しあわせの「コツ」(第1回) 日本人の「美徳」はどこからやってきた?
第1回 日本人の「美徳」はどこからやってきた?
明けましておめでとうございます。 今年からコラム「しあわせの『コツ』」を執筆いたします田尻成美です。 日々の出来事や世間の常識に、今までとは違った視点からスポットライトを当てていきます。そこからほの見える、当たり前だと思っていたことの深い意味、別の見方が、皆さまの日々に彩りをそえるささやかなしあわせの「コツ」となりますように・・・。 |
さてさて、あっという間に新年になってしまいましたが、日本の秋から冬はイベントが目白押しですね。ケルトのドルイド教の祝祭であるハロウィーンに始まり、キリスト教のクリスマス、仏教の除夜の鐘、神道の初詣、といくつもの宗教行事をはしごしています。
日本人にとっては気忙しいながらも当たり前の流れですが、信心深い外国人が知ったら眉をしかめることでしょう。でも、私たちの中では全然矛盾していないのです。もともと八百万の神様がいらした日本では、1柱や2柱の神様がふえたところで、どうということはありません。そもそも「宗教」という枠で行動していませんから。
よく外国の方が「日本人は無宗教といわれるが、それならどうしてあんなにモラルが高いのだ」と疑問に思うそうです。
本当ですね。一体何が日本人の行動原理になっているのでしょうか?
昔、キリスト教の宣教師が日本にやってきた時のこと。
日本は「宣教師の墓」と呼ばれていました。宣教師が日本に来て民衆と接するうちに、教義に疑問を持ち、キリスト教を捨てる人間が続出したからです。
イエズス会のルイス・フロイスという信長にも謁見したことのある宣教師も、神学論争では負けたことがない優秀な人物でしたが、そのフロイスをして「なんと、誰にも議論で負けたことがないのに、一介の平民に自分は「論」で負けた」と言わしめたのが日本人です。
宣教師 「イエス様を信じなさい。信ずるものは天国に行けるが、信じない者は地獄に落ちる」
農民 「イエス様を拝まないと地獄に落ちるだか? イエス様を知らないで死んだおらの爺様や婆様も地獄にいるだか? なら、おらも地獄に行く。自分だけ助かるなんて、そんたら不孝なことはできねぇ」
長崎にあるルイス・フロイス像 |
日本人の素朴な感情の吐露に、フロイスはじめ、宣教師達は何と答えてよいか分かりませんでした。逆に、農民から先祖を敬う美徳を教えられたのです。 仏陀本来の教えにも「先祖を敬う」という観点がありません。親を敬うという儒教の教えはありますが、儒教が庶民の間に広まるのは江戸時代に入ってからです。 自分は親から生まれ、親はまたその上の親から生まれた。脈々とつながる流れが1か所でも途切れていたら、自分は生まれてこなかった。生まれれば、乳をやり、衣服を着せて慈しんで育ててくれた。だから親は有難い、孝行するのは当たり前。これは、仏教や儒教が伝わってくる前から日本人が太古の昔から身に着けていた考え方かもしれません。 |
農民 「爺様婆様がいたから、おらが生まれてこれたんだ。それなのにご先祖様は価値がなく、神様がおめえをこさえたんだと言われても、納得できねぇ」
日本人にはあまりにも自然なこの「先祖への敬愛」が、キリスト教こそ最高の教えと信じて疑わなかった宣教師たちに深い衝撃を与えたことは事実です。バチカンには「『先祖も救われる』と教義を変えて布教しても良いですか」という宣教師からの手紙が残っているそうです。
宗教でもなく、道徳でもなく、生身の親子関係から紡ぎだされた、本能のように日本人にビルトインされていた先祖への敬愛。外国人が「美徳」と賞賛する日本人の行動原理は、どうやらこのあたりから発しているのかもしれません。
筆者紹介
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