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7月 10 22

風景で読み解く横濱 (第三話)見上げる風景

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第三話 見上げる風景

 

 谷戸の横浜

東海道に鉄道の無い頃、旅人は鶴見川を越えるあたりから付近に見える山が気になり神奈川宿に近づくとこの先に坂道が連続する覚悟をしたそうです。
歌川 広重の「東海道五十三次」も神奈川宿あたりから近くに山が描かれています。
横浜市域は谷戸が川筋に沿って襞のように幾重にも重なっているのでどこ行っても、坂のない場所を探すのが大変です。
開港の舞台となった「関内外」エリアを俯瞰してみると南北に小高い丘陵が大岡川下流を挟み込むように横たわっていることがわかります。
北が戸部丘陵、南は山手の丘が連なり、そこには名前のついた坂が多くあります。このあたりの震災以前の絵葉書から「見上げる風景」を2点紹介しましょう。

 

 百段階段(坂)

冒頭の絵葉書はかつて「百段階段」「百段坂」と呼ばれた風景です。元町の真ん中辺りから丘の上へ一本の真っ直ぐな階段が作られていた時期があり観光名所でもありました。百段とありますが、実際は101段ありました。キリ良く百としたのでしょう。
階段の上には古くから<祠>があり、信仰の場所でもありましたが、高低差約25mの崖に直線的な石段を設けた理由は何だったのでしょうか? この絵葉書を見るたびに考えます。
一般的に絵葉書では頂から見下ろす風景が主流ですがここ「百段」に関しては、前田橋あたりから”見上げる”風景が何種類も発行されています。珍しかっただけでは無いと私は感じます。
元々暮らしていた土地に開港場ができ、半ば強制的に移住した横浜村の刻一刻と変化していく姿を、横浜村の元村民が記憶にとどめようと多くの人々が百段を踏みしめたに違いありません。かつての「元橫濱村」を眺めることができたこの場所は村民の記憶資産だったと思います。
この「階段」開港後まもなく地元の篤志家の尽力で普請されましたが、背景には村民の強い願いがこめられていたのではないでしょうか。階段は関東大震災で崩壊し再建されることはありませんでした。記憶も遠のき、最近まで忘れ去られた存在となっていましたが近年、茶屋があった付近に記憶をたどることができる場所として「元町百段公園」が整備されました。季節の花も咲き、見下ろす風景も堪能できます。ぜひ訪れてみてください。

 

 横濱地蔵坂

次に紹介する風景は、山手の丘と開港場を結ぶ重要な坂の一つだった「地蔵坂」です。

地蔵坂下は中村川に架かる亀ノ橋で、約420mの曲坂を登り切ると地蔵坂上、山手桜道に出ます。江戸期から石川村と本牧根岸村を繋ぐ交通の要衝でしたが同時に急坂難所としても有名で人力車・荷車の時代になると、車夫がフーフー言いながら必死に登る姿も名物だったそうです。
明治2年、地蔵坂下に一軒の呉服店が開業します。鶴屋の号で一躍人気店となり、その後伊勢佐木に進出、東京「松屋」を傘下に置き「銀座MATSUYA」として現在も老舗百貨店として人気です。
地蔵坂鶴屋開業後、店前の中村川に「亀ノ橋」が架橋。鶴屋さんが要望して<亀>の名がついたという話もあります。
震災後に軌道鉄道を通すため車橋から登る坂道が切り開かれ打越橋が架けられる事で、地蔵坂の交通量は減り近隣の人たちが利用する坂となりました。
「地蔵坂」「濡れ地蔵」その名の由来はぜひ一度橋の袂でお確かめ下さい。

 

(第三回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

7月 10 22

第110回 建物の寿命を永くする新しい建築技術と既成概念の変更

by staff

(株)北島建築設計事務所
北島俊嗣

建物の寿命を永くする新しい建築技術と既成概念の変更

 建物が長寿命化している

現代に建てられた建物は建築技術の向上によって以前よりも「建物の寿命が伸びる」と考えられます。

昔の(例えば江戸期、明治期に建てられた)建物が今も残って使い続けているという話題や報道に触れるときは、そのほとんどが構造骨組みの保存状態が良好なために残っているという状況が多く、後に述べる技術については既に機能していないものが殆どで、現代の私達が快適に過ごせる生活環境ではないように見えます。

残り続けられなかった建物は、建物の骨組みなどの物理的老朽による理由(本来の寿命)と言うよりも、安全や安心、快適や便利さを感じられないと判断されたためと考えられます。それに対して現代の建物に込められている技術の結果が建物の寿命に反映されることへの状況は「建物の寿命が伸びる」ことが実感出来るまでの過渡期と考えられます。

建物自体の構造骨組みも、建物に組み込まれた生活環境を快適に維持する技術も、共に向上しているため「建物の寿命が伸びる」と考えられます。

 建築技術の向上を理解する

昭和、平成、令和の時代を経て、個々の建築技術は向上を続けています。今後も向上すると考えられます。

それは建築基準法で定められている、最低限求められる技術基準でもあります。(下記の●印が建築基準法で定められている技術基準です)

●構造性能
 ●耐震性能
 ◯免震性能
 ◯制振性能
●防火性能・耐火性能
◯断熱性能
◯気密性能
◯防音性能
◯熱交換性能
◯省電力性能
◯発電性能
●有害物除去性能

向上したおかげで長寿命につながっている技術について紹介・説明します。

●構造性能
地震の国である我が国の建物に求められる構造性能は「重さを支える床がある」ことは当たり前の前提とした上で、「地震に如何に耐えられるか」の基準が課題です。

●耐震性能
大地震に対しての耐震性能は昭和56年に建築基準法の基準が改められました。昭和56年以前の旧耐震基準は「震度5程度の中規模の地震で大きな損傷を受けないこと」となっていました。 これに対して昭和56年以後の新耐震基準では、「中地震では軽微なひび割れ程度の損傷にとどめ、震度6程度の大規模な地震で建物の倒壊や損傷を受けないこと」となりました。今現在はこの基準で建物が設計されて建てられています。新耐震基準制定後に数度の大地震がありましたが、大きな被害を受けてしまっているのは この旧耐震基準で建てられた建物に被害が集中しています。

もちろん基準を越えて地震に強い建物にすることは可能です。しかしながら耐震強度を上げると、費用は上がり暮らしの自由度も下がるという面も鑑みて最低限 満たすべき基準として定められています。

◯免震性能
建物の基礎(地面と固定されている部分)とその上の骨組み部分との間に「緩衝材」を差し込んで、地震による振動の力を上部の骨組みに伝えない仕組みです。緩衝材には積層ゴムが利用されることが多いです。

この仕組みにより骨組みに地震の強い力を伝えないで済むので、骨組みの損傷が起こらないことが長寿命につながります。(建築されて年月が経った建物をより永く利用するために 今ある建物を免震化する場合もあります。例えば 旧横浜市役所庁舎 も免震化されている建物です)

◯制振性能
耐震構造において使用される筋交い (ブレース) にダンパー (運動エネルギーを吸収して減衰させる装置) 機能を加えて、地震の強い振動の力をこの筋交いダンパーに吸収させて骨組みが揺れないようにする技術です。建物の地震による損傷は、部材と部材のつなぎ目を壊してしまう (つながれている強度が強いとつなぎ目を超えて部材の弱点を壊してしまう) ことが多いため、つなぎ目の損傷を防ぐことは骨組みの長寿命につながります。

●防火性能・耐火性能
防火性能は、建物の周囲で起こった火災が建物に燃え移らせない (延焼させない) ために 建物の外壁や軒裏を燃えない材料で造ることを定めた基準です。

また 耐火性能は、建物自体で火災が起きた場合、火災によって建物が倒壊しないように そして 周囲に火災を燃え移らせない (延焼させない) ためにするための基準です。

いずれも建築基準法で、建物が建つ敷地の種別、建物の構造や用途や面積によって基準度合いが分かれて指定されています。火を付ければ燃えたり変形してしまう骨組みを燃えない材料で包みます。

◯断熱性能
外気温を建物内部に伝えないようにする技術性能です。建物の外周を「断熱材」でぐるりと連続して覆うことが必要になります。断熱材が無い部分は熱の出入りを自由にしてしまい、断熱材の設置効果を失くしてしまいます。例えば窓開口部は熱の流入が大きく、窓開口部の断熱性能の向上は建物断熱性能の向上に必須でした。

建物の外周 すなわち 屋根・外壁・地上床 の断熱は、材料の中に微細な空気を十分に含んだ断熱材を 屋根・外壁・地上床の内側に設置 (内断熱) することで 外部の熱 (冷) を内部に伝えないようにしています。(外断熱という方法は 防火性能が求められない地域や 建物の骨組みが耐火である鉄筋コンクリート造であることなどが必要な条件です)まずこの断熱材を施すということが常識になったことで、内部に熱交換器=空調エアコンを設置して、冷暖房された空気温度が 外気温と混ざり合わないようにできるので、効率よく快適な内部温度環境を実現しています。

窓開口部については 以前は一枚のガラス板が普通でしたが、最近では2枚以上のガラス板で構成された複層ガラスによる断熱サッシが広く使用されていて、断熱性能はおよそ6倍に上がりました(正しくは熱貫流率がおよそ 1/6 に減りました)。その結果として顕著なのは、冬でもガラス窓に結露 (外部と内部の空気温度差が大きいために ガラス表面に空気中の湿気が水滴になって付く現象) を目にすることも少なくなりました。

◯熱交換性能
いわゆる空調エアコンのことです(換気 (全熱交換器を除く) とは違います) 。2010年から2020年を比較して、消費電力をおよそ12%削減できていると発表されています。

上記は空調エアコン機器自体の性能向上による消費電力の省電力化なので、断熱性能が向上した建物内部で使用されれば、使用時間も短くなるため、実質的な消費電力はさらに縮減されていると考えます。

◯省電力性能
照明器具の発光源による電力消費は、昔の白熱電球 60Wを基準にすると、同じ明るさの蛍光灯型電球は 12W になり、現在販売されている 同じ明るさの LED電球になると 9W になります。消費電力は 1/6になりました。

電気代にすると、1日あたり 白熱電球は 11.7円、LED電球は 1.9円 になりました。1年に換算すると、白熱電球は 4257円、LED電球は 710円 です。(出典:経済産業省「LED照明産業を取り巻く現状」)

・その他
材料や機器自体の性能向上・長寿命化もありますが、それらを現地で組み立てる作業技術の高効率化もあり、品質の向上も担保されています。

 生活環境の向上を享受する

安全で快適な生活が送れるようになったことは事実で、
・地震で倒れる建物がなくなった(昭和56年以降に建てられた建物は一部を除いて大地震に対して崩壊していません)
・火災による延焼がなくなった(ニュースで家が次々燃えてしまうニュースを聞かなくなった)
は 感じて下さっていると思います。

断熱性能と熱交換性能(空調エアコンの性能)の向上が合わさって、温湿度管理が容易になり、高効率になり、快適な生活環境=室内空気環境が提供されています。建て替えられた新築の住まいでは、それまでの光熱費と比べて圧倒的に縮小された費用になっています。

是非享受してください。

 長寿命建築を実現する

現代の「建物の寿命が伸びる」と申し上げた原因は、様々な技術によって建築骨組み自体の保全寿命も伸びることが考えられるとともに、住まう人々の生活環境も快適に維持されるために「建て替え」が求めるられるまでの期間が長くなると考えられるからです。住環境に不都合が起きなければ、住環境を刷新=建て替える欲求は起きないはずです。

「建物の寿命が伸びた」からと言って、決して一人の人が永く使い続けるという意味ではありません。住まう主人が変わっても、建物の生活環境が良好であれば、次の誰かが移り住み、建物は利用され続けるでしょう。

確かに技術向上によって建設コストは高騰しています。1つの家族が1つの住まいをその世代で新たに家を所有することが出来ないほど高価になっています。高額になっている建設コストへの折り合いを一世代の収入財産を消費させてしまうことで折り合いを付けることをしないで、人々の意識をスクラップ・アンド・ビルドという潜在意識から脱却させて、世代を超えた人々が1つの建築で暮らしていく習慣に移れば、建設コストが1人の総収入に対して例え高騰しても世代を越えた皆で償却されて、人々の住へのコスト負荷を小さくしていくことが可能になると思います。

それには世代を越えて永く利用される住まいを実現することが課題になります。その際はどうぞ自社利益追求を第一とする消費商業主義の謳い文句に惑わされずに、世代を超えた建築の文化と技術を住まい建物に込められる職能者(建築家)と創って下さい。

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

7月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #21

by staff

お金と言う名のエネルギー

ロシア連邦大統領の ウラジーミル・プーチン氏は、ロシア国内での世論調査で民衆からは80%の信任という支持を得て安定した政策を行っていると言います。日本のメディアはそれらの事は全く伝えないので、日本の人達の中ではロシアはもうじき崩壊して プーチンは失脚するのだろう! 等と言った話も出ているようで、まあ、毎日テレビを見ていたら、そうなるだろうなと、気持ちは分かりますが。私には日本のメディア、そして多くの人々が、アメリカの、グローバルエリートと呼ばれる軍産複合体ビジネスを推進している大企業に牛耳られて、それの配下として態度をおもねているようで、非常な違和感を持っています。ロシアの金融政策が全世界の国々で受け入れられている事なども、日本には入ってこないのだろうな! と。

先月の16日にロシアが自国で開催した国際フォーラムには米国や英国の13ケ国が参加拒否をしたけれど、それ以外の国々が集まって新たな新世界G8が提唱されたという事です。日本人にとって世界とは西側諸国。アメリカや英国、仏国、ドイツや、諸々の先進諸国だけであって、それ以外の国々 インドや インドネシア、トルコや ブラジル、メキシコ 中国などはあまり興味がないのかもしれません。もう少し時が過ぎて、いつのまにか、世界経済をリードしているのがそれらの国々となった時には、日本は大きな方向転換を迫られるのかもしれません。

さて話は変わって、今月は同じ経済の話でも 私自身が体験しているお金のお話です。現在A市の市議会議員になった早苗ネネですが、まったく新しい世界を垣間見せられて大きな気付きの日々を送っています。
まずは毎月同じ日にお金が入ってくることの新鮮な驚き。この安定収入には本当に人の心をホッとさせて物事に集中して仕事に没頭できる安心感があります。
私の今までの人生は生活の糧は自分が歌を唄って得ていた物で安定とは程遠いい自転車操業。仕事がない時もあれば とても忙しい時もあり お天気の様に変わります。その収入源は個人個人が私の歌う歌や、お話に、その人の喜びや 夢を託して それらのために支払ってくれたお金です。ある月には10万円だったり ある月には100万円だったり、まったくお仕事がはいらなくて0円だったりと 流動的ですが、一年のトータルで見れば安定していました。
それが今年の4月から 国民の税金から成るお金を頂く事になり、そのお金が、今迄のお金とは、全く異なるエネルギーを発しているのを感じています。その質の重さを深く、実感している今日この頃です。頂いているのは本当に、皆さんの血税なんだ! と・・・・

私自身が地方都市の政治の世界に飛び込んだ根本的な動機はせめて自分の住んでいるエリアだけでも人々が望めば、アセンションが出来るくらいに波動を軽くして明るくできたらいいなと。そんな気持ちで立候補しました。そしてその気持ちは全く変わっておりません。

政治に愛を! というテーマは 私の今後の生き方の集大成になりそうです。が、やはり喜びの代償としてのお金も必要です。夢や幸せのためにも経済が回ってほしい!
今年はもう自分から仕掛ける歌の仕事は余力がなくて出来ませんが、来年からは又 和歌うた と共に、愛と平和の世界も音楽で表現してゆくつもりです。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

7月 10 22

楽しみながら環境を一緒に学ぼう! 株式会社オオスミ代表取締役 大角武志さん

by staff

 

お名前 大角 武志(おおすみ たけし)
お生まれ 横浜市生まれ
50歳代後半
お住まい 瀬谷区在住
お仕事 株式会社オオスミ代表取締役
HP https://www.o-smi.co.jp/
趣味 アウトドア キャンプ 釣り

夏至と冬至の年二回発行される環境グッズマガジンがあるのをご存じですか。「ZERO CHRONICLE」 というタイトルの雑誌は横浜市瀬谷区に本社のある株式会社オオスミの大角武志社長とブランド戦略の専門家である村尾隆介氏が共同編集して発行されています。

Winter2021の特集は「SDGsを学べる機会やきっかけ その点日本は恵まれている環境!?」でした。SDGs・・と聞いて、拝見しましたが内容の濃さにびっくり。
今回は編集長の大角さんに「ヨコハマこの人」にご登場いただきました。

「ZERO CHRONICLE」第5号

幼少の頃はどのような少年でしたか

父は化学系の技術者で、化学分析の仕事をビジネスとして1968年に会社を立ち上げました。私が小さいときは家の敷地内の小屋の中で仕事していました。ビーカーや試験官がたくさんありましたね。その中で一生懸命働いていた父親の姿を覚えています。

小学校・中学校は公立に通っていました。ボーイスカウトに所属していて山に行ってキャンプをしていました。今もアウトドアが大好きなのはその影響があるのでしょうね。

ボーイスカウトでは学年の違う方々とのチームワークが重視されていました。そこでは、人のことを思いやる、面倒を見るというリーダー哲学を学ぶことができました。

中学校・高校ではバトミントン部に所属していました。中学校は公立で弱小チームでしたが、高校は全国大会に出るような強豪校で練習が厳しかったです。特にランニングはきつかった。レギュラーにはなれませんでしたが、一生懸命やっていました。
高校では学業よりも運動を重視する雰囲気で、自分にあっていましたね。

ボーイスカウト時代 右から3番目です

半導体の技術者だったとか

高校生のときは、父の会社でアルバイトもしていましたが、大学に入学するときは、父の会社を継ぐことを全く考えていませんでした。通信工学を専攻して、半導体について学びました。実習でラジオを作ったこともありますよ。
大学1,2年は札幌での学生生活でした。
スーパーのレジ係やレストランのウェーターなど、サービス業関連のいろいろなアルバイトを経験しました。そのときの経験から、社会人になってからは、お客様の立場に立って物事をとらえるということが常に念頭にあります。3.4年は、神奈川での学生生活でした箱根の温泉旅館でも布団敷きのアルバイトなどをしていましたね。

卒業後は一部上場会社で電子部品の設計をやっていました。紙に書くと4畳半の広さになるものが、ICチップになると1cm四方になるのです。凄い技術でしょう。
3年ほど設計業務に従事していましたが、クリーンルームの中で行う仕事なので、日に日に青空の下で働きたいという気持ちが強くなりました。社風も福利厚生もいい会社だったのですが、退職して建設設備の会社に転職しました。

その会社で、外で働きたいと希望したところ、空調機や大型冷蔵庫などを販売する営業に配属されました。法人相手の営業でしたが、そこでの営業経験は今も生きていますね。5年間勤務しました。営業成績も結構よかったですよ。
ここで頑張って営業部長を目指そうと考えていた矢先に、父から会社に来てくれないかと声がかかったのです。当時の上司に相談したところ、親を手伝ったらと背中を押され、30歳にして考えてもみなかった父の会社に就職しました。

今思うと父は私に人生経験を積ませたかったのでしょうし、経営者としての適性を見ていたのかもしれないと思います。

営業部員時代

30歳にして入社してどうでしたか

父の会社は創立から順調に発展していて、社会に対して貢献度の高い素晴らしい仕事をしているところだと思っていました。ところが実際に入社して営業をしてみると、これまで自分や会社の看板で仕事していたのだと思い知らされました。中小企業だとまず会ってもらえないのです。会社の業務内容をわかってもらうために何度も足を運んだこともあります。

うちの会社は、環境を汚さないようにすることをサポートする、アドバイスする仕事です。水質や大気などの環境調査・分析をメインにやってきました。工場や建設現場の空気や水や土について法律で規制されている数値が守られているかを測定しています。神奈川県や横浜市からの調査依頼もありますが、民間のお客様からの問い合わせも多くあります。

私が入社したときは、環境に関心が高まってきた時代でした。ISO14001(環境のISO)の影響も大きかったですね。会社の業務内容も変化してきていました。測定技術の進歩もあり、調査項目も増えていました。ダイオキシンや環境ホルモンなど微量でも地球環境に影響を与えるものについても測定ができるようになりました。それに伴い、測定機器の価格も跳ね上がりましたね。

将来は社長になるのだと言われていましたから。30歳代後半から、ピーター・ドラッカーの講座などに通ってマネジメントの勉強を続けていました。
2003年に父から引き継いて社長になりました。それから20年近く経ちますね。

社長になられてから様々な事業展開をされていますね

それがこれです。
「私たちは 地球に暮らす人々に『安全』と『安心』を環境面から提供しつづけます」

そして今後の事業展開について3つの目標を掲げました。
一つは海外に進出することです。
おかげさまで、2020年10月1日より株式会社オオスミはベトナムダナン市にて現地法人Osumi Vietnam Co.,Ltd. を設立いたしました。ベトナムに進出している日系製造業に、省エネ診断、省エネ効果の見える化などのトータルサービスを提供しています。その他にもJICAと協力してアジア諸国の環境調査を実施しています。

ベトナム人スタッフ

二つ目はエネルギーの省エネ診断やコストダウンのコンサルティングに力を入れることです。弊社はメーカーではないので、対策品を買って欲しいという視点ではなく、コストダウンについて公正にジャッジすることができます。細かいことまでご提案するのでお客様に喜ばれています。

三つ目は材料や製品解析の分野に進出することです。これは、製品が壊れたときに破断面を調べて壊れた原因を探ることで、製品の問題点などを明らかにしていくことです。製品がリコールになってしまうのを防ぐために第三者機関の弊社に解析を依頼されるのです。これは信頼性が問われる責任重大な仕事です。

常に社会変化や技術進歩に遅れないようにスタッフの研修には力をいれています。

CSR(企業の社会的責任)や社会貢献活動に取り組んでいらっしゃいますね

創業50周年を迎えた2017年に、「私たちは地球のドクター」というコーポレートスローガンを掲げました。地球環境が少しでも良くなるために、私たちが培ってきた経験や技術を皆様に提供していきたいという想いが込められています。

弊社は横浜型地域貢献企業として認定を受けています。社内では使用済み切手やエコキャップ運動や周辺mp清掃活動などを行っています。「よこはま運河チャレンジ」に参加して、運河をきれいにする活動の一環として水質調査などを行っています。また、省エネに関する出前授業なども行っています。

自前のカヤックで大岡川の清掃活動に参加

オオスミ本社で使用する電力は秋田県八峰町峰浜風力発電所から供給を受けているので、再生可能エネルギー100%です。

昨年から鎌倉で開催する環境特化型研修「カマクラス」を立ち上げて、会社のスタッフたちと一緒にみんなで楽しく遊びながら環境を学んでいます。

第一回(2021/9/18)は環境に取り組む店舗の見学、SDGsボードゲームの体験、蜜蝋ラップを実際に作ってみるワークショップ、村尾隆介さんのミニ講演など盛りだくさんの内容を、鎌倉の古民家である “旧村上邸” で行いました。「カマクラス」は社員研修ですが、一般の方々も参加可能にしています。

カマクラスでの美化活動(第3回2022年6月18日開催)

最近では、山梨県道志村でハッピーバレーを展開している太田さんの水田で田植えを経験してきました。根っからのアウトドア派なので、なんでも自らやってみていますね。

9月に食のイベントを開催されるそうですね

「ZERO CHRONICLE」を発刊したのは、日本での環境への取り組みが遅いことを知ってもらうため、海外の事例を通して環境問題の重要性を皆様に知っていただきたいという想いと、オオスミはこんな活動をしているのだということを知ってもらいたいという想いからです。

村尾隆介氏の協力を得て、6号(SUMMER 2022)まで発行しています。累積の発行部部数も15,000部になりました。おかげさまで「株式会社オオスミ」の認知度も高まってきました。

「日本の脱プラスティックとゼロウェイストに貢献したい」というテーマで始めた雑誌ですが、最近は一般消費者、個人の意識を変えないと環境問題は解決しないのでは―。という想いが強くなってきました。特に、食料自給率の低い日本において、輸入食材や食品ロスの問題など「食」をめぐる問題は山積です。

それでこのたび、9月17日に「食」をテーマにした環境イベントを開催しようということになりました。横浜の「食」に関わる8名の方々に登壇していただきます。映画の上映会も行う予定です。このイベント構想を社内で話したら、自分が登壇したいという猛者もでてきて、嬉しかったですね。現在、各部から希望者を募って10人のプロジェクトチームで企画を進めています。

9月17日(土)会場は、横浜市緑区文化センター「みどりアートパーク」です。入場無料ですのでご興味を持ってもらえたら、ぜひお申込みいただきたいと思います。

あなたにとっての「横浜」とは?

横浜は「一番誇れる街」ですね。
街に暮らす人たちが仲が良くてまとまっているし、キラキラ輝いていて大好きな街です。
横浜は都会ではなくて、地方都市の良いところも併せ持っている町だと思っています。

この良さをこれからもなくさないで、子どもや孫たちに引き継いで行きたいですね。

私にとっての横浜は、
「一番誇れる街」です

 

<取材を終えて>

大角さんはご自分が経営される会社だけでなく常に地域、そして地球の環境ことを考えられています。自社の宣伝媒体ですよ・・と仰っていますが、雑誌「ZERO CHRONICLE」の内容の充実度は、単なる自社宣伝のために作っている雑誌でないことは一目瞭然です。9月に開催される食のイベントも、入場者はすべて無料という「太っ腹」の企画で、日本の食を取り巻く状況に危機感を感じて開催されるものです。大角さんの環境に対する危機感を、私たちも共有しなければと思います。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

6月 11 22

第83回盆栽カフェ オープン - 2022.6.19(日)

by staff

盆栽カフェをオープンいたします

「ヨコハマトリエンナーレ2014」で大好評だった「盆栽カフェ」をヨコハマNOWでは定期的に開催しています。

季節ごとの変化が気軽に楽しめる「盆栽」・・・
最近は若者を中心にミニ盆栽が人気を集めています。

2014年12月13日(土)に開催した第1回「盆栽カフェ」では、石井造園株式会社の石井直樹社長に、「盆栽」について語っていただきました。

盆栽カフェ
第1回「盆栽カフェ」のアルバムです

その後定期的に開催、第83回の「盆栽カフェ」を6月19日(日)にオープンいたします。

My「盆栽」をお持ちいただければ、石井社長に見ていただいてお手入れについてお話しいただきます。








2016年4月24日の「盆栽カフェ」の写真です。


2017年4月15日の「盆栽カフェ」の写真です。

「盆栽カフェ」(6月19日)のご案内 –第83回–

皆様、お元気でしょうか。

6月の盆栽カフェは、6月19日(日)に開催いたします。

今回のワークショップは、盆栽の定番「もみじ」です。

ご自宅に「もみじ」の盆栽鉢がある方は、メンテナンスをいたしますのでお持ちください。

「盆栽カフェ」は・・・年代を問わず大歓迎です。

「マイ盆栽」を石井先生に見ていただき、アドバイスを頂戴することもできます。

皆様のご参加をお待ちしております。

「盆栽カフェ」のお申し込みはこちらから・・・
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

プログラム

タイトル 盆栽カフェ
日 時 2022年6月19日(日) 14時~
場 所 「此のみち」
横浜市中区山手町159-2 tel 045-621-4015
 
みなとみらい線「元町・中華街」駅下車、
  「港の見える丘公園」方面に徒歩12分
JR京浜東北線「山手」駅下車、「山手駅前」バス停から20系統
「港の見える丘公園」下車、尾根沿いに徒歩8分
 
アクセスはこちらをご覧ください。
http://yokohama-konomichi.jp/acces.html
参加費 4,500円 (盆栽ワークショップ参加費用 お茶・お菓子付)
お申込み お申込みは専用フォームからお願いします
https://www.supportyou.jp/yokohama-now/form/3/

動画:日本で初めて!松ぼっくりを使って苔玉を作る「苔玉ワークショップ」

参考サイト

「盆栽カフェ」 http://bonsaicafe-yokohama.net/

ヨコハマNOW掲載記事
「横浜に責任をとる。 石井造園株式会社 代表取締役 石井直樹さん」
http://yokohama-now.jp/home/?p=11663

 

 

6月 10 22

「わらび座」を知っていますか

by staff

 

「あの・・わらび座がなぜ・・・」
昨年末に、「わらび座」が民事再生法適用を申請する事態になっていたことを知人から聞いたときに、思わず絶句してしまいました。

「わらび座」は1953年に原太郎氏を中心に結成され、秋田県田沢湖町(現在は仙北市)に拠点を置いて、日本の伝統芸能を基盤としてオリジナルのミュージカルを製作・上演してきた劇団です。

わらび座のWebサイト:https://www.warabi.jp/

亡父が原太郎氏と親交があったこともあり、幼少の頃から「わらび座」の舞台は観てきました。大学入学で上京してからは、ずっとご無沙汰だったのですが、数年前に秋田高校の先輩から、横浜での公演があるよ・・と勧められて、舞台を観たときの衝撃は今でも覚えています。劇団員は、歌って踊って演技して、そして楽器演奏までする、すべてがいいのです。びっくりしましした。

昨今の「わらび座」は「劇団四季」や「宝塚歌劇団」と肩を並べるくらい、劇団員のレベルも劇団経営としても優等生なのだと聞いていましたが・・。私の知っている「わらび座」は発展をとげて、劇団だけではなく劇場やホテルも経営していて、全国各地から修学旅行生を受け入れているというのです。

その「わらび座」がなぜ。。と思いましたが、「コロナ禍」による影響が大きかったようです。多角経営していたことも裏目にでたのかもしれません。劇場公演や学校公演がすべてなくなり、観光客もなくなってということで、まさに「コロナ倒産」ですね。

今年に入ってから、様々なご縁がつながり、私は「一般社団法人わらび座」の理事を引き受けることになりました。何もできない理事ですみませんと申し上げたのですが。。。

5月に「わらび座」が日本財団の助成を受けて久しぶりの東京公演を行うということで、秋田高校の同級生や後輩たちと一緒に見に行ってきました。
演目は、ミュージカル「いつだって青空~ブルマー先生の夢~」。「日本女子体育の母」と呼ばれる井口阿くり(いのくちあくり)さんの物語です。彼女は、明治3年、秋田市南亀の町(私が生まれて育った町内です)で生まれ、女子高等師範学校(現在のお茶の水大学)卒業後、明治30年代にアメリカに留学し、女性初の体育教員となった方です。

いつだって青空:https://www.warabi.jp/aozora2022/

私が生まれ育った町で、明治30年代にアメリカに留学し、女子体育の必要性を説き、ブルマーやセーラー服を広めた女性がいたなんて、今まで知りませんでした。秋田人として恥ずかしい限りです。

「いつだって青空」では、わらび座の役者さんたちは、一人で何役もこなして歌って踊って楽器を演奏して・・見事に演じていました。キレキレのダンスや熱のこもったセリフに劇団員たちの覚悟が感じられました。阿くりさんの人生にも感動しましたが、役者さんたちの心意気と素晴らしさに観客一同・・大感動でした。

秋田の地に根を張って70年。こんなに真摯に演劇に取り組んでいる劇団があることを多くの方々に知っていただきたい。そんな想いでいっぱいです。

「わらび座」の事が2022年6月7日の朝日新聞に掲載されました
記事をダウンロードする

 

 

 

6月 10 22

2022年6月 三ツ池だより 「いろはがあるね!」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

月が欠ける時がある。だが実際はそう見えるだけ。いつも月は丸い、そして動いている。地球の回りを回っている。太陽の光の関係で見え方が変わってくる。欠けて見える時もあり、満ちて見える時もある。心はその見え方で大きく変わる。そしてその時の心の持ち方でも変わる。昼出る月をどう見るか、暗闇に浮かびあがる月をどう見ているのか。

 「いろは」 けんじ
いろいろあるね
ろーどを歩いていく
はっきり意思が決まっているわけではない
  いつのまにかここまで来たね
  ろんより証拠歩いてきたね
  はかっているわけではないが
いつまでもというわけでなく
ろんを待つまでもなく
はんぱなつもりでもない
  いいのだ
  ろまんがあるわけではない
  はるが来て夏が来て
いつのまにかここにきている
ろばたの火を見ながら
はなしを楽しんでいる

新年度に入ってどうなるのかなとおもっていたら、いままでのような流れで進んでいる。どのように今を見、さきへの対処をしていくのだろう。

 「原石は磨かねば光からない」 けんじ
ブログに下記の文字がでてきた
「原石も磨かねば光らない」
その行為、その痛みに
気付くことが出来たことが幸いだ
  原石は素質
  素質は本体
  それを磨くのは
  たゆまぬ努力だ
その行為が痛みにつながる
痛みをこらえていくと
磨かれていく
光るのだ
  原石は素材
  素材は本体
  自覚して磨いていこう
  乗り越えるのだ

今の自分をどのように見ていくのか。先日静岡の友達から連絡があった。学生時代からの友人と急に連絡がとれないのだ。「松戸市はそちらの方が近いよな。どうなっているか見てきてほしい。」とのことだった。

 「ただひたすら」 けんじ
人はどこへ行く
はてしない旅をして
見るもの聞くもの
生きてるあかし
  ただただ
  今という時を
  こぼさないように
  想いながら生きていく
ただひたすら
今あるものを
しっかりと手にもって
ゆっくりと歩いていく

 「変化をつける」 けんじ
何故だろう
変化をつけないとどうなるというのか
  変化することは
  改善や成長につながる
そういわれてみて
いつもと違う道を歩いてみる
  景色もフンイキも違う
  歩く自分の姿勢も変化している
変化しなくていいことと
変化してみることの意義
  時には意識して
  変化をつけることが求められているのかも
新しい変化が
時代を変えていくのだろう

松戸を訪ねた。何度か連絡しても通じなかったが、自宅に車が置いてある。入口の釦をお押してみた。返事があった。「昨年二度倒れてリハビリ中です。毎日何度も電話が入るので、電話を取らないようにと施設の方から言われています。」とのことであった。少しの時間部屋で奥さんと話ができた。

 「輝け」 けんじ
どこに居ても
今ここにいても
輝け!かがやけ!
  あるはずのものがなくても
  朝陽が登りくるように
  かがやけ!輝け!
つくり出すのだ
生み出すのだ
輝け!かがやけ!
  磨きをかけ
  生かすのだ
  己の宝物として!

今日が始まる。どこかで誰かが呼んでいるような気がする。今を大事にして行くんだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

6月 10 22

チョークアートとわたし #07 Food makes you…

by staff

Food makes you…

マスク生活するようになって、かれこれ二年半が経ちますね。
今でもマスクをしていると息苦しさを感じますが、当初よりは慣れたようでほとんど違和感なくマスクをしていられるようになりました。
外出の際はマスクを付けてから家を出るのが定着しているので、その生活スタイルになってから出会った方たちは目元以外のお顔を全く存じ上げません~。
なので、飲食などでマスクを外す機会があると、まるで初対面のような気持ちになってしまいます。
どうやらその人の雰囲気から想像した顔が無意識のうちにできあがっているみたいで、それとは違う(当たり前なのですが)印象を受けることが多いのです。
ということは、相手も同じように思っている可能性があるわけで。
このような場面にでくわすと、自分がどのような印象を相手に与えているのか気になる今日この頃です!

ここだけの話ですが……。
最近、マスクのせい? それとも年齢のせいなのでしょうか。頬のお肉が下へとさがり、口角も下がり怖い顔になってきているので、なるべく笑顔を心がけ、怖い印象を持たれないように気をつけています。

笑顔と言えば、子どもたちの笑顔もほとんど見る機会がなくなっていることに気づきます。
外で見かける子どもたちが笑っていても、マスクをしているので口元が見えないからです。
喜怒哀楽って目元よりも口元に出るのかもしれないですね。

(大きさはA2サイズです)

2016年のチョークアート展に出展したこの作品は、世界中の子供たちが食べ物を食べている時のさまざまな表情を描きました。
この時のチョークアート展のテーマは「Food Matters」
アイスを食べてとろけそうな笑顔になっている子、熱い物をフーフーして食べている子、すっぱい物を食べた時の顔の子、おにぎりを大きな口でほおばっている子。
絵の題名は『Food makes you…』にしました。「食べ物が君を…な表情にさせるね」という意味を込めています。

この絵をいま見ていると、こんな時代だからこそ、マスクを外して美味しい物を食べている時間はとても大事な時間だなと感じます。
家族や友人と食卓を囲んで笑顔になれる時間。たとえ一人でも美味しい物を食べると幸せを感じて気持ちがほっこりしますよね!? 少なくとも私はそうです。笑

あなたは、美味しい食べ物を食べるとどんな表情になりますか?

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

6月 10 22

やさしい革命-「ココ塾」の発達支援
(第1回) すべての子どもに「学ぶ楽しさ」を

by staff

児童発達支援・放課後等デイサービス
こども発達支援教室「ココ塾」代表
金谷 さおり

やさしい革命 「ココ塾」の発達支援

第1回 すべての子どもに「学ぶ楽しさ」を

次男が自閉症スペクトラム(発達障がいの一つで、コミュニケーションの困難さやこだわりの強さがみられる障がい)と診断されたのは、彼がまだ小学1年生の時のことでした。就学後、すぐに担任の先生から「落ち着きがない」「集団行動ができない」「パニックになる」などの指摘を受け、専門機関で発達検査を受けることを強く勧められたのです。家庭の中では落ち着いて過ごしていることが多かったため、信じられない思いでしたが、学校でトラブルがあると夜ごはんも食べられないくらい疲れきってしまう次男の姿を見て、私は受診を決めました。

しかしながら、受診をし、発達検査をし、診断が出たところで、次男の学校での過ごしにくさに改善は見られませんでした。当時はサポートルーム(特別支援教室)も整備されてなく、医師から、次男に分かりやすい説明の仕方や、パニックになったときの対処法を教えてもらっても、「学校」という集団生活の場で個別に関わってもらうことは難しかったのです。最終的には「服薬してください」としか言わなくなった学校に、私は不信感を抱くようになりました。

もしあの時、発達検査の結果を学校生活に活かすことができたなら、特性に配慮した学習方法が見つけられたなら、次男が相談できる家族以外の大人がそばにいたなら、家庭と学校との間に入ってくれる人がいたなら・・・。次から次へと後悔ばかりですが、この想いが、私が「ココ塾」を創るきっかけとなりました。

「ココ塾」は、児童福祉法に基づく児童発達支援・放課後等デイサービス事業所として、令和4年5月に指定を受けました。スタッフには、作業療法士、言語聴覚士(オンライン)、臨床心理士、公認心理師などの専門職や、教員経験者(特別支援学校、通級、通常級)が複数在籍し、お子さまの特性を丁寧にアセスメントしながら、一人ひとりに合った「療育」を提供しています。「療育」とは、一般的には耳慣れない言葉かもしれませんが、障がいのあるお子さまの発達のスピードに合った学び方や環境を用意する「発達支援」を意味しています。

多様性の時代と言われてもなお、次男のように発達特性のあるお子さまには、まだまだ生きづらい場面がたくさんあります。発達検査も広く知られるようになりましたが、その結果から得られた特性を踏まえ、学習や日常生活に活かすためには、ご家庭だけの力では難しいこともあります。私もそうでした。

だからこそ、今、お子さま一人ひとりの発達特性をしっかりと読み解き、寄り添い、その可能性を信じて学びを支えるための支援が必要であると考えます。
「ココ塾」での学びを通して、お子さまたちが自分の持つ力に気づき、自信をもって人生を歩んでもらいたい―。「ココ」から夢をかなえ、一人でも多くのお子さまたちがきらきらと社会に羽ばたいていけるよう、全力で応援していきます。

(第1回了)

 

子どもの感覚と行動について | 「ココ塾」YouTubeチャンネル

「ココ塾」YouTubeチャンネルをご覧のみなさん、こんにちは。代表の金谷さおりです。
この、「ココ塾」チャンネルでは、すべてのお子さまたちに「学ぶ楽しさ」を届けることをテーマにした、様々な情報発信をしています。ご家庭や学校での対応のヒントになりましたら嬉しく思います。
今回は、作業療法士の石田ちひろ先生から、お子さまの感覚と行動に関するお話をしていただきます。本編は4部作となる大作でございますが、お子さまの行動の理由を理解するうえでのたくさんのエッセンスが詰め込まれています。ぜひご視聴いただけますと幸いです。それでは石田先生、よろしくお願いします。

石田ちひろ先生による、「子どもの感覚と行動について」。いかがでしたでしょうか。
私も支援者として、また発達障害のある子どもを育てる母親として、石田先生との出会いは大きな転機でした。学校での不適応や、お子さまの抱える不安を理解するために、感覚特性の学習は欠かすことができません。もし一人でも多くのは保護者さまや学校の先生たちが、石田先生がおっしゃっていたような感覚特性の視点からお子さまの行動を見つめ直すことができたなら、救われるお子さまたちは大勢います。私はこの石田先生のプレゼンテーションが、世の中に変革をもたらす、優しい革命の一つであると確信しています。

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

筆者プロフィール

金谷 さおり(かなや さおり)  

金谷 さおり(かなや さおり)
社会福祉士・精神保健福祉士
学習院大学経済学研究科博士前期課程修了 (経済学修士)

<CAREER>
大学院にて働くことができない若者たちの雇用問題について学ぶ。
大学院修了後は、ニート・ひきこもりの就労支援、重度障がい者の生活支援、農福連携を推進する自治体のコンサルティング、公的機関での相談支援など、多岐にわたる障害福祉の現場を経験する。
三男一女の母で、次男は発達障がい。医療・福祉・教育の各分野の専門家にサポートしていただきながら、子育てを満喫中!

<VISION>
障がいのあるなしにかかわらず だれもが自分の望む道のりで 夢をかなえられる社会をつくる

<「ココ塾」ホームページ>
https://coco-jyuku.com/

こども発達支援教室「ココ塾」 創設に込めた思い

これからも、「ココ塾」チャンネルでは、様々な専門職によるお話しや療育のアイディアをご紹介してまいります。これからの活動の励みになりますので、少しでも良いと思っていただけましたら、ぜひチャンネル登録といいねをお願いいたします。

 

 

 

6月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第111回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第111回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“咲いている花が尚その上にお化粧する” と表現したのは詩人・石垣りん。“AI(人工知能)” は今後、進化のスピードを更にあげますが、お化粧でない花の本源的価値を生み出せるかが鍵。AIは大量データを利用、時にはバイアスがかかり誤差を拡大再生産する恐れも。AIの強みを生かし弱みを補うにはAIとの協創と異物間連携。人間の枠を打破し外へ飛び出すトリガーに。人脳の多くをAIに任せて総合判断を人間の知見が担う役割分担へ。それには人間も知を継続的に磨く必要がありそう。これまで以上の複眼思考と多面思考の強化。単なる専門知では力不足、総合知・リベラルアーツを強靭にする必要。今後は教育の重心を知的好奇心・自己学習に集中させることかも。行き過ぎた最適化は多様性を抑圧。無駄の効用や多様な物差しを反映させ、近道じゃない方向へ。複数の現実・コミュニティを生ききる覚悟。“適塾:オランダ語基礎のみ伝授。何をやるか、どうやるかは塾生が自分で判断、自主性に委ねる” と塾長・医師の緒方洪庵。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

きちんとしたナレッジマネジメント・システムを用意すれば済む訳ではない
ナレッジ共有/共創を推進 それを極力簡単に参加できる仕掛けを用意する
本人にとって自分への脅威に感じないこと トヨタ管理者層の人事考課制度
何よりも人望 課題創造力・課題遂行力・組織マネジメント力・人材活用力

“阿吽の呼吸”。専門家同士の会話は、エッセンスをやりとりすれば事が進むといわれます。専門医同士の会話は、何を言っているのかチンプンカンプンですが、専門医同士はツーカー。ナレッジ(知)を共有するとはコンテクスト(文脈・背景)を共有すること。コンテクストはカルチャー(文化)と表裏一体で “遊び・創造・継承”。不確実さを楽しみ、新しい解決策を見つけることができるよう絶えず新たな見方・考え方を更新。“自分のうちに起こる諸々の変化を面白がり客観的に眺めること” と作家・落合恵子。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

イノベーションマネジメント イノベーションのための環境整備そして障害排除
イノベーション創出のプロセス 戦略分野の特定 アイデア創出 商品化・上市
イノベーションスキルの開発 アイデア創出へのスキル アイデア評価のスキル
アイデア実現スキル 破墨山水図は前衛の極み 水墨画は技術の前に心、と雪舟

“売れることではなく売れ続けることが大事” と語ったのは経営者・松下幸之助。それには “世界・顧客の観察への弾力性” “やんちゃ・無頼・不逞の受け入れ” “失敗の自由を許容” が不可欠。自らの直観を信ずる勇気。AI(人工知能)との連携自体にもイノベーション。AIの不得意なことは “執拗に試行錯誤すること” “抽象的思考・概念を広範に利用すること”。それを補うのが “人間・直指人心の密度”。進化は複雑化・ベキ乗化・意識化の法則に収斂。“大成するかしないかはオフが鍵” とゴルファー・青木功。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル 役に立つか・役に立たないかで判断
ウェイトトレーニンクは投手にご法度 しかし挑戦し消化 当初は大きな筋肉を鍛錬
更に、中の筋肉・小さな筋肉を鍛えることも必要と得心 怪我の防止などにつなげる
少しでもよくなれば無条件に挑戦 スケート ジャンプの成功は助走で八〇%決まる

ノーラン・ライアンは大リーグを代表するピッチャーで、背番号 “34” は永久欠番。アメリカンドリームは、ダメならすぐクビになる厳しさと隣り合わせ。そんな環境で27年間貫いたのが隠されたカリキュラム(完投後のトレーニングルーム)。評価は野球に役立つか・役立たないかで判断。当時、ウェイトトレーニングは投手にはご法度。しかし、効果があれば無条件に採用。才能とは、能力でなく何が何でもやるしかないという執念。“人生の価値は豊かさや権力でなく、納得できる時間を過ごすこと” と経営者・堤清二。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第111回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

6月 10 22

記憶の中から (第一話)本牧での周五郎の足跡

by staff

記憶の中から
時代小説家山本周五郎と父装丁家 秋朱之介の交流より

第一話  本牧での周五郎の足跡

二年半くらい前のことです。コロナ禍で東京の事務所通いは休み、ただあちこちを歩いていた時の事、ふと気が付きましたが本牧には「文豪 山本周五郎」の足跡が全く残っていないのです。山手には大佛次郎記念館、MM地区には長谷川伸の記念碑があります。東京には樋口一葉をはじめとして池波正太郎文学館、芥川龍之介文学碑が本所の回向院傍になど沢山のものがあるのです。山本周五郎記念碑とネットで検索すると生まれ故郷の山梨県大月市には生誕の地の立派な石の記念碑が、「樅ノ木はのこった」の記念碑も舞台になった主人公原田甲斐の船岡城址公園の大きなもみの木の下にあるそうです。

何とかならないものか。地元の周五郎フアンの方々にお知恵を借りました。すると町内会長さんがコロナ禍で開催できなかったイベントの資金がある。年度末までに記念碑が完成するようなら援助できるとのありがたいお声を頂きました。資金のめどが立てば楽勝と思ってましたが甘い。デザインや業者への発注など専門知識が必要になります。幸い本牧の皆さんその方面の経験者ばかりです。
とんとん拍子に記念碑が出来上がりました。約一年半で形になったのです。

2022年3月14日、除幕式当日、昨日までの曇り空は嘘のような上天気です。
多くの方が集まってくださいました。設置場所は色々と案がありましたが、最寄りのバス停留所が沢山の人の目に留まるという案が通って市営バス下り線「本牧」停留所の脇の植え込みになりました。若木ですが桜の木も植わっています。
除幕式は中区長、連合町内会長そしてご親族の松野由紀子さん、私と4名で晴れやかな天気のもとで行われました。

私はきん夫人の形見の留袖をワンピースにしたものを着用しました。
晴れの日に着ることが出来て嬉しい。
おばちゃんありがとう。
いずれは八聖殿に記念館も作り、作品のビデオを流したり、朗読会を開いたり、江戸の庶民の研究会なんかも開きたいと構想も膨らみます。
それまでおじちゃん見守っていてくださいね。
また「うるさいー」と叱られるかしら。

こんな気持ちで除幕式に臨んでおりました。

記念碑と一緒に

山本周五郎は、戦後1946年に東京・馬込から横浜市中区本牧元町に移り住み、以来21年、横浜が終焉の地となりました。また、小学生時代の数年を横浜で過ごしおりましたので、山本周五郎にとって横浜は、第2の故郷ともいうべき地です。しかしながら、このことは横浜の人においてもあまり知られていないようです。

父 秋朱之介は装丁家をしておりましたので、私たち家族は山本周五郎一家と交流がありました。
この連載では、時代小説家として知られる文豪山本周五郎一家と過ごした時代を振りって戦後の本牧の思い出を綴ってみたいと思います。
今年は山本周五郎の没後55年にあたります。
私の回想に少しおつきあい下さい。

(第一話了)

 

大久保 文香さん プロフィール

記憶の中から 大久保文香さん   「関内を愛する会」事務局長を経て
「野毛大道芸」事務局に就任。
以降エンタメに興味を持ってイベント企画会社
桜蘭(株)を立ち上げ
現在、桜蘭(株)プロデューサー
 
<ヨコハマNOWの記事>
「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

 

 

6月 10 22

風景で読み解く横濱 (第二話)時を観る風景

by staff

「風景で読み解く横濱」
戦前に発行された絵葉書、写真、地図等から横浜の風景を読み解いていきます。

第二話 時を観る風景

本町通りに建つ横濱町会所(早稲田大学図書館蔵)歌川國鶴 画

前回「時を聞く風景」で紹介した本町通りの町会所は「時計台」としても有名で当時のランドマークでした。
明治初期の1874年(明治7年)に竣工し、石造亜鉛葺二階建て、一部4階建て延床765㎡の当時としては壮大な洋館です。ここには行政府の役割に加え歩合金徴収所や貿易商組合事務所などが入っていました。
この町会所の4階には文明開化を象徴する巨大な「時計台」と「時鐘」が鐘塔(しょうとう)に設置されていました。人々は時を聞くとともに見ることもできたのです。
鐘塔は洋風のドーム風の設計で、時計の機械は幕末から横浜に拠点を置いたスイスのファーブルブラント商館(C.&J.FAVRE BRANDT)が輸入し創始者のジェームス・ファーブルブラント自らが塔屋に登って取り付けを指揮したというエピソードが残っています。
このように時を見る装置「時計台」は明治以降急速に普及し全国各地の要所に建てられました。広範囲に時を知らせることができる<報時鐘>と比べ「時計台」はそこにいる人にしか伝えることができませんが、正確な時間を伝えることができるため、目抜き通りや駅などの施設に設置されました。
横浜では明治初期からいち早く時計台が複数設置され、人々に時を知らせました。

弁天通り河北時計店

本町通りには「町会所」に加え「横濱郵便局」に時計台を設置、外国人で賑わった弁天通りには1894年(明治27年)開業の「河北時計店時計台」、短期間ですが高島にあった「岩亀楼遊郭」にも明治6年初期に時計台を設置し時を知らせました。
この「時計台」、公共の時計(公衆時計)は現在も交通機関以外に床屋、公園、学校等に残っていますが全体的には急速に減っています。

 

 報時球

もう一つ横浜ならではの“観る時間”を紹介しましょう。
横浜港、海岸通りにあった「報時球(time ball)」です。
「報時球」多くの方が初めて聞く名前ではないでしょうか。
時を報じる<球>とは不思議な感じがします。

横濱海岸

写真に写っている報時球は現在のホテル・ニューグランド前にある沈床公園あたり、仏蘭西波止場(東波止場)と呼ばれていた頃に桟橋のたもとに建っていました。
この報時球は世界の国際港に設置されていました。Time ballと呼ばれたこの仕組は19世紀末から20世紀前半、世界の港に約140ヶ所(1904年時点)設置されましたが、無線の普及につれてその役割を失い消えていきました。
日本での設置は1903年(明治36年)3月に横浜と神戸に初めて開設され、その後門司・長崎・大阪・佐世保・呉と計6ヶ所設置されました。
どのように使われたのか紹介しましょう。仕組みは簡単で、<球>が高所からトンと落ちるタイミングで時間を合わせる装置です。
港や国によって報時時間が決まっていて日本の場合「中央標準時の正午時」でした。タイミングは東京からの電信信号によって操作され、球が5分前になると頂点に移動し時間になると落下することで時を知らせました。
港内に停泊している船舶はこの報時球を船から望遠鏡等で確認し船内の時計修正用に利用したそうです。
当時の報時球規定には
「正午時約五分前即ち午前十一時五十五分より上部横木下まで引揚げ正午時に於て東京天文台より電気作用を以てこれを墜下せしめ其墜下し始むる瞬時を以て正午時とし若し過誤ありたるとき又は故障の為め該信号を為し能わざるときは球檣下桁端に万国船舶信号W旗を掲げて不正確の信号とせり。(神奈川県港務要覧1910年(明治43年))」
のんびりした港の光景を想像することができます。
この「報時球」が港の風景に写り込んでいる風景を幾つか紹介しこの回を終わります。

横濱海岸雪の景

横濱海岸通りオリエンタルホテル

次回は 見上げる風景 紹介します。

(第二回了)

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

6月 10 22

チャレンジ(第46回) 今年もやります! 楽しいをつくっちゃおう!

by staff

年もやります! 楽しいをつくっちゃおう!

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。コラムも46回となりました! 3年も続けているなんて自分でもびっくりです(笑) これもヨコハマナウを運営している皆様のお陰です。いつもサポートありがとうございます。
引き続き私の活動を中心にコラムを書いていきたいと思っていますので、皆様ぜひお付き合いください。

さてさて、昨年とても講評だった「楽しいをつくっちゃおう!大人も子供も夏休みの自由研究ワークショップ」を今年の夏も横浜市西区の「にこまち助成金」を頂いて今年も開催いたします。
https://yokohama-now.jp/home/?p=20568

昨年の開催の様子はこちらのギャラリーをご覧ください。
https://yokohama-now.jp/home/?p=20676

今年は更にパワーアップする点があります。前にお伝えしたように、C.P.FACTORYは一般社団法人サーキュラーコットンファクトリー(CCF)とパートナーシップ契約をさせていただいたので、子供たちに配布するオリジナルシートはCCFの再生紙を使ったものになります。
https://yokohama-now.jp/home/?p=21049

私たちはSDGSの12「つくる責任つかう責任」を掲げています。私は大学生の時に印刷について勉強して印刷会社に勤務し、ありとあらゆる印刷物を作成してきましたが、ある時、配布しきれないチラシを見て、ゴミを作っているのでは?と感じたことがあります。大量に印刷をして配りきれなったチラシは廃棄・・・それはとても悲しいな~と思い、配布できる分を考えて印刷部数を決めましょう、と、提案をしています。今ではWebが主流となっているので、紙媒体は少なくなってきていると思いますが、環境のことを考えるきっかけとなるように再生紙を手にとってもらい、直に子供たちに伝えられる場があると良いと思って企画しています。

場所は昨年と同様、横浜駅東口から徒歩8分の生活介護事業所&COCOです。
横浜市西区平沼1-1-12
https://andcoco.amebaownd.com/

更にパワーアップする点は、私と一緒にワークショップをやりたいと手を挙げてくれている人がいるということです。じわじわと広げていきたいと思っているのですが、お問い合わせを多数いただいております。出店説明会も検討していますので、ワークショップをやりたい!という方がいらしたらぜひお問い合わせください。

そして、今年も革のガーランド作りを開催します。その名も「幸せのガーランド」廃棄される革を再利用して、横浜市西区の障害者施設で作成したガーランドで街を明るく元気に飾りたいと思います。キャンプでテントに飾たい!お部屋に飾りたい、お友達にプレゼントしたい、または協賛してくれる企業様などご興味ある方がいらしたらご連絡ください。
「最高の瞬間」をもう一度。お問合せお待ちしております。

お問合せはこちらからお願いいたします。
https://cpfactory.jp/contact

次回は 【素敵な商品が出来上がりました!】 です 

(第46回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

6月 10 22

第109回 建築家住宅の引き継ぎかた

by staff

佐賀高橋設計室
高橋正彦

建築家住宅の引き継ぎかた

会社組織ではないアトリエ系の設計事務所。いろいろな理由で事務所が閉じられた場合そのあとのメンテナンスやリフォームなどの相談は誰にしたらいいのだろう?個人事務所に設計を依頼した場合その点が心配だという話をたまに聞きます。

今回は建築家が設計した住宅を引き継いでリフォームし、壊すことなく大切に住み継いだ事例をご紹介します。

この建物は今から20年以上前に設計されたものでした。最初の建主さんはご家庭の事情で手放すことになりその建物を別の方が新たにご購入されたようです。
新しく住まわれる方は自分たちの暮らしに合うように一部リノベーションをしたいと思っていて、本来ですと元の設計者に相談するのがいいのですが、すでにその建築家は他界。そこでリフォーム専門の施工店に相談をして進めていましたが、やはりデザイン的に納得するような提案が得られないということで僕のところへ相談にいらっしゃいました。

建築家が住宅を設計する時は、そこに住む家族や周りの環境に対して一番理想的な建物はどんなものかということを考えます。そのようにして考えられた建物に別の建築家が手を加える場合、最初の設計時に思い描かれたデザインやコンセプトをきちんと読み解くことが大切だと思います。
その行為は日頃建築家が住宅を設計する時に行っている行為とそう遠くはありません。以前自分が設計した建物に手を加える時でさえ、最初の設計時に自分が何を考えていたかを思い出そうとするくらいですから。

ある建築家によりしっかりと考えられた建物に別の建築家が手を加える。これは、元々のコンセプトをきちんと読み込み、そこに新たな物語を加え、建物をいい形で持続し使い続けるということにつながるとても素晴らしいことだと思います。当然時間も経過していますので、大掛かりなメンテナンスを施すという点も忘れてはいけません。

今回はデザインをできるだけ崩さず、不具合なども出来るだけ直して、このあとも長く住むことができるようにリフォームの設計し監理をおこないました。

住宅の場合、20年以上経過して持ち主が変わった時、まだ使えるにもかかわらず解体される事例も多くあります。しかし建築家によりきちんと考えられた住宅は時代や住み手が変わっても手を加えることにより快適な住宅に生まれ変わる可能性があります。

建築家の仕事は新築の設計だけではなく、元あったものの良いところを生かし、新たな命を吹き込むことも出来るのだということをもう少し知っていただければと思います。

外部は全て塗装を塗り直し、雨樋などもつくりなおしました

内部塗装やクロスも張り替え、設備機器も一部取り替えました

新たな造作家具や間取りにも手を加えてあります

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

6月 10 22

歴史・山城ナビゲーター 山城ガールむつみさん

by staff

「どこの地域にも素晴らしい歴史が眠っています。」山に入り、天守や建物のない手付かずの山城の遺構を見つけると、まるでタイムスリップしたかのように、その臨場感にワクワクドキドキします。歴史が織りなすロマンスをいっしょに楽しみませんか? 今回、ご紹介するのは歴史・山城ナビゲーターの「山城ガールむつみさん」です。

お名前 山城ガールむつみ(宇野睦)
お生まれ 横須賀市
お住まい 保土ヶ谷区権太坂
ご家族 お母様と同居。兄弟は妹と弟がいます
お仕事 歴史&山城ナビゲーター
趣味 仕事?!

 

横須賀生まれ

生まれ育ったのは横須賀市、家の裏山が三浦一族の「怒田城」であったことを大人になって知りました。現在放映中のNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも三浦一族は重要な役割を果たし、鎌倉幕府開府の立役者となっております。今でこそ、三浦一族の「とりこ」となっている私ですが、幼い頃は知る由も無く、横須賀の歴史は全く興味ありませんでした。

子供の頃は本ばかり読んでいました。私の母は劇団に所属していた経験があり、幼い私に絵本を読み聞かせる時は、声色を変えて主人公たちを演じてくれました。夜、布団に入って聞く「おとぎばなし」は本当に面白くてワクワクしたものです。

私が本好きになったのはそんな母の影響だと思います。幼稚園生の時に「台本」を書いて母を驚かせたことを覚えています。登場人物が2~3人の短いお話でしたけど、母に見せたくて夢中で書きました。

小学生1~2年の時に山本周五郎を読む?

本を読むことで「読解力」が身に着いたようで、国語の授業は大好きでした。算数も好きでした。

小学1年か2年の時に、親子で観劇を楽しむ行事がありました。お芝居は山本周五郎の「さぶ」でした。少年二人が奉公先で友情を深めるも一人が濡れ衣を着せられて人間不信になっていく・・といったストーリーなのですが、小学校の低学年には「いきなりお芝居を観ても理解が難しいのではないか」と思った母が本を買って来てくれました。「読んでも読まなくてもいい」と思ったそうですが、期待(?)に応えて読み終えてしまって、母や担任の先生を驚かせたことを覚えています。

スポーツは、小学4年生の時に地域のミニバスケット部に入り6年生まで続けました。ピアノと水泳も習っていました。

国語の先生のおかげです

中学校もバスケット部に入りましたが、途中で「帰宅部」に・・・本が好きで本ばかり読んでいました。

中学の国語の先生は「主人公の考えていることを想像してみて」と、主人公の気持ちを創作して書くといったユニークな授業を取り入れていました。
「山城ガール」になって、当時の人々の想いを考えること、想像することをするようになったのは、この授業のおかげだと思います。

小説家になろうと思って

高校は公立高校で、再びバスケット部に入り、3年間頑張りました。当時、横須賀はバスケットが強い地域でした。バスケット界で有名な先生が指導してくれることになり、スポーツ根性物語的な展開となりました。辛く厳しい練習でしたが、あの達成感、充実感は人生の宝です。

高校でも得意だったのが国語。将来の夢は「小説家」になること。大学は文学部に行くつもりが、希望大学に受からず、「法学部」へ。

大学生から社会人に

父が難病に罹ったのは大学在学中のことでした。気落ちする母を支え、長女として妹や弟の面倒をみて、家計のことなども考え、学業よりもバイトや家族のことを優先したため、大学時代の記憶はほぼありません(笑)

就職してからはいくつかの仕事をしました。リゾート会社の営業では、余暇を楽しもうとしているお客様のニーズにお応えし、お客様を喜ばせることを学びました。土木建築の設計業務などもしました。数学が得意だったこともあり、設計業務は好きでした。

就職してからも、「小説家」「脚本家」になる夢は抱き続け、生活費を除いた給料の殆どが本代や映画や芝居のチケット代に消えました。「脚本」を書く学校に通い、寝る間を惜しんで「小説」や「脚本」を書き、寄稿したり、応募に出したりしていました。

山城ガールむつみの誕生

滋賀県長浜市にある小谷城跡を訪れた際、現地に残る石垣や手付かずの山城の遺構に、時間を超えた武者たちの息遣いを感じ、ものすごい衝撃を受けました。自刃を余儀なくされた最後の城主浅井長政の無念に想いを馳せました。あたかも、その思いが届いたかのように石垣に陽が差し込み、苔むした石垣が輝いたことを思い出します。その光景にロマンを感じ、全国の山城を巡るようになりました。

山城は南北朝時代から戦国時代に造られましたが、誰しもが抱く天守閣がそびえるお城ではなく、イメージでいうなら「砦」の方が近いと思います。ですから、各地にたくさんあります。みなさんの近所の寺社が実は城だということも多々あります。「昔話」で語り継がれた場所、畏れられたり、敬われている場所、地元に残る僅かな情報を基に、宝探しのように過去を掘り起こしていきます。

街道や河川などの交通を押さえるように、尾根伝いには見張り台があり、のろし台があり、山の中を歩くとタイムスリップしたかのように、当時の臨場感が伝わって来てワクワクします。

このワクワク感、トキめき、楽しさを誰かと共有したいと思って、「山城ガールむつみ」というペンネームで書き始めました。すると、たくさんの方が見てくれて、そこからタウン誌のコラム連載や山城をテーマにした歴史ウォーキングイベントなどを仕事の傍らにやらせていただくようになりました。ブログを書き始めたときは、まさか「山城ガールむつみ」の名で活動することになるとは夢にも思わず(笑)

歴史・山城ナビゲーター 山城ガールむつみ見参

山城の魅力を誰かに伝えたい

その後、会社を辞め「歴×トキ」(レキトキ)として独立し、講演会や出張授業、カルチャースクール、バスツアーなどイベントを企画、「山城の魅力や歴史の楽しさ」を伝える活動を始めました。「歴×トキ」(レキトキ)の意味は、「歴史とトキメキ、歴史でときめく」です。さらに、×(カケル)という記号には「掛ける」という意味の他に、「歴史で時を翔る」、「歴史で今と過去、そして未来を繋ぐ橋を架ける」、「歴史の舞台を駆ける」、「私の想いを懸ける」という意味を込めてあります。

小学校への出張授業・千葉県多古町

三浦一族展覧会でギャラリートークをしました

こうした活動をする際は何度も下見に行きます。郷土資料館や郷土史家を訪ねてお話を伺ったり、周辺をひたすら歩きます。山ヒルやイノシシ、熊に気を付けながら山道を歩きます。近年は、スズメバチの巣が増えて細心の注意が必要です。滑りやすい場所、落石の多い場所などチェックして安全安心のツアーを目指します。

ツアーガイド光景

ツアーガイド光景

ツアーは15人~30人ほどで行います。お話をしながら歩くのでスピーカーを使って話すこともありますが、人数が多い時はガイディングレシーバーが活躍します。マイクを通して私の呟きや独り言までが参加者全員に伝わり、単なる歴史ガイドではなく、一体感のある楽しい雰囲気になっていると思います。

バスツアーで、えいえいおー

ガイディングレシーバーが活躍します

旅行ガイドブックにも載っていない「歴史」と「城」は、観光資源として新しい価値を生み出してくれると思います。地元の人が魅力を知らずにいる地域の名もなき城に、外からツアーなどで見学に来ることで、地元の方に「郷土史」を知ってもらうきっかけとなります。郷土愛が生まれ、地域の活性化に繋がれば良いと思います。

JRバス関東の路線バスツアーにて、車掌の衣装でガイド

御城印で地域に埋もれている「山城」の魅力を掘り起こしたい

「御城印」とはお城のお土産です。寺社の御朱印と違って、宗教的な意味はありません。御城印は既に存在していましたが、「御朱印」のように赤黒のカラーが主流でした。

それではつまらないと思い、もっとたくさんの人に山城の魅力をお伝えできる図案化された楽しいデザインを考えました。山城を知らない人でも手に取って見たくなるもの。「御城印」をきっかけに山城に行きたくなるような御城印を考えました。

そのお城に埋もれている歴史のストーリーを葉書サイズの御城印に詰め込み、城の説明文を添付しました。説明文は各自治体や保存会のチェックを受けて、きちんとした歴史をお届けしようと心がけています。
これら「御城印」は道の駅や現地のお店、役所、観光協会などで販売しており、売り上げの一部が城の整備費用などに充てられています。「御城印」で日本全国の城を繋げたい、盛り上げたいという思いが、少しずつ形になって広がっているように感じています。
誰に頼まれたわけでもなく、勝手に「使命感」を持ち、地域の活性化を目指して頑張っています(笑)。

あなたにとっての「横浜」とは?

