていただけるのではないでしょうか?

【マナー】
 ・挨拶をして目下から目上の人に渡す
 ・訪問した側から先に渡す
 ・複数の相手に渡す時は、上位者から順に渡す

がっかりする時

相手に差し上げた名刺ですが、雑に扱われるとがっかりします。日本では物の扱いを丁寧にするのが礼儀です。以前、話をしながら私の名刺で扇子代わりに煽がれた時は、私自身が雑な扱いを受けているように感じてしまいました。よくお話をしてみるととてもいい方でしたが、初対面ではびっくりしてしまいます。無意識にしている仕草にも注意しましょう。
日本では名刺はその人自身と考えています。いただいた名刺に本人の前で情報などを書き込むのもタブーです。
渡す時にロゴや名前に手をかけないようにするのもマナーです。

外国人とは

日本でも外国人との名刺交換をすることが多くなってきました。外国のビジネスパーソンは日本の独特な名刺交換を儀式のように感じることが多いようです。あまり作法にこだわり過ぎて窮屈な印象を与えてしまわないようにする気遣いも大切です。ただ、外国の方にとってアイコンタクトはとても重要ですので、忘れないようにしましょう。
また握手をする場合は、名刺交換の前にします。
外国では名刺は情報カードですから、日本のように丁寧に扱う習慣はありませんので、メモを書き込んだり、名刺入れを使わず直接ポケットに入れたとしても気にしないようにしましょう。

素敵な名刺

以前、お人柄の伝わる素敵な名刺をいただいたことがあります。点字が添えられている名刺です。多様な現代では大切なことですが、なかなかそこまでの配慮ができないものです。名刺のことから始まり、その場の会話も弾み印象に残った方でした。

名刺交換をしても時間が経つと顔が思い出せないことがありませんか?
この春、新しい出会いの時に、もう一度会いたいなと思っていただけるような素敵な名刺交換を意識してみましょう。また、会社の決まったフォームではなくご自分でデザインを選べるなら、誰かの印象に残るような素敵な名刺を作ってみるのもよいかもしれません。
名刺作りも、名刺交換も、どちらも相手を大切にする気持ちが一番です。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

3月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第72回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第72回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

経営者として高い評価を得ている一人が元・米IBM会長兼CEOのルイス・ガースナー。最近 “ダイバーシティ(多様性)” という言葉がよく使われますが、もともとは生物学的多様性からくるもの。それをビジネス社会の中に持ち込んだのがこのガースナーです。退任前の2000年前後、 “ビジネスの世界で未開拓の領域が残っている。それはダイバーシティだ” と喝破、社内に複数のダイバーシティ・プロジェクトを立ち上げました。元はマッキンゼーの経営コンサルタントで、前職はRJRナビスコのCEO。IBMのCEO就任時は “お菓子屋にコンピュータがわかるのか” と揶揄されましたが、その不安を一蹴して見事に再建。経営コンサルタントの一番の武器は抽象力。お菓子屋もコンピュータ屋も抽象化すれば同じ世界。経営トップとしては “優先順位の明確化・技術の発明より商品イノベーション・社内文化への配慮” を最重視。梁塵秘抄では “厳粧狩場の小屋並び しばしば立てられ 閨の外に 懲らしめよ 宵のほど 昨夜も昨夜も 夜離れしき 悔過は来たりとも来たりとも 目な見せそ” とあります。待ちくたびれても落ち込まず強気。 “外にとりにいくのでなく内を開拓すべし” と思想家・内村鑑三。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

沈黙が敵対とは限らない 日本・フィンランドは少数派
競争力と高福祉社会 どちらも基本がないと実現しない
力ない同士は稽古を重ねて本番に臨んでも 並みの結果
特上を創るのは高レベルの教育 それも密なる教養教育

古代ローマにおける技術は “機械的技術” と “自由の諸技術” とに区別して論じられました。後者に当たるのが密なる教養教育にあたるリベラルアーツ。プラトンは、体育・文芸と併せて、哲学問答の基盤としての算術・幾何学の重要性を説いています。これは世界的に評価の高いフィンランド教育の根幹。AI時代は、答が必ず存在する問題を解くだけではいざという時は役に立たず。非日常に遭遇した時に反射的に対応できる柔軟性こそが教養。高い効率性の追求だけでは自らを追い詰めるだけ。AI時代の狙いは、何より “自由” に最大価値を置くことにあるはず。AIテクノロジー以前に、人間のもつ智慧を尊重。 “人類の生物的特徴:貪欲・怠惰・臆病” と考古学者イアン・モリス。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

役割の組立て 技術で見せるのはいいが技術自身は見せない
コンクールで優勝しただけでは、すぐに仕事は舞い込まない
強気で前向きにやる覚悟を決めれば、仕事が来るようになる
偉いほうは低い声で啼く 偉くないほうが高い声で啼くもの

AI時代におけるビジネスパーソンとしての強みは何なのか。ただ、自分の強みを固定的に考えるのは危険かも。強みを意識しながら常に鍛え続けることも大事ですが、世の中は急速に変化することも忘れないこと。結果を出しても、それを維持することに固執すると次への対応に遅れることも。逆に、実績があがっていなくても、多面的に観察する習慣を鍛え続けることで新たな強み・武器を手にできることも。今後は自分ならではの泥臭い知的創造環境の構築が不可欠。 “やる気” で突破するという精神論はご法度。また、さまざまな“不文律”が足を引っ張ることも多々あることに留意。偶然の強み・武器は土壇場では役に立たないもの。 “行動しない奴が他人を笑うな” と画家・村上隆。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

学校で学ぶのは答が用意されている勉強
実際の仕事では 絶対的な正解などない
費用が安い方への移転は空洞化ではない
崩壊する組織が真っ先に失うものは節度

組織の崩壊には共通するところがあるのかも。単に、売上げ不振とか、市場とのミスマッチとか、金融変動に直面したとかということだけではなく、 “節度” という、最近ではあまり使われない言葉に多くが集約されそう。トップクラスの、スマートで殆んど隙を見せたことのない企業の応接室。ある時期から応接室の乱れに驚いた記憶があります。組織が混乱していることは一目瞭然。学校では教えてくれない大事なことが土壇場でそっと顔を出す怖さ。学校で学ぶことは答が用意されていますが、節度に正解はなく、ほとんど多くの仕事にも絶対的な正解などないもの。 “徹底したひたむきさに神宿る。人間的感情を封印して、孤独に徹しないと神に見放されてしまう” と元東大総長・蓮実重彦。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第72回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
3月 10 19

書評「水曜日の手紙」 角川書店 森沢明夫(著)

by staff
 
タイトル 水曜日の手紙
単行本 288ページ
出版社 KADOKAWA(2018/12/7)
ISBN-10 4041073162
ISBN-13 978-4041073162
発売日 2018/12/7
購入 水曜日の手紙

「誰かの言葉があなたを変える。
あなたの言葉も誰かを変える。
そうして世界は変わっていく。
今日はどんな言葉を口にする?」

この冒頭に驚いてしまった。本の読み始めと、読み終わってからの、この4行の言葉の私への問いかけが、まったく違うものになっていた。

「言葉はときに人の心を傷つける。でもこっそり手帳に書くだけなら、誰も傷つけはしない。だから安心して、自分のなかの “毒” を吐き出し続けてきたのだ。浄化、浄化、と脳裏で唱えながら。」日記を書き続けるのが苦手な人がいる。そう思ってしまった時に、日記は書けなくなる。こっそり書くだけなら、そして日記としてでなく、「今日の感謝」とかにして書いていくと続けることが出来る。

「変わらなきゃ。わたしはホームページから水曜日郵便局の公式の便箋をダウンロードして、それをプリンターで印刷した。その便箋には、水曜日の日付と本文を書くスペース、そして、ペンネーム、年齢、都道府県を書く欄があった。」読み進みながら、自分も書きだそうと思ってくるほどに、不思議な本だ。著者森沢明夫氏はベストセラー作家で、吉永小百合主演の「虹の岬の喫茶店」や有村架純主演の「夏美のホタル」など、映画化・ドラマ化もされている。

そっちの未来も悪くないけど、やっぱりぼくは現実の未来を選択するよー。今井洋輝はバイバイといいながら封筒を水曜日郵便局に投函する場面がある。「もう逃げません。ぼくは、ぼくの心に嘘をつきたくない。絵本作家になるために、勇気を出して、遊び心を持って、水曜日から一歩、前へと進みはじめます。たった一度きりの人生、死ぬときに後悔しないために」著者は変幻自在に言葉を書きつなげる。「そっちの未来も悪くないけど、やっぱりぼくは現実の未来を選択するよー。バイバイ。胸のなかでつぶやいて、手にしていた封筒をポストに投函した。ぼくは、ふたたびスーツの群れのなかに飲み込めれていった。」

「鮫ヶ浦水曜日郵便局―。ここが、いまの私の職場だ。」章が変わり話が変わる。局員の仕事は、すべての手紙に目を通し、公序良俗に反する内容がないか、子供に送っても大丈夫か、個人情報は記されていないか、などの項目をチェックしたあと、その手紙をシャッフルして別の誰かに宛てて発送することだ。ある時心を揺さぶられる手紙にであった。差出人の名前は井村直美さんの、子供の頃から夢だったパン屋さんをして成功したものだ。「ひとつひとつの藍色の文字から“感謝”が溢れていて、便箋そのものにぬくもりが宿っていそうにさえ思える」便箋の最後は次のようにしめくくられていた。「あなたと、あなたの周りの人たちの未来が、最高にきらきらしたものでありますように。いつも笑顔でいられますように。あなたがあなたらしくいられますように。私の水曜日を読んでくださって、ありがとうございました。」

「読み終えた私は、しばらくの間、便箋を手にしたまま窓の外をながめていた。」「夢を叶えた井村直美さんの手紙と、いま、まさに夢に向かって歩みだそうとしている今井洋輝さんの手紙を交換したらどうだろう・・・」「もちろん、手紙はランダムにシャッフルして発送するのが基本だが、例えば、どうしても子供に読ませたくなるような夢のある手紙を、あえて子供宛てに送ろうとか、病気に悩む人と心のケアをする医者の手紙を交換してあげようとか、そういう良心に基づいた “粋な気配り” ともいえるルール違反に関しては、局員たちのあいだでは暗黙の了解となっているのだった。」

画面は変わって、直美さんの実生活が出てくる。「夕方、パートの仕事から帰宅して玄関のポストをチェックした。すると、いくつかのDMに交じって一通の手紙が入っていた。宛名は、わたしの名前だった。誰からだろう? 封筒を裏返して、ハッとした。すっかり忘れていた水曜日郵便局からだった。」

<ぼくは絵本作家を夢見ていながら、会社をずっと辞められずにいるサラリーマンです>
<今日は水曜日の夜で、お酒を少し飲んでいます>
<たった一度きりの人生、死ぬ時に後悔しないためにどうしたらいいのか、と・・・>
<そんな自分が、嫌いになってしまいました>
<もう逃げません。ぼくの心に嘘をつきたくない。絵本作家になるために、勇気を出して、今日という水曜日から一歩前に進みはじめます>

直美さんはこの手紙を追い風として受け取ろうと決意をするのだった。

今井洋輝は勤めていた会社に育児休暇を申し出た。「妻となったカッキーと、生まれたばかりの息子の洋太との時間を慈しみながら、その一方で絵本の原稿を書き上げようと目論んでいたのだ」友達からのイラストの仕事を受けることにして思い切って会社を辞めた。フリーランス生活ですっかり曜日に無頓着になっていたけれど、テーブルの隅っこでスマートフォンが振動した。どうでもいいやと思っていたが「ぼくの目は“水”という文字を捉えていた。スマートフォンの画面に日付と曜日が表示されていたのだ。水曜日。」「サイドボードの下部にある引出のなかから、大切に保管してある一通の手紙をとりだした。そして、それを手にしたまま、ふたたび椅子に腰かけた。ぼくは本当に久しぶりに手紙の文面に目を通しはじめた。」

<わたしの水曜日を読んでくれるあなた、はじめまして。こんにちは。>
<最近、分かっってきたことがあります。それは、人が幸せになるには、いくつかの法則があるということです。>
<あなたと、あなたの周りの人たちの未来が、最高にきらきらしたものでありますように。>

「次の刹那―。僕は笑顔のまま固まった。絵本のアイデァがきらりと脳内に降ってきたのだ。」

“水曜日の手紙” は不思議な本だ。自分もなにか実行したくなる気がしてくる。そしてこの書評を書き上げていたのが、水曜日なのだった。

(文:横須賀 健治)

 

3月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第6回 「不審に思ったら街の喫茶店へ」

by staff

第6回 不審に思ったら街の喫茶店へ

2010年に出版した自著「麺食力 -めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第六回目でございます。

駅前には古くから「純喫茶」などと呼ばれるような喫茶店があって、チェーン店がしのぎを削る時代の中で、そのエリアに長く根付く条件とは何か。
それを再確認すべく、今回は京急南太田駅前の「珈琲ぱぁらー泉」の今をレポート。
拙著をお持ちの数少ないファンの皆様は101ページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

ぱぁらー泉店舗外観。
長年取引している「キャラバンコーヒー」の尽力により、
最近看板を一新した。

南区に住んでいる人ならば知らなければモグリ、と言い切っても決して大げさではないほど、地元では名の知れた喫茶店。かつては南区内に4店舗ほど展開していましたが、現在は京急弘明寺駅そばの六ッ川店とここ南太田店のみ。六ッ川店は神奈川県喫茶飲食生活衛生同業組合理事長の八亀忠勝氏が、南太田店は忠勝氏の息子・淳也氏が担当しています。

淳也氏いわく「俺が学生の頃からあった」ベロア調の椅子。
吉野町のベル・ファニチャーで修理をしてもらいながら大切に使用している。

1967年創業、もう半世紀以上この街に根付いています。周辺が住宅街ということもあり、近所の人々に愛され、南区の多くの主要人物も出入りしている憩いの場となっています。
アンティークな木目調の内装も2階へ上がれば一転して白を基調としており、コンパクトな店舗の中にも見どころが詰まっております。

