多世代多国籍の集う「まちの寺子屋」コミュニティーハウス“CASACO”(カサコ)を運営するカサコ共同代表 加藤功甫さん
2016年4月9日、多世代多国籍の集う「まちの寺子屋」コミュニティーハウス“CASACO”(カサコ)がオープンしました。
CASACOの理念は、
- 多世代・多国籍の人々が集う場所
- 人と人とが出会うことで、新たなつながりやアイデアが生まれる場所
- 異なる価値観・文化を受容し合い、違いを楽しむ場所
今回は、「世界一グローバルでローカルな、まちの寺子屋」“CASACO”を運営するカサコ共同代表の加藤功甫さんにお話を伺います。
NPO法人ココCoC代表 加藤功甫さん |
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加藤功甫さんとお会いするのはCASACOオープンの日が2度目でした。
最初は2012年8月、私の前職の(株)エスアールエルを退職した人を中心とする勉強会「みちのり会」に、加藤さんと同じ横浜国立大学院生の田澤儀高さんと二人で講演された時で、ポルトガルから日本まで2万Kmの自転車の旅から帰られた数か月後のことです。
その後のお二人はどんな世界に羽ばたいたのか気になっていました。
そして3度目がオープン4日後の4月13日。加藤さんの取材の日でした。
私が2015年5月からヨコハマNOWに「横浜スケッチ」を執筆することになってから『いつかお二人とはヨコハマNOWとの接点が出来るだろうなあ。』という気がしていましたが、まさか自分が取材をし、記事を書くことになるとまではさすがに想像出来ませんでした。
生い立ち
小学校の頃は、信州の田舎でしたので里山を走り回っていました。テレビゲームなどは全然しなかったですね。家の中よりも外で遊びまわる方が好きでした。何度か頭を縫うほどの大怪我をして親に心配をかけていました。
小学校、中学校とスイミングスクールに通い、背泳ぎで全国大会に出たこともあります。高校に入ってからは、水泳だけでなく陸上部で駅伝大会にも出場しましたが、文化祭の副実行委員長としての活動が面白くなり没頭しました。
ちょうど第50回記念の文化祭だったので盛大な文化祭となり高校時代の一番の思い出になっています。
その頃からイベントを仕切ったり、リーダーシップを発揮したりという素養が芽生えていたのでしょうね?
横浜に来られた訳
長野を一度出てみたいという気持ちがありました。どうせならば、長野と全く違う都会に。「東京」よりも、「ヨコハマ」という響きがとてもおしゃれなイメージでしたね。
将来何になりたいか決めかねていたこともあり、高校時代にスイミングスクールで水泳を教えるアルバイトをしていた際子供と触れ合うことがとても性に合ったので、だったら教育学部を受けようと横浜国大の門を叩きました。
田澤儀高君との出会い
住まいは大和にしました。今考えると、なぜわざわざそんな遠方にしたのか? と笑ってしまいますが、「大和」という地名の格好よさと、一度でいいから都会で電車通学をしたい、という理由で大和住まいを決めました。
でも結果、満員電車が嫌で一週間で自転車通学にチェンジしました。
田澤との出会いは大学1年生の時。教育課程は入学時に230人位が20人くらいのクラスに別れますが、その中に彼がいて、高校時代に横浜から伊豆までママチャリで自転車旅をするなど、私と同じく自転車が好きだったのですね。
彼の実家が瀬谷で私の下宿先と近かったのもあり、よく彼の家に遊びに行くようになりました。ご両親とお姉さんと私で夕食を食べていて、そこに彼が帰って来て「あっ!ごはんがない。」ということもありました(笑)。
1年生の終わりの春休みに約2週間かけて、テントで野宿をしながら東海道、山陽道を走り、自転車を押しながら関門トンネルを歩いて渡り、福岡、佐賀、長崎、熊本と回ったのが初めて二人でした自転車旅です。
トライアスロンはいつ始められたのですか?
1年生の夏にトライアスロンサークルに入りました。あまり厳しくないサークルで「プール、陸上グラウンドが使い放題。自転車も乗れる。」というのが魅力でした。
部活のようにかっちり拘束されたくなかったのです。しかしトライアスロンは初めてだったのですが、練習するうちにみるみる熱中し、気づいた時には、日本代表になり、世界へ遠征に行くまでになっていました。その頃、サークルから部に昇格させて初代部長にもなりました。
ユーラシア大陸横断自転車2万キロ
加藤さんがヨコハマNOWに登場していただくきっかけとなった(有)アースブルーの川尻さんとの出会いについて教えてください。
大学4年間で北は北海道、南は九州まで日本全国自転車の旅をして、もっともっと旅を続けたくなりました。であれば次は世界か、と。きっかけはそんな単純な理由でした。ただ、普通に自転車で旅をするのでは、過去に旅した人となんら変わりなくつまらない。そして卒業する前に、学校の先生になってからではできない面白い企画を子供に対してしてみたいな、という想いが相まり、つながりを、糸を結んでつないで視覚化する「Connection of the Children」という企画を立てました。
それからは、準備準備準備の1年でした。資金が足りない、では協賛を取ろう!ということで、慣れない企画書を作り協賛企業を募りました。そんな協賛獲得営業の中で自転車関係の展示会を訪れた時に元㈱エスアールエル社員の川尻さんのブースに寄って協賛いただいてからのお付き合いです。旅を終えてからも大変お世話になり、帰国半年後の8月には川尻さんの紹介で「みちのり会」でお話しさせていただきました。
実はヨコハマNOW代表の渡邊桃泊子さんも今年の1月に「みちのり会」でお話しいただきました。その時に加藤さんの新しい取り組みが話題になって、こうして新たな糸が繋がったのですね。
CASACOについて
CASACOの構想はいつ、どのようにして生まれたのですか?
