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5月 10 23

2023年5月 三ツ池だより 「“いろは” があってよかった」

by staff
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日本人に生まれてよかった。日本語が使えてよかった。絆はつなぐこと。私たちは今つないでいくことの重要性に目を向けたい。出会ってよかった。表現できてよかった。ある時に「“いろは”があってよかったそのままでいいよ」を書き上げている。

絆を感じる四つの“いろは“は次のように始まっている。
い 命の伝承を孫にみる ありがとうがかえってくる
い いらないものを勇気をもって捨てる 新しいものが入ってくる
い 祈る お世話になった人を思い出す
い いっぱいの笑顔を! 今いきていることの幸せ

木と雲に囲まれて笑顔をつくる。新しい道はいままでの道のつづきなのだ。発見にも発明にも偶然はない。いままでの歩みからの必然なのだ。今に生きていること本当に感謝なのだ。

夢を実現するという項では次のような詩にしている。
 「夢を実現する」 けんじ
  夢を十書き出し
  妖精を取り出すように一つを取り出す
    一石を投じる種となるように
    国の何かの役に立つように
  美しく立ち向かうライオンのように
  二つとない発想に懸命に取り組む
    面倒がらずに磨きあげ
    燃えあがるように物語に仕上げる
  現実と理想を虹の懸け橋で結び
  好きこそものの上手たれとの思い
    困ったときは自然の中にいき
    輝くような希望の想いを胸に抱く
  ありがとう
  ありがとう

龍を探してという項ではつぎのような詩にしている。
ここでは小さいノートを使い始めて、十年で三百冊を超えたと書いている。
 「龍を探して」 けんじ
  本物になりたいと思っていて
  願いがかなうから探したいと思っていた
    空のきれいな地へいって
    毎日毎日空を眺めていた
  どうしても龍を見つけたいと思っていた
  沢山の人と一緒に旅に出ていた
    日本の大地に足を戻してみると
    龍が出たというニュースが飛び込んできたのさ
  野に咲く花は誰が見ていなくても咲いている
  厳しい鍛錬や何かをしようなどと思ってもいない
    そうだ龍はどこかへ探しにいくものでなく
    ここにいて、そこにいて見守ってくれているんだ
  何事も難題探ししているのは自分の心なのだ
  素晴らしくすがすがしい龍探しの旅はつづくのだ

悲しみをのりこえるの項では次のような詩にしている。
 「悲しみをのりこえる」 けんじ
  今咲いている路傍の草草に目をとめよう
  濡れたひとみをレンズにして見つめなおしてみよう
    手紙を読みかえし空を見上げてみるのさ
    流した涙は美しいものを見るためのレンズ
  歌ってみたり待ってみたり
  こころを磨いて震えるような感動のお手伝いをするのさ
    さりげなく忘れ失敗を恐れず進むのさ
    もう一人の当たり前の自分と未来に向かうのさ
  悲しみは心がそこにあらずと書く
  だから心に大事にしていた思いに戻ってみるのさ
    流した泪のレンズがくもらないように
    時にはいつもの常識から寄り道してみるのさ
  未来は今の続きさ
  今日そして今、新しい一歩を踏み出すのさ

幸せはやってくるの項では次のような詩にしている。
 「幸せがやってくる」 けんじ
  苦しいことがあっても笑っている
  悲しいことがあったから泪こぼしている
    鏡に向かって演技していて
    お前バカと言われそう
  窓を開けて新しい風を吸い
  野原に立って背伸びしてみる
    大丈夫だと言ってみて
    両手を広げて感じてみる
  言ってみるのさ
  話をしてみるのさ
    命ある今を大切にし
    近くにある命に触れてみる
  大地にだって触れてみるがいい
  寄せては返す波にも触れてみるがいい
    泪が幸せをもってくる
    辛さが幸せを背負ってくる

日々の生活を考えるの項では次のように記している。
 「景色をこころと眼で楽しむはじめに」 けんじ
  雪を踏みながら
  老いても青春ありと
  青春とは歩き続けること
  なにかの行動をしていること
    立ち止まって見える
    景色をただ眺めてみる
    見ることで発見があり
    なつかしさを感じることが出来る
  泣きたいほどのことも
  泣いてもいいよと
  素直になっていいよと
  心にしみる
    歩き続けていて
    前も後ろも見たいと思いながら
    日々に追われて
    古希という年の重なり
  雪を踏みながら
  人生は絆
  人生は伝承
  人生を踏みしめながら
    よい出会いありと
    よい一期一会にありがとう
    あるいて歩いて
    雪を踏みしめる

「思索の旅に出る」
し 知ることが大事 知らないふりをすることも大事
し 失敗を恐れず 乗り越える勇気をもつ
し 思索の旅にいでよ 思索の森にさまよえ
し 静かなること山のごとし 火のごとく猛ることも

時は移っていく。遠くの桜の樹を眺めていると枝の先が膨らみ始めている。そんな時に「夢を持たないと実現しないよ!あったらいいなとかできたらいいなでは絶対実現しないよ!これをやったらこうなる。それをやっていくと夢は実現する!」と声をかけられた。桜は咲くと思うから咲くのだそうだ。景色という文字が日の京と書く。書かれた色はなんだろうか。日の中に京を感じ色を感じる。静かな安堵感を感じている。

長い間のご愛読ありがとうございました。またお会いしましょう。お元気でお過ごしください。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

5月 10 23

ハチゴロウの鳥撮り日記 第32回「帷子川のかわせみ 最終回」

by staff

第32回 帷子川のかわせみ 最終回

とうとう最終回となりました。長らくのご愛読ありがとうございました。
『鳥撮り日記』では北海道から沖縄まで野鳥をご紹介して来ましたが最終回はお約束どおり、横浜市に戻ってきました。2023年4月14日、帷子川でカワセミの飛翔を連写撮影しました。

川岸の石の上にカワセミのオスがとまっていました。
対岸にはメスがいて、エサを運んでくるのを待っているようです。

 

 

オスはメスに向かって飛び出しました。シャッターを押すタイミングが遅れました・・・

 

 

 

電子シャッターで連写しているので、秒間約20コマです。トリミングして画角を徐々に狭くしているので、近づいているように見えますが、実際には真横に飛翔しています。川の真ん中を過ぎると、遠ざかっていきます。

 

飛び出すと1回羽ばたきをして、その後は羽ばたかず、滑空しています。嘴を見ていても分かり難いですが、川面に写った嘴を見ると、小さな黒っぽいエビを咥えていますね。

 

対岸で待っているメスに咥えていたエビをプレゼントしました。
この帷子川中流域では、数組のカワセミが営巣しているようです。

これで鳥撮り日記はおしまいですが、私のブログでは引き続き野鳥や星座など気の向くまま、足の向くまま
撮った写真をご紹介しております。ご興味の御有りになる方は是非ご覧ください。

<樋口幸春ブログ>

八五郎の思い出写真館
https://hachi1926.seesaa.net/

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
https://hachi1926.seesaa.net/

 

 

5月 10 23

チョークアートとわたし #12 自然食カフェ ラレンターレの看板

by staff

自然食カフェ ラレンターレの看板

ちょうど2年前の6月号から始まったこちらのコラムですが、とうとう今回で最後になります。毎月の投稿は厳しいだろうと思い、2ヶ月に一回のペースで続けてまいりましたが、正直2ヶ月もあっという間で……。毎回、締め切り直前になって焦りながら原稿を書き上げるという自分の悪い癖が出る始末。
とはいえ、こんな機会は滅多にないのでありがたく感じ、それなりに楽しみながら2年間続けてくることができました (^^)
そして最後となる今回はどのような内容にしようかとかなり迷ったのですが、こちらのコラム連載を始めるきっかけになった自然食カフェのラレンターレさんについて書くことにします。実はこちらのカフェ、我が家のすぐ近くにあるんですよ。

さて、そのきっかけとは……。

 

横浜駅西口から徒歩圏内にあるラレンターレがオープンして暫くすると、あのコロナという感染症が世界中に広まり始め猛威を振るうようになりました。それまで使用していたレッスン場所が閉じられることになってしまい、代わりの場所を探さなくてはならなくなりました。そんな中で、オープン当初から気になっていたこちらのカフェでレッスンできたら良いな~と淡い期待を持ち始め、ランチでお店に行った際にオーナー様に思い切って伺ってみました。レッスン後にランチする形式でお店をレッスン場所として使用させてもらえないかと。ダメ元でお聞きしてみたのですが、快諾してくださり、それからだいたい月一のペースでお借りしています。店内は明るく清潔で、レッスン後に頂くオーナー手作りのヴィ―ガンランチは毎回違う内容で大変美味しく生徒さんにとても好評です。

そのレッスン中に、たまたまお店にいらしていたのがwebサイト「ヨコハマNOW」の編集や取材をされている方々でした。その時にいろいろとお話させていただき、こちらに私のことを紹介してくださる事になり、そしてチョークアートに関するコラム連載も持たせて頂ける事になりました。

その後、ラレンターレのオーナー様からお店の看板のご依頼をいただき、オーナー様の愛犬アロハちゃんも描かせてもらいました。写真はその看板です。

ちなみに、八代亜紀さんのテレビ番組の取材場所もラレンターレさんにお願いしました。店内で八代亜紀さんが生歌を披露してくださったんですよ~♪

長くなりましたが、最後にお伝えしたいのは、チョークアートは私に様々な出会いを導き、そして繋いでくれたということです。もしもチョークアートをやっていなかったら…全く想像できません!
趣味で習っていた時に比べ、仕事としてやっていると楽しめない事も多いのですが、これまでの出会いや繋がりに感謝して、これからも続けていきたい思っています。

今まで、読んでくださりありがとうございました。

(衣山裕見子♪)

<関連記事>

自然食カフェ「ラレンターレ」オーナーシェフ 宮古里美さん
https://yokohama-now.jp/home/?p=20244

Yokohama is the foundation of my life
ナミナミチョークアートスタジオ主宰 衣山 裕見子さん
https://yokohama-now.jp/home/?p=20346

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

5月 10 23

ゆるマナー講座(第87回) ゆるマナーと平和

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

ヨコハマNOWのコラムに「ゆるマナー」を初めて載せていただいたのが2015年11月号。それから、二人で交互にボチボチという感じで書いてまいりました。深い話を盛り込めるわけでもありませんでしたのに、ここまで継続させていただき深く感謝しています。今回が最後になるのは残念でなりませんが・・・。

マナー講師を始めたけれど

2012年に二人で始めたマナー講師の仕事。元々が客室乗務員だったこともあり、マナーやホスピタリティには大いに興味がありました。接客だけでなく、人との関わりにおける態度やしぐさ、言葉遣い、食事のマナーなど、気になることが周りに溢れていました。ですから、人に伝えることで少しでも社会のプラスになればと考えていたのです。

ところが、企業や学校で限られた時間の中でお伝えできることは僅かです。特に求められるのはビジネスに関して、または就職活動に関連することがほとんど。もちろん、マナー全般に関する学びの場を提供してくださるところもあります。私たちはできる限りの情報を「マナーは形やルールも大切です。でもそれだけに捉われないように。相手を思いやる心があること、それが大切ですよ」という言葉と共に伝えてきました。そのような講義や授業で、何かしら学び取ってくださった方がいたと信じています。

でもどこか心の中で、「マナーって、いざという時のためのものではなくて、毎日の行動に伴うものなんだけどな」とも思っていたのです。

私たちが伝えたいことは?

「あなたたちが伝えたいマナーをまとめてみたら?」と言われ、本を書くことになりました。文章をまとめるなど初めてのこと。どうして良いかわかりません。
そこで、改めて私たちが気になることは何か? どのような場面が浮かぶか? と、ピックアップしていきました。
挙げてみたら、なんて身近なことばかり!
毎日の生活の中で起こること、家庭の中で、電車の中で、周りの人との関係の中で・・・そんなことばかりでした。

マナー講師をしているというと、「マナーって堅苦しくて難しいじゃない。必要になるようなところには行かないし」とやんわりと否定の言葉を口にされることもあります。
でも、私たちが伝えたいマナーは、実は日常生活の中にこそ必要なものなのです。そして、それは、チョー簡単なこと、なのです。

ゆるマナーと名付けました

「チョー簡単なマナーのことを、どう言ったらうまく伝わるかしら?」と話していたら、「ゆる~くても伝わってほしいんでしょ? じゃあ、ゆるマナーはどう?」という息子のひと言で、私たちが伝えたいマナーを「ゆるマナー」と名付けました。

そして出来上がった本が『ゆるマナー 始めましょ』。
ありふれた日常生活のシーンを取り上げています。お読みになって、「あら?こんなことでいいの?」「こんなことなら私もやってるわ」と思った方は、ゆるマナー上級者かもしれませんね。

日々の何気ない行為に、ほんの少し相手を思いやる気持ちを添える、それがゆるマナーです。
「お皿洗ってね!」を「悪いけど、お皿洗ってくれる?」に。
ご家族の中での会話にも、ほんのひと工夫してみてはいかがでしょうか。
ご近所の方に「おはようございます」とひと言。
ついでに、口角をあげてにっこり微笑んでみてはいかがでしょうか。
ゆるマナーとは、そういう風にほんのちょっとだけ気持ちをプラスすることです。

平和な世の中に

世界では国同士の戦争や、国内での内紛など、後を絶ちません。
さまざまな状況があるにせよ、戦いを始める判断を下すのは人間です。
日本でも、見知らぬ人を巻き添えにしたり、家族を殺したりする残忍な事件がニュースで流れることもしばしばです。

地球上に住む一人ひとりの人間が、ほんのちょっとの優しさを持ち寄ったら、世の中は変わっていかないでしょうか。

今日はなんだか気分がむしゃくしゃ?
ちょっと深呼吸してみましょうか。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

5月 10 23

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第122回 完)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第122回 完)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“立花隆” が2021年に80歳で亡くなりました。活動の拠点は有名な “ネコビル” で都内・文京区にありました。地上三階地下一階建の事務所兼書庫の自前ビル。もう30年以上前、毎年正月二日には家族と外で食事をして、近くの寺社で初詣に行くのが慣例。その年は護国寺へお詣りに。駅のコンコースで風呂敷包みを手にした男性と遭遇。ネコビルに向かう立花隆さんでした。休日は元旦のみで残り364日は仕事をするとの記事を読んだことがあり、この日は正月二日の仕事始め。 “生きるとは好奇心” とのナポレオン流。私も死語になった “乱読” の世代。2023年初頭に開催された文京区立図書館の “立花隆の書棚展” には真っ先に飛んで行きました。森羅万象を鷲掴みにする強固な意志と生きる知恵としての知識への渇望。20万冊ともいわれる蔵書。知の世界を共有、知の世界を一度分解して再構築する空間。AIと真正面から対峙する第六感・洞察力。“古風:万が一悪いことが起きたらどうするかという懸念を常に持つ” と民俗学者・柳田国男。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

モノを見るには距離感 日本文化は、柔弱で受け身・傍観者的
中国 ネットも値切りから始めるのが当然 文化の理解が前提
不自由だけど温かい社会から、自由だけど冷たい社会へシフト
辺境は文化の宝庫 複雑だと個別的ではない、とマクルーハン

複雑だとかえって個別的でなくなる恐れ。不自由だけど温かい社会から、自由だけど冷たい社会へ世界的にシフト。優先順位をつけず、すべてをきめ細かく念入りにとり込むのはグローバル時代には新たなリスクになる可能性。どんな仕事も瞬発力でなく持続力。スピードに拘泥しない。各自ならではのスピードが最後はモノをいうはず。最初の出だしがよくとも、持続せず故障・腐食することが世界のあちこちに。もっとゆうゆうと、気ままに。“会った人の目の一秒間の中に真実が出る” と歌舞伎役者・坂東玉三郎。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

有限性を自覚 運命・諦め・己の無力 無限のものを理解する
予測モデル 為替レートは現状と変わらないという予測に劣る
苦労が志を固める 人件費の固定費化を避けると現場が弱体化
組織に縋る閉塞感 自ら量らないものに重さはない、とゲーテ

有限性を自覚しながらも無限を追求する意志。自ら量らないものに重さはない、とゲーテ。数十年前、フランクフルト出張の際、ゲーテが生まれ育ったゲーテハウスへ。ゲーテはよく読みましたが、ドイツで並び称されるシラーも大好き。ベートーベンの第九の詩がシラー作だったことには驚き。シラーで一番好きなのは18歳の処女作 “群盗” 。徹夜で一気に読了し、すぐ寝る気になれず、明け方の外へ出て空を見上げて深呼吸しました。“この世には、勝利よりも勝ち誇るに値する敗北がある” と哲学者・モンテニュー。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

生き方なんて上手くならなくていい あまりに器用な生き方を求めすぎる
確かに、戦いは勝つためのもの やる以上は、情け容赦なくやるしかない
科学的発見の九五% わずか五%の優れた科学者から発見される、という
一つの分野を通じて理論を体得 だからこそ、あらゆる領域の理論に通底

リベラルアーツは自由を求める人間のもの。生き方なんて上手くならなくていいはず。自由な人間になるための学びこそが肝心。メンタルが強くないとリスクに向き合うことができないもの。柳のようなしなやかさと内発の強靭さが命。周囲が強気の中で弱気を吐く勇気をもつ。その中でAIと真正面から対峙。“What” 更には “Why” “How” への誠実・情緒・無欲。いつかは役立つもの、更に眼に見えないところですでに役立っているものを尊重。“執拗な努力よ、宿命の努力よ” とレオナルド・ダ・ヴィンチ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(完)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

5月 10 23

風景で読み解く横濱 (第十三話)港の風景

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第十三話 港の風景

今回で最終話となります。
これまで戦前の風景を紹介してきましたが、
戦前の横濱絵葉書の代表格「港の風景」を紹介しましょう。

港の風景を紹介した絵葉書は数多く発行されました。
手元にある様々な港の風景絵葉書の中から選ぶのは難しい作業ですが、「鉄桟橋」の風景を紹介しましょう。
1894年(明治27年)に完成したのが「鉄桟橋」でした。開港から35年近くの時間が流れようやく大型船の係留が可能になりました。現在は横浜港 大さん橋 国際客船ターミナル「大さん橋」が正式名称ですが、「税関桟橋」「横浜桟橋」「山下町桟橋」「サウスピア」と呼ばれていたこともあります。

ここに写し出されている桟橋景は、多くの鉄桟橋絵葉書とは一味異なり、手前に写し出されている建物が立ち並ぶ「象の鼻」桟橋の方が威風を放っているようにも見えます。
「象の鼻」とは、開港期に時の幕府が作った簡易桟橋では全く役に立たなかったものを英国の技師がとりあえず波を止めるために突先を象の鼻のように曲げ改造したことからこう呼ばれるようになった名残で、<何故か>撤去されること無く現在まで残されています。

税関桟橋には両側に大型客船が並ぶ姿が美しいものです。
この大さん橋が完成した頃にはすでに大型船の係留できる<ふ頭不足>が課題となっていて、すぐに新港ふ頭の建設に着手します。

幸運にも米国から幕府時代に支払った賠償金の還付があり、その資金を活用して完成したのが「新港ふ頭」でした。

横浜港は大さん橋に続いて、新港ふ頭を整備したことで国際港としての機能を維持することができました。

桟橋が見える海岸通りは、ホテルが建ち並び、人々の憩いの場所に変身していきます。横浜を襲った関東大震災後には、この機会に臨海公園を整備した「山下公園」は現在まで港湾都市横浜を最も感じる事ができる空間となっています。

戦後まもなく80年を迎え、関内も大きく変貌しつつある中、
戦前時代の横浜港の雰囲気を残す、海岸通り。
大切にしていきたいものです。
最終話 了

※ここに紹介した絵葉書・地図は個人蔵を使用したものです。(一部加工) 転用等はご遠慮ください。

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

5月 10 23

第120回 AA studio プロデュースによる:光のいきわたる平屋/峰岡町の住宅

by staff

荻津郁夫建築設計事務所
荻津郁夫

13年間にわたるヨコハマNOWの活動が休止になるとのこと、大変残念ですがお疲れさまでした。そしてありがとうございます。
おかげさまでAA studioのメンバーによる「横浜カルチャー≫新しい建築とのかかわり方」の連載も、2012年6月の第26号から今回で120回目を迎えることができました。メンバーが交代で執筆するというAA studioの活動の重要な一環になっており、今後もAA studioのHPで続けていくこととしましたので引き続きよろしくお願いします。
またヨコハマNOWに関わることで様々な出会いに恵まれたことに感謝します。

今回はAA studio のプロデュースの流れを最新のプロジェクトを例にご紹介します。

2021年1月下旬に「建築家ナビゲートサービス」(*)を利用したいというご連絡をいただき、AA studioの建築家のひとりである青木さんのコーディネートのもと、敷地に比較的近い4名の「建築家との面談」を希望され3月初旬に面談が行われました。その後3名の「建築家に提案依頼」があり、4月上旬プレゼン、4月下旬に私が設計依頼をいただいた事例です。

(*) 「建築家ナビゲートサービス」:建築家が中立の立場で建築家を紹介するサービス。
→ 申込・ご相談・建築家の紹介など / 申込料 =1万円
→ 建築家との面談(3名程度)= 無料
→ 建築家からの提案 = 5万円/1提案

提案依頼をいただくと同時に敷地を何度も訪れ、仮造成中の地形から完成時の眺望や日当たり周辺建物との関係を想像しながらいくつもの案をスタディしました。1段高い敷地への車のアクセス、高齢者に優しい平屋での構成、奥まで日の入る屋根の形、南側の公園に開けた眺望の確保、など条件の優先順位を変えながら10案以上を事務所内で議論し、南側が高い片流れの屋根が何枚か折れ重なり、その隙間に採光窓を設ける案をプレゼンすることにしました。

   スタディ中のさまざまな模型         プレゼンテーション案模型

平屋の奥の部分にまで南からの自然光が届く構成とした私たちの提案が採用され、2021年5月に設計契約を締結し本格的に設計を始めることになりました。もともとは2段になった土地に2軒の住宅が建っていた敷地をかさ上げする工事(その造成設計・施工は別途に進められていました)を見守りながら、詳細な要望を組み入れた形に調整し、2022年7月に実施設計を完了し施工業者3社に見積を依頼し、11月に着工、現在内装仕上工事の最中です。外構工事を含めて2023年7月には完成の予定です。
竣工の姿はAA studio のHPにも掲載する予定ですので是非ご覧ください。

実施案模型

上棟時の外観と軸組模型

内装仕上中(現在の様子)

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

5月 10 23

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #29(final or continued)

by staff

銀河人類の誕生

この号でヨコハマNOWが最終号だと知って、時代が本当に動いてきているのをひしひしと感じます。
今年になってから一挙にワクチンの弊害が語られるようになり、WHOがワクチン接種をこれ以上推進しないとの発表など 今まで陰謀論と蔑視されていた話題が信ぴょう性をおびてきて、私達は何を信じればよいのか、目には見えない乱気流に不安感をあおられて日増しに危機感が募ってくる。私の日常にもそんな未知への不安がジワっと押し寄せてきています。
コロナに関して初めから蚊帳の外で生きてきた私ですので、この3年間のパンデミックをまるで映画の中のシーンの様に眺めていたつもりですが、日常の中で、亡くなられた方や原因不明の呼吸器困難やしゃっくりが止まらない、突然の心臓の動悸に見舞われるなどの話を身近で聞くと、周りから嫌がられてもめげずに、ワクチンも、マイナンバーカードも任意です。と警告を発していれば良かったと勇気の無さを後悔しています。
でもこの変化の波はもう止まりません。

宇宙的な転換期の真っただ中に私たちは生きています。これから十年から二十年かけて地球人類が新しい価値観のもとで生まれ変わって進化と言うプロセスを体験してゆく。
この流れは通り抜ける以外にない通過儀礼です。その中であたらしい価地感に適応できない種は淘汰されて行きます。
具体的に言えば、長い間私達人類が歩んできた、今までの限定観念の崩壊、それに伴う自分たちの肉体的なDNAの変容。
現在人類は 自分達の肉体を自分自身で健康に保てない時に病気になります。外側の物質、薬や器具などに頼って肉体を維持してゆく今までの物質的、唯物的、価値観から 自分の肉体は自分で調整してゆく、自分たちの思考で肉体の内側のスペックを高める事の重要性に気が付く霊的、唯心的 価値観への転換でもあります。

人類のDNAは二重螺旋だと言われていますが、高次元から見ると本当は多重螺旋でありそのほかの螺旋がまだ開発されていないという説や、人類の頭脳は10%しか使われていないというアインシュタインの説など、まだまだ未知の部分が多い脳や臓器のシステム。自分たちの内側にある肉体的機能を自分自身で理解して思考や瞑想によってそれら内側の性能を高めてゆく。現在は自己治癒力と呼ばれていますが、自分で自分の細胞と対話してゆく、自分のミトコンドリアと良好な関係を保つ。自分がまとっている肉体のあるじとしてそれが最低限の責任となります。
そんな開発発展の上に展開される宇宙文明への進化が始まっています。その移行に伴う古いシステムの崩壊が現在進行中の混乱だと、認識しています。
私達が住んでいる3次元世界ですが、その物質世界の元には人類の集合無意識が関与しています。今まで宇宙中に垂れ流していた一人一人の無意識領域に、個人個人が注意を向けてその内側のスペックを意識的に、瞑想や、視覚化によって整えて、高めて変容させて行く。その事によって 次々と卒業試験の様に送られてくる感染症のコロナや新たな恐怖パンデミックに翻弄されないで自分の内側で対処できる人達が増えてゆく事が求められています。

このことは巷でいわれているDSとか、闇の支配者とか、搾取する人達がいるとか、それら外側に自分の敵がいて自分を支配する!という被害者的幻想をまず打ち破る事から始まります。
私達人類は だいぶ長い間 弱い生き物だと刷り込まれてきました。小学校の歴史の授業でも、弱い生き物だけど考えることが出来て皆で協力し合って自分たちより強い生き物を打ち負かして生きてきたのが人類だと教わった記憶があります。
人間は、自分達が肉体的には弱い生き物だという思い込みを共通概念として生きてきて、本当に弱い生き物としての人生を今でも体験している人類。物質次元で肉体を維持するには医療を発達させて、薬で治す。手術で直す。と言う学びを繰り返して、ここまで来ました。そしてそれでは永遠に、新しい顔をした同じ脅威が生まれてくることに気が付いた人類です。私達が恐怖心や自分だけが良ければと言ったエゴ意識から作り上げてきた物質文明の集合意識。
これらのシステム、網のように張り巡らされた固定観念、限定観念から外れないと、いつまでたっても外側に見える幻想に振り回されて、同じことの繰り返し。
この世界観では、真実の解決法がないことに気が付いてきた人類。

いま、世界観を変える時が来ています。
どうやって?
80億のヤオヨロズの神として、私達一人一人の想像力を使ってです。

お茶の子さいさいで現実を作り上げることが出来る程、私達はパワフルな無意識層を持っています。このパラドックスに気が付いたら 笑いがこみあげてきませんか?
もう遊びながら何世紀も目隠しをして、奴隷的人類の面白体験を生きてきたけど、さあ! 時間切れです。そろそろ本質の生命体に戻る準備を始めませんか?

サムシンググレートの一片として個人個人が目覚めて新しい銀河人類の一員として生きてゆく時代です。無意識層に閉じこめていた能力を解放しましょう。
これからは本当に新しい世界観が必要です。それを作ってゆくのは私たち一人一人の覚醒にかかっています。最後までつたない私の文章を読んでいただきありがとうございました。
愛と感謝をこめて、早苗ネネ 拝

(早苗ネネ♪)

参考文献。 心の力の秘密~R,Eデービス 生命の実相~谷口雅春 バシャール~ダリルアンカ プレアデスかく語りき~B,マーシニアック 日月神事~岡本天明 魂の体外旅行~ロバートモンロー 光ある愛の星にアセンション他~アマーリエ さあ起きて目覚まし時計が鳴ってるよ他~並木良和 宇宙感覚で生きる~サアラ 波動の法則~安達育郎 アウトオン ナリム~シャリマックレーン 存在の詩~和尚 オープンツーチャンネル~サネヤロウマン あるヨギの自叙伝~パラマンサヨガナンダ  神との対話~N,D,ウオルッシュ etc

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

5月 10 23

横浜この人、最終号に寄せて。高野慈子さん

by staff

あれは2010年の春のことでした。横浜乾物株式会社取締役会長の斉藤秋造さん※注1 のご自宅で「観桜会」が開かれ、同席した株式会社ともクリエーション代表取締役渡邊桃伯子さんから「ヨコハマNOW」の話を聴いたのが。。。
その頃、私は中小企業家同友会の広報の副委員長をしており、広報誌では紹介しきれない同友会員の人となりや活動をSNSやその他のツールを使ってどう発信したら良いのか悩んでおりました。

「横浜の人を取り上げるメディアがあっていいよね」と、NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ代表理事で「ヨコハマ経済新聞」編集長でもある杉浦裕樹さん、WEBデザイナーの 辰巳 隆昭さん、そして渡邊さんが構想を練り、横浜の経済界に強い人脈がある斉藤秋造さん、かんきょうデザインプロジェクト代表武松昭男さんらのお力を借り、横浜のWEB情報誌「ヨコハマNOW」を立ち上げる準備を整えたところだということでした。

詳しく話を聴くと、「ヨコハマNOW」の2つのコラム、「横浜この人」と「横浜趣味人」があり、横浜で活躍されている方々を取材し、WEB媒体で紹介していくということ・・・私は、正に私が悩んでいるところの解決に繋がると思いました。

その後、ヨコハマNOWの編集長になった辰巳隆昭さんと渡邊さんと3人で会う機会が持たれ、京ことばで横浜を熱く語る辰巳さんが「京名物」といって「京都ブランド」に甘え長年の歴史にピリオドを打つ企業(店)の例を挙げ、横浜ブランドにしがみつくのではなく「新しい横浜ブランド」を創りだす気骨のある会社、店、人を応援したいと目を輝かせて話す様子に感動を覚えヨコハマNOWの仲間入りをすることに決めました。

私が「この人」の取材を始めたのは2010年12月でした。記事は翌2011年の1月号に載りました。忘れもしない私の第一号はベトナム民族楽器「トルン」奏者の小栗久美子さんの記事で「竹琴に魅せられたかぐや姫」でした。既にこの時、ヨコハマNOWは第9回を重ねておりました。そして今、第157回号がリリースされました。

「取材」することで、業種が違ったり生活する場が違い「会うことはない」と思われる方々との出会いがありました。その方々の人となりを知り「この方々の素晴らしい魅力を私の拙い文章でどうお伝えできるのか」と悩みました。推敲を重ね、添削された文章を繰り返し読み、満足できるものが書けた時は本当に安堵感を覚えました。

今こうして、ヨコハマNOWの購読者のみなさま、取材をお願いしたみなさま、ヨコハマNOWの関係者の方々に感謝の気持ちをお伝えできる機会が持てて嬉しいです。
「いろいろと勉強になりました有難うございました。そして、長らくのご愛読に感謝申し上げます。」

私にとっての横浜は「私のいばしょ!!」 高野慈子

 

(文:高野慈子

注)1 敬称は「さん」で統一します。 ヨコハマNOWの関係者もボランティアの同志である由「さん」を使いました。

 

 

4月 10 23

2023年4月 三ツ池だより 「私は今ここにいる」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

2019年4月に「私は今ここにいる」という小冊子の原稿を書き上げていた。その年の12月にアフガニスタン・ジャララバードで中村哲さんは、凶弾に撃たれる。「ペシャワールにて」でこう書かれている。「ペシャワールについて語ることは、人間の世界について総てを語ることであるといっても誇張ではない。貧困、富の格差、政治の不安定、宗教対立、麻薬、戦争、難民、近代化による伝統社会の破壊、およそ全ゆる発展途上国の抱える悩みが集中しているからである。」

「私は今ここにいる」の中での「夢あるものは希望があるいろは」のなかで次のように書いている。
花が咲いているのを見たら眺めるのがいい。花だって見てもらいたいと思っているのではないだろうか。見てもらえなくても気づいてほしいと思っているのではないだろうか。
夢に遠慮はいらない。夢は黙っていて実るものではない。微笑みながら夢の実現にとりくんでいく。夢に希望を載せていく。今日もありがとう。明日もいい日になりますね!

「希望あるものは目標があるいろは」のなかでは次のように書いている。
縁と言う字を取り上げる。縁とはしみ出すことという。湧き水がしみ出てくるような、細い糸のように滲みだして、糸となり置物になるような。縁を感じてそこから、大切な美しいものを見てみたい。食べることは他の命を奪うこと、食べること食べさせていただいていることの感謝を自覚したい。

「目標あるものは計画あるいろは」からは可能性を信じてとして俳句にしている。
        歩を運ぶ
         その一歩から
          霧生まる    詢

「計画があるものは行動があるいろは」からは“何事も自分磨き”をとりだした。
50年前に研究職を求めて大手の会社を受験した。見事採用してもらえなかった。丁度定年後創業した親父の数人の会社に入社を決めた。先日入社試験に落ちた会社の若い所長さんと話す機会があった。“入社しなくてよかったのではないですか。入社していたら今の環境はないと思いますよ!”とコメントされた。

「行動あるものは実績があるいろは」では、さだまさし著“風に立つライオン”の一部を紹介している。“夕刻になって思いがけない、脚があった子どもばかり数人の怪我人が、国境辺りからトラックの荷台に乗せられて搬送されてきたのだった。少年たちはみな地雷によって足を損傷していた。しかもほとんどの少年がどちらかの片足をうしなうほどの大けがをしている。私のようにあそこに長くいると、傷を見ただけで、紛争地帯で一体何が行われているのか、想像することができた。その少年たちは無情にも実験動物のように、兵士たちの前を歩かされたに違いない。”

「実績あるものは反省があるいろは」からは“えい!と思いきる”として俳句にしている。
       あることも
        ないことも南無
         桜咲く      詢

「反省あるものは進歩があるいろは」からは“あせらない”という詩を書いている。
      空      空        空
      美しい空   さわやかな空   さわやかな雲
      語りかける  うたいあげる   たなびきかよう
      この雲と共に この空と共に   この空と共に
      夢を運ぼう  言葉を叫ぼう   行くんだ希望のあしたへ   詢

「進歩あるものは夢があるいろは」からは“望んだ道に行こうよ“と叫んでいる。
       苦労してみると
        それが力になっている
         創意工夫していると
          新しい道を切り開いて
           いることになる     詢

これからの時代は価値観が変わるほどの変化の時代になる。進化を問うだけではいけない。生きがいのある共存のために日本が変わることが求められている。
中村悟さんが撃たれ倒れてから4年になる。そしてこのyokohama nowに投稿して12年が経過した。大変勉強をさせていただいた。若い世代が声を出せるような世の中になることを祈らずにはいられない。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

4月 10 23

ゆるマナー講座(第86回) 新社会人に必要なマナー

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

新社会人になって

コロナ禍もようやく落ち着き、企業や学校でもコロナ前の状態に戻ってきました。これまで控えていた社員研修なども増えてきたようです。
この春、新社会人になる皆さんはオンライン授業での学生生活を送られて、ようやく対面でのコミュニケーションができるようになり、不安がありながらも期待に胸を膨らませているのではないでしょうか。今回は新社会人の皆さんに向けてのマナーについて書いてみます。

当たり前のことを大事にする

仕事は人との関わりの中で進めていくものですから、どのような人間関係を築けるのかは重要なポイントです。社会人になって学生時代に勉強しておけばよかったと思う事柄にコミュニケーションやマナーが上位に挙げられるのも、多くの新入社員が人間関係で悩む場面が多いからでしょう。新入社員に望まれるのは、元気で明るく、新しい風を運んでくれるような態度や行動です。伸びしろが感じられる人には好感を持ちますし、応援したくなるものです。
まずは「挨拶」を意識してみましょう。

あ…明るく
い…いつでも
さ…先に
つ…続けて一言
(今日もよろしくお願いいたします。・昨日はありがとうございました。等)

挨拶は、禅の用語で「押す」・「近づく」という意味があり、僧侶がお互いに禅の問答をすることだったようですが、後に人が出会ったときの言葉のやりとり、挨拶になったようです。
人間関係のスタートに挨拶がどれほど大切か、新社会人の皆さんにはまだ実感できないでしょうが、当たり前のことを毎日意識して実践することで周りと良い関係ができていくものです。
そして、先輩や上司に顔も覚えてもらえます。特に、続けて一言を言えるようになると会話のキャッチボールができますから、よりコミュニケーションがとれるようになるでしょう。
上に書いたのは、一例ですから自分なりに意識したい挨拶を「あいうえお作文」にしてみるのもよいかもしれません。
元気がなく暗い挨拶しか返ってこない人と仕事を一緒にしたくないのが人情というものです。

表情と姿勢を意識する

マスク生活が長く続いたせいか、気づけば、私自身ほうれい線が深くなり表情も乏しくなっていました。4月からの授業や研修の準備は自身の明るい表情を取り戻すことからです。マナーは相手に好感を持たれること、不快な気持ちにさせないことも大事です。ふと鏡に映った表情や姿勢…これが私なのかと、ドキッとすることが多くなりましたが、表情や姿勢は少し意識するだけで変わりますので、見られていることを意識してみましょう。笑顔で姿勢が良い人の醸し出す雰囲気は、周りの人をも明るくします。仕事のお付き合いでは、人は「陽」の方に惹かれるものです。

言葉遣いを意識する

社会人になれば人間関係の範囲も広がります。学生時代には話すことのなかった社会的地位のある方、目上の方とも対等に仕事の話をする場面もあるでしょう。相手を尊重した態度や言葉遣いも身に着けていきましょう。正しい敬語を使うこともその一つですが、最近気になるのは、敬語に慣れていないが故の過剰な謙譲表現です。例えば「~させていただきます」の多用です。相手に許可を得て、ある行為をするときの控えめな言い方ですが、若い人がどのような場面でもこの表現を使っているのが耳障りに感じる時もあります。
「結婚させていただきます」、一般人の場合「結婚いたします」で十分です。
「お花をお届けさせていただきます」は、「お花をお届けいたします」です。
敬語はすっきりしている方がスマートです。
言葉遣いにはその人の教養が表れます。多くの言葉遣いの本が出版されていますから一度読んでみることをお勧めいたします。「お勧めさせていただきます」では、ありません!

マナーって何?

研修や授業でマナーについてお伝えすると、こういう場合はどうするのですか、どうするのが正しいのですか等、マナーの決まり事についての詳細の質問を受けます。マナーは、本来相手を“思いやる心”を自然に実践することで、礼儀に通じます。しきたりや決まり事は、作法、エチケットのことです。意味は違いますが、いずれも「思いやる心」が根底にあります。
作法やエチケットの決まり事の知識を学んだ上で、その場、その時、相手によってどのような振る舞いが相応しいのかを意識しながら、経験を積むことでマナーは磨かれていきます。
いつも相手を尊重し思いやる心を忘れないように…新社会人の皆さんが新しい環境でよい人間関係を築いていかれることを願っています。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

4月 10 23

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第121回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第121回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“グラデーション”。画像の中で色が連続的に変化。最近は性別におけるグラデーション研究も進み“性スペクトラム”も注目。“白黒をはっきりさせる”という二元論だけでは必ずしもベストとはいえない時代に。様々な領域で多様性。多様な価値観の受容を求められているのかも。カンブリア紀は生物が爆発的に多様性を獲得した古生代前期。これからは新・カンブリア紀へ。デザイン思考もリデザインという考え方とリンク。北欧の“リデザイン”も直線の上を走るのでなく、非線形・楕円の上を試行錯誤しながら曲折。デザイン自体はのた打ち回りながらの循環。デザインの問題点を常に見つけ更に良いものに。今日の失敗でなく明日の成功。リンゴもキズのある方が甘くなるもの。これを繰り返しつつ輝きを失わない宝物に。漫画家になるには漫画以外のことを山ほど学ぶことが大切と巨匠・手塚治虫。AI時代もAI以外のことをどれだけ多く学ぶかがカギかも。リデザインを意地でも持続。“手虫は奇態。だけど手虫は蝶になる”と森鴎外。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

前提とした枠組みが 全て崩れることもありうる
完全を目標にした失敗は、不完全な小成より納得
意外性に対処 法然は平時でなく非常時の宗教家
平時も非常時も 心から面白がり、遊び・楽しむ

法然は平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧。“歎異抄”の親鸞は法然の弟子。“専修念仏”は、英知と謙虚さで念仏を唱えて往生する道。意外性に対処、空間を育みながら平時だけでなく非常時への覚悟。心から面白がり、遊び・楽しむ。“かくあるべき”を胸に秘め、あとはできない自分を認める。これからは想定外のブレの大きさが常態化。不完全な小成より完全を狙った失敗。悪を自覚しながら、大きな尺度で自分をとらえ直す。“科学は仮説を立てた人の方がそれを証明する人より価値がある”と医師・和田秀樹。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

異色の才能を発揮する余裕を保ちながら 隠す愉快さを満喫
本当に戦うべき敵は、外でなく内 深いところで法則にする
方法を有効にするのは理想 ありがとうと収益はワンセット
脳に蓄えられた無意識の情報量の多寡がプロとアマを分ける

情報量やエントロピーは情報理論の概念。脳に蓄えられた無意識の情報量の多寡がプロとアマの分水嶺。ノイズも情報。思い切り深いところへ進むことで法則を探り出す。“算多きは勝ち、算少なきは勝たず”と語るのは孫子。本当に好きなら苦労は厭わないはず。苦労が苦労でないなら、いくらでも何時間でもやれるはず。今の時代、常に死を意識しながら死を恐れず、やれるところまでとことんやる。本当に戦うべき敵は外ではなく内。“きつい練習をたくさんする。諦めない奴には誰も勝てない”とベーブ・ルース。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

いろんなことの可能性が増えている 二四時間は同じ、優先順位をつける
一番大事なのは才能でなく粘り強さ 覚悟がないと結果にはつながらない
マニュアルに拘るとやることが限られる 自分の内側に沈み込み創意工夫
月の表面は灰色で宇宙空間は真っ暗 色は地球にだけ存在、彩色を活かす

必要なのは何よりも“自由”。自由のない奴隷制の時代だからこそのリベラルアーツ。色んな可能性が爆発的に増大。それを結果につなげるには優先順位付け。一番大事なのは才能ではなく、しぶとさ・したたかさと執念。やりたいことをやるのが酔狂。マニュアルに拘りすぎると視野狭窄に。何を優先すべきかの指標を序列化したのが優先順位、正解はなし。成功にはしっかりした計画と多少のプレッシャー。群れを追わず独創に徹し、あとは幸運を祈願。“氷上の筋肉は氷上でしか造れない”とスケーター・安藤美姫。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第121回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

4月 10 23

風景で読み解く横濱 (第十二話)占領という風景

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第十二話 占領という風景

 

 Rename

横浜の戦後は、昭和20年8月末、連合国軍の進駐・占領によって始まりました。
昭和27年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効するまでの7年間、横浜市の中心市街地の大半が占領され、その後も横浜は日米安保条約の下で多くの接収地が残ることになりました。都市部の大半を接収されほぼ機能停止となったのは唯一横浜でした。※沖縄を除いて

この地図は昭和24年に外国人向けに発行されたものです。偶然入手するまで、占領中の主要道路名がリネームされていたことを知りませんでした。他国の土地を勝手に名付けるのは本牧先をミシシッピーベイと呼んだ<ペリー>に始まる欧米各国の植民地主義の現れですね。
南北に走る道はAVE.(avenue)A、B、Cとし
東西に走る道はST.(street)1th、2nd、3rdとなっています。
このルールは占領中、他の都市でも実施されていましたが、接収面積の大きかった横浜が最も占領軍に利用されたのではないでしょうか。

関内エリアの詳細地図にも
海岸通りはAVE.A、本町通りはAVE.B、吉田町がAVE.E、長者町通りはAVE.Gとなっています。
国道16号線は4th ST.
馬車道から伊勢佐木町通りに続く道は5th ST.となっています。
ここには表記されていませんが、改めて占領時代の資料を調べてみると、中華街長安通りが「KENTUCKY AVE.」 水町通りは「ALABAMA AVE.」という名前が付いていました。
悔しいですが 実用的でわかりやすいです。日本の道路番号はわかりにくいです。

この通り名は地図上だけではありません。当然ですが実際に標識が建てられました。県庁前を当時撮影した風景はまるで米国のどこかの町のように思えるような景色です。
判読しにくいですが「AVE.A 2nd ST.」と表示された標識が建っているのがわかります。横には占領軍の各施設案内標識が建っているのが確認できます。
標識のYOKはYOKOHAMAの略です。

 

 Airstrike

横浜は数十回にも及ぶ空襲によって各地が焦土化し終戦を迎えます。中でも1945年(昭和20年)5月29日午前に行われた「横浜大空襲」は熾烈な集中爆撃によって、旧市域の市街地が壊滅します。
空飛ぶ超要塞とも呼ばれたボーイング戦略爆撃機B29が500機で無差別焼夷弾爆撃を行い、ノースアメリカン製で「第二次世界大戦中後期の最優秀戦闘機」と評されたP51は100機来襲し銃爆撃を行いました。この爆撃による焼夷弾投下総量は2,570トンにも及びました。

現在の埋地7ケ町一帯の空襲による被害は大きく、その殆どが空襲により失われてしまいました。

現在の福富町一帯には、焦土化した土地を整地するとそこにカマボコ兵舎が次々と建てられていきました。

現在の若葉町周辺は、更地になり急遽軽飛行機発着場が造られました。伊勢佐木裏に戦後飛行場があったことは意外に知られていません。

 

 Occupy

一方焼失を免れた建物の多くが占領軍によって接収、利用されることになります。

現在「YCCヨコハマ創造都市センター」が管理しています。元々馬車道通り寄りにあった第一銀行横浜支店ビル(その後横浜銀行)を<曳家>により移動・復元したものです。
写真の風景は移動前の風景で、米軍の娯楽施設として接収され「CABARET GRAND CHERRY」だった時の写真です。

現在は伊勢佐木ドン・キホーテのビルです。戦前・戦後はオデヲン座として伊勢佐木のランドマークとなる映画館でしたが、一時期米軍専用施設であった時の風景です。
戦後すぐに横浜税関に司令部を置いた陸軍第八軍のマークが最上部に掲げられているのが象徴的です。

※ここに紹介した絵葉書・地図は個人蔵を使用したものです。(一部加工) 転用等はご遠慮ください。

 

(第十二回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

4月 10 23

第119回 『建築家との相性』

by staff

有限会社アーバン・ファクトリー
藤江 創

建築の使い方に関しては用途ごとに決まりごとがあり、効率的な使いこなし方があります。しかし、住宅においてそれが当てはまりません。暮らし方はライフスタイルによって変わります。よいデザインは感性によって変わります。心地よさは体質によって変わります。住宅の使いこなし方、つまり、暮らし方が最も上手なのがその住民である。そんな暮らしのデザインをお手伝いしようと集まったのが我々AAスタジオの建築家です。
そんな根底での理念が一緒の建築家なら、AAスタジオの誰に頼んでもできる住宅は自分好みのすてきな空間になるはずと思っちゃいますよね。私自身、だれが施主になってもそれができると信じています。でも、実際には相性というものがあるのですよね。
最近、建築家の友人の仕事を手伝っていて、そんなことを実感しています。私は手伝いで入っているので、空間の構成などデザインの根幹となることについては、友人のアイデアを優先します。そうすることでスムーズに進めていけると思っています。しかし、ちょっとした材料の選択で議論になってしまい時間がかかることがあります。例えば、キッチンの換気扇の選択。まとめると、内観デザインをとるか、機能と外観デザインをとるかという議論ですが、お互い専門家なので引出しが多くあーだ、こーだと長くなってしまいます。最終的には私が折れることが多いのですが、こちらにも経験があるので長所と短所を伝えたうえで、最終決定を仰ぎます。そんなことが、様々な選択の場面で出てくるので、自分で設計を進めるよりも長い時間がかかります。建築家の常識が一つではないということがしみじみわかる瞬間です。
昔からの同業の友人とでも難しいことを、お会いして日の浅い施主と取り組む。相手の意図を組みつつ、よりよいものを提案するのですが、どうしてもセンスが合わないことがあると思います。建築家に住宅を依頼する施主は、信念をお持ちの方が多いので、堂々巡りの打合せを重ねてしまいがちです。どうしても会わないときは設計者を変える勇気を持ちましょう。それはお互い様といわれるかもしれませんが、設計者は仕事が欲しいという欲求もあるのでなかなか言えないのです。
とそんな苦渋の決断がありえることを考えると、AAスタジオのナビゲーションシステムは有効だと改めて思います。それまでの打合せ情報は定期的に行われる会議で共有はされていますので、施主とそれまで取り組んできたことは無駄になりません。また、所属している私が言うのもなんですが、多種多様なキャラクターがそろっていますので、かならずや相性のよい建築家とマッチングできるはずです。
そんななかでも一番のおすすめは、私、アーバン・ファクトリー藤江創ですよ。



武蔵野市S邸 最近は親子で船釣りを楽しんだりもします。



船橋市O邸 今でも設計やデザインの仕事を頼んでくれます。

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

4月 10 23

私にとっての横浜は「ご縁」を与えてくれる場所です。
女性のためのプライベートサロン【La Terre】代表の高橋 綾さん

by staff

今月は、『人生100年時代と言われる中、一人でも多くの女性が心身ともに健康で幸せな人生を送ってほしいと願いを込めてサロンをオープンしました!』と素敵な笑顔でお話をしてくださった、女性のためのプライベートサロン【La Terreラテール】代表の高橋 綾さんにお話を伺いました。

La Terre(ラテール)代表 髙橋 綾さん
 
La Terre(ラテール)代表
髙橋 綾さん
 
お名前 髙橋 綾(たかはし あや)
お生まれ 1979年7月 秦野市
お住まい 横浜市中区
ご家族 ご両親と兄・弟
お仕事 La Terre(ラテール)代表
HP https://la-terre-sakuragicho.com/
趣味 グルメ・料理(おつまみ)散歩

 

父方、母方の祖父母に可愛がられました

父が自分の実家の近くに家を購入したので秦野(はだの)で生まれました。秦野市は丹沢山系の麓、山や盆地が広がり自然が多いところです。盆地には1985年の名水100選の1つに選ばれた『湧水群』があり、田畑を潤しています。子育てにはとても良い環境の中、私はのびのびと育ちました。

近くに住む父方の祖母には可愛がってもらいましたが、よく遊んでもらったのは横浜市中区桜木町に住んでいた母方の祖父母です。特に祖父にはよく山下公園などに遊びに連れて行ってもらいました。

もともと男兄弟の中で兄弟とけんかをしていたので気は強かったと思いますが、外ではおとなしかったです。気は強かったけれど優しい一面もありましたよ(笑) 冬の寒い日に子猫を拾って、セーターにくるんで家に連れて帰りました。「ミィーコ」と名前を付けて面倒をみました。ミィーコは私が二十歳を迎えるころまで元気でした。

手を動かすことが好きだった小学生のころ

小学校は秦野の公立小学校に入りました。小学校の授業は先生の話をきちんと聞いていれば勉強が出来るようになります、というわけで成績は良かったです。得意科目は算数でした。

運動は苦手で、ドッチボールはボールが当たると痛いし、受けるのは怖いし・・・とにげていて最後まで残ってしまい、結局ボールに当たっておしまいになる「最後まで残るタイプ」の子でした。
目立ちたくない性格でしたが、なぜか学級委員を頼まれてしまって・・・頼まれると真面目に頑張ってしまうから、また頼まれてしまう・・・(苦笑)。

部活は手芸部に入りました。手を動かすことが好きで刺繍やクラフト、オブジェなど作って飾る楽しみを覚えました。編み物を教えてくれたのは母方の祖母です。今の趣味はハンドメイドアクセサリーです。
またこの頃、茶道を習っていて、その時に身に着けた間や作法などが今の仕事にも活かされています。

勉強嫌いになり始めた中学生のころ

中学校も秦野の公立校でした。同じ小学校の生徒がそのまま同じ中学校に上がってくるような感じでしたから、頼まれることも同じで「副学級委員」に選ばれました。
小学校では「先生の授業をきちんと聞いていれば勉強ができた」ので予習復習をする習慣がついていませんでした。勉強は試験の前の「一夜漬け」程度で「得意」とする科目もありませんでした。成績は下降ラインを描き、勉強が嫌いになり始めていました。

やりたい事と言えば「サックスを吹きたい」こと、吹奏楽部に入部したもののサックスの希望者が多くて他の楽器にされ、1年で辞めて帰宅部になりました。「帰宅部」ですから(笑)友人と集まっては、マンガやコミック誌を回し読みしていました。

高校も同じく秦野の公立校で、すっかり勉強嫌いになってしまっていて・・・それなら「運動をしよう」と選んだのがテニス部でした。テニス部にしたのはウェアが可愛かったから…大会に出場したこともありましたが、練習が厳しかったので辞め、再び「帰宅部」となり17歳からはアルバイトを始めました。

やりたいこと探し

高校を卒業してから進路が決まらず、いろいろなアルバイトをして「やりたいこと探し」をしました。コンビニ、カラオケ、イトーヨーカ堂・・・あるきっかけでホテルで働くことになりました。ホテルは接客に定評のある藤田観光ホテルチェーンの高級ホテルでした。仕事内容はホテルの客室清掃です。その際、従業員用スペースが綺麗でピカピカだったことに感動し、ここで働きたいと思いました。
「やりたいこと」が見つかった瞬間でした。こうしてYMCAのホテル学校に進みました。

ホテルでは英語力が問われました。中学・高校と勉強嫌いの私でしたが、お客様のご要望にお応えするには英語力は不可欠です。在学中のカリキュラムでカナダ留学を勧められて「行くしかない」と、バンクーバーに短期留学をしました。
バンクーバーでのホストマザーは日本人を受け入れたことのある方で、可愛い花柄の部屋を用意してくれました。「ごはん」もおいしい白米を炊いてくれて、デザートも出してくれました。デザート作りは私も手伝いました。
食後のデザートのおかげで3カ月で5kgも太ってしまいました(苦笑)。

ルームメイトが台湾の方だったので必然的に英語でコミュニケーションを取らなければならず、話す力はまだまだでしたが、聞く力はついたように思いました。

ホテル学校在学中にフォーシーズンズホテルに研修に行く機会があり、社員の方に可愛がっていただいて、そのままアルバイト続けました。
応援してくださったホテル従業員の後押しもあって、フォーシーズンズホテルに就職しました。「目的を持って勉強する」ことは初めてのことでした。あたりまえのことですが、「努力」することで1歩ずつでも目標に近づいていく手ごたえを感じました。「努力は報われる」と実感しました。

就職後はホテルのルームサービスから和食レストランに配置が変わり、着物で接客をしました。
外国からのお客様のリクエストにお応えするのはとても楽しく、勉強になりました。

ホテルウーマン?!

和食の作法や接客を細かく教えてくれたのは、今でも仲の良いホテルの先輩です。お茶やお花・着物が趣味で普段から着物を着て出かける素敵な方です。

上司からは「英語の勉強になるから」と外国籍の方が集まる六本木や赤坂のバー、レストランに連れていってもらいました。

見る事、聞くこと、食べること全てが「ホテルウーマン」としての糧になりました。

和食レストランの担当になって、どんなことがあっても3年は続けようと頑張りました。リーダー的な立場になって、従業員とホテルとの間で悩むことが増えました。帰宅も終電で帰ることが増えて。。。疲れが蓄積したのでしょうか、体を壊してしまいました。

エステシャンになりました

ホテルには「エステサロン」があり、エステティシャンともお話をする機会がありました。「エステ」というとまだまだ敷居が高いと思われる方がいる時代でした。「お金持ちの熟年マダムが通う場所」なんで言われていました。ブライダルエステや出産後のボディケアなどで、やっと若い方のエステに対する認識が変化してきた頃です。都市の外資系ホテルや高級ホテルから、有名デパート、エキナカ、地方の温泉旅館でもエステが受けられるように、エステがストレスから心身を開放し「癒し」や「未病」にも繋がることが知られるようになりました。

もともと人にマッサージをしてあげることが好きだったので、「治療」の方向に進むことも考えましたが、3年間専門学校に行かなくては資格が取れないと悩んでいたら、ホテルの先輩からエステティシャンへの転職を勧められました。

就職後未経験でも研修制度があるエステサロンを選んで就職しました。エステスクール卒業の同僚との技術の差を埋めるために、終業後に人一倍練習をし、技術を教えるトレーナー(役職)に就くことができました。

ホテルの接客で身に付けた所作や話し方はエステサロンでも通用しました。おかげさまで、客層の良い銀座店で働くことになりました。銀座では副店長から8人を使う店長を務めるまでになりましたが、店長は管理職で、管理職となると会社の経営状態まで責任が生じました。売上高、顧客数・・・全てが「数字」となって肩に圧し掛かります。

売上高を上げるのに、お客様に必要とない施術を行ったり、化粧品や健康食品を勧めたりと、意に添わないことを求められることもありました。お客様に「正直」でありたいと思い、「誠心誠意」尽くすことが出来ない無力さを感じて10年勤めたことを転機にその店を辞めることにしました。

La Terre 代表になりました

エステサロンを辞めましたが、エステシャンとしての技術を捨てた訳ではありません。 タワーマンションの共有スペースで、住民専用のエステサロンを定期的に行ったり、化粧品メーカーの出張サービスやイベントに参加したりとフリーになって外部のイベントに参加することで新たな出会いも生まれました。

女性支援や環境問題などに取り組む団体に興味を持ち、その団体が勧める海藻(植物性)のタラソテラピーの化粧品を使ってみたり、天然由来のアロマ(エッセンシャル)オイルをお客様に合わせて調合し、香り豊かな空間でハーブティやお菓子などを提供し、マッサージでむくみを取り除き、五感から健康になっていただきたいと、2022年2月に自宅サロン「La Terre /ラテール」を横浜市中区太田町で開業するに至りました。小顔矯正やリンパマッサージでむくみを取り、引き締めることでリフトアップした小顔なります。全身美容の矯正もできます。私の得意とするところです。

お客様に施術後もゆったり過ごしていただけるよう、完全予約制1日2組限定で行っています。

ご予約はHOT PEPPER Beauty または LINE公式アカウント、E-Mailから受け付けております。
お気軽にお問い合わせください。

【HOT PEPPER Beauty】ラ テール(La Terre)|ホットペッパービューティー (hotpepper.jp)
【公式LINE】http://lin.ee/dAoFynB
【E-Mail】la.terre.sakuragicho@gmail.com

あなたにとっての横浜とは

私にとっての横浜は「ご縁」を与えてくれる場所です。桜木町の駅に降り立って思い出すのは小さい頃よく祖父に遊びに連れてきてもらったことです。仕事はいろいろと変わりましたが、その時々に出会いがあり、沢山のご縁が繋がって、中区の今の場所に店が持てました。

イベントなどに呼ばれるチャンスにも恵まれ、「アロマの良さをお伝えすることができる」などなど、人と人との繋がりが温かく感じられる場所が「横浜」です。

これからもこの横浜で「女性を元気できれいにしたい」という気持ちで、頑張って行きたいと思っています。

私にとっての横浜は「『ご縁』を与えてくれる場所」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

3月 10 23

トルコ・シリアを応援しよう!!

by staff

 

2023年2月6日早朝、トルコ南東部とシリア北部の広い範囲で、強い地震が発生しました。トルコとシリアでは数万人の死亡が確認され、多くの人々が家を失いました。被災者は2千数百万人におよぶと言われ、東日本大震災をはるかに超える歴史的な大規模災害になっています。

このニュースを聞いたとき私は、「また!!トルコで・・・」と絶句しました。
トルコでは1999年8月に北西部で大地震があり、1万5000人以上が亡くなったと言われています。

1999年10月、私は「日本トルコ民間交流協会」のメンバーとして、「トルコ地震救援チャリティ公演」をサポートしました。イスタンブール工科大学国立音楽院より15名の民族音楽・舞踊の専門家が来日して、神戸市、八王子市、国立市、港区、杉並区などで公演して約900万円の義援金を集めました。
特に国立市では、私の母校である一橋大学の兼松講堂で公演が行われました。私は受付担当でしたが、観客席は満杯で当時の国立市長だった上原公子さんやジャズピアニスト山下洋輔さんが応援に駆けつけてくださったことを覚えています。

私とトルコのご縁は、45年ほど前、1979年に世界的な学生組織「アイセック」の海外インターンシップでイスタンブールに3か月間滞在したところから始まります。イスタンブールのユースホステルに世界各国から集まった大学生たちが、100日余り寝食を共に過ごしました。私はバザールのそばの電気商会で働くことになっていましたが、実際は朝、会社に行って、みんなと談笑してトルコ語を教えてもら、夕方、帰ってくるいうラクチンな生活を送っていました。日本に帰国したときは、かなりトルコ語が使えたのですが・・・

アイセック(現在も全世界で活動が続いています)
https://www.aiesec.jp/

トルコの人々はとても親日的です。そして日本のことを良く知っています。
8月6日に会社で上司に「Tomoko,今日は日本にとって忘れられない日だよね。」と言われて何だっけ、(広島に原爆が落とされた日ですが)と言って、恥ずかしい思いをしたこともありました。

その後、イスタンブールに行く飛行機でご一緒だったご縁でトルコで大変お世話になった石本先生(高校の地理の先生でした)ご夫妻(国立市在住)が、1993年に「日本トルコ民間交流協会」を設立されたときには、早速メンバーに加えていただきました。

「日本トルコ民間交流協会」は、日本とトルコ両国の人的交流や文化交流を民間ベースで推進し、両国の人々の相互理解と友好親善を深めることを目的に設立されました。これまで日本とトルコの両国で少なくとも年1回それぞれの国の文化・社会などを紹介する事業(文化祭・展覧会など)を開催して、これらの事業を通して両国民の草の根交流を実現してきました。

詳細は、石本先生手作りのWebサイトをご覧ください。(2007年で更新がとまっているのが残念ですが・・)
http://wwu.phoenix-c.or.jp/~watarun/2005jtceaprofile.htm

今回の地震の報を聞いて、石本先生だったら何か支援活動を始められるだろう・・それをお手伝いしたいとすぐご連絡をいたしました。なかなかご返信がないのでどうしたのだろうと思っていましたら、石本先生はご入院中だということがわかりました。会のメンバーも高齢化して、なかなかアクティブには動けない状況です。今回はみんな自分のできる範囲で募金を集めて、トルコ大使館に届けようということになりました。

私も手作りの募金箱を作って、出かけるイベントなどで募金を呼び掛けています。

厳冬で零下の気温の中、トルコでは200万人以上が地域を離れているそうです。
また、シリアは紛争地域で地震が発生したので、国際的な支援が届きにくいようです。
とにかくこれから必要になるのは復興支援資金だと思います。

「ヨコハマNOW」をご覧いただいている皆様にお願いです。
トルコ・シリア大地震の被災者に募金をというお気持ちがありましたら、必ずトルコ大使館にお届けいたしますので、こちらに募金していただけないでしょうか。

<募金の口座情報>

横浜銀行 横浜市庁支店 普通 6028661 ヨコハマ ナウ

皆様のご協力を何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

3月 10 23

2023年3月 三ツ池だより 「ランプの灯を!」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

取り組めばなんでもできると思っていた。そして1000日1000詩に挑戦した。人はそれぞれの持ち味でやり遂げていく。1000日続けたということでは充実感があった。

 「 目白 」 けんじ
椿が揺れている
え!どうしたの!
目白が口ばしをさしている
  あ!隣の鉢にも
  椿の花に
  口ばしを刺している
少し寒いがいい日だった
目白が写真を撮り終わるのを合図のように
飛んで行った

「それでいい」と書いてみて何を想い起こす。今日一日が無事であったこと。今までを振り返って“それでいい”との思いがする。そして今コロナのこの時を思い起こすと、これからの時代がとてつもなく変化していくように思う。その隙間をどのようにしていくことになるのか。

じつは先日こんなことがあった。こんなことがあっていいのか。突然の電話であった。「横浜でトイレに入っている間に、盗難にあった。携帯電話がなくなって困っている。また電話する。自宅には電話しないでくれ!心配させちゃうから。」と言って電話が切れた。「横浜駅の遺失物取り扱所ですが、遺失物が届いています。」との連絡が入った。電話帳でその場所を調べたら同じ電話番号だった。その後また息子と名乗る男から電話があった。「取引先と打ち合わせている。新しい取引なので700万円必要」と言ってきた。おかしいそんなばかな話があるかとおもって、息子に電話したら「今自宅にいるけで、どうした。」とのことだった。こんなことがあっていいのか。すぐ警察に電話した。「今、そちらの地域多いんですよ」とのことだった。困ったことだ。

 「 そうそう! 」 けんじ
わかっているはずなのに
当たり前に生活している
  当たり前に生活している時に
  不意に飛び込んでくる要件
考え込んでしまう
社会は正義で成り立っているはずなのに
  それが
  そうでない
歳をとると行動が怪しくなる
慌てず行動し、不測も考えていくことだな

 「 ランプの灯 」 けんじ
ボーッとしているようで
あたりを照らし出す
  ランプのともしびの
  奥ゆかしさとほのぼのさ
いつしか灯りになり
さっと灯し、さっと消える
  この灯を思い出すと
  何かたまらない
なつかしい灯を
中心に語り合った思い出
  忘れかけているが
  忘れてはいけない
あかりが灯り
心の温みを感じる

人は何処に行くのだろう。何故考えるのだろう。自分の行き先を考えて毎日を過ごしている。ふと、考えてみると、現実から離れて消えていくのか、新しい場に向かっていく途中で佇んでいるのか。今と言う時は今だけ。明日は誰にも分らない明日なのだな。

今持っているものを意識して育てる。育てたものをいつくしみながら磨きをかけていく。今開かれている路をしっかり踏みしめて進んで行く。時には回りをいつくしみながら、時には大きく飛び跳ねながら、一歩一歩で。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

3月 10 23

ハチゴロウの鳥撮り日記 第31回「迷い鳥 ノハラツグミ 北海道/札幌市」

by staff

第31回 迷い鳥 ノハラツグミ 北海道/札幌市

2023年1月26日から31日まで6日間、北海道札幌で鳥撮りしていました。帰宅して写真整理していると、珍しい野鳥が写っている画像を見つけました。

 

白樺林の木の枝にとまっているのは、ノハラツグミです。ノハラツグミはロシア中央部から西で繁殖し、ヨーロッパ方面に生息しているツグミの仲間です。日本国内での観察例が少なく、迷鳥です。
ノハラツグミはスズメ目ヒタキ科ツグミ属の鳥です。体長は26cmほどでツグミよりも少し大きめです。
オスとメスの体の色は同じです。嘴は黄色で先端が黒いです。

札幌の公園で、『ノハラツグミが来ている!』と聞いてはいたのですが、初めて聞く野鳥の名前で、飛来してくるツグミの数が多いため、撮影中にノハラツグミを見たという認識はありませんでした。もちろん撮影した記憶もありません。
珍しい迷鳥を撮影できたのは嬉しいのですが、撮影したことに記憶がなかったので、複雑な心境です。
ま、よくあることですが(認知症かも・・・)。

 

チョット、トリミングしてみました。胸元は橙色みがあり、顔は灰色っぽいですね。
頭部から背にかけて灰色です。

 

次の写真は普通の「ツグミ」です。体長は24cmくらい。10月頃、シベリアから越冬のため日本に飛来する冬鳥です。日本に着くと群れを解き、全国に散らばって生息し、3月半ば頃に再び群れて北に帰ります。

 

 

ツグミがナナカマドの実を食べています。
黒褐色、褐色、白・・・とシックな模様の羽根を持つお洒落な鳥です。

ツグミはシベリア中部で繁殖します。日本では繁殖しないためさえずりません。鳴かない(口をつぐんでいる)ことからツグミと呼ばれるようになったようです。

野鳥保護法により保護鳥となり、捕獲は禁止されましたが、昭和40年ころまでカスミ網をつかって食用のための密猟が行われていました。

さて、ヨコハマNOWが5月号で休刊になります。
鳥撮り日記は隔月で奇数月に横浜市で見られる野鳥から、北は北海道、南は沖縄まで日本全国に生息する野鳥をご紹介してきました。
5月号が最終回です。最終回は初心に帰って再び横浜に戻ろうかと思います。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
https://hachi1926.seesaa.net/

 

 

3月 10 23

チョークアートとわたし #11 kanakoのスープカレー屋さん

by staff

kanakoのスープカレー屋さん

一昨年の夏の事になりますが、ブランチ横浜南部市場に秋開店予定のスープカレー屋の店内壁面に、メニューのスープカレーや材料となる野菜などをチョークアートで描いて欲しいとのお問い合わせをいただきました。
そのお店が「kanakoのスープカレー屋さん」です。
すでに仙台や札幌にあるスープカレー屋さんなのですが、女優として活躍されていた榎本加奈子さん(現在は佐々木加奈子さん)のお店だとは存じ上げなかったので、kanakoのお名前が加奈子さんである事を知った時はかなりの衝撃でした!

