横浜宝石物語(第5回) 二代目の父(馬車道の大島宝飾店)
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横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子 PROLOGUE 連載に寄せて私は横浜でおそらく一番古い宝石商の三代目です。 創業者の祖父、二代目の父、三代目の私とそれぞれの時代で宝石商としての形態は違っていますが、良い宝石を選び、作りの良いジュエリーを製作して、ご提供するということについては、3人とも拘ってやってきたと思います。 祖父が宝石の製造メーカーとして地位を築き、父が小売店として皆様に愛されたからこそ、今、私が宝石商としてやっていられますので、いつか祖父のこと、父のことを書いてみたいと思っていました。 |
この度、横浜宝石物語の連載のお話を頂きましたので、念願が叶い、とても嬉しいです。横浜の歴史も交えながら、祖父、父、私の宝石物語を綴っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
宝石商の三代目私は現在、横浜の馬車道で「横濱宝石美術館エメラ」という宝石店をしております。 横浜の景色や思い出をジュエリーにした「横浜ジュエリー」などオリジナルジュエリーの製作と販売、デザイナーやアーティストの作品の展示販売、お客様のご要望をかたちにするリフォームやオーダージュエリーのご注文を承っています。 私の宝石商のルーツである創業者の祖父のことからお話しさせて頂きたいと思います。 二代目の父(馬車道の大島宝飾店)戦後、伊勢佐木町の松屋デパートさんに問屋として店を出していましたが、デパートの影響下でなく、自由に小売店をやりたいという気持ちが父に芽生えたようです。 戦後の復興住宅として神奈川県住宅公社が馬車道の地権者9名と共同でビルを建てる計画が持ち上がり、父は人から頼まれて、馬車道の土地を購入し、一緒に共同ビルを建てることになりました。 戦後約10年に渡り、横浜市の中心地は米軍に接収されました。接収解除になったといえ、馬車道付近はまだ焼け野原のままで関内牧場と言われたそうです。 そこで、都市部の火災延焼を防ぐために防火帯建築の建物が多く作られたそうですが、父が共同で建てた馬車道商栄ビルも防火帯建築です。 そして、昭和30年に馬車道商栄ビルは竣工し、今、馬車道にある横濱宝石美術館エメラのある場所に父は「大島宝飾店」という初めての宝石の小売専門をオープンしました。 当時としてはモダンな店で、父が今でも「大理石と一枚ガラスのショーウィンドーで作った」と自慢します。 日活の映画にも何度か店が撮影に使われたそうです。 「大島宝飾店」は父が常駐していましたので、お得意様が伊勢佐木町の松屋デパートでなく、馬車道の店に来てしまう為、松屋デパートさんや祖父から苦情が来たようで、わずか2年足らずで閉めてしまいました。 昭和34年に公開された小林旭さん主演の日活映画「二階堂卓也 銀座無頼帖 銀座旋風児」の中に大島宝飾店が登場します。 銀座風雲児と書いて、マイトガイと読むこの映画はマイトガイシリーズの第一作です。 父は当時、仕事が忙しく、芦田伸介さんが店に来たということをロケに立会った祖母から聞いて、それだけは覚えていたのですが、題名も誰が主演の映画かもわからず、幻の映画になっていました。 ところが、店の情報誌「馬車道エメラ通信」にそのことを書いたところ、お客様が探して下さり、この映画でないか?とDVDを送って下さいました。 DVDを観たところ、確かに芦田伸介さんが店から出てきた場面に「大島宝飾店」が映っていました。 そして、「店の外壁は緑の大理石で、入り口には扉がなく、階段は今と向きが違う」など、実際にカラーの映像で大島宝飾店を見られて、本当に嬉しかったです。 父も懐かしい映像を見られて感無量だったようです。 【今月のエメラのジュエリー】 (クリックで拡大画像) |
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(写真提供:大島貴子) |
(横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子)
横濱宝石美術館エメラ
〒231-0011 横浜市中区太田町5-61 馬車道商栄ビル1階
TEL.045-681-0603 FAX.045-228-9828
Websie http://emera-yokohama.jp/
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