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12月 10 11

「創造的福祉社会 成長後の社会構想と人間・地域・価値」ちくま新書 広井良典著

by staff
書評「創造的福祉社会 成長後の社会構想と人間・地域・価値」ちくま新書 広井良典著  

 どういう社会を目指していったらいいのかを考えていたときに書店で目に留まった。

 「区民の幸福の総量」荒川区における取組の紹介などは驚くものがあった。従来のタテワリだった「都市政策」と「福祉政策」を融合していく取組であり「歩いて楽しめる街を作っていく」ことだった。ドイツにおける「座る場所が多くあり、人々がそこでくつろいだり、談笑したりしている光景」、ヘルシンキのバスターミナルを地下化し、その上に公的にするとともにカフェなどを配置した空間づくり、中国の無数の市場などが存在する濃密なコミュニティづくりを紹介してくれる。日本では静岡駅そば呉服街通りや香川の丸亀商店会の試みも伝えている。

 「地域の豊かさとは何だろうか」広井さんは若者のローカル化を次のように見ている。「若者のローカル志向を内向きになったとか、外に出ていく覇気がない、といった形で批判する議論が多いように思うが、それは全く的外れな意見だと私は思う。海外に進出していくのが絶対的価値のように考え、欧米=進んでいる、日本アジアは遅れている、といった固定的な観念のもとで猪突猛進してきた結果が、現在の日本における地域の疲弊であり、空洞化ではなかったのか。むしろ若い世代のローカル志向は、そうした日本や地域社会を救う萌芽的な動きと見るべきであり、そうした動きへのさまざまなサポートや支援のシステムこそが強く求められている。」と述べている。

 さらには中小規模の市町村の取り組みに触れている。「ローカルなまとまりを重視し、経済や人ができる限り地域の中で循環するような方向を目指すところが増えている。」「できる限りローカルなレベルにおいて地域内部で循環するような経済を築いていくという方向は、中小規模の市町村や農村部ではある程度浸透したものとなっていると言える。これに対し、平成の開国の下で推進されつつあるTPPのような政策は、一歩誤ればこうした方向を破壊していくものになってしまうことが危惧される。」

 大きな時代認識としてはグローバル化の先にローカル化というより究極的な構造変化が存在すると考えるべきで、各地域における具体的な実践とともに、そうした方向を支援する総合的な公共政策がもとめられている、とのべ松任谷由美の「生まれた街で」を紹介している。

生まれた街のにおい   やっと気づいた
もう遠いところへと    ひかれはしない
小さいバイクをとめ    風を見送ったとき
季節がかわったよ

 日本社会が直面している構造的な諸問題そのものは震災の前後で究極的には変わりはなく、今回の震災はそれを様々な面で、いわば先鋭化させたものとしてとらえ、従って、震災を契機に本来必要だった改革やパラダイム転換を加速させるという方向が重要ではないか。どんな社会をめざしていくのか。それは「いわば商店街やローカルな地域について考えることが、そのまま哲学あるいは普遍的、グローバルなテーマにつながるという、そうした時代になっているのではないかと思う。」という言葉になる。

 表表紙の裏には次のような紹介文が載せられている。
 「限りない経済成長を追求する時代は終焉を迎えた。私たちは、人類史上三度目の定常期に直面している。飽和した市場経済のもと、われわれの社会は”平等と持続可能性と効率性”の関係をいかに再定義すべきか。”危機の時代”に追求される荒田な価値原理とは、人間と社会をめぐる根本思想とは、いかなるものか。再生の時代に実現されるべき社会雑を、政策と理念とを有機的に結びつけ構想する」今足元をしっかり見つめる時。

(文:横須賀 健治)

<Amazonで購入>

 

12月 10 11

ソーシャルメディアの正体(第五回)

by staff

デジタルハリウッド大学大学院/NVD株式会社 松本英博

1.ソーシャルメディアの光と影

 前回まで、どちらかと言えば、ソーシャルメディアの良さを活かす「傾聴」や「対話」戦略を述べてきた。ここでは、良さ、つまり光の部分ではなく、影、すなわち悪い点について、リスク管理とソーシャルメディア・マーケティングの2つの面で考えてみよう。

 こういった論議は二元論に陥りやすい。特に気をつけないといけないのは、現実は善悪、良否といった両極端で考えてはいけないことだ。例えば、クルマを例にとると、ネガティブ思考では、クルマは「動く殺人道具」であり、交通事故を起こすものである。しかし、ポジティブ思考で考えると、同じクルマが「有効な移動手段」となる。だからと言って、クルマ自体の善悪を説いても致し方ない。要は、運転者(利用者)の利用目的でもって、クルマが手段として適正かどうか判断するしかない。ITで、ソーシャルメディアを語るときも同じで、良くも悪くも活用できるという点で利用者側の問題であって、ソーシャルメディア自身に善悪を説いても意味がないことは読者もお分かりだろう。

 ここで注目するリスク管理とソーシャルメディア・マーケティングも利用する立場によって光にも影にも見えることを忘れてはいけない。

2.ソーシャルメディアのリスク管理

 リスクは、情報を発信する側、受け取る側の双方にあると考える必要がある。一般的には、情報を発信する側のリスクがクローズアップされるが、受け取り側も情報が悪意のものであればリスクも高くなる。

 さらに、ソーシャルメディアは前回までも説いてきたように、ヒトとヒトのコミュニケーションツールである。そこに、企業が入るわけだから、違和感以上に多くのリスクを伴う。ここでは、ソーシャルメディアによるコミュニティーに情報を発信する場合のリスクを先ず考えてみよう。

【発信情報のリスク】

 さて、発信情報のリスクは何だろう。メーカーやサービス業であれば製品やサービス情報となるが、前回のメディアの種類でいえば、購入メディアや自社メディアでは発信情報に多くのチェックや検査が行われるに違いない。倫理的や道徳的、社会的、さらに文化的に問題がないかは基本的な基準であろう。さて、ソーシャルメディアの場合はどうだろう。ツイッターやフェイスブック、mixiなどのメッセージは、「堅い」文章でもなく、カジュアルな雰囲気で行われることから、違和感を減らすためにも発信内容はこれまでのメディアとは違って、口調も柔らかいものとなるだろう。問題はここでの基本的な基準に対するチェックである。発信だけでなく、受け答えや対話が始まれば、これらのチェックはどうであろうか?

 もう1つ見逃せないのが発信情報として、ソーシャルメディアへ実際に投稿を行う担当の情報が挙げられる。テレビやラジオのアナウンサーやパーソナリティのように、人気がある担当者には、発信情報の内容に関わらずファンが生まれることがある。ポジティブには、ファンは企業にとって歓迎すべきことであるが、担当者のプライバシーにも考慮しなければならない。

【受信情報のリスク】

 コミュニティーから受け取った情報もリスクをもっている。コミュニティーというオープンで公共の場からの情報であるから。受け取る分には問題はなさそうだ。しかし、企業関係者がコミュニティーに参加しているという事実は、そこでの会話を理解、蓄積あるいは暗黙の受諾をしていると解釈されるリスクがある。もっと言えば、コミュニティーの参加者の情報はすべて把握していると思われている。

 参加者の投稿メッセージや回答も、企業参加者を意識したものであれば、リスクがある。つまり、参加者は、コミュニティーで発言の有無に関わらず(つまり、黙っていても)、企業参加者に意見を見られ、利用され、最悪は悪用もされかねないと思われているかもしれない。個人情報保護法と相まって、企業参加者には受信情報の秘匿性の確保はもちろんであるが、コミュニティーに関連する情報も個人の特定が可能な状況ではリスクがある。

【受発信のリスク】

 最初は緊張の溢れる会話で始まるが、コミュニティーからの反響で「慣れ」となった時のリスクである。いわゆる、炎上の火種がある可能がないか、現状から参加の継続できるかといった点検である。多くの企業参加者は目立つ。衆人環視の中で、ソーシャルメディアを通じて情報のやり取りができているかが重要なポイントである。

3.ソーシャルメディア・マーケティング

 傾聴や会話でのリスクとは裏腹に、企業として自社の顧客あるいは顧客候補の意見やプロフィールは最も手に入れたい情報である。企業がソーシャルメディアを活用したい理由も主に、この生の顧客の情報によるマーケティングが可能だからだ。自社の商品やサービスに対して、その反響や欲しい人の声が手軽に手に入るということはこれまでになかった。ソーシャルメディアはそれを実現し、正に「魔法のマーケティング」に見える。どの企業も、2.で述べたリスクを見て見ぬふりして参入しているのではないだろうか。光をみて影を見ずに戦略は立てられない。マーケティングも同じである。

 確かに顧客情報を手に入れることはたやすいかもしれないが、それは参加者の自社に対する信用や信頼に裏付けがあるからである。つまり、社会(ソーシャル)で認められる企業であることは、参加者と同様、人格を持ったものでなければ、マーケティング活動を行うことができない。

 ソーシャルメディア・マーケティングの難しさは、他のマーケティング以上に顧客からの信頼の上に成り立っていることを知っておこう。

 では、ここでソーシャルメディアの1つであるツイッターを例にあげて「顧客サポート」を行うことを考えてみよう。企業が人格者であるからには、

挨拶は必須

個人情報の取得はツイッター上で行わない

入口はツイッターだが、その後は、サポートの内容にあった方法で行う

サポートの回答前に、これまでの対応の履歴を確認する

といった「気配り」が必要となる。すでにお気付きだと思うが、このような運用ルールが、2.で述べたリスク管理の基本となる。担当のみならず、経営、現場でこのルールを徹底していなければならない。自社内は多くの部門があっても顧客にとっては「一枚岩」に見えるのが自社であるという自覚を忘れてはならないのである。

次回の予告:
次回の予告:次回は、「ソーシャルメディアを科学する」と題して「ソーシャルメディア・マーケティングのデータ分析など」を解説する。

松本英博 プロフィール

 

松本 英博(まつもと ひでひろ)

デジタルハリウッド大学大学院 専任教授/NVD株式会社 代表取締役

 京都府出身。18年にわたりNECに勤務。同社のパーソナルメディア開発本部で、MPEG1でのマルチメディア技術の開発と国際標準化と日本工業規格 (JIS)化を行い、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボで画像圧縮技術を習得のため留学。帰国後、ネットワークス開発研究所ではWAPや i-モードなどの無線インターネットアクセス技術の応用製品の開発と国際標準化を技術マネジャーとして指揮。

 NEC退社後、ベンチャー投資会社ネオテニーにおいて大企業の新規事業開発支援、社内ベンチャーの事業化支援を行い、2002年9月にネオテニーから分離独立し、NVD株式会社(旧ネオテニーベンチャー開発)を設立、代表取締役に就任。大手企業の新規事業開発・社内ベンチャー育成などのコンサルティング 実績を持つ。

 IEEE(米国電子工学学会)会員、MIT日本人会会員。神奈川県商工労働部新産業ベンチャー事業認定委員、デジタルハリウッド大学大学院 専任教授、現在に至る。

 

12月 10 11

「横浜売れるモノづくり研究会」の活動の軌跡です

by staff

「横浜売れるモノづくり研究会」の活動の軌跡です

2011年1月に誕生した「横浜売れるモノづくり研究会」は、この一年間で五回の研究会セミナーを開催し、納涼パーティーや映画の上映会も行いました。

第五回セミナーの報告は下記をご覧ください。

おかげさまで、研究会の活動がメディアに取り上げられるようになってきました。神奈川新聞・日刊工業新聞・日本経済新聞に掲載されました。

日刊工業新聞 横浜売れるモノづくり研究会の紹介(2011年11月9日)

日本経済新聞 ともクリエーションズ記事の中で紹介(2011年11月11日)

来年は2月の「ヨコハマテクニカルショウ2012」の見学会から始動いたします。

ヨコハマテクニカルショウ2012

2012年もよろしくお願いいたします。

 

「売れるモノづくり」についてのご相談を承ります

いいモノを作ってもなかなか売れない・・・
製造業の方々からそんな悩みをよく耳にします。
どんなに良い製品でも、市場に受け入れられなければ「モノ」で終わってしまいます。

「横浜売れるモノづくり研究会」は、神奈川県在住の企業支援の専門家やITの専門家など多種多彩なメンバーで構成されています。

「横浜売れるモノづくり研究会」では、「製品の売り方をどうしたらいいか」
という企業のご相談を随時受け付けています。

毎月一回第二木曜日には、ご相談される企業と専門家が面談を行っています。
2011年の相談は終了いたしましたが、インターネットでは随時ご相談を受け付けております。

売れるモノづくりについてのご相談はこちらにご入力下さい。
https://www.supportyou.jp/monoken/form/2/

<問合先>
横浜売れるモノづくり研究会 事務局
(株式会社ともクリエーションズ内)
〒231-0004
横浜市中区元浜町3-21-2 ヘリオス関内ビル4階
TEL 045-226-3475 FAX 045-226-3476

メディア掲載情報

 

12月 10 11

ITがつくる絆(同窓生のきずな)

by staff

 

 みなさんこんにちは。(株)ともクリエーションズの玉川です。
 今回は、同窓会で築くきずなについてご紹介します。

 先日、10年ぶりに高校の同窓会がありました。人集めは名簿がない状態から、Facebookや口コミなどで行い、結果、学年全体の約4分の1の出席となりました。

 名簿作りは通常、同窓会当日に受付で記入してもらうことになりますが、それでは記入に時間がかかったり、後の幹事の作業も大変なので、今回は、QRコードと名簿登録フォームのURLを記載した紙を配布して、後で名簿登録をしてもらうようにお願いしました。

配布チラシ

 

登録フォーム

 これで、自動でデジタル化した名簿が出来上がります。アラフォー世代の携帯の利用は個人差もあるようですが、2~3日で約7割の登録がありました。

 後で、同窓会当日に撮影した写真を送る際もサポチューのメルマガ配信機能で簡単に行うことができます。

 また、当日参加できなかった人にも名簿登録フォームのURLを連絡することで、名簿に追加することができます。

 当日の同窓会は大盛況で、思い出話や仕事・家族の話など、話しは尽きませんでした。幹事の方が、卒業アルバムを映像に編集して見せてくれたこともあり、高校時代がついこの間のことのように蘇る、心温まる同窓会でした。

 今回の同窓会をきっかけに、クラス単位や部単位での同窓会へとこれから発展していきそうです。

 幹事からのコメントもいただきました。

「卒業から20年以上経過しておりましたが、予想を上回る出席希望者に幹事一同喜びと共に、実はかなり慌てておりました。
というのも、10年前の同窓会の時に、出席者情報を幹事としてうまく引継ぐ事が出来なかった苦い思い出が蘇っていたのです。
開催までわずかとなり、もはや手書のみに頼るアナログな方法では対応しきれないと頭を抱えていたところ、玉川さんから「さぽちゅう」の利用の提案を頂きました。当日、受付で「さぽちゅう」による同窓生DB作成の案内を登録用URLを掲載して準備し、出席者へ登録の呼びかけしました。その場でQRコードで手軽に出来る事もあり、早々に多数の出席者が登録してくれていたようです。
そんな状況を横目に、手書きの情報登録受付は、30分の受付時間内に対応しきれず崩壊してました。(笑)
ひとつ、利用にあたり課題と考えていた登録率については、後日、当日撮影した写真の共有方法をメールで連絡する事をエサ(笑)にした事も功を奏したようです。
同窓会参加者との再会を、『さぽちゅう』へ登録してもらったデータのおかげで、より強い「絆」として形にできた事に安堵しています。
また、残念ながら不参加だった同窓生も、情報を聞きつけ、かなり登録を済ませているようで、最終的に予想をはるかに超える太い『絆』となりそうです。」

 このような大切な同窓生との絆づくりに、サポチューが役立つことができて本当にうれしいです。

 

「サポチューシステム」って?

 「サポチューシステム」とは、
   1.フォームを作成して
   2.データ(メールアドレスなど)を集めて
   3.メール配信する
ことが簡単にできるシステムです。

「サポチューシステム」なら、fcebookページにも入力フォームやアンケートフォームが
簡単に設置できます。 サポチュー(Supportyou)>ようこそ!

この仕組みは、いろいろな所で絆をつくることができるのです。
これから少しずつ事例をご紹介していきたいと思います。

お問合せ

(株)ともクリエーションズ
231-0004 横浜市中区元浜町3-21-2ヘリオス関内ビル4F
tel 045-226-3475
fax 045-226-3476
E-mail info@tomocre.com

サポチューシステム:http://www.support-you.jp

担当:玉川郁子 プロフィール

   横浜市磯子区生まれ。港北区育ち。
メーカーの企画部を経て(株)ともクリエーションズに在籍。
サポチューシステム企画・販売・サポート担当など。
旅行が趣味ですが、今は2010年に誕生した娘を育てることが楽しいです。

 

12月 10 11

創業125年! 蕎麦と保土ケ谷宿を愛する人に愛される店

by staff

 

 JR保土ケ谷駅西口から徒歩3分。旧東海道を1本逸れた線路沿いに、今や保土ケ谷宿の名所と言っても過言ではない江戸時代の船宿のようなお蕎麦屋さんがあります。

 『宿場そば 桑名屋』。その名の通り三重県桑名市生まれ。1886(明治19)年に保土ケ谷に移転した老舗のお蕎麦屋さんです。

 「宿場そば」の名は4代目の現在のご主人が付けたもの。実はご主人の近藤さんは地元ではかなりの有名人。というのも、保土ケ谷で「歴史を活かしたまちづくり」に取り組む第一人者だからです。

 20歳の時に先代が急逝したため、突然お店を継ぐことになったそうですが、当時はお蕎麦屋さんの仕事がつまらなくて仕方なかったとのこと。
 「ウチならではのオリジナリティは出せないものか?」と試行錯誤した結果、辿り着いたのが地元保土ケ谷の歴史。かつて保土ケ谷が東海道の宿場町だったことを知り、目からウロコだったとか。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

桑名屋

抹茶そば

 さらに、安藤広重の『東海道五十三次』に描かれた『新町橋』(保土ケ谷宿)の袂に「ニ八」という看板があることを発見。
 「保土ケ谷には宿場の蕎麦屋があったんだ!」
 と衝撃を受け、区が主催する歴史の研究会に参加するなど、保土ケ谷の郷土史を猛勉強したそうです。
 周囲から「東海道バカ」と呼ばれるようになるまで、それほどの時間は掛からなかったそうで、以来、「保土ケ谷宿場まつり」の立ち上げを始め、「東海道シンポジウム保土ケ谷宿大会」「東海道ルネッサンス」「東海道400年祭」などなど、保土ケ谷宿のみに留まらず、各宿場町と連携した数多くの事業の他、新町橋モニュメント(天王町駅前公園)や境木の武相国境(ぶそうくにざかい)モニュメント、そして国道1号沿いの「保土ケ谷宿松並木プロムナード」など、様々なハード整備事業にも常に先頭に立って取り組んできました。もちろん、宿場時代の船宿をイメージした店舗作りもご主人のデザインです。

 また、(本業の)お蕎麦屋さんとしても一流の職人で、「鉄人」道場六三郎氏からも「良い蕎麦を打つ」と評されたほど。厳選されたそば粉で、ニ八どころか九割・十割で打つ蕎麦は風味も喉越しも蕎麦好きを唸らせます。さらに、その腕前を活かして読売文化センターを始め数多くの蕎麦打ち教室で講師を務めるなど、美味しいお蕎麦の普及にも一役買っています。

 せいろはもちろん、雪割り蕎麦・そばがきはオススメメニュー。
 年越し蕎麦(お持ち帰り)のご予約も受付中です。

●生そば
●生うどん
●せいろ
●天せいろ

 

2人前 1,300円
3人前 1,900円
1人前  750円
1人前 1,500円

 

【お問い合わせ】
 宿場そば 桑名屋
 保土ケ谷区岩井町21
 Tel.045-331-0233

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

「ヨコハマ保土ヶ谷」ボランティアライター募集
応募〆切:2012年1月31日
詳細はコチラ

ヨコハマNOW掲載情報

 

12月 10 11

ナーエ地域で最高評価のワインを造るデーンホーフ家と世界最高の栄誉を担うケラー醸造所をご紹介します。

by staff

ナーエ地域で最高評価のワインを造るデーンホーフ家


写真)ナーエ川&オーバーハウゼン村

 ライン川の支流ナーエ川の流域は、中世代の地殻変動期に形成された地殻が複雑に重なる地帯のため、様々な品種のブドウが栽培され「ナーエ地域はドイツワインの試飲会場」と言われるほどです。それぞれの土壌に合わせたブドウ品種の選択によりナーエ地域では様々な性格のワインが生まれます。それだけに醸造家の栽培と醸造技術により素晴らしい高品質のワインを造りだすことができ、名門の醸造家が競い合っています。中でも近年世界的に注目されている醸造家がオーバーハウゼン(Oberhausen)のヘルマン・デーンホーフ(Hermann Dönnhoff)です。

 ヘルマン・デーンホーフ家は、1750年よりこの地でブドウ栽培を行い、高品質のワインを造りだしてきました。現当主は、ヘルムート・デーンホーフ(Helmut Dönnhoff)で、ブドウの栽培から醸造まで当主自ら畑の作業を行い、厳しい管理のもとこだわりのワイン造りを行っています。特にヘルマン・デーンホーフ醸造所は世界的に権威のあるアメリカのワイン雑誌『ワイン・スペクター(Wine Spekter)』誌で部門別で最高評価を受けています。そして、2001年産のワインの総集編では、ドイツワイン醸造所として最高評価を受けました。また、1999年には、ドイツワインのガイドブック『ゴーミヨ(Gault Millau)』で最優秀醸造所の名誉に輝いています。

 ヘルマン・デーンホーフのワインは口に含むと「明るく生き生きとした印象を受け、その瞬間芳醇な果実の風味が心地よく寄せてくる。その果実味の引き波の後には、しっかりとした酸味とミネラルが何時までも残っていく」と表現されています。

 

エチケット

左:オーナーのヘルムート・デンホフ氏

 

世界最高の栄誉を担う、ケラー醸造所


写真)ケラー9代目クラウス・ペーター・ケラーご夫妻

 南から流れ下るライン川は、東から流れ来るマイン川と合流する地点で、ちょうど北緯50度に連なるタウヌス丘陵に阻まれ西に向きを変えます。かつて氷河時代には膨大な黄土層がこの地に積み重なり、ラインヘッセン(Rheinhessen)地域は広大で緩やかな起伏の連なるドイツワイン最大の生産地となりました。黄土層に覆われた地層に栽培されるブドウはミューラ・トゥルガウ(Müller-Thurgau)に最適な生産地で、柔らかい酸味のマイルドなリープフラウミルヒ(Liebfraumilch)『聖母の乳』で有名な大衆ワインの産地となっています。

 この大衆ワインの産地の一画に位置し、ドイツ最高級ワインが誕生しているのがフレアスハイム・ダルスハイム(Flörsheim-Dalsheim)です。ここには最も多くの賞を獲得しているワイン産地としてギネスブックに認定された、ワイン造りの名門ケラー(Keller)家があります。ケラー家の先祖は、1789年よりこの地でワイン造りを初め、現当主は8代目クラウス・ケラー(Klaus Keller)氏と9代目クラウス・ペーター・ケラー(Klaus-Peter Keller)氏のケラー一族によりドイツ最高品質のワインを造りだしています。

 

ケラー単独所有畑「ダルスハイマー・フーバッカー」

エチケット

 このフレアスハイム・ダルスハイムは一般的なラインヘッセン地域の土壌と異なり、地表近くまで石灰岩の岩板か連なり、先祖はブドウ栽培には困難を窮めていました。しかしケラー一族は永年をかけて岩板を砕き、急斜面のテラス状畑を改良し、この地に適したリースリングのクローンを探し求め、栽培から醸造まできめ細やかな愛情を注いでワインを造り続けてきました。これらの努力が実り完成したケラー醸造所のワインは、数々の賞を受賞しつづけています。

 2002年にはイタリアで行われた国際部門Vinitary Veronaで最高賞を受賞しました。(2001年はフランスのChateau Margaux、1999年にはアメリカのMondaviが受賞しています。)また、毎年発行されるドイツワイン・ガイドブック『Gault-Milau』では、1994年より今日まで毎年最高評価を獲得している唯一の醸造所でもあります。

 ケラー醸造所は、家族協力の下、ブドウの一房一粒に愛情を込めたワイン造りを行っています。その様子は、岩本順子氏の著書『おいしいワインができた』で紹介されています。専門家ではない岩本氏が、ケラー醸造所で初めてワイン造りにかかわった体験が生き生きと語られています。読めばケラー一家の暖かい家庭の中で、最高品質のワインが生まれる理由を知ることができるでしょう。文庫判の小さな本ですが、一読をおすすめします。

(文・写真:ワインブティック伏見)

 

ワインブティック伏見

〒232-0001 横浜市中区新港2-2-1 横浜ワールドポーターズ1F
Tel/Fax 045(222)2112

HP: http://winecom.jp
blog: http://wine1999.blog121.fc2.com
E-mail: boutique-fushimi@winecom.jp

 

 

12月 10 11

ベンベン姐さんの三味線はじめ (こんな女に誰がした?!) 其の六

by staff

地歌 上田恵子
佐々木 彬文画伯作「瀧」の前で撮影

地歌 「千鳥の曲」

 

ベンベン姐さんのライブインフォメーション

 

ライブインフォメーションはベンベン姐さんのHPをチェキ http://www.uedakeiko-ziuta.com/

 

お弟子さん募集

 

オリジナルCD 「月の光」

 

ベンベン姐さんこと 上田恵子さん プロフィール


今月の普段着
 

東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業後、地歌演奏家として研鎖を積む。
日本古来の伝統芸能「地歌」と言うジャンルの可能性を広げるべく、料亭・バーなどのスペースを中心に、ひとり地歌ライブ(三味線古典曲)で活動中。
自作曲の製作にはじまり、尺八・ギター・胡弓等との他ジャンルとの共演も精力的に行い、毎回ユニークなコンサートを行つている。

 

活動情報はオフィシャルサイトまで
http://www.uedakeiko-ziuta.com/

上田恵子オフィシャルブログ「峠の茶屋」
http://tougenochaya.jugem.jp/

 

12月 10 11

難波潟 みじかき蘆の ふしの間も あわでこの世を すぐしてよとや

by staff

♪難波潟 みじかき蘆の ふしの間も あわでこの世を すぐしてよとや♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:伊勢(いせ)

 現代語訳:
「難波潟に生えている蘆の 短い節と節のあいだの様なほんのひと時でも逢いたいのに あなたは恋しい人に逢わないで この世を一人で過ごせとおっしゃるのですか。」

 心変わりしたつれない恋人の手紙に対する返事。と彼女の歌集には書かれています。作者の伊勢は、それは美しい女性であったと言われています。きっと立ち振る舞いから、何もかもが上品で薫るような美しさがあったのでしょう。そんな女性でも恋人から心変わりをされて振られてしまうのですから、人生は不思議です。王朝の女流歌人の中でも小野小町や和泉式部に劣らないドラマティックな人生を生きた才気あふれる女性でした。

 伊勢は、宇多天皇のお妃さま、中宮温子に仕えていましたが。その頃彼女を見染めて求愛して、恋人関係にあった藤原仲平に振られてしまいました。この歌はきっとその時に書いたものかもしれません。傷心で実家に帰っていた伊勢は一年後に中宮温子の要請で又宮仕えを始めます。そして皮肉なことに今度は宇多天皇が彼女を見染めてしまいました。天皇様では彼女も拒むことはできません。宇多天皇には沢山の后がいましたが、彼女は寵愛されて行明親王を産みました。そしてそののち 宇多天皇は退位、落飾(出家)されて、かわいい息子の行明親王も幼くして亡くなってしまいます。それだけでも十分にドラマティックなのに、そんな悲しみにうれいている伊勢を今度は宇多天皇の第四皇子あつよし親王が見染めてしまいます。その時親王は25~6歳、伊勢は30歳を過ぎていたと言います。

 30代って女性の美しさのピークかもしれませんね。そして敦慶親王の子供を産みます。その頃のエピソードで、伊勢が宇多天皇の退位後 一度又実家に下がっていた彼女に、次の天皇、醍醐天皇の仰せで歌を作るようにとのメッセージを遣わされた使者が、御簾の陰から彼女の気配を感じて、その上品な美しさに「世の中にはこんなに素晴らしい女性もいるのか・・・と感じ入った」と書き遺されているそうです。彼女の存在は、小野小町や和泉式部の様に現代では余り知られていませんが、今後きっと何かの機会に取り上げられて、王朝の初期にあでやかに活躍した三十六歌仙の一人でもある女流歌人として、大きな話題になってゆく可能性がありそうです。

 今年もあとわずかですね。どうぞ良いクリスマスと素敵な新年をお迎え下さいませ。早苗ネネ♪

毎月第2金曜日 10月14日 , 11月11日 , 12月9日 , 1月13日
6時30分~ 3回ステージ ¥5500ワンドリンク付き 入れ替えはありません。
出演:早苗ネネ パリ祭出演の歌手の方々2~3名。
新宿シャンパーニュ 電話 03-3354-8540(昼) 03-3354-2002(夜)
新宿一丁目。元新宿厚生年金前。http://www.champagne-live.com/

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

12月 10 11

僕をイヌ扱いしないでくれるかい。僕は横浜市港北区の柴犬、其の名は「小太郎」!

by staff

 横浜市港北区にお住まいの杉田さんの愛犬小太郎くんは、気が弱くて寂しがりや。家族の人が小太郎くんに気づかれずに外出した時、大変なことが起こりました。
 一人にされたことに気づいた小太郎くんは、ゴミ箱をひっくり返して家の中をごちゃごちゃにしました。
 「僕をイヌ扱いしないでくれるかい。みんなと同じ人間なんだ。」
 そう言わんばかりの剣幕だったそうです。

名前 小太郎
犬種 柴犬 オス
年齢 7歳
アレルギーがあり皮膚が荒れ易いので、漢方薬や海水浴、温泉入浴で治療しています。
(年に一度は海水浴に行きペット宿泊OKの湯河原 亀屋旅館http://www.kameya.net/に宿泊)

柴犬 小太郎くん

 

12月 10 11

具象と抽象の間、「生命」を描くユニークな日本画家。
日本画家・茶道(裏千家)講師 佐々木彬文さん

by staff

 始めて「チェロを弾いている婦人」の墨絵を見た時、色彩のない絵から不思議と色と音色を感じました。佐々木彬文さんは日本画家であり茶道の講師でもあります。そのかたわら趣味でギターの演奏をされています。2011年11月19日と20日の2日間、ワールドポーターズ6Fのワインのイベント(ワインブテック伏見/主催)でギター演奏をされると知りインタビューに伺いました。

佐々木彬文さん  
お名前 佐々木 彬文(ささき りんぶん)
(ご本名:佐々木 秀夫)
ご出身 兵庫県神戸市長田
お生まれ 昭和27年6月 蟹座生まれ
現在の居住 横浜市中区山元町
お仕事 日本画家(彬文会主宰)
茶道講師(裏千家/佐々木宗秀)
クラッシックギター演奏家
(教室/出稽古/演奏活動)
連絡先:045-641-6822
rinbun@ac.auone-net.jp
趣味 ドイツワイン・ワイン

具象と抽象の間、「生命」を描くユニークな日本画家と言われています。

 難しいことを言われていますが、描きたいものを描きたいように描いているだけです。

 「魚の有る風景」は魚を美味しく食べたいと思って描いてみました。

 「遊」という絵はパネルに和紙を貼っているうちに夜も更け、布団に入ると「遊」という字を描いている夢を見たのです。夢の中で何度も描いているので、すっかり目が覚めてしまい、夜中に起きて窓を開け部屋の空気を清めてから、筆を取り、一気に描き上げました。「遊」は描くというよりは、自己を開放し無の境地になり筆にまかせ筆の走るままに描いた作品です。

 このように墨の濃淡だけで一気に描きあげてしまう作風もありますが、大作「瀧」は完成に3年かかりました。「那智の滝」をイメージした作品です。健康を害してから大きな号数の絵はやめております。体力を消耗するからです。この「瀧」が私の作品の中では大作になります。

 日本画というと敷居が高い感じを受けますが、日本に西洋画が入って来た時ジャンル分けをする為に「日本画」という言葉を作ったのです。日本人が描けば「日本画」なのですから(微笑)。あえて言えば、チューブに入った水彩絵具や油絵具を使う洋画と、「岩絵の具とにかわ」や「墨」「うるし蒔絵の技法」を使ってかかれた絵が「日本画」という違いです。

佐々木 彬文画伯 日本画展の作品

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

作品「魚の有る風景」

作品「遊」

作品「瀧」

絵を描くようになったのは?

 神戸の長田に住んでおりました。そう、震災で大火事のあったあの長田地区です。
 父は抽象画家でした。油絵です。私は小学校1~2年生の頃から父の影響で油絵を描かせられました。とにかく厳しい父親で「教える」というよりも「いじめられた」という印象が強いです。ダメだしばかりでしたから(笑) 面白いエピソードがありますよ。

 小学生時代、動物園の写生会に父と一緒に行ったのですが、何度描いても父の「ダメだし」にあって、それならと父がスケッチしていたものをちゃっかりといただいて、コンテストに出したのですが・・・小学生の作品展に入選どころか「落選」しましたね。(笑)

 厳しい父でしたが、父のお陰で家には貴重な美術の本がありました。次から次へと本を読みました。日本画は独学に近いです。最初に油絵を父に習ったこともあり、日本画を描くようになっても、色を作る時に絵具を重ねる子供の時からの独特の癖がユニークな作風になったと思います。
 伊藤髟耳先生に色んなお話しを伺ったりしましたが、習ったと言えば、神戸の長田無線の2階に小笠原誠治先生が奥様と暮らして居られました頃にご教授いただきました。
 どの流派にも属さないので、絵画の発表の場といえば「個展」になります。イル・ジョカトーレ横浜公園店 イタリアンレストラン(http://youtu.be/BgP0U33CiZ)では展示販売もしています。

茶道は大好きだった叔父の点ててくれたお茶がきっかけです。

 私にとっての習い事は「茶道」になります。叔父はもの静かな人でした。父とは真逆の性格で、叔父に可愛がってもらいました。幼稚園の頃から叔父の嗜む茶道に興味を覚えました。茶道は床の間に飾るお花や、お茶席の作法、茶会席・・・所作から料理まで広く学ばなければなりませんでした。「知る」ことの楽しさを「茶道」から学びました。

 私は稽古に本物の茶器を使います。本物を使うことにより目を養います。

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佐々木 彬文さん

目を養うことで、良いものがわかるようになります。本物を大切にしようと思う気持ちが生まれます。「大事にする」という気配りが美しい所作に繋がります。お稽古ごとも普段の生活の中に活かせる所作や学びでないともったいないです。

 出稽古にも本物の茶碗を持って行きます。割れても「お茶碗の寿命」だと思う覚悟が要りますけれど、それでもお弟子さんには本物に触れて欲しいと思います。日本画家は漆に金箔を使うので、私は金継ぎができますから(笑)割れた時はね・・・・。

ギターが習いたくてクラッシックギター部のあった神戸商業高校を選びました。

 神戸商業高校に入ったのはクラッシックギター部があったからです。ギターは小学校4年生の頃に始めます。絵画だけでは食べていけなかった父は進駐軍のJAZZオーケストラで指揮棒を振っていました。家には五線譜やスコア集、世界の国歌大全集がありました。

 厳しい父のいる家から早く出たくて、人の紹介で神戸郵船のデーター通信室に務めることにしました。現在の郵船情報開発です。技術部に23年間務めました。

 その間、夜に神戸のレストランや芦屋のサロンで演奏したりしました。首の神経を痛めて指がしびれてしまい、以前のような大曲は弾けなくなりました。

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佐々木 彬文さん

近頃はこういったイベントのBGMを演奏しています。以前よりも気持ちはのびのびと弾けるようになりました。

阪神淡路大震災を経て横浜に。

 1993年11月千葉で病に倒れ国立千葉病院に入院。特発性拡張型うっ血型心筋症という難病だと分かりました。芹山先生に命を助けられます。翌年の1994年6月に退院し、長田の実家に帰ったのが1994年9月。そして1995年1月17日に震災に合いました。

 震災の後、実家の片づけ等は直ぐに手を付けることが出来ず放置されるままに、父の絵は全て雨などで傷んでしまいました。私は父があの世に持って行ったと思っています。 避難所の環境は、難病を持つ私にとって最悪の環境でした。私は鎌倉の友人を頼り、鎌倉へ移住。現在は横浜の中区山元町に住して居ります。

 日本画家にとって、岩絵の具の種類が豊富な「絵具屋三吉」が近いので横浜はとても便利な所です。(絵具屋三吉:http://www.sankichi.com/

あなたにとって横浜は?

 大病を経験し、大震災に遭遇し、命の重さを考えるようになりました。 私の絵が命の創造と終焉、神との相対そして命の再生だと言われるのはこうした理由からだと思います。心臓のリズムを感じて絵を描き、ギターを演奏しています。

 横浜に住んで見て、もっと美を身近に意識することを勧めていきたいと思っています。例えば、祭りや文化を発信する基地として「お寺」を有効活用したいです。「お寺ルネッサンス」とでも言いましょうか、

宗教というよりもコミュニティセンターとして、身近なお寺での「お茶会」や「絵画展」「音楽のコンサート」「お祭り」・・・かつて日本にあった寺を中心とした日常を取り戻したいと思っています。
 お寺が恒久的に成り立つようになって頂きたい思いと、皆様にはもっと身近にお寺や神社を感じて頂きたいのです。

 私にとっての横浜は「一息一休」です。

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私にとっての横浜は「一息一休」です

感謝をこめて、あなたへ(佐々木彬文さんの言葉のままに)

 鎌倉の聖テレジア病院の小嶋吾郎先生が病気に付いてお話しして下さった事が有りました。
 心臓移植とかしか根本的な治療の方法が無い病気ですが、移植は若い人順だからと話して下さり「私には移植のチャンスは来ない」と・・・・ 
 私の活動を普段から見守って下さっておられました先生でしたから『この病気は偉大な仕事を残す為の切符だと思いなさい。』とお話し下さった事が有りました。
 気持ちが楽になり競争とか人と比べるとかを捨て、思う儘に仕事をして参りました。笑って総てを受け入れ暮らせる様になりました。

 今迄、私を助けて下さった多くの皆様ありがとうございました。

(文:高野慈子

 

12月 10 11

業界では珍しい建材店の二代目女性社長
有限会社二瓶建材 代表取締役 湯川則子さん

by staff

 カラフル☆ヘルメットや防災グッズ。「何でも間に合う」をモットーに綜合建築資材販売店を経営する『美しすぎる建材屋』湯川則子さん。常に地域と調和する店づくりを目指していらっしゃる、業界では珍しい建材店の二代目女性社長、有限会社二瓶建材 代表取締役 湯川則子さんにお話を伺いました。

湯川則子さん  
お名前 湯川 則子(ゆかわ のりこ)
ご出身 横浜市港北区
年令 サンパチのうさぎ
家族構成 大切な一人息子がおります。
現住所ア 港北区新横浜
ご職業 有限会社二瓶建材 代表取締役
趣味 ゴルフ
「株式会社BBQ」と言われるくらい、バーベキューパーティを開いたり、実は料理も好きなので仲間とホームパーティもよく開きます。
ご性格 元来は非常にのんびりした性格で子供の頃は、父親からよく「のろ子」と呼ばれていました。今はまったく反対でとても素早く動けます。基本的にはとても明るい性格と思います。

有限会社二瓶建材 http://www.nihei-kz.co.jp/

 

横浜生まれの横浜育ち、ずっとこの地で育って暮らしてきたとのことですね。

 小学校は地元の公立に行き、中学・高校と私立捜真女学校に進学しました。小学校3年から二十歳頃まで、日本舞踊(若柳流)を習っていました。
小学校時代は今思えば、一生分くらいの勉強をしていたように思います。商売人の子どもは親にあまりかまってもらえないんです。下に妹と弟がすぐ生まれたこともあって、成績をよくすることで親の注目をひき、自分のポジショニングを作ろうとしていたんだと思います。
おかげで中学入学以降は全く勉強はしなくなり、芸能人や高校野球の追っかけや友人たちとショッピング等、遊んでばかりでした。入部した放送研究部で部長を務めて、とても和気アイアイと友人と過ごしました。当時は今ほど受験などにきびしい校風ではなく、みだしなみには厳しかったですが、のどかでおだやかな学園生活でした。お弁当時間に、おかずの持ち合いをしてバイキングにしてみたり、じゃんけんで負けてマックにハンバーガーを買いに行ったりと、とても楽しい6年間でした。今でもその時の友人たちとはとても仲良くして生涯の友を得たと思います。

そういう体験が、今の湯川さんの人間形成の基本になっているんですね。

 そうかもしれません。その頃の友達とは今もほとんどつながっています。とにかく友達づきあいが長いんです。あの頃と、みんな全然変わらないですよ。容姿はどんどん変わりましたけど(笑)。

その後はどんな進路を選択されたのですか。

 2年間専門学校に行って、広告のレイアウトとかキャッチコピーを考えたりするコースに通いました。実家の商売にも役に立つかもしれない、という気持ちもあってのことでしたが、実際やってみると、才能のなさに気づくことが多かったですね。自分としてはよくできたと思っていても、人から笑われることも多かったです。やはり才能の問題ですね・・・。その頃の友人たちで、才能がある子たちは今でも編集やっていたり、タウン誌とか、ミニコミで活躍していたり、大手広告代理店に職を得ていたり。今振り返ると、あのころが自分としては、低迷期でしたね。高校までのほほんと生きてきてしまったので、いざ就職活動となると、行きたいと思えるところには内定をもらえず、「もうちょっと勉強しておけばよかった」と思いました。自分作りをきちんとしなくては、と二十歳くらいの時に焦りすら覚えました。このころに異なる角度で、自分を捉えなおすよい機会になったと思います。
 結局、知り合いの紹介で、関内の法律事務所の事務の仕事に就きました。住んでる場所が横浜のド田舎でしたから、やはり活気のあるところで「花のOL」をやってみたかったのです。

 私は弁護士の先生の書類の作成や、銀行の業務、裁判所への届け物などの仕事をしておりました。4年半勤めて、少しずつ任せてもらえる業務の幅が広がり楽しかったです。
また、全国の法律事務員さんたちの交流会というのがあり、その年ちょうど横浜で開催されることになって、幹事の一人になりました。横浜の良いところを知ってもらうべく、名所のスライドを作ったり、企画に携わり、大成功でした。その縁でその仲間の方々とサークル「マリンオフィスクラブ」を立ち上げ、当時21歳だったのですが、なぜか初代会長になりました。年齢層も幅広かったですが、勉強会はもちろん、いろいろなところへ旅行に行ったりととても楽しい会でした。もちろんその時の友人とも今もおつき合いしています。

楽しいOL時代を過ごされたのですね。

 ええ、でも父親が会津若松出身ということもあり、封建的で、早く帰ってこないとこっぴどく怒られました。とにかく「挨拶」、「礼儀」、「靴の揃え方」、「食べ方」等に厳しい人でした。

法律事務所をやめ、家業を手伝うことになったきっかけは?

 封建的な家だったので、「一族郎党が総出で商売を行う」ことが当たり前の家庭でした。時代もあったのでしょうが、建材を扱う家業がどんどん忙しくなっていく中、長女が関内で働いているからといって、プラプラ飲み歩いて深夜に帰宅するというのは、両親としても許せなかったようです。早く家業を手伝ってくれ、と言われ続けましたね。そういうこともあって、もう4年半も働いたからそろそろ手伝うか、という感じで辞めました。24歳の春でしたね。

入社してからはどんなお仕事をしていたのですか?

 当時はバブルで建設業界はとてもいい時代だったと思います。建材店と生コン工場を運営していましたので、とても忙しかったです。店を切り盛りしていたのは母で、もっぱら父は現場です。母も営業を兼ねてお客様と出ることも多いので、やはり娘の私が側にいるのは安心だったようで、私と下の妹とで手伝っていました。私はお客様の対応と請求書などを作る業務です。とても忙しかったので、私もフォークリフトに乗ってセメントを積んだりもしましたよ。何度かダンプにぶつけては笑ってごまかしたりしてましたけれど。父や母のアイディアで日曜大工の物も置きだして、「何でも間に合う」を合言葉に一家で頑張りました。商売にはとても厳しい母でした。出産を間近にしてもお産は病気ではない、と働かされました。息子を産んでも、月末は忙しいのでミルクを飲ませながら車で集金などをして回りました。息子が一才の時に保育園に入れて、また本格的に仕事に戻りました。それまでの考えと大きく変わる商売への意欲のわいた時期だった気がします。子供と十分に接してあげれず悩んだ時もありましたが、できる限りの愛情は注いだつもりです。

この業界で、女性が社長を務められているケースは珍しいと思います。どういうきっかけで継ぐことになったのですか?

 母が脳梗塞で倒れ、その後父の病気をきっかけに、平成16年に、正式に経営者を引き継ぐことになりました。母が倒れて以来、資金繰り含め、切り盛りをしてきているという自覚はあったものの、やることは変わらないにしても責任を負ったな、と思いました。会社にいる従業員たちの面倒をみなければとか、業者に対しても責任を感じました。それまでは「社長の娘」という蓑の下で許されてきたことも、自分の中でそういう甘えは消したい、と思い、いろいろな試行錯誤をしました。

 母が脳梗塞で倒れた時、幸いにも命は取り留めましたが、左半身に麻痺が残り、足が不自由になってしまいました。母が動けるうちに社屋を建て替えてあげたいというのが私の夢でした。平成18年に建て替えることができたのですが、お客様にゆっくりしていただけるようなスペースも作りたいということでカウンターを作ったり、カフェを併設したりしました。そうすれば、地域の人にとってもほっとできる場になるし、母の居場所にもなるかな、と思って。

 今では女性であることの強みを考え「美しすぎる建材屋」と勝手に自分でキャッチフレーズをつけて皆様に大笑いされています。

経営者として大切にしていることは?

 座右の銘は「信じる者は救われる」です。出会った人たちとの関係を大切にしながら楽しく関わることが仕事につながっていくと思います。経営していると葛藤する場面はいろいろありますが、笑う門には福来る、の言葉通り、自分が楽しくいることが大事と思っています。

 このあたりの地域は、昔から地縁が強いんです。父母の代からの信頼をベースに誠実に仕事をしていくことが大切だと思っています。「のりちゃん」と父母の代からのお客様にかわいがって頂くと、とてもうれしいです。

今後は、どんな風に事業を進めていきたいですか?

 昨年、実はちょっと体調を崩して、弱気になったことがあったんです。もともと丈夫なわけではないのに、ずっと無理していたのかもしれませんね。ときどき大きな病気をすることもありましたが、昨年、体調がすぐれないことが長く続いて。今までのように、「どんどんあれをやろう、これをやろう」という企画が湧き上がってこなくなって、ピタッと止まった時、すごく焦ったし、精神的にもきつかったです。特に身体が思うように動かないことがもどかしくて、伏せることが多かったです。年齢の節目ですね。

 実は今年の春くらいまでそういう状態におかれていたんです。少し弱きでくじけそうでしたが「よし、あと10年頑張るぞ」とゴールを自分で設定したら少し気が楽になり、逆に励みになりだしました。実際はずっと頑張らざるを得ないのでしょうが、次世代に何を贈るのかという事を考えると、区切ってものを考えるのも一つかと思います。

 信条としては、クールに「区切り」を見据えて、今できることをやっていくだけだと思っています。10年頑張って、その先の展開はそれから考えようという心持です。よく後継者の問題はどこも頭を悩ませていると思いますけど、うちの場合も父が、事業に執着を持っている姿を目の当たりにしてきたので、私はそうはならない、と決めていました。息子が継いでくれたらそれに越したことはありませんが、息子が何を生業とするにも、息子の負担にならないように、息子にとって良い形になるようにしていきたいと思っています。

 最近は経営環境も変化してきていますし、ホームセンターで建材屋のようなところも増えてきています。私達も工事業とか、リフォーム業とか、間口を広げるようにしていて、頼まれたらやる、というスタンスをとっていますね。あとは土地の有効利用も意識して、貸し物件を造り、早い段階から対策を進めてきました。夢がないといえばないのかもしれませんが、現実と向き合うことも大切だと思っています。「何でも間に合う」努力はゆるめずにがんばる所存です。

湯川さんにとって横浜とは?

 お帰りと言ってくれる場所、です。
 二瓶建材のロゴは、仲間の会社にお願いして「楽しい感じ、かわいい感じで」とリクエストしたら、元気の出る黄色のニコちゃんマークのロゴになりました。最近、看板を新しくしたのですが、鳥山町に帰ってきた人が、「帰ってきたな~」とほっとできるようなそんな看板にしたいと思って作りました。地域の方々から、「ほっとする」と褒められると、嬉しいです。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

湯川則子さん

(紹介者:有限会社ニューイング 工藤 文子 文:NPO法人ETIC. 田中多恵)

 

11月 10 11

ブラとも 横浜「市民の森」がお気に入りです

by staff

 

 横浜と言えば、海や港のイメージですが実は山林もたくさんあるのです。

 横浜の山林や森を守ろうという制度が「市民の森」です。「市民の森」は、山林所有者のご好意により、市が土地を借りて、森の中を散策できるように整備して一般に公開をしたものです。昭和46年度(1971年)に始まった「市民の森」は、現在34か所、総面積が約460haにわたるそうです。

横浜市環境創造局「市民の森」 http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/green/shiminnomori/

 最近は、休日の朝のウォーキング場所として「市民の森」に行っています。「市民の森」は、通常の公園と異なり自然を生かした自然林です。中には急な山坂もあり、散策と言うよりはトレッキングと言った方がいいかもしれません。私が訪れた「市民の森」中からお気に入りをご紹介いたします。

 

称名寺市民の森

 世界遺産として申請中の称名寺境内をぐるりと取りまいた山林です。金沢区の海の近くにあります。金沢山のてっぺんの八角堂広場からは四方が見渡せて、とてもいい眺めです。

 称名寺は、13世紀半ばに建てられた金沢北条一族の菩提寺です。森の中には金沢北条一族のお墓もありました。上りはそんなに急ではありませんでしたが、下りの階段は狭くて急で、鎌倉時代の方々はこんなに急な階段を下りたのかと驚きました。

 称名寺の境内は阿字ヶ池を中心とした鎌倉時代の浄土庭園になっています。称名寺には大勢の観光客が訪れるようですが、「市民の森」にまで足を運ぶ方は少ないようです。

 称名寺に隣接して神奈川県立金沢文庫(中世歴史博物館)があります。散策の帰りに鎌倉時代の文化に触れることもできます。

神奈川県立金沢文庫
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm

 

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)


称名寺眺め


称名寺


称名寺

 

瀬上市民の森

 栄区の東部にあります。すぐ隣は円海山と氷取沢市民の森です。森の中に入ると急な山坂が続いています。水が豊かなせいか大きなシダやコケがたくさん生えていました。アップダウンを繰り返していくと中央に瀬上池があります。静まり返った森の中に突如として現れる池は神秘的な感じです。

 水面に浮かぶ木々を見ていると、横浜にいるのかしらと思ってしまいます。紅葉の時期はさぞかしきれいでしょうね。

 

舞岡ふるさとの森

 戸塚区にある地下鉄舞岡駅の近くにあります。自然のままの森が広がっています。そんなにアップダウンもなく歩きやすい森でした。

 市民の森に隣接する舞岡公園は、市内に4か所ある「広域公園」のひとつで28haもあります。園内は、田んぼや雑木林、広場などの緑地の他、戸塚区品濃町にあった古民家『旧金子家住宅母屋』が移築、復元されています。私達が訪れたときは、ボランティアの方々が田んぼなどを整備されていました。

 地下鉄舞岡駅から舞岡公園に至る歩道には、小川が流れていて「舞岡町小川アメニティ」と呼ばれています。途中には水車や休憩所などもあり、素敵な散策路になっています。

ふるさと舞岡ぶらりマップ
http://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/kusei/files/maioka.pdf

 

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)


瀬上散策


瀬上池


瀬上池

 「市民の森」ではたくさんのボランティアが活躍しています。横浜市では、「森づくりボランティア」の育成に力を入れていますが、ボランティアの高齢化が目立つようです。森は私達を災害から守ってくれる大事な自然資産です。かけがえのない自然をどのように守っていくのか、自分達への宿題として取り組まなければならないと思います。

 

11月 10 11

2011年11月 「ありがとう、スティーブ・ジョブズ!」

by staff

 このヨコハマNOWには、ジョブズのスタンフォード大学における2005年の卒業生へのはなむけの名演説が載っている。この演説は何度でも聞きたい普遍的な魅力をもつ。ジョウン・バエズの美しい旋律に乗せてキング牧師の鮮烈なメッセージを込めたかのようで、リンカーンのゲティスバーグ演説に匹敵する歴史を動かす珠玉の作品であると思う。

 突然の死からひと月もたたない間に100万部を突破した伝記が、日本語版も含めて世界同時発売されたスティーブ・ジョブズ。この天才的事業家の名前は既にエジソンやフォードと並ぶ名前となっている。彼の業績や人生はこれから何十年もの間、世界中の人たちから注目され続けるであろう。そして、その劇的な生涯を彼とともに生きてきた我々は時代の生き証人としての幸運を肌で感じ取れるのである。

 彼の亡くなった年齢を聞いてちょっと調べてみて、この魅力あふれる天才には有名な同級生がたくさんいることを知った。第二次世界大戦が終結したあの1945年。それから10年して、日本では55年体制と呼ばれたその年に生まれたジョブズ。彼と同じ年に生まれた人たちの中に、なんと、ビル・ゲイツがいて、また日本には、郷ひろみと江川卓がいるのをご存知だろうか。養子として育った天才的なスティーブは人生を走り抜け、その命は燃えつき夜鷹の星となった。ビルは巨万の富をもとに世界一の基金をつくり21世紀のカーネギーになろうとしているかの如くだ。郷ひろみは「君たち女の子いぇいいぇい」のティーンのアイドルから、日本発ラテン系エンターテイナーとしての新境地を開いている。怪物くん、江川は大学受験に失敗、空白の一日などを経て、《エガワる》存在から小林との和解と別れや事業の問題などを乗り越えんとし、数年のうちにはおそらくは遅咲きの巨人の監督として一時代を築くのであろうか。

 たまたまこの4人と同じ1955年にこの世に生を受けたわたくしは、どうゆうわけか、彼ら、「天才秀才鬼才美才」を常に同時代人(contemporary)のなかの同級生として意識して生きてきた。ゴウゴウ(55)から権六(56)となったわれら、55年体制世代は、《松坂世代》でも《ハンカチ世代》でもない《ジョブズ世代》であり、パソコン革命と通信革命の嵐をその身に感じて成長してきた。手書きの清書をする仕事が存在したころに社会人になり、ワングの英文ワープロからしばらくして東芝ルポの日本語ワープロが登場し、パソコンがいつの間にか必須用品となり、デスクの上に大きな場所を占めるようになっていった。そしていつしかインターネットというものが当たり前になり、携帯が小さくなり、メイルが送れるというiモードなるものが時代の先端となったかと思う間もなく、いまやスマホなどという変な名前が流行語となる時代だ。

 この間、バトンを受け取った我々の世代は世代間の架け橋となって、先輩世代の知恵や良心を受け渡す《ワン・ブリッジ》たらんとして懸命に生きてきた。そして今、ジョブズの遺言となったあのスピーチを何度でも繰り返し聞き直してみて、情報革命というものは何だったのかを振り返ってみたい気分になった。先日この《ヨコハマNOW》のものづくり研究会の企画で再度見る機会のあった木下徹監督の作品「さくらさくら」の高峰譲吉博士の精神 “Try, Try Again” を思い出した。偉人たちに共通するこのような不屈の魂をすべての世代とともに分かち合いたい気持ちで一杯だ。日本語でも英語でもその楽しみを同じ志や気質をもつ友人たちと分かち合って、天から与えられた生命の奇跡を深く味わっていきたい。そのためにはできればジョブズのスピーチを暗記してみるのがよいだろう。歌を覚えるつもりでこの若人たちへのはなむけの言葉の簡潔にして美しい英語の詩とその背後にある思想を味わおう。そうすれば知らぬ間に英語が上達しているのに気づくだろう。

 言葉は意味を噛みしめながらゆっくりとスローフードのごとくに覚えるといいと思う。外国人が日本語を覚えるのも同じだ。本日地域の国際交流座談会に出席してそう思った。8人のパネリストの中にタイからきて20年になる日本人と結婚した女性がいた。実にさわやかな人だった。彼女の好きな言葉に「幸福」というのがあった。彼女と話した。とても幸せな良い笑顔だった。そして幸せなのは、優しくて良いご主人とめぐりあってこの日本での生活を一生懸命生きているからだと分かった。ルイ・アームストロングの名曲が心に浮かんだ。What a wonderful world! IT革命を経験した我々は、人類の史上はじめて、地球人という感覚を日々感じながら生きているのだ。30年以上前に初めて行ったロサンゼルスのディズニーランドでBank of Americaスポンサーによる建物が気に入った。あの音楽が聞こえてくる。It’s a small, small world. 世界の子供たちの人形が歌う世界だ。

 11月の文化の日の翌日からの3日間、山口百恵と水谷豊の住む中央線の郊外の学園都市である国立市は天下市と一橋祭に沸いていた。われこそは、21世紀を、前世期までとは全く異なる《向上心》と《和解》そして《寛容》を基調とし、《競争のための競争原理》と《自己満足》からの脱皮を実現するひとりとならんと欲するものである。「われは海の子、白波の」の歌とともに《ジョブズ世代》の一員として、駅伝の選手として美しく突っ走っていきたい。宮澤賢治の「雨にも負けず」の精神でもって大震災後の世の中に新時代の指導理念を創出したい。自分はこの激動の時代に日本男子たることに幸運を感じるものである。

 ”Stay hungry, stay foolish. It was their farewell message. I have always wished that for myself. And now as you graduate to begin anew, I wish that for you. Stay hungry, stay foolish. Thank you all, very much.”

