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都田舎の津久井便り 三日目 「聖徳太子の碑」

by staff on 2015/8/10, 月曜日
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聖徳太子の碑

おーーい、三太待ってくれよ! どけぃーいくだぁ?
おらぁ、おかぁのつけーでイナバまでしょーゆけぇーに行くだ。
おーー、そーぉけ、けぇーりにヨーフクヤ(陽福屋)でアイスをかうべーよ。
アイスって、ひゃっこくって夏には最高だーよな!
んじゃあ、おらぁ太子講でまってべーよ。
けぇーたら、あがりはなへ、ふんがけて、そりょうーくーべぇ!

「おーい、三太まってくれよ、どこに行くんだい?
僕は母のお使いで、稲葉まで醤油を買いに行くんだ。
おー、そうなのか。帰りに陽福屋によってアイスクリームを買おうよ。
アイスって冷たくて夏には最高だよな!
だったら、俺は聖徳太子碑の前で待ってるよ。
帰ったら、上り間口に座ってそれをたべようね!」

津久井弁 監修 酒饅頭の泰平堂製菓舗 奈良哲弥氏

聖徳太子は法隆寺や四天王寺など日本において初となる本格的建築物を作らせたことで建築の祖として大工達、職人から職能神(守護神)として崇められていました。
彼らは「講」を組み旧暦の1月22日に集まり、供養ののち会食して親睦や賃金協定を図ったりしたようです。
そのなかで地域貢献の一つとして、分岐路に道標をたてました。
その一つが童人夢農場入口の聖徳太子碑です。
設置が寛政六年甲寅とあり、台座には寄進者として職人講と彫ってあります。さらに彼らの住んでいる地名が彫られており半原、田代、荻野、津久井村などの記述があります。

この場所は甲州街道へ至る相模湖(S22年建造の人造湖)への道と甲州街道の裏街道にあたる道志道と厚木方面に向かう大山街道(?)の分岐点で相模の国と甲斐の国との交通の要衝だったところです。
なお太子碑は津久井周辺にはこのほかにも数基あります。

 

(クリックで拡大画像)

都田舎の津久井便り 三日目

都田舎の津久井便り 三日目

寛政六年は西暦1794年にあたり、天明の大飢饉を受けて農業振興を図った寛政の改革が行われたころで、田沼意次の重商主義への反発から緊縮政策で生活にゆとりが失われていた時代でした。そして江戸末期の動乱の時代を担う大老井伊直亮、老中水野忠邦らが生まれた年で、欧州ではフランス革命の真っ最中でした。

ここ津久井は幕府直轄領として日本でただ一か所、津久井県という地域区分名を与えられていました。
人口増加の江戸時代にあって新田開発がさかんに行われていた時代でもありました。童人夢農場の場所も字名は「開戸」と言い比較的新しい村だったのではと推測されます。

僕が小学生のころはまだ砂利道で、東京オリンピックのボート競技が開催されることがきっかけで道路整備が図られこの分岐の上部に新しく舗装された道が出来、バイパスとなり現在の国道412号線となりました。

(文:山羊髭)

筆者紹介

 

梅澤 勉
津久井の本格薪窯ピッツェリア(ピザレストラン)「童人夢農場(ドリームファーム)」オーナーシェフ
HP: http://dreamfarm-pizza.jp/
 
1949年生まれ。大学で食品工学を学ぶ。
パン会社に就職して菓子パン部門で勤務後、ピッツェリア(ピザ専門店)を始める。
イタリアのピザ職人学校 ”ApesPizzaSchool”(アペス・ピザスクール)に入学し、本場のピザ作りを習得する。現在も定期的にイタリア(ミラノ・ローマ・ベネチア・フィレンツエ など)に行きピッツァ(ピザ)の研究を続けている。

相模湖・津久井の本格薪窯ピッツェリア | ピザレストラン「童人夢農場 | ドリームファーム」オーナーオーナーシェフ 梅澤勉さんのインタビュー動画。
緑あふれる津久井の魅力、童人夢農場(ドリームファーム)のこだわり、デザートピザへの想い
についてオーナーシェフの梅澤勉さんが語ります。ご覧ください。

 

From → 津久井便り

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