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2017年ミス・ワイン準グランプリに輝く石川ゆりさん

by staff on 2018/4/10, 火曜日

体が弱くて泣き虫、とってもシャイな少女が自分の殻を破って羽ばたきました。どんな魔法をかけられたの? 「それは『好奇心』という魔法かしら?!」。 『好奇心』は彼女の世界をぐんぐん広げて行き、少女は魅力的な女性へと変身しました。今回の「ヨコハマこの人」は2017年ミス・ワイン準グランプリに輝く石川ゆりさんです。さぁ、皆さんもゆりさんと自分探しのタイムトリップに出掛けましょう!

2017年ミス・ワイン準グランプリに輝く石川ゆりさん
石川ゆりさん
 
お名前 石川 ゆり (いしかわ ゆり)
お生まれ 群馬県前橋市
お住まい 横浜市
お仕事 エステシャン
ミス・ワイン準グランプリ(2017)
趣味 ダンス(自己表現)・旅行・音楽

 

母の夢・私の夢

ダンスの習い始めは幼稚園の『年長さん』の時です。幼稚園では放課後に教室の一角を使ったモダンバレエ教室があり、母に連れられて行ったのが始まりです。

私の母は、子供の頃、体が弱くて「バレエ」を習いたくても習えなかったので、「女の子が生まれたら “バレエ” を習わせたい」と思っていました。私も幼い頃は体が弱いうえに泣き虫で恥ずかしがりや。同年代の子供についていけなくて、教室の隅で泣いてばかりいたことを憶えています。

赤い靴財団の劇団に小1の時に入団しました。そこで、タップダンスやヒップホップダンスを学びました。音楽に合わせて体を動かすことが歌よりも芝居よりも好きでした。リズム感が養われたのはこの頃だと思います。そして何よりも大好きな仲間と出会えたのもこの時でした。この友情は今でも続いています。

憧れの先輩

小学生時代は、毎日習い事で忙しかったです。勉強よりも友達と遊んだり、趣味のダンスのレッスンに明け暮れていました。

小学校では毎週月曜日の朝集会の時に、金管バンド部の演奏に合わせて生徒が退場するようにしていました。金色のコルネットを演奏している先輩がとても素敵で、私も入部したらコルネットを吹くと決めていました。小4の時に金管バンドに入部しましたが、コルネットは1本しかなく、まずはトランペットを担当し、小6の時に念願のコルネットを手に入れた時はとても嬉しかったのを覚えています。

中学は地元の公立校で吹奏楽部に入部し、朝練習から放課後練習まで毎日トランペットを練習しました。

初恋はマーチングバンドのメンバー

中2の秋、群馬県前橋市に住む叔母から1枚のチラシが送られてきました。2004年度全米ナンバーワンのマーチングバンド『ザ・キャバリアーズ』の公演が高崎市のホールで行われるというのです。予約すれば講習も受けられるという内容のチラシでした。ところがそのチラシに載っていたメンバーの写真に(おじさん達が楽器を持って歩いている)と興味は半減。 しかし母と祖父と観に行くと。。。。17歳から22歳のピチピチの男の子達の演奏とマーチングフォーメーションに衝撃を受け「こんな風に吹きたい」と本当に願いました。

そして、山羊座のシャイな私が『スタッフ以外立入禁止』と書かれてある控え室にスタッフを装って侵入し、なんとメンバーと接することが出来ました。「スタッフの皆様、ごめんなさい(笑)」

ところが相手はアメリカ人。中1から英語を習い始めガールをギルリ、スクールをスコールを発音していた私。トランペットについて訊きたいことが山ほどあったのに、私の英語力では思ったように説明できない。それでも理解しようとしてくれる姿勢が嬉しくて心がトキメキました。

英語が話せる母がメンバーとメールアドレスを交換してくれて家路についたのですが、興奮は冷め遣らず「まずはメンバーと英語で話せるようになろう」と勉学に励むことになりました。今でも彼らからもらったTシャツは大切にしまってあります(笑)

ライバルは母

マーチングバンドのメンバーと英語で話している母の姿を見て、「母が話せるのなら、私だって話せる」と思いました。トランペットを「こんな風に吹きたい」と思ったことは「アメリカでトランペットを吹きたい」という気持ちになりました。そして「国際学科のある高校に進学する」ことが目標になりました。

不思議と目標が出来ると頑張れました。英語の授業に集中し、分からない単語はその日のうちに調べるようにしました。彼らのようにトランペットを吹きたいという気持ちが背中を後押ししてくれました。成果は如実に現れ、英語の伸びしろは学年トップ。「やればできるんだ!」と思いました。

特別待遇で孤立

中3の頃、京都にマーチングバンドのチームがあり、オーディションがあることを知りました。そのチームは例の全米大会に日本から出場していたのです。課題曲と自由曲の演奏と歩いている姿をビデオに撮って送ることが条件だったため、学校の視聴覚室を特別に開放してもらい、オーディションに向けて準備に入りました。高校入試の時期でもありました。マーチングバンドに所属するにはいろいろと出費が嵩むので「私立はダメ、公立に進みなさい」と言われて受験勉強にも励みました。

吹奏楽部では最後の定期演奏会『卒業公演』の練習が始まっていました。吹奏楽部のメンバーの目には、私がオーディションに向けて視聴覚室で一人で練習していることが『特別待遇』に写りました。今でしたら、いろいろな配慮を心がけたのでしょうが、中3の時の私は自分のことで精一杯でした。 「不公平だよね」という声なき声と氷のような視線が私を孤立させました。吹奏楽部の練習に出られなくなっていました。

