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一人芝居「私の出会った人」を演じ続ける 女優・劇作家・戯曲翻訳家 まごいずみさん

by staff on 2017/9/10, 日曜日
女優・劇作家・戯曲翻訳家 まごいずみさん
女優・劇作家・戯曲翻訳家
まごいずみさん
 
お名前 まごいずみ
イギリスのバレエダンサー マーゴ・フォンティンから芸名としました。
本名:宗藤 悦子(むねとう えつこ)
お生まれ 1946年生まれ
お住まい 横浜市鶴見区
ご家族 現在は主人と二人
二女一男 孫五人
お仕事 女優、劇作家、戯曲翻訳家

 

子供の頃はどんな少女だったのですか

W   初めまして。渡邊圭祐と申します。長い間横浜市に勤務していまして土木関係が専門で、1年間岩手県の大槌町に復興支援で出向して帰って来ました。このような取材は不馴れですが、よろしくお願いします。

M   今日はこのような機会をいただきありがとうございます。実は私の幼稚園から大学までの同級生で市の土木関係のお仕事をされていた安武さんという人がいるのですが、ご存知ですか?

W   良く存じ上げています。私より10歳くらい上で何度か上司だったことがあります。港湾局長もされて、現在は安武測量設計株式会社の社長をされています。奇遇ですね。
まごいずみさんは女優、劇作家、戯曲翻訳家と演劇関係で幅広く活躍されていますが、子供の頃はどんな少女だったのでしょうか?

M   母が厳しかったせいか、外面は良い子でした。伸び伸びと育ったという記憶はないですね。
ただ、物まねはすきでした。京急生麦駅の近くに映画館があって良く見に行き、忠臣蔵などを見てくると家の廊下で「殿中でござる。」とか言って演じていました。役者だけではなく、色んな人の話し方とか身振りとかの物まねが好きで、「そこまで真似しなくてもいいの!」とか叱られていました。

W   頂いたチラシにひばり合唱団、劇団日本児童出身とありますが、いつごろからですか?

M   小学校1年の時からです。その話はあまり触れたくないのですが、母が先生から「お宅のお子さんは大きな声で歌ってくれるのですが、音を外して・・・。今のうちに直された方が・・・。」と言われて。音痴だったんですね。それでひばり合唱団に入れられました。ひとり残されて先生から特訓を受けて、ピアノをたたいて怒られていました。でも長い間やっているとちゃんと歌えるようになりますね。ラジオの放送劇で歌ったこともあります。
安田祥子・ 章子(由紀さおり)の姉妹がいて、当時からスターでしたね。別格です。
合唱団は6年生までいたのですが、放送劇を見ているうちに芝居に興味を持って4年生か5年生の時に劇団日本児童に入りました。
私よりも妹の方が歌が上手く、先生からコロンビアレコードの専属に推薦するという話もあったのですが、性格がやさしく内気だったこともあり断りました。彼女は芝居も上手で子役で岡田真澄と共演したこともあります。

中学、高校、そして大学時代

M   中学校に入ってからは演劇部に入り、高校では3年の時に指導の先生から「お前は受験なんだからもう部活には来るな!」と言われるくらいのめり込んでいました。12月に盲腸を手術して芝居が出来なくなって1月から必死に受験勉強をしました。早稲田の英文科を受けたのですが選択科目は数学です。英語と国語が必須科目。
ところが親に内緒で某劇団を受けていて、そちらの方へ行きたいと言うと親にこっぴどく叱られて諦めさせられました。
私は英文科ですが、早稲田大学文学部には演劇科があり、「ユキエ」「折り梅」「レオニー」などの作品を手掛けた松井久子監督とは同学年で友人です。「レオニー」は彫刻家イサム・ノグチの母親レオニー・ギルモアを描いた作品で、松井さんが日本語でシナリオを書き、私が英語に翻訳してアメリカのライターに送り、その方が英語のセリフを書いて私がそれを自然な日本語に直して、最終シナリオに仕上げました。

W   これはまた奇遇が続きますね。私の友人の奥さんがイサム・ノグチの大ファンで、制作支援の募金活動を行っていて、ヨコハマNOWでも2010年10月号から12月まで3回連続で取り上げました。Post Historyで是非ご覧になってみてください。

