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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第16回 第4章 フォークからニューミュージックへ 2

by staff on 2013/9/10, 火曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

第4章 フォークからニューミュージックへ 2

オフコース

 この頃になるとAマイナー、C、など単純な3和音のコード進行、単純な構成で作られていたフォークグループも赤い鳥などポプコン関係で現れてきたグループらによってバート・バカラックやカーペンターズのようなメジャーセブン、分数コード(ベースと和音が違う高度な和音)を使ったおしゃれなサウンドのフォークが登場してきます。

 際立っていたのは前出の第3回目ヤマハライトミュージックコンテストで特別賞をとった小田和正率いるオフコースで、彼らは横浜の聖光学園で結成されました。聖光学園と言えば県内でも有数の進学校で彼らも優等生だったのでしょう。元々PPMなどのトラッドフォークをやっていたバンドで、デビューは赤い鳥や拓郎と同じ頃で1970年。最初はあまり売れず、彼らの曲が頻繁にラジオで流れるようになったのは ’73年に出されたシングル「僕の贈り物」からでした。なので少し遅れた感があります。デビュー当時は小田和正、鈴木康博のデュオグループ。彼ら二人による美しいハーモニーと転調とコード進行の美しさは当時際立っていて。ファーストアルバムの多重録音を多用した完璧なハーモニーとサウンドは正に和製カーペンターズと言える物でした。

 *鈴木さんはハート&ソウルが相生町の2階にあった時企画のお仕事でハートに出演してくださいました。打ち上げの時、私のギターでビートルズを一緒に歌いまくったのは忘れられない思い出です。

 この当時は4畳半フォークから少しずつ新しいフォークへと変わっていく時期で ”叙情派フォーク” と呼ばれたものなど、新しい流れが出てきました。いくつかあげてみましょう。

バズ(BUZZ)

 やはり小田さんばりの小出さんのハイトーンが売りのバンドで ”72年のデビュー曲、日産スカイラインのCM「ケンとメリー愛と風のように」が大ヒットし、ほかにも「はつかり5号」のヒットがありました。(82年解散)

NSP

 ’73年第5回ポプコンがきっかけで同年デビュー、「さようなら」がヒットし「夕暮れ時は淋しそう」で人気グループになりました。叙情的な詩とシンプルなマイナーコードを使ったよく言えば優しい、悪く言えば軟弱なイメージで私自身は当時この辺から日本のフォークから離れていきました。

グレープ

 ごぞんじ、さだまさしが世に出たグループ長崎のラジオから火が付き ’73年デビュー2枚目のシングル「鐘楼流し」が大ヒット。フォークギターにバイオリンのユニットが受けさだの詩の世界と物悲しいメロディが多くの女性ファンを掴みました、又コンサートでは元落語研究会だったさだまさしのトークも絶妙でした。その後 ’76年ごろソロになり今に至る経緯は説明の必要がないと思われます。

ふきのとう

 ’74年ポプコン北海道大会優勝を機にデビュー「白い冬」が大ヒットしました。

 当時はこれらのフォークは暗いというイメージでわたしの周りなどでは「お前さだなんか聴いてんの?」という感じだったので、ほとんど聴いていませんでしたが、20歳くらいの頃友人の影響でじっくり聴きなおす機会がありました。あの時代特有のマイナー感、詩の世界は独特で今聞くとしみじみノスタルジーにひたれます。もちろん一人の時に。

横浜、街と風(私の高校音楽編) 1

当時高校生の音楽事情

 高校に入ると回りは当時売れていた洋楽を聴いているヤツが一杯いて、それも人によって多種多様。ある奴はディープパープルやハードロックばかり聞いているロック派、それが進化した奴はキングクリムゾン、ピンクフロイドで、この辺に凝る奴は勉強が出来てちょっとオタッキーなタイプ。ウチの学校あたりだとディスコで流行っている曲を聴いているヤツが一番多くて、ラジカセを持って来ては学校でステップの練習をしていましたっけ。そういう連中は、傍らキャロルやダウンタウンブギウギバンドを好んで聞いていたようです。そしてバンドをかじってるやつらはクリームやジミヘン、クラプトンのソロなど聴く、しかしこれは少数でした。しかし一応にみんなキャンディーズやアイドル歌謡は聴いていたようです。私は因みに小林麻美、木内みどりが好きでした。

