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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第34回 第6章 社会人編 6

by staff on 2015/4/10, 金曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

横浜、街と風(社会人編) 20(35)

怖い話

エルエラを中心に活動している頃、知り合いのホステスさんから今度ママになってナイトクラブやるからバンド組んでもらえないかと注文があり初めてのバンマスをやることに! 5人のメンバーを集め、深夜の12時半頃から朝の5時迄演奏することになりました。メンバーは早い時間はジャズ系のライブやったりしている自分より7才から10才位年上の一癖も二癖もあるベテランの人たちで、リーダーなのに当時22才位で一番年下の自分は舐められていけないといつも気を張っていました。

お店の方はというと、最初は中々忙しかったのですが段々と暇になって行き、半年もするとお客がいつもまばらな状態が続くようになって、段々ギャラが遅れるようになりました。支払いはバンドリーダーの義務なので立て替えて払っていましたが、半月も遅れると不安になってきます。やがてこの店の経営者はその筋の方らしいと噂を耳にします。そういえばマネージャーさんもいつもジョークを言っていますがかなり目つきの怖い人。ある日ギャラの催促に行ったらカウンター越しに「今月はかなり厳しんだよ、も少し待ってくれ」と。「今私が立て替えていますがもう待てません」と言うと、「これで勘弁してくれよ」と言ってカウンターに置いたのは鉛の弾の出る黒いモノ。
「冗談はやめてください」
「冗談じゃないぜ、結構カネになるんだぜ」
と言ってにやっと笑いながら睨まれた時は背筋が寒くなりました。

結局一ヶ月以上のギャラを貰えないままバンドをやめることに! 言いだしっぺのママさんに何とか払ってください、と電話でお願いすると「じゃあ、あたしの自宅へ来てください」と言われ彼女のマンションへお邪魔しました。応接室で彼女と二人で話しているとそこへピンポン! 入ってきたのはその筋の方々が3人程。
「お前、アネさんの部屋に上がり込んで何しとるんじゃ! ただで済むと思っとるんか!」
この人は親分さんの彼女だったようで、、全身から冷や汗が吹き出しました。

結局荒ぶる彼らを彼女がなだめ「今日はこれで帰って」、と幾らか渡され部屋を出されました。無事に部屋を出ることが出来ほっとしましたが、もう二度とバンマスなんかやらないぞと心に誓いました。

1980年

1980年頃、22歳になった私は音楽でメシを食う生活も4年になり夜型の生活にもすっかり慣れました。仕事はどの店も長続きはしませんでしたが次から次と話が来るので困った事はありません。ダンシングオールナイトなど流行っていた頃で、誰よりも新曲を覚えたのでどのお店でも気に入っていただけました。

この頃は飲み屋業界も全盛期で、福富町関内周辺には多数の飲み屋があり、1つのビルに20軒位の飲み屋があったりして、それらの大多数にピアノかギターの弾き語り、もしくはバンドが入っていました。ですから関内周辺だけで300人くらいの演奏家がいたと思いますが、彼らは多くの店を掛け持ちしていました。25分演奏して5分で次の店へ移動それを4回ずつこなし一晩で2軒8回ステージ、深夜もまた掛け持ちすると計4軒で一日16回ステージやっている人もいました。今思うと信じられないような世界ですが、彼らは掛け持ちがしやすくする為に同じビルにある店や近所の店を探し、店と店の移動には楽譜本片手にタバコを吸い歩きながら移動します、ジュウタンの店が多かったのでスーツにサンダルばきの人もいました。大体8時から始める店が多かったので、みんな25分から5分、55分から5分が移動タイムでこの時に同業者と何人も会います。「そっちの店忙しい?」などと話し仕事の情報交換なども行われ、これが新しい仕事を得る情報源にもなりました。この頃が夜の音楽業界も全盛期でした。

弾き語りと呼ばれた人の中には自分ではあまり歌わず伴奏を得意とした人も沢山いました。この当時はまだカラオケは普及していない時代で、8トラック4曲入りの安っぽいカラオケやカセットのモノがカウンターだけの小さいスナックに置いてある程度で、演歌が中心、曲数もわずかでした。

1983年頃からレザーディスクのカラオケができるようになるとそれが日に日に進化。音も曲数も進化するとお店もそちらのほうが経費削減になるので、カラオケに切り替える店が増えていき、1990年にかけて演奏を入れる店は少しずつ減っていき演奏家の姿も減っていくことになります。

