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ヨコハマ・ディスコグラフィティー 第53回 第7章 独立編 6

by staff on 2016/11/10, 木曜日


 
 

 

HEART&SOUL代表 原 正行

1958(昭和33)年9月7日横浜生まれ、12歳よりギターをはじめ17歳からミュージシャンとして活動。39歳の時に念願だったライブハウスを開業、現在は関内駅北口駅前に60年代から80年代の洋楽ヒット曲を演奏するライブハウス、ハート&ソウルの経営者。他にもミュージシャンとして演奏活動、作曲、プロデュース等、幅広く活動している。

 

 

横浜、街と風(独立編) 6

黄色い潜水艦

ここらで少し脱線しましょう。我々が子供の時、戸塚の方にドリームランドという遊園地がありました。横浜のディズニーランドという感じでかなり大きい印象でした。小さい頃、学校で行ったのか、家族で行ったのか覚えていないのですが、一度だけ行って黄色い潜水艦に乗ったことだけを微かに覚えています。観覧車やら色んな乗り物がありましたが、ほとんど記憶にありませんが、この潜水艦で池? のような所に潜り魚を見た事だけは、うっすらと記憶しています。大きくなって車を運転するようになってから行ってみたくなり久しぶりに訪れました。

それは戸塚の田舎道を通っていくと忽然と現れます。入り口にはなぜか使われていないモノレールの線路跡があり、入り口のゲートにはヨーロッパの宮殿を守る衛兵の格好をした人が整列して迎えてくれます。これは確かドリームランドのイメージキャラクターにもなっていたような気がします。入っていくと横にプールもあり、なんとヘリコプター乗り場があり戸塚周辺を一周してくれます。確か一回五千円くらいだったと記憶していますが、これは幼い時にはなかったと思います。再訪の時にはかなりイメージが違っていて、乗り物も老朽化していたのでスライド式の観覧車が移動するときはぎぎぎ、、と音が鳴り違った意味でスリルがありました。そして潜水艦。まだありました。しかしそれは実際には水には潜っていなかったのです。幼い記憶とのギャップにショックでした。

潜水艦のイメージは今でも大好きでビートルズのフィギアを見つけると今でも買ってしまいます。そういえばまだビートルズをあまり知らなかった頃、リアルタイムに映画館でイエローサブマリンを観ていてそのシーンが焼き付いています。漫画でもサブマリン707という漫画が好きだったので潜水艦には幼いころの淡い記憶がオーバーラップするのでしょう。ドリームランドは2002年に閉演したそうです。

それから反町にも遊園地がありました。こんな身近にジェットコースターがある公園があるのは、当時貴重だったのではないでしょうか。確かゴーカートも乗れたような、、。アイススケートリンクもあって小・中学の頃同級生や女の子を誘っては遊びに行っていました。

目の前が真っ暗

T君もキッチン修行から帰りすっかり料理の腕も上達し、松下もホールに戻って店の営業は順調でした。

しかし、そんなある日たまたま用事があり珍しく昼の2時頃店に行くと鍵が開きません。冷たい防火扉はうんともすんともいいません。悪い予感がして持ち主のママに電話してみると、「この電話は現在使われていません」。 こりゃ大変だ! 店の家賃は自動振り込みで毎月支払っていたので、何かないとめったに電話しません。電話したのも久しぶりでした。大急ぎでビルの管理会社を探し電話をしてみると、家賃を滞納している上、連絡がつかなくなったので鍵を変えましたとの事。目の前が真っ暗になりました。以前にも書きましたが、この私は又貸しでお店を借りており、本来の借主であるママに家賃を払い、そこからビルの大家にママが支払っていました。やられた! と思いました。

ともかく管理会社に事情を説明し、昨日まで実質自分が営業していた事、家賃もきちんと払っていた事、今日にも営業したい事、お金はすぐ用意するから自分が直接契約したいとビルのオーナーに掛け合ってもらうようお願いしました。しかも今日にも予約が入っている、信用があるので何としても今日お店を開けたいと必死に頼みました。ではオーナーに相談してみましょうという事で返事を待つ事になりました。その間気が気ではありませんでしたが、ともかく契約の為の現金を必死でかき集めました。当時は夜8時開店で時間はあまりありません。このAMビルは複雑でオーナーが二人いて、AさんとMさんでAMビルなんだそうです。そんなこともこの時知りましたが、それなので中々連絡がとれません。そうこうしているうちやっとオーナーからOKが出たと連絡があり、滞納されてた家賃分を支払って何とか営業前に鍵を開けてもらいました。

後日正式にビルのオーナーと直接契約し晴れて法的にも正規の借主になることができました。被害はありましたが一日も休むことなく営業できたのはラッキーでした。本当に嵐のような一日でした。

松下店長

店長だったT君も少し体が弱かったのですが、まじめで働き者でした。そして松下もまず休んだことがありません。ちょっとの風邪ぐらいでは自分からは言いません。ふらついたのでおでこにさわってみると凄い熱でびっくりしたこともありました。ある日キッチンをやっている時かなり熱があったのですが、彼女がいないと何も食べモノが出せません。店の下に私の車を駐車しその中で休んでもらい、オーダーが入ったら迎えに行って作ってもらう。こんな時でも彼女は泣きごと一つ言わず黙々と仕事をしてくれて本当に頭が下がりました。そんなスタッフ達に恵まれ営業は順調に進んだのですが、4年目に差し掛かるころ店長のT君が上がりたいとの申し出。立ち上げから一緒に苦労したスタッフと別れるのは辛いことでした。以後松下は店長になりキッチンは専門の人を募集することになりました。

 

