映画になったヨコハマ(第7回) 伊勢佐木町の街角にたたずむ老いた娼婦
ヨコハマメリー
製作 2005年 人人フィルム |
残念ながら、彼女を見かけたことはなかった。顔一面におしろいを塗りたくり、白いロングドレスを身にまとった老女は、「ハマのメリー」と呼ばれ、1980年代には繁華街、伊勢佐木町でしばしば見受けられたという。
2006年に公開された本作は、制作に7年をかけたドキュメンタリーで、メリーが通った喫茶店、美容室、化粧品店、クリーニング店、風俗ライター……接点を持った人々が彼女を回顧する。メリーはそのいでたちから、別名を「皇后陛下」と呼ばれ、実際に気位も高かったようだ。しかし、異様さが先立ち、蔑むような視線を向けられたり、時に忌避されていた。
徐々に解き明かされるメリーの物語は、港町・横浜の裏の戦後史でもある。第二次大戦後、横浜中心部や港湾施設は、大半が進駐軍に接収された。女性たちの中には、在日米軍将兵相手の娼婦、「パンパン」となって、生きる糧を得ていた者もいた。黄金町あたりは売春宿が密集する、いわゆる赤線地帯だったが、メリーは街娼で、伊勢佐木町の伝説の飲食店「根岸家」で、しばしば客引きをしていたという。
根岸家は、黒澤明監督『天国と地獄』においても、犯人の青年(山崎努)が麻薬取引をした場所のモデルともなっており、混沌とした空間だった。1980年に火事で焼失した後も、彼女は“メリーの仮面”を被り、路上に立ち続けた。
年老いて生活保護を受給してもいい身の上だったが、横浜に住民票がないために、それもままならなかった。メリーと最も心を通わせていたのは、シャンソン歌手の永登元次郎だった。永登はゲイで、自身も何となく後ろめたい思いを背負っていたようだ。
山手の外国人墓地と言えば、横浜の観光名所だが、根岸にも外国人墓地がある。そこには、「GIベビー」と呼ばれ、日本人女性と進駐軍兵士との間に生み落とされた混血の子どもたちが多く眠っているという。その母親の多くは、メリーのような娼婦だったとされる。
1995年、メリーは忽然と横浜から姿を消すが、そこには故郷への帰還を橋渡しした人もいた。映像は、その後の故郷でのメリーの暮らしもきっちり捉えている。戦後の横浜をたくましく生き抜いた女性たち。あえて忘れ去られようとしている歴史の断面に向き合える。
横浜度(横浜の露出度、横浜を味わえる度) 85%
筆者紹介
塚崎朝子(つかさき あさこ) ジャーナリスト。世田谷生まれの世田谷育ち。読売新聞記者を経て、医学・医療、科学・技術分野の執筆が多いが、趣味の映画紹介も10年以上書き続けている。年に数時間だけ、横浜市内のキャンパスで教壇に立たせていただいている。 著書に、『新薬に挑んだ日本人科学者たち』『いつか罹る病気に備える本』(いずれも講談社)、『iPS細胞はいつ患者に届くのか』(岩波書店)など。「日経Gooday」で「その異常値、戻しましょう-STOP・メタボの12ステップ」連載中。 |
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