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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第48回 第7章 独立編 1

by staff on 2016/6/10, 金曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

 

横浜、街と風(独立編) 1

大きな夢

この頃、連日朝まで家内とどんなお店にしようかと話し合っていたのですが、お酒を飲みながら本音がぽろっと出たのです。雇われて演奏している時お客の歌の伴奏がたまに苦痛だった事、あまり好きでない日本の歌を歌わなければいけなかった事です。

新曲は流行るとすぐリクエストが来ます。実際この当時、いち早く人気曲を取り入れていたのですが、ある時から新しい曲の歌詞やメロディに気を入れる事が出来なくなってきました。スピッツの “ロビンソン” などはお気に入りでよく歌っていたのですが、ミスターチルドレンの “イノセントワールド” を覚えた時なぜか気持ちが入らなかったのです。よくできた曲だし良い曲だとも思う。しかし日本語だけに心のどこかで自分が歌う歌じゃないと感じて身が入らないのです。今までは仕事だと思えば我慢もできたのですが、そんな事をぼやいていたら家内が「それならやめちゃえばいいじゃない」。 えっ! 「伴奏も日本語の歌もやめて、やっと自分の店を持ったんだから、あなたがやりたい様にやった方がいいと思う」。 この言葉を聞いて決心しました。

自分が心地いい店を作ろう! もし自分が客で来ても居心地の良いお店を作ろう! ビートルズに感動して始めた歌、洋楽で育った10代、それなら大好きな洋楽だけやる店にしよう! お客さんの歌える店にしないで、プロの歌、演奏を聞かせる店にしよう! カラオケはいまやどこにでもあるし、邦楽は誰でも歌える。よそにない店を作りたい!

私の歌うニューミュージックや私の伴奏で歌いたいお客様をがっかりさせ大切なお客様も沢山失いましたが、結果、今があり新しいお客様をつかむことができました。彼女の言葉には今も感謝しています。

そしてこの時語り合ったのは、どうせやるなら大きい夢を持って始めよう。
それはいつかお店を大きくしてやがてフルバンドで演奏できる店を作り、支店を出す。
最終的にはいつか沖縄かオーストラリアに支店を出し余生を温かい処で過ごす。という夢でした。

開店前夜

不安と希望が入り混じる毎日。食品衛生、役所関係の許可に著作権、改装業者との打ち合わせ。開店のお知らせとレセプションへの招待状作成。近隣のお店には直接回るのが礼儀だったので、夕方開店前や社長やママが遅い出勤の所は夜直接手渡しに回りました。招待状はこの人はどうかな? と思う人もほとんどの人に招待状を郵送。来る来ないは先方が判断することなので 「あいつには来たけどウチには来なかった」 と言われないように、招待状はできる限り出しました。他にもやることは山ほど。内装はほとんど以前の物を使いましたが、ステージが必要だったので内装業者に依頼し、2畳ほどのスペースを改装。そして演奏の合間にお客様が退屈しないように昔のミュージックビデオを流す大型テレビを購入。当時はまだブラウン管でしたから狭い店にえらく場所を取りました。そして必要な楽器を購入。グラスや食器はこだわりたかったので、これも新しく購入。思ったよりも大出費でびっくり。そしてスタッフやキッチンの打ち合わせや、初めてお手合わせするベースとのリハーサルなどに時間を費やしているうち、あっという間に時間が過ぎました。数日前から時間を見つけては壁や窓を拭いたりお店の掃除をしたり。開店三日前に窓を開けていたら、今のベイスターズ通りが真直ぐ見えるのですが、夜になると門ごとにパトカーが沢山止まり駐禁を取り締まっています。オープンを目前にして穏やかでないな。でも三日位で終わるだろうと思っていたらなんとこの後半年近くも毎晩取り締まっていました。このころは飲酒取り締まりも今ほど厳しくなく、飲みに来たお客の車、店の従業員やホステスさんの車が歩道まで占領し夜の関内の街角は無法地帯でした。
そしていよいよ独立の日を迎えます。
1997年6月9日、38歳9か月、いよいよ念願だった自分のお店をオープンしました。

 

ここからは原の音楽夜話 - 原の勝手な視点で様々な音楽を語ります。
ソロボーカル(ブラック男性編6)
スティービーワンダー(2)

ソウルの歴史においてと言うか現代ポピュラー史にこの人ほど多大な影響を与えた人はいないのじゃないでしょうか。前回に引き続き、私なりのスティービー論を語りたいと思います。

元来アフリカの広大な大地でコミュニケーションをする為先祖代々鍛えられた喉を持つ黒人。その中でもスティービーはとりわけ強い喉を持っていたようです。驚くのはその声の太さとハイトーン。あの声の太さだと地声で出せてもBb(シのシャープ)位ですが、スティービーは軽くEb(ミ)位まで出してしまいます。

