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オフィス環境システムエンジニアリング代表で『元町の主』と呼ばれる杉島和三郎さん

by staff on 2017/1/10, 火曜日

長寿の秘訣は「人のおじゃま虫にならない好奇心」だそうです。御年88歳、杉島和三郎さんに生まれ育った元町の魅力についてじっくりとお話を伺いました。取材後、ご一緒に元町界隈を歩いていると「杉島さんお元気ですか?」 「いつロンドンからもどられた?」 「その節はお世話になりました」といろいろな方からお声が掛かります。なるほど、『元町の主』と呼ばれる所以が分かりました・・・

オフィス環境システムエンジニアリング代表で『元町の主』と呼ばれる杉島和三郎さん
オフィス環境システムエンジニアリング
代表 杉島和三郎さん
 
お名前 杉島 和三郎(すぎしま わさぶろう)
お生まれ 昭和3年 88歳(2017年で)
お住まい 横浜市中区元町
お仕事 オフィス環境システムエンジニアリング代表
その他 加賀町交通安全協会会長
加賀町消防団地域協力会長
港中学校運営協議会長
元町厳島神社責任役員
元町自治会運営会顧問
中ロータリークラブPP
機械学会名誉員・廃棄物学会フェロー
フォーラム環境塾運営委員長

 

ルーツは彦根藩井伊直弼の家臣?!

幕末の大政奉還で武士から『商人』になったと聞いています。彦根藩だったことから屋号は『近江屋』でした。彦根には杉島姓が多く、どのような経緯で横浜に出てきたのかは不明ですが、「開港一旗組」として開港景気に湧く横浜に出てきたのだと思われます。初代は文明開化の品である砂糖を扱っていました。私が生まれた昭和3年当時は、自転車を扱っておりました。

現在の「杉島商店」はどなたが経営されているのですか?

次男が継ぎ 「Humidor Sugishima」 ヒュミドール スギシマといって、タバコ各種、高級葉巻、地域限定タバコ、喫煙具の専門店となっております。杉島商店は時代と共に進化しています。尚、長男はエンジニアで名古屋に住み、その長男(孫)がスリランカに駐在中で、女の子が生まれました。私にひ孫を授かったということです。

ヒュミドールにて

とにかく機械いじりが好きでした

元町小学校から東白楽の神奈川県立工業学校(旧制)に5年間通いました。子供の頃から機械いじりが好きで、長男でしたが家業に縛られることなく「工業学校」に進むことができたのは、いずれ機械の時代が来ることを予感していたからだと思います。港町横浜には海外の文化や技術・情報がいち早く届き、それを求めて日本国中から人が集まり溢れんばかりでした。
 
しかし時代は第二次世界大戦の洗礼を受けることになりました。元町は婦女子が疎開して消え男ばかりになり、私も4年~5年生の時は勤労動員で働かされました。昭和20年5月29日、横浜空襲の日は学校にいて爆撃を受け、命からがら白楽の山の上に逃げて助かりました。そして焼け落ちた元町に歩いて帰り、8月15日の終戦を迎えました。

早稲田大学から三菱重工へ

終戦の翌年に早稲田大学に入学し、機械工学科を専攻しました。元町から桜木町を経由し、   東京大手町から都電で神保町・早稲田と6年間の通学風景で東京が変わっていく様を実感しました。
 
担任の難解な数学に苦労しましたが、ここで機械の基礎を学んだことが、その後の進路に影響を与えました。また、大学では先輩、後輩といった人との出会いがあり、仕事に行き詰った時の助けとなり支えになりました。

卒業後の進路は? 今でいう就活のお話を少し伺ってもよろしいでしょうか?

幸運にも大手造船会社3社に推薦をいただき、一番先に内定した我が家に近い三菱重工に入社し、横浜造船所でボイラーの設計をしました。私としてはエンジンの設計に配属されることが希望だったので、「キカン設計」と言われてエンジン(機関)の設計だと喜んだら「汽缶」設計だったというオチになるのですが。。。(笑)
 
「造船の技術は『陸に上がる』」と言いますが、橋梁、高層ビルの鉄骨、水門、発電所などに造船技術や船を動かす原動機の技術が活かされています。また、砂糖を精製する時の工程で、蒸気タービンを使った機械でサトウキビを搾り蒸気で煮詰めます。ボイラーの技術はこの『砂糖プロジェクト』に活かされました。砂糖を作るときは沢山の「バガス」という搾りかすが出ますが「バガス」は水分を含んで燃えにくいので、効率よく搾りかすが燃やせる焼却炉を開発し、焼却の火力で発電し工場のモーターを動かす『製糖プロジェクト』として海外に売り込みました。

まさにリサイクルのエコですね。その頃から『環境問題』に関心が生まれたのではありませんか?