 スピーチの最後に響くギターの音色を胸に今日も明日も明後日も前進していこう。

 

小田切英治郎 プロフィール

昭和30年5月、北九州生まれ。牡牛座、A型。横浜と横須賀育ち、県立横須賀高校から一橋大学で国際法を学ぶ。米国駐在を含めた金融機関勤務、中堅企業やベンチャーでの仕事を経て、文化や経営、社会や歴史を中心とする翻訳や日本語や英語での執筆に従事。 米国のビジネス論文、大手企業の週刊文化発信、米国の社会改革の論文等の和訳に加えて、バイリンガルのライフスタイル雑誌・ウェブサイト・ブローシャー等の日本語版制作にも携わる。 ラッセル、ドラッカー、ガルブレイスに目を通し、中島みゆきに耳を傾けると、城達也の声や、淀川長治の顔が浮かんできた。21世紀の地球は、地上の星が満天の星と対等に挨拶できるような星になってほしい。三権+メディア+金融の五権の分立を基本として、ペンは剣よりも金塊よりも歯切れよく、人は大海に向かって船出し、笑顔で戻ってくるのだ。

 

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11月 10 11

ソーシャルメディアの正体(第四回)

by staff

デジタルハリウッド大学大学院/NVD株式会社 松本英博

1.ソーシャルメディアでつぶやきに挑戦

 前回の傾聴、つまり「きき耳をたてる」ことと、つぶやきの大きな違いは、ソーシャルメディアに参加している生活者や更につながっている生活者を含めた不特定多数に対するアクションであることだ。企業が取るアクションであるからリアクションもあるし、つぶやきに対するリアクションに責任を持つ必要も出てくる。

 ここでは、つぶやき、更に対話への戦略を考える前に、通常の企業の情報発信を考えておこう。というのは、一足飛びに顧客への対話に進む前に、従来の情報発信との違いを知ることだ。現段階で課題を抱きながら、対話戦略を取ることにリスクを伴うことを知っておこう。

2.情報発信の目的は?

 一般に、企業が情報発信する媒体(メディア)として、自営メディア、購入メディア、ソーシャルメディアがあると言われる。ソーシャルメディアは、すでに紹介しているので省くと、自営メディアは、広報部門や宣伝部門が所轄し、自ら情報を提供する。商品発表のプレスリリース等がこれに当たる。一方、同じ所轄部門でも広告代理店なども含めて企画をねり、自社ではメディア自身を持たずに、商品情報など情報の中身(コンテンツ)だけを提供し、出稿料を支払う購入メディアがある。

 さて、気付くべきは、自営や購入メディアは、自社からの一方的な情報発信であること。言い換えれば、生活者のニーズによって、受け入れが決まり、情報発信の良否が決まる。すでに購入した生活者なら、新製品の広告をしても、タイミングが悪かった、と悔いる情報になるし、未購入者で興味がなければ、騒々しいだけのものかもしれない。

 そこで、明確にすべきは、商品のを伝えたいのかということである。こう訊ねれば、経営者の誰しもが、「それは商品の良さ」と答えるかもしれない。しかし、本当に「良さ」が、とことんまで追求されているだろうか?また、それが今までの情報発信で明確に伝えられているだろうか?

 さらに、ソーシャルメディアにつぶやく前の点検として、以下の問いに答えていただきたい。

自社は社会の何に貢献しているのか。その価値を具体的にあげてみよう。

お客様にどのように貢献するのか。具体的なアクションをあげてみよう。

お客様も含め、取引先や仕入れ先、納入先や販売店など自社の関係者に、商品を通じて自社はどのように貢献しているか。

言行一致が約束できるか。一部が全体、全体が一部の代弁者となりうるか。

生活者(購入者とは限らない)と具体的に誰がどんな手段でどのように対話するのか。商品の開発、製造、物流、マーケティング・販売、サポートの各部門で、誰がどのように生活者の目線で対話ができるか。

 

 さて、これらの回答は、自社の対話戦略の設計図になりうる。なぜなら、これらが明確になった時、初めて、一方通行の情報発信に終始した自社が、一歩前に出るチャレンジの準備になるからだ。つぶやきのよる責任やアクションに対するリスクはある。しかし、ここで手に入る果実は、お客様の生の声という、自社のどの部門も喉から手が出るほど欲しい情報である。

3.対話へのいざない

 傾聴戦略が基本であることは、前回のべた。リスク管理は先ずは傾聴した情報から、上記の5つのポイントを明確にして、「小さく始めて、大きく育てる」戦略で進めよう。

 自営や購入メディアとは異なり、ソーシャルメディアは、自社を取り囲むファン候補が核になることが多い。ファン候補を本当のファンとして自社と対話してくれれば、ソーシャルメディアに期待する口コミやブランドの強化も可能となる。それでは、自社のファンを見つけ、活性化するにはどうすればよいのだろうか?

 基本的には、ツイッターやフェイスブック、MIXIのようなソーシャルメディア自身に自社のファンを見つけ、活性化する機能はない。これを見誤ってはいけない。あくまでも自社の方で、ファン化を進める準備することになる。その第一歩が、自社の人格力を代表する経営指針やお客様から見た自社商品の「良さ」を整理し、対話を行う現場に理解されていることである。全く常識的なことだと思われるであろうが、対話が進んだときに、この理解があやふやで不十分あれば、上記の(4)言行一致が約束されなくなる。そこでもう対話は途切れてしまう。

 現場の各部門で対話を行う担当であれば、是非読んでほしい参考図書が、『生協の白石さん』(白石 昌則著、講談社)である。単なる売り手でない白石さんのウィットにとんだメッセージから多くのヒントが得られるはずだ。

 準備ができたら、現場の対話担当が自ら対話を「体験」すること。そして、社内で情報を共有すること。傾聴した内容と突き合わせて分析すること。そして、アクションも共有した社内のメンバの協議の上、出来るだけ速く進めること。ここから先はPDCAサイクルだ。

 対話戦略に定石はない。しかし、自社「ならでは」のお客様との対話が身に付けば、ソーシャルメディアが自分たちのコントロールできるものではなく、むしろ、自社を知って身を投じる必要があることに気付くだろう。

次回の予告:
次回の予告:次回は、「ソーシャルメディアの光と影」と題して「リスク管理とソーシャルメディア・マーケティング」を解説する。

松本英博 プロフィール

 

松本 英博(まつもと ひでひろ)

デジタルハリウッド大学大学院 専任教授/NVD株式会社 代表取締役

 京都府出身。18年にわたりNECに勤務。同社のパーソナルメディア開発本部で、MPEG1でのマルチメディア技術の開発と国際標準化と日本工業規格 (JIS)化を行い、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボで画像圧縮技術を習得のため留学。帰国後、ネットワークス開発研究所ではWAPや i-モードなどの無線インターネットアクセス技術の応用製品の開発と国際標準化を技術マネジャーとして指揮。

 NEC退社後、ベンチャー投資会社ネオテニーにおいて大企業の新規事業開発支援、社内ベンチャーの事業化支援を行い、2002年9月にネオテニーから分離独立し、NVD株式会社(旧ネオテニーベンチャー開発)を設立、代表取締役に就任。大手企業の新規事業開発・社内ベンチャー育成などのコンサルティング 実績を持つ。

 IEEE(米国電子工学学会)会員、MIT日本人会会員。神奈川県商工労働部新産業ベンチャー事業認定委員、デジタルハリウッド大学大学院 専任教授、現在に至る。

 

11月 10 11

「レッドライト」 (連載第8回) ヨコハマで殺して

by staff


中華街の外人バーの生き残り「ノーザンライト」の店内。昨年取り壊された。

 アメリカ人ジャーナリストで、英語教師でもあるバーリット・セービン(Burritt Sabin)氏は、フリゲート艦の乗組員として1975年に横浜にやって来た。来日当初は米軍横須賀基地の一兵卒で、新山下にあった米軍独身寮(ベイサイド・コート)暮らし。元町のパブや中華街のジャズバーで日本語を覚えたという。

 そんなセービン氏が、横浜を舞台にしたとっておきの洋書を紹介してくれた。アール・ノーマン (Earl Norman) 作 “Kill Me in Yokohama”。ヨコハマで殺して。すごいタイトルだ。

 この本は1960年代に出回った「Kill Meシリーズ」という、日本を舞台にしたペーパーバックのミステリーシリーズのひとつだ。タイトルが「Kill Me」ではじまる一連のシリーズなので、こう呼ばれている。 翻訳家の宮脇孝雄氏によると、以前は古本屋によく転がっていたが、だいたい米軍払い下げのスタンプか押してあったそうである。つまり読者の大半は、日本にきた若いアメリカ兵だったのだ。彼らは日本での短い休暇を有意義に過ごそうと、ガイドブックの代わりに、「Kill Me シリーズ」を読みあさった。朝鮮戦争やベトナム戦争のさなか、外国人に受けた日本ものの小説は、こういう観光小説だった。

 作者の アール・ノーマンはハリウッドのスタントマン上がりで、本名はノーマン・トムスン(Norman Thomson) という。映画『黒船』(1958年)などでジョン・ウェインの吹き替えをしていたそうだ。日本には30年ほど住んでいて、座間や横田の米軍基地でエンタテインメント部門の仕事をしていた。

 ノーマンが生み出したヒーローは、バーンズ・バニオン(Burns Bannion) という私立探偵で空手の達人だった。第一作が発表された頃、日本では力道山が空手チョップで「悪人外人レスラーたち」をのしていたのだから、なんだか妙な感じである。バニオンは GI 崩れにふさわしいタフガイで、作品にはかならずボンドガールのような「ベイビードール」 たちが登場した。

 ”Kill Me in Yokohama”は国際都市だった横浜らしく、登場人物も多国籍で B級スパイ小説的な趣がある。31ページから描かれる中華街の外人バーの様子など、興味深い記述が散見されるので、日本語化したらコアなファンを獲得できるかも知れない。

「Kill me シリーズ」一覧
  —Berkeley Medallion—
Kill Me in Tokyo (1958)
Kill Me in Shimbashi (1959)
Kill Me in Yokohama (1960)
Kill Me in Yoshiwara (1961)
Kill Me in Shinjunku (1961)
Kill Me in Atami (1962)
Kill Me on the Ginza (1962)
  —Erle Publishing Corp—
Kill Me In Yokosuka (1966)
Kill Me in Roppongi (1967)

 その後、ノーマンは「Kill me シリーズ」を中断し、9年間の休眠期間に入った。そして1976年、長い沈黙を破るようにして、「リック・ショウ(Rick Shaw)・シリーズ」を開始した。リックの冒険は、”Hang me in Hong Kong”(1976) 、”Bang Me in Bangkok”、 “Maul Me in Malaysia”、そして”Club Me in Cambodia”で楽しむことが出来る。

 とはいえ、やはり彼の代表作は Berkeley Medallion から出版にしていた時期の「Kill me シリーズ」だ。青年時代、極東で戦ったアメリカの退役軍人のなかには、このシリーズのことをよく覚えていて、なつかしむ者もすくなくないという。青春時代の思い出は日本とともに……。日本人が感じるのとはひと味違う昭和のノスタルジーが、誰にも気づかれることなく、この国に沈殿していたのだ。

 バニオンが活躍したのは、1ドルが360円で首都圏一円に「小さなアメリカ」が広がっている世界だった。しかしタフな探偵や読者である米兵たちが世話になった米軍施設は、ことごとく閉鎖されてしまった。今訪れても区画が完全に変わってしまい、思い出の地を探り当てるのは困難だ。跡地の多くは、現在ショッピングセンターや公園になっている。

 この本を教えてくれたセービン氏は言う。
 「私は軍に所属していたとき、この小説のことをぜんぜん知りませんでした。でも私の友人が”Kill Me in Yokohama”のようなパルプ・フィクションのコレクターで、私が横浜に興味があるということから”Kill Me in Yokohama”のカバーを贈ってくれたのです。私は作者のことは知りませんが、友人は会ったことがあるかも知れません。」

 「Kill me シリーズ」のようなパルプ・フィクションは低級な読み捨て娯楽小説である。全盛期は20世紀初頭から1950年代にかけて。よほどの年寄りでない限り、知らないのも無理はない。

 英語圏の掲示板を徘徊していると、在日米軍基地のなかに存在していた学校の卒業生が、東京や横浜を再訪し、母校の跡地見学の報告や情報交換をしている模様に出くわすことがある(*註)。彼らの 「故郷」は跡形もない。だが、あのなつかしい世界は、ノーマンの小説をめくれば、追体験できる。

 作者であるノーマンは2000年にカリフォルニアで亡くなった。彼の作品は、ひとつも翻訳されていない。

*註)
1970年代に横浜の米軍基地で暮らした人たちのやりとりを読むことが出来る BBS の一例 ”Yokohama Navy Exchange was where?”
http://www.japan-guide.com/forum/quereadisplay.html?2+6789

 

 

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

”Kill Me in Yokohama” その1

 

”Kill Me in Yokohama” その2

 

シリーズ第一作”Kill Me in Tokyo” 表紙

 

”Kill Me in Tokyo” 裏表紙

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

ヨコハマNOW関連記事

大文字では表せない小文字の横浜の歴史「裏横浜研究会」。ノンフィクション作家檀原照和さん

 

11月 10 11

11月 三ツ池だより 「薄(すすき)をかざしけり」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 11月は霜月です。例年よりは暖かいのですが、時に少し肌寒く感じます。そのくらい今年の夏は暑く、その後の気候も安定していません。庭には杜鵑が咲き乱れ、小ぶりですが鉢の菊が咲きだしています。玄関の横の侘助もふたつほど咲いています。これも小ぶりです。

 11月といえば「1」が二つ並んでいます。「禅シンプル発想術」枡野俊明著の中に「1日なさざれば、1日食らわず」という所がでてきます。「何のために働くのか」という項に出てきます。「自らが為すべきことを行わなければ、その分食事をしない」という労働も坐禅と同じ修行のひとつだという考え方のようです。

 社内で「何のために働くのか」を話し合ったことがあります。何故食べるの→何故生きるの→何故家族がいるの。なぜなぜなぜを続けるなかで「役に立ちたい」というキーワードが出てきました。人生が豊かになる”禅、シンプル片づけ術”で枡野さんはいいます。「まず、自分でもできると思えることから始めてみましょう。大切なのは、一時的に部屋をきれいにして満足することではなく、続けることなのです。」シンプルに考え、続けていくことの大切さを感じます。

 1はスタート。そのスタートが2つ並んだ月はもう1度スタートを見直す時です。
 そこで思いました。今年の初めにやろうと誓ったことで、続けてきたこと、できたことはどれだけあったのだろうかと。1月3日のノートから41項目でてきて、なんとか20項目やっていました。それでも50%を切っています。そのなかで続いていることに俳句があります。師匠の俳句に触れてみたいと思います。

 握手主宰磯貝碧蹄館の平成15年発行の句集「馬頭琴」からです。

天竺の空のあやしきどじょう鍋   磯貝碧蹄館

 今この句が出たらどんな評価がでるのでしょう。天竺が出てくるところが面白いところです。天竺だって空があやしくなる時があります。いつも晴れて乾燥しているとは限らないのです。どじょう鍋の絵柄がそれを受けています。美味しいどじょう鍋だけを思い描いていると、こういう句は現れません。ここで考えてみたいのは天竺とどじょう鍋の関係です。たかが「どじょう」されど「どじょう」です。師は「どじょう」の行く末を案じています。どじょうも、それを食する人も天竺を見据え、来る未来を、確かなものに願っているのです。師はその情景の前で照れています。いかにも道化師のように。

石門石鼓鬼女は薄を挿頭しけり   磯貝碧蹄館

 馬頭琴の中におさめられている句です。「挿頭しけり」は「かざしけり」と読みます。なんとも不思議な句です。「すすき」に込められた想いはどのようなものなのでしょう。以前「すすき」は寂しいものと感じていました。急速に葉の落ちる季節に入っていくからなのか、文字からくるのか。それが、孫がくるようになってお月見に薄を飾るようになってから薄が好きになりました。秋の味覚をお盆に載せます。その花と一緒に飾られた薄の向こうに月と雲が見えるのです。見ているのは家族みんななのです。

薄の穂揺れて小さき手握りしめ   詢

手を解き距離の広がる薊かな    詢

 師の薄は晩秋の景であるとおもいます。鬼女もかざしたいのです。苦楽を越えて生きていた証はなにも見えません。しかしながら歩みが今なのです。自分の存在を確かめたいのです。ふとすすきに手が届きそれをかざしたのです。途上にある私は、手を握りしめる確かな生きざまの所にあり、薊のなかに痛みを感じるのも生きている証しなのです。
 山茶花がさきはじめ、私には「たきび」の童謡が聞こえてきます。

「かきねのかきねのまがりかど  たきびだたきびだおちばたき
あたろうかあたろうよ       きたかぜぴいぷうふいている
さざんかさざんかさいたみち   たきびだたきびだおちばたき
あたろうかあたろうよ        しもやけおててがもうかゆい」

 日本の原風景はまだまだ探せばあると思います。しかし横浜にはなくなってしまったのではないでしょうか。なくなってしまった原風景を取り戻すということではなく、自然の風景そして子どもたち、そこを見守る大人たちといった、苦労しても安心して生活していることの、なんとも穏やかでほっとする光景。それを創り出していくことが必要なのです。やらなくてはいけないことであり、行動を急がなければいけないのです。

 11月は霜月です。今一度霜月を大きな楽しみの月にしたいと思います。

 

Photos

(下の画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

11月 10 11

横浜舶来館 ワイン&グルメフェア
同時開催:佐々木 彬文画伯 日本画展

by staff

開催日時: 11月19日(土)~20日(日) 11時~

イベント詳細は、ワインブティック伏見HPまで http://winecom.jp/

 

11月 10 11

書評「日本企業にいま大切なこと」PHP新書  野中郁次郎/遠藤功 著

by staff
書評「日本企業にいま大切なこと」PHP新書  野中郁次郎/遠藤功 著  

 「日本に欧米型のリーダーはなじまない。現場から遊離したカリスマ性など不要なのだ。逆に必要になるのは、民の国であり、現場の国だからこそ、民や部下から慕われ、尊敬される資質であり、言動である」ここに言わんとすることが集約している。著者の野中さんは長年海外にも指導にいかれ、世界的経営学者である。遠藤さんは「見える化」や「現場力を鍛える」に見られる現場に精通した経営戦略家である。

 リアリズムなき日本政治は「失敗の本質」を繰り返すといい、イデオロギーがもたらす単眼思考を戒めている。中国の今の急成長を「マルキシズムの思想と資本主義の手法をプラグマティックに現実に適応させた結果」と位置付けている。プラグマティズムは実用主義のこと。国家の枠を超えて知を結集し、収束にあたるべき原発事故において、IAEAをはじめとする世界は、

日本に不審の目を向けた。必要な時に必要な人脈をもっていることこそが政治のリアリズムであると論じる。経験がないから手が打てないではなにごとも始まらない。

 「たとえばチャーチルはヒトラーが台頭しなければ、ただの老政治家としてその役割を終わっていた。」「ヒーローとは、まさに時代がつくるものだ。」「東北地方を特区にして住民の英知を結集し、思い切ったチャレンジを超法規的に行う。リアリズムと実行力をもった潜在的リーダーをその中枢に抜擢し、国内だけでなく、世界レベルでスマートシティなどの経験者を集めながら、彼らを支援する仕掛けを産官学民が総力を挙げ、構築するのだ。」次がなるほどと思う。

 「どれだけ彼らが優秀でも、使いこなせなければ意味がない。結局のところ、優秀な官僚をコントロールできる哲学や胆力をもった政治家がどれだけいるか、という問題に立ち戻るのだ。政治家自身も与野党を問わず、抜擢を行って人材育成の格好の場とすべきだろう。さらには民間の優れた人材を組み込みながら、より有機的なエコシステムによって構築される21世紀の世界において、先駆的なビジョンを東北から発信する気概が必要とされているのだ。」

 今求められているのは「やってみなはれ」のように、やらせて励ましていく人、組織なのだ。野中さんはそのなかで、企業経営について「サイエンスとアートを融合させるような考え方が求められている」「いうまでもないことですが、意思をもたない”モノ”に対して、人間には”かくありたい”という意志があります。企業ならば、たんに売上や利益などの客観的な数字を追いかける以前に、”自分たちの会社はどうありたいのか”"どんな善をめざす会社なのか”といった習慣的なテーマがあってしかるべきでしょう。」サイエンスを標榜したアメリカ型の経営が限界に突き当たった以上、今後の企業は自分たちにとっての「善」が何であるかを再確認することで、新しい経営モデルを生み出すべきといわれます。

 さて現実に目をむけてみる。「多くの人々の目にふれやすい家電製品などは韓国や中国メーカーに勢いがありますが、そうした完成品を支える素材や部品のジャンルにおいては、日本企業が世界市場で着実に根をはっている。」「あらためてふりかえってみると、失われた二十年とは日本企業が自我を失っていた二十年でした。グローバリゼーションの激流に翻弄されて欧米的な価値観を盲目的に導入した結果、日本的な価値観が消滅し、去勢され、根無し草になってしまったのです。日本企業にはむかしから欧米とは異なる職業倫理感や経営哲学がありました。日本独自なアイデンティティを回復させ、私達はいったい何者なのかを再認識することが、未来の創造へと繋がるのだと思います。」

 神々が沢山いらっしゃる日本だからこそ、謙虚に大胆にリアリズムをもって対処すべきなのだ。

(文:横須賀 健治)

<Amazonで購入>

 

11月 10 11

第5回横浜売れるモノづくり研究会セミナー

by staff

「売れるモノづくり」についてのご相談を承ります

いいモノを作ってもなかなか売れない・・・
製造業の方々からそんな悩みをよく耳にします。
どんなに良い製品でも、市場に受け入れられなければ「モノ」で終わってしまいます。

 「横浜売れるモノづくり研究会」は、神奈川県在住の企業支援の専門家やITの専門家など多種多彩なメンバーで構成されています。

 「横浜売れるモノづくり研究会」では、「製品の売り方をどうしたらいいか」という企業のご相談を随時受け付けています。

 毎月一回第二木曜日には、ご相談される企業と専門家が面談を行っています。11月の相談日は11月10日(木)です。

売れるモノづくりについてのご相談はこちらにご入力下さい。

 

第5回横浜売れるモノづくり研究会セミナー

 売れるモノづくりとは何か、またそれを効果的に売るにはどのような方法があるのか、製造業の現場担当者の事例発表を通して、参加者全員で考えていきたいと思います。

 第5回は「新規事業立ち上げの秘策」というテーマで、製造業の若手社長によるパネルディスカッションを行います。

 基調講演は、NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボの代表理事で、ヨコハマ経済新聞の編集長でもある杉浦裕樹氏に「売れるモノづくりのための情報発信」についてお話していただきます。杉浦氏には、地域メディアの活用事例をご紹介下さいとお願いしています。

 事例研究は、「新規事業」を立ち上げた二人の若手経営者に、新規事業の【秘策】を語っていただきます。今回は猪狩惇夫代表を加えた三人でのパネルディスカッション形式で行います。

 パネラーは、株式会社由紀精密の大坪正人さん、株式会社エコタクドットコムの越智修次さんです。

 大坪さんは、2005年に日本ものづくり大賞経済産業大臣賞を受賞されています。2006年にお祖父様が設立した由紀精密に入社後、様々なチャレンジがマスコミに取り上げられています。

 越智さんは、トナーカートリッジのネットショップで、2000年に日本オンラインショッピング大賞を受賞されています。2009年にiPhone・iPad等の修理、パーツ・アクセサリ販売の専門店「SMART」を創業し、店舗数を拡大しています。

 実力派のお二人からどのような秘策が出てくるか、乞うご期待です。売れるモノづくりとその効果的な売り方に興味のある方のご参加をお待ちしています。

    
  1. 日 時 平成23年11月22日(火)午後2時30分~5時30分
  2. 場 所 万国橋会議センター(横浜市中区海岸通4-23)
Tel 045-212-1034
http://www.y-port-kousei.or.jp/new_page_9.htm
  3. 内 容  講 演 「売れるモノづくりのための情報発信」
 ~地域メディアの活用について~
 NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ 代表理事 杉浦裕樹
 http://yokohamalab.jp/
 
       パネルディスカッション 「新規事業立ち上げの秘策」
 株式会社由起精密 大坪 正人
 http://www.yukiseimitsu.co.jp/
 http://sessaku.net/
 
       株式会社エコタクドットコム 越智 修次
 http://www.ecotaku.com/
 http://www.s-mart.fm/
 
       ミニプレゼン 自社商品のPRを5分間行います。(3社程度)
 
       交流会(軽食付き)
  4. 定 員 50名(定員になり次第締め切ります)
  5. 参加費 2,000円(交流会費)

<問合先>
横浜売れるモノづくり研究会 事務局
(株式会社ともクリエーションズ内)
〒231-0004
横浜市中区元浜町3-21-2 ヘリオス関内ビル4階
TEL 045-226-3475 FAX 045-226-3476 お問合せフォーム

メディア掲載情報

 

11月 10 11

宝物でいっぱい。
障害者地域作業所 NPO法人 雑貨工房みらい(横浜市鶴見区)の活動

by staff

 

横浜市鶴見区 雑貨工房みらいのみなさま

 使用済みの割り箸を洗って干して裁断して、大きさもさまざまなピースを繋ぎ合わせて作ったフォトフレーム。小さな七色のビーズを貼り合わせて作ったかわいいマグネット。タオルで作った草履。横浜市鶴見区にあるNPO法人 雑貨工房みらいの作業所には宝物が沢山あります。

障害者地域作業所 NPO法人 雑貨工房みらい

目的

1.ひとりひとりの個性を生かし可能性を伸ばす。
2.社会性を育みながら、自立への支援をする。
3.仲間たちとのコミュニケーションを図り、作業所
  へ来ることの楽しみを覚える。
4.地域交流を通して障害者への理解を深め、
  共生を目指す。

作業内容

木工細工・花売り・陶芸・農作業・地域清掃

生活科目

・調理実習・体力作り・野外活動・宿泊旅行

  横浜市鶴見区 雑貨工房みらいの作品

これらのの作品を販売しております。

詳しくは雑貨工房みらいまでお問合せください。
〒230-0041
横浜市鶴見区獅子ヶ谷1-24-33
TEL/FAX 045-574-3879

 


クリックで拡大地図(Google Map)を表示します
  交通案内
臨港バス 二ツ池下車 徒歩1分

1.JR鶴見 西口
 ・綱島(03) ・駒岡車庫(03) ・新横浜駅(02)
 ・新川崎駅入口(04)

2.東急綱島駅 東口
 ・鶴見駅西口(03)

3.JR新横浜駅 西口
 ・鶴見駅西口(02)

4.JR新川崎駅入口
 ・鶴見駅西口(04)

 

障害者地域作業所 NPO法人 雑貨工房みらいを動画でご紹介します

 

11月 10 11

ITがつくる絆(お客様とのきずな) サポチュー導入事例

by staff

 

 みなさんこんにちは。(株)ともクリエーションズの玉川です。
 今回は、お客様と築くきずなについてご紹介いたします。

 Webサイトを作ったけれど、お客様獲得につながらない・・というお声を伺うことがあります。インターネット上に情報があふれている中、自社の商品やサービスを掲載しただけでは、すぐにお客様獲得にはつながりません。

 まず、Webサイトで興味をもっていただいたお客様には、お店の入り口や会社の受付と同じように、問合せをしやすいフォームを設置しておくことが大切です。

例えば、
・どのページからでも見つけやすい場所にお問合せフォームへのリンクボタンを用意しておくこと
・フォームに入力してもらうお客様の情報は必要最低限にする
・入力した情報は問合せ対応以外には利用しないことを明記する、
などがあります。
そのようなお問合せフォームは、既に設置されている会社様も多いことと思います。

 もう一歩お客様に近づくために、サポチューの活用事例を2つご紹介します。

 1つ目は、カタログ請求をしていただいた方の行動の見える化を行います。流れは、次のとおりです。

 サポチューでカタログ請求を行うと、自動返信メール(サンクスメール)で、請求したカタログをダウンロードするURLが送られます。請求者がそのURLをクリックすると、担当者に、誰が・いつ・どのカタログをダウンロードしたかを通知してくれるのです。

 担当者は、通知メールが届くことによってお客様がカタログを閲覧したことを知ることができ、お客様との関係をよりスムーズに築くことができるのです。

詳しいカタログ配布の仕組みはこちらをご参照ください。
http://www.hiyou-sakugen.com/feature/doenload.html

 2つ目の事例は、ブライダル等の着付け・メイクやエステサービスの有限会社ビーセレブ様です。

http://www.be-celeb.com/company/index.html

 こちらのサイトでは、「五感を癒す」美の情報を携帯にメール配信しています。
 エステの会社は、横浜だけでも数多くあります。その中で、お客様にとって関心のある美の情報を配信することで、少しずつお客様との絆を築いているのです。

ビーセレブ代表の大木美恵子さんは、以前ヨコハマNOWにも登場されています。
http://yokohama-now.jp/home/?p=2948

 インターネットでの検索などにより、Webサイトにアクセスしてもらった時が、お客様との絆作りの始まりです。サポチューを活用してみてはいかがでしょうか。

 

「サポチューシステム」って?

 「サポチューシステム」とは、
   1.フォームを作成して
   2.データ(メールアドレスなど)を集めて
   3.メール配信する
ことが簡単にできるシステムです。

「サポチューシステム」なら、fcebookページにも入力フォームやアンケートフォームが
簡単に設置できます。 サポチュー(Supportyou)>ようこそ!

この仕組みは、いろいろな所で絆をつくることができるのです。
これから少しずつ事例をご紹介していきたいと思います。

お問合せ

(株)ともクリエーションズ
231-0004 横浜市中区元浜町3-21-2ヘリオス関内ビル4F
tel 045-226-3475
fax 045-226-3476
E-mail info@tomocre.com

サポチューシステム:http://www.support-you.jp

担当:玉川郁子 プロフィール

   横浜市磯子区生まれ。港北区育ち。
メーカーの企画部を経て(株)ともクリエーションズに在籍。
サポチューシステム企画・販売・サポート担当など。
旅行が趣味ですが、今は2010年に誕生した娘を育てることが楽しいです。

 

11月 10 11

もっと旅がしたい!(その3)

by staff

「ジャネーの法則」でアンチエイジング?

 「ジャネーの法則」、ご存知ですか?
 年を重ねるとともに1年が早く感じる…という人は少なくないと思いますが、この法則は「時間の心理的長さは年齢に反比例する」というもの。
 10歳の1年に比べて、30歳の1年は3分の1に感じる(3倍速く感じる)らしいんです。この「ジャネーの法則」は19世紀の哲学者ポール・ジャネ氏によって発案されたもので科学的な裏付けは特にないそうなんですが、納得してしまう部分もありますよね。
 私も「25歳を越えると1年はあっという間」「30歳超えたら40歳はすぐそこ」なんて、ひしひしと実感してます。

 またこの法則を別の見方から解釈する説もあり、それによると「新鮮な経験が多いほど、時間の経過は長く感じる」んだとか。
 子供の頃は未経験のことが多く、それをこなすのに時間もかかるので、時間(この場合1年)が長く感じる。大人になると今までの経験から処理できることが多くなり、処理に手間取ることもなく時間(この場合1年)が短く感じる、そうです。
 これにも納得してしまいます。

 ということは…、このメカニズムを利用して若返りもできそうですよね!
 若い頃の感覚を戻すには、「未経験のことをしてみる」なんて使えるんじゃないでしょうか? 行ったことのない場所に旅行に行く、初めての物を食べてみる、見るだけじゃなくてさわってみる、聞いてみる、参加してみる、とか。

 日本国内には365日どこかで必ず「お祭り」が行われていますが、やっぱり年末のそれはにぎわいが違います。
 クリスマス関連のイベントも確かに多いのですが、一年の無事を感謝し来年の商売繁盛などを祈願する、日本人ならではの催しが特に盛んですよ。

 さあ、みなさんはどんな年末を過ごしますか?

Pick Up-1 【静岡県焼津市西宮神社えびす講市】11月19日(土)

 商売繁盛を祈願するため多くの参拝客が訪れるえびす講市。
毎年境内では熊手やお飾りなど縁起物が飛ぶように売れ、JR焼津駅前通り商店街の夜店も多くの人で賑わいを見せます。
 「えびす講」は秋の季語でもあるくらい全国各地で行われていますが、西宮神社えびす講市は焼津の初冬の風物詩。この祭りが終わると一斉に冬を感じるそうです。
 またJR焼津駅から徒歩5分とアクセスもよく、気軽に参加できますよ。

 

静岡県焼津市西宮神社えびす講市

Pick Up-2 【栃木県日光市生岡神社子供強飯式】11月25日(金 )

 神事とはいえユーモラスな姿とやりとりで人気の強飯式。
山伏と強力に扮した少年(小・中学生)と氏子が扮する裃姿の強飯頂戴人の太郎坊、次郎坊が登場します。
 まず少年が法螺貝や太鼓を合図に登場し、裃姿の強飯頂戴人の太郎坊、次郎坊に対し、「ありがたい山海の珍味は残さず食え」と命じます。すると介添人が「御飯食に案内申す」を「おはんじきにあんないもん」となまりながら、山盛りの里芋をひとつずつ口に押し込んで食べさせる真似をする、というもの。
 日光では毎年4月に厳粛な雰囲気の中で行われる輪王寺の強飯式も有名ですが、ふっと笑みがこぼれてしまうこんな神事もいいですよね。

 

栃木県日光市生岡神社子供強飯式

Pick Up-3 【北海道函館市はこだてクリスマスファンタジー】12月1日(木)~25日(火)

 はこだてクリスマスファンタジー(Hakodate Christmas Fantasy)は、北海道函館市で毎年恒例の人気イベント。
 20mの巨大ツリーに点灯&花火が打ち上がる点灯セレモニーは毎日18時スタート!期間中は花火も打ち上げられたり、雪景色にきらめく光がクリスマス気分をさらに盛り上げてくれますよ。
 ご家族でも、カップルでも、グループでもたっぷり楽しめます。

 

北海道函館市はこだてクリスマスファンタジー

知らない日本がまだまだあるって、ワクワクします。
旅はいつも私を豊かにしてくれる。だから、もっと旅がしたーい!

【日本全国のお祭り】11月10日~12月31日

11月 10日(木) 静岡県伊東市音無神社尻つみ祭り
  11日(金) 宮崎県椎葉村椎葉平家まつり(~13)
  12日(土) 福島県須賀川市松明あかし
  13日(日) 山口県萩市萩時代まつり
  14日(月) 和歌山県那智勝浦町熊野那智大社紅葉祭
  15日(火) 七五三
  16日(水) 兵庫県姫路市射楯兵主神社霜月大祭(13~)
  17日(木) 米沢市甲子大黒天例祭
  18日(金) 広島市えべっさん(~20)
  19日(土) 静岡県焼津市西宮神社えびす講市
  20日(日) 桐生市西宮神社恵比寿講(19~)
  21日(月) 松江市佐太神社神在祭(20~25)
  22日(火) 宮崎県高千穂町高千穂神社神話の高千穂夜神楽まつり(~23)
  23日(水) 熊本県八代市八代妙見祭
  24日(木) 高知県四万十市一條神社大祭(22~)
  25日(金) 栃木県日光市生岡神社子供強飯式
  26日(土) 山口県防府市防府天満宮御神幸祭
  27日(日) 神奈川県南足柄市大雄山最乗寺鎮火祭
  28日(月) 東京都中央区小網神社どぶろく祭
  29日(火) 長野軽井沢町ウィンターフェスティバル(11下旬~2/上旬)
  30日(水) 千葉県香取市香取神宮大饗祭
12月 1日(木) 新潟県魚沼市皇大神宮お神迎え
  2日(金) 埼玉県秩父市秩父神社夜祭(~3)
  3日(土) 松江市美保神社諸手船神事
  4日(日) 山形県米沢市千眼寺保呂羽堂年越し祭
  5日(月) 北海道函館市はこだてクリスマスファンタジー(1~25)
  6日(火) 神奈川県小田原市秋葉山量覚院火防祭
  7日(水) 京都市千本釈迦堂大根焚き(~8)
  8日(木) 佐賀県鹿島市祐徳稲荷神社お火たき
  9日(金) 鹿児島県姶良市龍門司焼まつり(~11)
  10日(土) さいたま市氷川神社大湯祭
  11日(日) 宮崎市国際青島太平洋マラソン大会
  12日(月) 仙台市SENDAI光のページェント(~31)
  13日(火) 水戸市常磐神社煤払祭
  14日(水) 兵庫県赤穂市赤穂義士祭
  15日(木) 埼玉県川口市川口神社おかめ市
  16日(金) 静岡県浜松市秋葉神社秋葉の火まつり(15~)
  17日(土) 奈良市春日大社春日若宮おん祭(15~18)
  18日(日) 愛知県豊川市下佐脇長松寺のどんき祭り
  19日(月) 東京都台東区浅草寺羽子板市(17~)
  20日(火) 静岡県下田市爪木崎水仙まつり(~1/31)
  21日(水) 神奈川県川崎市川崎大師納めの大師
  22日(木) 茨城県笠間市笠間稲荷神社御火焚串炎上祭
  23日(金) 京都市矢田寺かぼちゃ供養
  24日(土) 大分県別府市べっぷクリスマスHANABIファンタジア(23~)
  25日(日) 阿蘇市阿蘇クリスマスバルーンフェスティバル(24~)
  26日(月) 島原市島原ウィンターナイト・ファンタジア(12/上旬~1/上旬)
  27日(火) 東京都中央区薬研堀不動尊歳の市・出庫市(~29)
  28日(水) 東京都中央区薬研堀不動尊歳の市・出庫市(~29)
  29日(木) 奈良市薬師寺御身拭い
  30日(金) 岐阜県高山市歳の瀬市(27~31)
  31日(土) 大津市比叡山延暦寺鬼追い式

( 文・イラスト・写真:(株)とらべるわん いいづかあや )

いいづかあや(飯塚 文) プロフィール

いいづかあや 飯塚文  

1974年、横浜生まれ横浜育ち。私立山手学院高等学校卒業後、文教大学短期大学部文芸科卒業。
父親の経営する(株)とらべるわんで幼いころから「旅」に携わる。
学生時代より同社のチラシ・DM・ホームページ等の制作をする。デザイン事務所・建設会社などの職業を経て現在は(株)とらべるわんのWEB責任者を務める。また、横浜元町で「ボディアートGlitta」でデザイナーとしても活動中。

(株)とらべるわん http://www.travel1.co.jp
ネイルサロンMINORITY http://www.minority-minority.com/
ボディアートGlitta http://www.minority-minority.com/glitta/index.html
   
いいづかあやTwitter http://twitter.com/zuka_aya
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11月 10 11

第3回 ど・あっぷ! 『絵本作りワークショップ』やりました!

by staff

『ど・あっぷ!』の絵本作りワークショップ

 

 「楽しかった!」、「新たな気づきに出会えた!」、「絵本作りに夢中になった!」など、多くの感想をいただきました、『ど・あっぷ!』の絵本作りワークショップ。今回はその実施報告をさせていただきます。

 「社会の問題に目を向け、それをなんとかよりよくしていきたい」。そう思ってもなかなかひとりでは難しい。では、その問題をいろんな人々にうまく伝えるにはどうすればいいの?そもそも自分の考えって一体どんなことだっけ?他の人はその問題についてどう考えるだろう?

 このワークショップは、ただ絵本という完成物を作ることだけが目的ではありません。絵本作りを通して、制作者自身にとっても、一緒にワークショップに参加した人にとっても、そして、その絵本を読んだ人にとっても、様々な「気づき」を得ていただける。そのようなワークショップです。そして、堅苦しい空気は取っ払って、それを「楽しくやっちゃおう!」というのが『ど・あっぷ!』流です!

 2011年10月10日、会場は国の重要文化財である横浜市開港記念会館。建物の姿が目に入った瞬間に「わぁ~すてき!」と思わず口に出したくなるような、横浜の歴史を感じさせる美しい建物でした。

 そのような会場で行われた今回の絵本作りワークショップ。様々な職業、様々な年代の方々にご参加いただきました!初対面の方々もワークショップが進むにつれて、自然と会話が弾む仲に。

 自分の思う「どうして…?」を参加者の間で共有し、みんなでそれぞれの「どうして?」について考えました。皆さん、この時はとても真剣な表情をされていました。

 自分の考えや、他の人からもらった意見を参考に、文章作りへ。普段自分がよくよく考えていることでも、簡単な文章にするのってなかなか難しい…。でも、短くて簡単な文章にすることによって、自分自身でも新たな発見があったりするもの。そして、読み手にとっても実はそれがわかりやすかったり、短い文だからこそ心に響いたりするものなのですね。

 

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

自分の「どうして…?」と、他の人の「どうして…?」に対して、「だって…」と「もしそれがなくなったら…」について考え、ポストイットに書いてペタペタ貼っていきます。

馬場隊長と、『ど・あっぷ!』の新キャラクターである絵本描太郎先生

いよいよ絵の作成です!

 いよいよ絵の作成です!机上に用意された写真や折り紙などを使い、絵を描いたり貼ったり…。自分のテーマを一枚の紙に表現します。「それって難しくない?」と思いきや、皆さん一度やり始めると、とても夢中になって、見る見る素敵な絵を描いていかれました。

 皆さんそれぞれの完成品を見てみると、それはもうまさに一つひとつがオンリーワンで、個性あふれる素敵な絵本ばかり!短い作成時間で、皆さんとても完成度の高い作品を作ってくださいました。

 最後にサプライズとして、超特急で製本した「世界でただ一つの絵本」を、イベント終了と同時に皆さんにお配りいたしました!これには皆さんから、多くの驚きと喜びの声をいただくことができました。実際の絵本の内容や、発表の様子は、『ど・あっぷ!』のHPと動画を、ぜひともご覧ください!

 今回ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。皆様にとって、このワークショップがなにかしらの気づきやきっかけ作りとなれば幸いです。そして、楽しんでいただけたのであればなお嬉しいです!

 今回参加できなかった皆様、『ど・あっぷ!』はこれからも市民度を上げるための楽しいイベントを開催していく予定です!次の機会に、ぜひともお会いできることを楽しみにしております!

 

絵の作成中は、思わず童心に返ってしまいます!

絵本描太郎先生のレクチャー

とりあえずの完成形は、大きな1枚の模造紙に。これを製本すると絵本になります!

皆さんの完成した作品は、『ど・あっぷ!』のHPでご覧いただけます!

(写真・イラスト:NPO法人ど・あっぷ!(DO UP!) / 文:(同)港bay (河辺 麻美))

今月のビデオメッセージ


http://www.youtube.com/user/douptv

 

11月 10 11

権太坂で45年! 富士山が見える地元の名店

by staff

 

 旧東海道で「江戸を発って最初の難所」と言われる厳しい坂がありました。箱根駅伝でお馴染みの権太坂です(箱根駅伝の権太坂は新道)。
 その権太坂で約45年、ご商売を続けているのが鉾立商店(z-one 権太坂店)です。1967年創業の同店は、地元で知らない人がいないほどの超有名ストア。そして、世界でただ一店舗、このお店だけで販売しているのが『純米酒・権太坂』です。
 同店が酒販を始めたのは2001年。その時はオリジナルのお酒を作るなんて考えもしなかったそうです。

 『純米酒・権太坂』開発のきっかけは鎌倉で酒販業を営む友人のアドバイス。不安や迷いを随分と抱えながらも開発を決断したそうで、「権太坂の名に恥じない、例えば贈り物にして喜ばれるような商品、そういう価値のある商品にしたい!」という熱い想いを胸に、その友人のノウハウや人脈などのサポートを得つつ、開発に取り組みました。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

Z-ONE鉾立商店

権太坂(樽酒)

 そして純米酒・権太坂が誕生。今ではすっかり地元の名物として地域に知られ、帰省のお土産などを中心に利用されています。
 また、年末恒例の「樽酒」(木樽に一日漬け、木の香りを移した純米酒・権太坂を瓶詰めして販売)も暮れの風物詩として地域に浸透しています。この「一日」というのが、木の香りが一番良い加減らしく、それ以下では香りが不十分、それ以上漬けると木以外の匂いが移ってしまうとのことで、木の樽の香りが立つ4~50杯取ると樽を取り替えるという徹底振りで、瓶詰めされた全ての商品に均一の香りがするようにこだわっています。

【純米酒・権太坂-樽酒】※12月中の販売です。
  720ml  1,575円
  1800ml  3,150円

【純米酒・権太坂】
  300ml   580円
  720ml  1,260円
  1800ml  2,520円

 

【本醸造・保土ケ谷宿】
  300ml   450円
  720ml  1,000円
  1800ml  1,980円

 

【お問い合わせ】
 鉾立商店(z-one 権太坂店)
 保土ケ谷区権太坂1-36-9
 Tel.045-741-7500

※『焼酎・権太坂(麦・芋)』も好評です。

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

ヨコハマNOW掲載情報

 

11月 10 11

「ザール渓谷に歴史を刻む名門、シューベルト家」と「中央モーゼルの名門、プリュム家」

by staff


写真)マキシミン・グリュンハウス

ザール渓谷に歴史を刻む名門、シューベルト家

 10世紀モーゼル川の支流ルヴァー川の合流する上流のメルテスドルフ村に、ベネディクト派の聖マキシミリアン醸造所が建築されました。その一部にあるセラーはローマ人により造られたもので、当時の導水管の一部が現在も保存されています。

 永年修道院により維持されてきたブドウ園は19世紀初頭に還俗され、1882年よりシューベルト男爵家の所有するところとなりました。

 

シューベルト家のエチケット

 現在、領主館はブドウ園を含む広大な領地に森林と牧場があり、マキシミン・グリュンハウスと呼ばれています。22haのブドウ園はすべてルヴァー川に面した丘の斜面に広がり、古世代の粘板岩上に栽培されるブルーダーベルク(Bruderberg)、アプツベツク(Absberg)、ヘレンベルク(Herrenberg)の三つの畑に分かれていますが、すべてシューベルト家が所有しています。三つの畑からはそれぞれ個性の違いは若干ありますが、きびきびしたエレガントな酸を待つ、美しい果実味豊かな均整のとてたワインが生まれています。

 

『日時計』で知られる中央モーゼルの名門、プリュム家

 モーゼルワインの中心地 ベルンカステル(Bernkastel)市の背後の丘陵に続きグラッハ(Graach)、ヴェーレン(Wehlen)と銘園を育てる丘陵がモーゼル川に面して連なっています。特にヴェーレンの丘陵の大斜面に広がるブドウ畑の中央に、巨大な日時計が望まれます。このブドウ畑では12世紀よりプリュム(Pr?m)一族により何世紀にもわたり、ブドウ栽培を続けてきました。1842年、一族のひとりヨドクス・プリュム(Jodocus Pr?m)は当時時計を持たない人々のために、畑の中央に存在する大きな岩板に日時計を建設しました。

 そこで、このブドウ畑は『日時計(Sonnenuhr)』と呼ばれるようになりました。日時計は当然のことながら太陽に対し正確に時を刻むために真南に向いていなければなりません。

 日時計を望むモーゼル川の対岸にプリュム家の領主館はあります。 石造りの何世紀も経た堂々たる建物で、丸天井のセラーには大量の木樽と古稀ワインが保存されています。

 現在は、当主のマンフレット・プリュム博士(Manfred Pr?m)が継承し、栽培から醸造、熟成までこだわりのある造りをおこなっています。風化したデヴォンシーファー(古世代の粘板岩)の土壌で栽培され、モーゼル川を前面に陽光を受け育つリースリングのブドウからは、新鮮で生き生きとした奥深い酸味をもつ調和のとれた力強いワインが生まれます。

 

プリュム家の領主館

日時計の畑

プリュムのエチケット

(文・写真:ワインブティック伏見)

 

ワインブティック伏見

〒232-0001 横浜市中区新港2-2-1 横浜ワールドポーターズ1F
Tel/Fax 045(222)2112

HP: http://winecom.jp
blog: http://wine1999.blog121.fc2.com
E-mail: boutique-fushimi@winecom.jp

 

 

11月 10 11

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

by staff

♪夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:清少納言(せいしょうなごん)現代語訳は、

「あら!私の逢坂の関所は駄目よ 守りは硬いの、誘われても開けませんよ あの函谷関の関守は 鶏の泣き声に騙されて 門を開けてしまったけど・・・ね!」

 この函谷関の事はなぜか、私でさえ知っている歴史上のストーリー。かいつまんで説明すると紀元前299年前の中国戦国時代。斉の武将、孟賞君が秦の国から夜半ひそかに脱出しようとしたが、函谷関所の門は硬く閉っていて、夜明けを告げる鶏の鳴き声と共に開くと言う。立ち往生している一行の中に、幸運にも鶏の泣きまねが上手い人がいて、鳥の鳴き声をまねたら、関守が騙されて門を開けてしまい、孟賞君は危機一髪、秦の国からの脱出が出来た。と言う「史記」に残されているお話しです。

 清少納言がなぜこのような歌を歌ったのかは、前後の理由がわからないと面白くありません。もちろんとても楽しいエピソードが残されています。彼女は当時屈指の才子と言われていた大納言行成と親友でした。彼女の方がちょっと年上で、話の合う年下の男の子・・と言う感じだったのかしら、きっとポンポンとユーモアや機知のあるやり取りが遠慮なく楽しめる間柄だったのでしょう。ある日彼女の所に行成がきて、話しこんでいるうちに夜も更けて彼は明日の仕事のためにあわてて帰ってゆきました。そして翌朝、彼から清少納言のもとに手紙が届けられます。

 「昨夜は残念!鶏の鳴き声に催促されて帰ってきましたが、まだ話したらない気持ちです」彼女は早速返事を書きます。「まあ!鶏の声ですって?それはきっとあの中国の函谷関の鶏の事ね。」こんな面白い返事をもらったら、行成君でなくても有頂天に楽しいでしょうね。彼はそこでまた早速、返事を書きます。「いえいえ、同じ関でも函谷関とは違いますよ。私とあなたの逢坂の関の事ですよ」戯れめいていて、それでいてしっかりと彼女を誘っている大納言行成の文に、彼女が返したのが、「夜を込めて・鶏の空音は・・」という歌でした。この歌に彼は完全ノックアウト。行成君はあまりに見事な女友達の返歌を、色んな人に見せて彼女をたたえたと言われています。

 遠慮なく、楽しいやり取りが出来る異性の友達って中々出合うことが難しいと思いますが、この二人の関係はそんな難しさを上回る軽妙な機知があって、こうして千年以上も残っているのでしょう。清少納言と言う女性、頭の回転が速くて、明るくてドライでユーモアにあふれていて、他の女性歌人とはちょっと趣が違っています。私は彼女のひいお爺さん、9月のコラムに取り上げた”清原の深養父”にとてもおしゃれなセンスを感じるのできっと同じ気質を持っているのだろうなと・・現代人の知性に通じるものがありそうです。

毎月第2金曜日 10月14日 , 11月11日 , 12月9日 , 1月13日
6時30分~ 3回ステージ ¥5500ワンドリンク付き 入れ替えはありません。
出演:早苗ネネ パリ祭出演の歌手の方々2~3名。
新宿シャンパーニュ 電話 03-3354-8540(昼) 03-3354-2002(夜)
新宿一丁目。元新宿厚生年金前。http://www.champagne-live.com/

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

11月 10 11

「岩亀稲荷」をお守りして三代目。高級注文シャツ「松本屋」店主 相澤義一さん

by staff

 戸部4丁目界隈には岩亀横丁と呼ばれる通りがあります。「岩亀」と書いて「がんき」と読みます。かつて港崎町(みよざきちょう)にあった遊郭「岩亀楼」の名がなぜ戸部町に残っているのでしょうか? 6軒の家族が大切に守っている「岩亀稲荷」のお話しを高級注文シャツ「松本屋」の相澤義一さんに伺いました。

相澤義一さん  
お名前 相澤 義一(あいざわ ぎいち)
ご出身 横浜市
年令 78歳
現住所 戸部町4丁目152
TEL/FAX:045-231-2326
ご職業 SF印各種高級注文シャツの仕立て
趣味 スポーツ観戦
ご性格 頑固で呑気

横丁の中程、花屋「花七」とワイシャツ店「松本屋」の間の門を入っていくと小さな鳥居と祠があります。

 徳川幕府が日米修好条約に調印したのは安政5年(1859年)、翌年1860年に横浜は開港し、運上所(税関)を作りました。また、外国船で入港する人々の慰安の為に、ほぼ同じ頃に吉原を真似た花街を港崎町(みよざきちょう)に作ったと聞いております。

 埼玉の岩槻(いわつき)から出て来た佐藤佐吉は、「岩槻」が「がんき」と読めることからその花街に「岩亀楼」を作ります。当時、三層櫓式の楼閣は豪儀で夜目にも美しく話題になりました。

 岩亀楼の遊女たちが病に倒れた時に静養する寮が当地にあり、その寮内にあったと言われている「お稲荷さん」が「岩亀稲荷」なのです。有吉佐和子さんの作品「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の舞台は岩亀楼の亀遊(喜遊)大夫がモデルです。「露をだに いとふ倭の女郎花 ふるあめりかに 袖はぬらさじ」という亀遊(喜遊)の辞世が残っています。

 詳しい由来は岩亀稲荷の門の脇のしおりに説明されております。ご自由にお取り下さい。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

     

足袋からワイシャツへ。

 「松本屋」という屋号は本家が東海道戸塚宿で営んでいた酒屋の屋号です。祖父が戸塚から戸部に来て私で3代目、もともとは「足袋屋」でした。 花街が近いとあって多勢の芸者さんが足袋を履く、舞を舞っても裾が美しく見えるようにとコハゼの多い足袋を特注する、という景気の良い時代でした。横丁には鬼子母神のお縁日もあり、生糸を積んだ馬車や材木を積んだ馬車が行き交ってそれは賑やかでした。当時、新横浜通りは堀川でハシケが行き交い、その頃の様子が雪見橋、紅葉橋の地名に残されています。

