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横浜は「私を生まれ育ててくれた町」。 歌手で女優の汐風かもめさん

by staff on 2017/12/10, 日曜日

今月の「ヨコハマこの人」は歌手として女優として横浜でご活躍していらっしゃる汐風かもめさんにインタビューしました。「『私の人生は挫折と失敗の繰り返し』だったけれど、それは『私を見つける』ために必要な過程だったと思うようになりました。幼い頃から自分で考えて行動してきました。よく言えば “体験型” の人生。『やってみなければ分からないこと』ってたくさんあると思いますよ。」と汐風さんは語りはじめます。

歌手で女優の汐風かもめさん
歌手で女優の汐風かもめさん
 
お名前 汐風 かもめ(芸名) 
お生まれ 1956年(魚座)
横浜市南区
お住まい 横浜市神奈川区
お仕事 歌手 女優

 

今思えばその頃から自立していたのかもしれません

3歳か4歳の頃のことです。一人で銭湯に行って近所中が大騒ぎになりました。一度誰かに連れられて『銭湯』に行き、銭湯が気に入ったのだと思います。「こうしてお風呂屋さんに来るんだ」「脱いだものはカゴに入れて」「洗い場ではこうして」・・・と観察していたのでしょう。やり方を覚えてしまえば、すぐにでも実践したくなり、銭湯に一人で行ってしまったというわけです。

他のお客さんの後にピッタリとついて行けば、そのお客さんが連れてきた子供だとだれもが思いますよね。まさか小さい子供が一人で来るなんて誰も思いませんから(苦笑) たまたま、私を知っていた近所のおばさんが居て、「あんたの孫が一人で銭湯に来ているよ」って祖母言ったものだから、近所中が大騒ぎになりました。(笑)
 

いろいろ考えた上での行動なのですが、なにせ子供の考えだから、まわりの大人達は大変でした。ご近所からは「ほら、また何かやっているよ~」と、まるで『いたずらっ子』のように思われていましたね。

仕事が速いといわれるのは想像力?

小学校の頃は想像力を駆使していました。先生が出す問題の意図するところは何なのかを本能的に察してノートをとるのです。なにせ子供の考えだから「はずれる」こともあるわけで、はずれてやり直す時は猛スピードでノートに書いて、結果はクラスメートに追いついていましたね。 『間違えて遅れをとっても集中して急げば追いつける』という体験は今も役に立っております。「仕事が速いね」と良く言われますが、やり直しは人の倍の時間がかかり、それを人並みの時間でやる訓練が小学生の頃から出来ていたお陰だと思います(笑)

声の大きさを買われて

横浜共立学園の中学3年のときに「影をなくした男」というオペレッタをすることになりました。私は書道部でしたがこのオペレッタの上演を契機に音楽部にスカウトされました。理由は1200人入る会場に声が通るかどうか。持ち前の声の大きさで合格! 「老女の役」をもらいました。母が衣装を作り、ダンス部の先輩から本格的なド-ランを使ったメイクを習いました。

高校一年のときは「手古奈」というオペレッタに出ました。女を口説く悪役が私でした。脇役の中では大役で、低い音で歌わなければ役のイメージが出ません。女子校なので年寄りや男役・悪役などを演じるには低い声が求められ、私の出番となります。低い大きな声を出すのに腹筋を使い、腹筋が鍛えられてまたまた声が大きくなりました(笑) 高校2年からは受験のために部活動は後輩たちが中心となります。短い期間でしたが舞台に立ち歌を歌うことは良い経験になりました。

横浜共立学園でのステージ

人生は挫折と失敗の繰り返し?

「私、手が小さいでしょう」(手を見せながら) 小学校の頃にピアノを習ったのですが、手が小さいとオクターブに手を広げるのが難しいでしょう。泣きながら頑張るのだけれど、大きな手の人にはなんでもないことが私に出来ない。良い先生に恵まれ、一生懸命頑張ったとしても『努力してもどうにもならないこと』があるのだと分かりました。すると『私に合ったものが他にあるはず』と思うわけです。やりたいことは全てやってみて、合わなければやめるというのも自分探しには必要です。他人から見たら挫折とか失敗だと思われるかもしれませんが、やってみなければ分かりませんから。

調理師専門学校の受付の仕事をアルバイトでしたときにショッキングな出来事がありました。6桁とか8桁の金額が書かれたものを渡されてすぐに読めなかったのです。 「いち、じゅう、ひゃく、せん、、、」とブツブツ言いながら数えました。案の定バカにされるわけですよ。「こんなの読めないの~」なんて。そう言われると悔しくて悔しくて。

