ヨコハマ・キラキラ(第1回) 横浜掖済会病院の病院長 長倉靖彦さま
横浜の「人」の姿を多くの方々に知ってもらいたい・・・そんな想いからヨコハマNOWを立ち上げました。先人が築いてきた「横浜」、そして今の「横浜」、これからの「横浜」を「人」を通して伝えていきたいと思っています。
これまでにも、沢山の方がヨコハマNOWに登場されています。ヨコハマに住む、ヨコハマで仕事をされている、あるいは、ヨコハマにご縁のある方にお会いしお話を伺いヨコハマについて語っていただきます。
その人に関係する別の方や場所なども、その人を立体化させるために登場していただくこともあると思います。
また、紙面ではなくインターネットですので、動画でもお伝えいたします。
もっとヨコハマをキラキラと!
輝かせるのは、一人ひとりだと信じています。
第1回は、横浜掖済会病院の病院長 長倉靖彦さまです
横浜掖済会病院(よこはまえきさいかいびょういん) って、どこにあるの? と思われる方も多いでしょう。
中区山田町にあります。今年で、120周年を迎えた古い病院です。元々は、船員さんのために創られましたがもちろん今は、誰でも利用できる病院です。
そんな伝統ある病院のトップの方ですから、さも硬い白い巨塔に居る白衣に身を包んだお医者さんかと思われますが・・・。
こんな、方です。
長倉靖彦さま
全然世間のイメージとは違うと思います。
神奈川県内の病院で組織する神奈川県病院協会の会長を、務められていました。また、これまでの医療への貢献が認められて、瑞宝双光章も受章されています。
工学部を卒業して、医学部へ
まず、最初にお尋ねしたのは、お若い頃の長倉先生についてです。経歴を拝見すると、神奈川県立希望ヶ丘高校から慶応大学の工学部へ進学されて卒業し、その後横浜市立大学医学部へ再入学されています。
慶応大学時代には、自動車レースにのめり込んでいたそうです。工学部ですから、てっきり自動車に関わる専攻をされたのかと思いましたが、
「数学や経営が好きだったから管理工学科というところに入って勉強をさせていただきました。」
とのお話が。
管理工学科というと今では、普通にありますが当時としては、まだ出始めの頃ですよね?
「うん、出始めの頃だよね。経営工学とか管理工学とか数学統計とか電子計算機の最初の時だったんだよ。」
経営とか電子計算機とかを勉強して、その後医学の道へ進まれようとしていたんですか?
「いや、そういうことじゃなくて、そういうのが好きだったから。数学関係が好きだったからね、そういうところに行って勉強したんだよ。」
自動車レーサーとして
レーサー長倉靖彦さま
レーサー長倉靖彦さま
慶応大学時代の自動車レースは、自動車部としてレースに参加されていたんですか?
「いや、関係なくまったく。日本の自動車会社の中の一員としてやっていたよね。いすゞのベレットとかね。」
そうすると、車体とかエンジンの開発にレーサーとして乗って、開発に協力していたということですね。
「サーキットで、自動車を走らせてテストしたり、実際にレースに出ていたんだよ。レースでは、次々とレーサー仲間がレース中に事故で死んじゃったよね。親しい仲間も5、6人は死んじゃってるよね。」
今より昔の方がレースの死亡事故は多かったんですか?
「今の状況は詳しくないけども、当時は事故で焼け死んだりするよね。車が燃えて。」
と言われながら、昔を思い出されたのか少し暗い表情になって下を向かれました。
そのままレーサーになろうとは思われなかったのでしょうか?
「それはないから(笑)。 父親が、医者だったんで医者を継いであげようと思って、で、医学部へ入った。」
ご兄弟は?
「3人兄弟でね。」
みなさん、医療関係で?
「いや、関係なくなっちゃったんで、僕が3番目で、全面的に私が責任を取って。」
とお話しされていましたが、この後看護部長の石守久美子さまのお話を伺うと、むしろ医師になるべくしてなられた方ではないかと思いました。
読書とゴルフと
若い頃に自動車レースに打ち込まれていた関心は、今はどのようなことに向けられているのか、趣味についてお尋ねしました。
今は、どのような趣味をされていますか?
「読書・ゴルフで、みんなんと同じだよ。(笑)」
ハンディは?