2017年「カゴメナポリタンスタジアム」関東ブロック予選に出場したナポリタン、
「ポラタ」のサンプル。
京急駅名変更騒動の折には南太田駅を「ポラタ駅」にすると本気で息巻いていたほど、
淳也氏のメニューに対する思い入れは深い。

ここは何と言ってもナポリタン。「ポラタ」という不思議な名前で供されていることに強いインパクトがあります。なんでもオムライスなどに使われる「シポラタソース」から転じて「ポラタ」になったのだとか。
我が日本ナポリタン学会でも2011年より認定店舗として横浜のナポリタンを盛り上げることに寄与いただいております。また、この「ポラタ」で2017年に「第二回カゴメナポリタンスタジアム」関東ブロック予選に出場、惜しくも予選落ちとなりましたが、奇をてらわずに普段お店で出しているもので勝負した姿は立派でした。

「ポラタ」画像。玉ねぎ・ピーマン・マッシュルーム、ベーコンとウインナー。
ウインナーが入っていることがネーミングの由来となっている。
中央にパセリが散らされ、脇にサラダが付いている。
安定のクオリティー。ナポジェニック。

そしてやはり喫茶店では珈琲を。
キャラバンコーヒーのオリジナルブレンド「泉スペシャル」で。

私はこのポラタを度々食べています。ネーミングのインパクトと、ベーコンとウインナーのダブル肉の力強さという部分については特徴的ではありますが、ベースはシンプル。だからこそ飽きが来ずに食べ続けられるのではないでしょうか。
カゴメトマトケチャップの特級を和えてしっかり炒めているシャツに飛ばない系。ブラックペッパーが香ばしく。
サラダとともに完食したら珈琲で至福のひととき。

甘味も充実しているのが喫茶店の醍醐味。
「クリームあんみつ」は地元感が詰まった一品。

ぱぁらー泉でもう一つ特筆すべきは「クリームあんみつ」。伊勢佐木町の「銚子屋」の寒天に、中村町の「清水製餡」のあんこを使用している「ザ・地元」な一品。まさにここでしか食べられない、いや、ここで食べるからこそグルーヴ感が出てくるのではないでしょうか。お腹いっぱいです。

お客の振り込め詐欺被害を防いだことで南警察署より表彰された淳也氏。
困ったことがあれば地元の喫茶店が救ってくれることだってあるという一例だ。

ある日、一人の老婦が不安げな表情でぱぁらー泉に来店しました。息子(を名乗る人物)から突然のトラブルに巻き込まれたから大至急お金を振り込んでほしいと頼まれたので、ATMへ行く前に珈琲で一息つこうとしていたようです。聞けば金額は300万円!! 怪しいと感じた淳也氏はその老婦をお店に引き留め、110番通報。やがて実の息子はそのような催促はしていなかったことが判明し、振り込め詐欺被害を未然に防ぐことができたとのこと。
高齢社会において、ご近所付き合いなども希薄になっているとも言われますが、相談できる誰か、心配してくれる誰かは身近なところにいたりするもの。この世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。

八亀淳也氏と拙著。
「身体もお店の備品もところどころにガタが来てますが、商いは『飽きない』です!」

駅前には古くから「純喫茶」などと呼ばれるような喫茶店があって、チェーン店がしのぎを削る時代の中で、そのエリアに長く根付く条件とは何か。
時に面倒臭いかも知れないけど、やはり血の通った人の絆、ふれあいに満ちた憩いの場になっているということ。
そして私にとってはもう一つ、美味いナポリタンがあることでもあったりして。。。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

3月 10 19

チャレンジ(第7回) 商品開発!

by staff

第7回 商品開発!

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。春が近づいてきましたね。明日は娘の中学校の卒業式です。徒歩5分の地元の公立中学校に通っているのですが、中高一貫校とは違い、テストや修学旅行、部活動、そして受験と、とても忙しくあっという間の3年間でした。小さく生まれて保育器に入っていた子も私より背が高くなり、4月からは高校になると思うととても感慨深いですね。

PTA活動なども積極的に参加している私ですが、仕事ももちろん全力でこなし、同時進行でC.P.FACTORYの商品開発も進めています。

私が進めている商品開発とは、作りたい商品を考えて → 資材を購入して → 制作・・ではなくて、地域活動支援センターに寄付されてくる資材を無駄なく活用し、また、障害者施設で制作されてもなかなか製品化することの出来ない裂き織生地などを、どのような商品にすれば売れる商品になるか? を試行錯誤して開発しています。

サンプルは健常者に作ってもらっていますが、どの工程が作業所へ発注できるか、どのあたり難しいか? などを相談しながら細分化していきます。健常者一人で制作できる商品も、作業を細分化することで作業所の仕事を増やすことができるのです。ここで一番大変なのは、1つの商品に関わる人が多いために伝言ゲームのようなやり取りが発生してしまうこと。1人の人が1つのことを遂行するのは意外と簡単なのか・・・と感じました。

C.P.FACTORYは「一人一人ができるとことは小さいかもしれないけれど、それを集めた大きなブランド」と考えています。関わる人が多ければ多いほど、大変な作業ですが、それをまとめ上げることがディレクターの私の仕事であり、関わってくれる人たちと楽しくコミュニケーションを取りながら進めていきたいと思っています。

私はいつも自分が「やりたい!」と思うコトをやっていますが、その中でも「楽しい!」と思わないと続かないと思っています。近々、C.P.FACTORYの商品をお披露目する予定ですが、たくさんの資材を前にみんなで奮闘する商品開発の楽しいこと、楽しいこと(笑) いまの流行をチェックしたり、デザインや使い勝手を考えたり、やる事はいくらでもありますが、大勢の方の協力でとても素敵な作品が出来てきているので、お披露目するまでもう少しお待ちください!

次の第8回は、、、「イベントに出展します!」です 

(第7回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

3月 10 19

絵本から笑本へ(第35回) 絵本作家がゆく。~栄区・にこりんく~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

今回で11区目。
今回は栄区。
栄区の子育て支援拠点は「にこりんく」。

このコラムがきっかけで、

栄区の子育て支援拠点へ初めて伺い、
そして、初めてのイベントも開催させて頂ける事になりました。

スタッフの皆さまと打ち合わせをし、
イベントの内容はお父さん達へ向けたものに。

という訳でイベント当日は、
たくさんのお父さん達が遊びに来てくれました。

絵本と紙芝居の読み笑わせは勿論。

なかなか世に出回らないオモシロ絵本の紹介。
その他、絵本や絵本作家のウラ話もご披露。

そしてそして、参加者のお父さん達にお願いして、
皆さんの前に出て即興で絵本を披露して頂きました。

最初は目をそらしたり、イヤがってたお父さん達も最後には、
皆さんおもいおもいに、楽しく絵本を読み笑わせしてくれました。

中には「まだ自分の子どもにも読んだ事ない」というお父さんもいて、
人生初絵本披露の場面に立ち合わせて頂いた事にもなりました。

「読み聞かせ」なんて言葉が流行ってしまい十数年。
意味も無い技術や作法が世の中にはあふれています。

確かに、
読み聞かせという言葉が流行った事でブームにはなった。
けれど、そのブームを続ける為に技術や作法を後付けしてしまった。
それによって、手を出しにくくなった人達が少なからず存在する。
そんな場面をぼくは、図書館職員時代からたくさん見てきました。

だから絵本作家となった今、ぼくがいつも伝えたい事は、
絵本はこんな楽しいんだよ。面白いんだよ。
聞かせるんじゃなくて、一緒に笑うんだよ。
だからぼくは、「読み笑わせ」と言っているんだよ。
そんな想いが、イベントを通して届いたと実感しました。

これは、絵本や紙芝居だけの話じゃない。

「理解」をしてもらおうとしているばかりじゃなく、
「興味」を持ってもらう事がまずは先じゃないかな。

子育て支援、障害者支援、青少年、地域活動、
何だか言葉だけが並ぶと難しそうで、
理解するのに時間がかかる所もあるけれど、
興味も持ってもらえば、理解はきっともっと早くなる。

人間誰だって、好き事は一生懸命知ろうとするから。

「栄区子育て支援拠点 にこりんく」は
「さかえ次世代交流ステーション」という施設の1階にあります。

難しい事は言いません。
なんだか面白い所です。
ぼくが言うんだから間違いないです。

まずは、興味をもって遊びに行ってみてください。
たくさんの「にこりんく」輝く笑顔に出会えるはずです。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区 栄区

<今回訪問した施設のご紹介>

栄区子育て支援 「にこりんく 」
HP: https://www.nicolink-sakae.com/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

3月 10 19

永岡鉄平の「若者にフェアなスタートを」(第38回) 外資系な方々との交流&全社協主催全国セミナー登壇報告

by staff

ハマっ子社会起業家「永岡鉄平」の『若者にフェアなスタートを』


 
 

 

株式会社フェアスタート、NPO法人フェアスタートサポート
代表 永岡 鉄平

横浜生まれ、横浜育ち。株式会社フェアスタート、NPO法人フェアスタートサポートの2法人の代表を務め、日々、児童養護施設の若者達を中心に18歳で親を頼れずに自立する若者達への就労支援活動に取り組む永岡鉄平が、日々の活動で感じたことを話します。
想いは「かわいそう」ではなく「もったいない」

 

外資系な方々との交流&全社協主催全国セミナー登壇報告

皆様こんにちは。
3月に入り、暦の上では春のはずですが、まだまだ寒い日が続きますね。。。
個人的には3月以降はコートは脱ぎたい派なのですが、未だ脱げずにいる今日この頃。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、今月は2月に登壇のご機会をいただいた、外資系な方々との勉強会&全社協主催の全国セミナーのご報告を。

まずは外資系な方々にいただいた素敵なご機会です。



2月6日は丸の内へ。
東京丸の内にオフィスを構えていらっしゃる

WELLSFARGO
WHITE&CASE
BLACKROCK

の3社様が、社員向けのランチ勉強会を開催して下さいました。
テーマは「社会的養護」
自立援助ホームあすなろ荘の恒松さんとともに、社会的養護の若者達の紹介、就労支援の必要性などを皆様に共有させていただきました。

こうしたつながりの機会は大変貴重です。
大変ありがたい機会でした。
もっともっと多くの方に知っていただける努力を引き続きしてまいります。
そして、それが大きなコレクティブインパクトに発展しますように。

続いて、2月21日、22日の2日間。

全社協主催、平成30年度退所児童等支援事業全国セミナーに参加をさせていただきました。



日本全国から約200人の児童養護施設等職員さんが参加されるかなり規模の大きい勉強会。

昨年に引き続き、今年度も全社協さんから委託を受け実施している、児童養護施設職員のための就労支援チェックシート作成業務に関する報告をさせていただきました。

各児童養護施設における就労支援のクオリティ向上、標準化に向けて、良いツールを作ることができました。

それにしても、このような全国の勉強会に参加させていただく度に、各県の施設職員の方々から、是非ウチの県にも来てほしい、とおっしゃっていただけることにとても励まされます。とても嬉しく、ありがたいと思います。

なんとか、ご期待に応えられるよう、引き続き努めて参ります。

また、2月14日バレンタインデー当日の毎日新聞全国版「発言」に記事を投稿させていただく機会もありました。

記事の内容はこちらでご覧いただけます。
良ければご覧くださいませ。
https://mainichi.jp/articles/20190214/ddm/004/070/037000c

3月も引き続き努めてまいります。

永岡鉄平

永岡鉄平プロフィール

株式会社フェアスタート 代表取締役
NPO法人フェアスタートサポート 代表理事
ホームページ:http://fair-start.co.jp/

経歴

2004年に明治学院大学経済学部を卒業後、リクルートグループに入社し、求人広告の法人営業に2年間従事。その後、当時の顧客に誘いを受け、大学院生の就職問題を解決することを目的とした就職支援会社の設立に参画。幹部として、フリーペーパーの発行や求人ポータルサイトの制作といった新規事業を立ち上げながら、法人営業、登録者へのキャリアカウンセリング、広報、採用担当と幅広い業務を兼任しながら約3年間会社の発展に貢献。
約5年間のサラリーマン生活の中で、働くことから遠ざかろうとする若者の増加、若者が採用できずに苦しむ中小企業の増加を感じ、若者と雇用の世界で根深い社会課題を認識。この課題に起業という形で対峙したいと決意しサラリーマンに終止符を打つ。様々な教育事例、子育て環境、貧困問題などを勉強していくうちに、社会的養護の子ども達・若者達の存在を知る。親からの支援が見込めない中、逆にだからこそ同世代よりは働くことに真剣に向き合い、高校卒業後18歳という若さで社会に挑戦するものの、多くがワーキングプアとなる彼等・彼女等の現実を知り、人材業界で培った経験を活かし、彼等・彼女等の就労支援を決心する。起業準備期間を経て、株式会社フェアスタートを2011年8月に起業。2013年1月には、NPO法人フェアスタートサポートも設立。

受賞歴

  • 2010年9月 第1回社会起業プランコンテスト(内閣府地域社会雇用創造事業)最優秀賞受賞
  • 2014年2月 キララ賞受賞(かながわ若者活き活き大賞)
  • 2017年7月 第31回人間力大賞 会頭特別賞

その他役職員

  • 横浜YMCA常議員
  • 明治学院大学同窓会評議員

 

3月 10 19

第73回 海岸に廃材でつくったとんぼを設置する

by staff

5’st一級建築士事務所
久保田恵子

海岸に廃材でつくったとんぼを設置する

以前『木を選びに山へでかけよう』という記事では、家づくりに使われる木という材料がどこからどのように来たのかな? ということを書かせて頂きました。

さて今回は、建築材料として出荷されたけれど廃材となってしまった木たちのはなしです。
無垢の木は、アルミや鉄・プラスティック等の工業製品とは違い、生きものですので、細い材は特に、反りやねじれが出てしまうことがあります。
大工さんは、1本1本状態を見ながら工事を進めてくれていて、そのような材料は選外ではじかれます。そこで廃材の誕生。
地元の工務店に廃材をいただき、茅ケ崎の有志で “とんぼ(グランドなどを均す道具)” をつくって海岸へ設置する活動をしています。