出来ないのが『悔しい』、悔しいから『やろう!』と思う。辞めるのはいつでもできるから、きちんと出来るようになって「バカにした人を見返してから辞めてやる」と思ったら、頑張る力になりました。そして独学でソロバンを練習し、その結果、経理課で会計の仕事を5年間やりました。

調理関係の仕事では人と人との繋がりが生まれました。一流と呼ばれる先生方は口が肥えていますから、一流のシェフのお店に行きます。一流のシェフのお店には、味を求めて各界からいろいろな方々が集まります。旬の食材がそんな方々を繋いでいくのを何度も見ました。

主婦業とボランティア

「手伝ってあげて」と紹介されたのが事務所を開いたばかりの今の主人です。仕事の手伝いをしながら愛を育み結婚しました。私は仕事が速いので(笑)、主婦業の余暇を使ってボランティアをすることになりました。家族(姑や父母)の介護などでお世話になっていた地域のコミュニティセンターや病院などで歌をうたいます。時には歌に詩や本の朗読を合わせたりもします。

歌はギターの弾き語りです。手が小さいので正確にコードを拾って弾こうすると無理があるので、演歌もフォークギターを使用しています。歌とハーモニーを奏でる「キレイな音であれば良い」と思って弾いています。プロのギタリストから見たらとんでもない弾き方かもしれませんが・・・ある病院で音楽家の方が、ギターを弾きながら歌っている私の姿を見てファンになってくれました。

スワジランドの子供たちのチャリティーコンサート・留学生の交流会・被災地の慰問・クリスマスのチャリティ-コンサートなど、いろいろな催しや会で歌う機会も増えました。ジャンルはオールマイティです(笑) 地区センターや介護施設では演歌も歌って欲しいと言われますし、フォークソングやシャンソン、讃美歌を歌います。地声はシャンソンに合うと言われます。「ギターの音が良かったわ」とギターを褒められることもあります。「びっくりでしょう!」

ギターはマーティンのエリック・プラクトンモデル28ECや42ECJを愛用しています。

異人茶屋にて

女優デビュー???

母校の弁論大会出場を機に、朗読のお手伝いや急場の二人芝居の代役をしたこともあって、親友の泉谷ご夫妻の率いる「劇団横濱にゅうくりあ」から声がかかり、「横浜開港150周年の記念に、ご当地曲を150曲入れて劇をかけるので歌姫で出演してくれないか」ということになりました。女優不足の折で、すんなり女優デビュー???できました。

また、実家が撮影現場となった映画「横濱の空の下」にも出演し、生家での思い出が深まりました。

パンフレットや映画のエンドロールに名前が出ることになって、主人が芸名を考えてくれました。 『汐風かもめ』は、春、かもめが潮風に舞い満開の桜を楽しむかのように枝にとまったのを「横浜らしい風景」だと、「潮」は画数が多いので「汐」に置き換えて付けてくれました。

撮影現場ではスタッフは男性が多いので、今までの早変わりやメイクの経験から他の女優さんのヘアメイクやメイクを直したり・・・と便利に使われていました(笑)

大和芸術文化ホールにて

あなたにとっての横浜は?

「夢がかなって良かったわね」って言われます。子供の頃の夢は「お嫁さんになること」でした。いろいろと自分探しの旅を繰り返しました。振り出しに戻る旅が多かったけれど、「お嫁さん」になる夢は叶えました。

結婚って自分の人生を生きてきた人が、その時から、或る人の人生を一緒に生きて行くことでしょう?! 頑張りすぎると自分がきつきつになり、余裕がなくなると優しくできなくなります。そんな経験はありませんか? 私は仕事が速いので(笑)生まれた余裕をもっと上手に人のために生かして行きたいと思います。「私の歌で宜しければ声を掛けてください。ギターを持ってかもめは舞い降ります!」

私にとって横浜とは、「私を生まれ育ててくれた町」です。港町横浜からいろいろな文化が世界に向けて発信されています。留学生弁論大会では、審査の間、エンターティメントとして歌わせていただきましたが、これからも留学生との国際交流や集いなど、世界に向けて歌で応援して行けたらと思います。

私にとって横浜は「私を生まれ育ててくれた町」です

(文:高野慈子

 

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