私にとっての横浜は「色とりどりの面白い街」です。

海あり山あり。
おしゃれな都会かと思えば、田園風景が広がる中世の面影の残る場所もある。
近代歴史遺構が目立ちますが、古代からの史跡や山城、そして合戦地など。
日本初の鉄道というコンテンツもありながら、古くから発達した水上交通の湊や河川などのネットワークもあります。
色とりどりの歴史、そしていろんな顔を持つ不思議で魅力満載の素敵な面白い街。
それが私にとっての「横浜」です。

私にとっての横浜は、
「色とりどりの面白い街」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

5月 10 22

本牧(横浜市中区)に山本周五郎氏が・・・

by staff

 

2022年3月上旬に、ヨコハマNOWにメールが届きました。

神奈川県で初めて時代小説家 「山本周五郎記念碑」が自宅や書斎の在った本牧に建てられることになりました。
3月14日に記念碑の除幕式があります。
横浜本牧の気候、風土、人情に触れた多くの名作がここで生まれたこと多くの方に知っていただきたいと思います。

メールを送ってくださったのは、大久保文香さん。

「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサーとして、2014年1月号のヨコハマこの人に掲載させていただいた方です。
https://yokohama-now.jp/home/?p=10716

山本周五郎氏と言えば、江戸時代を中心とした時代小説の大家です。
亡母の故郷が舞台でNHKの大河ドラマにもなった「樅ノ木は残った」や日本医師会の赤ひげ大賞の由来となった「赤ひげ診療譚」など、私にとって思い入れのある小説があります。

※第一回赤ひげ大賞の受賞者、鈴木強(広島県、鈴木クリニック院長)先生は、亡父のお弟子さんです。

あの山本周五郎氏が21年間も本牧に住んでいらしたとは・・全く知りませんでした。

大久保さんに記念碑を見学に伺います。とご連絡して実現したのは4月中旬でした。

「山本周五郎記念碑」は、桜で有名な本牧通りの三之谷交番前のバス停のそばにありました。「山本周五郎 本牧「道」しるべ」というタイトルの記念碑には山本周五郎の写真と略歴やご自宅、書斎の地図などが掲載されていました。

大久保さんと山本周五郎氏との関係は・・と伺うと、
出版社を経営していた大久保さんのお父様である西谷操(ペンネーム秋朱之介)氏が、山本氏と親しい友人で、そのご縁で第二次世界大戦が終わった直後の1946年(昭和21年)に、大久保さんたちが住んでいらした本牧(横浜市中区)に山本氏のご一家が引っ越して来られたとのこと。
大久保家の離れが山本氏の書斎になったこともあり、そのときから山本氏が亡くなる1967年(昭和42年)まで大久保さんと山本氏の交流が続いたそうです。

「樅ノ木は残った」も「赤ひげ診療譚」も旅館・間門園の一室で書かれていたと伺って、なんだか親近感が湧いてきました。

20年以上も住んでいて最後の地となった本牧に、何の足跡も残されていないことを残念に思っていた、大久保さんが地域の方にその想いを伝えたところ、コロナ禍でイベントができないで残っていた中区の助成金が利用できるになり、トントン拍子に記念碑設立に至ったそうです。

タウンニュース(2022年3月24日号)
https://www.townnews.co.jp/0113/2022/03/24/617667.html

記念碑設立がきっかけとなって、山本周五郎氏の足跡を学ぶ会が発足されたとのこと、私も仲間に加えていただきたいとお伝えいたしました。

山本周五郎が描く江戸時代は、サーキュラーエコノミー(循環経済)を実現していた時代です。SDGsを地でいく暮らしをしていた私たちの祖先を、山本周五郎氏の小説から学びたいな・・と考えている「とも」でございます。

記念碑

大久保さんと記念碑

 

 

 

5月 10 22

2022年5月 三ツ池だより 「新しい時代の準備を!」

by staff
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いつまで今までのカバンを背負っていていいのか。背負う物は何か? ふと考えてしまった。変えていかなければいけないのは何か、という問いかけが求められている。

 「私は今ここにいる」 けんじ
今という時
私はここにいる
  明日という今になっても
  私はここにいる
今という時を重ねて
新しい道を歩む
  明日という今も
  確かな道を行く

やることをやっている。明日もいい日になると思っている。

 「出会いって何」 けんじ
それでいいの
それでどうした
だからどうなの
  人は人と話をしているつもりで
  いつも自分と話をしている
  人はいつもそえものなのだ
人生の道を歩いていて
出会う人との思いは流れていく
流れの中で小石を拾う
  いつの頃からだろうか
  人と会うことが苦でないのに
  人と出会う機会が少なくなっている

三ッ池公園に出てみる。二羽の鴨が水の中に顔を入れている。時々顔を出して円を描いて泳いでいる。一羽の別の鴨が空をきっとして飛んでいる。円を描いて待ってもいる。のどかな時だ。豊な水をたたえて時が水面を揺らす。

 「花びらが飛んできた」 けんじ
蝶が舞うように
桜の花びらが
3階のベランダに上がってきた
  ひらひら ひらひら
  上に上がっておりて行った
  蝶のように花びらが
空気を揺らして
一瞬の顔見せ
花びらが笑っている

生存することは自分を試すこと、自分を試すことは己の力を活用すること。己の力は日々のトレーニングで改善され、新しい領域に入る。生存するための創意工夫そしてそれを守るのは何だろう。工夫できる人生を作り上げるのだ。次の世代へバトンを渡しながら、今を楽しむ。

 「祈り」 けんじ
人の役に立つお手伝いをしたい
自分の文章をまとめて本にしたい
人をいやすんことができたら
その前に身近なところで役に立ちたい
私が生きていることが喜びにつながる
そして私と交流したものが救われたら
  人は何をしにこの世に来たのか
  いろんなものを見てそして聞き
  自分に出来ることをしていく
  それが人の役に立つことになれば
  私が生きる喜びにつながる
  それが一人でも人の役にたつようにと

詩とはなんだろう。土の一寸下に言葉がある。そこにいくと私の詩はなまもの。詩はリズムであり、地中から咲きでたもののように・・・。そこにいくと私の詩には地中の根が見えない。それでもリズムがあり、表現できていればいいのだがなぁ。それでも言葉があって、表現できることに「ありがとう」。

 「カンパネーラ」 けんじ
白い花が咲き
青白く微笑んで
背を高くして花瓶にある
  吊鐘のように咲き
  茎いっぱいに花が咲き
  あたり一面を色どる
湧き上がるように
吊鐘のような花を咲かせて
いくつも夢をつくり出すようだ
  いっぱいの珈琲の
  かおりにのって登っていく
  白い花が咲いている

 「今求められている人は」 けんじ
今新しい仕組みが求められている
資本主義が大変なところに来ている
  上に立つものが権利を集め
  従順に従うものが使われている
それでいいの
これからどうする
  今本当に求められている人というのは
  時を見据えている人
人を発想で縛るのではなく
自然を大事にする人

今、日の丸が交番に舞っているが駅には日の丸の旗が見えない。日本の国にいて祝日なのに。

 「笑い」 けんじ
竹が天の上に乗っている
竹が笑っている
天がのびている
  竹が伸びている
  竹が成長している
  天が笑っている
誰の上にも天があり
誰も竹のように伸びようとしている
天が 知らず知らず支えてくれている
  今日が静かであって
  昨日がざわついている
  明日が待っている
よしよし
笑って行こう
明日もだぞ

あって、お互いに力を合わせていく。残されしものは従っていく。幕末あれだけ遅れていたのに、明治で全く所作や産業を変えて昭和に入った。大陸との関係を変え、力をつけたがために戦争に巻き込まれた。戦争は避けられないものなのか。穏やかな時代変化があって、お互い力を合わせていく。残されしものは従っていく。「従っていく美」があってもいい。時代は難しい道をえらぶのか。行き過ぎをいさめる立場はどこの誰がしようとしているのだろうか。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

5月 10 22

ハチゴロウの鳥撮り日記 第26回「カメラOMシステム OM-1デビュー 帷子川の野鳥」

by staff

第26回 カメラOMシステム OM-1デビュー 帷子川の野鳥

2022年3月18日、オリンパスからOMデジタルソリューションズ(OMシステム)と名前を改めて初めてのカメラが発売されました。2015年からオリンパスのマイクロフォーサーズカメラを使っていたので、レンズ資産はかなりあります。現在常用しているEM-1Ⅱは、購入してから5年以上になるので、そろそろ買い替え時と思い、今回発売されたミラーレス一眼カメラOM-1を購入しました。

さっそく焦点距離300mm、開放絞りf4.0のレンズを装着し、近くの帷子川で野鳥撮影です。被写体検出は“鳥”にし、“静音連写”(秒間約20コマ)に設定しています。川の中で泳いでいるコガモを撮影しました。解像度は良いようです。

 

カワセミの飛翔を連写撮影します。真横への飛び出しですが、撮影場所前には柵があり、前ボケが発生しますが、オートフォーカス(AF)は追従しているようです。

 

カワセミの飛び出しを、かなり近い距離で撮影出来ました。羽がよく解像していると思います。

 

 

逆光、そして流し撮り気味で撮影出来ました。シャッター速度は 1/320秒です。

 

この写真、流し撮りが決まったので気に入っています。

 

枝葉などの前ボケが多く、オートフォーカス(AF)が効きにくいので、マニュアルフォーカス(MF)で撮影しました。OLEDビューファインダーが約576万ドットと高精細なので、ピント合わせやすいです。余裕があれば、拡大表示してピント調整します。

 

今回の最後に、“ライブND”を試してみました。

 

ND段数8(ND8)で撮影しました。シャッター速度 1/15秒相当になります。ND8フィルターを使ったのと同じになります。

 

ライブNDを使わないと、シャッター速度 1/1600秒となってしまいます。動かない鳥の時は、使えるかも・・・。

ここでチョット豆知識(ご存じの方もそうでない方もちょっとお目を拝借)ND(減光)フィルターを装着すると、レンズを透過する光の量を減らすことが出来ます。主にシャッター速度を遅くしたり、絞りを開いて撮影したいときに使用されます。NDの次に書かれている数字分の1(1/数字)の光の量にすることが出来ます。つまり、ND8だと光の量は 1/8になります(日食などで太陽を撮影するときは、ND10000以上のフィルターが必要になります)。

今回はタイトルが「帷子川の野鳥」ですが、ご紹介したのは「コガモ」と「カワセミ」と「川の流れ」なので「ちょっと寂しいよ」と思われた方へ・・・「私のブログには他の野鳥もアップしています。是非そちらも、ご覧いただければ幸いです。」

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

 

5月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第110回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第110回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“サーチング(Searching)からセンシング(Sensing)へ” は2000年代初頭の米国ナレッジマネジメント・シンポジウムのコンセプト。ピカソも生前“探し求めない。感じて掘り起こす”と語っています。先日、東京・日本橋高島屋で “メゾン・エ・オブジェ・ パリ展”が開催されました。テーマは “デザイン・ダイアローグ”。ビジネスの世界でもデザイン経営という言葉が注目されていますが、キーになるのはデザインを通じた多様な対話。フランス人デザイナーのシャルロット・ペリアンの哲学は“選択・伝統・創造”。現代のビジネスにもそのまま通用しそう。生きていくために必要なものはそれほど多くないこと。心地よく強靭で馴染みやすいこと。日本ではデザイナー吉岡徳仁が2012年にデザイナー・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。結晶の椅子やガラスの茶室でも有名。ポジティブ思考とネガティブ思考の混合。異質と異質の融合。恐いのは年齢の定年ではなく能力の定年。“初めの少しの歪みが後には大きく歪む” と剣豪・宮本武蔵。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

貧しさは、必ずしも恥かしいことではない という生き方を浸透させる
変化のスピードがものすごく速く 生物的進化では追いついていけない
情報収集と情報共有を急ぐのはいいが 時には情報遮断も有効と心得る
ルールは自分で創ると役立つ 教わるものは既に浸透済で効き目が薄い

“巨大な環境変化が生物の迅速な進化を引き起こしている” とのレポート。ダーウィンの進化論は “生物は長い時間をかけて徐々に進化してきた” と提唱。しかし、都市化という急激な環境変化により、生物も迅速な進化を余儀なくされ、都市は生物の進化の実験場に。ロンドン地下鉄に住む蚊は通勤客の血を吸いながら年間を通じて活動、しかも路線によって遺伝的相違もあるとか。環境が人間世界を攪乱。“暮らしの手帖:33台のトースターの性能テストで食パンを40000枚焼いた” とジャーナリスト・花森安治。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

特許を敢えてとらなくとも 簡単にはマネされないものをつくる
仕事によってノウハウは異なる 本質は総力を動員して追求する
イノベーションは 供給側と需要側との共同体作業・連携プレー
傷だらけになっても獲物を狙う執念 これがあれば喰っていける

“脱皮できない蛇は滅びる” といわれます。アリストテレスは古代ギリシャの詩作(創作芸術全般)の本質が模倣・真似であると主張しました。論語では、時代に応じて学び直すことこそ学問と述べられており、継続的な学びからこそ創造が生まれるとの真髄。人間が人・物事を模倣したり、それによって学習したりするのは人間の本性に根ざした自然な性向かも。この世の森羅万象は何にでも変容し新たな価値を創出。“知的労働においては時間の活用と浪費の違いは、成果と実績に直接現れる” とピーター・ドラッカー。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

強者は水に石を投げた時の波状的影響力 弱者は石に水をかけるが影響はなし
ラスベガスの役者は息が長い テレビの露出が少なく訓練に時間をかけられる
成功者の共通点は勤勉のただ一点のみ プロは、無駄なボールを振らないもの
学問をバカにしてはいけない 迷ったり悩んだりした時は、大きな支えになる

“脳みそから血が出るほど考えろ” といわれることがあります。“問題を提起できる総合力” こそ命。自発的なセンシングや物事の本質を探究するといった知的活動の根源となる意志の醸成。動物の行動・戦略には“直線的論理” と “逆説的論理”。新たな知識やスキルを身につける学び直しは、行動・戦略の選択肢を増やし、生きる幅を広げることにつながるはず。“才能”の差は僅かでも“行動” の差は少し広がり “継続” の差は圧倒的に拡大するとか。“弱いのが恥でなく、その弱さに徹しないのが恥” と作家・島崎藤村。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第110回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

5月 10 22

風景で読み解く横濱 (第一話)時を聞く風景

by staff

【風景で読み解く横濱】
戦前に発行された絵葉書、写真、地図から歴史の風景を読み解いていきます。

第一話 時を聞く風景

「伊勢山 時の鐘」が映る絵葉書

この風景は「横濱市街全景(其三)」と題された絵葉書で手彩色のため色合いは正確ではありませんが、当時の様子を確認することができる貴重な資料です。撮影年代は他の風景写真と併せた結果、明治後期頃と推定しました。
中央奥に横浜港が広がり多くの船を確認できます。手前には人家と木造の”鐘楼”らしき建物が建っています。これが「伊勢山時の鐘」または「野毛の鐘」と呼ばれた、時を告げる”鐘撞き堂”です。
この”鐘撞き堂”が設置されたのは明治元年の事で、最初の報時は12月30日午後6時だったと記録されています。公共施設として町が運営し、専任の人によって定時(2時間に一回)に鐘が鳴らされていました。ここで使われたのが和梵鐘で、最初に使われた鐘は音色が良くなく、最終的には武相国境の境木地蔵尊のものが使われ、関東大震災で崩壊するまで時を告げました。
時刻に応じて時の鐘が鳴らされる制度は古くから行われていましたが、横浜は外国人居留地ができ貿易の中心地となり、最初の鉄道や郵便制度運営のために「西洋時刻」がいち早く取り入れられることになったことも報時促進となったのでしょう。
さらに横浜には山手を中心に教会も多く鐘(bell)も定時に鳴っていた中でゴーンと和梵鐘の音には外国人も驚いたことでしょう。
実際、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が横浜で一時期過ごしたエッセイの中にNOGIYAMA(野毛山)の鐘の音に驚いたというシーンが描かれています。

Glimpses of Unfamiliar Japan 「邦訳:知られぬ日本の面影」
And suddenly a sound-solemn, profound, mighty-peals to my ears over the roofs of the town, the voice of the tsurigane, the great temple-bell of Nogiyama.

また、横浜を支えた“お茶工場”で働く女性たちの哀歌として
「野毛山の鐘がゴンと鳴りゃ、港が白む、早く行かなきゃ、カマがない慈悲じゃ情じゃ開けておくれよ火番さん」
と歌われました。朝一番の鐘が仕事を得る時限だったのでしょう。
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』には
「秋近し野毛山の鐘夜を呼びて港の町はいま燈ひともりぬ」野村富貴子
という句も収録されているように、野毛の時鐘は55年もの間、横浜生活の重要な存在だったことがわかります。

 

 もう一つの報時鐘

横濱開港五十年祭祝典 本町一丁目ノ装飾 辨慶ノ釣鐘ト提灯

もう一枚時を聞く風景を紹介します。
1909年(明治42年)開催の開港50年祭を記念して発行された絵葉書で、本町通りの展示物を紹介したものです。ここに写っている和梵鐘はアメリカ人建築家ブリジェンスが設計した「町会所」に設置されていた<時の鐘>です。
「町会所」は近所からのもらい火によって焼失してしまいましたが、運良くその前に取り外され保管されていました。この鐘を開港祭の本町通り展示作品に使われたと思われます。
なぜ、展示モチーフが近江三井寺に伝わる「辨慶の引き摺り鐘」となったのかは定かではありませんが、当時の人の深い思いがこめられていそうです。
この鐘はその後新しく建てられた「開港記念横濱会館(後の横浜開港記念会館)」に設置され、関東大震災もくぐり抜けましたが昭和初期発行の観光案内書に紹介された以降の情報が不明です。恐らく戦時金属供出されたのではないでしょうか。

野毛山ヨリ見タル橫濱全景の一部で開港50年紀年スタンプ

 

河北直治さん プロフィール

風景で読み解く横濱 河北直治さん   西区在住。
自称 横濱界隈研究家。
市内をとにかく徘徊するのが好きで、市境を川崎市から横須賀市まで三回踏破。
市内全駅に降り立ちぶらり探索。バスで18区を一筆踏破など。
 
父の認知症介護をキッカケに父の専門分野だった幕末・近代史を<イヤイヤ>始め、歴史のドツボにはまり目下横浜を軸に歴史研究に没頭。大岡川運河史にテーマを絞り、「大岡川運河ハンドブック」決定版をまとめ中。
 
「よこはま路上観察学会」世話人として観察会を開催し、今年で70回を越え100回をめざす。
季刊横濱「大岡川」特集で運河史を恩師斎藤司先生の下で執筆。
時々テレビにも登場。
運河やまち歩きガイドも楽しみの一つ。

 

 

5月 10 22

チャレンジ(第45回) 癒しの時間

by staff

癒しの時間

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。新年度が始まり、相変わらずバタバタした生活を送っていま(汗)母の介護をしている時は心身共に崩しやすかった私ですが、最近は割と(?)安定していて、寝込んだりすることはありませんが、この時期は体調を崩す人が多いですよね。

私は社団法人も立ち上げて自分自身を整えるセルフケアを伝えていますが、自分を癒すのって本当に大切です。皆さんは自分自身を整える為の、自分の癒しの時間を取っていますか?

私は動物園や水族館が好きなのですが、最近は行けてない・・・と思っていたら、姉が上野動物園の双子パンダの閲覧に当たり! (お姉ちゃんありがとー!) 行ってきました!

仕事の合間に行ったので疲れ切っていますが(笑)

姉がデジタル決済や申し込みを全て終わらせておいてくれたので凄くスムーズにパンダちゃんを見ることができましたー!(お姉ちゃんありがとー!)が!木の上で寝てて、お顔があまり見れず(涙) 上野の動物園には双子のパンダちゃんを含め5頭のパンダがいますが、パンダ舎は3つに分かれていて、お父さんパンダのリーリーは1匹で過ごしていました。双子パンダより全然並んでいなくて、ゆっくり見れてよかったけど、お父さん一人でなんだか寂しい(笑)

駆け足になってしまったけど、トラや白クマも見れて、パンダグッズもたくさん買ってリフレッシュできた1日でした。やっぱりパンダ可愛いな~また見に行きたいな~と思っていたら、あんこが箱の中に入って寝てた。

猫って本当に箱に入るのね・・・。最近の私の癒しはあんこ君。朝はご飯をあげて、ブラッシングから始まり、1日の終わりには、あんこの肉球をぷにぷにするのが日課です(怒らずに付き合ってくれます)ふわふわもふもふのあんこに癒され今日も一日元気に過ごしたいと思います!

(第45回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

5月 10 22

第108回 座右の銘

by staff

有限会社AAプランニング
青木恵美子

座右の銘

コロナ禍になり3年目に突入しました。コロナの株は新しいタイプに次々置き換わり未だ収束していませんが、そろそろ普通の生活をしましょう!という風潮になってきました。外出時はマスクをし、仕事や会議はリモートでいう新しい生活様式は定着しつつあり、若い家族を見ていると業種にもよりますがリモート仕事は当たり前になりました。それにより住宅形態も少しずつ変化が見られます。我が家の息子や娘の家族は夫婦ともリモート仕事で、一日中PCの前にいますが、ミーティングがありそれぞれの仕事部屋が必要なようです。ちょっと前まで寝室さえあれば他は大きな空間でという住宅のイメージもありましたが、今は個人のワーク部屋も欲しいという声を聞きます。
コロナという伝染病が人々の生活を変え住まい方暮らし方まで変え、住宅形態まで変化をもたらすということはすごいことです。

住宅形態の変化はもう少し時間の経過を観察するとして、、、
今回は私の好きな言葉、座右の銘について書きます。

私の座右の銘は、、、
Think globally, Act locally .  地に足つけて空高く。
幅広く目標を掲げ、地に足つけて活動しましょう!
1年後、3年後、5年後 どうありたいか?を考え、それぞれの立場役割で目標に向かって日々精進して進みましょう!ということで、この座右の銘を心掛けてきましたが、この年齢になり目標に向かって進むというより、日々楽しむになってきました。

そこで、もう一つ座右の銘が加わりました。
Think deeply, Talk simply.  深く問い続け考え、語るときはシンプルに。
多く語ってしまうと、「言葉」は言の葉となってヒラヒラと飛んでしまう、二度と口の中にはしまえない。言いたいことも多く語らず、目標に向かって進むより 「simpleに生きる」を心がけるようになりました。

ということで、多くを語らずに。。。

写真は文面とは無関係です。(今年でAAプランニング30周年。その記念に家族から贈られたお花です)

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.jp
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

5月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #20

by staff

グランディングとセンタリング

情報が、私たちの感情に及ぼす影響の質に気が付いてゆく人々が増えてきています。
この3か月間 私は殆どパソコンを見る時間がありませんでした。

毎日一万歩以上。政治活動として各家庭への個別訪問に明け暮れていた事もありネットの情報が完全に途絶えていました。今また、時間のゆとりが少し出来て覗いて見れば、世界情勢はますます混迷に入って新聞の見出しも少し前までは、ウクライナとロシアのニュースは、悲惨でその悲惨さをもたらしたロシアはまさに悪者。そしてプーチンは悪魔。の一辺倒だったのですが、その情報に踊らされて自分達がどこへ向かっているのか、気が付き始めた人々がいて、今日本の国民感情は、ネガティブなニュースにはお腹が一杯!。
延々と絶望的なニュースを流される嫌悪感から、ひょっこりと反転が起きそうな気配です。反転とは突然明るいニュース 踊る!歌う!笑う!等のニュースをメディアがこぞって取り上げて行く事なのですが、5月は明るいニュースが欲しいですね。

4回目のワクチンが推進され始めていますが、皆さん大丈夫ですか? 今後も5回6回と続いてゆきそうなワクチン推進。在庫がはけるまでは終わりそうもありませんが子供に打たせるのは忍びない思いで一杯です。

こんな時だからこそ! 自分の五感からくるリアリティを感じてみませんか?
手で触って、鼻で匂いを確かめて、目で新緑の青葉を眺めて、耳で、例えば、結婚している方や、仕事でパートナーがいる方なども、いつもは忙しさに無視する相方の話のトーンや、子供たちの悩みを親身になって受け止めて、無言のまま相手に寄り添ってみる。そして自分がどう感じているか、を味わってみる。
外側の胡散臭い情報から身を引いて自分の内側を探ってみる。自分が本当は何を欲しているのか?暗中模索で歩いている不安定な毎日に疲れ果てていると 誰かに 何かに頼りたくなってしまいます。ネット環境が世界を繋いで、地球の裏側の悲惨さが個人のパソコンに平気で入り込む昨今。どうやって生きたら良いのか? 本当によくわかりません。

まずは、自分軸に立ち戻りましょう、落ち着いてバランスを取る。
イメージで自分の臍の緒や 足の裏から根を張るように。地球の中心にまで錨を下ろしてしっかりとつなぎ止め、丹田やハートチャクラに自分の意思を置き。バランスを取る事。
今は色々なライトワーカー達がグラウンディング(すくっと大地に根差して生きる事)とセンタリング(バランスを取って自分の中心に留まっている事)の必要性を発しています。

そして、たった一つの事を個々のフィルターを通して発しているヒーラーやチャネラーも増えています。
「自分自身の真我にすがれ!」 「自分のハイヤーセルフと一つになる!」「自分が創造している世界を認識せよ!」 「自分の力を取り戻そう!」「霊性の時代」「アファーメーションで人生を変える」等。 言葉は違いますが、これらは究極的には同じことを伝えています。私たち一人一人の思考。貴方の潜在意識、顕在意識を含めた個々の意識が集まって集合意識となり、この3次元の物質化現象を創造している事。この真実に気が付く必要を促しているのです。想像力とは創造力です。人類一人一人の思考が集まって物質化現象が生まれ、同じような思考が集まって 国が生まれ。社会の通念が生まれます。貴方が自分の外側に投影しているものは貴方の創造の産物だという事。その自分が創り出した産物におろおろしてまるで自分には何もできずにその産物の被害者として生きている。
目覚めましょう! せめて自覚して下さい。自分が宇宙と言う創造のキャンパスに無自覚に思考を垂れ流していることを。その思考を自分自身で整える必要に迫られているのです。

これから訪れるであろう未曽有の大変革に私たちは対処してゆく必要があります。
コロナの事、ワクチンの事、ウクライナの事、日本で展開されている水道民営化や、種子法、これらは全て繋がっています。ある意図を伴って世界が変わりつつある今。人類は自分達自身をふるいにかけているのでしょう。もっともっと人類の生き方を愛に根差したライフスタイルにせよ!と。だから貴方自身に愛のある、愛に根差した生き方を許してあげて下さい。

私達はONENESSに向かっています。でも そのワンネスにも二つの選択があります。

地球市民として一握りの権力者がトップに君臨して、そこからの指令がトップダウン形式でおりてきて、私達底辺に位置する一般庶民はその要求に従って生きてゆく奴隷の様なピラミッド型社会にしてゆくのか。
地球市民として 個々の認識を深めて個人の自発性が創造力を発揮してゆく。自分の思考に百パーセント責任を持つ目覚めた者としての人生を生きる。サークル構造の縄文型社会を新しく進化させた宇宙視点の母性型社会にしてゆくのか。
私が声を大にして叫んでいるワンネスは 後者の方です。
真実を知り、自分の内在神を自覚してその内側にある神性と共に生きてゆく人生。
今後はこの二つのONENESSは共振の違いで はっきりと分かれて行くと言われています。
貴方はどちらのONENESSを選んでゆくのでしょうか?

報告です。おかげさまで岡山県 浅口市の市議会議員選挙に当選することが出来ました。草の根の音楽活動を続けて、草の根での活動が一番自分にしっくり来る事を感じています。今までの活動と同じフィールドの草の根で、4年間、市民の皆様のお役に立てる喜びを目一杯体験したいと思います。 いのち~健やかに こころ~朗らかに からだ~しなやかに。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

5月 10 22

いつも次を考えています。会社経営とNPO経営を両立するCEO 山口良介さん

by staff

 

山口良介さん
 
山口良介さん
 
お名前 山口 良介(やまぐち りょうすけ)
お生まれ 1970年生まれ 50代
お住まい 緑区在住
趣味 野鳥観察,ジョギング

 

20歳まで藤沢で過ごされたそうですね・・

創業100年の藤沢橋近くにある米屋「山口米店」の若旦那として生まれました。のんびりした性格で、小さいときから絵や漫画を自己流で描くのが好きでした。水泳教室にも通っていました。気ままにのほほんと暮らす「やんちゃ坊主」でしたね。

中学・高校時代は、インディーズバンドに熱中していました。バンドではシンセサイザーを担当していました。影響を受けたバンドはYMOです。小さいときから、なんとなく家業を継ぐのだと思っていました。

米店の仕事も手伝っていましたよ。中学生のときは、精米したコメの袋詰めなどやっていましたし、高校生のときは配達もやっていました。その一方で、高校に入った頃から、米屋の家業を続けるのは難しいかも、別の商売をしないといかないかもと漠然と考えていました。食生活の変化などで米屋の将来は明るくないと感じていたからです。

高校を卒業する頃に、父親から米店を閉じると言われ、山口米店は1億8千万円の負債を抱え倒産してしまいました。

居場所がなくなり、途方に暮れた私は、わずかなお金を持って横浜に出て一人暮らしを始めました。それからずっと横浜住まいです。

バンド仲間との写真

Mac(Apple Macintosh Computer)との出会いがあったとか・・

20歳にして独り立ちを決心して、新橋のオーディオ関連の会社に就職を決めて、横浜に出てきました。もう藤沢には戻らないぞ・・という固い決意をしていました。1990年でした。

就職したAV機器メーカーの新橋にあったショールームでパソコン(Macintosh)で作曲していた人たちと出会いました。衝撃的でしたね。これからパソコンの時代が始まると確信しました。自分もやってみたいとお金をためて、Mac LCを購入しました。雑誌「Mac Fan」や英語のリファレンスを読んで、まさに自己流でパソコンでの曲づくりを始めました。パソコンとシンセサイザーをつないで楽しんでいました。

「PhotoShop」や「Illustrator」というグラフィックソフトに触れて、これからのグラフィック作品は、パソコンによって創造されるようになるのだ。と独学でグラフィックソフトでの創作に没頭するようになりました。グラフィックで食べていきたいと考えて、広告制作会社に転職しました。

広告制作会社での仕事は、グラフィックソフトでポスターや映像などを作っていました。仕事をしながら学びながら、スキルを磨いていくという日々でした。わたくしの修業時代です。1997年から自分のホームページを作り始め、様々な企業のWebサイトを制作していました。

1998年と1999年にパルコ主催アートコンペティションCG映像部門に入選したり、日本デジタルアートコンテスト、イメージング部門などで入選しました。自信になりましたね。同時期に、「Adobe Premiere でつくるデジタルムービーテクニック」(ソーテック社)より出版しました。映像ソフトに関するムック本がほとんどなかったからでしょうか、3刷までいきました。その後も、 動画編集のソフトが発売されるたびに、解説本を書いていました。

2000年、30歳のときに独立して、「Lyric Graphic Co., Ltd.」というデザインプロダクションを設立しました。恵比寿と広尾の間に事務所を構えました。何となくですが、独立してやっていけそうな何の裏付けもない自信がありました。今思えば米屋の若旦那の血がそうさせたのかも知れません。当時はすでに結婚していましたが、奥さんは起業に反対しませんでしたね。彼女は旭区出身のハマっ子です。
起業当初は飛び込み営業などもやったし、広告業界の会社を調べて電話営業も経験しました。
自己主張するよりも職人としてお客様のニーズに応える・・ことに徹し、クオリティーはしっかりしていくというやり方で、広告業界はデジタル時代の幕開けの時期だったこともあり、経営は順調でした。起業して5年間ほどたったときに、また転機が訪れました。

Lyric Graphic 時代の写真
某携帯電話会社の広告をパロった自社広告

2005年、大手CM制作会社のグループ会社から提携の話が持ち込まれたのです。
時代は、インターネットの時代になっていました。CM とWebサイトやイベントを連携させる「クロスメディア」という言葉がでてきたときです。リアルとWebとの連動に魅力を感じて、吸収合併の道を選び、Aoi Pro(当時)のグループ会社のイベント会社の取締役に就任しました。

WebサイトとTwitterを駆使して、イベント情報を拡散させるなど、面白い仕事をたくさんさせてもらいました。今から思うと、超ブラックの働き方でしたね。勤務時間はめちゃくちゃで、子どもの顔を何日も見ることができませんでした。渋谷から出ている「深夜バス」に何度もお世話になりました。

その当時は仕事が楽しかったし、子どもとあまり話もできない生活でしたが、それが当たり前だ・・という感覚でしかなかったです
横浜市緑区に居を構えていましたが、近隣の風景など見る余裕もなかったですね。

東日本大震災が大きな転機になったのですね・・

そんな私が変わったきっかけが、2011年3月11日の東日本大震災です。

この時CMがすべて「ACジャパン」の広告になったのを覚えていますか。自分たちが一生懸命作ったCMが一切流れない。社会から望まれていないものだったのか・・自分たちがやっていることは役に立たないのでは?・・と痛切に感じました。

東日本大震災の当日、交通機関が動かなくて職場から歩いて帰った人たちの姿を見て、災害に備えて、数時間は歩ける体にしないと、と思い近所の恩田川でジョギングを始めました。走ってみると、これまで寝に帰るだけの場所だった、緑区が自然豊かないいところなんだと気付かされました。

四季の移り変わりを感じながら仕事がしたいな。とその頃から漠然と広告業界はやめたいな。と考えるようになってきて、2013年に会社を辞めました。

会社を辞めて何をやろう・・と考えたときに、これまで培ってきたWebの知識と経験を生かした仕事をやりたいと思いました。そして、社会に役立つ仕事をしていきたいと、起業支援のサービスをやっていこうと決めたのです。

2013年にホントノ株式会社を設立しました。これからは本物の仕事をしていくぞ・・社会課題に取り組むぞという想いを込めた社名です。地域に関心を持ち始めて、これからは横浜で活動しよう!と本社は自宅にしました。

設立当初、エンジニア・デザイナーとプロデューサーの私との三人体制でのスタートでした。そして「世の中から履歴書をなくす」というミッションのもと、履歴書シエアサービス「Relekino(リレキノ)」を始めました。しかしながら、サービスは収益化の目処が立たず、4年で頓挫しました。

自宅を仕事場にして、河原などで仕事をしていたときに、気持ちいいな・・開放感があるな・・これを推進したいと、アウトドアでITワークを推進する「野良IT」を立ち上げました。「野良IT」とは1日の長い労働時間のうち、一部を野良でするというライフスタイルです。コロナ禍で賛同者が増えていますよ。

野良IT
https://norait.com/about

また、横浜市の緑区を中心とした北部一帯、青葉区、都筑区、港北区の野鳥情報サイト「みどりの鳥」も立ち上げました。横浜北部は野鳥がとても多くて、ジョッギングしていると多種多様な野鳥に出会うので、自分たちの身の回りの自然を感じてもらおうと考えたのです。
みどりの鳥
https://midorinotori.com/

自分が撮影した写真だけでなく、皆様からの写真や動画も掲載しています。著作権は「クリエイティブ・コモンズの継承 4.0 国際 ライセンス」に準拠しているので自由に利用できます。

野良ITの写真

特定非営利活動法人「まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.」との出会いは・・

ホントノ株式会社を設立して、横浜での市民活動に参加したいと思い、2014年頃から緑区にある市民活動支援センター「みどりーむ」に通い始めました。まず、市民活動で自分に出来ることは何だろう?と。

緑区市民活動支援センター「みどりーむ」
https://www.city.yokohama.lg.jp/midori…

特定非営利活動法人「横浜コミュニティデザイン・ラボ」が「ローカルグッド」というWebサイトを開設して、地域活動のためのクラウドファンディングを始めたのも2014年です。「地域をよくしていこう」という熱い想い・・自分がこれまで触れることのない世界がここにありました。ラボのイベントに積極的に参加して、ラボの代表理事の杉浦裕樹さんや、まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.創立者の志田健一さんや、高見知英さんと出会いました。様々なイベントに参加していくうちに、自分なりの横浜人脈もできてきました。

「SIDE BEACH CITY」とは、横浜市を英語でSIDE(横)+BEACH(浜)+CITY(市)と表現している造語です。志田さんが創立者で、「ITを使って地域を良くしていこう」という活動を2009年ごろから仲間たちと始めていました。紆余曲折もありましたが、特定非営利活動法人「まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.」を2017年12月に設立しました。そして、経営者で自由に動ける私が理事長を務めることになりました。

自分の会社とNPO法人の経営、「2足のわらじ」生活が始まりました。「まちづくりエージェント SIDE BEACH CITY.」は、中間支援・地域活性化支援・情報技術支援の3つの事業を中心に活動を行っています。IT活用支援講座や、こども向け(大人向けも含む)プログラミング教室を地道に行ってきたところ、行政から徐々に声がかかるようになってきて、認知度があがってきました。

コロナ禍がブレイクポイントになったようで、自治会のIT支援で横浜市のガイドブックに掲載されたこともあり、「高齢者にスマホを教えて」「オンラインイベントの配信支援」などの依頼が急激に増えてきています。

また、私たちの「SDGsへの取り組み」も注目されてきていて、ヨコハマこの人に登場した遠藤望さんも当NPO法人のメンバーで、「Yocco18」とのSDGsコラボにも関わっています。

『地理学』×『横浜愛』×『イラスト』 でまちづくり。 Yocco18代表の遠藤 望さん
https://yokohama-now.jp/home/?p=20698

若い人たちに市民活動に参加してもらいたい、NPO法人でも稼いでいいわけですから、若いメンバーの活躍の場を増やして収益をあげていきたいですね。

ホントノ株式会社は2013年設立ですから、来年10期目になります。これまで一つのところに10年いたことがなかったので、自分でもびっくりしています。結局自分がやっている会社に一番長くいる、みたいな。

市民活動をしていても、食い扶持はきちんと稼がないと続いていきません。「複業の時代」と言われますが、ここ10年間はずっと「複業」してきました。「いつも次を考えています」というのが私のキャッチフレーズですが、これからも時代を先取りしていきたいですね。

SBC総会での写真

SBCの仲間たちとの写真

あなたにとって横浜とは・・

一言でいうと「第2の故郷」です。
横浜に興味を持ち始めてから、日本最大の人口と経済をどうやって維持していくのかどうしたら良くなっていくのか、次の世代にどういう横浜を残せるのかを考えるようになりました。

市民活動をしていく中で、自分たちにできることは何かを常に模索しています。
日本のさきがけとなる「新しい街」の歴史をみんなで創っていければいいですね。

自分が住んでいる「街」が大好きですね。「みどりーむ」の今後を考える「ネクスト」の代表もやっています。「みどりーむ」は横浜市18区の中では珍しく、行政と運営委員会の共同運営をしている施設です。実は自分の住む地区の自治会(580世帯)青年部の部長もやっています。課題は少子高齢化とどこも同じような感じです。

私にとっての横浜は、
「第2の故郷」です

<取材を終えて>

「いつも次を考えています」 というタイトルの通り、山口さんは常に時代を先取りしてきた方です。ご自身の性格をのんびりしている・・と仰っていますが、コンピュータやグラフィックソフトなど新しいものに独学で積極的に取り組まれてきた姿勢には頭が下がります。その一方で物事を客観的に俯瞰する目がおありになるので、本物かどうかの見極めができる方ですね。山口さんはここ10年にわたって「複業」(会社とNPO法人の経営)を実践されています。会社だけなく、自分の能力を生かす場所を求めていく若者が今後は増えてくるでしょう。山口さんが時代の先駆者として今後どのうような活動をされていくのを注目していきたいです。

 

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

 

4月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #19

by staff

アセンション(次元上昇)へ向けて

人生には何の気なしに自分が選択したつもりでも、そのプロセスの中に大きな符号を感じ取って不思議な超常感覚に襲われることが多々あります。
それも未来と過去が混在して、まるで何かに導かれているような、そんな流れの中に自分が生きている、そう思えるとき、私はいつも自分の人生がカリキュラム通りに進行している!と確信します。そしてその目的は一つ。
迫りくる未来に起こるアセンション(次元上昇) をこの地球上で体験する事。
30年前よりも、10年前よりも、5年前よりも、私の内側の意識はますますスピリチュアル になり、その反対に 外側の日常生活の中ではますます現実的な展開が私の人生に持ち上がってきて、そのドラマチックな成り行きに自分でも驚くほど。
前置きが長くなりました。

このヨコハマNOWの4月号が発刊される本日。四月十日に、早苗ネネは、現在住んでいる岡山県浅口市の市議会議員選挙に立候補の届出を済ませて、朝の9時には選挙カーに乗り、日本の政治選挙の伝統文化となっている出陣式を行い、ウグイス嬢のアナウンスに導かれて選挙事務所を出発して、これから1週間の選挙期間を早苗ネネの名前の連呼と政策の訴えを渾身を込めて有権者へアッピールすることに費やします。

 

 「大好きな浅口だから?政治に愛を」

投票日は、四月十七日。
それまでの1週間 声を大にして、愛を叫びます。ときどき歌いながら演説します。
岡山県の浅口市の方をご存知の読者さんはいるのかしら? 
いたら是非 “早苗ネネが立候補した” ことを。伝えて下さいね。

講演会を立ち上げるためのリーフレット


 

早苗ネネ後援会事務所の立て看板

今日からここは選挙事務所です。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

4月 10 22

大通り公園水の広場愛護会 のサポーターを募集いたします

by staff

 

2021年10月から始まった関内駅と阪東橋駅の間に大通り公園のクリーンアップは、2022年3月6日で6回目を迎えました。(4月3日に7回目を開催)

半年間続けていると様々なジャンルの方々が積極的に参加して下さるようになってきます。いしだ園(横浜市港南区)の3代目若女将の鈴木由美子さんの温かいお茶の提供も、彼女の日本髪和装姿とともに名物になっています。

クリーンアップ時に行っている不用品回収もそれなりの品が集まり、換金化できるようになってきました。私が生ごみから作る腐葉土の活用も、公園の落ち葉と混ぜてたい肥にするという形で実現しています。

「SDGs都市横浜」にふさわしいサーキュラーエコノミーの実践の場としても、大通り公園を活用していけると考えています。

ちょうど時期を同じにして、横浜市が「テーマ型共創フロント」テーマとして「大通り公園の新たな魅力と賑わい創出に向けた企画」を募集しています。

私たちは、クリーンアップを主催する公共空間創造市民プロジェクトと公園のガーデニングをしている大通り公園水の広場愛護会、そして公園に隣接し、横浜を代表する商店街として名高い横浜橋通商店街の協同組合の三者共同で、大通り公園の活用について横浜市に提案することになりました。ただ今、3月末の締め切りに向けて、ラストスパートの真っ最中です。

そして、大通り公園で市民主体の活動をしていくためには、大通り公園水の広場愛護会の応援団(サポーター)を増やしていく必要があるので、このたびサポーター100人体制を目指して、サポーターを募ることになりました。私も事務局スタッフの一人として奮闘しております。

サポーターはどなたでもなれますが、できれば、大通り公園で活動していただける方が望ましいです。私たちと一緒に大通り公園を横浜市民主体の活動ができる公園にしていきませんか。

サポーターは、大通り公園水の広場愛護会のWebサイトからエントリーしていただけます。

大通り公園水の広場愛護会
https://fight.yokohama/aigokai/

よろしくお願いいたします。

第6回目のクリーンアップ後の集合写真

3月のガーデンニング活動風景

 

 

 

4月 10 22

チョークアートとわたし #06 会って話してみたい人

by staff

会って話してみたい人

実際に会ってお話してみたい人っていらっしゃいますか?
その人たちは、あなたにとってどのような方々でしょうか。

2013年チョークアート展のテーマは「マイドリーム」でした。私はメディアの中でしか見たことがないけれど、いつか実際にお会いして話してみたい人たちを描こうと決め、その方々を気球に乗せてお空に飛んでもらいました♪
歴史上の人物やアスリートなどではなく、芸能関係で活躍している方々ばかりなのが少々ミーハー(今や死語!?)な性格が見え隠れしておりますが…

(大きさはA2サイズです)

まず、後方左端から時計回りに、宮沢りえさんから。
宮沢りえさんのご活躍はご存じの通り35年前から衰え知らずです。実は彼女と私は同郷で小学校、中学校が一緒。残念ながら近所に住んでいたのですがお会いした事はありません。しかし、とても良い子だという噂は耳に入っていました。中学校の先生も絶賛されていたそうなので事実なのだと思います。お会いしてお話する事ができたら小学校中学校の話で盛り上がりそう~

トム・クルーズさんはトップガンで一躍有名になりました。高校生時代、スクリーンという映画雑誌が好きでたまに買っていたのですが、トップガンが上映される以前の細身でさわやかな笑顔のトム・クルーズも載っていました。彼はアクションもご自身でされているのが素晴らしいと思います。

そして福山雅治さん。もう何も説明いりませんね!

鈴木福くんは、2011年ドラマ「マルモのおきて」で芦田愛菜ちゃんと一緒にエンディングで歌って踊っている姿が本当に可愛く、当時はあの二人にとても癒されていました。ちなみに福くんは今年の春に高校3年生になるそうです。

ビートたけしさんは過去に交通事故で頭を強く打ち、顔半分が麻痺する経験をされましたが、私も事故で頭を強く打ち、顔も縫い合わせたので顔半分が引きつる経験をしています。事故前後を覚えていないといった経験も同じで、親近感を覚えるようになりました。

林真理子さんはとても好きな作家です。10代の時に初めて林真理子さんの小説「葡萄が目にしみる」を読み終えた後、しばらく余韻に浸っていたのを今でも覚えています。

最後に宮崎駿さん。宮崎駿監督を知ったのは「風の谷のナウシカ」でした。初めて鑑賞した時は、あの世界観と映像の美しさにとても感動しました。ナウシカも大好きなキャラクターです。

この会ってみたい人の似顔絵をチョークアートで描いた事をきっかけに、私は人物を描くことが好きになりました。1㎜の違いで表情が変わってしまう世界です。とても神経を使いますが、似てくるとその分嬉しくなり達成感を感じます。

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

4月 10 22

ゆるマナー講座(第78回) 他者との関わり方-見えないリュックサック

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

ヨーロッパの幼児教育に関わる機会に恵まれています。以前触れた「8つの才能」を活かすこともその一つですが、今回は北欧の教育の中で学んだことについてほんの少しだけピックアップして触れてみたいと思います。

「義務教育」と「教育の義務」

日本には、小学校から中学校まで、国や政府、保護者が全ての子どもに受けさせなければならない「義務教育」があります。それは、全国民に共通の一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育のことです。

一方、北欧の国デンマークでは、定められた年齢において教育をする義務が大人にはあります。子どものそれぞれの特性をもとに一人ひとりに合った多様な教育環境を選択し、学びにおいては自由な受講スタイルがあることを前提にした「教育の義務」です。言葉は似ていても本質が全く異なります。

「教育の義務」では、社会の中で生きていくために行われる教育、つまり、自分自身を知り、どのように社会と関わりながら生きていくかということを学ぶのです。国語・算数・理科・社会といった科目に沿った「学力」のほかに、「社会性」という人間関係や心の発達をベースに社会生活を送るために必要な教養力を育てることを大切にしているのです。

見えないリュックサックを見ること

「社会性」を育てるには、社会との関わり、すなわち他者と関わり方を学ぶ必要があります。

当たり前のことだけれど、人は一人ひとり違っています。他者との関わりの中で、それぞれが違っていることは理解していても、私たちはどうしても自分自身の裁量で他の人のことを判断しがちです。

フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、人にはそれぞれハビトスがあると提唱しました。ハビトスは、「見えないリュックサック」とも言われます。人の経験や、文化、教育など多種多様な事柄が含まれますが、一見しただけでは他の人にはわからない部分です。

例えば、育った国、地域などが違えば、言葉も食べ物も習慣も考え方も違うかもしれません。各家庭によっても違いがあるでしょう。兄弟姉妹でも一人ひとりのハビトスは異なるはずです。

ですから、他者と関わるときに大切なのは、それぞれが背負っている “見えないけれど違っているだろうリュックサック” を推し量って考えてみることなのです。
まずは自分自身のハビトスは何だろう? それから、関わる相手のハビトスは何だろう? と。それが、お互いを知るうえで大切なことです。特に、意見の相違や相互理解が難しいときは、その原因がハビトスなのかもしれません。そんなときは、相手についてさまざまな情報を得ることも必要になってきます。もちろん、ある情報だけにとらわれて、先入観で判断したりすることはしないようにしないといけないのですが。

子どもたちと関わるときも、それぞれの見えない背中のリュックサックはどんなだろうと推し量りながら、相手を理解しようと努めるとよいですね。
そのように子どもたちと接していれば、子どもたちも知らず知らずのうちに他者との関わりを考え、学んでいくようになるでしょう。

傾聴すること

もう一つ、他者との関わり方の中で学んでおいたほうがよいことに、「傾聴」があります。

人の話に耳を傾ける「傾聴」。
傾聴には、話の内容を理解しようと一生懸命に聴く「内容傾聴」と、相手の感情を汲み取り受容し、相手の気持ちに自分の気持ちを添わせようとする「感情傾聴」があります。
それぞれに大切なことですが、相手の言うことに身を乗り出して、否定せず、相手の気持ちに共感して聴いてくれる「感情傾聴」をしてくださる方がいたら、またその人に話したいなって思いませんか。

人が好感を持ったり信頼をおくのは、話がうまい人よりも、自分の話をよく聴いてくれる人のほうだと言われます。

そういった気持ちは、大人も子どもも同じです。
話を聴くときは、相手の目をしっかり見て、うなずいたり相槌をうったりしながら話をよく聴きます。そして、「それから?」などと話を促して、相手が話しやすいように導くようにします。そうすることで、話している人は聴いてくれる人に信頼感も抱くようになるのです。

「何故この人はこんなことを言うのだろう?」「何故この子はそういう判断をしたのだろう?」などと不思議に思うときは、相手の話に一生懸命耳を傾けながらも、その人の後ろにあるだろう見えないリュックサックについて考えてみるのもよいかもしれませんね。

大人の行動を子どもは真似て覚えますから、大人は意識して振る舞わなければなりません。

違っても同じもの

知識とともに情緒を大切にする北欧の教育。子どもの教育というとどうしても学力に重きを置きがちな日本の教育とは違っていますが、それでも心を育てるという根本の考え方は日本でも大切にしていることなのではないでしょうか。

他者と関わる力は、どのような世界に住もうとも社会生活を行う上で必要となるものです。
子どもたち自身が社会性を身につけるにはどんなことが大事なのかを感じ取るためには、私たち大人の日常的な振る舞いが大きく関わることでもあると、改めて自分自身の行動を見つめ直したいと思っているところです。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

4月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第109回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第109回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“フリーカラー” という言葉がビジネスの世界で最近使われるようになりました。従来は “ホワイトカラー/ブルーカラー” の2分類で語られることが多かったことを思えば新世界。時代は間違いなく新たな次元へ。ホワイトやブルーを超える色は何でもアリ。21世紀の的確で健全な意思決定には、状況への“強靭・機敏・柔軟”の組み合わせが不可欠とも。人材評価の仕組みも、20世紀最高の経営者といわれたGEのジャック・ウエルチ流スタックランキング(毎年下位10%を解雇or配置転換)だけではサステナビリティは持続できそうにありません。サステナビリティには自由と責任が前提で、何よりも自発性と創造性。その評価フィードバックもこれからはリアルタイムに。併せて教育システムの見直しも必須。常に何かに挑戦し続け、失敗しても継続して取り込むこと。計画ありきでなく再検討・見直しも厭わないこと。画家・横山大観も描き直しが多かったとか。“悪相の 魚は美(うま)し 雪催(ゆきもよい)” と俳人・鈴木真砂女。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

コミュニティが開かれていないと外から新しい血が入らない
悪用されない技術は偽物 子どもには予測できる毎日が必要
大きく稼げる時 大きなブラフを賭けられてそれをはずすか
こちらが大きなブラフをかけ効いた時、と勝負師・木原直哉

木原直哉はプロポーカープレイヤー。誰でも人生の様々な局面で勝負を回避することは不可。勝負の本質は、大きなブラフを賭けられてそれをはずすか、こちらが大きなブラフをかけて有効な時。数年前の世界ポーカー選手権大会では、日本人選手として初めて優勝。コンセプトとしての芸術と具現化する技術の融合。リアルとオンラインのポーカーでは、リアルの身体的クセなどからオンラインのレベルが格上。これはDX時代の生き方の教訓にも。“異常に緊張する時は練習が足りない時” とバレリーナ・森下洋子。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

日本企業は縦割り構造 業界内では企業同士の競争に拘り
企業は日本一になるのが目的 中国や韓国は世界一が目的
日本の技術はタテのストック 中国技術はヨコのストック
技術流出でなく交渉力が問題 流出に見合う対価こそ眼目

“日本企業の縦割り構造” は今も不変。それを体系的に指摘したのは中根千枝教授。社会人類学研究で、東北から鹿児島まで農村調査、更にインド・イギリス・イタリアなど広範囲のフィールドワーク。その過程での気づきは “日本の集団構造はどこも同じ”。そこから名著 “タテ社会の人間関係” が誕生。DXで村社会構造をどう止揚できるかが日本組織の課題。プロセスや人間関係は今も農村社会。核心は一に多様性、二、三も多様性。“楽器を弾きこなせれば善い音楽になるとは限らない” とピアニスト・秋吉敏子。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

ベンチャー企業の仕事の時間配分 三分の一はクリエイティブ
三分の一はアイデアを形に 残る三分の一はマーケティングに
お金 必要と意欲があれば手に入る ひどい製品も何か学べる
中小企業ネットワーク 同地域で異業種・離れた地域で同業種

ベンチャーは、新しいサービスやビジネスを創造。ベンチャー企業の時間配分は1/3がクリエイティブ、1/3はアイデアの商品化、残りはマーケティング。“成長したい・仕事を楽しむ・自分で産み出したい・挑戦したい・落ち込まない・プレゼンが得意” などが武器。採用基準は、学歴・学位は一切評価せず、損失を被ったらそれにより受ける利益を逆に直感できる人材。学歴社会の崩壊は30年前から粛々と進行。“数学の論理:仮定が正しい限り正しい。だから仮定の検証を重視” と数学エッセイスト・小島寛之。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第109回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

4月 10 22

チャレンジ(第44回) 高松旅行記

by staff

高松旅行記

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。桜も綺麗に咲き誇り、新年度の始まりですね。先月、この4月から大学生になる娘と高松に行って来ました!初!四国上陸です。今回はWeb解析士のオンラインセミナーで知り合った方たちが住む高松へ行きたい!と思い、娘を連れて行ってきました!

 金比羅山へ

1時間のフライトであっという間に高松空港に到着!そこからレトロな琴電に乗ってゆらゆら金毘羅山まで行ってきました。

お参りより食べ歩きに夢中(笑)
また琴電に乗って高松市内へ向かい、アーケードが有名な商店街を散策、玉藻公園で高松城跡などを観光しました。

夕方から現地の企業さんたちと合流し、屋島へ連れて行ってもらい、素晴らしい瀬戸内の夕焼けの中、貴重な瓦投げ体験!

1日目は夜のセミナーと2日目は午前中に勉強会に参加し、その後、東かがわ市の現地企業さんの視察をさせてもらいました。

文遊館さん https://www.bunyukan.com/

マツシタさん https://matsushita-bungu.co.jp/

オンラインで交流していた実店舗に行けて感動!オンラインでは全世界と繋がることができますが、実際にその場に行き体験することは素晴らしいですね。詳しく、店舗や商品の説明をしていただきました。
そして、食べ歩きも美味しかったですが、やはり香川県といえばおうどん。地元の人たちが通う、セルフの朝うどんに連れて行ってもらいました! めちゃくちゃ美味しかった !(^^)!
香川のうどん屋さんには年中おでんが置いてあるそう。こちらも美味しかった!

1泊2日の日程でアテンドしてくださった皆様、本当にありがとうございました。娘には視野を広く持って、より多くの人と交わって欲しいと考えているので、今回とても貴重な体験をさせていただき感謝感謝です。「高松に変なおっさんがいたな~と、いつか思いだしてくれればいいな」と、娘に話をしてくれた熊ちゃんありがとう!引き続きオンラインで繋がりながら、また行きたいと思います!

 Special Thanks

くまでんディレクション&デザイン.LLC
https://peraichi.com/landing_pages/view/kumaden/

高松自動車学校
https://www.takamatsudrivingschool.co.jp/

 おまけ。

お留守番をしてくれた主人と次女には、金毘羅山でしか買えないお酒と、和三盆のネコお菓子。
あんこにはお土産なかったな~

(第44回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

 

4月 10 22

絵本から笑本へ(第70回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~登場してくれた笑顔な女性たちへ~

by staff

 

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

第4期は絵本作家としてこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介してきました。

赤坂厚子さん 富永久美子さん 松本惠里さん 大野さと子さん
川本佳子さん ぴっころECCOさん 菅原理美さん つなしまあさみさん
中村貴絵さん 小西歩さん 今泉梨香さん ルダシングワ真美さん
井上香織さん 松岡美子さん 茅房栄美さん 植地宏美さん
すずきまどかさん 大下利栄子さん 寳川雅子さん 森田珠美さん
古田朝映さん 細谷咲恵さん 藤澤りかさん ごみたこずえさん

二年間に渡り計24名の「笑顔な女性たち」にご登場頂きました。
ご理解ご協力を頂いた皆さん本当にありがとうございました。

どうしてコラムで「笑顔な女性たち」を
ご紹介していこうと考えたのか。
最後にそんなことをおしゃべり出来ればと思います。

ぼくは絵本作家です。

まぁ改めて言う事でもないんですが。

絵本作家ではあるけれど、これまでに様々な場所で
様々な仕事をさせてもらってきました。

きっと…いや絶対に。
他の絵本作家さん達はやってこなかった事、
やれなかった事をやってきたと思っています。

それはぼくが日本一の絵本作家になる為に生きているから。
今までにいない唯一無二の絵本作家になる為に生きているから。

だからこそ様々な場所へ行かせてもらってきたし、
声をかけて頂ければどんな場所へも伺いました。

おかげさまでそこには本当に多くの出会いがありました。
そしてたくさんの方に助けて頂き、応援してもらってきました。

絵本作家になって今年で9年目。

絵本作家なんてもんは人気商売です。

たくさんの方に応援してもらえる事が
やっぱり必要だし、大事だとも思います。

信用がなかったら次に続かない。
信用が価値になる。
ぼくはそう考えています。

でも…
一方的に受け取るばかりじゃね。
なんか面白くないよね。

たいしたことは出来ないけれど、
ぼくもナニカを返していけたらいいな。

そんな事を思える余裕も出てきた頃。

横浜市の子育て支援施設で毎月開催する
イベントのプロデュースを依頼して頂きました。

そして、様々な仕事や活動をしている
「お父さん達」と対談するイベントを企画しました。

そのイベントは今年で5年目になります。
コロナ禍にあっても試行錯誤しながら、
これまで計48名のお父さん達に登場してもらっています。

このイベントは「お父さん」・「男性」にフューチャーした企画。
だったらコラムでは「女性」にフューチャーした企画をしよう。
そう考えて始まったのが「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」です。

そんな訳で、この数年間はこれまでに受けた
「縁」や「恩」を少しでも返していけるようにと
動いてきた期間でした。

そして改めて、これだけのひと達と繋がり、
これだけのひと達に応援してもらえていたんだと
実感する期間でした。

絵本作家としても新しいステージへ。

出会いのなかで大きな動きがあった期間でもありました。

2021年には仲間たちと新しい出版社も立ち上げ、
社長として絵本の編集は勿論、
新人絵本作家の育成も始まりました。

絵本作家としての行動が繋がり、縁になり、
大きな実になってきています。
出会ってくれた皆さまに心から感謝しています。

そして、これからも
絵本作家 保科琢音をよろしくお願い致します!

そしてそして、
コラム「絵本から笑本へ」もまた新しい試みで
第5期が始まります。
引き続きよろしくお願い致します!

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

4月 10 22

第107回 「庭と建築」

by staff

荻津郁夫建築設計事務所
荻津 郁夫

「庭と建築」

「鎌倉殿の13人」で頼朝が北条氏を伴って鎌倉入りを果たした2月の下旬、金沢文庫での展覧会(春日神霊の旅―杉本博司 常陸から大和へ)を見ながら北条氏ゆかりの「称名寺」を初めて訪ねた。昭和年代に復元整備された関東では数少ない「浄土式庭園」があり、山を背景にしてひょうたん型の池の中央に太鼓橋を設けられ極楽浄土の世界を再現しようとしたものといわれる。浄土式庭園では橋を渡った先には金堂や阿弥陀堂が配され、宇治の平等院や岩手平泉の毛越寺などが有名。それ以前に造られていた寝殿造式庭園などとともに自然風景式庭園のひとつで平安時代(11世紀)に貴族の間で庭づくりがブームになった時のものが多いが、称名寺庭園は北条氏によって鎌倉時代(13世紀)に造られたものだ。

一方そこから六浦路(金沢街道)を鎌倉に抜けた北側にある「瑞泉寺」には、石立僧(庭づくりをする僧)として有名な夢想疎石(苔寺/西芳寺、天竜寺なども作庭)による鎌倉時代(14世紀)の池泉式禅宗様庭園がある。こちらも長らく埋もれていたものが古図面と発掘調査の結果に基づいて昭和45年に復元された。夢想疎石初期の作で境内の北の正面に大きな洞(天女洞)を彫って道場とし、その前の池は切り立った岩盤の滝に繋がっている。そこをたどるといくつかの橋を渡り岩山の頂に導かれる。そこからの景色は箱根の山々から富士へ連なる山裾に相模湾が自然の池となる大きな借景をなし、書院庭園のさきがけといわれている。

近接した場所に鎌倉時代に全く異なった趣の庭園が造られたわけだが、ここで注目したいのは、称名寺の浄土式庭園は建物の南側に広がるのに対し、瑞泉寺の禅宗様庭園は建物の北側にあるということだ。浄土式庭園は池の手前(南)から山を背景に庭と建物と一体に浄土(理想郷)の写しとして見るのに対し、禅の庭は建物から庭を見るという視点の違いがあるといわれている。すべての庭園がその方位になっているわけではないが、庭と建築の関係や庭の持つ役割の違いが現れていて興味深い。

庭の起源のひとつは、神の降りるところとしての斎庭(ユニワ)であり、様々な庭に見られる州浜や御所の紫宸殿前の白砂がその流れを引いている。
一方、浄土や理想郷の写しとしての庭は、蓬莱山を住まいとする仙人の思想といわれる道教の影響が大きいという。仏教にせよキリスト教にせよ一般的に宗教は自然信仰を超えようとするもので基本的には理想の世界としての庭を造ることはまれで、日本の庭は独特の文化的発展を遂げたといわれている。
庭は建築と違って機能をもとめられるわけではないから、むしろ思想や概念を表現することに向いている。日本では天上の世界にあるはずの理想郷を浄土庭園のように地上に描こうとしたわけだし、禅の石庭は庭の思想化の行き着いた先ともいえよう。庭は建築と違ってそれを支える技術の進歩の影響がほぼないといってよい。建築は技術や社会の進歩や変化に対していやがうえにも対応を迫られる。とくにモダニズム以降、建築は合理的思考を磨いてきた。自然を自在に操ろうとする技術を磨き合理的に解釈した概念を作り出してきたが、自然そのものには触れなかった。樹木や土は四季や風雨でどんどん変化し育ち、石や岩も苔に覆われ、手入れしながら自然と向き合い、ままならないものを抱えながら創り上げていくという庭造りは建築の範疇外だったのである。

庭と建築のつながりを焦点とするプロジェクト(箱根強羅花壇)を紹介する。露天風呂のある旅館では、風呂は大事な点景として庭の一部を構成すると同時に風呂に入りながら庭を観賞する場ともなる。
上の写真では、手前の整形な切り石やヒノキの板材という人為的なものから庭側の自然石積の縁石へ、建築から庭へと露天風呂の水盤が両者を結び付けている。その視線の先には明神岳の大文字を望むことができる。
下の写真では、浴槽は黒砂利入りの洗い出し仕上げである。周囲の白砂利の地面に手仕事の痕跡が残る露天風呂が景石として配されている。
製品化され性能を問われる技術の集成としての建築的なものからいかに距離を置き、粘土をこねるときの安心感のようなものを感じられる空間の実現を目指したものである。
住宅においては、庭は外構として建物の周囲の残余部分として扱われることも多いし、十分な広さを確保できないのが現実だが、坪庭でもプラントボックスでも盆栽でも、手入れをしなくてはいけない場所を持つこと、建築ではあってならないコントロールが効かないままならぬものを受け入れてこそ生活が豊かになるのではないだろうか。わがままなペットがいとおしいように。


 

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

4月 10 22

生活介護事業所&COCO(あんどここ)所長。 小菅敏朗さん

by staff

横浜駅東口から徒歩8分ほどの場所に2021年7月に開所した生活介護事業所&COCO(あんどここ)。「楽しいことも、悔しいことも、時には悲しくなることもあるかもしれないけれども、色々な事を経験して皆で作りあげる場所にしたい」。そんな想いを持って活動している&COCO(あんどここ)の小菅所長をご紹介します。

小菅敏朗さん
 
生活介護事業所&COCO(あんどここ)
所長
小菅敏朗さん
 
お名前 小菅 敏朗(こすげ としろう)
お生まれ 1982年9月19日
新潟県上越市
お住まい 横浜市栄区
ご家族 妻 子供3人
お仕事 生活介護事業所&COCO(あんどここ)所長
趣味 読書,独りキャンプ

 

内気で無口、一人遊びが好きな子供でした

両親が新潟県上越市で旅館業を営んでおりました。私は3人兄弟の真ん中、兄とも弟とも2才違い、現在、旅館は2歳下の弟が継いでいます。私は、大人数が苦手なちょっと内気な子でした。友達も少なく、近くの金谷山でいつも一人遊びをしていました。野山を駆け回わり、おかげさまで、駆けっこは早いほうになりました。

担任の先生

友達付き合いが下手で、引っ込み思案な性格、いつも「こんなことを言ったらどう思われるか」と人目を気にしていました。5年生の時のことです。担任が「自主学習ノート」を皆の前で褒めてくれました。一生懸命やった努力を認めてもらえて嬉しかったこと、そしてクラスメートの視線を浴びて誇らしかったことを今でも覚えています。

兄を追いかける

中学、高校と公立校に進みました。2歳上の兄が陸上部の部長をやっていたので、私も陸上部に入りました。中一の時は1,500M、中二からは400M、高校は800Mの選手になりました。走る度にベストタイムを更新できたので、練習は苦しいけれどその努力が結果となって報われるのだと思いました。

大人数が嫌いで内気で無口な性格でしたが、高校では陸上部の部長に選ばれました。「責任ある立場」になると無口ではいられず、少しずつ積極的になっていったと思います。

兄の影響は他にもありました。兄は中学生の頃からバンドを組んでいました。私も中学1年でギターとドラムを始めバンドを組むようになりました。高校3年の時、大学が決まり卒業までの間、アルバイトをして8万円のギターを買いました。クラスでギターを弾ける男子は何かと重宝がられました。ギターは趣味となり、今の仕事でも出番があるのですよ。

母の介護に

母がパーキンソン病だと診断されたのが高校生の時でした。運動機能に問題が生じる病気で、進行すると寝たきりとなり、専門的な介護が必要となります。それまで特に進路を決めていませんでしたが、いつか介護をするのならばその時のために…と割と安易な気持ちで大学は千葉市にある淑徳大学に決めました。都会への憧れも大いにありました。

3年の時に「すごく良い実習が出来る」と先輩の勧めで障がい者支援施設「横浜らいず」で実習を経験しました。これが私と「横浜共生会」との長きに亘るご縁の始まりとなりました。

「横浜共生会」は「障がい者支援施設」 「地域活動ホーム」 「地域生活支援センター」 「地域ケアプラザ」などニーズに合わせ多様な介護施設を運営している団体です。
実習先の「障がい者支援施設 横浜らいず」では介護の経験が無くても出来る掃除や洗濯などの仕事から受け持つことから始まり、少しずつ介助の見学、実施をさせてもらえるようになりました。ご利用者の生活を中心とした支援、コミュニケーションの難しい方との関わり方など、福祉のの仕事に就くことを決めていた私にとって、ここでの体験は非常に貴重なものとなりました。

横浜共生会の介護施設で働く職員さんは「やる気」があり、何か問題にぶつかると皆で考えて「工夫を生み出す」という積極的な姿勢がありました。先輩が実習に勧める所以なのだと思いました。

何度かの挫折…

横浜らいずで実習やアルバイトをするうちに「卒業したらうちに来ないか?」と先輩から声を掛けてもらったのですが、施設の立ち上げを経験したいという思いがあり、就職は平塚に拠点を置く別の障がい者支援施設にしました。
そこでは横浜らいずの家庭的な雰囲気とは違い、ワンフロアに大勢の方が暮らす施設の仕事に戸惑いながらも、先輩、同期にも恵まれ、ボランティア担当、日中活動担当などを担当させてもらいました。
しかしどうしても、ご利用者に対する支援の考え方についていけず、悶々とした日々を過ごしました。自分ができる事、できない事、したい事をいろいろ想い悩む時期でした。
2年を待たずして、就職先を探し様々な施設の実習、見学を繰り返しましたが、就職したのは、実習でお世話になった横浜共生会でした。今思えば最初から自分の中で答えは出ていたのかもしれません。

その後、横浜らいずでは、入所の方の生活支援、日中活動支援、重症心身障がい児者のデイサービスなど様々な部署での仕事を積ませてもらいました。どの期間も一緒に働く人に恵まれ、自分の成長につながる経験をたくさん積ませていただきました。

障がい者支援施設 横浜らいずで10年働くうちに、もっと地域で暮らしている障がいを持っている方を知りたいと思うようになりました。どの施設も人手不足の中、法人の中での異動が難しいのも重々承知の上でしたが、希望を伝え続けることで勤続11年目に西区にある地域活動ホーム 【ガッツ・びーと西】 に異動が叶いました。
この時、送り出してくださった上司の方、受けとめてくれた「ガッツ・びーと西」には本当に感謝しています。これまで経験で培った、ご利用者との関わりを武器にしながら、念願だった地域を意識した仕事に就くことができました。

大人難民

高校生までは障害者を受け入れる教育を目的とする施設は多々あるのですが、18才以上になると、就労や作業所、日中に通所できる所は限られてしまいます。
その通所できる作業所はどこも定員オーバーでなかなか入所できません。
1週間のうち土日が休みとして、同じ作業所に5日間まるまる通えることは稀で、曜日ごとにいくつかの作業所に平行して通うことも珍しくありません。

特に、重症心身障がい者の方は、通所できる場所を見つけることはもっと大変です。既に定員を超えている事業所も多く、最終的に週の何日かは通所が叶わず、自宅で過ごす方もいます。
だからと言って在宅で、いつも家族と一緒では社会との接点も無くなってしまいます。
これから学校を卒業し、期待を胸に社会に出てくる若者の生き生きと過ごせる場所の確保が地域で求められています。

&COCO(あんどここ)

西区の地域活動ホーム「ガッツ・びーと西」も毎年のご利用者の受け入れから登録者が増え、部屋が手狭になってきていました。次年度の受け入れが難しい状況の中、行き場がないのであれば作るしかないと、有志を募って「新規事業所プロジェクトチーム」が立ち上がりました。

まずは物件探しです。
車椅子を使う通所者がおりますから、施設は1階でなければいけません。施設内も車椅子で移動するのである程度の広さが必要です。そんな物件を西区で探すのは至難の業です。見つかっても家賃が高すぎて諦めざるを得ないことが続きました。
そんなこんなで苦労していた時に、ある福祉施設が移転に伴い、その後を使わないかとお声がけをいただきまいた。それがこの場所です。西区ならではの顔の知れた関係性に救われた形でした。

次に内装工事です。
障がいに関心がある方だけでなく、どんな人でもぶらっと立ち寄れるカフェを併設しようと思いました。地域の人と関わっていくことで通所者にも良い刺激になると思ったからです。
既存の壁や仕切りを取り外し、広い空間を作りました。カフェはフリースペースとして地域の方に貸し出し、作品展やギャラリー、ワークショップなどを開いていただけるようにと考え、色も邪魔をしない白やアースカラーを使いました。壁にはワイヤーを入れて様々な作品を飾れるようにしました。

入口のスペースはリラックスできる「みどり」、相談室は太陽のような温かみを感じる「オレンジ」、トイレは介助中にベッドの上を見上げていることの多いご利用者をイメージして天井を「青」にしました。

設計図を描いては直し、修正を入れ・・・と慣れない仕事に戸惑いながらも、始めから作り出すワクワク感を味わいました。この「0から作り出すワクワク感」を是非通所を始めるご利用者と味わいたいと思いながら開所準備に明け暮れました。

施設の名前
「&COCO(あんどここ)」という名前にしました。「&」には地域の様々な人と結びつき、組み合わさって作り上げていくこと、『あれもそれも』と貪欲に乗り出していく意思、そして『それから』という未来に向けた「ワクワク」が込められています。また、安堵=安心感をもち、通える・集える場所という意味も含んでいます。
「COCO」には『個々』の個性が発揮できる場所、『ここ』から歩み、『ここ』へ帰ってくるという集いの場という意味がこめられています。(&COCOのチラシから転記)

ワクワク感を共に

予定はあくまで予定。
気分が乗らない時もある。別のことをやりたい時もある。天気がよければ室内でいるのはもったいない。「&COCO(あんどここ)」ではご利用者の一言で予定が変わることもよくあります。
全てがお膳立てされた中で活動するのは簡単です。しかしそれでは想定のことしかおきません。失敗も含めて経験。「~がしたい。~をやってみたい。」からそのために必要なことを一緒に考え、ゆっくりでも寄り添いながら一緒に様々なことを体験し、一緒に悩み、楽しんでいきたいと思っています。
ご利用者との話し合いの中で、つい職員の目線で考えて決めてしまっていたと気づかされることも多くあります。

「&COCO(あんどここ)」は皆さんが皆さんらしく通う、職場であり、居場所であり、交わる場であり、休息の場でもあります。
「今日は楽しかった」「次こそは楽しく」「来週も楽しみ」そんな風にこれからも一緒にワクワクしていけたらと思っています。

あなたにとっての横浜とは?

