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2016年4月 三ツ池だより 「金次郎はなぜ座らなければいけないの!」

by staff on 2016/4/10, 日曜日
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おじいちゃんそれ「たかのり」さんのこと? と、小学2年生の孫からの質問である。「日本に生まれてよかった 絆を感じるいろは」という私の書き物を見せ、い・ろ・はのつぎの「に」にいったときのことだ。一瞬、なんじゃと戸惑いが頭をめぐった。

「に 逃げない 与え続ける
 に にこにこする 苦しい時でも
 に 人間は支えあうもの 先に支えてあげられたら
 に 二宮金次郎のおしえ 譲ること
 
 金次郎はこの「推譲」をおこなっていくために
 自分の分度をわきまえ
 勤倹な生活をおこなったという
 繁栄はみんなと共に実現されて
 本当の繁栄になる」

たかのりさんのことだよ、と返事する私がいた。尊徳さんだから、足利尊氏から「たかのり」とよむこともありかなとおもった。今、学校では二宮尊徳を「にのみやたかのり」と本名で読ませているらしい。孫にはそれをどうのこうのと言わなかった。
その日はたまたま本棚に金次郎の伝記があったのでみせた。小学2年生の教科書には、二宮尊徳やエジソンがのっているようだ。
次の日に小田原で会合があって、たまたま隣に座った人が報徳二宮神社の関係者であった。このことをきいてみると、「私たちもそんとくさんと呼んでいる。」とのことであった。いつから「たかのり」になったのか気になるところである。
それを聞いていた方が次のように言って話にはいってこられた。「二宮金次郎の立像はダメになっている。歩きながら本を読んではいけないのです。交通事故に遭いますから。」そこまで来たのかとおもった。
交通事故に遭うから、「金次郎の薪を背に、時間を惜しんで本を読む像」が建っていてはいけないという風潮に唖然とするのは私だけなのだろうか? 座っている像ならいいのだという結論にも釈然としない。

最近気になることの一つに、孫と一緒に歌える歌が少なくなったという思いがある。子守唄があり、小学唱歌で育った世代が、最近の歌を覚えるのは難しい。時代の流れの中で情景がかわってしまったりして、歌詞が実情にあわなくなっているから、唱歌が歌われないのもいたしかたのないことなのだが。百年単位で見たときに残しておきたい歌を大切にしていく作業も必要ではないだろうか。その努力をおしまない風潮を造りたい。そうは言ってもそんな余裕がないと言われるかもしれない。しかし文化を大事にすることと、生活を自立させていくことの両輪が回る努力は惜しみなくしていきたい。
テレビで難民が移動していく映像がよくみられる。移民を受け入れるよりも、定住させる努力を世界がするべきなのだ。アフガンで井戸を掘る人、運河を掘る人、砂漠に木を植える人がいる。その努力である。援助を待つ人がいる。待つだけなく、改善の道を探る人になることだ。だまっていたら地球滅亡にむかうと言う。そのことが現実味を帯びてきているとしたら、できないことでも、して行かなくてはいけない。1000年前はどうでしたと問われて、答えられる人はいない。1000年後を想像できる人はいない。しかし今は地球を守るというキ-ワードがちらつく。

今の子供に何を教えるかということにもっと責任を持たなくてはいけない。
絆を感じる四つのいろはの最後の「す」は次のように結んでいる。

「す すがすがしい空を眺める
     雲が麹を発酵させたように浮かぶ
 す 素晴らしい明日に向かう
     あなたと私がとりくむのだから
 す すみません ごめんなさい
     責任のとれる社会になりたい
 す 少しでも歩き始めたい
     行動することが解決につながる
 できることから一生懸命お手伝いしたい
 日本が大好きだから
 未来は私の孫の時代だから!」

金次郎の像と、交通事故に逢うことを同一平面で見るのではなく、多角的に物を見ていく。そして言葉を交わしながら理解しあっていくことが大切なのだ。

 

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(文・写真:横須賀 健治)

 

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