横浜宝石物語(第6回) 二代目の父(エメラの誕生)
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横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子 PROLOGUE 連載に寄せて私は横浜でおそらく一番古い宝石商の三代目です。 創業者の祖父、二代目の父、三代目の私とそれぞれの時代で宝石商としての形態は違っていますが、良い宝石を選び、作りの良いジュエリーを製作して、ご提供するということについては、3人とも拘ってやってきたと思います。 祖父が宝石の製造メーカーとして地位を築き、父が小売店として皆様に愛されたからこそ、今、私が宝石商としてやっていられますので、いつか祖父のこと、父のことを書いてみたいと思っていました。 |
この度、横浜宝石物語の連載のお話を頂きましたので、念願が叶い、とても嬉しいです。横浜の歴史も交えながら、祖父、父、私の宝石物語を綴っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
宝石商の三代目私は現在、横浜の馬車道で「横濱宝石美術館エメラ」という宝石店をしております。 横浜の景色や思い出をジュエリーにした「横浜ジュエリー」などオリジナルジュエリーの製作と販売、デザイナーやアーティストの作品の展示販売、お客様のご要望をかたちにするリフォームやオーダージュエリーのご注文を承っています。 私の宝石商のルーツである創業者の祖父のことからお話しさせて頂きたいと思います。 二代目の父(エメラの誕生)父は昭和34年に母と結婚して、馬車道のビルの3階で新婚生活を始めました。 私が生まれた翌年の昭和37年に横浜西口に駅ビルが出来ることになりました。 「駅ビルで店をやってくれないか」と祖父と父が知人から頼まれたのですが、当時、伊勢佐木町の松屋デパートで問屋として店をやっていたので、母に別会社を作らせて、宝石の小売店を出すことになりました。 母の店「エメラ」は4階のエレベーターの脇のほんの小さな店でしたが、私にとっては母に会える場所で、特別でした。 オープン当初の駅ビルは当時としてはモダンな店が多くて、ロンスターというライブハウス(当時はジャズ喫茶)では、後に伊勢佐木町ブルースを歌った青江三奈が歌っていたそうです。 昭和39年に横浜西口に地下街が出来る計画が持ち上がりました。 そこで、母が地下街の準備室に日参して、色々情報を教えて頂いたようです。 地下街店の話は次回に続きます。 【今月のエメラのジュエリー】 (クリックで拡大画像) |
(クリックで拡大画像) (写真提供:大島貴子) |
(横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子)
横濱宝石美術館エメラ
〒231-0011 横浜市中区太田町5-61 馬車道商栄ビル1階
TEL.045-681-0603 FAX.045-228-9828
Websie http://emera-yokohama.jp/
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