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高野慈子の「四季・色・贅・食」 第8話 社会の偏見を越え 自分を生きる トランスジェンダー「コウタさん」

by staff on 2016/4/10, 日曜日

 

2015年11月、こんな記事を読みました「心は女性である性同一性障害の職員は、戸籍上の性別が男性である限り、女性トイレを使ってはならない――。経済産業省がこんな原則を示し、女性トイレを使いたければ異動ごとに新しい職場で性同一性障害であることを公表するようにと求めていた。」
近年、LGBTとよばれる、レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシュアル(B)、トランスジェンダー(T)を含むあらゆるセクシャルマイノリティの人たちへの関心が高まり、世界各国ではセクシャル・マイノリティの人たちが、自分に引け目を感じずに生きられる社会を目指し、いろいろな活動が行われています。
しかしながら、日本はまだまだ遅れていると感じさせられたニュースでした。

OUT IN JAPAN

日本でも認定NPO法人グッド・エイジング・エールズが「OUT IN JAPAN」というプロジェクトを2015年4月にスタートし、2020年までの5年間で1万人のLGBTのカミングアウト・フォトを撮影しています。

コウタさんもそのプロジェクトに参加しました。「あなたの輝く姿が、つぎの誰かの勇気となる」。セクシュアル・マイノリティの人たちが、自らのセクシュアリティに引け目を感じず、社会の偏見を越え、自分らしく伸びのびと、歳を重ねていく、そんな生き方を送れる世の中になることを願っています。」と自らがLGBTであることを勇気を持って公表しています。

認定NPO法人グッド・エイジング・エールズ:http://goodagingyells.net/
OUT IN JAPAN :石島コウタ:http://outinjapan.com/kota-ishijima/

ちょっと怪しい女子会/コウタさん、寺井さん、髙野(筆者)at ベイ・シェラトン横浜ティーラウンジ(2016/3/2)

髙野 お久しぶりですね。映画『さくらさくら~サムライ化学者 高峰譲吉の生涯』のイベント会場でお
会いして以来です。
コウタ 『さくらさくら』では譲吉の妻キャロラインの母メアリー・ヒッチ役、『女優』として出ています。
寺井 私もその映画を何度か見ました。英語がお上手なのでびっくりしましたが・・・


(映画:さくらさくら)

コウタ 1962年3月に東京で生まれました。父の仕事の関係で引っ越しばかり、4歳でロンドンに転勤、僅か1年でニューヨークに転勤と・・・「同じ英語だから大丈夫よ」と言われましたが、ロンドンのコックニ―訛りからニューヨーカーの英語、同じ英語だと言われてもちっとも通じません。言語の違いに戸惑い、人種差別に悩みました。
小学校2年の頃に帰国。日本の小学校に馴染む間もなく、インドへ転勤、小学校4年生の時に帰国、中学2年生の時にロサンジェルスへ、その後、カールスバッドの士官学校を経て、ニューヨークのパーソンズ美術大学に入学し・・・と言う訳で英語は得意(※注1)なんです。(笑)
寺井 コウタさんとお呼びしていいのかしら?
コウタ はい、今が一番「コウタ」を生きている感じがしています。「浩太」だった頃よりも・・
髙野 どんな幼少期を過ごされたのですか?
コウタ 父は根っからの九州男児です。知覧の生まれです。女々しいのが嫌いでしたから、よく叱られました。「浩太」と言う名はお祖母さんが付けてくれました。 物心がついた頃から、自分は間違って「男」に生まれてきたと思っていました。
3歳の頃に親類の友人から性的な嫌がらせを受けました。小学校時代は度重なる転校でのいじめ、海外での人種差別や言語の違いによるいじめ。中学は新宿の中高一貫の「男子校」に入学、中学2年生からロサンゼルスに移住と、多感な時期を日米印のカルチャ―ショックやからだの成長、性への不安、周りの無理解と度重なる性的虐待・・・・私の少年期は脆くて危なげで苦しかったです。


(小学生の頃/ロンドン)