仙台店の壁面には、仙台在住のチョークアーティストさんが素敵なチョーク―アートを描かれていましたので、そのデザインを壊さないよう参考にさせていただき、オーナーの加奈子さんの要望も取り入れながら横浜店の壁面のデザインを考えOKをいただきました。

その後、店内の内装が徐々に進み、チョークアートを描く黒い壁面を見る事ができる段階になったとの連絡がきたので、現地に行って拝見することになりました。その時に、初めて加奈子さんとご主人のハマの大魔神こと佐々木主浩さんにお会いしすることができました。とってもお似合いのお二人で、加奈子さんはとても気さくで大魔神は想像以上に大きな方でしたので驚いたのを覚えています。

 

作業は、信頼できる生徒さんお2人にもお願いして3人で描きました。
ここまで広い壁面をチョークアートで描かせてもらうのは3人とも初めてです。当然、描く対象物の大きさがレッスンなどで描くものとは全く違いますので、実際に壁面に描き始める時はなかなか勇気が必要でした。しかし時間との闘いですのでそんなことも言っていられません。描き始めると3人とも無我夢中で描いていました~。

連日、高さのある脚立や台に乗りながら描く作業でしたので、体中に力を入れながら気の抜けない作業でなかなか大変でしたが、お店側も開店準備に向けバタバタしている最中だったにも関わらず、私たちが描きやすいようスタッフの皆さんが配慮してくださり良い環境の中で描くことができました。そして開店準備に向け店内が徐々に変化していく様子を見ることができたのも刺激的で良い経験になりました。

完成後、壁面をバックに加奈子さんと一緒に撮った写真です

加奈子さんも時々お店にいらして、自らスタッフとして働いていらっしゃいますよ♪

 

初めてお店のスープカレーをいただいた時は、大きなお野菜がたっぷり入っているのと、スープの味わいの奥深さに感動!スープカレーが大好きになりました。辛さも1~100まで選べますので、辛いのが苦手な方でもいけますよ~。ぜひ、壁面のチョークアートも楽しんでもらいながら、美味しいスープカレーを味わって頂きたいです(*^-^*)

◆「Kanakoのスープカレー屋さん」
◆ブランチ横浜南部市場店
◆神奈川県横浜市金沢区鳥浜町1-1

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

3月 10 23

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第8回) 発達特性のあるお子さまの高校・高専受験~今年の次男のチャレンジから

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第8回 発達特性のあるお子さまの高校・高専受験~今年の次男のチャレンジから

 今回は、次男が今年経験した高校受験について書いていきたいと思います。
 小学1年生の時に自閉スペクトラム症と診断された次男が、今年高校を受験しました。正確に言えば「高校」ではなくて「高専」です。小学校から様々な不適応に苦しんできた次男は、「オレは高校なんか行かない!」「高校受験なんてしない!」と中学入学前から宣言していました。2歳上に兄がいて、次男が中学に入学したとき、兄は中3生。中2の終わりころから学習塾に入り、第一志望校に合格するために猛勉強を始めていた長男の姿を見て、次男はますますその思いを強固にしていきました。

「そんなに高校に行きたくないなら、行かなくてもいいよ。高専に行きな。」

 中学入学前に、私は次男にそのように伝えました。すると「(高専って)5年間行けるなんて面白い!」となんだか乗り気の次男。自分で高専のことを調べると、工作好きな魂に火が付き、「オレは絶対に高専に行く!」と張り切り始めました。以後、次男は中学3年間、その思いを変えることはありませんでした。兄と同じ塾に1年生から通い、得意な数学に磨きをかけていきました。苦手なことがたくさんある次男ですが、数学は得意で、特に塾の先生と一緒に勉強する数学が大好きでした。学校では不適切な言動で先生から叱られることばかりでしたが、とにかく塾の先生が大好きだったのです。

 幸い、自宅から遠くない場所に都立高専があり、コロナ禍ではありましたが中学2年生、3年生の時に学校公開に参加することができました。とてもきれいで大きなキャンパスで、私にはよく分からないすごい設備をたくさん見たり、熱気あふれる鉄道模型部の活動を見たりしましたが、学校ではいつもブスッとしている次男が高専ではニコニコしながら辺りを見学していて、先生と楽しそうにお話ししたり、色々な設備を「かっこいい!かっこいい!」と言いながら見ていた時の姿は今でも忘れることができません。楽しいとき、この子はこんなに良い表情をするのだと、びっくりした記憶があります。

 次男は、自分の信念に従い、やると言ったことはやらなければ気が済まないし、やりたくないことは誰が何を言ってもやらない性格です。そして自分の楽しみを誰かと共有することにも、それほどの興味を示すことはありませんでした。しかし、幼いころから工作が大好きで、その技術は年々レベルアップしていき、今では制作依頼を受けて3Dプリンターで模型を作って販売したり、TV局から取材が来たりと、独学では学べないところまで進化しています。だからこそ私も、次男が高専に合格できるように心から応援していました。

 そんな彼なので、受験にあたり悩んだのは、当たり前ですが「選択肢が高専しかない」ということ。高校であれば、公立・私立含めて様々な併願校の選択ができたと思うのですが、「高専しか行かない」と決めている次男は全国の高専の中から都立と国立の2校を受けるしかありません(私立もありますが遠かったので)。そのため、第一志望の都立高専のほか、私の故郷である秋田県の国立高専を受験することになりました。

 なぜ東京の国立高専ではなく秋田を選んだのかというと、東京の場合は八王子なので自宅から遠いことと、秋田の方が倍率が低かったこと、そして秋田は東京に比べて内申点が合否に占める割合が低いと予想したからです(明文化されていないので個人的な判断です)。

 結果は残念ながら、第一志望の都立高専には合格できませんでした。思いのほか、得意の数学で点数が取れなかったようです。しかし、第二志望の国立高専には合格でき、春からは秋田暮らしがスタートすることになりました。母としてはさみしい限りですが、本人の「高専に行きたい」という目標は達成できたのでOKです。

 実際に、今回次男の受験を通して、故郷である秋田県の公立入試の倍率が昔に比べて相当低くなっていることを知りました。秋田県は全国で最も子どもの学力が高いと言われている一方、高齢化率は全国ワーストとなっており、少子高齢化が急速に進んでいます。秋田市内中心部の高校は相変わらず人気が高いものの、近年では県北のトップ校である大館鳳鳴高校や県南のトップ校である横手高校でも倍率が1.0前後、年によっては定員割れしていると聞き、本当に驚きました。
 都内では人気校の倍率が高いためにいくつもの高校を併願したり、確実に合格するためにレベルを下げた高校に志願する場合も多いですが、こうして地方のトップ校が定員割れをするような実情があるのであれば、あえてそちらを受験して質の高い教育を受けることもこれからの選択肢としてあってもいいのではないかと思います。

 生まれてきてくれてからこれまでの間、いつもいつも、新しい価値観を私に与えてくれる次男。次男のおかげで「ココ塾」も生まれ、たくさんの子どもたちと先生たちを笑顔にしてくれたパイオニア的存在。その次男が、たった15歳で親元を離れてしまうことは本当にさみしいことですが、これまでの価値観を良い意味で一新してくれるような出来事が、これから先も続いていくのだろうな…、とワクワクしながら考えている今日この頃です。

(第8回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

3月 10 23

ゆるマナー講座(第85回) 想いを乗せて紡ぐ言葉

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

読書が好きです。
本屋さんも好き。たくさんの本の中から面白そうなものを見つける楽しみ。ワクワクしながら過ごせる場所であり、ひと時でもあります。

ヨレヨレでもある本の価値

でも最近はもっぱら図書館に行くことにしています。一番の理由は、読んだ後の処分に困るから。どうしても手放せないものは本棚に残すけれど、ほとんどがリサイクル用の段ボールの中に入れることになります。今まで何度かまとめて引き取ってもらえるリサイクルサービスも使いましたが、段ボール一杯に溜めるまでが大変だし・・・ということで、図書館通いを始めました。通勤時の持ち運びを考えると単行本は重すぎるので、ほとんど文庫本になってしまうので、最新のものを手にすることはできません。読まれて読まれてヨレヨレ感のあるものもたくさんありますが、書いてあることに変わりがあるわけではないので気になりません。

しかし、世の中には読んだことのない本がなんと溢れていることでしょう。例えば、日本で2020年に発行された新刊書の点数は、年間68,608点(出版科学研究所)だそうです。一日当たりでは188点もの新しい本が出ているということになります。毎年それくらいの数の本が発行されるのですから、私が読むものなど氷山の一角にすらならないのです。
発行された本のすべてが売れるわけもなく、売れ残ったものは最終的には断裁、いわゆる処分されることになるようです。そういうことを考えると電子書籍のほうが無駄がないのは間違いないのですが、手に取って一枚一枚頁をめくる紙本の良さはとても捨てがたく、紙本はずっと残ってほしいなと個人的には思っています。

面白さの理由

本の面白さは、例えば小説なら、ただ文字を追うのではなく、その中に入り込んで、あたかも自分が登場人物になったように感じることができることです。見たことも行ったこともない世界でも、その場を、雰囲気を想像し感じ取り、自分だけでなく他の登場人物も作り上げながらストーリーを読み進んでいけます。

何故そこまで本の中に引き込まれるのか。それは作者の緻密な調査や書きたいという思い入れ、そしてそれを言葉に乗せて読者に届けようとする言葉選びの数々に魅せられるからではないかと思います。ワクワクしたりドキドキしたり、切なくなったり懐かしくなったり、読む側の心を大きく動かすのが、文字として紡がれる言葉。

言葉には魔力があります。時にそれは心地よい響きとなって、時にそれは人の心を傷つける凶器ともなりうる、そんな深い力があるのです。

紡ぐ言葉の選び方

自分の気持ちを表わすのに、同じ短い言葉でも、俳句や短歌のように決められた文字数の中に自分の心の内を込め長い時間を経ても感動を呼ぶものも、SNSでつぶやき誰かを攻撃するものも出てきます。

どのような言葉を選ぶか、どのような使い方をするのか、それは人それぞれですが、毎日使うものだから、受け取る側が傷つくことのない言葉選びができるようになりたいものだと思います。そしてできれば、誰かの心に優しくさり気なく残るような言葉を紡いでみたいものです。特に誰かに届けたい想いは、花束を贈るような気持ちで。

さて、これからもう暫く続くであろう人生の中で、どれくらいの心動かされる本に巡り合えるか、感動する言葉に出合えるか、私の楽しみは尽きません。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

3月 10 23

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第120回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第120回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“毒” の展覧会。先日まで上野の国立科学博物館で開催。毒と薬は裏と表。ビジネスの世界も不況は毒で、その状況にどう対応するかのキーが薬。本来、すべての物質は毒。毒は人間世界の中で様々に存在。毒にやられるだけでなく毒を逆手に利用。毒の存在は生物の進化の要因にも。毒を通じて薬を創るという智慧。毒は薬の原石。“毒をもって毒を制す” ためにも毒(本源)を徹底的に究明。植物毒・動物毒・きのこ毒・微生物毒・鉱物毒など毒もさまざま。毒はお化けで、お化けは簡単には消滅しないもの。論理一辺倒から論理を超越する発想・視点へ。世の中はいつも修羅場。学習より創造。毒を吸収しながら身体を強靭化。熱をかけたり乾燥させたり。適量に使って薬にする方法も。量と使い方次第。毒と薬は似たもの同士。人間も自らをアップデートしながら自然な形で毒と共生する方向へ。選択肢は多々あるはず。不合理なことをすることで最終的に合理的な成果をめざす。“死ぬなよ:生きて生きて生きて生き抜くんや” と書家・石川九楊。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

経験に基づいた直感を信じる 一つを実現するには、もう一つを切り捨てる
総てのものには限りがある 縁側空間、世界に通用する知恵を最大限活かす
人間は 面白おかしく楽しむためだけに この世に生まれてきた訳ではない
美しいものにも悪が潜む 不幸・悲しみの世であることを胸に淡然と生きる

直観とは成熟した知的領域の中での推論・類推。論理プロセスを経ない直接的・即効的な認識。分析的な理解とは異なり、直截・本源の鷲掴み。時には、解析力や判断力よりも直観が正鵠を得ていることが多々あるもの。人間世界に閉じこもっていたらわからないことが、ゴリラやネコの視点で視ると新たな世界が見えてくることも。“縁側空間” は全世界とつながる宝物をもたらしてくれるかも。この世はノイズが一杯、人間の身体もノイズの塊。“写真は、撮るものでなく創るもの”と写真家のアンセル・アダムス。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

皆が参加しても参加しない意志 シマウマがライオンを蹴り殺すこともある
木を植えるにも十年の計 過去のことで苦しまない、明日のことで思い悩む
人の真似だけはしない 真正面から問題点を指摘してくれる敵を大事にする
敗因の責任転嫁は決して許されない 危機感に駆られるだけの開発は要注意

皆が参加しても参加しない意志が必要になっているのかも。最近使われなくなった“志” という言葉も改めてかみしめる必要がありそう。過去のことで苦しまない、明日のことで思い悩むのが本道。世の中は粘土みたいなもの。志を貫くためにも、形を変えながら進化・変身。真面目を貫くとは真剣勝負の世界を生きること。真正面から問題点を指摘してくれる敵を尊重。時には豆腐の上を歩く慎重さ。シマウマがライオンを蹴り殺すこともある。“眼よ。眼は心を表わすから一番大事” と女優のオードリー・ヘップバーン。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

才能豊かで周囲から高い評価を受けても 必ずしも成功する保証はない
そう評価された人のほとんどが いつのまにか、どこかに消えてしまう
自らにプレッシャーをかけられず 一方であまりにも完璧に拘りすぎる
苦手は誰にもある 難題を一つずつ克服することが他にないものを生む

才能豊かで周囲から高い評価を受けても成功する保証はなし。目にみえるモノを追うだけでは通り一遍で大抵はダメ。目に見えない直観する力が最後は勝負を決めることも。人間世界だけに閉じこもっていたらわからないことも一杯あるはず。人間関係・存在感・社会的影響力を日々磨くしかなさそう。何事もことを起こす時は成功を語らず失敗から考えること。余り完璧に拘りすぎないこと。ただ、人間や道具の関係性には拘ること。“何かにハマる:通から好き者へ、更に道楽者から極道者へ” と生態学者・梅棹忠夫。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第120回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

3月 10 23

風景で読み解く横濱 (第十一話)復興博覧会の時代

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第十一話 復興博覧会の時代

前回は大正3年に開催された横浜最初の大規模展示会「横濱勧業共進会」を紹介しました。実績としては大成功とは言えなかったようですが、地域には発展のキッカケとなります。
「小横濱」から「大横濱」への計画が立案された大正時代の横浜は”横浜都市計画元年”とも云われている組織変更を行います。
1919年(大正8年)久保田周政(きよちか)市長は都市計画を行う市区改正局と社会福祉を担当する慈救課を設置し、本格的な市政発展を目論みます。大正11年に発行された大横濱都市計画図にはなんと北は多摩川までが大横濱の範囲となっていました。
この計画は関東大震災で降り出しに戻ってしまいます。川崎は1924年(大正13年)7月1日に市となり、東京・横浜は共に直後大胆な都市計画を立てますが、帝都とは異なった復興の道を歩むことになります。
帝都大改造に踏み切る東京に対し、横浜は初期プランをあきらめ大正横濱の復活に舵を切ります。背景には復興予算不足と、大きな変化を嫌った地元経済界の意向も働きました。

 

 復興宣言

震災復興事業の中で、海岸部埋立地と都市公園が特筆できます。
横浜は貿易都市から工業都市への転換を図るため北部湾岸埋立を官民で加速させます。道路整備を含めた都市構造の再編成は中々進みませんでしたが、横浜港の拡張や埋立、周辺町村編入による市域拡張を大胆に行うことで港都横濱復興を実現したのが有吉忠一市長でした。
震災から4年、1927年(昭和2年)に国の復興局が廃止、市も6月2日<復興>を市内外に宣言する「大横浜建設記念祝賀式」を開催しましす。この時、式典には秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)を迎え、望月圭介逓信大臣を始め、1,557人もの市内外の名士が集まり盛大に挙行されました。
秩父宮は式典に参列する前、市長有吉忠一により復興状況の説明を受ける姿が写真に残されています。

続いて1930年(昭和5年)4月23日を復興記念の日と定め、昭和天皇の「お祭り騒ぎにならぬやう」の下、静かな「復興記念祭」が挙行されました。
この年3月に山下公園開園、先の昭和2年には海岸通りを挟みホテルニューグランドが開業し復興都市の一片が整っていきます。

 

 舞台としての復興公園

そして一段落ついた1935年(昭和10年)に「復興記念横浜大博覧会」が開催されます。

「大正12年の関東大震災から立ち直った横浜市が復興を記念して産業貿易の全貌を紹介するため、山下公園約10万平方メートルを会場に開催した。風光の明媚と情緒随一の山下公園には、1号館から5号館まで各県と団体が出展、付設館として近代科学館、復興館、開港記念館のほか、正面に飛行機と戦車を描いた陸軍館と、1万トン級の巡洋艦を模した海軍国防館が作られ、館内に近代戦のパノラマがつくられ、戦時色の濃い内容であった。特設館は神奈川館のほか満州、台湾、朝鮮などが出展。娯楽施設は真珠採りの海女館、水族館、子供の国などがあり、外国余興場ではアメリカン・ロデオは、カーボーイの馬の曲乗りと投げ縄や、オートバイサーカスなどの妙技を見せ喝采を浴びた。この博覧会は百万円博といわれた。(乃村工芸資料)」
会場は復興事業の一つとして整備された山下公園一帯で、結果来場者数はのべ3,299,000人にも上りました。
横浜市が戦前最初にして最後の一大博覧会となったのです。

 

 時代の鏡

博覧会は、時代を写し出します。
開催された「復興記念横濱博覧会」は、現在の公園からは想像がつかない程の大テーマパークに変貌しました。
この博覧会が開催された1935年頃の様子を見てみます。
当時、日本にとって一つの大きな計画が進められていました。アジア初のオリンピック開催です。1932年(昭和7年)に行われたIOC総会の席上、日本代表はIOC会長に対し正式にオリンピック開催の招待状を提出します。しかしアジア初のハードルは高く、通例の総会では決定することができず、候補地選はさらに混迷を深め決定は1936年(昭和11年)にずれ込みます。
この間の1935年(昭和10年)、震災からの復興を国内外にアピールする絶好のタイミングに、横浜博覧会が開催されることになります。
発行された会場図を紹介します。

鯨の生簀を設置しますが、数日で死んでしまったそうです。現代なら大問題です。出展ブースは当時の情勢を反映し「満州館」「朝鮮館」台灣館」別途「阿里山館」を確認できます。移民の関係の「ブラジル館」、かろうじて独立を保っていた「シャム(タイ)館」も当時の様子を伺うことができます。
既に満州事変が起こり、日中戦争目前、出展国としては大掛かりなメニューを用意した米国とは6年後に対戦国となり、戦後はこの山下公園に米軍住宅が立ち並びます。

もう一つの山下公園史を紹介しました。

※ここに紹介した絵葉書・絵図等は個人蔵を使用(一部加工)したものです。 転用等はご遠慮ください。

 

(第十一回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

3月 10 23

第118回 『旅するよう・遊牧的に暮らす』

by staff

(株)GEN INOUE
井上 玄

今でも軽井沢や熱海などの避暑地やリゾート地に個人で別荘を持ちたいと思いますか?
既に所有している人も、一年に数回しか利用せず行っても掃除ばかりで建物のメンテナンス費用も嵩むなど、デメリットを感じることが多いようです。そんな中、使わない時は収益を生む別荘を建てる人が増えています。
ここ数年、私の設計事務所でもこのような仕事が増えてきました。昨年の夏にオープンした千葉県富津市の一棟貸しのコンドミニアム「Asile」(https://www.ikyu.com/vacation/00051536/)もその一つです。この建主はコロナ禍でも安心して旅行を楽しめる施設として利用した一棟貸しコンドミニアムの安全性やプライベート感に魅了され、その需要を感じ一棟貸しのコンドミニアム(コンドミニアムは基本、自炊です)を建てようと決意したようです。都内から60分程度でアクセスできる範囲で、他にはないアクティビティを行うことのできる施設を目指し、プールやサウナがある一棟貸しのコンドミニアムを富津の海が見える場所に建てました。この施設は「一休」などで予約することができる不特定多数をターゲットにしたコンドミニアムです。

今、設計中のプロジェクトにも同じようなコンドミニアムがいくつかあります。波が良いサーフポイントの海近のコンドミニアムや周囲に軽食や宿泊施設がない場所での自宅+カフェ+民泊の機能を持つもの。いずれもその場所の良さを最大限生かし、その地域に新しい価値を付加しおうと計画しています。この二つに共通することは、建主自身がこの場所の魅力にとりつかれていること、その魅力を共感してくれる人がいると信じていることです。同時に、不特定多数の需要を狙うより、自分の趣味や考え方に共感してくれるニッチな需要を求めていることも特徴です。

一方、別荘のサブスクや数人で一つの別荘を所有するサービスが増えてきました。その代表的な一つが「NOT A HOTEL」です。(https://notahotel.com)これは一棟購入やシェア購入という形で施設のオーナーとなり、その出資金額によって使える日数が決まっています。自分の持っている日数の中で使わない時は貸して収益を得ることができます。また購入した施設以外も相互利用できる仕組みなので使う人や季節によって好きな場所の施設を選ぶことができます。これは個人で別荘を所有するデメリットを解決することが目的ではなく、多くの人が訪れる場所も固定されることなく、別荘のようなプライベートが守られ非日常を感じられる時間と体験を手に入れることをコンセプトとしています。

このように収益を生む別荘や別荘をシェアするなどの変化が起こっています。この変化は別荘の在り方や使い方を超えて、私たちの日常生活・暮らしにも影響するのではないでしょか?私たちの暮らす場所は誰が決めたのでしょうか?私の暮らしも子供の成長とともに大きく変化しています。駅から遠くても自然豊かな環境を優先させる時期、逆に利便性を優先する時期もあるでしょう。住まいの在り方も、庭のある大きな家に住むことが楽しい時期もあり、マンションのようにコンパクトに暮らす時期もあると思います。これからの暮らしは一つの敷地や住まいに拘束されることなく、遊牧的に旅をするように暮らしてみるのも楽しいかもしれませんね。

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

3月 10 23

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #28

by staff

カルマ(ご縁)の解放、解消

ヨコハマNOWの関係者や読者の方でもFACEBOOKでご自分の情報を発信している方が結構いると思います。私もマウイから帰ってきてすぐにFACE BOOKを初めて、今ではいろいろな人と繋がって1300名以上。500名くらいから徐々に把握できなくなって、現在は申請保留中の方が沢山います。仕事柄、致し方ないかなと現状を維持するのが精一杯です。
そんな私のもとにちょっと変わったコメントが入ってきたのは4~5週間前でした。
外国の女性からで、彼女曰く「一度申請をしたけど、駄目でした、もう一度申請したい」と、ちょっと申し訳なさを感じて受けたら、早速メッセンジャーにチャットが入りました。
私は外国の男性からの申請は、出会い系の様なメールが来るのでいつも無視しています。が相手のHPを見たら女性の写真です。直感的にエネルギーが中性っぽいものだったので、その数日前にとても感激した日本のお坊さんでトランスジェンダーの方を取り上げてシェアした直後でしたので、それを見て申請してきたのかもしれないなと、いたってオープンにそのメッセンジャーのやり取りを始めました。ところが相手がLINEのIDを教えて下さいと尋ねた途端。私の中でアラームが鳴って。アッ!これは詐欺師?かな!と。
普通は、ここでさらりと申請を取り消すのですが、今回は違うケースをたどった私の物語をシェアさせて頂きます。

輪廻転生という生まれ変わり説を自分の人生に受け入れている私には、時々過去世のビジョンが見えることがあります。そんなビジョンの中で以前にも一度お話したことがありますが、ヨコハマNOWの編集長の辰巳氏とは 前世のどこかで、一度お互いが詐欺集団に属していて、私達は非常に有能なチームワークを保っていました。
そして調子に乗って、ボスの目を隠れて二人だけで 儲け話の詐欺を仕掛けて、それがボスにバレてあっけなく殺されてしまうのですが。
注・・今世では詐欺は卒業してまっとうな人生の中で世の中に尽くそうと思っております。
注・・この話は、あくまでも私のビジョンですので信じる信じないは 個個人に任せます。

私は彼女(アメリアさんと名乗っています)に不思議なご縁を感じてやり取りを始めました。彼女は、大阪で生まれてノースカロライナで育ち 現在はベテランの女性兵士としてイエメンに配属されているらしく、4年前に夫を交通事故で亡くしたそうです。もうじき6歳になる息子がいる事、そしていつか退職して息子と二人で自分の生まれた日本に住みたいと。その後のやり取りでは、10歳の時に両親と妹が飛行機事故で死んで、叔父さん宅に引き取られたが、5年後に叔父さんが血液の癌でなくなってその後、彼女は軍に入隊して今に至っている事等、私は天涯孤独な状況だと知って素直に彼女に同情を感じました。

1億5千万円の貯金で日本の家を買って、喫茶店を経営したい事も聞いて、「京都、奈良や神戸なら貴方が生まれた大坂に近くて 特に京都は外国人が住むには楽でしょう!」と、まるで姪っ子や、親しい友達の様にやり取りしていました。来日した彼女と空港でハグをしている情景なども浮かんで、日本に来たら良い友達として力になってあげたいと心から思いました。しかしその反面 心のどこかでこれは詐欺かも! と言う気持ちもあって、この後どんな展開になってゆくのか、ワクワクハラハラと変な冒険心もあるのです。

私自身の仕事が忙しくて、丸一日以上返事が出来なかったある日、彼女からのメールで、2か月前に申請した退職願いが 国連と軍に許可され、今打ち合わせをしている事、条件としてアフガニスタンに5週間の最終任務、結構命がけのミッションらしい。を受けなければならず、そのあとに日本へ行きたいが 退職金と私の重要な今までの仕事の書類などをあなたの家に送りたいので住所を教えて欲しい!そしてラインのID も。
荷物をアフガニスタンには持ってゆけないので行く前に大至急送りたい!からと。

さて!来た!!  LINEのIDが又、催促され、私の胸は複雑に高まりました。
そして、突然ヨコハマNOWの編集長 辰巳氏の事が頭に浮かびました。私と辰巳氏が関わっていた前世の時代に、今、私に詐欺を仕掛けてくる彼女も生きていた確信が生まれたからです。一瞬私と辰巳氏の間の子供か! とも思いましたが、違う! では辰巳さんの奥さんだった? これも違う気がして、私は居てもたってもいられなくなり、人の迷惑顧みずの境地で辰巳氏に電話をかけましたが、打ち合わせ中で話は出来ませんでした。私の方も数分後には打ち合わせが入っていました。

令和5年の日本の冬。田舎はのどかです。
アメリアからのメールで触発された過去世での記憶。彼女が現在どこかから仕掛けてくる詐欺の罠、そして今自分が歩いて向かっている仕事の打ち合わせ、などが全て交差してイマココに混在しているカオス。約束の場所に着いたとたんに辰巳氏から電話が入りましたが、私は自分の頭が整理できてなくて支離滅裂。とりあえずアメリアとのやり取りを転送すると伝えて電話を切り、現実に戻り深呼吸の後、建物のドアを開けました。

インスピレーションはいつも 明け方目を覚まして数分間の布団の中に居る時に届きます。

その日の午前中、私は日本の常識人? としての誠意と礼儀を持って彼女に 日本では現金を小包で送るのは禁止されている事、相手に迷惑をかけるような行為、例えば友人宅に荷物を送っても税金がかかってそれを受取人が立て替えなければならないような事は困る事などを説き、自分は受け取ることは出来ないと伝えました。彼女は「貴方を信じている! 貴方しか今信頼できる人がいません 助けて下さい」と悲痛な叫びのメールが返ってきます。
そして一時保管の出来る運送会社があるか探して見ます。と私が返事をして。
まずヤマト運輸の国際部所に、入国時にヤマトの保管センターに入れることが出来ないか、電話をしてみました。それから私の旅は一挙に展開を迎えます。
ヤマト運輸では入国時に一時保管を受け付けるシステムはありませんでした。その後国際担当へ電話を回してもらい、担当の女性にイエメンにヤマトがあるかどうかと聞いたとたん、担当の女性が「イエメンですか!! ヤマトはイエメンにはルートがないのですが」と一言置いて「実はイエメンの問い合わせが結構来ていて、男女を問わず軍人さんなどの話で結婚詐欺の話が多いので気を付けて下さい」と。声を潜めて教えてくれました。

そして私はその日一日中イエメンで私の助けを待っている?アメリアのために色んな所に連絡して、外務省から、#9110番の警察相談、そして最終的にイエメンの日本大使館までネットで行きついて、彼女を助けられることは出来ない事を知りました。

私の不思議な友人、アメリアの言う事は、イエメンの日本大使館がトップに挙げている詐欺の手口にぴったりと当てはまってしまい。私は彼女にその大使館の注意書きのコピーを添付して、サヨナラを告げました。最後のメッセージは「貴方の人生が幸せで在りますように」そしてブロック!

翌朝、新たなひらめきが届きました。
私が詐欺を働いていた前世に、もう一人、そばに子供がいたことに気が付いたのです。
そう! 詐欺の時に子供がいる事はとても有効なんです。子供がいると感情的に相手の人は裏切れないから。人の愛情をうまく利用して働く詐欺の一番の手口。
詐欺がバレて殺されてしまう迄、私達の子供としてよく使っていた孤児の少年がいたのです。まだ6歳か7歳だったので、殺される様なひどい仕打ちはされなかったと思います。

「アメリアはあの時の子供の生まれ変わり!だわ」私はしっくりと、腑に落ちました。

私はいつか、彼女を助けてあげれなかった事を、彼女の話を丸ごと信じて受け止めてあげれなかった事を後悔するかもしれないなと、ブロックをする直前にちらっとよぎりました。
でも今はブロックしたことがベストな選択だと思えます、その翌日から、私自身の精神状態がとても安定して穏やかになったからです。肩の荷が下りた様な軽さが心に生まれて、自分の奥底にあった罪悪感が一層できた様な感覚です。
古いカルマの解消、解放!  私の中に深くこびりついているふる~い罪悪感を断捨離!
生きていて申し訳ないような罪の意識。漠然とした罪悪感。私にまとわりつくそれらの観念が、今回のアメリアとの接触で解放されたような感じです。
相変らず部屋の中は散らかっているけど、少しずつでも綺麗になっているから大丈夫・まだまだ、アセンションへの学びは続きます。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

(早苗ネネ♪)

 

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「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

3月 10 23

私にとっての横浜は「初めての挑戦の場」です。80年代アメリカの雰囲気を感じるカフェ SUN BRONCO(サンブロンコ)店長 矢島祐二さん

by staff

よこはまばし商店街から路地を入ったところに美味しいコーヒーを出すお店を見つけました。アメリカンな雰囲気の『SUN BRONCO(サンブロンコ)』。店長は川崎生まれの川崎育ち。店長にとっての横浜は「初めての挑戦の場」だそです。「何かに『挑戦』することは結果がどうであれ、確実に私の人生経験の1つになっていきます。『はめを外しても、人の道は外すな!』 母の言葉を胸に、しっかりと歩いて行きたいと思います。」と矢島さんは言います。今月は店長の矢島祐二さんにご登場願いました。

SUN BRONCO(サンブロンコ)店長 矢島祐二さん
 
SUN BRONCO 店長
矢島祐二さんさん
 
お名前 矢島 祐二(やじま ゆうじ)
お生まれ 1988年9月(川崎市麻生区)
お住まい 川崎市宮前区
ご家族 一人暮らし(母と兄がいます)
お仕事 SUN BRONCO(サンブロンコ)マスター
HP https://sunbronco-official.com/
趣味 オンラインゲーム

 

負けず嫌いな子でした

ご飯は米飯が大好きで、おかずを残してでも白飯をたらふく食べる子でした。年子の兄がいます。遊び相手は兄と兄の友人、年上の子供たちで・・・例えば、自転車で遊びに行く時は、自分だけ補助輪付なのが悔しくて 悔しくて、毎日頑張って練習して、補助輪を外したことを思い出しました。自転車レースでは、年上の子と良い勝負をしました。負けず嫌いな性格は幼い時に身に就いたと思います。

年上の子達と一緒に遊んでいたので、同年代の子に比べると身体能力は高かったと思います。とにかく、走るのは速かったです。

勉強嫌い・・・

小学校では、勉強よりも運動が好きで、当時は放課後に校庭が解放されていたので、下校時間まで校庭で走り回っていました。家に帰るのは夕食の時間、遊び疲れて宿題もそこそこに寝てしまい・・・予習復習を疎かにしていたせいで、成績は上がらず、授業を受けるのが苦痛でした(苦笑)。

高学年になって入ったのはスポーツ部。球技や器械体操などスポーツならなんでもありというか、ゲーム感覚で楽しめるスポーツ部でした。学校は頭でなく体を動かす所だと思っていましたね(苦笑)。

陸上の顧問からスカウト?!

中学校ではバスケット部に入りました。 TVのアニメ「スラムダンク」の影響でバスケット部は人気がありました。 ドリブルやカウンター速攻の練習をたまたま見ていたのが陸上の顧問で「君は陸上が向いているよ」とスカウトされました。

陸上では短距、100M走の選手になりました。中2の時に県大会まで行きました。中学生の短距離走とは言え0.01秒を競う種目です。強豪校には、短距離、中長距離にはそれぞれ得意なコーチがいて、専門的なことを学ぶようですが、残念ながらそういった指導を受ける事が出来ず、スタートのテクニックの壁を超えることができませんでした。スタートで出遅れてしまう癖が取れず、結果は予選で上位に入れるくらいでした。

高校の受験の失敗

勉強が苦手でしたから高校入試の時期になると「偏差値」で選択できる進路は限られてしまいました。希望校が合併したばかりで「偏差値」が公表されず、担任から勧められた高校は「工業」高校でした。「高校は卒業していた方が良い」という言葉に、「工業」を学びたいとか学びたくないとか深く考えもせず入学してしまい、入学してからカリキュラムに悩む毎日となりました。

工業高校で3年学び、学校推薦で就職するのが「流れ」・・・流れにそのまま乗ることもできました。そうなると、好きでもない「工業関係」の仕事に一生縛られることになります。「流されるのは嫌だ! 今、辞めなければ後戻りはできない」と思いました。そして、高校を中退することに決めました。

アルバイトから寿司職人へ

一方、高校生になると同時に、地元の回転寿司屋でアルバイトをしていました。チェーン店では無く、回転寿司屋としては中規模店で、魚は市場で仕入れ、それを捌いて仕込みを行います。珍しい魚が入荷することもありました。実際に魚と接し、板長や職人たちの話を聞きながら裏方をしていると、いろいろなことが学べます。学業よりも、こちらの方が面白くなっていました。

高校を中退するか迷った時、自分は「職人」が向いているような気がしました。アルバイト先の板長に相談し職人見習いとして雇い入れてもらいました。

見習いの雑用からまかない料理を任されるようになりました。まかないは余ったものなど、そこに在るものを使ってアドリブで創作することが多く、腕試しにはもってこいでした。

そして、念願の寿司職人として店に出してもらえるようになると、日々、「接客」が勉強になりました。お酒はラベルを上にして注ぐとか、肴を出すタイミングの取り方とか、基本の「き」から学びました。それが楽しく感じられました。

ランチとディナータイムの間の休憩時間は近くのゲームセンターでスイッチを入れ替えました。

対戦ゲームで知り合った女性グループの一人とデートをした時のことです。母から「帰りは家まで送ること」「家族と会うのが気まずいのなら、女性が玄関に入るのを少し離れたところから確認してから帰ってくるように」と言われました。

高校を中退したのと同時に「学校」とか「学生」といった「保護」してくれていたものが無くなり、社会の厳しい目に晒されます。自分の行動に伴う「責任」が重くなります。んな自分の支えになったのが、「若いのだから、時には羽目を外しても良いけど、人の道は絶対に外してはいけない」という母の言葉でした。

若くして社会に出たから、いろいろな誘いはありましたが、母の信頼と、もともと生真面目(笑)な性格なので、期待に応えられたと思います。今、私は一人暮らしをしていますが、母の住む場所からはすぐの所です。母の外出に付き添ったり、家事の手伝いをしたり・・・要介護になった母を今度は自分が支える番だと思っています。

SUN BRONCO(サンブロンコ)
神奈川県横浜市南区浦舟町1-1-7
https://sunbronco-official.com/
ACCESS:地下鉄ブルーライン 阪東橋駅 1A口から徒歩5分
横浜橋通商店街の中、海鮮丼TAKARAの角を入りすぐ
阪東橋駅から350m

荒井工務店との出合から

飲食業では、有名店で修業したとか一流の親方の下で修業しないかぎり、新しい店に移ると、そこでは見習い扱いとなります、1から修業のやり直しです。転職を考えた時、飲食業に留まるかどうか悩みましたが、まったく違った業界に入るのも面白いと思い、土木関係の仕事に就きました。ガードレールなどの防護柵の新設、撤去などを行う仕事でした。

その仕事に3年いました。職場は高齢化が進み、若手の作業員が少なく将来性に不安を抱くようになりました。縁とは不思議なもので、お付き合いのあった女性の友人が株式会社荒井工業の社長に嫁いでいたことで、声を掛けていただき、荒井工業の社員になりました。

本当に「縁とは不思議なもの」だと思います。まず、高校を「工業関係は自分には向かない」と思って中退した自分が、溶接の資格やフォークリフト、天井クレーンの免許などを取得するために講義を受けていることが信じられませんでした。いくつもの資格を取得し、「さぁ、これからだ!」と覚悟を決めていた時のことです。「社長が喫茶店を開くらしい」という話が耳に飛び込んできました。「へぇ~~喫茶店?!」といった反応で聞き流していましたが・・・

縁は縁を呼び、荒井社長から「飲食関係にいたのだから手伝って欲しい」と言われて、再び飲食の世界へ、それも「店長」ということで、話がトントンと進んで行きました。

メインメニュー(左)と店長のオススメ(右)

2022年10月1日、SUN BRONCO(サンブロンコ)の開店日

コーヒー好きの社長は、出張先などの喫茶店で飲むコーヒーに物足りなさを感じていました。80年代のアメリカに憧れ、アメリカでも美味しいコーヒーを求めて各地を旅し、行きついたところが「自分の店を持ちたい」という夢・・・夢の実現でした。

「勝負をするなら、馴れていない場所が良い」ということで、川崎市民の我々には「知らない場所」である「横浜橋商店街」からちょっと入った場所に店を構えることになりました。もともと「カフェ・リーフ」と言う名のオーガニック食材のカフェがあった所で、レイアウトはそのまま、インテリアをアメリカンカントリー風に、壁には板を貼り付け、社長がアメリカで購入したルート66のメタルサインや車のナンバープレート、バッファローの角のオブジェなどで飾りつけました。

1歩店内に入るとアメリカンな雰囲気が広がり
コーヒーのいい香りがしてきます

長椅子は斜め向かいにある革専門店「ダンテラードバグ」さんに貼り替えをお願いしました。当店でお出しするパンは、お隣の「ハーバーベーカリー」さんのものです。地元の皆さんのお力を借りて、2022年10月1日に『SUN BRONCO(サンブロンコ)』がOPENしました。

インスタ映えする可愛いメニュー

コーヒー好きのオーナーは、アイスコーヒーがおしゃべりなどしているうちにアイスが解けてしまい、味が薄まってしまうことを気にかけていました。 「味が薄まらないコーヒーを出すには?」と考え、コーヒーで氷を作ることを考えました。これなら解けてもコーヒ―は薄まりません。「この氷に工夫できないか?」と思い、シリコンで型を取り「くまちゃん」の形の氷を作ることになりました。この可愛い「くまちゃん」氷がインスタ映えすると人気となり、他のドリンクにも「くまちゃん」氷が登場しています。

アイスコーヒー(左):可愛いクマの形のアイスはコーヒーでできています
コットンキャンディ(綿あめ)(右):カラフルでインスタ映え間違いなし!!

他にもインスタ映えするメニューをご用意しております。オーナー夫人からも「女の子の目線」で「可愛い」と思うデコレーションがアドバイスされ、花柄のチョコレートや、カラフルな綿菓子などなど、インスタ映えするメューができました。

そして店長の私からのお勧めメニューが「ハラミステーキ」です。ハラミは横隔膜のお肉で、肉質が柔らかく、脂肪も控えめで、肉本来の味が楽しめる部位です。絶品のソースで提供するアメリカンティースト、是非、お試しください。また、オーナーがこだわるハンバーグも美味しいです。

あなたにとっての横浜とは?

横浜橋商店街は「安い」「多い」を求めて多くのお客様が集まる商店街です。商店街からちょっと入った当店もコスパの良さが求められます。そこでランチタイムには1コインで楽しめるメニューをご用意しました。

とにかく今は食べて知っていただく事を目指して頑張っています。来店された方から「美味しいよ」「こんな店があることを知らなかった」と声を掛けていただき、リピーターが増えて来ました。

「やっている?」とフラ~と入って来られたお客様に「ああ、やってるよ」とフレンドリーに話ができる、そんなキッチンにしたいと思います。周知されるまでは本当に大変だけど、その分、やりがいもあります。

さて、私にとっての横浜ですが、横浜は「初めての挑戦の場」です。何かに「挑戦」することは、結果がどうであれ、確実に私の「人生経験の1つ」になっていきます。「はめを外しても、人の道は外すな!」母の言葉を胸に、しっかりと歩いて行きたいと思います。

私にとっての横浜は「初めての挑戦の場」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

2月 10 23

2023年2月 三ツ池だより 「あやしい雲!」

by staff
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今年もまたおだやかな年明けだった。でもどうなっていくのだろうか。

 「世の役にたってきたのか」 けんじ
年のはじめに毎年のごとく誓ってきたのは
一歩前進し世の役に立つことと書いてきた
  一年終わってどうだったのか
  何のお役に立ったのだろうか
会社の維持・社員教育をしてきた
どんな役立ちをしてきたのか
  自己満足といわれそう
  自分勝手といわれそう
それでもやってきた
皆の成長を願ってきた
  会社のまわりのゴミを拾ってきた
  街をきれいにしてきた
でもどうなのだろう
大した力にはなれてなかった

お正月飾りの風習がどのように変化していくのであろう。

 「どう生きる」 けんじ
人を助け
人の役に立つ
  それは
  相互信頼だ
勝った負けたではなく
役立つお互い様
  今日がきょうであり
  明日はあすなのだ
相互信頼が役に立つ
そして自分の力を伸び伸びとさせる
    ありがとうの声が
    相互に飛び交う街に!

一昨年の2月号に次のような文を載せている。

 「今日は」 けんじ
ありがとう
こうして元気に笑い合えることが
なによりも嬉しい
  今日は満月の日
  大変珍しい満月だそうだ
  だんだん上空に上って行く
200年に一度の満月だという
変化がおこる
よい方向に動くのだ
  ひどいことをしていた悪者が滅びていく
  不平のない新しいシクミづくりの誕生
  平等で信頼できる新しいシクミに

アラブへ飛んでいった安部首相は日本の船の安全のために行った。あの飛行機事故の時期にたまたまぶつかったのだが、あの姿勢に感動した。日本の石油の輸入は大事だ。いま、輸送船の航路をしっかりしておくことは大事だ。日本の産業を支えている石油の輸入が滞って大変だ。安部さんが英語を話せるのはいいこと。通訳を入れず話が出来るのは晴らしい。安部首相らしい行動が嬉しい。世界はひとつのあたらしい仕組みが出来上がるはじまりの年であることを願っている。

 「書くこと」 けんじ
書くことは
記憶に残ること
  記録は積み上がっていく
  書くことは又記憶を呼び出していく
書くことでつながっていく
つながることで深まることにもなる
  人は記憶を残すために生きているのではない
  日々是好日
一日を大切に生きること
書くことを共として

毎日暗いニュースが出てくる。時代はどのように展開していくのだろう。お互いに歩みよるということが教科書だけになってきている。

 「それでいいの」 けんじ
それでいいのさ
待つのさ
それでいいの
それでいいのさ
  行く道は
  見えないけれど
  行くのさ
  自分の道だもの
どこへ行くのか
何をするのか
行きたい所へ行く
今やりたいと思っていることをやる
  それしかないさ
  己の道を行くのさ
  道はつながっているのさ
  自分で自分の道を選ぶのさ

 「川崎が変わろうとしている」 けんじ
産業の近代化があって
その教育が必要であって
官から民への体制づくりがあった
  川崎が発展し
  産業が他県へ広がり
  川崎が新しい街にならないといけない
今川崎は変わろうとしている
羽田とも近くなり
世界とのつながりの街になる
  日本はどこへ行く
  川崎はどう変わる
  大事なのは良心をどう保ち続けるかだ
川崎だから出せる
川崎こそ日本の見本として
日本の良さを一層示せるといいなぁ

いつの時代も課題がある。“あるから困った“のではなく、あるから挑戦していくのだ。挑戦は怪しい雲に積極的に向かいあうことだ。

 「それでいいよ」 けんじ
何故って
想定外のことを考えたってしかたない
今していることをしていく
出来ることをしていく
  それでいいよ
  それって何かって
  今までしてきたことを続けていく
  やりたいことにチャレンジしていく
何故って
考えられないことはできない
やっていることの工夫は出来る
それでいいんだ

 「木が生きている」 けんじ
大きな木があり
小さな木がある
  生きている
  存在している
ゆっくり木を眺めていると
その存在がとても素晴らしい
  しっかり大地に根付き
  ビルの谷間を守っている
もう何台車が通っただろう
じっと立っている素敵な木たち
  どこにも行かず眺めてる
  日に照らされ光っている

新しい日本の姿を求め続けていきたい。怪しい雲の向こうに必ず新しいものを見つけに、いや見つけられるのだから、勇気をもって進んで行きたい。川崎がでなく、日本が変わっていくのだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

2月 10 23

ゆるマナー講座(第84回) 花束を贈るように

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

人生の節目を彩る花束

お誕生日などのお祝いや感謝の気持ちを伝える時など人生の様々なシーンで花束を贈ることがあります。受け取る側はもちろん一瞬で笑顔になりますが、花束を贈る側も選ぶ時間から相手の喜ぶ顔を思い描いて笑顔でいるのではないでしょうか。人との関わりの中で様々なシーンを彩るプレゼントです。
だからこそでしょうか。花束という言葉がでてくる歌が沢山あります。
私の心に響いた歌詞の一部です。

<愛をこめて花束を>
「愛をこめて花束を 大袈裟だけど受け取って
 理由なんて訊かないでね…」(Superfly)

<花束を君に>
「花束を君に贈ろう 愛しい人 愛しい人
 どんな言葉並べても 真実にはならないから
 今日は贈ろう 涙色の花束を君に…」(宇多田ヒカル)

<BF is…>
 「刃は向けない 足跡には花束
もう逃げる場所は必要ない 歩く夢を常に照らすライト…」(BE:FIRST)

もちろん花束でなくても一輪の野の花であっても相手の気持ちが嬉しく感じられます。花は存在そのものが美しく清らかだからでしょう。その人の気持ちがストレートに伝わります。

言葉を届ける時にも

様々な想いを込めて贈る花束ですが、言葉を発する時も花束を贈るような気持ちで届けようと意識すると優しい言葉に変わるかもしれません。きっと攻撃的な言葉や毒のある言葉は吐かなくなるでしょう。「言うは易く行うは難し」ですが、ほんの少しでも頭の隅に置いてみようと思っています。

言葉は使い方を間違えると一瞬で相手を傷つけてしまう武器になりえます。時には感情が先走って、言ってしまった~と反省することも多々ありますが、発した言葉はもう元に戻せません。反対に、相手は意識していなくても、相手の言葉で勇気をもらうこともあれば幸せな気持ちになる場合もあります。

ビジネスや接遇の場面においては、言葉遣いや敬語の使い方、話し方、スピードや抑揚、目線の置き方などを意識するようにお伝えしていますが、何より大切なのは技術よりも心持ちなのです。相手を尊重していなければ、ビジネスでも成功は難しいかもしれません。

花束を贈るように言葉を届ける……相手だけでなく自分自身も少し幸せな気持ちになりませんか。

ビジネスを含めて様々な社会生活でかかわる人々や友人、家族にもこんな気持ちで接すれば、周りも自分自身も温かい気持ちになれるのかしらと…花束を贈るように相手に接することをほんの少し意識してみませんか。

花束を足跡に

歩んでいく足元に沢山の花を咲かせる人がいます。そういう方は、見ていると周りの人に花束を贈るように生きているように感じます。また花の種を撒いているのかもしれません。実は自分自身が輝くように努力をしているからこそ周りの人に光を当てることができるのでしょう。

友人の息子が小さい頃、道端に咲いていた野の花を摘み取って「ママ、これプレゼント」と言って母親に渡していました。その小さな男の子が今では父親になり、子どもと一緒に母親の誕生日の花束を選んでいます。花をプレゼントすることで相手が笑顔になることを小さい時分に自然と理解したからです。花はいつも人の心を温かくしてくれたり、喜ばせたり、癒してくれますね。人生に花があると幸せな気持ちになります。

人との関わりも花束を贈るようにと、心の片隅に置いておこうと思います。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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2月 10 23

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第119回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第119回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“商人八訓” は、江戸後期の武士・画家の渡辺崋山が商いの心得を説いたもの。崋山は田原藩(愛知県)の家老の家に生まれながら諸事情で生活は苦しく、得意の絵を売って生計を支えたとか。絵では目と併せて手を重視。後に谷文晁に入門、絵の才能が大きく開花し、20代半ばには画家として著名に。国宝・鷹見泉石像は特に有名。弟子の椿椿山を初め多くの弟子も育成。しかし、晩年は蛮社の獄に巻き込まれて切腹。崋山は蘭学者ではないのに、蘭学者たちの指導者的立場に。思想家・佐藤一斎から教えを受け、時の思想家・藤田東湖をも感服させるほどの存在へ。少年時の苦労から“商人八訓”を執筆。本や知識だけでは窺えない人間の体験を注入。“朝は召使いより早く起きよ・十両の客より百文の客を大事にせよ・繁盛するに従い益々倹約せよ・小遣いは一文より記せ・開店時のことを忘れるな” 等は特に印象的。併せて “八勿の訓” も現代に通用しそう。進化の熱をもって洞察。“ちゃんと生きていれば死は怖くない” と映画監督・北野武。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

コミュニティ これからの社会のキーワード 基本要件の第一は異質性の許容
皆は一つで一致協力、という空気だけでは怖い 極楽から地獄まで受け入れる
国内だけで固まるのでなく グローバル連携を視野にコミュニティを構築する
コミュニティは創造性の規範を内包する 戦後の枠組みから脱皮して震災後へ

“ヒト” を勁くすることがビジネス成果に直結。学校の成績が優秀なだけではダメで “一生学び続けることのできる人材” が採用の決め手に。異種の技術/スキルの融合が欠かせなく、さまざまな力量・技を持つ人とヒトの出会いの場とネットワーク形成が不可欠に。万物の形は方(四角)と円が根本。従来のフォーマルなネットワークだけでは不十分で、インフォーマルなネットワークであるコミュニティが中核に。異彩のメンツとの交流。“自宅では穴が2つもあいた靴下を平気で履いていた” とジョン・レノン。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

事業失敗の遠因 最も乏しい資源である時間管理の不徹底と資金不足が代表格
資金が豊富だと投資が甘くなる 市場と時間は魔物、上昇と思い込むと下がる
同じ地点からモノを見続けるのでなく 変化を読むため、時間と場所をずらす
外来種 最初二、三〇年は環境適応に努め、適応したその後に一気に急増する

外来種は、その地域にいなかったのに人為的に他から入ってきた生物。今や地球上のありとあらゆる環境に侵入。ヒトもグローバルに動き回る時代には、植物から学ぶことも多々ありそう。外来種も移入種・帰化種・侵入種など様々。そこで力を発揮するには、誠実な友を持つか・徹底した敵を持つこと。最初数十年は環境適応に努め、適応した後は一気に増強。しかし、思い通りということは世の中になし。技術一辺倒でなく自然・人間との協創。“資本主義は自動的に持続不可能な格差を生む” と経済学者・ピケティ。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

壁をつくらないこと 透明であることが、ビジネスの成功要因
未来のリーダーは 自由・広い視野・胆力、そして偶然の受容
遠道だけど、結局は近道 一か月が限界と思えば一ヶ月が限界
技術と不退転の決意 波に真正面から向かうと、船は沈まない

未来のリーダーは自由・広い視野・胆力に加え “偶然の受容” も。成熟とは時間をかけた天真爛漫。状況は時々刻々と変化。“既存組織で対応できる変化” と “既存組織では対応できない変化” を判断。対応できない変化にどのような体制で臨むべきかを明確に。コミュニティは創造性の規範を内包するもの。これからはコミュニティを深堀することが大切かも。奥行きと広がり。技術と不退転の決意が拠り所。波に真正面から向かうと船は沈まないもの。“私は何も悔やまない。ゼロから再出発する” とエディット・ピアフ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第119回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

2月 10 23

絵本から笑本へ(第75回) 絵本作家のしゃべりたい絵本。
~今、絵本作家になりたいなら知っておきたい絵本3冊+1冊~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

第5期では「絵本作家のしゃべりたい絵本。」というテーマで
絵本作家らしく絵本についておしゃべりしています。

公共図書館に十年間勤め、絵本作家になる前に日本一絵本を読んできた
「絵本にも絵本作家にも詳しい絵本作家」
そんな保科琢音の新しい絵本の楽しみ方、絵本の読み方をご紹介しています。

第5期5回目のテーマは…
「今、絵本作家になりたいなら知っておきたい絵本3冊+1冊」

今回のテーマは「今」です!

今この時代に、絵本をつくりたい!
今この時代に、絵本作家になりたい!