定期演奏会の日は晴れでした。母は私が演奏するものだと思っていて出掛ける支度をしていました。 「今日は演奏会に行かない」と母に伝えると言い合いになり、私は感情が爆発したような、ちょっとしたパニック状態になっていました。まさにその時、その瞬間、オーディションの合格を伝える電話が入りました。パニック状態の私はこの合格を一瞬にして無にすることに、これまでの努力が水の泡になりました。

初めての試練でした。定期演奏会もオーディションも感情のままに行動してしまったことへ後悔し、悔し涙を流しました。「こんな程度の気持ちでマーチングバンドはやっていけない」と思いました。

再びダンスへ

国際学部のある高校に進学しました。入部したのは「ダンス部」でした。マーチングバンドで培ったリズム感とフォーメーションの経験が役に立ちました。数え切れないほど見てきたミュージカルやお芝居に、自分の感性を最大限に活かした振付や曲選びはまるで舞台監督になったようで毎日がウキウキしていました。この頃、私は一般のダンスパフォーマンス団体から誘われて、地元や元町などの商業施設で踊りました。

国際学部のある高校でしたので、高2の時にオーストラリアのシドニーでホームステイの体験を2週間しました。自分の英語が通じたことが自信となり「違う国を見たい」と思いました。ダンスでも「ちがう国の文化に触れてみたい」とその年の秋からフラメンコをはじめました。

アクシデントが転機へ

高2の頃から前兆があり、高3になると普通に歩けないほど足が痛くなりました。通学できないので家で過ごす時間が多くなりました。フラメンコの先生から電話があり「車椅子の人もやっているから出ておいで」と励まされて、趣味のフラメンコは続けることができました。家で過ごす時間が長いので、自宅で一人で学べるダンスはないかと探して、ネットショップでDVDを買いました。たまたま『品切れ』のDVDが多く、手に入ったのが『ベリーダンス入門』で、それがベリーダンスを始めるきっかけとなりました。

その頃、ニュージーランドにいる母の恩師が群馬に一時帰国していました。母に黙ってかってに連絡を取り、海外に興味がある事を伝えると、話がトントン拍子に進みニュージーランドへ行く事が決まりました。ニュージーランドではオークランドに住みました。大学で教育学を専攻しました。初めての留学でしたが友達にも恵まれ、とても実りの多い時期でした。問題が起きるたびに解決していった経験とコースをやり遂げるという経験は、自立・自律の両方を成長できたと思います。同時に、心の中に秘めていた「いつか美容を勉強したい」という熱が沸き起こり始めました。ニュージーランドと日本の美容界は全く異なる為、帰国を決めました。

美容の世界へ

母がウエディングプランナー、叔母がS化粧品会社に勤務していた環境で育ったので、美容に対する興味は子供の頃からありました。美容の資格を取得するのなら国際免許を取りたいと思いましたが、ニュージーランドは美容学校を卒業していないと化粧品販売すらできない国なので、まずは日本で化粧品販売などを経験しつつ資金を貯め、再び国際免許取得のためにニュージーランドに渡りました。

一問間違えるだけで再テスト。課題やテスト、プレゼンテーションは毎日ありました。授業初日に現地の子ですら辞めるのが “当たり前” の非常に厳しい学校でしたので、人生で一番、猛烈に勉強しました。睡眠時間が2~3時間の日もざらにありましたが、仲間や先生たちに支えられ首席で卒業しました。このままニュージーランドに留まり就職するのが夢でしたが、コース半ばに家庭の不幸があり、就職はせずに帰国しました。

今は東京でエステシャンとして働いています。体制やシステム、需要が全く異なる日本でとまどう事も沢山ありますが、先輩に恵まれていて、丁寧に教えて頂けるので本当に感謝しています。

2017 ミス・ワイン 準グランプリ

働いて間もなく、母の友人でミス・ワイン群馬に関係する方から連絡があり、ミス・ワインに応募することになりました。選ばれればワインのPR活動に時間が取られるので迷いましたが、会社に相談をし、承諾を得る事ができました。

地方大会を経て全国大会に出場。2017のミス・ワイン準グランプリを受賞しました。ミス・ワインに選ばれた人を対象とした研修会にも出席しました。

この経験は、大勢の方々と接することができ、貴重な勉強になりました。エステシャンとしてのスキルアップに繋がり、良い経験ができたと感謝しています。

内なる美の世界へ

2018年の4月から薬科大学で中医学を学ぶ為に仕事と両立します。自分がアジア人としての強みを浮彫にしてくれるであろう中医学を学ぶ事で、西洋と東洋の知識と技術を独自に混ぜ合わせたものを提供できる存在になりたいと思うようになりました。アロマテラピーや薬膳などにも興味があり、私生活に取り入れていましたが、こうして深く関わるようになって、きちんと勉強したくなりました。これからの仕事にもプラスになると確信しています。

あなたにとっての横浜とは

“SHY(シャイ:恥ずかしがりの、内気な)”な女の子がいろいろな経験をし、いろいろな人と出会って、オープンな性格になり、今は “BUBBLY(バブリー:元気のいい、陽気な)” に弾けています。いろいろな仲間と出会える機会を作ってくれた街が『横浜』です。

☆SHY→BUBBLY☆ 仲間と出会える機会を作ってくれた街が『横浜』

(文:高野慈子

 

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