私にとっての横浜は「ワクワクを想像・創造していけるフィールド」です。

人と人とが交わる場所「&COCO(あんどここ)」を通して「どんなことをしたら楽しいか」を会社や世代や業種を超えていろんな人と一緒に考え、ワクワク感を共有できる場所だと感じています。

これまでにないものをみんなで考え、生み出し、ワクワクの輪を広げていく。
自信を持って「ここ」から出掛け、たくさんの出会いを見つけて、地域と繋がっていく・・
そんな「ワクワクを想像・創造していけるフィールド」が私にとっての横浜です。

「&COCO(あんどここ)」は平沼交差点ガストの脇を入ってすぐにあります。美味しいクッキーも常販売しています。カフェタイムに多くの方々のご利用をお待ちしています。また、フリースペースの貸し出しも行っています。是非、ご利用いただき、ワクワク感を共有しましょう!

私にとっての横浜は、
ワクワクを想像・創造していけるフィールド

<取材を終えて>

障害者の仕事を創る活動をメインテーマとするC.P.FACTORYと&COCOと協働でイベント企画しています。夏は、「楽しいをつくっちゃおう!大人も子供も夏休みの自由研究ワークショップ」、12月には「大人のクリスマスマーケット」を今年も開催します。
詳細は、C.P.FACTORYディレクター平安山さんの コラム でもご紹介していきますので、ご覧ください。

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

3月 10 22

動画配信サービスを利用していますか・・

by staff

 

コロナ禍になってはや2年。
日常生活が変わってしまったことがいくつかありますがその一つが、自宅で動画(映画やドラマ)を見ることです。

外出がままならない状況の中、これまで見たいと思っていた映画を何本か観ました。

私は、10年程前から「TSUTAYA DISCAS」という定額の宅配レンタルで月間のレンタル枚数が最大8枚の月額2000円程度のサービスを利用しています。

これは、インターネットで送ってもらいたい動画(音楽でもOK)を選択して、在庫があれば自宅まで送ってくれるというサービスです。レンタル期間も制限がなくて、返送も簡単な仕組みになっています。

「TSUTAYA DISCAS」は、著作権の関係でオンライン配信できない動画や音楽CDをレンタルという形でクリアしているので、数多くの作品を揃えています。

数百円の追加で、動画配信も見放題のサービスもありますが、ネット環境に依存するようであまり普及していません。私も動画配信を試してみましたが、レンタルのほうがいいなという感じでした。

もちろん、世界的な動画配信サービスである「Netflix」のことは知っていましたが、これまでは特に必要性も感じていませんでした。
※アメリカ発のNetflixの日本でのサービス開始は2015年9月です。

最近、日本アカデミー賞を受賞した「新聞記者」やビートたけし原作の「浅草キッド」がオリジナル作品として配信されると聞いて、遅まきながら「Netflix」のベーシックプラン(月額990円)を契約しました。

画質はSD、アナログTVと同じくらいということですが、パソコンのディスプレイで見るには、特に気になりません。操作も簡単です。

人気の韓国ドラマ「愛の不時着」を見るために、「Netflix」を始めたという友人も多いですね。(私はこのドラマの名場面と言われるところだけつまみ見しました。)

「Netflix」の会員は、全世界で2億2千万人(2021年12月時点)で、日本でも増加傾向が続いているそうです。

巨額な資金を背景に、オリジナル作品の制作に力を入れていて、2021年の第93回アカデミー賞では「Netflix」のオリジナル作品が7部門で受賞しました。日本発のオリジナル作品もどんどん制作するようで、こちらも楽しみです。

「宅配レンタル」と「動画配信」と言えば・・・
アメリカでは世界最大のレンタルチェーン「Blockbuster」が「Netflix」に負けてしまいましたが、日本ではどうなるのでしょうか。

実際にTSUTAYAの店舗は閉店していて、調べてみたら2013年の1440店舗から2022年1月時点では1034店舗になっています。

個人的にはTSUTAYAに頑張ってほしいと思っていますが、どうなるのでしょうか。昨年末に借りたままになっていたTSUTAYAのDVDを見ながら、このサービスの行く末を考えてしまいました。

 

 

 

3月 10 22

2022年3月 三ツ池だより 「タカ(鷹)の爪」

by staff
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仕事から離れることがこんなにもつらいことなのかと感じている。仕事が大変だと思うことはあったが、大変だからこそ取り組んできた。それらは今思えば懐かしいことになる。

 「今考えること」 けんじ
それって何
それって何故
  今があるから進められる
  今に向かって行動していく
自分に出来ることをする
自分にできないことにも挑戦していく
  そこがどこか
  そこに向かっていくのか
それって何
何を具体的にしていく

「夢は紙に書くと現実になる!」ヘンリエッタ・アン・クレクザー著で「僕はあらゆる不安を越えて安らかだ。僕はスピリチャルな自己を土台にして生きている。何の不安も持たず、全世界が僕のために今あらゆるものを提供しようとしていることを知っている。スピリチャルな自己を、土台にして生きている。」と述べている。

 「探しもの」 けんじ
会社発足の当時は
仕事の内容を他人にいえず
人足集めや錆び取りに励んだ
  仕事を手伝ってくれれば
  好きなことやっていいと言われた
  大手メーカーへ修行にでた
職人のやらない前工程作業をした
職人の指示通りに作業をした
仕事がないと営業に出た
  同年代の社員も入社してきた
  計量士さんが紹介してくれてたのだ
  懐かしい創業当時のこと

「いろはにほへと」それで物語を作る。それもありだ。「いのちのあるかぎり何かを求めていく。その何かとは」。人生への問いかけ、やりがい、生きがいを求めていく。それは何か。」命の表現をしていく、それはどのように、何を。

 「生きる」 けんじ
生きることの難しさを
今ほど感じることはない
  生きるとは
  人と人が関係することである
関係とは許し合うこと
はげまし、切磋琢磨すること
  悲しみもあり
  我慢もすること
一人の人間として
自覚していくこと
  皆見えないとこで
  努力し励まし合っているのだ
反省の課題がここにある
目覚めの時を迎えている

今日本が停滞しているといわれている。それは上へ上にの勢いをなくしているから。お互いの関係を良くするために、接待でつながりを持ってきた。お互いの成長のために、向上・改善が必要で取り組んできた。それが滞ってきている。

 「鷹の爪」 けんじ
タカは70年生きると言われる
その間嘴と爪がとり代わるという
  今まで養ってきた体の
  一部を大変な力で破る
そして70年の年月を永らえるという
その強さはどこからくるのだろう
  成長生育していく命に
  どうむきあっていくのか
人だって自己成長してきたつもりだが
つれあいがいておぎあいなっていく
  これでよかったというだけでなく
  良く生きてきたとの感謝だ
人は人であり
タカはタカである
  お互い生きている
  お互い何かと戦っている

このままでいいのか。今の日本でいいのか。あれだけ面倒をみてきたのに、いまや中国は経済も軍備も充実させてきた。日本の土地も買われている。日本は狭い国といわれているのに、日本の地方は過疎化が進んでいる。自然環境のいい所が人口減少にさいなまれている。このままではよくない。
あの鷹が隆盛を迎えて、一時嘴と爪を落とすのだという。そしてまた大きく羽ばたいていくのだという。

 「新しい年を迎えて」  けんじ
鶴見駅前にいる
夫婦で歩いているのは熟年
  家族で歩いているのは珍しい
  たまに3世代が歩いている
駅前に音楽もなく
門松もない
  ゆっくり歩いている人が目立つ
  よく見ると3世代家族が比較的多いかもしれない
あれ!子ども4人とお母さん
あれ!ロングコートの若い人
  町はあわただしい
  今は連休の最中
久寿餅屋が出ているが
客がほとんど立ち寄らない
  新しい年は
  どこに行こうとしているのか

冬季オリンピックが終わった。力を競い合い、励まし合って、共に力を尽くしたことを称え合い、喜び合うことが出来ただろうか。羽生弓弦選手の最後の笑みが思い出される。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

3月 10 22

ハチゴロウの鳥撮り日記 第25回「2022年2月の北海道 道東の鳥たちから」

by staff

第25回 2022年2月の北海道 道東の鳥たちから

2022年2月01日から04日まで、北海道の道東で野鳥を撮影しました。
初めに、冬鳥として飛来する「ユキホオジロ」と会うため、野付半島へ向かいました。

野付半島は知床半島と根室半島のあいだに位置する、全長約26kmの日本最大の砂の半島、砂嘴(さし)です。複数の国有林を持ち、国指定特別鳥獣保護区があります。海に突き出たかぎ針状の独特の形をしています。中には砂浜、干潟、草原、高層湿原、森林、があり、立ち枯れの風景『トドワラ』や『ナラワラ』といった景勝地があります。

夏は霧が多く、冷涼で、7月上旬では日中の気温が11℃という日もあります。冬は降雪量が比較的少なく、晴天も多いですが、風が強く寒いです。また、流氷もやってきます。春と秋は穏やかな日が多いですが、冬が足早に訪れます。

花が咲き始めるころ、タンチョウやベニマシコ、オオジュリンといった小鳥を中心とした夏鳥たちが繁殖のために集まり、そこここでさえずります。冬は多くのオオワシやオジロワシなどが集まります。この特異な地形と植生から年間を通して多くの野鳥が訪れる、一大バードウォッチングスポットとしてバードウォッチャーには知られています。

2005年11月に東アフリカのウガンダで開催された、第9回ラムサール条約湿地登録締結国会議において、『野付半島・野付湾』が認定されました。
(野付半島ネイチャーセンターHPより)

ユキホオジロは野付半島の先端付近にいるという事なので、ネイチャーセンターで通行許可証をもらい入っていきます。野付埼(竜神崎)灯台までは舗装されていますが、そこより先は未舗装のようです(雪道なのでよく分かりません)。Uターンできそうなところで車を停め、徒歩で半島先端部へ向かいました。

途中、野鳥観察している人にユキホオジロの事を聞くと、30羽くらいの群れがいるとの事でした。先端付近のハマニンニクが生えているところまで行こうと歩いていくと、何かが飛び立ちました。

 

慌ててシャッターを切ったので、ピントが甘いです。これがユキホオジロとの最初の出会いです。雪の上に白っぽい小鳥がいたようなのですが、気付かず近づき過ぎたようです。
飛び立った方へ行ってみると、何かエサを咥えています。

 

雪の上と距離が遠いので(50mまで近づくのが限度のようです)ピントが合いにくいですね。
海岸線に打ち上げられた漂流物の間で、エサを探しているようです。

 

次は風蓮湖でオオワシとオジロワシを撮影しました。
風蓮湖は野付半島とともに「野付風蓮道立自然公園」となっており、「ラムサール条約」にも認定されています。
凍った湖の上でオオワシがエサを啄んでいます。

 

数十羽いるオオワシとオジロワシの中に、1匹のキタキツネが現れました。オオワシに威嚇されています。キタキツネは、少しだけオコボレをもらえたようで、森の中に帰っていきました。

 

 

流し撮りに挑戦してみました。シャッター速度を遅くするため、ISO感度を下げ、絞りを出来るだけ絞ります。まずはオオワシから。シャッター速度は 1/320秒です。

 

今回は天気に恵まれ、道東に来てからは雪に降られることはありませんでした。道路は圧雪路か乾燥路で走りやすかったです。

この撮影旅行の後、上越から東北、北海道は未曽有の大雪に見舞われました。地球の温暖化が進んでいる中、豪雪や巨大台風など自然界が「極端」になっているように思えます。改めて、環境問題を考えさせられました。

私は、既にコロナワクチン3回目の接種を終え、趣味の撮影旅行に出掛ける機会が増えて、皆様にもトリたての鳥の写真をお届けできるようになりました。次回は5月号でお会いしましょう!

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

 

3月 10 22

しあわせの「コツ」(第63回) 「親ガチャ」論が目をつぶる不都合な真実

by staff

第63回 「親ガチャ」論が目をつぶる不都合な真実

「子供は親を選べない」という考え方から「親ガチャ」という言葉が流行っています。最近は「子ガチャ」「上司ガチャ」「社会ガチャ」と、様々な「ガチャ」があるようです。

SNSの広がりとともに他人の生活や家庭環境が容易に可視化され、自分よりも恵まれた家庭に育った相手や、悲惨な環境で育った相手を知る機会が増えたことも、「○○ガチャ」という言葉が流行る一因でしょう。

こと「親ガチャ」に関する限り、我が子の体験と何人かのお母さんから聞いた話に基づいて、それは「嘘だ!」と私は断言します。「親ガチャ」どころか、子供は明確に「親を選んで生まれてくる」のです。自分の魂の進化を助けてくれるような親、あるいは親の進化を助けるために、「その親をめがけて生まれてくる」のです。

本コラムでも以前書いたことがありますが、三女が二歳の時、「本当はもっと早く生まれてきたかったけど、お兄ちゃんたちが先におすべりを降りて行ったから、私、遅く生まれてきたんだ」と言われたことがあります。

娘によると、私は「あちらの世界」(どちらの世界?)で人気があったらしく兄たちが先を争うようにどどどっと私めがけて降りて行ったそうです。そのせいか、我が家は6人の子供のうち5人が年子です。しかも3番目と5番目の年の差はなんと2歳8か月(笑)。まさに「どどどっと」降りてきた結果だといえます。5番目を出産後、無理がたたって体調を崩し、3年後に三女が生まれました。

一昨年、30代の若いお母さんと話す機会があり、この話をしたところ、「あーよくわかります。うちの子も似たようなことを言うんですよ」と、5歳になる息子さんのことを話してくれました。その息子さんは「ぼく、地球の土を良くするために、ママの子になって生まれてきたんだよ」と言うそうです。息子さんによると、地球の土がとても弱っているので元気にしてあげないと生き物がみんな死んでしまう、だから土を元気にするために環境を変えないといけないと言うのです。

驚いたことに、その息子さんが通う保育園の20名足らずの組に、何と5人も「お母さんを選んで生まれてきた」と明確に記憶している子供がいるというのです。

人は生まれる前の記憶は消されてから生まれるそうですが、まれに生まれる前の記憶をもったまま生まれてくる子供たちがいます。最近はそういう子供がふえており、その子たちの証言によれば、「親を選んで生まれて」くるのは明白な真実なのです。

人生が思い通りにいかなかったり、自分より恵まれた境遇にいる人を見て「ああ、親ガチャではずれを引いた」と思う人は、自分がその親を選んで生まれてきたことを忘れているだけなのです。無理解で欠点だらけの親、あるいは毒親と呼ばれる親もいます。もし自分の親がそういう人物だったら、こう考えてみてください。

「自分は何を学ぶためにこの人を親に選んだのか」

もしかしたら、忌み嫌う親の欠点は、あなたが克服すべき課題を教えてくれているのかもしれません。経済的に恵まれない家庭環境は、あなたが努力して成長するための舞台装置かもしれないのです。

「親ガチャ」という考えは、不本意な人生の原因を「親のせい」にしているわけですが、それは自分の人生の責任を放棄していることにほかなりません。もっとはっきり言えば、自分の人生なのに、自分から主役の座をはじめから降りているということなのです。

人は亡くなるとき、してきたことの後悔より、しなかったことの後悔の方が大きいと言います。してきたことの過ちは修正ができますが、してこなかったことはこの世のどこにも痕跡がないのですから、修正のしようがありません。もっと勇気を出してこうすればよかった、我がままと思われてもあれをやり通せばよかった・・・などなど、後悔の「念」だけが残り、魂の進化を妨げるのです。「誰かのせい」にして、しなかったこと・できなかったことを悔やんでも遅いのです。

もう「親ガチャ」や「上司ガチャ」という考えはやめませんか。自分の身に起きていることを人のせいにするのは楽かもしれませんが、決して人間的成長はありません。勇気をもって自分の人生の主役の座を取り戻しましょう。もちろん、困難を受けて立つばかりでなく、本当に危険な人物なら「逃げる」という選択肢もあるでしょう。何であれ、自分の人生に対して、主体的に関り、自分から行動を起こすことが大切なのです。

親子や夫婦、という親密な関係は、決して偶然に結ばれたのではなく、お互いが成長し進化の階梯を上げるために、魂レベルで自ら選び、互いに合意し合った関係です。ですから、その関係の中で起きることは、進化に向けて取り組み、解決すべき「課題」なのです。

その時に「親ガチャ」を持ち出して、「親のせい」にしてしまうことは、せっかくの成長の機会をみすみす逃してしまうことになります。どんな親であれ、自分が選んで生まれてきました。この視点に立ってこそ、自分の人生に責任を持ち、自分の人生の真の主人公となる、尊厳ある生き方が生まれてくるのです。

もしあなたがイケメンで、頭脳明晰、身体能力抜群、誠実で気高く、愛情豊かで、良き家族に恵まれ、望むものは何でも手に入る大富豪だったら、幸せでしょうか? ―きっと数日で飽きるでしょうね。なぜなら、そんな人生には難問をクリアして先に進む「進化」の楽しみがないのですから。ゲームでも、簡単な設定のものはすぐクリアできてつまらないものです。難しいゲームをクリアした時の充実感があるからこそ、「面白い」と思うのです。

興味深いことに、スピリチュアル界でおなじみの「引き寄せの法則」も、親子関係や夫婦関係に問題があると良い方向には発動しないそうです。「親ガチャ」などと言っているうちは、親への感謝もなく、他と比較して現状に不満をかこつ意識が底にあるので、ネガティブな事ばかりが引き寄せられてしまうのです。

自分の人生の主人公になるということは、前述しましたが、自分の人生に起きることを「誰かのせいにしない」ことです。人生に起こることは、無意識であれすべて「自分が選んでいる」、「自分が作り出している」のです。その意味でいえば「自分は創造主」といえるでしょう。

そうです、実は人間こそが創造主なのです。

そして、この事実こそ、有史以来「宗教」というものがひた隠しにしてきたことなのです。人間の外に神という存在を作り、それに膝まづかせる、という「仕組み」が、巡り巡って自分が選んだ親さえも受け入れられない無責任な意識を生んだのです。

宇宙的な時間軸で、今は宇宙全体が大きく進化する周期を迎えていると言われます。しかし、自分の人生への責任も持てず、(どんな親であれ)自分をこの世に誕生させてくれた親への感謝もない人間が、宇宙の進化の波に乗れるかどうかは、大いに疑わしいのではないか、と思うのですが。

★★★★★★★

いつもコラム「しあわせの『コツ』」をお読みいただき、ありがとうございます。本コラムは今回を持ちまして、定期投稿から不定期投稿に変更いたします。長い間のご愛読、心より感謝申し上げます。折を見て投稿させていただきますので、よろしくお願いいたします。

4月より、「開店休業」状態だったブログ From LIFE to life―いのちからくらしへ を再開しますので、今後はそちらにもお立ち寄りください。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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「神さまがうちにやって来る」(幻冬舎)



詳細はこちら

 

 

 

3月 10 22

ゆるマナー講座(第77回) お祝いの贈り方

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

春は別れや出会い、新しい生活のスタートの始まり、人生の節目の季節です。身近な人へのお祝いを贈る機会も増えてきますので、今回はお祝いの贈り方についてです。

祝儀袋の選び方

お祝いは祝儀袋に包んで水引をかけて贈りますが、用途により水引の結び方は異なります。
結婚式など一度きりにしたいお祝いは「あわび結び」といった結び切りにします。何度あってもよいお祝いには「蝶結び」です。例えば、出産やお宮参り、七五三、入園、入学、卒業、就職、長寿などのお祝いです。お祝い事ですから水引の色は紅白、結婚や長寿では、より華やかな金銀がふさわしいでしょう。のしも付けます。のしはお祝いの印ですから、お見舞いや不祝儀の際には付けません。これらのことを覚えていれば選び方を間違えてしまうことはないはずです。

       【あわび結び】             【真結び】
一度きりにしたいお祝い
(水引の両端を引っ張ると硬く結ばれる)
【蝶結び】
何度あっても良いお祝い
(水引の両端を引っ張るとほどけてしまい、
結びなおせる)

最近では、祝儀袋も色とりどりで柄の入ったものもよく見かけます。元々白い紙に包んでいたものですから、TPOに応じて昔ながらの祝儀袋を選んだ方が良い場合もあります。白い紙に包むのは神道の影響によるもので、清浄を表します。格上なのは昔ながらのものと覚えておきましょう。

表書きの書き方

祝儀袋を選んだら中袋に現金や金券を包みます。お祝いですから新札を準備しましょう。中袋の表面には「金〇〇円」と金額を書き、裏面には贈り主の住所、氏名を書きます。
祝儀袋の表書きは、毛筆か筆ペンで「御祝」などと目的を書き、名前を書きます。連名の場合は目上順ですが、同格であれば五十音順です。楷書で丁寧に、フルネームで書きましょう。
裏の打ち合わせにも配慮します。祝儀の場合は、先ず上を折り、下を重ねます。「福は受け止める」と覚えておくと間違えることはありません。不祝儀の場合は、おり方が反対になりますから注意しましょう。
祝儀袋や不祝儀袋は、更にふくさに包んで持参します。ちりやほこりを避けて清浄な状態でお持ちしましたという気持ちを表しています。バッグやポケットに祝儀袋を直接入れると角が折れてしまったり、汚してしまうこともありますから大切に扱いましょう。
一手間かける気持ちは、心遣いの表れです。

贈り物に気持ちを込めて

祝儀袋などに現金を包んで贈る場合だけでなく、贈答品にのしをかけて贈る場合も大切なのは相手を想う心です。気持ちが伝わるような贈り方を心がけて、気持ちのやりとりができるとお互いに嬉しいですよね。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

3月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第108回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第108回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“アメリカ大陸鉄道を建設したのは駅馬車の持ち主ではなかった” とはよくいわれる話。新分野に無縁な企業家にこそチャンスがあるということで、これぞイノベーションの原点。無形資産が経済を支配する時代。花形分野の専門家も事業の移り変わりと共に新しい知・技を身につけ続ける必要性。留意すべきは目的と手段の本末転倒。手段が固定化・権威化し目的化するという落とし穴。 “事業は社会・市場とどう関わるのか” “事業のトレンドはどう推移していくのか” “事業の中で自身のポジションと必要スキルはどう変化するのか” をしぶとく食らいついて探索するしかなさそう。それには仕事とオフの間を自由に行き来できること。正しいと信じる目的を松明として掲げ、時にはドサ回りも覚悟。ミラノ・スカラ座のプリマドンナも女王の地位を維持するにはドサ回り経験が必須とか。 “危機は何時終わるか” でなく “都度起きる危機にどう対峙するか” の構え。 “美術学校の試験を3度失敗、正規の美術教育をあきらめた” と彫刻家・ロダン。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

リスクマネジメントの成功要因 作業プロセスを簡潔にする・独自性をもつ
自分の頭で考える リスクを組織全体から抽出・分析・評価・対応すること
リスクはメリットを生む機会と併せて検討 文化風土を尊重した進捗を重視
教育は深く繰返して行う 組織トップの支援と参画 危機・難局は正面突破

“近代とは人間を裸にして、その値打ちを推し測る時代” と語ったのは作家の司馬遼太郎。リスクマネジメントとは、不利益になり得るリスクを裸にすることで損失を最小限に抑える手法。成功要因には “作業プロセスを簡潔にする” “独自性をもつ” “自分の頭で考える” などがあげられます。クライシスマネジメントは “危機的状況は発生する” という前提のもとで検討すべき危機の対処法。リスクマネジメントは予防、クライシスマネジメントは危機が起きた後の対処法。 “理を優先し、情を添える” と松下幸之助。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

情報化投資評価手法構築の視点 経営戦略との連動
ICT革新と世界標準 定量化評価プロセスの簡潔
投資効果の分類(直接効果、戦略効果、間接効果)
企業文化 足を引っ張る文化から知恵創造の文化へ

“難解で複雑なものに惹かれ、考え続け、それに喜びを感じる” と棋士の羽生善治。DXはあくまで手段。経営戦略の枠の中核が前提。更に企業文化との融合。足を引っ張る文化から価値創造の文化へ。現代人は技術文明の上では巨人になったが、芸術文化の面では木偶の坊になったとの指摘も。アドバイスに依存し過ぎると路頭に迷うことになる怖れ。DX投資の優先順位はあくまで戦略効果が第一。続いて間接効果。目先の直接効果は三番手。 “いつの時代にも間に合う芸をするのが芸人” と漫才師・花菱アチャコ。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

フィージビリティスタディ(実行可能性の検証)は一段と重要に
にも関わらず、最近はますます軽視する風潮 一定の失敗は許容
ライフサイクルを重視 事業全体のフィージビリティを検証する
自らが誤る可能性を自覚 諦めず硬直化しない発想を念頭におく

先が読めない時代、フィージビリティスタディ(実行可能性の検証)は一段と重要に。失敗はつきものですが、一定の失敗は許容すべきもの。ライフサイクルを重視した総合的フィージビリティを検証。自らが誤る可能性を自覚する必要も。一度歩いて知っているはずの道が反対側から歩くとまったく新しい道に見える例えも。モノづくりの段階で最初から売ることを考えすぎると構想が小さくまとまってしまう怖れ。遠い目標への指向性の弱体化に留意。 “設備投資こそ成長経済の最大の動因” と経済学者・下村治。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第108回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

3月 10 22

チャレンジ(第43回) またもやりたいコト!

by staff

またもやりたいコト!

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。春の陽射しが暖かく降り注ぐ中、娘の卒業式が開催されました。コロナウィルスのお陰で思い通りに動けなかった高校生活でしたが、その中でも自分なりに考え行動し、希望した進学先に進むことが出来たので、親としてもホッとしました。この先も自分のやりたいことを突き詰め人生を謳歌して欲しいと思っています。

 

 お披露目会無事に終了

先月お伝えしたように、八王子のMeemeeカフェ さんで「しあわせにゃんこプロジェクト」の新作発表会が開催されました!
その様子は、ねこのび屋の池田美佳さんがブログで紹介してくださっています。
<しあわせにゃんこプロジェクト新作発表!>
https://ameblo.jp/tombom/entry-12724481495.html

「~フレームも楽しく作っちゃおう~お部屋を彩る曼荼羅ぬり絵」
楽しいを作ろう!シリーズということで、自分でカスタマイズできるフォトフレームと塗り絵のワークショップ&キットを提案させていただきました!ネコ様とゼンタングルの融合、めちゃくちゃ可愛いです!(^^)!私は塗り絵が大好きなのですが、集中して好きな色を塗り塗りすることで、瞑想に近い状態になり脳をリフレッシュすることができます。「~フレームも楽しく作っちゃおう~お部屋を彩る曼荼羅ぬり絵」ぜひお買い求めくださいね。

そして昨年好評だった夏休みの自由研究ワークショップ(https://cpfactory.jp/blog-challenge-post37)を開催する予定です!その時にはこの曼荼羅ぬり絵もワークショップで体験して頂きたいと思っていますが、私は元々「紙」製品が好きで、大学では印刷の研究をしていたこともあり、使う「紙」自体も拘りたいとずっと考えていたので、この度、一般社団法人サーキュラーコットンファクトリー(CCF)とパートナーシップ契約をさせていただき、繊維から作られる再生紙を使うことになりました!

https://www.circularcottonfactory.jp/

CPFとCCF、どちらがどっちか分からなくなりますが(笑)こちらの再生紙を使って作りたいモノ、やりたいコトがたくさんあってワクワクしております。
また随時お知らせしますので、お楽しみにお待ちください。

あんこシールも作ったよ!

(第43回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

3月 10 22

絵本から笑本へ(第69回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~ごみた こずえさん~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

第4期は絵本作家としてこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介してきました。

そして第4期も今回で最終回。
第4期24回目にご登場頂くのは…
絵本作家でイラストレーターのごみたこずえさん。

ぼくと同じ絵本作家さん。

第4期最後に、同業者の絵本作家さんにご登場頂きます。

異色の経歴をもつ絵本作家さん

て、日本中探してもそんなにいない。

大概、絵の専門学校を出ていたり。
イラストやデザイン系の仕事をしていたり。
もともと絵に関わる仕事や活動をしていて、
その延長で絵本作家になるというパターンが多い。

ぼくはそれを「絵あがり絵本作家」と称していたりします。

ぼく自身は、絵本作家になる前にこの「絵あがり絵本作家」
にはなりたくないなと感じていて、まったく違う道を歩んで
「今までにいない絵本作家」になろうと生きてきました。

だから、図書館職員として10年間勤務してから
絵本作家になった人間は、日本中探してもきっとぼくだけ。
絵本作家としてはきっと異色の経歴です。

でもごみたさんは、もっと異色の経歴をもつ
絵本作家さんです。

大学で物理学を学び

航空機エンジン等の設計に携わる仕事をしていた後に
絵本作家になったひと。それが、ごみたさん。

一見するとまったく畑の違う仕事のようにも感じますが、
ごみたさんの話を聞くと、ごみたさん自身が
やりたい事はたいして変わっていない。

自分が子どもの頃に感じた
化学や物理へのワクワクやドキドキを
今の時代を生きる子ども達へも伝えていきたい。
だから今は、絵本作家として生きている。

絵本は、その絵本を創った作家さんの考えや想いが
たくさん入っているモノ。
物理学を学び、飛行機のエンジンを作り、
もっと面白い事がしたくて絵本作家になった
そんなごみたさんの絵本。

それだけでなんか、
読みたくなってくるでしょ?

新しい出版社ラフコネクト

では、ごみたこずえさんの絵本も出版します。

今回、ごみたさんの新しい絵本制作に
ぼくも関わらせて頂いています。

ごみたさんつくる絵本の世界は
まだ見たことのない新しい世界のトビラを
一緒にあけてくれるような絵本です。

ラフコネクトから出版する
ごみたこずえの絵本を読んで
数年後…
第二のごみたこずえが現れると
面白いだろうな。

ごみたこずえさん
(絵本作家・イラストレーター)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「[子どもの頃は]というより[子どもの頃から]という言い方になってしまいますが…1人でぼーっと考えることがとにかく好きでした。 特にドライブや電車の移動時間に考えることが好きで、旅行やテーマパークに行くときも一番のお目当ては移動時間でした。 移動しながらぼーっと景色を眺めていると、ランダムにいろんな情報が入ってくるのでいろんなことが頭を巡るんです。「電線はどこまで繋がってるのかなー」とか、空を見て「これは宇宙の端っこまで見ていることになるのかなー」とか。
読んだ本や映画の内容と景色を照らし合わせて考察を広げると、頭の中に世界がどんどん広がって、目に写る世界がどんどん素敵に見えてくるんです。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「子どもの頃「夢は何ですか?」と聞かれると、その度にいろいろ違うことを言っていました。「夢=仕事」を答えないといけないと思い込んでいたので、無理やり探して言っていたんでしょうね。あの頃の夢を素直に言葉にすると「世界の素敵な所をもっと探りたい」だったんだと思います。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「子ども達に感動の種を渡し、それが花開いたのを見ることができたら最高だと思います。子どもが何かに感動しているのを見ると心底ワクワクゾクゾクするんです。
私がもともと設計の仕事をしていたのも、そこに至ったのも、子どもの時に見た科学誌や絵本や自分なりに巡らせた考察からきた感動が元になっていますし、今、絵本や挿絵を描いているのも子どもの頃の感動が元になっています。私にとっては子どもの時の感動が、大人になってからの幸せに繋がっているんです。
だから、子どもの感動を見るとその子の未来まで見えた気がして心底ワクワクゾクゾクするんだと思います。その感動の種を渡すことができたら、もう最高の喜びです。

④ 『悩みはありますか?』
「考えすぎて時々ポイントがずれてしまうことでしょうか。みんなが当たり前にやっていることでも考えすぎてしまって…「なるほどだからみんなそうするのか」と解るまでにビックリするほどおかしなことをしてご迷惑をかけてしまったり失敗をすることがあります。考えることで良いこともたくさんあるのですが、ご迷惑をおかけしてしまうと本当に申し訳なくていたたまれないです。
絵本でもその癖が悪さをしないようにすることが課題ですが、ラフコネクトで保科さんに絵本の助言をもらうと、多くが私の考えすぎを自覚させてくれるものなので本当に助かります。ありがとうございます!

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「今、子供向けの工作動画を作っているんですが、それが楽しいです。見た人が「それなら自分はこんなものを作る」と次の開発をしたくなるような動画にしたいので、作り方を提示するだけではなく、なぜそう作るのか小さい子でも感覚的にわかるようにしようとしています。
ただ、説明を入れすぎてわかりづらくなってしまったので、もっとシンプルな動画になるよう思案中です。その思案の中で「こうしたら子供たちはこんな風に感じるかなー」なんて想像するのがまた楽しいです。」

<ごみたこずえホームページ>

https://cozuegomita.wixsite.com/gomita-kozue-jp

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

3月 10 22

第106回 分譲マンション購入の決め手

by staff

有限会社アーバン・ファクトリー
藤江 創

分譲マンション購入の決め手

関内駅から徒歩2分。
1982竣工。
RC造11階建ての6階。
専用床面積約85㎡。
日当たり悪(東北建物隣接、西日のみ)。
価格3,000万円。
管理費+修繕積立金など46,500円/月

私が事務所で使っている部屋の物件情報です。皆さんが分譲マンション購入を検討するさいに確認するのはこんなところだと思います。さてそれだけで本当にいいの?というのが今回の話。
この物件の管理組合理事長を拝命したのが2015年。現在も同役職です。つまり、7年間継続して理事長をしているわけです。ちなみにほかの役員を含めると10年以上になります。このくらいの築年数になると、雨漏りや漏水などの小規模修繕が度々あるので、建築設計の専門家が理事長をしていることは組合員の安心につながっていると思います。私自身、とある理由があり、理事長であり続けることについてはむしろ積極的です。その理由は最後に打ち明けるとして、これだけ長く理事長をしていると、建築と組合のことがよくわかります。

この物件の場合、駅近ということもあり、事務所で使われている部屋が多く、収益物件として所有されている方がほとんどです。そのような分譲物件では役員のなり手がいません。なぜでしょう?「面倒くさいから」が一番の理由だと思いますが、「遠方に住んでいるので参加できない」という理由が重くのしかかります。そうなるとどうなるか。普段物件を使用している方で理事会を運営してくれということになってしまうわけです。事実この物件では、10年以上続けている役員が半分以上でほとんど入れ替わりがありません。

この状況はあまりよくありません。規約では、やむを得ない場合は継続も可となっていますが、基本的に任期は2年。これは、組合員全員が管理や修繕のことを把握するためでもあるし、理事会がなれ合いになることを防ぐためでもあります。理事会では小規模工事対応もするので、業者選定などでマージンをもらったり、物件使用者からのクレームを隠蔽したりすることもできます。なれ合いの理事会だとどんな問題が生じそうか、想像がつきますよね。

前置きが長くなりましたが、分譲マンション購入時に確認する項目に以下を加えて下さい。
「理事会が健全に運用されているか」
できれば、購入前に理事会に参加させてもらえると良いでしょう。実例を一つ。先日知人から高齢者向けマンションの購入について相談を受けたとき、一緒に理事会に参加させていただき、管理や修繕について確認させていただきました。理事会がちゃんと機能している物件は、自信をもって運営しているので、理事会への参加は歓迎されます。ちなみにその物件は役員全員が65歳以上の高齢者にも拘わらず、パワポも活用しながら、管理費や修繕積立金の収支を分かり易く説明をいただけました。結果、知人には安心して購入を進めることができました。

最後に私が積極的に理事長を継続する理由。この物件は、組合活動協力金という名目でお金を徴収しており、役員への報酬設定が高いからです。理事長は2万円/月に加えて、理事会出席8千円/回と設定されています。この理事系への出席報酬はもちろんほかの理事にも提要されます。これは私が理事長になる前に理事のなり手を増やそうと考えた苦肉の策でした。おかげで、新しく所有者になった方が理事になってくれるなど、それなりの効果はあります。役員のなり手がいなくて困っている組合は、役員の報酬設定を見直すのがよいかもしれませんね。

分譲マンションの改修事例 中野ブロードウェイM邸

分譲マンションの改修事例 中野ブロードウェイM邸

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

3月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #18

by staff

大地を走る新幹線に乗って

東京へ向かっています。私の住む町の最寄駅は 山陽本線の ほとんど無人に近い金光駅。15時53分に金光駅を出発して 岡山に着き新幹線に乗り、埼玉県の北部、深谷駅まで。 普通は約5時間ですが、ジパング割引が聴くのは「のぞみ」と「みずほ」を除いた新幹線で,「ひかり」を使うと約一時間ほど、余分に時間がかかります。でもある意味パソコンを持ち込んで集中するにはジパング割引のグリーンに乗ってゆっくり移動する方が私的には良い感じ。

東京から又他の新幹線に乗ります。それが東北新幹線なのか 上越新幹線なのか、北陸新幹線なのか、明確ではありません。どちらにしても在来線も含めて4回ほど乗り換えて目的地の深谷駅にきっちり22時02分に着きます。全行程約6時間。
この距離は、この時間で、早いのか? それとも遅いのか・・・
鉄道と言う地を這う乗り物の中で現在は一番早いと言われている新幹線の 乗り継ぎを入れての移動6時間。これは光速で将来宇宙空間の旅をする時にどのくらいの時空間を行き来できる距離なんでしょうか?
きっと目的地への標準を合わせたり、乗継の宇宙ステーショではコンピューターの計算や見えない精密な波動を捉えてその波動に乗せる為の準備が待ち時間としてかかりそうです。

昔まだ 日本も含めて世界がおおらかで、色んな波動が混在していた頃には、今では空想の産物だと思われている、カッパさんや人魚姫やトトロみたいな妖精達が見えていたと聞いたことがあります。将来の乗り物は 遠い場所?だけでなく、例えばカッパやマーメイドたちが住んでいる時空間へも行くことが出来るようになるのでしょうか?

現代の地球人は沢山の情報に囲まれていますが、ある意味テレビやラジオの電波が地球を覆っていて、それ以外の繊細な領域が感知しにくい事を感じます。 毎日テレビをつけて雑多な情報に五感が浸されていると、人間の持っている素晴らしい知覚能力をわざわざ退化させているようにしか思えない時があります。きっとこれからはサイキックに生きてゆく人と時間やマニュアルに忠実に生きてゆく人と別れてゆくのかもしれません。

私がこうして書き連ねている未来のビジョンは、まだディズニーランドのおとぎ話やSFの世界だと思っている方も多いと思います。が。この世界情勢の緊張感がピークに達して世界中がお金儲けよりもイノチ。平和が一番だと気が付き始めたら、一挙に文明は変容します。

そしてこの地球上に人間が増えすぎているから人口削減をしなければ人類は生き延びられない!というパラノイア的な認識を持っている人々が自分たちの内側にある恐怖心から目覚めれば!もっとスムーズに人類は宇宙文明へと扉を開き、今まで封印されてきていた超能力も 一人一人が元から持っていた産物だったと自分の能力を自発的に高めてゆく事に力がそそがれ、今では奇跡だとしか思えないような進化が花開き、その結果、私達は愛と光の中で自信を取り戻して、アセンションへと移行できるでしょう。
このまま飛躍的に科学技術が進んでゆくには、私達は目に見えない領域をもっと理解しなくてはならないのだと思っています。
意識が物事を創造してゆく!という、今までは宗教家の言葉であって、科学とは全く相いれない概念だった霊的世界が、量子力学の理論と重なり始めています。思考はエネルギー!という概念が、二つの世界で共通認識として語られ始めた現在。私達人類はやっと宇宙に飛び出て行く時期を迎えているのでしょう。
コロナがもたらした沢山の緊張や深い気づき。ウクライナとロシアの軋轢は、古い金融システムの崩壊を見せられているのでしょうか? 悪者と正者という2原論的な対抗感情は自分が日々受け取っている情報によって自由に操られます。情報が一方的な場合は気をつけましょう。

今まで地球上の経済を牛耳っていたピラミッド型の頂点が、新しいシステムの移行に伴いガラガラと音を立てるように崩壊してゆく、その真っただ中に私たちは生きています。
貨幣経済は、太古の昔に徐々に作られてゆき、魚座の時代に完成され、今ではそれが、行き過ぎてかえって人類を苦しめる様になってきました。古い経済システ?の崩壊は胎盤が割れて新しいイノチが産まれる時に産道を通ってくる生みの苦しみなのかもしれません。
安産で在りますように。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

3月 10 22

認定NPO法人 かながわ311ネットワーク 代表理事 伊藤朋子さん

by staff

 

認定NPO法人 かながわ311ネットワーク 代表理事 伊藤朋子さん
 
認定NPO法人 かながわ311ネットワーク
代表理事
伊藤朋子さん
 
お名前 伊藤 朋子(いとう ともこ)
お生まれ 1957年1月21日
東京都/目黒区
お住まい 神奈川区大口仲町
ご家族 夫と二人暮らし
(娘2名は独立)
お仕事 認定NPO法人 かながわ311ネットワーク 代表理事
趣味 観劇、読書

 

防災の大切さを伝えることがライフワークになりました

2011年3月11日に起きた東日本大震災から10年が経過し、11年目の春を迎えようとしています。この大震災から私たちは多くの教訓を得ました。まずは備えること、「備えあっての憂いなし」と言いますが、備えあっても憂い有りが震災です。

震災直後は、全国で防災グッズセットやラジオ、懐中電灯やヘルメット、水や保存食品などが飛ぶように売れて関心の高さが窺い知れましたが、10年が経過すると防災袋のチェックは忘れられ、賞味期限切れのビスケットや水が入っているものを見かけるようになりました。電池やカセットコンロ用のボンベを常備しておくとか、飲用水をストックするとか、あんなにTVで奨励していたことも10年が経つと意識の低下や風化が見られるようになりました。

私達「かながわ311ネットワーク」は当初は震災地の応援活動が中心でしたが、「貴方たちの地元にも必ず災害は来るのだから、備えを欠かさないように」という現地で貰った宿題の実現を、まずは学校での子ども達や教員向けの研修からスタートしました。

私の住む神奈川区や隣接する西区、中区はマンションやアパート、商業施設や会社のビルが立ち並ぶ地域です。横浜の市民の半分は集合住宅住まいです。ところが既存の「防災」は「戸建て住宅」を前提にしているものが多く、マンションの防災はどうすればいいのか、情報は余りありませんでした。
「かながわ311ネットワーク」では、熊本地震をきっかけに地元での防災力の向上に力を入れ始めました。マンションの防災からはじめて、今は自治会や地域防災拠点出張講習会などを開いて、防災の重要性を広めています。

余暇を使ってボランティア活動を始めたのがきっかけ

子育てをしながら、テクニカルライターとかマニュアルライターと呼ばれる専門的な「マニュアル/取り扱い説明書」を書く仕事をフリーでしていました。大型コンピューターのマニュアルやプロ向けのデジカメのマニュアルなど、開発や製造した人から聞いたことを文章にする仕事です。海外のマニュアルを翻訳することもあり、忙しい時は仕事が重なって寝る間を惜しんで働きましたが、不規則な仕事なので暇になることもあります。余暇を楽しみながら、知人の「ものづくり教室」のワークショップを手伝ったことがきっかけで、ボランティア活動もするようになりました。

そこで起きたのが3.11東日本大震災でした。たまたま、応募していた被災地支援の情報ボランティアのルートで連絡をもらい、県民センターでの横浜で被災者を支援するボランティア募集説明会に参加しました。

もう一つ災害ボランティアに応募した理由の1つは、『阪神淡路大震災』の時にパソコン通信で次々に情報が流れてくるのに、「何もできなかった」という思いがあります。

幼い頃の思い出

私が2歳7ヵ月の時に弟が生まれました。その時のことを鮮明に覚えています。幼いながらに「お姉ちゃんになるんだ」と自覚したのでしょう。その次の思い出は幼稚園に入ってからなので、印象的だったのですね。弟とは公団の階段の踊り場や近くの公園で遊びました。私の友達と弟の友達が集まり、そこに近所の子達が集まって来て、鬼ごっこや泥まんじゅう作りなどなど一緒に仲良く遊んだ事を覚えています。

小学校6年生臨海学校千葉県岩井海岸

1年生で引っ越し 6年生でも引っ越し?

幼稚園はミッション系でした。お稽古ごとはピアノや絵画、お習字などを始めましたが、長続きしませんでした。ピアノもお習字も同じことを繰り返し練習しますよね? 「繰り返し練習」が性格的にダメでした。飽きっぽかったのかもしれません。すぐに結果が出ることが好きでした。

住み慣れた東京都目黒区の公務員住宅を引っ越すことになったのは小学校に入学したばかりの5月のことでした。転出先は新大久保駅と大久保駅の間にある『戸山小学校』。大久保周辺は今でこそアジア系のお店が立ち並ぶ街ですが、あの頃は公務員住宅や国鉄アパート、都営住宅などが多い所で大きな工場もありました。

小学校は転出、転入の子供が珍しくないマンモス校でした。
本を読むのが好きだったので、おのずと国語の成績は良かったです。「科学と学習」という雑誌を購読していて「付録」が楽しみでした。理科系が好きになったのもこの頃からでしょうか?
運動は苦手でしたが、5・6年生になると水泳が得意になりました。競技会で賞を頂いたこともありました。

時代は昭和の後期に入ろうとしていた頃です。新宿通りに近いあたりは自動車の排ガスによる公害がひどい所でした。「光化学スモッグ」という言葉が出現したころです。母と弟が体調を崩して郊外に引っ越すことになりました。小田急線の百合ヶ丘に6年生の夏休みに移ることになりました。1年生になったばかりで転校してきた私は「入学式も卒業式も別々の学校になるのは嫌だ」と猛反対して、引越を延ばしてもらい、戸山小学校の「卒業証書」を手にすることができました。

1979年 大学の弓道場で

校則が2つしかない私立

運動で唯一得意だった水泳、プールのある学校に進学したいと思いましたが、入学した学校は四谷にある中高一貫教育の女子校でプールの無い学校でした。

「学校は?」との問いに「女子学院です」と言うと「どこの女子学院ですか?」と聞かれて「ただの女子学院です」と答えると「ああ、只野女子学院ですか」と言われるのが笑い話となっていました。

校則は「校章をつけること」と「校内では上履きに履き替えること」の2つだけ。制服は普段は白いブラウスに紺色のスカートの標準服、その他に式の時などに着るセーラー服がありました。
この「制服」も中学3年の時にすべて廃止になりました。このとき、生徒会の委員だった私は生徒会の仲間といっしょに抗議に行きました。制服の廃止にはみんな賛成でしたが、「生徒の意見を聞くことなく天下りに決定したプロセス」に抗議したのでした。東大紛争後の学生運動が盛んだった時代で、生意気な中学生でしたね。
校風は「自由」であるけれど、自由に伴う「自覚」や「責任」を学びました。ファッショナブルな服の生徒もいれば、セーラー服の生徒もいる、という自由さでした。ピアスの子も居ましたが、咎められることもなかったように記憶しています。服装も教育の一環だから、そこだけを注意しても仕方ない、という方針でした。

ミッション系の学校なので当時の多くの学校とは違い、土曜日もお休みでした。その土曜日に友人に誘われて「宝塚」を観に行ったのが演劇に興味を持つきっかけとなりました。そこから始まって、劇団四季、新劇など、そして狂言や歌舞伎とお芝居の魅力にはまりました。コロナの流行で最近はあまり観に行けていませんが、終息すればまたお芝居が観たいですね。

大学の研究室で

進学と就職

解き方をマスターすれば答えが出る「数学」や「化学」が好きでした。高校の化学の先生は若い女性で授業に多くの実験を取り入れて、物質が変化していく様を体験させてくれました。
理数系が得意で暗記が苦手、ということで友人は資格の取れる「医学部」や「薬学部」を目指していましたが、「そそっかしいから医者は無理」だと思い「理学部化学科」に進むことに決めました。中学、高校と女子校でしたから大学は共学校と思いましたが、受験科目の都合で、またまた「女子」の大学になりました。

時代はアナログからデジタルに変わろうとしている真っ只中、大学では液晶などの新技術を学びました。
進学してみると、高校時代に思っていた化学は化学のほんの一部であることを知りました。大学の生物は化学に近く、大学の化学は物理に近く、物理は数学に、数学は哲学に、と1つづつずれているように思いましたが、結局専攻に選んだのは、物理に近い分野の「物理化学」でした。
「デジタル革命」が進んでいく中、4年間では学びきれない「新しいもの」に好奇心と興味がわき、大学院に入りました。

当時は、2年間の大学院を出た理数系女子を採用する会社は限られていて、その少ない選択肢の中から学校推薦で三菱化成の研究所に勤めることになりましたが、同じ学歴を持つ男子は本社採用。女子は学歴にかかわらず研究所での箇所採用でした。研修も同学歴の男子とは全く違っていました。男女雇用機会均等法の無い時代でしたから、大学院卒の私の存在は重宝がられたり、煙たがられたり・・・「デジタル革命」下の仕事は「新製品を創りだす」といったクリエイティブな仕事で面白かったのですが、待遇はあまり良くなかったと思います。

パリの友人と

パリ日本人会のフランス語教室

フランスへ

夫とは大学時代に出会い25歳の時に結婚しました。夫の海外留学が決まりフランスのパリに住むことになりました。私は第一子を出産直後でしたので少し遅れて後からフランスに行きました。住まいはパリの南の端、カルチェラタンのはずれのアパートです。中華系の食材が簡単に手に入る東洋系の住民が多い下町で、治安もさほど悪くない所でした。

大学での第二外国語はドイツ語でした。化学誌や論文はドイツ語で書かれたものが多かったからです。
フランスは自国語にプライドが高い国で、外国語は殆ど通じません。通じていてもフランス語で返事がくるような国です。夫を見送った後しばらく実家に戻り、子どもを預けて初めてフランス語を学んでいましたが、現地でも、はじめは、保育サービスのあった日本人会のフランス語教室に通いました。

この海外生活で、フランス人気質を学びました。「自分のことは言わないと誰も分かってくれない」と、全てに積極的になりました。「あなたはどうしたいの?」と出来ない理由を考えるよりも、やる為にはどうしたら良いかを考えるようになりました。私の人生の転機となりました。
積極的に情報を得ることで、家の近くにある保育園に子どもを預けることができると知り、行動範囲が広がりました。子どももフランス語を日本語と同時に覚えていきました。保育園に預けることで、市中のフランス語教室に通ったり、美術館や博物館、歴史的建造物を見学に行くことが出来ました。ペルー人やエチオピア人と一緒に学んだのは懐かしい想い出です。料理教室にも行きました。友人もでき、一緒にフランス語の個人レッスンを受けることができました。
「多様な文化の中で積極的に情報を得る」ことで何事にもポジティブになりました。

1989年 ルーブル美術館で

1988年 パリのまちかど

アルバイト

ヨーロッパの冬は寒いです。マイナス15℃を初めて経験しました。夫の2年間の留学(私は1年7ヵ月)中、フランスの各地を旅行しました。そして、第二子を妊娠し、つわりで大変な時に日本に帰ってきました。

帰国後、次女が1歳になった頃、アルバイトを始めました。専門誌「現代化学」に海外の論文の紹介記事を載せたり、研究者や企業のインタビュー記事を書いたりする仕事でした。
後にノーベル物理学賞を受賞する小柴昌俊(こしば まさとし)氏をインタビューしたことがあります。ニュートリノの観測に関するインタビューは、専門用語が多く難解で下調べに苦労しました。一般の人でも理解できる記事に仕上げるのが大変だったことを思い出しました。

年賀状に「もっと仕事がしたい」と書いたら、友人がテクニカルライター(マニュアルライター)の仕事を紹介してくれました。

マニュアル作り

こうしてフリーでマニュアルを書くようになりました。日立や富士通といった大手企業からの依頼で、開発担当者に直接お会いしてマニュアルを作ります。はじめの頃は、PCの画面をアナログカメラで撮影してその写真をマニュアルに掲載する、といったアナログとデジタルの過渡期の制作方法でした。フリーランスでクライアントも色々でしたから、デジカメのマニュアルや携帯電話、大型コンピューター、電話交換機の工事担当者向けなど、多種多様な仕事が不規則に入ってきました。
中には英語の取扱説明書を日本語に翻訳する仕事もありましたし、私が書いたマニュアルが18ヶ国語に翻訳されたこともありました。

新製品は発売日が決まっていて、たとえ開発が遅れてもその日までに「取扱説明書」を完成させなければなりませんので、忙しいときは夜中まで仕事してました。仕事の度に初めてのことを学ぶフリーのテクニカルライターは、飽きっぽい私にも向いている仕事で20年以上続けていました。子育てが終わってからは、仕事が暇な時には、芝居を見たり、旅行したり、ちょこっとボランティアをしたりで気ままな暮らしをしていました。
その仕事と仕事の隙間におきたのが、東日本大震災でした。

ボランティアに係わったきっかけは文頭でお話しましたので「被災地で感じたこと」をお話しましょう。

被災地で感じたこと

横浜での支援、のつもりで始めたボランティアでしたが、たまたまきっかけがあって、4月の末に岩手県の大船渡市、陸前高田市に行きました。現地に負担をかけないように食糧も水も持参して夜行バスで現地に入りました。被災地に近づくと道路の状態が悪くなりバスが大きく揺れました。被災地に入るんだと気が引き締まるのを覚えました。主な活動は津波に流されて汚れた被災者の思い出の品物の洗浄作業でした。
まだまだ手付かずの場所が多く、散乱したがれきの光景とそのにおいに、復興まで並大抵の努力では覚束ないと、被災地支援の重要さをひしひしと感じました。
その後、今に至るまで10年以上に渡って活動を継続することになったのは、あの風景を見てしまったからだと思います。

こうして始めた復興支援でした。この活動が終わるまでの2年間、現地の情報を集めホームページに掲載する、ボランティア募集の記事を書く、などを行う編集チームでチームリーダーを務めました。

2年間続いた「かながわ東日本大震災ボランティアステーション(通称ボラステ)」での活動から多くを学び、横浜でも起こりうる自然災害に向けて「課題」や「宿題」をもらったように思いました。ボラステで一緒に活動した仲間たちは、それぞれの思いによっていくつかの団体に分かれていき、私が代表理事を務める『かながわ311ネットワーク』もそのうちの1つです。

コロナ禍で体験した「有事」

話は再び「かながわ311ネットワーク」の活動に戻りますが、私達はコロナ禍において「有事」の際の混乱を少し体験しました。

「マスクやアルコール消毒剤を買うのに早朝から列に並び、ワクチン予約を入れようにも電話もネットも繋がらない、病院は逼迫していて自宅療養を求められる」といった混乱は地震などによる都市型災害の時はなおさらです。
大地震が来たら、電気、水道、ガスといったインフラは止まってしまいます。携帯電話も充電できずに電源が落ちてしまいます。

一度に何万人という怪我や火傷を負った人が出ます。医師も看護師も病院も消防署も全てが被災する訳ですから、救急に頼ることはできません。

コロナで薬局からマスクやアルコールや消毒液。うがい薬が消えたように、災害時には食料品店からは食糧/食料/飲料水が消えてしまいます。
家の近くにコンビニがあるから、スーパーがあるから大丈夫だと思っていませんか? 街は停電していますから、電動シャッターもレジもカードリーダも使えません。それどころか、買い物に行きたくても道路は瓦礫が溢れ、怪我人や故障した車で歩くことも出来ないでしょう。

また「有事」においてはデマや古い情報、間違った情報に踊らされてしまう人がいることを知りました。
正しい情報を得て、整理して伝えることの重要性に気付くことができました。

都市での防災とは

「避難所に行けば救援物資がある」と思われるかもしれませんが、救援物資が届くまでには時間がかかります。流通に支えられている都市は、流通の遮断には大変弱いのです。

「3日分の水と食料を確保したら万全の備え」だと思っている方が多いですが、首都直下地震のような広域で規模の大きい地震が起こったら、都市部では3日で混乱が収まるとは思えません。行政も7日間分の備蓄を、と呼びかけています。
水道管が破裂し水害が発生したり、液状化で道路が陥没することもあります。重機を使っても瓦礫を取り除く作業は容易なものではありません。しかし、その重機を入れるためにも道路の瓦礫を退かさなければならないのです。

食事時ならキッチンから火災が起きることもあるでしょうし、地下駐車場で漏れ出したガソリンに火が引火しビル火事になることも、閉じ込められたり、下敷となったり・・想定外のことが起きるのが災害なのです。

「避難所」は家を失った人の為の場所です。マンションは、かなりの揺れでも建物自体は被害が少ないと予想されます。戸建てでも耐震建築が増えてきています。「避難所」に行かず、在宅避難で災害後を過ごしましょう。その方がずっと快適です。でもそのためには準備が必要です。家具の固定などの耐震対策が必要です。また、日頃から、インフラがストップした中で「安全・安心」に過ごすことには何が必要かと考え、必要なものを備蓄しておきましょう。
簡易トイレ、食料品や水は当然ですが、他にも必要な物はいろいろあります。常備薬も揃えておくと良いと思います。そして応急手当の知識も得ておくと良いでしょう。

発災直後の救急救命も「自助、共助」で行うしか無いのが大規模災害です。防災訓練に参加して、応急処置を一度体験しておくと、冷静に行動できると思います。「自助、共助」は災害の直後だけでは無く、復興までの長い年月を過ごしていくのにも必要です。町内に社内に、いざと言う時に動ける人材、協力し合えるつながりを作っておくことが大切だと思います。

かながわ311ネットワーク

災害時には、「自助」と「共助」がとても大切だということはもうお分かりだと思います。

アパートやマンションには自治組織が無くて町内会と疎遠な所もあります。横浜市はあまりに大きくて、区ごとで防災の環境や条件が異なっています。防災訓練も地域防災拠点では何をするのか? 町内会、自治会では何をするのか? 訓練のしかたは今のままで良いのか? もっと現実的なやり方で行う必要があるのではないか?
そんな「?」に対応する取り組みを、「かながわ311ネットワーク」がお手伝いしています。

例えば、小学校では小学生向きにワークショップを開き、「ゲーム」をしながら各自が関心を持って防災活動に取り組めるようにしています。マンションや、自治会や町内会、会社、商業施設向けの防災研修や、防災マニュアル作り、訓練プログラムの開発など、多様なニーズに合わせ、ご提案ができますので、是非、お声をお掛けください。

あなたにとっての横浜とは?