そう考えているひとには是非是非ご覧頂きたい内容です。

1冊目「おかあさんのパンツ」

作・山岡 ひかる
絵本館・2005年

食べ物をテーマにした絵本が多く出版されているイメージの山岡ひかるさん(56歳)ですが、ぼくのなかで一番好きな絵本はこの「おかあさんのパンツ」です。

山岡ひかるさんの絵のかき方…というか、つくり方は「切り貼り絵」です。
実は、この切り貼り絵で絵本をつくられている作家さんはあまりいません。わかりやすいところだと、せなけいこさん(91歳)が有名です。というか、他に見当たらない。それだけ切り貼り絵は絵本に昇華するのが難しい手法なんですね。その中でこの山岡ひかるはシッカリと切り貼り絵を絵本に昇華されています。とくにこの「おかあさんのパンツ」は勉強になる。

あまりこの手法を使った絵本作家さんがいないのだからこそ、これから絵本をつくりたい、絵本作家になりたいひとは、切り貼り絵にチャレンジしてみるのも良いかもしれません。

冊目「どこいったん」

作・ジョン・クラッセン
訳・長谷川 義史
原作初版・2011年

カナダ生まれの絵本作家ジョン・クラッセンさん(41歳)の絵本デビュー作。
大阪生まれの絵本作家 長谷川義史さん(61歳)が日本語訳をされていることもあって、外国の絵本なのに全編大阪弁で読めるのは日本ならではですね。

この絵本を説明するときには様々な表現の仕方があるかと思います。まぁ読んで頂くのが一番解りやすいのですが…そんなこと言ってしまうと元も子もないので(笑) ネタバレにはならない程度に内容にもふれたいと思います。
淡々と繰り返しで展開していくストーリーだと思って読み進めていくと、だんだんと何かおかしな雰囲気が気になってくる不思議な絵本。最後のオチも読むひとによって解釈の仕方がいろいろあるようにつくり込まれています。「ブラックユーモアな絵本」と安易に言い切ってしまえない、ナニカ本当に不思議な魅力のつまった絵本です。

作者のジョン・クラッセンさんは41歳とまだまだ若い絵本作家さん。ここから彼の絵本がどんどん世界中に広がっていくだろうなと感じさせてくれる存在です。

3冊目「ちょっとだけまいご」

作・クリス・ホートン
訳・木坂 涼
原作初版・2011年

アイルランド生まれのクリス・ホートンさん(45歳)の、こちらもデビュー作の絵本。絵本作家以外にも、デザイナーやイラストレーターとしても活躍されています。

この絵本は個人的にまさに「今の時代にマッチした絵本」だと思っています。
一見するとレトロな風合いを感じさせる絵なのですが、ストーリーを展開していく際の構図や世界観の表現の仕方は新しいアニメーションを見ているかのよう。決して奇をてらった手法を用いている訳ではないのですが、キャラクターの造形を含めとても動きのある絵本に見えます。絵本の大きさやサイズもとても計算されているなと感心させられる凄い絵本。

前出の絵本作家ジョン・クラッセンさん同様、新しい絵本の時代をつくっていく世界的絵本作家さんだと思っています。

と、いつもですと3冊の絵本を紹介して終わりなのですが…今回はギリギリまで紹介しようか迷っていた絵本もついでに紹介しちゃいたいと思います。という訳で「+1冊」です。

+1冊「ルイスがたべられちゃったひ」

作・ジョン・ファーデル
訳・tupera tupera
原作初版・2011年

イギリス生まれのジョン・ファーデルさん(56歳)の絵本。もともと漫画家・作家・イラストレーターとして活動されていて絵本をかくようになったとか。

この絵本は「とにかくおもしろい!」につきます。この絵本を読んだとき「あーこれからこのひとの絵本がどんどん出るんだろうなー」と思っていたのですが…一向に出る様子がない(笑) 勿論、本国では数冊の絵本が出版されてるようですが、日本ではこの絵本1冊で止まっています。なぜだ!?

内容も展開も表現の仕方も他の絵本にはい独自性を感じるので、もっともっと日本でも有名になっていってくれると嬉しいなと。そんなめちゃめちゃ個人的な願いを込めてご紹介しておきたいと思います。

今回の絵本をご紹介しながら

自分自身もとても勉強になる絵本ばかりだなと感じました。

だって同じ時代に生きる絵本作家さん達なのだから。

特に、後半にご紹介した外国の絵本作家お三方は
「新しい絵本の世界をつくっていく新しい時代の絵本作家」だと思っています。

だからこそ、目標であり、ライバルでありたいと思っています。

まぁ彼らからしたら、ぼくなんてなんの脅威も感じない無名の絵本作家なんですが。

でも、ここからです。
追いつき、追い越していきます。

と、なんだか決意表明みたいな最後になってしまいましたが。
ご愛嬌ということで。

今回のテーマ「今、絵本作家になりたいなら知っておきたい絵本3冊+1冊」も
絵本作家 保科琢音のYouTubeチャンネル『笑える絵本ダナ』にて同じテーマで動画公開しています。

第5期「絵本作家がしゃべりたい絵本。」は、YouTubeとの連動していくカタチの連載コラムになっています。

コラムでは書ききれない部分を動画で。
動画でしゃべりきれない部分をコラムで。

コラムとYouTubeの新しい試みを是非、楽しんでもらえると嬉しいです。

絵本作家 保科琢音チャンネル『笑える絵本ダナ』
今、絵本作家になりたいなら知っておきたい【絵本3冊+1冊】

絵本作家 保科琢音 チャンネル『笑える絵本ダナ』

https://www.youtube.com/channel/……

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
1983年生まれ。br />
神奈川県横浜市在住br />
2013年 絵本「あっかんべー」出版br />
2019年 絵本「ままも」出版br />
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」・「よぞらのおくち」同時出版br />
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版br />
2020年 ベトナムにて絵本「ねてばかりいるカバ」出版br />
2022年 絵本「よぞらのおくち」・「たまちゃん」同時出版
 
公立図書館に10年間勤めた後、絵本作家・紙芝居作家として本格的に活動を始める。 絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会(どくえんかい)」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。 幼稚園、保育園、小学校、図書館、美術館、科学館、寺院、子ども病院、療育施設、障害者施設等… 口演場所はこれまでに600カ所以上。 他にも、子育て支援施設業務委託。障害児施設美術プログラム講師。コラム執筆等。 活動は多岐に渡る。また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
 
2021年 出版社「ラフコネクト」設立 取締役社長に就任

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

2月 10 23

風景で読み解く横濱 (第十話)博覧会

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第十話 博覧会

明治以降、日本は欧米から様々な形で近代を吸収する道を選びました。多くのお雇い外国人を招き人を通して近代を学び、自らは欧米の博覧会に積極的に参加しました。
また、国内の産業育成のために大規模な「内国勧業博覧会」や”同種ノ物品ヲ一場二蒐列”する業界・地域毎の「共進会」を各地で開催し産業奨励に務めました。
第一回の内国勧業博覧会が開催されたのは1877(明治10)年東京上野で、以降1903(明治36)年の第五回目を最後にその役割を終えました。
一方の「共進会」は近代日本経済を支えていたお茶と生糸の共進会を初めて横浜で開催することからスタートを切ります。その後煙草・陶漆器・米麦等々様々な分野の共進会が全国で地方博覧会として横浜スタイルで開催されたようです。
横浜はまさに「地域物産展」の草分け的存在といえるでしょう。

 

 横濱勧業共進会

明治44年に始まった新神奈川県庁舎の建築計画が完成する予定であった(明治46年)その竣工紀念に合わせ、横浜市最初の大型地方博覧会として「横濱勧業共進会」を開催することが決まります。ところが、明治時代が終わりを告げ、計画は延期され1913(大正2)年に開催されることとなります。
期間は10月1日から11月19日までの50日間、開催場所はその名を残す南区共進町(昭和3年命名)を含めた大岡川”川外地区”で112,658㎡の会場面積を確保します。田圃であった会場予定地は地主自らの造成によって貸し出され、開催予算は多方面からの寄付によって賄われました。

会場図

会場正面

記念絵葉書

 

 共進会の賑わい

会場へのアクセスのために横濱電気鉄道(後の市電)が駿河橋電停からお三の宮まで延伸し、共進会に備えました。さらに吉野橋を架橋し期間中には弘明寺まで延伸工事が完了します。関内からお三の宮を繋ぐ軸線「伊勢佐木商店街」もこの共進会に合わせて賑わいを記録しています。

この「勧業共進会」は記録によると出品数は75,235点にも及びました。当時としてはかなりの規模を誇る地方物産展となり入場者数62万人で、成功したとされています。
実のところ、当時の新聞を検索してみると、かなり”辛口批評”となっているのがわかります。
「(以下記事引用)
時事新報特集記事小見出し
横浜共進会短評 (一~八)
(一) 陳列の無秩序不統一 原料製造品共種類少し
(二) 手工製品は種類最も多し然も注目を惹くもの少し
(三) 化学工業品殆どなし 織物の種類案外少し
(四) 輸出向織物の欠点 漆器の進歩は遅々 陶磁器の将来有望
(五) 美術品は優秀品少し 図案構想の工夫肝要
(六) 食料品海産物共に少し 農林館の出品至って乏し
(七) 機械館の内容頗る貧弱 参考館内参考資料少し」
記事内容から、この共進会は失敗に近かったと推察できます。
その理由の一つがタイミングの悪さでした。明治天皇崩御で開催が遅れたこの共進会が開催された翌年1914年(大正3年)3月20日から7月31日にかけて、当時の東京府が主催した大規模の「東京大正博覧会」開催の影響があったからだと考えられます。
つまり規模・予算・立地に大きく優る東京博覧会に有力出店者が流れてしまったことで、横濱勧業共進会自体、大手企業の出展が減ったために小粒になってしまったということではないでしょうか。

さらにこの「東京大正博覧会」は皮肉にも「大正天皇即位奉祝」という錦の御旗がありました。残念ながら「県庁竣工記念」では太刀打ちできません。「東京大正博覧会」の入場者は7,463,400人で横濱とは比較にならないものでした。

 

 南吉田・蒔田の発展

でも、この「横濱勧業共進会」一概に失敗だったとはいえないかもしれません。
開港以来、横浜の発展は関内周辺と関外一部の発展でとどまっていたものが、この博覧会開催をキッカケに南吉田・蒔田地区に企業・商店が進出し宅地化も加速していきます。
大正期の横浜市域における鉄鋼・金属加工など関内を支えた工業が共進周辺に育ち震災も乗り越え発展していく礎となったことは間違いありません。

戦前、全国で博覧会・共進会が開催されますが横濱は大正2年の「勧業共進博覧会」以降大きな博覧会はしばらく開催されませんでした。関東大震災の影響も大きかったようです。
横浜が久しく開催していなかった大型博覧会は1935(昭和10)年に戦前最大級となった「横浜復興博覧会」となります。
この「横浜復興博覧会」は次回ご紹介しましょう。

 

(第十回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

2月 10 23

第117回 『竹のアート』

by staff

5′st 一級建築士事務所(ゴダッシュエスティ)
久保田恵子

埼玉県宮代町で、関わってきた『竹のアート』が23年目を迎えました。
竹林を整備しながら、切り出した竹で田んぼにアート作品をつくり、町のみんなに見て楽しんでもらおう、という活動です。毎回15~20団体が参加しますが、私は友人たちと『参番穂(さんばんほ)』というチームを組んで、1年目より、ものづくり・場づくりをテーマに作品をつくっています。
そもそも、なぜそんなに多くの竹林があるのかというと、
関東平野の冬は北風が厳しく、からっ風から家を守っているのです。それらは、樫やクヌギなどとともに屋敷林・防風林と呼ばれ、田園に点在する、こんもりした林は、その地域らしい風景をつくりだしています。夏場は日陰をつくり、涼しい風を運んでくれたり、暮らしの道具や、炭、仮設物にも使われるなど、生活に密着していました。

しかし竹は毎年にょきにょきと生え成長していくものですから、人の手が入らないと荒地となってしまうこともあります。それをみんなで切らせてもらい、お礼にお茶とお菓子をごちそうになり、作品づくりに使わせてもらっています。

さて、その作品ですが、場づくり、というのは、単体のみでは考えられません。どの場所に建てるか?がとても大切な要素です。池のほとりにたたずむものか、人が通り抜ける場所なのか、樹木にそっと寄り添うものか。竹でつくるアートですが、通常設計をおこなっている建築における場との関係性となんら変わりはありません。

アート単体のデザインは、竹の太さ、割り、しなりと素材の特性を生かしながら、場としてふさわしい全体のフォルムを考えています。長く続けていると、アイデアが絞り出せない年もあったりしますが。楽しい時間です。

夜はろうそくの光で呑んで語る1年に1夜だけの『ほ・ほ・ほのBar』をOPENします。
普段なにもない場が、コトを起こすことで、まったく違うエネルギーをつくりだし、モノを中心に、様々な登場人物が現れ、動き続けてゆきます。

竹のアートで、手を動かし身体で感じるものは、ものづくりをする施工者とデザインをする設計者との距離を近づけてくれます。実際仕事の現場で、職人さんとのコミュニケーションにも役にたっています。
竹林の荒れを防ぐ伐採、それを使用してのアート制作、使用後の竹素材の処分、この循環を成立させることは、まだ道半ばです。ボランティアとビジネスのジレンマが横たわりもしますが、竹は、建築・土木・道具・インテリアへの活用など、可能性は無限大です。
このように、竹アートというイベントの中には、様々な要素が絡み合います。一見、単なるオブジェの展示に見えるかもしれませんが、これはひとつの場、コミュニティ作り、さらに言えば、ある一体のまち、むらづくりの疑似体験とも言えます。仮設であること、一過性のイベントであることを強みに、23回もの試行錯誤、実験、体験をすることができました。

しかし、これだけ竹のアートイベントを続けることができたのは、事務局リーダーを務めてくださった地元の建築愛に溢れた建築家の方々、ほほほのBarでの豚汁をはじめ美味しい食事を作ってくださる地元のお姉さま、豚汁の材料にと育てている野菜をもってきてくださる方、そして、ともに作り上げる仲間がいたからです。心より感謝申し上げます。

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

2月 10 23

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #27

by staff

二極化を超えて

立春が過ぎて、やっと2023年のエネルギーが本格的になりました。今年は色んなことが明るみに出て情報戦争がクライマックスに達しているのを感じます。
コロナの事もワクチンの事も、経済やウクライナ・ロシアの事や、その事から波及するように台湾と中国の事など。新聞を見ると、今の世界情勢がまるで戦前の様な気配を醸し出している錯覚に落ち入るのですが、ちょっと待って!本当かな?
国と国とを戦争させて経済を回しているグローバリスト軍産複合体企業の思惑に、果たして私達現代の庶民は乗るのかしら?
昔の様に、情報が一方的であればその情報の流れに乘ってしまう事はいとも簡単な事だと思いますが、現代の様にネットからも世界中の情報が入ってくる時代では、何を受け取るか?どう解釈するか? は完全に個々人の意思に任されていて、私は情報を統率するのは簡単ではないと思っています。
光と闇、悪と正義などは 皆、結構好きで2極化は進むかもしれませんが、対立に至る前に日本人の根底にある中庸の精神が働いて上手くバランスを取ってゆく。日本は清濁併せ呑むことを大人の美徳とする二本立ての国です。メビウスの輪の様に、くるっとひっくり返って光も闇も、悪も正義も表裏一体。これが親和性の日本文化の神髄の様な気がいたします。
マスクも日本の文化として外国の状況とは全く違った動きを見せているし、ワクチンの事もこれからますます暴露されては行くと思いますが、結局のところ時代の変化が大きすぎて どうでも良くなってゆくようなところに落ち着くのではないかと推測します。

私達人類は精神の成長を促されています。今までの弱肉強食・経済優先の世界観で回ってきた文明が崩壊してゆく。その上、これから数十年も立たない内に宇宙文明からの公式訪問が始まります。できたら私が生きている間にそれが起こってほしいと密かに願っていますが、人類の集合意識が地球外生命体としての宇宙人を恐怖心を持たずに、敵対せずに受け入れられるか、又その反対に、未知との遭遇によって地球人よりも数段進化している宇宙人に対して,彼らを神とか 神格化させてあがめないで、自分たちが文明的に未熟であっても依存心を持たずに、対等の人類として友愛と尊厳を持って受け止められるか。ここですね。
いつか宇宙人が来て自分達を助けてくれる!なんて甘い考えを持っていると、又元の木阿弥で原始時代に神とあがめていたあの頃に逆戻りします。
この地球外生物とのオープンコンタクトを受け入れて、本当の意味で宇宙文明の仲間入りができて初めて、アセンション、次元上昇が始まります。5次元です。

最近、私の住んでいる浅口市と同じような岡山の小さな市議会の女性議員さんとお話していて 次元上昇の話になりました。その方はアセンションの事などは全く知らずにいて、次元上昇とはどんな意味かと尋ねられました。現代の科学とはまた違う次元の話ですが、1次元、2次元、私達が住んでいるのが3次元で 4次元は思考の話になりました。私達の思考は例えば今、満月の話をすれば 満月が思考の中に瞬時に浮かびます。時空間を超えたところが4次元だとして では5次元はどうでしょうか?私の勝手な独断と偏見で、誤解を恐れずに言えば、5次元とは人々が最低でも 自分が創造者だと認識できている世界だと、私は思っています。人類の殆どの人達が 自分の創造性に目覚めて、自分の外側に起きている出来事は自分の心の投影が見せてくれているもので、いかようにも変えることが出来る。
その事に気が付いている。それが5次元です。戦争などは私達一人一人の集合意識が変れば跡形もなく消え去ります。怒りの連鎖や憎しみの連鎖、やらなければこっちがやられるという恐怖の刷り込み等が凝縮して、地球上で具現化されている闘争や退廃、絶望。そしてもううんざり!だと思っている人たちが、新しい世界観を内側に創り出して、それが加速度的に広がって波及して以心伝心のビジョンが共有されてゆく時代が来ています。

昔なら、貴方は神です! 私も神です!なんていったら、完全にクレージーだとおもわれて、周りから笑われるか、顰蹙を買ってしまいそうな不安がありましたが、今私は声を大にして皆さんにお伝えしたいと思っています。私達は自分たちが創造主の一片だという事実をしっかりと受け止めてこれからの時代を生きて行く事が求められています。今でも古い思考の方々には 私の話などはたわごとだとしか思わない方も多いのかもしれません。
でも時代は着実に確実に、移り変ってきています。この3次元世界は私達の思考の産物、私達が自分の潜在意識や顕在意識に刷り込んでいる信念や観念が投影されて作られています。このことを認識して受け止めて、初めて人類は自分達で天国を地上に作ることが出来るのです。愛と平和の時代、喜びと繁栄の時代です。地球の女神ガイアが心から望む愛の星への移行。それが5次元へのアセンションと呼ばれるものです。
私達はその次元上昇を肉体を持ったまま移行できるほどに進化してきた地球人類なのです。
ひとつらなりのイノチ。ONENESSLOVE。平和の種が芽吹くとき。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

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「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

2月 10 23

私にとっての横浜は「帰る場所」です。シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表 杉山順子さん

by staff

横浜生まれ、横浜育ちの生粋のハマッコで、色白で華奢な身体からは想像も出来ないくらい心が強く、モンテッソーリ教育を軸に子育て中のママと子どもたちに寄り添い、誰もが公平に教育が受けれる社会を目指し活動をされている杉山よりこさんのご紹介です。

シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表 杉山順子さん
 
シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表
杉山順子さん
 
お名前 杉山 順子(すぎやま よりこ)
お生まれ 1972年7月 中区中央病院
お住まい 西区みなとみらい
ご家族 夫と子1名とうさぎ
お仕事 シアモ モンテッソーリ コンサルティング代表
HP https://love-everything.me/
趣味 ワインと美味しいものを愉しむこと

 

忘れていた幼少時代の思い出

私は3人兄弟で兄と弟がいます。兄とは2才、弟とは3才違いです。
第2次ベビーブームの中、時代の申し子です。小学校は1学年が12クラスもありました。
2歳の時に短い期間ですが父が仕事で アメリカ ノースカロライナ州 ローリーに行くことになり、家族も同行しました。弟はまだ生まれていない時のことです。日本語も覚束ない2歳の私の方が4歳の兄よりも上手にコミュニケーションが取れていたそうです(笑)

私は3人兄弟で兄と弟がいます。兄とは2才、弟とは3才違いです

父がアメリカノースカロライナ州ローリーに赴任時の家族写真

帰国後に生まれた弟は末っ子で甘えん坊、私はそれを疎ましく思い時々いじめていました。一方、兄とは習い事も同じ競い合う仲で、食の細かった兄に対して負けず嫌いな私は食べる事では兄に負けたことがなく、兄の分まで頂戴していたので体格の良い女の子でした。

外遊びが好きで日に焼けがっしりもしていたので、病弱の色白な子が幼稚園の先生に抱っこされているのが羨ましく、ちょっと僻みっぽい性格でもありました。

子どもの頃のそんな自分が嫌いだったので、幼少の頃のことは大人になってからは、あまり思い出したくありませんでした。

見つけたのは沢山の愛をもらっていた私

ヨコハマNOWの取材を受けることになり、思い出したくない過去と向き合わされることになった私は(苦笑)、幼少期に暮らした町に行って記憶を掘り起こそうと思いました。

町は随分と変わりましたが、昔住んでいた家や兄や弟と遊んだ路地や公園、良く遊びに行った近所の家などが残っていて、その場所に立つと過去の出来事が映画を観ているかのように目に浮かんできました。
まるで、その時々の会話が聞こえてくるようです。
「よりちゃんはよく食べるね、お兄ちゃんより食べるじゃない」と微笑んでいた母の顔や「よりこは叔母さんちの4女(末っ子)だから」と慰めてくれた叔母の顔・・・家族や祖父母、ご近所さん、友達、みんなが私の名前を呼んでいる声が、聞こえるようでした。その風景の中で、笑顔の私を見つけることができました。

幼い子でも「嫉妬」や「嫌悪」、「怒り」などの感情を持ちます。人間として当たり前の感情なのですが、経験がない分、どう向き合って、どう対処していいのかを知りません。幼い時はそんな感情が湧くことに「とまどい」「悩み」、そして、どうしていいかわからず自分嫌いになってしまったのだと・・・気づきました。

なりたい自分になれなくて、マイナスの感情のやり場に困っている少女・・・・抱きしめてあげたくなりました。今まで嫌っていたその子に「大好きだよ」と、言ってあげたくなりました。今の私なら一番の相談相手になれると思うのです、なぜなら痛いほどに気持ちがわかる、その子は私自身なのですから・・・。

転校が転機となりました

父が藤沢に勤務していたので、幼稚園、小学校は神奈川県大和市(やまとし)に住んでいて、中学に入学するタイミングで旭区に引っ越しました。誰も私を知らないから「今までの私じゃなくていいんだ」と気持ちが楽になったことを覚えています。中学ではバスケット部に入りました。親友ができました。

一方、英語の授業でつまずいてしまい、中1の一学期から授業について行けなくなりました。中3の夏に母が私の同級生のお兄さんに英語の家庭教師を頼んでくれて、友人と一緒に勉強を見てもらうことになりました。
すでに英語が「嫌い」になっていた私でしたが、中1の最初からやり直してもらったことで文法を理解することができ、なんと英語はみるみる間に得意科目になりました。この時の経験から、わからないことやできないことは理解できるところまで遡って、そして確実にひとつひとつこなしていけばいいのだと、自信をもてるようになりました。

高校ではサッカー部のマネジャーになりました。サッカー部員の要求をくみ取り、「何が必要か」と動いた経験が後の良い宝物になりました。得意科目になった英語を活かして、短大は英文科に入りました。短大は女子ばかりの世界でしたが、私には合っていたようで、チアリーディング部では全国大会にも出場して6位入賞を果たしました。

短大時代 チアリーディング部では全国大会にも出場して6位入賞を果たしました

JALのグランドホステスに!

短大卒業後は1年間、イギリスのバースという町に留学して、アートを学びました。2歳の時に外国で身に付けた(笑)コミュニケーション能力は健在で、様々な人と関わることに喜びを感じました。高校の時にサッカー部のマネジャーとして体得した「人の欲求をくみ取って動く」能力も健在でした。その能力を活かせる職場を探して「JALのグランドホステス」になりました。契約社員でしたが、羽田のチェックインカウンターや搭乗ゲートでの接客は楽しかったです。



短大卒業後イギリスのバースに留学してアートを学びました

お客様の「不安」や「求めていること」を予想し、声掛けをし、適切なサポートや指示を出して喜んでいただき、「ありがとう」「助かりました」「お世話様」と声を返していただけることに誇りと喜びを見つけました。同期や仲間と、旅行や遊びにもたくさん出かけ、尊敬できる人たちとの出会いもありました。
羽田で過ごした3年間は自由で、とても自分らしくいられたように思います。

JALのグランドホステスの頃

子供嫌いだった私が母親に?

転職を機会にソフトウェア関係の仕事をしていた夫と出会い、2003年に結婚、2005年に長女が生まれました。

私は「子供の頃の自分が好きではなかった」ので、無意識に娘は私のようには育って欲しくないと思っていたのだと思います。そして、「きちんとした母親」にもなりたいと思っていました。「子供嫌い」な私でしたが、我が子は違います。娘にはのびのびと元気に育って欲しいと思いました。
「三つ子の魂百まで」と言います、娘の幼稚園選びは時間をかけて行いました。田園調布に良い幼稚園があると聞いて見学にいきました。この時、初めてモンテッソーリ教育というものを知りました。

モンテッソーリ教育に出合った

横浜から田園調布まで娘を送迎する往復に掛ける時間を考え、娘のことも気がかりだったので、娘が帰るまで幼稚園に居すわる方法を探しました。幼稚園では保護者が参加できる講座活動やサークルがあり、手芸サークルや点茶煎茶道サークルなどで保護者の方々と交流を深めました。
夫からは、私の幼稚園に娘が付き添っている、と言われるほど、私が幼稚園生活を満喫していました。

そこで実践されていたモンテッソーリ教育にも興味をもった私は、園の先生方が資格を取得している通信講座があることを知り、娘の在園中に2年間のモンテッソーリ教師養成コースで学ぶことにしました。

「モンテッソーリ教育」は、今から約120年前、イタリア初の女性医学博士であるマリア・モンテッソーリによる、実践的な研究と科学的観察によって導き出されました。

「すべての子どもは自ら発達する力(自己教育力)を持っている有能な人間である」という信念に基づき、大人が子どもに何かを教えるのではなく、環境を準備することによって自然な発達をサポートします。その為には子供を観察することが需要で、子どもの興味や発達段階を正しく理解し、子どもが触ってみたい、やってみたいと思う環境を適切に用意し、子供の「自主」をサポートします。

モンテッソーリ教育は英才教育として注目されることが多いのですが、実は子供以上に、子供と関わる大人の意識が変わる教育法です。

子供が苦手だった私が、子供を授かり、子育てを通じてモンテッソーリ教育に出会ったことで、私の人生観は変わりました。
子供を大人の思い通りにしようとするのではなく、子供のありのままを受け入れて、その子らしく存在することを心から願った時、それは自分自身と向き合うことを意味します。
なりたかった自分は、どんな自分だったのか。私は私らしく、いられているのかと、自問するのです。

Siamo Montessori Consulting/シアモ モンテッソーリ コンサルティング創設

私が学んだ「モンテッソーリ教育の理論」を多くの方々に知っていただきたく、「シアモ モンテッソーリ コンサルティング」を立ち上げました。

「現代において、子育ては情報があふれる一方で、とても孤立しています。自分が子育てをするまで、小さい子どものお世話をしたり、面倒を見て遊んだりしたことのない人がほとんどです。私自身もそうでした。自分に経験のないことをするとき、何か困ったことがあったとき、人は誰かに相談するものです。そのひとつの選択肢として、シアモ モンテッソーリ コンサルティングがあなたのお力になれることを願っています。

マリア・モンテッソーリは、イタリアの女性医学博士・幼児教育者として知られています。ある時精神病院を訪れた博士は、発達遅滞の子どもたちが床に落ちたパンくずを拾い漁る光景を目の当たりにしました。世話係に卑しいと蔑まれる彼らを見て、博士はあることに気がつきます。それまで虚ろだった子ども達の目が、パンくずを探す時だけは真剣な眼差しになるのです。その様子に「手を使いたい」という発達の要求を垣間見た博士は、手を使う教具を使って子どもたちと共に過ごし、彼らを見事ローマの国立学校の試験に健常児を上回る成績で合格させることに成功しました。
子どもの行動だけではなく、その内面にあるものを知りましょう。そうすることで、見える世界が大きく変わることをモンテッソーリ博士は私たちに教えてくれました。一緒にその世界を見てみませんか?」(シアモ モンテッソーリ コンサルティングHPより抜粋)

個別相談、訪問相談、WEB講義など、個人はもとより、会社や施設・団体向けの講座もご用意しております。皆様にお会いできることを心より楽しみにしております。
詳しくは:https://love-everything.me/

あなたにとっての横浜とは?

将来の夢は、環境の整った小さな子供の家を作ってみたいです。その子供の家は全てが子供サイズで、大人の方が不自由さを感じるような家です。子供たちは花を活けたり、料理をしたり、縫い物をしたり、思い思いに過ごします。モンテッソーリ教育では、子供の活動を「お仕事」と呼びます。それは、目的と責任のある活動が遊びとは区別されるからです。子供が自分のやりたいこと、好きなことを見つけて「ありのまま」で居られ、時が子供に合わせて流れていく空間、そんな場所を作ることが私の夢となりました。

私にとっての横浜は「帰る場所」です。電車で横浜駅に降りた時、遠くからでもランドマークタワーが見えた時、ああ帰って来たと、いつもほっとした気持ちになります。どこに行っても帰れる場所があることが「安心」に繋がります。
「ここに居れば大丈夫」という場所は誰にとっても必要なものだと思います。それが、私にとっての横浜なのです。

私にとっての横浜は「帰る場所」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

1月 10 23

「伝統工芸」の魅力を伝えたい

by staff

 

2022年は、「VRギャラリー」を通して、故郷秋田の「伝統工芸」に魅せられた一年でした。

「伝統工芸」とは、長い歴史をもつ、生活を豊かにするためのものづくりと定義されています。

「伝統工芸」のうち「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」にもとづいて経済産業大臣の指定を受けたものは、伝統的工芸品と呼ばれています。

伝統的工芸品として認められるための主な条件は以下の通りです。

・主として日常生活の用に供されるもの
・その製造過程の主要部分が手工業的
・伝統的な技術又は技法により製造されるもの
・伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるもの
・一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの

伝統的工芸品に指定されているものは、2022年11月16日現在240品目あります。
2022年11月16日に、東京都の「東京三味線」「東京琴」「江戸表具」が新たに加わりました。

一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会
https://kyokai.kougeihin.jp/current-situation/

というのは、伝統的工芸品に認定されるためには100年以上前から続いていて、10社以上又は従事者30人以上であるということが目安になっているからです。

2022年11月に秋田で開催された「KOUGEI EXPO」でお会いした「江戸表具」の団体の方々は、「100年たったのでようやく認められた」と仰っていました。

伝統的工芸品には織物や陶磁器、漆器や木工品、人形やアクセサリーなど様々なものがあります。

秋田では、川連漆器、樺細工、大館曲げわっぱ、秋田杉桶樽、の4品目が認定されています。

現在の伝統工芸のは、とても厳しい状況にあります。
一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会の平成28年度(2016年)のデータでは、日本全国で63,000人の従事者数で、生産額は960億円です。
この30数年間で、従事者数や生産額は80%も減少しているのです。

このままでは「伝統工芸品」は消えてしまう・・という危機感があり各地方自治体も伝統工芸を支援しなければと補助金などの施策に力を入れています。

その一方で、近年伝統工芸には追い風が吹き始めていると言われています。
若者も映画やアニメを通して伝統工芸に関心を持ち始めているようです。

映画「シン・ゴジラ」(2016年)では、登場する首相が秋田県出身という設定らしく執務室に秋田県の工芸品か多数登場しています。秋田県人としては嬉しいですね。

https://www.sankei.com/article/20160823…..

映画「君の名は」(2017年)で登場した、「伊賀くみひも」が売り切れ続出とったことも話題になりました。

また、日本貿易振興機構(ジェトロ)では、伝統工芸品の輸出を支援するプロジェクト「TAKUMI NEXT 2022」始動 していて、「SDGs」と「デジタル」という2つの切り口で、企業が海外バイヤーへの商品販売を強化するための支援を行っています。

https://www.jetro.go.jp/news/releases/2022/03795a66311f6fd0.html

「VRギャラリー」は、「伝統工芸品」の魅力をデジタルの力で、多くの人たちに知ってもらうためのツールです。

2023年は「VRギャラリー」を広めていきます。

https://vr-gallery-j.com

よろしくお願いいたします。

 

 

 

1月 10 23

ハチゴロウの鳥撮り日記 第30回「ゲラ・ゲラ・ゲラ・・・」初笑いはキツツキのおはなし

by staff

第30回 「ゲラ・ゲラ・ゲラ・・・」初笑いはキツツキのおはなし

「明けましておめでとうございます! 」とまずは新年のご挨拶から始めましょう・・・と、申しましてもこの記事が掲載されるのが松の内が明けての10日、翌日は鏡開きですから「おやおや・・」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが。。。

さぁ、2023年最初の「鳥撮り日記」は「笑う門には福来る」ということで初笑い「ゲラゲラゲラ」といきましょうか?!

北海道で撮影した野鳥の中で一番多い種は、キツツキです。今までに撮影したキツツキ9種のうち、7種を北海道で撮影しています。
キツツキは、その古名“ケラツツキ”から転じたもので、“ケラ”とは、虫を意味し、木を突き、その中の虫を捕ることから名付けらたと「語源由来の百科事典」に書かれてありました。
日本に生息するキツツキの仲間、学名はキツツキ科キツツキ目なのですが、名前には“キツツキ”という語彙が付いたものはなく、ほとんどに“ゲラ”が付きます。

 

 アカゲラ

2013年6月16日、大沼の大岩園地で撮影しました。オスとメスが協力して子育てしているようで、嘴に沢山のエサを咥えています。

 

下の写真は2021年の1月札幌真駒内公園のアカゲラです。背中に逆八の字の白い羽毛があるのが特徴です。後頭部に赤があるのがオスです、無いのがメスです。なので写真はオスということになります。幼鳥は頭上が赤いのでオス・メスの見分けが難しいかと思います。

 

体長は約24cm、嘴(くちばし)で木の幹に穴を開けるので、嘴は強靭で真直ぐ伸び、先端が鋭くなっています。嘴で幹を叩く動作を支える為、足は短いのですが爪の部分は広くなっています。尾にも特徴があり、足と尾を使って3点で幹をとらえるので、垂直な幹にも留まることができ木の中の虫を捕らえることができます。
3点でしっかりと幹に留まれる特徴は他のゲラ(キツツキ)にも共通するものです。

 

 オオアカゲラ

 

 

2017年7月11日、朱鞠内湖で撮影しました。当初、ただのアカゲラと思っていたのですが、今回写真整理していて、「チョット待てよ、これオオアカゲラじゃない?!」と、思い至りました。この時、間違いなく普通のアカゲラを追っていたのですが、いつの間にかオオアカゲラに入れ替わったようです。頭上の赤が鮮やかでないので幼鳥のようです。言い訳をするわけではありませんが、幼鳥は識別し難いです。その上、ファインダーごしなのでなおさらです。

オオアカゲラは全長28cm。アカゲラよりも大きいので「オオアカゲラ」と名付けられました。オス・メスの見分け方もアカゲラと同じ、頭が赤いのがオスです。アカゲラの特徴である逆八の字の白い模様はありません。

2019年1月も真駒内公園でオオアカゲラを撮影しました。この時は、アカゲラより多いのではないかと思っていましたが・・・2020年、2021年と同じ1月に真駒内公園へ行きましたが、残念ながら出会えませんでした。

 

 コアカゲラ

「大があれば小がある」ではありませんが、オオアカゲラをスズメサイズに縮小したのがコアカゲラです。
全長は約16cm、スズメよりも少し大きいくらいです。
2014年7月4日、シブノツナイ湖で撮影しました。日本では、北海道だけに留鳥として生息し、生息数は非常に少ないようで、北海道の人も、あまり見かけないと言っていました。

 

 

 

 コゲラ

2019年1月16日、札幌真駒内公園で撮影しました。北海道から沖縄まで生息しています。生息場所が限られるキツツキの仲間の中で、唯一、日本の何処でも見ることが出来ます。地味なので、撮影する機会は少ないです。
全長は約15cm、オスは耳の上に赤い羽根があるのですが、小さな羽根なので、オスとメスの見分けは難しいです。茶褐色に白い斑点模様ですが、白い斑点が繋がって線に見えることがあります。

 

 

 クマゲラ

2013年6月16日、大沼の大岩園地で撮影しました。日本に生息するキツツキ類で最大です。全長は約46cm、翼を広げると65cm余り、飛んでいる姿を地上から見上げると、黒いのでカラスと間違えることもありますが、オスは頭上がメスは後頭部が赤く、嘴にも特徴があるのでカラスと見分けることができます。
主に北海道に生息しています。2017年2月は札幌円山公園、2021年は札幌真駒内公園で撮影しました。本州では、秋田の山奥でも繁殖が確認されています。

 

 

 

 ヤマゲラ

2021年1月18日、札幌円山公園で撮影しました。アオゲラに似ていますが、アオゲラの腹部にある黒色横斑はありません。また、アオゲラは北海度と沖縄を除く、日本中に生息する日本の固有種ですが、ヤマゲラはアジア大陸にも生息しています。全長は約30cm。全体に緑がかった暗色で、オスとメスの区別は頭の赤い羽根です。

 

 

【ここでチョット豆知識 ブラキストン線】
北海道と本州の間にある津軽海峡に、“分布境界線”があると、イギリスの動物学者トーマス・ブレーキストンが提唱しました。その一つの例が、北海道の“ヤマゲラ”と本州の“アオゲラ”です。また、北海道の“シマエナガ”と本州の“エナガ”も、その一例です。ブラキストン線については、話が長くなるので、興味がある方はネットで検索してください。ここでは“分布境界線”について説明します。“分布境界線”とは、個々の生物種の分布域の範囲を区切る線で、生物地理学では多くの生物の境界になっている線との事です。

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私のブログには他にも「ゲラ」が付かないキツツキの「アリスイ」などを紹介しております。是非、そちらもご覧ください。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
https://hachi1926.seesaa.net/

 

 

1月 10 23

2023年1月 三ツ池だより 「何でも来い!」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
新しい年は、一歩一歩、地に足を踏み込んでいく年になるのでしょう。
変革が求められていますが、それぞれが持っているエネルギーをそこに集めていきましょう。2023年は癸卯(みずのとう)です。「癸」ははかるという意味、「卯」は芽や葉が茂る。すなわち「筋道を立てて処理していけば、繁栄する。筋道を誤るとこんがらがって混乱する。」という意味を持っているようです。今までの仕事を生かしつつ、今までとちょっと路線を変えてみるという工夫をするといい年になるのでしょう。

 「書くこと」 けんじ
日々生活していくなかで
書くことを忘れていないだろうか
  生活の中で様々なことが起こる
  その中で不思議と生活している
日々の感想を書くことで
何が始まるというわけではなく
  書くことで
  なにかが積みあがっていく
人はすぐ忘れるもの
忘れるのも悪いことではない
  昨日のことを引っ張らないということで
  新しい毎日を過ごせるということでは
でも書くことで
記憶がためられていく

2023年の干支は「癸卯(みずのとう)」で、今年の進む道を書き出してみました。
“み”
  ▽ 身近なところに目を向ける
    当たり前に思っているところに目を向けてみる
    自分で考えてみる
“ず”
  ▽ ずっと前から気になっていたことはないか
    時間を作ってみる
    考える時を持つ
“の”
  ▽ 野に立つように
    気分を変えてみる
    手を振ってみる
“と”
  ▽ 時を感じてみる
    今そしてこれから
    手を伸ばしてみる
“う”
  ▽ 美しい空を眺め
    美味しい空気を胸に入れ
    笑ってみよう

「はかり」は基本だから定期的にしっかり点検し、いつでも正しく判断できるようにしていく。頼りになる存在にしていく。あとは自由に計量してもらう。大事なことは困ったときに頼りになることである。新しい年がきた。大事なものをきちんと管理しながら新しいチャレンジもして行きたい。

 「海辺の語らい」 けんじ
ここ海なのですね
このツリー大きいですね
  ここは横浜
  駅を降りて少し歩くと海辺
さざ波の向こうにビル群
足元に観光船
  船出した小舟は何処に行く
  海辺のさざ波は何をかなでる
ゆったりした時間が流れ
豊かな語らいの時が刻まれる
  行こう明日に向かって
  そうだ可能性を探り出そう
小舟が動き出す
大きな時計が時を刻む

 「これでいいのか」 けんじ
これでいいのだ
なぜ
なぜって
  これでいいのか
  少しわからない
  なぜって
物語って
きっかけがあって
物語が進んでいく
  エンデングで
  何か新しい発見をする
  気がつくというべきか
生きるということは
物語を作りながら歩いていること
これでいいのだ

今年で会社(メジャーッテックツルミ)が58年になる。お客様の会社にそれだけの年足を運んでいることになる。有難い。計量器の更新もしてくれている。いいものを納品できている。確かな計量器を使用していれば現場作業にも役立つ。57年という歴史にささえられて、安心して使ってもらえているのが嬉しい。
新しい年は挑戦の年になる。計量も守りのための計量から、攻めの計量が求められていく。それは何が起きてもおかしくない時にあたって、何にでも対応できる心の持ち方が問われているのだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

1月 10 23

チョークアートとわたし #10 【八代亜紀いい歌いい話】の取材

by staff

【八代亜紀いい歌いい話】の取材

10回目となる今回は、歌手の八代亜紀さんから取材を受けたお話をさせていただきます。

毎週木曜日の夜8時に【八代亜紀いい歌いい話】という番組をBS11で放送しています。ご覧になられたことはありますか?
毎回ゲストを招き八代亜紀さんと楽しいトークと歌を展開する番組です。その番組の中に「歌の贈りもの」というコーナーがあります。八代亜紀さんが街へ出かけて、その地で活躍している方々のお話を伺い、そのお仕事の体験をされるというコーナーです。
そのコーナーで八代亜紀さんが横浜へいらしてチョーク―アートを体験されることになりました。しかも体験されるだけでなく対談した後になんとその場で歌も歌ってくださるというのです!

このお話を最初いただいた時は、えっ!私で良いのですか!?と驚きの方が強く、とても恐縮してしまいました。でも、30年程前に八代亜紀さんのコンサートに当時同居していた祖母に誘われて行ったことがあり、その際とても感動した思い出があるので、なにかしらの縁を感じました。まるで今は亡き祖母からの贈り物のような……。

八代亜紀さんが描く油絵は、人物も動物も八代さんの温かい愛情が感じられる素晴らしい作品ばかりなのは存じあげていたので、今回チョークアートを体験していたただけるなんてとても光栄でした。
さて、チョークアート体験では何を描いてもらおうかしら……。ロケのスケジュールで体験する時間は20分程度だそうです。事前打ち合わせの際にその件を相談させていただき、二人で本物のリンゴを見ながら描くことに決まりました。絵心がある八代亜紀さんですので、ロケ当日は、一応チョークアート特有の描き方の説明は簡単にさせていただきましたが、ご自由に描いてもらう事にしました。

そして、実際に描いていただいたリンゴがこちらです↓

 

 

さすが八代亜紀さんです!! チョークアート初体験のはずなのに、このリンゴの質感と色の深みは、本当に素晴らしいの一言です。サインも素敵ですね♪
対する私は、描いている時は緊張で何かが取り付いてしまったかのような状況になり、自分でも信じられないような無残なリンゴになってしまいました……。

こちらのリンゴの絵ですが、ロケ終了後に厚かましくも記念に欲しいとお伝えしたところ、快くお受けしてくださり、今この原稿を書いている部屋に飾ってありますよ~。家宝にいたします!
八代亜紀さん、とても優しい笑顔で、最初から最後まで緊張で顔が引きつっていた私に優しく語りかけてくださいました。ありがとうございました。歌も心に響き、本当に素晴らしい経験をさせていただきました。
対談は、少々重くて暗い内容になっているかもしれませんが、ご都合つくようでしたらぜひご覧になってくださいね。

◆放送局:BS11
◆放送日時: 1月12日(木) 20:00~20:57
◆司会:八代亜紀

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

1月 10 23

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第7回) 親の願いが届くとき

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第7回 親の願いが届くとき

 「ココ塾」での私の主な役割は、保護者さまへの相談援助です。特に学年の上がったお子さまの中には、”いつも親と話している人”と認識している先生に悩みを打ち明けることには抵抗があるお子さまもいらっしゃいます。そのため、お子さまのお話を聞く職員と、保護者さまのお話を聞く職員を別々に設け、職員同士がしっかりと情報共有しながら、チームプレイでご家族全体を支えることを大切にしています。私自身が相談支援専門員として勤務していた経験や、ペアレントメンターの資格を取得していることも役立っていると感じます。これほどしっかりした相談援助の体制が整っていることは、「ココ塾」の強みだと言っても過言ではありません。

 保護者さまとお話をしていると、日ごろの親子関係の中でお子さまに言いづらいことを、代わりに私に言ってほしいという相談を受けることがあります。それが他愛もないことであれば、保護者さまや他の先生も一緒にいるときに、会話の自然な流れの中で話すことはあります。しかし、とても重大なこと、例えば「薬を飲むように言ってほしい」などの場合は、「分りました」と快諾してご本人に話すことは決して行いません。親子が本音で話し合う機会を、第三者が奪ってしまうことはあってはならないことだからです。

 お子さまに対して、本気で向き合うことに恐れを感じている保護者さまは、わりと多くいらっしゃいます。「対応を間違えてしまい、親子の関係性が悪くなったらどうしよう」と不安になってしまう気持ちは、痛いほど分かります。特性のあるお子さまたちなので、保護者さまも伝え方が難しいのです。
 しかし、だからと言って、それを安易に第三者に委ねてしまうことは得策ではありません。親子の話し合いは、お子さまの年齢が上がるにつれてより大切になりますが、同時にだんだん難しくなっていきます。初めから第三者に委ねるのではなく、まずは親子でしっかりと話し合うことはとても重要なことなのです。

 保護者さまの本気の働きかけが、どれほどお子さまの心を動かすものなのか、私は先日、あるお母さまの例から再確認させていただきました。そのお母さまは、いつもお子さまの登下校に寄り添い、お子さまが教室に入れない時は一緒に別室で過ごしたり、授業を受けているときは少し離れた場所で見守っていたりと、常にお子さまのコンディションを気にかけながら、「私の対応はこれで合っているのか」とご自身に問いかけ続けていらっしゃいました。一方でお子さまは、元々苦手だった環境の変化にさらされたり、重度の感覚過敏がある状況で、なかなか学校にも「ココ塾」にも慣れることができない日々が続いていました。ご自身の考えていることや感じていることの辛さを、上手に言葉にすることができる年齢でもなかったため、大きな声を出してしまうことも多くありました。
 その親子が、ある日、とてもしんみりとしたご様子で来所されました。お母さまは、お子さまの対応に入る予定だった心理士と私に声をかけ、前日に起きた出来事について涙を流しながら話し始めました。学校で個別に対応してくれようとした先生に、大きな声を出したり強い言葉を発してしまったお子さまに対して、かなり厳しく叱ってしまったそうなのです。これまでどんなときも優しく穏やかな心でお子さまを見守ってきたお母さまでしたが、自分(お子さま)のためを思って色々してくれる先生に対して反抗的な態度を取ることがどれだけいけないことなのか、かなりの熱量を込めて伝えたことが想像できました。
 泣いているお母さまに対して、心理士も肩をさすりながら「お母さまも、お子さまも、何も悪くないですよ」「気持ちはしっかり伝わっていますよ」と声をかけてくれました。お子さまのありのままの姿を受け止めてあげたい思う気持ちと、人に迷惑をかけず誰からも愛される子でいてほしいという気持ちが交錯し、お母さまもギリギリの状態だったのです。

 しかし、その渾身の説得は、見事なくらいにお子さまに伝わっていました。その日、自分の思いが伝わらないからと言って大きな声を出すことは一度もなく、深呼吸をしたり、黙って歩き回ったりと、必死に気持ちをコントロールしようとしていたお子さまは、授業が終わると「今日一度も怒らなかったこと、お母さんに伝えて」と心理士に言ったのです。
 もちろん、怒ることそのものは悪いことではないことは、担当の心理士も伝え続けてきたことです。しかし、だからといって何も我慢せずに怒りをぶつけていると、大好きなお母さまを悲しませてしまうということを、このお子さまはしっかりと学んでいました。
 これ以降、お子さまが大きな声を出すことはなく、学習に取り組む時間も格段に増えました。学習が終わりお母さまが迎えに来ると、「今日は○○を勉強したよ!」と嬉しそうに報告するお子さまに、「あら、がんばったね!」と褒めてあげるお母さま。その二人の笑顔が見られると、私たちも本当に嬉しい気持ちになります。

 保護者さまの本気の想いは、必ずお子さまに伝わります。お子さまは、やっぱり保護者さまに褒められたいのです。それに対して、私たち支援者ができることは、本当にささやかなことだけ。安易な介入は逆効果でしかありません。

 私は、どんな保護者さまに対しても、尊敬の念を抱いて関わらせていただいています。自分にできることをわきまえつつも、必要な時にはいつでも味方になって、お話を聞き、ご家族の笑顔のために精一杯動く覚悟を決めています。私だけでは足りない時は、それ以上に専門知識に長けた専門職がついています。だから、どうか安心して、親子で話をしてください。「ココ塾」は、いつもそんなお子さまと保護者さまを全力で応援しています!

(第7回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

1月 10 23

ゆるマナー講座(第83回) 自分にも周りにも寛容に

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

寛容ラップで

これまでラップにはあまり縁がなかった私ですが、ACジャパンのTVコマーシャルに思わず引き付けられて笑ってしまいました。
一時よく目にしていたのでご覧になった方も多いのではないかと思います。コンビニでご年配の女性がお財布から小銭を出すのに手間取り、周りに遠慮して焦っています。後ろに並んでいた強面の男性が「YO-、YO-…あんたのペースでいいんだ。誰も怒ってなんかいない。何も気にするな。自分らしく、堂々と生きるんだ」と、ラップで歌います。女性もまさかのラップで「迷惑かけてしまってるなって、焦ったらまさかの優しい発言。アタシも反省、見た目で判断。もういらないわ。色眼鏡なんか。」と返します。笑いを誘う数十秒のラップに今の私たちに大切な価値観や考え方が詰まっていて、笑いながらもはっとさせられました。

それぞれにペースがある

年を重ねていくことで若い時になんでもなくできていたことも時間がかかることもあります。近くの物を見るのに目のピントが合わず気づけないこともあります。以前、きれい好きで几帳面だった母が、掃除をしていたはずなのに部屋の隅にほこりが残っていて、どうしたのだろうと思っていたのですが、今、当時の母の年齢に近づいてくると手を抜いていたわけではなく、老眼で目が見えにくくなっていたのに気づきます。
サービス業の現場で必要な介助の勉強をしたときに、高齢の方や障害のある方がどのように見えているのか、どのようなことで困るのかを見えにくいサングラスをかけたり、足に重りを付けたりして身をもって体験しました。相手の立場に立てば少しでも相手の状況を理解でき、相手のペースに合わせることもできます。
多様性を受け入れて相手に寄り添うには想像力と思いやりが必要です。

見かけで判断しない

コマーシャルの中で、「もういらないわ。色眼鏡なんか。」と言っています。私たちは自分自身の知識や経験から自分の価値観を作り出し、知らず知らずのうちに独自の色眼鏡をかけたように物事を見ています。高齢の女性が発した言葉「アタシも反省、見た目で判断。」、お恥ずかしいのですが、私にも経験があります。見た目…身だしなみや表情、態度は印象に影響を与えますので大切ですが、その人のすべてがわかるわけではありません。見えているものにだけ目を向けるのではなく、その奥にある相手の本質を「観る目」を養いたいものです。自分軸ではなく相手軸で考えてみると観えてくるのではないでしょうか。たとえ相手が強面であっても。

ユーモアのセンス

公共マナーというとなんとなく煙たがられるかもしれませんが、私がこのコマーシャルを素直に受け入れられたのは、笑いを誘うユーモアのセンスがあったからだと思います。正しいことを真面目に言ってもなかなか伝わりにくいものですが、面白しろそうに感じると、不思議ですね~。すんなり届いて受け入れてしまいます。

笑育?

かなり前の話ですが、桂文珍さんがインタビューで「笑育」、「笑養」が必要ではないかと話されていました。文珍さんの話を聞いているだけで笑ってしまうのですが、年を取り物忘れが気になり、勧められたサプリメントを飲むようになったそうです。でもそのサプリメントの名前が思い出せないし、飲むのも忘れちゃうのね。(笑)と。でもそういう自分を面白がって、面白い現象だと年齢を楽しみ、新しいことを発見しながら感動して一人でクスクス笑われているそうです。
私も何かを探していたのに、探しているものを忘れてしまうなんてことがよくあります。忘れないようにメモに書いていたのに、そのメモをどこに置いたがわからなくなってしまいそんな自分にがっかりしてしまいます。でもそんな自分の変化を笑えると気が楽でいいですね。
新しい自分との出会い?を楽しむユーモアがあれば、ついつい深刻になりがちなことも笑って楽しく生きられるようになるかもしれません。

ユーモアがあれば周りの人との関わりにもゆとりができ、すぐにいらいらしたりすることも少なくなりそうです。足を踏み鳴らしてラップをすることはできませんが、周りの人を柔らかく包む優しいユーモアのセンスで溢れている人が増えると楽しい世の中になりそうです。
まずは自分を優しく包むユーモアを育てることからですね。今年は自分に寛容になりましょうか。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

1月 10 23

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第118回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第118回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“カオス:複雑系” という言葉が流行したのは20年以上前。メタバース(仮想空間)が登場した現在、10年後・20年後の姿をアバター(分身)で創り出し、複眼の環境を実現、脇侍として活用する手も。これからの人間はクリエーターに生まれ変わらないと生きていけない時代。何かを生み出す行動でなければ行動とはいえないはず。好奇心があり、しぶとく・楽観的であれば御の字。ただ、人間は間違うもの、間違った後をどう生きるか。ルールを創らないで、ルールを考えなくともやれる環境を創りだす。課題解決のカギは、一人一人の個人に委ねられることを自覚する必要がありそう。これからは “モノやお金の経済” から “人間個々の命の経済” へシフト。複雑系はビジネスの世界から拡散し、個人環境全般にまで拡大。リスキリングの習得スピードに比べて、環境変化・技術革新のスピードの方が速い未体験・異次元のゾーン。スポーツでもレフリーのスキル向上より選手の成長スピードが超越。“大事なことは言わないで伝える” と松尾芭蕉。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

二一世紀は、さまざまな資本主義が共存する 政府主導型が台頭し、鬩ぎ合い
イタリア人はマニュアルを持たず周囲を見回さず 歩調を合わせる意識もない
トラブル、それもまたエンターテインメント イタリア人は人生を生きる達人
面白おかしく生きる、これも資本主義 真似する必要はないが学ぶ余地はある

二一世紀は多様な資本主義が台頭。資本主義は、封建主義の後に現れ産業革命・米国独立・フランス革命などによって確立。個人が営利目的で事業に挑戦するのが基本。それを推進する思想は自由主義。最近は国家主導型が登場し鬩ぎ合いに。マニュアルなし、歩調を合わせる意識もなし。さすれば、面白おかしく生きるのが資本主義の持ち味。高い理想と泥まみれの現場感覚でエンターテインメント化。“挑戦して確実に報われるのなら誰でも挑戦する。報われなくとも情熱・気力を継続するのが才能” と棋士・羽生善治。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

成長性や革新性、もう一度真正面から向き合う 好況、不況は所詮人間のなせる業
剣や鉄砲の戦争に勝っても、経済の戦争に負けると国は仕方がなくなる、と勝海舟
イノベーションに境界なく、経営にも国境がない 日本企業、今後は多くが多国籍
局地戦だけに固執しないこと 世界のピンとキリを、全体からシッカリと押さえる

勝海舟は無役の旗本。山岡鉄舟・高橋泥舟と共に幕末の三舟といわれた人。西郷隆盛との会談で江戸を丸焼けにすると脅し、窮地を脱したことは有名。ナポレオンのモスクワ遠征で、ロシアの将軍がまともに戦ったら勝ち目はないことから、モスクワを火の海にして冬将軍の力でナポレオンをパリへ敗走させたことを知っていたのかも。“世の中に無神経ほど強いものはない” とうそぶいたとか。“歴史的には何度も不可能だったはずのことが起きている。それは不可能なことを求める人がいたから” と社会学者・大澤真幸。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

企業研修に変化が出ている 幹部研修にリベラルアーツを導入する機運
顧客も自らニーズを語れない 想定外の事態に、衝撃を受け止める工夫
余白を自らの中につくり出す 戦略、戦術も大事だが感性や直観も重要
戦術は教えられるが、感性はできない 組織も個人も固有名詞で生きる

社会が高度化・複雑化し、その中で生きていく上での術が大きく変わってきています。学校のお勉強だけでは対応しきれず、個人それぞれが自らの血や肉を自力で獲得していく必要が求められているのかも。ギリシャ・ローマの未開で過酷な時代を切り開く上でも、労働力だけでは不十分で、総合的技芸全般を身につけることが求められました。それがリベラルアーツで、知の集大成・総合芸術。これがローマ帝国の象徴的な巨大建築や社会システムを実現させました。“つまらないことをきちんと行う” と作家・幸田露伴。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第118回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

1月 10 23

絵本から笑本へ(第74回) 絵本作家のしゃべりたい絵本。
~絵本作家になりたいなら知っておくべき隠れた名作絵本3冊~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

第5期では「絵本作家のしゃべりたい絵本。」というテーマで
絵本作家らしく絵本についておしゃべりしています。

公共図書館に十年間勤め、絵本作家になる前に日本一絵本を読んできた
絵本にも絵本作家にも詳しい、そんな絵本作家 保科琢音の
新しい絵本の楽しみ方、絵本の読み方をご紹介しています。

第5期3回目のテーマは…
「絵本作家になりたいなら知っておくべき隠れた名作絵本3冊」

今回は他ではなかなか紹介されてない隠れた名作絵本をご紹介。
この絵本を知らずして絵本好きは公言出来ない!
絵本作家を目指せない!…と、ちょっと言い過ぎですが(笑)
それくらい凄い絵本達なので。
是非是非、最期までご覧ください。

1冊目「かさ」

作・太田 大八
文研出版・1975年

絵本作家であり、画家でもある太田大八さん(享年97歳)の名作絵本。
この絵本は「文章」がありません。そして、色も白と黒と「赤」だけ。文章と色が限りなく削除された絵本です。

文章や台詞がありませんが、そのぶん絵本の中から「音」が聞こえてきます。雨の音、靴の音、行き交う人々の音、かすかな話し声、風の音、空気の音…。ぼくが知る限りここまでたくさんの「音」が聞こえてくる絵本は他にはない。
色も限りなくモノクロに近いからこそ、主人公の女の子の考えている事や心情が伝わってくる。すると今度はそこから風景に「色」が見えてくる。読む度になんだかいつも不思議な感覚にさせてくれる絵本。

ぼく自身は台詞の掛け合いの多い絵本やカラフルな絵本が好きだったりするのですが。この絵本は関係ない。そんなぼくにも「音」や「色」がしっかりと見えてくる。そして、絵本の中の世界へ読者を連れて行ってくれる凄い絵本。読み継がれるべき名作絵本の1冊です。

2冊目「じんべえざめ」

作・新宮 晋
扶桑社・1991年

作者の新宮晋さん(85歳)は彫刻家です。絵本も何冊か出版されていますが、絵本は新宮さんにとっての表現方法のひとつ。
新宮さんが出されている絵本のなかでぼくはこの「じんべえざめ」が大好きです。深い海の色のような「青」に、彫刻刀で刻まれた「黒」の線が繊細に表現されています。

この絵本の凄いところは、魚類のなかで一番大きな「じんべえざめ」を絵本のなかに描きながら、その大きさや偉大さををまったく縮小することなく表現していることです。
更にこの絵本は、ページをめくる度にどんどんカメラのアングルが上がっていきます。そして最終的には宇宙まで行くのですが、地球の大きさですらシッカリと絵本の中に表現できている。

モノを立体的にとらえる彫刻家だからこそ出来る表現なのかもしれません。ただの絵本作家ではこんな表現なかなか出来ない。だからこそ読み継がれるべき名作絵本なんです。

3冊目「はせがわくんきらいや」

作・長谷川 集平
すばる書房・1976年

この絵本は作者長谷川集平さん(67歳)が創作絵本新人賞を受賞した後に出版されたデビュー作です。

1955年におきた「森永ヒ素ミルク中毒事件」を主とした内容の絵本。長谷川さん自身も赤ちゃんの頃、このヒ素の入った粉ミルクを飲んでいたそう。お母さんが早期に気付きそこからは母乳で育ったと、絵本のあとがきにも書かれています。
一見すると絵本としてはかなり重いテーマを扱った内容になっています。しかし、そこから見えてくる時代背景や人間関係、人と人の価値観の違いがしっかりと絵本の中から読みとれます。
長谷川さんの実体験を見ているようにも感じれるし、長谷川さんを長谷川さん自身が俯瞰して見ているようにも感じる。

「森永ヒ素ミルク中毒事件」から「障害児者」、さらには「生と死」についても考えさせられる。長く読み継がれるべき名作絵本だと思います。

今回は様々な角度から

隠れた名作絵本をご紹介しました。

今の時代SNSや様々な媒体で絵本を紹介しているものはたくさんありますが、
今回ご紹介したこの絵本3冊はなかなか知られていないんじゃないかな。

世の中にはもっともっと隠れた名作絵本は存在します。

ひとの紹介では出会えない。
本屋さんでは出会えない。
図書館でも出会えない。

そんな絵本はこの世にたくさん…
本当にたくさん存在します。

それを伝えていけるのも
絵本作家で出版社社長の保科琢音だからこそ出来ることだと思っています。

今回のテーマ「絵本作家になりたいなら知っておくべき隠れた名作絵本3冊」も
絵本作家 保科琢音のYouTubeチャンネル『笑える絵本ダナ』にて
同じテーマで動画公開しています。

第5期「絵本作家がしゃべりたい絵本。」は
YouTubeとの連動していくカタチの連載コラムになっています。

コラムでは書ききれない部分を動画で。
動画でしゃべりきれない部分をコラムで。

コラムとYouTubeの新しい試みを是非、楽しんでもらえると嬉しいです。

絵本作家 保科琢音チャンネル『笑える絵本ダナ』
絵本作家になりたいなら知っておくべき隠れた【名作絵本3冊】

絵本作家 保科琢音 チャンネル『笑える絵本ダナ』

https://www.youtube.com/channel/……

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
1983年生まれ。br />
神奈川県横浜市在住br />
2013年 絵本「あっかんべー」出版br />
2019年 絵本「ままも」出版br />
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」・「よぞらのおくち」同時出版br />
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版br />
2020年 ベトナムにて絵本「ねてばかりいるカバ」出版br />
2022年 絵本「よぞらのおくち」・「たまちゃん」同時出版
 
公立図書館に10年間勤めた後、絵本作家・紙芝居作家として本格的に活動を始める。 絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会(どくえんかい)」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。 幼稚園、保育園、小学校、図書館、美術館、科学館、寺院、子ども病院、療育施設、障害者施設等… 口演場所はこれまでに600カ所以上。 他にも、子育て支援施設業務委託。障害児施設美術プログラム講師。コラム執筆等。 活動は多岐に渡る。また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
 
2021年 出版社「ラフコネクト」設立 取締役社長に就任

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

1月 10 23

風景で読み解く横濱 (第九話)自動車産業のあけぼの

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第九話 自動車産業のあけぼの

 