 松本屋はシンガーの輸入ミシンを買い入れて下着も作りました。足袋は手縫いだけれど、蹴出し(腰巻)やももひき、パッチ、腹がけなどを足袋屋がミシンで作ったものです。その後のテーラー、Yシャツ店は殆んど足袋屋が元となります。

 今、私が使っているのはTOYOTA織機のミシン、ウィンドウに飾ってあるのがシンガーミシンです。どちらもアンティークになりましたね。空襲で大火事になった時は、私の父が毛布にくるんで下水口に隠しました。戦後の混乱期、焼け残ったミシンが家族を養ってくれました。ミシンは我が家の家宝です。

 終戦後は時代が変わっていきました。まず、着物を着る人が少なくなってきました。そこで、私は東京の両国にワイシャツの仕立ての勉強にいきました。生地選びから始まって、採寸、裁断、糊付け、地縫い、縫製、ボタンつけ、穴かがり、イニシャルの刺繍、仕上げアイロン・・・いくつもの過程を経てワイシャツが仕上がります。

 一張羅と言うように、背広やワイシャツを当時の職人達は技術を競い合って作ったものだから形が崩れない・・・「よそ行き」は生涯1つあれば良かった時代でした。

 やがて、安くて良い製品が出てきました。お洒落を楽しむ余裕ができて、質よりも数が求められるようになりました。お得意様は年々お年を召していかれ、若い方はオーダーのワイシャツを知らずにきました。

 しかし、最近は昔のように物を大切にするという流れがあり、手作りシャツが見直されています。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

「松本屋」の看板

「松本屋」のドアー

「松本屋」の店内

相澤さん愛用のTOYOTA織機
のミシン

初代が購入したシンガーミシン

6軒で「岩亀稲荷」を大切に守っています。

 横浜開港150年と言われています。実際人が集まって町らしくなってきた歴史は約140年くらいでしょう。人々が地方から職を求めて出てきて暮らし始めた時、歴史ある岩亀稲荷を講を作って守っていく事が心のより所になったのではないかと思います。そして、その心を現在の私共が引き継いできたのです。稲荷の門前の灯篭は遊女の立ち姿を模したもので、町内の棟梁が作ったものです。

 この岩亀稲荷は遊女たちが病気平癒を願ってお参りしたことから、女性の病気が治ると云い伝えられています。

 毎年5月25日には講中で例祭が営まれます。また、毎月25日には三春台の妙音寺さんがご祈祷に来て下さいます。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

稲荷の門前の灯篭

岩亀稲荷を伝えていきたい。

 岩亀楼は慶応2年10月20日の「「豚屋火事」という大火で焼失しました。遊郭は各楼を一カ所にまとめ、四方に堀をめぐらし、出入りは橋一つという構造のため多くの人達が逃げ 遅れ、400人近い遊女が焼け死にました。沢山の遺体をまとめて納めるお寺が無く、あちらこちらのお寺に引き取られて行きました。大きく重たい岩亀楼の石灯篭がどういう所以で山の上の妙音寺に運び上げられられたのか、今では知るよしもありませんが、私には、港崎町で亡くなった方々の、後世の私共に「忘れないで欲しい」という一念が伝わってくるのです。

 岩亀楼の名を残すものは、岩亀楼跡(横浜球場となりの横浜公園内)に妙音寺から移された「石灯篭」と「岩亀横丁」の名と「岩亀稲荷」の3つだけとなりました。横浜の歴史を表から支えた横浜商人と裏から支えた遊女たち。岩亀稲荷を伝えることは、歴史のはざまに追いやられた彼女たちが国のため町のため横浜で生きていた証を伝えていくことだと思っています。

 好きで遊女になる人はいません、供養したくとも名乗れないご遺族の方もいるでしょう。

 その方達のためにも私は岩亀稲荷さんを通して妙音寺さんと共にご供養を続けていきたいと 思います。

相澤さんにとっての横浜とは。

 寒村だった横浜はあらゆる内外からの人々を受け入れ、開港と共に来た「文明開化」の波も広く受け入れて、現在360万都市にまで発展したことを「浜っこ」として本当に誇りに 思っています。

 横浜は「私の全て」です。

  (画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

横浜は「私の全て」です。

(文:高野慈子

 

10月 10 11

ブラとも ヨコハマトリエンナーレ2011

by staff

 

 芸術の秋ですね・・・。今年の横浜は様々なイベントが目白押しです。その中で最大のものは、「ヨコハマトリエンナーレ2011」でしょう。2011年8月6日から11月6日まで横浜美術館とBankART studio NYKで開催されています。

ヨコハマトリエンナーレ2011
http://www.yokohamatriennale.jp/

 「ヨコハマトリエンナーレ」とは、横浜市で3年おきに開催される現代美術の国際展覧会です。2001年から始まりましたが、資金難等の理由で第2回は2005年の開催となりました。第3回は2008年に開催され、2011は第4回目となります。私は、第2回目からトリエンナーレを鑑賞しています。

 2005年のときの作品は、印象的なものが多かったように思います。今でも金色の千羽鶴で囲まれた空間の作品等を思いだします。ピュ~ぴるさんの作品は彼女のWebサイトで見ることができます。

ピュ~ぴる ヨコハマトリエンナーレ2005の作品
http://www.pyuupiru.com/contents/works/love.html

 現代美術というのは何でもありなのでしょうが、第3回のトリエンナーレは不可解を通り越した作品が多数出展されていたようです。入口に内容が過激である旨の注意書きがある作品もありました。
 記憶に残っているのは、勅使河原三郎の「時間の破片 – Fragments of Time」です。部屋の床にも壁にも敷き詰められたガラスの破片。その上でダンサーの佐東利穂子が踊っていたシーンは忘れられません。

佐東利穂子へのインタビュー(imageFより)
http://www.imagef.jp/interview/library/021/index.html

 今回のトリエンナーレのテーマは「OUR MAGIC HOUR -世界はどこまで知ることができるか?-」です。前回のことがあったからでしょうか、それとも初めて美術館で開催されたせいでしょうか、今回の作品はこれまでと比較して大人めで分かりやすかったように思います。横尾忠則や荒木経惟などの日本の有名芸術家の作品もありました。写真撮影についても寛容で、一部の作家以外は写真撮影が許されています。
 美術館に入ると入場者を迎えるのは布地で作られた多数の円。その円たちがまた迷路のような円を作っています。尹秀珍(中国)の作品です。
 私のお気に入りはマイク・ケリー(アメリカ)の「Kandor City 3 4/5」未来都市の模型のようなものがサイケデリックな色彩で浮かび上がっています。 トビアス・レーベルガー(ドイツ)のガラス玉のオブジェも素敵でした。
 横浜美術館のコレクションからも出展されていて、イサム・ノグチの石のオブジェや歌川国芳の浮世絵もありました。何だか得した気分ですね。
 映像作品も多く、白いドレスの女の人たちが白い砂を掃いていくミルチャ・カントル(ルーマニア)の作品は、トリエンナーレのポスターに採用されています。
 BankART studio NYK は日本郵船の倉庫だったので天井が高く、3階分をぶち抜いた大木の展示等、スケールの大きなものがありました。作家自らが主演している作品もあり、シガリット・ランダウ(イスラエル)は自らが500個のスイカに囲まれて浮いている映像と、死海の塩で作ったオブジェを出展していました。
 作品を説明してくれるレコーダーを渡されるので、難解な作品の解説を自分のペースで聴くことができます。ゆっくり見ると半日はかかる規模です。秋の一日、現代芸術に触れるのもいいではありませんか。

 

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)


横浜美術館入口


尹秀珍の作品


マイク・ケリーの作品


トビアス・レーベルガーの作品


シガリット・ランダウの作品

 

10月 10 11

誰でも分かるプロジェクト・マネージメント「プロジェクト・スケジュール」

by staff

関 淑子、付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist, カリフォルニア州建築総合請負業者

2. プロジェクトを実行する

 「スケジュール管理」は”シミュレーションにより様々な状況を考え、変更に柔軟に対処できる”ことが「段取り」と大きく違う点です。

3.1 スケジュール管理ソフトGanttProject

 このソフトは無料で、Gantt とPERTチャートを同時に作成でき、動きが軽く、使い方も簡単。データはMS Projectで読めます。オープン・ベースなのでLinuxのように発展する可能性も高く、中国では広く使われているようですが、日本語や英語のマニュアルはないので簡単な使い方を書きます。

3.1.1 ダウンロードとインストール

 GanttProjectサイト http://www.ganttproject.biz/ は英語ですが「言語を選択」から日本語を選び、指示通りにダウンロードし、インストールしてください。

3.1.2 使い方

 図はGanttProjectで作成したGanttチャートです。GanttProjectを起動します。最初は「ガント」形式で、右側はカレンダー、左側は「名前」「開始日」「終了日」の空欄が並んでいます。「プロジェクト(P)」→「新しいプロジェクトの生成」。「名前」「所属」「ウェブリンク」「説明」と4つ欄があり、「名前」に「畑中茶館」と書いて「次へ」。「プロジェクトの範囲を設定」→「役割を選択」→「デフォルト」→「次へ」。「週末と祝日の設定」→「公休日カレンダーを選択」→「Japan」。「週末を選択」では定休日を選びます。今回は「月」を定休日とし、「OK」。

1) タスクの記入
 前回の「プロジェクトを計画する(2)」2.8.2タスク・ストラクチャー・マトリックス(TSM)に従って記入します。「タスク(T)」→「新規タスク」→「名前」の欄に「新規タスク0」が現れますが「茶葉を準備する」と記入。同じやり方で全タスクを記入。

2) タスクの期間を決める
 タスク「菓子を準備する」にコーサーを置き、 の「タスク(T)」→「タスクのプロパティ(P)」→「全般」。「期間(日)」はTSMでは「1週間」ですが、週に1日の定休日を決めたので 「6」を入れます。他のタスクもTSMに従って期間を入れてください。TSMには準備だけで、営業当日のタスクがありませんでした。スケジュール表を作成すると、今まで忘れていた様々なタスクが見えてきますから、スケジュールは早めに作成する必要がありますよ。

3) タスクの期間を調整する
 カレンダーは過去や未来に動かせます。淡い青の矢印が4つあるアイコンの両側に2つの紺色の矢印があります。左側をクリックすると日付がさかのぼり、右側の青い矢印をクリックすると未来へ動きます。
 カレンダーを8月にして、最初のタスク「菓子を準備する」にコーサーを置き、 「タスク(T)」→「タスクのプロパティ(P)」。営業日は8月21日なので、余裕を入れて「開始日」欄の右側カレンダーを8月12日、「終了日」を19日にします。同様に全タスクの期間を調整します。

4) タスクの担当者を決める
メンバーは一郎、杜君、佐藤さん、祖父の4人です。「担当者(R)」→「新規の担当者(N)」→「担当者($R)」→「全般」で「名前」「電話番号」「メール」「役割」を記入。「役割」で設定されているのはプロジェクト・マネジャーだけで他の役割は新しく記入する必要がありますが、英語し受付ません。「編集(E)」→「設定」→「担当者の役割」。
 左側画面を「ガント」に直し、「茶葉を準備する」→「タスク(T)」→「担当者(R)」→「担当者名」→「杜君」。杜君は同時に茶葉、菓子、茶器の準備をするので、「時間」を30%に、「責任者」に印をつけ、「役割」は設定したChinese Tea Coordinatorを選び、「OK」。全タスクの担当者、時間の配分、責任者、役割を決定。左側画面を「担当者(R)」にすると名前と役割が並び、右には各人の負荷が示されています。タスクの時間設定を動かして適切な負荷にしてください。

5) タスク同士を関連づける
 同時並行で行うことができないタスクがあります。例えば「営業する」は事前に営業許可など様々な準備が必要です。「営業する」→「タスク(T)」→「タスクのプロパティ(P)」→「先行タスク」→「タスク名」→「タイプ」→「終了- 開始」。「タスクの依存性」は「絶対」。「先行タスク」があるタスクは同じように関連づけます。
  タスク同士の関連を見るにはPERTチャートが適しています。「表示(V)」→「PERT図」。PERT図の縮小拡大はできませんが、「プロジェクト(P)」で「エクスポート(E)」でpngファイルにすると、Windowsフォト・ビューワーで表示でき、「ペイント」などで加工できます。

 図は「畑中茶館」PERTチャートです。個々のタスクをもっと細かく分析することもできますが、その場合にはサブプロジェクトとして別に作成したほうが簡単です。GanttProjectは簡単なので、自分で様々に設定を変えて試してください。現在は時間単位では設定できませんが、工夫次第では時間単位のプロジェクトにも使えます。

 

関 淑子さん プロフィール

   

関 淑子
付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist
事業継続初級管理者
カリフォルニア州建築総合請負業者

 

10月 10 11

ソーシャルメディアの正体(第三回)

by staff

デジタルハリウッド大学大学院/NVD株式会社 松本英博

1.ソーシャルメディアでお客さまの声を聴いてみよう

 前回、ソーシャルメディアと企業側の活用、さらに、その戦略に触れた。今回は、企業側の戦略の基本となる傾聴戦略について具体的に説明してみようと思う。

 「傾聴戦略」、つまり、聴き耳を立てることは、ビジネスでは不可欠でありながら、これまで意外に軽視されてきた。軽視された原因の1つは、ソーシャルメディアの出現まで企業の傾聴の費用対効果が極端に悪かったからである。従来の傾聴戦略と言えば、企業が市場調査という限定的で形式的な方法で、お客さまの声を聴く手段に訴えるしかなかった。結果は、お客さまの偏った声、あるいは限定的な意見がピックアップされれば良い方で、ほとんど、ニーズが見えてこないものだった。

 ソーシャルメディアの時代には、企業が聴くことは、かなりたやすくなった。と同時に、お客さまも自分たちの要望や意見、クレームを聴いてくれない企業は、罪人扱いされる。今や顧客の声を聴かないことは罪ですらある時代である。

 傾聴戦略を立てる前に、現状把握をするのが定石。自分たち企業や自社商品・サービスがどう見られているのか、他社と比べてどうなのかといった評価を把握しなければならない。そのためにも、自社によるコミュニティー(プライベート・コミュニティー)やブランドモニタリングサービスの利用が考えられる。これらが何であるかは、後で詳しく述べるとして、社内の経営資源と簡単なITツールを使って、「自ら聴き始める」ことが重要である。ここで「自ら」とわざわざ断っている点に注意してほしい。幾多の分析サービスの分析報告を鵜呑みにするのではなく、自社の社員が生情報を目に触れておく必要があるということだ。ソーシャルメディアの生情報は実に多種多様である。切り口鋭く見ることも重要だが、全体の大きな流れ(傾向)をつかむことも重要である。

では、現状把握のポイントは何か。

自社のブランドがイメージしているものを知ろう

 先ず、「がっかり」してはいけないこと。それは、自社が伝えたいメッセージと人々が話している内容が一致していない場合である。さらに言えば、ブランドは、企業側の訴求したイメージではなく、生活者が持ったイメージで創られる。ツイッターやフェイスブック、ブログに自社の話題が出た場合、そこでのイメージが自社のブランドである。

会話の変化を知ろう

 少し傾聴に慣れ、現状が把握できると、会話の変化に気付くはずだ。ライバル会社が話題をさらうこともあろうし、製品の中身よりも価格の高さが話題になることもなろう。アンケート調査などでは明確な変化が分からないが、ソーシャルメディアでは鮮明に動きが読み取れるだろう。しかも、週ごと、あるいは日ごとでその変化が見える。問題は、この変化と売上高という変数を突き合わせると、会話の内容が、先行指標として捉えられるかもしれない。問題を抱えているお客さまがあれば、その解決に手を貸すことで売上につながる場合もある。

傾聴の費用対効果を最大にしよう

 もし、自社に調査予算があれば、市場調査よりも傾聴戦略による調査に予算を回す方が、効果が大きい。プライベート・コミュニティーで「理由」を訊ねることも可能だ。ブランド・モニタリングではアンケート調査などで拾い切れなかった詳細を分析できる。

ソーシャルメディアで大きな影響を与えているのは誰かを特定しよう

 ブログの世界ではアルファブロガーと呼ばれ、コミュニティーで話をリードしている人物を特定することも重要だ。いわゆるインフルエンサーである。傾聴戦略ではその特定までだが、会話戦略、活性化戦略などでは非常に重要な人たちだ。傾聴戦略が基本であるというのは、インフルエンサーを含め自社のお客さまの漠然としたイメージを特定できるからだ。お客さまの構成が分かれば、自社からの情報発信が適切にできる。

危機対策として傾聴しよう

 ユーチューブで批判的なビデオが投稿されたり、否定的なブログ記事があふれたり、フォーラムに悪評が立つといった広報上の危機を、傾聴していれば事前に察知できる。ブランド・モニタリングが早期警戒システムとなり、収拾のつかない事態に発展する前に手を打てるようになる。危機回避のキーはスピードであるのは周知の事実である。

新製品やマーケティングのアイデアを得よう

 お客さまの方が製品やサービスを改善するためのアイデアは豊富である。なぜなら、対価を支払って自分の問題解決に使えるかどうかを厳しい目で見ているからである。サービスを効率化する方法を教えてくれるお客さま、新しい機能やパッケージを提案してくれるブロガー、効果的なマーケティング・メッセージや店舗のアイデアを語るお客さま・・・。よく考えると、このような貴重な情報が、ソーシャルメディアを通じてアクセスできる時代はこれまでなかったと言える。

2.傾聴戦略は現場から経営中枢へ拡げる

 傾聴、つまりお客さまの声を聴く、と決めたら、先ず、すべきことは何だろうか?

 顧客との接点の多い部門、あるいは顧客の行動や興味を常に知りたがっている部門の現場から始まるだろう。具体的には、リサーチ(調査)部門やマーケティング部門、商品企画などである。経営中枢の思いも重要だが、これらの部門が傾聴に対して十分な理解があるないかで、傾聴戦略の成功不成功が決まる。つまり、商品を買ってくれるお客さまを客観的に見つめ、そこからの意見を吸い上げることに理解があるかである。商品の良さや機能ばかりを並べ立てて、お客さまの課題にどう取り組むのか分からない商品戦略や広報、広告宣伝、販売促進策は、決して「傾聴」ではない。

では、傾聴を進める戦略はどうあるべきだろうか?

自社に興味ある(あるいはクレームしたい)お客さまのプロフィールを調べる

 自社に対してプラス(興味あり)、ナイナス(クレームしたい)お客さまは、性別、年齢、住所、企業の顧客であれば、どの部門であるかなどのプロフィールを調べる必要がある。また、自社を取り巻く、ファンやコミュニティーの存在を把握する必要がある。そこで何が語られ、何が話題になっているのか、どんな課題があり、それをどう解決しているのかなどを「傾聴」しなければならない。

小さく始めて、大きく考える

 多くのブランドや商材を持つ企業の場合、全ブランドや商材を網羅したモニタリングプログラム(監視調査)を行おうとすると相当な予算が必要となってしまう。先ずは、1つのブランドを選ぶ。そこでのファンに関するプライベート・コミュニティーなどを調査する。小さく始めて、その様子を聴きながら、他のブランドや商材に展開すること。そうでないと、情報の管理が大変になり、手に負えなくなる。

今最先端のコミュニティー分析サービスを利用する前に、自社に専任のスタッフが約束されているかを確認する

 今や多くのベンチャーやICT企業が、ソーシャルメディアの分析ツールを使って、傾聴に必要なデータを揃えてくれる。ただ、気をつけたいのは、サービスを売り込んできた部門は切れ者だが、実際に分析に当たるスタッフの質に保証はない。常に、アウトソース先のスタッフも経験豊富なチームで対応しているかなどを調査しておこう。

情報分析後、他のデータと統合する仕事は、経営中枢の役員が担当する

 先ずはアウトソースであっても自社で傾聴した結果を分析して、ベンダーや関係者、社内の適当な部門と情報を共有するには、少なくとも現場に専任者が必要だ。傾聴の具体的な手段などの設計を行うのもこの専任者である。ただ、共有する傾聴分析の結果は、多くの部門に必要となるはずで、現場の専任者だけでは、全社に展開するには力不足である。全社的な視点で、経営陣の担当役員が、情報戦略として現場に指示し、計画の実行などを決めなければならない。つまり、現場のボトムアップと経営陣からのトップダウンが協調されるかで傾聴戦略の成功・不成功が決まる。

3.傾聴戦略で社内組織を変えざるをえなくなる

 顧客から情報を引き出せるようになると、傾聴戦略の推進者の分析データが、社内の幾つか部門で重宝するようになる。やがて、全社的に情報の共有が重要となり、経営に影響を与えることになる。これが組織の最適化の原動力となる。

 さらに、これまでの商品企画や開発での失敗事例や愚行が、容赦なく、顧客のパーソナル・コミュニティーなどで暴かれることになる。クレームだと思って単純に処理し、具体的な策がなければ、顧客や顧客候補からもそっぽを向かれてしまう。傾聴により、企業側の活動が「ガラス張り」状態であることが理解できれば、現状の組織の再編を行って、顧客に応えなければならないともいえる。

 さて、次回は、聴くことから話をすることに移ろう。しかし、忘れてはならないことは、傾聴が基本であり、これが出来ていないのに対話戦略に移行しては行けない。傾聴も出来ていないうちに対話を行うと、大きな、顧客やファンのコミュニティーから大きなしっぺ返しが起こる危険性がある。

次回の予告:
次回は、「ソーシャルメディアでつぶやきに挑戦」と題して「対話戦略」の実際を考えたい。

松本英博 プロフィール

 

松本 英博(まつもと ひでひろ)

デジタルハリウッド大学大学院 専任教授/NVD株式会社 代表取締役

 京都府出身。18年にわたりNECに勤務。同社のパーソナルメディア開発本部で、MPEG1でのマルチメディア技術の開発と国際標準化と日本工業規格 (JIS)化を行い、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボで画像圧縮技術を習得のため留学。帰国後、ネットワークス開発研究所ではWAPや i-モードなどの無線インターネットアクセス技術の応用製品の開発と国際標準化を技術マネジャーとして指揮。

 NEC退社後、ベンチャー投資会社ネオテニーにおいて大企業の新規事業開発支援、社内ベンチャーの事業化支援を行い、2002年9月にネオテニーから分離独立し、NVD株式会社(旧ネオテニーベンチャー開発)を設立、代表取締役に就任。大手企業の新規事業開発・社内ベンチャー育成などのコンサルティング 実績を持つ。

 IEEE(米国電子工学学会)会員、MIT日本人会会員。神奈川県商工労働部新産業ベンチャー事業認定委員、デジタルハリウッド大学大学院 専任教授、現在に至る。

 

10月 10 11

「レッドライト」 (連載第7回) 島唄と横浜

by staff


沖永良部島百合記念塔 画像提供:新里邦夫氏

 思わぬ場所で「横浜」という言葉に出くわすことがある。
 山形県の内陸部に位置する「O(オー)」という町での数年前の出来事だ。
 幾分寂れかけたその町は、蕎麦による町おこしと「『奥の細道』の旅で松尾芭蕉が立ち寄った」という事以外、目立った特徴がない。駅から数キロ離れた場所に拡がる中心街。ここをぶらぶら歩いていると、手作り感といなたさと、精一杯の背伸び感がにじみ出た、何とも味のあるカジュアルウェアの店が目にとまった。B系(ヒップホップ系)ストリートファッションの店らしい。やけに小さなその店には、さりげなく「フロム・ヨコハマ」というサインが掲げられていた。

 

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ヨコハマの名を冠した山形の B ボーイ・ファッション店

 人恋しさを覚えるほど閑散とした商店街に突如現れた「ヨコハマ」。
「妙に場違いな」。
 興味を覚えた私は店内に入ってみた。店主と思しき中年の女性とひとしきり話したあと、「じつは横浜から来たんです。横浜ご出身でいらっしゃいますか」と訊いたところ、「ええ」という返事。
「どういう経緯から、ここで店をやることになったんですか?」
「ひとには言いたくありません」
 ふと「逃亡者は北へ向かう」という言葉が脳裏をよぎった。失礼かもしれないが、いろいろ想像してしまう言葉だった。
 こういう「思わぬ場所で出会うヨコハマ」の例は、決して少なくない。
 視線を北から南に転じてみよう。
 あるとき、ひとから「南西諸島の島唄に横浜のことを唄ったものがある」という話を教えてもらった。調べてみると、それは鹿児島県沖永良部島(おきのえらぶじま)の「永良部百合の花」という唄だった。

<歌詞>
  ♪永良部百合ぬ花 アメリカに 咲かち やりくぬ
    うりが 黄金花 島に よう咲かさ
  ♪仇浪ぬ立ちむ揺らるなよたげに やりくぬ
    肝(ちむ)揃りてイ咲ちゃぬ 花ぬ よう美(ちゅ)らさ
  ♪いかな横浜ぬ 波荒らさあてィむ やりくぬ
    百合は捨(し)てィるなよ 島ぬ よう宝
  ♪永良部 百合ぬ 花御万人(うまんちゅう)ぬ 宝やりくぬ
    ちばてィ 作り出いじゃさ玉ぬ よう黄金

三節の歌詞
  ♪いかな横浜ぬ 波荒らさあてィむ やりくぬ
    百合は捨(し)てィるなよ 島ぬ よう宝

は「どんなに横浜の波が荒くても百合は捨てるなよ 島の宝だ」の意味だ。
 遠い南西諸島の島唄に「横浜」が唄われている。しかしこの歌の存在も、その由来も横浜ではまったく知られていない。なぜだろう。

 明治の昔、横浜港が茶葉やシルクの輸出でにぎわっていたことは、比較的よく知られている。しかしほかにも珍重された商品作物があった。第三の主力とでもいうべきそれは、南西諸島産の百合の花だった。

 横浜から大量に輸出された百合の花は、南西諸島特産のテッポウユリだった。この花は日本の固有種でありながら、キリスト教と分かちがたく結びつき、あまつさえその一部を変えてしまった。

 聖母マリアの純潔を現す白ユリは小アジア原産の「マドンナリリー」だったが 、復活祭(イースター)の季節に咲かない、という問題を孕んでいた。1840年にシーボルトらが奄美・琉球原産のテッポウユリを紹介する(*註)と、聖母の百合は日本産が席巻した。島の人間たちにとって、食用にならぬこの百合は単なる野生の花にすぎず、気にとめる者はなかった。それが商品作物として、一躍脚光を浴びたのである。

 輸出が始まった当初、ユリ根は山採りによってまかなわれたが、輸出量が拡大するとともに横浜市内(笹下、日下、磯子、屏風ケ浦など)や房総半島で栽培されるようになり、やがてテッポウユリの自生地である沖永良部島 も主要な産地として組み込まれていった。

 我が国には園芸的に価値の高い野生植物が多い。その代表がユリ類で、輸出向けの九割以上が横浜港から積み出されていた。日本在住の外国人の中にはそれらの球根を英国や米国に送り、大きな利益を得る者が出現した。花卉(かき)類の貿易商社誕生である。文久2(1862)年に来日したイギリス人、クラマー(Carl Kramer)の「クラマー商会」や、明治4(1871)年に来日したアメリカ人、ボーマー (Louis Boehmer) の「ボーマー商会」などがその代表的だ。

 明治中期になると日本の商社も相次いで誕生し、この市場に参入した。明治23年創業の「横浜植木商会(現・横浜植木株式会社)」 や明治21年創業の「新井清太郎商店」などである。これらの商社は共存共栄を図り、明治39(1906)年に「百合輸出貿易商団」を結成。横浜植木、新井清太郎商店、高木商会、田中幸太郎商店、ロバート・フルトン商会の5社共同で、沖永良部島、奄美大島、徳之島の百合の野生種買付けを行った。

 ここから、ようやく前述の島唄とつながる。
 今で こそ生産者と商社の間で価格の折合いがつかないときは、農林省や関係当局の価格調整制度がある。しかし戦前は全くの野放しであった。 「輸出」とはいえ、生産側から見れば永良部から横浜への販売にほかならない。県内で生産されたユリは、一旦海路で横浜港へ陸揚げされた後、改めて海外へと輸出されていたのである。他に販路を持たない生産者側は、商取引に不慣れだったことやまとめ買いによる買い叩きなどにより、横浜から来た商社の言いなりとなることが多かったようである。島唄の二節にでてくる「仇浪」とは島の内外でうずまく紛争をさしている。

 「どんなに横浜の波が荒くても百合は捨てるなよ 島の宝だ」。
 横浜から来た商社との協定が得られず、どんな苦境に立たされたても、島のユリを守って行きたい、という島人の願望。

 同じ構図が静岡の茶葉にも当てはまった。しかし茶葉の場合、静岡県の努力により、 明治32(1899)年に清水港が開港場指定を獲得。その後10年経って茶貿易の中心は横浜・神戸から清水に移行している。

 一方、離島である永良部では勝手がちがう。それどころか昭和に入ると、事態は泥沼化していく。

 昭和7年、横浜植木の鈴木清蔵社長率いる「日本百合根輸出組合」に対抗する形で、大商社三菱商事が沖永良部に進出。ユリ根農家を取り込み、早成種百合根五百万球を買占めた。当時、輸出は各商社が行っていたものの、輸出検査は輸出組合が行っていた。しかし三井側は輸出組合との確執が尾を引いて、輸出検査を進めてもらえない。業を煮やした三井は、「輸出組合法」の裏をつき、英国のアングロジャパニース・デベロップメント・カンパニーに買占め百合根をすべて譲渡。輸出検査を通さず、税関の証明のみを以て横浜から輸出を行った。この事態は「百合根戦争」とよばれたが、生産農家もかなりのとばっちりを受けたらしい。結果的にわずか数年で、三菱は島から撤退している。

 沖永良部島産のユリは「エラブユリ」の名で海外でも親しまれ、 日本の外貨獲得の一翼を担った。戦時下の栽培転換や貿易沈滞を乗り越え、戦後ふたたび拡大に転じものの、海外での栽培技術の確立に伴い、いまは国内市場向けに生産されている。しかし、1970年代にオランダで作出された「カサブランカ」のような観賞価値の高いユリには、かならずと言っていいほど日本原産のユリの DNA が入っているという。

*註)このユリは、横浜の野山に咲いていたヤマユリだった、という説もある。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

横浜植木制作の『百合花選』より(国立国会図書館所蔵)

 

横浜の貿易商でエラブユリの輸出で活躍したアイザック・バンティングのカレンダー

 
Van Houtten 社(ベルギー)

による永良部百合のアンティークプリントの一例(1850年代)

 

新聞ライブラリー(旧商工奨励館)の外壁に施されたユリの彫刻。ユリ貿易を偲ばせる。

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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大文字では表せない小文字の横浜の歴史「裏横浜研究会」。ノンフィクション作家檀原照和さん

 

10月 10 11

10月 三ツ池だより 「あるとないだけでいいの?」

by staff
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 10月に入って途端に涼しくなった。なぜか今迄の月とは違う感じがするのはなぜなのであろうか。4月に始まった新年度の6ヶ月が過ぎ、後半のスタートである。3・11という大変な出来事を経験し、忘れてはいけないし、走馬灯にしてはいけない。一方でたしかな一歩の踏み出しが模索されている。

 10という数字は両手を前にして、一本一本指を折り、曲げていくと全部を握った形になる時である。包みこもうとする両の手から、今しっかりと拳を作って、よしいくぞという決意を示す形である。そう10月とは、新たな決意の月なのである。

 蕪村に次の句がある。

山くれて紅葉の朱をうばひけり    蕪村

岡の家に画むしろ織るや萩の花    蕪村

 内職の絵筵を織っている農家があって、構図のように、庭先に萩の花が咲いている。一方は山が暮れ、紫色となり、紅葉の朱をすっかり奪っている。10月をどのように楽しめばいいのかと思案する時でもある。

 次のような句を私は書いた。

カエサルを迎える萩の白さかな    詢

 何年か前「カエサル」を観劇する機会があった。カエサルはカルタゴ語で象という意味。見る人によってその象、すなわちカエサルの姿は違ってみえるのだという。カエサルは川を渡ってローマ市内に入ってくる。今まさに新しいリーダー像が求められている。時まさに門の入り口に白い萩が咲いている。

 2進法、10進法ということがある。二進法は「ある」「ない」である。10進法は両の手の指の数から来ている。従って、両の手を一回終わると次の両の手に行く。10とはそのようなものだ。10本の指があって10進法として確立してきた。そして10進法は1・2・4・8という倍数の組み合わせの考えのなかで電子化され、2進法は計算速度を上げる中で普及してきた。

 蕪村の時代、どのように自然を文様に取り入れるかを考えた。紅葉の朱をすっかり奪い取った山の暮れる色に想いをいたした時代は半端でなく貧しい時代、もののない時代であった。今その時代に戻るというのではなく、その思いを大切にしたいのだが。日本の文化とは、生まれそして滅びることを前提に愛おしさ、もったいなさ、そして悲しさを大事にしてきた。悲しさは乗り越える為にあるとさえいわれている。あのローマでカエサルが熱狂的ななかで迎えられ、帝国はまもられていく、それでもローマは最終的に崩壊していく。

蝉の声消えて吾が年数えけり     詢

 この10月を豊かにするためには、不便をも楽しむ国であって良いと思うのだがいかがなものだろう。何が今をこんなに混とんとさせてしまったのだろうか。本当は何を考えないといけないのか。私達は過去に学んだはずだ。「森は海の恋人」といわれている。それに気付きながら、山が荒れている。手の入らない山は荒れていく。確かな水のあるところは外国の人が、水を求めて土地を買って行く。日本の国土の主張をきちんとしていくべきだ。そのさなかでの原発の問題である。謙虚に振り返らなければならない。

 「三桁の掛算の必要性」という芳澤光雄氏の記事が目に飛び込んできた。「縦書き計算の掛け算指導を、2桁同士で終わらせている国は主要国では日本以外見当たらない」という記事だった。ドミノ倒し等で3桁の必要性を述べている。「2個だけのドミノ倒しでは、倒すドミノと倒されるドミノだけで成り立っている。それが3個のドミノ倒しになると真中に位置するドミノは倒されると同時に倒す働きを持っている」「すなわち、繰り上がってきた数を加える計算と上の位に加える計算の二つの働きをしている」部分があることの必要性を説いている。覚えるに大変だから、又はゆとりの時間が欲しいからという理論でこれを解決してしまってはいけないように思う。

どんぐりや幻の湯に迷い込む   詢

 原子力発電所が何故悪いのか。それは明らかに人間の存在すら消してしまうからである。誰でもがじつは不安を抱えていた。だからこそ莫大な費用を費やした。それぞれの地域にお金を落とした。豊かさをもたらす電力の供給力UPの掛け声のために、不安を隠して原発があちこちに立てられた。実は今なお、その使用済み燃料の廃棄が宙に浮いている。今あるものの安全性を高めながら、大胆にエネルギー政策を変えていかなければならない。それにはまずもって、私達一人一人が、生き方生活の仕方を変えていく覚悟を持つことだ。いつまでも栄華は続くものではない。

ローソクの短し嬉し秋の夜    詢

 今私達に課せられたものは健全な命の伝承である。命を繋いでいく使命感であり、繋いでいる喜びを共有することだ。かけがいのない命をお金に換算することでなく、健全な命の伝承へのあくなき挑戦こそが求められているのだと思う。

 

Photos

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(文・写真:横須賀 健治)

 

10月 10 11

「日本人の気概」 中條高徳 著 致知出版

by staff
「日本人の気概」 中條高徳 著 致知出版  

 医者から次の条件を出されて、講演に行く人がいるのだろうか。
   1.付添人を必ずつけること
   2.全行程車椅子で移動のこと
   3.水を絶対飲まぬこと
   4.講演は座ってやること
   5.可及的速やかに本人に戻ること

 心筋梗塞の手術を目前にしてのこと、それほどまでにいたたまれずに居れない中條高徳さんは「アサヒスーパードライ」作戦の会社再生計画を常務取締役営業本部長として取り組んだ人だ。「芭蕉の、月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人なり、が実感として吾に迫るこの頃」と記す。

 迷える日本人よ!と叫ぶ。 世界が説く民族滅亡の三原則を心して聞け!という。
   1.理想(夢)を葬った民族
   2.全ての価値をもので捉え、心の価値を見失った民族
   3.自国の歴史を忘れた民族

 思い当ることがある私の世代は近代史に学校の授業はほとんど割かれなかった。時間が足りないという理由だった。江戸時代が崩壊し、明治時代が始まるところまでが主であった。

 中條さんは上に立つ者の気概を全編通じて語られる。佐藤一齋の「春風を以って人に接し、秋霜を以って、自ら慎む」をベースに「相手を立てれば蔵が立つ」といって社員に語りかけてきたのだ。吉田松陰の「志定まれば気ますます盛んなり」をもとに、心の目を覚まそうと訴える。「豊かさは全人類の目指す課題だが、不思議や不思議、たどり着いてみると、必ず目指すエネルギーが弱まり、耐える力が萎える」今まさに貧乏になろうというのではなく、豊かさと引き換えに失ったものの大きさを訴えている。

 先日私の同窓会でも話題になった「一生懸命やっていけばいい世になる。だが現実はどうだ。今の世に一翼を担ってきた我々にも責任はありはしないか」と。戦後の日本人は叱ることを忘れてしまった。叱ることは戦前の悪い風習と勘違いしている親が多いとも指摘される。

 「叱ることを忘れた今の親たちは逆に褒める基準も分からないし、そのタイミングも、効果的褒め方も、さっぱり分からなくなっている。叱るべきをきっちり叱る人から褒められると、褒められる側の喜びは倍加する。」

 中條さんは、水は人生を語るとして「水なくして生物は生存できない。」「国土の八割を占める山の森林も、木材の採算が合わないこともあり、荒れてきている。この森林は棚田と同様雨水を蓄える働きをする。河川を生かすには川上を守れとの格言がある。」水五訓の中で「様々な水の態様は人生を達観せよと語っているようでもあり、無言にして人生の輪廻を説いているようでもある。その性は失いはしないが、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(方丈記)の如く、水は時の移ろいをも語る。水はわれわれの人生そのものです。」そしてプロローグの死の床で同胞を思う心として、キャンディーズの田中好子さんの、この世を去るにあたっての肉声を伝える。「被災された皆様のことを思うと心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。」再起あれ!中條さん!

(文:横須賀 健治)

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10月 10 11

第5回横浜売れるモノづくり研究会セミナーと
映画「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」上映会のご案内

by staff

「売れるモノづくり」についてのご相談を承ります

いいモノを作ってもなかなか売れない・・・
製造業の方々からそんな悩みをよく耳にします。
どんなに良い製品でも、市場に受け入れられなければ「モノ」で終わってしまいます。

「横浜売れるモノづくり研究会」は、神奈川県在住の企業支援の専門家やITの専門家など多種多彩なメンバーで構成されています。

「横浜売れるモノづくり研究会」では、「製品の売り方をどうしたらいいか」という企業のご相談を随時受け付けることにいたしました。

毎月一回第二木曜日には、ご相談される企業と専門家が面談を行っています。10月の相談日は10月13日(木)です。

売れるモノづくりについてのご相談はこちらにご入力下さい。

 

「さくらさくら サムライ化学者-高峰譲吉の生涯-」上映会

 この映画は、125年前単身でアメリカに渡って苦労の末「アドレナリン」と「タカジアスターゼ」を生み出して、後に「サムライ化学者」と呼ばれた高峰譲吉の半生を描く壮大な物語です。

 幕末、明治、大正の激動の時代を生きた高峰譲吉は、科学者として、事業家として、国際親善外交を通じても、大きな足跡を残しました。

 日本が未曽有の国難に見舞われている今、私たちは先達の心意気を学び「生き抜く力」を見習いたいと思います。できるだけ多くの日本人に見てもらいたい珠玉の作品です。

映画「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」上映会
10月21日(金) 18:30~ @野毛Hana*Hana
http://yokohama-now.jp/home/?p=5856

当日「さくらさくら」の上映後、この映画の監督で横浜出身の市川徹氏にお話を伺います。参加者同士の交流会(軽食付き)も予定しております。

会場は桜木町駅徒歩三分のアートスペース「Hana*Hana」です。
ご家族ご友人と一緒に是非ご参加ください。

——————————————————————
日時 10月21日(金)18:30~21:30
会場 野毛Hana*Hana
    横浜市中区花咲町1丁目42-1
    Tel 045-325-8123
    http://www.nogehanahana.org/
会費 2000円(交流会費含む)
——————————————————————-

お申し込みはこちらから
https://www.supportyou.jp/monoken/form/5/

 

第5回横浜売れるモノづくり研究会セミナー

 売れるモノづくりとは何か、またそれを効果的に売るにはどのような方法があるのか、製造業の現場担当者の事例発表を通して、参加者全員で考えていきたいと思います。

 第5回は「新規事業立ち上げの秘策」というテーマで、製造業の若手社長によるパネルディスカッションを行います。売れるモノづくりとその効果的な売り方に興味のある方のご参加をお待ちしています。

    
  1. 日 時 平成23年11月22日(火)午後2時30分~5時30分
  2. 場 所 万国橋会議センター(横浜市中区海岸通4-23)
Tel 045-212-1034
http://www.y-port-kousei.or.jp/new_page_9.htm
  3. 内 容  講 演 「新製品の広報戦略」(仮称)
 NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ 代表理事 杉浦裕樹
 http://yokohamalab.jp/
 
       パネルディスカッション 「新規事業立ち上げの秘策」
 株式会社由起精密 大坪 正人
 http://www.yukiseimitsu.co.jp/
 http://sessaku.net/
 
       株式会社エコタクドットコム 越智 修次
 http://www.ecotaku.com/
 http://www.s-mart.fm/
 
       ミニプレゼン 自社商品のPRを5分間行います。(3社程度)
 
       交流会(軽食付き)
  4. 定 員 50名(定員になり次第締め切ります)
  5. 参加費 2,000円(交流会費)

<問合先>
横浜売れるモノづくり研究会 事務局
(株式会社ともクリエーションズ内)
〒231-0004
横浜市中区元浜町3-21-2 ヘリオス関内ビル4階
TEL 045-226-3475 FAX 045-226-3476 お問合せフォーム

メディア掲載情報

 

10月 10 11

「にしく名・達の会」 街のイベント企画
ふじだな1番街わくわくフェスタ ~フラダンスショーとともに~

by staff

10月2日(日)に開催された「ふじだな1番街わくわくフェスタ」

  「にしく名・達の会」は、商店街や町内会、子ども会、老人会などを積極的に応援し、協力、連携していきます。
 商店街(ふじだな1番街)と相互協力して、商店街の活性化と地域のみなさんとの交流を目的に、「ふじだな1番街わくわくフェスタ」を企画し、今後も継続していきたいと考えています。
 今回は、大人と子どものフラダンスショーをメインに、マジック、ペンシルバルーン、フェイスペイントなどや地域の方、商店街からの出店協力もあり、出演者、スタッフだけでも100名近くが参加する予定です。
 ふじだな1番街のライブステーションを拠点に日曜日の歩行者天国を利用させていただき、福祉施設「よってこっと」などのご協力もいただきながら、商店会と連携して準備をしていきます。
 子どもからお年寄りまで楽しんでいただける、日曜日のにぎやかな商店街を目指します。

にしく名・達の会のご案内 私たちと一緒にに活動しませんか

 「にしく名・達の会」は、西区の生涯学習ボランティア“西区街の名人・達人”や市民活動を行っている個人・団体が協力して、平成22年に西区役所の支援から独立し、あらたに発足した非営利団体です。
 ボランティア精神をもって様々な知識、技能、経験を生かし、生涯学習、福祉事業、市民活動などの分野で活動しながら地域社会に貢献するとともに、会員間の交流、相互啓発、そして地域の活性化やつながり作りに取り組んでいます。

 「西区街の名人・達人まつりり」は、活動を発表し、区民のみなさんに活用していただくと共に、交流を深める場として、年に一度開催するおまつりです。

*毎月1回の情報交流会に参加ください
          (①活動紹介デモや活動告知など情報交換)
          (②まつりの準備など)
*年1回「西区街の名人・達人まつり」開催
          (H24年2月25日(土)藤棚地区センターにて開催予定)
*年会費 : 2,000円

共に活動していただける方を募っています!
入会ご希望の方は、ホームページから、又は下記問い合わせ先までご連絡ください。
入会用紙をお送りします。
※会の活動趣旨に合わない場合は、入会をお断りさせていただくこともあります。
【問い合わせ先】にしく名・達の会代表  高野圭子 TEL:090-5525-7870

にしく名・達の会ホームページ http://nishikumeitatsu.town-web.net/

 

10月 10 11

IT がつくる絆 ( メディアミックス編)

by staff

 

 みなさんこんにちは。(株)ともクリエーションズの玉川です。
 弊社は、横浜を拠点としてシステム開発やWeb制作を続けて20年以上になりました。「人と人をつなげる場を創造したい」という想いで仕事を続けてきた中で誕生した『サポチュー(SupportYou)システム』を、活用事例などによりご紹介していきたいと思います。
 
 今回は、ITがつくる絆(メディアミックス編)についてご紹介いたします。

ITがつくる絆(メディアミックス編)

 FacebookやTwitter等を使って情報の流れが速くなっています。ユーザー数は、Facebookは約480万人、Twitterは約1,700万人になりました。私の周辺でも、仕事とプライベートの両方でFacebookユーザーが増えていることを感じます。約10年ぶりに開催される高校の同窓会の情報は、Facebookで広がっています。

 ところが、Facebookで「イベント」を作成して募集したけど、実際の参加者は3分の1だった・・・ということがよく聞かれます。

 Facebookでも「サポチュー」は使えるのです!!「サポチュー」の申込みフォームはFacebookにはめ込むことができるのです。「サポチュー」を使えば、フォームに登録していただいた方には開催日前日にリマインドメールを送ったり、開催後にお礼メールを送るなど、Facebookから離れてもコンタクトを取ることができるようになります。

 Facebook内の「サポチュー」フォームの事例をご紹介します。

「横浜売れるモノづくり研究会」の参加申込み
http://www.facebook.com/supportyousys#!/monoken?sk=app_109770245765922

商店街に関するアンケート(よろしければ是非ご回答ください)
http://www.facebook.com/supportyousys#!/supportyousys?sk=app_116082671822525

エランビタール 無料体験キャンペーン
いいね!ボタンをクリックすると、無料体験申込みフォームを表示
(キャンペーンは終了しました)
http://www.facebook.com/supportyousys#!/elanvital.bw

 

 

動画制作が身近になってきました

 また、最近はネット上で動画での商品紹介をよく見かけるようになりました。動画は、サービスの内容を短時間で深く伝えることができる最善のツールだと思います。「サポチュー」の紹介動画も制作してみました。横浜の風景も流れています。ナレーションやプレゼンを社内で行って作成し、動画制作が身近になったことを実感しました。

「サポチュー」のご紹介(6分30秒)
http://www.youtube.com/watch?v=tA4ds64kE18

コンピュータリブ様の動画制作「だれどう」とタイアップしました。
http://www.computerlib.co.jp/daredo/

 弊社での動画制作も増えてまいりました。動画制作についてご興味がございましたら、お気軽にお問い合わせください。

制作事例:体の中から元気にする市場「坪倉市場」
http://2bo1.net/tv

お問合せはこちらまで・・・http://www.tomocre.com

皆様へのお願い

 「サポチュー」が、フジサンケイビジネスアイのイノベーションズアイ アワード2011にエントリーしました。Web投票を開催中です。よろしければ一票をお願いいたします!
http://www.innovations-i.com/feature/award2011/144.html

「サポチューシステム」って?

 「サポチューシステム」とは、
   1.フォームを作成して
   2.データ(メールアドレスなど)を集めて
   3.メール配信する
ことが簡単にできるシステムです。

「サポチューシステム」なら、fcebookページにも入力フォームやアンケートフォームが
簡単に設置できます。 サポチュー(Supportyou)>ようこそ!

この仕組みは、いろいろな所で絆をつくることができるのです。
これから少しずつ事例をご紹介していきたいと思います。

お問合せ

(株)ともクリエーションズ
231-0004 横浜市中区元浜町3-21-2ヘリオス関内ビル4F
tel 045-226-3475
fax 045-226-3476
E-mail info@tomocre.com

サポチューシステム:http://www.support-you.jp

担当:玉川郁子 プロフィール

   横浜市磯子区生まれ。港北区育ち。
メーカーの企画部を経て(株)ともクリエーションズに在籍。
サポチューシステム企画・販売・サポート担当など。
旅行が趣味ですが、今は2010年に誕生した娘を育てることが楽しいです。

 

10月 10 11

ステッピングと医療と高級旅館が手を結んだメディカルプログラム

by staff

三養荘に泊まって健康チェック。メディカルチェックご宿泊プラン

ヨコハマNOW 「ヨコハマ趣味人」でご紹介させていただきましたNPO法人日本ステッピング協会理事長 藤野弘一さんとみなとみらいクリニックが伊豆長岡温泉の高級旅館「三養荘」で行なうメディカルチェックご宿泊プランです。

 

10月 10 11

もっと旅がしたい!(その2)

by staff

人が旅をする理由は…?

 人が旅をする理由はそれぞれですが、その歴史は水や食料を求めた生命を守るための「移動」から始まったといわれています。
 段階を経て日本では紀元3世紀ごろでも、権力者の命令による移動や旅が多く、自分の意志とは関係ない強制されたものが主流でした。
 現在のような自分の「自由意思」での旅が登場したのは、さらに長い時を経て平安末期頃、除災招福を求めた信仰心によって始まります。でも、一般民衆が気軽にできるものではなかったようです。

 多くの人々が参加できる「自由意思」での旅が広がったのは、昭和40年代後半(1970年)以降。そして今、人が旅をする理由は「観光」や「商用」、「買物」「治療」「勉強」などと多種多様になっています。
 旅に出て日常生活を離れると、「緊張感」と「解放感」という相反する感覚が同時に高まることがあるそうです。
 不慣れな土地での「緊張感」は、感受性を高める情緒的反応も活発にして、快・不快、好き・嫌いなどの印象を強くし、新しいものや珍しいものを見て「感じる」アンテナを普段より敏感にさせます。
 同時に、日常生活を離れることによる「解放感」は、肉体的にも精神的にもくつろぎを感じさせてくれます。

 観光や買い物などを目的とした旅行の場合であっても、肉体的疲労だけでなく精神的疲労を覚えることが多いのは「緊張感」が生じるためだそうで、商用や勉強のための場合であっても楽しさを伴うのは、そこに「解放感」があるから。
 このような相反する意識の組み合わせによって、旅をする人の心理はつくられているんですね。

 こんなウンチクもふまえつつ、旅だからこその「緊張感」と「解放感」、味わいましょう!

Pick Up-1 【東京都中央区宝田恵比寿神社べったら市】10月19日(水)・20日(木)

 江戸時代からはじまったというこの市。
 宝田恵比寿神社を中心に仄かな甘味のべったら漬けを売る店が、東京のど真ん中、日本橋界隈(日本橋、大伝馬町、本町通り)に立ち並びます。
 べったら漬はアメと麹で大根を漬け込んでいるので、衣服にべったりとついてしまうことから【べったら漬】という名がついたと言われているそうですよ。観光客や近隣の人々が押し寄せ、毎年かなりの大賑わいです。20日にはお神輿もでます。

 

 また、宝田恵比寿神は、江戸時代以降、商業の神様として商人の厚い信仰を受けていることでも有名。
七福神の恵比寿様が祀られているんですよ。
 商売繁盛、家族繁栄、の祈願も兼ねていかがですか?

Pick Up-2 【京都市平安神宮時代祭】10月22日(土)

 明治時代までを7つの時代に分け、平安時代まで遡る時代行列。
 20列、2000人に達する行列の長さは2キロに及び見応えたっぷりです。「一目で京の都の歴史と文化が理解できるものを」「京都をおいて他にはまねのできないものを」という、京都人のこころいきと誇りがふんだんに織り込まれています。
 使用される衣装や調度は綿密に考証された特製品で、行列はいわば歩く博物館!秋の古都が歴史絵巻の舞台に変身します。

 

Pick Up-3 【神奈川県箱根町箱根大名行列】11月3日(木)

 旧東海道や温泉街を練り歩き、往時を偲ばせる大名行列。

 旧街道を「下に~、下に~」の掛け声とともに11万3000石の行列は、霧払いを先頭に、挟み箱、毛槍、弓、鉄砲、大名駕籠、奥女中と総勢170余名が湯本温泉街をひと廻りします。
 さらに、200人の湯本芸技連のきれいどころの手踊りパレードが続くのも粋なはからい。箱根ならでは行列ですね。小田原北条氏の鉄砲隊、米軍軍楽隊などが加わると総勢450名近くにもなります。
 11月3日は毎年好天気に恵まれることも多く、戦後、この行列ができなかったのは過去1回だけだとか。秋の心地よい風が気持ちいいですよ。

 

知らない日本がまだまだあるって、ワクワクします。
旅はいつも私を豊かにしてくれる。だから、もっと旅がしたーい!