横浜はいろいろな可能性が試せる街だと思います。
3日いれば「はまっこ」だそうですが、横浜生まれでは無い人が、自分の街として暮らしていける、懐の深い街です。

私にとっての横浜は「暮らしの場」であり、「仕事の場」であり、「憩いの場」です。

横浜は海の景観が楽しめる山下公園やみなとみらい、本牧や金沢のシーサイド地域ばかりではありません。美しい里山の風景もあります。公園が多く、雑木林をバックに四季折々の花々を楽しむことができます。この美しい横浜を未来に繋げていくためにも「命」を守りたい、人の命はもとより、生きている全ての命も守りたい・・・「守りたい」という気もちを大切に、これからも防災の大切さをお伝えしていきます。

私にとっての横浜は
  「暮らしの場」であり、
    「仕事の場」であり、
      「憩いの場」です

 

 

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

2月 10 22

着物を着て出かけよう!!

by staff

 

半世紀ほど前、私が子供の頃、秋田には日常生活に着物を着ている方がまだいらっしゃいました。

亡母の親友だった方が、我が家に来るときはいつも素敵な着物姿でいらしていたので、「おばさまのようになりたい。」とあこがれたものでした。

私自身は友人の披露宴のときは、振袖を着ていましたね。

その後、茶道を学ぶようになって、茶道の先生の方針でお稽古時に必ず着物を着ることになり、自分で着物が着れるようにと着付け教室にも通いました。

30代前半までは、まだちょっと太めぐらいの体型だったので、自分で着れたのです。(笑)

茶道と疎遠になってからは、着物は冠婚葬祭時に着るくらいになっていました。

近年、夏になると浴衣姿の若者が目立つようになってきました。
特に花火のときは多いですね。(コロナ前のお話です)
残念なことに、夏が過ぎて秋になってからは、着物姿の若者は見ないですね。

一方、京都や鎌倉などの観光地では、レンタル着物が増えています。
京都で外国人のカップルが着物を素敵に着こなしているのを拝見するたびに、私たちももっと着物を着る機会が増えればと思っていました。

横浜でも着物姿、特にハイカラさんの袴姿を広めようと活動されているのが元町にある「ハイカラ美容院」です。
https://yokohama-haikara.com/

オーナーの大木美恵子先生は、昨年から神奈川芸術劇場と提携して「着物を着て観劇」という新しい取り組みをされています。

2021年9月、私は5年ぶりに着物を着て、「近松心中物語」という演劇を見ました。江戸時代の物語で、花魁など出演者の着物姿に見とれていました。
着物を着ることで非日常の自分になることができ、演劇を堪能することができました。

2021年9月

また着物を着る機会があればいいな・・と思っていたところ、12月に現代舞踊『Le Tambour de soie 綾の鼓 』を鑑賞することができました。

今度は、別の着物を着ましたが、ちょっと若向きすぎましたね。
(前面は恥ずかしいので後ろ姿だけ公開します)

2021年12月

着物に親しむことは、日本の伝統文化に触れることでもあります。

今年も様々な場所で着物を着てみたいと思っています。
その前に・・ダイエットしなければなりませんが。。。(笑)

皆様も、ご自宅の箪笥の中に眠っている着物に手を通してみませんか。
特別な日でなくても、着物姿を撮影をするだけでもリフレッシュできますよ。

 

 

 

2月 10 22

2022年2月 三ツ池だより 「結び続ける」

by staff
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新しい年明けどのようにお過ごしですか。昨年不思議な年になりそうですねと話ました。今年もコロナのことで厳しい先の見えない年明けですね!年明け不思議な印刷されているものをいただきました。

袋に大輪結びと印刷されていました。
「大輪結び」は菊の紋章のような重厚感のある結び、生命の象徴である花を結び、生命の活性と再生を願うココロ(心)、とありました。
蝶結びと印刷されいるものがありました。
「蝶結び」は蝶→長寿、また「てふてふ」と音を重ねることにより、」良いことが重なる演技を願うココロ(心)、とありました。
木瓜(もっこう)結びと印刷されているものがありました。
「木瓜結び」は瓜を輪切りにした形や木瓜(ボケ)の花の形から子孫繁栄を願うココロ(心)、とありました。

 「今年の抱負は!」 けんじ
自分は何が出来るか
と考えると立ち止まってしまう
  ではどうしたらいいのだろう
  今やりたいことはに変えてみる
詩集が出来たらいいな
講演が出来たらいいな
  お世話になった方との縁がつながったらいいな
  後輩が寄ってくれたらいいな
計量の大切さが広がったらいいな
自分が歩んできたことが人のために参考になるといいな
  そこでだ、やれたらいいなでなく
  やっていくのだ

 「人は何処に行く」 けんじ
ふと考えた
人は何処へ行く
  そう人は永遠には
  生きていられない
人は何処に行く
あの人は何処に行く
  何かを残さないと
  人は消え忘れられていく
だから詩を書く
そして詩を思い出す
  人は何処へ行く
  宇宙のかなたへ
生きている時に積み上げたものが
次の時代の人に受け継がれていく
  目には見えないけれど
  命はつながっていく

宝結びと印刷されたものがありました。
「宝結び」は「宝の袋」を模した結び。連続する無限を意味し、繁栄、長寿、多幸などを願うココロ(心)とありました。
菊結びと印刷されたものがありました。
「菊結び」は邪気を払い長寿の効能がある菊の幾重にも重なる花を象り延命長寿を願うココロ(心)とありました。
叶結びと印刷されたものがありました。
「叶結び」は結び目の裏表が「口」と「+」=叶(かのう) 願いがかないます様にと思うココロ(心)とありました。

 「今日があること」 けんじ
今日は今日である
明日は明日である
もちろん昨日は昨日
  どう違うのか
  今日は昨日ではない
  明日は今日ではない
仕事の予定を実行し
雪がちらついて早く帰宅
明日の予定を立てた
  今日を大切にし
  今日を生き
  今日に感謝する
今日があることが
こんなに嬉しいことなのだ
今日にありがとう

生きる意味、それは時代をつないでいくこと。教育のことも、子孫を残すことも。しっかりお参りし、正しく継承していく。自分のできることをしていく。調子の悪い時は静養する。明日のことより、今日があることが感謝だ。書いていくことも大事だし、書き続けられるようになりたい。新しい年を迎えて自然な姿勢で過ごしていく。やっていこう、感謝して行こう。

 「自分を信じる」 けんじ
これでいいのだ
いたらない所がいっぱいあるが
誠を尽くして進んでいこう
  反省するところもあるが
  だからと言って
  ひくつになることはない
自分を信じることが出来る
それは喜びであり
生きがいになっている
  詩を書き出して
  書けない時もある
  それも人生
なにもないようで
積み重ねで生きる
今日が暮れていく

松結びと印刷されたものがありました。
「松結び」は厳しい寒さの中でも常に青々とした松の姿は不老長寿を願うココロ(心)とありました。
思結びと印刷されたものがありました。
「思結び」は幾重にも折り重ねる円・・・相手を思い慕い、お互いの気持ちが:重なりあって欲しいと願うココロ(心)とありました。

慌てずゆっくりと時を味方にしていきましょう。元気を出してゆっくり結び続けてまいりましょう。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

 

2月 10 22

チョークアートとわたし #05 西洋菓子工房マルグリットの看板

by staff

西洋菓子工房マルグリットの看板

今から7年前、東京の武蔵小金井にある西洋菓子マルグリットの看板を描かせていただきました。
ご夫婦でお店を切り盛りされているかわいらしい外観のケーキ屋さんです。
こちらの看板を描くことになったきっかけとは…

(大きさはA2サイズです)

高校時代の同級生A子から、高校3年の同級生らが池袋の居酒屋さんに集まり時々飲んでいるらしいという話を聞いたのは8年ほど前です。仲の良かった数人とは卒業後もたまに会っていましたが、それ以外の同級生とは卒業以降25年以上私は会っていませんでした。
それだけブランクがあると自分も変わっているし、きっと同級生も変わっているだろうから分からないかもしれないと思い、ちょっとためらっていましたが、意を決して7年前に初参加してみました!
果たしてどうだったでしょうか??
名前がすぐに出てこないくらいで、意外とみんな変わっていなかったのですぐに分かりました!
あっという間に高校時代に戻ったかのようでした~

その時、卒業以来ぶりに再会した同級生Mちゃんがマルグリットの奥様です (*^-^*)
高校時代は、それほど接点が無く話す機会もあまりなかったと記憶しているのに、私がチョークアートをやっていることを知ると、お店の看板をお願いしたいと言ってくれたのがとても嬉しかったです。
彼女は高校時代から笑顔がとても印象的で、その笑顔も笑い声も全然変わっていませんでした。
意外と人間って高校時代から変わらないものなんだなぁと思ったものです。

こちらの写真が同級生のMちゃんとご主人です。お二人とも笑顔が素敵じゃないですか?
どうしてもこのお二人の笑顔を描きたくてお店の商品と一緒に描かせてもらいました。

 

お店は6年前にTBS「王様のブランチ」に、2年前にはテレビ東京「出没!アド街ック天国」にも紹介された地元で愛されているケーキ屋さんです。私はレアチーズケーキがお気に入りです (*^-^*)

そうそう、集まっている池袋東口にあるお店は「えんざ」です。こちらも高校時代の同級生がやっているお店なんですよ。ここ数年はコロナ禍もあり行ってないのが残念。

余談ですが、爆笑問題の田中さんは私たちの先輩です!

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

2月 10 22

しあわせの「コツ」(第62回) ハスキーはお好き?

by staff

第62回 ハスキーはお好き?

ハスキーボイスが人気だった青江三奈さん

今でも覚えていますが、森進一さんのデビューは世間を驚かせたものでした。私の母は「あんなしわがれ声で良く歌手になれたこと!」と、昔の東海林太郎のような端正な声を懐かしんでいました。

けれども、森進一さんの前にも水原弘、守屋浩など、「しわがれ声」とまではいかなくても、ハスキーな声の歌手はいたのです。松尾和子という歌手は、物憂そうな表情のハスキーボイスで、大層人気を博していたのを子供ながらに覚えています。また、「伊勢佐木町ブルース」を歌った青江三奈は、ジャズで鍛えたスイング感あふれるハスキーボイスで人気を博していました。

澄んだきれいな声をよしとする風潮もありながら、現実にヒットするのは上にあげたようなハスキーボイスの歌が多いのは、なんとも面白い現象です。

実は、これには深い訳があるのです。

気づいていない方もいると思いますが、日本人は伝統的にハスキーボイスが好きです。義太夫、浪曲などのいわゆる「濁声(だみごえ)」にしびれるのです。なぜでしょうか?

それは日本人の「音」に対する昔からの意識がそうさせているのです。
そもそも、昔の日本には西洋的な意味での「音楽」というものはありませんでした。「音」というものは神界とつながるための手段であり、神界とつながって、高次元のエネルギーを降ろすことで「神と一体になる」ことが、とても大事なことだったのです。そして、神と繋がるには倍音が必要だと、日本人は感覚的に知っていたようなのです。

倍音。
自然界には様々な音が流れていますが、自然界の音は西洋楽器のような澄んだ音ではなく、豊かな倍音に溢れています。最近のCDなどのデジタル音源では2万ヘルツ以上の音は、「聴き取れない」という理由でカットされていますが、森林の中では5万ヘルツ以上の倍音が充満しているそうです。

森の中は5万ヘルツ以上のバイブレーションが溢れている

聞き取れる音だけが「音」ではありません。実は聴覚で感知できない「バイブレーション」の部分こそが「音の本質」で、それが神とつながることを可能にしてくれるのです。

生命維持に関わる「脳幹」、嗅覚以外のあらゆる感覚情報を大脳皮質に送る一大中継基地である「視床」、自律神経の調節を行う「視床下部」― と言った脳の大事な部位は2万ヘルツ以上の音域で活性化します。ですから、心身が健康になり、感受性が豊かになるためには、2万ヘルツ以上の高次倍音を浴びる必要があるのです。

だからと言って、2万ヘルツ以上のバイブレーションの部分だけを切り取って聞かせても、脳は反応しないそうです。あくまでもある音から発せられる「自然の倍音」としての2万ヘルツ以上の音域でないと、脳は反応しないのです。

誰でも知っている倍音といえば、「除夜の鐘の音」がありますね。ゴ~ンと鐘を撞くと、そのあと、基音以外の様々な音が幾重にも重なりあってグワングワン~という響きが残ります。あれが倍音です。私たちはゴ~ンという音よりも、そのあとの余韻を味わっています。つまり倍音を味わっているといっていいでしょう。倍音のバイブレーションを身体全体で受け止めながら行く年を振り返るー除夜の鐘が私たちをそんな気持ちにさせるのは、倍音が豊かだからに他なりません。

倍音豊かな除夜の鐘

人の声の場合、倍音が豊かなのは、特に「非整数次倍音」の「ハスキーボイス」です。非整数次倍音は、基音の振動に対して、不規則な周波数を持つ音です(逆は「整数次倍音」で、基音に対して整数倍の周波数を持つ音のことを言います)。

歌手名で言うと、非整数次倍音の声の歌手は、桑田佳祐、宇多田ヒカル、中島美嘉、八代亜紀など(外国人ではエド・シーランやブルーノ・マーズもそうです)。

整数次倍音の声の歌手には、美空ひばり、郷ひろみ、B’zの稲葉浩志がいます。あ、ジョン・レノンも整数次倍音の声ですね。

こうしてざっと名前を挙げただけでも、大勢のファンがいる人気歌手は倍音の豊かな声の持ち主であることが分かります。

そして、もう一つ日本人が大好きな音遣いがあります。それが「こぶし」です。
カラオケなどでこぶしを回して歌っている人を見ると分かりますが、目を閉じて、うっとりと歌っています。「こぶし回し」は、実は聴いている人よりも歌っている本人が一番気持ちがいいのです。それが「忘我の状態」、神と一体化した状態だと昔の日本人は考えたのでした。

人が「変性意識」と言われる忘我の状態になるには、ピッピッピッ、トントントン、といったパルス音を聴かせるのが有効です。木魚などの単純な繰り返しが眠気を誘うように、パルス音は人の意識を気持ちよく、別天地へといざなってくれるのです。

木魚の音は、死者の魂をあの世に送ると同時に、
生者にも安らぎをもたらす

楽器でパルス音を出すことはたやすいですが、声の場合はどうしたらよいでしょうか。「あっあっあっ」と音を切って歌うのは歌いにくく、また聞きやすいものではありません。そこで「音を切らずに切る」方法として、「こぶし」が用いられたのです。

民謡や演歌で多用されるこぶしは、歌の「さわり」の部分として、聴き手の心に響きます。都はるみの「あんこ椿は恋の花」という歌で、「あんこ椿はぁ~ああああ~ん あ~ん かぁ~たぁだぁあよぉりぃ~」と、これでもかとばかりこぶしを回していますが、こうした音の揺らしが、パルス音と同じ効果を生み出します。

西洋音楽でも、「メリスマ」という技法があり、古くは「グレゴリオ聖歌」など、神と一体化するための教会音楽でよく使われていました。こぶし、あるいはメリスマによって音を引き延ばしながら揺らして歌うと、聴き手の心に深く入っていき、感動を与えるのです。
細川たかしの「津軽山唄」を聴くと分かりますが、こぶしを多用して悠然と歌っています。民謡に興味がない人や彼のファンでもない人が聴いても、胸を揺さぶられること間違いなしです。圧倒的な歌唱力もありますが、こぶしによる音の揺らしが、鳥肌が立つような感動を与えてくれるのです。

細川たかし

「津軽山唄」はこちらの youtubeでどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=zN_ip-ovOk0

国際気能法研究所所長の秋山眞人(あきやま まこと)氏は、細川たかしの「津軽山唄」について、音が引き延ばされ、多彩に揺らされることで、音に込められる霊力は半端なくなる、と述べ、この歌は山の神に出会うことを目的とした「神歌」である、とまで言っています。(『怖いほど願いが叶う音と声の呪力』秋山眞人著 河出書房新社刊)

ハスキーボイスとこぶし。
これが日本人の好きな音遣いなのです。ですからハスキーな声で「コブシ」を回して歌ったら、日本人はもうたまらないのです(笑)。これこそが手っ取り早く「神と一体になれる」手段なのですから。

明治以降、西洋式の音楽教育が導入されてからは、倍音豊かな濁声(だみごえ)は排除され、澄んだ声が良しとされました。そして、こぶし回しによる音の揺れは「音痴」とみなされ、地声で歌うことは恥かしいという意識を生みました。現在では神社で上げる祝詞でさえ、西洋式の「きれいな声」で音の揺れのない一本調子の唱え方をされています。これではどんなにありがたい祝詞でも言霊が響かず、本来持っている霊力が発揮されません。
出口王仁三郎が挙げた祝詞の貴重な音源がありますが、それを聞くと「祝詞とはなんと力強い言葉なのか」と感じ入ります。

出口王仁三郎

出口王仁三郎の「天津祝詞」の音源はこちらにアクセスしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=NkXgvjIfekk

祝詞に限らず、日本語は倍音豊かなこぶしの効いた声で発せられるとき、もっとも言霊が響くのではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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「神さまがうちにやって来る」(幻冬舎)



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2月 10 22

ゆるマナー講座(第76回) 8つの才能と自己分析

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

「自分は何者か?」皆さんは考えたことがあるでしょうか。
最近自分自身を見つめ直すという機会に恵まれました。いくつになっても自分のことはわからないもの。ゆる~く自己分析しながら、改めて「私ってこういう人なんだ」と認識しました。そんな時間を持つのもたまには良いなと思い、1つの方法をご紹介したいと思います。

8つの才能を知る

世の中には様々な説があり、エビデンスがあるとかないとかと取り上げられることもありますが、自己分析の方法として考えたら面白かったことの1つ、マルチプルインテリジェンス(多重知能)という考え方です。(ハーバード大学教育学教授だったハワード・ガードナーが提唱した理論)
人の才能を8つの分野に分けて考えます。それぞれ、言語、論理・数学、空間、自然、運動、音楽・リズム、人間関係、そして内省という分野です。一人の人間には8つそれぞれの才能がありますが、どの才能の分野が多くを占めるかは人によって違います。物の見方、考え方、行動など、違うからこそ、みんなが違う役割を担え世の中は面白くなるのです。

ちなみに、それぞれの才能の分野を多く持つ人の特徴は簡単に次のようになります。
言語:言葉を使うことが得意。話をすること、作文なども得意。
論理・数学:計算などが得意。物事を論理的に考えることも得意。
空間:想像力がある。絵をかいたり何かを造ったりするのが得意。
自然:動植物が好き。自然が好き。
運動:体を動かすこと、ダンス、スポーツ、演劇などが好き。
音楽・リズム:音楽を聞いたり作るのが好き。楽器を弾くのも好き。
人間関係:誰かと一緒に行動したり、誰かのお世話をしたりするのが好き。
内省:自分のことを振り返ったり、物思いにふけったり、自分一人の時間が好き。

生まれ持っているものもあるでしょうし、置かれた環境によっても、どの分野が突出してくるかは変わってくるようです。

子どもたちの才能

例えば、子どもたちを見ていると、生まれてから数年しかたたないのに、一人ひとり興味の対象が違っています。音楽やダンスがすごく好きな子もいれば、ブロック遊びに熱中する子もいるし、大人も覚えられないような車や電車の名前を覚える子もいます。小さなうちはどんなことでも「すごいねぇ」「上手だねぇ」「うちの子、天才!」などと褒めているのに、子どもたちが幼稚園、小学校と進んでいくと大人の考え方がだんだん変わっていくような気がします。いくらブロックで素敵な作品を造れたとしても、国語や算数のお勉強ができなくちゃダメというように。「お勉強ができない子」という烙印を押されたら、その子の毎日はどんな風になるでしょうか。
本来は、どの子にもそれぞれの得意なことがあるはずです。運動が得意、絵を描くのが得意、虫を見つけては昆虫図鑑とにらめっこするのが好き、子どもたちの得意や好きはそれぞれ違います。それが一人ひとりの飛び出た才能です。その才能を見つけて、認めてあげられたら、子どもたちはきっと嬉しくなるでしょう。「これやってていいんだ」「楽しい」「もっと上手になろう」と思うようになるかもしれません。

子どもたち自身が自己分析をすることは難しいでしょう。子どもたちに関わりのある方には、子どもたちがどの才能を多く持っているのかを見つけてあげることを、ぜひやってみていただきたいなと思います。

私にも才能が!

では、大人の私はどうだろう? きっと私にもどれか当てはまる才能があるはずです。そして見つけました。私の才能は「人間関係」です。

学生の頃、初めて就く職業を考えた時、自分では認識することなく本能の赴くままだったのでしょうが、迷わず接客業を選んだのも、まさに人と関わる仕事だったからです。考えてみると、その後も誰かをサポートしたり、誰かと共に働くような仕事ばかりを選んできているようです。今でも人と関わることは大好きです。
反対に、絶対に向いていないと思ったのはデスクワーク。特に数字を扱うような仕事はできないと思っていました。「論理・数学」の才能の分野が占める割合は極めて低かったのですね。それはいまだに変わっていませんが。

できないことは横に置いておいて、他の人と比べるのでなく自分の中での比較であっても、私にもちょっと飛び出た「才能」があるんだと思えるとなんだか嬉しくなります。そして、「だから今の私がいて、多分このままでもいいんだ」と、ほんの少しですが自信のようなものを感じます。

才能があるという自信

誰もが持っている8つの才能。

人によっては、あの才能も、この才能も、あらこんな才能まで、と才能に溢れている方もいらっしゃるでしょう。一人の人が持つ突出した才能は1つとは限らないのですから。

隠れていた才能が見つかることもあります。環境によっても得意な才能の分野は変わると前述しましたが、昨年まで興味がなかったのに何かのきっかけで達人になっている、なんてことも起こり得ます。隠れていた才能の芽が出てその分野が大きく飛び出てくるのです。

皆さんご自身、現在どの才能が際立っていそうか、ちょっと分析してみませんか。
それは、実は「良いところ探し」でもあるのです。「私ってこんな才能の持ち主なんだ!」と改めて自分自身を見つめて、そんな良いところのあることをちょっぴり誇らしく思い、ご自身を丸ごと認めましょう。

「才能がある」って、自分に自信を持てるおまじないみたいですね。


(ほんの木)
https://www.honnoki.jp/c/books/jenaplan_tetsugakucard/gd684

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

2月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第107回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第107回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“実現の可能性が非常に高いと考えられることは、一般的な予想よりもずっと早くに起こる” という法則を指摘するのはフランスの思想家ジャック・アタリ。数年前、東京で講演を聴く機会があり冷徹な威厳に感服。私たちの生きる社会環境は底の方から変化していること。時の流れは加速し “アジャイル(機敏な)” という言葉は、ビジネスだけでなく日常生活にまで影響力が増大していること。とはいいながら、情勢変化を先取りして機敏に対応するのは簡単ではなさそう。それでも、情勢変化に合わせて機動的に方針を変えることは不可欠。それには個々人の地力の底上げが唯一の解決策。まさにリベラルアーツの強靭化。これからはECビジネスより教育ビジネスが先端にくる気配。気候変動の対応でも、ビジネスや金融の世界でも肝心なのはヒト。モデルが正しくともパラメータが誤っていれば結果は悲惨。米国の衰退も経済面よりは教育面の遅れ。大学は世界一でも幼稚園から高校までが難題。“命 荒々しく自由に” と俳人・金子兜太。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

大きな桶に何度でも繰り返し柄杓で水を掬う
何度も水を汲むという態度にこそ生きる価値
多様性の重視・グローバルな視野・適材適所
一〇年前の非常識は現在では常識 技を磨く

コロナの影響もあり “生きる” ことへの執念が揺らいでいます。“何度も水を汲むという姿勢に生きる価値がある” ということをもう一度噛みしめる時かも。指先のコントロールを支えるのは、肩・背中・腰などの大きな筋肉とか。これらが安定するほど、細かな筋肉をより柔軟に動かせるとのこと。絵を描く場合でも、生まれ育った風土がベースになるもの。いままでの常識が非常識に、これまでの非常識が今は常識。“いけばな:個々の花の個性が無くなるぐらいに空間を面白く創りあげる” と芸術家・勅使河原宏。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

技術/スキルのポートフォリオ 技術の成熟度・技術の重要度・技術水準
それぞれのポジションと資源投入量を評価 業界・他社の状況と比較する
研究開発テーマそれぞれへの資源投入は事業戦略と整合性がとれているか
自社開発状況と業界・他社開発動向を分析 探索研究・開発研究・事業化

イノベーションの議論が盛んですが、技術/スキル・知識・ノウハウを包含する技術マネジメントが最優先。すべて “顧客が期待する価値” に収斂させること。そのための技術戦略・プロセス構築・資源マネジメント・文化風土の醸成。商品を販売するというより商品がもたらす効能を誓約すること。ローマ帝国繁栄の要因の一つにリーダーの “粘り強い思考” が指摘されています。仕事の進め方/考え方を “能力” として深化させる必要性。“枯山水:瑞々しさを感じさせるためにあえて水を抜く” と経営学者・今井賢一。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

英雄とは・人間とは 好奇心がすべて
ほんとうの玄人は素人を馬鹿にしない
深いところでは、すべてが法則になる
人類の成功は 個体差の幅の著しい点

サービスが複雑さを増し、提供者と顧客が共にサービス内容を深く理解する必要性が増大。サービスサイエンスの概念も誕生。顧客との協力体制を築き、顧客、特に先端顧客から学ぶ必要が出てきており、これぞサービス・イノベーション。知的好奇心が突破口になりそうですが、単なる力業では無理な話。“ひらめきやセンスも大切だが、苦しまないで努力を続けられることが何よりの才能” との指摘も。色んなものを擦り合わせ続けること。“若者はいっぱい余計なことをしなきゃいけない” と映画監督・山田洋次。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第107回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

2月 10 22

書評 「いろいろ」 NHK出版 上白石萌音(著)

by staff
 
タイトル いろいろ
単行本 226ページ
出版社 NHK出版
ISBN-10 4140818638
ISBN-13 978-4140818633
発売日 2021/9/25
購入 いろいろ(通常カバー版)

「ありのままの本音」と表紙カバーに出てくる。表紙を空けると「いつも心に太陽を、唇に歌を 懐には一冊の本を 萌音」の一枚の紙が挟まれている。そしてその後は萌音さんの読書している写真が載せられている。

「灯す」から。「おうち時間を通しての一番の収穫は、キャンドルを見つけたことかもしれない。断捨離をしていたら、なぜか靴箱の隅にちんまりとおさまっていたのを発見したのだ。どうしてあそこにあったのか。どなたにいただいたものなのかはさっぱりわからない。こんなところにキャンドル、と思って灯してみたその時以来、わたしの生活にかかせないアイテムになっている。」この生活感がとても大事なぁと思っていたら、この「灯す」の終わりの文書がこうして閉じられる。「?燭の火を消そうとするときは、毎回ちょっと切ない。甘い香りと橙の光のせいでだいぶおセンチに仕上がったんだわ。うふふ、の口でふっと一息。この部屋はこんなに暗かったのかと思う。闇が光をつくっているこことを改めて知る。あくびがでてきたけれど外はまだ昼なのだった。もういっそこのまま昼寝でもしてしまおうか。それがいい、そうしよう。それではおやすみなさい。」

そうしておいて、「わたしの“萌音さんの色”」とくる。「水色」ときて
「萌音ちゃんを思い浮かべたとき、パッと豊かな湖が浮かんできま した。その湖はとても深くて、太陽があれば水面がキラキラひかり、底を覗けばおだやかに魚たちがスイスイ泳いでいて、みんなが楽しそうです。」
水色の紙面に言葉がちりばめられている。

「歌う」から。「わたしにとって、歌は二種類ある。仕事で歌う歌と、それ以外のうた。レコーディングで一日中歌ったあと、家に帰っても数時間歌い続けることがよくある。まだ歌いたらんのか、と家族はびっくりするけれど、それとこれとは別なのだ。歌を歌い始めたのは二歳になる前だった。初めて音とリズムを正確にとったのは、“いないないばぁ”を見ていた時。テーマソングのばぁっ!のところを完璧に歌ったそうだ。」物心ついたときからの生活の一部だった歌がやがて仕事になったそうだ。「歌う」の終わりの文章がこうして閉じられる。「歌を歌う時は、いつもよりたくさん空気を吸う。いつもより口を大きく開けて、心も大きくあけ放つ。たっぷりの息に思いを乗せて声を出す。肺がぺしゃんこになるまで息を吐き切ったら、また息を吸う。この繰り返しが音楽になる。難しくても怖くても歌うことをやめられないのは、若干二歳にして知ってしまったこの楽しさが、住み着いているからだろう。」

そうしておいて、「わたしの“萌音さんの色”」とくる。「黄色」ときて
「萌音さんの笑顔はフワフワッとしてとても癒されるアカ シアの花のようです。」
黄色の紙面に言葉がちりばめられている。

「立ち返る」から「久しぶりに、“舞妓はレデー”の台本を引っ張り出して読んだ。たまにこういう時がある。過去の作品の台本を引っ張り出して読む時。それは大抵、何かにすがりたい時だ。台本には現場のすべてが刻まれていて、開いて読むだけでいろんなことが蘇ってくる。このシーンが楽しかった。合間にこんなことを話した。上手くいかなくて落ち込んだ。怒られた。暑かった。寒かった。書き記されていない、いろんなこと。」

そうしておいて、「わたしの“萌音さんの色”」とくる。「青色」ときて
「萌音さんとお話していると、柔らかく穏やかななかにも芯のあるものを感じます。青色も、明るく優しい印象の青もあれば不快色もあり、萌音の見せる表情と似たものを感じました。」
青色の紙面に言葉がちりばめられている。

「宿る」から「いつかじっくりとお母さんの役をやりたいとあこがれてきたが“カムカムエヴァリバディ”で思っていたよりもうんと早く夢が叶った。今日、初めて妊婦さんのシーンを撮った。扮装であるとはいえ、自分のお腹が大きくなるというのは、想像以上に感動的で不思議な体験だった。自然と両手がお腹に行って、気づけばずっとトントンしたりさすったりしてしまう。立ち座りの時すごく慎重になるし、走るなんて考えられない。気持ちが落ち着き、口調も柔らかくなって、今ならどんなことをいわれても大きな心でうけとめられそうだと思った。」

そうしておいて、「わたしの“萌音さんの色”」とくる。「黒」ときて
「可愛らしい見た目とは裏腹に、何色を重ねても染まることのない、安定感と真の強さと心の美しさを感じるからです。美容室という場所でも萌音さんは萌音さんのままの方です。」
黒の紙面に言葉がちりばめられている。

「褒められる」から
「書きためていたエッセイを始めて四編まとめて提出した。ふう。まだ鼓動が速い。原稿や菓子を提出するときはいつも本当にドキドキする。心の内側を覗かれるみたいな、ラブレターを渡すみたいな感覚だ。渡したことないけど、たぶんこんな気持ちなのだろう。何度も読んで、一晩寝かせてまた読みなおして、細かいニュアンスや助詞を直したり戻したりして、やっと送信ボタンを押す。最後はもう目を瞑って“せいっ”と送った。くどいようだけどラブレターもきっとこんなかんじなのだろう。」この“褒められる”の受け取り方が難しいと言われる。「謙遜しすぎると失礼に当たるし、すべてを鵜呑みにしていたら、自分を過信するようになってしまうだろう。自信は必要だけど過信は危険だ。わたしは、いただく時はありがたく頂戴して、そのあとは部屋の箪笥あたりに大事にしまっておくことにしている。そこから必要な時に必要な言葉を取り出して、心のポケットに入れておくのがいい。いつも全部持ち運んでいると、足元が見えなくなってしまうから。

そうしておいて、「わたしの“萌音さんの色”」とくる。「スモークグリーン」ときて
「萌音さんを淡色で表すことは難しいのですが、ユーカリの葉のように、シルバーがかかったグリーンをイメージします。癒しがあって、優しい色で、見る角度によって淡いグリーンに見えたり、雪のかかったグリーンにも見えたりするスモークグリーンが、ナチュラルでどんな空間にも馴染むことがのできる萌音さんのような色だと思います。」
スモークグリーンの紙面に言葉がちりばめられている。

「あとがきにかえて」の所で、「初めて本を執筆してわかったことがある。一つ目は、思っていたより数倍、自分が面倒くさい人間であるこということ。自分の心の機微を注意深く観察していたら、すごく疲れた。下手をすれば暗くてひねくれたエッセイばかりになるところだった。天邪鬼で気にしいなわたしは、たくさんの人に出会い、必要としていた言葉をもらって、なんとか前を向いてきたのだ。お仕事を始めてから十年、ひいては生まれてからの二十三年間の出会いのすべてが、ありがたくて大切でたまらない。」「書くことは、伝えるということは、見つめることから始まるのだと思った。そして。人では何もできなくて、だれかの力を借りたら何でもできるのだと思った。気づけてよかった。」と。

これからの大きな活躍が本当に楽しみですね。

(文:横須賀 健治)

 

2月 10 22

チャレンジ(第42回) 猫グッズとキット販売

by staff

猫グッズとキット販売

こんにちは。C.P.FACTORYディレクター平安山です。2月は私の誕生日です。また一つ年を取りました。子どものころは何となく40歳くらいまではイメージがあったのですが、それ以降は全く未知の世界で、自分が40歳以上生きると思っていませんでしたが、もう9年も生きてしまいました。来年は50歳かぁ~自由に生きすぎていて気持ちは30歳くらいで止まっていますが、素敵な50代を目指してこの1年を駆け巡りたいと思っています!

あんこ君大きくなりました。

 

 人と動物の豊かな共生社会を目指して

昨年の11月のコラム で書かせていただきましたが、保護猫あんこを迎え入れて5か月が経ちました。猫を飼うのは初めてですが、とても甘えん坊で可愛くて家族全員メロメロです(笑)
あんこインスタも順調です。https://www.instagram.com/anko_no_otete/

あんこは捨てられた猫ちゃんではありませんが、年間4万頭近くの犬・猫が迷子になったり、飼いきれなくなって殺処分の犠牲になっているそうです。4万頭!理由は様々だと思いますが、考えただけでも泣けてきます。

ハートの循環 /あわせにゃんこプロジェクト

私たちが提案する「しあわせにゃんこプロジェクト:http://mika-nekonobi.com/happynyankoproject2019/ 」は、障害者の仕事を創り出し、出来た商品の売り上げを保護猫活動の団体へ寄付することで、人と動物が仲良く幸せに暮らせる社会を目指す、ハートの循環を創り出す活動です。この活動が猫好き動物好きを中心にとても共感していただき、ねこのび屋さんの拠点である八王子にある八王子の Meemee Cafe( https://www.meemeecafe.com/ )さんと、C.P.FACTORYの拠点である横浜では、さらい工房( http://saraikoubou.com/ )さんのカフェでグッズ販売を始めることになりました。

和菓子にゃんず

そして、そして、ねこのび屋さんの、もちこちゃんときなこちゃんと、あんこの和菓子にゃんずを「しあわせにゃんこプロジェクト」のマスコットにして活動することになりましたー!
ねこのび屋さんに描いてもらった和菓子にゃんず可愛い (≧∇≦)

これから販売するグッズのお披露目会を2022年2月20日(日)に八王子の Meemee Cafeで開催します。(さらい工房さんのカフェでの販売はその後からになります)
当日はねこのび屋さんのオリジナルマンダラアートの【描く瞑想】体験♪やライブ絵付けも開催!
もちろん私も一日いますので、ぜひ皆様遊びに来てください。
イベント情報:https://www.facebook.com/events/…

みんなに幸せが届き、循環しますように。

あんこ頑張るよ

次回は「またもやりたいコト!」です 

(第42回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

2月 10 22

絵本から笑本へ(第68回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~藤澤 りかさん~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」

第4期は絵本作家としてこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。

早いものでこのコラムもそろそろ連載六年目。
第4期もこのテーマで二年間連載してきたので次回で最終回。
また新しいテーマで第5期の連載をしていこうと考えております。

そんな訳で、第4期23回目にご登場頂くのは…
絵本出版社ラフコネクト副社長の藤澤りかさん。

ラフコネクトとは
ぼくが仲間たちと昨年設立した新しい出版社です。
りかさんはラフコネクトの副社長として
経営に入ってもらっています。

りかさんをご紹介してくれたのは
このコラム連載第4期の2回目にご登場してくださった
富永久美子さん。

「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」を
笑顔な女性たちにつないでもらっています。

在宅介護のヘルパーとして働いているりかさん。

『介護や福祉ってどこか暗いイメージがあるけれど、
それを明るく楽しいイメージにしていきたい。』

そんな想いからモデルとして表に立つ活動もしています。

出会いから交流が続くなか

ぼくが仲間たちと出版社を設立する企画が持ち上がり、
りかさんへ経営に入らないかとお誘いしました。

それがラフコネクト。

ラフコネクトは絵本出版社ですが
ただ、絵本を出版するだけの会社じゃありません。

日本が抱える様々な社会問題を
絵本や出版のチカラで変えていけるような
会社にしていきたい。

子育てに悩む母親・父親、障害児・者、
介護従事者、外国人移住者…
社会的に孤立した人たちを笑顔にし、
さらにその笑顔になった人たちが
他の人たちを笑顔にしていく。
そうやって笑顔が繋がっていく。

だからラフコネクト。

そこで、以前から介護や福祉の分野を
明るいイメージにしていきたいと
語っていたりかさんを思い出し声をかけました。

二つ返事で引き受けてくれたことも
絵本をつくる会社として女性目線が入ったことも
嬉しいことでした。

新しい時代に立ち上がった新しい時代の出版社。

SNSやYouTube チャンネルでの展開も
今までの出版社とは違った動きをしていきます。

これからのそんなラフコネクトで
りかさんにも新しいチカラを発揮してもらいます。

気になる方は是非、
ラフコネクトのSNSやYouTubeチャンネルを
見てみてください。

(ラフコネクト副社長)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「自分を魔法使いだと思い込んでいる子でした。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「ひまわりだけのお花屋さん。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「人と人を繋いで、それぞれの人達が少しでも自分自身の人生に自信を持ってもらうこと。」

④ 『悩みはありますか?』
「悩み事だらけです。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「人々の笑顔を見たとき。」

<ラフコネクトホームページ>

https://www.laughcnt.com/

<ラフコネクトYouTubeチャンネル>

https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

2月 10 22

第105回 セカンドハウスのある暮らし

by staff

株式会社 GEN INOUE
井上 玄

セカンドハウスのある暮らし

私は“暮らし方は自分でデザインする“をコンセプトに2017年、子どもの小学校入学を機に逗子に移住し、同時に丹沢湖の上流に自分で設計した「山のセカンドハウス」を使い始めました。この頃から、働くことと遊ぶことを平日と休日で分けるON/OFFの暮らしから、在宅ワークも取り入れ、平日休日問わず、数時間働いた後に子どもと遊び、子どもが寝てから仕事を再開するような「職遊一体」の暮らしを実践しています。そんな暮らしにおいて「山のセカンドハウス」は、家族や友人と週末や長期休暇に過ごし、周囲にある山のハイキングや湖でのサップなどの趣味の拠点として活用しています。
多くの人が二つ目の拠点・セカンドハウスを持ち活用し、常識にとらわれず自分らしい暮らしを実践して欲しいと思い、お勧めのセカンドハウスについて書きたいと思います。

① 建てる場所
~地価の高い地域は避ける~
敷地の周囲に豊かな自然環境があるだけでなく、自分の趣味を満喫する「拠点」としても捉え、場所を選ぶと良いと思います。また、別荘地としてネームバリューのある地域である必要はなく、知名度の低い地域の方が人混みや渋滞に巻き込まれることなく非日常を感じることができると思います。最近は、高速道路のSAやPAにETC専用の出入口が設けられ、この出入口からアクセスしやすい場所も狙い目だと思います。このように地価の高い別荘地を避け、土地購入の金額を抑えることがセカンドハウスを手に入れられるファーストステップになると思います。また、月に数回行くことを考えれば自宅から2時間以内でアクセスできる場所を選ぶと良いでしょう。

② セカンドハウスの空間
~自宅とは違う設えと使い方~
私の自宅はリビングダイニングに家族が集まり、賑やかで楽しい時間を家族と過ごしています。この日常に対し「山のセカンドハウス」では個人の時間や空間を大切にするために区切られた7つの短冊状の空間を並べ、すべてに豊かな周辺環境を取り込みました。この7つの空間はプロポーションや仕上げ、光の取り入れ方がそれぞれ異なり、固定的な家具を置かずに使う人のその時の気分で好きな空間を選び、可動式の家具を動かして居場所を決めるような使い方としています。階段室は幅を広くすることで階段はベンチとなり子どもたちは座って本を読む居場所になっています。

③ 地域との関わり
食材は自宅近くのスーパーで買い込んで行くのではなく、少し遠回りでもセカンドハウス周辺の地のものを道の駅や個人商店で食材の調達することをお勧めします。それは季節を感じることであり、その場所を知ることでありコミュニティが生まれるきっかけになるからです。

高価な自宅を一軒建てるより目的と設えの異なる二つの拠点を持ち、旅行をするように行き来して非日常を感じるような暮らしが人生を豊かにすると思います。自分が使わないときは貸し別荘として収入を得ることもできます。山のセカンドハウスでは多くの子ども達が野外活動センターのように使う、開かれた場所としての可能性も探っています。このように昔ながらの別荘ではなく自分なりの二つ目の拠点「セカンドハウス」を考えてみてはいかがでしょうか?
【山のセカンドハウス特設ページ https://secondhouse.architect.bz/

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

2月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #17

by staff

Positive Thinking

コップに、半分の水が入っている時の例え話は ポジティブな思考方法の本を読んだり、実際にそのワークを受けて体験した方々の間では、有名な例え話です。

コップの中に半分の水があり それを貴方は どう見るのか。じぶんの想いがそのまま人生に反映してくるという波長同通の中でのリアリティの違いをこのエピソードは伝えています。半分の水を見て まだ半分あるわ!  それとも  わ!もう半分しかない!
私はもちろん「わ! もう半分しかないじゃん!」と思う方なのですが、この自分の瞬時の考え方を意識的にポジティブに あら!まだ半分も残ってる!嬉しい! へと変える事を今でも試みています。エササニ星の司令官バシャールが良く話す。物事は中立です。という論理は、自分が、駅のホームに着いたとたんに電車が走り出した、そのシーンに対して自分がどんな反応を示すのか。その反応によって未来が分かれてゆくと彼は伝えています。

自分がネガティブな意味づけを与えれば ネガティブな現実が生まれて。ポジティブな意味合いを与えればポジティブな現実を受け取るという波長同通の原理だそうで、私も結構沢山のPositive Thinking 系の本を読み長い間ワークしていたのを覚えています。おかげさまで 何か新しいプロジェクトを立ち上げる時などは どんなハプニングが起きようとも 必ず光と影の部分を認識してバランスを取れるようになりました。

最近も、時間に対して常に、自分が。ない! 時間の流れが速すぎる!という感覚があり、その感覚からくる焦燥感を一層したくていったいどうしたら良いのかしらと 考えていた時に、コップの水のたとえ話を応用しようとひらめいて 30分しかないところを まだ30分もある!と 言葉でいうようになりました。 このパラドックスは効果があります。どこかに精神的な余裕が生まれて アップアップせずに同じ30分間?を過ごすことが出来るようになりました・きっとお金も。もう5千円しかない、と思う事と まだ5千円もある。と思う事は多分、どこかが違っていて 自分の内側に豊かさの空間が 広がるような気がします。

「恋 慕ふ わよ」 この7文字は アセンションへと自分の感性を導くための言葉です。発案者は「並木良和さん」ですが きっと誰が発案した!等と言うような狭いエゴを超えて世間に広まってゆく必要を感じます。
自分が人生の選択を迫られた時、に自分の内側で、感じるフィーリングが、心地よいかどうか、惹かれるかどうか、 しっくりくるかどうか、楽しいかどうか、腑に落ちるかどうか、ワクワクするかどうか、喜びを感じる物かどうか、これらのフィーリングによって 自分が正しい道を歩いている事がわかります。反対に心地よくない、惹かれない、しっくりこない、楽しくない、腑に落ちない、ワクワクしない、喜びを感じられない、時は 自分自身と一致していない時であると。

私はもうすでに このフィーリングの人生を選んでいますが、まだな人は是非。
本当の幸せには奇跡が伴います。自分が幸せになることが他人をも 幸せにします。

(早苗ネネ♪)

 

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「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

2月 10 22

Harbor Bakery 105オーナー 内田孝治さん

by staff

横浜橋商店街南エリア宝水産の角を曲がると、『Harbor Bakery 105(ハーバー ベーカリー イチマルゴ)』と書かれたブルーのテント看板が目に入ってきます。昨年11月24日にOPENした「棒食パン」を主流とした食パンの専門店です。オーナーは商船三井客船(株)の「にっぽん丸」などに30年在籍し、25年に亘ってパンとデザート部門を務め「ヘッドペストリーシェフ」を拝命した内田孝治さん。今回は内田さんに「棒食パン」に込められた思いを伺いました。

Harbor Bakery 105オーナー 内田孝治さん
 
Harbor Bakery 105オーナー
内田孝治さん
 
お名前 内田 孝治(うちだ こうじ)
お生まれ 1971年4月4日
ご家族 ご両親とお住まい
お仕事 株式会社K・U 代表取締役
趣味 読書/文庫本(時代小説)

 

海への憧れ

幼い頃は「将来なんになるの?」と聞かれても、何になりたいのか何をやりたいのかあまり考えることはありませんでした。3人兄弟の真ん中で、これと言って目立つことなく「普通の子」だったと思います。
そんな私が中学校に入学し、「陸上部に入りたい」と思ったのですが、既に入部していた3年生の兄が、兄弟が同じ部で活動することを嫌がったので入部できなかったこと、他の部に入部したものの本当に入りたかった部ではなかった為、すぐに辞めてしまったことを思い出しました。
この時「人はやりたいことをやるのが1番」と思いました。

当時、父が水産関係の仕事に就いていたため、その影響もあって、高校は水産高校に入ろうと決めていました。
水産高校の学科には、「航海技士」や「機関技士」など船の操作を勉強する科や、「漁業」を学ぶ科、「水産加工や食品製造」を学ぶ科などがありました。私は「水産加工や食品製造」を学ぶ科に入学したので、他の科の生徒が捕獲したマグロなどの魚を缶詰に加工する勉強をしました。体験学習で遠洋航海に出かけられる生徒を羨ましく思いました。

部活は舟艇部に入りました。カッターという全長9mのボートを左右6名ずつ12名の「漕ぎ手」が漕ぎ、舵を操作する「艇長」、号令を掛け指揮する「艇指揮」の14人が乗って海に出ます。
1年生の時は漕ぎ手で、オールの長さは4m、重さは10kg以上もあり、そのオールに波や海流などの抵抗が加算されるので体感する重さは20kgを優に超えます。そこで体が鍛えられました。
カッターの大会には全国から強豪校が集まってきます。大会では500mを折り返し1kmで速さを競います。折り返しでは回り込む側の漕ぎ手が号令に合わせてオールを垂直に立てます。この時のテクニックが勝敗を分けるとも言われています。
私のいた水産高校は2グループを出場させる実力校で、私は2年生の時に「艇指揮」を、3年では副部長を務めるまでになりました。舟艇部で海の楽しさ厳しさを体験し、チームワークの大切さを学びました。

そして将来の夢が芽生えました。海に関わる仕事に就きたいと思うようになりました。
高校卒業後の進路は船員になるために国立清水海員学校(現在は短期大学)で1年間勉強をし、19歳の時に念願の商船三井客船株式会社に就職が決まりました。

豪華客船で行くクルーズがブームになった

当時、商船三井客船㈱にはにっぽん丸、ふじ丸、新さくら丸の三隻のクルーズ船があり、洋上イベントやパーティー,チャーター便など国内や海外を巡るクルーズブームの火付け役になっていました。
私は調理員として乗船していましたから、野菜の切り出しや火入れなど、調理見習いとして仕込みや下ごしらえ、雑用に追われる毎日を送っていました。航海中は食事が楽しみの1つですから作る側も力が入ります。早朝に起き、夜遅くまで先輩の下で勉強の繰り返しでした。

疲れた時は船底に近い自室の丸窓から海を見ました。仕事の合間やお客様がツアーに出掛けている間にデッキに出て見る水平線、夜明けや日没の美しさは今でも目に浮かびます。

観光地に寄港すると、殆どのお客様は下船しツアーに出掛けるので仕事は暇になります。その時間を利用して現地の珍しい食材を手に入れたり、勉強のために現地のレストランに行ったりして時間を過ごしました。

デザート&ベーカリー部門へ

ある時、ベーカリーのトップが体調を崩し緊急下船しました。そして私が数か月間ベーカリー部門を手伝うことになりました。そんなことがあってか、入社して3年目に「本格的にベーカリーをやらないか?」と声を掛けられ、ホテルや有名店でパンとお菓子の研修を受けました。

客船のパン部門に配属された当時は、日本人2人でパンを焼いていました。棒食パンといって長細い食パンです。朝食のパンはプレーンの他にフルーツソースを練り込んだものなど味にバリエーションを付け、甘いパンもご提供させていただきますが、ディナーのパンは料理の邪魔をしない甘味を抑えたシンプルな味のものを用意しました。先輩たちから受け継がれるレシピがあり、食事の時にベストな状態になるようにパンを焼きました。

船では7:00~9:00が朝食、11:30~13:30が昼食、18:00~21:00がディナータイムとなっていました。乗船したお客様の人数によってディナーが2回に分けられることもあり、2回となると17:00~21:30までがディナータイムとなります。それに合わせてパンを焼くのですが、焼き立てのパンは切り分ける事ができないので、絶妙なタイミングでお客様に提供できるように気を使いました。

私が担当になってからベーカリー部門も人員が増え、お客様の多様な要望にお応えできるようになり、基本は「にっぽん丸特製」とかクルーズ船の名前を付けた「特製」の棒食パンですが、朝食にはあんパンのような菓子パンも並べるようになりました。

正確には覚えていないのですが40歳の頃に「ヘッドペストリーシェフ」を拝命しました。人生が順風満帆と思われた時にコロナが旅行業界を襲いました。「人流」の自粛要請などでクルーズ船にお客様をお迎えできなくなりました。これを期に、船を降りて独立しようと思いました。

Harbor Bakery 105 の誕生

30年間船で仕事をしていました。その間、船員仲間から一緒に会社を立ち上げようと誘われることもありました。長い休暇を利用して国内外で研修をしたこともありました。いろいろな経験を積み、2021年11月24日に横浜橋商店街近くで自分のパン屋を開くことになりました。

店名は「マリーナベーカリー」と思いましたが、「マリナーズベーカリー」という店が既にあったので「Harbor(ハーバー/港)Bakery(ベーカリー/パン屋)」に決めました。テント看板は海のブルーを使いロゴマークは船と錨をデザインしました。数字の105は私が在船中に行った世界一周クルーズの中の最長日数です。

店の看板商品はもちろん「棒食パン」です。プレーンとチーズ、クルミバターの三種類があります。「山形食パン」は和三盆を使ったものとレーズンが入っているもの2種類。そして、カリッと焼いたラスクを売っています。味と品質に自信がある食パンの専門店です。

焼き立ての棒食パンはやわらかくてもっちりしています。なるべく焼き立てをお客様に提供したいと1日2回パンを焼いています。8:30~9:30頃、12:00~13:00頃が目安です。
棒食パンは、焼き立てをちぎって食べるのが一番美味しい食べ方です。
コンビニやスーパーに並ぶ食パンは時間が経過して硬くなるのを嫌がり、硬化をなるべく延ばすような添加物が入っているものがありますが、私の作るパンは小麦粉、塩、砂糖とイースト菌をベースに、チーズパンにはチーズ、くるみパンにはくるみといった素材しか使っていません。ですから素材の仕入れには気を使い、納得できるものを使っています。(※注)

ご飯も炊きたてが美味しいでしょう?! 冷めると硬くなるのは「デンプン質」の特徴です。焼き立てのやわらかい食感を十分に楽しんだ後に、残って硬くなったとしても、トーストするとまた違った食感を楽しむことができます。

お客様の中には「にっぽん丸のパンですね」と言って買いに来られる方がおりますが、私のオリジナリティが加味されていますので全く同じものではありません。また、お客様の思い出の味にはクルーズ船での楽しかった思い出やいろいろなシーンでの感動が加味されているので全く同じものにはならないのです。もちろん私のパンの味で楽しい思い出が蘇るのなら、それはそれで光栄だと思います。

今後は、船での経験を糧に、地元横浜の皆さんから愛される店にしていきたいと思います。

※注:2021~2022年(取材時迄)の一例:国産小麦「春よ恋」、マダガスカル産「バニラ」、塩「雪塩」、砂糖「和三盆」

あなたにとっての横浜とは

まずはこの店を繁盛店に育て、足元を固めてからサンドウィッチの専門店やカフェをやりたいと思います。自分の目が届く範囲で味を守って行きたいので通信販売のような量販は考えていません。
自分が納得できるパンを作り、焼き立てを食べて「美味しい」と思っていただけたら、私もやりがいを感じることができます。

先日、横浜港大さん橋に寄港した船から店に仲間が訪ねて来ました。仲間と話していると船を懐かしく思っている自分がいて「海」が恋しくなりました。
私にとっての横浜は「海」です。50年間の人生の中で30年を占める海での生活、多くを学び成長がありました。

そして「Harbor Bakery 105」の新しい船出、舵取りは私自身に託されました。コロナ禍で世界的に経済活動が滞った中で、原材料の値上げが大きな不安要素となっています。 その中での舵取りは決して楽なものではないと思いますが、海で鍛えた精神で夢に向かって進みたいと思います。

Harbor Bakery 105
神奈川県横浜市南区浦舟町1丁目1-7 TEL:045-315-4540
営業時間:火曜日~日曜日/10:00~18:00 月曜日定休日
ツイッター:https://twitter.com/HarborBakery105>
インスタグラム:https://www.instagram.com/bakerharbor/

(インタビューと文:高野慈子平安山美春

 

 

1月 10 22

サンタの「リバークリーン」に参加しました

by staff

 

今月号の「ヨコハマこの人」に登場していただいた柿澤寛さんが主宰されている「横浜SUP倶楽部」と「一般社団法人大岡川川の駅運営委員会」や「NPO法人濱橋会」、「I LOVE YOKOHAMA」が協力して、水辺と陸地から横浜市内を一斉清掃するイベント「サンタパレード」が12月19日(日)10時から行われました。

清掃活動をするメンバーは、すべてサンタクロースの恰好をしています。
陸地のサンタさんたちは、子どもたちにプレゼントをしながら、清掃活動をしていきます。

私は水辺のほうの「リバークリーン」に参加しました。
出発前に参加者で記念撮影・・大勢のサンタさんたちでしょう。
(私はサングラスでエプロンのおばさんです)

サンタの集合写真

トングとゴミ袋を持って、日の出桟橋からEボートに乗り込み大岡川を下りました。
川の周辺の「リバークリーン」には、以前参加したことがありますが、川の上は初めてでボートの揺れもあって、ちょっと緊張(?)しましたね。

ボートに乗ってみて、繁華街の中の川なのに水がきれいでびっくり。魚が泳いでいるのも見えました。
ただ、横浜一の繁華街の野毛のそばに到達したときは、タバコの吸い殻が何本か浮いていました。

都橋付近

横浜SUP倶楽部のメンバーが、日頃、ゴミ拾いをしてくださっているせいか、思ったより浮いている大きなゴミは少なかったですね。

私は1時間ほどで日の出桟橋に戻ってきましたが、横浜SUP倶楽部のサンタさんたちは日ノ出桟橋から横浜市の市庁舎まで大岡川を下って、そこで陸地のサンタさんたちと合流したのです。

いざ出発

その光景は壮観だったそうです。(私は合流地点には行けませんでしたが・・)

サンタ姿の横浜SUP倶楽部とI LOVE YOKOHAMAのメンバーたち(ヨコハマ経済新聞)
https://www.hamakei.com/photoflash/7107/

「サンタパレード」は、横浜市のクリスマス時期の風物詩になっているそうです。

ボランティア活動からこんな素敵なイベントが続いているなんて、「ハマッ子」パワーは凄いな・・と感じた一日でした。

※写真は橘高禎利氏撮影

 

 

 

1月 10 22

ハチゴロウの鳥撮り日記 第24回「年頭のご挨拶 ~初夢の鷹~」

by staff

第24回 年頭のご挨拶 ~初夢の鷹~

明けましておめでとうございます。 今年こそコロナが終息し、より良い年となりますようにと
お祈り申し上げます。

ところで皆様は『初夢』をご覧になられましたか?

「一富士二鷹三茄子」が縁起良いとされていますが、その由来と申しますと諸説ありますが・・・「鷹」について調べてみると、鷹は「高」や「貴」に通じ「出世」すること。獲物を「つかみ取る」ことから幸運をつかみ取ることに繋がると書かれていました。 また、徳川家康が『タカ狩り』好きであったことから吉夢の印とされたとも言われています。

サシバ(タカ目タカ科サシバ属)
撮影場所:やんばるの森/沖縄

幸運の印(シンボル)となった鳥には「鶴は千年、亀は万年」のツルや、平和の象徴となったハト、二羽が相対するとハートの形に見えることから「愛の象徴」となった白鳥などが思いつきます。

タンチョウ(ツル目ツル科ツル属)
撮影場所:鶴居伊藤サンクチュアリ/北海道

オオハクチョウ(カモ目カモ科ハクチョウ属)
撮影場所:大沼公園/北海道

国鳥を定めている国が多々ある中で、国旗に国鳥を使っている国があります。ドミニカ、エクアドル、グアテマラ、ジンバブエ、ボリビア、ウガンダ、キリパス、フィージー、パプアニューギニアなどがそうです。
グアテマラの国鳥ケツアール(カザリキヌバネドリ)は手塚治虫氏の『火の鳥』のモデルだと言われています。

ちなみに日本の国鳥は「キジ」です。トキの学名が「ニッポニア・ニッポン」なので国鳥がトキだと思っている人がいるようですが、国鳥は「キジ」です。

キジ(キジ目キジ科キジ属)のオス

キジ メス
撮影場所:福島潟/新潟県

国旗には使われていなくても、アメリカの国鳥でもある白頭鷲はアメリカを示すいろいろな場でシンボルとして使われています。
東洋と西洋の両方を見据えている『双頭の鷲』もかつてのローマ帝国から現在のヨーロッパ各国、ギリシャ正教などで象徴として使われています。

オジロワシ(タカ目タカ科オジロワシ属)
撮影場所:阿寒国際ツルセンター/北海道

オオワシ(タカ目タカ科オオワシ属)
撮影場所:阿寒国際ツルセンター

鳥と人間の関係は原始時代から始まったと言われています。一日の始まりは、鳥の囀りと共に目覚め、鳥が飛び立つことで危険を察したり、渡り鳥で季節を感じたり、空を飛ぶ鳥の姿を神の使いと崇めたり、鳥の肉や卵で飢えをしのいだり、羽根や羽毛を使って生活用品や装飾品をこしらえたり、美しい囀りの鳥をペットにしたり、囀りから音楽が生まれたりと文化や文芸にまで深く関わりがあると言われています。

最近では温暖化や里山の開発などで鳥の生態も大きく変化しているようで、都会でもカワセミやタカ科の姿を頻繁に見かけるようになりました。

私の趣味も撮り鉄から鳥撮りになり、最近では星々や流星を撮りに日本全国を旅しております。
今年は、鳥撮りも撮り貯めた写真からではなく、新しい写真を皆様にご紹介できることを願っております。

文末に昨年の12月に撮影した『赤富士とふたご座流星』をご紹介して今年最初の鳥撮り日記は終わりにしましょう。

 

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

1月 10 22

2022年1月 三ツ池だより 「ゆっくりつないでいく」

by staff
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

人は何を持って、己の立場をしっかり保っていくのか。己は己であり、他人は他人である。そしてそれぞれに自分を持っている。他人も己で生きている。さらに己と己の間を行き来している。人は一人ではなく、お互いで生きており、己と己をつないで生きている。

 「なぜ書く」 けんじ
最初は100詩まで
すぐに1000詩までと決めて
そして今830詩になる
  なぜ書くのか
  書きたかったから
  詩を自分のものにしたかったから
表現することで何かが見えるのではと
詩をわがものに出来たらいいなあとも
人生とは足跡をつけていくこと
  詩はポエム
  詩はリズム
  詩は叫び
書くことが喜びであり
書くことで今がわかる
書くことは生きること

2022年の干支は「壬寅(みずのえとら)」で、今年の進む道を書き出してみました。

み  未来に向かって己をしっかり律し、立てていく
   挑戦していく
ず  ずっとおもっていたことを表していく
   自分の想いを外に向かって表現していく
の  登る道を一歩ずつしっかりと
   下りる道はおだやかにやさしく
え  えらぶらず、遠慮せず
   思いのままにそして気も使い
と  永久の道・計量の道を
   大切にしていく
ら  楽あれば苦あり、苦あれば楽あり
   駱駝のようにあせらずにゆっくりと歩んでいく

今年こそと思うこともあるに違いない。いや、取組を続けていくことに思いをはせていく。「工夫して進んで行く」ということであろうか。

 「言葉の力」 けんじ
会話の中に
あとで挟み込む言葉が
響いてくる
  実情の報告のなかに
  実際を表す言葉が
  はさみこまれてくる
何かわからないが
私たち自身が豊な気持ちに
なってくるという感じ
  実情はどうなのか
  実際の方がいかばかり
  豊かに進んでいるというのか
人が生きて死ぬということの意味を
日本人は忘れているんじゃないかと
中村哲さんは感じていると書かれている
  言葉の力とは
  ただあるのではなく
  生きることの発露なのだ

知ることもそのために生きることも。生きがいは身近な者との会話でもある。必要な食べ物が買えて、必要なところに行ける幸せ、それは生きているから出来ることであり、やったことで物を得られ、食べ得る物との出会いもできる。食べることで自分の生が得られ明日がつくられていきます。自分一人では難しいことでも、まず始めてみよう。知ることで事が進み、やったことで明日が見えてくる。

 「詩を書くこと」 けんじ
人は何をすることが
はげみになるのだろう
  詩をかくことは
  全く自由なのだ
生まれること
死せること
  そこに生きている今を
  表現できることが嬉しい
死は再生
いつでも再生し詩に向かう
  よろこびも喜びも
  1文字1文字にこめる
詩を書けることが
こんなにも幸せな時間になるとは
  ありがとう今日に
  そしてまた明日に

人を信じられるか、と問うてみた。信は人と言、分かり合えること。風車が回っている。大空にゆっくりと。信は信じること、信じあえつながっていること。無視するのではなく、言葉を交わし合うことなのだ。千葉に午後行くことがあった。どう連絡しようかと思ってコンビニに駐車したら、仲間の車が2台先に停車していた。不思議なことだった。待ち合わせしたわけではないのに、目的地の近くのコンビニで食事をしていたのだ。「ここは現場から一番近い所なんですよ。」信じられる仲間がいることが有難い。

 「虎が来る」 けんじ
厳しい丑の年の
年末を過ごした
  この一年コロナで苦しかった
  特別な外出を控えた年だった
虎の干支を見て
新しい年が呼んでいる
  猛々しい新な年を迎えた
  どんな貴重な出来事が起こるのか
1000詩チャレンジは達成しているだろうか
詩を楽しみ書もたのしめたらいいな
  厳しいが楽しみもある虎年を迎えて
  ノートに詩を書きとめた

「壬寅は厳しい冬を越えて、芽吹き始め、新しい成長のもとになるイメージです。」しっかりと前を見つめてすすんでまいりましょう。

 「新しい年のはじめ」 けんじ
あ あけましておめでとう
た たくましくありたいとの思い
ら 螺旋階段をのぼりながら
し 幸せって何かを探りながら
い いつもの道を歩いていく
と 年の初めの祈りを
し していく
の ノートに書いていく
は はるか先のことでなく
じ 自分の今まで歩いてきた道に
め 目覚めの種を
に にじませていく
い いろいろの想いを整理し
や やさしく、なげださず、続けていく
さ ささやかな思いであっても
か かねてからの想いをしっかりと持ち
に 逃げ出さずに行動していくのだ

自分の今まで歩いてきた道に、「目覚めの種」をにじませていく。いろいろの想いを整理し、やさしく、逃げ出さず、続けていく。ささやかな思いであっても、かねてからの想いをしっかりと持ち、逃げ出さずに行動していくのだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

1月 10 22

しあわせの「コツ」(第61回) スピリチュアル大国 日本

by staff

第61回 スピリチュアル大国 日本

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

お正月の食べ物と言えば「おせち料理」。最近は家で作るより、デパートや老舗の料亭による豪華版を注文する方が多いようです。時代は変わってもおせち料理が求められるのは、具材に込められた意味を日本人がどこかで大切にしているからではないでしょうか。

黒豆…まめまめしく健康で働けるようにとの願いを込めて

昆布巻…「よろこぶ」の語呂合わせ

栗きんとん…武士が勝負運を願って勝ち栗を用いていたことと、色が金色で宝物のようなので、豊かな年になるようにとの願いを込めて

数の子…ニシン(二親)から大勢の子供が生まれるという言葉をかけて、子孫繁栄を願う

田作り…五穀豊穣の意味合いを込めて

鯛…「めでたい」の語呂合わせ

と、一の重から三の重まで、ぎっしり詰まった品目にはそれぞれ意味が込められています(全部挙げるときりがないのでこの辺にしておきますが)。けれども、おせち料理の食材に幸福を招いたり、財宝を呼び込む力が実際に備わっているわけではありません。語呂合わせで、そうした福々しいイメージを喚起しているのです。

面白いことに、言葉の意味は最初の意味より二番目の意味や解釈の方が潜在意識に落とし込まれやすい傾向があります。その理由はまだ解明されていませんが、第一義的な意味は顕在意識に留まるのに対し、同音異義の別の単語が二番目の意味として、潜在意識に刻み込まれるのです。

どういうことかというと、たとえば、鯛は「おめでたい」という語呂合わせによって、魚としての鯛という意味より「おめでたい」という意味の方が強く潜在意識に刻まれます。

鯛 → おめでたい → おめで鯛と、
駄じゃれになっている

また、悪い連想を喚起する言葉の場合、あえて正反対の言葉に置き換えてしまうという荒業もやっています。

たとえば、「するめ」は江戸時代中期頃から、するめの「する」という部分が財布やお金を盗む意味の「金を掏る」や、賭け事などで「金を擦る(使い果たす)」という語感に通じているため、「する」の部分を正反対の「あたり」に言い換えて、「あたりめ」という言葉が使われるようになりました。

このように、日本人は「禍(わざわい)を遠ざけ、幸運を呼び込む」ことを
意図的に生活習慣に落とし込んでいたのです。

縁起担ぎから生まれた「あたりめ」

こうした語呂合わせや駄じゃれは、実は単なる言葉遊びではなく、大変深い意味を持っています。

人間は、潜在意識の領域では同じ音や意味を持つものを無意識のうちに関連付ける癖があるので、日本人はその連想を良い方向にもっていこうとする傾向があるのです。何か不吉なことがあると、そこから発する連想を断ち切り、縁起の良い連想へと切り替えるために「鶴亀、鶴亀」と言ったりします。

言葉だけではありません。以前のコラムで、頚椎・胸椎・仙骨が一本の線となる正しい「お辞儀」は自分のエネルギーを相手に伝え、円滑なコミュニケーションがとりやすくなる仕草だとお伝えしましたが、お辞儀一つとっても、自分に悪いエネルギーが来ないよう、相手に自分の良いエネルギーが行くように仕組まれているのです。

手土産の「菓子折り」もそうです。
何気なく手渡している「菓子折り」ですが、実は怨念を受けない呪術的な意味が込められています。

 

甘味が貴重だった昔は、「菓子」は大変喜ばれ、相手を恨まなくさせる懐柔の意味がありました。「折り」は、本当に折った「折り符」を貼り付けました。
「お札」の元になった「折り符」は、もともと神や精霊が宿る呪術的な意味を持っており、折り方によって相手の悪いエネルギーを受けないように、防御の役割があったのです。菓子折りに使われる「水引」にも意味があります。用途によって結び方が違いますが、「結び」は「産霊(むすひ)」に通じ、霊的な力が宿ると考えられていたのです。

今でもお詫びに行くときに菓子折りを持っていくのは、こうした考えが基底にあるからなのでしょう。

このように、日本人は日々の生活の中で絶えずエネルギーのやり取りをしていました。西洋で「潜在意識」や「集団的無意識」が理論化されるはるか昔から、潜在意識を操っていたのです。

現代では様々な願望実現メソッドがありますが、面白いことにどれも日本人が昔から自然に行ってきた「潜在意識にはたらきかける」方法を提唱しています。何かを変えたいと思うなら、潜在意識を変えないといけないのです。「幸せになりたい、幸せになりたい」と大声で唱えるのではなく、余計なことを考えないで「幸せになったイメージ」を潜在意識に送り込めば、それはいつしか形になって現れる、というわけです。

ところが、幸せを願いながらも、雑念が沸いたり「叶わないのではないか」と否定的な感情が入っていては実現することはありません。ではどうしたらよいのでしょう?

