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11月 18 20

第65回盆栽カフェ オープン - 2020.11.29(日)

by staff

盆栽カフェをオープンいたします

「ヨコハマトリエンナーレ2014」で大好評だった「盆栽カフェ」をヨコハマNOWでは定期的に開催しています。

季節ごとの変化が気軽に楽しめる「盆栽」・・・
最近は若者を中心にミニ盆栽が人気を集めています。

2014年12月13日(土)に開催した第1回「盆栽カフェ」では、石井造園株式会社の石井直樹社長に、「盆栽」について語っていただきました。

盆栽カフェ
第1回「盆栽カフェ」のアルバムです

その後定期的に開催、第65回の「盆栽カフェ」を11月29日(日)にオープンいたします。

My「盆栽」をお持ちいただければ、石井社長に見ていただいてお手入れについてお話しいただきます。








2016年4月24日の「盆栽カフェ」の写真です。


2017年4月15日の「盆栽カフェ」の写真です。

「盆栽カフェ」(11月29日)のご案内 –第65回–

年の瀬に向けて足音が聞こえてきた今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
11月の盆栽カフェは29日(日)に行います。

ワークショップは、毎年恒例の「クリスマスリース」です。
自然素材の蔓に、お好きなトーナメントを飾っていただきます。

まだまだコロナ禍ですから、マスク着用で屋外で開催します。
開始前に検温とアルコール消毒を行っていただきます。

「盆栽カフェ」は・・・年代を問わず大歓迎です。

「マイ盆栽」を石井先生に見ていただき、アドバイスを頂戴することもできます。

大正時代の日本家屋でお茶と「此のみち」のシェフ手作りのお菓子をいただきながら「盆栽」について語り合いませんか。

皆様のご参加をお待ちしております。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、ご参加のときはマスク着用でお願いいたします。
また入退室の折は手洗い、アルコール消毒をお願いいたしますのでご協力ください。

「盆栽カフェ」のお申し込みはこちらから・・・
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

プログラム

タイトル 盆栽カフェ
日 時 2020年11月29日(日) 14時~
場 所 「此のみち」
横浜市中区山手町159-2 tel 045-621-4015
 
みなとみらい線「元町・中華街」駅下車、
  「港の見える丘公園」方面に徒歩12分
JR京浜東北線「山手」駅下車、「山手駅前」バス停から20系統
「港の見える丘公園」下車、尾根沿いに徒歩8分
 
アクセスはこちらをご覧ください。
http://yokohama-konomichi.jp/acces.html
参加費 4,000円 (ワークショップの材料費 お茶・お菓子 付)
お申込み お申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

動画:日本で初めて!松ぼっくりを使って苔玉を作る「苔玉ワークショップ」

参考サイト

「盆栽カフェ」 http://bonsaicafe-yokohama.net/

ヨコハマNOW掲載記事
「横浜に責任をとる。 石井造園株式会社 代表取締役 石井直樹さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=11663

 

 

11月 10 20

Withコロナ時代のマナーとは・・・

by staff

 

元町中華街のエステサロン「ビーセレブ」代表の大木美恵子先生が主宰されている「美倶楽部セレブクラブ」のオンラインサロンで、先日「Withコロナ時代のマナー」というテーマでお話させていただきました。
その一部を公開させていただきます。

美倶楽部セレブクラブ
https://www.facebook.com/beceleb

私は、Withコロナ時代(ニューノーマル)のマナーを「心」「技」「体」の点からとらえて、それぞれのポイントを一言でまとめてみました。

心技体の図

まず「心」・・・それは「思いやり」です。

これまでとは違って「ソーシャルディスタンス」や「非接触」に心がけなければならない時代になりました。
これには”他人を思いやる心”が不可欠です。
これからはこれまで以上に「前向きでいること」「柔和で穏やかでいること」(笑顔が大切)が必要だと思うのです。
そして、テレワークが増えるとともに「自分を楽しむ余裕」を持ちたいですね。
仕事も生活も自分のペースとスペースをつくろう!!と提案しました。

次に「技」・・・それは「信頼感」です。

これからの時代は、オンラインが増えてくるので、コミュニケーションスキルが今まで以上に求められると思います。
オンライン上で短時間で信頼感を構築していくにはどうしたらいいのか。。。
「対話に適切に対応する」「表情を豊かにする」ことも大切ですが一番大切なのは「聞き上手になる」ことではないかと思います。相手の想いに寄り添って、自分事としてとらえることが求められるのではないでしょうか。

また、テレワークでは「報連相」(報告・連絡・相談)の重要性が増しますし、自宅作業だからこそ、休息を定期的にとるなど、集中を生み出すための自分なりの工夫が必要でしょう。

ちなみに私は、作業開始前にゆっくり珈琲を飲みます。そして集中するためには脳を活性化させるクラシック音楽を聴くようにしています。自分らしいやり方を見つけたいですね。

最後に「体」・・・これはずばり「免疫力」です。

新型コロナウィルスに対抗するには。三密を避けマスクを着用、手洗いうがいをし、さらに自らの免疫力を高めていく、自己防衛しかありません。

免疫力を高めるには・・・以下のことがポイントだと言われています。

・適度な運動
・休養と睡眠
・ポジティブな思考(前向きに・・・)
・体を温めること

★免疫力アップに不可欠な食品を摂取すること
  良質たんぱく質の多い食品
  抗酸化作用(ビタミンA・C・E)があるもの 
  腸内環境を整える発酵食品や食物繊維
  定期的に水分をとる(1日にコップ6~8杯)

発酵食品をとることは気をつけていましたが、こまめな水分摂取が重要だとは知りませんでした。

発酵食品の図

皆様もご自分なりの、Withコロナ時代(ニューノーマル)のマナーを考えてみてくださいね。

 

11月 10 20

ハチゴロウの鳥撮り日記 第17回「花鳥風月? 花と小鳥たち」

by staff

第17回 花鳥風月? 花と小鳥たち

小鳥だけでも可愛らしいですが、花の咲いている枝にとまっている小鳥は本当に絵になります。
コロナで外出が自粛されていた期間、写真の整理をしていて見つけた「花と小鳥たち」・・・
可愛いでしょう、どうぞ癒されてください。
過去の「ハチゴロウの鳥撮り日記」で登場した写真もありますよ!

桜とカワセミ
撮影場所(横浜市/帷子川)

河津桜とヒヨドリ
撮影場所(横浜市/帷子川)

さくらんぼの花とメジロ
撮影場所(横浜市/帷子川)

トサミズキとメジロ
撮影場所(横浜市/帷子川)

桜とシジュウカラ
撮影場所(横浜市/帷子川)

シシウドとノゴマ
撮影場所(北海道/シブノツナイ湖)

エゾカンゾウとシマアオジ
撮影場所(北海道/サロベツ)

コバイケイソウとシマアオジ
撮影場所(北海道/サロベツ)

ナナカマドとキレンジャク
撮影場所(北海道/真駒内)

私は野鳥の他にも「鉄道」や「星」「月」を撮るのが好きですが、今回は「花鳥」ときたので、最後に「2020年の中秋の名月」をご紹介いたします。 コロナ自粛で遠出を控えておりました、
この写真は地元(保土ヶ谷区)西谷の歩道橋から撮りました。新幹線から『風』を感じていただけたら、私なりの花鳥風月の完成となります(笑)

中秋の名月
撮影場所(横浜市/保土ヶ谷区西谷)

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

11月 10 20

しあわせの「コツ」(第47回) 「器」ものがたり

by staff

第47回 「器」ものがたり

学生時代の話ですから、まだ19歳かそこらの時のことです。銀座で小皿5枚セットを買いました。萌黄色の地に、鉄釉で花模様が描かれて、私としては「かわいい」と思った食器でした。ところが、母はその皿をほとんど使ってくれなかったのです。

「ねえ、私が買ったお皿、何で使ってくれないの?」

「あのお皿に盛ると、料理がおいしく見えないのよ。模様が強すぎて、食材がくすんで見えるの。」

母の言葉に、私はショックを受けました。

「装飾品」として飾るならいざ知らず、日常に使う食器は料理を引き立て、料理がおいしく見えないと価値がない、と母は言うのです。「なるほど、料理を引き立ててこそ、良い器なのだ」と納得しました。それからというもの、私は「この器にはどんな料理が合うか」「料理を盛りつけたらどんな感じになるか」ということを考えながら器を選ぶようになりました。

のちに魯山人の「食器は料理の着物である」という名言を知り、なるほどと思った次第です。そして、母の一言から、私は何につけても「器」という存在に関心を持つようになりました。

北小路魯山人と彼が制作した器

人間も、人格や徳、あるいは才能を「器量」という言い方で表します。「器に徹する」という言い方もあり、料理に対する食器のように、主役を引き立てる役回りをそう表現することもあります。

最近、「器」に関連して大変感動した人物がいます。自ら「器に徹する」覚悟で、ある業界に飛び込んだ人です。ぜひご紹介したいと思います。

まつ乃家 栄太朗

三つ指をついて挨拶をするあでやかな芸者。
実はこの人は日本でただ一人の男芸者、品川区大森海岸の芸者置屋まつ乃家の女将、栄太朗さんです。でも、これだけなら「変わった芸者がいる」という話題性で終わってしまうでしょう。

栄太朗さんの芸者姿と一般男性の女装との根本的な違い、それは一体何でしょうか? 一言でいえば「覚悟」があるかないか、だといえます。文化を背負い、伝えていく覚悟があるかどうか、の一点です。

栄太朗さんは、母親である先代の女将が亡くなった後、まつ乃屋を継ぎますが、後継者となったことである決心をしました。ただ家業を継ぐだけなく、かつて料亭・待合茶屋・芸者置屋の「三業」がそろった花街であったこの地域を、再活性化しようと決めたのです。そのためには、「お座敷芸」という芸者文化を多くの人に正しく知ってもらいたいと思い、自ら「男芸者」となったのです。

しかし、栄太朗さんの凄さはそこではありません。

「自分はただの器に過ぎない。その器に芸者の文化が入るだけ」と言い切る覚悟が凄いのです。

「お座敷」は江戸時代の街場の社交場で、会議をしたり、宴会をしたり、今でいうカフェレストラン的な存在です。芸者は、そういう席で多様な芸を披露し、座を取り持つ仕事で、洗練された高度な芸でなければ目の肥えた客に喜んでもらえませんでした。深川の芸者などは、江戸の辰巳(=東南)の方角にあったので辰巳芸者と呼ばれ、まさに「芸者」(=芸をする者)の名に恥じない高レベルの芸で、世間から一目置かれる存在だったそうです。

栄太朗さんは、江戸以来の「お座敷芸の文化」を生きたままの姿で後世に伝えたいと思い、自ら「器」に徹しようというのです。

「生きたままのお座敷芸」- それは、観光客相手の「見世物」ではなく、実際にお金を払ってその芸を楽しもうという客を呼べる芸でないといけません。

三味線の稽古をする素顔の栄太朗さん

「お座敷芸の文化」を後世に伝えるために「器に徹する」という栄太朗さんは、ですから、単に「器」であるだけでなく、「本物のお座敷芸」をお客さんに楽しんでもらいたいと、思ったのです。

それは並大抵のことではありません。一流の板前さんの料理には、それを盛り付けるにふさわしい食器があるように、伝統ある文化を受け継いで後世に伝えるためには、その文化にふさわしい芸の力がなければなりません。日本舞踊や三味線、茶道など、芸者に必要な芸事をすべて身につけないといけないのです。志だけでできるものではありません。

良い器は料理と一体となってハーモニーを醸し出し、客の五感を楽しませてくれます。栄太朗さんが研鑽を重ねてゆけば、もはやお座敷芸の「器」というあり方を超えて、栄太朗さん自身が本物のお座敷芸を披露する一流の芸者となることでしょう。

栄太朗さんを取り上げた新聞記事

母との器談義から、人間の器にまで関心が広がりましたが、何であれ、自分を磨き、高めないと「器」にすらなれないのだ、と栄太朗さんの生き方から学ばされた私でした。

たじりしげみのトークショー「しあわせのかくし味」のお知らせ

このたび、ネット空間から街へ繰り出し、「トークショー」を行うことにいたしました。題して「しあわせのかくし味」。

ひとつまみの塩が料理を一変させるように、日々の何気ない出来事を支えている「日本」という絶品スパイス。そのささやかな気づきが、どれほどあなたの心を豊かにすることでしょうか。

日曜日の昼下がり、アットホームな雰囲気の中で、ちょっと知的で、ちょっとトリビアな知識をちりばめた軽妙なトークと音楽をお楽しみください。

開催概要

テーマ キーワードは「日本」
日 時 2020年12月13日(日) 14時~16時
場 所 シャンソニエ「デュモン」 045-641-2968
(横浜市中区山下町100-3 リレント山下町1階
みなとみらい線元町・中華街駅3番出口より3分。
エクセレントコースト隣)
 
アクセスはこちらをご覧ください。
https://dumont.co.jp/
会 費 5,000円(ワンドリンク付き)
お申込み
お問い合わせ
お申し込みとお問い合わせはメールまたは電話でお願い致します。
 
メール:info@elavita.jp
 
TEL: 045−231−5774
(土日休み 平日9:00~18:00)

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



詳細はこちら


「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

11月 10 20

2020年11月 三ツ池だより 「祈り!」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

毎日が祈りの中にいる。コロナのことで時代がかわってしまった。これをどのようにしていくのか。どのようにしていくというより、生き方も今までのままでいいというのでなく、新しい挑戦の時がきたと考えることだろう。

 「虹だ」  けんじ
朝焼けと思って
玄関に出たら
虹が真上に登っている
  今日という日が
  また一段と光る
  そんな今日を迎えている
ベランダの外には朝焼けが
空一面に色をつけてそのままに
今を祝っている
  昨晩の
  三屋清左衛門残日録が
  まだ頭に残っている
コロナの時に求められている
不安な時ほど雑談がいいと
虹の階段を「今」が登っていく

それにしても不思議なことだが、今まで当たり前に考えていたことが気にかかる。虹だって目の前にみることになると、本当に感動してしまう。

 「喜」 けんじ
喜びは
土の中から
口に出て来るもの
  嬉びとは
  一番に
  女性が感じるものか
生れる喜び
生み育てる喜び
生きているから感じられるもの
  育つには
  年月が必要
  助け合いながら
喜びの声をあげよう
生れてきて
生きているのだから

自分らしさとは、自分らしさをどう表現していくのか、を考える。対人とゆっくりできること、大きなことを言えること、自分の役割を認識していること、等を考える。そして、自分の時間を自分でコントロールする、必要ならどこへでも行って発言する、日々努力精進していく。そしてさらに、人をせめない、自分を努力させる、時代を把握していくのだ。

 「一緒」 けんじ
一緒って
糸と者
者という人と糸という言葉
共にあるということ
  一緒って
  共にあるこということ
  今そしてその後も
  共にあるのだ
一緒って
どこに行くにも
今そこにいるにも
共にいるのだ
  一緒って
  ただそれだけで
  つながっている
  進んでいく

生きていくには友がいる。励まし合ったり、時には注意もしあって励ましていく。

 「それでいい」 けんじ
そう思うことにする
何を
何をだろう
そう思うこととは
  当りまえに思うこと
  あたりまえにしていること
  何を
  何をだろう
それでいいのだ
あたりまえであることに
何の疑問を持つのだろう
いつまでつづくのか
  今までしてきたことが
  問いかけられているわけでは
  ないはずなのだから
  今までのままでいいのだ

それでいいというのは、少し危険かもしれない。変化が求められている時なのだから。ではどうしていくといわれも、そこが難しい。

 「今守るものは」 けんじ
家族がいることがありがたい
嬉しい時残念な時
それを素直に口にだせる
  どこに行っても
  そこは1人でも
  奇声すら発せられなくとも
おはようおやすみ
ごめん・ありがとう
素直にいつでも出せる
  自分の存在は家族の為
  旅を無限に続ける為
  存在が確かであることのあかし
今日にありがとう
昨日にごくろうさん
明日にこんにちは

挨拶できることがとても大事だと思っている。気づいたことを口に出す。できるようになるんだよね。「いってくるよ!」「ただいま!」と。一番の喜びは家族で食事をする時だね。

 「思うこと」  けんじ
いくつに戻りたいですかの
質問があって考えた
  思うようにできなかった高校時代?
  不本意な若い時代?
なぜうまくいった時代でなく
不本意な時代なのだろう
  まずまずの中学時代だった
  社長になった喜びの40代だった
戻るならいい時代が
いいはずではないだろうか
  考えればいろいろあったから
  人生はそれなりかもしれない
いい時代もあったのだ
その点では今もいいものだ

自分のことが見つめられる今を大事にしていきたい。コロナで止まったように見えるかもしれないけど、変化が求められ、変わらずにはおれない。だれがではなくて、皆が人のため、世のため、生きるんだ。日本人の特性を思い出しながら。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

11月 10 20

ゆるマナー講座(第61回) 阿吽の呼吸はむずかしい?

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

以前サービス業に携わっていた時、上司が「やり過ぎて、“阿吽の呼吸”困難にならないようにね。」と、よく言っていました。限られた時間で多くのお客様にご満足いただけるサービスを提供するには、お客様の様子をよく観て察する感性や同僚同志お互いの仕事の進み具合を観ながら、かばい合うチームワークが何より大切でした。お客様が望まれていることを、お客様のちょっとした体の動きや視線から察するように指導されていたものです。その上で同僚と阿吽の呼吸で意思の疎通ができることが良いサービスには必要とされていました。五感をフル活用させる日本的な意思の疎通の仕方ですね。
今年はコロナ禍の影響で対面でのコミュニケーションが難しくなり、オンラインやメール、電話など文字や声だけのやりとりが多くなり、特に相手が見えないコミュニケーションでは、阿吽の呼吸とは言わないまでも、どのようにすれば内容や気持ちが伝わるのかを改めて考えるきっかけになりました。

文字のコミュニケーション

「文字は人なり」と言われるように手書きの手紙からは、その人の人柄や性格、気持ちがなんとなく伝わるものですが、タイプされた文字でこちらの意向や思いを伝えるには、正確に言葉に表わさないとなかなか届かないように感じます。
もちろん、日本人独特の謙虚な言い回しの根底には、相手への思いやりがあります。しかし、言わなくても察してくれるだろうという日本人特有の曖昧な表現から書き手の望んでいることを汲み取るのは疲れるものです。
特に文字だけのコミュニケーションは、誤解が生じることを前提に言葉のキャッチボールをする必要があります。投げたボールは相手が好きなように受け取るので、投げた側の意向や思いがストレートに伝わるかどうかはわからないのです。
それでも不思議なことに、書いた相手のことを知っていると、文章を読みながら日頃の相手の表情が浮かぶことがあります。すると、いつも無表情で話をする人の文章は何か素気なく感じることもあります。また、いつも穏やかな表情の人の文章は、はっきりした言い方であってもやんわりと受け止めることができることも。文字も大切ですが、日頃の表情や態度も大切だということですね。

時候の挨拶など不要なメールでも、「そちらは台風がひどかったようですが、大丈夫でしたか?」などと、ちょっとした気遣いの言葉を書いてくださる方がいます。お会いしたことがなくても相手との距離が一瞬で縮まるように感じます。
実際にお会いしてみるとメールの言葉から想像する通りの方で、言葉にも人柄が表れるものだと実感したことがあります。

思いやりの気持ちは言葉に表さないと相手に届かないということも意識するとよいですね。

声のコミュニケーション

電話のように声だけのやりとりでは、文章を推敲する時間もありませんから、さらに意思の疎通には気を遣う必要があります。声のトーンや話す速度、相づちの打ち方一つから想像力を働かせてお互いの状況や思いを汲み取らなければいけません。

会話のポイントは上手な聴き方、「傾聴力」です。
字のごとく「耳」と「十の目」と「心」で聴くこと。そうすれば、相手の話を途中で遮ることもなくなり、相づちにも気持ちがこもるはずです。

コミュニケーションは、話し上手を目指すより、聴き上手を意識する方がお互いの関係が深まります。人は自分の話を聴いてくれる人には、安心して話をすることができますし、信頼も生まれ好意を持つのです。
友人と電話で話をした後、すっきりした、楽しかったと思う時は、相手以上に一方的に話していることが多いものです。相手が同じように楽しかったと思っているとは限りませんが…。でも話したいことが一杯、今日は聴いてほしい、そんな時はお互い様。次は相手が話す番にすればいいのです。

言葉で表現する

文字だけのコミュニケーション、声だけのコミュニケーションで、スムーズに意思疎通するのは難しいと自覚して、プラスαの言葉で補足するのが誤解のないコミュニケーションに繋がります。そして思いは言葉に出して表現しましょう。
自分と相手の考えや思いは違うと思っていることも誤解を最小限にする方法かもしれません。

私の知りあいのご夫婦は、30年以上も一緒に暮らしてきたのに奥様はご主人の好みを知らないまま料理をしていたようです。つい最近発覚!単にパスタの茹で方ですが…。
些細な笑い話ですが、黙っていると案外お互いに気づかないことが多いのかもしれませんね。
いつも顔を見て話している相手でさえこのような誤解があるのですから、阿吽の呼吸で事が進んでいると思うのは、単に幻想かもしれません。

それにしても、早く目の前で思いきり話ができるようになるといいですね。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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11月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第92回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第92回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

横浜美術館をはじめ、都内の主要な美術館・博物館の多くで日時の事前予約制がスタート。ちょっと時間ができたから美術館にでもという気まぐれも許されないご時世に。一方、人気の企画展での2~3時間待ちがかなり解消されるメリットも。皇居・三の丸尚蔵館蔵の動植綵絵30幅が出展された伊藤若冲展では最長待ち時間が4時間を超えました。元々、アートとテクノロジーの語源を辿れば同根に行き着くとか。デジタル化への流れは不可避ですが、デジタル深化の最後の1センチはアナログ勝負。 “アートから文化・文化から技術・技術からアート” のサイクル。最後は、アナログを制する者がデジタルを制する可能性も。単なる予測でなく徹底した観察・洞察が不可欠な所以。社会の多元化と組織の巨大化・相互作用を通じた第五世代へ。梁塵秘抄では “尼はかくこそ候えど 大安寺の一万法師も伯父ぞかし 甥もあり 東大寺にも修学して子も持たり 雨気の候えば 物も着で参りけり” とあります。ボロは着てても心は錦。 “人生、面白がって生きないと。自分から一歩外に出て自分を見るということかな” と作家・なだ いなだ。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

コラボレーションを実現 発明者は孤独なものだと言う神話を打破
他の成功を支えるスーパースターを特定 力なき者は認知されない
隠喩・類推・物語を利用したコーディネーション・トーテムを活用
チームとして概念化 和紙は初雪 光を中へ吸込む、と谷崎潤一郎

作家・谷崎潤一郎は、現在の東京・日本橋人形町に生まれました。今も人形町界隈を通ると “谷崎潤一郎生誕の地” の石碑に出会うことも。私にとっての谷崎潤一郎は何といっても “陰翳礼讃” が一番。まだ東京に電灯もなかった時代の日本の陰翳の美。生活と自然とが一体化していた時代。浮世絵も、今の明るすぎる照明では本当の素晴らしさはわからないとか。ものとモノの間にできる翳に生まれる静寂と艶。 “風雅” の真髄を貫く感性。一方で、漢語・雅語から俗語・方言までを使いこなす表現力。 “自分の技術を鍛え抜くと自由になり、表現豊かに踊れる” とロシアの伝説的バレリーナ・プリセツカヤ。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

仕事をプロジェクトに分ける 顧客経験に関わる部門からチームをつくる
顧客満足度 日々の仕事の成果自体が報酬となるような仕組みを構築する
コラボレーション・協働・部門間および部門内の自由な議論・協力・連携
日本及び世界の全員 最初の南極大陸に挑む心構えが必要、と西堀栄三郎

西堀栄三郎は、大学教授・学長を務めた学者出身ですが、何といっても記憶に強く残るのは第1次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長。南極という未知の大陸でどう生きて仕事をするか。想像を絶する事態に遭遇した時の対応をどうするか。教科書やマニュアルが一切ない時代。未体験の環境という意味では、現在のパンデミックと似た状況。知識の蓄積でなく、絞り出す知恵だけが頼り。答えが見えない課題への論点分析。やると決めて、どうしたらできるのかを徹底的に探究。そのためにも仕事・生活の中に常に向上への道を残す意志が最後の砦。 “上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり” と世阿弥。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

経験豊富な社員 独自のビジネスの知恵を活かしてビジネス上の成果をあげる
エキスパートが編み出した仕事上の知識・ノウハウを全社でいかに共有するか
社員の業務遂行能力 その平均値をいかに高めるか 具体的手法を明確にする
完璧な生活習慣 発がんリスクは1/3程度までしか下がらない、と中川恵一

現在、日本人の2人に1人が “がん” にかかり、3人に1人が “がん” で死亡しているとか。 “がんになることを前提にした人生設計が必要” と説くのは東大医学部附属病院の中川恵一先生。 “がん” についてわかりやすく発信する伝道師。日本人を世界有数の長寿にしてきた野菜や魚を食べる習慣が減り、外出を控える・遊ばない・運動しないことがストレスになり癌を誘発することも。完璧な生活習慣を徹底しても、発がんリスクは1/3程度までしか下がらないという人体の宿命。その上で、心の問題などを含め “不幸の積分値” が大きすぎるとの見立て。 “自由とは必然性の洞察である” と哲学者ヘーゲル。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第92回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
11月 10 20

書評 「それでも、幸せになれる 「価値大転換時代」の乗りこえ方 」 清流出版 鎌田 實(著)

by staff
 
タイトル それでも、幸せになれる 「価値大転換時代」の乗りこえ方
単行本 216ページ
出版社 清流出版
ISBN-10 4860294977
ISBN-13 978-4860294977
発売日 2020/9/15
購入 それでも、幸せになれる 「価値大転換時代」の乗りこえ方

「価値観が大転換する時代の始まり」で第一章は始まる。ビジネスはどう変化していくのかを考えることが大事だと話される。これを機に、生産体制やサプライチェーンの見直しが求められる。「少しでも安い生産費や効率を目指して、中国などに展開してきた部品つくりなども、一部は国内回帰してくると思います。」

「14世紀、中国からユーラシア大陸にかけて、経済的なつながりが密になっていきました。いまでいうグローバリズムの始まりです。同時にその頃、ペスト菌が蔓延します。繰り返し波が続き経済は疲弊していきます。しかしその間に農奴の解放なども行われ、構造的変化が起こって封建時代は終わりをむかえていきます。そしてルネッサンスが生れ、経済も文化も大きく変わっていきました。この新型コロナウイルスによっても、間違いなく一人ひとりの世界観が転換していく。」そして次のように語られます。「どんな時代がやってくるかを予測しておくことが大事です。必ず時代は代わり、おもしろい時代がやってくる・・・そう読んでおくことが重要になってきます。」

コロナは後遺症があるかもしれないと言われます。「新型コロナは厄介なウイルスです。かかっても8割は軽症。しかもなんと、最後までかかったことすらわからない無症候感染が5%あることが分かっています。その反面、5%は重篤化し、集中治療室に入り人口呼吸器につなげられたり、命を奪われることもあります。」「厄介なことは、イタリアの論文で発表された“中等症以上に病気が進んだ人は、命が助かったとしても3割に後遺症が残るのではないか”という推測です。」

過去は疑え、未来は信じよう、というコーナーがあります。「壁でも逆風でも、諦めなければ、いつか、壁の向こうに出られたり、風がやんで、追い風になったりするはずです・・・・。コロナの壁がどんなに厚くても、必ず僕らは壁を乗り越えていけます。今が大切なのです。過去は終わったこと。たいへんだったにせよ、大変でなかったにせよ、壁も逆風も関係ありません。いまさら影響を及ぼすことはありません。だから大事なのは、いまを精一杯生きること。」

逆境の乗り越え方は様々ですと言われます。脱出法のヒントは、ちょっとしたところにあります。心が折れそうになったときは、まず「悩むだけ悩め」「時には力め」「へこんでもいい」の三つの言葉を自分に言い聞かせて、自分の気持ちを自由に解き放つことだと。「“がんばらない”も大事だけれど、アフターコロナのこれからは、力んで、もっと自分を解き放って生きることも大切だと思っています。」と。

「無常の世界はなりたい自分に代わるチャンス」が第二章です。僕たちは日々「なんでもない毎日」を生きていました。普段、それが当たり前にあると、ありがたみを感じないものです。でも今回のコロナによって、それが“特別なもの”であったと気づきました、と始まりました。万物流転、絶対なんてない、のところでパラリピックの南アフリカの競泳の男子選手の話です。「彼は右足がありません。二〇〇六年に、右足の膝から下をサメに食いちぎられてしまいました。兄弟でライフガードのトレーニングをしていたとき弟がサメに襲われ、それを助けようとして代わりに犠牲になったのです。さぞかしサメが憎いのではないかと思いきや、彼はこう語っています。“サメのおかげでパラリンピック選手になれた。サメにありがとうと言いたい”そしてシャークボーイというニックネームを自分でつけ、環境団体の一員として、サメを含む海洋生物の保護活動に力を注いでいます。」

「変わる可能性がある自分を見つけろ」という項があります。世の中は無常なものです。絶対的なものがないからこそ、状況はいつでも変わるし、変えることが出来ます。変えるのは僕たちの「心」です、と言われます。「いまは幸福とはいえない境遇にある人も、心のあり方次第ではいつまでも不幸のままではない。“そうか、運命は変えられるんだ”と思えば希望が生れ、生き方が変わっていくはずです。」「それぞれの人生にはそれぞれの物語があります。自分にしかない素敵なストーリーを作れるか否か、それはこのコロナ後の日常の中に、“変わる可能性のある自分”を見出すかどうかにかかっています。」

「こんなときは、もっと孤独でもいい 孤独を恐れてはいけない」という項があります。「孤独ってそんなに悪いことでしょうか。孤独の時間をもつということは、生きる強さの獲得に繋がっていきます。それは自分自身を確立するためにとても大事な、必要な時間だからです。コロナ前、僕たちは“人生で一度は立ち止まって考える時間があってもいい”、そんな言葉をいろいろな本や雑誌で目にしてきました。ただ現実には、日々忙殺され、孤独の時間をもちたくても、もてない人間がほとんどでした。孤独は人間を成長させます。孤独は成長のバネです。孤独を怖がらないでください。きっとあなたは変われます。」「おすすめなのは、読書です。読書をしていると、いつの間にか自分ならどうするだろう、どう考えるだろうなどと自分と対話をするものです。」「あるいは、思っていることを文章に書き出してみることもいいですね。数行でもいいから日記を書いてみてはどうでしょうか。」

「不透明な明日を切りひらく生き方」が第三章です。「静かにスタートをきる時期が来た」の項があります。著者は、大変だけれど、そこにはおもしろい生き方があるはずです。これまで都市にこだわっていた若者が。地方で新しい生き方を模索するようになるかもしれないと言われます。「人間はとても強いものです。弱いけど強い人間たちが、大変だけどおもしろい世界に飛び込んでいきます。過去はどうにもならないが、現在と未来はいくらでも変えられるのです。」「必要以上に不幸を考えない 幸せは、きっと自分のなかにある」の項があります。人間は緊張の糸が切れると、自分でも理解できない行動をとってしまいます。「自殺未遂をした男性が居ます。部長に昇進したのがストレスになったのです。自分には荷が重いと考えたのです。友人がなにかを感じました。駆けつけた友人のおかげで一命を取り留めました。その後は精神科のお世話になりながら、彼をおおっていた不安も減って立ち直ることができました。彼の人柄がよかったことも大きかったのでしょう。部下が彼を支えようとしました。すると会社の中で彼の部署の成績が、かえって上がったのです。“力のない上司だと下がしっかりする”と笑って話せるようになりました。」そして語られます。「家庭や会社や地域において、人の足を引っ張ったり、SNS上で人をぶっ叩いたりする空気を、これからどれだけ減らしていけるかが、僕たちの国にとって大事な課題のような気がしています。」

バルザックの言葉を紹介しています。「“自らの心の中に幸福の源泉をもつその人の人生は、なんと美しいことか!”これを不幸のどん底にいると感じている人には、残酷な言葉かもしれません。でも不幸を考えたらきりがありません。少しでも“あ、いいな”と感じたら、それを大切にすること。それを感じるのは“自分の心”なのです。」

「誰かのために役立ちたいーーその気持ちが人生を美しくする」という項があります。山口県の高校で養護教員をしていた横山智子さんの話です。「亮年40歳。6年以上にわた悪性胸膜中皮腫という病気と闘い続け、最初の手術で左肺を摘出したのですが右肺に転移してしまいました。その間に脳梗塞もおこした。」「やがて頻繁に呼吸困難をおこすようになり、息をするのもやっとになってしまった。“もう、無理”と辞表提出を相談されたとき、僕は“君はつまづきそうな子どもたちの杖。そういう姿が子供たちに勇気を与える。自由に生きるためにも仕事はやめない方がいい”と激励しました。校長先生も“あなたの存在は大きいからやめないでほしい”と言い、“子どもたちに命の授業を”と、頼んだのです。」「彼女は“つまづいてもいいから、自分自身で道をきりひらいていきなさい”と生徒たちに教えていました。僕と彼女は毎日のようにメールや手紙、携帯で連絡を取り合い、“最期の授業”の相談をしました。“10月には先生の高校で一緒に命の授業をしよう”と勇気づけたのですが、でももう彼女には体力が残されていませんでした。」

「コロナを超えて”新しい人間”を目指す」が第四章です。今こそスローライフの項があります。「僕は、ビヨンドコロナの時代に人間が人間らしく生きていくためには、”リアル”が大事と考えています。人間同士の愛情や友情、信頼関係や助け合いの気持ちなどは、顔を見せ合って相手と呼吸を合わせ、気持ちを共有することから生まれやすいと思っています。だから新型コロナウイルスをぶっ飛ばして、早く握手や抱きしめることができるリアルな世界が戻ってきてほしいものです。リアルな自然との繋がりも大事です。SNSで伝えられる風景がいくら綺麗でも、それは実物ではありません。人間らしく生きるためには自然の中に身を置いて、光や香りを実感することが大事です。「スローライフでわすれてはいけないのは、”人と自然”の繋がりだけではなく、”人と人”との繋がり、”体と心”の繋がりです。」

「スルーライフ」という生き方の項があります。「スマホが手放せずいつも眺めていると、その情報にとらわれ、いつしか”本当に正しいもの”がなにかわからなくなります。目の前にあるごく当たり前にあるスマホやメディアをいったんスルーしてみると、自分自身の意識が解き放たれ、感覚を研ぎ澄ます訓練になります。」

「五つの技法が家族関係や組織を円滑に」という項があります。「バリデーション」具体的な技法とは「傾聴する」「共感する」「誘導しない」「受容する」「ごまかさない」の五つです。「バリデーションの中で育った人間は、バランスのいい人間になっていきます。しかも自信をもっているので、壁を突破する力があります。共感させる力があることでリーダーとなり、大きなことを成すことが出来るようになります。」そして著者は言います「ビヨンドコロナの中で、”新しい人間”が生れてきて、日本が魅力的でおもしろい国になることを期待しています。コロナ後はチャンスが溢れているはずです。」

変化を楽しみなさいと言うことなのかもしれない。大変な勇気がいることなのかもしれない。

(文:横須賀 健治)

 

11月 10 20

チャレンジ(第27回) 家族の在り方

by staff

家族の在り方

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。ハロウィンが終わり11月に入ると、世の中も気持ちもクリスマスですね! GoToキャンペーンも始まっていますが、まだまだ会食禁止の企業もあるようにコロナウィルスの影響は続きそうですね。クリスマスには落ち着いて穏やかな年末年始を迎えられたらと思っています。

先日、母の一周忌を執り行ってきました。

今回は会食などはせずにお寺で法要のみの1時間足らずの一周忌でした。母は家族が集まるのが好きな人でしたが、今回は少し寂しい法要となりました。

1年って早いなぁ・・・

母の介護をしている時はいっぱいいっぱいで、母のことも自分の家のことも中途半端になっていたと、今考えると、母や娘たちに可哀想なことをしたのでは?と落ち込むことがあります。母の希望は違ったのではないか?もっと話をすればよかったのではないか?もっと手を握ってあげればよかったな・・・など、今となっては出来ないことばかり考えてしまいます。

母が難病に侵されていることが判ってからの母との記憶は辛いことが多いですが、幼少期のことを思い出すと、母は私をとても可愛がってくれた優しい母親でした。

私も子供が生まれたら母のように子供たちに美味しい食事を作ったり、優しく、やれることはやってあげよう!と思っていましたが、子育てとは思うようにいかず、家事も苦手な私は余裕もなく、毎日がバタバタ。比べてはいけませんが、街で見かける仲の良い親子を見ると私はあんな風には出来てないな・・・と落ち込みます。

2歳のころの私と母

しかし、私は意外とメンタル強いタイプで(笑) 自分が苦手なことは仕方ない、なるべくストレスを溜めないように効率良く家事育児をこなそう! 余裕を持とう! とポジティブな考えで前に進もうと思いました。

そして、うちは主人のほうが家事が得意なので、週末には美味しい料理を作ってくれます。買い物も掃除洗濯ももちろん!共働きの家庭では当たり前のことですが、お互いに協力して家事育児をしてきました。
隣の芝生は青い・・・人と比べれば落ち込むこともありますが、自分はこれでいいと思える個々のメンタルと、家族が心地よいと思える場をこれからも作っていきたいと思います。

結婚20周年を迎えて

次回は「新しい年に向けて」です 

(第27回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

11月 10 20

絵本から笑本へ(第53回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~つなしま あさみさん~

by staff

絵本作家としてこれまでにご縁のあった

「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。
絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期。

第4期8回目にご登場は…
南足柄市の市議会議員として活動されている傍ら、
子どもや親子向けに歌とお話のライブも行う、つなしまあさみさん。

毎年、小田原市の子育て支援施設で

絵本と紙芝居の読み笑わせツアーをさせてもらっているのですが、
そのイベントに子どもさんと遊びに来てくれたのが、
あさみさんとの初めての出会い。

そこからSNSをはじめ、様々なカタチであさみさんの活動を拝見し。
また、ぼくの活動にも色々と興味をもってくださり交流が続きました。

初めて会った日に…
「またすぐ会えそうな気がする。」
「一緒になにか面白いことしたいですね。」
そんなことを話しました。

最初からそんな話が出来る方って
なかなかいないですよね。

そしてぼくは、それをすごく本気にしていました(笑)
だって、社交辞令ではなく本当にそう思えたから。

あさみさんと出会って1年後。
それは現実となりました。

ぼくが毎年夏に主催開催しているイベントがあります。

絵本作家 保科琢音主催『楽絵ん祭(がくえんさい)』

毎年、様々なアーティストや音楽家、芸人さん達に出演して頂き、
絵本作家のぼくとコラボレーションをしてもらうイベント。
あさみさんには昨年2019年の「楽絵ん祭」に出演頂きました。

出演の打診をした頃、あさみさんは南足柄市の市議会選挙真っ只中。
2つ返事で「是非!!」という気持ちではいてくれたのですが…
出演の承諾は持ち越し。

選挙はトップ当選を果たし、晴れて南足柄市の市議会議員となった
あさみさんから「出演オーケー!!」のお返事を頂いたときには、
嬉しいと同時に「議員さんとコラボする事になるのか…」と、
なんだかいつもと違う気持ちになったのを覚えています(笑)

しかし、アーティストとしてのあさみさんは変わらず
アーティストでした。
イベントでは、ぼくの絵本「ままも」に曲をつけ披露してくれたり、
他の出演者の皆さんと一緒に歌って踊って、
たくさんの子ども達を笑顔にしてくれました。

あさみさんと出会って1年後。
初めて交わした会話が実現した日。

そして、今年2020年。

『楽絵ん祭』は例年通り夏の開催は出来ませんでしたが、
11月29日(日)にYouTubeにて生ライブ配信での開催が決定!!

