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アメリカの音楽『ROCK’N ROLL』に夢中になり、そのすべてを吸収したいと思った。 ロックミュージシャン川戸昌和さん

by staff on 2014/6/10, 火曜日

 『ヨコハマ・ハイスクール・ホットウェーブフェスティバル』を覚えていますか? 1981年から1998年にかけて、日本のロック発祥の地といわれる横浜で、出演も運営も全て高校生によって行われたバンドコンテストです。横浜・神奈川に限らず、全国から高校生バンドが集まり「音楽の甲子園」と呼ばれたこのコンテストから、多くのミュージシャン、音楽関係者が生まれました。今月はロックミュージシャン川戸昌和さんのお話です。

ミュージシャン 川戸昌和さん
ミュージシャン
川戸昌和さん
 
お名前 川戸 昌和(かわと まさかず)さん
ご出身 横浜市戸塚区
ご年齢 1965年2月生まれ
お仕事 ミュージシャン
ファッションブランド『SPACY DUCKY』プロデューサー
ご趣味 横浜の街で時間を過ごす事
(リラックスできるから)

音楽を始めたきっかけはビートルズの「イエスタディ」

 中学生の頃、母親のカセットテープでビートルズの「イエスタディ」を聴いて驚いた。この新鮮な驚きが音楽活動を始めるきっかけとなった。ビートルズが生まれた「リバプール」が港町だということを知り、港町「横浜」に住む自分と何か近いものを感じた。 そして彼らが「ワーキングヒーロー」だということ、労働者のバックボーンを持つことに共感が持てた。

 コンサートに行くとか、レコードや音楽情報誌を買うとか、楽器店に出入りするとか、自分から何かをしなければ、音楽情報を得るのが難しい時代だった。ビートルズの音楽や文化について、自分なりに調べていくうちに、彼らが底抜けに明るい1950年代のアメリカのロックンロールに憧れていたことを知り、その音楽や文化に関心が移っていった。

 港町『横浜』は、開港当時から外部のものを貪欲に取り入れていく歴史がある場所だと思う。横浜人はそのDNAを受け継いでいると思うし、自分にもそのDNAが受け継がれていると思っている。アメリカの音楽『ROCK’N ROLL』に夢中になり、そのすべてを吸収したいと思った。

母と二人で行ったポール・アンカのコンサート

 1950年代、本牧のベースで働いていた母は“ゴールディンエイジ”のアメリカ音楽のファンだった。一緒にポール・アンカのコンサートに行ったこともある。当時は、こういったジャンルの音楽を聴いたり、演奏したりすると『不良』というレッテルを貼られたりもしたが、その点、フレキシブルな感覚を持つ親で幸いしたと言える。母親が良き理解者であり、最強の味方であった。

 放課後、仲間と集まっては『練習』に明け暮れていたので、『不良』になる暇なんかなかった。当時、クラスでギターが弾けるだけで人気者になれた。ギターを弾いていると人が集まってきた。中学の時に初めて作った曲は、英語のフレーズを入れた “But, I need you”。オリジナル曲を作る者など周りにいなかった。その頃から、目立つのが好きだった。

 曲を作り、曲に合わせて詩を書くスタイルが主流だが、「あるべき論」を歌に入れるのは好きではない。 「こうだったら素敵だ」と自分の考えを自然体で書いている。

ヨコハマ・ハイスクール・ホットウェーブ フェスティバルで出会った仲間たち

 毎年、横浜スタジアム (※注1) で高校生が運営をし、高校生のバンドが演奏をし、高校生が熱くなった、音楽の甲子園とも呼ばれたヨコハマ・ハイスクール・ホットウェーブ フェスティバル(通称:ホットウェーブ)※注2 が開かれた。あの時出会った人が、今でも音楽仲間(ミュージシャンやプロデューサー、スタッフ)として活躍している。幸せなのは今でも一緒に仕事をする機会があること。 時を経て、当時出場するために夢中で『練習』をした。フェスティバルは『競い合い』というよりは同じ夢を持つ『仲間』の集まりに変わっていた。

 ホットウェーブは、不況のあおりを受けて、スポンサーや協賛金が集まらなくなり、1998年に18年の歴史に幕を下ろしたが、できることなら協力者を募って再開したいと思う。多感な思春期に、お互い協力し合って1つになる大切さを学べた場所だった。