現代のスピリチュアルなメソッドになくて、昔の日本人が当たり前に持ち合わせていた感性―それが「語呂合わせ」や「駄じゃれ」「当て字」などの「言葉遊び」を楽しむ感性であり、願望実現の近道なのです。

昔の日本人は、本当に伝えたいことを「駄じゃれ」など「言葉遊び」が喚起するもう一つの意味や同音異議の言葉に託して伝えていました。そうした言葉遊びに含まれるユーモアが、ネガティブな思いを吹き飛ばして心を和ませ、本当に伝えたい意味がスムーズに伝わるのです。和歌の掛詞や枕詞なども、字面の意味ではない部分で本音を伝える手段でした。

 

日本人ほどエネルギーのはたらきに熟知し、使いこなしていた民族はいないのではないでしょうか?それは、祓いと禊があることからも分かります。

祓いは、目に見えない霊的な垢や塵など知らないうちに引き寄せた霊的なマイナス要素や、不吉な場所で拾ってきた不浄エネルギーを祓うことで、主に他者にやってもらいます。

禊はもっと根源的です。内面にある卑下や劣等感など、自分を低く制限している感情、不要な想念や知識、記憶などを取り去り、心を何もない清明な状態に戻すことです。依存を徹底的に排し、自分を信頼して、魂をまっさらな状態に戻すと、もう心の中にはネガティブな情報を引き寄せる要素が無くなったので、いつも明るく楽しい心でいられるのです。

祓いと禊の大きな違いは、禊は誰かにやってもらうのではなく、自分で自分の心を掃除しなければ成し遂げられないということです。そこに他人任せや依存の余地はありません。どれほど辛くても自分の垢は自分で取るしかないのです。

そして、この点にこそ、日本人のスピリチュアルの深さ、高さがうかがえるのです。

どんなにきれいに部屋を掃除しても、いつの間にか埃が溜まっていくように、人間の心も一度禊をすればよいということはありません。埃や汚れが付かないように、絶えず浄化が必要なのです。

小さい時から日本人は、嘘をつかない、汚い言葉を使わない、姿勢を正す、お年寄りに敬意を払う、エネルギーの低い場所に出入りしない、など日々の生活を律する躾を受けてきました。特別な行などすることなく、誰でもできる簡単な生活習慣を身に付けることで、魂を汚さない方法が社会の仕組みとして存在していたのです。生活全般がスピリチュアルに縁どられていた、と言ったらよいかもしれません。

昔、英会話学校でイギリス人の先生がこんなことを言っていたのを思い出しました。

「日曜日に教会に行く我々は『パートタイム信仰』だけど、日本人は凄いね、『フルタイム信仰』だよ。それも365日(笑)」

日本とはそんな稀有な国であることを、新しい年の初めに改めて感謝したいと思います。

富士山 高度5000mのご来光

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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「神さまがうちにやって来る」(幻冬舎)



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1月 10 22

ゆるマナー講座(第75回) 笑門来福

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

先日食事に出かけた時に、若い女性達が楽しそうに笑いながら話をしていました。
しばらくこのような光景を見ていなかったので、新鮮でこちらまで楽しくなりました。最近、大声で皆と笑うのは、不謹慎だと遠慮していましたが、「笑い」は本人だけでなく周りの人も明るい気持ちにしますね。
「一年の計は元旦にあり」、我慢の続いた一昨年、昨年でしたから今年は、大いに笑おうと心に決めています。笑いの種を見つけることや自分で笑いを振りまくことをしてみようと思います。

笑いの神事

私の故郷に近い地域(山口県防府市)に無形民俗文化財に指定されている「笑い講」という神事があります。紋付羽織袴を着て「わははっ」と3回笑い合い、その年の収穫への感謝や新しい年の豊作を祈ります。1年のうさを吹き飛ばす年忘れの祭りです。まさに「笑う門には福来る」です。
笑いの神事は他の地域にもあるようで、東大阪市の神社でも行われているようです。コロナ禍では、大声が出せずにいたのですが、今回は雑念を笑い飛ばして新年の福を願っている様子がニュースに流れていました。元々お笑い神事は天照大御神を天岩戸から誘い出すために神々が大声で笑い続けた神話に由来するそうです。笑いのチカラは古来より認識されていたのでしょう。

笑いの効用

健康ブームの近年では、笑いが健康に及ぼす効果についての書物なども多くあります。がんやウイルスに対する抵抗力を高めるとも言われています。多くは何か、誰かという対象があり笑いが起こるのが一般的ですから、笑いはコミュニケーションの一つです。人は明るい方に気持ちが向くものですから、笑いがあれば人も集まり楽しい時間になるはずです。

笑顔の効用

笑いまでいかなくても、先ずは「笑顔」を意識してみましょう。笑顔は心を開いている印ですから、笑顔の人にはこちらも話しかけやすいものです。マスク生活で笑顔を意識する機会が少なくなりましたが、マスクの下でもちょっと口角を上げるだけでも目が優しくなります。今は悲しいことに人前でマスクを取るのを嫌がる人もいるようです。マスクで相手の表情がわかりにくいのに慣れてしまい、自分自身の表情にも無関心になっているのです。マスクのせいで生活や人間関係に彩りがなくならないようにしましょう。生き生きとした生活や人間関係には、笑顔が大切です。マスクの下の口元が下がっていないか時々確認してみることも必要かもしれません。

当たり前だけど大切なこと

コロナ禍で多くの楽しい機会を失ったような気がしますが、同時にこれまで当たり前だと思っていた行動や習慣の大切さに気づかされました。明るい声で挨拶を交わすことがどれだけ気持ちの良い習慣だったのか。マスクをしていると無表情で声も籠ってしまいがちです。レストランで笑い合うのも遠慮するのがマナーのようになっています。節度を保ちながら、笑ったり、おしゃべりしたりと人と温かい温度感でお付き合いがしたいですね。
今年こそ… 箸が転んでも笑える乙女のようにはしゃぎたいものです。(笑)

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

1月 10 22

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第106回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第106回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

彫刻家のイサム・ノグチは “彫刻は秩序の芸術。空間を調和させ、人間的にするもの” と主張。人生が曖昧で混とんとする時にはいかに秩序が重要か、芸術の実践を通じて秩序をハーモニーへと導く。その実践なしでは獣性しかなくなる、と喝破しました。いま休館中の横浜美術館のエントランスにも、イサム・ノグチの赤と黒の花崗岩からなる “真夜中の太陽” が展示されています。ノグチは、日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、アイデンティティの葛藤に苦悩。常に核心にあったのは日本の文化や伝統です。例えば、枯山水の庭や茶の湯・能楽など。その中で生涯追い求めたのは抽象彫刻。原理的な規律主義だけでは社会のダイナミズムが失われる怖れ。晩年、岐阜提灯との出会いから “あかり” の世界に開眼。単なる照明器具でなく、竹ひごによる立体から和紙を通じて広がる光の効果。これを光の彫刻として、太陽や月の存在をイメージさせる独創。光はしなやかで日本文化の本質。“身振りは心の余りにて” と歌舞伎役者・坂田藤十郎。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

文化は方言、その範囲は限定される 文明は標準語、広く拡散する
反復こそが現実、生存の厳粛な事実 順調でもどこかに波乱が潜む
重荷が人をつくる 自分で考える、考えることを止めずに考え抜く
知の入口である学術コミュニケーション危機 情報の九五%は公開

方言は温かいと実感。一方に偏らないバランス。私の田舎で “キカン” というのは、暴れん坊だが、正義感が強く情にもろいガキ大将を指します。文化は方言、その範囲は限定されても深い思慮に富むもの。一方で、文明は標準語で世界共通の広く拡散する力。コミュニケーションとは、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達とか。更に身振りや音声・匂いなどによる情報伝達も。情報伝達の阻害こそ知のコミュニケーション危機。準備万全が産む果実こそ宝。“重要なのは成功でなく生き残ること” と作家・村上龍。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

想定される範囲の中での設計 日本が誇った技術の限界点
自然科学もまだまだ複雑 人類が未知の前提は数多くある
みせかけの知 前提条件は整理できず重要観点の見落とし
研究開発 早くからテーマを絞り込む方がリスクは大きい

何ごとであれ対象・テーマを絞り込むことは大切。一方で、絞り込みに固執することはリスクを伴うもの。人は何かを失うことに抵抗、真っ先に思い浮かぶのは “リスク=危険”。一点から一点への最短距離は、本当にリスク回避に当てはまるのか。教育とは点から点への最長距離を教えるところのはず。最長距離をあえて選ぶことこそリスク回避の最善策かも。無理にリスク対応した手段は新たなリスクを生む怖れ。“リーダーシップを発揮するとはリスキーな生き方をすること” とハーバード大学教授・ハイフェッツ。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

テクノロジーロードマップありきではなく
アプリケーションロードマップが上位概念
開発力よりアプリに戦略上の不備が潜在化
勝つ瞬間に負けの芽 負けの中に勝ちの芽

何をやるにもアプリケーションコンセプトが最優先。テクノロジーロードマップはそれをフォローするもの。アプリ・コンセプトは、向こう10年を睨んで未来の顧客の望むモノやサービスをイメージすること。テクノ・マップは2年から3年。そこへ導くテクノロジーは何なのか、そこにどんな形で参画するか。開発よりアプリに戦略上の不備が多いという落とし穴。勝つ瞬間に負けの芽が潜在、逆に負けの中に勝ちの芽も。“人生、面白がって生きないと。自分から一歩外に出て自分を見ること” と作家のなだ いなだ。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第106回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

1月 10 22

チャレンジ(第41回) 2022年の抱負

by staff

2022年の抱負

明けましておめでとうございます。2022年の幕開けです。コロナウィルスが落ち着いているといいな~と思っていましたが、新種のオミクロン株の出現で元の生活に戻ることは無いのか・・と感じた年明けでした。
特にうちは娘が受験生なので、無事に受験が終わるまでは感染予防の為、まだまだ自粛生活をしたいと思っています。

今年も沖縄への帰省は自粛したのですが、親戚と集まるのも遠慮したので、とーっても寂しいお正月となりました(涙)娘も追い込みの時期ですし、一緒にお参りに行ってくれる年齢でもないので、買い物がてら一人近所の神社にお参りしてきました。

おみくじを毎年引いている訳ではないのですが(お参りもきちんとしていないタイプ(-_-;))ふと、
おみくじを引いて帰ろう、と、思って引いてみたら、大吉でしたー!やったー!

「する事なすこと幸いの種となって、心配事なく嬉しい運ですからわき目ふらず一心に自分の仕事大事とはげみなさい」ですってー。昨年までは「これでいいのか?」と悩むこともありましたが、年末にかけて、努力が実った感触があり、新しいお仕事の依頼もあり、いい感じだな~と思っていたところだったので、神様に後押ししてもらったような気がしました。

そして「少しでも我儘な気を起こして色や酒におぼれるな」(笑)(笑)(笑)
はい、はい!神様、お酒ですね、お酒。酒で身を亡ぼすタイプなので、気を付けまーす。

 

 計画的に

昨年のプロジェクト「楽しいを作っちゃおう! 子供も大人も夏休みの自由研究ワークショップ」と、「大人のクリスマスマーケット」は、緊急事態宣言中だったのにも関わらず、たくさんの方にご協力していただき無事に開催することが出来ました。本当にありがとうございました。今年も更に多くの人たちと協働しパワーアップして開催したいと思っています。もちろん幸せにゃんこプロジェクトも楽しく進めたいと思っています。

私は思い立ったら直に行動するタイプなので、いつもバタバタで過ごしていますが、今年は確実にプロジェクトを大きくするために、計画的に進めていこうと思っています。

多くの方とのご縁で成り立っているC.P.FACTORYの活動です。皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ディレクター平安山美春

次回は「猫グッズとキット販売」です 

(第41回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

1月 10 22

絵本から笑本へ(第67回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~細谷 咲恵さん~

by staff

令和四年最初のコラムです。

皆さまあけましておめでとうございます!
今年も絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」を
よろしくお願い致します。

さて、「絵本から笑本へ」第4期は
絵本作家としてこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。

第4期22回目にご登場頂くのは…
発声・歌唱指導講師でご自身もアーティストの細谷咲恵さん。

咲恵さんとの出会いは6年前。

咲恵さん率いるバンド「純国産ボイス」が、
ぼくの主催しているイベントへ出演してくれたのがご縁です。

絵本作家 保科琢音 主催「楽絵ん祭(がくえんさい)」
毎年、様々なアーティストや音楽家、芸人さん達に出演して頂き、
絵本作家のぼくと様々なコラボレーションをしてもらうイベント。

咲恵さん達「純国産ボイス」は、
開催初年度から毎年出演してくれています。

2年目にはイベントのテーマソングも一緒につくってくださり、
毎年、参加者の皆さんからも素敵な歌だと好評です。

咲恵さんは笑顔を咲かせるひと。

ぼくはずっとそんなイメージです。

これまで何度も咲恵さんが歌ってる姿を見てきましたが、
いつも笑顔で楽しそうに歌を歌っています。

歌っているときは勿論、話しているときもそうでないときも、
とにかくいつもニコニコ笑っています。

あれだけ笑顔を見せてくれたら、
こちらもついつい笑顔になっちゃいますよね。

だから、咲恵さんは笑顔を咲かせるひと。
ぼくはずっとそんなイメージです。

このコラムでは

毎回タイトルイラストとして、
ご登場くださった方の似顔絵を書かせてもらっています。

似顔絵を書く身からすると、
常に笑ってるひとって書きやすいんですよ。
だから今回はとっても書きやすかったです(笑)

まぁ、このコラムにご登場くださる方は皆さん笑顔が素敵なんですが。

今、咲恵さんは

発声・歌唱指導講師として発声や歌唱の指導もされています。

きっとあの素敵な笑顔で、たくさんの生徒さん達に
歌う楽しさを伝えているんだと思います。

ここまでお伝えしたら、
咲恵さんがどれだけ笑顔で歌っているのか気になりませんか?

そんな方は是非、11月にYouTubeで開催した
「楽絵ん祭2021@オンライン」のアーカイブ映像をご覧ください。
笑顔で楽しそうに素敵な歌を歌っている咲恵さんが見られます。
周りにちょっぴり変な奴もいますが(笑)

そして、そんな咲恵さんに
歌う楽しさを教えてもらいたいと感じた方は、
下記にある「歌と声の学校」ホームページをご覧ください。

これからも、
たくさんのひとの笑顔を咲かせる咲恵さんでいてね。
そして、今年の楽絵ん祭もよろしく(笑)

(発声歌唱指導者・芸能プロダクション業務執行社員・アーティスト)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「元気いっぱいでよく笑う、好奇心旺盛な子だったと思います。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「子供の頃の夢は歌手になることでした。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「笑顔でいられる人を増やすことです。
また、自分のことを受け入れ、自分の声や自分のことを好きになる人を増やすことも夢の一つです。

④ 『悩みはありますか?』
「…あります。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「仕事をするなかで新たな学びを得たり、自分がやっていることが実を結ぶ瞬間を迎えることが楽しいです。また、一緒に仕事をしている仲間と未来のビジョンについて語ることもとても楽しいなと思います。あと、毎日の生活の中でかわゆいものを見つけることも楽しいです。たくさんあります!」

<楽絵ん祭2021@オンラインアーカイブ映像>

<歌と声の学校ホームページ>

https://voice-project.com/yokohama.html

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

1月 10 22

第104回 “ゴミ” と “循環”

by staff

5’st一級建築士事務所
久保田恵子

“ゴミ” と “循環”

新しい年みなさま如何お過ごしでしょうか?
今年の干支は“壬寅(みずのえ・とら)”。干支は十干と十二支の組み合わせからなり、同じ組み合わせはなんと60年後、還暦ですね。2022年の60年前というと1962年。どんな時代だったか調べてみると、ビートルズやボブ・ディランがレコードデビュー、日本では橋幸夫&吉永小百合「いつでも夢を」のヒット、建築でいえば、ホテルオークラ(現在ホテルオークラ東京)や後楽園ホール・アテネフランセなどがその年に竣工されています。

と干支にちなんだはなしをしてまいりましたが、今回はゴミの循環のことを書きたいと思います。
2021年は東日本大震災からちょうど10年となります。この節目に人間の暮らしが生み出している
“ゴミ”について改めて考えるべく、ゴミ処理場の見学をさせて頂きました。

まずは、建築の産業廃棄物処理施設(石坂産業株式会社)、ごみをごみとしない社会『ZERO WESTE DESIGN』をビジョンに掲げている会社を訪問させて頂きました。
“混合廃棄物”(色々まざっているごみ)は、仕分けに手間がかかってしまうため、リサイクルが難しく通常埋め立てされてしまうことが多い中、積極的に受け入れを行い、持ち込まれたゴミのリサイクル率98%を達成されています。100%を目指して、設備投資を行ったり、丁寧に人の手で仕分けしているそうです。里山保存や、落ち葉堆肥、オーガニック野菜づくりなども行い、環境教育にも力をいれているので、ニュースになることも多いため、TVを通してご存じの方もいらっしゃると思います。しかし、報道で取り上げられることが多いことのうらをかえせば通常はこの取り組みは難しいということともいえるでしょう。

では、自分たちの暮らす町のごみ処理場はどうなっているのでしょうか?
訪問させて頂いてわかったことは、
高温で燃やしているので、ダイオキシンが出ないので環境に良い、と言われたりしますが、大きな問題は燃やした後の灰の処理でした。灰も埋め立てをしなくてはならず、場所の確保も難しいく、灰のリサイクルも高額になり簡単ではない。燃やせるからいいよね、という問題ではないようです。

ゴミ問題は、捨てたところで終わりではなく、みんなで考えていかなくてはならな問題だと改めて考えさせられました。機会がありましたら、ぜひ見学にいってみてください。

ごみをごみとしない社会づくり、急務です。
生産 → 消費 → 廃棄の一方通行ではなく、ごみとしない循環に。
生産者は循環できるものづくりを、生活者は(※消費者ではなく)ごみを減らす努力を行っていかなければなりませんね。
繊維ゴミを建材に変える取り組みや、生ゴミ堆肥づくり、昔ながらの量り売りを始める店舗も増えてきています。

思いやりの世の中に!

 
産業廃棄物中間処理場   里山再生

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

1月 10 22

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #16

by staff

ひとつらなりのイノチ

銀河新年 明けましておめでとうございます。

昨年の暮れあたりから 地球は 新しい軌道に乘っています。
気が付く、付かないは別として 全ての人がこの宇宙的な流れに影響を受けています。
冬至の12月22日に 東京の国技館では大きなイベントがありました。
シリウスのプリンスと呼ばれるチャネラーの並木良和さんが全国のスターシード達に呼び掛けて、その日に閉じられるという、目覚めのゲートを皆で通過するというセレブレーションを行い、その時の波動が今でもFacebookなどで参加者が体感した気付きや感動をアップしていてパワフルな余韻が木霊の様に共振しています。オンラインでも沢山の人が参加していて、皆で一つの流れを共有して、それが地球の磁場を上昇させて行く。
昔のスーパースターはロックバンドや アイドル歌手だったけど、令和時代のスーパースターはスピリチュアルなインディコチュルドレンの青年で、意識の目覚めを促す見えない世界のイベントだなんて、時代は確実に物質文明から、精神文明へと移行して、アセンションへと向かっている事を実感させてくれます。彼らが共同創作した、その希望的な意識エネルギーは国技館から日本全国へそして世界中へと広がってゆくのでしょう。 もう一つ、
同じ日に 占星術師のマドモアゼル・愛氏が 経済アナリストの藤原直哉氏と 外科医の土橋重隆氏のお二人を招いて 白髪交じりの男性3人で「妖精のお茶会」なるものを開いて今後の人類への展望を意見交換し合うというフェミニンで現実的なお話会もありました。日本の未来、米国や西洋、中国や東南アジア迄、幅広い見解を持つ3人の賢者たちの話題は先の見えにくい現在の世界情勢を踏まえて、なおかつとてもポジティブで励まされます。
これらの実況中継はマドモアゼル愛氏の方はネットで彼のサイトから無料で観覧できます。また並木良和氏の方はそのイベントに参加した方々がそれぞれの体験談をYOU TUBEにアップしているので どんなメッセージが降ろされたのかは知る事が出来ます。それ以外にも様々なライトワーカー達が個人やグループ同士でこの冬至の日には新しい地球の未来へ向けてそれぞれの立ち位置から愛の波動を人類に送っていたと思います。
集合意識がどんなにパワフルな物か これからは本当に一人一人が自分の意識を自覚して自分軸を見つけてゆく、見えない世界へと自分の内側を知る旅に出て行くのでしょう。
さて、そんな大きな通過点があった、2021年が過ぎて まさに銀河新年。
私も新たな軌道にアクセスしました。私の家は2階建ての住居で、その2階の部屋の窓から見えるのは半分以上が空。晴れの国オカヤマの名の通り いつも太陽が燦燦と部屋に入り込み 日中は暖房器具を必要としません。西から東へと真っ青な空を流れる白い雲たちのリズムに呼吸を合わせていると、突然自分が地球の回転軸のスピード感を体感して不思議な宇宙的一体感を味わいます。
この一体感は 昔 八丈島で海岸の崖の上に寝転がって空を見上げていると必ず味わえる事が出来た感覚でしたが、島を離れてから約23年間 岡山に来るまで全く忘れていました。久しぶりに思い出した地球の回転軸との一体感覚。そのリズムと一緒に声を出して ボイストレーニング出来るのは本当に至福のひと時です。

蘇る情熱。自分が母なる大地と交わした約束。

37歳で、生まれ育った都会を離れて八丈島へ渡り、一年半足らずの39歳で町長選と言う突拍子もない行動に出た私ですが、あの八丈島の崖で寝そべっては、体感していた地球との一体感。 それが、私を動かしていた原動力だったと最近やっと理解出来ました。
昨年、あの時の新聞記事等を整理していたら当時取材された「朝日ジャーナル」の記事が出てきました。その記事に載っていた詩。私が、八丈島の友達に送ったメッセージ文と言うか詩と言うか、その拙い文章が 30年以上も経った今 岡山の空のリズムに共振したとたん 私の内側で響き始めました。
生まれる前に自分自身に約束してきた事柄が、私を捉えて駆り立てるのです。
あと30年もしたら来ると言われている次元上昇・アセンションへ向けてのメッセージを私は自分独自の個性を通して人々に伝えて行く事を、自分自身に請け負っています。
これからの30年間 私はそれらを伝えて行かなければなりません。
そして、音楽と言う生業と共に もう一つ新しい仕事に就く事になるかもしれません。
今年は7月にフランスへ行きJAPAN EXPO に出演します。そして10月7日には凱旋コンサートを京都府民ホールで行います。それ以外に 新しいジャンルの仕事に自分の心を開いて面接を受けようと思っています 果たして受かるかどうかは未知数ですが。
今年は ますます ワクワクドキドキしそうです。
最後に 32年前の朝日ジャーナルの町長選の記事から 抜粋して私が若い人々に 投げかけたメッセージ文を載せておきます。
今でも私の想いは変わっていません。

     八丈島の(地球の)ガキたちへ
 
同調せよ 同調せよ 宇宙のリズムにチューンアップ。
未熟であっても 正義は 正義!  下手であっても 勇気は 勇気!
宇宙的規模で 自己の存在を 捉えて  オノレの心に 愛を育てよ
 
同調せよ 同調せよ 水の惑星 地球のリズムにチューンアップ
大地のリズムにチューンアップ
気高い気持ちを貶めるな  傷つく事を恐れるな 
迷い道でも希望を持て   暗い道でも笑いを照らせ
 
                    ガキの早苗より

(早苗ネネ♪)

 

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「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

1月 10 22

横浜は僕の遊び場。横浜SUP倶楽部代表 柿澤 寛さん

by staff

 

 
横浜SUP倶楽部代表 柿澤 寛さん
 
横浜SUP倶楽部代表
柿澤 寛さん
 
お名前 柿澤 寛
(かきざわ ひろし)
年齢 57歳
ご出身 千葉県生まれ
お住まい 横浜市中区在住
お仕事 整骨院の経営者
横浜SUP倶楽部代表
趣味 ルアーフィッシング.サッカー
HP yokohamasup-club.com/

 

2021年12月19日、毎年恒例の「サンタクルーズ」が開催され、大岡川は100名を超えるサンタさんで埋め尽くされました。このイベントは、「横浜SUP倶楽部」と「一般社団法人大岡川川の駅運営委員会」、「NPO法人濱橋会」などが協力して水辺と陸地から横浜市内を一斉清掃する活動です。今年も「I LOVE YOKOHAMA」とのコラボが実現しました。サンタさんたちの合流地点である、横浜ワールドポーターズ前では、総勢200名の大集合となりました。

サンタさん大集合 ※写真は横浜SUP倶楽部提供

今月の「ヨコハマこの人」はSUPを通して、様々な地域活動を行っている、柿澤寛さんにご登場いただきます。

 

サッカー少年だったそうですね

松戸市内の団地で生まれて、幼稚園の時に埼玉県の新座市に引っ越しました。
新座市で小学校・中学校を過ごしました。小学校のときからサッカー少年で、中学校のサッカー部ではキャプテンでした。
高校は、サッカーとラグビーの名門校である東京の本郷高校に入りました。本当にサッカー漬けの生活でした。1年のうち360日はサッカーをしていました。高校のときもキャプテンでしたね。朝の練習が終わってから授業を受けて、夜は20時過ぎまでまた練習でした。サッカーは大好きでしたよ。
在学中に東京都でベスト4になったので、ずっとサッカーを続けていきたいと思っていましたが、当時はまだJリーグはありませんでしたし、一方で自分の限界も感じていました。
それで一念発起して、10月から3か月間猛勉強して、駒沢大学法学部に入学しました。全く勉強をしてこなかったので、一発合格したときは、高校の先生たちがびっくりしていました。

大学時代が一番働いたとか

大学時代は、学費も生活費も自分で稼いでいました。何でもやりましたよ。居酒屋・テレビ局のテープ室でのアルバイトや某アパレルメーカーでは正社員と同様に営業スタッフとして百貨店での販売もしました。体力に自信があったので、バリバリ働けました。これまでの人生で一番働いた時期かもしれません。(笑)
何をやっても楽しかったですね。サッカーはサークルに入って続けていました。
最終学年になって就職を考えたときに、自分が出した結論は、サラリーマンはやめようということでした。まず事務処理に向いていないこと、そして会社というものは、自分の実力だけでは出世できないところであることを様々な経験から見聞きしていたので、一般企業に就職しないで、自分のペースで何かやっていきたいと考えるようになりました。

鍼灸師や柔道整復師の資格をお持ちですね

スポーツに関わっていきたいと思って、スポーツ選手と接するだろう鍼灸マッサージの資格をとろうと思ったのです。それで八重洲の専門学校に入学しました。この学校の学費も生活費も自分で工面しました。学校に3年間通わないといけないので、その間の職を探して、見つけたのが、日本橋のバーでした。15時ごろから店内をピカピカに掃除して、お客様を迎える準備をしました。そのバーのオーナーであるマスターが格好良くて、お客様たちも素敵な方ばかりで、そこでも人生勉強させていただきましたね。

鍼灸あん摩マッサージ師としての最初の就職先は南青山の治療院でした。
日本のハイソサエティの方々が来られるところで、院長はまだ現役で頑張っていらっしゃいます。院長は私が師匠とお呼びする方です。何もできなかった私に一から教えてくれた恩人です。
そこで真面目に働いたことが評価されたのか、みなとみらいのインターコンチネンタルホテルが開業するときに、ホテル内の横浜ロイヤルベイクラブ(会員制スポーツクラブ)にある治療室を任されることになりました。
インターコンチネンタルホテルは、今年(2021年)で30周年ですから私と横浜の縁も30年になりますね。
ホテルの目の前は海でしたから、すぐに「ルアーフィッシング」と「サーフィン」に夢中になりました。ハワイが大好きになって、年2回はハワイ通いをしていました。

釣りも得意 2014年の写真

インターコンチネンタルホテルの開業10年目に、スポーツクラブが閉じることになり、自分が院長していた治療室も閉鎖することになりました。自分で独立開業することも考えたのですが、保険を使える施設がいいな、スポーツ選手と関わりたいな・・と考えて柔道整復師の専門学校に行くことにしました。両国にある学校でしたので関内から通学が大変でしたが、3年間通って国家資格を取得しました。
卒業後、中区本牧の整骨院で勉強させてもらって、その後関内に整骨院を開業したのです。今は、関内と日ノ出町にある2軒の整骨院を経営しています。

SUPとの出会いは

ウィンドサーフィンをやっていたので、もともとウォータースポーツに関心がありました。
10年程前に、インターネットの動画サイトで「SUP(Stand Up Paddleboard)」を見たのです。「SUP」は、専用のボードに乗ってバドルで漕ぎ進むスポーツです。その当時、すでに大阪の中之島周辺では、市内の川をSUPで漕ぐことが始まっていました。
横浜でSUP体験会に参加したときに、現副代表の深田聖子さんと出会いました。彼女は、大阪で「朝SUP」などを経験していて、SUPの面白さを熱く語ってくれました。彼女との出会いが、今のような「横浜SUP倶楽部」の活動スタイルを決定づけてくれたのだと思います。SUPは体験すると、多くの方がまたやりたいとおっしゃる不思議な魅力のあるスポーツです。年齢に関係なく誰でも楽しめるスポーツとして最近は人気が出ています。

SUPを毎日やりたい・・それには仲間を集めようと、深田聖子さんと黄金町の釣り具店のオーナーの斉藤さんと3人で、2013年春に黄金町にある通称「チョンの間」を借りて「横浜SUP倶楽部」を立ち上げました。
出勤前の「朝SUP」は数人で毎日やっていましたが、最初は珍しそうに見られていました。多くの方々にSUPを体験してもらいたいと、ボードやバドル、ライフジャケットを用意してスクールを始めました。
地元の方々に自分たちの活動を理解していただくために、地域の町内会や商店街の会合、様々な異業種交流会など何でも顔を出しましたね。

大岡川での柿澤さん 2015年

「横浜SUP倶楽部」について

「横浜SUP倶楽部」は、「大人のクラブ活動」です。自分たちが楽しいだけでなく、継続することで地域がにぎわっていければ・・という想いがあります。そしてこれまで積極的に地域の方々と交流してきたからこそ、スクールやイベントをここで企画運営することができるのです。

自分たちを楽しませてくれる大岡川がきれいであってほしいと、「リバークリーン」という清掃活動を倶楽部発足時から始めています。これは毎月1回第3土曜日に、川の中と川の周辺部のごみを拾う活動ですが、最近は地域住民や環境団体の皆様の参加も増えてきています。
当初から見ると「大岡川」はだいぶきれいになってきました。川の汚染度の計測値も年々良くなっています。最近は、川に落ちて水を飲んでも大丈夫そうですよ。(笑)

リバークリーン(2020/03/21)

「SUP」を始めてからレースに出てみたいと思っても、その機会がなかったので、それだったら自分たちでやっちゃおうと、大岡川をスタート地点とする「横濱SUPマラソン」を2015年から開催しています。今年で6回目になり、今や全国的なレースになって各地の有力選手も参加してくれるようになっています。その他に、みなとみらい地区の「横浜オープンSUPレース」や八景島の「横浜海の公園SUPフェスティバル」など、年に数回、レースやイベントを開催しています。

倶楽部のメンバーは40名を超えています。スクールは、体験コースも含めてほぼ毎日午前の部と午後の部で開催しています。年間1500人以上の方が体験されていて、倶楽部は日本で有数の規模になっています。
大岡川は両岸に桜の木がたくさんあります。花見の時期のSUPクルーズは最高ですよ。

桜SUPクルーズ2017

2019年に京急電鉄と5年契約を結んで、高架下を利用させてもらえることになりました。これを実現するために何度も粘り強く交渉して大変でしたが、今やこの場所を全国から見学に来られる方が増えています。日本選手権のチャンピオンである金子ケニーさんなどトッププロ選手によるレッスンを頻繁に行っています。

プロ選手によるレッスン風景 横浜SUP倶楽部にて(2020/03/17)

各団体とのコラボも年々盛んになってきましたね。「NPO法人濱橋会」や「一般社団法人大岡川川の駅運営委員会」の主催イベントのサポートなどを行っています。これらの活動は、多くのマスメディアに取り上げていただいています。

サンタクルーズ 朝日新聞の記事(2019/12/25)

横浜には川や運河がたくさんあり、海に繋がっています。こんな横浜の魅力をSUPを通して多くの方々に知っていただきたいと思います。近年、「マイクロプラスティック」問題など、SDGsに注目が集まっています。横浜は「SDGs未来都市」を標榜しているのですから、もっと自然環境に関心を持ってもらいたいですね・・川や海からの景色をご覧いただくといろいろなことが見えてきますよ。

今後の活動について

SUP協会のインストラクター養成担当として、全国各地で講習や指導を行っています。
SUPが広がっているだけでなく、SUPを始めることで自然環境に目が行ったり、地域の方々との交流が増えたりして、地域のにぎわいに寄与できていることは嬉しいですね。インストラクターのレベルアップを図ることが、SUP普及の原点ですから、自分が培ってきたノウハウを伝えていきたいです。
SUPを継続していくためには、川や海を管理する行政機関や漁師さんたちとの調整が不可欠です。そのために自分たちで「安全のためのガイドライン」などを作らないといけない、その作成サポートを行っていかなければと考えています。
自分の年齢を考えると、倶楽部を継続していくためにも、若者たちに運営を任せていきたいですね。私は車にSUPを積んで全国を回り、各地の仲間たちと一緒にSUPの醍醐味を伝えていきたい、そんな生活を送りたいな・・と考えていますが。。。

柿澤さんにとって「横浜」とは・・

横浜に住んで30年になります。
横浜は格好のいい街ですが、一方で絶妙な地方都市です。その地方都市感が素敵です。
そして、横浜では「プレイヤーの力」が年々大きくなってきています。
「プレイヤーの力」でみんなが楽しめる「横浜」を創っていけたらいいですね。

僕にとっての「横浜」は、まさに「遊び場」です。
大人がワクワクするような「遊び場」をみんなで創っていきましょう。

僕にとっての「横浜」は、「遊び場」です。

<取材を終えて>

柿澤さんはサッカーで培ったパワフルさとリーダーシップを持っている方です。SUPのことをお話になるときの表情が本当に楽しそうで、これだったら誰でもSUPをやってみたいな。。と思ってしまうかもです。横浜でSUPが盛んになっているのは、柿澤さんの魅力によるところが大きいでしょうね。そしてスポーツとしてのSUPを楽しむと同時に、自然環境の保全活動を並行してやってこられたからこそ、地域の方々の理解と応援が得られているのでしょう。柿澤さんが「遊び場」という文字を書かれたときに、故郷で仲間たちと一緒に泥んこになって遊んだ日々が懐かしく思い出されました。「大人」ももっと純粋に遊びたいですね。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

12月 10 21

我が家に「コンポスト」が登場しました

by staff

 

今年最後の「ともの現場」です。2021年はコロナに明け暮れた一年でしたね。

リモートワークで家にいる時間が長くなり、3食自宅で食べるようになりました。
私は野菜と果物が主食で、毎日10種類以上のものを食べています、そのため大量の食物の皮などが生ごみとして出てきます。これを何とかしたい、と「コンポスト」(堆肥をつくる容器)の導入を検討していました。

日本では昔から人間の知恵で、生ごみや落ち葉などを土の中に埋めて発酵させて「堆肥」にして使っていました。

8月に知人からの紹介で、「LFCコンポスト」を始めました。これはフェルトの二重構造になっているバックと発酵土を購入して、生ごみを混ぜて堆肥をつくる仕組みです。コンポストに生ごみを入れるようになってから、我が家のごみの量は半分以下になりました。1か月でバックが満杯になり、その後の1か月間、熟成させました。2か月たって、我が家がのベランダの植木(盆栽以外)や家庭菜園に出来立ての堆肥を入れました。

LFCコンポスト
https://lfc-compost.jp/

「コンポスト」は我が家にとって一石三鳥のメリットがあります。
生ごみが少なくなるだけはなく、ビニール袋の量も減りました。
できた堆肥は我が家の家庭菜園で使うので、肥料が必要なくなります。(前から肥料は使っていませんが・・)そして少しは環境に優しいことをしているのかなという気分になります。

生ごみを入れる

堆肥になる

植木に入れる

ただ、発酵土を使う方法だと堆肥になるまで2か月かかるので、もっと早く堆肥ができないかなと考えていた時に、ヨーロッパ(ドイツ・オランダ)在住20年の「にえけひとみ」さんから、オランダ・アムステルダムの「ワームホテル」を紹介されました。

循環型都市のヒーローはミミズ!オランダの「ワームホテル」にみるサーキュラーなまちづくり
https://ideasforgood.jp/2021/01/27/wormenhotel/

「ワームホテル」とは、ミミズたちが生ごみを食べてその糞が堆肥となるといコミュニティ・コンポストのことです。アムステルダムには、このコミュニティ・コンポスト「ワームホテル」が200以上もあるそうです。

「ワームホテル」は高さ約2メートルの鐘状で、一つあたりに数kgのミミズが暮らしている。そこに近所の人が生ごみを入れて、それをミミズがおいしく食べて分解し、豊富な養分を含む堆肥を作り出し、住民たちはこの糞を分け合って肥料として活用しているそうです。「ワームホテル」が稼働しているのは、環境意識が高い住民が支えているからこそでうらやましい気持ちになりました。

日本でも、「金子みみずちゃんの家」という個人向けの「ミミズコンポスト」が開発されて、販売されています。

光和商事株代会社
http://www.kowas.co.jp/mimizu/start.html

「ミミズコンポスト」では、生ゴミをミミズに食べさせ、たまった糞や尿を堆肥や液肥として利用します。臭いが出ないのが特徴ですが、熟成する必要がないので早く堆肥ができます。

現在、我が家でも導入を検討しているのですが、家族の反対にあっておりまして、近日中の導入は難しそうです。

生ごみを減らすことは、全国の自治体の重要課題の一つなので、多くの自治体で家庭用生ゴミ処理機の購入に補助金を出しています。

家庭用生ごみ処理機 ミミズコンポスト(金子みみずちゃんの家)
全国市町村別助成金額一覧
http://www.nokei.co.jp/mmz/jyosei_pdf.pdf

神奈川県では、「金子ミミズの家」に、鎌倉市の14,500円を筆頭に相模原市や横須賀市で7,000円の補助金がでるようです。
でも悲しいかな・・横浜市には助成金制度自体がないようなのです。
SDGs都市を標榜している「横浜」がこんなことではいけないのでは!!と憤っています。
来年は皆様に「金子ミミズの家」の利用報告をしたいですね。

今年も大変お世話になりました。
来年(2022年)が皆様にとって良き年になりますように。。。

 

 

 

12月 10 21

楽しい文字の世界(第28回) 寅年あれこれ

by staff

第28回 寅年あれこれ

 「寅」とは

早いもので、師走を迎えました。年賀状の準備にも取り掛かる時期ですね。来年の干支は「寅」。
「寅」は古くさかのぼり、篆書の時代では、矢を両手で引っ張る形を表し、引っ張る・伸ばすという意味を持っていました。そしてのちに変形し、意味も今では、干支にしか使われなくなりました。

篆書の時代の中でも図1から図2に変化して行きました。

2022年は五黄の寅。「五黄」とは古代中国から伝わる民間信仰で、日本でも「九星気学」という占いで知られています。五黄の寅は九星の「五黄」と十二支の「寅」が重なる年のことです。九星は9年周期、十二支は12年周期ですから、「五黄の寅」は最小公倍数の36年に一度めぐってきます。五黄生まれの人は、「周囲を圧倒するほどのパワーの持ち主で運気が強い。」といわれています。また寅年生まれの人は、「強い意志と行動力がある」と言われています。そのため、五黄と寅が合わさった「五黄の寅」に生まれた人は最強の運勢を持っています。その強運が強すぎて、丙午ほどではありませんが、五黄の寅も女性は男性を負かしてしまい、敬遠される話も聞きます。

 動物の「虎」

戦国時代の最強の武将ともいわれた武田信玄の異名は「甲斐の虎」。虎は強さの象徴であります。
ネコ科の中で最も大型の動物で、アジアに生息。しかし密猟や森林破壊によって、現在は絶滅の危機に瀕しています。

虎にまつわる言葉やことわざをいくつか拾ってみました。

  • 虎穴に入らずんば虎子を得ず…危険を冒さなくては大きな利益や成果は得られない。
  • 前門の虎後門の狼…ひとつの災害を逃れても、またもうひとつの災害が襲ってくること。
  • 虎の威を借る狐…権勢を持つ者の力に頼って威張る小人物の例え。
  • 虎は死して皮を留め人は死して名を残す…虎は死んだ後もその皮が珍重され、 偉業をなした人は死後もその名を語り継がれる。人は栄誉を重んじ、後世に名が残るように努めなくてならないとの教訓。
  • 虎視枕々…まるで虎が獲物を鋭い目で狙う様に、 隙を突く機会をうかがっている様子。
  • 虎刈り…刈り方が下手なために頭髪が不揃いで虎の毛のようにまだらに見えること。
  • 虎の巻…中国の周時代に編まれた兵法書「六韜(りくとう)」にある「 (ことう)の巻」からきています。「六韜」は、周の皇帝・武王の質問に対する呂尚(ろしょう)の答えがまとめられており、文武・竜・虎・豹・犬という六巻から成るものです。その中の「虎韜の巻」に兵法の奥義が記されていることから、「虎の巻」と呼ばれるようになりました。

 年賀状

最近年賀状を卒業するという方も増えてきました。私も恩師から「高齢につき、今年で年賀状は最後にいたします。」と来ることが増えてきました。
「年賀状を辞めた人にも出してよいですか。」
というご質問もよく受けます。一年に一度
「元気でいます。」
とお知らせの意味も込める役割もある年賀状。こちらも出さなくなるともうこれっきりになってしまいます。こちらから出す分には構いません。返事は不要な旨を書いておくと丁寧だと思います。

今年も年賀状を多くの年賀状本に作品を掲載いただいております。
よろしければどうぞご利用ください。

宝島社 世界一カンタンにできる年賀状

はんこ屋さん21 WEB版

トランポリン様 WEB版 https://trampo.base.shop/items/54308888
カメラのキタムラ様
楽々はがきMAX様
筆ぐるめ様
技術評論社様

筆者紹介

 
書家名 粟津 紅花 KOUKA AWAZU
本 名 粟津 絵里 ERI AWAZU
略 歴 愛知県生まれ。 横浜市在住。
3歳から筆を持ち、書を学ぶ。
銀行勤務を経て紅花書道塾を主宰して26年。
現在10か所の教室で門下生を指導。
また古典書道の作品制作に加え、店舗ロゴ、商品ロゴ、ポスター等のデザイン書道を手掛ける。
書道パフォーマンス、障がいをお持ちの方への書のボランティア指導、セミナー講師などにも力を入れるなど、国内外で幅広く活動中。
読売書法会会員。
謙慎書道会会員。
横浜書人会審査員。
日本デザイン書道作家協会正会員。
カルチャーセンター講師。
著 作 法華経書写書き込み練習帳―釈尊の究極の教え
ヨコハマNOW関連記事
変わらない伝統美を基に時代に合わせて変わっていくものの美しさを表現し次世代に繋げて行きたい。 書道家 粟津紅花さん

 

 

12月 10 21

2021年12月 三ツ池だより 「スリルとチームワーク」

by staff
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今日という日を喜びの中で過ごしている。言葉を集め書いている。喜びがあって、感情がある。今があって、ゆっくりと過ごす。文字を書いている。感謝の中で、暖かい空気に触れている。今日という日の中で、文字を書いている。

 「検査に行く」 けんじ
水平器のないものがある
器差がでているものがある
  それが何を意味しているのか
  知ることもなく管理している
これは驚きであり
これを早急に改善しないといけない
  担当者と連絡をとり
  計量法の重要性を述べなくては
検査とは何か
代行検査とは何か
  よそがやっていない
  はかり検査の大事さを
検査のなかで
発言していくことだ

点検とは、決められたことが決められたようにやれているかだ。それでいいのではなく、いつも改善を心がける。より効果が表れるように、やってよかったと思ってもらえるよう。人はいつでも進歩が必要だ。

 「悩む」 けんじ
よりよくを考えて
悩むのだ
考えるのでなく
出会いなのだ
  花を考えて
  花を感じることなのだ
  見えるのでなく
  見えた感じなのだ
人は歩いている
人は少し止まっている
あるくのも止まるのも
現象なのだ

 「熱心」 けんじ
取り組んでいくこと
それは熱心に
熱心になることは
何のわだかまりもなくtryすること
  熱心を支えるものは
  スリルとチームワーク
  スリルは刺激的に
  チームワークは他の協力を得ること
ものごとはただ進めるのでなく
エキサイトな面をもち刺激的に
そしてやる気の継続になるように
続けていくのが習慣になるように
  取り組んでいくこと
  現実をとらえていくこと
  やる気になり刺激されていくこと
  結果はでてくるのだ

がんばれ、頑張れ!今日に頑張れ。誰にあいさつと言うことでなく、今日にあいさつ。東に登る陽があり、西にありがとう。今日がきょうであることを意識して感謝して行こう。

 「おはようございます」 けんじ
向こうの峰から
陽がさしてくる
  大きな雲を仲間にして
  明るく大きく太陽が笑っている
世の議論など
全く横においている
  いい顔をみせていてありがたい
  おはようございます

いつまでも、歩くわけではない。それでもいつまでも歩く。生きているから、文が書けるから、それだからいつまでも歩いていく。

 「私の人生」 けんじ
詩を1000創ると決めて
今827編に来ている
  私の人生は今75歳
  いつまで生きていくのか
そう!続けていくのだ
まず詩を1000まで
  私の人生は私のもの
  ゆっくりと年を重ねていく
ありがとうの人生を
いくつもしっかり積み重ねていく
  詩は死でなく生だ
  生は私にとっての詩だ

軽快な音楽が流れ、まぶしいほどの朝陽が指す。ありがとう、働きに行く朝が来ている。行きかう車があり、人は誰とも会話していない。光が木々を照らし、投げ捨てられたゴミを照らす。何か変だ。何かおかしい。音や朝陽が大事なものを明らかにしていく。これでいいのだろうか。朝陽が私に問いかけてくる。

 「感謝」 けんじ
読み書き働く
このことを意識している
  人には一日がやってくる
  それが当たり前になっている
そうであろうか
いつなんどき何が起こるかわからない
  それでも今日一日がはじまる
  今日一日が過ぎていく
その一日を大切に生きるとは
何をどのように感じればいいのか
  その日の出来事を楽しむ
  その日の出来事を書き留めておく
それだけでいいのか
その日に感謝だ

いったい私は誰を救えるのか。両の手を合わせる絵をみている。2人が一緒に勉強できないので、一人づつ交代で勉強する。ようやくデューラーは高いひょうばんをうけるようになる。「よし今度はハンスの番だ」と町へ帰った。二人は再開を手を取り合ってよろこんだ。ところがハンスの手をにぎりしめ唖然とする。ハンスの手は長い力仕事でごつごつになり、絵筆がもてない手に変わってしまっていた。「デューラーは私のことで傷つき苦しんでいます。神様デューラーがこれ以上苦しむことがありませんように」「お願いだ君の手を描かせてくれ。君のこの手で、僕は生かされたのだ。」こうして1508年友情と感謝の心がこもった「祈りの手」が生まれた。

 「自分の存在」 けんじ
はて何だろうと思うのは
探すこと求めること許すこと
  人に対して
  者に対して
いや“事に対して”
いや“出来ること”
  人に会える楽しさ
  ものを見る嬉しさ
自分の存在が
現代から未来につながる
  今という時が
明日は夢
夢はまぼろし

大変な年であった。コロナがまだこれからどうなるのか。マスクをする生活がこれからのいきかたになにか影響がないものか不安になる。今回の事象が私たちになにの問題をおこすのだろうか。人と会う事も出来なかった。

 

Photos

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(文・写真:横須賀 健治)

 

12月 10 21

しあわせの「コツ」(第60回) 「音楽」の源流

by staff

第60回 「音楽」の源流

 

ドーン、ドーンと、神社の境内に入った途端、太鼓の音が聞こえてくると、何だか神様から歓迎されているようで、うれしいものです。ドンドン、パチパチ、ピッピッ、といった「パルス音」は、昔から日本では浄化のはたらきがあると考えられてきました。境内に鳴り響く祈祷の太鼓は、まさにその代表といえましょう。参拝者の柏手の音も、自分と周囲を清める意味があるのです。

国際気能法研究所所長の秋山眞人さんは、葬儀の時に、普通の人には見えませんが、棺にスライムのようなネバネバしたものが張り付いているのをよく見るといいます。それは亡くなった方の「この世への執着」や「情念」といったものらしいのですが、不思議なことに僧侶がポクポクと規則的なテンポで木魚をたたき始めると、そのネバネバしたものがどこかへ吸い込まれるようにスーッと消えていくそうです。

パルスのような規則的な音には浄化の力がある、と秋山さんは言っています。

「源氏物語」にも出てきますが、平安時代には弓の弦を指ではじいたり、棒で叩いたりして、ビン、ビン、ビンとパルス音を出して、貴人の魔除けをしていました。源頼朝の嫡男が誕生した時も、重臣が「鳴弦(めいげん)の儀」を執り行ったという記録もあります。

現代でも「神行事」として残る鳴弦の儀 鶴岡八幡宮

昔の日本人は、弓の弦が発するパルス音が天界と地上界の境界を開いて神々しいエネルギーをこの世に降ろし、禍々しいエネルギーを追い払うと考えたのです。縄文時代の遺跡からも弓が出土していますが、それも武器ではなく、こうした呪術的な意味合いで用いられたと思われます。たとえば、鳥取県の青谷横木遺跡から出土した弓は、全体が漆で塗られた丁寧な作りで、その秀麗な姿はとても狩りに使われたものとは思われません。鳴弦のような儀式に使われたものなのでしょう。

青谷横木遺跡から出土した弓 全長134.7cm

時が進むと、鳴弦は箱の上に弓を置き、箱が共鳴装置となって弦の音が大きく聞こえるように工夫されていきます。ギターやバイオリンと同じ原理ですね。

ところで、なぜ太鼓や弓の弦の音が好まれたのでしょう。
その理由は、「倍音」にあります。太鼓や弦の音は、フルートの様に澄んだ音色ではなく、倍音の多い複雑な音です。自然界には純粋な音はなく、すべて複雑な倍音が無限に組み合わさっています。太古の日本人は、この自然界の音にできるだけ近い音を再現し、さらにそれをパルス化することで奏者が変性意識になり、天上界とつながれると考えたのでした。

「音のパルス化による変性意識化」―それは根拠のないことではありません。現代でも、ヘミシンクやソルフェジオ周波数の音楽を聴くことで変性意識状態になることは実証されています。

現代の私たちは「音楽」というと、聴き手を想定したパフォーマンスを考えますが、昔の日本では違いました。道具を使って音を出すのは、「神とつながるため」なのです。強いて聴き手を想定するなら「神が聴き手」なのです。三波春夫さんが「お客様は神様です」と言っていましたが、まさに器楽でも歌でも、すべては神様に捧げるものだったのです。

三波春夫さん

また、日本の音楽には原則として西洋音楽のような「合奏」や「合唱」はありません。というより、「できない」と言った方が正確でしょう。なぜなら、西洋の様に共通の音階を皆で再現する、ということがないからです。上述のように、楽器は曲を演奏するためのものではなく、神とつながるための道具だったので、倍音の多い、それも耳に聞こえないような高次倍音を含む音を、神に対して奏でることが重要だったからです。

そのような音を出すために、現代の私たちから見れば「音痴の笛」(笑)まで作り出してしまいました。能で使われる能管がそれです。能管は、中国から渡来した龍笛を「壊して」中に竹の棒を差し込み、わざと音程を狂わせています。その方が豊かな高次倍音が出るからです。

煤竹製の能管

龍笛は調律されてきちんと一オクターブが出るようになっていますが、能管は調律がずれるようになっており、しかも一本一本笛によって音が違うのです。ですからハーモニーを作ることができません。能楽を見ればお分かりの様に、能管の他には打楽器、そして謡いと、それぞれが独立しており、ミュージカルのようなハーモニーはありません。

尺八でも篠笛でも、日本の笛はみな、高次倍音が豊かに出る大変ハスキーな音色です。尺八などは、今でこそ演奏会がありますが、本来は人に聴かせるものではなく、悟りを開き、宇宙と一体化するための「法器」であって、「楽器」ではないのです。

スピリチュアルブームの今、SNSでは「宇宙と一体になる」ワークが沢山出回っていますが、古の日本人にとって宇宙との一体化が心身の健康と魂の浄化に不可欠であることは当たり前であり、日常の至る所にそのための実践が組み込まれていました。

そんな私たちのご先祖にとって、人間の「声」もまた、倍音の多い声が好まれていました。義太夫を聴くとお分かりの様に、潰れたような、絞り出すような声で語ります。西洋音楽の耳で聞けば「悪声」としか言えないのですが、その声を出すために太夫たちは喉から血を出すほどに、文字通り声帯を潰してしまうのです。浪曲もそうです。日本人は、ちょっと潰れたような「ダミ声」を心地よいと思うのです。

「ダミ声」とまでいかなくても、日本人はハスキーボイスが好きです。歌手でも森進一さんや、亡くなった青江三奈さん、最近では宇多田ヒカルさん、スガシカオさんなど、ハスキーな声の持ち主が根強い人気を集めています。明石家さんまさんが長年第一線で活躍しているのも、あのしわがれたような声が意外に好感度を支えているのかもしれませんね。最近では、南海キャンディーズの山ちゃん、こと山里亮太さんも、日本人の好きそうなハスキーボイスです。

ハスキーボイスの芸能人 左:宇多田ヒカル 右:明石家さんま

倍音を含む声が、日本人好みであることは分かりました。では、「音」のところで述べた「パルス化」は、「声」の場合どのように現れるのでしょうか?
それは民謡を聴くと分かります。「こぶし」という独特の「母音の揺らぎ」が、「パルス音」の代わりをしているのです。

声の場合、さすがに「あ、あ、あ」とプツプツ切っては歌になりません。そこで「切らずに切る」歌い方をするのです。民謡で「はぁ~あ~あ~」とか、「ええ~え~え~」と音を揺らして強弱を付けながら母音を長く伸ばす歌い方をします。音を強く発音する箇所と母音を伸ばす部分の落差が、パルス音の代わりになるのです。演歌でもこの歌い方は良く使われるので、この時の歌手の顔をよく見てください。何とも気持ちよさそうに歌っていますよ。

実は、「こぶし回し」は、聴く方よりも歌っている方が気持ちよく、恍惚としてしまうのです。昔はこの歌い方が神と一体化する方法の一つと言われていたのも頷けます。

そういえば、西洋音楽の源流と言われる「グレゴリア聖歌」も、「ああ~ああ~ああ~」のように、母音を長く伸ばして音を揺らす歌い方をします。こちらは「メリスマ」という、一つの音節に対して複数の音符で歌う西洋の歌唱法ですが、古代ギリシャでは「神とつながる」発声法と考えられていたものです。

2017年12月1日、東京でミラノ大聖堂聖歌隊と真言宗の声明がコラボしました。
ともに1000年以上の歴史ある宗教音楽。

洋の東西を問わず、古代では楽器を奏でたり、歌を歌うことが神とつながる手段であり、神聖な行為と考えられていたことは、大変興味深いことです。

「音の揺らぎ」。それは、日本では「こぶし」として、西洋では「メリスマ」として、母音を揺らしながら長く伸ばして発声することで行われてきました。
西洋音楽には、さらにハミングという方法があります。ハミングは、骨と内臓全体を振動させ、脳に高い倍音を送りこみます。私たちも考え込むとき、思わず「ん~」とハミングをして脳を活性化させていますね。ハミングは心と体の双方に良い効果があるのです。

それついては、面白いエピソードがあります。
1960年代の始め、フランスのベネディクト会の修道院で、修道士の日課の一つである「聖歌」が、忙しい修道士の日課を少しでも減らしてゆとりが生まれるように、との目的で廃止されました。ところが、日課の聖歌が廃止されると、修道士たちの体調は突然悪化し始めたのです。病気がちで聴力も落ち、とにかく疲れやすくなったのでした。最初は栄養失調かと思われ、食事が改善されましたが、一向に事態は変わりません。

『聖ベネディクトゥス戒律』に則った修道院の食事。パンは一日約300g、飲み物は一日約0.75ℓ。パンの他にはおかず2品、野菜、果物。飲み物は、ワインかピグメントゥム(はちみつ入りワイン)、はちみつ酒やビールでした。

そこで、もしかしたら「聖歌の廃止」が原因かもしれないということで、試しに「聖歌」を復活させてみました。するとどうでしょう。倍音豊かなハミングを多用する聖歌を再び日課として歌うようになって9か月も経たないうちに、修道士全員の体調が回復したのです。

音楽が単なる娯楽ではない、ということが分かる話です。音楽は、神とつながって天界のエネルギーをもらう方法であるばかりでなく、音による振動で心身の健康にも役立つのです。どこの国でも「労働歌」があるように、倍音の豊かな音や声が、天地のエネルギーを召喚して活性化し、心身も快活になっていくということを、人間は本能的に知っているのです。

最近のデジタル音源が20kHz以上の音をカットしているため、私たちは残念ながら音楽を通して心身に良い効果をもたらす倍音域に触れる機会が減っています。そんな状況ではありますが、少しでも生の演奏に触れ、大自然の音に身も心も傾けて、「音楽」の本来のはたらきを思い出していくようにしましょう。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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「神さまがうちにやって来る」(幻冬舎)



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12月 10 21

チョークアートとわたし #04 ロシアの食卓

by staff

ロシアの食卓

2010年に開催されたチョークアート展に出展したこちらの作品ですが、描いているのはロシア料理です。今回はこの絵を描くきっかけになったエビソードをお話させて頂きます。

(大きさはA2サイズです)

この年のチョークアート展のテーマは「世界の美味しい料理」でした。
さて、どこの国の料理を描こうか。
一般的によく食べられている国の料理だと、同じように考えている人は多いだろうと予想でき、どうしようかと悩んでいました。
どちらかというと、昔から他の人と同じ事をしたり同じ恰好をすることに少なからず抵抗がある人間だったので、なるべく他の人と被らない国の料理を描きたいなぁと思っていました。

ちょうどその頃、車の買い替えを予定していて、夫と一緒に近所のディーラーへ車を見に行く機会がありました。その時に担当してくださった方がロシア人の男性だったのです。
とても背が高く、見るからに外人といったルックスでしたので、日本語で話して良いか躊躇していると、とっても流暢でしかも丁寧な日本語で話しかけてきたので夫も私もびっくりしました。
対応も丁寧で、結局そちらで鮮やかな緑色の車が気に入り購入することになりました。
このような出来事がきっかけで、「そうだ! ロシア料理もいいな、そうしよう~♪」と決まった訳です(笑)

それまでロシア料理は、高田馬場にあるロシア料理店と横須賀の野比にあるロシア料理店の2店舗しか行ったことがありません。正直、知っているのはボルシチやピロシキくらいです。なので、その担当の方にいろいろと教えていただきました。

描いた食べ物は左下から時計回りに、ボルシチ、ピロシキ、ロシアンティー、ピクルス、黒パン、鳥の丸焼き、ペリメーニ。
ペリメーニは水餃子の様なものです。鳥の丸焼きもですが周りにあるジャガイモといくらもロシアではよく食べるそうです。同じくピクルスや黒パンも。
上部には伝統模様を描いています。赤いボードに描いているので、伝統模様の背景はあえて黒く塗っています。まるで鏡文字のような字は、ロシア語で「ロシアの食卓」と書かれているんですよ。これは実際にロシアの方に聞かなければ分かりませんでした~汗
そして、マトリョーシカ!
ちょうどこのクリスマスの時期に飾りたくなるような作品の紹介でした。

そうそう、当時購入した車は、今年も車検を通してまだ乗っております(*^-^*)

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

12月 10 21

ゆるマナー講座(第74回) ありがとうは安売りでいい

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

野球に興味のない方でも、大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手の今年の活躍はご存知でしょう。投げて打って走って、「ショー(翔)タイム」は、いつしか数々の栄誉ある賞を受賞する「賞タイム」になってしまいました。お目にかかったことすらありませんが、日本人というだけで、何故か私までもが誇らしい気持ちになっています。

感謝の気持ち

大谷選手が多くの人々から愛され称賛されるのは、野球の実力もさることながら、どのような場面でも笑顔で礼儀正しいことでしょう。プレー中に見せる野球を心から楽しんでいると思える満面の笑顔は、見ている側をも楽しくさせるものです。グラウンドのゴミをさり気なく拾いポケットに入れたり、折れたバットを拾い打者に手渡したり、ピッチャーに今年から課せられた「粘着物質」のチェックの際の審判とのにこやかな対応など、数々の紳士的な振る舞いは、爽やか以外の何物でもありません。そう感じるのは、国境を越え、人種を越え、同じなのだなと思います。

               

と、ここまで書くと、「なぁ~んだ、ただの大谷選手ファンか」と思われるかもしれませんが、残念ながら誰かに夢中になって追っかけるくらいの「ファン」というものになったことがないので、ただただ私は彼の素晴らしさに感嘆しているだけなのです。あのような素敵な青年に育て上げられた、ご家族への尊敬の念とともに。

さて、彼が素晴らしいなと感じたもう一つのできごとは、MVP受賞のコメントで、まず初めに口にした、支えてくれた周りの方々への感謝の言葉でした。
感謝は、いつも心の中で感じていないとすぐには出てこない言葉です。きっと彼は、いつも感謝の念を持ちながら日々を送っているのだろうなと思います。

振り返ってみると

いざ自分を振り返ってみると、どうだろう。

そういえば先日、家族でお墓参りに行った時、こんなことがありました。
我が家のお墓は地方にあるため、お墓参りは朝早くからワイワイと日帰り旅行の気分で向かいます。朝晩だいぶ冷え込むようになった頃でしたが、日中は暖かいのでそれほど着込んでいませんでした。私の恰好がやや薄着に見えたのでしょう、「それじゃあ寒くない?」「ストール持ってるから使う?」「大丈夫、私も持ってきてるから」というやりとりが家族の中で交わされていました。
すると突然、息子が「いまの言葉はダメでしょう」と言ってきたのです。「?」という顔の私に、「ストール使う? と言ってくれたことに、まず“ありがとう”って答えるべきじゃない? いきなり、大丈夫、私も持ってるからはないでしょう」と。

確かにその通りです。家族でも、家族だからこそ、まず「ありがとう」と言うべきでした。
いつも感謝は言葉にしなければ伝わらないって思っているのに、こんな何気ない時にこそ私の本質が出てくるのかも、と胸にグサッと刺さるものがありました。
普段はだらしなく、周りにハラハラさせることの多い息子ですが、このように時々本質を突くような言葉を口にすることがあります。親が子に学ぶ瞬間。「ありがとう」を再認識したのです。

さり気なく「ありがとう」、さり気なく「感謝」、簡単そうで難しい。

ありがとうの安売り

11月22日は、いい夫婦の日、でしたね。
理想の有名人夫婦で1位になったのは、タレントのヒロミさんと松本伊代さんのご夫婦。お互いが100%でなくても家族合わせて100%になればいいというヒロミさんの考え方は、気持ちのゆとりを感じられる発言でした。
ヒロミさんは、いつも「好きだよ」「かわいいね」「ありがとう」の言葉を伝えているそうです。遊びでいいから、ごっこで始めると自然と使えるようになるともおっしゃっていました。

先日、夫婦ゲンカをして「夫が何に怒っているのかがわからない」と嘆く友人が、「私はいつも彼に感謝しているのに」と言ったのです。「それは言葉に出して伝えている?」と私が聞くと、「あああ…そういえば言ってないかも」と。長年連れ添った夫婦でも、心の内は見えませんよね。言葉に出さなければ、いくら思っても気持ちは伝わりません。
そこで彼女が言ったのです。「これからは、ありがとうの安売りをしよう!」と。

実は、あるアンケートで、配偶者から最も言われたい言葉は「ありがとう」という結果も出ています。

夫婦円満の秘訣は、そんな小さな言葉の積み重ねかもしれません。
夫婦だけでなく、家族も、友だちも、周りの人誰にでも、「ありがとうは安売りでいい」のです。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

12月 10 21

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第105回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第105回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

“植物” は身近な存在ですが、迎合しないし権威にも屈しない存在。すべてが自然で運命的。世界に20万~30万種、日本にも約6000種。光合成という太陽エネルギーから有機物を創り出す能力は、地球上の生命にとってなくてはならないもの。じっとしていて動きのないイメージですが、想像を超えるしたたかな生態も明らかに。生きるには、光・水・空気・栄養・適正温度などが不可欠。その中で、砂漠や南極、光の届かない場所にもしっかり生息。石に擬態したり+、葉で花を包み込み温室にも。貝殻の如き捕虫葉に触れると瞬時に閉じる能力も発揮。ダーウィンは進化論で、植物には根の先端に脳に相当するものが存在すると指摘。あらゆる生物は認知と生殖の2つの極を持ち、植物は人間とは真逆で、脳は土の中で生殖器は地上。植物が生物として最適に生き抜くスタイル。好きなことをするのでなく、己の生き様を好きになること。これぞ誇り高き生の営みかも。 “日本だけ。外へ出ていくのがヤバイというのは” とサッカー監督・岡田武史。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

人の社会 下位の者の賢さによって支えられている
タテヨコ思考 タテとは過去はどうか 歴史・時間
ヨコとは、他の業界・分野 皆はどう生きているか
日本の文化を知らないと外国人に太刀打ちできない

情報・知識・技術は政治・経済・文化など、あらゆる領域の活用基盤として実効性が拡大する方向へ。大正デモクラシーの時代も、ないものを生み出す思想と好奇心が社会を動かしたはず。物質・経済的側面と精神・文化的側面のバランスをどう創りあげていくか。そのための新たな想像力を一人ひとりがどう鍛えていくか。世界の観方を一変させること、タテとヨコの構造を破壊・再構築すること。遠道になるけれど、結局はそれが近道。 “古い文化を体験することで新しいものが生まれる” と金属工芸家・宮田亮平。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

管理者は同じようなメッセージを繰り返し伝えるもの
ある意味では無駄 しかし冗長性もばかにはならない
それは決してまずいやり方とは限らないから諦めない
プロジェクトを進める上での欠かせないマネジメント

イノベーティブなプロジェクト責任者に求められる能力は3つに絞られそう。“経験したことがない状況で課題を的確に設定できる” “異なる文化的背景を持つ人と仕事を協働できる” “対象を特定し持続的に学ぶことができる”。過剰な悲観論は思考を鈍らせるだけ、知のクラウドを強化へ。アイデアがはっきりしない状況から参加、代替案を検討しながら優先テーマを絞り込む。構想・企画の段階でサービス価値を包含すること。今後はサービスが利益の源泉。“魔笛:明るい音楽の中に深い悲しみがある” とモーツアルト。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

水が半分入ったコップ六個と、いっぱい入った三個
量が同じなら、コップの数が少ない三個にする知恵
戦後産業史はここで一区切り 震後産業史が始まる
コピーも狙いどころ・マネどころが肝心、と魯山人

北大路魯山人は、陶芸家・書道家・料理家などとして活躍。人生は京都の薬屋の丁稚奉公からスタート。京都・金沢の素封家の食客になり、食器と美食に関する見識を鍛えました。“料理は理を料ることで、不自然な無理をしないこと” と達観。山代温泉に逗留し、九谷焼の窯元で陶芸も修業。宿屋の看板・書画で宿賃を帳消しに。彫刻家イサム・ノグチと女優・山口淑子の新婚生活をフォーカスした写真が魯山人の寓居とは驚き。“ギリシャ以前も、細かく検討すれば現代文明とあまり変わらない” と劇作家・山崎正和。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第105回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

12月 10 21

書評 「君は君の道をゆけ」 ワニブックス 齋藤 孝(著),東元 俊哉(イラスト)

by staff
 
タイトル 君は君の道をゆけ
単行本 299ページ
出版社 ワニブックス
ISBN-10 4847099141
ISBN-13 978-4847099144
発売日 2020/6/19
購入 君は君の道をゆけ