「どうだろうね?」と言われて、しばらく考え込まれて「12くらい。今は、膝を痛めてるので控えてるんだけど。」と。
カラオケも大変お上手と伺っていますが、趣味ではないのですか?
「(笑)必要に応じて。」
とのことで、これはきっと必要な時は仕事で、必要でない時が趣味なんだろうと勝手に解釈して聞いていました。
医師として
ここから、ちょっと硬めのこともお尋ねしました。伺ったお話は、今のお仕事に関係する、なかなか聞けないお話でした。
医師としての社会的使命や医師のあり方について、長倉先生はどうお考えですか?
「医者になる人は、みんなそうだと思うけど、命、生命の重要さだよね。それを、第一義に考える。」
命の重要性をまず考えるのが医師なんだ、とふと心の中で呟いていました。お話が続いていてメモを取りながらも、子供の頃から随分たくさんのお医者様に診てもらっていたなあと、先生方の顔を思い浮かべていました。
「医療を受ける人々は、どんな人でも恵まれない人々も含めて、国民皆保険みたいに誰でもフリーに医療機関にかかれるということで。フリーにというのは、フリーアクセス。どこの医療機関にも健康保険を使って制限なく受けられる。この日本の医療保険は、世界に冠たる物がある。日本では、他の先進国と比べてこれだけ医療面で心配しなくていいんだよ。それは、日本だけの問題で、他の国アメリカなんかは、特にそうだし、私的保険を使わざるをえない。ヨーロッパなんかは、ホームドクター制度があって、誰でも自由に病院にかかれるということでもない。ホームドクターからの紹介がない限り、大きい病院へは、かかれないという制度になってるから、日本みたいに非常に自由でセカンドオピニオンも含めて、好きな医療機関の治療を求めることができるフリーアクセスというのは、凄いことだと思うよね。」
戦後の社会保障制度も含めて、行政がそういう方向だったんでしょうか?あるいは、医師会等含めて医療関係者の方々のご努力や訴えが大きかったんでしょうか?
「日本の経済社会構造が人口増加で右肩上がりで来ていて、健康保険制度もいくら費用がかかっても、全部賄われていたんだけれどもね、現在ここへ来てその歪みが出てきちゃってるんだよね。高齢者が増えて高齢者は、病気の頻度が増すから、それを全部健康保険で補うというのが厳しくなってきて、それで、消費税を充てようかと、社会保障費として。そういう発想になってきてるんで。それから計算すると消費税率25%に成っても不足するんじゃないかと推計が出てるよね。」
そうすると、今後の日本の医療については、どうなりますか?
「高齢化社会だから病気が多くなるから、今の健康保険制度を続ける限り、続いて欲しいけど、そのためには、税金をもっと投入しないといけないと思うから、社会保障制度を抜本的に見直すというようなことを、政府がやってくれないと国民は困ることになる。」
そうしたら社会保障制度を、どのように見直していったらいいんでしょうか?
「これは、難しいけど、平均寿命が世界トップクラスでいるけど、これは、医療の底辺にいるドクターたちがしっかり支えているからなんだよ。でも、いろんな今の制度では、高額な医療機器例えば、CT、MRI、レントゲン、超音波検査器もそうだけど、そういうのに対する消費税は、患者さんの払う医療費に転嫁することできないようになっているんだよね。保険診療は、全部非課税なので医療機関が購入する薬を始め高額な医療機器や、建物もなんでも税金がかるけど、消費税の補填がないので、費用ばかりかかってしまう。健康保険も他の事業と同じように課税にしないと、医療機器の更新ができないのではないかと思う。」
結果として、医療水準が維持できなくなるということですね。
医師としての命の大切さ、命が第一という点について、昔と比べて今は、医師の在り方とか、日本の医師についてどう見られていますか?
「もう大学教育が昔と違って、ものすごく医療のレベルがアップしていて学ぶべきことが多いし、色々な病気が解明されてきてるし、そういう意味では医療技術のほか、病気を確定する技術も進歩してきているので、若い先生を含めての命の大切さがどんどんレベルアップしているので、非常に良いことだと思います。」
医学部は昔から6年制でしたが、医師になるのに医学部の6年間の大学教育で果たして十分なのでしょうか?