そうですね、ゴミ焼却からゴミ発電のプロジェクトが生まれ、東南アジアや中東まで出掛けて行きました。「発展途上国」とよばれる国は、国力を上げることが優先されてしまい「生産」に力を注ぐ反面、環境整備は後回しにされてしまう、つまりは「環境後進国」になっています。現地でその実情を視て心を痛めました。 そして、環境問題を考えるようになりました。
 
ボイラーをスタートに発電タービンなどを手掛けた在職前半の実績が、後半の環境プロジェクトに活かされ、ゴミや廃棄物など『環境問題』に取り組む布石となりました。
 
昭和63年に三菱重工を技師長で退職、その後は関連エンジニアリング会社の社長を勤め、エネルギーや廃棄物、環境問題などに取り組む協会や委員会、学会などの立ち上げに関わることができました。ここでは、大学とか企業といった枠を越えて、人生での素晴らしい出会いがありました。こういった機会に恵まれたことに感謝しています。

オンリ―ワン 元町 他にない魅力あふれる町が『元町』

元町の自治会長を16年されたとお聞きしましたが?

生まれ育った町です。子供の頃に自治会や子供会にお世話になった恩返しと思って現役引退後にお引き受けしました。三菱重工の社員だった頃は、店も近所付き合いも妻に任せていました。仕事が趣味でしたから(笑) 退職後は積極的にまちに関わるようになりました。
 
自治会長となった当時の元町は職住一体でしたが、商売が発展してお店のスペースが狭くなり、商店の子息は本牧や山手といった住宅地に住いを構え、元町に通勤してくる人が多くなりました。そのため「元町で生まれたから元町で死にたい」という親世代が私を含めて残り高齢化しています。今では商店の子息たちが、常に先進的な考えで「まちづくり」を進めております。

元町自治運営会にて植草事務局員と

杉島さんが手掛けたことは?

『まちづくり』を考えるとそこに住んでいる人が暮らしやすい優良のサービスを受けていれば、訪れる人もそのサービスを共有できるわけです。現在、商店街(元町SS会・CS会)の方々は自治会運営のマネージメントにおいて大きな力となっており、建物の色の規制、看板の大きさ、ゴミの出し方などのルールを定めています。
 
みなとみらい線が出来て若い経営者のお店も増えました。下の写真の無料トイレ設置など、あたらしい風を取り組むことで街は活性化していくと考えます。



若い育児世代を元町に!
「オアシス」では、男女トイレの他、赤ちゃんのおむつを取り替えたり、
休憩や授乳ができます。

一方、『危機意識』の共有があります。みなとみらい線で渋谷方面にお客が流出していく危機感です。『まちづくり』に皆さんが一体となれるのは、『危機意識』を共有しているからだと思います。もともと元町には、問題に直面したら皆で考え解決するという気質があります。問題を共有することで、1つにまとまることができました。元町ONLYの品揃やサービスを生み出すための日々の努力は他の商店街には負けません。
 
以上は商店街の取組ですが、自治会も20年前の平成8年には、パソコンを導入し近代化をしました。また、自治会を法人化したり、次代への伝承を心がけ、「元町今昔」のCDや「元町150周年史」、「横濱元町古今史点描」の歴史をまとめに本の出版など、他の自治会より先がけて実践、町との関わりが楽しみになりました。

杉島さんにとって横浜とは?

元町にはいろいろな問題に直面しても、解決策をみんなで考えるといった前向きなエネルギーがあります。これは「和」のエネルギーです。
元町は文明開化の波に乗って西洋化した中で、頑固に守り抜いた「和」が存在しています。お客様に対する「おもいやり」の精神は「和」の文化です。そして私の名前、和三郎の「和」(笑)・・・
元町の歴史をまとめるにあたって。人の生き様を比較し、自分の歴史も考えるようになりました。今、「自分史をどうまとめるか」を考えています。

最後に是非長寿の秘訣を教えてください

母が長寿でしたから長寿のDNAを持っているのでしょう(笑) さて、私の長寿の秘訣は「人のおじゃま虫にならない好奇心」だと思っています。新しいことに敏感です。若い方々と時を過ごすのは楽しいことです。彼らの明日に託したい思いが沢山あります。

    

杉島さんとお話をしていると88歳だとは思われません。

時代の流れが速く、お年寄りの言動を時代遅れだとする風潮がありますが、年を重ね人生経験豊かな先輩の言葉には学ぶところが多いです。私が若い方々に伝えたい思いは正に「不変」です。時代が移り、世の中が変わっても、根底流れるものは変わらないと思います。

まずはご健康、無理をせず益々のご活躍を期待申し上げます。本日はありがとうございました。

元町百段館について渡邊に説明


元町自治運営会主催で年2回行われるウォーキング
ガイドは杉島和三郎さん

(インタビュー:渡邊桃伯子/文:高野慈子)

 

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