 里帰り

戦前、様々な企業が絵葉書を新社屋や工場、商品の紹介他メディアとして多彩に活用しました。今回は自動車産業の横浜風景を紹介します。
2022年(令和4年)5月、みなとみらい地区に「いすゞ自動車」本社が移転してきました。2009年(平成21年)には日産グローバル本社が移転、日本自動車史に足跡を残す三大国産メーカー「トヨタ」「日産」「いすゞ」の内2社がみなとみらいに集結、横浜に里帰りしたのです。
この2社を含め外国メーカーの日本自動車史には深く横浜の地が関わっています。

 

 輸入時代

日本の自動車産業は明治期から始まりますが、大正期までは輸入中心で本格的な国産車量産体制は整っていませんでした。1900年(明治33年)ごろから本格的になった日本の自動車輸入は横浜山下町のロコモビル・カンパニー、ブルウル商会等に代表されるように外国人商社がほぼ独占状態でした。明治後期の都道府県別統計では神奈川県(横浜)の自動車使用数が最も多く独自の県内「自動車取扱規則」を制定していた程です。

大正期に入り日本にもモータリゼーションの波が押し寄せます。最大のきっかけとなったのが関東大震災です。震災復興に小回りの聞く自動車物流が求められたのです。
当時、日本の自動車製造は細々と始まっていましたが、量産体制は世界を席巻したフォード横浜工場の登場から始まりました。
戦前、日本の自動車産業を牽引したのは”世界のフォードとGM”です。
欧米市場を席巻していた二大メーカーが日本市場にも着目します。提案したのは当時世界の自動車生産をリードしてきたフォード社に勤めていた日本人スタッフでした。
創業者ヘンリー・フォードは日本での生産販売を決断し、1925年(大正14年)仮工場を横浜市緑町に開設しその後守屋町に新工場を移転し、震災復興で求められていた自動車市場に参入していきます。
震災後スタートした横浜市営乗合自動車(バス事業)は14人乗りフォードA型でした。

 

 製販一体

フォードはそれまで輸入を一手に扱っていたセール・フレーザー商会や梁瀬自動車など輸入代理店任せの流通販売体制を修正し、部品を輸入しノックダウン生産方式を行い、直販体制の開拓に乗り出します。
一方、創業者ウィリアム・C・デュラント率いるGMも東アジア市場がフォードに席巻されることを懸念し遅れること2年、1927年(昭和2年)大阪鶴町に日本工場を開設しフォードを猛追します。
米国二大メーカーがそれぞれ東と西に拠点を置き、日本市場を競うことになります。

 

 国産工場のあけぼの

これに危機感を抱いたのが日産・日立グループを築いた鮎川義介でした。彼が経営手腕を示した東洋初の可鍛鋳鉄製造会社「戸畑鋳物」(北九州)を土台に、自動車製造業を興します。
本拠地となったのが横浜でした。ここからいすゞ自動車と日産自動車が誕生します。両社の戦前の変遷はやや複雑ですが簡単に説明すると石川島造船所をルーツに持つ、テ゛ィーセ゛ルエンシ゛ン技術の先駆者である株式会社石川島自動車製作所と鮎川の戸畑鋳物傘下のダット自動車製造株式会社が合併して自動車工業株式会社が誕生(いすゞ)、鶴見江ヶ崎に工場を設立します。
ここから自動車製造株式会社が独立し子安に工場を設立します。

さらに日産自動車はいち早く日産自動車販売株式会社を設立し、販売網の拡大に務めました。
これが日産自動車グループとなり今日に繋がっていきます。
日本の自動車産業は横浜を基盤に成長してしてきたといっても過言ではないでしょう。
戦時中、フォード横浜工場は撤退し戦後復活しますが、その後この場所は70年代に提携関係にあったマツダ東洋工業の「マツダR&Dセンター」となり現在に至っています。(冒頭写真参照)
また、日産自動車最初の工場が設立された横浜市神奈川区宝町2は東京本社時代もそして現在も登記上日産本社となっています。

※ここに紹介した絵葉書・地図は個人蔵を使用したものです。(一部加工) 転用等はご遠慮ください。

 

(第九回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

1月 10 23

第116回 ちょっと難しい話

by staff

山田スタジオ
山田慎一郎

現在、住宅の設計よりも携わる機会が多いのが寺院や納骨堂、葬儀場といった用途の建物です。小さな教会の納骨室の設計もあれば、いわゆる○○宗総本山のマスタープラン作成まで、様々な規模の建築計画を設計チームの一員として取り組んでいます。元々は随分前に企画され、なかなか実現しないまま10年経ってからお話をいただくことも珍しくはありません。墓地埋蔵法や近隣との調整、もちろん予算的な話など超えなければならない様々なハードルがあるためです。

もう一つのハードル、それは残すべき建物が「古い」ことです。いわゆる寺院建築は建築基準法上規制の多い特殊建築物には該当しないので、ある程度の自由度をもって設計が可能なのですが、昔からある既存建物も多く、履歴が曖昧で(建築確認申請を出しているが完了検査を受けていないなど)、何をするにもその履歴調査から始めないと先に進めません。難しくしているのが勝手に増築しているケースや当時の資料が残っていないことが当たり前になっていることです。既存の建物に増築などする場合、まず既存の建物が現在の法律に合致していることが原則です。また古い建物であれば建設当時の法律に合致していることがまず求められます。(既存不適格建築物と言います。決して違反建築物ではなく、今の法律に合致していないだけです/法律はその時代に合わせ変わるものです。)まず計画地(の建物)を法律的にスッキリ綺麗にしておく、といった感じです。

昭和初期建設のRC造の本堂。         木造の本堂。別棟で納骨堂を計画中
隣接庫裏建替予定                         

 「ちょっと難しい話」

現在建築計画に関わる主な法律は昭和25年制定の建築基準法です。前述の既存不適格建築物かを判定するにもこの法律がベースになるのですが、これより少し前の建物だと市街地建築物法(建築基準法の前の法律)をベースに判定されることになります。この市街地建築物法ではあまり多くの制限がかけられているわけではありませんが、法律が古いためか大手の確認検査機関でも取扱いが出来ないことがあります。前述の通り適合性判定(既存不適格建築物との判定など)を原則としているので、ちょっと古い建物だと行き詰ることもありますが、話し合いを続けるうちに柔軟に対応してもらえる個別のケースも増えています。市街地建築物法時代(昭和初期)には木造寺院だけでなく築80年の鉄筋コンクリート造である建物も建てられています。もう少し経つとこのころの建物も歴史的建造物として認定され新たな法律によって優遇される時が来るかもしれません。古いものが全て良いわけではありませんが、残されるべきものが正しく残される、そんな時代が来て欲しいものです。

市街地建築物法は各地の様々な建築制限の統一化、災害に強い基本的な都市づくり(建築の集団が街であり都市であるので)を目指そうとしたそうです。
時代も変わりこれからは画一的な判断だけでなく、何が本当に必要かを考える機会が増えると良いなと思っています。自分が関われる計画でそれが少しでも実現するようになればと。ちょっと難しい話かもしれないですが。

計画中の建物。既存建物である木造本堂の脇に建つ納骨施設。既存遡及は無しのケース

 「未来の古典」

古い寺院建物をそのまま使いたい、残したいというのが最も多いオーナー(住職)のリクエスト。できれば修繕と合わせて快適性も向上させたいと。全国どの寺院も古い本堂があり、宗教活動の中心として檀家門徒に愛されているはず。その建築を大切に使い続け、整備してゆくことで単なる宗教施設ではなく地域のシンボルになってゆく可能性もあります。一方住まいとして使う庫裏(くり、庫裡)など、同じ寺院機能の一部分であってもその時代の生活スタイルに合わせて、新しい建物に建て替えられていくものあります。

新しい建物は例えば耐震性とか省エネ性能がこれまでより高く、快適に過ごせる技術が反映されるでしょうし、デザインも新しい材料などが開発され斬新な表現も可能となります。境内の建物も伝統様式だけでなく新しい表現の建築も当然増えてくるでしょう。時代を反映しつつもそれ以降ずっと生き残って(愛されて)ゆく建物があるとしたら、古くからある寺院や古建築と同じように時代的な古さを通り越して常に「今」ひいては「新しさ」を持っているといっても良いのではと思っています。大袈裟かもしれませんが古くからそこにある伝統建築の隣に新しい建築の設計すること、すなわち「未来の古典」をつくる仕事であることを普段から意識するようにしています。できた当初奇抜で斬新なだけと評価を受けても今後受け入れられる未来を目指したものであること。伝統建築も元は「新人」だったはずですし、そんな新しい建築を優しく見守っていくことも必要かと。

さて過去5回寄稿した「街のはなし」。いよいよ新駅の開業も間近に迫っており、高層マンションも20階あたりまで建設中、すでに全戸完売とのこと。街道含めその周りも鋭意工事中。バスターミナルも新駅側に移設されるらしく、スイッチバック式の見慣れた姿ももうすぐ見納めです。バス停はともかく、街の記憶、これから伝統となるはずの何かがこのタイミングで損なわれないことを望みつつ、新しい歴史のスタートを楽しみにしたいと思います。

高層マンション建設。足元は新駅建設中    綱島駅スイッチバック式バスターミナル

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

1月 10 23

横浜は多様性(Diversity)な街。7artscafe CEO ジョセフ・アマトさん

by staff

日ノ出町駅の近くにある「7artscafe」は、絵画、音楽などのアートを楽しみながら、健康にこだわったお食事がいただける、居心地のよいスペースです。オーナーのジョセフ・アマトさんの明るくフレンドリーな雰囲気に誘われて、様々な国の方々が訪れています。7:00からの朝食のファンも多く私もその一人です。

Joseph Amato (ジョセフ アマト)さん  

お名前

Joseph Amato (ジョセフ アマト)

お生まれ

50代 Ph.D.

お住まい

横浜市神奈川区在住

趣味

ジムでのトレーニング

好物

うなぎ 果物

お仕事

・株式会社7artscafe President and CEO www.7artscafe.co.jp

・特定非営利活動法人 日本文化振興マネジメント理事長
 (Japanese Culture Promotion and Management) www.jcpm.jp

・「YOKOHAMA SEASIDER」Director www.yokohamaseasider.com/ja/

ワンプレートの朝食              7artscafeの内部

 

音楽との出会いは

イタリア系の両親のもとに5人の男兄弟の4番目として、アメリカペンシルベニア州のフィラデルフィアで生まれました。父は貿易商でした。母は厳しいお母さんでした。
音楽との出会いは5歳のとき。祖父の死を悲しむ母がピアノを習い始めたので、一緒に教えてもらったのがきっかけです。他の兄弟はバスケットボールに夢中で、ピアノをやっていたのは私だけでした。当時は演奏家になることは考えていませんでしたが、ピアノのレッスンは高校までずっと続けていました。
高校生のときに同級生が弾くピアノに触発されて、音楽家を目指そうとニュージャージー州のローワン大学でピアノと作曲を専攻しました。卒業後はニューヨーク大学で作曲科の修士・博士課程に進みました。研究テーマは「イタリアの現代音楽」です。29歳まで大学にいました。その間に海外での演奏会も何度か行いました。
1995年に世界各国の民族音楽に触れたいと、半年間の旅にでました。中東からアジアを回って最後に訪れたのが日本でした。日本に来るまでは、大学で先生になろうと思っていたのですよ。

5歳のとき弟と一緒(ジョセフは左側)   弟の大学の卒業式(ジョセフは左側)

「筝」との出会いは

1995年1月、日本に来ました。第一印象は、なんてきれいな国です。地下鉄も道路もきれいでその当時のニューヨークとは全く違っていました。新幹線や乗用車のデザインの素晴らしさに感動しました。そこで「筝」と運命的な出会いをしました。生田流の「筝」の演奏を聴いたとき、見たことのない聞いたことのない不思議な感情が湧いてきました。父が亡くなって落ち込んでいた私の心を慰めてくれる音色でした。日本で暮らしてみようと福岡のインターナショナルスクールの先生になりました。福岡では生田流のいい先生に恵まれて、毎週「筝」のレッスンに通いました。「筝」の絃名譜も勉強しました。福岡での2年間は、合唱団を作ったりして楽しい思い出ばかりです。

博士論文を書くためにアメリカに戻ってからも「筝」のレッスンは続けていました。サンフランシスコ在住の長根先生に師事していました。2000年に文化庁海外芸術招聘研究員として奨学金を得ることができたとき、自分は日本とつながっていると、「縁」を感じました。日本では生田流の公益財団法人正派邦楽会が運営する正派音楽院で「筝」を朝から晩まで学び、二代目家元の中島靖子先生に厳しい指導を受けて2003年に準師範職格と雅号「雅翔」を取得しました。

「筝」の演奏会で

横浜との出会いは

ご縁があって、2003年から横浜インターナショナルスクールで働くことになりました。ここでは「筝」や「十七絃箏」など邦楽を学生たちに教えました。邦楽プログラムは学生たちに大人気で、あるときは学年の半分が履修することもありました。邦楽コンクールでも賞を受賞し、東芝国際交流財団の支援で、アメリカやオーストラリアで演奏会を開いたこともあります。私は授業を通して日本の文化と精神を教えてきたと思っています。2017年にはスクール内に日本芸術文化国際センターを設立しましたここでは、学生だけでなく一般の方向けに、日本語、茶道、書道、日本舞踊、文学、歴史・・お箏や三味線、太鼓などのプログラムを実施しました。歴史ツアーで街歩きもやりましたよ。

もっと対外的に活動したい,一般の方向けの日本文化プログラムを行いたいと考えて、2017年にNPO法人 日本文化振興マネジメントを立ち上げました。日本財団やフロリダ州のモリカミ博物館などの支援も得て、日本文化を発信する活動をしてきましたが、コロナ禍で活動が止まっています。

昨年は、1927年の関東大震災後にスイス人建築家が建てた、歴史的な家をお借りして「Japanese Traditional Music and Musical Instruments II」というタイトルの山田流の「筝」の短編映画を作成しました。
https://www.youtube.com/watch?v=X7U__KQMqrs

邦楽プログラムを指導している

7artscafeとの出会いは

横浜には日本初のものがたくさんあります。そんな横浜で自分らしい居場所が作れたらと、ずっと考えていました。展示や演奏のスペースがあって、美味しい食事が提供できる場所がないか探しました。そしてまた素敵な出会いがあったのです。ここは1955年に建設された古いビルでした。以前は何件もの居酒屋があった場所です。桜で有名な大岡川のそばにあるこの場所が一目で気に入りました。ここをリノベーションして自分らしい場所にしたい・・そう思って自分が設計して改造を始めました。

7artscafeの外観

2021年07月21日ニ、「7artscafe」はオープンしました。
なぜ、「7arts」ですかって・・・よく質問されます。
それは7つの伝統的なアート、建築、舞踊、映画、文芸、音楽、絵画、彫刻からきているのですが、ニューヨークのソーホー地区にあった7Arts Coffee Gallery をイメージしています。そこは様々なジャンルの芸術家が集い、語らい、互いを触発している場所でした。
日本には「七福神」という言葉がありますよね。「7」は大好きな数字です。
7artsafeのポリシーはSDGs・ECO・DOG Friendly・LGBTQ+・NO Smoking です。
ここでいろいろな人が出会って、何かが生まれる。。。まさに「多様性」を体現する場所にしていきたいのです。私が目指しているのは、ドイツ語で「gesamtkunstwerk」※(総合芸術)です。
※19世紀ドイツにおけるロマン主義から発祥した美的概念。
おかげさまで、ユーザーの評価も高く、Webサイトのレビューを読むと嬉しい限りです。最近はリピーターも多くなり、ギャラリーとして、演奏スペースとして多彩なイベントが開催されています。土日はライブ演奏もやっていますよ。イベントや展示会については、ホームページで掲載しています。

イベントの様子

ここ数ヶ月は、一日中お客様と話しているので、趣味のジム通いができません(笑)
日本人はシャイといわれていますが、違いますよ。自分からは話しかけませんが、こちらから話しかけるとどんどん話してくれるフレンドリーな人たちです。今は、お客様とのコミュニケーションが私のエネルギー源になっています。

「YOKOHAMA SEASIDER」との出会いは

「YOKOHAMA SEASIDER」は、横浜で唯一日本語と英語で書かれている国際誌(月刊)です。さまざまなジャンルの横浜を紹介するフリーぺーパーです。国際都市横浜にバイリンガルのフリーペーパーをと、友人のRy Beville(ライ・ベヴィル)氏が2009年に創刊しました。横浜の土地やお店の紹介だけでなく。人物やイベントも丁寧に取材しています。Ry Beville氏が友人ということもあり、、2022年5月号からディレクターを引き受けています。「YOKOHAMA SEASIDER」を通して、バイリンガルの視点から見た横浜の魅力を再発見してほしいと考えています。「YOKOHAMA SEASIDER」は、今年前半にNPO法人として設立予定です。今後は横浜市と連携して歴史や文化についてもどんどん取り上げていきます。

ジョセフさんにとって「横浜」とは

まざに多様性(Diversity)な街です。というか・・・そういう街にしていきたいです。
横浜は歴史がないだけに、開港時にいろいろなものが一度に入ってきました。
周囲をみると、中華街があり元町があり山手がありそして寿町がある。様々なバックグラウンドを持つか方々が一緒にいる街です。そして、誰でも歓迎してくれる街です。
横浜は東京が近いだけに、常に東京を意識してきた。そんなことは考えなくていいと思います。横浜には横浜らしい個性があるはずです。私は自分の活動を通して、「多様性(Diversity)の街 YOKOHAMA」を作っていきたいですね。
まずは「黄金町」の再生に取り組みます。旭橋をきれいにしたいです!!

私にとっての横浜は、
「多様性(Diversity)な街」です

 

<取材を終えて>

ジョセフさんは、「筝」に出会ったことで、彼は日本で暮らすことを選びました。正派音楽院で学んでいたときに、たくさんの書物を読んで日本文化を学んだと伺いました。きっと血のにじむような修業をされたのでしょう。信念のある方だと思います。その一方でソフトな口調で誰とでも笑顔で話されます。そんな彼の人柄が多くの人々を魅了しているのだと思います。「7artscafe」は、オープンから1年足らずで老若男女、国籍を問わず多くの方々が訪れる人気のスペースになっています。ここからどんな総合芸術が創出されていくのか。今後が楽しみです。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

12月 10 22

「VRギャラリー」の成果が問われる時がきました

by staff

 

この一年、心血を注いできたプロジェクトの「VRギャラリー」の成果が問われる時がきました。

「VRギャラリー」とは、スマートフォンやタブレット上で、3Dギャラリーの中を自由に移動して、展示品を360度回転させ、拡大縮小することにより、実物より微細なところまで見ることができる仕組みです。

弊社が「VRギャラリー」に取り組んだのは、平山郁夫氏のシルクロード関連のコレクションの存在がきっかけです。平山先生は200回以上にわたって中国・西アジア・ヨーロッパ等のシルクロードを訪ねて、有名な仏像だけでなく、皿・器、コインや印章等の数々を1万点近く収集されました。しかしながら、平山先生の美術館ではスペースの関係ですべてを展示することはできません。
この素晴らしい歴史的遺産を何とか多くの方々にクラウド上で閲覧してもらうことができないかと考え、「VRギャラリー」を展開しているVRワイバオ・ジャパン株式会社(横浜市)との連携をすることになりました。
※「平山郁夫バーチャル美術館」は近日公開予定です。

それと同時に、「VRギャラリー」を伝統工芸品にも使いたいと考えました。
私の故郷秋田で、年に1回の「KOUGEI EXPO」伝統的工芸品月間国民会議全国大会が開催されることになっていました。秋田県には伝統工芸品として、曲げわっぱ、杉桶樽、樺細工、川連漆器などが経済産業省から伝統的工芸品として認定されています。そのほかにも銀線細工やこてまり等数々の伝統工芸品があります。

日本では伝統工芸品は、手作りのためどうしても高価格になりがちで、販売が伸び悩んでいる傾向にあります。そのため、後継者が育たないで消えてしまっている伝統工芸品が各地になるのです。

私たちはこれまでの写真と説明だけでなく、まるで手元にあるように360度回してみて細かい細工や木目などの素材を拡大してみることで工芸品をもっと体感してもらいたい。伝統工芸品の作り手の技術や想いや歴史を消費者に伝えることができれば、価値を理解してもらえて、購入につながるのではないかと考えています。。

伝統工芸品の作家さんたちの技術の素晴らしさを、「VRギャラリー」で表せないかと模索していたところ、秋田県の「新時代対応型伝統的工芸品等支援補助事業」が6月から始まりました。それに曲げわっぱ、川連漆器、銀線細工の事業者さんが応募されて、「KOUGEI EXPO」に弊社の「バーチャル秋田伝統工芸品館」を出展できるようになったのです。

バーチャル秋田伝統工芸品館

「KOUGEI EXPO」では、ミルハス(秋田芸術劇場)の秋田県PRブースとなかいち銘品館の2か所で展示しました。
来場者に伝統工芸品が存続の危機にあること、伝統工芸品の持つ価値を、ITツールであ「VRギャラリー」で正しく伝えることができれば、購入してくれる人が増えるのではないかと訴えたところ多くの方に賛同を得られました。

展示のようす

ネイガーも来場

「バーチャル秋田伝統工芸品館」の展示品では、詳細説明や制作中の動画とリンクすることで対面販売に近づけるようにしています。またオンラインショップとリンクすることで購買につなげるようになっています。
10月29日の「ヨコハマSDGs文化祭」で銀線細工の「VRギャラリー」を来場者にご覧いただいたところ、オンラインショップでの販売が増えたという実績もでています。

会期中に今回のプロジェクトを1年間にわたってサポートして下さったアルテジアン応援団(柿崎公明さん・森川恒さん・百瀬和さん)が工芸作家さんとの交流会を開催してくれました。工芸作家さんたちも、作品をこのような形で見てもらえれば・・という感想をお持ちでした。

「VRギャラリー」はこれからが本番です。故郷秋田だけではなく、全国の伝統工芸品の販売促進に寄与できる仕組みづくりを構築していきたいと考えています。

VRギャラリーについては下記をご覧ください。
https://vr-gallery-j.com/

※スマートフォンでアプリをダウンロードして「VRギャラリー」を体験して下さい。

※iPhoneについては現在Appleに申請中です。テスト版でご覧になれますので、ご連絡ください。

 

 

 

12月 10 22

2022年12月 三ツ池だより 「それでいいよ!」

by staff
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今やるべきことが見えているとそれに取り組める。何かしなければいけないと考えていると悩んでしまう。今していることは何か。それをつづける。そして次は何をするのか。何をするのかは前日の予定であり、当日の変更も可能だ。するべきことをして行く。

 「自分が出来ること」 けんじ
ノートに詩を書く
不思議なことに
題名が決まる
筆が走る
  心がとまっているわけでも
  ペンがたちどまっているわけでもない
  自然に筆が走り
  自分が現れる
今日一日あったこと
今日も気づいたこと
自分が出来ることは限られているが
一文字一文字書き記してみる

 「またたき」 けんじ
空が青く
海からは雲がのびる
  ここは横浜
  港が見える
人生という旅をしていて
立ち止まる少し前の所で
  珈琲を飲み
  ぺンをはしらせている
ベーブリッジのライトが光っている
まわりに客船が見えている
  空はどこまでつづいているの
  海はどうなっているの
人はただようのでなく
歩き大地を踏みしめている

こんなにゆったりした時間をもらえて有難い。振り返ってみるといい人生で終わることが出来るとの感じである。有難い。なにか恩返しがしたくなる。詩がのこせないかとも思う。ほっとしてもらえる詩をと。

 「待つこと」 けんじ
待つことをしてみよう
なぜだろう
ものは動いている
  待つことにも
  時間がかかっている
  考える時間が流れている
日々、時々、その時その時
表情は変わって内容で変わっている
待つことは時間の流れ
  今という時の積み重ねが
  待つということ

 「区役所へ行く」 けんじ
何か違う雰囲気がする
今住んでいる土地なのに
なにか区役所が身近に感じない
  それでいて職員のかたは
  笑顔もあり、話もおだやか
  こちらがかわってしまったのか
時代は流れている
私が年をとったのか
何が変わってしまたのだろう
  区役所に年寄が寄らなくなったのか
  これが今までどうりなのか
  当方が戸惑いを感じる年になっただけなのか
どちらにしても
動くことだし
情報に自分からタッチすることだ

人は人を呼ぶ。呼ばれたら答える。呼ばれなくても声を掛ける。人と人とはお互い様である。呼ぶ声を掛ける。答える。呼ばれなくても時にはこちらから声を掛ける。人が人であることは関心を持つことであり、喜び合えることである。

 「人生はバトン渡し!」 けんじ
今やっていることは
自分勝手なようでいて
次へのバトン渡し
  毎日やっていることが
  次へつながることであり
  自分が出来ること
詩を書くことも
会社を見守ることも
日本がどのようになっていくか気に掛けることも
  太陽が登るときもあり
  一日曇りのときもあり
  日々変化している
さぁ今日も明日も
自分を出してゆく
人生のバトン渡しのために

バトンが渡せるのか。それは今日なのか明日なのか。いやもっと先なのか。でも今は今。

 「それでいいの」 けんじ
それでいいのさ
待つのさ
それでいいの?
それでいいのさ!
  行く道は
  見えないけれど
  行くのさ
  自分の道だもの
何処に行くのか
何をするのか
行きたい所へ行く
今やりたいと思っていることをやっていく
  それしかないさ
  己の道を行くのさ
  未知はつながっている
  自分で自分の道は選ぶのさ

友人から奥さんの書かれた本が送られてきた。大夕張に育ったその方の想い出が良く書かれていた。夕張は活気があって、山が美しい所であったそうな。なんの不自由もなく育ってきた。大きくなって夕張へ戻ってみると、炭鉱は閉山され、人口も撃滅になり、廃墟のおもむきがただようという。でもそこは大夕張、これからどうなっていくのか。栄華を忘れ原始の森に還れというのか。人を生かし土地を活かす。何かを考えだすことはできないのか。東京だけがいい街ではいけないのだ。

 「いつもの場所」 けんじ
いい天気で
寒くなると言われながら
暖かい日がある
  もう50年になるのか
  何時もの場所で
  昼の陽にあったっている
若い人に連れられて
いつもの会社の
定期検査に来ている
  突然電話が入る
  57年誌よく出来すぎている
  筆者がすごいねと
電話を受けた場所が不思議
50年前にも昼に立ち止まったところ
懐かしいお客様の前だった
  いつもの場所と言える所に
  50年も縁があるという
  すごい!すごい!有難い!

 「枯葉舞う」 けんじ
枯葉が落ち始め
枯葉を集める
  枯葉がきれい
  いろんな思いが散らばる
枯葉集めも楽しい
地が新しい顔を出す
  ほんの一瞬
  時には2~3日のことも
枯葉に酔いながら
詩を書く
  一枚一枚集めるように
  昨日が今日だったように
夕暮れのなか
枯葉が舞い始めている

手元に会社57年記念誌がある。安全な計量の仕事を求めての歴史になる。独自の姿勢を貫けたのは何だったのだろう。計量一筋に過ごして来れたこと、お客様に支え続けられていること、家族が私を支援しつづけてくれたこと、わが心の宝物のようなものが今に続いている。そして新たな道も模索しつつある。世の中に必要なことを自分なりに形づけた仕事をつづけていられることは喜びだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

12月 10 22

ゆるマナー講座(第82回) 紅葉狩りとSDGs

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

まだまだ紅葉のきれいな季節。
毎日通る所にある大きな大きな一本のイチョウの木。青々とした緑から徐々に色づいて黄色一色になると、何も飾りはないのに、まるでクリスマスツリーのように輝いて見えるから不思議です。

誰かが掃除している

不思議なことは、そのイチョウの木の下でも。
朝夕通りかかるのですが、実が落ちる頃は木の下の道は毎日きれいに掃かれています。でも色づいたイチョウの葉が落ちる頃は、落ち葉は一定期間掃かれずそのままになっています。黄色い葉が辺り一面に敷かれていて、その上を歩くとふわふわの絨毯を踏みしめているような感覚になります。落ち葉は積もる一方ではなく、いい具合に減って積もってを繰り返します。葉っぱが散ってなくなってしまうまでのしばらくの間、ふわふわの絨毯を体験できます。
掃除している人を目にすることはないのですが、きっとご近所の方がなさっているのでしょう。素敵な心遣いだなと毎年思っています。

山のゴミ問題

この季節だからこそと、近場ですが少し足を延ばして紅葉狩り。
開けた空、きれいな空気、そして色づく多くの木々。山の上にあるお寺で健康祈願。久しぶりの気分転換です。
いよいよ寒くなる前に、赤や黄色に鮮やかに色づいた木々はほんのひと時私たちの心に明かりを灯してくれるような気もします。
ここでも驚くことがありました。
山の手入れがものすごくきれいになされていることです。
そして、外国の方も含め子どもたちから高齢の方々まで、だいぶ人の出も増えてきていますが、どこにもゴミが落ちていなかったことです。外で何かを食べたり飲んだりもしますし、人が増えればどこかしらに落ちていそうなものなのに。

実は、この山では森林インストラクターと一緒に、山登りをしながら自然観察をし、ゴミ拾いをしながら下山するという活動が毎月行われているとのことです。その皆さんの努力が明らかに実を結んでいるようです。
いくつかゴミがあれば、そこに捨てることには抵抗がないけれど、きれいなところには捨てづらくなるという人間の心理。それが結果的には山を汚さないことに繋がっているのですね。

「自然を守るために」ゴミを捨てない、持ち帰る。
気持ちの良さを少しも欠くことなく紅葉狩りを終えられました。

ワールドカップのゴミ問題

一方、ワールドカップサッカーの日本戦観戦後に、応援した日本人サポーターが競技場でゴミ拾いをして大会関係者から表彰されたというニュースを聞きました。また日本代表の試合後のロッカールームがきれいに片づけられ、折り紙とお礼のメッセージが残されていたというニュースも聞きました。日本人がいくらきれい好きだとは言え、なかなかできることではありません。「立つ鳥跡を濁さず」を体現した素晴らしい行いです。

でも皆がそれぞれ持ってきたものを残さず持って帰れば、試合後にゴミ拾いなどしなくてよいのではないでしょうか。
これからは、試合後のゴミ拾いを広めていくのではなく、一人ひとりがゴミを残していかないということが広まるといいなと思います。
一人ひとりが取り組めるSDGsはきっとこんな些細なことからですね。


(高尾山のルールより)

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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12月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第117回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第117回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“未来予測” の重要性。今のご時世は余りにも変動が凄まじいからこそ必要かも。世界人口・気候変動は読めても技術革新は激烈。医療・食料や地政学的緊張・宗教的価値観などはますます不確実性が深まる方向。それでも日常を緻密に観察すれば緻密な発見があるもの。全ての時が決定的瞬間。我々は少しずつでも賢くなるしかなさそう。賢くなるには “多くの人に会う・様々な本を読む・色んな世界に足を運ぶ”。大きな課題の解決には、小さな組織や個人レベルから突破していくのが得策かも。“自己変革力のレベルアップ” と “経験知ネットワークの構築” を地道に。必要な知見を深める姿勢を持ち続け、様々な活動に関わった経験を持つ人達のネットワークを創りあげ交流を深める。先人が積みあげてきた思想・哲学こそ財産、これを基にした方向感覚と抽象化、更に実行に向けた意志の力。チェーホフの繊細とドストエフスキーの強力。面白さで人とつながる。貸しても与えない。“必敗法70条・必勝法70条” と巨人軍V9コーチの牧野茂。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

世の中には、いろんなオプションが存在する 最初から一つにこだわらない
風が吹いたら風車を回せばいいし 足が疲れたら、乗り物を利用すればいい
変化のスピードが猛烈な時代 多くの選択肢は、生き続ける上で大きな武器
この能力は先天的というよりは後天的 選択肢を排除する社会に未来はない

オプションとは選択権。証券市場では、実際の売買だけでなく選択権付き取引もある時代。売買する権利だけを取得。最初から一つに拘らない、足が疲れたら乗物を利用するだけ。一本道は厳然、一本道に固執しない。唯一つの答えを追求するのは危険。初めのチャンスは見送るもの。多くの選択肢を持つことは21世紀を生きる上での武器。先天的というより後天的なもの、ここに鍛錬を集中。偶然に対するマネジメント。“自分の能力を疑いすぎる。自分を疑っていては最善を尽くせない” と歌手マイケル・ジャクソン。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

二〇世紀は手足に重点を置いた 二一世紀は脳に重点を置く研究技術開発
研究開発費率と研究開発効率は、通常反比例する 二つの積は一定になる
競争 皆と同じ方向に進んで、タイムを競うゲームに限定する必要はない
競争の方向は無限 競争ルールの創造と選択 何であれ継続が一番難しい

研究開発には学問進歩の研究もあれば、企業・軍事・行政などの目的達成のための研究も。研究は基礎研究・探索研究・応用研究の3段階。面白さに食らいつき、諦めずに続けることが決め手。競争は避けられないけれど、皆と同じ方向に進んでタイムを競うゲームに拘泥する時代でもなさそう。競争の方向は無限大で、競争ルールにも創造と選択の余地。大切なことは人生の果実の総量。“ボートを漕ぐように人は後ろ向きに未来へ入る。映るのは過去の風景。明日の景色は誰も知らない” と詩人のポール・ヴァレリー。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

失敗を許す組織は 失敗が、オープンな形で効果的に蓄積される
必要なのは率直さ 失敗から学ぶ腕のいい寿司職人は素直で謙虚
大半のことは大目に見る その方が、不思議と失敗が少ないもの
正しい練習は裏切らない 記録に残らないプレーが勝負の分岐点

成功者は常に失敗から学ぶ。実験においては失敗・成功はなく、失敗も知識の獲得という意味では成功。失敗経験から学びを得る方法を手にして成功に繋げる。良悪を包含する容量を拡大。失敗を許す組織は、失敗がオープンな形で効果的に蓄積されることに強み。記録に残らないプレーこそ勝負の分岐点。誰もが知らない・気が付かない歩みが土壇場で失敗をひっくり返す必殺技。“野球:もともと失敗の方が多い競技。感情を一定に保ち、常にポジティブでないとダメ” とヤンキース伝説の遊撃手デレク・ジーター。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第117回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

12月 10 22

絵本から笑本へ(第73回) 絵本作家のしゃべりたい絵本。
~絵本づくりの参考にしてはいけない絵本3冊~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

第5期では「絵本作家のしゃべりたい絵本。」というテーマで
絵本作家らしく絵本についておしゃべりしています。

公共図書館に約十年間勤め、絵本作家になる前に日本一絵本を読んできた、
絵本にも絵本作家にも詳しい、そんな絵本作家 保科琢音の
新しい絵本の楽しみ方、絵本の読み方をご紹介していきます。

第5期3回目のテーマは…
「絵本づくりの参考にしてはいけない絵本3冊」

絵本作家としては、また現在は出版社社長として
新人絵本作家さんの育成もしているぼくのところへは、
たくさんの「絵本をつくりたいひと」・「絵本作家になりたいひと」から
日々ご連絡があります。

そんな訳で今回は、前回のテーマとは真逆のテーマ。
「絵本をつくるときにこの絵本を参考するのはやめておいた方が良いよ」
って絵本を3冊ご紹介します。

はじめに断っておきますが、決してネガティブなご紹介ではありませんよ。

1冊目「へんてこ へんてこ」

作・長 新太
佼成出版社・1988年

長新太さん(享年78歳)はたくさんの絵本を世に送り出されていますが…その中でもぼくにとっては一番と言っていいほど不思議な絵本です。

「ナンセンス絵本の神様」といわれた長新太さん。どこかシュールでユーモアのある不条理な物語を得意としていらっしゃいました。長新太さんがつくった他の絵本も理解不能なテーマは確かにあるのですが(笑) この絵本は更に、絵本のページ数にも注目してもらいたい。なんと36ページもある。絵本としてはかなり長い。長編大作。と思いきや、最初から最後まで絵の構図も変わりません。ずっと同じ。それでも最後まで長新太節を崩さない。それがまさに長新太!こんな絵本は長新太さんにしかつくれない。絵本をつくったことのないひとが簡単に参考にしてはいけません。

しかしこの絵本の凄いところは、その不条理なストリートを長いページ数をかけ最後まで絵本として昇華できているところ。この「長さ」というのもこの絵本のテーマのひとつにもなっているので興味のある方は是非、読んでみてください。

2冊目「ぽぽぽぽぽ」

作・五味 太郎
偕成社・1988年

日本で一番絵本を出版されている五味太郎さん(77歳)の作品の中でも異色の絵本。

内容としてはタイトル通り「ぽぽぽぽぽ」で話が進んで行きます。途中「ととととと」や「ののののの」等に変化はしていきますが、文章は基本これだけ。最後まで何かを説明するようなト書きもなければ、誰かの台詞もありません。それでも最後まで絵本として見れるのは、この限りなく少ない文章と五味太郎さんの絵がベストマッチしているから。
カラーインクでかかれた五味太郎さんの絵は、誰が見ても五味太郎さんの絵だと解る絵。もはやカラーインクで絵をかくとどうしたって五味太郎風になって見えてしまうという位に、五味太郎さんは初期の頃から既に自分の絵が確立されていました。だからこそ絵本づくりの参考にはならない。これは五味太郎さんだかこそ出来る絵本です。

絵本を出版している数も多いのでシッカリと参考になる絵本も勿論たくさん出されていますが…同じようなシリーズで「りりりりり」、「ぬぬぬぬぬ」、「ビビビビビ」なんていうのも出ているので興味のある方は読んでみてください。

3冊目「バムとケロのにちようび」

作・島田 ゆか
文溪社・1994年

カナダ在住の絵本作家 島田ゆかさん(59歳)の大人気「バムケロ」シリーズの絵本です。

どこの本屋さんへ行っても必ずと言っていいほど置いてある絵本ですね。絵本好きな方は勿論、子どもから大人まで楽しめる本当に素晴らしい絵本だと思います。
細部までかき込まれた絵。ストーリーの内容や展開。愛嬌のあるキャラクター。作品の世界観。どれをとっても一級品です。だからこそ絵本づくりの参考には絶対にならない絵本。この絵本を参考にしたとしても、素人ではまずどこから手をつけて良いのかも解らないと思います。

更にこの絵本の凄いところは、主となるストーリーの後ろで展開されている「後ろのストーリー」のクオリティの高さです。前回ご紹介した「ノンタン」シリーズ等、絵本ではよく使われる技でもありますが、島田ゆかさんの絵本はこの後ろのストーリー構成が素晴らし過ぎます。ただでさえ主役の「バムとケロ」が完璧といって良いほど可愛いキャラクターなのに、その後ろで動く言わばサブのサブのサブのキャラクター達までが可愛くお話を進めている。島田ゆかさんは後ろのストーリーの天才だとぼくは思っています。
「バムケロ」シリーズだけでなく、島田ゆかさんのつくる絵本には素敵なキャラクター達がたくさん登場するので他の絵本も是非、読んでみてください。

今回は一見ネガティブなテーマだったかもしれません…

が、ぼくが言いたかったのは
「この絵本のような絵本を簡単につくれると思うなよ!」
って事でもあるんですね。

今回の絵本3冊に共通している事は、
絵本作家さんにシッカリと個性があること。

この絵本作家さんだからこの絵本がかける。
この絵本作家さんだからこの内容に違和感がない。
この絵本作家さんだからこのテーマを扱える。

そういった「この絵本作家さんだからこそ」というのが存在します。

自分にはどういう絵本が合っているか?
どういう絵本をつくることが違和感ないか?

たくさんの絵本を読んで、そんな事を考えるのも楽しいかもしれません。

今回のテーマ「絵本づくりの参考にしてはいけない絵本3冊」も
絵本作家 保科琢音のYouTubeチャンネル『笑える絵本ダナ』にて
同じテーマで動画公開しています。

第5期「絵本作家がしゃべりたい絵本。」は、
YouTubeとの連動していくカタチの連載コラムになっています。

コラムでは書ききれない部分を動画で。
動画でしゃべりきれない部分をコラムで。

コラムとYouTubeの新しい試みを是非、楽しんでもらえると嬉しいです。

絵本作家 保科琢音チャンネル『笑える絵本ダナ』
絵本づくりの参考にしてはいけない【絵本3冊】

絵本作家 保科琢音 チャンネル『笑える絵本ダナ』

https://www.youtube.com/channel/……

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
1983年生まれ。br />
神奈川県横浜市在住br />
2013年 絵本「あっかんべー」出版br />
2019年 絵本「ままも」出版br />
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」・「よぞらのおくち」同時出版br />
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版br />
2020年 ベトナムにて絵本「ねてばかりいるカバ」出版br />
2022年 絵本「よぞらのおくち」・「たまちゃん」同時出版
 
公立図書館に10年間勤めた後、絵本作家・紙芝居作家として本格的に活動を始める。 絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会(どくえんかい)」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。 幼稚園、保育園、小学校、図書館、美術館、科学館、寺院、子ども病院、療育施設、障害者施設等… 口演場所はこれまでに600カ所以上。 他にも、子育て支援施設業務委託。障害児施設美術プログラム講師。コラム執筆等。 活動は多岐に渡る。また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
 
2021年 出版社「ラフコネクト」設立 取締役社長に就任

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

12月 10 22

風景で読み解く横濱 (第八話)子守・洋傘の風景

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第八話 子守・洋傘の風景

 

 子守の風景

絵葉書に映し出されている公園の風景です。
ここに集う人々の中に<子守する子供>の姿を確認することができます。場所は横浜ですが、<子守する子供>の風景はここ横浜に限ったことではなく、同時代の絵葉書全般に多く映し出されています。
現代なら肖像権やプライバシーの関係で映し出されることは稀で、戦前絵葉書風景の特徴の一つは人物がしっかり写り込んでいることです。
絵葉書に登場する子守の多くは少女ですが、時々少年も確認することができます。
<おきまりのように>公園や寺社の風景には<子守する子供>を確認することができるのです。

子供の子守の歴史を少し紐解いてみました。
子守の労働歌「竹田の子守唄」に表現されているように、子供が仕事として<子守>したのは江戸期からの習慣だったようです。
明治・大正期の統計資料にも小児労働の実態が記録されています。大正9年の国勢調査によればたとえば12歳から14歳までの年齢層で男女の有業率(職についている率)はそれぞれ30.6%28.8%に達していました。
ここに示す数字が全て子守人口を表す訳ではありませんが、「学校から帰ると尋常1,2年の間は子守て゛す。下の子か゛子守のて゛きる年頃になると,上の子は,おコシ゛ョ(おやつ)の芋た゛んこ゛を作ったり,山へ行ってる親たちか゛帰るまて゛に夕飯の用意をしたりしたもんて゛す。
(山川菊栄:女性史研究家、作家)」
と記述されているように家事手伝いとして子守が日常だったことが浮かび上がってきます。
「1920年の第1回国勢調査において12~14歳の有業率か゛約3割(男30.6%,女28.8%)に上ることを確認し,多くの子と゛もか゛働いていたにもかかわらす゛,それか゛大きな社会問題とはならなかったことを日本の特徴(荻山正浩)」と指摘しているレポートもあります。
改めて手元の絵葉書を見直すと、<子守>の風景が鮮明に浮かび上がってきます。
神社・公園は安全な子守場所だったと想像できます。

 

 洋傘の風景

もう一つの絵葉書風景の特徴を簡単に紹介しておきましょう。洋傘の風景です。
現在も明治時代の名残がことばとして残っています。
洋食、洋服、洋裁、洋傘、洋館といったワード使っていませんか?
これらの<洋>付きワードで消えつつあるのが<洋傘>です。対応する<和傘>が死語になってしまった現在、傘=洋傘を示しています。洋食や洋服はまだまだ現役ですね。
この<洋傘>戦前絵葉書に都市の風景の一部としてしっかり写し出されています。

洋傘は戦後早々まで<質草>にもなった高額商品でしたが和傘に対して実用性に優れていたので広く普及しました。戦前の繁華街絵葉書には構図や素材を若干作り込んだ<作品>もありましたので華やかさを引き出すために<傘さす婦人>を敢えて選んだ可能性も高く、果たして洋傘の風景は絵葉書レベルのように日常だったのかは分かりません。

絵葉書は大正期後半まで多くが手彩色であったこともあり、傘の色合いが実際どうだったかは不明です。
手彩色のように通りに艶やかな彩りをもたらしたことは間違いないでしょう。

※ここに紹介した絵葉書は個人蔵を使用したものです。(一部加工)
 転用等はご遠慮ください。

 

(第八回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

12月 10 22

第115回 建築模型(住宅編)

by staff

ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
河辺 近

建築模型(住宅編)

あなたは、建築模型を見たことがありますか?
建築の計画、設計をする際、多くの建築家は建物の完成模型を作ります。
(事務所で製作することも、プロの模型職人に依頼することもあります。)

 

模型の製作は、何段階かの工程に分かれます。

街中や隣地の建物が近接している時は、計画地を中心に隣地の建物・道路・緑地帯・川等との高低差や立地の関係が判る様に、その土地の状況を様々な角度から環境を検討して模型を製作します。
参考とするのは、敷地調査を計測した資料、国土地理院の地図、住宅地図、最近ではGoogle Earth(衛星写真)で上空からの周辺の環境写真等も大切な資料となります。
これらのものから、現地での人の目線の高さでは分からない色々な状況や環境が見えてきます。

次にイメージを想像、計画したスケッチを起こし、形をまとめる時に、いくつかの小さな模型を作ります。
建物のプロポーション、また最近では太陽光パネルによる光害(太陽の反射によるもの)なども含め、地域との関係性を検討します。時には20種類もの様々な小さい模型を作ることもあります。

 

プランが進むにつれ、各部屋プランを模型で検討したり、素材を合わせ見たり、模型は空間デザインの検討を確認するための大切な資料です。そして、ようやくプランがまとまった時に、完成模型を製作します。

単純に平面計画から立ち上げたプロポーションではなく、建物の形からも平面計画を検討する必要があるからです。最近ではCAD(パソコン設計図面ソフト)などで、3D(立体画像)を作成することが多いですが、これはあくまで2次元の世界の中で、立体的に表現したものです。ゴーグルを付けて仮想空間上で見ることも可能ですが、あくまでそれは実際に目で見た視野ではない画像です。

 

模型の大きさは原寸(1/1)ではありませんが、全体のバランス・デザインは模型ならではの表現で、関係性が良くわかると思われます。そこから色々な想像を呼び起こすことが模型であれば出来るのです。
一般的に住宅では1/100、1/50、1/30などの大きさで建物の図面を描くことが多いです。
その図面をスチレンボード(薄い発泡スチロールを紙でサンドしたもの)や厚紙等に貼り付け、組み立てみると2次元の平面図から3次元の建物へと立ち上がります。

ぜひ、ご自分で模型を作ってみてはいかがでしょうか。
想像の世界が広がります。とても楽しいですよ。

 

河辺 近 kobe chikashi
E-mail aa@ken-ken-a.co.jp
URL https://www.ken-ken-a.co.jp
ken-ken inc.,
横浜市中区尾上町1-4-1関内STビル1003
TEL:045-222-8303

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
https://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

12月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #26

by staff

セロ弾きのゴーシュ(音楽療法)

だいぶ前から 音楽療法の事は知っていました。私の親しい友人のエレクトーン奏者も音楽療法の勉強をしていて、もうすでに資格を取って仕事を始めていると思います。
これからの激しく変容してゆく時代を人々が健やかに乗り切ってゆくのに音楽療法は重要な地位を担ってゆくのではないかと思います。が、では音楽療法とは一体どんな物なのか。

先日 私は本物の「セロ弾きのゴーシュ」先生に音楽療法をしていただき、正に素晴らしかったので、今回はその体験談を皆様にシェアしたいと思います。

佐藤美代子さん。世界的なバイオリニストです。今年で79歳と伺っています。
彼女が岡山県の日本基督教・倉敷教会にてソロコンサートを開かれました。普通バイオリンの演奏会と言うとピアノの伴奏もつきますが、彼女の場合は純然たるソロです。
その演奏は時にはメロディアスで、時には奔放で、私の心身にダイレクトに伝わってきます。教会のきっちりした板の椅子に座って其のバイオリンの音色をひたすら浴びる。お客様の中にはこっくりこっくりとご自分の顕在意識を遠ざけて音楽を聴く方もいます。
日本人の場合は特に周りに気を遣う事が美徳とされている文化がある為に 神経がへとへとに疲れていて自分の顕在意識と潜在意識が、かけ離れていて断絶しているような状態の方がたくさんいらっしゃいます。自分の好きな事をやってよいと言われても何をやってよいのかわからない。迷惑はかけたくないと、常に周りの人の目を気にして、親や、他人の評価を自分の基準にして生きている。人の心に寄り添うように、そんな訓練がなされている。
そういうような状況下では忙しく働く表層意識をいったん休ませ、その音楽が深層意識に働くように寝てしまう方法があります。特に情緒的な音楽、や、単調な繰り返しの音楽などは聴く側の、まるでタービンの様に回り続けている思考、すり減っている自立神経などの回復には必須で、そのひと時だけでも雑事の気苦労を遠ざけて休む。

この段階での音楽療法には 案外どなたでも体験があるのではないでしょうか。
落語なども話し手の導入部分で徐々に眠気が来て、意識を失って 周りのお客様のどっとした笑い声に目を覚まして、又それが終わると寝てしまう、そんな繰り返しで疲れが取れてすっきりされる方もいると思います。以前の私は、自分の舞台で眠ってしまう方がいると、自分の舞台が面白くないから、と、自己批判的にネガティブに考える傾向がありましたが、最近は客席で寝る方はそれだけ疲れているという認識でそっとしておいてあげる必要を感じます。話しがそれたので又佐藤美代子さんのコンサートに話を戻します。

その日の佐藤美代子さんのバイオリンはまるで奔放な弦の遊びの様な感覚で、その演奏が有名な作曲家のバイオリン協奏曲であるとか、そんな事は全く予想も出来ないほど、彼女の両腕、両指から紡ぎ出されるバイオリンは自由自在に音が飛び交い、時にはクレージーな、私の概念や常識を飛び越えて張り詰めた弦が乱舞する。そして突然大草原の様なスケールの中にポンと放り投げ出されたり、弾き手の確かな音の羅列だけが頼りと言う名医に託す安心感の中で細胞の隅々まで音のメスが入ったような、そんな感覚がありました。
パリの音楽学校を首席で卒業され、世界中のオーケストラをバックにソロのバイオリにストとして長い間、演奏されてきた、その確かな足取りが彼女の中に血肉となっていて一音一音にその蓄積が彼女の無償の愛と共にその場にいる全員に送り届けられます。
時には激しく時には優しく、ただ無心にその響きを全身で浴びて気が付いたら休憩でした。
20分ほどの休憩に、穏やかな観客の談笑を聞きながら、私の身体は全細胞がエコ―の様に響き合って動けません。自分の細胞も70パーセントは水だという事を感じました。その体内の水の中でクジラの鳴き声を聞いているような。バイオリンの言霊が細胞内で響きわたっているのです。そしてとても静かな涙がはらはらと目からこぼれてゆきます。

あ~整ってゆく! あ~緊張で固まっていた神経が!ほぐれてゆく! あ~助かった!

私の指先から、髪の毛から。足の指先まで、グァンガンと繊細に響き合っているのです。
細胞内に響くエコーを感じながら、子供の頃に絵本で読んだ宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の絵を思い出しました。ゴーシュさんがセロを一心不乱に弾いているその軒下で、傷ついた動物たちが集まってその演奏を静かに聴いている絵です。
私はモグラさんかな?タヌキさんかな?
そんなことを思いながらハンカチで流れてくる鼻水をかみました。余りにも大きな音で恥ずかしかったけど。沢山の鼻水で何度もかみました。
佐藤美代子先生ありがとうございます。

帰り道の足取りはとても軽くて駅から自宅までの歩きはスキップしているような気分。
翌朝、左肩の射すような痛みの凝りが消えているのに気が付きました。
一番うれしかったのは最近特に目覚めて起き上がり時に感じる目眩が取れていた事。
皆様も是非 「セロ弾きのゴーシュ」となって良い音楽療法を施してくれるドクターの演奏を体験して、体を整えて、 師走を乗り切ってください。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

12月 10 22

地球環境に優しく、健康に役立つ「魚食」を横浜から世界に広めていきたい。管理栄養士 青山寿江さん

by staff

 

青山寿江さん
 
青山寿江さん
 
お名前 青山 寿江(あおやま ひさえ)
お生まれ 50代
お住まい 横浜市神奈川区生まれ
横浜市中区在住
お仕事 管理栄養士
横浜市非公認魚食アンバサダー
中医薬膳指導員
趣味 バイクツーリング,SUP,トレッキング,サンバ

 

青山さんの元気の素は・・

私の元気は「母からのDNA」大切な財産ですね。
母はサービス精神の塊の人で、離婚後の40代で手料理とおもてなしが看板のスナックを大船に開業しました。娘たち(私と妹)と一緒にお店を切り盛りして、「大船の三姉妹」として繁盛していましたね。
母のバイタリティーに溢れてパワフルなところ、そして明るいところ、よく笑い人を楽しませるところなど、私はそっくりそのまま引き継いでいると思います。私はこれまで「笑顔で美味しく食べることが明日の活力と幸せにつながる」をモットーに生きてきました。

親子です

どんな少女時代でしたか・・・

神奈川区にある青木小学校に通っていました。活発で体を動かすことが大好きな子どもで、学校が終わってからも自転車を乗り回していましたね。通信簿には「落ち着きがありません」と書かれていました。
学芸会のお芝居にも積極的に参加して、人前でパフォーマンスするのが好きで歌って踊っていました。

神奈川区の松本中学校ではバスケットボール部に入りました。当時は県大会に出るくらいの強豪校で練習は厳しかったですね。私はベンチで応援する側として大きな声を出していましたが、そのお陰で体育祭での応援団の時には大きな声が役立ちました。男の子っぽい性格だったので男女関係なくボーダレスな付き合いをしていました。

神奈川県立霧が丘高等学校に進学してからもバスケットボールを続けました。県大会でベスト8になるくらいの学校でしたので練習がとても厳しく、毎回走り込みをしました。あの頃はきつかった練習でしたが、今思うとあの練習のお陰で今の基礎体力がついたと思います。部活以外では文化祭でガールズバンドを結成しヴォーカルとして大勢の前で歌ったたり、高3で始めた飲食店でのアルバイトでは先輩たちや大人の方々に可愛がっていただくなど充実していました。
私の自慢は3年間毎日、自分でお弁当を作っていたことです。クラスメートに自分で作ったお菓子やお弁当の差し入れをしていました。料理が得意なので食事会を主催しておもてなしすることも楽しかったですね。
高校時代から食に関わることに興味があったので将来は栄養士になりたいと思っていましたが・・。家庭の事情もあり、高校卒業後は金融機関に就職しました。

栄養士になるまでは紆余曲折があったとか・・

金融機関では真面目に働いていましたよ。ただ休日は思いっきり体を動かしていました。在職中に陸・海・空での遊びを制覇しようと資格を取りました。陸は中型バイク、海は小型船舶、空はパラグライダーという具合です。今では陸の中型バイクがハーレーに、海の小型船舶がSUPに、空では翼が生えてサンバという趣味に変わりました。

ハーレーと青山さん          海も大好き

ご縁があり22歳で結婚して、男の子もできましたが、数年後に離婚をしました。
離婚後は、生命会社の保険外交員として働きながら、シングルマザーとして息子を育てました。

ピンチはチャンスというもので、人間崖っぷちになると底力を発揮するものだと痛感したのが29歳の時です。
一念発起し、初志貫徹で栄養士になろうと思い独学で受験勉強し、めでたく合格。神奈川県立栄養短期大学に入学しました。30歳のシングルマザーが短大生になるのは短期大学でも初めてのケースで驚かれました。
働いて貯めたお金と学校以外の時間のアルバイトと奨学金でなんとか2年間を乗り切りました。睡眠時間を削って勉強していましたが、栄養士になるんだという気持ちが強かったです。大学ではゼミの先生との出会いがあり、もっと栄養学を勉強して管理栄養士になりたいと思い、東京農業大学にある管理栄養士専攻に編入学試験を受けると狭き門ではありましたが合格したので東京農業大学の世田谷キャンパスに2年通学しました。
当時住んでいた横浜市南区弘明寺から東京都世田谷区の経堂にある大学まで、バイクで片道90分を通っていましたがツーリングだと思っていたので雨の日も風の日も楽しいバイク通学したよ。
東京農業大学は実学主義で生きる力を育む校風なのでみんなノビノビとし、国籍年齢を問わずいろいろな方々と交流することができる素敵なところでした。
大学構内の学食はどこも美味しいメニューがたくさんあって、何を選ぶか毎回楽しかったですね。
生活を安定させて収入を確保するために、どうしても管理栄養士になりたかった。国家試験には一発で無事合格しました。34歳のときです。

管理栄養士としては・・・

大学卒業後は、高級有料老人ホームに就職しました。そこで約10年間働きました。
ここでは献立作り以外にもホスピタリティやおもてなしを積極的に勉強しましたね。富裕層のお客様を食環境でも喜んで頂きたいという気持ちで日本の和文化や室礼(しつらい)の勉強もしました。その時の学びや経験がその数年後に講師になった時、担当した食文化概論の授業で役に立ちました。薬膳を学んだり、予病未病を勉強して、食べることで人を健康に、元気づけたいという思いで様々な疾病の方向けの食事を作ったり、介護の度合いに応じた食事を提案したり、多くの方々の人生に向き合い、関わることができました。

そこを卒業してからの10年間は、横浜調理師専門学校の非常勤講師を務めたり、薬局の薬剤師さん方と連携して健康セミナーを開催し、健康支援や栄養指導を継続的に行ってきました。
歯科クリニックに就職した時には歯科医師や歯科衛生士と一緒に管理栄養士として訪問歯科の診療をサポートしたり、咀嚼や嚥下障害の方や低栄養の患者様のための食事指導をした経験もあります。
お一人お一人の体調や機能レベル、生活状況、生活習慣に応じての栄養相談や健康づくりに役立つレシピも数多く作ってきました。

健康支援動画の撮影風景

魚食に注目されているとか・・・

現在行っているWell-being事業で大切にしている5つのK「5K」があります。
健康(KENKOU)教育(KYOUIKU)環境(KANKYO)感動(KANDO)幸福(KOUFUKU)です。
「5K」に関することで地域社会のより良い循環を実現し、結果として関わる方々の経済(KEIZAI)が豊かになることを目指しています。

その中でも特に「魚食」に注目しています。
今「魚」離れが深刻になっています。「魚」はコンディションを整える働きがあり、機能改善に必要な栄養素が豊富で、子供からシニアの方まで健康に欠かせない貴重な食材です。
しかし、「魚」は調理するのが面倒、魚臭いのが嫌、値段が高いということで敬遠されています。20年の間に魚貝類の消費量は6割程度になっています。商店街からも魚屋さんがなくなっていますよね。
「魚食」を広める一環として、日本大通りにあるシェアキッチンで横浜中央卸売市場の仲卸であるムラマツさんのご協力を得て、平塚の追駈(おっかけ)サバを仕入れ、地産地消の健康ランチを提供してきました。
転機のきっかけは昨年、横浜中央卸売市場の水産卸の坪倉さんにお会いする機会があり、魚食の現実や切実な問題を知ったことで「魚」愛がますます強くなりました。県内や市内で獲れた「魚」を皆さんに食べていただきたい、と、調理方法や食べ方をわかりやすくビジュアルにして伝えていく活動をしています。

サバランチ

2022年11月からは、「横浜市非公認魚食推進アンバサダー」と自ら名乗って、「魚食」の普及を呼びかけています。「アンバサダー」として不老長寿を意味する人魚に変身しています。11月12.13日に行われた「運河チャレンジ」にもこの格好で登場して、「魚食」を積極的に訴えるとお陰様で大好評でした。
これからは横浜中央卸売市場でも「魚食」推進の活動を繰り広げていく予定です。「魚食」を入り口にして環境や食育を含めた教育分野にも広げていきたいです。受験生向けに、頭が良くなる(と簡単には言えませんが・・)簡単にできる魚料理を準備中です。「魚食」を入口にして環境と教育に取り組んでいきたい、そして「魚食」で感動と幸福をもたらし、横浜から世界に広めたいと考えています。

ユニフォーム

青山さんにとっての横浜とは・・・

私にとって「横浜」は生まれて育った街なので、まさに「故郷」ですが、魅力的な街だと思いますよ。
横浜のヤンチャな感じが好きですね。東京のように洗練されていないけれど、粋でお洒落なところがある。
「ダサ恰好いい」ところが大好きです。私自身も「ヤンチャでダサ格好いい」を貫いていきたいです。
外国との窓口になった街ですから、エキゾチックな異文化交流など初めてもたくさんありますよね。パン・ビール・アイスクリーム、牛鍋などハイカラであった食文化は今も私たちを楽しませている初めてが横浜にはたくさんあります。
元町・中華街と寿町が隣接しているという、ちょっと不思議でエキサイティングなところも気に入っています。
古き良き時代と新しい時代が混ざり合う「エキゾチック」で「エキサイティング」な街・・・それが私の「ヨコハマ」です。

私にとっての横浜は、
「エキゾチック de エキサイティング」です

 

<取材を終えて>

青山さんは「元気印」そのものです。若々しくていつでも笑顔でいらっしゃいます。その秘訣はお母さんにあったのですね。美味しいものを食べることが明日への活力につながるのよ。と青山さんは仰います。青山さんの手にかかると、あっという間に美味しいものができ上がります。今度はそのレシピも公開してほしいな。横浜から「魚食」を広めたいですね。青山さんの肩書から「非公認」がとれる日が来ることを望んでいます。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

11月 10 22

テレビ離れ

by staff

 

我が家のテレビが故障したのは半年ぐらい前のことでした。
「テレビを修理するかどうか?」2人家族の我が家では、「テレビなし生活」をやってみようよ。ということになりました。

生まれて初めてカラーテレビを見たのが、1964年の東京オリンピック。日の丸の「赤」に感動して以来、朝晩のニュースや朝ドラ・大河ドラマは欠かさず見ていた私にとっては貴重な体験になりました。

朝はラジオの音で目覚めます。朝食はラジオを聞きながら・・・
テレビよりもコマーチャルが気にならないし。耳だけだから「ながら〇〇」ができるし。なかなか快適です。ちょっとやってみようと始めた「テレビなし生活」がこのままだと当分続きそうです。

