横浜宝石物語(第12回) 三代目の私(宝石商への道)
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横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子 PROLOGUE 連載に寄せて私は横浜でおそらく一番古い宝石商の三代目です。 創業者の祖父、二代目の父、三代目の私とそれぞれの時代で宝石商としての形態は違っていますが、良い宝石を選び、作りの良いジュエリーを製作して、ご提供するということについては、3人とも拘ってやってきたと思います。 祖父が宝石の製造メーカーとして地位を築き、父が小売店として皆様に愛されたからこそ、今、私が宝石商としてやっていられますので、いつか祖父のこと、父のことを書いてみたいと思っていました。 |
この度、横浜宝石物語の連載のお話を頂きましたので、念願が叶い、とても嬉しいです。横浜の歴史も交えながら、祖父、父、私の宝石物語を綴っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
宝石商の三代目私は現在、横浜の馬車道で「横濱宝石美術館エメラ」という宝石店をしております。 横浜の景色や思い出をジュエリーにした「横浜ジュエリー」などオリジナルジュエリーの製作と販売、デザイナーやアーティストの作品の展示販売、お客様のご要望をかたちにするリフォームやオーダージュエリーのご注文を承っています。 私の宝石商のルーツである創業者の祖父のことからお話しさせて頂きたいと思います。
三代目の私(宝石商への道)私が生まれた時に祖父から「男でないと跡継ぎに出来ない」と言われ、その後、弟が生まれて跡継ぎ問題は解消しましたので、私は宝石商とは違う道に行くつもりでした。 大学3年生が終わる春に友人とアメリカ旅行に行った時に当時、まだ日本になかったファッションジュエリーを見て、小さな石が散りばめられたデザイン性のある手頃に買えるジュエリーに感激しました。 ですから大学を卒業しても父の会社に入ったり、宝石商の後を継ぐつもりはなかったのですが、運命とは不思議なものです。 事務の仕事を手伝うようになってしばらくして、父がアクセサリーだといったファッションジュエリーが日本でも流行るようになりました。 バブルで飛ぶようにジュエリーが売れて、ジュエリーケースを型毎に1000個単位で輸入していました。 そして、バンコクの工場で作ったファッションジェリーも父が選んだものはアメリカ向けだったので、サンプルを持っていって、日本人向けのジュエリーを作ることが出来るようになりました。 |
(クリックで拡大画像)
【今月のエメラのジュエリー】 (写真提供:大島貴子) |
(横濱宝石美術館エメラ 代表 大島貴子)
横濱宝石美術館エメラ
〒231-0011 横浜市中区太田町5-61 馬車道商栄ビル1階
TEL.045-681-0603 FAX.045-228-9828
Websie http://emera-yokohama.jp/
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