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人と人・人と町をつなぐ空間『かたびら・スペース・しばた。』のオーナー 柴田裕一さん

by staff on 2016/6/10, 金曜日

2016年5月6日、JR保土ヶ谷駅から徒歩3分、保土ヶ谷駅西口商店街に人と人・人と町をつなぐ空間(スペース)『かたびら・スペース・しばた。』がOPENしました。オーナーは柴田裕一さん、保土ヶ谷商店街の前会長。人が集まってゴチャゴチャしている場所を作りたいと店舗兼自宅を改築しました。今回は柴田さんに保土ヶ谷について熱く語っていただきました。

人と人・人と町をつなぐ空間『かたびら・スペース・しばた。』のオーナーの柴田裕一さん人と人・人と町をつなぐ空間『かたびら・スペース・しばた。』
オーナー 柴田裕一さん
 
お名前 柴田 裕一(しばた ゆういち)
お生まれ 昭和24年6月2日
お住い 保土ヶ谷区帷子町
ご家族
お仕事 かたびら・スペース・しばた。経営
HP http://www.katabiraspace.jp/
ご趣味 音楽鑑賞、音響器機、ビデオカメラ(映像)、おしゃれ

関東学院のおぼっちゃま系ビジュアル派でした

おぼっちゃま系の大人しい性格でした。中・高・大学は関東学院です。中学校は卓球部にいました。
高校は部活をしないで通学路にあたる黄金町、関内、伊勢佐木町あたりをブラブラしていました。昭和の絶頂期でした。有線からは青江三奈やいしだあゆみの歌が流れ、タイガースがデビューしたての頃のことです。オデヲンや日活映画館があり、映画館のビルにはボーリング場がありましたね。  レコード店では人気歌手のサイン会が行われ、店頭ではデビューしたての歌手が新曲をお披露目し、伊勢佐木町は人でごった返していました。 遊ぶところに事欠かないでしょう、高校生の自分には刺激的な街でしたね。

実家は洋品店を営んでいました。関東学院は地元商店の子供が多く、自分も経済学部を専攻し、経営学を学びました。
洋品店の息子でしたから服装の流行には敏感で、流行の先端を行くお洒落を楽しみました。ビジュアル派でした。今でもお洒落が好きです。服はクローゼットにいっぱい掛かっています。(笑)

日立家電の子会社に就職しました

今、日本の白物家電は元気がなくなってしまい残念なことですが、大学を卒業して、日立家電の子会社に就職しました。 その頃、テレビ、洗濯機、冷蔵庫は各社競って売上を伸ばしていました。   営業は横須賀や金沢八景が担当で、関東学院のお膝下でもあり、地の利を生かした営業ができました。量販店よりも地元の小売店(父ちゃん、母ちゃんが営む店)相手の営業なので、配達や取付の仕事を頼まれることが多々ありました。今ほど大型の冷蔵庫ではありませんでしたが、冷蔵庫を担いで運んだこともあります。こういった努力が報われて高いノルマを達成することができました。
電子レンジが発売されたのもこの頃のことです。大学卒の初任給と同じくらいの価格で高価でした。使ったことのない人には、デモンストレーションに自宅まで女性社員が出向きました。
電子レンジに使用できる食器や電子レンジで融けないラップが売り出されたのもこの頃のことです。エアコンも贅沢品でした・・・取付工事をやりましたよ(笑)

アパレルの仕事に

実家は大正時代は呉服屋でした。日本人が洋装に変わると呉服屋も洋品店に変わるところがありました。実家がそうでした。洋品店で洋服を見て育ったこともあり、自分も洋服が好きだから、帝人のメンズショップがジョイナスにOPENすると聞いて、日立をやめ、帝人の入社試験を受けました。「帝人」を知らずに試験を受けましたから、「だめかなぁ?」と思いましたが、運良く入社でき(笑) 念願のアパレル業界で働くことが出来ました。

横浜も「名店街」が「ジョイナス」に変わって、ファッションの先端を行く店が集まりました。
自分もそんな店で研修したことがありました。手腕を買われて、銀座4丁目の店舗で接客したこともありました。当時の銀座は本当に別世界、ランクの違う接客が求められました。

役者?