江ノ島から茅ケ崎までは、R134号線より海側にサイクリングロードが設置されていて、海を見ながら散歩したり走ったりできる、みんなに愛されている場所ですが、防砂林より海側にあるため、強風ですぐ砂で埋もれてしまいます。
そんなときにとんぼがあると、ちょっと砂をよけることが出来るのです。
たくさん砂が堆積したときは、神奈川県さんが重機でよけてくれますが、 日常 “できる人ができる時にとんぼ掛け” をすることで、みんなが快適につかうことができるのです。とんぼをかけることで、運動にもなるし、砂遊びみたいで楽しい上に、みんなから、ありがとうございます、とお声掛け頂けたりもして。
実際、うれしいことに、とんぼかけたよ、使わせてもらってるよ、という声を聞いたり、かけてくださっている方をみかけたりするようになってきました。
とんぼに色をつけたりして、楽しく使ってもらえるようデザインしています。
ぜひこちらへお出での際見かけたときはお手にとって、砂かきしてみてくださいね。

山や森、川、そして海。
そして町、そこに住む人々。生き物。
みんな繋がり循環しています。
たかがとんぼ、されどとんぼ。
とんぼが、少しでも暮らしや環境のことを考えるきっかけになるといいな。

2代目とんぼ

サイクリングロードに設置

4代目とんぼ

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家ギャラリーへ

横濱元町AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのギャラリーです。それぞれの建築家の模型・作品写真など自由にご覧になれます。

横濱元町のCS通りウチキパンさんのお隣の2階にあるカフェのようなギャラリーで、毎週月曜日、土曜日、日曜日の13:00~18:00に交替で建築家がお迎えいたします。(建築家と話そう!)ホームページのスケジュールに担当建築家が掲載されていますので、カフェに立ち寄る気分で横濱元町まで建築家とお話にいらしてください。お待ちしております。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp
Craftman Shop Street Motomachi http://www.motomachi-cs.com/cm/shop/shop051

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
http://www.architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acca建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
佐藤 誠司・庄司 智子 株式会社バハティ 一級建築士事務所
http://bahati68.com
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

3月 10 19

おほけなく浮世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖

by staff

♪ おほけなく浮世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖 ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)

現代語訳・・・身の程知らずの私かもしれませんが、この苦しみに満ちた世の中の人々を 私のこの墨染めの袖を大きく広げて覆ってやりたい。仏の力で守ってやりたいと思うのです。

先月の喜撰法師からは程遠い全くタイプの違うお坊様の登場です。家柄も由緒も正しくて父親は摂政関白の藤原忠道。小倉百人一首でも(法性寺入道前関白太政大臣)という一番長いお名前で出てくる方がお父さんです。鳥羽天皇時代に関白になり崇徳~近衛~後白河と4代にわたり摂政関白をしていた父親の力をそのまま反映して11番目の息子の慈円は幼い頃に皇室の子孫や摂政関白の子供達が入る天台宗のお寺に入りました。

そのまま修行して彼が天台宗の座主になったのは38歳の時。その後慈円さんの座主の就任は4度も行われたとウィキペディアにかかれているのでどういう事かと調べてみたら、22年間の間に4回も座主を任命されているのです。本人は辞退しているのですが、栄華を誇っていた平家が都落ちして、源氏が政権を取って鎌倉幕府を開き、その後も頼朝の息子の2代目将軍だった源実朝が暗殺されたりしている激動の時期。まさに歴史がひっくり返るような変容の時代に日本中が混乱し揺れ動いていた時期です。平安時代が終わり鎌倉時代に突入して大和朝廷から実権が武士たちに移ってゆくその真っただ中で、彼以外に座主が務まる人が居なかったのでしょう。大変な時期だったのだと思います。そんな時代の中からこの和歌が生まれてきました。彼は子供のころから和歌の才能があったわけではありません。彼が若いころに西行法師に天台宗の真言を伝授してほしいと願い出たら、西行法師に和歌の心得がなければ伝える事が難しいと言われ、それで和歌を勉強するようになったとのエピソードが残っています。私はこの慈円さまの和歌には大きな父性愛を感じます。彼のように一人の人間として産まれ落ちた境遇を素直に受け止めてそのよい側面を大いに自分の人生に生かして一生を終える人はやはりその時代を救う為に使命を託されて出て来た人という感じがします。でも使命を持って生まれるのはこの世でエリートの立場の人だけに限られている訳ではありません。無名大工の息子で馬小屋に生まれて法を説いて30代前半で時の権力の人達に磔にされてしまったイエス様はそういう意味では現世ではエリート産まれではありません。この世にどんな境遇に生まれようと使命感に燃える人達はその時代の中で人生を全うしてゆくのでしょう。すみません話が飛躍して・・・又 話を慈円様に戻します。

彼は歴史書として「愚管抄」を残した方でもあります。そしてこれが一番知られていると思うのですが、もう一つとても素敵な歌を残しています。それは日本の宮廷音楽として今でもお正月や神社の大祭で演奏される雅楽の名曲{越天楽}につけられている歌詞です。

♪ はるのやよいの あけぼのに よものやまべをみわたせば 花盛りかも 白雲のかからぬ峰こそ なかりけれ ♪

約800年前に慈円さんが付けた歌詞が今でも歌われている、やはりメロディと共に残される歌には文章として残ってゆくものとは全く違う命が吹き込まれます。
私自身の小さな使命としてこれからも沢山の和歌にメロディをつけて歌ってゆきます。

ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVEのご案内

今年は人生で最後のロックエイジ(69歳)。
今年は私自身のロックスピリッツを生きてみようと思います。
翌年はコッキ―(古希)ポップになってしまうので 今年だけですが。
昔まだ和歌に出会ってなかった20代後半から35歳までの約10年間 私はロックボーカリストとしてディズニーランドや、リッチーブラックモア公演のオープニングアクト等の舞台で歌っていました。音圧の高いロック音楽はもう卒業いたしましたが、私自身の生き方の中にロックスピリッツのエッセンスは今でも脈々と流れています。
“和歌うた” と出会えたのも、そんな私の中にある普通の道とは少しずれた生き方の中での導きだったと思います。
今年は 自分自身の気概をロックと呼んでみたいと思います。
69歳の誕生日 6月15日には(まだ半年もありますが)40年前にロックバンドでよくライブをさせて頂いた原宿クロコダイルにて、和歌うたをロックで歌おうと思っています。
静かなるロック魂をお持ちの方は是非! 見に来てください。
 
<Day>
2019年6月15日
<Live House>
原宿クロコダイル(http://www.crocodile-live.jp/
<Title>
ネネロック<69> 和歌うた BIRTHDAY LIVE ~人生最初で最後のロックエイジだわ!~
<Fee>
前売り(要予約):¥6,900 / 当日:¥9,600
<Performer>
早苗ネネ(和歌うたシンガー)
石間秀機(シターラ)
鮫島秀樹(ベース)
佐藤正治(ドラム)
竹越かずゆき(キーボード&ボーカル)
<問い合わせ>
和歌うた実行委員会(担当:人見)080-6345-4157
<チラシをダウンロード>
NENE ROCKのチラシをダウンロード

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

3月 10 19

非営利型一般社団法人FA普及協会FAVT 代表理事 藤原公生さん

by staff
藤原公生さん
藤原公生さん
 
お名前 藤原 公生(ふじわら きみお)
お住まい 横浜市中区在住, 50代
お仕事 非営利型一般社団法人FA普及協会FAVT
代表理事
趣味 料理, 日曜大工
HP 非営利型一般社団法人FA普及協会FAVT
http://www.elpuenteintl.com/

 

Y校(横浜市立横浜商業高等学校)のご出身とか?

横浜市南区に引っ越してきたのが、中学3年のときでした。蒔田中学校からY校に進みました。Y校ではホッケー部に入りました。当時は、ホッケー部が少なかったので、一回勝つと関東大会に出場できました。3年間、部活はまあまあ頑張りましたね。

周囲には、喧嘩早い人たちも多かったですが、私は博愛主義者で誰に対してもニコニコして接していました。

祖父の影響でアメリカの文化、音楽に憧れていたし、商売をやっている家庭に育った同級生たちを見ていて、将来は、アメリカに関係した事業を自分でやりたいと漠然と考えていました。

憧れの「アメリカ」に行き来する生活をされたとか?

アルバイトで貯めたお金で、ロサンゼルスやサンディエゴなどアメリカ各地を旅しました。

そのうちに、中古のアメリカ車やウェスタン系やインディアン系の雑貨、例えばブーツや帽子、Tシャツやアクセサリーなどの輸入販売の事業を立ち上げました。
30年ほど前です。

横浜市に輸入雑貨を販売する店舗を開きました。業績も右肩上がりで、お客様は口コミで広がっていきました。円高で輸入業にとってはいい時代でした。横浜で事業をしていたおかげで、中古車の輸入手続きも自分でやれましたし、横浜でビジネスを展開するメリットを享受していました。

本牧や石川町、元町を飲み歩いているうちに、いつしかボランティアで人生相談をやるようになり、周囲から「人生相談のキミさん」と言われるようになっていました。自殺志望者を思いとどまらせたこともあります。
仕事にボランティアに大変な毎日でした。

2000年に人生の転機があったそうですね?

2000年6月に持病の喘息がひどくなって、13日間昏睡状態になりました。仕事も十分にできなくなって、完治まで3年間ほどかかりました。病気のせいで会社は休眠状態になってしまいました。

体調が戻って、ゼロから何か始めなければと思ったときに、世の中のため人のためになることをしたいと、「救急キット」プロジェクトを始めようと決意しました。

アメリカには格好いい「救急キット」があるのに、ドイツでは乗用車の中に「救急キット」を置くことが義務付けられているのに、阪神淡路大震災を経験した日本に「救急キット」がなぜないんだろうと考えたからです。

社会貢献製品「提供表示式救急キットFA」通称FA(エフエイ) は、当初からステッカーを貼って存在を告知して、提供すること目的としていました。

「救急キットFA」には、包帯やガーゼ・絆創膏や携帯用トイレなど応急処置や災害時に必要なものが18種類入っています。ケースは骨折時の添え木として使うことができます。

提供表示式救急キットFA 通称 “FA(エフエイ)”

社会貢献製品「提供表示式救急キットFA」通称FA(エフエイ) は広がっているようですね?

知名度はまだまだですが、ようやく広がってきました。ピップエレキバンの方との出会いがあり、FA普及協会を2008年に作りました。

これまでの10年間、薬事法の問題など乗り越えなければならない難題がいくつもありましたが、「助け合う心」が形にしたのが「救急キットFA」だという、私の想いに共鳴する大勢の方々に助けられてきました。現在、「救急キットFA」はステッカーを含めたシステムとして、ビジネスモデル特許を取得しています。

横浜市中区の麦田町発展会では、2011年の東日本大震災前から「FAステッカー」を各店舗に貼り、「救急キットFA」の存在を近隣の方々に伝えて、困ったときに助けようとしています。

2011年6月に神奈川新聞の2面を使った大きな記事として「救急キットFA」が取り上げられました。それから「救急キットFA」の導入が全国各地に広がっていっています。インターネットの存在も大きかったと思いますが、防災意識の変化などもあったのでしょうね。

横浜でも「FAステッカー」を見かけますよね?

横浜市みなと郵便局のすべてのバイクや車には「救急キットFA」が用意され、「FAステッカー」が貼られています。何かあった時にお客様を助けようという目的で導入したのですが、職員の方には、これまで以上に安全運転の気持ちが生れてきたそうです。横浜の市バスの「赤い靴号」にも「救急キットFA」が用意されています。

「救急キットFA」を社用車に搭載している企業からは交通事故が減ったという報告も届いています。

横浜には横浜型地域貢献企業という認定制度がありますが、「救急キットFA」を導入していると加点されることになっています。

「救急キットFA」を使って助け合い精神を広めていくことで、「街づくり」「企業づくり」「人づくり」ができると私は信じています。

藤原さんにとっての「横浜」は?

横浜は新しいものを受け入れてくれる街です。
それも良質なものを受け入れてくれるので、横浜からスタートすることは意味があるのだと思います。

私にとって「横浜」は心安らぐ気持ちの良い場所です。
横浜から世界に発信してきたいですね。

私にとって「横浜」は心安らぐ気持ちの良い場所です。

<取材を終えて>

「FA普及協会」の事務所(横浜市中区山元町5丁目)と我が家は歩いて5分もかからないところにあります。お近くに、こんな素晴らしい活動をされている方がいらしたなんて・・・

初めてのもの、それもいいものを受け入れてくれる「横浜」から活動を開始したことに意義があるとお話しされる、藤原さんの熱い想いに感動いたしました。「救急キットFA」の存在を多くの方々に知っていただきたいですね。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

2月 10 19

「豆まき」は必要ない??

by staff

 

今年(2019年)の節分は2月3日ですね。
節分とは「季節を分ける」、季節の変わり目のことで、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日のことでしたが、日本では立春が1年の始まりなので、立春前日の節分だけが残ったそうです。

現在の大晦日にあたる「節分」に旧年の災いや厄を祓い清めるために、鬼を追い払う邪気祓いの行事が、平安時代に宮中で行われていたのが「豆まき」になったと言われています。「鬼は外、福は内、」と掛け声をかけながら豆まきをするのが、庶民に広がったのは江戸時代からだと言われています。

私の実家では、炒った大豆を、鬼は夜に出てくるからと夕食後に撒いていました。大人が撒いた豆を子どもたちは年齢に1を加えた数だけ拾って食べます。そうすれば一年間病気しないよ・・と言われたものです。

15年ほど前から、「恵方巻」をその年の「恵方」の方角に向かって無言で食べるという風習が、あっという間に広がって一般的になってきました。食品ロスが問題視されて、今年はどうかな・・と思ったのですが、スーパーなどでは例年通り「恵方巻」のオンパレードでしたね。

我が家ではここ数年、「渡邊姓は節分をする必要がない」という説を信じて「豆まき」をしておりません。

「渡辺」姓が豆まきをしなくてよいのは、「鬼が恐れるため」だからだそうです。平安時代の武士、渡辺綱(わたなべのつな)の活躍に由来します。渡辺綱は、武将源頼光の四天王の1人に数えられ、頼光に従って酒呑童子や鬼同丸を退治した話や、一条戻橋で鬼婆の腕を切ったという話が伝えられています。そのため、渡邊・渡邉も含めて「渡辺」姓には、鬼が怖がって近づかないので、節分に「豆まき」は必要ないということになっています。四天王の一人である「坂田」姓も「豆まき」をしない地域があるそうです。

「豆まき」をめぐるこの伝説・・・どこまで真実かは不明ですが、我が家は、今年も「豆まき」のない節分を迎えています。

写真は、12月の「盆栽カフェ」で創ったお正月盆栽です。節分と同時に梅が開花しました。ご覧くださいませ。

お正月盆栽に梅が開花しました

 

2月 10 19

Accoの踊るように生きていく(第2回) 豊かさの概念をアップデートする

by staff

Prologue

皆さんこんにちは

ライフスタイルアーティストの田尻晶子です。

地球に生きている私たち人間は1人残らず全員がアーティストです。
息を吸って吐くのと同じように絶えず作品を作り続けています。

それは “言葉” かもしれないし “笑顔” かもしれないし “朝ごはん” かもしれないし
“何もしないこと” かもしれません。

“こんな事をしてみたい” そんなアイディアひとつとってもあなたが創造した作品と言えますよね。

「ライフスタイルでアートする」つまり
「生活が芸術」と言い換えられますが、
そのように捉える事でどんな良いことがあるのかひとつずつお伝えしていこうと思います。

豊かさの概念をアップデートしたら、、、

1. 無意識が整う

今、自分の今住んでいるお部屋を想像してみてください。
自分が身を置く場所には必ずその人の無意識が顕われています。
頭に自分のお部屋の絵が浮かんだら、その絵にタイトルを付けてみましょう!

