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もともと横浜にあった美しさ、良さを掘り起こし、まち作りに生かしてきた。
NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ 理事 宮島真希子さん

by staff on 2015/10/10, 土曜日

 

NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ 理事 宮島真希子さんNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ
理事 宮島真希子さん
 
お名前 宮島 真希子(みやじま まきこ)
お生まれ 横浜市神奈川区出身
お住まい 磯子区・戸塚区に移転して、現在は戸塚区在住
お仕事
  • NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ
    理事
  • ライター&リサーチャー
    ~まちづくり/環境問題/教育・発達障害/ものづくり・ファブラボ
  • ワークショップファシリテーター(NPO法人アイデア創発コミュニティ推進機構理事)
  • NPO法人シャーロックホームズ 理事

どのような少女時代でしたか

小学校時代は磯子区の上中里団地で育ちました。自然豊かな環境でしたね。中・高校はフェリス女学院でした。意外と思われるかもしれませんが、バンカラで自主性を重んじる学校だったので、楽しかったですよ。私はロックバンドのボーカルをやっていて、文化祭にも出演していました。

高校時代に社会学者・見田宗介さん(真木悠介さん)の社会学の本を読んで感銘を受け、大学では社会学を学ぼうと決めました。法政大学の社会学部に進学しました。大学時代は、通学に片道2時間近くかかったこともあって、サークル活動などはほとんどせず、今考えるとちょっと停滞ぎみでした。19歳の時に、見田先生が乗船されるというのでピースボートに乗り、パラオ・フィリピン・台湾に行きましたが、地味でしたね。比較社会学のゼミに入り、「宮澤賢治の自我」をテーマに、卒論を書きました。

なぜ新聞記者を志したのですか

大学卒業後は、考える仕事や書く仕事に就きたいと思い、研究所や新聞社を受けました。新聞記者で仕事優先だった父に反発しながらも、いろいろな人に会ったり、いろいろな場所に行ったりできる新聞記者という職業しか思い浮かべることができなかったのですね・・・。「色々な人の話を聞いているうちに、いつか本当にやりたいことに出会えるのではないか」と思い、記者を目標に就職活動をしていました。

新聞記者になっていかがでしたか

1988年に神奈川新聞社に入社しました。
最初に川崎総局に配属されたのですが、当時は、インターネットがない時代です。どこに誰がいるのか、「人探し、ネタ探し」から大変でした。先輩のやり方を見て、自分なりの方法を模索していました。仕事のやり方、川崎のこともわかってきた翌年、異動がありました。「運動が苦手だから、一番行きたくない」と進路希望調査に書いていた「運動部」に異動することになってしまい、困りました。女性として初めての運動部記者でした。「こいつなら図太いからなんとかするだろう」と思われていたようです。高校野球、ラグビーからママさんバレーまで、様々な人間模様を書きました。最初は嫌々でしたが、この4年間の運動部時代に「人」を描く面白さを知ったのだと思います。以来「嫌で、合わないと思う仕事でも面白い所はあるもの。すぐに否定しないでやってみる」ということは頭の片隅に置くようにしています。

小田原支局に異動して、初めて1人暮らしを経験しました。小田原は、私にとって「第2の故郷」と思えるくらい、素晴らしい経験をさせてもらった場所です。当時人口20万人弱だった小田原は、大都市の横浜・川崎と違って地域の人たちと行政の距離が近いのに驚きましたね。小田原時代に「森を育む」という連載を担当し、衣食住の地産地消に対する意識、里山の重要性などを、足柄の森や木、水などの取材を通して体感できたことは、今に至る財産となっています。
その後、経済部に移り、整理部のときに、子供を出産、1年間の育児休暇を経て2002年春に職場に復帰しました。

2002年は統一地方選挙があった年で、私は選挙事務局の仕事を4回はやったかと思います。投開票日に、いち早くしかも正確に当選確定情報を決めるため、人の流れ・データの流れを整理し、組み立てます。ゴールを念頭に置きつつ、機材・スタッフ・交通手段などを確保する調整・手配しました。この事務局の経験は、今、イベントを企画する際に生かされています。

