横浜スケッチ(第2回) 山手資料館
ペンネーム 成見 淳
前月号はエリスマン邸から、今はなくなってしまったセントジョセフインターナショナルを描いたスケッチを取り上げた。16年後、同じ場所に立って比べると、校舎はマンションに変わり、前の植え込みもなくなっていた。寂しいことだが教会の尖塔がわずかに見え、何よりも庭の前の大きな木が同じ枝振りのまま残っていた嬉しさが、次第に心を慰めてくれた。
また、マンションの姿も少しずつ周囲に溶け込んでいたし、前面の広場に記念碑などを残してくれて山手の風景に気を遣っているようだ。
「次第に」「少しずつ」、というのは景色と時代の変化を受け入れて行く、自分自身の心の葛藤と変化でもある。
今回は「山手資料館」を取り上げた。本当はJR石川町駅を起点にして、みなとの見える丘公園から山下公園へと歩く方が好きなのだが、山手本通りだけを巡る場合はみなとみらい線終点の元町中華街駅から、エスカレーターかエレベーターでアメリカ山へ出る方が楽だと考える年齢になってしまった。若干の抵抗はあるが体力の微妙な変化の方が上回って来たのかもしれない。ならばそれを素直に受け入れて楽しむこととしたい。(と思い聞かせる。)
さて、エリスマン邸から200M程戻った所、エレベーターを出てアメリカ山公園を背にして、外人墓地入り口から山手十番館を少し過ぎた所に山手資料館がある。この位置から見る山手資料館の姿、この構図が一番気に入っている。後日、セザンヌの「セントビクトワール山」の中の1枚を目にした時、『あれ!』と閃いた。このスケッチを描くはるか昔、恐らく小学生か中学生の頃の教科書だろうか。定かではないがセザンヌの絵を確かに見たことがあって、その記憶と瞬間的に重なったのだろう。美しいものを見出した時、まぶしさを遮るために左手を額の前にかざす、あの仕草を想像させる。
創造性とかインスピレーションとかは、無意識、あるいは意識下にある過去の記憶が突然変化して、不意に現れるものかもしれない。何もなければ、何も感じなければ、何も生まれないものなのだろう。
山手資料館は可愛い。文句なしに可愛い。
このスケッチを油絵にして、グループ展に出品した時のこと。母親に連れられた小学生とおぼしき男の子がこの絵をずっと見ていたので、近くで耳を澄ませていると、「おとぎの国みたい。」と言ってくれた。「坊やありがとう。」と声に出して言ったか、『・・・』のままだったかは覚えていないが、帰り際に手を振ったような気がする。あの子はどんな大人になっただろうか? 多分30歳前後だろう。
次女が結婚する時に「お父さん。この絵頂戴。」と言われ、喜んで渡した。今では2児の母親である。孫たちがこの絵を見て育ってくれるとすればどんな大人になるのだろう。
30年後、(多分、いやもしかしたら)私はいない。
でも、うまく行けば絵は残る。
私には墓は要らない。
その代わり、もっともっといい絵を残したい。
筆者紹介
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