何もタイトルが付けられないなぁ、、
と思ったら
“どんなタイトルの部屋にしたいかな?”
想像してみてください。

“どんな世界観に自分の身を置くのか”
これが無意識を整える上で本当に重要な鍵を握っていることが、よくわかりますね^^

2. 何事も人のせいにしなくなる

自分の人生の全てが、もし、自分というアーティストの作品だったら、、、
全て自己責任ですよね。

そして、何事も
“手を抜きたくなくなる” のではないかなと私は思います。

他人軸で行うアクションと自分軸で行うアクションでは、
発するエネルギーもそこからの作用点も何もかもが変わって来ます。

あらゆる感情を感じたり、一時的に不利な立場になる事もあるかもしれませんが、
あらゆる自分と丁寧に向き合っていくうちに、
受け入れられるキャパシティが拡がっている事を感じられるはずです。

3. “違い” を “個性” だと受け入れられる

作品には “善悪” も “優劣” もありませんよね。

ピカソよりもゴッホが天才だとか、
彫刻よりも絵画のほうが優れているとか、
そんな事もありませんよね。

其々の世界観が多様性の中で存在しているだけだと、
感覚として私たちはその事をわかっています。
人も同じだと私は思っています。

4. 美意識を鍛えられる

現代は、システム変化のスピードにルールの制定が追いつかない
“論理” と “理性” では勝てない時代と言われています。
変化の早い時代においてクオリティの高い意思決定を継続的に行うためには
内在的な真善美を判断するための”美意識”が求められています。

生活の全てが自分という作品だとしたら
私はどんな想いで、どんな人と、どんなものを作っていきたいんだろう。
そんな問いを投げかけるだけで眠っている審美眼が目覚めるに違いないと確信しております。

5. 豊かさの概念がアップデートされる

最初から最後まで、
主人公がずっと同じアングルのキメ顔で延々と写っている映画やドラマがあったらどう思いますか?

また、
最初から最後までサビのテンションで前奏も間奏もない音楽のことをどう感じますか?

私たちの人生という作品の中にはあらゆる場面があり、
様々なレイヤーの感情が360℃で存在し、
地球が丸い事と同じくらい人はそれぞれに違いを持ったまま共存しています。

その全てが豊かさだとしたら

“豊かさ” と呼べるものは
お金だけに限らず、健康でいられることも
ご飯を美味しいと感じられることも
人と温かい縁で結ばれることも
美しいと感じる心を持っていることも
チャンスに恵まれることも
誰かが自分を信じてくれることも
道端の猫が可愛い陽だまりの中も
その全てが豊かさだと感じられますね。

“自分にとっての豊かさ” が
“一般常識的な概念の豊かさ” と違くても何も問題はありません。

ライフスタイルアーティストとして生きると感じられるいいことは他にも沢山あります!

次回のコラムでは
アート(感性)
サイエンス(科学的根拠、データ論理)
クラフト(技術)
この3つのバランス感を高い水準で保ちながら、時代に的確にマッチしビジネスでも活躍されているカリスマ社長をご紹介したいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

筆者紹介

 
本 名 田尻 晶子(たじり あきこ)
略 歴 高校卒業と同時にプロダンサーとして活躍。
紅白歌合戦などで様々なアーティストのバックダンサー等を経て、プロ野球のチアガール、スポーツチームのイメージガールを務める。
現在はモデル、歌手、パフォーマーとして活動中。
あらゆる表現活動を通じて美の本質は「生き方・在り方にある」という考えに至る。
現在は「ライフスタイルをアートに」をコンセプトに美しい生き方を発信している。
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2月 10 19

しあわせの「コツ」(第26回) 「駅伝」人気、その真相の深層

by staff

第26回 「駅伝」人気、その真相の深層

お正月はテレビで「駅伝」を見るのが好きと言う人や、コースにあたる沿道で選手に声援を送るのが楽しみと言う人など、「駅伝」に熱狂する人は少なくありません。終われば終わったので、各区で繰り広げられた感動的な場面がメディアで拡散され、巷の話題になったりもします。初詣や年始廻りのように、「箱根駅伝」はもはや正月の「年中行事」となったと言っても過言ではありません。

ところで、日本人はなぜこうも「駅伝」に熱狂するのでしょう?

「駅伝」に興味を抱き、自分も実際に「駅伝」に参加して綿密に取材したイギリス人ジャーナリスト、アダーナン・フィン氏は「駅伝こそ日本人のDNAにあったスポーツである」と言っています。

「駅伝マン 日本を走ったイギリス人」アダーナン・フィン著 早川書房

フィン氏は、「駅伝」は日本人の「和」を尊ぶ思想にぴったりのスポーツだと言います。たしかに、参加者全員が「たすきをつなぐ」と言うただ一つの目的のために、時として怪我や体調不良を抱えながらも走る姿は、私たちの胸を打たないではいられません。

今年の「箱根駅伝」で念願の初優勝を達成した東海大学の選手のインタビュー記事が新聞に載っていましたが、そこにも「たすきをつなぐ」という共通の目的で結ばれた仲間同士の絆を感じます。

  • 4区 館沢選手「次の5区が後輩だったので、1秒でも詰めてつなぎたいと思っていた」
  • 5区 西田選手「チームに貢献できて良かった」
  • 6区 中島選手「往路でいい流れをつくってくれて、いけるなと思った」
  • 8区 小松選手「9、10区で楽に走ってもらいたいという気持ちがあったので、自分で決めようと前に出た」(最優秀選手)
  • 9区 湊谷選手「小松が区間新の走りで、結構差をもらったので、気持ちよく、楽しく走れた」

だれもが「前を走って貯金を作ってくれた人の走りを無駄にしないよう」「次に続く人が少しでも楽なように」と、他の人のために一生懸命走っているのです。そこに数々の名場面が生まれ、「区間優勝」のようなご褒美も転がり込んでくる、という訳です。

アダーナン・フィン氏曰く「和をもって駅伝となす」

まさに言い得て妙ですね。

「駅伝」は1917年(大正7年)、「東京奠都(てんと)記念東海道駅伝競走」として始まり、全23区516kmのコースで行われました。「駅伝」という名称は、伊勢神宮と関係のある皇學館館長の武田千代三郎氏が、日本書紀にも出てくる古式ゆかしい言葉から命名しました。

伊勢神宮?古事記?
何だか「駅伝」が急に古めかしく感じますね。それもそのはず、「駅伝」は単なるスポーツではなく、実は「神事」として考えられていたのです。

その動かぬ証拠(笑)を挙げてみましょう。

1940(昭和15)年、宮崎神宮(宮崎県)から橿原神宮(奈良県)までの約1000kmを10日間で疾走する大駅伝大会が催行されました。なぜ、こんな凄まじい長距離駅伝になったかというと、その年がちょうど紀元2600年だったからです。神武東征の出発地点である宮崎から、神武天皇が即位した橿原神宮までを走ることで奉祝しようという訳でした。(ちなみにこの記念すべき「駅伝」で優勝したのは、「朝鮮・台湾軍」でした)。

紀元2600年を祝う記念アーチ 昭和15年横浜伊勢佐木町

また、1942(昭和17)年、ミッドウェー海戦で日本が大敗を喫する2か月ほど前、「鉄脚を通じて銃後の士気を鼓舞せんとする」(1942年3月20日の読売新聞の見出し)ため、伊勢神宮から皇居の二重橋までの約600kmを3日間で走る駅伝が開催されました。全国から52名の選手が選ばれて行われたその「駅伝」の名前はズバリ、「米英撃滅祈願東西対抗縦走大会」。

1924年、パリ五輪大会での「駅伝」の父・金栗四三

これはもうスポーツと言うより、建国を祝ったり、敵の撃滅を神に祈ったりする「儀式」というべきでしょう。「駅伝」が単なるマラソンリレーではなく、私たち日本人の信仰や精神に根差した神行事であることが分かります。

「駅伝」が神行事だったことを知らなくても、アダーナン・フィン氏が言うように、日本人は「駅伝」に単なるスポーツ以上の何かを感じているのは事実です。すべての参加者が「自分の役割」をきちんと果たす、全員が一丸となってチームのために戦う、選手個人の記録より「たすきをつなぐ」ことを重視する等々。「駅伝」のには日本人の涙腺を緩ませる要素が一杯です。

思えば、現在スポーツと見なされている競技でも神事に由来しているものは幾つかありますね。例を挙げると、「相撲」や「綱引き」は神意を伺うための儀式であり、勝敗にこだわったり、勝者をヒーローとして持ち上げたりすることはなく、勝った方の考えや立場がより神意に叶ったと考えます。綱引きで言うと、右側が勝てば豊作、左側が勝てば不作、というように勝敗は神意の表れなのです。

神事としての綱引き 難波八坂神社

今では武術もスポーツ扱いですが、日本では武術は英語で言うところのマーシャルアーツ、すなわち単なる戦い方の技術ではありません。それは神道と結びつき「武道」となって、心身涵養の哲学的実践に昇華しています。

例えば剣道。
人は何のために相手を斬るのでしょうか? 「殺すため?」-いいえ。「相手と斬り結ぶ」ためです。「斬り結ぶ」とは、「相手と真正面から丁々発止と、堂々と、激しく刀を打ち合わせて斬り合う」ことです。いわば刀を使って相手とコミュニケーションしている、つまり「結び合っている」と考えるのです。その結果、勝っても負けてもお互いが「武道」を通して結び合い、絆が生まれるというのです。真剣勝負であるがゆえに、試合が終わった後は「敵ながらあっぱれ」と称え合い、敬意を表します。

異種武道大会 香川県琴平高校 2017年

「勝敗は兵家の常」とか「勝負は時の運」という言葉には、たまたま今の戦いで負けたとしても、その人の武勇が劣っているわけではない、という意味が込められているように思います。

面白いことに、「斬り結ぶ」の「結(むす)ぶ」は、同時に「産(む)す」あるいは「武(む)」を意味していました。今から900年前に書かれた日本最古の兵法書「闘戦経」のなかでも、「武(む)」は「産(む)」であると言っています。「産(む)す」とは、新しい生命や新しい秩序が生まれることです。

伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が混沌とした海から「天の沼矛(あめのぬぼこ)」という「武器」を使って国作りをしたように、「武」は乱れた世の中に秩序をもたらす(産み出す)清く正しい道である、と説いています。

「闘戦経」家村和幸著 大江匡房の「闘戦経」を解説した著作

「我が武なるものは天地の初めに在り、しかして一気に天地を両(わか)つ。
雛の卵を割るがごとし。故に我が道は万物の根元、百家の権與(けんよ)なり。」

大江匡房著「闘戦経」

これは「闘戦経」の冒頭ですが、意味は、
「我々日本人の『武』は天地開闢から存在し、一気に天と地を分けた。あたかも雛鳥が卵の殻を割るかのように。ゆえに、我々の『武』の道は万物の根元であり、諸々に説かれる道もすべてそこから始まる」となります。

何だかカッコいいですね(笑)。

このように、日本では「武」は混沌としている世界から新しい秩序を産み出すものとして肯定的に、どころか、きわめて神聖なものと考えられていたのです。

そう考えると「武術」が神事に取り入れられ、やがて「武道」となっていったのは自然な流れだったと言えましょう。今日、スポーツと見なされている競技に、私たちは無意識のうちにそうした「神事としての武」を見ているのではないでしょうか?

「駅伝」は「たすきをつなぐ」という言葉に凝縮されるように、選手同士が心を結び合わせ、山あり谷ありのコースを分担して走ります。一人で走っていても、頭の中は絶えず次の人へのバトンならぬ「たすき」の受け渡しがあります。厳しいコースはさながら修業そのもの。大会に出場するまでの各選手のドラマも感動的です。

最近は、イベント感覚で初詣に行く若い人が増えているようですが、お茶の間の炬燵でぬくぬくと駅伝中継を見ている人も、実は新年の「神行事」に参加しているといえるかもしれませんね。

そういえば、古代オリンピックもゼウスに捧げる神聖な祭典でした。洋の東西を問わず、スポーツの始まりが神聖な神行事であったというのは、興味深い事です。

オリンピックの聖火を採る巫女たち ギリシャ

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・株式会社エランビタール代表取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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2月 10 19

2019年2月 三ツ池だより 「今を生きる」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

やっと手に入れたのだが、久しぶりに新年に遠方から会いに来てくれた人に、どうしても手元にもっていた本を差し上げたくなった。あげてしまったあと、今、手元に置いておきたくなって書店を回った。当然一軒や二軒回ったところで見つからなかったが、4軒目のところで見つかった。「前祝の法則」という、ひすいこたろうさんと大嶋啓介さんとの共著です。

今年はなにかあるな! と思っていたので、その本の冒頭に「願いを叶える最大のコツは、喜ぶことである。」にもう引き込まれていたのです。何かあるな、というより、「することがある年」なのです。裏表紙には「あなたにも奇跡はカンタンに起こせる!」こう書かれていました。友人も今年は還暦となり今の職場を離れることで、いろいろ準備をしているところでした。

  「新しい年」
まわるく まわるく
ふわり ふわり
  思いが飛んでいく
  とんでくる思いが
小さな思いに羽根がはえ
羽根がふるえている
  ふわり ふわり
  浮かんでいる浮かんでる
なにもないようでいて
小さな思いがここにも
  あんなとこにもあったね
  こんなこともあったね
あしたの空に
飛ばしに行こうよ!

