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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第18回 第4章 フォークからニューミュージックへ 4

by staff on 2013/12/10, 火曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

第4章 フォークからニューミュージックへ 5

 そもそもニューミュージックという言葉はユーミンがフォークでもロックでもない音楽ということで名づけたといわれています。その定義は何でしょう? その答えは人それぞれに違うと思われますが私的な見解を述べさせていただくと、、、、

  1. その曲を演奏する個人若しくはメンバーの誰かが曲を書いている。
  2. サウンドはピアノサウンドを中心にバンドサウンドである。
  3. コード〈和音)はCメジャーセブンのような4音以上の和音を使い時に分数コードも用いる。単純な3和音のブルース進行などは使用しない。
  4. 詩は反社会的なものやプロテストソングではなく、4畳半フォーク的な貧しい生活感も感じさせない。

といった感じになると考えられます。

 高度成長が一段落し学生運動などもなりをひそめ、人々の暮らしが少しずつ安定していった時代が反映されていきました。

続々ユーミン

 「ひこうき雲」でデビューを果たし2枚目のアルバムが「ミスリム」。2枚共に優れた楽曲が満載の名アルバムですが、更に60年代のアメリカンポップスをモチーフにして作られた名作の3枚目「コバルトアワー」は、1965年に発売。この頃にはすっかりニューミュージックは定着していました。

 我々の世代(昭和33年生まれ)が車の免許を取り、カセットにダビングしたユーミンを普及してきたカーステレオに入れ、彼女とドライブするのが当時おしゃれなスタイルでした。又、ユーミンの詩は場所を連想させます。 「中央フリーウエー」は首都高、「海を見ていた午後」は横浜根岸の山の上のレストラン「ドルフィン」。(これを聴いて横浜の同世代は一度はこのレストランに行っていると思います。昼に行くと本当にソーダ水の中に貨物船が見えました) 「さざ波」、「真冬のサーファー」は湘南の海、「卒業写真」は地元の通学路といった具合。彼女の作品は1枚の絵のように見事に情景を描写しその感情までもリスナーそれぞれの感性に反応させて感情移入させる力がありました。又、サウンドはうるさすぎず耳ざわりがよくてデートのBGMにはもってこいでした。友人にケンメリ(日産スカイライン)やカマロに乗っている奴がいて、女の子と一緒の時はいつもユーミンでした。

 75年頃は名声を手にしたユーミンですが、彼女の凄いのは新人の才能発掘です。2枚目のミスリムとコバルトのコーラスに起用されたのはあの山下達郎が結成していた「シュガーベイブ」で、コーラスアレンジも山下達郎が担当しています。まだ無名の達郎の起用は当時としては画期的で、サウンドも斬新でした。「ルージュの伝言」のファルセットのソロや「真冬のサーファー」のコーラスは彼の一人多重録音です。また、「流線型」の「コルベット1964」では、やはりまだ無名の来生たかおをデュエットの相手に起用。これ誰? と当時は思ったものです。他にも杉真理や尾崎亜美などは個人的に才能を認めプライベートでかわいがっていました。人の才能を見抜く力が優れていたのでしょう。

 実はえらそうに書いていますが私がユーミンを聴くようになったのは少し後になってからで、初めて聴いたのはハイファイセットがカバーしたバージョンでした。最初はあの癖のある声が嫌いで、ハイファイセットのきれいな歌声で聴き、なんて良い曲名だろうとオリジナルを聞くようになりました。はまってしまうとあの声がヤミツキになってしまいましたけど。。。。ユーミンの曲を聴いていると自然と涙がにじんでしまいます。ユーミンの詩は入りやすく一旦その世界に入ってしまうとそれは優しさだったり、自分にもこんな場面があったなとか思わせたり、聴く人の感情の琴線に触れる何かを持っています。そんなユーミンも今年でデビュー40周年だそうで、ますますの活躍を期待したいところです。

 

横浜、街と風(私の高校音楽編) 4(19)