今年も2年連続で、つなしまあさみさん(L☆PLANETサニーさん)も
出演してくれる事になりました。

ときに、議員さんとして政治の世界から。
ときに、子ども達やお母さん達の身近な存在として。
あたたかい笑顔の連鎖を生みだす。
そんなあさみさんのアツいライブ姿を
楽しみにしていてください!!

つなしまあさみ
(南足柄市議会議員・子どもの歌シンガー)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「小学生時代は、そこそこ“きちんとした良い子”。しかし中学生になり、自分の生き方やら社会の矛盾やらに悶々とし、大人に対しても反発心を抱く思春期に突入。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「そんな年齢の子どもたちに寄り添う大人になりたいと、学校の先生を夢見るようになる。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「誰もが“命”と“人権”を大切にされるあったかい社会をつくりたい。」

④ 『悩みはありますか?』
「ある!常に何かに追われる余裕のない毎日なので、脳ミソ溶けそうなほどダラァ〜っと緩む術「上手に休む」を身に付けたい!」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「誰かが喜んでくれたのを感じられる仕事ができたときは、とっても楽しい。それから、子どもたち(我が子に限らず)が笑ってるキラキラした顔を見たときも、モーレツに嬉しくなっちゃう。」

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

11月 10 20

第91回 これからの暮らしと居の構え方

by staff

株式会社GEN INOUE
井上玄

これからの暮らしと居の構え方

私のライフスタイル

思い返せば子どもが生まれた約10年前の暮らしは、平日は一生懸命仕事場で働き休日に家族との時間や旅行を楽しむ「ON/OFF」を切り替える暮らしだった。数年前、子どもの小学校入学を機に、子どもには海や山の自然を日常的に感じて欲しいと逗子・小坪の「海近」に引越し、今に至るまで数年経ったが、私自身の「ON/OFF」を切り替える暮らしは変わっていなかった。

そんな中、新型コロナの「外室自粛」をきっかけにONとOFFの境界が薄くなった「職住一体」の暮らしが始まった。平日も晴れれば海を見ながらバルコニーで子どもと一緒にホームベーカリーで焼いたパンを食べ、夕食後に公園で運動がてら子どもと鬼ごっこをする。仕事の質は落ちることなく効率化され、移動しない分だけ家族との時間が増えた。

非日常的なイベントに驚くのではなく、毎日の暮らしの中にある魅力を発見できる時間と心の余裕を持てる暮らしとそれを実現する働き方が私の理想のライフスタイルであると気づいた。

creative MY life

職場に近い人気エリアの「駅近」に高額のローンを組んで一戸建てを建てるのか?働き方をかえ、自然が豊かな環境に移住し子どもを育てるか? 平日は職場に近い「駅近」の中古マンション、休日は「非日常」を感じ自分の趣味を満喫できる「セカンドハウス」。「ON/OFF」を切り替える暮らしが理想?ライフステージに合わせて定住せずに住む場所を変える「遊牧的な暮らし」はどうか?どこにいつまで住むか?何曜日に働き、いつ長期休暇をとるか?

常識にとらわれず、自分の直感を信じ、働き方や暮らし方を自分でデザインし人生を楽しむ。1人でも多くの人が動き出す機会として今はチャンスだと思う。

暮らしの拠点・居の構え方

私の選んだ逗子・小坪は駅から遠く便利とはいえないが海と山には近く豊かな自然環境が残る小さな街。この街の挨拶が飛び交う親しみ易さや、みんなが顔馴染みになれる街の小ささに後押しされ、積極的に地域との関わりを大切に暮らし始めた。すぐに、この地域の人が好きになり、できるだけ地域の魚屋、八百屋、肉屋、花屋、ピザ屋、居酒屋などの個人商店で買い物や外食をするようになった。今ではすっかりお得意さんで、旬のオススメを教えてもらったり、逆に、次の日がお休みの八百屋さんは何を買ってあげると助かるのか?を考えながら会話を交わしコミュニケーションを楽しみ、商品以上のものを手に入れている。大切なのは利便性ではなく豊かな自然環境やコミュニケーションの生まれる街の気質など「地域の魅力」ではないか?自分にあった「住まい」を考える前に、自分にあった「地域」を選ぶことが、これからの自分らしい暮らしを実現する一歩になるのではないか?

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acaa建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

11月 10 20

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #02

by staff

ゴキブリとアセンション

ゴキブリ・・最近私のfacebookの友達に ゴキブリに関する記事を二つ載せました。
人類よりも古くから地球に住んでいた? と言う話も聞いたことがあるこの小さな黒い虫。
秋になったにもかかわらず、良い天気が続くとまだまだゴキブリは活発です。
ゴキブリは怖い、嫌い、で、人はゴキブリを見つけると反応的に削除したくなるらしい、、、、

私の場合、昔、ゴキブリが出た時に、噴霧器の薬品を吹きかけて、逃げるゴキブリを追いかけてず~っと吹きかけ続けてとうとう殺した記憶があります。あの時の鬼の様な自分の精神状態。絶対許さない! どこまでも追いかけて 殺してやる! という極限までの殺意。
その心境は、私のどこか、古い記憶の中にかすかに残っているビジョンを想起させます。
自分がゴキブリと同じような目にあって 誰かに追いかけられて絶体絶命で小さな穴の中に隠れて、それでも、見つけられて、 相手はニンマリしながら一突き! 槍の様な鋭いもので自分が突かれて殺されるビジョン。
その時に観念しながらも、私自身が相手に放った憎しみと、恨みの念! の激しさを思い出すのです。
私は小さな貝だったのか、魚だったのか、小動物だったかもしれません。そんな巨人の様な人間に食べ物として仕留められた記憶があるのでしょう。そこには相手側に仕留める事の躊躇も罪の意識も何もありません。あるのは やったぜ! と言う高揚感みたいな物だけだったと思います。

話しがそれました、またゴキブリに戻します。
私たちはゴキブリを殺すから怖いのか、怖いから殺すのか、これはきっと相互作用なのだと思います。ゴキブリを殺すとき、私達は潜在意識の深いところで 自分が殺される恐怖を感じていて、ゴキブリと私たちはつながっている、イノチというこの宇宙の本質では私もゴキブリも一つなのだ、、、、
其処に思いが至った時から、どうやってこの悍ましい生き物と共存してゆけば良いのか、が自分の毎年夏のテーマになっています。横浜のマンションに住んでいた時、ベランダからゴキブリは侵入してくるのです。鉢植えの下に住んでいるのか、隣のベランダからもやってくるのか、それとも、すでに私の部屋のどこかに巣を作って越冬して生きながらえているのか。
「ゴキブリ進入禁止」と赤マジックと黒でどぎつく書いた段ボールの張りぼて看板をベランダの窓下のレールに挟んで立てかけておいたのを覚えています。ある程度それは効果があったように思います。レモンが嫌いだと聞けばベランダの窓際に輪切りレモンを並べておいたこともありました。残念ながら仕事から帰ってきてベランダを開けたとたん そのレモンに数匹のゴキブリがたかっていたのを見てすごく落ち込んだのを今でも昨日のように覚えています。最後にはやはりゴキブリホイホイがソフトな削除方法だとあきらめて置いた年もありました。良し! 今年は許さない、とゴキブリ団子を自ら手作りしてキッチンの下や部屋中ベランダ中に置きまくった夏もありました。いつか自分がゴキブリを殺さずに、私の生活空間から出て行ってくれる日がくる。と、それが毎年の夏の自分への励ましでした。そしてゴキブリの集合意識に問いかけて。どうすればいいのか、と問うのです。まあ、ほとんどのお祈りはもっと切実に「お願いだから出て行って下さい!」という懇願だったような気がします。

月日が流れて、私は岡山に住み始めました。この家は私が住む前から住んでいた生き物がいます。ヤモリと 大きな足の長い蜘蛛と、そしてゴキブリ。
土のある田舎に住むとは他生物との共存を余儀なくされる。写真等で見ると緑の多いカントリーライフは素敵な生活のように思えるけど、田舎には田舎の生物形態があるのです。
私としては、自身の生活空間を脅かさないでいてくれること、が守られていれば、先住の生き物を絶滅させたり、蹴散らすのは大人げない気がして、なるべく気に留めないでいたいのですが、2年目にゴキブリが一挙に増えた時にはやはり、お団子を作り それからは何とかペパーミントやハーブを使ってしのいで今年までやってきました。そう今年までは….です。

今年の夏 ライオンズゲートが開くと言われていた8月8日、殺人的な猛暑の中で、朝早くキッチンの椅子に腰かけてお茶を飲みながらノートに日記を綴っていた私の目が、片隅に何か動くものを捉えて 流しの隣の電気釜を置く便利テーブルの下に見つけた物。
それは小さなネズミ! まさか嘘でしょう?
ゴキブリまでは許せるけどネズミはダメ!
パニックになってしまった私は叫び声と共に気絶寸前。
どうにかこうにか気を取り直して二階へ駆けあがり、パソコンを開けて、、、、
もう、気が動転しているのでなかなか、キーが打てないながらも 「ネズミ駆除」と検索。
私のライオンズゲートは宇宙に繋がるゲートだけではなくて 地下のゲートまでもが開いてしまったようです。
この続きは次号で・・・・

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

11月 10 20

オールラウンドなドラマーとして活動する武田 剛さん

by staff

ドラマーの武田剛さんをインタビューするにあたって下調べをしていると「カルラ・トリオ」という和楽器を取り入れたジャズバンドのことがヒットしました。ジャズの即興技術を活かし、日々の営み、命のありかた、自然の素晴らしさ厳しさを和太鼓と篠笛とピアノで心の赴くままに表現するという「カルラ・トリオ」。自作の和太鼓ドラムを叩いているのが武田さんです。2012年にご自身が代表を務める音楽スクール「Music School More Harmony」を横浜で設立、また今年(2020年6月)リリースしたセカンドアルバム『龍との約束』などご活躍されています。今回は武田剛さんの過去・現在・未来のお話を伺いました。

ドラマーの武田剛さん
武田剛さん
 
お名前 武田 剛(たけだ たけし)
お生まれ 1981年12月 座間市
お住まい 横浜市港北区日吉
ご家族 妻 子(男の子x2)猫(オス)
お仕事 音楽スクール運営
ミュージシャン
HP http://more-harmony.jp/
趣味 音楽全般 アート/芸術鑑賞
映画鑑賞 読書 など

 

芸術家のDNAを持って生まれた

3人兄弟の真ん中に生まれました。2歳上の姉と2歳下の弟がいます。幼い時に両親が離婚し、女手一つで育てられました。僕にも5歳と2歳の男の子がおりますので、今思うと母の大変さが分かる気がします。母は文化芸術にとても理解のある人で、日本舞踊を習っており、家のCDプレーヤーからは長唄やJAZZなど、いろいろなジャンルの音楽が流れていました。 祖父は趣味で工芸品を作ったり水墨画を描いていましたので、僕はきっと祖父や母のDNAを受け継いだのでしょう。幼い頃から絵を描くことや音楽が好きで、大人になった現在でも文化芸術に触れることに幸せを感じられるのは、母や祖父の存在があったからだと思います。

自転車で冒険の旅に出た

高校生まで住んでいた神奈川県座間市は相模川が流れる田園風景がとても素敵な長閑な町です。小学校では美術や体育が得意で、とても活発な子供だったと思います。地元のお祭りではお囃子、運動会で催されるマーチングバンドではスネア・ドラムを担当しましたので、ドラマーの種はここで蒔かれたのかもしれませんね。中学校に入学すると、友達と自転車の遠出をするようになり、日帰りで海まで行ったり、山中湖や道志村あたりの丹沢を巡る一泊旅行をしたりと、今でも大切な想い出の一つです。中2の頃から仲の良かった友達がギターを始めまして、仲間で集まってはバンドを作って演奏というよりは遊びの一環でした。もっぱら僕のパートはドラムではなく『シャウト係』で、歌うというよりもいつも叫んでいましたね(笑)。

そしてドラムとの出合い

バンド仲間にドラムセットを持っている子がいまして、中学3年の時に譲り受けました。自分の部屋に初めてドラムセットを置いた時は、王様になった心地でしたよ。最初はスポーツ感覚で始めたドラムですが、音楽のカッコよさに魅せられて夢中になっていき、独学でドラムを勉強しました。中学卒業ライブをホールの楽屋兼リハーサル室のような場所を仲間で貸し切り、同級生を集めて自主開催の初ライブをした事はとても良い経験となりました。母が作ってくれた奇抜な衣装で登場しましたので、すごく盛り上がり、これも良い思い出ですね。

高校は軽音楽部でバンド三昧

中学ではバスケットボール部に所属していましたが、高校に入学すると軽音楽部とラグビー部に入部しました。ラグビーはルールも分からず試合に出場したりしましたが、結局1年で退部を決めました。一方、軽音楽部ではロックや ポップスを中心に仲間とバンドを組み、文化祭や新入生歓迎会などで演奏しました。充実した高校生活でしたが「朝寝坊」の癖がつき、遅刻しないようにローラーブレードで登校したりしました。時には廊下をローラーブレードで走って先生方の顰蹙をかったことがありましたが、「またタケがやっているよ」と諦めの境地だったかと思いますよ・・・

大学そして社会人。 渡辺文男さんとの出会い

大学は短期大学の経営学情報科でした。短期大学は女性が多く、軽音楽部のドラムはほぼ独り占めで、勉強そっちのけでドラム三昧でしたね。大学生活は短く周りは就職活動や他大学への編入準備をする中、「自分のなりたいもの」 「自分のやりたい事」がようやく見つかり、人生を『ドラム』に掛けてみたいと、この頃に決意しました。

そんな折に、ふとつけたTVでJAZZの演奏が放映されてました。その時に演奏されていたのが渡辺文男さんで、もう一目惚れでしたね。

自宅近くのJAZZ喫茶に文男さんが出演しているのを知り、初めてJAZZクラブの扉を開け演奏を聴きに行きました。まだJAZZのことなどよく分からない中、厚かましくも文男さんに「ドラムを教えてください」とその場でお声を掛け、弟子入りを果たしました。

文男さんからはテクニックやノウハウを習うのではなくて、人としての生きざまやミュージシャンとしての立ち振る舞いを学ばせていただきました。文男さんのご自宅へ伺うと、海外から送られてきた有名ミュージシャン(ドラマー)のライブビデオを一緒に見ながら 「ここが凄いんだ」 と感動を共有する・・・そんな楽しい時間の中で気づきや得るものが大きかったと思います。

並行して、アフリカンドラムを古澤良治郎さんに習いました。それまでは独学で譜面の読み方も曖昧な点がありましたが、古澤さんから基礎をしっかりと教えていただきました。JAZZドラムを渡辺文男氏、アフリカンドラムを古澤良治郎氏と日本を代表する両氏に師事できたことはとても幸運なことでした。

ミュージックスクール MORE HARMONY

ライブ活動やセッションをこなす日々が続き、いろいろなミュージシャンとの繋がりが出来て、おかげさまで演奏の仕事が入るようになり、同時にレッスンの仕事も増えてきました。レッスンで教える立場になって感じた事は、もちろん難しさもありますが、演奏活動同様に「楽しい!」 という気持ちが大きかったです。何よりドラムの楽しさ、音楽の素晴らしさを生徒さんへ伝えたい、知って頂きたいという一心でした。 その頃はいくつかの音楽スクールでドラムを教えていましたが、より多くの方へ音楽の素晴らしさを届けたい想いで独立をし、横浜に音楽スクール「Music School More Harmony」(http://more-harmony.jp/)を創設しました。

2012年に教室運営をスタートさせ今年で9年目となります。生徒さんの年齢層は幅広くお子さんからご年配の方まで在籍して頂き、様々な楽器や科目を学ばれています。

教室では楽器を教える → 習うの一方通行ではなく、先生方々や生徒さん達を交えたライブやセッション等、音楽を中心とした様々なイベントや企画を開催して交流し合い、皆さんへはより音楽を身近に楽しんで頂けるようにしております。何より僕が一番楽しんでいます。

あなたにとっての横浜とは

短大を卒業後に横浜で一人暮らしを始めましたが、暮らし始めて感じましたのは、文化芸術がとても盛んな印象を受けました。文化芸術が活発ということは、街が元気な証拠ですね。JAZZに限って申しますと、諸説ありますが、横浜は日本におけるJAZZ発祥の地という点から現在でも軒並みJAZZクラブがあり、毎夜素晴らしいミュージシャンによる演奏が繰り広げられています。

JAZZには「セッション」というライブとは違ったミュージシャンによる研鑽の場、交流の場、情報収集や交換の場がありまして、僕もセッションを通じてミュージシャン仲間との交流を深め、その輪を広げていくことができました。そうした横浜のジャズクラブで開催されるミュージシャン達とのコミュニティーの場では多くを学び経験をさせて頂きました。現在ではJAZZに限らず、ファンクやブルース、ロックなどジャンルを問わずセッションホストやライブをさせて頂いてますが、いつも新しい刺激や出会いがあり、また横浜のミュージシャン仲間と一緒に演奏できる機会はとても楽しく、僕にとって改めて「音楽って素晴らしいな」と感じられる大切な時間の一つとなっています。

僕が音楽から受けた恩恵の一つは 『人と人を音楽で結ぶ』 ことでして、今度は僕がそのコミュニティーの場を作り、それぞれの生徒さんをご紹介してバンドを作ったり、一緒にセッションや演奏して遊んだり、地域の方に音楽を聴いて頂いたりと、皆さんの新しい出会いへとつながっていけば幸いです。 また老若男女、年齢、性別はもちろん人種も関係なく一緒に演奏できる音楽は、とても懐の深い文化芸術だと感じていまして、その音楽を通じて人と人の出会いがあり、『人と人を音楽で結ぶ』場所を横浜に作り携われることをとても幸せに感じます。皆さんに笑顔の絶えない音楽ライフを送って頂きたく、これから僕自身も存分に音楽を楽しんでいきたいと思います。

人と人を音楽で結ぶ

バンド&CD紹介

ドラマー武田剛さんの呼び掛けのもと、結成された和楽器ジャズバンド「KARURA TRIO(カルラ・トリオ)https://karuratrio.wixsite.com/japanese-jazz」。 国内最高峰の『浅草ジャズコンテスト』で「グランプリ」と「浅草ジャズ賞」のW受賞をする。1stアルバム「KARURA TRIO」は世界最大級のジャズ専門店 diskunion Jazz TOKYOで週間売上ランキング1位を獲得。「JAZZ LIFE」「邦楽ジャーナル」「STEREO」各誌に掲載。またラジオ各局の放送により現代ジャズ・シーンで注目を集めるバンドとなる。 2020年6月に2ndアルバム「龍との約束」をリリースし、好評発売中。JAZZ×和楽器という新たなジャズのフォーマットを展開、深化させ生粋のJapanese JAZZを聴かせてくれる。 両アルバムのジャケットデザイン、アートワークは全て武田さんご本人の手によるもの。バンドでは和太鼓のドラムセットを演奏され、今後の活躍にも注目のバンドです。

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

10月 10 20

「大通り公園」美化活動を始めました

by staff

 

2012年3月の「ヨコハマNOW」ともの現場のブラともシリーズで 「大通り公園」を紹介しました。
http://yokohama-now.jp/home/?p=7089

「大通り公園」は、運河を埋め立てた公園で道路のように全長1.2kmの細長い公園です。
JR関内駅前から市営地下鉄の伊勢佐木長者町駅を経て坂東橋駅までの間にあります。

横浜市民にもあまり知られていないけれど、街中の公園としては歩きやすく、私がお勧めする散策コースの一つです。

伊勢佐木長者町駅に近付くと、水が流れていて「水の広場」のエリアになります。

この「水の広場」付近の美化活動を2009年から続けていらっしゃるのが、笠原光子さんが代表をされている「花ボランティアK」グループです。

駅前に大きなホテルがあるのに、当時はごみや雑草が多くて荒れ放題。なんとかしなければ・・・と、仕事の合間にごみを拾い、雑草だらけの花壇を少しずつ整備して、自費で整備用の道具を用意されました。

ホテル前の美化活動

「花ボランティアK」は2011年に、「大通り公園水の広場愛護会」として横浜市から認定され、清掃道具などは横浜市から提供されるようになりましたが、今だに活動費用のほとんどは持ち出しだそうです。

12年間休むことなく続けてこられた美化活動で、「水の広場」は春はチューリップ、夏はひまわりが咲き誇る、花にあふれた素敵な公園になりました。活動を見ていた近隣住民の方々が手伝ってくれるようになり、年々活動の輪が広がっているそうです。

笠原さんによると酷暑の日が続いた今年は、毎日のように水まきをされたとのことで、9月にはいってもタイタンビカスの大きな花が見事に咲いていました。

タイタンビカス(9月1日撮影)

サンゴジュ(9月13日撮影)

このたび、笠原さんたちの活動を定期的にお手伝いしたいということで、私が所属する横浜市中区倫理法人会や如水会横浜支部の社会貢献活動の一環として、毎月第2土曜日15時に集合してみんなで一緒に美化活動を行うことになりました。

9月の第2土曜日は、小雨の中での草取り作業でした。夏に大きく成長した雑草はなかなか難敵で、手で抜けずスコップで掘り起こさないといけない状況でしたが、何とか頑張りましたよ。今はマスクを着用しながらなのでちょっと大変ですが、作業の後の皆様の笑顔が素敵でしょう。

渡邊が草取り中

作業終了後の記念撮影 中央が笠原光子さん

これからも月1回の大通り公園の美化活動は続けていきたいと思っています。
手伝ってもいいよ・・・という方がいらしたらご連絡ください。よろしくお願いいたします。

 

10月 10 20

楽しい文字の世界(第24回) 面白漢字 耳編

by staff

第24回 面白漢字 耳編

第23回に続き、今回も「面白漢字」をテーマに進めて行きたいと思います。
前回は「生き物編」でしたが、今回は、体の部位「耳」を重ねた漢字についてお話いたします。

「耳」(みみ)
大変身近な漢字ですね。
この文字でちょっと気にしたいところがあります。最後の2画。つまり5・6画目です。
5画目が6画目の縦画から突き出るか出ないか。気にされたことはあるでしょうか。
「耳」ですと、突き出ますが、「聞」や「聴」などになると出ません。
重箱の隅をつつくようで恐縮ですが、折角なので確認しておきましょう。

さて、ここからが本題です。耳を重ねた文字を6つ見て行きます。

「聶」…耳三つ

(読み)じょう
(意味)耳に口を寄せてささやく。
三人寄れば文殊の知恵ということわざがありますが、「じょう」は三人が、寄り添ってひそひそと話している様子が想像できます。

「囁」…くちへんに耳三つ

(読み)ささや(く)
(意味)口を寄せてそっとささやく。
「聶」(ささやく)に比べて更にひそひそ感が増しますね。

「躡」…あしへんに耳三つ。

(読み)ふ(む)
(意味)やんわりと踏みしめる。転じて一歩一歩ふみしめて行く。
踏みしめて歩く音を耳で静かに聞きながら進む様子を想像します。

「攝」…てへんに耳三つ  「摂」と同じ。

(読み)せつ、と(る)
(意味)いくつかのものを合わせて持つ。散乱しないように手の中に収める。
推古天皇の「摂政」として聖徳太子は有名ですが、「攝」と同じ「摂」は、「とって変わっておさめる」という意味に使われています。

「懾」…心(りっしんべん)に耳三つ

(読み)おそ(れる)
(意味)耳と心(りっしんべん)が一緒になり、恐れたり、ひやひやしたりする。

「鑷」かねへんに耳三つ

(読み)けぬき
(意味)そっと物に添える金具の意味として「けぬき」
思いっきり抜くのではなく、あくまでもそっと抜くイメージです。

「耳」自身を古人は「柔らかい」ものとして捉え、それが合わさったり、他の文字と一緒になっても、その意味が現れていると感じます。
動画で筆順も確認できます。

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して26年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

10月 10 20

しあわせの「コツ」(第46回) 「まれびと」の系譜 現代版

by staff

第46回 「まれびと」の系譜 現代版

石川直樹写真集 「まれびと」より

「まれびと」とは、「海の彼方からやってきて、村人の生活に幸福をもたらして還る神」という意味です。これは古来日本の神は「まれびと」であったとする民俗学者折口信夫の有名な概念です。これに対して、「いや、日本の信仰の元は祖霊信仰だ」と主張する柳田國男との有名な「まれびと論争」がありますが、今回はそれには触れません。

日本の民俗を眺めると、「なまはげ」をはじめとして、異界からやってきて、穢れを祓ったり、幸をもたらしてくれる神を村や家に迎える風習が各地にあり、枚挙にいとまがありません。論争はともかく、「まれびと」という考えと風習はあったと考えるのが自然だと思います。

面白いことに、大衆に広く受け入れられた物語には、「まれびと」を主人公にしたり、あるいは主人公を助ける役回りで「まれびと的存在」が登場したりしています。

代表的なのは「鞍馬天狗」でしょう。「鞍馬天狗」がどういう人か、どこに住んでいるのか、誰も知りません。でも、善人が悪者によって危険な目にあっているとき、忽然と現れて助けてくれます。そして、悪人の成敗が終わると何の見返りも要求せず、むしろ助けられた人からのお礼すら拒んで去っていくのです。

嵐寛寿朗扮する鞍馬天狗

「鞍馬天狗」と同工異曲で「白馬童子」というのもありました。「月光仮面」もこの流れにつながります。「ウルトラマン」シリーズもそうですね。遠い星から地球に降り立って悪い怪獣をやっつけるウルトラ一家の活躍は、まさに「まれびと」そのものです。このシリーズが長い間人気が衰えないのは、私たち日本人の意識の奥底に眠っている「まれびと」信仰を刺激するからではないでしょうか。

「まれびと」は、村などのリアルな共同体に属していません。異界や化外(けがい)の地から「まれに」来るのです。「天狗」も異界の存在ですし、「童子」は、封建時代の身分制度の枠外にある存在です。

「童子」については少し説明が必要ですね。
普通、子供が大きくなると「元服」をして、武士なら竹千代から家康へ、のように幼名から成人の名前に代わります。これで晴れて社会の正式な成員と認められるのです。ところが貴人の身の回りのお世話をする「八瀬童子(やせのどうじ)」など身分制度の埒外にある人々は、元服をせずに生涯「○○丸」のような幼名で通します(昭和天皇崩御の際、ご遺体を収めた輿を担いだ人々が「八瀬童子」です)。頭も月代を剃らず、束髪のままです。

ですから「白馬童子」という名前には、身分社会の外から来た人、という意味が最初から込められているのです。

山城新伍扮する白馬童子
「童子」という名前自体が、
身分社会の部外者という意味を持つ

「まれびと」は、日本だけの民俗信仰ではないようです。外国でも「スーパーマン」などのヒーロー達は、みな「まれびと」にほかなりません。「ムーミン」に出てくるスナフキンも、立派な「まれびと」です。「風に谷のナウシカ」に出てくるユパ様も、「まれびと」の系譜につながる存在です。

世界の「まれびと」達 スーパーマン、スナフキン、ユパ様

この「まれびと」というモチーフを生かして大成功した喜劇がありますが、何だか分かりますか?

ご存じ「男はつらいよ」です。

主人公の「フーテンの寅さん」は、住所不定のテキ屋稼業。これは「異界からくる謎の存在」という「まれびと」の条件を満たしています。普通「まれびと」は人々の難局に突然やってきてそれをあっという間に解決し、人々に安心と幸せをもたらすやいなや、疾風のように去っていきますが、「男はつらいよ」では、この部分がすべてひっくり返っているのです。

寅さんはおじさん夫婦や妹家族が平穏無事に暮らしているところに、突然ふらりと戻ってきます。そして善意からではありますが、見当違いなお節介をして周囲を巻き込む騒動を起こします。すったもんだの挙句、ようやく騒動が収まると、またふらりと旅へ出ていくのです。

どうです?
まさに寅さんは「まれびと」ではありませんか?「逆まれびと」といった方がいいかもしれません。普通の「まれびと」が幸をもたらすのに対し、寅さんは周囲に災いをもたらします。災いとまでいかなくても、平穏に暮らしている人々の間に、騒ぎをまき起こしていくのです。そして何とか災いや騒ぎが収まると、忽然と姿を消してどこかへ行ってしまう。この、ひっくり返った部分が喜劇性を担保しているのです。

「男はつらいよ」のシリーズが今だに根強い人気があるのは、私たちが「まれびと」というパターンを無意識に感じ取り、寅さんの存在に救いや癒しを感じているからではないでしょうか。

コロナ禍で、いわれなき不安が社会を覆っている今、どこからかふらりと現れて、私たちに安心をもたらしてくれる「まれびと」 ― もしかしたら、日本人は無意識のうちにその到来を信じているのかもしれませんね。

「男はつらいよ」より
渥美清扮する「フーテンの寅さん」

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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10月 10 20

2020年10月 三ツ池だより 「役割を!」

by staff
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「君から動け」ブックオフにいったら、この本が私を呼んでいた。副題は「渋沢栄一に学ぶ“働く”とは何かだ。今渋沢栄一が気になってしかたがなかった。著者佐々木常夫氏は「渋沢の言葉や思想は心強い羅針盤となってくれると確信しています。」と初めに書かれる。そして「渋沢は、維新後の混迷する日本を成長に導いた最大の功労者なのです。」と書かれる。

 「いつもありがとう」 けんじ
満月が雲の間にあって
電波塔の灯りが点滅している
  雲が立ち上がって
  話かけている
丁度家の前の空に
月が雲に囲まれて見える
  70数年月を見ているが
  いつもとちがう
月と雲が会話し
今また月が満面に笑みをたたえる
  もうすぐ鉄塔に
  月がかかる
え!
あかるい
  今晩は
  いつもありがとう

月と雲が対話することはありえない。月と雲の距離間も相当にある。当りまえに月が出ているが、これだって地球が自転し月が地球の周りをまわっているのである。日常のなかでは規則正しく関係を保っているのだ。

 「商いはあきないだって」 けんじ
商いは自分の為人の為
人の役立つものを売っていく
役立つものを安くとか高くとかでなく
一生懸命売っていく
  あきないは飽くことなく
  つづけていく、納得していく
  ほんとうに飽くことなく
  納得してもらって続けていく
商いは人の為、あきないはつづけていく
何を売るかは人それぞれ
その物がお役にたつこと
喜びが生まれること
  物を売る
  システムを売る
  結果が表われる
  商いはあきないだって

今の状態は大変不安定な安定の中にいる。変わろうとしている。大変な時代になる。変わらなければいけないのである。

 「役割」 けんじ
渋沢栄一が凄いのは
資本と企業を考えたこと
ヨーロッパに行って近代化にふれ
この制度を日本にもっていかなければと
  それは既存の大手がやるのではなく
  新しい日本の仕組みづくりも含め
  近代化とは何かを考え
  数百の企業を興した
今問われているのは
その初期の企業の骨格が
どうかわり進化してきているのか
それは一企業で考えることなのか
  渋沢は個々の企業は
  それぞれにまかせた
  そして商工会議所など
  資本主義の形づくりをした
役割とは
与えられ確立し
利益をだし
発展していくことだと

ある役所から電話が入った。「健治さん計量士名義の許可証が見当たらないのです。いつ出されたのですか。」役所は15年で書類を廃棄しているという。「もう40年前に出して、許可をもらっています。数年前には住所変更のお願いを出しています。」と返事した。実は数年前の住所変更の時に疑問を持ったのだという。「40年前の許可証をできたら探してみてください。今回はこれでいいです。」

 「はい」 けんじ
はいは肺
はいははい
はいと返事してみて
肺から声が出ている
  はいは背
  はいははい
  背後に何かあるのと
  聞いてみた
はいは配
はいははい
配置してみて
これでいいぞと思ってみる
  これでいいのではない
  これでやってみる
  実行する事実が大事だ
  それでいいのだ

計量することが当たり前になっている。あたりまえになるために、定期的な点検があり、検査がある。正しいからいいのでなく、何が正しいのかだ。たまたまただしいのでもなく、継続して正しく安定していることが求められている。

 「語ろうよ!」 けんじ
か  かたちあるものは命がある
    かたちないものに心がある
た  沢山の光を浴びて
    ただひたすら歩いている
ろ  路端の花と話をし
    ロードをゆっくりと進む
う  海が見えてきた
    嬉しさがこみあげてくる
よ  喜びと共に悲しみと共に
    良き日を積み上げていく

今ほど大事な時を迎えていると思う時期はない。平成が31年のなかで苦労して育ててきたことが、惰性のようなものの動きとなり、組織も人の思いやりも形骸化してきているように思う。

 「雨が降る」 けんじ
あ  明日へつづく
め  芽を探そう育てよう
が    我慢すればいいのだけれど
ふ    降る雨は秋の雨
る  ルールなどあるはずもなく
あ  雨が降る
め    面倒なこともあるが
が    頑固な私に向かって
ふ  降りかかる雨が
る  ルールどおりにやってくる

「役割をどのようにこなしていこうとしている?」いつでもどこでも問いかけられている。時には問いかけもしている。しかしコロナ後の時代がどんなものになっていくのか想像すらつかない。役割を担うことの前に、どういう時代を求めていくのか。大切な一人一人の命を大切にしていく役割をになうにはどうしていくことなのか、問われるだけでなく、発信していかなければいけない。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

10月 10 20

ゆるマナー講座(第60回) ロボットに負けない!

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

ロボコン(ロボットコンテスト)をご覧になったことはありますか? 高専の学生、大学生、今では小中学生の大会も、また国際大会もあるようです。もう30年以上の歴史があるようですが、私はこの競技がとても好きです。各会ごとに決められた課題をクリアーするために学生たちが工夫に工夫を重ねてロボットを作り上げ競い合います。「洗濯物をいかにきれいに早く干せるか?」などという課題、観ている側はとても面白いのです。しかし一方で、勝負ですから、敗退していく学生の気持ちを思うと、きっと夜も眠らずに優勝目指してチームメイトと取り組んできただろう彼らの悔しさ、無念さはいかばかりかと少々心が痛むこともあります。

ロボットのいま

このような特別なものでなくても、今は一般家庭でロボットを使っている方は多いのではないでしょうか。最たるものはお掃除ロボットでしょう。お家の中を動き回ってきれいに掃除して、ちゃんと元の場所に戻っていく優れもの。また、癒し系の犬や猫型のロボット(ドラえもん、ではなく)、お人形のようなロボットなど、一人暮らしの方や高齢者向けのものもだいぶ増えてきているように思います。私も一人暮らしの母にプレゼントしました。日常のあいさつ、季節ごとの歌など楽しんでもらえるかと思いましたが、時々とんちんかんな反応をして言葉を発する人形に、母は「あなたはおバカさんだから話が合わない」などと言う始末。家庭用で、ある一定の価格で、高い性能を望むには今少し時間がかかるのかと、少々残念に思ったものです。

産業用ロボットは以前から大活躍しています。自動車メーカーの工場見学をした際、車の組み立ての細部にまでロボットアームが柔軟に動くのに感動しました。
医療用ロボットや、災害時に人間が入れない場所で働くロボットも、不可欠な存在となっています。

ロボットにもできるマナー

ある時、たまたま見つけた動画に四足歩行の犬型ロボットが出ていました。広い建物の中を障害物(机や棚、ごみ箱など)を避けながら、曲がりくねった通路を走って通り抜けていきます。でも必要なところでは上手に減速するのです。まるで人間が走っているのと同じような感覚です。いえスピードから言えば、もっと速いようです。階段がある場所では、ゆっくり上り、下りる時は後ろ向きになって下ります。
また、その同じロボットが、閉まっているドアのノブを前足で回してドアを開けるところも映っていました。驚いたのは、ドアを開けたロボットが、後に続くもう一体のロボットを先に通し、その後に自分も部屋の中に入ったところです。

走ったり減速したり、階段の上り下り、これについては何となくわかります。ドアの開閉もすごいことだとは思いますが、どうにか理解できます。
しかし、理解できないのは、後ろから来るロボットのためにドアを押さえて開けておいてあげる動作です。

専門家にはなんてことないことかもしれませんが、ロボットの構造も仕組みも一切わからない私には???だらけです。

一つ感じたのは、このロボットを作ったのは多分日本人ではないだろうなということ。
何故かって? それは、ロボットに「after you」をさせていたからです。
「after you」とは、日本語で言えば「お先にどうぞ」。西洋では、子どもでも後ろに続く人のためにドアを押さえておくことは当たり前のマナーです。ロボットにも人間と同じことができるようにプログラムするのは、その考え方がいかに一般的か、という表れだと思ったのです。

残念ながら日本では、後に続く人のためにドアを押さえておいてくださる方が多いとは言えないように思います。さりげなく、何気ない行動として、「お先にどうぞ」をしてくださる方が増えるといいなと、動画を見ながらあらためて感じました。
誰かのために、ホンのちょっと行動に移してみてほしいなと思います。
人間が作ったロボットにだってできるのですから。

ロボットに負けない!