ロック喫茶

 当時は全国的にロック喫茶と呼ばれる店が流行っていて、真っ暗な店内にでっかいJBLやアルテックのスピーカーから大音量でロック音楽がかかっていました。横浜にも何軒かあって、一番有名だったのは福富町の福井ビルの地下にあった ”ムーティ”。 扉を開けると真っ暗な店内、左にカウンターがありボックスがズラリ。長髪の学生みたいなのがムスッと音楽に聞き入っていました。ここのテーブルは光るステンドグラス風になっていて、サンタナのジャケットを使っていたような記憶があります。学校帰りに仲間と学生服の襟をおってブレザーみたいにみせ、奥でタバコをすっていると店員がこっそり近寄ってきて今、私服(警察)がはいってきたよと書いたメモをこっそり渡します。大急ぎでタバコを消して逃げるように店を出ました。何しろ音が最高に良かった! バカでっかいウーハーのスピーカーから大音量再生される音はダイナミックでべースの音が生々しく、そしてアナログ独特の温かさがありました。現在の高性能デジタルの小さいスピーカーは緻密でクリアーなサウンドですが何かが失われてしまったような気がします。

 他には野毛にあった “グッピー”、ここはアメリカンロックが主流で週末はライブがあるお店(後に私も出ます)。曙町にあった ”クレオ” はディランやバーズ、ハッピイエンドなどもかかるカントリーロックが主流でした。お店によってかかる曲が微妙にちがうのが又楽しかったですね!

エレキギター

 バイトの給料を握り締め上大岡の富士屋という質屋さんで初めてエレキを買いました、当時は質屋さんには質流れ(中古品)のギターが山ほどありました。何を買ったら良いのかまったく分からなかったので、テスコのエレキギターとグヤトーンのアンプを3万円弱で購入。当時はまだフェンダー、ギブソンは高値の花、初任給が7万円くらいの頃、15万から30万位したんですからみんな殆ど国産でヤマハとかグレコ、それでも新品は高かったのです。初めてデイトリッパーのリフを弾いた時の感激は忘れられません。それからある時突然ドラムをやりたくなり通販でパールのドラムセットを6万円で買ったときは忘れられません。雨戸を閉め汗だくになってドラムを叩いているといきなりパトカーが登場、近所から苦情がでいるから直ちにやめろと!

彼女

 中学3年から本気で付き合っていた彼女がいました、とても美人で背は自分より少し高く、気が強くて自分をしっかり持った子で、僕を呼ぶ時はいつも原と呼び捨てです。

 しかしとても気が優しく、当時気が多くて傲慢でわがままだった自分にいつも付き合ってくれました。

 部をやめ学校も休みがちになり荒んだ生活をしていた自分をいつも励ましてくれました。通学は駅で待ち合わせ上大岡から京浜急行に乗り横浜駅で別々の電車でそれぞれの高校へ向かいますが、当時の満員電車ははんぱじゃない混雑でしかもものすごい揺れて横浜駅につく頃はへとへとで汗まみれでした。残暑厳しいある日、満員電車に嫌気がさし、目が合った二人は横浜でみんな降りて空いた車両に座りそのまま品川まで行き、折り返した電車で今度は逆の終点逗子まで行き、また戻って上大岡で喫茶店に入ってエスケイプ。いつも行きつけの珈琲館のママとマスターはいつもかくまうように学生服の僕らを迎えてくれ、いつものモカマタリを出してくれました。

 家族には二人の付き合いを反対されてたようで、ある日僕の家に遊びに来ている時、彼女の母親が連れ戻そうとやって来ました。その時彼女は2階の階段から玄関に向かって「帰ってよ!私は自分の意思で行動しているんだから」と追い返してしまいました。そのいさぎよさに自分はただ唖然とするばかり。。。彼女は自分の家の事はあまり話しませんでしたが、裕福で厳格な家らしく、両親との葛藤があったようです。翌日会うと彼女の顔にはあざが。。。父親に灰皿を投げられたそうです。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL
〒231-0014 横浜市中区真砂町3-33 CERTE11階
営業時間
平日:OPEN 19:00 CLOSE 4:00 LIVE START 19:50~
休・祝日:OPEN 18:00 CLOSE 24:00 LIVE START 18:40~
TEL:045-664-5569
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地下鉄関内駅より徒歩1分
Websie http://www.heartandsoul-live.com/

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