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書評 「西郷南洲の遺訓に学ぶ」 致知出版社 森信三講録

by staff on 2014/5/10, 土曜日
 

今何をするべきか。どこに向かうべきか。そんなことを考えている時に手に取ってみた。西郷南洲は明治政府の進める方向のなかに民衆をおきざりにした政策や身分制度の在り方に義憤を感じていたからたもとを分かった。上野に銅像が建っているのに、いつのまにか歴史から見放されているような扱いになっていることが気にかかっていた。あとがきに寺田一清氏は述べている。「西郷南洲翁こそは、かの内村鑑三の指摘の通り、代表的日本人の一人であり、正に“敬天愛人”“克己無我”の大人物であり、日本の偉人のなかでも、とりわけ人情味あつく雅量識見共にわが憧憬の人物像にほかならない。」「また本書、先師森信三先生の講義録であればなおさら。」

真実のみが人心を動かし人心に残る

真実の人は詐謀をもちいないのだという。同時に真実の人というのは永遠を見る人であるという。「本当の真実はこれを知という方面からいえば、常に自分の一生が自己の眼前に縮図されて、ほとんど一点に帰せんばかりに見えねばならぬ。すなわち常に自分の死が見えていなければならないのであります。」

徳あるものを上に据え、才能のあるものを下につける

すべて物事をやるときには、どうしても仕遂げなければならないという決心がなければならない。はじめからできる出来ない、この程度しか出来ないだろうなどということを言っていては出来ようはずがありませんという。「わが国の人事、とくに教育界の人事、つまり教育行政というものを見ても、徳あるものを人の上に据えて、才能あるものをその下につけるという根本原則は、十分におこなわれていないように思われるのであります。むしろ腕利きといわれる人を人の上に据えるという傾向の方がより多いのではないでしょうか。」

劣等児救済の真の救済は憐れむことにある

ともすると陥りやすい欠点は、授業後劣等児を数人残らせて、盛んに教材をおしえようとする。もともと基礎ができていないのだから、一時間や一時間半それを二か月や三か月やったところで救えないのが劣等児の劣等児たる所以ですという。しからば対策の第一は憐れることだという。そこでこの憐れと思う情が積極的に動くと「なるほどお前は学科はできないが、しかしそれでいいのだよ。算術一つ満足に出来なくとも、わしは決してお前を見捨てはしないぞ、お前には外に見捨てようにも見捨てられない良いところがあるんだから・・というこの根本の態度を確立して臨むことでありましょう。」

教育においては劣等児というものが教育に深さを与えるものだといい、劣等児に対する真実の苦心によって、劣等児そのものの魂の芽生えを見るに至って初めてそこに教育の真の味わいが出るものであるという。

天は人も我も同一に愛し給ふ

道は天地自然のものであって、人はこれを自覚し、その意味を実現するというのが人間の使命であるから、道の根底たる天を敬うということが人間生活の根本眼目になるという。その意味を実現する、そのことに向かって西郷さんは行動してきたのである。「天というものは差別をしないものであります。人我の別なく平等に照らし愛するものである。その平等無我の根源たる天を敬するならば、その天の実証は、現実においては我自身も又人我の別をなくせずば相済まない。」ここに西郷さんの根本信念の「敬天愛人の原理」が明かされている。

人を相手にせず、天を相手にせよ

人というものは、我と相対するもので五分五分のものであります。向こうが強ければこちらが引き摺られ操られる、これが相対的関係というもの。そこから脱して天を相手にする、すなわち絶対を相手にして絶対に帰し、絶対に自己をささげる。「天を相手にすることによって、始めて人は己を尽くして人を咎めず、つねに自己の誠の足らざるを尋ねるという処にもいたるのである。天を相手にすれば、己を尽くすということは自然にできるのであります。人を相手にしていると、認めてくれるときは調子よくつとめますが、認めてくれぬ人が上にくると歯車の廻りが遅くなるのであります。ところが天をあいてにするに至れば、相対的な人間を咎めるということから脱却することができるのであります。」

己を愛するとは自己に甘いということ

理というものは苦労せず逆境に立たなくても認識だけはできるものであるという。いわゆる学者先生がそれであるとも。しかし理の体認ということになると、必ずやそこには何らかの意味で自得の工夫をこらすか、だから逆境に置かれ、苦労をするかの、その何れかによらなければいけないという。「かくして自己を愛するということは、要するに自己に甘いということであり、自己に甘いということは畢竟理(ひっきょうり)の体認ができていないということである。そうして理の体認ができないということは、その人の環境が恵まれて過ぎているということであります。」

悟りの一特徴は驚かぬということ

人間道を行おうとすると、どうしても難しい出来事に出会うことは避けがたいものである。しかもこの道を行おうとする以上は、どんな艱難に出会おうとも、事の成敗、さらにはわが身の生死も第二として道に従っていくことだという。「そもそも人間は驚かぬというのが悟りの一特徴であります。意外ということのないということが悟っているということの証拠であります。驚かぬためには、まず第一に理を知らなければならなぬ。理は通ずるものでありますから、一理は万里であって、如何なることが出てこようとも理としてはすでに用意されているはずであります。」人間真実に対する感動は、年と共にいよいよ深まり行くことが願わしいことと言われます。これに反しわが身にふりかかる不幸については、年と共に次第に驚かなくなるということが望ましいのだといいます。

 

日本人として今こそ遺訓を心読する時ではないかとの思いに賛同します。森信三さんは昭和14年7月の講義を次のように結んでいます。「単なる書籍にあらず、単なる武器にあらず、現実の処置こそ真の学問、真の文武の眼目とすべきであります。」西郷南洲翁が代表的日本人に選ばれていたこと、それは現代にも通用するものだとあらためて遺訓を読む中で感じたことだった。

(文:横須賀 健治)

 

 

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