ショッキングな出来事

この頃はかなりむちゃくちゃな生活で、毎晩仲良くなったお客と飲んだり、女性と飲んだり昼近くまで飲んではサウナで泊まったり、一晩に3軒位仕事していたから50万位稼いでいたと思うのですが、なんでお金が残らないのか不思議な位でした。恋愛も随分しましたがみんな長続きしませんでした。

1980年12月、付き合っていた女性のマンションに居候していた時、部屋に帰るとテレビでジョン・レノンがアップで写り射殺されたと言っています。最初は何か冗談の番組なのかなと思いましたが、どのチャンネルもその報道。やがてそれが事実と分かると強いショックに襲われました。中学高校時代ビートルズに狂いギターを練習し音楽の歌うことの喜びを教えてくれたビートルズ。そしてソロになってからのジョンはリアルタイムで聞いた『イマジン』や『マインドゲーム』、更に一番衝撃を受けたアルバム “ジョンの魂” の歌詞、それらの思い出が蘇りその夜は一晩中泣きながらノートに、亡きジョンへの手紙を書き続けたのを覚えています。

 

ここからは原の音楽夜話

ファルセットボイス(ブラック編2)

50年代にもジャズやスタンダードを歌い白人にも受け入れられたナットキングコールやサミーデイビスJr.、レイチャールズといった人たちがいましたが、彼ら低域から中域を響かせ高域も魅力的でしたが裏声はほとんど使われていません。60年代初期あたりから活躍しだす次の世代、サムクック、ジャッキーウイルソン、ジェームスブラウンは3人とも表声で HighC(ギター1弦8フレットのド)まで出せるボーイソプラノでしたが、ファルセット中心というシンガーではありません。その先駆けとなったのはスモーキーロビンソンでした。そのファルセットはどこか頼りなげで、消え入りそうな細いビブラート。一度聞いたら耳につき離れなくなります。そのモータウンで裏声シンガーの先駆けになったのが、スモーキー作の『マイガール』をヒットさせたテンプテーションズの人気シンガー、裏声担当のエディ・ケンドリックスでした。彼も少し頼りなげな裏声で、スモーキーの方が音の伸びはありましたが、超イケメンだった彼のイメージが声と相まってエディの歌声はどこか品を漂わせていました。『Get Ready』を始め、ネットで見るなら『Just My Imagination』 と『I’m Gonna Make You Love Me』あたりがオススメのバラードでしょう。後者はダイアナロスとスプリームスとのデュエットもありこれも素晴らしい。

60年代にはシカゴを中心に活躍するカーティスメイフィールドも忘れられない存在。57年からコーラスグループ “インプレッションズ” の高音担当でしたがやがてソロでも活躍。公民権運動の時は『People Get Ready』。「切符なんか要らない、ただ列車に乗るだけ」と歌い黒人たちから強く支持されました。安定感のある低い裏声はとても説得力がありました。牧師でありシンガーであるアル・グリーンも素晴らしいファルセットを多様して個性的な唱法を編み出しています。

そして迎える70年代はソウルの黄金時代。差別や抑圧を受け白人たちにコンプレックスを持っていた黒人たちは自分たちの肌の色に誇りを持とう! “とブラック・イズ・ビューティフル” を旗頭に変化していきます。チリチリ髪を伸ばしたアフロヘアーが流行り、音楽も彼ら独特の粘りのあるリズムを前面に押し出す様にファンキーなサウンドやハスキーで強い喉を生かしたシャウト系シンガーが続々登場! 1971年から始まったテレビ、黒人の手による黒人のための音楽番組 【ソウルトレイン】 が人気番組になると、全国区のそんな番組を背景にディスコが各地で出来、そこで演奏するために数々のインストグループやボーカルグループが結成されて行きます。アメリカは広いですからそれぞれの地域で個性を持ったグループが生まれていきブラックミュージックは大きく発展を遂げます。

*ソウルトレインはダンスの上手若い黒人をオーディションで選びペアを組ませて流行りの音楽で踊る姿を映す週一回1時間の番組。数組のメジャーアーティストがゲスト出演し演奏もする、35年間放映されアメリカで一番長く放送された番組として知られています。当時日本でも放映されていました。

そんな70年代各地で生まれた黒人音楽の中でやがてファルセットがリードを取り甘いコーラスでバラードを歌うグループが人気になり、それらはスイートソウルミュージックと呼ばれました。彼らの代表と言えばフィラデルフィアで生まれたスタイリスティックスといえるでしょう。

(続きは次号へ)

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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Websie http://www.heartandsoul-live.com/

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