Skip to content

アートのひみつ(第14回) 写し出されるヨコハマの記憶

by staff on 2018/6/10, 日曜日

第14回 写し出されるヨコハマの記憶

みなさま、こんにちは!
今回は写真についてのお話です。撮ることも、カメラも好きという方もいらっしゃるかもしれませんね。写真こそ、ひと言では語り尽くせない魅力やスタイルがあります。スマホなどでもいつでも気軽に撮ることができるようになって、今や日常では当たり前のような存在です。

1年前、私は山手西洋館エリスマン邸での写真展で今は姿を消してしまった横浜の風景、懐かしいけれど私の知らない横浜の写真の数々と出会いました。ノスタルジックでもあり、静かな中にパンチのきいた写真…。
こちらは私が好きな1枚で、横浜出身の写真家、町田昌弘さんがマリと呼ぶアンティークの人形の写真です。

「藍色に暮れなずむ窓を背に、彼女はいつもお気に入りの椅子に座って、じっと彼方を眺めています。夕陽に染まるサテンのドレスは色褪せ、汚れやほころびさえ見られます。
それでもすくっと背筋を伸ばしたその姿は、勝ち気そうな目鼻立ちと相まって、私に凛とした美しさを感じさせてきました。」(「西洋館のマリ」より抜粋)

この人形のマリは山手西洋館ブラフ18番館にずっと昔からあったようで、今は館に飾られていないそうです。彼女はどこから来て今はどこにいるのでしょう?

このようなたくさんの「横浜の記憶」の写真たちはどのように生まれたのか、町田さんにお話をうかがいました。

---山田
町田さんの写真には横浜の貴重な風景や建物もたくさんありますね。いつ頃から撮られているのでしょう?

---町田さん(以下敬称略)
僕が写真を始めたのは16歳の時で、きっかけは横浜の山手町や波止場の風景に魅せられたからです。それまで両親や学校の先生に連れられて野毛山動物園や山下公園に行きましたが、多感な年頃だったのでミナト横浜や西洋館の風景が心に沁みました。
そんな風景を自分なりに切り撮って残したいとの思いで写真を始めたわけです。

---山田
きっと現在私たちが感じる横浜よりも色濃く異国情緒にあふれていたのでしょうね。カメラはどんなものを使われてたのでしょうか?

---町田
その当時はカメラは時計などと並ぶ貴重品でしたので高校生の小遣いでは手が届きませんでした。そこで横浜港の荷役の日雇い労働に通い、やっとゲットできたのがCanonデミというハーフサイズカメラ(36枚撮りフィルムで72枚撮れました)でした。
ピントは遠・中・近距離のみの設定であとは目測で微調整するという今思うと玩具のようなカメラでした。それでも嬉しくって毎日横浜の街を撮り歩きました。

---山田
町田さんの作品を展覧会以外でも拝見しましたが、その数も本当に多くて貴重な横浜の記録になっていることに驚きました。あらゆるシーンを撮り続けていらっしゃいます。素晴らしいことですね!

---町田
そう、今になって失われた横浜の街の貴重な記録となりました。さらには経年劣化や褪色したネガをデジタル化してホームページやSNSなどで公開していきました。
時々それらを出版物やチラシやネットで使いたいというオファーもあり提供してきましたが、いかんせん小さなデータですので解像力に劣り、迫力に欠けます。せめて35ミリフィルムのフルサイズのデータだったらどんなによかったかと悔やまれてなりません。

---山田
本格的に写真を学んだのは30歳を過ぎてからだったそうですね。

---町田
大学を卒業してから小さな出版社に就職し、編集や取材で写真も撮らされました。しかし高校生の頃に独学で街を撮った程度だったのでやはり技術的に未熟な素人写真、それが雑誌等に印刷され出版され、出来上がった紙面を見ては冷や汗と羞恥に苛まれる繰り返しでした。
そこで、これではいかんと一念発起、31歳で働きながら学べる夜間の写真学園に3年間通いました。最後の1年間は自分でテーマを決めて卒業制作の写真に取り組めということで様々にテーマを検討して、やはり写真を始めた自分の原点の生まれ育った横浜の街を撮ろうと決めました。
以来、横浜や湘南を撮った写真で銀座や新宿のニコンサロンを初めとするギャラリーで個展を7回開催、そして20年ほど前に写真家に転身しました。

---山田
町田さんが写真を撮るときに大切にされていることはどんなことでしょうか?

---町田
まず被写体に接したとき、表面的な美しさに目を奪われ、ムードに流されないように、自分は何に魅せられてレンズを向けているのか、その美しさや魅力を発散しているのは何かを見極めて、それを引き出すべく想を練ります。しかし被写体によっては一瞬一瞬変化するものもあるので瞬間的にイメージを決め、すばやく撮らなければなりません。つまり一瞬で本質を捉えられるよう努力しています。
それには経験と訓練と感性を研ぎ澄ます集中力が要求されます。そこで日頃から写真に集中できるよう余分なことは切り捨て、生活そのものをシンプルにするよう心掛けています。ですから自分から写真を取ったら何も残らないという生き方が理想です。

町田さんが本当に写真を大切にされているのが伝わってきます。また、同じ街を撮り続けることも町田さんのおっしゃる「シンプル」に通じるような気がしました。
そして、ずっと撮り続けている「ひみつ」のひとつを教えていただきました。町田さんは街を歩きながら、いろんな人の目線で撮る場所を見ることにしているそうです。
船で寄港して横浜に降り立った外国人、あるいは生まれ故郷の横浜を離れて久しぶりに帰ってきた人…。
港町ヨコハマと重なるような、定点観測するように街を撮られている町田さんならではの視点です。

写真の持つ力はとても強い、と私は感じています。写し取る量は絵画よりも圧倒的に多いのです。
「撮る」その瞬間に大量の情報に埋没させないように、掬い上げるように、あるいは丹念に濾過するようにエッセンスを抽出していく。
だから撮る人によって魅力もさまざまなのだろうと私は考えます。
また、今回は町田さんにお話をうかがいながら、写真の原点「記録」についても考える機会になりました。
写真をもっと楽しめる予感がします。
横浜の「記憶」と「記録」の魅力を合わせ持つ町田さんの写真作品を現在の風景と一緒に街歩きを楽しんでみてはいかがでしょうか?

◆町田昌弘さんのホームページはこちら
https://machidaphoto.wordpress.com

【今回お話をうかがった町田昌弘さんのプロフィール】

  • 横浜市出身。写真とデザインの事務所LIGHTHOUSE代表
  • 写真展:1982年「シーサイド・ペインティング」(新宿ニコンサロン)、1986年「ヨコハマ・グラフィティ」(銀座ニコンサロン)、1990年「横浜・光の記憶」(パストレイズ・フォトギャラリー)など7回開催。
  • 写真集:『横濱ナイト&デー』(2009年 日本カメラ社刊)。

筆者紹介

 
本 名 山田 明子 (やまだ あきこ)
略 歴 東京都生まれ
1994年 女子美術大学短期大学部卒
美術家 臨床美術士
Art Factory星組 代表
 
通信会社勤務を経て、2014年より高齢者施設、企業などへの出張アート教室をおこなう。横浜山手で「大人のためのアート講座」を開催中。
星組、臨床美術についての情報
  Art Factory星組Facebookページ
https://m.facebook.com/art.hoshigumi
 
☆臨床美術について☆
「臨床美術」は医師と芸術家によって作られた芸術療法です。
現在では学校やオフィスでの感性教育、病院や高齢者施設でのリハビリテーションに取り入れられています。

 

Comments are closed.

ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

Page Top