【日本全国のお祭り】10月10日~11月9日

10月 10日(月) 富山県砺波市スカイフェスとなみバルーン大会(8~)
  11日(火) 香川県琴平町金刀比羅宮例大祭(~9)
  12日(水) 神戸市海神社海上渡御祭
  13日(木) 兵庫県高砂市曽根天満宮秋祭(~14)
  14日(金) 大阪府東大阪市枚岡神社枚岡まつり(~15)
  15日(土) 兵庫県姫路市松原八幡神社灘のけんか祭り(14~)
  16日(日) 埼玉県川越市川越まつり(15~)
  17日(月) 日光市日光東照宮秋季大祭
  18日(火) 愛媛県新居浜市新居浜太鼓祭り(中旬)
  19日(水) 東京都中央区宝田恵比寿神社べったら市(~20)
  20日(木) 福井県敦賀市金崎宮御船遊管絃祭
  21日(金) 兵庫県姫路市魚吹八幡神社秋祭(~22)
  22日(土) 京都市平安神宮時代祭
  23日(日) 愛知県蒲郡市山谷祭(22・23)
  24日(月) 福岡市櫛田神社博多おくんち(23~24)
  25日(火) 京都府亀岡市亀岡祭(23~)
  26日(水) 富山県黒部市たいまつ祭(~27)
  27日(木) 長崎県平戸市平戸くんち(24~)
  28日(金) 愛媛県宇和島市宇和津彦神社秋祭り(~29)
  29日(土) 長崎県松浦市松浦水軍まつり(~30)
  30日(日) 埼玉横瀬よこぜまつり
  31日(月) 埼玉神川町冬桜まつり
11月 1日(火) 岩手県平泉町秋の藤原まつり(~3)
  2日(水) 鹿児島市おはら祭(~3)
  3日(木) 神奈川県箱根町箱根大名行列
  4日(金) 佐賀県唐津市唐津くんち(2~)
  5日(土) 静岡県森町森のまつり(4~6)
  6日(日) 山口県宇部市宇部まつり(5~)
  7日(月) 秋田県横手市保呂羽山波字志別神社霜月神楽祭(~8)
  8日(火) 京都市伏見稲荷大社火焚祭
  9日(水) 福島県二本松市二本松の菊人形(10/1~11/23)

( 文・イラスト・写真:(株)とらべるわん いいづかあや )

いいづかあや(飯塚 文) プロフィール

いいづかあや 飯塚文  

1974年、横浜生まれ横浜育ち。
私立山手学院高等学校卒業後、文教大学短期大学部文芸科卒業。
父親の経営する(株)とらべるわんで幼いころから「旅」に携わる。
学生時代より同社のチラシ・DM・ホームページ等の制作をする。デザイン事務所・建設会社などの職業を経て現在は(株)とらべるわんのWEB責任者を務める。また、横浜元町で「ボディアートGlitta」でデザイナーとしても活動中。

(株)とらべるわん http://www.travel1.co.jp
ネイルサロンMINORITY http://www.minority-minority.com/
ボディアートGlitta http://www.minority-minority.com/glitta/index.html
   
いいづかあやTwitter http://twitter.com/zuka_aya
いいづかあやFacebook http://www.facebook.com/iizukaaya

 

10月 10 11

保土ケ谷の名物イベント 「ミニSLを走らそうかい」

by staff

活動開始から7年。保土ケ谷の名物として各イベントに参加

 保土ケ谷では、これまで「歴史を活かしたまちづくり」をテーマに地域住民、市民活動団体、行政、企業、商店街などが連携して様々な取り組みが行なわれてきました。
 保土ケ谷宿名物会もその中の一つで、「保土ケ谷の名物づくり」企画として、地域で長い間、保土ケ谷宿の歴史を活かした商品作りをしている区内の名店(現在の名物会各店)に声掛けをし活動を始めてから、早いもので7年が経ちました。お陰さまで、横浜開港150周年記念事業(2009年)や保土ケ谷区民まつり、ほどがや区民DAY(横浜FC主催)など、各種のイベントで行なわれる保土ケ谷の名物紹介の企画に参加させていただけるようになりました。
 また、東海道 風景街道が主催するウォークイベントなど、市民活動団体が主催するイベントにも出店させていただく機会も多くあります。

『ミニSLを走らそうかい』に出店

 然る10月2日(日)も、『ミニSLを走らそうかい』(保土ケ谷区・外川神社)というイベントに参加させていただきました。この企画は、松並木プロムナード(国道1号沿い・岩崎ガード付近)と、それに沿って流れる今井川の管理をする「保土ケ谷宿松並木プロムナード水辺愛護会」の企画によるもので、地域住民が数十年前に製作したミニSL(約1/10・素材や構造まで本物同様)を同プロムナードで走らせ、子ども達に楽しんでもらい、それを通じて保土ケ谷の歴史や地域の魅力を地域住民に伝えようという企画で、ミニSLの走行会の他にも、関宿の「関の戸」や安倍川餅など、東海道各宿の名物の販売や、読売センター(YYプロジェクト)による『東海道五十三次』(歌川広重)の展示などが行なわれ、保土ケ谷宿名物会も出店させていただきました。
 地元でのイベントだけに、古くから各店を知る来場者が多い一方、保土ケ谷に来て数年という家族連れの若い新住民の方たちなど、保土ケ谷の名物を初めて目にした人、あるいは自分の住んでいるまちがかつて東海道の宿場町だったということを初めて知った方も多く、たくさんの来場者の方に喜んでいただきました。

食を通じたまちづくり

 前述の通り、保土ケ谷では、盛んに行なわれている「歴史を活かしたまちづくり」ですが、当会が取り組んでいるのは「食を通じた保土ケ谷の歴史文化の発信」。これからも各種のイベント参加を始め、様々な企画に取り組んでいきますので、どうぞよろしくお願いします。

 

ミニSL

子供たちを乗せて、「出発進行!」

名物販売の風景

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

ヨコハマNOW掲載情報

 

10月 10 11

活動開始から7年。保土ケ谷の名物として各イベントに参加

by staff

活動開始から7年。保土ケ谷の名物として各イベントに参加

 保土ケ谷では、これまで「歴史を活かしたまちづくり」をテーマに地域住民、市民活動団体、行政、企業、商店街などが連携して様々な取り組みが行なわれてきました。
 保土ケ谷宿名物会もその中の一つで、「保土ケ谷の名物づくり」企画として、地域で長い間、保土ケ谷宿の歴史を活かした商品作りをしている区内の名店(現在の名物会各店)に声掛けをし活動を始めてから、早いもので7年が経ちました。お陰さまで、横浜開港150周年記念事業(2009年)や保土ケ谷区民まつり、ほどがや区民DAY(横浜FC主催)など、各種のイベントで行なわれる保土ケ谷の名物紹介の企画に参加させていただけるようになりました。
 また、東海道 風景街道が主催するウォークイベントなど、市民活動団体が主催するイベントにも出店させていただく機会も多くあります。

『ミニSLを走らそうかい』に出店

 然る10月2日(日)も、『ミニSLを走らそうかい』(保土ケ谷区・外川神社)というイベントに参加させていただきました。この企画は、松並木プロムナード(国道1号沿い・岩崎ガード付近)と、それに沿って流れる今井川の管理をする「保土ケ谷宿松並木プロムナード水辺愛護会」の企画によるもので、地域住民が数十年前に製作したミニSL(約1/10・素材や構造まで本物同様)を同プロムナードで走らせ、子ども達に楽しんでもらい、それを通じて保土ケ谷の歴史や地域の魅力を地域住民に伝えようという企画で、ミニSLの走行会の他にも、関宿の「関の戸」や安倍川餅など、東海道各宿の名物の販売や、読売センター(YYプロジェクト)による『東海道五十三次』(歌川広重)の展示などが行なわれ、保土ケ谷宿名物会も出店させていただきました。
 地元でのイベントだけに、古くから各店を知る来場者が多い一方、保土ケ谷に来て数年という家族連れの若い新住民の方たちなど、保土ケ谷の名物を初めて目にした人、あるいは自分の住んでいるまちがかつて東海道の宿場町だったということを初めて知った方も多く、たくさんの来場者の方に喜んでいただきました。

食を通じたまちづくり

 前述の通り、保土ケ谷では、盛んに行なわれている「歴史を活かしたまちづくり」ですが、当会が取り組んでいるのは「食を通じた保土ケ谷の歴史文化の発信」。これからも各種のイベント参加を始め、様々な企画に取り組んでいきますので、どうぞよろしくお願いします。

 

ミニSL

子供たちを乗せて、「出発進行!」

名物販売の風景

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

ヨコハマNOW掲載情報

 

10月 10 11

2001年10月17日の瓦版をふりかえって

by staff


発効日2001年10月17日の瓦版 (画像をクリックして瓦版(PDF)をご覧ください)

横浜市中区には、「ハローよこはま」というイベントがあります。

 「ハローよこはま」は、中区民相互の交流を目的にした「中区民まつり」として毎年10月に開催されています。2009年までは「根岸森林公園」で開催されていましたが、昨年から会場が「横浜公園」「日本大通り」へと移り、中区というより、横浜市全体のお祭りという感じになってきています。

 例年、区民による飲食店やゲームなどの模擬店、いろいろな活動団体の紹介が行なわれるブースが出展されています。今年(2011年)は、大震災を機に深まった中区と被災地のつながり、被災地支援の取組みの輪を広げることを目的に『震災復興支援』がテーマになっています。10月9日(日)10時~15時に行われました。

 山元町二丁目商栄会では、メインステージの前「復興支援企画」の一角にブースを出店して、宮城県山元町ボランティアセンターのTシャツ販売や焼き鳥などの販売を行います。収益金は宮城県山元町へ寄付させていただく予定です。当日は山元町でボランティア活動されてきた方も、ブースのお手伝いに参加いただくことになっています。横浜からの大震災支援の輪が、今以上に広がるきっかけになればいいなと思っています。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

     

宮城県山元町ボランティアTシャツの購入のお問合せは、
横浜市中区山元町二丁目商栄会で「バラエティーショップきじま」を経営する鬼島 勝治(きじま まさはる)さんまでご連絡ください。
〒231-08651 横浜市中区山元町2-65 TEL:045-681-8186 E-mail:mkijima@yk.rim.or.jp

ハローよこはま http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/hello-yokohama/

「第六地区健民祭」は、10月16日(日)に開催予定です。

 「第六地区健民祭」は、第六地区各町内(山元町・西竹之丸・滝の上など)の対抗で開催される秋の大運動会です。
 毎年“なわとび”や“リレー”の対抗競技でもりあがるだけでなく、昼休みには地区の方の踊り(昨年は第六地区保健活動推進委員会の方々による「はまちゃん踊り」「東京音頭」)や、山元小学校「器楽クラブ」の鼓笛隊演奏も実演されます。特に鼓笛隊演奏は小学生とは思えない素晴らしさです。昼休みのアトラクションを見るだけでも、健民祭に参加される価値があると思いますよ。
 「第六地区健民祭」は、10月16日(日)に開催予定です。

 10年前(2001年)の「ハローよこはま」と「第六地区健民祭」を取材した「瓦版」をご覧ください。

レポーター プロフィール

   

鬼島 勝治(きじま まさはる)

横浜市中区山元町二丁目商栄会で「バラエティーショップきじま」を経営。
〒231-08651 横浜市中区山元町2-65
TEL:045-681-8186
E-mail:mkijima@yk.rim.or.jp

 

10月 10 11

銘醸ワインの産地ラインガウ地域

by staff


写真)マルコブルンの畑

英国ヴィクトリア女王が愛飲したホッホハイム銘園

 銘醸ワインの産地ラインガウ地域(3,125ha)は、ライン川に面したタウヌス丘陵の西端ロルヒハウゼン(Lorchhausen)より40km南のホッホハイム(Hochheim)にわたっています。その南端ホッホハイムでは、ライン川の支流のマイン川(Main)に面した丘陵の南向き斜面一面でリースリングが栽培され、優れたワインが造られています。ホッホハイムのワインは古くより、船に積まれてライン川を下り、英国に大量に輸出されていました。特にヴィクトリア女王の王室ではホッホハイムのワインが好まれ、現在も英国ではドイツワインを総称して『ホック』と呼び、辞書にもドイツワインのことは『hock』と掲載されています。19世紀後半のこと、ヴィクトリア女王が訪独の際、ホッホハイムの農園王パプストマン〈Pabstmann〉はヴィクトリア女王に、女王の愛飲するホッホハイムに来訪を懇願しました。そしてその葡萄園に『ヴィクトリア女王』(K?nigin Victoria)の名称の付与を請願しました。

 やがて、英国王室より名称が許可されると、パプストマンは農園の中央に英国ゴシックの立派な塔を建築し、記念の碑文を刻みました。この葡萄園を所有するケーニギン・ヴィクトリアベルク醸造所(Weingut K?nigin Victoria Berg)のワインのエチケットには、中央に葡萄の葉に囲まれた華麗な記念碑が描かれています。現在は、一族のリヒャルト・フップフェルド(Richard Hupfeld)が継承し、マイン川に面した砂状ローム土壌の斜面にある6haのケーニギン・ヴィクトリアベルクの葡萄園では、生き生きした酸味を含む、頑健で芳醇なバランスの良い伝統的なリースリングワインが造られています。

 

ヴィクトリアベルク醸造所のエチケット(ラベル)

ヴィクトリアベルクの記念碑

 

ラインガウの名門、ラングヴェルト・フォン・ジンメルン男爵家醸造所

 ヘッセン州の州都ヴィースバーデン(Wiesbaden)よりライン河に沿って『リースリング街道』と呼ばれる街道があります。この街道は、銘園の連なる斜面の裾と、銘醸ワインの醸造所の存在する街々を縫って走っています。街道の中央に位置するエルトヴィレ(Eltville)には国営醸造所本部があり、エルバッハ(Erbach)とハッテンハイム(Hattenheim)には銘園を所有する貴族の城館が点在しています。そのエルトヴィレ町の中にルネッサンス建築様式の城館のジンメルン(Simmern)男爵家醸造所があります。木組建築の住居と、中庭にあるつるべ井戸や搾汁器など200年以上の歴史を経た彫刻された木樽などが保存されています。

 ジンメルン男爵家醸造所の歴史は古く、1464年以来代々引き継がれてきました。所有する葡萄園は、マルコブルン(Marcobrunn)『境界の泉』、ラウエンターラー バイケン(Rauenthaler Baiken)、エルトヴィラー ゾンネンベルク(Eltviller Sonnenberg)『太陽の山』、ハッテンハイマー マンベルク(Hattenheimer Mannberg)『男山』、ハッテンハイマー ヌスブルンネン(Hattenheimer Nussbrunnen)『くるみの泉』など、ラインガウワインを代表する最高級の銘園揃いです。いずれの葡萄園も、ラインガウの中心にある真南に面した斜面の葡萄園で、そこでは、陽光と全面に広がるライン川のまぶしい反射光をいっぱい受けたリースリングが育ちます。このすぐれたジンメルン男爵が所有する葡萄園からは、重厚な力強い味わいと、エレガントな風味を合わせ持つ、長寿命のラインガウの典型的な性格のワインが造られています。

ジンメルン男爵家醸造所の所有する銘園の中でも特にマルコブルンはエルバッハ村とハッテンハイム村が所在を競った銘園です。争った末に泉(Burunnen)の所在からエルバッハ村に所属が決まりましたが、「でも畑はハッテンハイムに在る」とその後も主張し続けている銘園なのです。そのワインを飲めば、優雅なワインの味香に、両村の人々のこの葡萄園にこだわる気持ちが頷けます。

 

ジンメルン男爵家醸造所のエチケット(ラベル)

木組建築の住居

マルコブルンの畑

 ジンメルン男爵家のエチケットは中央に男爵の紋章が位置し、その100年以上変わらぬ特徴のあるデザインは、ドイツワインを代表する一つのワインとして、世界的にも良く知られています。

(文・写真:ワインブティック伏見)

 

ワインブティック伏見

〒232-0001 横浜市中区新港2-2-1 横浜ワールドポーターズ1F
Tel/Fax 045(222)2112

HP: http://winecom.jp
blog: http://wine1999.blog121.fc2.com
E-mail: boutique-fushimi@winecom.jp

 

 

10月 10 11

藤棚一番街・西前商店街で第25回へそまつり開催

by staff

第25回 へそまつり 開催概要

 

10月 10 11

歌芝居『初恋のアリラン』 公演のご案内

by staff

 

http://www007.upp.so-net.ne.jp/liebeschon/

 

10月 10 11

横浜ゾリステン11月公演(ドヴォルザークプログラム)のご案内

by staff

指揮者のいないオーケストラ~「横浜ゾリステン」

指揮者が嫌いなわけではないのです。
指揮者のいない練習って実はとっても大変なのです。
指揮者の大切さは私たちが一番よくわかっているかもしれません。
 
それでも、あえて指揮者なしで演奏しているのは
 
そこに演奏者ひとりひとりが
考え、こだわり、議論して創りあげていった
音楽があるからなのです。
 
時には意見がぶつかり合って練習が中断なんて事がよくあります。
たった数小節に1時間以上かかることだって・・・。
 
端からみれば確かに効率が悪いかもしれません。
指揮者がいたら会社を経営する社長のように迅速に、処理してくれることでしょう。
でも、私たちがしていることは「芸術」です。
そこに会社経営や今の日本のような、スピード性、効率性、生産性を求める必要が果たしてあるのでしょうか。
むしろ楽譜に書かれた音符ひとつひとつに、演奏者ひとりひとりの思いを重ねていく作業こそこだわり時間をかけていくべきと考えています。無論、音楽の完成度を上げることはいうまでもありません。
そんな私たちのこだわりの音楽をぜひ一度聴きにいらしてください。
心よりお待ちしております。

 

横浜ゾリステン11月公演(ドヴォルザークプログラム)のご案内

    ドヴォルザークプログラム
♪スラヴ舞曲 第1集 第1番
♪「森の静けさ」チェロとオーケストラのための
♪「ロンド」チェロとオーケストラのための
♪交響曲第9番「新世界より」
 
2011年11月5日(土)開演14:00 開場13:30
みなとみらい小ホール(みなとみらい線 みなとみらい駅)
全席自由(前売):2500円〈当日券:3000円/高校生以下:1500円〉
チケット申し込み:横浜みなとみらいホールチケットセンター
横浜ゾリステンHP:http://www.yokozori.jp/(HPからもチケット申込可能)
お問い合わせ:横浜ゾリステン事務局(住田 045-541-6763)平日15:00~20:00

 

10月 10 11

ディワリ・イン・ヨコハマ2011 -ヨコハマがインドになる2日間-

by staff

日時: 10月15日(土)~16日(日) 10時~19時

ディワリ・イン・ヨコハマ2011公式サイト http://www.diwaliyokohama.org/

 

10月 10 11

路上ライブの若者たち -Lake Placid Blue-

by staff

 夕闇がせまる頃、横浜高島屋の周辺に楽器を手にした若者たちが集まってくる。一人であるいはグループで、人が行き交う路上で演奏が始まる。彼らには暗黙のルールがある・・・場所は独り占めしないこと、音が重なると困るので順番に使うこと、音量はあまり大きくしないこと・・・なぜ、若者たちは横浜高島屋の周辺に集まるのか? 「路上ライブの若者たち」にインタビューしてみました。

 
グループ名 Lake Placid Blue
メンバー 飯塚晃一(Vo/Gt) 1985/12/2
大野武志(Gt)  1985/8/2
Yu(Key)    1989/8/21
住まい 神奈川県
グループでのライブ歴 2年
路上ライブ情報 毎週木曜日19:30~
横浜駅 5番街入り口 相鉄口付近

ホームページ http://lpb-net.com/

メンバー紹介

 高校時代の同級生Vo飯塚さんとGt大野さんにKeyのYuさんが加わって Lake Placid Blue(レイク プラシッド ブルー)として音楽活動をしています。
 作詞作曲は飯塚さんの担当で、オリジナル曲は20を超えています。どちらかと言えば「恋」を歌った歌が多いと思います。現在の自分達の思いを素直に歌で表すと「恋」になってしまうのかもしれません。歌のジャンルは時が決めていくのかもしれません(笑)。

1st アルバムを2011年4月にリリースしました

Lake Placid Blue 1stALBUM!品番 LW-L2301定価¥2,500(税別価格¥2,381)
収録曲(全11曲)
1. Another Sky 試聴
2. 鼓動
3. 余韻 試聴
4. MESSAGE 試聴
5. アンティーク
6 .私と魔法の世界と猫と
7. 躑躅
8. オアシス
9. ヒカリビト 試聴
10.STORY
11.お別れのコトバ
 
※CDはHP&路上ライブにて買うことができます。

横浜の若者文化としての「路上ライブ」

 最初は桜木町でも路上ライブを行っていました。 今でも月に一回は桜木町の駅前広場で路上ライブを行っています。横浜西口5番街入口(相鉄口付近)を選んだのは、馴染みのある場所で、集まる人の雰囲気が自分達の音楽に合っていると感じたからです。

 そうは言っても、冬の寒い時期に路上ライブを始めたので、最初は人の集まりは悪かったです。雨でもなんでも毎週午後7時30分からここでライブをやると決めてから、人が集まり出して、今のようにファンが増えたのは半年ぐらいたってからです。 大きいところでやりたいですよね。

11月3日代々木でワンマンライブ

 11月3日Zher the ZOO YOYOGIでワンマンライブを行います。LPBでは2回目のワンマンライブになります。タイトルは「青色人集vol.2 ~2nd Anniversary 僕らの結び目~」・・・サポートメンバーを含めた素晴らしいライブを企画中です。 路上ライブとはまた違った味のLPBをお楽しみにしていてください。
詳細:http://lpb-net.com/live.html

暗黙の了解の中で学ぶルール

 路上ライブをするのに暗黙の了解があります。場所の取り合いをしないこと、近い所で同時に違うライブを行わないこと、音量に注意すること、お客さんとのトラブルを起こさないこと・・・

 警察に注意されると、その場所でライブ活動がし辛くなるので、ミュージシャン同志でもめ事を起こさないようにしています。

 こういうことは路上ライブでの「暗黙の了解」です。 限りある場所を譲り合いながら使っています。社会の「ルール」を実践の中で学んでいます。

夢は・・・・・

 夢は東京ドームでライブしたいですね。 今は11月3日の2ndワンマンライブに向けて頑張っています。路上ライブ終了後はファンとの交流の時間を作って、ファンサービスに力を入れています。

 ファンの応援が自分達を夢に向かって押し上げてくれています。ファンが増えていることが嬉しいです。自分達の歌に足を止めてくれることに感謝しています。

横浜に明日の夢を求めて集まってくる若者たち・・・彼らの音楽にちょっと足を止めて見るのはいかがでしょうか? 驚くほど幅の広い彼らの音楽に驚いたり、感動したり、癒されたり、元気付けられたり・・そう、頑張っている彼らを応援したくなるのは私だけでしょうか? きっとあなたも誰かのファンになってしまうかも・・・「路上ライブ」は横浜の文化だと思いませんか?

(企画:野垣博文  文:高野慈子

 

10月 10 11

路上ライブの若者たち -成本真衣子-

by staff

 夕闇がせまる頃、横浜高島屋の周辺に楽器を手にした若者たちが集まってくる。一人であるいはグループで、人が行き交う路上で演奏が始まる。彼らには暗黙のルールがある・・・場所は独り占めしないこと、音が重なると困るので順番に使うこと、音量はあまり大きくしないこと・・・なぜ、若者たちは横浜高島屋の周辺に集まるのか? 「路上ライブの若者たち」にインタビューしてみました。

 
お名前 成本 真衣子(なりもと まいこ)
ご出身 和歌山県
現在の居住 東京都
ご年齢 1990年1月生まれ
ライブ歴 2009年夏からはじめる
路上ライブ情報 毎週木曜日21:20~21:56(街灯消灯まで)
横浜駅西口高島屋前
楽器 ギター

成本真衣子オフィシャルブログ

「はばたきたい」という夢を題材にした曲を作っています

 出身は和歌山です。18歳の時、Music JapanTVのオーデションで準グランプリを受賞しました。3~4歳の頃から歌手になるのが夢で、4歳からピアノを習い、18歳でギターが弾けるようになりました。路上ライブではオリジナル曲をギターを伴奏に歌っています。

 作曲はピアノで作ってからギターのコードをあてています。(作ろう、作ろう)と思っている時は出てこないです。トイレやお風呂に入っている時にメロディーが浮かんだり、詩が出来たりします。どちらかと言えば詩を書く方が好きです。

 「恋の歌」よりも「夢の歌」の方が多いです。「はばたきたい」という気持ちを歌にこめて作っています。

サンカ(山窩)の子もり歌

 東京の音楽事務所に所属していたこともありました。 東京に住むおじの家に居候をして歌手活動をしていました。和歌山県と東京のギャップが大きくてホームシックにかかりました。
 テレビ局に勤めている知人からの紹介で、ドキュメント番組でサンカ(山に住む民族)を特集した時、私にBGMの作詞作曲させてくれました。実際、番組で使われたのは歌なしの曲だけとかハミングのところだったので(苦笑)・・・その後、私のCD付きでサンカの本が出版された時はとても嬉しかったです。

 私は和歌山県生まれなので山が好きです。山の民の映画「瀬降り物語」の中でお母さんが子供のために死ぬシーンに私の母の姿が重なり号泣してしまいました。和歌山県から東京に一人出て来た娘を母はどんなに心配しているのだろう・・・と思うと心が苦しくなります。そんな思いから「サンカの子もり歌」が生まれました。

 「サンカ学の過去・現在、そしてこれから」という本にもCDは付いていますが、この種の本が苦手だという方には、路上ライブでCDを置いていますので、よろしかったらどうぞ聴いてやってください。

 

画像をクリックして
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♪「サンカの子もり歌」をお聴きください

Audio clip: Adobe Flash Player (version 9 or above) is required to play this audio clip. Download the latest version here. You also need to have JavaScript enabled in your browser.

路上ライブはお客様との距離感が好きです

 「ゆずを生みだした横浜で路上ライブをやったらどう?」 とアドバイズされて桜木町駅前、関内、伊勢佐木町で路上ライブを試みたのですが、出来ずに泣いて帰りました。 Twitterで「どこか横浜で路上ライブをする良い場所はありませんか?」とつぶやくと、フォロアーのNさんから「高島屋の前が良いよ」とフォローされ、試しにやってみました。歩いている人の雰囲気が良いのでここでやろうって決めました。

 東京に比べて、横浜はお客様との距離が近いです。壁が無くて一体感を覚えます。毎週木曜日の同じ時間に立つことでファンができました。歌の後に30分くらいファンの方たちとおしゃべりをするのも楽しくなりました。

 将来の夢ですか? 武道館でライブをやりたいですね。夢に向かってがんばります。

★成本真衣子:コンサート情報 (自主企画のコンサート。バックバンドが付きます。)

日程:12/16日(時間は未定)

場所:関内ベイジャングル http://www.bay-jungle.jp/access/index.html

チケット:1500円予定 (詳細が決まりましたらイベントカレンダーで紹介いたします)

路上ライブの風景

     

横浜に明日の夢を求めて集まってくる若者たち・・・彼らの音楽にちょっと足を止めて見るのはいかがでしょうか? 驚くほど幅の広い彼らの音楽に驚いたり、感動したり、癒されたり、元気付けられたり・・そう、頑張っている彼らを応援したくなるのは私だけでしょうか? きっとあなたも誰かのファンになってしまうかも・・・「路上ライブ」は横浜の文化だと思いませんか?

(企画:野垣博文  文:高野慈子

 

10月 10 11

ベンベン姐さんの三味線はじめ (こんな女に誰がした?!) 其の五

by staff

地歌 上田恵子

     

地歌 「小猿」  Live at Bianca Studio

 

歌詞

小猿の時から飼ひおいて  朝夕の煙さへ
そちが蔭にて楽々と  暮らせし甲斐も情けなや
畜生ながらもよう聞けよ  せめて今度は人間に
生まれ変わりて来るように  教えおいたるひと節に
エエさりとは  さりとは
エエまたあろかいな  さりながらあろかいな
我は近衛の猿廻し  猿また我をまはしつつ
共に思ひを勝るらん

解説
狂言「うつぼ猿」の一節。
山で狩りをしていた大名一行が猿曳きと猿に出会う。
大名が猿曳きのつれている猿の皮を自分のうつぼ(矢筒)の飾りにつけたいとねだる。
一旦は拒否する猿曳きだが、猿と共に殺すと脅され、やむなく猿を討とうと決心する。
しかし、そのとき、猿は芸をしてしまう。
それを見た猿曳きは、泣き崩れてしまう。
その場面を、地歌では曲にしたもの。

オリジナル 「新・大黒舞唄」  Live at Bianca Studio

 

歌詞

きたわいな、きたわいな。
来たよ。来た、来た。来ましたよ。
大黒様といふ人は、
人の姿になりすまし、
一つには、米の俵を踏んまへて、
二つ、にっこり笑ひ顔、
三つ、御酒を醸み、かみて、
四つ、世の中、よいやうに、
五つ、いつものごとくにて、
六つ、無病息災に、
七つ、何事、ないやうに、
八つ、屋敷を拡げたり。
九つ、お蔵を、建てならべ、
十で、たう、たう、治まる世の中の、めでたけれ。

地歌 「捨煙管」  Live at Bianca Studio

 

歌詞

かはいかはいと(恋にこがれて) 鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす
何の因果で実なき人に
誠明かして  ああ  口惜し

 

ベンベン姐さんのライブインフォメーション

 

ライブインフォメーションはベンベン姐さんのHPをチェキ http://www.uedakeiko-ziuta.com/

 

お弟子さん募集

 

オリジナルCD 「月の光」

 

ベンベン姐さんこと 上田恵子さん プロフィール


今月の普段着
 

東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業後、地歌演奏家として研鎖を積む。
日本古来の伝統芸能「地歌」と言うジャンルの可能性を広げるべく、料亭・バーなどのスペースを中心に、ひとり地歌ライブ(三味線古典曲)で活動中。
自作曲の製作にはじまり、尺八・ギター・胡弓等との他ジャンルとの共演も精力的に行い、毎回ユニークなコンサートを行つている。

 

活動情報はオフィシャルサイトまで
http://www.uedakeiko-ziuta.com/

上田恵子オフィシャルブログ「峠の茶屋」
http://tougenochaya.jugem.jp/

 

10月 10 11

筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

by staff

♪筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:陽成院(やうぜいのゐん)現代語訳は、

「恋に落ちて・・しまいました はじめは わずかな流れが だんだんと大きな川となり男女の(みなの)川となるように 思い染めた最初のときめきが 今では積もり積もって 底なしの淵をさまよっています。」

 この歌の作者は 第57代目の陽成天皇。後に上皇となられて陽成院と呼ばれました。「後撰集」の詞書には「釣殿のみこに 遣わしける」と記されています。釣殿のみことは光孝天皇の皇女さま。後に後宮に入られた綏子内親王の事です。親王に歌を送った天皇さまはその頃おいくつだったのか・・・まだティーンエイジャーでした。きっと15・16歳。

 この歌を歌う時に、私の中に浮かんで来るイメージは、ほとばしるような自分の情熱の行き場がうまく流れてゆくことが出来ないで川底に沈んでしまった。という様に真っ赤な落ち葉が川の底に積もっているビジョンです。曲中でも突然リズムがタンゴに変わります。

 陽成院はたった9歳で天皇になり、17歳(満15歳)で退位。一体どんなドラマがあったのでしょう。色んな文献を読むと彼は、精神的に病んでいて凶暴性があった。という事が書かれています。Wikipediaにも、退位のきっかけは宮廷内で人が殴り殺されたため、と。それだと!周りは大変だっただろうな!! 実は、私自身、若いころ自分の内側で踊り狂っている激情をうまく対処しきれずに途方に暮れてもがいていた記憶があるので、この陽成院には密かに同情しています。その時代の政治的な思惑の中で9歳で天皇にさせられて、その特殊な環境にうまく対応出来ず、凶暴性を発揮してしまう。まあそれでもやはり、本人の持っている病気質の問題かもしれないけれど。

 彼が退位させられたのと同じ年齢、今の満15歳の少年たちの中にも反抗期で親が手をつけられなくて困っている様な不良息子がいるとおもいます。でもいつの間にか成長して立派な大人になっている事の方が、不良のまま人生を誤まってしまうケースよりも多いのではないかしら、そして一度不良になった方の方が人間的にも魅力があったりします。

 私が芸能界に入ったきっかけは小学6年の時、先生が(溝口の久本小学校)「お宅のお嬢さんは何か夢中になるものを与えてあげないと,将来自殺や、不良になって道を誤まる危険性がありますよ」と父兄参観に来た母に伝えてくれた事。その頃の私の心の中には、今でも覚えているけど、突然自分の視界が無色「白黒映画みたい」になってしまう奇病に取りつかれていました。誰にも言わなかったけど、11歳の私の中で進行していた虚無感みたいな物を担任のO先生は察知してくれたのです。恩師です。そして今でも自分自身が夢中になれるものを追い求めています。それが生きてゆく情熱となるように。

 話がそれてごめんなさい。私はこの悲劇の天皇、陽成院がもっともっと彼の内側にうねっている過激な程の情熱を正く健康に表現出来る様な環境で育ったら、きっと素敵な若者になっただろうな・・・と思うのです。

毎月第2金曜日 10月14日 , 11月11日 , 12月9日 , 1月13日
6時30分~ 3回ステージ ¥5500ワンドリンク付き 入れ替えはありません。
出演:早苗ネネ パリ祭出演の歌手の方々2~3名。
新宿シャンパーニュ 電話 03-3354-8540(昼) 03-3354-2002(夜)
新宿一丁目。元新宿厚生年金前。http://www.champagne-live.com/

 

大倉山記念館 秋の芸術祭 早苗ネネ 和歌うたコンサート

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

10月 10 11

学校法人岩谷学園 粋生倶楽部 代表 岩谷ゆり子さんの愛犬は、「内弁慶」で「食いしん坊」のチワワのクーちゃん。

by staff

ヨコハマNOW 「ヨコハマ趣味人」 で登場してくださった、学校法人岩谷学園 粋生倶楽部 代表 岩谷ゆり子さんの愛犬は、チワワのクーちゃん。「内弁慶」で「食いしん坊」で「おちゃめ」。クーちゃんの仕事は「家族を癒すこと」だそうです。

 

岩谷クー
2005年12月2日生まれ 女の子
犬種 チワワ
犬名 Starlight of Love The Third K.S
毛色 クリーム(ほとんど白)

クーちゃんとの出会いは?

息子二人が家を出て、夫婦二人の生活になるときに息子達から、「寂しくなるから犬を飼ったら」と勧められました。あるペットショップに行ったときに、生後2か月のチワワが私の所に真っすぐやって来て、私の手のひらに乗り、つぶらな瞳で見つめました。その瞳が忘れられなくて・・・。
他のペットショップも回ったのですが、やはり最初に出会ったチワワを購入しました。それがクーちゃんです。

クーちゃんの名前の由来は?

次男は小さい時から、亀やリスなどいろいろな動物を飼っていました。その動物達の名前がなぜか皆「クー」なのです。それで犬を飼うことになったときに、家族会議を開いて、今までのペットと同じ「クー」ちゃんという名前になりました。

 

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クーちゃんはどのような性格ですか?

クーちゃんは岩谷家、初めてのお嬢様として君臨しています。外ではおとなしくしていますが家では我儘でおきゃんな「内弁慶」です。食べるのが大好きな「食いしん坊」でもあります。クーぢゃんの名刺には、クーちゃんの仕事は「家族を癒すこと」。そして何よりお風呂に入ることが大好きです。特技は「沢山食べること」、趣味「風をきって走ること」と書いてあります。

クーちゃんはお仕事をしっかりとしていますか?

我が家はクーちゃんを中心に生活が回っています。(笑)
私がお出かけの準備をすると、寂しそうに自分の部屋に入ってしまいますが普段着のときは出かけないと思うらしくうれしそうにしています。主人や私が家に帰ってきたときは、喜びを全身で表してかけていきます。その姿を見るだけで一日の疲れがとれます。クーちゃんは、言葉を100ぐらいは理解していると思います。「お留守番」や「ごはん」という言葉にすぐ反応します。

クーちゃんのご本があるそうですね。

私の還暦のお誕生日に、クーちゃんを撮影したフォトブックを作ってプレゼントしてくれました。クーちゃんの写真も素敵ですし、家族の思い出としては最高のプレゼントです。

 

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クーちゃんのことをお話になる岩谷さんは、本当にママの顔になっていらっしゃいました。クーちゃんも可愛いですが、岩谷さんはお孫さんがいらっしゃるというのが信じられないほどエレガントな女性です。
お伺いした日は、岩谷学園粋生倶楽部で飾り巻きずし講座が開講されていました。岩谷さんは「いきいきくらぶ」代表として、そして講師としてもご活躍です。

 

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ヨコハマNOW関連記事
皆さんと一緒に「大きな声で笑う」ことの幸せを感じて。
学校法人岩谷学園 粋生倶楽部 代表 岩谷ゆり子さん

 

10月 10 11

アンティーク・オイルライターに魅せられた男。
大阪名物串かつ「二度と来るよ」代表 石原 一彦さん

by staff

 「理由なき反抗」のジェームス・ディーンがくわえタバコをしているのを見てカッコいいと思った。片手でライターに火をつける仕草がたまらなくセクシーだった。「それがライターに興味を持った始まりです。」アンティーク・ライターのコレクター、石原一彦さんに彼のお店でお話しを伺いました。

石原一彦さん  
お名前 石原 一彦(いしはら かずひこ)
ご出身 山梨県甲府市
現在の居住 横浜市西区中央
ご年齢 永遠の40代
ご家族 独身
自分の性格 負けず嫌い
趣味 アンティークライターコレクター
職業 大阪名物串かつ「二度と来るよ」代表
横浜市戸部本町39-11
TEL 045-411-3105

食べログ

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ZIPPOライターを集め始めたきっかけは【洋画】でした

 

 映画が好きで洋画を観に行きました。俳優のくわえタバコのシーンに衝撃を覚えました。とにかく、タバコが絵になった。ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」「ジャイアンツ」、「ローマの休日」のグレゴリー・ペックのくわえタバコは実にセクシーだった。

 ショーケン(萩原健一)もカッコ良かった。
 片手で蓋をパンと開いて、パンンと閉じる。
 ZIPPOライターを集め出したのは、高校生の頃でした。数年間は夢中で集めたこともあったけれど、皆がやっていたので厭になった。

 仕事のスタッフやコック仲間と交換もしました。時計と交換したこともあった・・・酔っぱらうとあげちゃう癖があって、当時のコレクションは殆んど無くなりました。今は、コックはタバコを吸ってはいけないのだけれど、ライターがあるとね(苦笑)。

ZIPPOからアンティークライターへ

最近は、世界のアンティークライターに興味が移って、珍しいものを集めるようになりました。海外のネットサイト「イーベイ」を利用することがあります。 ネットで買う時は、人が見えない分「心をこめた言葉」を探して気持ちを伝えたいと思っています。英語が苦手なので大変ですが(苦笑)、大切に保管されていたコレクションを譲っていただくのですからね。

コレクションのご紹介

オイルライター 1882年製(ドイツ) スピットファイヤー(オイルライター)

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修理中(ちゃんと火が着火しないと意味がないと思う、直せるものは自分でも直します)

4シールドライター 1930年製(イギリス)ロンソン ワールウィンド 風防付

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風除けが特長です。

トーレンス 1930年製(スイス)ダブルクロー ストーム 風防付

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風防が可動するのが特長です。もちろん風防の付いているタイプが価値があります。

トーレンス 1920年製(スイス)ダブルクロー タンク

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ネジを緩めて押します。ポケットの中での誤作動を防ぐように改良されました。オイルタンクが外れます。

ハーウェイ 1910年製(ドイツ) インペレーター(皇帝)

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小さな針穴があります。針を刺して石を交換します。石原さんのブログから:http://ameblo.jp/007021/entry-10904503873.htmlメッキがきれいなのは、海外のコレクターのお祖父さんが箱に入れてしまっていたのが出て来たから。部品が1つ足らなくて着火できなかった物だが、たまたま部品を持っていたので使えるようになりました。こんな綺麗な状態のものは珍しいです。

「二度と来るよ」は「また来るよ!」をもじったお客様の声から生まれた名前です

 出身地の山梨で父は200人ぐらい入れる中華料理店を数店舗持っていました。父は全てに厳しい人で、自分はそんな父に負けたくなかった・・・18才まで山梨にいて、東京の品川で20年程中華料理の修業をしました。

 ここ横浜の戸部は立地条件が難しいところで、この場所に店を構えた人はみんな失敗しています。やとわれ店長から代表になった時は「ここでやっていけるんだろうか?」と思うほど売上は伸びませんでした。地元人ではないので「人脈が必要」だと思いました。顔つなぎにここ界隈の店は全部行きました。「山梨の田舎者ですよろしく」と挨拶をすると、皆が良くしてくれました。地元の人に愛されて2年目を迎えています。店も繁盛するようになり、入りきれないお客様のためにテントを増設しました。

 スポーツ界の有名人や芸能関係者、タレントの方々も良く来られますよ。

石原さんの横浜は?

 横浜で店をやろうと思った時に「いいかげんをやったら潰れる」と思いました。
人生は起死回生「やればできるんだ」という気持ちを大切に。
この場所に来て良かったのは皆が良くしてくれること。

 死ぬ気でやって来ました。そして、この地に生かされていると分かりました。私にとって横浜は、「私の死に場所」です。

 

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(文:高野慈子

串かつ 酒処 「二度と来るよ」 プロフィール


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  〒220-0041
横浜市西区戸部本町39-11
C&K 戸部本部ビル1F
TEL:045-411-3105
     

 

9月 10 11

第4回横浜売れるモノづくり研究会セミナーと映画「さくら、さくら」上映会のご案内

by staff

「売れるモノづくり」についてのご相談を承ります

いいモノを作ってもなかなか売れない・・・
製造業の方々からそんな悩みをよく耳にします。
どんなに良い製品でも、市場に受け入れられなければ「モノ」で終わってしまいます。

「横浜売れるモノづくり研究会」は、神奈川県在住の企業支援の専門家やITの専門家など多種多彩なメンバーで構成されています。

「横浜売れるモノづくり研究会」では、「製品の売り方をどうしたらいいか」という企業のご相談を随時受け付けることにいたしました。

毎月一回第二木曜日には、ご相談される企業と専門家が面談を行っています。10月の相談日は10月13日(木)です。

売れるモノづくりについてのご相談はこちらにご入力下さい。

 

第4回横浜売れるモノづくり研究会セミナー

売れるモノづくりとは何か、またそれを効果的に売るにはどのような方法があるのか、
製造業の現場担当者の事例発表を通して、参加者全員で考えていきたいと思います。
売れるモノづくりとその効果的な売り方に興味のある方のご参加をお待ちしています。

    
  1. 日 時 平成23年9月13日(火)午後2時30分~5時30分
  2. 場 所 波止場会館1F(横浜市中区海岸通1-1)
Tel 045-663-7812 (大桟橋国際客船ターミナル入口 左)
http://www.hatoba.jp/
  3. 内 容  講演 「持続的に売れる仕組みづくり」
 株式会社ともクリエーションズ 渡邊桃伯子
 http://www.tomocre.com
 
       事例研究 ダイヤ工芸株式会社 石塚 勝
 「創業時の回顧」
 http://www.dta.co.jp/
 
       事例研究 株式会社エランビタール 田尻成美
 「販売戦略を考える」
 http://www.elavita.jp/
 
       ミニプレゼン 自社商品のPRを5分間行います。(3社程度)
 
       交流会(軽食付き)
  4. 定 員 50名(定員になり次第締め切ります)
  5. 参加費 2,000円(交流会費)

<問合先>
横浜売れるモノづくり研究会 事務局
(株式会社ともクリエーションズ内)
〒231-0004
横浜市中区元浜町3-21-2 ヘリオス関内ビル4階
TEL 045-226-3475 FAX 045-226-3476 お問合せフォーム

 

映画「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」上映会を行います

 この度、横浜売れるモノづくり研究会事務局では、横浜出身の映画監督、市川徹 監督作品「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」の上映会を企画致しました。

 日本が未曽有の国難に見舞われている今、私たちは先達の心意気を学び、「生き抜く力」 を見習いたいと思います。

 今から125年前、一人の日本人が単身アメリカに渡って苦労の末「アドレナリン」の結晶化に成功しました。後に「サムライ化学者」と呼ばれた高峰譲吉の生涯涯を描いた「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」を鑑賞し、企画・監督の市川徹氏のお話を伺います。

市川徹 監督 プロフィール http://yokohama-now.jp/home/?p=3724
映画「さくら、さくら」HP http://sakurasakura.jp/

1.日 時 平成23年10月21日(金)午後6時30分~9時30分
2.会 場 野毛Hana*Hana(横浜市中区花咲町1丁目42-1) Tel 045-325-8123
http://www.nogehanahana.org/
3.内 容 「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」上映
市川徹監督 トークショー
交流会(軽食付き)
4.定 員 100名(定員になり次第締め切ります)
5.参加費 2,000円(交流会費含む)
6.お問合せ 横浜売れるモノづくり研究会 事務局(株式会社ともクリエーションズ内)
〒231-0004 横浜市中区元浜町3-21-2 ヘリオス関内ビル4階
TEL 045-226-3475 FAX 045-226-3476
7.協 賛 ヨコハマNOW 事務局

入力フォーム提供・協力:

メディア掲載情報

 

9月 10 11

桜木町・音楽通りの「明るい農村 居酒屋 ごっつあん」、
オーナーの大森さんのけん玉ショーの見られる「明るい居酒屋」。

by staff

オーナーの大森美津男さんのけん玉ショー

About 「明るい農村 居酒屋 ごっつあん」

住 所 神奈川県横浜市中区花咲町2-69 [MAP・地図]
TEL 045-231-0378
※お問い合わせの際には「ヨコハマ・ナウを見た」とお伝えください。
アクセス JR「桜木町」下車。野毛ちかみち’南1出口’から1分。
京急「日ノ出町」駅下車、7分。
営業時間 [通常] 17:00 ~ 00:00
ラストオーダーは23:30です。心ゆくまで当店でお楽しみ下さい!
平均予算 [通常] 2,500円 コースは2,000円~4,000円でボリューム満点!
席数形態 カウンター。テーブルx5卓。お座敷席。
貸 切
キャパシティ 30人 (宴会・パーティー時 着席:30人)
駐車場 なし
こだわり 座敷あり/掘りごたつあり/焼酎充実/日本酒充実/貸切可/携帯がつながる/ライブ・ショーあり/30名席あり/クーポンサービスあり/少人数でもOK


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大森美津男さん プロフィール http://yokohama-now.jp/home/?p=681

 

9月 10 11

ITがつくる絆(社員のきずな)

by staff

 

 みなさんこんにちは。(株)ともクリエーションズの玉川です。
弊社は、横浜を拠点としてシステム開発やWeb制作を続けて20年以上になりました。「人と人をつなげる場を創造したい」という想いで仕事を続けてきた中で誕生した『サポチュー(SupportYou)システム』を、活用事例などによりご紹介していきたいと思います。
 今回は、ITがつくる社員の絆についてご紹介いたします。

目標を共有して育む絆

 社員同士がお互いの目標を共有することで絆を深めているのは、スローナミュージック株式会社様です。
 昨年より、サポチューのフォームを使っての目標の共有化が始まりました。
 それより以前は、日々の目標をメールで全社員に送信していたのですが、フォームに入力する形式に変えたことで、より充実した内容を入れようという思いになったそうです。
 最初は、毎日の小さな目標「かたづけやすく整理する」などの目標をたてて、それを達成するために各社員が個々の目標をフォームに入力して共有していましたが、現在では次のステップとして、経営目標を達成するためにブレイクダウンした目標を設定するようになり、目標の項目も改善されてきています。
 また、日々の目標がサポチューにたまっているので、後で社員別に検索すると傾向が分かるので便利という感想もいただいています。
 西田社長のお話では、これからさらに発展した社員の絆づくりをサポチューをツールとして、実現していきたいとのことでした。

スローナミュージック株式会社 http://www.slownamusic.co.jp/

緊急時の絆

 9月1日は防災の日でした。今年の防災訓練は、3.11を教訓にして訓練の内容がだいぶ見直されたようです。
 サポチューは、携帯アドレスなどの緊急連絡先をフォームに登録しておくことで、緊急時の安否確認のための連絡ツールにもなります。連絡フォームは携帯からの入力もできるので、緊急時の連絡にも安心です。

サンプルフォームはこちら https://www.supportyou.jp/test_site/m/211/

サポチューでできる絆の仕組み

 サポチューでは、フォームに登録した内容を、複数の事前に登録したアドレス(社員など)へ送信することができます。毎日の目標や気づきなどの登録フォームを用意しておくことで、自然と社員同士のつながりができてくるのではないでしょうか。

「サポチューシステム」って?

 「サポチューシステム」とは、
   1.フォームを作成して
   2.データ(メールアドレスなど)を集めて
   3.メール配信する
ことが簡単にできるシステムです。

「サポチューシステム」なら、fcebookページにも入力フォームやアンケートフォームが
簡単に設置できます。 サポチュー(Supportyou)>ようこそ!

この仕組みは、いろいろな所で絆をつくることができるのです。
これから少しずつ事例をご紹介していきたいと思います。

お問合せ

(株)ともクリエーションズ
231-0004 横浜市中区元浜町3-21-2ヘリオス関内ビル4F
tel 045-226-3475
fax 045-226-3476
E-mail info@tomocre.com

サポチューシステム:http://www.support-you.jp

担当:玉川郁子 プロフィール

   横浜市磯子区生まれ。港北区育ち。
メーカーの企画部を経て(株)ともクリエーションズに在籍。
サポチューシステム企画・販売・サポート担当など。
旅行が趣味ですが、今は2010年に誕生した娘を育てることが楽しいです。

 

9月 10 11

9月 三ツ池だより 「風は勝手にふいている」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢
日が差し始める、昨日の今日が来る
希望でも、夢でもなく、今という現実の
重さの中に新しい場面が展開する
けたたましい蝉のなく、自由という束縛のなかに
希望と、夢と、そう、船出なのだ

8月28日付けの新聞6紙のコラムに興味を持った。

  1. 代表選の構図を小沢氏は「民主党の原点回帰か、管政権の継続か」と語った。小沢氏の復権という原点回帰を争うのでは、危機にある政治の出直しに値しない。」
  2. 日本の台風、米国のハリケーンという嵐の予感のさなか、民主党の代表選が始まった。毎年のようにこの時期には首相が交代してきた。政治家のみなさんはこの季節になると、よほど血が騒ぐのかと思ってしまう。
  3. 3.11以降、節電を強いられ続ける日本でも、太陽光や風力などの電源活用に注目が集まっている。管首相が退陣の条件に挙げた「再生可能エネルギー特別措置法」も成立した。
  4. ジョブ氏は6年前に大学の卒業生に贈るスピーチで「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい」と語った。膵臓癌に侵され、その頃から「死」を強く意識し始めたそうだ。
  5. 友人の書いた台本が初めて舞台で演じられるというので出かけた。もんぺ姿の女たちが日本の各都市の空襲被害を読みあげる。絶え間ない告発。この国は何をしてきたのかと暗澹とさせられる。震災対応も同様だ。「希望」が届かない。
  6. 実態を見て歩き、聞いて歩く間、道を尋ねた相手が自分の車で被災現場を案内してくれるといった親切も経験した。この人情厚い地域に、原発事故の重荷がのしかかっている。

さて三ヶ月前の5月29日の6紙のコラムはどうなっていたのだろうか。

  1. 疎ましい梅雨も「夏の水瓶」を満たす大事な役をになう。恵の雨期であって欲しい。
  2. 自民党は、不信任案可決で民主党を一気に押し流したいところだ。もっとも誰よりうっとうしい思いは国民の方である。
  3. 「ありがとうございましたーっー」なんて、こちらが言う台詞だと思いながら、胸が詰まって声がでなかった。
  4. 関東大震災の東京で、市民の足として活躍したのはバスだった。市電の多くが焼失したため、東京市は米国からトラックの車台を輸入して改造することにした。
  5. 手書き号外はワシントンの報道博物館にも展示保存された。紙が伝える確かさ、その不屈―。報道の初心、原点を覚える。
  6. 「しっかり」は「抜け目なく」という意味に使われる事もある。その用例は「ろくに働きもせずに給料だけはしっかりもらう」とある。

丁度そんな時の3ヶ月前の新聞の「ひととき」に次のような投稿を見つけもした。「大震災の後のCMで、金子みすずさんの詩が流れるようになりました。みすずさんの詩を読んでいると、不思議と寂しさや悲しさが消えていきます。今夜も、みすずさんの詩を朗読してから眠りにつきます。」

人は時に時間の余裕が必要なのかもしれない

鬼百合や疲れなど知らぬかのように    詢

どれもこれどの存在もぎぼし咲く      詢

生きているだけで感謝の時なのに 政局の風は勝手に吹いている
今があることに涙があふれる

女郎花風の中にいて今          詢

渓流に音色たづねる晩夏かな      詢

政局がおかしいと言っても政局は政局で動いていく
これでいいのではなく今あることに誰でも感謝なのだ
一人ではない、でも、一人でもある

 

Photos

(下の画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

9月 10 11

「キラキラ輝く、かわいらしい女性」を演出する。
横浜元町のボディアート・ショップ「Glitta(グリッタ)」

by staff

 

「キラキラ輝く、かわいらしい女性」を演出する。横浜元町のボディアート・ショップ「Glitta(グリッタ)」

 

9月 10 11

もっと旅がしたい!

by staff

「まつり」といえば夏だけ?

 お祭りって、夏だけの風物詩のイメージがありませんか?
ところが、日本全国、毎日どこかでお祭りは開催されているんですよ。
それは何百年という土地の歴史を持つものであったり、ユニークな新しいものであったり。規模も数百万人の人出が見込まれる大きなものから、地域に密着した小ぶりものまで。さまざまです。

 「まつり」という言葉は「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すもの。

 

しかし現代では宗教への関心の薄れなどから祭祀と関係なく行われる賑やかな催事、イベントについても「祭」と称されるようになっているので、日本全国毎日おまつり!とも言えるワケです。

 日本の「まつり」で有名な「青森ねぶた祭り」や「祇園祭」、「阿波踊り」「仙台七夕まつり」「博多どんたく」「札幌雪まつり」などは、実際に行ったことはなくても多くの人の話題に上り知られています。

 そんな誰もが知っている「まつり」意外に、もう少し規模の小さい祭りもかなり面白いんですよ。

 たとえば9月14~16日の3日間で行われる「神奈川県鎌倉市八幡宮例大祭」。
期間中は献茶会、献華会、武道大会、日本舞踊などの神賑行事が奉納され、かなりのにぎわいを見せます。
そして800年の伝統を誇る流鏑馬(やぶさめ)神事は、鎌倉時代さながらの狩装束を身につける射手が馬に乗って駆け抜けながら、3カ所の的を次々と射抜いて見せます。これは見事ですよ。

 

 他には、10月1日に行われる「愛知県豊橋市羽田祭」。
神前奉納される手筒花火を男衆が踏ん張り支える姿に男意気が感じられます。激しい熱にもひるまない姿、吹き出る火柱と轟音にはしびれます。

 10月は気候もよく夏のお祭りとは違った風情が楽しめますよね。10月9日に行われる「岐阜県高山市秋の高山祭」では100余りの提灯に照らされた豪華絢爛な屋台が町を巡る宵祭りがあります。秋の気配を感じることができますよ。

 知らない日本がまだまだあるって、ワクワクします。
旅はいつも私を豊かにしてくれる。だから、もっと旅がしたーい!