「どのようにして精神が駱駝になり、駱駝が獅子になり、獅子が小児になったかを述べた。」で始まるプロローグ。いったい何が始まるのかと思った。「駱駝を見ていますと、“重荷を背負って、大変だなぁ”と思いませんか?ですから、義務という重荷を背負って頑張る人間の象徴が、駱駝というわけです。」そして次に「義務や抑圧された現状に、ノーと言って立ち上がる。それが獅子です。」そして次に「これら駱駝、獅子の時期を抜け出した人だけが、初めて、何かに対抗するわけでもなく、自身から湧き出るものを楽しめるようになります。これこそが小児、つまり子どもの時期なのです。」「たとえば、子どもたちは、何もないような場所でも、楽しい遊びを考え出します。」「メジャーリーグの大谷翔平選手などは、たとえケガをして深刻な時期であっても、どこか楽しんでいるような印象を受けます。その姿は軽やかでまるで少年のようです。」義務や抑圧、試練を乗り越え、成長した人だけに、見える景色があります。それらを乗り越えることによってはじめて、人は自信を得て、自己肯定感が高まり、他人にも明るく接することが出来るようになるのです、と言われます。

「最大の敵は、おのれ自身である」の所で「どうせ、そんなことをやっても無駄だよ、などと、思い込んでいることはありませんか?そんな思い込みこそ、要注意です。自身の判断で“これくらいでいいだろう”と考えることは、自分自身を甘やかすことにもなり、せっかく目の前に広がっている未来を、自分自身で消去してしまうことにほかなりません。」「くれぐれも、自分で自分の力に限界をつくらず、言い訳をせず、目の前のことに取り組むようにしましょう。それこそが克己心と言うものです。」そして次のように言われます。「とはいえ、ニーチェの言葉は劇薬ですから、ちょっとずつ、無理のない範囲で取り入れるようにしましょう」と。

「安易な道を選ぶことなかれ」の所で「日本のサッカー選手がせっかく海外のクラブへ移籍するも、活躍できずに帰国することがあります。見ているのと実際にやるのとでは大違いでした、ということで帰って来るわけです。しかし、そのチャレンジは決して失敗ではありません。なぜなら、そこに行かなければ見えない景色であるからです。つまり、チャレンジしたことは、絶対に無駄にはならないのです。」そして次のように語られます。「徒然草に、高名の木登り、という話があります。ある人が高いところに登っているとき、はたから見ればとても危ないように思えますが、そばで見ている木登りの達人は注意しません。その人がある程度の高さまで降りてきたときにはじめて“気を付けて降りてきなさい”と注意するのです。」

「たとえ絶望していても、仕事をこなしてみよ」の所で「楽しくすごすよりも、仕事をする方が退屈しない、とありますが、“本当に?”と疑問に思う方がいるかもしれません。楽しいことでも、しばらくやり続けていると新鮮さがなくなり、必ず飽きてしまうものです。」次のように言われます。「好きだからやる、面白くないからやりたくないではなく、絶望している状態でも仕事をやれ、という言い方も、いかにもニーチェらしいですね。」「仕事というものは、時間の過ごし方として、もやっとした時間を過ごすには打ってつけなのです。働かなくていいというのは、一見、魅力的なようですけれども、一年中バカンスになってしまったら、どんな人でも仕事をしたい!と思うことでしょう。」ですから、好きとか嫌いなどと言わず、どうぞ、目の前にある仕事をまずはこなしてみてください、と言われます。

「不快すらも、よい刺激として生きよ」の所で「行動しなければ何も始まりませんが、行動すればするほど不愉快なことが出てくるというのも、また事実です。」「普通に仕事をしていても、世の中には不快だと思うことがたくさんあります。しかし、その不快こそが“生の刺激”となって、“力への意志”を鍛えてくれます。たとえば、営業で頑張ったことがある人は、クレームや突発的なアクシデントに対して、さほど驚きません。経験を多く積んできたことで、不快を“生の刺激”に変える力がついているからです。」「このことを踏まえ、私は“刺激には、愉快な刺激と不愉快な刺激の二つがあります”というお話をすることがあります。」不愉快な刺激を不快に思うばかりでなく、ぜひ、それを「愉快な刺激」に変えてください、と言われます。

「自分の殻を脱ぎ捨て、脱皮し続けよ」の所で「今ある状態から、常に抜け出していく、脱皮していく必要があるということです。蛇が脱皮すると、抜け殻が残りますね。たとえば、自分が一カ月くらい前に書いた文章を読み直して、“なんだか蛇の抜け殻みたい”と思えるぐらいがちょうどいいのです。」「人間というものは、時が経つにつれ、当然、顔つきや表情も変わっていくものです。しかし、それすら“老けたな”ではなく、”脱皮したんだな“と思うとよいでしょう。”ずいぶん脱皮したなあ“と思えば、感慨もひとしおです。」したがって、抜け出すということがポイントです。いえ、脱ぎ捨てる、といった方がいいかもしれません。仮に「君は、コロコロと意見が変わるね」といわれたら「いや、脱皮しているんですよ」とでも返してください、と言われる。

「すべてを捨て、新しい自分になれ」の所で「このフレーズのあとには、“孤独の者よ、君は創業者の道を行く”という言葉が続きます。つまり、何かを生み出し、創造する人は、今までのことをすべて灰にするほどの気概を持って、新たなものを生み出す覚悟が必要だということです。」「昔と違い、昨今では火を使って燃やすと危ないということで、場所などに制限がありますが、昔は小さなドラム缶のようなもので、要らなくなったものを、一日の終わりに庭で燃やしたものです。一日で発生したごみをその日に処理できるわけですから、あの習慣は、人間の精神安定上、とてもよかったような気がします。」一時期、「断捨離」という言葉が流行しましたが、何かを捨て、デトックスして次のステージに行くということを、人間は本能的に知っているのかもしれません。

「神なき時代に、君はどう生きるか」の所で「ニーチェの言葉のなかでも、群を抜いて有名なフレーズかもしれません。“ツァラトゥストラ”では、この他にも“神は死んだ、お前は知らないのか”“あの人はまだ知らないのか、神は死んだということを”など、“神は死んだ”という表現が繰り返されます。」「一般的に神々は私達人間をはるかに超越した存在として扱われてきました。その神々を敬愛し、恐れおののき、ひれ伏すということは、古来より人間が続けてきた、精神安定のシステムにほかなりません。つまり、神の存在によって、私たち人間は精神の安定を保ってきたわけです。」「常に“自分を乗り越えていかなければいけない!”というのも、疲れてしまいます。ですから、たまには神仏を拝んだり、占いを見てホッとしたりということも必要かもしれません。神仏に“感謝しています”“ありがとうございました”などと言いながら、一方で、自分をのりこえていく・・・。そのようなスタンスで、“神”と上手く付き合っていくといいでしょう。」

「やるしかないという意思が君をすくう」の所で「人間というものは、何かに没頭しているときに、虚無感に襲われることはありません。たとえば、“これを明日までに仕上げなければいけない”と動いているときには、他のことを考える暇もないはず。とにかく“やるしかない”からです。」「一見大変そうに思えるかもしれませんが、この“やるしかない”状況が連続しているとき、人は意外に調子がいいものです。たとえば準備はしっかりできていないけれど、明日にはプレゼンが控えているとなれば、“やるしかない”。このやるしかないという意思こそが、自分を救済してくれるのです。」

「ひた走りに走った者が、幸福をつかむ」の所で「なかなか象徴的で、かっこいいフレーズですね。“疲れきったおまえに、いまようやく、幸福が追いついた”わけです。いったいどのような幸福なのでしょうか。」「一生懸命に仕事している。その時は渦中にあり、本当に大変なわけですから、自分が幸福かどうかなどを考える暇はありません。ところが、どうにか仕事が終わって“ああ、疲れた!”と思った瞬間、ハッと“あの忙しかった時間はなかなか幸福な時間だったんだ”と気が付くものです。つまり。“ああ、しんどい”と言っていた時間こそが幸福であったと、あとから気がつくわけですね。」「ひた走りに走り、疲れきる。これがいいあり方ということです。幸福を求めてあたりを見回し、慎重に“どれがいいか、あれがいいか?”などとうかがっているようでは、幸福もやってきません。そもそも、幸運というものは”求めるもの“ではなく、結果的にやってくるものなのですから。」

「ニーチェも孔子も、この通り、“まずはひた走りに走って、倒れてみろ”と言うわけです。なかなか手厳しい言葉ですが、一つの真理なのかもしれません。」疲れ切るところまで走り切った者にのみ見える世界。それが、つまり、幸福なのです、と言われます。

エピローグで「今の時代にこそ、ニーチェの言葉で自らに火をつけ、炎をかき立ててみてください。あなたが持つ力を、存分に発揮してみてください。もし、一歩も踏み出せない人は、半歩でも構いません。半歩も無理な人は、じりじりとにじり寄るがごとく、とりあえず前へと、進んでいってはいかがでしょうか?」と語られています。

(文:横須賀 健治)

 

12月 10 21

チャレンジ(第40回) 13歳のハローワーク社会人アドバイザー

by staff

13歳のハローワーク社会人アドバイザー

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。12月。コロナと共に過ごした1年も終わりますね。海外に比べて日本の感染者数が少ないので安心していたところですが、また変異株が出現し、ウィルスの生命力にビックリ!そしてまた自粛期間が再来するのではないかと心配も出てきました。

しかしながら、うちには可愛い保護猫あんこが来たことで、私はもう外に出かけたくない!と思うくらい、しつこく、犬のように可愛がっていたところ、すごく甘えん坊の息子になってしまいました。
娘二人の下に男の子が生まれていたら、こんな感じで溺愛するんだろうな~と思うくらい可愛くて親バカで(笑)お姉ちゃん(娘)の膝の上でブラッシングしてもらうあんこ君オス、そろそろ生まれて6か月になります。

 

 13歳のハローワーク

第34回目のコラム で書かせていただきましたが、私は青山学院大学の社会人講座を受講してワークショップデザイナーとしても活動しています。夏の&COCOでのワークショップはまさに受講内容の実践で、体験型プログラムを作って提供させていただきました。

そのワークショップデザイナーの関係でお声がけいただき、今年度、13歳のハローワークのプログラムに社会人アドバイザーとして参加しています。
https://www.13hw.com/home/index.html

実は娘が小学生の時に村上龍さんの著書「13歳のハローワーク」を購入していたので、お話を頂いたときには「え!やりたい!」と即決しました。

 

 高校生との対面プログラム

具体的には都立高校に行って、ワークショップのお手伝いをしたり、社会人アドバイザーとして、今の仕事についたきっかけや、高校生の時にどんな風に過ごしていたかなどを話しています。私の娘たちがちょうど高校生なので身近ではありますが、自分の娘は手に負えないので(汗)その分、他人様のお子様たちはとても可愛く楽しい時間を過ごさせてもらっています。

今年度のプログラムは感染予防対策をしながらの開催で、生徒たちとお話をする時間が短かったりしましたが、やはり対面ワークショップは楽しい!オンライン授業もたのしく開催させてもらっていますが、やはり対面で受け取る熱量は違いますね。その学校の雰囲気や、クラスの仲の良さ、先生との関わりなども、対面だからこそ伝わるものがあります。

 

 伝えたいことは

私は子供の頃、塗り絵が好きで、カラフルなものが好きで、今でもキラキラ光るものが好きです。そこからアートにも興味を持って、アメリカに留学してアートとパソコン技術を学び、大学では色彩画像工学を専攻し、グラフィック関係の仕事に就きました。そこから時代の流れとともに、ウェブ解析士の資格を取ったり、ウェブのお仕事をしたりと今でも学ぶことは続けていますが、伝えたいことは、勉強しろよー!だけではなく、視野を広くもって、きっかけは「自分の好き」なことからでよくて、仕事は1つに決めなくていいんだよ、ということです。

この最初のコラムからも言い続けていますが、私はやりたいことがたくさんあって、やってみたいことは全てやってみています。もちろん失敗もあり、嫌な作業もありますが、自分の好きなコト、得意なコト、心地の良いコトを見つけてこれからもチャレンジしていきたいと思っています。

好きなコト、やりたいと思ったコト、なんでもやってみて。
1つに決めなくていいんだよ。
あなたたちには可能性があるんだよ。

ワークショップやC.P.FACTORYの活動を通じて、そんなことを伝えていきたいな、と思っています。

次回は「2022年の抱負」です 

(第40回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

12月 10 21

絵本から笑本へ(第66回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~古田 朝映さん~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期

絵本作家としてこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。
第4期21回目にご登場頂くのは…
アコーディオン奏者でシンガーソングライターの古田朝映さん。

朝映さんに出会うまで

ぼく自身はアコーディオンという楽器に縁がなく、
知識もなく、よく知らない楽器のひとつでした。
…て、別によく解ってる楽器なんてひとつもないんですが。

それでも、朝映さんがアコーディオンを奏でながら
楽しそうに歌う姿を見て、とても興味がわきました。
…て、別に自分で弾けるようになろうとは思ってないんですが。

朝映さんとはなんだかんだ長い付き合いです。

ぼくが開催していた落語会を見てくれたのが出会ったきっかけ…
だったかな。たしか。

まぁとにもかくにも、そこからご縁は繋がり
様々なイベントでご一緒させてもらっています。

このコラムに過去ご登場頂いた方の中でも
一緒にイベントをやった回数は一番多いんじゃないかな。

ぼくが開催しているイベントに出演してもらったり。
朝映さんのイベントに出演さてもらったり。
本当に色々とやってきましたね。

なかでも思い出にのこっているのは

キノコのイベント。

え?そうですよ。
キノコのイベントです。

詳しい内容は割愛しますが(笑)
その名の通り、キノコのイベントです。

キノコがテーマのイベントに呼んでもらい、
そのイベントに向けてキノコがテーマの紙芝居を作りました。

その紙芝居は結構好評で。
その後も様々なイベントで披露しています。
そう。キノコが関係ないイベントでも
人気の紙芝居になりました。

更に数年後、今度はその紙芝居に朝映さんが歌をつけてくれて
一緒にコラボレーションして披露したり、
いまだに進化している紙芝居です。

他にも、ぼくが主催している落語会に
イロモノさんとして出演してもらったときには、
落語のネタに合わせた歌をつくってくれたり、
お互いがムチャブリをし合っています。

誰もが笑顔になれる歌。

キノコで踊る歌。
頭にタコをのせる歌。
地球を回しちゃう歌。

いつも本当に楽しい歌を
たくさんの歌ってくれる朝映さん。

あなたにも是非、
朝映ワールドを
体感してもらいたいです。

来年2022年1月に開催する

落語会『新春しばた。寄席』には
また、イロモノさんとして出演予定。

1月10日(月・祝)
会場は岩間市民プラザ
時間は19:00から21:00
チケットも絶賛発売中ですので
是非、ご来場ください!!

お問い合わせは
絵本作家 保科琢音のホームページから。

古田朝映さん
(アコーディオン奏者・シンガーソングライター)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「好きなこと、やりたいことだけしていました。遊ぶときは、おもちゃ箱のふたとピアノのふたを両方あけて、遊びながらピアノを弾いていました。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「世界に羽ばたくピアニストになるのが夢でした。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「クラウンになりたい。最近ちょっとサボってるけど、稽古会に出て少しだけ勉強してます。」

④ 『悩みはありますか?』
「強いて言えば筋肉をつけたいんだけど、なかなかつかないのが悩みかなぁ。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「自分が何かすることでみんなが笑顔になること。それを見るのがたのしいです。これは子どものころから変わっていないかも。」

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

12月 10 21

第103回 「普通」のこと

by staff

山田スタジオ一級建築士事務所
山田慎一郎

「普通」のこと

知人からの紹介で住宅に限らず建築の企画提案をする機会もあるのですが、住宅の大半はハウスメーカーの建てる既製住宅や建売住宅に自分が求めているものがそもそも無かった、一旦はメーカーに相談したのちご要望対応が難しいと言われてしまったが「やっぱりこだわりたい」ということで相談があります。
まずはご要望など簡単にヒアリング(とはいえ真剣に設計します!)してコンセプトや図面、模型やパースなどを製作、提案をします。提案を気に入っていただけたら、本格的な設計に入る、といった流れです。(もちろん設計監理契約もさせていただきます)

今夏、お子さん家族と同居することになるので長く暮らしたのご自宅を増改築するか、取り壊して新築するか悩まれている方から2世帯住宅の相談を受け、提案設計をしました。複数のハウスメーカーから既に提案を受けているとのことだったので他の可能性も模索したい、「こだわりたい」こともあるのだろうと。こんな風に暮らせたらと想像する設計作業はクライアントにとってもワクワクドキドキのはずです。

増改築案スケッチ。既存架構、庭をどう残すかがテーマ。

依頼主へのヒアリング後、 ご自身もまだ気づいていないリクエストを大胆且つ慎重に読み取りながら、その土地の環境も踏まえた増改築案と新築案の2つを提案しました。同時に他の建築家ユニットも同じ2つの提案をしています。結果として建築家の提案はいずれも採用されず、ハウスメーカーの新築提案に決めたそうです。理由は「普通の家」が良かったそうで、その言葉の真意はわかりませんが、メーカーの提案に比べ建築家の提案が普通で無かった事になります。かえって依頼主を混乱させてしまったのではと色々考えさせられたり、反省したりで。

中庭を介して2世帯が暮らす新築提案。

リクエストを正確に掴めなかったこともあるかもしれません。ただ、奇をてらった家を考えたわけでもなく、真面目にその家族の現在と未来を想像し、彼らにとって「普通」こうあるべきだと考えた結果。余計なお節介といえばそれまでですが、そういった「普通」の設計を信じています。

建築家が考える「普通」がすんなり受け入れられるケースもあります。
今はその家を賃貸物件にして別の場所にお住まいですが、ビジネス街の狭小敷地でのプロジェクトで、メンテナンスのため数年ぶりにクライアントご夫妻にお会いしました。彼らの暮らしに合うように立体ワンルームとして組み立てています。都心の別荘・SOHOとしてのニーズもあるようです。

「やっぱり他には無いシンプルな空間」「敷地サイズに比べて広く感じるね」

10数年に建てられ3軒長屋の1軒分の細長い敷地に高さ8メートルの吹抜けと主室、畳ステージ、主寝室を立体的に重ねた構成で、道路側の櫻を愛でるよう大きな窓(というより透明な壁と言った方が良いかも)を備えています。彼らにとって重要なのは、その土地を選ぶきっかけとなった最大の魅力(都心の櫻並木)を活かした結果の「普通」の住まいなのです。独自という意味のユニークという英語がありますが、その家に対しての愛情が今も感じられるのは、そこでの想い出と「変わっている」という意味ではない、個別解としてのユニークさが普通に(自然に)受け入れられたからなのでしょう。

畳ステージ。ブラインドあけると櫻が愉しめる。 天窓、室内窓もある主寝室脇のバスルーム。

ライフスタイルが人や家族によって異なるように、その住まいも他者と異なって当然。先にお話したご家族の「普通」が平均的という意味では無く、その家族にマッチしたユニークな「普通」であることを願っています。

さて過去4回寄稿した「街のはなし」。今も地下新駅の様子は地上からはわかりませんが、公共芸術施設を併設する高層マンションも建設中、来年度中にはいよいよ新駅の開業も予定されているとのこと。綱島街道を跨いで旧駅と新駅を繋ぐ立体横断施設の構想が記載された完成予想図もあるのでどうなったか気になります。新駅隣接地古民家の保全や活用も謳われているので、言葉だけでなくとにかく街の記憶が損なわれないような新しい歴史がスタートしますように願っています。

高層マンションと新駅建設現場。遠くに武蔵小杉。 駅近くの鶴見川。線路の向こうには富士山。

 

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

 

12月 10 21

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #15

by staff

自分軸を見つける(その2)

自分を知る方法は人ぞれぞれのやり方があります。私の場合は日本人的な八正道や滝修行は自分の性に合いませんでした。謙遜や謙虚が過ぎて自己卑下に思えたり縦社会の縛りを感じて窮屈に感じたりして、もう少し楽なほうが好きなのですが、洋書やキリスト教系の本には罪悪感と言うのか罪の意識がなんとなく感じられて 又、天使と悪魔が出てきて善悪がくっきりで、自分に合った良い本と言うのはなかなか見つかりませんでした。が バシャールと言う宇宙人系の本に巡り合って初めて心から納得できた思い出があります。ぜひご自分にぴったりの教則本を探してみて下さい。並木良和さんの 「ほら起きて目覚まし時計が鳴ってるよ!」 とそれに続く彼の本もおススメです。インディコ系やクリスタル系の若い人には一番しっくりくるかもしれません。

自分自身が楽しくなる、解放される、気持ちが軽くなる、明るく元気になる、本当にそんな単純な理由を大切にして自分自身でワークしてみることがお勧めです。失敗だったのは お金に関する引き寄せの法則。シークレットと言う引き寄せの本を読んだ時に、興奮してワクワクしました。一時はこれだ! と思っていた時期もありますが、なんとなく人の欲望を煽る本だと理解出来た時期が来て、それ以降は自分の欲望を煽る要素のある教則本(何かご利益があるような)は興味が薄れました。

陰と陽に代表される2極化を学ぶためにこの地球は今まで存在していました。そして、これから人類は宇宙に出て行きます。無重力の世界では 上も下も 右も左も 一定に定まっているものは一つもありません。3次元世界で、引力としての大地が足元にあるから上下左右の感覚が絶対値としてあった。そんな時代から抜け出てこれからは宇宙に出て行きます。そして地球の大気圏を抜けた途端。私たちは無重力の世界に放り出されるのです。
天体と天体との間に何も見えるものが無い宇宙空間に出た時、私達は一体 何に立脚すればよいのか。そんな状況で道に迷った時、どちらへ向かえばよいのか。
羅針盤がなくなってしまうような時に。何を起点とすればよいのか。
気が狂ってしまう前に見つけておきたいものが自分軸なのです。
自分軸とは自分の内側にある中心感覚です。それは イマと言う縦軸とココと言う横軸の交差する自分の内側にある中心軸を確立する事なのです。今までの、外側に見える対象物を見て判断する方向感覚では全く通用しない時空間に私たち人類は出て行きます。この感覚は、現在 情報戦争と言われている 混沌の中で何を信じればよいのか、と言う局面に似ているかもしれません。
現在メイン情報と思われている テレビメディアや既成の新聞、メジャーテックのFacebookやYouTubeなども含めて、多様な情報の氾濫から何を自分の真実として受け入れて行くのか。外側に見えるものは自分自身の投影に過ぎません。自分自身が外側世界の創造者であることを自覚する。かくいう私自身もまだそれらの10パーセントくらいしか自分の内側に生じる心的メカニズムを理解できておりません。

私達の目に映る地球社会の現実、それは私達人類の集合意識から生まれている事。私たち一人一人の中にある負の感情や思考エネルギーを認識して個人が地球の現象を自分事として、自分の内側を、クリアに浄化して行かなければ地上世界は汚れたまま、天変地異まで待たなくてはなりません。人類は又アトランティス大陸や ムー大陸、レムリア大陸などが沈んだ時と同じことを繰り返すのでしょうか?
私はあきらめたくありません。この未曽有の世界的大混乱は 大チャンスでもあります。
大きな変革に伴う大波を乗り越える事、今日新しく産まれてくる子供たちが 健康に長生きできるようにせめて希望のバトンを手渡せるように変化を恐れずに変えてゆきたいと思います。
どちらにしても 何も起きなければ 孵化できない芋虫たちがそのまま死んでゆくように悲惨な状況が待っています。地球の細胞として生きている私達生物が進化してゆこうと決めて目覚めて行く事。それが宇宙の健康なシナリオです。違うシナリオもありますが。進化しましょう! それしかありません。目覚めたばかりの未熟な創造者として、謙虚に愛深く。心優しく。希望を持って。賢く。穏やかに。愛のあふれる未来を創造してゆきましょう。

(早苗ネネ♪)

 

「早苗ネネのことだまブログ」絶賛公開中!

私の声のブログ、「早苗ネネのことだまブログ」をYouTubeで公開しております。
是非お聴き下さい。そして、よろしければ「いいね」とチャンネル登録をお願い致します。私の励みになります。


クリックして「早苗ネネのことだまブログ」をお聴きください!

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

 

12月 10 21

株式会社バイオシルバー代表取締役 原田敬三さん

by staff

 

 
原田敬三さん
 
原田敬三さん
 
お名前 原田 敬三
(はらだ けいぞう)
お住まい 藤沢市在住
お仕事 株式会社バイオシルバー 代表取締役
HP www.biosilver.co.jp

 

2021年11月10日から12日まで開催された「第48回国際福祉機器展」に(東京ビックサイト青海展示棟にて開催)創立10周年を迎えた「バイオシルバー」の大きなブースがありました。
「バイオシルバー」は、センサー技術を使った「見守り介護ロボット」で介護や保育の業界から注目されている企業です。
今回の「ヨコハマこの人」は、原田社長に創業からの奮闘記を伺いました。

見守り介護ロボットと原田社長

 

生粋の「ハマッ子」とのことですが・・・

生来の海好きで今は隣の藤沢市に住んでいますが、元々は横浜市西区、松原商店街で有名な地区の下町生まれの下町育ち。先祖代々横浜で商売を営んでおり、親戚・クラスメイトも商売人か職人の家ばかり。サラリーマンという言葉に馴染みがなく、その頃はスーパーマンかウルトラマンの類と思っていました。
当時の下町ではよくありましたが「勉強する暇があるなら店を手伝え、勉強なんか何の役にも立たねぇ」・・・我が家もそんな方針でした。おかげで九九より先にお金の勘定を覚えた位です。
小学校・中学校・高校とも横浜ですが、高校からは課外活動がもっぱらで、バンドとバイクとサーフィン、そう、昭和のハマッ子男子が夢中になる三種の神器です。
旧車に拘ったバイクチームを作って、多い時で20名位いたと思います。キャンプ道具を積んで、全国色々なところに走りに行きました。
週末はバーやイベントでバンド演奏、CDも出しました。今は無きヨコハマロックの登竜門、新山下の「シェルガーデン」に17歳の時にステージに立てたのは良い思い出です。あと、政党の忘年会に呼ばれて2ステージ演って高額なギャラをもらったこともありました、あれはいったい何だったんだろ。。。

JukeboxのCD

色々やりましたが、この歳まで続いているのはサーフィンだけです。今はすっかり仕事人間です。
あと嵌ったのが、土木建築現場の日雇い労働。当時はバブルのど真ん中で高額な日当、好景気というものを実感していました。スマホもインターネットもない時代に住所を渡され、それだけを頼りに現場に辿り着く。横浜市内はほとんどすべての地域を行ったと思います。おかげで横浜市内は相当詳しくなりました。ランドマークやパシフィコ、インターコンチの現場にも入ってます。
仕事が終わると、とっぱらい(当日払い)で日当をもらい、その日に全額遊んで使ってしまうという毎日。このライフスタイルが自分にはピッタリ合いました。「♪今日の仕事は辛かったぁ、あとは焼酎を煽るだけ・・・」という唄を体感していました。

寝るのが惜しかった、寝る間を惜しんで遊んで、働いて、勉強しました。

学校卒業後、現場労働の経験も功を奏し、建設会社に営業職で就職。飛び込み営業の毎日で、「数字が全て」「プロセスは問わない、結果のみ」「一切の言い訳は許されない」という社風の中、厳しい日々でしたが非常に鍛えていただきました。ここで教わった「営業」が、今も私のDNAとなっております。
ずっと会社勤めのつもりでしたが、転機となったのは友人からの久しぶりの連絡で「起業した会社の上場が決まった」とのこと。相当ヤンチャをしていた友人だけに衝撃でした。「会社経営」ということを身近に考えるきっかけとなりました。「もしかしたら、将来経営に参加することがあるのかなぁ」という思いから、お金のことはしっかり勉強しておこう、と、会計事務所に5年間ほど勤務、そこでのクライアントのビジネスホテル運営会社に誘われて、30代半ばで初めて会社経営に参加しました。

「バイオシルバー」設立の経緯は・・・

色々あってホテルの取締役を退任、さて、今度は何をしようか、という頃に、ご縁があって、センサー技術で特許を持っている(自称)「発明家」の技術者を紹介されました。
今の当社の主力商品「aams」のプロトタイプが既にあり、乳幼児の見守りというコンセプトでしたが、自身が実家で祖父の在宅介護をした経験から、「これは介護に役立つ」と直感しました。
開発者の長男と意気投合し、2010年に創業、2011年11月11日株式会社バイオシルバーを設立。

「aams」は、当社独自のセンサー技術で心拍、呼吸、体動、離着床、睡眠の状態などを離れた場所から見守ることができる、マット型の見守り支援介護ロボットです。
体に一切触れない「非接触」「非侵襲」「非拘束」でバイタルデータが取れる点が、高齢者の見守りに非常に適しております。
必ず介護業界に役立つとの確信があったのですが、全く違う業界から来た二人だったので、何のツテもコネもなく、参入の壁は想像以上に厚かったです。
介護現場はIT化が非常に遅れていた業界で、当時は未だ「機械で高齢者を見守る等論外」という風潮・先入観が強く、なかなか受け入れられませんでした。
創業後しばらくは徹底した経費節約のために、製品を背負って、夜行バスで日本全国を回りました。
横浜からは、バスとローカル電車を乗り継いで、九州と北海道以外は全て行けるということを、この時知りました。

転機となったのは2014年です。
国策として、高齢者施設への介護ロボット導入を推進していく、という方針が出され、経済産業省が予算を組み「平成25年度補正予算の産業技術実用化開発事業(ロボット介護機器導入実証事業)」が始まりました。介護ロボット市場の幕開けです。施設が導入を希望する場合、国から購入費が全額補助金で充当されるという手厚い施策でした。
aamsを申請したところ、介護ロボットとして認定され、いよいよ打って出るタイミングとなりました。
当時メンバーは6名しかいませんでしたが、またとないチャンスなので、とことんやろう!!と決め、他社メーカーは限定30台とかでしたが、当社は「来た問い合わせは全部受ける」と決め、シャカリキに奔走しました。補助事業の半年間ほとんど休みなく、昼か夜かも判らない状況でした。終わってみると、導入実績全国91施設 1,222台で、全メーカー中1位!!の実績を頂き、ようやく当社の名前が少しづつですが知られるようになりました。

創業以来一貫して展示会のブース設営は友人達と手作り

またこの頃、懇意にしていただいた先生と長崎県での日本遠隔医療学会に論文を発表。
発表が済んだので、稲佐山にロープウェイを乗りに行ってしまったところ、何と優秀論文賞を受賞!!しており、授賞式に不在という失態をやらかしました。後日律義に賞状が贈られてきましたが、授賞取り消しにならずに良かったです。

優秀論文賞

国策の効果もあり、介護ロボット市場は、黎明期から成長期に一気に突入、当社もせっかく社名・製品名が認知され始めたので、一気に事業拡大しようと、手っ取り早く老舗の見守り機器のメーカーをM&A、全国北海道から九州までの営業所を展開しました。

この展示会の期間中に設立10周年を迎え、「働き方改革・見守り方改革」をキーワードに、これからもう一層見守りの一役を担えるよう、製品開発・普及に邁進して参ります。
10年間ずっと綱渡りでしたが、何とかやってこれたのは、やはりご縁と運によるものが多かったと思います。まさしく「おかげ様」ですね。

第48回国際福祉機器展

本社がある新横浜のビルのオーナーとのご縁も大きな一つです。池袋で創業して間もない頃、ビルの法人に営業にいったところ、その場に居合わせたビルオーナーが、製品の将来性を感じ、興味を持っていただき、初見でしたがそのまま食事に誘われ、真昼間にボトルを何本も空けました。「遠慮のない面白いやつだな、よかったら出世払いでいいから、うちのビルに入りなよ」とのありがたい言葉をいただき、そのまま指導・支援をいただくことになり、今に至っています。
どれかひとつのご縁・タイミングが欠けても、全く違う展開になっていたと思います。

原田さんにとって横浜とは・・・

きらびやかな観光地とちょっとヤバイ路地裏が隣接する緊張感、
古きヨコハマと日々進化する観光地ヨコハマが醸し出すバランスが魅力です。
遊び場は主に実家のある西区から1国超えて、RED HOTな京急線・大岡川を挟んだ東海道線と根岸線が囲むDEEP横浜地区。関内、伊勢崎、大通公園、元町、中華街、山下公園、麦田のタイムトンネル抜けて本牧、根岸。。。
それと何と言っても、横浜は年配の大人達が実にかっこいい。遊び方・テキーラの飲み方、色々なことを教わりました。先輩達に教わった「男の40歳は若造、50歳で半人前、60歳からが青春」という言葉は、今も私の座右の銘です。横浜には歳をとることに抵抗がなくなる不思議な力があります。それと、江戸っ子は「3代続いて初めて江戸っ子」とよく言われますが、ハマッ子は「3日住んだらハマッ子」。そんなWelcomeなところも横浜の良さだと思います。

私にとって横浜とは・・・

<編集後記>

私が訪問したとき、「バイオシルバー」のブースは、見学者であふれていました。その中で原田さんはスタッフと同じユニフォームを着て率先して商品説明をされていました。
海が大好きと仰る原田さんはチャキチャキのハマッ子です。エネルギッシュで、人を惹きつけるエネルギーがある方でした。介護現場には自社製品が必ず必要とされるときが来ると確信して10年間頑張ってこられた原田さんの経営手腕には感服です。これからの10年は、もっと介護ロボットの需要が高まるでしょう。今後の発展が楽しみです。

 

(取材・文責 渡邊桃伯子)

 

11月 10 21

大通り公園市民プロジェクトが始まりました

by staff

 

ちょうど一年前の2020年10月10日号の「ともの現場」で毎月第二土曜日に中区倫理法人会や如水会横浜支部の有志が集まって、「大通り公園水の広場愛護会」の活動サポートを始めたという記事を書きました。

「大通り公園」美化活動を始めました
https://yokohama-now.jp/home/?p=19973

2020年12月10日号には、「大通り公園水の広場愛護会」の会長として、13年間にわたって水の広場を整備してきた笠原光子さんに「ヨコハマこの人」に登場していただきました。
横浜グローバルビジネスコミュニケーション会長 笠原光子さん
https://yokohama-now.jp/home/?p=20094

笠原さんの活動は、酷暑の今年(2021年)も休むことなく続けられました。
横浜市長選に立候補した坪倉良和氏が笠原さんと一緒に美化活動をしたことから、マスメディアに取り上げられ、大通り公園市民プロジェクトに発展することになりました。

2021年10月3日、日曜日の午前8時に水の広場は、「第1回 大通り公園クリーンアップ」に参加するために集まった100人を超える人たちで溢れていました。地域の商店街、ライオンズクラブ、地域活動に取り組む複数のNPO法人や、横浜橋商店街に拠点を置いて活動する学生団体などのメンバーです。

参加者は3チームに分かれて、大通り公園と周辺の道路をトングを持って歩いて、空き缶やタバコの吸い殻などのゴミを拾いました。
1時間ほどたって集まったゴミは30袋を超えていました。お子様とご一緒に家族で参加された方も大勢見受けられました。

まさに・・・市民参加型のプロジェクトが始まった第一歩になりました。

参加者記念撮影

美化活動が終わって集まった人たちを前に、笠原光子さんは・・・
「今でこそ花があふれる通りになりましたが、昔は石やゴミなどばかりで、花一輪を植えるところから活動をはじめました。
昼間からお酒を飲んでいる人たちにも声をかけ、手伝ってもらいつつ美化活動を進めてきました。・・・
今後は近隣の皆さんにも参加してもらえる活動にしていくことが課題だと思います。」と話されていました。

笠原さんと一緒に

今後、毎月第一日曜日の午前8時に定期的に美化活動を行うことになりました。
二回目は、11月7日(日)です。

11月7日のご案内

公園美化活動を支援することを目的に、「不用品の回収」も行います。

11/7(日)大通り公園市民プロジェクト
第2回 大通り公園クリーンアップ 開催のお知らせ
http://yokohama.localgood.jp/news/39864/

皆様のご協力をお願いいたします。

 

 

 

11月 10 21

ハチゴロウの鳥撮り日記 第23回「ギンザンマシコの思い出 北海道(知床峠&旭岳)」

by staff

第23回 ギンザンマシコの思い出 北海道(知床峠&旭岳)

2021年も残すところ2ケ月弱となりました。 コロナで自粛要請されていた飲食店の営業時間や酒類の提供が緩和され、陽性者も減少したので、そろそろ北海道に行って見ようかと思います。新しい野鳥のレポートが出来ると良いのですが。。。

そこで今回も撮りためていた写真の中から「ギンザンマシコの思い出」として何枚かの写真をまとめてみました。

2012年から2021年に北海道で撮影した野鳥の中で、一番多く撮影したのはタンチョウで、2番目に多いのはギンザンマシコでした。冬はタンチョウ、夏はギンザンマシコとなります。

ギンザンマシコと私が初めて出合ったのは2012年7月7日の早朝、4時49分のことでした。
霧に煙る峠で見たのがメスのギンザンマシコでした。

ギンザンマシコのメスは頭から胸にかけて黄褐色の羽毛に覆われ、翼と腹は灰暗色です。
オスはメスの黄褐色の部分が鮮やかな赤い羽毛になっています。
生息地は北半球の北部の針葉樹林帯ですが、日本では北海道のハイマツ帯に生息していて、ハイマツやトドマツの木の実を食べて暮らしています。体長は20cmくらいです。

この日は、1時間ほど待っているとオスが現れたのですが、知床峠を包むかのように霧が濃くなってしまい、綺麗なギンザンマシコのオスの写真を撮ることができませんでした。

2014年7月8日の旭岳は快晴でした。 というより「快晴」をねらって旭岳に行ったと言った方が正解です。朝1番のロープウェイに乗って行きました。ロープウェイは登山客が圧倒的に多かったです。

写真はギンザンマシコのオスです。鳴いています。鳴き声はピーピューイと優しい感じです。

飛び出しも撮ることができました。翼と腹は灰暗色です。

2015年は7月6日から知床峠に3日間、その後、旭岳にもまわったのですが良い出合がありませんでした。
2016年も7月5日から7日まで知床峠、8日に旭岳に行きましたが、ハイマツの実が少ない年でなかなか見ることが出来ませんでした。
2017年7月6日5時41分知床峠、朝日に照らされたオスの成鳥が、ちょっと遠い場所の木にとまっていました。

ギンザンマシコのオスの鮮やかな赤と松の深い緑が美しいコントラストを生み出しています。

メスも出てきてくれました。最初にご紹介した写真が霧に煙る知床峠でしたから、こちらの写真だと色がはっきりと分かると思います。

こちらはオスです。オスが2羽出て来てくれたので沢山写真を撮ることができました。

2018年は7月5日から7日まで知床峠に行きました。この年は旭岳には行きませんでした。
2019年は6月28日から7月5日まで知床峠に行きました。若鳥に出合うことができました。
2020年と2021年の夏はコロナ禍の為、北海道には行きませんでしたからギンザンマシコと出合うことはありませんでした。2022年の夏は是非とも出かけたいものです。

最後にメスの飛び出しシーン2枚をご紹介して鳥撮り日記「ギンザンマシコの思い出」はおしまいにしましょうね。では、また来年1月にお会いしましょう! 良いお年をお迎えくださいませ。

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

11月 10 21

2021年11月 三ツ池だより 「満月そしてありがとう!」

by staff
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高速道路を走っていて、「月がきれいだ!」と運転手。今日は満月だ。カーブを曲がると月に雲がかかってしまう。そんなときもある。川崎に戻る道でなんだか月がだんだん近づいてくるようだ。幸せってそんな時を感じさせることで何か嬉しくなる。大空に大きく満月が輝き、今日も幸せだったと・・・。

 「昨日 今日 明日」 けんじ
昨日という日は
作られた日
歩みを重ねた日
  今日いう日は
  今という日
  ふうっと過ごした時間
明日という日は
日と月で組み合わされた
空想の日
  1+1が2になり
  1+1が10になったりして
  明日の1+1は何になる
日々は作られていく
日々は語られていく
日々に励まされていく

計量の大切さを自問する。自分を育ててくれ、一生の仕事にしているからなおさらだ。計量の大切さを認識して仕事をしている。生活の基本は比べる、取り入れるだ。その時に数と計量が必要になってくる。しなくてもいいが、計量すると便利なのだった。生まれたときに身長と体重を計測する。生きている間その計量をすることで、体調と成長が確認できる。

 「検査に立ち会う」 けんじ
それでいいのか
これでいいのか
  なぜって
  どうして
正しくて当たり前
使っていて不安定になる可能性がある
  だから定期的に検査する
  正しいことが必要だから
検査に立ち会う時
正しいと嬉しい
  異常が見つかってもうれしい
  検査してよかったと思う
安心してもらいたいと
この仕事に携われていることが嬉しい

公園を歩いていたら、冬桜が一輪・・二輪・・五輪・・十輪。指先ぐらいの小さき桜が咲いている。咲き誇っている。走る少女が立ち止まる。ペンを止める。何人かが立ち止まる。歩きはじめる。夕陽が笑っている。虫の声が聞こえる。ツリガネニンジンの看板、ヒヨドリハナの看板が目に入る。公園の管理人さんが挨拶していく。椎の実が道端に転がっている。

 「 色 」 けんじ
青は海の色
赤は太陽の色
  人は何色が好きなんだろう
  色は何を表わしているのだろう
ブログで青しか使わい
少年の話を聞いて涙がこぼれた
  青の濃淡を使って
  色をつけていく
人は色を感じ
人は濃淡を感じている
  当たり前に思っている
  自然と入ってくる様々な情報
それはみな
神様が差配しているのだろうか

何か突然問いかけられた。傷ついてないですか。何故にそんなことを?天使がニコニコして現れる。どうしたというのだろう。おもしろいアイディアを披露された。何故そんなことを!今日一日充実していたが、これでいいのかと何か気づかせているような!そう!ありがとう。

 「一日一日を大切に生きて
    いますかと問われて」 けんじ
読み書き働く
このことを意識している
  人には一日がやってくる
  それが当たり前になっている
そうであろうか
いつなんどき何が起こるかわからない
  それでも今日一日がはじまる
  今日一日が過ぎていく
その一日を大切に生きるとは
何をどのように感じればいいのか
  その日の出来事を楽しむ
  その日の出来事を書き留めておく
それだけでいいのか
その日に感謝だ

なんでもやるべきこと、やった方がいいことをどんどんやってきた。取り組んできた。おかしなことは改革してきた。取り入れられる取り入れられないでなく、取り組んできた。当時は気が付かなかったが、大変ひがまれ嫌がられることもあった。それでも業界のことではどこかにかかわっていた方がいいと思ってやってきた。今は安心して取り組ませていただいている。基本の基本である計量だけにしっかり大事に計量の安全を維持していきたいと思うのだ。

 「崩れる」 けんじ
崩れるはこわれる
壊れるはこわれる
こわれて出かけていく
  人はこわすのが目的でなく
  作り上げるために実行していく
  崩れるはくずれるか
新しい所はけっして楽ではなく
耐えしのんで作り上げていく
崩れる壊れるは新たなところへ
  人は新しいものを作り上げるため
  壊し、崩して進んでいく
  それは進歩につながるのだ
明治時代がどんなものだったのか
知らずにきたことが恐ろしい
なぜ知らされずにきたのだろう
  新しい時代づくりがはじまる
  それは今を知るものが作り上げていく
  勇気をもって崩していくことになるのだろう

笑顔を心がけるようになって、何年になるのだろう。余裕のない人生であったように思う。家族に申し訳なかった。社員に申し訳なかった。やらなければという意識のなか、日々に追われ仕事に追われ名誉に追われた。名誉など関係ないのに。プライドは人一倍だった。おれがおれがで来てしまった。笑顔こそ大事だと思っている。-の先に+がある。±0の世界がみえるのだろうか。

選挙が始まった。静かだ。鳥も虫もなかない。どうしたのだろう。この国のこれからを決めるのに。ノートに書く。「選挙が始まった。今を大事にしたい。」そして未来を作り上げていく。「今夢を形にしていこう」という。なぜだろう。作りにくかろうが、あたらしい形を見つめていきたい。誰でもが夢を語れる社会へと。大きなものでなくていい。心から頑張れる社会を迎えたいのだ。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

11月 10 21

しあわせの「コツ」(第59回) 「からだの叡智」を活かす知恵

by staff

第59回 「からだの叡智」を活かす知恵

 

子どもたちが幼稚園に通っている頃、どの子にも必ずしていた事があります。その名は「愛情ガソリン」(笑)。要するにハグの事です。どんなに機嫌よさそうに帰ってきた子でも、帰宅直後の身体は固く、肌は冷たいのです。嫌なことがあった日は、なおさらでした。

玄関に入るとすぐ私は廊下の端に座り、子どもをギューッと抱きしめます。腕の中の子どもは、はじめは頬も冷たく、身体全体が固くなっています。私は目をつぶり、「○○ちゃん、大好きよ。いい子ねぇ・・・」とささやいて、じっとしているだけ。10秒、20秒、30秒・・・。しばらくすると、腕の中で子どもの体が急に温かくなり、同時にクタっと柔らかくなるのです。すると、最初は腕の中でジーっとしていた子どもは、もぞもぞ動き出し、目をキラキラさせて「あのね、折り紙上手ねって、先生にほめられたよ!」「今日のおやつはなぁに?」「お着換えしてくるね!」などと言いながら、私の腕を振りほどいて子供部屋に駆け込んでいくのでした。

私は、ただハグして冷たい体を温めてあげただけ。でも、身体が温まると同時に子どもたちはバネの様に弾む体と心を取り戻し、親の腕の中から飛び出していったのです。
外界と自分とを分かつ境界である皮膚が、精神とリンクしているのはよく知られた事ですが、皮膚への刺激は私たちが思っている以上に、人間にとって大切なようです。

皮膚は、実はとても賢いのです。
資生堂リサーチセンター主幹研究員の傳田光洋さんは『驚きの皮膚』の中で、皮膚には音を感知する能力もあると言っています。

傳田光洋著 講談社刊

私たちがトランス状態になるような音楽は、CDではカットされる10万ヘルツ以上の高周波が含まれていますが、そういう音楽を、音を通さない物質で首から下の皮膚を覆って聴かせたところ、トランス状態は起きなかったそうです。高周波は耳ではなく、皮膚で受容されているのです。
また、表皮を形成するケラチノサイトは赤い光と青い光に細胞レベルで異なった反応をして色を識別し、味覚、嗅覚に似た反応さえもするというのです。

なぜ皮膚はそんなに賢いのでしょう?

それは、受精卵が分裂するとき、皮膚の表面になる表皮は、脳や脊髄など神経系とともに外胚葉から作られることに関係しています。もともと皮膚と脳は同じ外胚葉だったので、脳と同じような反応をしても何の不思議はありません。
皮膚を刺激することが脳の活性化につながることもお分かりになると思います。

受精卵の仕組み

「幸せホルモン」と呼ばれるオキシトシンも、これまで脳が合成し、放出すると考えられてきましたが、何と表皮でも合成されていることが最近の研究で分かってきたそうです。

そう考えると、抱っこ、おんぶ、添い寝、お父さんやお母さんと一緒にお風呂に入る、といった日本の家庭で当たり前に行われているスキンシップが、いかに脳を活性化させる行為であるかが分かりますね。こんなにも子供との「肌のふれあい」の多い国はそうそうないと思います。

幕末に日本を訪れた外国人が一様に驚くのは、日本の社会が「子供の楽園」であったことです。渡辺京二氏の『逝きし世の面影』を読むと、彼らの驚きと感嘆が伝わってきます。

「私は日本は子供の天国であることを繰り返さざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい」  モース(P390)

渡辺京二著
『逝きし世の面影』
平凡社刊

だっこやおんぶなどの伝統的な日本式スキンシップのおかげで、皮膚を通して脳が活性化され、加えて表皮で合成されるオキシトシンが豊富に放出されていたため、当時の子供たちは無邪気で、明るく陽気で、賢く、いつも楽しそうにしていたのでしょう。

浮世絵に見る子供の遊び 生き生きと遊ぶ子供の姿が活写されている

現代の脳科学でようやく解明されてきた皮膚と心の関係を、すでに昔の日本人は知っていたのです。それだけではありません。何気ない習慣としてそれが日常生活の中に組み込まれていたのです。「しあわせの『コツ』」を知り抜いていたとしか言いようがありません。

日常生活の中に組み込まれた「しあわせの『コツ』」ということでいえば、「お辞儀」もそのひとつです。「正しいお辞儀」は体の潜在力を引き出すはたらきがあるのです。

「正しいお辞儀」とは、足をそろえて立ち、手は体の横に真っすぐに伸ばして指は揃えます。首と背中を真っ直ぐにしたまま、おしりを後ろに引く形で、約45度の角度で礼をします。この時、首だけを前に出したり、背中を丸めないようにします。

小笠原流では、上体を倒す動きのまま手が自然と前に出、正面から見て「八の字」にすると教えていますが、身体の潜在力を引き出す「お辞儀」では、手は体の横につけたままにします。ちょうど手の指が当たる場所に「伏兎(ふくと)」という腰や股関節のツボがあるので、そこに指が触れるようにします。

正しいお辞儀の仕方

このお辞儀では、頚椎・胸椎・仙骨が一本の線となり、エネルギーの通りがよくなります。そうすると、自分のエネルギーが相手にも伝わりやすくなり、円滑なコミュニケーションがとりやすくなるのです。首が曲がった状態では、エネルギーが伝わらないどころか逆に自分のエネルギーを弱くしてしまいます。

日本人は昔からそのことを知っていたのでしょうか。食事の時ですら首を曲げることを嫌いました。今でも私たちはお茶碗をもってご飯を食べます。それは首を曲げて頚椎がずれるのを避けるからなのです。

脳に一番近い頚椎は、カイロプラクティックでも重要視され、創始者D.D.パーマーの息子であるB.J.パーマーは、頚椎の1番2番を整えることが、自然治癒力を引き出す効果が高いことを発見しました。

カイロプラクティック創始者 パーマー親子

頚椎は生命維持を司る脳幹の一部である延髄が入り込んでいます。頚椎がずれていると、脳からの命令が100のうち70や60、あるいはそれ以下に減ってしまうのです。そうなると、本来の生体機能を100%発揮できなくなり、心身のトラブルの元となります。

カイロプラクティックで頚椎の重要性が発見されるよりはるか昔から、日本人は姿勢を正して頚椎にずれが生じないようにと知らずに躾けられてきました。「お辞儀」は飛鳥時代に中国の礼法を取り入れたのが始まりとされていますが、気がつくと電話しながら見えない相手に自然とお辞儀をしたりする日本人は、発祥の地以上に「お辞儀文化」を極めているといえましょう。

「お辞儀」は、単なるマナーではありません。私たちの体を正しく使うことで自然治癒力を高め、心身の健康を維持すると同時に、相手と和してゆくための行為でもあるのです。

日本の生活文化や風習を調べると、平易な事柄の中に深い叡智が隠されていて、思わず感動することがあります。子供とのスキンシップ然り、「お辞儀」然り。最近は携帯電話のせいで、首を前傾させている人が多いですが、先人の叡智に思いを馳せ、頚椎に負担のかかる姿勢は避けたいものですね。

正常な首と、前傾のし過ぎで頚椎の自然な湾曲が取れた「スマホ首」

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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「神さまがうちにやって来る」(幻冬舎)



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11月 10 21

ゆるマナー講座(第73回) 音のマナーあれこれ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

電車の隣の席からシュシュ、ポロンポロンと音が聞こえてきました。きっとゲームか何かでしょう。一度はやり過ごしたのですが、何度もひっきりなしに聞こえてくるので気になって隣の人を覗き込みましたが、全く気付かない様子です。「音が漏れていますよ」と一言言えばよいのですが、なかなかちょっとした注意であってもできないものです。本人にとっては楽しいゲーム音であっても他人には耳障りなものです。
今回は音のマナーについて書いてみます。

音の好き嫌い

飛行機が離着陸する時の爆音は騒音に感じる人たちもいるでしょうが、私は仕事を辞めた今でもワクワクします。カーレースの音も好きです。でもジェットコースターのゴーという音は、怖さを思い出すのであまり好きではありません。音はその人の経験や好みも少なからず影響していますね。
帰りを待ちわびている家族が玄関に近づく足音は嬉しいものですが、知らない人の足音は少し怖く感じる場合もあります。

生活音に配慮

集合住宅では下の階の方への音の配慮が必要です。スリッパが擦れる音など意外と響いているようです。子どもが走り回る音を完全に防ぐのは難しいでしょうが、事前に事情をお話しておくことや顔を合わせた時には「いつもお騒がせしてスミマセン」などの一言があると理解していただける場合も多々あります。
 バタンというドアの開け閉めは家族でさえもびっくりするものです。最近はドアの開閉が緩やかで、音のでないものが多くなりましたので、外に出た時に静かに閉めるのを忘れてしまい大きな音を出している人もいます。工夫された商品は素晴らしいのですが、配慮をしなくなるのが残念です。

電話の声、意識していますか

マナー講師として電話応対の指導もしている関係上、電話の向こう側の人の声には敏感です。
電話をかけた時、「はい?」と、声が暗いと今は都合が悪いのかしら、不機嫌なのかしらと心配になってしまいます。ビジネスやサービス業の応対ではないので、不必要によそ行きの声にならなくてもよいのですが、少しだけ声のトーンを高くしてみると感じよく相手に響きます。相手には顔が見えないからこそ声だけで好感度をアップするには、笑顔で地声より少し高めのトーンで電話にでてみてはいかがでしょうか。相手も話しやすく会話のキャッチボールもスムーズになります。

食事中の音

食事の席でのタブーは、ナイフやフォークをカチャカチャと音を立てる、くちゃくちゃという咀嚼音、ずるずるとスープや汁物をすするのも周りの人にはいい気持ちがしないものです。
食欲も失せてしまいます。また甲高い声で話をしたり、笑うのも周りの人には迷惑です。サービス係を呼ぶ時は、高級レストランであれば、目配せや軽く手をかざすだけでよいのです。間違っても大きな声で「スミマセン」は止めましょう。

自然の音

夜、南の島の浜辺で寝そべると、寄せては返す波の規則的な音だけが聞こえます。癒されますね。川のせせらぎや小鳥のさえずり、虫の声、雨音…自然の音は心地よいだけでなく魂を浄化してくれるような気がします。

音にもTPOがあり、自分には心地よくても他の人には雑音でしかない場合もあることを意識すれば、少しだけ相手の身になって自分の出す音のボリュームを下げたり、配慮したりできそうです。

この時期、地面に降り積もった紅葉の絨毯を踏みしめるカシャカシャという音に耳を澄ましてみるのよいかもしれません。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
Amazonで購入

 

 

 

11月 10 21

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第104回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第104回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

ジャック・アタリはフランスの思想家。欧州復興開発銀行の初代総裁を歴任。世界の政治・経済・文化に精通し“ソ連の崩壊”“金融危機”“テロの脅威”などを的中させました。民主主義国の民意は瞬時に急変しえること、昨日選ばれた指導者が今日は見捨てられることも。人間の強みは知的好奇心で、アイデアの秘訣は執念。事故はすべて想定外で、コロナ苦境にある産業の一つが観光。この産業が培ってきたのが歓待・気働き・扶助などのホスピタリティ。コロナ後の産業世界ではホスピタリティこそが生命線。ホスピタリティの土台は人間性だけでなく、日本文化が体現してきたノウハウ熟成という宝物。このノウハウの応用は、企業・病院・介護・学校などにも今後大きく貢献。ホスピタリティはテレワークによる帰属意識の希薄化を弱め、場の雰囲気を通じた忠誠心や生きる意欲を高揚させたりすることも。冤罪を見抜くのに必要な力は総合的な人間力とか。“無駄な情報は捨て、たくさん考えないこと。長考に好手なし”と棋士・羽生善治。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

魚は水がなければ死 水は魚がなくとも水、の例え
進化し続けたいと思えば 水の如く謙虚になること
危機を凌ぐよりも回避 何よりも予感・予知・予測
マルクスはマルクス マルクス主義者にはならない

マルクスはドイツ出身の哲学者・経済学者。以前、ロンドン出張の折、大英博物館を訪れる機会があり、そこで見たマルクスの直筆原稿に感激。マルクスは、ロンドンでは庭もない二間暮しの生活。この安宿に住みながら大英博物館に通い“資本論”を書きあげたことは有名。食事代にも事欠き、朝食のパンをポケットにくすねて、それを昼食にして博物館で資本論を書き続けたとか。安心して弱者になれる社会を夢想して。“自分を飾ることに興味はなく、芝居に何が大事かだけを考えてきた”と女優・山田五十鈴。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

四〇年前の仕事の仕方で今の仕事をやれば 生産性は世界の最下位
モノの経済から心の経済、育ちを重視 弱みは使い勝手とデザイン
日本語は露骨・率直・バカ正直を拒否 欧州はあいまいさを嫌がる
パズル・数独をやるより、現役で働く高齢者の脳の働きが一番高い

“バルセロナとチームジャパンでやることは同じ、質が違うだけ”と語るのは元日本代表監督・オフト。40年前の仕事の仕方で今の仕事をやれば、生産性は世界の最下位レベル。モノから心の経済へ、ポイントは使い勝手とデザイン。日本では、サービスの質が高すぎて、どんどん効率が悪くなるという矛盾。今までの常識は非常識で、日本の常識は非常識なのかも。好奇心は道草でもあり、夢は生きるために必須のリハーサル。”見た瞬間は画面に吸い寄せられそうになるが、創作過程は極めて論理的“と画家・東山魁夷。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

昨日の専門家かもしれないが 明日の専門家とは誰も保証されない
民俗誌は文化人類学や社会学のフィールドワーク手法 根を肥やす
道具は外国製 運用するのが日本人なら日本式 マニュアルの効用
文脈に即した判断 正しい解答ではなく、正しい人間を探し求める

“社会が底の方から大きく変貌している”との視点。昨日の専門家かもしれないが、明日の専門家とは保証されない世界。その渦中で“マニュアル”ないし手引書の全盛時代でトリセツの時代に。だけど、最後はスキルより読みの鋭さ。運命も一つのプレゼント。裏切られて自由を拘束される哀しみも。最終的に大事なのは、正しい解答ではなく、正しい人間を探し求めること。失敗を覚悟すると心は軽くなるもの。“科学の領域を飛び越えないと人間はわからないし描けない”と精神科医・作家の加賀乙彦。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第104回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

11月 10 21

書評 「後悔しない生き方 人生をより豊かで有意義なものにする30の方法」 ディスカヴァー・トゥエンティワン マーク・マチニック(著), 弓場 隆(翻訳)

by staff
 
タイトル 後悔しない生き方
人生をより豊かで有意義なものにする30の方法(ディスカヴァー携書)
新書 245ページ
出版社 ディスカヴァー・トゥエンティワン
ISBN-10 4799327410
ISBN-13 978-4799327418
発売日 2021/5/28
購入 後悔しない生き方 人生をより豊かで有意義なものにする30の方法 (ディスカヴァー携書)

副題に「人生をより豊かで有意義なものにする30の方法」とあり、興味をもった。そしてそれぞれの最後に、「自分自身に問いかけてみよう」と問いかけるのであった。

「幸せを追及する」という項がある。項の最後に質問がされる。「幸せを追求しよう。その結果、世の中がどんなに明るくみえるかをたしかめよう。」と。そして「自分自身に問いかけてみよう」と続く。問いかけられるのは。次のようなことだ。
●これからの一カ月間でどんなふうに幸せを追求するか?
●その際にどんな試練が立ちふさがり、それをどう乗り越えるか?
どう答えるか戸惑ってしまった。そして、こういった問いかけがあることは大事なことだと思った。日常は意識しないで行動し、進んでいるのであった。時として意識することが必要と思った。
書評を毎月出させていただいているが、時として、考えが止まってしまい、苦慮することがある。そういう時はいつもの本屋さん・古書店でない所に行ってみたりしている。

「新しい日を歓迎する」という項がある。「世の中には二種類の人がいる。朝起きるとき、さわやかな気分で新しい日を歓迎する人と、憂鬱な気分で新しい日を忌避(きひ)する人だ。私の妻は前者の典型で、毎朝、“おはよう。これから素晴らしい一日が始まるわ”と言う。起きたとたん元気はつらつとして、その日の予定をこなす準備ができているのだ。私が彼女について関心するのは、物事がすべて順調にいくと確信していることだ。新しい日を歓迎すると幸せな気分でエネルギッシュに一日をスタートさせることができるから、一日の終わりに後悔せずに済むと考えているのである。」「新しい日を歓迎するのは習慣の問題でもあるから、工夫次第で誰でもできる。」「午前中に燃え尽きないように健康的な朝食をとる必要がある。これも工夫次第で簡単にできることだ。」
●あなたは新しい日を微笑みとしかめ面のどちらで迎えているか?
●新しい日を迎える方法を改善する具体的な行動は何か?
「一日をポジティブにスタートして、毎日を有意義に過ごそう。」

「毎日を最大限に生きる」という項がある。「時間の使い方についても計画的になろう。無計画に時間を過ごしていると、何も成し遂げられず、いずれ後悔することになる。」とのべ、つぎのようにも語られる。
「人生は一度きりだ。今日から精一杯に生きよう 。毎日を最大限に生きよう。
 すべての日を思い出に残る有意義なものにする方法を見つけよう。
 自分が信じる目標や理想を追い求めよう
 行ったことのない場所へ行こう。
 愉快な人と付き合おう。
 たまにはちょっと贅沢をしよう
 好奇心を持って学び続けよう。
 大きな声で歌おう。」と。
●毎日を大切にするために何をしているか?
●それを現実にする際に、どんな試練に直面するか?

「うまくいっていないことをやめる」という項がある。「はっきりしたことは、うまくいってないことをやめると、創造的で生産的なエネルギーがわいてきて後悔から解放されるということだった。」著者はいう。「いざ新しい土地で生活を始めると、信じられないような解放感が得られた。」「うまくいってないことをやめて。人生をかえよう。」と。
●現在、人生でうまくいっていないことは何か?
●もしそれをやめれば、どんな変化につながるか?
「引っ越してから1年後、私達は経済状態を立て直して、新しい仕事の目標に向かって邁進した。私は最初の本を書き始めるかたわらコンサルティング業務を開始し、妻は子ども向けの非営利事業の運営でいそがしくなった。翌年、私たちはついに念願のマイホームを手に入れ、まもなく第一子を授かった。」とのこと。だから「うまくいっていないことをやめて、人生を変えよう。」と呼びかけている。

「自分を信頼する」という項がある。「最終的に後悔しないかどうかは、自分を心から信じ、自分を徹底的に試せるかどうかにかかっている。」「数年前、私はマラソン大会で完走するという途方もない目標を掲げた。途方もないと表現する理由は、自分が長距離走にまったく向いていないからである。」「練習をしていなかったので体調は万全ではなく、しかも夜更かししていたので完走できる自信はあまりなかった。しかし突然、勇気を出して走ってみようという気になった。そこでジョギングシュウズを履き、Tシャツを着て会場まで直行した。すごい目標に挑戦していることにワクワクして、何とか折り返し地点にまでたどり着いた。ところが、そのあとすぐに限界に達した。」「お腹が痛くなり、息が切れてふらふらだったが、ここで走り続けなければ後悔すると自分に言い聞かせ、元気を振り絞って少しでも速く足を前に動かした。結局、完走するのに大会平均の倍の6時間13分もかかったが、最後まで走りぬくという目標を達成することが出来た。」と。「自分をとことん信頼し、不可能だと思えることを達成しよう。」と。
●今、直面している大きな試練や困難な状況は何か?
●それを乗り越えるうえで、自分を信頼することがどう役立つか?
だから「自分をとことん信頼し、不可能だとおもえることを達成しよう。」と呼びかける。

「視野を広げる」という項がある。「機は熟した。地球市民として視野を広げ、文化的多様性に深い理解を示す時期が来たのだ。自分が今いる場所で率先して多様性な文化への理解を深めることも出来る。」「目を閉じたまま狭い世の中で暮らしてはいけない。偏見や先入観を捨てて、国際交流を通じて異文化を肌で感じ取り、閉鎖的な意識を克服して後悔を未然に防ごう。」だからこうも言われる。「文化的な違いを認識するには視点を変えさえすればいい。積極的に視野を広げて、人類の豊かな多様性を体験しよう。」そこでは旺盛な好奇心を持ち、世界観を広げることを提案される。
●文化的な視野を広げるにはどうすればいいか?
●異文化についてもっと学ぶために何をすればいいか?
文化的な違いを認識するには視点を変えさえすればいい、と言われる。視点をどこにもつのか。衣なのか、食なのか、住なのか。はたまた過去なのか現代なのか未来なのか。古の時代栄えたところがいまや砂漠のなかに埋没しているところもある。日本においてはほんの少し前は刀を指していた。今盛んになったと言われる文化交流は民族料理だったり、民謡、舞踊などの伝統文化だったりする。そこに生活の仕方や仕草もいれていったら面白い。

「メンターに学ぶ」という項がある。「人生には取り扱い証明書がない。経済的成功、幸せな結婚生活、豊かな社交性、深い満足感を手に入れるためのガイドブックもカスタマーサービスもない。それだけに、人生の方向性が明確でなければ、すぐに道に迷い、挫折し、失望し、目標を見失って、いずれ後悔することになる。人生で後悔しないためには、思い付きでやって試行錯誤を繰り返すよりもメンターに学ぶ方がいい。」どうやってメンターを見つけ、どこから始めればいいか。「いろいろなことを学べそうな人を見つけ、指導してくれるように頼むのである。言い換えると、はっきりと自分の意志を伝えて人生の目的を実現するのを手伝ってもらうのだ。」
「仕事と人生で成し遂げておられることに感銘をうけました。多くのことを学ばせていただければ幸いです。時おり電話かメールを差し上げてお知恵を拝借し、ご指導賜りたいのですが、ご都合はいかがでしょうか?」
●どの分野で指導してもらえれば、恩恵を得ることができますか?
●その役割を果たしてもらうために、誰に頼めばいいか?

「人を無条件に愛する」という項がある。「誰かを無条件に愛するなら、たとえ欠点に気づいても、それをとがめたりはしない。イライラし、がっかりし、忍耐力を試され、腹立しいことがあっても、その人を愛していることを後悔しない。その人をあるがままに受け入れるという選択をし、その結果として生じるかもしれない不満を受け止める覚悟ができているからだ。」「たとえ失望や裏切りを経験しても、人を無条件に愛するためには、寛容、忍耐、献身、受容が必要になる。もちろん、一方的に利用されてはいけないので、お互いに相手を信頼して尊敬することが必要だ。」そして次のように述べられる。「無条件の愛を貫けるかどうかは、相手を非難したくなる衝動を迎え、あるがままに受け入れられるかどうかということだ。それができるようになれば、相手との関係が後悔の原因になることはない。人を無条件に愛そう。そうすれば後悔することなく人を愛することの素晴らしさを経験することができる。」
●あなたにとって、無条件に愛することが困難な相手は誰か?
●その人への愛が条件付きになっている理由は何か?
人を無条件に愛することに取り組むのだ。

「正しいことをする」という項がある。「人生でどういう行動を選ぶか迷ったら、正しいことをするということです。正しいことというのは主観的ですが、究極的には、良心にしたがうかどうかがカギになります。」つまり、この場合の正しいこととは、後悔しない選択と言い換えることができる。「正しいことをするというのは、人生のあらゆる分野で自分の決定に責任を持つという言うことである。どの選択肢に決定すべきか迷ったら良心に従うべきだ。自分の決定に誇りを持ち、その決定にもとづいて行動しよう。」
●正しいことをするのが簡単な決定ではなかったときの実例はなにか?
●その決定が難しかった理由は何か?
だから「自分の行動を後悔しないために、つねに良心にしたがって決定をくだそう。」と言われる。

「世の中をよりよくする」という項がある。「新聞やテレビの報道をいつ見ても、戦争、破壊、事故、虐待、犯罪、悲劇、であふれている。こんな殺伐とした世の中で、素晴らしいことをした人のニュースを見聞きすることは、一服の清涼剤となる。私たちはこれらの人達のニュースに感動し、元気をもらい、勇気を出す。こんな時代でも、人間の精神は逆境を克服できると思うと希望がわいてくる。」「世の中をよりよくするのは、複雑で時間のかかる作業ではない。たとえば、傷ついている友人を助ける、自分の生活で余っている物資を慈善事業に寄付する、孤独な高齢者を慰問する、見知らぬ人に親切にする、リサイクル運動に協力する、人々に愛を伝える、といったことでいい。そうした簡単なことから始めていけば、その分だけ世の中がよりよくなる。」だから「欲を捨てて、世の中のためになることをしよう。」と提案される。
●世の中をよりよくするために、自分がすでにしていることは何か?
●それをさらに推進するにはどうしたらいいか?