大好きな俳優、故ロビン・ウィリアムズが映画「アンドリューNDR114」で、人間になりたいと願うロボットの役を演じたのは、もう20年前。私の心にずっと残っているのは、実は、アンドリューとその妻が亡くなる前にお世話をしていた看護師のロボットなのです。「こんなロボットができて看護される日が来ればいいな」と思ったことを今でも覚えています。
私が生きている間に、そんなロボットができるかどうかはわかりませんが、希望は捨てずにいようと思います。

それにしても、技術革新は日進月歩。
AI(人工知能)を搭載した様々なロボットが今後もたくさんできるでしょう。
あらゆる情報を詰め込んだロボットのほうが人間よりもスマートに振る舞える、そんな時代がやって来ないとも限りません。

ロボットに、負けてはいられませんね。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

10月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第91回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第91回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

東京駅の復元では、赤レンガのギャラリーも開館。先日まで開催されたのが “バウハウス展”。1919年にドイツが開校した造形学校。ナチスの弾圧で1933年に閉鎖されましたが、実験精神に溢れた革新的活動を展開、今日までアート&デザインに世界的な影響を及ぼしてきました。最終目標は建築であり “基礎教育・工房教育・建築教育” を通じて諸芸術を統合。先入観・既成概念からの解放と、さまざまな材料による形態・色彩の知識の習得。木・金属・陶土・ガラス・織物・石などに関する教育をすべて建築に収斂させること。合理(機能)主義的なものと表現(芸術・手工業)主義的なものを融合。教師としてカンディンスキーやパウル・クレーなど、時代を代表する芸術家も参画。21世紀の現在は、知的構造物の目標をリベラルアーツに収斂。哲学・AI・数学・芸術・言語・コミュニケーション。梁塵秘抄では “神ならば ゆららさららと降り給え 如何なる神か 物恥はする” とあります。神を降ろす巫女は神娼とも。 “室町時代はルネサンスに似た近代的世界。身分と関係なく個人の趣味が讃えられた” と劇作家・山崎正和。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

貧困のループを抜け出すには、働くのが当然という自然の摂理
若者文化は、世界で同時性を高めている 同時多発文化の時代
何でも起きる 偶然を受け入れられるように自分を開いておく
人生は書物の外で聞く時には音色が違う、とロマン・ローラン

ロマン・ローランはフランスを代表する作家で、日本での夏目漱石のような存在とか。理想主義的ヒューマニズム・平和主義・反ファシズムを掲げて戦争反対を叫び続けました。20歳前後に読んだ代表作 “ジャン・クリストフ” はベートーヴェンをモデルにしたもので、 “学校と社会では鐘の音色が異なる” という言葉が不思議と記憶に残っています。どんな環境であれ、生き抜くことが大前提。 “望んだり生きたりするのに飽きない・敵は日々の消耗” であることを説きました。 “100点満点はとれない。徹底して基本を貫く中から何かが生まれる。上手に器用にやったらあかん” と義太夫節・竹本住太夫。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

最後は人間の勝負 技術や芸じゃない、それをはるかに超えたもの
鍛錬を積み重ねた人間には 刀を抜かなくとも相手の力量はわかる
必要な鍛錬と、必要でないものを判別する 強弱をつけて鍛え磨く
世界全体は人口激増の時代 社会システムは高度化、普遍と多様性

いつの時代も・どんな時代になっても、最後は人間の勝負。 “出る杭を打つ・脚を引っ張る” のは人間世界では日常茶飯事。しぶとく耐えて出過ぎた杭を目指すしかなさそう。アイデアを生み出し続けるには、技術と人間に関する自分なりの視座を確立することかも。それを異なる視座とぶつけ合うことで、異分子が混合して磨き抜かれた文化を産むことに。 “予期できない激変・不調和の拡大・プロセスニーズの変容・産業&市場の変質・人口規模&構成の脅威・共通認識の再興・新しい技術&知識の急速な堆積” を覚悟。 “ゾウと闘うのに、自分も象である必要はない” とサッカー指導者のイビチャ・オシム。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

どもりを直すのでなく平気でどもりながらしゃべる 本能を締め付けない
漢文の素養、あくまでも外国語 これが抽象的な思考の基盤、翻訳の基礎
日本において欠けているものは論理と自律 欲を捨て去るのはむしろ危険
異常な状況においては異常な反応こそがまさに正常な行動、とフランクル

フランクルはオーストリアの精神科医・心理学者。フロイトにも指導を受け、ウィーン大学医学部精神科教授を歴任。しかし、ナチスにより家族とともに強制収容所に収容され、父母や妻は収容所で死亡。最後はアウシュビッツに。1945年、アメリカ軍により解放されました。代表作 “夜と霧” は人間の深奥を知る上では凄惨。ユダヤ人の皮膚でつくられたハンドバッグを手にするナチス将校夫人が弾く優雅なモーツアルトのピアノの調べ。人間のあらゆる側面を見てきた上で “それでも人生にイエスと言う” 重さと深さ。 “辛い時のことは忘れない。楽しい時のことは忘れます” と津軽三味線・高橋竹山。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第91回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
10月 10 20

書評  写真集『百顔繚乱』 自費出版 川名マッキー(著)

by staff

 

自費出版のそれも写真集を書評で取り上げてもいいかと考えました。ですが、この写真集の存在と著者であるカメラマン「川名マッキー」のことを知ってもらいたいという想いから書評を書かせていただきます。

川名マッキーさんとは、お客様の紹介で知り合いました。横浜市出身のグラフィックデザイナー&カメラマンで、人物撮影が好きだという彼に、私のポートレートを撮影してもらいました。その写真は私のお気に入りで、Facebookや紹介写真として長年使ってきました。先日、高校の同窓会誌にその写真を使ったら、「実物とあまりにも違いすぎる。加工しているのでは・・」と多くの方に言われました。(笑)

プロのモデルよりも市井の人を撮りたいと、マッキーさんは2009年から出張して家族の写真を撮影する「家族の肖像」プロジェクトを始められました。「家族の肖像」は、ほとんどが笑顔の写真です。

笑顔の写真ばかり撮影している中で、「変な顔を撮影したらどうなるのだろう」と思い立ち、変顔を撮影してみると、「気持ちがいい」「心からスカッとした」などの反応があったそうです。そして「一番いい表情と一番変な表情を並べれば、人間の表と裏が見えてくるかも・・・」という考えに至ったのだそうです。

マッキーさんから「笑顔と変顔」の写真集を作りたいと聞いたのは、2018年頃だったと思います。

SNSを通じて100人のモデル希望者が集まり、撮影が開始されました。
でも、自費出版で写真集を作ることは、とても大変なことです。

それで『写真集を作り、横浜から「変顔アート撮影」のムーブメントを起こしたい!』と、クラウドファンディングを始め、目標額の120%以上の金額を獲得しました。

100通りの笑顔と変顔とが見開きで並ぶ写真集は、『百顔繚乱(ひゃくがんりょうらん)』と名付けられました。

私もささやかですが、クラウドファンディングに参加したので、5月に入って『百顔繚乱』が送られてきました。手に取った第一印象は「エーッ!!こんなに変顔が並んでいる」という感じでしたが、見ているうちに、変顔にモデルさんたちの想いが表れているんだなと味わえるようになってきました。老若男女、様々な生きざまが表情に出ていて、斬新な写真集となっています。

私もモデルに立候補すればよかったかな・・・とちょっと後悔しました。

そんな感想をマッキーさんに伝えようと思った矢先、6月30日にマッキーさんは脳卒中で倒れられ、現在は長期リハビリ中です。

以下は、9月13日のマッキーさんのブログです。(抜粋)

<前略>

右手と右足が動かず苦労していますが、少しずつ動く部分も出て来ました。
しかし言葉の発音が完全では無く、スムーズな会話が難しい状態です。
自分の意思が人に伝わりにくいというのは、なかなか辛いです。
時間はかかりますが、メールが役に立っています。
入院は年内いっぱいかかるか、それ以上かもしれません。
病状についてはお察しください。
悔しいです!
悲しいです。涙が出ます。
自身の初めてとなる写真集「百顔繚乱」が5月に発売されたばかりなのに、
無念でたまりません。

<中略>

カメラを再び持って歩きたい!
シャッターボタンを右手で押したい!
みんなと普通に会話をしたい!
普通の生活に戻りたい!
そんな当たり前の事を夢見ています。
皆さん、どうか見守っていてください。どうか力を貸してくたさい。
このメッセージは片手で何度も直しながら3時間かかって打ちました。

<後略>

カメラマン「川名マッキー」は、今日も頑張っています。
写真集「百顔繚乱」を多くの方に見ていただきたいのです。

写真集「百顔繚乱」通信販売ページ
https://mackykawana.official.ec/

(文: 渡邊 桃伯子)

 

10月 10 20

書評 「大丈夫! 雲の向こうは、いつも青空。365日を「日々是好日」にする禅のこころ 」 実業之日本社 松原正樹(著)

by staff
 
タイトル 大丈夫! 雲の向こうは、いつも青空。
単行本 208ページ
出版社 実業之日本社
ISBN-10 4408339210
ISBN-13 978-4408339214
発売日 2020/4/10
購入 大丈夫! 雲の向こうは、いつも青空。 365日を「日々是好日」にする禅のこころ

そうなんだよな! と題名を見て手に取った。コロナの閉塞感のなかで、なにか手がかりがないかと考えていて、「雲の向こうはいつも青空」のフレーズが勇気を感じさせてくれた。

最初に出てくるのが、次のフレーズでした。「Zen helps me」でした。著者は松原泰道さんのお孫さんで、松原哲明さんがお父さんでした。現在は、ブラウン大学宗教学部などで、非常勤講師として「白隠」を教えておられるという。佛母寺の住職さんですが一年の半分以上をニューヨークで過ごされているそうです。

「ポーズ!」
「イラッとしたり、カッとなったりすることは、誰にもあります。人間ですので感情があるのは当たり前ですし、むしろ、感情があることが生きている証拠でしょう。感情というのは、自然と湧き起るものですから、それは仕方ありません。カッとしたりムッとしたり、あるいはしゃくりあげるほど大泣きしたりするのは、それ自体は悪いことではありません。感情は、ため込むよりは発散した方がいいとも思います。」怒っている時に判断して、いいことはありません。「そういうことがしたくなったら、その時はいつもおもいだしてください。」「ポーズとは深呼吸することです。これは、強制的に行うべきものです。無理にでも、自分で自分の感情を“一時停止”させてください。カッとなっているときには、どんな判断もしてはいけない。言いたい言葉が頭に浮かんでも、ぐっと抑えなければいけません。」

「迷っても、大丈夫!」
「30年という長いご勤務、本当にご苦労様です。家庭と仕事の両方に責任を持ち、さぞや大変なご苦労があったことでしょう。これまでの30年間、仕事に心血を注がれてきた。それが、まずは素晴らしいことだと思います。」いまその会社から宣告外通告のような憂き目にあっているわけです。「人生の残り時間を考える意味ではいいチャンスだと思います。あと何年生きられるのか、と考えたとき、一番だいじなのは時間です。まず、あなたに対する“wake-up call”だと受け止めてみてはどうでしょうか。」大事なのはポジティブに考えること。「ポジティブに物事を考えると、不思議なことに自然とその道に必要なものが集まり、自然と人との出会いにも恵まれるものです。」人は一歩踏み出すときがとても難しい。「今回のことは、その難しい一歩へ背中を押してくれているのです。」「一度しかない人生を考えるとき、勝たないといけないレースなんてないのではないでしょうか。今まで会社に時間を費やしてきた分、これからは自分に時間を費やしていきたいですね。」

「不安いっぱいでも、大丈夫!」
「入社して1年とのことですから、まだ仕事のことも一部しかわかっていない頃だとは拝察します。果たして本当に向いてないのでしょうか。結果的には向いてないとしても、今そう断言するのは時期尚早なのではないかと私は思います。いまの仕事のすべてがつまらないことばかりではないと思うのですが、どうでしょうか。あまりいっぺんに大きなことを考えずに、まずは身の回りに小さな喜びを探してください。」それはお客様や先輩から“ありがとう”と言われた。“訪ねてこられたお客様に笑顔で対応してもらえた”というようなことだと。
「いまあなたは、仕事を通して充実感を得たいと思っています。それは誰でもが望む人生ではとても大事なことですが、いったん視点を変え、自分以外の誰かを喜ばせよう、と考えてみてください。職場ではとてもそんなことは望めないというなら、一緒に暮らすご家族でもいい。」「相手が喜ぶために自分は何ができるかを考え、実行する。喜んでもらえたら、さらに喜んでもらえることを考えて実行する。それを繰り返していくうち、必ずあなたの中に喜びが生れます。」

「つらくても、大丈夫!」
「つらさの原因の一つは執着です。失ってしまったものに対する執着。あるはずだったと思う未来への執着。今あるものを失いたくないという執着。こうなってほしいという執着などなど。それらが苦しみを生み出します。実は“死”というのは独立した“点”ではなく。“生”というラインの沿線上にあるものです。」「人は誰も、誕生日ごとに死に近づいている。実際は毎日毎日、1秒1秒、死に近づいている。人生というラインの戦場に、いつの日にか”死“のポイントが表れる。”死“も、あなたの未来です。」そう考えると、死は逃げたり避けたりするものでなく、積極的に向かい合うものだということに気づくでしょう、と言われます。「私たちがコントロールできる”今“をしっかりすることによって初めて、未来をコントロールできるようになるのです。そう気づいたとき、今生きていることへの奇跡や喜び、感謝の方に目をむけることによって、これまでやみくもにとりつかれていた”死にたくない“という生への執着から離れることができます。」

「さびしくても、大丈夫!」
「あなたは“自分がいなくても誰も困らない”と感じているとのことですが、絶対にそんなことはありません。あなたに代われる人間は、ほかに誰一人存在しません。あなたの人生を代わりに生きてくれる人はいません。あなたという存在は、独自の存在であり、掛けがえのない、代わりのきかない存在です。あなただけなのです。」私たちは一人では決して生きていくことができません。「あなたはお一人だと感じているかもしれませんが、今日の夕食のお米もお野菜も農家の方が作ってくれたものです。ガスや電気や水道も、その仕事に従事している人たちのおかげで、私たちは毎日不自由なく使えています。」どうか深呼吸して、窓を開けて空を眺めてください、と言われます。「この瞬間、瞬間に息をしていることこそが奇跡です。生かされている、ただそれだけで十分に幸運なことです。ただただ感謝しかありません。いつ途絶えるか予想がつかない、与えられた一瞬一瞬があなたへのギフトです。次の瞬間どうなっているかわかりません。楽しいこともあれば、つらいこともあるでしょう。さびしいこともある。それが人生です。」

「人生に忍耐は必要」
「1947年、ブルックリン・ドジャースのゼネラルマネージャーであるブランチに見いだされてチームに加入して以来、ジャッキーは様々な嫌がらせを受けます。チームの定宿だったホテルからの宿泊拒否、試合中の相手チーム監督や観客からの嘲笑、仲間であるはずのチームメイトさえも彼を邪魔者扱いし、一緒に戦うことを拒否します。どんなときも“仕方ないや”という表情でじっと耐えていたジャッキーですが、ある試合でバッターボックスに立ったとき、会場にいる観衆たちから一斉にブーイングを受けてしまいます。おまけに、投手の球は、故意としか思えないデッドボール。さすがのジャッキーも怒りを抑えきれません。バットを持って激しい勢いでロッカー室に向かいながら、何度もバットをぶつけて叩き折ろうとします。そこにあらわれたのが、ジャッキーをチームに招いたブランチ。荒れ狂うジャッキーに、彼は言います。 “暴力で、強さを見せるな。耐えることで強さをみせてくれ”」
「相手に対して怒りを感じている間は、それは結局、相手の土俵にいるということです。相手を許したときにはじめて、すべての失念から解放されて自分自身の土俵に立つことが出来ます。だから、許すというのは相手のためにするわけではありません。自分自身のために、相手を許すのです。」許しこそが本当の強さだと語られます。

「人生にはいろいろなドアがあり、道がある」
「アメリカでよく使われる言葉に、つぎのようなフレーズがあります。
     “When one door closes. another opens.”
     (一つのドアが閉じるとき、もう一つ扉が開く)
ひとつ何かが終わっても、次の何かがまた始まる。もっとたくさんのドアがひらいているということを教えてくれるのです。」「ピンチはチャンスという言葉もありますね。パナソニック創業者の松下幸之助氏も、この言葉をよく口にされたと言います。人間は、長い歴史の中で、なにか辛いことや苦しいこと、残念なこと、不幸なことがあったとしても次のドア(=チャンス)があると自分を、あるいは他人を励まして歩んできたのです。失敗したら、取り返せばいいだけのこと。転んだら、立ち上がればいいだけのこと。落ちたらはいあがればいいだけのこと。諦めず続けることが大事です。あきらめないかぎりは負けなどないのです。」

帯の最後に「いまのあなたの悩みは、いつか人生の光になる」と書かれています。元気に悩んでまいりましょう。

(文:横須賀 健治)

 

10月 10 20

チャレンジ(第26回) 楽しみながら社会貢献

by staff

楽しみながら社会貢献

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。9月の台風が過ぎてからとても涼しくなり、気分はすっかり秋めいてきましたね。私は暑いのが苦手なので涼しいほうが快適ですが、今年は夏休みらしいことも出来ず少し寂しい秋風を感じています。

 アニミへGo!

第23回目のコラム でも書かせて頂いた、「幸せにゃんこプロジェクト」 を一緒に進めている、ねこのびやさん と、私が「言葉の魔術師」と崇めている ナチュラ代表 澤田実希(https://sawadamiki.com/)さん とアニミへ行ってきました!

美魔女三人(笑)

澤田先生は私が立ちあげたエスバイシーベネフィット協会(https://sc-benefit.org/)のコミュニケーション部門の専任講師をしてくださっているご縁もあって、講座のことを相談したり、子育てについてアドバイスを頂いたりと大変お世話になっているお方です。澤田先生はご自身のテキストにねこのびやさんの可愛い猫ちゃんイラストを使用していたり、ねこのびやさんとも一緒にお仕事をしている仲です。

その澤田先生から「自分もねこのびやさんのように社会貢献したい」と提案を頂き、開催しているオンラインお楽しみ会の参加費を1人につき半分、障害者施設へ寄付してくださることになりました!

アンビリバボー!

なんて素敵なお話しでしょうか。アニミでは冷暖房費が高くて困っていたので、寄付金を設備費用に使わせてもらえるようにお受けすることになりました。

澤田先生のブログにとても素敵に掲載して頂きました!
https://ameblo.jp/kamezure/…

 楽しい時間

とにかく前向きで明るく一緒にいて楽しいお二人。仕事で会う時も楽しみで仕方ありません。澤田先生がおっしゃるように何でも楽しみながら活動できるとまわりの人への影響も大きいですよね。
「楽しみながら社会貢献」幸せにゃんこプロジェクトに続き、更に楽しく活動していきたいと思います!

次回は「家族の在り方」です 

(第26回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

10月 10 20

絵本から笑本へ(第52回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~菅原 理美さん~

by staff

絵本作家としてこれまでにご縁のあった

「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。
絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期。

第4期7回目にご登場は…
ライフスタジオ湘南店店長のフォトグラファー菅原理美さん。

ライフスタジオは、関東を中心に約20店舗を展開している
写真スタジオさんです。
スタジオの名前と同じく「人生の写真館」という命題を掲げ、
人生の瞬間を楽しく美しく残すお手伝いをされています。

菅原さんとはヒョンな事で知り合いまして(笑)

これまでも、お店の写真スタジオで一緒に
色々なイベントをさせてもらってきました。

写真スタジオなのに、絵本や紙芝居の読み笑わせをやったり。
写真スタジオなのに、紙芝居ワークショップをやったり。
写真スタジオなのに、落語会まで開催しちゃいました。

今までやった事のないことをしたい。
固定概念が無い。ワクにとらわれない。
ぼくはそういう菅原さんの感覚が好きで、
自然なながれで楽しい企画をたくさん開催してきました。

そんな企画に参加してくれたお客様の中には、
これまでに菅原さんが写真で笑顔にしてきた人たちも多く、
菅原さんの人柄にふれる機会にもなりましたね。

菅原さん達、ライフスタジオの皆さんが

数年前からとり組んでいる活動があります。

「カンボジアに写真学校をつくる」というもの。
カンボジアは年々発展はしていますが、
まだまだ豊ではない。
子ども達の成長、家族との思い出を
日本の様に写真に残す事もない。
子ども達の笑顔を、
家族との掛け替えのない瞬間を
写真におさめる文化をつくりたい。

数年前から各地で写真展を開催したり、
ボランティアや募金活動をして、
少しずつ確実にカンボジアとの関係も築いていらっしゃいます。

そんな話を聞く中でぼくも、
カンボジアにもとても興味がもてましたし、
とても素晴らしく面白い活動だと思いました。

実は、そんなライフスタジオさん達と

一緒に新しい企画を始めています。

ぼくが考えた新しい出版システム「声援出版」。
この出版に興味を持って頂き、
一緒に企画する事になったのです。

企画を簡単に説明すると…
カンボジアの子ども達は絵本にふれる機会が少なく、
村には幼稚園や図書館もない。
そこで、日本でぼくが創った絵本「よぞらのおくち」を
たくさんの方に買ってもらい、
そのお金で、同じ絵本「よぞらのおくち」を
カンボジアの言葉「クメール語」に訳して、
カンボジアのたくさんの子ども達へ届けるというもの。

今年はコロナの影響もあって、
なかなか思うような動きが出来ていないのですが、
必ず成功させて、菅原さん達ライフスタジオの皆さんと、
カンボジアのたくさんの笑顔に会いに行きます!!

日本だけじゃなく、世界を笑顔にさせるチカラが写真にはある。
時代は変わっても、国は違っても、子ども達の笑顔は万国共通。

そんな事を教えてくれた菅原さん達ライフスタジオの皆さんに、
是非、会いに行ってみてください。

菅原理美
(フォトグラファー・ライフスタジオ湘南店店長)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「岩手県の田舎育ちなのもあり、子どもの頃は川で遊んだり野草をすりつぶしたりして遊んでいました。アウトドアで遊ぶけど遊び方はインドアっぽさがあって、野良猫の集まる小屋で漫画を描いたりしていました。特に何かに集中してものを作る作業が好きな子どもだったと思います。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「夢も漫画家、アイス屋さんでした。アイスはただ好きだったからですが…。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「ライフスタジオで行っている活動を未来に繋げていくことですかね。写真スタジオは毎年いらっしゃるお客様も多いので、おかえりなさいと迎えられる雰囲気づくりを何より大切にしています。スタッフが変わったとしても、来ればホッとできる場所を守っていきたいです。そして今はコロナの影響でストップしていますが…[カンボジアに写真学校を作る]という活動を数年間に渡って継続してきたので、そちらにも注力していきたいです。」

④ 『悩みはありますか?』
「たくさんありますよ!(笑) いつも悩みはあります。今はコロナの影響もあってその対応にてんてこまい気味でしたが、最近やっと少し落ち着きましたので、キャンセルや延期になったいろいろなイベントに代わる何かが出来ないかなと考えています。ただこれはありがたい話ですが、自粛期間が明けて少しずつ営業再開してから撮影のご予約が更に増えているので、なかなか時間が捻出しにくいというのも悩みではあります。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「スタジオの事務所にキッチンを設置しており、スタッフの昼食を毎日手作りしているのですが、スタッフに感想を聞くのが楽しみです(笑) あと作る過程をInstagramのストーリーにも時々アップしていまして、見た方から反響を頂くのも嬉しいです。コロナの自粛期間は対策でランチ作りもストップしていたのですが、最近また気をつけながら再開しています。[ストーリーを見てその日の献立を決めました] という声もいただきます。何屋なんだか。」

<ライフスタジオ湘南店>

https://www.lifestudio.jp/studio/shonan

<声援出版の詳しい情報>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/mamamo

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

10月 10 20

第90回 『家の中の遊びの空間』を考える

by staff

5′st一級建築士事務所
久保田恵子

『家の中の遊びの空間』を考える

2020年は、コロナから始まり、猛暑、豪雨、台風と色々なことがありました。
そして気付くともう10月、あれ、もうすぐ年末ではないかという勢いです。
最近良く耳にするのは、 “アフターコロナ”。これからの暮らしとはどうあるべきなのか?というお話です。ステイホームは、改めて“家”のことを考える機会となりました。

さて、今回おはなしするのは、遊びの空間です。遊び=レジャー!ではなく、ここでは“ゆとり”について書きたいと思います。

家のプランを考えるとき、場所に機能が伴わないといけないと思っていませんか?たとえば、3LDK。子供部屋は最低6帖確保必須、あとは廊下と階段で繋いで完成! おやおや、その廊下や階段ちょっとの工夫で通るだけの空間から、新たな空間となるかもしれませんよ。

今回の事例は、二階の廊下の幅をすこし広めにとって、“インナーバルコニー” と名付ました。
トップライトや、緑を眺めることができる大きな窓、空を眺める窓などを設置することで、家の中にいながら、自然を享受することができる空間となりました。
猛暑でも雨の日でも天候に左右されずに使えるのが、大きな利点です。
トップライトも北向きなので、明かりは入ってきますが、暑過ぎることはありませんし、オープンにすれば、風が気持ちよく流れます。
一角に、大きなデスクを設けて、書斎コーナーに。階段手すりを兼ねた本棚は収納力抜群です。
コロナをきっかけに、家で仕事をする機会も増えていると思いますが、ちょっとした遊びの空間があるだけで、家の色々なところに居場所を作ることができますので、部屋の大きさ・機能だけにとらわれず、遊びの空間、検討してみては如何でしょうか?

階段にインナーバルコニーからの光が落ちてくる

子供部屋からインナーバルコニーをみる

緑を眺める大きな窓
解放感があるので、面積よりずっと広く感じる。

書斎スペース

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acaa建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

10月 10 20

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #01

by staff

 

最近、毎朝オレンジを一つ 絞って飲んでいる。
スーパーでオレンジを購入した日は ボールに水を張って 5個、一袋のオレンジを一晩中浸しておく。これは最近友人の勧めで購入した素粒水という水道浄化フィルターで農薬なども取れるのかしら?とちょっと試しに始めた実験みたいなものだったのが、翌朝浸したオレンジの表層を見て衝撃的だったために、ずっと続けるようになってしまった。

そのオレンジはオーストラリア産。きっとどこのスーパーにも売っている一番安くて大量に仕入れされている果物なんだと思う。そのオレンジを半分に切って昔からあるレモン絞り器に押し当ててギュッとひねる。小さめのカクテルグラスに入れて。
毎朝の その一日と、自分の人生と,オレンジジュースに乾杯する。
それが最近の儀式になってしまった。

最初の頃はただ。グラスの中の果汁をそのまま、キッチンの流しに寄りかかってさっと飲んでいたのだけど。ある日それが、突然私の口から出た言葉によって、私自身の中で、とても深い気づきを喚起され、自分の身体にも、オレンジにも良い祝福と変わってしまったのだ。

ほんの少しの果汁を口に含むときに自然に洩れた言葉。「ようこそ! 私の内宇宙へ!」

このオレンジは、はるばる遠いオーストラリアから過酷な長い旅をして私のもとにやってきた。きっと沢山の人の口に入るように大量生産システムによって、巨大な畑で化学肥料で育てられて、虫などが付いたり 病気にならないように農薬もふんだんに使われて育てられてきた。収穫の後は 過酷な長旅に耐えられるように防腐剤もたっぷり振りかけられて。日本に着けばついたで、見栄えをよくするためにワックスをかけられる。

私が一晩水に浸けて驚愕したオレンジの表層は そのワックスが溶けて、表に出て来た真っ白な防腐剤?の色をしたオレンジだった。そしてそれを私は又水で洗って白い薬品をぬぐって半分に切る。そのオレンジの体験してきたプロセスがまるで自分が体験したことのように瞬時に理解できてしまった私は、そのオレンジがへとへとでオレンジの精分なども殆ど瀕死状態で私のキッチンにやってきたことに、胸が締め付けられるほどの愛おしさを感じてしまったのだ。

人に食べられる! という目的を持って作られたオレンジ。
最後にやっぱり労って、祝福してあげたい。「ようこそ! 私の体内へ」

カクテルグラスに入ったほんの少しのオレンジ果汁・の目的はここで一つの完結をむかえるけど、オレンジのエッセンスは 今度は私の体内で 新たな旅が始まる。
私の血や肉となって細胞に様々な情報を伝えてくれるのだ。
一つのドラマが終わりを迎えて、新たなドラマが始まりまたそれが続いてゆくように。
そんなイノチのつらなりが地球を廻っている。ハッピーエンドのオレンジ物語は又きっと私の体の中で明るく蘇って、新たなハッピーエンドのプロセスを廻っていってほしい。
惑星地球と言う大きな生命体の中で私たちは生きている、それはひとつらなりのイノチの連鎖が複雑に絡み合ってお互いが影響し合い、成長拡大を遂げてゆく。この現代文明が一つの発展のピークを終えて徐々に衰退に向かい、現在は新たな価値観の文明へと変容の必要に直面している。それは今までのような国と国が境界線を張って分離した世界観から全員が、宇宙船地球号の乗り組み員だという人類一般通念の共有の中で育まれるものだと私は確信している。既に自分達だけがうまく生きていければそれでOKと言う矮小な世界観や概念を脱ぎ去って行くプロセスが始まっている。八百万の神々とは自分たちの事。

自分がこの宇宙と言う大きな神の身体の、小さな細胞の一つだと認識して、どんな細胞で在りたいのか、創造の一片として生きてゆく時代の入り口に立っている人類。
私達一人一人が新しい地球への創造を担っている。
ひとつらなりのイノチ  ようこそ! ワンネスLOVEへ 秋分の波動の中で

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

10月 10 20

はなす場こむぎ代表でワークショップデザイナー、中村小麦さん

by staff

 

はなす場こむぎ代表でワークショップデザイナー、中村小麦さん
はなす場こむぎ代表
ワークショップデザイナー
中村小麦さん
 
お名前 中村 小麦(なかむら こむぎ)
お生まれ 1977年10月01日 横浜市
ご家族 息子(現在、大阪府)
お仕事 はなす場こむぎ 代表
ワークショップデザイナー
フリーライター
HP http://rapparapa18.xsrv.jp/komugi/
趣味 アロマ、ハーブ、薬膳・漢方など
自然療法を取り入れた暮らし

 

大人しかった小中学校時代

子どもの頃は、自覚とは反して「根暗」ってよく言われていました。おそらく私は、自分の気持ちを言葉で表現するタイプではなく、文章で表現するタイプだったので、周囲には伝わりにくかったのだと思います。その為、同世代のお友達から浮いてしまうことも多く、なるべく目立たないように振る舞っていました。

きっかけは高校時代

英語が苦手だったので、英語の勉強に力を入れている高校を選びましたが、校則が厳しい女子高だったので、担任の先生がとても怖い厳しい方でした。その先生から、ある日呼び出され、自分とは全くタイプが違う生徒と二人でクラス委員をやるように命じられました。出来ればやりたくない、適当にすませたい、と思いながらも、理不尽な大人(教員)と、生徒の挟間に立ちながらもクラスをまとめてみると、これがなんと!楽しく、快感をおぼえました。
これが今のワークショップデザイナーの活動にも繋がるきっかけだったのではないかと自分でも思います。

オンライン配信となったイベントの撮影現場

アロマやハーブを取り入れた生活

息子が小さかった頃にハーブを取り入れた生活を始めました。私は息子が生まれてすぐに離婚したため、かなり貧しい生活をしていて、500円の買い物にも躊躇していました。ハーブについては学生時代に参加した農ゼミで学んでおり、お茶にして飲む以外にも、お風呂に入れて楽しんだり、化粧水にしたり、いろいろな用途があることを知っていました。値段も安く1種類500円以内で購入することができたので、罪悪感なく買えたこともハーブにはまった理由です。息子が中学生になった頃に私の生活も安定してきたので、本格的にハーブやアロマ、漢方の勉強をしました。今では体調管理にこれらの知識を活用しています。

ワークショップデザイナー

私がどんなに英語を勉強しても、苦手だったのは学習障害があるからだと思っています。昔から単語の書き間違えが多く、100 回、200 回、1000 回と練習してもちゃんと 書くことができなかったのです。でも、大人になってから、その原因が「b」と「d」 の書き分けができていないからだと気が付きました。学生のときに、それに気が付い ていれば、何か対処できていたと思うのですが、そこは少し残念なところです。

息子は、私とは異なり、自分の気持ちを言葉で表現をするタイプでした。だから嫌なこ とは嫌と言いますし、私には驚きの連続だったのですが、息子のおかげで、私も今では 言葉での表現もできるようになった気がします。ちなみに息子の言葉はとても面白くて、 以前息子の言葉を集めた電子書籍を作ったのですが、息子に不評だったため、今ではな かったことにしています。

実は私の息子も中学生のときに横浜市特別支援教育総合センターで教育相談を受けた ことがあります。息子は小学校からずっと通常級にいましたが、個性の強い子で、10 歳のときから将棋以外のことに興味を示さなかったのです。息子が大学生になったの をきっかけに、私は個性の強い人たちが『社会に出て孤独にならないように』『個性 を生かした働き方ができるように』と願い、私に何ができるのかと考え、2017 年に青山学院大学のワークショップデザイナー育成プログラムを受講しました。

『はなす場こむぎ』とは

受講後すぐに立ち上げたのが『はなす場こむぎ』という任意団体です。この団体では、発達障害をもつ人が自立して生活できるよう、特技や才能の見つけ方や伸ばし方を共有できる場づくりを行っています。主な活動場所は南区にあるフォーラム南太田ですが、それ以外にも神奈川県、東京都、大阪府でもイベントを開催しています。

フォーラム南太田で開催したイベント『今いる場所できることを探そう』

はなす場こむぎの活動は、発達障害の当事者だけでは成り立たず、セミナーやワークショップに、支援者である教員や企業の人事担当者、ジョブコーチ、カウンセラーや看護師といった職業の人や、発達障害をもつ子を育てている保護者さんにご参加いただいてこそ運営ができます。そして、このような異なる立場の人が集うことで、発達障害への相互理解が高まり、最終的に発達障害をもつ人の暮らしが豊かになると考えています。

一軒家をレンタルして開催したイベント『みんな誰かの先生になる』

2020 年は 10 月 18 日(日)に『「みんな誰かの先生になる」発達障害の当事者が語る 私の好きなこと、みんなに知ってもらいたいこと(https://www.kokuchpro.com/event/hanasubakomugi1018/)』というイベントを川崎 市の元住吉駅からすぐの場所で開催します。このイベントでは発達障害をもつ人に 『先生』として登壇していただき、得意なことや好きなことについて、発表していた だきます。また、外部講師による発達障害をもつ人の心と体を整えるセミナーも実施 します。このイベントは年に 2、3 回開催していますが、参加者さんのほかに先生役の 方や外部講師の方も随時募集しています。

そして、12月27日(日)に『今いる場所で出来ることを探そう 発達障害と笑甲 斐』というワークショップをフォーラム南太田で開催します。
https://www.kokuchpro.com/event/hanasubakomugi1227/

私たちの活動はまだ活動歴も短く、必要な方に活動情報が届いていないと感じることが多くあるので、もしよろしければ、情報のシェアをお願いしたいと思います。

あなたにとって横浜とは?

住まいが戸塚区なので、市外の人が感じる横浜のイメージとはちょっと違うのかなとい つも感じています。住まいを聞かれたときに「横浜の山のほう」なんて、伝えることも あります。といっても、近所には畑や川があって、ホトトギスの鳴き声で目が覚めたり、 ホタルを見ることができたりと、とても良い環境で気が付いたら、もうずっと横浜に住み続けています。

横浜は女性が起業しやすい環境なのかなと感じます。学びの場もたくさんあるし、起業家さん同士の交流の機会も多いので、私にとっては仕事を続ける環境としても、とても 良い場所です。

2020 年はコロナウイルスの感染拡大の影響も受けて、仕事以外の外出を控えています が、そんな私の心の拠りどころは、月に 1 回通う、東戸塚駅にある美容院です。ある意 味、オフラインで仕事関係以外の人と会話をする唯一の場です。自宅近くにこのような 場があるということは、とても恵まれているなと思います。

私にとって横浜は、
『宝探しをしたくなる場所』

(インタビューと文:平安山美春

 

9月 10 20

75回目の夏

by staff

 

今年は第二次世界大戦の終戦から75年の節目にあたるせいか、様々なメディアで戦争をテーマにした取組みが多く目につきました。

私の母方の祖父は、1938年(昭和13年)の満州事変で亡くなりました。90歳まで存命だった祖母は、「村で一番早く召集令状が来て、一番早く亡くなった」と言っていました。亡くなった後に届けられた箱の中には祖父のものだと言われている「髪の毛」しか入っていなかったそうです。祖母は5歳になった母と父親の顔を見ることなく生まれた叔父を連れて実家に戻り、そこの六畳一間を借りて小学校の用務員として働きながら二人を育てました。このような話は、当時の日本ではどこにでもあったことなのです。

生きていれば・・・まだ何とか頑張れたでしょうが、ある日突然「ピカドン」と呼ばれる爆弾によって大勢の人々の人生が変わってしまったのが「原爆」です。

2020年の夏、私はこれまでになく「原爆」の悲劇に触れる機会がありました。そのうち印象的だった3つを紹介いたします。

1.戦争体験者の上映と対話(2020年8月1日 みどりアートパークホールで開催)

友人の須摩修一さんは、自分史を本人のナレーションと写真で映像化し、共有する活動「デジタルストーリーテリング」(DST)に取り組んでいます。

彼は戦争体験者の話をcの直接小中学生に聞いてもらいたいという想いから、一年がかりで準備を進めてきました。今回のコロナ禍で断念しようと考えたそうですが、三密を避ける工夫をしてなんとか開催にこぎつけました。

服部道子さん(91歳)は、16歳のとき、見習い看護婦として勤務していた軍司令部で被爆したそうです。被爆地点から3.5kmにあったその場所には、焼けただれた人々が大勢押しかけ、それは地獄絵図さながらだったそうです。おぶっている子供を助けてくださいと懇願してきた母親の背中を見たときに、その子には頭がなく、それを知った母親はその場で倒れ絶命したいうくだりでは涙が止まりませんでした。

当日は、服部さんご本人は体調に配慮して会場には来られませんでしたが、彼女が静かに当時の様子を語る音声と紙芝居を拝見して改めて原爆のむごさを痛感しました。

1人1人と向き合いたい」デジタル・ストーリーテリング研究所 須摩修一さん
https://note.com/tanakanae123/n/n785f34d28adb

服部道子さん 近況の写真

2.NHK広島 被爆75年 キャンペーン

「Reality? 知っているつもり 知らないヒロシマ」

NHK広島放送局では、今年は被爆75年ということで、「原爆」をテーマにした多くの特集番組を制作、放送しています。

その中で、私が聞いたのは、8月10日の夜にラジオ第1で放送された、「手紙(レター)、キミに伝えよう」でした。被爆者の方々が、あの日のことやその後の暮らしについて書かれた「手紙」を、広島と長崎の高校生たちが朗読する番組です。

普通の生活が、あの一瞬ですべて変わってしまった理不尽さを、高校生たちが想いを込めて真剣に読み上げていました。どの手紙からも今の私たちには計り知れない壮絶な人生が感じられます。

手紙に出会った高校生たちは、戦争の悲惨さを目の当たりにしたことだと思います。
このような番組を企画したNHKの方々に敬意を表したいと思います。

高校生たちの朗読はインターネット上で公開されています。聞いてみてください。
https://www.nhk.or.jp/hiroshima/prog/P3459/letter/

3.愛と死の記録(日活映画 1966年 監督 蔵原惟繕)

8月10日に渡哲也さんが逝去されました。渡さんの俳優人生を語るときに出てくるのが、1966年に吉永小百合さんと初共演した「愛と死の記録」という映画です。この映画は原爆症の青年と彼に恋した乙女の恋愛映画です。

監督が蔵原惟繕さんだと知って、早速DVDを借りて拝見しました。
「盆栽カフェ」が開催される「此のみち」は、蔵原監督のご自宅だったところで、オーナーの梅澤文子さんは蔵原監督のお嬢様(養女)になります。

題名の通り、原爆症の青年は原爆病院で亡くなってしまいます。そしてその後も悲劇が・・・。「違うラストにしてほしかった」という意見もあるようですが、これは実話に基づいたストーリーとのことで、原爆が被爆者はもとより、広島・長崎の人々をどれだけ苦しめたのかが描かれています。

この映画では、史上初となった原爆ドームでの撮影や、広島市原爆死没者慰霊式など、当時の広島の様子が映し出されています。

恋愛映画というだけでなく、「原爆がどういうものだったのか」を伝える映画として後世に残っていってほしいです。

愛と死の記録(日活のWebサイトより)
https://www.nikkatsu.com/movie/20949.html

※蔵原監督は、原爆投下までの4か月を日米双方の視点で描いた『HIROSHIMA』(1996年8月NHKで放映)という日本・アメリカ・カナダ三国の合同制作によるテレビドラマの監督も務められています。このドラマは第48回プライムタイム・エミー賞を受賞しています。(日本ではあまり知られていないことが残念です)

蔵原監督の肖像
北大路欣也氏 作

 

9月 10 20

ハチゴロウの鳥撮り日記 第16回「ヤマセミの捕食/面白シーン:札幌(北海道)」

by staff

第16回 ヤマセミの捕食/面白シーン:札幌(北海道)

2020年1月22日から24日まで札幌真駒内川(まこまないがわ)でヤマセミを撮影しました。真駒内川は石狩川水系の豊平川の支流で札幌市南区を流れる一級河川(下流より15km区間を一級に指定)です。「まこまないがわ」はアイヌ語で「背後にある川」を意味するマク・オマ・ナイに由来しているそうです。

2019年もこの川へ来たのですがヤマセミには出会えなかったので、今年はあまり期待していませんでした。午後2時40分、2018年2月2日以来2年ぶりにヤマセミを撮影することができました。ヤマセミは対岸の木の枝にとまっていて、細かい枝の中にいることが多く、見つけにくいです。雪の背景ですと後ろが白いので、露出が難しいです。

ヤマセミについては『ハチゴロウの鳥撮り日記第7回』で詳しくご紹介しておりますので、今回は、面白い捕食の連続シーンを紹介します。
(第7回はこちらから:http://yokohama-now.jp/home/?p=18553

日付と時刻は2020年1月23日午前9時12分。

ヤマセミが川岸でホバリング(滞空飛行/静止飛行)をしていました。

餌になる魚をみつけたのでしょう。川へ飛び込みます。
川岸に近い流れの緩やかな水面は、薄く氷が張っています。
氷を突き破る勢いです。水しぶきが上がっています。

水面から顔を出した時、魚を咥えていました。
飛び出して行きます。

捕らえた魚の尾ひれを咥えて、飛んで行きます。

「アッ」、魚も必死で暴れています。落としてしまいました。

「オッ」と羽を広げて、急ブレーキです。

魚にとって運悪く、落ちたところが、柔らかい新雪の上でした。
頭から新雪に突き刺さり、身動きがとれません。

ヤマセミは翼を広げて滑り込み「セーフ」、
スライディングキャッチです。

捕まえてホッとしたのか、しばらくジッとしていました。

魚の頭の方をシッカリ咥えて、運んで行きます。
お気に入りの場所へ向かいます。

食事する所に着いたようです。
小枝のバリヤーで安心して食事ができる場所です。

味しくいただきました。「ご馳走さまでした」
餌の魚を落とした時のあわてた様子、いかがでしたか!