又、彼は声色を使う天才でした。物マネが得意で、モータウン社長のベリーゴーディにいたずら電話をかけ、スモーキーロビンソンの声をまねて冗談で 「スティービーのギャラを上げてやってくれ!」 というと、ほとんどみんなだまされたようです。そんな彼の多彩な声は曲の表現に生かされています。中音域ではハスキーな響きですが、高音に行くにつれ喉を絞り込むように出します。元々太い声ですから細くなってもしっかりしています。よっぽど発声が良いのか喉の支えがちゃんとできているからだと思われます。普通だったら金切り声になってしまいます。ステージを見る限りスティービーには喉の調子が悪くて声がでないなんて事は想像できませんね。一体この人の喉はどうなっちゃっているんだろう? と思います。

楽器演奏

すでに11歳にして10個以上の楽器を演奏することができた訳ですから並みの天才ではありません。トーキングブック以降は鍵盤楽器、ドラム、ハーモニカはほとんど自分でこなしていました。

まずはハーモニカ。彼が使うのはクロマチックハーモニカで、1列10個の穴が空いていて横にボタンがついています。これを押すと半音音が変わります。これはかなりの技術を必要とします。鍵盤と音階が完璧に頭に入っていなければ出来ない楽器でしょう。これを彼は個性的な音色で吹きこなします。一度聞くとあっスティービーだと分かります。世界でトゥーツシールスマンスとスティービーが2大名人ではないでしょうか。

そしてドラム、10代の頃からスタジオで他人の曲も叩いていたので半端な腕前ではありませんが、20代になると独創的なリズムを叩くようになります。特筆すべきは “迷信” のドラムです。16ビートのハイハットのきざみが微妙にスイングしているのです。これは普通の16ビートにレゲエの要素を加えたものと考えられます。現在では、『はねる16ビート』 などと呼ばれて当たり前にありますが、この当時はほとんど耳にすることはありませんでした。
世界で一番最初にこれを叩いたのはスティービーワンダーではないでしょうか。本人もあれは僕があみだしたんだよと語っています。これが80年代にはヒップホップにつながりロックでもTOTOが “「ロザーナ」(Rosanna)” などで進化させています。

ピアノは、目が不自由な為最初に鍵盤に触れる時、出っ張っている黒鍵から触って音を確認するのでしょう。だからスティービーの曲はやたらとシャープやフラットが一杯ついた調の曲が多いです。(譜面が真っ黒になって難しそうになります、、) 又、手が大きいのか独特な和音を弾きます。感性のおもむくまま和音を選んでいるのでしょう。こりゃ一体何のコードだ? と調べるのに何時間も格闘したことがあります。そして縦横無尽なコード展開と転調。普通ならこう進むはずなのに彼は思わぬ方向に転調したりします。ジャズの影響も感じられますが、彼の感性は一言では表現できません。

バラード

美しすぎるバラードをいくつも残したスティービー。最初にヒットしたのはシャイな男の恋心を歌った歌、 ‘69年の “My Cherie Amour” でしょうか。切ない歌声です。そして ‘72年のアルバム、「Talking Book」の “You and I (We Can Conquer the World)”。 ピアノの弾き語りに本来なら常套手段としてストリングスをかぶせたくなるところですが、さすがスティービー、ムーグシンセサイザーで創造した音を使い2つの旋律をかぶせて斬新なサウンドを作っています。そして続く ‘73年 「Innervisions」では、マイナーな旋律が日本人に受けそうな名曲 “All in Love Is Fair”。 これは五輪真弓もカバーしていました。 ‘76年 「Songs in the Key of Life」 では究極の人類愛がテーマの “Love’s in Need of Love Today”。 そして ‘80年のアルバム 「Hotter than July」 の名曲中の名曲 “Lately”。 彼女の心をつなぎとめておけない悲しい男のバラードで、詩の一節一節に映像が浮かんできそうな表現でせまってきます。悲しげなスティービーの声がたまりません。

スティービーのバラードはここで頂点を極めた気がします。この後、“Overjoyed”、“Ribbon In The Sky”、“Stay Gold”の3大名曲が生まれていくのです。

余談

“I Just Called To Say I Love You” (心の愛)ですが元々日本のアーチスト、ブレッド&バターにプレゼントするために作った曲で、詩は「I Just Called To Say I Love You」の所しかなかったそうです。その後、松任谷由美作詞、細野晴臣編曲で「特別な気持ちで」というタイトルで発売予定していた所、スティービー側から映画に使いたいから先にこちらを出させてくれと言われ、「待った!」をかけられていました。最終的にリリースされましたが、あまり知られていない話です。一説には、南アフリカのアパルトヘイト政策に反対して投獄されていたネルソンマンデラ氏を励ます為に、マンデラ氏の奥さんが監獄の氏へ電話しているのをイメージして書かれた曲とも聞いたことがありますが、定かではありません。

次号へ続く

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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