時代が大きく変化している。先日参加した講演で聴いた。20年ほど前は、世界企業の売上のベストテンに5社も入っていた。今はトヨタが日本では1社ベスト20社に顔を出すだけだと話であった。20年前も今もあたりまえのことを、当たり前にやっているのに?時代の流れは恐ろしいほどのスピードで変化しているのだ。これでいいと思っている自分がいても、周りの環境が変わってきているとしたらただ事ではなくなる。怠けていたと思っていない分、戸惑いを感じる。

前祝の法則にしても、日本のしきたりはこれからを祝うことが多いことを考えれば、不思議な事ではない。身近な事であっても、今ここでお祝いしておこうということなのだ。出来あがりはどうなるだろうと悩むのではなく、「こうして行こう」「こんなことがおこっているのだから、こうして行こう」と考えるのだ。

決めるまでは悩むことがあっても、「こうしていく」となってからは、喜びの中で進めていくのだ。

  「今を生きる」
新しい年
不思議な日々
  新しいはずなのに
  いつものつづき
でもこんなこと
はじめてだ
  ただばくぜんと
  今日があって
自然と明日が来る
今日が過ぎていく
  でも!そうだ!
  それでいいんだ!
今日は今日であって
あしたははじまるのだ

決められないことが多く、悩むことがある。そこで立ち止まってしまうことがある。それを誰がやるのかということで立ち止まってしまうこともある。今年は立ち止まるのではなく、自分が何をするかが大切なことなのだと気づかされる。意識して行動していく。喜びの中で進めていくのだ。

波のようだ新しい顔がひかってる
健治
空にはあなたの顔がお正月
健治

「予祝のすすめ」は大きなヒントになる。そして「誰がではなくてわたしが」やる。この発想が新しい時代のヒントになる。楽しみな年がはじまっている。やって行こうと決意する!!

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

2月 10 19

ゆるマナー講座(第40回) 春の行事 ~雛祭り~ の豆知識

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

2月4日は立春でした。もう春ですね。
立春の前日は節分。豆まきをして鬼を追い払いましたか?
子どもの頃は、お豆を多く食べられる兄や姉がうらやましかったのですが、今はもう結構というほど年の数が多くなってしまいました (><;)

さて立春も過ぎ、女の子のいらっしゃるご家庭ではそろそろ雛飾りの用意をしようかしらと思われる頃でしょうか。例年通り何気なく準備をなさることも多いでしょうが、雛祭りがどうしてこの時期に始まったのか、どんな意味があるのかなど、あらためて考えてみるのも良いかもしれません。

雛祭りの起こり

雛祭りは「桃の節句」とも言われます。
古くから続く節句の中でも、江戸幕府が特に重要なものとして定めたのが五節句(*注)です。その日を公的な行事や祝日としたために庶民にも広まりました。桃の節句もその一つです。

(*注)【五節句】
 人日(ジンジツ):1月7日 七草の節句
 上巳(ジョウシ):3月3日 桃の節句
 端午(タンゴ) :5月5日 菖蒲の節句
 七夕(シチセキ):7月7日 七夕
 重陽(チョウヨウ):9月9日 菊の節句

古代中国では旧暦の最初の巳の日(上巳)は「忌日」で、その日にお祓いをする風習がありましたが、それが日本に伝わり変化しました。
初めは季節の変わり目に人の形をした紙「形代(かたしろ)」で体を撫でて穢れを移し、それを川や海に流して厄災を逃れるという貴族の儀式でした。現在も「流し雛」という行事として残っているところもありますね。興味深いのは、この節句が元々は女の子の節句ではなかったということです。

形代は次第に立派な人形に変わっていき、室町時代後期には川に流さず家で飾るようになりました。現在のように雛壇や豪華な飾り雛が作られるようになったのは、江戸時代になってからのことです。

飾り方の違い

雛人形の飾り方には関東と関西で大きな違いがあるのをご存知ですか。
それは、男雛と女雛の並ぶ位置です。

関東では、男雛が向かって左側(女雛が向かって右側)に、
関西では、男雛が向かって右側(女雛が向かって左側)に飾ります。

人の立ち位置や席次には「上席(座)」「末席(下座)」があります。日本は元々「左上位」でしたが、開国後、明治以降は欧米に倣い「右上位」に変えました。国際交流に必要だったからです。ただ和室は今でも(床の間の位置によっては異なりますが)、左側が上位の席となります。

雛飾りについては、関西では「左上位」で男雛が女雛の左側(向かって右側)に、関東では欧米式に「右上位」で男雛が女雛の右側(向かって左側)に置かれます。元々は関西式だったものが、昭和天皇のご即位の礼で両陛下のお並びに倣って関東の雛人形メーカーが雛人形の配置を右上位に変えたことから、関西と関東の違いが出てきたのだそうです。

お供えやお祝い膳の意味

雛祭りに欠かせないものは、桃の花、そして白酒、菱餅、雛あられ、ハマグリの吸い物、ちらし寿司。それぞれに意味があってお祝いに添えられるものです。

桃の花と白酒:中国が原産と言われる桃。中国では果実も花も不老長寿の縁起物とされています。また桃の木には邪気を払う力があるとされ、桃花酒を飲んだことが由来です。

菱餅:菱形の白色、緑色、ピンク色の餅が重なっていますが、それぞれ「雪が解け、緑が芽吹き、花が咲く」を表しています。

雛あられ:元は、菱餅を細かく切ったもの。

ハマグリのお吸い物:ハマグリの殻が同じ貝同士しか合わないことから、女性の貞操を表します。

ちらし寿司:女の子の健康を願い、海や山の幸を使ったという説があります。

伝えていくことも大人の役目

子どもの成長を願いながらお祝いの準備をするのはいつの世も同じですね。
日本にはその他にも年中行事がたくさんあり、その一つひとつに由来があり意味があります。
お人形の飾りつけをしながら、お祝い膳を囲みながら楽しい時間を持つ中で、時にはその意味を伝えていくことも大切なことだと思います。

そういえば、「雛人形をしまうのが遅れると、婚期が遅れる」とよく言われますが、焦ってしまうお家と、のんびりいつまでも飾っているお家で違いが出てくるかどうかの統計がある訳でもなさそうですね。
本来は「出したらちゃんと片づけましょう」という意味のようです。よく晴れた湿気のない日を選んで、お子さまたちと一緒にお人形を片付けてみてはいかがでしょうか。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 

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2月 10 19

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第71回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第71回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

縄文時代が始まったのは約13000年前。狩猟・漁労を行っていた縄文人が暮らしの中で創り出した道具類は生命力に溢れています。日本文化の原点として、よく “わび・さび” が語られますが、縄文土器・土偶に潜む “逞しさ・強靭さ” ももう一つの日本文化。迫力・弾力性が感じられ共生と循環を内包。自然環境を認識し、その利用技術は極めて高度。芸術家・岡本太郎は縄文土器に出会い、燃える思いを1952年の美術誌に “縄文土器論” として発表。それが1970年の大阪万博の “太陽の塔” に繋がりました。縄文土器・土偶は上野の国立博物館でしばしば観ることができます。昨年開催された “縄文(JOMON)特別展:35万人動員” では日本列島の様々な地域で発掘された土器・土偶が一堂に。 “縄文のビーナス・縄文の女神・火焔型土器” など国宝全6点も集合。現在のデザインの枠組みでは捉えきれない奔放さ・純粋さ・機能美。これぞAI時代の基本理念かも。境界線を捨て、常識に囚われず、人間っぽさたっぷり。梁塵秘抄では “常に恋するは 空には織女流星 野辺には山鳥秋は鹿 流れの君達冬は鴛鴦” とあります。炎を燃やして思い切り生きる。 “今しかできない努力というものがある” と脚本家・倉本聰。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

大輪の花ほど少しシャイな方がいい それが心の機微・温かさ
葛藤・洒脱の果て 心身ともに一番の充実期は九〇歳と老画家
効率良ければ納得 一方で、無駄と感じる時間も意外と得難い
辛くても5年はやる、3年の後の2年が大切、と女優清川虹子

清川虹子は女優として、喜劇だけでなく人情ものでも存在感。戦前には俳優マーロン・ブランドとも共演。また、歌手・江利チエミの母親代わりとしても有名でした。晩年は芸能界の世話役を任じ、若手の歌手や俳優を励まし続けました。後年ビッグ・ネームになった歌手や俳優も世に出るまでは挫折の連続。多くの若手が挫折しかけた時の応援歌が “辛くても5年はやること。3年の後の2年が大切よ” の言葉。よく石の上にも3年といいますが、現実は石の上にも5年というのが、経営コンサルタントとして悪戦苦闘した私の実感。AI時代もそこは変わらないはず。雌伏といわれる期間も後々には強力な武器に。 “科学的分析だけでは今も1000年前の勘には勝てない” と写真家・杉本博司。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

夢を仕事にして仕事に夢をもつ 骨董は置き場により値が変わる
制度としての家族は一面 逆に生物学的男女関係がぼやける恐れ
サラリーマン根性は死語 損得を超えたライフワークを意識する
自ら道を切り開いた人間 目標の確認・行動の修正・成功の体感

高度成長時代のサラリーマンは、大きな流れに身を任せながら頭脳よりは体力。儲かる事業と儲からない事業の見える化には無頓着で、仕事の重複・繰り返しを解消する標準化にも無関心。市場ニーズを各部門に繋ぐといいながら実質は顧客の言いなり。 “腕を斬られたら噛みついて倒す・首を斬られたら化けて出る” という精神論。しかし、今後はアイデンティティの再創造に向けて、境界を破壊していく革命へ。 “実践・理論・道楽” を生き様に。夢を仕事にして仕事に夢をもつのがAI時代のビジネスパーソン。AIで市場を征服するというより市場の深淵を探索。 “人間は遊びながら働く生き物。善事を行いつつ知らぬうちに悪事をやる。悪事を働きつつ善事を楽しむ” と作家・池波正太郎。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

間違いを犯す自由さえ許されない自由は、自由とは言い難い
多様な情報・知識が関連付けられて構造化、見える化される
失うものは何もない、守るものなど何もない ただ色即是空
文化は比較できる量でなく比較できない質、とラードブルフ

“文化は比較できる量ではなく比較できない質である” と書いたのはドイツの法哲学者・ラードブルフ。多様な価値の共存を秩序づける原理について研究。AI時代は “間違いを犯す自由” が何よりも大事。 “カオス” が定常化しつつありますが、これも一つの構造として受けとめる。整然たる構造こそかえって脆弱で危険かも。 “老い” もまたカオス。 “時代遅れの中の鮮烈・衰退の中での雅味” がこれからの突破口。考えることも行動することも自由。重要なのは “やりたいことを愛する・貫く”ということ。人生は“見る・聞く・試みる”のワンセット。試みるまでやってなんぼ。 “音楽家が楽器の音色と強さを選ぶように、画家は自分にぴったりする強さと深さで色を選ぶ” と画家・マティス。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第71回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(八)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
2月 10 19

書評「死刑囚の命を救った歌―渡辺はま子『あゝモンテンルパの夜は更けて』」 北辰堂出版 新井 恵美子(著)

by staff
 
タイトル 死刑囚の命を救った歌―渡辺はま子「あゝモンテンルパの夜は更けて」
単行本 248ページ
出版社 北辰堂出版(2015/07)
ISBN-10 4864271917
ISBN-13 978-4864271912
発売日 2015/07
購入 死刑囚の命を救った歌―渡辺はま子「あゝモンテンルパの夜は更けて」

キリノ大統領は「日本人の処刑については考慮をはらいます」とローマ法王に手紙を書き、約束された。昭和28年加賀尾の発案で完成した「ああモンテンルパの夜は更けて」のレコードは20万枚を売る大ヒットとなり、支持者の数も増えていったと書かれている。

昭和19年頃のことです。「フィリピンでは日本軍の占領政策のあやまちから、かって存在した反米ゲリラが撃滅し、反日ゲリラの数はみるみる増えていった。残虐な日本軍という印象ばかり強く、すでに比国の7割がゲリラ地区となっていた。」「日本軍はフィリピン人を見ればゲリラかと疑うようになり、のちの戦犯疑惑の元になるような事件が日常茶飯事となった。ゲリラといっても米軍の保護のもと、武器や食料の供給を受けた比国人のグループは、ボロボロになった日本軍より優勢で討伐もままならなかった。そのうえ、物量の欠乏と輸送不能になった軍部は上陸部隊に対して、自活自戦せよ、との命令を出したのである。」

「仲間を殺して食料を奪う者、病に倒れる者、小銃の引き金を頭に向けて自殺する者、統率力を失った部隊ははてしないジャングルをさまよい歩いた。日本軍は劣勢を何とか回復しようと、最後の悪あがきとでもいうようなことを考え出した。全員で敵陣地に突っ込む切り込み隊も、レイテから出ていった特攻隊も無謀この上ない体当たり作戦だった。」

日本では、戦犯家族は周囲から石を投げられるような生活を続け、生活も困窮を極めていた。教誨師加賀尾に家族たちはすがって泣いた。「この人たちを救わないで、どうして僧と言えようか」と加賀尾は立ち上がった。減刑嘆願書を作成して、マニラに持参することを考えた。モンテンルパ刑務所内に居住するようになって、自分の居室を観音堂とし、戦犯たちのよりどころとした。