M   大学では松井さんが演出を、私が舞台監督をやって他の大学の方と第一生命ホールだったかで演じたこともあります。慶応からは今のフジテレビアナウンサーの須田さんが出演したり、舞台美術は武蔵野美大の方が担当したりしていました。
大学を卒業する頃になると高校の演劇部で一緒に演じていた人達の中から俳優座や新劇などで有名になって行く人達も出て来ました。自分は今更俳優を目指すのではなく英米演劇の勉強をしようと、大学院に進みました。

ライフワーク一人芝居

M   その後、戯曲翻訳をやっております。最近では、銀座博品館劇場での十朱幸代一人芝居「午後のお茶」があります。
自分も演じたい、けれど今さら遅いと思うようになっていました。私が49歳の時たった一人の妹が亡くなりました。とても優しく、他人に気を使い、自己主張せず他人を立てる妹でした。悲しみの中で、『何事もなかったかのように世の中は過ぎて行く。他人の気持ちを優先して自分を抑えても意味がない。最終的には自分の人生を全うしなければ。』と感じました。きっと妹が「自分のやりたいように好きに生きて欲しい。」と私の背中を押してくれたのだと思います。
そして50歳の時に一人芝居を始め、今年でちょうど20周年を迎えました。

W   一人芝居というと良くわからないのですが、横浜ですと五代路子の「横浜ローザ」が有名ですが。
職場が港に近かった関係か、良くメリーさんに会いましたよ。ある時はエレベーターの扉が開いて、いきなりあの独特の真っ白な風貌が現れてびっくりしたこともありました。
今回まごいずみさんが演じられる一人芝居「更級の月」はどんな内容ですか?

M   これは能の「姨捨」を、西洋音楽と融合させて書き下ろされたものです。能というのは和製オペラとも言われます。今回は、まさに、オペラの東西文化融合という感じで、西洋音楽のオペラ歌手と共演させていただきます。物語は、年老いた親を山に捨てるという「姨捨」の風習を題材にしております。
多分、皆さんは、「姨捨」というと、深澤七郎原作で映画にもなった話題作「楢山節考」を思われるでしょうが、それとは違って、あくまでも能の名作「姨捨」の物語です。ストーリーは、親孝行の息子が引き留めるのに、自ら進んで山に入った老婆が、亡霊になって名月で有名な更級の山の月をめでる、というだけです。現生を超えた美を、生々しい我欲を超えた魂が鑑賞する純粋な歓喜、喜びの表現とでも言えるでしょうか。いやあ、難しい! の一言です。

まごいずみさんにとっての横浜は?

M   横浜、この響きを意識するようになったのは大学生になってからです。東京をはじめ、いろいろな地方から集まった仲間に入った時からでした。出身は横浜、そう自己紹介するたびに、仲間の内には横浜の人として私のイメージが定着していったようです。気づけば、横浜と言えばすんなりと了解される便利な名刺になっていました。改めて自分にとって横浜は? と、問うてみると、自分の姿が鏡でなければ見えないのに似て、分かりません。生まれた時から、空気も水も、風も、光も、私の材料はすべて横浜製です。だからきっと、こう言っている私も横浜を取り去ったら居なくなるのかもしれません。自己観察の結果、私の性格には、まじめなのにどこかノンシャラン、気は使っているのに無関心、本気なのにこだわらない、一口に言うと、周囲に肩透かしを感じさせてしまうところがあるようです。
横浜の空気は、そんな私を肯定してくれます。何でもありで受け入れて、どこでも行っちゃえば、と縋りつかない、でも、実はちょっぴりセンチメンタル、横浜の風、光、色彩、が私は好きです。

横浜は我が感性の母  まごいずみ
(小学生の時から続けている書道。毛筆で書いていただきました。)

一人芝居「更級の月」のチラシを表示する

<取材を終えて>

お会いした第一印象は、私より10歳年上とは思えない若々しい方だなぁ…というものでした。お話をお聞きする中で、その訳が少しずつ分かってきました。常にクリエイティブで、そして新しい自分にチャレンジされているその生き方こそが、このキラキラ感につながっているのだと。そして、まもなく上演される「更級の月」で、人間の煩悩を超越した世界に引き込まれてみたい!との思いがこみ上げてきました。

(インタビュー:渡邊 圭祐  文責&撮影 成見 淳)

 

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