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

9月 10 20

しあわせの「コツ」(第45回) 「背中」は語る

by staff

第45回 「背中」は語る

イザベラ・バード

明治初期の日本を旅した英国人の紀行作家イザベラ・バードは、日本人の体つきについて、「胸がくぼんでいる」のが特徴だと言っています。「胸がくぼんでいる」- それは、やせているのにお腹がぽこんと出て、やや猫背で胸がペタンコ、という典型的な日本人体型のことにほかなりません。

現在、この体型は多くの日本人にとってコンプレックスでしかありませんが、武道やスポーツ、あるいは匠の道を究めた人にとっては、洋の東西を問わずこの体型こそ理想的なパフォーマンスを成し遂げる奥義だといいます。

腹筋を緩め、腸腰筋などのインナーマッスルで姿勢を保ち、肩甲骨を開いて(僧帽筋でなく)板状筋で首を支える。そうすると、背中がすこし丸くなり猫背になります。大仏をイメージしてください。この姿勢で腹式呼吸をすると、横隔膜が下がり、腹壁が前に押し出され、お腹がみぞおちからグッと膨らみます。

鎌倉の大仏。少し猫背でいらっしゃる。

古武術は、この大仏さまのような体勢にならないと技がかけられないそうです。「千日回峰行」を成し遂げられた大阿闍梨も、160センチほどの小柄な方ですが、お臍周辺がどっしりと太く、まさに大仏様のような体型でいらっしゃるとか。

300年間に二人しか達成者がいない
「千日回峰行」に臨まれた塩沼亮潤大阿闍梨

現代でも、テニスの錦織選手は、腹筋の緊張がなく、横隔膜がちゃんと下がり、内臓や体幹部の筋肉に余計な負担がかかっていない身体をしているそうです。
また、首相経験者クラスの大物政治家の施術経験があるマッサージ師の話だと「一流の政治家はみな腹が柔らかい」そうです。腹筋が緩んでいるのですね。中にはズボッと奥まで手が入るほどの人もいるとか。エゴがあるとみぞおちは固くなる、とそのマッサージ師は言います。私利私欲を捨てた政治家かどうかは、体が教えてくれるというわけです。

猫背も日本人の特徴といわれます。
浮世絵を見るとどれも首が前に出ています。江戸時代まで日本人はそういう体つきだったのでしょう。頭と首を支えるための板状筋を使うと自然とこういう位置に頭が来ます。この時、広背筋や肩甲骨周りの菱形筋もゆるみ、やや猫背気味の姿勢になります。

東洲斎写楽の首絵。当時の浮世絵はどれも首が前に出ている

肩が凝るのは、本来頭と首を支えるための筋肉であるインナーマッスルの板状筋を使わず、僧帽筋で首を支えるからだそうです。僧帽筋は肩甲骨を動かすための筋肉ですからそれを首を動かすためにも使うとなると、大変な負荷がかかり、肩が凝るというわけです。現在「良い」とされている「まっすぐな姿勢」を保つために、私たちは体に負担のかかる筋肉の使い方をしているのですね。

「身体意識」という点でも、日本人の背中と腹の認識は、西洋とは逆です。今、私たちは背中が裏で腹が表となんとなく思っていますが、本来の日本的な感覚では背中が表、腹が裏となります。おそらく明治以降の怒涛のような西洋文明の流入と同時にその基盤にある考え方が浸透し、いつの間にか入れ替わってしまったのでしょう。

日本人にとって「背中が表」というのは、刺青を見ると分かります。別に背中の面積が広いからではありません。「背中は体の表」だからなのです。「背中で泣いてる唐獅子牡丹」というフレーズで有名な東映任侠シリーズを挙げるまでもなく、弁天小僧や遠山の金さんなど、日本の名だたる刺青ホルダーはみな背中に彫っています。自分には見えない背中が一番豪華な図柄になっているのです。

高倉健 『唐獅子牡丹』より。

ちなみに外国のラッパーたちのタトゥーは、ほとんど胸側(大胸筋上)に彫られています。彼らにとって人に見せたい「表」は、胸側なのです。以前ハワイで出会った新婚の警察官は敬虔なクリスチャンで、両肩から腕にかけてびっしり聖書の物語のタトゥーをしていましたが、背中は真っ白でした。これも身体意識の違いです。西洋人にとって、背中はあくまで見せる側ではなく、「裏側」(まさにback)なのだと思いました。

帯も結び目は背中に作ります。豪華な「ふくら雀」結びも、自分では見ることができません。それにもかかわらず帯にしても刺青にしても、法被にしても、外に対して見せつけるように背中を飾ります。西洋のドレスは前面をレースや宝石で飾りますが、背面はいたってシンプルです。身体意識の違いが衣服にも表れていますね。

背中がメインの帯締めと法被

鍼灸では背中が陽、腹が陰になっており、主なツボは背中に集中しています。
肝臓、腎臓など大事な臓器も、背中側からマッサージすることができます。ここでもやはりメインは背中なのです。

なぜ日本ではこれほど「背中」が重要視されてきたのでしょう?
思うに、農作業と関係があるのではないでしょうか。田植え、草取りなど重労働の農作業は、筋肉が正しく使えないと効率が悪いばかりか、不要なところに力がかかり、身体を壊してしまいます。とりわけ体の「幹」として重要なのが「背中」です。背中の感覚が鋭敏な人は感受性も鋭いそうです。現代でも、人の気配を背中で感じたり、風邪のひき始めは背中のゾクゾク感で察知します。

また、背中に本音が出ることもあります。楽しそうにはしゃいでいる人の背中に孤独の影が宿っていたり、愛想のよい人の背中に強烈な拒否感が漂っていたり、顔側からは察知できない本音が隠しようもなく背中に現れてしまいます。役者でもない限り、顔の表情は作ることができても背中の表情を作ることは難しいものです。だからこそ子供は「親の背中」を見て、親の本音を探ろうとするのでしょう。

現代の私たちは胸・腹側ばかりに意識が行きがちですが、実は自分の見えない背中にこそ本音が現れているのです。

日本人の「背中」意識が敏感だったのは、体の本音、心の本音を少しでも正確に受け止めようという意識の表れだったのではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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9月 10 20

ゆるマナー講座(第59回) おばあちゃんの知恵袋

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

今回は9月9日の「重陽の節供」にちなんで、おじいちゃん、おばあちゃんの知恵の話です。
「重陽の節供」は、今はあまり馴染みがないのですが、陰陽道で最大の奇数「9」が重なるので、おめでたい日として長寿を願うしきたりです。別名「菊の節句」とも言います。旧暦ではこの時期菊が美しく、菊の花びらを浮かべたお酒を飲むと長生きするとされています。
「人生七十古来稀ナリ」の杜甫の詩から70歳は「古稀」のお祝い、77歳は「喜寿」、80歳は「傘寿」、88歳は「米寿」、90歳は「卒寿」、99歳は「白寿」、100歳は「百寿」としてお祝いをしますが、医学が発達していなかった昔は、この年まで生きるのはさぞ大変なことだったでしょう。今は人生100歳を考える時代です。年を重ねるごとにチャーミングな知恵者になりたいと高齢者の方を見て思います。

善意のチャレンジ

エリザベス女王からナイトの爵位を授与されたイギリス人の退役軍人トム・ムーア氏(100歳)のニュースを皆さまもご覧になったのではないでしょうか。
ムーア氏は、100歳の誕生日を前に、歩行器で自宅の庭を100周歩くチャレンジをすることを宣言し、コロナ禍で治療に当たられている医療従事者を支援するために、インターネットで寄付を募りました。そして、見事挑戦を成功させ、寄付金は当初の目標額の約13万円をはるかに超え、40億円以上を集めることができたのです。

100歳の方が、誰かのために、何かに挑戦する姿に心を打たれた人達がどれほど多かったかの証ではないでしょうか。

このチャレンジはムーア氏の娘さんのアイデアだそうですが、それを実行に移され、成功させるのはきっと大変なことだったのではないかと想像します。これほど多くの人から共感を得られたのは、「誰かのために」という善意の行動への感動…そして年長者への敬意ではないでしょうか。ムーア氏の挑戦は誰にでもできそうで、なかなかできないものです。

こんなにも多くの人達がムーア氏の善意ある行動に心を動かされたことにも心温まるものがありました。更に感動したのは、氏の100歳の誕生日にイギリス中から14万通ものバースデーカードが届いたことです。お孫さんの通う学校に展示されている映像が流れていましたが、広い部屋がカードで溢れていました。

善意の人には善意ある人が集まる…好循環が生まれるのですね。こんなニュースを観るとなんだかほっとするものがあります。

女王からナイトの爵位を授与されインタビューで、「女王とどんな話をされたのですか?」と記者から質問されたムーア氏は、「それは女王と私の秘密です。」と答えたとか…。どこまでもチャーミングで品格のある方ですね。

おばあちゃんの知恵袋

かなり前ですが、「おばあちゃんの知恵袋」という本を読んだことがあります。掃除や料理など日本人の生活の知恵をまとめた本でしたが、まだ若かった私には大変勉強になることばかりでした。今は核家族化が進み高齢の家族と同居することも少なくなりましたから、日々の暮らしのちょっとした工夫や昔ながらの知恵を教わる機会が減って来ています。本で読む知識も大切ですが、身近なおばあ様やおじい様から伝授される生きた生活の知恵はより身につくものです。

年を重ねる度に経験で身につけた知恵袋を膨らませて、若い人に伝えられたらと思います。
そして、思ったことを行動に移すチャレンジ精神を持ち合わせた元気な高齢者でありたいですね。2024年、日本では3人に1人が65歳以上になるようですから、高齢者が生き生きと輝いていたいものです。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

9月 10 20

2020年9月 三ツ池だより 「目指すものは、目指すところは!」

by staff
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夏が異常に暑かった。だから海に行ったとか、山に行ったとかでない。我慢の夏であった。新型コロナもさることながら、異常気象での影響で体調を崩された方も見られた。これからがどのように展開されていくのだろうか。落ち着くまでは現体制でと、思ったりするが、民主国家では選挙がつきものだ。さて、計量は安心生活の基本であり、「ことのやりとり」や「ものの比較検討」に欠かせない。

 「計量とは」 けんじ
いい品質をつくる
安心してもらえる
バランスがとれている
  計量することが
  バランスのとれた
  安心をつくり出す
はかること
表現すること
伝えること
  計量することが喜びとなり
  計量が安心社会とつながり
  その結果が美しいものとなる
チェックし、確認し
次へつないでいく
正しさの連鎖を繋げていく

安心して生活していくうえで大切なことである。この暑さのなかで計量がどのように行われているか気になるところだ。もちろん自社では、暑くても様々なことがあっても、安全計量のために努力している。

 「この道」 けんじ
どこに行こうとしているの
戸惑っているのはわかるけど
歩いているのは自分
あるいていないつもりでも
歩いているこの道
  誰もわからないのだけれども
  小さなことはわからないが
  自分の道を歩いているよ
  見ていないかもしれないが
  進んでいるよ
日本は一部過疎化が進んでいる
日本をもっと大事にしていこうよ
食料自給率を上げていくこともしようよ
自国でものづくりをもっとしていこうよ
この道を大事にして行こうよ

狭い日本といわれながら、東京一極集中している。経済・文化・先端技術など新たな拠点づくりをしなければいけないのだ。東京を経済の中心にもってくるなら、政治の中心を他へ持って行く。東京を政治の中心とするならば経済の中心を名古屋などにもっていく。そうすると教育の中心はどこにもっていくのだろう。今までリニアモーターがいいとおもっていたら、山の水脈が遮断され、その地域に大変な水の影響がでているとの報道があった。どちらをとるかではなく、これは予測できていたことなのだろう。見直しが必要なのではないだろうか。

 「日の丸」 けんじ
日の丸の旗が交番にある
駅には日の丸が見えない
  日本の国にいて
  日本人としての祝日なのに
前は祝日どこの家も国旗をだした
お祝いをどこの家もしていた
  日の丸は日の出のしるし
  日の丸はあきらかなること

目指しているところは希望であり、協調であり、穏やかな発展である。いま若い人たちの夢はどうなっているのだろうか。そして、日本人としての“誇り”をどこにもっているのだろうか。いまだけの問題でなく、日本の歴史をどのように豊かにつなげていくのだろうか。時にはゆっくりと歩むことも必要なのではないだろうか。

 「人・人・人」 けんじ
人はかわるのではない
いろんな要素をもっている
そのどこに焦点をあてるのか
  気づくことであり
  感じることであり
  一生懸命取り組むことであり
失敗は経験になり
不合格は道を探し
取り組む姿勢が明日をつくる
  取り組むことなのだ
  しっかり見つめることなのだ
  好きになることなのだ
一つ一つが自分をつくる
今日が明日につながる
取り組む姿勢が根をつくる

目指すところは人類の幸福だ。お互いに助け合わなければならない。今イデオロギーの衝突の危険な状況である。譲り合えない課題を前に、だからどうしていくのか。今、日本は大変な所に来ている。今までの日本ではいけないと考えている人達がいる。戦後教育の中で、日本らしさをとうざけてきた思想がある。民主的という名を使って、伝統を壊そうとしている。その意味で北海道・沖縄をどうしていくかが問われている。その地をより有効に価値あるものにするにはどうしたらいいのか。中国の武漢には日本の有力企業が1000社以上活動している。撤退するところも出てきた。そのままの所もあるだろう。大きな投資をして進出しているのだから当然だろう。だからといってそのままでいいわけない。援助の想いがあって始まったものを、他国が当然の権利として振舞っているのを何とかしないといけない。

 「丁度いい」 けんじ
今日は今の日
昨日は作られた日
明日は陽がのぼり月が出る日
  今度はいつ
  今回はいつ
  前回はいつ
今度と書いて今ではないと
今回と書いて今のこと
度と回はどう違うの
  度量のあるなし
  回数の多い少ない
  丁度いいのは今

目指すものは相互信頼、目指すところは安心社会だ。2020年の前半のまとめの月に入っている。すぐやれること、目の前のことに取組もう。課題に対してはしっかりと眼をはなさずに見ていこう。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

9月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第90回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第90回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“ゲルニカ” を描いたピカソは、虚構であることを通じてのみ真実に到達できる、とこの絵を説明したとか。確かに目の前にある現実だけを見ていると、その枠組みから脱するのは思った以上に難しいもの。現実に立ち向かって未来を切り開くには “虚構・抽象化” が突破口になること、そのためには地頭でじっくり対峙することが必要なのかもしれません。くり返しが得意な農耕民族から、時には一発勝負の狩猟民族へ変身。今後もパンデミックは回避できないとの予測。 “絵文字” が将来の世界共通言語になるかもしれない時代。既存の大規模知識ベースでなく、今後は徹底してパーソナル。パーソナル・ナレッジマネジメントをフル稼働。環境は直線型から指数関数型へ。柔らかく勁いカルチャー(コンテクスト)へ基盤を強靭化。梁塵秘抄では “山伏の腰に着けたる法螺貝の 丁と落ち ていと割れ 砕けて物を思う頃かな” とあります。修験者に法螺貝はつきもの。天狗も仲間にする。 “若い人の書くものを読まなくなった。わからないからでなく、余りにわかり易いから。混沌・理不尽の中で古典を読む” と作家・富岡多恵子。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

重要なのは 伝達の方法・手段でなく、あくまでも内容
咲くのも道理、散るのも道理 能は死者の目を持ち込む
詩を書くことで欠落を埋める 成就のための技能と根気
美しい花はある 花のような美しさはない、と小林秀雄

“日本に生まれたことは宿命。誰だって運命に関する知恵は持っている。大事なのはこの知恵を着々と育てることだ” と文芸評論家・小林秀雄。文芸評論の確立者で保守文化人の代表格。私には、いつも支援してくれた弟テオへの手紙を評論した “ゴッホの手紙” が一番印象に残ります。 “病気はゴッホにとって大きな障害だったろうが、彼の作品は病気という条件がなければ現れなかったであろう” との人格構造への斬り込み。精神疾患と創造性の不思議な関わり。新型コロナという運命にも知恵を育て続ける必要がありそう。 “不協和音:緊張が生まれてより深い音楽が生まれる” と音楽家・坂本龍一。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

日本は文化・技術・知恵が十分ありながら 肝腎なところで遠慮しがち
自分の生き方を価値創造の前面に押し出す 顧客が定義するものに絞る
イタリアの職人の目的は明確 ゴールはファッション、糸づくりは手段
自らの勝手でなく顧客が認めるスキル 外科手術に拘らず漢方薬も併用

日本には文化・技術・知恵は十分にあるはず。自分の生き方を価値創造の真正面に位置付けることが必須。イタリアのファッションビジネスは常に挑戦的で斬新、そしてしぶとい。それはゴールが明確だから。狙いはあくまでファッション。そのために必要な糸づくりは手段系。目的系と手段系を明確に整理して考えることで誰にも真似できない成果物を手にする。顧客が納得するスキルなら西洋も東洋もないはず。医学の世界も西洋医学が最先端を走っていますが、東洋医学の総合バランスも必要。外科手術に拘らず漢方薬も併用する妙。 “自分の時間を生きてきた人間に見られる嗜み” と作家・吉田健一。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

技術、体力だけでは不十分 修羅場における耐久力こそが勝敗を分ける
明確な目的と変革のチャンスが与えられれば やりたいことはやる覚悟
人間は自分のこともわからない 努力なしで成長がないのは間違いない
人間はどこか変 これが正しい・悪いというものはない、とチェーホフ

チェーホフは、ロシアを代表する劇作家であり、多くの優れた短編を遺した小説家。日本でも繰り返し上演される “かもめ” や “桜の園” などの四大戯曲は代表作。ロシアの至宝ともいえるチェーホフも、ユーモア短編を書いていたことは知られていますが、それは生活費を稼ぐという現実的な必要から。どの世界も、育てられるのではなく、自らの力量で育つしかないのが人間社会の掟。先人が獲得した知を習得しながら、将来の新たな世界を創り出すこと。 “ナチスドイツへの抵抗運動:音を立てられない野営地で、身振り手振りで意思疎通したのがパントマイム” とアーティストのマルセル・マルソー。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第90回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
9月 10 20

書評 「どうぶつたちのじどうしゃレース」 かもがわ出版
しまおか ゆみこ(著)、アバシ・ムブカ(イラスト)

by staff
 
タイトル どうぶつたちのじどうしゃレース
絵本 56ページ
出版社 かもがわ出版
ISBN-10 4780310970
ISBN-13 978-4780310979
発売日 2020/7/20
購入 どうぶつたちのじどうしゃレース

島岡ご夫妻に最初にお会いしたのは、2016年の5月。
その時の衝撃は、2016年6月号のヨコハマこの人「アフリカ独立革命に命をかける革命児島岡 強さん」に掲載されています。

ヨコハマNOWより
http://yokohama-now.jp/home/?p=14780

革命児、島岡強さんはもの凄いインパクトのある方ですが、強さんを支え続けている由美子さんの器の大きさにはいつも感服しています。

島岡由美子さんは、1987年以来30年以上にわたって夫の島岡強さんとともにタンザニアのザンジバルを拠点に漁業・運送・貿易など現地の人々の経済的自立のための事業を展開し、柔道や野球などのスポーツの普及活動も行っていらっしゃいます。

またご自身のライフワークとしてアフリカ各地に伝わる民話の採集に取り組んで日本に伝えられています。

由美子さんの著書には、島岡ご夫妻の歩みをまとめられた「我が志アフリカにあり」「アフリカから、あなに伝えたいこと革命児と共に生きる」やアフリカの民話集、それらを絵本にした「しあわせのなる木」などがあります。

お忙しい日々の中で、これだけの執筆活動を継続されるのは大変なことだと思います。

そして、2020年7月21日に発刊されたのが、「どうぶつたちのじどうしゃレース」です。

「おんぼろぐるま」のうさぎさんが、「おなら」の力で他の動物たちとの自動車レースに勝利するお話を、面白おかしく記述されています。絵本ですから、絵も主役です。
絵は、「ティンガティンガ・アート」の人気アーティストのアバシ・ムブカさんが描いたそうです。今まで見たことのない幻想的で楽しい色使いの絵になっています。

「ティンガティンガ・アート」とは、1968年にタンザニアのエドワード・サイディ・ティンガさんが始めた絵のスタイルです。豊かな自然や動物人々の生活などを、6色のペンキを使ってカラフルな色調でのびのびと描きます。下書きをしないで描いていくそうです。ティンガさんが亡くなった後もティンガ村と呼ばれるアート工房に100人以上の画家たちが集まって絵を描き続けているそうです。

島岡ご夫妻はティンガ村の絵を日本に紹介して、画家たちの経済的自立を支援し続けています。

それにしても・・アフリカの民話で「じどうしゃレース」があるの?
と素朴な疑問を由美子さんに投げかけました。アフリカは植民地時代に自動車が入ってきたようです。国民には手の届かないものだったらこのようなお話ができたのではないかと仰っていました。

日本では「うさぎとかめ」という民話があって、うさぎは敗者ですがアフリカには、ライオンやキリンやシマウマなど、どう見てもうさぎより強い動物がたくさんいるので、弱者が勝利するストーリーにしたかったのかもしれないなと、私は勝手に解釈しています。

楽しい絵を見ながらお子さんに読み聞かせてもいいですし、自分一人で声をだして朗読しても癒されますよ。

そしてお勧めは・・・巻末についている「塗り絵」のページです。
様々な動物の絵が塗り絵用に用意されています。
ティンガティンガ・アートのお絵描きの様子も掲載されていますから参考にして挑戦してみましょう。

私も色鉛筆で塗り絵に挑戦してみました。
最近「大人の塗り絵」がブームになっていると聞いていますが、巣ごもり生活の気分転換にはなりますね。

由美子さんの著書とティンガティンガの絵画は、2020年9月3日から13日まで横浜日本大通りのギャルリーパリーで開催される「ティンガティンガ原画展」で展示即売されます。

詳細はチラシをご覧下さい。

(文:渡邊 桃伯子)

 

9月 10 20

書評 「人生を豊かに生きる12章」 祥伝社 松原泰道(著)

by staff
 
タイトル 人生を豊かに生きる12章
単行本 272ページ
出版社 祥伝社
ISBN-10 4396612931
ISBN-13 978-4396612931
発売日 2007/10/23
購入 人生を豊かに生きる12章

平成19年出版の本に出会った。「おまかせする心で楽になる」と副題がついていました。著者松原泰道さんが満百歳を前に上程された本です。この63年前の昭和19年が私の生れです。表紙カバーの裏をみてなぜかこの本に飛びついてしまいました。

最初に出てくるのが、坂村真民さんの詩でした。
  「年を取ることはいいことだ
  とってみなければ
  わからない世界が
  開けてゆく
  特に今年は
  何だかすべてが
  新鮮だ」
松原さんは「この詩を読んで、私も深く共感しました。」と書かれる。そして「素直に年を取る、素直に病気する、素直に死んでいく。そのように、エゴを出さずに、自然に従っていくことではないかと考えています。」と書かれます。

「希望を失わなければ老いることもない」の処で、サミュエル・ウルマンの詩を紹介し、次のように書かれます。「どんなに年をとっても、“おやっ“と感動することが大切です。たとえば、道端に人に踏まれながらも花が咲いている。そういう何でもないところに驚きを感じて、何かを教えていただこう、学びとって行こうという姿勢です。いつも何かを学ぼうという気持ちを持っていれば、老いてぼけることも少ないだろうと思います。」そしてつぎの話に進みます。非常に徳のある方の話です。「そーっとふすまを開けて覗いてみると老眼鏡をかけて、さらに拡大鏡で小さな本を一生懸命みていらっしゃる。何だろうと思って側へよってみたら、驚いたことに、70歳を越した老人が”コンサイス英和辞典“をひいておられるではありませんか。このお年になって英語の勉強とは・・・とおかしくなって、ついひとり言で”遅すぎたな“と小声でつぶやいたら、それが聞こえてしまいました。」和尚は言ったそうです。「確かに遅すぎた。だけど、死ぬまでに単語を一つ覚えておくと、今度生まれてきたときに勉強が楽だからのう。死ぬまでに単語を覚えつづけるのだ」と。

「“長く”よりも”深く“生きる」の処で、「長命とか短命とかは時間の長さではなく、生き方の深さだと思います。人間はどういう死に方をするかというよりも、どういう生き方をしたかというほうが大事だと考えるからです。その生き方も長さではなく、価値ある、深みのある生き方でなければなりません。そのために、やはり丹精という生き方が必要だと思います。そのように丹精に丹精を重ねて、長さよりも深い価値ある生き方をしていく。そうすると、自然に年とった顔にも、人生の苦労を経た美しさが現れてくるものです。」

「人間関係に疲れたときにどうすればよいか」という処で「人生の中で行きづまりを感じることはよくあることですが、行きづまりを嘆く必要はなくて、行きづまったらこれは必ず先が開ける前兆だと思って、逃げずに、もだえるときにもだえぬいていくと、何でもないことの中から神の声を聞くことが出来るのだと思います。」「人間関係に疲れても、そこから逃げてしまわずに、何かを学ぼうと思って一歩外へ出てみることです。そうすれば、必ず何か得るところがあるはずです。」そして次のように続けられます。「嫌いなものを食べ続けていくことによって、いつの間にかそれがすきなものになり、自分の滋養になります。嫌いな人に出会っても、好きという気持ちを持ってつき合っていけば、必ずその人の良さがわかってきます。あの人から何かを学ぼう、何かを得ようという尊敬の気持ちで突っ込んでいけば、やはり向こうにも感ずることがあって、赤の他人でもこちらへ行為をもってくれることが多いのではないでしょうか。」

「いじめを克服するために必要な“報福”の心とは」の処で、江戸時代後期の学者、七歳の頃失明し、江戸へでて鍼や按摩、の指導をうけたのですが、いくら学んでも技術を習得できなかった塙保己一の話が出てきます。「保己一は若い頃、ある国文学者から、大事業を成そうと思うなら神仏の加護を得なければ成功しないといわれたので、たまたま天神様を信仰することになります。」ある大雪の日、平河天神へおまいりするために歩いていたところ、高下駄の鼻緒が切れてしまいました。平河天神の前にあった前川版木店という、現在の出版業の店に行って、ひもの切れ端をくれませんかと頼みました。「当時の通貨は穴開き銭だったので、多くの商店ではその穴にひもを通して店先につり下げてありました。版木店のいたずら盛りの小僧たちは、まだ使用していないつり下げひもを、手渡しせずに雪の中にぽいっと放って“あそこにあるから拾え”と言いました。それを保己一が一生懸命に探すのです。盲目の人が雪の上で、見当違いに探しまわるのを面白がって、小僧たちは手を叩いてはやします。保己一は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、鼻緒の切れた下駄を下げ、はだしで帰りました。

それから何十年かたって、江戸幕府の援助もあって、“群書類従”が完成し、いよいよ出版というときになって、どこに出版させようかという評議になりましたが、容易に決まりません。そのときに、保己一が遠慮がちに“私も推薦申し上げたい出版店がある”と発言すると、幕臣たちが“塙先生がおっしゃるなら”といって決まったのが、平河天神前の前川版木店だったのです。」版木店の主人が恐縮して、店の小僧の無礼を詫びると、保己一は「いいえ、そのおかげで今日の私があるのですから」と丁寧に感謝するのでした。
「自分の受けたいじめをプラスにして、自分も成長して相手も救う。そしてそれが世の中に役立っていくのです。そういうプラス思考で、私はこの“報復から報福へ”という言葉を使っています。」

「いちばん近くの“めぐりあい“」から「破れ鍋に綴じ蓋の関係」<,br />
このことわざには二通りの意味があります。ひとつは、どんな人にも、その人にとってふさわしい連れ合いがいるものだということ、もうひとつは、縁のかけた鍋と修理した蓋がぴったり合うというように、両方とも欠点があることで、逆にうまくいくという意味です。「結婚する当初においてはマイナスもあり、欠陥もある人間が一緒になって、人間完成に努力するのであって、」最初から完全な夫婦ではないということを、まず意識することが大切です。そして、互いに破れ鍋となり、綴じ蓋となって、相手の欠点をみとめながら、それをカバーして助け合っていくことです。夫婦愛というものは、そこから生まれるものではないでしょうか。」

「“組織”は歯車ではなく網の目である」の処で「組織という熟語は”組む“”織る“から成り立っています。”組む“は組み立てること、”織る“は織りなすことです。」熊本城の堀の石垣の話が出てきます。石垣の中にまるい石臼があります。出すものがなくて供出したのか、石臼というと粉を挽くまるいものです。まるい石を組むのはずいぶん骨が折れたろうと思いますが、石臼の周囲に細かい石を入れて、上手に組んであります。築城の名手加藤清正の居城だけのことはあります。「現代のキーワードだといわれている共生ですが、いわゆる自然と人間の共生のみならず、宗教と哲学、宗教と科学といったような異質のものが組み合わさり、現在の日本の文化というものがある、そういったことに気づくことが本当の共生になってくるのだと思います。」「他を生かしながら自分も生きる、あるいは自分を生かしながら他を活かしていくというのが組織です。このように考えてみると、組織という字は実にいい字だと私は思います。そこに個と全との関係が見事に表れているからです。」

「組織という網の目」(自分を生かし、他人を活かす知恵)の処から「組織は歯車でなく網の目」そして「目立つべきところと、目立ってはいけないところ」を。組織の「織」は、おりものを表します。織物は縦糸と横糸で織りなされています。布地の横糸は外から見えますが、縦糸は見えません。縦糸が外から見えたら、それは布地が傷んでいる証拠です。「企業でも同じことだと思います。宣伝する方面はやはり目立たなければいけないし、企業の本質というものは、外からうかがいしれないものがある。」「会社の中では、自分がいる意味が感じられないといったようなことがありますが、自分は網の目の一つとか、五番の目の一目であるとか、石垣の中の一個の石であるということ、つまり他を生かしながら自分も生かされて生きていくということが分かってきます。個がなかったら全体は築けませんし、全体はまた個によって保っているものなのです。」

終わりに坂村真民さんの詩を紹介されます。
  「病(やま)いが
  また一つの世界を
  開いてくれた
  草光る」
人はひとりではいきられません。自分の役割を感じ、お互い様の中で生きていきます。自分の役割は何だろうかと考えさせられる時間がありました。ありがとうございました。

(文:横須賀 健治)

 

9月 10 20

チャレンジ(第25回) 取材始めます!

by staff

取材始めます!

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。今年の夏は子ども達の休みも短く、外出にも気を使い、なんだか不完全燃焼の日々でした。朝晩は少し過ごしやすくなってきましたが、まだまだ暑い日が続きますので、皆様もお気を付けてお過ごしください。

 ギブ&テイクの精神

自主期間中も、この夏の間も忙しく動いていた私ですが、このコラムを書かせていただいて2年以上経ちました。これも辰巳編集長のサポートがあってのことであります。ありがとうございます。

最初はヨコハマナウの関係者の皆様に自主製品の販売について相談したのがきっかけでしたが、その後、関係者の皆様のサポートにより、C.P.FACTORYを立ちあげさせてもらい、コラムも書かせてもらうことになりました。それによって世界が広がり、C.P.FACTORYの活動も幅広く繋がって行っております。

では、私はヨコハマナウへ何を恩返しできるだろうか? とギブ&テイクの精神で考えました。

私も一般社団法人を立ち上げたり、福祉の世界に足を突っ込んだり、いくつかのコミュニティに参加したりと、多くの人たちと交流しています。みなさん、とても勢いがあり素敵な方たちばかりです。
そして私の活動が横浜市中心なので、横浜在住の方が多いので、これはヨコハマナウで紹介させてもらえないか? と考えました。

 取材始めます

ただ、自分が書きたい内容を書くコラムとは違い、取材をしてその人の魅力を文字で表現する、というのは簡単ではありません。そこで、ヨコハマこの人を執筆されている高野慈子さん(http://yokohama-now.jp/home/?p=2677)に取材に同行させて頂いて指導していだきました。

多少の修業期間を経て、来月から少しづつですが、取材をさせていただいた記事を掲載していただきます。魅力的な人や活動を紹介できることにワクワクしておりますので、よろしくお願いいたします。

次回は「楽しみながら社会貢献」です 

(第25回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

9月 10 20

絵本から笑本へ(第51回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~ぴっころECCOさん~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期。

絵本作家としてこれまでにご縁のあった「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」を
ご紹介しています。

第4期6回目にご登場は…
腹話術師で笑い文字講師の、ぴっころECCO(えっこ)さん

えっこさんは腹話術師としてぼくの開催する落語会は勿論、
絵本作家として主催しているイベントへもゲスト出演してくれています。

子どもから大人まで、どんな世代のお客様でも
必ず楽しませて笑わせてくれる。
ぼくの信頼する芸人さんです。

数えようと思ったけれど…数えきれないくらい、
これまで様々なカタチでご一緒させて頂いてきました。

皆さんは、腹話術を生で見た事はありますか?

ぼくは、えっこさんの腹話術を見るまで、
生で腹話術を見る事はありませんでした。
…いや、実際はどこがで誰かの趣味程度の腹話術を
見た事があったのかもしれませんが、記憶には残っていない。

しかし、えっこさんの「本物の腹話術」を見た時の感動は、
今でもシッカリと記憶に焼きついています。

ここで、えっこさんの腹話術をアレコレ言える程、
ぼくも評論家ではないので割愛しますが(笑)
是非、皆さんにも「本物の腹話術」を、「生のぴっころECCO」を、
観て、感じて頂きたい。

えっこさんにはもうひとつ別の顔があります。

「笑い文字講師」。
笑い文字とは文字が笑っている可愛らしい墨文字。
皆さんも、一度は目にした事があるんじゃないかな。

えっこさんは腹話術を披露し終わった後、
皆さんに感謝を込めて笑い文字をお渡ししています。
最後の最後までお客様を笑顔する事を忘れない。
芸人の鑑です。

今、世の中はどんどん変わっていっています。

芸人が生で芸を披露する事も随分と減っています。

芸人は世の中の人達にある程度余裕がないと成立しない職業。
それでも、世の中の人達を笑顔にすることは他にない大切な職業。

だからこそ、今出来る事でたくさんの人達を笑顔にしようと
えっこさんは活動しています。

どんな状況でも笑わす事を忘れない。
どんな状況でも笑顔の輪を繋いでゆく。
そして、なにより常に自分が笑っている。

そんな、ぼくにとっての芸事の師匠ぴっころECCOさん。
いつかあなたにも、えっこさんの芸に触れ、笑顔になってもらいたいな。

ぴっころECCO
(腹話術師・ヘブンアーテイスト [東京都認定大道芸人] ・笑い文字初級トレーナー)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「子どもの時はショートカットで、外でよく遊んでいたので真っ黒でよく男の子に間違えられました。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「夢?・・・はるか昔のことなのでどんな夢を持っていたか忘れました(笑)」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「腹話術も笑い文字も人を笑顔にできるものだと思っています、ちょっとの時間でも笑顔になって喜んで腹話術ができる人、笑顔を届ける人をオンライン講座で増やしたい。」

④ 『悩みはありますか?』
「今はコロナで腹話術を大勢の前で披露できない事がなやみです。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「コロナで、イベントがキャンセルで腹話術をする機会がなくなりましたが、料理をしたりZOOMで習い事をしています。大変な時こそ新しいことにチャレンジしたり、どうやったらもっと笑顔を届けられるかといろいろ考えることが楽しいです。」

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

9月 10 20

第89回 どちらにお住まいですか?

by staff

山田スタジオ
山田 慎一郎

どちらにお住まいですか?

