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「大道芸の母」として慕われているイベントプロデューサー 大久保文香さん

by staff on 2014/1/10, 金曜日
イベントプロデューサー 大久保文香(おおくぼ ふみか)さんイベントプロデューサー
大久保文香
 
お名前 大久保 文香(おおくぼ ふみか)さん
ご年齢 昭和15年7月生まれ
お住まい 横浜市中区本牧
ご職業 イベントプロデューサー
HP 桜蘭株式会社
http://o-lang.com/
ご趣味 読書と猫・植物観察・料理
ご性格 典型的なA型と思いますが家族はO型と思ってるらしい。(笑)

「大道芸の母」として慕われている大久保さんですが、どのような少女時代を過ごされたのでしょうか。

 父、西谷操(にしたにみさお)は、文学者として著名な堀内大学先生の弟子で詩人でもあり「椿書房」という出版社を作った人でした。棟方志功の版画や山本周五郎の時代小説などを出版していました。希少本を発行したことでも知られております。私は小さい時から本を読んでいればご機嫌でした。今は父のDNAを受け継いでいるとつくづく感じますよ。

 第二次世界大戦が激しくなって、昭和19年に東京から横浜本牧に引っ越してきました。山本周五郎一家も引っ越してきて我が家の離れで小説を書いていた時期もあります。

 私の少女時代は、本牧の海はとてもきれいでしたね。春は貝を取って遊び、夏は毎日泳いでいました。自然を満喫していましたね。海のない今の子供たちはかわいそうと思います。小学校は横浜紅蘭女学校に入学しました。(現在の横浜双葉学園)カトリック系の学校でしたから、小学校一年から英語の授業がありました。1年生のころ、演劇「かぐや姫」に出演した思い出があります。吉田町にあったアメリカの兵隊さんの病院に慰問で行ったことを覚えています。その頃から表現の世界に興味を持っていたのかしら。

 卒業後は川崎の富士電機の人事課におりました。人間関係がとても素晴らしく楽しい会社でした。ここに結婚するまで在籍したことで、人に対する基本姿勢の勉強になりました。私が永い間仕事をすることができたのはこの経験があったからだと思います。今でもその頃のお付き合いが続いています。

専業主婦の時代もあったそうですね。

 結婚生活では、男・男・女の3人の子供を授かりました。専業主婦で、PTA役員などを一生懸命やっていました。そのネットワークが後の仕事につながりました。

 ご縁があって、昭和61年(1986年)から、横浜スタジアム社長の鶴岡博さんが創った街づくりの会「関内を愛する会」の事務局長をお引き受けしました。この会で、「関内まつり」をやったことが、イベントに対する興味への第一歩でした。この会には平成4年(1992年)までおりました。今も関内の方々と街づくりのお話をしています。街づくりは難しい。けれども興味はあります。

 昭和61年(1986年)から街づくりを目的とした野毛大道芸が始まりました。最初は観客の一人でしたが、そちらのほうがおもしろく思えて、平成4年(1992年)に、関内を離れて専任がいなかった野毛大道芸事務局を引き受けたのです。それから20年以上、大道芸の世界に身を置いています。

「野毛大道芸フェスティバル」は、横浜を代表するイベントですよね。

 第一回の「野毛大道芸フェスティバル」の出演者は26人、観客数は3000人程度だったそうです。私が関わり始めた1900年代の初めは、芸人さんを海外から呼ぶほどの大きなイベントになっていました。観客数も2日間で10万人を有に超えていましたね。スタッフの人数も100名を超えていました。ボランティアスタッフをお願いしたのもイベントでは野毛が初めてではないでしょうか。

野毛大道芸
http://www.noge-net.com/

 私の仕事は、フェスティバル運営のほか、芸人さん・パフォーマンスをする人の発掘でした。フランスやカナダをはじめとして世界中を回りました。南フランスのオーリヤックという町では毎年大道芸フェスティバルが開催されていて、1000組くらいの芸人さんが登場します。大道芸が通年アートとして根付いている町です。フェスティバルの期間中1週間くらいは町中でストリート以外に劇場も教会さえも使います。運営も見物人の楽しさを第一に考えたパフォーマンスになります。日本はまず観客より安全優先です。警備が問題になります。そこが海外のイベントと根本的に違うところですね。仕方のないこととは思いますが大道芸の基本は自由です。

 1900年代後半には、日本の大道芸のメッカと言われるほど野毛大道芸は多くの人たちを引きつけました。その中心となったのが、1992年から2002年まで中央図書館のそばにあった野毛地区街づくり会館(通称野毛山フラスコ)です。ここには大道芸の練習だけではなく、横浜ボートシアターのような演劇関係の人たちも集まっていました。実験的な試みもたくさんできました。横浜には美術的アートの施設は在りますがパフォーマンス関連の施設が無くなってしまったのはとても残念です。

 

(クリックで拡大画像)