最後に著者は言われる。「後悔しない生き方を実践すれば、仕事と人間関係を含め、人生全般をより豊かで有意義なものにすることが出来る。」

(文:横須賀 健治)

 

11月 10 21

チャレンジ(第39回) 本格始動?!しあわせにゃんこプロジェクト

by staff

本格始動?!しあわせにゃんこプロジェクト

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。コロナ感染者数も減り、穏やかな生活が続いているように見えますが、まだまだ気を付けて過ごしていきたいと思っています。

先月末には母の三回忌の法要を行ってきました。朝、目覚めて、あ、母はもういないんだ、と気が付くととても寂しい気持ちになります。娘たちも、無償の愛を注いでくれた大好きなおばあちゃんが亡くなってからは心のより所がなく、なんとなく元気がなかったのですが・・・
そんな中、なんと!犬派の私の元へ保護猫ちゃんが来ましたー!

千葉の多古町から来ました。私、動物も子供も、初の男の子です(笑)
多古町で古民家活用などの活動をされている並木恵祐さん(https://www.facebook.com/keisuke.namiki.9)から譲り受けました。
並木さんとは横浜の街づくりのマルシェでご一緒させてもらってからのご縁ですが、多古町のお野菜やお米を買わせていただいていますが、そのついでに、あんこも届けてもらいました(笑)

並木さんのイベントはこちら。
移住セミナー:https://www.furusatokaiki.net/seminar_detail/?event_id=344645

あんこは、かなりビビりの猫ちゃんで、最初はゲージから出てきませんでしたが、うちに来てから2か月経って、随分慣れてきました。

中々のイケメンならぬ、イケ猫? もう可愛くて可愛くて親ばか発令中です(笑)

そう! そして、うちのあんこちゃん、しあわせにゃんこプロジェクトのネコ君にそっくりなハチワレなんです。
しあわせにゃんこプロジェクト:http://mika-nekonobi.com/happynyankoproject2019/

おぉー! なんとも素敵なめぐりあわせ!ということで、ねこのび屋さんが拠点をおいている八王子のMeemeeCafe(https://www.meemeecafe.com/)さんとも打合せをさせて頂いて、猫グッズや猫のおもちゃなども企画開発して販売することとなりましたー(^^♪

ねこのび屋さんは今まで売り上げを障がい者施設に還元してくださっていましたが、こちらを猫の保護活動をしている団体やイベントに寄付していこうと思っています。

猫好きな並木さんともコラボしていきますよ!

12月には&COCOで「C.P.FACTORYプレゼンツ大人のクリスマスマーケット」を開催する予定ですので、可愛い猫グッズもお披露目できるかと思います。

あんこインスタも開設したので良かったらフォローお願いします。
https://www.instagram.com/anko_no_otete/

次回は「社会人アドバイザー」です 

(第39回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

11月 10 21

絵本から笑本へ(第65回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~森田 珠美さん~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期

絵本作家としてこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。

第4期20回目にご登場頂くのは…
ピアニストでキーボーディストの森田珠美さん。

ぼくが毎年開催しているイベント

絵本作家 保科琢音主催『楽絵ん祭(がくえんさい)』
なんだかんだで今年で6年目になります。

毎年様々な音楽家や芸人さん達に出演頂き、
絵本作家のぼくとコラボレーションしてもらうイベント。

今年の「楽絵ん祭2021」に出演してくれるのが、
森田さんがキーボードを担当しているバンド
「パノラマとラボラトリー」です。

実は…

森田さんとは
直接会ってお話したのは一度しかありません(笑)

「パノラマとラボラトリー」のリーダーでドラマーの坪井洋さんが
パーソナリティーを務めているラジオ番組「坪井洋のHappy Radio!」に
ゲストとして呼んで頂き、森田さんもアシスタントとして
いらっしゃってお会いしたのがつい数ヶ月前。

とは言え、森田さんの活動はちょくちょく見させてもらってはいました。

演奏しながらケラケラと楽しそうに笑う姿を見て…
「本当にピアノを弾くのが好きなんだなぁ~」と感じていました。

直接お会いしてお話ししたときにもずっと笑顔で…
「なんか人生が楽しくてしかたないんだなぁ~」と伝わってきました。

変な意味ではなく(笑)
それくらい笑顔が似合うひとでした。

森田さんはこれまでに

様々なイベントやアーティストさんの公演にも参加されています。
日本のみならず、外国でもパフォーマンスをされてきています。

きっと今までも、そしてこれからも、どこにいてもきっと、
ケラケラと笑いながら音楽の楽しさを、ピアノの面白さを、
伝えているんだと思います。

あなたも森田珠美さんの演奏で
一緒に笑顔になってみませんか?

先にご紹介した「楽絵ん祭2021」では、

ぼくの絵本や紙芝居に、
森田さんと坪井さんがピアノとドラムで音楽を奏でてくれます。

パノラマとラボラトリーとしても、
素敵な歌と音楽をたくさん披露してくれます。

きっと見ているひとみんなが
笑顔になれる時間をお届けできると思います。

「楽絵ん祭2021」はYouTubeチャンネルでの生ライブ配信です。
どなたさまもご覧頂けるイベントなので、是非ご覧ください。

2021年11月28日(日)13:00より。
絵本作家 保科琢音チャンネル『笑える絵本ダナ』にて公開です。

森田珠美さん
(ピアニスト・キーボーディスト)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「給食で一番早く食べたことを得意げに話す、お調子ものだったそうです。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「ピアノを弾くことが夢のひとつだったと思います。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「パノラマとラボラトリーで海外でライブしたいです! それと劇伴のお仕事をするのが夢です!」

④ 『悩みはありますか?』
「いっぱいありますが、これは覚えておきたいと思ってもすぐ忘れてしまうのが悩みです。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「本を読んだり、新しく買った機材を試すことです。」

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

 

11月 10 21

第102回 お引越し

by staff

ken-ken inc.,一級建築士設計事務所
代表取締役 河辺 近

お引越し

国によって生活様式は違い、引越しの概念が変わる。ネパールの遊牧民族は家畜とともに、季節によって住まう場所を変えていく。建物は無く、移動テント(パオ、ゲル)の中で暮らしている。一方、ヨーロッパでは新しい建物を創ることは少なく、家具の揃った中古の住宅の内装をリフォームして使うことが多い。アメリカなどでは新築の住宅を建て、アパートメントから移り住むことも少なくない。暮らし方や生活スタイルは個々様々である。

各国の住宅内にある家財の全てを家の前に並べ、そこに住む家族と共に写真を撮った写真集がある。『家族全員と所有物一式を自宅の前に集めた世界中の写真』である。ヨーロッパでは古いものを大切に使い、必要な物しか置かれていない。ロシアでは赤い色の家財道具が多い。船の上で生活している家族には意外と家電製品が多いことに驚く。世界の国の中で、日本は家の中に家財がとてつもなく溢れていた。この家の中に本当に入っていたのかと疑う位の家財がたくさん並べられている。日本人はこれらを引越しによって運ぶのである。よって、人の手を借りなければ引越しが出来ない。引越しのTVCMが多いのは、それだけニーズがあるということだろう。

住まいを新しくする時、建て替えの場合は2回の引越し、新しい土地に建てる場合は少なくとも1回は引越しを行わなければならない。
その時がチャンス、断捨離するとてもいい機会である。減らしましょう。「いつか必要になる」いつかは来ません。今まで着なかった衣類、「痩せたら着られる」その日はいつ来るのか。記念に貰ったもの、結婚式の引き出物、台所の吊り戸棚に入っていたものなど、今まで使わずに置いたものが今後使うことがあるのでしょうか? 整理しましょう。

新しい家の計画の際、見せる家具、使う家具、収納のみ整理する家具などの収める場所をキチンと計画しておきましょう。空間には高さがあります。平面図(縮尺1/50以上)と展開図(縮尺1/50以上)を駆使して、収まる使いやすい場所を検討しておきましょう。収まる先が決まっていれば、引越しはとてもスムーズに終わるはずです。

私事であるが、今年10年ぶりに事務所の引越しをすることになった。現在の事務所は昔の運河沿いの倉庫を改修した建物で、床、壁、天井はコンクリート打ち放し、いやコンクリートやりっぱなしと言った方が当てはまる仕上げ。断熱材は無く、天井の高さが6mあり、室内の1/3を2階建てに改造して使っていた。以前の事務所に比べ面積が広くなった分、会社を立ち上げてからの20年分の書類、資料、本などをすべて整理せずに持ち込んだ。スペースには余裕があったからである。しかし、その後10年も経つと、模型やサンプル、図面、資料で溢れ始めていた。今回、移転先の新事務所を探し始め、同じ様なスペースの事務所が無いことに改めて気付かされる。そして行き着いたのは、旧横浜市役所と横浜スタジアム前の事務所ビル。今の持ち物を半分に断捨離しなければ、全く収まりそうに無い。

引越しは大変だ!

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

11月 10 21

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #14

by staff

自分軸を見つける

最近私が大好きな本 「小さな宇宙人アミ」の文中に、アミが地球の子供達と会話するシーンがあります。その中でアミが子供達に「今の地球は ちょうど太古の恐竜が強者として闊歩していた時代とすごく似ているんだ!」という会話が出てきます。
「あの時代、恐竜が一番強かったのにも関わらず絶滅したのは 肉体的には弱かった人類が知恵を持っていて その知恵が恐竜の強さよりもまさったからだよ!」と、そして、現在 私達人類は 今度は知恵以上に強いものと対峙しているのですって!
今後人類が、宇宙へ出てゆくには、知恵や頭脳よりももっともっと強力な力が存在する事を理解し、その力に従わなければならないのです。それが宇宙の法則だから・・・・。
さあ!宇宙の中で最も偉大なパワーとは何でしょうか?
それは愛です。
と宇宙人アミは本の中で伝えてくれています。嬉しくて笑い出したくなりませんか?

さて アセンションへのワークですが、これは肉体をクリアにする事。と感情帯、思考等の想念体をクリアにする事。この二つがあります。一番目に挙げたいのは 水の惑星の住民として大地の母、ガイアの血液の水。
地球を覆う70%の海水を清く保つこと。これは必須です。人類は現在まで地球と言う自分達の母体を汚して破壊してきました。これを出来るだけ回復させて行く必要があります。
私たちは繋がっています。地球が弱れば人類は滅亡に近づきます。どこから手を付けてよいのかわからないくらいに壊されてしまった地球の生態系、しかし、私達が真剣に望めば叡知の生まれる余地はまだ残されています。人類も同じ様に良い水を体内に取り入れて、添加物の無い質の良い食事をとる等、簡素で質素な日本の伝統的な食文化を見直す時が来ています。そして一番大事なことは 自分の想念体のクリアリング。
私達は前世の記憶を産まれる前に全て忘れるような地球のシステムの中で生きています。自分で今の人生コースを選択したことを忘れて生きているのです。
アセンションとはそれらの地球の忘却システムも徐々に解除されてゆき、目覚めて生きる人たちが人類の過半数に達した時に起こります。そしてその目覚めを促すような出来事が沢山持ち上がっているのが現代です。現在の地球は混沌から混乱へとますます人類を追い詰めて外側に見える現象世界がいかに危ういか、不安定なものかを教えてくれています。
今まで強固な現実として誰もが共通認識として持っていた世界観や常識を覆し、人々は揺さぶられて何を信じてよいのかわからない。コロナにしても情報の2極化が起こりはじめ体に良いとワクチンを打つ人と 体に良いとワクチンを打たない人と、いったいどちらが本当なのか、これらの真実は一体どこにあるのでしょうか?
その真実は 一人一人が自分軸に立って初めて自分独自の真実として認識されてゆくものなのだと思います。今私達に必要なのは自分を知る旅に出る事。生まれる前に自分が決めてきた青写真を信頼して、宇宙と言う大きな生命体のごく小さな一片の地球の、そのまた地球上で生きている生物として、自分達の大切な成り立ちを思い出す旅に 皆が出てゆく時なのです。勇気を持って自分の内側に蓄えられた潜在意識の海原に飛び込んで、深層の扉を開けてゆく時なのです。
被害者意識や、罪悪感、怒り、憎しみ、不安、コンプレックス、嫉妬等の感情が複雑に絡み合って私達の潜在意識層には色んな観念が付着しています。長い転生輪廻の繰り返しで血肉となっている恐怖心や絶望感等。潜在意識に固定化された観念は自分で気が付いていかないと外せません。自発的な行動以外には何の役にも立ちません。知識を詰め込んでも自分自身が体感できないと目覚めは置きません。頭脳の働きと違って 五臓六腑の腑に落ちる、しっくりくる、感性や悟性に属する霊感や直感は脈絡もなく心に浮かぶものなのです。

アセンションが起きる、風の時代は個々の時代でもあります。

集団意識の強い日本人には一見、非常に苦しい時代に思えるかもしれませんが、日本人の持つ親和力。仏教も景教も儒教も、長い歴史の中で異質な物を受け入れて融合してゆく。結果的に、独自の文化を新たに産み育んできた日本の風土は母性的な親和力が大きな特徴です。
それって、冒頭でお話した「小さな宇宙人アミ」が教えてくれている宇宙の大法則とおなじものではありませんか? 親和力とは愛です。
日本列島にはその宇宙の法則、親和力(愛)が地場の空気として古の縄文時代から連綿と引き継がれているように思えます。大自然を神とあがめて受け止める。太陽を お日様と謡い お月様 お星様 山の神 海の神 生きとし生けるものをすべて神と敬い親和してゆく。
その親和力は受容性とも包容力ともつながる母性へと導かれてゆき、いつの日か新しいイノチを、新しい時代を産む力となります。
まず自分軸に立って。自分の内側にある内宇宙を自分自身の親和力(愛)で満たしましょう。

(早苗ネネ♪)

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

11月 10 21

二度と戦争の惨禍を繰り返してはいけない。
戦後史を語り継ぐ、藤村勝典さん

by staff

皆さんは「中国残留孤児」という言葉をお聞きになったことがあると思います。報道番組や小説などを通じて、孤児の方々の波乱に満ちた生涯、戦争がもたらした悲劇についてご存知の方も多くおられると思います。その一方で、「留用」という言葉をご存知の方はそれほど多くないのではないでしょうか。私自身も今回の取材でお話を伺うまで全く知りませんでした。ネットで検索してみると、留用とは「人を自分の国にとめておいて使うこと」とあります。
今月の「ヨコハマこの人」に登場いただく藤村勝典さんのご一家は第二次大戦中にお父様の仕事で中国の大連に渡り、そこで終戦を迎えましたが、まさにこの「留用」によって中国に留め置かれ、昭和30年になってようやく祖国日本の地を踏まれました。中国で留用されていた時、そして日本に引き揚げてきてからも、多くの艱難辛苦を乗り越えてこられ、そして今、その経験を糧に横浜を中心に戦後史を語り継ぐ活動をされていらっしゃいます。今回、そんな藤村さんにお話を伺うことができました。

藤村勝典さん
 
藤村勝典さん
 
お名前 藤村 勝典
(ふじむら かつのり)
お生まれ 中華民国 旅大市生まれ、70歳
お住まい 横浜市緑区白山在住
ご家族 奥様と二人暮らし
趣味 戦後史、模型作り、音楽鑑賞、
マラソン

 

藤村さんのご両親が中国に渡られた時のこと、そして終戦後の「留用」を経て、日本に戻られるまでのことをお話しください。

私の父は福岡県出身で、「満州化学工業」という肥料や火薬などを製造する会社で電気関係の技術者として働いていました。母も同じ福岡県出身で、昭和19年に結婚するとすぐに中国の大連に転勤となりました。住まいは甘井子(かんせいし)という所で、1棟に2世帯が暮らしていました。
そして翌年、終戦を迎えると状況が一変します。日ソ中立条約を破棄したソ連軍が中国残留の日本人居住区を襲ってきました。母の話では、ソ連軍兵士が家の中に入り込み金品を物色していったとのことです。敗戦で亡国民となった民間日本人の多くが、ソ連軍ばかりでなく、中国国民からの憎しみも受け、攻撃、略奪、飢餓などで命を落としていきました。
両親はそのような状況から一刻も早く逃れたかったと思いますが、中国の国家再生のために必要な人材として、中国共産党は父のような工場技術者をはじめ医師、看護師、鉄道技術者、熟練工など多様な職業の日本人を「留用」という形で中国に留め置くこととしたのです。同じ境遇の人が約2万数千人いたと言われています。

藤村さんのご両親

終戦の年に姉の和子が生まれ、3年後に兄の伸一が、そして昭和26年に私が生まれて家族も増え、早い帰国を待ち望んでいましたがなかなかその日が訪れません。
そして、ようやく昭和28年になって留用されていた民間人の引き上げが始まり、旅大市(昭和26年に大連と旅順が合併)の寺児溝(じじこう)という所に数百人が集結しました。ここは、あまり治安のいい場所ではなく、買い物などで外出する時は許可証が必要でした。市場に行くとものすごい人で、兄の伸一が迷子になってしまいました。たまたま知り合いの医者が見つけてくれて事なきを得ましたが、一つ間違えば、兄はそのまま残留孤児になっていたかもしれません。
寺児溝では「招待所」という施設の中で暮らしながら帰国を待ちました。ところが、朝鮮戦争の混乱でいっこうに帰国の目途が立ちません。さらにソ連と中国の関係が悪化し、ソ連人技術者が帰国してしまったため、寺児溝に集結していた日本人が日を追って中国各地に散らばっていきました。我々家族も、8か月経ってから四川省へ移動することになりました。湖北省の武漢までは鉄路で移動しました。行けども行けども地平線が見える畑の風景が続き、汽車が進んでいない気がしました。やがて武漢に着き、そこで船に乗り換え揚子江(長江)を遡り四川省長寿県という所に着きました。帰国どころか、そこでさらに1年間集団生活を送ることになったのです。ただ、私自身は何故か「日本に帰りたい」という気持ちは湧きませんでした。日本を知らなかったからだと思います。
そして、ようやく昭和30年2月、私が3歳8か月の時に私たち一家を乗せた引き揚げ船「興安丸」は天津市の塘沽(たんくー)を出港し、舞鶴の港に帰ってきました。終戦からすでに10年近くの歳月が流れていました。舞鶴では九州の父方の親類が出迎えてくれました。

大連・長寿県の位置、移動の軌跡

引き揚げ船 興安丸

帰国されてからどのような生活を送られてきたのでしょうか。

祖国日本は共産圏から引き揚げた「留用者」を温かく迎えることはありませんでした。帰国直後は私たち一家は福岡の父の実家に身を寄せましたが、世間では「中共帰りの“赤”」という風評もあり、我々を受け入れてくれた伯父さん一家に肩身の狭い思いをさせてしまい申し訳なく思っています。

福岡の実家での写真

父は職を探しましたが、就職で差別されたり、中国で蓄えた財産に対する国の補償も皆無に等しいなかで、父が40歳で一家6人の生活をゼロから再出発させる苦労は並大抵ではなかったと思います。
まもなく父は実家の近くで「ラジオ修理店」をはじめましたが、1年近く経った頃、ようやく東京の計測器関係の会社に就職が決まりました。東京で単身赴任していましたが、その後、大連時代の知り合いの紹介で、三重県四日市の企業に転職し、そこで家族が合流し一緒に暮らすことになりました。私は四日市で小学校1年から高校卒業まで過ごしましたが、ここでも最初の頃は「九州から“赤帰り”がやってきた」という噂が町中に広まり、差別を受けることもありました。親が10年間も自分の人生を犠牲にしてきたのに本当にひどいと思いました。姉の和子は中国では中国人と共学で、中国語で授業を受けていたため学力が低いと見なされ、帰国後、本来は小学6年生のところ5年生に編入になりました。生活も貧しかったです。当時の日本は朝鮮特需で潤っている人もいて格差が気になったりもしました。
ですが、少しずつ地域の人たちとも打ち解けていきました。小学校2年の時の伊勢湾台風で多くの人たちが亡くなったのですが、この時に周りの人たちとの連帯感が生まれ助け合うようになったことがそのきっかけになったと思います。でも、小学校の頃は、あまりいい思い出はありません。
中学に入ってからは、ソフトテニス(軟式テニス)に熱中し大会に出たりして、気持ちが少しずつ変わっていきました。そして父の影響もあったと思うのですが、工業高校に進学し電気工学を学びました。小学生の頃、父から材料をもらって真空管ラジオを自作したりしていました。音が出た時の感激は今でも忘れることができません。
高校を卒業して就職しました。就職先は当時の松下電器産業(現在のパナソニック)で、大阪での勤務となりました。最初の3か月は、松下幸之助の経営理念等を徹底的な教育を受け、日常の行動規範である7つの精神を唱和したりもしました。松下幸之助さんご本人に会う機会もありました。夏頃、正式に採用が決まり、部品などの製造現場に配属されましたが、音響関係に興味があったので、自ら手を挙げ、希望の部署で仕事をすることができました。

お父様の背中を見て育って、同じ電気技術者としての道を選ばれたのですね。まさに日本の高度経済成長の頃で、お忙しかったことでしょう。それでも中国で生まれたという意識はどこかにあったのでしょうか。

高校の頃までは、自分が大連で生まれたことをあまり気にしないようにしていたのですが、就職の時に自分の戸籍を取り寄せたところ、生まれが「中華民国旅大市」となっていて、改めて出自を意識することとなりました。当時は蒋介石の時代でしたので中華民国となっていたのです。
そして、いつか生まれ育ったところを訪れてみたいという思いが強くなり、40歳のころ両親とともに大連に行く機会を得ました。かつて住んでいた場所にも行きましたし、父の働いていた工場も特別に見学させてもらいました。当時の機械がきれいにメンテナンスされて大切に使われていました。父を「同志」と呼んで歓迎してくれました。改めて、新中国の建設に貢献した日本人がいたこと、そして両親がその一翼を担ったことを誇りに思いました。

大連市のかつての自宅前で

横浜にはいつ頃越してこられたのでしょうか。横浜に来られてからのことをお話しください。

平成元年、38歳の時に大阪から横浜に転勤となり、以来鴨居の事業所で仕事をしてきました。そして定年まであと2年となった58歳の時、“人生の見方を少し変えてみたい”との思いから早期退職しました。
もともと生涯学習に興味があったので、退職後、町田で生涯学習の講座を受けたのですが、以前から抱いていた「自分は戦後の生まれで日本で成長したはずなのに、戸籍の出生地は中華民国旅大市となっている」という疑問をはっきりさせたい、また子供たちにも伝えたいという思いから家族史を作ることにしました。そして、終戦から10年間、中国に残留を余儀なくされた日本人家族の記録をまとめた「渇望郷」という本を執筆、平成24年7月に出版しました。中国でのことは、当時の私はあまりに幼く記憶も薄れていたので、姉の和子の記憶なども頼りにまとめました。

早期退職して、新たな人生の目的を見つけられたと言っても過言ではないですね。現在、どのような活動をされているのでしょうか。

町田で生涯学習を学ぶなかで、八王子生涯学習コーディネーター会のM会長(当時)と出会ったことが大きかったですね。そのつながりで、現在私は当会の監事を務めています。Mさんは、元NHKでプロデューサーをされた方で、原爆投下時のNHK広島放送局のことを伝える講座などを開催され、お手伝いさせていただく中で「戦後史を発掘し、語り継ぐこと」の大切さを一層感じるようになりました。
また、地元の緑区では、緑区市民活動支援センター「みどりーむ」の運営委員をやっておりまして、毎月、人と人のつながりを豊かにする活動として「サロンふらっと」を開催しています。今年の8月15日の終戦記念日には、私自身の経験をもとに中国での「留用」のことなどもお話しさせていただきました。実は、Mさんが“戦時中の歌や曲が作られたいきさつやエピソードなどを紹介する活動”をされているのですが、それを参考にさせていただき、「みどりーむ」で“ラジオドラマで綴る懐かしの昭和”という講座を開催しました。

講演中の藤村さん

また、今日同席いただいている佐々木京子さんは、地域活動の人材の発掘・育成を目的に緑区役所が主催している「ひとまちスクール」で知り合ったのですが、フィリピン・レイテ島で戦死したご自身の伯父様の手紙をもとに戦争体験を語り継ぐ講座も開催していただく予定です。実は、佐々木さんが取り持つご縁で、昭和19年10月のレイテ沖海戦で「海軍特別少年兵」として重巡洋艦「妙高」に乗艦し、米軍の攻撃を受けながらも、からくも生き延びた同じ緑区在住の吉井利夫さんとお会いする機会をいただきました。実は、私は模型づくりが趣味でして、「妙高」の模型を作る機会を頂き、とても嬉しかったです。
また、戦争体験とは少し違いますが、地元の鴨居でも地域活動をやっています。「鴨居駅周辺まちづくり研究会」の一員として、鴨居駅の清掃やイベントの開催、歴史散策、公園愛護活動などをやっています。鴨居駅の清掃は800回くらいやりまして、先日、JR東日本から表彰されました。

意欲的に取り組まれていて素晴らしいですね。今後さらにやってみたいことはありますか。

定年後の生活の三大要素は「地域活動」、「自己研鑽」、「健康」と思っており、これからも実践していきます。
なかでも地域活動については、今後も戦後史を語り継いでいきたいと思います。戦争の体験者はどんどん高齢化しています。いろいろな経験をされた方を積極的に発掘すること、そして、日本では学校で近代史をきちんと教えていないと思いますので、若い世代にきちんと伝えていく必要があります。そのため学校などとの連携が肝心です。さらに、個人的には横浜大空襲のことも調べてみたいと思っています。

最後に、藤村さんにとって横浜とはどのような所でしょうか。

私は、横浜でいろいろなことに挑戦してきました。地域活動もそうですし、健康づくりのためマラソンも始めました。還暦でホノルルマラソンを完走しました。国籍、性別関係なくそれぞれのペースで走ることは、生涯学習とも共通すると感じています。そして、挑戦することで自分自身が成長することもわかりました。
ですので、私にとっての横浜とは「挑戦と自己成長できる舞台!」です。一緒に描かれている動物はピューマです。「これからも挑戦して、まだまだ伸びるぞ!」そんな気持ちを表現したものです。まだまだ頑張りますよ。

横浜とは挑戦と自己成長できる舞台!

<取材を終えて>

藤村さんご一家は、中国に留用され、そして日本に戻られてからも筆舌に尽くし難い困難を乗り越えてこられたと思いますが、ご本人は「私よりもっと大変な経験をされた方がたくさんおられますよ。そういう方々を発掘し、後世に伝えていきたいと思います。」とおっしゃいます。
地道ではありますが、きな臭さも感じる昨今の国際情勢のなかで、藤村さんのような活動はますます大切になっていくと思います。
そして、少し驚いたのは「あなたにとって横浜は?」で掲げられた“ピューマ”の絵です。これからもその勢いで、活動の輪をさらに広げ、“二度と戦争の惨禍を繰り返してはいけない”という思いが世の中に根付いていくこと願っています。

 

(取材・文責 渡邊圭祐)

 

10月 10 21

廃校を考えよう ~磯子高校跡地の利活用について~

by staff

 

ミャンマーのサッカー選手を受け入れたことで、最近多くのメディアで取り上げられているJリーグ(J3)の横浜YSCCの吉野理事長が卒業生だということで、神奈川県立磯子高校(横浜市中区上中里町)の存在を知りました。

スポーツを通して国際貢献・地域貢献を目指す NPO法人Y.S.C.C.理事長 吉野次郎さん
(2021年3月 ヨコハマこの人)
https://yokohama-now.jp/home/?p=20291

神奈川県立磯子高校は、1977年に創立されて2020年3月に統廃合によって閉校になった高校です。ダンス部や新聞委員会が神奈川県では有名だったようで、全校生徒が1500人もいるマンモス高校でした。
調べていったら、私が敬愛する革命家、島岡氏やコマ大戦のオカシラだった緑川氏など、古くからの友人知人たちが磯子高校の卒業生でありました。お二人とも「ヨコハマこの人」に登場していただいています。

アフリカ独立革命に命をかける革命児 島岡 強さん
(2016年6月 ヨコハマこの人)
https://yokohama-now.jp/home/?p=14780

製造業モノづくりの逆襲 株式会社ミナロ代表取締役 緑川賢司さん
(2011年2月 ヨコハマこの人)
https://yokohama-now.jp/home/?p=3520

磯子高校に何だか不思議なご縁を感じていたところ、先日、卒業生たちと一緒に現地見学をすることができました。

見学会

3棟の5階建ての校舎で運動場や体育館、テニスコートがあり広くて立派な学校でした。
教室だけでも50近くあると思います。一部だけ神奈川県の倉庫として使われていますが
ほとんどの教室が備品が撤去され、ガランとしていました。

体育館

教室

見上げると美大に進学した卒業生たちが描いた「ウィンドアート」が、最上階の5階にある7教室の窓に様々な絵が描かれていました。チョークアートもありました。

卒業生のアート

閉校控え、教室の窓に生徒らが絵 卒業生らに披露へ
(2020年2月 神奈川新聞の記事から)
https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-273609.html

神奈川県では「15の春を泣かせるな」というキャッチフレーズのもと、県立高校100校計画が提唱され、1970年代から県立高校がどんどん開校されました。それが、少子高齢化社会を迎えて、最近は統廃合が進められています。廃校は高校だけの問題ではなく、小学校中学校でも起きる問題です。

今のままだと磯子高校の跡地利用は、神奈川県から横浜市に移管げされて、おそらく大手デベロッパーに売却されてしまいます。地域住民の意見は全く聞いてもらえない状況です。近頃、卒業生を中心に「磯子高校跡地利用プロジェクト」が結成されました。

プロジェクト

40億円とも言われる地価を私たちが出すのは到底無理ですが・・・
せめて売却が決まるまでの間だけでも体育館や運動場、テニスコートを近隣の住民に開放してほしい、空いている教室を使ってハンドメイドの工房などができないかなど、皆でいろいろなアイデアを出し合って、神奈川県や横浜市に嘆願しようと思います。

ClubHouseなどのSNSを通じて、様々な意見が出されています。
それを国際経営コンサルタントの稲垣力さんが、一枚の図にまとめてくれました。

企画案

実現までの道のりは厳しく険しいことは承知ですが、市民の声が届く横浜市政にかすかな期待を持っています。

磯子高校の校舎や施設をどのように使っていくのか、皆さんのお知恵をお借りしたいです。これはこれから各区で始まる廃校問題につながっていきます。よろしくお願いいたします。

 

 

 

10月 10 21

2021年10月 三ツ池だより 「“はかる”ことは確認すること」

by staff
Navigation: HOME»コラム»横須賀詢

 

車ががたがたしたので驚いた。前輪のタイヤがパンクしていた。ちょうど止めた道路が配送センターの前であった。「ここの端に置いといていいよ」と言っていただけた。車のデーラーはすぐ来てくれたが、タイヤ交換が、在庫がないからと一週間またされたのには驚いた。こんなことがあるのだろうか。なにか大変な変化が出てきそうな世の中の動きであると思った。

 「わかったこと」 けんじ
この50年何をやってきたのか考えた
考える必要はないのだった
50年やってきたから今がある
  振り返ると
  失敗ばかしが思い出される
  それを乗り越えて今がある
なにもしてこなかったわけではない
やってきたからそれらが客先の評価になり
今がある 今がある 今がある
  気が付くと様々なことをしてきた
  改善もしてきた
  それら一つ一つが血になり肉になってきた
気が付くことだ
感謝にそれがつながるのだ
さまざまなありがとうがそこにあった

難しいことがあったし、さまざまなことがあり、力がいることもあった。技術と体力双方が必要であった。計量は基本だ、力だ、宝だ。基本に計量ありきだ。共通の物差しであり、信頼の基礎になるものだ。

 「はかること」 けんじ
トラックスケールを1日100台利用するのだそうだ
そうすると1年で3万回使用することになる
  だから部品を定期的に取り替えたい
  安心して使えるといいなぁとの話
計量することを大事にしてくれていること
これは大変いいことだ
  部品取替えは定期修理の時
  必ずその時の検査項目になる
客先に本当に信頼されていれば
その時が必ずくる
  この仕事は不思議だ
  安全・安心の第一歩なのだ

沖縄の海の映像が流れる。たくさんの魚が泳いでいる。魚どうし合図でもしあっているのかな?同じ方向に大群で泳いでいる。樹齢30年というものが、大きく大きくいくつもあって、その樹海を魚たちが泳ぎまわっている。魚の群れはどんな合図で海を泳いでいるのか。同じ方向に大群で泳いでいる。

 「歩ける道があるから」 けんじ
自分の歩いてきた道は
とんでもない道であった
  でも大変であったが
  それがあるから今がる
あの時は何も見えなかったが
ただ大変だ大変だと歩き続けた
  失敗もいっぱいあった
  よく切り抜けてきたと思う
でもあの大変さが
今はなつかしく宝である
  私が歩んできた道は
  私に刻まれてきた道
どんなことも与えられた人生
私にしか体験できない人生
  大変なこともあったが
  ありがとうのわが人生だ

今、書類ファイルの数が数えられないほど溜まった。何種類かのジャンル分けて入れている。いろんなジャンルの創業の方のことや、失敗から学んでビジネスを成功する話などもある。またいろんな方からのFacebookからの情報を集めている。

 「聞こえるかな!」 けんじ
この道はいつか来た道
あしたへ続く道
  前から続いている
  そこにあったからといって
私の道とは限らない
でも私の道がないわけではない
  「勝利者は常に諦めない」
  「誰もが、いつかは人生の道の幕を閉じる日がやってくる」
「祈りの手」に感謝し
「生きている」に温みを感じ
  「たった一言」で元気になり
  「今というこの一瞬」を大切にする
「あの苦しみも」「あの悲しさも」
じぶんが自分になるためなのだ

チームを組んで仕事をしていると、どの仕事にも役割がある。勝つとか負けるとかではなく「いい仕事ができた」ということの、お互いの役割を理解して、順序良く手を打っていく。これこの場所で使っていいの、という時もある。それぞれの機器には役割がある。取引につかえるものと、様子を見るためのものと、それぞれの役割は大きく違う。適宜使い分けて使用するのだ。長いスパンの間には、他店からの該当しないものが紛れ込むこともある。計量士のチェックも安全取引に必要なことなのだ。

 「自分の道を歩く」  けんじ
道とはなに
歩いてきた道
これから行く道
  誰から見ても
  歩かされたと言われても
  自分で」歩いてきた道だ
何処に行こうとしている
何のために歩いている
そう、自分の生をまっとうするため
  厳しい険しい道もある
  ただ歩いてきた道であっても
  自分が歩いてきた道は豊かな道
後に続くものの道は
どんなものであろうと
豊かに思える道であって欲しい

友達から電話が入っていた。朝電話をかけたらしどろもどろ。そっちへいくよと声をかけて電話を切った。自宅へ行ってみたら鍵がかかっている。困っていたら、近所の人が声をかけてくれた。「昨晩、救急車が来て病院へ行ったようですよ」と。心当りの病院へ行ってみた。一つ目は「記録がない」。二つ目は「入院していない」。三つ目は「何もこたえられません」と。思案していたら2時間ほどの後に携帯に電話が鳴った。「今動けない。どこどこの病院にいる」と、なんとか聞き取れる本人からの声がきた。・・・・私たちは生きている。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

10月 10 21

しあわせの「コツ」(第58回) 「本物」とは?

by staff

第58回 「本物」とは?

10.29カラットのダイヤモンドリング。Dカラーの最高級クオリティ。
価格は非公表だが、2億円は下らないと言われている。
ハリーウィンストン所蔵

昭和天皇にまつわるエピソードは沢山ありますが、中でも私が好きなエピソードの一つをご紹介します。

時は昭和58年、インドネシアのスカルノ大統領を国賓としてお迎えした宮中晩餐会でのことです。佐藤内閣で参議院議長をされていた重宗雄三氏は、ご夫妻で晩餐会に招待されました。

晩餐会に出かける間際、雄三氏は奥様の服装が地味なので、「もっとパァッと華やかにしたら」と、注文をつけましたが、着替える時間もない奥様は、困ってしまいました。すると、雄三氏は、ふと考えて、「この間貰ったあのデカいのをつけていけ」と言うのです。それは、孫からの誕生日プレゼントのガラス玉の指輪のことでした。

「でも、あなた、あれはガラス玉ですよ」

「かまわん、いいよ、はめていけ。まさかあの席上で、天下の参議院議長の奥様がガラス玉をはめているなんて、だれも思わんだろう」

重宗夫人は素直な方だったので、ご主人の言う通りガラス玉の指輪をつけて出かけました。

重宗雄三氏

さて、宮中晩餐会が始まりました。重宗夫妻のお席は、メインテーブルで陛下のはす向かいでした。豪華なシャンデリアの光に、重宗夫人の大きなガラスの指輪はひときわピカッと輝き、人目を惹いています。けれども、夫人は指輪が光れば光るほど恥ずかしくてたまらず、小さくなっていました。

この指輪が余りにも光るので、そのうち天皇陛下が身を乗り出されて重宗夫人の指輪をじーっと見つめはじめました。奥様は、もう何とも言えない恥ずかしい気持ちになり、小さくなって食事をされたそうです。

やがて会はお開きになりました。夫人が誰かと歓談していると、陛下がお近くにいらっしゃったのです。恐縮して「本日はお招きありがとうございました」と最敬礼し、しばらくして頭を上げると、陛下は例の指輪をまじまじと見つめているではありませんか。そして奥様にこう言われたのです。

「重宗さん、先ほど食事の時に、非常に光ったものだから、よく見たらあなたの見事なダイヤでした。あの見事なダイヤをそばでゆっくり拝見させてください」

奥様は緊張しました。
(天皇陛下というお方様は絶対に誤魔化すことができないお方様。どうしても嘘は言えない。)
そう思った奥様は意を決して、小さな声で陛下のお耳元に近づいてこう申し上げました。

「陛下、誠にお恥ずかしいことでございますが、実を申しますとこれはダイヤではありません。これはダイヤのニセモノでございます」

「これ、ニセモノですか!」
と、陛下が驚かれて大きなお声を出されました。

奥様は慌ててしまい、冷や汗が出てきました。
「はい、これはダイヤのニセモノ。ガラス玉でございます」

陛下はしばらくじっと指輪をご覧になっていらっしゃいました。そして・・・

「重宗さん、本物じゃありませんか」と仰ったのです。

「違うんです。これはダイヤじゃないんでございます。ガラス玉でございます」と、夫人が重ねて申し上げると、陛下はお笑いになってこう仰いました。

「あなた、本物じゃありませんか。これねぇ、ガラスの本物でしょう」

重宗夫人は思わず胸を衝かれました。

(ああ、素晴らしいなぁ。本物だけを生きてこられたお方は、本物だけを見られるのだなぁ)と、深く感動されたそうです。

華やかな宮中晩餐会 昭和61年、チャールズ英皇太子夫妻来日時の晩餐会にて

「ガラスの本物」―
陛下にとって、いわゆるニセモノは存在しないのです。ニセモノとは、何かと比較対照するときに出てくる概念です。重宗夫人は「自分はニセモノのダイヤの指輪をつけている」という意識があったため、指輪が光れば光るほど恥ずかしくて仕方がなかった、と仰っています。

もし、本物のダイヤだったら、逆に光れば光るほど誇らしい気持ちになったことでしょう。内面に「比較」の心があったために、自分の持ち物をニセモノと認定し、卑屈な気持ちになっていたのでした。

しかし、陛下は「物そのもの」だけをご覧になっていたのです。
まばゆくカットされたガラス玉がそこにあるなら、その輝きの美しさだけを純粋に愛でればいいのです。なぜ、わざわざそこにないダイヤを引き合いに出して、目の前の美しいガラスを貶める必要があるのでしょう。

陛下の「本物」を愛する姿勢は筋金入りです。

1975年、陛下がアメリカを訪問された時、ディズニーランドで、ウォルト・ディズニー氏からミッキーマウスの絵柄入りの時計をプレゼントされました。
この腕時計は、金型製法による大量生産を世界ではじめて行ったインガーソル社が製造したもので、ファーストモデルを忠実に再現したリモデル版だそうです。

昭和天皇に贈られたものと同じ腕時計

陛下はこの腕時計を大変気に入られ、ご公務でも身に着けておられました。
普通の常識で考えれば、陛下ほどのお方なら、国産でも外国製でも、最高級の腕時計をお付けになって何の不思議もありません。けれども、陛下はこのミッキーマウスの腕時計を選ばれ、いつも愛用されていたのです。

そのため、1979年に時計が動かなくなったときは大騒ぎとなり、宮内庁の担当者が、止まった時計をアメリカの時計に詳しい東京の専門家に慌てて持ち込みました。このことは、当時のタイム誌(1979年9月18日号)でも記事となり、「国家的な心配事」となりましたが、幸い電池交換だけで済んだそうです。

1981年、三洋電機が太陽電池式の腕時計を献上するまで、陛下はずっとミッキーマウスの時計を愛用されていました。

このミッキーマウスの腕時計は、1989年、陛下の崩御に伴い、ご遺体とともに棺の中に収められました。世間一般の価値基準ではない、自分だけの「本物」を愛しきった陛下の深い愛が感じられて、思わず涙が出てきます。

昭和天皇大喪の礼
この中の棺に、ミッキーマウスの時計も入っているのです…。

私たちが「優劣」や「比較」を問題にする価値観から自由になり、自分の価値観に自信を持つようになれば、世の中には「本物」しかないことに気づくのではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「おかあさんの灯り」(幻冬舎)



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「神さまがうちにやって来る」(幻冬舎)



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10月 10 21

チョークアートとわたし #03 初めてチョークアートで賞をいただいた作品

by staff

初めてチョークアートで賞をいただいた作品

こんにちは。今回はチョークアート作品で初めて賞をいただいたエピソードをお話させていただきます。
2010年に遡りますが、その頃はちょうど習っていたチョークアートのレッスンが修了するタイミングだったので、今後どうしようかなぁと考えていた時期でした。この年は、13年飼っていたミニチュアシュナウザーのしゅうちゃんが2年間の介護の末に3月に亡くなってしまった年でした。亡くなる一年程前から、長時間家を空けることが出来なくなり家にいることが長くなっていたため、チョークアートを描いている時間が多かったように思います。しゅうの様子を見ながらチョークアートをしているのがおうち時間の過ごし方でした。

ちょうどそんな時、横浜大さん橋のレストラン船「ロイヤルウィング」主催のアートコンテストで作品を募集しているのを何かで知ったのです。絵のコンテストなどに応募した経験などありませんでしたが、この機会に 応募してみよう! と思い立ち、以前ロイヤルウィングでランチバイキングをした時の景色の素晴らしさとバ イキングの中華料理がとても美味しかったのを思い出しながら描きました。
チョークアートの黒いボードを生かし、船内で中華バイキングを楽しみながら窓の外を眺める構図にしてマスコットの船長さんにも登場してもらいました(笑)

初めてチョークアートで賞をいただいた作品
(大きさはB4サイズです)

しかしその後、しゅうの容態は悪化し、とうとう亡くってしまい悲しみの日々を過ごしていたので、コンテストに応募していた事はすっかり 忘れて いました。
しゅうが亡くなって2週間が経った頃です。ポストに封書が届きました。
なんと、コンテストで最優秀賞を受賞した知らせでした!

その時の感動は今でも忘れません。しゅうの介護をしている頃から亡くなった後のその時まで、ずっと塞いでいた心にパァっと光が差したようでした。そして、虹の橋を渡ったしゅうからのプレゼントのように感じて心が温かくなり涙が出ました。

封書には受賞のお知らせと一緒に、ロイヤルウィングのレストランで頂く豪華中華料理コースのペア券と一年間ロイヤルウィング乗り放題のパスポート券が入っていました~!
その時から、目に見えなくてもしゅうが応援してくれているんだという気持ちを持つことができ、悲しみも薄れていったように記憶しています。

そんな、私にとって心が温かくなる思い出のある作品です。

後日、ロイヤルウィングで美味しいフルコース料理を堪能し、また年間パスポートを利用して時々ロイヤルウィングに乗船し気分転換をした事は言うまでもありません (*^_^*)

(衣山裕見子♪)

 

衣山裕見子さん プロフィール

チョークアート アーティスト衣山裕見子さん
 
チョークアート アーティスト
衣山裕見子さん
 
お名前 衣山 裕見子(きぬやま ゆみこ)
お生まれ 1968年 東京都練馬区
お住まい 横浜市神奈川区
ご家族 夫・犬
お仕事 ・ナミナミチョークアートスタジオ
・一級インストラクター講師
・看板&壁画etc.アート製作
HP https://naminami-studio.com/
趣味 犬と散歩

 

 

10月 10 21

ゆるマナー講座(第72回) 三猿から学ぶ子育て

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 岡田 承子

人の記憶とはなんとあやふやなことか。

「あの日は誰々と一緒だったな」「小雨が降っていたっけ」
記憶の断片から、そんなことを少しずつ引っ張り出しながら、石段を上っていました。これを上れば、お目当てのものは前方に見えてくるはずと。ところが、階段を上ってもその先には見当たりません。そんなはずはない、私の記憶では前方にあるはずなのに・・・くるりと振り返ると後方に!

人生は繰り返し

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を見つけました。

神厩(神に仕える神馬をつなぐための建物)の長押にほどこされた猿の彫刻です。厩舎に猿の彫刻があるのは、昔から、猿は馬を病気から守るという信仰があったからだそうです。

じっくり見てみると、この有名な三猿と合わせて8面に猿の絵が彫られています。その8面で、「人生」というストーリーを表しているということです。

手をかざし、子どもの幸せな未来を見る母猿、その母猿を下からじっと見つめる子猿
世の中の悪いことを見聞きせず、悪い言葉も使わないようにする子猿たち
孤独に耐えつつ、これからの人生を考える猿は、やがて立ち上がって自立する
希望をもって上を見上げる若い猿たち
苦難に立たされた友を慰め、励ます猿たち
やがて結婚を決め、二人で協力して荒波を乗り越え、平安な家庭を築き、子どもを授かる

年齢を重ねてきた今、あらためて自分自身を振り返りながら絵を見ていくと、「人生ってホントにこの繰り返しだなぁ」と納得がいきます。この建物は寛永十三年(1636年)に造られたといいますから、どのような時代になろうとも、人(猿も!?)の一生はさして変わりがないということでしょうね。

三猿の意味

三猿は一生の中でも、幼少期を描いたものです。子どもが幼いうちは、純真で周囲の影響を受けやすいから、世の中の悪いことを見たり聞いたりさせず、悪い言葉も口にしないように、親は良いものだけ与えて育てよという意味のようです。

子どもの可能性は無限大。真っ白なキャンバスに色を重ねていくのは大人です。家族、地域、学校、友人・・・といった繋がりの中から、子どもたちは様々なことを吸収してだんだん成長していきますが、何といっても一番大きな影響を与えるのは、親ですね。保育園や幼稚園に行く前の子どもたちにとっては、何かを学べる場所は家、そして親と一緒に出かける場所、という小さな世界だけ。そこで子どもたちが耳にするもの、目にするものは、できるだけきれいなほうが良い。

大人になって親と同じ職業に就く人はかなり多くいます。長い年月、働く親を身近に見てきた結果でしょう。
子どもに暴力をふるう親もいます。その人自身も子どもの頃、同じようにされてきたというニュースを聞くこともあります。
親の影響がいかに大きいかということですね。

心を養う

子どもは3歳までに心を養え、と教えてくださった方がいます。心を養うとは、生きる力である感性を目覚めさせること。子どもを抱きしめて愛情をたっぷり注ぎ、自然でも絵画でも何でもきれいなものを見せ、音楽などきれいな音を聞かせて育てなさいという意味です。その体験をすることで子どもの心は養われていくのです。ぜひ、ホンモノに触れる体験をさせてあげてほしいなと思います。本やテレビ、インターネットからだけの知識ではなく、実際に目で見て、匂いを嗅いで、手に取って、動かして・・・そう思うと、子どもでなくてもワクワクしてきませんか。

そして、きれいな言葉遣いや元気な挨拶、明るい笑顔が、どれだけ他の人の心を穏やかに幸せにさせるかも、教えてあげてくださいね。

 

筆者プロフィール

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に

携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講

座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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10月 10 21

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第103回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第103回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

京都・高山寺に残されている800年前の絵巻物が国宝・鳥獣戯画。甲・乙・丙・丁の4巻からなり、特に “かえる・さる・うさぎ” が躍動する甲巻は有名。楽しむこと・遊ぶ時間を創ることこそ至上。新型コロナウィルスで一時中断されましたが、この春、上野・国立博物館で初めて全4巻・全画面が公開されました。人気の甲巻は動く歩道の形で公開。更に土佐光信筆の模本や狩野探幽の “探幽縮図” と呼ばれるものも。原本(オリジナル)と模本(コピー)を2度繰り返し見ることに。模本を見ることで原本の特徴が際立つことを実感。模本は原本を忠実に模写することが基本。光信のコピーの正確さ・丁寧さ・綺麗さ。一方で、原本が持つオリジナル独特の奔放な筆致、良い意味でのいい加減さ・粗っぽさ。ただ、そこから感じる力強さと破壊力。古いものは新しくつくることができないもの。息苦しい秩序ではなく、自由に呼吸している無秩序こそが人間世界。人間もまた一種のウィルス。“昨日から何を学ぶか” と映画俳優のジョン・ウェイン。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

一定レベルまでの急成長は高速道路 その後は一般道路で実力次第
コーチがあまり口を出すと 選手は自分でアイデアを出さなくなる
誰も創っていないものをつくる ダントツの強みだけが勝ちを生む
スタンダードを知り尽くした上でスタンダードを破壊する、と運慶

運慶は興福寺を拠点に活動した仏師・康慶の実子。また、快慶は康慶の直弟子。運慶は剛で、快慶は柔。共に規格を知り尽くした上で規格を破壊。完璧とは何も加えるものがなくなった時でなく何も削るものがなくなった時。運慶・快慶が活躍するちょっと前までの仏師はあくまで裏方の存在。そんな仏師の世界に革命を起こしたのが定朝(じょうちょう)。イノベーションの切り口は、貴族受けする寄木造というコスパ最強の仏像製作プロセス。“私にとって困難なことは私にとって幸運なこと” と詩人・ヴァレリー。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

同じことを言い、同じ行動を誰もがとる時は要注意
文化・思想・論理 良い仕事をしたら食っていける
信条・目標・手立て 仕事は熟考を通じて創られる
闇は光の副産物でなく 奥深い闇の中に光が生れる

“闇は光の副産物でなく奥深い闇の中に光が生れる” との視点が求められる時代に。谷崎潤一郎は “陰影礼賛” で、まだ電灯がない時代の日本の生活・風情・自然が一体化し、清貧を旨とする日本人の芸術的感性を見事に表現しました。海外の知識人・映画人にも大きな影響を与え、建築・照明・食器などの陰翳への考察にまで及ぶことに。プロのカメラマンにとってはまさにバイブル。すべてを詩化して不純・不潔な風景をも風雅な場に変貌させるデッサン。“複雑性の思考には詩的に生きることだ” と作家・モラン。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

生きるか死ぬかの決断 複数の選択肢から選ぶのではなくこれしかない一本道
失敗するかもしれない 問題は、本当に飢えているのか、何を表現したいのか
点ではなくて面のマネジメントが肝腎 大きすぎる債務はインフレを誘発する
強国は過去のW杯で何度も敗戦の屈辱を経験 伝統とは屈辱の堆積が厚いこと

伝統とは、制度・思想・芸術などにおいて、様式・傾向などの有形無形の流れを継承すること。一方で、伝統とは屈辱・誤謬の堆積とも。破壊する道を破壊しきることで再建する選択肢もありそう。また、伝統でないものを伝統として広めることで、新たな伝統を創造する道も。氷山の巨大部分を海の底から引きずり出すという挑戦。デジタル化による伝統の流動化も一段と加速。本質を方向感覚としてグリップ。“エブリシングについてサムシングを知る。サムシングについてエブリシングを知る” と思想家・徳富蘇峰。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第103回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など

 

 

10月 10 21

書評 「きっと明日はいい日になる」 PHP研究所 田中久人(著)

by staff
 
タイトル きっと明日はいい日になる
単行本 245ページ
出版社 PHP研究所
ISBN-10 456984135X
ISBN-13 978-4569841359
発売日 2018/9/18
購入 きっと明日はいい日になる

まず目次が美しいというかシンプルである。

Chapter 1
毎日が楽しくなる (幸せと思える心があればいつでも幸せになれる)
Chapter 2
一歩踏み出す (人生を変えるのは小さな一歩)
Chapter 3
人間関係がよくなる (何を言うかより何を言わないか)
Chapter 4
心を整える (生きてさえいれば次がある)
Chapter 5
自信を身につける (比べるなら昨日の自分と 信じるなら今日の自分を)
Chapter 6
夢をつかむ (これからと思えばいつでも始まる)
Chapter 7
自分らしくいる (いつでも人生は自分次第で最高になる)

そうして言葉がつむぎ出される。

「誰かを        (NO-009より)
 喜ばせようと
 毎日考えて
 行動していれば
 しあわせになる」

ただ生きるのでなく、目的をもって具体的に行動していく。

「食べること」       (NO-025より)
   命をいただくから「いただきます」
   命をいただいたから「ごちそうさま」
   命は命で支えられている
   簡単にたべものを残さないこと
   簡単に捨てないこと
   どれだけ時間をかけて
   生まれてきたのかを考えること
   食事を作ってくれた人の
   気持ちを考えること
   今日食べたものもこれから食べるものも
   自分の力だけでは得られない
   食べ物を粗末にする人は
   命を粗末にする人
   大切なものを大切にできない人に
   幸せは訪れない
   いつも食べられることに感謝すること

お腹がすいたから食べる。当たり前のように食事している。当たり前のことだと思わず、食べることが出来るところまでくるまでに、すでに沢山のことが行われていることに気づいてみよう。

「続ける」       (NO-029より)
   夢をかなえた人は
   自分を信じ続けた人
   運がいい人は
   失敗から何度も立ち上がった人
   好かれる人は
   いつも思いやりを忘れなかあった人
   愛される人は
   心から愛し続けた人
   幸せな人は
   当たり前に感謝し続ける人
   どんなときでも
   どんなことが起きても
   続けた人に明るい未来はやってくる

続けること。今したことに気付いて、続けていく、続けることの難しさはよくわかる。明日もやろうと思いながら、全く違うことを翌日している。手帳に書いておくか。

「小さな一歩でもいい   (NO-049より)
 その一歩が
 人生を変える」

もう一歩でもいいのか。そうだ一歩を始めるんだ。

「すぐに言わない」     (NO-075より)
   言いたいこと
   伝えたいことあっても
   すぐに言わないこと
   伝えたいタイミングと
   受け入れられるタイミングは
   異なることが多い
   焦って伝えても伝わらない
   相手をしっかりと見て
   話を聞いてから伝えること

言いたいことをつい言ってしまう。どんな話になるのかわからない時、つい先に言ってしまう。じっくり取り組むことなのかもしれない。焦って伝えても、伝わらないのか。わかったふりしてしまうのかもしれない。

「手を抜いて       (NO-097より)
 気を抜いて
 息を抜く
 すべて頑張ったら
 身がもたない」

そっと自分に寄り添ってみよう。そして相手の目を見てみよう。

「決めつけなくていい」   (NO-108より)
   どこの学校に入っても
   どこの会社に入っても
   人生なんて決まらない
   たとえうまくいかなかったと思っても
   いくらでもチャンスはある
   中途半端にうまくいくよりかはいい
   その悔しさを忘れなければいい
   一番よくないのは
   自分がダメだと思い込むこと
   たった一度の失敗で
   自分の可能性を決めつけないこと
   本当に結果に満足できないなら
   何度でもチャレンジすればいい
   やらなかったことを言い訳にしない
   最後に自分が立っている場所が大切

いくらでもチャンスはある。何度でもチャレンジすればいい。そして最後に自分が立っている場所が大切なんだって。そういえば、今立っているじゃぁないか。今が大切なのだ。

「本当に         (NO-124より)
 どん底なら
 それ以上
 下がることはない
 あとは上がるだけ」

あとは前進あるのみなのだ。立ち止まって考えて、そして上がっていこうよ!あとは上が  
るだけなのだから!

「自分だけではない」    (NO―133より)
   不安がない人はいない
   欠点がない人はいない
   悩みがない人はいない
   いつも笑っていても
   いつも幸せそうに見えても
   誰にも言えない悩みを
   抱えていることだってある
   それでも今日を生きている
   泣きたくても泣けなくて
   頼りたくても頼れなくて
   それでも一生懸命頑張っている
   自分だけが苦しいわけではない
   自分だけが辛いわけではない
   みんな悩みながらいきている

みんな悩みながら生きている。悩むのは大変だけど、誰でも悩みながら生きているんだから、元気を出していこう。

「すぐに取り組む」       (NO―140より)
   アドバイスを受けたとき
   すぐに取り組むか取り組まないかで
   差が生まれ始め
   たとえうまくいかなくても
   毎日続けるか続けないかで
   圧倒的な差となり
   目標を達成するまで
   諦めるか諦めないかで
   住む世界が異なる
   最初の一歩は誰でも同じ
   すぐに踏み出して続けるかどうか

チャンスは誰にでもあるんだって。すぐに毎日続けることで目標達成につながるのだ。これが出来そうでできないんだよね。

「過去は過去          (NO‐167より)
 今は今
 未来は未来
 自分は自分
 他人は他人」

自分がどうするか。自分の決断が求められている。やってみることだね。自分をしっかり見つめて行こう。

「旅」             (NO-176より)
   今までの自分を変えたいなら
   思い切って環境を変える
   今までの世界を変えたいなら
   価値観の異なる人と接する
   今までの人生を変えたいなら
   今までの自分を捨てる
   怖いかもしれない
   不安かもしれない
   それでも一歩踏み出すこと
   いつだって自由になれる
   自分で選べる
   旅は自分を変える
   旅は世界を変える
   旅は人生を変える

自分を変えることが難しいと思っていた。旅をすることなんだ。旅をするためには、計画を立てる。予算を組む。目的を決める。

「最高の人生を送る8か条」    (NO-182より)
   やり方はいくらでもあるから
   決めつけないこと
   問題にぶつかったら
   シンプルに考えること
   曖昧にしていることを
   今すぐ終わらせること
   過去を変えようとせずに
   今を変えること
   恥ずかしがらずに
   いつも感謝の気持ちを伝えること
   傷つくことを恐れずに
   ありのままの自分を見せること
   今までの自分が
   やらなかったことに挑戦すること
   まわりにどのように思われても
   一番大切な人と一緒に過ごすこと
   いつでも人生は自分次第で最高になる

読み終わり、考えていて、本を閉じた。その時に、裏表紙の著者の言葉が飛び込んできた「頑張っているのに うまくいかなくて、落ち込んでしまう・・・そんな時にこそ読んでほしい、言葉たちです。」

(文:横須賀 健治)

 

10月 10 21

チャレンジ(第38回) 必要な情報を、必要な人へ

by staff

必要な情報を、必要な人へ

こんにちは。C.P.FACTORYディレクターの平安山美春です。10月に入り私が住んでいる神奈川県でも緊急事態宣言が解除になりましたが、本当に大丈夫なのかな?と、不安な状況が続く気がします。
私もワクチン接種2回終わり少しホッとしましたが、まだまだ気をつけて過ごしたいと思います。

ワクチンと言えば私はファイザー製のワクチンを打ちましたが、「モデルナアーム」というくらいモデルナ製ワクチンは打った腕が痛く、熱が出やすいとNEWSなどで聞きました。また、若い女子のほうが熱が出やすいなども聞き、娘たちにもどうしたらいいのか?と悩んでいた時、ネットやTVから皇室の結婚問題が溢れんばかりに流れてきました。

婚約者の小室さんが帰国したタイミングで、海外の有名人?ばりの報道陣の数で、特に、小室さんの髪型については、私自身はどうでもよいネタでしたが(笑)コロナのことや、自民党総裁選もある中、なんだかな~と感じていました。有識者を含めた多くの人達がご結婚についてコメントをする中で、ふと、本当はどうなんだろうな、と、思いました。

全てデタラメなことは報道されないと思いますが、話が大きくなったり、当事者ではない誰かの話だったりすることもありますよね。特に見出しも重要で、

「小室圭さんのロン毛を見てストンと胸に落ちた(Yahooニュースより)」

とか、

「眞子さま、小室圭さん結婚へ 「妬み」を吐き出すあさましい人たち(Yahooニュースより)」

って、うん、なんとなく読んでしまいますね(笑)そしてそれを読んで、へ~そうなんだぁと、私は素直に受け取ってしまいます。皇室の話もどちらかと言うと(どちらかと言うとですよ)芸能ネタに近く、報道されたまま受け取る気がします。受け取る側は信憑性などを確認することはしないし、実際本当なのか確認する術がないですよね。

自分で見て聞いて体験しないと、その情報が正しいか判断するのは難しいですよね。では、どうしたら本当の情報を必要な人へ届けることが出来るんだろう。私はWeb解析士( https://www.waca.associates/jp/ )の仕事もしていますが、現代は情報を発信するより、より正確で自分に有益な情報をキャッチするほうが難しいように思えます。そのためには、自分自身が情報をキャッチする体制を整え、日々アンテナを張っているのも必要なんだと感じています。

「必要な情報を、必要な人へ」まだまだこれからも考えていこうと思います。

次回は「本格始動?!しあわせにゃんこプロジェクト」です 

(第38回了)

筆者紹介

 
本 名 平安山 美春(へんざん みはる)
略 歴 1973年横浜生まれ。
高校時代に米国に留学し、本場のアートと最先端のコンピューター技術を学ぶ。
 
帰国後、東京工芸大学 画像工学科(現メディア画像工学科)にて色彩画像工学を学び、卒業後、画像加工技術を活かしたグラフィックデザイナー兼DTPディレクターとして制作会社に勤務。
 
2003年長女出産を機に退職、フリーで活動を始める。
Photoshop歴25年。2児の母。
 
現在は、DTPやWEB関係の制作や解析業務、ワークショップ形式を用いた様々な講座やイベントを主催する傍ら、自分の技術を福祉の役に立てたいと考え、精神障がい者が作る自主製品のアートディレクションなども手掛けている。

 

10月 10 21

絵本から笑本へ(第64回) 絵本作家と、笑顔をつなぐ笑顔な女性たち。
~寳川 雅子さん~

by staff

絵本作家 保科琢音の連載コラム「絵本から笑本へ」の第4期

絵本作家としてこれまでにご縁のあった
「笑顔をつなぐ笑顔な女性たち」をご紹介しています。

第4期19回目にご登場頂くのは…
鎌倉女子大学短期大学部准教授の寳川雅子(ほうかわまさこ)さん

ぼくが保土ケ谷区の子育て支援拠点で

毎月開催しているイベントがあります。

『絵本作家 保科琢音と12人のお父さん達』

毎回様々なお仕事や活動をされてるお父さんにご登場頂き、
ぼくとの対談形式で育児の話や仕事の話、
家族や夫婦の話なんかをザックバランにお話してもらう
という企画。

有難い事に今年で4年も続いています。

寳川さんとの出会いは、
その子育て支援拠点でのイベントに
参加してくださった時からはじまります。

寳川さんの主なお仕事は大学の先生。

保育や育児、子育て支援がご専門。
子育てに関する論文もいくつか書かれています。

他にも保育者への研修講師。
保育園や保育所の運営委員。
絵本と保育を絡めた研究もされていたり。

はじめて会った時から色々共通する話題も多く
話が盛りあがったのを覚えています。

大学の先生ですし、ここからは
寳川先生とお呼びします(笑)

寳川先生とは色々なお話をしてきましたが、
なかてもじっくりとお話を伺ったのは
ベトナムの孤児院のお話。

ぼくが今年仲間たちと新しく設立した

出版社ラフコネクト
ラフコネクトでは絵本の製本を全て
ベトナムで行っています。

そんな関係もあり、
今後、出版社としてもベトナムでの活動も増やしていきたい。
出版社としてベトナムでやれる事はないだろうか。

そんな事を考えているとき、寳川先生が
ベトナムの孤児院と交流している事を思い出しました。

そこで、改めてお話を聞く事に。

ベトナムの孤児院と日本の乳児院

ぼく自身も何度かベトナムへ行った事もありますし。
日本の乳児院でも何度も口演させて頂いた事もあります。

ある程度知っているつもりになっていましたが…
寳川先生から伺ったお話の中には
やはりと言うべきか、
まだまだ知らない事が本当に多くありました。

当初はただ単純にベトナムの子ども達へ
絵本を届ける事を考えていたぼく達ですが、
絵本を届ける前にまずは
「紙の大切さ」を教える事も重要だ
というお話は、
特に心に響きました。

当たり前の事すぎて見過ごしていた事に
気づかされた瞬間でした。

日本のみならず、アジアの子ども達の笑顔を
守り伝えていく活動をされている寳川先生。

今後も、引き続き色々と勉強させて頂きたいと思います。
大学の生徒ではありませんが…
先生よろしくお願い致します(笑)

寳川雅子さん
(鎌倉女子大学短期大学部 准教授)

絵本作家 保科琢音からのご質問

※毎回、登場頂くみなさんへ同じ質問をしていきます。

① 『子どもの頃はどんな子でしたか?』
「子どもの頃は、外あそびの好きな子でした。夕方のチャイムがなっても気づかないで遊んでいたそうです。」

② 『子どもの頃の夢はなんでしたか?』
「夢は、お姫様になることだった記憶があります。」

③ 『これからの夢はなんですか?』
「これからの夢は、皆が安心して生活できるための社会づくりをしていくことです。」

④ 『悩みはありますか?』
「悩みですか…あります!! 悩めることも幸せだなぁとも感じます。」

⑤ 『今、一番楽しい事はなんですか?』
「今一番楽しいことは、毎日普通の生活が出来ることです。毎日の当たり前のことの繰り返しは、自分や家族などが元気でいるから叶うことです。ですから、毎日こうして普通に生活できることそのものが、楽しいなぁと思っています。」

<絵本作家 保科琢音ホームページ>

http://ehonsakka-hoshinatakuo.net/

<絵本作家 保科琢音YouTubeチャンネル>

『笑える絵本ダナ』 https://www.youtube.com/channel/…

(文・イラスト:保科琢音

筆者紹介

【保科琢音】
絵本作家・紙芝居作家
公立図書館に10年間勤務。
2013年 絵本「あっかんべー」出版
2019年 絵本「ままも」出版
2020年 絵本「ちーちゃんのおなかのあな」出版
絵本や紙芝居の創作だけでなく「読絵ん会」という名の
読み笑わせ口演を精力的に行っている。
口演場所はこれまでに600カ所以上。
2017年 ベトナムホーチミンの幼稚園、障害児施設で口演。
2019年 ベトナムにて絵本「ままも」、絵本「よぞらのおくち」の2冊同時発売。
 