つい最近まで珍しいと思っていたテレワーク、WEB会議も一般的になり、家にいる時間が相当長くなりました。そうすると住まいへの想いも次第に変化してきて、家の中でより快適に暮らそうと思ったり、もしくは何かの不具合に気づいてしまったりで、壁紙やカーテンを換えようとか家電やエアコンなどの設備を刷新しようと悩んだり。テレワーク用の書斎(コーナー)をリビングの隅っこにでも欲しいと思ったりしていませんか? 私は作りたいと思いました。

ところで先日、数ヶ月ぶりにホテル運営(全く売上は芳しくないそう)と住宅販売(主にマンション、ホテル計画から集合住宅にチェンジする案件増)を手掛けられている会社での打ち合わせの際、新しい生活様式での住み替え需要についての話になりました。都市部限定の話かもしれませんが、通勤を気にしなくなりと今より広い生活空間を確保しやすい郊外での暮らしを考える人が増えていると。しかもただ郊外というのではなく、環境の良いところ、例えば海が見えるとか仕事にプライベートに今までとは違う景色の中で生活したいと考えるそう。①テレワーク→②家にいる時間が増→③家の中が気になる→④設備などを直し尽くす→⑤なぜかしっくりこない→⑥そもそもこの場所に納得できなくなる→⑦今までと違う環境の中で暮らしたい→⑧いっそのこと引っ越すことを決断する、とはならないかもしれませんが、窓の外を見てください。これまでの単に駅近だから良いという考えに疑問を持ってしまうかも。

そんな中で思い出した拙宅選び。約10年前、環境の良い住まいを探していました。中古マンションをリフォームして住むつもりで選んだ不動産検索キーワードは「ルーフバルコニー」でした。横浜は丘も多く、斜面に沿った階段状のマンションが多くあります。それらはルーフバルコニーを持つことも多く、それこそ眺望、景観に配慮しているだろうと。その中でも森や公園に面しているものがあれば尚更よし。ありました、目の前が緑でカーテンをしめなくても暮らせる最上階メゾネット住居。

すぐに内見し、気に入って購入を決めました。
リフォーム後に販売されることの多い中古マンションですが、竣工当時のままお住まいで不要な修繕はお断りし、その分販売価格を下げてもらえたことは良かったこと。誰かのリフォーム後の購入で自分の好みでないとしても、新しくなった内装に手を入れるのは気が引けますし。

良いことばかりではなく、その環境を手に入れるため受け入れたのは最寄り駅から徒歩圏内とはいえ急坂を何度も上り下りしなければならないこと。建物にたどり着いても階段で最上階へ。そう、エレベーターはないのです。
北側に眺めの良いルーフバルコニー、南側は保存緑地の私的「好立地」の一室をリフォームして暮らしているわけですが、訪ねてくる友人は誰しも駅からのアップダウンにノックアウトされ、丘の上の最上階までの階段にギブアップ気味。友人の「眺めは良いよね」は褒め言葉として受け取っています。エレベーターがないことで購入を諦めた人も多いでしょうけれど、健康でさえいればクリアできる問題と思っています。

「どちらにお住まいですか?」と聞かれたら
「ちょっと坂が多かったりで大変ですけど良いところですよ」と応えます。

これから住まいを探す(検索する)キーワードに「不便な好立地」が加わるかもしれません。答えがひとつでないのが住まい選びですし、こういう時代だからこそ新しい価値観をもって住まいの場所選びをして下さい。ご自身ではわからないことも多いでしょうから建築家がお手伝い、そのような時は是非お声がけください。さて皆さんは「どちらにお住まいですか? 素敵な環境の中で暮らしませんか?」

さて過去3回寄稿した「街のはなし」。地下新駅の様子はわかりませんが、公共芸術施設を併設する高層マンションの建築計画のお知らせ看板も立ち、いよいよ旧駅東側の開発も目に見える形で進んでいきます。個人的にですが、綱島街道を跨いで地上旧駅と地下新駅を結ぶペデストリアンデッキができると面白いかなと妄想しています。とにかく街の記憶が損なわれないよう新しい歴史が積み重なりますように。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acaa建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

9月 10 20

ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり

by staff

♪ ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:百番 順徳院
(じゅんとくいん)

現代語訳・・「宮居の古い軒端に偲ぶ草は生い茂る 私が偲ぶのはそのかみのこと しのびてもあまりある思い出は尽きせぬ  懐かしやかの日の栄華 荒れはてた宮居の思い出」

これは私の大好きな田辺聖子さんの現代語訳です。他の方の現代語訳も見てゆきましょう
中村菊一郎氏 監修の現代語訳では・・・
「宮中の古く荒れはてた軒端に生えている偲ぶ草を見るにつけても、いくら忍んでもしのびつくせないほど、恋しく懐かしい昔の御代である事だ」

高橋睦郎著の百人一首(恋する宮廷)では訳者の心情が投影されてドラマティックです。
「沢山の石を敷き詰めて築いた王朝の礎を盤石にしようと、百千に心をくだき企てを重ねてきたつもりだが、すべては水泡に帰してしまった。今この荒れ古びた、その上 雨さえ降っている軒端の衰徴のしるしのような偲ぶ草を見ていると 自分に残された営為は王朝の盛んだった昔を忍ぶことのみ。だからと言って、輝かしい昔が帰ってくることはないのだ」

作者の順徳院は 99番の後鳥羽院の3番目の皇子様として産まれました。この歌を詠まれたのは彼が20歳の頃。もちろんもうすでに天皇になられていますが、まだお父様の後鳥羽院もご自身もこの歌が詠まれてからの5年後、25歳の時に来る人生の大転落となる承久の乱の成り行きなどは全く想像にも及ばない時だったと思います。時代はいつも目には見えない糸にからめとられてゆくようにその時その時の人々の心境をある一つの目的へと進ませてゆくような何かを孕んでいます。父親の後鳥羽上皇には、未来のビジョンが見えていたのかもしれません。が、そのビジョンは 自分と、気持ちを添わせてくれる3男を早く天皇にさせて、その順徳院との二人で又朝廷を盛り立ててゆこう!と言った明るいビジョンで在り、それがまさか武家社会との軋轢となって戦いが起こり圧倒的な弱さで自分達が、朝廷側が敗者となり天皇が島に流されることになろうとは一瞬たりとも、思いつかなかったビジョンでしょう。本当にこの親子2代の天皇で、平安時代は終わりを告げるのです。
その後の天皇は幕府の指示がなければ次期天皇も決められないような 権力と言うものを完全に失った表向きの権威だけの朝廷に落ちてゆくのです。そして武家社会が明治維新まで続くわけです。

自分が小倉百人一首の100番まで文章を書き続けられたなんて、今でも信じられないのですが、この横浜ナウの和歌うたコラムを毎月、書く事によって、私は百人一首を通して日本の歴史の事をだいぶ理解できたような気がします。天智天皇から始まってその娘の持統天皇、そして歌聖と言われる柿本人麻呂へと続く時代の流れに 統一国家として確立してゆく日本と言う国が、朝廷を中心に文化が栄え、その栄華が一つの極みを見せて、そして武士の時代が来る所で終わりを見せている。 藤原定家さんの唄による美しい歴史書簡。

おりしもこの世紀末、地球的危機が叫ばれて半世紀、今私たちの文明は存続できるのかどうか、そんな危機感の中でこの百人一首の最終章を書いている事も、とても必然な気がします。あと千年後に地球はどうなっているのかしら、私達人類は? 日本は? 天皇制は?

全く予測のつかない日々が続いていますが、私のスパイダソテリア級の触覚を張り巡らせて理解していることは、地球はONENESSに向かっています。それは明治維新と同じ状況で、宇宙船が(黒船が)開港を求めているからです。地球内で権力争いなんてしている時はもうとっくに過ぎているのです。まずは一つになって新しい展開に心を向ける時が来ているのです。これは全く明治維新と同じような事態。

一つだけ違うのは 欧米は搾取,と奴属が主体目的の開港でしたが、宇宙船はあくまでも同胞としての開港です。でも私達人類の内的成長がなされていないと、どうしても進化した文化に従属したくなる習性を地球人が持っている事が彼らの懸念材料なのです。これから地球は大きな飛躍をむかえる事となります。その時に宇宙人と 文化、進化の差はあれ 誇りを持って対等にお付き合いができるかどうか・・・・

むかしアメリカでネイティブの方々が、上陸してきた西欧の方々にその気持ちで接したけど、残念ながら西欧の方々の意識レベルが低かったので、彼らはことごとく潰されてしまいました。今回はやってくる宇宙人のレベルにどこまで合わせて どこまで柔軟に物おじせずに卑屈にならずに自分たちの魂の本質で勝負できるかが問われてゆくでしょう。

長い間、私のつたない文章を読んでいただきましてありがとうございます。横浜ナウのスタッフの皆様には沢山の愛情を頂き、ここまで来ることが出来ました。ありがとうございます。
出来ればこのまま 又新たなテーマで執筆続けたい 気持ちもあります。皆様のいいね!があれば・・・・いいね!

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

9月 10 20

『GREEN TEEN』 環境を考えるティーンエイジャーの会

by staff

毎回、ヨコハマこの人はテーマを「人」に絞ってきましたが、今回は番外編ということで「会」
をご紹介いたします。会の名前は『GREEN TEEN』環境を考えるティーンエイジャーの会です。金谷あかりさんの呼びかけで18人の高校3年生が集まりました。現在は15人が活動しています。今回は『GREEN TEEN』の活動について、座談会形式で進行させていただきます。

GREEN TEEN
 
 
参加者:
GREEN TEEN 金谷あかり/北村美貴
C.P.Factory 平安山美春
ヨコハマNOW 高野慈子(記録)
GREEN TEEN:
https://greenteen2020.jimdofree.com/
facebook:
https://www.facebook.com/greenteen172020/

 

GREEN TEENについて

 高野

本日はヨコハマこの人の取材にお集まりいただきありがとうございます。本業は戸部で空調の部材商をしています。今日は「ヨコハマNOW」のライター として来ております。

 金谷

学生団体GREEN TEENの代表を務めている金谷と申します。高校3年です。

 北村

金谷さんの呼びかけでGREEN TEENに参加することになった北村と申します。同じく高校3年です。

 平安山

C.P.FACTORY代表の平安山です。ヨコハマナウではコラムも書かせて頂ています。今回、私もライターとして参加いたしますので宜しくお願いします。

お二人は学校が違いますが、このGREEN TEEN はどういった方の集まりなのですか?

 金谷

グリーンウェーブに応募するのにグループを作らなくてはいけなかったのでSNSで呼びかけました。私達GREEN TEENは「みどりと生きる。」というスローガンのもと18人が集まり2020年4月18日に『GREEN TEEN』を作りました。
『GREEN TEEN』ロゴもアプリを使って作りました。現在は15人が活動しています。
※グリーンウェーブ:https://greenwave.undb.jp/

 北村

意図したわけではないのですが全員女子学生です(笑)

 平安山

グリーンウエーブとはどんな活動をするのですか?

 金谷

国連の『生物の多様性を守る』ために私たち一人ひとりが何ができるのかをみんなで考えるといった活動です。『MY行動宣言』といって一人ひとりが日常の中で生物多様性と関わりをとらえ、できることから行動していくことが求められます。

『MY行動宣言』には5つの行動(アクション)があって、アクション1では「地産地消と旬なものを食べる」。アクション2では、「自然や生き物に触れ合う。動物園や植物園に行く」。アクション3は「自然の素晴らしさ、季節感を写真や絵画、文章などで伝える」。アクション4は「生物と自然、人と文化の繋がりを守るために地域や全国の活動に参加する」。アクション5は「エコラベルなどが付いた環境にやさしい商品を選んで買う」。ということを実践します。

 平安山

ご自身で作られたHPを使いながらプレゼン形式での説明は、女子高校生とは思えないほど分かりやすく、驚きを隠せません。そんなお二人が環境問題に興味を持ったきっかけは何ですか?

 金谷

学校での授業が環境に興味を持つきっかけです。小学生の時の工場見学や、中学3年生の時の総合学習などですね。

 北村

私も学校の授業ですね。中学の時に授業の一環で近所の川の掃除をしたのがきっかけで環境問題に興味を持ちました。

GREEN TEENの取材活動について

 高野

具体的な活動について教えてください。

 金谷

コロナウィルスの影響で実際に本格的な活動はまだ始められていませんが、ネットを活用した取材活動や環境にやさしい商品の紹介など、HPの更新などを行っています。全国の動物園に取材を申し込んだのですが、回答があったのが思ったよりも少なくて、、、

 平安山

横浜市の動物園からは回答がありましたか? 野毛山動物園とかズーラシアとかは?

 北村

横浜市の動物園からはまだ連絡は来ていないですね。

 金谷

コロナが落ち着いたら取材に行こうと思っているのですが、今はリアルではなくZOOMなどを使って取材をしています。GREEN TEENのホームページのトップ画面から『取材内容』をクリックしていただくと、今までに取材した企業やZOOMを使って取材した、東京大学の植物園、さいたま水族館、加茂水族館、あわしまマリンパーク、ときわ動物園などの記事を見ていただくことができます。高知県の桂浜水族館の取材では、動物ではなく飼育員にもスポットを当てており 他の水族館とは少し違う視点でアプローチしています。

また、各国の環境問題への取り組みにも興味があり、大使館にメールを入れました。

 平安山

外国語で?

 金谷

私は1年の留学経験があり、自分の語学力を試す良い機会だと思って挑戦しています。やはりコロナ禍中なので直接の取材はできませんでしたが、ドイツ大使館からドイツでの環境問題のレポートや本を送ってくれると申し出がありました。

WWF(World Wide Fund for Nature/世界自然保護基金)にも取材を申し込んでいます。

 高野

その行動力には驚きました。ヨコハマNOWでも横浜の地場産業でご活躍の方々を取材しています。ご紹介できると思います。GREEN TEENの「グリーンウェーブMY行動宣言」アクション1の「地産地消と旬の食材」で繋がると良いですね。

 北村

私は生物の多様性では農作物に関心があります。例えば、タイ国の話ですが、農業大国のタイ国には先祖から受け継いだ独自の伝統的な手法があります。ところが「近代化」という名のもと、効率化と品種改良により「伝統農法」が消え
ていっています。

     

田植え歌が「民謡」となり、伝承された教訓が「民話」となり、地域の食べ物が「郷土料理」として食卓に並び、信仰が「お祭り」になるといった「地域文化」を守っていくことにも関心があります。

GREEN TEENのアクション

 平安山

高校3年生ということで受験勉強とグリーンウェーブのアクションとの両立はどうしていますか?

 金谷

私も北村さんもバスケットボール部に所属していたのですが、コロナ禍で一度も部活らしい部活を行えないで『引退』となりました。部活が無い分勉強とのバランスを上手く取ることができました。

取材したことを文章にまとめる時は、文字離れしているといわれる(笑)私たちでも読みやすくするように、短い文章にまとめるようにしました。

 平安山

ホームページを見て思ったのですが、メンバーの役割分担がきちんとされていますね。

 北村

はい、金谷さんが代表で私は渉外をしています。取材活動中の雑談から、新しい繋がりが生まれたり、いろいろな情報を得られるのが楽しいです。

 金谷

メンバーそれぞれがアクションの中でも得意な部門や興味のあるトピックスを、それぞれが中心になって行動に移しています。私はもう一つ『学生団体SCGs』にも参加しているので、SCGs活動をしている企業と繋がりを持てるのが利点です。

理解してくれる大人が必要

 金谷

「バックアップしてくれる大人がいてくれると良いな」と思うことがあります。高校生なので社会との関わりがまだ少ないから、どう具体化し実践していけば良いのか迷うことがあります。理解してくれる大人が必要です。

 北村

今回もお話の中で「この人に会いたい」と思う方がいました。フェイスブックやSNSなどでリクエストしてみます。

ヨコハマNOWで活動を発信しませんか?

 高野

ヨコハマNOWに『GREEN TEEN』のコラム枠を辰巳編集長が作るので、投稿しませんか?という提案がありました。これから受験シーズンに入るので毎月とは隔週とか決めないで、随時に投稿して、こちらでヨコハマNOWのリリースに合わせてアップする方法なら、負担にならないと思います。

 金谷

いろいろな媒体を使って、多くの方に活動を知って欲しいと思います。

 平安山

団体のHPやSNSとは違った内容を掲載していくのも面白いと思います。私や高野さん、編集長の辰巳さんでサポートしていけると思うので、ぜひ検討してください!

 高野

ではヨコハマNOWの「新しいコーナー」に期待して、今回はここまでといたします。

 全員

ありがとうございました。

(インタビューと文:高野・平安山)

 

8月 10 20

セカンドライフ列伝 第17回
小山弥兵衛(こやまやへえ)と心諒尼(しんりょうに)

by staff

榎本技術士オフィス/榎本博康

第17回 小山弥兵衛(こやまやへえ)と心諒尼(しんりょうに)

流人となった至誠の人に訪れた奇跡

 この話がフィクションとして書かれたものであったなら、稚拙なストーリーでの美談だと思われてしまうかもしれない。しかし事実は小説よりも奇なりという古い言葉を思い出すまでもなく、本当の奇跡とはこのようにして顕(あらわ)れるものかと感動する。

 小山弥兵衛(こやまやへえ、1705(宝永2年)~1792年(寛政4年)8月22日、享年88~本稿で年齢は数えです)は1738年(元文3年)の大晦日、但馬の国(兵庫県北部)東河庄(とがのしょう)での、のちに言う元文一揆の首謀者の一人として捕縛された。22名が詮議のために京都に送られ、6名が死罪で内5名が獄門、弥兵衛ら8名が遠島、8名が所払いとなった。

 弥兵衛は壱岐に流されたものの、現地で開拓や農業振興、子供たちの教育に尽くし、その誠実さと高い能力で人望を得ていった。

 そして一揆から30年後、弥兵衛の孫のやえが8歳の時に仏壇におじいさんの位牌が無いことに疑問を持ち、壱岐に流刑になっていることを知る。おじいさんに会うことを心に誓い、9歳で比較的自由往来ができる身分である尼になり、全鏡との法名を与えられた。そして25歳で上司の庵主に自分が尼を志した本当の理由を話し、理解を得て西への旅に出る。壱岐島に物資を届ける船に、人々の善意で潜り込み、ついに1789年に弥兵衛との面会を果たす。その後は度々海を渡り、弥兵衛臨終までの世話をしたという。後に法名、心諒を贈られる。

 この話は柴田東一郎氏が職員旅行で壱岐に渡った時にこの史実を知り、約10年をかけて郷土資料等を掘り起こし、小説仕立ての物語にまとめたものに依拠している。

第1の人生~野村の庄屋、名字帯刀の小山弥兵衛

 小山弥兵衛は但馬の国、東河庄野村の、名字帯刀十石扶持の裕福な庄屋であり、30歳過ぎの若さであったが、学識と人望があり、代官所から公文書の代筆を頼まれるほどであったという。

 しかし天候不順が続き、ついに元文3年(1738年)の凶作で年貢米の納入ができず、現在の兵庫県朝来(あさこ)市の野村、久田和村、殿村などの村々の庄屋達が集まり対策を協議したが、野村の年寄役の小山弥兵衛も加わり、年貢米軽減等の願い状をしたためた。

 大晦日に、庄屋達は代官所の掃除を手伝いに行くと触れていたにもかかわらず、鋤や鍬を持った百姓が3千人も集まり、暴徒化してしまった。おそれをなした代官所は年貢米を4割に減らすことと、来年の収穫期までの貸し米を約束した。

 しかしそれはその場しのぎの嘘であって、年が明けてすぐに一揆の先頭に立ったものらは捕らえられ、やがて厳しい吟味が始まった。4月に首謀者22人が特定されて京都送りになり、詮議の上でそれぞれの量刑が定められ、江戸幕府の承認がとられた。7月12日に判決が言い渡されが、6名が断罪(斬首刑)、内5名が獄門。8名が遠島、8名が所払いとなった。弥兵衛は断罪のところ、名字帯刀と全財産の没収により罪一等を減じて遠島となった。彼は35歳であり、その時、息子は8歳であった。

高瀬川と高瀬舟(京都市内、2018年6月)

現在の郷ノ浦フェリーターミナル(2016年10月)

 そして高瀬舟で大阪に送られて入牢した。関西の遠島の罪人は京橋の東町奉行所に集められ、季節に1回の流人船で流刑地に送られる。夏の流人船に乗り換えた所で、初めて壱岐島行きであることを知らされた。とは言え、彼らには初めての海の、さらにその果て、どこにあるとも知らぬ島だ。瀬戸内を抜け、玄界灘を渡り、およそ十日の後、1739年7月25日に壱岐島南端の郷ノ浦に着いた。

流刑地一口メモ

 江戸時代、江戸からの流人は伊豆七島へ。関西圏の流人は、隠岐・薩摩・天草・五島・壱岐などへ流された。壱岐にはこの上方流人のほか長崎流人も送られた。長崎流人は刑事犯で、身分も無宿人などで、島で再犯や島抜けを企てるものもあった。一方上方流人は思想犯が多く、穏健で教養が高かったという。(文献1引用の、中上史行著「壱岐の風土と歴史」より孫引き)

壱岐島(いきしま)豆知識

 現在もフェリーが博多港から出るが、壱岐島は長崎県に属し、行政区分は壱岐市である。南北17km、東西14kmであり、九州と対馬の中間に位置するが、周囲には23の属島(内有人4島)がある。壱岐島内陸の深江田原(ふかえたばる)がかつては長崎県で最大の平野であったが、諫早湾の干拓地ができて県内2位になった。つまり比較的豊かな土地である。またクジラの回遊路にあり、捕鯨が盛んであったという。

 縄文時代から人が住んでいたが、弥生時代には大規模な集落があった。現在は原の辻遺跡として知られているが、魏志倭人伝に記された「一支国(いきこく)」の王都であったと特定されている。朝鮮半島との経路にあり、文化の中継地であると共に、賊に襲われることが幾度とあり、特に元寇の時は凄まじい殺戮があったという。(壱岐市立一支国博物館展示および学芸員解説より、報告者まとめ)

第2の人生~流人弥兵衛

 港で8人はばらばらにされ、弥兵衛は10kmほど北の箱崎の明王山見性寺(けんしょうじ)に預けられ、近くの流人小屋で暮らすことになり、荒れ地を畑として与えられた。既に名字は無く、呼び捨てとなった。月に3回、住職に面会することが義務であった。

 弥兵衛は自分の畑を作るだけでなく、近隣の人々の畑作業を手伝ったが、農作業の手際が良く、評判になった。故郷の但馬ではすぐに凶作になるので、そのぎりぎりの状態の中で培った農業技術が、壱岐でも活きたのだ。またクジラの油にまみれて作業をする鯨組にわらじを提供したが、その滑りにくい機能が評判になった。

 海に囲まれた壱岐島では塩害が激しい。山中の但馬では経験をしたことのないものであった。そこで畑を柿や栗の木で囲った。さらに島では多くある棕櫚も植えた。

 1748年に歴史的な大風が吹いたが、弥兵衛の畑は塩害も無く、無事であった。これを見た近所の百姓達は次第にその知恵に学んだ。柿は酢や柿渋の原料になるという副産物も生んだ。弥兵衛は人々の信頼を得ていった。

 島に来て15年が経った。一緒に流されてきた仲間たちは全て死に、弥兵衛一人になってしまった。そんな時に、弥兵衛は杉の植林計画を立ち上げ、住職の許可を得た。島に来たばかりの頃の弥兵衛は生き延びることだけに精一杯であったが、ゆとりができた現在は、島の人々に喜んでもらえる事業に生きがいを見出そうとしていた。種から苗木を作り、山を切り開いて植林をしていった。杉林は徐々に拡大し、弥兵衛はまず間伐材や下枝を住民に提供した。

 さらに弥兵衛は読み書きができることが知られると、住民の手紙の代筆という仕事が増え、和尚の寺子屋の手伝いもするようになった。そして島に来てから50年が経った。

 85歳という高齢になっていた。

第一の人生~孫娘、やえ

 安永元年(1772年)、弥兵衛の息子、次郎右衛門の三女、やえは8歳であったが、家の仏壇に疑問を持った。おじいちゃんの位牌が無い、という不思議だ。その疑問に対し、次郎右衛門は子供たちに元文の一揆の話をした。やえは何も悪いことをしていない、偉いおじいさんがいること、遠い壱岐で生きていることを知った。(心が強くつぶやく、会いに行きたい。)

 翌年の初夏に、おばあさん(ひで)はあの世へ旅立った。このことがやえの心を開放した。父母に、弥兵衛じいちゃんに会いに行く決意を語る。そのために、交通の自由が得られる尼になると。わずか9歳の子供の、浅はかとしか思えない願いを両親が聞き入れるわけもなかった。

 早暁に、やえは決意を持って家を出て、約6kmの道のりを矢名瀬村の桐葉庵(とうようあん)に行き、庵主清月尼に出家を願い出る。先日亡くなったおばあさんのために、毎日祈りたいというのが理由である。連絡を受けた両親が来るが、やえの決意の前に、それを認める他なかった。しかしやえは壱岐におじいいさんに会いに行くという本当の目的は、両親以外に決して言わなかった。その時も、その後も。

第二の人生~孫娘、全鏡

 やえは全鏡という法名を与えられた。宗派は曹洞宗である。鏡というものは炎でも月の光でも、自分の中に溜めることはことなく、全てを反射して周りを照らす、そのように在りなさい、との意味だという。

 そして1789年正月松の内明け、全鏡25歳の時に、清月尼に壱岐行きの願いを初めて告げた。しかし仏門に入るということは、家族を捨てることである。この願いはわがままにすぎない。すぐに答えは得られなかった。これは清月尼がひとりで回答できる問題では無い。

 清月尼はいろいろと根回しをしたのだろう、梅雨も明けようとする頃、全鏡に道中手形と路銀を授けた。全鏡はふるまいを男のようにとのアドバイスを受け、「但州矢名瀬村桐葉寺 僧全鏡」と書かれた手形を懐に出立した。

 野村に寄って別れを告げてから、日本海を右に見て全鏡の旅は続いた。鳥取で壱岐に渡る船は無いと言われた。行く先々の港で聞いたが、隠岐行はあっても壱岐は無い。この海をどう渡れば良いか、心細い日々が続く。そんな中、下関の覚性庵で、福岡にある安国寺が壱岐の暦応寺と親戚筋にあるという情報を得た。海峡を小舟で渡り、小倉から福岡に向かった。

二つの第二の人生~全鏡と弥兵衛の面会

 安国寺に飛び込んだ全鏡は、和尚に全てを話し、加護を願った。和尚は彼女の話に心を打たれて、壱岐に渡る手はずを整えてくれた。ただし壱岐にとどまることはできず、船は5日目に引き返すので、一緒に戻らなければいけない。月に1度の船便であるから、毎月会うことができると。そして壱岐の暦応寺住職への手紙をいただいた。

安国寺(2016年10月)

 早朝、全鏡は船底に隠された。何も見ることができぬまま、船は玄界灘を渡っていく振動だけを伝えてくる。やがて郷ノ浦港に着く。人夫たちが荷を下ろし、あたりが静かになり、そして今なら誰も居ないからと、船底から出されて港に降りた。

 12kmの道を辿って暦応寺に着いた。そして和尚に手紙を渡し、これまでの仔細を説明した。すると和尚は我がことのように喜んだ。この霊麟和尚は1、2か月前まで見性寺に居て、老齢の弥兵衛の面倒を見ていた人だった。すぐに使いの者が走り、弥兵衛は暦応寺に呼ばれ、そして、壱岐で初めて座敷に上がることを許され、孫娘と抱き合った。

それから

 弥兵衛は3本の楠の苗を全鏡に託した。1本は弥兵衛の母親の実家へ、1本は弥兵衛の妻の実家へ、そして1本は野村の実家の庭にと。全鏡はすぐに野村に戻り、弥兵衛が無事でいることを報告し、苗を植えた。弥兵衛の代わりに故郷に帰る苗は、ご赦免の代わりだと、皆が喜んだ。全鏡はすぐに博多の安国寺に戻り、月に1回の船で壱岐に渡った。そのような生活が3年続いた。そして1792年8月22日、弥兵衛は人生の幕を閉じた。島の生活は53年に及び、享年88であった。遺骨は2つに分けられ、野村と壱岐に葬られた。

壱岐の弥兵衛の墓の入り口(2016年10月)

弥兵衛の墓(右)と2つの流人の墓。弥兵衛の墓の正面には彼の戒名が刻まれている。側面に俗名。
一方流人の墓は無名の自然石である。

 霊麟和尚は全鏡の帰郷にあたり、弥兵衛に戒名を授けた。
「吉祥院玄境了義居士(きっしょういんげんきょうりょうぎこじ)」

 流人の戒名としては立派すぎるが、和尚は弥兵衛の生涯にふさわしいと。意味は「遠く故郷を離れた玄海の果てで、人々のために自分を犠牲にした生涯を送ったひと」であり、流人ではなく、このような人として故郷の野村にお連れ下さいと。

 全鏡は1793年に帰郷し、遺骨を墓地に収めた。出家した身の全鏡は実家に戻ることはできず、円明寺を訪ねる。和尚は全鏡の労苦をいたわり、そして新たな法名「心諒(しんりょう)」を贈った。まことの心を持った人という意味である。そして円明寺の末寺である水月庵(臨済宗妙心寺派)の庵主となる。

 そして1803年12月、弥兵衛ら22名が赦免になった。名誉が回復され、村人たちは晴ればれと犠牲者たちのことを語ることができるようになった。心諒尼も弥兵衛の壱岐での行いを心ゆくまで話すことができた。

弥兵衛の読みであるが、柴田東一郎氏が採用している(やへえ)を本書では用いたが、
この説明板では(やひょうえ)である。また年齢であるが、柴田氏の文献1では83歳であるが、年齢の整合性を図ると88歳となるので、これはこの説明板の数値を用いた。
墓に至る道端の説明板(2016年10月)

 1843年1月18日、心諒尼は79歳の天寿を全うした。「無相心諒尼首座」。そして昭和3年(1928年)に改めて「妙心前堂水月中興無相心諒尼座元」との法名が贈られている。

柴田東一郎氏のこと

 私が小山弥兵衛のことを知ったのは日本経済新聞の文化欄であった。いま日経新聞アーカイブを検索すると2014年12月22日である。氏が執筆した本が市販流通していないので、手紙で氏に問い合わせると、さっそく本と資料集のコピーを送ってくださった。このセカンドライフシリーズに加えたいという目的も伝えた。ただしこの頃から仕事などが忙しくなり、セカンドライフ列伝を書き進めることが困難になってしまった。それでも2016年10月に壱岐島を訪問し、取材をすることができた。それからすぐにでも書くつもりであったが、それができないままに2020年になってしまった。

 改めて調べると、柴田氏は2017年12月21日に亡くなったと、神戸新聞にあった。満84歳。この拙文を生前に読んでいただけなかったのは残念であった。

 他のセカンドライフ列伝と異なり、資料は氏から提供されたものだけであり、本稿はほとんどアドリブを入れずに忠実に要約したものである。この物語をより多くの人々に知っていただくのが柴田氏の願いであり、本稿がその一助になればとの思いである。
やっとコロナ時間を利用して書くことができた。

(2020.6.24)

参考文献

  1. 柴田東一郎;遥かなり壱岐 流人小山弥兵衛と心諒尼の物語、北星社(2000.9)
  2. 柴田東一郎編;遥かなり壱岐資料集

榎本博康(えのもとひろやす) プロフィール

榎本博康(えのもとひろやす)  

榎本技術士オフィス所長、日本技術士会会員

日立の電力事業本部系企業に設計、研究として30年少々勤務し、2002年から技術士事務所を横浜に開設して今日に至る。技術系では事故解析や技術評価等を専門と一方で、長年の東京都中小企業振興公社での業務経験を活かした企業支援を実施。著作は「あの会社はどうして伸びた、今から始めるIT経営」(経済産業調査会)等がある。趣味の一つはマラソンであり、その知見を活かした「走り読み文学探訪」という小説類をランニングの視点から描いたエッセイ集を上梓。所属学協会多数。エレキギターのレッスンを始める。

http://www7b.biglobe.ne.jp/enomoto-pe-office/

 

8月 10 20

オンライン○○会 ともが考えるお作法は・・・

by staff

 

Withコロナ時代になってから、急に増えたのが「オンライン○○会」。私も1週間に1度くらいは、プライベートで様々な「○○会」に参加しています。先日も、10年ぶり・20年ぶりの知人と3人での会でしたが、お互いに挨拶もそこそこに種々雑多な話で盛り上がりすぎて、全くお酒は飲まずにあっという間にお約束の1時間が終わってしまいました。「オンライン○○会」は、離れている友人にもネット上で会えるし、久しぶりの知人も気軽に誘えるし、これまでになかったメリットもあります。
しかしながら、今までの「○○会」とは違うという認識を持つ必要もあると思います。ともが考えるお作法を5つ挙げてみます。(皆様すでにご存じだと思いますが・・・)

1.参加するための準備を万全に

大学の同窓会支部の俳句会をオンラインで開催しています。俳句会のメンバーは、70代男性がほとんどなので、開催にこぎつけるまでが大変でした。パソコン・タブレット・スマホのどれを使うのか、マイクはどうするのか、カメラはあるのかなど開催までの1週間は各自が自主練習をされたようです。そのおかげで、オンライン 1回目は混乱もなく無事に開催できました。

友人たちとの飲み会だったら、滑った転んだがあって開催まで時間がかかってもいいでしょうが、目的のある会だったら、他の方に迷惑がかからないように事前の準備と確認が必要でしょう。

2.会の時間を予め決めておくこと

「○○会」は、参加者のほとんどが自宅からなので、帰宅時間を気にすることもなくエンドレスに開催できます。私の経験からすると、1時間くらい画面をずっと見ていると目が疲れてしまいます。途中で休憩時間を入れたほうがいいと思います。それにしても今日はここまで・・はあったほうがいいでしょう。

友人たちと10人くらいの飲み会で、時間を決めないでやったことがありますが、夜遅くなるとだんだん疲れてきて一人抜け二人抜けで、最後は3人になってしまったことがありました。それでもいいよという会だったら問題ないのですが。。。

3.会の進行者と内容を予め決めておくこと

オンライン上では一人しか話すことができません。複数話しても聞こえづらいです。居酒屋だったら、自然とグループに分かれて話せますが、それができないのです。

また、タブレットやスマホは画面に表示される人数が限定される場合もあるので参加者全員の顔が見えない場合もあります。

そのために、予め会の進行者(司会のようなもの)を決めておいて、「最初は全員の近況報告から一人3分程度でね・・・」という感じで進めていくほうがいいでしょう。

近況報告や自己紹介が終わったら、その会のテーマにそった内容の話にすればいいと思います。一人だけが話過ぎても良くないので、それを仕切る人は必要ですね。

あるオンラインサロンでは、参加者が10人くらいだと自分の番がなかなかこないので会をグループ分けして5人くらいで話せるような工夫もしています。オンライン会議用のソフトにはグループ分けする機能がついています。

4.食べ物・飲み物を準備しておくこと

「飲み会」の場合は、事前に食べ物(簡単につまめるものがいいでしょう)と飲み物を用意して、会の途中で席を立たなくてもいいようにしたいですね。また、感度がいいマイクだと食べる音まで拾われるので要注意です。

他の方がどんな食べ物やお酒を用意しているの・・・ということも興味がありますが、参加者がみんな同じ食べ物や飲み物だともっと楽しめるのではないかと、勝手に考えておりまして、ただ今その企画を実現すべく仕込み中でございます。

「ワイン会」をオンライン上で行うのは、結構行われているようで、私も経験いたしましが、同じものを飲んでもそれぞれ感想が違うというのも、また一興でございました。

5.オンライン会議用のソフトを使いこなそう

私は顔出しする必要なない、画面共有で資料が見えればいい会議のときは「カメラオフ」にして、顔出ししないことにしています。自宅の部屋の風景を見せたくないという方もいるかもしれません。その場合はご自分の気分に合わせて背景の写真(動画もできます)を変えても楽しいですよ。

誰かがテーマを持って話すときは、自分の声が聞こえないように「ミュート」にしておいたほうがいいかもしれません。

意外と使えるな・・と思っているのが「チャット」という機能です。俳句会のときなど添削された文言を入力すれば、参加者全員が見えますし、話している方への質問なども入力しておけます。

ソフトについている様々な機能を使えば、いろいろな楽しみ方ができますよ。

我が家の盆栽を風景にして

皆様、いかがでしょうか。

コロナは、第二波の到来だと言われていますが、この状況ですと秋冬にかけてもっと大きな波がありそうです。これからワクチンができるまでは、自分で防衛していくしかないと思います。

「新しい生活」の一環として「オンライン○○会」で息抜きをしていきましょう!!

 

8月 10 20

楽しい文字の世界(第23回) 面白漢字 生き物編

by staff

第23回 面白漢字 生き物編

以前にもテーマにしたことがありましたが、同じ漢字を2つ横に並べてできる漢字や面白い形をした漢字を理義字(りぎじ)といいます。また、同じ漢字を上に1つ、下に2つで3つ重ねた漢字を品字様(ひんじよう)と言います。
その中には生き物の漢字を重ねる文字が多くあります。動物によって、2匹3匹と重ねた時の意味がとても面白いので今回はそこに絞って「面白漢字ベスト10」を作ってみました!
1.2.3…沢山などとも言いますが、どの漢字も、共通して生き物が3は「たくさん」を意味します。

1位は 「犇(ひし)めく」

牛+牛+牛
意味「牛が驚いていっせいに走り出す。ひしめく。押し合いへしあいする。」
塊になってどどどどどっ!!という感じが文字から伝わります。

2位は 「猋 つむじかぜ」

犬+犬+犬
「犬がさっと走り抜ける様子から、渦を巻きながら吹き上げる風、つむじ風。」
牛と比べ、犬は軽く駆け抜ける感じを受けます。

3位は 「麤(あら)い」

鹿+鹿+鹿
意味「鹿が連なって遠くへ走って行く意味を表す。お互いの間が透けて見えた様子から、ばらばらになる、ざっと集まっている、きめが粗(あら)い。」
確かに牛の塊と比べて、透けた感じは伝わりますね。この違いがとても面白いです。

4位は 「龘 トウ」

龍+龍+龍
意味「龍が空を行く様子」
龍は普段水中や地中に住み、いざと言うとき空中を飛行して、雲や雨を起こすと言われていました。
幸運を運んでくれるとも言われる龍が空を行く様子は、上を向いて生きる力が湧いてくる文字に見えます。

5位は 「驫 とどろき」

馬+馬+馬
たくさんの馬がかける様子。
多くの馬が駆ける音を「とどろく」(響き渡る)と表す。たくましくもあり、高貴な感じも受けます。

6位は 「羴 セン」

羊+羊+羊
意味「集まるの意味。生臭い。こってりしすぎて、しつこい。」
古代中国において, 羊はもっとも大切な家畜であり、大切な供え物でありました。そこから生き物の「生臭い」がとても身近だったのだろうと想像できます。

7位は 「贔 ヒ、ヒイ 」

貝+貝+貝
意味「貝(財物)を3つ合わせた文字で、重い荷物を背負うことを表す。力を出す、そのもののために力をだす。」
御贔屓(ごひいき…自分の気に入ったものを特に可愛がって力を添えること。)がなぜ貝かというと、ここから来ているのですね。

8位は 「虤 ガン」

虎+虎
意味「虎が怒る。虎のように怒る様子。」

9位は 「鱻 セン」

魚+魚+魚
意味「魚の肉が生で新しい。小さな魚。」

10位は 「蟲 むし」

虫+虫+虫
意味「もともとはマムシを表すが、一般的に虫を代表して、たくさん数の多い虫を表す。」

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して26年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障害をお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

8月 10 20

しあわせの「コツ」(第44回) 「分」を知り、「分」を尽くす

by staff

第44回 「分」を知り、「分」を尽くす

浮世絵
「手水鉢の母子」 菊川英山

何年か前、このコラムで、日本では「親子」のような関係は、「親」と「「子」ではなく、「親子」という一つの構造である、と書いたことがあります。

そのような構造的な関係の中で、親となり、子となった場合、人はその構造内での「自分の役割」を考えます。親ならどう行動するべきか、子ならどう振る舞ったらよいのか、と考えて行動するのです。それは親子に限らず、「主従」でも「師弟」でも同じことです。それが「分」を知るということです。

「分」を知るー何だか古臭い考えのように見えますが、決してそうではありません。それぞれが己の分(まさに「自分」です)を知って行動することで、全体がうまくかみ合い、物事がスムーズに進む秘訣なのです。さらに「分」を尽くす段階になると、構造的関係自体に劇的な変化が起きます。

これに関して、私には忘れられない本があります。それは越後長岡藩の家老の娘に生まれた杉本鉞子(えつこ)の自伝「武士の娘」です。そこには当時(幕末)では当たり前だった主従一体の関係を垣間見るエピソードが書かれていました。

「武士の娘」杉本鉞子著
大岩美代訳

鉞子は、生まれつき縮れ毛で、日本髪を結うときは、大変苦労しました。火鉢で熱した鏝を何度も当てて毛を伸ばし、びんつけ油をたっぷり使ってぎゅうぎゅう引っ張りながら結い上げるのです。それでもしばらくすると、鬢の毛がほつれてきます。「どうして私は姉さまたちのようなまっすぐな毛でないのだろう」と、幼ない胸を痛めていました。

ある朝、女中の一人が頭に手ぬぐいをかぶって仕事をしていました。不思議に思って手ぬぐいを取らせると、見事だった黒髪は跡形もなく、バッサリと切られていました。余りのことに驚き、訳を尋ねたところ女中はこう答えたのです。

「お嬢様の髪を結うたびに不憫でなりませんでした。お不動様に私の髪をお供えして、どうかお嬢様の髪がまっすぐになりますようにと願をかけてまいりました。」

この女中は、誰に命令されたのでもありません。「主従」という構造的関係の中で、自分ができる精一杯のことをしただけなのです。お仕えする人が縮れ毛で悩む姿を見て、「女中である自分は何ができるか」を考えた末の行動なのでした。

このくだりを読んだとき、当時の主従の在り方に感動のあまり、私は涙が止まりませんでした。

晩年の杉本鉞子

こうしたエピソードは何も武士階級だけの話ではありません。当時の日本人が当たり前に持っていた感性です。身内の話ですが、明治生まれの伯母の体験も、「親子」という構造的人間関係の中で、子供が自分の「分」を最大限考えた末の行動の一例として紹介させていただきます。

明治時代、大工だった母方の祖父が大病を患い、医者も匙を投げるほどの状態になった時のこと。当時14歳だった母の姉である伯母が、ある時からご飯に黄な粉や砂糖をかけて食べるようになり、副食を一切口にしなくなりました。日に日に顔色が悪くなるので、祖母が心配のあまり尋ねました。「最近、食欲がないみたいだけど、どこか悪いのかい?」伯母は微笑みながら「ううん、大丈夫よ」というばかりでした。

ある朝、伯母は起きるなり母親ところに走ってきて、こんな話をしました。「お母さん、今日、不思議な夢を見たの。天狗様が白い羽うちわと黒い羽うちわを持ってきて、『お前は親孝行な子だからこちらを授けよう』と、白い羽うちわをくれたの。これ、どういう意味かしら?」

母親は何かあると思い、日ごろの食事のことや不審に思っていた最近の様子を質しました。すると、とんでもないことが分かったのです。伯母は、父が不治の病に罹ったことを知り、どうしたら父親の病気が治るか、自分は子供として何ができるかを考え抜きました。そして一大決心をしたのです。

伯母は近くの神社に行き、「100日間塩断ちをしますから、どうか父の命を救ってください」とお願いしたのでした。それから100日の間塩気のものは一切口にせず、毎日神社に父の回復を願いに行きました。そして、明日が満願という晩、天狗の夢を見たのでした。

話を聞いて祖母は泣きました。「それは吉夢だよ。お前の父を思う気持ちが神様に通じたのだよ。」と親子で泣きじゃくったそうです。事実、祖父はそれから医者も驚くほどの回復を見せ、無事快癒しました。

天狗像 高尾山

昔の日本人は、構造的人間関係の中で、己の「分」(みずからの「分」-「自分」)とは何かを考えます。それを見極め、「その分」を尽くそうとするのです。14歳だった伯母が、子供として父親の病気が治るために何ができるかを考えた結果が「塩断ちして病気の快癒を神に願う」ことだったのです。

こうした行動は美談というより、危機に遭遇した時に表れる日本人の習性といもいえるものです。余りに自然過ぎて気づかないかもしれませんが、今も脈々と私たちの行動に表れているDNAなのです。

たとえば、現在のコロナ禍でも、政府が「要請」しかできない状況で、国民は誰に促されるともなく、「今自分たちに何ができるか」を自然に考え、行動に移していました。マスクがなければ手作りし、進んで外出を控え、在宅の時間を楽しむオンライン飲み会などを開いたり、創意工夫で緊急事態をやり過ごしてきました。

今、世界中で感染が深刻化するなか、日本だけがダントツに少ない感染者数で、諸外国はその理由を躍起になって探しています。果たしてそれが日本人の「分」を尽くす性分の現れだと気づいてくれるでしょうか?

