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日本初の「障がい者」キッザニアを目指して。 株式会社太陽住建 会長 河原英信さん

by staff on 2017/11/10, 金曜日
株式会社太陽住建 会長 河原英信さん
株式会社太陽住建
会長 河原英信さん
 
お名前 河原 英信(かわはら ひでのぶ)
お生まれ 54歳
横浜市南区大岡生まれ
お住まい 横浜市磯子区在住
ご家族 奥様と32歳から17歳までの5人の息子
趣味 スポーツ観戦
お仕事 株式会社太陽住建 会長
HP http://www.taiyojyuken.jp/

 

どのような幼少期だったのですか?

横浜市南区大岡生まれ、すぐ北海道に移り住んで小学校一年生まで暮らしました。その後横浜に戻ってきて、戸塚区・中区で過ごしました。特に中区石川町には18歳まで暮らしていたので、たくさんの思い出があります。中学時代は、やんちゃな生活をしていたので卒業後は高校に進学しないで発電所の関連の父の仕事を手伝いました。

やんちゃって・・・? 今思えば子ども同士の喧嘩ですね。小さい時から大人びた顔立ちだったので結構怖がられました。(笑) 先輩の妹だった女房と20歳で結婚、21歳で長男が生まれました。

結婚と同時期に、磯子工業高校の定時制に入学しました。このままではダメだと思ったのでしょうね。無性に勉強したくなったのです。その頃、出張や残業がない通関業に転職しました。磯子工業高校の授業は厳しかったですが、家族のサポートもあってなんとか卒業することができました。家が近かったので長男を連れて学校に行ったこともありましたよ。入学したとき38名だった同級生は卒業時には13名になっていました。

定時制高校での4年間は、私に生まれてきた目的は何かを考えさせてくれました。そこで出した結論は「人間は人のためだったら力を出せる。これからは人のために何かをしていく人生を送ろう。」でした。

「太陽住建」を立ち上げられたのは?

26歳のときに、石材販売に関わるようになりました。中国から石材を仕入れて主に公共団体に販売する仕事で、通関業で勉強した貿易業務が役に立ちましたね。人生で、役に立たないことなんて何もない、すべて役にたたせなければということを学びました。

32歳の頃から父の会社を手伝うようになり、リフォーム部門を新規事業として立ち上げて、その後2009年に長男を社長とする「株式会社太陽住建」を二人三脚で立ち上げました。私は最初から会長です。

太陽住建のパンフレット

「太陽住建」の社名には、太陽が大地を潤すように人生の大地である住まいを私たちが潤いのあるものにしていきたい、という願いが込められています。

マンションやアパートの原状回復工事から始めたのですが、会社創立時は不動屋さんへ飛び込み営業をやりました。基地周辺の住宅の防音工事などの大口受注などもあり、会社はおかげさまで、この8年間右肩上がりの成長を続けています。リフォーム事業も順調で社長の長男の他に、次男も太陽住建の工事部で働いています。

太陽光発電との出会いは?

2010年頃から、一般家庭でも太陽光発電装置を設置するようになってきました。国から補助金が支給されるとのことで、お客様から太陽光発電のご相談が増え、私たちも太陽光発電について必死に勉強しました。2011年2月に入間市のお客様に設置したのが弊社の第一号になります。

東日本大震災の後、「環境エネルギー」への関心が高まってきました。神奈川県が中心となって、太陽光発電装置を関連の施設(県立高校など)に取り付ける日本初の「屋根貸し」等マッチング事業が始まりました。

神奈川県 「屋根貸し」等マッチング事業
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f421164/

この事業は平成28年3月31日で終了しましたが、事業開始から完了までの5年間、県内の民間企業として参画していたのは弊社だけでした。神奈川県のWebサイトをご覧になると、成約例として掲載されています。
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f421164/p695420.html

これまで、太陽光発電のパネルは広い土地がなければ設置できないということで人里離れた場所に設置されていましたが、電力の消費が少ない場所で電力を生み出すので電力需給のバランスが崩れるため電力抑制がかかる可能性があります。一方都市部には土地が少ない分建物が沢山ありその屋根は活用されていないため「屋根貸し」・・私たちからすれば「屋根借り」は、都会の使われていない屋上に太陽光発電のパネルを設置するものなので社会的にも重要と認識しております。さらに、災害などによる停電時にはパネルが設置されている施設で自家電源として使うというメリットもあります。

都会の資産活用として広めていきたいと考えていたときに、お客様から屋上の防水工事を依頼されました。そのときに防水工事の作業費用を頂戴する代わりに、太陽光発電のパネルを置かせていただいくというプランがひらめいたのです。屋上に太陽光発電パネルを設置させていただけば、お客様の費用負担もないし、弊社は太陽光発電に出資したい投資家から資金を出してもらうことができます。このプランだとお客様、弊社、投資家の三方に「よいこと」になります。2013年5月、弊社の「屋根借り」事業が始まりました。

神奈川県の「屋根貸し」等マッチング事業を進めていくと、成約した7件のうち、2件が社会福祉法人様でした。防水工事にお金がかからないことと災害時の電源の確保というメリットが高く評価されたようです。

社会福祉法人屋上の太陽光パネル

社会貢献にご関心が高いとか?

私は、社会貢献は本業とは別物だと思いたくないのです。本業が社会貢献になって、きちんと利益を生み出すモデルを作りたいのです。

弊社が初めて大和市と契約させて頂いた屋根借りの際、障がい者の方たちにも設置作業に加わっていただきました。彼らは真面目に取り組んでくれました。その後、作業ができたことが自信になって、一般企業に就職した方もいます。

社会福祉法人様に「太陽光発電パネル」を設置するプロジェクトは、「障がい者の雇用」を生み出せると確信しています。障がい者の方々の「現場力」は、日本にとって欠かせない力になると思います。

社会福祉法人とのつなががり

私の夢は、日本初の「障がい者」のキッザニアを創ることです。あと10年働いて、自立支援を目指した施設を作りたいですね。

キッザニア
http://www.kidzania.jp/

河原さんにとって「横浜」とは?

私にとって横浜は故郷で、若い頃喧嘩ばかりしていた街です。そんな俺だって、こんなことができるんだ・・・と言えるような人生を送りたいと思って頑張ってきました。

私が住んでいた「石川町」は本当に多種多様な方々が行きかう街でした。寿町があって、元町があって、山手があって、中華街があって・・・。様々な価値観が交差する中で私は育ちました。その影響も受けたのかもしれませんね。

そうですね・・・私にとって「横浜」は「船出の街」です。社会貢献をビジネスにしていきながら、日本初の「障がい者」キッザニアを目指して邁進していきます。

私にとって「横浜」は「船出の街」です

(インタビュー:渡邊 桃伯子)

 

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