【日本全国のお祭り】9月10日~10月9日

9月 10日(土) 岐阜県郡上市白山神社寒水の掛踊り(~11)
  11日(日) 愛知県瀬戸市せともの祭(10~)
  12日(月) 福岡市筥崎宮放生会(~18)
  13日(火) 千葉県一宮町玉前神社例大祭(上総のはだか祭)
  14日(水) 盛岡市盛岡秋まつり(~16)
  15日(木) 北海道ツール・ド・北海道(~19)
  16日(金) 神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮例大祭(流鏑馬神事)
  17日(土) 山形県寒河江市寒河江まつり(14~18)
  18日(日) 大阪府岸和田市岸城神社だんじり祭(17~)
  19日(月) 熊本市藤崎八幡宮神幸式
  20日(火) 石川県七尾市お熊甲祭
  21日(水) 山形県上山市かみのやま温泉全国かかしまつり(17~25)
  22日(木) 鹿児島県薩摩川内市川内大綱引
  23日(金) 富山県高岡市福岡長つくりもんまつり(~24)
  24日(土) 千葉県いすみ市大原はだか祭り(23~)
  25日(日) 石川県羽咋市羽咋神社唐戸山神事相撲
  26日(月) 富山県南砺市五箇山麦屋まつり・こきりこ祭り(23~)
  27日(火) 長野県安曇市穂高神社例大祭・御船祭(26~)
  28日(水) 京都市愛宕神社例祭
  29日(木) 中津川市恵那神社例大祭(恵那文楽奉納)
  30日(金) 奈良市氷室神社例大祭(~10/1)
10月 1日(土) 愛知県豊橋市羽田祭(~2)
  2日(日) 長野県南木曾町五宮神社田立花馬祭
  3日(月) 京都市御香宮神社神幸祭(花傘祭(1~9)
  4日(火) 京都市北野天満宮端饋祭(1~5)
  5日(水) 福島県二本松市二本松の提灯祭(4~6)
  6日(木) 山形市豊烈神社例大祭(5~)
  7日(金) 長崎市諏訪神社長崎くんち(~9)
  8日(土) 那覇市那覇まつり(~10)
  9日(日) 岐阜県高山市秋の高山祭(~10)

( 文・イラスト・写真:(株)とらべるわん いいづかあや )

いいづかあや(飯塚 文) プロフィール

いいづかあや 飯塚文  

1974年、横浜生まれ横浜育ち。
私立山手学院高等学校卒業後、文教大学短期大学部文芸科卒業。
父親の経営する(株)とらべるわんで幼いころから「旅」に携わる。
学生時代より同社のチラシ・DM・ホームページ等の制作をする。デザイン事務所・建設会社などの職業を経て現在は(株)とらべるわんのWEB責任者を務める。また、横浜元町で「ボディアートGlitta」でデザイナーとしても活動中。

(株)とらべるわん http://www.travel1.co.jp
ネイルサロンMINORITY http://www.minority-minority.com/
ボディアートGlitta http://yokohama-now.jp/home/?p=5952
   
いいづかあやTwitter http://twitter.com/zuka_aya
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9月 10 11

「レッドライト」 (連載第6回) 本牧お馬流し

by staff


「お馬迎え」での頭上奉載

 海は遠くに行ってしまった。私たちに残されたのは、妙に小綺麗で、公園と見まごうような港。毎日の暮らしに海が入り込んでいたのは、いつまでだったろう。
 私たちは見落としていないだろうか。今も潮の満ち引きや雲の流れを確認しながら暮らす人々が、身近にいることを。

 毎年7月の半ばを過ぎると、本牧の人々は徐々に色めき立つ。400年続く伝統の神事「お馬流し」が始まるからだ。

 ちょっと聞き慣れないこの祭礼は、穢れを込めた「お馬様」とよばれる茅のご神体を六体、沖合に流す行事である。「夏越の祓」である「茅の輪くぐり」と、趣旨自体はそう変わらない。しかし「沖まで行って流す」という部分に、漁師町の片鱗を感じて、ぐっとくる。

 お盆の精霊舟(お盆の送り舟)も連想させるが、盆舟ではご先祖様を海に帰すのに対し、夏越の祓の舟(*註)では、穢れを流す、という違いがある。
 (*註 似たような祭礼が、熊本市の北岡神社や石川県の白山比咩神社でも行われている)

 東京湾を股にかける本牧の漁師同様、つい半世紀前まで、お馬流しは大変スケールの大きい祭りだったという。

 本牧神社権禰宜(ごんねぎ 宮司を補佐する神職)の佐藤健一さんは「昭和30年代までは、横須賀の走水に本牧のお馬様が流れてきたという話がありまして、ときどき『(お宅のお馬様が)流れてきたけど、どうすればいいか?』という電話が、走水の神社からかかってきました」と話してくれた。どうやら沖に流すと、海流の関係で走水神社の辺りに漂着するらしいのだ。流れ着いたお馬は走水神社で奉納物として扱われ、現地でお祭りに使われていた。

 現在は動力船になったせいか、そういう話はないそうだ。「手漕ぎの時代より遠くまで流れるようになったからではないでしょうか」と、佐藤さんの説明は続く。
「お馬が本牧の岸辺に流れ着いたら、それは凶事の前兆だとされます。ですから戻ってこないように、本牧の沖合い約4キロの海上でお馬を流しています。お馬が戻って来ることは、まずありません。

 でも実は、明治時代にお馬が一頭ないし二頭戻った、という記録があります。六体全部戻ったことも、歴史上一度だけあります。それは1923年で、関東大震災が起こった年です。おそらく地震の前触れで、潮の流れがおかしかったのでしょう」
 ちなみにこのお馬様、地元の人は「おんま」とよぶそうで、この呼び方の違いで地元の人間かどうか分かってしまうようだ。

 最初はてっきり、宮司さんがこしらえているものだと思っていたのだが、じつは「藪」という屋号をもつ羽鳥家のご主人が、六体のお馬すべてをつくることになっている。祭事や舞台は準備が面白い。わたしは「まだ誰も取材に来たことがない」という、お馬制作の現場にお邪魔させていただこうと考え、まず材料の茅刈りに同行させていただいた。

 茅は「霊力の宿る植物」と考えられてはいるものの、本来雑草のようなもの。かつてはそこらじゅうに生えていたそうだ。しかし生活環境の変化に伴い確保が難しくなったため、現在は境内に茅場を設けている。この日は全部で九人で作業し、神社で四束(長いのが二束、中サイズが一束、短いのも一束)刈取り。「まだ足りない」というので、一路大黒ふ頭へ。藪さんや神職一行は、なんとガードレールを跨ぎ、道路脇の、本道と側道に挟まれた決して広くはない一角に生えている雑草然とした茅を刈り始めた。じつはここは良質の茅場で、鶴見の伝統行事「蛇も蚊も」の茅も、ここで刈っているのだそうだ。「『蛇も蚊も』の方が日程が早いから、良い部分を先に刈られてしまったよ」と藪さんの弁。車でしばらく走って、よいポイントを捜しながらの作業だった。

 個人的に興味深かったのは、氏子さんと祢冝さんが馬鹿話をしながら、楽しく作業している光景だった。学校行事か町内会の寄り合いか何かのように見える。書き手である私はカトリックのクリスチャンで、じつは神道や仏教のことはあまりよく知らない。神職者と氏子の距離感や屈託のない付き合いは、ちょっとしたカルチャーショックだった。
 宮司の本牧省三さんは、神主は「普段は市井の人でいい」、という。これは神主という役割の起源と関係があるそうだ。

 本ばかり読んでいる、青っちろい庄屋の息子。労働力にはならないが、声はいいし頭もいいから、村の代表として神様に祝詞を読んでもらおう……これが神主の始まりだそうだ。だから「悟りを開く」とか「高潔な人格」とか、しばしば宗教家に求められる素養が、そもそも神主には期待されていなかったらしい。神主は祭儀の場でしっかりやってくれればそれでいい。あくまでもコミュニティーの代表、という位置づけだ。キリスト教のミサでは、司祭が十字架を背にして信者たちと向かい合うが、神式の祭儀では氏子と宮司が一緒に神様に向かう。

 宮司に修行や悟りは必要ない。もちろん修験道のように山岳信仰と結びついて、山ごもりする信仰もあった。しかしざっくばらんに言ってしまえば、里における信仰は、かなり大らかなものだったのだろう。

 話を元に戻す。
 刈り取った茅は藪さんが持ち帰り、自宅でお馬づくりに取りかかる。制作期間は一週間。神社に納める日が決まっているため、ぐずぐずしていられない。藪さんはふつうのサラリーマンだが、毎年この期間は休ませてもらっているという。
「何年か前の話ですが、社内でシステムの変更がありまして、わたしが責任者になったんです。ところがその入れ替えの日程と、お馬づくりの日が重なってしまったんですね。お馬は私以外作れませんし、かといって会社の仕事も疎かに出来ません。結局、かなり無理を言って休暇をもらったのですが、もう大変でした。ひとりの作り手に任せきるという現在のやり方は、もう難しいんじゃないでしょうか。

 私の父のときも父ひとりだけが作り手でした。神社の方は作り方を知らないんです。もし父が戦死していたら、お馬づくりは断絶するところでした。息子はいま高校生なのですが、跡を継がせるかべきかどうか。最終的には本人の判断ですが」

 お馬は、もともとは本牧内の六ヶ村それぞれで作っていたのだという。しかしあるときを境に、藪さんのところでまとめて作るようになったらしい。その直接の理由は、分からないそうだ。十畳程の和室で作務衣に身を包み、黙々と茅を編む藪さんを見ていると、伝統をつづける重みと困難さが垣間見えてくる。お馬流しは、今年(2011年)で446回目を迎えたという。

 一週間後。祭礼当日を迎えた本牧神社には、ずいぶん早い時間から大勢の人が集まっている。今も漁師町の気風が残る土地なので、朝が早いのだ。祭礼は朝8時開始なのだが、その30分前にはほぼ全員集まっている。定刻通りにはじめると「遅い」と言われてしまうのだとか。生粋の本牧住民は気が早いのだ。「『気が短いな』って言うと、地元の人は喜ぶんですよ」と権禰宜・佐藤さんの弁。

 賑やかな境内とは裏腹に、神殿内部では六体のお馬が静かに時を待っている。
 前日、完成したお馬を迎える「お馬迎え」が行われ、「頭上奉戴」とよばれる独特の動作で、氏子から氏子へ総出の手渡しで奉納が行われた。神殿内に安置されたお馬は、白布を掛けられた状態で時を待つ。藪さんは仕事の仕上げとして早朝4時に来社し、一人神殿内でお馬に化粧直しを施す。

 面白いのは、お馬様に「エサ」を供することだ。これは「神饌(しんせん)」とよばれ、具体的には蒸した麦の団子やお神酒である。これを「六枚で百万円もする」という扇形の折敷(おしき=お盆のようなもの)に載せてくくりつける。

 定刻になると、宮司が神前で祝詞をあげ、いよいよお馬が運び出される。揃いの黒羽織を着けた氏子達が長い長い列を作ってお馬を順送りしていく。じりじりと時間がかかる動作である。わずか数十メートルの運搬に30分ほどもかかるのだ。しかし和やかな雰囲気のせいか、見ていてちっとも飽きることがない。

 佐藤さんによると、お馬流しでは「しずしずと」お馬が廻っていくことが大事なのだという。
 時間通りにお馬が廻ると、一年間氏子さんたちの機嫌がいいそうで、「その年の人間関係をたてる『大切な戦い』なんです」と話してくれた。

 とはいえ時間を守るのは結構大変で、人が倒れたので進行が遅れた年など、「不可抗力なのに、氏子さんたちの機嫌が悪くて。お札を配るときとか大変でしたよ」と舞台裏の苦労の一端を明かしてくれた。

 両の手を高く掲げた「頭上奉戴」の列の中に、ずいぶん年若い少年がいる。年齢を聞いたところ、まだ中学生だという。親子で参加しているそうで、きっと大人の仲間入りを果たした証拠なのだろう。

 古老の話によると、昔まだ船が手漕ぎだった当時は「おまえも一人前だから、お馬の舟に乗せてやろう」といって、大人の仲間入りをさせる意味合いもあったそうだ。そして祭りの日には、決まってただ酒を飲ませたという。

 それこそ何十人という氏子の手を経たお馬は、待機していた車に乗せられ、本牧を巡幸する。町内の各所で御輿を担いで待ち構える地区や、お囃子で迎える地区など、町内の人たちが様々な趣向を凝らしてお馬を見送るので、同行しているこちらもウキウキしてくる。そうして本牧地区を念入りに一時間もかけて周回した後、D 突口の本牧漁港に到着。またもや30分かけた「頭上奉戴」でお馬を運んだあと、突然走り出して二隻の祭礼船に分乗(「せめ」とよばれる)。お馬を三体ずつ乗せ、おもむろに出船する。

 この二隻は「原(本牧原)」と「新町(本牧元町北部・東部地区)」の船で、古くは六ヶ村が都合六隻の船を出していた。復路が競争になるため、当時は祭りの一ヶ月前になると町内がライバル意識をむき出して張り合い「相手と口聞いちゃいけねぇ」などとやっていたそうだ。昭和初期になっても四隻の船をつかっていたが、空襲ですべて焼失。戦後は二隻の船を復元したことから、二隻で祭礼をつづけているという。

 見慣れたコンビナートの、慣れぬ海上からの姿に感嘆しているうちに、船はぐんぐん進んでいく。視界のあちらこちらにタンカーや釣り舟の影が映る。
 北風が船の背を押す。沖に出やすい風だ。逆に南風だと沖からお馬が戻って来やすい。
 お馬が戻ってこないように潮の流れを考えながら、ポイントを選定。二隻の船はスピードを落とし、樽酒をお馬の頭に注ぐと、舷側からそっと海に浮かべだ。
帰りはフルスロットルだ。港に向けて二隻は弾丸のように水面を駆ける。

 かつてはひなびた漁村の血湧き肉躍る行事だったはずが、米軍の接収や埋め立てによる海岸線の遠のきで数千人いたという見物客の足も遠のいてしまった。しかし佐藤さんによると、埋め立てが完了した本牧にも、まだ漁業をつづけている人たちがいるという。現在も残る網元は三つで、ときどき魚の奉納があるそうだ。

 「アメリカの匂いがする町」として知られる本牧も、一皮向けば漁師町の気風が残る。新興住宅地が幅を利かせるその一方で、昔ながらの商店街や祠、道祖神が落ち着いた佇まいをみせる。「開放的」「おしゃれ」といわれる街で、漁師町特有の地元意識や保守性が垣間見える希少な機会。それがお馬流しなのかもしれない。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)


お馬様の材料となる茅
 
藪さんによるお馬づくりの様子
 
お馬様はこんな姿をしている
 
海上でお馬様を流す

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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9月 10 11

誰でも分かるプロジェクト・マネージメント 「プロジェクトを計画する(2)」

by staff

関 淑子、付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist, カリフォルニア州建築総合請負業者

2. プロジェクトを計画する(2)

既に、一郎は「畑中茶館」プロジェクトの範囲、必要な資源、成功するための前提条件、リスクおよび対策、実行チーム組織についても考えて、書き出しました。今度は実行スケジュールが必要です。

2.8 プロジェクト・スケジュール

スケジュールには以下の項目を示します:
するべき仕事 → 仕事を作業に分割 → 同じような作業をグループ化 → 作業の順番
→ 各作業の必要時間 → 何時、その作業を行うか

2.8.1 ワーク・ブレークダウン・ストラクチャー (Work Breakdown Structure - WBS)

仕事を幾つかの作業に分割し、さらに特定の基準で作業をグループ化するためには、WBSが役立ちます。WBSに似た手法でパーツ・ブレークダウン・ストラクチャー(Parts Breakdown Structure – PBS) があります。製品がどんな部品(Part)で構成されているかを示した図がPBSで、部品を作る仕事(Work)の構成図がWBSです。仕事を構成する最小単位を作業、アクティビティ、業務、タスクなど様々な呼び方をしますが、ここではタスクという呼び方に統一します。

プロジェクト・チームの組織を考えた時に、主なタスク、必要な能力、担当者の表(8月号参照)を作りましたが、この表に基づいてWBSを作成します。下の左図は畑中茶館という製品のPBSで、右図は製品を実現するためのWBSです:

2.8.2 タスク・ストラクチャー・マトリックス (Task Structure Matrix – TSM)

仕事の構成が分かったので、次に、各タスクに必要な時間を明確にする必要があります。独立していて何時でも始めることができるタスクもありますが、多くのタスクは他のタスクが終了しないと始めることができません。

TSMはタスク同士の依存関係を明確にします。

TSMができれば、いよいよスケジュール表を作ることができます。様々なスケジュール表がありますが、PMで主に使われるのはガント・チャート とPERTチャートです。

2.8.3 ガント・チャート (Gantt Chart)

ガントは最も一般的なスケジュール表で、 バー・チャート(線表)とも呼び、各タスクの始まりと終りの日付を示し、時間の流れを可視化したものです。

2.8.4 PERT (Program Evaluation & Review Technique)チャート

PERTはフロー・チャートに時間が書かれた表で、プロジェクトの完了に必要なタスクの依存関係を可視化する方法で、後で説明するクリティカル・パス分析(CPA)と一緒に使われます。

ガントおよびPERTチャートは、プロジェクトが複雑になってくると手で描くのは難しいので、来月は無料のスケジューリング・ソフトウェアを使って作成してみましょう。

 

関 淑子さん プロフィール

   

関 淑子
付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist
事業継続初級管理者
カリフォルニア州建築総合請負業者

 

9月 10 11

ソーシャルメディアの正体(第二回)

by staff

デジタルハリウッド大学大学院/NVD株式会社 松本英博

1.ソーシャルメディアの企業戦略

 さて、前回はソーシャルメディアの特徴にちょっと触れてみた。今回は、その特徴を活かして企業からみて役立ちそうなポイントと陥りやすい間違いについて説明しよう。

 先ず、難しいところから見てみよう。企業戦略とソーシャルメディアがどう絡むか。企業戦略とは、多くの経営資源(人財(ヒト)、資金(カネ)、資産や設備(モノ)、情報)を如何に経営方針に従って効率よく使い、利益を得るかにある。さて、ソーシャルメディアなるものは、これら経営資源にどう関わることなのか。

 読者の多くは、「情報」を先ず挙げられるだろう。ソーシャルメディアは、自社に入ってくる情報(受信)と自社が出す情報(発信)、自社内に留める情報(企業情報、営業情報)のどの流れにも関係がありそうだ。例えば、製品やサービスのお客さまの評判や評価は、営業部門が手に入れる情報だが、ソーシャルメディアで、特にネット社会の情報は、営業部門に限らず、お客様相談室などのCRM部門や品質管理部門などにSNSやブログ、電話、投書などで飛び込んでくる。中には、経営幹部に直接届く内容もあるかもしれない。こう聞けば、クレーム処理の話かと思われるかもしれないが、クレームもソーシャルメディアで伝えられる一部の情報にすぎない。良いも悪いも自社に向けられた情報だと思ってほしい。そこで、第一番めの戦略は、この情報をどう扱うかを考える上で必要な現状把握だ。つまり、ソーシャルメディアの「傾聴戦略」。つまり、現状に聴き耳を立ててどう判断するかにある。

 次の戦略は、自社から情報を出すこと。ここには、2つのアプローチがある。1つは、一方通行で自社の製品やサービスの告知、つまり広告すること。もう一つは、お客さまとの対話だ。これまで、一方通行の広告は、マスメディアに頼っていた。広告の出稿料を払って宣伝をする有償メディア(paid media)だ。あるいは、自社のウェブで告知する自前メディア(owned media)である。ソーシャルメディアで一方的な広告はできる。だが、問題なのは、これまでの宣伝と同様にお客さま、あるいはお客さま候補に自社の情報が正しく伝わるかである。ソーシャルメディアは、口コミであって、押し付けた宣伝や広告で、お客さままで伝わるであろうか。反って、押し付けでお客さまに嫌われる可能性もある。つまり、ソーシャルメディアは有償メディアや自前メディアのように自社のアンダーコントロールに入る性質のものでないことが分かる。では、どうやって、お客さまと対話をするか。これがソーシャルメディアの「対話戦略」である。

 最後に自社内に留める情報はソーシャルメディアに無関係であろうか。極秘中の極秘だから無関係と言いたいところであるが、実はソーシャルメディアを有効に使えば、自社内に留まって資産化している情報を活性化して新しい商品やサービスを生む根源となる可能性もある。例えば、「傾聴戦略」で自社製品をお客さまが日々どう使っているかを観察していたとしよう。結果、自社の開発や企画部門では思ってもいなかった活用法や誤った利用などがあるかもしれない。顧客による活用法は、自社製品の新たな機能や性能を引き出して新商品を生む種を示してくれる。逆に誤った利用であれば、なぜ間違った使い方がされるのか、それを防ぐ改善ができればニーズを引き出せるかもしれない。このように、ソーシャルメディアに影響を受けて自社内にある様々な情報を違った視点で見ることで、新たな収益源を見出す可能性もあると言える。お客さまが自社製品を利用するということは、少なくともその製品に対して一瞬でも「ファン」となってもらった、との受け止め方もできる。つまり、ソーシャルメディアとは、自社が管理できるものではない。商品やサービスを通じて、自社の「ファン」になってもらい、働きかけることが、「口コミ」の基本である。これをソーシャルメディアによる「活性化戦略」という。ファンを増やし、自社や商品の良否を自由に評価してもらう場を提供することである。場と言っても、ネットでも良いし、現実の店舗やイベントでもよい。

2.ヒト、モノ、カネにも関わるソーシャルメディアに対する戦略

 経営資源の中で情報とソーシャルメディアとの関わりをみてきた。他の人財(ヒト)、資産や設備(モノ)、資金(カネ)は無関係だろうか?

 人財戦略で企業が最も情報を必要とすることの1つに採用人事がある。ここでも「傾聴戦略」と「対話戦略」が重要だろう。例えば、自社が採用する学生像と実際の就職希望の学生の間はどうであろうか?就職活動をしている学生から見て自社はどう見られているのか。あるいは、本当に来てほしい学生たちから自社はどうみられているのか。最近、ネットを使って採用人事活動が盛んな理由は、こうした「傾聴戦略」の一環で、自社の採用像と学生の希望とを効果的にマッチングする手段として使われいるからだ。マッチングができれば、「会話戦略」で、採用以前に自社の経営方針やビジョンに対する理解、さらに「ファン」として関わってもらうことまで進むことができる。

 モノやカネは、一般的に株主や従業員を除いて非公開が前提だ。しかし、時には、ソーシャルメディアとの関わりで、その規模や目的、用途などを自社の経営方針やビジョンで説明する必要も出てくる。いわゆる、企業の社会的責任(CSR)で、自社が社会にどのような貢献を行うために、モノやカネは使われているかも示す時代になってきている。もちろん、有償メディアや自前メディアでも告知できるが、ソーシャルメディアによれば、「活性化戦略」をはじめ、ファンを支援する「支援戦略」、ファンも含めて商品化活動に関わってもらう「統合戦略」といった活動で、CSRの証左を示すことも効果的だ。

3.現在どんなソーシャルメディアのネットツールがあるのか

 では、どんなネットツールがあるのか? 表1は現在のネットツールである。現在とわざわざ断っているのは、未だこれらのツールは発展途上であって、今後さらに違ったツールが出てくる可能性もあるからだ。


( 表1 )

 ここで陥りやすい間違いは、これらの技術を詳しく見るあまり、これらのツールで一体何を意図しているかといった大局的な流れ(これを「グランズウェル」という)を見失うことだ。技術を追うのではなく、技術を使って実現することを注目するのである。

 整理すれば分かるように、これらのツールは、多くが人と人とのつながりを構造的に持っている。ソーシャルメディアの相手は通常「ヒト=自然人」だ。このヒトの輪に「法人」が入ることで、企業活動との関わりが出てくるというものだ。生身の人との会話に法人が入ることの「違和感」が、実は大きな問題であると同時に、これまで示した、「傾聴」や「対話」、「活性化」、「支援」、「統合」の各戦略の根幹となっている。


( 図1 )

 次回からこれらの戦略を順に追っていくことにしよう。

次回の予告:
次回は、「ソーシャルメディアで聴いてみよう」と題して「傾聴戦略」の実際を考えたい。

松本英博 プロフィール

 

松本 英博(まつもと ひでひろ)

デジタルハリウッド大学大学院 専任教授/NVD株式会社 代表取締役

 京都府出身。18年にわたりNECに勤務。同社のパーソナルメディア開発本部で、MPEG1でのマルチメディア技術の開発と国際標準化と日本工業規格 (JIS)化を行い、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボで画像圧縮技術を習得のため留学。帰国後、ネットワークス開発研究所ではWAPや i-モードなどの無線インターネットアクセス技術の応用製品の開発と国際標準化を技術マネジャーとして指揮。

 NEC退社後、ベンチャー投資会社ネオテニーにおいて大企業の新規事業開発支援、社内ベンチャーの事業化支援を行い、2002年9月にネオテニーから分離独立し、NVD株式会社(旧ネオテニーベンチャー開発)を設立、代表取締役に就任。大手企業の新規事業開発・社内ベンチャー育成などのコンサルティング 実績を持つ。

 IEEE(米国電子工学学会)会員、MIT日本人会会員。神奈川県商工労働部新産業ベンチャー事業認定委員、デジタルハリウッド大学大学院 専任教授、現在に至る。

 

9月 10 11

第2回 ど・あっぷ!ワークショップやります!

by staff

「どうして?」を考えてみませんか?
~子どもから大人まで 読んで 感じる 絵本づくり~

 シチズンシップ教育を目指すNPO団体『ど・あっぷ!』の第2回目。
今回は、10月10日に、横浜開港記念会館で行われる、絵本づくりワークショップについてのご案内です。

 世の中には当たり前のことのように思っているけど、子どもに質問されたら、上手く答えられない・・・皆さんはそんな経験はありませんか?

 大人の事情を全く無視した子供の素朴な質問は、時として、とてもストレートに物事の真髄をついていたりします。

「どうして学校で勉強しないといけないの?」

「どうして国会ではあんなにやじを飛ばすの?」

「どうして原発は必要なの?」

「どうして原発は必要じゃないの?」

 

のぼる君

 「そんな事自分には関係ない?」「面倒くさい?」
そんな事いわないで!

 是非一度、素通りしてしまうような問題に目を向けて、じっくり考え、自分の考えを、ごまかしのきかない、わかりやすい言葉だけで表現してみてください。きっと、新たな発見があると思いますよ。

 私の場合で恐縮ですが、「私って、こういう考えだったんだ~」と、改めて自分発見をしたり、「わかった気になってただけだったな・・・」と思ったり。真逆と思っていた考え方に、実は共感したり・・・毎回、いろいろな発見があります。

是非、
一緒に考えてみませんか?
お待ちしています!

■日時:10月10日(月)14:00~16:30

■場所:横浜開港記念会館7号室
http://www.city.yokohama.lg.jp/naka/kaikou/acces.html
(JR関内駅徒歩10分、みなとみらい線日本大通り駅徒歩3分)

 

■内容: (1)世の中の疑問であるいろんな「どうして?」について考えてみるワークショップ
      (2)絵本作り (文章を考えます)

■対象: 小学生/教育関係の方/シチズンシップ教育に興味がある方/面白ワークショップを探している方など

■その他:出来上がった絵本はHPで紹介。将来的には出版も計画中!?

HP:http://www.citizendoup.com/index.html
ブログ:http://doupblog.blog123.fc2.com/
ツイッター:http://twitter.com/#!/citizendoup

(写真・イラスト:NPO法人ど・あっぷ!(DO UP!) / 文:(同)築山 美樹)

今月のビデオメッセージ


http://www.youtube.com/user/douptv

 

9月 10 11

「静寂な時間がいのちの根を養う」 神渡良平著 致知出版

by staff
「静寂な時間がいのちの根を養う」 神渡良平著 致知出版  

 「キリマンジャロの北の裾野に広がるサバンナに立ち尽くし、ただ呆然と見上げていた_。おまえの生き方はそれでいいのか_。」そう問いかけて著者は次のように語る。「人間があまりにも忙しくてしていて、天のメッセージに耳を傾ける余裕がないときは、天のメッセージは素通りしていく。そうではなく、受け入れる態勢ができていると、限りなく流入してくる。」

 「アフリカの大地は私たちを原点に立ち返らせてくれるものがあります。そういう場所にみなさんをご案内したい。」というミュージシャンとの仕事の打ち合わせの時の発言から始まった。三ヶ月の旅の中で「みんな何もない貧しい生活なのに、喜喜として生きている!」という感じ、満月の宴での祈りと歌声の中に「そうだ!踊りはもともと祈りだったのだ。」という感動。「それにしても・・・月光は凄い!月光にはすべてのものを癒す力がある!静かに落ち着いていて、すべてのものを受け入れ、活かしている。」という想い。サバンナでの丘からの眺望を楽しんでいた時のこと、案内してくれてい

るミュージシャンは語る。「アメージング・グレース」のこと。「奴隷貿易を今の価値観で評論家のように語るのではなく、自分のことと捉え、自分の懺悔と覚醒として歌っている。澄んだ歌声が響き、彼女が歌い終わると、沸き上がるように、みんなが歌い出した。その歌声は大合唱となり、天地をこだました。そして手と手をつなぎ合い、大きな輪になった。手をつないでいる隣の人の体温が伝わってくる」と。

 旅は自己との対話の時であり、自分探しの旅であると語り、民族の血を呼び覚ます熊野古道の仲間との旅も語る。「研修会での先生は羽織袴姿で威厳を正して講義されましたが、私はその姿を拝見して、教育は何よりも先ず教える側が威厳をたださなければならないものであって、教えというものは厳粛なものだと、教育の原点を見る思いがしました」「壮にして学べば老いて衰へず。老いて学べば死して朽ちず。」「先生の声は独特でした。先生の悠揚迫らぬお声を聞いていると、こちらもゆったりした気持になり、はれやかになっていくのです。結局、講義というものは内容もさることながら、声や動作や人柄など、全てによって講義されているのですね。先生の講義を聴くと、不思議に人間や人生に対して肯定的な気持になっているんです。だから人々はまた聴きたいと思うのです。」旅の中での出合いと思い出。著者は38歳の時に脳梗塞で倒れ、一時は半身不随になったが、必死のリハビリで再起。闘病中に起草した安岡正篤の世界がベストセラーになり、以後次々にベストセラーをうみだし、講演や執筆に大多忙なのである。今65歳である。「私の原点は主人公たちが立ったであろう場所を訪ね、そこで追想しながら往時を偲ぶことだ。そうした時、さまざまな資料に残されている彼らの思惑が蘇ってくる。だから私はゆかりの場所を歩きたいのだ。」

 「愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つの物として感じられた、不思議な経験であったと思います。」戦時中の疎開先に時折訪ねてくる父が東京から持ってくる本が嬉しくて、惜しみ惜しみ読んだというエピソードを紹介する場面にでくわす。「一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します」

 「静寂の中で自らの運命に向き合うとき人は強くなる。」「行き詰まったり、苦しんだりするときは、天の恵みだといえる。」忙しいからこそ時間はつくらなければいけないのだと感じている。

(文:横須賀 健治)

<Amazonで購入>

 

9月 10 11

保土ケ谷宿名代  「ごん太鮓」

by staff

 

 江戸時代、保土ケ谷が東海道の宿場町だったころ、

保土ケ谷に
  過ぎたるものが二つあり
    苅部清兵衛に花見寿司

という歌があったそうです。

 苅部氏は、代々、保土ケ谷宿の名主・本陣・問屋(といや)の三役を担い、その人柄で人々に敬われた一族で、当主になると代々、清兵衛を名乗りました。十三代・苅部清兵衛悦甫(えっぽ)は横浜開港の際、東海道から開港場(横浜村)を直線的に結ぶ道(=横浜道)の整備を幕府直々に請負い、開港後は横浜町の初代総年寄となり初期の横浜町政に尽力した人物です。

 その苅部清兵衛と並んで「過ぎたるもの」と絶賛されるほど、美味しい寿司を食べさせるお店があったそうです。それを現代に伝えているのが「保土ケ谷宿名代 ごん太鮓」です。同店の自慢は「清兵衛巻き」と「道中いなり」。特に、道中いなりは1枚の揚げから味の異なる二つのいなり(柚子とゴマ / 人参・ごぼう・黒ゴマ等)を作り、それらを干瓢で結び、かつての東海道の旅人の「振分け荷物」に見立てたこだわりの逸品です。

  自然の素材を使い栄養価も高く、店主の山岸さんも
「今の子供にこういうものをしっかり食べてもらいたい。」
と力強く語っています。

 また、同店では毎月、その時の旬なネタを使った特別メニューを1ヶ月限定で販売。さらに毎月1日は『お朔日(ついたち)のお鮓』と称し、7月は『ひまわり(あなご)』、8月は『朝顔(しらす)』、9月は『桔梗(さんま)』など、季節の魚で季節の花を鮮やかに表現した「その日だけのお鮓」を50個限定で販売しています。

 その他、「祭ちらし」「花見弁当」「茶巾」「花車」など、ファンを惹き付けて止まない商品が盛りだくさんです。

 

ごん太鮓(お店)

ごん太鮓(山岸さんご夫妻)

ごん太鮓(道中いなり&清兵衛巻き)

ごん太鮓(さんま鮓)

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

ヨコハマNOW掲載情報

 

9月 10 11

ブラとも ゴーヤで緑のカーテン

by staff

 

 今年の夏のキーワードは間違いなく「節電」でしたね。
エアコンの消費電力を抑えるために、窓のところにゴーヤやアサガオなどの植物を植えて、太陽光を遮断し室内の温度を下げようという「緑のカーテン」をあちこちで見かけました。「緑のカーテン」で植えられる植物のダントツ一位は「ゴーヤ」です。横浜市にあるサカタのタネでは、「ゴーヤ」の苗が昨年の2倍以上も売れたそうです。

朝日新聞の記事より(2011年6月24日)
http://www.asahi.com/business/jiji/JJT201106240089.html

 「緑のカーテン」には、鮮やかな緑が目に映るだけでもで涼しさを感じさせるというメリットもあります。

 横浜市では各区役所庁舎に「ゴーヤ」を植えています。
磯子区や旭区のWebサイトには「ゴーヤの育成日記」が掲載されています。

「いそごのゴーヤ」育成日記2011~あなたの生活にみどりのオアシスを~
http://www.city.yokohama.lg.jp/isogo/kusei/kikaku/20110719195002.html

 我が家では、ここ3年ほど「緑のカーテン」をやっています。今年は栽培面積を増やして「アサガオ」と「ゴーヤ」を植えました。両方ともあまり手入れしない割には、毎日驚くほど葉っぱが大きくなり、上に向かって伸びていきます。猫の額もないような小さな庭ですが植物の成長を見るのは楽しいものですね。

 散歩に出かけるときに、ご近所の「ゴーヤウォッチング」をしています。窓を覆うだけでなく、壁を覆うほど元気に育っている「ゴーヤ」もあります。あれはどうなったかな・・と他人様の「ゴーヤ」の成長をチェックしながら歩いています。植物は地球温暖化のためにもいいことですので、「緑のカーテン」に乾杯です。

 「ゴーヤ」は簡単に収穫できます。取れ過ぎて始末に困ると言う話もよく聞きます。苦味があるので「ゴーヤチャンプル」に代表されるように、油で炒めることが多いようです。私は生で食べるのが大好きで、夏はほとんど毎日食べています。
 お気に入りレシピは、「ゴーヤサラダ」です。「ゴーヤ」と相性のいい玉ねぎとツナをあえるだけの簡単なものです。苦味が苦手な方は、塩もみしてさっとゆでるといいですよ。私は、ポン酢やマヨネーズで味付けします。夏の疲れがでるこれからにもお勧めです。

ゴーヤのサラダ(COOKPADより)
http://cookpad.com/category/609

 

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)


我が家のゴーヤ


近所のゴーヤ1


近所のゴーヤ2


近所のゴーヤ3


ゴーヤサラダ

 

9月 10 11

ローマの歴史を秘める偉大なワイン産地 モーゼル地域

by staff


写真)ドイツ最古のワインセラー

ローマの歴史を秘める偉大なワイン産地 モーゼル地域

 ドイツ銘醸ワインの偉大なる産地の一つ、モーゼルのワインはフランスとの国境パールから、フンスリュックとアイフェル丘陵の谷間を蛇行して、コブレンツでライン本流に合流しています。モーゼル川は高度差が少ないため浸食が少なく、そのため極端に蛇行を繰り返しながら流れています。切り立った川の両側は世界でもまれな4億年前の古世代「デュボン紀」の地層が連なり、シーファーと呼ばれる粘板岩で栽培される葡萄、リースリング(Riesling)からは、絶妙な味香で果実味豊かな素晴らしい風味のワインが誕生します。

 全長245kmにおよぶ長いモーゼル川の上流は、紀元前よりローマにより葡萄栽培がおこなわれていました。1860年マキシミリアン候が、モーゼル川流域におけるリースリング以外の葡萄栽培を禁止したことにより、モーゼル地域は上流の一部を除き、ほとんどリースリングが栽培されています。現在でも、トリアー(Trier)より上流のモーゼル川流域では、紀元前にローマより移植されたエルプリング(Elbring)という葡萄を栽培しています。エルプリングは酸味が強く、ゼクト(ドイツのスパークリングワイン)の原料に適していますが、わずかながらワインも造られています。

 

トリアーの城門(ポルタ・ニグラ)

 トリアーの都は紀元前5世紀、モーゼル川の上流、ザール川とルーワー川の2つの支流が合流する川口に北方の防衛基地として築かれました。ライン川を防衛線として守備隊を散開し、有事には要所に建設した狼煙(のろし)塔により速やかに伝達されました。このトリアーの本拠地からモーゼル川を船で下ることで、短時間で軍団を輸送、救援に向かわせることができました。紀元3世紀になるとコンタンチヌス大帝により、西方の首都としてローマの都に拡大し造営されました。現在は立派な城門を初め、ローマの浴場、剣闘場(コロッセウム)や城壁など各地に遺跡が残されています。特にローマの兵担倉庫の役割を果たした

 

ノイマーゲンのワイン船

地下倉庫は、現在ドイツで最も古いワインセラーとして、トリアー慈善協会により使用されています。また、トリアー近郊のノイマーゲンでは、ワイン船の石の彫刻が発掘されて、ワイン造りがおこなわれていた証しとなっています。

 

銘醸ワインで慈善事業をおこなうトリアー慈善協会

 トリアー慈善協会は、紀元640年ベネディクト派聖イルミナ尼僧院として創立されました。僧院はフランコニア王の宮殿で、地下には古代ローマの貯蔵庫として使用されていた地下倉があり、現代ドイツで最古のワインセラーとなっています。
 1805年修道院は、ナポレオンの勅令により還俗され、貧者のための病院、孤児院、養老院が修道院の塀に囲まれた敷地の中に統合されました。そして、その運営資金の確保のため、モーゼル川各地に散在する修道院や協会の葡萄畑を慈善協会の傘下に加えました。その後、王族、貴族所有葡萄畑も寄進され、現在までワインが造られています。建物の一部は今もなおイルミナ女子修道院として使用され、病院と老齢者や孤児のお世話と看護の福祉事業がおこなわれています。

 現在、慈善協会が所有する葡萄園は、すべてモーゼル地域を代表する銘園揃いで、醸造されたワインはローマ時代の地下倉に木樽で寝か

 

慈善協会のシンボル 聖ヤコブ

され、世界に輸出されています。また、慈善協会のシンボルは広く知られた聖ヤコブの巡礼の姿で、貝殻の杖を持つ姿が描かれています。この図柄は中世の頃、スペインのサンチャゴに眠る使徒ヤコブの墓に詣でる巡礼者のため、宿舎にもなっていたことによります。
 かつて、慈善協会の所長フーベルト・シュナーベル博士が来日の際、セミナー会場で冒頭に「いつもドイツの貧しい人たちに施しをいただきましてありがとうございます。」と挨拶されたことが、1本のワインにも深い意義があることを表しています。

(文・写真:ワインブティック伏見)

 

ワインブティック伏見

〒232-0001 横浜市中区新港2-2-1 横浜ワールドポーターズ1F
Tel/Fax 045(222)2112

HP: http://winecom.jp
blog: http://wine1999.blog121.fc2.com
E-mail: boutique-fushimi@winecom.jp

 

 

9月 10 11

ベンベン姐さんの三味線はじめ (こんな女に誰がした?!) 其の四

by staff

地歌 上田恵子

地歌 「すりばち」

 

歌詞

海山に  越えてこの世に住みなれし
比翼連理と契りし仲を
煙りをたつる賤の女が
心ごころに逢わぬ日も
逢ふ日も夜は  独り寝の
くれを惜しみて  まつ山かづら
昼のみ暮す  里もがな

幾年の歳月を越え、海も山も越え、やっとめぐり合った二人。夜も昼も、いつもいつも離れたくない、一緒にいたい、と切なる思いの、情熱的な恋の、女性の歌。

いいですね。
いつの世も、恋は変わりません。
いつも一緒にいたいもの!

この曲は、『すりばち』『れん木』『せっかい』という、曲の長さが同じ、でも、歌詞もメロディーも違う3つの曲を、せぇ~の~!で演奏する、うち合わせもの、と呼ばれるものの内の一曲です。
昔の人は、こんな遊びで楽しんでいたのですね。
あ、でも、3曲一緒に演奏すると、何がなにやら、わかりませぬが・・・・

地歌 「捨煙管」

 

歌詞

かはいかはいと(恋にこがれて) 鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす
何の因果で実なき人に
誠明かして  ああ  口惜し

お琴弾き語り 「涙そうそう」

 

お琴弾き語り

魚屋カフェ 「濱の市」LIVE

 

ベンベン姐さんのライブインフォメーション

 

ライブインフォメーションはベンベン姐さんのHPをチェキ http://www.uedakeiko-ziuta.com/

 

お弟子さん募集

 

オリジナルCD 「月の光」

 

ベンベン姐さんこと 上田恵子さん プロフィール


今月の普段着
 

東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業後、地歌演奏家として研鎖を積む。
日本古来の伝統芸能「地歌」と言うジャンルの可能性を広げるべく、料亭・バーなどのスペースを中心に、ひとり地歌ライブ(三味線古典曲)で活動中。
自作曲の製作にはじまり、尺八・ギター・胡弓等との他ジャンルとの共演も精力的に行い、毎回ユニークなコンサートを行つている。

 

活動情報はオフィシャルサイトまで
http://www.uedakeiko-ziuta.com/

上田恵子オフィシャルブログ「峠の茶屋」
http://tougenochaya.jugem.jp/

 

9月 10 11

市川徹 監督 映画「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」上映会
10月21日(金) 18:30~ @野毛Hana*Hana

by staff

映画「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」

あなたは知っていますか?アメリカで桜が満開になる事を。

 近代バイオテクノロジーの父「高峰譲吉」とその妻「キャロライン」は、1884年(明治17年)ニューオリンズで恋に落ちる。譲吉30歳、キャロライン18歳。それはまさしく運命の出逢いだった。そして二人は結婚。
 これは記録に残された日本人とアメリカ人の結婚としては最初のものであった。

 本作は、明治という日本の新たな幕開けともいえる時代を背景に、今もなお医学界においてはなくてはならない「アドレナリン」と「タカジアスターゼ」を生み出した化学者、「高峰譲吉」の半生を描く壮大な物語である。そして12歳年下の米国人妻「キャロライン」。彼女のアメリカ気質の性格が、彼の研究に与えた影響は多大なものである。

 だが、1世紀以上も前となる当時の国際結婚は、順風満帆とはほど遠く、波乱と試練の日々であった。
 しかし二人は数々の困難を乗り越えて、次々と奇跡を起こすのである。
 ワシントンのポトマック湖畔とニューヨークのハドソン河の岸に咲く「満開の桜」。

 これは、日本とアメリカの架け橋となった二人の愛の物語なのである。

三つの「顔」を持つ偉人 真のグローバル・パーソン 高峰譲吉博士

 幕末、明治、大正の激動の時代を生きた高峰譲吉博士は、科学者として、事業家として、国際親善外交を通じても、大きな足跡を残しました。

科学の先駆者・発明家として

 幼くして長崎留学で英語を学び、明治初めに工部大学校(現・東京大学工学部)、そして英国留学で応用化学を学びました。帰国後農商務省に勤務して欧米の先進的な化学工業を日本でも確立するという使命のもと、米国の万博会場で目にしたリン鉱石から思いついて、日本の肥料工業の先駆けとなる人造肥料生産を手掛けました。

 また日本の麹菌によるアルコール醸造法をウィスキー製造に応用する技術を開発して、招かれて米国に渡りましたが、地元業者の妨害にあって挫折してしまいます。
 しかし、この醸造発酵技術の過程で「タカジアスターゼ」という強力な消化酵素を発見し、医薬品とすることができました。そしてさらに、牛の副腎から「アドレナリン」というホルモンを抽出結晶化することに成功しました。この「アドレナリン」の発見は、神経科学や内分泌学の先駆けとなり、世界の医学・薬学界に多大の貢献をしました。この大きな二つの発明発見によって、高峰譲吉博士は米国で「バイオテクノロジーの父」と呼ばれています。

事業家・起業家として

 これらの発明発見を事業に結びつけることにも成功しました。製薬の三共株式会社の初代社長であり、東京人造肥料(現・日産化学工業株式会社)の設立、ベークライト工業の導入(現・住友ベークライト株式会社)、黒部川の電力開発および周辺のアルミニウム工業の推進に関わり、そして、世界に後れを取らない日本人研究者育成のための理化学研究所(現・独立行政法人理化学研究所)の創設を強く提唱し実現させました。
 また、豊田式自動織機の事業化につまずいて失意のどん底にあった豊田佐吉を、元気付け、勇気付け、再び事業化の情熱を喚起したのも、高峰譲吉博士でした。
 「タカジアスターゼ」、「アドレナリン」の特許を世界各国でいち早く取得し、その特許収入で巨万の富をなすことに成功し、米国でベンチャー企業を起こして酵素事業・研究開発を推進しました。

国際親善・民間外交を通じて

 高峰譲吉博士は事業成功で得た富を、日米親善、民間外交のためにも、惜しみなく投じました。
 日露戦争時には米国の世論を日本の味方につけるために、日本政府の依頼を受けて、私費を投じて米国各地での講演会、現地新聞一面を使った日本PR投稿などで奮励努力、奔走しました。
 また、ワシントンD.C. のポトマック河畔にある桜並木の植樹を企画し資金を提供したのは高峰博士であり、さらにニューヨーク市へも桜を寄贈しています。

NPO法人 高峰譲吉博士研究会 http://www.npo-takamine.org/

映画「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」の上映会

 日本が未曽有の国難に見舞われている今、私たちは先達の心意気を学び、
「生き抜く力」 を見習いたいと思います。

 今から125年前、一人の日本人が単身アメリカに渡って苦労の末「アドレナリン」の結晶化に成功しました。
 後に「サムライ化学者」と呼ばれた高峰譲吉の生涯を描いた「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」を鑑賞し、企画・監督の市川徹氏のお話を伺います。

市川徹 監督 プロフィール http://yokohama-now.jp/home/?p=3724

「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」上映会概要

1.日 時 平成23年10月21日(金)午後6時30分~9時30分
2.会 場 野毛Hana*Hana(横浜市中区花咲町1丁目42-1) Tel 045-325-8123
http://www.nogehanahana.org/
3.内 容 「さくら、さくら -サムライ化学者 高峰譲吉の生涯-」上映
市川徹監督 トークショー
交流会(軽食付き)
4.定 員 100名(定員になり次第締め切ります)
5.参加費 2,000円(交流会費含む)
6.お問合せ 横浜売れるモノづくり研究会 事務局(株式会社ともクリエーションズ内)
〒231-0004 横浜市中区元浜町3-21-2 ヘリオス関内ビル4階
TEL 045-226-3475 FAX 045-226-3476
7.協 賛 ヨコハマNOW 事務局

入力フォーム提供・協力:

 

9月 10 11

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいずくに 月宿るらむ

by staff

♪夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいずくに 月宿るらむ♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:清原深養父(きよはら の ふかやぶ)現代語訳は、

「夏の夜はまだ宵のうちと思っている間にすぐ開けてしまうが、これでは月はとても西の山までたどり着けないだろう。一体雲のどのあたりで宿を取っているのだろうか?」
短い夏の夜に輝く美しい月を旅人のように擬人化して歌っている和歌です。

 この清原深養父(きよはらのふかやぶ)は清少納言の曾祖父でお琴の名手でもあったとされています。この歌を歌うといつも私の中でとてもおしゃれな男性像が浮かびます。それも派手ではなくて粋な美意識をもった宮廷人。うだつは上がらなくてもそのシックなセンスが生き方にも反映して自由な文化人という地位を謳歌している男性が思い浮かびます。目立たない歌ですが、行間からにじみ出てくるのは何とも言えないセンスの良さ。彼が時代を超

えて、もし現代に生きていても十分にその美的センスで文化人としての地位を築いているのではないかしら。清少納言の家柄は本当に風流な人々が多かったのだと思います。私は、なぜかこの清原深養父とヨーロッパのおしゃれな貴族たちがオーバーラップします。人間は生まれ変わると言う転生輪廻説を信じている私としては、きっとこの深養父さんは日本で生まれた後には、フランスあたりに生まれ変わっているのでは?そしてワインを片手に吟遊詩人になって宮廷淑女たちにもてはやされていたかも。

 昔ワインの勉強をしていたことがありますが、ワインとはまさにヨーロッパの文化そのものでした。特にフランスのワインは奥が深くてちょっとやそっとでは学べませんでした。
 和歌とワインって、その根底にある美意識には以外に共通点があるかもしれません。
 両方とも宮廷と言う文化の中で磨かれて、味わいを楽しまれてきました。

 9月から、新宿のシャンパーニュというシャンソンのお店で和歌うたを毎月第2金曜日に披露させていただく事になりました。日本でも有名な固有名詞、シャンパンとはシャンパーニュ地方で作られる発泡酒の事を言います。他の地方で作られた発泡酒はシャンパンと名乗る事は禁止されています。そんな仏国のエスプリと言われるシャンパーニュ地方の名前をつけられたシャンソンのお店に大和言葉でうたう「和歌うた」が響きます。

 フランス文化のシャンソンと「和歌うた」が同じ空間で何の違和感もなく聞けるのは、やはり和歌の持つ文化の深さがあるからだと思います。和歌は日本が世界に誇れる文化です。

 そんな日本文化のエッセンスの様な和歌にメロディをつけて歌える事に、責任の重さを感じつつ・・シャンパーニュではワインを片手に和歌をうたって行きたいと・・・

 是非一度、新宿のシャンパーニュに足を運んで、和歌とワインをお楽しみください。

毎月第2金曜日 10月14日 , 11月11日 , 12月9日 , 1月13日
6時30分~ 3回ステージ ¥5500ワンドリンク付き 入れ替えはありません。
出演:早苗ネネ パリ祭出演の歌手の方々2~3名。
新宿シャンパーニュ 電話 03-3354-8540(昼) 03-3354-2002(夜)
新宿一丁目。元新宿厚生年金前。http://www.champagne-live.com/

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

9月 10 11

「最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること」
池間哲郎氏 講演会 10月8日(土) 14:30~ @港北公会堂

by staff

主催者の想い

 この度、横浜で池間哲郎先生の講演会を主催させて頂きますキラママクラブの中野 恵です。初めて池間先生のお話を聞いた時、涙が溢れて止まりませんでした。長年に渡りアジアの子どもたち、女性、障害を持った方の支援をされている池間先生のお話や生の映像を一人でも多くの方に見て頂きたいと思っています。先生はいつも冒頭に『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること』とおっしゃいます。今年は3月11日の震災があり日本が国難をむかえている、この時、今一度『ボランティア』とは『本気で生きる』とはどういうことなのか、見つめ直すきっかけにしていただけたらと願っております

池間哲郎氏 プロフィール

 1954年沖縄県生まれ。幼少期は沖縄本島北部の自然豊かな本部町で過ごす。中学に上がる直前にコザ市(現沖縄市)へ転居。米軍統治下時代、米兵の閑歩する基地の街で多感な青年期を過ごす。
 サラリーマンを経て29歳の時に映像制作会社を設立。経営者、並びにカメラマンとして結婚式、記録映像、CM等の撮影・制作を行う。その一方、出張で訪れた台湾で山岳民族の貧困と人身売買問題を知ったことをきっかけに、1990年よりアジア各国のスラム街やゴミ捨て場などの貧困地域の撮影・調査・支援を開始。
 会社経営の傍ら支援活動を続け、1995年より自らが撮影した映像・写真を用いた講演・写真展を通してアジア途上国の貧困地域に生きる人々の姿や、一生懸命に生きることの大切さ・命の尊さを伝えている(2011年5月現在、講演件数は2400回、写頁展は1100回を超える)。沖縄大学非常勤講師として受け持つ「国際ボランティア論」は真剣勝負の講義として、学生からの評価は非常に高い。

池間哲郎氏 プロフィール http://www.okinawa-acs.jp/ikema.html

開催概要

日時:10月8日(土) 14:30~16:30(開場 14:00)
会場:港北公会堂・第1会議室(横浜市港北区大豆戸町26-1) 東横線大倉山駅から徒歩5分
入場料:[前売]大人 3,000円 高校生以下 1,000円  [当日]大人 4,000円 高校生以下 2,000円
    *未就学児に限り有料にて保育を承ります。(お一人につき500円)
インターネットからのお申込: http://form1.fc2.com/form/?id=681108

 

9月 10 11

横浜カーフリーデー2011 & モビリティウィーク
9月16日(金)~9月23日(金・祝日)

by staff

第14回 CITYNET日本フォーラム~エコ・モビリティが未来を紡ぐ

CITYNETメディアルーム

横浜カーフリーデー2011 & モビリティウィーク

◆カーフリーデーの意義
 毎年欧州を中心に世界中で2000都市以上が参加して行なわれるヨーロッパカーフリーデー・モピリティウイークは、その中の1日をカーフリーデーの日とし、車よりも人・自転車・憩いの空間を優先する都市を人々に体験してもらい、地域の歴史・文化・その他の地域資源を再発見・再確認するものです。環境・文化・芸術を大切にする持続可能な都市をつくるには、都市交通・景観・緑・歴史・伝統・文化・人々のライフスタイルが重要な鍵を鰹ります。これを実行する過程において、環境だけでなく、様々な分野のネットワークをつくることができます。このネットワークができることで、日常的に多様な協働が生まれ、横浜の街を創造的な環境都市へと転換させることができます。

-開催概要-
日時:2011年9月23日(金・祝) 11:00~16:00
場所:日本大通り+横浜公園
※雨天中止

横浜カーフリーデー実行委員会HP

 

9月 10 11

「生活習慣病予防の啓発と、医療費削減」をめざして。
ソーシャルベンチャー ケアプロ株式会社 代表取締役社長 川添高志さん

by staff

「生活習慣病予防の啓発と、医療費削減」。この2つのことを実現するために、ソーシャルベンチャーを立ち上げた若き起業家がいます。500円のワンコインで気軽に健診が受けられる場所をスタンド形式や出張形式で提供し、「ちょっと立ち寄り、ちゃんと健康」を促進しているケアプロ株式会社。2011年8月、東急東横線横浜駅改札すぐというエキナカの好立地に念願の新ショップをオープンした、ケアプロ株式会社代表の川添高志さんに、ご自身の地元である横浜での新店舗オープンにかける想いを伺いました。

川添高志さん  
お名前 川添 高志(かわぞえ たかし)
ご出身 兵庫で生まれ、3歳から横浜で育つ。現在も実家は、上大岡。
ご年齢 28歳
現住所 都内
ご家族 父、母、姉の4人家族
ご趣味 昔からスポーツは好きでしたが、最近ゴルフを始めました。ラウンドに向けて、現在は打ちっぱなしで準備中。
ご性格 クールで、前向き。

 
ケアプロ(株):http://carepro.co.jp/
川添さんブログ:http://ameblo.jp/carepro/
東急横浜店facebook:
 http://ja-jp.facebook.com/careprotokyuyokohama
今だけ限定!ドライアイ無料検査実施中:
 http://www.carepro-check.jp/dryeye/

★受賞歴
東京大学医療政策人材養成講座で優秀成果物「特賞」、
慶應義塾大学SEA(ビジネスプランコンテスト)で”The best new markets award”受賞、
NEC社会起業塾7期生に選抜、現在は慶應義塾大学KIEPの支援を受ける。

ケアプロ株式会社を立ち上げるまでの経緯

 医療・看護分野での起業を志すようになったのは高校3年生の時。祖父が入院した際に、介護施設や病院が人手不足のために一人一人の患者や高齢者に十分なケアができていないことを目の当たりにし、それをきっかけに、介護・医療の道を志すようになりました。その中でも、特に医療経営や予防医療について学びたいと思っていたところ、当時慶應義塾大学に看護医療学部が新設されたということもあり、迷わず入学しました。

 その後の看護学生時代、糖尿病合併症の足壊疽で足を切断した患者さんを見て衝撃を受けました。「なぜ、こうなってしまう前にもっと早く気づいて、生活習慣の改善に取り組むことができなかったのか」、と。しかもこうした糖尿病の治療にかかる医療費は、年間約600万円にも上り、そのほとんどが税金で賄われていることを知り、なんとかできないものかと思うようになりました。

 その後、臨床実習で東大病院の糖尿病代謝内科病棟で看護師として患者さんと接していく中で、「忙しくて健診に行かなかった。気がついたら糖尿病が進行していた・・・」という患者さんに何人も出会いました。この経験を通じて、自分の状態を正しく知ってもらい生活習慣の改善を促す教育や、予防医療の分野への関心がさらに強いものとなりました。

 そんなある時、海外研修で訪米した際にたまたま入った大型スーパーマーケット内に「ミニッツ・クリニック」(Minutes Clinic)という簡易的な健康診断と治療を行っている場所があるのを見つけました。医師が常駐するのではなく「ナース・プラクティショナー」(nurse practitioner)と呼ばれる医療行為もできる看護師の資格を持つ人が、最低限の診断と治療を、短時間で、通常の病院よりも安価に行うサービスです。

 医療費が非常に高く、病院に行くことを避ける人や無保険者も多いというアメリカにおいて、「病院に行くほどではないが、ちょっと診てもらいたい」というニーズを捉えた事業。これは面白い、日本でもそういうニーズがあるのではないかと思いました。この時から、現在のケアプロの構想を温め始めるようになりました。

「ワンコイン健診」とはどんなサービス?

