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人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は

by staff on 2014/2/10, 月曜日

♪人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は♪


絵・千絵崇石
 

 読み人:後鳥羽院 (ごとばのいん)

 現代語訳・・・人が愛しくも 憎くも思われる。私の心はあれこれと思い悩んでつまらない世の中を鬱々と過ごしているが、それもまた愛しく思えるのだよ。

 20年以上前のことですが、隠岐島に渡って後鳥羽院の住居跡を訪れたことがあります。とても寂しくて長く留まれないような気配がありそそくさと離れました。その頃は自分が将来に和歌うたを歌うなんて思ってもいなかったのですが、後鳥羽院の住居跡(もしかしたら墓所だったのかもしれません)の印象はとても強烈でした。寂寥感がすごかった。

 百人一首の中で時の政治権力に歯向かって島に流された天皇は3名。崇徳院 と後鳥羽院 そして後鳥羽院の息子の順徳院。

 その中でも後鳥羽院は4歳から天皇になられて17歳で天皇の座を息子に譲ってからは鋭気闊達、エネルギッシュな院政時代を送った天皇として稀に見る人でした。多趣味多芸で、豪快な遊びかたをされたとか。そしてもう一度宮廷に政治的権力を取り戻そうとして鎌倉幕府との軋轢で負けて島に流されてしまいました。この承久の乱を境に天皇の威信は完璧に政治を離れてその後は次代の天皇を決める時にも幕府のお伺いを立てなければならなくなります。将軍を頂点とした権力体制が生まれ江戸時代まで武士の時代が続きます。

 私はこの後鳥羽院とあと二人の流島された天皇の歌3首を合わせた楽曲「独りかもねむ」をちょうど書き上げたばかりで、この一ヶ月はその歌に集中していたせいもあり人生の栄枯盛衰をしみじみ感じる日が続いていました。3天皇は流島先から二度と都に帰れないままその地で亡くなっています。崇徳院 後鳥羽院 順徳院 3首のうたの周りに柿本人麻呂や猿丸大夫の動物達をテーマにした6首を絡めて書き上げた楽曲「独りかもねむ」は失脚した人々の失意を生々しい慟哭ではなく儚さを捉えた美しい歌にしたいと思い、マウイ島在住のWALTER SCHMIDにも協力を仰いで共同で創作しました。

 そしてその曲が出来上がってふと今まで自分が創作してきた百人一首のうたを数えたら、なんと78首にも。まだ未発表の和歌うたが2曲。そしてアルバム「花のいろは」には入っていませんが既にステージで発表し歌っているものも入れて7曲。このペースでゆくと今年中には百人一首の100首ぜんぶにメロディがついてしまいます。ふと気が付いたらあと22首しか残っていないなんて。突然目の前が開けたような感じです。闇雲に走ってきてトンネルを抜けたら最初のゴールが見えたようで、それが 百人一首全首作曲達成。 今年はそれが大きな目標になります。そして百首すべてが入ったアルバムを発表したいと。

 私が和歌うたを始めたのは13年前。その頃は、万葉集や百人一首に歌をつけて演奏されている方々は殆どいなかったと思います。それが、最近よく耳にするようになりました。もっとたくさんのアーティストが古の大和言葉にメロディをつけて歌ってくれればきっとひとつの音楽ジャンルとして確立して行けるだろうと。そんなことを思ってワクワクしている今日このごろです。

(早苗ネネ♪)

 

早苗ネネさん プロフィール

木々や鳥や魚や精霊…人間以外の存在達との交流が当り前に語れるくらい、いのちのひろがりに気づくと、共に生きている喜びや、苦しみや悲しみにもナイーブになる。

心と野生がひとつながりになると……こんな風に人は年を重ねられる。ひとりひとり、ユニークにもっと自分になれる。

早苗 Nene さんは、そういう人生の先駆者です。 感性を解放しながら、40代で高校生に仲間入り卒業後、マウイのカレッジに留学中、突然半生記が受賞しました。

そんな新たなシーズンを迎えて、今エッセンスを分かち合いたい。

<天性の歌い手>というだけでなく、その存在感、溢れる活性のバイブレーションは、光のシャワーのよう。彼女と語り歌い、魂の成長を旅している現在の、自分の位置を確かめてみませんか?

早苗ネネさんHP

 

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