上記の図は、「消費動向調査」2022年3月実施分におけるテレビの世帯普及率を世帯主の性別・年齢別で示したものです。テレビの総世帯普及率は約93%です。この数値は年々、少しずつ低下していますが、現在でも9割以上の世帯にテレビが少なくとも1台はあることになります。

しかし、世帯主の性別・年齢別に見るとかなりの違いがあります。
最も普及率が高い60歳以上の男性が世帯主の2人以上世帯の96.2%で、最も普及率が低い29歳以下男性単身世帯の78.8%とでは20%以上の開きがあります。

テレビの普及率は若い世代ほど低くなっています。私が子どもの頃は、家族で一緒にテレビを見ながら食事をとるのが当たり前でしたが、そんな時代でははなくなっているようです。

現在は、動画配信なども増えてきてテレビでなくても様々な番組を見ることができます。
私はNHKオンデマンドが開始された頃(2008年)からの会員で、ここ数年は、朝ドラと大河ドラマはオンデマンドで見るようになりました。自分の都合で見れるし、まとめて見ることもできるので便利です。アーカイブもたくさんあるのでいいですよ。
受信料と別に料金を支払わないといけないですが・・。

今や新聞の普及率は60%程度だと言われています。(2020年 公益財団法人 新聞通信調査会の調査より)同じ調査で、30代は30%程度しか新聞を購読していないことが発表されています。家に新聞がないから、新聞紙の工作ができないというのも現実味を帯びていますね。

テレビも新聞と同じ運命をたどるのでしょうか。
今後のテレビの行方が気になります。

 

 

 

11月 10 22

2022年11月 三ツ池だより 「今何してるの!」

by staff
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11月1日は計量記念日です。重さや長さの基準が計量法で定められているのです。当たり前に使用している計量単位ですが、なんの不安も感じないのでしょうか。例えば食品売り場で100g買うとします。その100gが本当に100gですか。入れ物の容器は皆同じなのですか?タクシーに乗ります。距離で料金が決まりますが、その距離ってなんですか。車のタイヤの外周の長さで決まるとしますと、新しいタイヤと中古のタイヤの外周は同じですか。誤差の範疇と見ているのでしょうか。

話は変わります。「いろはにほへと」を活用することが少なくなりましたが、「夢を実現するいろは」として考えたことがありました。
「人生の本質ということでディパック・チョプラ氏は“人生とは探求されるためにあるものーある真実に目覚めたとき、すべての秘密は苦も無く解き明かされる。」それは人生をありのままに見つめることから始まるという。ありのままに見つめるとは、現実を見つめ夢をみること。現実と夢の間はギャップなのではなく自分の生きる役割なのだ。ありたい自分になる。今を大事に生きているなかでなされる。」
そしてマンダラで展開し言葉を磨きだしてみた。

 「い」
いつでも見えるよう   いらない部分を捨てる
一石を投じる      今を大事に
 「ろ」
論より実行       露出する部分を
路傍の石に       ロングな視点
 「は」
はっきりイメージ    花を咲かせるように
はじめの種まき     拍手を感じる
 「に」
人間の巾を広げる    にこにこ受け入れる
人間を大切に      逃げない
 「ほ」
本当に実現したい    本物志向を
本気でかかる      本末転倒ではない
 「へ」
Helpを求める     平和へ向かう
ヘッドから決める    平坦な道も凸凹の道も
 「と」
10書き出してみる   同行2人
時を変えてみる     所をかえてみる

「いろはにほへと」で出した28個の文をAとしてまとめてみた。
  A 10書き出し一石を投じる種となれ
「ちりぬるおわか」でやったものをBとしてまとめてみる。
  B 理想と現実の融合そして輪郭を明確に
この所では次の文が出てきている。
「京セラフィロソフィで稲盛和夫氏は、“ものには可燃性・不燃性・自然性のものがあるように、人間のタイプにも火をつけると燃え上がる可燃性の人、火を近づけても燃えない不燃性の人、自分でカッカと燃え上がる自然性の人がいます。何かを成し遂げようとする人は、自ら燃える情熱を持たなければなりません。”それは自ら燃えるためには、自分のしていることを好きになると同時に、明確な目標をもつこと“だ。稲盛さんの“製品の語りかける声に耳を傾ける。製品への深い思い入れがあって初めて声が聞こえてくる”やることで先が見えてくると確認できる。」

「よたれそつね」では
  C 妖精を取り込むようにレインボーのなかで相談相手を選ぶ
「ならむう」では
  D ライオンのように美しく立ち向かい、そのことが好きになる
「ヰのおくやま」では
  E まぶしさを喜び、苦痛も喜びに
「けふこえて」では
  F 二つとない発想に懸命にとりくむ
「あさきゆめみし」では
  G 面倒がらず磨き上げる 自然を共として
「ゑひもせす」では
  H 燃え上がる物語をなし、日々の生活を大事にする

そしてA~Hからでてきた文を発想として次の詩を作った。

「夢を実現する」 けんじ
夢を10書き出し
妖精を取り出すように1つを引き出す
  一石を投じる種となるように
  国の何かに役立つように
美しく立ち向かうライオンのように
二つとない発想に懸命に取り組む
  面倒がらずに磨き上げ
  もえあがるような物語に仕上げる
現実と理想を虹のかけ橋で結び
好きこそものの上手たれとの想い
  困った時は自然のなかに行き
  輝くような希望の想いを胸に抱く
ありがとう
夢に向かおう

改めて坂村真民さんの詩が思い出される。

「花は一瞬にして咲かない
  大木も一瞬にして大きくならない
  一日一夜の積み重ねの上に
  その栄光を示すのである」

日本語があるこの国が大好きだ。この日本語の伝統をどのようにこれからもつないで行けるのか。日本語で表現できる素晴らしさ美しさ。いまこそこの日本の大地を生かし、自給できる道をこれからも求めていきたいものだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

11月 10 22

ハチゴロウの鳥撮り日記 第29回「伊吹山のイヌワシ (岐阜県/滋賀県)」

by staff

第29回 伊吹山のイヌワシ (岐阜県/滋賀県)

2022年の7月と8月は、週末とお盆の週に伊吹山ドライブウェイが夜間特別営業を行なうと聞いていました。伊吹山は岐阜県と滋賀県の県境にあり、頂上付近まで有料道路(伊吹山ドライブウェイ)が開通しているので、登りやすい山です。この山の周辺には、カモシカやシカなどが生息し、頂上のお花畑には、高山植物が咲いています(季節によります)。そして、野鳥界の頂点に君臨する”イヌワシ“が棲息しています。今回はこのイヌワシを撮影するのが、最大の目的です。

イヌワシは全長75~95cm、翼を広げると165~220cm、黒褐色もしくは暗褐色で後頭部の「雨覆い翼端」が黄色いという特徴があります。九州から北海道までの山地の森に留鳥として棲んでいますが、数は少なく、滅多に出会うことはありません。餌は野ウサギ、野鳥、爬虫類などです。ここ伊吹山は餌になる小動物が多く、子育てに適していて、毎年繁殖しているようです。

イヌワシは神奈川県の丹沢にも棲んでいるようですが、人が入れる(撮影できる)所から遠く、たまに見かけるくらいで撮影や観察には適していません。伊吹山では、比較的人から近いところに出てきます。

7月01日、ガソリンが高くなっていたので、出来るだけ出費を抑えるため、深夜の2時に自宅を出発しました(夜間割引を利用すると3割安くなります)。東名、新東名、名神道を通り、関ケ原ICから伊吹山ドライブウェイの入り口に着いたのは、7時過ぎでした。2014年以来、8年ぶりの伊吹山です。営業開始の8時まで、車の中で待ちました。

 

山頂駐車場の近くの道路脇でイヌワシを待ちます。撮影場所の前方には、深い谷があり、山が連なっています。この谷を通ってイヌワシが飛んでくるハズです、が、なかなか現れません。空気は清々しいのですが、日差しが強く風が無く暑いです。

 

イヌワシが現れたのは正午を少し過ぎた頃でした。遠すぎてピンとがなかなか合いません。2羽で飛んでいます。隠してあるエサを食べに来たのでしょうか?木立の中に消えて行きました。

 

次に姿を見せてくれたのは、15時過ぎでした。夏空の中、ゆっくりと飛んでいるように見えますが、カメラのファインダー越しに追うの大変です。

 

空がバックだとピントはバッチリなのですが、露出が難しいです。なかなか満足できる写真が撮影出来ません。真下から見上げるように撮ってみました。

イヌワシは、英語名ではゴールデンイーグル(Golden Eagle)といいます。後頭部と雨覆い翼端が金色に見えるのが、その由来です。雨覆い翼端が金色っぽく見えますでしょうか・・・。

 

 

光が差すとはっきりと捉えることができました。

 

山頂駐車場で車中泊し、翌2日は早朝からイヌワシが現れるのを待ちました。

 

急峻な崖にシカが姿を現しました。しかし、イヌワシは出てきてくれません。
風は無く、日差しが強く、かなり暑くなってきました。昨夜はヒメホタルや星座などを撮影したので、今日は無理をせず10時には帰路につきました。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
https://hachi1926.seesaa.net/

 

 

11月 10 22

チョークアートとわたし #09 アルビオンドレッサー銀座店の看板

by staff

アルビオンドレッサー銀座店の看板

今回は、こちらの看板を制作した時のエピソードをお話させていただきます。

B2サイズ(約513㎜×725㎜)

2015年12月に納品させていただいたこちらの看板は、西五番街通りにある「albion dresser 銀座店」様の店舗入り口にございます。
白で統一されたお店の外観はとても上品で清潔感に溢れた印象を受けます。
チョークアートでお店の看板を…とのお話を頂いた時、実際に打ち合わせ兼ねてお店にも伺い、お店の雰囲気と商品を拝見しました。
当時担当してくださった女性は、さすが化粧品会社に勤務されていらっしゃるなと感じさせる、とてもエレガントで素敵なかたでした。お店のコンセプトや描いて欲しい内容、看板の形態、金額、納品までのスケジュールなどを打ち合わせさせていただき自宅に戻りました。

その後、看板に描いて欲しい商品を何点か自宅に送って下さり、それを見ながらデザインした下絵を二枚提出しました。この看板はそのうちの一枚のデザインになります。
店舗外観の白の色調に合わせ、背景を白木にして白い小鳩も描き、鏡の奥の青い空の色は商品を包む包装紙の色に近い青色にしました。

こちらの写真は納品に行った時に店舗前で撮っていただいた
写真です。

この看板をお店まで運び、店内奥の部屋に案内されて梱包材から取り出す時は凄くドキドキしました。
正直なところ、自分では納得のいく仕上がりだとしても、相手が同じように感じてくださるかは分かりません。いつもそうなのですが、ご依頼者様に実際に見ていただく時の反応はとても気になります。
気に入ってくださるかな。先方が想像していたものと違っていたらどうしよう~。
結構、気が小さいのです…苦笑。

さて、実際に梱包材から取り出した時の従業員の方々の反応は嬉しいものでした!
私の記憶では、そこには打ち合わせでお会いした担当の女性以外、店長と従業員のかたがいらっしゃったと思うのですが、「わぁ~」と声を出して喜んでくださいました。その反応が本当に気に入って下さったように見えて、その瞬間私の心にもほわ~っと暖かなもので満たされていくのを感じました。

今回このエピソードを書くことになり、今でも看板が飾られているのか気になりグーグルマップのストリートビューで確認したところ、店舗入り口に飾ってあるのが確認できました!
撮影は昨年のようでしたので、今も無事に活躍してくれているのかどうか、近々自分の目で確かめに行こうと思っています♪

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

11月 10 22

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第6回) さよなら、戦車

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第6回 さよなら、戦車

 こども発達支援教室「ココ塾」蒲田校のオープンから、丸半年が経過しました。
 おかげさまで定員のご利用枠もいっぱいになり、毎日たくさんの子どもたちが元気に通ってくれていることに感謝の気持ちでいっぱいです。送迎をしてくださる保護者さまも、いつもありがとうございます。先生たちも、それぞれのキャリアや強みを発揮して、一人ひとりのお子さまたちに必要な支援は何かを常に考えてオーダーメイドの授業を組み立ててくれています。本当にありがたいことです。

 さて、「ココ塾」には、自閉症スペクトラムと診断されている私の三男(年長児)も利用させていただいているのですが、開設当初は自分しかいなかった事業所に、一人、また一人とお友達が増えていく環境変化がとても興味深い様子。生意気に先輩風を吹かす日もあれば、「これは僕のおもちゃだー!」と縄張り意識をむき出しにすることもあり、その一つひとつのやりとりも彼にとっては有意義なSST(ソーシャル・スキル・トレーニング:Social Skills Training)そのものとなっています。

 三男は、とりわけ作業療法士の先生が大好きです。現在は赤ちゃんが産まれたばかりで育休中のため、しばらくは会うことができませんが、「ぼくが小学生になったら帰ってくるんだよね」と復帰を心待ちにしている様子。それほど大好きで、人物像の記憶もしっかりと保持していられるのには、はっきりとした理由があります。作業療法士の先生が、子どもが抱える困難さを理解して環境調整ができるプロフェッショナルだからです。(そのうえ、可愛くて、優しくて、いつも大きな声で笑っている、私から見ても天使のような職員です。)

 新奇不安が強く、感覚過敏のある三男は、できたばかりの事業所にもすぐには慣れることができませんでした。事業所にはSteinway & Sons のグランドピアノがあり、海外で心理学と音楽を学んだ経験豊富な心理士が、本物の音色で音楽療法を行ってくれるのですが、ピアノを奏でると両手で耳を押さえて大暴れ&逃走してしまいます。その様子を見た作業療法士の先生は、事業所の環境に慣れるために、彼だけの秘密基地を作ることを提案。三男が大好きな「戦車」を段ボールで作り、ピアノを使った活動や、初めて経験する活動で不安が強いときには、段ボール戦車の中に入り安心できる状態で活動に取り組むことに挑戦しました。
 大好きな先生と一緒につくった段ボール戦車は、三男にとっては「宝物」。思うようにならない時には、その気持ちを戦車にぶつけて壊してしまうこともありましたが、気持ちが落ち着くと「戦車に謝りたい」「戦車を直したい」と言えるなど、「秘密基地」あるいは「相棒」としての役割をずっと果たしてくれていました。

 しかしながら、時の経過とともに三男も事業所や活動に慣れることができ、戦車の出番は次第に減っていきました。教室の端っこに置かれたまま月日が過ぎ、私自身も他の職員と一緒に「あの戦車はもういらないかもね~」などと話すようになっていたのです。それは大人から見れば、期待通りの結果だったのかもしれません。

 後日、念のため私は三男に、「戦車はもういらないんじゃない?」と聞いてみました。すると三男は、「あれはピアノを聴くときに使う大事なもの!」 「先生(作業療法士のこと)の赤ちゃんをまだ乗せてあげてないから捨てちゃダメ!」と強く言い、戦車の出番そのものは減っていても、彼の中での位置づけは何も変わっていないことを確認。そのため、戦車ももうしばらくは置いておくしかないか、と思っていたのですが-。
 ある日突然、職員から、「〇〇くんの戦車は片づけました!」と報告を受けるに至ったのです。

「・・・」と言葉をなくした私。どういう経緯で片づけることにしたのかを確認すると、「金谷さんが 〝もういらないかな~” と言っていたのをみんなが聞いていたので、片づけました」 「前日に他の男の子が戦車を見つけて気持ちが盛り上がりすぎたので、早く片付けた方がいいかと思って…」とのこと。職員なりに、精一杯考えての行動だったことが伺えます。

 一番悪いのは、三男の気持ちを聞いておきながら職員に共有していなかった私です。しかし、「そうは言ってもね…」と職員に伝えたい思いも込み上げます。

 第一に、私が「いらないかも」と言っていた情報だけで片づけてしまったことに対して。私は経営者であり母ですので、職員には忖度をさせてしまったのかもしれませんが、療育を行ううえで一番大切なのは「子どもの気持ち」です。それは親の立場が何であろうと関係ありません。子どもの気持ちを確認することをすっ飛ばして、大人が大人の価値観で判断を下すことは、療育の中では決してあってはならないと思います。だからこそ、捨てる前にひとこと、本人の気持ちを再確認してほしかったと思いました。

 第二に、「他の子が戦車を見つけて気持ちが盛り上がりすぎた」ことに対して。興味のあるものを目に見えるところに置かないということは、視覚優位なお子さまを支援するうえでは鉄則です。しかし、何度も同じ部屋で支援を受けていたこのお子さまが、その日気分が盛り上がりすぎたというのは、当然のことですが戦車だけの問題ではありません。その日のコンディション、職員の対応、他の活動との兼ね合いなど、あらゆる理由が考えられます。それらを振り返らずに戦車だけのせいにしていても、根本的な課題を解決していないのでは、また次も同じことが繰り返されるのです。
 それに、「戦車があったから捨てればいい」という考えのみに解決方法を委ねた場合、それでは紙で同じことが起きたときは紙を全て捨てればいいのでしょうか。鉛筆で同じことが起きたときは、鉛筆を全て捨てればいいのでしょうか。紙も鉛筆もない状態で、就学準備と言えるのでしょうか。
「気になるものは捨てればいい」ということを、大人の都合のいいように解釈してはいけないのです。0か100かではなく、落としどころを見つけるのが療育だからです。

 戦車を捨ててしまったことを伝えると、「まだ先生の赤ちゃん乗せてなかったのに!」と一旦は激怒するものの、「ま、また作るからいいよ」と言ってくれた三男。今のところ、実際に作ろうとする様子はありません。見えなくなったことで執着を手放せたのかと思えば、こうした出来事も本人の学びの一つになったのかもしれませんが、子どもの価値観を第一に考えることを、あらためてこれからも大事にしていかなければいけないと感じた一件でした。

(第6回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

11月 10 22

ゆるマナー講座(第81回) 傾聴のチカラ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

聴いてもらうと安心する

この夏は病院の中で暑さを感じることなく過ごしていました。医療従事者の方々の仕事に対する真摯な向き合い方や患者さんへの思いやりに、元気な時にはやり過ごしていた様々なことに気づかされる経験となりました。
特に “傾聴” の大切さです。マナー研修でも接遇や接客といった場面での傾聴力についてはお伝えしていましたが、患者として話を聴いてもらうことがどれだけ安心感に通じるのか…身をもって体験しました。

傾聴とは

「きく」には「聞く」、「聴く」、「訊く」の3つの漢字を使います。

聞く……
自然に耳に入ってくること。例えば、外の自動車が走る音、ドアの開く音など。
聴く……
文字を分解してわかるように、耳と十の目と心を使って聴くこと。心を傾けて相手を理解するように聴くこと。
訊く……
訊問という言葉から想像できますが、相手を理解するために質問しながら訊くこと。

「聴く」チカラが、相手を理解するには重要です。
先ず「聴く」位置について考えてみましょう。
コミュニケーションを取るとき、「聴く」位置は、話し手の話しやすさに影響します。聞き手の位置は、相手の正面を向いているのが必ずしもよいわけではなく、少し相手の斜めの位置にいる方が圧迫感なく相手には話しやすいようです。
入院中、看護師さんは毎日「何か困ったことはありませんか?」「心配なことはありませんか?」と聴いてくれました。体温や血圧を測った後、さりげなく聴いてくれるので、患者の側も構えることなく思っていることをそのまま口に出すことができました。患者が緊張しないように少し斜めの位置で、アイコンタクトをとりながら。話が長くなれば、中腰になって目の高さを合わせて聴いてくれました。

相手の話を遮ることなく、ひたすら聴いて、受け止めることも大切です。
元気になった今は、病気の時の精神状態が理解できますが、病気のときは気持ちも病んでいるので、些細なことも不安になり、看護師さんに尋ねても仕方のないようなことを長々と話していました。看護師さんはそんな私の話をいつも黙ってうなずきながら聴いてくれました。他の患者さんのケアもあるでしょうに、そんな様子は微塵も見せずに患者の言葉や気持ちを受け止めてくれるのです。安易な解決策は言わずに、黙って受け止める…患者の本音に耳を傾けようとする姿勢です。
 聞き手にも言いたいことはあるはずです。解決策も持っているでしょう。それを言わずに黙って話し手に耳を傾けることで、話し手は安心して自分の心の内を打ち明けることができるのです。聞き手が途中で自身の意見や解決策を話してしまうと、それ以上話し手は本音を話すことはしなくなるかもしれません。患者の話が終わったところで、「そうですね。先生に相談してみましょうか」などと提案してくれます。たとえ最初から分かっていたことだとしても。

安心する言葉「大丈夫ですよ」

入院中、Dr.の回診が毎日あります。看護師さんから患者の情報を得ていらっしゃるのでしょうが、同じ内容を繰り返す患者の話を黙って聴いてくれ、最後にゆっくりした口調で「〇〇だから大丈夫ですよ」とほほ笑んでくださると心から安心します。傾聴姿勢と優しい言葉には患者を包み込むチカラがあります。

思いやりの心を形に

普段、接遇や接客の場面で当たり前のようにお伝えしている「傾聴」の大切さですが、相手の気持ちは、人それぞれ、状況や場面によっても違ってきます。どのような表情や態度、言葉を選ぶかは、相手を思いやる心がベースにあってこそ相手に届きます。

病院の廊下で何気なく聞こえてきた看護師さん同士の話です。「見てくださぁい。〇〇さんが食事を全部食べているんです。感動する~!」「ほんとう?よかったぁ」こんな何気ない会話に私の方が感動しました。患者を想う心が伝わったからです。

いつも患者に寄り添う気持ちがあるからこそ、心からの「傾聴」ができるのでしょう。医療従事者の方々の患者への接し方に触れて、改めて傾聴の大切さに気付かされました。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

11月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第116回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第116回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“リスキリング” という言葉が浸透してきました。本質は、単なるスキルアップじゃなく転依・変身。ミレニアムの2000年、OECDは “21世紀の人材像” を発表。主要三項目の一つが “何を学ぶかを特定し、それを持続的・効率的に学ぶことができる能力”。学び続けることが生き続け・仕事し続けるための生命線。典型的ロールモデルはイチロー選手。一日も欠かさず、素人が見ても退屈するほどの学習・工夫の繰り返し。これぞ成果を生む原動力。学び続けるエンジンは好奇心。英雄ナポレオンも死ぬ直前のインタビューで “人間とは何か?” と問われて言下に “好奇心がすべて” と答えたとか。好奇心を拡大・深化させるにはリベラルアーツを強靭にするしかなさそう。何より “自由人” であること。自分が面白いと思った領域を、粘りに粘って掘り下げるしかないのかも。弱みも磨けば個性。すべては抽象的で具象的。古代ローマ時代のリベラルアーツから21世紀のリベラルアーツへ。“毎朝毎時鍛える。今日の我は昨日の我に勝つ” と宮本武蔵。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

問題解決には熟慮が原則 ただ決断の遅れは命に関わる
籠城する敵を落とすには 敵の三倍を超える兵力が必要
誰もが高く跳ぶ前に 膝を曲げて力を貯める時期がある
収入よりは満足に目を向ける、とヨルゲン・ランダース

ヨルゲン・ランダースはノルウェー・ビジネススクール教授で、持続可能な発展&シナリオ分析等が専門。問題解決には熟慮が不可欠、されど決断の遅れは致命傷。ローマ・クラブの “成長の限界” から40年目の2012年には、今後40年のグローバル予測と題する新しい報告書を提示。限界を超えて生きていくための選択。人間は創造的活動をしないと退屈してしまう生き物。未来は総カルチャーセンター、金銭より心の満足に関心を持つ時代。“演技が変わらなかったら人間の成長が止まっている” と喜劇役者・藤山寛美。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

世界の優良企業のCEO データから有意義な洞察
洞察をアクションに結び付ける 限界を超える手段
日本企業 死蔵されているデータをどう活用するか
イシュー(論点)に全力投球 イシュー分析を活用

イシュー分析は、複雑なテーマへの課題解決手法。対象を “キー・イシュー” として設定し、必要な数の “サブ・イシュー” に分解。サブ・イシューは更に必要に応じて “サブ・サブ・イシュー” へと順次展開。深堀りはイシューに対する分析可能な証拠材料(エビデンス)獲得の目安がつくまで実施。元・国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが得意としたアプローチ。ビッグ・データも証拠材料を産みだせなければ無力。“温故知新:古い知識の蓄積の価値を知るものが新しい発見に辿り着ける” と物理学者・本多光太郎。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

米国ではグレーは白 日本ではグレーは黒
電子チラシ 新聞をとっていない世帯増大
失敗の力 創造を阻むものの枠組みを変え
それを逆転させることで新たな価値を生む

“われうたえども やぶれかぶれ” と詩人の室生犀星。“やぶれかぶれ” は誰でも一度や二度は体験するもの。失敗や挫折は一種のパワー。創造を阻む枠組みを粉砕し、状況を逆転させることで新たな価値を生む原動力。一級や二級でなく別格を生む源泉。今後、AI技術が産む利益は一段と偏在化。人間は土壇場でこそ真価を発揮、自分の持ってるものを大事にした上での充実。連帯を求めて孤立を恐れず。“人間が恐怖を感じるのは信頼が足りないから。私は私を信頼する” とボクシング王者モハメド・アリ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第116回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

11月 10 22

絵本から笑本へ(第72回) 絵本作家のしゃべりたい絵本。
~初めての絵本づくりに参考になる絵本3冊~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

第5期では「絵本作家のしゃべりたい絵本。」というテーマで、
絵本作家らしく絵本についておしゃべりしています。

公共図書館に約十年間勤め、
絵本作家になる前に日本一絵本を読んできた、
絵本にも絵本作家にも詳しい、
そんな絵本作家 保科琢音の
新しい絵本の楽しみ方、絵本の読み方をご紹介していきます。

第5期2回目のテーマは…
「初めての絵本づくりに参考になる絵本3冊」

ぼくは現在、出版社社長として
新人絵本作家さんの育成にもチカラを入れています。

世の中に絵本をつくりたい人、絵本作家になりたい人は
本当にたくさんいるんだと日々感じています。

という訳で今回は、

「絵本をつくる前にまずはこの絵本を読んでみたら」って絵本を
3冊ご紹介します。

1冊目「ノンタンぶらんこのせて」

作・キヨノ サチコ
偕成社・1976年

こちらの絵本もいわずと知れた有名絵本シリーズ。シリーズ作品としては40巻が出版されています。

ぼくはこのノンタンシリーズは絵本をつくるうえでの完璧な教科書だと思っています。
「絵本はどうあるべきか」だなんて考えをする必要はありませんが、「絵本の見やすさ・絵本の伝えわりやすさ」を考えておく必要は絶対にある。
そのうえで、シンプルでありながらシッカリと細部まで考え抜かれたこのノンタンシリーズは素晴らしお手本のような絵本だと思います。だからこそたくさんのシリーズ作品が出版され、長年愛され続けているのでしょうね。

この絵本の凄いところは、言わずもがなキヨノサチコさん(享年60歳)のえがく「ノンタン」というキャラクターです。名前・フォルム・性格や言葉づかいまで、絵本のキャラクターとして「アンパンマン」に並ぶ最高傑作だとぼくは思っています。
ノンタンたちの後ろでずっと飛んでいるハチがいたり、物語の進む奥で繰り広げられる別の物語も可愛くて面白い。絵本に隠された「ナニカ」を発見するたびに、いつの時代の子ども達も楽しい気持ちにしてくれるそんな絵本です。

2冊目「ちいさいおうち」

作・バージニア・リー・バートン
訳・石井 桃子
※原作初版1942年

アメリカで初めて出版されたのが1942年というまさに長年愛され続けている大ベストセラー絵本。この表紙は見覚えあるなんてひとも多いんじゃないでしょうか。

長い間世界各国で愛されている絵本だけあってこの絵本の凄いところはたくさんあるのですが…「はじめての絵本づくりの参考になるところ」とすれば、一番は構図の考え方ですね。
この絵本は時の流れ、時代の移り変わり、社会の歴史をテーマにしている絵本です。
絵の中央にえがかれた「ちいさいおうち」はずっと変わらず、周りの背景がどんどん様変わっていく。いわば定点カメラの構図なんですね。色々なアングルで構図が変わるのが絵本の面白さのひとつかもしれませんが、この絵本はそうではない。構図だけでいえばずっと「変わらない」。でもページをめくるたびにどんどん「変わっていく」。構図の面白さを教えてくれる絵本でもあります。

バージニア・リー・バートンさん(享年59歳)が何十年も前につくってくれた「変わらないけれど変わっていく絵本」を是非、読んで見て欲しいですね。

3冊目「1、2、3 どうぶつえんへ」

作・エリック・カール
※原作初版1968年

「はらぺこあおむし」でも有名な世界的絵本作家エリック・カールさん(享年91歳)が初めてつくった絵本。

この絵本から学べることは「色づかい」です。色の魔術師なんて言われることもあるエリック・カールさん。独自の技法で色紙をつくり、紙をコラージュして絵をつくっています。
どんな絵を見ても一瞬でエリック・カールさんの絵だと解ることから一見すると独特な色づかいをしている様にも思われがちですが…実は、エリック・カールさんは突拍子もない色づかいはしていません。キャラクターや物にちゃんと合った色を使っています。それは、子ども達が見たときに色と形で解りやすい様にを考えているのだと思います。

ひとと違った絵をかきたいという想いから、独特な色を使って絵をかくこともあるかもしれませんが、やはり伝わらなかったら意味がない。
生涯子ども達に向けて絵をかき続け、絵の楽しさ、素晴らしさを伝えてきたエリック・カールさんだからこそ行きついた「他のひととは違う当たり前の色づかい」の世界を、絵本を通して今一度体感してみるのも面白いかもしれませんよ。

さあ、いかがだったでしょうか?

今回は…「キャラクター」・「構図」・「色づかい」という
3つの視点から絵本を選んでみました。

自分らしい絵本をつくるには、
世の中にあるたくさんの絵本を読むことが一番の近道だと
ぼくは考えています。

たくさんの絵本を読んで
たくさんの絵本をつくって
あなたもあなただけの絵本をつくれる日がくると良いですね。

今回のテーマ「絵本作家になりたいなら読んでおくべき絵本3冊」も
絵本作家 保科琢音のYouTubeチャンネル『笑える絵本ダナ』にて
同じテーマで動画公開しています。

第5期「絵本作家がしゃべりたい絵本。」は、
YouTubeとの連動していくカタチの連載コラムになっています。

コラムでは書ききれない部分を動画で。
動画でしゃべりきれない部分をコラムで。

コラムとYouTubeの新しい試みを是非、楽しんでもらえると嬉しいです。

絵本作家 保科琢音チャンネル『笑える絵本ダナ』
初めての絵本づくりに参考になる【絵本3冊】

絵本作家 保科琢音 チャンネル『笑える絵本ダナ』

https://www.youtube.com/channel/……

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
1983年生まれ。br />
神奈川県横浜市在住br />
2013年 絵本「あっかんべー」出版br />
2019年 絵本「ままも」出版br />
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」・「よぞらのおくち」同時出版br />
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版br />
2020年 ベトナムにて絵本「ねてばかりいるカバ」出版br />
2022年 絵本「よぞらのおくち」・「たまちゃん」同時出版
 
公立図書館に10年間勤めた後、絵本作家・紙芝居作家として本格的に活動を始める。 絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会(どくえんかい)」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。 幼稚園、保育園、小学校、図書館、美術館、科学館、寺院、子ども病院、療育施設、障害者施設等… 口演場所はこれまでに600カ所以上。 他にも、子育て支援施設業務委託。障害児施設美術プログラム講師。コラム執筆等。 活動は多岐に渡る。また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
 
2021年 出版社「ラフコネクト」設立 取締役社長に就任

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

11月 10 22

チャレンジ(第51回) クリスマスマーケット開催します!

by staff

クリスマスマーケット開催します!

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。無事にヨコハマSDGs文化祭が終わりました。当日はたくさんの方にご来場いただき、C.P.FACTORYの商品や私の活動のお話しなどをさせていただきました。
実行委員メンバー、ボランティアスタッフ、ご来場いただいたお客様、皆様ありがとうございました。
私自身が住んでいる西区での開催イベントに出展できて感謝しかありません。ありがとうございました。

今回は木工製品を中心に、カンボジアチャリティを行っている「小さなピカソの会」とのコラボ商品も初お披露目させて頂きましたが、大変評判が良く、完売となりました。

カンボジアのアーティスト「ハイさん」が描いた作品を木工製品にしました。クメール語で「平和を愛する」という意味です。

また、私がデザインしたシアーモモンテッソーリコンサルティングの杉山さんの商品も展示販売したところ、素敵なディスプレイに仕上げて頂いたのもあり、こちらも大変ご好評いただきました。

久々のイベント出展でしたが、とても楽しかったです。やはり対面でのやり取りは人の熱量というか、直に感じられることが多く、大変勉強になります。イベント好きな私としては今後も色々な形で出展していきたいと思いました。

そして12月はクリスマスマーケット開催です! 今年は馬車道駅から徒歩1分の横浜平和プラザホテル併設のブリックススタジオで1日限り開催いたします。縁があって主催の水田早苗さんと出会い、今回、馬車道プレミアムマルシェと共催させて頂くこととなりました。
https://peraichi.com/landing_pages/view/premium1029/

「自分時間を楽しもう」コンセプトが素敵ですよね。
詳細はC.P.FACTORYのInstagramでもupしますので、ご覧ください。

(第51回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

11月 10 22

記憶の中から (第六話)お別れ

by staff

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第六話  お別れ

父 秋朱乃介–縁側で読書

私、結婚して間門園の真向かいの矢口台に住まうことになっておりました。昭和42年4月に間門の古い料亭「根岸園」で式を上げ、落ち着いてからはおじちゃんのお手伝いに行くことに決まっていました。その直前の2月、間門園の急な石段(ちんば坂)から酔っ払って転げ落ちてそれがもとで帰らぬ人になってしまったのです。内臓もかなり壊していて編集者さん達と飲むお酒も体を蝕む原因にはなっていたと思います。近所の「鈴木酒店」からは毎週サントリーウイスキーを1ダース。ビールも1ダース配達していたよと言うお話も伺っています。散歩には時間を掛けていたという事ですが、帰りは関内や日本橋(現在の南区辺りの色町。今はありませんが)そこで沈没する生活です。体に良いわけがありません。

ちんば坂

昭和42年2月14日没。わずか63歳でした。早すぎるお別れでした。
お葬式には受付や台所を手伝わせて頂きました。
当時の大スター中村錦之助さんの体の温かみの残るコートをお預かりしたのが記憶に残っております。黒のカシミアの裏が深紅でした。
最後まで書斎にしていた間門園の前には東京湾が広がり、正面には房総半島の鋸山がはっきり見えました。登っていく車の窓がキラキラと光るのさえ見えたのです。右手には三浦半島が見えて箱根の二子山の奥には富士山も。

1959年(昭和38年)ごろから此処の海の埋め立て工事が始まりました。
おじちゃんがどんな思いでこの埋め立て工事を毎日見ていたか。作品は「虚空遍歴」 「おごそかな渇き」のような哲学的なものになったのは、この自然破壊を見ていたからのような気がしてなりません。今改めて探すと昭和38年くらいのエッセイの中に日本の自然破壊や原子力政策に対しての鋭い意見が出ているのです。前を見通す感覚が備わっていたことに驚きを感じます。他の文学者にはないものです。

最近「季節のない街」を読み返しています。今まで何度も読んだはずなのに、改めて読み返すと恐ろしくなるほど内容が奥深いのです。小説は最後にストーリーの結果が示されているものが多いのですが、ここには情景が説明なしに置かれてあり、読み手に「さあ、あんたはどう思うんだ」と問われているようです。特に心に刺さるのは「街に行く電車」 「プールのある家」。まあ、あなたもお読みになってください。今は私の「聖書」になっています。

私、本は子供の頃からよく読む方です。生活することに忙しい時期は「カラマーゾフの兄弟」などは時間が出来てから読もうとか思ってましたけど、甘かった。今は目と頭が付いて行かれない。字体の大きめの小説を中心に読んでます。

えらそうに池波正太郎は「木綿豆腐」藤澤周平は「絹ごし」周五郎は「焼き豆腐」なぞと言ってましたが訂正。周五郎は「チーズの味噌漬け」です。チャップリンの映画に一脈通じるものがあるとは私見です。日本のドフトエフスキーと思っています。

先に話が出た「中原中也記念館」の学芸員菅原真由美さんは(周五郎は中原中也を高く評価していて「虚空遍歴」の主人公を「中藤冲也」と名付けたのはその意識があったのではないか)とお考えのようです。大衆小説から純文学への垣根を超えた作品を読み返すと新しい発見が次々に出てくるのです。アンニュイの中のユーモア。

今はパソコンで文章が出来ています。あの時代はペン一筋。
私、ペンからワープロ、パソコンへの変換期に編集の現場にいたのです。その折感じたことは文章の質と言いますか、滑らかさと表現しますか、明らかに体質が変わってきました。
山本周五郎の、頭に張り付いてそれから心に届く文体はペンでなければ書けないものなんでしょう。
アフターコロナの時が来たら山本周五郎の時代を超えた生き方が再評価されると信じています。

最近のことですが、イベントで高円寺商店街に行った時、「洋菓子 周五郎」を見つけたのです。その時は店を覗いただけだったのですが、どうも気になって「本牧周五郎会」のメンバー三人と改めて訪れてきました。コリドー商店街の中心にそのお店は有ります。

洋菓子店 周五郎

洋菓子店 周五郎

洋菓子店 周五郎

洒落たお店です。「夢猫」という可愛らしい猫ちゃんをモチーフの洋風最中が六種類の色でそろえてあるのです。やはりご主人は熱烈な周五郎ファンでした。(周五郎さんの生き方に感銘を受けて会社を辞めてこの店を立ち上げた)とのことでした。

やっと送られてきました。まだ味見してません!

もう一つ甲州には「周五郎ブァン」があると聞き、取り寄せを考えてます。周五郎さんがとても気に入って愛飲しラベルは直筆だとのことです。「周五郎ブァン」飲みながら「夢猫」食べる。いいなあ。おじちゃんが笑ってる。デンデンムシの焼いたのよりも美味しいですよ。

夢猫食べながら呑むブァンの味。
おじちゃん羨ましいでしょう!

 

(第六話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

11月 10 22

風景で読み解く横濱 (第七話)俯瞰絵図の傑作

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第七話 俯瞰絵図の傑作

幕末以降、開港によって飛躍的に発展した横浜は、注目度に比例して様々な地図が発行されてきました。近代測量技術が導入されるまで、江戸時代から引き継がれてきた絵図の手法を使って描かれました。そこには正確さこそ欠けますが、都市の活き活きとした様子を伺うことができます。
今回は明治24年に発行された俯瞰絵図最高傑作の一つ「横濱真景一覧圖絵」から横浜の風景を紹介しましょう。

都市の俯瞰図は市街地図のような平面図ではなく、制作者の観察力と想像力を感じ取ることができます。
この「横濱真景一覧圖絵」は尾崎冨五郎によって描かれた銅版画で、現在の関内エリアを中心に関外・山手・野毛の一部が描かれています。
絵図には「風船ノ上ヨリ望シ市中ノ景色名所」と書かれていますが、実際に<気球>に乗り上空から描いたものではありません。高層ビルもありませんので恐らく街をひたすら歩き、スケッチを重ねて町並みを描いたものであると推測できます。
発行者は明治に入り横浜浮世絵人気も落ち着いた頃に、江戸から「野毛村」に移り店を構えた「佐野冨」こと錦誠堂・尾崎富五郎です。
彼は数多くの絵図を発行していますが、この絵図が中でも正確で情報量に富んだ傑作といえるでしょう。

この絵図を現在の地図と重ねてみました。正確さが実感できます。作者が暮らしてた野毛付近の様子は特にイキイキと描かれているようにも、感じます。
絵図を拡大してみると、作者の繊細な観察力に驚かされます。歴史と重ねると様々な思いをめぐらすことのできる作品です。
例えば、大きくは関内の町並みが外国人街と日本人街とで異なる佇まいを示しています。
簡単ですがこの絵図をクローズアップしていくつか紹介しましょう。

大岡川河口付近の絵図です。橋梁や川辺に設置された機材が詳細に描かれています。辨天橋とその先のクレーン、手前の初代横浜駅前の噴水とガス燈など他の資料と比較してみると描写の正確さは見事です。

次は派大岡川の吉浜橋付近です。後に石川島播磨重工となった横浜製鉄所の倉庫群の数が6棟、記録と一致しています。ここに限らず川面を走る船も種類を分けて描かれています。

中には少しデフォルメしている風景もあります。モクモクと煙を出す大煙突のある施設を確認できます。明治の実業家である高島嘉右衛門が社長となった発電所(横濱共同電燈會社)で、施設は現在もこの位置で東京電力パワーグリッドとなっています。高島嘉右衛門はこの発電所の隣に電灯を使った劇場を開設、横浜一の明るさを誇ったといいます。

大岡川岸の柳が目立つ柳町(現在は吉田町と合併)付近です。鉄道が開設された際に整備された錦橋・柳橋・都橋、そして一時期本店となった清水組(現在も清水建設横浜支店)が確認できます。
大岡川岸の桜はこの頃はまだごく一部にしかありませんでした。

絵図に描かれたこのエリアは、横浜の中心部としてこの後も発展をとげますが、震災、恐慌、戦災、占領、そして戦後の人口急増という試練に遭遇し現在に至っています。
一枚の絵図から様々な姿を読み解くことで大きく変わった横浜、変わることなく歴史を残した横浜が浮かび上がってきます。絵図には人の姿は描かれていませんが、目を凝らして観ると、時代に生きた人々が浮かび上がってきます。

この絵図、デジタル版が市販されていますので、地図好き、歴史好きの方にはおすすめです。

※ここに紹介した地図は個人蔵を加工したものです。

 

(第七回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

11月 10 22

第114回 地域の工務店による家づくりアフターメンテナンス1年点検

by staff

古川都市建築計画一級建築士事務所
古川達也

地域の工務店による家づくりアフターメンテナンス1年点検

新しい施設や建築が生み出される時、是非忘れずに意識したいことは、将来にわたるメンテナンスです。設計しました横浜市内の住まいが竣工し、ご家族が住み始めてからちょうど1年が経過。施工をご担当頂きました地域の工務店様よりお声掛けがあり、アフターメンテナンスとして1年点検が行われ立会いました。竣工時の取り扱い説明の中で工務店様からアフターメンテナンスに関するしおりの様な解説書類がご家族に渡されており、1年後に点検する内容はチェックリストとして既に細かく記されていました。修繕項目があれば内容によって有償の場合もありますが、アフターメンテナンスとしての点検は基本的に無償で行われることが多いです。今後も3年目、5年目と続いていき地域の工務店として住まいご家族との信頼関係が築かれていくのだと思います。

アフターメンテナンス1年点検チェックリスト

チェックリストをあらためて見てみると、新築だけでなく古い建物のリフォーム等も含めたリストなので、本件では採用の無い屋根瓦の破損確認など、一部に該当しない項目も含まれてはいますが、その殆どが本当に大切なことばかり。施主ご家族、施工担当者、設計担当の私、皆互いに見落としや覚え違いなどの無いよう、確認することができるチェックリストであり欠かせない書類です。

実はチェックリストによる点検は、1年点検全体時間の半分以下で終了しています。チェックリストはむしろリストに無い項目を確認したり発見したりするための、余力を生み出すための効率的な工夫であることが分かります。チェックリストに無いこの住まいならではの場所、例えば広いウッドデッキの全体にササクレが無いか。木造の住まいですがオリジナルのスチール製手摺りや物干しバーなどに変形や傷、ビスの抜けなどが無いか等々。点検を終える頃には、住まい手にも作り手にも互いに納得の安心が芽生えました。

外壁・屋根・雨樋点検の様子

システムキッチン内部のプチ修繕の様子

一方、今回の1年点検では水回りのキッチンでプチ修繕が行われました。この住まいのキッチンはメーカー既成品のシステムキッチンなのですが、引出し内に付いているキッチン用品を収納するためのケースが両面テープのみで付いており竣工後に数回取れてしまっていました。今回の点検時間内で工務店様の現場監督さんが、補強でビス止めして下さいました。システムキッチン内部の不備修繕は工務店様の仕事では無いと言えますが、出来る作業を自然に進めて下さったのです。

アフターメンテナンスとしての1年点検。今回は朝9時からスタートしお昼過ぎまで3時間ほど掛けて行われ、目立った不備は無いことが確認できました。一方で何より、住まいご家族の安心と信頼が得られるよう、工務店様がどのような段取りや気配りをされているか、とても身近に感じることが出来ました。これから住まいづくりをされる方は、是非信頼関係が築ける作り手に出会って欲しい。そのための出会いやサポートを、家づくりをされるご家族と一緒に考えていくことも、建築家にとって大切な設計活動の一部であると思っています。 @個人住宅『2つのテラスをもつ家』

『2つのテラスをもつ家』外観正面

『2つのテラスをもつ家』リビング

『2つのテラスをもつ家』眺望テラス

『2つのテラスをもつ家』物干しテラス

 『2つのテラスをもつ家』 建築概要

リビングの延長として、隣りに住むご両親の住まいと行き来できる眺望テラス。共稼ぎご夫婦の家事をサポートできるよう水廻りと繋がる物干しテラス。2つのテラスをご家族のとっておきスペースとし、屋内外の繋がりを大切にした住まいです。リビング壁面7.5mのジャンボ書棚など、ご家族が楽しみながら収納したり飾ったりできる、オリジナル造作家具を各所に配置することで、暮らし方の幅を広げています。※本件はBELS評価(建築物エネルギー性能表示制度)5星を取得。約5KWの太陽光発電パネルを搭載したZEH住宅(ゼロ・エネルギー・ハウス)です。

□ 場所:横浜市戸塚区
□ 用途:個人住宅(夫婦+子供3人)
□ 構造:木造2階建て
□ 敷地面積:167.48㎡(50.66坪)
□ 建築面積:77.17㎡(24.53坪)
□ 延床面積:119.99㎡(36.29坪)
□ ZEH住宅(BELS評価5星取得)
□ 長期優良住宅
□ 断熱性能:UA値0.41 等級4
□ 気密性能:C値0.3(気密試験を実施)
□ 耐震性能:許容応力度計算 等級3
□ 施工  :株式会社 中山建設
□ 設計監理:古川都市建築計画 古川達也
□ 構造設計:宮崎構造設計事務所

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

11月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #25

by staff

コロナとマスクとワクチンと

最近 子供たちが情緒不安定になりその原因がマスクなのでは? と言う記事を読みました。今の3歳児は殆どマスクと一緒に育って来ていて その子供たちが見てきた人の顔がマスクをかけたお母さんやお父さんで、鼻や口の輪郭がしっかりと把握できていないという記事も読んだ記憶があります。

私は実はマスク大好き人間なんです。仕事柄 冬にはマスクは外出に欠かせません。
ですのでコロナ以前から冬の必須アイテムとしてマスク愛用者で、寒い時には家の中でもマスクをして、そのまま眠ってしまう事もあります。
この子供達の話を知った後には、マスク好きを返上して 屋外などでは 極力マスクをかけないでいる様にしています。でもマスクって本当に便利なんですよね、
外での食事の後などは、自分の歯に食べカスが付いていないかなどの点検もせずに気にしないでマスクをさっとかければ良いし、朝出がけに食べた食事が昨夜の残り物でニンニクが沢山入ったものでも、あまり気にしないで出かけられる等。ずぼらな私にはマスクはとても助かります。
既に諸外国ではもうマスクはかけないでいるようです。日本には昔から独自のマスク文化もあり、その習慣を、外国の状況を持ち出して比較して非難する人達がいますが、さてさて日本のマスク文化はこれからどうなってゆくのでしょうか?

子供達の描く絵に鼻や口あごなどがなくなっていることに関しては驚愕感があります。

ワクチンに関しても、私自身は、副作用はさほどの影響はないと思っています。でもそれを4回も5回も何も思わずに打ってしまう人々はやはり思考停止, 洗脳されていると言われても致し方ないかと思います。
ワクチン接種は任意です。日本政府はとてもおおらかで自由意志を尊重してくれています。任意と言う意味をしっかり自分の中に取り込んで打っていない方々も多いのではないかと密かに思っています。 でも組織に属している方々には、打ちたくなくても周りの圧力に負けて打ってしまう状況は多々あったと思います。日本社会がいかに同調圧力のなかで営まれているのかがわかります。それが良くも悪くも日本の文化なのでしょう。同調圧力って良い事もたくさんあります。田舎に住んで、そんなことをつくづく感じる今日この頃です。

最近は日常にシンクロニシティが多く起こり、同調圧力の様に、今まで自分がネガティブに見ていた側面が 実はポジティブにもなることに気が付き始めて、現在の世界状況の危機感がチャンスにも思えてワクワクしたり、見慣れた町の景色がキラキラと幻想的な美しさに感動したり。

自分の人生コースには苦境をも楽しむカリキュラムが含まれていて議員になった途端に光と影が交互に現れて、私自身の日常はジェットコースターの様にスピーディーに上り下りしています。今まで自由時間が豊富にあった人生でしたが 今は本当に忙しい日々、それでも毎日深淵な気付きが内側に湧き上がって 切ないような味わいに絶句する瞬間も。
光も陰も 自分の中に留めて。人生を目一杯楽しんでいます。今年の紅葉はどうかしら?

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

11月 10 22

私にとっての横浜は、「一番好きなところ」
AIAI CAFE オーナー 中島寛子さん

by staff

大通りの雑踏から少し離れた戸部本町の住宅街にカフェを見つけました。キッズスペースやレンタルスペースがある「AIAI CAFE」です。「AIAI」は相合傘の「相合(あいあい)」。オーナーの「人と人との繋がりに一役買って出ることができれば」という思いがいっぱいつまった素敵なお店です。今回はオーナーの中島寛子さんにお話しを伺いました。

AIAI CAFE オーナー 中島寛子さん
 
AIAI CAFE オーナー
中島寛子さん
 
お名前 中島 寛子(なかじま ひろこ)
お生まれ 1985年10月 西区戸部
お住まい 西区戸部
ご家族 夫・子供2人(男/女)
お仕事 AIAI CAFE オーナー
HP https://www.aiaicafe.yokohama/
趣味 アウトドア(キャンプ)

 

やんちゃな女の子でした

横浜市西区の戸部で生まれました。 私が生まれる前(三菱のドックがあった頃)、戸部には金属を加工する町工場や工具や船具などを扱う店、帆布屋などの店があり、私の祖父も「坂本船具店」という会社を営んでいました。横浜駅東口やみなとみらい地区の開発が始まって、戸部もマンションが増え大きく変わって行きますが、私が幼い頃はまだまだ下町の風情が残る町でした。

横浜そごうデパートが開業したのは私が生まれた年で、戸部は横浜駅東口が比較的近いので、母に連れられてそごうにはちょくちょくショッピングへ行きました。屋上には子供の遊び場があり、また、子供服売り場に隣接するおもちゃ売り場にはおもちゃで遊べるコーナーがあって、欲しいものを買ってもらえないと、母の傍を離れ、姿を隠し、なかなか見つけてもらえないと「迷子アナウンス」を頼んで母を呼び出したり・・・と母を困らせました。 今、4歳と2歳の子供を持つ親の立場になって、当時のことを深く反省しています。(笑)

今の戸部は中小のマンションが立ち並び、路地に車も進入してきますが、当時は大通りから1つ入れば、子供たちが道路や路地裏で遊ぶ姿がありました。私も路地を走り回っていたので、足が速くなりました。

飽きっぽい性格? でも本当は・・・

小学校では算数が好きでした。足が速かったので体育も好きでした。運動会ではリレーの選手に選ばれました。習い事は習字、そろばん、公文、英会話、水泳・・・いろいろとやりましたが、どれも長続きしませんでした。「飽きっぽい性格」だと言えばそうなのでしょうけど、自分に合わないと思ったら「これは違う!」とスパッとやめられる「いさぎよい性格」だと私は思っています。(笑)

小学校3年生まで戸部に住み、小学校6年まで妙蓮寺に、中学校の時は三ツ沢に、そして高校1年の時から鶴見に引っ越しをし、現在また戸部に戻ってきました。

勉強嫌い?

母子家庭で、私には10歳下の妹がいたので、母の代わりに私が保育園の送り迎えに行き、食事の支度などをしていました。
中学校では陸上部に入部するも、1つ後輩に全国大会出場している子がいたので、到底敵わず、全国のレベルの差を目の当たりにして、私には陸上は向いてないと思い、高校では軽音楽部に入って、バンドをやりました。私はボーカルを担当しました。
今でもカラオケは大好きです。(笑)

車の整備

高校生の頃は車やバイクに興味がありました。そんなことから、高校卒業すると車の整備の専門学校に入り技術を学びました。
大手自動車メーカーのディーラーで働くことになりました。しかし、当時は男女の雇用条件に差があり、男性が正社員で入社するのに対し、女性は契約社員ということでした。

3~4年勤めましたが「『これは違う!』と思ったらスパッとやめる」のが私の性格で、会社を辞めてアルバイト生活を始めました。

カフェがやりたい!

主なアルバイト先は「カフェ」や「アパレル」関係でした。この時期に夫と出会いました。
夫とは年が6歳離れています。夫の方が年下です。彼が大学生の時に知り合ったものですから、家族には何度か「騙されているんじゃない?」って言われました。(笑)

2年程アルバイト生活を送った後、ランドマークプラザにある大手アウトドアアパレルの店に就職。3年程居りました。ここでは店長の機会を頂き、店長の仕事は接客はもとより、店内のレイアウトやシフトの調整などとても勉強になりました。
そんな折、アイアイエステートという不動産会社を経営していた母が戸部に店舗を出すことになったので、アパレルの会社を辞めて母の仕事を手伝うことにしました。手伝うにあたっては「宅建」の資格を取得しました。

母の仕事を手伝いつつも「カフェがやりたい!」という気持ちは募るばかりでした。リスクを回避するために「そうだ、事務所の半分でカフェをやろう!」と思いを母に伝えました。
事務所を半分に仕切って入口を2つ作り、カウンター席と小さなテーブル席のあるカフェをOPENすることができました。今のAIAICAFEの半分の広さからスタートしました。

いろいろカフェでアルバイトした経験を活かし、コーヒーの専門講座で勉強した甲斐もあって、「パスタが美味しい」や「コーヒーがうまい」といった口コミがいただけるようになりました。

誰もがくつろげる場所

コロナが流行し始めた年は、営業自粛をしている時に、長女の出産のタイミングと重なったため、丸1年カフェを思い切って休業にしました。
その間にちょうど母の経営するアイアイエステートが手狭で移転するということで、合わせてリニューアルの拡張工事を行いました。
費用を掛けないようにと、電気工事と床貼り以外は家族に手伝ってもらいながら、全部自分でやりました。特に正面の壁は夫と一緒に青色のペンキを塗ったのですが、いろんな方にご好評頂いております。(笑)

店の一角にはキッズコーナーを作りました。子育て中の自分のためのコーナーでしたが、同じく子育て中のママ達が利用してくれるようになりました。外の駐車場はテラスにし、木製のテーブルや長椅子をおきました。お天気の良い日は子供連れの家族やペットを連れた人が休憩に使うようになりました。

サラリーマンの方がPCやパッドを持ち込んで仕事をしたり、近くにある調剤薬局の順番待ちの人が席を求めて立ち寄ったりと、誰もがくつろげる場所になっています。

レンタルスペースを提供

アイアイカフェのアイアイはアイアイエステートから貰ったのですが、もともとは「相合傘」の「あいあい」の意味があります。「相合」とは「1つのものを共有する」という意味合いから「優劣を付けずに一緒に行う」という意味もあるようです。

たまたま空いていたスペースがあり、そこに棚を作って商品を並べてみようと思い、まずは藤棚等でも販売されている天然酵母のパン屋さんにご相談して、パンを置いてもらえることになりました。そこからどんどん繋がって、今ではレンタルスペースいっぱいに手作りのアクセサリーやお菓子、小物などや障がい施設で作られたグッズ等も並んでいます。

「AIAI」の精神とでも言いましょうか? レンタルスペースを提供することで、人と人との繋がりに一役買って出ることができれば良いなと思ってます。

あなたにとっての横浜とは?

私にとっての横浜は「1番好きな場所」です。自分が幼い頃に過ごした場所で、子供たちが育って行くのを見守っているなんて、なんて素敵な事でしょう!