「ほとんどの裁判の結論はすでに出尽くしていた。無罪となって日本に帰れる者、死刑を宣告されたもの、無期・有期で服役を言い渡される者と、明暗はくっきりとなった。」「加賀尾がふしぎでならないことは、残される者も帰る者も互いに恨みつらみを持たないことだった。少々の偶然で無罪・有罪と区別されたことを知り尽くしているせいだろうか。」

ある学徒出身の死刑囚がポツリと言ったことがある。「50万人の日本軍が比島の全土を完膚なきまでに荒らしまわったんです。生き残った十四、五万人の中から、二百や三百の者がその責任を問われてもしかたのないことだと、僕はあきらめています。」「死刑、無期刑を言い渡された者の大部分が冤罪で身に覚えのない罪をきせられていた。あるいは上官の命令によって、やむなく手を下した者もいた。命令を下した上官はさっさと帰国してしまい、実際にフィリピン人に害を与えた者が罪に問われ、死罪を言い渡されるという場合もあった。」

死刑執行が始まり、残された者たちも同じ運命になるのだと自覚せざるを得なくなった。加賀尾の任期はとっくに終わっていた。日本側は加賀尾の勝手な延期に滞在費用も出す気はなかった。加賀尾は戦犯たちの残飯を食べて生活していた。「十四人の処刑者を出してしまったことを痛恨した加賀尾は、今後一人たりとも失ってはならないと考えていた。何としてでも守らなくてはならないと覚悟をあらわにしていた。“もう歌よりほかにありません”と加賀尾が言ったのはそんなときだった。歌によって日本人の心に訴えるしかないと加賀尾はおもったのである。」

「戦争が終わって、すでに七年、人々は戦争を忘れようとしている。忘れたいと思っている。本国では新しい風が吹き始めていた。南の島に置いてきぼりされた戦犯のことなど考えようともしないのだ。歌だったら、人々の心に素直に届くだろう。有名な作曲家や作詞家に依頼するのではなく、死刑囚の言葉を、死刑囚自身の手で歌にしなければならない。」代田ならよい詩が書けるとふんでいた。日本から送られてくる楽譜をオルガンで弾いて楽しんでいた伊藤の手によって作曲された。一度目の歌は戦犯たちにも受けなかった。

加賀尾は「もう一度、曲を作り直せ」と命じた。そして二度目の曲は仲間たちに聴かせることもなく、加賀尾の手で、歌手の渡辺はま子に送られた。「加賀尾は渡辺あてに、楽譜を送り、素人が作った歌だから、添削してほしいと依頼したのだった。」「なぜ渡辺はま子だったかといえば、彼女は来日したデュランの口からモンテンルパの戦犯の存在を知らされ、積極的に釈放運動を国内で展開してくれていたからだった。」

「モンテンルパに朝が来りぁ
のぼるこころの太陽を
胸にいだいて今日もまた
強く生きよう倒れまい
日本の土を踏むまでは
かってこの歌に救われた命たちが、今はすっかり年老いて、自分たち自身への応援歌のように歌を歌っていた。」

平成八年の初版のあとがきで荒井さんは次のように記されている。
「戦争終戦後もモンテンルパで生きなければならなかった人々は苦難の日々をも、ごく当たり前の日常と受け止め、最悪の環境の中でさえ普通の喜びや悲しみを見つけていきたことを私は知らされた。戦争を否定しきってしまうことも、戦争を忘れることも、私にはできない。その時代を若者として生きた人々の足跡をかぎりなく愛しいとおもうのだ。“歌に救われた命”たちの晩年が安らかで、幸せにみちたものでありますように、と祈りペンを置きたい。」

平成が終わる。昭和をこえて!忘れていはいけないことがある。戦争のなかった平成の時代というだけでいいのだろうかと思う。そして「死刑囚の命を救った歌」を実は小学校5年生の孫が、ときどき私の書斎にきて、読んでることを知って書評を書いておくことにした。いまを大事にすること、そのうえで新しい明日を迎えようと思う!

(文:横須賀 健治)

 

2月 10 19

書評「前祝いの法則」 フォレスト出版 ひすいこたろう(著),大嶋啓介(著)

by staff
 
タイトル 前祝いの法則
単行本 293ページ
出版社 フォレスト出版(2018/10/23)
ISBN-10 486680999X
ISBN-13 978-4866809991
発売日 2018/10/23
購入 前祝いの法則

1月14日に浅草寺にお参りに行ったのです。御神籤は「明るい未來が待っています」でした。参拝後、誠輝祭(ほんきさい)に参加しました。「まっこと大好きな自分に逢いに行こう」のなかで水上バスがありました。最終地でワークが終わり、散会前の挨拶があって、その時にひすいさんが「最後のワークのところで横須賀さんが面白いことを言っていた。橋が見えますね!とか、雲がみえますね!とか、海の中に小さい島がみえますね!とか」と話をされました。不思議な御縁を感じたのでした。実はひすいさんの本が4冊自分の書棚にあって、今度書評にとりあげたいとおもっていたのでした。早速いつもの書店に行って「前祝いの法則」を手に取りました。

「前祝の法則」は表紙が朱色で、下帯に「願いをかなえる最大のコツは、喜ぶことである」とありました。プロローグで「今から100秒で、奇跡の起こし方をお伝えします」と出てくる。読むというより実践したくなる本の構成であった。第2章に予祝の原理が出てくる。そして「つまり、未来は選べるのです」そして実に大きなポイントがつづく。頑張っているのに夢がなかなか叶わないという方は、心の状態がマイナスのまま行動しているので、どこまでいっても現実がプラスに転じないと言われます。「行動は大事です。でも、その前に、どんな心の状態で行動するのかが、もっと大事だったのです。」

「未來の先取り」×「喜び」=予祝

どんどん言い切って先に喜んで、この世界を面白おかしく変えていきましょうと。だから「部屋をかたづけないといけない、と、しぶしぶやっているのと、こんな部屋に住みたいとワクワク片づけする、という現象でもエネルギーがぜんぜん違うのです。」と言われます。

第4章に予祝マンダラシートがあって、私は実際にいまの悩み、問題だと思うことを真ん中に書いていました。 ①「この問題を通じてあなたが不安におもっていることは?」という問いかけに、本を出版するが私のテーマだったので、どんな本にする・どんな内容にするにする、と記入していました。 ②「これはなんのチャンスでしょうか?」という問いかけに、出筆家になる、と書いていました。そして次の質問が楽しいのです。 ③「ほんとうはどうしたいですか?この問題がどうなったら最高ですか?最高のラストシーンを想像してみよう?」本が売れ、反響があった、としました。 ④「この問題を通じて、あなたはどんな成長を果たしそうですか?」希望するから、実現する人になる、と書きました。 ⑤「この問題を見事にクリアーしたとき、どんな素敵な自分になれているでしょうか?」自信をもって自分を出していける。 ⑥「この問題を乗り越えたとき、誰がどんなふうに喜んでいますか?」応援してくれていた家族が、よかったねと喜んでくれた。 ⑦「いまのあなたは、この問題に対してどんなアクションがおこせそう?どんな小さなことでもいいのでかきだそう?」新しいテーマがいいか。今は“いろは”で日本人の喜びかたを書こうか? ⑧「この問題を見事に解決したとき、うれしくて、思わずあなたがやってしまいたいことはなに?」親父お袋のお墓に報告にいく。(ここでは読者になってしまった。)

「喜びの世界か不安と恐れの世界か、道は2つに分かれるのですが、どちらにハンドルをきるかは、心の状態によるものです。つまり、未来は、選べるのです。」未来は私の今の心次第で、今日変えることが出来るのだと言われる。ですから「史上最強の未来はワクワク×行動」の方程式であり「すばらしい夢を見て、それを行動に移せ」と言われます。やってみたくなりますね!

「目標は深刻になるために持つのでなく、ワクワクするために持つんです。」松下幸之助さんの例を出されます。松下が、創業まもない頃、まだ電球が普及してなかった時代、つまらなそうに電球磨きをしている従業員に次のように言ったそうです。「君、ええ仕事しとるな~」「本を読んで勉強している子供らがおるやろ。そんな子どもらが、夜になって暗くなったら字が読めなくなって、勉強したいのにできなくなる。そこであんたの磨いた電球をつけるんや。そうしたら夜でも明るくなって、子どもらは読みたい本を読んで勉強できるんやで。あなたの磨いているのは電球やない。子どもの夢を磨いているんや。ものつくりはものを作ったらあかん。その先にある笑顔を作るんやで」こういわれ従業員は、自分の仕事に誇りを持つようになったそうです。

「感謝」を「決意」に変える4つのステップ!の項があります。①「知識としてまず知る」 ②「実践」 ③「感じる」 ④「感じたことを人にシェアする。」この4つの過程を経ることで、知識は知恵となり、感謝はちからとなる。ここでは手紙の効果が大きいといわれます。手紙を書くことで、意識をしっかり向けると、感謝があふれます。それをしっかり感じることで変容がおこると言われます。「さらに、その思いをシェアするなかで、人は自然にその感謝の恩にむくいたくなるんです。誰かを心から喜ばせたいと思うのです。」「そのとき、感謝のエネルギーが誰かをよろこばせたいという“決意”に変わるのです。」

「本気の予祝ジャンケン」 「自己肯定感を高める習慣」 「明るい空気を生み出す“言葉の習慣”」 「逆境を楽しむ習慣」 「月1の予祝会こそ最強の習慣」習慣化していくことの大切さが語られます。

楽しんでる人にはだれも勝てない。「進化とは、目に見える、すごい結果をだすことでなく、すごい誰かになることでもなく、愛が深まり、君が君らしくなることなんです。」そのことがわかってしまえば、結果への執着を手放し、天の差配に任せることができ、自分の心の状態は、もっと軽やかになりますといわれます。「この本を読み終えたいま、あなたがいますぐやるべきことは、今一番したいことをすることです。」

していきましょう!そして未来の先取り、予祝をしましょう!ご縁に感謝し、書評に取組ませていただいて、ありがとうございました。

(文:横須賀 健治)

 

2月 10 19

田中健介の麺食力-それから- 第5回 「沖縄と横浜」

by staff

第5回 沖縄と横浜

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第五回目でございます。

2月に入り、プロ野球は春季キャンプ真っ盛り。下旬から3月にかけてオープン戦で実戦感覚を掴み、3月下旬にはペナントレースの開幕となります。
我が横浜DeNAベイスターズは私の記憶が確かならば、もう30年以上沖縄県宜野湾市にて春季キャンプを行っています。また近年では2014年入団の嶺井博希捕手、2017年巨人から移籍の平良拳太郎投手、2018年入団の神里和毅外野手など、虎視眈々と定位置の座を窺う沖縄県出身のプレーヤーが多く在籍しており、ベイスターズにとって沖縄はとてもゆかりのある土地の一つといえます。

沖縄と横浜の関係は野球だけではありません。
横浜最東端の行政区・鶴見。京浜工業地帯の一角である鶴見には、横浜市に編入する前の大正時代から、沖縄出身者が職を求めて京浜工業地帯に集まり、近代化著しい日本経済を支えてきたといわれています。
沖縄出身者たちは故郷を思い同士でコミュニティを形成、やがて鶴見区仲通には「リトル沖縄」といわれるエリアができ、沖縄県人会館や沖縄の物産センター、沖縄料理店などが集結し現在に至っています。

鶴見区仲通のリトル沖縄。
「鶴見沖縄県人会会館」がリトル沖縄のランドマーク的存在となり、
周辺にいくつかの沖縄料理店などがある。

今回はそんなエリアの中から「うちなーすば ヤージ小(やーじぐわぁ)」の今をレポート。拙著をお持ちの数少ないファンの皆様は157ページを開いてこちらと合わせてお読みくださいませ。ない人は、ないなりに楽しめるよう書いていきますのでご安心ください。

ヤージ小店舗外観。「かりゆし」な雰囲気ある看板が目を引く

三代目店主である有限会社沖縄そば・ヤージ小代表の雪山秀人氏にお話を伺うことができました。
雪山氏の祖母にあたる沖縄出身の屋宜(やぎ)ナベイさんは、兵庫県尼崎市で終戦を迎えます。そこで商売をしようと考え、大阪市大正区にある「リトル沖縄」へ行くことを検討しましたが、上京志向のあったナベイさんは東京に近い鶴見の「リトル沖縄」を選択。
1955年に「ヤージ小(やーじぐわぁ)」を開業します。拙著でも述べていますが、店名は姓の屋宜(やぎ)を沖縄読みで「やーじ」、「小(ぐわぁ)」は「○○ちゃん」と意味するそうで、すなわち店名を標準語で表すと「屋宜ちゃん」ということになります。

「ちなみに名前の『ナベイ』は、『ナビィ』と発音するの。ほら、昔映画であったでしょ、『ナビィの恋』って。それよ!」
※「ナビィの恋」…1999年公開の映画。沖縄が舞台。中江雄二監督、西田尚美・平良とみ主演。

店内に入れば「うちなー」な雰囲気満載。沖縄そばだけでなく沖縄料理の定食も充実。

「沖縄そばっていうのは、うどんと中華麺のちょうど中間といった位置づけですね。うどんのような太さで中華麺のキモであるかんすいが入ってるのが特徴です。また沖縄そばは茹で置きが一般的。さっと出せるし独特なモチモチ感が出ます。」

茹で置きは私の属する日本ナポリタン学会でもよく聞く言葉。乾麺のスパゲッティを茹で置きすることで中心部まで水分が浸透し、ソースに馴染みやすくなる、モチモチした食感が出る、という利点があります。この茹で置きの製法はホテルニューグランド二代目総料理長である入江茂忠氏が考案したもの。ナポリタンの起源は諸説あるといわれていますが、サッと提供できるというオペレーションの簡略化をもたらしたことで、のちにナポリタンを提供する喫茶店が全国に広まったという意味では、今あるナポリタンの形はニューグランドから生まれたものであると私は思っています。

沖縄焼きそばケチャップ味。
沖縄そばとスパムが特徴的で「那覇ポリタン」と比喩されるほど沖縄ではポピュラーである。

沖縄焼きそばはソース味・塩味・しょうゆ味・ケチャップ味から選択できますが、やはり私はケチャップ味を頼んでしまいます。
キャベツ・もやし・小松菜・ニンジンという焼きそば要素がありながら、玉ねぎとスパム、それらをケチャップでまとめると見事なナポリタンです。沖縄そばのこの太さが良く合うのですよ。