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 2008年11月、ケアプロ株式会社にとって初の店舗となる中野店を立ち上げました。この店舗では、指先の血液を採取して血糖値や総コレステロール、中性脂肪といった重篤な病気につながる危険性のある数値を、手軽に健康診査することができます。しかも健康保険証不要で、価格も500円(ワンコイン)から、という安価でサービスを提供しています。

 病院での受診は3時間待ち3分診療と言われ、都会の忙しい現代人にとっては、病院にアクセスする敷居は高いと思います。また、自営業者や主婦、フリーターの

方など過去1年以上健康診断を受けていない「健診弱者」は、全国に約3500万人いるといわれています。

 高い、時間がかかりそう、というイメージから健康診断を敬遠している人たちの生活圏内に店舗をオープンすることで、定期的な健康チェックに役立ててもらおうと思ったのです。

 最初の店舗を中野ブロードウェイという商店街にオープンしたのも、ひとりでも多くの人の健康をサポートしたいとの思いからでした。東京都中野区は日本一人口密度が高い区であり、しかも20代30代の男性フリーターが多い場所です。また商店街に活気があり主婦や自営業者が多く、ケアプロのターゲットが密集していると判断しました。ねらい通り、現在では会社帰りのサラリーマンや、商店街の店主、フリーターの青年など、様々な世代の方が来店してくれています。

8月12日に東急横浜店(エキナカ)をオープン!

 実は、中野店に来て下さるお客さんの中にも、もともと横浜から来て下さる方が結構いらっしゃっていたんです。「横浜にも、こういう場所ができるといい」というお声をたくさん頂いていました。僕も地元が横浜なので、「いつかは横浜で」という想いがありましたね。そんな時、東急さんとのご縁に恵まれたことを契機に横浜市経済局のソーシャルビジネススタートアップ助成金に応募をして、採択をいただくことができました。
 http://www.city.yokohama.jp/ne/news/press/201101/20110126-024-11711.html

 東急東横線の横浜駅改札すぐのラフィネさんというボディケアサロンの一角で営業させてもらっているのですが、やはりエキナカという立地のインパクトはすごいです。横浜駅は乗降客数も大変多いですし、フラットアプローチでベビーカーや車いすでも来店いただくことができます。先月8月12日にオープンしたのですが、特に、友人同士で来られる主婦の方や、若いカップルがマッサージのついでに利用してくれるのはうれしいですね。

 現在は血液採取のメニューではなく、骨密度・ドライアイ・肺年齢の3つの健診サービスを提供しています。骨密度は主婦層に人気、ドライアイや肺年齢は、ビジネスマンに人気のメニューになっています。

 このうちドライアイについては、慶應義塾大学の協力を得て9月1日から無料でチェックしていただけることになりました。横浜市内の眼科医のドライアイ研究会というグループと連携をして、病院に行った方がよい数値が出た方に医療機関のリストをお渡ししています。またドライアイ以外のメニューの場合でも健診の結果、見過ごせないデータが出た人には、病院に時間を見つけていってみてください、と伝えるようにしています。気軽に健康チェックが行えるうえ、直接健康に関するアドバイスがもらえるという点が、多くのお客様に喜んで頂けているようです。

 

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今後の展開や将来の夢について

 実は横浜店では保健所の許可が下りず、血液採取のメニューは提供できていないのです。中野店を知るお客様から、「血糖値や、中性脂肪などを測ることはできないの?」とお声をいただくことも多いので、できるだけ早く血液採取のメニューも提供できるように、行政への働きかけを行っていきたいと思っていますね。

 また、ケアプロに来店下さる方々は、まだまだ健康意識の高い方が中心となっている現状があります。健康に対して投げやりになってしまっている人や不健康な生活を送っている人にこそ、ケアプロの存在を知って受診をしてもらいたいというのが、ジレンマを感じている部分です。

 ひとつの試みとして、昨年末に外資系企業さまからの寄付をいただき、寿町で無料健診サービスを開催しました。歳末の炊き出しスペースの一角に開設し、全部で28人の方に受けて頂きました。「ずっと日雇いだったから健診なんて受けたことがなかった」「保険がない、仕事がない。就職するまでは体力勝負。」という方に、健康への意識を新たにしていただくきっかけを提供できたことは、一つの成果だったと振り返っています。

 また、誰にとってもより利用しやすい状態を実現できるように、出張健診の機会を増やしていきたいと思っています。現在も、フィットネスクラブやパチンコ店などに

 

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寿町での無料健診サービスの様子

出張健診することはあるのですが、横浜市内においても山下公園などの観光地や、駅前、フリーマーケット会場など、人の集まるところに「移動図書館」のような形で出ていく機会を増やしたいと思っています。わずかなスペースで開設できるので、商店街やフットサル場、主婦の方が集まるサロン等とも連携していきたいですね。

 長期的な夢としては、言うなれば「医療界のジャニーさん」でしょうか(笑)。ジャニーズ事務所では、ターゲットの世代や地域に合わせて、効果的にユニットを作って売りだしていますよね。僕はケアプロという会社が、医療界において在宅医療やメンタルヘルス等の様々な分野で、革新的な医療サービスをプロデュースしていく存在にしていけたらと思っています。

横浜への想い

 やはり、なんといっても「地元」ということに尽きると思います。

 これは東急横浜店をオープンしてから知ったことなのですが、東急の駅員の一人が、僕の同級生だったのです。こんな具合で、横浜を歩いていると知り合いや友達がたくさん働いているのを見かけます。

 また僕が育った上大岡という町は平凡というかなんというか。ハイソでもなく汚くもなく、コミュニティが息づいている町だと思います。近所づきあいもあるし、そういう地域っぽいところが気に入っています。今回の出店をきっかけに横浜をもっと、健康的な町にしていきたいですね。

 

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9月 10 11

「大震災 欲と仁義」 荻野アンナ ゲリラ隊著 共同通信社

by staff

 

「大震災 欲と仁義」 荻野アンナ ゲリラ隊著 共同通信社  

 著者は、今から約20年前に、三十代の半ばで芥川賞を受賞し、その後、父母の病気の介護から生じたうつを克服したが、母に結婚を反対された最愛の彼をがんで亡くし、その様子を自伝的小説とし、今も親の介護を行っている。そのような経験も、もち前のフランス文化とのハイブリッドパワー全開のジョークとエスピリで前向きに乗り切ってきた50代半ばの魅力あふれるハマっ子の女性である。こんな著者が今回の惨事を目にして突撃ルポルタージュを敢行した。こんなことあんなことまで書いて大丈夫かなと思うほど遠慮なく筆を走らせ、一気によめるエッセイである。彼女を含む女三人組みによるゲリラ隊が、明るくひょうきんで素直な目を曇らせることなく、自然の破壊力の実際を感じながら、被災地と被災者の生活に、突撃ボランティアを遂行したものだ。そして同じくゲリラ的に危機にあって活躍した様々な人たちの話を、味わい深いアンソロジーのように展開している。

 表紙には横倒しになった缶詰工場の大きなタンク、見返しにはその震災前の姿と従業員の笑顔があり、復興への祈りが込められている。

写真のほとんどが自前で撮ったものであり、親友のイラストレーターによるやわらかい絵が全体に女性らしいしなやかな強さを感じさせている。著者、イラストのチエ、著者の助手の山ちゃんが、かしまし娘のように息のあった取材を、ユーモアを忘れず、きらわれることも承知で断行している。被災地の一端を通じてその実情を、読者につたえるなかに、一陣の涼風を運んでくれている。

 老子の言葉である「天地に仁なし」に対し、著者は対句として「人に仁あり」といい、その仁が権力欲や我欲ととられたりすること、立場やものの見方によってそれは異なることをおしえてくれる。人生経験の豊富な人物を登場させて、気仙沼の避難所である高校を舞台に、次はどうなるのだろうかと読者も一緒に考えていける秀作である。全編、コミカルなタッチを決して忘れないが、肝心の箇所はシリアスな筆致で臨場感を伝えている。そして常に、観察と推論を忘れない。横浜生まれの複眼思考の作家でフランス文学者らしさが各所にみうけられる。尊敬するフランスの文学者ラブレーの遊び心の体現を、大道演劇や落語などを通じて実践する著者の行動力と人生を謳歌する精神がふんだんなく発揮された秀作である。冒険こそ人生という感覚は、フランス系の父と祖父がともに船乗りだったことと無縁でなく、事実、彼女の小説は、彼らの数奇な運命を、自らたどることで、自分の物の見方を成熟させてきた彼女の道のりの発露にほかならない。

 著者自らが震災瓦版と呼ぶこの本から、今から40年以上前に、日本中の子供たちに夢を与えたNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」を思い出した。主題歌の「泣くのはいやだ、わらっちゃおう すすめえ ひょっこりひょうたんじいま ひょっこりひょうたんじいま ひょっこりひょうたんじいまあ・・・」の精神である。不屈の精神と見事な表現力をもつ著者の目を通して、ひとの気持ちや、物事に対する複眼思考、真実に迫ろうとする好奇心、常に存在する障害物、それをひとつひとつ乗り越えることが成長だという人生の喜びを自覚できる。決してリハーサルがなく、毎日が本番であるという各々の人生をたくましく生きることだけが大切であることに気づかせてくれる。題名からは、計り知れぬ苦悩をものともしない精神のかがやきを、この本を通じて感じることができる。野口英世先生のお札でおつりの来る現代の「奥のほそ道」、このルポルタージュ文学を是非ご一読されることをお勧めしたい。

(文:小田切 英治郎)

 

小田切英治郎 プロフィール

昭和30年5月、北九州生まれ。牡牛座、A型。横浜と横須賀育ち、県立横須賀高校から一橋大学で国際法を学ぶ。米国駐在を含めた金融機関勤務、中堅企業やベンチャーでの仕事を経て、文化や経営、社会や歴史を中心とする翻訳や日本語や英語での執筆に従事。 米国のビジネス論文、大手企業の週刊文化発信、米国の社会改革の論文等の和訳に加えて、バイリンガルのライフスタイル雑誌・ウェブサイト・ブローシャー等の日本語版制作にも携わる。 ラッセル、ドラッカー、ガルブレイスに目を通し、中島みゆきに耳を傾けると、城達也の声や、淀川長治の顔が浮かんできた。21世紀の地球は、地上の星が満天の星と対等に挨拶できるような星になってほしい。三権+メディア+金融の五権の分立を基本として、ペンは剣よりも金塊よりも歯切れよく、人は大海に向かって船出し、笑顔で戻ってくるのだ。

 

8月 20 11

2011.11.27 馬生ハマ寄席 第十五回興行 ご案内

by staff

2011.11.27 馬生ハマ寄席 第十五回興行 ご案内

馬生ハマ寄席は、第十一代金原亭馬生一門と ゲストにより古典落語にとどまらず踊り、 茶番劇、鹿芝居などで構成する寄席興行です。 また横浜の落語文化の定着に少なからず寄与出来れば、と考えています。

馬生ハマ寄席 第十五回興行

初代金原亭馬生襲名より続く名跡約200年。新しい歴史と出会いを横浜に求めます。更なる芸道精進の馬生一門がゲストも加え日本人のあたたかい人情話をお届けします。
古典落語・踊り・茶番劇と笑って泣いて心からお楽しみください!

公演日:2011年11月27日(日) 午後12時30分/開演:午後1時
出演者:金原亭馬生、金原亭馬治/金原亭馬吉、金原亭駒ん奈(荻野アンナ)、金原亭駒松
友情出演 :吉川忠栄(ギタリスト)
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール [HP] [地図] [座席表]

2011.8.20 馬生ハマ寄席 第十五回興行 申込み

ハマ寄席事務局 HP

 
興行チラシ(PDF)
 
親睦会のご案内(PDF)

 

8月 10 11

エコライフ研究家、環境カウンセラーの大内さんがそそぐ横浜へのまなざし。
シドモア桜100周年 里帰りを喜ぶ市民の会 会長大内えりかさん

by staff

谷戸橋(横浜元町)にシドモア桜と呼ばれる桜の木があることをご存じですか? ワシントン市ポトマック川畔に日本から桜が贈られたのが1912年3月のこと。2012年で100年を数えます。シドモア桜100周年 里帰りを喜ぶ市民の会 会長大内えりかさんの登場です。

大内えりかさん  
お名前 大内 えりか(おおうち えりか)
ご出身 横浜市(根岸)
お住まい 横浜市神奈川区
ご職業 エコライフ研究家
環境カウンセラー(環境省公認)
ご趣味 料理、植物を育てること、花の絵
歴史書を読むこと
ご性格 やりたりと思うと何も考えずにやり出してしまう

シドモア桜との出合い

 野毛の村田屋(老舗のふぐ・いわし料理店)http://www.murataya.co.jp/ の藤澤氏とは本町小学校で同窓生、藤澤氏とシドモア桜を題材にした映画「さくらさくら」 「TAKAMINE」市川徹監督が浅野学園同窓生ということから、私と市川徹監督が繋がることになりました。

 ワシントンの桜まつりは2012年3月に100周年を迎え、通常は1週間程のお祭りが3週間にわたって盛大に行われます。この桜を日本から米国に贈るきっかけを作ったのが、エリザ・シドモアさんです。横浜港から日本郵船の船で苗が送られました。その費用を援助したのが、横浜にも所縁のある高峰譲吉氏でした。(高峰譲吉は映画「さくらさくら」「TAKAMINE」をご覧ください)こうしてポトマック川畔の桜まつりは、世界各国から旅行者が詰めかけるほど有名になりました。

 日米の友好親善に大きな役割を果たした桜の木が里帰りをします。 その桜を県内外に植樹していくと共に、新たに桜を必要とされる所に贈る事業のお手伝いをしようと「シドモア桜100周年里帰りを喜ぶ市民の会」の会長をお引き受けしました。

重なる想いと広がる思い

 私の住んでいる松ヶ丘はすぐそこまでが海でした。「横浜商人」と呼ばれた開港時代の横浜の豪商達は私財で海を埋め立て、横浜を開いて行きました。私の祖先も鶴屋町に名を残す加藤八郎右衛門という人でした。加藤八郎右衛門は醤油醸造と米穀肥料商で財をなし、神奈川銀行の発起人として取締役頭取になりました。また、当時としては珍しく、息子(私の祖父)を海外に留学させました。私の祖母は青い目のアメリカ人なのです。

 高峰譲吉の妻がアメリカ人で明治の日本で苦労したと聞き、祖母の思い出と重なりました。今思えば、エコライフはこの祖母から学んだと思います。

 第二次世界大戦が始まり、ハーフの父は辛かったのでしょう、病にかかり早死にをしてしまいます。私の淋しさを癒してくれたのが、草花でした・・・子供の頃から草花の絵を描くことが大好きでした。絵は飾ったり、コピーして便箋として使っています。

 桜という花を日米友好親善の架け橋にしていく活動に強く共感しました。新しい国際交流の場を創るため、会が設立されました。里帰りをする桜を県内外に植樹したり、新たに桜を必要とされる所に贈る運動を広げて行きます。

 

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大内さん「幼少の頃に祖父の家に出入りしていた画家の手法を見ながら覚えました。自己流です。」
(出入りしていた画家のお名前を聞くと驚いてしまった・・横山大観・下村観山etc)

古い洋館と環境保全活動

 松ヶ丘には、前述の加藤八郎右衛門が息子の青い目のお嫁さんのために建てた洋館が、関東大震災にも壊れず、戦中戦後/昭和の激動の時代の中でも残っておりました。建築家ライトの弟子の作品で、ステンドグラスからの光が美しく、外壁もライト様式の凹凸のついたレンガの洋館でした。その洋館を取り壊し施設を建てる計画を知って、洋館を守ろうと頑張りました。今なら、ステンドグラスや手すり、レンガなど欲しい方を募ることもできたでしょう、いいえ、壊さず保存する運動もできたでしょう。しかし、当時は専業主婦で情報の発信の仕方も分かりませんでした。経済を豊かにする方法がクラッシュ&ビルドである日本ではしかたがないことかもしれません。

 自然環境、住環境を考える時に経済学や他分野の学問も必要だと思うようになりました。放送大学で古今東西の自然観や自然哲学も学びましたが・・・娘の慶応大学受験問題集に「自然環境と人間環境が学べるキャンパス」という文字を見つけた時は「これだ」と思いました。42歳の時です。
一般入試で受験しました。新聞で取材された程「まさか」の合格でした。入学式の後、学部長に特別室に呼ばれ、大勢の教授陣に拍手で迎えられました。卒業後は、現在及び将来の人々が、安心安全で平和な暮らしを長く続けられるように願って、自然環境保護のために活動しています。

青い海と青い空の横浜

 外国からの旅行者に見せる「横浜らしいもの」がいくつあるのでしょうか? たしかに三渓園は有名ですが、そう聞かれると浮かんでこないものです。 見落としてはいませんか? 庭園が宇治平等院と同じ様式の称名寺(しょうみょうじ)とか・・観光資源と価値に気づいていないのが現状です。

 横浜港から日本に着いた外国のお客様に、歓迎のセレモニーもありません。大桟橋の土産物店にさえ「横浜らしいもの」を見つけるのが難しいのです。

 「世界の美港都市横浜をつくる連絡協議会」「ヨコハマ活性化推進会議」では、せっかく横浜に着いたのですから横浜で1泊していただいて「横浜らしさ」を楽しみ、箱根・京都・東京へと出かけてもらえるようにアドバイスしていきたいですね。

 9月23日の「横浜カーフリーデー」の実行委員長も務めさせていただきます。1997年にフランスの小さな港町で始まった「車のない日」という催しが、2000年にヨーロッパでカーフリーデーというプロジェクトになり、2002年から世界中に広まって行きました。日本は10都市(7自治体3市民団体)が参加するようになり、横浜市は2004年から市民が主体で参加しています。

 当日は秋田ブナ材で作った自転車の試乗もできます、日本大通りから横浜公園にかけてマイカーを通行止めにして、人と環境にやさしい暮らしを交通面から考えようと、いろいろな催しが行われます。是非、会場にいらしてください。

 横浜カーフリーデー2011&モビリティウィークの詳細はこちら:http://ycfd.jp/

エコライフ研究家として

 胸のブローチは古布で作った「ふくろう」です。世界の多くの国々で自然を守るシンボルとされているので、いつも身につけています。ふくろうの目は帽子のつばの部分です。紙に穴を開けるパンチャーでくり抜きました。

 古い布は裂いて糸として使うこともできます。古布で草鞋を作る活動を広めたり、ごみのリサイクル運動を始めたりと・・・今は「もんぺ」を古い布で作って欲しいと言われています(笑)。

 もともと日本人はリサイクルの上手な国民でした。江戸時代の庶民の生活を見ればリサイクル&リユースの知恵がそこかしこに見受けられます。「もったいない」からエコの発想が生まれます。限られた資源を無駄に使わず、伝えられたものを次の世代に美しいまま伝えていく、その繰り返し繰り返しがエコライフなのだと思います。スモールでシンプル、スローな生活、しかし、精神面は豊な生活が求められているのではないでしょうか?

 

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大内さんの手作りのブローチ。
フクロウは「森の賢者」と呼ばれることもあり呼ばれることもあり「知恵」の象徴とされ、、また、古代エジプトの象形文字にも使われていることで知られる。自然豊かな森林に住み着くことから「森の万人」、森林環境の象徴とも言われる。

 原発事故で余儀なくされる節電から、自己の生活をもう一度見直して、過剰なエネルギーにノ―と言えるか否か、自分に問う時だと思います。

ふたたび想いはシドモアの桜へ

 谷戸橋の川沿いにシドモア桜と呼ばれる木が1本ぽつんと植えられています。そばにはエリザ・シドモアさんのことが書かれた碑がたっています。フランス坂を上った外人墓地にはシドモアさんのお墓があります。自然専門誌ナショナル・ジオグラフィックの記者で作家だった彼女は、1896年の三陸地方を襲った津波の記事を書いています。「TUNAMI」を世界に伝え、英語にしたのも彼女でした。2011年4月11日朝日新聞「ワシントンから エライザの形見 桜とツナミ 100年の時を超え」で詳しく紹介されています。

 ワシントンポトマック川畔のさくら祭りに横浜からも行こうと、有志が集まって「アラメヤ音頭」の練習に励んでいます。http://www.youtube.com/watch?v=3d5FXmajaTE

 里帰りの桜の苗木は学校の校庭や日本人が外国で被災したクライストチャーチ、3月11日の東日本大震災の被災地へと里帰り先が決まりつつあります。

 お一人でも多くの皆さまのご賛同をお願いし、「シドモア桜100周年 里帰りを喜ぶ市民の会」への入会者を募っております。
個人会費は1,000円、団体協賛金は一口10,000円です。

お問合せ:事務局は
〒231-0063
横浜市中区花咲町1-42-1 野毛Hana・Hana内 里帰りを喜ぶ市民の会 事務局
TEL/FAX 045-325-8123  月~金 11:00~18:00

大内えりかさんの横浜は

 異国の文化をいち早く取り入れ、消化して、自国の文化・芸術に育てた町が横浜だと思います。伝えられたものを汚さず、壊さず、次の世代に伝えて行きたいと思っています。また、そのお手伝いができたら幸せです。
私にとっての横浜は「文化と歴史」です。

 

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(紹介者:岩谷ゆり子 文:高野慈子

 

8月 10 11

「101匹わんちゃん」のダルメシアンが愛犬です。
アンティーク&リサイクルショップ「キャンディー」のダルくん。

by staff

横浜市西区にあるアンティーク&リサイクルショップ 「キャンディー」の愛犬は、ディズニーアニメで有名なダルメシアンのダルくん。オスの2歳です。班が多いのが特徴で、おとなしくて、あまえん坊。犬が苦手なお客様からも「そばに居ても安心ね」とお言葉があるようです。

「1メートル四方の手作りの犬小屋が大のお気に入りで、一日中犬小屋に居ても大丈夫。普段は外で飼っています」とオーナーの植田さんがおっしゃいます。

 

可愛がって下さる方にお譲りいたします

オーナーの植田さんは、ダル君を可愛がって下さる方にお譲りしたいと考えていらっしゃいます。

可愛がって下さる方

1メートル四方の手作りの犬小屋も付いてます

直接受け取りに来て下さる方

「有料」でお引渡しします

ブリーダーの方はお断りします

ご興味がありましたらキャンディー植田さんまでご連絡ください。

 

Data Map

アンティーク&リサイクルショップ キャンディー

アンティークドール・食器・雑貨・時計・家具

  所在地・電話番号 〒220-0045 神奈川県横浜市西区伊勢町1-15
TEL : 090-4380-2003
  営業時間 お電話でご確認ください。
  交通 ●JR桜木町駅より徒歩12分
●京急日之出町駅より徒歩10分
●横浜駅東口より103番系統バスで「伊勢町」バス停で下車すぐ
  Access Map

 

8月 10 11

リサイクルデザインタウン映像フェスティバル
東日本大震災チャリティー上映会・講演会

by staff

2011年3月11日、大震災によって多くのかけがえのないものが失われました。復興に向けて、現地ボランティアとしての直接的な支援も重要なことですが、一方、日本のどこかで苦難を少しでも分かち合いながら、何かしらのお役に立てるよう備えておくことも大切な支援ではないかと思います。

大震災後、さまざまな視点から環境への関心が高まっています。私たちは、現実をどう知り、環境問題に向き合っていけばよいのでしょうか。その向き合う機会として、このたびチャリティー企画として世界で起きているさまざまな”水戦争”をテーマとするドキュメンタリー映画「ブルー・ゴールド 狙われた水の真実」と自然界の報道写真家 宮崎学さんをお迎えして現代社会の問題点や環境問題について、スライド上映を交えて一緒に考えていく講演会をお届します。

地球は「水の惑星」と言われます。この地球上の「水」の約97%は海水で、人類など陸上の生物が生きていくために塩分の薄い淡水はわずか2.6%にしか過ぎません。「ブルー・ゴールド 狙われた水の真実」を通して、ごくわずかしか利用することができない天の恵みである「水(資源)」の観点から環境問題を考えてみましょう。「つながっている」を意識することで、問題の見方や捉え方が変わり、新しい解決策を見いだせることを願っています。

開催日 2011年9月4日(日)
開催内容 前半 映画上映会 上映作品「ブルー・ゴールド 狙われた水の真実」
後半 講演会 自然界の報道写真家 宮崎 学(みやざき がく)
タイムスケジュール 13:00 開場
13:30 - 15:00  上映会
15:00 - 15:15  休憩
15:15 - 15:20  講師紹介
15:20 - 16:20  講演会(講演会45分 質問等15分)
申込方法 入場料は無料。ただし、事前申込制で先着120名まで
申込方法 メール、ファックス、電話にて、お名前、住所、日中に連絡のとれる電話番号をお知らせください
問合せ先 主催 リサイクルデザインタウン映像フェスティバル実行委員会
事務局 武松事業デザイン工房株式会社
連絡先 TEL 045-211-4230/FAX 045-211-4231
メール office@takematsu-design.com

<寄付金のお願い>
上映会当日、東日本大震災の復興支援として、おひとり500円の募金をお願いいたします。復興支援としていただいた寄付金の寄託先を以下の通りとさせて頂き、寄付金額などは、後日、当ウェブサイトにて報告させて頂きます。

福嶋の子どもを守ろうプログラム実行委員会

宮城県総務部消防課

岩手県保健福祉部保健福祉企画室

詳細は下記をご覧ください。
http://www.takematsu-design.com/kumisya/event2011.html

リーフレットをここからダウンロードすることができます。

 

8月 10 11

檀原 照和氏のトークイベント 「竜宮で語る 百物語ワークショップ」

by staff

檀原 照和氏のトークイベント

8月6日から11月6日まで「横浜トリエンナーレ」という大型美術イベントが開催されます。その関連イベントという形で、黄金町でも「黄金町バザール」というアートイベントが行われます。

この期間中、わたし(檀原 照和)もバザールの会場を借りて、イベントさせてもらうことになりました。

題して「竜宮で語る 百物語ワークショップ」

「竜宮」とは、戦後まもなく建てられた連れ込み旅館です。
心なしか中華風の味のある意匠。個人的に「横浜異人娼館」とも呼んでいます。
  ↓
 「横浜異人娼館」の過去ログ
 *現在は元の雰囲気を最大限に残しつつ、リノベーション済み
  ↓
 現在の様子

実際、内部の造りは遊郭そっくり。
たぶん遊郭として営業していた時期もあると思います。

そんな女の怨念が沈殿した空間で行う百物語。
ゾクゾクしませんか?

和室・洋室混在の物件ですが、百物語にふさわしく和室で行います。
窓を開けると、さび付いた平屋のトタン屋根が視界を捉える。
戦後70年間、麻薬街や赤線街として悪名をとどろかせた町の、名残が感じられる瞬間です。

この建物は使用期限が来年三月までとなっており、その後取り壊しが決まっています。
つまり、この建物でイベントを行うのは今年度限りとなります。

京浜地区有数のディープスポットへ、コワい話や不思議な話を三つ、四つ持ち寄ってご参加ください。

「竜宮で語る 百物語ワークショップ」詳細

日程 8/25(木)~29(月) 五夜連続
       *最終日は月曜日です。日曜日でないのは、最終日が新月になるようにしたためです
       *8/26(金) 地歌三味線の上田恵子姐さんがゲスト。三味線演奏します。
       (上田恵子さんはヨコハマNOWで連載しています:ヨコハマ・ベンベン通り
       *毎回20話ずつ、五日間合計で100話になります

会場 竜宮美術旅館
   〒231-0053 横浜市中区日ノ出町1-53-2
   1階が「L CAMP」というカフェになっています
   →「食べログ」の「L CAMP」ページ

       

時間 19:30スタート。終了時間未定
       (各回22時終了を見込んでいますが、その日の流れ次第となります)

料金 300円(黄金町バザール事務局に支払う場所代として)

参加人数 各回5名限定(要予約) *単発参加、無問題

連絡先 yanvalou.deetee@gmail.com (@が全角になっています。半角に直してください)

イベントのチラシはここからダウンロードできます。

 

8月 10 11

いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな

by staff

♪いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:伊勢大輔(いせのたいふ)現代語訳は、

「その昔華やかに栄えていた奈良の都で咲いた八重桜が、今日はこの九重の宮中で色美しく咲き誇っています。」

 最近の和歌うたコラム、小野小町や清少納言等のメジャーな歌人ではなくて、その娘たちや、比較的若い世代の、女流歌人を紹介してきましたが、やはりもう一人、伊勢大輔をご紹介!彼女もぴか一の歌を、ぴか一の時と場所で読み上げて脚光を浴びてしまったヤングレディ。

 時は春。場所は宮中。京の都の一条天皇のもとに、奈良から美しい八重桜が献上されました。その受け取り役は、紫式部に任されていましたが、紫式部が「今回のお受け取り役は若い方へ」とそのお役目を、新入りの伊勢の大輔に譲りました。

そしてその場にいた時の権力者、菅原道長が、「それは良いが、黙って受け取るものではない」と、伊勢の大輔に歌を読むことを促したそうです。これってすごくない?

 晴れのお役目を大先輩の紫式部に譲られて、突然の注目と、静まり返るプレッシャーの中、彼女はすずりの墨をすりながら考えて、すり終わったと同時に一気にこの歌を書き、読みあげたと言われています。素晴らしい即興!その場はどっと歓声があがったのは言うまでもありません。天にも昇る様な晴れがましいひと時だったと思います。もっと嬉しい事に、一条天皇の皇后さま。中宮・彰子が自分のところの新参女房の快挙をとても喜ばれて、中宮自らが又その場で、返歌を詠まれたそうです。

♪九重に にほふを見れば 桜がり 重ねて来たる 春かとぞ思ふ♪

 現代語訳=宮中に咲きにおう桜を見れば、再び花見で、今年の春は2度来たようです。

 これも素晴らしい。なんて美しい言葉のキャッチボール。私はこの伊勢大輔のエピソードを思うと、日本人の潜在意識に深く根付いている美意識への変換方法と言えばいいのか、芸術と言うよりももっと生き方に直結している美しさへの昇華パワーが、いつか再び現代の日本人に蘇ってくるのではないかと、ひそかに思ってしまいます。3月11日以降の混とんとした今の時代、怒りや、苦しみが、日本の国を覆っていますが、その怒りや苦しみを、美しく昇華変換して行く事が出来る言霊パワーを日本人は持っていると。そんな気がしてなりません。

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

8月 10 11

ベンベン姐さんの三味線はじめ (こんな女に誰がした?!) 其の参

by staff

地歌 上田恵子

その昔、民家のそこここに、お筝の音が流れていた。
幼い頃、私はその音に立ち止まり、耳を欹てた。
なんてやさしい音、なんて気持ちの良い響き。
これをやりたい。
それが、私とお筝の出会い。

植物のように生きたいと思うのです。
自然の中に生み出され、環境にあわせて成長し、太陽や月や水や風とともに生きる。
一生懸命に生きたことだけを誇りとし、凛として空に向かってそびえたつ。
そんな風にお筝を演奏していきたいと思うのです。

 

ベンベン姐さんのライブインフォメーション

 

第8回 落語と地唄の二人会 ベンベン女とペチャクチャ男

ナツボウズを知つてるか?
葉が秋に生じ、夏に落ちる植物。ナツボウズ。キレイな赤い毒の実も生るし、樹皮が丈夫で、鬼でも縛れるから、別名オニシバリ(鬼縛り)とも言ったそうな。こんなワイルドな植物ご存知ですか?
暑い暑いと夏を愁いでいないで、ナツボウズみたいに君もワイルドな夏を過ごしてみないかい?えっ?何の話してるかって?
夏をテーマにした地歌と落語があるから、暑いけど大口通商店街まで一緒に行こうって誘ってるんだよ。

プログラム ①落語 ②地歌 ③落語 ④筝 ⑤ごあいさつ
終了後、恒例の食事会開催!
演の市の美味しい魚料理をみんなで食べませんか??(参加自由・食事代別途)

日時:8月20日(土)開演:17:00~
料金:¥1,500(1ドリンク付)
場所:「濱の市」大口通商店街 詳しくはこちら

 

その他のライブインフォメーションはベンベン姐さんのHPをチェキ http://www.uedakeiko-ziuta.com/

 

お弟子さん募集

 

オリジナルCD 「月の光」

 

ベンベン姐さんこと 上田恵子さん プロフィール


今月の普段着
 

東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業後、地歌演奏家として研鎖を積む。
日本古来の伝統芸能「地歌」と言うジャンルの可能性を広げるべく、料亭・バーなどのスペースを中心に、ひとり地歌ライブ(三味線古典曲)で活動中。
自作曲の製作にはじまり、尺八・ギター・胡弓等との他ジャンルとの共演も精力的に行い、毎回ユニークなコンサートを行つている。

 

活動情報はオフィシャルサイトまで
http://www.uedakeiko-ziuta.com/

上田恵子オフィシャルブログ「峠の茶屋」
http://tougenochaya.jugem.jp/

 

8月 10 11

素晴らしいドイツのワイン
KLOSTER EBERBACH、クロスター・エバーバッハ物語

by staff


写真)シュタインベルガーのワイン畑

素晴らしいドイツのワイン

 悠久に流れるライン河は、スイスと国境を接するボーデン湖を源流として、ドイツの大地を貫き北海に注いでいます。ドイツのワインは、このライン河とそれに注ぐ支流の流域で、古くローマの時代よりブドウは栽培され、貴族や僧院と勤勉な農民により大切に育てられてきました。

 ドイツワインの生産地域は、北緯50度に位置し世界のブドウ生産地域としては最北限にあります。柔らかい太陽の光を受けて育つブドウは、他のヨーロッパの生産地域に比べ成育期間が永くゆっくりと実っていきます。その為、地中より吸い上げる養分も長期間に及び、ブドウの果実には繊細な酸味と上品な糖分が貯えられていきます。それに比例してミネラル分も多くなるので、ドイツワインは世界でも最もアルカリ性の高いワインといえます。また大量に含まれる天然の有機酸は、人体を形成する細胞を活性化させます。その事は若さと健康を維持するのに最も大切なことです。そして良く冷やしたドイツワインは、食欲を一層増進させる素晴らしい健康飲料です。

 

銘醸の故郷 Rheingau(ラインガウ)地域

 ドイツ銘醸ワインの故郷ラインガウ地域は、世界でも最高級の白ワインの産地として知られています。

 ドイツワインの産地の中でも有名ワインの集まっているワイン産地がヘッセン州にあるラインガウ地域。世界史で馴染みの深いカール大帝にまつわる話やメッテルニッヒ侯爵ゆかりのワイングート(Weingut:醸造所)もこの地にあります。ブドウ栽培の歴史は古く、8世紀にカール大帝がライン河に面するインゲルハイムの居城から、雪解けが早い対岸の丘陵に、ブドウの栽培を命じた事からワイン造りが始められたと言われています。
私がドイツワインに惹かれた理由もこの地のドイツワインが歴史の1ページのような趣があるからです。
今回はそのラインガウ地域でも最も有名なワイングートの一つ、クロスター・エバーバッハ修道院醸造所についての話です。

 

KLOSTER EBERBACH、クロスター・エバーバッハ物語
(800年の歴史を秘めたエバーバッハ修道院)

 1136年ヴージョ村(ブルゴーニュの有名な畑クロ・ド・ヴージョを有する村)の大司教クララヴォーは、ライン河畔に修道院の建設用地を求めて旅をしていました。今のハッテンハイム村に差し掛かった時、何処からともなく一頭の猪が現れて、小川の上流に導き「此の地こそ聖堂を建立すべき所なり」と教えるように小川を飛び越えて森の中に消えて行きました。クララヴォーはこの地こそ修道院の理想的な建設地であると喜び、エバーバッハ(猪の小川)と名付けました。

 修道院の紋章には教会を背負い小川を渡る猪がえがかれています。口に銜えた一房の葡萄はキリストと富と文化を表しています。現在この

 

今は観光名所としてもにぎわうクロスター・エバーバッハ修道院

ゴシックとロマネスクの混ざった歴史的にも貴重な修道院は、ヘッセン州立醸造管理所としてドイツワインの中心的な存在として、指導的な役割をはたしています。

 

「壁ワイン」(Steinberger Mauer wien, シュタインベルガー マウアーワイン)

 ドイツワイン生産地で最高級の銘醸ワインの故郷として知られるラインガウ地域。ライン川を見下ろすタウナス丘陵の南側は風光明媚で温暖な地として昔から多くの貴族が城館を構えて葡萄栽培を行ってきました。

 エバーバッハ修道院が所有するSteinberger(シュタインベルガー)はドイツワインを代表する最高級のワインとして世界に知られています。このシュタインベルガーの葡萄園はハッテンハイム村の丘にあり、古くからシトー派の修道僧により大切に育てられてきました。この33hlの葡萄園には一面に高級品種Riesling(リースリング)が栽培され、クロ(clo)と呼ばれる石塀に囲まれています。

 

壁ワイン

 そのstinbergerの畑の中でも上質なブドウから作られるワインが「マウアーワイン:壁ワイン」です。これは畑を取り囲む石塀の南側に、壁に沿って植えられたブドウから作られるワインのことです。南向斜面の石塀に沿ったブドウはライン川の反射光と石垣の反射熱により平地のブドウより高度の熟成をすることが出来ます。

 この石塀に沿った僅かな葡萄を採取し特別に醸造したワインはMauer-Wein(マウアーワイン)と呼ばれ、貴重な高級ワインとして一般には販売されず、銘醸ワインの競売会に出品され、競売で落札されたワインには修道院のスタンプが捺印されています。

 

皮の香りと鉄の味

 クロスター・エバーバッハ修道院のワインにまつわる面白い話がもう一つあります。

 当時、修道院は多くの貧しい人々の施療院としても活動をしており、ワイン造りは当時の修道院にとって財政面を支える大切な事業のひとつでした。

 その頃の話で、ワインを管理していた二人の僧が、新しく出来た新酒

 

の樽よりワインの出来具合の試飲を行っていました。一人の僧が新酒を口に含み「このワインは大変良くできているが後口に鉄の味がする」と言うと、それではと別の僧が一口含むと「鉄の味より皮の匂いがする」では今一口飲みなおして「鉄の味が残る」「いやいや皮の匂いだ」とまた飲みなおしているうちに、樽のワインが無くなると革紐に結ばれた鉄の鍵が現れました。なんとこの二人の僧は樽の底にあった革紐と鉄の鍵の味と香りを利く素晴らしい感覚を持ちながら、飲みも飲んだりワインの樽を空にしてしまった事で語り継がれています。

(文・写真:ワインブティック伏見)

 

ワインブティック伏見

〒232-0001 横浜市中区新港2-2-1 横浜ワールドポーターズ1F
Tel/Fax 045(222)2112

HP: http://winecom.jp
blog: http://wine1999.blog121.fc2.com
E-mail: boutique-fushimi@winecom.jp

 

 

8月 10 11

第1回 はじめまして、ど・あっぷ!(DO UP!)です。

by staff

Hello! Shall we Do Up.

 はじめまして!
横浜を中心に活動しています、シチズンシップ教育を目指すNPO法人『ど・あっぷ!(DO UP!)』です。どうぞよろしくお願いいたします。

 まずは、ど・あっぷ!とは・・・ から少しお話させていただきます。
『ど・あっぷ』とは、『市民度アップ』の「しみんどあっぷ」からとりました。
つまり「市民度を上げよう!」という活動をしているグループです。

 市民度とは、私達が勝手に作った造語ですので、辞書にはのっていませんし、当然定義もありません。

 たとえば、「自分や自分の家族のこと以外のことを少し考えて、少し何かをやる事。人任せにしないでまず自分が動いてみる事。」
そんなふうにも表現できるかもしれません。

 イギリスなどではシチズンシップ、アメリカではシビックエデュケーションとして、幼稚園や小学校から、教育システムに組み込まれ学習していきます。
でも、日本では「市民」としての「自分」を意識する事はほとんどないですよね。

 何か問題が起こると、学校が悪い、企業が悪い、行政が悪い、政府が悪い・・・
必ず自分以外の誰かに責任があり、自分以外の誰かが、なんとかすべきで、自分は問題解決には動かない。これが一般的です。

 そういう自分達を振り返ったとき、ちょっとかっこわるいな・・と思いました。そしてNPO法人「ど・あっぷ!(DO UP!)」が誕生しました。

 メンバーは、学生から、社会人まで様々。
学校の先生や、サラリーマン、お母さんなどなど、色々な人達がいるのが、ど・あっぷ!のこれまたいいところ。
主な活動は、学校に行って、ワークショップをやったり、絵本や教材を作ったり、勉強会を開いたりしています。

 そしてそして私達のモットーは、「面白い!」こと。
ワークショップを受ける方もやる方も、とにかく面白い!
これがど・あっぷ!流です。

 今後も、このページで、その面白活動や、思う事などを、ど・あっぷ流でお話をさせていただきたいと思います。

 どうぞ、これからもお付き合いください。

HP:http://www.citizendoup.com/index.html
ブログ:http://doupblog.blog123.fc2.com/
ツイッター:http://twitter.com/#!/citizendoup

 

 


八ッ場(やんば)ダムの勉強会で主役を務めた「ヤマンバちゃん」

 


川崎の某小学校でのワークショップの様子。選挙 行太郎(せんきょ いったろう)博士とぴーちゃん

 


藤沢市某公立高校での「選挙」のワークショップ。1学年全員を集めて体育館にて実施。ゲスト:税金 知郎(ぜいきん しろう)教授、選挙 行太郎(せんきょ いったろう)博士

(写真・イラスト:NPO法人ど・あっぷ!(DO UP!) / 文:(同)築山 美樹)

ビデオメッセージ


http://www.youtube.com/user/douptv

 

8月 10 11

ITがつくる絆 (地域のきずな)

by staff

 

 みなさんこんにちは。(株)ともクリエーションズの玉川です。
弊社は、横浜を拠点としてシステム開発やWeb制作を続けて20年以上になりました。「人と人をつなげる場を創造したい」という想いで仕事を続けてきた中で誕生した『サポチュー(SupportYou)システム』を、活用事例などによりご紹介していきたいと思います。

浦安市舞浜三丁目自治会の絆

 3.11の大震災の際、液状化などの被害が報道された千葉県浦安市。浦安市の『舞浜三丁目自治会』では、地震直後に自治会長自らが対策本部ブログを立ち上げました。

 サポチューフォームで会員登録を受付け、集まった約600世帯の会員向けにほぼ毎日メールマガジンを配信しています。総会の集客にも威力を発揮しました。この活動は、住民が団結してお互いに知恵を出し合いながら災害からの復興に取り組んでいる事例として、マスコミにも多く取り上げられています。

 自治会長の肘井 哲也様からは次のようなコメントを頂戴しています。
 「連絡簿登録フォームでは、お名前・メールアドレスなどの他、居住者人数なども登録してもらっています。サポチューは(条件抽出をして)セグメント別にメール配信ができるので便利です。また、携帯からの登録や携帯へのメール配信も可能なので、多くの方にご利用いただいています。」

 7月5日には、「ITがつくる地域の絆」として舞浜三丁目自治会とサポチュー(Supportyou)を紹介する記事が、二面にわたって掲載されました。
詳しくはこちらをご覧ください。http://www.support-you.jp/pdf/news110705.pdf

災害ボランティアネットワークの絆

 『神奈川災害ボランティアネットワーク』では、ボランティアに登録した方に向けて、ボランティア募集などの情報をサポチューを利用してメール配信を行っています。現在は東日本大震災の特設サイトを立ち上げていて、ボランティアバスの日程などを掲載しています。
神奈川災害ボランティアネットワーク:http://ksvn.jp/

「サポチューシステム」って?

 「サポチューシステム」とは、
   1.フォームを作成して
   2.データ(メールアドレスなど)を集めて
   3.メール配信する
ことが簡単にできるシステムです。

「サポチューシステム」なら、fcebookページにも入力フォームやアンケートフォームが
簡単に設置できます。 サポチュー(Supportyou)>ようこそ!

この仕組みは、いろいろな所で絆をつくることができるのです。
これから少しずつ事例をご紹介していきたいと思います。

お問合せ

(株)ともクリエーションズ
231-0004 横浜市中区元浜町3-21-2ヘリオス関内ビル4F
tel 045-226-3475
fax 045-226-3476
E-mail info@tomocre.com

サポチューシステム:http://www.support-you.jp

担当:玉川郁子 プロフィール

   横浜市磯子区生まれ。港北区育ち。
メーカーの企画部を経て(株)ともクリエーションズに在籍。
サポチューシステム企画・販売・サポート担当など。
旅行が趣味ですが、今は2010年に誕生した娘を育てることが楽しいです。

 

8月 10 11

第4回横浜売れるモノづくり研究会セミナーのご案内

by staff

「売れるモノづくり」についてのご相談を承ります

いいモノを作ってもなかなか売れない・・・
製造業の方々からそんな悩みをよく耳にします。
どんなに良い製品でも、市場に受け入れられなければ「モノ」で終わってしまいます。

「横浜売れるモノづくり研究会」は、神奈川県在住の企業支援の専門家やITの専門家など多種多彩なメンバーで構成されています。

「横浜売れるモノづくり研究会」では、「製品の売り方をどうしたらいいか」という企業のご相談を随時受け付けることにいたしました。

毎月一回第二木曜日には、ご相談される企業と専門家が面談を行っています。9月の相談日は9月9日(木)です。

売れるモノづくりについてのご相談はこちらにご入力下さい。

 

第4回横浜売れるモノづくり研究会セミナー

売れるモノづくりとは何か、またそれを効果的に売るにはどのような方法があるのか、
製造業の現場担当者の事例発表を通して、参加者全員で考えていきたいと思います。
売れるモノづくりとその効果的な売り方に興味のある方のご参加をお待ちしています。

    
  1. 日 時 平成23年9月13日(火)午後2時30分~5時30分
  2. 場 所 波止場会館1F(横浜市中区海岸通1-1)
Tel 045-663-7812 (大桟橋国際客船ターミナル入口 左)
http://www.hatoba.jp/
  3. 内 容  講演 「持続的に売れる仕組みづくり」
 株式会社ともクリエーションズ 渡邊桃伯子
 http://www.tomocre.com
 
       事例研究 ダイヤ工芸株式会社 石塚 勝
 「創業時の回顧」
 http://www.dta.co.jp/
 
       事例研究 株式会社エランビタール 田尻成美
 「販売戦略を考える」
 http://www.elavita.jp/
 
       ミニプレゼン 自社商品のPRを5分間行います。(3社程度)
 
       参加者の交流会
  4. 定 員 50名(定員になり次第締め切ります)
  5. 参加費 2,000円(交流会費)

<問合先>
横浜売れるモノづくり研究会 事務局
(株式会社ともクリエーションズ内)
〒231-0004
横浜市中区元浜町3-21-2 ヘリオス関内ビル4階
TEL 045-226-3475 FAX 045-226-3476 お問合せフォーム

 

横浜売れるモノづくり研究会納涼パーティーを開催しました

7月21日(木)に関内駅前セルテ12階のライブハウス「ヤンキース」で納涼パーティーを行いました。30名を超える方々参加されました。

冒頭、デジタルハリウッド大学院大学専任教授の松本英博先生に、日本の製造業が生き残るためのポイントについてお話いただきました。

その後は懇談会に移り、最後は生バンドの演奏で熱唱タイムとなりました。暑い夜に熱く語り合って飲み明かした一夜でした。

メディア掲載情報

 

8月 10 11

2011.8.20 馬生ハマ寄席 第十四回興行 ご案内

by staff

2011.8.20 馬生ハマ寄席 第十四回興行 ご案内

馬生ハマ寄席は、第十一代金原亭馬生一門と ゲストにより古典落語にとどまらず踊り、 茶番劇、鹿芝居などで構成する寄席興行です。 また横浜の落語文化の定着に少なからず寄与出来れば、と考えています。

馬生ハマ寄席 第十四回興行

初代金原亭馬生襲名より続く名跡約200年。新しい歴史と出会いを横浜に求めます。更なる芸道精進の馬生一門がゲストも加え日本人のあたたかい人情話をお届けします。
古典落語・踊り・茶番劇と笑って泣いて心からお楽しみください!

公演日:2011年08月20日(土) 午後12時30分/開演:午後1時
出演者:金原亭馬生、金原亭馬治/金原亭馬吉、金原亭駒ん奈(荻野アンナ)
ゲスト :だるま食堂
会場:横浜にぎわい座 芸能ホール [HP] [地図] [座席表]

木戸銭:「ヨコハマNOWを見た」 と言えば、3,000円が2,500円に!
     (全席指定・税込み)

2011.8.20 馬生ハマ寄席 第十四回興行 申込み

ハマ寄席事務局 HP

 
興行チラシ(PDF)
 
親睦会のご案内(PDF)

 

8月 10 11

地域ぐるみでまちの魅力づくりに挑戦 「権太坂プロジェクト」

by staff

 

 今回は、名物会が地域の人たちを巻き込みながら取り組んでいる「権太坂プロジェクト」をご紹介します。

 権太坂といえば、やはり箱根駅伝の2区と9区の難所としての顔が有名です。駅伝ファンの中には、保土ケ谷は知らなくても権太坂なら知っているという方もいるかもしれません。そんな権太坂の知名度を活かして何かおもしろいことができないかと、始まった活動です。

 企画の第一弾として、現在「ごん太じいさん」という地域キャラクター作りを進めています。しかし、なぜ「ごん太じいさん」なのかと、不思議に思われる方も少なくないでしょう。ここで、企画のもとになった言い伝えを簡単に紹介します。
 『昔、この坂を上っていた旅人が近くにいたおじいさんに坂の名前を聞いたところ、自分の名前を聞かれたと思ったおじいさんは「おらぁ、ごん太だ」と答え、旅人はそれが坂の名前だと勘違いした。』
 史実としての根拠はありませんが、地名の由来として紹介されることの多い昔話です。

 プロジェクトの構想が始まったのは昨年の1月。権太坂小学校の先生が地域の歴史に関心をお持ちだったこと、名物会メンバーである桑名

 

地域キャラクター「ごん太じいさん」

屋の近藤さんが出前授業で子供たちに歴史の話を聞かせていたこと、同じくメンバーで、権太坂で営業を続けている鉾立商店の鉾立さんが学校側と親しかったことから、一緒に地域活動ができれば、という話が持ち上がりました。

 その中で浮上したのが、ごん太じいさんのキャラクターを地域の人たちと一緒に作るというアイディアだったのです。話し合いの結果、まずは権太坂小学校の子供たちに協力してもらって、じいさんの好物を決めることになりました。
 そして、7月9日に行われた同校の「権太坂まつり」。毎年恒例の行事ですが、今年は名物会も参加させていただき、「ごん太じいさんの好物投票」を実施しました。準備から当日まで、PTAの方をはじめ学校関係者の皆様にご協力いただいた結果、185枚もの回答が集まりました。名物会では、投票結果をもとにごん太じいさんの好物を商品化する方向で話を進めています。

 

権太坂まつりの光景

 また、7月17日には横浜FCの保土ケ谷区民デーイベントに出店し、名物販売と合わせてじいさんの星座と血液型を募集しました。

 地域が盛り上がり、保土ケ谷に関心を持つ人が増える――そんなプロジェクトを目指して、ごん太じいさんワールドを発展させつつ、新しい企画にも取り組んでいく予定です。

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

ヨコハマNOW掲載情報

 

8月 10 11

2001年7月15日の瓦版をふりかえって

by staff


発効日2001年7月15日の瓦版 (画像をクリックして瓦版(PDF)をご覧ください)

 瓦版の発行は、はじめに山元町二丁目商店街のすぐそばにある「地蔵王廟」や「打越の湧水」など、横浜市指定の文化財などの紹介とあわせて、商店街のお店を紹介させていただこうということではじまりました。

 山元町の周辺には、少し足をのばせば色々な横浜発祥の記念碑や観光名所などがあることから、紹介するエリアも少し広げてこの号では「日本のビール発祥」の地の紹介と関連して、商店街の酒屋さんを紹介させていただきました。

 記事の中では「キリン園公園」内にある「麒麟麦酒開源記念碑」を紹介するだけでなく、今も「北方小学校」の敷地内にあるビール井戸や小学校校庭の下にある貯水槽の話なども、当時の北方小学校校長先生から直接お話しをお伺いし、紹介することもできました。
 小学校の中にはキリンビールの発祥に関した資料なども展示されていて、地域の歴史も勉強にとりこまれていることに感動しました。
(今年、宮城県の山元町へお伺いした際の中浜小学校でも昔使われていたであろう釣り針などの展示物がありました。学校で保管されている地元の大切な資料が、これからも伝えられていけばと感じました)

 瓦版で紹介させていただいている「亀屋酒店」さんは、今はもうなくなってしまいましたが、「伊東酒店」さんと「岩田屋酒店」さんは今も頑張っています。「伊東酒店」さんの量り売り味噌も店頭にならんでいます。

8月14日の「神輿コンテスト」について

 瓦版の話とは変わりますが、8月14日に開催される第六地区祭礼の連合渡御の際に開催される「神輿コンテスト」ですが、一時は交通整理などの関係から会場が「山元小学校」となっていましたが、祭りの盛り上がりなどから関係各位と調整の上山元町二丁目商店街のセブンイレブンとなりで開催できることとなりました。
 今までのように、コンテスト会場前で派手なパフォーマンスは無理かもしれませんが、少しでも祭礼が盛り上がればと思います。お近くの方は是非お越しください。

レポーター プロフィール

   

鬼島 勝治(きじま まさはる)

横浜市中区山元町二丁目商栄会で「バラエティーショップきじま」を経営。
〒231-08651 横浜市中区山元町2-65
TEL:045-681-8186
E-mail:mkijima@yk.rim.or.jp

 

8月 10 11

「神様のカルテ」 夏目草介著 小学館出版

by staff
「神様のカルテ」 夏目草介著 小学館出版  

 作者の名前が夏目漱石の夏と草枕の草をとって考えられたと聞いてこの本を手に取った。読んでいる途中になぜ涙が止まらなくなったのか解らない。一気に読めてしまう。
「私の話ぶりがいささか古風であることは御容赦願いたい。これは敬愛する漱石先生の影響である。学童期から草枕を愛読し、全文ことごとく暗誦するほど反読していると、こう言うことになる。」作者と主人公栗原がダブるところである。舞台は信州にあり、24時間、365日対応の病院である。

 「モンブランの頂上からはもっとすごい数の星が見えるんです。まるで自分まで星のひとつになって飛んでいけそうなくらい。細君の声が聞こえる。優しく、澄んだ、美しい声だ。でも・・。駆け寄ってきた細君が、いきなり私の胸に飛びついた。私はイチさんと見上げるこの街の空が一番好きです。一年に一度くらい、こうして散歩できる日がつくれるとよいですね。」地方の救急病院は一年に一度くらいはというのが実情なのだろう。

細君とはハルのこと。ハルはカメラマンとしてあちこち旅に出る。なかなか自宅に帰れない栗原と、いつ出かけるともなく出かけるハルとの関係は先輩と後輩との関係のようで、本当に結婚してるのと思ってしまう。そして二人は古い御嶽荘という奇妙な建物に住みついている。

 御嶽荘で事件が起こる。「満開の桜であった!見渡す限り、八方すべてが桜で埋め尽くされていた。壁、床、天上のすべてに満開の桜の絵が描かれていたのだ。」「いきなり男爵が叫んだ。こいつは敗北ではない。門出だぞ、学士殿!一瞬足を止めた学士殿に、男爵がさらに言う。この一歩は前への一歩だ。前進なんだ。そのための花道だ。絶対忘れるな!男爵の目に涙が溢れている。」人は何で助けられるのか。”敗北でない、門出だぞ”の叫びにどんなに救われるか、さらにはそれを叫ぶ男爵そのもの自身への叫びでもある。それにつづくハルの行動。「いきなり細君が涙を振り払って、澄んだ声を張り上げた。バンザイをします!言うなり、いきなり両手をあげてバンザーイと叫んだ。その衝動が瞬間に私には理解できた。ほかに我らに何ができよう。我らはただ、去り行く友に何かをおくりたいのだ。元気で、生きて、戻ってこいと。」御嶽荘を出るのは出世する時だと、なんとなく想っていて、挫折で出ていく者に対しての見送りなのであった。

 生きることとは何かを問いかける「神様のカルテ」といってもいいんだろう。第三章は「月下の雪」である。亡くなったら記念の帽子を被って主人の所に行きたいと、栗原先生と話をしていた患者の安曇さんの事である。その安曇さんから先生への手紙である。「病むということは、とても孤独なことです。先生どうかご苦労の絶えぬ身とは思いますが、私にくださった温かい時間をこれからも多くの孤独な人たちにつくってあげてください。いつもなにか考え込んでいらっしゃる様子をお見受けしましたが、私には相談に乗って差し上げるだけの器量も時間もありませんでした。でもひとつ確かなことは、先生は私にすばらしい治療をしてくださったことです。」

 細君の澄んだ声に支えられながら栗原は生きていく。12月24日も細君に誘われて街を眺める。「思えば人生なるものは、特別な技術やら才能やらをもって魔法のように作り出すものではない。人がうまれておちたその足下の土くれの下に、最初から埋もれているものではなかろうか。私にとって、それは最先端の医療を学ぶことではなく、安曇さんのような人々と時間をすごすことであり、ひいては細君とともにこの歩みを続けることだ。」「迷うた時に立ち止まり、足下に槌をふるえばよい。さすれば、自然そこから大切なものどもが顔を出す。そんなわかりきったことを人が忘れてしまったのは、いつのころからであろうか。足下の宝に気づきもせず遠く遠くを眺めやり、前へ前へと進むことだけが正しいことだと吹聴されるような世の中に、いつのまになったのであろう。そうではあるまい。惑い苦悩した時こそ、立ち止まらねばならぬ。」著者は登場人物に生き方を語らせ、私達に問いかける。

 書中に松本城と深志神社が出てくる。今にも行きたくなってしまう。そしてこの本の映画の公開が近い。心を温くしてくれるベストセラーを2度も味わえる時がきた。

(文:横須賀 健治)

<Amazonで購入>

 

8月 10 11

「事業計画書の読み方と書き方がよ~くわかる本」第二版
~社内新規事業からベンチャーまで~ 松本英博著 秀和システム発行

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「事業計画書の読み方と書き方がよ~くわかる本」第二版 ~社内新規事業からベンチャーまで~ 松本英博著 秀和システム発行  

 筆者は、大企業のエンジニアからベンチャー企業の社長を経て、現在はデジタルハリウッド大学大学院で教鞭をとられている方です。

 本書は2006年に第1版が発行されました。その後、評判が良かったからでしょう。IT革命等の社会変革を加味した形で改訂版として7月に発刊されました。

 本書には、筆者の事業開発や起業支援の経験から得た経営ノウハウが示されています。タイトルが「事業計画書の・・・」となっていますが、新しく事業を始めようとする全ての人々に読んでいただきたい経営読本です。経営書にありがちな、ビジネスの現場からかけ離れた理論はありません。

 事業計画の立案には理論も必要だが、顧客との接点や現場の情報のほうが実際には役に立つという筆者の想いから、実践に生かせる考え方や手法が12章にわたって記述されています。

 本書の冒頭で、筆者は事業を進める推進力は、「人財」「資材」「資本」「情報」の4つだとしています。通常は「人材」とするところをあえて「人財」としているところにも、「人」を大切にする筆者の考えが表れています。

 本書では、事業コンセプトを固める「10の問い」が度々登場します。
   問い1 顧客は誰か?
   問い2 顧客のニーズは何か?
   問い3 顧客に情報て供する価値は何か?
   問い4 競合は誰か?
   問い5 差別化のポイントは何か?
   問い6 商品・サービスの内容は?
   問い7 事務フローはどうあるべきか?
   問い8 事業の成果を図る指標(KPI)は何か?
   問い9 事業のリスクは何か?
   問い10 今後の収益成長の見込みはどうか?