「カナロコ」を立ち上げたそうですね

2003年、デジタルメディア局に異動したことがその後の私の生き方を組み立てていく「転機」になりました。同局での仕事は、神奈川新聞のウェブサイトを企画・更新することでした。2004年に「ウェブログ」というサービスが国内で始まり、それまでよりもずっと簡単に、ウェブサイトを更新できるようになりました。当時の同僚達と新聞社サイトをこのブログの仕組みで管理できないか考え、ワクワクしながら新しいサイトを企画しました。それが、2005年2月にスタートした「カナロコ」です。市民がニュースに直接コメントできる機能が注目され、全国各地の新聞社が見学にやってきました。裏返せば、それだけマスメディアが、直接的な読者の反応を怖れていたということにもなりますが。

カナロコ http://www.kanaloco.jp/

NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ(通称ラボ)とのつながりはいつ頃からですか

ラボで発行している「ヨコハマ経済新聞」のメンバーが、「カナロコ」を取材にきたことがきっかけです。横浜でこのような地域をテーマにしたインターネット媒体が発行されているのかと関心を持ちました。2006年秋には、ラボのメンバーと一緒に市民活動グループの情報共有化を考える研究会を立ち上げました。そして、2007年に地域SNS「ハマっち!」がスタートしました。

「ハマっち!」の開設、そこでやりとりされる個別の情報のやりとり、コミュニティでの会話・・・。横浜は大都市で、小田原とは違って、それぞれの活動が見えにくい。あるテーマ、課題について活動する人が見えにくいと思っていましたが、SNSを通じて、多様な人達が横浜という都市を舞台に魅力的な活動をしていることが見えてきました。

新聞に掲載するまでではないけれど、コツコツ活動している人たち。そんな人たちが、メディアの取材を待っているだけではなく、自ら発信し始めたら、問題解決の糸口を探している「困っている人」にもつながるのではないだろうか・・・そんな想いが日に日に強くなっていきました。自分にしかできないことをやってみようか? それができるかどうか、わかりませんでしたが、2010年7月に神奈川新聞社を退職し、横浜コミュニティデザイン・ラボで活動を始めました。

ヨコハマ経済新聞 http://www.hamakei.com/
NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ http://yokohamalab.jp/

2007年頃から、ボランティアでラボの活動に参加していたので「いずれはそうなるかもしれない」と、新聞社を辞めたことについて、周囲は驚きませんでしたね。ラボの理事になって「市民が情報発信できる状況をつくっていきたい」と取り組んだのが、地域レポーターが情報発信する「横浜ストリーム」事業(総務省補助金事業)でした。

ラボに移られて世界が変わったとか・・・

新聞社時代はサラリーマン、しかも使うばかりの部署である「記者職」でしたから、仕事と報酬が連動していなかったように思います。けれども、ラボでは経営する立場になったので、自分で動いてお金を稼ぐことをしなければなりません。プロジェクトごとに収支を考えながら動かなければならない。スタッフの管理もしなければならない・・・。通常の企業に就職した人にとっては当たり前のことでしょうが、私にとっては社会人になって22年目、まさに180度の変換でした。

地域レポーターの育成に注力されていますね

地域レポーター育成講座は何度か開催しています。新聞記事を書くのは訓練で何とかなるのですが、響く企画を立てることは、書くこと以上に難しいです。「何をニュースにするか、なぜそれを自分自身がニュースだと思うのかを、まずじっくり言葉にしてほしい」と、出会ったみなさんには伝えています。もちろん、自分自身の知識が不足していて、すでに社会では知られていることをニュースだと思ってしまう恥ずかしい経験もあります。けれども、書き手の「なぜ」は原点。そのなぜを、関わる人たちに聞きながら解きほぐしていく。そしてわかったことを伝える。自分の住む町を取材し、自分の言葉で魅力や課題を伝える「地域をつなぐライティング」ができる方々が増えると、まちが楽しくなると思っています。

