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都田舎の津久井便り 二日目 「ヨコスイ(横浜水道)」

by staff on 2015/7/10, 金曜日
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ヨコスイ(横浜水道)

こんにちは 皆さんがキッチンに立ち水道の蛇口を捻ると普通に綺麗な水が出てきますよね。 料理には勿論、飲用にも全く問題なく使かっていますが実はこれ、世界的に見れば非常に特異な事なのです!
 僕の経験ですがパリのホテル(特選ホテルには泊まったことが無いので判りませんが)の蛇口を捻りグラスに注いで口に持っていくと、その水は金魚鉢かカエルの匂いがします。
 アメリカでも水道の水は不味いです。 中国も勿論同様ですからほとんどの国ではペットボトルの水を飲んでますよね!

 「いくぞーー!」三太は掛け声とともに農業用水取り入れ口の3mはあろうかと思われるコンクリートのゲートの上から道志川に飛び込んだ! バッシャンと大きな音と水しぶきをあげて頭から淵に潜り込んだ。
 一斉に鮎、ウグイ、オイカワ、ハヤと沢山の魚影が逃げ惑う。 渦を巻きながら深みに押しやる流れに逆らい岩肌に添って水面に上がる。 留や定も次々に飛び込んでくる。
 唇を紫色にして「ひゃっこい!」と言いながら河原の砂地に倒れ込む。 太陽に暖められた砂は冷えた体を優しく包み、背中を乾かしてくれる。
西の焼山に黒い雲が掛かって来て稲光が光った! 「俺らあ、けぇーるぞ」彼らは慌てて河原から上がり杉林の林道に駆け込んだ。 大粒の雨がザーッと降り出しゴロゴロと雷鳴が轟き、山道が小川と化す。 ずぶ濡れになりながら、青山分校裏手まで登ってくると、さしもの雷雨も小やみになり寝姿観音に虹が掛かった! 蝉がミンミンと鳴きだす。
 ヨコスイでまた明日な!

 横浜市の水は当初、横浜港優先に作られたので、停泊中の船に積み込まれます。 戦前まだ世界中で殺菌など厳密に行われていなかった時代、この津久井からの水は赤道を越えても腐らない水と、世界の船乗りから絶賛されていました。
 明治18年(1885年)英国人H.Sパーマー技師を顧問として、飲料水に困窮していた新開地 ミナトヨコハマに近代水道の建設が着工されました。

 

(クリックで拡大画像)

都田舎の津久井便り 二日目

都田舎の津久井便り 二日目

都田舎の津久井便り 二日目

都田舎の津久井便り 二日目

 パーマーは水源を相模川に決めて、当時急峻な渓谷だが平野部に近い津久井周辺を探索し、現在の三井地区(津久井湖の湖底)に取水口を作り、約60kmの導水管トンネルで野毛に導きました。 厳しい工事の末、明治20年に完成しました。
 その後、国際港湾都市として大きく発展する市の人口増加に見合った水量確保のため、取水口は相模川上流の道志川の現在も使われている鮑子(アビコ)に移り、直下の青山に沈澱池を作り、以来120余年美味しい水を供給し続けています。
 市はさらに未来にもこの美味しい水を繋ぐため、沈澱池の補修・整備のほか道志川上流の道志村周辺の水源林保全に力を注いでいます。
 春になると青山沈澱池周辺はカタクリや桜が素晴らしい色合いを見せてくれます。

(文・写真:山羊髭)

筆者紹介

 

梅澤 勉
津久井の本格薪窯ピッツェリア(ピザレストラン)「童人夢農場(ドリームファーム)」オーナーシェフ
HP: http://dreamfarm-pizza.jp/
 
1949年生まれ。大学で食品工学を学ぶ。
パン会社に就職して菓子パン部門で勤務後、ピッツェリア(ピザ専門店)を始める。
イタリアのピザ職人学校 ”ApesPizzaSchool”(アペス・ピザスクール)に入学し、本場のピザ作りを習得する。現在も定期的にイタリア(ミラノ・ローマ・ベネチア・フィレンツエ など)に行きピッツァ(ピザ)の研究を続けている。

相模湖・津久井の本格薪窯ピッツェリア | ピザレストラン「童人夢農場 | ドリームファーム」オーナーオーナーシェフ 梅澤勉さんのインタビュー動画。
緑あふれる津久井の魅力、童人夢農場(ドリームファーム)のこだわり、デザートピザへの想い
についてオーナーシェフの梅澤勉さんが語ります。ご覧ください。

 

From → 津久井便り

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ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
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横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
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