「今の知識からすると、学部の6年の後に2年間の初期研修医3年間位の後期研修医をやる。医師として独り立ちできるようになるには、6+2+3で、10年から11年はどうしてもかかる。その先に、専門医制度があって、自分の専門をもっと決めないといけない。医師は、生涯勉強だろうと思うよね。」
病院長として
横浜掖済会病院には、内科部長として着任して、・・・。
「その前から、内科医長として大学病院の医局の人事で来て、そのままずっと。」
先生の場合は、着任された時から将来病院長になるという含みでいらっしゃったんですか?
「そこまではないけど(笑)。ずっと長く居たので院長になれたと。」
例えば、内科部長だとまた大学へ戻ったり異動したりするんですか?
「部長になると、あんまり動かさないよね。」
先生が来られる前から横浜市大の医局の先生が多くいらしたんですか?
「以前は、いろんな大学の医局からの先生が来て混成でやってたけど、僕らの頃から市大が中心になっていったよね。」
あまり馴染みない方にはわかりにくいお話かもしれませんが、いわゆる医局人事というものです。大学の医学部の教授が、講座を持っていてその教授を頂点とする任意の組織が、医師を病院に派遣する仕組みのことです。派遣と言っても、それぞれの医師が、各医療機関に就職するような形をとります。
横浜掖済会病院に着任されて、病院長になられて、どのようなことに取り組まれましたか?
「大学病院からの先生を、確実にこちらに来てもらえるように、良い先生に来てもらえるように環境を整えてきた。昔は、耳鼻科・皮膚科とか他の診療科もあったが、いろいろな面で小さい科をやっていると診察室の部屋の問題とか非効率だったので、今は、内科・外科・整形外科・眼科となっている。今の診療科の先生は、全員横浜市大の医局から来ている。日頃の連携として、大学病院との連携会議とか研修医をお預かりしたりとか、そういうところで大学との接点やチャンネルを多くしている。医局は市大だけど、大学はいろいろなところを卒業して、市大の医局に入っているから出身大学は、いろいろだけど。」
以前先生が病院長になる前は、どうだったんですか?
「今ほど大学との関係が、密ではなかった。」
病院にとっては、優秀な医師を確保することが重要で大変なことだということがお話から分かりました。
ヨコハマNOW?
ここからが、今日の最も大事な質問となりますが、横浜の今をどう見られていますか? これからの横浜が、どうあって欲しいと思いますか?
「幼い頃は、沼津に住んでいたけど、小学校6年生の時に横浜にきた。30年前から金沢区に住んでいる。横浜市も北部は人口が増えているけど、南部は人口が減少してきている。横浜の活性化を図るにはどうしたらいいのかという点に関心があるね。日本全体では、人口が減少してきているけど、都市部は急速には減少していない。でも、少子高齢化は進んでいる。医療サイドから見ると、高齢者医療の効率化をもっと考えないといけない。」
「横浜自体の将来は、経済的活性と、その前に医療・介護・教育をもっと重要視しないといけないと思う。経済の活性化については、専門家がいるはずだからそういう人に任せて、医療・介護・福祉・特に次世代を担う子供達の教育は、もっともっと充実させないといけないと思う。これからの横浜は、若い世代へのきちんとした教育をして、生き生きとして、もっと活性化して力を引き出せるようにならないといけない。それから、横浜の各地の特色を出して、文化・芸術、スポーツや環境問題については、教育効果のある目玉となるようなものを進めていくのが良いと思う。」
今の若い世代のお母さんやお父さんを見て、どう思われますか?
「育った社会的な背景が違うから、我々の世代では、子供の頃にはテレビなんてそうなかったから、遊びもおもちゃで遊ぶくらいしかなかったからね。全然違うバックグランドで育ってきたから、それに関してどうということはないけれど、もう少しゆとりを持った良い将来に向かうような、個人の資質を伸ばすような教育をしてほしい。あまり型にはめないで。」
と語っている長倉靖彦先生の細い目は、もっと細くなって何かに期待を込めて話されているように見えました。
最後に、長倉靖彦先生の読者の皆様への動画と、横浜掖済会病院で運営責任職でもある看護部長の石守久美子さまに長倉靖彦先生についてお話ししていただきました。どうぞ、ご覧ください。
どうもありがとうございました。
長倉靖彦さま
石守久美子さま
筆者紹介
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