あちこちで開かれたオンライン飲み会

「分」を知ることで自主的に行動する―そこから創意工夫が生まれ、共有することで社会全体が進化していく。この習性が日本人独特のDNAなら、私たちはこのすばらしいDNAに感謝しなければいけませんね。

災害のボランティア
「日本人として自分が被災地にできることを自主的に決めた人々」

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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8月 10 20

2020年8月 三ツ池だより 「祈る!」

by staff
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梅雨がもうすぐ明けるのではないかと思っているが、それも話題にならないほどコロナがぶきみな動きを見せている。暑くなる時にマスクをどうするのかも気が重い。誰もいない公園を散歩するときはマスクをはずしていてもいいのではないかと考えている。

 「祈る いのる イノル」 けんじ
誰でもが
やるべきことを明確にして
己の道を歩いている
  己の道をまっすぐに歩けない人がいる
  やるべきことが決まっているのに
  なかなかそれができない人がいる
祈ろう
やるべきことがあって
やれることをやっていこう
  いのるそれでいいわけではない
  できることをしていくのだ
  誰かではなく私が
それはイノリの中にある
行動していくのだ
お互いさまのために

誰と約束しているというのではない。私と約束している。いつも手元に小さいノートを持って歩いている。今日の反省をしたり、明日の予定を書き入れる。

 「一日一詩」 けんじ
一日は私のとっての命
今日あることを想いながら
其の日を過ごしている
  一詩は私にとっての命
  詩があることが救いだ
  今いきていることが書ける
一日一詩をとなえながら
二百九十詩に出会う
わたしの一日のあかしだ
  表題が決まるまでに時間がかかる
  今日は書けないのではないか
  そんな思いを一生懸命消している私がいる

この小さいノートが392冊目になっている。日記が10日と続かなかった私は2002年1月に耳の手術で3週間の入院をしていた。小さいノートと書棚にある本を持ち込んでいた。あれから18年、小さなノートが392冊になった。

 「無題」 けんじ
真昼時
新聞見てもうわの空
本を読むには
まだ早い
  照らされて
  走らすペンの空しさよ
  テレビ見るには
  まだ早い
いわずとも
テレビに写る
影ひとつ
さびしき姿
寝巻着て

NO1のノートの最初に書いていたのが「無題」であった。
392冊目のノートに書かれている詩が「一日一詩」だ。

 「詩」 けんじ
詩とは
土の一寸下の言葉
何気なく感じること
  歓びの一寸下とは
  喜ぶことになる一寸前の
  努力であったり運であったり
苦しみの一寸下とは
苦しみそのもの
苦しみから這い上がる途中
  人は皆
  喜びであったり悲しみだったりの
  少し下にある
それをのりこえる今がある
もうひと頑張りであったり
感謝であったりする

先日、本を読んでいて思い出したことがあった。

 「想い出」 けんじ
高校の時だった
授業で「岸」と先生が呼んだ
当然岸君が指されたと思った
岸君が「はい」と返事した
  君ではないといって
  先生は私に向かって指した
  わたしのあだなが岸信介という
  そのものであったから
岸君はクラスで一番背が高かった
「岸」と呼ばれて返事するのがあたりまえで
わたしのことを岸と呼ぶのは
おかしいこと
  先生の質問に私は答えた
  それはそれで終わったが
  クラスはギクシャクした
  難しい年頃なのに

あのころの学友はどうしているのだろう。一生懸命生きているうちに、友だちとしてのつながりに気が向いていないことが、ふと、反省させられた。目の前の事に気を取られて生きてきてしまった。

 「目が見えて話が出来る」 けんじ
遠くから話かけられて
一人で何か言ってる
飛んで行って話を聞く
  人を見て話をする
  言われたことに反応する
  それを当たり前に思っていた
目の見えない人がいて
口のきけない人がいて
動けない人がいる
  見える話せる動ける
  今日もあたりまえの行動をしている
  当たり前に思っていてはいけないなぁ

 「プラス マイナス プラス」 けんじ
プラス
マイナス
プラス
と並べて何を考える
  私
  あなた
  私
  と並べてどうする
やる
決める
やる
と並べたらどうなる
  プラス
  私
  やる
  とそこが一歩だ
一歩が二歩となる
日記をつける
明日の行動を組み立てる
明日が楽しみになる

いつ収束するのか見えないコロナ感染に世界中が戸惑っている。こんなことはいまだなかった。天候の被害も以前は東北で、今回は福岡はじめ西の方に被害をもたらしている。大変な時代である。これを皆で乗り越えていかなければならない。自国・自社という枠を超えての対処・対策が求められている。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

8月 10 20

ゆるマナー講座(第58回) 感謝をカタチに

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

待ちに待った電子ピアノが届きました。ピアノといっても、88鍵あるものではなく少し小さなタイプで、音取りをするために欲しかったものです。ピアノを手放してから久しぶりに触る鍵盤です。

サプライズも、あり!

それは、お誕生日と母の日を合わせたプレゼントとしてリクエストしていたもの。
贈る側は、毎年のお誕生日に何を贈ってよいかわからなくなるようなので、最近はもっぱらこちらからリクエストしています。サプライズはないけれど、欲しいものがいただけるので合理的です。

ところが、今回ばかりは、待ちに待った…と言いたくなるほど、すごーく待たされた末にやっと届いたのです。
「すごく待たされた」などと偉そうに言ってはいますが、この歳になってもお誕生日プレゼントをいただけるのはありがたいことだと、実は感謝しています。「とっても嬉しい。ありがとう!」の言葉はすぐに伝えました。

でも、サプライズもやっぱり嬉しいものですね!
自粛期間、家にいる時間が長くなっていた頃、思いがけず手作りのマスクが届いたり、体に良いというお茶が届いたり、「飲み過ぎは禁物」というメッセージ付きのビールが届いたりしました。物をいただくということの嬉しさはもちろんありますが、贈ってくださった方の気持ちが感じられるから、より嬉しくなります。

あるテレビ番組で、「このお花をあなたに差し上げますので、どなたかにプレゼントしてください」と言われた男子高校生が、お母さんにお花を渡していました。もちろん贈られたお母さんは、「えっ、どうしたの?」とびっくりしつつも、「いつもの感謝をこめて」と言われて感激。

驚いたのが、そこにいた三人の学生が三人とも「お花は母に贈りたい」と言ったこと。
日々お母さんが愚痴も言わずに世話をしてくれることに感謝しつつも、ひと言の言葉をかけるわけでもなく、何かを贈るわけでもなく過ごしてきたことに、後ろめたさを感じていたのだそうです。そんな風に思っている子どもたちは案外たくさんいるのかもしれませんね。
このことをきっかけに、彼らが今後、感謝の言葉を伝えたり、サプライズのプレゼントができるようになるといいなと、期待をしながら観る私でした。

1本の花

お花のプレゼントですぐに思い浮かぶのが、私の友人です。体調を崩して家にいることを余儀なくされた彼女は、「よく考えたら、私の好きなことはお料理を作ることだし、家にいるしかないけれど、家族のために好きなお料理を作るだけでいい生活って、実は幸せなことなのよね」と、明るく話してくれました。そして嬉しそうに、「夫がね、仕事帰りに毎日1本お花を買ってプレゼントしてくれるようになったの」とも。
もともと仲の良いご夫婦でしたが、何年経ってもお互いを思いやる気持ちが溢れている素敵なご夫婦です。その甲斐あってか、彼女はだいぶ元気になってきました。

毎日「今日も元気でいてくれてありがとう」と1本のお花。気持ちを表すのは花束である必要はないのですよね。

時代を経ても変わらないこと

デール・カーネギーが著書『人を動かす』の中で触れていることに、以下のようなくだりがあります。

「大むかしから、花は愛の言葉と考えられてきたが、それほど高価なものではない。…それでいて、世の夫たちは、一束の水仙も家へ持って帰ろうとしない。彼らは、花と言えば蘭のように高価なものばかりだと思っているか、あるいはアルプスの高嶺の花のエーデルワイスのように、容易なことでは手に入らない貴重品ばかりとでも思い込んでいるのだろう。たかが数本の花を妻に贈るのに、彼女が入院するまで待つことはなかろう。明日は、帰りがけに、バラの2、3本も買ってみてはどうだろう。ためしにやってみることだ」

この本の初版は、1936年。今から80年以上も前に書かれています。
さて、時代は流れたけれど、人は大きく変わっていない気がするのですが…。

夫婦の間だけでなく、親子でも友人同士でも、日頃の感謝を言葉やカタチにしてみてはいかがでしょうか。ほんのひと言を、ほんの小さな贈物を、そう、ためしに。
きっとあなたの気持ちは、あなたが思う以上に相手に届くはずです。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

8月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第89回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第89回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

人類は今日まで、約1000億人が生まれて死んでいったのだとか。今回のパンデミックも、その大きな流れの中での一つの出来事かも。その流れの中でしっかり生き抜いていくには何より健康であること。これは人間も組織も同じかもしれません。人間の方は手洗い・運動・睡眠の大切さが指摘されていますが、企業や商店などの組織も人体と同じ。組織も “組織としての健康” が問われそう。債務超過・過剰在庫・教育不在など。冷静にみれば、組織も不健康なまま生き延びることは困難。イノベーションでも、ただ前進突破を図るのでなく、伝統的形式や現行手法も大切にすること。20世紀のあらゆる芸術で失敗を招いた原因の一つは、独創性に固執したことだとの指摘もあります。千利休も、茶道の精神・点前作法の心得の中で“規矩作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘るな”との戒め。梁塵秘抄では “我が恋は 一昨日見えず昨日来ず 今日訪れ無くは 明日のつれづれ如何にせん” とあります。固執せず、新たな道を探るのも一案。 “好きなことを一つやるには、好きでない九十九もやらなければならない” と作家・東山彰良。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

ガラパゴス 技術のガラパゴス以上にマネジメント・管理のガラパゴス化
三〇年間同じ食べ物を食べてきた生き物は一つの食中毒で全員が破滅する
多様性の弱さが際立つ 多面的に炎を絶やさないのがチャンピオンへの道
拳闘 アマは足を前後・プロは左右 重心は足の中央、とコーチ・サラス

東京五輪は新型コロナウイルスで1年延期が決まりました。1964年の東京五輪では、ボクシングを後楽園で観戦しました。1回戦でしたが、その時の桜井孝雄選手が決勝まで進み金メダルを獲得。2012年のロンドン五輪で村田諒太選手がその時以来の金メダル。今回も両国国技館のボクシング・チケットを確保。その後、村田選手はプロの道へ。アマは足を前後にしてパンチを出すこと、プロは足を左右揃えたままで重心は足の中央、これでパンチを出すこと。でないと長いラウンドを戦えないらしい。名コーチ・サラスの洞察に得心。 “発酵期間:昨日より一昨日の方が自分には濃密” と漫画家・山藤章二。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

化学品を売るのではなく化学を売る
化学品の価格にナレッジも織り込む
顧客と契約しオペレーションも売る
化学品はそのための費用と割り切る

米国の化学会社では、事業の苦境を脱する起死回生策として、事業の生命線である化学品そのものを売るのでなく “化学” 全体を売るコンセプトに180度転換。化学の会社だから化学品をつくって売るのは当たり前ですが、イチかバチか、売るものを化学に関わるすべてに拡大。自社の化学品を原料として使う製品生産のオペレーション作業も支援。化学原料の特徴を最大限生かす製品開発のコンサルテーションも。化学品はあくまでサービス上の手段。コンサルテーションは、化学品というモノと異なりマネされ難い強み。 “ああ面白かったと臨終の際にどこまで言えるか” とジャーナリスト・筑紫哲也。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

大きな問題 組織のインタラクションと多様性をどう増やすか
オペレーション文化からコラボレーション 更にコラボ学習へ
学習なしのコラボレーションは無力 単に適応するだけのこと
目的達成 人間関係に沈まず振り切り前へ進む、と大久保利通

大久保利通は、西郷隆盛と並ぶ傑出した薩摩藩士。鹿児島では、西郷の方が圧倒的な人気ですが、大久保にも西郷にはない切れ味を評価する声も。二人が育った実家は意外と近く、ともに郷中(ごじゅう)という薩摩藩の武士階級子弟の教育で鍛えられました。武術は多少不得意ながらも、討論や読書などの学問は郷中の中でも突出した存在。 “武士道の本義を実践” “嘘を言わない” “万事に質実剛健” などを叩き込まれました。大久保が目標とした国家はドイツやイギリスで、日本の官僚機構の土台を築きました。 “ネガティブ・ケイパビリティ:できない状況を受け止める力” と科学哲学者・村上陽一郎。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第89回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
8月 10 20

書評 「歴史の遺訓に学ぶ(日本を拓いた偉人たち)」 致知出版社 堺屋太一・渡部昇一(著)

by staff
 
タイトル 歴史の遺訓に学ぶ(日本を拓いた偉人たち)
単行本 215ページ
出版社 致知出版社
ISBN-10 4800911052
ISBN-13 978-4800911056
発売日 2016/3/22
購入 歴史の遺訓に学ぶ (日本を拓いた偉人たち)

「歴史を振り返る。そこに日本の未来が見える」帯の文章が目に留まった。まえがきは次のように始まる。「日本は、国と地と民と文化が一致する。日本の国の歴史は、日本の国土での歴史であり、日本の言葉と風習と伝統文化の歴史である。私たち日本人はこのことを当たり前のように思っているが、世界的にみるときわめて珍しいことなのだ。」

日本の基礎を築いた偉人たちの所で「国づくりのビジョンを示した近世の偉人たち」で、織田信長・徳川家康・石田梅岩・松尾芭蕉を、「近代日本を開いた愛国心あふれる偉人たち」で、大久保利通・渋沢栄一・伊藤博文を上げている。

現代の行政機構が真似できない新しい組織を作りあげた織田信長を「銭の経済」というものを考えたのだと捉え、それによって「織田信長のところに限り、出所不明の大将軍ができる」。それが豊臣秀吉、明智光秀、滝川一益であり、みんな出所不明です、と言われる。「なぜ織田信長のところからそういう天才的軍人が出たかというと、土地に縛られず、銭で雇った兵隊を付けたからです。だから藤吉郎のように腕力もなければ家来もいないやつがどんどん出世出来たのです。」そしてその斬新性を現代に当てはめてのべられます。「省庁の違いにかかわらず、財政担当は集まれ、原子力技術担当は集まれ」といった形にすればいいのにそれができない。「だから省庁別の断ち割り行政が続くわけでしょう。」

家康という人はずいぶん自分を知った人だと渡部さんはとらえ「だから信長という人の天才を見抜いて、非常に義理堅く付き合っています。それから秀吉とは、小牧・長久手の戦いで、極地戦争ではありますが一応勝ったわけです。しかし、戦には勝ったけれど、この人にはかなわないと思うところがあった。すると実に律儀に、誠実に、謀反心を起こさず仕えるんですよ。」家康は己を知っていて「こいつは自分より上だ」と思うと、無理をせずに相手に従っているのだ。
家康は非常に勉強が好きで本もたくさん印刷しているようです。特に注目すべきことは。唐の太宗と家臣たちとの問答をまとめた「貞観政要」を勉強していたことだという。そして、家康のもう一つの大きな仕事は、長子相続制度の確立です。「関ヶ原が終わったとき、家康は戦国時代は終わったという認識に到達したと思うのです。そこで長子相続制度を決めるわけです。戦国時代には長男に家を継がせるという発想はありませんでした。」「家康は争いなく相続させる方法を考えていたのでしょう。」

滅私奉公的な日本人の労働観を支えてきた石田梅岩の石門心学の存在も江戸時代の大きな存在であったと言われます。梅岩の業績はなんといっても勤勉の哲学を日本中に広げたことです。「生産性や経済性を度外視しても勤勉に働くのは非常にいいことだ、と言う滅私奉公的な精神が日本の近代化を実現させたことは間違いありません。」日本の近代化が勤勉の哲学から興ったという意味では、この石田梅岩の影響というのは非常に大きいと語られます。宗教を完璧に相対化したことです。宗祖とか教祖の教えではなくて、まず心があるというところから発想しました。人間には心というものがある、しかもそれはコロコロしたものらしい、三種の神器の一つに勾玉がありますが、勾玉みたいなものだとイメージしたわけです。「そして人間にとって重要なのは、そういう心という玉を磨くことである、と。その心を磨くための磨き砂は、儒教の教えでもいいし、仏教の教えでもいいし、神道のおしえでもいい。あらゆる宗教が磨き砂になるといって宗教を相対化しているのです。」そして「仕事とは自分の心を磨く修行であると考えたわけです。」

いま日本では何十万人という人が俳句を作っています。「その俳句を確立したのが松尾芭蕉です。さらに “わび” “さび” といった芭蕉の感受性が江戸以来の日本人の感受性をつくったといってもいいと思います。」次のような岡本太郎の話を紹介しています。「岡本太郎が太陽の塔をつくったときに、スケッチブック四冊に次から次へと下絵を書いていった。そのときに最初は腕とか顔がたくさんついていたものをだんだん減らしていって、最後は両方に手があって、顔が前後に付いているだけの形にしました。岡本太郎は“これは造形の俳句だ”といったんですが、私、これは岡本太郎の名言だとおもいます。」堺屋さんはいいます。「俳句というのはすべてのムダを取り除いて十七文字に心を込める。芭蕉がいなければ、これが大文学になったとは考えられないです。」

明治維新への流れをつくり、新日本の基礎をつくった大久保利通の話に替わります。「薩摩の家老に小松帯刀という人がいましてね。この人が大久保や西郷を自由に泳がせて、最後に幕府を討伐するために武力を与えるわけです。そういうよき上司に恵まれて、大久保は自分の考えを貫き通して、山内容堂や松平春嶽の反対を押し切って幕府に戦争を仕掛けるんですね。」「それから、次に凄かったのは内務省をつくって中央集権を徹底させようと考えたこと。武力を持たなければいけないというので、長崎のオランダ人のところに鉄砲や機関銃を買いに行った。でも買うと高くつくというので、自国で産業を興して富国をめざさなければいけない、と。そこから富国強兵・殖産興業という方針になるわけですね。」「日本に産業を興すために大久保は大胆な策に出ます。とにかく大金を投じて逓信を興し、鉄道を敷き、鉱山を開発し・・・ということをやったんです。」

自らの利益より国富を第一に考えた渋沢栄一の愛国心を讃えたい、と渡部さんは言われます。あるとき、三菱の岩崎弥太郎が隅田川に船を浮かべて「渋沢さん、俺と手を組まんか。俺とあんた手を組めば日本の経済は自由になる」といったところ、「私はそんなことは考えていない。それよりもなるべくたくさんの人に会社をつくってもらいたい」と断っているそうです。合本制度を日本中に広めるのが自分の希望で、別に日本の経済界を支配しようという気はないといったわけです。「非常に重要なことは、彼は旧幕時代にヨーロッパを見ていますね。あの頃はフランスが非常に日本に友好的だったんです。それで徳川慶喜の代理としてパリ万博に出席する徳川昭武に随行してヨーロッパに出かけて各国の事情を見ています。その時に西洋には国債とか株があるということを知って、幕府から預かったお金でフランスの国債なんかを買って儲けている。西洋で儲けた日本人としては最初の人ですよ。そして幕府が潰れたときに、幕府から派遣されていた留学生たちが帰るに帰れずに困っていた時に、儲けたお金で船で帰している。」渡部さんは「渋沢さんは“論語と算盤“を唱えて道徳と経済を両立されましたね。”論語“の中で孔子は金持ちになることは悪いことだとはいっていないと指摘する一方、不義にして栄えるのはよくないといい、不義にして貧乏から抜け出すのも悪いといいました。これをいいかえれば、不義でなければどんな仕事も尊いものだといっているわけです。」

日韓併合に最後まで反対していた伊藤博文は先の見えた人だった、と渡部さんはいいます。「伊藤博文ほど将来がよく見えた人はいませでした。たとえば朝鮮の問題でも、併合に博文だけは最後まで反対するんですね。植民地政策の専門家の新渡戸稲造が朝鮮の植民地プランを持って韓国統監になっていた伊藤博文をソウルに訪れたときも“朝鮮を植民地にする必要はないから不要”と答えています。ただ放っておくと勝手に変なことをやって日本が戦争をしなければならないようなことになりかねないから、当分は朝鮮の外交権を預かって保護領としておこうと考えていたわけです。」日韓の合併に関しては、国際社会は賛成していた。イギリスやアメリカはむしろ合併をうながしていた。朝鮮半島に隣接していた清国もロシアも賛成しましたし、利権を持っていたドイツも賛成でした。「そういう流れができていたので博文もしぶしぶ合併に賛成するのですが、韓国統監になったときはまだ反対していたのです。ところが、そういう穏健な考え方を持った博文を1909年に安重根が暗殺してしまったから、日本人は怒ったんです。その結果、博文が反対していた併合が進んでしまうことになりました。」

戦後日本を発展させた政治・経済・文化のリーダーと続いていく。
戦後日本の高度成長を実現した政治のリーダーとして、「経済大国の理想を実現するエンジンとなった所得倍増計画の池田勇人、安保改定があったからこそ日本の高度成長は実現した岸信介、万国博覧会と沖縄返還、日本の青春時代のリーダー・佐藤栄作の七年、国家の将来を考えられての総理でした。」

経済大国・日本を牽引した経済のリーダーのなかで群を抜いて松下幸之助を堺屋さんは次のように記しています。「国民的な英雄になった、世界でも珍しい実業家・松下幸之助」と位置付けている。「松下さんの美点は、自分はそんなに贅沢しなかったこと。競馬馬を買ったり、相撲取りを後援したり、野球チームをつくったり、そういうことはしませんでした。実に真面目だった。典型的な家庭人でもあったと思いますね。そして松下さんは国民的英雄になりました。昭和三十年代に子どもたちの憧れは、まず松下幸之助でしたね。お金持ちになった人にはとかく批判が付き物ですが、松下さんはほとんど批判がない。こういう実業家は世界でもそう数はいないとおもいますよ。」

サービスという文化にいち早く着目した小林一三の先見性
トヨタのカイゼン・かんばん方式というのは凄く日本的
流通革命により日本人のライフスタイルを変えた中内功と鈴木敏文
イオンを成長させた岡田卓也の説得力と洞察力に感服する
プレハブ住宅の開発によって日本人に持ち家を提供した石橋信夫

これから求められる日本のリーダー像で堺屋さんは「自分で責任を持って決めるリーダーが求めれている」という。渡部さんは「これからのリーダーに絶対欠かせない条件は先見性である」と。そして堺屋さんは「リーダーにはカリスマ性を持ってほしい。第二番目には、抜けているように見えながら実は緻密であるということ。論理的な緻密さというものが、周りから緻密だとわかったらだめなんですね。」さらに渡部さんは「頭のいい人はいくらでもいる。本当に必要なのはガッツのある人だ。頭はそれほどよくなくても、頭のいい参謀ならいくらでも見つかるんですよ。あのボスはちょっと残酷だなといわれないように補佐してくれる人はいくらでもいます。しかし、ガッツだけは代わりがきかない。ガッツだけは補佐役にも知恵袋にも参謀にも補えません。だから本物のリーダーを生み出すためには、教育もガッツを育むような項目を入れるべきだと思うのです。」歴史の流れとして読ませてもらった。いま日本に求められているのは新しいリーダー像も持った指導者なのだと感じた。

(文:横須賀 健治)

 

8月 10 20

横浜スケッチ(第45回) 最終回

by staff

ペンネーム 成見 淳

新型コロナウィルスの影響で色々なイベントが中止や延期になっています。すべては人と人が密に集まることを避けるためですが、そのための工夫としてテレワークやらオンライン授業など、働き方や会議方法、学校の授業なども多様化しています。
私の所属する水彩画教室でも毎年行われている生徒展が、早い時期に中止となりなました。
そこで、「コロナに負けない。」「『こんな時に?』ではなく『こんな時だからこそ!』という思いからオンライン生徒展を思い立ち、先生に提案し、多くの方の賛同を得て開催に至りました。
構想から、企画、趣旨説明、仕組みづくり、画像処理、作品アップと約2か月掛かりました関係で、今月号は自分自身の作品はほとんどありません。
最後にもう一つご報告があります。ヨコハマNOW2015年5月号から始まった「横浜スケッチ」を、休止という形を取りますが実質終了とし、今回を最終回とさせて頂くことになりました。

 

「赤坂孝史教室オンライン展」

本来7月1日-7日に赤坂孝史教室生徒展が行われる予定でしたが、4月8日に中止決定となり、通信教育によるオンラインゼミが4月10日全国展開されました。
その案内を見た瞬間に「オンラインによる生徒展」というアイデアが浮かび、早速企画書をワードで作成し始めました。昔から熟慮して演繹的に結論を出すというよりは、まずひらめきありきで、後付けで証拠集めや検証をして論拠づける方法を取っていました。
それは金額の多寡やハードルの高さに関係なく、というよりむしろ困難であればあるほどその傾向が強かったように思います。
企画書がまとまり、先生、会長、主な仲間に相談し、5月1日に正式に「赤坂孝史教室オンラインゼミ展」を生徒さんに展開し、6月1日応募開始、7月1日オープンに至りました。
従来の生徒展は出品者が関東地区に限られていましたが、オンラインのお陰で関東関西は勿論、全国及びスイスからも含め68点出品される結果となりました。

 

「赤坂孝史教室オンライン展」全作品

私の作品が少ない代わりに、68点の作品をご覧ください。

インスタグラム https://www.instagram.com/akasakaonline/
(登録不要でそのままクリックでご覧になれます。)
ブログ https://akasakatakashionline.exblog.jp/

 

「横浜スケッチ」5年間を振り返って

私が絵を描くようになったのは1990年11月21日、横浜美術館でルノアールの「少女(イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢)」に再会した事がきっかけだった。
すぐに通販で油彩セットを買い、絵の事は何も知らないまま庭からいきなり自宅を4Bの鉛筆で描き始め、油で溶いた絵具を塗ったら、鉛筆の粉が一緒に溶けだしてキャンバスが真っ黒になった事からスタートした。(詳しくは私のホームページの「エッセイ・雑記帳」参照)
1993年9月下旬、スコットランドにIR、(インベスター・リレーションズ。投資家に対する広報活動。林横浜市長が多くの市民の反対にもかかわらず推進しょようとしているIRの事ではない。)にかこつけて、好奇心からスコットランドに調査に行き、以来通う事約10回以上。このころからホームページを始めて、「絵」「旅」「エッセイ」は私のライフワークとなった。

2005年早期退職し、次いでNPO法人の専務理事も辞め、完全に仕事を離れた数か月後、神奈川新聞の「世界コマ大戦」の記事を目にした事がきっかけで、ヨコハマNOWの発行人で大学の後輩でもある渡邊伯桃子さんと知り合い、ヨコハマNOWの編集長辰巳隆昭さんの目に私のホームページが止まり、そのご縁で1915年5月に「横浜スケッチ」(ネーミング辰巳編集長)の連載が始まった。
芸は身を助ける。趣味のエッセイ、表現手段としてのホームページが退職後の大きな心のよりどころとなった。

この間10年以上絵から遠ざかっていたが、お二人から「昔の絵で良いから。」という事で始めたものの、『媒体名がヨコハマNOWなのに昔の絵ばかりでは失礼だし、水彩画は正式に習ったことはないし・・・。』と意を決し、スケッチブックを持って「外交官の家」に出かけた時、生徒さんの作品を批講中の桝谷一夫先生に遭遇し、その場で入会志願。
2018年3月末に退会するまで2年9か月ペン彩画のご指導を頂いた。

連載を始めたばかりの5月後半頃、家で掃除機をかけていた時に突然「人生はキャンバス」という詩が浮かび、次いでメロディーも浮かび、作詞作曲が出来上がって、さらに音楽ソフトを購入し何曲か作曲した。こうして「Life is an Expression」(人生は表現)のコンセプトに曲作りも加わったが、ウェイトは水彩画の方にどんどん移行して行った。

いつか個展をやってみたいという夢が叶って、2017年6月に横浜山手234番館で初個展を行った直後の6月中旬、横浜そごう9階のギャラリーダダに立ち寄り、赤坂孝史先生の個展を見た途端衝撃が走った。老夫婦が手をつないで歩く後ろ姿の絵、大岡川の絵など約30点。『自分の描きたい絵はこれだった!!』と思い、受付の人に聞くと「生徒になるには3年待ちですよ。」と言われたものの諦めきれず、いろいろ調べて単発のワークショップに参加する事2回。その後2018年3月頃からギャラリーダダでの定期講座に参加した。この間は二人の先生のご指導を受けていたが、気持ちはペン彩画から離れて行った。

2017年6月に山手234番館での初個展が終わった後、ギャラリーダダでの個展(2018年6月)が決まった。
偶然にも空きがあった赤坂先生の個展会場の隣室だったが、生徒になるには3年待ちと聞いていたので生徒になれるのは当分先だろうと思って安心していた。
ところが2017年7月半ばに先生から「8月から空きがありますがどうしますか?」という連絡があった。チャンスは即つかむ主義なので、もちろん即「お願いします。」となったものの、とても来年までに個展を行うほどの絵は揃えないと悟り、編集長にお願いして2017年12月号から翌年5月号まで連載を休止させてもらった。この間必死でひたすら描き続けたことは言うまでもない。
「絵ッセイ」という造語も出来、「絵せイスト」と称するようにもなった。結構気にいっていて、横浜スケッチは終わるけれども両方ともこれからも使っていきたい。

個展が無事終わり、再開後の2018年8月号からは隔月連載になった。この頃からは作風も変わって来たようだ。また、海外ツアーにも良く出かけるようになり海外ネタが多くなり、「横浜スケッチ」と言いながら横浜と直接関係の無い作品やテーマが増えて行った。

「横浜スケッチ」や「ヨコハマNOW」を通して色々な方にお会いし、インタビュワーとして貴重なお話を伺うことが出来た。横浜海岸教会の上山修平牧師、曹洞宗徳雄山建功寺の桝野俊明ご住職、密厳山不動寺 遍照院(別名「踏切寺」)の山本芳弘ご住職、アフリカの革命児島岡強さん由美子夫人などなど。
インタビューでなく、5年間でお会いし、「横浜スケッチ」に登場して頂いた方は数知れない。スウェーデン、ストックホルムのBirgittaさん、スペイン、ピレネー山脈ふもとのColomerさん、アイルランド、ダブリン郊外の結子さん、ご主人のジェラルドさんと3人の子供さんとオットセイ似のワンちゃん、スコットランド、セント・アンド・ルースの友人スチュアートと奥さんのリンゼー、野毛のジャズピアノバーのオーナーで元「夢で逢いましょう」のテレビ番組のピアニストの津田龍一さん、歌手でジュンとネネの早苗ネネさん、伊根の舟屋のオーナー夫人、琵琶湖西岸の民泊のSpiri夫妻、仁右衛門島の横山さん、私の作詞を翻訳してくれた尾形さん、初めて銀座の画廊に出品依頼を頂いたASAGIARTSの浅黄オーナーなどなど。横浜スケッチのご縁がなければお会いすることは叶わなかった方達ばかり。

さて、横浜スケッチは終了しますが、私のライフワークである「絵ッセイ」、すなわち「絵」旅」「エッセイ」は形を変えて今後とも続きます。さしずめ姉妹ホームページを立ち上げてアップして行こうかと思案中です。引き続きご覧いただければ幸いです。

2015年5月に始まった「横浜エッセイ」の絵はエリスマン邸からの、今は無くなったセント・ジョセフ・インターナショナル・スクール風景です。

最後は、私のオリジナル作品ではなく赤坂先生の7月の課題で模写ですが、横浜スケッチらしく「みなとの見える丘公園6月」F6号です。

最後にヨコハマNOWに投稿の機会を頂き、全期間を通して訂正、追加の多い原稿で幾度もご迷惑をお掛けした辰巳編集長、すべてのきっかけとなった発行人の渡邊さんに感謝とお詫びを申し上げるとともに、私の拙い絵ッセイをご覧頂いた読者の皆さまに感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

今後の出品予定
いずれもギャラリーダダ(横浜そごう9階)水曜-火曜(10時-19時半。最終日は16時。)
 8月 5-11日 ギャラリーダダ アートフェスティバル展(公募展)1点
 8月12-18日  成見淳個展 約30点
 11月18-24日  第13回パレット会展 1~2点

筆者紹介

Jun Ohsawa 大澤 淳さん  
お名前 Jun Ohsawa 大澤 淳
E-mail j-narumi@ug.netyou.jp
URL http://home.netyou.jp/kk/ohsawa/
成年月日 1967年1月15日成人式。おひつじ座。いわゆる団塊の世代。誕生日はもっと前。
年齢 その年の西暦 ? 1947(3月25日以降)
生息地 横浜市鶴見区に70年弱在住。いわゆる浜っ子。
血液型 いわゆる典型的なAB型
性格 内気、控えめ(だが信念は曲げない)、人前に出るのを極度に嫌う・・・だったが、 最近は少しずつ変わって来た。これもネット化のおかげかな。
割りと簡単に物事をはじめてしまう。(衝動的、意思決定が速い、好奇心が強い)。
忘れやすい。(最近特に)
趣味 ◎絵画:(主に水彩画)初めは油彩だったが10年近く休止していた。ヨコハマNOWのお陰で、2015年より主に水彩画を中心に絵画を再開した。
◎文章を書くこと(エッセイ、旅行記など)。
◎放浪の旅:国外国内を問わず、スケッチポイントを求めて心の洗濯に。(すぐに汚れやすいので。)
〇ゴルフ:1979年にホールインワンをしたことも。42年間通った神奈川県津久井湖ゴルフ倶楽部を2016年12月に退会。ハンディキャップは全盛期13だったが。
〇2015年急に作曲を始めたが半年もたたずに現在休止状態。
●フォルクローレ(アンデス音楽):ケーナ、サンポーニャ等も演奏したが、今はたまに聴くだけ。

 

8月 10 20

チャレンジ(第24回) 青い海からのインスピレーション

by staff

青い海からのインスピレーション

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。長い長い梅雨が明け暑い夏がやってきましたね!今年は娘たちの夏休みも短く、新型コロナウィルスの影響により、毎年帰省していた主人の実家がある沖縄へも行くのを自粛することにしたので少し寂しい夏となりました。

青の洞窟

 青い海からのインスピレーション

私はたくさんの方から、「面白いアイディアが出てきますね」「発想が良いですね」などなどお褒めの言葉をよくいただきます。つねに情報収集に取り組みアンテナを貼っているのですが、それ以前に「体感」を大事に、五感を研ぎ澄ます訓練をしています。特に年2回の沖縄帰省はとてもよい機会で、夏は海や川でのアクティビティや、冬は沖縄ならではの作りもの体験などを子供たちと一緒に体験しています。

やんばる沢登り

マナティへ餌やり

ハイビスカス

貝をつかったフォトスタンド作り

以前は、沖縄では一切仕事はしていなかったのですが、最近は忙しく休みが取れないので、海辺のカフェで仕事をすることがありますが、とても快適に進めることができます。

主人の実家からすぐの名護ビーチ

冬でも必ず訪れる名護ビーチ。風を感じ、波の音を聞きながら、透き通る海のブルーを見ていると、ココロもカラダも洗われる気がします。沖縄の青い海からのインスピレーションは間違いなく私の創造性を刺激し良い影響を与えてくれています。今年は残念ながらこの青い海に訪れることができませんが、写真を見たり、頭の中でイメージを膨らませて五感を研ぎ澄ませようと思います。そして、優れた発想力・創造力で、より良い価値を生みだし、人と社会の生活向上に貢献していきたいと思います。

次回は「取材始めます!」です 

(第24回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

8月 10 20

絵本から笑本へ(第50回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~川本 桂子さん~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期。

絵本作家としてこれまでにご縁のあった「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」を
ご紹介しています。