UN-PAさん


伊藤佑介さん

「大道芸の母」と呼ばれるようになったのはその頃からですよね。

 お恥ずかしい。
 芸人さんたちがどんな場所でも気持ちよく演技できるようにするための影のお膳立てをするのが私の役目だと。自分勝手にあの人たちは私にとって家族より親しい関係にあると思っていますよ。長い付き合いの中で、老後の生活や介護の相談も受けるようになっています。(笑)

 私の最大の夢は「昼間はお稽古場で、夜はお客様がショーを楽しめ、海外からや引退した芸人さん達が住むことができる施設」を作ることでしょうか。

大久保さんにとって「大道芸」の魅力は何なのでしょうか。

 一言で言うと・・「演じる側と見る側の触れ合いで構成されるジャンルの芸能だから」でしょうか。演劇はステージの上で演じますが、大道芸は観客と同じ高さの目線で演じるのですから。演じる側のパワーがお客様にストレートに伝わることに何とも言えない魅力がありますね。

 日本でのこのジャンルはどんどん進化しています。でもサーカス芸を教える学校は成立しません。フランスには国立含めて200校以上もあるのになぜか日本はほとんど無いですね。ジャグリングが好きな横浜の高校生をフランスの国立サーカス学校に推薦して入学していただいたことも有りますよ。皆さんの活躍の場を作るのも私の仕事です。

現在も「大道芸」に関わっていらっしゃるのですよね。

 野毛の大道芸は、運営体制が変わったのを機に2002年に引きました。ヨコハマ大道芸の立ち上げにも協力しました。

http://daidogei.jp/

 今現在は娘のアーティスト派遣の会社  桜蘭株式会社に身を置いて新しいことに挑戦しております。

http://o-lang.com/

 大道芸というジャンルから離れてアーティストを再構成してみたかったからと言えましょう。もちろん今までのつながりで大道芸の人たちのお付き合いは益々濃くなっております。幼稚園・商店街・企業などからの依頼を受けて芸人さんを派遣することもやっています。いわゆる営業です。派遣するにも芸の種類だけでなく、会場の状況や見る方の年齢層なども考慮するなど、数々のポイントがあるので結構難しいのです。でもぴったりはまったときはうれしい。ジャグリングやマジック・ダンス、ミュージックの融合を考えるなど新ジャンルにも挑戦していきたいですね。お正月は都内のホテルでカウントダウンから夜のセクシーショーまでを構成しました。新しいことを常に仕掛けて行けることが喜びです。野毛山フラスコを中心にした、大道芝居の仲間と横浜ボートシアターの関係者が共演する語りの会を2月1日に野毛のにぎわい座で公演するお手伝いをしています。

http://shima-katari.net/pg34.html

本牧の地域活性化にも関わっていらっしゃいますよね。

 私は本牧で育って、これまで60年以上本牧で暮らしています。本牧は、関内からたった3kmの距離なのに賑わいと文化施設が不足していると思われてなりません。もっと昔の活気を取り戻してほしいのです。そしてたくさん住んでいらっしゃるご年配者に笑顔を差し上げたい。もっともっと街に出てきてほしいのです。

 昨年(2013年)末、アーティストの岡崎松恵(元BankART1929館長)から誘われて「本牧アートプロジェクト2013」に制作スタッフとして関わりました。

本牧アートプロジェクト2013
http://www.honmoku-art.jp/

 このプロジェクトに「本牧がアメリカだったころ」というエッセイを寄稿しています。これも本牧が好きだからです。

執筆活動もされているそうですね。

 書くことも大好きですね。
 1992年3月に創刊されたタウン誌「ハマ野毛」(編集長は評論家故平岡正明氏)の編集にも関わっていました。このタウン誌は6号で廃刊になってしまいましたが・・。今は幻のタウン誌として評価されていると聞きます。

http://www.noge.com/daidougei/24th/nogetown.html

 最近は神奈川新聞の横浜版に連載していた「呑んべえの街から」が、2013年10月に単行本として発刊されています。

まだまだ現役ですよね。

 70歳を過ぎましたので、これからと自然体でやっていきたいと思います。今年のテーマは「ゆっ・く・り・と」
です。体力・気力が続く限り、そしてみなさんからのご要望がある限り、イベントプロデュースの仕事は続けていきます。一番大切な体力を維持するために、本牧にあるスポーツクラブにも通っていますよ。

大久保さんにとって横浜はどんな街ですか。

 横浜って田舎だと思います。特に本牧は・・(笑)
 田舎の良さがあって、ほどよく都会です。私は雑な街である東京には住めないですね。横浜で毎日毎日の出会いを大切にしていきたいです。

 

(クリックで拡大画像)


老若男女を問わず、様々な方から人生相談をされるという大久保さん。お話を伺って大久保さんの優しさと懐の広さを感じ、多くの方々から慕われる理由の一端を感じました。70歳を過ぎても、新しいことにチャレンジしていきたいわという大久保さん。今年も益々のご活躍を願っております。

(インタビュー:ヨコハマNOW代表 渡邊桃伯子)

 

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