また、絵書き家筆之輔(えかきやふでのすけ)の芸名で落語家としても活動。
神奈川県を中心に落語会や落語教室を開催。
様々な企業からのご依頼により創作落語をつくり口演。
保土ヶ谷区にて定例落語会「しばた。寄席」を毎月開催。
 
横浜市内の小学校では落語の授業を数多く担当。
2017年 神奈川公会堂にて「大黒寄席」開催
(※青葉区黒須田小学校、南区大岡小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)
2020年 横浜にぎわい座にて「ビックブック寄席」開催
(※南区大岡小学校、中区本町小学校の2つのクラス総勢60名の児童が出演)

ヨコハマNOW取材記事
「僕にとっての横浜は「未来へ笑がおをつなぐ街」。絵本作家の保科琢音さん」
https://yokohama-now.jp/home/?p=13904

『読絵ん会(どくえんかい)』の様子を動画でご覧下さい。

 

10月 10 21

第101回 コロナ禍で広まる注文住宅のリモートワークスペース

by staff

古川都市建築計画一級建築士事務所
古川達也

コロナ禍で広まる注文住宅のリモートワークスペース

未だコロナウイルス感染拡大の不安があり、外出自粛の生活も続いています。自ずと家に居る時間が長くなり、日々暮らしている住まいの使い勝手や居心地など、気になる方も増えているのではないかと感じます。ちょっとした工夫でより住まいが快適になるなら、少しでも活かしたいところです。

コロナ禍となり約1年半、その間に注文住宅の設計依頼を頂いた全ての住まいで共通した話題があります。それはリモートワークがし易い場所を設けたい、というお題です。家族構成や建物規模など物理的な違いだけでなく、当然皆ライフスタイルが違いますから空間イメージも様々です。情報通信技術を活用しオフィス外の特定の場所で働く勤務形態をtele(離れた)とwork(働く)を組み合わせた造語として、テレワークという言葉で表現してきました。最近では遠隔で行う、より多様な諸活動も含めたリモートワークという言葉もかなり浸透してきています。一方、居住空間において仕事をしたり、遠方の方と会議や会談をしたり、授業や講習を受けたりするなど、仕事のようで仕事でない作業も含め、リモート(遠隔)で諸活動が快適に出来ることは自然で、ポストコロナ禍を見据えたライフスタイルとしても、必要なことなのだと思いはじめています。

住まいにおけるリモート(遠隔)ワークでは、多くの場合Web環境を使うことから、移動できるスマートホン、タブレット、ノート型パソコンなどモバイル端末を活用。あるいは、あまり移動せず定位置となるデスクトップ型パソコンの活用等がともないます。移動できるモバイル型の道具を使えば、住まいにおいても適宜移動して、空いている場所、空いている椅子・机を使い、間取りにとらわれず、どこでもリモートワークが出来るのではないか、という考え方もあります。

リビングと庭との間にある、縁側空間に配置したリモートワークスペース

注文住宅としてご依頼頂き設計した、愛猫と住まうご家族のための木造2階建て個人住宅は、1階にリビングダイニング、2階に主寝室と子供室という間取りです。共稼ぎのご夫妻にとって、リモートワークが出来る場所は寝室や個室でなく、リビングの一角が良いということになりました。仕事で使うバッグや資料が気軽に置けて、出掛ける時は直ぐに持ち出せる場所が嬉しい。大きな書棚も必要。仕事をしている横で、子供たちも工作やお絵かきをしたり勉強したり出来る、ゆったり幅広のカウンターにしたい。リモート会議が時々あるので、リビングとの間をその時だけ引戸で仕切れるとありがたい。そういうイメージを具体化したリモートワークスペースになりました。ごくまれに夫婦それぞれ同時でリモート会議などがある場合は、どちらかが寝室などで対応すればハウリングなどもなく間合いが取れますから大きな問題となりませんでした。家族で気軽に活用できるだけでなく、引戸で仕切り独立性をもたせることも可能なスペースで、快適にご活用頂けています。

庭を眺めながら心地よく作業できる、
縁側空間のリモートワークスペース

実は、この家づくりはコロナ禍となる少し前だったため、設計当初はリモートワークを意識したスペースではありませんでした。リビングと繋がる縁側空間に、ご家族が皆で気軽に使えるスタディコーナー、屋内物干しスペース、家庭菜園の収穫作業スペース、庭や玄関先が見渡せる愛猫の居場所など、それらが兼ねられるということで生まれたフレキシブルな場所でした。リビングから物干しが直接見えにくく、いたずら好き?猫くんとの間合いもコントロールできると考えて設けた居間との間の引戸建具が、偶然リモート会議で役立ったのです。ご家族にとって丁度良いリモートワークスペースになったのですが、その後、別のご家族の家づくりでも参考になっています。注文住宅におけるリモートワークスペース。注目して参りたいところですね。

リモートワークスペースの縁側空間は、
愛猫ハニマル君のお気に入りの場所でもあります

今回の実例「縁側サンルームの家」は、小さなお子様とご夫妻が愛猫と暮らす横浜市内の住まいです。玄関に最も近い位置、かつ家族皆が必ず通る主動線上に手洗い器があるなど、コロナ禍における間取りの工夫となるおススメのヒントがあり、以前の投稿でもご紹介しています。合わせてご覧ください→ 2020年6月10日ヨコハマNOW第122号、第87回「間取りから考えるコロナウイルス対策と手洗いスペース」。詳しくは、ホームページ https://furukawa-arch.com/ 古川都市建築計画一級建築士事務所まで気軽にお問合せ下さい。

 

「暮らしを大切にデザインする」建築家のグループ

AA STUDIOは「暮らしを大切にデザインする」建築家たちのグループです。

それぞれの建築家に気軽にご相談ください。なお、下記のような「ナビゲートサービス」も承っておりますので、ぜひご利用ください。ホームページにお問い合わせいただければ、こちらからご連絡させていただきます。
TEL:045-351-0288 (担当:青木恵美子)でのご相談も受け付けておりますので、あわせてご利用ください。

AA STUDIO ナビゲートサービス

中立的な立場で、建築家選びをナビゲートします。ご相談は無料。
その後ナビゲートをお申し込みの場合 申込金 ¥10,000
・面談コース 面談希望建築家と面談  無料(最大3名の建築家を指名)
・提案コース 具体的なプランの提案  ¥50,000/1提案(最大3名の建築家を指名)

AA STUDIO WEB http://www.aastudio.jp

青木恵美子 有限会社 A.Aプランニング
http://www.aaplan.com
井上 玄 株式会社 GEN INOUE
https://architect.bz/
荻津 郁夫 有限会社 荻津郁夫建築設計事務所
http://www.o-as.co.jp
北島 俊嗣 株式会社 北島建築設計事務所
https://kitajima-architecture-design.com
久保田 恵子 5’st一級建築士事務所
http://studio5st.com
栗原 正明 栗原正明建築設計室
http://msak.asia
河辺 近 ken-ken.Inc. 一級建築士事務所
http://www.ken-ken-a.co.jp
鈴木 信弘+洋子 有限会社 鈴木アトリエ
http://suzuki-atelier.com
高橋 正彦 佐賀・高橋設計室
http://www.takahashi-arch.com
藤江 創 有限会社 アーバン・ファクトリー
http://www.urbanf-arch.com/
藤本 幸充 株式会社 鎌倉設計工房
http://www.kamakobo.com
古川 達也 古川都市建築計画一級建築士事務所
http://furukawa-arch.com/
水口 裕之・松井 理美子 tentline(テントライン)
http://tentline.jp
山口 賢 株式会社 アマテラス都市建築設計
http://www.amarterrance.com
山田 慎一郎 山田スタジオ一級建築士事務所
http://www.yamadastudio.com/

 

10月 10 21

早苗ネネ エッセイ ONENESS LOVE #13

by staff

自分の波長を整える

最近の世界情勢を傍観してみれば、日本人の殆どが、国家間の争いがいかに空しくて無益な行動だという事に、ウンザリしているのではないでしょうか。現在中国共産党との価値観の違いに揺れている世界情勢もありますが、それらの国家間の経済的軋轢や所有欲や執着から生まれる、古い闘争システムが徐々に崩壊しているのを目の当たりにしているのが今、と言う現在なのでしょう。

人類は今まで2千年以上続いた魚座の時代に体験してきた思考システムを、サナギから蝶になるように、古い衣を脱ぎ捨てて、物理的に変容させてゆく過程に来ています。
今まで人類が良し! としてきた価値観。私たちの血肉になっている立身出世への努力や、貨幣経済に代表される競争社会で勝ち抜く事、政治的権力等、弱肉強食的支配と闘争の時代に蓄積してきたそれらの価値観や、思考、観念を今一度見直して、これからの時代に必要のないものは ハラハラと脱皮の如く完全に手放してゆくのでしょう。
縄文の後期から弥生時代へと続き現代まで受け継がれてきた文明のテーマ。約4~5千年ぐらい前から始まった、略奪と闘争の社会は 今後 過去のものになります。
私達を突き動かしている衝動の源となる恐怖心。すなわち自分の肉体が失われる事への極端な恐れ。種としての存続が出来ないという根源的な恐怖心。これら人類の恐怖心は、肉体が全てだという狭い認識の中で生まれた古い古い感情です。この人生観は多分私達人類が20螺旋構造のDNAでしか物事を見ることが出来なかった牡羊座や、魚座の時代の典型的な価値観だと思います。したがってもっと前の文明として一万年以上も長く続いた縄文時代には違う生命観が存在していたのではないかと推測します。
縄文時代は精神文明としては現代の文明をはるかに超えて進化していたのではないかと。
(注・ホロスコープでは26000年周期の歳差運動の銀河系を20で割ると約2166年が一つの星座に留まります。それが地球にどんな影響を与えているのか、興味深いところです。)

水瓶座の時代に突入して、これから新しい多重螺旋の生命を持った子供達が沢山生まれてきて時代を担ってゆきます。その時には物理的な肉体の上には感情体や精神体が重なり又その上に霊体があるというような見えない生体エネルギーの科学も発展してゆくでしょう。
我ら人間は、この肉体の他に霊体も持っている。このことがどこまで落とし込めるか。
私自身もいつか肉体を去る時にどんな体験が出来るのか、ワクワクする反面、ふと、蔓延している見えない恐怖心にからめとられて死ぬ事がとても怖くなる事が良くあります。例えばコロナ感染に対して突然恐怖を感じたりします。さっと切り替えるようにしていますが。
肉体をまとっていることは重い宇宙服を着て生きているような、水中で酸素タンクを担いで生きているような、感覚だと言われます。肉体を脱いだ途端に本来の自分に戻って軽くなり自由自在な思考と行動が手に入ります。

私の母が東京で亡くなった時、私はマウイ島で仕事中でした。明け方自分の腕を誰かが触れた気がしてうつらうつらの中で、それが母だとわかりました。ああ!来てくれたのね。と。
肉親が亡くなったりした時には、これらの現象は多々ある事だと思います。でも、その事を、自分自身が日常的に受け入れていなかったり、死後の世界なんてない!と一笑に付してそのまま無視していると、いざ自分に死が訪れた時に「変だ、意識があるのに!」と、死んだ事が分らなくて混乱します。仏教では49日の儀式で、自分が死んだ事を受け入れて、霊の自分を導いてくれる天使たちに誘われて 自分の気持ちの相応な場所へと導かれます。
是非天国へ帰れる様に、常日頃の日常生活を明るく軽く健やかに天国の様にしておきたいものです。それが今後、この3次元世界で生きている私たちの最低限のルールとなります。
人類は現代文明の中でずっと支配権を求めて戦争をしてきました。それが魚座の時代の大切な学びでもあったのでしょう。でもこれからは、新しい生き方を選択する時が来ています。

この地上世界は私達一人一人の思考や思念が集まり、集合意識となって表の世界に現れています。コロナも、次々と現れる変異株も、ワクチンに対する疑いも、私達一人一人の心のうちに持っている恐怖心や雑多な感情や思考が作り出す思い込みや幻影が凝縮してこの社会に出現している。という真実をはっきりと見据えましょう。小さな布のマスクをするしないで大きなデモが起こり、ワクチンを打つ打たないで、どこかの国では暴動迄勃発している。自分達の想念が作っている現実に 自分達が翻弄されているのが現代です。
 自分の外側に見える現実を変えるには 自分の内側にある観念や、刷り込まれてきた思考パターンの映写機を、自分自身で取り換える必要があるのです。もういらなくなった被害者意識や弱者感。一人では何も出来ない人間なんだ。と言った無力感。現在の自分の惨めな状況を自分以外の誰かや、何かに責任転嫁するやり方では 永遠同じループの中で回り続けるモルモットや 足を引っ張り合う、競争社会のすり鉢地獄が続くだけなのです。

風の時代の中で、子供たちが自由に、無邪気に笑顔で暮らせる地上天国を作ってゆく事も、このまま、自分たちの自由意志と創造力を他の権力者にゆだねて、一見平和なんですが、おとなしく奴隷の様な支配を受けて生きるピラミッドシステムの地球人類となるか、選択は、一人一人の自由意志に任されています。
どちらの人生が良いとか悪いという物差しで測ることは出来ません。
何を望むのかは一人一人違います。ただ望んだものが現実となる。波長同通の法則は それが欲しい事でも、欲しくない事でも、貴方が把持(望む)している波動に働きます。
だから自分の潜在意識が動く心の中を掃除しておきましょう。原因は心の中にあります。
私たちの意思によって 選択可能な時代が、アクエリアス水瓶座が司る風の時代なのです。
そしてそれによって自分たちの住む世界がくっきりと変わってゆきます。
自分の内側をクリアに掃除して、シフトを変えた人達には、続くアセンション(次元上昇)が待っています。2038年頃になるのでしょうか?私はその年は88歳なのでぜひ90歳迄は元気に生きて、宇宙のフェスティバルと言われるアセンションを迎えたいと思っています。

(早苗ネネ♪)

 

「和歌うた 小倉百人一首」公式音楽ビデオ 「ひとりかもねむ」

 

迎春

 

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)を立ち上げました

日本古来の大和ことばで綴られた和歌を現代の調べにのせて歌う「和歌うた」。私 早苗ネネはもう20年近くこの「和歌うた」を歌い続けています。お蔭様で、じゅん&ネネと共に「和歌うた」は私のアーティスト活動の中心軸となり、多くの方々からご支援を賜り各地で和歌うたライブを開かせて頂いております。

この度立ち上げたネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)は、「和歌うた」とHULAや太極拳などの異文化や全国に受け継がれている伝統文化とのコラボレーションをはかります。世界の民族が持つ固有の文化とその文化の根底にある言霊が「和歌うた」と融合することで生まれる新しい表現をみんなで共有する取り組みです。

「和歌うた」のライブは歌い手と聴き手という構図です。ライブ会場はみんなで一体になって盛り上がりますが、歌い手と聴き手という構図は否めないものがありました。ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)ではワークショップ形式で参加して下さったみなさんと一緒に作品を作り上げていきたいと考えております。みんなで作った作品にはみんなの愛情が込められています。出来上がった作品はみなさんの元気の源の一助になることでしょう。

ネネグースプロジェクト(Nene Goose Project)Official Website:
nenegoose.love

 

三十六歌仙CDアルバムによせて

 

10代の頃、じゅん&ネネのネネとして歌っていた時、多くの方から「北の政所のねね様と同じ名前ですね」と言われ、歴史上に残る方と同じ名前を頂いた事で直ぐに覚えて頂き、良い事が沢山ありました。時が経ち、50歳を過ぎた頃にやっと自分のライフワークを見つけ、「和歌うた」を歌い続けて13年程に成りますが2014年の京都高台寺音楽祭に出演させて頂いた折に、三十六歌仙が高台寺様に遺されているのを知りました。その時にぜひ三十六歌仙にメロディーを付けて同じ名前のねね様に奉納したいとの思いを抱き、2015年9月6日、ねね様のご命日に発表させて頂く事に成りました。

和歌のアルバムとしては10年ぶりでやっと二枚目アルバムです。一枚目のアルバム「花のいろは」は蟠龍寺スタジオの仲間に助けられて生まれました。そして今回のアルバムも製作費は今まで私の和歌うたを聞いて応援して下さった方々のご支援で賄われています。暗中模索と無我夢中で今までよろよろと歩いてきましたが、そんな私を支えてくれる大きな愛情に気が付いて、なんて幸せ者なのかしらと思います。有難うございます。これからも自分の道を信じて歩いてゆきます。

早苗ネネ/京都・高台寺 北の政所・ねねさまに捧げる三十六歌仙 『和歌うた』CDアルバムは、 Amazon で販売しております。

 

早苗ネネさん 和歌うたLIVE

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

10月 10 21

『地理学』×『横浜愛』×『イラスト』 でまちづくり。
Yocco18代表の遠藤 望さん

by staff

 

遠藤 望さん
 
Yocco18代表
遠藤 望さん
 
お名前 遠藤 望
(えんどう のぞみ)
お生まれ 横浜市西区出身、20代後半
お住まい 横浜市神奈川区在住
お仕事 地域活動家、イラストレーター
Yocco18代表
HP www.yocco18.com
趣味 横浜18区役所巡り、 ご当地ソング集め、
商店街まち歩き

「ヨコハマSDGs文化祭」(2021年7月10日開催)で横浜市の18区を表現するYocco18のキャラクターをSDGsの17の目標にあてはめたイラスト作品が展示されました。このキャラクターの作者が今月号の「ヨコハマこの人」の遠藤望さんです。遠藤さんは、Yocco18で、SDGsの啓発活動はじめ商店街の広報活動などを支援するなど、幅広い活動を展開されています。

ヨコハマSDGs文化祭のときの展示

 

ハマッ子なんですね・・・

横浜市西区藤棚のそばで生まれました。
生まれ年は横浜ランドマークタワーの開業年の1993年、誕生日は帆船日本丸と同じ、1月27日です。
近所の幼稚園に通っていた頃から絵を描くのが好きでしたね。当時は自分で考えたオリジナルキャラクターのハートの妖精のイラストを色鉛筆で描いていました。

小学校に入学してからも図工が得意で、ずっと絵を描いていました。小学校の代表として西区の展覧会に出展したことや、私が描いたイラストが横浜市体育大会の西区のマスコットキャラクターに選ばれたこともあります。

父がIT技術者ということもあって、物心ついたときから自宅にパソコンがありました。
中学校1年生の時からは、画像編集ソフト「Photoshop」と入力装置のペンタブレットを使い、イラストを描いていました。「Photoshop」は独学では難しく、マスターするのに3年くらいかかりました。現在のイラストはすべてパソコン上で作成しています。手描きの世界には戻れないですね。
中学校のときに保土ヶ谷区と戸塚区の区境にある権太坂に引っ越ししましたが、西区の下町が大好きだった私は環境の変化に戸惑いました。そのうち、ご飯を食べているより絵を描いていたいと思うようになり、拒食症になってしまいました。150cmの身長で25kgまで体重が落ち、中学校1年生冬に神奈川県立こども医療センターに3か月間ほど入院しました。食欲がわかず、食べて栄養を摂ることがままならない状態でしたので、鼻から胃に管を通し、栄養を入れる治療を取りました。入院時は家族との面会ができず、寂しくてつらい地獄の入院生活でした。お手洗いも含め、部屋から一切出ることができなかったので、テレビを見て時間を過ごすしかありませんでした。

無事に完治した退院後は、再び中学校に行くことを考えました。ですが、それよりもずっと自宅で絵を描いていたいと思っていたことから、結局学校に通うことはありませんでした。そのため、通信簿は見事に「オール1」でした(笑)。家族は本当に優しくて、学校には無理して行かなくてもいいよ、自分で考えて、好きなことをやっていれば・・と励ましてくれました。家族は気分転換によくドライブに連れていってくれました。また体力をつけるために、毎日横浜市内の様々な場所に自転車で出かけていました。今の私があるのは、あのときに家族が支えてくれたからだと感謝しています。横浜の地理が好きになるきっかけとなった、日本の地理に興味を持ち始めたのも、不登校での生活の中でした。

高校は通信制に入学しました。自分のペースで無理なく登校し、動画を見てレポートを書いて提出する日々を送りました。そんな中、高校1年生の夏に急に足が痛くなり、お医者さんに診てもらったところ、骨嚢(のう)腫と診断されました。良性骨腫瘍のひとつで、原因不明の難病です。最初は神奈川県立がんセンターに通院し、その後は横浜市立大学附属病院に通いました。検査の結果、生命に異常はありませんでしたが、しばらくは車椅子での生活になりました。まだ体の成長期だったこともあり、手術は控え、食生活の改善と、安静にしながら自宅で経過観察をして過ごしました。そのころから新聞や専門書などを読むようになり、地理だけでなく日本の都市の政治・経済などに強く関心を持つようになりました。当時はリニア中央新幹線で始発駅に新横浜駅が議論されていたり、大阪市や名古屋市とともに都市州が議論されていたりと、ニュースで触れる度に「横浜ってやっぱりすごいところじゃん!」と思うようになりました。

骨の病気と闘い、そして治癒していく中で、またしても没頭する趣味に出会い、2度目の不登校になりました。不自由なく歩けるようになったころ、このときから横浜の各区のまち歩きを始めました。中でもよく行っていたのは、「横浜18区の区役所めぐり」です。先の市内での引越もあり、個性ある横浜18区の魅力に目覚めたのもこの時でした。市内の区役所は、ガラス張りで採光がよく明るいところ、天井が低くちょっと狭いところ、ビルみたいなところなど色々です。当時は移転したばかりの戸塚区役所が一番立派で驚きましたね。区役所にも地域性があり、訪れる住民を観察するだけでも面白いです。そんなまち歩きを通して、もっといろんな地域を知りたい!という思いが一層強くなり、郷土史なども読みました。
そして、横浜の18区の特徴をデザインしたキャラクターのイラストを描き始めたのは、その頃でしたね。これが、現在の「Yocco18」です。

大学で地理を学ばれたとか・・・

故郷の横浜のことをもっと知りたいという気持ちから、その基礎となる地理学の勉強をしたいと決心した私は、AO入試で立正大学地球環境科学部の地理学科に進学しました。地理学は地球上に存在するさまざまな「自然」や「人」、「社会」などの「事象」が、場所(地理的空間)とどのような関係があるかを知る学問で、大学では自分たちが暮らしている地域や世界がどういう特徴を持つものなのかを論理的に考えていくための学習をしました。地理学を選んで本当に良かったと思っています。大学が埼玉県熊谷市にあったので、最初の1年は学生寮に入りました。ですが、横浜(とくに西区)が恋しくなったため、2年生になったとき横浜市西区の戸部で一人暮らしを始めました。横浜に実家があるのに珍しいケースですが、自分の意思で選んだこともあり、一人暮らしも、遠距離通学も、あまり苦ではありませんでした。横浜から熊谷までは最短で片道2時間30分かかりますが、それでも横浜を離れたくない気持ちの方が強かったです。自分で言うのもなんですが、大学では成績優秀でしたよ(笑)。授業が終わってからも教授の研究室に行ってよく質問をしていました。交通地理学ゼミナールに入り、卒業論文では「通勤・通学行動にみる地域愛着度の地域的差異」を研究しました。この卒業論文は大学内で評価され、「全国地理学専攻学生卒業論文発表大会」で発表することができました。

大学生のとき

横浜市西区は藤棚商店街をはじめとして、昔ながらの商店が多い地域です。店主との会話を楽しめて、人と人とのやりとりやぬくもりを感じられる商店街が大好きでした。小学生のころ、魚屋さんにお使いに行くと、おまけにお菓子をもらったことが懐かしい思い出です。

大学4年生のときに、にしく市民活動支援センター(運営:認定NPO法人市民セクターよこはま)、西区役所主催の「西区地域づくり大学校」を受講しました。大学生の受講は初めてだったそうです。これが、私が地域活動をするきっかけとなりました。地域づくり大学校では「商店街の活性化」をテーマにし、地元の藤棚商店街の活性化のアイディアなどを考えました。

藤棚商店街は、横浜(関内)の開港場と旧東海道の保土ケ谷をつなぐ道沿いにあり、明治時代より商店が立ち並んでいた歴史があります。横浜駅に比較的近く、相鉄線や京急線の駅から徒歩10分程度にあります。横浜市電が走っていた頃は商店街の中心に停車場があり、とてもにぎわっていていたそうです。藤棚交差点を中心に5つの商店会が連なる、横浜市内有数の商店街です。名前の通り、交差点の近くには地元の人が手入れをしている藤棚があります。私は地域づくり大学校で、名称の藤棚をもっと生かそうと、藤棚を増やすことや藤の色のイルミネーションで商店街を飾ることなどを提案しました。

地域活動との関わりは・・・

西区地域づくり大学校や藤棚商店街とのご縁で、地域新聞である「藤棚新聞」のボランティアスタッフになりました。藤棚新聞は隔月発行のフリーペーパーで、藤色の紙面が特徴の折り畳みA4サイズです。藤棚新聞の活動では、商店街のユニークなお店の紹介記事や、区民まつりや防災フェスタなどのイベントの記事を書いていました。新聞だけでなく、ホームページの運用も任せられるようになり、藤棚新聞公式キャラクター「ふじなちゃん」なども制作しました。このように、地域での活動を通して様々な方々と知り合ったことが、私の財産になっています。

「ふじなちゃん」

藤棚商店街には生鮮三品のお店だけでなく飲食店やカフェなどバラエティに富んだお店がたくさんあります。地域イベントでよく出展されている「今井かまぼこ」さんのような専門店や、日本一小さな映画館と話題になった「シネマノヴェチェント」などもあります。
余談ですが、2019年には市川徹監督による藤棚商店街を舞台としたご当地映画「カラオケや兆治(元シブがき隊の布川敏和さん主演)」が公開されました。商店街や地元の方々がエキストラで出演していますが、私もその一人です。そして、タイトルロゴは私が書いています。

大学卒業後は・・・

横浜のまちづくりに関わる仕事がしたいと考えて、1年間の就職浪人をしました(卒業研究に没頭するあまり、現役での就職ができませんでした(笑))。
その後ご縁があり、横浜中華街の公式駐車場である「横浜中華街パーキング協同組合」に就職しました。接客のほか、一般事務やパーキングの巡回、インターンの指導などを経て、まちのイベントの企画なども担当させていただき、とても勉強になりました。

その後、横浜の広告会社に転職(のちに退職)し、まちづくり組織の事務局運営や、イベント企画などを経験させていただきました。仕事で地域に関わる中で、より横浜が大好きになり、横浜を住みよい街にしていきたいという気持ちが日に日に強くなっていきました。

また、2018年には特定非営利活動法人「まちづくりエージェントSIDE BEACH CITY.」(横浜市中区)に出会い、クリエイターおよびスタッフとして活動に参加するようになりました。同法人は、地域のIT技術活用支援や中間支援を行っている団体で、社会課題の解決やSDGsの啓発活動にも力を入れて取り組んでいます。ITとクリエイティブは相性が良かったというのもあり、イラストのスキルを地域活動に活かし始めたのもSIDE BEACH CITY.の活動からでした。今までは趣味で描いているだけだった横浜18区のオリジナルキャラクターを、地域活動に活かせるのではないかと提案してくださったのは、この法人のメンバーによるものです。

先日のヨコハマSDGs文化祭で展示した、「横浜18区キャラクター×SDGs」のイラストも、同法人と共同で制作しました。横浜の区の数、およびSDGsの各目標+タイトルがちょうど18でしたので、両方を併せたら面白いのではないかと思い、イラストを作成しました。SDGsの各目標と横浜の区の特徴を上手く重ね合わせて作っているので、SDGsと横浜18区の特徴を同時に知ることができます。イラストを通して、SDGsと横浜の地域をより身近に感じてもらえたら嬉しいですね。
https://sbc.yokohama/

SIDE BEACH CITY.の活動を通して、実践的なイラストやデザインの仕事がしたいと考えた私は、東京・恵比寿のデザイン制作会社で一年間アルバイトをしていました。仕事をしながら本格的なデザインを学ぶことができたのは、今の私の活動にも大きく活かされています。

Yocco18として活動を始められたのは・・・

「Yocco18」は、2020年4月から活動開始した、横浜18区のオリジナルキャラクターによる地域の魅力発見プロジェクトです。「身近な地域を知り、楽しむ人を増やす」をコンセプトに、横浜18区のそれぞれの地域の特徴をデザインに反映させたキャラクターたちが、地域の魅力を発信していきます。
具体的な取り組みとして、SNSでの情報発信や、企業や店舗・商店街・地域施設などとコラボし、集客などのプロモーション支援を行っています。私のほか、運営メンバーが1名、サポートメンバーが4名いらっしゃり、合計6人でプロジェクトを進めています。

Yocco18には、私自身がテーマとして掲げる「地理学」×「横浜愛」×「イラスト」の三つの要素をすべて取り入れています。例えば、地域に興味がない人でも、キャラクターのデザインを知ることで地域の特徴を知ることができる仕組みになっています。また、キャラクター設定の随所に歴史や地域統計なども盛り込んでいるため、地域を比較する視点や地理学的な理解の促進にもつながります。
ふだん、「身近な地域」を意識する機会はあまりないかもしれませんが、Yocco18を通して、少しでも横浜の身近な地域に親しみをもってもらえれば嬉しいです。

18区キャラクター紹介

Yocco18のキャラクターは全員、妖精だけれど大学生で地理や地域政策を学んでいます。
キャラクターは18人おり、それぞれ横浜市内各区をモチーフにしています。
たとえば、金沢区をモチーフにした「金沢(かねさわ)ふみ」は、海色の髪が特徴的なキャラクターです。

プロフィールは
出身地:横浜市金沢区 身長:158cm 血液型:AB型
風光明媚な景勝地として人気を誇った海の近く、鎌倉時代の歴史が残るまちで生まれ育つ。物静かでおちついた雰囲気がある、のんびりした女の子。見かけによらずアクティブで、自立精神が旺盛。勉強熱心で博識だが、何かに集中すると周りが見えなくなる一面もある。海と読書が好き。
趣味:読書、海岸散歩、水族館&動物園めぐり、釣り、アーチェリー、潮干狩り
「金沢ふみ」の服装にも地域の魅力がたくさんあります。
カチューシャは、貝の形(実は永島農園のしいたけ?)で、髪の毛の色は、海色グラデーションです。
海のまち(海の公園、シーサイドライン、野島公園、小柴漁港など)から水着+ワンピース・・となっていいます。

金沢ふみ

「金沢ふみ」は、Yocco18・金沢区キャラクターとして、横浜市金沢公会堂に等身大パネルが展示されています。中には等身大パネルを目的に訪れ、撮影した写真をSNSにアップしてくれる方もいらっしゃいます。
泉区では横浜市泉公会堂とタイアップし、同館の開館30周年を記念したオリジナル楽曲「中和田いずみの歌」が作られました。楽曲は、横浜市在住の音楽ユニット「終末のバンギア」さまが制作するなど、地域で活動するアーティストとも様々な形でコラボしています。

横浜市泉公会堂にて、「中和田いずみ」の等身大パネル

その他にも、横浜18区の人口の推移をまとめた動画の公開や、横浜市内の飲食店とコラボしオリジナルグッズを配布、商店街のPRキャラクターとしてYocco18を使っていただくなど、キャラクターたちはそれぞれ地域で活躍しています。ヨコハマNOWの前月号(2021年9月)に登場された小柴さんのすすき野団地の「団地ハチミツ」のパッケージには、Yocco18青葉区キャラクターの「山内あおば」が起用されています。
横浜銀行のシンクタンクである浜銀総合研究所の機関誌「Best Partner」2021年8月号の巻頭に、「等身大の横浜を楽しむ~ “横浜18区” のすすめ~」というタイトルで、私の寄稿記事が掲載されました。横浜の多様な個性を容認し、守っていくことの大切さなどについて書かせていただいています。

また、2020年5月から毎日更新を続けているTwitterは、おかげさまでフォロワーが16,000人を超えました(2021年9月現在)。キャラクターのファンの方々による、動画やイラストなどの二次創作も増え、これまで地域に関心のなかった若者たちが、地域に目を向けてくれるきっかけになってくれていることが、とても嬉しいです。

現在も様々なセクターの方々からお声がけをいただき、複数の案件が進んでいます。これからもキャラクターたちが、私が大好きな「横浜18区」そして「身近な地域」を知ってもらう「橋渡し」になってくれるように、「Yocco18」の活動を続けていきたいと思います。

遠藤さんにとって横浜とは・・・

横浜は多彩な魅力を持つ街です。
「Yocco18」では、「カラフルなまちを楽しもう! Your Own City is Colorful and One of a kind.」と呼びかけています。
横浜の魅力は港や観光地だけではありません。都会あり、下町あり、商店街あり、工業地域あり、団地あり、ニュータウンあり、漁港あり、山坂あり、田畑あり。一つの都市の中に、多彩な顔を持つことが横浜の一番の強みだと思っています。

このように、横浜は個性豊かで多様性に富んだ都市であることを、キャラクターを通してぜひ感じていただきたいです。そして、Yocco18は身近な地域の魅力を表現するツールとして、私たちだけでなく地域内外の誰もが使えるキャラクターに育てばいいなと思っています。地域を愛し、そして地域からも親しまれながら、「身近な地域を楽しむ」ことをムーブメントにしていきたいです。
私が目指す理想の状態は、市民一人一人が自分の住む地域を知り、自分なりの視点で地域での暮らしを楽しみ、そして誰もが気軽に地域のまちづくりに関与・参画できることです。Yocco18の活動を通し、そんな社会が実現できればと思っています。

ちなみに、横浜の中で一番好きな街を挙げるなら、伊勢佐木町です。
伊勢佐木町は開港とともに発展した日本最先端の繁華街でした。明治時代には芝居小屋が立ち並び、大正から昭和にかけては日本初の封切館であるオデヲン座など、最先端の映画が観られるシアターストリートでもありました。これは、現代の若者で言うところの「みなとみらい」かもしれません。私の祖母は伊勢佐木町で働いていたため、たくさんの思い出を聞いて育ちました。
現在、中心商店街としては少し寂しい雰囲気もありますが、それでも多国籍な老若男女であふれ、色々な背景の人とすれ違える楽しさがあります。種々雑多で何でも受け入れてくれる、そんな雰囲気がとても好きです。
私の伊勢佐木町の楽しみは本屋めぐりです。有隣堂本店では、新書の横浜関連の本を手に取って読むことや、いくつか残る古本屋で郷土史などを買い集めることにとてもワクワクします。

港町が拡大していき、大都市に発展した横浜市。
横浜がこれからも「多様性の街」として元気であり続けることを願ってやみません。

カラフルなまちを楽しもう!

<取材を終えて>

可愛い妖精をたくさん創り出している遠藤望さんは、清楚で素敵な女性です。まだ20代の彼女に想像を絶する波乱万丈の人生絵巻があったなんて・・お話を聞いてびっくりしました。高校までの苦労を微塵も感じさせない遠藤さんですが、妖精たちの世界に没頭することが、彼女の支えだったのだろうと思いました。18人の妖精たちには横浜の新しいキャラクターとして大きく羽ばたいてほしいですね。これからの活躍に期待いたしましょう。

 

(取材/渡邊桃伯子)

 

9月 10 21

「Clubhouse」って何?

by staff

 

7月から「Clubhouse」の「ルーム」のモデレーターをやっています。
<何のことかわかりませんよね・・>
「ルーム」の名称は「お目覚め坪さん」です。
<検索できる方はやってみてくださいね・・>

「Clubhouse」は、インターネット上の音声によるコミュニケーションサービスで、2020年4月からアメリカで始まったサービスです。日本では2020年年12月からサービスが開始され、日本でのユーザー数が急増して一時は100万人を超えたと言われました。
最近はユーザー数が減少しているようですが、他者とのコミュニケーションツールとして注目されています。

「Clubhouse」では、ユーザーが「リスナー」として「ルーム」に入り、特定のテーマについて語られる番組を聴取します。
番組内で発言できる「スピーカー」は複数人のこともあり、ラジオの討論番組のような感じです。
「モデレーター」というのは番組の司会者役で、「リスナー」を指名して「スピーカー」にすることができます。

当初は、iPhoneのみが対象でしたが、Android版のサービスが2021年5月に始まりました。
また既存ユーザーから誘われないと利用できなかった招待制は2021年7月に終了し、現在はアプリをインストールすれば誰でもすぐに使えるようになりました。

私は5月に「Clubhouse」のユーザーになり、今までは「スピーカー」のトークを聴くばかりでしたが、このたび「ルーム」(番組)を主催する立場になって「Clubhouse」の可能性を感じることができました。

特定のテーマについて数人で議論をしている「ルーム」(番組)でも、聴く立場の「ユーザー」も自らの意思で「スピーカー」として発言することができます。

インターネット上のサービスですから、世界中の人とつながることができます。私が主催している「ルーム」にも、韓国やカナダ在住の方々が登場されて、各国の生活ぶりを話してくれています。

「Zoom」等とは違って、音声だけなので通勤中でも他の作業をやっていても、気軽に聴くことができます。
ただ、「Clubhouse」では録音が禁じられていてライブだけなので、情報収集としての利用は難しいという面もあります。

ただ私は、「Clubhouse」は意見交換の場としての利用価値はあるのではないか、様々な議論を経験することは、ディベートに慣れていない私たちにとってはいい経験になるのではないかと考えています。

しばらくの間、「Clubhouse」の使い方を模索していこうと思っています。

 

 

 

9月 10 21

2021年9月 三ツ池だより 「私はまた歩き始めている」

by staff
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オリンピックが終わった。選手はいろんなものが食べられたそうだ。それも選手団に無料だったという。有名シェフが取り組んだという。60年前のことを参考とし、各国の事情も取り入れてのメニューだった。選手が喜んだというからこれに勝るものはない。食事は生活の、スポーツの基本だものね。期間中は一言も触れられなかった。閉会式の日に出てきていた感想だ。選手が喜んでいた。気持ちよく大会に参加できたとも。地味だが、評価される大会だったのはよかった。嬉しいことだ。

 「今をどうとらえていく」 けんじ
高度成長から
低成長へ
  それはどういうことか
  他国に負けていいということか
そうではない
負けるのではない
  日本らしさを
  探し続けるのだ
いちばんになろうということでなく
だれでもが自分らしさを探すことだ
  見栄をはらず
  自分らしさを表すことだ

時間があるからと、何でもできるわけではない。時間に追われている時は、次から次へやることが出てくる。あれもやりたい、これもやりたい。でも時間がない、能力がない。そういっていて、新たな挑戦は本気を試していく。

 「今何を求めている」 けんじ
そうだ
今何を求めている
そうだ
今は今だ
  ここにいて
  今を見つめている
  ここにいて
  今を考えている
本を読み終えた
すべては導かれている
本を読み終えた
今が軽く感じられる

今が幸せと言ってくれる。なぜ、どうして。息子たちがしっかり生活しているから。あのならず者の私が毎日夕方家にいるから?絵が描きあがり、孫の洋服がつくれるからなのか。結婚してもうすぐ50年になる。そこそこの生活をしている。家内は透析で苦労しているが、ここまでこれたんだね。ありがたいことであり、感謝だね。

 「鉄と鋼」 けんじ
鉄が鉱山にある時は
カーボンが多い
カーボンが1、7%より
少ないと鋼になる
  人が人であることは
  理性の所有と関係あり
  理性が少ないと人のまま
  理性がはぐくまれて人間となる
人は一人では生きられない
人が人と関わり合って
磨かれていく
相互理解があって人間関係が築かれる

オリンピックの時、入賞を逃がした選手がいた。優勝できる実力があったのだろう。落ち込むその選手に表彰台に上がる予定の外国の選手たちが担ぎ上げた。感動したシーンが映し出された。予期せぬことが起こっていた。何がどういった瞬間に感動感激がおこるのだろうか。本当にいい大会であった。

 「世界は思考で変えられる」 けんじ
東田直樹君の作品の題だ
「虫は空高く飛んで行った
すごいな、あんなに飛べるなんて」
  「人と目を合わせるのが苦手でも
  落ち込む必要はない
  目は心の窓、開いていればきっと光が差し込む」
「友達がいるからこそ
素晴らしい人生があるのと同様に
友達がいないからこそ、味わえる人生もきっとある」
  「いつか必ず勝ってやると心に誓うと
  素直に負けを認めることが出来る
  負けを認めることでしか見えない未来がある
この世界に共存しているすべての命に感謝しながら
生きてる僕の命こそ
何よりの軌跡だと信じたいものです」

東田さんの「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」を書評に取り上げたのは2014年10月10日のことでした。「自分が障害を持っていることを、ぼくは小さいころはわかりませんでした。どうして、自分が障害者だと気づいたのでしょう。それは、僕たちは普通と違うところがあってそれが困る、とみんなが言ったからです。しかし、普通の人になることは、僕にはとても難しいことでした。」
「僕は会話はできませんが、幸いにも、はぐくみ塾の鈴木さんとお母さんとの訓練で、筆談というコミュニケーション方法を手に入れました。」そして東田さんは言っています。「自閉症を個性と思ってもらえたら、僕たちは、今よりずっと気持ちが楽になるでしょう。みんなに迷惑をかけることもあるけれど、僕らも未来に向かって楽しく生きたいのです。」

 「カフェオレ」  けんじ
暑い所で
コーヒー缶が冷えて出てきた
今日は日曜の作業日
  休んでいたら
  ポンと出てきた1本のコーヒー缶
  ほっとできるうれしさ
8月も終わりだが
まだまだ暑い
この日に作業にきている
  冷えたコーヒーが
  場にうるおいを与える
  うれしい出来事
今日は一日暑いところでの仕事
皆で大変な仕事をしている
暑い陽射しがギラギラしている

これでいいということではないが、さまざまなことが起き行われている。自分の天職がその程度とおもうとそれまで、こんなことが出来てると思うと感謝だ。

 「題は何」 けんじ
何は人と可とが
合わさって可能性が出てくる
何とは何かをする可能性
  題は是と頁
  合わさって題という方向性
  題とはこれから書く方向
詩を書くことが励み
詩は言と土と寸
体の中から言葉を飛ばす
  題が可能性を引き出してくれる
  是と思うことが浮かび上がって
  言葉を書き出していく

みんみんが鳴いている。と思ったら、小さい声でつくつくぼうしの声が聞こえる。そして皆が私を追い越していく。赤い帽子の人が通り過ぎていく。白い帽子の人が私を追い越していく。そして私はノートに文字を書く。少し歩を速めてもまた追い越していく人がいる。ここは三ツ池公園。うし蛙の声が聞こえてくる。カラスが鳴いている。そして私はまた歩き始めている。

 

Photos

(画像をクリックすると拡大写真が表示されます)

     
     

(文・写真:横須賀 健治)

 

9月 10 21

ハチゴロウの鳥撮り日記 第22回「番外編 癒しのナキウサギ 北海道/駒止湖」

by staff

第22回 番外編 癒しのナキウサギ 北海道/駒止湖

コロナの終息が見えず、鳥撮りも少し自粛して以前に撮った写真を見ています。 野鳥ではありませんが、今回は可愛らしいナキウサギの写真を集めてみました。

撮影場所の駒止湖は北海道然別湖の南端にある小さな湖です。西小沼(にしこぬま)とも呼ばれています。大雪山国立公園に指定されていて自然環境が保たれています。駒止湖はナキウサギが良く見られる湖として知られています。 とは言え、ナキウサギの鳴き声は聴けても姿をなかなか見ることができません。姿を探すには鳴き声が手がかりなので鳴き声を知っておく必要があります。

鳴いているナキウサギ

鳴き声は「ピチュッ」と高い声です。鳥の鳴き声と間違えそうです。見た目もネズミに似ていて「うさぎ」特有の長い耳はありません。ネズミとの違いは門歯(前歯)だそうで、ネズミのような一対(2本)前歯ではなく2対(4本)の前歯を持っています。大きさは手のひらサイズ。
日本では北海道にしか生息していません。そもそも暑さが大の苦手な動物で、約一万年前の氷河期にシベリアから日本に来たのが所以だとされています。氷河が溶け日本に取り残されたナキウサギは涼しい北海道の山岳地に生息するようになったのです。アジアの山岳部や北アメリカに生息するナキウサギと区別するために「エゾナキウサギ」と表記されることもあります。
温暖化の影響もあり、絶滅危惧種に指定されています。

話を駒止湖にもどしましょう。駒止湖にはガレ場(大小の岩や小石がゴロゴロしている場所)が比較的ナキウサギが見つかる場所です。ガレ場は夏でも涼しいのと、天敵から身を守り易い場所でもあります。

ナキウサギは冬眠をしないので、9月から10月に掛けて越冬のために岩の下などに食糧を貯えます。蓄える食糧は木や草、シダ、コケ、キノコなどです。大好きなコケモモの季節と重なる9月頃に頻繁に現れるようです。

ガレ場でジィーとしていると見つかりません

私とナキウサギの最初の出会いは2013年6月6日の早朝、駒止湖のガレ場でした。私の背より高く伸びた熊笹の生い茂る山道に入っていった記憶があります(熊が出そうで、ビクビクものでした)。熊笹を抜けると、山道の脇にガレ場が表われました。ナキウサギが、岩の上にチョコンと乗って居ました。注意してみないと見逃すところです。大きさは15cmくらいでしょうか。この日は午前9時以降に姿を見せることはありませんでした。

葉っぱや花を食べます

2014年は、苫小牧フェリーターミナルから真っすぐ、駒止湖へ行きました。苫小牧を午前11時過ぎに出発し、駒止湖に着いたのは、午後2時50分です。ガレ場に着いてすぐナキウサギが出て来てくれました。歓迎されたようです。午後4時まで写真を撮って帰りました。翌日も早朝から撮影できました。この年は9月にも駒止湖に行きましたが鳴き声だけで姿を見ることはできませんでした。

ナキウサギは細長い糞とこの丸い糞の2種類の糞をします。同じ場所にするようです

2015年に駒止湖を訪れたのは、9月28日でした。秋に植物の葉や茎をせっせと岩の間に貯え、冬は雪に覆われたガレ場の中で、貯めたエサを食べて生活します。北海道の短い秋は、ナキウサギが活発に活動するので、撮影するには絶好の季節です。

私のブログに十勝岳望岳台で2014年から2019年に撮影したナキウサギをご紹介しております。
まだまだ可愛らしい写真がたくさんあります。写真を見てほっこりしてください。
心が癒されると免疫力が上がるそうです。コロナに負けずにがんばりましょう!

筆者紹介

 
本 名 樋口 幸春 (ひぐち ゆきはる)
略 歴 1950年6月、母の実家の東京都中野で生まれ、横浜市南区万世町で育ちました。現在は帷子川近くの保土ヶ谷区西谷町で生活しています。
県立高校の電子科を卒業し、計算機の保守サービスの仕事を約10年間従事しました。
1970年後半になると、公共の上下水道プラントシステムが計算機により制御されるようになってきたので、それらの設備の現地試験調整する部門に転籍しました。
2003年に早期退職し、アルバイトをするようになりました。この頃、近くの公園にカワセミがいることを知りました。自由な時間が増えたので、頻繁にカワセミを撮影するようになりました。
昔から鉄道を撮影していたので、カメラは持っていました。そのうちにカワセミ以外の野鳥にも興味を持つようになりました。
今では、年に数回、北海道や沖縄で、野鳥を撮影しています。
ブログ 八五郎の思い出写真館
http://08561926.at.webry.info/

 

9月 10 21

しあわせの「コツ」(第57回) 息、生き生きと

by staff

第57回 息、生き生きと

人気ボーカロイド 初音ミク

音楽がデジタル化して久しいですが、今はさらにボーカロイド(略してボカロ)が大きな市場を形成しています。ボカロとは、2003年にヤマハが開発した音声合成技術で、サンプリングされた人の声を元にして歌声を合成したものです。声に合わせたキャラクターも大勢誕生し、初音ミクやGUMIなど、生身の人間並みかそれ以上に人気を博しているキャラクターもいます。

私がボカロに関心を持ったのは、2014年の「佐世保女子高校生殺害事件」がきっかけでした。被害者と加害者の共通の趣味としてボカロが挙げられていたのです。ともにGUMIというボカロのファンだった二人の間にはトラブルらしいものはなかったといいます。陰惨な事件とボカロがどうしても結びつかず、「ボカロには、人の心にネガティブな影響を与える何かがあるのだろうか」と、漠然と考えながら、you tubeの動画を見ていた時、人間の声とボカロとの決定的な違いに「はた」と気が付いたのです。

「ボカロには息継ぎがない!」
機械で合成された音声ですから、「休止」はあっても「息継ぎ」がないのは当たり前です。何を今更、と思うかもしれませんが、同じ歌でも、人間のボーカルとボカロでは聴く人に与える影響が根本的に違うのです。

少しでも歌を習った人ならご存じでしょうけれど、歌にとって「息継ぎ」はとても大事な要素です。声を出す、というより、吐く息に自然と声が乗るようになるのは意外に大変で、腹式呼吸をきちんとできていなければいけません。CDでさえ、録音された歌には歌い手の息使いが感じられ、実際に息を吸う音が入っている場合もあります。

けれども、ロボットであるボカロは息をしません。ボカロの歌は「機械の音」であって、「人間の歌」ではないのです。機械音ばかりを聴いているうちに、人の気持ちを思いやれない、共感性に乏しい人間に育っていくことは十分に考えられることではないでしょうか。

佐世保事件の当事者たちも、ボカロではなく人間の歌手のファンだったら、こんな悲惨な事件にならなかったのではないか、とさえ思ってしまいます。

どんな生命体でも、「呼吸」をしています。人間は酸素を吸って炭酸ガスを吐き出しますが、植物は光合成で炭酸ガスを吸って酸素を排出します。呼吸は、生きている証なのです。

人間の呼吸、植物の呼吸

しかし、デジタル世界のボカロには呼吸はありません。どこにも「息遣い」がないのです。「息をしていない」=「生きていない」のです。どれほど名曲であろうと、ボカロは「声」ではなく、「機械音」に過ぎないのです。そこに生命はありません。この決定的な違いは、ボカロだけでなく、バーチャルな世界全体に言えることではないでしょうか。

ボカロは機械による合成音なので、幼い少女の音程のブレまでそれらしく再現できてしまいます。その音声に可愛らしいキャラクターがつけられ、2次元だけでなく、3次元映像でも「体験」できるようになれば、バーチャルと現実の境が曖昧になっていくのは時間の問題でしょう。実際、ホログラムの初音ミクに恋をして、結婚式まで挙げた方もいます。

2018年、初音ミクと結婚式を挙げた近藤顕彦さん。
40人の知人を招待して行われた式の費用は約200万円だったそうです。

ボカロを知ることで、人間が自らバーチャルの世界の住人になってしまったのです。毎朝優しい言葉で起こしてくれるホログラムの妻は、きっと従順で、夫の思い通りになる女性(?)でしょう。でも、生身の人間はそうはいきません。たまには喧嘩もするでしょうし、顔も見たくない日もあるかもしれません。その都度感情をぶつけていては、結婚生活はすぐ破綻してしまいます。私たちは、そこで感情のコントロールを学び合っていくのです。

 

デジタルな世界では、負けそうなゲームでも電源を切ればたちどころにリセットできます。息のない世界、すなわち生命のない世界に慣れてしまうと、生身の人間にもそういう感覚で向かうようになるでしょう。しかし、リアルな世界ではそう簡単にはリセットできません。悪意ある言葉はいつまでも心に残り、陰湿ないじめは一晩寝たくらいでは簡単にリセットされるわけではないのです。

子供たちの主な遊びが外遊びからゲームに変わっていくのに呼応するかのように、陰湿ないじめも増えているのです。

ネットいじめの増加グラフ  一般社団法人ネット削除協会
https://sakujo.or.jp/the-number-of-cyber-bullying/

まるで「息の通わない」世界が、生きて息するリアルな世界を征服したかのようですね。大人も子供も、匿名の誹謗中傷に傷つき、中には自ら命を絶ってしまう人もいます。

 

もう一度考え直してみませんか。
私たちは一刻も息しないで生きていくことはできません。生きることは「息する」ことなのです。しかも、「息」は今しかできないのです。過去を呼吸することも、未来を呼吸することもできません。今、この時を呼吸することしかできないのです。

誰かが過去のあなたをあれこれ言ったとしても、「その時のあなた」はもう存在していません。ゼロに何を掛けてもゼロであるように、既に存在しない自分のことを悪く言われても、現在のあなたはびくともしいないはずです。もし、過去のことを言われて傷つくとしたら、それはあなたがリアルとバーチャルの境目を曖昧にしている、ということなのです。

再びボカロの話に戻りますと、「音」でしかないボカロは、「言霊」が響きません。「音」としてのバイブレーションはありますが、呼吸=息によって再現される母音の響きがないのです。

言霊は「母音」を響かせることで生まれます。k,n,m,t,q, といった子音には響きがありませんが、a,o,u,e,I, という母音と結びつくことによって、kaやnoなどという響きのある音になります。

ちなみに言霊学ではa,o,u,e,I, は母音ですが、k,n,m,t,q, という(英語では子音と呼ばれる)音を「父音(ふいん)」といい、二つが結びついて生まれるkaやnoなどを「子音」と呼びます。

こうして日本語では、音も宇宙万物と同じように父と母の結びつきによって子が生まれると考えるのです。

皆さんは宮中の歌会始の中継をご覧になったことがありますか?

令和三年歌会始の儀
UTAKAI HAJIME – The Annual New Year’s ‘Tanka’ Poetry Ceremonial Party at The Imperial Palace in Reiwa 3
Articles | Art + Culture
art-culture.world

まず、講師という役目の人が、一字一句を正確に読み上げます。続いて講頌(こうしょう)と呼ばれる4人が節を付けてゆっくり唱和します。

例えば、「海」なら「う~み~」というように、母音を長く響かせるのです。ですから一首詠みあげるのにとても時間がかかります。

何故そんな詠みあげ方をするのでしょう? ―「言霊」を響かせるためです。ではなぜ「言霊」を響かせるのでしょう? ―それは、日本語が単なる意思疎通のための記号言語ではなく、宇宙に遍在する「エネルギー」を交換するための手段だからです。

つまり、良いエネルギーを与え合うことでお互いが元気に、幸せになっていくための手段が日本語という言語なのです。そいう意味では「祝詞」は言霊の塊であり、日本語の最高形態だといえましょう。

日本語の表現はあいまいで非論理的だ、と西欧語と比較してよく言われますが、私に言わせれば、「そんなことは当たり前」です。たとえば「おはよう」という挨拶一つとってもそうです。それは「朝早いですね」というメッセージではなく、相手に良いエネルギーを送る手段としてあいさつというスタイルをとっているだけなのです。「いただきます」という言葉も、目の前の食べ物に良いエネルギーを振りかけているのです。決して、何かの意味を論理的に伝えようとしているわけではありません。

「いただきます」は食べ物を祝福する言葉

良いエネルギーをやり取りするための手段。それが日本語という言語であり、言語は言霊であり、言霊は母音によって響くのです。そして母音を響かせるためには、しっかり呼吸をして息を吐かなくてはなりません。ボカロでは言霊は響かないのです。

劇団四季では、「言葉を母音だけで発音する」という訓練があります。「おはようございます」なら「おあおうおあいあう」と、声に出していうのです。ちょっとやってみると分かりますが、母音だけの発音は、腹から息を吐き、しっかり口を開け、滑舌に気を付けないと伝わりません。

こうして劇団員は言霊が響き渡る台詞が言えるようにみっちりと仕込まれます。日本語の本質は言霊であることを知り抜いた、浅利慶太さんならではの優れた俳優育成法だと思います。

母音だけで歌を歌う訓練をする劇団四季の団員たち

言霊は、音声レベルだけでなく、文字のレベルでも重要視されます。ゴミ箱を「護美箱」、「親不孝通り」を「親富幸通り」(博多)と書いたり、ネガティブな意味を打ち消すような漢字を使ったりします。また、「終わり」を「お開き」、「するめ」を「あたりめ」と、真逆の言葉で言い換えたりします。

バーチャルな世界でのやり取りが盛んな現代社会ですが、そこでの交流には「機械音」はあっても、言霊が響く肉声がありません。SNSでのいじめや炎上なども、もし言霊が響く肉声だったら、そこまでひどいことにはならなかっただろうと思います。

歌でも、音読でも、なんでもかまいません。幸あれと願う言霊が響く日本語を、生活の中に取り戻そうではありませんか。これこそが、誰でも気軽にできる本当の意味での平和運動ではないでしょうか。

筆者紹介

 
本 名 田尻 成美 (たじり しげみ)
略 歴 著述家・都市拡業株式会社取締役
著書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)
主な訳書「都市革命」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「空間と政治」(H・ルフェーブル著 晶文社)、
「文体論序説」(M・リファテール著 朝日出版社)
比較文化的視点から、日常の出来事をユーモアを交えて考察していきます。
著 書 「しあわせのコツ」(幻冬舎)



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「神さまがうちにやって来る」(幻冬舎)



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9月 10 21

ゆるマナー講座(第71回) 応援のチカラ

by staff

マナーアドバイザー/フレアLLP 柳田 圭恵子

オリンピック、パラリンピック開会式の日、ブルーインパルスがカラースモークを出しながら東京の空を飛行しました。友人は偶然にも仕事先のビルの中から、飛行隊を見つけて歓喜していました。爆音が体中に響いたそうです。昨年医療従事者の方々を励ますために飛行した時も感動の輪が広がったのを覚えています。誰かを応援するための飛行だからこそ尚更心に響いたのでしょう。

スポーツでの応援

著名なスポーツ選手達が被災地を訪れて励ますつもりが、返って勇気をいただきましたとインタビューで話しているのをよく耳にします。被災地の子ども達は選手の素晴らしいプレイを真直に見て、辛いことなど忘れたかのように大声で応援していました。そんな姿に選手達は自分達が一生懸命プレイをすることで元気になってもらえるのを思い出したかのようでした。
応援する側、される側…実はどちらも力をもらえるのですね。
お腹から大声を出したり、手を振り上げたり、拍手をしたりと体全体で応援すると、興奮で体中が熱くなります。選手と同じ気持ちになり戦いに勝ったときなどは自分も一緒に戦ったような感覚になります。本気の人の熱量は伝道して元気をいただけるのです。
応援された側も照り返しが伝わっているようです。
今回のオリンピック、パラリンピックは無観客ですから、直に応援することはできませんでしたが、テレビを通じて選手の頑張りに勇気づけられていました。
一生懸命な人の姿は美しいと改めて感じます。

大漁旗を掲げて

以前岩手県釜石市でラグビーW杯の試合が台風の影響で中止になった時、試合がないのに100旗以上の大漁旗を掲げた人たちが街を行進している映像が流れ、胸を打つものがありました。ラグビーの聖地釜石だからこその心意気かもしれませんが、色とりどりの大漁旗が空に舞う景色は何ごとにも負けないという力強いメッセージを感じました。選手達の応援のために
準備した旗ですが、多くの人に元気を与えてくれました。

身近な応援

小学校の頃、運動会で紅組、白組に分かれて鉢巻を結んで行った応援が、記憶にある最初のものでしょうか。運動が苦手だった私も声を張り上げてチームの応援をしたのを覚えています。
スポーツだけでなく、テストや学芸会やお稽古事の発表会でも大声は出さずとも家族にエールを送ってもらいました。思えば応援はいつも身近にあったのですね。

「頑張って!」「大丈夫!」、出かける時の「いってらっしゃい」もある意味応援です。
私達は周りの人にいつも応援されながら、なんとか勇気を出して様々な困難を乗り越えているのでしょう。応援する側も頑張る人に力をもらって、また頑張れる。
困難な時も、心配事があっても周りの人を応援しましょう。
きっと温かい熱伝導がおこり両方が元気になれそうです。

オリンピック、パラリンピックのテレビの前の応援でパワーチャージをしていた夏でした。

 

筆者プロフィール

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)  

柳田 圭恵子(やなぎだ けえこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空株式会社国際客室乗務員を経て、2009年よりマナー講師に。企業や自治体、大学、専門学校で接遇研修や マナー・プロトコール講座を行っている。NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師。

岡田 承子(おかだ しょうこ)  

岡田 承子(おかだ しょうこ)
マナーアドバイザー/フレアLLP
日本航空国際線客室乗務員を経て、国際交流協会での仕事、また社会福祉法人では障がい者国際スポーツ大会事務局の運営業務やマナー研修に携わる。現在は、自治体、企業での接遇研修や、NPO法人日本マナー・プロトコール協会認定講師として大学で指導をしている。

本の紹介です

ゆるマナー 始めましょ

 

 

 

「ゆるマナー 始めましょ」
(岡田 承子・柳田 圭恵子 著 / ほんの木)
簡単で、誰でも、いつでもできること、だけど何だか優しくて
温かい気持ちになる。そんなマナーを「ゆるマナー」と名づけました。
 
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9月 10 21

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第102回)

by staff

大浦総合研究所 代表/大浦勇三

ビジネス梁塵秘抄「遊・献・学」(第102回)

遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ

- 梁塵秘抄 -

千利休は戦国時代から安土桃山時代にかけての商人・茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として茶聖とも称せられています。幼名は与四郎で、後に利休。号の由来は “名利、既に休す” の意味とか。現在では “利心、休せよ” (才能におぼれずに老古錐:使い古して先の丸くなった錐)の境地を目指せとの意とも。“新型コロナウイルスのパンデミック” “気候変動問題” “人権問題” など、世の中はこれまでとは別世界。“客観を主観で捉え、主観を客観で捉え返す” との詩人の思考原理をもう一度振り返ってみる必要がありそう。それを通じて新たな世界観を構想する力量が求められているのかも。それには何かの奴隷ではなく、自由な人間として新たな教養・スキルとしてのリベラルアーツが不可欠。当然、リベラルアーツの中身も棚卸し。これまでの延長線はありえないこと。コーチングのレベルでなくメンタリングの次元へ。メンターの選択は何でもありで好き放題。“戦国時代の日本人は丸裸で生(なま)のままに生きた” と作家・和田竜。

“遊びをせんとや生れけん” 「遊」

スキャンダルが闇に葬られ、情報が隠蔽される時代は危険
見えない世界と見える世界をつなげる これが宗教の役目
読書の良さは読み直せること 歴史上の知己に出会う幸運
一つの文化の修業なしに異質の文化吸収は至難、と江藤淳

江藤淳は文芸評論家で東京工業大学教授などを歴任。保守派の論客として論壇で異彩を放ちました。プリンストン大学への留学を通じて、アメリカ社会とどう向き合うかに生涯取り組み、戦後日本における西欧模倣の近代化を鋭く批判。“奴隷の思想を排す” “夏目漱石” を執筆し、吉本隆明や三島由紀夫などに大きな影響を与えました。何よりの読書好き。読書の良さは読み直せることと、歴史上の知己に出会えること。一つの文化の深耕を通じた異質な文化の吸収。“気持ちで打ったことは一度もない” と打者・イチロー。

“仕事をせんとや生れけん” 「献」

あきらめは毒、夢は薬 お経は詩であり人間そのもの
色即是空 あると思っているものは空であり何もない
六〇歳過ぎてからの夢の実現 これこそが人生の本番
最後の勝負 いつでもどんな時も得意技で押していく

“色即是空(しきそくぜくう)” は “般若心経” にある言葉で仏教の根本教理。この世の全てのものは常なる実体はなく、縁起によって存在するものとか。“色” は宇宙に存在する全ての形ある物質や現象。 “空” は常なる実体が無いという意味。歳をとるのも一つの新しい世界。生き延びたいと思う者は何がなんでも生き延びていくもの。六〇歳過ぎてからの夢の実現こそが人生。欠陥こそが生きる出発点。やるからには得意技で勝負。それ故に必殺技にフォーカス。“森羅万象みな俳句にしてやった” と俳人・小林一茶。

“学びをせんとや生れけん” 「学」

下り坂の人生を楽しむスキル 学びの習慣がキャリアに直結
船会社が建築業 パーツでなく船全体の仕事をしてきたから
人間は慣れると崩れる 追い詰められ切羽詰っても構わない
遥かなる・果てしなき道なれど選びたる道、と作曲家船村徹

船村徹は日本の作曲家。何でもないことを何でもなく作曲するのが演歌。盟友の作詞家・高野公男との出会い。高野は茨城弁で歌詞を書き、船村は栃木弁で作曲するとの覚悟から出発。最初のヒット曲は “別れの一本杉”、その後は “王将” “矢切の渡し” “風雪ながれ旅” などのヒット曲を連発。手がけた曲は5000超。人生に泣き、酒に笑い、音楽の心を知る人生。遥かなる・果てしなき道なれど選びたる道、とはまさに実感かも。“飼い馴らされない生き方。それが誇りある生き方” と作家のフェーリクス・ザルテン。

「遊びは仕事、仕事は遊び」
「仕事は学び、学びは仕事」
「学びは遊び、遊びは学び」

今回とりあげた「遊・献・学」それぞれの4行文は、拙書「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)及び「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」(全10巻)から抽出したものです。次回以降も「遊・献・学」から各々4行文を一つずつ抽出してご紹介していきたいと思います。

「ビジネス梁塵秘抄」「続・ビジネス梁塵秘抄」購入ご希望の方はこちらからどうぞ!
http://www.syplus.jp/ooura/

(第102回了)

 

大浦勇三(おおうら ゆうぞう) プロフィール

大浦勇三(おおうら ゆうぞう)  

大浦総合研究所 代表 (http://www.ne.jp/asahi/oura/ohura-research-institute/

石川県七尾市出身。
早稲田大学卒業、筑波大学大学院修了。
米国経営コンサルティング会社 アーサー・D・リトル 主席コンサルタントを経て現職。
主担当領域は、経営改革/企業再生、経営戦略/情報通信技術戦略策定、業務改革/組織改革、研究開発/商品開発マネジメント、マーケティングマネジメント、ナレッジマネジメント、イノベーションマネジメント、サプライチェーンマネジメント、人材マネジメント、コーチング/メンタリング、プロジェクト/プログラムマネジメント、ベンチャービジネス支援等のコンサルティング。

筑波大学大学院講師、城西国際大学客員教授、名城大学講師、産業能率大学講師、中小企業大学校講師などを歴任。

主な著作物:

  • 「続・ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「ビジネス梁塵秘抄(一)~(十)」<全10巻>(大浦総合研究所:PDF版)
  • 「イノベーション・ノート」(PHP研究所)
  • 「ITプロジェクトマネジャーのためのコーチング入門」(ソフトリサーチセンター)
  • 「図解 日本版LLP/LLCまるわかり」(PHP研究所)
  • 「IT技術者キャリアアップのためのメンタリング技法」(ソフトリサーチセンター)
  • 「よいコンサルタントの見分け方、かかり方」(清話会)
  • 「日本のモノづくり - 52の論点」<共著>(日本メンテナンス協会)
  • 「現場主導型の組織運営とスピード戦略」(日本監督士協会)
  • 「eコミュニティがビジネスを変える」<訳>(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメントが見る見るわかる」(サンマーク出版)
  • 「図解 ナレッジ・カンパニー」(東洋経済新報社)
  • 「ナレッジマネジメント革命」(東洋経済新報社 )
  • 「図解 グローバル・スタンダード革命」(東洋経済新報社)
  • 「業務改革成功への情報技術活用」(東洋経済新報社)
  • 「情報化戦略と投資評価・システム運用管理の実際」<編著>(企業研究会)
  • 「会社改革実務辞典」<共著>(産業調査会)
  • 「プロジェクトマネジャー(PM)の育成・スキルアップのためのメンタリングの進め方と実践法」 (ソフトリサーチセンター:CD-ROM版)   など
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