寺井 今、お父様の介護をされていますよね。
コウタ 女性として生きることを決めた時は「勘当」されるも同然のような関係になりましたが、介護をするようになって、父から「感謝している」と言われました。その言葉を聞けたのは嬉しかったけれど、シモの世話は大変ですよね、あの臭いには正直閉口します。
寺井 私も主人の父の介護をしたとき、汚れ物は他のものに臭いが移るので手洗いをしました。介護することは嫌じゃないのに不思議と涙が出てくるの・・・わかりますよ。
髙野 アートディレクター時代に女性とご結婚されましたね。
コウタ ニューヨークのアート・デザイン・シーンに刺激されて、パーソンズ美術大学(カレッジ)に入学しました。3年生の時に「電通ヤング&ルビカム」のニューヨーク支店からスカウトされました。
当時の広告界ではジャパネスクがブームでその流行に乗って、一流の広告制作を手掛けるようになりました。日本的な美意識と女性的な繊細さ、男性的な大胆さを兼ね備えているわけですから、仕事は順調でした。そして、日本の企業が海外進出に社運を賭けPRに力を注いだ時期でもありました。
 
そしてこの時期、出会った女性を好きになり同棲し結婚。二女一男の父親となりましたが、自分の中に潜む「女性」をコントロールし、抑圧するといった精神不安定な時期でもありました。
このまま電通で働いていれば、安定した生活が保証されていましたが、野球関係の仕事についたのも各地を転々と移動する野球の仕事なら、妻との間に距離を置けると思ったからでした。
髙野 奥様にはご自分のことを話していなかったのですか?
コウタ 妻には本当に申し訳なく思っています。今なら妻の気持ちを同じ「女」として理解できます。「一緒に居たい」と思うほど「好き」でも、夫婦となれば「好き」だけでは済まされない関係があるでしょう。
寺井 仕事に没頭して、家庭的でなかったと言うのはそういった理由からだったのですね。
コウタ 野球が好きで、ダイエーの中内会長から通訳のオファーがあり、福岡ダイエーホークスに渉外担当として入団しました。そこでは、日本選手の海外への移籍の手伝いを手掛けます。 日米双方の球団に籍を置いたこともあります。
MLBの日本代理店業務、WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)の企画運営にも関わりました。日本の野球チームが外国選手を獲得する仕事・・・「メッツ対シカゴ・カブス」のMLB開幕戦、日米野球では通訳、交渉役、世話役を務めました。(注2)
髙野 お仕事では男性として活躍されていたのですね。
コウタ 仕事の契約は交わしていましたが、社員として会社に入ることに躊躇いがありました。功績は上げても収入が良くても、家庭生活には不安定な状態でした。2003年頃からホルモン療法を始めました。ホルモン療法は「やる」と決めたら、途中でやめるわけにはいかないのです。
ホルモンによりどんな副作用が起きるのかはケースバイケースです。 精神と肉体がアンバランスな状態になります。 時間を掛けてその状態に慣れ、喉仏を削り、声帯を手術し、ピッチを上げて行って、性別適合手術を受けました。
 
性転換は周囲の驚きと好奇の目に晒されます。そして、培ってきた人間関係にもきしみを生じさせます。性転換によって野球界を消えるように去り、妻には離縁されました。それまでも妻とは距離を置いていました。そうした夫婦間の淋しさを支えてくれる人が妻にいました。
 
性転換は自分の体の中で化学反応が起きているような感じです。カウンセリングを受けながら行います。感情をコントロールできなくなり錯乱状態になったこともありました。そして自殺を図りました。実際、性転換した人は、体のシステムに慣れることができずに、自殺する人が多いことも理解していただきたいです。
寺井 こういう人生談を、今悩んでいるLGBTの方たちやLGBTの方と家庭や学校、職場で関わる方々にも聞いて欲しいですね。
コウタ 自殺を図って、精神面をケアする病院生活を送ることになりました。その時、母の言葉が思い出されました。「音楽が心を癒してくれる」という声に導かれるように、病院の待合室に放置された弦が1本切れたギターと出合いました。
日本の叙情歌のような、子供の頃に聴いたなつかしいメロディーが浮かび、その曲を弾きました。(注3)
すると他の患者や先生、サポートする人達が集まって聴いてくれるようになりました。涙する人もいました。この時「みんなが見えた」のです・・・いままで、自分のことしか見ていなかったと分かりました。
周りが見えてくることで、精神のバランスが保たれ、退院することができました。
寺井 コウタさんの曲が優しいのはそういったわけがあったのですね。
コウタ 曲から何かを感じとって欲しいから、あえて歌詞を入れていません。芸能プロダクションや音楽プロダクションに所属していたこともあります。デュオやグループで音楽活動をしていた時期もありました。今は、ソロで活動していることが多いです。何か企画があったら誘ってください。
 
