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書評 「五輪書・自己を磨き、人生に克つためのヒント」 PHP研究所 宮本武蔵著・渡辺誠編訳

by staff on 2013/11/10, 日曜日
 

 「今からおよそ三百七十年前の寛永二十年(1643)の晩秋、九州・肥後の金峰山の麓の霊厳洞(れいがんどう)なる洞窟で、彼は老残の病体に鞭打つかのように、この畢生(ひっせい)の大作の筆を執っている。」まえがきに編訳者の渡辺氏は書く。

 この2013年9月の金峰山の麓の稲穂が小金色の時に、偶然私は霊厳洞に立った。岩のごつごつした道を、五百羅漢に迎えられるように過ぎると大きな洞にであうのであった。

 地・水・火・風・空の五巻にわかれているのは、仏教における宇宙観である五大五輪からきているのだ。

 地の巻には宮本武蔵の創造した剣のバクボーンが述べられている。「真剣勝負に勝つための兵法の知恵の基本は、生きるために自分の弱さに克ち、強力な他者に勝ち、組織を動かして勝ち残らせる普遍的なヒントとなるものである。」宮本武蔵の興した兵法は二天一流という。「小さいことを鍛錬して積み重ねるとわが自然の動きが兵法の神髄に当を得ることになった。」

 「武士と生まれたからには、何事においても他者より優れようと志し、兵法を修業して、一対一の切合いに勝ち,主君のために、自分自身のために名を上げ、身を立てるものである。ここに兵法の徳がある。」 兵法の道と言う事の中で「自分の専門分野以外のことに無関心である人は、創造的な仕事をすることができない、とは実業の世界だけでなく、学問や芸術の世界でもよく言われることだ。」

 水の巻は水の境地に至る意味をこめてのことである。「水は四角の器の中では四角になるし、円形の器では円形になるかと思うと、一滴の水が、青海原ともなる。また、水は雑じり気なく清い、という意味から私の流儀のことを水の巻として、ここに書くものである。」では!「大将の用いる兵法は、一対一の戦いにおける兵法を、そのまま大きくすることに他ならない。」「うわべばかりの剣術の是非を確かに見分けて、一人の敵に勝つことに自由を得ることは、世界のあらゆる人間に勝ことに等しい。」

 噛み砕いて書くのは難しいがとまえがきがある。「書いておることを、自分の身に引き取ってみることだ。読むと思うのでなく、習う、または、まねをするというのでもなく、自分の心に突き刺さることを見出し、これを常に実行することである。」心と体のかねあいを工夫することだという。「小心と見られる者は、大胆なことをすべて心に叩き込み、大物と見られる者は、細々としたことを十分に心に知らしめておくこと。そして、その心の持ち様に自己満足することのないようにすること。」

 そして兵法の身なりの事にも触れる。「兵法の姿勢については、常の身、自然体ということになる。人間の日常自然の姿勢と、兵法の姿勢とを同じくすることが大切である」太刀の持ち方にもふれている。「手にしても、居付くことは好ましくない。居付くとは固着する手は、死ぬる手、すなわち声明を失った手であって、対して、居付くことのない手は、生くる手、と心得ておくことである。」

 火の巻は集団戦のことを書き記している。「火というものは大きくもなり、小さくもなり、きわだって尋常ならざる状態を呈するものだから、火の巻と称して合戦のことを書くものである。」「枕をおさふると云う事」という項目がある。相手に有効に働くことを押さえ込み、敵の働きをおさえてみせるということでは「敵と攻め合うとき、敵の何らかの意図を、敵がいまだ実行せぬうちに見て取り、敵が打つと見れば、その頭字の”う”を押さえ込んで、その後を封じることなのである。」先手を取ることなのである。敵になるという項目がある。「敵になるとは、自分の身を敵の身になり変えて、敵の心理に思いをはせることである。」

 山海のかわりについてで次ように書かれている。「一度で成功しなければ、もう一度その方法で攻め立てて、それでも成果が出ないとき、まったく変わった戦法を唐突に用いること。なおかつ効果がないときは、また、全然別の手段に出ることである」だから「ぎしぎし軋み合っていると見たときには、いつも新たになるの教えにより、一気に心を転換して、意想外の戦法によって勝つことだ。」

 風の巻は世の中に行われている兵法の流儀のことを記載している。「自分では正道と思っていても、とらわれない見地からすれば、真実の道とはいえないことになる。真実の道を究めなる姿勢でないと、ほんの少しの心の歪が後々大きな歪となってしまうから、このことをよく検討しておくべきだ。」「他者があってこその自己ということに目を開いて、世の人間について知ることは、わが道を正すうえでも大切である。他流において強みの太刀というものがある。仮に、強みの太刀、で相手の太刀を強く振ると、張り余って体制が崩れ、必ず思わしくないことになってしまうものである。相手に強い衝撃を与えると、自分の太刀も、折れて砕けることもある。であるから、強い太刀などというものは、ないものと心得よ。」

 他流における目付の教えについて「敵との試合に馴れるうちに、相手の人間の心の軽さ重さというものを察知し、修行によって、相手の太刀の遠い近い、遅い速いということまで、どのようなことでも見えるようになるものだ。」「大局観を忘失すると組織力は低下するのでこの理を鍛錬することだといい、伝授するときは学ぶものの技量、知恵のつき具合を尊重し、それに応じた教授法を導入し、自然にその道の深い教えに近づいていくように仕向けるのだ。」

 空の巻は兵法の道は、奥も入口もなく、空であることをいおうとしている。「武士は兵法の道を確かに身につけて、そのほかの武芸をよく稽古することだ。その修行を、暗さも迷いもなく、四六時中、怠ることなく行うことで、”心”と”意”の二つのこころを磨き、”観”"見”の二つの眼を研ぎ澄まし、一点の曇りもなく、迷いという雲がからりと晴れ渡った境地に至ることが、実は”空”の教えと受け取るべきである。」

 実は「中小企業地球環境問題交流会in熊本」に参加した。どうしても行きたいと思っていたので宮本武蔵の里に足を延ばした。「新編新訳 五輪書 兵法二天一流真諦」宮田和宏編・訳をそこで求めた。その後この本に書店で出会った。まことラッキーな出会いであったことを付け加えておきたい。

(文:横須賀 健治)

 

 

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