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田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

by staff on 2014/1/10, 金曜日

♪田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:山部赤人 (やまべ の あかひと)

 現代語訳・・・田子の浦の海岸に出てみたら、真っ白な富士山が見えて、山頂には今も雪が降っているようだ。

 新年明けましておめでとうございます。やはり新春にふさわしい和歌といいますとこの歌が一番でしょう。真っ青な空に真っ白な富士山。掛け軸や絵葉書に出てくる富士山とこの一首はまさに日本人の持つ冬の富士山のイメージを代表しているような気がします。

 最近新幹線に乗る機会が増えて、岡山と新横浜間をよく往復します。そして座席から富士山を眺めるのですが、世界遺産に登録されてから心なしか輝きが増したような気もして・・。晴れた日などは本当に美しくて、つい毎回シャッターを切ってしまいます。

 この歌は、万葉集に山部赤人のオリジナルの首が残っていて、原文だともっとクリアに山の頂に雪が降った後にその真っ白い冬化粧をした富士山を見て歌っていることが理解できます。百人一首の方では藤原定家がちょっと手を加えています。オリジナルとの違いは降り積もる雪が過去形から現在形へ・・・。

 「田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」万葉集山部赤人
現代語訳・田子の浦を通って眺めの良い場所に出てみれば、頂きにまっ白に雪が降り積もった富士山が見えることだ。

 彼は降り積もった雪を見てうたっていたものを、今現在、山の頂きに雪が降っているのを見てうたっている歌に変えてしまったのです。

 そのことについては過去からも賛否両論。著名な方から研究家まで様々な意見があります。作者の立場からすれば、勝手に自分の作品を変えられてしまうのは嫌だろうなと思います。
万葉集が出来たのが783年ごろで、百人一首が出来たのが1200年ごろ、約450年間の間に和歌の風潮も時代と共に変わってきていて、その頃の美意識にはそぐわなかったのでしょう。私自身は、イメージ的には降っている雪を想像する方がロマンティックだと思います。ですが、それだと視界が悪くて山の頂は雲がかかっていて本当は見えないはずだと。
山部赤人さんは自分で見てそのシャキっとした天気の中で雄大なすがすがしさに打たれて「雪は振りける」と歌いましたが、改ざんした人はその富士さんのあっぱれさを見ていないのでイメージで降っている雪にしてしまったのかも。

 気持ちはわかるような気がします。この歌は新古今集で改ざんさせられたと、何かの本で読んだ記憶があります。新古今集の選者にはもちろん藤原定家も入っていて、優美的 情緒的 幻想的な色合いを持たせた世界を打ち出しているのが特徴です。そうか・・・現実的にはあり得ないけど、田子の浦という海岸から富士山を眺めた時に、その頂きに真っ白な雪が儚げに降りつもっている方が優美的で情緒的で幻想的で盛り上がるのね。

 神秘的で幽玄な富士山もオリジナルの絵葉書の様なきりりとした富士山も、どちらも素敵。今年も「和歌うた」楽しく歌っていきます。

(早苗ネネ♪)

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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