「へー、長崎には『ちゃポリタン』ってのがあるの!?エッ、名古屋のナポリタンは鉄板で出されるの?ナポリタンって、面白いんだねぇ!!」

雪山氏もナポリタンの奥深さには興味があるようです。
横浜は戦後進駐軍の影響を多く受けた街。沖縄は今も米軍の影響を多く受けている街。
トマトケチャップというのはそれらに共通していて、象徴的なアイテムなんですね。

ソーキそば大盛。頼んで5分足らずで出てくる嬉しさ。ゲンコツ大のソーキが3つも添えられる。

拙著では沖縄そばをいただきましたが、ソーキそばを大盛で頼んでみました。
ゲンコツ大の骨付き肉が3本。とてもやわらかく仕上げており、臭みもなく、余分な脂を落としてあるので野獣の如く食らいついても胃もたれしないすっきりとした味わい。
豚骨とかつおだしのスープも優しい。毎日食べられる仕様なんでしょうね。香川の讃岐うどんや駅そばなど同様に、毎日食べても飽きない感じ。卓上に常備されている紅ショウガやコーレーグスなどで味の変化を楽しめます。

初めて買ってみたお持ち帰り用の沖縄そば。
スープを買い忘れるという相変わらずのポンコツ野郎だが、
「これでナポリタンを作りなさい。」という暗示だと思っている。

人気の沖縄そばはなんと2016年から自家製麺に切り替えています。店舗裏に工場があり、1日1,000食以上製造可能な能力を有します。

「創業64年、やーじ小の恩返しプロジェクトです。
長年お世話になった皆様に 安くて美味しい沖縄そばを提供したい、そういう思いから自家製麺に切り替えました。」

その言葉の通り、この食材高騰の昨今でも沖縄そばメニューは500円からと低価格を維持。
そして、お持ち帰り用の自家製麺は1玉100円で買える手軽さ。店舗の暖簾がデザインのパッケージが素敵!スープも売っていますので、自宅でも気軽に「ヤージ小」の味が楽しめます。焼きそばにも、沖縄そばにも。いろんなアレンジが出来そうですね。

雪山秀人氏と拙著。俺が生きている限りは店を続けて行くからと。カッコイイ!

「前はこの界隈で沖縄料理店は10店舗あったんだけどねぇ。今はウチを含めて3店舗になっちゃったね。この街が変化しているのもあるけど、やっぱり飲食店ってどこも人手不足だしね。大変だよね。」

お世辞にも賑わっているとはいえないこの仲通界隈ではありますが、この5卓ほどのお店には昼も夜も入れ替わり立ち替わりで多くのファンが沖縄そばを求めて来店します。
多種多様な横浜の麺文化の一角として、鶴見区仲通の「リトル沖縄」は貴重な存在です。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

2月 10 19

チャレンジ(第6回) 資源を無駄にしない

by staff

第6回 資源を無駄にしない

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。立春を過ぎ、暦の上では春ですが、まだまだ寒い日が続きますね。私はこの立春(2月4日)生まれで、母の名前から一文字(美)と立春の春で、美春と命名されました。私が生まれた時、家族会議が開かれ「美春」にするか「春美」にするか、家族で多数決を取り「美春」と名付けられたそうです。私はこの名前の由来が好きで、自分の名前もとても気に入っています。家族に暖かく迎え入れられ守られて生きている自分がとても幸せだといつも感じることができるからです。

さて、今回は資材についてのお話しです。私が関わっている地域活動支援センターにはたくさんの寄付の資材が集まってきます。どんなものが寄付されてくるかと言うと、地域の方々からは、布、毛糸、ビーズ、レース、衣類(寝巻や着物)など、企業からは余った革やリボン、ボタンなども多くあります。これらの資材は障害者さんたちと分別したり、自主製品に活用したり、使い切れない場合は別の作業所とやり取りをして無駄なく活用しようと努力しています。

私が何でも欲しい!と言っているのもあって、有難いことに使いきれない程にたくさんの寄付を頂いています。
布は裂いて裂き織の材料にしたり、汚れた布や衣類はウエスにしたり。
編めたらいいのですが、私が関わっている作業所では編み物が出来る障害者さんはいないので、大量の毛糸はガーランドの紐に使ったり、ラッピングに使ったりしています。
ボタンやビーズなどは子供用のブレスレットにすると可愛くてバザーなどで人気です。

材料費を掛けずに自主製品を作り売り上げを上げ、みんなの工賃に変える。少しでも多く還元してあげたい。この取り組みはとても順調で次のボーナスでは多く工賃を払えそうですが、寄付されてくる資材が使い切れず持て余しているので残念な状況です。

そこで思いついたのが「資材交換会」です。ハンドメイドが好きな方はついついまとめ買いしてしまうもの。でも使い切れずに保管している方が多いので、捨てるのはもったいないからみんなで交換しよう!という会を開催する事にしました。参加者には入場料500円を頂き、自由に資材の交換をしてもらい、地域活動支援センターにある資材は欲しいだけ持って帰ってもらう。そして、入場料は地域活動支援センターに全額寄付して、どうしても購入しないといけない資材を買わせてもらう。これがとても好評でした!

1月に第2回目を開催したのですが、参加された方は要らないものは手放し、欲しいものをゲットして、そして作品や製作のアイディアなども意見交換したりして・・・何より皆さんとても楽しそうで、資材だけでなく人のパワーも無駄なく循環出来ている様子が見られ私も大変嬉しかったです。
次回は7月頃に開催予定です。
ご興味がある方は平安山(henzan@cpfactory.jp)ご連絡ください。

次回「商品開発!」 

(第6回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

2月 10 19

横浜スケッチ(第36回) 京都・滋賀の旅

by staff

ペンネーム 成見 淳

隔月掲載は書き手にとってはとても都合が良いのですが、季節がどんどん過ぎて行くので読者の方にとっては間が抜けたものになってしまいますね。
2月過ぎになってしまいましたが今年初めての投稿です。本年もどうぞよろしくお願します。

さて、昨年11月27日から12月1日まで京都と滋賀県琵琶湖西岸を訪れました。
前半三日間は、ここ3年ほど年中行事となっている家内との秋の京都観光。
後半二日間は関西在住の大学時代の同級生達との再会と、琵琶湖西岸のスケッチ一人旅でした。
そして今回もFacebookやインスタグラムを通して素晴らしい出会いがありました。

 

東福寺・安楽寺

紅葉シーズンの京都も連続3回目となると狙いも絞られ、メリハリもついて来る。
「今回はとにかく混雑は極力避け、ポイントを絞って穴場主体にしようね。」と相談していた。

2018年11月27日(火)早朝、JRのジパングクラブを利用して新横浜駅より新幹線ひかり号で京都へ。
前半3日間のプランは家内が全部立て、私はそれに従うだけ。
混雑回避の第一は人より早めの行動。真っ先に東福寺へ。それでも観光客は多い。キャスター付きのケースを持っていたら係の方が寄って来て預かってくれた。無料。
とてもありがたかったが、これを持って中を回るのは他の客に迷惑だろうからお互いにメリットがある。
東福寺はほぼ毎年訪れているのでスケッチのネタになりそうなところを素早くカメラに収める。
次に醍醐寺を早々に引き上げ南禅寺へ。私の目的はただ一つ。南禅寺疏水。この風景を絵にするため。
画面右の男性は私をイメージした。隣の女性は家内ではなく通りがかりの人。道を聞かれたという設定。(家内はこんなに太っていないもの。)

「南禅寺疏水」(水彩6号)

次に向かったのは哲学の道経由安楽寺。そして白川通りを通って宿へ。

 

直指庵・金戒光明寺・真如堂

11月28日(水)。今回の京都旅行で一番行きたかったのがここ。直指庵。
電車とバスを乗り継ぎ大覚寺で下車。大覚寺を素通りして直指庵へは徒歩約15分。のどかな田舎道でほとんど人通りがない。途中の家々も庭が広く木が多い。「こんな所にのんびり住みたいねえ。」「でも冬は寒いかな。夏は暑いし。」などと話しながら歩く。この様子では観光地特有の混雑とは縁がないようだ。
目的地に着くと、そこはもう山のふもとで竹林。入り口は小さく、観光客は二人ほど。雑踏とは全く無縁の世界。中をぐるりと回って腰を降ろして紅葉を見ながらのんびりと過ごす。
直指庵では小1時間の間に観光客にあったのは10人ほど。まさに穴場だ。

直指庵入り口(撮影筆者)

門を出て別の道を通って帰る途中、女性二人の観光客に道を聞かれた。
「タクシーで来たのですがドライバーさんが直指庵を知らなくて、途中で降ろされてしまいました。助かりました。」
「とっても静かで紅葉も最高です。京都で一番かもしれませんよ。」

撮影筆者

「直指庵」(水彩6号、2018年で一番気に入っている作品。)

後ろ髪を引かれるように直指庵を後にして金戒光明寺、真如堂へ。

 

桂離宮

11月29日(木)。今日の観光は桂離宮だけ。しかも私は2回目で家内は3回目。おまけに12時からの入場なので午前中宿でのんびり。テレビではちょうどマキノ高原のメタセコイアの特集をやっていた。この辺りは風が強く防風林として植えたが、当初は背が低く、実もならないので不評だった。でも今では大きくなり、韓国ドラマ「冬のソナタ」のシーンに似ているということで人気スポットになったという。(この映像が頭に残っていてメタセコイアを見に行くことにつながる。)
桂離宮の拝観は往復はがきかインターネットでの事前申し込み。2018年から有料となった。入場制限があるのでゆったりと鑑賞することが出来る。これはありがたい。
宮内庁管轄ということもあり、それぞれのグループごとにガイドの方の他に皇宮警察の方が列の後ろに付く。庭は当然ながら手入れが行き届いている。

見学が終わり京都駅からは別行動。家内は帰宅の途へ。私は駅前のホテルへチェックイン。
夕刻、関西在住のクラスメイト3人と関東からの二人で懇親会&カラオケ。関西の二人とは卒業以来の再会。50年振りだが(いや、一緒だったのは2年間の語学クラスだけだから、もしかしたらそれ以上?)、皆それなりに良い人生を歩んだことがすぐにわかる。

 

なぜ琵琶湖西岸へ

11月30日。4人で京都観光。最高の素晴らしい半日だったが内容は事情により省略。
遅い昼食後、地下鉄東西線東山駅で解散。私は山科経由で湖西線に乗り換え蓬莱駅へ。予定より解散が早かったのでまだ陽は高い。

ここでそもそも何故琵琶湖西岸に魅かれたのかについて触れる事にする。
昨年の夏ごろだったと思うが、Facebookでこの写真を見た瞬間に電気が走って「絵にさせて欲しい。」とお願いのコメント差し上げた。投稿者は内田ハルミさん。熱心な写真愛好家でほとんど毎日Facebookに琵琶湖の風景をアップしていて、そのたびに「この構図で描いてみたいなあ。」と思っている。
私は、教室での習作を除いて、自分が行ったことのない絵は描かない。そのことが引っかかっていたので何とか早く現場に行って自分の目で確かめたいと思っていた。これが今回の一泊追加一人旅となった理由だった。

投稿者 内田ハルミ(西岸からの朝焼け)

琵琶湖の日の出 水彩2号(ハガキ2枚分の小さな絵)

南禅寺近くの会員制施設に2泊、京都駅前のホテルに1泊し、急遽京都にもう一泊しようと試みたが、何せ観光シーズン真っ盛り。京都は外国人観光客が多くどこも空いていない。琵琶湖西岸もダメ。
一旦思い立ったら諦めることが大嫌いで、しかも突然思いつくのだから始末に困る。それでも永年これで何とかなって来た。
今回もダメもとで「airbnb」で民泊を当たってみたら、今度は一発で目的地至近の蓬莱駅から徒歩30分の高台に見つかった。駅まで車で迎えに来てくれて、しかもスーパーホストでご主人はアメリカ人、奥さんが日本人。メールでホストの方と事前に連絡出来るのがとても良い。お互いに自己紹介がてらに、旅の目的、どんなことをしたいか、どこへ行きたいか、お勧めはどこかなど予備情報を交換出来るので安心だ。
昨年(と言っても同じ2018年のことだが)アイルランドでお世話になったB家と、子供さんとワンちゃんがいることも含めて同じだ。
きっとまた良いことが沢山待っているような予感がしたが、実際にその通りだった。またしても素晴らしい出会いに恵まれた。

蓬莱駅に着くと。これがまた駅前には何もない。(ウィキペディアの「蓬莱駅」の写真参照。)
「蓬莱駅には食事する処はありませんよ。隣の志賀駅にお店があります。蓬莱駅で降りて湖岸沿いに歩くと景色は良いのでスケッチポイントも多いです。」と聞いてはいたが、コンビニどころか自動販売機も見当たらなかったような気がする。

琵琶湖西岸と雲をテーマに何枚か描いたのでタイトルに困った

湖岸沿いは刻一刻と夕焼けが始まり、何度も途中足を止めてシャッターを切る。志賀駅に着く頃には暗くなり、駅前に数軒ほどあるお店の中から道路に一番近い所を選んで夕食とお酒をいただく。
6時半頃電話すると奥様のRikaさんが迎えに来てくれた。車だと5分位か。坂を登った所にあるので『これは素晴らしい景色だぞ。きっと。』とワクワク。日の出が楽しみだ。

ご主人のJohnさんは岐阜県の某大学の英語の先生。週何日か大学の宿舎に泊まり金曜日夜帰宅。
ラッキーなことにこの日が帰宅日で、2階のリビングで一緒にビールで乾杯、話が弾む。

 

最終日 Spiri邸からマキノ高原へ

12月1日(土)。いつもどおり早朝に眼が覚めてリビングに行くとJohnさんがすでに起きていてパソコンに向かってお仕事をしていた。コーヒーを入れてもらい、Johnさんは家の外の犬(中に2匹、都合3匹飼っている。)を散歩に連れて行かれた。
しばし一人で日の出を見とれていて、ふと横を見るとワンちゃんが隣のソファに座りじっと日の出を見ていた。犬も日の出を見るのかと可笑しくなって、撮影しようとすると気付いて「君も見ていたの?」とでも言うようにこちらを見つめる。これでは撮影出来ないのでワンちゃんから目をそらすこと数回。やっと撮れたのがこの写真。もう一匹は暖炉の前で寝ていた。後で奥さんに聞くとこちらはとても寒がりだそうで、人生いろいろ犬も色々。
昔犬を飼っていた頃、じっとすわったまま月を見ていたのを思い出した。寡黙で哲学的な雰囲気のある犬だったなあ。主人似の。