失恋

 中学3年から約3年間付き合っていた彼女とこの頃別れました。本当の意味で初めての失恋。ある日、彼女が家に来てその大きな目に涙を一杯溜め「別れたいの。もう逢いたくない。電話も二度としてこないで。」信じられない言葉でした。何故と聞いてもただ首を横に振るばかり。この時のシーンを一生忘れる事はないでしょう。それまでも何度か別れ話はありましたが、いつも自然と戻るものと思い、彼女が自分から離れる筈がないと勝手に思い込んでいました。なんという傲慢。数度未練がましく電話しましたが、彼女が電話口に出ることは2度とありませんでした。彼女が今度は本気だと気付いた時、心がボロボロになりました。死にたいとさえ思いました。よくあることと思いますが、世間知らずの17才位の小僧のくせに、それまでは自分に対して漠然とした自信を持っていました。ある意味傲慢で人の気持ちを考えず能天気に過ごしてきた男の自信はもろくも崩れ、それからしばらくは少し内向的な人間に変わりました。人の痛みを少しは知ったような気がします。自分の人間形成においてとても大きな出来事でした。

本牧

 この頃は暇があると一人でバイクに乗り横須賀や三浦半島、本牧を走るのが好きでした。軍港や外人ハウスのある街の独特の匂いに惹かれていたのだと思います。ある時、ブルースギターの上手いK君に誘われて本牧のとあるバーに連れて行かれました。K君がアルバイトをやっていたその店は現役のロックミュージシャンの経営するロック喫茶(ロックバー?)で、店の奥に行くと見たこともないようなレコードが棚にギッシリ! 多分隣の米軍のPXで買い揃えたのでしょう。その殆どが洋盤。木造りの狭い店内は、そんな渋いロックやソウルが鳴り響いていて店にくる客もミュージシャンっぽいカッコした奴や、ハーフの綺麗なおねえちゃん、外人ハウスからきた米兵など、、、。垢抜けない学生だった自分は居心地の悪さを感じていましたが、そこでかかる音楽や店の雰囲気は憧れでした。何度か通ううち経営者から、バイトがやめたので働かないか、と言われそこに勤めることになりました。時給は確か200円。喫茶店のウエートレスでも370円くらいもらっていた時代ですが、このレコードを聞きたい放題だと思ったらバイト料は問題じゃありませんでした。

 その店の窓からは、当時の本牧の街並みが見えました。おそらく当時では珍しいイタリアンレストランの「ベニス」。その横が外人専門バーの「VWF」。その地下が「イタリアンガーデン(通称IG)」というバー兼ライブハウス。目の前の本牧通り沿いに並ぶ店のネオン管や英語の看板。そこはまるで映画の1シーンのようでした。左へ行くとグループサウンズのゴールデンカップスが演奏していたライブハウスの「ゴールデンカップ」。右へ行くと有名なディスコ「リンディ」があって、その先の今の山手警察の辺りから外人居住区で鉄条網のついた高い金網がずっと道の両側に張り巡らされていました。もちろん日本人は立ち入り禁止。ゲートには銃を持ったMPが常駐していました。

 店内でよくかかったのはストーンズやロッドスチュアート、ブリティッシュブルースのフリートウッドマックなど。自分のお気に入りはサム・クックやオーティス・レディングのソウル系でしたが、ときおりアルバート・キングやマジック・サムの黒人ブルースもかけました。

 飲み物のオーダーをとり、伝票をつけ、ときにはカクテルを作り、食べ物の注文があるとスパゲティ(当時はナポリタンとミートソースしかありませんでした)など作りながらレコードをかける。そしてお会計をする。それを一人でやる。今考えれば結構大変な仕事で、忙しい時はレコードが架けっぱなしになっていたりして音楽をきく所ではなく、よく怒られました。

 それでも12時か1時にはお客もひけ、店主も帰ると、一人の時間にはのんびりレコードを聴きました。ちょっとお店のお酒なんかこっそり拝借したりして。(17才でしたが。。。)

 お客もいろんな人が入ってきました。明らかにジャンキーと分かる人から怖い人たち、明日は戦地に行くという米兵がアブサンコークをがぶ飲みしていたり、あるときは深夜、一人で店番してる時、黒っぽいハーフの女性が一人で来てて淋しいから一緒に飲もうよと言われ、サムクックが好きだということで、2人で盛り上がりました。そのうち彼女の大好きなスローソングがかかると一緒にチークを踊ろうと言われ初チーク。甘いコロンの香りと大人の女性のリードにすっかり頭はヒート寸前、その後、彼女が帰った後も呆然の状態、そんな夜もありました。

 深夜3時頃にはシャッターを閉め朝まで仮眠、そのままバイクで家へ帰り着替えて学校へ行く、そんな生活でした。

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

HEART&SOUL
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