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中小経営のニッチから国際化へ(第4回)

by staff on 2013/12/10, 火曜日

デジタルハリウッド大学大学院/NVD株式会社 松本英博

1.ニッチ分野と国際化

 これまでのコラムを読んで、少なくともニッチ(niche)分野が存在することは分かると思います。しかし、今回取り上げる国際化と聞くと、かなり自社や自分の事業とは遠いと考える人も多いのではないでしょうか。

 確かに、国際化は多くのハードルがあるのはご承知のとおりですが、ニッチ分野を考える場合、顧客数(母数)を考える上でも、国内だけでは採算に合わないかもしれません。お客様の対象を海外に想定するだけでも、母数は増え、ニッチ分野から別の分野に広がっていくことになるかもしれないからです。ニッチ分野を国際的な視点でみることで、大きく跳躍することもあるのです。

 ここで国際的にもブランドが浸透しているソニーを取り上げましょう。中小経営なのにソニーでは大手で参考にならないと思われた方、ちょっと待ってください。どんな大手でも創業時は小さなニッチ分野を攻める、今でいうベンチャー企業であったことは事実です。ソニーも例外ではなく、国内大手が戦前に端を発している中で戦後の後発の小さな電機メーカー「東京通信工業」から始まったのです。

 創業時から成長期のソニーにとって、当時から多くの販売網をもつパナソニックとは違って一般販売には反って弱かったといいます。井深大氏と盛田昭夫氏らの創業物語は多くの著作があるので、そちらに譲るとして、この販売網のなさ、言い換えればニッチ分野での勝負がソニーのブランドを形成していくことになります。(参考として『ソニーのふり見て、我がふり直せ。 ブランドで稼ぐ勘と感』(山口誠志著、株式会社ソル・メディア刊)がブランド面からの視点が面白い)

 大手、例えばパナソニックのような販売店との強いコンタクトがないソニー。いくら日本初のテープレコーダーやトランジスタラジオを開発するにしても、売り先がなければ滞ってしまいます。盛田氏は、そこで一般売りよりも実際にテープレコーダーを買ってくれるニッチ分野のお客様に目を付け始めます。音声を確実に撮り、再生することを必須とするのは、プロフェッショナルな、今でいう放送業界でした。テープレコーダーは当時放送局でも高嶺の花。さらに、大きくて保守も大変な海外製品ばかりです。国産で安価、さらに小型であれば、申し分ないとニッチ分野であるお客様に受け入れられると睨みました。しかし、そうはうまくいかないのもビジネスの世界です。当時、米アンペックス社が市場をリードしており、いくらニッチといえども、最高級はアンペックス社として、お客様は誰も取り合ってくれません。

 盛田氏の頑張りは、ここにあります。つまり、海外から国内戦略を見て言った点です。今でも米国放送機器展は業界の技術的な基軸をきめることで有名ですが、そこでの展示が大きな転機になりました。プロの目で公平に同社の製品の性能を目の当たりにみた、米国放送業界のエンジニアたちは、こぞってソニー製品を購入していきます。それが、日本の放送業界にも飛び火し、国内の電機メーカーを抑えて、ソニーが音響機器、ビデオ機器でのリーダーとなる足掛かりができました。その後、最先端の技術を投入し、さらに小型化していくことで、徐々に、一般消費者にも、最先端のオーディオならソニーといったブランドイメージが生まれ始めます。

2.成功要因は何か

 またまた、ソニーの事業の柱となる音響機器、ビデオ機器の成功の要因はどこにあるかを前々回示した、4つのポイントで見てみましょう。

① 誰にも売れない、誰でもできない、誰にも儲けられない
② 誰にも売れない:ニッチチャンネルの独占
③ 誰にもできない:ニッチ・コアの確立。
④ 誰にも儲けられない:ニッチ・障壁の高度化

のなかで、①~④ の何れもソニーの創業当時は極めて厳しいものでした。あえて、強いのは ③ の技術力だけと言えるかもしれません。①、② 共に国内の大手と真っ向から戦っていては、到底勝てないということになります。そこで、盛田氏は、①、② で勝てる見込みのある場所を探したのです。今回は、米国の放送業界のエンジニアたちです。彼らは米国内外の電機メーカーの技術を公平に評価して、例え無名であっても自分たちの仕事に大いに役立つなら興味を持ち、評価する人たちでした。つまり、国内販路が弱いという弱点を逆手にとって、海外から攻略するというリスクを負ったのです。その後、この戦略はソニーのブランド戦略となり、どこの国で作っているかは知らなくても商品をみればソニーであるわかるとまで言われました。これは ④ の達成です。

3.国際化はブルーオーシャン(未踏領域)の1つ

 ソニーのニッチ領域は、今でいう国際化と異なると思われるかもしれません。つまり、国内で成功した上で、海外に出て成功することが国際化という考えです。しかし、この考えは国内事業の立ち上げを待たなくては国際化できない、言い換えれば、国内より総数で言えば圧倒的に大きなニーズのある海外を後回しにする「機会損失」を生むことも事実です。

 ソニーが当時、販路がないところから成功したのは、大きな未踏領域であった米国に在りました。ウォークマンのイメージもアメリカの若者文化と共にあいまって世界的に広まっていったものです。

 考えてみれば録音技術は日本だけのニーズに対応したものではありません。多くの国で放送が行われている当時でもニーズは圧倒的に海外にあったのです。

 昨今、IT系ベンチャーの創業が多いのは米国のシリコンバレーといわれています。中には日本人がビジネスプラン片手に現地で創業すると言った話も聞きます。また、アパレル系ベンチャーはシンガポールや香港で会社を立ち上げるといったことも多くなっていると言います。その要因の多くは、起業間もないベンチャーや新規事業部門にとって、国際化以前に、未踏領域が国内ではなく、海外にあることを物語っているのかもしれません。

 国際化はこのように、インバウンド(国内へ)とアウトバウンド(海外へ)の二方向あると考えてください。

※さて、別のビジネス・コラムの「創造方程式」による発想のトレーニングがしたいというなら、参考に拙著「ヒット商品を生み出すネタ出し練習帳」をどうぞ。

次回の予告

多くのメディアで取り上げられ、横浜やヨコハマNOWにも関係の深い『全日本コマ大戦』の活動を通じて、ニッチ分野の国際化について考えてみましょう。

松本英博 プロフィール

 

松本 英博(まつもと ひでひろ)

デジタルハリウッド大学大学院 専任教授/NVD株式会社 代表取締役

 京都府出身。18年にわたりNECに勤務。同社のパーソナルメディア開発本部で、MPEG1でのマルチメディア技術の開発と国際標準化と日本工業規格 (JIS)化を行い、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボで画像圧縮技術を習得のため留学。帰国後、ネットワークス開発研究所ではWAPや i-モードなどの無線インターネットアクセス技術の応用製品の開発と国際標準化を技術マネジャーとして指揮。

 NEC退社後、ベンチャー投資会社ネオテニーにおいて大企業の新規事業開発支援、社内ベンチャーの事業化支援を行い、2002年9月にネオテニーから分離独立し、NVD株式会社(旧ネオテニーベンチャー開発)を設立、代表取締役に就任。大手企業の新規事業開発・社内ベンチャー育成などのコンサルティング 実績を持つ。

 IEEE(米国電子工学学会)会員、MIT日本人会会員。神奈川県商工労働部新産業ベンチャー事業認定委員、デジタルハリウッド大学大学院 専任教授、現在に至る。

 

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