カフェの経営はまだまだギリギリで、人からは「趣味でしょう?」なんて言われますが、高評価の口コミも増えて来ています。2ヵ月毎に変える「季節のパスタ」も好評です。昼から飲めるビールセットもご用意しています。
地元の人が気軽に来られる店、誰もがくつろげる店に、地元の方々と「相合」で育てていただけたら幸いに思います。

私にとっての横浜は、「一番好きなところ」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

10月 10 22

第2回「ヨコハマSDGs文化祭」を開催します(その2)

by staff

 

2022年10月29日(土)に第2回「ヨコハマSDGs文化祭」を開催いたします。

今年の文化祭では、横浜音祭りの公募サポート事業として「おさんぽサウンドステーション」も同時開催いたします。

「おさんぽサウンドステーション」とは、SDGsを学ぶワークショップを実施し、訪れた現場で録音した環境音を ビートメーカーに作曲してもらいます。作曲した曲を文化祭当日にプロのバンドに演奏してもらうプログラムです。

今回環境音として、みなとみらい線の乗降時の音や、ハマスタの歓声の音、廃棄物のリサイクル工場の音などを採集しました。

9月に廃棄物のリサイクル工場に伺って、ペットボトルの循環の仕組みを勉強しました。その後に工場の中で巨大な機械でペットボトルを選別する音を録音しました。工場を見学すると、ゴミを出さないようにしないとという想いを強くしますね。

文化祭当日は、採集した環境音がどのような楽曲になるのか今から楽しみです。

10月16日には、不用品をリサイクルして楽器を制作するワークショップを開催し、制作した楽器を用いてプロの 演奏家と一緒に演奏を楽しむプログラムも実施いたします。私もウクレレを作ってみようかと考えています。

出展ブースには、弘前のりんごや和歌山の梅など全国各地のこだわりの食材、もちろん横浜の地産地消の商品も登場いたします。ユニークな会社では、うんこの形をした様々なグッズの製造販売を行っている「株式会社うんこ」さんがありますよ。

今年もみなとみらい線の構内のイベント広場「みらいチューブ」でお待ちしております。

 

 

 

10月 10 22

2022年10月 三ツ池だより 「かすかに揺れる」

by staff
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暑いが花壇の鉢の花が少し揺れている。風が吹いている。前は公園の駐車場でその向こうの山裾にマンションや家が立ち並ぶ。

 「野に咲く花」 けんじ
野に咲く花を見ると
なんだか嬉しい
  こんなにけなげなんだ
  こんなに美しく咲いているんだ
なにがあっても
なにがおこっても
  花が咲いてきて
  姿を見せてくれる美しさ
励まされる
生の素晴らしさを
  この花とはすぐお別れだが
  次の年もこうして会えるのだ

このところ虹を見ていない。今日も雨が止んでも曇っていた。虹も出れない世の中なのだろうか。様々なことが私たちに課題として出される。どうしようもないことばかし。そうは言ってもやれることはある。明日会う人と笑顔を交わす。だれにも笑顔の声かけをするんだ。

 「何しに来たの」 けんじ
何をしようとしているのか
そうではない佇んでいる
  何かをしなければ
  生きていけない
生きるとはおもいやり
生きるとは助け合うこと
  自分が自分であるように励んで
  学んできたのはお互い様
そう 佇んでいるのではなく
生きている喜びを伝えるのだ
  それは笑顔であったり
  それを文にしてみたりして

 「可能性とは」 けんじ
可能性とは
自分の想い
  やれるかでなく
  やるんだ
その思い入れが
自分を育てる
  やるんだ
  やっていくんだ
これをやっていく
詩も書いていく
  やることで
  実力もついていく
失敗もひとつのチャンスだ
それをのりこえるのだ

ニーチェの勇気の言葉の「人間的あまりに人間的」の言葉のなかに次の言葉が出てくる。「批判という風がふきこまない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ大きくなっていく。 批判という風を入れよ。批判は疑い深くて意地悪な意見ではない。批判という風は頬には冷たいが乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ。だから批判はどんどん聞いた方がいい。」批判してくれる人は私にとってはどの人。それは家内かもしれない。私のことを一番知っているし理解している。批判を喜んで聞くことにしよう。

 「笑い声」 けんじ
笑い声はいい
人は声を出すなら
笑い声がいい
  どこどこに行ったよ
  こんなことがあったよ
  95歳の先生が話題になったりする
ふと詩を書いているのを思い出す
人は人と会うことで明るくなれる
詩と一緒にいることが私の励み
  竹が笑っている
  笑いが天に向かっている
  そこで私はどこにいる
私も笑うのだ
一人でも笑いの形は使えるのだ
まわりで大きな笑い声

なにを伝えていく。なにをつないで行く。そう何が喜びで何が大事なのか。生まれてきて、今生きているということ、つぎの命を育てるということを。生きるとは育てるということ、育てるとは生きること。わが心を磨き、その心音(こころね)を渡していく。限りない連鎖で心をつなぐのだ。「ありがとう」と言える心のつながり大切にして。

 「それでいいよ」 けんじ
何が
それでいいのか
  会社のこと
  業界のこと
時代はどのように動いていくか
これでいいの
  それでいいよ
  今までよくやってきた
時代変化の中で
次を受け継いだものが次を創っていく
  そうだね
  これからをどのように切り開いていくか
いつもだれでもが
時代を創っていく人なのだ

ここにもう一度ニーチェの勇気の言葉を引用してみたい。 「漂泊者とその影」から。「学び、知識を積み、知識を今なお教養と知恵に高め続けるような人は退屈を感じなくなる。あらゆる事柄が以前にもまして、一層興味深くなってくるからだ。彼にとって世界は興味の尽きない対象となる。植物学者がジャングルの中にいるようなものだ。」世界の変化は興味がつきない。次の時代をそっと覗いてみたいものだ。かすかに揺れるもののなかにも。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

10月 10 22

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第5回) 秋の訪れと、新しいお客さま

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第5回 秋の訪れと、新しいお客さま

 10月になり、朝晩はとても涼しくなりましたね。
 この時期は運動会や遠足などの学校行事が多く、時間割が変更になったり、大きな音楽が流れたり、苦手な運動やダンスをしなければいけなかったりと、発達特性のあるお子さまには何かと大変なことが多くあります。体調を崩してしまうこともありますので、たとえ些細なことであってもできたことは十分に褒めてあげながら、ご家庭ではたっぷり休ませてあげたいものです。

 さて、最近になり、「ココ塾」にはたくさんのお客さまがいらっしゃっています。ご利用希望のお問合せはもちろんですが、区内小学校のスクールカウンセラーの先生が見学に来てくださったり、クリニックから支援内容について知りたいとお問合せをいただいたり、お世話になっている信金さんが「福祉に力を入れたい!」と本部から視察に来てくださったり…。
 私自身が息子の療育にずっと求めていた「一人ひとりの特性に合わせた療育を」というシンプルな願いが、たくさんの方々のお力があってこうして現実のものとなり、様々な分野の専門家から注目をしていただけるということは、本当にありがたく身が引き締まる思いがします。

 おかげさまで利用枠も、ほぼ満席となりました(今後、定員拡大の予定です)。最近では、海外から日本に引っ越してこられたご家庭の相談も続きました。みなさん、2ヶ月前に日本にいらっしゃったと言います。お子さまは日本で生まれたものの、コロナの影響で2年ばかり母国に帰り、また日本に戻ってきたという方もいました。
 まだ発語のない方にしてみたら、今までは母国語で、これからは日本語で療育を受けるというのは、なかなか大変なことだと思います。しかし今回は、どのご家庭も「これから長く日本で暮らしていくため、日本語で療育してほしい」とのことでしたので、日本語でアプローチすることになりました。(余談ですが、「ココ塾」には英語が堪能なスタッフが週2日在籍していますので、曜日に制限はありますが、英語での療育も可能です。

 海外から来られた方々のお話しを聞いていると、みなさま日本で療育を受けるにはかなりのハードルがあることを実感します。就学を控えた年長さんのケースでは、一般的な幼稚園にも入れず、公的な支援機関にも「満席」と言われ、民間の療育機関を探すように日本語で書かれた事業所リストだけを渡されて、お母さまが一生懸命な日本語で1事業所ずつ電話をしているというご家庭がありました。私は区の支援機関で相談支援専門員(障がいのある方の相談にのり、適切な福祉サービスが受けられるよう調整する役割の専門職)として働いていましたので、こうして情報を得るのに困難が大きいご家庭ほど相談支援が必要であるにもかかわらず、それが届かない状況であることが本当に残念でなりません。相談支援が受けられないと、事業所を探すだけではなく、その先に必要となる手続きもすべて保護者さまが行わなければいけません。「サービス等利用計画」という4枚セットの様式を作成し、自治体に提出するのですが、これを外国から来た方に日本語で書けと言っているのですから、あまりに不親切だと感じます。

 「ココ塾」がある大田区は、サービスを提供する事業所数に対して、相談支援事業所が特に少ないエリアです。多様なお客さまとの出会いから、地域課題を再確認することができました。求められる支援を提供するだけではなく、人と支援を適切なかたちでつないでいける地域となるよう、微力ながら私も全力を尽くしていきたいと考えています。

(第5回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

10月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第115回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第115回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“メメント・モリ(死を忘れるな)” というラテン語があります。我々の日常はいつも死と隣り合わせ。古代ローマ帝国の時代から使われていたとか。以前、イタリア出張の折に訪れたポンペイ遺跡でも、埋没した大邸宅からメメント・モリの壁飾りが出土。髑髏を中央に左側に富・権力、右側に貧困を象徴する天秤棒。中世ヨーロッパでも、骸骨と人間が踊る様子を描いた“死の舞踏”が存在。日本では、画家・河鍋暁斎の “地獄大夫、骸骨の遊戯を夢に見る図” が有名。多数の骸骨が太夫の周囲を乱舞する姿。死を見える化・意識化して、死すべき運命の下で生きる意味を見出し、精一杯楽しみ戯れよとのことかも。燃料は遊び心。白は黒であり黒はまた白。真剣に子供になりきる、失敗もゴールへの糧。死の意識も生へのエネルギー。平安時代の梁塵秘抄にもつながります。 “デザイナーには物事をポジティブに考える特殊な才能がある。アーティストが時に死を表現するのに対し、デザイナーはどんな時も生かすことから発想する” と三宅一生。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

本当にいいコンサートマスターだと
指揮者の仕事は 負担が半分で済む
AIの知 安定状態での効率はいい
未知の新しい環境条件では対応に難

現在、AIは非常に身近な存在。AIという言葉が初めて用いられたのは1956年。計算機・認知科学のジョン・マッカーシー教授とか。平均値は無力化し、世界の動向は個人能力の最大化へ。組織も個人パワーの極大化を志向。価値の本源は時間の長さではなく使い方。未知の環境条件での弾力性ある対応。遊び心に満ちた相互作用で“正解の外にはみ出した価値”を探索。分析を超えてコミュニケーションを重ねながらの創造。“写真:技術偏重ではダメ。ある種の乱暴さとデリケートな心配り” と写真家・立木義浩。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

商品開発では 三割は成功 七割は失敗
イチローも三割で大成功 挑戦あるのみ
反省ばかりしていると 元気がなくなる
鋭いひらめきや大きな力が 絶えず作動

“3” という数字は不思議。“鼎(かなえ)” はもともと食物を煮るのに用いた器。中国の青銅器や土器はほとんどが三つ足の鼎。王位を意味し、王位の権威を疑い地位を奪おうとする  “鼎の軽重を問う” という表現は今も健在。“3” は成功・繁栄・幸運などを意味する吉祥。魂・精神・肉体の三位一体。イチローほどの選手でも打率3割は目指すべき目標。経営者も戦略の30%がうまくいけば成功とか。無茶でなく夢中。日々新たな切り口を発掘。“見逃し三振でも考え方が正しければ結果は問わない” と名将・野村克也。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

数寄は好きから転じた 人間の処理能力をはるかに超越する
膨大なデータ群 超高速のコンピュータで統計処理する利点
コンピュータが 人間による知の生産をいかに支援できるか
彼らの言い分は正しいか それとも自分の考えに理があるか

“数寄” は好きから転じたといわれます。人間のもつ能力をはるかに超越するパワーを持つとか。平安時代は風流文雅を好む世界。愉悦ではあるが毒としても認識。二にして一、一にして二。殺人剣と活人剣。城を滅ぼし、商いに身が入らず、身上を潰す危険とは表裏一体。だからこそ、数寄を貫いた人物は一層珍重されたのだとか。やったことがすべて自分に返ってくるのが人生。相手の言い分は正しいか、それとも自分の考えに理があるか。“品格:リングの上では怪物、リングを降りたら紳士” とジャイアント馬場。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第115回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

10月 10 22

絵本から笑本へ(第71回) 絵本作家のしゃべりたい絵本。
~絵本作家になりたいなら絶対に読んでおくべき絵本3冊~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

おかげさまでこのコラムも六年半が過ぎ、今回から第5期の連載となりました。
第5期では「絵本作家のしゃべりたい絵本。」というテーマで
絵本作家らしく絵本についておしゃべりしていきます。

ぼくは、公共図書館に約十年間勤めていました。
絵本作家になる前にまずは絵本を読むことを仕事にしようと考えたんです。

だから絵本作家 保科琢音は
絵本作家になる前に日本一絵本を読んできた絵本作家だということになります。

そんな、絵本にも絵本作家にも詳しい絵本作家 保科琢音の
新しい絵本の楽しみ方、絵本の読み方をご紹介していきます。

第5期初回のテーマは…
「絵本作家になりたいなら読んでおくべき絵本3冊」

絵本をつくりたい人、絵本作家になりたい人はたくさんいるけれど、
実はほとんどの人が絵本をそれほど読んでいない。知らない。

絵本について知らないのに絵本なんてつくれる訳がない。
絵本作家になれる訳がない。そう思いませんか?

という訳で、絵本をつくりたいなら、絵本作家になりたいなら、
「まずはこの絵本を読んでおくと良いよ」って絵本を3冊ご紹介します。

1冊目「もこ もこもこ」

作・たにかわ しゅんたろう
絵・もとなが さだまさ
文研出版・1977年

いわずと知れた大ベストセラー絵本。出版されたのは五十年近くも前なのに
いまだに売れ続けている絵本です。

今も現役バリバリの詩人・谷川俊太郎さん(90歳)のつくる擬音の世界に、
前衛的な美術家としても知られた元永定正さん(享年88歳)が絵を描き出来上がった
どこか不思議な絵本。
そんな不思議で意味の分からない絵本に
子ども達は声を出して笑います。
そして、大人はその不思議に意味を探しながら読み進めます。
世代を越え、時代を越え、子どもから大人まで様々な楽しみ方を教えてくれる絵本。

この絵本の凄いところは、
「絵だけで成立していない」・「文章だけで成立していない」ところ。
絵本は絵だけでもダメだし、文章だけでもダメ。
絵と文章が合わさって初めて絵本になる。
そんな絵本にとっての当たり前をバシッと提示し、教えてくれるのが
この「もこ もこもこ」だと思います。

2冊目「100万回生きたねこ」

作・佐野 洋子
講談社・1977年

こちらもいまだ売れ続けている大ベストセラー絵本。
この絵本を読んで絵本好きになった人も多いんじゃないでしょうか。
作者の佐野洋子さん(享年72最後)はエッセイストとしても活躍された方。
絵本を原作に舞台化や映像化もされています。

この絵本の凄いところは勿論、「物語の素晴らしさ」です。
五十年近く前につくられたお話なのに、
今の時代に生きる人たちにも感動を与えてくれる。
そんな物語をつくることは簡単なことじゃありません。

どうしてそんなに長い間読み継がれるお話がつくれるのか?

これはぼくなりの解釈ですが、
作者の佐野洋子さんは多くの作品で「生と死」をテーマにしています。
幼少期の家族との別れや、ご自身の病気。
そんな中で生まれた生と死に対しての価値観や概念を、
この「100万回生きたねこ」でも表現しているんじゃないでしょうか。
だからこそ、子どもの頃と大人になってからとでこの絵本は見え方が変わってくる。
だからこそ、長く読み継がれる絵本になっているんだと思います。

3冊目「やさしいライオン」

作・やなせ たかし
フレーベル館・1975年

アンパンマンの作者としても知られるやなせたかしさん(享年94歳)第一作目となる絵本。
もともとはラジオドラマのお話としてつくられ、放送後に絵本として出版されました。
改訂版が1975年に刊行される前には、
あの手塚治虫さん製作で短編映画としても公開されています。

やなせたかしさんと手塚治虫さんは
「漫画家の絵本の会」というグループでも活動されていました。

いまでこそ絵本を原作にしたメディア展開は当たり前になっていますが、
この「やさしいライオン」はそんな絵本原作におけるメディア展開の
先駆け的な絵本だったとぼくは考えています。

絵本作家は絵本をつくって終わりではない。
絵本作家は絵本をつくり、届けるまでが仕事なんだ。
そんなことをこの絵本は、そしてやなせたかしは生涯をかけて伝えてくれていました。
この「やさしいライオン」という絵本があったからこそ、
あの国民的ヒーロー「アンパンマン」は生まれたんだと思います。

さて、いかがだったでしょうか?

第5期の連載はこんな感じで絵本について好き勝手おしゃべりしていきます。

今回の絵本をご紹介しながら思った事は…
1970年代には既に絵本のひとつの完成形は出版しつくされているんじゃないか?
という事です。

先人たちが築き上げてきた絵本に見習うことで、
先人たちが考えもつかなかったような絵本を、
これからたくさんのひとが創造していくんだと思います。

絵本は自由なのだから!

YouTubeとの連動コラム

第5期「絵本作家がしゃべりたい絵本。」は、
絵本作家 保科琢音のYouTubeチャンネル『笑える絵本ダナ』と
連動していくカタチになっています。

今回のテーマ「絵本作家になりたいなら読んでおくべき絵本3冊」も
既に、同じテーマで動画公開しています。

コラムでは書ききれない部分を動画で。
動画でしゃべりきれない部分をコラムで。

コラムとYouTubeの新しい試みを是非、楽しんでもらえると嬉しいです。

絵本作家 保科琢音チャンネル『笑える絵本ダナ』
絵本作家になりたいなら絶対に読んでおくべき【絵本3冊】

絵本作家 保科琢音 チャンネル『笑える絵本ダナ』

https://www.youtube.com/channel/……

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
1983年生まれ。br />
神奈川県横浜市在住br />
2013年 絵本「あっかんべー」出版br />
2019年 絵本「ままも」出版br />
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」・「よぞらのおくち」同時出版br />
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版br />
2020年 ベトナムにて絵本「ねてばかりいるカバ」出版br />
2022年 絵本「よぞらのおくち」・「たまちゃん」同時出版
 
公立図書館に10年間勤めた後、絵本作家・紙芝居作家として本格的に活動を始める。 絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会(どくえんかい)」という名の読み笑わせ口演を精力的に行っている。 幼稚園、保育園、小学校、図書館、美術館、科学館、寺院、子ども病院、療育施設、障害者施設等… 口演場所はこれまでに600カ所以上。 他にも、子育て支援施設業務委託。障害児施設美術プログラム講師。コラム執筆等。 活動は多岐に渡る。また、絵書家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
 
2021年 出版社「ラフコネクト」設立 取締役社長に就任

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

10月 10 22

チャレンジ(第50回) ヨコハマSDGs文化祭

by staff

ヨコハマSDGs文化祭

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。9月の台風一過で10月は過ごしやすくなってきましたね。コロナウィルスが落ち着いてきているのか微妙なところですが、10月以降イベント開催も多くなり、横浜も人出が多く賑わっていますね。

C.P.FACTORYとして出展準備をしていたイベントはここ2年間でほとんど中止になり、デザインした商品を販売する機会は少なくなっていましたが、今回、みなとみらい駅で開催されるヨコハマSDGs文化祭に出展することになりました。

C.P.FACTORYの活動というか、そもそも私が考えていることは、以前のコラム( https://cpfactory.jp/blog-challenge-post5 )でも書かせていただいたように【生きづらいと感じている人が少しでも「楽(らく)=楽しい」と感じられる地域社会】です。

その考えがSDGsで言う「誰一人取り残さない」に当たると考えています。

この横浜の地でどのような活動ができるか、再度、自問自答しながらこのイベントに関わらせていただこうと考え、昨年より実行委員を務めさせていただいています。

猫グッズも販売するよー

今回はたくさんの商品を展示販売するというよりは、私が関わった障がい者施設や商品のご紹介などを中心に行う予定です。私は実行委員なので会場をウロウロしていると思いますが、私に会いに遊びに来てくださると嬉しいです!

当日はたくさんのプログラムもあるのでお楽しみいただけると思います。

<イベント情報はこちら>

https://yokohama-sdgs.net/

(第50回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

10月 10 22

記憶の中から (第五話)思い出の作品

by staff

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第五話  思い出の作品

離れでお仕事をしていたのは実質2年半くらいですかしら。
時代物中心の作家と思われがちですが、現代ものも書いています。作品にはそれとなく近所の漁師さんの話や裏の変わり者一家のエピソードが入っていて、きん夫人との話から拾ったものでしょう。この話はこの家のことと私にはわかるのもありますが、これは私だけの秘密にしておきましょう。

あの柳橋物語が載った父の出版社、操書房が出版した「椿」は昭和21年に発行されました。世情もまだ混とんとしてエログロナンセンスがもてはやされている時代です。活字が印刷されたものであれば何でも売れたはずですが、家の廊下には返本の山。今も目に残っています。本屋さんにだけはなるもんじゃないなと子供心に思いました。時代のニーズに合わなかったのでしょうか。周五郎さんのあの「柳橋物語」が最初に掲載された「椿」。表紙は芹沢銈介。深い藍色と朱色の「椿」という字、鮮烈な印象でした。父の亡くなった後、物置の隅まで探しましたが全くありません。十年くらい前、ある方にコピーで見せていただきました。目が覚める思いでした。そういえば書斎の傍には「椿」の老木が植わっていて早春には見事な花を咲かせていました。蛇の抜け殻を見つけてそっと箪笥にしまった思い出も。蛇の皮を入れておくと着物が増えると母に教わったのです。個人雑誌「椿」、黒沢映画(椿三十郎)、小説(五辨の椿)「「山椿」「椿説女嫌い」なんてものもあるんです。周五郎は椿が好きだったのかしら。花言葉「控えめなすばらしさ」「謙虚な美徳」ですって。「日本婦道記」をイメージしますね。

二十年代、両家仲良く貧乏暮らしを共有していましたが、時代小説家として売れ出し,間門園に書斎を移して著名な出版社の編集者が大勢集まるようになると両家は徐々に離れてゆきます。父はあくまでも美しい本の出版にこだわり、周五郎は愛読者が買いやすい廉価な本を出すことにこだわっていました。この辺の考えの相違もあったと思われます。

自宅から近い間門の崖上にあった旅館・間門園から見た根岸湾の風景

毎日「岡持ち」を持って、襟を抜き加減に着た着物に割烹着をつけ駒下駄を履いてきん夫人が間門園にお弁当を運ぶ姿は地元で名物になりました。
きんさんは細身のすっきりした着こなしの笑顔のきれいな人で銀歯がちらっと見えるのが可愛らしい。粋筋の出じゃないかという方もいましたが、結婚する前は銀行に勤めていらしたそうです。妹さんの村田八重子さんも三之谷に移り住んできました。妹さんはきんさんより少し背が高くはきはきしたものの言い方でした。お二人の仲の良い事。いつも買い物はご一緒です。近くの三渓園商店街でも古株の魚屋「魚菊」はお二人のことをよく覚えて私が買い物に行くと思い出話が出ます。二人の何気ない世間話が作品の中に行かされているのは確かでしょう。特に「おたふく物語」は姉妹が支えあって幸せになる心温まる物語にはお二人の会話が生きていると思います。本牧では双子だったと今でもおっしゃる人がいますよ。それほど仲の良い御姉妹でした。

ごひいきの本牧三渓園商店街に今も残る魚屋 『魚菊』

右:周五郎さん 中:きんさん 左:きんさんの妹の村田八重子さん

最近横浜の落語家、桂歌助師匠が周五郎の作品を落語にしてくださっています。
最初の作品は「日本婦道記」の中から「菅笠」。武家の娘の秘められた真心がしみじみと感じられる小説。これが落語になるなんてと内心不安でした。周五郎会のメンバー五人と野毛の「にぎわい座」に楽屋見舞持参で行ってきました。なるほど構成は確かに人情噺になっています。歌助師匠の独演会、次回は「山だち問答」で11月11日。これは人情噺ではなくて滑稽な武勇伝ですね。期待しています。師匠も周五郎大フアンでいらして会の特別会員になってくださった。

もう一人これも横浜を代表する演劇人五大路子さん。以前に私の提案で「周五郎の妻」という舞台を上演してくださいました。五大さんも周五郎会特別会員になっていただきましよう。こうして輪が広がって行きます。歌助師匠には今年11月、八聖殿で周五郎会主催の落語会に出演していただいて「菅笠」を語っていただくことになっています。

周五郎家の門は丸太が両側に立っているだけで、表札も「清水三十六」。
これは周五郎さんの本名です。明治三十六年に生まれたかららしいのです。偶然にも父も三十六年に生まれています。庭からすぐ座敷に上がれるようになってました。自然石が置いてあっていつもおばちゃんの駒下駄と男物の下駄、子供たちのくたびれたズックが並んでいました。思い出はそのあたりで途切れています。私が学校や就職で忙しくなり家の周りのことは記憶が無いのです。

 

(第五話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

10月 10 22

風景で読み解く横濱 (第六話)鉄道150年

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第六話 鉄道150年

2022(令和4)年は、鉄道開業150年、一世紀半を迎えました。全国で記念品や記念イベントが開催されています。
今年は「新橋と横浜の間を結ぶ鉄道が開業してから150周年の節目の年」ということで、10月14日を鉄道記念日としています。
ちょっと屁理屈を申し上げると、日本初の鉄道は10月から遡ること四ヶ月前の1872(明治5)年6月12日(旧暦5月7日)に「横濱~品川間」で(仮)開業、試験運転などではなく営業運転を行いました。
しかし、正式には「横濱」と少し延伸した「新橋」の両停車場で10月14日に開業式が挙行されこの日を記念日とした訳です。初めてにこだわるなら、6月12日が鉄道開通記念日なのです。
屁理屈はさておき、日本初の「横濱駅」には移転という歴史が刻まれています。現在の横浜は三代目、1928(昭和3)年に開業しました。
初代から二代、三代目の姿を戦前の絵葉書や写真画像から辿ってみましょう。

 

 初代横浜駅

明治維新からたった5年で近代技術の象徴的存在の鉄道が開業しました。
上記の風景は、周辺の風景から明治期の初代横浜駅の写真です。もちろん手彩色で、大岡川右岸から見た初代横浜駅が確認できます。左手には1870(明治3)年架橋の木製大江橋が見えます。手前の船頭と平船が印象的です。
ちょっと素人時代考証してみましょう。
左岸の存在感のある建造物に着目しました。これはおそらく明治12年初夏に整備された「公衆便所」と思われます。当時の実業家浅野総一郎が近代公衆便所を整備した記録が確認できます。残されている設計図から横浜駅前公衆トイレだと推察しました。
写真には電信柱が確認できますが、電信で電力ではないので電力供給が始まった1890(明治23)年以前の風景ではないでしょうか。

この風景は、最初の風景と大江橋を挟んで別方向から撮影された写真です。すでに電信柱、電力柱が駅周辺に張り巡らされているので、時期は明治30年代以降ではないでしょうか。
大岡川岸には柳でしょうか桜ではないのが印象的です。

 

 二代目の悲劇

初めての鉄道事業は現在の桜木町駅と新橋駅間でしたが、その後全国で鉄道網が整備されるようになり、新橋(汐留)から東海道線が西へと延びていく中で、初代横浜駅を経由するには一度スイッチバックしなければならず、横浜駅移動計画が持ち上がります。
東海道線は1887(明治20)年に国府津駅まで開通し、次第に利用客も増加、1889(明治22)年に新橋駅と神戸駅間が全通します。
1914(大正3)年12月20日に東海道線は新橋駅から東京駅に延伸し東京・大阪・神戸を繋ぐ基幹路線となります。利用度が高まるほど横浜駅(現桜木町駅)の位置がネックとなっていました。
ついに
1915(大正4)年8月15日に二代目横浜駅が移動し開業します。
初代駅は桜木町駅となり、現在のように磯子方面への延伸計画が実現するのは半世紀後の1964(昭和39)年となってしまいます。
二代目横浜駅の絵葉書を紹介します。かなりリキの入った設計で、東京駅に準ずる豪華な外観を誇ります。現在の西区高島二丁目に位置し、路線は石崎川に添って保土ケ谷に繋がっていました。

モノクロですが、駅前の賑わいの様子がわかります。

1923年(大正12年)の関東大震災で二代目は倒壊し廃止を余儀なくされます。被災後の倒壊横浜駅の様子です。

 

 三代目

復興事業の一つとして再建が始まりますが、東海道線がさらに直線化し、1928(昭和3)年に現在の路線と位置に落ち着きます。
開業当時、表玄関は東口で西口界隈は荒れ地でしたが、戦後西口が開発され東西競いながら日本最大級のターミナルとなっています。

大岡川河口に初代(桜木町駅)、石崎川河口に二代目(焼失)、帷子川河口に三代目(現駅)と、これだけ移動したことは大変珍しいことです。

※ここに紹介した絵葉書は個人蔵のものです。
 転用等はご遠慮ください。

 

(第六回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

10月 10 22

第113回 リフォームの夢と悩み

by staff

鈴木アトリエ
鈴木ようこ・鈴木信弘

リフォームの夢と悩み

長く暮らした家、傷みが出てきたし、使い勝手も改善したいとリフォームを決断したら、これは無理だろうなあと諦めて心の奥に仕舞った夢を、是非引っ張り出してみてください。

傷みの修繕、使い勝手の改善などの機能性の向上はもちろん大切。だけど、予算のかけ方を工夫して、気分アップ要素も盛り込むことが、悔いを残さないリフォーム成功の秘訣です。
なぜそんなことを?
それは完成後に「実はこれが初めてのリフォームじゃないんです」と告白されることが多く、前のリフォームでは満足できなかったのかなと思うことがあるからです。

リフォームが終わった後に、やっぱり・・・と悔いを残さないために、心の奥に片づけていた「暮らしの夢」、小さくても大きくてもいいので1つは叶える、それが、これからの暮らしの大きな活力になることは間違いなしです。
それは、機能的な収納家具だったり、どのメーカーにもないオリジナルのキッチンだったり、蔵書を全て並べられる図書館のような本棚だったり、なんでもいいのです。
さあ!あなたの暮らしの夢は?

と、事例を見せて、さんざん気持ちを持ち上げておいてなんなのですが、実はリフォーム工事には悩ましい問題があります。

国は、過剰供給な住宅に対し、新築を増やすよりも、リフォームによる既存のレベルアップ、ストック重視姿勢を表明しています。ならば、なおさら、リフォームしよう!! と、金利の安い住宅ローンを探すと、なんと、良いローンがないのです。

今ある住宅ローンはあくまでも新築用。
リフォームで使えるローンには、金利が安いものはなく、上限額は低い。そんなリフォームローンでは、一歩踏み出す気にはなりません。
まとまった現金を持っていないと、やりたいリフォームができない、大問題です。

暮らしの豊かさを求めるなら、これからはスクラップ&ビルドから、キープ&チェンジです。
ああ、銀行様! 古い考えを変えて、夢を叶える手伝いをしてくれないでしょうか。
時代は変わっているのだから、リフォーム市場に本格的に取り組んでくれませんか?

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

10月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #24

by staff

乱気流に自分軸で乘る

9月の春分以降から、乱気流がますます激しくなってきているのを感じます。
これから12月の冬至に向かって人類が日々の営みの中で気流の波に乗れるか、乗れないか、乱気流は下手に乗ると下降して沈没してしまう可能性もありそうです。これってサーフィンに例えると訓練によって技術が身体にしっかりと身についているサーファーや、子供の頃から波と一緒に育ってきているサーファーがきっとうまく乗れる人達だと思うのですが、気流に乗るとは、見えないエネルギーに自分の想いや 心、マインド、ひらめき、それらすべてを駆使して自分の五感はもとより 六感も七感も使って思考のかじ取りをしてゆく。
風に乗せる凧の方がイメージが近いかしら。

上手く上昇気流に乗れば 日常生活が上向きになって、物事が軽く成就していったり、人間関係もスムーズで、仕事などもラッキーな事が続いて苦労と言う概念からは、外れた環境の中で思考が現実化してゆく。そんな楽な日々が私の脳裏には浮かびます。
昔、海上をゆっくりと旋回しながら上昇してゆく鳥たちを岸壁から見ていたことがあります。トンビだったのかしら、タカだったのかしら、ワシだったのか。見当もつきませんが、優雅に気流に乗って旋回しながら上昇してゆく。あんな風に乗れたら楽しいだろうな、と憧れの想いで見ていた気がします。

上昇気流に乗れる人とは、力む事もなく、淡々と流れにゆだねて行ける人。きっと無欲で悟っている人々はもうすでにそんな感じで日々を送っているのだろうと推測しています。その反対にうまく上昇気流に乗れなくて沈没する人たちもいて、苦労してこれからどうやって生きて行こうか、と経済的にも不安に襲われている方々も多いかもしれません。
実は私自身も、上手く上昇気流に乗れなくてフラフラの日々を送っています。

十代から今まで音楽を生業として60年以上生きてきました。その間 結婚も離婚もして、今では最後のパートナーとして人生を共有しているハワイ在住のWALTER SCHIMD(ワルターシュミッド)氏ともコロナによってお互いが行き来も出来ずにもう3年になります。その間 私は今年の春から市議会議員になり、今までの和歌うた人生では想像も出来ないような日常を繰り広げております。その世界は表向きは一見、芸能界によく似ているのですが、中に入ってみれば 四角い渦巻きの様な硬さに覆われている。当然でしょうね。市民の皆様から頂く税金が議員の報酬です。議員は小さな町の町議でも 国会で働く議員でも 国民の幸せのために働く。これが鉄則です。

でもそこに関わってくる有権者や 応援者の方々の世界観はそれぞれ違います。多様性の時代にふさわしく、いろいろな人生観、価値観をもって私の日常に関わってきて、自分達のエリアから出た議員として力をつけてほしい!と良かれと動いてくれる。それらの善意の調整がうまく扱えない私自身のチカラ不足に直面してフラフラ状態の今日この頃です。

我田引水を当然の様に主張する方もいれば一般質問をもっと上手くさせようと議会での禁止条項を無視して無断録音する方もいたり、狭い社会の中で様々な状況を体験中です。
アセンションにむけて私の一年前の日記帳にはこんな文字がつづられていました。
「私は 最後のカリキュラムとして すご~く難しいコースを選んでいるのかもしれない・・・デモどちらにしても自分は生きるヨロコビを表現してゆくわ!」と。
一年前、その頃は全く選挙に出て政治家になるなどは想像もしておりません。ただコロナ禍の状況を踏まえての未来へのつぶやきだったのですが、今過去の日記を見てみれば あ~無意識に、自分で現在の状況を予知していたのかな!と思います。

さてこの乱気流の流れの中で、くっきりと上昇気流と下降気流とが分かれるという現象は、これを波形として捉えると素晴らしいダイナミックな高低波になります。これぞ正に地球が丸ごとアセンションに向かうための現実的な動力なのかもしれません。
日本列島は龍みたいな形をしているので、よく龍体だとも言われます。そんな龍が前方の空を昇るときのイメージが浮かぶと、現在私たちが抱えている危機感や不安感よりも未来へのワクワクとした気持ちが勝ります。

これから日本は、世界は、人類はどうなってゆくのか?

八百万の神々が住んでいる日本の神社にお参りして真ん中に据えられた鏡をのぞくと、私自身が映ります。そしてその後ろに神社の境内にいる沢山の人々や景色が広がっている世界が映し出されます。
子供の頃から、この鏡に映っている私達が 八百万の神様達なのだと思っていました。鏡、カガミ。カガミと言う文字から 真ん中にあるガ(我)を取り除くとカミになります。まず自分達一人一人が創造主である!という事を受け入れる必要があるのではないでしょうか? 我ら一人一人の思考が、意識が、集まって凝縮してこの現象世界を作っているという事を認識して、一人一人が自分の神性に目覚めて 導かれてゆく時に。最善のチカラが発揮されて、この混とんとした世界を救ってゆくのだと思います。
時々投げ出したくなる私の人生ですが、自分の救世主は自分自身だと思って、カガミのガを取るワークを続けています。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

10月 10 22

横浜は、「繋がりの街」 flowerdesign陽Haru 代表 村山陽美さん

by staff

今回は、この人に会ったら元気になれる! そんな風に思える素敵な笑顔とパワフルさでワークショップを開催しているflowerdesign陽(はる)代表の村山さんをご紹介します。村山さんは子連れでも楽しめる場を作ることも目指し、ボランティア団体・花音(かおん)を立ち上げ、ご自身の活動を通じて地域に恩返しができたらと話されていました。

村山陽美さん
 
flowerdesign陽Haru 代表
村山陽美さん
 
お名前 村山 陽美(むらやま はるみ)
お生まれ 昭和47年11月(港北区綱島)
お住まい 旭区白根町(現在西区東久保町)
ご家族 夫・子供3人 犬と猫(タイ生まれ)
お仕事 flowerdesign陽Haru 代表
NFD公益社法人日本フラワーデザイナー協会 講師
子育て支援ボランティア「花音」代表
趣味 音楽(フルート)

 

「しっかりした子」 面白味の無い子でした。。。

私は長女で、2歳下に弟、7歳下に双子の弟たちがいて、幼い頃から弟の面倒を見ていました。小学3年までは綱島に住んでいました。近所のおばさん達からも「しっかりした子だねぇ~」と言われていて、幼いながらもその期待に応えて「まじめ」に生きる(笑)面白げの無い子だったと思います。

当時は、ちょうど第二次ベビーブームの頃で、幼稚園に入るのに入園にテストがありました。テストの結果は「完璧」で、ここでも「しっかりした子だ」と言われたのですが・・・入園して1週間は、登園を嫌がり泣き出して周囲を困らせたそうです。

母が花好きで、いつも花を植えて手入れをしていました。そのせいか私も花が好きでした。小学校低学年の夏休みの自由研究で、押し花で「花図鑑」を作りました。その花好きが今に繋がっています。

得意科目は国語・体育・音楽でした

綱島の住まいは借家でした。小学3年生の時に旭区白根町に家を購入し、引っ越すことになりました。家の近くに公園があり、引っ越した次の日にそこで遊んでいる子と友達になりました。 転入生はなかなか周囲に溶け込めないことがあるのですが、偶然にも公園で友達になった子が同じクラスで、すんなりと受け入れられました。

小学校では国語と体育と音楽の授業が好きでした。綱島で習っていた習字とそろばんは、習字の先生を見つけることができなくて、そろばんだけになりました。そろばんは中学1年生の時まで続け、弐段を取って辞めました。のちにご縁があってパートでそろばんの先生を5年余りやりました。

体育は跳び箱や平均台などの器械体操が好きでした。走るのも速い方で、町内会の運動会で活躍したのを見た人からミニバスケットの駅伝大会に出て欲しいと誘われ出場したことをきっかけに、小学校高学年ではミニバスケットをやっていました。当時、人気のスポーツは男子が「野球」で、女子は「ミニバスケット」でした。

小学1年生の頃、弟たちと4人で

吹奏楽部に入る

小学生の時に、ミニバスケットの大会での音楽隊のドリル演奏を見て憧れを抱くようになりました。中学校では「吹奏楽部」に入部しました。フルートを吹きたかったのですが、パーカッションを担当することになりました。
家にはローンの支払いがあり、決して裕福な家庭ではありませんでした。 下には弟3人が控えていました。
子供なりに分かっていて、普段「おねだり」はしたことが無かったのですが、フルートをどうしても諦められず初めて両親に「フルートを買って欲しい」と頼みました。 買ってもらった時の嬉しさを今でも鮮明に覚えています。

高校の吹奏楽部では念願のフルートになれました。高校2年の時に篠原台青少年の家(現在は廃館)の講座に「フルート講座」があるのを見つけて受講しました。その講師の先生に個人的にレッスンを受けることになり、ますます「音楽隊」でフルートが吹きたいと夢が膨らみました。

子供心に大学進学は諦めていて、高卒で就職すると決めていました。「音楽隊」や「吹奏楽部」のある就職先を探し出し、仲の良かった英語の教師に相談すると、「その公務員試験は、早稲田大学を卒業した私でも不合格だったのだから、あなたには無理じゃない?」と言われました。これが私の闘志に火をつけました。「絶対に受かってみせる」と猛勉強を始めました。「夢を掴み取る」ための猛勉強でした。遅いスタートでしたが、努力の甲斐あって見事に合格、公務員になりました。

20歳くらいフルート発表会

仕事の鬱鬱を癒してくれたのが花でした

念願の公務員になれましたが、音楽隊には入れませんでした。やはりここでもフルートの席が空くまで暫く待つことになりました。数年が経過した時にやっと音楽隊から声がかかりました。

念願の音楽隊です。意気揚々と入隊したのですが、私のような一般高校卒は少なく、音楽大学出身者との実力に差に自信を喪失していきました。差を埋めようと懸命に努力しましたが、専門教育を受けた方々との差はなかなか埋まりません。また、男性社会でしたので、今、思えば「パワハラ」のようなことや「モラハラ」「セクハラ」のようなこともあり、私は鬱鬱していきました。

音楽隊時代

仕事帰りに職場近くの銀座をふらっと歩いていた際、老舗のお花屋さんに出会いました。都会の真ん中で花屋さんの店先には季節が溢れていました。足を止めてのぞき込むようになりました。2階でフラワーデザイン教室が開かれていることを知り、花に癒しを求めて通うようになりました。それが私の師匠「故 鈴木紀久子先生」との出会いでした。仕事&子育てをしながら講師資格を取得しましたが、日々に追われお花からは遠ざかってしまいました。

その後子どもを出産し子育てとの両立が困難と感じ「音楽隊」から転勤させてもらいました。学校を回ったり、イベントなど行う仕事になりました。子供相手の仕事は私にピッタリの仕事でした。

お花を習い始めたころ 25歳

結婚、子育て、そして離職

結婚は部署が違いますが、同じ職場内結婚でした。子供にも恵まれ長女、長男、次女の3児を育てました。共稼ぎでしたから、子育ては実家の母にかなり助けてもらいました。

子供たちが反抗期を迎え、思春期に入る頃、不登校やひきこもりといった問題が次々と起きました。末っ子の小学3年の娘が原因不明の頭痛を訴えるようになりました。心因的なものだったのだと思います。それぞれの子供たちが発するSOSに気付き、「ママお仕事辞めて」と言われたことがきっかけで私の迷いも吹っ切れ、「後悔したくない」と24年余務めた仕事を辞めることにしました。

好きな事をやろう

子供たちと向き合い、子供の悩みを我が事のように悩み、子供に寄り添うことで、自分自身がストレスを抱えるようになってしまい過呼吸が起こるようになりました。「母親って元気じゃないとできない」と感じるようになりました。ストレス解消のための「好きな事をやろう」と思いました。 「私が好きな事はなんだろう?」と思った時に「お花」が目に浮かびました。お花に心身ともに救われ、一番辛かった時に癒してくれた「花」をライフワークにしてみたいと思うようになりました。

銀座の花屋さんはスズキフロリストと言って銀座で昭和28年に開店した老舗の花屋さんでした。奥様であり日本フラワーデザイナー協会の重鎮でもある「故鈴木紀久子先生」が花屋の2F「学苑サロン・ド・フルール」でお花を教えていらっしゃいました。

紀久子先生は、生花で作る「カーネーションの動物」を考案された方でした。今でも特に母の日の前には、全国津々浦々のお花屋さんにカーネーションで作られた可愛いプードルなどが並びます。
考案された時は周りの方に「特許を取れ」と散々言われたそうです。でも、「特許をとってしまったら限られた方しか作れなくなってしまう、そうではなく、生花で作った可愛いプードルを多くの方に楽しんで欲しいと思ったから特許を取らなかったのよ!」とおっしゃっていた満面の笑顔を今でも忘れることができません。

フラワーデザイナーとしてのアイデアやたくさんの引き出しを持っていらした先生で、音楽大学ご出身という異色の経歴を持っていらした先生とは良く音楽のお話に花が咲いたこともあり、お花に関する基礎はもちろん、感性や多くのことを学べたことが私のその後に繋がりました。

子供達が落ち着き始めたころ、お花の業界に派遣社員として勤めるようになりました。ブライダルを専門とするお花屋さんやホテル、銀座のお花屋さん、商店街や駅前のお花屋さんなど・・・その土地・その場所に花屋さんを必要とする人がいて・・・様々なお店で勉強させてもらいました。学苑サロン・ド・フルールで学んだことで、どんな店に行っても「即戦力」を発揮することができ、自信につながりました。

そして、鬱鬱としていた自分が花に助けられたこと、活力がアップし心とからだの健康につながったことから、自分と同じように子育てに悩むママさんが、子供を連れて行ける場所、疲れを癒し、おしゃべりを楽しみ、育児情報を交換できる場所・・・お花で子育て支援を行う「ワークショップ」を開きたいと思うようになりました。
flowerdesign陽Haruを立ち上げ、気軽に手軽にお子様連れで参加できる1DAYの「ママもみんなもお花でホッとタイム 花あそびワークショップ」という出張ワークショップや出張お花屋さんなど、定期的な場所を始め、お声を掛けていただきいた場所に出向いています。

出張ワークショップの様子

子育て支援ボランティア「花音」

始めた当初、お花を持ち込み子供連れでママさんが集まれる場所を探すのが大変でした。会場費が高いと子育て中のママさんたちの敷居が高くなってしまいます。スポーツセンターに目をつけて、あちらこちらに電話を掛けて、引き受けてくれたのが「西スポーツセンター」でした。(残念ながら運営者が変わってしまい現在はこちらでは開催していません)月1回土日に開くことに決めました。せめて花を安く仕入れようと仕入れ先を大田市場に変えました。東京の大田市場には十数件の問屋があり、品揃えが豊で値段にも幅があり、安価で良いものを揃えることができました。

そんな折り、西区役所にある「にしとも広場」で地域づくり大学校というのが開かれていることを広報で知り、「子育て支援ワークショップ」を開くにあたってのノウハウを教えてもらいました。そこで「にこまち助成金」制度があるという情報を得て、仲間と子育て支援ボランティア団体「花音」を立ち上げ代表になりました。

この2.3年はコロナ禍で、子育て中のママたちが集まれるイベントなどが激減してしまいました。でもこんな時だからこそ、子育て中のママさんを孤立させてしまうのではなく、「花や緑のちから」でホッと一息ついてもらえたらと思います。
「花音」は西区のどこかで月1回、1回1,000円のお花代のみで「託児付きのお花のワークショップ」を開催しています。
季節を取り入れた内容を毎月考えていますが、クリスマスシーズンに入るころはクリスマススワッグなどをみんなで楽しく作りたいですね。

今年の6月花音

あなたにとっての横浜とは?

子供の頃から大好きだったフルート。しかし、それを仕事にした時に味わった苦悩と挫折。ずっと演奏から距離を置いておりましたが、4年前再びフルートを手に取り、高校生の時に通っていたフルートの師匠に再度習い始めました。フルートの師匠「志村千鶴先生」は「てづくりの音楽会」を手掛け、テタール木管合奏団などでコンサートを開催しています。お話や映像と音楽を融合させた老若男女楽しめる0歳から入場可能なコンサートです。「日本ももっと気軽にコンサートが聴ける環境になって欲しい。音楽にプロもアマもない。もっと演奏を楽しんでどんどん発表するといいわよ。」と言う師匠の言葉に背中を押され、ボランティア活動で知り合った友人達と一緒に音楽ボランティアを立ち上げ、福祉施設などでランチタイムコンサートなどを開いています。

「私にとっての横浜」は「繋がりの街」です。
都会は人とひととの繋がりが希薄になっていると良く言いますが、私自身は友人たちや近所のおばちゃま方に辛いときに「井戸端会議?」で話や愚痴を聞いてもらったり、励ましてもらったり、お裾分けをいただいたり(昨日も近所のおばちゃまから栗ご飯とちらし寿司をいただきました((笑)))と、とても繋がりを感じており凄く助けてもらいました。
「いくつになっても子供は子供。大きくなっても成人しても結婚しても、一生子供の悩みは尽きないわよ!」とご近所のおばちゃまに言われたことが今でも脳裏に焼き付いています。
お花の仕事を自分でするようになってからは、更に繋がりが増え、ジャンルを問わず様々な方と繋がり助けてもらい、刺激をいただいています。
今回のこの記事のお話もまさに「横浜での繋がり」から導かれました!
生きていく上での障壁や生きづらさ悩みは、多かれ少なかれ誰もが抱えています。お花や演奏を通して繋がりがどんどん広がり、自分自身も、参加してくださる皆さんも抱えている重荷を少しでも降ろし、心身ともに元気になっていただければ嬉しいです♪

私にとっての横浜は、「繋がりの街」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

9月 10 22

第2回「ヨコハマSDGs文化祭」を開催します

by staff

 

2021年7月10日に開催された第1回「ヨコハマSDGs文化祭」では、
・企業・団体の活動報告、展示
・トークショー
・SDGsに関係する映画上映
・音楽会 などが行われ、大盛況で終えることができました。

出展者同士のコラボレーションが生まれたという、嬉しいお話もいくつか聞こえてきています。

今年は2022年10月29日(土)に第2回「ヨコハマSDGs文化祭」を開催することになりました。

主催は様々な企業・団体の実行委員から構成される、ヨコハマSDGs文化祭実行委員会です。
(実行委員長 渡邊桃伯子)
https://yokohama-sdgs.net/

今回も、SDGsを「自分ごと」として考える機会を創出すること、横浜で「SDGs」に取り組んでいる企業や団体を紹介することを目指します。

今年の文化祭では、横浜音祭りの公募サポート事業として「おさんぽサウンドステーション」も同時開催いたします。

「おさんぽサウンドステーション」とは、子どもから大人までを対象にSDGsを学ぶワークショップを実施し、訪れた現場で録音した環境音を ビートメーカーに作曲してもらいます。作曲した音楽を文化祭当日にプロのバンドに演奏してもらって、豊かな音風景をデザインするプログラムです。

また、不用品をリサイクルして楽器を制作するワークショップを開催し、制作した楽器を用いてプロの 演奏家と一緒に演奏を楽しむプログラムも実施いたします。

午前中のトークショーでは、横浜のSDGsをけん引する、石井造園・大川印刷・JOBIA・オオスミ・キクシマ等の企業から事例紹介をしていただきます。

出展ブースには、弘前のりんごや和歌山の梅など全国各地のこだわりの食材、もちろん横浜の地産地消の商品も登場いたします。
今年も「ヨコハマSDGs文化祭」をよろしくお願いいたします。

 

 

 

9月 10 22

2022年9月 三ツ池だより 「隣の仲間と笑ってる」

by staff
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この暑い時雨が降る。低気圧の前線が立てにはりだしている。東北豪雨をもたらし、川が氾濫している。神奈川は時々雨、それでも県の上側は雨が強い。気候が異常だ。先日は作業現場が35・5度だった。いつまで続くのか、心配な異常気象だ。その影響で体がこたえている。

 「雨のように・・・」 けんじ
雨が降らなかったら
困ってしまう
  天気にならなかったら
  困ってしまう
困ってしまうことばかり
雨が降ったらいいね
  天気になったらいいね
  どっちにころぶかわからない
晴れ時々雨がいいね
そうだね そうだね
  誰も決められない
  どうしたらいいかね
雨も天気も
天からのもらいものだ

野に咲く花を見るとなんだか嬉しい。こんなにけなげなんだ。こんなに美しく咲いているんだ。なにがあっても何がおこってもきれいな花を咲かせる。励まされる。生の素晴らしさに。そしてこの花とはもうすぐおわかれだが、次の年もこうして会えるのだね。

 「隣の仲間と笑ってる」 けんじ
野に咲く百合が
私を見つめて笑っている
  おはよう
  今日も暑いね
おまえはたまにしか来ないね
皆元気にいつも来てくれる
  そうかそうか
  ごめん私は時々なんだ
すっかり開いた百合の花
隣の仲間と笑っている
  こうして歩けて気分がいいよ
  今日はゆっくりと散歩だい

自分ブランドを築かなければ思っていて、スターバックスの岩田さんの本に魅せられてしまった。自分(スターバックス)をブランド化するために「一杯のコーヒーで人々に活力を与える」というミッションを大切にしてきたのだという。そこでふと数十年前のことを思い出した。うちの会社が川崎で生き残ってきたのは談合を廃止し、仕事で勝負してきたことを思い出した。それは「いい計量がおこなわれるように」という想いだった。安心してしっかりした計量がいい製品づくりになり、安心取引になる。受注できるかできないかは、大変難しいことであった。そしてお得意さんになった会社からつぎのようなことも言われた。「B社も君の所で整備しているなら安心だ。うちで計量することは止めよう」ということもあった。当社の仕事がその分減ってしまったが、安心して取引できることは善だ。その費用が別の所の改善に使われ、工場入り口のスペースが広がりその工場はすごく使いやすくなったようだ。

 「光 ひかり」 けんじ
誰だって光を求めている
その光とは
足元を照らす
  人は立ち止まることはあるが
  ずっと立ち止まっていては
  生きていけない
光のほうへ向かっていく
一歩一歩
足元を確認しながら
  ある時足が早まる
  意思が働いてくる
  光を求めている

日本には何もない。輸入に頼るしかないという人がいる。そうだろうか。山があり、海があり、田畑がある。どうだろう。確かになにもかにもあるわけではない。しかしもっと日本で収穫出来るものを大事にしていくのだ。日本人よ、日本でできるものを大事にしよう。神から分け与えられたものを大事にしよう。日本にあるものを活用し、育てて行こうよ。人間として大事なことはお互い様。もう一度見直していこうよ。

 「返り道帰り道」 けんじ
歩いていて
必ず最後自宅へ帰る
でも時間は返らない
  今日は今日の一歩
  一歩の前進は明日へ続く
  何処までも続く道
生きてる間は
時間は止まらない
過ぎた時間は戻らない
  だから明日へ続く道を
  探し出し、求め、決めていく
  死という時間がとまるまで

自分ではいいと思っていることを人はどうみているのか。いや人がどう見ていてもいい。自分の考えで進めていく。詩を書いていてわかったことがある。それは慣れてくると自然と筆は運ぶ。
そう善を探せ。誰だってそれでいいと考えを進めていく。まず自分ありきなのだ。善を探せだってそうだ。出てきたものが表情をつくっていく。生きる喜びを筆に載せていく。善が前途に光っている。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

9月 10 22

ハチゴロウの鳥撮り日記 第28回「山中湖大洞の夏鳥 後半 水辺に集まる小鳥たちから『クロツグミ』」

by staff

第28回 山中湖大洞の夏鳥 後半 水辺に集まる小鳥たちから『クロツグミ』

9月に入りましたが、まだまだ暑い日が続きますね。ヨコハマNOW9月号がリリースされる頃は、二十四節気では「白露」と言い、朝や夜に気温がグ~ンと下がって草に露が宿るさまを表したようですが、果たして、朝夕が過ごしやすくなっていると良いのですが・・・

ところで、私も二十四節気については初めて知ったのですが、太陽の動きで決めるので、決まった日を言うのではないそうです。 2022年の「白露」は国立天台の発表では9月8日だということです。ちなみに去年は9月7日でした。時候の挨拶で「白露」を使うのは9月22日頃までとのことです。

さて、鳥撮り日記の第27回では山中湖の大洞の夏鳥をご紹介しました。私の選んだ御三家として同じスズメ目の小鳥を3種選びました。ちなみに選んだのは「キビタキ」「センダイムシクイ」「ヤマガラ」でした。

昭和生まれの私の世代は、なにかと3つ合わせるのが好きなようで、たとえば歌謡界では『美空ひばりさん、江利チエミさん、雪村いづみさん』、『橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さん』、『南沙織さん、小柳ルミ子さん、天地真理さん』、『西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さん』、『森昌子さん、桜田淳子さん、山口百恵さん』・・・と続いて行くのですが、鳥好きの中にはそれぞれが選んだ「御三家」や「新御三家」や「三人娘」を披露し合って、ウンチクを楽しんでいるようです。

前置きが長くなってしまいましたが、山中湖大洞の夏鳥の後半を始めることにいたしましょう!

まずは復習、大洞と書いて「おおぼら」と読みます。山中湖旭日丘別荘地の中の谷間にあり、富士山からの湧き水が出ていて「大洞の泉」と呼ばれています。撮影するには少し暗いです。撮影するベストシーズンは初夏から夏にかけて、多くの小鳥たちに出合うことができます。
キビタキ、オオルリ、メジロ、ホオジロ、シジュウカラを始め、センダイムシクイ、エナガ、ヤマガラ、そして警戒心の強いコルリ、ヤブサメ、クロツグミなどなど野鳥の宝庫です。

今回の目的はクロツグミの撮影です。クロツグミは薄暗くなってから現れると思っていますので、夕刻から大洞でシャッターチャンスを狙っていました。

 

クロツグミが水場に現れたのは、17時41分でした。ほとんど水浴びせず、どこかへ飛んで行ってしまいました。

クロツグミはスズメ目ツグミ科の体長22cmほどの鳥です。ツグミよりも少し小さ目です。
オスは腹側が白に斑点模様があり全体に黒っぽく、嘴と目のまわりが黄色。メスも腹側は白に黒の斑点がありますが、全体に暗褐色でオスのような嘴や目のまわりが黄色ではありません。
さえずりの地鳴きは「キョキョキョ」という感じですが、他の鳥の鳴き声をまねして取り込んで、魅力あるさえずりを披露してくれるのが特徴です。

 

クロツグミがいましたが、木の枝に隠れて、ピントが合いません。水場の近くにいるのですが、キビタキなど、他の鳥がいると水場へ入っていけないようです。警戒心が強い鳥だと聞いていましたが、本当は気が弱いのですかね?

 

クロツグミが水場に行こうか、悩んでいるようです。

 

水場の下流の水たまりで、クロツグミのメスが水浴びをしていました。

 

長い時間悩んだ末にやっと水場へ近づいて行きます。

 

18時33分です。水場は暗く、何がいるか分かり難いです。ISO感度 6400で、シャッター速度 1/80秒です。

 

クロツグミのメスとキビタキのメスです。メスの方が積極的なのでしょうか? 他の小鳥がいると水浴びができないでいるオスに比べ、メスは仲良く水浴びを楽しんでいました。

日も沈んだようで、かなり暗くなってきました。水場へは小鳥たちが来ているようですが、何が来ているか分かりません。小鳥たちの鳴き声を聞きながら、帰路につきました。

ちょこっとおまけ; 今年はクロツグミのオスの水浴びシーンを見ることができませんでした。2021年8月10日に「大洞の泉」でオスとメスが仲良く水浴びをしている写真を撮ったのでご紹介します。「混浴?」楽しそうでしょう!!

 

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

 

9月 10 22

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第4回) 人に寄り添う仕事のなかで一番大切にしていること

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第4回 人に寄り添う仕事のなかで一番大切にしていること

 先日、母校である秋田県立秋田高校の2年生に、講演する機会をいただきました。高校時代の思い出、どのようにして進路を決めたか、大学・大学院時代のこと、今の起業に至るまでの経緯など…、成功したことよりも失敗したことの方がずーっと多い人生ですが、さすがは秋高生! こんな先輩の話にも、終始真剣に耳を傾けてくださり、反応を示してくださり、最後はたくさん質問もしてくれて、私の方こそ勇気づけられ、勉強をさせていただいた貴重な時間でした。

 当日は、同じ高校2年生の長男も同席させていただいたのですが、国立大の附属高校で学んでいる長男は、「うちの学校に〇〇さん(某有名ジャーナリスト)が来ても誰も質問しなかったのに、お母さんなんかの講演でこんなに質問が出るなんて、本当に優秀な人たちなんだね!!」と、よく分からない刺激と感動を与えてもらったようでした。(←母としては素直に喜べない感想です…。)

 実際に、秋高生からの質問は、素直で、機転が利いていて、核心を突く、どれも素晴らしいものばかりでした。それに対して私の回答は、①揺るぎなく答えられたことと、②すごく悩んでもうまく答えられなかったこと、の真っ二つに分かれました。今日はそのうち、①揺るぎなく答えられたこと、についてお伝えできればと思います。

「障がいのある方に寄り添う仕事をするうえで、
                 一番大切にしていることは何ですか?」

 きれいな瞳の女の子から出た質問です。障がい福祉だけではなく、どんな仕事にも共通している価値観だと思いますが、障がいのあるなしにかかわらず、私たちが日々接しているのは、人間です。すべての人間には、産んでくれた親がいて、育ててくれた人がいます。たとえ言葉が発せない方であっても、尊重されるべき「意思」があり、守られるべき「人権」があります。それは、子どもであろうと、大人であろうと平等であり、変わりません。

 私はこれまで、重度の知的障がいのある方や、精神障がいのある方、あるいは発達特性のあるお子さまの支援に携わってきましたが、どの場面でも変わらずに大切にしていることは、「支援者が利用者さんを見るのと同じように、利用者さんもまた支援者を見ている」という「鏡面関係」です。利用者さんと支援者との信頼関係は、どちらかの一方的な作為によって作られるものではありません。しかし、このことを本質的に理解するのは、とても難しいことです。

 お子さまの支援においても、「鏡面関係」が大切であることに変わりはありません。大人は子どもを見ているが、子どもも大人を見ているのです。しかし、子どもに何かを「教える」という立場から仕事をスタートした大人は、なかなかそれに気づくことができません。「見られている」ということを忘れて、どんどん「見る」側としての立場を強化してしまうのです。それが、支援者側の誤った自己愛や、全能感につながってしまうことがあります。療育の場でそうしたことが起きることは、何としても避けなければいけません。

 そう考えたとき、人材育成の難しさを感じます。職員がテクニックを磨くことにばかり走ってしまうと、人権の視点が置き去りになるからです。この方法がダメだったら別の方法を…と、方法論ばかり磨いても、お子さまは言うことを聞いてくれません。方法論の前にある、自分とお子さまとの関係性を、まずは見つめなければいけないのです。しかし、失敗を認められない職員には、それができません。

 言葉の選び方、声のトーン、表情、服装、間の取り方…。自分の中に1ミリでも相手を思い通りにしたいという気持ちがあったと自覚できるなら、まずはそれを捨ててから次の方法を考えることが重要です。自分の鏡を磨くことに、労力を惜しんではいけないのです。日々、自分の感性や人権感覚を磨くことで、お子さまの人権を守り、社会問題を解決することにつながると私は考えます。たとえ時間がかかろうと、そんな信念から生まれたお子さまとの信頼関係は揺らぐことはなく、結果としてそのお子さまが社会に出ていくときの大きな支えになるのです。

 とても大切なことを、あらためて考え、こうして言葉にまとめるきっかけをくれた秋高生には、感謝しかありません。貴重な経験をありがとうございました。

(第4回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

9月 10 22

ゆるマナー講座(第80回) 夏休み、子どもたちと共に学ぶ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

今年の夏も暑かった!
それぞれにどのような夏を過ごし、何か思い出ができたでしょうか。

私は久しぶりに田舎で数日を過ごしました。
田舎の家は古くて、雑魚寝なら何人でも寝られそうな大きさです。今年はそこに、小学6年生を筆頭に年中さんまでの男の子ばかりが5人揃いました。プラス大人たちも加わり、しばしコロナを忘れた、賑やかな時間でした。

ザ・夏休み!