 この「10の問い」は、どの事業でも常に考えておかなければならない項目です。
筆者は、各問いについて「ありがちな誤り」と「改善のポイント」を例を挙げて説明し、私たちが適切な解答を出せるように導いてくれます。

 今回、第2版で筆者が力を入れられているのが、マーケッティング戦略についての記述です。インターネットによるICT革命等の影響により、マーケッティング理論が「AISAS」から「AIDEES」へ変化していることをわかりやすく解説しています。

 ※AIDEESとは
   Attention 注意が喚起され
   Interest  興味が生まれ
   Disire  欲しくなり
   Experience 購買し
   Enthusiasm 心酔し
   Share  成功体験を共有する
   Attention 新しい消費者に認知され

 そして、インターネットを利用した販売促進については、「企業人格力」の必要性を説いています。なぜ「企業人格力」なのでしょうか。それに対する筆者の回答は次の通りです。

 TwitterやFacebook等に代表されるソーシャルメディアでは、ファンとの対話が不可欠です。情報発信するファンとの対話を期待するなら、法「人」として人間同様、人格を確立しておかなければなりません。企業人格力があれば、顧客の視点で答え、対応し、一緒に考えることも可能となります。

 口コミが口コミを呼び込む現代社会において「企業人格力」をあげるためにも、綿密な事業計画が必要となるのです。

 本書は、事業計画を読み書きする人を「社内新規事業からベンチャーまで」としていますが、私は本書は経営を志す人々すべてに必見の書だと思います。

<Amazonで購入>

 

8月 10 11

「いいかげんがいい」 鎌田実著 集英社出版

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「いいかげんがいい」 鎌田実著 集英社出版  

 昨年読んだ。「北極点が海に消える日」があるんだ。とてつもない大変なことが地球上で起こっているのだ。「家のまわりに木を植え、屋根にソーラー発電のためのパネルを取り付けた。家電も省エネタイプに買い換えはじめた。ソーラーパネルつきのカバンなんてものまで購入した。ささやかなことの積み重ねを大事にしていきたいと思っている。戦争なんてやっている暇はない。戦車を走らせ、戦闘機を飛ばすエネルギーが、膨大な二酸化炭素を排出している。地球号にムダなことをしている余裕はないはず。溶け行く北極圏を見つめながら、戦争何て止めろって怒鳴りたい気分になった。」鎌田さんはほころびかけた地球を紡ぎなおしたいと活動される。

 NHKラジオでのゲストとのいのちの対話でのことを紹介する。「ヒットから遠ざかった彼女は、道ばたに咲くマーガレットを見てハッとする。凛と咲く可憐な花の姿に、自分らしさを失っている自分に気づいた。もっとヒットをなんて無理に自分を奮い立たせるのは、もうやめよう。地味でも大地に根ざし、空を見上げてやさしく咲いていれば、私もいい音楽が生み出せるだろう。そして再びコンサートを開始した。」「苦しい時に支えてくれた音楽を人は忘れない。音楽、大好き。音楽は免疫力を高める。」と書く。

 鎌田さんたちが行っているNGO日本イラク医療支援ネットワークでのことも記している。「援助は難しい。誤解を恐れずに言えば、いい加減な援助がいいのだ。がんばりすぎると、つい自分のやりかたを押し付けて相手のニーズを置き去りにしてしまう。しんどくなって長続きしないことも多い。それに、やってあげすぎると、援助を受ける人たちの生き方を弱めてしまう。相手の状況を見ながら、彼らが必要としていることの中から自分たちでできることを、長く続けていく。」それが一番いい形のようだとも。

 鎌田さんは長野県の諏訪中央病院で院長もされ、地域と一体になった医療や患者の心のケアも含めた医療を実践されている。こんな話を紹介している。「ずっと気になっている患者さんがいた。脳卒中で左片麻痺のある七五歳の女性。ぼくの外来へ足を引きずってやってくる。いつもニコニコしている。笑顔があふれている。有り難いという。」デイケアに行き出したという。デイケアが楽しいと。ある時話をしてくれたと。「旅役者をしていました。学校に行かせてもらえませんでした。字は読めるんだけど、書けません。今デイケアでおそわることはなんでも、私にとってはうれしい勉強なんです。だから、脳卒中になってうれしい。病気をしてよかった。初めて勉強ができました。」お姉さんの子を育て、一緒に生活しようといわれ、その家族といる。「その子にもお嫁さんにも心から大切にされている。本当の親子でなくても、間違いなく家族なんだ。」

 夕張市立総合病院が閉鎖されると聞き、心配でいられなくなって夕張へ行ってきた話がある。救世主が現れたのだ。「笑ってしまった。ダジャレみたいだ。炭坑から観光へ、観光から健康へ移っていけばいいのか。この男の先見性と決断力にシャッポを脱いでいたが、会うとすぐにカウンターパンチをもらった気分。タンコウ、カンコウ、ケンコウ・・・・大ざっぱないい加減さがすごい。」「夕張医療センターで儲けようなんて、夢にも思っていない。街を元気にしたい。街を明るくしたい。再びたくさんの人がやってくる街にしたい、と目を輝かせる。彼なら、きっと達成できる。」

 帯の言葉に「無理しない、こだわらない、よくばらない、つっぱらない、頃あいに、融通をきかせる、ほどほどに、{いいかげん}には、こんなすてきな意味が、隠されている。」「がんばらない」が昨年ベストセラーになった。今一度日本を立て直そうとする時、多様な生き方の参考になると感じた。

(文:横須賀 健治)

<Amazonで購入>

 

8月 10 11

8月 三ツ池だより 「坂道に囲まれて」

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 鶯が今でも鳴き、四十雀が鳴くこの夏は例年と違う様相を呈している。ニ羽、三羽、四羽でもいるのだろうか。もう8月だというのに雨がやんで17時には薄暗くなっていた。夏が来ているのは間違いないし、夏休みの子供たちの声も絶え間なく聞こえる。梅の木が揺れていると思ったら四十雀が顔を出した。「こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見る者聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起こらぬ。起こるとすれば足は草臥れ、旨いものが食べられぬくらいのことだろう。」草枕のなかの一文である。読み終え少しほっとしている。

 漱石があの時代、またヨーロッパ留学のあとになぜ「草枕」を書いたのかと思った。34歳で留学は費用の不足と孤独感から神経衰弱になる。さかのぼって27歳の頃は鎌倉円覚寺で参禅している。夏目漱石を思いたったのは、会社の日帰りバス旅行でのことだった。袋田の滝をみる前に水戸の納豆工場へ立ち寄った。納豆は小学校のころの理科の実験で自作した懐かしい思い出があった。その資料館での説明の所に蕪村と並んで夏目漱石の俳句があった。

朝霧や室の揚屋の納豆汁   蕪村

納豆を檀家へ配る師走かな  漱石

 漱石は小説をほとばしるように、一字一句訂正もなく書きあげていたようだ。
帰ってきてから読み返してみたのは、その後、上野の東京文化会館のお土産物屋で「草枕 変奏曲」横田庄一郎著を手に取ってからだった。カナダのグレングールドの一番の愛読書が聖書と草枕であったという。英訳の題は草枕でなく「三角の世界」で、芸術論の展開という風になっている。「これはもちろん、漱石が書いた、四角の世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちにすむものを芸術家と呼んでもよかろう、の文章からとったものである。」

 グレングールドは若くして亡くなった天才ピアニストであった。「グレングールドが草枕に出会ったのは、もちろんコンサートを引退してからの事である。この東洋の小説を読みだして、グールドはおどろいたことだろう。自分が考えていたことを、夏目漱石という作家は主人公の画工の口を借りて、この小説を書いている。グールドにしてみれば、まるで自分のコンサート引退を跡付けをしてくれているようである。」グールドはある時からコンサートを引退し、録音で自分を表現していく。

 カナカナがなき、カラスがなく。人は自然の音のなかで家路についてきた。ミンミンが鳴き始めた。ひと山を越えずとも感じる自然だが、自然を自然としていつまでも楽しめる時代でありたい。何でも満足できることが、これから難しいとすれば、何を優先し、何を後回しにしていくのか。それにしても、自然の中にいられる環境を確保しておきたい。

 この草枕を愛読する作家が夏川草介さんであり、「神のカルテ」はベストセラーになった。この夏には映画公開になる。こちらは画工ではなく、医師が主人公である。最先端の医療現場でなく地方の病院の研修医から医師になる。生きるとは何かを論じている。考えられない勤務シフトのなかで、常に視点はその人に向いている。だから次々奇跡が起こる。死に直面して今に感謝する言葉が飛び出す。主人公の栗原は信州にある「24時間、365日対応」の病院で働く内科医である。

夏目漱石は草枕で次の句を読む。

花の頃越えてかしこし馬に嫁  漱石

いつもの寺の建功寺の入り口の言葉は

まっすぐに 打ち込む人の 流す汗

私はつぎのような句を読む

ちょろちょろと琥珀の音や送り梅雨  詢

 草枕のなかで画工は絵になる景色を探している。建功寺は静かにひとの生き方を見続けている。そして珈琲を沸かしながら三ツ池公園を眺めている私がいる。今この時こそが幸せなのだと思うし、今この時を幸せと感じることの大切さこそが、生きていることなのだと話をしてみたくなる。草枕もそうであるが、夢の中だったりするが、話相手がいること、聞いてもらえることが大事なことである。これからの時代のキーワードになる。話相手とは目を離さずにはいるが、非人情的な部分ももっている必要もある。この世は住みにくいのである。坂道に囲まれて、明日(あかるいひ)を迎える今日が暮れていく。

 

Photos

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(文・写真:横須賀 健治)

 

8月 10 11

「レッドライト」 (連載第5回)

by staff


写真)現在、横浜メソニック・テンプルでは、スコットランド・グランド・ロッジ管轄の「東方の星 No.640」 と
日本グランド・ロッジ管轄の「極東ロッジ No. 1」のふたつが集会を開いている。

*今回の記事は二ヶ月連続掲載の第2回になります

 俗に「学校の怪談」とよばれる噂話がある。音楽室に貼られたベートーベンの絵やトイレの花子さんの類だ。その多くはちょっとした作り話である。しかし、噂話に物証があったらどうだろう。

 「港の見える丘公園」のはす向かいに位置する「横浜インターナショナルスクール」(以下、Y.I.S.)。校舎から陣屋坂を少し下ったところに、同校の体育館がある。その地下室のヒミツ。それは1986年から2002年まで、世界的会員組織フリーメイソンの拠点となっていたことだった。学校が秘密結社の根城……? 思わず失笑するほど現実味に乏しいが、「横浜メソニック・テンプル」の公式サイトに書かれているので、間違いのない事実だ。こんな例が世界のどこにあるだろう。日活無国籍映画さながらだ。横浜の街は、はなから現実を超越している。

 もし興味を覚えたら、ご自身で足を運んで確認して欲しい。ロッジが移転した現在も陣屋坂に面した体育館地下入り口の向かって右側の壁に、「このテンプルはメソニック・ホール株式会社(以下、MHL) によって建設された。この礎石は1985年9月28日に、1975年から10年間極東地区のグランドマスターだったブラザー・A.L.パーヴスによって設置された」とスコティッシュ系組織の名義で記されている(写真)。

 もっとも同校の在校生や卒業生たちには、事実関係は伏せられていたらしい。わたしの友人に Y.I.S.卒業生がいるが、「1988年卒業なのでその時期は在学していましたが、知りませんでした。学校で語られていた記憶もありません。1986年竣工の体育館です。あんな一等地に寄付だけで建てられるなんて信じ難いと思っていました」と語っていた。

 そもそもなぜ学校の地下にロッジが建設されることになったのだろうか。それは旧ロッジをシェアしていた「東方の星(Lodge Star in the East) No. 640」と 「極東ロッジ( Far East Lodge) No. 1 (Far East Lodge No. 124 から改称) 」および「東洋の星第2支部( Star of the Orient Chapter 2)」 間の確執、そして戦前から山手町三番地に居を定めていた旧ロッジの老築化が原因だった。

 1960年代後半、山手のロッジは大規模な修理を必要としていた。あるときなど、ロッジの時代がかった電気配線が原因で、横浜中心部の決して狭くない市域が停電状態になったという。事態を重く見た市当局が、ロッジの閉鎖を通告したほどだった。

 1971年、横浜ロッジの委員たちは、東京のメソニック協会に70万円の援助を願い出たが、461,247円のローンが申し入れられただけだった。ここには60万円におよぶロッジの修繕費は含まれていなかった。

 ロッジの将来が危ぶまれた。1950年代末、神戸地区の一団が、東京や横浜でのアメリカ系支部の台頭に不満を覚え、横浜ロッジの主導権を握ろうと工作した時期があった。ふたたび神戸側が介入してくるおそれがある。

「極東ロッジ No. 1」と 「東洋の星第2支部」は全会諮問会議を要求したが、横浜ロッジの名義人である MHL は却下した。二つのロッジは、単なるテナントにすぎなかったからだ。

 双方が弁護士を雇う内紛になり、事態は法廷に持ち込まれるものと思われたが、 最終的に MHL は不動産の売却に成功。状況は前に向かって転がり始めた。一方、 MHL と揉めていた「東洋の星第2支部」は1981年に消滅した。

 不動産を売り払った MHL は、売却益の運用と新たな拠点の獲得について時間をかけて協議した。しかしこの土地を売っても、山手地区に同規模の土地を購入し、ロッジを建設するには予算不足だった。その結果はじき出されたのが、件(くだん)の体育館地下のロッジ建設という結論だったのである。

 Y.I.S.体育館のロッジは、学校との間に相互リース契約が交わされていた。それは体育館全体を学校側にリースする代わりに、学校側は地下室をメイソンにリースする、という互恵的な内容だった。

 すべては順調に推移しているように見えた。しかしまたしても問題が発生する。Y.I.S.の相互リース契約破棄である。学校側は地下室を、ダンススタジオと PTA の倉庫に改装したいと考えたのだ。

 メイソン側はこのロッジの使用を諦めざるをえなくなった。しかも MHL 前理事のリース料着服が発覚し、状況をむずかしいものにした。ロッジを失ったメイソンは山下公園に近いインドレストランの宴会場をはじめ、市内のあちらこちらを転々とした。そしてようやく現在地である本牧緑ヶ丘に落ち着くのである。

 JR 山手駅から急な上り坂をあがって10分ほどゆくと、簡素な住宅街の一角に、目指す建物がある(写真)。茶色く平凡で、なんら目を引く要素は見あたらない。右隣のアパートの方が目立つくらいだ。ほど近い場所にある横浜緑ヶ丘高校の生徒たちが、なにも知らずにロッジの前を通り過ぎていく。「木を隠すなら森の中」と言わんばかりの光景に、少々倒錯的なおかしみさえ感じる。

 このロッジの建設は山手カトリック教会の施工をはじめ、寺社仏閣などの宗教建築で知られる「関工務店」が担当している。「メイソンのロッジを手がけるにあたって、なにか興味深いエピソードがなかったか訊いてみたい」という衝動に駆られたが、この会社は一昨年倒産していた。残念でならない。

 その代わりといっては変だが、ロッジから50メートルも離れていない場所に、「横浜における外国人富裕層の社交クラブ」とでもいうべき 「YCAC 」が控えていることに気づいた。ロッジを移転する際、この名門スポーツクラブの存在が考慮されたのではないだろうか。 あくまで私的な推測でしかないが、 「YCAC」で定期的に汗を流しているメイソン会員は、少なくないと思われる。というのも、創立当初はやはり外国人専用のスポーツクラブだった「横浜ヨットクラブ(YYC)」から、貴重な戦前のメイソン資料が発見されているからだ。戦時中の弾圧による機密書類散逸を防ぐため、会員が資料の一部を避難させたものらしい。さらに「Y.I.S.」の地下を去った後の放浪時代、本牧の「U.S.S.シーメンスクラブ」(2011年5月閉店)の物置がメイソンの荷物置き場として使われた、という事実もある。メイソンと YCAC。 富裕外国人の集まるふたつの施設が近接する背景を考えるとき、YYC やシーメンズクラブとの結びつきを引き合いに出すのは、不自然ではないと思う。

 かつて横浜には世界各国の領事館が建ち並んでいた。関東大震災以前の話ではあるが、最盛期には30もの領事館があったという。各国の外交官や商人らの社交の場として、あるいは潤滑油としてメイソンが重要な働きをしていた気がしてならない。今後の研究が待たれる部分だ。

 最後になるが、横浜のメイソン史を語る上で外すことの出来ないエピソードを紹介したい。前回述べたように、横浜ロッジの儀式は英語で行われている。しかし、過去になんどか日本語で行われた事もあったという。そのきっかけとなったのは、非会員にすぎない日本のとある老人の存在だった。彼の名はミヤガワ・ヒロシ。親子二代にわたり、横浜ロッジのお世話係を務めていた。会員たちから「ヒラム(Hiram)」というニックネームをつけられ、親しまれていたという。

 ミヤガワ家とメイソンのなれそめは1881年まで遡る。まだ「東方の星」が成立したばかりの頃だ。細かい経緯はつまびらかではないが、「ヒラム」の父・マンキチは初代お世話係になると、30年間メソニックホールで働いた。そして1916年に山下町のロッジで亡くなった。その後1892年生まれの三男・「ヒラム」が父の跡をついだ。彼は震災前の壮麗なロッジを知る数少ない人物の一人であり、戦時中、メイソンの機密書類を国家権力から隠し通す任務も果たした。彼はメイソン会員ではなく、メイソンの秘密を一切知らない雑役係にすぎなかった。にもかかわらず、空襲の間も逃げずに、ずっと閉鎖したままのロッジのそばにいたという。

 長い戦争が終わり、進駐政策下でロッジの活動が再開すると、「ヒラム」は復職した。今度は単なるお世話係ではない。集会の準備をし、ブルールームやレインボールームといった特別な部屋で行われる会合に参席して軽食を給仕した。親子二代にわたるミヤガワ家の献身は、およそ80年にも及ぶ。全世界のロッジを見渡しても、こんな例はほかに見あたらないという。

 「ヒラム」も彼の父も、メイソンの会員ではなかった。しかし彼らの姿は、正会員たちに大きな感銘を与えた。71歳の誕生日を33日すぎた頃、すなわち1963年3月6日。「ヒラム」は正式にメイソン会員として迎えられた。そのとき、横浜のメイソン史上はじめて、儀式の場で日本語が使われたのだった。

 現在もメイソンの活動は続いている。2006年12月現在、「東方の星 No.640」の会員数は64名。その多くが横浜市外もしくは海外在住だという。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)


写真)
現ロッジの外観
 
写真)
Y.I.S. 礎石
 
写真)
Y.I.S. 礎石にワインと油を注ぐ アレックス・ L ・パーヴス
 
写真)
ミヤガワ・”ヒラム”・ヒロシ(1892~1966)

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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8月 10 11

誰でも分かるプロジェクト・マネージメント 「プロジェクトを計画する(1)」

by staff

関 淑子、付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist, カリフォルニア州建築総合請負業者

今回はプロジェクトを計画する方法について説明しますが、例を挙げながら説明したいので、(1)と(2)に分けます。スケジュールの作り方については、(2)で説明します。

2. プロジェクトを計画する (1)

 

 
 
田中一郎は商店街の夏祭りに1日だけの喫茶店「畑中茶館」を開く予定ですが、一郎は「畑中茶館」イベントをPMの手法を使って行うことに決めました。

 

2.1 プロジェクト・プラン(計画書)を作る

プロジェクト・プランに含まれること:
*範囲   *必要な資源   *前提条件   *リスク   *組織

2.2 プロジェクトの範囲(スコープ)

2.3 資源(リソース)

資源とはプロジェクトを実行するために必要なもの

2.4 最初にくわしいプランを作る

*どんな資源が必要か予想できる:必要な資源は何かを考え、その資源を入手する
*どんな問題があるかを予想できる:問題を理解する時間を取る

2.5 プロジェクトの前提条件

2.6 プロジェクトに影響しそうなリスク

将来に起こる可能性がある問題のことをリスクと呼ぶ。

2.6.1 リスクの大きさを予測する

リスクの計算方法 (wikipedia)
リスクの大きさ = 事故発生の可能性 X 事故により生じる損害

2.6.2 リスクをさける方法はあるか?

*その方法が使えるかどうか?
*リスクをさけられない場合、リスクを少なくする方法はあるか?

2.6.3 リスクの対応方法

一郎は、対策を取れることは無いかを考えることにしました。

2.7 プロジェクト・チームの組織

*責任者であるプロジェクト・マネージャーが必要。
*チームの全員がプロジェクトを成功させるために協力する。

一郎はプロジェクト・マネージャーです。誰が何をするのかは、仕事の内容を書きだしてみなければ分かりません。最初は順番は考えなくてもかまいませんし、分かるところだけ書き込みます。

 

 
 
次回はスケジュール作成について説明します。

 

 

関 淑子さん プロフィール

   

関 淑子
付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist
事業継続初級管理者
カリフォルニア州建築総合請負業者

 

8月 10 11

ソーシャルメディアの正体(第一回)

by staff

デジタルハリウッド大学大学院/NVD株式会社 松本英博

0.ソーシャルメディアは、今や大流行?

 東日本大震災直後からNHKでもソーシャルメディアという言葉が出てくるようになった。ついでに、ツイッターやフェイスブック、ミクシーやグリーなど、カタカナ用語が頻繁に出てきた。多くの方はゲームか何かの名称だと思ったかもしれない。震災に役だっとというが、本当はどうだったのか。

 一方で、中小企業では、「会社に役立つソーシャルメディア営業」などと銘打ったセミナーが超人気。どうもソーシャルメディアなるものは、会社の売上に貢献してくれるものらしい。ちょっと、「聴いておかないと損しちまう、」と言うことで、またまた大人気。それ自体が口コミ講座のようなソーシャルメディア関連の経営セミナーでもある。

 というわけで、ソーシャルメディアって一体何だろう。正義の味方か、はたまた、企業にとっては脅威なのか。これから8回にわけて、その正体を見破り、使えるところは使ってしまえ、といった破天荒の解説を始めることにしょう。さて、最初にソーシャルメディアって何を指すのか。

1.ソーシャルメディアってインターネットに限らない

 カタカナの多いネット社会で使われる用語は、大方が米国発信。このソーシャルメディアという言葉も例外に漏れず、米国発。ただ、日本にもこの手の”概念”は昔からある。ちょうど、Newspaperを新聞と訳し、かわら版も読んでいた日本人だからね。

 ソーシャルメディアも直訳すると、社交媒体。何だかもっと意味不明になるので、もう少し深く読み取ると、ソーシャルは、社会と訳されていることにも気付く。ソーシャルは、社会交流、社交ということだ。また、メディアはマスメディアというように情報の媒体だから、ソーシャルメディアとは、社会交流をする情報媒体、平たく言えば、社会的なネットワーク、人的な交流の輪による媒体というわけだ。つまり、ネット社会でなくてもソーシャルメディアというのは現存していて、「口コミ」とか「井戸端会議」とか、「噂」とかいう、自分を中心にした人のつながりでの情報の交換を指すことになる。

 ただ、ネット社会だと、この人のつながりといったものが、相手の顔を知らない人でもつながってしまうものだから、話が複雑だ。自分が日記代わりに、今はやりの社員ブログを書いていたとしよう。顔も知らない相手から、悪意なく、「素晴らしいコメント」を頂くと、仲間になった気になる。そうすると、現実でなく、ネットだけでの「付き合い」が始まるわけだ。そこで、ここでは、(まあ、出会った人も含めて)ネットでの人付き合いの輪が、インターネットでのソーシャルメディアの特徴ということは覚えておこう。

2.ソーシャルメディアって公園でのおしゃべり、掲示板と変わらない

 ネット社会ではソーシャルメディアにどんな種類があるか、といったテクニカルなことは次回にすることにして、もっと重要なことを先に知っておこう。ネット上のソーシャルメディアの共通的な特徴だ。個人的にも会社でもソーシャルメディアを活用したいと思うなら、先ずはこの特徴をしっかり知っておこう。

 ネット社会は、大きく分けて二種類の情報源ある。一つは、公開されたモノ、もう一つは非公開。非公開の情報源というのは、企業内部や学校など特定の組織の人間と情報を共有するもので、外部の人間からは読めない(難しく言うと、アクセスできない、閲覧できない)状態で、パスワードなるもので、そっと自分だけに公開される状態にしてから見たり、書き込んだりするものだ。時々、それが外部に漏れて情報セキュリティが守られないといって大騒ぎになる。一方、公開された情報源は、企業の広告やウィキペディア、ブログなど、見てもらうのが前提のモノである。肝心なのは、情報源の公開・非公開の状態とその範囲をどう決めるかにある。

 ソーシャルメディアの大半は、公開が前提で使われている。非公開のモノもあるが、欧米で爆発的な加入者を誇るツイッターやフェイスブックは、公開が前提だ。つまり、自分が、ネットに投稿したり、コメントしたりといった行為は、他人から丸分かりである。問題は、それにつながった(リンクしたという)プロフィールなどの個人情報だ。つまり、例えて言うなら、公園で自分の胸に名札をつけておしゃべりしたり、掲示板に書き込んだりしていることをネット上でやっていることと同じ。ご丁寧に、名札には顔写真や誕生日、すきな食べ物、学歴までつけている人もいる。ここまで聴いて何だか危険と思ったら、もうわかるね。ソーシャルメディアは自己責任の世界である。プロフィールを載せるか載せないかは本人の自由だから、ネット社会以外の付き合いと同様に、TPOを考えないと、危険極まりない。でも、あまりに自分の正体を明かさずにいると、怪しまれて、ネット上では誰も相手にしてくれない。この頃い合いが、現実の人付き合いと同じというわけだ。最近のSNS(ソーシャルネットワークサービス)では、公開の範囲を、自分の親密度(ネット友達の友達といった具合に)で調整できるものも出てきているが、そもそも、ネットでの友達をどう位置付けるかも自己責任だ。

 便利なものは両刃の剣。TPOに応じて使い分けるのが、達人への道だろうね。

次回の予告:
次回は、ソーシャルメディアの現状での種類や特徴をあげてみよう。また、企業での利用がブームになってきているソーシャルメディア。これをつかった戦略の概要を考えたい。

松本英博 プロフィール

 

松本 英博(まつもと ひでひろ)

デジタルハリウッド大学大学院 専任教授/NVD株式会社 代表取締役

 京都府出身。18年にわたりNECに勤務。同社のパーソナルメディア開発本部で、MPEG1でのマルチメディア技術の開発と国際標準化と日本工業規格 (JIS)化を行い、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボで画像圧縮技術を習得のため留学。帰国後、ネットワークス開発研究所ではWAPや i-モードなどの無線インターネットアクセス技術の応用製品の開発と国際標準化を技術マネジャーとして指揮。

 NEC退社後、ベンチャー投資会社ネオテニーにおいて大企業の新規事業開発支援、社内ベンチャーの事業化支援を行い、2002年9月にネオテニーから分離独立し、NVD株式会社(旧ネオテニーベンチャー開発)を設立、代表取締役に就任。大手企業の新規事業開発・社内ベンチャー育成などのコンサルティング 実績を持つ。

 IEEE(米国電子工学学会)会員、MIT日本人会会員。神奈川県商工労働部新産業ベンチャー事業認定委員、デジタルハリウッド大学大学院 専任教授、現在に至る。

 

8月 10 11

ブラとも 山元町の縁日

by staff

 

 「縁日」という言葉には、どことなく懐かしい響きがありますね。

 「縁日」の語源は、お寺や神社に祭ってある神仏と何らかの縁がある日ということだそうです。江戸時代から「縁日」には、参拝客を目当てにした露天商が集まり「市」が開かれました。今でも日本各地の商店街では、「縁日」が開かれています。

 私が小さい頃は、夏になると近所の商店街の「縁日」に浴衣姿で出かけて金魚すくいをやったり、綿あめを食べたりしたものでした。

 故郷(秋田)から出てきてから、「縁日」とは縁がなかった私ですが昨日(7月30日)、何十年ぶりで横浜市中区にある山元町二丁目商栄会で開催された「チャリティー縁日」に行ってきました。

 7月の「縁日」は、この商店街恒例の催しで、今回は東日本大震災で被害を受けた宮城県山元町の支援を目的に行われました。

 「チャリティー縁日」に先だって、同商店街では7月18日から7月30日まで縁日セールを開催しました。加盟店で買い物をすると、縁日の出店で利用できる「縁日おたのしみ券」が500円毎に1枚発行するというものです。縁日券は縁日当日の夜店で利用することができました。

 昨日(7月30日)はあいにくの雨。18時から始まった「チャリティー縁日」はどうなっているのかと心配して出かけました。

 行ってみてびっくり。雨に濡れないアーケードの下は人で溢れています。特に多かったのは子供たち。浴衣を着た女の子たちがかき氷や磯辺焼きの屋台の前で列を作っていました。焼きそばのテントには50人以上が行列を作っていました。私も「縁日おたのしみ券」を使って磯辺焼きと焼きそばを購入しました。

 いつもはそんなに人通りの多くない商店街ですが、昨日は歩道が歩けないほどの人出でした。雨が降っていなければ、もっと賑わっていたでしょうに残念でした。嬉しかったのは人出だけではありません。屋台をやっているスタッフに若者が多かったこと、商店街や町内会の関係者だと思いますが、売り手にも活気がありました。

 どういう方々が参加されていたのか、山元町二丁目商栄会の鬼島さんに伺いました。「商店街のメンバーの他に、山元町二丁目の婦人部や子供会のメンバーもスタッフとして参加しています。また「焼きそば」は、第六地区の民生委員の方々、交通整理は消防団の方々が担当しています。今年は、地元の平楽中学校の生徒さんが地元活動に参加ということで、8名ほどお手伝いしてくれました。」

 鬼島さんのお話からも地域が一体となって盛り上げた縁日だったことが分かりますね。

 縁日ではどのコーナーにも義援金の募金箱が置いてありました。山元町二丁目商栄会は、宮城県山元町への支援を継続して行って下さっています。これまで宮城県山元町に二回訪問されていますが、年内に三回目の訪問を検討中ということです。

 ご近所の商店街で、子供の頃にタイムスリップした気分を味わうことができて楽しい「ともの現場」でした。

(画像をクリックして拡大写真をご覧ください)

 
「おもちゃ」 撮影:鬼島さん
 
「おもちゃ行列」 撮影:鬼島さん
 
「金魚すくい」 撮影:鬼島さん
 
「焼きそば」 撮影:鬼島さん
 
「水球」 撮影:鬼島さん
 
「賑わい」 撮影:鬼島さん
 
「綿あめ」 撮影:鬼島さん
 
「おもちゃ」
 
「縁日券」
 
「焼きそば」
 
「焼き鳥」
 
「募金箱」
 
「綿あめ」
 
「浴衣姿」
   

 

先月号に引き続き、今月号でも山元町二丁目商栄会の鬼島さんが作成された「瓦版」を
ご紹介いたします。 http://yokohama-now.jp/home/?p=5513

山元町二丁目商栄会 http://e-yama2-mall.com/

東日本大震災<宮城県亘理郡山元町>応援 http://e-yama2-mall.com/2011sinsai.html

山元3・4・5丁目町内会 http://d.hatena.ne.jp/y-345/

 

7月 10 11

再び、山元町(宮城県)へ!

by staff

 

 今回のともの現場は第二回目の宮城県山元町訪問と山元町のボランティアTシャツに「ヨコハマNOW」編集長のデザインが採用されたこと、そして横浜市中区山元町二丁目商栄会の鬼島さんへのインタビューと盛りだくさんの内容です。

 3.11からもうすぐ4カ月が経とうとしています。

 横浜に住む私たちは節電を強いられる生活ですが日常の中では大震災のことが話題になることも少なくなってきました。4月の宮城県山元町訪問時に廃墟となった坂元駅前でお知り合いになった成田さんからは時々現地の情報がFAXで送られてきていました。5月14日付けの新聞には、山元町では県発注分のほかに町独自で仮設住宅を建設することになったという記事が掲載されています。6月になったら仙台市若林区にある父母の墓参りに行こうと夫と話していた矢先のことでした。

 横浜市中区山元町二丁目商栄会の鬼島さんから連絡がありました。

 6月12日(日)に4月と同じように商店街で支援物資を受付ます。そして6月19日(日)に支援物資と義援金を持って再度宮城県山元町に行く予定です。

 「またやってくださるのですか。」
 「ええ、継続的支援が必要だと思いますから。」
 そんな言葉に私は思わず落涙しそうになりました。
 前回だってとても大変だったのに、また手弁当で支援物資集めをやって夜を徹して東北自動車道を飛ばして現地に届けてくださるというのです。

 横浜中区山元町の皆様の心意気に、私も微力ながら協力したいと「ヨコハマNOW」に横浜市中区山元町から宮城県山元町へ 第二弾!
 —ヨコハマから支援物資を送ろう—というメッセージを掲載しました。
 そして前回、支援物資集めを呼び掛けてくれた友人たちのメールマガジンにも同様に掲載してもらいました。

 ところが・・・
 第一弾では宅配便のドライバーにあきれられるほど届いた段ボールが今回は全く届かないのです。私の発信力に問題があるのか、それとも衣類以外は難しいのか、結局わずか数箱しか支援物資は届きませんでした。

 6月12日(日)の支援物資を集める日。私も商店街に見に行きました。やはり4月のときと違って人もまばらで、これはどうなることだろうと心配してしまいました。やはり前回の三分の一程度の分量だったということでした。

 「時間がたって意識が薄れてくると支援も難しくなってしまいますね。」
 と鬼島さんからのメールにもありましたが、本当に日本人は冷めやすい民族なのだとちょっとがっかりもしていました。

 さらに鬼島さんは今回の山元町訪問のために、「うちわ」を100本程度用意して、山元小学校の6年生の皆さんと山元町二丁目の子ども会のお子さんにメッセージの書込みをお願いしていました。その一部の写真です。心のこもったメッセージでしょう。暑い夏をこの「うちわ」で乗り切ってほしいという気持ちが込められています。

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 そして宮城県山元町で必要な物資を調べる過程に、私は宮城県山元町の災害ボランティアセンターでボランティアTシャツのデザインを募集していることを知ったのです。早速「ヨコハマNOW」編集長の辰巳に、「山元町のイメージでデザインしてよ」とお願いして、応募締切ギリギリにTシャツのデザイン画像を完成させてコンテストに応募しました。応募したときの背中のメッセージは「ありがとう」だったのです。現在は「心をひとつに」になっています。

 
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 私は6月18日(土)に仙台に向かう前日のことです。

 宮城県山元町の災害ボランティアセンターから連絡がありました。
 「応募されたTシャツのデザインが、山元町のボランティアTシャツに決定しました」というものだったのです。それにはびっくり。。。さらに驚いたことに、「仙台放送の番組で取り上げられることになっているので25日のオンエアまでにTシャツが完成していなければならないのです。」と言われたのです。「ウソでしょう・・一週間でTシャツが出来るわけがないですよ。」と思わず電話口で言ってしまった私でした。

 弊社のお客様で、日本のTシャツの元祖でもある久米繊維工業株式会社の久米社長にお願いすればなんとかなるかもと思って、久米社長に事情を書いたメールをお送りしました。なんとびっくりを通り越して凄い!!久米社長は19日(日)に仙台に来られることになっていて、「そのような事情なら、私も山元町に行きましょう」ということになりました。あまりの展開に言葉もない状況です。

 そして夫と私は6月18日(土)の早朝、仙台を目指して出発しました。
 仙台市若林区に住む80歳代の叔母夫婦はとても元気で、「半壊」と認定された自宅の被災状況を説明してくれました。叔母の「うちは大丈夫だから他の方々を支援してあげて。」という言葉がなかったら、私の山元町訪問はなかったよと話したら、「できることを無理せず継続することが大切だよ」とかえって元気づけられました。父母のお墓は、墓石が30度回転しているくらいで倒れてはいませんでした。ただ灯篭型の別の叔母のお墓は三分割に倒壊していました。あの墓石がこんな風にバラバラになるくらい凄い地震だったのだと改めて地震の強さを認識させられました。

 宮城県村田町の親戚を回ってお墓参りをして、その晩の宿である白石市の鎌先温泉に到着したのはもう周りが暗くなっている頃でした。そこでも思わぬ出会いがありました。

 私が露天風呂にはいっていたときのことです。後から入ってきた二人組の女性に「あんだ・・どこから来たの?」と聞かれました。「横浜です。」と答えると「うちらは石巻からショートステイでここに来ているんだ。」「石巻の避難所はひどい状況だよ。」を話しているうちに、仙台市で購入した山元町向けの支援物資(殺虫剤や蚊取り線香など)と知人から託された新品の夏物衣類をすべて石巻の方々に渡すことになったのです。

 6月19日(日)の早朝、私たちは山元町役場に向かいました。

 山元町役場は4月に訪れたときとは全く状況が異なっていました。
 まず自衛隊の姿がありません。役場の前にあった安否確認の掲示板もなくなっていました。日曜日なので役場の玄関は閉ざされていました。ようやく通常の勤務になってきたのかと思いました。それに対して、役場の隣の社会福祉協議会の前は、ボランティアの人たちで溢れんばかりでした。

 
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 横浜市中区山元町二丁目商栄会の方々は、すでに到着していました。ところが宮城県山元町の役場の方の姿が見えません。連絡がとれなくて私たちはずっと待たされていました。町の役職の方が姿を現したのは30分後のことでした。前回の訪問時には町長・総務課長と会見したことからするとちょっと拍子抜けでしたが、支援物資と義援金はきちんと受け取っていただきました。手書きの「うちわ」も由来を説明してお渡しすることができました。後で伺ったところでは、総務課長は過労体を壊してで休職されているそうです。いかに激務だったかですね。

 
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 商栄会の方々と役場前で写真撮影をして現地で解散しました。商栄会の方々は土曜日、お仕事が終わった深夜に出発し、明け方仮眠をして早朝に山元町に着いたそうです。山元町の被災地は瓦礫の整理も終わって、かなり復興作業が進んでいる状況だということでした。

 
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 支援物資を届けた後、私は隣の社会福祉協議会を訪ねました。担当の佐藤さんとTシャツのデザインについて話しているところに、仙台からレンタカーで久米社長が到着しました。久米社長からは「スケジュール的には厳しいが、25日のテレビ放映にまにあうように何とか頑張りましょう。」という心強いお言葉をいただきました。

 仙台放送の番組は「あらあらかしこ」という土曜日の10時40分から生放送の情報番組です。ディレクターの黒澤氏からTシャツのデザインについての取材を受けました。オンエアされたビデオを見てみると、柄にもなく緊張していて目が泳いでいる私で恥ずかしい限りですが、「山元町がイチゴとリンゴの産地であること、そして人々があたたかいことをデザインしたかったのです。」と格好いいことを話しています。

 
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 限られた時間でしたが、成田さんのお宅にも行ってきました。
 「山元町は他と比べて復興が早いようだよ。仮設住宅の入居も進んでいるし・・それは町長の力だと町の人たちは言っているよ。」と成田さんは話してくれました。そう町民に言われる斉藤町長の力量はきっと素晴らしいものだあるのだと思います。斉藤町長は昨年までは宮城県の職員で初代の危機管理監だっと伺って、さもありなんと感じた次第です。

 
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 久米社長は山元町を案内されて、「東北の湘南」と言われた山元町の自然の素晴らしさにすっかり魅了されたようでした。そして同時に津波によって失われた多くの命と風光明美な海岸地帯にも思いを馳せていました。

 久米社長の山元町訪問の「つぶやき」は、下記でご覧になれます。

 http://twilog.org/nobukume/date-110619

 6月19日(日)は、高速1000円の最終日。予想通り東北自動車道の渋滞に巻き込まれた私たちは日付が変わる深夜にようやく自宅にたどり着きました。

 6月25日(土)仙台放送の「あらあらかしこ」で山元町ボランティアTシャツプロジェクトは放映されました。放映時間は5分程度。私のインタビューも少しだけ写っていました。

 山元町災害ボランティアセンター(ボランティアTシャツが販売されました)
 http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10117

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横浜市中区山元町二丁目商栄会の鬼島さんにインタビューしました。

3月に宮城県山元町支援を打診されたときにどう思われましたか。

大震災が起きたときにあまりの被害のひどさにどうしようかと思っていたので、宮城県山元町のことを伺ったときに、一点集中で支援したいと商栄会は全会一致で支援を決定しました。山元町には、1丁目、2丁目、3・4・5丁目の三つの町内会があります。それぞれの町内会長に相談したところ、皆様協力してくださることになりました。私たちは当初から、これは長期戦だから継続して支援していこうと決めていました。

 
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4月の支援物資は募集は大変でしたか。

商栄会で支援物資を集めることを町内会では回覧板を回して広報してくれました。神奈川新聞に掲載されたこともあって、近隣の方々だけでなく金沢区や戸塚区などからも支援物資を持って来て下さいました。全部で200名以上の方から支援物資をお預かりしました。義援金も40万円ほどになりました。

支援物資収集の当日は、私たちも「山元町二丁目」のTシャツで頑張りました。

東日本大震災<宮城県亘理郡山元町>応援 (山元町二丁目商栄会)
http://e-yama2-mall.com/sien_110417.html

東日本大震災:同じ名前の被災地の山元町に支援、
日用品など提供呼び掛け/横浜(神奈川新聞)
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1104080007/

4月に初めて山元町を訪問したときの印象はどうでしたか。

商栄会の仲間たち10名で伺いました。津波の被害はこんなに凄いものかとあの光景を見て言葉も出なかったです。山元町の方に津波から児童を守ったということで有名になっている中浜小学校を案内されたのですが、こんな被害の中でよく全員生還したと思いました。山元町では町長さんはじめ多くの職員の方々とお会いすることができました。役場の中にあるFMラジオ「りんごラジオ」にも出演させていただきました。

りんごラジオ(宮城県山元町)
http://ringo-radio.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/417-7a33.html

東日本大震災:物資携え宮城訪問、
中区山元町が同名町民を支援/横浜(神奈川新聞)
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1104220014/

 
いざ宮城県山元町へ。
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山元町二丁目商栄会会長の石川さん
 

村上商店の村上さん

継続的な支援活動を続けられました・・

商栄会の各店舗には義援金箱を置いています。またフリーマーケットを実施して売上金を義援金にしました。5月にも山元町に義援金を送りました。

山元小学校でもお話されたとか・・

山元小学校六年生の児童会では宮城県山元町支援で自分たちは何をできるかを話し合ったそうです。5月に私が呼ばれて説明会を開きました。現地での写真を含めて話したところ児童たちは被害のひどさにショックを受けていました。現在、横浜市の山元小学校では自分たちが縫った雑巾を送ろうという計画が進められているそうです。

6月に第二回目の支援物資を募集されましたね。

4月のときと同様に準備をして山元町だけでなく、近隣の町内会にも掲示板やホームページなどで協力をしていただきました。また4月と同様に神奈川新聞にも掲載していただけました。

来て下さった方は前回のときよりは少なくて130名ぐらいでしょうか。支援のムードが薄れてきたことや支援物資の種類が限定されていたことなども原因かもしれませんね。

手書きの「うちわ」は鬼島さんが発案されたとか・・・

そうですね。
山元小学校の生徒さんが「被災地のために何かしたい」と考えているというお話をお伺いしていたことと、避難所や仮設住宅は暑いでしょうからと山元小学校にお話をお持ちしたところ、快く引き受けてくださいました。

商栄会の会員は私も含めてほとんど山元小学校の卒業生ですし・・・。

普段から行事のたびに小学校を訪れていて、交流があるのです。また、山元町2丁目の子供たちも親御さんと一緒にメッセージを書いてくれました。

鬼島さんは携帯ストラップも作られたそうですね。

「絆」という文字を描いた木のストラップを作りました。30本お届けしたら、りんごラジオさんから手書きのお礼状を頂きました。

津波被害の同名「山元町」を支援、
中区住民らが宮城に支援物資/横浜(神奈川新聞)
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1106100038/

6月の山元町訪問はいかがでしたか。

今回はご近所の日東農産種苗株式会社様でトラックを出してくれました。
高速代金は前回と同様に横浜市で補助してくれることになりました。

 
いざ宮城県山元町へ。
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中区役所の職員の方も含めて10名で行きました。山元町は瓦礫の整理も終わって、大分落ち着いてきた感じを受けました。

今回も無事、支援物資をお届けすることができて良かったです。

6月18日の深夜に横浜を出て戻ってきたのが19日の15時頃ですから、確かに強行軍ですね。

今後の支援についてはどのように計画されていますか。

商栄会では主要店舗の店頭に義援金箱を設置して引き続き募金活動を行っていきます。

また毎月第三日曜日に開催している「朝市」でも募金を呼び掛けます。7月30日には「東日本大震災チャリティー縁日」を開催し、そこでお預かりする義援金と収益の一部を被災地の山元町へ送金させていただく予定です。

縁日は、近隣の子供会や消防団の方々にも手伝ってもらって支援の輪を広げていきたいと考えています。これからもまた山元町を訪問できればと思います。

これからは宮城県山元町の特産品、「いちご」は今年は難しいかもしれませんが「りんご」などをこちらで販売できたらいいですね。

東日本大震災 第2回 山元町支援物資搬送活動報告書

鬼島さんは山元町を紹介するチラシも作っていらしたそうですね。

はい、ここで生まれて育っていますからね。愛着はあります。
市電の終着駅だった頃は山元町商店街はとても栄えていました。市電がなくなっても各店舗はそれなりに努力して今の商店街を築いてきたのです。私は 祖父がやっていた履物屋を継ぎました。会社勤めをやめて商売を始めたのでいろいろと大変でしたが・・・。10年前に山元町を紹介する「瓦版」を自分で作って配布しました。

とても素敵な「瓦版」ですね。これから「ヨコハマNOW」で紹介させていただいてよろしいでしょうか。

はい、なくなってしまった店舗もありますが、今でも頑張っている店舗もあるので是非紹介して下さい。

一度だけでも大変な支援物資集めを継続して行っていただけるとの横浜中区山元町の皆様の心意気に、横浜下町の人情の厚さを感じました。一方的に支援するというのではなく、お互いに交流できたらという気持ちも温かいです。「ヨコハマNOW」では、これからも横浜市中区山元町の支援活動をサポートしていきます。
また、鬼島さんが作成された「瓦版」を毎月紹介して、横浜市中区山元町を皆様に知っていただきたいと考えています。

横浜市中区山元町2丁目商栄会
http://e-yama2-mall.com/

横浜市中区山元町3・4・5丁目町内会
http://d.hatena.ne.jp/y-345/

※「瓦版」の紹介
10年前に作成しておりました「瓦版」の8月号です。
残念ですがこの中で紹介しているお店のうち
 「フォトショップK」さん
 「ヨコハマ写真」さん
はどちらも閉店してしまい、現在は存在しておりません。
 
誌面左下で紹介させていただいております「神輿コンテスト」は山元町二丁目商栄会が主催し、今までは山元町二丁目の商店街通りで開催されておりましたが、今回は警備その他の問題から山元小学校で実施する予定になっております。
 
(画像をクリック拡大版をご覧ください)

(横浜でも警察官の方などが被災地に行かれているそうで、極力交通を円滑に とのことです)

 

7月 10 11

宝石をキャンバスに横浜の景色を描いてみました。
横浜ジュエリー業界の老舗「エメラ」の三代目社長 大島貴子さん

by staff

 「宝石をキャンバスに横浜の景色を描いてみました」 馬車道、山下公園、中華街・・・日々、移りゆく横浜に「ふるさと」を探して・・・時代の逆風の中「エメラ」を守り、育み、そして今、新しい未来を創ろうとしている。横浜ジュエリー業界の老舗「エメラ」の三代目大島貴子さんにインタビューいたしました。

大島貴子さん  
名前 大島 貴子(おおしま たかこ)
出身 横浜/馬車道
現住所 横浜市磯子区
生まれ 7月11日生(誕生石はルビー)
ご家族 父と弟
趣味 音楽鑑賞。歌舞伎観劇。美術鑑賞。
アロマテラピー。宝石が好き。
絵を描くことが好き
性格 負けず嫌いで完璧主義なところと、ボーっとしているところがあります。我儘なところと忍耐強いところも混在しているようです。自分では気付きませんでしたが、苦労が顔に出ないタイプで天真爛漫系らしいです。
エメラ http://www.emera.jp/
横浜市西区南幸1-4-B1
(横浜西口地下街ザ・ダイヤモンド)

大好きな横浜の景色や古き佳き横浜の思い出を宝石で絵画のように表現してみたい

 ボルダーオパールを見た時に、その自然な色や形の趣を生かして何か作れないかしら?と思いました。ボルターオパールは、石の中にオパール層が入り混んで不思議な模様を作りだしています。古代紫の上品な色、藍の紺、石の色に滲んでいる青・・・山下公園から見た横浜の海の感じに似ていると思いました。茶の色やワインレッドのボルダーオパールからは馬車道を連想いたしました。こうして一品一品手作りで仕上げたのが、オリジナルジュエリーの「横浜シリーズ」になりました。

 ジュエリーデザイナーは現在2名いまして、チーフデザイナーは山口智子です。20年前から私と一緒に仕事をしています。東京生まれの山口を横浜中連れまわしたこともありました。「私が作りたいのはこの景色なの」と言うと山口が数点のデザインを描いてくれます。石合わせをしてイメージが出来上がると、職人との打合せになります。「バチカン部分はカモメにしましょう」「窓はサファイア?」「ルビーが可愛いわ」と・・・絵を描くのが大好きだった少女の頃に戻ったようです。職人と細部にわたってチェックを交えながら仕上げるので3カ月ほど掛かって店頭にデスプレイされます。お陰さまで横浜を愛するお客様からご好評をいただき連作を重ねております。

 

YOKOHAMAノスタルジー

〔K18/WG/PG/ボルダーオパール・ダイヤモンド・ルビー・エメラルド・サファイア・パライバトルマリン・ブルートパーズ・シトリン〕

変わりゆく横浜をずっと見守ってきた開港記念館(ジャック)、横浜のシンボルとして親しまれてきた懐かしくも新しいマリンタワー、氷川丸。ノスタルジックな横浜の情景を、オパールの深く碧い海原をバックに配し表現しました。

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みなとみらい

〔K18/Pt/ボルダーオパール ダイヤモンド ルビー エメラルド〕

とても美しいコバルトブルーの石の色を見た瞬間に、新しい横浜の象徴「みなとならい」地区の光景が浮かびました。
沖合いにはベイブリッジとカモメの鳴き声・・・。
秀逸なバランスで横浜シリーズの代表作とも言えるこの作品は、横浜港の埠頭に立ち、その風に吹かれたような爽やかさです。

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人生は波乱万丈・・・傷ついたアコヤガイから生まれるのが真珠

 「エメラ」は私で3代目になります。正確に言うと「エメラ」はここ横浜西口地下街ザ・ダイヤモンドの店舗の屋号で、母の誕生石の「エメラルド」から「エメラ」と名付けました。「ダイヤモンド」と「エメラルド」・・・本当に高級感溢れる取り合わせでしょう。(笑) 私の名前の貴子も「貴石」から付けたのです。本当は翡翠の翠(みどり)と名付けたかったのですが、漢字が使えなかったから(苦笑)貴子になりました。

 7月11日馬車道で生まれました。誕生石はルビーです。伊勢佐木町、馬車道、山下公園、中華街・・・そして実家の宝石店が遊び場でした。もともと祖父の時代から、横浜で宝石商として海外から宝石の原石などを買いつけ国内の宝石店に卸していたので、家に大きな原石があるのが当たり前のような子供時代でした。父も若くして家業を継ぎ、親族が経営する店も増え、何事も順風に進んでいくかのように思えたのですが・・・バブルの崩壊、金融危機、価値観の変化、多店舗展開が逆風となって、私の行く手を阻むことになります。夢に描いた人生と違った人生を歩むことになりました。

  初代の祖父から贈られた誕生石スタールビー。
赤いスターが入るのが珍しい逸品です。
祖父は「貴子の石だ」と言いながらも
しばらく店頭に出したが買い手が無く
名実ともに私のものとなりました。

「宝石」が好き・・・磨かれてこそ耀くのです

 大学生時代、米国でファッションジュエリーに出合いました。ジーンズを履いた若者たちが気軽に買うのを見て「これならやってみたい」と思いました。ところが「それは宝石ではないアクセサリーだ」と家族の強い反対に合い、「宝石」をあきらめて保険会社に勤めました。それでもやっぱり「宝石」が好きで、家業を手伝うことになります。この頃からエメラだけの「オリジナル」を作りたいと思っていました。祖父、父の代からの古参の従業員にとっては、私は幼いころから知っている「お嬢ちゃん」で、新しい提案をしてもなかなか受け入れてもらえませんでした。人間関係の中で悩み、苦しみました。今の私がここにいるのはこの時に多くを学んだからだと思います。

スケッチブックとクレヨンの香り、横浜の景色の中に少女の頃の「わたし」を探しています

 ボルダーオパールを使った「横浜シリーズ」は一点物で手作りのため、もっとリーズナブルで楽しめ、満足度が出せるもの・・・プリカジュール・エナメルを使った「横浜ジュエリー」を発表いたしました。

 19世紀のガラス工芸家でジュエリー作家のルネ・ラリックが愛した手法がプリカジュールエナメルです。光が鮮やかな色をまとって透過します。まるでステンドグラスのようなロマンチックな耀きです。そこに横浜の景色を描きました。横浜の古き佳き時代のノスタルジックな香りに思いを馳せるのも、移り行くみなとみらいの景色に遊び心を見つけるのも「横浜ジュエリーシリーズ」の楽しみ方のひとつです。職人の高い技術がそこかしこに見られます。これも私のイメージを山口たちデザイナーや職人と一緒に形にした作品です。

 私は「良いデザイナーとは?」と訊かれると「お客様のご希望を形にできる人」だとお答えしています。自分の考えたデザインをお客様に押し付けるようなデザイナーは世の中には大勢いらっしゃいます。完璧に計算され、完成したデザインをお客様のご希望に合わせて「変える」ことを嫌うデザイナーもおります。私はお客様の「思い」が大切だと思います。お客様のお話しを伺いながらデザインを考えるのが「エメラ」の新しいコンセプトになりました。

 宝石のリフォームも積極的におこなっております。宝石は形を変えながら代々受け継いでいけるものだと思います。私も母の形見の翡翠のネックレスをパールや金のパーツを入れてブレスレットにリフォームして身につけています。新しく再生するので「リメイク」とか「リモデル」とかという言葉を使うこともあります。

 

観覧車とみなとみらいのホテル

〔K18/K18WG/ダイヤモンド/ガーネット/七宝/透胎七宝〕

アンティークな窓に浮かぶのは、透胎七宝の深い藍の夜。観覧車とみなとみらいのホテルが輝いています。観覧車は可動式です。ときめきをのせてゆっくりと廻ります。

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クィーン(横浜税関)とベイブリッジ

〔K18/K18WG/ダイヤモンド/透胎七宝〕

カモネが飛び交う鮮やかな夕日に映えるクィーンとベイブリッジ。歴史ある横浜からベイブリッジを越えて遠い世界へ。そしてまた帰ってくる。スケールの大きな時間と空間が美しく凝縮された作品です。

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マリンタワーと氷川丸

〔K18/K18WG/ダイヤモンド/透胎七宝〕

丸い船窓から見えるのは氷川丸とマリンタワー。横浜の海のシンボルです。海の色は懐かしさを感じさせる優しい色合いで表現しました。昭和から続く横浜の風景。沢山の思い出が浮かんできます。

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ホームページにギャラリーを作っています

 エメラ手作りオリジナルジュエリーは「横浜シリーズ」だけでなく、「アニマルシリーズ」「プレシャスシリーズ」などテーマをつけたシリーズを前後して発表しております。

「横浜シリーズ」では開港150周年を記念して、「赤い靴」を発表し、初めてシルバーとエナメルを使ってみました。お陰さまで若い方々にもご好評をいただいております。  
  アニマルシリーズの中の「フロッグ」はメキシコ産のオパールの原石の形と、オレンジ色の中に緑の色が浮かぶのを見た時に「カエル!」と思ったのがきっかけで作りました。

 「プレシャスシリーズ」は石の良さを際立たせる為にシンプルなデザインですが、他では見られない一点物のデザイン性と作りの良さで、多くの方に愛されているシリーズです。

 こうして出来上がったものを作品として見ていただこうと思いホームページに写真をアップいたしました。バーチャルギャラリーとして見て頂きたいと思っています。皆様にいろいろな宝石の楽しみ方をお伝えできたら嬉しいです。

ホームページギャラリー:http://emera-yokohama.jp/

大島貴子さんにとっての横浜とは

 横浜が都会化されていくのが嫌でした。「みなとみらい」も最初は人工的で好きになれませんでしたが、最近はだいぶ昔からの横浜の景色と馴染んできて、大桟橋や万国橋から見る「みなとみらい」の景色がお気に入りになりました。でも、やはり生まれた馬車道や子供の頃によく遊んだ伊勢佐木町、山下公園の方が愛着がありますね。山下公園から見る海・・・辛い時は良く海を眺めました。横浜で生まれたので横浜に田舎を感じていたいのでしょうか? 自分が帰る場所「ふるさと」横浜が大好きです。

 
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(取材・原稿:高野慈子

 

7月 10 11

非凡な人間観察眼で横浜をキリトル。個人放送局YCMB(やんちゃでC調マジメにバカやる放送局)代表でカメラマン 磯田 守人さん

by staff
磯田守人さん  
名前 磯田 守人(いそだ もりと)
出身 東京都大田区
年齢 不詳
家族構成 独身
現在の居住 横浜市神奈川区
職業 カメラマン
趣味 人間観察
自分の性格 臨機応変優柔不断他力本願

YCMB
(やんちゃでC調マジメにバカやる放送局)

MoiMoi。のひとりごと

今のお仕事を始められるまでをお話ください。

 大田区出身なので実はお坊ちゃんなのです。(苦笑)
某テレビに勤めていた父は、僕が浪人中に亡くなりました。
大学だけは出ておいてくれと母親に泣きつかれ、経済学部をちゃんと4年間で卒業しましたよ。

 学生時代から様々なアルバイトをしていました。ジャズクラブ「ピットイン」や高輪プリンスホテルで皿洗いをやったりNHKで小道具係をしていたり、レコード会社にも出入りしていました。

 大学卒業後レコード会社に就職して、宣伝部に配属されました。
RCサクセション・来生たかお・高中正義などの宣伝を担当していました。

レコード会社にという安定した仕事に就いていたのに、なぜカメラマンになったのですか。

 これは全くの偶然です。(笑)
会社の先輩に誘われて新宿のカメラショップに行きました。
そこでカメラと出会ってしまったのです。
最初に購入したカメラはドイツのローライというメーカーのものです。
写真を勉強したのはわずか二カ月です。私の師匠である三浦憲治氏のアシスタントをやらせていただきました。
師匠からは「失敗だけはするな」と口酸っぱく言われました。

 それから20年以上フリーカメラマンとして活動してきました。
音楽を通じて雑誌社に知り合いがいたこともあってミュージシャンのポートレイト等仕事は途切れませんでしたね。有名人よりも普通の人を撮影するのが好きでした。

 F-1華やかなりし頃のドライバーのポートレイトを撮影したこともあります。セナや、マンセル、プロストなどを撮影しました。今となってはいい思い出ですね。

なぜ横浜に来たのですか。

 4年ほど前・・一身上の理由ですべてを捨てて横浜に住むことにしました。
理由は・・・不明です。(笑)
最初の一年は横浜中を歩き回りましたね。
横浜にはたくさんの発祥地があり、それを巡るだけでとても新鮮でした。
その中でも根岸の外国人墓地は忘れられません。
山手駅のそばなのに訪ねてくる人もほとんどなく、墓地内には800体を超えると言われる子供たちの亡骸が眠っています。

※ヨコハマNOWでも取材しています=>横浜の外国人墓地

 まるで外国人が観光しているような感じで、とても新鮮な気分でしたよ!!