2014年から始まった「LOCAL GOOD YOKOHAMA」とはどのようなものですか

ラボでは、2012年5月から「政策デザイン勉強会」を32回開催しています。この勉強会は、政策決定のプロセスに市民が参加していくための関心を喚起する場です。これまでソーシャルビジネスやオープンデータなど、様々なテーマについて多種多様な方々と一緒に議論してきました。その中で、世界的なコンサルティング企業である「アクセンチュア株式会社」とのネットワークができたのです。

「LOCAL GOOD YOKOHAMA」は、2014年6月に始まった事業で、アクセンチュアの支援の下、ラボが運営しています。サービス、 モノ、 カネ、 ヒト、 情報の循環をつくっていくことを目指し、インターネット上の場と地域の現場の双方から、地域をよくする活動「地域のGOOD=ステキないいコト」に市民、企業が参加するきっかけをつくるムーブメントです。

LOCAL GOOD YOKOHAMA http://yokohama.localgood.jp/about/

「LOCAL GOOD YOKOHAMA」でクラウドファンディングを実施することは、情報による活動支援をメーン事業としてきたラボにとっては、とても大きな決断でした。幸いなことに、これまでクラウドファンディングに挑戦したプロジェクトは、ほとんどが目標金額を達成されています。

「LOCAL GOOD YOKOHAMA」では、地域をGOODにしている活動や人たちを、たくさん取り上げていきたいので「こんな活動があるよ」「こんな人がいるよ」という素敵な情報をどんどんお寄せください。(笑)

発達障害のある10代をサポートする通信制高校のサポーター校の計画がおありになるそうですね

私自身、特別に支援が荷必要な子供を育てていることもあり、何とかそのような子どもたちが自分なりに支援でき、保護者同士もつながれる場ができないかと思っていました。誰かが創ってくれるといいなあと思っていたのですが、通信制高校「明蓬館高校」の校長・日野公三さん(横浜市在住)とご縁があり、2015年10月から事業の準備をはじめ、2016年4月の開設を目指しています。拠点名は「横浜ラーニングデザイン高等学院」としました。

個別支援級で学んだ子供は、中学校で内申点がつきません。内申書がないので、一般的な全日制普通高校進学が難しい状況です。知的に遅れがなく、進学できた場合も個別支援計画を立てた学びの機会を提供する学校は少なく、不登校・中退になるケースも珍しくないようです。

ラボが今回通信制高校と連携するのは、まず、内申書がなくても意欲さえあれば入学し、地域資源・社会資源を活用した教育の機会が提供できそうだと思ったからです。学びづらい子供たちのコミュニティ作りをサポートしていきたいと思っています。

とはいえ、資金が足りない状況でもあります。これから「LOCAL GOOD YOKOHAMA」でクラウドファンディングを実施したり、リアルな場で、募金活動を展開したりして資金を集めて、生きづらい子供たちの居場所を作っていきたいのです。ご連絡をいただけたらすぐに説明にうかがいます!ぜひ、ご協力ください。

明蓬館高校 http://www.at-mhk.jp/

最後に・・宮島さんにとっての横浜をお聞かせください

「もっと好きになりたいまち」です。

私は横浜に生まれて育ち、好きな場所はたくさんありますが、実は小田原に行ったときのほうが「ほっとする」のです。それは川、海や山など自然を身近に感じられるからだと思います。横浜には、特に都心部にはそうした自然と交歓できる空間が少ないと思います。20世紀に失ったもののうち、人のぬくもりや自然を感じられ空間が再び戻ってくることを夢想します。もともと横浜にあった美しさ、良さを掘り起こし、まち作りに生かし、子ども達の世代に少しでも伝えていく活動をしていきたいですね。

<インタビューを終えて>

宮島さんは、ラボの理事として様々な活動をしながら、「横浜経済人会議」や横浜支庁移転に関する研究会のパネリストとして登壇する論客でもあります。でも、自分の意見を押し付けるようなことはなく、いつも自然体で、一般市民の立場に立った発言をされています。新聞記者という安定した立場から、市民活動や街づくりを支援するためにNPO法人に飛びこまれた宮島さんにエールを送りたいと思います。

インタビュー・文:渡邊桃伯子

 

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