子どもたちは普段ほとんど会うことがありません。それでも、会った途端ニコニコと群れて遊びだしました。
庭でボール遊びをしたり、自転車の練習をしたり、虫取りに行ったり、暑い日差しも何のその、外遊びに夢中です。少し日がかげると、今度は大人も交じって、卓球をしたり、テニスをしたり、ついには野球モドキも始まりました。

夜は外でバーベキュー。デザートは「スイカ割り」で割れた大きなスイカです。
そして、仕上げは花火。そう、これぞ夏休み!です。
「ボク初めて花火するの。やりたかったんだぁ」と言う子どももいます。
「えっ? 花火ができるところなんて、どこかにあるんじゃないの?」と聞くと、都会ではできるところはかなり限られていて、家の前ですらできないのだそうです。昔はいろんなところでやっていましたけどね。

ということで始まった「大花火大会」。
最後はお決まりの「線香花火」を誰が最後まで燃え続けさせられるか、です。
もちろん、大人も一緒にワクワクしながら参加しました。

異年齢の交流

さて、子どもたちの関わり方を傍で見ていると、面白いことに気づきました。
小さな子は、上の子どもたちがすること成すことを羨望と尊敬の眼差しで見ているのです。そして、お兄ちゃんたちが何気なくすることを「スゴイ」「カッコイイ」と連発しつつも、自らもいろんなことに挑戦しようとします。上の子たちはすかさず教えたり、手助けしたりして、「大丈夫、あと少し」「やった! できたね」と小さな子たちを褒めます。

かと思うと、小さな子が捕まえてきたカエルや虫が怖くて触れないお兄ちゃんたち。
「怖くない?」「気持ち悪くない?」「触れるの、スゴイじゃん」と素直に伝えます。
小さな子たちはちょっと得意げ。

夏休みといっても、遊んでばかりもいられません。
いつの間にか、それぞれが好きな場所で、好きなスタイルで、お勉強を始めています。
そこに、大人の「勉強しなさい」の声はありません。
ひらがなの練習、算数の問題に取り組む、かたやタブレットでプレゼンテーションの資料作成。上の子たちは、時々小さな子の勉強の様子を見て、「もうそんなことができるの? 僕が一年生の頃はできなかったなぁ」などと褒めてみたり。

兄弟だけのときはケンカもするのに、他の子が交じっているせいか、なんだかみんな優しい。

大家族こその良さ

賑やかな食事どき。
「お箸の持ち方が変よ」「ほら、こういう風に持ってみて」「僕できるよ。こうすればいいんだよ」
「肘つかないで食べてね」「ちゃんと真っ直ぐ座って」
「これ食べたくない」「○○ちゃんは美味しいって食べてるよ」 恐る恐る口に入れ、「ほんとだ、美味しい。もう少しちょうだい」
「嫌いだからって残しちゃダメでしょ。全部食べなさい」 泣く泣く嫌いなトマトを一切れ頬張る。「もう無理しなくていいよ」と他の大人たち。

昔の大家族ってこんなだったのでしょうね。

年齢の違う子どもたちは知らず知らずのうちにそれぞれの役割を感じながら、お互いに刺激し合い学んでいく。大人たちは誰か一人に構うのではなく、子どもたちみんなのことを見ながら、さり気なく教えたり、ときには庇ってあげたりする。
たくさんの目があり、手があり、心があり・・・そんな中で、人との関わり方や接し方、食事のいただき方などの日常におけるマナーも、自然に年長者から年少者へと伝えてきたのでしょう。

核家族であることに加え、ここ数年のコロナの影響で、大人数で集まることが少なくなりました。久しぶりの大勢での触れ合いから、子どもたちはそれぞれ何かしら学ぶことがあったのではないかと思います。日々のルーティンワークから抜け出した私にも、つかの間だけれど中身の濃い夏休みとなりました。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

9月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第114回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第114回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“人と違うことをせよ” と語ったのは千利休。相手は高弟の大名・古田織部。“破調の美” は器をわざと壊して継ぎ合わせ、そこに生じる景色を楽しむというもの。茶碗を十字に断ち切って漆で再接着したのが大井戸茶碗。美を見いだすというよりは美を自ら創り出す。織部焼は“ムラのある緑”“のびのびと描かれた文様”“個性豊かな形”が特徴。多様で何でもあり。あくなき型の追求。あくまで “ひょうげもの” (ひょうきん)に徹する生き方。織部の書状は左へ斜めにずれるのが特徴で、文字の大小、墨の濃淡が和紙の上を乱れ舞う姿形。上野・国立博物館で観る書状はまさに織部の生き様そのまま。好き放題のスタンスは茶も陶器も書も一気通貫しており誤魔化しなし。かしこまるか、あきらめるかではなく、ど真ん中の“ひょうげる(おどける・自由自在)”というスタイル。21世紀は織部流の遊び心が老師。“命に終わりあり。能には果てあるべからず” と世阿弥。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

天才は 自分のソロバンに合わせて判断するもの
実生活での忖度が ネットではモンスター化する
ザラつきは 自分の中にある反発・見たくない面
崩壊と生成・復興の繰返し、と陶芸家・三輪休雪

言葉のイメージとモノのイメージを同化させる姿勢。モノづくりは “崩壊と生成・復興” の繰返し。地球儀をグルリと回すダイナミックさ。三輪休雪は、萩藩の御用窯を務める萩焼窯元・三輪窯の当主が代々襲名する名跡。萩焼は使うごとに色が微妙に変化する “七化け” が特徴で、侘茶の茶碗では代表格の一つ。元々は毛利輝元が朝鮮出兵の際に連れ帰った李敬(坂高麗左衛門)達が開窯。十代・休雪は伝統的な鬼萩に加え、純白の藁灰釉による “休雪白” を創造。いつかは死ぬ命。“いかにして負けないか” と孫子。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

信じて投げて 打たれるのは仕方がない
信じて投げて打たれたなら それは結果
一番ダメなのは やる前から打たれたら
どうしようと考えることだ、と落合博満

“信じて投げて打たれるのは仕方がない。ダメなのはやる前から打たれたらどうしようと考えること” の哲学は、野球に限らず全ての仕事に通じる心棒。三度の三冠王を達成した落合博満の覚悟。キャンプでの落合はチンタラチンタラ。しかし、引退後のインタビューでの第一声はバットスイングの総量では歴代選手の中で誰にも負けないと豪語。阪急(現オリックス)のエース山田の決め球シンカーを全く打てなかった時、直接山田投手に攻略法を聞きに行ったほどの仕事師。“理屈と道理は違う” と思想家・三浦梅園。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

日本での大学教育 英米とは違う発想
日本の経験・文化 日本的何かを包含
国際的な価値を生み出すことを主眼に
そこを重心にすべき、と苅谷剛彦教授

苅谷剛彦教授は社会学者で、オックスフォード大学教授を務めた碩学。日本の教育に危機感。日本の大学教育は日本の経験・文化を包含したもの。もっと国際的な価値を重心にすべきと主張。平等な受験システムは、社会の流動性へのインセンティブにはなるが、受験の多額費用は学力格差を生むことに。階層意識を避けながら、隠れた社会階層を生み出す矛盾。自分に完璧を求めず、至らぬ点を世界中から吸収する術を学ぶ。“靴の位置のそれぞれに楽器を当てはめてタップを踏む” とダンサーのセビアン・グローバー。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第114回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

9月 10 22

チャレンジ(第49回) 祝1年! 癒しのあんこくん

by staff

祝1年! 癒しのあんこくん

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。9月に入り少し暑さが和らぐ日もあり過ごしやすくなってきました。行動制限がない夏休みでしたが、皆さんは楽しめましたか?平安山家は沖縄帰省を企画していましたが、コロナの状況を考慮して今回は中止としました。私はここ3年ほど実母の介護があったため、沖縄へは行っていなかったので、とても楽しみしていたのですが、残念でした。年末年始あたりに行けるといいな~と思っています。

そして多分20年ぶり?くらいに主人が夏に自宅にいるという夏休みだったので、これはしめしめと、大掃除とあんこの世話をしてもらいました。

あんちゃんをお風呂に入れる話もありましたが、結局、猫用ウェットティッシュでゴシゴシしてみました。

あんちゃんが平安山家に来たのが昨年の9月11日なので、祝1周年です!
こんなに猫が可愛いとは知らず、可愛くて可愛くて撫でまわしている感じですがそれ以上に主人がよく世話をして可愛がっていて、、、そういえば動物好きだったよね、と思い出しました。

子供が小さい内に犬を飼いたかったのですが、なかなかご縁がなく、子供たちも大きくなってしまいましたが、小さい弟がきたみたいで、お姉ちゃんたちにもこねくり回されています。

動物を飼うと旅行に行きずらかったり、病院にかかったりと、大変なことも多いですが、それ以上に与えてくれるものが多く幸せな気持ちになります。うちでは家族の会話が増えた気がします。(逆に年取ってから、あんこがいなくなったら心配)

あんこがキャラクターを務める幸せにゃんこプロジェクト横浜版も、AIAICAFEさんでの販売が始まり、とても順調です!お近くにいらした時はぜひ寄ってみてください。

AIAICAFE
https://www.aiaicafe.yokohama/

(第49回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

9月 10 22

記憶の中から (第四話)山本周五郎の思い出

by staff

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第四話  柳橋物語

夏の盛り、離れの雨戸が閉まっています。「おじちゃん暑いのに何やってるのかな」と子供心にも不思議になります。やっと雨戸が開いてあああ・・・と背伸びをしたおじちゃんが濡れ縁に出てきました。くたびれた着物に黒い前掛けをしています。「何やってたの」 「火事んとこを書いていたんだ」おじちゃんは小説家だなんて五、六歳の子供は知りませんでしたがその言葉がどこか頭の隅に残っていたのでしょうか。大人になって周五郎の年表をたどると、あの『柳橋物語』に行き着きます。薄幸な少女(おせん)が大火事を川に浸って他人様の子供を抱きしめながらしのぐあの名場面です。関東大震災や戦争を経験した人でしたからその場面のリアルなこと。身震いが出るほどです。
私は『柳橋物語』の火事の場面が生まれた瞬間のただ一人の目撃者なのですね。
その「柳橋物語」は父の出版社、操書房の「椿」に初めて掲載されました。

下町育ちのおせんと好太と庄吉。庄吉は上方に修業のため旅立つがおせんに「帰るまで待っていてくれ」と言いおいた。その一言がおせんの生き方を変える。恋に恋する娘心。
その後大工の棟梁の跡継ぎになった好太からは何度も嫁に来てほしいとの話が有るが、一途に庄吉の面影を追うおせん。江戸に大火事が。川に飛び込んで他人の赤子を抱いて火の下にうずくまるおせんを好太が助けに来る。火を浴びながら懸命に水をおせんに浴びせて、そして好太は業火に巻き込まれて帰らぬ人になる。おせんの頭には腕の中に残された赤子と助けてくれた好太しか残らず子供を「好太郎」と名前を付けて下町の人たちの温かい手助けで何とか生きて行く。そこに上方から庄吉が。赤子は好太の子供だと誤解。やがて他人と結婚してしまう。「待ってたのに」おせんは自分を本当に好きだったのは好太だったとやっと気がつく。若い女の切ない生き方。

柳橋物語(Amazon)

柳橋に行ってみたことがありました。神田川が隅田川にそそぐところが柳橋です。
江戸時代から船宿、料亭が多い場所で柳橋と言えば芸者さんの代名詞のような時もあったとか。関東大震災で焼け落ちた後復興した美しいアーチ型の橋の欄干にはなんと「かんざし」が埋め込まれていました。川岸には柳が植わっていてお江戸を思わせる場所でした。

ここを訪れたことで物語を読むと情景がくっきりと目の前に浮かび、私も江戸に住む人のような気がしたのです。物語を読む醍醐味を味わえました。
数々の感動的な物語を紡ぐ人でも一風変わったなところもありましてね。
離れの真向かいの自宅の台所口に七輪を出して網の上にはカタツムリを五、六個置いて焼いてます。「フランスではカタツムリを食べるんだ。エスカルゴって言って高級品なんだよ。おいしいから食べてみなさい。」にょろにょろと首を出しているデンデン虫。それだけは嫌でした。黙ってブルブルっと頭を振って海に泳ぎに行ったと記憶してます。。
おじちゃんの得意そうな顔は忘れられません。

ある時古い漁船を買った二人の父は沖に漕ぎ出したのは良いのですが、どっちか忘れたけれど船酔いがひどくて二度と船には乗りませんでした。しばらく岸に上げてあったぼろ船、いつの間にか無くなっていて一応探したらだいぶ離れた海辺にあげてありました。誰かが使っていたようです。おおらかな時代です。この話も「青ベカ物語」を執筆する元になったのかもしれませんね。

おじちやんは好奇心が旺盛でしたね。寒い冬になると周りの漁師の家からは「トントントン」海苔を刻む音が聞こえます。早朝本牧の海にびっしりと植えてあるシビに付く海苔を取ってきて、すだれに乗せた枠に流し込む作業をしているのです。おじちゃんも道具一式そろえたけどもすだれに流しこむのが下手で厚ぼったいものしかできない。これもすぐ辞めてしまったのも記憶にあります。
父がどこからかアヒルをもらってきました。番犬のようにガアガア鳴いて人のそばによってきてあの大きな口で足をつつくのです。おじちゃんにも、原稿を東京から一日掛かりで取りに来る編集者にも迷惑を掛けました。それが間門園に書斎を移すことになったきっかけになったのでしょうか。その頃には小説家山本周五郎としての評判も高くなっていたのです。家賃がもらえないことも母の不満だったと思われます。
その後離れは元お琴の師匠だったというオンリーさんが借りて、スミスさんというサージャント(軍曹)が通い家にはアメリカの食料が沢山手に入ることになりました。
おじちゃんごめんね。

左:周五郎先生    右:『椿』 初版。「柳橋物語」が最初に発表された

 

(第四話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

9月 10 22

風景で読み解く横濱 (第五話)学校の風景

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第五話 学校の風景

戦前の資料を読むときに苦労するのが明治初期の年号と学校名です。
年号は明治政府が旧暦明治5年12月3日を新暦明治6年1月1日とすると突然決定。
さらには旧暦ならある明治6年閏月が無くなることで計2か月分の給与予算をカットできるという究極の裏技を使いました。それほど財政が逼迫していたようです。
この時に即、<説明不足>の政府に対して改暦解説書『改暦弁(かいれきべん)』を出版しベストセラーを生み出したのが福沢諭吉です。
今回のテーマはもう一つの難題学校名をテーマにしました。
現在の日本の学校制度は「小学校→中学校(ここまで義務教育)→高等学校→<高専>→大学」を基本としています。ところが戦前は小学校(尋常小学校)のみ義務教育で、男女で分かれ、制度も目まぐるしく変わり日本中の学校は名前が何回も変わります。
戦前の文献や今回のような画像で学校が登場する際、正確に調べないと大変な目に会います。逆に時代を知る材料にもなります。
戦前の学校の系統は明治6年・明治14年・明治25年・明治33年・明治41年・大正8年・昭和19年と七回も変わりました。ここで詳しく説明しているとそれだけで字数オーバーになってしまいますので省略しますが、調べると面白いですよ。

戦前の学校が発行した絵葉書から学校の風景を読み解いてみましょう。

「横濱市立高等小学校開校式」
サブタイトル:明治三十九年四月十二日第二第三高等小学校運動場に於テ

広場に多くの人が集まっているのが判ります。
横浜市立第二高等小学校と横浜市立第三高等小学校について調べてみました。
二校とも明治三十八年に同時に開校しました。
ちょっと長くなりますが 改名を一覧にします。

●横浜市立第二高等小学校は男子校
1905(明治38)年 4月 開校(南吉田町四ツ目)
1908(明治41)年 横浜市立尋常高等南吉田小学校
1909(明治42)年 横浜市立尋常高等第一南吉田小学校
1911(明治44)年 横浜市立尋常第一南吉田小学校
1923(大正12)年 横浜市立南吉田第一尋常高等小学校
1925(昭和元)年 横浜市立南吉田尋常高等小学校
 ※南吉田第二尋常高等小学校と合併
1927(昭和2)年  横浜市立東尋常高等小学校
1941(昭和16)年 横浜市東国民学校
1947(昭和22)年 横浜市立東小学校

●横浜市立第三高等小学校は女子校
1905(明治38)年4月 開校(南吉田町四ツ目)
1907(明治41)年4月 横浜市立尋常高等南吉田小学校
1908(明治42)年3月 横浜市立尋常南吉田第二小学校
1923(大正12)年4月 横浜市南吉田第二尋常小学校
1926(大正15)年4月 横浜市南吉田尋常高等小学校(高根町)
1933(昭和8)年4月  横浜市南吉田尋常小学校
1941(昭和16)年4月 横浜市南吉田国民学校
1947(昭和22)年4月 横浜市立南吉田小学校

「横浜市学校沿革誌」では4月11日に<6校>の高等小学校が開校し、合同で開校式が行われたという記述がありますが、絵葉書の風景は二校です。
推測ですが翌日の12日に二校関係者が集合したと想像できます。

「開校十五年紀念」
人物左:創立当時知事故中野健明 人物右:創立当時校長小森慶助

「開港二〇年紀念」

●俗称神中(じんちゅう)現在の希望ヶ丘高等学校
1897(明治30)年 神奈川県尋常中学校(久良岐郡戸太町)
 ※神奈川県最初の県立中学校として設立
1899(明治32)年 神奈川県中学校
1900(明治33)年 神奈川県第一中学校
1901(明治34)年 神奈川県立第一中学校
1913(大正2)年  神奈川県立第一横浜中学校
1923(大正12)年 神奈川県立横浜第一中学校
1946(昭和21)年 ⇒横浜市磯子区六浦へ移転
1948(昭和23)年 《新制》神奈川県立横浜第一高等学校
1950(昭和25)年 《共学化》神奈川県立希望ケ丘高等学校
1951(昭和26)年 ⇒保土ヶ谷区二俣川町へ移転

神奈川県史を読むと、神奈川県は全国でも県立中学校の設立が遅れます。財政難だったことと、学校創設には県の感心が低かったようです。政府命が出てしぶしぶ作った様子が県史に書かれています。

あと二校紹介します。校名歴は省略し葉書だけです。

「神奈川県立横濱第二中学校開校記念」(大正5年5月11日)
1914(大正3)年5月1日 開校
現在の翠嵐高等学校です

「神奈川県立第一高等女学校 真澄会館」
現 平沼高等学校 同窓会「真澄会」の会館
1924(大正13)年に「真澄会」と改称
1929(昭和4)年 校庭西北側に11月竣工

※ここに紹介した絵葉書は個人蔵のものです。
 転用等はご遠慮ください。

 

(第五回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

9月 10 22

第112回 伊豆松崎の海鼠壁と左官職人長八作品群を訪ねて

by staff

株式会社 鎌倉設計工房
藤本幸充

伊豆松崎の海鼠壁と左官職人長八作品群を訪ねて

地図上で伊豆半島先端の下田より北西にちょっと上がったところに松崎町があり、先日訪れた。
ここには左官の名工、伊豆の長八の作品と資料を展示した美術館があり、完成時訪れてからもう40年近くなる。
今回は、前回端折った、江戸末期から明治にかけ活躍した入江長八の鏝絵と海鼠壁の町並みが目的。
宿泊したのは町内の旅館「山光荘」。
客室になっている蔵座敷には窓辺の袖壁や軒天井に青竜、白虎、雀の鏝絵(漆喰のレリーフ)が。海鼠壁の外観と相まって「長八の宿」と自ら称えるだけのことはある、由緒正しい旅館。
横浜で見ることの少ない海鼠壁とはラチスフェンスの様なクロスした外壁仕上げのことで、黒いタイル状の平瓦の間に白漆喰を盛り込む蒲鉾状の目地の形が海鼠(ナマコ)に似ているところからきている。
今回街中で拝見した中で気になったのは、当初のオリジナルの後を修復した現代の左官職人の腕が、残念ながらかなり落ちてること。海鼠の形がツルッとしておらず、形も縁のラインがジグザグだったりする。この点、町外れにある旧岩科学校(明治13年完成)のナマコと格段に違う。最も、国の重要文化財に指定されている建物、ナマコの比較は土俵が違うかも知れぬ。
目地部をよく見ると形はわずかに中央が膨らみ、より海に住む海鼠に近く、また立体的にも中央が僅かにむくっている。白漆喰壁に籠められたアーチ型窓や白いバルコニーなど洋風のしつらえと相まってその繊細さ、上品な印象は心に残る。
ここにも長八の作品があり、玄関上の唐破風懸魚の龍は長八が大工のノミを借りて木を彫ったとされ、2階鶴の間は色彩に溢れ、床の間の壁は漆喰にベンガラを混入した赤、床脇壁は緑、四周の欄間壁には淡い水色に鶴、138羽の鶴が左官鏝ではなく、あたかも筆で書いた様な緻密さで表現されている。
一方長八美術館に隣接する伊那下神社の宝物殿には大理石の左官表現や、老人の手の小皺まで表現された漆喰人形、またその向かいにある浄感寺の天井左官絵「八方睨みの龍」など長八の勢いはとどまる所を知らない。
長八は特別なのかもしれないが、元々左官職人には形を整える芸術的才が求められ、ゆえに長八のような更なる才能の発露を目の当たりにできるのかもしれない。
今日、建築設計において壁の仕上げはビニールクロスではなく自然素材の漆喰を使うことは多い。その下地に今まではボード類であつたが、今後は調湿作用のある土壁を加えてゆきたい。
真夏の見学会であったが、土壁の蔵や海鼠壁の家を訪れ、居心地が違う事、また左官職人と刺激し合っていいものを創りたいのがその理由である。











 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

9月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #23

by staff

アセンションとディセンション2極化の拡大

世界中で、今までのシステムの歯車が徐々に外れてきて大きく変わろうとしている昨今、この一か月間の間にも様々な事が起こっています。でも日常は猛暑だった夏が終わり秋の風に誘われて、私自身は体調がとても良い日々を送っています。
毎日がまぶしいくらい綺麗で、太陽の光の輝きや、空と雲の絶妙な美しさ、風に揺れる木々のきらめき等、人々の内面はともかく、空の高さと共に次元上昇アセンションの良い兆候しか受け取れません。
片や、今まで長い間、隠されていた政治的事柄が明るみに出てきて、日本政府も大変混乱している様子ですが、今年の秋はますますこれらの流れが激しくなりそうな気がいたします。
2極化が際立ってきて、普段ネット社会の中でワンネスを唱えている正統派? ライトワーカーの方々でさえ闇の支配とか敵側や、正義と悪、と言った言葉を発し始めています。

この善悪二元論。地球の特徴的な概念だとも思えます。宇宙はもともとONE NESSだったけど。そのひとつらなりのイノチを自意識するために二つに分かれて魂の学びを体験してきた地球人類。今沢山の人々が成長して成熟して地球がその学びを終えて新たな惑星に昇華しようとする時期。その3次元的な兆候が今までの物質文明の崩壊となって地上に住む私達を巻きこんでいるのだと私個人は理解しています。

私はこの時期のために、この未曽有のアセンションを体験するために、1950年、東京の世田谷に住む両親のもとに産まれてきました。
10代のアイドル時代も ロック音楽時代も、結婚も、離婚も、和歌うた、に出会った事も。私の私的な人生の旅すべてはこのいまここの時期のために、目には見えない導きを受けて生きてきました。朝の光を受けた部屋の中、パソコンに向いながら、横浜ナウと言うWEBマガジンのご縁を通して私自身の言葉を紡げる喜び。
体験で理解した自分の気付きを、正直にお伝えさせて頂きます。

私はチャネラーでも(霊媒者、高次元の霊的存在から直接情報を得ている人々)霊能者でもありません。ただひたすら自分が幸せでいられる精神状態を素直に追及してきたわがままな人間です。その幸せとは 突き詰めれば 毎日、自由で好きな事が出来て 遊びながら、歌いながら、人生を愛する事。それだけを念願に自分の人生を送って来ました。今も自由に、好きな事をして 自分に関わる全ての人達に人生での遊び方を共有したいと思っています。

この世界には沢山の遊び方があります。消しゴムとカンバスを使って人生劇場を描く。輪廻転生を繰り返して色んな国や時代に産まれて様々な生き方を体験して、アミューズメントパークの様に肉体と言う地球服を着て遊ぶ。これが基本のルールでした。
例えば地球シネマの映画館に入って冒険映画を観たければ正義のヒーローと悪人との闘いに一喜一憂して声援を送るような感情移入が楽しめます。
隣の劇場では男女の愛をテーマにした人間ドラマを上映しています。 昔日本を一斉風靡した韓国の物語「冬のソナタ」の様なドラマです。又その隣の部屋では、深い人間愛をテーマにした戦争と平和の様な物語、そして生きることの面白味や皮肉さを表現したシェクスピア劇場。超冒険のジェラシックパーク等 さまざまな生き方を私達は体験してきました。 今迄はこれらの人生劇場で自分が感情移入して嘆き、驚き、苦しんだり、もがいたり、歓喜に震えたり、それらをただ受け身で体験していた人類ですが、この人生体験、色んな人が、実は・・・これらのドラマを作っている脚本家は・・・もしかしたら自分自身かもしれない。

自分の内側にある見えない映写機で、外側に映し出している映像なのでは?という 今迄とはまったく違う視点に気が付き始めました。自分は、脚本を書いて、演じて、観客となって楽しんでいる。

この3次元の日常の中で、外側に現実として展開される、これは個人的な事柄も、新聞やメディアを通して知らされる世界の情勢も全てを含めて、実はこれらすべてが、
「自分の意識の投影に過ぎないのではないか」
と気が付き始めると、意識の拡大が起こり、目覚めと言われている変容が始まります。自分で脚本を書いて、主人公を演じて、観客でもあるのだと 理解しはじめた私達人類。

主人公はもとより、 悪人も、周りのわき役も、自分自身の投影だと気づき始めると、単純にそれらの関係を葬り去ることが出来ません。特に本当に嫌なタイプの人が、例えば上司だったり、取引先の担当者だったり、夫や、妻の親だったり。それらの嫌な役割をしてくれる相手を自分が嫌悪感丸出しで排斥してしまうと、
「私は私の中にしまい込んでいたそんな嫌な感情や観念をちゃんと理解することなしにゴミ箱に捨ててしまっている」
そんな反応をしてしまう自分に、 脚本家としての高い視点の自分が満足できなくて、もう一度同じようなキャラクターの俳優を起用して主人公がその嫌な側面の自分を完全に理解して受け入れるまで、何度も繰り返させるからです。
ある意味 同じパターンのシーンが時を変え場所も変え何度も繰り返して続く感じかしら。

そんな体験を、何千年もの人類の魂の成長に自分の身体を提供してくれた素晴らしい惑星の地球が 現在 大きな成長の時期を迎えていてそのクライマックスの真っ最中が今、なんです。
そして私たちは選択を迫られています。
もう少し 地球上のドラマを堪能して努力や一生懸命や、苦労の物語や、別離などの悲しみを体験する地上映画館で自分を楽しませるのか。
もう、そういうドラマは十分に堪能したから 新しい体験としての地球人類に進もうか?のどちらかです。
地球は 3次元から5次元へと、軽くて物理的な密度が薄い 次元に移行していきます。
その次元で私達も生きるとなると 体の体質も変化してゆかなければなりません。
炭素ベースの身体から ケイ素ベースの体質になると言われています。現在人類の2極化が始まっています。ますます軽くなってゆく人々と 今までの人間ドラマを沸々とさせるような人生を選んでゆく人と。どちらが良いとか悪いとかではなくて 今生きている自分の心の境地がどこにあるのかを知って 無理をせず自分に一番しっくりとする生き方を選んでゆく事がその人にとって必要な事です。
私は地球と一緒に新しい次元についてゆきたいと思っていますが、自分を知れば知るほど今迄の地球の生き方にも魅力を感じます。でも、どちらを取るのが私自身 後悔はしないかなと…思うと やはり新しい未来の可能性に心を開いてゆくほうが性に合っていそうです。貴方はどちらですか?
最後に もし今回のアセンションに乘らずに、今までの人生ドラマをもう少し堪能したいと現状維持を選んだ方は 次回のアセンションまで人生劇場を楽しめる事が約束されています。戦争したり 愛と憎しみや、嫉妬など ドラマチックに私達人類がため込んでいる様々な感情を後2万6千年楽しむことが出来るそうです。今の地球よりもうちょっと重い密度の地球がしっかりと貴方の人生ドラマを支える為に用意されているとの事。
消しゴムとカンバスを使って 地球服 を何度も着替えて2万6千年たっぷりお楽しみください。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

9月 10 22

横浜は『開港』であり『開講』のまち。 株式会社エピテック 代表取締役社長 藤川遼介さん

by staff

 

お名前 藤川 遼介(ふじかわ りょうすけ)
お生まれ 横浜市出身 30代
お仕事 株式会社エピテック 代表取締役社長
HP https://apitec.jp/
趣味 人生を謳歌すること

相模女子大学 学芸学部 非常勤講師・大学院 社会起業研究科 アドバイザリーボード
総務省 地域力創造アドバイザー
農林水産省 農泊専門家派遣・課題解決型事業 農泊専門家
観光庁 広域周遊観光ルート専門家
などのご活躍をされています。

「APITEC(エピテック)」という社名の由来は

API(Act Plan Idea)とTEC(Technology Environment Communication)を重ね合わせた言葉です。この言葉には、社会を良くしていくための閃きを実現していきたいという想いを込めています。地域振興には、「技術」「地域環境」「人との繋がり」を活かして、計画し、行動することが大切であるという意味合いです。
「APITEC(エピテック)」は、2010年5月、私が大学生だった頃に学生団体(大学卒業後に任意団体)として発足しました。そして、2014年9月11日に起業をすることを決意した際、社名をどうするか考えました。その際、仲間と情報交換を行うコミュニティである任意団体(学生団体)と同じ名前にする社会実験を行ってみようと考え、株式会社エピテックを設立しました。
株式会社エピテックは、社会起業研究所(任意団体から改称)エピテックと学生団体エピテックの事務局を担う役割も担っています。私たちのミッションは、「地縁とご縁を結ぶ機会づくり」を提供することであり、地域の裏方業務のエキスパートを目指しています。

どんな少年時代でしたか

横浜の公立小学校に通っていました。早生まれで体格が小さいくせに自己主張をするタイプだったと思います。好奇心旺盛で、「なぜ?」と考え、知らないことを知ることを楽しんでいました。幼馴染曰く、「体が小さいのに存在感がある」子どもだったそうです。物事と物事の関連を見出すことが得意で、矛盾にすぐ気づく子どもでした。今振り返ると、先生方は、大変だっただろうなぁ、申し訳なかったなぁと恥ずかしくなります。ほとんど学校を休むことがなく健康で、友達にも恵まれていたと思います。今でも小学校の同級生らと草野球を楽しんでいるので、昔から友には恵まれています。そうそう。初心者集団で草野球を一緒に楽しんでくださる方を探しています(笑)良かったらぜひ!

小学校時代の同級生らと始めた草野球での写真

私立中学への進学率が高い小学校だった校風も影響し、中学受験をしました。ここで本番にとにかく弱いということが発覚します。周囲も驚く、怒涛の受験失敗。結果、何とか立て直すことができ、法政大学第二中・高等学校に進学しました。中学は5クラス(当時)でのんびりとした校風でしたが、高校からは14クラス(当時)のマンモス校になり、校風は一変しました。今は、共学になっていますが、当時は男子校でスポーツが盛んな校風でした。そのため、運動部に入っていた方が高校生活を楽しめるような雰囲気でした。

小柄な体格で、集団スポーツについていくのが大変だったこともあり、柔道部に入りました。仲の良い友達や理解ある先生が顧問だったことも大きかったです。私が入部した頃の柔道部は、県大会で初戦・2回戦敗退のレベルでした。このままのんびりとした3年を過ごすのかと思いきや、翌年から後輩にたくさんの経験者が入って来ました。精鋭が揃った影響で、部の雰囲気が激変しました。関東大会出場を目指すという目標を掲げ、稽古内容は日に日にハードなものになり、強豪校への出稽古の回数が増えていきます。高校を卒業する頃には、神奈川県ベスト8に入る強豪校の仲間入りをしていました。実力社会のため、レギュラーは、同期の主将を除き、後輩たちに託す形になりましたが、ベスト8入賞を決めた大会の盛り上がりは今でも良い思い出です。その頃は、中高合わせて6学年で稽古をしていました。稽古は朝練や筋トレも含め厳しかったです。当時は、それが当たり前になっていました。振り返ると、高校時代に部活を最後までやり切った経験は、今の自分に活きていると思います。

他大学への受験を希望していたため、その進路に向けての理解をしてくださった顧問の先生・部員には感謝が尽きません。柔道を通して得たことは、身体が少しは逞しくなったことはもちろんですが、柔道は「礼に始まり礼に終わる」というように礼儀礼節を重んじることです。相手がいてこその自分であるということ。感謝することの大切さを武道から学びました。その後の私の生き方に影響を与えてくれたと思います。今では、意外な特技として柔道参段と語れることも武道をやっていて良かったと思えます。

高校時代の柔道着の写真

中学校時代の忘れられない思い出に、ニュージーランドでの研修があります。
3週間のホームステイを経験しました。この経験は、私にとって「人生の転機」とも言える経験でした。ニュージーランドは、自然に触れるネイチャーレジャー、釣りやハイキングなどが盛んです。知り合う方々は、「遊ぶために働いている」と言いますか、日々を楽しくポジティブに生きている国でした。
庭のトランポリンで宙返りの練習をしたり、ホストファミリーに様々な自然の中での遊びを教えてもらいました。羊の毛刈り体験は良い思い出です。日曜日には礼拝のために教会に通うということも経験しました。異国の生活は、何をとっても新鮮で、あっという間の3週間でした。ニュージーランドで印象に残ったことは、自然の雄大さを学んだこととみんな笑顔なことです。どこでも楽しめる人生を送っていこうと決心しましたね。

大学は外部受験されたのですね

高校は大学の付属校のため、普通にしていれば、そのまま進学できる環境でした。しかしながら、10年間同じ環境ではなく、環境を変えたいと高校入学時から決めていたこともあって、大学受験しました。受験というものを乗り越えたい気持ちもあったと思います。結果的にこの件でも、色々と先生方にご心配をおかけしています。

当初は、文系の経営・経済系に興味を持っていたのですが、高校3年生時の担任の先生が、ホームルームで環境問題の話をしたことが転機になりました。このまま多くの国が経済発展を進めていけば、温室効果ガスの排出量が増え続ける。1997年に採択された「京都議定書」等で削減目標を掲げたけれども、誰がどうやって削減に向けたアクションをするのだろうかと考え始め、社会学の方向に行きたいと思うようになりました。
しかしながら、受験はことごとく弱く、失敗の連続で志望校に届かず。結果、縁のあった東京農業大学国際食糧情報学部国際バイオビジネス学科に入学しました。東京農業大学に出願した理由は、環境問題がトレンドになるであろうこれからの社会において、農業という視点から社会を見ることが大切なのではないかと思ったからです。あと、当時は法政大学にない学部系統を選ぶことで、自分の中で踏ん切りがつくと思ったからです。今振り返ると、「受験」に向けた勉強方法がズレていて甘かったのだと思います。単純に中学受験も大学受験も実力不足です。

東京農業大学への進学は、本当に良かったと思います。本当に充実した4年間でした。進学した国際バイオビジネス学科は、「農大でビジネスを学ぶ!」というキャッチフレーズで、農林水産業・食料関連ビジネスを対象として、経営管理、情報処理、マーケティング、経営戦略などを学ぶ学科です。全国の農大卒業生の情報が集まって来ます。研究室には、多くの卒業生が顔を出してくださり、旬の食材や名産品・酒が研究室に集まる物産フェアのような大学でした。私たち、農大の卒業生は、本物の味に触れることが多い幸せ者だと思います。大学内でも飲んで食べて先生方や同級生と語り合い、先生に連れられて飲み歩く機会も多く、楽しい時間でした。
2010年代は、漫画「もやしもん」(農業大学で菌とウイルスと人間が登場する物語)などが人気になっていたこともあり、東京農業大学や「農」にスポットライトが当たり始めました。高校の担任の先生に感謝しないといけないと思いましたね。

私は、故・稲泉博己教授(当時・准教授)の元で研究をすることにしました。稲泉先生は、学生1人1人としっかり向き合ってくれる研究者であり、教育者でした。稲泉先生から学んだ印象的な言葉は、「本気で遊んだことはあるのか?本気で遊ぶこと程、難しいことはないんだぞ」という言葉です。みなさん、「本気で遊んだ」と胸張れるエピソードってありますか?私は、その言葉を投げかけられた時、中学時のニュージーランドのみなさんと大学入学後のフィリピンへの農業実習で出会ったみなさんの笑顔を思い出しました。
フィリピンでは、「大学で農業を学ぶ環境を得られたことはとても幸せなこと」と真面目に勤勉に学んでいる現地の大学生に感銘を受けました。「家が農場経営をしているから、ここで学んで農場を発展させ、雇用を生み出すんだ」とキラキラした目で語っている現地の学生を見て、自分を含めた日本の大学生が、ただ何となくキャンパスライフを送っている意識の低さを恥ずかしく思ったことを覚えています。

稲泉先生のお言葉と異国での経験から、農村におけるコミュニティづくりに関する研究をすることにしました。農業というより農文化は、作物を育てるだけではなく、他の生き物との生態系バランス、農村を通じた人のコミュニケーション、教育効果など多岐に渡る多面的な役割を担っていることを先生から学びました。2011年3月に東日本大震災が起こったことから、都市部の若者が農村など地方部に関心を持ち始めました。その一方で、農村部は、若手の後継者問題に困り、若い世代との交流を求めています。お互いの需要が一致し始めていたのです。そこで、私は、農村部の情報をどうやったら、都心部の若者に届けられるのかということに関心を持ちました。WebやSNSが地方のコミュニティづくりに寄与できるのではと考え、卒業論文は「IT技術による地域活性の研究」というタイトルで執筆しました。

大学院への進学のきっかけは何ですか?

きっかけになったことは、2011年3月11日の東日本大震災が大きかったです。就活生のタイミングで震災があり、社会情勢が不安定だったこともありますが、お金を稼ぐことよりも食料を作る現場に携わる仕事といいますか居場所を作る方が安心できて大切だと思ったことが大きいです。農大での研究を重ねていく内に「地域振興」に関心を持ち始めていたため、これからの時代に必要な地方部と都心部の架け橋になるような人材になりたいと思ったことがきっかけです。卒業論文の研究から、都心部の若者の需要と地方部の若手との交流を求めている需要が一致しているにも関わらず、うまくマッチングされない課題は、受け入れる側の地方部におけるマーケティング戦略に課題があると考えました。そのため、マーケティングに関してもっと専門的に勉強したい気持ちが湧き、商学研究科のある大学院の修士課程への進学を決断しました。
結果的に2012年4月に一橋大学大学院 商学研究科(経営学修士コース / MBA課程)に進学しました。ここで初めて、受験というものを乗り越え、志望通りの進学先に進むことになりました。修士課程は授業も難しく、課題もハードで大変厳しかったです。横浜から国立まで通っていたため、始発に乗って終電で帰る日々でした。時には、終電に乗り遅れ、大学で朝を迎える日もありました。人生で1番勉強したと思えるくらい、充実した2年間でした。

大学院では、山形県朝日町におけるWebサイト(ホームページ)のレイアウト調査研究を行いました。当時、地域おこし協力隊である桃色ウサヒの中の人こと佐藤恒平さんと東北芸術工科大学の松村茂教授とプロジェクトチームを組んで、町から予算をいただいて研究を行いました。自分の所属する大学の指導教員ではなく、自ら町に売り込んで町のアドバイザーを務める大学の先生と町民とチームを組むという極めて例の少ないモデルで研究を行うことができました。佐藤さんが地域仕事づくりチャレンジ大賞 2012グランプリになった際、ステージに一緒に立たせてもらうなど本当に良い経験をさせていただきました。

地域仕事づくりチャレンジ大賞2012
http://yokohama.etic.or.jp/archives/971

Social Design Girls 17(SDGs 17)
「ゆるキャラ・ご当地キャラクター桃色ウサヒと考える幸せを感じる地域振興の秘訣」 in 山形県朝日町

全国全ての市町村のWebサイトを見て、これは先進的だと思った自治体の担当者にアポを取り、直接現地に出向いてヒアリングしました。北海道から沖縄まで9市町村に出向きました。ちなみにその中の1つとして、政令指定都市の現状が知りたく、横浜市にもヒアリングを行いました。地域の選定でこだわったポイントは、「地域の魅力がWebサイトに表現されているのか」、「見て欲しいユーザーに伝えたい情報が正しく届くのか」に重きを置きました。

山形県朝日町のWebページは、2014年の4月に大幅なリニューアルを行ったのですが、そのレイアウトは、この調査結果と私の考察を参考に改良していただきました。結果的にWebサイト内における観光分野(リンク先の観光協会Webページ)へのアクセス数が増加しているそうです。これらの成果が要因したかはわかりませんが、その頃から、朝日町は地域おこし協力隊制度などを活用し、若手移住者が増え、活躍しています。

修士論文は、朝日町での調査活動を軸に執筆することとし、古川一郎先生の元で執筆しました。古川先生は、最近まで、日本マーケティング学会の会長を務められ、「地域活性化のマーケッティング」などの著作もある先生です。修士論文のテーマは、「自治体Webと地域づくりの関連研究 -自治体Webリニューアル作業を通した考察-」です。古川先生の後押しがあり、院生の頃から、日本マーケティング学会のマーケティングカンファレンスで毎年、ポスター発表で活動成果を報告しています。会長を務められ、お忙しいにも関わらず、毎年欠かさずに発表を確認していただいて、声をかけていただいています。

朝日町のりんご畑を満喫している写真

茨城県筑西市に拠点があるそうですね

社会人1年目の2014年から茨城県筑西市で活動を始めたため、早いもので9年目になります。私にとって社会人になってから当たり前の生活が、今、話題になっている多拠点生活・ワーケーション・テレワークの生活だと思います。当時は、このような働き方は、今のように国の制度も整っておらず、周囲の方になかなか理解されませんでした。そのため、新型コロナウイルスの影響はかなり大きかったと思います。このような生活を始めて、自ら地域の方々と関係を築き、コミュニティを作って来たので、この経験は、これから実践したい人や企業さんのお役に立てると思います。関心がある方は、お声がけください(笑)

大学院修了後は、株式会社エピテックを創業し、地域振興に関わる活動を行って来ました。世間知らずの若造が、若さの勢いで起業したこともあり、簡単に仕事がいただけるわけありません。今振り返ると、無謀というか甘かったと思いますし、今は別々の道に進んでいる創業メンバーには、感謝と同時に申し訳ない気持ちもあります。ここまで続けて来られた要因の1つは、創業時に描いたことに少しでも近づけ、会社が何かしらの成果を残し、起業して良かったと思ってもらいたいという気持ちが強かったからだと思います。周囲になるべく迷惑をかけないようにと、大きな背伸びをせず、毎年、小さな目標を立て、できることをコツコツとクリアしていくことの繰り返しでした。私は、周囲の人に恵まれ、たくさん助けてもらって来たので、その人に役に立つことをシンプルに考えて行動して来たつもりです。

筑西市に通う中で、大学生の発案から、泥んこバレーボール大会(現・ご当地バレーボール大会)を実施することになりました。この泥んこバレーボール大会を開催するための準備期間で知り合った「いきいき野菜生産組合」という農業の魅力を広めようと活動されている小野田勘一郎さん、本多長利さん、鈴木晋作さんとのご縁が転機になりました。泥んこバレーボール大会の片付け中、小野田さんの家に空き家があるという話を伺い、厚かましく「筑西で活動する際に雨風をしのがせてください」とお願いをしました。すると、「こっちも片づけっぺ」という返事をいただき、泥んこバレーの会場の片付けに続き、空き家の片づけを行い、そのまま使わせていただくことになりました。この空き家は、小野田さんも仕事場として活用され、シェアオフィス兼シェアハウス状態です。これまで大学生や移住して来た若者とも共に生活をして来ました。この拠点は、いつの間にか小野田ハウスという名で親われ始めました。大学生や若手社会人が頻繁に遊びに来て、1日に最大40名近くが泊まる日もありました。私と小野田さんでこれまでにのべ総勢2500名以上は受け入れを行って来たのではないでしょうか?忘れてはいけないことは、小野田さんの元で農業を学んでいる若者が偶然、東京農業大学の後輩でした。まさかの再会は、本当に驚きました。その後輩も昨年から群馬県で独立して、「彩園なかや」という農園の主になっています。

彩園なかや
https://www.saien-nakaya.com/

地道な活動が評価され、2018年 観光庁 広域周遊観光ルート専門家、2019年総務省 地域力創造アドバイザー、2021年 農林水産省 農泊専門家派遣・課題解決型事業 農泊専門家などの専門家認定をいただけるようになりました。この認定に至るまでに後押ししてくださった方々や活動をサポートしてくださった地域の方々、周囲の方々に感謝が尽きません。

株式会社エピテックの実績にはどのようなものがありますか

株式会社エピテックは、業務として、ローカルプロジェクトの立ち上げや組織作りなどをサポートしてきました。自治体案件もあれば、民間企業と一緒に調査業務も行って来ました。
会社としての特長は、全てのプロジェクトを市民参画のまちづくりを回すためのエコシステム「地域デザイン7step」に基づいて計画していることです。この考え方は、創業時から提唱し、横浜市の調査季報176号(2015年3月発行)に掲載された「横浜ユースを通じたオープンイノベーションの可能性」で実例を発表しています。
PDFでレポートを表示

この考え方の発展系は、地域デザイン学会にて、「農村地域住民と都会の若者を地域アクターとする地域デザインの共創 -地域アク ターズプロデューサーの役割に焦点を当てて-」、藤川遼介・稲泉博己・大室健治、 『地域デザイン』(第12 号 209 頁-227 頁) (2018年10月発行)を執筆し、掲載しています。光栄なことに恩師である稲泉先生と大学の先輩である大室さんとの共著になります。

このような整理手法を確立したことや「ローカルクエスト」という地域プロジェクト立ち上げの視点やSDGsが学べるオリジナルのカードゲームを用いた思考整理法が仕事を増やすきっかけになりました。

その傍ら、地域振興活動に楽しく参加してもらうための機会づくりに力を注いで来ました。
名付けて・・ソーシャルグッドな「遊び方改革」です。
代表例は、「ご当地バレーボール大会」です。最初に茨城県筑西市で実施した泥んこバレーボール大会のモデルが全国に広がりました。夏など暖かい季節だけだと運営が大変なため、冬でも楽しめる「雪んこバレーボール大会」も計画し、ご当地バレー大会として、2019年(2020年以降はコロナ禍で中止)に悪天候でイメージ動画づくりに留まった地域含め全国7地域(岩手県二戸市・山形県朝日町・茨城県筑西市・東京都町田市・千葉県鴨川市・福井県南越前町・大分県宇佐市)に展開しました。

「ご当地バレーボール大会 2019-2020 in 茨城県」

現在は、女子大生インタビュアーが全国各地の社会的意義の高い活動をされている方々に話を伺う「Social Design Girls 17 (SDGs17)」が話題を集めてくれています。インタビュー企画は、コロナ禍でご当地バレーボール大会など集客イベントが困難になると予測し、少人数でコロナ禍でも地域の方に役立つ企画として学生と考案しました。プロジェクト名称の由来は、2015年に学生団体エピテックで活動していた女子大生達の要望に応えて命名した名前を活かしました。先輩から後輩に想いを伝承したかったことはもちろんですが、何より略してSDGs17とキャッチ―な名前だと思ったからです。現在は、当時のコンセプトから発展させて、インタビューを通して、地域の魅力を発信し、地域を元気にするきっかけを作っています。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)「リビングラボの先進事例とも呼べるベッドタウンで注目される駅郊外コミュニティ・753ビレッジ」 in 神奈川県横浜市

地域での活動成果は、地方創生詞「Broup」というYouTubeチャンネルになるべくアップしています。
地方創生詞(ちほうそうせいじ)と読むのですが、これは、筑西市にあるやまぐち薬局の薬剤師・山口浩司先生が「藤川くんはホットドックのソーセージみたいだね」と呟いてくださったことが由来です。ソーセージ単体でも美味しいのに、地域に溶け込み地域住民というパンとパンに挟まれて、手軽な料理として美味しい上に価値を高めているという意味だそうです。その後、洒落で「創生」とソーセージを掛け合わせました。「Broup」は、「Bull」と「Group」を組み合わせた造語です。グループを束ね、上昇していけるようにという意味を込めています。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)
「ニューノーマル時代のカギを握る健康サポート薬局と予防医学」 in 茨城県筑西市

動画づくりを通して得た大きな成果は、「市町村名 地方創生」や「市町村名 SDGs」とGoogle検索をし、範囲を動画に絞るとエピテックの動画が上位に出て来るという成果です。たとえば、「神奈川県横浜市 地方創生」や「茨城県筑西市 SDGs」で検索すると2022年8月時点で、1番上に公開されています。
地方創生詞「Broup」には、たくさんの動画をアップしていますので、ご覧ください。応援としてチャンネル登録や高評価、良いと思った動画はどんどんシェアしていただけると、地域の方や大学生のモチベーション向上に繋がります。ぜひお力添えをお願いします。
 地方創生詞「Broup」

相模女子大学で教えられているそうですね

学生の頃に参加した二戸市の全国エコツーリズム大会でご紹介いただいた全国エコツーリズム学生シンポジウムで発表を行った際、声をかけてくださった相模女子大学(当時・富山県立大学)の九里徳泰教授とのご縁から、2020年に新設された相模女子大学大学院社会起業研究科というソーシャルビジネスに特化したMBAコースのアドバイザリーボードに選んでいただいたことがきっかけになりました。

第4回 全国エコツーリズム学生シンポジウムでの発表の様子

翌年の2021年度から学部向けに相模女子大学 学芸学部の非常勤講師として「観光学特別講義Ⅱ」という授業を担当し、主に国内の観光や地域振興に関する授業を行っています。授業内容は、とてもハードな内容かと思います。学生たちには、「意味なく覚える必要はない、考えて必要だと思うことを覚えなさい」と伝えています。これからの時代は、いつでもスマートフォンなどで検索することができるようになります。おそらく、知識を丸暗記で覚える時代は終わりを迎えることになるでしょう。これからの時代において必要なことは、「必要な時に知識を活かす力」だと思います。キーワードさえ思い出せば、その時に調べれば良い訳です。これからの時代の教育は、クリエイティブに考え抜く力が問われる時代になると思います。「なぜなのか」を考える感性が人生を生き抜く力には必要だからと思うからです。

2022年度は、中教室位の人数の履修登録をした学生全員が、試験課題を提出してくれました。一般的な特に文系の大学講義は、単位取得を途中で諦めて、授業を切ってしまう学生が何人かいると思うのですが、全員が乗り切ってくれました。1人も離脱者が出なかったことは、教員として達成感があり、誇りに思える結果だったと思います。このような結果が残ると、少しは学生から支持されている授業が行えているのかな?と思います。せっかくやるなら大学の名物講義にしていきたいです。

横浜での活動を始められたのですね

コロナ禍で多拠点生活のウエイトが筑西市よりも横浜市に増えました。やはり、行き来する生活の中で、「もし、自分がコロナを持ち込んでしまったら」と考えてしまうと、地域付き合いに影響を出してしまうと感じたからです。
都筑区すみれが丘(最寄りはセンター北・北山田駅)に、大丸青果という老舗の八百屋さんがあります。この八百屋さんと、横浜市のみなさんに農作物を通して、産地や地域のことを身近に感じてもらう機会づくりとして「すみれマルシェ」を行っていこうと思います。

すみれマルシェ
https://daimaru808.hp.peraichi.com/

都筑タウンビジョン~都筑の老舗の青果店~

この八百屋は、高校時代の担任の先生からのご紹介です。茨城県筑西市で生活を始めた頃、柔道部のOB会で高校を訪れた際に偶然、先生にお会いしました。その際、「筑西市の現場に遊びに行って良い?」と仰っていただき、12年経っての家庭訪問をしていただきました。先生は、理科の先生のため、都心部郊外にある関東平野の広大な農村地帯に魅力を感じてくださりました。これをきっかけに、毎年、農業やバイオ分野に進学を決めた法政大学第二高等学校3年生の現場実習を受け入れることになり、法政大学の学生に実習先を紹介することも増えました。法政大学に進学しなかった自分がこのような形で交流を持つようになるとはご縁というものは不思議です。

「すみれマルシェ」では、茨城県筑西市や八千代町の地域おこし協力隊と連携して実施します。横浜市側だけではなく、茨城県側でも活動発信や仲間づくりをしていくことを大切にしていきたいからです。マルシェを開催することで、茨城県側で集めたこだわりの産品を横浜市の八百屋1か所に産品を送ることが可能になります。物流コストが上がっている現在、まとめて物が送れることはメリットが大きいです。また、生産者も個別包装を簡略化できるため、負担を減らすことができます。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)
「皇室献上品に選ばれたこだわりの椎茸から学ぶ宇宙に羽ばたく日本の農文化」in 茨城県筑西市

私の目指していることは、このマルシェを通して、農村コミュニティと都心部のコミュティを繋ぐことです。マルシェを通して、横浜市の学生コミュニティ・子育て福祉コミュニティ・仕事を引退したシニアコミュニティと地方部の農村コミュニティなどが互いの困りごとを解決し合っていく「コミュニティパートナーシップ」を築くきっかけを作っていきたいです。茨城県の連携を機にこれまで縁を作って来た他の地域との連携の輪も広げていきたいです。

Social Design Girls 17 (SDGs 17)
「都心部の 子育て・福祉分野と地方部の農村分野のコミュニティパートナーシップ」 in 神奈川県横浜市

横浜について考えることがあるとか

コロナ禍になって横浜で過ごす日々が増えた中、定年を迎えた父が、時間をどう使って良いか迷っているようでした。そこで、気がついたのです。この悩みは、家の父親だけでないと。横浜市は、東京のベッドタウンであるため、都心で働くために全国各地から人が集まり、家を買い、家庭を築いている方々が多い地域です。現在は、65歳以上の方が100万人程度いらっしゃるそうで、65歳以上で政令指定都市を作れる規模になっています。すなわち、横浜市は、それだけ日本の経済を支えてきた経験と知識が豊富だということです。これは、貴重な人的資源なのではないでしょうか。

私は、この方たちが、地方部に貢献する仕組みづくりができないかと考えています。ふるさとに貢献したいけど、どうして良いのかわからないという方々の気持ちに寄り添えないか?と考えました。このような方は、たくさんいらっしゃると思います。現在、総務省など国は、地域との関係人口創出を目標に掲げています。ふるさと納税などがわかりやすい例です。

横浜市の経験豊富な65歳以上の若手シニア、すなわち「ヤングシニア」の力は、地方部とっては即戦力だと思います。しかしながら、主役は、地方部で想いを持って頑張っている人が担わなければ意味がありません。ヨソ者のヤングシニアは、あくまで知識や経験の伝承、人のネットワーク、資金調達などをサポートし、ブーストをかけるサポーターです。
私から見た横浜市の印象は、都心部と地方部を繋ぐまち、すなわち、「これまでの時代」と今流行りの言葉を借りると「新時代」を繋ぐ架け橋になる地域だと思います。社会のトレンドを生み出す東京都の隣で、時代の流れを読み解く多世代が活躍する地域が横浜市の立ち位置だと思っています。今こそ横浜が先頭になって、地方と繋がって地方創生のお役に立てる「時」ではないでしょうか。何て言っても、日本最大規模の「地方・田舎」なのですから、先頭を切ろうじゃありませんか。

私が手掛ける横浜市でのプロジェクトのキャッチコピーは、 「開港」であり「開講」のまち です。
開港のまちであり、世界に開けた横浜の歴史を活かし、日本全国・世界に知識や経験を開いていく開講のまちとして発展して欲しいと願っています。
多くの人が、自らの経験を社会に返すために、必要な人に想い・経験・知識を伝承する講座を開講してもらいたい。横浜市を訪れれば、多くのヒントが得られるかもしれない。そんな地域振興のゲートウェイになって欲しい。まさに「開港」であり「開講」のまちです。

国際情勢が荒れている中、自国でエネルギーや食料を調達することの重要性が問われていると思います。これからの時代は、「農業」を中心とする「エネルギー」や「ものづくり」に注目が集まって来ると思います。魅力度ランキング最下位と言われ続けて来た茨城県が輝き始める日が来ると私は信じています。

日本が世界に誇る偉大な漫画の世界だけではなく、現実の世界でも「新時代」は、すぐそこに来ていると思います。日本の「開国」改め「快国」に向けて力を合わせる時なのではないでしょうか。

私にとっての横浜は、
「『開港』であり『開講』のまち」です

 

<取材を終えて>

インタビュー後、藤川さんは私の友人の息子さんと高校の同期だということが分かりました。30代の若者が、横浜のこと、日本の行方を真剣に考え、提言してくれている姿に感銘を受けました。横浜を「開講」のまちにしたい・・という言葉は素晴らしいですね。今後の活躍に期待しています。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

8月 10 22

本当に無農薬なの? 魚住農園訪問記

by staff

 

茨城県石岡市に住んでいる大学時代の友人に勧められて数年前から、石岡市の魚住農園の野菜と卵を月2回定期購入しています。

完全無農薬ということで、野菜の形が不ぞろいなのはもちろんですが当方の希望とは関係なく、その時期に収穫できたものが送られてきます。

送られてきた箱に入っている納品書には単価と数量だけが書かれていて受取人が集計して送金するという、性善説で取引が行われています。

どんな野菜が送られてくるのか、箱を開けるのが楽しみなのですが開けた途端、野菜のみずみずしい草っぽい匂いに包まれます。

大根や人参や蕪などは葉付きでくるので、まず葉っぱから調理します。
どの野菜も昔の濃い味がするので、素材を生かしてほとんど生で食べますね。
2人家族なのに箱一杯の野菜をすぐ平らげてしまいます。
料理好きな私は、野菜が届く日が待ち遠しいです。

この野菜たちがどのような所で栽培されているのか見に行きたいね・・と7月のある日、魚住農園を訪問してきました。

日本有機農業研究会の理事長である魚住道郎氏は、なんと・・我が家の近くにある聖光学園のご出身で、横浜の海坊主こと坪倉良和氏の1年先輩にあたる方でした。

横浜の話から始まって、東京農業大学の同級生だった奥様と一緒に50年前に現在のところに移住して、様々な工夫をしながら無農薬野菜の栽培をされていることなどお話いただきました。

魚住ご夫妻

びっくりしたことがたくさんあったのですが、その一つが堆肥です。
魚住農園には500羽を超える鶏がいますが、鶏さんたちは卵を産むだけではなく、堆肥を作る役割も担っています。

養鶏小屋を拝見したのですが、すべて放し飼いになっています。
小屋の下には、わらともみ殻が敷かれていて、それらと鶏さんの排泄物が混じったものを堆肥にしているそうです。

鳥が大の苦手の私は、最初は直視できなかったのですが、小屋は全然臭くなくて、鶏さんたちもおとなしかったので写真を撮ることができました。
これがその一枚です。

鶏の小屋

魚住さんは農作業に使う道具もご自分で作られていて、農作業の効率化を常に考えられていました。大根洗い機までご自分で作られているのはびっくりでございました。

魚住さんと道具

魚住ご夫妻と長男ご夫妻の4人で、3ヘクタールにわたる畑から収穫した野菜と卵を何十個も箱詰めして毎日出荷しているので、大変な重労働だと思われます。

話し込んでいる間にも、奥様からは出荷作業があるから・・と言われたにも関わらず、魚住さんは私たちを畑に連れて行ってくださいました。

広大な畑にはトマト・なす・きゅうり・ネギなど様々な野菜が栽培されていました。
そしてにびっくりしたことは。。。畑に草が1本も生えていないのです。
我が家の家庭菜園でも1週間放っておけば草ボウボウとなるのに。
きれいに耕されている畑を拝見してどれだけ丁寧に心を込めてお仕事をされているのかと涙が出てくる想いでした。



ネギ畑



さといも畑



きゅうり畑

魚住農園には、野菜を送ってもらっている方々が自発的に手伝いにくるそうです。魚住さんはそれを「縁農」と呼ばれていました。素敵な言葉ですね。

人を雇って農園を大きくしていくのではなく、家族経営でここまでできるという姿を見せないと、次の世代のモデルにならないでしょう・・と魚住さんは仰っていました。
そして、石岡市では毎年、有機農業を志す若者が就農しているそうです。

「あまり宣伝しないでね・・お客さんがこれ以上増えると大変だから。」と仰る魚住さんでしたが、感動が大きすぎで「ともの現場」に書かせていただきました。ごめんなさい!!

 

 

 

8月 10 22

2022年8月 三ツ池だより 「ゆっくり行こう」

by staff
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ふと何か急いでいるのではないかとの思い。ゆっくり行こうよ。時には、そして今。今をどのようにしていくのか。今を楽しむ本を読み、今に感謝することなのか。今日が明日になるように、明日が今日になっていく。そして毎日が感謝になる。今日にありがとう。そして今書いている。

 「見つけたい」 けんじ
何をみつけたい?
希望を!
夢を!
  それでどうする
  安心したい
  ゆっくりしたい
どうしたんだろう
限られた人生のなかで
もう少し夢を希望を
  そう
  これでいいんだが
  これでいいんだよ
でも
もう少し
夢が描けたらなぁ

生きがいと仕事を考える。その場合の仕事は何を指すのだろう。自分にとって「はかり」をどうとらえるか。はかりをどのように仕事としていくのか。はかりの構造を知る。はかりの役割を知る。はかることの重要性を考える。はかることの認知度を高めていく。

 「あれはどうした」 けんじ
あれってどのこと
50年経営してきて
何もできてない想いもする
  お客様を増やすことはしてきた
  仕事の帰り隣の会社の門を叩いた
  体を壊し、3ケ月の休業もしてきた
お客様の代弁で役所へ質問もしてきた
業界の近代化もしてきた
誠の追及もしてきた
  そしてどうなったか
  だから今がある
  どの工場も我々を使ってくれた
これでよかったのだけど
どうも少し話が 足りない
それは何だったのだろう

 「マスターの教え」 けんじ
人は何で成長するのか
外からの反発の力を受けて
自分を強くしていくのか
  自分で自分を強くしていけないのか
  そうではない
  自分の目的をしっかり持つことだ
人は他人の力で成長するのではない
己は己のきずきを力にしていく
自分は自分がたよりである
  大きな目的を持って
   自分を成長させるというような
  己は己になるのである

それが役に立っていたらいい。それって何だろう。どういう時に役に立つのか。役に立とうと思って、自分を磨いている。その為に学校へ行き知識も得た。日々努力もしてきた。それが準備であった。予測できない所で使っている。役に立つとはなかなか難しい。

 「私はここにいます」 けんじ
今という時
ここにいるという時
  ペンが動き出す
  意識が動き出す
今ここにいるという
あたりまえのことが
  何か新鮮で
  何か変だ
それは感謝であり
それは当たり前のこと
  その当たり前が
  大事なこと
今は続かない
いや!今は今!
  私は今ここにいる
  ペンを走らせている

涙腺を大事にしたい。なぜって、何って。気づかないとなんともない。気づかされるとそれは大変なこと。補聴器をはづして机にそのまま置いたら、私はきづかなかったがピーピー鳴っていると家内に言われる。そうか気づかなかったことで迷惑をかけていた。悲しい。私としたことが・・・。大きな気づきの行動をしっかりしていかなければと思った。

 「無理をしない」 けんじ
無理をしないというより
無理が出来ない
体がうごかない
  もう78歳ですよと
  家のものに言われると
  少しむっとする
しかたがないこと
今までよくやれてきた
今までやってきたのだ
  これからを大切にしなければ
  動きたくなくても動く
  友人に声をかける
詩をつづける
日々を詩にしていく
そして動くことをする

ゆっくりできた日があった。買い物をして午後自宅にいたら、月が薄く満月がでてきた。15分くらいで左から右へ、そして窓の上限を超えて見えない所に行った。そこへさっと太陽の陽射しが。昼間に月が出て、何かいいことがありそうだ。そんな気分にしてくれた。月も微笑んでくれ、そっと登って行った。

 「人は支え合うもの」 けんじ
支え方もいろいろある
仕事はじめに
お互いの気づきを持ち寄る
  仕事をはじめて
  ポイントを一つ一つ点検し
  確認していく
その結果を検証チェックしていく
その結果は何を示すのか
確認校正していく
  ここはどのように評価しようか
  その結果はそれでいいのか
  これから先を予測し考察していく
今日の出来事をただ今日のこととするのではなく
明日へつながる視点を入れて
今一度今日の仕事を見つめて行く

今日にやれることをやっておこう。明日に希望を持っていこう。だれにとっても今日という日は今日しかない。できることに限りはあるが、今日一日を大事にしよう。だから、素晴らしい明日へと言える。こうして1日1詩を書くのも限られた日々を大事にすること。だから素晴らしい明日と言える。明日に希望をもって行こう。今日にやれることはやっておこう。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

8月 10 22

チョークアートとわたし #08 マイブーム

by staff

マイブーム

チョークアート展に出展した作品のエピソードをお話する回が続いていますが、どうかもう少しおつきあいくださいませ。

2018年に横浜赤レンガ倉庫で開催されたチョークアート展のテーマは「マイブーム」でした。私は我が家の息子のトイプードル(こうへい)と、ブリキの鉢に植えた多肉植物を描きました。

(大きさはB2サイズです)

こちらの作品はB2サイズです。だいたい縦72㎝×横51㎝の大きさになります。
通常、チョークアートは指で色を混ぜグラデーションを作る事が得意なアートですので、毛の質感を表現するのは難しいのですが、こうへいの毛は一本一本丁寧に描いてみました。
それまで私は、なかなかこうへいを描けないでいました。なぜなら実物が可愛いすぎてそれをチョークアートで描ききれるか自信がなかったからです。(笑)
そこで、この時に描くことを決めました。なによりマイブームでもありますし。そうと決まったら、まずは描くこうへいの写真を決めなければなりません。沢山ある写真の中から、少し上を向いて私をまっすぐに見つめている写真を選びました。

写真を見ながら、まずは毛を一本一本描いていきます。この作業は途中から何が何だかよく分からなくなってしまい飽きましたが、しかし動物は目を描くと途端に命が吹き込まれ生き生きとした表情になってくれます。もちろん毛並みも大事ですが、目と鼻をどう描くかで決まるとさえ思っています。(注:感じ方は人それぞれです。)
実はこの航平の鼻ですが、実物と若干違っている気がして満足はしていません…。

もう一つ描いたのは多肉植物です。
当時、私はプクっとした感じが可愛いらしい多肉植物に興味がありました。ちょうどその頃、パシフィコ横浜で開催された横浜植木株式会社主催の展示会に行く機会があり伺うと、広い会場に様々な園芸に関する物が展示されており、講演やワークショップもやっていて一日いても飽きないくらいの内容でした。私はそこで、車の形をした青い色と錆びた部分が絶妙なブリキ鉢と、それに寄せ植えするための多肉ちゃん3~4種類を購入しました。多肉ちゃんたちのメンバーは変わりましたが、今でもベランダに飾ってあります。

通常、チョークアートは黒いボードに描きますが、この作品は赤いボードに描いています。その赤を活用するため、左右の両端と上からつり下げているローマ字が書かれているカードの赤色はボードの色をそのまま残しました。

翌2019年、舞鶴市で開催されたチョークアート展でもこの作品を展示させていただいたのですが、その時の様子が京都新聞に載ったそうで、こうへいを描いた絵を掲載していただけた事がとても嬉しかったのを覚えています!

