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書評「ぼくらの祖国」 扶桑社新書 青山繁晴 著

by staff on 2018/4/10, 火曜日
 
タイトル ぼくらの祖国
新書 279ページ
出版社 扶桑社(2015/8/7)
ISBN-10 4594073085
ISBN-13 978-4594073084
発売日 2015/8/7
購入 ぼくらの祖国 (扶桑社新書)

東日本大震災と福島原子力災害が起きてしまった後、日本を祖国として考えたこと、はっきり祖国として意識したことが、これまでどれだけあったのだろうか、と問いかける。

「ぼくにもきみにも、あなたにも祖国はある。ただ日本に生まれ、日本に住んでいるだけでなく、祖国としての日本がある。」と冒頭に書かれる。「日本は、自然災害の多い国だ。震災も1995年の阪神淡路大震災で、国民は十二分におそろしさを知っていたし、戦前には関東大震災もあった。津波の経験も多い。だから原発でも“自然災害の備えは十分なのに、テロをはじめとする人為的な破壊や妨害への備えは、きわめて不十分だ”という共通認識が官民の良心派にあった。その自然災害の備えが、地震にだけ偏って津波には欠陥だらけだったことは、福島原子力災害がそもそも人災であることを物語る。」

きみは祖国を知っているか!
あなたは祖国を知っていますか!
この問いかけがある。著者の青山さんはしらなかったという。「きみもあなたも、ぼくもみんな日本国民だ。だけど日本をそこく、祖国として考えたこと、はっきり祖国として意識したことが、どれほどあるだろうか。」の問いかけがある。

「この祖国が滅びずに続いてきたからこそ、ぼくらは互いのきもちを同じ言葉で伝えることが出来る。絵や音楽や文学という文化も、祖国によってしっかりした共通の根をもつから、気持ちを自由自在に表すことが出来る。ぼくたちが、この大地に足を踏みしめていきることのできる土台が、祖国なのだ。」

青山さんは東京都小笠原村硫黄島の話をする。立ち入り禁止になっている硫黄島に長い交渉の末に入り、島で何を見たか、何に触ったかを伝えている。アメリカ軍がこの島を拠点にして、東京をはじめ日本の街を爆撃、攻撃し女性や子どもを殺害するのを防ごうと、硫黄島で二万人をこえるかたがたが戦死した。ところが、そのうちわずか八千数百人しか遺骨となって故郷にかえっていないのだ。「その二万人を超えるひとのなかで、たったひとりも、自分の利益のために、私利私欲のために戦った人はいなかった。考えや年齢、仕事の違うだれもが、ただただ人のために、祖国、本土の女性と子供のために、そこから育つ次世代のためにたたかった。その次世代がぼくら自身だ。そのぼくらが硫黄島を忘れ去ってきたのだ。」

「永遠の声の章」がある。「祖国は、二〇一一年の早春、三月一一日の午後二時四十六分に、永遠の時を刻んだ。春の淡雪が舞う東北をはじめとする東日本を大震災が襲い、行方が今もわからないかたががたを含め二万人近い国民をほとんど一瞬のうちに喪い、いかなる専門家も見たことのない原子力災害が引き起こされた。」「3・11のその時、ぼくは新幹線の車中にいた。(中略)ぼくは震災が発生する前月の二月、大腸癌を手術していた。(中略)非常停車した新幹線の中で“原発はすべて原子炉が自動停止した”と聞いて、僕の頭には“では、その後の冷却は・・”という心配が当然うかんだ。ただし、ぼくなりの歩みは、テロリストが水を止めたり、電気を止めたりすることによって、冷却できなくなるという事態に備えることだったから、“原発の危機に乗じて、テロリストがはいってこないか” という懸念にむしろ集中していた。」

青山さんは四月十五日に二十キロ圏内に入り、原発構内に四月二十二日に向かっている。「青山さん、地震では意外なくらいこわれていないんですよ、実際。そのあとの津波にしっかり対応していれば、こんな災害にはなっていない。津波で電源が失われ、水が止まりひやせなくなったときに、現場のわれわれも本店も保安院も、原子力安全委員会も、首相官邸も、あんなにまよったりせずに、さっさと海水をぶち込んで冷やせばよかった。これは人災ですよ、ほぼ人災ですよ」構内での首脳陣のおひとりの声(かたりのまま)として書いておられる。「その証言を少なくともしっかり検証する必要を、ぼくは四号炉の奥に見た。」と記している。

「津波が生活をけしさった被災地は、広い。歩けば歩くほど絶望的にひろがっていく。ぼくは色の淡い泥に、おもいがけなく深く足をとられたとき、ふと、遠藤美紀さんが南の少女たちにつながり、三浦敦さんは南の英霊たちに繋がっていることを、希望のかすかな香りのように感じた。本土から真南の硫黄島で、ひとりひとりが祖国を背負い、一切の希望も報いもなく闘い、その死をもって護った日本国民からわすれられている人々がいる。わたしたちはわすれていたのに、敦さんは魂の底で、気負いなくつらなっていたのではないだろうか。」

“津波が来ます。逃げてください” と町民に呼びかけ続けて、防災庁舎の屋上に登らなかった職員が二人いる。その防災庁舎も想像を絶する津波のために中身はすべて奪われてしまうのだが、二四歳の結婚式をまじかに控えた、役場の危機管理課に努める遠藤未希さんであり、「俺はあと少しだけ・・」といって遠藤さんを送り出し、放送をつづけようとして、そのまま波にのまれた遠藤さんの上司の三浦さんだ。

著者青山さんは報告する。「硫黄島は一九六八年に日本に返還された。」 「たった今も、自衛隊、海上保安庁、そして在日米軍がつかっている滑走路の正体は、一九四五年三月、硫黄島の戦いの真っ最中に、地下壕からも地上からも日本兵の亡骸を収容することなく、弔うことなく、その顔の上に、胸、腹、足の上に直接、アメリカ軍がコンクリートを流し込んで造った滑走路だ。」

さて課題はやまずみであり、メタン・ハイドレートの実用化へ向けての課題もある。
「眼つむればつねに海鳴りが聞こえ来て清き勇気を清き勇気を」加藤克己

この歌を外の風に当たりながら声を出してみてほしいと著者青山さんは言う。そして最後に「日本が顔を上げ、背筋を伸ばし、本来のもてる力を世界に役立てるよう能動的に発信していく。それがどんなに大切か、ぼくら日本の主人公が気づくことが出来る危機のさなかにこそ、われら共に立っています。」と書かれます。なんとも課題の大きい読み物です。
書評しにくいものでした。是非とも手に取っていただけたら幸いです。

(文:横須賀 健治)

 

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