撮影 筆者 Spiri邸2階リビングで

Spiri邸から 水彩2号 Rikaさん撮影の写真から

美味しい朝食を頂いて、リビングでスケッチをしたり、時々iPadをチェックしたり、お話をしたりして休日の午前を過ごし、急に一昨日見たTV番組を思い出して『せっかくここまで来たのだからマキノ高原に寄ってメタセコイアの並木道を見たい。』と思い立ちGoogle Mapで調べると。ちょうど良い列車が見つかった。蓬莱駅からマキノ駅まで40~45分。マキノ駅からバスが出ているらしいが詳しいことは分からない。徒歩で駅まで行くと間に合わないが、Johnさんが車で送ってくださるというので急いで荷物をまとめる。
駅に着いて階段を登っているうちに電車は行ってしまった。どうやら発車時刻を間違ったらしい。
さっと気持ちを切り替えて都会の常識は捨て、旅人に徹し目の前の現実に身をゆだねる。
時間がたっぷり出来たので駅員さんにマキノ駅からのバス便を訪ねる。「バスが出ているらしいけど詳しいことは分かりません。現地で聞いてください。」(後日ネットで調べたところによると、朝晩以外は無人駅とのことだった。)
その時は一瞬『え~、そんな!』と思ったが、後になって理解できた。予定通り行かないのが一人旅。
30分ほど待って次の電車に乗る。ローカル線の旅は急がない方が良い。たまにはゆっくり旅をするのも良いものだ。右はずっと琵琶湖、左は紅葉の山が続く。

湖西線の駅名は聞きなれない、読めない駅名が多い。和邇、蓬莱、比良、安曇川。目的地のマキノ駅はなぜかカタカナ。(順番に、わに、ほうらい、ひら、あどがわ。)
息子が小学校低学年の時に駅名に興味を持って、京浜東北線、山手線を手始めに、東海道本線を全部暗記し、「どうしても読み方が分からない。」と聞かれたのが膳所駅。家族誰も分からないので滋賀県出身の会社の同僚に聞くと「ぜぜ」と教えてくれたことがあった。
湖西線に限らず滋賀県は難しい地名が多い。その理由については分からなかったが、大陸や半島からの渡来人の影響によるものではないだろうか?(あくまで個人的な仮説だが)

電車に乗っていると気温や気候がガラッと変わることがある。特に空や雲の形の変化が激しい。滋賀県は日本列島のほぼ中央部に位置し、周囲に1,000m前後の山脈が連なり、中央部は日本最大の琵琶湖。南は伊勢湾、北は若狭湾と本州で一番狭くなった所で、それぞれの湾から入る気流の通路となっている。湖だから水蒸気も多い。複雑な地形の影響を受けているのだから変化が激しいのも当然。絵描きや写真家にとっては魅力的な所だ。
また、湖西線は風の影響を受けやすく、強風のため運休することも多いそうだ。
現地に来て、いつもと違う雰囲気を感じ取り、地元の人に訪ねて、疑問をネットなどで調べる。この好奇心、探求心があらたな知識となる。旅の楽しみのひとつ。
このコーナーを担当させていただいたおかげで、「行って見る。調べる。裏付けを取る。疑う。」ことの大切さを学んでいる。

 

マキノ高原のメタセコイア ⇒ 帰宅

湖西線をさらに北上しマキノ駅に着くと、ほとんどの方がバスに乗り込む。と言っても1台満員という程度。とてもローカルなバスで現金のみしか使えず、釣銭は出ないとの張り紙。両替は千円札まで。気になってポケットを探り小銭入れを見ると。無い。
10分位で会場に着いてドライバーに、横浜から来て知らなくて万札しか持ってない旨伝え、帰りのバスで支払う旨約束する。

メタセコイア並木 4号(マキノ高原、滋賀県)
京都の宿で見たTV番組に触発されたおかげでメタセコイア並木を見ることが出来た。

バスを降りて念のため帰りの時刻表を見ると2時間後。駅からはバス1台分の人数しか乗っていないのに、広い駐車場は超満員。お店もたくさん出ている。やはり地方は車社会。
会場周辺の道路は混んでいてこれでは京都発の新幹線に間に合わない、かも。写真だけ撮り、キャリーバッグを引いて駅まで40分ほど歩く。途中で3人の観光客が追い抜いて行く。声を掛けると50分発の電車に乗ると言う。
後について行くが、こちらは途中シャッターを切ったりしていて追いつかない。高架駅が見えて来てもう少しという所で、5分差で行ってしまった。彼らも間に合わなかった。駅に着くと55分待ち。同じバス会社の運転手に未払いのバス代を支払う。250円だったかな?
列車を待っている間に何本も特急が通り過ぎて行く。のみならず途中駅でも追い越し列車の待ち合わせ。それでも快速電車に乗り換えたので志賀駅や蓬莱駅はあっという間に通り過ぎて何とか余裕で京都駅に着く。
予定より一本前のひかりをホームで待っている間に新幹線はほぼ3分おきに次々と発車。
マキノ駅の1時間に1本とは大違いだ。

新幹線に乗り込み、ワンカップを片手に弁当を食べながら、新幹線時間と湖西線時間の違い、運転間隔の違い、都会とローカルの違いや、民泊のSpiriご夫妻との出会いと内田さんとの知遇、などなど思い巡らしながら、岡崎を過ぎたあたりから完全に気を失い「まもなく新横浜あー。」というアナウンスで目が覚めた。

残念ながら私の突然の予定変更により内田さんとは今回お会い出来なかったが、また次回の楽しみが増えた。内田さんには2号のスケッチをお渡し頂くようRikaさんにお願いし、Spiri家には後日絵を計3点お送りしてお部屋に飾って頂くことになった。天候の関係で琵琶湖の美しい風景をご覧になることが出来なかった宿泊客にご覧になってもらえばありがたい。是非また自分の描いた絵に会いに行きたい。

 

PS1:「横浜スケッチ」らしく、横浜山手の風景画を。2019年最初の作品です。

「PTAの帰り道?」(横浜山手234番館前)

PS2:展示会のお知らせ

2019年5月8日(水)~14日(火)、 横浜そごう9階 ギャラリーダダにて、
「能面&水彩画 聰&淳 成見兄弟展」を行います。ご都合よろしければお出で下さい。
開場から17時頃までほぼ毎日会場にいます。

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

2月 10 19

絵本から笑本へ(第34回) 絵本作家がゆく。~港北区・どろっぷ~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム第三期。

横浜市内全18区の「子育て支援拠点」を、
18カ月かけておしゃべりしています。

今月からは後半戦。
10区目は港北区です。

港北区の子育て支援拠点は「どろっぷ」。
大倉山駅前の商店街を抜けた場所にあります。

どろっぷは、
平成17年度に地域子育て支援拠点事業の先行モデル事業として開設されました。
横浜市で一番始めに出来た子育て支援拠点という事になりますね。

その後各区に設置されていき、
平成23年度に18区全ての区に子育て支援拠点が出来ました。

まぁ、今更な感じもありますが子育て支援拠点とは、

子育て中の親子が気軽に集まり、
おしゃべりしたり、
子育てについての情報交換をしたり、
不安や悩みを相談出来る場所の事。

ひと昔前よりも核家族化が進み、
地域との関わりも希薄になってきている現在において、
とても意味と意義のある場所だと、
ぼくは感じています。

しかし、まだまだ地域によっては子育て支援拠点も遠く、
つどいの広場も近くにない地域もたくさんある。
すぐに保育園に通う事になれば、
子育て支援拠点はあまり関わりの少ない場所にもなります。

ぼく達よりも上の世代は、
子育て支援拠点という場所の存在すら
知らないという方も少なくない。

しかしだからこそ、

「子育て支援拠点」や「親と子のつどいの広場」には、
やれる事がたくさんあると思っています。

子育て支援という言葉が出来て、
子育て支援拠点という場所が出来だして、
たかだか15年。

やれる事、挑戦する事、考える事、合わせる事。
たくさんたくさん、本当にたくさんあります。

大げさではなく、
子育て支援拠点の役割は、
日本の未来のとても重要なポジションにあたると、
ぼくは考えています。

子ども達の笑顔は未来だ!

子ども達がいつも
「どろっぷ」なめてるみたいに、
甘い笑顔をしてくれる、
そんな未来を創っていきたいですね。

どろっぷには綱島にサテライトもあります。是非。

『絵本から笑本へ』
また、次回。

神奈川区 保土ヶ谷区 緑区 旭区 西区 金沢区1 金沢区2 泉区1 泉区2 鶴見区 戸塚区 戸塚区 港北区

<今回訪問した施設のご紹介>

港北区子育て支援拠点 「どろっぷ 」
HP: http://www.kohoku-drop.jp/smarts/index/1/

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

2月 10 19

永岡鉄平の「若者にフェアなスタートを」(第37回) 若者達との新年会&内閣府フォーラム登壇報告

by staff

ハマっ子社会起業家「永岡鉄平」の『若者にフェアなスタートを』


 
 

 

株式会社フェアスタート、NPO法人フェアスタートサポート
代表 永岡 鉄平

横浜生まれ、横浜育ち。株式会社フェアスタート、NPO法人フェアスタートサポートの2法人の代表を務め、日々、児童養護施設の若者達を中心に18歳で親を頼れずに自立する若者達への就労支援活動に取り組む永岡鉄平が、日々の活動で感じたことを話します。
想いは「かわいそう」ではなく「もったいない」

 

若者達との新年会&内閣府フォーラム登壇報告

皆様こんにちは。
まだまだ寒い日々が続きますね。
2月は私の誕生月でもあるのですが、特に今年は興味深いお知らせが。
ローマ法王が38年ぶりに来日するらしいですね。
実は私の誕生日である1981年2月23日は前回ローマ法王が来日された日のようで、そういった縁もあり、今年の来日が楽しみです。
そして、38年ぶり、ということで、2月23日には38歳を私は迎えます。笑

さて、1月の報告を。

まずは新年会から。
1月22日は毎年恒例、施設出身の若者達との新年会でした。
社会人が主になるとなかなか全員の予定を合わせるのが難しく、残念ながら来れなかった若者もいましたが(急な決定すぎて本当にごめんなさい)、相変わらずの愉しい一時。
付き合いが7年になった若者が4人、3年が1人、1年が1人。
みんな社会でたくましく成長しています。
そんなみんなを眺めていたら、社会人1年目の若者から、改まって、御礼を言われ、フリーズ。想定外である意味サプライズ。
親との関係、家庭の事情を理解し、寮まで用意してくれた今の会社に出会えたのは本当にありがたかったです。隠すことが何もなく働けていることが嬉しいです。と。
やっぱり、これなんだよなー。
フェアスタートが一番大事にしなきゃいけない、一丁目一番地の役割、これに改めて気付かせて貰いました。
活動も8年になり、おかげさまで、色々とできることが広がってきたフェアスタートではありますが、足元見つめ直すことができました。
おかげさまで、感謝。



新年会の様子

続いては内閣府のフォーラム登壇報告。





内閣府フォーラムの様子

1月25日に、都内にて内閣府主催、子供の貧困対策マッチングフォーラムが開催され、僭越ながらパネリストを努めさせていただきました。
マッチングフォーラムの名の通り、子どもの貧困問題の解決に何かできないかと考える企業の方々が多くいらっしゃっていて、是非連携しましょう、と沢山お話をいただくことができました。
コレクティブインパクト、という言葉も広まってきましたが、社会課題に自団体だけで孤軍奮闘するのではなく、色々な人、団体、機関が連携し課題解決をしていく、これはとてもスピード感が早く、効果にも期待できる可能性を秘めています。

引き続き、フェアスタートは、様々な企業等と連携し、児童養護施設等で生活している若者達のために、様々な機会提供を通じて、「はたらく」を応援してまいりたいと思います。

以上、1月の報告でした。

今月も皆様にとって実り多い月になりますように。

永岡鉄平

永岡鉄平プロフィール

株式会社フェアスタート 代表取締役
NPO法人フェアスタートサポート 代表理事
ホームページ:http://fair-start.co.jp/

経歴

2004年に明治学院大学経済学部を卒業後、リクルートグループに入社し、求人広告の法人営業に2年間従事。その後、当時の顧客に誘いを受け、大学院生の就職問題を解決することを目的とした就職支援会社の設立に参画。幹部として、フリーペーパーの発行や求人ポータルサイトの制作といった新規事業を立ち上げながら、法人営業、登録者へのキャリアカウンセリング、広報、採用担当と幅広い業務を兼任しながら約3年間会社の発展に貢献。
約5年間のサラリーマン生活の中で、働くことから遠ざかろうとする若者の増加、若者が採用できずに苦しむ中小企業の増加を感じ、若者と雇用の世界で根深い社会課題を認識。この課題に起業という形で対峙したいと決意しサラリーマンに終止符を打つ。様々な教育事例、子育て環境、貧困問題などを勉強していくうちに、社会的養護の子ども達・若者達の存在を知る。親からの支援が見込めない中、逆にだからこそ同世代よりは働くことに真剣に向き合い、高校卒業後18歳という若さで社会に挑戦するものの、多くがワーキングプアとなる彼等・彼女等の現実を知り、人材業界で培った経験を活かし、彼等・彼女等の就労支援を決心する。起業準備期間を経て、株式会社フェアスタートを2011年8月に起業。2013年1月には、NPO法人フェアスタートサポートも設立。

受賞歴

  • 2010年9月 第1回社会起業プランコンテスト(内閣府地域社会雇用創造事業)最優秀賞受賞
  • 2014年2月 キララ賞受賞(かながわ若者活き活き大賞)
  • 2017年7月 第31回人間力大賞 会頭特別賞

その他役職員

  • 横浜YMCA常議員
  • 明治学院大学同窓会評議員

 

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