ここからは原の音楽夜話 - 原の勝手な視点で様々な音楽を語ります。
ソロボーカル(ブラック男性編11)

オーティス・レディング

以前にも書きましたが、幼い頃兄のレコードの中で飛び切り好きだったのがオーティス・レディングの “ドック・オブ・ザ・ベイ” 。イントロの波の音、物悲しそうな声と口笛何度聞いてもたまりません。そして初めて見たモントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバルの衝撃の映像は忘れられません。絞り出すようなしゃがれ声、限りないシャウト、熱いバラード、意味など分からなくてもすっかり引き込まれてしまいます。故忌野清志郎さんもオーティスの大ファンで、コンサートでの名セリフ「愛し合ってるかいー」は、実はオーティスがライブで客に呼びかける定番でした。まずは生い立ちから。。。

オーティス・レディングは1941年ジョージア州生まれ。同じメイコン出身のリトルリチャードに憧れて、プロシンガーの道を目指し、地元で活躍していたジョニー&パイントッパースに加入シンガーとしてのキャリアを重ねます。1962年11月のある日、ジョニーのバンドメンバーがスタックスレコードで録音する事に。しかしこの時オーティスはマネージャー代わりに車の運転をしてきただけでした。ジョニーたちの録音が早く終了し、1時間ほどの余り時間ができました。この時なんとオーティスは、「自分の歌を聴いてほしい」と、ギタリストのスティーブ・クロッパーに頼みました。そんなに言うならと歌を聴いてもらえることになり、オーティスは自作の “ジーズアームズオブマイン” を歌いました。スティーブ・クロッパーは、ワンフレーズ聞いたところでその歌のあまりの素晴らしさに鳥肌が立ち、すぐにジム・スチュアート(スタックス社長)を呼びに行かせ、彼の歌を聞かせました。オーティスはその場で契約。レコード発売を決定しました。彼の非凡な才能を見抜いた2人のセンス。一瞬のチャンスを逃さなかったオーティスの行動力には頭が下がります。この曲はR&Bチャート20位まで登り、この後もヒットを連発していきます。転機となったのは1967年に出演したモントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバルで、ジミヘンやジャニスを向こうに回し、大観衆をすっかり魅了してしまいました。それは黒人のみならず白人達にも多大な評価を得て、人種の壁を大きく乗り越えました。その後、喉の不調を訴え声帯ポリープの手術を受けることになり2ケ月の安静を余儀なくされ、歌い方も絞り出すような歌い方から少し抑えたようなスタイルに変わっていきます。

そしてこの静養中に海を見つめながら書きはじめたのが “ドック・オブ・ザ・ベイ”でした。残りをスティーブ・クロッパーと作り録音を半分完成。後リードギターとコーラスを入れる手前まで来た所で、オーティスはテレビ出演の為自家用飛行機で仕事に向かいました。出発の日、オーティスはスタジオに寄り、中にいたスティーブ・クロッパーに手を振り 「今度の曲はナンバー1になるぜ」 と言ってスタジオを出たそうです。これがスティーブ・クロッパーとの最後になりました。その帰り、彼とバックバンドのバーケーズのメンバー計8人を乗せた飛行機は濃霧の為凍った湖に前方から墜落。一番後ろに乗っていた1人を残して全員死亡してしまいました。飛行機好きなオーティスは運転席の横に座っていたそうです。

“ドック・オブ・ザ・ベイ” 録音の3日後の事でした。彼の死後残された3テイクの1つ口笛の入ったテイクにスティーブ・クロッパーはギターをかぶせ、入れるはずだったコーラスの代わりに波の音とカモメの声を入れて完成させ、3ケ月後に発売されるや全米で大ヒットになり、念願だった初の全米ビルボードチャートNo.1を獲得します。しかし彼はその事実を祝うことはできませんでした。没年26歳。

The Dock of the Bay

スティーブ・クロッパーが語っていましたが、オーティスの歌を一言で表現するとリトルリチャードとサム・クックを瓶に入れシェークするとオーティスができる、などと語っていましたが、この2人には相当影響を受けているようです。 “ドック・オブ・ザ・ベイ” 以前のオーティスは、シャウト系シンガーでレコードを聞いていても汗が飛んできそうな歌でした。そんなシャウト系のオーティスを楽しみたければライブ盤に限ります。中でもバラードからシャウトに移行するスリリングなナンバー、 “Try a Little Tenderness” は絶品! オーティスの全てを一曲で味わえます。そしてストーンズもカバーしたバラード “I’ve Been Loving You Too Long / 愛しすぎて” 。 力の入ったバラードも又絶品です。是非、モントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバルのライブバージョンで聞いてみてください。ぶっ飛びます。しかし “ドック・オブ・ザ・ベイ” は、一皮むけ良い意味で力が抜けているのです。まず声の素晴らしさ、聞いているだけで不思議な気分にさせられます。そしてバックのリズムサウンド、まさにソウル! ゆったりしているのにスピード感にあふれています。60年代のディスコでは、このリズムでみんなイカしたステップをふんでいたのでしょう。港に立ち海を見つめ寄せては返す波を見ながら~ と歌う歌詞は自分自身の内面を表現していて、漠然とした説得力があります。まさにソウルを代表する一曲といえるでしょう。もしオーティスが生きていたらどれほどの名曲を残していたかとおしまれてなりません。

(もしこれからオーティスを買うなら私的にはアルバム「ドックオブザベイ」はおすすめではありません。死後ストックしていた曲を集めたからでしょうか。やはり初期のアルバムやベスト盤ライブ盤がおすすめです。)

次号へ続く

HEART&SOUL代表 原 正行)

 

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