  • 注1) 桐原書店発行の高等学校英語検定教科書にコンテストの模様が写真入りで題材としてとりあげられている
  • 注2) 第1~2回大会は横浜市教育会館、第3~5回大会 予選は横浜市教育会館、決選大会は神奈川県民ホール、第6回以降 決選大会は横浜スタジアムで行われた。

 

主な出身者 ・・・ウイキペディアから抜粋

  • Dramatic 50’s
  • COME ON BABY
  • A-JARI
  • いんぐりもんぐり
  • HOTCAKE (夢工場)
  • Hungry Angry Band
  • SIAM SHADE(1989年優勝「POWER」はSIAM SHADEの前身)
  • 堂島孝平
  • THE PEPPERMINT JAM
  • 工藤慎太郎

ぶれないのがカッコいい?!

 21歳の時にロックンロールバンド『Dramatic 50’s』でテイチクレコードよりメジャーデビューしてから今もこのスタイルは変わっていない。ヘアーから靴のつま先までがロック、楽器(ギター)もロック・。・。・。歩く姿も、車もロック、ちっともぶれていないからカッコいい! まさしく、アメリカングラフィティのような世界観で青春時代を過ごし、1989年に憧れのアメリカに渡った。

 興味ある事をとことん追求していく気質だから、カリフォルニアでは人種差別や貧富の差、文化や習慣の違いに戸惑い、夢と現実の差を実感することになる。本来の明るさで機会を見つけては現地のミュージシャンとセッションを続け、経験を重ね、新曲を携えて帰国。帰国後は再び横浜で音楽活動を行い今に至っている。

 また、帰国後、アメリカで知り合った仲間のもと、独自のスタイルを演出するファッションブランド『SPACY DUCKY』を開いている。

戸塚出身のミュージシャンが「地域振興につながる音楽祭をやろう!」と立ち上がった!

 第1回戸塚音楽祭「Rockin‘TOTSUKA 75」7月12日(土)18:30~ 戸塚公会堂

 戸塚で生まれて育った。戸塚区民として戸塚を今まで以上に盛り上げていきたいという想いで「音楽祭」を企画。折しも、戸塚区政75の年という節目の年だから、題して「Rockin’ TOTSUKA 75」。

 「横浜銀蝿」のVo&Gでもあり、現在では「翔&BLACKBIRD」でも活躍する翔さん、自分のバンド「Masakazu Kawato & SPACY DUCKY」の仲間達、そして女子高校生のギターリストちっちと一緒に思い出の場所でもある戸塚公会堂のステージに立つ。ちっちが16歳だから、翔さんと自分は父親世代ということになる(苦笑) この歳の差を逆手にとって世代を越えて楽しめる。。。そんなステージにしようと思っている。

「Rockin‘TOTSUKA 75」公式サイト: http://www.rockin-yokohama155.com/

 『ROCK’N ROLL』というと「分からない」と言われることもあるが、往年のロック歌手が来日しTVに出ると「あの曲なら知っている」と思うのではないか? コマーシャルにも使われ耳に馴染んでいる曲もある。ただそれが『ROCK’N ROLL』だと知られていないだけの話である。

 時代はIT化され、音楽が身近になった分、人はコンサート会場に足を運ばなくなった。スピーカーやイヤホーンから伝わる音と、会場の空気を振動して伝わってくる生音の迫力は違う。是非、7月12日は生演奏の迫力を体感し『ROCK’N ROLL』のファンになって欲しいと思う。

あなたにとっての横浜は?

 生まれ育った街が好き。第1回戸塚音楽祭では戸塚八坂神社の「例大祭」とコラボする。 ※注2
毎年7月14日に八坂神社例大祭で行われる「お札まき」は、約300年も続いている。そのお祭りの前々夜祭として7月12日を開催日にした。

 今後も戸塚出身のミュージシャンとセッションしたり、戸塚を盛り立てるイベントに参加したいと思う。

 自分にとって横浜は「母の腕で眠っているくらい落ち着ける場所、そして、いつも自分の心を高揚(エキサイト)させてくれる場所」だと思う。

注2) お札まき: http://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/…
八坂神社: http://www.kanagawa-jinja.or.jp/…

<Special Thanks>

 

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