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書評 「そして、それから」 現代思想新社 村上香住子 著

by staff on 2014/4/10, 木曜日
 

「明けない夜はない。老漁師がみた3・11とは・」この帯が目に飛び込んできた。いままさに読まれるべき、また後世に残すものなのだ。

報道を残し、記録しいつも記憶の中にあることは必要だ。ここでは現地に入りリアルに状況をつかんだ著者の不意に生まれたストーリーであった。「自衛隊のヘリコプターで津波の通日後に南三陸に入った心理士の女性と知り合い、7月には再度現地に入った。そうして物資を運んで南三陸に行くようになると、それぞれの被災者たちの顔が忘れられなくなる。」そうしてつぎのようにあとがきが続く。「初めて入った被災地大槌のまだぬれた泥の中で、薔薇の花が咲いていたことや、ドラえもんの弁当箱が散らかった泥の海の向こうに立てられた何本もの赤い旗は、そこに遺体があることを知らせていた。そうした直後の混乱と倦怠を見た者として、それを言葉にせずにはいられなかったのだ。」

主人公の矢須男は漁師の家に生まれながら、近海の仕事にはまるで関心がなかったが、父の死が切っ掛けになり、女子供だけになった故郷の家を守ることが生まれついての家長のつとめだと、思うようになってきた。

「ワカメ採りはな、まんずおなごの髪束さすぐように、優しゅうすくいあげろ」通夜にきた親戚の二三男じいさんからおしえられたのだった。

その日「大津波がきます。大津波が来ます。」という防災センターの声に、矢須男はやっと船を出した。「津波がくる危険がある時は、即刻船を出して沖合に避難する。そうやって船の破損を防ぐという漁師の教えは、その辺りの集落では、昔から語り継がれてきたことだった。ところがそれを知ってはいても誰かが先頭を切るまで、動こうとしない。沖合に向かっていけばともかく船は安全だと知ってはいても、津波が今まさに襲いかかろうとしている時に、その方向めがけて突進するのは途方もなく勇気のいることだった。」

「おががっ」「この二月から彼は高齢の母親を私立志津川病院に入れている。そのことが急にきになったのだ。」沖でエンジンを止めて寒さをしのいでいた。目前の海面では、あいかわらず造船所が燃え盛っていた。みなとには無論高い防波堤もあるが、もう海洋にさらされた一帯に病院があったので、どう考えても、あの大津波には耐えたとは思えないのだった。

結局矢須男たちは、津波から三日目の朝全員そろって村に戻ることにした。「村の浜辺も接近してみるとすっかりがれきに埋もれて、まるで戦場と化していた。ごつんごつんと漂流物にぶつかりながらやっと矢須男は、板を降ろしてブリッジにするとそこからひらりと砂浜に飛び降りた。」
「先刻は全滅したワカメの筏をみて落胆した彼も、陸の被害はそれどころでなく、これからどうやって暮らしていったらいいのかさえもわからない状況だと知り呆然としている。これほどまでの過酷な現実だとしたら、そんな土地に、これから先一体どんな未来があるというのだろうか。」

矢須男の避難所に気仙沼のジョーキチがふらりとやってきて話をする。「港の方を振り返ってみると、もうその時下は濁流にのまれた後でした。すこしでも遅れていたら、今こうしていられなかったしょうね。」「山道の方にはまだ一面にがれきが散らばって、ごみ箱をひっくり返したみたいでしたよ。地面は泥土で滑りやすくなっていて、何度も足を滑らせて泥まみれになりながら近くの木にしがみつき、みんなもう無我夢中でした。」「少しいくと目前の大木の枝に白い袋のようなものが引っかかって、ぶらぶら揺れているのが見えました。よくみると、それは枯れ木のように痩せ細った老人だったのです。ほんの少し前までその人は自分たちと同じように呼吸をしていたのかとおもうと・・・」「だけどそんなのは、ほんの序の口でしたよ。あの日あれから、そうした遺体を、何体、何十体みたかわかりませんからね。国道のガードレールにぐるっと巻き付いた女性の遺体もあれば、二体が絡み合って何か柔らかい植物のように丸くなっているのもありました。」

矢須男は船を沖に出したおかげで、船も命も今ここにある。しかし今沖に出て漁が出来るわけでない。保障や仮設住宅などは被災の大きい人からなされる。避難所の生活はいろんな問題を抱え込む。少し知り合った男は「荒地で枝を切られ葉を剥ぎ取られ、とことん痛めつけられた葡萄はほど、糖分の多い葡萄が実るのだという。だから人間もとことん痛めつけられると、荒々しいくらいに人を愛したくなる欲望が湧いてくるのだ。」といい、避難所の世話人をしていた男が、外見はいかにも活発そうで、入所当時から避難所のルールを作ったりして、みんなの先にたって活動していたのに、避難所をでて仮設住宅に移るのが決まっていた前日にトイレのドアで首つり自殺した。最愛の家族を失った土地を離れにくいし、これからどうやって生きていくかも、ある意味酷だったのかもしれないと著者はつぶやく。

「娘のところから戻ってきた矢須男は、やっと沖に出る決心をしていた。」
著者は 「まだすっかり終わっていないけれど、いつかはきっと夜が明ける日が来るはずです。」 とあとがきに書き留めている。どんな災難があったとしても、最後まで希望を失ってはいけない。風化させてはいけないのだ。

(文:横須賀 健治)

 

 

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