京都新聞の記事

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

8月 10 22

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第3回) タブレットを渡され子どもたちが抱える課題
  ~より丁寧な「検索教育」を

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第3回 タブレットを渡され子どもたちが抱える課題
 ~より丁寧な「検索教育」を

 令和4年5月1日、こども発達支援教室「ココ塾」蒲田校がオープンしました!
 先生たちは、作業療法士、公認心理師などの専門職や、教員経験者(特別支援学校・通常級・通級)など、様々な経歴を持つ方々が集まってくださいました。医療・福祉・教育の出身者が、絶妙なバランス構成です。これまで活躍してきた分野は異なるものの、「お子さま一人ひとりに合った学びを提供したい!」という共通の想いのもと、毎日あーでもない、こーでもないと工夫を凝らしながら、療育プログラムを提供しています。

 子どもたちは夏休みに突入し、それぞれに楽しみなイベントが待ち受けるなか、当然ですが夏休みの宿題に頭を悩ませています。これ一冊やればOK!というワークブックなら、1日ですぐに仕上げられる能力を持った子どもたちも、「読書感想文」や「調べ学習」になると、とたんにフリーズ。「本を読んでも特に書くことが見つからない」「どうやって調べたらいいかわからない」と、ついにイライラが始まってしまうのです。

 今では一人一台貸与されているタブレットも、新型コロナウイルスの感染拡大のドタバタの中で導入されたこともあり、その使い方は学校に任されてしまっているのが実情です。大田区内の公立小中学校も、朝の会から帰りの会まですべての授業・活動にオンラインで対応してくれるところもあれば(ごく一部)、とある学校ではオンライン授業をするかどうかはクラス担任・教科担任に任せられていて、自宅待機になってしまったお子さまが「今日は一つも授業が受けられなかった!」と怒り出してしまうなど、対応も様々です。個々の先生の方針一つで、どんな形であっても学習に取り組めるお子さまと、そうではないお子さまがいることの不公正さに、私たちはもっと声を上げてもいいような気がしています。

 さて、この「タブレット」を用いた学習ですが、実は発達特性のあるお子さまにとっては、とても難しい場面があります。それは「検索」。何かを検索するときに、どんなキーワードを入れたらいいか延々に思いつかないお子さまが、たくさんいらっしゃるのです。しかも、学校貸与のタブレットは(当然のことではありますが)強めのアクセス制限がかかっているため、学習利用の場面でさえ、見たいと思ったページが開けないことも少なくありません。そのうちにお子さまも、「もう、やーめた!」と投げ出してしまい、結局「タブレット=使えない」になってしまうのです。

 タブレットで学習するときに、どんな言葉で検索をかければよいのか、イメージできないお子さまはたくさんいらっしゃいます。テーマが曖昧であるほど、それは起こりやすいものです。一部では「検索教育」が必要であるとの主張が出ているようですが、私も大いに賛成です。何かを調べるときに、どんな言葉で検索すればよいのか、どんな言葉をセレクトすれば調べたいことの結果が出てくるのか、大多数のお子さまは誰にも教わることもなく経験の中で身につけていくことができますが、そこに特別な支援を必要とするお子さまも、少なからずいらっしゃるのです。なんとなくみんなが分かっていることが、自分だけ分からないというのは、とてもつらいことだと思いませんか?

 この困難に寄り添う支援が必要であると、ひしひしと感じている夏休み。お子さまが抱える課題は、社会の課題であり、それを解決することが私たちの使命です。残りの夏休みも、お子さまたちと一緒に、全力で駆け抜けたいと思います!

(第3回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

8月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第113回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第113回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“Fail Harder” という言葉をシリコンバレーで何度か聞いたことがあります。“思い切りやってハデに失敗してみろ” という意味とか。ただ “Think Different” であることが前提。他にない視点があって初めて価値を生むというもの。夢が破れても人生、夢が破れた後も人生。人間は遺伝子を更新させながらここまで到達。今までの人間観を破壊させる絶好機。遺伝子を更に進化させる手として、AI・ロボットと共に進んでいくという選択。AI・ロボットとの関係性も多種多様で複雑なものへ。社会には改革・革新が求められていますが、人間自身にも改革・革新が必要な段階に。人間という存在への革命。最適化にこだわらず多様性を重視。それが人間の思慮・判断力を深めることに繋がるかも。詩人の本能・直観と科学者の理性・論理。“価値を売る”ことに徹することが生き残る道。どの世界も人材第一、戦略二の次。自分自身を説得できるかどうかが最優先。“南極:風土の厳しさは人間をもう一度素直にさせてくれる” と建築家・吉阪隆正。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

組織は今どこにいるのか 五十年後はどこにいるのか
想像を巡らせないと危険 確実だけでは先は見えない
夜の生物 視野から星が消えると 敵の襲来に気づく
キノコ 菌糸が冬の到来を予感 子孫のため傘を開く

組織の二十年後、五十年後はどんな姿になっているのか。組織の変革が叫ばれていますが、何かを変える場合には何を変えて何を変えないか、特に “変えないもの” を特定することが肝心。確実なものだけでは先を透視できず、想像力を加味しないとかえって危険。特に、自分たちの力量の範囲内で課題を解決できると信じる罠も。キノコの菌糸は冬を予感して子孫のため傘を開くとか。時間とともに老熟。“自然界:変革の原動力を多様性に求める。それが種の生存に繋がるから” とヴァイオリニスト・ハイフェッツ。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

グーグルの真実 ユーザーに焦点を絞ること 他のものは後からついてくる
一つのことをとことん極めてうまくやるのが一番 外部には常に情報がある
情報のニーズは全ての国境を越える スーツはなくとも本物の仕事はできる
素晴らしいではダメ ウェブでも民主主義は機能する それでお金は稼げる

グーグルは事業展開や仕事ぶりからして、高学歴集団とのイメージがありますが、大学を卒業していないメンバーも15%前後いるとか。世間のレッテルには一切固執せず、あくまでも事業の方向に合わせた人材を独自に評価・採用するから。ビジネスの枠を超えたミッションを設定し、顧客に焦点を絞って観察を執拗に繰り返すこと。解決策をゼロから創ることに固執せず、スーツを捨てて本物の仕事をする文化風土。“時間をいかに凌ぐかしか考えないから身につかない” とラグビーコーチのエディー・ジョーンズ。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

ナレッジマネジメントとメンタリングをうまく関連付ける
積極的に受け入れようとする意志がなければ成功は難しい
成長と変革の機会 多様情報・知識アクセスの手段や源泉
異分野の深い経験・ノウハウから学ぶ 自己への深い認識

イノベーションは広大な網の目。魚が網にかかるのは網目の一つに過ぎないけど、網目一つだけの網では魚は捕えられない道理。メンタリングの役割はここに存在価値。対象をフォーカスしても他との関係を断ち切らないこと。マニュアルで処理できる仕事も多いけど残りは簡単に予測できないもの。多くは必然で残りは偶然。パフォーマンス評価では、目標達成だけでなく制約や目標変更の軌道修正策も包含。“修行にすぐ結果を求めない。修行することで次のステップが生れる” とコメディアン・萩本欽一。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第113回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

8月 10 22

チャレンジ(第48回) 地域の繋がりを大切に

by staff

地域の繋がりを大切に

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。殺人的な暑さに加え、コロナウィルスも猛威を振るい、どう過ごして良いか分からない8月となっていますね。残念ながら企画していた夏休みの自由研究ワークショップもコロナウィルス感染ン拡大防止の為、中止となってしまいました。事前にたくさんの予約をいただいていたのですが、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

コロナが落ち着いたらリベンジ企画で、また開催しようかと考えていますので、その際はまたお知らせさせてください。

 幸せにゃんこプロジェクト横浜版

たくさんの活動をしていると、びっくりするような困難が降りかかってきますが、このコラムの題名にあるようにチャレンジすることは忘れていません。そしてこの状況下でも楽しいを作っていこうと思っています。

ただ、最近で一番ダメージが大きかったのが、愛猫あんこが尿管閉鎖という病気で入院してしまったことでした(涙)初めて猫を飼うので体調の変化などよく分からなくて、前日から様子がおかしかったのですが、どうしてよいか分からず・・・朝、倒れてしまって(猫が倒れるってほんとびっくり!)急いで病院に連れていきました。まだ1歳なのに死んでしまうかと一人泣いて泣いて「あんちゃんが死んじゃったらもう猫飼わない」などと、家族を困らせていましたが、治療のかいあって元気に生還いたしました(笑)本当に良かった!

こんな感じで、あんこが来てから猫派に豹変した私ですが(笑)幸せにゃんこプロジェクト(http://mika-nekonobi.com/happynyankoproject2019/)にも力が入っており、この度、横浜でも販売することが決まりました。同じ西区内にあるAIAICAFEさんのレンタルボックスをお借りして猫グッズを中心に販売させて頂きます。ねこのび屋さん(http://mika-nekonobi.com/)の商品も販売予定です。

実際に手に取ってみてもらえる機会があることはとても有難いことです。特に自分が住んでいる地域で活動したいと常々考えているので、AIAICAFEさんと繫がることができてとてもラッキーでした。小さいスペースですが、色々と工夫して商品を展示したいと思っています。

こちらのパスタ、8月9月限定の冷製ペスカトーレパスタ(シーフードとトマト)
サラダ付き850円 プラス100円でコーヒーセットにできます!
パスタもちもちで、さっぱりトマトソースがとても美味しいです!

AIAICAFE

HP  https://www.aiaicafe.yokohama/
住所  横浜市西区戸部本町36番8号
TEL  045-594-8453
E-mail  info@aiaicafe.yokohama
定休日  水曜日
営業時間  8:30~17:00
交通  京浜急行本線 戸部駅 徒歩4分
 市営ブルーライン 高島町駅 徒歩4分

(第48回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

8月 10 22

記憶の中から (第三話)山本周五郎の思い出

by staff

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第三話  山本周五郎の思い出

家の小さな離れ家が山本さんの書斎になりました。この離れは今でも少し傾いていますが奇跡的に建っています。昭和五年ごろ建てられたものと聞きました。戦後の物の無かった苦しい時代を隣同士の両家は助け合って暮らしていましたし、幸いに食べ物は本牧の海岸がすぐ近くで、アサリやノリ、魚には不自由しませんでした。ご飯、みそ汁、つくだ煮 全部アサリ。家がその香りに包まれました。周五郎さん(私はおじちゃんと呼んでいました)は植物に詳しく、何でも牧野富太郎博士に教わったとかで、父と八聖殿付近の山に入り食べられる草を採ってきては茹でたり、てんぷらにしたり。 おじちゃんに雑草というと「草には何でも名前がある」と叱られます。ハコベ、タンポポ、アカザ、タラの芽など色々工夫して食べました。フキなどは上等なもので苦いツワブキさえも佃煮に。タンポポのほろ苦さは今でも舌に残っている味です。

最初の書斎

おじちゃんは枯れかけた草にたばこの火をつけて、「匂いを嗅いでみなさい。何の匂いがする?」 「トウモロコシ!」 「じゃ、食べたつもりになりなさい」口癖の一つで今でも忘れないのが「外から帰ったら手を洗ってうがいをしなさい」。昨今の事情に繋がりますね。

おじちゃんが離れで仕事をするとき子供たちは意識して庭では静かに遊んでいました。同じような年頃で騒ぎたい盛りです。でも「うるさーい」と離れから大声が飛ぶと首をすくめて、「はーい。じゃ海に行ってくるわ」 「アサリ取ってきなさい。ヒトデも肥料になるから拾ってくること。ナマコも忘れるな! 酢の物にするんだから」大声で言いつけられて私たちは一年中海に行ってました。





八聖殿の山を望む海岸での潮干狩り
(c) 武繁春

海のものと野草ばかりでは、食生活はなり立ちません。両家の父は家に持っていた浮世絵・版画などを、戦後すぐ本牧に駐在していたアメリカの兵隊を呼び止めては食料と交換していました。貴重な物もあったと思います。浮世絵や親しかった棟方志功の版画もあったと母から聞いたことがありました。背に腹は代えられません。覚えているのは「レイション」という米兵が携帯する弁当のようなもので、コンビーフ、チョコレートやビスケットなどが入っていました。一度中に入っている歯磨きのチューブをなんだろうと思ったら美味しくて山本家の次男徹ちゃんと二人押し入れに隠れてなめていた覚えがあります。

母たちは切羽詰まると質屋通いもしました。私も一緒に行ったことがあるので質屋の入り口の雰囲気は何となくわかります。着物の端切れを見てはため息をついていた母。きっと受けだせないで流れてしまったのでしょう。

周五郎が随筆で「空っぽの箪笥」を書いています。偶然に奥さんの箪笥を開けたら嫁入りした時たくさん入っていたはずの着物が1枚しかない。その驚きを「体を唐竹割りにされたような気がした」と切々と綴っています。その並木質店の白い蔵は海岸から二筋入った所に今もあります。さすがに営業はしていませんが何となく甘酸っぱい懐かしい処です。

 

(第三話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

8月 10 22

風景で読み解く横濱 (第四話)手彩色絵葉書の風景

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第四話 手彩色絵葉書の風景

 

 手彩色

戦前絵葉書の風景を通して横浜の風景を紹介してきました。今回は絵葉書そのものに関して少しご紹介したいと思います。これまで紹介してきた絵葉書は手彩色です。大正初期まで、絵葉書の多くが手彩色でした。
手彩色絵葉書の工房は、マニュファクチュア(工場制手工業)生産で、彩色は女性の職工が分担し、モノクロ印刷の原版を流れ作業によって着色していました。
特に横浜では国際港であったこともあり、この手彩色絵葉書が多く制作されたようです。
日本では江戸期からカラー印刷、版画による繊細な多色刷り技法が伝わっていたので、絵葉書も背景色に版木が使われ空や遠景のグラデーションは刷りを使いましたが、細かい彩色は人手をかけて塗られました。
中には結構テキトウな着色もありますが、…。

手彩色絵葉書は日本が近代化を進める中で誕生した明治期の傑作です。年間数億枚流通した時期もありました。この絵葉書は万国郵便制度の中の葉書(はがき)が進化したもので、1868年(明治元年)にオーストリアで発行されて以来、あっという間に世界各地に広がった規格です。1874年(明治7年)万国郵便条約によって「万国郵便連合」が設立され日本は1877年(明治10年)に加盟しましたので欧米との時間差は殆どなく葉書を使い始めました。

葉書というフォーマットは不思議な規則の産物で、現在も殆ど変わらず国際標準のもとで運用されています。
言われてみるとなるほど!葉書の不思議紹介しましょう。
面にも決まりがあり宛名面が<表>です。
絵柄やメッセージを書く面が<裏面>になります。
気にするほどのことではありませんが、規則に明記されています。なぜなら、郵便配達の基本は私信を勝手に読んではいけないのですが、配達のために<表は読んで>も良いことになっているからです。

元々<裏面>は文を書くことが目的でした。
この裏面を絵柄にすることで、送る楽しみ、文を書かなくても情報量が一気に増え市民の手軽な情報ツールとなりました。現在減少傾向にある「年賀状」も、この絵葉書の歴史と共に歩んできました。年末一定期間に投函して正月に一斉に配達するようになったのは年末利用者が急増したために苦肉の策で誕生した制度です。

詳細はこの辺にして、大正期まで多量に発行された手彩色絵葉書の中から横浜風景を幾つか紹介します。

海岸通りの風景です。震災前、山下公園が造成される前です。
海岸通りの絵葉書は数多く人気スポット、まさに絵になる風景だったので、構図にも多数使われています。
改めてこの絵葉書、人物がポーズをとっているように見えませんか?
二枚は水平線の色合いが全く異なります。原版から二種類つくるつもりだったのか、工房の色指定が異なったのか判りません。同じ写真を異なる工房が原版として使っているケースもあります。

次に、手彩色とは直接関係ありませんが、時折発見することができる逆版刷りです。
<資料>として使用する際には先ず確認しなければならない項目の一つです。文字でも写り込んでいない限り、逆版を見抜くのは中々難しいことです。
特に左右対称の建物ともなると、これが逆版だとは製作者も気づかないまま発行したのではないでしょうか。

最後に
横浜の手彩色絵葉書風景としては珍しい方に入る”冬景色”とかなり力の入った一枚を紹介しましょう





アクセントに赤を入れたのか、南天の木のように赤みがあったのか定かではありませんが、明らかに赤色をちょい塗りしているのが判ります。
たしかにこの赤で 冬景色が際立ちますね。
工房には絵心も必要だったようです。
最後の一枚は、明治41年米国(白船)艦隊歓迎一色の伊勢佐木通りです。

※ここに紹介した絵葉書は個人蔵のものです。
転用等はご遠慮ください。

 

(第四回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

8月 10 22

第111回 まちに開く家

by staff

tentline(テントライン)
水口裕之

まちに開く家

近所で自宅を設計させて頂いた建て主さんより自宅で書道教室を開くことになりましたとの連絡を頂きました。設計当初から奥様より「いつか自宅で書道教室を開けたら」というご要望があり、それに答える形で1階の玄関の横に縁側付きの和室を夫婦の寝室と設けていたのですが、その部屋が予想よりずっと早く念願の書道教室としても昼間は利用されるかたちとなりました。

今までに設計した事例を振り返ってみても他にも自宅にステンドグラス教室のためのアトリエを設けた家や、コーヒー焙煎所を1階に設けた家、入居後にダイニングの空間を使って編み物教室を始められた奥様、母から受け継いだ茶道教室のある家、人通りの多い道路に面する広い土間空間を入居後にアパレル物販に利用されている家など、家をただ住むだけではなく一部を外に対して開放して色々な活動に使用されている例が多くあります。家の中にそのようなオープンな空間があることによって地域の人たちとのコミュニケーションつくりにも大きく役立っているようです。

また他のケースとして、横浜の駅近くで外国人向け賃貸住宅として設計した家は住宅として住むだけではもったいない、店舗として良さそうな好立地だったので、特に建て主の要望はなかったのですが、将来的にカフェやギャラリーなどに転用できるような街に対して開かれ、かつプライベートな空間を仕切りやすい間取りを採用しました。このようにしておけば店舗併用住宅として住まうことも、1階のみテナントとして貸すことにも対応しやすくなります。今のところ当初の予定通り賃貸住宅として順調に賃料を稼いでくれているようですが、別の使い途を想定してあることで例えば今のような予想しえなかったパンデミックの状況にも今後対応しやすいでしょう。

ちなみに私自身が住む葉山の自宅兼アトリエも3階建ての1階は完全に外部に対してオープンな土間スペースとしてあって、定期的にギャラリーやワークショップとしてまちに「家を開く」ということを実践しています。この家がいつか古民家となって誰かが受け継いだとしても、アトリエなのか、カフェなのかわかりませんがこのままこの家を大切に使ってくれるような願いで設計しています。

建物の物理的な寿命は建材や工法の進歩によって昔と比べれば格段に伸びていると思いますが、時代の変化に耐えて実用的に家を建物として生き永らえさせるための一つの方法としてほんの少し家をまちに開いてみるということも考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

8月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #22

by staff

アセンションに向けて 新しい軌道にのる

7月の26日から8月12日まで ライオンズゲートが開いています。

ライオンズゲートとはシリウスと地球がオリオンベルト上に並んで 約18日間留まる時期の事で、その間、太陽が獅子座の位置にある為にライオンズゲートと言われます。この時期は宇宙の中心から地上にエネルギーが降り注ぎ、色んな成長を促します。毎年スピリチュアルな人たちの間ではこの時期に自分の人生の軌道修正をしたり、反省や内省の時期でもあります。心を開いて新たな生き方を始める為のサポートを受け取りましょう。まだゲートが開いているので興味のある方は 是非 心を宇宙に合わせてみて下さい。

安倍元首相が暗殺されて、一挙に日本の政治世界が、揺れ始めています。

私はテレビメディアを一切見ていないので世の中の情報をテレビから得ている一般家庭の人々がどのくらいの認識で今の日本や諸外国の情報を的確に把握しているのか、わかりませんが、今世界は戦争中だと思っています。ウクライナとロシア等実際に生身で命を取り合うような戦いは一部ですが、世界は情報戦争の真っただ中、日本もその坩堝に巻きこまれて、いったい何を信じたらよいのか、これから日本経済は、自民党はどうなるのか? まったく先が見えない状態だと思います。新しい社会に移行するために、本格的にギアチェンジのギアが入りました。今後4年間くらいは何が起きるのかわかりませんが、もう待ったなし! 元には戻れないのだと覚悟しています。ある意味とても希望の持てる側面を感じます。

私自身がある種の虚構に気が付いたのは2000年ニューヨークで起きた9月11日のニュースをマウイ島で見ていた時でした。当時のブッシュ大統領のインタビューを見ていて、何か違和感を感じたのがきっかけです。当時はもちろん誰にも言えません。ただ自分の内側に湧いた、「この人は知っている」という感覚。ブッシュ大統領が惨事のニュースを初めて聞いた! とインタビューに答えていた表情を見ながら、唐突に湧いてきた私なりの確信でした。

その頃の日本は小泉首相が 郵政民営化を進めていました。そして歴代の首相がのらりくらりとアメリカの要請を馬鹿っぽくはぐらかしてうまく避けていた自衛隊の海外派遣を彼が、ええ格好しいで、外に出してしまった。長年 日本がアメリカの言いなりになっても、これだけは踏ん張るぞ! と頑張っていた、その最後の砦となっていた。憲法9条をなし崩しにする機会をグローバリストに与えてしまった事がきっかけで、日米合同会議も露骨に要請が激しくなったのだと思います。日本を弱体化して、国としての力をそぎ、従順な国民を奴属させる。それからは一挙に何でもありの国民として 水道民営化、種子法、武器産業の拡大などのやりたい放題になってゆきました。ナイーブで心優しく、従順で、善良な日本人は テレビメディアや政治家達がそんな悪い人間だとは、想像が出来ません。

私だって本当に悪い人間なんていないと思っています。が、私達のシステムの中に同調圧力や皆と違う事への無意識なセーブ、縦社会の習慣や忖度から抜け出せない親和性等の日本人気質が巧妙な流れの中に組みこまれてしまった時に、全く違った方向へと踏み出すのは容易ではない事を私自身、身に染みて理解しています。だから全く視点を変えてONENESSLOVEという切り口から覚醒を促しています。

この一体感の愛は、巧妙に仕組まれたシステムにコントロールされたグローバリストの計画している金融支配での世界統一ではありません。あくまでも自発。自分の内側から湧いてくる自発的な愛と勇気によって生まれてくる無条件なONENESSLOVEです。

私達は、メディアの意図的な情報に日々の精神状態や思考をコントロールされています。このコントロールの網目、マトリックスを抜け出す必要があります。蚊帳の外に出る事。思い切って蚊帳の外に出て下さい。今までのシステムでは滝壺に向かってしまいます。

マヤ暦は、昔マヤの人達が使っていたカレンダーで2012年の12月冬至の日でそのカレンダーが終わっている、と言う話は有名です。2012年の12月冬至に何があるのかUFOが下りてくる等の噂が飛び交いましたが、物理的には何も起きませんでしたが、精神世界では大地の母ガイアがアセンション次元上昇を明確に意図した時だと言われています。

そんなマヤ暦を現代人が使えるカレンダーとして新たに発案創造されたのが13の暦です。ホセ・アグエイアスと言うマヤ暦研究家が創作したもので、「コズミックダイアリー」と言われています。私は八丈島の定時制高校時代にこのダイアリーを使っていました。定時制の4年間そのダイアリーを使用して、私が体験したのは時間の揺らぎ。がっちりと固定されている概念がはがれてゆく感覚。心もとなくて、ちょっと刺激的で、遊べます。

アグエイヤス氏は、各国がキリスト教のグレゴリオ暦を使用している以上 無意識に人々がそのコントロール下に入ってゆく事を知っていました。その時間の縛りから解き放たれる方法としてのコズミックダイアリー。ぜひ使ってみて下さい。それは冒頭のライオンズゲートとも連動していて 7月26日が新年の始まり。銀河新年となります。8月は丁度、新年を迎えたばかり。まだ間に合います。私も再び、使ってみます。

日本は独自の旧暦があり、今でも2022年を令和4年としています。色んな申請等を行う時に、旧暦は面倒くさいなと思う事もありますが、この二本立てがある意味日本を本格的なコントロール下から守ってくれているのかもしれないと思っています。まだまだ日本の文化の中に残っている独自なシステムが動いている限り本格的なコントロールまでには至らないかもしれません。

早く一人ひとりが自分軸を見つけ出して、日本民族の意識が横に広がって結ばれてゆきますように。コロナ禍でズタズタに分断された以心伝心の流れが回復しますように。そして残ってゆく文化の中に 天皇制も含まれますように。祈るばかりです。

(早苗ネネ♪)

 

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「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

8月 10 22

「横浜の魅力は無限大」です。
株式会社ジョビア代表取締役 吉備カヨさん

by staff

 

お名前 吉備 カヨ(きび かよ)
お生まれ 50代後半
お住まい 中区在住
お仕事 株式会社ジョビア代表取締役
HP https://www.jobia.jp/
趣味 旅行

フィギュアスケートのトップ選手だったそうですね

横浜市神奈川区の済生会病院で生まれました。
生まれたときから活発で体を動かすことが大好きでした。

2歳から日本舞踊をやり、そのほかにクラシックバレエ、バトントワリングやお琴も習っていました。父が60歳代のときに生まれた一人っ子だったので、何でも好きなことはやらせてくれました。数ある習い事の中で続いたのが、小学校1年生から20年以上やっていたフィギュアスケートでした。

フィギュアスケートとの出会いは、神奈川区の子安小学校に入学した頃に親戚に連れていかれた近所のスケートリンク(現 横浜銀行アイスアリーナ)でした。それからフィギュアスケートに夢中になって、関東学院大学付属の中学校・高校になっても続けていました。

競技での実績も出てくると、練習場所が東京になり、終電に乗ってスケートリンクに行って練習して、始発に乗って帰ってくる生活をしていました。高校1年生のときには、シングル競技でインターハイ、国体に出場しました。

高校2年生になる頃、コーチに「世界を目指すならアイスダンスに転向したら・・」と言われ、決断を迫られました。悩みましたが、世界を目指したいという気持ちが強かったのでアイスダンスを選択しました。

ちょうどその頃、ソ連の牙城だったアイスダンスの世界を変えたイギリスのカップル、ジェーン・トービルとクリストファー・ティーンが登場していました。彼女たちは1981年から4年連続世界選手権で優勝し、1984年のサラエボオリンピックで金メダルを獲得した「ボレロ」の演技は、伝説となっています。

私は彼女たちに憧れて、あのような優雅で芸術性の高い演技をしたいと日々練習に励みました。経験豊富なパートナーと組んで全日本ジュニア選手権で優勝、全日本選手権で6位と順調な滑り出しだったのですが、パートナーから解消を言われて・・・。
それからはパートナーに恵まれなくてコーチ(道家恵子さん)と二人で練習をしていました。横浜出身の7歳年下の男性(田中衆史さん)とカップルを組んで、全日本選手権に出場したのは4年後のことでした。1990年から3年連続で3位になり、1993年についに初優勝を果たして世界選手権にも出場されました。

優勝のときの写真

その後競技を続けるかどうか迷ったそうですが、「やりつくし感」があったのと、オリンピックを目指すならば1998年の長野になるので、そこまではできないと引退を決意しました。そのとき27歳になっていました。

学業の方ですが、高校卒業後、1年間の浪人時代を経て英語の専門学校に2年間通い、上智大学の比較文化学部に入学しました。授業がすべて英語だったので、単位を取るのが大変でしたね。我ながらよく頑張ったと思います。

現在は、ボランティアでフィギュアスケートの指導者をやっています。
最近は忙しくてできなくなっていますが・・・

スポーツとの関りでは、公益財団法人横浜市スポーツ協会の副会長とスペシャルオリンピックス神奈川の理事を拝命しています。

母上の会社を継がれたそうですね

フィギュアスケートの選手を20年以上にわたって続けてこられたのは、母(白幡マサ子さん)の物心にわたる援助があったからです。

母は1959年、横浜高島屋の開業にあわせて、横浜マネキン紹介所を立ち上げて40年以上にわたって、販売スタッフを紹介する会社を経営してきました。

私は一人っ子なので、スケートを引退したら母親の仕事を手伝わないといけないなと考えていましたので、迷いなく母の会社に入社しました。

仕事については何も知らないので、まず伝票整理から始めましたね。このときようやく、母と子の時間が持てましたと感じていました。

29歳のときに友人から結婚相手を紹介されました。彼は私の結婚の3つの条件を満たす男性でした。
1. 女房が社長でもいいこと
2. 横浜に住んでくれること
3. 私より頭がいいこと
サラリーマンをやっていましたが、そこを辞めてうちの会社に入社してくれました。

31歳のときに母が体調を崩して、私が後継者になりました。母の手術の5時間後に第一子(長女)を出産しました。ベビーベットを会社に持ち込んで仕事していましたね。

34歳のときに母が72才で他界して、2011年3月に私が2代目の社長になりました。このときは看病しながら子育てもして仕事もして、今思うと一番つらかった時期ですね。

私が社長になったことで、長年働いていたの社員の独立劇もありました。
このときは、30年間やっていた会社をやるしかない、自分にはこの道しかないのだと自分に言い聞かせ、周囲から、その都度アドバイスをいただいて気持ちを奮い立たせていました。

弊社は、創業以来「女性のライフスタイルに合った働き方」を提案してきました。
1999年の労働者派遣法の改正等により販売職の派遣も可能になり、大手の人材派遣会社が、販売職の派遣を始めました。これは私たちがこれまで人材紹介で培ってきたノウハウを脅かすものでした。

2011年11月に社名を株式会社JOBIA(ジョビア)に社名変更して人材紹介業に加えて人材派遣業にも進出しました。「人の温かさで人と企業を結ぶ」をモットーに、売り場の運営管理を担当する業務請負や販売業務代行へと事業の業態を拡げてきました。創業当時よりスタッフの親睦会があり、永年勤続表彰5年から45年まで、互助的な福利厚生、教育制度などがあります。

株式会社JOBIA(ジョビア)
https://www.jobia.jp/

2008年、業績も安定してきたときに、リーマンショックがおきました。
ちょうどその頃、線維筋痛症という身体中が痛く感じるという病に見舞われて、2009年に社長職を夫に譲り、私は会長になりました。4年間の闘病生活を経て、体調が回復したので、夫が会長、私が社長に戻り、その体制が現在まで続いています。これまでもこれからも二人三脚ですね。

私は働きながら、一男二女の子育てをしてきました。長女は医学生、次女は大学4年生、長男は大学2年生になっています。

私は、子どもから得られることが大きかったと思います。子どもと一緒にいる時間は、気持ちが切り替えられるし、子どもを見ていると、仕事につながることがたくさんありますね。仕事を続けてこられたのは、素敵なパートナーにめぐりあえたからです。夫は8歳年上でいつも大きな気持ちで接してくれています。

仲間にも恵まれました。青年会議所時代のネットワークは、今だに健在ですし。商工会議所や法人会など、地元に根差した活動をしてきたことが今日に繋がっています。

経験してきたことを、点のままにしておかないで、点と点を線としてつなげていくことに意味があると考えています。

コロナ禍で新しいビジネスを始められたとか

コロナ前から、テクノロジーが進化していく中で販売員やホールスタッフの仕事が失われていくのを感じていました。このままでは「昭和女子」の働き場がなくなってしまうという危機感がありました。

コロナ禍で、人材紹介や人材派遣の仕事は大きな打撃を受けました。働きたい方は大勢いるのに、その方たちの仕事がなくなりました。また自社ビルのテナントの撤退も相次ぎました。そのときの私は、母から引き継いだこの会社を絶対に存続させなければ、「商いをストップさせてはいけない・・」という想いでいっぱいでした。このような状況の中で、「人生100年時代、70代の昭和女子が働ける環境を創出するにはどうしたらいいのか・・」を考え続けました。

そしてその答えが、「自分たちで製造加工を行う」ことです。ビルの空き室で野菜を作り、その野菜を使ったレストランをビル内で始める、さらに生産した野菜を加工してお菓子などを製造販売する。「食べる」からさか登っていって、行きついたのが野菜工場でした。これだと昭和女子の雇用が生み出せます。

2021年3月には「サステナス・プロジェクト」構想が固まりました。「サステナス SustainuS」とは、英語の「susutain(維持する・元気づける)」と「us(私たち)」からの造語です。
https://www.sustainus-project.com/

このプロジェクトは事業再構築補助金の支給を申請して採択されました。それを期にビルの全面改修に踏み切りました。「サステナス」ビルは、2022年1月11日にオープンしました。

SustainuS ビル

このビルの3階では、LED照明を使って20種類ほどの野菜やハーブやエディブルフラワーを栽培しています。そこで採れた野菜を扱う1階のカフェ、2階では採れた葉野菜をケーキや料理に加工しています。

3F:SustainuS farm

料理のブランディングやレシピには専門家(マカロン由香さん)にお願いしました。「サステナス・プロジェクト」については、予想以上にテレビ・ラジオや雑誌の取材が多くてびっくりしています。取材内容は、「ビルの空き室対策」や「都市における農業の可能性」などがテーマになっています。

レストラン・カフェ「ICONIC STAGE」はランチタイムはともかく、夜の集客が難しいので積極的にメディアに出るようにしています。この文章を、夜の集客に工夫をするため、ビル全体の個性の中での飲食の場としての在り方を模索しております。

ICONIC STAGE
https://www.iconic-stage.com/

1F:ICONIC STAGE café

今年の夏は、子どもたち向けの「ワークショップ」を計画しています。LEDの野菜工場を見てもらって、自宅でタネをまいて水耕栽培を体験してもらいます。レストランでは採りたての野菜の匂いや香りを感じてほしいですね。「ICONIC STAGE」にはピアノもあるので、若い音楽家の演奏会なども定期的に行いたいと考えています。

今後は、この事業を収益ベースにのせていくために、百貨店で催事をやったりオンラインショップで販売したりしていきたいです。業態は違っても、この会社を次の世代に渡していきたいですね。

あなたにとっての「横浜」とは?

中田市長のときに、4年間横浜市の教育委員をやらせていただきました。その経験は横浜を知るためにも貴重でしたね。

横浜には、まだまだ「のびしろ」があります。横浜はこんなものではない・・都市としてもっと羽ばたけるはずです。世界一を目指していきたいです。それには市民一人ひとりの意識改革が必要です。「とんがった感」を持ちましょう。「横浜の魅力は無限大」なのです。

私にとっての横浜の風景は、山下公園や山下町の港かしら・・。
横浜駅西口の駅のロータリー、慣れ親しんだ高島屋や岡田屋なども故郷としての横浜ですね。

私にとっての横浜は、
「横浜の魅力は無限大」です

 

<取材を終えて>

吉備さんは外見も生き方も凛とされている方です。
アイスダンスで世界を目指された日々、お母様の看病をしながら、会社経営と子育てに奮闘された日々、病と闘いながら様々な業態に挑戦された日々、どんなときでもまっすぐ前を見つめ、最善の努力を惜しまずされてこられました。
新しく始められている「サステナス・プロジェクト」。空きビルを活用して昭和女子の働く環境を創出するという、素晴らしい構想は花が開き始めています。このプロジェクトを微力ながら応援していきたいと考えています。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

7月 10 22

「わらび座」を知っていますか(その2)

by staff

 

アメリカの著名な雑誌のライフ・マガジンのエディターたちが1999年に選んだ、“この1000年の間で最も重要な人物トップ100ランキング” で唯一選ばれた日本人をご存じですか。
https://www.aokiuva.com/xlife100people1000y.html

それが「葛飾北斎」であることを、不勉強な私は最近まで知りませんでした。

エジソンやアインシュタイン、リンカーンなどが名前を連ねているリストに北斎が選ばれているのは、江戸時代の画家「葛飾北斎」の色彩と創造性に富んだ浮世絵作品が、世界にいかに影響を与えたかを示しています。

90歳で亡くなるまで現役で、3万点を超える作品を発表した北斎の生涯は、絵師として自分の生き方を貫いたものでした。

「北斎」の偉大さを知らされた直後に、偶然にもわらび座のミュージカル「北斎マンガ」を見る機会に恵まれました。わらび座の公演が練馬区の練馬文化センターで開催されたのです。

この日は、都立高校の生徒さんたちの鑑賞会が同時に行われました。
若者向けの音楽やダンスが繰り広げられる中で、北斎の生きざまが描かれていました。
分かりやすく楽しい筋立ての中に、夢を貫くことや人間愛など、壮大なテーマが描かれていました。

いつもながら出演者は主役級以外は一人何役もこなしていました。キャスト一同の見事な歌やダンスに大きな拍手が鳴りやみませんでした。

わらび座は日本全国の学校を回って鑑賞会をやってきた劇団です。
その劇団がコロナ禍で仕事場を失った悔しさを、そして大きな会場で公演できた喜びを最後のカーテンコールのときに北斎役の鈴木祐樹さんは涙を浮かべて話されていました。
この日の「北斎マンガ」は高校生たちにはどのようなインパクトを与えたのでしょうか。こんな日本人がいたんだ・・ということが彼らの記憶に残ってくれればいいなあ。。と一緒に観劇した友人たちと話し合っていました。

 

 

 

7月 10 22

2022年7月 三ツ池だより 「鳥になれ 蝶になれ!」

by staff
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森のなかを歩いていると、木々の中を鳥になって飛んでみたいと思う。木々の下には草が生い茂り人も歩いている。鳥も人も森の中にいて森のてっぺんは空であり、大きな雲が遊んでいる。茂みの中を歩いていると、蝶々が時々顔を出す。人が動くから蝶々が飛び出すのかな。蝶々も人も輝いている。嬉しそうに回りを見回している。

 「みてみる」 けんじ
おーい
何処見ている
  見える所
  観える所
そう
看てみる
  その時の想いが
  行動にあらわれる
人は考えながら歩いている
人は前を向いて歩いている
  看てみる
  観てみる
そうどっちへ行こうか
見ている

詩をつくるというのか、詩を語るというのか、自分の存在の中で生きている喜びを語りたい。今までの人生を振り返りながら生きている喜びを語りたい。その前提にある詩という形は何か。生きている実感をどのように喜びの声として表現できるのか。言葉を持っている人間の喜びと悲しみを表現できたらなぁ。

 「論を待たず」 けんじ
実行あるのみ
論を待たずに
  なぜ
  どうして
長い人生を歩んできて
毎日を過ごしていく
  したいことをし
  行きたいところへ行く
今日も書きたいことを書き
文字を並べていく
  ありがたいことにペンが進み
  外の木々も小さくささやいている
しっかりした新緑が
目を楽しませてくれている

 「詩は何をもたらす」 けんじ
詩はポエム
詩は志だ
  志と詩が重なったら
  いいのに
三ッ池公園に一歩踏み入れると
空と木々を見回す
  志はその空と木々を
  大事に考えること
新しい葉に光があたり
そのやわらかさにホットする
  大空に少し雲が動いている
  何処に行くのかなぁ
日常を離れた
一時を感じる
  空だ
  若葉だ

今しければいけないことは何だろう。それを悩むのでなく、今したいことをしていく。それって何?ふと振り返ってしなければいけないことが、今したいことに変わってきている。その違いは何だろう。己をどこにおくのか。心をどこにもっていくのか。しなければいけないことは義務、したいことをするのは自分の気持ち。書きたいから書く。したいことを続いていけることは幸せなことだ。

 「ちがっていい」 けんじ
人はそれぞれ
全く違った生き方をしている
どれがいいというわけでもない
  なにもしなかったという人
  何もできなかったという人
  でもよく考えてみよう
したから生きてこれた
出来たから今日がある
一日一日を積み上げてきた
  食べ歩き工夫し
  友と話をし
  相談してきた
違っていいのではなく
違って当たり前
気づきを築きにしていくのだ
  今日に有難う
  あなたのおかげで今日がある
  みんな違っていいんだよ!

担っている荷の重さを感じずに今いる。あの荷はどうした。そしてまたあの荷は。不思議と皆の所にある。どうしてというか、お陰様というか。それぞれの荷がそれぞれの人に渡されている。今ふと思った。荷は受け継がれている。そして今自分はどんな荷を背負うとしているのか。次の荷はどんなものなのだろう。
ゲーテの言葉が突然入ってきた。
「あなたは出来ること、出来ると夢見たことが何かあればそれを今すぐ始めなさい。向こう見ずは天才であり、魔法であり、力です。さぁ今すぐ始めなさい。」と。
7月は冒険の月でもある。しっかりと自分を励まして進んで行こう。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

7月 10 22

ハチゴロウの鳥撮り日記 第27回「山中湖大洞の夏鳥 前半 水辺に集まる小鳥たち」

by staff

第27回 山中湖大洞の夏鳥 前半 水辺に集まる小鳥たち

「野鳥好き」が好んで読む雑誌「BIRDER」(文一総合出版)の春の特集に身近な小鳥「新御三家」というのがありました。
新御三家に選ばれていたのは、シジュウカラ、メジロ、コゲラでした。そこで「新」がつかない「御三家」の小鳥は何だろう? と思って調べると・・・組み合わせは色々で、まぁ 出てくること出てくること。人それぞれに、「御三家」にしたい小鳥がいるのだろうと思いました。

2022年5月24日、山中湖大洞の泉へ夏鳥を撮影に行ってきました。「大洞の泉」と書いて「おおぼらのいずみ」と読みます。大洞へは、2004年から2017年まで毎年5月には撮影しに行っていたのですが、2018年以降は行かなくなりました(山中湖へ星空撮影のついでに行くことはありましたが・・・)。5月に行くのは、5年ぶりです。大洞の泉は、別荘地の中にあり、ちょっと見つけにくいのですが・・・バードウォッチャーの間では有名な撮影スポットです。

今回はOMシステムのミラーレス一眼OM-1に300mmf4.0のレンズを装着し、撮影することにしました。
目的はクロツグミを撮影することなので、自宅を出発したのは、11時でした(クロツグミは暗くならないと出てこないと思っています。この日の日没は18時45分頃です)。

大洞の泉に着いたのは、14時30分です。
水場にはキビタキが水浴びに来てくれました。

 

 

キビタキはスズメ目ビタキ科で、全長13cm~14cmくらい、オスは頭から背中あたりが黒く、腹と腰あたりは山吹色(黄色)で翼に白い斑が見られます。漢字で書くと「黄鶲」と書きます。ビタキという漢字は難しいですね。

学名はFicedula narcissinaと言い、narcissinaは黄色い水仙のことです。 ナルキッソスという名の美少年が泉に移る自分に見とれている姿を見た神が、少年を水仙に変えたというギリシャ神話があります。
ナルシストという言葉も語源は水仙になった少年です。キビタキの学名と同じ由来です。

メスはオスとは異なり、緑がかった褐色の地味な小鳥です。鳴き声は「ピッコロロ」と鳴きます。

センダイムシクイも来ました。

 

 

センダイムシクイもスズメ目ムシクイ科です。大きさは12.5cmほどの小鳥です。
漢字で書くと「仙台虫喰」と書きます。日本では九州以北に繁殖の為に飛来する夏鳥です。名前に「仙台」が付いていても仙台にすんでいる訳ではありません。

名の由来は歌舞伎でしょうか?人形浄瑠璃でしょうか? 仙台藩のお家騒動を演じた『伽蘿先代萩』(めいぼく せんだいはぎ)での「鶴千代君~」(ツル・チヨ・ギミー)という台詞が鳴き声に似ていることから「仙台虫喰」と呼ばれるようになったとか? 面白いでしょう?!

このような、鳥の鳴き声をまねる遊びを「聞きなし」といいます。 「聞きなし」遊びは「ハチゴロウ鳥撮り日記 第12回 里山の小鳥たち」で詳しくご紹介しておりますので、ご興味のある方はご覧になってください。
(鳥撮り日記第12回はこちら:https://yokohama-now.jp/home/?p=19414

ヤマガラです。ヤマガラはスズメ目シジュウカラ科ヤマガラ属です。体長は13~15cmです。
頭が黒く、額や頬などがベージュ色をしています。胸から背にかけてはベージュから茶へのグラデーション。
羽はグレーとシックでお洒落な鳥です。

 

 

ヤマガラは頭の良い鳥で、昔は捕獲し芸を仕込んだと言われています。特に「おみくじ」を引かせる芸が人気だったとか? 1990年頃までは芸を披露する鳥として町なかでも見られましたが、今は鳥獣保護法により捕獲することはできません。

今回の鳥撮り日記は、山中湖大洞のスズメ目の野鳥3種をご紹介させていただきました。
大洞の小鳥「スズメ目の御三家」として「キビタキ」「センダイムシクイ」「ヤマガラ」はどうでしょうか?

次回は、「山中湖大洞の夏鳥 水辺に集まる小鳥たち」の後半です。
撮影目的の「クロツグミ」には遭えたのでしょうか? 後半をお楽しみに!

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

 

7月 10 22

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第2回) 「やさしい革命」のはじまりです!

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第2回 「やさしい革命」のはじまりです!

令和4年5月1日、こども発達支援教室「ココ塾」蒲田校がオープンしました!
先生たちは、作業療法士、言語聴覚士(オンライン)、臨床心理士、公認心理師などのセラピストや、教員経験者(特別支援学校・通常級・通級)など、様々な経験を持つ方々が集まってくださいました。ちょうど、医療・福祉出身者と教育出身者が半々といった構成です。これまで活躍してきた分野は異なるものの、「お子さま一人ひとりに合った学びを提供したい!」という共通の想いのもと、毎日あーでもない、こーでもないと言いながら療育プログラムを考えています。

専門職ごとに、前提となる価値観が異なる場面もあります。お子さまや保護者さまとの接し方にも、それぞれのカラーや距離感があります。そんなとき、その理由が正しいか正しくないかで判断しようとすると、歩み寄ることができません。常に「調和」を意識して物事を判断するようにしています。

作業療法士さんの「感覚特性」に関するレクチャーを聞くと、元教員の先生たちは、子どもたちの学校の中での不適応がどのような理由から生じているのかを学ぶことができます。学校の中での「困った子ども」が、実はとても「困っている子ども」であることの背景を知ることができるのです。私は、この作業療法士さんのレクチャーが、教育現場に変革をもたらすやさしい革命の一つになると確信しています。

一方、具体的な学習方法については、言うまでもなく元教員の先生たちの豊富な経験が欠かせません。「視覚認知特性」のある中3生の支援では、細かい文字の違いを見比べることが極端に苦手で、かつ手と目の協応に課題のある彼のために、昨年まで通級で指導されていた先生が素晴らしいワークシートをオーダーメイドで作成し、支援をしてくれています。何度書いても単語を覚えられなかったこのお子さまは、たった3回のセッションで、生まれて初めて単語テストで満点を取ることができました。発達や認知の特性を踏まえた指導に魔法のようなやり方はなく、常に試行錯誤が求められます。その労力を惜しまずに、一人ひとりに合った方法を追求しようとする先生たちの姿勢には、本当に頭が下がります。

福祉と教育のはざまにあり、なかなか支援の手が届かない部分を、様々な経験を持つスタッフがともに智恵を出し合いながらサポートするこの取組は、療育の枠をとうに超えた「やさしい革命」にほかなりません。

これからも、「ココ塾」の先生たちとともに、多くのお子さまたちの学びを支える「やさしい革命家」として、社会の学びのシステムに新しい風を吹き込んでいきたいと思います。

(第2回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

7月 10 22

ゆるマナー講座(第79回) 平安の時代にも変わらぬマナー

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」
古典文学については全く知識のない私でも、枕草子のこの文章は頭の片隅に残っています。
今の季節ならば、「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」でしょうか。

古い記憶

古典の授業で「をかし」や「にくし」という言葉を聞いた時は、「お菓子?」「可笑しいの?」「憎らしいのかな?」などと思ったものです。
「をかし」が「趣があっていい」「素晴らしい」「素敵」だとか、「にくし」が「嫌だ」「気にいらない」「見苦しい」というような意味を持つのだと、その時初めて知りました。

当時の古文の先生が、「お風呂場に置いてある石けんに髪の毛がついていることがあるでしょ。僕にはあれは正しく『にくし』なんだなぁ」とおっしゃったのを何故か覚えています。
私も全く同じように思っていたからかもしれません。今でも石けんを手に取ると、「にくし」という言葉を思い出します。授業の中で生徒の心に残ったのが、そんなひと言だったなんて、当の先生はよもや思ってはいないでしょう。

暇にまかせて手に取った本(すらすら読める枕草子)は、卒業以来お目にかかったことのない穏やかだった先生の顔をも思い出させてくれました。

平安時代は

清少納言は自然に対する描写に優れていたと言われますが、平安時代に書かれた枕草子には残念ながら今ではなかなか目にすることができない情景が多く描かれています。

「夏は夜」には、月が出ている時は言うまでもなく、出ていない闇夜でも、蛍がたくさん飛び交っているのは趣があっていい。ほんの一匹、二匹も・・・などと書かれていますが、今は特定の場所に行かなければ蛍を見ることもできない時代になってしまいましたね。

また恋人同士のやり取りが多く書かれているのも特徴でしょう。源氏物語も入り組んだ男女の恋愛について書かれていますので、この時代が今とは比べようもないほど、いかに男女の恋愛にオープンだったか窺い知れるものです。

そのように長い時代を経て変わってきたものもありますが、「あら、この感覚は今と全く変わらない」と気づくこともありました。

『にくきもの いそぐ事あるをりに来て、長言するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後に」とてもやりつべけれど、心はづかしき人、いとにくくむつかし』
-いやなこと。急いでいる時にやってきて長話をするお客様。軽くあしらってもよい人なら「後ほど」なんて言って帰してしまえるけど、立派な人だと気おくれがして、そんなこともできずほとほと困ってしまう。-

ありますよね、こんなこと。こちらが急いでいる時に限ってやって来て長話する人。電話も同じ。「ちょっと急いているから後でね」と言える相手と言えない相手。ひと言「いま大丈夫?」とか「時間ある?」とか先に聞いてくれればいいのにと思うこと。

『物語するに、さし出でして、われ一人さいまくる者。すべてさし出では、童も大人もいとにくし』
-話をしている時に、横から口出ししていい気になってまくしたてる人。万事、でしゃばりは子どもでも大人でもいやだわ。-

人が話している最中に、横から口出し。慎まなくてはいけませんね。

『あけて出で入る所、たてぬ人、いとにくし』
-戸を開けて出入りするところを閉めない人、許せない。-

閉まっていたドアを開けて入ったのなら、ちゃんと閉めなくてはいけませんね。特に冬場の寒い時などは、「えっ、何で閉めないの?」と思ってしまいます。

変わらない感覚

もちろん生活環境の全く違う時代ですから、そんなこと思うのは失礼なのではないかしらと感じる箇所もたくさんあります。男女のやり取りの中で守らなくてはいけない約束事など、今の時代には絶対に無理だと思えることもたくさん。

しかし、他の人への配慮や気遣いはマナーとして大切だと思う感覚は、昔も今も変わらないものなのだなとも思いました。

久しぶりに触れた平安の高貴な人々の世界。
彼らのウィットに富んだ言葉のやり取りは、知的で素敵ですね。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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7月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第112回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第112回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“不文律分析” という世界的ベストセラーを20年以上前に書いたのがピーター・スコット・モーガン。英国の大学でロボット工学の博士号を取得。最近、筋委縮性側索硬化症(ALS)を患い、医師から余命2年の宣告を受けたことを知り驚愕。医療手術を受け、自分自身とAIを融合した“ヒューマンサイボーグ”に変身。サイボーグ化にはインテルなども協力。NHKでも近年その生きざまが報道されました。テレビの姿は変貌していましたが、私が所属した米国大手経営コンサルティング会社アーサー・D・リトル(ADL)で同僚だったスコット・モーガンだと気付きました。日本ではいろんな分野で改革が叫ばれていますが、成分律や組織・業務プロセスだけに手を入れても不発。文化風土(不文律;Unwritten Rules)にまでメスを入れて血を浴びないと改革は成功しません。本人は世界最初の完全サイボーグになると意気軒高。電子化の更新頻度はマイクロソフトを超えるとか。“逆らうことを忘れ、成行きのまま生きる” と画家・堀文子。

(注)ピーター・スコット・モーガンが6月に急逝したことを
7月になって知りました。謹んでお悔やみ申し上げます。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

多様性を促す 経歴や専門分野の異なる人材群を協働させる
創造性の肥やしとなる経験 この蓄積をメンバーに奨励する
創造的第三者にもオープンに 創造性の各段階を具体化する
漠然とした初期段階は管理を持ち込まず 調査に時間と資源

多様性(ダイバーシティ)とは広範囲な質の異なる群れが存在すること。矛盾・対立を乗り越えて相違・異質を許容、光と闇のせめぎ合い。異なる要素・異なるタイプのメンバーをコミュニティや組織に包摂。顔よりも脳にシワを刻むこと。経歴・専門分野の異なる人材を協働させ、創造性の起爆剤となる知やスキルを蓄積。得意が一つだけでは不十分、幾つかの知の合わせ技を研磨、一寸先は闇だから。“ポジティブ・フィードバック:より良い方向にどう持っていくかを考える” と南極観測隊越冬隊長・西堀栄三郎。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

ステークホルダーとの関係を重視 顕在・潜在ニーズを掘り起こす
コミュニティの形態を生かす 人や組織と交流をもち理解を深める
環境適応のための組織変更を躊躇しない 人材の流動性を加速する
異質の技術を持つ人材との出会いの場 人材と技術をセットの管理

イノベーションの集積には3つのTが欠かせないとか。テクノロジー(Technology)・タレント(Talent)・トレランス(Tolerance)。技術・人材はよく語られますが、一番重要なのがトレランス(許容)かも。許容対象は性・流動性・外国人密度などで創造性と強くリンク。白と黒のどちらも色彩の女王。異質の技術&スキルを持つ人材との交流。腹の虫で観察、習慣は第二の自然。人材と技術をセットのマネジメント。“正確に距離を測るため、常に同じ69センチの歩幅で歩く訓練をした” と商人・測量家の伊能忠敬。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

コミュニティは アイデンティティを守る基盤になるものである
将来展望・価値基盤の共有・多様性の許容・信頼とチームワーク
人材教育の要件充足 メンバーのネットワークへの参加ではなく
人間同士の交流を通じた価値創造をネットワークが支援するもの

産業革命で勃発した仕事の場と生活の断絶は逆流、再度合流してきました。仕事のコミュニティはICT革命とコロナで様変わり。仕事をする場所・時間は常に変化、求められるスキルも多様化。個々が効果的に動いているとは限らないのに、全体としては知の厚みと多様性が感じられるのがコミュニティ。やったことがそのまま返ってくるのが人生、紳士淑女+化物。知識・経験を棚卸しして経験知/ノウハウとして編集。デザインこそメッセージ。“限界には限界がありません” とサッカー元日本代表監督・オシム。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第112回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

7月 10 22

チャレンジ(第47回) 素敵な商品が出来上がりました!

by staff

素敵な商品が出来上がりました!

こんにちは。暑さに弱い平安山です。「平安山」は暑い沖縄の苗字ですが、私は暑いのが苦手で、こんなに早く梅雨が明けて暑い日が来るとは思いもよらず、すでにバテテいる今日この頃です。皆様は体調など崩されていないでしょうか。暑さを吹き飛ばすくらい元気に過ごしたいですね!

さてさてC.P.FACTORYとしての活動ですが、7月から8月にかけて、「楽しいを作っちゃおう! 大人も子供も夏休みの自由研究ワークショップ」を開催しますが、ワークショップ以外にも障がい者施設と連携して商品開発をしております。今回は本当に素敵な商品が出来上がったのでご紹介したいと思います。

 「モンテッソーリ教育」

皆さんは「モンテッソーリ教育」をご存知でしょうか?名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?

モンテッソーリ教育は、医師であり教育家であったマリア・モンテッソーリ博士が考案した教育法です。
「子どもには、自分を育てる力が備わっている」という「自己教育力」の存在がモンテッソーリ教育の前提となっています。歩くことを教えなくても、歩こうとしたり、積極的に環境に関わりながら様々な事柄を吸収していったりする姿は、子ども自身が自立に向かって、成長・発達していこうとする姿のあらわれといえます。この内在する力が存分に発揮できる環境と、自由が保障された中で、子どもは自発的に活動を繰り返しながら成長していきます。

以前からお世話になっているエイムワイ(https://eimuy.com/)さんのご紹介で、今回こちらのシアモ モンテッソーリ コンサルティング様の商品開発をさせていただきました。
https://love-everything.me/

代表の杉山よりこさんは私と同じ、生粋のハマッコさんで、それはもう尊敬に値する素敵な女性です。IDEC横浜(https://www.idec.or.jp/)経由での打ち合わせでしたが、意気投合して商品開発をすることになりました。

 「障がい者施設で作りたい」

今回私も初めて知ったのですが、モンテッソーリ教育とは、マリア・モンテッソーリが最初に障がい児教育に適用した手法だったのです。そのことから、杉山さんは障がい者施設とコラボして商品が作れないかと考えていて、エイムワイさんを通して、私と繋がることが出来たのです。

最初にお会いして打ち合わせをさせていただいた時に、私の活動に共感していただき、デザイン企画を担当させてもらうことになりました。

今まで通り、制作は西区のさらい工房さんに依頼しました。これまで何点も商品を企画開発させてもらっているので、その信頼関係から今回もスムーズに進めることができました。

デザインを考えるのも大変ですが、一番難しいのはレーザーカッターに書き出すデータを作ることです。私は自分の得意なPhotoshopやillustratorでデータを作成しているのですが、細かい設定を駆使してデザインを作っていきます。切り抜く箇所や掘る箇所、色の濃度によって掘る深さが変わるので、出来上がりをイメージして作成していきます。

なるべく作業所の負担にならないように、サンプル制作も極力少なく、正確なデータを作るように心がけています。

今回は「梅」「麻の葉」「七宝つなぎ」「桜」をモチーフにデザインさせていただきました。日本で古くから親しまれてきたこれらの模様にはそれぞれに意味があり、平和や子孫繁栄、魔除け、生命力など、子どもの健やかな成長への願いを込めました。下から見ると梅の花の枠が可愛く見えると、モチーフは透かし模様にしたので、光が透けてとても綺麗です。檜の間伐材を使ったシンプルなデザインなので、ゴテゴテしたプラスティックの色ものよりも、インテリアとしても素敵にお部屋に飾りお使いいただけると思います。

また、それを障がい者施設のメンバーが作業に携わることで、少しでもやりがいを見出してもらいたいと思っています。

こちらの商品は現在オンラインで販売ですが、杉山さんには8月2日(火)の「夏休みの自由研究ワークショップ」に登壇してもらいます。この時に実物もご覧にいただけますので、ご興味のある方はいらしてください。
「見上げて楽しい木のモビール」
https://minne.com/@love-every

 今年もやります! 楽しいをつくっちゃおう!

今年もやるぞ! 楽しいをつくっちゃおう!
大人も子どもも『夏休みの自由研究』ワークショップ
のイベントチラシが完成しました!
開催期間:7月27日(水)~8月5日(金)*土・日休み

(第47回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

7月 10 22

記憶の中から (第二話)装丁家の父

by staff

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第二話  装丁家の父

父は三つの名前を持っていました。戸籍では西谷小助・通称西谷操・ペンネーム秋朱之介です。詩人として、装丁家としても当時の文壇では著名で、2018年故郷鹿児島の「川内まごころ文学館」で「川内の生んだ出版人」として回顧展が、昨年も山口県湯田中の詩人「中原中也記念館」で父が装丁した詩集その他の「ブックデザイン展」が開かれ、昭和ロマンを感じる本を見てきました。鹿児島の回顧展に出た本は文学館が苦労して収集、また神田の古書店「比屋根書房」が所蔵してある本で構成され、私も数冊の本を提供いたしましたが、その愛しい本たちは展示後すべて「まごころ文学館」に寄贈しました。それが最良の選択と思います。いま手元にあるのは佐藤春夫の詩集「魔女」ただ一冊。白蛇の皮の背表紙、川上澄生が龍を表紙に書いています。限定47部発行のうちの13冊目を二年前古書店からの勧めで購入することが出来ました。局紙を使いその卵色の紙の何とも温かい手触り。早く故郷に収めなければと思うのですが、別れがたくて身近に置いて眺めるのが究極の幸せです。
父の背中を感じます。
お値段ですか。数十万円でした。別に幻の1冊があるそうです。龍の目にルビーをはめ込んであるとのこと。現存すれば千万の単位だそうですが。もう無いものと思います。
頑固者の父、縁側で詩人堀口大学先生から譲られた少しほどけかかっている籐椅子に座って聖書か古事記を読んでいる姿しか記憶に無いのです。

私が4歳の時(1944年)に我が家は疎開で東京の目白から本牧に移ってきたのでした。父は大佛次郎達と小港辺りで遊んでいたので本牧には土地感が有ったらしいのです。引っ越しのことは事前に母は何も知らされていなかったらしい。私の「文香」というその頃では風変わりな名前は、結婚前に父のお付き合いのあった新橋のお姐さんの名だそうです。

戦前から出版関係で知り合っていた山本周五郎は、昭和18年「日本婦道記」が第17回直木三十五賞に推薦されましたが辞退しました。現在まで直木賞を辞退したのは山本周五郎ただ一人です。曲軒(へそ曲がり)というあだ名がついたのはその頃からだそうです。戦争で荒れ果てた東京馬込から4人の子供さんと再婚間もない奥さんを本牧の家の隣の空家に誘って住んでもらったのは昭和21年春のことでした。

薩摩川内市まごころ文学館 チラシ

佐藤春夫詩集 『魔女』

操書房発行書物

 

(第二話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

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