第4期5回目にご登場は…
小田原市を中心に子育て支援施設で活躍されている、川本桂子さん。

小規模保育施設「ぎんがむら保育園」理事長。
小田原市子育て支援センター「おだぴよ」、「こゆるぎ」、「いずみ」統括責任者。
認可外保育施設「ママちゃんHOUSE」理事長。

これだけ見て頂いても分かるように、
小田原市の地域子育てを大きく支えている方。

川本さんとのご縁は、一昨年の夏から。

ぼくは毎年夏に、小田原市の子育て支援施設を1日でまわる
イベントツアーを開催させてもらっています。

夏の暑い日に、たくさんの絵本と紙芝居をもって、
小田原市中の子育て支援センター、保育園、保育施設を駆け回る。
なかなかハードなイベント(笑)
川本さんにはそんなハードな1日を、いつもご一緒してもらっています。

コロナ過のなかで各自治体が

不要不急の外出自粛等を呼びかけています。

全国の子育て支援施設も数か月の閉所が続いていました。
今現在は、少しずつ緩和されてはきていますが、
数組限定や予約制の導入等、
「気軽に行ける室内の公園」というイメージとは
かけ離れた場所になってしまっているのも事実。

そんな中、小田原市の子育て支援センターでは
イチ早くリモート配信による対応もしていました。

お母さん達へ向けた子育て相談。
スタッフの方達による歌や手遊び。

ぼくも、こんな時期だからこそやれる事があると考え、
川本さんにお願いをし、小田原市の各子育て支援センターで、
絵本と紙芝居の読み笑わせイベントをオンラインで開催させてもらいました。

たくさんの子ども達、お母さん達、親子が参加してくれて嬉しかった。

横浜市の子育て支援施設では、

まだまだリモートやオンラインに対応出来ていない所も多いなかで、
小田原市では施設は勿論、お母さん達受け取る側も、
リモートやオンラインにとても積極的で慣れていた印象を受けました。

横浜市の18区は、施設それぞれで運営管理も違い、対応や対策もバラバラ。

まぁ一概には言えませんが、小田原市という広い市の中に
施設が数カ所しかないからこそ、
もともとリモートやオンラインに慣れていたのもあるのかなと、思います。

横浜市が小田原市より進んでいるなんて事は全くもって感じていませんでしたが、
世の中の急な変化や進化に対策出来ていたのは、
横浜なんかよりも小田原だったと、ぼくは今回の件で実感しました。

川本さんとは年に数回しかお会いしませんが、

毎回濃い1日を一緒に過ごさせて頂いているので、
いつも熱いお話を聞かせてもらいます。

小田原市の子育ての事を、
子ども達の事を、
お母さん達の事を、
親子の事を、
たくさん考え、想い、行動しています。

そんなアツイ川本さん。
ん?いつも会ってるのが夏だからアツイと感じてるのかな?
…いや、そんな事はありません。
本当にアツイ川本さん。
横浜市の皆さんも是非、
小田原市の子育て支援に興味を持ってもらえると嬉しいです。

川本 桂子さん
(有限会社R IV総合研究所取締役)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「とても引っ込み思案で、人にどう思われているか気にする子。教室の端っこの席にポツンと座ってる感じ(笑)」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「夢は自分の部屋を持つこと。狭いお家だったので家の広告や、部屋のインテリア雑誌を買っては眺めていました。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「地域で子育てにより良い事を提案しながら、子育て支援事業、保育事業、子育てのコミュニティの場をつくっていきたいです。そして、その場は親と子が主体。親子に寄り添うスタッフ達とともに、1人ひとりが幸せになれるような社会にしていきたいです。」

④ 『悩みはありますか?』
「今は悩みはありません。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「親子の笑顔と、スタッフと一緒に仕事をしている時からのー仕事後の夜の晩餐、手づくりのおつまみでビール、ワインを飲む時間。一日中楽しんでます。」

<ぎんがむら保育園>

http://www.gingamura.com/

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

8月 10 20

第89回 地震に強い家

by staff

ken-ken 一級建築士設計事務所
建築家 河辺 近

地震に強い家

誰でも地震に強い家に住みたいけれど強い家にするには住まいを新しく計画でもしない限り難しい なので本気で考える人は少ない 家の中の家具の転倒や物が落ちてこない程度のことは行なっているがそもそも家が壊れてしまっては何もならない。

阪神淡路大震災より

この横浜にも30年以内に大きな地震がやってくる可能性が大きいと言われている 映画やテレビドラマの中の話ではない 暮らしを戸建てで計画するときに安全な場所を選び考えることは無論であるが 代々の土地の建て替えとなるとそうもいかない 2020年7月 九州で川が溢れまた多くの人が亡くなった この地域には水害のマップがあり防災準備もされていたが連絡も救助も間に合わなかったようだ 起こることは分かっていたのに、、、
事務所に住宅の依頼の連絡があった 「免震装置を考えているができますか?」という問い合わせ 免震装置は理解しているが計画をした事がないと正直に伝え 「しかしとても興味がある」というと一度会いたいという事になった 60代後半の建主は「私にとって最後の家づくりとなるのでもし災害が起きたときにTVでよく目にする避難所の生活はしたく無い」という事が今回家創りを行う最大の理由だった 家づくりは土地探しから始まり 駅からの距離 日常の買い物のしやすさ 土地の大きさなど意外に難しかったのが 半年程探し希望に近い土地が見つかる その間に免震装置について調査すると 一昨年カヤバのショックアブソーバのデータ偽造が発覚しこの装置(免震装置)を採用した建物の騒ぎがまだ続いていた 市販で出ている免震装置を全て調べ いかにも怪しい物がこの世間に沢山出回っていることに驚いた 住宅(木造)に使えるものは限られOILESの免震装置を再用することにした。

進めていくうちに何故木造住宅用の免震装置がなぜ普及しないのかがわかった

  1. 一つはコストである 建物の予算に比べ割合がとても大きい
  2. 建築確認申請の他に適合判定の構造計算 申請を行わなければならないこれは普段木造の仕事を行っている人たちにとってはハードルが高く 時間がかかる
  3. 基礎を2重(免震装置の上部建物を支える基礎 下部地球上の建っている基礎)に作る為工期に時間がかかる 免震装置は特注のため製作に時間がかかる
  4. エキスパンションジョイントを扱っているメーカーが少なく コストが掛かる など 時間とコストが掛かるのです

特別な法整備もなくビルのような大きな建てものと同じルートで考えていかなければならないこれでは普及するはずも無い しかし今回の件で色々なことを理解することができた次回は行政やメーカーに対して助言をしながら進めることができそうだ その他災害に対して300Lの水の確保 リチュームイオンバッテリーで電気の確保 など無理をしない程度に災害に対する準備をした 災害が起こらないことが一番ではあるが備えは大切である。

ken-ken 一級建築士設計事務所  建築家 河辺 近
横浜市中区海岸通4−24 万国橋SOKO 301-B
HP : www.ken-ken-a.co.jp

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acaa建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

8月 10 20

あまつかぜ 雲の通ひ路 吹き閉じよ 乙女の姿 しばし留めん

by staff

♪ あまつかぜ 雲の通ひ路 吹き閉じよ 乙女の姿 しばし留めん ♪



絵・千絵崇石
 

読み人:僧正遍昭
(そうじょうへんじょう)

歌意:空をそよぐ風たちよ、雲の行き来する天と地の道を 吹き閉じておくれ! 天女たちの踊る姿をまだもう少し見ていたいから・・

この歌を最初に知った時、私は完全に5月の青空を想像しました。若葉の香る青空に真っ白い雲がぽっかりと浮かんで その中で美しい天女たちが軽やかに舞っている。

後からいろいろ調べてみると 古今集に載せられたこの歌は 「五節の舞姫を見てよめる」と但し書きが添えられていて その五節とは五月ではありません。陰暦の11月に新しい穀物を神様に備える新嘗祭が行なわれてその翌日に豊明節会(とよあかりのせちえ)という宴が開かれていたそうです。その時にトップ貴族の特に美しい乙女たちが選ばれて五節の舞姫としてこの日のために訓練を受けて舞う習わしだったそうです。ちなみに現在でも演奏されている日本の雅楽の中でも、唯一女性が踊るものとして継承されています。

当時から、色んな意味で贅を尽くした特別な催しで、女性達にとって、この舞姫に選ばれるとは天皇のお后様になる事もある程度意味していました。

その中でも有名なのが清和天皇(56代天皇)の皇后になられた藤原高子さん。天皇よりも9歳年上です。清和天皇が幼帝として即位されたその年の秋に舞姫として踊りました。まだ天皇が幼かったのでそれから7年後に女御として入内。2年後には陽成天皇を産み、皇后さまとなりました。清和天皇18歳 皇后27歳の頃です。美しかったのでしょうね。

彼女は、皇太后という事もありますが、あの有名な伊勢物語で、在原業平の2代ロマンスの一つとして書き記されて、後世にはそちらの方が有名になってしまいました。

高子さんが五節の舞姫になり、五条のお屋敷に住んでいた頃、舞姫としての彼女を見初めた在原業平が通い始めて・・それを知った彼女のお兄さんや、叔父達は怒り心頭。彼女を次期天皇のお后にしようと思って大切に育てていたのに、いくら在原業平が平城天皇のお孫さんといえども、それは困る!と 藤原家の人々は業平が彼女のもとに通えないように警備を固めてしまいました。業平はある晩彼女をまんまと誘拐しますが、目的地に着く前に日が暮れて、恋人は結局鬼に食べられてしまいます。実際はオニではなくて追いかけてきたアニに連れ戻されてしまうのですが。その時の無念さ?惨めさ?を詠んだ 彼の和歌。

♪ 白玉か なにぞと人の 問ひし時 露とこたへて 消えなましものを ♪

歌意・・・まあ!白い玉がキラキラと、あれは何?と 彼女があどけなく尋ねた時に、あれは 露ですよ!と答えて、自分も露のように消えてしまえば良かったのに。

彼女はその後 清和天皇の元へ嫁ぎますが、彼とは、その後 時を経て再会します。
古今集には一首だけ彼女の歌が載っています。但し書きは「二条后の春の初めの御歌」

♪ 雪のうちに 春は来にけり 鶯の こぼれる涙 今はとくらむ ♪

歌意・・・雪はまだ積もっているけれど春が来ています。鶯が凍えて流した涙も 今は解けているでしょう。 この和歌の作者、僧上遍照さんが詠んだ時に踊った舞姫たちにはその後どんな人生ドラマが生まれて、歴史を彩ってゆくのかしら?

(早苗ネネ♪)

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

8月 10 20

ユリシスアメリカンフラワー教室主宰
アメリカンフラワー講師の高原あおいさん

by staff

「美しいものに心震わせ感動を覚えることが、幸せの瞬間ということなのかもしれませんね。幸せな気持ちを贈るお手伝いをしたいと思い『ユリシスの夢』を立ち上げました」と熱く語ってくれたのは今月のヨコハマこの人 高原あおいさん です。彼女の作品を見て私も幸せな気持ちになりました。

ユリシスアメリカンフラワー教室主宰 高原あおいさん
ユリシスアメリカンフラワー教室主宰
高原あおいさん
 
お名前 高原 あおい(たかはら あおい)
お生まれ 1972年
お住まい 横浜市磯子区
ご家族 夫 娘 犬
お仕事 アメリカンフラワー講師
ユリシスアメリカンフラワー教室主宰
ネットショップ『ユリシスの夢』
イベント等への出店
HP http://flower.uly-dream.com/
趣味 アメリカンフラワー制作
テニス

 

それは偶然の出会いでした

横浜そごうデパートで手工芸品の展示即売会が開かれていました。その会場で偶然出会ったのがアメリカンフラワーでした。(ディップアートとかディップフラワーとも呼ばれています。) ガラスのような繊細さ、透明感のある美しさ…花弁一枚一枚に思いが込められてそれぞれの花が作られていました。展示されていた作品はアメリカンフラワーのエキスパートT先生のもので花々が織りなす色彩の調和やデコレーションに使われているビーズ等のキラキラした感じも素晴らしく、足を止めて見入ってしまいました。展示場の光彩の中でシャボン玉がそのまま花弁になったように輝いて見えました。

どうしても1つ欲しくなり、どれにしようか迷いに迷って様々な質問をしていたら、1時間位お話する中で、「ご自分で作られたらどうですか」とお誘い頂きました。それがT先生との出会いとなりました。私が34歳の時でした。

10年もの間、私がこのアメリカンフラワーを続けて来られたのは、恩師と仰ぐT先生の「高原が上を目指すなら、生徒が高原一人になっても私が責任もって教えるよ」という言葉でした。私の人生を変えた「ひとこと」です。

恩師のT先生とは1年ほどの短いご縁となりましたが、その後、南区でお教室を開いていたF先生にお声をかけて頂き、アメリカンフラワーを引き続き勉強出来ることになりました。

F先生のご指導により、
2012年のトウペディップアート協会作品展にて
カレンダー賞を受賞しました。

アメリカンフラワーを広めたい

アメリカンフラワーとは、ワイヤーで花びらや葉っぱの形の枠を作り、その枠を合成樹脂の液(ディップ液)に浸して表面張力の作用で皮膜を作り、乾いたら、それらのパーツを組み合わせて作る、ガラスのような輝きを持つお花のことです。お花以外にも、蝶々や鳥など、又はアクセサリーなど、様々なものを作ることが出来ます。

ワイヤ-は金や銀の金属色のものや色がコーティングされているものもあり、どのワイヤーを選ぶかによっても仕上がりが違ってきます。ワイヤーを折り曲げたり、反らせたりすることで表情が生まれます。合成樹脂(ディップ液)の原色は28色ありますが、色を混ぜて作ることができるので、色は無限大の広がりがあります。また、クリア液の加減でも透明感が違ってきます。ディップ液から取り出す時の微妙な角度によっても変化を生み出すことができます。仕上げにカラースプレーやビーズ、金粉、アクリル絵の具などを使って変化を楽しむこともできます。

ガラスの様な透明感がアメリカンフラワーの大きな魅力です。

アメリカンフラワーに使う合成樹脂(ディップ液)は株式会社トウペ製のもので、トウペディップアート協会を設立し、アメリカンフラワー界を盛り立てています。

私は今でもF先生の下で様々な花の技術を学び続けています。日々、道端に咲いている花を気に掛けるようになりました。花屋さんを覗いては季節の花々を観察しています。花についての興味は尽きることなく、フラワーアレンジメントも習いました。生け花のこと結婚式のブーケの作法、パーティ会場のテーブルを飾る花のこと、花の美しさを引き出すリボンやラッピングペ―パーのこと・・・学ぶことは沢山ありました。

こうして私の作品も協会の展示会に出品するようになり、大作を手掛けるようになりました。協会の認定が下りて講師として教室が開けるようになりました。 私のお教室『ユリシスアメリカンフラワー教室』のお話は後ほど詳しくご紹介させていただきます。

トウペディップアート協会作品展用アレンジ

活発な女の子でした

私は埼玉県上尾で生まれ、千葉県の真砂で幼少期を過ごしました。保育園では、先生の代わりを務めるほど小さな子達の面倒をみるのが好きでした。女の子とはピンクレディーごっこをしたり、男の子とは砂場でダムつくり等をして遊びました。昼寝が大嫌いな活発な子でした。将来の夢は『保育園の先生』になることでした。

小学生時代は横浜市金沢区に・・・れんげ畑が近くにあって、習い事の『エレクトーン』等が無い日は、お友達と「基地ごっこ」をはじめ、戸外遊びをたくさんしていました。勉強は嫌いでは無かったけれど、音楽と体育が好きで、マーチングバンドではピアニカを吹いていました。本当は目立つ大太鼓やかっこいい小太鼓がやりたかったのですが、6年生でようやくテストに合格した楽器は中太鼓でした(笑) 学校から家までリコーダーを吹きながら帰ったりしていました(笑)

運動では小学6年生の時に市の水泳大会に自由形のリレーで出場したことが良い思い出となっています。

中学校時代も音楽と体育が好きでした。部活動はバレーボール部に入っていました。この頃にちょっと屁理屈をこねるようになりました。「日本人なのになぜ英語を勉強しなければいけないの?」「外国人は日本に来たら日本語を話せばいいじゃない」・・・と英語を毛嫌いしていました。「後悔は先に立たず」のことわざどおり、高校受験では苦労することになりましたが、塾の先生が諦めずに丁寧に教えてくれたおかげで希望していた神奈川県立の高校に進学できました。

子供に教えることが好き・・だけど

高校でも音楽と体育が好きなのは変わらず、体育委員になりました。高校からテニス部に入り、部活では練習に汗をながしつつ、親友5人と青春を謳歌しました。その後の進路は指定校推薦が受けられたので「玉川大学文学部芸術学科児童専修課程」(今はない)に進み幼い頃からの夢だった『保育園の先生』になることに決めました。

大学卒業後は世田谷区で保育士として6年間勤めました。1年目は1歳児のお世話をしました。受け持った乳児3人がいっぺんに泣き出して、なかなか泣き止まず、困ってしまったこともありました。家に仕事を持ち帰ることも多かったです。

結婚してからも数年間は共働きを続けました。保育の仕事は大好きでしたが、自分の子供の子育てがしたいと思っていました。家庭と保育の仕事の両立の難しさを感じ、保育園を辞め、両親の仕事を手伝うようになりました。

ユリシスの夢

ユリシスは、オーストラリアなどに生息する青色が鮮やかな蝶で、見たら幸福になれるという言い伝えがあります。美しいものに心震わせ感動を覚えることが、幸せの瞬間ということなのかもしれません。幸せな気持ちを贈るお手伝いをしたいと思い、ユリシスの名前を付けたネットショップ「ユリシスの夢」を立ち上げました。

「ユリシスの夢」では、着物の帯をリメイクした小物や、「ほっ」とするような温かみの ある手作りの商品をご紹介し販売していました。その関連で、手工芸品の物販展に参加したり、アートフェスタに出かけたりしていた時にそごうデパートの手工芸展でアメリカンフラワーと出合うことになりました。

今はこの「ユリシスの夢」のサイトを使ってアメリカンフラワーもご紹介・販売しています。また、横浜ハンドメイドマルシェやみなとみらいのクイーンモールマーケット等に出店しながら、ギフトにピッタリのお花や季節ごとのアレンジ等を販売したりしています。

2019.10クイーンモールマーケットに出店
たくさんのお客様にご来店頂きました。

アメリカンフラワー教室を身近なところで

私の作品もデパートの手工芸品展や、ビッグサイトのデザインフェスタ等に出店するようになり、お客様に買っていただけるようになって、アメリカンフラワーをもっと広めたいと思うようになりました。「ユリシスアメリカンフラワー教室」のサイトを作り、教室開催にも力を入れるようになりました。

保育園では子供に教えることが好きだったので、その経験を『教室』では生かすことができました。私の教室では樹脂の色は指定せず、好きな色を使って良いことにしています。樹脂の色を混ぜて使ってもかまいません。すると本当に十人十色の作品が生まれます。個性あふれる作品に仕上がるので、生徒さんの作品から学ぶことが多いです。

おかげさまで商店街のイベントや地区センターや施設などのイベントに呼ばれることも増えました。2~3人の集まりにも大きなカバンに色とりどりの樹脂を持って行きます。小さなお子さんから大人の方まで、花びら数枚の簡単なものから幾つかのお花を組み合わせて見栄えのするものまで作ることが出来るアメリカンフラワー。簡単なものなら数分で完成するので、イベント会場でのワークショップにも最適だと思います。

身近な場所でアメリカンフラワーを作りませんか? ご興味がおありになる方は是非お声を掛けてください。

アメリカンフラワー親子講習会
色とりどりのお花を作っています。

アメリカンフラワーで家族の絆?

娘たちが小さい時は夏休みの宿題にアメリカンフラワーを作らせていました。 子供の年齢に合わせて難易度をあげていくことができます。初めのうちは私が主導していたフラワー作りも子供たちが成長するにつれて、「転任する先生に花束を贈りたい」とか「結婚する先生にミニブーケをプレゼントしたい」とか自分たちから提案してくるようになりました。私は34歳から始めたのですが、子供の頃からフラワーに親しんでいる子供たちの成長が楽しみです。まだまだ私の方が上手ですけれどね(笑)

あなたにとっての横浜は?

私にとっての横浜は「いつでも居心地の良いところ」です。里山の自然も残っていますし、海のある景色は好きです。みなとみらい地区は新しい空気が感じられて魅力的です。都市であっても美しい自然がバランスよく残っていることが「心地よさ」になっているのだと思います。子供たちの世代に「居心地の良い横浜」を引き継いでいきたいと思います。

私にとっての横浜は「いつでも居心地の良いところ」です。

(文:高野慈子

 

7月 10 20

三か月ぶりの盆栽カフェ 60回を迎えました

by staff

 

コロナ禍で4月、5月をお休みしていた「盆栽カフェ」を3か月ぶりに6月21日(日)に開催しました。

ワークショップは屋外で、参加者はマスク着用で、ソーシャルディスタンスををとるようにして行いました。

ワークショップ風景 (撮影者 太田憲秀氏)

今回のワークショップは、「紅葉の葉刈り」でした。

葉刈りした紅葉 (撮影者 太田憲秀氏)

参加された方々は、開催が待ち遠しかったと一心不乱に、紅葉の葉っぱを切っておられました。

屋外で皆様と一緒に盆栽を作ると、巣ごもり生活から開放された気分になり心地よかったです。

参加者一同記念撮影 (撮影者 太田憲秀氏)

おかげさまで「盆栽カフェ」は、2020年6月で60回を迎えました。

横浜山手にある「此のみち」の大正時代の家屋の中で、素敵な日本庭園を眺めながら、お茶・お菓子と盆栽を楽しむスタイルが5年ほど続いています。

これもひとえに、石井造園社長の石井先生と「此のみち」の梅澤文子オーナーのおかげです。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

5年間の研鑽の成果を披露すべく、2020年10月には、各自が自分の盆栽を展示する「盆栽まつり」を行うことも決定しました。だだし、「盆栽まつり」に展示できる盆栽は、厳しい内部審査を経たものにするそうです。

劣等生の私は出品できる可能性が低いのですが・・・
今のところ、我が家で一番高価だと思われる「真柏」と「松ぼっくり盆栽」を出品しようと考えております。どうなることやら・・・乞うご期待でございます。

「盆栽カフェ」は毎月第三日曜日の14時から、横浜山手の「此のみち」で開催しております。初心者大歓迎です。
詳しくは下記をご覧くださいませ。
http://yokohama-now.jp/home/?p=12045

 

7月 10 20

ハチゴロウの鳥撮り日記 第15回「サシバの森/沖縄やんばる」

by staff

第15回 サシバの森/沖縄やんばる

前回に引き続き「南の島」からの鳥撮り日記です。例年ですと5月から6月にかけて、宮古島、石垣島、沖縄と星空と野鳥を撮りに出掛けているのですが、今年(2020年)はステイホームと自粛ムードの中、家で写真やブログを整理することにしました。

さて、今回の『サシバの森/沖縄やんばる』ですが、2019年の10月25日から31日までの7日間(実際は移動や観光を除いた5日間)の鳥撮りの思い出です。

沖縄県の北部は森が広がっているため「山原」とかいて「やんばる」と呼ばれています。野生動物の宝庫で、見たことはなくても「ヤンバルクイナ」の名前は絶滅危惧種の代表としてご存じの方も多いと思います。

鳥撮りの本命が「ノグチゲラ」、対抗が「アカヒゲ」、押さえに「サシバ」でしたが、ここでは押さえの「サシバ」をご紹介いたします。

サシバは寒露(2019年は10月8日)の時に渡ってきて、しばらく滞在した後、南へ渡っていくようです。渡りをするタカの仲間としては有名です。

10月30日は時期的には遅く、あまり期待できませんでした。一昨年サシバと出会った森では、鳴き声が聞こえていました。しかし、空にサシバが舞う姿を見ることはありませんでした。

午前8時30分、遠くの木の枝にサシバが止まっているのを見つけました。

しばらくして飛び出しました。さすがタカの仲間です。尾羽を広げたところは綺麗ですね。オスは全長が約47cm、メスの方が少し大きくて約51cm。翼を開いた時は約115cm。タカの仲間の中では中型です。

たまに空を舞っているようですが、数が少ないようで、寒露の時期に比べ、ほとんど見かけません。それでも、青空であれば、撮影する意欲がわくのですが、雲が出てきたので、空へカメラを向けることはせず、飛び出しを狙うことにしました。

午後0時10分、枯れた木の上で、サシバが「ピックイー」と鳴いています。そして、飛び出してくれたのですが、残念ながら後ろ向きでした。

翌31日、民宿をチェックアウトして再びサシバを撮りに行きました。

サシバが棲息している森です。サシバが飛来する最盛期の寒露の頃は、数十羽の群れで山の上を旋回していました。時々、カラスの鳴き声の合間に、サシバの鳴き声も聞こえてきます。手前に川が流れています。

昨日とまっていた木にこの日もとまって飛び出して行きました。カメラの位置の関係で、直ぐに木の陰に隠れてしまいました。よ~く見ると、とまっていた木の周りには、細かい木片が飛んでいます。タカの爪の鋭さが分かりますね。

カメラの位置を変えて再挑戦です。サシバがすぐに戻って来たので助かりました。
次の7コマはわずか0.7秒の間の出来事です。













2019年秋の『やんばる』での鳥撮りは、満足できるものではありませんでした。数年前まで、比較的簡単に観察できた、アカヒゲやノグチゲラがほとんど出てきてくれません。その他、メジロやカラ類も見ることは出来ず、ハブを退治する目的で連れて来られたマングースが増えており、ヘビを捕獲せず、希少な地域特有の小動物を絶滅危惧種に追いやるといったような、有害鳥獣の影響かとも思われます。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

7月 10 20

しあわせの「コツ」(第43回) 学びて思わざれば

by staff

第43回 学びて思わざれば

ハーバード大学の入り口

カルチャーcultureという単語はご存じのように「耕す」という意味ですが、「土を耕す」だけでなく、「脳みそを耕す」教養という意味でもあります。畑に深く鍬を入れて硬い土を掘り起こすように、頭の中に幾重にも交差する思考回路を作り上げ、柔軟で繊細な思考能力を養うーそれもまたcultureです。

今、日本のアグリカルチャー(農業)が危機に瀕しているのと同じくらい、日本のカルチャー(教養)も危機に瀕しています。これほど全国にカルチャースクールの類や進学塾がひしめく日本でカルチャーが危機に瀕しているのは、皮肉というほかはありませんが、一体なぜなのでしょう?

私は高校2年の時のエピソードを思い出します。

「一人でも勉強できるのに、なぜ大学に行く必要があるのですか?」

高校2年の秋、進学担当のT先生に質問しました。才気煥発の誉れ高いT先生は、「何当たり前のことを訊くのだ」と言わんばかりに即答しました。

「概念操作を学ぶためですよ。」

「概念操作?」
私のアタマは、フリーズしました。目を白黒させている私の方に向き直ってT先生はこう続けたのです。

「知識の習得だけだったら、独学でもできます。大事なのはその知識を組み合わせ、組み立てて自分の考えを創り出すことなんですよ。学問の方法というものは、独学ではなかなか身につくものではありません。やはり専門家について学ばないと。それを学びに行くために大学に行くのです。」

先生は、「概念操作」ができなければ、抽象度の高い論文を理解したり、自説を展開する論文をきちんと書くことはできない、あなたが本当に学問を志すなら、大学に行きなさい、と諭されました。

私はT先生の言葉に衝撃を受け、自分が学問を「知識の集積」としてしか見てなかったことが恥ずかしくなりました。T先生は獲得した知識を生かすには思考を組み立てる方法を知る必要がある、と教えてくれたのです。

最近の〇×式のテストでそうした思考能力がチェックできるのかどうかは、はなはだ疑問ですが、発達心理学的には成長期に物事をきちんと考える方法やロジックというものを学ばないと、成長後の学びが困難になるそうです。要するに「考える習慣」が身につかないまま大人になってしまうのです。

T先生は、そんな大人にならないように、私にアドバイスしてくれたのだと思います。

大学のゼミ風景

国立情報学研究所教授の新井紀子さんは、「AI vs 教科書が読めない子どもたち」(2019年ビジネス書大賞受賞)で、こんなことを書いています。

「基本の読みとか論理的推論ができない子は、いくら知識を教えても、それを整合的に使えるようにならない」のだそうです。

つまり、小さい時から考える習慣や論理的なものの見方を身に着けていないと、いくらたくさんの知識を教えても、それを駆使して物事を洞察したり推論することはできない脳になってしまうというのです。

     
  新井紀子さん   「AI vs 教科書が読めない子どもたち」  

仮にそのまま大人になるとどういうことが起こるか。まず、新しいことが受け入れられない。体系的で深い思考が面倒臭くなる。論理的思考が苦手なので、自分と異なった意見に出会っても、冷静に反論できずに、罵詈雑言を使って全否定するか、見当違いのところでマウンティングしようとする。始末が悪いことに、正論で論破されると逆上したりします。

最近のネットでの炎上風景や様々な投稿を見るにつけ、私は新井さんの説に同感せざるを得ません。落ち着いた論旨の展開より、相手を貶める文言の応酬は読むに堪えません。

特に今日のようにフェイクニュースやデマが横行する時代には、自分の思考法や独自の観点を持っていないと、情報の渦の中で翻弄され、真実にたどり着けないのです。

学びて思わざれば即ち罔(くら)し 思いて学ばざれば即ち危うし

「論語」にもあるように、知識ばかり学んでも思考しなければ学んだ知識を生かすことはできません。もちろん思考するばかりで知識を学ばなければ賢明な判断はできません。

孔子像

何事も「バランス感覚」が大事ですが、今は知識偏重の時代ですので、「考える」方に少しばかりシフトしていくぐらいがちょうど良いのではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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7月 10 20

2020年7月 三ツ池だより 「夏至を迎えて」

by staff
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学校が再開された。新中学生も新小学生も戸惑いと喜びのなかで新しい生活がはじまった。企業は様々だが、中途採用の社員を迎えて、新年度を迎えている。

 「重心」 けんじ
重心はどこにあるのか?
と問われたらどうする
  重心を考える場面が
  本当に少なくなってしまった
でも重力のある世界では
とても大切な概念だ
  歩ける
  これは何を意味する
競技の場ではどうなのだろう
重心をどのように理解していくのか

さて、今授業の形が変わろうとしている。講義方式からオンラインによる方式になって、覚えることより、自分で理解し構築していく方法に変わっていく。覚えることより考え方を構築していくものに重点がおかれようとしている。

 「新たな旅立ち」 けんじ
コロナのことで
世の中が全くかわろうとしている
変わらなければいけないのだ
  その中で変えてはいけないもの
  貨幣価値も計量制度なども
  生活の基本の基本として
学校も再開されている
中学入学した子も小学生になった子も
学校が再開された
  いつの時も新たな旅立ちがある
  それは希望であったり別れであったり
  そしてつながっていく
生きるということは
終りがくるというのでなく
いくつもの旅立ちだ

 「約束」 けんじ
約束って何
約束ってどうする
  守るべきことと
  まもらなくていいことも
そう決めるのでなく
自分との約束で決まっていく
  そこに他人が入り
  ほかに要望が入っていたり
悩みになってはいけない
己の芯からの要望でいこう
  やらなければいけないのではなく
  自然としていこう

誰が決めていくのか、そこが課題ではある。時の政府がしっかりと責任をもってすすめていくのだ。今の様々な課題は、予測しきれないほどの状況である。しっかりと責任を持って進めてほしいとこだ。現在責任をもって施行している方々が知恵を絞って決めていただきたいのだ。

 「国旗を掲げる」 けんじ
学校で国歌を歌わないんだって
そんなことがあっていいの
  決められたことであり
  日本を愛してるんだから
過去にあんなことがあったかって
だから何なのよ
  日本の国歌の素晴らしさを知ろうよ
  これこそが国歌なのだと

スポーツ界の世界選手権で優勝したのに国家を歌わない人がいると聞いた。考えられない。私は前回の東京オリンピックの時は神奈川の三ツ沢競技場で、国旗掲揚隊の一員として奉仕させていただいた。毎日参加国の国旗を掲揚させていただいた。御殿場でのボーイスカウトの第13回世界ジャンボリーでは、神奈川隊の国旗掲揚隊隊長として、高校生と共に奉仕させていただいた。期間中台風に襲われた。「隊長!あちこちで野営場が大変です。炊事係以外の隊員で野営場の通路の破損している所を補修にいきたい!」と班長達から声があがった。その日の国旗掲揚隊の行進は、大きく変更し、出来るだけの地域を行進してから、国旗掲揚をおこなった。

 「この暑さ」 けんじ
6月だというのに
東京は32℃までいったという
  埼玉では35℃になった所も
  あったというのだ
コロナウイルスのさわぎのなか
東京で10人までいったとおもったら急に250人
  この暑さに
  マスクがおいうちをかける
いつまで暑さは続くのか
これからが暑さ本番だというのに
  大自然に
  どう向かっていくのか

 「111」 けんじ
豊に生きるための本を読んでいた
ズボンのポケットに小銭が入っていた
1円1枚、10円1枚、100円1枚
  人はいつでもスタート
  どこに行こうが
  そこがスタート
想いをもってスタートする
1の次は2、2の次は3というように
通った道に思いをのせて
  マッカーサーが座右の銘とした
  サミエル・ウルマンの青春の詩にある
  “希望を失うときに人は老いる”
松原泰道さんはいう
プラスの3kという生き方を勧める
“感動・希望・工夫だ”という
  1円玉、10円玉、100円玉の実感
  いつも何かを学ぼうと言う気持
  何もかも当りまえだとおもわない気持ちを

生きているということは、ただ生きているのではなく、己の役割を演じていくこと、時代をのりこえていくこと。ただ生きているのではなく、命を繋げていくこと。子ども孫に伝えていくこと。その役割を意識していくこと。明日はただ来るのではない。確かな明日を意識していきたいものだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

7月 10 20

ゆるマナー講座(第57回) 「和和」と…。

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

コロナ禍で出された緊急事態宣言も解除され、自粛生活も少しずつ自衛へと変わりつつあります。ただ、今も医療従事者の方々や介護に携わる方々は緊張の中でコロナウイルスの脅威と戦っていらっしゃいます。心より敬意と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
今回は、そんな中で感じた医療や介護に携わる方々のチームワークについてです。

報連相がもたらす安心感

日本人にとってチームで協力して目標を達成することは、ビジネスの世界では日常の仕事のコミュニケーションです。もちろん医療現場でもチーム医療求められるようになって久しく、医師や看護師、スタッフの方々を含めて患者さんをチームで支えながら治療にあたっていらっしゃいます。
また介護施設には様々な形態がありますが、介護スタッフとともに医師や看護師が傍にいて見守っている施設などでは、介護スタッフ、医療チームとの密な連携が利用者の方やそのご家族の安心感に直結しています。
家族として当事者になるとその連携がよく見えるものです。
身内が介護施設にお世話になっていますが、今回のコロナ禍の影響で家族との面会は禁止されていますし、たとえ入院していても、ご家族も面会はできない状況です。利用者の方々や患者さんの命を守るための当然の対応です。

命を守るための当然の対応と理解していても、いつ会えるともわからない状況でお世話になっている家族のことがどれほど心配のことでしょうか。
そんな時、介護スタッフの方々、医療現場の方々の連携がしっかりしていて、それが家族に伝わるだけで安心感を覚えるものですね。
スタッフの方に話したことが、看護師さんや先生にもしっかり伝わっている…介護の現場での「報告・連絡・相談」のスムーズな連携、ビジネスライクに思われるかもしれませんが、命に係わる大切な連携です。そのチームワークは、家族が会えない分、利用者の方々を守るためのスムーズな対応へと繋がり、利用者だけでなく、利用者の家族にも安心感となり伝わってきます。
医療従事者や介護スタッフの方々は、当たり前のことをなさっているのでしょうが、不安な思いの家族にはスタッフのちょっとした言葉がけや行動にホッとし、信頼感も増すものです。
優しい眼差しと自信のある言葉掛け、痒いところに手が届く対応……多くのご高齢の方々に接しながら実践されるのは、どれだけ大変なことかと想像できます。
何もない平常時でさえ、緊張を強いられる現場で、今は何倍も神経を張り詰めていらっしゃるはずなのに、利用者の家族にも優しい応対をしてくださるスタッフの皆さんや看護師さん達に頭が下がる思いです。
プロ意識以上に人間としての“温かみ”を感じています。

「和和」とは?