横浜での活動開始は何がきっかけですか。

 横浜のSNS[ハマっち]で知り合った橋本康二さん(横浜市民放送局)との出会いが大きかったですね。

 Y150(横浜開港150周年の開国博)を前にして、「横浜の名物」を探し出そう等様々な企画がありました。そんな中で私は横浜中央卸売場を横浜の名所にしてしまおう・・という運動に入っていったのです。市場を見るツアーなども企画しましたね。

 橋本さんと一緒に、「市場でインターネット中継をやろうよ」ということになりました。
「市場祭り」でインターネット中継をやりたいと当時の理事長にお願いにいったら二つ返事でOKが出ました。
Stickamというシステムを使って、インターネット中継を実現したのです。
2008年10月、「市場祭り」の生放送には5000アクセスもあってびっくりしました。
インターネット中継は、確実に我々の世界を広げていくと確信しました。

 2009年1月に橋本さんが中心になって、横浜開港150周年のプロジェクトとして「市民の市民による市民のためのインターネットテレビ」 横浜市民放送局が立ちあがりました。

Y150横浜市民放送局

 私も横浜市民放送局を手伝いながら、私の個人放送局YCMB(やんちゃでC調マジメにバカやる放送局)の活動も始めていました。第一・三土曜日の市場開放日に中央市場にある生ハム屋「ジャストミート」の店頭でインターネット中継を始めました。ポートサイド地区のお店のビデオ取材もやりましたね。

 YCMB(やんちゃでC調マジメにバカやる放送局)は別名「臨機応変優柔不断他力本願海賊放送。何が起こるか分からない、何が起こっても驚かないインターネット放送局」です。

注)「ヨコハマNOW」では、何でもありの放送局だと解釈しています。

 

YCMBのスタジオマーク

 坪倉さん(坪倉商店代表)と出会ったのも2008年でした。
坪倉さんとの縁で、ポートサイド地区で毎週日曜日に行われていた朝市「濱の市」などをインターネットで生放送しました。

 2010年1月からUstreamを採用しましたが、市場からの生中継はしなくなりました。
(市場以外で時々海賊放送的にやっています)

今後の活動を教えて下さい。

 まず「坪倉TV」(坪倉さんが主人公のインターネット放送局)のコンテンツ制作ですね。
自称「坪倉さんを有名にする」プロジェクト代表です。(苦笑)
坪倉さんの活動を映像を通して広報していきたいと考えています。

 最近は映像と文章の融合について真剣に取り組んでいます。
書いた内容を映像でも表したいのです。「創造」することが自分のフィールドだと思っています。

磯田さんは絵本作家を目指していらっしゃるとか・・。

 
坪倉 良和氏
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PIX BY 磯田守人

 誰も信じないでしょうが・・本当です。
MoiMoi(フィンランド語でさよならの意味)というペンネームも子供にわかりやすいと思ってつけました。

 絵本は2005年頃から書いています。
例えば大残橋で「moimoi丸」が活躍するストーリーなど。。。
同時並行で何本かの童話を書いていますよ。

 私のブログにはいくつかの童話をアップしています。
『まいちゃんと大きなトランク』や『まいちゃんと星の子ども』は是非読んでいただきたいですね。

童話『まいちゃんと大きなトランク』

童話『まいちゃんと星の子ども』

 趣味の「人間観察」も最近とみに面白いと感じるようになってきました。
「人間観察」を続けていくと、人間の機微がわかるようになります。
以前はシャイだった私ですが、今は「人と会うのが大好き」になりました。

横浜は磯田さんにとってどのような存在ですか。

 横浜はもっと海を利用したほうがいいと思います。
横浜は自分をブランドだと思っていますが、このままでは川崎に負けてしまいますよ。

 東京との違いは人口が少ないこと、だからよく人に会う。たまには知らない人にも声を掛けられてびっくりすることもあります。

 なんだかんだ言っても、私は「横浜が好きです!!」
皆で横浜をもっともっと楽しい街にしていきたいね。

 
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 磯田さんはご自分のことを優柔不断で他力本願な性格だと仰いますがとんでもございません。ご自分の生き方に筋を通されている凛とした姿勢がとても素敵な方です。インターネット放送の世界でも絵本の世界でも今後のご活躍が期待されます。

 

7月 10 11

フェイシャル&メイク さくらの愛犬。ブラック&ホワイトのジュリちゃんとぷぅちゃん。

by staff

横浜市鶴見区で「フェイシャル&メイク さくら」を経営する櫻本ゆかりさんの愛犬は、有名ゴルフウェア ブラック&ホワイトスポーツウェアのキャラクターにもなっている、スコティッシュ・テリアのジュリちゃんとウエスト・ハイランド・ホワイト・テリアのぷぅちゃん。


スコティッシュ・テリアのジュリちゃん
8歳 メス
 
ウエスト・ハイランド・ホワイト・テリアのぷぅちゃん
8歳 メス

 

Data Map

フェイシャル&メイク さくら

     
  所在地・電話番号 〒230-0031 神奈川県横浜市鶴見区平安町1-58-402
TEL : 045-504-3126
E-mail : sakura@makeup-sakura.com
  Website http://makeup-sakura.com/
  営業時間 お電話でご確認ください。
  交通 ●京急鶴見市場駅より徒歩10分
●川崎駅より29系統のバスで約10分「平安小学校駅前」バス停で下車 徒歩1分
●京町循環「京町」バス停徒歩2分
  Access Map アクセスマップを表示

 
キャンペーンやイベントなどのお得な情報を随時更新しています!

 

7月 10 11

有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

by staff

♪有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする♪


絵・千絵崇石
 

 前回は和泉式部の娘、小式部の内侍の歌を紹介したので、今回は紫式部の娘、大弐の三位の歌を紹介します。現代語訳・・ 風がふけば笹の葉は ゆらゆらと揺れるけど 貴方が来る来ないと言って私の心は揺れませんよ。

 「あなたの事を 忘れて猪名(いな)いのよ 心変わりは有馬(ありま)せんのよ」

 この現代語訳・色んな方が訳されていますが短い歌の中に沢山技巧的な所があってそれが全然嫌みでなくてすらすらっと歌えます。今回は千絵崇石さんの”歌仙絵百人一首”からの訳を掲載させていただきます。さて大弐の三位は若くして亡くなった小式部の内侍とは正反対。とても長生きされた女性で80歳の時にも歌会に出ていたといわれています。この歌はあまり逢いに来なくなった

恋人が間の悪さを誤魔化すつもりか、あべこべに「君の心がいまいち・・・わからなくて・・」とか何とかぼそぼそ言ったので返した歌とのこと。

 百人一首には母と娘が選出されているのは、前回の和泉式部*小式部の内侍と紫式部*大弐の三位のふた組だけ。それだけに親の才能もさることながら、娘の才能も素晴らしかったんだと思います。彼女は母と一緒に彰子皇太后に仕えていましたが、まだ十四~-五歳の時に母親の紫式部は世を去ってしまいます。しかしくじけることなく持ち前の明るさと聡明さで宮廷女房として泳ぎ渡ります。その後.貴公子達と次々と恋をしてその中の恋人との間に一人娘を産んだのですが、その同じ年に後冷泉天皇が生まれて、彼女は乳母に抜擢されました。天皇の乳母はとても権限が大きいのです。幼い天皇へのしつけもきわめて評判が良くて彼女の地位はどんどん上がります。女性としては破格の大出世。そして、彼女が37歳ぐらいの頃大金持ちで太宰府の長官でもある高階茂章と結婚します。若いころはプリンス達と恋をして、その後、自分で成功を収めてそのあとに大金持ちと結婚する。まるで現代のキャリアウーマンの理想の様なその生き方にため息が出てしまいますが。十代で一人ぼっちになってしまった彼女が持っていた素晴らしい資質。持ち前の明るさや勝気さ、そして才能等が絶妙にバランスを保って彼女を支えていたのだと思います。こんなことを知ってもう一度この「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を、忘れやはする」を読むと彼女の人となりの才気のきらめきが感じ取れます。美人で明るくてユーモアもあってイイ女だったんだろうな・・・

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

7月 10 11

ベンベン姐さんの三味線はじめ (こんな女に誰がした?!) 其の弐

by staff

地歌 上田恵子

江戸時代、地唄は上方で行われた三味線を用いた音曲(三味線唄)であり、
江戸唄に対する地(地元=上方)の唄であります。
多くの三味線音楽の中でも、最も古くまでさかのぼることができるもので、
多くの三味線音楽の祖といわれています。

「夏は蛍」
夏は蛍の 灯火に
短かき夜半の くよくよと
鳴きあかしたる 時鳥(ほととぎす)
仰げば 顔に ぱらぱらと
あれ 村雨が 袖 うちふりて
よいよいよいよい よいやさ

   
   

 

ベンベン姐さんのライブインフォメーション

 

「松井英明還暦記念絵画展」にて
筝や三味線を演奏いたします

日時:7月18日(月)と7月23日(土)の、15時~18時
場所:ガレリア・セルテ GALERIA CERTE
(JR関内駅前 セルテ3F)
お問合せ:ガレリア・セルテ TEL:045-651-5471(11:00~19:00)

 

NPO横浜移動サ-ビス協議会 さぽーと・川崎発足式&
チャリティーコンサート

水谷 美月(ヴァイオリン&唄)さんとの二人会

日時:8月5日(金)14:00~16:30(受付・会場:13:30)
料金:¥1,500(1ドリンク付)
場所:アートフォ-ラムあざみ野・レクチャールーム
横浜市青葉区あざみ野1-17-3

入場料:障害者手帳をお持ちの方は無料、付添いの方1名は無料
   介護認定を受けている方は 無料、付添いの方1名は無料
   (無料入場者は60名様に限らせていただきます) (予約制)

一般大人:1,500円(前売り制)
子供(小学生・中学生):800円(前売り制)

チケット購入方法
NPO 横浜移動サービス協議会 TEL045-212-2863
さぽーと・横浜 福田恵一 TEL090-1200-5830
さぽーと・川崎 右田善一 TEL090-8054-2264
ホ-ムペ-ジ  http://www.yokohama-ido.jp

 

第7回 落語と地唄の二人会 ベンベン女とペチャクチャ男

プログラム ①落語 ②地歌 ③落語 ④筝 ⑤ごあいさつ
終了後、恒例の食事会開催!
演の市の美味しい魚料理をみんなで食べませんか??(参加自由・食事代別途)

日時:8月20日(土)開演:17:00~
料金:¥1,500(1ドリンク付)
場所:「濱の市」大口通商店街 詳しくはこちら

 

その他のライブインフォメーションはベンベン姐さんのHPをチェキ http://www.uedakeiko-ziuta.com/

 

お弟子さん募集

 

オリジナルCD 「月の光」

 

ベンベン姐さんこと 上田恵子さん プロフィール


今月の普段着
 

東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業後、地歌演奏家として研鎖を積む。
日本古来の伝統芸能「地歌」と言うジャンルの可能性を広げるべく、料亭・バーなどのスペースを中心に、ひとり地歌ライブ(三味線古典曲)で活動中。
自作曲の製作にはじまり、尺八・ギター・胡弓等との他ジャンルとの共演も精力的に行い、毎回ユニークなコンサートを行つている。

活動情報はオフィシャルサイトまで http://www.uedakeiko-ziuta.com/

 

7月 10 11

ペンギンカメラクラブ主催 第10回「写った写真展」俳句付 開催のお知らせ

by staff

 

日 時 平成23年7月24日(日)~7月31日(日)
会 場 横浜駅西口 県民センター 1F
入場料 無  料
内 容

ペンギンカメラのカメラファンが日頃撮りためた作品や、ペンギンカメラが実施した撮影ツアーに参加し、撮影した作品など、全紙サイズの約50点程の作品が展示されております。

又、この作品に俳句の会「握手」の会員が俳句を付け、写真と俳句を同時に展示し、互いに面識の無いそれぞれの作者の感性を併せて楽しんで頂く写真展です。

又、ペンギンカメラ会長が、写真展開催期間中パワーポイントを使い、写真の原理原則を解説する「上手な写真の撮り方教室」も同時に開催されます。

デジタルやフイルムにこだわらず、カメラの事、写真の事、興味がある方は、ご来場頂き、ペンギンカメラ会長のこだわりの話を聞いて頂ければと思います。

ペンギンカメラホームページはこちら
(ヤフー、グーグルの検索 「ペンギンカメラ」で一発検索です。)

 

7月 10 11

「幸福力(しあわせりょく)」マキノ出版 斉藤一人著

by staff
「幸福力(しあわせりょく)」マキノ出版 斉藤一人著  

 きれいな言葉を使っていると、人生はよくなる、地獄言葉を使っていると、使った通りの人生になっていきますと語られます。天国言葉は自分も相手も楽しくなりますと話されます。

 「しあわせりょく」この本の特徴は第2章から5章までは質問に答える形になっています。

例えば「質問」「広い世の中には、理不尽な悪意を持った人や、人を傷つけようとする人もいるような気もします。そういう人がいるとしたら、パッと見分ける方法や出合わない方法なども、あるのでしょうか」

 これに対して「そういう人を見抜くっていう方法なんですけど、人間ていうのは、直感で第一に、パッと会った時に実はわかるんです。この人怪しいって、本当は思うんです。この人怖いとかって。その直感をだますことは

できないんです。」「ちなみに言いますけど、初対面で、たいして親しくもないのに、うちの親戚にこういう人がいるとか、大金持ちがいるとか、僕はこういういい学校を出ているとか、普通は、金持ちほど絶対に言わないですよ。」だから直感を信じて逃げてくださいと語られます。

 「質問」「人に好きになってもらうために必要なことはなんでしょうか」

 これに対して「今日一日、人に親切にしよう。そして、奉仕のつもりで働こう。それだけでものすごい魅力的になるから、いろいろやらなくていい。いろいろやるからできないんだから。一個やってください。一個だけでも天国言葉を使うようにする。今日一日、人に親切にしよう。これを40回言う。」

 第6章はお弟子さんとの会話のやりとりになります。幸せな生き方の神髄についてです。

 「人間てね、会う人、会う人に得させる人と、損させる人がいるんだよ。 でな、 いつも損ばかりかけている人生って必ず自分に返ってくる。けっきょく損する。いつも、人に会ったら、自分だけ得するようなことしてたら、巡り巡って自分が大損するんだよ。だけど、自分が会う人、会う人に得させてると、必ず自分にいいもんが回ってくる。」

 一人さんはなんでもプラスに考えることだといいます。どんなことも「おもしろい」と考えるのです。登る山がまたそこに現れたんだとかんがえるのです。ただその前提条件があります。例えば働くのが好きではないと言う人には、「一生懸命働いていないのだ」といいます。やりがいのある仕事を探している人には「職を自分が探すと思っているけど、仕事に自分が呼ばれるんです。仕事に呼ばれるから、今やっている仕事を奉仕のつもりでがんばってやる、というふうにすると、どこでも天職になっちゃう。」

 夢を実現するために良い方法があります。問題を「プレゼント」と考えるのです。プレゼントというのは、必ず自分の苦手なことなのです。そのことに取り組む事が夢の実現になるのです。

 第7章は「不況の本当の原因」です。

 「質問」「取り越し苦労、持ち越し苦労をしない」には、いつだって、100年前よりいいと言って次の回答をします。「未来を心配するっていうのは、本当はおかしいんだよね。日本て、こんなに人口があって、生きていくんだって、米は余るほど取れているんだよ。玄米を食べれば、世界から輸入しなくても平気なんだよ。玄米って完全食なんだよ。塩をかけてても平気。イワシでも食べれば全然平気なんだよ。今迄と同じものを食べたいとかいうからおかしいんだ。」

 天国言葉とは、
「ついている」「うれしい・楽しい」「感謝しています」「しあわせ」「ありがとう」「ゆるします」

 一人さんは、この本を読んで、幸福力をつけ、無理なく幸福になってくださいと語られます。

(文:横須賀 健治)

<参考>

 

7月 10 11

保土ケ谷の歴史的資源 『東海道保土ケ谷宿』

by staff

『東海道保土ケ谷宿』のこと

 今回は、名物会の活動や各店の紹介の前に、各店の魅力を一層ご理解いただくため、保土ケ谷の歴史的資源『東海道保土ケ谷宿』について簡単に説明させていただきます。

 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦を制した徳川家康は、天下統一の総仕上げとして、全国の街道の整備に取り掛かります。街道整備は人馬をはじめ物や情報を迅速に流し、文化や技術の発展を促します。また、謀反の気配をいち早く察知することも可能にします。それは、徳川の天下を揺るぎないものにするためには必要不可欠な取り組みでした。そして、その街道整備の中で最も重要だったのが京と江戸を結ぶ日本のメインストリート<東海道>でした。家康が行なった街道整備は、具体的には江戸・京都間を移動する役人が馬を乗り継ぐための「駅」を平均2里(約8km)の間隔で東海道の街道沿いの集落に作ることでした。この駅のことを宿場(または宿駅)と言い、役人が乗り継ぐための馬のことを伝馬(てんま)と言い、家康が整備したこの街道のシステムを<宿駅伝馬制度>と言います(駅伝のルーツです)。

 宿駅伝馬制度によって江戸・京都間に53の宿場が作られます(=東海道五十三次)。保土ケ谷宿は、日本橋を出発して品川・川崎・神奈川に続く4番目の宿場として関ヶ原の合戦の翌年(1601年)に定められました。

 東海道は、京都と江戸を結ぶだけではなく、各地に繋がる枝道を結ぶ軸でもあったため(保土ケ谷からは八王子・杉田・金沢・鎌倉など)、たくさんの人が利用し、とても賑わいました。保土ケ谷宿も例外ではなく、伊能忠敬や吉田松陰など歴史上著名な人物もたくさん保土ケ谷宿を訪れています。

 東海道の旅の初日は、七つ(朝4時)に江戸を発ち、男性であれば約10里(約40km)を歩き戸塚宿で最初の一泊をするのが一般的だったそうです。そして、保土ケ谷宿から戸塚宿に向かう際に旅人を待っているのが江戸を発って最初の難所と言われた権太坂。保土ケ谷宿は、旅の初日に待ち受ける最大の難関に向かう前の休憩場所としても多く利用されたのではないでしょうか?同じように、権太坂を乗り越えた後、武蔵国と相模国の国境にある境木には、境木立場(たてば)があり、多くの茶屋で賑わったそうです。

 その他、保土ケ谷宿には、横浜開港の道「横浜道」を整備し、横浜町の初代総年寄となった保土ケ谷宿の名主・苅部清兵衛、絵師の人気スポット「帷子橋」、生麦事件の後、薩摩藩を匿った史実など、興味深い人・名所・エピソードがたくさんあります。

 保土ケ谷宿名物会は、それらの歴史的資源を熟練の職人達が「味」に変え、地域に伝えています。

 次回からは、各店の店主や商品、そして名物会の活動を、保土ケ谷宿の歴史と併せお伝えしていきます。

レポーター プロフィール

山田浩和(やまだひろかず/Yamada,Hirokazu)

合資会社 笑う門 代表社員
保土ケ谷宿名物会事務局

1971年8月生まれ。獅子座のO型。保土ケ谷生まれの保土ケ谷育ち。
2003年、合資会社「笑う門」を設立。<オンリーワンの価値創り>のお手伝い。
会社設立時に制作したミニコミ誌がきっかけとなり、保土ケ谷のまちづくりにドハマリ。
現在、歴史や地産地消など、地域資源を活かしたまちづくりに幅広く取り組んでいる。

合資会社 笑う門 http://www.warau-kado.com

各社・各店・各個人が持つ十人十色・百人百色の目に見えない財産(経験・体験・知識・技術・ノウハウ・アイデア等)を活かした販売促進企画・商店街活性・まちづくりを推進しています。

業務内容 :
 ●シンボル制作
  ネーミング / シンボルマーク / ロゴマーク / キャラクター企画・制作
 ●広報(コミュニケーション)媒体制作
  ・簡易版会社案内(A4版三つ折り)制作
  ・ニュースレター(A4版)制作
 その他、フライヤー / ポスター / 小冊子 / 名刺 / のぼり旗 / エコバッグ / ユニフォーム、など

ヨコハマNOW掲載情報

 

7月 10 11

7月 三ツ池だより 「紫陽花そこにあるもの」

by staff
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 会社の一日バス旅行に新聞でも持ち込もうと、いつもと違う新聞を買った。毎日新聞6月25日号である。次のような記事が目に飛び込んできた。

 「訪独中の皇太子さまが視察  監修した横浜のデザイナー  光栄なこと」
視察したのはドイツのベルリン地区にあるマルツァーン公園内の日本庭園「融水苑」のことであり、「日独交流150周年」名誉総裁として皇太子さまが訪問したのである。この庭園のデザイナーが横浜市鶴見区曹洞宗建功寺の住職さんである。建功寺は日曜坐禅会に一般の人を受け入れている。新聞翌日の坐禅会もお堂は一杯であった。

 この坐禅会に私が参加を始めたのは5年ほど前になるのだろうか。家からは車で10分の所にある。6月26日の法話は「良く噛んで食べることですよ」「それは人のいきかたにも応用できるのですよ」住職さんは枡野俊明さんである。坐禅は何も考えずに座ることですといわれる。法話は始まりの鐘がなってまもなくである。お話の内容がつかめず、後から調べておくことで心が落ち着くこともたびたびである。

 「一雨千山を潤す」という言葉がある時紹介された。夜半からのたった一雨ですべての塵芥を洗いながしてくれたかのような美しい朝になったよということである。ほんの少しのことで目の前のことが大きく変わる事があるんだということへの気づきなのだと。天地の恵み自然への感謝を忘れてはいけないのだ。

 3・11以降、新聞の切り抜きをしてきた。こんな記事があった。
 「岩手県大船渡市の海沿いの小学校に津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けた市議がいた。昨年12月、念願の通路が出来た。市議は第震災の9日前に病気でなくなったが津波にのまれた小学校の児童は通路を通って避難し、助かった。」この度の災害は想定外だったとは思えないのだ。対処して助かった方がいる。先祖からの言い伝えで高台に住んでいて助かった人もいる。自然の大きな力にはただただ謙虚に立ち向かうしかないのだ。

パステルの色おだやかに田植唄    詢

 建功寺住職の枡野さんは「禅シンプル生活のすすめ」三笠文庫知的生き方文庫の冒頭で「ボーッとする時間をもつ」ことを提案されている。「一日のうちで、たった十分でかまいません。何も考えずにボーッとする時間を作ってみてください。いろんなことが頭に浮かんでくるでしょうが、それらをどんどん頭の外へ流してみる。そうすると、移ろいでゆく大自然のなかに今、自分が生かされていることに気がつきます。何事にもとらわれない、純粋で素直な自分が顔を出します。」

 「いい雨が 石の上に 降っている」
 ここは鶴見の建功寺である、山門を入る前の掲示板に書かれていた。

石段に音符のありて紫陽花咲く     詢

 先週は気が付かなかった紫陽花がぽつんと咲いていた。今年の雨はどうなんだろうと思いながら「いい雨」が広がる。雨を怖がっていてもしょうがないということなのか 。いつもより色の濃いように見える紫陽花が境内にも咲いていた 。

古井戸に紫陽花顔をうつしけり     詢

 紫陽花の木の周りに苔がたくさんあって 、そこに水が溜まっているようだ 。長い長い柄のついた桶のある古井戸が近くにある 。

 紫陽花が眼に入る事が多くなった。いたるところにもというほどだが。不思議とわが庭の紫陽花もひとしおだ 。五年ほど前に群馬の方が、「品評会で優秀賞になったものから根分けしたもの」と 送ってくれた鉢を庭に降ろしていた 。見事なピンク色であったが、今一部青色がでる。土地のアルカリ度によるものだろう 。

 今の時期に孫ほどの背丈になって花を咲かせている。手塩にかけて、下草を取り、周りを綺麗にしてきたかいがあった 。

ありがとう!  ありがとう!  花と紫陽花!

 

Photos

(下の画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

7月 10 11

「レッドライト」 (連載第4回)

by staff


写真)メソニックホールと周辺街区の復元模型 (神奈川県立歴史博物館蔵 *許可を得て撮影および掲載しています)

*今回の記事は二ヶ月連続掲載の第1回になります

 「港の見える丘公園」には、誰も知らない秘密の歴史がある。実はこの公園、日本で最初にフリーメイソンの支部(ロッジ)ができた場所なのだ。横浜とフリーメイソン?  思いがけない話に戸惑う方が多いと思う。順を追って話したい。

 読者の皆さんも、メイソンの名前は聞いたことがあると思う。「世界の影の支配者」などと興味本位に書きたてられる世界規模の会員組織である。まずお断りしておきたいのは、この原稿はフリーメイソンそのものの起源や歩み、謎めいた実体について語ることが目的ではない、ということだ。ここで明らかにしたいのは、横浜におけるメイソン史の概略だ。メイソンの「陰謀」に興味がある方はご自身でネット検索することをお願いしたい。

 さて話を戻す。「港の見える丘公園」はかつてイギリスの第20歩兵連隊(East Devonshire)の駐屯地で、英語のトウェンティーが訛った「トワンテ山」とよばれていた。この連隊には複数のメイソン会員がいたという。会員の便宜を図るためだろう、アイルランド・グランド・ロッジ傘下の「スフィンクス・ロッジNo.263」という軍事ロッジ(軍人により運営されるメイソンの集会)が設けられていた。

 なぜイギリス軍内にアイルランド系ロッジがあったのかと言えば、この20歩兵連隊が正確には英国軍ではなくアイルランド軍だったからだ。当時アイルランド王国はイギリスに併合されていたのである。20歩兵連隊は横浜に派遣されるまでは香港に駐留していたので、「スフィンクス・ロッジ」も以前は香港にあったものと考えられる。

 このロッジが初めて集会を開いた1865(元治2)年1月27日こそ、日本でメイソンが始動した歴史的な日だったとされている。つまり横浜は、日本におけるフリーメイソン発祥の地なのだ。

 とはいえ、まだこのときは小さな動きにすぎない。当時のメンバーは20人程度だった。「スフィンクス」は、居留地在住の英国人外交官や貿易商のためのロッジとしても機能し、集会は会員の自宅で行われた。彼らは本格的な拠点を望み、「スフィンクス」設立集会が行われたその年に、本国に新ロッジの設立を申請。翌1866年に認可され、日本最初の恒久施設が正式に発足した。「横浜ロッジ No.1092」である。明治維新の2年前のことだ。

 「横浜ロッジ」第1回集会(6月26日)には、スコティシュ系で西インド(カリブ)地区の前副棟梁 (ex-Vice Master Mason) カートライトが出席し、初代ロッジ長にはウィリアム・モタ、二代目ロッジ長には英国近衛連隊将校G・M・スマイスが任命された。

 明治維新の翌年にあたる1869年には国内2番目の「オテントサマ・ロッジ(Otentosama Lodge) No. 1263」が開設されたが、このロッジも横浜に存在していた。

 翌1870(明治3)年に入ると、ようやく神戸にもロッジが設立される。第二次大戦前までに国内には五つのイングランド系ロッジと三つのスコットランド系ロッジが設立されていた。そのうちの半分が、横浜におかれていたという。「東方の星(STAR IN THE EAST) No. 640」、「東洋の印章ロッジ(Orient Mark Lodge) No. 304」「横浜支部(Yokohama Chapter)」そして「オテントウサマロッジ No. 1263」だ。この四つのロッジは共同所有の形で山下町の一等地に集会所を建設した。「メソニックホール(Masonic Hall)」である。

 竣工は1869(明治2)年。 設計者は「ウィットフィールド・アンド・メイソン」と記されている。所在地は、かつての居留地170番で、これは現在の「横浜市中区日本大通5-2 アーバンネット横浜ビル」に相当する。本町通の並びにある英国車「ジャガー」の販売店があるビルがそれで、「中国銀行」が店構えしているあたりがちょうど「メソニックホール」のあった場所にあたる。

 このロッジは現存しないが、この建物があった居留地の明治20年当時の町並みが馬車道の県立歴史博物館2階に精巧なジオラマとして再現されており、ロッジとその周辺の様子が手に取るように観察できる。……あくまで推測だが、メイソン関連の資料が堂々と展示されていることに、学芸員たちも気づいていないのではないだろうか。(ページトップの「横浜居留地のジオラマ」(写真)をご参照下さい)

 メソニックホールは壮麗で、横浜市内の全ロッジの集会のみならず、1870年創立の「ロッジ兵庫&大阪 No.498」(神戸)や1872年創立の「ライジング・サン・ロッジ」(同じく神戸)など、国内のロッジを統括する為の「日本グランド・ロッジ」が置かれていた。初代グランド・マスターにチャールズ・ヘンリー・ダラスが就任したのは1873年である。

 しかしこのロッジは1923年の関東大震災で倒壊する。やむなく数ヶ月の間神戸の「コリンシャンホール(Corinthian hall)」へ機能を移転したものの、メイソンは茶色い瓦礫の山が拡がる横浜へ戻ってきた。廃墟の中で行われた震災後最初の集会のことを、W ・ B・マイケル・アプカーはこう述懐している。

 「『東方の星 No. 640』の集会がアメリカン・トレーディング・カンパニーのオフィスで開かれたのです。船便の梱包の箱が議長席の椅子として使われました。照明はろうそくです。同席した同胞たちはメイソンの真の気質を明らかにしていました……貧しくも愛や救い、誠実さに溢れていたのです」

 1927年に山手に新たなメソニック・テンプルが建設されるまでの間、被災地である横浜のメイソンたちはアメリカ南部管轄(US Southern Jurisdiction)に属する A & A.S.R. メイソンから多大な支援を受けた。米国南部管轄最高会議代表であるフレイザー(第33階級)が仮オフィスを建設し、その上階を一時的なロッジとして提供したのである。

 やがてイギリス本国より常設のロッジ再建の基金を得た横浜のメイソンたちは、山手町3番地に 「メソニック・テンプル(Masonic Temple) No.3」を建設する(写真)。この施設は1982年まで存在していたが、定礎プレートによると建設は1927年2月12日だそうである。

 じつは入口に取り付けられたプレートはもう一枚存在していた。それは太平洋戦争後のもので「1946年4月9日の労働者の復興、およびアイケルバーガー将軍と東京ベイ・メソニッククラブによる1948年9月14日のビルディング復旧への価値ある貢献への感謝を記念して」と英語で書かれていた。

 ここで戦時中のメイソンへの弾圧を説明しなければならない。
 戦前から戦時中にかけて日本国内で共産主義者や無政府主義者が厳しく取り締まられていたことは、よく知られている。じつはフリーメイソンも弾圧を受けていたのだ。これは同盟関係にあったナチス・ドイツによる反メイスン政策がそのまま受け継がれたためだと考えられる。「ゲルマン人でなければ人に非ず」のナチスや「万世一系の神の国」「形ばかりの『五族共和』」の日本では、宗教・人種を超えた平等を唱えるフリーメイソンとは相入れなかったのだろう。さらに会員が欧米人に限られていたことが、排撃を決定的なものにした。

 当時日本人が入会できなかった理由は二つある。
 ひとつは1887(明治20)年に出された保安条例 だ。これは明治新政府が板垣退助らによる自由民権運動の広がりを怖れ、阻止するために制定した法律で、秘密の集会・結社を禁じるものだった。ロッジ内での集会が保安条例に触れるのを嫌ったメイソン側は、外務大臣に就任した大隈重信に「日本人は入会させない」という条件で交渉し、保安条例の対象から除外してもらったのだという。

 もうひとつは1899(明治32)年の治外法権撤廃で、「日本人を会員にしないこと」「派手な活動を控えること」を条件に政府はメイスンの活動継続を認めた。

 しかし在留外国人限定の団体であることが仇になり、結局、この「紳士協定」は破られてしまった。

 「メソニック・テンプル No.3」は太平洋戦争が始まるまで、市内すべてのメイソン集会の会場となっていたが、1937年の日中戦争とともに弾圧が始まり、1941年12月8日の日米開戦と共に、日本政府は彼らの財産を没収した。ビルはもちろん、家具類や記章、宝石類、装具、書籍など一切合切が差し押さえられた。横浜のみならず、国内にあったすべてのロッジが活動を中止せざるを得なくなった。彼らはなにを思っただろうか。

 我々にも明らかなのは、嵐の四年間を堪え忍ぶと状況が一変した、ということである。日本を占領した連合軍総司令官がメイソン会員だったからである。ダグラス・マッカーサーは日本に民主主義精神を根付かせるため、かなり意図的な占領政策を行った。アメリカ系フリーメイソンのメンバーでもあるマッカーサーは民主主義精神と共通項の多いメイソンの活動を積極的に奨励した。その結果、日本人の加入が可能となり、昭和25(1950)年に佐藤尚武、植原悦二郎など5人の国会議員がメイソン会員となった。

 こうしてイギリス系が中心だった戦前とは異なり、戦後はアメリカ系ロッジが主流勢力となって勢力を拡げていった。2011年現在、北は北海道から南は沖縄まで、国内に20~25のロッジが存在し約2,300人のメンバーが存在する、といわれる(最盛期は在日米軍がベトナムの前線基地として機能した1970年代で4,000人を数えたが、現在は減少傾向にある)。

 アメリカ色が強くなったとはいえ、横浜には現在もスコットランド系の「東方の星」ロッジが健在である。日本におけるメイソン拡大の立役者でアメリカ系に所属するマッカーサー自身も、このロッジの名誉会員に叙されていたという。

 現在もフリーメイソン会員の大部分は欧米人や国際通の日本人である。横浜のロッジでは、いまでも集会の儀式部分は英語で行われている。

参照)

「極東ロッジ (Far East Lodge No. 1 / 横浜メソニック・テンプル)No.124」公式サイト

フリーメイソン日本グランド・ロッジ公式サイト

(次号に続く)

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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大文字では表せない小文字の横浜の歴史「裏横浜研究会」。ノンフィクション作家檀原照和さん

 

7月 10 11

誰でも分かるプロジェクト・マネージメント 「プロジェクトの開始前の具体例」

by staff

関 淑子、付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist, カリフォルニア州建築総合請負業者

プロジェクト・マネージメント(PM)は、仕事のプロセスを計画し、管理・実行してプロジェクトを成功させることです。
PMのプロセスは、1.開始 → 2.計画 → 3.管理・実行 → 4.完了
の4段階に分かれますが、最も重要なのは最初の開始プロセスです。

1. プロジェクトの開始前 - 具体例

田中一郎は経営学部の大学生ですが、PMを実際のビジネスに応用してみたいと思っています。一郎の祖父は畑中商店街で喫茶店を営業していますが、利益が出ないので閉店する予定です。商店街では8月21日の日曜日に夏祭りをしますが、祖父は一郎に店舗を無料で貸すから、何かやらないかと言いました。

先日、中国人留学生の杜君からご馳走になった中国のお茶とお菓子は、一郎も友人の佐藤さんもとてもおいしいと思いました。一郎は、中国風の喫茶店を夏祭りに出そう、アルバイトで貯めたお金5万円を資金にしようと決めて、1日だけの喫茶店の名前を「畑中茶館」にしました。

開始プロセスで決めることは7つあります:

(1) ビジョンと目的は何か

ビジョンは言い換えると夢とか願望です。もう少し目的は具体的に。一郎は「魅力的な畑中商店街を作ること」を自分の活動ビジョンにしました。夏祭りへの参加目的は「畑中茶館を畑中商店街の夏祭りで最も魅力な店にすること」です。

(2) 発注者側の責任者は誰か

一郎に夏祭りへの参加を勧めた祖父です。商店街の人々や関係官庁などから、一郎が夏祭りで「畑中茶館」を営業する許可を取らなければなりませんが、これは発注者である祖父にやってもらうことにしました。

(3) ステークホルダー(利害関係者)は誰か

ステークホルダー(利害関係者)は、実際に「畑中茶館」に関わらないが、「畑中茶館」により具体的な影響を受ける人々です。夏祭りに悪い影響があったら、商店街全体が困ります。特にお隣にある商店は、騒がしい友達が多数来るのではないか、悪臭や大きな騒音を出さないか、ゴミはきちんと片付けるだろうか?など、色々と心配するかも知れません。

(4) 範囲は何処までか

範囲はできるだけ明確にする必要があります。何をするのか、実現方法、達成する目標などを決めます。「畑中茶館」は中国のお茶とお菓子を提供する喫茶店です。場所は畑中商店街の中にある祖父の持つ元喫茶店、営業時間は夏祭りの1日の午前11時から午後4時まで、目標は小額でも利益を出して、ビジネスとしての可能性を実証すること。

(5) どんな資源が必要か

ビジネスをするには「ヒト・モノ・カネ」と言いますが、その他の重要な資源は時間、エネルギー、情報などがあります。一郎は杜君と佐藤さんに手伝ってもらうことにしました。店の設備は全て使えます。電気も水も問題はありません。予算は5万円だけです。インターネットや口コミで中国茶やお菓子の仕入先を調べたり、「畑中茶館」の宣伝をする予定です。

(6) どんなリスクがあるか

リスクをできるだけ具体的に考える必要があります。リスクが大きすぎれば、プロジェクトを始めるべきではありません。商店街から「畑中茶館」営業の許可がおりないかも知れません。当日は災害や病気のために、夏祭りが開催できないかも知れないし、開催できてもお客が非常に少なく、赤字になるかも知れません。お茶やお菓子の価格が高すぎるとか、注文を間違えられる可能性もあるし、杜君と佐藤さんや、一郎自身が急に病気になったり、事故で働けなかったりする可能性もあります。

(7) プロジェクト・チームに必要な人間は誰か

ビジネスの規模や形態により、必要な人間の能力、資格、人数が変わりますから、できるだけビジネスと業務内容を具体的に考える必要があります。また、必ず責任者であるプロジェクト・マネージャーを決めなければなりません。

喫茶店の場合は食品衛生責任者の資格が必要です。講習会に行けば取れる資格ですが、講習料が必要ですし、一郎、杜君、佐藤さんの3人とも喫茶店は未経験なので、資格を持っていて喫茶店経営専門家の祖父をメンバーに入れることにしました。

お茶やお菓子の仕入れ、宣伝、接客、販売などの他に、店舗の清掃と飾りつけ、食器洗い、ゴミの片付けなど、当日だけでなく、準備期間も必要です。

来月は、具体的な計画について考えましょう。

 

関 淑子さん プロフィール

   

関 淑子
付加価値技術研究所代表、MBA
Project Management Specialist
事業継続初級管理者
カリフォルニア州建築総合請負業者

 

6月 10 11

日本を代表するブランドが求めた本物の“色”を捺染で表現。
有限会社関東化染工業所 代表取締役 佐藤政廣さん

by staff

 横濱001(YOKOHAMA GOODS)にも選ばれた「橫濱はっぴ」。その美しいマリンブルーと鮮やかな赤の色にこだわりを見つけました。「美しい赤ですね」という問いに「美しい日本の日の丸の赤です」と答えてくれた有限会社関東化染工業所の代表取締役佐藤政廣さんのお話しを芹が谷の捺染工場で伺いました。

佐藤政廣さん  
名前 佐藤 政廣(さとう まさひろ)
出身 横浜南区(現在:神奈川区)
趣味 スポーツボランティア
会社名 有限会社関東化染工業所
所在地 港南区芹が谷1-1-21
営業種目 捺染/ハッピ・のれん・風呂敷・スカーフ
ネクタイ・袋物・てぬぐい・広告宣伝品
TEL 045-823-1956
FAX 045-824-5269
HP http://kanto-kasen.co.jp/

坂の上の染め物工場・・・染め物を取り巻く環境が大きく変わりました。

 以前は染め物工場というと川のそばにありました。うちの工場も昭和34年に父が創業した時は、南区弘明寺の大岡川の近くにありました。その後、保土ヶ谷区和田町(帷子川)、再び弘明寺(大岡川)と移り、今は別所インターに程近い高台にあります。昔は染め上がった布を川で洗って余分な染料を落としたものですが、環境問題になり工場で洗うようになりました。あえて川の近くに工場を作らなくても良くなった訳です。

佐藤さんにとっての会社とは?

 家族や身内でやっている「家業」という認識が強かったです。幼い頃から父の仕事を年中見ていました。小遣い欲しさに中学生の頃から手伝っていたので、長男の私が家業を継ぐことは自然のなりゆきでした。「会社」は「手伝う」ことの延長線のようなものです。仕事を共にしている三男の専務/工場長の信彦も同じ思いなのではないでしょうか。

 
画像をクリックして拡大写真をご覧ください。
 

横浜を代表する産業・・・生糸の輸出から美しい図柄のシルクスカーフへと

 20年前まで組合に入っている同業者は150社ありました。現在は20余社になりました。
 八王子で生産された生糸が横浜の港から欧米に輸出されました。糸で輸出していたものを布に織り上げ付加価値を付け、その布に色を付けさらに付加価値をつけた訳です。こうして横浜に染め物工場が増えて行きました。色だけでなく模様を入れるようになり「捺染技術」が進歩していきます。
 「捺染」とは(?)ハンコを押すことを「捺印」というでしょう、型を押しながら色を布に入れていく染め方を「捺染」と言います。(工場内にも外にもたくさんの捺染の型板が保管されていました)
 シルク、木綿、化繊と布の種類が豊富になり、発色の調整に経験と技術が必要とされています。同業者が少なくなっていく今、ここに生き残りをかけて頑張っています。

自社ブランドに未来をかける・・・デザインから縫製まで1点から制作できます。

 大手広告代理店をとおして航空会社・自動車会社・食品会社などのコーポレートカラーのGOODSを随分作りました。海外に進出した企業が、見本市やイベント会場でハッピを着たり配ったりと、広告宣伝品市場の需要は活気がありました。広告宣伝品の市場は、企画提案をする広告代理店からの依頼で制作をしていましたが、いつか自社でデザインをしたオリジナル製品を制作しようと思っておりました。15年前から地元横浜に関わりが出来る製品を手掛けたのですが、売り方をしらない(苦笑)そんな中、横浜市の観光コンベンションが横浜のシンボルチックなものを探していると知り、横浜をイメージしたハッピを作りました。それが「橫濱001 グッズ」として好評を得ることになりました。
 昨年の上海万博で横浜を紹介するコーナーに出品することができました。APEC横浜では「Happyコート」として多くの方々に羽織っていただきました。「ハッピ」に留まらす、多種多様な広告宣伝品を手掛けてきた繋がりがあって、デザインから縫製まで受注することができます。これが当社の強みになってきました。
 今また横浜に新しいキャラクター「 ブルーダル 」が生まれ、横浜の色(ブルーとスカイブルー)を捺染で表現していきたいと思っております。
 
(参考) ブルーダル関連商品

 
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ホームページから生まれた地域性・・・地元と小学校やボーイスカウトから注文が

 横浜に捺染工場があり、1点から染めていることを知る人は少ないと思います。そこで電子媒体で見せることにしました。ホームページを勧められて作りました。すると地元のボーイスカウトからスカーフの依頼が入りました。首に直接巻くスカーフの素材の強さと伝統の色へのこだわりをクリヤーでき成約に繋がりました。
 地元の小学校からは運動会で使うハッピの注文が入りました。また、最近では地元のメーカーから海外に向けてのPR用に使用されますオリジナルハッピの制作依頼がありました。ホームページというと広域での展開を想像しますが、不思議と地元から注文が増えています。ホームページからの口コミという不思議な現象に驚いています。

 
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佐藤さんにとっての横浜とは

 緑豊かな根岸の森林公園、青い海・汐の香りがする波止場・・・船に乗るのが好きで、船から見た山下埠頭から山下公園にかけての景色が好きです。私にとっての横浜は「エキゾチックな街並みの横浜」でしょうか。

 
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(取材・原稿:高野慈子

 

6月 10 11

知らないことを知る楽しさと地元の世界の広さに気づいたことが原動力。
保土ケ谷区の地域活性化にのめり込んだ、合資会社 笑う門 代表 山田浩和さん。

by staff
山田浩和さん
ほどがや発!
中小企業のブランドづくり・商店街活性・まちづくり
合資会社 笑う門
http://www.warau-kado.com
 
名前 山田 浩和(やまだ ひろかず)
出身 横浜市保土ケ谷区生まれ
桜ケ丘で生まれる
年齢 30代後半(あと60日くらいで40代前半)
家族構成 一人暮らし
現在の居住 保土ケ谷区和田町
職業 合資会社「笑う門」代表
趣味 テニス ただし10年以上コートに行っていない。先日、衝動に駆られてラケットを引っ張り出してみた。その他、実は趣味はたくさん(基本的に好奇心旺盛)。
自分の性格 大雑把で繊細・人当たりが良いけど意外と頑固
自称:柔軟でありつつ1本筋が通っている
他称:意志薄弱のクセに融通が利かない
でも、基本的にマジメです。
信念 逆境こそチャンス
近江商人の「三方よし」を心得る(売り手よし・買い手よし・世間よし)

今のお仕事を始められるまではどのようなことをされていたのですか。

 まず、生い立ちですが、保土ケ谷区の桜ケ丘で生まれ、これまで横浜を離れたことがない生粋の横浜っ子です。

 高校卒業後、国際人(?)を夢見て英会話の専門学校(YMCA)に通いました。正確に言えば、国際人とかではなく、言葉の壁とかを越えて色々な人と接することができる仕事に就きたい、というか、そういうのに憧れていました。要するに、今以上に漠然としていたんです。夢見ていた、みたいな。
 そんな10代の少年が2年後、20歳になるのですが、当然、2年くらいで中身なんてそんなに変わるものでもなく、相変わらず夢みたいな漠然とした理想を抱えたまま就職活動の時期を迎えます。当時、何をやりたいのかは見つから

 
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ないものの、いつか自営業者になることしか考えていませんでしたし、サラリーマンになる気なんて全くありませんでしたが、ふとしたきっかけで心機一転。いっそ大手企業を狙ってみようと思い、学校の求人資料を片っ端から探して見つけたのが外資系(米国籍)の船会社S社。
 今でも忘れませんが、面接時、人事部長から「今年は募集していないはずだけど」と言われながら(学校が古い資料を残したままでした・・・)も、「経理なら空きがある」とのことで運よく入社。結局、1999年12月に同社が営業譲渡により閉鎖するまでの約8年弱、在籍させていただきました。
 ちなみに、経理なんて全く知らない世界でしたが、当時の上司の発想が素晴らしかったおかげで随分と興味深く勉強させていただき、経理の大切さや奥の深さを学びました。

 その当時は、テニスや釣りに夢中。特にテニスは、昼休みにはコンテナヤードで海上輸送用のコンテナに囲まれたコート(?)で、仕事が終わった後は近くのコートで、とテニスしに会社に行っていたようなサラリーマン時代でした(笑)。また、学生時代は関内、就職先は本牧。学校周辺や通勤ルートは観光エリア、職場は横浜の港に囲まれた環境。横浜の良いとこどりみたいな環境で生活していた当時、いわゆる「横浜」は大好きだったけど、地元保土ケ谷には全く興味がありませんでした。

 そんな楽しいサラリーマン生活にドップリ浸かって6年近く経った頃、ふと、10代の頃になりたかった自分から随分と遠ざかっているような気がした瞬間がありました。
 その頃からですね。週末に中小企業診断士の講座に通ったり、独学でマーケティングや色彩など、色々と勉強し始めたのは。テニスコートから遠ざかったのも、同じ頃ですね。それでもまだ、自分が何をしたい、っていうのが見つけられませんでした。
 しかし、そんな感じで自分の中で何かが動き始めた気がしてから2年も経たないうちに、S社が営業を譲渡し、閉鎖することになります。
 その後、譲渡先の企業に一度は移籍させていただいたものの、以前感じた「なりたかった自分」との距離が益々広がっていくという想いが強くなり、周りには随分反対されましたが、移籍先を早々に退職し、当時、たまたまご縁があった全く違う業種の会社のお世話になりました。結局、そこでお世話になったのも約1年半。ちょうどサラリーマン10周年の節目でもありましたね。自分の中で、勝手に「潮時」みたいなことを決めつけて、何をやるかを決めていませんでしたが、あの頃なりたかった自分に近づくつもりだったのでしょうか。サラリーマン生活に終止符を打ちました。既に30歳でしたが、10代の時みたいに漠然とした理想だけで動いてしまったということなのでしょう。

今のお仕事をやろうと思ったきっかけやエピソードは何かありますか。

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 結局、会社を辞めて2年くらい浪人生活していましたね。ただし、結構忙しい浪人でした。
 まず、たまたまその頃、大手企業のブランドマネージメントをしている方と知り合