大学院を卒業するにあたって、先生、企業どちらもしっくりこなかったのです。色々考えて、それなら大学時代に作ったNPO法人COC(Connection of the Children)の活動をそのまま続けようという結論になりました。
なぜかというと、「世界糸つなぎの旅」で協賛いただいた企業や団体に報告会を行い、また、「子供の視野を広げよう。」 「実は世界は近いのだよと伝えよう。」という思いから学校などで話をさせていただいているうちに日本全国の公立学校や海外からも依頼が来て、やがて「単発の講演でなく体系化し、六か月位の期間をかけて行うプログラムを開発したら。」ということになりました。院生2年の春に講演を聞いた先生や子供から「話だけでなく実際に世界の人に会いたい。そんな場所が欲しい。」という要望があり、「では実際に作ろう。」という展開になって来たことからこの構想が生まれました。
また、トルコをはじめ海外ではたくさんの方に家族同様にお世話になった経験からその恩返しをしたい、という意味もこめ、逆に日本に来る海外の人に100円程度のお茶代でみんなフレンドリーに話せる場所を作りたいとも思っていました。
たまたま今の場所が見つかり2014年1月に移りました。最初はお化け屋敷のような状態でしたが、DIYで、自分達で出来る範囲で壁を抜いたりして少しずつ改修して来たのですが、「やっぱり限界あるよねー。」という時に現在CASACOの共同代表を務める建築家の伊藤さん、冨永さんと出会い、さらにCASACOの目と鼻の先に住むコミュニティデザインのスペシャリスト濱島さんと出会って意気投合し、一気に計画が進み、2016年4月9日改装オープンしました。現在は、旅と教育のプロ・建築のプロ・コミュニティデザインのプロの3者が共同して「世界で一番地域に密着した宿」を目指し、まずはカフェやイベントができる「まちの寺子屋」として運用しています。
若い方が多いようですが、地域の方の反応はどうでした? 不審がられなかったですか?
地域の人は「そもそもここに若者が入ってくるはずがない。」と思っていましたから、初めは古い家に大勢若い者が出入りしているのを目にして不安だったようです。そこでこちらから町内会長にあいさつに行ったところ、餅つき大会があるから参加するよう勧められて、そこから地域との結びつきが始まりました。
そして2014年6月から「東ヶ丘新聞」というのを作って町内会全部に配りました。記者は自分達の他、町内会長、地域の中学生などです。毎月発行ですが臨時号も含めると現在24号まで出ています。
オープンの日に近所の方からタケノコの差し入れがたくさんあって、実は私も一本いただいたのですが、地域の方とのつながりも相当強固になったようですね?
この先に横浜市の図書館がありますが、そこの敷石を廃棄するというので払い下げてもらって、CASACOの広い軒下空間にワークショップとしてみんなで敷き詰めたのですが、大勢の地域の方に手伝っていただきました。
そんな様子も新聞に書き、そうこうするうちに、徐々に地域の方の協力が得られるようになりました。
そして「ヨコハマ市民まち普請事業」にも選ばれて市の資金を得られたのですね? さて、4月9日にオープンしたばかりの今の気持ちはいかがですか?
今は「どう人を集めて行くか。」 「どう運営してゆくか。」ですね。それが課題、と言うよりも楽しみでもあります。やりたいこと=楽しみ=課題、ですね。
日直カフェ、放課後留学、ギャラリー、世界の朝食、ワークショップや発表会などの各種イベントスペース、などの活用法を考えていますが、いつも誰が来ても良いようにここは常に開けておきたいのです。見学だけでも歓迎です。
そのためには日直の人が毎日必要ですが、自分達だけでは回せない。1日単位でも結構ですからお願いできる人がいると助かります。
人がたくさん集まるためにギャラリーとかイベントとかを開いていただきたいし。
加藤さんにとって横浜とは? しばらく考えて、「旅に出る街」。
さて、どういう意味かは読者の想像にお任せしましょう。
<取材を終わって>
学生時代に大きなこと、素晴らしいことをした人で、卒業後企業や官庁をはじめ大きな組織に入り、燃え尽き症候群に陥る人も少なくない。そんな中で自分の本当にやりたいことを追い求め、さらに大きく成長されている加藤功補さんを取材させていただいて、とてもさわやかな気持ちで「急坂」を下りて行ったのは桜の花がまだ残っている雨上がりの早朝のためだけでなく、4年前に初めて会ってもう一度見せてくれた加藤さんの人柄のお陰に違いない。
さらに4年後にはどんな活躍をされているだろうか? 今から楽しみだ。
(インタビュー:成見 淳)
参考資料
- CASACO:http://casaco.jp
CASACO(カサコ)Facebook:https://www.facebook.com/casaco.azumagaoka/ - 「東ヶ丘新聞」発行 カサコ(縮小版がカサコに掲示されています。写真も。)
- 「ユーラシア大陸横断 自転車2万キロの旅」枻出版社
https://www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/book-401762/ - 「地域の思い汲み取り「空間」つくる 女性建築家の試み」AERA 2015.9.1
http://dot.asahi.com/aera/20150… - 「摩擦&紫外線防戦記~ユーラシア大陸横断プロジェクト:完結号」
(有)アースブルー 連絡先:http://earth-blue.jp
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