「和」と言う言葉は、和やか、和(のどか)の他に、「にこ」とも読みます。和と和を重ねるとニコニコと読ませるそうです。ニコニコしている人の周りには、柔和で穏やかな空気が流れていて傍にいるとこちらまで穏やかな気持ちになりますね。
多くの人達が、医療と介護に携わる方々のプロとして自信に裏づけられた“笑顔”にどれほど励まされていることでしょう。家族を心配して張り詰めた空気をも和らげてくれています。
私達に日常が戻りつつあるのも、このような方々のお陰でもあります。
今だからこそ、私たち自身も心から「和和」とできる日々を過ごせるように、しっかり自衛を意識したいものです。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

7月 10 20

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第88回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第88回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

14世紀に欧州で大流行したペストは人口の3分の1が死亡。人口減少が封建社会変質の一つの要因に。 “新型コロナウイルス” も世界を大きく変えそう。14世紀のペストはルネサンスを準備。新型コロナウイルスも “21世紀ルネサンス” を準備することに。トラブル満載の現実は想像力を掻き立てる起爆剤。世界はフラットでなくデコボコ。未知のウイルスも含めて考えれば、今後100-200年はずっと人類に大きな影響を与えそう。これからは義務としての仕事でなく、喜んでやる仕事を見つけ出すことが必須のテーマ。ピカソは、自分がやりたいことを好きなようにやれる環境を自力で開拓。これぞ今後の生きる指針。世界は複雑性を増し、要因と結果の関係も一律的判断は不可能。人体も複雑システム。腹痛のツボの一つが背中、腰痛のツボの一つが腹。 “実数” から “複素数” の世界、猛進だけから逃散も織込む世界へ。梁塵秘抄では “吹く風に 消息をだに 托けばやと思えども よしなき野辺に 落ちもこそすれ” とあります。風の便りは確かな消息とはならないこと。 “試合前の独自の2時間体操はリベラルアーツ” とイチロー。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

創造的階級の台頭、とリチャード・フロリダ 仕事と人生に創造的に立ち向う
自らクリエイティブな場所に住みたいと思う人々が新しい社会をつくる時代へ
組織の都合で移住するのではなく 組織の側が働く人の暮らしたい地域に立地
仕事と文化をリンクさせる 新たな仕事文化の場を創造 ヒトには詩情も必要

テレワークの動きが表舞台に。仕事の成果が明確に問われることは不可避。テレワークこそ、目に見えてないことを見える形にするチャンス。 “価値観・アイデア” と “直感・適応力” が基本軸。仕事と人生に正面から立ち向かう人間の出番。創造的階級は、都市空間を選ぶ時代からネット・コミュニティ空間を選ぶ時代へ。底辺からひっくり返す “グレート・リセット” 。稼ぎだけでなく、才能や能力を鍛える環境の実現。都会も地方もなく、自分の意志で新たな空間を構築。 “内容を惜しんじゃダメ。今やれることを全部吐き出す。後になれば、また新しいアイデアが出てくる” と脚本家・橋田寿賀子。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

業績評価制度の狙いは 部門責任の遂行を促進、部門業績・全社業績の達成を図る
評価の基礎となる業績目標・評価尺度の設定を通じ各部門目標と責任範囲の明確化
成果をきちんと測定 腕力での繁栄はあり得ない、しっかりした道徳と文化が根底
憧れの明日はやがて平凡な今日に変り灰色をした昨日になっていく、と与謝野晶子

与謝野晶子が残した歌は約5万首。一方で12人の子だくさん。亭主の与謝野鉄幹の稼ぎが芳しくなく孤軍奮闘。くる仕事はすべて引き受けなければ家計が成り立たず、歌集の原稿料を前払いしてもらっていたとも。それでも鉄幹のいるパリへ。渡航資金はなくとも目的だけは明確。目的が明確であれば手段は知恵一つ。お金がなければつくるまで。この突破力が歌を創るパワーの源泉。欧州での4か月間、イギリス・ドイツなども訪問、体感をフル稼働させ人間世界・文明世界を吸収。エッセンスは、求めるべき第一の権利が教育の自由であること。 “想像力は人間の諸能力の女王” と詩人・ボードレール。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

マーケティングの権威フィリップ・コトラー 市場変革期の点検ポイントの具体策
市場の変化とは顧客の行動の変化 新価値をどこに見出すか、何を大切と考えるか
顧客が渋れば第二・第三の商品の検討 物流・顧客サービスの点でも見直しを図る
不要サービスを削る 今後どこと組むか・自社イメージを損ねている要因はなにか

フィリップ・コトラーといえば、世界を代表するマーケティングの権威。世界の俊英が米ノースウェスタン大学ケロッグ校へ殺到しました。市場変革期の点検ポイントは “新価値をどこに見出すか” “何を大切と考えるか” 。顧客が歓迎しないなら、第二・第三の商品の検討や物流・顧客サービスを見直すこと。マーケティングの4Pにpublic opinion(世論)・processes(プロセス)・physical evidence(物的証拠)などを加えたことでも有名。要は、顧客の自己実現を支援・促進するような商品やサービスを開発すること。 “何かがアルことよりも、何かがナイことに惹かれる” とプロデューサー・川村元気。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第88回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(九)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
7月 10 20

書評 「あなたに奇跡を起こす幸せのシグナル」 だいわ文庫 佳川奈未(著)

by staff
 
タイトル あなたに奇跡を起こす幸せのシグナル
文庫 192ページ
出版社 大和書房
ISBN-10 4479302816
ISBN-13 978-4479302810
発売日 2010/4/9
購入 あなたに奇跡を起こす幸せのシグナル

「バースデイ・プロミス」が本題のようなのです。「バースデイ・プロミス(誕生の約束)」を通じて、本望のしあわせをかなえていけたら、どんなにいいだろう、と語られます。

「生まれてきた意味と目的 バースデイ・プロミス をつかむ方法」のところで、すべての答えは初めから、あなたの心の中にある!忘れていただけでうしなったのでも、ないのでもないのです。「おもいだすだけで、あなたの中に蘇り、あなたに奇跡を起こす幸せのシグナルとして働き始めます!」すべての答えは、あなたの心の中にあります、と言われます。「それを思い出せないということはまずありません。なぜなら、心の中にそれが生れた時からちゃんとしまわれているからです。確実にそこにあるものだからです!」心の中に大きな宝物がある!心には偉大な力がある!心は宇宙の無限の宝庫とつながっている!ということを、自らの生き方の中で、いつしかわかっていたということが多くあるようです。

自分が生きていくうえで、これこそが私に生きる意味や目的をあたえてくれるものはどんなものなのでしょうか!

  • あなたは子供の頃から無意識にしている大好きなこと
  • このことなら、何時間でも、何日でも、夢中になっていられるという好きなこと
  • まえまえから、やりたいと思ってむずむずしていること
  • 今まさに、「やりたい」と思って興味を持っていること
  • 「この道に進みたい♪」と、胸を弾ませていること
  • 叶えたくてうずうずしている夢
  • どんな生活の都合や何らかの事情で、進路変更しても、“やはりこれを叶えたい!”と、心がずっと。しつこく、うるさく訴えかけてくる興味ある分野
  • お金うんぬんということでなく、何時間やっても、一生懸命になっても、しんどいと思わないし、それをしているだけで楽しい気持ちでいっぱいになってしかたないという根っから好きなこと。お金に関係なく夢中でいられること
  • それにかかわっていられるだけでとにかく幸せ♪というもの
  • 憧れの夢・どうしても成功したいこと・熱い願望そのもの

「バースディ・プロミス」は、好きなことや、楽しくてしょうがないことや、心が躍りだしてしょうがないことや、わくわくドキドキすることに直結しているようです。

ハイアーセルフの「思考ぐせ」を習慣にする、という項があります。自分の思いを良い方向にむけるだけですべてが良くなると言われます。「たとえば、自分の人生がうまくいっていない時に、他の人(特に自分と仲良しで実力的にも大差のない人)がうまくいっている人生を目のあたりにすると、人間というのは不思議な気落ちになるものです。」そんな時、「よかったね。おめでとう♪これからも応援するね♪」という善なる思いと、「この人だけうまくいっておもしろくない。そのうちダメになればいいんだ」などという、悪意のあるような思いの、相反する二つの気持ちが生じたりすることがあるもののようです。「この時ハイアーセルフ的な生き方を選んだり、ハイアーセルフ的考えがしっかり自分のなかに確立できている人は、自然と“よかったね、おめでとう♪という善なる思いの方でのみ、素直にいられるのです。」そうする方が自分の中にイヤな重たいものが何も発生せず。自分自身が軽やかに過ごせるということが分かってくるからです、と言われる。

「どんな人や、どんな状況や、どんな出来事が来ても、善なる方の自分で生きることをすれば、自分の中に発生するエネルギーや、他人や外界に発生するエネルギーが、良質で高い性質のものになっていくので、それだけで、勝手に良い人や良い出来事を惹きつけたり、恵まれるようになってくるのです。」ハイアーセルフで生きることを覚えた人は、良い現実にばかり出会うようになっていくので、善なる自分での生き方以外、考えられなくなるものです。

奇跡を呼びこむ「円滑現象」に乗れば、すべてがスムース!という項があります。「円滑現象」は、明るく前向きに、よろこんで、ただ楽しくわくわくする方へ素直に進み、心をオープンにし、他者とのかかわりにも思いやりを持ち、外からのサポートも受け入れる気持ちがある状態で、物事の成り行きに心配や曇りがなく、結果を信じているという状態(達成ビジョンが見えている状態の時)に起こるようになっているようです。「円滑現象にかかると、まず抱えていたすべての障害がみごとなくらい自然な流れの中で解決していくので、本当に驚いてしまいます。やろうとしていたことや手間がかかることや面倒なことが勝手に省かれることになったり、急に意外なところで問題が解決したり、時間的なことが絶妙なタイミングで整っていたり、逢う必要のある人にまさにピッタリな時に、必要な場面で必要なだけ逢え、お金の都合が予定していたことに合わせるかのように解決したりするものです。」

あなたの夢を今こそしっかり叶える秘訣、という項があります。「何か新しいことを始めようとしている人や、夢を見つけて動き出そうとする人に、茶々をいれたり、ネガティブな言葉を投げかけてくる人というのがいるものです。そういう人たちの言葉に落ち込んだり悩んだりすることもあるでしょうが、あなたが本当に自分の大切な夢を叶えたいというのなら、むやみに、他人の言葉や考えに、落ち込んだり、乱れたり、ぐらつくことは禁物です。」あなたは心の中心から発する自分の想いのままに進んでいくのがいいのです。あなたの人生はあなたのものなのですから、と言われます。やろうとしている世界を知らない人に限ってネガティブな空論を語るものだといわれます。「成功している人は、あなたに応援のメセージを贈ってくれるものです!うまくいく方法を伝えてくれるものです。」

あなたは必然的に花を咲かせるようになっている!という項があります。「人はだれでも、自分が恵まれていない環境やうまくいっていない何かを抱えていたり、幸せじゃない人生の中にいると、自分よりも何かと恵まれていて、なんでもうまくいっていて、キラキラ輝いている人を見れば、うらやましさやねたみや嫉妬ややるせないものやイライラを感じたりするものです。」今は幸せそうに見える人もあなたと同じ人間で、どこかで泣いたり、傷ついたり、辛さや痛みを抱えたり、苦しんだり、涙したりしていたのです。喜びだけを抱えて生きている人なんていないのだと言われます。この人生は、自分の心の内側にあるものが外側に反映されているにすぎないものなので、幸せになっているということは幸せになるという想いを心の中ではぐくんでいたからなれたわけなのですから。

あとがきで、「生まれてくれてありがとう♪」と宇宙はあなたを祝福している!と語られます。「毎日を生きる時間の中で、私が頻繁に思い出し、自分に告げている言葉があります。それは、“天は自ら助くる者を助く”という言葉です。この言葉は、“天は、他人に甘えて頼るばかりでなく、ひとりで懸命に努力する人、自分を助けるように生きる人を、よろこんで助けてくれ、幸せにしてくれる”というように私は解釈している言葉です。この言葉は、本当に力づよくて、口にするたびに生きる勇気がりんりんとわいてくるのです。」最後のところで語られます。「バースデイ・プロミス(誕生の約束)は、あなたがあなたらしく輝いて生きることに、最大にサポートできる大いなる宇宙の根源につながっています。小さくても、あの産道をひとり通って、ここにやってきた、自分の偉大な力を信じて、思い通りの人生を叶えていって欲しいです。あなただけの“バースデイ・プロミス(誕生の約束)=ミッション(生まれてきた意味と目的)のために!」

「バースデイ・プロミス」を見つけるパーソナル・チャートがついています。驚いてしまいました。生年月日から私は「あまり他人の意見を聞き入れず、自分の中で何でも決定する人。知性も自立心もあるので、それなりに物事を成り立たせていくタイプ。もの知りで科学的な判断力ももっている。」とでてきて、驚いています。

(文:横須賀 健治)

 

7月 10 20

田中健介の麺食力-それから- 第22回 「麺食力出版の経緯」

by staff

第22回 麺食力出版の経緯

2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、二回目の東京オリンピックがあろうことかコロナ渦により延期、政府からの緊急事態宣言も出て停滞し始めた2020年。出版丸10年となり、予定していたイベント企画もままならず、もうボヤくしかない企画の今回が第二十二回目でございます。

 

「麺食力」刊行10周年トークイベント開催未定のお知らせ

3月25日(水)に予定し、新型コロナウィルスの影響による政府方針や諸般の事情も踏まえ、延期となった本イベントは、無期限延期中です。緊急事態宣言も解除されましたので、今後の動向を見ながら、関係各位と話を進めていきたいと思います。
詳細が分かりましたら次号以降でお知らせ致します。

 

今回も取材へ赴くことは自重しておりますので、この「麺食力」出版までの経緯を詳しく綴りたいと思います。

本稿第一回「それから」 でも記述の通り、私は横浜地域SNS「ハマっち!」内で2007年より「ハマの麺食い男」と称しては横浜市内の麺料理をレポートするブログを書き続けておりました。
その中で知り合ったのが、山本力氏という初老(?)の人物。時々思い出したように連絡は取り合っている関係ではあるのですが、未だに年齢を知りません。私(今年四十四歳)よりもだいぶ先輩であることは間違いないです。

新聞記者などを経て、日経トレンディの副編集長などを務めるなど、さまざまな媒体を渡り歩いた編集のプロフェッショナルである山本氏。そういう世界を知らない素人の私のブログを日々絶賛してくれていました。

2010年の1月。山本氏から「私の後輩が書籍出版に携わっていて、面白い出版ネタを探している。私は田中さんのブログを薦めてみたので、田中さんに異存がなければ、お話しませんか」と、メールが届いたのです。
まあこのメールの一文だけではすんごく怪しいのですが、何度かお会いして山本氏が人を騙す様な人間性ではない、根拠はないけど信頼感を持っていましたので、お話くらいは聞いてみよう、ということになりました。

呼び出された場所は渋谷のセルリアンタワー東急ホテルのコーヒーラウンジ「かめりあ」(現在はガーデンキッチンとして業態変更)。一杯1,000円以上もするエスプレッソをいただきながら、山本氏と、山本氏の後輩にあたる書籍出版に携わる渡邉譲氏より私のブログを出版化したいという先方の意向を聞きました。

もともと知的財産領域の検定本の出版などを専門としていた会社で、そこに属す渡邉氏が一般書も出していきたいということで、私に白羽の矢が立ったのです。

あくまで商業出版としての話でしたので、私に金銭的なリスクはないわけです。
何か世に残しておきたい、と始めたブログが、紙の本で残していただけるわけですから、こんなに嬉しい話はないでしょう。「私で良いのであれば。」二つ返事で了承致しました。

それが3月下旬に出版したいという話へ展開します。
ここからが大変です。165回を数えた「ハマの麺食い男」のブログを書籍用に最適化する作業が始まると同時に、全165店舗へ掲載許可をもらうべく連絡を取ります。

書き溜めたものを本にする、となると楽に思うじゃないですか。
全く逆です。誤った情報もあったりするわけです。それらすべてを確認し、書き直すのです。

当時私は食品工場の工場長をしておりました。ちょうどこの「麺食力」校正作業と重なって、社内の別事業の催事が入り込み、早朝から深夜まで製造ラインをフル稼働するようになりました。人手は限られているので、私も製造ラインにどっぷり入り、発注作業もままならず、足りない材料の調達に追われたり、そんなてんやわんやで終えた一日の最後に編集作業に取り組みます。何度徹夜したことか。

2010年3月に刊行された著書「麺食力(めんくいりょく)」の表紙&裏表紙

そうしてオファーから1か月半という突貫作業で「麺食力」は刊行されたのでありました。

筆者紹介

 
本 名 田中 健介(たなか けんすけ)
略 歴 1976年9月生まれ。横浜市出身。横浜市在住。
武相高校、神奈川大学卒業。
自称エッセイスト、本業は福祉関係。
ベイスターズファン歴35年、CKBファン歴17年。
 
2009年9月、日本ナポリタン学会設立、会長となる。
http://naporitan.org
 
2010年3月、著書「麺食力-めんくいりょく-」(アップロード)刊行
https://amzn.to/2DGVqiU(Amazonへ短縮リンク)
 
2017年5月~ 連載「はま太郎」(星羊社)「田中健介のナポリタンボウ」
https://www.seiyosha.net/
 
連絡先:hamanomenkui@gmail.com

 

7月 10 20

チャレンジ(第23回) しあわせにゃんこプロジェクト

by staff

しあわせにゃんこプロジェクト

こんにちは。 C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。関東も梅雨入りして蒸し暑い日が続きますね。まだまだマスク着用が必須な世界ですが、マスクを着用していない場合と比べると、心拍数や呼吸数、血中二酸化炭素濃度、体感温度が上昇するなど、身体に負担がかかることがあるそうです。

厚生労働省の「新しい生活様式」における熱中症予防行動のポイント(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_coronanettyuu.html)では、熱中症を防ぐために「マスクを外しましょう」と記載されています。コロナウィルス感染も怖いですが、熱中症も危ないので皆様気を付けてお過ごしくださいね。

 ハートの循環、順調です!

3月から出展予定だったイベントが全て中止になってしまい、C.P.FACTORYの新商品のお披露目が出来なくなってしまいましたが、ねこのび屋さんと始めた「しあわせにゃんこプロジェクト」は大変順調に進んでいて、この度、はーと工房へ売上の10%を寄付していただきました。ありがとうございます!

ねこのび屋さんのブログより転写
http://mika-nekonobi.com/donationofproject2020/

そして更に、今回、横浜市内にある(株)高野商店様の商材を作らせていただきました。

木工マグネットとコースター、名刺、ショップカード

ラフ画像から提案させていただきました

猫が大好きな高野専務から「ねこのび屋さんにうちわを仰いでいる猫の画を描いて欲しい!」と依頼があり、ラフ画像を描いて提案させていただきました。

お気に入りの猫ちゃんが決定したあとは、ねこのび屋さんにデジタルデータに変換しやすいように本番を描いてもらい、私がレーザーカッター用にデジタルデータを書き出し、さらい工房さんへデータを送ります。

うちわの中の「高野商店」が可愛いです!

ここで一度サンプルを作ってもらい、高野専務に確認を取り、OKならば本作業へと進みます。
と、以外と手間と時間を掛けてじっくりと作業させて頂いています。今回は名刺とショップカードも担当させて頂きました。台紙は木工製品と相性の良い銀の紙を使い商品やカードが映えるように封入してあります。

ラフ画像からの提案なので製作期間は約2か月掛かりましたが、とても可愛く完成し、高野専務にも大変気に入ってもらえました。こちらは非売品ですので、欲しい方は(株)高野商店様までお問合せください。
(株)高野商店 https://coolstore.jp/

費用はサイズや内容によって異なります。興味のある方はお気軽にお問合せください。
https://cpfactory.jp/

しあわせにゃんこプロジェクトでは、新作も制作中です。皆様にもハートの循環が届きますように。

次回は「青い海からのインスピレーション」です 

(第23回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国イリノイ州立ネーパービルノース高等学校に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

7月 10 20

絵本から笑本へ(第49回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~大野 さと子さん~

by staff

連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期。

今期では、絵本作家 保科琢音がこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。

第4期4回目にご登場は…
タッチケア講師の大野さと子さん

0~3才の子ども達とお母さん達のための乳幼児教室
もやられていたり、タッチケア指導者の育成もされている方。

タッチケアは、赤ちゃんと親とが肌と肌とのふれあいを通して、
親子の絆を深めることが出来るというもの。
他にも、認知症等の高齢者に対してや、
障害児ケアとしても活用されています。

皮膚から直接伝わるタッチの感触や心地よさで、
心と体が癒されます。

さと子さんとの初めての出会いは、

企画されていた障害児とそのお母さん達へ向けた
タッチケア教室に、ぼく達家族が参加したのがきっかけ。

そのときに教えてくださったタッチケアは、
今もぼく達親子のスキンシップのひとつとなっています。

その企画では、さと子さんのお仲間のカメラマンさんもいらして、
家族写真も撮ってくださいました。
それもまた、とても素敵な思い出の写真となっています。

その後、ぼくの絵本作家としての活動に興味をもってくださった
さと子さんと一緒に、イベントを開催させて頂くことになりました。

絵本とタッチケアをかけ合わせたイベント。
イベント当日は100名近い赤ちゃんと子ども達、
お母さん達が集まってくださいました。

集まってくれたほとんどが、
以前にさと子さんのタッチケアイベントに参加されていた方々。
久しぶりに会った大きくなった子ども達と、
笑顔で再会していたのも印象的でしたね。

ぼくも絵本作家として活動するなかで、

子育て中の親御さん達とお話することも多いですし、
障害児や医療ケアが必要な子ども達と交流することもある。
高齢者の施設へ行くことも多いので、
そこで様々なお話を伺うこともあります。

スキンシップやコミュニケーションが大切。

当たり前だし、簡単に聞こえるけど、
安易に考えて、意外とおろそかになっていたりしませんか?

まだまだ意思の疎通が出来ない赤ちゃん。
ときに直接的な会話が難しい子ども達。
世代的、年齢的なギャップがある年上の方々。
…まぁ、あえてこうやって言うととても難しそうですけど(笑)

そこはやっぱり人間同士。
言葉だけじゃなく、身振り手振りだけじゃなく、
ただ、肌と肌がふれ合うだけで心が通うことがある。

そんなことを、
さと子さんは今日も誰かに伝えてくれているんじゃないかな。

今は、日本だけじゃなく世界中で

直接的な接触をさけている時期です。

リモートや通信なんかで、顔を見て会話出来る時代だけれど。
直接ふれ合うことはやっぱり出来ない。

この騒動が収まったときには、
人間は更に今まで以上に、
ふれ合うことを大切に感じるはず。

そのときは、大野さと子さんの出番です!!

大野 さと子さん
(乳幼児教室・乳幼児タッチケア講師)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「お友達とスポーツが大好きで元気な子でした。一方で大人とは話せない(怖い)という面もありました。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「夢は自分の部屋を持つこと。狭いお家だったので家の広告や、部屋のインテリア雑誌を買っては眺めていました。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「ママが育児について学び、ママとしての肯定感を高められる心支援プログラムをお届けできるようになりたいです!」

④ 『悩みはありますか?』
「読みたい本、学びたい内容がたくさんあるのに、すぐ睡魔に襲われてしまうこと。ベランダで読んだり立って読んだりしながらどうにか睡魔と戦っています。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「お教室の子どもたちやママの顏を思い浮かべながら、やりたいことを考えノートに書き出したり、仲間とそのことについて語る時間が楽しい。ママやお子さんの笑顔を想像できる時間は何より力が湧いてきます。」

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

絵本作家。紙芝居作家。
公立図書館に10年勤める。
2013年 絵本「あっかんべー」出版。
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所は計500ヵ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園にて口演。
横浜市神奈川区にて開放している、赤ちゃんとお母さんが集える広場「おかげさま亭」プロデューサー。
 
また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語イベントを開催。
横浜市内の小学校にて落語の授業を数多く担当。
2017年3月小学生60名が出演した「大黒寄席」プロデュース開催。
父親と子ども達による演芸クラブ「背中の集い」企画代表。
毎月定例の落語会として横浜市保土ヶ谷区の「しばた。寄席」。

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

7月 10 20

第88回 工房の風景

by staff

栗原正明建築設計室
栗原正明

工房の風景

新型コロナウィルスが問題になって家に居る事が多くなり、家の中の物が色々と気になり出した。居間で使っている椅子もその一つで、座面のペーパーコードが大分傷んでいたので張り替えて貰う事にした。その作業をする工房が近くの町田市に有る事が解ったので、そこへ自分で持ち込んで送料を節約しようと考えた。普段見る事が出来ない作業場所を見てみたいと言う気持ちも有った。

実際に行ってみると、思ったより遠くて時間が掛かったけれど、作業をしてくれるSさんは気さくな人で、色々と話しを聞けて楽しかった。またその工房が独特な場所で、放棄された鉄筋コンクリートの構造物を借り、自分で屋根や床、設備を付け加えたのだと言う。元々の構造物が持つ迫力と、加えられた設えの実用的な清々しさが重なって、暫く見入ってしまう程の魅力が有った。

その工房は作品では勿論ないし、土着的と言うのでもない。しかし確かな存在感と、そこに有る理由、意義を持っているように思われた。帰ってから自分の生活や仕事を振り返って、あまりにも小綺麗で薄っぺらい世界に慣れ切ってしまっているのではないか、と思ってしまった。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北川 裕記 北川裕記建築設計 一級建築士事務所
http://www.aalab.com/kitagawa/
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
http://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
岸本 和彦 acaa建築研究所
http://www.ac-aa.com/company/
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

7月 10 20

早苗ネネ 幸せな70代に突入

by staff

五月・水無月・文月。 初夏の風が吹き抜けてゆく早朝はいつも幸せな気分で目覚めます。

幸せと言う心の境地は、経済的な事柄や、現実的な事柄とも私の場合はあまり関係がなくてこの4か月間二件しか仕事がなく、給付金で何とか食べつないでいる状況なのに、この春からの日々は自粛と言う言葉とは裏腹に休暇を楽しんでいる優雅な精神状態で過ごす事が出来ました。毎日がワクワクと、豊かに過ぎて行く人生。何十年振りかしら!色鉛筆で絵を描いてみたり、毎朝瞑想のようなひと時の中で閃いてきた言葉や、詩を書き記してみたり、

ハンカチや洗濯物にゆっくりとアイロンをかけたり、質素で丁寧な日常を楽しんでいます。
こんな精神状態や生活環境はLONDONで始まった新婚時代の頃を彷彿とさせてくれます。
先月の15日に私は晴れて70歳になりました。

母親の胎内から地上に転がり出て、70年が経ったなんて、ちょっと感慨深い物があります。

世間では70歳と言うと老害の話がメインの様。物忘れや、気力の衰え、体力の老化で足腰が弱り骨もスカスカになってゆく。これらの症状を老いて衰退してゆくための状態と捉えるのが一般的です。老いには勝てないよ!と。集合意識が伝えてきます。若い時から希望がなければ生きて行けない!肉体だけでは生きて行けない!と。日記帳にも書いていた私の人生には希望が必要でした。これからも私の人生の糧は希望です。

明るい光に向かって歩いてゆく。自分の人生の目的がわからなくても、とにかく明るい気持ちが感じられる方向へ向かって日々を過ごす。そんな私が見つけた70歳からの希望的目標はちょっと大胆かも。

近い将来に来ると言われるアセンション(地球の次元上昇)へ向けて光の身体に変化しよう! 炭素ベースの身体からケイ素ベースの身体へ。今後人類の身体は徐々に変化してゆくと言うスピリチュアル界のVISIONを受けて自分の肉体でその移行を体験してみようと。世間一般的の通念では70歳の肉体的変化は老化現象です。が、現在私の身体の内側で生じている変化を老化とは取らずに光体(ライトボディ)へと向かうための変化。 と捉えてみる事に致しました。 人間の細胞は37兆2千億個。

私の肉体はこれから訪れるであろう新しい時代に向けて、細胞が生まれ変わっている感覚がありとても元気です。医者に行かない為に病気にもならず、薬を飲まない為に自己治癒力が常に発動される私の身体さん。体調が悪ければ横になり、2~3時間でも意識を失っていれば元気に回復してくれる素晴らしい肉体。いつもそんな自分の身体に感謝の思いを持ってきましたが、これからは思い切って今の気持ちをもう一つアップデイトさせてライトボディへの情報をダウンローディング。私の体内で感じる変化、例えば耳鳴りとか視界にふっと入ってくる生き物の動く気配。手足のしびれや足腰の違和感。すべてが新しい肉体細胞のための移行に伴う変化だと捉えてみる。そんな思っても見ない自分の内側からの目標を見つけられたのも、コロナの自粛規制のお陰、この4か月間にはとても感謝しています。

来月からは又和歌うたに戻ります。百人一首の歌人エピソードまだ2名の歌人が未稿です。
この和歌に伴う古代の情報調べ、これも又私の喜びで、本当に幸せな70代に突入だわ!

(早苗ネネ♪)

 

こころのワクチン「コロナの子守歌」

コロナの子守歌
 
コロナ ころころ コロナ みんなが怖がるコロナ 怖がらなくてもいいよ
あなたが悪いわけじゃない みんなの怖いに煽られて 怪物コロナになっちゃった
 
コロナ ころころ コロナ 怖がらなくてもいいよ 可愛いコロナ 優しいコロナ
みんなの怖いが張り付いて 身動き取れないコロナ ブルブル震えるコロナ
ごめんねコロナ 泣いてるコロナ あなたが悪い訳じゃない
 
私の愛でつつんであげる  私の愛で満たしてあげる
コロナ ころころ コロナ  安心コロナ 微笑むコロナ ゆっくりおやすみコロナ
 
心地良いのがコロナの子 惹かれるコロナ 楽しいコロナ 腑に落ちコロナ
ワクワクコロナ 喜びコロナ
 
コロナ ころころ コロナ
ありがとコロナ さよならコロナ 光の中におかえりコロナ
やすらかコロナ しあわせコロナ 光の中でおやすみコロナ

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 ヨコハマNOWオンラインショップ で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

7月 10 20

横浜初の相撲茶屋「立浪」のオーナー 長沼伸治さん

by staff
長沼 伸治さん
長沼 伸治さん
 
お名前 長沼 伸治(ながぬま しんじ)
お生まれ 1964年生まれ
ご出身 埼玉県加須市
お住まい 横浜市南区
趣味 カラオケ
立浪部屋の応援(立浪部屋横浜後援会 会長)
お仕事 株式会社長沼組 代表取締役
HP https://www.naganumagumi.co.jp/

 

どんな幼少時代でしたか?

埼玉県加須市で生まれ育ちました。生家は肉屋さんでしたら、時代の波におされて閉店しました。小さいころからやんちゃで「がき大将」でした。小学校の卒業論文では「パン屋になりたい」と書いていましたね。小さい時からリーダー的な存在で、中学校ではよくケンカもして、いわゆる「番長」でした。妻は中学校の2年後輩ですから、私のやんちゃぶりを知っている一人です。(笑)

横浜に出てきたのは?

30年以上前になりますね。埼玉から一旗揚げようと思って横浜に来ました。建設業に就職して、足場を組む仕事を始めました。結婚して子供ができた頃だったので、必死に働きました。2年後には親方として、複数の職人を連れて独立しました。「長沼組」の創業です。それまで給料制でしたが、出来高制になって責任もありましたし我ながらよく頑張ったと思います。

30歳を過ぎたころ、職人は100人を超えていました。それで、1997年に有限会社「長沼組」を設立して法人化しました。

工事現場の作業員が足りない時代でしたから、きちんと仕事をしていれば、特に営業をしなくても受注が増えていきました。仕事は信用が大事ですね。新聞の求人広告やタウン誌などで募集をかけて、職人が200人を超えました時もありました。「故郷に恩返し」をしたいと、埼玉県加須市にも営業拠点を作りましたし、東京にも何か所か営業所・支店を開設しました。

妻は創業当時から経理事務を担当してくれて、二人三脚でやってきました。2男1女に恵まれて、創業30年を超えた今、成人した3人の子供たちとその連れ合いたち全員が我が社で様々な業務を担当してくれています。子どもたちには、「好きなことをやるように・・」と言ってきたのですが、高校のときから作業員のアルバイトをするなど、自然に会社の仕事に携わるようになりました。

長沼組は順調に業績が拡大されたのですね?

おかげさまで建設業にとってはいい時代だったですね。それでも紆余曲折は何度もありました。2004年に発生した新潟中越地震で被害が甚大だった山古志村で復興作業に従事し、その後地元の建設会社を引き継ぎました。その結果大赤字を出したこともあります。でも周囲に助けられて何とかやってこれました。やはり一番の財産は「人」ですね。従業員たちと一致団結して、難しい仕事に取り組んできました。

いろいろなご縁で刑務所や少年院を出て、就職先がない人たちを引き受けることもあります。うちは宿舎があり食事も三食出すので、衣食住には困りません。仕事もたくさんあります。そういう人たちの面倒見る、世話をすることが、若いころから比較的自然にできていました。彼らが真面目に働いてくれているのを見ると、この仕事をやってきて良かったなと思います。

更生保護事業に携わっているということで表彰状も頂戴しています。周囲からは、「超がつくほど面倒見がいい・・・」と言われますが、そういう性分なのだと思いますね。

厚生事業関係者の表彰式

従業員の方々への福利厚生にも力を入れていらっしゃるとか・・・

伸和会という社員同士の親睦会では、毎年お花見や納涼大会、餅つき大会、バーベキューや小旅行など様々なイベントを実施しています。

北関東支店(加須市)には社内に居酒屋があって、社員たちの憩いの場になっています。また、栃木県那須に自社保養所「憩」を所有しています。納涼大会や餅つき大会は、日頃、お世話になっている地域の方々にも参加していただいています。会社の駐車場で開催する餅つき大会には、毎年立浪部屋の力士たちが参加して、盛り上げてくれています。

本業の他にもいろいろなことをされていますよね

社員のために始めた居酒屋を皮切りに、飲食業も横浜や埼玉で何店舗が手がけました。現在はやめていますが、娘が芸能活動をしていたので、2011年に芸能プロダクションを設立しました。その関係で芸能関係者との交流が始まりました。

埼玉県加須市にある関東三大不動の一つである「不動ヶ岡不動尊 總願寺」の節分会には知り合いの芸能人の方々に毎年ご登場いただいています。私のできる範囲で、地元への応援・恩返しは続けていきたいですね。

不動ヶ岡不動尊での節分会

長沼組恒例の餅つき大会

最近は「相撲」の普及にも尽力されているそうですね

数年前に、お世話になっている先輩に、立浪部屋の朝稽古に連れていかれたのがきっかけです。自分の子どもと同じような年頃の子たちが、一心不乱に稽古している姿を見て感動しました。「相撲」には日本の「武士道」精神が残っています。私も建設業という”縦社会”で生きてきたので惹かれるものがあったのだと思います。

厳しい規律の集団生活の中で頑張っている子どもたちを応援したいという気持ちで、立浪部屋横浜後援会を設立しました。

立浪部屋は1915年に設立された、歴史のある相撲部屋です。名横綱双葉山や横綱羽黒山や双羽黒などが輩出しています。現在の親方は7代目で元小結旭豊です。現在(2020年6月時点)は「明生」「豊昇龍」(朝青龍の甥)「天空海」の3人の関取がいます。

立浪部屋: https://www.tatsunami.jp/

立浪部屋横浜後援会では、部屋の見学や本場所の観戦などの活動を行っています。

立浪部屋に横浜後援会有志で訪問

立浪部屋横浜後援会で「相撲茶屋」を始めるそうですね

6月に、多くの方々に「相撲」に触れていただく機会を作ることを目的として、「相撲茶屋 立浪」をオープンすることになりました。立浪部屋直伝の「塩ちゃんこ」を出します。カラオケもありますよ。お店では、番付などを飾ったり「相撲」の動画を流したり、相撲グッズをたくさん用意して、「相撲」の雰囲気を味わってもらえるようにしていきます。

立浪部屋横浜後援会では、会員を募集していますので、「相撲」に関心のある方をお待ちしています。

相撲茶屋での長沼さん

長沼さんにとって横浜とは・・・

私にとって「横浜」は「あこがれの街」でした。
「横浜」で一旗あげようと思って出てきてから30有余年。
ここまでこれたのは、運に恵まれたことと人に恵まれたことです。

「横浜」はよそ者にも優しい街です。
頑張れば、やりたいことを実現させてくれる街だと思います。

友人たちが「横浜」に来るたびに「横浜はいいなあ・・」と言ってくれます。それが嬉しいですし、誇らしく思います。

子どもたちにとっては「横浜」は故郷ですから、私にとっても「第二の故郷」ですね。これからも「横浜」で、人のため地域のためになる企業活動と相撲を通して日本文化を伝承する活動を続けていきます。

<取材を終えて>

長沼さんは優しい表情で温和な話し方をなさる方ですが、建設業界で大勢の職人さんたちを統率してこられたリーダーとしての顔は、きっと厳しく激しいものがあるのだろうと思います。厳しく優しい長沼さんだからこそ、行き場のない大勢の方々に救いの手を差し延べてこられたのでしょう。今後は、相撲普及のためにも尽力していきたいという長沼さんの活動に注目していきたいですね。

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

7月 8 20

山下公園でポールウォーキング - 2020.8.2(日)

by staff

 

山下公園で一緒にポールウォーキングをしてみませんか

山下公園で「ポールウォーキング」を定期的に開催しています。

季節の風をあびて、みなとヨコハマの街並みをみながら
一緒にポールウォーキング楽しみましょう。

ポールウォーキングは、初めての方でもすぐできます。
ホールを使って歩くので全身運動になります。年齢に関係なくどなたでも気軽に始められます。
ポールも貸し出しますので、手ぶらでご参加いただけます。

山下公園内をウォーキング

開催概要

タイトル ポールウォーキング
日 時 2020年8月2日(日) 16時~
場 所 横浜山下公園 噴水前集合
参加費 1,000円(ポール持参の方)
※ポールをお持ちでない方には有料で貸出しをいたします。(初回 1,000円)
講 師 日本ポールウォーキング協会認定講師の大木美恵子先生(美容家)
大木美恵子先生のインタビュー記事はこちらをご覧ください。
準備するもの 特にありません。飲み物持参で歩きやすい格好でいらしてください。
お申込み 参加のお申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/11/

 

6月のポールウォーキングに参加した嘉門みどりさんのレポートです。

嘉門みどりさん

6月7日は、毎月、第一日曜日に参加しているポールウォーキングの日でした。午後4時に山下公園に集合して、美容家の大木先生に教えていただきながら、横浜の街をウォーキングします。私は、今年に入ってから、参加させていただいているのですが、毎月、すこしずつ日が伸びていくのを感じます。この日は、腕や首筋が日に焼けてしまうのが気になるほどの強い日差しの中、中華街から山下公園へと向かう道すがら街を行きかう人たちを眺めると、見慣れた景色だったはずなのに、懐かしいような気分になります。

集合場所となる山下公園は日本で最初に作られた臨海公園です。入り口に立つと眼前に海が見渡せ、その海を背景に、「水の守護神像」を囲むように噴水が上がり、その周囲にぐるりとある花壇にはピンクや白、紫の花が咲いています。噴水の両脇に設けられたパーゴラにはピンクや白のつるバラが絡まりながら、その中に設けられた白いベンチに休む人に心地よい日陰を投げかけ、パーゴラの向こう側の芝生には、持参したカラフルな小型のテントを張って過ごす人たち、凧上げをしたり、ボールを追いかけたりして走る子供たち、また「未来のバラ園」と名付けられたフランス式の庭園も6月1日から開放され、残念ながら庭園内のベンチには「使用禁止」と書かれた黄色いテープが張ってあるものの、園内には花の去り際、シーズンに間に合った色とりどりのバラの写真を撮りながら、散策する人たちがいました。海沿いの遊歩道を歩く人たち、海の側からは観光クルーズ船「シーバス」の出航のアナウンスが聞こえ、梅雨の前のひとときを過ごす、はじけるような雰囲気が溢れています。

未来のバラ園

時間になり、いつもの集合場所の噴水前で落ち合います。この日は初参加の方と、久しぶりの方と全員で5名です。まず、おまつり広場の方に移動し、先生の説明を聞いた後に、ポールを使って丁寧にストレッチをします。普段のオフィスワークで凝り固まった首や肩がほぐれていき、初参加の方が「気持ちが良い!」と隣で何度も言うのが聞こえてきて、こちらの心も体もほぐれていくようでした。どうしても、屋内で座った姿勢で過ごすことが多く、移動時も階段よりはエスカレーターを使ったりして、省エネモードで生活していると、こうして青空の下で体を動かす機会などはなかなかなく、一人では見ているだけで終わってしまうだろうと思うと、皆さんと一緒に運動ができるのは、とてもありがたいことです。

ポールを使って準備体操

さらに軽くスクワットをした後に、前回からの歩き方のおさらいです。ポールと一緒に歩くという基本を、体が忘れてしまっているようで、はじめはぎこちなく足を運んでしまいましたが、だんだんとリズムがでてきました。
実は私はスポーツが苦手なのですが、ポールウォーキングは気軽に始めることができます。そして今日もそうですが、ここで新しい出会いがあって、自分の知らないことがたくさんあることを改めて感じることができます。ポールウォーキングにしても、2006年に長野県から始まったと先生のお話の中にありましたが、それから14年経った今、ようやく私も縁あって始めたところなのですが、いつになっても遅いということはなく、思い立ったら、やってみればよいということなのかもしれません。
おしゃべりをしながらの楽しい体操も終わり、先生に教えていただきながら、ポールを使って歩く練習を始めます。ポールは軽く、カラフルでスマートです。グリップはしっかりとした作りで、グリップに付属したマジックテープを左右の手の甲の上で留めるようになっていて、握りしめなくても手にまるで鳥の足のようにすらっとしたポールが装着でき、そうすると、さあこれから始まるのだと気合いが入ります。右、左、右、左と足を運んでいきます。つい足元に視線を落としてしまいがちになるのですが、意識して顔を上げて、まっすぐ前に目を向けます。
ポールウォーキングは、ポールを突きながらリズミカルに歩くことで、ふだん気づかない背中のゆがみなどの体の癖が、ポールの補助によって、だんだんとまっすぐに体を伸ばして歩けるようになっていき、有酸素運動にもなるので、健康な体つくりに役立つということです。

ウォーキングの練習も終わり、この日は先生の提案で「石のステージ」を抜けて「水の階段」を上ります。ポールを使って階段を上る様子を後ろから見ていた先生から、「ポールは少し前の方へ二本一緒