保土ヶ谷区は地元出身の前区長金子宣治氏の時に区制80周年を迎え、いろいろなイベントが企画されました。どの行事も一過性のものでなく、次世代に引き継いでいける物(事)を考えて企画され創られました。

80周年行事以外でも、日頃から金子前区長は保土ヶ谷の町や人、歴史、文化に強い愛着を持たれており、区が市民の活動を応援してくれました。
『交響詩 保土ヶ谷』や『じゃがいも焼酎』『じゃがどら』などの保土ヶ谷名物が生み出されました。

懇意にしている 北井康一氏(交響詩 保土ヶ谷)(注1) が『保土ヶ谷』の芝居を泉谷渉さんと制作することになり、『製作責任者を保土ヶ谷から』ということで自分にも声が掛かりました。 現場に立ち会うようになって、役者不足を補う形で参加し、セリフを覚え『役者』として出たことから始まり、『映劇 にゅうくりあ』に参加するようになって7年になります。

今、製作中の映画『横濱の空の下』にも役者として登場します(笑) 人形の家の『あかいくつ劇場』で上映予定です。

(注1)北井康一さんは以前にヨコハマNOWで取材させて頂きました。
音楽の作曲理論を研究してみて。浜のウォルフィー 「スカイビル薬局」の社長 北井康一さん(2011年2月10日 掲載)

商店街の前会長

保土ヶ谷駅西口周辺は商業地とは言え、オフィスやマンションが増えて、商店は少なくなっています。商店街の組合には48店舗が登録されておりますが、実際に物販を行っているのは10件にも満たないのが現状です。商店街の活動資金は枯渇する一方ですが、オフィスマンションに入っている会社の中に会費を払ってくれるところがあり、活動を続けています。

自分の実家の洋品店がやめることになり、鉄骨3階の建物のリフォームを考えましたが、自分の年を考えるとエレベーターを取り付ける必要があり、鉄骨を切ってエレベータを後付する費用を考えると建て替えた方が良いということになりました。
商店街の会長を務めた時に感じたのは、付近に人が集まるスペースが無いこと。。。ちょっとした打合せができる喫茶店などが無いことから、そんなスペースを作りたいと思いました。


かたびら・スペース・しばた。外観


カウンターコーナーは夜にはbarとなる

かたびら・スペース・しばた。

保土ヶ谷には『保土ヶ谷宿四〇〇倶楽部』と言って保土ヶ谷宿や東海道の歴史を勉強したり、町歩きを楽しむ会や区役所主催の『歴史勉強会』、『ほどがや 人・まち・文化振興会』・・・など、色々な会があります。それぞれが個性ある活動をしています。その活動を「点」に例えるのなら、点を結ぶ線になる場所に『かたびら・スペース・しばた。』がなれたら良いと思っています。

通行人が立ち寄って行く「ごちゃごちゃ」している所、お母さんが子供を連れて入って来て、ちょっと休める所、お見合い(合コン)ができる「町コン」の会場・・・

会議、説明会、発表会などのビジネスや写真展、絵画展、書道展などのギャラリーとしてはリズナブルな料金でレンタルしています。
5月6日にオープンしましたが、書道展を行いました。また、そろばん塾が週二回開かれることが決まっています。


レンタルスペースには妹さんの書が飾られていました

カウンターコーナーは夜間のみHODOGAYA bar 『mamenoki』として営業します。

「しばた。」と「。」を描いたのは、まるく納まることをイメージして。。。看板は 山田浩和氏(注2) のデザインによるもの。チラシは「映劇にゅうくりあ」でデザインをしている仲間が製作し、ホームページも他の仲間。。。
仲間っていいですよ! 人脈に支えられています(笑)


上の画像をクリックするとPDF画像をダウンロードできます。

(注2)山田浩和さんは以前にヨコハマNOWで取材させて頂きました。
知らないことを知る楽しさと地元の世界の広さに気づいたことが原動力。保土ケ谷区の地域活性化にのめり込んだ、合資会社 笑う門 代表 山田浩和さん。(2011年8月10日 掲載)
また、山田浩和さんにはヨコハマNOWで連載を執筆して頂いております。
コラム・笑う門(2016年6月現在 掲載中)
保土ケ谷宿名物会(掲載完了)

あなたにとっての横浜(保土ヶ谷)とは

「保土ヶ谷は自分の夢と文化をふくらます町」だと思います。区制に区民の声を届ける道が沢山あり、区役所も「多世代交流・地産地消」に積極的になっています。そして、保土ヶ谷には宿場だったころからの『歴史』があります。
人と人、人と町をつなぐ空間(スペース)として『かたびら・スペース・しばた・』と活用していただけたら嬉しいです。


保土ヶ谷とは自分の夢と文化をふくらます町」だ!!

(インタビュー:高野慈子)

 

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