プロダクション時代に応援してくれたプロデュサーやスタッフの繋がりから、市川映画監督とも繋がって、女優として映画「さくらさくら」に出ることになりました。
 

 
外国映画の字幕編集(注4)をしたこともありましたが、外国人(メアリー役)て映画に出ることが出来て楽しかったです。女優としてのオファーをお待ちしております。(笑)
髙野 ブログではお嬢さんとお会いになったことが書かれてありますね。
コウタ ブログを書くことは私に課せられた宿題みたいなものです。書いている時は自分と向き合うことができます。
寺井 フェイスブックでお嬢さんとのツーショット写真を見ました。素敵な関係ですね。
髙野 現在、映画館では「リリーのすべて」という性適合手術を受けた人の伝記が映画化され上映されています。(リリーのすべて公式サイト:http://lili-movie.jp/)NPO法人グッド・エイジング・エールが行っている1万人のカミングアウトフォトプロジェクトもそうですが、性が不適合で悩む人達のことをもっと正しく知ってもらいたいですね。
コウタ そのための講演活動も行っています。 「女性トイレ問題」もそうですが、そういう問題が起きた職場では是非、「勉強会」など開いてLGBTのことを正しく理解してもらいたいです。
今、一括りにLGBTと言っていますが、LもGもBもTも、抱えている問題は違います。
また、日本では大きな誤解があり、性行為を楽しむ手段として「女装」する性嗜好者と混同されることがあります。
 
女性が男性トイレで用を足しなさいと言われたら「嫌悪感」「不潔感」「羞恥感」にとらわれると思います。まったく同じ感情が私にも起こります。性転換した時から私は「女性」を生きているのです。
寺井 学校とか、職場とか、小さなコミュニティーでは「異なるもの」が「常なるもの」の妨げになると思われます。 淡々と過ぎていくことが「安心」なのかもしれませんが、その「安心」を求めていては「いじめ」を無くすことはできません。「異なるもの」が集まるのが「場所」であり、「異なるもの」を「ありのまま」に受け入れることが、社会の手本となる時代が来ているのだと思うのですが。。。
コウタ まさしく、そういった講演活動を男子校とか、公的な場所で行いたいのですが、なかなかお声が掛かりません。(苦笑)
演奏活動の方は西荻の小料理HANA(ハナ)を中心に行っています。 「着物ナイト」といったライブもしています。寺井さん、高野さん、次回は是非「ハナ」でお会いしましょう。
西荻 小料理HANA:http://nisiogi-hana.onionegg.com/
 
髙野 今日は「ちょっと怪しい女子会」パート1でした、今後もこの「ちょっと怪しい女子会」を続けて行けたら良いですね。

 

 

高野慈子プロフィール

 

2014年10月に還暦を迎え、ますます元気なおばちゃんです。
実家はレコードの小さな町工場でした。
音楽家の多いファミリーツリーの中では、異色の人生を送っています。
アリゾナに1年間英語の勉強に行きましたが、素晴らしいインディアンに出会い、自然体で生きることを学びます。いろいろなボランティア活動・反戦活動を始めたのもこの頃かしら?

学生時代、弁論部だったことがあり、多くの政治家の選挙運動のお手伝いをしたことから、政治・経済にも強い関心がある「おばちゃん」。
アメリカから帰国し、OL時代は会社に内緒で訳詩・作詞のアルバイトをしたこともありました。また、OL時代は某会の映画モニターになり、某映画評論家の会にも入っていました。

横浜で一番古い冷凍・冷蔵・空調・エアコン部材店の高野商店に嫁ぎ(店と結婚したわけではないけど。。。)「冷たくしてごめんなさい」をキャッチコピーにして日々頑張っています。

2001年から2010年まで、中小企業の集まる会に所属し、そこで知り合ったIT業界の人からツイッターやfacebookを知り、facebookでは「高野家夫婦の会話から」が笑いを取っています。
その人の娘さんが作曲家で、「青虫もんじろちょう」が子ども向けの曲となり、ユーチューブにアップされています。(安希子はペンネーム)

2015年現在、本業の他に、NPO横浜カーフリーデーの副理事、ヨコハマNOWのプロデューサー、神奈川ドイツワイン協会のメンバー。

映画とオペラとミュージカルが大好き、ジャンルを問わず、JAZZやロック、シャンソン、ラテン音楽のコンサートやライブに顔を出し、頑張っている音楽家を応援しています。京都人の父と新潟人の母のDNAを受け、東京生まれ、埼玉育ち、横浜暮らしの「おばちゃん」です。

facebook:https://www.facebook.com/go.yasuko.gogo

あおむしもんじろちょう:

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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